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今朝の第一印象の言葉 それはInfinityだった。 インフィニティーとは、 無限とか無限大の意味。 そもそもfiniteなる言葉は、 制限とか制約なる意味ある。 なのでその反対なる意味でInが先頭に付いて、 Infinityなる言葉になったのかもしれない。 制限や制約なき意味での無限や無限大。 Infinity=In(中)+finite(制限) そうだ! 無限とは制限の中にあるのかもしれない。 制限や制約という枠があるからこそ、 その中に無限を見いだすことが出来る。 茶室の狭い空間に無限の宇宙があるように。 Infinityは制限枠の中での無限を教えてくれる。 制限が入る(In)ことが、 意識の無限領域を創造できる時かも。 豊さ意識をインフィニティーしていこう。
2012年01月31日
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どんな時でも いかなる時でも 一歩でも前に進みたい。 前進は「ぜんしん」故に、 全身で進む。 後ろを観ても前には進めない。 0.5mmでも進む。 飛躍の前には助走が必要。 助走は一歩一歩の積み重ね。 とにかく進む。 前へ進む。 全身全霊で前進していく。 豊さ意識に向けて。
2012年01月30日
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今日は1月29日なので、語呂合わせ的には129を「ひふく」と観た。「ひふく」からは被覆が浮かぶ。被覆とは、おおいかぶせることの意味がある。ある意味ではおおい隠すことでもあるので、ベール(Veil)にも繋がることなのかもしれない。被覆されていること、ベールで包まれていることで、守られていたものが今まではあったはず。しかしながら、いまや世の流れも変わり、人の意識も変り、いろんなものが暴かれてきており、被覆が剥がされ、ベールが脱がされて来ている。暴かれるとか露出されるとかは、相手がいる訳ではない。そのようなセリフを相手なる幻しの登場人物に渡し、自らのコア(芯)を露出させるための演出モードかもしれない。言ってもらうことを聞く設定において自らが開き覚醒する。被覆とは、自らの観念とか価値観とか常識のようなもの。それらを取り払い、中のコアを出していく時。電線の中のコアは銅線で電気を通す役目で、被覆部は、その銅線の保護と絶縁確保のために存在する。被覆を剥がすと銅線が剥き出しになるが、銅線のコアは電気を通す役目の部分であり、自らの中心に繋がる部分。従来の被覆部は劣化しているかもしれない。もう、絶縁の役目を果たせなく漏電しかねないかもしれない。新しい被覆を用意する時なのかもしれないし、一度、被覆を剥がして中のコアを確認することが必要かもしれない。豊かな意識の創造に向けて、銅線を太くして、通りを良くした上で、新しい価値の被覆で保護していく。意識の回線工事を進めていこう!
2012年01月29日
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日々の映す景色や出来事は、自らが映している世界であり、自らの魂の進化のためのプログラムの中。現実と捉えていることも自己の認識。認識は考えて方であり価値観や世界観の現われ。現実=げんじつ=幻日現実は、ある意味で幻しの日々そのものかもしれない。リアリティもバーチャルも全てが幻し世界。コンピューター上のバーチャルリアリティも、映す現実の世界も全ては幻しの映像の世界かもしれない。幻しの位置を知って今日を生きていくことは、意識の立つ位置の差にもなってくる。幻しなんだからこそ、意識を丁寧に扱うことも大事。創るは意識であり、豊かさに向っていく日々。幻=げん=源であるが故に、源(みなもと)に繋がっていく旅でもあるかもネ。大いなる我の源へと深く意識を向けて現実を遊びましょう!
2012年01月28日
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つらいと思うと、 何もかも嫌になってしまう。 つらいという状況は、 あくまでも自己の認識。 認識とは捉え方であり、 自己の常識で判断した結果でもある。 その判断は自己の価値観や世界観の現れ。 つらいと思う必要はなく、 古い常識や価値観を変える機会。 つらいという感情に振り回されるな。 豊かな意識の創造のためのゲーム設定モード。 つらい=面意 捉え方を少し緩やかにしてみる。 点の狭い領域から、 少し広げて面(めん)の領域の意識で観る。 面積広げるは器の拡大になるかもしれない。 つらいと思う認識を遊んでみよう。
2012年01月27日
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いつも繰り返す。 どこでも繰り返す。 誰でも繰り返す。 繰り返しは創るためにある。 それは意識を創るため。 繰り=くり=九里≒36Km 一里は約4kmなので、 九里は約36Kmにて、 弥勒(ミロク=36)なのかもしれない。 弥勒は円にて球でもあり、 繰り返しは球のように、 転がり常に巡っているのかもしれない。 繰り返しは、決して同じ所の巡り合いや、 転がしではないはず。 弥勒世界での回転ならば、 必ずやパイラルでの回転上昇があるはず。 繰り返しで豊かな意識を創っていこう。
2012年01月26日
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どんな時でも、 いつでもどこでも、 今が最大値。 一番良いベストが今あるだけ。 今だ! と思えるは嬉しきこと。 成功しても失敗しても、 今だ!と叫べるは実力の証し。 今だ=未だ 未だとは、到達すべき位置を意識して、 まだ、その先の領域へ向かう意識が込められた言葉かもしれない。 今だ、と言える実力は、 未だの位置を認識し、 更なるな高見への言葉。 いつでもどこでも、 どんな時でも、 今だ!と叫んで、 豊かな意識へとシフトしていこう。
2012年01月25日
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今朝は昨夜からの雪で あたり一面が白銀。 白一色の世界は気持ちいい。 汚れが落とされた気分で、 清々しさを感じる。 銀という素材は、 最近では抗菌作用が注目されていて、 あらゆる抗菌グッズに応用されてるらしい。 雪の白い世界を白銀と表現していることに 感性の高さを感じる。 白は無地でありナッシング故に オールマイティーである。 映す世界を白く出来るは嬉しさなり。 抗菌は光金(こうきん)かもしれない。 白銀の眩しさは美しき光り。 自らの中の豊さの光りを思い出していこう。
2012年01月24日
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今日は123の日。 ひふみ、いづみ、It's meと様々な繋がりが浮かぶ。 閃きはピンと来るが大事。 ピンとは数理では1。 ピンきりとかピン芸人とか、 いろんな使われ方している。 ピンとは、1ゆえに位置(いち)でもある。 意識の立つ位置で、 閃きが違うし、 アンテナの高さ違いによる感度差でもある。 ピンと来た時はアンテナの位置が上がっているかも。 逆に言葉は言霊によって実現化の力あるので、 あえて言霊魔法を使って、 ピンという言葉を使うことで、 アンテナを建てて、 意識の位置を上げることが出来るかも。 ピンは始まりの位置。 ピンと来る位置を上げぼよ~。 毎瞬がピンであり、 始まりの位置。 豊さ意識へとピンを立てよう。
2012年01月23日
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最近の機械はシステム化していて、使い方も操作も複雑で難しくなっており、様々な設定をすることで使えるようになって来ている。特にコンピュータはいろんな設定が設けられている。自らのコンピュータは、自らの脳の一部だとも言える。思考が詰まっているとコンピュータの動きも詰まったりする。その逆にコンピュータの調子いいときは、思考がクリアーであったりもする。日々の出来事や事柄を通して詰まったり、複雑化して来たらコンピュータではないが初期設定に戻すことが、解決策の近道だったりすることもある。この初期(デフォルト)設定とは、スタート時点での設定が、ある程度の範囲想定であらかじめ設定されているので、使い手側からは手間がなく必要なことは使えるようになっている。初期=しょき=しょーき=正気そうだ!、正気に戻すモードなのかもしれない。正気であることは、気が通るべき正しい通り方をしていること。初期に戻すとは、まずは気の整備でもあるのかもしれない。正気である様は豊かさ意識が満ちている様かもしれない。設定を変えてしまったことで失われた認識は、元に戻すことで気の通りやすい環境に戻れるのかもしれない。初期設定を正気設定として捉え、豊かな意識のもとでの創造をし続けよう。
2012年01月22日
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今日は1月21日。121の数字並びを音に変えて観た。121=いつい=いっつい=一対一対とは、二つそろってひと組として扱われるもの意味。身の回りにあるものや考え方や価値観や自然界や科学なども全てが一対のものに繋がっている。陰と陽、男と女、プラスとマイナス、損と得、失敗と成功・・・・。あらゆるものの中に一対が入っており、対極を創りだしている。二つそろって一組であることは、もともとが一つであること。映す相手も自分ももともとはひとつ。一対であることの意識を持つは、自他の区別なく、豊かな意識の創造につながる。「It's 意 」も「いっつい」意を持って進みましょう。
2012年01月21日
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出会いは一瞬であるし、一期一会でもある。毎瞬という静止画の連続にしかなく、一瞬の画面の中での貴重な偶然なのかもしれない。今日は1月20日だったので、120=いづれ=いずれ、に変換して観た。そのうちに、あまり遠くない将来の意味での「いずれ(何れ)」一瞬の連続でしかないので、何れは存在しないと思う。いづれ(120)は無いのだと思う。何れまた会おうとか、何れ出来るとかは、ある意味、未来は不確定であり、そうなっているとは限らない。だから、何れがあると思わずに、今を大切にしたい。毎瞬という静止画は奥行きがあるのかもしれない。無意識にいつか、何れとか、何処かでとかを使ってしまっている。何れと思う瞬間に、意がずれてしまっているのかも。いづれ=何れ=意ずれ何れと思うことは、意をずらしてしまうくらいの感覚で、何れ無きことを頭に入れておけば、今という瞬間を豊かに捉えられるのかもネ。毎瞬毎瞬の中の空間を豊かにしていき、今を最大値として空間を楽しんでいきましょう!
2012年01月20日
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年初の方針をつくる。 考え抜いて考え過ぎてしまう。 なかなかしっくりした感じにならない。 方針だけに放心にて、 心を放つこと、 感情を手放すこと、 自らの囚われを外すこと、 我を解放すること。 放心状態はアンテナが、 真っ直ぐに建ってる時かも。 もう戦略や戦術が通用しない時代でもある。 放心から方針を出すは、 面白さだけかもしれない。 一度は頭を白紙状態、 放心状態に戻して、 それから方針を創造する。 浮かんだものは、 未来の記憶かもしれない。 明日を知ってる位置を思い出す。 方針に沿って目標達成するのではなく、 放心によって明日の位置を思い出して行く。 豊かな意識の創造は方針をどこまでも広げる。 そして、常に自在である。 豊かな意識の創造からの方針を創ろう!
2012年01月19日
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流れとはある種のエネルギー。 流れに乗るとか、流行とかで使う。 目に見えない流れを観る。 感じてみる感覚。 流れは力がある。 逆らうと苦労するが 乗ると楽できる。 流れは竜の動きかもしれない。 流=りゅう=竜 竜の動きを流れにする。 今年の干支は辰。 今年の流れを感じて行く。 流れ石と書いて流石(さすが)と読む。 意志(=石)を持って流れを感じ観て使って行く。 豊さ意識へと流石な者である我を上げていこう!
2012年01月18日
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感覚や感性を大事に。 感じて観る。 観自在。 感じることは観自ることかもしれない。 感じて自由自在。 自らを信じる旅の始まり。 旅の行き先は豊さ意識。 勘も使って感を上げ 観成(完成)を創造しよう。
2012年01月17日
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直感力やinspirationを上げたい。 答えがダイレクトに来る。 ふと頭浮かび上がってすぐ消える。 どこからどうして閃くのかはまだ科学でも解明されてない。 電波のようなものかもしれない。 頭に目に見えないアンテナが建っているかもしれない。 神主やコックさんや王様などが、 烏帽子や帽子や王冠を付けてるのはなぜか? アンテナの保護と、 意識するためのものではないか。 電波のアンテナの通常は高いほど大きいほど、 受信感動が高い。 コックさんの帽子の高さが腕の良さと等級を示したりしている。 アンテナを磨き高くしていく訓練。 直感力やinspirationを確実にキャッチしていこう。 閃き=ひらめき=開いた目利き、なのかも知れません。 目を開いていくは、 意識のシフトでもあり、 開眼かもしれない。 世界観の入れ替えをして、 アンテナ上げて、 豊さを創造し続けよう!
2012年01月16日
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NHKの番組「ためしてガッテン」1月11日放送での「不眠ストレス緊張撃退 1日15分!脳の簡単トレ」に関して。不安を抱いてしまう脳のメカニズムを話していた。背内側前頭前野の働きが不安と関係があるのだそうだ。ここの働きが発達すると(座禅で鍛えられるとのこと)、「客観視くん」(番組でそう表現)が動き出して、自らを冷静に客観的に観ることができるようになり、不安が緩和されてくるのだそうだ。番組最後では、言葉の魔法を紹介していた。自分で考えた思いや考えの最後に「・・・と、思った」をつけてみる。ある種のつぶやきなのだが、以外と客観的になれる。「今日は失敗してミスしたし、ダメな自分なんだ」とそのまま、思い思考することは、従来のパターンで不安を増大させる。そこに、言葉魔法を用いる。「今日は失敗してミスしたし、ダメな自分なんだ、と思った」と表現し、口に出したり、話したりすると、どこか、引いた位置で客観視でき、気が楽になるし、不安が小さくなっていく。日本語の言霊は、すごい力を持つんだと思う。最後に「・・・と、思った」を付けるだけで、オセエロのように全部が反転してしまうような魔法である。「・・・、な~んちゃってネ」なんかも、どこか似た効果なのかもしれない。「・・・と、思った」を付けると、心(=感情の部分)から少し離れられる。成功したことも、失敗したことも、どちらも最後には「・・・と、思った」を入れる。事柄の成就(成功や失敗)に囚われない心が創れそう。ただ、そうなっているだけ、捉えられ、一喜一憂で、心が揺さぶられことはなく、平安な平穏な位置を確保できそう。心を落ち着かせてくると、本当の自分(我)が観えてくる。内なる我の魂の位置をクローズしていく。ある意味、心の時代はもう終り、魂の時代が到来。難渋していたことが簡単に解決できる時代。その先の未来があるから従来枠は消えていく。心で苦労する、心を喜ばせる時代の先を行く。魂の位置での確認と喜びを見出す時だから、言葉魔法が容易く手に入ってきているのかも。豊かな意識の創造は、魂の成長そのもの。客観視くんは、明日の未来の記憶かもしれない。どんどん、我を解放して、心を透明にしていきましょう。そして、生きることの喜びを実感していきましょう。
2012年01月15日
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今日は1月14日。114を一十四に置き換えて観た。一十四=いとし=愛し愛しさとは、可愛く思うことであり、好きであることの状態である。この愛しさを音に返して観てみる。愛しさ=いとしさ=意図示唆生まれ持った意図を示唆(暗示)しているものとは何か?自らの意図を見出すは、生きることの意義にも繋がってくる。生を持ってこの星に生まれしことの嬉しさは、見えざるところの意図があり、その意図は見えざる糸となって縁を紡いでいく。縁の紡ぎ方にも計画があり意図があるのかもしれない。その意図を示唆していくは、自も他も区別なく、空間すべてを包み込み可愛く思うことなのかもしれない。映す全てを愛しく思えるは、豊かな意識の成せること。愛しさを益々アップさせて自らの輝きをアップさせていこう。
2012年01月14日
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今日は今年最初の 13日金曜日である。 13数理は忌み嫌うものではなく、 神とか金に繋がる意味を持つ。 13は十三と書いて、 そもそも富(とみ)と読む。 富の象徴は、お金でもあるし、 金に繋がっている。 十三屋と書く屋号の櫛屋(くしや)がある。 つまり、櫛=くし=九四 九四は九+四=十三で、 櫛は髪をとかす道具なので、 櫛(九四)つまり十三は、 神(髪)に繋がっている。 更にはお琴の弦本数は、 十三弦であることから、 十三は琴に繋がり、 琴=きん=金である故に、 十三は金でもある。 富める数理13は、 輝きの金であるし、 神々しい神に繋がる。 だから、十三参りや十三夜を用いるは、 最高なる位置をわかって使ってたのかも知れません。 13日金曜日は輝きを思い出させる日。 心の琴線も黄金の輝きを増す。 豊さ意識をさらに創造して明日(14日)を迎えよう!
2012年01月13日
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電車広告で 「凛と際立つ艶ロング」 のコピーを映す。 凛とせよとのメッセージのように映った。 凛とは辞書では以下のこと。 1 身がひきしまるように寒い。 2 きりっとしている。りりしい。 今朝の寒さに関係しているが、 きりっと身を引き締める。 「りん」の音は、 輪や鈴などにも繋がる。 輪廻(りんね)もお鈴(りん)も、 いずれも「たま」(魂・音)を巡らす。 凛とするは、たまの巡らせを意識させる。 豊さ意識への向き合い方を凛とする。 自らの中に光りを巡らせていこう。
2012年01月12日
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今日は1月11日 鏡開き・蔵開きの日。 11数字並びは、 観音開きの様。 鏡とは自らが見ている現実世界ともいえる。 心のあり様を映す現実は鏡の世界なのかもしれない。 鏡に映っている世界を 現実と捉えているならば、 それは鏡の世界の映像であり 幻しかもしれない。 鏡を開くは幻しの位置を知っていくこと。 現実はどこにもない。 自らの意識の投影の鏡を磨きあげるは、 自らの心を磨き、 豊かな意識を創っていくこと。 鏡はミラーなので、 ミラー来るは鏡世界の奇跡(ミラクル)かもネ。 豊かな意識をどんどん開いていきましょう。
2012年01月11日
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光りは輝くためにある。 自らが光りの存在たるをしる。 魂が輝く。 輝=き=きー=Key 輝くことはKeyであり重要。 玉は磨けば光る。 磨けば輝きが増す。 豊かな意識の創造に向けて、 自らを輝かせていこう!
2012年01月10日
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ノートや本には必ず文字が書かれていない余白が存在する。余白ページは文章全体のデザインをも決めている。最近の手帳では余白スペースを通常の約6倍にしたものがある。余白とは、文字の書いてない白い部分のことをいう。余白があることで、手書きが可能になるし、そこを活用できる。直筆にて、紙(余白)に書くことで、神様に掛けることに通じるのではないかとも思っています。意識の面で考察してみると、余白(よはく)は、余(よ)つまり、我の白紙部分かもしれない。(「余は満足」の余は我・自分・私)我の白紙領域を広げ、そこにどんな願いをかけて夢を実現させるか?さらには、余が白いということは、我が白であり、無地であることで、我が無い姿かもしれない。我の中で余白を広げるは、我を外した領域の拡大なのかもしれない。豊かな意識の創造に余白の面白さを広げ、我の解放領域をさらに広げて進んでいきましょう。
2012年01月09日
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何かししら嬉しい気持ちとなると、自然と「ほほえみ(微笑み)」が出てくる。顔の表情にて頬(ほほ)を緩ませ、笑いを含ませる。微笑みは、頬笑みなのかもしれない。口角を上げると微笑みが美しくなる。微笑みを浮かべられる心の位置は、緩やかに淡く物事を捉えることができる状態であって、その意味においては、視点や視野が広がるという意味での広角に口角が繋がっているのかもしれない。顔は、自分で見ることができない部位であって、映す相手に唯一見せる部位であるからこそ、自らの心の位置の投影としての微笑みをもてるは、映す景色も微笑みの花が咲く。微笑み返しは、まさに鏡の法則そのもの。自らが微笑む位置も、映す相手の微笑みから返す位置も、どちらの位置も微笑みに違いはない。頬の古語が「つら」なのだそうだ。なので、微笑み=頬笑み=つら笑みうらみ・つらみは、負の感情であるが、笑いが入ると、微笑みになり、豊かな正の感情になる。つらみ・・・つら+笑+み=つら笑み=頬笑み=微笑み豊かな意識の創造に向けて、いつも微笑みを絶やさずに進んでいこう。
2012年01月08日
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意識が変わると、出会う人や事柄が変化してくる。我ひとりの世界で見ている視点においては、それらの情報や景色はスクリーンの一枚の映像。なので、見ている視点ではなく、映しているの捉え方でいる。映す景色が変わったことは、意識の変化の現れかも。映す相手もスクリーンの中の登場人物のひとりで、我の心の投影で映し出して登場させた人物。自らの脳が創り出した映像と捉えることもできる。映す景色の変化は、嬉しい変化。良きことも悪きことも、それも嬉しい変化。映す景色(スクリーン)の側に問題あるように見てしまうが、実は、映して見ている側の自らの意識創造に向けられた問題が、そのような映す景色で見えている(見せられている)だけかもしれない。映す景色の変化は、日々のささいな日常の中に沢山ある。景色の変化は刺激となり、面白さを演出してくれる。いや、逆に面白さを創造するのに映す景色を変えているのかもしれない。景色=けしき=けーしき=形式そうなんだ、景色は、形式でしかないのだ。商品や形あるものには、必ずこの形式(型式:かたしき)がある。形式(型式)は、進化するし、古いバージョンは売れ残る。だから、景色も形式も次々、変化し、進化するのが流れ。自らの意識の形式(型式)をバージョンアップさせながら、映す景色の変化を楽しんで、豊かな意識を創造し続けよう。
2012年01月07日
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認識の仕方、価値観で映す世界が変わってくる。強い思い込みは外すほうが広がりが持てる。握り締めていると視野も世界も狭くなりがち。握った手の中に何を大事に掴んでしまっているのか?手を少し広げ緩めてみると、何も無いことに気づき、手放すと得るものがある。緩(ゆる)やかにしてみる。緩(ゆる)す=許す自らに許可を与え、隙間を許すことは、緩やかさを手にし始めること。自も他も区別はなく全てが我の認識世界でのプログラム。緩(ゆる)やかにとらえ、許していく。緩の音は、カン故に完なのかも。緩=カン=完。今を常に最高地点と捉えるは、許容(キャパシティ)実力。少し緩やかに意識を高めていこう。
2012年01月06日
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仕事初めの日である。2012年の始動である。始動を音に返して観ると、始動=しどう=指導=志道事柄を動かし始めるという始動は、ある意味、見えざる位置での天からのご指導が始まるという意味での指導開始の日なのかも。事柄ということを動かすことによって、自らの心も育てられていく点では、我の志し(魂のレベル)を確認して歩き出す道なのかもしれない。志しの道(=志道)を始動させる。志という字は、十一(=士)の心と書く。十一は、11であるので、開く意味を持つ数理。開いて育てる心を始動させる。豊かな意識の創造に向けて今年も動いていこう。
2012年01月05日
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正月は、おめでたい。愛でると書いて、「めでる」とも読む。だから、きっと、めでたい=愛でたい、かもしれない。おめだたいには、愛(Love)が詰まっている。おひとよしやばか正直な人を「おめだたい人」と呼ぶが、これは、映す相手に向けた言葉として使うのではなく、映している我自身に向けて使う方が意識が創られると思う。自らが、おめだたい人だということは、自分自身に対して正直であることの証し。自らを愛することができることは、本来はすばらしき事ではあるが、できそうでできないものでもある。それは、自らをどこまで信じていけるか?信じて愛(め)でることができるか?そんな意識の位置を確認させられているのかもしれない。愛(め)でたい人であり続けたい。愛(め)でたい=芽出たい自らを愛し信じることは、光りを注ぐことにより、真なる我の位置の芽が息吹くことかもしれない。真我=しんが=真芽芽を出すからには花を咲かせたい。豊かな意識の創造で愛(め)でたい花を咲かせましょう。
2012年01月04日
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今日は、既に正月三日である。十二支の中で、辰(龍)だけは、実在しない架空動物。実在しないからこそ、想像力を発揮できる年かも。2012年を数理に変換して観ると、2012=2+0+1+2=5今年は、5の数理を持つ年なのかもしれません。5とは、御でもあり、吾にも通じるように、センター・中心なる位置の数理。ある意味、中心をどこに置くのかが問われる年かも。豊かな意識の創造に中心を置き、吾(わが)なる位置の我中心位置での立ち位置をしっかりと定めていきたと思います。四神でいうと、龍の数理は「1」であり、色は「青」であり、方位は「東」である。つまり、青龍は、東に位置しているからでもある。日出る国の日本は、東の位置であり、太陽が1番で昇る国であり、日本の国土の形自体も龍体とも呼ばれたりしている。中心たる位置の年で、自らを日本国に置き、その豊かさの創造を続けるは、我の中の中心に意識を合わせ輝かせることに、すべてが繋がっているのかもしれませんネ。
2012年01月03日
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元旦に昨年ご縁をいただいたエンジェルくみちゃんと妹さんのご兄弟に地元のショッピングセンターで偶然(いや必然)に出会うハプニングとサプライズがあった。ご姉妹のご実家の地元なので里帰り中ではあったが、同級生にも会わないのに何故にけんたま夫妻と会うのか、本当に不思議だとおっしゃっていた。まさに、地元の見えない力のサポートも加わっての、ご縁以外の何ものでもないサプライズであった。今年のサプライズを予感させるような出来事であった。本当にご縁は見えないところで繋がっているんだと思いました。驚きのサプライズではありましたが、ちょっとお茶しただけで、さらに次の楽しみが創造されて、縁がさらに広がる気がしました。映す相手が本当に居るのではなく、自らが映した相手なので、きっと、次の面白場面をきっと、魂さんは創りだしているのだと思う。サプライズは、ある種の刺激材となってくる。地震で少しは揺れたが、自らの映す空間映像も揺れて来た。辰年は、龍の動きが活発で早い始動開始なのかもしれない。魂さんの立つ(=辰)位置を高めて、サプライズで刺激を楽しみ、意識をどんどん豊かに創造していこう。
2012年01月02日
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2012年 明けましておめでとうございます。 今年は、卯から辰へバトンタッチ。 意識のたつ位置が大事。 ~~~~~~~~ 今年もよろしくお願いいたします。 竜の勢いに乗り、 竜勢=りゅうせい=隆盛 をめざしましょう。 魂レベルの隆盛を。
2012年01月01日
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