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五泉通過後は、追っかけの車で大混雑。その中を何とか抜け出し、再度高速に乗り、先を急ぎました。高速道路走行中、三川の駅発車も撮れるかな、と一瞬思ったのですが、地理不案内もあり、無理をしないことにしました。二兎を追う者は一兎をも得ず、と言いますからね。ただ、この日、現地で再会した磐越西線大先達のI氏は、しっかりと三川付近での撮影をこなしたあと、日出谷まで来ており、このあたりに経験の差が出たと言えるでしょう。鹿瀬から長いトンネルを抜けて出てきた日出谷手前のカーブは、バックに新緑の山並みを配する日本情緒漂うポイントです。追っかけのおテツが集まるのも、むべなるかな。Iさんと違って、余裕をもって到着したわたくしは、普段大阪では見かけることのない山並みを愛でるだけでも、はるばる遠征してきた甲斐があったと思うのです。撮影地:磐越西線鹿瀬~日出谷今日5月31日は、シベリア横断鉄道工事開始(1891年)、世界禁煙デー(世界保健機関[WHO]1989年)、そばの日(毎月末日)だそうです。
2015/05/31
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「ななつ星」を追いかけた九州シリーズの初日が終わりましたが、続きは後日再開することにして、ちょっと別のテーマに転進いたします。今、磐越西線でC61の牽く「ばんえつ物語号」が走っています。今日(5/30)と明日も走るようで、沿線は相当数のおテツで賑わうことでしょう。関西に住んでいて東日本がうらやましいなあと思うのは、エリアと一緒になったデスティネーションで、SLをはじめとしたネタテツがたくさん走ることです。人が動くと、何かしらの経済効果が地元に及びます。鉄道での移動という狭い視点ではなく、広い視野から経済効果をもたらそうというJR東日本の姿勢には敬意を表したいと思います。というわけで、憧れのC61に会うため、先週の土曜日(5/23)、日帰りで新潟へ飛び、会津若松まで往復してきました。本当なら新潟付近で1泊し、2日にわたってC61の追っかけを堪能したかったのですが、仕事の予定が入っているため、もったいないと思いつつ日帰りを決行したのです。ところで、わたくしが一番好きな蒸気機関車は何といってもC62です。巨艦巨砲主義と笑われるかもしれませんが、あの圧倒的な存在感は、やはり別格です。なかでも2号機がお気に入り。現役時代、僚機の3号機とともに急行ニセコの先頭に立った姿は、今でも忘れられません。C61はC62ほどではありませんが、好きなタイプです。ボイラがスリムな分、上品な感じがします。数年前、「あきたこまち号」が走ったとき、秋田から横手まで追いかけましたが、C61に会うのはそれ以来です。すでに関東在住テツ友のブログでC61ばんものの様子が伝えられ、そうした情報も参考にしつつ、さらには追っかけの手順、撮影ポイントなども教えてもらいながら当日を待ちました。というわけで、C61ばんえつ物語号、まずは定番のお立ち台、五泉の鉄橋からスタートすることにしましょう。撮影地:磐越西線五泉~猿渡田今日5月30日は、文化財保護法公布記念日(文化庁)、ゴミゼロの日(東京都など1982年)、消費者の日(消費者保護会議、1978年)、掃除機の日、女子将棋の日だそうです。
2015/05/30
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「ゆふいんの森」のあとはキハ185系の「ゆふ」がきます。いろいろなことを考えると、「ゆふ」がこの日のラストの撮影となりそうです。さあ、これをどこで押さえようか。列車通過時刻と移動距離、さらにはこれまでの撮影記録などを勘案してはじき出したポイントが天ヶ瀬駅から程近いところにある鉄橋でした。ここは手前に小さな落ち込みがあり、そこで水が小滝となって流れ落ちるため、画面上でアクセントとなるのです。「ゆふ」が4輌編成だとガーダー橋に乗り切るかしらん、と思ったのですが、幸い3輌編成だったので、その心配も杞憂に終わりました。明るく晴れていたら真っ赤な車体はさらにビビッドになり、新緑に映えただろうに、などという無い物ねだりはよしておきましょうね。撮影地:久大本線豊後天瀬~豊後中川今日5月29日は、国産初の電気機関車が走った日(1928年)、京都に地下鉄が開通した日(1981年)、呉服の日、幸福の日、こんにゃくの日(日本こんにゃく協会、1989年)、エベレスト征服記念日、白桜(与謝野晶子)忌、肉の日(毎月)だそうです。
2015/05/29
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「ななつ星」を見送ったあと、天気は下る一方なのですが、かといってホテルに早入りするのも勿体ない。もう少しだけ久大本線での撮影を続けましょう。いかにもJR九州らしい列車の一つ、「ゆふいんの森」を撮影しないまま帰ることはできません。至る所で川を横切るため、鉄橋が多いのが久大本線の特徴の一つ。しばらくご無沙汰していた鉄橋ポイントへと車を進めました。ロボコップを連想させる丸いヘルメットのようなフォルムが特徴のキハ72系が轟音を立てて鉄橋を渡ってきました。近い将来、「ゆふいんの森」は5輌編成となるようですが、そうなると、この場所ではお尻が切れてしまうなあ、などと思いながら緑の列車を見送ったのでした。撮影地:久大本線豊後天ヶ瀬~杉河内今日5月28日は、国際アムネスティ記念日、ゴルフ記念日(ミズノ、1994年)、花火の日、ニワトリの日(毎月)だそうです。
2015/05/28
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「ななつ星」は火曜から金曜までの4日コースと、土曜・日曜の2日コースがあります。金曜と日曜は、ほぼ同じコースを辿るのですが、長時間停車の駅や停車時間が異なるため、同じ感覚で追いかけるというわけにはいきません。向之原のあとは由布院へ向けて追尾しますが、日曜バージョンだと由布院で長時間停車があるため、機材をゆっくり片づけても余裕で追いつきます。しかし、金曜バージョンの場合、由布院停車は、列車交換のための短時間停車ですから、撮影後すぐに撤収し、由布院から高速に乗って先行するという気ぜわしい追っかけスケジュールになります。この日も、「ななつ星」に追いついたのは由布院停車のときで、その間に高速を利用して先へと進みました。どこで撮ろうかと思案したのですが、ドン曇りということもあり、逆に晴れると逆光になるポイントで撮影することにしました。段々畑が広がり、一部には田植えのための水が入りかけています。サイドから編成全体を入れて撮ることにしました。結果、かなり引き気味のアングルになります。はい、鉛筆ころがし一丁あがり。撮影地:久大本線豊後中村~引治今日5月27日は、山陽線全線開通(1901年)、百人一首の日、日本海海戦の日、海軍記念日だそうです。
2015/05/27
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豊肥本線でもう一度、と思って「ななつ星」を追いかけたのですが、最後の最後で道の選択を間違え、ウロウロしている間に走り去ってしまい、2回目の遭遇とはなりませんでした(涙)。でも、そのあとにやってきた普通気動車はしっかりと記録させていただき、気を取り直して久大本線へと転進しました。「ななつ星」は大分で長時間停車するため、その間に昼食と先行が可能なのです。予定では、このあと2回は撮影ができるはず。その1回を向之原のオーバークロスでいただくことにしました。前回3月末にもこの場所へ来ているのですが、ロケハンで見にいったもう一つのポイントの菜の花があまりにも美しかったため、そちらで撮影してしまい、ここは次回以降のお楽しみとして取っておいたのです。「ななつ星」の少し前にやってくるキハ185系特急「ゆふ」で予行演習をし、撮影のタイミングをしっかりと確認したあと、本番に備えます。この前来た時には、この場所にも菜の花が咲いていたのですが、今は新緑の趣きに姿を変えています。この場所で「ななつ星」の菜の花がらみを狙うのは来春以降だな、とまたの再来を心に期しながら、ゆっくりと接近してくる「ななつ星」を待ち構えました。今日5月26日は、東名高速全線開通記念日(1969年)、ラッキーゾーンの日、ル・マンの日(第1回ル・マン24時間耐久レース開催、1923年)、ふろの日だそうです。
2015/05/26
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この5月はGWの四国帰省に始まり、SL北びわこ号や九州大分、さらには新潟へと各地を転戦しました。合間に近場テツもしており、ブログ未掲載ネタが山積しています。鮮度落ちにならないよう、順番も考えながら順次アップしていきたいと思います。少し前、ANAの株主優待券が手に入り、それをどう利用しようかと考えた結果、大分をベースに初日は「ななつ星」を追いかけ、2日目は、久しくご無沙汰している日豊本線を撮影することにしました。伊丹から大分へ朝一番のボンバル機で移動し、その後、レンタカーを借りてめざすポイントへ急行します。飛行機の到着が10分遅れたのですが、この10分が予想外に大きな影響を持っていたことに、走り出した時点では気づいていませんでした。高速や地元のバイパスなどを乗り継ぎ、2時間近くかけて最初の撮影ポイントへ駆けつけたのですが、現地についてカメラをセットし終わると同時に機関車のライトが見えました。ギリギリセーフだったのですが、飛行機の着陸がさらにあと1分遅れていたら、レンタカーの手続きにもう少し手間取っていたら、ナビの案内する道順が信用できず違う道を通っていたら……、もし、もし、もし、を考えたらきりがありませんが、微妙なバランスのもとにギリギリセーフとなり、結果オーライでよかった、と胸をなでおろしたのです。実は、この場所へは今年の3月末にも一度訪れています。その時は、バックに見えている桜は二分咲きくらいで少し寂しい状況でしたが、あっという間に桜の季節は終わり、今は青々と茂った桜並木となっています。この場所で、満開の桜と「ななつ星」を撮るのは、来シーズン以降の宿題としましょう。撮影地:豊肥本線緒方~豊後清川今日5月25日は、アフリカデー、主婦休みの日、食堂車の日(私鉄の山陽鉄道に日本初の食堂車が誕生、1899年)、広辞苑記念日、アメリカ映画「スター・ウォーズ」が公開された日(1977年)だそうです。
2015/05/25
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長浜以北、つまり、姉川築堤で撮影してしまうと、木ノ本方向への追いかけは無理です。となれば、そのあとの狙いはPF単機のお迎えランとドナドナ回送ということになります。しかし、この日はそこまで待つのもちょっとどうかな、という気がして(妻が一緒ということに加え、薄着で体温を奪われ、戦力喪失)、早めに帰ろうということになりました。しかし、このままでは不完全燃焼を引きずって帰宅することになりますので、ちょっとだけ寄り道をしていくことにしました。久しぶりに新幹線を撮影することにしたのです。米原駅から少し彦根に寄ったあたりで、以前から少し気になっていた場所がありましたので、ロケハンを兼ねて行きました。この場所では、米原駅からこちらに向かってやってくる様子がよく分かるのですが、何しろ速い。グングン接近してきて、あっという間に目の前を通過していきます。SLを追いかけた一日の締めに超高速列車というのは、あまりにも格差がありすぎて、鉄道写真の中でも、いろいろな意味でハードルの高い新幹線の凄さを改めて実感しました。撮影地:東海道新幹線米原~京都今日5月23日は、世界亀の日、KISSデー、ラブレターの日、初の「公害白書」が出た日(1969年)だそうです。
2015/05/23
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毎年5月上旬の「北びわこ号」と言えば、姉川築堤のレンゲがらみが季節ネタとなります。しかし、GW明けから田植えの準備が始まるため、田んぼに漉き込まれて、レンゲ畑が残っているかどうかは微妙なところです。とりあえずは現地に行って確認しましょう。はい、畑は一枚だけ残っていました。線路に向かっての縁には、すでにかなりの数のおテツが貼りついていますが、何とか並ぶことができました。この付近、年によっては麦畑が広がっていることもあります。2年前はそれを取り入れて画面を構成した記憶がよみがえってきました。それにしてもこの日の風の強いこと。好天が予想されたため薄着でやってきたことをちょっぴり後悔しました。撮影地:北陸本線長浜~虎姫今日5月22日は、国際生物多様の日、サイクリングの日、ワットが新発明の蒸気機関の特許を取得した日(1775年)、ガールスカウトデーだそうです。
2015/05/22
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C56が牽引する「北びわこ号」は木ノ本駅に到着すると、程なく迎えに来たEF65PFに引きずられて米原駅まで回送されます。PF+青の12系+C56は今や貴重なシーンであり、むざむざ見逃すことはできません。お腹もすいてきましたが、回送列車の撮影が終わるまでは我慢しましょう。1号撮影後、ダメもとで追尾体制に入り、河毛の築堤までやってきました。何とか追いついたのですが、ビデオをセットしている間に列車は通過。まさに、二兎を追う者は一兎をも得ず、です。反省。こうした事情があったのちの「回送北びわこ号」。いつもの築堤の先を向こう側に回り込むと麦畑が広がっていました。あと半月もすればベージュ色に変わり、「麦秋」の季語そのものの状況になるのですが、今年は少し早かったようです。でも、このときから2週間が経つ今週末(5/24)ならもう少し熟成が進んでいるかもしれません。残念ながら、わたくしは仕事のため撮影には行けませんが……。撮影地:北陸本線高月~河毛今日5月21日は、京都に日本初の小学校が開校した日(1869年)、リンドバーグがパリに到着し、大西洋無着陸横断飛行に成功した日(1927年)、探偵の日だそうです。
2015/05/21
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5月10日、17日、24日と3週間にわたり、毎日曜、SL北びわこ号が走っています。わたくしは、17日と24日は仕事の予定が入っていて行けないため、初日の10日に行ってきました。非常に良い天気に恵まれたSL北びわこ号の初日ですが、GW明けということもあり、高速道路はいたって平穏。世間一般はGWで体力と財力を使い果たしたため、今週くらいは静かにしておこうと、出かけるにしても近場どまりなのかなあ、と妻と話しながら湖東へ車を進めました。さて、朝の1号をどこで撮りましょうか。そもそも、わたくしが長いテツの冬眠時代から目覚めるきっかけとなったのが、このSL北びわこ号です。2002年冬のことでした。以来、四季おりおり、この北びわこ号には足を運んできました。少しマンネリ気味か、と思うこともあるのですが、都合がつきさえすれば、せめて最低一回は四季ごとの北びわこ号に会いにいこうと思っているのです。撮影地:北陸本線坂田~田村今日5月20日は、世界計量記念日、東京港開港記念日、新東京国際空港(成田空港)開港記念日、ローマ字の日(財団法人日本のローマ字社、1955年)だそうです。
2015/05/20
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レトロ電車の運転はまだ残っていましたが、天気がかなり悪くなってきて、その後も好転の兆しがなさそうなのと、朝から追っかけまわして正直、十分ごちそうさま状態であったため、早めに切り上げて妻の実家宅へ帰ることにしました。琴平から阿波池田へ向かう道の途中に猪鼻峠というサミットがあります。そこを通過しているときにふと、確かこの近くの山の上からスイッチバックの坪尻駅が見えたはず、ということを思い出しました。どこだったかなあ、と記憶を辿りながら、えいやっ、とハンドルをきって坂道を上りました。前に訪れた時から何年が経ったのか、ちょっと思い出せませんが、記憶の中の撮影ポイントへ何とか辿りつき、谷の底を見下ろすと、彼方に坪尻の駅が見えます。最近はマスコミで「秘境駅」として紹介されることもあり、数少ない停車列車に乗って訪ねていくファンもいるようです。望遠レンズで確認すると、確かに、駅周辺には何人か人影も見えます。しばらくすると下りの特急「南風」がやってきました。画面に突然現れるため、タイミングを外さないよう集中する必要があるのですが、何とか押さえることができました。2015年GWの思い出に残る1枚となりました。撮影地:土讃線坪尻今日5月19日は、横浜駅(現在の桜木町駅)が開業した日(1872年)、ボクシングの日、織田信長軍が桶狭間の戦で今川義元軍を破った日(1560年)だそうです。
2015/05/19
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この日(5/3)はレトロ電車に加え、もと京浜急行の1070形が4輌編成で運転されました。わたくしとしては、もちろんレトロ電車がメインですが、1070形にも出会うことができればうれしいな、と思っていました。幸い、後追いも含めると4回遭遇することができましたので、首尾としては上々です。琴電は普通2輌編成で運転されていますので、4輌編成というのは珍しく、やっぱり格好いいなあと単純に思ってしまったのでした。撮影地:琴平電鉄榎井~羽間今日5月18日は、国際親善デー、国際博物館の日、ことばの日、ファイバーの日、ナポレオンが皇帝になった日(1804年)、函館五稜郭で榎本武揚が無条件降伏し、戊辰戦争が終結した日(1869年)だそうです。
2015/05/18
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滝宮行きの列車も本来なら追いかけるべきなのですが、次第に雲の量を増やしてきた五月の空は、そのころからポツリ、ポツリと涙を流し始めました。早朝から行ったり来たりを繰り返していますし、天気もこれからは下る一方だから、そんなにガツガツしなくても、と思い、次の撮影に備えます。滝宮へ行った3連は、程なくして折り返してきます。茶色の300号車をサンドイッチした編成ですので、上り下りとも色彩的には変化がありません。どこで撮ろうかなと考えた結果、羽間駅へと通じる築堤そばで、列車を見上げながら撮影するアングルを選択しました。現地に着くと、黄色く色づいた麦畑が広がっています。おお、この日初めての季節ネタカットかも。撮影ポイントは迷うことなく決まりました。撮影地:琴平電鉄岡田~羽間今日5月17日は、世界電気通信記念日(国際電気通信連合、1968年)、生命・きずなの日、パック旅行の日だそうです。
2015/05/17
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4連のフル編成は、終点の琴電琴平駅に着くと、先頭の23号車を切り離して残留させ、今度は3輌で滝宮駅まで往復します。2連、4連、3連と手を変え、品を変えてのファンサービス。ありがとうございます、琴電さま。3連の滝宮行きをどこで撮影しようかと思案した結果、新緑の山バックで頂戴することにしました。普段、月一回の展示走行のときは、それほどファンの姿を見かけることなく、こんな状況じゃ、もしかするとレトロ電車の運転はなくなってしまうかも、と心配するほどですが、この日は至る所でおテツに遭遇します。ある意味、みなさん、現金ですね(笑)。撮影地:琴平電鉄羽間~岡田今日5月16日は、旅の日(日本旅のペンクラブ、1988年)、東京・京都・奈良に帝国博物館が設置された日(1889年)だそうです。
2015/05/16
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琴電琴平駅行きレトロ電車フル編成は滝宮駅で5分余り停車しますので、この間に先行すれば二度目の撮影が可能です。そして、ほんのわずかですが、この交換停車の間に前へ出ることができました。さて、二度目のフル編成をどこで撮ろうかと場所を探しながら運転していた時、前方に線路を跨ぐオーバークロスが見えてきました。そうだ、あの場所で撮ろうと思っていたのを忘れていた。そう思い出し、急遽車を停め、オーバークロスポイントへと駆け上がりました。撮影機材をセットし終わるのとほぼ同時に、レトロ電車が羽床駅に停車しました。停車から発車まで、その状況が一望できるがこのポイントの良いところ。短時間の停車後、編成は再びゆっくりと動き出しましたが、その外見とは裏腹に、加速度はなかなかのものです。独特のつり掛け音を響かせながら一気に迫り来て、足元を駆け抜けました。一応希望どおりのカットを押さえることができましたので、さらなる追っかけは止め、少し遅くなりましたが、いつもの店で名代の讃岐うどんに舌鼓を打つことにしましょう。撮影地:琴平電鉄羽床~栗熊今日5月15日は、沖縄本土復帰記念日、ストッキングの日、ヨーグルトの日、いちごの日、お菓子の日だそうです。
2015/05/15
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基本的に、琴電のレトロ電車は月に一度、原則2輌編成で運転されます。それが、この日(5/3)は現存するレトロ電車4輌がフル出場。しかも、いつものように高松築港と琴電琴平の間を一往復するだけでなく、あるときは2輌、またあるときは3輌、さらには4輌フルで、と姿を変えて行ったり来たりしてくれます。ホント、年に一度の大盤振る舞い。これは行くっきゃない、というのがファン心理というものです。ですから、普段はあまり姿を見かけることのないファンの姿を、この日は至る所で見かけました。さて、2輌編成で朝一番の仕事をすませたレトロ電車は、残る2輌を増結し、4輌のフルラインナップで高松築港をスタートします。しかも、懐かしい琴電カラーに変身した23号車が先頭です。本日のメインイベントであるこのスジをどこでいただきましょうか。できれば複数回撮影したいものです。そんなことを考えながら、これまで経験してきた追っかけプランを思い出し、とりあえずは香東川鉄橋のたもとで布陣することにしたのです。撮影地:琴平電鉄一宮~円座今日5月14日は、種痘記念日、温度計の日だそうです。
2015/05/14
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琴電琴平駅で折り返した朝の一往復目、今度は当然のことながらサーモンピンク色の20形23号車が前になります。この23号車が前になったアングルこそ、今回、わたくしが撮りたいと思ったものの一つでした。小さいころ、数年間だけ高松に住んだことがあります。家が琴電志度線の近くにありましたので、このベージュとサーモンピンクのツートンカラーはお馴染みの電車でした。これが久々に復活する。それはわたくしにとって、幼い日々への回想につながる夢の電車の復活なのでした。撮影地:琴平電鉄羽床~滝宮今日5月13日は、大阪・千日前デパート火災が発生し、死者118人が出た日(1972年)、メイストームデー(5月の嵐の日)、カクテルの日、愛犬の日だそうです。
2015/05/13
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5月3日は、とさでん交通の「電車の日イベント」にも心惹かれましたが、当初の予定どおり、讃岐の琴電レトロ電車祭へ出かけることにしました。その理由は三つあります。一つは、普段、高松築港と琴電琴平との間を一往復しかない運転が、この日は途中駅での折り返しを含めると計七回、行ったり来たりを繰り返すこと。二つ目は、その行ったり来たりの間、2輌編成にしたり、4輌フル編成にしたり、はたまた3輌編成にしたり、と編成のバリエーションが豊富なこと。三つ目は、日本最古級の20形23号車が定期検査を終え、懐かしい琴電カラーに変身して復活登場することです。このように、この日は「レトロ電車祭」とも言えるような状況ですから、これはもう琴電へ行くしかないでしょう。ただ、高知東部の山奥から讃岐西部の琴平まで出かけるのは容易ではありません。そのため、午前4時半に起床して走り出しました。我ながら、好きでなければできまへんわ、とハンドルを握る手が自嘲気味になるのは仕方ありません。そして、前もってシミュレートしていた追っかけプランに沿ってストップ&ゴーを繰り返し、朝一番の2輌編成は3か所で捕捉することができました。本日の思い出の1枚は、この朝3回目の撮影となった土器川鉄橋を渡るレトロ電車です。撮影地:琴平電鉄羽間~榎井今日5月12日は、看護の日[ナイチンゲールデー](国際看護婦協会、1965年)、海上保安の日、民生委員・児童委員の日(全国民生委員児童委員協議会、1977年)だそうです。
2015/05/12
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土佐くろしお鉄道のあと、土讃線で特急「南風」を撮影するというのは、高知へ来た時のお約束。今回もルーティン作業としてこなし、次は高知始発の特急「あしずり」でも撮ろうかと目的地へ移動したのですが、お昼ご飯でゆっくりしたため、タッチの差で間に合いませんでした。何してんねん、自分! と怒りをぶつける先もなく、悶々とした気分でいたのですが、そこへ行く途中で見かけた電車がとても気になりましたので、すぐに引き返し、件の電車を追いかけました。それが「本日の思い出の1枚」であるとさでん交通の電動貨車「貨1形」です。とさでん交通は昨年、経営統合して誕生した会社で、もとは土佐電鉄と称していました。高知市民の足となっている路面電車です。偶然見かけた電動貨車「貨1形」は、昭和27年(1952)、自社工場で製造された工事用電動貨車で木造の車体を持ち、ブリル21Eを履いています。在籍は1両。工事用に配置されているため、営業線に出る事はめったになく、車庫内で眠っていることが多いとのこと。最大荷重は3tと、他社の電動貨車と比較してもその小型ぶりが分かります。これが5月3日に予定されている「電車の日イベント」告知のため、車体側面や前面に大きなパネルを掲げ、さらには天井につけたスピーカーから音楽を流しながらPRに努めていました。これが撮れただけでも高知へ来た甲斐があったというものです。撮影地:とさでん交通桟橋通一丁目~桟橋通二丁目今日5月11日は、大阪~神戸間鉄道開通(1874年)、宇高連絡船紫雲丸が沈没し、死者168人となる事故が起こった日(1955年)、来日中のロシア皇太子を巡査が切りつけた大津事件が起こった日(1891年)、御堂筋が完成した日(1937年)だそうです。
2015/05/11
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時計の針を、東北観光の旅からGWの四国帰省へと進めましょう。週末(5/1)の夜、大阪から高知へと走り出し、日付が変わってしばらくした頃、ようやく妻の実家に辿りつきました。無事、到着できて何より。車から荷物を運び入れると早々に就寝しました。翌日は、予報どおり朝から好天。カメラを持って出かける予定にはしていますが、どこというあてもなく、定点観測となっている土佐くろしお鉄道、土讃線あたりから、その先は成り行きで考えて一回りしてこようか、などと考え、ゆっくりめに家を出ました。土佐くろしお鉄道屈指の太平洋を臨むお立ち台で観光列車を待つことにしました。いかにも南国と思わせるシュロとソテツの木を入れたカットから、そのままカメラを左へ振って太平洋バック、とアングルも決まったところで一休みしていると、通り過ぎるお遍路さんから声がかかるのは、いかにも巡礼の地、四国ならではのことでしょう。撮影地:土佐くろしお鉄道赤野~穴内今日5月10日は、東海道線にトイレ付き列車が登場した日(1889年)、鉄道唱歌第一集が出た日(1900年)、日本気象協会創立記念日、コットンの日、地質の日、街区表示板の日だそうです。
2015/05/10
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青森テツ&観光の最終日は、弘前市内のレトロ洋館巡りからスタートし、前夜の弘前城夜桜を今一度、朝の光の中で眺めたいと弘前城を再訪(でも、堀端のソメイヨシノは、実は結構散っていたことが分かり、夜見る顔と朝見る顔は別ものだという人間の世界でも言える真実に改めて気づかされました)。午前中は弘前市内を散策し、極めてテツ分少なく過ごしましたが、それもまた良しです。午後、空港に向けて移動しつつ、何カ所かでおテツを。午前中、観光をしているため、妻も納得です。そして、これを撮ったら青森空港へ、という前に向かったのが鶴ヶ坂と大釈迦の間にある俯瞰ポイントでした。道路際からお手軽に俯瞰できる場所で、E751系特急「つがる」を待ち受けました。そういえば今から40年以上前、C62ニセコなどを撮影するため、初めて北海道を訪ねた帰りに、この付近でも撮影しています。そのとき、保線小屋のそばで肩と頭の二か所、ハチに刺され、七転八倒しながら関西まで帰ったことが昨日のことのようによみがえってきました。しかし、それも今は昔。大釈迦から鶴ヶ坂への急坂を上りながら、そんな若き日の痛~い記憶を思い出していました。撮影地:奥羽本線鶴ヶ坂~大釈迦今日5月9日は、アイスクリームの日(日本アイスクリーム協会、1964年)、ヨーロッパ・デー、黒板の日、呼吸の日、メイクの日、ゴクゴクの日、告白の日だそうです。
2015/05/09
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あれをご覧 龍飛岬 北の外れと~♪ 初めて訪れた龍飛岬は、高倉健さんと吉永小百合さんの映画「海峡」で見た鈍(にび)色の冬景色とはうって変わり、明るい陽の降り注ぐ北の岬でした。しかし、「風の岬」と看板が立っているとおり、いやあ、風のきついこと、きついこと。この強風の中、トンネル工事のため、岬付近に生活した先人たちの苦労には頭が下がりました。その翌日。早朝からもう一度津軽線へ出かけ、「はまなす」をはじめとする列車を撮影したあと、一旦ホテルへもどり、妻をピックアップしたあと、五能線へと車を進めました。津軽線から帰ってくる途中、岩木山が綺麗に姿を現していたからです。これはもう、「リゾートしらかみ」を岩木山バックで撮らなくては、と単純なわたくしはそう考えてしまったのです。岩木山を臨む現地について気づいたのですが、山を大きく入れようとすると編成全体は入らず、編成をすべて入れると山が小さくなってしまう。う~む、悩ましいところです。結果、「リゾートしらかみ」くまげら編成は、山を重視し、前半分でカットすることにしたのでした。撮影地:五能線板柳~鶴泊今日5月8日は、世界赤十字デー(国際赤十字連盟、1948年)、松の日、ゴーヤーの日、米の日(毎月)、イギリスで初の国際ヨットレースが開催された日(1849年)だそうです。
2015/05/08
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津軽線から津軽海峡線へと続く路線は、本州と北海道を結ぶ物流幹線です。貨物が頻繁に行き交い、その先頭に立つEH500は普段、大阪では目にすることができないため、被写体として、とっても新鮮。カメラを持つ手に力が入ります。そうしたなか、789系「スーパー白鳥」を撮る合間に貨物のスジが1本ありました。EH500もいただきましょう、と思い、待ち構えていると、何となく色合いがEH500と異なる機関車がやってきました。列車通過後、モニターで確認してEH800であることが分かりました。EH800は、EH500をベースに開発されており、新幹線区間に対応した走行機器を搭載した2車体永久固定方式・主電動機軸8軸使用のH級機です。車体塗装は、EF510形0番台と同じ赤色を基調としつつ、側面に新幹線を意識したスピード感をシルバーで、本州と北海道を結ぶイメージを白で表したラインを配しています。このあたりが、撮影していて何か違うなと感じた理由でしょう。485系「白鳥」、789系「スーパー白鳥」に加え、思いがけずEH800も撮影でき、初日の成果としてはまずまず。妻も同行しての観光旅行ですから、テツはこれくらいにして、さあ、龍飛岬観光にでも出かけましょうか。撮影地:津軽線蟹田~中小国今日5月7日は、博士の日、粉の日、コナモンの日、世界エイズ孤児デーだそうです。
2015/05/07
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昨日(5/5)、四国の高知から帰ってきました。妻の実家にいる間、土佐くろしお鉄道や、とさでん交通、さらには香川県まで遠征して琴電のレトロ電車などを愛でてきました。しばらくブログネタには困らない状態で、写真の整理が終わり次第、シャッフルしながらご覧いただこうと思っています。さて、今日のところは青森カットの続きです。今回の東北訪問はすでに記したとおり、弘前や五所川原の桜を楽しむことが最大の目的でしたが、テツ的には津軽線での撮影も課題の一つにしていました。来春の北海道新幹線開業により、津軽線から津軽海峡線を渡って北海道へ至る列車には大きな異変が訪れます。青森と函館を結ぶ特急「白鳥」群もその一つ。特に485系はぜひとも撮影しておきたい列車でした。そのため、青森空港から最初にめざしたのが津軽線でした。海辺を見下ろす丘の斜面には、すでに4人ほどの先客がスタンバイしていましたが、そのポイントに至る途中でも何人かのおテツを見かけました。ダイヤ改正の時期は豪雪、極寒と、撮影条件は厳しさを増しますので、気候の良い時期に記録しておこうと考えるのはいずこも同じ。すでにカウントダウンは始まっていると言えるのでしょうね。撮影地:津軽線蟹田~瀬辺地今日5月6日は、ゴムの日、コロッケの日だそうです。
2015/05/06
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今回の青森訪問は五所川原と弘前をベースにしました。2年ほど前、秋田県をベースにして観光した際、少しだけ青森県の白神山地や十和田湖などへ足を踏み入れたことはあるのですが、妻にとって本格的な青森観光は初めてです。その分、楽しみにしていたようです。結果的には満開の桜を至る所で見ることができ、大満足の旅行となりました。また、テツ的には津軽線や五能線、津軽鉄道や奥羽本線など、これまで足を運んだことのない場所で撮影ができ、これまたよかった、よかったの旅となりました。本日の思い出の1枚は、五能線の「リゾートしらかみ」青池ハイブリッド編成です。最初は桜をバックに撮ろうとしたのですが、線路際に菜の花が群れなしているのを発見したため、急遽そちらに移動し、バックに桜を入れるアングルで画面を構成しました。逆光気味の厳しい条件ですが、花に陰影が出て、これはこれでよかったかな。さて、今夜から妻の実家へ帰省します。ネット環境のない所ですので、しばらくブログの更新ができません。次回のアップはおそらく5月6日の朝になろうかと。撮影地:五能線木造~五所川原今日5月1日は、メーデー、扇の日、日本赤十字社創立記念日 、スズランの日(フランス)、語彙の日、憲法週間(~7日)、省エネルギーの日(毎月)だそうです。
2015/05/01
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