あの、ゆるやかな日々
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土曜の夜のニュース番組「ニュースキャスター」を見た。京都男児遺棄事件について柳澤綾子さんがコメントしていた。誰しもが、強い憤りを覚える理不尽な事件であることは間違いない。そのうえで、彼女のコメントに強い違和感を感じた。「どうしたらこのような事件を防げるのかを考えなくてはならない」といったようなことを言っていたと思う。今回の事件はストーカー殺人などとは根本的に異なる。家族として暮らしていた父親に殺されたのだ。防ぐ方法などあるまい。一連の出来事に、あのときこうしていれば、という出来事は一つでもあっただろうか。ストーカー殺人であれば、あの時にもっと強い態度で接していれば、とかあの時にもっと避難誘導しておけばなどといった反省点があることもあるだろう。たいてい結果論になってしまって、未然に防ぐことは難しいとは思うが、それでも今後の対応に生かすということが可能かもしれない。今回はどうか。父親が学校まで送った、と言いながら実は送っていなかったようだが、それを当人以外の誰が知りえるのか。父親が学校に送った、という3月23日朝には結希くんは生きていたことが確認されている。逆に言えば、そのあと殺されたことになる。なので、その前に防ぐことが必要だが、その時は周りから見て不自然な点はなかったのだろうから、防ぎようがないと思われる。しいて挙げるならば、唯一の望みは一緒にいたであろう母親だ。一緒に住んでいたのだから、父親と結希君の関係を見ていて、そのうち何かが起こりそうだ、ということを感じることもあったかもしれない。その時点で何か手を打っていれば、ということはありそうだ。しかし、いくら再婚相手の連れ子で仲が悪かったとしても、殺してしまうことなど想像できないだろう。赤の他人であれば客観的に判断できるかもしれないが、一緒に住んでいればそのようなことは想像したくないはずだ。それをさらにさかのぼって防ごう、などという発想になれば、連れ子のいる再婚はやめましょう、といった極端な議論になりかねない。再婚同士でうまくやっている家族の例は数多くあるに違いない。こうした、とてもプライベートな空間で起きた出来事をも、周りの人間が何かしらの工夫をしていたら防げたはずだ、と考えることは安易な責任転嫁やいらぬバッシングにつながりかねない。今回の例で言えば、学校だ。当初、学校に責任があるかのような姿勢の報道も見受けられた。学校が開いた説明会をニュースで報道する、ということ自体、学校の対応を問題視していた証だろう。柳澤さんはとても実績のある医学博士で、年間500本の論文を読むそうだが、小説を読んだりはするのだろうか。夏目漱石や太宰治を読んで人間の業、性(さが)というものを知れば人知の及ばないことがあることに思い至るのではないかと思う。
2026年04月19日
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