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栃木 那須町 高校生ら8人死亡雪崩事故 教諭ら禁錮2年判決7年前、栃木県那須町で部活動として行われた登山の訓練中に雪崩に巻き込まれ高校生など8人が死亡した事故で、業務上過失致死傷の罪に問われた教諭ら3人に対し宇都宮地方裁判所は「雪崩の危険を予見することは十分に可能で相当に重い不注意で『人災』だ」などとして禁錮2年の実刑判決を言い渡しました。2017年3月、那須町の茶臼岳で高校の山岳部が集まって歩行訓練をしていたところ雪崩に巻き込まれ、生徒7人と教員1人が死亡し多くの生徒がけがをしました。この事故で生徒の引率などにあたった教諭の被告2名、元教諭の被告の3人が業務上過失致死傷の罪に問われました。裁判では3人が当日の朝の時点で雪崩の発生を予見できたかが争点となり、検察が冬山登山の知識や経験があり予見できたと主張して禁錮4年を求刑したのに対し、弁護側は「必要な情報は収集していたが雪崩は予見できなかった」として無罪を主張していました。30日の判決で宇都宮地方裁判所の瀧岡俊文裁判長は「8人の生命が奪われたことは非常に重大だ。学校活動の一環で安全確保が強く求められるなか、地形や新たな積雪などの状況を踏まえると雪崩の危険を予見することは十分に可能だった」と指摘しました。そのうえで、「雪崩は自然現象で、確実な予測が困難であるとしても相当に重い不注意による『人災』だ。3人の刑事責任はいずれも軽視できるものではなく実刑を選択すべき領域に及んでいる」などとして、3人に対し禁錮2年の実刑判決を言い渡しました。(以下略)---この雪崩事故については、当時記事を書いています。那須の雪崩事故(追記あり)7年前の記事のため、リンクを貼った記事等がだいぶリンク切れになってしまっていますが、もっとも重要な2枚の写真は今も生きていますので、これを見れば大筋理解可能かと思います。事故発生当時報道されていたのはスキー場から雪崩現場を見上げた、この写真でした。この写真では、一見すると雪崩現場は尾根筋のように見えます。通常尾根筋で雪崩は起きない(起きても左右の斜面に流れてしまう)ので、ここを雪崩危険地帯と考えなかったとしても仕方がない、不可抗力の事故かもしれないと考えました。しかし、事実は違ったのです。のちに、現場上空の航空写真が明らかになりました。そのため、上記記事は、大幅に追記して、趣旨も一変しています。下から見上げた写真で尾根であるように見えたのは、その向こう側が下からは見えないことによる目の錯覚に過ぎませんでした。実際は、現場は、なだらかな尾根と言えなくはありませんが、基本的には単なる斜面で、雪崩のリスクは充分にある場所だったのです。以下、当時の報告書が公開されているので、それに基づいて経緯を検証していきます。平成 29 年3月 27 日那須雪崩事故検証委員会報告書1平成 29 年3月 27 日那須雪崩事故検証委員会報告書2当時、那須一帯には雪崩注意報が出ていました。しかし「雪崩注意報については、一日目の夜にテレビを見ただけなので、その情報は得ていなかった。二日目以降はテントなので雪崩注意報については分からず、携帯電話も古い型なので見なかった。」とあります。いやいや、山に登って、テントであれ何であれ、学校の山岳部ともなれば、気象通報から天気図を書いたりするものだと思っていましたが。そこまでやらずとも、最低限翌日あるいは当日の天気予報を聞かないのでしょうか。ちょっとこれはぴっくりです。この日は茶臼岳登山の計画だったようですが、これを変更して問題の事故現場に向かってしまいます。前述のとおり、雪崩注意報を知らなかったというのだから、この計画変更は雪崩リスクを考慮したものではなく、単に悪天候だったから、というだけのようです。そして「雪が積もり天気がよくならない状況の中で、上まで行くのは無理であろうがスキー場付近での短時間の歩行訓練ならできるのではないか」と判断したということです。しかし、その「スキー場付近」の範囲はあいまいだったようです。「スキー場の第2ゲレンデの一番奥の斜面は急で雪崩の可能性もあるので、近づかないこと」という注意があったと記載されているので、注意報の存在を知っていなくとも、雪崩リスクが念頭にはあったはずなのです。ところが、スキー場「付近」で行う歩行訓練が「樹林帯を使って訓練しよう」に変わり、さらにその樹林帯の一番上部樹林帯が切れるところまで登ってしまった結果、雪崩に巻き込まれてしまったわけです。これについて、報告書では「当初は私も樹林帯の先くらいまでと考えており、何回か「ここまで」と言ったが、生徒の要望もあった。大田原高校の生徒は、普段接している生徒ではなく、名前も分からなかったため、止められずに進んでしまった。大田原高校の生徒が岩まで行きたいといった気持ちとしては、今考えると、真岡高校の生徒が見えた時に競争意識が芽生えてもう少し上に行きたいと思ったのかもしれない。私が、生徒に対し、戻ろうと強く指示した際にその指示を奏効させる方向に仕向ける補完的な働きかけがあったらよかったのにという気持ちはある。ただ、最終的には、自分の中で、事故は起こらないだろう、大丈夫だろうという判断をしてしまったところに問題があると思う。」との引率教員の供述を記載しています。那須一帯に雪崩注意報が出ていることを知らないから漫然と「事故は起こらないだろう、大丈夫だろうという判断」に至ったのであろうことは、想像に難くありません。その事実を知っていれば、いくら何でもそうは考えなかったはずです。そもそも樹林帯の上部まで行くという判断にすらならなかったはずです。つまり、「雪崩注意報」という冬山に登るなら絶対に知っておかなければならない情報を入手しなかったことが、すべての原因と言わざるを得ません。引率教員は何人もいて、トップリーダーはテント内ではなく近くの旅館に宿泊していたようです。その誰もが天気予報の雪崩注意報を見なかったのか、その辺りは報告書には書かれていません。私の勝手な推論では、実際には雪崩注意報の存在を知っていた教員はいたのではないか、しかし、それを全体で共有し注意喚起を促さなかったが故にこうなってしまったのではないか、という気がします。いくら何でも、冬山に登って引率者の全員が全員、誰も天気予報を見たり(スマホ)聞いたり(ラジオ)しなかった、というのはいささか不自然に思えるので。いずれにせよ、です。山、それも冬山に登って天気予報を見聞きしない、注意報の存在も把握しないで、何十人もの人を連れて行動するという時点で、まことに残念ながら「言語道断」という言わざるを得ないでしょう。ただ、当時、前日までの数日間は降雪がなかったところに当日は朝からの降雪で、古い表面が凍った雪の上に新雪が積もった状態だったと報じられています。このような場合、古い雪と新しい雪の間に「弱層」と呼ばれる不連続面が生じて、雪崩が起きやすい状態になると言われます。だから、雪崩注意報が出ていたわけです。雪崩注意報の存在を知らなかったにしても、この状況は雪崩の危険性があるということは、冬山の初歩の知識であろうと思います。引率教員は、雪崩に巻き込まれて亡くなった若い一人は冬山ほとんど未経験者だったそうですが、今回有罪判決を受けた3人は、いずれも冬山にある程度の経験を持ち、雪上訓練も受けていたようです。当然その程度の知識はあったはずなのに、何故その状況で雪崩リスクを考慮しなかったのか。ともかく、教員1名と生徒7名の8人が一挙に亡くなるという大惨事になってしまいました。この判決について、一部のニュースサイトでは、何でもかんでも教員に責任を押し付けるな、とか、こんなことで責任を問われるなら教員のなり手なんかいなくなる、とかの感情的なコメントが目立ちます。しかし、少しは冷静になれ、と私は思います。一般論として言うなら、私だって教員じゃないけど公務員だし、教員バッシングみたいなことに加担する気はありません。でも、ことこの事故に関して言うなら、8人もの死者を出したという厳然たる事実があります。そして、その事故の原因は、いかに考えても不可抗力ではありません。引率教員の判断の誤りが原因であることはあまりに明白です。したがって、この判決は妥当である、と言わざるを得ないものと私は思います。※余談ですが、7年前の雪崩事故発生当時、記事を書いた時には、那須岳には5月に1回しか登ったことがなく、冬季に登ったことはありませんでしたが、その後2021年1月に積雪の茶臼岳に登っています。3月ではなく1月だし、積雪量も事故当時より少ないはずです。ただ、峠の茶屋跡避難小屋までは風が強くて雪は少なく、その先で雪が急増する印象がありました。
2024.06.01
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阪神淡路大震災から29年 能登地震被災者に思い寄せ6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神淡路大震災から17日で29年です。今年は能登地震の被災者にも思いを寄せています。(以下略)---29年というのは、特段の節目ではありませんが、今年は元旦にいきなり能登地震があったので、阪神淡路大震災を思い出してしまいました。あのとき、東京の震度は1だったようですが、地震発生時間が5時46分ということで、私は寝ていたので揺れそのものは覚えていません。相棒は大阪在住だったので(まだ、結婚どころか知り合ってもいなかった頃ですが)相当の揺れに飛び起きたそうですが。それ以前も、日本国内で大きな地震は度々起きてはいました。私の記憶にある限りでは、1964年新潟地震M7.5、1978年宮城県沖地震M7.4、1983年日本海中部地震M7.7、1993年北海道南西沖地震M7.8が、戦後阪神淡路までに起こっていた主要な大地震であったように思います。いずれも、地震の大きさは阪神淡路と同等かそれ以上の規模でしたが、主要な被災地が大都市ではなかったので、犠牲者数は新潟地震と宮城県沖地震で30名弱、日本海中部地震で約100名、北海道南西沖地震で約200人(今回の能登地震とかなり近い規模)でした。阪神淡路大震災は、地震の規模そのものはそれまで数年か十数年おきに起こってきた巨大地震と大差はありませんでしたが、それが大都市の真下で起こったのは戦後初めてのことであり、犠牲者数も6000人以上と、東日本大震災以前の当時としては、戦後最悪、関東大震災以来の巨大災害となりました。実は、この年の4月末、ゴールデンウィーク前半の連休に、関西に行ったことがあります。吹田の万博記念公園にある国立民族学博物館で、「ラテンアメリカの音楽と楽器展」という特別展が行われたのです。後から考えれば、この特別展はその後、東京でも渋谷の「たばこと塩の博物館」でもおこなわれたのですが(そちらも見に行きました)、そのときは大阪でしか行われないと思っていましたから。ラテンアメリカの音楽と楽器展も素晴らしかったのですが、実は常設展がもっと感銘を受けまして、ほぼ半日ずっと博物館にいたような記憶があります。(展示も膨大な量でした)で、翌日は京都に行ったのですが、その前に「大阪まで来たのだから神戸まで行ってみよう」と思ったのか、最初からその予定だったのかは記憶がないのですが、国立民族学博物館を出たあと、新快速に乗って神戸まで往復しました。夕闇迫るぎりぎりの時間で、神戸に着いていったん駅をでたら、もう暗くなっていた記憶があります。しかし、その手前では、まだ日が残っていて、車窓が見えました。地震からもう3ヶ月以上経過し、万博記念公園や新大阪駅近辺は地震の痕跡など分かりませんでしたが、電車が淀川を渡った途端に、屋根にブルーシートを被せた民家(つまり瓦が落ちたということでしょう)が激増したことは覚えています。そして、途中駅の三ノ宮で、テレビや新聞の写真で何度も報じられていた、途中階が潰れたビルが、駅の目の前にまだ残っていたのは、今も鮮明に記憶しています。正直なところ、阪神淡路大震災は世紀の大災害だったにも関わらず、この年は3月に地下鉄サリン事件、その直後のオウム真理教強制捜査と大事件が続き、被災地以外では多くの人の関心がそちらに向かっていたことは否めません。地震からすでに3ヶ月以上経ち、新幹線や山陽本線もこのように復旧していた(山陽本線と東海道新幹線も地震で高架橋が落ちていました)ので、大きなビルがまだ損壊したままになっているとは知らなかったのです。残念ながら、当時は写真は取り立てて趣味と言うほどではなく、このときカメラは持って行ったとは思うのですが、電車内からシャッターを切った記憶もないし、そもそもこのときの旅行全体の写真が、まったく残っていません。神戸駅で一回下車して、駅前を一周歩いたときは前述のとおり日も暮れていました。風景は見えたのかもしれませんが、記憶にありません。ただ、駅前の地面が波打っていたことは覚えています。これは、311後は東京でもよく見られたことですが。大阪への復路は、日もどっぷり暮れて、車窓の記憶はまったくありません。そう言えば、このとき往復とも新幹線で行ったのですが、往路か復路かは記憶がありませんが、車内の電光掲示板ニュースで(まだインターネット時代ではなかった)近鉄を退団した野茂英雄がドジャースで初登板、5回無失点と表示されていたのを見た記憶があります。そのときからもう29年です。時の流れとは恐ろしいもので、ついこの間と思っていた311からだって、もう13年です。喉元過ぎれば暑さ忘るるしかし、災害は、忘れた頃にやってくる人は、この二つの格言の間を行ったり来たりするものなのでしょう。過去の発生頻度から考えると、これから10年後には、前回の昭和東南海地震(1944年)、昭和南海地震(1946年)から約90年になります。過去の東海・東南海・南海地震で最短の発生頻度は90年です(安政地震1854年から昭和南海・東南海地震まで)。もちろん、「最短で」約90年であって、必ず90年ではありませんが、基本的には、いつ南海・東南海地震が起こってもまったく不思議ではない時期にはいってくることは、頭の中に入れておいた方がいいかな、と思います。
2024.01.17
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望月衣塑子元朝日新聞記者の奥山氏が指摘しているように石川県内で、孤立集落がこれほど点在してる中で、なぜ自衛隊機を使って水や食べ物の支援を空中投下しないのか、極めて疑問。 (以下略)---望月記者がツイッターで物資を空中投下すればいいじゃないか、と書いたら、なんだか軍オタ連中がワラワラと出てきて、「そんなことはできない」などと騒ぎになっているようです。確かに、今の時代、輸送機からパラシュートで物資をバラまくより、よほど確実な手段があるので、「空中投下」にこだわる必要はないわけです(望月記者の元のツイートを見ても、すぐに「自衛隊機を使って水や食べ物の支援物資、機材を空輸できないのか、極めて疑問」と修正をしています)。問題は、もっと迅速に多くの物資を空中から供給できないのか、という趣旨であって、「空中投下」はたまたま出てきた一例に過ぎないのですから、その言葉を叩くことに意味などありません。では、どうやって飛行場のないところに空中から荷物を運ぶのか。実に簡単な話です。ヘリコプターを使えば、どんなところにでも物資を送ることができます。ヘリの輸送力は大きくはありませんが、小松基地辺りに物資を集積してピストン輸送すれば、相当の量を運べるはずです。輸送先には、飛行場もいらないし、ヘリポートなくても大丈夫です。最低限荷物が下せるだけの場所があればいいのです。なぜなら、通常ヘリが物資の輸送を行う場合、機体の下に荷物を吊り下げるので、着陸などする必要がないからです。ホバリングしたまま、吊り下げてきた荷物のワイヤを切り離すだけです。それらの孤立集落でも、平時は自家用車が住民の足ですから、当然駐車スペースは少なからずあるはずです。そこに降ろせばいいだけです。多分、山登りをする人ならみんなヘリによる山小屋への輸送がどんなものか知っているはずです。こうやるのです。着陸して機内から荷物を運び出すより、この方が荷物の積み下ろしの所要時間もはるかに早い。どんな孤立集落でも、これらの山よりは平坦でしょうし、ヘリコプターが着陸できるほどの空き地がなくても、この程度の空き地はあるでしょう。民間のヘリがやっていることですから、これすら自衛隊のヘリコプターには「できない」などということはあり得ないはずです。木を見て森を見ず、「空中投下」という用語だけに反応して「できない」と言うばかりで、「物資の航空輸送」全般を考えないと、そういうアホみたいな反論になるのでしょう。
2024.01.15
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れいわ・山本太郎代表「行ってきます」再び被災地訪問を表明 政府の対応の遅れ批判「余裕だな、永田町は」れいわ新選組代表の山本太郎参院議員が、再び能登半島地震の被災地を訪問すると表明した。山本議員は5日に能登町に入り、避難所の状況を報告。食料の課題やキッチンカーの役割などを強調した上で「そんな話をしながら彼らの晩ごはんの炊き出しに誘われ凍える寒さの中、カレーをいただく」などと投稿。その後も7日まで、現地の被災状況や課題を写真付きで伝えていた。10日夜に山本議員はXを更新。国会で災害特別委員会の理事懇談会が開かれたことを記し、地震発生から9日も過ぎていることに「私の感想は、『ずいぶん余裕だな、永田町は』である」「言いたいことを簡単にいうと、さっさと総理入りで災害委員会開いて、被災された皆さんへのバックアップを議論しようぜ、それが最優先課題だろ?」と政府の対応の遅れを批判した。その上で、能登半島を再訪問する意向を記した。一方で、山本議員の被災地入りを批判する声もある。日本維新の会の音喜多駿参院議員は7日、Xに「被災地からの再三再四の悲痛な呼びかけを無視し、レンタカーで渋滞の一因になりながら現地を回った国会議員から上がってきたレポートが、ことごとく政府や県知事、関係者がすでに把握済みの情報ばかりであったという事実は、しっかりと後世にまで語り継いでいくべき。何やってんだよ、本当に」と投稿。山本議員を執拗に非難している。---れいわ新選組の政策や主張のすべてに賛同するものではありませんが、山本代表の被災地入りについては、諸手を上げて賛同、とは言わないものの問題のある行動とも思いません。もちろん、能登半島の道路交通がマヒ状態にあり、単なる物見遊山で被災地に多くの人が押し寄せることは好ましくない、ということは事実です。しかし、冷静に考えて、1人の議員がおそらく支援者と2人でレンタカーにのって被災地を廻ることに、そんな目に見える悪影響を及ぼすとは考えられません。みんなの代表として、限られた人が被災地に行って状況を報告することの意義と、小さな悪影響を天秤に掛けて、彼の行動を否定する理由はありません。もちろん、山本太郎を否定する人は、彼がみんなの代表であることなど、頭から否定するでしょう。しかし、良くも悪くも注目を集める人物であることは否定しようもありません。その人が被災地の情報を発信することの影響力は、小さくはないでしょう。政府や県知事、関係者はすでに把握済みの情報ばかりと言いますが、関係者は把握済みでも世間一般はどうでしょうか?関係者が知っていれば世間一般は知る必要はない、ということなのでしょうか。でも、山本太郎を躍起になって否定する人は、そういう理屈ではない、もっと感情的な部分で否定しているのではないかと思います。確かに山本は、適切な言葉でうまく説明できないのですが、簡単に言えば「無鉄砲」なところのある人と、私も感じます。正直に言えば、「そこでそういう選択をするか?」という感覚を抱いたことはあります。多分、私のように無難で安定的な人生を志向する人とは根本的に行動哲学が違う。けれども、「違う」のは優劣や正誤の問題ではありません。また、すべての人が安定的で無難な選択肢しか取らないような社会では、社会の活力などというものは維持できません。行動哲学自体はともかく、多分、私も含めて若い頃にああいう自由な生き方にあこがれる人はすごく多い。けれど、実際にはそういう人生を貫ける(かつ成功する)人などほとんどいません。現実を知って無難な人生に転じるか、または転落するか、です。その、希有な成功者が山本議員でしょう。多分ああいう行動を見るだけで腹立たしい、いまいましいという感情を抱く人が一定数存在することは想像が付きます。私にも、そういう感情の欠片くらいはあります。腹立たしい、いまいましいとは思いませんが、微妙な居心地の悪さ、あるいはこっ恥ずかしさみたいなものは感じます。でも一方で「すごい」「よくやる」とも思うのです。これは、必ずしも彼やれいわ新撰組の主義主張に対する賛否とは別の次元の感情です。そういうわけで、ああいう行動を受け入れない人は徹底的に受け入れないのでしょうし、それはそれで仕方がないことではあります。明らかに、万人受けするタイプではないですから。圧倒的支持を受ける、ということはないにしても、ああいう行動力の持ち主は、どこの世界でも必要であろうと私は思います。
2024.01.12
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この年末年始は、個人的には平穏で楽しい休暇なのですが、社会的には元旦からとんでもない事態が起こっています。【能登半島地震】輪島で新たに7人死亡確認 石川県内73人に輪島市の坂口茂市長は3日、午後4時半時点で市内では39人の死亡が確認されたと発表した。珠洲市でも新たに1人増えて23人となり、石川県内の死者は少なくとも73人となった。午後6時から開かれた県の災害対策本部員会議にオンライン出席し、口頭報告した。輪島市内の死者は午後3時時点の32人から7人増えた。---東京には緊急地震速報は出ませんでしたが、地震の揺れはありましたね。明らかに遠方の大地震だと分かる、振幅の大きな不気味な揺れ方でした。最大震度は7を記録しました。自然界には休日も何も関係ないとはいえ、元旦から大災害に巻き込まれた皆様には本当にお気の毒というしかありません。更に、昨日の1月2日には、この地震にも関連する航空事故が発生しました。羽田空港で日航機と海保機が衝突 海保の5人死亡羽田空港の滑走路に着陸した日本航空機と海上保安庁の航空機が衝突し、海上保安庁の機体に搭乗していた5人が死亡しました。衝突したのは新千歳空港発・羽田空港行きのJAL516便と羽田空港基地に所属する海上保安庁の航空機です。警視庁などによりますと、海上保安庁の航空機には6人が乗っていましたが、その場で5人の死亡が確認されました。残り1人は機長で、自力で脱出したものの重いやけどを負っているということです。海上保安庁によりますと、航空機は1日の能登半島地震を受け、物資輸送のために新潟に向かう予定でした。一方、日本航空の機体には乗客乗員379人が乗っていました。全員脱出し、14人がけがをしました。国土交通省航空局長「(日本航空機が)着陸をしている際に滑走路上に海上保安庁の機体があって、そのまま衝突した」国土交通省などは2日午後9時すぎに会見を開き、事故原因について「管制官とのやりとりも含め確認中」と説明しました。---地震の救援物資を搭載した海上保安庁のDHC8型機と着陸中のJALのA350型機が滑走路上で衝突という異常事態です。現時点では、海上保安庁のDHC8型機には滑走路への進入許可が出ていなかったことが報じられており、同機が管制官の指示に反して滑走路に進入してしまったことが原因であることが示唆されているようです。衝突によって、残念ながら海保機側は乗員6人中5人が亡くなっていますが、日航機側は、衝突とともに激しく炎上したにもかかわらず、乗員乗客379人全員が、軽傷者は出たものの、死者重症者一人も出ず、全員が脱出に成功したことは、奇跡的な幸運でした。それにしても、1日2日と2日連続して、お正月のめでたさも吹っ飛ぶような災害と事故、いきなりこの先の1年間、先が思いやられるような年の始まりとなってしまいました。普通なら羽田空港での事故は1面トップの大事件ですが、昨日1月2日が新聞休刊日だったため、1日の地震と同日の紙面となってしまい、まさかの2番目の記事扱いです。いきなり今年の重大ニュース入りが濃厚(少なくとも地震の方は)な災害が起こってしまいましたが、せめて、これから1年はこれ以上悪いニュースが起こらないでほしいものです。なかなか、そうは問屋が卸さないかもしれませんが。
2024.01.03
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富士山噴火想定 降灰で首都圏住民の6割に物資届かず 政府試算1707年の富士山の大噴火では、火山灰が江戸の街に2週間も降り続いた。今後、同じような噴火があれば最悪の場合、どういう状況になるのか。対策に関する政府の内部資料によると、噴火による降灰で通行止めになる道路が日々増えるなどして、2週間後までには首都圏の人口約4433万人の約6割に物資が届かない可能性があると試算していた。内部資料は内閣府が作成。2022年3月に非公開の検討会で配布された。試算は宝永噴火と同じように複数回の大噴火が起き、火山灰が東京都や神奈川県、山梨県、千葉県などに約2週間、段階的に降り積もると仮定している。試算では、噴火の約2週間後までに、道路に積もった火山灰などのため車が通行できなくなり、物資が届かない住民は約2700万人、送電線への降灰のため停電に遭遇するのは約3600万人、また、火山灰の影響や木造家屋が倒壊するほどの降灰などにより最大2670万人の避難が必要と試算していた。一方、復旧は道路上の火山灰をいかに取り除くのか次第。確保できる作業員を少なく見積もると、緊急車両が走行する主な国道で1車線の開通に約3日間、2車線だと約5日間必要。道路が復旧しなければ物資が届かず、避難も困難。今後、車で物資を運べない地域には、別の手段で届けるのかも含めて議論することになる。藤井敏嗣東京大名誉教授は「宝永噴火から3世紀がたち、マグマがたまっている可能性があり、いつ噴火してもおかしくない。~噴火の仕方によっては首都圏の交通がまひする可能性があり、道路を開通させて物資を供給するための議論をしていくことが重要だ」と指摘する。作業部会は2020年4月、宝永噴火と同様の大噴火で、降灰が2週間続く場合の想定を公表している。噴火から3時間で都心に火山灰が降り積もり、東京23区の一部では1日で3cm、2日で10cm超も降灰すると見込む。また、二輪駆動車が動けなくなる降灰量は、降雨時が3cm以上、降雨がなければ10cm以上。電力は、降雨時に3mm以上の降灰で停電する可能性があると見込む。---富士山に関して、この種の試算が行われたのは初めてのことかもしれません。富士山は、過去の噴火史において、大噴火が起こるたびにその噴火形態が異なることで知られています。そのため、「噴火のデパート」などと呼ばれることもあるくらいです。宝永噴火は溶岩の噴出はなく、噴火による噴出物はほとんど火山灰(火山礫やスコリアも)のみでした。しかし、その前の864年の貞観噴火は、大量の溶岩の噴出による噴火でした。そういう意味では、次の噴火が宝永噴火と同じ形態をとる可能性は低いかもしれません。ただ、いろいろな噴火形態を想定してみると、やはり大量の降灰がもっとも広範囲に影響を及ぼすし、「一切火山灰が噴出しない噴火」も想定し難いので、一つの「たたき台」として宝永噴火を戻るとしての被害影響の想定は無益なものではないでしょう。宝永噴火は、噴出物の総量はマグマ換算で約0.7立方kmと推定されています。これは、過去の様々な巨大噴火、超巨大噴火と比較して、さほど大きな部類ではありません。1914年の桜島大正大噴火の噴出物総量は1.58立方kmと推定されているので、桜島大正噴火は富士山宝永噴火の2倍の規模、ということができます。桜島大正噴火では60人近い死者が記録されていますが、富士山宝永噴火では、噴火そのものによる直接の死者が出たという記録は残っていないようです。ただし、あくまでも「直接の死者」が出ていないだけで、その後噴火に起因する農作物の被害による飢餓、火山泥流などによって相当の死者が出ていますが。そして、前述のとおり、宝永噴火は大量の火山灰をまき散らす噴火でした。厳密にいうと、東京23区内(の一部)で火山灰が10cmも積もった場所はなかったようです。Wikipediaの宝永大噴火の項目に、富士山ハザードマップ検討委員会中間報告(2004)から引用した降灰分布の地図が出ています。これによれば、現在の大田区南端、羽田空港付近が火山灰量8cmを超えています。品川、千葉市が4cm以上8cm以下、渋谷2-4cm、東京駅(大手町)、新宿、成田空港1-2cm、中野、池袋、赤羽等0.5-1cmなどとなっています。ただし、これら降灰量の差は、距離よりむしろ、そのときの風向きに影響されているので、風向きが少し違えば、宝永噴火と同じ噴火で東京23区のほとんどが降灰量10cm以上になることはあり得る、と考えられます。また、川崎は大部分が8-16cm、横浜、鎌倉、小田原16cm、藤沢、平塚、茅ケ崎16-30cm、厚木、伊勢原、秦野30cm、松田60-64cmという壊滅的な降灰量があったと推定されています。そして、このことから容易に想像できるのは、東名高速、国道1号線、東海道線、東海道本線といった、東海道の動脈が機能マヒすることは確実、ということです。羽田空港も同様です。また、試算の前提として、二輪駆動車が動けなくなる降灰量は、降雨時が3cm以上、降雨がなければ10cm以上となっていますが、これはおそらく、よほど条件が良ければ車が動ける場合もある、という程度の相当例外的な事例であって、たいていの場合はもっと少ない降灰量で車は動けなくなるものと考えられます。火山灰が積もれば、車は車輪が取られて思うように動けなくなるのは言うまでもありませんが、それだけでなく、給気口からエンジン内に火山灰を吸い込むと、エンジンはすぐに壊れます。火山灰に限らず、空気中の様々な塵を吸い込めばエンジンが壊れたり不調になる原因になるので、給気口にはエアフィルターが装備されていますが、これがあっという間に目詰まりしたり、フィルターを通り抜けてしまったりします。桜島が常時噴火している鹿児島県では、かつて火山灰対策を施した「鹿児島仕様車」というものがあったそうです。しかし、その鹿児島の降灰量はどのくらいか。気象庁鹿児島地方気象台の統計記録によると、大正噴火や昭和噴火以降の記録になりますが、1970年以降の観測史上最も降灰量が多かったのは年間では1985年の1平米あたり15908g(約15kg)であり、月間では同年8月の5902g(約6kg)です。ではこの量が降灰の厚さにするとどの程度かというと、15kgはおよそ1cm(雨が降っていない場合)に相当します。1年で1cm(あるいは1か月で4mm)の降灰量でも「鹿児島仕様車」を必要としていたことから類推すれば、3日で10cmどころか、その1割の降灰量でも、何の火山灰対策もない車のほとんどは動かなくでしょう。そういう意味では、「甘すぎる想定」とも言えますが、ともかくむこういった火山灰被害の検討が行われ始めたのは重要なことだと考えます。
2023.11.25
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関東大震災から100年 朝鮮人虐殺はなぜ“なかったこと”にされるのか関東大震災直後、デマによって引き起こされた朝鮮人虐殺を、近年否定する動きがみられる。今、歴史がなかったことにされようとしていると日本社会に警鐘を鳴らすのが、ジャーナリストの安田浩一氏だ。墨田区の東京都立横網町公園、かつては旧日本陸軍の被服廠があった場所だ。震災時、ただの空き地だったが、震災の火の手から逃げてきた人々が殺到した。だが強風で煽られた炎は巨大な竜巻となって、避難民の衣服や持ち込んだ家財道具に飛び火した。ここで約3万8千人もの人々が命を落としたという。以来、横網町公園には慰霊堂がつくられ、毎年9月1日には都慰霊協会主催の大法要が営まれている。そして1974年からは、同公園内の慰霊堂に近接した一角で、もうひとつの法要がおこなわれている。「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」だ。震災直後、関東各地で「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」「暴動を起こした」といったデマが流布された。デマを信じた人々によって多くの朝鮮人が殺された。震災をきっかけに引き起こされた、もうひとつの惨事である。朝鮮人虐殺について、内閣府の中央防災会議は、2008年の報告書で記している。朝鮮人が武装蜂起し、あるいは放火するといった流言を背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部による殺傷事件が生じた武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えて殺害、殺傷の対象は、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人(日本人)も少なからず被害にあった。犠牲者数は、震災の全死者(約10万5千人)の「1~数%」、つまり1千~数千人の規模にあたると推定している(震災直後に調査した朝鮮人団体は、犠牲者数を約6千人としている)。こうした歴史的な経緯もあり、73年に横網町公園内に朝鮮人犠牲者の追悼碑が建立され、翌年から各種市民団体の共催で追悼式典がおこなわれている。第1回式典には、当時の美濃部都知事が「51年前のむごい行為は、いまなお私たちの良心を鋭く刺します」と追悼のメッセージを寄せた。以来、歴代都知事は、この追悼式典に追悼文を送り続けた。ところが、異変が起きた。2017年、小池百合子都知事が、追悼文の送付を取りやめたのである。小池知事は「関東大震災で亡くなったすべての方々に追悼の意を表したい」と述べた。同じ日におこなわれる「大法要」にメッセージを寄せることで、「すべての方々」を追悼するという理屈だ。震災の被害者を追悼するのは当然だ。一方、虐殺の被害者は「震災の被害者」ではない。震災を生き延びたにもかかわらず、人の手によって殺められた人々だ。まるで事情が違う。天災死と虐殺死を同じように扱うことで「慰霊」を合理化できるわけがない。だからこそ、「三国人発言」のような差別認識を披露した石原慎太郎氏も含め、歴代都知事はメッセージを送り続けてきた。小池知事の言葉は、天災のなかに人災を閉じ込めるものだ。虐殺という事実にふたをするに等しい行為だ。小池知事の追悼文送付「取りやめ」は、思わぬ余波をももたらした。17年から新たな「追悼式」がおこなわれるようになったのだ。朝鮮人犠牲者追悼式典とほぼ同時刻、公園内のわずか20m離れた場所でおこなわれるのは、「真実の関東大震災石原町犠牲者慰霊祭」、朝鮮人虐殺の「否定論」の立場をとる者たちがおこなった集会だ。主催団体のひとつに名を連ねるのが「そよ風」なる女性グループである。同団体は、在日コリアンの排斥運動、ヘイト活動を繰り返してきた在特会などとも共闘してきた(要旨・以下略)---横綱町公園には行ったことがありますが、意外に狭い場所です。調べたところ、面積は2万平米に満たない程度です。東京ドームの建築面積が4万6千平米以上ですから、その約4割に過ぎません。そこに4万人の避難民が、持てる限りの家財道具(大正年間のことですから、ほとんど木製です)を抱えて逃げ込んだので、すし詰め状態になっていたようです。そこに火災が飛び火したので、そのほとんどが亡くなりました。生存者は1000人程度しかいなかったようです。関東大震災の前犠牲者のうち、1/3以上が、このたった2ヘクタールに満たない空き地で命を落としたのです。また、この横綱町公園には、1945年3月10日の東京大空襲の犠牲者を追悼する碑もあります。さて、本題ですが、小池知事の「関東大震災で亡くなったすべての方々に追悼の意を表したい」なる言い分は、引用記事も指摘しているように、論外の詭弁としか言いようがありません。朝鮮人虐殺(引用記事も指摘するように、殺されたのは朝鮮人に限らず、朝鮮人と誤認された中国人、日本人もかなり殺されています)は、広い意味では災害の犠牲者にも含まれますが、それ以上に犯罪行為の犠牲者であり、他の震災被害者と同列に扱えるものではありません。何よりも、それまで追悼していたものをやめる、という行為は、いかに「すべての方々に追悼の意を表したい」などと取り繕ったところで、明らかに「虐殺された朝鮮人を追悼などしない」という意味に受け取れます。「朝鮮人虐殺などなかった」などと言っているネトウヨ連中の言い分を助長する行為に他なりません。災害と流言飛語は、切っても切れない縁があります。今現在も、米ハワイのマウイ島で起こっている大規模な山火事で、「政府が放火した」なるデマがSNSに飛び交っていると報じられています。そして、「火事場泥棒」などという言葉があるように、災害と犯罪の発生も切っても切れない縁があります。それが最悪の形で結びつき、古今東西の災害史上でも類を見ないと言われる規模の惨事になったのが、関東大震災の朝鮮人虐殺事件です。そして残念ながら、今後発生が予想される各種災害において、同様の事態が絶対に起こらないという保証はないのが現実です。地震や水害などの災害の発生そのものを止めることは、人間の力ではできません。しかし、起こった災害の被害規模を最小限にとどめることは、人間の努力次第です。ましてや、人が人を殺す事態は、あらゆる努力を払って抑止すべきことです。自治体のトップという立場は、そのことに対して重大な責任を負っているはずです。にもかかわらず、慰霊のメッセージを取りやめるのは、あまりに誤ったメッセージを発しているというしかありません。引用記事のタイトルにもなっている、関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定するネトウヨの主張は、まったく話にもならないものです。何しろ、当の当時政府自身の調査で、虐殺があったことははっきり分かっているのです。ただし、犠牲者数の詳細ははっきりとは分かりません。旧司法省の報告書によれば、犯人が逮捕、起訴された犠牲者のうち民間人によるものが294人、警察によるもの2人、軍関係1名(朝鮮人234人、日本人60人、中国人3人)、また軍の戒厳業務詳報によると、軍による殺害66人、警察、民間人との共同による殺害約215人(朝鮮人254人、日本人27人)、合計578人が記録されています。ただし、司法省の報告書は、犯人が逮捕され起訴された事例のみの合計であること、軍や警察による殺害は少なからず隠蔽された例が多いことから、この人数は氷山の一角であることは明白です。引用記事にあるように、2008年の中央防災会議報告書では、犠牲者数は1000人から数千人と推定している一方、震災直後に朝鮮人の団体が調査した結果によれば、犠牲者は約6千人です。6千人が絶対正確な数字である、とは断定できないものの、中央防災会議の推計と比較しても、「あり得ない数字ではない」ことは間違いありません。更に、虐殺の事実は否定しようがなくなると、この連中は今度は「朝鮮人が暴動を起こしたから正当防衛のためだ」などと言い出しています。それこそまさに、当時朝鮮人虐殺を引き起こしたデマそのものです。事実として、朝鮮人が暴動を起こした(あるいはその他の犯罪を犯した)、という事実はまったく知られていません。なるほど、当時の新聞にはそのような記事が踊っていたのですが、震災直後の新聞は、各紙聞いた話を何の裏取りもせずにそのまま記事にしてしまい、大量のデマをまき散らしてしまった張本人なのです。当時の新聞記事にいかにデマが多かったかは、例えばこちらのブログなどに詳しいですが・槍ヶ岳が噴火(『小樽新聞』9月2日号外)・秩父連山が噴火(『大阪毎日新聞』9月2日付号外第2)・横須賀が沈没(『小樽新聞』9月2日付号外第2)・伊豆大島が沈没(『小樽新聞』9月3日付号外第2)(『名古屋新聞』9月4日付号外第2)(『名古屋毎日新聞』9月4日付号外)・松方正義が死亡(『京都日出新聞』9月3日付附録)(『小樽新聞』9月4日付号外第1)(『名古屋新聞』9月4日付号外第2)・高橋是清が死亡(『九州日報』9月3日付号外第4)(『小樽新聞』9月4日付号外第1)等、大量のデマが新聞を通じてばらまかれたのです。言うまでもありませんが、槍ヶ岳も秩父連山の関東大震災で噴火などしていないし(というか、そもそも火山ではない)、伊豆大島が沈没などしていないことも説明の必要はないでしょう。松方の死去は震災翌年の1924年7月だし、高橋是清は1936年2月、2.26事件で反乱軍に殺されています。したがって、そのような新聞記事をソースとした「事実」には何ら真実性がありません。ただし、これら新聞記事の「不逞鮮人が暴動を起こしている」というデマ記事が直接的に朝鮮人虐殺の原因になったとは、必ずしも言えません。というのは、出典を見ればわかりますが、小樽新聞、大阪毎日、名古屋、名古屋毎日、京都日出、いずれも地震のあった関東からは遠く離れた地域の新聞です。理由は簡単。東京近辺では、地震で新聞社の社屋も倒壊して、ほとんどの新聞の印刷、発行が物理的に不可能になったからです。したがって、新聞報道が原因で虐殺されたのではなく、虐殺の原因となったデマが、被災していない地方の新聞にも届いた、ということになります。では、デマの火元はどこだったのか。当時の、いや今も続く朝鮮人に対する根拠のない差別意識と敵対心から、各地の地域住民から同時多発的にそのようなデマが発生した、という側面は否定できません。しかし、明らかに組織的にデマをバラまいて虐殺の発生を助長したのは、当時の軍と警察です。地震の翌9月2日に戒厳令が発せられていますが、この際、内務省警保局は、各地方長官宛に「東京附近の震災を利用して朝鮮人は各地に放火し、「不逞」の目的を遂行しようとしている、現に東京市内において爆弾を所持し、石油を注いで放火するものがある、既に東京府下には一部戒厳令を施行したので、各地においても充分周密な視察を加え、朝鮮人の行動に対しては厳密な取締を加えてもらいたい」という電文が発せられています。(内閣府中央防災会議専門調査会資料より)これによって、軍、警察、そして在郷軍人会などによる自警団が組織的に朝鮮人虐殺を開始したのです。軍の戒厳業務詳報によっても、少なくとも280人以上(日本人、中国人も含む)が軍と警察、あるいは協力する民間人(自警団)との共同で殺害されたことが確認できます。当然ながら、軍や警察の失態を示すものなので、相当部分が隠蔽されたであろうことは想像に難くありません。その中で隠しきれずに表沙汰になったものだけでその数である、ということは念頭に置かなくてはなりません。また、震災直後に、軍と敵対的だった無政府主義者の大杉栄と内妻、甥を殺害した甘粕事件や、労働運動家十数名を殺害した亀戸事件など、反政府的傾向のある人物を地震の混乱に乗じて組織的に捕縛、殺害した歴然たる事実が軍と警察にはあります。したがって、朝鮮人虐殺に軍と警察の大きな責任があることは歴然としています。ただし、日に次が進むにつれて軍と警察の対応は正反対の方向に変化します。それは、「朝鮮人が暴動を起こしている」「井戸に毒を入れている」の類の話が全てデマであることを軍や警察が自らの調査によって認識したからにほかなりません。9月3日には、軍内部でこれらがすべて虚報てあることが確認されたということです。(関東大震災時の「レイピスト神話」と朝鮮人虐殺)ありもせぬことを言いふらすと処罰されます朝鮮人の狂暴や、大地震が再来する、囚人が脱監したなぞと言伝えで処罰された処罰された者は多数あります。時節柄皆様注意してください。警視庁というチラシが現在に残っています。結局、軍と警察は自らデマを拡散して、自らそれを終息させようとした、ということになります。前述のとおり、殺害された人の多くは朝鮮人でしたが、そう誤認された中国人や日本人も少なからずいます。(甘粕事件や亀戸事件のように、誤認ではなく最初から相手が誰かを把握したうえで殺害された日本人もいますが)方言があって、関東では言葉が通じにくかった地方出身者の行商人が何人も殺害されたのが福田村事件ですが、地元の在住者でも誤認されて殺害された例はあったようです。辛くも生き延びた一人に、後の劇作家千田是也がいます。実は、私の中学の頃の教員で、千田是也同様、誤認されかかって辛くも逃れた人がいました(当時公立学校の教員には定年がなく、その先生は60代後半に差し掛かっていましたが、まだ現役の教員でした)。やはり「お前朝鮮人だろう!」と言われて、竹やりなどで武装した自警団にわっと囲まれたのだそうです。ところが、その自警団の中に、たまたま知り合いがいた。「あっ〇〇ちゃん」と言われて、命拾いをしたと聞いています。その当時、10歳にもならない女の子を取り囲んで、あやうく殺しかねない状況(福田村事件でも、幼い子供が実際に殺害されています)、災害時の異常心理と群集心理の恐ろしさです。それが、今後の災害で二度と起こらないという保証はまったくありません。何しろ平時であってもいまだにそういうデマを垂れ流す人がいるわけですから。そうである以上、このような惨劇は、決して忘れてはならないことです。
2023.09.01
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もういつ噴火が起こっても全然不思議ではない――研究の第一人者に聞く、「富士山リスク」への向き合い方静岡県と山梨県にまたがってそびえ立つ日本最高峰の山、富士山。過去に何度も噴火を繰り返し、人々に恐れられた火山だ。火山噴火予知連絡会の元会長で、現山梨県富士山科学研究所の藤井敏嗣所長に、富士山噴火の可能性や想定される被害について話を聞いた。富士山が最後に噴火したのは1707年のこと。富士山の南東斜面に新たな火口を開けた「宝永噴火」、山麓の村々はもちろん、当時の江戸にまで火山灰を降らせた激しいものだった。これ以降、現在に至るまで富士山は表向き静穏な状態を保ち続けている。―― 300年以上も噴火を起こしていないので、富士山が活火山であるというイメージを持つのはなかなか難しい。「この300年は、富士山にとっては非常に特殊な状況。5600年前まで調べたところ、平均30年に1回ぐらいのペースで富士山は噴火している。なぜ今、300年以上期間が空いているのか、よくわからない。今までの富士山の歴史の中では、非常に長い期間休んでいる状態」―― もういつ噴火が起こっても全然不思議ではない。「それがわれわれの理解。全く死に絶えた火山ならば、300年前の噴火を最後にもう何もない可能性もあるが、2000年~2001年に富士山の下で深部低周波地震と呼ばれる地震が頻発したことがある。この地震は、富士山の下でマグマ等が動いているときに起きると考えられる。つまり、富士山の深いところにマグマが存在している。300年前で全て終わったと考えることはできない」―― 過去には30年に1回噴火していた火山が長い間噴火していない。それだけ噴火のエネルギーをため込んでいるという見方も可能か。「米スミソニアン自然史博物館が、世界中の火山が噴火の前にどれくらい休んでいるのか調べている。巨大噴火は、その前にほとんどが100年以上休んでいる。場合によっては1000年以上休んでいた火山が大きな噴火を起こしている。このことから、長く休むとたくさんマグマがたまるので、いざ噴火が起きると大きな噴火になりやすいことがわかる。もちろん必ずではないが」―― もし噴火するとして、それは事前にわかるものか。「富士山のマグマがどの程度溜まっているかがわからない。たとえば桜島は深さ約10km、伊豆大島や三宅島も深さ約8~10kmにマグマが溜まっている場所があり、人工衛星で山の膨らみを測ることで変化がわかる。しかし、富士山は、20kmより深いところにマグマがあるので、測ることができない。本当に浅いところにマグマが上がってくるまでわからない」―― 多くの人が「富士山が噴火する前にわかる」と思っているかもしれないけれどそれは誤りで、不意打ちで噴火することもあるということか。「そう。不意打ちの意味にもよりますが、何週間も前から分かるとは思えない。ただ、いつとははっきり言えないとしても、数時間から数日前には噴火しそうだということは分かるだろう。(要旨・以下略)---東日本大震災の同じ日の晩(日付は12日になっていたかも)、富士山直下を震源とする大きな地震が観測されました。あのとき、多くの防災関係者がヒヤッとしました。宝永地震のすぐ後の放映大噴火の例を見れば一目瞭然ですが、大きな地震と火山の噴火は連動して起こることが非常に多いからです。あのとき、地震に引き続いて富士山の噴火も起こっていた場合、その噴火の規模にもよりますが、3.11と合わせて、災害の被害はさらに巨大なものになっていた可能性もあります。不幸中の幸いというか、富士山は噴火しないで済みましたが。3.11のあと2~3年は「富士山が遠からず噴火するかも」という危惧は、ある程度世間一般に共有されていたように思います。私自身、それまで一度も登ったことがなく、あまり登りたいとも思っていなかった富士山に、「ひょっとして噴火なんか始まったら、もう登れなくなるかもしれないし、高さ3776mではなくなってしまうかもしれないかも」と考えて登ったのが2012年9月でした。しかし、のど元過ぎれば熱さ忘れる、ではないですが、それが10年経ったら、富士山噴火の可能性は世間一般にはほとんど忘れ去られてしまっているのが現状です。でも、人間社会が覚えていようが忘れていようが、リスクの存在は変わりません。そして、いつかは富士山が必ず噴火するのは確かなことです。引用記事の次のページに書かれていますが、富士山は「噴火のデパート」とも言われ、噴火のたびにタイプの異なった様々な噴火が起こっています。300年前の宝永噴火を参考に、それと同じタイプの噴火に対する備えをしておけばよい、というわけにはいきません。宝永噴火の場合は、宝永地震の1か月半ほど後に噴火が起こっていますが、地震翌日には富士山でも地震が発生、更に噴火の約2週間前からは山麓での地鳴りがあったことが記録に残っています。そのようなタイプの噴火であればかなり以前から予知が可能でしょう。しかし、それ以前の噴火については、時代が古く、また平安時代以前は畿内から見れば辺境であった富士山の噴火についての記録は少なく、噴火以前にどの程度の前兆があったのかは分かりません。有名なのは864年の貞観大噴火です。この噴火によって、当時存在した剗の海と呼ばれる湖が溶岩に埋め尽くされ、その一部が西湖と精進湖となって残りました。また、青木ヶ原を溶岩で埋め尽くして、後の富士の樹海を生んでいます。この噴火の規模(噴出物の総量)は宝永噴火の2倍にも達します。引用記事が書くように、「おそらく」噴火の数日か数時間前には噴火の予兆が顕在化する可能性が高いと思いますが、問題は人間社会の側がその予兆を「噴火の予兆」と正しく認識できるかどうか、というところになろうかと思います。その貞観大噴火の規模は、噴出物総量が1.2立方km(マグマ換算)と推定されています。(気象庁のサイトより)この噴火規模は、実は桜島の大正噴火より小さなものです(気象庁のサイトによれば、1914年桜島の大正噴火の噴出物総量はマグマ換算で1.58立方km)。そして、その桜島大正噴火も、桜島(を含む姶良カルデラ)の有史以前の超巨大噴火に比べれば、規模はごく小さなものです。富士山は日本一高い山ですが、過去の噴火の規模においては、日本のほかの山々に比べれば、実はかなり小規模なものです。関東近辺でも、箱根山の方が過去にずっと巨大な噴火を繰り返しています。ただし、あくまでも「過去においては」です。過去において超巨大噴火を起こした山は、前述の箱根山と桜島(を含む姶良カルデラ)のほか、阿蘇山、霧島山を含む加久藤カルデラ、開聞岳を含む阿多カルデラ、鬼界カルデラ、十和田湖、洞爺カルデラ(洞爺湖)などがあります。それらの火山の山容を見れば一目瞭然ですが、富士山のようなきれいな成層火山は一つもありません。いずれもカルデラつまり巨大なくぼ地になっています。阿蘇山や箱根山のように、そのくぼ地の中央に小規模な火山ができている(中央火口丘)場合もありますが。端的に、莫大な量のマグマが噴出することで、底が抜けて陥没するわけです。富士山はまだそのような超巨大噴火を経験していないからこそ、あのようなきれいな成層火山の形状を保っているわけです。が、そのまま永久にきれいな形状の成層火山の姿を保ち続けられるわけではありません。すでに、富士山は2200年前から、山頂の噴火口からの噴火は止まっています。つまり、現在の山頂が、今後成層火山の姿をさらに発達させることはもうありません。2200年前以降は、山腹の色々な場所から噴火が起こっています。宝永噴火は言うまでもなく南西斜面6合目付近(宝永噴火口)からの噴火でした。ということは、富士山がこれから超巨大噴火を起こし、成層火山の姿が吹っ飛んでカルデラになる、という可能性もあり得ないわけではありません。その場合、東京は壊滅し、日本全体も壊滅するでしょう。300年も噴火が止まっているだけに、噴火が再開した時には過去に例のない規模の大きな噴火、という事態に至る可能性は決して低くはないでしょう。まあ、それが今年や来年起こる可能性は極めて低いでしょうけど。
2023.04.09
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過去100年で最大規模、トンガ噴火の驚くべき実態を解明南太平洋にあるフンガトンガ・フンガハアパイ火山は、2021年12月に活動が活発になると、年明けの2022年1月15日、凄まじい噴火を起こした。その爆発音は、9000km離れた米アラスカ州でも聞かれたという。最新の海底調査では、この噴火で10立方km分の岩石が噴き上げられたことが示された。1991年のピナツボ火山噴火を上回り、過去100年間で最大規模となる。噴き上げられた超高温のガスと灰は、観測史上最高の高度57kmまで上昇した。また、1億4600万トンの水蒸気が大気に放出され、この影響で発生した津波は世界に波及した。調査チームは周囲の海底約2万2000平方kmをマッピングした。多くが白い微細な堆積物で覆われた不毛地帯となっていた。採取した岩石コアからは、噴出した灰や岩石が崩壊したことによって激しい火砕流が起こっていたことがわかった。海中で起こった火砕流を実際に目にした者がいるわけではないが、仮説では、高温の灰によって海水が瞬時に蒸発して水蒸気の層が作られ、火山の噴出物が海底を滑るように移動するのだろうとされている。噴火で陥没したカルデラ地形の周囲では、放射状にいくつもの火砕流の跡が発見された。火砕流は調査範囲の端に当たる、火口から約80kmまで達していた。それ以上先まで到達した破片もあるかもしれない。最新の調査ではさらに、火口の中央部分が高さ700mも陥没していたことも明らかになった。削り取られた噴石の4分の3は、火山から半径20km以内に落下したようだが、その他の大部分は大気に放出され、その後何カ月も塵となって空気中に漂っていたようだ。噴煙だけでなく、噴火は驚異的な津波をも引き起こした。一部では、波の高さは15mに達したと言われている。さらに、津波は世界中の海に広がり、地球の反対側にある地中海の海面を30cm上昇させた。火山から遠く離れたところでは、噴火に伴って大気中を伝わる特殊な音波が6日間で地球を4周した。(要旨)---トンガの火山噴火については、噴火が起きた直後に記事を書いたことがあります。この時点で、噴火の規模は1991年のフィリピン・ピナトゥボ山の噴火に迫る可能性が指摘されていましたが、もちろん実際の噴火規模はその時点では分かりません。その後続報がありませんでしたが、上記ナショナル・ジオグラフィックの記事によれば、その後の調査で、やはり噴火の規模はピナツボ火山を超え、過去100年間で最大規模であった、ということです。ただし、引用記事には「この噴火で10立方km分の岩石が噴き上げられ~1991年のピナツボ火山噴火を上回り」とありますが、実際にはピナツボ火山噴火の噴出物総量は10立方kmなので、この記述岳から考えると、噴火規模はピナツボ火山を上回ってはおらず、同程度とも思えます。この辺りは、引用記事の書き方がやや不十分であり、ピナツボ火山噴火の噴出物総量は10立方kmでしたが、マグマ換算※では、ウイキペディアの記述によれば4立方km、独立行政法人産業技術総合研究所地質調査総合センターのホームページによれば5立方kmとなっています。一方、トンガの噴火の「10立方km分の岩石が噴き上げられた」というのが見かけの噴出物総量なのか、マグマ換算なのかは明示されていないからです。噴火の規模がピナツボ火山を超えると断定している書き方からすると、マグマ換算で10立方kmという意味である可能性が高そうですが。※マグマが地上に噴出すると溶岩になります。マグマの体積と溶岩の体積はだいたい同じですが、火砕流はマグマより比重が軽いので、マグマに比べて体積がかなり膨らみます。いずれにしても、1991年ピナツボ火山並みか、それ以上の規模の巨大噴火であったことは間違いありません。火砕サージ(火山灰と空気の混ざった高熱の爆風)が海面上を移動することは知られています。例えば、約9万年前の阿蘇山の超巨大噴火による火砕流の堆積物は、四国や山口でも確認されているし、7000年前の鹿児島南方の喜界カルデラの海底火山噴火による火砕流も南九州に到達しています。しかし、火砕流が海の下を進む、という事態はまったく初耳です。記事の書きぶりから考えると、火山の専門家にとっても「初耳」の事態だったのでしょうが。なかなかに驚くべき事態です。火砕流は海の上を移動するとは限らず、海の底を移動する場合もある、ということですか。ピナツボ火山の噴火は、事前に火山活動が激化し、小規模の噴火も起こっていたため、周囲30km圏内の住民は避難を済ませており、これほどの規模の噴火でありながら、噴火による直接の死者は出ていません。が、それにもかかわらず最終的には800人もの死者が出ることになってしまいました。これは、降り積もった火山灰の重さによる家屋倒壊や、火山灰や火砕流の堆積物に雨が降ったことによるラハール(火山泥流)が原因となっています。また、避難所での不衛生な生活環境の影響も小さくなかったようです。(現在の災害関連死に相当)トンガの場合は、小さな島国なので、避難するといっても逃げ場があまりなく、事前に島民が全員避難した島はないようですが、火砕流の直撃を受けた有人島はないようです。なので噴火の時点では大きな人的被害は生じませんでしたが、あれから11か月、大量に降り積もった火山灰による二次的被害がどの程度あったのかは、判然としません。ピナツボ火山の例から考えれば、その後で多くの犠牲者が出ていても不思議はないところですが。このような巨大噴火がどの程度の頻度で起こるのかは何とも言えませんが、ピナツボ火山と今回のトンガの噴火は、似たような噴火規模ですが、その間隔は30年、かつ過去100年間では最大規模でした。その前の近似規模の火山噴火は1883年クラカタウ火山の噴火です(おそらく、両噴火より噴火規模は少し大きい)。そうすると、だいたい140年間で3回この規模の巨大噴火が発生している、ということ40~50年に1度ということになります。願わくば、日本でこんな規模の(ましてや、もっと大規模の破局噴火は特に)噴火は起こらないことを願うばかりです。
2022.12.08
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福島県沖でM7.4の地震 福島県・宮城県で震度6強3月16日(水)23時36分頃、宮城県と福島県で最大震度6強を観測する地震がありました。震源地は福島県沖(牡鹿半島の南南東60km付近)で、震源の深さは60km、地震の規模(マグニチュード)は7.4と推定されます。福島県と宮城県に津波注意報を発表中です。国内で震度6強と観測する地震は昨年2月13日に同じ福島県沖で発生した地震以来です。防災科学技術研究所の速報解析によると、地震のメカニズムは西北西ー東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型とみられます。なお、この地震の約2分前に発生した地震の規模は、暫定値でM6.1と解析されました。(一部要約)---東北、関東在住の皆さんご無事でしょうか?我が家は結構揺れて、ドキッとしました。ちょうど風呂上がりだったのです。最初の揺れが長く続き、それが収まったかと思ったらまた揺れ出した時点で嫌な予感がしました。これが全部P波だとしたら、よほど遠くの、よほどでかい地震と思ったのですが、最初に感じた揺れは引用記事によると直前に起きた前震だったようですね。それでも、M7.4は大きいです。ただ、東京近辺の最大震度は4、我が家近くの観測地点では震度は3と4が入り混じっていますが、感覚的に我が家の揺れは3ということはない、おそらく4だったと思います。いずれにしても、311の時は本棚の上の方が全部なだれ落ち、その前2006年に東京で震度5を記録した時も本棚から落ちたものがありましたが、今回は机の上に立ててあった小物が一つ倒れただけで、本棚から何も落ちなかったし、緊急地震速報も(東京では)鳴らなかったので、あの二つの地震よりは揺れが小さいことは分かりましたが、それでも肝を冷やしましたよ。そして、都内でもかなり停電が起こったようですね。我が家の近くでも停電があったようですが、我が家の周囲は大丈夫でした。津波注意報も出ましたが、若干の海面上昇はあったものの、大きな被害はなかったようです。偶然の一致とはいえ、11年目の(そして、あの日と同じ曜日の並びの)3.11から1週間も経たない間にこんな地震が起こったことは、ドキッとしました。報道によれば地震発生のメカニズムは3.11とは異なるようですが、震源の位置からしても、3.11と全く無関係とは思えません。広い意味で3.11の余震、と言っては正しくないかも知れませんが、関連地震とは言えるのではないでしょうか。さらに東北新幹線やまびこ、17両中16両が脱線 宮城・福島震度6強地震16日深夜に宮城、福島両県で震度6強を観測した地震で、宮城県白石市の福島―白石蔵王間で脱線した東北新幹線「やまびこ223号」は、17両編成のうち16両が脱線していた。全く脱線していないのは13両目のみという。営業中で乗客がいる新幹線の脱線は2004年10月の新潟県中越地震で上越新幹線が脱線して以来、2例目となる。(要旨)脱線はしたものの人的被害はなかったのは不幸中の幸いです。とはいえ、中越地震以来の新幹線脱線はびっくりしました。3.11でも新幹線の脱線はなかったのに。ただ、脱線前に緊急地震速報ですでに相当減速していたはずで、高速運転中の脱線ではなかったため、人的被害が避けられたのでしょう。とは言え、脱線車両の撤去、線路等の修理、高架橋に亀裂が入っているとの報もあるため、その確認と補修、復旧にはかなり期間がかかりそうです。中越地震の際の上越新幹線脱線事故では、運転再開まで2ヶ月以上を要しました。それにしても、地震、台風、ウイルス、そして戦争。世界は災厄に満ち溢れています。何か少しは明るい未来の希望はないものかねえ。いや、我が家的にはちょっとだけ良いこともあったのですが、社会全体としては悲しくなるようなことばっかりです。
2022.03.17
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言うまでもなく、本日は3月11日、東日本大震災から11年目です。11年目という年自体は特段節目でもなんでもありませんが、ただ今日は金曜日です。2011年3月11日も金曜日でした。その日私の身の回りで起こったことは、震災の1年後に書いたので繰り返しませんが、上司がその月末で定年だったので、送別会を予定していたのに、もちろんそれが吹っ飛んだこと、地震の大混乱の最中に送別会で渡す予定だった花束だけが届いてしまったことは、今でもよく覚えています。あのとき、詳細は書きませんが、精神的プレッシャーの大きい仕事だったため、逆に係内の結束はものすごく高かった。勤続30年まであと数年、という期間働いてきて、もっとも仕事が大変だったのも、もっとも同僚同士の結束が固かったのも、その前年からの2年間でした。そして、その中心にいたのがU係長、私にとってこれまでの人生でもっとも良い上司でした。なんて話は、自分以外の人間にとってはどうでもよい話ですが、やはり単に3.11ということ以上に、「暗転した金曜日」という記憶が鮮明で、3月11日の金曜日、ということに特別の感慨を抱きます。しかも、今日はまた職場で感染者と濃厚接触者が出てしまい、その対応を検討していたら、否応なくあの時もことを思い出しました。3.11も大変だったけど、それでも地震の2週間後くらいに、ずいぶんこじんまりでしたが、送別会はやり直すことができたのです。でも、今は外で職場の同僚と飲み会なんて、全然できません。もう2年も異常事態が続いて、異常事態が平常になってしまいました。この先はもうこんなことは起こらないでください、と願うばかりですが、多分その願いは叶わないのでしょうね。
2022.03.11
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「南海トラフ」の前兆か 未明の大分、宮崎を襲った震度5強 列島周辺で頻発する強い揺れ「すでに始まっているといってよい」識者22日大分県と宮崎県で最大震度5強を観測する地震が発生した。震源地は日向灘で、震源の深さは45km、地震の規模はM6.6。列島周辺で震度5強程度の強い揺れが頻発しているが、今回は南海トラフ巨大地震の想定震源域で起きた。専門家は、巨大地震へ地震活動が活発化していると指摘する。高知県や熊本県でも震度5弱を観測。その後も日向灘を震源とする地震が続いた。~武蔵野学院大の島村英紀特任教授は「フィリピン海プレートが起こした地震で、震源がより浅く、マグニチュードが大きくなれば津波が起きる可能性もあった。南海トラフ地震も同様のメカニズムで発生する」と解説する。~今回の地震は南海トラフ巨大地震の想定震源域だったが、有識者を交えた「南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会」の基準であるM6.8には達しておらず、臨時開催はしないという。~災害史に詳しい立命館大環太平洋文明研究センターの高橋学特任教授は「活発化する太平洋プレートに圧縮されたフィリピン海プレートの動きを注視すべきで、その中には首都圏も含まれる。小笠原の地震やトンガの噴火のほか、昨年来、トカラ列島や沖縄、台湾周辺でも地震が頻発しており、南海トラフ地震は始まりかけているといってもよい」との見方を示した。---残念ながら、人類の現在の能力では、次にいつどこで大きな地震が起こるかを予測することは不可能です。今回の日向灘の地震は南海トラフ超巨大地震の想定震源域の南端で起こったため、各方面で緊張が走ったわけですが、では今回の地震が南海トラフ地震の予兆か、引用記事にあるように「南海トラフ地震は始まりかけているといってもよい」のかというと、それはどうでしょうか。長い目で見れば、確かに今回の地震が南海トラフ超巨大地震の予兆の一つである可能性はあると思います。長い目で見ればというのは、今後10年20年のスパンです。そのくらいの時系列でみれば、今回の地震は南海地震の予兆の一つだったということに、おそらくなるでしょう。ただ、「予兆」という言葉は、通常はせいぜい2~3年以内に起こる事象に対して言うように思います。しかし、南海地震が2~3年以内に起こる可能性は、ない-と私には断言できませんが、その可能性は高くはないだろう、と推測することはできます。今回の地震に関しては、ウェザーニュースがYouTubeチャンネルで分かりやすく解説しています。つまり、今回の地震と想定される南海地震では、地理的な震源の位置は重なるけれど、地震発生のメカニズムは異なる、ということです。想定される南海地震は、プレート境界線のひずみの蓄積から生じるけれど、今回の地震はプレートの奥深くでの内部破断、ということです。それから、日向灘は確かに南海地震の想定震源域の南端に位置していますが、過去の東海・東南海・南海地震の震源域を見ると、少なくとも有史以降の地震では、日向灘まで震源となったことが確実に判明している例はないようです。従って、今回の地震が南海地震の「直接的な」予兆とは言えません。ただし、今回の地震の揺れが、本物の南海地震の震源域に「揺さぶり」をかけたのは間違いないように思います。そのことが南海地震に一切の影響を与えないものかどうかは、私には分かりません。与えるかもしれないのでは?という気もします。ただし、東海・東南海・南海地震に関しては、もう一つの法則があります。これは、以前の記事に紹介したことがあります。阪神淡路大震災から15年この地域の巨大地震は、しばしば連動して起こります。特に東海地震・東南海地震・南海地震は、連動する可能性が非常に高い。歴史を紐解けば1946年12月21日 南海地震 M8.01945年1月13日 三河地震 M6.81944年12月7日 東南海地震 M7.91855年11月11日 安政江戸地震 M 6.91854年12月24日 安政南海地震 M8.41854年12月23日 安政東海地震 M8.41854年7月9日 安政伊賀地震 M7.61707年10月28日 宝永地震(東海・東南海・南海同時発生)M8.4~8.71703年12月31日 元禄地震(元禄関東地震)M8.11605年2月3日 慶長地震(東海・東南海・南海同時発生)M7.9~8※---東海、東南海、南海の各地震は、そのうちの2つか3つすべてが連動して起こる可能性が高いというのが引用記事の趣旨ですが、そのことに加えてもう一つ、地震の間隔に注目する必要があります。各地震の発生間隔は、もっとも短くて約90年、長いと150年ほどです(もっと古くからの地震の間隔をどこか別の記事に書いた記憶があるのですが、自分でも発見できません)。宝永地震より以前も、有史以降判明している限りの東海、東南海、南海地震で、これより発生頻度の高い例はありません。プレートの動きによるひずみの増大は一定であるとすれば、プレートの動きが最近急に加速した、ということがない限り、これより発生頻度が高まる可能性は低いと思われます。一口に巨大地震と書きましたが、過去の地震の歴史を調べると、実はそれぞれの地震の発生間隔と規模には差があります。上記の地震について言うと、こうなります。1605年慶長地震(M7.9-8巨大)※ 約100年間隔※1707年宝永地震(M8.4-8.7超巨大) 約150年間隔1854年安政地震(M8.4巨大) 約90年間隔1944-46年昭和東南海・南海地震(M7.9-8巨大)1707年の宝永地震は、それ以降の1854年安政地震と1944-46年の昭和東南海・南海地震よりも地震の規模が大きかったことが指摘されています。もちろん残りの二つだって巨大地震であり、多くの犠牲者を出し1944年の東南海地震は太平洋戦争中の日本の工業力の最後の砦を破壊した、と言われますが。ということは、前回が超巨大地震なら、次までは約150年、前回が巨大地震なら次までは90~100年、という法則になります。※プレート間のひずみを最大限に解放し切った超巨大地震ではその後にひずみが蓄積するのに長時間を要するが、より小規模の地震では、ひずみが完全には解放し切っていないので、次のひずみ蓄積までの所要時間が短いであろう。このように考えると、この地震の規模による次の地震までの発生間隔の違いは説明がつきやすいです。この法則を当てはめるなら、次の東海・東南海・南海地震の発生は、2030年代半ば以降である可能性が高いと考えられます。もちろん、これは過去の、それも17~18世紀以降の記録だけに基づいて、地震の発生頻度を将来に当てはめただけの乱暴な推計で、推計と呼ぶにも値しないものです。過去の経験がそのまま将来にも無条件であてはまる、と断定することはできません。ただ、前述のとおり、東海・東南海・南海地震の発生メカニズムを考えると、プレートの動きが突然速くなる、プレートの動く方向が変化するなどの、地質学的に新しい局面に移行しない限り、この発生頻度から大きく外れる可能性は高くないはずです。だとすると、東海・東南海・南海地震の発生までは、少なくともあと10年は猶予があると考えてよいのではないかと私は考えています。あと10年もあるのか、あと10年しかないのかは意見が分かれるでしょうが。※慶長地震について1605年慶長地震の震源域には諸説あります。津波の被害記録は明瞭ですが、揺れそのものの被害記録が明瞭ではないからです。このため、東海・東南海・南海地震という説とともに、他の震源域、あるいは遠方の地震で発生した津波被害といった説も存在します。もし慶長地震が東海・東南海・南海地震に含まれないとすると、宝永地震の前の東海・東南海・南海地震は、一挙に約100年古くなって、1498年明応地震ということになります。宝永地震までの間隔は200年も離れているので、これを当てはめれば「次の東南海・南海地震まであと110年くらい大丈夫かもしれない」という見方も可能になります。(大丈夫、ではばく大丈夫「かもしれない」に過ぎないことに留意)もっとも、東南海・南海地震の記録は、明らかに宝永地震(または慶長地震)以降とそれ以前で発生頻度が違います。宝永(または慶長地震)以降は前述のとおり90~150年間隔ですが、それ以前は140~200年間隔程度でしか地震の記録がありません。でも、それはおそらく、地震の発生間隔が昔の方が長かったから、ではありません。17-18世紀ころを境に急に地震の発生頻度が上がったと考えるよりは、古い時代の地震は断片的にしか記録が残っていないだけと考える方が自然ですから。今のところ、慶長地震の震源域については決着はついていないので、次の地震まで10年か110年かは、神のみぞ知る、というところです。ただ、「万が一への備え」という意味では、あと100年大丈夫と決めてかかるのはどうか、というところです。あくまでも来ない「かも知れない」だけですから。それに、この地域を襲う可能性がある巨大地震が東南海・南海地震だけ、ということでもありません。
2022.01.23
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火山爆発指数5~6の規模か ピナトゥボが6、「破局噴火」は7以上南太平洋のトンガ諸島にある海底火山で日本時間15日に発生した爆発的な噴火は、噴煙が成層圏にまで達し、遠く離れた日本にも津波警報が出た。噴火の規模は、昨夏の福徳岡ノ場をはるかに超え、記録的な冷夏の原因にもなった1991年のフィリピン・ピナトゥボ山の噴火にも迫るとの見方もある。世界的な気候への影響も懸念される。地元当局などの観測では、噴火は日本時間の14日と15日にあり、特に15日午後1時ごろに発生した噴火が大規模だった。米海洋大気局や日本の気象衛星「ひまわり8号」の衛星画像などから、噴煙の高さは上空約20kmと成層圏にまで達し、半径260kmにわたって広がったとみられる。噴火があった周辺では2014~15年に海底火山の噴火があり、新島ができていた。世界の火山活動をまとめている米スミソニアン自然史博物館によると、昨年末から今月初めにかけて断続的に噴火があったが、その後は活動が落ち着いていたという。今回の噴火の規模について、防災科学技術研究所火山研究推進センターの中田節也センター長(火山地質学)は、噴煙の高さや広がりから、火山爆発指数で5~6だったのではないかと指摘する。「ピナトゥボ山の噴火が6で、それと同じか、やや小さいくらいだった可能性がある」と話した。---トンガでの噴火は、当初15日夜の段階では日本で津波の心配なし、ということでしたが、一夜明けて16日朝になったら全国に津波注意報(三陸に津波警報)が出ていてびっくりしました。地震による津波とメカニズムが違うので、予測等が難しいようです。気象庁は一時「津波ではない」と言ったり、その後「津波かどうかわからない」と言っているようですが、津波の発生原因は地震のみに限られるものではなく、火山噴火やそれによる土砂崩れ(地震・火山に起因するものに限らず、有史以降に記録はないものの、隕石落下によるものも含まれます)も含むので、今回の事象は当然津波の一種ということになろうと思います。そして、噴火の規模ですが、1991年のピナトゥボ火山の噴火に匹敵するか、やや小さいくらいの可能性に言及しています。別の報道では、18983年のインドネシア・クラカタウ火山の噴火に匹敵する可能性を示唆するものもあります。「デジタル台風」に今回のトンガの噴火と昨年の福徳岡ノ場海底火山の噴火の気象衛星写真が並べて掲載されています。出典:デジタル台風:2022年フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイ噴火今回のトンガの噴火2021年福徳岡ノ場海底火山噴火福徳岡ノ場海底火山噴火は、日本では戦後最大級、明治以降でも桜島大正噴火以来第2位の噴火規模とみられていますが、それでも噴火の規模は今回のトンガの噴火とは大差があります。もっとも、福徳岡ノ場は火口の水深が25mの海底なので、噴出物の多くは軽石として海中に放出され、空中に放出された火山灰はごく一部であることも、この差の一因ですが。引用記事に火山爆発指数が触れられていますが、無料記事部分は途中で切れてしまっています。火山爆発指数は火山噴火の規模を噴出物(溶岩や火山灰など)の総量で区分したもので、噴出物総量が1立方km以上だと爆発指数5、10立方km以上で6、100立方km以上の超巨大噴火、いわゆる破局噴火だと7、1000立方km以上(有史以降記録なし)だと8になります。過去100年間で最大規模の噴火は前述の1991年ピナツボ火山の噴火で、噴出物総量は10立方km、爆発指数は6でした。1883年のクラカタウ火山噴火の爆発指数は同じく6ですが、噴出物総量はピナツボ火山の2倍にあたる20立方kmでした。破局噴火の爆発指数7の最新の事例は1815年、同じインドネシアのタンボラ山で、噴出物総量は150立方kmと推定されています。これは、有史以降の火山噴火としても史上最大と推定されています。日本における爆発指数7の噴火は、7300年前の縄文時代、鹿児島沖の喜界カルデラの噴火(噴出物総量100立方km)が最新の事例です。というわけで、もし今回の噴火がピナツボ火山と同規模とすれば30年ぶりの規模であり、クラカタウ火山と同規模とすれば140年ぶりの規模ということになります。ちなみに、日本の主だった噴火の例で言うと、1707年 富士山宝永噴火 噴出物総量1.7立方km(マグマ換算0.7立方km) 爆発指数41914年 桜島大正噴火 噴出物総量マグマ換算1.6立方km 爆発指数51991年 雲仙普賢岳 噴出物総量マグマ換算0.2立方km 爆発指数4※2011年 新燃岳 噴出物総量マグマ換算0.02立方km 爆発指数32013-15年 西之島 噴出物総量0.16立方km 爆発指数42014年 木曽御嶽山 噴出物総量0.001立方km以下 爆発指数おそらく12021年 福徳岡ノ場海底火山 噴出物総量0.5立方km 爆発指数4※雲仙普賢岳:一連の噴火の合計であり、多くの死者を出した6月3日の火砕流単独ではない。となります。噴出物総量は記載ないものは地上に出た噴出物の体積ですが、「マグマ換算」とあるものは地上に出た火山灰や火砕流、軽石の体積の半分前後になります。いちぶ、どちらの数値が不明のものもあります。いずれにしても、これら日本の主要な火山噴火のどれより、今回のトンガの噴火は、はるかに大規模となります。火山の沖合15kmから撮影したという噴火の動画(動画部分は1:00より)火山からトンガの首都までは60kmあまりしか離れていないということで、通信網が途絶して現地の状況は明確には分からないようです。ただ、各国大使館からの衛星電話による断片的な情報では、人的被害は今のところ報告されていないようです。報告されていない(分からない)だけであって、皆無とは思えませんが、火砕流に覆われて死屍累々、という状況ではないことは確かなようです。ただ、あくまでも「現時点では」です。ニュージーランド首相の発表によれば、大量の降灰に見舞われて街並みが月面のようになっている、とのことです。1991年ピナツボ火山の噴火では、火山から30km圏内の住民全てを事前に避難させていたため、火砕流や溶岩、火山弾による直接の死者は出ませんでした。このことから類推して、ピナツボ山噴火とだいたい同規模とすれば、火山から約60km離れているトンガの主島トンガタブ島には火砕流は到達しなかったのは不思議ではありません。なお、グーグルマップで調べた限りトンガタブ島より火山に近い島はなさそうなので、他の有人島にも火砕流は到達していない可能性が高そうです。ただし、今後は分かりません。まず、噴火がこれでおしまいかどうかが分かりません。今回と同規模あるいは更に大規模の噴火が起こる可能性は、現時点では分からないでしょう。そしてもう一つ、火砕流や溶岩、火山弾による直接の死者が出なかったピナツボ火山噴火でも、その後ラハール(火山泥流)による土砂崩れや雨を吸って重くなった火山灰による家屋の倒壊などで、800人以上の死者を出しています。さらに、避難所生活での不衛生な環境によっても数百人の死者が出ており、合計すると1000人以上が亡くなったようです。前述のとおり、今回の噴火でも大量の降灰に見舞われているので、今後降り積もった火山灰による二次災害で多くの犠牲者が出る恐れがあります。そしてもう一つ、この噴火の影響は全世界に及ぶ可能性があります。成層圏まで吹き上げられた火山灰によって日光が遮られることによる「火山の冬」と言われる気候変動です。ピナツボ火山の噴火では、翌1992年と93年の北半球の平均気温が0.5から0.6℃下がり、地球全体で約0.4℃下がったとされます。日本においては、噴火直後の1991年と92年の夏も、冷夏気味でしたが、最大の影響は2年後の1993年で、記録的な冷夏となりました(観測史上唯一、沖縄・奄美を除く日本本土で梅雨明けが記録されず、「平成の米騒動」となった年)。この原因の大きな部分がピナツボ火山の噴火だと目されています。噴出物総量がピナツボ火山噴火の2倍に達したクラカタウ火山の噴火では、その後5年間平均で世界の平均気温が1.2度下がったというので、気温低下の程度もピナツボ火山の噴火を上回ったようです。ただし、この当時はまだ気象統計も断片的なので、正確な推計とは言えないでしょうが。※ちなみに、気象庁の統計で調べると、クラカタウ火山噴火の翌翌1884年の東京の年平均気温は12.9度、札幌は5.7度でいずれも観測史上の最低記録、鹿児島は15.9度で史上2位の低温記録、8月の月平均気温は東京24.1度で低温記録の史上5位、札幌18.4度、鹿児島25.7度でいずれも2位の低温記録です。それ以前の十分な長さの記録があるわけではないので(観測記録は東京1875年、札幌1877年、鹿児島1883年から)「それ以前との比較」は不明確ですが、少なくともそれ以降との比較では、1884年が記録的に寒かったのは確かです。なお、ピナツボ山は北緯15度、クラカタウ火山は南緯6度、トンガは南緯21度なので、過去の2例より南に位置しているため、北半球よりは南半球の方が影響は大きいでしょうが、そうだとしても北半休は影響なし、では済まないものと思われます。
2022.01.17
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「日本沈没-希望のひと」というドラマを見てしまいました。放送していることを知らなくて、途中から見たんですけどね。実はこの手のパニック小説、破滅ものSF小説が大好きな私です。小松左京の原作「日本沈没」はもちろんですが、「復活の日」「さよならジュピター」「首都消失」、石黒曜「死都日本」、ジョン・ウィンダム「トリフィド時代」など。広い意味では宮崎駿の「風の谷のナウシカ」も(劇場アニメ版ではなく原作漫画の方)破滅ものSFの要素がかなり強く含まれています。ただ、パニック小説、破滅ものSF小説は好きなんですが、その映画化作品はというと、どうもね、というところです。「日本沈没」の最初の映画版はテレビ放映時に見たはずですがほとんど記憶がないので評価は避けますが、2006年の映画は劇場で見ましたが、どうもいまいちという感じでした。「復活の日」の劇場版もテレビで見た記憶があり、その後YouTubeでも再見しましたが、部分的には迫力もあってすごいところもあったけど、物語としてはやっぱり「どうもね」というところが多かったように思います。「さよならジュピター」(こちらは、映画化というより、先に映画企画があってそれをノベライズしたという方が正しい)に至っては、これもあんまり記憶は定かではないのですが、あまり面白くなかった、という記憶はあります。さて、今回のテレビドラマなんですが、見始めた回が、ちょうど首都圏が半分水没する回だったのです。主人公が娘と連絡が取れなくなり、避難しているはずの神奈川県の山間の町に徒歩で山越えしてたどり着く、というエピソードがあるのですが、その少し前の場面で、見ず知らずの小さい女の子が、公衆電話から母親の携帯に電話するものの、つながらない、という場面があります。家族と一刻も早く連絡を取りたい避難民が、後ろに何人も行列して電話を待っているけれど、その女の子は何回も電話を試みるけどつながらない、電話の順番を待つ大人が怒り出して「いい加減に譲ってくれ」「だって、ママが・・・・」と泣き始める(記憶を頼りに書いているので、台詞はだいたいの趣旨です)という場面があって、ここは胸に迫るものがありました。この場面が鮮明に記憶に残ったので、最終回まで見てしまったのですが、この場面がなかったら途中で見るのをやめていたかもしれません。以前に「機動戦士ガンダム」の記事を書いたときに「人型ロボット兵器(モビルスーツ)という一つの嘘にリアリティを持たせるために、その他のあらゆる部分でリアリティにこだわった、のかもしれません。」と書いたことがあります。「日本が1年以内に水没する」という話も、「人型ロボット兵器」と同様です。その嘘に真実味を持たせるには、それ以外の部分で徹底的にリアリティにこだわるしかないと私は思うのですが、どうもリアリティのない描写があまりに多く、その結果「日本沈没」の絵空事感が目立ってしまいました。特に最終回でそれが著しく、いささかがっかりでした。そもそも、物語中盤で東京の臨海部が水没した時点で、東京の都市機能は死んだも同然なのです。それ以降の東京は、とてもまともに人が生きる環境は維持できません。何故か?東京23区のごみ処分場は中央防波堤外側の埋立地です。東京湾岸エリアが水没しているんだから、そこも水没しています。つまり、ごみ処分場が消えてなくなっているわけです。ごみを収集しても持って行く先がない→ごみ収集ができない→街中にゴミがあふれる、となるまでに、1週間もかからないでしょう。下水処理施設(水再生センター)も同じです。23区内には13か所の水再生センターがありますが、そのうち5か所(葛西、砂町、有明、芝浦、森ケ崎)は湾岸部にあるので水没してます。そうすると、湾岸とそれに近いエリアは、下水が流れずに逆流するようになります。ゴミの山と逆流する下水の中ではマトモな生活などできるわけがありませんが、物語にそのような描写はありません。最終回で、一部の行政関係者と報道機関を除いてほとんどの住民が避難して無人になった東京の風景が描かれますが、それがあまりにもきれいで、今現在の東京の街並みから人間が消えただけなのも違和感が大きいです。上記のゴミと下水の問題は人がいなくなれば新たに発生しなくなるかも知れませんが、人のいない町はあっという間に荒廃します。その荒廃の情景がない、きれいな街並みは、あまりに不自然というもの。最終回で北海道に移転した田所博士が「寿司が食べたい」と言い出すも「寿司屋なんて、やっているわけないでしょう」という趣旨のセリフがあります。これ自体はもっともなのですが、あまりに遅きに失しています。その前の場面で、移民付きの抽選結果を居酒屋で知る人々の描写があります。あるいは、主人公が母の住む実家で一晩を過ごした際、おいしそうなお刺身を食べるシーンがあります。しかし、原作には(読んだのは中学生か高校生の頃で、そのあと1回くらい再読しているかも知れませんが、30年以上前なので、細部は間違っているかも)日本が1年以内に沈没すると政府が発表した途端に物価が高騰(円の価値が暴落)し、登場人物の一人が、結婚指輪を、わずか数食分だったか十数食分だったかのインスタントラーメンと交換せざるを得なくなる、という描写があったように記憶しています。そして、その描写の方が圧倒的にリアリティがあります。1年以内に日本が沈没、と公表された時から、外食産業など瞬時に壊滅して、食べるものにも不自由する事態になるのは明らかです。主人公をはじめとする「未来推進会議」の面々の服装、特に女性の服装がきれいすぎるのも不自然です。そもそもそういう状況下で、いわゆる防災服を着ているのが何で首相だけ?私なんか、3.11の時、被災地とは程遠い東京で、防災関連部署でもないけど、10日間くらいはずっと職場では防災服を着てましたよ。彼等は不眠不休の激務らしいのですが、そうであれば着替えの時間すらなく、ヨレヨレで薄汚れた服装になっているはずですが、そういう描写も、台詞で匂わすことすらしていません。小松左京の原作の映画化である「復活の日」の映画版では、米ホワイトハウスの大統領執務室が、場面を追うごとに掃除がされなくなり、ごみの中で米大統領が執務するようになる描写がありますが、「日本沈没」では主人公らの執務スペースは、最後まできれいなんです。これもまた不自然。余談ですが、最終回でリアリティ云々とは別の意味でアタマにくる場面がありまして、それは、土壇場で国外移民の申込条件を変更する描写があるのですが、そこで「我々が激務に耐えれば」みたいな台詞が出てきます。おいおい、と思いました。君たちは制度を決めるだけてで、朝令暮改の制度のクレームを住民から受けるのは特町村の職員と委託事業者だろうに、何言ってんだ、と。まあ、職業的な私情かがかなり混ざっているますけど(笑)1億2千万人のほとんどが避難を終えて、残るは移住を拒否して北海道に残る300万人?という描写も謎です。そもそも、首都圏の一部が水没した後、日本沈没までの間に大きな地震や火山噴火の描写が全然ないのも不自然ですが(原作では東京や関西で大地震、各地の火山も次々と噴火という描写があったはずです)、海外はおろか、北海道への避難すら拒む人が何百万人、いや1000万人やそこらはいるはずです。原作では、これもうろ覚えですが、当時人口1億1千万人の時代に最終的に海外に脱出できた人は7000万人くらい、という記述があったように思います。それは、否応なくそうならざるを得ないでしょう。まあ、だけどこの種の小説を映像化しても上手くいかない、というのは冒頭に書いたように、「日本沈没」だけではないので、仕方がないかもしれません。ある意味、フルハイビジョンの弊害というのもあるかもしれません。昔のアナログで低解像度のテレビ画面なら、セットのきれいな街並みでも薄汚れて古臭く見えますが(笑)デジタルの画面ではそうもいきませんからね。
2021.12.14
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戻れない古里 今も4万1241人が避難 東日本大震災10年死者・行方不明者2万2200人に上る戦後最大の自然災害となった東日本大震災は11日、10年の節目を迎えた。津波に襲われた岩手、宮城両県の沿岸部には災害に強い新たなまちが生まれた。福島県では東京電力福島第1原発事故による避難指示の解除が進んだが、帰還できない土地が残る。今も避難する人が全国に4万1241人いる一方、被災42市町村の人口は10年前に比べて4・3%減った。人が戻れない、戻らない被災地は、10年の歳月を経てもなお復興が途上である現実を突きつけている。2011年3月11日午後2時46分に三陸沖を震源とする国内観測史上最大となるマグニチュード9・0の巨大地震が大地を揺らした。高さ30メートルを超える大津波が押し寄せ、人々の命とまちをのみ込んだ。警察庁の10日時点のまとめなどによると、死者1万5900人、行方不明者2525人。その範囲は12都道県に及ぶ。全半壊した家屋は40万5161棟。原発事故によって今も人が住めない地域は、福島県の7市町村337平方キロ。復興庁などによると、避難生活の末に衰弱したり自殺したりした関連死は3775人に達している。---あの地震はついこの間のように思えるのですが、もう10年も経ってしまったのか、とびっくりです。東京だって、あの地震はそれまで経験したことのない揺れでした。3.11の5年ほど前に、東京で最大震度5強を記録する地震がありましたが、そのとき東京で震度5強を測定したのは足立区内のただ一カ所のみで、震度5弱を測定した場所も、あまり多くはありませんでした。後で記録を調べると、私がいた場所での震度は4だったようです。それでもそのときは経験した頃のない揺れでびっくりしたのですが、その後東日本大震災を経験したら、正直言って比較にならなかったです。揺れの大きさも違ったし、長さも違いました。あんなに長く続いた揺れを後にも先にも経験したことはありません。震源から離れた東京でそうなんだから、被災地の状況は推して知るべし、ですね。なんだかねえ、地震が起こった瞬間に何の仕事をやっていたか、オンライン端末に向かって、ある操作をしていた、そんな、どうでもいいことまで何故かおぼえているのです。そのときの私自身の体験は、地震の丁度1年後に記事を書いたことがあるので、ここまでにしますが。10年経っても、強烈な出来事というものは忘れないものです。その前日の2時46分に何をやっていたか、なんて、いっさい何も覚えていませんから、それだけ地震の記憶は私にとっても強烈だったということです。まだ避難者が4万人、その多くがおそらく福島第一原発の周辺住民ではないかと思います。避難区域が解除された地域もありますが、未だに337平方キロメートルもの広大な地域が避難区域になっています。モニタリングポストの数値を見ると、だいぶ放射線量は下がってきてはいます。しかし、双葉町には未だ放射線量が毎時6~4マイクロシーベルトの地点がいくつかあります。6マイクロシーベルトということは、年間にすると50ミリシーベルトです。事故から数年の間は、100ミリシーベルト越えの地点がたくさんあったことを考えるとずいぶん下がりましたけど、年間50ミリシーベルトの場所に人が定住できるかというと、無理だろうなと考えざるを得ません。おそらく、すべての地域が避難地域から解除できるあと10年くらい先ではないでしょうか。つまり、トータル20年かかる、ということです。そのとき、果たして戻ってくる住民がどのくらいいるでしょうか。ゼロではないでしょうが、かなり限られるでしょう。とりわけ避難先で仕事を持った現役世代はなかなか帰って来られないでしょう。かつての地域社会は根本的に破壊され、完全に復旧することは難しいと思われます。しかも、これは原発の外での話です。破壊された原発の廃炉作業がどの程度進んでいるか調べていませんが、あと10年ではまったく終わらないことは確実です。これほどの事故を経験しながら、喉元過ぎれば何とやら、一時すべての原発が停止していた時期もありましたが、なし崩し的に原発の再稼働が進んでいます。あと10年もたったら、元の木阿弥かもしれません。人間というのは、辛いこと嫌なことは忘れることで精神の平衡を保っているところがありますから、悪い記憶を忘れることが必ずしも悪ではないのですが、必要な教訓まで忘れてしまうのは、どんなものかと思います。それは、ヒトという生き物の宿命ではあるのでしょうけれどね。できることならあんな地震は二度と経験したくないですが、こればっかりは人間の努力でどうにかなることではないので、起こるときは起こる、としか言えません。覚悟と準備だけはしておかないといけませんね。※タイマー更新の場合、いつもは午後7時に自動投稿するのですが、今日はせっかくなので2時46分に投稿・・・・・と、思ったら、タイマー更新の時間は10分単位でしかセットできないのです。やむを得ず近似値で2時50分公開としました。(誤字でもあれば、後で直すので、更新時間も書き換わってしまいますが)
2021.03.11
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7月の日照時間が戦後最短梅雨の天候不順で、7月の東日本と西日本の日照時間が30日までの暫定値で1946年の統計開始以来、7月として最も短くなったことが31日、気象庁のまとめで分かった。降水量は戦後最多となった。---昨日、東海関東甲信で梅雨明けが発表されました。関東甲信で梅雨明けが8月になるのは、2007年以来13年ぶりということで、つまりかなり珍しいことではあるものの、21世紀に入ってから2回目の出来事なので、空前の出来事ということでもなさそうです。何しろ、1993年、観測史上(これまでのところ)唯一、梅雨が明けなかった年があったくらいですから。もっとも、私の記憶に間違いがなければ、その1993年も、いったんは梅雨明けが発表されていたはずです。確か3日くらい晴天が続いていったん梅雨明けが発表されたものの、その後再び雨が続いたため、後日気象庁から「あれは梅雨明けではなかった」と取り消されたように思います。ちょうど、その「梅雨明け」の最後の日に南アルプスの北岳に登っていたので(2泊2日で登り、初日は晴天、しかし2日目は、曇天で、下山したら雨が降り出したおぼろげな記憶があります)なんとなく覚えています。ということは、今年のこの「梅雨明け」も、まだ確定ではない、ということかもしれません、天気図で見ると梅雨前線は消滅しているようなので、梅雨前線がまた戻ってくることはないのでしょうけど。一般的に「梅雨明け1週間」とか「梅雨明け10日」と言われ、梅雨明け直後はもっとも天候が安定する時期なのですが、昨日も今日も、東京は晴れてはいますが、雲はかなり多いです。そして、実は今日東京郊外の山高尾山に行ってきたのですが、高尾山は早朝7時ころまでは晴れ間があったものの、そのあとはどんよりと曇っていました。そして、高尾山の表参道、自然研究路は路面が濡れたりぬかるんでいました。おそらく昨日、あるいは昨晩、降雨があったものと思います。気象庁で八王子の昨日8月1日の気象データを見ると、降水量は0mm、日照時間は6.3時間なので、八王子の市街では降っていないようですが、あるいは高尾山など山間部だけ降ったのかもしれません(八王子市はとても広い市です)というわけで、梅雨明けがこれで確定かどうかは分かりませんが、とりあえず7月中は梅雨が明けなかったことは確かです。ただ、前述のとおり、関東甲信の梅雨明けが8月になった前例は過去に何回かあります。気象庁のサイトによると、1951年以降6回あります。その中でも平成の米騒動の騒ぎになった93年は、前述のとおり梅雨明けがなかったという記録的な年なので、あの年より今年の方が日照時間が少ないというのは意外な気がします。調べたところ、1993年7月東京の日照時間は75.2時間、今年7月は47.7時間なので、実は平成の米騒動の年は今年に比べればまだしも7月の日照時間はだいぶ多かったようです。なお、降水量が戦後最多というのは西日本での集中豪雨の影響によるものと思います。東京に限れば、そこまでの集中豪雨はなかったので、この7月より1993年7月の方が降水量は多いです。逆に平成の米騒動の年が記録的だったのは、7月の月平均気温です。1993年7月東京の月平均気温は22.5度、今年7月は24.3度でした。ちなみに、この年は8月も平均気温が22.5度、9月が24.8度なので、なんと7・8月より9月の方が月平均気温が高いという珍事態になりました。いずれにしても、「梅雨明け」の発表が後日覆ることがなく、これから晴天の日々が続くならば、これまで雨が続いた分は取り戻せるでしょうが、こればっかりはお天道様次第です。ちなみに、気象庁の1か月予報によると、8月の気温は全国的に高く、特に東北・北海道で高い予報ですが、一方で日照時間と降水量は関東甲信以西は平年よりやや日照時間は多く降水量は少ないけれど、東北北海道は平年よりやや日照時間は少なく降水量は多い予報になっています。果たしてどうなるでしょうか。すでに野菜関係はかなり値上がりしていますが、晴れが続いて値段下がってくれるかなあ。新型コロナ禍、集中豪雨に続いて平成の米騒動の再来、なんて事態だけは起こってほしくありませんが、果たしてどうなるでしょうか。
2020.08.02
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【台風19号】自民が対策本部会合 「八ッ場ダムが氾濫防止に」の報告も自民党は15日午前、台風19号の影響で広範囲にわたり被害が出ていることを受け、災害対策本部の会合を党本部で開いた。出席者からは、早期の激甚災害への指定や被災地のライフライン復旧を求める声が相次いだ。二階俊博幹事長は会合で「一日も早く(被災者が)元の生活ができるよう、全国各地から情報収集すると同時に的確な対応をしてもらいたい」と語った。群馬県長野原町の「八ッ場ダム」が川の氾濫防止に役立ったとの報告もあった。群馬県選出の国会議員は「民主党政権のときに(ダム建設が)ストップされて本当にひどい目にあった。われわれが目指してきた方向は正しかった」と述べた。---この種の話はネット上でも出ているようですが、「八ッ場ダムが氾濫防止に役立った」というのは、眉につばをつけて聞いたほうがよいという類の話のように思われます。そもそもの前提条件として、ダムは建設に際して巨額の費用がかかることは言うまでもありませんが加えて多くの家が水の底に沈みます。八ッ場ダムの場合は、総工費5000億円以上かかり、340世帯、川湯原温泉の18の旅館と約50の土産物店など、それに48ヘクタールの農地が水の底に沈んでいます。治水のためのダムは、言い換えれば「みんなの家が洪水で水に浸からないように、おまえの家を湖底に沈めろ」と、簡単に言えばそういう理屈になります。であれば、ダムに求められる治水効果は、「ないよりあった方がマシ」程度の曖昧なものであってはならないでしょう。「340世帯の家を湖の底に沈めることと引き替えにしても必要」なほどの明白で大きな効果のあるものなのかどうか、が問われるはずです。国交省関東地方整備局の発表によると、台風19号の降雨により、八ッ場ダムにおいては、総貯留量約7,500万立方メートル、最大流入量約2,500立方メートル/秒を貯め込み、ダムの貯水池は518.8メートルから573.2メートルまで、約54メートル水位が上昇した、とのことです。確かに、一見すごい効果のように見えますが、この間の利根川の流量は、栗橋において毎秒1万1700立方メートルだったと推定されるようです。つまり、八ッ場ダムによって、利根川の流量の2割強がカットできた、ということになります。しかし、いくつかの資料を見ると、利根川の治水計画による最大流量の計画は毎秒2万1千立方メールとのようです。ということは、実はまだ全然余裕がある、ということになります。しかも、先の八ッ場ダムな最大流入量毎秒2500立方メートルというのは、瞬間最大値です。7500万立方メートルの水が貯まるのに要した時間は、11日2時から13日5時までというので、51時間かかっています。割返すと、この間の平均流入量は、毎秒408立方メートルに過ぎません。先に見た今回の台風での利根川の最大水量の5%にも満たない割合、となります。それを明白な効果と言えるのかは大いに疑問です。加えて、全くの偶然ながら、今回八ッ場ダムが一挙に7500万立方メートルもの水をため込むことが出来がのは、たまたまダムの工事は完成し、水の貯留試験が始まったばかり、というタイミングで台風が来たからです。ダムが通常の稼働を始めていたら、貯水量は満水に近い状況であったことが予想されます。(今年、関東の各ダムでは水不足に陥ったことはなく、いずれも台風の直前に充分な貯水量がありました)その場合は、あっという間にダムは満水となり、緊急放流を余儀なくされたはずです。つまり、民主党政権が八ッ場ダムの建設をストップして完成が遅れたことが功を奏した、とも言えるでしょう。もちろん、たまたまの偶然にすぎませんが。これらを考え合わせると、八ッ場ダムの治水効果は、もちろん皆無ではなかったでしょうが、5000億円の工費と340世帯を湖底に沈めることと引き替えにできるだけの明白で大きな効果があった、とは言い難いように思います。ダムの存在価値は治水だけではない、という意見もあるかもしれません。しかし、利根川水系には、すでに8つもダムがあるのです。これからの人口減、経済の下り坂傾向を考え合わせれば、水の需要が右肩上がりで上昇していくなど想定し難いことと言うしかありません。
2019.10.16
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台風19号、29人死亡14人不明 堤防決壊は21河川各地に大雨被害をもたらした台風19号で、少なくとも29人が死亡、14人が行方不明となっている。関東や東北など計21河川で堤防が決壊して浸水するなど被害は広がっている。台風の影響で、宮城県で6人、福島県で5人、栃木県や神奈川県、群馬県でそれぞれ4人が死亡、長野県で4人が行方不明になっている。、各地で計1697棟が床上浸水、1666棟が床下浸水した。さらに被害は広がりそうだ。川崎市の沖合ではパナマ船籍の貨物船が沈没し、5人が死亡、3人が不明となっている。12日夜までの48時間雨量は神奈川県箱根町で1001mm、静岡県伊豆市で760mm、埼玉県秩父市で687mm。それぞれ観測史上1位を更新した。24時間雨量は、宮城県で600mm近く、福島県で400mmを観測した地点もあり、東北の17地点が記録を塗り替えた。大雨で急な増水に耐えられず、各地で堤防が決壊。13日午後4時現在、千曲川や久慈川など国と県が管理する21河川24カ所の堤防が決壊した。国管理の24河川、都道府県管理の118河川でも水が堤防を越えた。ダムの決壊を防ぐための緊急放流も12日夜から13日未明にかけて6カ所で実施された。千曲川では13日午前2時15分頃から堤防が壊れ始め、朝方にかけて決壊。広範囲に水があふれ出し、多くの住宅が浸水した。JR東日本の長野新幹線車両センターも浸水し、北陸新幹線の車両計10編成が水につかった。宮城県丸森町では阿武隈川の増水によって中心部が冠水し、町役場が孤立した。埼玉県川越市では越辺川の堤防が決壊し、老人施設が孤立するなど、各地で浸水被害が相次いだ。計56カ所で、土石流やがけ崩れも発生した。利根川は13日午後6時現在、茨城県稲敷市の横利根観測所で氾濫危険水位の4.4mを超えた。水位は上昇しており、同事務所は流域の自治体に警戒を呼びかけている。---とりあえず、わたしはなにごともなく生きています。それにしても凄まじい台風でしたね。被害の規模も凄まじいものになっています。引用記事では29人死亡14人不明となっていますが、今朝の毎日新聞では35人死亡18人不明となっており、死者行方不明者ともに増加しています。先の投稿で、今回の台風は上陸時の中心気圧は945hPaという予報で、このとおりであれば東日本に上陸する台風としては観測史上もっとも低い中心気圧と書きました。実際には、今回の台風は12日午後7時前に伊豆半島に上陸しましたが、その直前午後6時の時点での中心気圧は955hPaと発表されており、予報よりは中心気圧は多少高くなりました。ただ、規模の大きさは予報と変わらなかったので、被害の規模は事前に恐れられていたとおりとなってしまいました。台風の規模(被害の規模も)も大規模ですが、そんな台風が日本本土では台風シーズンもほぼ終わりに近い10月半ばに来た、ということもまた驚くべきことです。今年は秋になっても例年より気温が高い状態が続いていますが、海水温も同様らしく、例年より台風の進路上の海水温が1~2度高いことが、この時期に台風の急激な発達をもたらしたようです。気象庁は、台風が接近する前に「狩野川台風に匹敵」という言葉で警戒を呼びかけていました。1958年9月の狩野川台風は今回の台風19号とよく似た経路をたどり、特に上陸後の経路が今回とほとんど同じとなっています。そのときの死者行方不明者は1269名にも達しています。それに比べれば人的被害は少ないように見えます。そのせいで、自民党の二階幹事長が台風被害を「まずまずでおさまった」などと勘違い発言をしたようですが、とんでもない。堤防決壊など社会的インフラに与えた被害は、すさまじく大きいと言わざるを得ません。引用記事には触れられていませんが、東京近辺では多摩川が世田谷区の二子玉川付近(東京側)と、それより下流の対岸川崎市高津区の支流平瀬川付近などで氾濫、上流の支流秋川でも堤防決壊、荒川の支流入間川でも堤防決壊など、各地で河川の氾濫が相次いでいます。また、箱根で48時間に1000mmという雨量(つまり、1メートル!!)を観測したことに付随し、箱根登山鉄道で大規模な土砂崩れにより、写真で見る限り路盤が完全に流出していて、復旧に相当長期間(数ヶ月か下手をすると1年以上)かかりそうです。また、中央本線も数箇所で土砂の流入があり、このうち大月以遠は本日14日中には復旧する見込みのようですが、高尾~大月間は四方津駅と梁川駅の間の土砂流入が大規模であるため、復旧には時間がかかりそうです。更に、中央自動車道も大月~八王子間で大規模な土砂流入で復旧の見通しが立っていません。つまり、東京と山梨・松本を結ぶ交通機関が、鉄道、道路ともに寸断されて機能しない状態となっています。これらは、復旧に何ヶ月もかかることはないでしょうけど、数日はかかりそうな感じです。引用記事にある北陸新幹線の車両基地も、北陸新幹線用の全車両の1/3が冠水、よくても床下機器全交換、少なからぬ確率で全車廃車を余儀なくされる可能性があることから、復旧、さらに平常運転までには相当の長時間を要しそうです。というわけで、できるだけ早く平常の状態に復旧することを願っておりますが、浸水した家屋はもちろんのこと、交通機関が平常に戻るまでにはまだまだ時間がかかりそうです。
2019.10.14
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台風19号 非常に強い勢力で直撃か 昨年21号匹敵 台風19号は「非常に強い」勢力で12日午後に東海や関東に上陸の恐れ。関西空港が浸水した昨年の台風21号に匹敵する勢力です。台風19号はあまり勢力を落とさず、12日午後に「非常に強い」勢力で東海や関東に上陸する恐れがあります。台風の勢力とは中心付近の最大風速で決まり、「非常に強い」とは強い方から2番目の勢力です。「非常に強い」勢力で日本列島に上陸する台風はそうそうありません。2018年台風21号は記憶に新しいところですが、その前は1993年台風13号まで遡ります。非常に強い勢力で上陸した2018年台風21号昨年の台風21号は「非常に強い」勢力で徳島県南部に上陸し、近畿地方を縦断しました。四国や近畿地方で猛烈な風が吹き、猛烈な雨が降ったほか、顕著な高潮となった所もありました。関西空港では 最大瞬間風速58.1mを観測し、観測史上1位となりました。また、最高潮位が大阪府大阪市では329cm、兵庫県神戸市では233cmなど、過去の最高潮位を超える値を観測。関西空港の滑走路や駐機場が広い範囲で浸水するなどの被害がでました。総降水量が四国地方や近畿地方、東海地方で300mmを超えた所もあるなど、大きな影響がでました。---1ヶ月あまり前、「記録的台風」という記事を書いたところですが、あっという間に記録的台風が記録的でなくなりそう、つまりもっと強力な台風が関東に上陸しそうです。千葉で台風15号による大規模停電など大きな被害からの復旧もまだ終わってはいない中、台風15号に匹敵するか上回る強さで、かつそれよりもはるかに大型の台風です。わたしは、衛星写真を見て、その台風の目の大きさにびっくりしました。これ、東京23区より広い台風の目じゃないでしょうか。15号の関東への上陸時の中心気圧は955hPa程度で、これも東日本への台風上陸時の中心気圧としては観測史上有数の低さだったのですが、今度の台風19号は、10日21時50分現在の気象庁発表進路予報によると、12日21時時点で静岡県御前崎付近に上陸時の中心気圧は945hPaという予報です。気象庁のサイトに、「上陸時の中心気圧が低い台風」の記録が掲載されています。統計開始以前の参考記録として1934年室戸台風911.6hPaと1945年枕崎台風916.1hPaがありますが、統計開始以降だと1961年第二室戸台風の925hPaが最低記録で、1959年伊勢湾台風929hPaが史上第2位、以下930、935と続いて、第5位タイが940hPaで6つの台風が並んでいます。もし今回の台風19号が現時点の進路予測のとおり上陸時中心気圧が945hPaだとすると、観測史上11位タイ、ということになります。しかも、上陸地点を見ればすぐに分かりますが、上陸時中心気圧の低かった台風ワースト10の上陸地点はすべて西日本であり、和歌山県に上陸した伊勢湾台風を除いてすべて四国か九州への上陸です。(参考記録扱いの室戸台風と枕崎台風も同様)つまり、東日本で、中心気圧945hPaという台風が上陸するとしたら、観測史上初めてではないかという気がします。しかも、台風の規模(暴風域の広さ)も、台風15号より19号のほうが大きい。つまり、被害の規模は台風15号を超える可能性が高い、ということになります。唯一救いがあるとすれば、15号のときに比べて気候が涼しいので、万が一停電となった場合(あってほしくありませんが)でも暑熱地獄だけは避けられそうだ、ということくらいです。もう一つ気をつけるべきは干潮満潮です。この日は満月直前で大潮に近く、潮の満ち引きもかなり大きいのですが、東京の最大干潮は12日午後10時半過ぎ、最大満潮は13日早朝4時半頃です。どちらに近い時間に台風が最接近するかによって、海沿いでの被害の程度はかなり変わりそうです。みなさん、くれぐれも御注意ください。
2019.10.10
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気象当局にハリケーン予想変えさせる=商務長官「トランプ氏主張と矛盾」-米紙ニューヨーク・タイムズは9日、ロス商務長官が海洋大気局(NOAA)幹部に対し、「ハリケーンが南部アラバマ州を通過する恐れがある」としたトランプ大統領の主張と矛盾する気象予報の撤回を迫ったと報じた。応じなければ更迭すると圧力をかけたという。トランプ氏は1日、バハマを襲ったハリケーン「ドリアン」の進路をめぐり、アラバマなど南部各州を「想定以上の勢力で直撃する恐れがある」とツイート。その数分後、気象当局は「アラバマには何の影響もない」とツイッター上で否定した。しかしトランプ氏は主張を曲げず、4日には同州が進路に該当するようペンで描き足されたNOAAの予想図を記者団に示していた。同紙によると、NOAAを所管する商務省のロス長官は6日、出張先のギリシャからジェイコブズNOAA長官代行に電話をかけ、大統領の説明との矛盾の解消を指示。ジェイコブズ氏が異議を唱えたところ、状況が変わらなければ同氏を含む政治任用の幹部らを更迭すると告げたという。ーーーすげーな、米大統領は。台風の進路を変えるほどの力があるのか!って、まあ、バカみたな話としか言いようがありません。何世紀も前、いや十数世紀も前の中国の皇帝は、太陽すら自在に操れると思ったらしいけど、21世紀の今にこんな馬鹿げたことを言い出す人間が、世界一の大国のトップとは、そして、そのような人物がいまだに大きな支持を得ているとは、ほとんどコメディのような世界ですが、現実の悪影響たるや、空恐ろしいものがあります。もっとも、この話は果たしてトランプというトンデモな大統領個人だけの特異的な現象か、というとそうとも言い切れないような気がします。ことが台風(ハリケーン)の進路であれば、そうかもしれません。熱帯性低気圧は毎年何十個も発生し、世界の気象予報機関はその発達経過や進路について豊富なデータを持っています。気象衛星という目によっても、熱帯性低気圧自体も、その周囲の気圧配置や雲の動きも手に取るようにわかります。それに基づく進路予報は、枝葉末節の部分では外れる部分はあっても、大筋では外れることはまずありません。だから、こんなトンデモ大統領でなければこんな阿呆な戯言は言わないし、予報機関も唯々諾々とそれに従うはずもありません。従って予報を変えたりしたら、それこそ予報機関の側が世紀のスキャンダルです。だけど、ことがもし、もっと予測の信頼性の低い、予測機関としても絶対の自信は持てないような予測類だったらどうでしょうか。例えば地震予知、火山噴火。あるいは、自然現象ではありませんが、経済成長予測とか、インフレ率予測とか、年金財政の将来予測とかだったらどうでしょうか。この種の政治的都合優先の予測の恣意的操作、あるいはそれを要求する政権からの圧迫が、トランプだけのものであると果たして言い切れるでしょうか。否、むしろどこの国でも程度の差はあっても、ありそうな話です。例を日本の地震予知に取ると、予知のための観測が行われるようになってから、まだ巨大地震は起きていません(観測態勢の範囲内では、です。阪神淡路大震災も東日本大震災も、観測態勢の範囲外)。そして、巨大地震の切迫を示すデータが測定されたことも、これまで報じられている限りでは、ない。つまり、予知の精度は皆目分からないのが現実です。戦時中の昭和東南海地震の際に確認された(後からそれと分かった)前兆現象一つしか、確認された前例はない中での見込みでの予知ですから、当たるか当たらないか、絶対の自信なんか地質学者にも、多分ない。そういう状況下では、台風の進路という露骨でバカみたいな事態よりも、よほど政治介入の予知は大きいでしょう。「その予想が外れたら責任とってもらうけど、良いのか?」とでも恫喝されたら、多くの地質学者は口ごもらざるを得ないのでは?そうすると、本当は巨大地震が切迫していることを示唆するデータがあっても、外れた場合の影響をおそれて握り潰す、あるいは逆に、さほど地震が切迫しているとは思えないときに、危機を煽ることで何らかの政治目的を達成しようと「巨大地震の可能性がある」と公表する。そういった事態は、十分に起こり得るだろう、とわたしは思います。とはいえ、やっぱり「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の世界で予測に介入するのと、ほとんど外れることはない予測に口出しして無理矢理変えさせようとすることでは、悪質さは似たようなものでも、バカさ加減のレベルは違いますけどね。
2019.09.14
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停電42万戸余 東電 復旧見通しツイッターで順次公表台風15号の影響で、11日午後4時現在、千葉県を中心に42万戸余りで停電が続いています。東京電力によりますと、午後4時現在で千葉県でおよそ42万400戸、神奈川県でおよそ3800戸の合わせて42万4000戸余りで停電が続いています。東京電力は11日中の全面復旧の見通しは立っていないとしていますが、ツイッターで復旧の見通しを順次、公表しています。---月曜朝の台風は、950hPa台という強い勢力と猛烈な風を伴って関東を直撃しました。大きな土砂崩れや洪水の報はなく、人的被害も死者2名なので、残念ではありますが最小規模には留まりました。ところが、社会的インフラのダメージは非常に大きく、特に停電が極めて深刻な事態となっています。もちろん、ほかの被害がなくて停電だけが凄まじいことになった、というわけではなくて、記録的暴風で道路の寸断、電柱の倒壊などがすさまじい規模で起こったことが原因です。台風が来たのが9日の未明であり、それから3日経つのに、まだ34万軒※もの停電が残っているというのです。よりによって、この猛暑の最中です。避難所に行ったところで、避難所も停電です。※引用記事には42万軒とありますが、この記事を書いている12日朝6時40分時点(記事の公開予定は夕方)では、神奈川県の停電は解消された模様ですが、千葉34万500軒、埼玉2000軒、神奈川200軒、静岡100軒未満となっています。昨年の北海道の地震の際は、295万軒もの停電が発生し、完全復旧には1ヶ月ほどを要したものの、実際には99.9%は2日以内に復旧しています。それに対して、今回は台風直後は93万軒の停電だったところから、まだ半分強しか復旧していません。北海道の際は、散々「原発を動かさないから停電が起きた」と叫んだ原発推進屋どもも、今度は何も言わないのは、発電所は1基も壊れていないのに、停電を原発が動かないせいにするのはいくらなんでもさすがに無理筋だからでしょう。池田信夫とか、本当にブログでもツィッターでも、ひとことも触れていない。北海道のときは大騒ぎしたのに。彼にとって、停電とは反原発派を攻撃するためのツールに過ぎないのであって、反原発派攻撃に利用できない停電騒ぎは、どれほど深刻なものであってもまったく興味がないのだ、ということがうかがわれます。それにしても、これほどの規模の停電が、これほど続くのは、前述のとおり昨年の北海道の地震をはるかに超える事態であり、おそらく3.11のとき以来のことでしょう。ともかくできるだけ早期に復旧してほしいですが、別報道によると前面復旧は12日中も困難で、明日13日以降になるとのことです。この記事が公開される12日夕方までに、どこまで復旧しているでしょうか。さて、そんな大規模停電に首都圏が襲われている最中に、こんなニュースが飛び込んできました。第4次安倍再改造内閣が発足 初入閣、最多の13人第4次安倍再改造内閣が11日、発足した。麻生太郎副総理・財務相と菅義偉官房長官以外は入れ替える大幅な改造で、初入閣も第2次安倍内閣発足後で最多の13人となった。安倍晋三首相(自民党総裁)は発足に先立ち、同日午前に開いた自民党の役員会で「新体制のもとでわが党の長年の悲願である憲法改正を党一丸となって力強く進めていく」と語った。---どの大臣に誰がなったとか、もはや私にはあまり興味がない。クソ内閣に集うクソ大臣が少し入替になったところで、クソ大臣であることに変わりはないんだから。ただ、こんな台風直関の最中、大規模停電の終息も見通せない最中に、内閣改造などという政治ゲームに現を抜かしている感覚は、私には理解不能です。だって、国会議員には任期はありますが、大臣には任期はないのです。いや、選挙ですら、大規模災害に際しては特措法によって一定期間延期をすることができます。阪神淡路大震災と東日本大震災で、実際に行われています。ましてや、内閣改造なんて、やるもやらないも何の法的義務もない、内閣改造をやらない政権だってあるのです。純然たる首相の政治的都合による任意の選択に過ぎません。そんなものをやらなくても、あるいは多少延期しても、何の問題もない。1週間も延期すれば、いくらなんでもその間には停電は(少なくとも99%以上は)復旧しているでしょう。なんでそれも待てないのか。そんなことよりも内閣改造をめぐる政治力学の方が大事だ、ということなのでしょうね。あきれ果てた話です。もっとも、ひょっとするとこんな時期に内閣改造をやめなかった理由はもうひとつあるのかもしれません。つまり、「大臣なんてどうせお飾りなんだから、災害時にいてもいなくても関係ない」ということ。うん、確かにそれもありそうだ(涙)
2019.09.12
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台風15号 非常に強い勢力に発達 静岡県・神奈川県の一部が暴風域に 未明に上陸へ非常に強い台風15号は、暴風域を伴って8日夜遅くから9日明け方にかけて関東または静岡県に上陸し、9日昼前にかけて関東地方を通過する見込み。台風は中心気圧955hPaと発達し、非常に強い勢力となった。8日21時現在、静岡県と神奈川県、伊豆諸島の一部が暴風域に入っている。東京都神津島では、21時3分に最大瞬間風速58.1m(地点観測史上1位)を観測した。また、19時40分には下田市、伊豆市、河津町、松崎町、西伊豆町に、20時30分には伊豆の国市に土砂災害警戒情報が発表された。台風15号 非常に強い勢力に発達 静岡県・神奈川県の一部が暴風域に 未明に上陸へ関東や静岡県では、このあと数時間以内に急激に雨や風が強まり、大荒れとなる見込みだ。あす9日朝にかけては不要不急の外出は避け、暴風やうねりを伴った高波に厳重に警戒し、土砂災害、低い土地の浸水、河川の増水や氾濫に厳重な警戒が必要だ。(以下略)---危険なので明日は仕事は休みますと、言いたいのはやまやまですが、社畜なので(笑)出勤しなくてはなりません。記憶では、今日の昼頃の中心気圧は960hPa、それが夕方には北上に伴って少し勢力が衰えて965hPaまで中心気圧が上がったように記憶していますが、今見たら955hPaまで勢力が発達している。こんなに北上してから勢力が強まるのは予想外ですが、それだけ関東沖合いの海が暖かい、ということでしょうか。気温も湿度も高いし、台風が水蒸気を吸い上げる材料には事欠かないのかもしれません。数年前に、関東再接近時957hPaという台風があった記憶がありますが、(検索したところ、おそらくですが、2013年の台風26号だと思われます。再接近時950hPa台の気圧でした)それ以来の強力な台風です。私と同様あす出勤しなくてはならない方は大勢いると思いますが、みなさんくれぐれも気をつけてください。
2019.09.08
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南北の“聖地”白頭山に「噴火兆候」 韓国の研究機関が公表北朝鮮と中国にまたがる活火山「白頭山」で噴火の兆候があると、韓国の研究機関が明らかにした。白頭山は、2018年9月の南北首脳会談後に、文大統領と金委員長がそろって訪れた場所で、韓国と北朝鮮では「聖地」とされている。韓国の研究機関は、2002年からの3年間で火山性地震が3,000回以上発生し、頂上付近で地殻変動が起きていることから、深刻な噴火の兆候だと判断したとしている。白頭山は、西暦946年に大噴火し、この際には、朝鮮半島全域で火山灰が1メートル以上、北海道と本州北部でもおよそ5cm積もったという記録が残っている。---946年の白頭山の噴火というのは、調べてみたところ、噴出物の総量が83~117立方km、つまりおおむね100立方km前後という規模の、超巨大噴火だったようです。今回危惧されている噴火が、そんな規模になるかどうかは分かりませんが(それ以降も何回かは噴火しているようですが、946年ほどの規模ではなかった模様です)、もしも、それと同規模の噴火が起こったとすると、それはただ事ではありません。世界的に見て、この規模の噴火が起きた最新の事例は、1815年インドネシアのタンボラ山噴火です。20世紀以降で世界最大の噴火は1991年フィリピンのピナツボ山噴火ですが、その噴出物総量は10立方kmですから、その約10倍ということになります。私は、白頭山周辺にどの程度の人口が住んでいるのかは知りませんが、火砕流の及ぶ範囲は、半径数十kmにおよび、その範囲内で生存者はほとんど望めないでしょう。さらに、韓国全土に1メートル以上の降灰があると。そこに雨が降れば、必ず火山泥流(ラハール)が頻発します。そして、原爆の黒い雨で知られるように、巨大な熱源の発生は、必ず雨を降らせるものです。火砕流の及ぶ範囲の人口が分からないので何ともいえないですが、火砕流と火山泥流による直接的な犠牲者だけでも、数十万人は出るでしょう。しかも、噴火による犠牲者は直接的なものだけにはとどまりません。韓国全土に厚さ1メートルの火山灰が降り積もるとなれば、その年の農作物は壊滅ですし、火山灰を除去するまでは、それ以降も数年間は耕作困難でしょう。ただでさえ、北朝鮮は食糧不足が言われていますから、その状況になれば大量の餓死者が出ることは避けがたく、その犠牲者はおそらく噴火による直接の犠牲者数をはるかに上回るでしょう。日本もきわめて大きな被害を受けます。北日本に厚さ5cmの降灰というのは、厚さ1メートルに比べればたいしたことがないように思えますが、日常的に降灰に見舞われている鹿児島市ですら、こんな量の降灰は、まずありません。まず間違いなく農作物は壊滅ですし、やはり火山灰を除去するまでは耕作困難でしょう。加えて、この量の火山灰は交通網を麻痺させます。航空機は大量の火山灰を吸い込むとエンジンが壊れてしまうため、降灰が完全に収まって、空港に積もった灰が除去できるまで飛行不能です。自動車も、完全に動かなくはならないとしても、大量の火山灰を吸い込むことで故障が頻繁するでしょうし、火山灰が降り積もった道路は速い速度での走行はほとんど不可能で、停電によって信号機が機能を停止する可能性もあり、相当のノロノロ運転にならざるを得ないでしょう。鉄道も同様です。停電によって架線からの通電ができなくなり、あるいは非電化区間でも信号システムの停止によって、運転不能となる可能性が高いです。日常生活への影響も深刻です。前述のように、大量の降灰は停電の原因となる可能性が高いのです。これは、火山灰が通電するためです。電柱、高圧鉄塔などに大量の火山灰が付着すると、絶縁不良によるショートが多発する可能性があります。また、細かい火山灰は、通信機器、精密機器の内側に入り込み、故障の原因となります。人間も喘息などの健康被害が多発するでしょう。5cm程度の降灰であっても、それが広い範囲に及べば、社会は麻痺状態とならざるを得ません。加えて、その規模の超巨大噴火が起きた場合、大気中にまき散らされた火山灰によって、極端な低温にみまわれる可能性が高いのです。その影響は全世界に及びます。1815年のタンボラ山噴火によって、世界的に「夏のない年」になったことが知られていますし、その10分の1の噴火規模でしかなかった1991年ピナツボ山の噴火でさえ、世界の天候に大きな影響を与えています。1993年、平成の米騒動として知られている日本の冷夏(観測史上唯一、関東で梅雨明けがなかった年)は、ピナツボ山の噴火が原因ではないかと目されています。要するに世界規模で破滅的な事態が生じる可能性がある、ということです。もちろん、最悪の場合の可能性です。前述したように白頭山の噴火がいつもそんな超巨大噴火だったわけではありませんから。でも、気にはとめておいた方がよいように思います。
2019.04.16
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<原発事故>福島の野生ニホンザルに放射性物質の影響か福島県内に生息する野生のニホンザルについて、福島第1原発事故後、成獣の骨髄で血液のもとになる成分が減ったり、胎児の成長が遅れたりしたとする研究成果が英科学誌に相次いで報告された。事故で放出された放射性セシウムを木の皮などの食べ物から取り込んだことなどによる被ばくの影響の可能性があるという。成獣を調査したのは、福本学・東北大名誉教授(放射線病理学)らの研究チーム。福島第1原発から40km圏内で事故後に捕殺されたニホンザルを調べ、成獣18頭で骨髄中の成分を調べ他の地域と比べた。その結果、血小板になる細胞など血液のもとになる複数の成分が減っていた。さらに、一部の成分は、筋肉中の放射性セシウムの量から推定される1日あたりの内部被ばく線量が高い個体ほど、減り方が大きくなっていたという。福本さんは「健康への影響が表れるのかなど、長期的な調査が必要だ」と話す。また、羽山伸一・日本獣医生命科学大教授(野生動物学)らの研究チームは、福島市が個体数調整のため2008~16年に捕殺したニホンザルのうち、妊娠していたメスの胎児を調べた。原発事故前後の計62頭のデータを比較したところ、事故後の胎児は事故前に比べ、頭の大きさが小さく体全体の成長にも遅れがみられた。母ザルの栄養状態には変化がなく、チームは事故による母ザルの放射線被ばくが影響した可能性があると結論づけた。◇人とサル、異なる被ばく量羽山教授は「サルは森で放射性物質に汚染された食べ物を採取していた上、線量が高い地面に近いところで生活していたため、人に比べて被ばく量が桁違いに多いはずだ」としている。環境省が実施する野生動植物への放射線影響の調査対象にニホンザルは含まれておらず、日本霊長類学会など5学会は、ニホンザルを対象に含めることなどを求める要望書を同省に提出した。同学会の中道正之会長は「ニホンザルは寿命が20~30年と長く、定住性もある。世界的に見ても、ニホンザルへの長期的な影響を調べることは極めて重要だ」と話した。---福島第一原発では、近隣住民はいち早く避難したため、それほど深刻な被曝による健康被害は報じられていません。そのことをもって、原発は安全だ、放射線は危険がない、などと叫ぶ連中もいますが、深刻な健康被害が生じなかったのは、深刻な汚染地域には人がすんでいないからであって、チェルノブイリのように避難が遅れていた場合はどうだったかはわかりません。引用記事にあるように、同じ土地に住んでいてもサルと人では被曝量が異なるのは確かです。人は多くの時間を屋内で過ごし、食べ物も被曝地の中のものだけを食べるわけではないからです。とは言え、その土地に降り注いだ放射能の、「素」の危険性は、やはり相当に高いと言わざるを得ません。また、屋内は屋外よりは放射線量は少ないものの、密閉性の高い鉄筋コンクリート、あるいは鉄骨の建物はともかく、木造の場合は果たしてどうでしょう。福島県川俣町で行われている日本最大のフォルクローレのイベント「コスキン・エン・ハポン」に2011年10月に参加したとき、放射能測定器を持って行ったことがあります。福島県川俣町に行ってきましたこのとき、放射能測定器の数値はJR福島駅付近で毎時0.1-0.2マイクロシーベルトでしたが、川俣と福島を結ぶJRバス車内に入ったとたんに、その数値は0.4に跳ね上がりました。川俣中央公民館の前庭では、0.6-0.7マイクロシーベルトまで上昇しました。頻繁にドアを開閉するバス車内では、そのくらい放射線量が高かったのです。そこから考えても、木造建築の場合、屋外より放射線量が少ないといっても、大幅に低いというわけにはいかないのではないか、という気がします。それに、大人は立っていれば地面から離れていても、幼児は背が低い分地面に近いので、被曝量もそれに応じて増えます。※引用記事に、猿は地面に近いところで生活とありますが、それは一概には言えないように思います。確かに、地上にいるときは、猿は人より地面に近い位置にいます。しかし、ニホンザルは樹上にいる時間も長いのです。私が山でニホンザルに遭遇するとき、地上にいるものと樹上にいるものの割合は、五分五分か、樹上の方が多いように感じます。いずれにしても、福島第一原発の周辺地域は、子どもを含めた一般住民が、何の心配もなく安心して住める、と言うにはほど遠い状況と考えざるを得ません。もちろん、一日や二日の滞在に神経質になる必要はないでしょうし、先の人生も長くはない60代70代なら、暮らしてもあまり問題はないかもしれませんけど。これが、あと何年続くでしょう。震災から7年半経過して、さすがにある程度は放射線量は減ったと思いますが、もう人が住んで問題なし、というわけにはいかないでしょう。確かチェルノブイリでは、原発事故から25年経過してもまだ、汚染による立ち入り禁止地域が残存していました。原発事故はの被害は、本当に取り返しのつかないものだなと、改めて思います。
2018.11.22
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震度7の「北海道地震」の大停電で体験したオール電化生活の落とし穴2018年9月6日の午前3時過ぎ。スマホの「緊急地震速報アラーム」と同時に襲った「激しい揺れ」で飛び起きました。最大震度7の北海道地震です。まもなくして北海道全域が停電に……。長時間の停電で気づいた「オール電化の落とし穴」についてお話します。6日のわが家の冷蔵庫には、調理しないで食べられるものがありませんでした。普段はパンやお菓子など、いくつかストックされているのですが、買いだめ派のわが家は、その日は買い出しの前日だったのです。家には「ガスコンロ」もありませんし、もう、最悪です!予想通り、アイスはでろでろ。肉類も解凍されてしまったのに、今すぐ調理ができないもどかしさ……。停電は北海道全域と聞いたので、すぐの復旧は無理だと判断。調理はあきらめ、すぐに食べられそうな調理済み食材を求め、信号機が止まった町へ買い出しに出掛けました。朝方に開店していているのはコンビニのみ。まずはおにぎりやパンを買っておけば、どうにか明日までは過ごせそうだと思いましたが、考えていることはみんな同じだったようです。朝の8時にして、お弁当の陳列棚はすでに空っぽでした。かろうじてカップラーメンがいくつか残っていましたが、お湯すら沸かすことができないもどかしさ。普段は当たり前にできていたことができないって、結構なストレスです。つくづく電気のありがたみを感じる出来事でした。この日一日は、とにかく口に入りそうなものを探すため、わずかに開店している店を探し回ることに。そんな中、近所の大型スーパーで「ガスコンロ」をゲットすることができました。長蛇の列に並んだかいがあります。その夜は、無事にカップラーメンを食べることができました。「頭がかゆい!」。汗っかきの娘が頭をかきだしたのは、停電した日の翌朝です。体のべたつきは「体拭きシート」でなんとかしのいだのですが、洗髪はどうしようもできません。固定電話が通じない!スマホの充電もできない!これはオール電化とは関係ありませんが、今回の震災で一番困ったことです。外部との連絡を取りたかったのですが、停電のせいで家の固定電話が通じません。結局はスマホに連絡が入るのですが、停電時フルに使われているスマホは、常に充電不足が続きます。そこは車の充電器で凌いだのですが、今度はガソリンが底をつきそうに……。どこのガソリンスタンドも、車が何十台も並んでいます。(要旨)---あまりに既視感のあり過ぎる話です。つい7年前、東京でも同じことが起こりました。北海道でも、あの時は同じことが起きなかったのかな?と疑問に思いましたが、改めて記録を調べると、東日本大震災において、北海道では震度4が最大だったのですね。津波の被害はあったけれど、おそらく停電は北海道ではほとんど起きなかったのでしょう。コンビニで真っ先に下降せずに食べられる食品がなくなったこと、その後しばらく、スーパー等で加工食品類の品薄が続いたこと、電気が切れるとガス暖房もつかえないこと、ガソリン不足で各地のガソリンスタンドに車の行列ができたこと、みんな、東日本大震災で経験したことです。震災についていろいろと思うところ災害に弱い社会 そして計画停電追記地震が起きたのは午後2時46分、その後バタバタして、いつ帰宅できるか分からない(結局、その後避難所に応援に言って一晩を明かすことになった)ので、午後7時頃職場近くのコンビニに買出しに行ってみたら、すでにパンだのお弁当だのの類は、ものの見事にすっからかんで、インスタントラーメンの類もほとんどなかったのですが、日清のカップヌードルだけが、わずかに残っていたのと、何故かケーキがあった。その日、お昼にカップラーメンを食べてしまったのです。それなのにまたカップラーメン、それにケーキとは(本来的には、わたしは甘いものが大好きですが)またすごい取り合わせの夕飯だな、とは思ったのですが、仕方がないのでそれを買いました。職場に戻って食べているあいだに、上司から避難所の応援に行くように指示されて、大慌てでかきこんだ記憶があります。というわけで、地震の瞬間私は職場にいて、しかも帰宅したのは翌日の午後だったので、自宅がその間どうなっていたかははっきりとは知らないのですが、どうやら停電にはならなかったようです。ただ、これもはっきりとは知りませんが、おそらくガスは止まったはずです。と言うのは、その6年前の2005年7月に東京で震度5を記録した地震の際は、自宅のガスが止まりました。ガスの供給は止まらなかったと思うのですが、自宅のガス配管は遮断弁が閉じ、ガスを使う際にそれを開かなければならなかったことは覚えています。東日本大震災のときも、東京ガスの供給が止まったかどうかは知らないのですが、少なくとも自宅の遮断弁は閉じたはずです。我が家はオール電化ではありませんが、電気が止まり、ガスが止まればオール電化と代わらない事態になってしまいます。ガスが復旧しても、ガス暖房と風呂釜は電気でコントロールするので電気が回復しなければ使えません。もっとも、ガスコンロは電気なしで着火するので、炊事は問題ありません。やかんでお湯を沸かせば暖房の代わりにもなるでしょう。加えて、登山道具の中に携帯ガスコンロがあり、ガス缶も4個か5個は持っています。そういえば、地震の後しばらく、登山用品店でもガス缶やヘッドランブは品薄でした。要するに、大きな災害が起きたとき、それから必要なものを買おうとしても、もうほとんど手に入らない、ということです。だから、それ以来我が家は非常食と水(2Lのペットボトル2ケース)は常に置いてあり、水に関してはそれに加えて、毎朝洗濯に風呂の残り湯を使うと、そのあとすぐに風呂に水を張ってしまいます。風呂桶に水が入っていない時間帯は、1日のうち20分か30分くらいしかないようにしています。でも、こういう対策って、地震の直後にはみんなやるのですが、だんだん忘れていくのです。まさしく喉もと過ぎれば熱さ忘れる、というやつで、わずか7年でも、結構忘却の彼方になっていたりするものです。この機会に、我が家も色々思い出さなければならないな、と思います。
2018.09.10
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前回の記事でも触れましたが、泊原発が停止中の北海道で、地震によって大規模停電が生じたことから、「泊原発が停止していなければ停電にならなかった」「泊原発を再稼動しろ」と叫ぶ人たちがいるようです。冬までに泊原発を再稼動して命を守れ例によって原発推進屋の池田信夫などが代表例です。最初にお断りしておくと、「今回のこの地震」に限定して言えば、確かに泊原発が稼動していれば停電は起こらなかったかもしれません。(修正:「今回のこの地震」に限定しても、泊原発が稼動していても停電が起こった可能性は高いようです、記事末尾に追記しました)泊原発付近では震度2程度だったということなので、おそらく設備の破損も緊急停止も起こらなかったでしょうから。しかし、それはたまたまに過ぎません。残念ながら、地震はいつどこで起こるか、現在の観測水準では事前に予測することができません。今回、結果として苫東厚真発電所の至近距離が震源だったので、苫東厚真発電所が停止したことから、大規模停電に発展しましたが、泊原発が稼働中に、その至近距離で大地震が発生することも、当然ありえます。というより、泊原発の真下には活断層があるので、そうなる可能性は低くはありません。大きな地震が一つ起これば、連動して周囲に地震が頻発する傾向がありますから、泊原発も大地震に襲われる確率は以前と比べて大幅に上昇していると思われます。地震発生時の北海道電力管内の電力需要は300万kwあまりだったようです。それに対して苫東厚真発電所の出力は165万kwで、つまり北海道の全電力需要の半分以上を苫東厚真発電所に依存していた最中に地震による配管の破損で急停止したことから、電力の需給バランスが崩れ、安全装置が働いて連鎖反応的に次々と停電が生じたようです。しかし、泊原発もまた、1号機と2号機が゛各57万9千kw、3号機が91万2千kwという、苫東厚真発電所を上回る出力を持っています。原発は出力調整ができず、また基本的には定期点検中以外は運転を停止しないので、もし泊原発が稼動していたとしても、苫東厚真発電所の代わりに泊原発が北海道内の電力需要の半分以上をまかなっている状態になっただけです。仮に原発を稼動したところで、「地域的に偏った少数の発電所に依存する」という、今回の停電の根本原因となった部分は、何も変わらないのです。したがって、その状態で、泊原発の至近距離で大地震が起きたら、やはり電力の需給バランスが崩れ、今回の事例と同様に大規模停電が生じたことは確実です。しかも、火力発電所なら燃焼を停止させればすぐに止まり、配管の破損も修理すれば済む話です。しかし、原発はそうは行かない。制御棒を挿入して核分裂を「停止」しても、核燃料は相当長期間発熱を続けることは今更説明の必要はないでしょう。そして、配管が破損すれば放射能漏れ事故ですから、火力発電所の配管破損よりはるかに深刻な事態となります。福島第一原発ほど酷い事態にはならないにしても、相当深刻な事態に追い込まれることは確実です。それを考えれば、原発が稼動すべきではない、原発を稼動することが解決策ではないことは明らかであると私は思います。ではどうすべきなのか。本質的には、泊原発にしろ苫東厚真発電所にしろ、北海道の電力需要に比べて、1基辺りの出力が過大に過ぎるところに問題があります。だから、1基止まっただけでも需給バランスが崩れる。より小出力の発電所を多数、地域的にも1箇所にかたまらないようにして稼動するほうが、今回のような不測の災害に対する備えとしては優れているのです。ところが、経済合理性という意味では、できるだけ大出力の発電所をできるだけ少数稼動させるほうが経費が削減できます。その兼ね合いが難しいところですが、北海道電力は不測の事態への備えよりも経済合理性を完全に優先したから、こういう事態になった、と言わざるを得ないでしょう。[追記]こちらの記事によると、泊原発が稼動していたとしても(なおかつ、泊原発自体が直接地震の被害を受けていなくても)、停電が防げたかどうかは、「わからない」とのことです。「30人31脚」という言葉で地震時の状況がたとえられています。確かに、泊原発が稼動していた場合(総出力200万kw)でも、残る需要100万kwあまりは、苫東厚真発電所がまかなっていた可能性はきわめて高いと考えられます。その100万kw(当時の発電量のおよそ1/3)が地震によって突然停止したとすれば、やはり電力需給のバランスが大きく崩れ、大規模停電に至った可能性が高いと考えられます。その場合、泊原発も、たとえ直接的な地震の被害がなかったとしても、巻き添えで停止せざるを得なかったでしょうし、その場合、外部電源喪失の危険性はより深刻なものだったはずです。
2018.09.08
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今日は、先日の台風の記事を書こうと思っていたのですが・・・・・・北海道で震度7の地震、9人死亡 29人安否不明6日午前3時8分ごろ、北海道胆振地方を震源とする地震が発生し、厚真町で震度7、むかわ町と安平町で震度6強を観測するなど道内各地が強い揺れに襲われた。政府によると厚真町などで9人が死亡した。同町では大規模な土砂崩れが発生して29人の安否が不明で、救出活動が続いている。このほか道内では家屋の倒壊などに伴い、けが人は約370人に上る。地震の影響で道内のほぼ全域295万戸が一時停電し、市民生活や経済活動に大きな影響を与えている。厚生労働省の調べでは、6日午後3時時点で、349病院で停電が起きており、34の全災害拠点病院が自家発電機で対応。札幌市など33市町村3万255戸で断水が発生している。札幌市清田区の住宅街では液状化現象が発生し、道路に亀裂が入るなどの被害が出た。道教委によると、6日は小中高校など9割超の公立学校が休校した。交通機関への影響も大きく、新千歳空港の6日の発着便は、国内線、国際線とも全便欠航となった。JR北海道も6日朝の始発から全線で運転を見合わせ、札幌市営地下鉄と市電も始発から運転を取りやめた。今回の地震はマグニチュード6.7、震源の深さは37km(いずれも暫定値)と推定されている。胆振地方で発生した地震としては、統計を取り始めた1923年以降、最大規模となる。---北海道は7月に行ったばかりなので、ドキッとしました。大きな揺れを観測したのは札幌、千歳、苫小牧の周囲が中心で、今回行った阿寒湖や釧路、霧多布、昨年行った大雪山と層雲峡、上富良野はいずれも震度3だったのは不幸中の幸いです。ただ、停電の影響は北海道全土に及んでいるようです。北海道と言えば泊原発がありますが、今回は幸運にも震源が原発からは遠く、また運転中ではなかったので事故にはならなくて済んだようです。その代わり、北海道のほぼ全土で停電が生じてしまいました。そのことをもって「原発を再稼動しろ」と叫ぶ原発推進屋がさっそく現れているようですが、今回はたまたま稼働中の火力発電所が震源に近かったのでこういう事態になりましたが、原発の稼働中にその近くで地震が起これば、やはり同じことになります。もちろん、放射能を巡る事故のリスクも生じます。しかし、仮に放射能が漏れる事故がなくても、震度6の地震がきたら、原発は緊急停止するしかありません。原発が再稼動していたとしたら、電力需要の少ない深夜は、出力調整のできない原発だけを動かして、他の発電所はほとんど(あるいはまったく)停止していた可能性が高いので、その原発が緊急停止すれば、有無を言わさずすべて停電です。それにしても、本土に上陸した台風としては異例の強さと報じられた台風21号が関西を襲ったのが一昨日です。あの日は、東京も(暴風圏にはまったくかすらず、強風圏が通過しただけですが)大変な風の強さで、わたしの体感では、8月に来た台風のときより、はるかに風は強かったように思います。ただ、今回何故か、風がもっとも強かった時間帯、関東の平野部は雨が降らなかった(早朝と深夜日付が変わった後で激しい雨が降ったものの)のが、幸運でした。とはいえ、首都圏の鉄道ダイヤはかなり乱れたので、影響を受けた人も多いのではないでしょうか。わたしが職場を出て、強い風に驚いたとき、東京は暴風圏まで300kmくらい離れていたはずです。それでもあれほどの風の強さなのだから、台風直撃の関西はどれほどの事態になったかと思ったら、さっそく動画が上がっています。2013年10月に、関東でも上陸時950ヘクトパスカルほどの強力な台風が来たことがあります。あのときも強烈な台風でしたが、ここまでではありませんでした。沖縄や小笠原は別にして、本土でこれほどの台風の被害はほとんど記憶にありません。が、しかしそれによって関空が浸水して機能麻痺に陥ったのは、色々と将来に教訓を残したと考えざるを得ません。「台風の来週が満潮と重なった」と言いますが、確かに満潮には重なりましたが、小潮か、その直後くらいの時期であり、つまり干満の差がかなり小さい時期でした。※※潮の満ち引きは海水が月の引力に引かれて起こります。一方、大潮小潮は、太陽と月の位置関係によって起こります。つまり、太陽と月と地球が一直線に並んだとき(満月または新月のとき)は、太陽と月の引力が合算されて作用するため、干満の差が大きく(大潮)、一方地球を角として太陽と月が直角に位置したとき(半月)と、太陽と月の引力が相互に引っ張り合うように作用するため、干満の差が小さくなります(小潮)。それにもかかわらずあれほどの被害が生じてしまったということは、もし大潮の満潮だったら、もっと波高が低くても同じ被害が生じた、ということです。また、空港島と陸を結ぶたった1本の橋にタンカーが衝突して、交通途絶する事態となりました。あのタンカーは、航空燃料を関空に輸送したあと、付近に停泊中に台風に襲われ、碇を下ろしていても2imも流されて(走錨)橋にぶつかったということです。異例な規模の台風が来ることはあらかじめ分かっていたのに、なんであんな場所に止まっていたのか、と思いましたが、2kmも流されることまでは想定していなかったのでしょう。もっとも、走錨は一度起こると、荒天が収まるまで止めるのが難しいようなので、そのくらい流されることは想定すべきだったのかもしれませんが。そのことよりも、より根本的に陸地との連絡通路が(海路を除けば)たった1本の橋だけ、というのは、災害対策や危機管理上、いささか問題なのではないか、という気がします。同じく東京湾上の島(または中州)である羽田空港は、道路橋、鉄道橋、地下トンネル、何本もの接続ルートがあります。それに加えて、今回の北海道の地震です。地震・津波、火山の噴火、台風、長雨、残念ながら日本は本当に災害大国です。その中でも、特に今年は台風を中心に水害が多かった。しかし、これだけ短期間に連続するとは思いませんでしたが、考えてみれば、災害とはえてしてそのように連動するものです。地震と台風には直接の因果関係はありませんけど、地震と津波はもちろん連動するし、複数の地震も連動するし、地震と火山の噴火も連動する傾向があります。東京は、さいわいにも何故か繰り返し起こった水害の被害をほとんど受けませんでした。今年ここまでは、ですけど。未来永劫そのまま・・・・・・では済むはずがありませんね、残念ながら。
2018.09.06
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西日本豪雨、増え続ける被害者 死者11府県81人に停滞した梅雨前線の影響で西日本各地に被害を与えた記録的な大雨で8日、高知県や岡山県で新たな被害が確認された。大雨特別警報はすべて解除となったが、13府県で81人が死亡、3人が重体、行方不明や連絡が取れない人は87人となり、被害者の数は増え続けている。(以下略)---東京ではあまり雨は降っていないのですが、西日本での一連の集中豪雨は凄まじいものです。高知県では3日間で1000mmを越える雨量を観測した地点もあるとのことで(東京の年平均降水量は1500mm程度なので、その2/3が一度に降ったことになります)、それによって生じた土砂災害の猛威もすさまじいのですが(死者行方不明者の大半は、それによって生じたものと思います)、倉敷市で、多くの家屋が屋根の直下まで浸水して人々が屋根の上に避難している写真も衝撃的でした。あれが平屋だとしても、浸水は3m近くにはなるはずですし、でも多分みんな平屋じゃないでしょう、おそらく2階建てが多いと考えれば、5mを超えるかもしれません。関東地方は、観測史上初めて6月中に梅雨が明けてしまいましたが、実は梅雨明けが発表されているのは7月8日現在、沖縄・真美と関東甲信越だけ、という一軒不思議な状況です。これは、梅雨前線が日本列島を南西から北東にかけて覆っている中で、関東地方だけが梅雨前線から離れてしまった状況が一定期間安定的に続いてしまったことから起こってしまったことのようです。もっとも、例年は「梅雨明け10日」と言って、梅雨明け直後の数日はもっとも天気が安定して晴天が続く時期ですが、今年は、梅雨明け宣言が出た関東甲信越も、それ以降何日か雨の日があり、この土日も、結果的に晴れましたが、大気の状態が不安定で雨の可能性が指摘される状況でした。そして、予報では明日も天気は悪いようです(週間予報では、関東は明後日以降は晴れが続く見込みです)。梅雨明け宣言は速報値であり、関東地方の梅雨明け宣言も、後日訂正になる可能性は多分にあります。この激しい降雨をもたらしたメカニズムは梅雨前線、異例の居座り 大雨を招いたメカニズムはによると、西日本を中心とする今回の大雨は、梅雨前線が東日本~西日本の上空で数日間ほぼ同じ位置に停滞したことが原因梅雨前線は、北側にある「オホーツク海高気圧」と南側の「太平洋高気圧」が、日本の近くでぶつかり、停滞することで生じる。太平洋高気圧の勢力が次第に強まり、前線が北上することで梅雨が明ける。今回は暖かく湿った空気が前線に向かって流れ込む梅雨末期の典型的な雨の降り方だが、前線が同じ場所に長時間居座ったことが異例。台風7号が日本海を通過したタイミングで、太平洋高気圧は南東に移動。このため梅雨前線が再び南下し、台風7号が運んできた暖かく湿った空気が雨雲の供給源となり活発化。広範囲に雨を降らせた。さらに、上空を流れる偏西風の影響などで、太平洋高気圧が北上できないまま、オホーツク高気圧との拮抗が続いたことで、停滞が長期間続いたとみられる。とのことです。それにしても、こうも毎年のように梅雨時期の集中豪雨で大きな被害が出ると、何とかならないかなあ、と思ってしまうのですが、何しろ国土の7割が山、というお国柄ですが、水害を完全に封じる、というのは不可能なのが現実でしょう。話は変わりますが、この水害をめぐって、社民党の福島議員が叩かれているのだそうです。豪雨をめぐる事実誤認を謝罪せず 福島みずほ議員の投稿が炎上福島議員が台風による被害にあわれたみなさんに心からお見舞いを申し上げます。 というツイートを行ったところ「台風じゃない!豪雨だろ!」という「批判」が殺到して、これを削除して集中豪雨の被害が広がっています。亡くなられた多くのみなさんに哀悼の意を表します。また、避難勧告が多くの人たちに出ています。お見舞いを申し上げます。沖縄にも台風情報が出ています。というツイートをしたところ、謝罪も訂正もしないのか、とまたまた騒いでいる奴らがいる、ということです。実に馬鹿馬鹿しい、騒いでいる奴らが、です。どうせ、最初から福島瑞穂のあら探しをしているネトウヨ連中が騒いでいるだけですが、「台風による被害」は間違いではありません。引用記事にあるように、一連の集中豪雨は台風7号が運んできた暖かく湿った空気が雨雲の供給源となり梅雨前線が活発化したことで始まっており、台風第7号が引き金を引いたのは確かです。だから、気象庁も【近畿地方】平成30年台風第7号と前線等による大雨の関連情報と表現をしています。「台風による被害」ではなく「台風と集中豪雨による被害」と書けば、より正しかったのは確かですが、たいした問題ではありません。「台風じゃない、集中豪雨だ」などと、ドヤ顔で書いているネトウヨのアホさ加減には呆れるより他ありません。
2018.07.08
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負傷250人超える=3人死亡、建物被害も―余震、交通混乱続く・大阪地震大阪府北部で最大震度6弱を観測した地震で、負傷者は大阪など2府3県で計250人を超えた。倒壊した外壁の下敷きになるなどし、登校中だった小学4年の女児ら3人が死亡。府などが詳細な被害の確認を急いでいる。新幹線は運転を再開したが、在来線の一部運休など交通の混乱は続いた。京都府で震度3を観測するなど、断続的に余震が発生し、気象庁は引き続き注意を呼び掛けた。瓦や外壁の落下、ブロック塀の倒壊など建物被害も相次いだ。大阪府内では公民館など約400カ所に避難所が開設され、約850人が自主避難した。停電は復旧したが、一部地域でガスと水道が使えない状態が続いている。---※この記事をアップした直後、死者が4人に増えたと報じられています。相棒が関西出身なので、相棒の親族は大阪にいますし、音楽関係の知り合いも何人もいます。地震の報に仰天して(発生の10分後には震度6弱、というニュースをネットで見ていたので)、相棒のお姉さんに連絡を取ったところ、親族関係はすぐに無事が確認できたので、ほっと一安心、というところでした。震源は大阪の北のほうですが、相棒の実家は天王寺のほう(大阪環状線の一番南端)で、その近辺は震度4くらいだったようです。それでも、猛烈に揺れたそうですが。ただ、音楽関係の知り合いで(以前にギターの修理をお願いしました)震源の近くに住んでいる方は、室内がそれはそれはとてつもない状態になってしまったそうです。怪我や預かった楽器の破損はなかったそうですが。そういえば、当ブログの常連(しばらくご無沙汰している気も)のおっちゃんは、大阪の北のほうじゃなかったかな、ご無事でしょうか。相棒は実家に電話してつながったそうですが、わたしは電話はつながらないかも、と思って自重しました。結果的に、facebookのメッセンジャーで義姉とすぐに連絡が付いたので、電話をかける必要がありませんでした。こういうときは、電話よりSNSのほうが連絡が取りやすいかも知れません。相棒はLINEをやっていないので、この機会にLINEやってもらおうかな、と思案中。その一方で若干気になるのは、こういう時に格安SIMはどうなんだろう、という点です。通信の混み合う場所、時間帯は、格安SIMは基本的に冷遇される傾向があります。そりゃ、大手キャリアの側から見れば、高い通信料を払ってくれる顧客を優遇したいでしょうからね。では、災害時は果たして?と、思って検索したところ、こんな解説がありました。格安SIMは災害時でも利用できる?基本的に、やはりMNO(大手キャリア)に比べて、MVNO(格安SIM)はウィークポイントが大きい傾向は否めないようです。大手キャリアから借りている設備(基地局やその間をつなぐ回線網)が破損すれば、貸し出し元の大手キャリアもろとも通信不可能になる一方、大手キャリアと自社の通信設備の接続回線、自社の設備が破損した場合は、貸し出し元の大手キャリアが通信できる状態でもMVNOだけ通信不能になりうるようです。災害に伴って通信量が激増する事態に対しては、対応策もあるけれど、物理的に基地局が倒壊したり、回線が破断したりすれば、どうあっても通信は不可能になる、当たり前と言えば当たり前ですが、そのあたりは留意する必要があります。さて、それはともかく、関西で震度6にも達する地震は、阪神淡路大震災以来でしょうか。もっとも、今回の地震はマグニチュードは6.1なので、東日本大震災は言うまでもなく、阪神淡路大震災に比べてもだいぶ小さいですが。ただ、怖いのは、これが本震か前震か、ということです。東日本大震災の2日前に起きた地震、熊本地震の2回の地震の1回目、に相当する地震ではないことを祈るばかりです。が、ここ数日間は、今回の地震並みかそれ以上の地震が起こる可能性も念頭に置いておいたほうがよさそうです。そして、残念なことに3人の方が亡くなられたと報じられています。特に小学生のお子さんの死は痛ましい限りです。よりによって学校の塀が倒れるとは・・・・・ちゃんと鉄筋は入っていなかったのでしょうか。そのあたりは今後詳細に検証されていくだろうと思いますが、亡くなった方のうちのもう一人も、民家の外壁が崩れてその下敷きになったそうです。大地震の際、壁際、塀際にいることは、結構リスクが高そうです。それにしても、地震予知って、できないものですね。勿論、気象庁が予知のための努力をしているのは、倒壊/東南海/南海地震のマグニチュード8超クラスだけなので、今回の地震はそもそも予知の対象外です。予知の対象としている地震だって、実際に予知できるかはまったく分からないくらいですから、この規模の地震が予知できるわけはないのですが、地面の下で起こることについて、我々人類が分かることは、ごくわずかに過ぎない、ということです。
2018.06.18
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陸自隊員1人死亡 草津白根山噴火、雪崩は確認できず気象庁は23日午前、群馬県草津町の草津白根山が噴火したと発表した。噴火とほぼ同じ午前10時ごろ、東側にある草津国際スキー場に多数の噴石が落下。スキー場で訓練中だった陸上自衛隊員30人のうち、噴石が当たった男性隊員1人が死亡した。ほかにも自衛隊員7人やスキー客ら計11人も噴石で骨折するなどのけがを負った。草津白根山は主に三つの山から成り、気象庁は、北側の白根山(標高2160m)を噴火の可能性が高いとして24時間監視していたが、今回は警戒していなかった本白根山(同2171m)の東側にある鏡池付近の火口で噴火した。県災害対策本部などによると、山頂とふもとを結ぶ「白根火山ロープウェイ」のゴンドラに噴石のようなものが当たり、窓ガラスが割れて乗客がけがをした。このほか、スキー客ら約80人が一時、山頂駅(標高約2000m)付近に取り残されたが、日没までに自衛隊のヘリコプターや民間のスノーモービルで救出された。防衛省によると、隊員1人が死亡したほか、5人が骨折などの重傷、2人がけがをした。当初、雪崩に巻き込まれたとしていたが、その後、雪崩ではなく、噴石によるけがと明らかにした。(以下略)---日本で噴火に人が巻き込まれて死者が出たのは、2014年10月の御嶽山噴火以来、3年ぶりのことでしょうか。当初は噴火によって雪崩が発生と報じられたようですが、実際には雪崩はおこっていなかったようです。御嶽山の噴火と同様、噴火自体の規模はきわめて小規模だったようですが、スキー場の至近距離だったために、犠牲者が出てしまいました。ただ、これが御嶽山のときのように休日だったら、被害の規模はもっとはるかに大きなものになっていたかもしれません。亡くなった方には申し訳ありませんが、スキー場に比較的人が少ない平日だったことが不幸中の幸いだった、と言えそうです。ただ、2人ほど重態の方がいるとの報道です。これ以上犠牲者が増えないよう願っております。それにしても、雪山と火山の噴火は、大変相性の悪いものです。もちろん、火山の噴火が雪を融かすからです。火山泥流と呼ばれるものです。歴史上おそらく最悪の火山泥流は1985年、コロンビア・アンデスのネバドデルルイス火山の噴火です。火砕流が山頂付近の氷河を一挙に溶かし、それが泥流となって、麓にあったアルメロという町を埋め尽くしたのです。当時アルメロの人口は約2万9千人ほどでしたが、そのうちなんと2万人以上が犠牲になっています。この町は、過去にも火山泥流に襲われたことがあり、また2ヶ月ほど前の噴火でも火山泥流が大きく流れ下っていたため、急遽ハザードマップが作成されていたものの、それが活かされることはなく、市長が「噴火はない」とラジオで放送し続けたことも被害の拡大を招いたといわれます。そのため、「史上最悪の人災の一つ」という見方もされています。当時13歳の少女が泥流の中に足を挟まれ、顔と手だけが泥から出ている状態で救出を待ったものの、救助隊は掘り出すことができないまま、3日後に死去したことが全世界に報道されたことは、私の記憶に残っています。(当時私は高校生でした)日本でも、1926年5月に北海道の十勝岳の噴火が有名です。噴火そのものの規模は小さかったものの、5月の北海道の山はまだ残雪がたっぷりありますから、それを融かして、火山泥流が発生しました。このときの火山泥流は富良野に流れくだり、144名の犠牲者を出ています。この噴火は三浦綾子の小説「泥流地帯」「続・泥流地帯」に描かれています。今回、草津白根山はこれら歴史に残るような災害にはならずに済みました、と、言いたいところですが、それはあくまでも噴火がこれで終息した場合です。十勝岳の例でも触れたように、大量の雪があるところでの噴火は、噴火自体が小規模であっても、火山泥流で大きな被害を出すことがありますから、まだしばらくは安心できない状態と言わざるを得ないでしょう。一刻も早く終息が確認されてほしいものです。
2018.01.23
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伊方原発、「立地不適」と問題視=運転停止は期間限定―広島高裁決定広島高裁が13日、昨年8月に再稼働した四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを命じた。西に位置する九州の阿蘇カルデラが大規模に噴火した場合の影響を重視し、伊方原発の立地を「不適」と指摘する踏み込んだ内容となった。火山や立地を問題視して、原発の運転差し止めを命じた仮処分決定は初とみられ、司法や原子力業界、火山学者らの間で議論が活発化しそうだ。高裁決定は、伊方原発から約130km離れた阿蘇カルデラに着目。原発の運用期間中の火山活動や噴火規模は推定できないため、最大規模の噴火を想定する必要性に言及した。約9万年前の巨大噴火と同規模の噴火が発生した場合、四国電の調査やシミュレーション結果からは、伊方原発敷地内に火砕流が到達する可能性を「十分低いと評価できない」と判断した上で、「伊方原発の立地は不適で、認められない」と切り込んだ。~一方で、広島高裁は「仮処分は証拠調べの手続きに制約がある」として、停止期間を来年9月末までに限定。地震想定の甘さや、重大事故対策が不十分といった住民側の主張を認めず、火山対策以外は規制委の判断を「合理的」とした。巨大噴火は、日本列島では約1万年に1回のペースで発生してきたとされる。大規模な火砕流が原発を襲えば、原子炉の冷却機能が維持できず、重大事故に至る恐れが指摘されていた。ただ規制委は、これまでの巨大噴火の発生間隔などから、原発の運用が続く今後数十年間は起きないとの考え。~日本火山学会は2014年、火山の噴火予測では「限界、曖昧さの理解が不可欠」などとする提言をまとめた。確定的な発生時期や規模の予測は困難として、規制委に対し「このような噴火予測の特性を十分考慮し、慎重に検討すべきだ」と訴えていた。---これまで、地方裁判所では画期的な判決が出ることはあっても、上級審でひっくり返されるのが通例でした。ところが、この裁判は地裁では原発の運転差し止めを認めなかったのが、高裁で逆転で運転差し止めを命じるという、ある意味で予想外の結果となりました。当然の判断ではあるけれど、勇気ある決定でもあると思います。ただ、最高裁はどうなるでしょう。願望ではなく予測で言えば、また覆されてしまうのではないかと思います。そうならないことを願いますが。阿蘇カルデラは、およそ26万年前から9万年前までの間に4度の超巨大噴火があったことが知られています。その火山灰は日本全土を覆い、その痕跡は阿蘇から1000km以上離れている関東地方にも、くっきりと残されています。阿蘇の噴火した年代は分かっているので、この火山灰が出てくればそれがいつの年代のものかが、簡単に分かるのです。この4度の大噴火の中で、火砕流が四国に達した例があるかどうかは知りません。が、少なくとも関門海峡を越えた山口県(阿蘇からの距離は伊方原発とほぼ同じ)には到達しています。更に、阿蘇の南に位置する姶良カルデラ(その一角にあるのが桜島)の2万5千年前の噴火では、高知県の宿毛まで火砕流が到達しています。姶良カルデラの火砕流が四国に届いた2万5千年前は、ウルム氷期(最終氷期)最寒冷期直前くらいの時期なので、四国と九州の間はひょっとしたら陸続きだったかもしれません。しかし9万年前は温暖期なので、阿蘇の火砕流が四国に届いたときは、関門海峡は海峡だった可能性が高いのではないかと思います(厳密には不明)。更に、日本では史上最後に起きた超巨大噴火である7300年前の鬼界カルデラの噴火は、海底火山の噴火による火砕流が海を越えて南九州を襲ったことが分かっています。つまり、火砕流は海を渡るものなのです。裁判では阿蘇カルデラのことしか論点に挙がらなかったのかどうか、私は知りませんが、九州南部には阿蘇のほか、加久藤カルデラ、姶良カルデラ、阿多カルデラ、鬼界カルデラと、超巨大噴火を弾きおきしたカルデラが目白押しです。それらのどのカルデラの噴火も、火砕流が四国に届く可能性はあるのです。更に、火砕流の直撃は免れたとしても、火山灰の降下は絶対に免れません。それも半端な量ではありません。1000kmも離れた関東にも、9万年前の地層にはっきりと噴火の痕跡が残っているくらいです。今地層に残っているのは数ミリか1センチ程度ですが、当時は数十センチの降灰があったはずです。関東ですらそうなのですから、四国での降灰は、1メートルを超えるでしょう。そんな火山灰が降ったとき、原発が安全に停止できるのか、停止できたとして、その後に安定的に冷却を保ち続けることができるのか。まず不可能と考えるしかないでしょう。そして、伊方原発は立地的に、何かあった場合にその先の住民が陸路で逃げる術が海路しかありません。そりゃ、地域住民が不安に思うのは当然のことなのです。話は変わりますが、この決定に対して、産経新聞の「主張」が予想どおりの意見を開陳しています。伊方停止の決定 阿蘇の大噴火が理由とは引用はしませんが、「あまりに極端だ。」だそうです。あの産経新聞に「極端」とか言われてもね、という感じです。産経やその系列の右派は、北朝鮮の「脅威」については「危険だ危険だ」の一本やりなのに、原発の危険性については「安全だ安全だ」の一本やり。実際には、人間の作り出す「脅威」は人間の努力で回避することができるのに対して、自然現象は人知の及ぶ範囲外で発生します。北朝鮮とは話し合いができる(産経は話し合いなどしたくないみたいですけど)けれど、火山と話し合うことはできません。であれば、北朝鮮より自然現象の方がよほど脅威度が高いはずですが、産経クオリティ的にはそうならないもののようです。
2017.12.14
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メキシコの大地震、死者225人 学校で児童ら生き埋めメキシコで19日午後1時14分ごろ、中部を震源とする強い地震があった。マグニチュード7.1で、震源の深さは約51km。メキシコ政府は少なくとも225人の死亡を確認した。メキシコでは今月7日、98人が死亡したM8.1の地震が起きたばかり。今回の地震は、人口が密集する首都メキシコ市の都市圏を直撃。建物が多数倒壊し、市内の小学校では多くの子どもらが生き埋めになり、救助活動が夜通し続いた。---別報道によれば、多数が生き埋めになった小学校では、瓦礫の中に少なくとも一人子どもが生存している、とのことです。それにしても、すでに多くの指摘がありますが、メキシコ市では、1985年の同じ9月19日に地震が起きています。報道によると、32周年の追悼式や避難訓練が行われた直後の出来事だったといいます。実は、その32年前のメキシコ地震に、当時メキシコ市に在住していた私の従姉妹(ご主人が、さる日本企業の現地駐在員だった)が現地で遭遇した、と聞いた覚えがあります。その3年後の1988年に、わたしはメキシコに行き、従姉妹の家に何泊か泊めていただいたのですが、地震の際は小さい子どもを抱えてクエルナバカ(メキシコ市の南に隣接する小都市)に避難した、と言っていた、と思います(かなりうろ覚え)。私が旅行した1988年当時、わたしの記憶では瓦礫の山とか倒壊した建物はまったくありませんでした。ただし、私が行ったのはあくまでも従姉妹の家周辺と、都心、それに観光客がよく足を運ぶ場所だけでしたから、それ以外の場所でまだ震災の爪痕が残っていたとしても不思議ではありません。今回の地震は震源がメキシコ市の南東120kmというので、1985年の地震より震源はずっと近く、そのかわり地震の規模はずっと小かった(1985年はM8.0、今回はM7.1)ようです。ちなみに、1985年の地震の犠牲者は、Wikipediaの日本語版では「死亡者…約1万人(メキシコ政府公式発表)」と記載されています。しかし、Wikipediaのスペイン語版では、様々なソースによって揺れ動く犠牲者数の推移を掲載しています。地震翌日9月20日に国防省は2000人と発表する一方、同じ日にメキシコ社会保障局は3000人から6000人と発表、メキシコ市長の任にあったラモン・アギーレ・ベセスケスは同26日に死者5000人と瓦礫の下に1500人と発言など、公的機関も互いにバラバラの数字を発表していました。それから年月を経て、近年は「エル・ウニベルサル」紙2015年の報道で1万人、メキシコ赤十字2010年の発表で1万5千人、米国の駐墨大使の2015年の発言で2万人、国立地震研究所(UNAMメキシコ国立自治大学に属する研究機関)の数字で最大4万人・・・・・・今でもやっぱり数字はバラバラです。だから、1985年メキシコ地震の実際の犠牲者数は、今でも分からないのですが、少なくとも、地震当時発表された数字よりはずっと多いことだけは確実です。ということは、今回の地震の犠牲者数も、現在報道されている死者225人(この地震に先立って9月7日に起こった地震の犠牲者98人も同じく)よりもずっと多い数字になるだろう、と思われます。ただ、それでも1985年の地震よりは犠牲者数は少ないだろうな、とは思います。ただ、これで地震が終わりかどうかは分かりません。9月7日の地震と今回の地震はおそらく連動しているのでしょう。9月7日の地震でも、メキシコ市は犠牲者は出なかったようですが相当揺れたようです。近くで更なる連動地震が起こる可能性は否定できないでしょう。しばらくは注意が必要と思われます。メキシコ市というのは、元々アステカ帝国の都テノチティトランを破壊して、その上に築かれた町です。テノチティトランは、テスココ湖という南北60km以上にも達する湖(雨季にはひとつの大きな湖になり、乾季にはいくつかの湖に分かれたらしい)に浮かぶ島に築かれていました。植民地時代から独立後をつうじてテスココ湖は埋め立てと排水が行われ、今ではメキシコ市の東の外れに小さな池としてかろうじて残っている状態です。というわけで、メキシコ市の大部分はかつての湖の底、あるいは埋立地なので、非常に地盤が軟弱です。そのためメキシコ市は震源から300km以上離れていたにもかかわらず、長周期振動によって大きな被害が出たとされます。テスココ湖に浮かぶテノチティトランの復元模型ともかく、瓦礫の中に取り残されている生存者が一刻も早く救出されること、連動地震の危険が遠のくことを願って止みません。YouTubeには、すでにいくつもの地震の動画が上がっています。
2017.09.21
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出火当時、空気乾燥する「フェーン現象」か 糸魚川大火22日午前10時半ごろ、新潟県糸魚川市の中華料理店から出火、強い南風の影響で火災は広がり、同日午後3時半現在、燃えた住宅や商店などは約140棟に上り、午後5時半現在、延焼範囲は約7万5千平米に及んだ。市は計744人に避難勧告を出した。市消防本部は午後8時50分、これ以上の延焼の恐れはなくなったと発表した。~現場はJR北陸新幹線糸魚川駅の北にある古くからの繁華街で木造の建物が密集。昭和初期の建物も多いという。(要約・以下略)---なんとも大変な火災だったようです。昨日は東京は雨でしたが、日本海側は晴れていたのですね。しかも風が強かった(東京も風は強かった)ので、火が燃え広がったようです。一刻も早い復旧を願うばかりです。ところで、この火災の報道を見て、そういえば糸魚川って、今年の夏白馬岳に登った帰りに通ったな、と思ったのです。そして、航空写真を見てギョッとしました。私が歩いた場所だからです。燃えた場所と思われるところも、1枚だけ写真を撮っていました。引用先の朝日新聞のサイトに空撮動画がありますが、日本海沿いの道路と南側(動画では画面左側)から来る道路がT字路になっており、その東側に小さな小さな公園(緑地)があります。その公園から南西方向を撮影したものです。道路の反対側に駐車場があって、茶色い屋根の家と黒い屋根の家、その奥に茶色い壁のビルに鉄塔が立っている。写真に写っている家屋は、動画の時点では燃えていないようですが、この後果たしてどうなったか・・・・・・。それに、その奥の家はすでに燃えています。5ヵ月後にこんなことが起こるなんて予想もしていなかったので(当たり前ですね、予想していたら放火犯です)、びっくり仰天です。と言っても、まあ、たかがそれだけの話しです。このときは、蓮華温泉から乗ったバスの運転手に「是非糸魚川の町も見ていってくださいよ」と言われたものの、駅についたたら次の新幹線まで25分しか時間がなかった。でも、その25分間で日本海だけ見に行こうかな、と、15kgのザック(いや、食料と水を消費した分、もう少し軽かったかも)を担いだままダーっと日本海まで行って写真を撮って、またダーッと戻ってきたのです。土曜日の昼過ぎ(撮影データによると午後1時28分)で、閉まっている店が多く、人通りもほとんどなかった記憶があります。そのとき撮った日本海がこれです。そして、糸魚川駅の新幹線ホームから撮った町並み。こちらは、駅から北東方向にカメラを向けているので、今回の火災現場は写っていないと思います。それにしても、火災は怖い。火の始末にはくれぐれも気をつけましょう。
2016.12.24
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「3・11」余震 今後もM7級警戒 気象庁が説明東北地方を中心に各地に津波をもたらした22日早朝の地震は、5年8ヶ月前の東日本大震災の余震だった。気象庁は「大震災はM9と非常に規模が大きかったため、その影響も長く続く。余震はまだ活発な状態で、今後も年1回程度はM7クラスの余震が起きてもおかしくない」と、日ごろの備えをあらためて呼び掛けた。東日本大震災の余震域は岩手県沖から房総沖にかけて、沿岸部から東の沖合200km以上の日本海溝付近まで及ぶ広大なエリアだ。この余震域では、2011年にM7・0~7・6の余震が計6回発生。12年12月7日にも三陸沖でM7・3の余震が起き、津波警報が出て宮城県石巻市で98cmの津波を観測した。13年10月26日には福島県沖でM7・1、14年7月12日にも福島県沖でM7・0、15年2月17日には三陸沖でM6・9と、津波を伴うM7前後の余震が毎年起きている。今回の地震のメカニズムは、北西と南東に引っ張られる力が働いたことによる正断層型。東日本大震災は陸側のプレートと海側のプレートの境界が大きくずれ動いて起きたが、今回はプレート境界より上にある陸側のプレート内部で発生したとみられる。陸側のプレート内部がおおむね東西方向に引っ張られる原因について、気象庁は「(大震災の発生時に)陸側のプレートが東へ大きく動いた影響が考えられる」と説明している。---昨日の地震は驚きました。実は、その瞬間はまだ布団の中でした。揺れ方から「遠くの大きな地震の可能性もあるな」とは思ったのですが、布団から出るのが面倒で、睡眠の続きを選んでしまいました。30分後起き出して、津波警報が出ていることを知ったときには、どちらかというと「やっぱり」という印象でした。今回の地震も、東日本大震災の余震になるのですね。あれから5年半が経過していますが、地震はまだ終わっていない、ということです。「余震」といっても、今回の地震の規模はM7.4もあります。4月に起こった熊本地震は1回目がM6.5、2回目がM7.3、1995年の阪神淡路大震災もM7.3ですから、ほぼ同規模なのです※。※いずれも気象庁マグニチュードの数値。米国地質調査所のモーメントマグニチュードでは、今回の地震と阪神淡路はいずれもM6.9、熊本地震の2回目がM7.0になります。ただ、震源が陸地から多少離れていたので、陸上での揺れは、最大深度5弱にとどまり、津波も最大1.4mだったので、人的被害はなくて済みました。もっとも、東京でも鉄道網が止まったり遅れたりしたので、朝の通勤はちょっと大変でした。私自身は遅刻しないで済みましたが。今後も、M7クラスの余震はまだまだ続く、ということです。東日本大震災のM9.0以来、、地震の規模に関して感覚がインフレーションを起こしていますが、M7クラスというのは普通に大地震です。今回は人的被害がなかったとはいえ、震源がもっと陸地に近かったり、もう少し規模の大きな余震であったりした場合は、揺れがもっと大きかったり、津波がもっと高かったりする可能性は充分に考えられます。2004年にあったスマトラ沖地震の場合は、その後、3ヵ月後にM8.6、3年後にM8.5、7年半後にM8.5という地震が続いています。余震と呼ぶにはあまりに規模が大きく、震源の位置も離れているので、これを「余震」とはあまり呼びませんが、スマトラ地震に連動して起きた地震であることは間違いありません。3.11の場合は、これまでのところM7クラスまでの余震しか起こっていないし、地震直後には確実視された、連動する火山噴火もほとんどありませんでした。(御嶽山や箱根の噴火を3.11と連動したと言い得るかどうかはちょっと微妙)でも、まだ終わりではありません。これからも余震、あるいは連動地震の可能性は、長く続くと考えざるを得ないし、スマトラ沖の例から考えると、それらの余震(あるいは連動地震)がM7クラスで収まるかどうかも、確実とは言えないでしょう。震災の1ヵ月後のことですが、2011年4月14日に読売新聞が「東日本大震災の震源域の東側で、M8級の巨大地震が発生する可能性が高い、早ければ1か月以内に津波を伴う地震が再来する危険がある。」と報じたことがあります。もう、やめてくれ・・・・・・(読売新聞の元記事はリンク切れ)結果として、「早ければ1ヶ月以内に」という部分の予測は外れたわけですが、記事の趣旨としては「明治三陸地震(1896年)の37年後、昭和三陸地震を起こしたメカニズムと共通している」という点に主眼があります。「1ヶ月以内」という部分は外れたにしても、全体としては、この予測は現在もまだ生きているのではないでしょうか。
2016.11.23
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ドキュメント御嶽山大噴火 --生還した登山者たちの証言を中心に救助現場からの報告と研究者による分析を交え緊急出版!2年前に起きた御岳山の噴火、当時この噴火について、当ブログでも何回か取り上げました。そしてこの本も2年近く前に発行されたものですが、今更ながら読んで見ました。御嶽山の噴火は、60人以上の死者・行方不明者を出し、実質的には史上最悪の山岳遭難※でした。※史上最悪の山岳遭難は1902年に起きた八甲田山雪中行軍遭難事件(死者199名)ですが、これは陸軍の訓練中の遭難事故であり、狭義の山岳遭難とは少し外れるように思えます。規模としても史上最悪ですが、この遭難にはもう一つの大きな特徴がありました。それは、個人の努力では防ぎようがない、対応しようがない、努力のしようがない、ということです。遭難といえば、通常は道迷い、疲労、低体温症、滑落・転落、雪崩、高山病といったところが主だった原因です。これらは、装備の選択や訓練、経験などによって、そのリスクを完全になくすことはできないものの、ある程度減らすことはできます。雪のあるところを歩く限り、雪崩のリスクはゼロにはならないけれど、谷筋は歩かない、デブリを見たら雪崩地帯と思って引き返す、などの注意によって、かなり減らすことはできます。しかし、火山の噴火ばかりはどうしようもありません。噴火間近といしう予報があればともかく、それがなかったら避けようがありません。雪崩や大荒れ、台風、大雪などと違い、予想ができません。また、経験や訓練で避けられるというものでもないし、噴火被害を避けられる装備、というのもあまり思い浮かびません。実際、この本に登場する生還者はいずれも、生死を分けたのは偶然だと言っています。噴火の際にいた場所が噴火口に近かったかどうか、たまたま身を隠す物影、逃げ込む山小屋などが近くにあったかどうか、たまたま噴石が当たらなかったかどうか・・・・・・。それでも、背負っていたザックで頭を守ることで生き延びた人はいるから、頭を防護することは大事です。ただし、では登山用のヘルメットをかぶっていけば大丈夫なのかというと、普通の落石より噴石ははるかにスピードが速いので、難しいのではないか、という意見が体験者の中にありました。それでも、ないよりはマシでしょうが。軽トラック並みの巨大な噴石の下に、何人も下敷きになっていたそうですが、そんなものが落ちてきたら、どんな防護策も意味を持たないでしょう。つまり、結局は登山中の噴火に対しては、噴火が予知されたらその山には登らない、という以外の有効な対策はない、ということになります。ところが、この予知がまた難しい。噴火にはマグマが直接噴出するマグマ噴火と、マグマに接近して熱せられた地下水が爆発する水蒸気噴火があります。マグマ噴火は、地下のマグマの動きが伴うので、前兆現象がより明瞭で比較的予知しやすい(多分)のに対して、水蒸気噴火は大きな地盤の動きが伴わないので、前兆現象が明瞭ではなく、予知が困難であると言われます。そして、御嶽山の噴火は水蒸気噴火でした。一応は噴火の1ヶ月ほど前から火山性地震の増加は報じられていたものの、それほど深刻とは捉えられておらず、より直接的に噴火の前兆現象となる火山性微動は、噴火の本当に直前数分前に初めて観測されたようです。逆の言い方をすれば、火山噴火としては極めて小規模の水蒸気噴火だったから、火口の至近にあれほど多くの人がいても、あの程度の被害でとどまった、とも言えます。火口の本当にすぐ近くにいても、物陰や山小屋に逃げ込んで助かった人は大勢います。あれが、マグマ噴火だったら、周辺数百メートル(噴火の規模が大きければもっと)の範囲では、文字どおり1人も助かってはいないでしょう。火砕流が、御嶽山の事例では温度が100度に届くかどうか、という程度だったので、かがみこんで防護の姿勢をとった人は、多くが助かっています。マグマ噴火だったら、火砕流は数百度なので、山小屋に逃げ込んだとしても、蒸し焼きです。つまり、根本的には、山で噴火に巻き込まれないための確実な対策は、活火山には登らない、ということしかないのが現実です。対策としてはあまりに実も蓋もない話で、そうすると、日本の多くの山には登れない、ということになります。富士山も箱根もダメです。それでは、あまりに面白くないので、結局は、いざという時はあきらめるしかない、と割り切りつつ山に登る、ということになるでしょうね。まったくの余談ですが、私も2012年8月に御嶽山に登ったことがあります。そのとき、たまたま二の池本館に泊まりました(予約したわけではなく、たまたま宿泊しただけ)。支配人の小寺さんは、お会いしただけでもなかなかに印象深い方で、しかも、その後二の池本館のホームページを見たら、ますます印象が深まりました。(山小屋の支配人である一方、山小屋閉鎖期間中はアジアを旅している方)噴火の際、真っ先に「あの人は無事か」と思ったのですが、幸いにして無事だったのはもちろん、一躍時の人として、テレビ局の取材を受けていました。残念ながら、二の池本館は営業不能に陥ってしまったようですが、いつか復活したら、泊まりに行きたいな。噴火前の二の池御嶽山三の池近辺
2016.11.02
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「津波襲来予見できた」大川小犠牲、学校に過失東日本大震災の津波で犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の児童23人の遺族らが市と県を相手取り、計23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は26日、市と県に対し、計約14億2658万円の支払いを命じる判決を言い渡した。高宮健二裁判長は、当時、市の広報車が高台への避難を呼びかけていたことなどから、現場にいた教員らには「津波が襲来することを予見し、認識できた」とした上で、すぐそばの裏山へ避難させずに児童らを死なせた過失があったと認定した。訴えていたのは、死亡・行方不明となった児童23人の遺族ら29人。判決によると、地震発生後、教員らの指示で児童は校庭に避難した。児童らは校庭に待機後、約150メートル離れた交差点付近の「三角地帯」と呼ばれる北上川堤防近くの高台への移動を開始。川をさかのぼった津波が堤防を越え、移動開始直後に巻き込まれた。児童74人、教職員10人の計84人が死亡・行方不明となり、当時学校にいて助かったのは児童4人と教員1人だった。---この一件は、犠牲になったのがもっばら子どもたちばかりだったこと、行動が誤っていなければ充分救えたはずの命だったこと、などの点から、東日本大震災の2万人近い犠牲者の中でも、もっとも痛ましい出来事であるように思えます。地震発生の2時46分から津波の来襲まで、40分か50分の時間があったにもかかわらず、避難するかどうか、避難するとして、目の前の裏山に逃げるか、北上川沿いの堤防(いわゆる三角地帯)に逃げるかで教員の間で意見がまとまらず、やっとまとまったときには津波来襲直前、しかも、目の前の裏山ではなく、三角地帯に向かった結果、全員が波に飲まれて、児童78人中74人、教員11人中10人が亡くなる(行方不明含)という、無残な結果となりました。この悲劇をめぐっては、いろいろな背景が説明されています。小学校は海岸線から4kmも離れており、当時の津波予想ハザードマップではそこまで津波が来るとは予想されていなかったこと、そのため小学校自体が避難所に指定されていたこと、その避難所が危険になった場合、次はどこに逃げるのかは決められていなかったこと、しかし学校自体が2階建てで高さも10mに満たず、屋上もなかったこと、運の悪いことに、当日学校の最高責任者である学校長が不在で(自身のお子さんの卒業式出席のため休暇を取っていたと報じられています)、決定権のある人がいなかったこと、などです。確かに、津波の際の避難所に指定されていた公共施設自体が水没して、避難者に多くの犠牲が出た事例は、他にもありました。また、学校長も人間である以上、地震の発生を予知できるはずもなく、社会生活上必要な休暇を取ることが責められるはずもありません。ただ、この小学校は、海抜高度がほぼ0mの位置にあるそうです。そして、当時「6mの津波」という警報が発せられていました。ハザードマップの記述がどうあれ、近隣住民や保護者には「津波は学校まで来る」と思った人も少なくなかったようです。こちらの記事によれば子どもを引き取りに来た母親の一人は「2時40分ごろに学校に着いたのですが、間もなく巨大な揺れが襲ってきました。2時50分ごろ、先生と児童が次々と校庭に出てきて、間もなく点呼を取り始めました。このとき、先生数人が円形に向き合って話し合っていました。『6mだってよ』とか『10mか?』などと男の先生の声が聞こえてきました。『帰っていいですか』と先生たちに尋ねて、子供を親に引き渡す際の『受け渡し書』に署名をした後、一年生の友達も乗せてあげて3人で急いで逃げました」と証言しているので、教員たちも津波の予想高さについての認識はあったようです。一方、やはり子どもを引き取った別の母親は「地震の揺れが尋常ではなかったので、すぐに自宅を出発し、道路の亀裂を避けながら走って、3時少し前になんとか学校に辿り着きました。学校はまだ落ち着いた様子でしたが、校庭にいた娘は恐怖で泣いていました」道すがら聴いていた車のラジオでは、大津波の襲来を伝えていた。近くにいた担任教員に「6mの津波が来ます。逃げてください」と裏山を指差して促した。だが、担任は「落ち着いてください」と言うばかりで、行動を起こそうとはしなかった。 結局、担任に「周りの子が動揺するので、先に連れて帰ってください」と言われたので、3時5分ごろ、来た道とは別のルートを通って10分ほどかけて北上川沿いの自宅に帰った。と証言しています。なお、実際の津波は、6mどころか、石巻市鮎川で8.6m以上が記録されていてます。それ以上は計測不能で、実際には大幅に上回っていたかもしれません。しかし、予想どおりの6mの津波だったとしても、北上川の堤防よりは高いので、論理的に考えれば乗り越えると予想できたはずです。また、東日本在震災で津波に飲まれた学校は多数あるものの、児童・生徒に多くの犠牲者を出してしまった学校が大川小だけだったそうです。これらのことから考えて、やはり地震の後、津波が来ることが予見不可能だった、被害が不可抗力だったとは言い難いでしょう。前述の記事の証言によれば、教員の中にも「裏山に逃げる」という意見はあったようです。が、倒木や雪があって危険、登れない子どももいるかも、という否定意見が出て、全体の意見にはならなかったようです。議論は紛糾して、結論は遅れに遅れた挙句、北上川の堤防(三角地帯)に避難するという最悪の選択に至りました。彼らはその避難場所に着く前に津波に飲まれたのですが、着いていたとしても結果は変わりません。三角地帯も完全に水没したそうですから。刻々と津波が迫る中、40分以上の時間を空費した挙句、間違った結論を出したことは、最悪というしかありません。ただ、それが人間のもつ抗し難い性質の一つであることも事実です。津波警報が出ているけれど、本当に津波は来るのか、来ないんじゃないか、そう思った(あるいは思いたかった)から、一刻を争うという危機感が乏しかった。津波が来たらみんな飲まれて死ぬ、という、あまりに深刻すぎて想像もしたくないような危険性に実感がなく、子どもを裏山に避難させても結局は津波は来ず、けが人でも出たら、後で保護者からクレームが、というような「より身近に感じられる」危険性が判断を左右した、案外そんな心理だったのではないでしょうか。ある種の条件下では誰もが陥る可能性のある、心理的陥穽でしょう。教員の誰か一人でも、冗談じゃない、こんな議論をしている場合か、うちのクラスだけで裏山に逃げるぞ、と啖呵を切って単独行動に出れば、つられて動く他の教員や子どもも現れて、半分くらい助かったのでは、とも思うのですが、そうやって単独行動に出た挙句に津波が来なかったら後が怖いと思って動けなかったのかもしれません。いざというときに、やり直しのきかない、一度限りの行動を間違えずに行うことって、当たり前のように見えて、実は結構難しいことです。いずれにしても、法的責任がどうであれ、賠償額がどうであれ、予見可能性があったにしてもなかったにしても、手順を間違えなければ失われないで済んだ多くの命が失われたのは歴然たる事実です。次に同じことがおきたときに、手順を間違えないための検証は必要でしょう。私が個人的にこの一件から汲み取ったのは、避難マニュアルやハザードマップは参考にするにしても、そこに書いていないことも起こり、書いていない場所にも被害が及ぶことも当然あると認識すべき避難はとにかく時間が命希望的観測は、そこに根拠となるものがあるかどうかを理詰めで考えるべき群集心理、他人に流されるのではなく、自分が危険と判断したら、せめて自分自身とその影響力が及ぶ範囲だけでも、ただちに行動すべきといったところです。
2016.10.27
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鳥取で震度6弱 伯耆町の県道で土砂崩れ気象庁によると21日午後2時7分ごろ、鳥取県中部を震源とする地震が発生し、同県倉吉市などで震度6弱を観測した。震源の深さは約10kmで地震の規模はM6.6と推定される。震度6弱はこの他、同県の湯梨浜町と北栄町。鳥取市内や岡山県の真庭市、鏡野町では震度5強を観測した。鳥取県は災害対策本部を設置し、被害の確認を進めている。倉吉市では複数のけが人が出ているが、いずれも軽傷とみられる。現地消防によると、湯梨浜町で住宅1棟が倒壊したが、空き家でけが人はなかった。北栄町でも複数の建物が倒壊した。米子市では空き家1棟が倒壊、商店街でアーケードのトタン板が落下したため市が撤去した。鳥取県中部では、午後2時53分ごろにM5.0の地震が起きたほか、M4前後の地震が複数回起きている。震度6弱を観測した倉吉市では市役所庁舎が損壊して職員らは屋外へ避難。市内の同県中部総合事務所に災害対策本部を置いた。震度5強を観測した鳥取市内では消防によると、スーパーマーケットで調理中の店員が油をかぶり搬送された。また、ビルのエレベーターが緊急停止し、中に人が閉じ込められているという情報がある。鳥取県伯耆町によると、町内の県道の一部で土砂崩れが発生したが、車は巻き込まれていないとみられる。岡山県内の中国自動車道などでは一時通行止めにして、安全を確認した。 ---また、大きな地震です。東京では揺れが観測されなかったので、全然気が付きませんでした。ただ、関西在住のFB友達が何人か揺れたと書いていたので、関西で地震があったことだけは分かりましたが、そんなに大きいとは気が付きませんでした。幸いなことにこれまでのところ死者は報告されていないようです。最大深度は震度6弱で、複数の建物が倒壊というので、死者が出ていても不思議ではなかったでしょう。建物自体が倒壊しなくても、家具が倒れれば、その下敷きになる事態もありえます。金曜日の午後2時過ぎなので、多くの人が仕事か学校に行っていたことも幸運に作用したのでしょうか。もっとも、東日本大震災の4日後の2011年3月15日に、富士宮市で震度6強を記録する地震がありましたが、そのときも怪我人は出たものの、死者は出ませんでした。これは、富士宮市が東海大地震の想定震源域の只中にあり、地震対策がかなり進んでいたことも被害が小さかった理由として挙げられています。今回の鳥取地震はどうでしょうか。この地域も、過去、1943年9月10日の鳥取地震(M7.2、死者1000名以上)、2000年10月6日鳥取県西部地震(M7.3、死者なし)と、何度か起こっています。それだけに、地震対策もある程度は進んでいたのかも知れません。それにしても、今年は熊本地震に鳥取地震。日本に地震のない土地はないですねえ。ところで、今回の地震が、南海トラフの巨大地震の前兆ではないか、という意見もあるようです。確かに、1943年の鳥取地震の翌1944年と1946年に昭和東南海地震と昭和南海地震が起こっていますし、歴史を紐解くと880年の出雲地震のあと887年に仁和地震という南海トラフの巨大地震が起こっている前例もあります。ただ、この間、安政地震、宝永地震など、南海トラフの巨大地震は何回も起きていますが、その直前に鳥取や島根での大地震があったわけではありません。宝永地震の場合は、順序が逆で、宝永地震の3年後の1710年に仁和地震が起こっていますし、1872年浜田地震や2000年鳥取県西部地震では、その前後に南海トラフの地震は伴っていません。実際のところは、今回の地震が南海トラフの巨大(あるいは超巨大)地震につながるかどうかは、皆目分からない、というところでしょう。可能性がゼロと断定はできないけれど、高い可能性があるとも言えない、というところでしょう。ただ、過去の南海/当南海/東海地震の発生頻度から考えると、今後数年以内の巨大(あるいは超巨大)地震発生の可能性が高いとは言えません。過去、最短頻度での地震発生は、1854年安政東海/南海地震から、1944年の昭和南海地震、46年の昭和東南海地震までの約90年です。その昭和南海地震からまだ70年余りしか経っていない今すぐに、次の東南海/南海地震が来るかというと、さて、どうでしょうねえ・・・・・・。
2016.10.22
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都内で一時58万戸停電 東電「原因はケーブルの出火」12日午後3時半ごろ、東京都内で停電が発生し、豊島区や練馬区を中心に都心部を含む約58万6千戸が一時停電した。東京電力によると、埼玉県新座市野火止7丁目の地下に設置された電力ケーブルで漏電、火災が起きたのが原因とみられるといい、午後4時25分ごろには復旧した。交通の乱れなどの影響が出た。東電などによると、同日午後2時55分ごろ、新座変電所と都心にある変電所をつなぐ電力ケーブルが通る「洞道」と呼ばれるトンネル内で火災が発生した。新座変電所から約1.9km離れた場所とみられるという。洞道への出入り口から黒煙が噴き出した。洞道は地下約6.2mに掘られ、内部には新座変電所から豊島変電所と練馬変電所へ計18本の電力ケーブルが通っている。各ケーブルには電圧27万5千ボルトの電気が流れている。この二つの系統を経由して電力が供給される地域は都心中心部の広い範囲に及び、東京地裁や国土交通省、文部科学省など霞が関の中央省庁も一時停電した。停電の影響で、西武鉄道は池袋線など10路線で一時的に運転を見合わせた。都営大江戸線も一時運行できなくなった。国土交通省によると、停電によって人がエレベーターに閉じ込められる事案が都内で51件発生。大部分は間もなく救出され、けが人はいなかったという。警視庁によると、新宿、杉並、練馬、板橋、港、中野、北の各区などで計約200カ所の信号機が一時機能しなくなった。警察官が手信号で対応するなどしており、大きな事故は確認されていないという。大規模停電を受け、経済産業省は12日、新座市の洞道などの現場に、電気事業法に基づく立ち入り検査を行い、原因究明に当たることを明らかにした。新座変電所では8日午後にも、変圧器の漏電が原因で短時間の電圧低下が起きたが、東電は12日の記者会見で「現時点では(今回の停電との)関係は確認できていない」としている。---ずいぶん大規模な停電だったようです。ただし、停電の大半は10分前後で復旧しています。もっとも時間がかかったところでも、1時間くらいで復旧しています。そういう意味では、被害は最小限度に抑えられた、とは言えます。もっとも、その原因が電力ケーブルで漏電で、問題のケーブルは35年も更新されていないとか。ある種の人災と言えますが、そのような古い電力ケーブルが全国にはまだまだたくさんあるのだそうです。ということは、今後も同種の事故が起こる可能性がある、ということでしょうか。大規模停電というと、思い出すのは10年前、2006年夏の大規模停電です。あの時は、通勤中に地下鉄が止まってしまい、大変でした。お盆休みで人が少なかったのが不幸中の幸いでしたが。あの時は、停電した軒数が140万軒だから、停電の規模も、それによる交通への影響も今回より大きかったようです。あの時は、クレーンを搭載した作業船が江戸川でクレーンを高圧電線に引っ掛けたのが原因でした。前回のときも今回も、たった1箇所のケーブルが切断(あるいは焼損)することで、こんな大規模な停電に至るのですね。ところで、この停電について、こんなことを言っている政治家がいます。都内の大停電「情報開示しない方がよいのでは」 山東氏山東昭子元参院副議長(東京都内での大規模停電について)~今朝、テレビで「埼玉のここで起きた火災によって、こんなに多くのところが停電をした」ということで、地図が出ていた。あれは報道の自由とは言いながら、情報は開示しないほうがよろしいんじゃないかな、という気がしている。日本は島国で、テロ対策でも性善説を唱えてきたが、ここに来て(五輪などで)世界からいろんな方がみえる時には、こうしたものは関係者だけにして、できるだけ隠すべき情報は隠し、開示すべきものは(開示する)、というメリハリをつけていくべきだ。---何を言っているのか、と思いますね。テロ対策という錦の御旗を掲げれば、何でも隠せる、隠してよいというつもりでしょうか。知らしむべからず、よらしむべしという、時代錯誤的な為政者感覚の最たるものです。何十万軒という規模で、停電という被害が出ているのです。それなのに、その原因や経緯を説明しない、ということがありえるのでしょうか。金を取って営業行為として電気を供給しているのに、その供給が途絶える事態を起こしても何も説明しない、などということは、どう考えてもありえないでしょう。それに、火災が起こっているのに、その事実を報じないということもまた、ありえないでしょう。実際問題として、そのような、何も知らせない対応は、流言飛語を招く大きな要因になるのですが、山東はそのような事態がお望みだ、ということでしょうか。
2016.10.13
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阿蘇山 活発な火山活動続く 引き続き警戒を8日に爆発的な噴火が起きた熊本県の阿蘇山の中岳第一火口では、その後も活発な火山活動が続いています。気象庁は、今後も同じ程度の規模の噴火が起きるおそれがあるとして、火口から約2kmの範囲では、引き続き大きな噴石や火砕流に警戒するよう呼びかけています。8日未明に阿蘇山の中岳第一火口で発生した爆発的な噴火では、大きな噴石が火口か約1.2km先まで飛び、噴煙は高さ11,000mに達したことが確認され、気象庁は噴火警戒レベルをレベル2からレベル3の「入山規制」に引き上げました。この噴火に伴って火山灰が風に流されて北東の方向へ広がり、約6km離れた阿蘇警察署で降灰の厚さが3cmに達したほか、九州や四国の各地でも灰が降ったことが確認されました。また、北東側では小さな噴石が遠くまで飛ばされ、火口から4km先では直径7cmの噴石が確認されたということです。この爆発的な噴火のあと噴火は起きていませんが、その後も火山性微動や地震が観測されており、噴煙の量が多い状態が続くなど、活発な火山活動が続いています。気象庁は、今後も同じ程度の規模の噴火が起きるおそれがあるとして、引続き阿蘇山に警戒レベル3の火口周辺警報を発表し、中岳第一火口から約2kmの範囲では大きな噴石や火砕流に警戒し、風下にあたる地域では火山灰や小さな噴石などにも注意するよう呼びかけています。(要旨)---私が川俣に演奏しに行ったちょうどその頃、阿蘇ではやや規模の大きな噴火が起こったようです。300km以上先まで降灰があるとの予測です。もっとも、中国・四国・近畿の降灰予想は、0.1mm以下なので、金属板やガラスなど滑らかなものの上で指を滑らせれば、灰が積もったことが分かる、という程度だろうと思います。浅間山の噴火でも、東京まで灰が到達したことがあったと記憶していますが、それと同程度でしょう。(浅間山は東京都心から120km以上離れています)そう考えると、阿蘇山の持っている潜在的なリスクから比べれば、ごくごく小規模の噴火でしかない、とも言えます。それでも、一昨年の御嶽山の噴火よりははるかに規模は大きいはずですが、阿蘇山はこれまでも小規模の噴火を繰り返してきたため、元々火口近辺は立入禁止であり、また噴火の発生が深夜だったこともあって、今のところ人的被害は皆無です。今回の噴火は36年ぶりの規模なのだそうですが、1979年の噴火で死者3名が出ているので、前回の噴火はこれでしょうか。(このときの噴火の新聞報道は、子どもの頃おぼろげな記憶があります。ただ、37年前になるような気もしますが・・・・・)とはいえ、今後も同じ程度の規模の噴火が起きるおそれがある、というのはちょっと怖いですね。桜島もそうですが、今起これば日本破滅が確実なレベルの超巨大噴火を何回も起こしている山だけに、そういう事態が起こらないことを祈りたいです。(多分、今回の噴火がそういう事態に発展することはないでしょうけど)
2016.10.10
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30日夕に東北上陸へ=強い台風10号、「記録的大雨も」―土砂災害など厳重警戒強い台風10号は29日夜、八丈島の東の海上を北東へ進んだ。気象庁によると、30日未明に房総半島沖、同日午後に東北沖に進み、夕方から夜に東北に上陸する可能性が高い。31日には日本海側へ抜ける見込み。台風が東北地方に太平洋側から上陸すれば、1951年の統計開始以来初めてとなる。気象庁の松本積主任予報官は記者会見し、「東北では平年の8月1カ月分の雨量を超える記録的大雨となる地域があり、災害が発生する恐れがある」と述べ、大雨による土砂災害や河川の氾濫、暴風、高波に厳重な警戒を呼び掛けた。沿岸部では台風接近と満潮が重なる可能性があり、高潮にも警戒が必要。(以下略)---いろいろな意味で、記録的な台風です。台風の大きさや強さが記録的、ということではないのですが、そもそも発生した場所が関東のすぐ沖合い(八丈島の東海上)で、北緯33度くらい。もっと北で発生した台風の例はありますが、比較的高緯度で発生した部類に入るでしょう。そして、台風は日本近海では南西から北東に向かって進むものですが、この台風は南西に向かって、沖縄沖で勢力を拡大して再び北東に向かい、強い台風になって東北に上陸、というのです。いまだかつて、こんな経路の台風は見たことがありません。東北太平洋岸から上陸する台風も、観測史上初めてとあります。東京は、今回はどうやら風速25mの暴風圏からは外れそうな予想ですが、15m以上の強風圏には入りそうです。まあ、風のほうは東京ではそれほどもことはなさそうですが、雨はそうとは限りません。今朝あたりから、台風から張り出した雲が関西で大雨を降らせていますが、それがだんだん関東に近付いてくるようです。明日の出勤時が、厄介なことになりそうです。が、それでも仕事は休めませんからね。皆さん、ともかく明日は気をつけましょう。それにしても、過去に例のない台風の進路でも、台風の進路予想はこれまでのところ概ね当たるんですね。天気予報ってすごいな、と思います。ところで、関東ではこの夏長らく取水制限が続いていましたが、今月後半に入ってから降水量が増え(水源地にはそれほどの降水量はなかったのですが、それでもさすがに)貯水量も利根川水系8ダム合計で67.4%(今日29日夜11時現在)まで回復してきました。前回の台風は、利根川上流域にはさほどの降水はもたらさなかったのですが、今回はどうでしょう。予想される台風進路の中で、比較的南よりのコースをとった場合、台風の中心が利根川上流の比較的近くを通過するかもしれません。そうなれば、さすがに利根川水系の各ダムも満水になる、んじゃないかな、どうせ降るならそうなってほしいな、と思います。
2016.08.29
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福島原発事故「炉心溶融、使うな」東電社長が指示 東京電力福島第1原発事故で、核燃料が溶け落ちる「炉心溶融(メルトダウン)」の公表が遅れた問題で、東電の第三者検証委員会は16日、清水正孝社長が「炉心溶融」の言葉を使わないよう指示したとする報告書をまとめ、東電に提出した。指示は電話などで広く社内で共有していたと認定。首相官邸の関与については「炉心溶融に慎重な対応をするように要請を受けたと(清水氏が)理解していたと推定される」と指摘した。報告書によると、清水氏は事故発生から3日後の2011年3月14日午後8時40分ごろ、記者会見していた武藤栄副社長に対し、社員を経由して「炉心溶融」などと記載された手書きのメモを渡し、「官邸からの指示により、これとこの言葉は使わないように」と耳打ちした。当時、炉心溶融したかが焦点となっており、会見でも繰り返し質問が出ていた。清水氏らは会見前の13日午後2時ごろ、官邸で菅直人首相、枝野幸男官房長官らと会談。清水氏がその後、報道発表については事前に官邸の了解を得るように幹部に指示していた経緯があったため、第三者委は官邸の関与を調べた。しかし、清水氏の記憶はあいまいで、第三者委は当時の官邸にいた政治家には聞き取りを実施しておらず、「官邸の誰から具体的にどんな指示、要請を受けたかを解明するに至らなかった」としている。 ---東電が炉心溶融という表現を隠したことが批判を浴びたら、何と、「炉心溶融という表現を隠せと官邸(菅政権)が指示した」という、斜め上方向の「検証」結果を出してきたわけです。もっとも、よく読むと「炉心溶融に慎重な対応をするように要請を受けたと(清水氏が)理解していたと推定される」「清水氏の記憶はあいまいで、第三者委は当時の官邸にいた政治家には聞き取りを実施しておらず」とあります。つまり、これは当時の清水社長が勝手にそう思いこんでそのように指示した、というだけの話であって、実際に官邸がそのような指示をした、という証拠は何もありません。むしろ、時系列的にみれば、この「推定」は明らかに矛盾しています。この時点で官邸が「炉心溶融」という言葉を隠そうとしていないことは、明白な証拠があるからです。枝野官房長官の会見全文〈13日午前11時〉13日午前11時すぎに枝野幸男官房長官が行った記者会見の内容は次の通り。今朝ほどの会見でも申し上げました、福島第一原子力発電所3号機に関する事象についてご報告を申し上げます。(中略)――燃料棒の露出はどうなっているか。炉心の溶融の可能性は。現時点では注水を行って、露出は水に埋まっているという風に注入した水の量から思われている。――1号機の炉心の溶融は起きたという認識か。これは十分可能性があるということで、当然、炉の中だから確認が出来ないが、その想定のもとに対応をしているし、今回の場合も可能性があるという前提で対応している。(以下略)---午前中の記者会見で、枝野官房長官自身が炉心溶融を、「十分可能性がある」と認めているのに、その3時間後に「炉心溶融という言葉を使うな」と指示することは、あり得ないでしょう。ちなみに、この時点では「十分可能性がある」という表現ですが、翌日夜、東電の問題の記者会見が始まって20分後の14日午後9時から始まった枝野官房長官の記者会見は、「1~3号機すべてで炉心溶融の可能性高い」と更に強固な表現で言っています。この一連の流れと、当の清水社長自身の「記憶はあいまい」というところ状況から考えれば、炉心溶融という言葉を使うなと官邸が指示したというのは、どう考えてもあり得ない話としか思えません。
2016.06.19
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「災害、必ず復興できる」 雲仙・大火砕流25年、島原で追悼式雲仙・普賢岳の大火砕流から25年となった3日、被災地の長崎県島原市で追悼式典が開かれ、遺族らが黙とうした。島原市主催の式典は5年ぶり。会場の「島原復興アリーナ」内に設けられた祭壇を前に、遺族や消防関係者らが参列した。古川隆三郎市長は式辞で、犠牲者らを「市民の生命や財産を守るため、災害状況の取材や火山活動の研究などのため、職に殉じた」と哀悼。熊本地震にも触れて「災害は必ず復興できる」と述べ、被災地を激励した。(以下略)---あの火砕流から、もう25年も経ったのですか。時の流れの速さにびっくりです。この火砕流では、「定点」と呼ばれる、火砕流を正面至近に捉えられる撮影ポイントに多くのマスコミ関係者が集まっていたところを火砕流の直撃を受け、合計43名が亡くなるという大惨事になりました。マスコミ関係者が安易に危険地帯に足を踏み入れて犠牲になったことから、今日では、この火砕流はマスコミ批判の文脈で触れられることが多いようです。確かに、マスコミ関係者の行動にかなり問題がありました。たとえば、避難した民家にテレビカメラが入り込んでコンセントを借用するという事態があったようです。ただ、この大惨事はマスコミの不行状だけの問題で片付けられるものではありません。私の知る限り、この災害について最も詳しく検証した資料は、九州大学理研報の「雲仙火山1991年6月3日の火砕流による人的被害」であろうと思います。これによると、死者行方不明者の内訳は報道関係者16名とマスコミがチャーターしたタクシーの運転手4名、消防団員12名、警察官2名、一般人6名(うち3名は行方不明)、火山学者の外国人3名、合計43名です。死者・行方不明者のうち、31名は現場で、12名は病院搬送後に亡くなっています。負傷者は10名、報道関係2名と消防団1名、一般人7名です。亡くなった報道関係者は、読売新聞、毎日新聞、日経新聞、NHK(病院搬送後に死亡)、日本テレビ、テレビ朝日、KTNテレビ長崎、KBC九州朝日放送、「フォーカス」誌嘱託カメラマン。負傷しながら生還したのが朝日放送、間一髪危機を逃れたのが、長崎新聞社とNBC長崎放送、たまたまその日は取材に行かなかったのが共同通信と西日本新聞社。火砕流の危険性を認識し、この場所での取材を中止していたのが朝日新聞、ということです。犠牲者と負傷者がいた場所も特定されています。「定点」には一人の生存者もなく、全員その場で亡くなっています。そのほとんどがマスコミ関係者とタクシー運転手です。中には、タクシーに4人で乗った状態で車内で発見されている人もいます。危険を察知して、車で逃げようとして火砕流に追いつかれたのでしょうか。それ以外では、火山学者の外国人3名と、地元住民が1名も定点付近で亡くなっています(遺体で発見された地元住民の妻は行方不明で、おそらくその近くにいたのでしょう)。マスコミ関係者が警戒区域に立ち入るものだから、その警戒のために警戒区域に入った消防団員も火砕流に巻き込まれた、という説がネット上には散見されますが、実際には、マスコミ関係者が集まっていた「定点」近辺に、消防団員はいませんでした。ただし、直前まで「定点」のマスコミ関係者に避難を呼びかけていた警察官2名が、下記の農業研修所まで下がったところで火砕流に巻き込まれています。「定点」から約300m下った農業研修所近辺では、死者と生存者が交錯しています。屋外にいた人は全員亡くなり、生存者は全員屋内か車内にいた人に限られます。ただし、屋内・車内にいても亡くなっている方はいます。それでも、「定点」付近では自動車内にいた人も全員亡くなっている(そもそも、自動車が吹き飛ばされたり炎上したりしている)ので、ほんの300mの差で、人間の運命は大きく変わったようです。亡くなったうち2人(消防団員と一般人)は親子で、抱き合った状態で炭化しており、当初は1人の遺体と判断された、という記述は、何と言うか・・・・・・・言葉もありません。前述のように、死者・行方不明者6名と負傷者7名は一般人です。避難先から荷物や書類などを取りに一時帰宅していた人、眉山焼(陶器)の工場で作業をしていた方、葉タバコ畑で農作業を行っていた方、選挙のポスター掲示板撤去作業の委託業者などが火砕流に巻き込まれています。このあたりには葉タバコの畑が多いのだそうですが、実は翌日6月4日には、葉タバコ農家の組合が、タバコの花摘みを行う予定になっていたそうです。加えて、6月3日は天気が悪かったため、普段に比べて報道陣もかなり少なかったようです。(消防防災博物館の記述より)つまり、もしもこの火砕流が1日遅く発生していたら、一般人もマスコミ関係者も、43人どころではなく、それよりはるかに多くの犠牲者が出ていた可能性があるのです。で、これらのことから分かることは、報道陣もそうですが、地元住民も、火砕流という存在は知っていても、それがどれだけ危険なものか、という理解がなかった、ということです。直前にバイクで辛くも生還した警察官も、避難区域立入者に避難勧告を行いながらも、5合目付近まで雨雲に覆われて視界も悪かったため,本人自身もそんなに危機感を感じなかったと、述懐しています。そもそも、火砕流が日本で一般的に認知されたのは、この雲仙普賢岳の大惨事によってです。それ以前も、たとえば「ポンペイ最後の日」とかプレー火山の悲劇など、火砕流の怖さを知っている人は知っていたでしょうが、一般的な火山の危険性への理解は、まず高熱の溶岩流であり、高速で飛来する火山弾であり、火砕流がどれだけ危険なものかが一般に浸透していたとは思えません。そのことが、このような大惨事を招いた最大の原因なのだろうと思います。話は変わりますが、この雲仙普賢岳を犠牲者数で上回り、戦後最悪の火山災害となったのが、一昨年の木曽御嶽山の噴火でした。このとき犠牲になった方々は、ほとんどが噴火に伴う火山弾の直撃を受けたことが原因でした。実は、火砕流も起こっており、それに巻き込まれた方も少なからずいるのですが、御嶽山では火砕流によって亡くなった方はいません。それは、御嶽山で起こった火砕流が、雲仙普賢岳のものに比べてはるかに低温だったからです。※もちろん、低温というのは、うずくまって耐えればかろうじて火傷を回避できる、という程度の話です。熱くて焼け死ぬかと思ったとの証言はあり、軽い火傷を負った人もいるので、低温と言っても100度を多少下回る程度だったのでしょう。しかし、普賢岳の場合は数百度なので、比較になりません。両者の差は、噴火の規模が雲仙普賢岳に比べて御嶽山ははるかに小さかったこと、普賢岳はマグマそのものによる火山爆発だったのに対して、御嶽山はマグマそのものではなく、マグマに触れた地下水の爆発による噴火(水蒸気爆発)だったことによって生じたのでしょう。それにしても、もし雲仙普賢岳の噴火がなくて御嶽山の噴火が起こっていたとしたら、火砕流とは、うずくまってやり過ごせば、生身の人間でも耐えられるもの、という誤った認識が広まっていたかもしれません。いや、実は普賢岳の噴火当時も、火砕流について「長袖を着ていれば被害を防げる」という俗説が流布していたのだそうです。そのような誤った認識を更に助長することがなかったのは、せめてもの不幸中の幸いだったかもしれません。何も火山に限ったことではありませんが、災害についての正しい知識というのは重要だなと、改めて思いました。
2016.06.04
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<南海トラフ>海底ひずみの分布状況解明 海保が観測南海トラフ巨大地震の想定震源域で、海底のプレート(岩板)にたまったひずみの分布状況を初めて明らかにしたと、海上保安庁海洋情報部の調査チームが23日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。ひずみが解放される時に地震が起きると考えられており、海保は「将来懸念される巨大地震に向け、より詳しい被害予測や観測態勢の充実に役立つ」としている。同地震は、海のプレートが陸のプレートの下に潜り込む境界で起きる。ひずみは潜り込みに引きずられた陸のプレートに蓄積し、元に戻ろうとする時に地震が発生する。海保は、想定震源域にあたる静岡県から高知県沖の海底15カ所に観測機器を設置。正確な位置が分かる観測船を使い、これまで不可能だった海底の地殻変動を観測した。2006~15年度の10年間のデータを分析した結果、遠州灘や紀伊半島沖、四国の南方沖などに年間5センチ程度のひずみを蓄積する「強ひずみ域」があることが分かった。強ひずみ域は、想定東海地震の震源域やマグニチュード8.0だった1946年南海地震の震源域からさらに南西側に広がっていた。海保海洋防災調査室の横田裕輔さんは「このデータを基に予測すればより現実的な被害想定ができ、今後の地震観測態勢を考える一助にもなる」と話している。---ひずみの量と地震の発生域が完全にイコールとは限りませんが、何らかの関連性があることは明らかです。図を見ると、強いひずみ域が一番広範囲に広がっているのは四国から九州にかけての沖合い、つまり南海地震の震源域の西半分から、そらにその西にかけてです。が、静岡から愛知にかけての沖合い(東海地震の震源域から東南海地震震源域の東半分まで)のひずみも大きい。ただ、私がこの図を見たときに、真っ先に気になったのは、その更に東です。静岡から山梨にかけての内陸に強いひずみ域があって、その東側は観測対象外のためか、ぷっつりと切断されています。だから、このひずみ域がどこまで東側に広がっているのかは分からないのですが、ひょっとして東京まで達しているの?私は東京の住民なので、どうせなら、そこまで観測してほしいなと思います。東京は、もはや東海地震の範囲からは外れて、南関東直下型地震の範囲に入りますけど。ただ、これだけのひずみがたまっているから、いつ次の地震が来るか、は、まったくわからないのが現実です。東海/東南海/南海地震は、過去の例では、もっとも近い間隔でおきたのは、安政地震(1854年)から昭和東南海地震(1944年)・昭和南海地震(1946年)までの90年です。だから、昭和東南海・南海地震から90年後である2030年代半ばまでは、多分起こらないだろうと、勝手に想像しています。それ以降は、いつ起きても不思議はありません。ただし、これは過去の前例からの推測ですから、前例と異なった動きが起こる可能性がない、とは限らないですけど。いずれにしても、それが20年後か50年後かは分からないけれど、東海・東南海・南海地震は、いつかは必ず起こります。それは間違いありません。で、その想定震源域のど真ん中に建っているのが浜岡原発というわけです。
2016.05.24
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阿蘇地方、地震活動活発化…気象庁警戒呼びかけ気象庁は19日、18日夜に熊本県阿蘇地方を震源とする最大震度5強の地震が発生した後、同地方で特に地震活動が活発になっていると発表した。気象庁は、土砂災害などに警戒するよう呼びかけている。阿蘇地方では18日午後8時41分に強い地震が発生し、熊本県と大分県の一部で震度5強を観測した。この地震の後、19日午前9時23分頃までに、同地方を震源とする震度1以上の体に感じる地震が計12回観測されたという。---いつまでたっても余震が収まらないようです。余震活動は布田川-日奈久活断層周辺で起きています。その南西端に位置する川内原発近くでの新たな地震も怖いですが、北東側の阿蘇山周辺の地震もまた怖いです。地震と火山の噴火は、切っても切れない縁があります。東日本大震災は、目下のところそれによって誘発された火山噴火は発生していませんが、世界的に見ると、巨大地震の後には、それによって誘発された火山噴火の例は非常に多いのです。地震によって地下のマグマだまりが揺さぶられると、マグマの圧力が高まるからです。阿蘇山も、地震直後の16日朝に噴火しています。ただ、阿蘇山は頻繁に噴火しており、このときの噴火も「いつもの噴火」だったようですが。しかし、その後の阿蘇山の近辺で余震が続いていることは気になります。それによって「いつもの噴火」ではない噴火が起こってしまったら、とてつもないことになってしまうからです。以前から何度か紹介していますが、阿蘇山は9万年くらい前に、九州全土を火砕流で覆うほどの超巨大噴火を起こしたことがあるからです。そんな噴火が今起こったら、九州は文字どおり全滅、日本は破滅です。まあ、さすがに、そんな規模の超巨大噴火は、その前に明白な前兆現象があるだろうと思います。600立方キロ、つまり縦横高さ8km四方というとてつもない量のマグマが噴出するのです。その直前には、上昇してきたマグマによって、山の形が変わるくらい山体膨張があるだろうと思うのです。もっとも、今までにそれを見た人間はいないので、あくまでも推測に過ぎませんが。で、そうしたら、更に、地震の影響で、阿蘇山の監視機器が正常に作動していないみたいなんですね。ということは、山体膨張の有無なども、よくわからなくなっている、ということでしょうか。それでは、前兆現象があっても捉えることができないかもしれません。ともかくも、余震(あるいは更なる本震)ができるだけ早期に終息することを祈るばかりです。
2016.04.19
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エクアドル地震、死者246人に 数百人の安否不明か南米エクアドルで16日に発生したM7.8の地震で、ホルヘ・グラス副大統領は17日、死者が246人、負傷者が2527人に増えたと発表した。現地では、倒壊した家屋やホテルの下敷きになった人々の懸命の救出活動が続けられている。地震が発生したのは16日午後6時58分で、揺れは約1分間続いた。米地質調査所によると、震源は首都キトの北西約170キロの海岸部で、多くの観光客が訪れる地域だった。被害が大きかった町の一つ、ペデルナレスの町長によると、多くの人々が倒壊したホテル約40軒の下敷きになっており、未確認の死者は最大で400人に上るとも推定される。グラス副大統領によると、最も被害の大きかった地域には治安部隊1万4000人、医療従事者241人が派遣された。英国のオープン大学のデービッド・ロザリー教授(地球科学)によると、M7.8という地震の規模は、16日に熊本で起きたM7.0(USGS公表値)の地震よりも「総エネルギー量でおそらく約20倍大きい」という。同教授は、2つの地震には因果関係はないとしている。---熊本の地震についての記事で、当ブログの常連さんで熊本在住の方がいる、と書きました。その後FB経由で、ご本人も無事、ご自宅も壊れてはいないらしいことがわかりました(が、まだ屋外に避難している模様です)。ほっと一安心ですが、実は、その方からメッセージをいただきまして、エクアドルの地震についてもブログで取り上げてくださいという御意向でした。で、そのエクアドルの地震です。アンデス諸国も地震が多い地域で、特にチリ、チリ地震津波に代表されるように、日本まで到達するような大津波を伴う超巨大地震が何回も発生しています。ついでペルー。それに比べると、エクアドルとボリビアは、あまり地震が多い印象はなかったのですが、それはあくまでも私の印象であり、実際にはエクアドルでも巨大地震はある、ということを改めて再認識させられました。マグニチュード(モーメント・マグニチュード)は、熊本の本震より0.8大きい。引用記事では総エネルギー量で20倍くらいとあります。単純計算では16倍になりますが、いずれにしても熊本の地震よりかなりでかいことははっきりしています。地震の規模と被害の規模は必ずしも比例するとは限りませんが、どうやら今回の熊本の地震とエクアドルの地震に関しては、人的被害の規模も比例しているようです。スペイン語のニュースサイトより写真を拾いました。コンクリート製と思われる建築物が軒並み倒壊しているあたりは、熊本の地震より被害規模が大きいことが歴然とわかります。こちらの地震についても、一刻も早い行方不明者の捜索と救出、それに復旧が進むことを祈念しております。
2016.04.18
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昨日の記事でも触れたとおり、熊本で2度にわたる大地震がありました。で、この地震があっても、川内原発は異常がなく、また施設内の揺れも基準内に収まってといたということで、運転は継続中なのだそうです。そのことについて疑問の声もありますが、原子力防災担当相を兼務している丸川環境相は「原子力規制委員会において停止させる必要はないと判断されている」と言っているそうです。確かに、原発における震度は4だったので、これで施設が損傷することはいくらなんでもないでしょう。だから、直ちに停止する必要はない、というのは、一連の地震がこれで終息という確実な保証があるならば、間違いではないかもしれません。が、しかし、それは確実な保障といえるでしょうか。すでに14日夜の最初の大地震の後、より大きな地震が16日未明に発生したという前例があります。そして、この16日の「本震」が本当に本震なのか、つまり、更に大きな地震が今後来ることがないという保証は、実のところまったくありません。それどころか、更に大きな、あるいは少なくとも16日と同程度の地震が今後もあるのではないか、という懸念を示す地震学者もいます。残念ながら、地震の予知は難しく、本当に更なる地震があるかどうかは、実際のところはわかりません。しかし、確実にいえることが2点あります。一つは、更なる大地震の発生可能性が絶対的にどの程度の高さかはわからないけれど、相対的に、平常時よりははるかに高い確率であろう、ということです。そして、もう一つは、二つの地震は布田川-日奈久活断層とその周辺で起きている、ということです。川内原発は、この活断層の南西端からそう離れてはいない場所に位置しています。この2つの条件を考えると、川内原発は確かにここまでの地震では問題なかったのは事実ですが、今後もこのまま稼動し続けることが問題ないのかどうか、かなり疑問の余地があるように思います。ネット上には、川内原発を止めたら九州は停電だ、というようなことを叫ぶ人たちがいますが、これはかなり眉唾です。川内原発の再稼動を九州電力が望んだのは、経済的な理由からであって、稼動しなければ停電になるほど電力供給が逼迫しているわけではありません。しかも、今は4月ですから、真夏に比べて電力需要は小さい。また、地震に伴って横野発電所、竜宮滝発電所、大平発電所の3つの水力発電所が停止したと報じられていますが、それらの発電所はきわめて小規模(横野1550KW、竜宮滝200KWに過ぎません。大平発電所は50万KWもありますが、揚水発電所なので、8時間で貯水を使い切った場合に発揮できる瞬間最大発電量です)なものなので、これらが使えないから電力が足りない、というようなものでもありません。これらの条件を考え合わせると、原発を動かさないと電力が足りない、という状況であるようには思えません。地震がある「かも」知れないからと新幹線や高速道路を止めるのか、という意見も見かけましたが、実際問題、九州新幹線も高速道路も止まっています。最初の地震の後の状況で、九州新幹線の運転再開はゴールデンウィーク頃と言っていました。2度目の地震を受けてどうなったかは知りませんが、それより早く復旧することはないでしょう。仮に再開したとして、乗るかどうかは利用者ここの判断になります。新幹線に乗らなければ事故にあうことはないので、地震が怖いから当面は乗らない、という選択は可能だし、そのように判断する人は少なからずいるでしょう。それに対して、原発はそうは行きません。原発が嫌でも電気を使わない生活は難しいけれど、仮に電気を使わない生活をしたところで、事故になれば一蓮托生、放射能が降り注ぐことになります。新幹線や高速道路と違って、個人の選択で被害にあうリスクをコントロールすることができません。ついでに、新幹線や在来線、高速道路などが寸断されているということは、次に万が一の事態が起こった場合に、避難には著しい支障がある、ということです。これらのことを考えると、川内原発を、少なくとも余震活動が終息に向かうことが明確になるまでは停止しておくべきだと私は思うんですけどね。
2016.04.17
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熊本で未明に震度6強、本震か 3人死亡、建物倒壊多数16日午前1時25分ごろ、熊本県で最大震度6強を観測する地震が発生した。気象庁はM7.3(暫定値)と発表した。この地震以降、同日午前7時までに同県内で3人の死亡が確認された。南阿蘇村や西原村、益城町、嘉島町などで多数の住宅やアパートが倒壊しており、救出作業が続いている。熊本市南区の済生会熊本病院によると、16日未明の地震以降に搬送された2人が死亡した。また、消防によると、同県八代市松崎町でアパートが全焼し、焼け跡から1人の遺体が見つかった。入居者の1人と連絡が取れていないという。気象庁によると、M7.3は1995年の阪神大震災級。震源の深さは12キロで、南阿蘇村、菊池市、宇土市、大津町、嘉島町、宇城市、合志市、熊本市で震度6強を観測した。気象庁はこの地震が本震で、14日夜以降の地震は前震という見解を示した。一時、津波注意報が発令されたが津波は観測されなかった。14日の地震以降、16日午前3時までに震度1以上の地震が165回発生しているという。---昨日の記事は一昨日の間に書いてあったもので、もし時間があれ地震の記事も書きたかったのですが、昨日は帰宅が遅かったので、その時間は取れませんでした。そこで、今朝改めて地震の記事を書こうとパソコンを立ち上げて、地震の記事を調べたら、何と、一昨日より更にでかい地震が未明に発生していたことを今知った次第です。(朝刊の締め切りには間に合わなかったのでしょう、今朝の毎日新聞には、一昨日の地震の記事しかありません)観測された最大震度は、一昨日の地震は震度7で今日未明の地震は6強ですが、マグニチュードは一昨日がM6.5で今日は7.3なので、実は一昨日の地震は今日の地震の前震だったようです。そういえば、3.11のときも2日前にM7.3の前震がありました。当時は、それが前震だなどとは誰も思いませんでしたが。一昨日の地震では死者9名と報じられていますが、今朝の地震はまだ被害の全貌がわかっていません。3名死亡とありますが、学生アパートの倒壊で多数の生き埋めが発生しているとの報道もあり、死者がこれから増えるのは、残念ながら確実な情勢です。報じられている生き埋めなどの被害状況から考えて、一昨日の地震の死者9名を上回ることになりそうです。実は、当ブログの常連さんに、熊本在住者がいます。一昨日の地震ではFB経由で本人も無事、住居も損傷なしと知らせがありました。今朝の地震でも本人の無事だけはわかりましたが、避難中の様子で、住居がどうなったかはわかりません。まあ、最低限本人が無事なのがわかったことだけは、よかったのですが。それにしても、私が子どもの頃から、東海大地震の脅威はずっと言われていますが、東海大地震が起こらない間に、日本海中部、北海道、阪神淡路、新潟中越、今回の熊本地震、それにもちろん3.11の東日本在震災も、東海以外の地域で大きな地震がずっと続いています。もちろん、東海地震も、いつかは必ず起こることははっきりしています。日本中に地震のない土地はないなと改めて痛感します。ところで、とりあえず、九州電力の川内原発と玄海原発は異常なしだそうです。川内原発で観測した震度は4だったそうなので、さすがに原発が壊れるような揺れではなかったようですが、余震あるいはひょっとすると更に大きな本震がより原発の近くで発生しない保証はないように思います。少なくとも、何もないときに比べて、その可能性は比較にならないくらい高まっていると思うのですが、それでも原発の運転は停止していない、と。それでいいのでしょうか。一方で、九州新幹線は、一昨日の地震で脱線が発生しました。その後まだ運転を再開していないので(もともと、今朝の地震は新幹線の終電後)、今朝の地震では新たな脱線は発生していません。ただ、施設の損傷は、おそらくあるだろうと思います。いずれにしても、新幹線は新潟中越地震、東日本大震災、今回の熊本地震と、大地震のたびに脱線には至っているものの、死者は発生していません。もちろん、幸運な偶然という要素は大きいのです。阪神淡路の際は、高架線が落ちたので、もしあれが日中の発生だったら、大惨事は避けられませんでした。今回も、地震で脱線したのが回送列車で、乗客なし、速度も80km/hという状況だったことが不幸中の幸いだった、ということになります。とはいえ、そういった幸運に助けられた側面はあったにしても、それでも新幹線の安全性はかなり高いな、ということを今回も痛感しました。ともかく、被害者の一刻も早い救援と、被害からの復旧を願っています。
2016.04.16
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エチオピアのJICA震災展 日本大使館が「反原発」と難色、中止に東アフリカのエチオピアで昨年10月31日、日本紹介イベントの一環として、JICAのボランティアが東日本大震災や東京電力福島第一原発事故に関する展示を企画したところ、共催の日本大使館が「反原発」的だと難色を示し、展示が中止になっていたことが関係者への取材で分かった。展示は首都アディスアベバで「おもてなし」をテーマに開かれたイベントで企画され、被災者のメッセージや津波の映像と写真、震災関連死の資料などの掲示を予定していた。ボランティア関係者によると、大使館側は福島県が原発事故の影響を調べている県民健康調査の結果の展示などを問題視。担当者が10月上旬、JICA側に「政府と東電の責任を追及するものになる可能性がある。『反原発』のように政府方針に反するものであれば共催はできない」と、資金を含めた協力が難しいとするメールを送ってきた。ボランティア側は公的機関のデータを使っていることや、事故後の放射線の影響による健康被害は考えにくいとの注釈を付けることを説明。しかし10月下旬、大使館から「復興に取り組んでいるときにマイナスイメージになる」として震災関連の展示を全てやめなければ共催しないと伝えられた。JICAは中止を決め、同時に企画されていた広島、長崎の原爆展のみが行われた。ボランティア関係者は「責任追及や原発の是非を問う目的ではないと再三伝えた。共催してもらうために従わざるを得なかった」と話している。大使館側は取材に対し「特定の国や機関の責任を追及する目的なら共催できないと伝えただけ。また原発事故と原爆をひとくくりに扱うと誤ったメッセージを送ってしまいかねない。中止の要請をしたわけではない」としている。JICAエチオピア事務所は「関係団体の総意として、イベントの趣旨に鑑み結論を出した」とコメントした。---原発事故を取り上げると「反原発」だというのですが、記事から見る限り、問題の展示は原発事故を取り上げているといっても、特に反原発という立場であるようには思えません。「県民健康調査の結果の展示などを問題視」というのですが、この調査はそもそも福島県が行っているものです。県庁が行った調査結果を展示することのどこが問題なのか、どうも理解しがたいものがあります。挙句の果てに、「復興に取り組んでいるときにマイナスイメージになる」から原発事故(に限らず、最終的には震災関連すべて)の展示を中止させるというのは、なかなか凄まじい理屈であるように思えます。「マイナスイメージ」というのは恣意的にどうとでも定義できてしまうので、結局気に食わないものを恣意的に排除することを正当化する理屈でしかありません。震災は、確実に日本の歴史に名を残す一大事件であり、全世界の注目を浴び、また、多くの国から義援金も送られました。エチオピアからどれほどの義援金が送られたかは知りませんけど、少なくともゼロではないでしょう。であれば、あの震災の被害を報告することは有益なことであるはずです。それなのに、こんなわけのわからない理屈で、震災の展示をさせないというのは、私には狂気の沙汰と思えます。おそらく、実際のところは原発事故に関する展示を排除するために、震災関連の展示をすべて排除しないと整合性が取れないから行きがかり上そうなってしまったのでしょうが。それにしても、「マイナスイメージになる」と震災という歴史的大事件を展示させない、その姿勢は紛れもなく歴史修正主義そのものであると私は思います。大使館というれっきとした公的機関が、このような態度を取る、まったく日本という国はとんでもない状況になりつつあるようです。
2016.03.17
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今日は、いわずと知れた東日本大震災から5年目の日です。単に5年目というだけではなくて、今日は金曜日、つまりあの日と曜日のめぐりが同じになります。あの日の個人的な体験は、以前に記事を書いたことがありますので、繰り返しませんが、退職する上司の送別会も、翌日に予定していたフォルクローレのライブ演奏も、全部吹っ飛びました。(どちらも、後日やり直しましたけど)ついこの間のことのようで、もう5年も経ったのかとびっくりです。震災の記憶も、あっという間に風化しつつあるようですが、その一方で、以前の記事でも指摘したように、全国の消費電力は震災以降一貫して減り続けており、節電という面では記憶は風化していないのかな、とも思います。それはともかく、震災時に原子力安全委員会委員長だった斑目春樹の自作漫画というのが話題になっています。班目春樹氏、菅直人元首相をマンガでこき下ろす「マッカーサー気取り」東日本大震災当時、原子力安全委員会の委員長を務めていた班目春樹氏が、当時の様子をマンガにして、自身の公式サイトで公開していた。マンガは4コマまんがの形式を取り、3月10日午前10時現在、「官邸などでの体験」「メディアとの攻防」「国会での体験」の3つのカテゴリに70作品以上が公開されている。斑目氏は公式サイト上で、「東電福島事故当時になにがあったのか」「原子力安全委員長はどんな体験をしたのか」を描いていると解説。ただし、官邸であったことについては「私はずっと眠らせてもらえなかったので、記憶が飛んでしまっている」として、事実だと主張するものではないともコメントしている。一方で、メディアとの攻防については「ほとんど実際にあったこと」、国会での体験についても、「国会議員の悪口を言うことはそんな人に投票した国民への悪口であり、 天に唾するものであることはよく分かっているのですが… でも、言わせてください」などと主張した。なお、これらのマンガの中では、顔が描かれていない人物も登場する。状況などから当時の菅直人首相だとみられるが、顔を描かない理由について、斑目氏は、次のように記している。「 実は私はあのときの後遺症で、いまだにあの顔を思い出すだけで気分が悪くなるのです。 したがってその似顔絵を描くことなどとてもできません。 それが誰かはお分かりになると思いますので、その人の顔は描いていません。 その顔は適当に想像してください。」---問題の漫画はこちらだそうです。斑目春樹 新作漫画一覧班目という人物が何を考えているかが分かる、という意味では興味深い内容ではあります。ただ、班目自身の失策は、見事にスルーなんですね。まあ、人間というのはそういうものでしょうが。班目の失策とは、もちろん、「水素爆発は起こりません」と断言しちゃった直後に水素爆発が起きてしまったことです。最も重大な局面、最も重大な内容に関して、間違ったことを言ったわけです。菅直人ならずとも、信頼しなくなるのは当然でしょう。東電の撤退問題についても、いろいろ書いていますが、そもそもこの人は東電の撤退問題に直接関わる立場ではなかったらしい。まあ、この一連の経緯に関しては、徹夜を繰り返していて記憶が飛んでいるので、事実だと主張するつもりはない、と自ら認めているそうですが。撤退問題についても、巷間いろいろ言われますが、福島50という言葉があるように、事実として福島第一原発に残留した人員は、一時は50人まで減っている。それも、この50人の肩書き等は明らかになっていないので、詳細は内訳は不明ですが、下請け事業者を含んでの数であり、東電の社員はこの50人の中でもさらに一部です。6基の原発を抱える、あの広大な福島第一原発で50人。それは、平常時の夜勤体制とほぼ変わらない人数だということです。ということは、1基あたり約8人。本部要員がいるから実際にはもっと少なかったでしょう。(最終的に原子炉の損傷に至らなかった5・6号機も、ギリギリの状態をかろうじて切り抜けたのであって、無人にできたはずはありません。とてもじゃないけれど、あの大事故に対処できるような人数ではないことは明らかです。だから、実際、その後は応急要員がどんどん派遣されたわけで。ということは、字義通り完全無人にするという意味での撤退ではなかったかもしれないけれど、たった50人だけ(しかも、その内の何人が東電の社員だったかは定かではない)を残して、「ほぼ撤退」をしようとした、否、実際に撤退したことは明らかでしょう。ま、菅直人が聖人君子とは思わないし、ベストの対応をしたとも思いません。が、結局のところ首相の個人的な資質で事態が大きく変わる、というものではなく、他の誰が首相だったとしても、発生した事態が現実よりマシになったとは思えません。いずれにしても、なるほどという部分が皆無とは言いませんが、自分のことは棚に上げての上から目線のマンガには、どうもあまり好意的にはなれません。
2016.03.11
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※2018年2月追記 先日の台湾での地震で、この記事へのアクセスが激増しているようなので、タイトルに加筆しました。台湾地震 死者14人、100人以上連絡取れず台湾南部で6日未明に起きたM6.4の地震で、台湾当局は少なくとも14人が死亡、484人が負傷したと発表した。死者のうち12人は、台南市で倒壊した16階建てビルにいた。このビルでは100人以上が家族と連絡がとれていない。死傷者はさらに増える可能性がある。 震源の高雄市に隣接する台南市永康区では、16階建てのビルが完全に横倒しになった。6日夜までに257人が救出されたが、生後10日の乳児ら12人が死亡し、74人が負傷した。ビルは築20年以上。台湾中央通信によると、子供47人を含む149人と連絡がとれていない。ただ、本人が病院に搬送されたことや外出していたのを家族が知らない可能性もあるとみられる。ビルは周辺の建物と比べ被害が突出している。コンクリートに複数の料理油の缶が埋め込まれているのも見つかっており、台湾メディアによると、施工不良を疑う専門家もいる。陳威仁・内政部長(内相)は手抜き工事などの疑いもあるとして調査する方針を示した。揺れは台湾のほぼ全土で観測され、雲林県で震度6(日本の震度6に相当)、台南市で震度5を記録した。台湾当局によると、台南市内で計9棟が倒壊、5棟が傾く被害が出ているが、永康区のビル以外の捜索は終了した。台南市の気温は10度近くまで下がっており、夜を徹した救助活動が続いている。 ---M6.4というから、かなり大きな地震ではありますが、巨大地震というわけでもありません。奇しくも、3.11の4日後に発生した、富士山の下を震源とする静岡県東部地震と同じマグニチュードです。このときの最大震度は富士宮市の6強ですから、揺れの大きさも似たり寄ったり、というところです。しかし、静岡県東部地震では全壊家屋0(一部損壊は327棟)、死者も0でした。日本では、1981年の建築基準法改正によって耐震基準が大幅に見直され、おおむね震度6以上の地震に耐えられるようになっています。1995年の阪神淡路大震災の際、神戸では最大震度7を記録し、多くの建物が倒壊しましたが、鉄筋・鉄骨の建物で倒壊したものは、ほとんどが1981年以前の旧耐震基準の建築だったようです。今回の台湾の地震で倒壊したビルは、築20年以上とあるので、1990年代前半につくられたものでしょう。日本の耐震基準からすれば、震度5や6で16階建てという高層建築が倒壊するなんてことはまずありえないことです。「周辺の建物に比べて被害が突出している」という話(つまり、他の建物は倒壊していないのに、この建物だけ倒壊した)から考えても、手抜き工事の可能性が高そうに思われます。台湾だって地震の多い土地なので、建築基準法(に相当する法律)で耐震基準はしっかり定められているはずだし、その基準はそんなに大甘ではないはずです。ただ、建築業者がその耐震基準を守る姿勢が、日本より低いのかもしれません。と、思ったのですが、よく考えてみると、日本だってよその国のことはそんなに言えないかも知れません。日本でも高度経済成長期には、(耐震基準自体が緩かった、ということはあるにしても)かなり無茶苦茶な工事があったようです。山陽新幹線が、コンクリートに洗浄不十分な海砂を使ったことで各所が劣化していることは一時かなり報道されていました。そういえば、阪神淡路大震災で派手に倒壊した高速道路も高度経済成長期の建築じゃなかったかと思います。そして、近年でもヒューザーの耐震偽装というのがありました。現在進行形の問題としては、くい打ちデータ偽造問題というのがありました。あれが発覚したのは、何もないのに建物が傾く、という騒動が起きたからです。何もないのに傾いてしまうような建物が、もし震度6の地震に遭遇していたら、果たしてどうなっていたでしょうか。とても無事に済んだとは思えません。ともかく、行方不明の人たちが救助されるように願っています。
2016.02.07
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