共産党の穀田氏が、野中についての追悼文を発表していますね。

//www.kokuta-keiji.jp/blog/18203/

上でも書いたように、共産党と野中は不倶戴天の間柄だったわいえですが、それでも2000年ごろにはそれなりの関係改善はあったということですかね。

そう考えると、宮沢喜一氏のような人と野中が同じ2003年に議員を引退したというのも、やはり自民党のリベラル派の系譜がこの時点では極めて弱小になっていたということの象徴ではあるのかもですね。野党とも話のできる政治家がどんどん去っていった過程でもあるのでしょう。これもよく私が指摘しているように、経済成長が見込めなくなったので、パイの配分で有権者の支持を得られなくなったことが、自民党が極右路線に大きくシフトした要因の1つでしょう。野中が対決した蜷川京都府知事をはじめとする革新自治体も、つまりは高度経済成長が終わった時点で首長当選が難しくなったわけで、けっきょく蜷川さんと野中は、似たような情勢で政治家を引退したのかなという気がします。 (2018.01.30 19:59:28)

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2018.01.27
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テーマ: 戦争反対(1248)
カテゴリ: 戦争と平和
野中広務氏死去 元自民幹事長、官房長官
京都府の地方議員を振り出しに自民党幹事長や内閣官房長官などの要職を歴任し、国政と京都政界で大きな存在感を発揮した元衆院議員の野中広務氏が26日夕、京都市内の病院で死去した。92歳だった。京都府南丹市出身。
旧制園部中卒。旧園部町議、同町長、京都府議、副知事と地方自治の道を歩み、1983年の衆院補選で初当選。村山富市内閣で自治相・国家公安委員長として初入閣した後、小渕恵三内閣では官房長官、森喜朗内閣では党幹事長として政権を支えた。小泉純一郎元首相の構造改革路線とは相いれず、2003年に政界を引退。その後も戦争体験を踏まえ、憲法改正に反対の立場から活発に発言を続けた。昨年11月に京都市内で倒れ、入院していた。

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野中広務元官房長官が亡くなりました。野中氏のすべての主張や業績に賛同するわけではもちろんありませんが、自民党の中で、数少ない、本当に尊敬できる政治家であったと思います。一度だけ直接お目にかかったのが、写真の集会でした(1対1で話をしたわけではありません)。2008年12月13日、9年余り前のことです。南京大虐殺71周年の集会に参加して講演してくれる自民党の(元)国会議員など、野中さん以外に誰がいるか。平和への熱い思いをもった方でした。


野中広務さん


野中広務さん


笠原十九司さん


俵義文さん

9年も経った今、その講演内容の詳細は、鮮明には覚えていません。
1925年生まれの野中氏は、戦争末期に徴兵されているものの、直接的に南京での戦闘に従軍した経験はもちろんありません。ただ、氏が旧園部町の町長だった時代、まだ日中国交回復前の中国を、支持者らとともに訪問したことがあるそうです。そのとき、確か長江を船で南京に向かったと言っていたと記憶していますが、野中氏に同行した支持者の一人が、船が南京に近付くとともに、急にガタガタと震えだしたそうです。聞くと、自分はかつて南京攻略戦に参加して、虐殺に参加してしまった、そのときのことを思い出して、と、南京大虐殺の体験を話してくれた。という趣旨の話であったと記憶しています。

ご冥福をお祈りします。

追記
野中氏の講演を聞いた当時、当ブログに記事を書いていました。(写真は今回の記事が初公開ですが)

南京事件71周年 12・13集会

改めて読み直すと、細部の記憶がずいぶん間違えていました。旧園部町長時代ではなく、京都府議の時代です。詳細はリンク先の当時の記事をご覧下さい。





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最終更新日  2018.01.27 21:07:28
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Re:野中広務元官房長官死去(01/27)  
Bill McCreary さん
>野中氏のすべての主張や業績に賛同するわけではもちろんありませんが

私にとっては、日の丸と君が代の件で、この人への評価が激減してしまうところはあります。日本のような社会では、あれの法制化は非常によろしくないといわざるを得ない。

議員引退後だったかと思いますが、彼と共産党がそれなりにいい関係だったことがあったじゃないですか。私なんか野中と共産党といえば、ポスト蜷川府政後において犬猿の間柄、憎しみあっている関係かと思っていましたし実際そうだったのでしょうが、その話を聞いた時、「うひゃー、野中からしても非常に現在の状況はやばいんだなあ」と思った記憶がありますね。ただその後自民党を離党して復党したのは、あるいはぼけちゃったのかなという気もします。安倍自民党に、野中の居場所はないでしょう。

いずれにせよ、宮澤喜一氏などと同様、自民党の政治家でも野党でもそれなりに話の通じる人物でしたね。安倍なんぞとは、天文学的に差のある人間です。余談ですが、田中角さんは野中に注目していたようで、そのあたりの眼力はさすがですね。

ところで京都ってのは、これからはどうだかわかりませんが、野中、伊吹、前原、谷垣など、わりと大物政治家を出していますね。いずれにせよ京都という非常に差別の厳しい土地で被差別部落出身であることを公言してあそこまでの大物になったのは、本当に優秀な人間だったということでしょう。このあたりも、安倍みたいな馬鹿でクズとは次元が違います。 (2018.01.27 20:28:14)

Re[1]:野中広務元官房長官死去(01/27)  
inti-sol  さん
Bill McCrearyさん

>私にとっては、日の丸と君が代の件で、この人への評価が激減してしまうところはあります。

そうですね、その点については私も同意見です。ただ、その点を割り引いてもなお、(少なくとも現在の自民党の政治家に比べれば)尊敬に値する政治家であったと思います。
本文には触れませんでしたが、麻生太郎が「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と派閥の会合で放言したことに対して、自民党総務会において名指しでその発言を非難した、という出来事も有名ですね。

安倍?そんな名前を持ち出して、野中を汚したくない、とすら思いますよ。 (2018.01.27 21:20:45)

Re:野中広務元官房長官死去(01/27)  
Bill McCreary さん

Re[1]:野中広務元官房長官死去(01/27)  
inti-sol  さん
Bill McCrearyさん

そうそう、リンク先にも触れられていますが、野中元官房長官、赤旗に登場したことがあるようですね。が、その一方で、この写真の集会には、私の記憶では赤旗の記者が取材に来ていて、赤旗の紙面にも記事が出たそうですが(日刊か日曜版かは知りません)、その中で講演者のうち野中氏の名前だけ記事に名前を載せていなかったと聞きました。前述のとおり、自分の目で記事を確認したわけではなく、聞いた話ですけど。そのあたりは、事実とすればちょっと狭いなあ、と思わざるを得ません。 (2018.01.30 22:00:48)

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