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「不安な気持ち」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。病院へ行くのに旅行鞄へ色々な本やカメラ雑誌を詰め込みステイの用意をしていたが、旅行に行くのではなく病院にて手術をするので、そのような時間も体力も無いのではと思い直し、袋にバスタオル、タオル類を入れ直した。1時までに病院の入院説明詰所へ入る。旅行気分から段々と不安な気持ちになってくる。サスペンスドラマの司法解剖のメスを入れるシーンを思い浮かべながら、今朝はいつもより食が進まなかった。
2015.03.26
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「開腹手術に変更」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。今日の夕方来てくれるようLINEでやり取りをしたのは昨夜の事だったが、今日の午後ホープの散歩に出て、そのままスーパー銭湯へ行く事をLINEで告げ、散歩に行く用意をしていた所へ、娘からLINEが入った。既に私の住む街に入り、イオンスーパーにいた。長女が3人の孫を連れて2時間の道のりを私の為に来てくれた。長女が来てくれる最大の目的は、私の「そけいヘルニア」の手術中にホープの面倒を見てもらうためである。元々ホープは長女が美容院で知り合った人から、もらって来た「柴とコーギのミックス犬」である。ホープは難産で背中が少し曲がっている。しかし、曲がっている事を言わなければ、分からないほどの曲がり方である。ホープの前に飼っていた犬は、ラッキーという名前の真っ白なスピッツ系オスのミックス犬だったが、フィラリアと長女が転びラッキーの背中に倒れ込んで、足腰が悪くなり16歳の生涯を終えた。その訃報は私が中国駐在時代に、ファックスで連絡が来た。私も中国駐在前はラッキーと散歩を共にしていたので、色々な思いが走馬灯のように浮かんでは消えた。ラッキーの最後は長女が看取った。余りの悲しみと寝たきりになったのは自分が倒れ込んだという罪悪感に、涙する日々が続いたようである。その事は、妻より「娘はラッキーが亡くなったのは私の責任で2度と犬は飼わないって元気がないようだ」と報告の手紙が来た。その手紙を中国の上海から北京までの飛行機の中で読んだ。ラッキーが他界してから暫くして娘の様子を妻が手紙に書き、私の元に手紙が届く頃には3週間ほど時間が経過していた。次にはファックスで「娘が犬は飼わないと言っていたけれど、1ヶ月もしないうちに犬をもらって来たよ」と、私はストレスを感じるほど、仕事に追われていたが、目まぐるしい家の状況が手に取るように分かり、回想してみるとその当時は、逆に癒しになっていた。そのホープは、私が短い帰国の折に散歩に連れて歩き、ホープも私に慣れるまでには時間がかかった。私は中国へ飛び居なくなり、ホープが私のキャリーバッグを転がす音を聞いて私が帰って来たと分かるまでに5年ほどの時間が掛かったようである。そのホープは私たち夫婦が帰郷するのに伴い、故郷へ連れて帰って来た。そのホープの面倒をしに長女が来るのである。もちろん私の妻であり、長女の母に会いたい事もあるが、メインは私の手術入院中のホープの世話である。ペットホテルや動物病院では、私が傍に居ないと四六時中吠えるので嫌がられた。だが、長女には当然ではあるが、なついて吠えない。散歩にも連れて行ってくれ、故郷の土地にも慣れている。私が50キロのスピードで、2トントラックの飛び出しでガソリンタンク付近に衝突し、ハンドルを左に振られ、ブロック塀にノーブレーキで激突した。車は廃車、私は7か所骨折、頭部8針縫合と膝の刺し傷の重傷で3週間入院。妻は私の急な入院でショートステイ。長女を呼んで1ヶ月以上ホープと妻と私と面倒をみてくれた。私は娘が居てくれて良かったと心底思う。男であったら、ここまでの気配りは出来なかっただろうと思い、感謝している。26日午後1時入院、27日午後手術で1週間足らずで退院予定。当初、腹腔鏡手術だったが一般の開腹手術に変更して頂いた。医師はあれは肝臓の手術と苦笑いするが、群馬医科大学の腹腔鏡問題で、安全策を取った。明日から暫くの間、病院ステイの為、更新は出来ないだろう。
2015.03.25
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「そよ風が吹くと」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。私が小学生のころ、祖母は着物の縫い方を教えており、結婚前の女性が8人ほど家に出入りしていた。「洗い張り」と言うのか「伸子張り」と呼ぶのか、庭には祖母が着物を解き、糊付けし洗ったあとの着物地を40センチほどの長さの竹ひごのようなもので、解いた布地の耳を竹ひごの尖った先で突き刺し、布地をピーン張り、布地の両端をハンモックのように紐で庭木に括り付け、そよ風が吹くと、その布地は、そよ風と上手くハーモニーを奏でるように、ゆらゆらコラボレーションしており、私は暫く眺めていたものだった。 そして、古くなった風鈴がちりんちりんと鳴り、縁側の廊下の隅から蚊取り線香の煙がたっていた。歳をとった今、その時の事を、ふと思い出すと、懐かしい思い出でもあるが、幸せを感じた時間でもあった。確かにその頃は、復習と予習の勉強に追われ、祖母を見て、何もしなくて、うらやましく早く歳をとりたいと思ったものだったが、今段々と歳を重ねるに従い、小学校時代に思っていた事は、とんでもない間違いだったと思っている。 今はその頃のたたずまいは新しくなっており、当時の庭はなくし、玉砂利を敷き詰め、その間から雑草が生い茂り、奇麗な花を咲かせ、風に揺れているのは着物の布地ではなく草花である。半世紀以上前から育った松や月桂樹、ハナミズキや梅の木なども全て業者に頼んで引き抜き玉砂利を敷いた。そうした原因は私の家の庭から蚊が発生し近隣に迷惑を被っているとの無記名の投げ文が三度あったからだった。 しかし、蚊の発生は側溝の水の流れが悪いからだと分かったのは、全ての工事が済んでから8ケ月ほど経った後だった。その頃は、まだ母は健在で、木々を抜いたその事実を知り、ひどく落胆した表情をしていた事を覚えている。背の高い木々がたくさん生えていると、草が生えても、さほど気にはならなかったが、木々をすべてなくしてしまうと、草が妙に気になり、多分無記名で投げ文したと思われる女性から「草が沢山生えて気になりますわね」と通り過ぎていくから、馬鹿正直に書かれた通り抜いてしまった自分が憎らしいと思った。
2015.03.24
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「余命2カ月が現実のものに」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。2月の私のブログ「Wander Photo Life」の記事に、「4ステージの胆のう癌で余命2ヶ月」と書いた。状態は、1月末頃から、食欲不振に陥り、それが続いたので病院で検査したら、4ステージの胆のう癌で手術しても助からないと医師より宣告されたのは、昨年6月6日に他界した母の弟の嫁だ。71歳になる叔母は、治療の施しようもなく本当に2ヶ月で逝ってしまった。昨日通夜で本日告別式だった。医師の宣告が当たらなければと、思ったものの、現実は厳しいものとなった。亡くなり横たわった叔母の顔を見たが、ガンとは思えない穏やかなきれいな表情で、今にも起き上って来るような錯覚を感じた。妻の死が現実のものとなった叔父は終始ムードメーカーを装う。冗談を言っては笑わそうとしているが、誰も笑おうとはしなかった。私も黙って聞いていたが、親戚の一人が私の礼服を見て肩を叩いた。「礼服の背中からお尻まで犬の毛がいっぱい付いていますよ」との一言で、親戚たちは私の背中を見て指をさしながら笑った。叔父は「私の冗談より、礼服に付いた犬の毛の方が面白いのだ」と半ば、今の心の内をみせるように険しい顔で話した。私は「叔父さん、こんな時に叔父さんの冗談を聞いても笑えない」と、そして「叔父さん、本当は今どうして良いのか分からないのでは」と言うと、「横たわっている妻の顔をまともに見れない」と本音を話す。家族葬で行ったが結構な人数が通夜の夜に手を合わせて頂いた。だが、叔父は普段と変わらない冗談ばかり言っているだけである。告別式は本日3月23日午前10時から始まり、11時出棺。私は、1時間余裕をもって準備をしていたが、ホープの調子が悪くなり、礼服を着たまま右往左往して、ホープの好きな鶏肉の軟骨入りジャーキーを噛み砕いて、ビオフェルミンを噛み砕き混ぜ合わせて、食べさせているとホープも落ち着いて来た。葬儀場は家から車で5分ほどの場所にあったが、信号が10ヶ所あり信号に引っ掛かれば、10分以上掛かってしまうので、アクセルを踏み込みスピードを出した。右折する予定の信号で、対向車も右折のウインカーを出しているので、急ハンドルを切り右折した。一瞬何かが通った気がしてブレーキを踏むと若い女性が慌てて横断歩道を渡って行った。右側で停まっていた車の女性は、口を手で押さえていた。私は全く気がつかなかった。心が急いていたのと、車の死角に入ったようであると悟った。私は手を挙げて若い女性にアピールすると、何でもないと手を横に振ってくれたので、一礼をしてまたアクセルを踏み込んだ。中央道路に入り、幾つもの信号を20キロオーバーのスピードで通り抜けると、目的の曲がらなければならない信号まで通り過ぎ脇道に入り、返って時間が掛かってしまった。急がば回れではないが、ゆっくり走った方が早く着いたようだ。葬儀場へ着くと葬儀は始まっていたが、前の席に静かに座り、数珠をポケットから出し、手を合わせていた。葬儀場から火葬場までは5分ほどの道のりだった。母の火葬を行った場所と同じだった。叔母との最後の別れをして、喪主の叔父だけ中に入り、私たちはガラス越しに、叔母の棺が火葬台に乗せられる光景を見ていると、叔父は壁に両手を付けて体を震わせ大きな声で泣いていた。涙がこぼれるのか右腕で涙を拭っていた。それを見ていた親族たちの涙をすする音が一斉に聞こえる。私は胸は高ぶり熱くなったが涙は出なかった。母の時にも涙が出なく、何と冷酷なヤツだと自分を責めた。通夜の晩、叔父は皆を笑わせようとしていたものの叔父の今日の涙は、一瞬にして逝ってしまった妻への本当の心の現われと思うとその事に、私は涙した。
2015.03.23
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「悪い人が居ますね」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。水曜日、木曜日は春の到来を思わせるような土砂降りの雨。150mほど離れた両親の墓へはホープとの散歩には必ずと言ってよいほど寄るが、その日は寄らなかった。金曜日に晴れ上がり、カメラを首に提げて両親の墓に寄った。私が今暮らす場所は電車の最終駅から徒歩で5分ほどの閑静な住宅街だが、私は高校を卒業と共にファッションの学校で学ぶため家を離れた。そして40年ぶりに故郷へ帰って来た。 街は空き地が少なく住宅が軒を並べており、私が小学校時代に遊んだ小高い丘にも家が立ち並び、コンビニや大型スーパーやホームセンターが出来ており、車の往来も激しかった。日本の各地がこのような光景なのだろうと思った。墓は昔からあり、墓の周りには林の木々が茂っていた記憶があるが、今はその木々もなく墓の周りにも住宅が立ち並んでいた。小学校時代この墓の片隅に火葬小屋があった記憶がある。 帰郷してより父が眠る墓へはホープと毎日のように通った。墓の掃除をしている人の多くは知らない人たちだったが、父の墓の前に立っていると「息子さんですか」と尋ねて来るので「はい、そうです」と答えると「貴方のお父さんには大変お世話になったのよ」と、そして「お父さんはいつもカメラを首から掲げて散歩してみえた。丁度今の貴方みたいにね」と話してくれるが、その人が誰かは分からなかった。 他の墓参りの年配者にも案内されて、立ち並ぶ墓の一つ一つを説明をして下さり、名前や何処に住んでいた事など聞くうちに、同期の親の墓だったりし、多くが私の知る人の墓が並んでいた。それもそのはずで殆どの墓が、この地域に家のある人達ばかりで、小学時代に遊んだ友の家族の墓だった。彼岸を前にして墓へ行くと、造花を一対供えてあったが、通路側の造花がなくなっていた。 土砂降りの雨で、どこかに行ったのかと墓の周辺を見るが、何処にも見えない。丁度そこへご婦人がバケツとヒシャクを持って現れたので「造花がなくなってしまいました」と言うと「悪い人が居ますね」と両親の墓の前に立ち眺めた後、「でも左右全て持って行かず良心がとがめたのか片方残してありますね」と、そして3列目ほど先の立派な墓を指さし「あそこの墓の花はよく盗られる」と言っていた。彼岸を前に造花を盗まれ、盗った人はどのような気持ちで、盗ったのだろうかとその人の心中を思うと気の毒になって来た。
2015.03.22
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「クックパッド」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。食材の買い出しは月曜日にまとめて買っているが、足らなくなればスーパーへ走り買い物に行く。しかし、なぜか余分なものまで買ってしまう。それは、料理を知らないからだろうと思う。主婦ならば献立を見ただけで、材料が浮かぶだろう。しかし、私の場合、3年7か月前からクックパッドをプリントアウトして、材料を揃えたが、読んでも頭に入らず、材料を段取りしては火を通し、プリントアウトしたレシピを見て、また材料を切り、炒めたりしているうちに、焦げ付いてしまった事は数知れずあった。 そして、2か月もするとA4のコピー用紙にプリントアウトしたレシピページが、クリップで止められなくなるほど分厚くなった。普通ならば料理のレパートリーが増えるはずであるが、私の場合、レパートリーが増えるどころか、新しいおかずを作ると、前に作ったおかずの作り方を忘れてしまっていた。油や醤油で汚れたレシピページを見ながら、料理をし出した。しかし、時間が掛かり、ネットで見つけた冷蔵庫の残り物で出来るとのキャッチフレーズの「ごった煮」が目にとまり作ってみた。 はじめに野菜類や冷凍の魚や肉類を鍋に入れ、沸騰する前に弱火にして、調味料を入れ、少し煮たったら出来上がり。食べてみると結構美味しかった。形の悪い大根が出ると、まとめて買ってきて、3センチほどの大きさに切り、皮もむかず、面取りなどもせず、圧力鍋に放り込み、クッキングヒーターを8分にセットし、沸騰する頃にセットしたタイマーが切れる。圧が抜けるのを待ち、煮上がった大根を小分けし冷ますために、4つのどんぶりに移して、他の材料と共に煮た。 だんだん冷凍の野菜類や魚介類、肉類を購入して、製氷部分も外して、冷凍類を入れた。毎回最低12品目ほど、例えばホタテ貝やアサリのむき身、海老にタコ、ハマチに餃子、肉団子にハンペン、豆腐に油揚げ、むき身枝豆にソラマメ、白菜にほうれん草、パセリやゴーヤ、ホルモンや肉スライス、その他を鍋に入れた。時には味噌味、時にはコンソメ味、そして時にはカレー味にして食べた。スープを飲むと、何とも美味い味がした。足りないものを買いに行く時にも、使い切った袋ともう直ぐ使い切るだろう冷凍食材をメモして買いに行った。白菜やキャベツ類の野菜は料理用ハサミで無造作にカットし鍋に放り込み、ごった煮をするので鍋いっぱい出来る。時にはサツマイモを薄くスライスして圧両鍋の蓋を開けたら、形が崩れていた事もしばしばある。私は、ごった煮をどれだけ長い間続けても平気だが、ホープは3日間続けると食べなくなるので、ホープのトッピングレシピには頭を悩ます。
2015.03.21
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「痛みの時間」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。今日は春の爽やかな風が吹き、私にとっては過ごし易い一日だった。午前中のホープとの散歩にはカメラを持たずに家を出た。何故カメラを持って出なかったかと言うと、腰が痛くてカメラを持って出るどころではなかった。3日ほど前に、急に伸びた庭の草を2時間ほど時間をかけ抜いたため、忘れた頃に痛みが出てきた。2日間は何ともなかったが、3日間過ぎたころから痛みが出だした。若いころは翌日に筋肉の痛みが出た。だが年をとる毎に、その出る痛みの時間が長くなった。つまりは忘れた頃に痛みが襲ってくるのである。勿論、梅の撮影に行った折、2台のカメラを首から提げ、長時間撮影した事も、痛みの原因ではある。だが、カメラの場合は、背中肩甲骨の内側の筋肉が痛む。起床の折りにベッドの上で、腕立て伏せをする格好で、10回ほど背中を反らすと、痛みは大幅に軽減された。草引きも庭には玉砂利が敷き詰めてあり、その隙間から草が生え、雨により驚く速さで伸びてしまった。フィールドカートと呼ぶ、4つの輪の上に台座がありその上に座って、炭鉱で使うようなツルハシの小さい道具の尖った部分をを使い、玉砂利と玉砂利の間から生えた草を根っ子から取り除く方法が、この4年で習得した方法だった。しかし、雨が降った後で簡単に抜けるので、台座もツルハシも使わず、ホープを私の体に繋いで、手袋をせず素手で草引きをし、腰が痛いと思った時にはかなりの時間が過ぎていた。腰の痛みを感じてから台座を出し、台座に座って草引きを始めたが、腰の痛みを感じた部分は、台座に座っていても、同じ姿勢をしていると、辛くなり、立って屈伸運動をして、また台座に座り、草引きをするということを行っていた。草引きは、1月中ごろに引いたっきりなので2か月ぶり。2カ月ほどの間は草引きをしていないので、余計に筋肉に負担が掛り痛みが出た。毎日草引きをしなくともよいとは思うが、草引きの良い方法はないものだろうかと思う。やはり、コツコツと引き抜かなければならないのだろうか。
2015.03.20
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「ダメよ!」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。土砂降りの雨が降り続き、ホープとの散歩も、あちらこちらの水たまりを避けながら歩いた。私の視線はホープの視線より相当上の方から見ている。ホープの低い位置から見える水たまりは、どんなふうに見えるのだろうなどと思いながら歩いた。土砂降りの中でも、ホープは頑張って3キロの道のりを歩いた。ホープは帰宅してより玄関上り口の絨毯の上に乗って、いきなり体をブルブル振るわせるので、体に着いた雨水が飛び散り私にもかかった。体をタオルで拭くが、乾いたタオルが足だけで直ぐに湿ってしまった。午後妻の入院する病院へと向かったが、雨は小ぶりになったものの降り続いていた。妻の洗濯した寝間着3枚を車の助手席に乗せると、ホープが後部座席から助手席に来て座ろうとするから「ダメよ!」と制止しても聞こうとしない。妻の寝間着を置いた上に座って、ナビの横のコンソールに置いてある黒飴を器用に口へくわえるが、座席の丸みを帯びた角へ置くものだから、期待通り座席から床へ落ちる。その落ちた黒飴には目もくれず、また黒飴を取っては床へ落とすので、床には6個ほどの黒飴が落ちていた。私は、床に落ちている黒飴を拾って後部座席に置くと、ホープも急ぎ後部座席に行き、黒飴を包むセロファンを開けるのに必死になっている。ニッキの飴は食べないが黒飴は食べている。もう3年半ほど食べているが健康面での問題はない。ホープは6日前に体調を壊し、白い山芋を磨ったような胃液をもどしてから食欲が減少して、10日ほど前の体重に比べ600グラム痩せてしまった。50キロの人の体重ならば3.3キロ瘠せた事になる。妻が長期療養する病院へ着く頃には雨は上がっていた。雨の日は晴れた日より渋滞して、15分ほど余分に時間が掛った。妻のベッドは元々窓側にあったが、若い女性のベッドをカーテンで仕切った為、妻の顔が見えずに壁側へ移動していた。この3年7か月の間、集中治療室以外は、窓側のベッドだったので何となく違和感を感じた。そして、今日病室へ入ると妻の姿はなく、年配の患者が横たわっており、一瞬病室を間違えたと思った。しかし、ただ病室を代わっただけだった。代わった部屋は、ナースセンターの真正面の部屋で、以前と同じ窓側なので、寝間着をテレビ下の引き戸へ入れていても違和感はなかった。
2015.03.19
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「どうされましたか?」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。amazonで購入した商品(野球帽)で、6,125円が4,315円安い1,810円で販売しており、しかも送料無料なので、2月末に購入した。しかし、私の注文した色とは似ても似つかない色違いの商品が送られて来た。だが、それに気付いたのが3月18日午前2時過ぎだった。荷物が届いてサインをしたままで、部屋の片隅に置き忘れてしまい、半月以上過ぎた頃、思い出しダンボールを開け間違いに気付いた。半月以上も経ってから、商品が違っていましたと言うのも気が引けた。だが気に入らないものを身に付けるのはいつまでも後悔すると思い、amazonのヘルプを参照してみた。こんな夜中に誰も会社に居ないのではと思ったので、メールでも送っておけば明日中には連絡が来ると思った。そんな事を思いながら返品等のページを見ていると電話とチャットでの受付とあり、電話を確認すると5分以内に電話をしてもらうとあったが、まずはチャットにした。深夜3時頃のamazonのチャットであるので、人が対応するとは考えていなかったが、「いつもamazonをご利用ありがとうございます」とタイプされた。私は急ぎタイプしていると、「今日はどうされましたか?」と聞いてきたので、色違いの商品が送られて来たとチャット交渉。ログインしてからチャットに入っており、当然私の身元は分かってしまっており、間違えた商品も調べて分かってもらったので、amazonチャットは商品を返品して下さい。そして、再度商品を注文して下さいとの対応。ネットで注文して、間違えた商品はamazonの指示通り、段ボールに梱包し、ゆうパック引き取りサービスを使った。今日の午前中に郵便局がamazon着払い伝票を持って回収にきた。私はamazonからメールされたバーコードをプリントアウトして荷物の中に入れた。ゆうパックの対応もamazonの対応も敏速並びに親切丁寧だった。しかし、送料無料の商品を元払いと着払いをし、更に元払いで送って来るのである。とても1,810円では割に合わないだろうと思ったが、信用第一なのだろうとも思った。
2015.03.18
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「賞味期限」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。今朝から思い切って冷蔵庫の中の大掃除をした。鶏肉の冷凍を自然解凍するために冷凍室から冷蔵庫へ移した。それは妻から教わった方法で問題なかったが、解凍時間が長すぎるというか、丸1日冷蔵庫に置いていたので、解凍が進み過ぎ、凍った鶏肉周りの氷が完全に融けた。ビニール袋から薄い血の混じった水分が出て、プラスチック引出しの中が水浸しになったからだった。 野菜室のプラスチック引出しを外して、野菜室に全て移して、プラスチック引出しを洗剤で洗い、アルコール消毒液をふり掛け、乾いたのちに冷蔵庫にセットし、野菜室に保管していた食品を並べ直した。冷蔵庫の見開きのお茶などを冷やす所の後ろ側に、ゆず味噌やおでん味噌などパックに入ったものを手に取り、賞味期限を確認すると2013年1月20日と書かれており、味見をしたが悪くはなっていないように感じた。消費期限は、なま物なら気をつけるが、味噌類だからね。でも長男の嫁に言うならば「やめてよ~!」って怒られるところ。 すべてを鍋に入れ、大根とキャベツ、さつまいも、はんぺん、あげ豆腐やこんにゃく、ゆで卵に人参などを入れて炊いた。大きな鍋が山盛りいっぱいになった。味見をしたが、それなりの味でいろんな味噌が混じっていたが、これだけの量ならば、私一人で3日分は裕にある。毎日火を通せば大丈夫。ホープは新鮮なものしか食べないので、別に作った。長女や長男の嫁が見るならば大きな声で「捨てて!」と言うだろうなと思った。この際、冷蔵庫の残り物を一掃しよう。あと9日もすれば、私は、まな板の鯉で腹をメスで切られる。
2015.03.17
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「開腹手術に変更」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。今日の夕方来てくれるようLINEでやり取りをしたのは昨夜の事だったが、今日の午後ホープの散歩に出て、そのままスーパー銭湯へ行く事をLINEで告げ、散歩に行く用意をしていた所へ、娘からLINEが入った。既に私の住む街に入り、イオンスーパーにいた。長女が3人の孫を連れて2時間の道のりを私の為に来てくれた。長女が来てくれる最大の目的は、私の「そけいヘルニア」の手術中にホープの面倒を見てもらうためである。元々ホープは長女が美容院で知り合った人から、もらって来た「柴とコーギのミックス犬」である。ホープは難産で背中が少し曲がっている。しかし、曲がっている事を言わなければ、分からないほどの曲がり方である。ホープの前に飼っていた犬は、ラッキーという名前の真っ白なスピッツ系オスのミックス犬だったが、フィラリアと長女が転びラッキーの背中に倒れ込んで、足腰が悪くなり16歳の生涯を終えた。その訃報は私が中国駐在時代に、ファックスで連絡が来た。私も中国駐在前はラッキーと散歩を共にしていたので、色々な思いが走馬灯のように浮かんでは消えた。ラッキーの最後は長女が看取った。余りの悲しみと寝たきりになったのは自分が倒れ込んだという罪悪感に、涙する日々が続いたようである。その事は、妻より「娘はラッキーが亡くなったのは私の責任で2度と犬は飼わないって元気がないようだ」と報告の手紙が来た。その手紙を中国の上海から北京までの飛行機の中で読んだ。ラッキーが他界してから暫くして娘の様子を妻が手紙に書き、私の元に手紙が届く頃には3週間ほど時間が経過していた。次にはファックスで「娘が犬は飼わないと言っていたけれど、1ヶ月もしないうちに犬をもらって来たよ」と、私はストレスを感じるほど、仕事に追われていたが、目まぐるしい家の状況が手に取るように分かり、回想してみるとその当時は、逆に癒しになっていた。そのホープは、私が短い帰国の折に散歩に連れて歩き、ホープも私に慣れるまでには時間がかかった。私は中国へ飛び居なくなり、ホープが私のキャリーバッグを転がす音を聞いて私が帰って来たと分かるまでに5年ほどの時間が掛かったようである。そのホープは私たち夫婦が帰郷するのに伴い、故郷へ連れて帰って来た。そのホープの面倒をしに長女が来るのである。もちろん私の妻であり、長女の母に会いたい事もあるが、メインは私の手術入院中のホープの世話である。ペットホテルや動物病院では、私が傍に居ないと四六時中吠えるので嫌がられた。だが、長女には当然ではあるが、なついて吠えない。散歩にも連れて行ってくれ、故郷の土地にも慣れている。私が50キロのスピードで、2トントラックの飛び出しでガソリンタンク付近に衝突し、ハンドルを左に振られ、ブロック塀にノーブレーキで激突した。車は廃車、私は7か所骨折、頭部8針縫合と膝の刺し傷の重傷で3週間入院。妻は私の急な入院でショートステイ。長女を呼んで1ヶ月以上ホープと妻と私と面倒をみてくれた。私は娘が居てくれて良かったと心底思う。男であったら、ここまでの気配りは出来なかっただろうと思い、感謝している。26日午後1時入院、27日午後手術で1週間足らずで退院予定。当初、腹腔鏡手術だったが一般の開腹手術に変更して頂いた。医師はあれは肝臓の手術と苦笑いするが、群馬医科大学の腹腔鏡問題で、安全策を取った。明日から暫くの間、病院ステイの為、更新は出来ないだろう。
2015.03.16
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「物忘れ」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。昨夜からの雨も午前中の散歩までには止んだが、路面は濡れているのでホープに雨合羽を着せ散歩に行った。路面が濡れていると、歩く時に足からお腹に掛けて泥水が跳ね、帰宅した時に汚れを拭くだけではきれいにならず雨合羽を着せていると泥水の跳ねは防げれ雨合羽を着せている。今日月曜日は買い出しの日になっている。毎週月曜日にバケットを3本取り置きして頂いているので、うっかり忘れたりするとスーパーから携帯に連絡が入って来る。 今日はセロリが入っていたので急ぎ手に取り籠へ入れた。一般にセロリ1本98円ほどで売っているが、このセロリは12本で480円とお得である。前回もセロリ12本の1束を2束買って来て、バケツに水を張り浸けておいたが、忘れてしまい腐らしてしまった事がある。その事を八百屋のお兄さんに話した事があり、今日も2束買おうか考えていると、「また腐らせると高くつきますよ」と止めてくれた。キャベツは昨日梅公園近くの農家の人と会話が弾み、「取りたてのキャベツを上げるよ」と貰ったので買わなかった。 農家の人は「このキャベツは、柔らかいから美味しいと思うよ」と貰ったが、畑から梅公園まで500mほどキャベツを抱いて歩いた。農家の人の言う如く、キャベツは柔らかく甘くて美味しかった。私は誰にでも気軽に話しかけるので、時折、得をする事もあった。しかし、買い出しが終わり、冷蔵庫の整理をしようと奥の物も出した所、正月に買った切り餅に青カビが生えており、冷蔵庫の中もカビが生えると思いながら半分ほどの切り餅を捨てて損をしてしまった。昨年は冷蔵庫に入れずに外に置いたままで、遊びに来た長男の嫁が「お父さん、ちゃんと冷蔵庫へ入れないと」と、3つしか食べていない切り餅の残り15個ほど全て捨てられてしまった。得するより損をすることの方が多い。昔から物忘れが多いが、最近、特に物忘れが多くなった。
2015.03.16
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「二人三脚」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。4年前の8月妻が倒れた時の事を、事あるごとに回想し自分自身を責めている。救急隊に運ばれ、その時は失禁もしており、着ている服を全部脱がして、真っ裸にしており、つかむ所がないのも手伝い、妻の体が重たく抱えられず、直ぐ119番へ連絡し、消防隊が駆け付けた時は、一枚も羽織らない丸裸状態だった。妻の髪は嘔吐により固まりかけていた。医療の知識が乏しいものが見ても、倒れてから1時間ほどと感じた。救急隊は妻の体を毛布で包み、2人で掛け声をして毛布をつかみ妻を持ち上げ救急車まで運んで頂いた。悪夢のような長い一日だった。緊急手術を行わなければならないと言う事で、妻の手を握りしめ大丈夫と言ったが、妻の手には力が入っていなかった。 手術は成功したが、左麻痺は治らないと言う事を宣告された。私から医師に「発見が遅れた事と救急隊への連絡が遅れた事で症状が更に悪化したのではないか」と質問した。医師から「脳梗塞の場合、時間との戦いになるが、脳出血、特に奥さんの場合、血管が一気に破裂し大量に出血したので、早くてもほぼ変わらないだろう」と慰められた。経過が良好ならば3ヶ月で他の病院へ転院しなければならないが、妻の場合半年間病院でリハビリも続けた。私は毎日病院へ行き、リハビリの方法を学習した。4ヶ月ほどした所で、他の病院へ転院する為の手続きに行った。何分全てが初めて経験する為に、どうして良いやら不安だったが医師と面会し、「この病院では奥さんのような人ばかり受け入れる所ですから安心して下さい」と事務的にテキパキと処理して行くが、何が何やら不安だった。 リハビリ専門病院へ移ってからも、私は毎日車で1時間15分の道のりを走り、リハビリと介助の方法の手ほどきを受けた。妻と二人三脚のリハビリレッスンは半年の期間に及んだ。家に帰って来るまでに廊下の手すりや車いすでの移動の為、段差を無くす修理を業者を呼び設置して頂いた。妻の為の介護ベッドも用意をして、ベッドから車いすへの移動も病院で何度も練習した。車いすをスロープを使い庭に出し、車に乗せるための練習もした。失敗は許されない、失敗したら十中八九骨折する。 私の料理は中学時代高校時代に、天ぷらやサラダ、ピラフ、煮物などもしており、料理コンテストでは家政科の女の子とペアーで料理を作った。料理は面倒ではあるが嫌いではなかった。妻が退院して我が家にて私の介護下で介護ベットから車椅子へ乗せるのにも、声を掛けて移動させた。代わりに我が家のキッチンでは、料理の手順を監督された。ジャガイモの皮を包丁で剥くのも、危ないと言われ、リンゴを切って皮をむく時も危ないと何度言われた。その甲斐もあって、妻が完全に意識障害で家に居なくなっても、何とかやり繰り出来ていた。 家計簿も然りである。車いすに座って、ここにレシートを貼って、必ず1週間以内に計算し、お金を使い過ぎたら、いかにして次の1週間を切り詰めるかを教わった。だらだらと幾ら使ったのか分からないようでは主婦はやってはいけないとまで言われた。かなり厳しい指導をしてくれた妻も、今は口から食事が出来ず、胃に穴を開け胃ろう処置で食事をしている。私が話しかけても分からないようだが、散髪の時は自分から頭を上げて手助けしてくれていたので私と分かるのかと思った。
2015.03.15
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「努力が数字に」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。ホープの容体は大分良くなって来た。はじめは薬を吐き出してしまうので、私が噛み砕いて鶏肉に混ぜて食べさせた。何となくビオフェルミンに良く似ていると感じたが、人も犬も生き物には変わりなく、犬だからと別段変わった薬は処方しないだろうと思った。だが人と犬とでは薬の量が違うのではとも思ったりした。午前中の雨は午後には日が差して来た。散歩から帰宅し、電気使用量のお知らせを玄関口に置いていたのを忘れておりチェックしてみた。2月9日から3月8日までの分で、家電の方は8,030円と先月の8,645円より安くなっていた。私は一瞬節約した努力が数字に表れていると思ったが、よく考えてみると、2月は1月より3日間少ないので、3日分の電気使用量が少なくなっていると思い計算してみた。8,645円÷31日=278円/1日ほど。3日間使用日数が少なかったので、3×278円=834円ほど。8,645円から8,030円を引くと615円である。実際には834円先月分より安くなっているので、実質834円ー615円=219円と言う事で、大きな節電にはなっていないと思った。深夜電力の方は、211円安くなっていた。別に騒ぎ立てるほどの事もない。ガスは一切使っていないので一般家庭ではこんなものかと思った。妻が倒れてから、私が妻の後の家計簿をつけるようになった。スーパーの買い物からガソリン代やホープの食事代まで全てを付け、1週間ごとに計算し1ヶ月の集計をしている。もろもろの税金などもつけているが、もう妻と代わって4冊目の家計簿になり、ほとんど慣れて来た。初めのうちはスーパーへ買い物に行っても、主婦と同じような買い物をしていたが、いざ家に持ち帰っても何を作ってよいのやら、結局考えるのが面倒くさくなりもっぱら、出来るだけ値引き商品を買って、ごった煮で何年も過ぎている。薄味で食べているので身体検査数値も正常値になって来ている。
2015.03.14
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「闇雲に」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。昨夜半、ホープの苦しそうに吐く音に飛び起き背中を擦った。その苦しそうな嘔吐は暫く続き、私は只、背中をさする事しか出来なかった。ホープのお腹は風船を膨らませるかのように膨らんだかと思うと直ぐに、しぼんでそれを何回も繰り返した。間もなく山芋をすりおろしたような白い粘り気のある胃液を手のひらで受け止めきれないほどもどした。私はペットシーツの上に乗せ、それでは足りずに新しくシーツを出しホープの口元へあてがった。ホープは相変わらず苦しそうに、お腹から吐き出そうとゲッゲッと苦しくしている。 私は夜中1時半頃に床に着き、夜中3時ごろにホープの嘔吐の音に起こされたが、精神安定剤と睡眠誘導剤を飲んでいたので朦朧としていた。だがホープの事を思うのと寒さの為に目が覚めた。ファンヒーターを点け、毛布を被ってホープの傍に居たが、相変わらず苦しいもどしそうな声は止まらなかった。窓の外は薄っすらと明るくなってきて、30分もすると日が差して来た。その頃にはホープの嘔吐しそうな声の間隔は間が大分空いて来た。私は果物を食べて、ホープが散歩に行くかどうかスカーフのついたリードを見せると、尻尾を丸めて振っている。 あんなにも苦しがっていたのに、散歩がしたいのかとホープと外に出た。初め力強くグイグイ引っ張っていたが、100メートルも行かないうちに、またゲーゲーし出した。そして、少しだけ白い山芋状の泡を吐き出した。どうもいつもの嘔吐とは違うように感じ、病院へ連れて行った。獣医師に夜中からの出来事を話すと、吐き出したものを見ればある程度は判断がつくと言われたが、私は医師に、昨日散歩に行った事のない所を散歩した事を話すと「そこで何か食べたのかな」などと言っていたが、点滴も注射も何もせず、胃の薬だけ出してくれた。医師は「闇雲に注射を打つのは返って危険だ」との事。「様子を見て下さい」と言われ帰って来た。夜、鶏肉を焼き、私が噛み砕いて柔らかくしたものを、食べさせたが、まだまだ欲しいと吠えたが、「今日はもうダメ」と私のベッドの上に寝かせた。先ほど様子を見るとグーグー、いびきをかき爆睡、、。
2015.03.13
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「思わぬ発見」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。今日も冷たい風が吹く寒い日だった。今日のホープとの散歩は気分を変え、ホープを車に乗せ5キロほど離れたショッピングセンターへ車を駐車し、そこからホープと散歩に出た。家の近くにショッピングセンターがあるものの郊外のショッピングセンターまでやって来た。ホープは車のドアーを開けると勢いよく飛び降りる。私の首周りに付けた犬用のリードにホープのリードを引っかけ歩き出した。 ホープは歩き出す時、いつもと違う景色に、尻尾を下げ、四方八方を見渡したのち、私の顔を見上げた。「行こうか」と言うと、少し戸惑った様子である。少しリードを引っ張り、家とは逆方向へ向かって歩き出すと、尻尾を丸めて歩き出し、少し歩くと私より前に出て、私を引っ張るように歩いてた。いつもは車で走り抜ける道であり、歩くのは私も初めてである。 車だと40キロほどのスピードで走り去り、また歩行者や自転車などに気を取られ、道路左右の景色は過ぎ去ってしまいあまり覚えていないものである。大きな建物や信号で停まった角のコンビニなどは記憶にあった。だがホープと歩いていると、こんなところにお地蔵さんが祭ってあると思ったり、道路の奥まったところに、かわいい喫茶店を見つけたりと思わぬ発見をする。2キロほど歩いたのち違う道からショッピングセンターへ向け帰って来た。
2015.03.12
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「危険を顧みず」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。昨夜晩くからラジオやテレビでも東日本大震災から4年の報道。今日になってラジオを付けても震災から4年の番組である。当然と言えば当然である。あれからもう4年と言う人もあれば、あれからまだ4年と言う人もいる。復興について放送していたが、復興のスピードが遅いような気がするが莫大な予算が必要になって来るだろう。政府も頑張っているのだが、あまりにも広範囲な被災地ゆえに復興の速さが遅くみえるのかも知れない。私とホープはいつも通りの朝を迎え、いつも通りの散歩に行き、その道のりではいつも通りラジオを聞きながら歩き、首から掛けたカメラのファインダーを覗く姿もいつもと変わらない。ラジオからは3・11を絶対に忘れてはならないと何度も報じていた。そして、震災から4年と題して、震災に遭遇して親や子供や家族を失った人たちの作文で、地震だけだったら、もし津波がなかったら、もし原発事故がなかったらと放送していた。風が強く寒い午前中である。午後から羽毛ジャケットをもう1枚羽織って、庭に一気に生えた雑草を引き出した。右耳のイヤホンから聞こえて来る政府主催の震災記念式典の模様が放送されていた。1分間の黙とうののち天皇陛下より、危険を顧みず救助活動に従事し亡くなられた人たちの事を思うと痛ましく、今なお被災者の多くが困難な暮らしを続け、高齢化する被災者の健康が深く気に掛かるなどのお言葉の時は、草引きの手を止めて聞いていた。通りから私の草引きの姿を見つけた同じ自治会のご婦人が「こんな寒い日に草引きしているんですか」とホープを撫ぜながら言ったかと思うと、座って草引きを手伝ってくれた。「ホープちゃんは、いつもお父さんと一緒で幸せね~」と、言ったり、「また下水の工事でお金がいるわね~」などと手を動かすより口を動かす方が多かった。20分ほど手伝ってくれたかと思うと、「私用事があるから」と急ぎ帰って行ったが、一人よりも気が紛れたような気がした。
2015.03.11
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「ぴゅうぴゅう」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。今日の朝は外からの凄い風の吹く音に起きた。ホープと散歩に出てからも風の勢いは増すばかりであった。耳あてをして来るべきだったなどと思いながら歩いていた。散歩中に携帯ラジオのニュースからは日本海側では吹雪に注意しタイヤには滑り止めを用意して高速道路に入るようと流れていた。薄手の手袋を通して冷たい風が入って来て指先が、かじかんで動きが鈍くなる感じが分かった。午後から妻の入院する病院へと向かった。心なしかいつもより車の往来が少なく感じたが、スピードは法定速度を守りながらゆとりを持って走行した。今日はどこへも寄り道をせず、病院へ向かって来たので50分ほどで着いた。病院へ着きホープに待てと言うと、悲しい声で吠えるがドアーを閉めて病院の自動ドアーを入った。ホープの声は病院の階段からもはっきり聞こえるほどだった。ナースセンターの前を通ると、看護主任から名前を呼ばれた。妻の事を話し出すので驚いたが、妻の容態の事ではなく新しい患者が入室し、まだ若いのでベット周りにカーテンがしてあり、妻の顔が入ってすぐ見えないので御免なさいと言う内容だった。私は「お幾つくらい」と聞いてもそれには答えられないようだった。妻の病室に入るとカーテンは閉めてあるが大きな隙間から見えた患者は、髪の長い小太りの女性で年齢40歳前位に見えた。妻の顔を拭いている最中でも酒の飲み過ぎで倒れたのだろうか、子供はいるのだろうか、ご主人はいるのかなど考えていた。妻がいる病棟は療養病棟であり、ここに入室できるのは脳障害でそれも身障者1級の人しか入れない。もちろん要介護5の人だけである。脳の病気を発症して、まずは救急病院へ搬送され、手術後回復を待ち、3ヶ月後には救急病院からリハビリ病院へ代わらなければならない。その後、回復すれば家庭で介護しなければならないが、駄目な場合は病院にて医療介護される。発症して最低1年半後しか療養病棟には入れない。つまり彼女は30代後半で倒れた事になる。いろんな事を考えながら外に出たが吹きぬける木枯らしは、ぴゅうぴゅうと音を立てていた。
2015.03.10
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「暗黙の了解」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。朝からの雨音と昨夜遅く床に就いた事も手伝い、今朝の起床はいつもより1時間ほど遅くなった。ホープと私の朝食を作って食べ終わると11時を過ぎていた。ホープはというと、食べ終わり水分を取った後は必ずと言って良いほど私のベッドの上に上がる。ベッドの高さは丁度車のシート位の高さで、車に乗る時も簡単に飛び乗る事が出来る。ホープと散歩に出る時の暗黙の了解は、私が目の洗浄液をたっぷりティッシュに染み込ませて目を拭き出すとベッドから飛び降りて尻尾を振りながら前足を出し背伸びをした後、準備運動をし私に顔を向ける。私に顔を向けるのは、ホープも目を拭かなければ、散歩には行けないと思っているからだろう。 私は目が弱いと言うほどではなく、中国駐在が18年ほどで、中国で仕事を始めた頃、結膜炎で苦しんだ事があり、常時目薬をさすようになった。中国で3か所あった私の宿泊するアパートの部屋には、必ず目薬が置いてあり、バッグの中にも目薬が入れてあった。起床して洗顔後、昼食後、夕食後、就寝前とその他、目がかゆみを感じた時には、商談中でも「失礼」と言ってから目薬をさしていた。多分中国の空気のせいなのかどうかは分からないが目薬をさすと楽になった。 その習慣が妻が倒れ、帰国してからも続いていた。目薬をさしても必ずティッシュを使いかゆみを取るため軽く目を擦っていた。軽く擦ってから更に目薬をさし、それが1日最低4回なので、直ぐに目薬は無くなった。目薬は価格の高いものは必要なく、疲れ目の為の安い目薬を沢山購入してはさしていた。帰国してからは散歩に行く前に必ず目薬で目を拭いており、私がティッシュを四つ折りに目薬を染み込ませ目を拭き出すと、ホープは散歩に行けれると理解し私に目を拭くように催促するようになった。動物病院の医師もホープちゃんは目がきれいだと言って褒めてくれるほどである。
2015.03.09
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「フォトショップ」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。昨夜からテレビドラマの録画を見出した。マッサンはとりあえず見終わったので、次の番組は何から見るかと考えた。サスペンスか映画かドキュメンタリーか志村動物園か鶴瓶の家族に乾杯か、ためしてガッテンか、、。そして見出したのが「花燃ゆ」だった。しかし、早送りで見た。だが早送りではテレビにかじりつき見ていないないとダメで、2話分見てより、見る番組を変えた。変えて見出した番組は、NHK総合の深夜から放送している海外ドラマ「ダウントン・アビー2 英国貴族の館」だった。これなら横目で見ながらと言うか、聞きながらというか、パソコンでネットをしながら見れるので録画してある5回分約5時間を一気に見て朝4時半まで掛ってしまった。その間に楽天ブログの奇麗な画像を見ていた。そのブログ写真は取り分け、Adobe Photoshopを駆使した画像なので興味が湧いて見入っていた。私のPhotoshopはElements8であり、RAWデータをJPEGに変換はDigital Photo Professionalで調整してから変換し、Photoshopは名前をレイヤーで載せ保存している。Photoshopヘルプを読んでみたが、いまひとつ理解出来ない所が多い。Photoshopの本も出ているが、そこまでして覚える必要があるか疑問。とりあえずはネットで検索してそれを見ながら操作をしてみようと思うが、まずは録画時間を減らさなければと思う。
2015.03.08
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「二人三脚」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。4年前の8月妻が倒れた時の事を、事あるごとに回想し自分自身を責めている。救急隊に運ばれ、その時は失禁もしており、着ている服を全部脱がして、真っ裸にしており、つかむ所がないのも手伝い、妻の体が重たく抱えられず、直ぐ119番へ連絡し、消防隊が駆け付けた時は、一枚も羽織らない丸裸状態だった。妻の髪は嘔吐により固まりかけていた。医療の知識が乏しいものが見ても、倒れてから1時間ほどと感じた。救急隊は妻の体を毛布で包み、2人で掛け声をして毛布をつかみ妻を持ち上げ救急車まで運んで頂いた。悪夢のような長い一日だった。緊急手術を行わなければならないと言う事で、妻の手を握りしめ大丈夫と言ったが、妻の手には力が入っていなかった。 手術は成功したが、左麻痺は治らないと言う事を宣告された。私から医師に「発見が遅れた事と救急隊への連絡が遅れた事で症状が更に悪化したのではないか」と質問した。医師から「脳梗塞の場合、時間との戦いになるが、脳出血、特に奥さんの場合、血管が一気に破裂し大量に出血したので、早くてもほぼ変わらないだろう」と慰められた。経過が良好ならば3ヶ月で他の病院へ転院しなければならないが、妻の場合半年間病院でリハビリも続けた。私は毎日病院へ行き、リハビリの方法を学習した。4ヶ月ほどした所で、他の病院へ転院する為の手続きに行った。何分全てが初めて経験する為に、どうして良いやら不安だったが医師と面会し、「この病院では奥さんのような人ばかり受け入れる所ですから安心して下さい」と事務的にテキパキと処理して行くが、何が何やら不安だった。 リハビリ専門病院へ移ってからも、私は毎日車で1時間15分の道のりを走り、リハビリと介助の方法の手ほどきを受けた。妻と二人三脚のリハビリレッスンは半年の期間に及んだ。家に帰って来るまでに廊下の手すりや車いすでの移動の為、段差を無くす修理を業者を呼び設置して頂いた。妻の為の介護ベッドも用意をして、ベッドから車いすへの移動も病院で何度も練習した。車いすをスロープを使い庭に出し、車に乗せるための練習もした。失敗は許されない、失敗したら十中八九骨折する。 私の料理は中学時代高校時代に、天ぷらやサラダ、ピラフ、煮物などもしており、料理コンテストでは家政科の女の子とペアーで料理を作った。料理は面倒ではあるが嫌いではなかった。妻が退院して我が家にて私の介護下で介護ベットから車椅子へ乗せるのにも、声を掛けて移動させた。代わりに我が家のキッチンでは、料理の手順を監督された。ジャガイモの皮を包丁で剥くのも、危ないと言われ、リンゴを切って皮をむく時も危ないと何度言われた。その甲斐もあって、妻が完全に意識障害で家に居なくなっても、何とかやり繰り出来ていた。 家計簿も然りである。車いすに座って、ここにレシートを貼って、必ず1週間以内に計算し、お金を使い過ぎたら、いかにして次の1週間を切り詰めるかを教わった。だらだらと幾ら使ったのか分からないようでは主婦はやってはいけないとまで言われた。かなり厳しい指導をしてくれた妻も、今は口から食事が出来ず、胃に穴を開け胃ろう処置で食事をしている。私が話しかけても分からないようだが、散髪の時は自分から頭を上げて手助けしてくれていたので私と分かるのかと思った。
2015.03.07
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「連続ドラマ(マッサン)」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。私はリアルタイムでテレビを見ることは殆どなく、専ら気に入った番組を録画をして後からから見ている。そのテレビドラマの録画の内、朝の連続ドラマ「マッサン」だけを、この二日間掛けて、32回分を見終わったところである。早送りは中島みゆきが歌う主題歌「麦の唄」が終わる部分までと、最後の「つづく」でプレイをストップし削除していた。マッサンの「親思う心にまさる親心」を見て涙が止まらなかった。そして、二度と日本を戦争に巻き込んではならないと感じた。ハードディスクの録画番組を見なくなり5週間が過ぎた。それまではtwitterやfacebookを更新しており、見なくなった一番の要因は楽天ブログを再開したからか。楽天ブログは妻が倒れてより、年1回毎年5月に更新していた。だが、懐かしさも手伝い2月14日から再開している。今日は3月7日で録画を見ていない日数の方が多いが、記憶が正しいなら、寒さが厳しさを増し、私の書斎まで動き、ファンヒーターを点けるのが億劫に感じたからだろう。では楽天ブログなどは何処から更新しているかと言うと、キッチンのテーブルにノートパソコンを置き、書斎から無線ランで使って更新している。テレビに繋いだハードディスクに録画した番組はマッサンだけではなく、55時間以上ある。自動的に録画を続けているハードディスクとレグザには申し訳ないが、全部を見ていたら体が壊れてしまう。だからと言っても全てを削除してしまうには勿体ない気持ちの方が強い。自分が気に入って連続録画登録したものである。NHK大河「花燃ゆ」も5回分は見ていない。一体どうすればよいかと悩む。悩む次元が違うかも知れないが、警察官が報告書を溜めて報告しなかった気持ちが分かるような気がした。
2015.03.07
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「タンス預金」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。昨夜のラジオ深夜便で、リサイクルショップで家具を買ったら、中から現金180万円程が入っていて警察へ届けたと話題になっていた。いわゆるタンス預金というものだろう。タンス預金をしている人は多いとは思うが、このようにタンスに多額の現金が入れたままリサイクルに出す事は、親が他界し、子供がリサイクル会社に連絡をして、自分では手を掛けないからだろう。私の育ての母が他界したのは、昨年6月6日のことで、まだ1年経っていない。私が思うに立派なタンスの中には、着物が沢山入っていた。洋服の数え方は「枚」を遣うが、着物の数え方は分からない。もし着物も何枚と数えるならば、30枚ほどの着物が入っていた。妻は倒れて今は全身麻痺で病院にて療養中なので、着る事は無いと思い、母の妹にプレゼントした。私が留守をするので、鍵を置いておく所を教えてより出掛け、夕方帰宅してみると、鍵は掛けずに玄関口に置いたままで、まだ居るのかなと思い、声を掛けるが静まり返っていた。中に入ってみると、母のタンスは着物の引き出しなどから長襦袢が覗いたりしており、その光景はまるで泥棒に入られたような錯覚に陥った。電話をしてみると「ありがとう」とだけ言い、「上等な着物を持って帰って来た」と電話は切れた。甘やかさされ育ったとは言え、何て常識に掛けるのかと思った。母の一番下の妹へ連絡する前にタンスの中を調べてみたが、タンス預金なるものは何も見つからなかった。私が家を離れ、中国駐在20年入れ45年ほどの間に母の実子の弟に任せっきりで、母が療養生活を始めてからも通帳や現金は弟が管理をしていたのでタンス預金を期待して、タンスの中を捜したのではなかった。今も母のタンスは部屋にひっそりと置いたままである。
2015.03.06
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「行き交う人の恰好」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。今日は1日中風が強く冷たい風は寒さが増したような感じで、私にしては薄着で外へ出たため後悔した。行き交う人の恰好は防寒着にフードを被り、「今日は寒いですね~」などと挨拶するので、余計に寒さを感じたが次第に血液の巡りが良くなって来た。ホープはというと私を引っ張るが如く、足を踏ん張りながら前へ前へと進んで行く。ホープを繋いだリードは私の首に掛けたリードに繋いである。出来るだけ両手を自由にするために、短いリードを輪にして首に掛け、そこに登山でザイルを繋ぐカラビナを掛け、そのカラビナにホープのリードを繋いでいた。行き交う人が私とホープの姿を見るならば、ホープが私を散歩させているように見えるようである。カメラを首に掛け、散歩しながらも目に入った被写体を直ぐに撮影できるように両手を開けて散歩している。ホープのウンチを拾うビニール袋は、左肩から掛けたショルダーバッグにビニール袋やティッシュを入れてあり、携帯ラジオも軽く入り、午前午後で1時間半の散歩中はラジオ放送を聞きながら散歩したり撮影したりしている。はじめは左右のイヤホンから聞いていたが、音を大きくすると難聴になると聞き、右耳だけのイヤホンでボリュームも下げ聞いている。
2015.03.05
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「花の好きな人は」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。昨夜まで降り続いた雨も今朝は陽射しが、まぶしく感じられるほどだった。ホープのトイレを見て驚いた。血尿のようにも思えるほど尿が赤く染まっていた。ペットシーツを替えたが、量は多くは無く2枚目のシーツまでは染みていなかった。多分ホープは生理中なので、先に生理がおりて、そのあと尿で生理血が満遍なく薄まったのではと勝手に解釈した。ホープは朝食を食べようとはしないので、やはりどこか体の調子が悪いのかと思いながらも、久しぶりにジャーキーを差し出すと喜んで食べるので、鶏肉や魚などのトッピングに飽きたのかもと、これも私の都合のいいように解釈して病院までは連れては行かなかった。しかし、ホープを外に連れ出し散歩はというと、「ハァ!ハァ!」言いながらも思いっきり私を引っ張りながら前に急ぐ。午後から1週間ぶりに梅公園へ行って来た。公園に車を停め2台のカメラを提げて行ってみると、まだ咲き切っていない。折角なので撮影した。梅を見に来た人たちは口々に「あと1週間くらいで満開だろうか」などと言いながらもホープを見ると「かわいいね~」と近づき「大人しいワンちゃんですね」と撫ぜて行くから、花の好きな人は共通して犬も好きなのかもと思った。77歳ほどの夫婦がストックを両手に持ち車から降りて来て「このワンちゃん90歳くらいかな~」と言うので「78歳位ですね」と答えると「私たちと同じか」と近寄り「頑張って生きるんだぞ」と撫ぜて行った。
2015.03.04
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「桃の節句ひな祭り」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。今朝のラジオからは3月3日の桃の節句ひな祭りと放送していた。ホープとの暮らしの中では、別段変わった事をするわけでももなく、いつも通りの生活である。ホープと散歩に出て、撮影をしてはまた歩き、ホープは私がカメラを構えているあいだは、仕方ないな~という表情をしながらも黙って待っていてくれる。カメラとレンズで1.8キロほどあり、最近では1台しか持ち出さない。交通事故を起こす前と言うより、妻が倒れる前に中国で駐在していた頃は、カメラ2台にそれぞれレンズを付け、カメラバッグには更に2本のレンズを入れて持ち歩いていた。しかし、歳をとった事もあり、駐在の頃のように体を動かしていない。人はやはり体を動かさないとリズムが徐々に狂い出すようだ。今日妻の入院する病院へ忘れずにヘアーカットの道具を持って行き、妻の髪の毛をカットして来た。襟足は短くし段々と3センチほどの長さにカットした。病院のベッドを動かし斜めにして、私が自由に動けるスペースを取ったが、カットし出しても、寝たきりの妻の頭は重たく、少し屈みながらの姿勢に腰が段々痛くなって来る。何度も腰を伸ばしながらの作業だった。看護師さんが「プロの美容師さんはビニールの手袋をしてカットしていますよ」と、薄いビニール手袋を持って来てくれたが、「妻の髪の毛なので素手で問題ないですよ」と断った。妻の髪の毛も頭皮の油でべたべたしていたが、ビニールの手袋をすると髪の毛をつかむ感覚が鈍り、上手くカットできない事もあり断った。30分ほどしてよりまた看護師さんが来て、「さっぱりしたわね~」といい、「寝たきりの人の髪のカットは難しいとプロの人も大変がっているわよ」と言うので、私は「腰が痛いですね~」と言うと、「普段から体を動かしていないのと、いつもとは違う恰好をすると腰も痛くなるわね」と言いナースセンターへ戻って行った。私は妻の首周りに着いた毛を何度も拭い取り髪を濡らして軽くマッサージをしたが、何となく嬉しそうな表情をしたようにも見えた。
2015.03.03
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「そけいヘルニア」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。今日の散歩は朝早めに済ませた。ホープはまだ、大きないびきをかいていたが、起こして散歩に行った。昨日とは打って変わった春を思わせるような日差しだったが、いつもより速足での散歩になってしまった。帰宅後朝食を済ませ、ホープを車に乗せ、中央病院へ向かった。診察カードを診察受付機に差し込むと「このカードは使えません。保険証の期限が切れていますので受付に新しい保険証を提示して下さい」とカードを返された。受付で処理をして外科へ向かった。外科受付で私のカルテデータを出して頂き、大体の待ち時間を訪ねたのち外に出た。病院の椅子に腰かけて待つのが事の他苦手であり、1時間半の時間の間に燃えるゴミ焼却センターまで車を走らせた。片道20分ほどで往復40分と向こうでの作業時間だった。病院へ戻ってから、ホープを連れて写真の撮影をしながら散歩した。ゆったりとした気持ちで撮りたいが思うようには撮れなかった。ホープを車に残し、病院内へ入って行くと、私を見た外科受付の人は「ちょうど良かった。すぐにお入り下さい」と中へ入り、5分ほどして聞き覚えのある男性の呼び声がした。「は~い」と中へ入るとやはり外科医師だった。私は昨年11月初め下腹の痛みに異常を感じ妻が3回救急車で運ばれた同じ病院へ診察に来ていた。医師の診断は「そけいヘルニア」で直ぐにでも手術の段取りをと言われたものの断り、後日出直しますと病院を後にしていた。「入院手術の日取りが決まりました」と言うと、医師は興味深げに「前回は犬の為に手術を断る」とカルテを読み上げた。長女の日程に合わせ3月26日に入院、27日手術に決まった。今日は私も医師に嫌味を言われた。「そけいヘルニアと診断が下り、あわてて手術する人が多い中、犬が居るから手術は半年ほど待ってほしいと言われた時には驚きましたよ」って。私が「先生は犬を飼った事が無いのでは」と聞くと、「小さい頃から勉強が忙しくて犬どころではなく、今も仕事が大変で余裕が無いですね」と診察室でヘルニアとは関係のない話をしていた。そして、長女に電話をして、休んで来れる日を確認し「ホープを見ていてほしいから」との電話内容が聞こえたようで「何がなんでも犬中心なのですね」とあきれ顔だった。下腹はいつも鈍痛があるが、ネットなどの検索では「患部が硬くなると危険と書いてあり、私の場合まだ柔らかいので、何とか手術日まで持ってくれるのではと言うと「ご自身の体ですよ」と言われたが、動物病院で乳癌の為、10個の乳首の摘出手術の時にも、ゲージの中で大暴れし、今回ステイは断られていた。
2015.03.02
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「自転車屋の奥さん」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。今日は一日中雨が降り、ホープとの散歩も途中から引き返して来た。車道を兼ねた散歩道には雨水がたまり、走り去る車が、容赦なくホープの頭に水を跳ねて行くので嫌がった。2015年を迎えたと思ったら、もう3月である。2ヶ月間の過ぎ去る早さに、何をして来たのだろうと思い返す。思い返してもホープとの散歩と買い物、そして妻が療養する病院。妻が療養している病院までは自宅から車で1時間ほどで行け、病院では30分ほども居なく、病院の近くに野球場や体育館がありその近くの公園でよく散歩をするのでホープも良く知る所である。私が感じる時間の過ぎ去る速さも早く感じるほどであるので、子供を育てながら忙しく走り回る人ならば更に早いだろうと思う。平日の夜はNHKのラジオ深夜便を聞きながらブログの更新をする。先日も南海トラフ大地震が何年以内に起こるかという企画でトーク番組を放送していた。日本は島国で何処で地震が発生しても津波の心配はあり、その対策と備えだけはしておかなければならない。その放送の中で、森繁久彌が体験した地震の事を話していた。戦後の混乱時期、森繁久彌が当時ヤミ市へ魚を買い出しに行き、紀州の大地震に遭遇し、そこでの体験を聞いたゲストが話していた。その時に森繁を案内をしたのが自転車屋のご主人のようだが、地震が起こった時に、逃げなくては思っても腰が抜けてしまい身動きできなく、外では「津波が来るぞ~」と大騒ぎしているのに、森繁はどんなに腰を上げようとしても動かない。「これまでか~」と思ったようだが、その時に、自転車屋の主人と友人が森繁久彌を脇に抱え高台へ連れ出し九死に一生を得たようだ。だが回顧録として、いつも森繁に食事の世話などをしていた自転車屋の奥さんが、お金を忘れた事を思い出し、海岸近くの家まで取りに戻ったらしく、翌朝、森繁と自転車屋と海岸近くの村まで行き、その途中驚いた事は、 山の中腹に大きな船がのし上がっており、津波の恐ろしさを身の震える思いで体感したという。更に海岸3mほどの石垣の上にあった町は、跡形もなかった。そして世話になった自転車屋の奥さんが家の柱に引っかかっており、奥さんに世話になった森繁は、はばかりなく声をあげて泣いたという。地震が発生すれば兎に角高台へ逃げ、取り分け高台の神社の中が、安全であるとも話していた。森繁久彌が闇市で魚を仕入れ売りながら生計を立てていたころには、のちに文化勲章を頂くことになろうとは、あの70年前ほど前の津波で助かったからという事もトークしていた。また南海トラフ地震は、20年以内には発生するだろうとも話していた。
2015.03.01
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