2011年12月03日
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カテゴリ: 幕末人物伝


まず頭に浮かぶのは、何と言っても平野国臣。

平野国臣って誰?
そう思われる人も多いかも知れませんね。

さほど知名度が高いというわけではないですが、
筑前・福岡出身の勤王の志士で、生野銀山の近くで起こった尊攘派の挙兵事件「生野の変」の
中心人物として知られている人です。

彼は、薩摩藩とのつながりが強くて、
勤王僧・月照を薩摩まで送り届け、 西郷と月照の心中事件 の時にも、
2人に同行して、その場に居合わせたという人物でもあります。

故実の研究に打ち込み、自らも烏帽子・直垂を平素着用していたという話も残る
復古主義思想の持ち主であり、また、笛の名手でもありました。
そして、歌人とは言えないまでも、憂いを込めた多くの歌を残しています。

幕末の志士の中でも、ちょっと異色の人だったように思います。


彼の歌を、いくつかご紹介しましょう。


わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山


国臣の代表作と言われている歌です。

平野国臣という人は、かなり早い時期から討幕を唱えていた人で、
出身の福岡藩に続いて、薩摩にも討幕のための決起を呼びかけるのですが、
その訴えは容れられることなく、
やむなく薩摩を退去した時に詠んだという歌が、この歌です。

今、立ち上らないと、国の状況は変わらない・・・。
自らの切迫した、強い思いが伝わらなかったという、
そんな、もどかしさを表わした国臣の絶唱が、この歌なのでありました。


国のため 君のためなれば いかにせん 親も許せや 年月の罪


彼は、その奇抜な行動から養家からも離縁され、
脱藩こそしていないものの、親の厄介になり続けていました。

投獄されることも、数回に及び、
自らは正義を貫いているつもりでも、それが罪とされ、
親に迷惑をかけ続けているという、彼の述懐でもあったのでしょう。



しかし、そうした国臣の行動は、やがて幕末の歴史を大きく動かすことにつながっていきます。

文久年間における、長州を中心とした尊王攘夷熱の高まり。
この朝廷をも取り込んだ尊王攘夷派の勢いは、やがて、幕府に攘夷実行を迫ることになり、
将軍が上洛し、神前で攘夷実行の祈願をせざるを得ない状況にまで
幕府を追い込んでいきます。

さらに、その水面下では、天皇が攘夷のために兵を挙げるという
計画まで準備されていました。

そして、こうした時代を現出させていった中心人物の一人が、
平野国臣であったのです。


しかし、その後、幕末の政情の変転とともに彼の人生も大きく反転していくことになります。

その転機となったのが、文久3年(1863年)8月に起こった宮廷クーデター。

薩摩が親幕派である会津と手を結んで行ったこのクーデタは、
八月十八日の政変 と呼ばれているもので、
これにより尊王攘夷派は、朝廷から閉め出されてしまうことになります。

そして、ちょうど、このクーデターが起こった時というのが、
攘夷親征のさきがけとなるべく、奈良で土佐の吉村寅太郎が挙兵し、
国臣もこれに呼応して、但馬の生野で兵をあげるという計画をしていたところなのでありました。

京で尊王攘夷派が壊滅していく中で、国臣は生野において挙兵をします。
しかし、その結果は、惨たんたるものでした。
すぐに駆けつけてきた鎮圧軍の前に手も足も出ない状態で、
最後は、首領に担いでいた公卿の沢宣嘉が、軍用金を持って行方をくらましてしまうという有様。

国臣も、結局は、鎮圧軍に捕らえられて、京の六角獄舎に入牢させられることになります。


その後、為すこともなく、牢の中で時間だけが過ぎていく日々・・・。

しかし、そうした中で、突如訪れることになった、国臣の最期というのも、
また、壮絶なものでありました。

それは、元治元年(1864年)7月のこと。

京での勢力挽回を図る長州藩が、京へと兵を送り、
御所に向けて攻め込んできました。
世に云う、 蛤御門の変 です。


この時、京の町では、いたるところで火災が発生し、
この火の手が、国臣のいる六角獄舎にまで及ぼうかという状況になりました。

そこで、この機を捉えようようとしたのが京都町奉行所、
あるいは新選組だったとも云われていますが、
六角獄舎にいる未決囚を、この機に殺害してしまおうとしたのです。

執行人が獄舎にやってきて、
牢の外から、次々と、囚人を槍で突き刺していきます。

怒りと怖れで、逃げまどう囚人たち。

しかし、そんな中、国臣は牢格子に近づき、胸をひろげて槍を突かせ、
二槍で絶命したのだと云います。
国臣、享年35才でありました。



京都に今も残る、六角獄舎跡。

ここには、「平野国臣殉難の地」という案内板とともに、
忠霊碑が建てられています。



国臣殉難案内板



国臣らの遺体が葬られたのは、西ノ京円町にある竹林寺というお寺でした。
ここには、六角獄舎において、不意に処刑されることになった、
国臣ら三十余名の名が刻まれた墓碑が残されています。



竹林寺の墓碑



見よや人 あらしの庭の もみぢ葉は いづれ一葉も 散らずやはある

これが、国臣が残した辞世の歌でした。

彼は人柄としても、胸のすくような潔さを持った人であったといわれ、
そのため、同志からの人望も篤い人だったといいます。


こうして、彼の生涯を振り返ってみた時。
平野国臣という人は、教養人でありながらも、情熱と行動力を合わせ持った快男子、
きっと、そうした人物であったのではないかと、
そうした彼の姿が、思い浮かんできます。






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最終更新日  2011年12月03日 22時13分02秒
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