全31件 (31件中 1-31件目)
1

「洗濯機で回数券を洗って千切れた」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。2015年もあと僅かな時間で暮れようとして何となく物悲しい思いである。NHK朝ドラ「あさが来た」を第1回から第78回まで一気に見たからだろうか。9月28日から録画していて一度も見ていない3ヶ月17時間を4日間で見た。勿論昼間は何かと慌ただしく忙しいので夜ネットをしながら見終わった。「あさが来た」を見ている時は勇気も出たが見終わったら虚しい思いだ。2015年を振り返ると妻やホープの事など色々な事があったが無事暮れそう。色々な事と言えば私が一番色々あった2015年だったのかも知れない。一番は何と言っても2回車のキーを落として大騒ぎした事である。あの時の虚しい気持ちは忘れてしまったが往復のタクシーは覚えている。タクシー料金の額はうろ覚えだが通った往復の道はしっかり覚えている。キーを落とし落胆しその車のキーを拾って届けてくれた人達にも感謝した。2015年最後の「ビックリポン」は裏起毛レギンスパンツを洗濯機で洗った事。洗濯機の中のタオルやレギンスを干そうと取り出したが紙が付いている。バンダナも出て来てハッとしてもう一度バラバラになった紙に目を凝らした。レギンスどころではなく千切れた紙切れを一枚ずつ拾いタオルも振った。10枚の入浴回数券はバラバラにジグソーパズルのように合わせ干して行った。電話で温泉の支配人に10枚の回数券を洗って千切れたが使えるか聞いてみた。驚いた様子で見てみないと返答が出来ないとさてさてどうなるか楽しみだ。2015年はお世話になりました。来年もよろしくお願いします。
2015.12.31
コメント(0)

「私の手をペロペロ舐める」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。ホープに赤ちゃん用のオムツを一日3回換え犬用はオムツカバーにしていた。3回換えていてもオムツかぶれが酷く換える度にワセリンを塗っていた。今日ホープのシャンプーをするためにウェアーを脱がしたところ驚いた。ウェアーの袖ぐりや襟ぐりの締め付けられる所がかぶれて赤くなっていた。今まで赤と紺の2枚のニットを交互に着せていた秋口は問題なかった。寒くなって厚手の伸びないウェアーを着せてから知らないうちにかぶれた。シャンプーをする前に40度のお湯をホープにシャワーすると気持ちよさそう。ホープの体をシャンプー液を付けずに汚れを落とした所多くの毛が抜ける。ウェアーで生え変わり抜けた毛が外に落ちずに中で溜まっていたのかもと思う。スクワットで鍛えていてもホープのシャンプーでは腰が痛くなってしまう。大き目のウェアーの腰部分を2センチ摘み縫いし0.8ミリのステッチを掛ける。お腹部分はワンピースのダーツを取る要領で縫いステッチで縫い割りした。着せる前にワセリンを塗っていると私の手をペロペロ舐めるから可愛いものだ。ホープに着せると全体にゆとりがあるウェアーになり高価に見えるから不思議。
2015.12.30
コメント(0)

「12月29日は妻の誕生日」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。今日は12月29日で1949年の今日妻はこの世に生まれ66回目の誕生日を迎える。どんな贈り物が良いだろうかあれこれ考えたが今年もガーゼの寝間着にした。今日午前中に宅配便で届いたので妻の療養する病院へ電話を入れてみた。事務所の誰が電話を取ったのか声を聞き分けられるまでになっていた。お世話になっておりますと言うと療養病棟に回せばよろしいですかと応える。直ぐに看護主任が出たのでノロウィルスは落ち着きましたかと聞いてみた。ノロウィルスを注意していたらインフルエンザも蔓延していると言っている。看護師もインフルエンザなのか2人休んでいるので病棟は大変な状態のようだ。急用ですかと聞かれたが妻の誕生日の贈り物を届けようと思ったのですがと話す。病院長からも入口に看板を立て人が入れないようにと指示しているようだった。折角妻の寝間着が届いたが妻の元へ届ける事が出来ないのは残念だが仕方ない。妻のインフルエンザ予防接種にサインしたがしてない人もいるので心配になる。妻の意識は無いようではあるが看護師が痰の吸引をする時は苦しそうにしている。看護師は痰の吸引をしますね苦しいけどごめんなさいねと必ず話し掛けている。
2015.12.29
コメント(0)

「今回医師は3分で笑った」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。睡眠導入剤を飲み出してから徐々に起きられなくなっていった。妻がベッドから呼び出しチャイムを押しても聞こえるものの起きれない。妻は仕方なくオムツの中に用を足してしまったと食事の時に怒る。私がいつもオシッコはオムツの中にしてもイイって言っているでしょうと。妻はオムツの中にすると気持ちが悪いからトイレでしたいと言う。私が眠剤を服用して起きれない事だったと思い眠剤を飲まなくなった。眠剤を服用しないと忽ちイライラして寝れなくなりクリニックを訪ねた。医師からは睡眠導入剤が合いませんかと聞かれ妻との会話を話した。前回は無表情で人の話を15分以上聞いていたが今回は3分で笑ったから驚く。薬を飲まなくなったら眠れなくなるという事は当たり前の事ですという。チャイムは問題があった時に押すわけだからスイッチを消せば鳴らない。それかチャイムを外されたらどうでしょうかと私に聞くから意外だった。帰宅して妻に夜は10時から朝7時までは眠るからオムツの中にしてと頼んだ。朝ベッドへ行ってオムツを交換したが6日でゴミ袋が持てないほど重かった。
2015.12.28
コメント(0)

「睡眠誘導剤を飲んだら」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。睡眠誘導剤と抗不安剤と抗うつ剤を処方され処方箋薬局で薬を頂いた。昔は病院内で処方された薬を頂いたが違う所で頂くのには抵抗があった。妻が倒れた時の薬は入院しているのか病院から看護師が持参していた。私が内科を受診した時も血液検査と紹介状のお金を支払い薬はなかった。始め心身クリニックの受付で1410円支払った時は安いと思って安堵した。薬は?と聞いたら処方箋がありますから隣りの薬局で受け取って下さいと。処方箋薬局では薬と引き換えに1640円を支払い損した気持ちになった。長く居ない間に何か大きく変わったなと思いながら支払った記憶がある。今でも中国の咳止めや風邪薬、皮膚アレルギーの薬は中国の薬を使用。病院と薬局が別になっていた時は違和感があったが慣れるとそうでもない。抗不安剤や抗うつ剤を初めて飲んだ時は体がふわふわした感じになった。更に睡眠誘導剤を飲んでから妻のオムツ交換をしていたら意識を失った。1時間ほどして気が付き睡眠誘導剤を飲んだら布団に入らなければと思った。だが妻には私の辛さは分からないようで呼び出しチャイムが容赦なく鳴った。
2015.12.27
コメント(0)

「介護休業合計93日間」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。私が初めて心身クリニックで診察を受けたのは在宅介護から2ヶ月目の事。一番の原因は将来への不安が増す日々で熟睡が出来ない事で痩せたからである。この時には妻は第一回目の脳出血だけだったので左半身マヒ状態だけである。介護離職した会社からは若い者を現地へ送っているが役に立たずと携帯へ連絡。介護の為に会社を辞める事自体4年3ヶ月前は何を言ってるんだと断られるほど。介護休業合計93日間が取れるようになったが私の場合は駐在の仕事では困難。会社とは揉めたが会社の損害金を全て私に支払ってもらうとまで言われた。妻が脳出血で倒れた事により家庭だけではなく会社までが困ってしまっていた。知人の弁護士にも相談した所あなたの心がブレていてはフォローも出来ない。弁護士から指示は出せないと言われ妻の介護をするのは夫である私しか居ないと。会社と60歳定年を65歳定年で給料据え置きの契約を結んだ半年後に妻が倒れる。若手日本社員も3ヶ所に3人いたが通訳付きで通訳も専門用語方言が分からない。大陸の北と南では言葉が全く通じず作業員は標準語も上手く話せず喧嘩も多い。学校で中国語の学習をして来ても実際観光ではなく仕事となると通訳が必要。私が会社を辞め大きな損害を被ったと言っても実情は違うのではと弁護士は言う。妻の介護疲れや中国からの電話の事を医師に話すが黙って聞いていてくれた。
2015.12.26
コメント(0)

「ノロウィルスの患者が出る」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。妻が入院する療養病棟のナースステーションへ変わりないですかと挨拶。主任が困った事になってるから病室の中へは入ってはダメですよと出て来る。妻の容態が悪化したのかと思ったら病室のドアーを指さして話し出した。インフルエンザを注意していたらノロウィルスの患者が出て困っていると。前回はインフルエンザが流行っているのでマスクと手洗いをして中へとあった。ドアーの注意書きはインフルエンザからノロウィルスに書き換えられていた。看護主任の言う通り年末年始は外部から病室へは入れませんのでご協力とあった。私はセンターへ寄り変わりありませんかと聞くので良いが黙って入る人も居る。看護師が病室へ入り妻の汚れた寝間着を取って来てくれ洗った寝間着を手渡した。子供達が年末に来る事になっていたのでlineで送ったが車の中で打つのは大変。知らないうちに前の車が動き出しており後ろからクラクションで催促される。滅多に信号で停車し携帯電話を操作する事はないが今日は送信まで完了できた。送信すると直ぐに返信されたのか携帯電話が呼んでいるが走行中だと独り言。クリスマスなのか渋滞の中で皆苛立っているようであるので申し訳ない思い。
2015.12.25
コメント(0)

「抗不安剤と睡眠誘導剤を処方」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。諺に「禍福はあざなえる縄の如し」とあるが幸せと不幸せは常に隣り合わせ。一本の縄が幸不幸の二本の紐で撚り合わせてあり幸と不幸は隣り合わせである。人生は幸不幸が隣り合わせで不幸が来たときは幸せが必ず来るものと思った。人は激しく落ち込んでしまうと自暴自棄になってしまうものである。私は妻を介護車で送り出してより内科を訪れ問診のあと血液採取を受けた。血液検査の結果が分かるまでには半日ほどの時間が掛かり翌日来院した。翌日内科の医師より異常は見つからないと言われ再度事の詳細を話した。医師はストレスから来ているねと言い心身クリニックへの紹介状を書いた。紹介状を握りしめ教えられた電話番号をナビに打ち込み車を走らせた。15分も掛からず病院へ着いたが精神科は始めてで入るのをためらっていた。ごく普通の人が入って行くので意を決して自動ドアーから中へ入った。保険証を出したが「どうされましたか」と聞かれても答えられなかった。診察が15分掛って終わり出ると待合室の皆が一斉に見るので恥ずかしかった。抗不安剤と睡眠誘導剤を処方され軽いうつ病を発症しているとの診断だった。
2015.12.24
コメント(0)

「痩せて来るのが分かる」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。通所ケアへ通っても妻の左半身の麻痺が治ることは期待出来なかった。通所ケアへは午前9時に迎えに来て午後4時半に介護車が送って来た。妻がリハビリ病院に居た頃私も療法士の見守る中二人三脚で歩いた。妻の左側に立ち左足の役目をし妻の右脇を抱え家の廊下を歩き訓練した。妻が通所ケアで疲れただろうと思い廊下を一往復するだけで車椅子へ載せた。車椅子を押してキッチンへ行きテーブルへ着けて鍋から煮物を器へ入れる。ホープのドッグフードにも煮物の肉だけを箸で摘まんでトッピングする。毎日同じ事の繰り返しだが一生懸命なので夜中何度起きても疲れは感じない。妻の介護でベッドから降ろし携帯トイレに座らせまたベッドへ横たえる。オムツの中に用を足しても良いと言うがどうも嫌なようでチャイムを鳴らす。携帯トイレに用を足してティッシュで拭き取りテープ式オムツを着け直す。私はスクワットの形をして妻が倒れないように支えているが腰が痛くなる。在宅介護を初めて2ヶ月ほどして寝付けない夜が続き出し昼間も寝れない。私は食べたものを嘔吐し瞬く間に体が痩せて来るのが分かるほどであった。
2015.12.23
コメント(0)

「気の毒に奥さんだったのか」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。通所デイケアーの車はハイエースを改造したもので車椅子ごと乗せる。車椅子の出入りは介護ベッドに近い縁側から長いスロープを使い下ろした。通所の送迎車の運転手は中学時代の同期生で向こうから声を掛けて来た。書類の苗字と住所を見てお前と違うのかな~と思いながら来たと言う。お前の母親かなとも思ったが気の毒に奥さんだったのかと話す。朝の忙しい時なので妻の車椅子の車輪を固定させると介護施設へと出発。介護施設がある所は病院の最上階にあり浴槽の設備もあり殆ど高齢者だ。妻は雰囲気に馴染めないのか6人掛けテーブルにポツリと一人座っていた。介護施設のある病院は家から600mほどの場所にあり何かと便利だった。家から近い事も有り85歳ほどの高齢者は良く知っていたので妻の事を頼んだ。あんたの奥さんこの若さで私たちより症状が重いので気の毒だと語る。皆からも奥さんに話し掛けるように私から話しておくから安心しなさいと。介護施設と家との連絡ノートにはリハビリ体操や血圧と入浴の有無が記入。私からは午後4時に帰宅後翌朝9時送り出すまでの気付いた事柄を記入した。
2015.12.22
コメント(0)

「理不尽すぎる」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。妻が藤田保健衛生大学七栗サナトリウムから退院する日が近付いてきた。私は市役所でメモを取った内容は殆どクリアーして迎える準備が出来ていた。私がまた中国に居る頃に妻から国民年金を前倒しで受給している人がいる。前倒しで頂く分が安くなるけどどう思いますかと相談を受けた事がある。私は生活に困っているならともかく65歳になってからにしなさいと伝えた。前倒しで受け取っている人も居るのだと思ったが気にも留めなかった。妻が倒れた時61歳8か月になっていたがこの1年半後に身害者年金が支給される。もし前倒しで年金を受け取っていたならば障害者年金は降りなくなってしまう。妻は障害者1級であるので幾らかは知らないが最高額支給されている。現在医療費から介護用品代全て妻の年金からまかなえて余りがある。通所リハビリテーションへは介護送迎車が送り迎えしくれていた。だが妻の調子が悪くなると介護から医療へは同じ病院内でも出来なかった。介護と医療を切り離していたので私が迎えに行き医療機関へ連れて行った。介護の最中調子を崩した年配の人も家族を待たなければならず理不尽過ぎる。
2015.12.21
コメント(0)

「つきたての餅は美味しいわね」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。今日は自治会の餅つき大会で昼頃様子を見がてら自治会会場へ行った。ホープも連れて行っておりホープちゃんも来たのと撫ぜられていた。自治会内にマンションがあり寒い中でも子供達も大勢来ていた。自治会も老齢化してきたが若い人たちも増え活気にあふれていた。妻を介護していた時も私は役員として餅つき大会に参加していた。途中で何度も抜けては家に帰り妻の様子を見に行っていた。他の役員から何度も抜け出して何処へ行っているのと質問された。妻の介護中なので様子を見に帰っていると話すとそうだったなと言う。自治会の組長を引き受けるかどうか会議の中でも相談し役員も知っていた。役員の皆からは組長の役を飛ばさない方が良いので副を決め引き継いだ。自治会の中で協議をしたのだが人は自分の事で精一杯で他所事は忘れている。私も他の家庭内の事情を詳しく知らないのと同じであると思った。妻を介護していた時は餅を家に持って帰り小さく切って妻に食べさせた。つきたての餅は美味しいわねと言うが妻が呑み込む度に注意して見ていた。
2015.12.20
コメント(0)

「介護用呼び出しチャイム」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。妻の在宅介護は2012年4月18日から始まり通所リハと訪問リハを利用した。妻の介護ベッドは8畳間の和室に備え付け畳が凹むと補強板を敷いた。介護ベッドは病院で使っていた同じベッドをレンタルして手慣れていた。病院では小さく見えたベッドも家の和室に置くと大きくも感じた。病院で看護師の前で合格を頂くまでオムツ交換の訓練も受けていた。長女が7ヶ月位の時に妻が1か月間入院してオムツも交換した。だが当時のオムツは綿布を輪にして作ったオムツで交換した。当時は自営業で従業員もいたが私は外回りで長女を背負って運転。交差点で停まると隣の車の運転手はマジマジと私の方を見ていた。妻の介護用のオムツは市から支給されテープ止めタイプ式を使った。昼間は私が家事をしていても介護用呼び出しチャイムで駆け付けた。トイレにと言うと部屋の隅の簡易トイレを用意し妻を介助した。昼間もオムツだけは付けて夜には私も眠る為にオムツにしていた。介護をした人は理解できるが私も同じで何度も起きては様子を見に行った。
2015.12.19
コメント(0)

「よく頑張ってくれてありがとう」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。第一回目の退院の日に藤田保健衛生大学病院からの医師に挨拶した。医師は「また逢いましょうとは言わないわよ」と見送って頂いた。お世話になった療法士の皆さんにも妻の車椅子を押して挨拶しに回った。各療法士さんは車椅子に座る妻の目線までしゃがんで挨拶をしてくれた。「よく頑張ってくれてありがとう」と言うので「皆さんのお陰です」と。作業療法士は妻を車の助手席に乗せ車椅子をトランクへ入れるまで確認。後部座席で待っていたホープも妻が助手席に座ると甘えた声を出していた。助手席のウィンドウを下げると療法士は「家でも頑張ってね」と声を掛ける。私は「お世話になりました」と言い駐車場を出て家までの1時間を走った。自宅に付きハザードを付けバックで駐車場に入れ妻を待たせて家の中へ。一番奥の和室のカギを開け縁側から外へ出てレンタルのスロープを出す。長さが3.5mと一番長いスロープを掛けたが購入すれば35万円はする。妻を助手席から練習した通り下ろして車椅子に乗せスロープを上がった。和室には病院と全く同じ介護ベッドへ車椅子から訓練通り妻を寝かせた。
2015.12.18
コメント(0)

「退院して来るまでの準備」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。第一回目に妻がリハビリ病院から退院して来る前にやる事が山積みだった。市役所へ行き妻の要介護4のナンバーを伝え資料データを出して頂いた。車椅子で部屋から部屋へ移動する為に段差などや手すり工事の話をした。役所から地域包括センターを紹介して頂き車で取って返し話を聞いた。家の中の段差や手すり工事などは知っている業者があるかと問われた。地域包括センター紹介のケアーマネージャーに一任したいとお願いした。ケアーマネージャーより介護設備業者へ連絡すると直ぐに来て商談した。役所から20万円の補助金が出たが40万ほど掛かり20万の持ち出しとなった。妻が退院して来るまでに工事を終えなくてはならず直ぐに準備に入って頂いた。手すりや段差を無くす工事や車から降ろし車椅子で移動までコンクリートにした。手すり取付け業者や段差補正工事業者、コンクリートを打つ業者が入り乱れた。私は妻の事で頭が一杯であったし介助の訓練の為介護設備業者に任せていた。鍵を手渡すと私を信用して下さるのですかと問われるが管理をお願いした。通所リハ施設も走り回り妻が帰って来るまでに決めて管理者とも会った。
2015.12.17
コメント(0)

「退院間近には桜が咲いた」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。4年前リハビリ病院へ転院した時は冬だったが退院間近には桜が咲いた。右脳出血で左半身麻痺で動かないので介助しても外を歩く許可は出ない。外の桜を見せる為に車椅子に乗せ療法士とホープと短い距離を歩いた。私の介助も板に付いてきて妻を抱えて号令を掛け二人三脚で歩いた。ベッドに寝そべる妻の移動も軽く動かせれるようになっていた。病院の駐車場へ行き助手席の扉を開け車椅子から助手席に乗せる。助手席には2回体位移動させ座らせてよりまた助手席から車椅子に乗せる。何度も同じ介助動作を繰り返しどうにか介助合格点を頂けるまでになった。車椅子は購入せずレンタルにし退院の1か月前から病院で使用し慣らしていた。車椅子をワゴンのトランクに乗せてから再度下ろして助手席へ持って行った。療法士は色々な事柄を想定して介助作業を私にするようにと指示された。妻が車椅子からずり落ちた事を想定して起こそうとするが中々上手く行かない。車椅子から車の助手席への乗り移りも妻が協力してくれなければ出来なかった。妻を抱え介助し胸を張るように言いイチ!ニィ!と号令を掛け歩き出した。
2015.12.16
コメント(0)

「力任せでは腰を痛めてしまう」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。今日も妻の療養する病院へ行ったが相変わらず意識は戻らぬままである。そしてまた新しい85歳ほどの入院患者が妻の横のベッドに横たわっていた。4年前に車へホープを乗せて1時間の道のりを施設まで毎日往復した。鈴鹿から妻が入院する藤田保健衛生大学七栗サナトリウムへ通った。リハビリセンター内にホープは入れないので車で私が戻るまで待ちぼうけだ。作業療法士が病室に行き寝ている妻を起こしてベッドから車椅子へ乗せる。私にも同じように妻を車椅子へ移動さすように指示されたが簡単ではない。療法士は私に力が入り過ぎでガチガチになっているから出来ないと言われた。ベッドで寝そべる妻の体の移動から始める事になったが力を入れても動かない。介助は奥さんの力をどのように使うかで力任せでは腰を痛めるだけと言われた。妻をスムーズに危な気なく車椅子に乗せるまでに3日ほど掛かり腰も痛めた。毎回作業療法士は大きなマット台の上で腕や足腰のマッサージから入っていた。私は毎日介助する側の体の動かし方を訓練をする為床のマットの上に乗った。スニーカー厳禁なので脱いで上がると妻が靴下踵に穴が開いていると騒ぐ。妻は私が元気なら穴あきがないか確認するのだけどと療法士も大きな穴に笑う。妻はこの時点では脳に大きなダメージを受けていないかのように話していた。
2015.12.15
コメント(0)

「妻の手足が固まってきた」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。4年前の妻の胃ろうの手術で45日間入院期間が伸びたはずだった。土日祭日の月曜日と3日間リハビリが休むと妻の手足が固まると苦情。看護師の朝礼で昨日の問題点を吸い上げていて私の苦情が浮上した。医師とも相談して転院先に空きスペースを確保させ転院させられた。私のひがみかも知れないがそのように理解し反省し納得していた。だがリハビリ病院に早く転院出来て結果的には良かったと思っていた。リハビリでは作業療法士と理学療法士と言語聴覚士に分かれていた。妻はこの3つを毎日クリアーしなければならず疲れても休めなかった。作業療法士は名の通り身体障害の作業療法をつかさどり私も教わった。理学療法士は医師の指示の下でリハビリを行い運動能力の回復を援助する。言語聴覚士になってくると発声のための喉の筋力トレーニングをする。言葉を引きだすためのカードを使った訓練や言語指導なども行っていた。言語聴覚士は食べ物をうまく飲み込めない嚥下障害の訓練も厳しく行う。妻がリハビリ病院で胃ろうをせず直接口から食事が出来たのも訓練のお陰だ。
2015.12.14
コメント(0)

「タンパク質を含む食品の例」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。タンパク質がどんな食品に含まれているか調べ代表的な食材を挙げてみた。スパゲティ、マカロニ、カップ麺。クリームパン、ロールパン。そうめん、フランスパン、食パン、餃子の皮、とうもろこし他沢山。きな粉、だいず、塩豆、あずき、納豆、がんもどき、厚揚げ、こしあん。えんどう豆、いんげん豆、かつおぶし、煮干し、丸干いわし、あじ。あゆ、まぐろ(赤身)、いわし(焼き)、かつお、スモークサーモン他沢山。 はまぐりの佃煮、えびの佃煮、いか、大正えび、車えび、めんたいこ。たらこ、伊勢えび、あさりの佃煮、甘えび、さざえ、しゃこ、毛がに。サラミ、生ハム、鶏ささみ、豚肉、鶏肉、牛肉、豚レバー、牛レバー。焼きのり、味付けのり、あおのり、カットわかめ、塩昆布、ひじき。チーズ類、脱脂粉乳、ソフトクリーム、生クリーム、ヨーグルト、牛乳。落花生、バターピーナッツ、ごま、アーモンド、くるみ、松の実。ベーコン、ゆでたまご、フランクフルト、鶏軟骨、生たまご、ホルモン。さつまいも、フライドポテト、ながいも、じゃがいも、さといも。干ししいたけ、きくらげ、マッシュルーム、まいたけ、エリンギ。マッシュルーム、しいたけ、えのきたけ、しめじ、まつたけ、なめこ。あじ、かます、しらす干し、たい、うなぎ、塩さけ、ぶり、さば。かわはぎ、さんま、かじき、ほっけ、めざし、たら、めばる、ツナ缶。代表的なタンパク質を挙げてみたがほとんどの食品に含まれている。例を挙げたのは一部で何でも好き嫌い無しに食べる事が健康ライフのコツ。
2015.12.13
コメント(0)

「脳出血は低栄養と高血圧が原因」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。転院してより担当看護師を紹介して頂き空いたベッドへ行った。転院先のベッドは全て2人部屋になっており広い空間があった。榊原温泉近くにリハビリ病院は建っており多くの人が利用していた。スパルタ方式でリハビリをする事で知られているが重病人はいなかった。病院から紹介を入れる時に治る可能性の高い人を転院させているようだ。必ず治ると言う良い評判を狙ったもので寝たきりの人は一度も見なかった。女医から脳出血は飲酒、喫煙、低栄養と高血圧が主な原因などと言われた。血管が薄くなり血圧が急に上昇し破れ易くなった個所から出血してしまう。タンパク質や脂肪の摂取量を増やす事で脳出血自体減らす事が出来るという。だが高齢になってから慌てて摂取量を増やしても遅く若い頃から心掛ける。女医から妻の血圧は高かったかどうか聞かれたが私はあまり知らなかった。話しが出来る妻の元へ女医と向かい血圧を聞き普段は高くはなかったと言う。用心して毎日のように血圧を測っていたがいつも午後から測っていたと言う。女医は隠れ高血圧の可能性があるかも知れないと酒を飲んでいたかと聞く。妻は正直に焼酎のお湯割りを毎日飲んでいたと答えたが飲む量は言わなかった。どれ程の量を飲むのですかと聞かれ毎日20度の焼酎を1合飲んでいたと答えた。妻が倒れた時は夏の暑い盛りで汗をビッショリ掻き焼酎を飲めば大丈夫と言った。女医がそれは逆効果で脱水症状を起こし朝方脳出血を起こしたと納得したようだ。
2015.12.12
コメント(0)

「リハビリ時間は1日3時間」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。くも膜下出血、脳梗塞、脳出血の脳卒中の中で妻は脳出血で倒れた。嘔吐物が喉に詰まって不運にも窒息死する事もあるが妻は問題なかった。体が硬くなると妻の場合5日目あとから腕や足のリハビリをしていた。歩くようなリハビリは出来ないので病室のベッドの上で行っていた。以前の医療従事者の通説は発症から6か月を過ぎると改善が止まる。6か月の壁を越えてしまうと麻痺は改善できなくなるとされていた。3ヶ月転院は病院への医療報酬が入らなくなるという一面だけではないようだ。妻は手術後1か月を過ぎた辺りから作業療法士のサポートでリハビリに入った。胃ろうをしてからは体力がついたのかスピードがアップしたように見える。45日間延長と言っていたが20日経たない内にリハビリ病院へ転院した。鈴鹿の救急病院から車で1時間掛かり救急車が手配されたが料金はタクシー並み。その場での現金は必要なく入院費用の中に入っており後日支払った。高額医療の手続きがしてあったが月が替われば二つの病院へ支払う事になる。2日間の治療でも高額医療の限度額は2か所の病院へ支払わなければならない。後でケースワーカーへ相談し地元役所へ申請し超えた分は3ヶ月後に戻って来た。地元の病院の介護業者で作った左足装具を持って行ったが太腿部分は不要だった。転院したリハビリ病院では手術の設備はなくリハビリを専門に行っていた。鈴鹿地元病院では土日や祝日休みで3日休みが続くと途端に妻の体が固まった。私が見様見真似で覚えた軽いストレッチリハビリを休み中行った。リハビリ病院では日曜日だけ休みでリハビリ時間は1日3時間ほど行った。
2015.12.11
コメント(0)

「病院ジプシー生活」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。4年前妻の入院生活が90日を迎えようとしていた。医師から胃ろうを設置してリハビリ病院への準備をと打診があった。初め胃ろうがどんなものなのか全く分からない私は返答に困った。医師より経管カテーテルより胃ろうの方がリハビリには適していると。更に胃ろうの手術をする事により直ちに転院しなくともよいと説明。私は考えさせて下さいと帰宅し胃ろうについての情報を集めた。内視鏡を使って腹の胃の部分に穴を開ける手術で直接流動食を入れる。鼻腔へカテーテル栄養チューブよりも逆流や誤嚥のリスクが低いとあった。胃ろうPEG手術のページをA4にプリントアウトして医師と面談した。胃ろうの説明ページを見せると私から説明する手間が省けたと話していた。同伴した看護師から承諾書を受け取るとこれに署名捺印して下さいと用意周到。私がサインし印鑑を押すと明日手術しますから45日間入院延長できますと。入院延長の事だけを強調されると何とも言えない気持ちになった。体力が回復できリハビリの準備も万全に出来ますよ位言ってほしいものだ。手術の時間に病院へ来たが妻は入院しているので私が焦っても何も変わらない。30分ほどの簡単な手術だったが医師が手術室から出て来て私は一礼した。医師から胃ろうの手術だけなら2週間ほどしか入院できないという。妻の場合脳出血で入院中での手術なので延長入院できるようである。1993年から中国駐在で日本にはいなかったので3ヶ月退院制度は知らなかった。高齢者になってからの病院ジプシー生活は送りたくないものである。
2015.12.10
コメント(0)

「診療報酬面から病院に圧力」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。妻が倒れて3ヶ月が過ぎようとしている4年前の事である。医師より転院の話が浮上したので私は驚いてしまった。妻はまだほとんど回復していないのに何故転院なのかと聞いた。病院の説明は救急病院なのである程度回復すれば転院措置を取るようだ。病院側の言い分であり妻の手術を執刀した医師とは思えない発言だった。後から分かった事は診療報酬面から病院に圧力が掛かり患者が一番の被害者。当然の如く完治するまで入院できるものと思っていたので妙に焦った。今中途半端なまま他の病院へ追いやられる事だけは避けたかった。病院のベッドが空いているのに転院しなければならないのは何故と思う。翌日の回診の折に質問してみると回診中なので後でお聞きしますとの事。結局その日は急患の為医師と会う事が出来ず看護師に聞いてみた。医師と患者のご家族のお話に看護師が口を挟む事は出来ないと正論を言われた。翌日の午後医師より15分間だけ時間が空きましたとナースセンターへ。パソコンを開きカルテを見ながらもう少し病状が落ち着くまで待つかと言う。私に向き直ってここは救急病院なので最長でも4ヶ月しか入院できないと。ベッドが満床になる時もあれば空く時もあり救急患者の為にベッドは必要。話し合いの1か月後にリハビリ病院を手配してあるからと面接に行って来た。面接では妻の資料が来ており確実な転院予定日は退院する患者次第だった。初めての事とはいえ病院間の手際の良さに驚き病院事情を垣間見た思いがした。3ヶ月毎に転院を繰り返さなければならない事情さえも知らなかった。
2015.12.09
コメント(0)

「辛い私の心に拍車」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。妻が療養中の病院へ寝間着を届けに今日ホープを連れ1時間掛けて行って来た。2週間前から妻が倒れた4年3ヶ月前の状況を思い出しブログへ書き留めている。私のブログ記事を垣間見た人は今起こっている事柄と勘違いしてしまう。4年3ヶ月以上前に突然妻の身に起こった事で大きく私の生き方が変ってしまう。妻が倒れた時は東北大震災の半年後で既に4年3ヶ月が過ぎてしまっていた。車を走らせていても自分でさえ妻の意識が回復しているのではと錯覚する。先週木曜日に来たばかりなのに意識が回復するはずもないが期待が募る。階段を上る速さもいつもより速いような気持ちさえ感じるほどである。ナースセンターで立ち止まり「変わりありませんか」と質問している。「変わりありませんよ」と言葉が帰って来るが他の看護師は笑っている。妻の横たわる病室の扉を開けるとベッドが一つなくなっている。広々とした空間が目の前に広がり妻の方を見ると変わりない姿が見えた。私は妻の洗った寝間着の入った袋を持ったままナースセンターへ。入口の女性はどうしたのと聞くと土曜日に容体が急変して残念なことに。木曜日には大きなイビキを掻いていたのにと思ったが87歳なので寿命かも。妻の顔をお湯で濡らしたタオルで拭きながら65歳だからまだ大丈夫と思う。首から肩、胸辺りまで拭いていると辛く悲しい思いがこみ上げて来た。ドアーの小窓から私が見えたのか看護師が「どうしたんですか」と入って来る。姿のないベッドのあった方を指さし居なくなってしまったんですねと聞く。療養病棟は重病人ばかりだからねと言うと出て行き辛い私の心に拍車を駆けた。
2015.12.08
コメント(0)

「誤嚥性の肺炎が怖い」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。妻は4年3か月前脳神経外科と呼吸器外科の混合病棟の病室にいた。手術後の食事は嚥下障害があるので経管栄養をしていた。口から食べられるようになれば元気になってくると説明があった。だが2週間が過ぎても口からの食事が嚥下障害により出来なかった。元気になれば食欲は増して来るのであるが左半身マヒは喉もマヒしていた。上手に食べられるようになってほしいと治療を続けているようだった。栄養の補給は非常に大切でリハビリにも影響が出ていた。作業療法士がサポートしながら足を動かすのにも時間が掛かっていた。妻のリハビリ時間は60分間で病室からリハビリを終え病室へ戻るまでの時間。病室で足をマッサージし車椅子に乗せるまでに15分掛かり正味30分間である。柔らかい食事が出来ないのか聞いてみたが誤嚥性の肺炎を起こすと言われた。体力が付かなければリハビリさえままならないと医師に相談した。医師も丁度私に相談をしようとしておりそれは胃ろう手術の事だった。胃ろうは嚥下障害のある妻のような患者に栄養を付けさせるものである。胃に穴を開けチューブを付け直接栄養を送り込むのである。私はネットで調べて早く胃ろうの方法で体力を付けるべきと思っていた。医師は妻が脳出血の手術をしたばかりで胃ろうの手術は体力に限界と判断。だが私の体力を付けさせなければとの思いと医師の考えが一致した。経管栄養では十分な栄養が摂れない状況が続いたが胃ろうに期待した。1週間も経たないうちによく話すようになり右足の力も付いてきたようだ。
2015.12.07
コメント(0)

「暗証番号が分からない」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。妻が入院してから1ヶ月半ほど過ぎた頃から軽いリハビリが始まった。ベッドから車椅子に乗せて1階リハビリテーションセンターで受けた。妻の左半身麻痺で左足は全く感覚がなく歩く事ができない状態だった。病院が紹介する業者が来て左足から太もも付け根までの装具を作った。妻の左足にビニールを巻き付け石膏で塗り固めて行った。30分ほどしてより石膏を切り開き足を抜き型を取り帰った。足の装具が出来上がって来て現金決済したが大きな装具は使用しなかった。足からふくらはぎまでの補助具は使常時使ったが金銭の無駄だった。左足補助具の底の厚みがあり右足の靴も特注で作ることとなった。市から補助金が出るので補助具の領収証を持参して振り込んで頂いた。妻は郵便貯金の通帳とキャッシュカードをバッグの中に入れていた。妻に郵便貯金を下ろしてもよいかと聞いてみた所使ってよいと言う。郵便局へ行き通帳を記入してみたが結構多くの残高があった。キャッシュカードも持って郵便局へ行ったが暗証番号が分からない。妻のキャッシュカードを見たのも初めてだったが暗証番号を知る由もない。3回打ち間違えるとキャッシュカードは使えなくなると緊張した。考えた末に妻の誕生月日を押したところ一瞬にして引き出し金額の画面。私は誕生日ではなく住所の変更前の存在しない番地で登録していた。私のキャッシュカードを誰が持ち出しても暗証番号を当てる事は出来ない。統計上暗証番号で一番多いのは誕生日で2番目が電話番号で3番目は番地だ。
2015.12.06
コメント(0)

「第二第三の不幸を招くと」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。仕事に追われ退職したらどうなるかなど全く考えた事が無かった。4年3ヶ月前の健康保険から国民健康保険への切り替わりも慌てた。もし妻が脳出血で倒れていなければ円満退社になっていたのではと思う。会社も人材を送り込んで来て私は人材育成の責任を努力していただろう。同居家族は私一人なので妻が脳出血で倒れ介護するのは人として当然の事。子供たちに妻を託して中国で仕事を続ける事は第二第三の不幸を招く事に。妻は危機を脱しナースステーションの向かい側の一般病棟へ移っていた。短い時間ではあるが言葉も話せるようになり私と対話が出来るようになった。私は就職などしている場合ではないが登録しなければ失業保険が出ない。ハローワークへ行き状況を説明したが離職証明が届いていないとの事。役所にFAXされた離職証明を手渡していたので私の手元にもなかった。ハローワークへ届き次第連絡をするとの事だったが自己都合退職を説明。失業保険は定年退職なら制限はないが自己都合退職の場合は制限がある。まず働けなくとも求職の申込みをしなければ失業保険が受給できないと説明。自己都合退職は求職の申込みをしても約3カ月間失業保険を受け取れないと。厚生年金と失業保険の額を聞いたが失業保険の方が受け取る額が多かった。説明された事は3年前までは退職しても失業保険と厚生年金両方もらえた。今は法律が改正され失業保険か厚生年金のいづれか選択し片方しか出ない。私は額の多い失業保険を頂く事にし手続きをしたが3ヶ月後に入金だった。60歳半で失業保険の前に厚生年金を頂き一時止め失業保険を頂く事にした。
2015.12.05
コメント(0)

「健康保険証が使えない」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。妻が一般病棟へ移ってからも集中治療室へ自然に足が向いた。ナースセンターは奥にあり妻の横たわる部屋は更に奥だった。ケースワーカーより手術費用や集中治療室の治療費は高額と言われた。高額医療費限度額認定証を申請して来て下さいと役所へ行って来た。病院へ引き返しケースワーカーへ手渡すと受付に提出と言われた。健康保険証と限度額認定証を出すと治療費が高額でも限度額以内で良い。10日程過ぎた頃病院から携帯へ健康保険証が使えないと連絡が入った。会社を退職した翌日から健康保険証が使えなくなってしまっていた。妻が脳出血で倒れた事は分かっている筈だが止められてしまっていた。社会の現実を思い知らされたが突然過ぎどうすればよいか分からなかった。役所に行き国民健康保険課で私と妻の国民健康保険の申請をした。私は加入できたが妻の保険は妻の免許証と委任状が必要で帰宅した。妻の事で頭が一杯であるのに言われるがまま色々な所へ走った。妻の免許証を持って委任状を作成しどうにか妻の国民健康保険が出来た。役所で雇用保険の申請されていますかと問われたが何もしていなかった。ハローワークへ行き申請して再就職説明会にも参加する事と告げられた。ハローワークへ行ってみると自己都合退職は失業保険も遅れると言われた。社会保険資格喪失証明書等言われたが妻の保険証があるので急ぎ出た。妻の国民健康保険証と限度額認定証を持って病院の窓口に行き手続した。まさかハローワークへ自分が行くなど考えなかったが現実のものとなった。
2015.12.04
コメント(0)

「出費は出来るだけ避けたい」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。妻は病院の都合で2週間以上集中治療室に入っていた。脳出血の症状が悪化している訳ではなく一般病棟の空きが無かった。病院側から個室が空いているから移って頂けないかと打診があった。一般病棟のように料金は要らないかと思えば1日1万円と言う。妻が倒れた事の不安はもとより無理矢理退職し将来への不安もあった。一気に年収800万から年収220万の年金生活に落ちてしまい不安だった。また65歳まで給料額を維持する代わりに退職金据え置きに署名捺印していた。中国へ赴任する2日前に妻が倒れ退職を選択し会社としては仕事復帰を要求。私に突き付けられたのは多額の違約金で60歳で退職していた方がマシだった。欲を出すつもりは毛頭なかったが60歳で一旦退職すると嘱託扱いになる。人生とはこんなものかと思っていたところに個室に入ってとの打診である。訳を話すような事はしなかったが出費は出来るだけ避けたいと断った。集中治療室のベッドは余っており料金も発生しないのでお願いしていた。緊張する集中治療室で自分自身や妻の生きた軌跡を振り返るのにも助かった。一般病棟でもナースセンターの前しか駄目なようだったが2週間後に空いた。4人部屋だったが半身不随の重病人ばかりの中で妻は20歳若かった。他の3人は男性で80歳以上の人で付き添いで来ていた奥さんも75歳ほどだった。慣れた頃その部屋で調理の方法など聞いたりして丁寧に教えて下さった。大根やニンジンなども小さくすれば早く調理できる事なども教わった。味付けはビニール袋に入れ調味料を入れ混ぜ合わせれば出来るとも教わった。
2015.12.03
コメント(0)

「大事に至らずに良かった」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。今書いている事柄は2011年8月29日に妻が倒れた日の事を書いている。4年3ヶ月前の事の状況を自分なりに回顧して妻への介護に力を注ぎたい。集中治療室へは私と長男が出て来てから長女と長男の嫁が入って行った。その間子供たちは長男の5年生になる娘が見ていてくれたようである。最後にICUへ入ったのは次男夫婦で出て来た時は次男の目は充血していた。3日間は集中治療室で管理し問題なければナースセンター前の部屋に移すと。時刻も午後9時前だったので皆でくら寿司へ行く事にして銘々車を走らせた。病院は完全看護体制であるので患者の家族が宿泊は出来なくなっている。大事に至らずに良かったと子供たちとも話し合い名古屋方面へ帰らせた。それぞれの生活を考え後の事は父さんに任しておけばよいからと伝えた。医師からは最悪の事を考え合わせたい人は呼んでおきなさいと言われた。その時は妻がこの世から居なくなると私も動揺した事は言うまでもない。61歳の若さでこれからという時こんな事が有っていいのか思うと手が震えた。子供達家族も何か変わったことがあればすぐに連絡してと帰って行った。子供たちは名古屋までの道のり高速を使えば1時間半ほどで家に着く。私は15分足らずで家に着いたがホープの事をすっかり忘れていた。家に着くとホープが捨てられたと思っているのか悲しい声で吠えている。朝救急車で運ばれ夜10時過ぎまで誰も居ないので心細かったのだろう。ホープは妻が救急車で運ばれてから今まで吠えてばかりでしたよと。隣の奥さんが妻の容態の事を心配するかのように来てくださった。
2015.12.02
コメント(0)

「集中治療室は身内だけしか入れない」 「ワンダーフォトライフ」では、下書きに保存してあった写真を公開しています。妻の手術が終了し執刀医から説明時には長女長男次男で聞いた。手術衣の胸元は10センチほど汗で濡れており時間の長さを感じた。執刀医の説明は10分で終了してより聞きたい事があればお聞きしますと。私から手術は30分以内に行うと後遺症のリスクが少ないと聞きました。今回脳出血も手術も初めての経験で不安な時が流れたと感じた。脳出血後の手術までに時間が掛かっても問題なかったのかと質問。奥さんの場合は右脳の出血ですが一気に血が飛び散ったようなCT画像。救急で運ばれて来て直ぐに担当技師が上半身のCTを撮影したと言う。右脳の出血は凝固しておりそれ以上の出血は考えにくいと判断。しかし手術の順序を遅らせたのではなく3人の医師が手術に当たった。救急で運ばれて来る患者数も8月29にと猛暑でもあり多かった事も事実。妻の場合倒れた時に左上腕骨折をしておりその手術も行った。医師は看護師から倒れた状況の書類を見て思った事を私たちに話した。テーブルで左上腕を打ち骨折と思うが頭を打っていたら影響は甚大と。長女が医師にお母さんは若いのに何で脳出血を起こしたのかと質問した少し考えて睡眠不足、ストレス、飲酒、タバコ、遺伝などあると話す。こればかりは医師も言葉を選びながら話していたのが印象に残っていた。妻に面会は出来ますかと聞くと集中治療室は身内だけしか入れないと。他に無ければ私は失礼しますが後は集中治療室の看護師が説明しますと。看護師は集中治療室は一度に2人で小学低学年までは入れないと説明。手を洗いマスクをしてチャイムを押し患者名を名乗ってからロックを解除。私と長男が入ったが妻の頭のキズを見て長男は大粒の涙を流していた。
2015.12.01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1

