inti-solのブログ

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2015.02.20
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テーマ: 戦争反対(1248)
カテゴリ: 戦争と平和
「虐殺は終戦後、米軍放送で知った」 絞首刑の松井石根大将
南京攻略戦で旧日本軍を率いた元司令官の大将、松井石根にとって「南京大虐殺」は寝耳に水だった。戦後、東京裁判で松井はこう証言している。
「(大虐殺は)公的な報告を受けたことがなく、終戦後米軍の放送で初めて知った」
戦勝国による追及が始まる中で現れた「南京大虐殺説」。その責任者として松井は昭和23年11月12日、戦犯として死刑判決を受け、12月23日に絞首刑に処せられた。70歳だった。
「松井大将は清廉潔白だった」
元陸軍第36師団歩兵第224連隊の少尉、内貴直次は戦後、松井の元私設秘書、田中正明から幾度となく聞かされた。田中は11年に松井に随行し中国を訪れた。戦後は近現代史の研究者として活動、平成18年に94歳で亡くなるまで虐殺説に反論した。
昭和18年夏ごろ、南京に約1カ月間滞在した経験のある内貴自身もこう言う。
「南京に入ったのは攻略戦から6年後。街は商店や人であふれ、平和な様子だった。もし、大虐殺があれば、住民の恨みを買い、われわれは平穏に駐留できなかったはずだ」(以下、くだらなすぎて略)

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産経の「歴史戦」という連載については、以前にも当ブログで触れたことがあったように記憶しています。いかにも産経らしい、極右的歴史観のオンパレード。歴史観そのものを、中韓と戦うための戦場みたいに捉える考え方にも辟易するばかりです。
で、いよいよ話が南京大虐殺をめぐる問題に及んできています。とはいえ、すでに決着の付いている話を何度も持ち出してくる馬鹿馬鹿しさには、あきれ果てます。

そもそも、裁判で被告が罪状認否で「私はやっていません」と言ったからといって、それが即事実として認定できるわけがありません。裁判の証拠と歴史的事実の判断資料は違いますけど、裁判で被告が自らを有利に導くために主張した「証言」は、証拠としてはかなり信頼性が低い、というところは共通していると思われます。

さまざまな資料を総合して判断する限り、松井大将が自ら率先して「虐殺しろ」と命令したわけではないのは事実です。むしろ、言葉の上では虐殺を戒めるそぶりも見せてはいたようです。その限りにおいて、南京大虐殺の実質的に最も重い責任を負っているかどうかは微妙なところ、とは思います。ただし、松井の作戦指揮が結果として虐殺を招いたことも事実です。南京攻略部隊の最高責任者、という監督責任も考え合わせれば、最も重い責任かどうかはともかく、かなり重い責任があったことは歴然としています。

いずれにしても明白なのは、「(大虐殺は)公的な報告を受けたことがなく、終戦後米軍の放送で初めて知った」というのは明らかにウソということです。松井は大虐殺の存在を知っていたことは、いくつかの証言がある。

事件当時に松井石根大将の専属副官であった角良晴大尉(後に大佐)は、虐殺された捕虜の死屍累々の上に土をかけただけの道の上を、松井を乗せた車が走ったときの状況を、こう回想しています。

(松井)総司令官は明くる日の18日、下関を見に往くと言われたが、道という道はすべて延々2キロ(米千)地上が見えぬほど折り重なった死体の山である。この状態では絶対に案内できぬ。『治安が悪くて責任が持てない』と偽りを申し上げ、参謀長飯沼少将にお願いしたが、3日目、油をかけて焼き、土をかぶせただけであった。
4日目、総司令官は、
「おれは一人でも行く、車を用意せよ」と言われた。事ここに至っては如何ともしがたいので、私は出来る限り外が見えぬ位置に座り、出掛けた。
自動車は無理して土を盛られた屍体の上を走った。総司令官は、モノを言わずにただ泣いておられた。(「私の見た南京事件」奥宮正武 PHP研究所 P48 角良晴氏回顧録からの引用)


教誨師花山信勝氏は、東京裁判の判決後に松井と面会した際の松井の話を証言しています。

南京事件はお恥ずかしい限りです。・・・・私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、シナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。
慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角、皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にそれを落としてしまった。ところが、このあとでみなが笑った。甚だしいのは、ある師団長の如きは「当たり前ですよ」とさえ言った。
従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。
(「南京事件-「虐殺」の構造-」秦郁彦 中公新書795 P45-46より)


また、引用記事にある松井の元私設秘書、田中正明というのは、松井大将の陣中日誌を書籍化する際に、自説に都合の悪い部分を「加筆、修正、削除」して、つまり改竄して、それを南京大虐殺がなかった証拠だと主張した人物です。「研究者」「論者」として、越えてはならぬ一線を越えており、大学等の研究者なら懲戒免職、まともな文筆家なら絶版、廃業以外なかろうと思うのですが、田中はその後も「南京大虐殺はなかった」派の論者として活動し続け、死後にはこうやって、まるでマトモな研究者であったかのように産経新聞に取り上げてもらえる(産経新聞自体が、マトモな新聞じゃない、か)。右翼の耳に心地よい論を展開さえしてくれれば、どんな改竄屋でもチヤホヤされ続けるわけです。

「南京に入ったのは攻略戦から6年後。街は商店や人であふれ、平和な様子だった。もし、大虐殺があれば、住民の恨みを買い、われわれは平穏に駐留できなかったはずだ」

ってのもね・・・・・・。6年経ってから街が平和な様子だったことが、虐殺がなかった証拠になるわけがない。東京も、1945年には焼け野原になって、30万人とは言わないが10万人以上が死んでいます。(3月10日だけで約10万人、東京の空襲全体だとどのくらいでしょうか。15万人くらいかな)それでも、6年後の1951年には、東京の街はまずまず「街は商店や人であふれ、平和な様子だった」はずです。

確かに、南京周辺だけで30万人が虐殺された、という人数の問題だけで言えば、過大評価である可能性は高いと私も思います。しかし、きわめて多くの人(投降した捕虜と、一般市民の双方)が殺されたことは歴然たる事実です。私自身は、10万人±5万人程度と考えていますが、別に研究者ではないので自説に絶対の自信があるわけでもありません。しかし少なくとも東日本大震災の犠牲者(約2万人)をはるかに超える数だったことは、残念ながら歴然としています。
産経の連載も、注意して読むと、いかにも「虐殺なんかまったく(または、ほとんど)ありませんでした」と受け取れる証言を並べながら、「虐殺なんてまったくありませんでした」と断言することは巧妙に避けています。さすがに、いくら産経といえども「虐殺はまったくありませんでした」とまではいえないのでしょう。だから、やたらと30万人30万人と「30万人はウソだ」という数の問題にしたいわけです。もちろん、本音では「まったくなかった」と言いたいのでしょうが。

いずれにしても、いくら「虐殺はなかった」という証言を集めたところで、それは、その証言者の見聞した範囲内で虐殺がなかったことを証明するだけです。証言者の見聞の範囲外にも虐殺が存在しなかったことを証明するものではありません。日本側にも、虐殺を目撃した、あるいは自らも関与したという証言や日誌類の記録は山ほどあるのです。

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南京事件に興味をお持ちの皆様に、改めて南京事件を取り上げた映画をご紹介します。

映画「ジョン・ラーべ 」「南京!南京!」上映会
日時 3月14日(土)
「南京!南京!」昼12時開場 12時30分上映開始(終了後シンポジウムあり)
「ジョン・ラーべ」午後5時開場 5時30分上映開始(映画のみ)
料金 「南京!南京!」1800円(シンポジウム込み)/「ジョン・ラーべ」1500円(映画のみ)
会場 江東区亀戸文化センター(カメリアホール) 総武線・東武亀戸線 亀戸駅下車徒歩2分
チケットは前売り券のみ販売で、上映日前に完売した場合は当日券の販売はないそうです。

シンポジウム
 ヤン・ヨンヒ(映画監督)
 岩上安身(IWJ代表)
 永田喜嗣氏(ジョン・ラーベ研究家・大阪府立大学)

詳細は
「ジョン・ラーべ」公式サイト
公式ツイッターアカウント


を参照してください。「南京!南京!」の国内上映は、2011年以来4年ぶりです。





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最終更新日  2015.02.21 00:43:22
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