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さて、 冨田 江里子さんのお仕事の中心はもちろん、お母さんの出産と生まれてきた子どもの幸せのために働くことです。
1997年からフィリピンに住み、そしてマタニティークリニックをつくって以来2152人の子どもたちをとり上げたそうです。(3月現在)
このクリニックは無償で出産をサポートしています。貧しい母が安全に子どもを産もうと思ったらここに来るしかない、という場所です。「 ぶつぶつ」 にはこんな母子のお話しが書かれていました。
12月、上に4人の子どもを抱えたお母さんが出産にきました。妊娠中に夫が逃げてしまって途方に暮れる母子。母は近所の方の好意で冷蔵庫を貸してもらい、氷キャンディを作ってそれを売って生計を立てていましたが、5人目の出産に伴って、しばらくの間働けなくなる。それでは上の子どもたちが飢えてしまうのです。
だからお母さんは決心していました。5人目のこの子を産んだら、この子は売る、そのお金でしばらくみんなで生き延び、そしてまた私が働こう。
無事に赤ちゃんが生まれて嬉しいはずの産後も、すっかり暗い空気が漂っています。
「この子は売らなければならない。生きるために・・・、生きるためなのだから・・・」
冨田さんはこういう母子のために産後緊急支援というものを作って、出産を終えたお母さんが帰宅するとき、食材袋を差し上げているそうです。
少しは食べられるだろうけれど、あの赤ちゃんは売られてしまっただろう、それでもおかあさんのその後をチェックするために、数日後におうちを訪ねました。
すると、お母さんのそばに小さな赤ちゃんが寝ているではありませんか!!
「お米も支援してもらったし、食べられるなら頑張れるかも、て考え直したの」とお母さんは言いました。彼女は貧血で白い顔をしています。それに近所の人が逃げた夫を探してくれて、話し合いをし、夫が上の子どもたち3人を引き取ったそうです。
3歳の女の子と赤ちゃんがお母さんの元に残りました。もちろん5人の子どもたちが一緒に大きくなることができる、が理想かもしれないけれど、時には生きていくために少しでも実現可能な形にする、という決断が必要なのですね。
冨田さんはこのお話しの最後をこんな言葉で結んでおられます。
「廃材やゴミに出されている布、シートなどで1畳ぐらいのスペースの家を作り、何とか子どもを育てようと頑張っている母親がいます。
赤ちゃんをやはり売れば良かったと後悔しないように、産後3カ月の今も時々様子を伺いに出かけています」
日本のように恵まれた地域であっても、自分の子どもをとり上げてくださった方が、その後は大丈夫かな?と何カ月もたっているのに様子を見てくださる、そんなことはほとんどありません。
そして何より冨田さんはお母さんの思いや考えを尊重し大切にしておられる。
そんな、売ったらあかんで・・・、とか安易な声かけはぐっとこらえて、どうやったらお母さんが子どもと一緒に生きる勇気を持つことができるか、そういうことを日々実行しておられるのです。
日本でもできないほどの手厚いサポートを一人で実現しておられます。
本当に頭が下がるだけでなく、その愛情の深さに感動します。
思いだけでなく、実行できる意志の強さにも・・・
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