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[1] 読書日記 <それは、僕の家だった。 猫について歩いていたら、いつのまにか、家についていたのだ。 はっとして、僕は振り返った。 猫はにゃー、と一声鳴くと、 くるりと方向転換してゆっくりとした足取りで去っていった。 僕が猫のことを知っていたように、猫も僕のことを知っていたのかもしれない。 僕が自分の後ろについてきているのは、道に迷ったのだと思い、 僕を家まで案内してくれたのだ。 僕はそう思った> 穂史賀雅也 「暗闇にヤギを探して」(MF文庫J) を読了。 レーベル的にはライトノベル。 ジャンルとしては、児童文学。 主人公の草加合人は高校一年生。 ある朝、学校の机の中に残しておいた数学のノートの記入したはずのページが無くなり、 代わりに「ごめんなさい、おいしかったです」と書かれた便箋が残されているのに気づく。 <「『ごめんなさい、おいしかったです』、か……」 口に出すと、それはとても不思議な言葉だった。 僕はこの手紙を書いたヤギの気持ちを想像してみた。 「ごめんなさい」というからには、 ヤギは僕のノートを食べるつもりじゃなかったんだろう。 なんらかの不可抗力によって、僕のノートを食べてしまったのだ。 だからヤギは「ごめんなさい」という言葉を書いた。 そして僕のノートはヤギにとってとてもおいしかったのだろう。 だから、「おいしかったです」とお礼を書いたのだ。 こう考えると、ヤギはとても誠実で正直な性格のように思えた。 もともと僕はヤギにノートを食べられてしまったことに対して怒っているわけでは なかったのだけれど、この手紙を書いたヤギの心境を思いやるに至って、 ヤギに対して好意のようなものを抱きはじめていた> 少年の初恋と成長の物語。 「ボーイ・ミーツ・ガール」イコール「ボーイ・ミーツ・ワールド」。 ただラストの2ページはテキストの解釈次第では、仮に児童文学としたときの対象には 年齢的なハードルが高すぎるか。自分としては「そうとしか読めない」になるのだけれど も、「そうとは読まない」人も多数いるのだろう。これぞ小説の愉悦。 センスの良い作品。
2007年07月30日
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[1] 読書日記 <さらにしばらく喘ぐような呼吸を続けていたあとで、 彼は目を閉じ……死体の乳首に唇を近づけ……その乳首にさらに唇を近づけ ……そして、ついに……それを口に含んだ。 死んでしまった女性が声を立てることはないはずだった。 けれど彼はその瞬間、リップグロスに光る女の口から漏れた、 淫らで切なげな声を聞いた気がした> 最近マイブームが来ている作者につき、積み本崩しを敢行中。 大石圭 「死人を恋う」(光文社文庫) を読了。 ホラーというよりサスペンス。 途中、カトリーヌ・アルレーの代表作のあるネタを使ってのドキドキ感の演出あり。 そしてサスペンスの皮を被っているものの、実態は、ひきこもりだった青年の成長と恋愛 を描いた小説。 クリスマスイブの夜。自殺しようとやってきた山中で、練炭自殺をした少女の死体を手に 入れた主人公がネクロフィリア(死体愛・死姦)となり、その後も死体を求め続ける物語。 ギミック豊かな細やかなエピソードを積み上げて、積み上げて作られた世界が心地良い。 そして、 <そう。違う種類の生き物。 たぶん、僕は本当は人間ではないのに、 何かの間違いで、人間の姿に生まれてしまったのだ。 男に生まれてくるべき人が女の姿で生まれてきてしまうということがあるように。 あるいは、 女に生まれてくるべき人が男の姿で生まれてきてしまうということがあるように。 僕もまた、人間とは別の――たぶん、森の中でたった一匹で生きていく、 ヤマネコのような獣に生まれてくるはずだったのに、 何かの間違いがあって人間の形をして生れ落ちてしまったのだ。 野生のヤマネコが人間の群れの中で、 人間と同じように暮らすことは、 どう考えても不可能なことだった> と思いながら、ずっと生きている主人公のキャラクターも良い。 親の死に対して、ショックであると同時に、 <これからは僕の命は、僕だけのものなのだ! もう僕は誰に遠慮することもなく、いつでも好きな時に、 この命を捨ててしまうことが許されるのだ! 動物園の檻の中の捕獲されたヤマネコのような日々を、 いつでも終わらせることができるのだ! 僕はそう思った。 それにしても……ほかの種の中で26年も、よく生きてきたものだ。 自分でも感心してしまう> と感じ、自殺をしようとやって来た山中で、集団自殺をしようとしている別の一団を 見たことで、 <もし、僕が今夜、この車の中で練炭を焚いて自殺したら、 僕たちの死体を発見した人は僕をあの6人の仲間だと考えるかもしれない。 たとえ死後のことであったとしても、そんなふうに思われるのは嫌だった。 僕は群れでの生活に最後まで馴染むことができなかったのだから…… だから生きていた時と同じように、死ぬ時もひとりきりがよかった> と自殺を踏みとどまるのである。
2007年07月25日
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[1] 読書日記 <そうだ。僕は君のすぐそばにいる。 わずか80mしか離れていない場所で、いつも君を見つめている。 時にはベッドの下で君に寄り添っている> プロローグを読み終わるまで、タイトルを「アンダー・ユア・ヘッド(頭)」だと思い 込んでいた、 大石圭 「アンダー・ユア・ベッド」(角川ホラー文庫) を読了。 江戸川乱歩の「陰獣」であり「人間椅子」的登場人物が主人公の恋愛小説。 ホラーではない。 翻訳ミステリテイストのサスペンス。 <瞬間、僕は愕然とした。 キュートでファッショナブルでチャーミングだった彼女は、 人生に疲れ切った年齢不詳の女へと姿を変えていたのだ。 最初は人違いかと思った。 その女はどう見ても、あの佐々木千尋には思えなかった。 だが人違いではなかった。 彼女はまだ28歳だったはずなのに、 その横顔はもう40歳と言ってもいいほどに見えた> <千尋を健太郎から奪い、自分のものにする――そんな大それたことは考えていない。 僕のような男にそんな資格はない。 ただ……僕は、彼女に恩返しがしたいだけだ。 僕に幸せを教えてくれたことの恩返し。 そして、もしできることなら、もう1度だけ向かい合って熱いコーヒーを飲みたい。 僕の願いは、ただそれだけだ> 妻を奴隷のようにして扱うサディストの健太郎。 世間体を気にして、健太郎からの暴力に耐え甘んじる千尋。 千尋とのたった一度したお茶が、人生で唯一の幸福な瞬間だったと考える主人公の三角関 係を、スケッチ風に三人の交互の視点で描かれている作品。 登場人物の造型が良い。新鮮。 紋きり型でも、類型的でもないのに、現実にはゴロゴロいそう。 そして実際にこの作品に出てくるような生活してて、この作品の中のような事件を起こし ていそう。 個人的には、 <僕はサラブレッドの繁殖をするブリーダーのように、 彼らの家系図を作って慎重に血統を管理しながら、 ネオン・グッピーの繁殖を続けている。 今、店の水槽で泳いでいるネオン・グッピーは、 21年前に横浜のデパートで母に買ってもらった魚の32代目と33代目、 そして34代目にあたる子孫たちだ> という箇所に激しく惹かれる。 何か新しく趣味を始めるなら熱帯魚! そして、この作品の主人公同様に家系図を作って血統管理をしたい!と。 空間のみならず時間も生命も支配できる箱庭世界を堪能できるではないか、とハッとさせ られる。 ダビスタの到着先が、血統馬券だけではあまりに寂しい。むしろこれでしょう。なんて。
2007年07月24日
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[2] 読書日記 <「なんでまた時間旅行の研究なんか始めたんだ? 恋人が事故で死んだりしたのか?」 「なぜ恋人が事故で死んだら、時間旅行の研究を始めるんだ?」 「事故の前に戻って恋人に会えるじゃないか」 「新しい恋人を作るせっかくのチャンスなのに?」> タイトルと表紙のイメージから、「ホラー」か「奇妙な味」の短編集かと思っていたら、 SF短編集だった、 小林泰三 「目を擦る女」(ハヤカワ文庫) を読了。 表題作他、「超限探偵Σ」「空からの風が止む時」「未公開実験」「予め決定されている 明日」など合わせて、時間・空間を題材にとったSF短編が、7編収録されている作品集。 面白いし、読みやすいし、親切。 あっという間に読み終わっていた。 私同様に、普段「ミステリやホラーは読んでも、SFはチョット……」とSFというジャ ンルに苦手意識や食わず嫌いがある人でもすんなり読み進んでいける、巧みな作品の配列に なっている。 タイトルといい、表紙の絵といい、構成といい、良い意味でしてやられた気分。
2007年07月22日
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[1] 読書日記 <相対性理論と住宅展示場> これは、口絵に描かれた講○社の「ブルー○ックス」もどきの本のタイトルであるが、 まさにこの一言が、本書の内容全てを物語っているといっても過言ではない、 小林めぐみ 「食卓にビールを」(富士見ミステリー文庫) を読了。 ライトノベル。 SF。 女子高生兼人妻の主人公が、人妻として宇宙人と遭遇したときの「食卓にビールを○ ○篇」と、女子高生として宇宙人と遭遇したときの「食卓にビールはありません○○篇」 の9篇と、各篇の間に差し込まれる「食卓にビールを☆花嫁篇」からなる連作短編集。 自然科学系の岩波ジュニア新書や、講談社ブルーバックスを物語化したような作品の 集まった作品集。各短編ごとに、ワントピック。本書最初の短編「食卓にビールを☆シュ レディンガーの猫篇」であれば、「シュレディンガーの猫」を題材にした、講義と物語。 あさりよしとおの漫画をノベライズ化したらこんな感じになるのではないだろうか。 あるいは、梨木果歩「家守綺譚」に情緒、ディテール、描写を廃し、自然科学的な処理 を施したような作品とも。 現在6巻まで出版されているようであるが、久々に2巻以降も読んでみよう、と思わせ られたライトノベル。 ただライトノベルというジャンルの設定されている対象年齢も関係しているのか、ビール を飲みたいと思わせる本ではない。 ビールを飲みたくなりたいのであれば、西澤保彦を読んだほうが良い。 追記 「食卓にビールを2」も読了。 一巻の延長といった乗りで、内容も同様。 2本の短編と1本の長編(中篇?)が収められているが、長編は長編というよりも 連作短編といったつくり。
2007年07月18日
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[1] 読書日記 <世界がもし百人の妹武将だったら―― 五八人はお兄ちゃんに甘えてみたいもののふで、 三一人はお兄ちゃんにほめられたいもののふで、 八人はちょっぴりすねてみたいもののふで、 三人は本気で下克上を狙っています> 古橋秀之 「超妹大戦シスマゲドン」<1>(ファミ通文庫) を読了。 ライトノベル。 「ブラックロッド」、「ある日、爆弾がおちてきて」(共に電撃文庫刊)の作者に よる作品。 操縦者の妹を無敵の超人に変える“妹コントローラー”を手に入れた兄妹が、秘密 結社〈プリオン〉と特務機関〈COMP〉の争いに巻き込まれ、“妹コントローラー” で超人と化した数々の妹たちと、出遭ったり、戦ったりする物語。 <「これぞ、最新型妹オーラ増幅装置! ブーストアップ時の妹ゲインは従来の五倍(当社比)だッ!!」> <航空機から一瞬にして生まれ変わったその姿は、最新科学によって武装した、 音速の戦乙女――彼女こそ、特務機関〈COMP〉の妹技術の結晶、 次期主力型多目的戦闘妹、キャシィ・ノーマンその人なのだ> <「みんな大丈夫か!? 返事しろ!!」 あたりから、少女の声が何重にも上がった。 「は~い、兄上」 「兄っち」 「兄すけ」 「兄アニ」 「兄ダー」 「兄む~」 「兄ポン」 「兄りゅん」 「兄ッピー」 「兄ゴラン」 「兄スター」 「兄ゾーマ」 「――よし、全員無事だな!」 その様子を横目で見ていたサトルが、ぽつりと言った。 「……なんだあいつ、妹が十二人もいるのか?」 「わ、それってスゴい大家族?」 「ふむ、世の中には不可解なことがあるものだな」 ソラと獅子神が相づちを打ったところに、 「ふふふ、なんのそれしき!」 と、割って入る男があった。手にはトランプのようなカードを持っている。 「わが妹たちは便宜上タロットカードの暗示で分類されているッ!!」 「――ってことは、二十二人か!?」 「なんと!」 「ひゃー!」 だがそこに、和風の甲冑をまとい、陣太鼓を持った男が現れた。 「甘いな、わが家では毎年年末に四十七人の妹を率いて吉良邸に討ち入りをする!!」 「なにィッ!!」> < ♪ジャーンジャーンジャンジャカジャッジャ、 ジャッジャッジャッジャッジャッ! ♪守るも攻むるも黒鉄の 浮かべる妹ぞ頼みなる―― 「ふむ? この音楽は――」 「もしかしてパチンコ屋さん!?」 「いや、軍艦マーチ……だな」 サトルがつぶやくと同時に、岩場の陰から、海上を滑るように巨大な影が現れた。 鋼鉄の城を思わせるその姿は―― 「せ……戦艦!!」 『うはははは!』 戦艦の甲板から、軍人風の男が身を乗り出した。 『この湾一帯の制海権はわれら大和兄妹にあり! わが大艦巨砲妹・撫子の四六サンチ砲を受けてみよ! ――撃ェ――――ッ!!』> と、ありとあらゆるギミックとネタを「妹」と結合させて、作品全体を「妹」の一字を もって強引に統一した、文字通りの異種格闘技戦。 現在までのところ、一応物語と呼ぶべきものはあるものの「このあとはどうなるんだ?」 と惹かれる程のものでもなく、読者の興味の行方(ページを捲らせる動因)は、この様々な ネタや、その盛られ方のデザインを楽しむことに尽きるか。 良くも悪くもライトノベルらしい作品。 2巻まで発売中。
2007年07月09日
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[1] 読書日記 高橋源一郎に、 <ぼくは、町田康の小説デビュー作となった『くっすん大黒』を読んで、 強烈なショックを受けて以来、この、規格外れの怪物の書く作品を、 複雑な思いで読んでいた。 「複雑な思い」をした理由は簡単だ。 「こんな小説をぼくも書きたかった!」と思ったからだ。 「こんな小説を、ぼくも、どこかで思いついていた」ような気がしたからだ。 「でも、こんな小説、絶対に書けない!」と思って泣きたくなったからだ。 しかし、同時に「まだまだだ」と思っていた(思おうとしていた、が正解か)。 「ガンガン書いているだけじゃないか、確かに勢いはすごいが、 深い考えがあって書いているかどうかわからないじゃないか」 とも思った(思おうとした、だな)。 その淡い期待(?)が裏切られる日が来た。 ある雑誌で、この『パンク侍、斬られて候』の連載が始まり、それを読んだのだ> と巻末の解説で誉めちぎ倒されている、 町田康 「パンク侍、斬られて候」(角川文庫) を読了。 読み終わってすぐにもう一度読み、これまた読了。 すぐにもう一度読む予定。 時代小説? 現代小説。 何が? 何処が? という域を超えて、全てが、とにかく面白い。 <「で? その掛十之進という者はいかなる素姓の者じゃ」 「は。素姓はしかと知れませぬが相当の人物と見ました」 「うむ。 相当の人物。 大したものだ。 最近ではもうそこいら中に相当の人物が溢れている。 みんな一廉のものだ。 家中は相当の人物で溢れておる。 相当の人物しかいないといっても過言ではない。 しかしこれは実は困ったものでなあ。 相当の人物は相当偉いから相当の仕事を与えねばならぬ。 ところが家中の御役には相当の仕事というのはない。 どれもこれも取るに足らぬくだらぬ仕事ばかりだ。 というかそういうくだらない仕事が集まって実に大変な仕事になっているのだが 家中の相当な人物どもはこれに気がつかない。 例えばついこないだも僕は部下の勘定方の若いものに書類の作成を依頼した。 ところが彼は仏頂面をして、 僕はこんな仕事をするために家督を継いだのではありません。 かなんか言ってふくれるのじゃ。 やむなく儂が自分で書類を届けてきた。 或いは藩財政逼迫の折から儂は民間に見習えということで 城下の商家に若侍を研修に出す制度を拵えたがこれも、 僕には武士のプライドがありますからそんなことはできません、 などと吐かしおって、 しかもその顔つきを見ていると、 そういうことを出頭家老に向かって言うヒロイックなボク、 に酔っているような様子で実にもう大した人物だ。 或いはとにかく偉い奴もいる。 といって実際に偉い訳ではない。 実はアホなのだ。 しかし組織というのは不可解なもので そういうアホが責任ある地位についてしまうこともままある。 ところがアホは組織の間違いによってではなく 自分が偉いから責任ある地位につけたのだと思いこむ。 これは様々の混乱を招く。 アホはアホなので儂の指示を理解できない。 理解できないなら聞きにくればよいのだが、 アホは自分が賢いと思っているから聞きには来ない。 で、どうするかというと自分勝手な間違った解釈で仕事を進める。 途中でそれを知った儂はそんなことを進めるととんでもないことになるから 中止するように指示するのだけれども アホは自分が偉いと思っているから、 この偉い私のプランを中止することなどということは出来ない。 この偉いオレがせっかく考えたというのに 出頭家老ごときがなにをいっても無駄だ、 などと「偉いオレ」に固執するあまり間違ったプランをそのまま進行してしまう。 もちろん職責上そんなことを捨て置く訳にはいかず、 当人を呼んで厳命するのだけれども、 そもそもアホなのをもっぱら自分の幻想によって無理矢理偉いことにしているから 現実に対する不随意な防衛反応のようなものが異様に発達していて、 自らに都合の悪い議論になると突如として耳が聞こえなくなって 反応をしなくなる。 おそ松くんに出ている旗坊のような顔をして黙っているだけになってしまう。 或いはそこまでいかなくともこっちが何かいう度に横を向いて、 はっ、くはっ、などと嘲笑したり、 ことさら、この人はなにを気違いじみたことを言っているのだ。 シュール過ぎて理解できない、 という具合に目をまん丸に見開いて口をぽかんと開けてみせる。 しかしそれとて自説を曲げたくないが相手を論破できないので やむなくそうして見せた田舎芝居で、 心底驚いているわけではなく、 アホにそういうクサイ芝居をやられるだけで疲れるのだけれども、 とにかくいずれにしても話にならぬからしょうがない、 その部署のまだ話の分かる若い者に直接指示を出して 事態の収拾を図ろうとすると、 アホはこのオレの顔を潰したと遺恨に思って様々の陰湿な工作をして、 またこういう奸智だけはどういう訳か長けていて、 プロジェクトが善き方向に進むのを妨げる。 ならいっそのこと、 そんなアホは降格して別のものを責任者に据えればよいようなものだが、 組織というものは難しいものでなかなかそういう訳にもいかず、 ほとほと疲れ果てて庭を眺めながら茶を飲んでおったところへその方が参って また難しい問題を持ち込んで、 掛十之進という素性の知れぬものを召抱えよと言ってきたという訳で そのうえにこうして四百字詰め原稿用紙四枚分も喋ってしまったので 儂はほとほと疲れてしまったのだが、 まあ腹ふり党なるものが御領内に入り込んでおるというのは由々しき事態である。 まあ疲れてはいるがしょうがない儂がその掛なる者に直々に会うてみよう」>
2007年07月06日
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[1] 読書日記 文庫版解説では乾くるみに、 <プロレスファンでなくても充分に楽しめる。 プロレスファンなら尚更だろう> そして単行本出版時の解説では、笹川吉晴に、 <この世の中には二種類の人間がいる。 全てを〈プロレス〉によって考える人間と、そうでない人間である> と書かれた作品、 伯方雪日 「誰もわたしを倒せない」(創元推理文庫) を読了。 格闘技ミステリ。 <「殺されたのはダレン・スチュードという『世界最強』と呼ばれ、 実際その言葉どおりの実績をもつ男です。 その男がチョークスリーパー、すなわち武器を使わず、 素手で絞め落とされ、死んだ」 「だからなんだ?」 「わからないんですか! 犯人はダレン以上に強い男、そいつこそ『世界最強』じゃないですか! そんなやつがこの世にいるわけないですよ!」> 『世界最強』の男殺しという不可能犯罪を扱った表題作を含め、4編の短編とエピローグ からなる、プロレスの世界を背景とした連作短編集。 いかにも本格ミステリな作品ばかり。 個々の作品、連作短編集としての構成の妙は光る。 特にプロレスについて興味がないので、ここに書かれてある「プロレス」についての言説 に対しては評価のしようがないが、無批判に知識として取り入れるのであれば、プロレスと いうものを知る格好の解説書であり、入門書。 というわけで、今まで全くミステリを読んでこなかった人がこの本を読んだとして、ミス テリ好きになるかどうかは疑問であるが、深夜に何気なくテレビのザッピングをしていてプ ロレスだった時に考慮の余地なくチャンネルを変えていた人に、多少の考慮の時間と興味を 生み出す可能性がありそうな本と言えるかも。
2007年07月04日
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[1] 読書日記 梨木香歩 「家守綺譚」(新潮文庫) を読了。 人の価値観はそれぞれで、本の値段と内容には函数が成立しないことも、分かっている。 分かっちゃいるが、この380円(本代。税込み)はあまりに安すぎる。 安く良いモノ買えたのだからラッキー、という域を遥かに超えて、逆にうしろめたい。 詐欺行為で騙し取ったかのような、変な罪の意識すら芽生える。 同時に、今まで読んできた面白くもなんともなかった本に対して、詐欺行為に遭って金 を騙し取られたような、被害意識が強く芽生える。 叶うならば、そのしょーもない本の実際の値段から、自分が思うところの値段を引いた 差額分を、この本に足して作者に渡したいほど。 そんな風に思わせる本だった。 2005年本屋大賞第3位の本。 ちなみに、その年(2005年)の本屋大賞は、 大賞 「夜のピクニック」恩田陸 2位 「明日の記憶」荻原浩 3位 「家守綺譚」梨木香歩 4位 「袋小路の男」絲山秋子 5位 「チルドレン」伊坂幸太郎 詳しくは → http://www.hontai.jp/history.html
2007年07月02日
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