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奥野氏に代表される保守派の主張はしばしば、戦後希薄化しすぎた日本人の国家意識を適切なレベルまで再建せんとする「現実的」かつ「大人の」思考であると受け止められてきたし、今日その傾向は強まっている。
しかし、こうした考えほど馬鹿げた勘違いはない。 どのような証拠を突きつけられても「我が国は決して悪くなかった」と言い募ることとは、幼児的全能感に固執することにほかならない からである。
奥野氏の態度が子供じみたものにすぎないことは、彼が終戦時に内務官僚として大量の公文書の焼却に関わり、そのことを恥じる気配もなかったという事実によって裏書されている。
その意図は、戦争犯罪の証拠を占領軍から隠すことにあった。この行為は、現在も歴史論争を混乱させる要因となっているという意味で禍根を残しているのだが、「奥野的」な保守派的主張ののっけからの破綻を運命づけている。 「我が国に正義はあった」と確信するのならば、証拠を焼く必要はなかったはずである。 「勝者が敗者の言い分を認めるわけがない」という言い訳は、到底成立し得ない。義を確信するのならば、「不当な罰」を受ける可能性を引き受け、いつの日か義が認められるよう証拠を残すのが当然の行為だったはずである。
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