inti-solのブログ

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2022.08.20
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テーマ: 戦争反対(1248)
カテゴリ: 戦争と平和
「なにか変だ」銃を手に無言、ずぶ濡れの下半身、どす黒い顔…激戦の南太平洋で散った精鋭部隊の“戦争怪異譚”が伝えるもの

「日本人はね、1人も助からんよ。そういう戦いだもん」惨敗、マラリア、餓死…ガダルカナル島で散ったある精鋭部隊と“その後”

前回の続きです。



一木支隊よりはマシですが、依然として米軍よりは少ない。しかも、兵員は大半が揚陸できましたが、米軍機の空襲により、重装備は揚陸が思うに任せず、9月7日までに揚陸できた火砲は高射砲2門、野砲4門、山砲6門、速射砲14門、食糧は2週間分に過ぎませんでした。先の一木支隊第一梯団よりはマシとはいえ、この時の米軍は、ツラギ島に上陸した海兵隊の一部がガダルカナルに移動しており、総兵力は1万7000人以上、重火器は前回引用したNHK取材班の推計榴弾砲約50、迫撃砲約90、重機関銃約350等に基づけば、依然としてまったくの劣勢です。
しかし、この時もまだ、日本側は米軍の兵力を約5000人と大幅に低く見積もっていたので、劣勢とは思っていませんでした。

一木支隊が海岸沿いを漫然と前進して失敗したことから、今度は飛行場の背後のジャングルから奇襲しようとジャングルに道を拓いて進撃をはかります。しかし、これが机上の空論でした。
日本軍が持っていたガダルカナル島の地図は、海図を元にしており、海岸線と川は記載されていたものの、陸地の地形については「密林」としか書かれていない、白地図同然でした。起伏の多い、鬱蒼とした密林を、地形の分からない地図を頼りにしてシャベルとツルハシの人力だけで道をひらく、というのです。しかも、上陸点から飛行場までは20km以上もあるのに、9月初めに上陸して攻撃予定日が9月12日という、到底現実性のない杜撰な計画だったのです。
案の定、川口支隊の各部隊は、ジャングル内で右往左往するばかりで、自分たちの所在地も見失って、どこに飛行場があるかもわからないままを、攻撃予定日を何日か遅らせた挙句、味方同士の連携もとれないまま、一部の部隊がバラバラに散発的に米軍に攻撃を開始しただけでした。

更に、ジャングル内に、急な登り下りが連続する、やっと人が一人通れるかどうかの道を切り開いても、そこを何十キロもある重機関銃を運ぶのはかなり困難でした。ましてや、何百キロの火砲を移動させることなど、到底不可能でした。だから、少ないながらも用意された貴重な火砲の大半は後方に取り残されたまま、またしても小銃機関銃等の軽火器だけで川口支隊は白兵突撃したのです。
ただ、この時の日本軍の攻撃は勇猛果敢ではあり、一部の部隊は米軍の何重もの防衛線を突破し、滑走路の末端に肉薄するところまでいきました。が、そこまででした。米軍の猛射によって死体の山を築いて川口支隊は撃退されます。

しかし、日本軍はそれでもあきらめず、10月、今度は第二師団(師団長丸山中将の名から、通称丸山師団)を送ります。ようやく米軍に匹敵する兵力を集め、200門以上の火砲と70両以上の戦車装甲車によって、正面から火力で圧倒しようと考えたのですが、大きな誤算がありました。ガダルカナル上空の制空権は米軍が握っていたため、輸送は川口支隊の時以上に困難を極めたことです。
多くの輸送船が撃沈され、かろうじて海岸に乗り上げることで沈没を免れた輸送船も、爆撃で次々と炎上し、小銃一丁だけ持った(あるいは小銃すらない丸腰の)兵隊は上陸できても、大砲や戦車の大半は海の藻屑と消えました。

予定した重火器を揚陸できなかった丸山師団は、正面から砲撃戦を挑んでも到底勝算が立たなくなりました。このため、本来は主力であったはずの海岸沿いの重火器や戦車は陽動部隊として、主力は川口支隊と同じくジャングルに道を拓いて背後からの攻撃する作戦を選択しました。
丸山師団は、川口支隊や一木支隊とは飛行場を挟んで反対側の海岸に上陸したので、ジャングル内の道も、新たに切り開いたのです。やはりつるはしやシャベルだけの人力で。
海岸沿いに配備された重火器は15センチ榴弾砲15門、10センチ榴弾砲4門、10センチ加農砲3門、野砲7門、山砲3門、95式軽戦車と97式中戦車あわせて十数両に過ぎず、このほかにジャングルを進む主力部隊にも山砲などの小型の砲は配備されましたが、小型とは言っても重さ数百キロの大砲を、密林の細い道を運ぶのがほとんど不可能であることは、山口支隊の時と同じです。
そして川口支隊のときと同じ経過をたどって、実現不可能な無理な日程で各部隊はジャングル内をさまよい、各部隊位置を見失ってバラバラになり、連携を欠いた散発的な攻撃となり、やはり撃退されました。
川口支隊の失敗がありながら、そこから何も学ばず、再び同じ失敗を繰り返した惨状は、一見すると何かのギャグのようにすら思えます。ただし、この「ギャグ」によって何千人もの戦死者が出ていいるのですから、とうてい笑う気にはなれませんが。

激しい空爆によって補給が断たれ、ガダルカナル島は、「餓島」になっていきます。速度の遅い輸送船は、ガダルカナルに接近するとほとんどが撃沈されるので、高速の駆逐艦に弾薬や食糧を積み、夜陰に乗じて島に近づくことが精いっぱいになります。しかし、前回一木支隊の輸送でも触れたよう、駆逐艦は輸送船ではないので、運べる荷物の量はわずかです。1隻辺り40トン程度しか積めず、また重量のある大砲は積めません。10隻の駆逐艦が食料を運んでも、全兵力の2日分にしかならなかったのです。そして、高速の駆逐艦と言えども、次々と撃沈されていきました。

が、驚くべきことに、日本軍はそれでもまだあきらめなかったのです。
第2師団の敗退の後、今度は日本軍は第38師団をガダルカナルに送ります。第38師団の編成は立派でしたが、それをガダルカナルに送るには、到底小型の駆逐艦では不可能で、低速の輸送船によるしかありません。結末は、推して知るべしというものでしょう。

日本軍は、なんとか輸送を成功させようと、戦艦を派遣して飛行場を砲撃し、一時的にであれ飛行場を使用不能にして、その間隙をついて輸送を行おうとします。
この作戦は前回第2師団の輸送の際も行われており、そのときは半分成功していました。つまり、2隻の戦艦「金剛」「榛名」の砲撃によって米軍飛行場には大打撃を与えたのですが、完全には破壊できず、生き残った米軍機からの反撃によって輸送船は猛攻撃を受けて、輸送は半分しか成功しなかったのです。各輸送船は、攻撃されても沈没しないようにガダルカナル島の海岸に乗り上げて揚陸しましたが、ガダルカナルの海岸は浅瀬がなく急激に深くなっているため、船首が海岸に乗り上げていても船体後部は浸水すると沈没したのです。
それでも一度目はともかく半分は輸送に成功したのですが、二度目は完全な失敗でした。
飛行場砲撃に出撃した二隻の戦艦「比叡」「霧島」は米艦隊に待ち伏せされ、激しい海戦で米艦隊にも大損害は与えたものの、2隻の戦艦とも撃沈され、飛行場の砲撃はできませんでした。
このため米軍機による激しい空襲で、第38師団を運ぶ輸送船の大半が撃沈されて、ほとんど丸腰の兵隊をわずかに揚陸できただけです。第38師団はついに米軍に対して攻撃をかけることすらできなかったのです。もちろん、食糧も揚陸できませんから、「餓島」の危機は深刻の度を増します。

あまりに有名な兵士の死期判断


身体を起して座れる人間は、3週間。
寝たきり起きれない人間は、1週間。
寝たまま小便をするものは、3日間。
もの言わなくなったものは、2日間。
まばたきしなくなったものは、明日。


は、このガダルカナルの戦いの末期に兵士の間で流布したと言われます。

ここに至ってさすがの日本軍も、ガダルカナル島からの撤退(転進とごまかしたけれど)を決断しましたが、送り込まれた3万人以上のうち2万人以上、割合にして3分の2が戦没しました。緒戦の一木支隊は別にして、その後は大半が餓死、もしくは「戦病死」という名の実質的な餓死でした。更に800機以上の航空機、2000名の搭乗員、大量の駆逐艦、輸送船を失い、継戦能力を消耗して、もう二度と日本側から攻勢を仕掛けることはできなくなります。
制空権の確保が作戦の成否を握ることは明らかでしたが、戦場であるガダルカナル島に飛行場を持つ米軍機と、1000kmも離れたラバウルから飛来する日本軍機では、搭乗員の疲労、戦場上空での滞空可能時間がまったく違い、勝負にならなかったのです。
また、日本軍が土木工事をすべて人力に頼ったのは、ガダルカナル島の密林の進撃時だけではありません。飛行場の建設でも同様です。ガダルカナル島の飛行場建設は、日本軍が2000人の設営隊で1か月以上かかりました。その完成寸前に、米軍の上陸によって奪われたわけです。
対する米軍はブルドーザーなど土木工作機械を持ち、また飛行場の急造建設のため、鉄板を用意していましたから、飛行場の建設や補修に要する時間は、比較にならないほど短かったのです。

端的に言えば、日本から6000kmも離れたこんな島をめぐって、半年近くも激しい消耗戦を繰り広げることは、当時の日本の国力の限界を超えていたのです。

「兵力の逐次投入」つまり少数の部隊を五月雨式に次々と送ることは、軍事上の愚策とされます。最初は2000名の一木支隊、それが敗れると5000人の川口支隊、それが敗れると、1万数千人の第2師団、それが敗れると第38師団、これぞまさしく、兵力の逐次投入の典型です。投入した兵力を合計すれば米軍を上回るのに、それを4回に分けたため、各個の戦闘では常に兵力で劣勢だったからです。
敵兵力を根拠なく見くびり、自軍の戦闘力を根拠なく過大に見積もったこと、旧態依然の白兵戦至上主義と火力、補給の軽視、面子と官僚主義によって、一度犯した同じ失敗を2度3度と繰り返す、そういった拙劣な作戦指揮の積み重ねがこの惨敗を招き、そのツケを払ったのは最前線で餓死した兵士たちだったわけです。

もし、一木支隊か、遅くとも川口支隊の上陸の時までに、一木支隊+川口支隊+第2師団を一挙に投入していた場合、ガダルカナルの奪回にいったんは成功していた可能性は高いと言われます。もっとも、その場合も、この島を維持し続けるために日本軍は補給で多大な消耗を強いられ、しかも最終的には再度米軍に奪回された可能性が高そうですが。
あるいはまた、米軍との戦力差、制空権の欠如と輸送の困難さ、補給の困難さを、ごく常識的、冷静に分析して、早々に撤退の決断をしていた場合は、泥沼の消耗戦で戦力を消耗し続けることはなく、その後の太平洋戦争の戦況はかなり異なったものになっていたはずです。

ガダルカナル島は、そこに基地を建設すれば、米豪間の輸送を遮断できる位置にあります。だから、米国とオーストラリアにとっては、そのような位置に日本軍の基地を建設されることは死活的に重大な問題であり、万難を排して日本軍を撃退すべき強い理由がありました。
しかし、日本軍にとってはそうではありません。オーストラリアに侵攻するのでない限り、ガダルカナルに基地を置けば米豪間の連携を妨害できる程度であり、日本軍にとっては絶対に必要な島ではなかったのです。

ただし、そのような合理的な判断ができる軍部であれば、そもそも対米開戦などという狂気に満ちた選択をしているはずがないのです。あのような無謀な戦争を始めた軍部が、このような無謀な作戦で惨敗を喫するのは当然の帰着とも言えます。
また、あえて皮肉な見方をすれば、ガダルカナルで日本軍が史実より善戦していたら、日本軍の戦力消耗は史実より遅く、その結果太平洋戦争の終結も史実より遅く、日本には3発目の原爆が落とされ、戦争全体の犠牲者も史実より更に多くなっていたかもしれません。そうならなくてよかった、少なくともまだマシただった、ということもできるかもしれません。





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最終更新日  2022.11.03 21:57:42
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