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[1] 読書日記 この本を読んでいる間は、実に楽しい二日間だった。 ジェフリー・ディーヴァー 1995 「静寂の叫び」<上> (ハヤカワ文庫) ジェフリー・ディーヴァー 1995 「静寂の叫び」<下> (ハヤカワ文庫) を読了。 サスペンス。 聾学校の生徒達の乗るバスをバスジャックし、食肉加工場跡に立てこもった脱獄囚たち と、FBI捜査官たちの、午前九時をスタート地点に真夜中にまで及ぶ人質解放交渉を描いた 作品。 巻末の解説で、茶木則雄氏が書いているように、 <精緻を極める徹底した取材と迫真のディテール> <映像効果を重視した三人称多視点によってもたらされる抜群のスピード感> <ヒネリの効いたプロットとラストのどんでん返し> <「語り=騙り」のテクニック> <読者の思い込みを利用した実に巧緻なミスディレクション> が堪能できる。 読んでも読んでも、まだこんなに面白い本と巡り逢うのだから、存命中は本に飽きること など、無いのだろうと思わせる。
2007年02月28日
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[1] 読書日記 マーガレット・トレイシー(アンドリュー・クラヴァン) 1983 「切り裂き魔の森」(角川文庫) 夫の帰りが遅いのは、浮気をしているからではなく、今町を恐怖で震えさせている 連続切り裂き殺人事件の犯人だからかもしれない……。 心理サスペンス。 一気に読める。
2007年02月26日
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[1] 読書日記 BSで映画「シカゴ」(2002年,アメリカ)をやっていたので、久々に観た。 ついでに、 ビル・コンドル 「シカゴ」(角川文庫) も再読。 日本での公開が2003年で、それでも4年も経っている。 懐かしいとも確かに思ったが、それ以上に月日の過ぎていくスピードに驚かされた。 本は、映画「シカゴ」の脚本と、監督や脚本家、出演者等のコメントといった構成。 脚本部分は、最近ちまたに脚本のト書きのような文章の羅列が並ぶ「小説」まがいの 本が溢れかえり、その文章に慣らされている為か、以前読んだ時ほどは読みにくいと思 わなかった。 ちなみに、 <人殺しだって 今思えば立派なアート 絞首刑さえうまく逃れれば あのときの「ズドン」が ツキの始まり> といったミュージカルパートで歌われる主人公ロキシーは、昨日ここで取り上げた 「死の接吻」で描かれている青年にも共通する人物像であり、「犯罪による成功」も また、ある種のアメリカンドリームとして認める風潮が存在することを感じさせる。
2007年02月22日
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[1] 読書日記 引き続き再読強化週間。 となれば、絶対に外せない一冊、 アイラ・レヴィン 1953 「死の接吻」(ハヤカワ・ミステリ文庫) を再読。 概要も前情報も全く知らずに読んだ初読の当時もベストなら、内容を知った上で 読む今でもベストのサスペンス小説。 とりあえず今のところ、この作品よりよくできたプロットのサスペンスにお目に かかった記憶は、数える程もない。 同作者の「ローズマリーの赤ちゃん」も今回読み直したかったのだが、本棚の 表層部では見つからず、現在鋭意捜索中といった状況。
2007年02月21日
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[1] 読書日記 先週半ばから、一度以上読んでいる本を集中して読んでいる。 再読強化週間。 というわけで、 ドナルド・E・ウエストレイク 1970 「ホット・ロック」(角川文庫) ドナルド・E・ウエストレイク 1972 「強盗プロフェッショナル」(角川文庫) ドートマンダーシリーズを読み直す。 日本の作品ではアニメの「ルパン三世」に近い、泥棒チームの活躍をコミカライズで、 けれん味たっぷりに描いたユーモア・ミステリ。 怪盗ルビーや、怪盗ニックシリーズなどもそうなのだけれども、面白かった記憶だけ あって、盗むモノや、その手口を全く憶えていなかった。 殺人事件を描いた作品などと較べて、やはりインパクトが弱いのだろうか? でもおかげで、再読とは思えないほど新鮮に読めました。 作品としては、 <「そもそも、わたしが諸君を雇ったのは」と、少佐はいった。 「諸君がプロだということになっていたからであり、 諸君ならりっぱに仕事を片づける手立てを心得ているはずだったからなんだ」 ケルプは少佐の言葉に傷つけられて、 「俺たちはプロですよ、少佐。 それに、りっぱに仕事を片づけたじゃないですか。 俺たちは四つ仕事を片づけ、そのすべてをりっぱにやってのけたんですよ。 エメラルドを盗み出した。 グリーンウッドを拘置所から救い出した。 警察に押し入り、無事に引き揚げてきた。 そしてプロスカーを精神病院から掻っ攫ってきた。 すべて、りっぱにやってのけたんですよ」 「では何故に」と、少佐は腹ただしげにいった。 「バラボモ・エメラルドがわたしの手にないんだ?」 そして、空っぽの手のひらを上にして手を差し出し、 エメラルドが少佐の手にないことを実証した。 「いろんな事情のせいですよ」と、ケルプはいった。 「いろんな事情がぐるになって俺たちに楯つきやがったからなんですよ」> たった一つのエメラルドを盗む為だけに、コロシアム、拘置所、警察……と次々盗みに 入る羽目になり、ドミノ倒しのようにして物語が進行していく「ホット・ロック」の方が 好み。 ド派手で大胆な盗みの手口だけではなく、犯罪プランナーのドートマンダー、 チームの渉外部門担当のケルプ、カーマニアのドライバー役のマーチなどのユーモラス な登場人物たちのキャラクター小説としても楽しめる作品です。
2007年02月20日
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[1] 読書日記 日曜から今日にかけて、久々に エラリー・クイーン 1932 「Xの悲劇」(創元推理文庫) エラリー・クイーン 1932 「Yの悲劇」(創元推理文庫) 再読。 読み返すくらいだから嫌いじゃないんだけども、ミステリとしての面白さや、レーンの 苦悩云々といった部分を別として、やっぱり「Y」については、読み手として物語を読み 進めていく際に、どうしても釈然としないものが残る。 関係者の証言を得た時点で、警察であれば当然するであろう捜査をしないのが、 作者の手によって、探偵の為に手抜き捜査を強いられているようにしか見えない。
2007年02月19日
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[1] 読書日記 どうなんでしょう? 普通に物語を読んでいる男子というのは、私が小学校の頃であれば低~中学年で伝記、 児童向けの文学(「十五少年漂流記」「岩窟王」「三銃士」など)、江戸川乱歩、シャ ーロック・ホームズ、アガサ・クリスティ、そして高学年で宗田理、星新一、赤川次郎 と至り、中学生で三国志、水滸伝、世界文学全集(シェークスピア、ディケンズなど)、 夏目漱石と来て、太宰治。女子であれば、赤毛のアン、途中略して、山田詠美、やっぱり 太宰治。 自分と自分の周囲をモデルにすると、そういうイメージがあったのですがどうなんで しょう? 当然、個人差や世代差(上記の記述は主に80年代後半~90年代前半が小中学時代)は あると思うのですが。 と、そんな事を本を読みながら思い返させてくれたのが、 野村美月 「“文学少女”と死にたがりの道化(ピエロ)」(ファミ通文庫) 野村美月 「“文学少女”と飢え渇く幽霊(ゴースト)」(ファミ通文庫) ミステリ。 そして、ブックガイド。 最近の子は、本を読まない本を読まないと世間では言われるものの、統計的に見ると 実は何やかんや言って、一番本を読んでいる世代というのは中学・高校生であり、むしろ 大人の方が本をよっぽど読んでいない、とは有名な話。 実際のところは、自分は小中学生と関わりのある生活をしていないので、よく分かりま せんが、恐らく世間で言われるところの「本を読まなくなった」とは、今までスタンダード とされて来た文学全集を読まなくなった、って事を指し示しているのだと思います。 だって相変わらず、統計的には本は読まれているのだから、読まれている本の質が変わっ たという事なのでしょう(あるいは、「最近の若い奴は~」式の、昔からの常套句なのかも しれませんが……)。 じゃあ、替わりに何を読んでいるのかは先にも書いたように、小中学生との接点が皆無な ので正確には分かりませんが、最近の書店におけるライトノベルのコーナーの肥大っぷりと 無縁ではないと思います。 多分世の中には、「本は良く読む」と言いながら、ミステリあるいは時代小説しか読まな い人がいるのと同様に、ライトノベルばかり読んでいる人も多いのではないかと思います。 やっと、本題。 要は、そんなライトノベルしか読まないユーザーと、文学と世間では一般に呼び習わされ ているモノとの、良い感じの架け橋になるのが、このシリーズではないかと。 そう言いたかった訳ですよ。 昔は(あくまで私のイメージですけど)、普通の量しか本を読まないような子でも、自然 と太宰治に行き着いていたのが、今ではそれまでの読書経験(文学)の集積を持たない為に 教科書で修正されている「走れメロス」だけが太宰治体験ってな人も、多いと思います。 そんな人々に、太宰治へのショーカットを決める入り口を、強引にでも作ってしまってい るのが、このシリーズ。勿論、太宰治だけではなく、夏目漱石やら、国木田独歩やら、英国 文学への扉が開きっぱなし。 文学が読みたくなる。 文学に興味が湧いてくる。 どうでしょう、文学を是が非でも我が子にでも読ましておきたいと言う親御さん。 受験に、推薦入学や裏口入学という立派な門戸が開かれているように、真っ向から攻める だけが道ではありませんよ、と。
2007年02月13日
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[1] 読書日記 <何もかも、頭のなかだけでのことだったのかも。 脳の機能障害。 砂粒ぐらいの凝血塊。 細やかな脳の毛細血管の、それ以上に細かな出血。 何らかの化学=電気的な平衡異常。 考えれば考えるほど、 超自然だとか陰謀だとかいう説を退けることは簡単になっていく> 映画や本に読み慣れて来ると、あるいは一作でも類似の話に触れた事があれば、 「主人公の気がふれていると周囲から思われているような場合、狂気にかられている のは主人公ではなく周囲である」と経験則から導くのは簡単である。あるいは、旦那 は気が狂っているとしか思えないと確信している主婦の主人公の場合、真相は主人公 の方が気が狂っている、という逆パターンか。 そんなものは大半の人間が見抜けるものであって、自分は早い段階からこのオチには 気付いていたよ、と鬼の首を取ったが如く指摘するすのは、むしろ大人げなくさえ見える。 それ程に、お決まりであり、常套句となっている構成である。 で、ありながら真相が明かされるその時まで、首根っこをつかんだまま物語中をズルズル と引き回すのが、 ディーン・R・クーンツ 「雷鳴の館」(扶桑社ミステリー) である。 読了。 裏切っているのは、自分の体なのか、それとも脳や心なのか、やっぱり周囲なのか。 <サスペンス・ロマンス>(解説より)。 ホラー。 クーンツが自国では、「リー・ニコルズ」名義で発表した作品。 表紙裏の解説が、導入部の概要を簡潔に記しているので、以下にまんま引用する。 <スーザンは見知らぬ病院のベッドで目覚めた。 医者が言うには、彼女は休暇中に交通事故に遭い、 このオレゴンの病院に運び込まれ、 三週間も意識を失っていたという――。 しかし、彼女にはそんな記憶はなかった。 と同時にこれまでたずさわっていた仕事の内容、 同僚の名前まで思い出せない。 そして、彼女は病院の中で信じられないものを見てしまう。 大学時代にボーイフレンドを殺した男たちが、 若い姿そのままで患者として入院しているのだ! これは狂気か? 幻覚か?> 真相については人によって好き嫌いはあるでしょうが、先述したように導入部から 中盤、そして後半へと至る、病院という閉鎖空間における恐怖は、さすがクーンツ。 エンタテイメントとしては一流。 一気にラストまで読めます。
2007年02月12日
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[1] 読書日記 甲田学人 「断章のグリムI 灰かぶり」(電撃文庫) 甲田学人 「断章のグリムII ヘンゼルとグレーテル」(電撃文庫) 読了。 グリム童話の解釈を巡る冒険。 ホラー。 あるいはサイキックアドベンチャー。 見立て殺人、被害者のミッシングリンク探し、という要素から見ればミステリとも。 ★ 文体は、繰り返される説明や、人物の印象描写・心理描写が、手取り足取り過ぎて 苦手な部類。 ★ <その心の底から楽しげな声を何かに例えるなら、処刑のショーが始まるのを待つ、 高貴で狂った女公爵の声>といった修辞には、「声」一つを説明するのに、どれだけ 言葉を重ねるんだ、という思いが先立ってしまうし、<「それがどんな人間でも、誰で あっても、殺せるわ。あんたなんかに任せる必要もなく、躊躇も懊悩もなしに」>などの 台詞には、別に「懊悩」っていらないんじゃないの、って突っ込みたくもなる。 ★ 「断章のグリムI 灰かぶり」の出だしを読んで、 ショッキングな事件の渦中にある登場人物(危険な状況にある主人公)→その理由を 遡って説明、という構成は大衆小説によく見られるモノでもあるが、そのショッキングな 事件というのが、美少女との登校風景→その理由を遡って説明というのは、ライトノベル ならではだな、と思ったり。 それが、読者を先に読み進めさせる求心力を担っているのだから凄い、と感じたり。
2007年02月08日
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[1] 読書日記 過去一度も読んだ事のない程、主人公が受け身なミステリ。 何故なら、主人公は全身麻痺のため、見る事と聞く事は出来ても、動く事も、 話す事もできない老婦人だから。 パトリシア・カーロン 1969 「ささやく壁」(扶桑社ミステリー) 読了。 心理サスペンス。 物語は、そんな彼女が壁伝いに階下の住人による殺人計画を聞いてしまう事で、 動き出す。 ……のだけれども、この物語は類書のサスペンスでは珍しいスロースターター。 物語が軌道に乗るまでに、主人公による背景説明やら、その事に対する嘆きやらが 続いて、今ひとつ気分が乗ってこない。これが唯一の難点。 しかし、そこを通過してしまうと、後は凄いの一言。 何が凄いって、物語は彼女が動けない為に、彼女の寝室からほとんどカメラが動か ないというのに、どんどんと進行していくのである。しかも、週刊誌に連載されている 漫画や、連続ドラマのように、章のラストでは「必ず」彼女がのっぴきならない事態に 巻き込まれる、あるいは新たな問題に直面させられるという見事な「ひき」を毎度見せ るのである。サスペンスを読ませる動因として、これほど魅力的な要素はない。 以下、ネタばれ有り。 ただ、読んでいる途中からも薄々と感じるのではあるが、実は日本の作家で言えば、 折原一の作品によく見られるように、ハラハラドキドキとさせられた割には、終わって みれば大事に至らず、結果的には何事も起こっていない、平和という類の作品ではある。
2007年02月07日
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[1] 読書日記 <考えてみると、 生まれたときからこの町に住んでいて、 地域社会の一員として尊敬されてきた人間が、 とつぜん変質者よばわりされ、 殺人犯の疑いをかけられ、 百人もの群集に取り囲まれたのだ。 どんなひどい悪夢の中でも、 こんな事はおよそ予想できなかっただろう> <総勢二百名にも及ぶ登場人物>(解説より)と、この事件を一人称の視点で語る 「わたし」によって、共同体の崩壊(悪夢)を描く、 スティーヴン・ドビンズ 1997 「死せる少女たちの家」(ハヤカワ文庫)<上> を三度目の、そして スティーヴン・ドビンズ 1997 「死せる少女たちの家」(ハヤカワ文庫)<下> を一度目の、読了。 サスペンス。 一見、ひとりの男の視線を通すことで戯画的とも、単純化されているとも見えるが、 群集心理とはあながちこういうモノかも知れないと納得させられ、恐怖させられる作品。 抜群に良い。 一読の価値あり。 ただエンターテイメント本でありながら、会話やアクションシーンよりも、背景描写に かかる比重が大きく、見開き真っ黒というページが多々見られる翻訳小説なので、 走るように進む本に読みなれていると辛いし、スピードももどかしく感じられるかも。
2007年02月02日
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[1] 読書日記 のっけから、アホな書き出しだった。 <シルヴィア・ガスコイン=チャマーズが夫を殺そうと決心したのは、 ある水曜日のことだった。 ところで、シルヴィアは知らなかったのだが、夫のエドガーは火曜日、 すでに妻を殺す決意を固めていたのだった> そして中盤に至り、 <そうなのだ。エドガーこそ妻殺しにもってこいの夫だった。 そしてシルヴィアは、殺されるにはまたとなくふさわしい妻だった> 更には、 <シルヴィアは、自分でも思いがけないことであったが、 エドガーに対していつの間にか感謝の気持ちを抱くようになっていた。 一つには夫が保険に入っていてくれたこと、 また二つには夫がたいそう憎憎しい人物であることがありがたかった。 エドガーが好人物だったら、殺そうとしても殺せないだろう、 少なくとも、こんなに晴れ晴れとした気分で、 良心の呵責などかけらほども感じずに、 殺意を抱くなんてことは望めなかったろう> と描かれる、 ジェームズ・アンダースン 1980 「殺意の団欒」(文春文庫) を読了。 殺伐とした単語が並んではいるが、描写や文体でも分かる様に、ユーモアミステリ。 体裁は長編ではあるが、夫婦が互いに相手をあの手この手で殺そうと企み、失敗を 繰り返す連作短編集の趣。 一応、着地点も無難というか妥当。 息抜き程度に気軽に読めます。
2007年02月01日
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