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どちらがいいか悪いかは別として、一度紛争が勃発したらどちらかが勝利したと宣言するまで終わらないものなのかもしれない。いさぎよく「負けました」と頭を下げるのは、将棋の世界だけなのかも。ウクライナの越境攻撃で攻守逆転、ロシアは防衛態勢の強化に奔走 8/19(月)CNN専守防衛では収まらなくなっている。イスラエル攻撃準備のヒズボラ、ハマスを大幅に上回る戦力…無人機性能を誇示する映像公開2024/08/19 読売イスラエルは、パレスチナを消滅させようとしているように私には見える。そんなイスラエルを味方する理由はあるのか。紛争はエスカレートするばかり。他にも色々な場所で紛争は続いている。21世紀も紛争の時代のようだ。
2024年08月20日
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8月6日 広島きょう原爆の日 あの日から79年、被爆地に向く市民の目 8/6(火) 中国新聞 華やかな「平和の祭典」をかき消すかのように、武力による争いが続く。核には核で対抗しようとする抑止論もやまない。広島は6日、原爆の日を迎えた。たった一発の爆弾が街を破壊し、子どもを含む大勢の市民の命を無差別に奪った。過ちを繰り返してはならない。79年前のあの日を世界は忘れてはならない。 「怖い」「怖いよ、お父さん」。ごった返す広島市の原爆資料館で、核の惨禍を伝える「無言の証人」を前に、少女が父親の手を何度も握りしめていた。「こんな時代だからこそ、平和の尊さを感じてほしくて」。父親は、つなぐことも少なくなったという11歳の娘の手の感触を確かめ、この夏に初めて資料館へ連れて来た理由を明かした。 ロシアによるウクライナへの侵攻は長期化し、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃も悪化している。近年にない厳しい国際情勢が、原爆被害を原点に世界平和を願う被爆地へ国内外の市民の関心を向けさせる。資料館には昨年度、過去最多の198万人が訪れた。本年度はさらに上を行くペースだ。 その心情を世界のリーダーたちは共有できているのだろうか。 昨年5月の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)は「核兵器なき世界」を目指す姿勢を示したが、機運は高まっていない。米国はことし5月に34回目の臨界前核実験を強行。7月には日米両政府が、米国が核兵器を含む戦力で日本防衛に関与する「拡大抑止」の強化に合意した。核の威力にすがるのはロシアやイスラエルだけではない。 広島市は6日午前8時から平和記念公園で平和記念式典を営む。松井一実市長は平和宣言で、国際情勢の混迷ぶりに危機感を示し、東西冷戦を終結に導いた旧ソ連大統領の故ミハイル・ゴルバチョフ氏の言葉を引用。核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すとともに、市民社会の行動を提起する。 厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は3月末時点で10万6825人。平均年齢は85・58歳となった。市はこの一年に死亡が確認された広島の被爆者5079人の名前を原爆死没者名簿に書き記し、式典の初めに原爆慰霊碑の石室に納める。名簿は3冊増え128冊計34万4306人になる。 今年に入り、焦燥感から、これまで口を閉ざしてきた被爆者たちが相次いでその体験を伝え始めた。ウクライナやガザの少年少女を79年前の自身と重ね「他の誰にも同じ思いをしてほしくない」と。6日は、亡き人たちを悼み、核兵器も戦争もない世界の実現へ向けて、市民一人一人が自覚を持ち、行動を決意する一日になる。 式典には岸田文雄首相や、核保有国の米英仏印、イスラエルを含む109カ国と欧州連合(EU)の代表が参列を予定。市は今年、安全対策の強化を理由に入場規制エリアを公園全体へ広げ原爆ドーム周辺も含む。規制は午前5時から9時までで、6時半に6カ所の入場口を開設する。平和の祭典であるはずのオリンピックが火災中も、世界の各地での紛争は収まることはない。憎しみの連鎖はますます強まっているような気がする。イラン、報復間近か イスラエル警戒、外交努力続く時事通信【イスタンブール時事】イランで起きたイスラム組織ハマス最高指導者ハニヤ氏の暗殺で、米ネットメディア「アクシオス」は4日、イランが殺害への関与が濃厚なイスラエルへ早ければ5日にも報復攻撃する可能性があると報じた。(後略)ガザ市の学校に空爆 子どもら17人死亡、63人負傷8/4(日)
2024年08月06日
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昨日の北海道新聞に長倉さんの記事があった。長倉洋海さんのことを多くの人に知ってほしいと思い、転載する。会員限定記事なので、本文だけコピペしよう。<言葉の現在地2024>私たちは地球に生かされている 写真家・長倉洋海さん 争いやめて自然と共存を 10歳のころ、地球儀を買ってもらった。丸い地球の上にたくさんの国があった。少年は大人になって戦場や紛争地に向かった。激動する世界をカメラでとらえたかった。そこで生きる人々に出会った。人が生きていくとはどういうことか、世界とどう向き合うべきか、出会いから学んだ。釧路出身のフォト・ジャーナリスト長倉洋海(ひろみ)さん(71)。今も地球を駆け回る。 40年前、内戦中のレバノンで、政府軍と市民軍が砲弾を撃ち合う最前線を越えて真ん中に行ってしまった。両方から砲弾が飛び交い、死を覚悟した。その時、同行した現地ガイドが飛べなくなったカナリアを抱き上げて助けた。最前線を脱出した時、車内に流れたピアノソナタを聴いて、生きていることを実感した。 南アフリカ、ジンバブエ、ソマリア、コソボ、カンボジア、ブラジル、エルサルバドル、グリーンランド自治領…。これまでに63の国・地域で撮影した。最も印象深い国、写真家としての土台を作った国、今も現地の子どもたちの支援を続ける国が、かつて旧ソ連の侵攻を受けていたアフガニスタンだ。 同世代のアフガンの司令官マスードのもとには、彼が2001年に暗殺されるまで17年間、何度も訪れ計500日を一緒に過ごした。マスードは戦場で花を手にしていた。戦闘の合間に草原で読書をしていた。ソ連軍の爆撃で故郷が破壊された後、彼が真っ先にしたのが植林だった。「彼の言葉、表情、行動、それぞれのディテール(細部)を今もよく思い出します」。戦下にいる人ほど平和を強く求めていることにも気づいた。■まず自分が変わる 今、ロシアがウクライナに侵攻し、イスラエルがパレスチナ自治区ガザを攻撃している。欧米がウクライナに武器を供与する。ガザで子どもを含む多くの民間人が殺りくされるのを世界は止められない。私たちは無力なのか。そう聞くと長倉さんは答えた。「一人一人、その場所で自分自身が変わることが、実は世界を変える一歩になる。半歩かもしれないし1ミリかもしれない。でも必ず少しずつ、世界を変えることにつながっていくはずです」 記者は1月に東京で開かれた写真展「地球に謳(うた)う」の会場で初めて長倉さんに会った。世界各地の先住民や遊牧民など自然と共存する人々の写真に心を打たれた。当初は「持続可能な開発目標(SDGs)」の特集記事で長倉さんの世界観を紹介しようと思った。ただ、インタビューするとSDGsに違和感を持っていた。「地球に優しくとか、持続可能とか、それは人間本位の話でしかない。僕たちは地球に生かされている。逆に地球は人間がいてもいなくても関係ない。人間がいなくなっても他の動物や植物は困らないのだから」■欲の飽和 壊れる森 長倉さんは昨年、飛行機で27時間かけて地球の反対側のブラジルに行った。森林破壊の進むアマゾン川流域の環境はさらに悪くなっていたという。便利さや経済的な利益を追求する欲望の飽和。「開発する側の人間は欲望のために森を壊し、そこで暮らす先住民族の生活や命を脅かしている。木材も資源も食料も、それらがどのように切り出され、掘られ、作られたか、日本にいると最前線がオブラートに包まれて見えない」。四半世紀ぶりに再会した先住民のリーダーは、かつては「写真でアマゾンの現実を世界に伝えてほしい」と話していたのに今回は「人間がいなくなってしまった方がいい」と話した。故郷の川が汚染され、先住民もペットボトルの水を飲んでいるという。「人はモノによって生かされるのではなく、人によって生かされる」と強く思う。 年齢を重ねるにつれ、長倉さんが撮る写真も変化した。カマキリが道端をゆっくり歩いていれば、はいつくばって写真を撮る。雪が積もったシラカバの若木を見て、枝が細くて重そうだからとかわいそうになって、雪を払う。「自然に共振、共鳴することが若いころより増えました」 世界を回りつつ、今は故郷の釧路に根を下ろした長倉さん。地元の小学生に授業をする機会もある。「僕は写真や旅の話をするのが楽しくて、そんな姿を見た子どもたちが、好きなことをしていると楽しいんだなと思ってくれるといい」。子どもたちに伝えたいことは?と尋ねると「いや、ないよ」と即答した。「僕たちが伝えなくても、子どもには可能性がある。芽っていうかな、命の中にある、生きていこうとする気持ち。きっかけさえあげれば、木々が芽吹いて太陽に向かうのと同じように伸びていくはずです」と優しい表情で話した。 <略歴>ながくら・ひろみ 1952年釧路市生まれ。同志社大卒。時事通信社を経て80年からフリーのカメラマンとして紛争地などを回る。写真集やエッセーなど著書多数。土門拳賞や講談社出版文化賞を受けた。2015年から釧路の実家で「長倉商店塾」を開講。半生を描いたドキュメンタリー映画「鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)」が昨年公開され、全国を巡回中。7月13日~9月29日に道立釧路芸術館で写真展が開かれる。
2024年04月30日
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このニュースを見た時はとにかく呆れたのだが、公式に中国が発表したということで一歩前進か?中国原発のトリチウムが上限超え 福島第1処理水の最大9倍 3/9(土) 18:23共同 【北京共同】中国の原発が2022年に放出した排水に含まれる放射性物質トリチウムの量が、東京電力福島第1原発処理水の年間放出計画量の上限と比べて最大9倍に上ることが9日、中国の公式資料で明らかになった。処理水を「核汚染水」と呼んで海洋放出を非難する中国が相当量のトリチウムを放出してきたことが改めて浮き彫りになった。 中国は処理水には他の放射性物質も含まれるとして海洋放出に反対する立場を崩さず、日本と主張が平行線をたどっている。中国による日本産水産物の禁輸といった問題解決は困難な情勢だ。 公式資料は23年版の原子力専門書「中国核能年鑑」。22年の原発の運用状況や安全性のデータが記録されている。13原発計19カ所の観測地点で放射性物質を調べたところ7割以上に当たる15カ所の排水に含まれるトリチウムの量が、福島第1原発から放出が計画されるトリチウムの年間上限量の22兆ベクレルを超えていた。 浙江省に立地する秦山原発が22年に放出したトリチウム量は202兆ベクレルと、処理水上限の9.1倍だった。
2024年03月10日
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20年前の2月はどんなことをしてたかなと、過去のブログを見ていたら、2004年02月21日の「旅行の後始末」を見つけた。老いた父が、かつての戦友たちが沖縄戦で大勢亡くなった場所に行きたいということで、両親と私が2泊3日で沖縄に行った時のブログだ。もう20年も前のことなのに、つい数年前のような気がするのは私が年をとった証拠かも。ブログを読んでいると、普段は忘れていることがはっきり思い出せる。これを続けていて良かったなと、あらためて思う。これを読んでいて再発見したような気がしたのは、あの時ガイドをしてくれた個人タクシーの運転手Uさんの言葉だ。沖縄の人たちがあの戦争で本当に大変な思いをしたのに、あまりにも辛い体験だったこともあり、子や孫たちに戦争の実相をあまり伝えていないこと。そのせいで、沖縄で育つ子ども達ですら、「昔話」のようになってしまっている面があるとおっしゃっていた。だからUさんは、個人タクシーの平和ガイドの傍ら、子ども達に戦跡体験などでの平和教育活動をしていると聞いた。確かに、思い出すのも辛いことはなかなか話すことができないのも事実だ。しかし、体験者がいなくなり、実感を持って聞いた人もいなくなれば、あの戦争も単なる昔話になり、特攻で亡くなった人たちも英雄視されるだけになる。つまり、国のために命を失うことが美談に終わってしまうことになる。そんな人が、20年前よりは確実に増えているのだろう。だから、多くの国民の犠牲によって獲得できた平和憲法すら形骸化しつつある。もう一つ、ブログにも書いているけれど、洗脳状態であったはずの自分達国民が、あっという間に気持ちを切り替えることが出来たのはなぜだと思いますか?」と聞いた時、「それは、日本の指導者層が洗脳されていなかった、あるいはすぐに目が覚めたということでしょう。指導的立場にある人の意識がそのままだと、洗脳は解けないのではないでしょうか」とおっしゃった。この言葉は忘れていたのだが、あらためて大切な視点だと思っている。ことは軍国主義時代の洗脳のことにとどまらない。統一教会のことも、政治家の裏金問題のことも、教育観、天皇制、男女の不平等、みんな過去の価値観に洗脳されているままの指導者が目覚めなければ、庶民の洗脳もとけないのかもしれない。洗脳状態の人は、自分がそんな状態とは思っていない。それが当たり前の考え方だと思っているから、違う意見の人を糾弾しようとする。しかし、どうも人というものは、洗脳されている状態を心地よく感じる面があるのかもしれない。私は何に洗脳されているのか、時々は考えてみなくちゃ。
2024年02月23日
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新しい年を迎え、今年は良い年になるようにと願った矢先、夕方のニュースに愕然。【能登半島地震】津波の高さ5メートル推測1/1(月) 17:22 北國新聞 1日午後4時10分ごろ、能登地方を震源とする地震があり、志賀町で震度7の揺れを観測した。気象庁によると、震源の深さはごく浅い。地震の規模(マグニチュード)は7・6と推定される。気象庁は同県能登地方に大津波警報、山形、新潟、富山、石川、福井、兵庫各県に津波警報を発令した。大津波警報が出た石川県での津波の高さは5㍍と推測される。 志賀原発に異常はない。県内の高台では避難する人が集まった。震度5強を観測した金沢市の尾山神社では、初詣の参拝者が強い揺れに騒然とし、避難した。JR金沢駅は水浸しになった。 主な各地の震度は次の通り。 震度7=志賀町、震度6強=七尾市、輪島市、珠洲市、穴水町、震度6弱=中能登町、能登町、震度5強=金沢市、小松市、加賀市、羽咋市、かほく市、能美市、宝達志水町、震度5弱=白山市、津幡町、内灘町、震度4=野々市市、川北町【能登半島地震】県内死者30人に 輪島市で15人1/2(火) 13:46 北國新聞今日も朝から、テレビでは能登半島を中心とした地震のニュースが続いている。輪島市の朝市の場所では火災が発生して、ほとんどが焼け落ちたようだ。今朝は、輪島の朝市近辺での漆器店で買ったお椀でお雑煮を食べながら、あのお店も焼けたのだろうかと思っていた。この季節に地震・津波・火災の恐怖が続いている地域の皆さんを思うと心が痛い。あらためて、日本は地震の国だと思うばかりだ。私達には何もできないけれど、せめて復興のための寄付くらいはしなくてはいけないと思っている。その地域の人達には大変申し訳ないけれど、我が家は息子たち家族や妹と一緒の、年越しと新年だった。集まる時の食事関係はほとんど我が家が用意するのが常で、彼らはお土産程度を持ってきていたのだが、今年は「それぞれ、何か一品食べるものを持ってきて」と頼んだ。ということで、長男は鹿肉のロースト、長男の妻は大量のロールキャベツ、次男はローストビーフと付け合わせにするアリゴと、私は決して料理しないものが集まった。妹は稲荷寿司と伊達巻。孫は働いているパン屋さんの大量のデニッシュやパン。年末には正月明けのためにパンを購入する人が多いらしく、大量にパンを焼くため少し売れ残ってしまったものを持ち帰ったのだそうだ。今年は喪中ということで、控えめにしようと思っていたのだが、テーブルに広げたら結構なボリュームと華やかさになった。三日間はそれぞれの家では残り物を食べるだけで十分。「世界では食べ物がなかったり戦禍の中に過ごしている人も多いのに、申し訳ないね」と殊勝なことを言いながらも食べ続け、ワインを飲み、常に胃袋に何か入っている状態だ。その時には、「幸せな人はその分だけ社会や人のために役だたなきゃね」と話していたのに、早速日本でこのような災害が起きてしまって、何とも言えない気分だ。一日も早く地震が落ち着き、復興が始まりますように。
2024年01月02日
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いつも、内田樹氏の書いていることを読むと考えさせられる。このことについては、少しじっくりと考えたいので転載しておく。月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」2023-11-16 ― ウクライナ戦争に続いてイスラエル・ハマス戦争が起こりました。この事態をどう受け止めていますか。内田 強い衝撃を受けました。これまでもイスラエルとパレスチナは衝突を繰り返してきましたが、今回は暴力性の次元が違うと感じます。イスラム組織ハマスがパレスチナ自治区ガザから攻撃を仕掛け、イスラエルは「戦争状態」を宣言して以来、徹底的な報復攻撃を行っています。欧米はイスラエルの自衛権を支持していますが、「これは自衛の範囲を超えている」と批判している国も多くあります。 でも、今回の事態を何と表現すればいいのか、私にも実はよく分からないのです。これは近代的な国民国家間の戦争ではありません。かといって、ポストモダン的な非国家アクターによるテロではないし、単なる民族抗争、宗教戦争とも言い切れない。そのどれでもなく、そのどれでもあるような、複合的な戦いが起きている。このような事態を適切に表現する言葉を私たちは持っていないという気がします。私たちはまず「何が起きているのかうまく説明できず、解決方法もわからない」というおのれの無知と無能を認めるところから出発する必要があると思います。 ただ、イスラエル側の認識には前近代的な宗教戦争や「聖戦」思想に近いものを感じます。今回、ハマスは非戦闘員を含むイスラエル国民を無差別に虐殺しました。これについてネタニヤフ首相はハマスを「新しいナチス」と呼び、演説では「私たちは光の民であり、彼らは闇の民だ」という善悪二元論的な理解を示しました。イスラエルの国防大臣は「私たちは人間のかたちをした獣(human animals)と戦っている」とまで言い切りましあ。イスラエルによれば、今回のハマスとの戦闘は、二つの国家がそれぞれの国益を守るために行う「ふつうの戦争」ではなく、人間が悪魔と闘っている「神話的な戦争」だということになります。それではイスラエルのガザ攻撃に歯止めが利かなくなって当然です。相手は人間じゃないんですから。 戦時国際法では、攻撃してよいのは敵戦闘員か軍事基地などに限られます。降伏者、負傷者、病人などの非戦闘員は攻撃目標にしてはなりませんし、医療施設も教育施設も宗教施設なども軍事目標にしてはならない。もちろん、実際の戦闘においては、市民や非軍事的な施設が「巻き添えを食う」ことは避けられませんが、それでも交戦時には「巻き添え被害」を最小限にとどめることがすべての軍隊には求められています。 しかし、今回のイスラエルのガザ空爆は敵国の構成員は原理的にはすべて潜在的な戦闘員だという理解に基づいています。たしかに戦闘員と非戦闘員の線引きは困難ですけれども、交戦に際しては、その線引きのために最大限の努力をすることが求められている。自分が殺そうとしている相手が戦闘員か非戦闘員かがわからないときには、引き金を引くことを「ためらう」ことを求めている。それは正義の実現とはほど遠いけれども、犯さなくてもよい罪は犯さない方がいいと命じている。ことは原理の問題ではなくて、程度の問題なんです。 ところが、今回イスラエルは、敵国の構成員である以上、子どもも大きくなれば兵士になるかも知れないし、医療施設で治療を受けた人間は治癒すれば前線で戦うかも知れないという理屈で「子どもも殺すし、病院も爆撃する」ことを正当化している。「ジェノサイド」と呼ばれるようになったのは、そのためです。 これは近代国家として守るべき最低限の節度を越えています。今起きている事態をどう呼べばいいのかは僕にはよく分かりません。でも、名前をどうつけるよりも、この瞬間も殺され続けているガザの人たちの命を守るために一刻も早く停戦することが最優先される。「これは言葉の問題ではなく、時間の問題なのだ」というのは感染の拡大を前にして、この病気がペストかどうかをいつまでも論じている専門家たちに向けて『ペスト』の医師リウーが告げる言葉です。今のガザについても、同じことが言えると思います。―― ウクライナ戦争にも聖戦の側面があります。内田 ロシアも前近代のパラダイムに退行しつつあるように見えます。プーチンはウクライナの「非ナチ化」を掲げて侵攻しました。ウクライナ政府がナチ化しているというのは、まったくナンセンスな妄想です。でも、妄想にも十分に現実変成力はあります。妄想に駆られた人によって現に都市が破壊され、多くの人が殺されている。 一方のウクライナは、国土と国民を守る国民国家の自衛戦争をしています。こちらの方は戦うことに国際法的な合理性がある。ですから、国際社会はロシアを非とし、ウクライナの自衛には理があるとした。軍事支援はNATO諸国に限定されていますが、モラルサポートは世界から送られました。 しかし、パレスチナ戦争の勃発直後に、ゼレンスキーがイスラエル全面支持を打ち出したことで、ウクライナへのモラルサポートは一気に萎んでしまった。ウクライナの最大の戦力はロシアに対する倫理的優位性だったのですが、ガザの市民を虐殺しているイスラエルを支持したことで、その倫理性が深く傷ついてしまった。かつてウクライナを支持した同じ市民たちが今はパレスチナを支持しています。当然、欧米諸国政府の対ウクライナ支援の機運もこれで萎んでしまうでしょう。すでに「ウクライナ疲れ」が広がっているこのタイミングでのゼレンスキーの「失言」はもしかすると彼の政治的求心力に致命傷を与えるかも知れません。―― アメリカの覇権が衰退する中でヨーロッパと中東で戦争が勃発し、近代的な国際秩序が動揺する一方、前近代のパラダイムが復活してきている。内田 そういうことだと思います。ただし、ウクライナとパレスチナは同列に論じることはできません。ロシア・ウクライナは独立した国民国家間の戦争ですが、イスラエルとパレスチナはそうではありません。パレスチナは長くイスラエルによって分断され、抑圧され、国家機能を奪われており、いまだほんとうの意味で国家としての政治的自立を達していませんから。 それからもう一点、ロシアとウクライナは文化的にも多くの共通点を持っている同じスラブ民族の「兄弟国」ですが、イスラエルとパレスチナは、民族が違い、言語が違い、宗教が違うまったくの「異邦人同士」です。ですから、仮にこれから和平があり得たとしても、この二つの戦争ではずいぶん違うものになるだろうと思います。― パレスチナでの戦争は「21世紀の中東は誰が管理するのか」という問いを突き付けるものだと思います。内田 「中東の管理者」は歴史的に見ると、13世紀から1922年まではオスマン帝国、大戦間期は英国、そして第二次大戦後はアメリカというふうに遷移しています。 第一次世界大戦中、英国はオスマン帝国を弱体化させるために、アラブにはフサイン=マクマホン書簡で独立を約束し、ユダヤにはバルフォア宣言でユダヤ人の「民族的郷土(National home)」を約束するという「二枚舌外交」を行いました。それが今日のパレスチナ問題の原因となりました。 大戦間期には「中東の管理者」を任じていた英国は、第二次大戦後に国力が衰え、「世界帝国」から大西洋の一島国に「縮む」という戦略転換をしました。その時に「中東の管理者」のポストは英国からアメリカに移りました。 しかし、アメリカも英国同様、中東の管理には結局失敗します。イラク、アフガニスタン、シリア、そのどこにもアメリカは「欧米的民主主義」を扶植することができなかった。そもそもアメリカが中東に強い関心を寄せたのは、石油資源が欲しかったからです。でも、中東全域をパックスアメリカーナの秩序下に収め、石油の安定供給を確保するために要する「統治コスト」より、アメリカ国内で資源を調達するための「技術開発コスト」の方が安いということがわかった時点で、アメリカには中東に固執する必然性がなくなった。 それゆえ、オバマは2013年に「アメリカは世界の警察官ではない」と宣言し、アメリカは本格的な「リトリート(大退却)」を開始しました。それは「中東をコントロールするために要するコストは、中東からもたらされるベネフィットより大きい」という算盤を弾いた結果です。そうやって、2021年にはアフガンから撤退し、イラク駐留米軍の戦闘任務を終了しました。それに並行して、イスラエルとアラブ諸国の関係改善を主導して、2020年にはイスラエルとバーレーン、UAEの国交正常化を実現し、イスラエルとサウジとの国交正常化交渉を進めています。つまり、アメリカは「中東管理」という苦労の多い仕事をこれからはイスラエルに代行させて、自分たちはそっと逃げ出す算段をしていたんだと思います。でも、「リトリート」の代償として、アメリカはイスラエルに「中東におけるフリーハンド」を与えてしまった。それが裏目に出たのが今回のガザ侵攻だと言ってよいと思います。 厄介払いをしたつもりが、逆にアメリカはウクライナ問題に加えてイスラエル問題という問題を抱え込むことになってしまった。いわば「二正面作戦」を強いられることになったわけです。そして、ウクライナ支援では共同歩調をとってくれたヨーロッパ諸国の国民世論は圧倒的に「パレスチナ支援」に傾いていて、イスラエルを後押しするアメリカには国際社会のモラルサポートがありません。 アメリカはかなり手詰まりになっています。アメリカが中国との関係改善に意欲的なのは、そのためだと思います。ここで中国との関係が緊張してしまうと、いよいよ「三正面作戦」を展開しなければならなくなる。たぶん中国はここで窮地のアメリカに「貸し」を作ることで、対中国包囲網を緩和させるという譲歩を引き出すつもりでしょう。アメリカは譲るしかないと思います。―― イスラエル戦争は米中接近につながった。内田 そうです。でも、もちろん米中接近には限界がある。かつてイギリスがアメリカに覇権を委譲したのは、英米がアングロサクソンの「兄弟国」だったからです。でも、アメリカから中国への覇権委譲はそれほどスムーズには実現しないでしょう。かなり複雑で、ぎくしゃくした「米中協調」になる。でも、それしかアメリカにとっての選択肢はありません。今後、アメリカはウクライナでも、中東でも、アフリカでも、国際秩序を保つためには中国の外交力と経済力を借りなければならない。その点では中国に頼りたいのだが、中国の国際社会でのプレゼンスをこれ以上は大きくさせたくはない。どうしたらよいか。たぶん、米中以外に複数のキープレイヤーを関与させて、問題解決における中国のプレゼンスを減殺するという戦術を採択することになると思います。 中東の場合でしたら、トルコがこのキープレイヤーになるでしょう。今回の戦争についてエルドアン大統領はイスラエルを「戦争犯罪国家」と断じ、イスラエルを支持する欧米を「十字架と三日月の戦争を引き起こしたいのか」と厳しく批判しています。イスラム世界のリーダーとしては当然の発言だと思います。 でも、トルコは中国ともアメリカともロシアとも「等距離」にいます。何よりオスマン帝国には600年にわたって安定的に中東を統治してきたという実績がある。その歴史的経験を踏まえて、今新たに強国として登場してきたトルコが中東情勢安定に積極的に関与するというシナリオはアメリカにとっても中国にとっても決して「損になる話」ではない。アメリカからすれば、トルコはNATOの同盟国ですし、トルコ国内には米軍が駐留している。そして、トルコと中国はいずれ「帝国の辺境」において必ず衝突するはずだからです。 中国が「一帯一路」構想でめざしているのは西域から中央アジアを経て黒海に到る現代のシルクロードですが、その地域はそのままトルコからアゼルバイジャン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタンを経て新疆ウイグルの至る「スンナ派テュルク族ベルト」と重なります。どちらがこの地域の「主」となるか、その覇権をめぐって中国とトルコはいずれ必ず衝突します。この潜在的な緊張関係を利用すれば、アメリカはトルコと中国を「操作する」ことができるかも知れない。たぶん米国務省はそういう算盤を弾いているはずです。―― イスラエル戦争の停戦や新しい中東秩序が実現したとしても、パレスチナ問題の解決は至難の業です。内田 こればかりはうまい解決策が思いつきません。1948年にパレスチナにイスラエルが建国され、先住民であるアラブ人たちは土地を追われました。その非道を正すための「アラブの大義」を掲げて、1948年から73年までに4度の中東戦争が行われましたが、イスラエルが軍事的にはアラブ世界を圧倒した。この戦争の終結のために、1978年にジミー・カーター大統領の仲介で、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相の間キャンプ=デーヴィッド合意が取り結ばれました。この二人は翌年ノーベル平和賞を受賞しました。しかし、ここには戦争の当事者であるパレスチナ人の代表は呼ばれておらず、ベギンはエジプトとの和平実現後、1982年にレバノンにあるPLOの拠点を攻撃するレバノン侵攻を実行し、サダトはイスラエルと合意したことで「アラブ人同胞の裏切り者」と批判され、のちに暗殺されまてしまいした。 1993年にはイスラエルのラビン首相、ペレス外相とPLOのアラファト議長が「二国家共存」を目指すオスロ合意を交わし、これも彼らにノーベル平和賞をもたらしましたが、ラビン首相はやはり自国の過激派に暗殺され、アラファト議長没後にPLOは分裂し、パレスチナは、主流派ファタハがヨルダン川西岸地区を支配し、非主流派のハマスがガザ地区を支配するという現在のような分断国家になりました。 二度にわたって和平合意がなされ、当事者五人がノーベル平和賞を受賞しながら、結局平和は達成できなかった。この歴史的経験からわかることは、どれほど合理的な和平合意も、それぞれ当事国の国民による「感情の批准」が得られなければ空文になるということです。 問題は和平協定そのものの合理性よりむしろ国民感情です。最も強く人を衝き動かすのは怒り、憎しみ、屈辱感といった「負の感情」です。だから、ポピュリスト政治家は、そのような「負の感情」を政治資源として利用して、権力を獲ようとする。でも、一度火が点いた感情はそう簡単にはコントロールできません。ポピュリストは、国民の怒りや憎しみや屈辱感を手段に使って政治目標を達成しますが、しばしば暴走する感情を御し切れずに自分自身が政治生命を失うことになる。イスラエルはおそらくそうなると思います。ネタニヤフ政権は「史上最右翼」と言われる政権ですが、それはイスラエル国民の怒りと憎しみを政治資源として「活用」することで権力を維持してきたということだからです。 10月7日のハマスのテロを事前に察知できなかったのは情報機関の失策だと言われていますが、そのせいで1200人の死者が出て、イスラエル国民の怒りに火が点きました。支持率低下に苦しんでいたネタニヤフにとってはこれが政治的浮力になった。怒りと憎しみをおのれの政治的求心力のために利用した以上、この後、仮にネタニヤフ政権が停戦に合意しようとしても国民感情がそれを許さないということが起きる可能性があります。過去二度の合意と同じように、和平に合意した者は味方から「裏切者」と罵倒されることになるかも知れない。―― 最終的に国際問題を解決するためには、「負の国民感情」を鎮めなければならない。内田 そうです。そのためには死者を鎮魂し、生き残ったけれど深く傷ついた人々を慰藉しなければならない。供養というのは、死者たちについては、彼らがどう生き、どう死んだのか、それをできるだけ精密に語り継ぐことです。それは「負の感情」に点火するための営みではありません。怒りと憎しみを鎮めるための営みです。そこから死者たちについての新しい「物語」が生まれてくれば、死者たちはもう「祟る」ことはなくなります。 その点で注目に値するのが、韓国の取り組みです。韓国ではこの10年、李氏朝鮮末期から日本の植民地支配時代、軍事独裁時代を題材にしたドラマや映画を次々に発表してきました。自国のトラウマ的経験、歴史の暗部をあえてエンターテイメント化してきた。私はこれは国民的規模での「鎮魂」の儀礼だと思っています。 日本でも朝鮮人虐殺を題材にした映画『福田村事件』が異例のヒット作になりました。これは森達也監督がこの「歴史の暗部」をあえてエンターテインメントとして再構成したことの成果だと思います。 物語がエンターテインメントとして成立するためには、登場人物たちに「深み」がなくてはなりません。薄っぺらで記号的な「善人」や「悪人」がぞろぞろ出てきても、感動は得られないからです。シンプルな「勧善懲悪物語」には人を感動させる力はありません。私たちが映画やドラマを見て感動するのは、すべての人は、それぞれ固有の事情を抱えながら、運命にひきずられるようにして、ある時、ある場所で、思いがけずある役割を演じることになるという人間の宿命の抗いがたさの前に立ち尽くすからです。『福田村事件』はそういう映画でした。私たちは死者たちについて物語ることを通じて「供養する」。それは死者たちに「善人」「悪人」というラベルを貼って、それで済ませるのではなく、一言では片づけられない人間の「深み」を物語るということです。 現在、日韓関係は改善に向かっていますが、その背後にはこういう文化的な努力の積み重ねがあるからだと思います。どれだけ長い時間がかかったとしても、私たちは死者の鎮魂と生者の慰藉を通じて負の国民感情を鎮静させ、民族間の憎しみの連鎖という「呪い」を解かなければなりません。―― 「この世には命や平和より大切なものがある」という考え方があります。そういう超越的な価値に基づいて戦っている当事者に「命や平和を守りましょう」と呼びかけても説得できないではありませんか。内田 十字軍やジハードや祖国防衛戦争など、いつの時代も現世の幸福を否定しても「聖戦」に身を投じるという人はいます。でも、来世の幸福を渇望するのは、現世が不幸だからです。テロリズムは今ここでの物質的・精神的な「飢餓」が生み出すものです。ですから、まずあらゆる人々の衣食住の欲求が満たされる必要がある。でも、それだけでは十分ではありません。自尊心や集団への帰属感が得られなけれれば「飢餓」は満たされない。 ヨーロッパでは移民の衣食住はなんとか制度的に整えられていますが、それでも移民によるテロ事件が後を絶ちません。それは彼らが日常的に劣等感や屈辱感を味わっているからです。テロリストになることで自尊感情と集団への帰属感を回復しようとするのは、今いる社会ではそれが得られないからです。 ですから、「テロリズムと戦う」というのは、「テロリストを根絶する」ということではなく、テロリズムを生み出す怒りと憎しみと屈辱感を誰にも与えない社会を創り出すということです。遠い目標ですけれども、テロリズムを根絶する方法はそれしかありません。―― パレスチナ問題は「二国家共存」という政治的解決が示されていますが、真の解決はどうしたらできるか。内田 パレスチナ問題の根源にあるのはヨーロッパの反ユダヤ主義です。近代反ユダヤ主義はエドゥアール・ドリュモンの『ユダヤ的フランス』(1886年)から始まります。ドリュモンはフランスの政治も経済もメディアも学問もすべてユダヤ人に支配されているという「陰謀論」を展開して、爆発的なブームを巻き起こしました。ドレフュス事件はその渦中で起きました。 ユダヤ人ジャーナリストのテオドール・ヘルツルは『ユダヤ人国家』(1896年)を執筆して、近代シオニズム運動の主導者になりますが、彼が「ユダヤ人の国」が建設されなければならないと決意したのは、取材に訪れたパリで、ドレフュス大尉の官位剥奪式に詰めかけた群衆たちの反ユダヤ感情の激しさに触れたことによります。「ユダヤ人はヨーロッパから出て行け」というフランスの反ユダヤ主義者たちの主張を重く受け止めたヘルツルは「ユダヤ人の国」の建設というアイディアを得ますが、このアイディアを最初に言い出したのは「反ユダヤ主義の父」ドリュモンです。「ユダヤ人はヨーロッパから出て、自分たちだけの国を建国すればいい。そうすれば、そこでは誇りをもって生きられるだろう」と彼はユダヤ人に向けて「忠告」したのです。 ヘルツルが「ユダヤ人の国」の建設予定地として検討した中には、ウガンダ、アルゼンチン、シベリアなどがありました。つまり、「どこでもよかった」のです。でも、やがて近代シオニズムはそれ以前から宗教的故地への入植活動として細々と営まれてきた宗教的シオニズムと合流するかたちで「シオンの地」であるパレスチナに「ユダヤ人の国」を建国することを目標として掲げることになります。 今、イスラエルはパレスチナとの共存を拒んでいますが、イスラエルという近代国家ができたのは、そもそもヨーロッパがユダヤ人との共存を拒んだことが遠因です。問題の根源は「他者と共生すること」ができない人間の非寛容さです。それが近代反ユダヤ主義を生み、パレスチナ問題を生み、現在のガザでの虐殺を生み、さらには新たな反ユダヤ主義さえ生みだそうとしている。 答えは簡単と言えば簡単なのです。反ユダヤ主義とパレスチナ問題は同根の問題だからです。これを生み出したのはどちらも「他者との共生を拒む心」です。そのような弱い心情に人が屈する限り、同じ種類の問題は無限に再生産されます。「理解も共感も絶した他者とも共生し得るような人間になること」、それ以外の解決法はありません。(11月4日 聞き手・構成 杉原悠人)「他者との共生を拒む心」を乗り越え、異なる他者との共生が出来る知恵と理性が、これほど劣化してしまった人間が獲得できる日が来るのだろうか。もしもそれが可能な人間集団が生まれるとするなら、それはどのような人たちなのだろうか。
2023年11月23日
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どのような理由があったとしても、病院への武力行使は許されないだろう。しかし、それが可能なのが戦争なのか。イスラエル軍がガザの病院突入「司令部あった」、紛争直前まで病院で活動 国境なき医師団・白根さん「全く別の場所のよう」【Nスタ解説】11/16(木) イスラエルの主張もハマスの主張も信じられないけれど、確かなことは「シファ病院」はガザ地区最大規模の病院で、WHOによりますと、患者700人、医療スタッフ400人以上、避難者約3000人が敷地内にいるということだろう。イスラエル軍、ガザ南部への攻勢間近か 避難呼びかけるビラ配布11/17(金) 6:17結局イスラエルは、ガザ地区の占領を手始めに、パレスチナの人達を追い出そうとしているようにしか見えない。今後どうなっていくのか私にはわからないが、今現在も病院やガザ地区の人達は死と直面していることは間違いないだろう。
2023年11月17日
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ガザで国連職員100人超が死亡 1カ月超の犠牲者数で最悪11/11(土) 病院の地下にハマスが潜んでいるとの理由で、容赦なく病院までを攻撃するイスラエル。ずっとこのニュースを見ていると辛くなるのでチラチラと見るだけなのだが、いくら突然のテロで襲われたとしても、イスラエルのやり方は常軌を逸しているように思い、何故なのだとずっと考えていた。そして思うのは、これは民族としてのトラウマによるパニック的な戦闘ではないかということ。イスラエルつまりユダヤの人たちにとっての最大のトラウマは、ホロコーストだろう。国土を持たぬことが、第二次大戦の時のナチスによるホロコーストにつながった。あのようなことがまた起きるのではないかという恐怖と共に、イスラエルの国を何としても拡大しなければという執念につながっているのかもしれない。だとすると、ガザ地区をどれほど破壊しようと、その地区に住んでいる人たちの犠牲がどれほど多かろうと、イスラエルが安心できる状態まで占拠することになるだろう。私達のような遠い国から見たら、イスラエルのやっていることはガザ地区へのホロコーストのように感じるのだが、彼らは「こんなものと我々が受けたホロコーストを一緒にしないでくれ」という感じなのかもしれない。過去の異常な恐怖体験がトラウマとなり、似たような状況になると過剰反応したりパニックを引き起こすことは珍しくはない。個人の場合は、時間をかけた治療や癒しやカウンセリングなどにより、薄皮を剥ぐように軽減・回復していくだろう。しかし、民族としてのトラウマはどうなのだろう。考えてみたら、それぞれの国や民族には、トラウマになっているかのような歴史がある。私達の国、日本はどうかと考えてみる。多分、直近のトラウマは大東亜戦争の敗戦だろう。大国アメリカに無謀にも攻撃したことでひどい展開になり最後は広島と長崎に原爆を落とされたことで、日本人はアメリカの強大さと恐ろしさを見せつけられた。もう、絶対にアメリカには逆らえないという深い傷を負ってしまったのかもしれない。だから、いつもアメリカに従属したような態度ばかりなのかもしれない。他の国々にも、国や民族としてのトラウマがあるのだろう。だから、いつまでたっても国や民族同士の紛争は終わらないのかもしれない。それにしても、争いの中で命を奪われ恐怖におびえるのは、いつも弱い立場の人達なのだ。ウクライナとロシアの争いも収束の兆しは見えない。本当に無力感を覚える。
2023年11月11日
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毎日、テレビでイスラエルとパレスチナの映像を見ているとやりきれない。ウクライナ問題の時にはほとんど知識がなかったし、大国のロシアがウクライナの土地を強引に支配しようとする構図に怒りを覚え、文句なくウクライナを応援する気持ちになった。しかし今回のイスラエルをパレスチナのハマスが奇襲した時は、どちらを応援するという気持ちよりも、どうしてもこの歴史は終わらないのかという思いになった。だからなのか、テレビでガザ地区の映像などを見ると思わず別番組に変えてしまう。どちらにしても、罪のない人たちが巻き込まれ、傷つき命を奪われているのだから。まあ、戦争はどんな時もそうなのだが、この争いも本当にやりきれない。ということで、この問題について解説している記事を載せておく。ちゃんと考えてみなくちゃとは思うのだが。最新パレスチナ情勢 なぜイスラエルと衝突?ハマスって?解説 2023年10月16日 NHKニュースナビこの記事↓は、とても納得できるので全文コピペしておこう。なぜ日本人にとって「パレスチナ問題」は難しいのか…アメリカに気を遣い続ける「この国の欠点」 10/24(火) 現代ビジネスなぜ考えにくい問題なのか? イスラエルとパレスチナの間で凄惨な抗争が発生している。世界中に大きな影響を与える出来事であるが、この問題は日本人にとって考えにくい。考えにくいことの第一の要因は、私たちの経験不足・知識不足によるものだろう。これについては、地道に勉強を続けて少しずつ分かるように心がけるしかない。 一方で、パレスチナ問題についての考えにくさは、知識の不足だけに尽きず、日本人にとって二つの水準で深層心理的な抵抗が働くことにも由来している。 一つは文化・宗教的なもので、中東情勢の抗争の中心にあるイスラエルのユダヤ教、パレスチナのイスラム教、それに濃厚にかかわる欧米諸国のキリスト教という巨大な一神教の論理と、日本人が自覚の乏しいままに従っている多神教の論理の差が大きすぎることに由来する。 もう一つは、「対米従属」と形容されるような立ち位置を、国際社会の中で日本が維持してきてことから来ている。 今回の小文では漠然とした「こんな感じが良いだろう」という心構えについての提案を行うつもりである。文化論や心理学に偏った分析から具体的な方針の提言を行うことは無謀だろう。心理学を踏まえた文化論として、気楽に読んでもらえれば幸いである。一神教的なものと多神教的なものの違い 一神教的なものと多神教的なものの違いは、軸となる時間感覚に明確に現れている。 一神教の信徒は、日常的な感覚を超越した存在があることを信じているし、その神の意志によって世界が成立したと考えている。そしてその意志を知り、それと一致した人生を送ることを理想としている。一つの意志が存在しているのだから、始まりがあり、目的である終わりが存在する。そこから、目的を目指して一方向的に進む直線的な時間感覚が生じる。 1日が24時間であるというような客観的に計測可能な近代的な時間は、一神教的な時間感覚の影響を受けた、始まりと終わりの区切りがある不自然な時間なのである。これは人間の経験としては、この次に述べる循環型の時間と比べて、どちらかと言えば無理をした経験の構造である。 一神教徒の時間感覚は、神の意志が目的に向かって展開していくことに本質がある。停滞や逆戻りがあったとしてもそれは人智を超えた神の計画によるものだから、信じる人にとっての反証とはならない。 近代化された一神教徒が露骨に主張することはないが、しかし根底にあるその時間意識が目指しているのは、他宗教を滅ぼして自らが奉じる神の意志が全世界であまねく実現することである。 そして、それぞれの宗教が歴史的な経緯から尊重するのが、エルサレムを中心としたイスラエルの地なのである。一神教徒たちが、この問題について簡単に妥協できないことを私たちは漠然と想像できるが、それを追体験して実感することは難しい。 直線的な進歩を想定する一神教的な時間と異なる、多神教的な時間の特徴を一言で表現するならば、それは「循環」である。朝が来て夜が来る。四季がくり返される。世代が変わっても、どの人も同じような人生を送る。ラディカルな変化は、進歩とみなされるものでも警戒される。多くの日本人の時間感覚は、こちらに近いのではないだろうか。 特定の意志の実現よりも、調和の中で時間が反復されることが優先される。一方でこの循環が停滞につながることも当然のようにありえる。世界中で各国が経済成長を続けた中で、日本は長く停滞にとらわれている。「そこそこの豊かさと幸せ」が続く限り、この循環型の時間の中に生きることの方を、日本人は深層心理の水準で強く望んでいるのかもしれない。 いずれにしても、イスラエルとハマスのような抗争は、豊かさと平和の中に安らいでいた多神教徒には、想像したり考えたりすることが困難な出来事になってしまっている(ちなみにもし、今後日本が経済的に困窮し、体感として変化を望む人が増えた場合には、この状況も変わるかもしれない)。日本の立ち位置が揺らいでいる もう一つ、国際的な政治情勢の中での日本の立ち位置が、ガザ地区などの問題などを考えにくくさせているという事情がある。 長い間世界では、アメリカ・ヨーロッパが主導する秩序が強い影響を及ぼす時代が続いた。その国際社会の秩序は、キリスト教を出自とする近代社会の枠組みである。そして、キリスト教に本格的なコミットをしたことがない日本が、本心に多神教の心性を色濃く残したまま、その枠組みに西欧に追従する形で参加してきた。 特に第二次世界大戦後における敗戦後の日本のあり様は、「対米従属」と呼ばれるほど自らの意思決定を回避してアメリカに追従するものだった。そうすることで西側陣営の中で非西欧諸国としては最高位に近い位置を占め、政治的経済的な影響力を行使してきた。しかし現在、その立ち位置が揺らいでいる。 そもそも、何らかの権力の庇護下にある場合、その権力者の負の側面について言及することは困難である。ボスの悪事を見て見ぬふりをすることは、手下としての振る舞い方の基本だろう。日本は独立国家として振る舞える状況があったのにもかかわらず、自らそれを放棄し、アメリカの手下であることを選択し続けた。その場合に当然、ボスであるアメリカ、そして西欧諸国がダブル・スタンダードを常に指摘されるイスラエルの問題について、積極的に発言することが難しくなる。 つまり、ボスであるアメリカに気を遣わなければならないこと、そしてそのような形でアメリカに従属していることを認めたくない心理が働いていることが、日本人がパレスチナ問題を考えることを難しくしているもう一つの要因である。もっとも、イスラエルの問題について言及することは、ユダヤ人の政治的な影響力の強さから、世界中の人が言及しにくい問題になっているという事実もある。 アメリカ・ヨーロッパが中心的な役割を担って維持してきた近代の枠組みが、揺らいできている。ウクライナ情勢についても、アメリカ・ヨーロッパに同調してウクライナを支持することなく、ロシアに同情的な国家が意外に多かったことが伝えられている。 これは、世界で多くの国が経済的な実力を蓄えつつあるという理由もあるが、西欧近代の価値観への信頼感が揺らいでいるという思想的な状況も反映しているだろう。その信頼感が揺らいだことの原因の一つは、近代的な理念に抵触する場面があっても、パレスチナ問題でイスラエルを贔屓する姿勢を欧米が続けてしまったことにある。 それでは、日本は今回の問題にどのような姿勢を示すべきであろうか。ハマスの残虐性を強調してイスラエルを支持すべきという意見も、今までのイスラエルの蛮行を問題としてパレスチナを支持すべきという意見もある。私はどちらにも同意できない。 一神教の原理の残念な部分がもっとも煮詰まった場面で、多神教的なセンスを発揮することが許容されるのならば、そうするべきである。産油国を敵に回すことができないという事情もあるかもしれない。G7がイスラエル支持の共同声明を発表したことに、カナダとともに日本が参加を見合わせ、イスラエルに過激な報復を行うことの自重を求めたのは、妥当な判断に感じられた。行き過ぎた対米従属 国際政治の場面で、日本は一国で生きていくことが不可能なほどの強い依存をアメリカに対して示し続けてしまった。したがって、アメリカ・ヨーロッパが主導する秩序が影響力を減じているとはいえ、その枠組みを外れる選択をすることは不可能である。 しかし、現状の対米従属の状況は、行き過ぎている。その状況の中で日本は、西欧の国々の主導で維持されている枠組みを尊重しつつも、独立国としてのあり方を回復させていかねばならない。その意味で、イスラエルの問題でアメリカとは別の立場を示しえたこと、それに対してアメリカからの強い反発がなかったことは良かったと思う。 このような文脈で、対米従属やアメリカ・イスラエルの負の側面が顕在化したという話題になると、徹底的にアメリカやイスラエルのあり様を批判し、極端な政治的アクションを示すことを扇動する人々がいる。今回ならば、ハマス支持を主張することだろう。 しかし残念ながらこれは、心理的には親にベッタリと甘えて育ち、自力で社会の中で生きていく力がないのにもかかわらず、強がっている若者と同じ心理である。アメリカの庇護がなくても、「一人でできる」と勇んで、日本が現行の秩序から性急に飛び出そうとしても、手痛い失敗を味わうことが目に見えている。日本人が自覚しておくべきこと ところで、パレスチナ問題は一神教の残念な部分が煮詰まったような問題だから、日本人的な多神教的なセンスが優越するのだ、と日本人が高ぶった思いを持ったとしたら、それも別の苦しい事態につながるだろう。 日本人らしく「喧嘩両成敗」などと発言しようものならば、イスラエルの当事者からもパレスチナの当事者からも、本気の怒りと恨みを引き受けてしまう危険性がある。 日本人は客観的であいまいな態度を一貫して維持することを、徳が高く知恵がある態度であると自認して高ぶった感覚をもってしまいやすい。しかし、すべてに良い顔を見せるような態度は、心底では何も受け入れないことにつながっている。 イスラエルにもパレスチナにも玉虫色の距離感を保つ態度というのは、本当に困っている人に親身に寄り添って、深い信頼関係と友情をはぐくむ機会を見送っているというコストを払っていることについては、自覚しておいてよいだろう。 しかし今回は、そのリスク・コストがあったとしても、そうするより仕方がない。いつか自分たちの実力を高め、明確な判断と行動を示せるようになりたいものであるが、それができないのが実情だろう。
2023年10月24日
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東日本大震災から今日で12年。もう12年も経ったのだなと思うと同時に、あの日のことは今でもさほど遠い日には思えない。友人と遅めのランチをしていた時、その地震は起きた。ユラユラとテーブルが揺れ、「地震だ!」と思って外を見ると、街灯が風に揺れるような感じで大きく揺れていた。この揺れ方では、震源地は遠いなと思ったので逃げ出すことはしなかったけれど、かなり大きな地震だろうとは思った。会計をする時に、「どこで起きたのでしょう?」と聞くと、「東北みたいですよ」とのこと。申し訳ないけれど、北海道ではないことに少しホッとしていた。一時間以上経ってから帰宅してテレビをつけたら、信じられない光景が目に飛び込んだ。あの時の衝撃は忘れられない。それから、次から次へと信じられない光景ばかりが続いた。特に、原発の電源喪失による事故には、本当に驚愕した。こんなことになる可能性なんて、まったく想像もしていなかったし、その後の対応は、素人にも「それじゃ無理だろう」と感じることも多かった。あれから12年。あの原発事故の教訓を、本当に政府は生かしているのか疑問なことが続いている。学んでもどうしようもないことなのか、教訓を忘れたふりをして安易な道を選んでいるのか。あの戦争のことも日本人は忘れているような気がすることも多い。私達は忘れっぽい生き物なのだろうか。内田先生のブログを転載しておく。「3・11から学ぶこと」 2023-03-09 jeudi 3.11の時、東京電力福島第一原発では炉心溶融、建屋爆発が連続発生し、事故はチェルノブイリ原発事故と同レベルの過酷事故と認定された。以後再稼働することなく廃炉作業が続けられている。廃炉作業にどれほどの歳月と費用が必要なのかもまだわからない。経産省は2016年に22兆円と計算したが、2019年には民間シンクタンクが最高81兆円の試算を示した。政府のこの種の試算はだいたい後になって大幅に上方修正されるのが通例であるから、いずれ81兆円を超えても私は驚かない。 日本列島は、全世界のマグニチュード6以上の地震の20%が周辺で発生する世界有数の地震多発地帯である。世界標準を超えるレベルの安全基準を採用するのが当然だと私は思うが、原発を建てた人たちはそうは思わなかったらしい。 東電の旧経営陣3人が業務上過失致死傷で起訴された裁判で、東京高裁は「巨大津波の襲来を予測することはできず、事故を回避するために原発の運転を停止するほどの義務があったとはいえない」と判断して、一審に続いて全員に無罪を言い渡した。「想定外」だったからどれほどシリアスな事故を起こしてもとがめることはできないというのは法理としては通るかも知れないが、常識では通らない。万一事故が起きたら広範囲の土地が半永久的に居住不能になるほどのリスクのあるテクノロジーを扱うときに、「想定外のことが起きたのだから自分には責任がない」という言い訳をすらっと口にできるような人間はそもそもそのような危険なシステムの管理者になるべきではない。そのような危険なテクノロジーを扱う技術者に最も求められる知的資質は「起こる可能性のある最悪の事態」についての想像力だからである。 たしかに「最悪の事態」に備えて安全性を配慮すれば、その分だけコストは高くなる。けれども、こう言ってよければ、それはたかが銭金の問題である。リスクを低く見積もったせいで失われるものと、リスクを高く見積もったせいで失われるものは桁が違う。ほとんど天文学的に違う。 私はこういう致命的な計算違いを犯す人間を「リアリスト」と呼ぶことに同意できない。こういう致命的な計算違いをした人間は、仮に法的な処罰を逃れ得たとしても、以後社会人としては「まるで使い物にならない」というスティグマを刻印されることを甘受すべきだろう。彼らはそれほど邪悪な人間ではなかったかも知れないが、犯罪的なまでに無能な人間ではあったのだから。 福島の事故が過酷事故になった主因としては、津波に対する施設防護が脆弱であったこと、電源を高台に確保しておかなかったこと、全電源を失った場合の注水手段が確保されていなかったことなどが指摘されている。防潮壁も電源の分散も注水システムの整備もどれもそれなりのコストさえかければ整備できるものである。技術的に難しいものではないし、事故以前にもそういう安全設備の配慮をすべきだと主張した人もたくさんいた。 2006年には過去の海外の原発での電源喪失の事例を挙げて、そのリスクを重く見るように訴えた質問書が内閣に出されたが、当時の安倍晋三首相はわが国ではそのような事例の「前例がない」ことを根拠に全電源喪失のリスクはないという木で鼻をくくったような答弁で応じた。だが、「これまで起こらなかったことはこれからも起こらない」というのは推論として間違っている。 この時の答弁の中で「原子炉の冷却ができない事態が生じないように安全の確保に万全を期している」という定型句を政府答弁は5回繰り返した。実際には「原子炉の冷却ができない事態」が生じた。だが、その点を衝かれても、政府は「万全を期す」というのは「万全であればいいな」という主観的願望のことであって、「万全である」という客観的な保証のことではないと言い逃れるつもりだろう。 福島の原発事故は半ば「人災」だと私は思う。天変地異は自然現象であるから、人間には制御できない。でも、自然現象のリスクを予測して、それがもたらす被害を最小化することはできる。「起こり得る最悪の事態を想定してそれに備える」ということが日本人はほんとうに苦手である。それよりは「目論見がすべて成功して、巨大な利益が転がり込む」という皮算用で盛り上がることを喜ぶ。五輪も、万博も、カジノも、リニアもどれもそうである。それが失敗した時に何が起きるかについては誰も何も考えない。 たしかに、「最悪の事態」というのは、それを事前に想定すれば防げ、想定しなければ到来するというほど簡単なものではない。最悪の事態を事前に想定しても、最悪の事態が到来することはある。でも、被害を最小化する努力をしておけば、被害はその分だけは抑制される。当たり前の話である。 私たちが3.11から学ぶことがあるとすれば、その教えに尽くされると思う。だが、日本人はそれさえ学んでいない。
2023年03月11日
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トルコ・シリア地震、犠牲者5万人超えの見通し 国連事務次長2/12(日) 17:47【AFP=時事】国連人道問題調整事務所(OCHA)のマーティン・グリフィス(Martin Griffiths)事務次長(人道問題担当)は11日、マグニチュード(M)7.8の地震が襲ったトルコを訪問し、地震の犠牲者は現時点で確認されている数の2倍以上になるとの見通しを示した。この日までの集計では、トルコ、シリア両国の死者は計2万8000人を超えた。グリフィス氏は震源地に近い南部カフラマンマラシュ(Kahramanmaras)を訪問。英スカイニューズ(Sky News)に対し、「がれきの下まで捜索する必要があるので正確な予測は難しいが、犠牲者は現在の倍以上になると考えている」と語った。また、「犠牲者数の確認作業はまだできていない」と述べた。 トルコの災害当局によると、被災地では国内の各組織が3万2000人以上を派遣して捜索・救助活動に当たっている他、外国の救助隊8294人も現地入りしている。シリアの反体制派支配地域には、救援も行き届いていないようだ。まだまだ被害者は増えるのだろう。今、この時も、命の危機と向き合っている人がいる。今後の経緯がとても気になる。
2023年02月13日
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【速報】プーチン大統領 ウクライナ4州併合を宣言 併合に関する条約にも調印9/30(金) 21:20 TBS速報です。ロシアのプーチン大統領がウクライナの東部と南部の4つの州について併合を宣言しました。一方的に併合するのは東部のドネツク州とルハンシク州、それに南部のへルソン州とザポリージャ州です。プーチン氏はモスクワのクレムリンで行われている条約の調印式で演説を行い、その中で併合を宣言しました。演説後、ロシアのプーチン大統領はウクライナの東部と南部の4つの州の親ロシア派トップらと一方的な併合に関する条約に調印しました。プーチン氏は演説で4つの州はロシア領土になるとして「あらゆる手段を使って守る」と述べ、改めて核の使用を排除しない考えを示しています。ロシア「併合強行」背景を解説 ハルキウ州“撤退”で追い込まれたか プーチン氏支持率は大きく低下9/30(金) 【独自解説】プーチン大統領が史上最大のピンチ!国民が離れる“遠心力”とは? 孤立を極める中、「核」使用示唆から見える“最悪のシナリオ”9/30(金) 20:42ロシア脱出に長蛇の車列、16キロの大渋滞が衛星写真で確認される2022年9月28日(水)19時40分昨夜は、ロシアのウクライナ併合関連のニュースや解説番組を見ていたのだが、これほど無茶苦茶なことを国家がこの時代にやってしまうということに慄然とする。根底に、ロシアのウクライナへの蔑視があるとも知り、問題の根深さは想像もつかない。このままでロシアが勝利するとは全く思えないけれど、まだプーチンはこのまま突っ走るのでしょうか。誰もプーチンを止められないのか?!
2022年10月01日
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今朝の北海道新聞の下記の記事を読み、とても考えさせられたのでコピペしておく。<シリーズ評論・ウクライナ侵攻⑭>対ロ世論に「3つのバイアス」 都合いい解釈、SNSが増幅北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授 宇山智彦氏04/23 19:00 北海道新聞 <うやま・ともひこ>1967年、東京都出身。ソ連時代末期のモスクワに留学後、東大卒業。在カザフスタン大使館の初代専門調査員などを経て、東大大学院博士課程中退。96年、北海道大学スラブ研究センター助教授、2006年から現職。専門は、中央アジア近代史・旧ソ連諸国政治。54歳。◇ ◆ ◇■うそと暴力 危険な政権 ロシアによるウクライナ侵攻は24日で2カ月となるが、私自身、ここまで無謀なことをやるとは思っていなかった。ドンバス地域と呼ばれるウクライナ東部の二つの「人民共和国」にウクライナ軍との激戦を起こさせて、ロシア軍が介入していくと思っていたが、実際はドンバスの紛争状況にそれほど変化がないまま、全面侵攻に至った。 プーチン大統領周辺の悪知恵を結集し、ウクライナ南部クリミア半島をほぼ無血で編入した2014年の状況とも違い、8年間、ウクライナに圧力をかけ続けたのに、一向に思い通りにならないということにしびれを切らした行動に映る。プーチン氏と一部のロシア人の感情であり、ロシアの国際社会での地位や経済的な発展といった、国益を考えたものではない侵攻だった。極めて非合理な判断だ。 ただ、プーチン政権は極めて危険な政権であることは間違いなかった。プーチン氏は旧ソ連の国家保安委員会(KGB)出身で、対外諜報(ちょうほう)の分野だった。つまりうそをつくことには抵抗がない。そもそも血で血を洗う1999年からの第2次チェチェン戦争で名をはせ、大統領としての権力基盤を確立したのがプーチン氏だ。手段を選ばずに勝つということを成功体験とし、暴力を使うことにはちゅうちょしない。うそと暴力という二つの面は早くからあった。■「冷戦の敗者」西側の扱いに不満 より広く言えば、帝国解体後の後始末がうまくいかなかった。ロシアは当初、ソ連という帝国を解体して身軽になり、普通の大国として発展していくつもりだったが、当初考えていた姿とは別の姿になってしまった。旧ソ連地域は、仲の良い地域として維持するのがうまくいかなかった。ロシアが西側から不当な扱いを受けてきたというのは、1990年代の旧ユーゴスラビア・コソボ紛争の時から出てきており、ロシアの方が平和的に解決できる方策を提案しているのに、北大西洋条約機構(NATO)が強引に介入していると主張していた。 似たようなことはイラク戦争(2003年)の時にも繰り返された。プーチン氏は、米国が強い力を持っている間は対決しようとしなかったが、覇権が揺らぎ始めた07年には、ドイツ・ミュンヘンの安全保障会議の場で、「米国の一極支配の試みは受け入れられない、ロシアは独自の外交路線を貫く」という発言をし、注目された。今から15年前の事だ。 冷戦はソ連と米国の話し合いで終わったはずなのに、西側はソ連、ロシアをあたかも冷戦の敗者であるかのように扱う。それでも西側は新生ロシアを支持・援助していたのだが、ロシアではまるで第1次世界大戦後のドイツのように、「西側から不当な扱いを受けた」という物語が徐々にできあがった。そして、それに伴って帝国的な大国の復活願望がふくらんでいった。 1991年のソ連崩壊の際は、私はモスクワからの帰国後で、大学院生だった。当時も「なぜ研究者はソ連崩壊を予測できなかったのか」との批判を聞いた。90年の半ばぐらいまでは、ソ連解体はまだ誰も考えていなかったが、このままでの体制では持たないから、構成共和国の間で条約を結び直して連邦を作り直すという話し合いが行われた。実際にはソ連という国自体が混乱し、共和国の間の関係もうまくいかなくなり、新しい条約の調印に何とか踏み出そうとしていた時に、クーデターで解体の方向に向かった。展開が非常に早かった。1年前に1年後の状況が予測できなかったのは確かだが、流れ自体は合理的に説明がつくものだった。■アルゴリズムで偏る情報 今回のウクライナ侵攻を巡っては、プーチン氏の行動に多くの人は認識が追いついていないのではないか。ほとんどがロシアやプーチン政権への批判で一致している一方、それでもロシアに理解を示す人たちがいる。 「ウクライナの挑発で戦争が起きた」とか、「米国が全部悪い」とか、「ロシアとウクライナはどっちもどっちだ」とか、そうした主張を繰り広げる人たちが一定数いる。なぜなのか。考えるヒントとして、私は3種類の認知バイアスが働いていると考えている。認知バイアスとは認知心理学用語で、先入観や直感によって生じる、情報処理や分析の偏りのことだ。 一つ目は、大きな事態や変化が起きても危険性を過小評価してしまう「正常性バイアス」だ。ロシアがこれだけ変わっているのに、見る側がそれに追いついていないのが基本にある。たとえば、ロシアとの交流関係を持っている人などが、「ロシアはそんなに悪いことをするはずがない」と思い込み、それに合わせた解釈をしてしまうことを指す。 二つ目は、「合理化バイアス」。私が独自の解釈で使っている言葉だが、ある人や国の行動について、「こういうふうに説明すれば、合理的だろう」という説明を考え出してしまい、実際の行動の分析からは離れたものとなることだ。今回のプーチン氏の行動は、本来非合理で感情的なものだが、安全保障や経済などの理由でうまく説明できたような気分になってしまい、自分たちで無理な説明をしているとはなかなか気付かない。 最後は、自分の見方や主張に合う証拠を集めてしまう「確証バイアス」だ。当初は、何となくの考えであっても、徐々に「証拠」を集めるうちに固い信念となり、ますます違う見方を受け入れなくなる。 典型的なのは陰謀論で、「米欧が世界を支配するためにロシアの力を弱めようとしている」「ウクライナもそれに利用されている」といったもので、「ロシアも悪いが、米国はもっと悪い」といった言説にも通じる。いろいろな事を冷静に検討しているというよりは、最初からそういう見方をもっており、それに合わせた情報のみを集めて主張を組み立てる人が非常に多い。 昔からこれらのバイアスは存在したが、近年のSNS(交流サイト)が増幅し、可視化している側面はある。実際にはインターネット上の情報、特にSNSには、その人が普段、見ているものと似たものが集まりやすいアルゴリズム(計算手法)があるが、手に入る情報量が多くなり、自分の主張を根拠付ける証拠が多くみえてしまうのだろう。■北方領土交渉 日本の「独り相撲」 北方領土交渉については、私はウクライナ侵攻が直接影響したわけでなく、もともとうまくいくはずがなかったと捉えている。2014年のクリミア編入で、ロシアは領土は増やすものであって、決して減らすのではないということがはっきりしたのに、日本は前のめりになってやっていたので当然うまくいかなかった。交渉の過程で、日ロ間で経済関係の強化を打ち出したのは短期的に成果が全くゼロだったとは言い切れないが、長期的にはあまり意味の無いことをやっていた。 日ロの北方領土交渉は18年11月に、当時の安倍晋三首相が1956年の日ソ共同宣言に基づく歯舞群島と色丹島の2島返還を軸とした交渉へと大きく方向転換したが、ロシアは強硬姿勢を崩さなかった。ロシア側は一度たりとも領土を返すとは言っていない。安倍氏が27回、プーチン氏と会談に臨んでもそれは変わらず、完全にすれ違っていた。 交渉のすれ違いは、一貫して日本の内側の論理でものをみてきたことが大きい。固めた信念に基づき、ロシア側の態度について、都合の良い、実は都合良くもないことも、都合良くみえそうなところを集めてくるというのは、一種の確証バイアスでもある。だが、バイアス以前に、完全に「独り相撲」だったと捉えている。■核兵器の使用 あり得る プーチン氏としては、5月9日の対ナチス・ドイツ戦勝記念日までに見せ場を作りたい。一つの山があるだろうと思うが、それが戦争の解決を意味するというのは考えにくい。ウクライナ側が当然抵抗するし、国際社会としても、親ロ派による人民共和国の独立も、領土の拡大も認めるわけにいかないし、ロシアへの恒久的な従属も認めるわけにはいかない。 他方、プーチン政権としてはここで引き下がるわけにはいかない。負けを認めるとか、自分たちが不利な状況で妥協することは考えていないだろう。ドンバスでの占領地域を増やすということで見せ場を作ろうとしているだろうが、区切りがつかないことが問題だ。プーチン氏が相当いらだっている中、核兵器の使用もあり得ると考えている。(聞き手・古田夏也)◇ ◆ ◇ ロシアのプーチン大統領は、なぜウクライナへの全面侵攻に踏み切ったのか。どうすれば戦禍の拡大は食い止められるのか。日本や世界はロシアとどう向き合うべきなのか。各分野の専門家に聞きました。私は、人は誰でも上記に書かれている認知バイアスがあると思っている。その人の成育歴、所属する国の教育、育つ過程や学校や職場での体験から、必ずある種の「偏向(偏見)眼鏡」をかけてしまっていると思ってきた。それが宇山氏の指摘する認知バイアスというものだろう。自分の認知バイアスに気付き、少しでも客観的に物事を見聞きし考えるためには、色々な視点からの情報を知る必要がある。それには、そのことの大切さを子どもの頃から学ぶ機会を増やさなければならない。というより、学校教育の中でそれをしっかりと教えていかなくてはならないだろう。今の日本の教育は、そのあたりにどれだけの力を入れているのだろうか。コロナ禍で学校教育もリモートやタブレットを使う教育が増えているようだから、なおさら「メディアリテラシー教育」に力を入れなくてはならないと思う。
2022年04月26日
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今までも、様々な紛争や内戦などのニュースは目にしてきた。日本が関わった第二次世界大戦のことについても、多分人並みには関心を持ち、戦争になれば無茶苦茶な大義名分で、堂々と人殺しをするのが戦争だとは知っていた。犠牲になるのはいつも弱い立場の庶民で、戦争の最前線に置かれてしまうのは、下っ端の兵隊だとも多少は知っていた。偉い人たちは安全な場所に身を置き、無責任な命令を発して、多くの人達を死に追いやるのだとも知っていた。戦争に勝つためには嘘やだましも平気なのだとも知っていた。だが、リアルタイムでそれを見聞きはしていなかった。ロシアのウクライナへの侵攻で、日々、それが事実なのだと突きつけられる。今こうしている間にも、何の罪もない人たちが砲撃の嵐の下で恐怖におびえ、そして死んでいくのだ。21世紀のこの時代に、過去のことのように感じていた本当の戦争がロシアという大国によって引き起こされている。世界の平和秩序のための責任を負うべき国が、堂々と自国民をプロパガンダの情報で胡麻化し、政府を批判する人たちを粛清 してゆく。暴力の前に、人間は無力なのだろうか。暴力には暴力で対抗することが正しいことのような成り行きに、人間というものはどれだけ歴史の結果を知っていても、目の前の欲望や恐怖には、理性を失ってしまうものなのだろうか。この争いは、どのようなことになってゆくのか不安しかない。
2022年04月09日
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内田樹氏のブログを読み、私がウクライナの人達を応援したい気持ちになる一端が腑に落ちた気がするので、コピーしておこう。ウクライナ危機と「反抗」内田樹2022-03-17 jeudiある農業系の新聞から寄稿依頼があった。ウクライナ危機と食料安全保障について書いて欲しいということだったけれど、ぜんぜん違うことを書いてしまった。 ウクライナへのロシア軍の軍事侵攻が始まってから、いろいろな媒体から意見を求められた。こうして農業の新聞からも寄稿依頼がある。これは尋常なことではない。私はもちろんロシアやウクライナの専門家でもなんでもない(むろん農業の専門家でもない)。だから、2014年のクリミア併合の時も、それ以後の親露・分離派との東部での紛争の時も、誰も私に意見を求めにこなかった。クリミア併合も東部の分離活動もいずれもプーチンが行った「特殊な軍事的作戦」であり、ウクライナにとっては国難的な危機であったけれども、その当時、私の周りで「ウクライナはこれからどうなるのだろう」ということが話題になるということはなかったし、むろん寄稿依頼もなかった。それが今回はまったく様相が違う。これまでとは違うことが起きているということを誰もが感じ取っているのである。「これまでウクライナのことに何の関心もなかった連中が急に騒ぎ出した」というふうに冷笑的にこの事態を眺めている人もいる。シリアやアフガニスタンでロシアが軍事行動をした時には、何もせず手をつかねていた人間が、今回に限ってウクライナ大使館宛てに寄附をしたりするのは嗤うべきダブル・スタンダードだと指摘する人もいる。その通りかも知れない。でも、そのような指摘は半分は当たっているけれど、半分は違っている。というのは、同じような構図の中で、同じようなプレイヤーが演じる、同じような政治的出来事であっても、そこに「これまでと違う何か」を感知すると、人はそれまでとは違うリアクションをするものだからだ。 アルベール・カミュは『反抗的人間』という長大な哲学書の冒頭に、同じような出来事が続いても、ある時に「何かがこれまでと違う」と直感すると人間はそれまでにしたことのない行動をすることがあるという話を記している。主人の命令につねに唯々諾々と従ってきた奴隷が、ある日突然「この命令には従えない」と言い出すことがある。「今までは黙って従っていたが、さすがにこれには従えない」と言い出すのだ。この時に奴隷が抗命の根拠にした「踏み越えてはいけない一線」なるものは事前に開示されていたものではない。それを踏み越えようとする時にはじめてそこに「越えてはいけない一線」が存在していたことがわかる。そういうものなのだ。 この独特の感じをアルベール・カミュはrévolteというフランス語で表そうとした。日本語では「反抗」と訳されるけれども、「反抗」では一義的に過ぎていて、この語の独特な、曖昧な感じを汲み尽くせない。カミュの言葉をそのまま採録しよう。「誰かが『勝手なふるまい』をして、境界線を越えてその権利を拡張しようとする時、人がそれに抵抗するのは、『ものには限度がある』と感じるからである。その境界線をはさんで一つの権利と別の権利が向き合っており、互いを制限している。反抗の運動はそこでなされた許し難い侵犯行為に対する決然たる『否』と、反抗する人間の側の『自分はそうする権利がある』という曖昧な確信というよりは気分にもとづいている。」(Albert Camus, L'homme révolté, in Essais, Gallimard, 1965,p.423) これは今のウクライナとロシアの関係を言っているようにも読める。でも、ここでカミュが書いているのは、領域侵犯行為に対して、人が反抗を選ぶのは、単に「もう我慢ならない」という感情に衝き動かされているだけではないということである。これを受け入れてしまうと、自分ひとりでは弁済し切れないほどのものを失うと感じた時に人は反抗を選ぶ。それがカミュの考えであった。 自分ひとりが屈辱に耐え、苦痛を甘受すれば済むことについてなら人は必ずしも「反抗」を選ばない。「私一人が苦しめばそれで済む」と思えるのなら、権利侵害を受け入れることは心理的にはそれほど難しくない。私ならそうするかも知れない。だから、人が死を賭しても「反抗」を選ぶのは、ここで権利侵害を受け入れたら、それによって失われるのはその人ひとりの権利や自由ではなくなると感じるからである。 カミュはこう続けている。「人が死ぬことを受け入れ、時に反抗のうちで死ぬのは、それが自分個人の運命を超える『善きもの』のためだと信じているからである。人が自分が護っている権利を否定するくらいならむしろ死ぬ方を選ぶのは、その権利を自分自身より上に位置づけているからである。人がある価値の名において行動するのは、漠然とではあっても、その価値を万人と共有していると感じているからである。」(Ibid., p.425) そうだと私も思う。だから反抗的人間は孤独ではない。その反抗の戦いを通じて、潜在的には万人と結びついているからである。 ウクライナ市民たちの勇敢な戦いの動機を多くの人は「愛国心」によるものだと説明している。そして、「愛国心は有益だ(どの国の国民もこれくらい愛国心を持つべきだ)」と考えている人たちが一方におり、「愛国心は有害だ(現に、そのせいでたくさんの人が死んだり傷ついたりしている)」と考えている人たちが他方にいる。ここには対話の余地がない。 でも、もしいまカミュが生きていたら、ウクライナで戦っている人たちやあるいはロシア国内で投獄のリスクを冒しながら「反戦」を叫んでいる人たちは必ずしも「愛国心」からそうしているのではないと言うだろうと思う。彼らはそれよりもっと上位の価値のために戦っているのだ、と。 愛国心のための行動と、それよりもっと上位の価値のための行動は、外見的にはよく似ている。ほとんど見分けがつかないほど似ることもある。 戦っている人たち自身も「あなたが『反抗』を選んだ動機はなんですか?」と訊かれたら「愛国心ゆえです」と答えるかも知れない。でも、それでは、いま世界中の人たちがこの出来事をわが身に切迫したものとして感じていることの説明がつかない。私たちは他国の人の愛国心については、それがどれほど本人にとってはシリアスで必至のものであっても、それほど感動することはないからだ。 例えば2021年の1月6日に米連邦議会に雪崩れ込んだトランプ支持者たちは主観的には「命がけでアメリカの理想を守ろうとした」愛国者だったと思う。今でも「彼らは愛国者だ」と擁護し顕彰する人たちはいるし、あるいはほんとうにそうなのかも知れない。けれども、ひとつだけ確かなのは、彼らはアメリカのためには多少の犠牲を払う気はあったが、「万人の権利」のために自己を犠牲にするつもりはなかったということである。 私たちは他国の人が愛国心を発露しているのを見せられても、ふつうは特段の感動を覚えない。「ああ、そうですか。そんなにお国がお好きなんですか。よかったですね」とにこやかにスルーするか「愚かな。空疎な幻想に取り憑かれてしまって」と冷ややかにスルーするか、どちらかである。 だから、いまウクライナやロシアで「反抗」の戦いをしている人たちの動機を「愛国心」だと私は解さない。それより「上位の価値」のために彼らは戦っているのだと思う。 私たちが反抗の戦いをしている人たちから目が離せないのは、彼らがその戦いを通じて、遠く離れた、顔も知らず名前も知らない私たちの権利をも同時に守ってくれていると感じるからである。だから、彼らを孤立させてはならないと思うのである。 たしかに不合理な話である。 でも、この反抗者たちが敗れたときに私たちが失うのは小麦やトウモロコシの輸入量とか天然ガスの供給量とかいうレベルのものではない。もっと本質的な何かが失われる。そのことを私たちはたぶん直感的にはわかっているのだと思う。
2022年03月19日
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この記事か本当だとしたら、プーチンは自国の兵士も騙してウクライナでの戦闘に送り込んでいることになる。「プーチンにだまされた、訓練だと思っていた」 ウクライナに捕えられた20歳ロシア軍人の絶叫2/28(月) ロシアのウクライナ侵攻4日目を迎える中で、ウクライナ政府軍の捕虜となったロシア軍人の映像が公開された。ウクライナ国防省はツイッターやフェイスブックなど公式SNSを通じてロシア軍捕虜の動画を相次いで公開して宣伝戦を繰り広げている。公開されたある映像で、ロシア軍捕虜はテープで目隠しされていて軍服を着た姿だった。この捕虜は出生年度や居住地などを聞かれると、イルクーツクから来た2002年生まれの運転兵だと紹介した。あわせて「我々はここがウクライナだとは知らなかった。軍事訓練だと思っていた」とし「ウクライナ侵攻について知らなかった。プーチンにだまされた」と話した。ウクライナ国防省が公開した別の映像では、降参した別のロシア軍人は「お母さん、私をここから救出してください」とし「私たちはここで民間人を殺している」と話した。ツイッターにシェアされた別の映像では、ウクライナ軍に捕まったロシア軍人の中には17~18歳もいるとも主張している。CNNは実際にロシア軍人の家族も彼らがウクライナへの侵攻を知らなかったとして論争になっていると報じた。また、ウクライナ侵攻に投入されたロシア軍人の中には訓練すらまともに受けることができず、装備も十分に与えられていない者が多数含まれているともCNNは伝えた。CNNは26日、ウクライナ国防省の資料を根拠に24日未明にウクライナを侵攻したロシア軍の死傷者数が約800人を記録したと報じた。ただし、ウクライナ政府が死亡者とケガ人の数を区別して集計しておらず、この数値がすべて死亡者なのかどうかは確認できなかったと付け加えた。ウクライナ国防省は800人の死傷者の他にもロシア軍のタンク30台余りが破壊され、航空機7機とヘリコプター6機も撃墜されたと明らかにした。プーチン大統領、ウクライナのゼレンスキー大統領ら23人暗殺へ傭兵部隊400人をキエフに送り込んだと英報道「休戦に合意する意思はない」2/28(月) 14:40配信 中日スポーツプーチンなら暗殺だって当然考えられるし、ゼレンスキー大統領もそれをわかっている。それも、暗殺は傭兵で行うなんて卑怯もここに極まれりだ。もしも本当に暗殺されたら、ウクライナの人達だけではなく、世界の怒りもエスカレートするだろう。そうなった時にはどのような展開になるのか、想像するのも恐ろしい。
2022年02月28日
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政権転覆目指す姿勢あらわに ウクライナ侵攻でロシア大統領2/27(日) 7:28 時事通信 【モスクワ時事】ウクライナへの本格侵攻を続けるロシアのプーチン大統領の狙いが、ウクライナのゼレンスキー政権転覆にあることが鮮明になってきた。プーチン氏は25日、ウクライナ軍に「権力を手に入れろ」とクーデターを公然と呼び掛け。自らの意のままになる親ロシア派のかいらい政権の樹立を一方的な目標に据えているようだ。 プーチン氏は25日の安全保障会議で、ウクライナ軍への呼び掛けとして、ゼレンスキー政権が「あなたの子供や妻、年長者を人間の盾にすることを許してはならない」と訴えてみせた。ゼレンスキー大統領から権力を奪い取るよう促し「あなたたち(ウクライナ軍人)の方が合意に達するのが簡単だ」とけしかけた。 プーチン氏は24日の演説で、侵攻の目的に関し、ウクライナの「非軍事化」に加え、「非ナチ化」を挙げた。第2次大戦後の東西ドイツで取られたナチズム一掃の措置を念頭に置いているとみられる。プーチン氏はゼレンスキー政権を「ネオナチ」と位置付けていることから、排除の対象になる。ゼレンスキー大統領も「敵は私を一番の標的と位置付けている」と認めた。 英外務省は1月22日、ロシアがウクライナに親ロシア派政権樹立を目指していると警告していた。ロシアは当時、こうした見方を「偽情報」(外務省)と一蹴したが、結局は警告通りの展開となっている。 プーチン大統領、ウクライナ軍にクーデター呼びかけこの数日のテレビ等で、プーチンがウクライナへの武力による侵攻を決行した背景や理由が理解できてきた。そしてプーチンの頭の中は、旧ソ連時代の考え方や価値観とまったく変化をしていないことも。私は最初、彼が人格障害に近いのではないかと疑ったが、人格障害ではなく、凝り固まった価値観と、何かよくわからないがる根深い恨みと、過剰な防衛意識からくる恐怖感と、長期政権によりバランスの取れた判断ができなくなってしまったことにより、自分を絶対視する勘違いによるものだろうと思っている。しかし、このような人がある意味ではキレてしまって、力による弱者への攻撃をすることの怖さを、私たちは今痛感している。これは、日本で最近時々起きている、追いつめられた人が他人を巻き込んで拡大自殺することと、根っこでは似ているような気がする。ひょっとすると、戦争というものはとても個人的な気質と環境で起きるものなのかもしれない。こんなタイプの人を長期的にリーダーに担ぐことの恐ろしさを学ばなくてはならない。そしてまた、武力による解決は罪のない人々(つまり私達のことだ)に、理不尽な犠牲を強いるということだ。武力による転覆は賛成できないが、できれば平和的なクーデターがロシア内部で起きてほしいと願う。今の時代、やはり一番効果があるのは、ロシア国民からの支持を失うことではないか。それを思い知らすことで、同じような体質の国にくさびを打つことになるだろう。私は無力ではあるが、こうして思いを発信することはできる。きっと、ウクライナの人達への支援の方法もあるはずだから、これから探して見ようと思う。ということで、下記のサイトを見つけた。今すぐウクライナの人々を支援する方法民間人への人道支援から前線での医療支援まで、寄付などでサポートできる団体を紹介ネット上では、予想通り「9条で日本を守れるのか?」という発言が日本でも増えているようだ。私に言わせれば、軍隊を持っても兵力を増強しても日本は守れないだろうと思うし、万が一プーチンのような強い(?)リーダーが出てきたらかつての日本軍みたいになっちゃうだろうと怖くなるのだが、現在のネトウヨに近い人たちの考えは違うようだ。「9条で日本を守れるの?」ロシア侵攻で懸念噴出、共産は危機感2/25(金) 14:17確かに、共産主義はロシアや中国、北朝鮮のような体制を生む要素は持っているけれど、だからこそ共産主義についての理論を学び、その欠陥も知っているはずの日本共産党に頑張ってほしいとも思っている。
2022年02月27日
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ロシアで「反戦デモ」 即時弾圧、プーチン政権に危機感2/26(土) 7:26 時事通信 ロシアによるウクライナ侵攻が発表された24日、国内外で「反戦デモ」が同時多発的に開かれた。 プーチン政権は首都モスクワで機動隊を投入し、老若男女を問わず参加者を拘束。素早い弾圧の背景にあるのは、自国世論の反発が拡大すれば、作戦遂行に支障を来すとの危機感だ。 ◇国家による同胞殺害 「戦争反対」。独立系放送局「ドシチ」によると、国内52都市で計数千人がデモに参加。人権団体OVDインフォの集計では、全土で1800人以上が拘束された。無許可デモが違法で摘発されることを覚悟の上で、人々はプラカードを掲げ、青と黄のウクライナ国旗を振った。 ロシアとウクライナをまたいで親族を持つ人も多いとされる。2014年のクリミア半島併合やウクライナ東部への軍事介入の際も、ロシア国内で反戦デモが起きたが、今回のような「開戦当日」の大規模なデモ発生は極めて異例だ。 8年前は非軍事力を組み合わせた「ハイブリッド戦争」で記章のない部隊や義勇兵が参加。ロシアは軍事介入をしていないというのが建前だった。一方、プーチン大統領は24日に「ウクライナでの特殊作戦」開始を発表。今回は正規軍の「戦争」そのものであり、ロシアという国家が同胞の殺りくを行うに等しいと受け止められている。 ◇ノーベル賞受賞者も 「自分の国が行っていることが恥ずかしい」。ロシア政府機関の元職員の男性は24日、取材に対して心境を語った。政府内が一枚岩でないことを示唆している。 21年のノーベル平和賞受賞者で独立系紙「ノーバヤ・ガゼータ」の編集長ドミトリー・ムラトフ氏は24日、動画の声明で「(プーチン政権内に)戦争を止める人は誰もいない」と悲観。核戦争に発展する恐れもあると警鐘を鳴らした。その上で「ロシア人の反戦運動だけが、この惑星上の命を守ることができる」と話し、政権に異を唱えるよう呼び掛けた。 ロシア軍の人的損害も既に伝えられる中、人権団体「ロシア兵士の母の会」は、徴兵された若者が、より長期間勤務する契約軍人になるよう強いられ「ウクライナ国境に送られている」と問題提起している。 ◇「侵略」に憤り ロシア軍が侵攻ルートに利用した隣国ベラルーシにも波紋が広がる。ベラルーシ国民は、言語が似ているウクライナへの親近感が強い。ノーベル平和賞候補に挙がる反政権派スベトラーナ・チハノフスカヤ氏は「(ルカシェンコ)政権はわが国を侵略国に変えた」と述べ、憤りをあらわにしている。 「ウクライナの人たちに謝りたい」ロシア国内で、戦争に反対する抗議デモ2/25(金) 16:15全ロシア将校協会が「プーチン辞任」を要求…! キエフ制圧でも戦略的敗北は避けられない2/16(水) 6:03プーチンが一番怖いのは、自国民の支持を失うことだろう。ロシアの平和を愛する人たちの頑張りを応援したい。米欧、プーチン氏の資産凍結へ 国家元首への制裁は異例2/26(土) 0:33ロシア進軍、予想より減速 ウクライナ軍が激しく抵抗 米分析2/26(土)ロシア、ウクライナ侵攻で想定以上の抵抗 一部失速=米国防総省高官2/26(土) 1:56配信ウクライナ大統領、首都防衛を宣言 自撮り動画公開2/26(土) 5:18どうしてもウクライナの人達には頑張ってほしいと思ってしまうが、抵抗の時間が長引けば国民の犠牲も増える。もしも日本がこのような状態になったらと考えても、為政者にどうしてほしいのかわからない気持ちになる。プーチン大統領「抵抗中止を」 ウクライナ軍に呼び掛け2/26(土) プーチン氏「自分の手で権力を奪い取れ」…ウクライナ軍にクーデター促す2/26(土)こんな卑怯なプーチンの言いなりになるのは、とても腹立たしい。何とかもっとプーチンを追いつめることはできないのだろうか。経済制裁の効果がでるのは随分時間がかかるだろうというし…。やはり、ロシア国民の反戦意識に頼るしかないのか。
2022年02月26日
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「必要に迫られた」と正当化=ウクライナ侵攻でロシア大統領 【モスクワ時事】ロシアのプーチン大統領は24日、ロシア軍のウクライナへの本格侵攻に関し、「必要に迫られた措置だ。こうする以外になかった」と正当化した。モスクワでの財界関係者との会合で語った。侵攻開始後にプーチン氏が公の場で発言したのは初めて。 プーチン氏は「別の方法で対応するのが不可能なほど安全保障上のリスクが生まれていた。全ての試みが無に帰した」と主張。「国家が存続できるか分からないほどのリスクが生じる恐れがあったからだ」と強弁した。 また、対ロ制裁に対して「備えてきた」と説明。「ロシアは世界経済の一部で在り続けている」と述べ、財界関係者らに軍事行動への理解を求めた。プーチン氏は24日、イランのライシ大統領やインドのモディ首相と相次いで電話会談し、情勢を説明した。 一般的に、このような嘘に近い自己正当化をする人は、そのことで信頼を完全に失う。ニュースなどを見ていると、ほとんどの国はプーチンの論理を支持してはいない。支持するとしたなら、プーチンの論理を信じたいロシアの人達や、同じような体質の中国や北朝鮮や、共産主義的国家やそれに依存しきっている国だろう。しかし、ロシアにも様々な人がいるし、古代や中世時代とは違い、現代は情報網も発達している。「ウクライナ人に謝りたい」 ロシア各地で反戦デモ 1700人超拘束ロシアによるウクライナ侵攻への抗議活動が24日、首都モスクワなどロシア各地で行われた。露人権監視団体によると、24日夜(日本時間25日未明)時点で、モスクワで少なくとも956人が治安当局に拘束されたほか、全国44都市で1745人以上の拘束が確認された。抗議活動に参加した20代の女性会社員は「ウクライナ人の前に立つのが恥ずかしい。謝りたい」と話し、「経済制裁、国際的孤立…。ロシアはこれで終わりだと思う」と話した。30代の男性会社員は「なぜクレムリン(露大統領府)の誰もプーチン(大統領)を止めないのか。ウクライナとの戦争はロシアの民意ではない」と憤った。露SNS(会員制交流サイト)上でも議論が起きた。「やった! 早く(ウクライナ政府の)迫害から人々を救い出すべきだ」など侵攻を称賛する声は少数で、「プーチンは戦争犯罪者として処罰されるべきだ」「独裁者はいつも『生存圏』や『自国民保護』という美名の下で戦争を始める。どんな言葉も戦争を正当化できない」「国家的恥辱だ!」など否定的なコメントが多数見られた。(モスクワ 小野田雄一)きっと、このように考える人は多いのではないだろうか。国民に見限られる大将の末路を想像するのは私だけだろうか。
2022年02月25日
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ウクライナ侵攻、7人死亡 ロイター報道2/24(木) 16:26 時事【イスタンブール時事】ロイター通信は24日、ロシアのウクライナ攻撃で少なくとも7人が死亡したと報じた。 ロシア、ウクライナ軍事施設を攻撃2022年2月24日 15:06 【2月24日 AFP】ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー (Volodymyr Zelensky)大統領は24日、ロシア軍の侵攻を受けてフェイスブック(Facebook)に動画メッセージを投稿し、国内の軍事インフラと国境警備隊がロシア側に攻撃されていることを明らかにした。市民に対してはパニックにならないよう呼び掛け、勝利を誓った。 ロシア国防省は同日、同国軍は精密誘導兵器を使ってウクライナの軍事インフラや防空施設、軍用飛行場、軍用機を無効化していると発表した。(c)AFP今後の成り行きが本当に心配だ。プーチンは、嘘も謀略も弱い者いじめも平気で冷酷な人に思える。このような人を相手にしたら、まともな論理は通用しないだろう。ある意味では、トランプとも北朝鮮の将軍様とも共通するものを感じる。中国はどうするんだろう。
2022年02月24日
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「南海トラフ」の前兆か 未明の大分、宮崎を襲った震度5強 列島周辺で頻発する強い揺れ「すでに始まっているといってよい」識者1/22(土)22日午前1時8分ごろ、大分県と宮崎県で最大震度5強を観測する地震が発生した。震源地は日向灘で、震源の深さは45キロ、地震の規模はマグニチュード(M)6・6とされる。列島周辺で震度5強程度の強い揺れが頻発しているが、今回は南海トラフ巨大地震の想定震源域で起きた。専門家は、巨大地震へ地震活動が活発化していると指摘する。高知県や熊本県でも震度5弱を観測。その後も日向灘を震源とする地震が続いた。大分市内の80代女性が転倒し、骨折の疑いで搬送されたほか、80代男性も負傷。市内の複数の場所で水道管が破裂した。宮崎県内では4人が転倒するなど負傷。延岡市では街灯1本が折れ、高千穂町では積まれたブロックが崩れた。夕刊フジで「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」(毎週木曜)を連載する武蔵野学院大の島村英紀特任教授は「フィリピン海プレートが起こした地震で、震源がより浅く、マグニチュードが大きくなれば津波が起きる可能性もあった。南海トラフ地震も同様のメカニズムで発生する」と解説する。日向灘を震源とした震度5弱以上の地震は2000年以降、02年11月、06年3月、19年5月の3回発生した。16年4月には最大震度7を2度観測した熊本地震も記憶に新しい。今回の地震は南海トラフ巨大地震の想定震源域だったが、有識者を交えた「南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会」の基準であるM6・8には達しておらず、臨時開催はしないという。ただ、日本に関係する太平洋プレートでは今年に入って、小笠原諸島で震度5強の地震(M6・1)があったほか、南太平洋のトンガの海底火山も噴火したばかりだ。災害史に詳しい立命館大環太平洋文明研究センターの高橋学特任教授は「活発化する太平洋プレートに圧縮されたフィリピン海プレートの動きを注視すべきで、その中には首都圏も含まれる。小笠原の地震やトンガの噴火のほか、昨年来、トカラ列島や沖縄、台湾周辺でも地震が頻発しており、南海トラフ地震は始まりかけているといってもよい」との見方を示した。大分には、夫の友人も私の旧友も住んでいる。被害がないかとメールで問い合わせたらさほどの被害がないとのことでホッとするが、その後もずっと余震が続いているようで、不安なことだろうと推察する。トンガの火山噴火のことといい、今回のことといい、不穏な動きが地球内部でうごめいている。当地は、今までに経験のないような重たい雪がバサバサ降って、それによる落雪事故なども頻発。これも立派な自然災害だ。今年はどのような年になるのだろうか。
2022年01月22日
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トンガ火山、陸地が消滅 噴火後の衛星写真で、国連1/18(火) 0:43 共同 【ジュネーブ共同】国連衛星センター(UNOSAT)は17日、トンガで15日に噴火した海底火山の噴火前後の衛星写真を公開した。海底火山の海域には海面上に285ヘクタールの陸地があったが、現地時間17日午前10時53分(日本時間同6時53分)に撮影された写真では、陸地がほぼ全て消滅しており、噴火の威力の大きさが示されている。 海底火山の南約65キロにある首都ヌクアロファの空港では、噴火後の写真で滑走路周辺に浸水の痕跡が見られるとUNOSATは指摘。滑走路上の白線も見えない状態となっており、津波の影響とみられる。まだ、トンガ火山噴火の被害の詳細はわからないようだが、想像を絶するような状況ではないかと想像してしまう。現在の被害も心配だけれども、一つの火山島が吹き飛んでしまったようなので、噴出物の今後の影響もとても心配だ。つい、ポンペイを連想してしまうのだが、私の想像が心配し過ぎであることを願うのみ。
2022年01月18日
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真珠湾攻撃80年 101歳元整備兵「戦争防ぐには対話大切」2021年12月8日 4時21分日本軍の真珠湾攻撃は「2度目」だった…日本人が知らない「もう一つの歴史」12/8(水) 7:02秋丸機関 遺族「平和の教訓に」 真珠湾攻撃きょう80年12/8(水) 10:11 太平洋戦争の口火を切った真珠湾攻撃から8日で80年を迎えた。開戦前、「英米と日本の経済戦力は20対1」と主張し、開戦阻止に動いた陸軍の機関があった。陸軍省戦争経済研究班。えびの市出身で故・秋丸次朗中佐が率いたことから「秋丸機関」と呼ばれた。軍幹部は報告に耳を貸すことなく開戦へと突き進み、秋丸中佐の三男、信夫さん(83)=同市=は「無理な戦争をして大勢が亡くなった。二度と悲劇を起こさないための教訓にしてほしい」と平和への願いを込め訴える。真珠湾攻撃、8日で80年 太平洋戦争開戦、日本側310万人犠牲12/8(水) 0:00配信この日になると、年々とても気が重くなる。太平洋戦争の実態をほとんど知らなかった頃は、色々な本も読んだし、講演会や体験者の証言を聞く機会ががあればできるだけ行くようにしていた。テレビ番組や、この時期になると特集される新聞記事なども読んできた。そんな中で感じてきた一番強い思いは、あの戦争の国民の犠牲を強いるような無謀さや失敗をしっかり反省しなければ、また同じようなことが起きるだろうということだ。それなのに、信じられないような楽天体質と、都合の悪いことには目をつぶり、権力や特権を維持しようとする政治家などの体質は、いよいよ強くなっているような気がする。戦争を始めたりきっかけを作るのは、間違いなく政治家たちだ。私は最初にわが子を出産して男の子だとわかったとき、「この子が戦争に連れて行かれるような時代にならないように」と強く思った。そう思ったということは、そのころすでに、ある程度の戦争の実態の知識があったのだろうか。あるいは、戦争で身内の何人もが戦死したり、ボロボロになって帰還してその後亡くなったりしたことを聞いていたからだろうか。しかし今では、身近な人が戦死したという人もどんどん少なくなっている。父は占守島での最後の戦闘のあと、ソ連に2年間抑留した体験者だが、晩年まで戦争体験を直接聞いた記憶はない。多くの兵士たちは、父のように晩年までその体験を語ることなく、そのまま亡くなっていく人も多い。息子たちはすでに40代後半だから兵士になることはないだろうが、孫の時代はどうであろうか。憲法改正論議がまた始まろうとしているが、どのように変えたいと思っているのか不安だ。太平洋戦争前に「秋丸機関」が、米英との戦争を継続する経済力の差は、戦争遂行するには困難と結論付けていたことすらも、戦争遂行可能な楽天的要素を無理やり見つけ、その提言を利用さえして戦争を始めたこの国だ。憲法の都合のよう解釈ならいくらでもすることだろう。それは、国民を守るためという大義名分を掲げながら、権力者&為政者と、今ならば軍事関連企業の金儲けが一番の目的になりそうだ。だからこそ、私は平和を守る楔としての憲法であってほしいと願っている。
2021年12月08日
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長倉洋海さんの緊急メッセージの転載ですアフガン情勢に関する緊急メッセージ2021年9月24日「緊急メッセージ16」 今もアフガニスタン各地で、女性たちが教育と自由、働く権利を求めて路上で抗議を続けています。ロガールやバーミヤンでは、男たちが「家族を守るため」と銃を手に立ち上がりました。アンダローブでも抵抗運動が拡大しています。 それでもタリバンの抑圧と蛮行は止む気配がありません。上層部や幹部がどんなに聞こえのよいことを言っても、末端の構成員は思ったようにやっています。女子の教育を認めるという一方で、山の学校の卒業生たちが通うパンシール大学を爆破しました。他にも、遺体を木を使って吊り首にしたり、ハザラ人とわかると射殺したり、見せしめのための石投げ刑や路上での公開鞭打ちもしています。彼らが行なっていることを見る限り、タリバンは狂信者、あるいはならず者の武装集団と言っても過言ではないと思います。 今日届いた卒業生ゴラムからのメールでは、家から彼のノートパソコンや本が盗まれ、家の動物は殺されてしまったと嘆きのメールが届きました。(↓教育を、と叫ぶ少女たち)←クリックで動画↓暴行を受けた女性の写真↓元教育省の前で抗議する女性たち 彼らはどうしてこんな残酷な仕打ちができるのでしょうか。「地に根ざした思想」と、タリバンを擁護する識者がいますが、それは全くおかしい論理だと思います。自分たちだけの場所ならどんな思想で生きようと勝手ですが、それを力で他の人に強制し、他の人間の存在すら抹殺することは許されることではありません。それはどんな宗教であれ、言えることだと思います。彼らは異教徒ばかりか、同じイスラム教徒でも価値観が一緒でないと敵意を向けます。もし、あなたがそうされる立場でも、「地に根ざした思想だから許してもいい」と言うのでしょうか。 人の身になって考えられない人間が政治に関わってはいけない。ましてや、国を動かすことなどあってはならないと思います。人は、『人間として、してはいけないこと』を家族や共同体、そして人々から学びますが、タリバンにはそうした「学び」がすっぽりと抜け落ちているようです。 人間としての良識や道徳という人間原理を持っていないから、外の世界に憎しみを向けるのです。 一昨日、市場で我が子を売りに出す男性のツイッター映像を見て、これを放置するタリバンの統治とは何だろうかと思いました。(↓子を売る動画紹介 クリックで動画) 2001年に読売新聞で紹介された、パシュトゥーン人の長老の言葉を思い出します(その時の記事を参照)。「むやみに人を傷つけるのはいけないことで、本来のイスラムではない」。 世界中のイスラム教徒がタリバンが行なっていることを嘆き、悲しんでいると思います。どんな地でも、どんな世界でも、人は人と生きていくのですから。 2021年9月24日 長倉洋海
2021年09月28日
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長倉洋海さんのホームページに、「アフガン情勢に関するメッセージ」がまとめられている。一般的な報道では知ることのできない情報が、長年アフガニスタン北部への教育支援でネットワークを紡いできた長倉さんには日々届いているようだ。私も間接的にアフガニスタンには関心を抱いてきたので、日々情報は気にしている。
2021年09月09日
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吹き上がる泥・打ちつける土砂の塊、建物も路線バスものみ込んでいった…熱海の土石流ルポ2021/07/03 21:14 読売 土石流が起きた熱海市伊豆山の現場に3日正午過ぎ、記者が入った。土石流は北西の山側から南東方向の海側に向かって、幅数十メートルにわたって建物をのみ込んでいた。周囲には泥のしぶきが吹き上がっており、時折、塊になった大量の土砂が斜面を打ちつけていた。 約500メートル南東の国道135号は寸断されていた。周辺では、民家の1階が土砂に押しつぶされ、2階部分が倒れていた。路線バスは土砂に押され、建物の外壁にもたれかかり、自動販売機が横倒しになって泥に埋まっていた。大規模な土石流が発生した現場(3日午後5時33分、熱海市で)=関口寛人撮影 午後5時過ぎ、読売ヘリで上空から現場を見ると、土石流の痕跡がはっきり見えた。土砂が流れた筋の途中、海岸近くの民家が密集したエリアでは、土砂が蛇行しながら海岸線に向かって、勢いよく流れ落ちたとみられる。 すべて流されてしまったのだろうか。建物は見当たらない。土砂が行き着いた海岸線は一面、茶色く濁っていた。(中山智道、加藤高明)言葉がない。毎年毎年、日本のどこかで豪雨災害が起きる国土となった。
2021年07月04日
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リンクしているMilkywayさんのブログて、下記の記事を知りました。「タイのスラムでも追悼 東日本大震災10年」 The Asahi Shimbun Asia & Pacific 朝日新聞アジア太平洋の 2021年3月11日 の記事である。https://www.facebook.com/asahiasiapacific/東日本大震災から10年となった11日、タイの首都バンコクにあるクロントイ・スラムで、地域の住民や子どもたちが参加して震災の犠牲者らを悼む催しが開かれました。この地域では震災の直後に、住民らが募金をして100万円超を被災地に寄付。それを知った日本の篤志家がお返しに1千万円超を地域に寄付するなど、善意の支え合いが続いています。 募金は震災の翌日、2011年3月12日から始まりました。呼びかけたのは、スラムの支援を続ける「プラティープ財団」のプラティープ事務局長。同じくスラムを支援する「シーカー・アジア財団」とともに義援金を集め、短い間に日本円で100万円を超すお金が集まり、被災地に寄付しました。 一連の経緯を新聞記事で知った日本人の男性(故人)が、お返しをしたいと申し出て、二つの財団に合わせて1千万円超を寄付。シーカー・アジア財団が地域の子どもたちのために運営する図書館の改修費などにあてられました。 11日、この図書館に両財団の関係者や地域の住民代表、子どもたちなど数十人が集まり、黙祷(もくとう)や僧侶の読経などで震災の犠牲者らを追悼しました。子どもたちは、被災地に贈る横断幕にそれぞれの思いで、絵や「がんばろう」といったメッセージを書き込みました。 プラティープさんは10年前に募金を呼びかけた時のことを「助けには行けないけれど、地域の住民一人ひとりから励ましの気持ちを何らかの形で届けたい、という思いだった」と振り返りました。04年にタイ南部を津波が襲った際に日本から支援があったことや、日本からのスラムへの支援も長年にわたり続いていることが念頭にあったといいます。 そのうえで、いまの被災地の人たちへのメッセージを問われ、「常に励ましあって、ともに生きて行きましょう」と話しました。(貝瀬)これが人と人のつながりというものなのだと、心が温まる思いです。この記事を読みながら、「無財の七施」という言葉を思い出しました。随分昔にこの言葉を知った時、これなら私でも心がければできると思いましたが、いつの間にか忘れていました。これは、お金や物がなくてもできることですが、タイのスラムの人達は、生きることに必要なお金を募金してくれたのです。その重みを、心から感謝したいと思います。
2021年03月18日
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陛下おことば全文「震災を過去のこととして捉えるのではなく・・・」TBS 3/11(木) 15:0天皇陛下は11日、東日本大震災十周年追悼式に出席されました。先月、福島県沖で発生した地震についてふれ、「震災を過去のことではなく、現在も続いていることとして捉える必要がある」と述べられました。天皇陛下おことば 全文 東日本大震災から十年が経ちました。ここに皆さんと共に、震災によって亡くなられた方々とその御遺族に対し、深く哀悼の意を表します。 十年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、二万人を超す方が亡くなり、行方不明となりました。また、この地震に伴う津波や原子力発電所の事故により、多くの人々が避難生活を余儀なくされました。この震災の被害の大きさは、忘れることのできない記憶として、今なお脳裏から離れることはありません。 あれから十年、数多くの被災者が、想像を絶する大きな被害を受けながらも、共に助け合いながら、幾多の困難を乗り越えてきました。また、国や全国の地方自治体、百六十を超える国・地域や多数の国際機関、大勢のボランティアなど、国内外の多くの人々が様々な形で支援に力を尽くしてきました。 私も、皇后と共に、被災地を訪れてきましたが、関係者の努力と地域の人々の協力により、復興が進んできたことを感じています。これまで復興に向けて歩んできた多くの人々の尽力とたゆみない努力に深く敬意を表します。 一方で、被災地ではまだ様々な課題が残っていると思います。復興が進む中にあっても、新しく築かれた地域社会に新たに人と人とのつながりを培っていく上では課題も多いと聞きます。家族や友人など親しい人を亡くしたり、あるいは住まいや仕事を失い、地域の人々と離れ離れになったりするなど生活環境が一変し、苦労を重ねている人々のことを思うと心が痛みます。また、原子力発電所の事故の影響により、人々がいまだに自らの家に帰還できない地域や、帰還が始まったばかりの地域があり、農林水産業への風評被害の問題も残されています。高齢者や子供たちを含め、被災された方々の心の傷を癒やし、心身の健康を見守っていくことも大切であると感じます。 今後、困難な状況にある人々が、誰一人取り残されることなく、一日でも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるように、復興の歩みが着実に実を結んでいくよう、これからも私たち皆が心を合わせて、被災した地域の人々に末永く寄り添っていくことが大切であると思います。私も、皇后と共に、今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います。 先月にはマグニチュード七を超える地震が福島県沖で発生しました。被災された皆さんに心からのお見舞いを申し上げます。この地震は東日本大震災の余震と考えられており、このことからも、震災を過去のこととしてではなく、現在も続いていることとして捉えていく必要があると感じます。 我が国の歴史を振り返ると、巨大な自然災害は何度も発生しています。過去の災害に遭遇した人々が、その都度、後世の私たちに残した貴重な記録も各地に残されています。この度の大震災の大きな犠牲の下に学んだ教訓も、今後決して忘れることなく次の世代に語り継いでいくこと、そして災害の経験と教訓を忘れず、常に災害に備えておくことは極めて大切なことだと考えます。そして、その教訓がいかされ、災害に強い国が築かれていくことを心から願っています。 今なお様々な困難を背負いながらも、その苦難を乗り越えようとたゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、安らかな日々が一日も早く戻ることを皆さんと共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。(11日15:03)真心がこもった陛下のお言葉に比べたら、菅総理の言葉は空疎に感じてならなかった。天皇皇后ご夫妻には、可能な限り長生きしていただきたい。
2021年03月11日
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昨夜の地震の時は、すでに布団に入っていたが細かい「ガタガタ…」という振動で起き上がった。地震だろうとは思ったが、少し長めの細かい揺れだったので、「多分、遠いな…」と思いながらタブレットで確認。この時間で震度6は、避難するにも大変だろうと思いながら、あの地域は大震災の経験があるから、建物の耐震強度も高くなっているだろうし、避難訓練もやっているだろうから大丈夫かもと、希望的な願いのままに就寝した。あまり被害が広がらないようにと願うし、10年前の大地震だろうの余震と聞いて、まだまだこの状態は続くのかもしれないとガックリする気持ちである。地震はある、コロナはまだ収まっていないし、フクシマだって決して収束していないこの日本に、世界からのアスリートをお迎えする資格があるのだろうか。宮城、福島で震度6強 東北、関東で71人けが 2/14(日) 6:52 テレ朝宮城、福島の停電は約320戸 東北電管内、最大9万戸超2/14(日) 9:06 毎日新聞 東北電力ネットワークによると、東北6県と新潟県を管轄する同電力管内では13日午後11時15分ごろ、岩手、宮城、福島、新潟の4県で最大9万1897戸が停電した。14日午前8時15分現在、宮城、福島両県で計約320戸の停電が続いているという。(後略)福島沖地震、宮城・福島などで97人が負傷…常磐道で土砂崩れ2/14(日) 9:00 読売 13日午後11時7分、福島県沖を震源として発生した地震は、14日午前8時現在、読売新聞のまとめでは、宮城県で37人、福島県で49人、茨城県、栃木県でそれぞれ3人など、計97人が負傷した。 福島県相馬市の常磐道相馬ICから北3キロの地点では、大規模な土砂崩れが起き、土砂が上下線をふさいだ。現場には、ショベルカー数台が出動し、土砂の撤去作業を進めている。 建物の被害は、福島県内で住宅の一部が崩れるなど計30棟が被害を受けた。火災は、消防庁のまとめによると、宮城県内で仙台市と塩竈市で火災が発生したが、鎮火した。
2021年02月14日
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核兵器禁止条約が発効 核保有国や日本など参加せず2021年1月22日 NHKニュース核兵器の開発、保有、使用を禁じる核兵器禁止条約が、22日発効しました。条約には核保有国や核抑止力に依存する日本などが参加しておらず、核軍縮の機運を高めることにつながるかが焦点です。核兵器禁止条約は、核兵器の使用は非人道的で国際法に反するとして開発、製造、保有、使用を禁じるもので、122の国と地域が賛成して2017年に国連で採択されました。ベトナムや南アフリカ、メキシコなど、去年10月までに批准した50の国と地域で、それぞれ現地時間の22日午前0時に発効しました。発効にあわせ国連のグテーレス事務総長はビデオ声明を発表し「核兵器のない世界への重要な一歩だ」と評価したうえで、すべての国に対して、「世界を安全にするという願いをかなえるために、ともに取り組もう」と呼びかけました。また「被爆者がみずから経験した悲劇を証言したことが、条約発効を後押しする道徳的な力となった」として核廃絶を訴える被爆者の活動を評価しました。22日現在、批准を済ませた国と地域は51、条約に加わる意思を示した署名は86で、いずれも核兵器を保有していません。一方、すべての核保有国と核抑止力に依存するNATO=北大西洋条約機構の加盟国や日本、韓国などは参加していないため、核兵器が直ちに減るわけではありません。ただ、条約の推進国などは、核兵器は違法だという新たな国際規範が確立されれば、将来的に、核保有国への圧力になると期待しています。条約の推進国やNGOなどは、批准する国や地域の数を、今後数年で100まで伸ばしたいとしています。この条約が核軍縮への弾みになるかどうかは、条約への支持が今後どこまで広がるかにかかっています。ICAN事務局長「歴史的な瞬間」核兵器禁止条約の採択に貢献し2017年にノーベル平和賞を受賞したICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンのベアトリス・フィン事務局長はNHKのインタビューで「核兵器そのものが国際法で初めて禁止される歴史的な瞬間だ」と述べ、条約が発効する意義を強調しました。そのうえで「条約は国際的な規範となり、影響を持つ。より多くの国が批准すれば規範は確固なものになるので、すべての国が参加すべきだ。核の傘の下にある国々が批准すればより大きな影響があるだろう」と述べ、今後は核の傘に頼る安全保障政策を取っている日本やNATO=北大西洋条約機構の加盟国を巻き込んでいく必要があると強調しました。また、現段階で核保有国や核抑止力に依存する国々が1か国も署名・批准していないことについては「NPT=核拡散防止条約でも中国、フランスのような核保有国が参加するのに20年余りかかった。条約の批准には時間がかかるものだ。現段階で禁止条約に核保有国が参加していなくても強力な法律文書であることに変わりはない」と述べました。また、1年以内に開かれる1回目の締約国会議については「条約に参加していない国々にもオブザーバーとして参加してほしい。会議で核兵器による被害者への支援などに関する議論があれば、被爆者支援の経験と知識がある日本は、議論に貢献できる」と述べ、日本もオブザーバーとして参加すべきだという考えを示しました。国連 中満事務次長「日本もオブザーバー参加できれば」核兵器禁止条約の発効について、国連で軍縮を担当する中満泉事務次長は発効の前にNHKのインタビューに対して「22日を楽しみにしている。発効と同時に責任と役割が出てくる。きちんと実施するために準備している」と述べ、核廃絶を最優先課題の1つと位置づける国連として条約の発効を歓迎し、今後の手続きを支援していく考えを示しました。条約では、締約国は発効から30日以内に核兵器を保有していたかどうかや核兵器計画を廃棄したかどうかを国連の事務総長に申告するとなっていて、国連はこの手続きを支援することになります。また、条約は、発効後1年以内に締約国による会議を開催すると定めていて、中満事務次長は会合の時期や優先する議題について、すでに関係国との協議に入っているとしています。条約では、締約国会議には、条約に参加していない国もオブザーバーとして参加するよう招請するとしていて、中満事務次長はすでに数か国から参加の意向が示されていることを明らかにしました。そして「日本国内からもオブザーバー参加すべきとの意見が出ているが、ぜひそうなればいいと思う。これから条約に関する議論が始まる過程で、機会を逃さずにとらえていくことは、唯一の戦争被爆国の役割かもしれないと思う」と述べて、日本の参加を重ねて呼びかけました。サーロー節子さん「やっと獲得した核廃絶への第一歩」核兵器禁止条約が発効したことについて、13歳の時、広島で被爆し、長年、世界各国で自身の被爆体験を語って核兵器廃絶を訴え続けてきたカナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(89)は「飛び上がるほどうれしいです。75年間活動してきてようやく勝ち取ることができたと思います。でもこれは核兵器の『禁止』であって、禁止する状態から廃絶までの長い道のりがあり、ことばにはできない喜びと同時に重い責任感も感じています」と話しました。そして「条約は私たちがここまで働いてきてやっと獲得した核廃絶に向けた第一歩で、皆さんや将来の人たちへのプレゼントです。私も命あるかぎり働くつもりですが、獲得したことをむだにせず廃絶できるまで運動を盛り立ててほしい」と訴えました。一方で、日本政府が条約に参加しない方針を示していることについて「被爆者があんなに苦しんで75年も待って訴え続けていることに対して、政府は少しは聞き耳を立ててほしい」と述べて条約への参加を求めました。そのうえで、日本へのメッセージとして「原爆の投下という考えられないようなことは唯一日本で起きたことで、日本の人たちには同じようなことが二度と起きないように、いま生きている人間とこれから生まれてくる子孫たちの生活を確保するために声を大きくあげなければいけないということを知ってほしい。政府に訴えて動かしていかないといけない」と訴えていました。広島 松井市長「政府は締約国会議に参加を」核兵器の開発や使用などを禁じる核兵器禁止条約が発効したことについて、広島市の松井市長は22日の記者会見で日本政府に対し、発効後に開かれる締約国会議にオブザーバーとしての参加を求める考えを改めて示しました。この中で松井市長は、条約が発効したことについて「被爆者をはじめ、広島の心を共有する多くの市民が待ち望んでいた条約が発効した。史上初めて、核兵器が全面的に禁止されるべき対象だと明確にする根本規範が出来上がった。広島市としても被爆の実相を多くの人に知ってもらう活動を続け、条約をより実効性の高いものにしていくため取り組みたい」と述べました。そのうえで松井市長は、条約に署名していない日本政府に対して「核兵器廃絶という理想に向けて、どういった展開をしていくかという発想で取り組むべきだ。締約国会議にオブザーバーとして参加して、しっかりと態度を表明すべきだ」と述べ、日本政府に対し、発効後に開かれる締約国会議にオブザーバーとしての参加を求める考えを改めて示しました。日本政府は核兵器禁止条約について、日本政府はアメリカなど核兵器の保有国が参加していないことから核軍縮を目指すうえで現実的ではないなどとして、参加しない姿勢を明確にしています。菅総理大臣は今月7日の記者会見で「唯一の戦争被爆国として条約が目指す核廃絶というゴールは共有しているが、核兵器のない世界を実現するためには核兵器の保有国を巻き込んだうえで核軍縮を進めていくことが不可欠だ」と述べ、条約に署名しない考えを重ねて示しました。また、菅総理大臣は、広島市や長崎市などが求めている核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加についても「慎重に見極める必要がある」と述べています。核開発を加速させる北朝鮮の脅威が増す中、政府は核による抑止力の必要性は否定できず核保有国も参加する形で粘り強く核軍縮を進めていくべきだとしています。ことし8月には、世界の核軍縮の方向性を定めるNPT=核拡散防止条約の会議が開かれる方向となっていて、政府としては立場の異なる国々の橋渡し役として議論をリードし国際的な存在感を示していきたい考えです。菅首相「条約に署名する考えない」菅総理大臣は、参議院本会議で「唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界の実現に向けた、国際社会の取り組みをリードする使命を有しており、これはわが国の確固たる方針だ」と述べました。そのうえで「現に核兵器を保有している国を巻き込んで、核軍縮を進めていくことが不可欠だが、条約は、核兵器保有国のみならず、多くの非核兵器国からも支持を得られていない。緻密に現実的に核軍縮を進めさせる道筋を追求していくことが適切で、条約に署名する考えはなく、またオブザーバー参加を含め、締約国会議への関与については慎重に見極める必要がある」と述べました。茂木外相「核廃絶というゴールは共有している」茂木外務大臣は記者会見で「唯一の戦争被爆国として、これまで核軍縮に関する国際社会の取り組みを推進してきたわが国としても、条約の発効を留意している。条約が目指す核廃絶というゴールは共有している」と述べました。一方で「核兵器のない世界を実現するためには、現に核兵器を保有している国を巻き込んで核軍縮を進めていくことが不可欠だが、現状では核兵器国の支持は得られていない。日本を取り巻く安全保障環境がいっそう厳しさを増すなか、抑止力の維持・強化を含め、現実の安全保障上の脅威に適切に対処しながら、地道に現実的に核軍縮を前進させる道筋を追求していくのが適切だ」と述べました。岸防衛相「地道に現実的に核軍縮前進を」岸防衛大臣は、閣議のあと、記者団に対し「条約が目指す核廃絶というゴールは共有しているが、一方で、核保有国の支持が得られていないのが実情だ。わが国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中で、現実の脅威に対処しながら、地道に、現実的に核軍縮を前進させる道筋を追求していくことが必要だ」と述べました。公明党 山口代表「最終的には批准できるように」公明党の山口代表は、党の参議院議員総会で「画期的な条約の発効であり、推進したのは、わが国の被ばく者たちの思いだ。条約が新たな推進力となって、核軍縮を進め、核兵器の廃絶に至る道筋を描いていかなければならない。最終的には、条約を批准できるような環境を整えていくことがあるべき方向性だ」と述べました。(後略)日本政府の態度は「情けない」の一言。唯一の被爆国として何をやってきたんだか。
2021年01月24日
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昨日は阪神淡路大震災から26年ということで、色々とテレビでも取り上げられていた。あの日のことは、長男が神戸にいたのでとても鮮明に記憶している。テレビで、当時大学生の息子さんを亡くした方がコメントされていたが、一歩間違えば私も同じようなことになっていたかと思うと、本当に身につまされた。昨夜、NHKスペシャル「巨大地震と未治療死」を見た。新型コロナの時代に巨大地震が起きたら、救えるはずの命すら守れない事態が起きる-。専門家による最新研究の結果、コロナ禍で医療がひっ迫した状態で巨大地震に見舞われると、必要な治療を受けられずに亡くなる「未治療死」が続出、国の想定を超える死者が出る恐れがあることが明らかに。災害医療の原点となった阪神・淡路大震災から26年。あの日起きた医療崩壊の教訓を踏まえ、巨大災害への備えを進める最前線の現場を追う。この番組でAMATという医療チームの存在と取り組みについて知った。大地震などの広域自然災害の時に医療が広域で連携する重要性については理解できるのだが、これに「新型コロナ感染」がプラスされるとどうなるのだろう。そのあたりのことが取り上げられていたのかどうか、全部見ていなかったのでよくわからないけれど、現在のように各地の大都市圏で医療崩壊に近い状態では、想像するだけでかなり難しいように思う。とにかく、大災害はコロナ禍が沈静してからにしてほしいと祈る気持ちだ。もちろん、大地震などの自然災害がないに越したことはないのだが、最近の気象現象を見ていると、豪雨に伴う山崩れなど毎年各地で起きているし、地震も常に起きている。このようなことを考えると、どうも明るい気持ちになれない。これじゃ、まずいなー。
2021年01月18日
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北海道 寿都町が文献調査に正式応募 「核のごみ」最終処分場2020年10月9日 16時20分原子力発電所の使用済み核燃料から出る、いわゆる「核のごみ」の最終処分場の選定をめぐり、北海道寿都町は9日、第1段階となる「文献調査」に必要な書類を提出して正式に応募しました。国が3年前に、調査対象になる可能性がある地域を示した全国地図「科学的特性マップ」を公表して以降、自治体の応募は初めてです。北海道寿都町の片岡春雄町長は、9日午前、東京 港区にある国の認可法人NUMO=原子力発電環境整備機構を訪れました。そして、使用済み核燃料から出る高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のごみ」の最終処分場の選定に向けた3段階ある調査のうち、第1段階にあたる「文献調査」の書類を手渡し正式に応募しました。書類を受け取ったNUMOの近藤駿介理事長は「大変丁寧な議論を町の皆さんと進め、書類を提出していただき、心からお礼申し上げる。国の重要な事業への勇気ある取り組みに心から敬意を表したい」と述べました。片岡町長は「これからのほうが大事だと考えており、ご指導をお願いしたい」と話していました。自治体の応募は国が3年前(2017年)に調査対象として可能性がある地域を示した全国地図、「科学的特性マップ」を公表して以降、初めてです。2007年に高知県東洋町が応募したケースがありますが、住民の反対運動などで応募は取り下げられました。NUMOは今後、寿都町で文献調査ができるか確認したうえで、問題がなければ国の認可を得て2年程度かかる文献調査に入ります。また、同じく文献調査を検討している北海道神恵内村については国が、9日午後にも調査の申し入れを行うことにしています。村が受け入れれば、寿都町と同様に調査の手続きが進むことになり、長年、行き詰まっていた最終処分場の選定に向けたプロセスが、北海道の2つの自治体で動き出すことになります。しかし、一部の住民から反対の声が上がっているほか、第2段階の調査に進むことに北海道知事が反対する意向を示しています。文献調査 2年で合わせて最大20億円が交付第1段階の文献調査では2年で合わせて最大20億円が交付されますが、道の同意が得られず、その後の調査が進められなくなる可能性もあり、多額の交付金の意義や住民や関係自治体の理解をどう得ていくかなど、引き続き課題となっています。梶山経済産業相「国として敬意と感謝」いわゆる「核のごみ」の最終処分場の選定をめぐり、北海道寿都町が選定の第1段階となる「文献調査」に正式に応募したことについて、梶山経済産業大臣は、「町内で議論を積み重ねて今回の判断に至ったことについて、国として敬意と感謝を表したい。今後のプロセスを進めるにあたっては、地域の皆様と丁寧にコミュニケーションをとりながら、理解や議論をさらに深めてもらえるよう国としてしっかり取り組みたい」と述べました。NUMO理事長「1センチ前に出るきっかけになった」NUMO=原子力発電環境整備機構の近藤駿介理事長は、書類を受け取ったあと報道陣の取材に応じ、「福島第一原発の事故の反省も踏まえて、地域社会の同意のもとに取り組みを進めようと、全国各地で車座方式の説明会などを地道に進めてきた。こうした自治体が出てくる環境を少しは整備できた。何もないところよりは、1センチ前に出るきっかけになったと考えている」と述べました。北海道知事が第2段階の調査に進むことに否定的な意見を述べていることについては「知事にしても、議会にしても、民意を大事にしていると思うので、引き続き丁寧に対話を続けてくことが重要だと思っている」と述べました。また、一部の住民から反対が出ていることについては「文献調査は学習をスタートさせること。これから新しい対話が始まるし、始めないといけない。いま時点での困難は当然認識したうえで、皆さんと協議して議論を深めたい」としています。北海道 神恵内村も文献調査 受け入れ決定 最終処分場の選定2020年10月9日 16時16分文献調査で大金を得て、その後処分場設置に反対できるのか?普通に考えて、それは難しいことだろうと思うが…。神恵内村も手を上げるから、ほかに手を上げる自治体がなければ、どちらかに押し付けようとするに決まっている。そもそも文献調査って、何をやるのかと思って調べたら、下記のサイトを見つけた。「文献調査」にだまされないために(原子力資料情報室)2020/10/01
2020年10月09日
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今日は8月15日。戦争を実際に体験した人はどんどん亡くなってゆく。高齢者の仲間入りをした私も、子どもや孫に戦争の体験を語ることはできない。だから、記録したものや体験者の証言でしか、戦争でどのようなことが起きるのか知ることはできない。私にできることは、そうやって得た知識を「こんなことがあったんだよ」と孫たちに伝えるのが精いっぱいなのだ。今では、読んだことも映像で見たこともすぐ忘れてしまうので、それすら怪しくなっている。それでもやっぱり、この日本という国や国民は、戦争になったらこんなことになる可能性があるのだということは、心に刻んでおきたいと思う。今日見つけたネット記事をコピーしておく。731部隊の元少年兵が激白…「残虐な人体実験が我々の日常だった」8/15(土) 6:01配信ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白満州・黒川開拓団「乙女の碑」は訴える戦争が生んだ「浮浪児」は3万5000人 当事者が語る路上生活【石井光太】8/15(土) 11:00配信 デイリー新潮新宿で発見された100体の「人骨」は何を語るのか? 「731部隊」が戦犯として裁かれなかったワケ【戦争と日本人(2)】「銃撃戦の夜は震えが…」ムツゴロウこと畑正憲さんが語る満州・戦争の記憶8/15(土) 10:01配信あとでゆっくり読もう。
2020年08月15日
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沈む民家、むき出しの山肌 豪雨爪痕各地に 熊本上空7/4(土) 21:43配信 時事通信 熊本県南部を襲った豪雨の影響で川が増水し、民家や田畑は一面が茶色の水につかり、茶色の山肌があちこちでむき出しになっていた。 4日、大規模な浸水や土砂崩れで民家などが巻き込まれた被災地の上空をヘリコプターで飛んだ。 午後4時ごろ、熊本県人吉市温泉町付近。球磨川の増水で、民家や田畑の広い範囲が茶色の水で覆われていた。その周辺では、赤い鉄橋の一部が、増水し濁った川の中で倒れていた。既に流されているのか、残りは確認することはできない。他にも多くの橋が寸断されているのが見えた。 芦北町の「東海カーボン田ノ浦工場」の敷地内では浸水し、屋根から高々と黒煙を上げていた。周囲には消防車が見えたが、消火活動を行っている様子ではなかった。 同町では複数の山で土砂崩れが起き、民家を押し崩していた。救助隊員が周辺を捜索している様子が確認できた。 津奈木町でも土砂崩れが発生。押しつぶされ、骨組みだけとなり、原形をとどめていない民家も多かった。流れてきた土砂と木で現場はめちゃくちゃになっていた。 14人が心肺停止で見つかった球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」。周囲は広範囲で浸水し、救助隊員らは建物付近でゴムボートで救助に当たり、海上保安庁のヘリが人を引き上げていた。 このところ、梅雨の時期には毎年のように「線状降水帯による集中豪雨」という言葉を聞いているような気がする。場所は違えど、河川の氾濫や山崩れ、土砂崩れの映像もよく見るようになり、びっくりよりも「またか」という気持ちになってしまうのが悲しい。その要因は温暖化の影響も大きいのだろうが、農林業で守られてきた山林や田畑が、特に本州では農業後継者が減ったことによって荒れてきたことも要因ではないかと思っている。これは、専門家もこのような時にはよく指摘していることだ。農地や山林の保全は、日々の営みの中で地道に続けなくてはならない。そんなことではどうにも止められない被害であることもわかるが、日本人はもっと農産物の自給率を上げてゆかなくてはいけないと、常々感じている。世界ともお付き合いをしなくてはならない時代だともわかっている。お互いに災害に見舞われた時には、生きるための食べ物を輸出入することは大切だ。でも、日々の生活の中では、地産地消ということで食べてゆくことが大切で、そのためには田畑や山林の手入れや活用が不可欠だ。私自身は、自給自足とは程遠いけれど、庭の片隅にミニトマト、ニラ、小松菜、しそ、ラディシュなどを植えている。実家はもっと本格的でハウスがあるので、トマト、きゅうり、さやえんどう、ナス、ブロッコリーなどや、畑ではアスパラ、ジャガイモ、ヤーコン、トウモロコシ、黒豆(主に枝豆で食す)、などなど、こう書いてみても色々作っている。妹は、以前は母の指示で嫌々の部分もあったけれど、今は自分の楽しみでもあるようだ。少しの土地があれば、育てる楽しみや健康増進のためにも、自給率向上に少しは寄与できるのではないか。自分の口に入れるものだから、必要以上の農薬は使う気になれない。自然なつくりの野菜を食べつけると、お店で買う時にも色々と気をつけるようになってくる。今の私のこだわりは、同じものがあったら、少しの価格差なら地元のものを買う。加工品は輸入国には気をつける。絶対に購入しない国は今のところ二国。でも、農産物でも肥料や飼料、農薬などがどのように諸外国から入ってきて使用されているのかわからないので、厳密には間接的には口に入れているのはどうしようもない。日本中の人が少しずつ気をつけたら、この豪雨災害を少しでも食い止める力にならないものだろうか。
2020年07月05日
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今どのような感染状況になっているのだろう。各国・地域における新型コロナウイルスの感染状況 チャートで見る世界の感染状況 新型コロナウイルス日本の状況 COVID-19 Japan北海道
2020年04月23日
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昨夜、やっと安倍首相が緊急事態宣言を出した。しかし、その内容を聞いているとどうも中途半端な気がする。しかしともあれ、これで日本全体の危機意識が強まり、それぞれの立場での努力が積み重なり、この状況が好転すればいいなとは願っている。昨夜布団に入ってから、ふと(キューバはどうなっているのだろう)と思った。キューバは確か、医療や教育に力を入れていたはずだ。観光にも力を入れているし、中国とは政治体制の共通点から歴史的にもつながりが深いはずで、当然新型コロナウィルスも無関係ではないはず。しかし、今までのところキューバについてのニュースはあまり見ていないような気がする。ということで、今、ネット検索をしてみたら、次の記事を見つけた。キューバの医療体制と医療費の順位一覧下記の記事は、一読して紹介したいと思うので、全文コピーしよう。新型コロナに「医療先進国」キューバはどう立ち向い、世界に貢献しているか板垣真理子 写真家 2020.3.30 今、キューバから原稿を書いている。そもそもは米国による経済封鎖強化の続くこの国が、オバマ政権時代に私自身が3年と少し過ごした時代といかに変化しているかについて、現地情報をリポートするはずだった。にもかかわらず新型コロナウィルス=COVID-19関連のものになってしまった。 それだけ今の世界情勢の中でこのウイルスが引き起こしたもろもろの事象が大きく、またキューバが世界でウイルスに感染した人々の命を救うのに素晴らしく多大な貢献をしているか、でもある。そこでキューバの活躍に関するニュースが日本でどのくらい一般的だろうか、と思いながら書くことにする。 まず、中国の武漢でこのウイルスの感染が伝えられた後の2020年1月、キューバの医療団が中国入りしたニュースを見た。「きたっ」と思った。キューバと中国の強い結びつきがあり、また、キューバは知る人ぞ知る、高度医療先進国だからである。 この時キューバの医療団が携えていったのは、別に新薬ではなかった。これは、インターフェロンアルファ2bといい、1986年、遺伝子工学・バイオテクノロジー研究センター(CIGB)のチームによって開発されたもの。これは日本でも認可された薬。 そもそもインターフェロンは、人の免疫システムに働きかけ、それを強める作用を持つ。アルファ2bも例外ではない。当初は、デング熱などの薬として開発された。キューバも、熱帯・亜熱帯のかなり多くの地域でみられる、蚊が媒介するデング熱の発症地域である。またこの薬はHIV-AIDS、B型およびC型肝炎、さまざまな癌に効果のあるものとしても、使用されてきた。 ウイルスに対しては「感染後の症状悪化を阻止し、致命的な段階に入るのを防ぐ」という。つまり、ウイルスを殺すわけではなく、人の免疫力を使って、抗ウイルスの作用を促す。中国でもキューバとのパートナーシップにより2003年から作られるようになり、今回の新型ウイルスにも、中国で選ばれた30種類の薬のうち効果のあった21の薬のひとつとして、1000人以上もの命を救ったとされている。キューバはこの中の何種類かを開発している。 韓国、ドイツなどでも実際に効果を発揮し、死者の増加を食い止め、その他のヨーロッパ、ラテンアメリカの国々からも、当然のごとくオーダーが相次いでいる。各国からのオーダーで、この薬の製造所は多忙を極めており、フレックス制で働いていた従業者はフルタイム制に変更。しかし、これからさらにオーダーが増えても対応できる構え、という。このキューバ産製剤については、すでに駐日キューバ大使が日本の厚生労働省と意見交換を行い、新型コロナウイルス対策の協力を申し出ている。 キューバの活躍を喜ばない米国の現政権は、各国にキューバ製のインターフェロンアルファ2bをオーダーしないように呼び掛けた、という記事も目にしたが人命尊重の立場から見ると目を覆いたくなるような発言は、聞くも心苦しい。イタリアに医師団を派遣、イギリス客船の受け入れ 一方、キューバはすでに患者と死者の続出するイタリアでももっともダメージのあるロンバルディア州(州都はミラノ)からの要請をうけて、薬を携えて医師団を派遣した。 以前からキューバは世界各地で起きた災害現場に多数の医療団を派遣し、その高度の医療と、温かい医師団の人柄とともに歓迎と感謝を受けてきた。長年のこうした体験も踏まえて、今回の迅速な対応に繋がったとみられる。しかし、医師とて人の子。「恐怖がないわけではない。しかしやらねばならない使命のためには、それを克服して向かう」という言葉とともに出発した。 また、世界で話題に上ったのは、各地で寄港を拒まれたイギリス客船をキューバが受け入れたこと。これは、感染者5人が確認された「ブリーマー号」で、バハマやバルバドス他で受け入れを拒否され、1週間ほどもカリブ海を彷徨い航行し続けた後、キューバに打診し、応じられたもの。入港後は、イギリスのチャーター便で、感染、またその可能性ある人と、それ以外の人たちを別々の4機に分けて帰国させた。イギリスに帰国する際、彼らは「Te Quiero、Cuba=キューバ、愛している」の横断幕を掲げていた。その安心感と感謝は「さぞかし」と、想像に難くない。 当のキューバでは、3月11日に、ついに最初の感染者が発生した。イタリアからの旅行者3名だった。到着後2日目の発覚という速さだったが、「夜中に咳をしている」というガイドなどの協力で検査を受け感染が確認された。先に記したロンバルディア州からの旅人だつた。続いては、やはりイタリアから帰国した、イタリア人とキューバ人の夫婦のうちの一人など、ほとんどが国外感染者だった。 その後、じわじわと感染者数は2桁台に上がり、その後170名となった(3月30日現在)。病床は1300台を揃えて対応に備えているとのこと。その大多数は旅行者が占めていたため、空港も3月24日からの閉鎖が決定されていた。観光大国としてはかなりの打撃を承知の上だが、人命尊重を重視する国ならではの決断である。母国に帰る外国人と、帰国するキューバ人だけが、空港を出入りすることになる。 また、空港閉鎖の数日前からほぼ全部のライブハウスや店舗が1カ月間(予定。変更あり)の閉鎖に入り、野外の野菜市場やいくつかのスーパーマーケットなど、通常買い物をしている場所を除いてシャッターが降ろされている。最後まで楽しいキューバ音楽を鳴らし続けていた、ハバナを代表するホテル、オテル・ナシォナル・ デ・キューバとハバナ・リブレも、ライブは休むことになった。街中から外国人は一気に消え失せ、通りもがらんとなり、今まで見たことのなかった、キューバの人たちのマスク姿も見るようになった。感染者を増やさないための意思 国内の広報がしっかりしているため、ウイルスに関する知識も広まっており、咳、くしゃみエチケット、手洗いの励行、消毒も進んでいる。まだ開いている店舗に入ると、すぐさまぺットボトル入りの手洗いの水をかけてくれる。中身は消毒薬の他、漂白剤との話も(?)。 キューバの通常の挨拶であるベソ=頬へのキス(必ずしも唇は付けない)、握手、抱擁は禁止、また人と話す時には距離をとるよう勧めている。これはほんの数日間、という驚くべき速さで徹底された。 外国人にとって精神的にも住みやすいのは、もともと「平等」を掲げていたお国柄からだろうか、今回の新型ウイルスに関する偏見にも晒されず(少しはあるのかもしれないが、私は体験的になし)、明るく元気な空気に満ちている。冗談好きで楽しむことが好きな国民性がそれを支えてもいるし、国のポリシーのあり方が心強くもある。今、住んでいるカサ(国の許可を得た民泊)の主も、私に優しく親切に接してくれる。手に入りにくい肉類を探して買ってきたり、配給品のために外国人が買いにくい卵の差し入れもしてくれる。 イギリス船の受け入れに関しても「人道的に必要なことですから」、また「出身国に対する偏見もいけないわ。私たち全員が感染しているかもしれない、という用心を持ち自他ともに気をつけていきましょうね」と、人々の成熟した意見がまぶしい。これで、ウイルスをしっかり押さえこんでくれたら言うことなしなのであるが。ひたすら、それを望むばかりである。 ただし、この原稿を書いている3月24日、すべてのツーリスト、つまり外国人の外出は禁止された。ただし、必要不可欠のことでは許可を得て出かけられる。 明るい日差しの下、キューバ人だけが外を歩く珍しい光景を窓から眺めることになった。しかし、キューバの人も出来るだけ外出しないように、という通達があり、街に人通りはない。かなりの徹底ぶりに驚いている。これがどのくらい続くかは、今のところまったくわからないが、「感染者を増やさないために、自らのできること」への意思をしっかり持っているように見える。国の政策がしっかりしていると同時に、人々の意思の高さと強さも見るようで、目から鱗が落ちる想いがする。キューバに学ぶべきことは、とても多いと思う。それにしても、今更ながらフィデル・カストロはすごかったなと思う。長期独裁政権のイメージが強いが、権力を持ちながらも私利私欲に走らなかっただけでも、本当に偉い人だったと思っている。
2020年04月08日
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東日本大震災と、それに伴う福島原発事故から9年。テレビでは被災地の今を、数日前から報道している。それについての様々な思いはあるが、それよりも今思っていることがある。あれほどの被害を受けて、立ち直れないような心の傷を抱えながらも、精一杯頑張って生きている人たちの姿を拝見して、人間って本当に強いなあということだ。もちろん、強い人ばかりではないだろうし、あの大震災を生き残ったとしても、心も折れ力尽きてしまった人たちもいらっしゃるだろう。あるいはストレスや放射能被害等の影響で病気になり、苦しみ続けている方もいらっしゃるだろう。それでもやっぱり思う。人間は弱そうでたくましいと。そう思いつつ、ネットを見ていたら、下記のリテラの記事を読むことになった。今年も言う、福島原発事故の最大の戦犯は安倍首相だ! 第一次政権時代“津波で冷却機能喪失”を指摘されながら対策を拒否2020.03.11 07:52(記事の一部抜粋) 実は、第一次安倍政権だった2006年、すでに国会で福島原発事故と同じ事態が起きる可能性が指摘されていた。にもかかわらず、ときの総理大臣だった安倍晋三は、「日本の原発でそういう事態は考えられない」として、一切の対策を拒否していたのである。 しかも、東日本大震災後、安倍は、原発事故の責任を当時の菅直人首相と民主党政権に押し付け、真実を追及するメディアを「捏造だ!」と恫喝、自身の重大責任を隠蔽してきた。 その結果、多くの国民は原発事故における安倍の責任を知らない状態に置かれてきた。そして、安倍政権は何事もなかったかのように、原発再稼働をどんどん進めている。このまま安倍晋三が、その責任を追及されることのないまま、首相の椅子に座り続ける限り、第二の“フクシマ”が繰り返されることになるだろう。この事実を、安倍首相はすっかり忘れているのだろうか。私は、あの頃野党であった自民党の態度を忘れてはいない。また、オリンピック招致の時に安倍氏が「原発は完全にコントロールされているから安心です」なんて言ったことも忘れてはいない。本当にあの時は唖然としてしまった。福島の人たちは、あの言葉を聞いてどう思っただろうと、ドキドキしてしまった。あんな嘘までついて招致したオリンピックも、今やコロナウィルス騒ぎでどうなることか。これからどうなるのかまったくわからないが、日本人にはあのような大震災をなんとか乗り越える底力があった。きっと、このウィルスによる様々な困難も、みんなの力で乗り越えていけるはずだと思いたい。
2020年03月11日
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年末のゴーン氏の日本脱出にも驚いたが、新年早々のこのニュースには愕然とした。これから世界はどのように動いてゆくのだろう。米軍、イラン有力司令官殺害 トランプ氏指示、イラク空爆―ハメネイ師「厳しい報復」2020年01月03日23時49分 時事通信【ワシントン時事】米国防総省は2日夜、トランプ大統領による指示で、イラン革命防衛隊コッズ部隊のソレイマニ司令官を殺害したと発表した。ロイター通信によると、米軍はイラクの首都バグダッドで空爆を実施。ソレイマニ司令官とイラクのイスラム教シーア派組織「カタイブ・ヒズボラ(KH)」の指導者アブ・マフディ・アルムハンディス容疑者が死亡した。 ソレイマニ司令官が率いるコッズ部隊はイラン革命防衛隊で対外工作を担う。KHもイラン革命防衛隊の支援を受けている。米軍がソレイマニ司令官らを殺害したことで、米イラン間の対立が一層激化する恐れがある。在イラク米大使館は3日、イラクに滞在している米国民に空路や陸路で直ちに出国するよう呼び掛けた。 AFP通信によると、イラン革命防衛隊も声明を出し、バグダッドの空港で現地時間の3日午前、米国による攻撃によりソレイマニ司令官が死亡したと発表。イラクのシーア派武装勢力の連合体「人民動員隊」の報道官は、空港で車列を標的にした空爆があったと指摘した。 ソレイマニ司令官殺害を受け、イランの最高指導者ハメネイ師は3日、ツイッターに投稿し、米国を念頭に「手を血で汚した犯罪者を待っているのは厳しい報復だ」と宣言。イラン全土が3日間喪に服すと発表した。イランのザリフ外相もツイッターで「極めて危険で愚かな緊張の拡大だ」と非難した。 AFP通信によると、イラクのアブドルマハディ首相は今回の空爆について、駐イラク米軍の地位協定の「重大な違反」だとし、「イラクでの破滅的な戦争の口火を切ることになる」と警告。人民動員隊の司令官は、全戦闘員に戦闘準備を指示した。 トランプ米大統領は3日、ツイッターに「ソレイマニ司令官は多数の米国人殺害をたくらんでいた」と投稿し、殺害を正当化した。米国防総省は声明で、「米軍は大統領の命令で、海外展開する人員を守るために決定的な自衛行動を取った」と表明。作戦内容の詳細は明かさなかったが、「イランの今後の攻撃計画を抑止することが目的だった」と説明した。 米軍は先月末、KHが駐留米軍基地を攻撃したとして、イラクとシリアにある拠点5カ所を空爆した。イラクでは少なくとも戦闘員25人が死亡したとされ、在イラク米大使館前で大規模反米デモが起きるなど緊張が高まっていた。 エスパー国防長官は2日、国防総省で記者団に、イランと親イラン派がさらなる攻撃を計画している兆候があると述べ、自衛のためには先制攻撃も辞さないと警告していた。国連総長、新たな湾岸戦争警告=イラン司令官殺害 米、中東に3500人増派 イラン司令官殺害で緊迫1/4(土) 5:22配信 (一部抜粋) トランプ大統領は3日、滞在先のフロリダ州で記者団に、ソレイマニ司令官が米国人を標的に「差し迫った悪意ある攻撃」を計画していたと主張。「米国は戦争を始めるためではなく、戦争を食い止めるために行動した」と殺害を正当化した。今更何を弁解しているんだ。私には、戦争を始めたかったとしか思えない。
2020年01月04日
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アフガニスタンで中村医師が襲撃され亡くなられたことは、直接の接点はない私達も大変ショックなことであった。私は、何年か前に一度だけ、札幌での中村先生のアフガニスタン支援の報告会に行ったことがある。夫は、今更ながらではあるが、その時に行かなかったことを後悔していた。ところが…昨日、夫が九州に在住する人からメールが届いたという。その人とは、何年か前のイタリア旅行で出会った医師で、食事の時のワイン談義から私たちの息子がワイン生産農家ということに関心を持ってくださり、以来時々夫とメールをやり取りする付き合いとなった。その方が、何と中村医師と学生時代同級生で親しい間柄だったのだという。当然、中村先生の活動も支援していたそうで、今回のことでは大変なショックを受けているというメールであった。私達は時々海外も含めてツアー旅行に参加してきたが、その後もつながり続けている人はその方くらいしかいない。なんだか、ちょっぴり不思議な気持ちになった。随分前になるが、イラクで三人が人質となり「自己責任論」で騒がれた事件があったが、あの時も自分とは無関係の人ではあるが、(特に)高遠奈緒子さんへのバッシングには怒りを覚えブログにも書いていたのだが、彼女たちが無事に解放されて帰国した後に、私の旧知の友人と親しかったことがわかって驚いた。あの時も、「友達の友達は…」という気持ちになり、多分ブログにも書いたような気がする。本当に人とのつながりというものはエンドレスで、本当は世界中のみんながつながっているかもれないのにな。事前に中村さん襲撃情報 地元州知事、犯行グループ「5人」12/6(金) 20:29配信 産経新聞【シンガポール=森浩】アフガニスタン東部ナンガルハル州で、農業支援に取り組んでいた医師、中村哲さん(73)が殺害された事件で、州政府のミヤヘイル知事は6日、産経新聞現地スタッフの取材に対し、事前に中村さんが襲撃を受ける可能性があるとの情報があったことを明らかにした。情報の詳細については明らかにしなかったが、中村さんに関する警備を強化していたという。 ミヤヘイル氏によると、武装グループは計5人で、2台の車に分乗し、中村さんが乗った車を追走。進行を遮った後、銃撃した。ボディーガードと運転手の計5人は即死状態だったとみられる。ミヤヘイル氏は、武装グループの詳細については語らなかったものの、「国外で犯行が計画された可能性も視野に入れている」とも示唆した。犯行には、アフガンなどで流通する自動小銃「AK47」(カラシニコフ)が使用されたとの見方も示した。 事件の目撃者は、武装グループは襲撃後に車の内部を確認し、頭を上げた中村さんを見て、「まだ生きている」と叫び、再度発砲したとも証言している。武装グループは裾の長い民族衣装「シャルワール・カミーズ」を着ており、顔は隠していなかったという。 アフガン国内では中村さんに哀悼の意を示す動きが広がっており、首都カブールでは5日夜、日本大使館周辺で追悼行事が開かれた。参加した市民はろうそくとともに日本とアフガンの国旗を並べ、中村さんの死を悼んだ。 中村さんの家族や所属していた非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)関係者は6日午後、遺体があるカブールに到着した。8日にも中村さんの遺体とともに帰国する予定。
2019年12月07日
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アフガニスタン支援の中村哲医師、現地で銃撃され死亡12/4(水) 16:49配信 【AFP=時事】(更新、写真追加)アフガニスタンで長年支援活動に携わってきた日本人医師、中村哲(Tetsu Nakamura)さんが4日、東部ナンガルハル(Nangarhar)州ジャララバード(Jalalabad)で銃撃され、死亡した。同行していたアフガニスタン人の護衛ら5人も死亡した。 アフガニスタンで人道支援を行う国際NGO「ペシャワール会(Peshawar Kai)」の代表で、現地事業体ピース・ジャパン・メディカル・サービス(PMS)の総院長を務める中村さんは、ジャララバード市内を車で移動中に何者かに銃撃された。当初は負傷と報じられたが、後に当局が死亡したと発表した。 ナンガルハル州知事報道官のアタウラ・コジヤニ(Attaullah Khogyani)氏は「不幸にも中村医師は、今朝の銃撃で負った傷が原因で死亡した」と述べた。3人の護衛と運転手、同僚1人も死亡したという。 ペシャワール会のウェブサイトによると、中村さんはパキスタン北西部ペシャワール(Peshawar)で1984年に支援活動を開始。1991年には辺境地のナンガルハル州の村に診療所を開設した。 さらに1998年、ペシャワール会はパキスタンとアフガニスタン両国での活動の恒久的拠点となる病院をペシャワールに開設した。 アウズビッラー(Auzubillah)とだけ名乗るジャララバード在住の男性はAFPに対し、午前8時(日本時間午後0時半)ごろに銃声を聞いたと述べ、「日本人と護衛らを銃撃する男たちを見た」と明かした。 現場の写真によると、白い軽トラックのサイドウインドーが銃で撃ち抜かれたとみられ、フロントガラスにも少なくとも3発の銃弾の痕があった。 これまでのところ犯行声明を出した組織はない。アフガニスタンの旧支配勢力タリバン(Taliban)も、「アフガニスタンの再建に貢献した」組織とは「良い関係」を保っているとして、関与を否定した。 ナンガルハル公衆衛生当局のザヒル・アディル(Zahir Adil)報道官によると、中村さんは銃撃された後、現地の病院に搬送されていた。【翻訳編集】 AFPBB News襲撃した犯人たちは、どのような背景でどのような理由でこのようなテロを行ったのかわからないが、もう30年も紛争状態のアフガニスタンで、危険と隣り合わせの中で活動を続けていた中村医師が、このような形で亡くなったことは本当に残念である。心からの感謝と共にご冥福を祈りたいと思う。【関連記事】アフガン、治安悪化歯止めなく 中村医師銃撃、IS関与の疑い12/4(水) 20:15配信 産経中村医師の妻「きょうみたいな日こないことを…」 11月下旬に帰省2019.12.4 18:50
2019年12月05日
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核の傘の下で語る平和は偽善 広島訪問のローマ教皇11/24(日) 19:33配信 朝日 訪日中のフランシスコ教皇は24日午後、広島市の平和記念公園で、「平和の集い」に出席した。教皇は「戦争のために原子力を使用することは、犯罪以外の何物でもない」と指摘した。また、「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるか」と述べ、名指しは避けながら、核抑止力を唱える国々を批判した。 ローマ教皇が被爆地で平和のメッセージを出すのは、冷戦下の1981年に故ヨハネ・パウロ2世が訪問して以来、38年ぶり。フランシスコ教皇は広島について「大勢の人の夢と希望が、一瞬の閃光(せんこう)と炎によって消された。人類に刻まれた記憶であり、私は平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じてきた」と語った。 教皇は演説で、「核の傘」の下にいながら平和について語る「偽善」を、強い言葉で非難した。「最新鋭で強力な武器をつくりながら、なぜ平和について話せるのだろうか。差別と憎悪の演説で自らを正当化しながら、どうして平和を語れるだろうか」 戦争のために原子力を使用することを、「人類とその尊厳に反し、我々の未来のあらゆる可能性にも反する犯罪だ」と宣言。「次の世代の人々が『平和について話すだけで何も行動しなかった』として、我々の失態を裁くだろう」と警告した。さらに、60年代に核の抑止力を否定し、軍備撤廃を唱えた教皇ヨハネ23世が出した回勅(公的書簡)を引用し「真理と正義をもって築かれない平和は、単なる『言葉』に過ぎない」とも語った。 その上で、フランシスコ教皇は人々に三つの行動を呼びかけた。これからの世代に「二度と繰り返しません」と言い続けるために「記憶すること」。自分だけの利益を後回しにして、平和に向かって「ともに歩むこと」。そして、原爆と核実験、紛争の犠牲者の名の下に「戦争や兵器はもういらない」と叫び、平和を「守ること」。これらが「広島においてより一層強く、普遍的な意味を持つ」と強調した。(河原田慎一)私はクリスチャンではないので、教皇のお言葉が世界の為政者にどれほどの影響を与えるのかはわからない。それでも、ことの本質をズバリと言ってくださったことには、心から感謝する。以前、長崎の人たちはクリスチャンが多いので、原爆の被害に遭っても「神様の試練」のように受け止め、核への反対運動は広島よりも静かだと聞いたような気がする。多くの核兵器廃絶運動に関わる人たちにとっては、クリスチャンであろうとなかろうと、力強い言葉だっただろう。偽善の塊のような安倍首相は、教皇のこのメッセージに対してどのような言葉を発するのだろうか。
2019年11月25日
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下記の本の著者の講演会と、この本を原作とした日ロ合作のアニメを見る機会があった。『一九四五 占守島の真実 少年戦車兵が見た最後の戦場』相原秀起著アニメ「shumshu(日本語字幕版)」は、YouTubeで見ることが出来ます。講演では、かつての占守島の写真や映像、著者が5年ほど前に訪問した時の占守島の写真等も紹介されました。かつて、父もこの地で軍隊生活を送り、終戦後の戦闘を生き抜き、ここからソ連に送られたのだなと思うと、感慨深いものがありました。また、これでは北方領土返還はほとんど無理かもしれないとも…。
2019年11月10日
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昨日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典は、最初から最後までテレビ中継を見ていた。長崎には行ったことがあるけれど、この式典には参加したことはない。広島の式典には、子供達が小学生の頃に夏休みの家族旅行を兼ねて参加した。本当に暑い日で、このような季節に原爆で被爆した人たちのことを考えると、まさに地獄であったであろうことを強く感じることが出来た。長崎の式典も日本人として一度参加したいと思ってきたが、この猛暑の季節では二の足を踏んでしまう。長崎市長の平和宣言も、被爆者代表の山脇佳朗さん(85)の平和への誓いも、心打たれる素晴らしいメッセージだった。もとより期待はしていなかったけれど、安倍首相のそれは予想通りのもので、政治家はこのくらい厚顔無恥でなくてはならないのかとため息しかなかった。それにしても、今この記事を読み、ガックリしてしまった。「原爆の記憶」が破壊される! 安倍首相は長崎式典でまたコピペ、佐世保市は「核廃絶は政治的中立侵す」と原爆写真展を拒否2019.08.09 08:22 リテラ(一時コピー)8月4日、長崎市佐世保市では「原爆写真展」が開催されたのだが、その後援を市教育委員会が断ったのだ。 そして、その断った理由が驚愕のものだった。この写真展では「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」(ヒバクシャ国際署名)の活動も実施されたのだが、市教育委員会はそれが「政治的中立を侵す恐れがある」として問題視したのである。「ヒバクシャ国際署名」は「後世の人びとが生き地獄を体験しないように、生きているうちに何としても核兵器のない世界を実現したい」という思いから、2016年4月に広島と長崎の被爆者たちがはじめた署名活動で、すべての国が核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶことを求めている。どう考えても、被爆者や市民が「核兵器のない世界を」「核兵器禁止条約に署名を」と求めることは当然の訴えだが、その活動を「政治的中立を侵す恐れがある」と言うのである。しかも、被爆地である長崎県の市教育委員会が、だ。 じつは佐世保市と市教育委員会は、2017年にもこの写真展の後援を依頼されたのだが、このときも署名活動と、写真展のチラシにあった「歓迎! 核兵器禁止条約」という表現に対し「政治的または宗教的中立性を侵すおそれがあるものに該当する」として後援を拒否していた(毎日新聞8月4日付)。「政治的または宗教的中立性を侵す」とは、さっぱり意味がわからないだろう。一体、核廃絶を訴えることの、どこが政治的だと言うのか。 核廃絶を訴えることに対して、被爆地の教育委員会が「政治的中立性を侵す」と主張する異常──。だが、これこそがいま、この国を覆い尽くそうとしている考え方なのだ。 実際、第二次安倍政権になって以降、9条護憲にかんする集会が公共施設の使用を拒否されたり、使用許可が取り消されたりするケースが相次いでいる。 それどころか、さいたま市では「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ女性の俳句が秀句に選ばれたのに公民館だよりに掲載されなかったという問題まで発生。 公民館側は「『九条守れ』というフレーズは、公民館の考えであると誤解を招く可能性がある」「公平中立であるべきとの観点から、掲載は好ましくないと判断した」などと主張した。この問題は裁判となり、一審・二審とも「句が掲載されると期待した女性の権利を侵害した」「人格的利益の侵害にあたる」とし、女性への慰謝料を認めている。 行政側は「政治的中立性」「公平中立」などというが、公務員には憲法遵守が憲法によって義務づけられているというのに、それはまるで無視され、「憲法守れ」「平和を守れ」という主張は「政治的」だと判断されているのだ。 それだけではない。ラジオDJなどの活動で知られるピーター・バラカン氏は、9条関連のTシャツを着て街を歩いていただけで警察官に職務質問されたといい、一方、自民党はホームページで「子どもたちを戦争に送るな」という教員らを「偏向教育」として密告させるフォームを設置したことも大問題になった。 つまり、安倍政権は9条と憲法の平和主義を“危険”扱いして排除する流れをつくり出し、行政もそれに右に倣えで従うというかたちができあがってしまった。そして、その流れは「核廃絶」というメッセージにまで波及しているのである。こんな記事を読むと、札幌からのたよりさんの「日本が地下核実験?」という記事も、フェイクニュースと笑ってはいられないのかも。
2019年08月09日
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興味深い内容なので、全文コピペしておこう。悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問6/21(金) 13:06配信 「昨年、当時の天皇陛下の侍従から、『秋篠宮悠仁(ひさひと)殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください』という依頼があった。ですが、私は最初断ったんです。だって相手は小学校6年生の坊やですよ。そんな幼い子に単純明快に話せるようなことじゃない、無理です、と。だけど何度もお願いされて、じゃあさわりだけでも話しましょう、と出かけていったのが、8月15日でした」秋篠宮悠仁親王は、まさに次代の天皇家を背負って立つ。その進講役として白羽の矢が立ったのが、昭和史研究家でもある作家・半藤一利氏(89)だ。秋篠宮家の“家庭教師“になったのが「終戦記念日」だったのは、偶然ではないのだろう。平成から令和へと新時代を迎えた今、半藤氏がその日のことを本誌に明かした。「最初に秋篠宮父子にお会いしたときに言ったんです。私は東京下町生まれなものですから、“ひ“と“し“が上手く発音できません。だから悠仁っていう御名前はすごく言いづらい。『しさしと』になっちゃうんで、今日は殿下、と呼ばせていただきます、ってね。持ち時間は2時間半だったんだけど、太平洋戦争についてさわりの部分で1時間話しました。私が話したことのひとつは、私たちの国は、“内陸に乏しい“ということです。北の北海道から南の沖縄まで、長~い海岸線を持っていて、海岸線の長さだけで言えば、日本は世界で6番目に長い。ところが真ん中に山脈が通っているから、生活できる土地は少なく、国民は海岸にへばりついて生きなければなりません。そして、こんな海岸線を守ろうとしたら何百万もの兵隊が必要になります。要するに、この国は、戦争になったら守れっこないんですよ。さらに現在は、原発が海岸線沿いにずらっと並んでいる。ますます守れないじゃないですか。こんな日本が戦争をしていいわけがない。これが本当のリアリズムであり、地政学というんです。こう話したら、同席していた父の秋篠宮が、幼い殿下に『地政学』とはこう書くんだよ、と紙に書いて教えてあげていましたね」休憩時間になり、紀子妃が淹(い)れてくれたお茶を飲みながら半藤氏が「質問がありますか?」と聞くと、悠仁さまは手を挙げて「アメリカはなぜ広島と長崎に原爆を落としたんでしょうか?」と質問した。「質問を受けて、これはなかなか難しいぞ、と思いながらも丁寧に答えましたよ。細かいことは忘れてしまいましたが。あの戦争は片一方だけが悪いんじゃない、向こう(アメリカ)も悪いんだという説が当節盛んです。ですが、少なくとも戦争の状況に持って行くまでは、日本の責任が大きいと私は考えています」悠仁さまへの説明を終えた時、今度は父の秋篠宮が「私からも、質問をいいでしょうか?」と切り出した。「彼は私の著書を読んでいて、統帥権(とうすいけん)について、もう少し詳しく教えてください、と言われたんです。統帥権は非常に難しい概念です。日本国憲法施行までの大日本帝国憲法は、明治22年に公布されています。ですが、『軍人勅諭』の原形ができるのは明治11年。憲法より11年も前なんです。そこには大日本帝国陸海軍は大元帥である天皇直属の軍隊である、とあり、大元帥(=天皇)の指揮権を統帥権と言ったのです。つまり、軍隊は後から成立した憲法の埒(らち)外にあると、少なくとも一部の軍人どもは考えた。明治から戦前の時代は、一人の中に天皇陛下と大元帥陛下という二つの役割があり、これが日本という国を非常に難しくしていたんです。統帥権にまつわるややこしい話、当時のさまざまな事例を理解してもらうため、結局、後半の1時間半は、私と父宮との会話になりました。それでも殿下は、居眠りもせずじっと傍らで聞いていましたよ」このように秋篠宮父子が近現代史の教師役として半藤氏を招いた背景には、半藤氏が戦争体験者として過酷な少年時代を過ごしたことも影響しているだろう。半藤氏は昭和5年、東京の下町、向島(現・墨田区)に生まれている。その翌年には満州事変が勃発、次第に日本は軍靴の音が高く鳴り始めていった。昭和15年頃になると、半藤少年は互助組織だった「隣組」が監視機関に変貌するのを目の当たりにした。「この戦争は負ける」という父の発言を密告され、半藤家は1年あまりの間に3度も警察に踏み込まれたのだ。「そんな父の影響もあって、旧制中学に進学しても、私は軍人の学校には一切行かないと決めていた。周囲はやれ陸軍幼年学校だ、少年航空兵だと熱に浮かされていたので、『オマエは非国民だ』とよく罵(ののし)られたものです」半藤少年の思惑をよそに戦況は悪化の一途をたどる。そして14歳だった昭和20年3月10日。東京大空襲で下町は、すさまじい火炎に包まれた。「焼夷弾の荒れ狂う中を逃げまくり、九死に一生を得た。空襲がおさまった後、焼け野原の中で、そこら中にある死体を片付けました。防空壕の中があんなふうに蒸し焼きになるなんて……想像を超えていました。蒸し焼きだから黒焦げじゃないんです。おびただしい死体が折り重なっていてね。それを片付けていくと、一番下の死体だけは直接地面に接触して炭化している。これは、実に軽かったですね。中学2年の私がひょいと持てちゃうくらいでした。そうやって死体を運び出していたら、2時間ぐらいで警防団の大人たちに『お前たち、もうやめろ。これは大人の仕事だ。帰れ』と追い払われた。帰れと言われたって、一面焼け野原でしたがね。ただ、もっと死体処理を続けていたら、今でいうトラウマになったかもしれません。だけどこんな話は、40代半ばぐらいまでは、到底口にできませんでした。話し始めたのは、自分が仕事で旧軍人の話を聞くようになったからです。旧軍人って、嘘をつくんですよ。もちろん誠実な人もいましたが、それ以上に、他人の話を自分のことのように話す奴、自己弁明する奴が山ほどいた。初めのうちは私も本当のことだと思って全部鵜呑(うの)みにしていたんです。ところが、だんだん取材を重ねていくうち、他の証言や記録とかから考えて、コイツがその日時にその戦線にいたはずない、ということがわかってくるようになった。それを指摘すると激高するんですよ。お前みたいな戦争を知らない若造に何がわかる! ってね。それで言い返すようになった。『あんたはそう言うけど、本当は最前線に出ないで南の島の基地にいただけじゃないか。そのころ俺たちは本土空襲で焼夷弾を山ほど浴びて、死ぬ思いをしたんだ!』。そう言わざるをえなくなった。戦争の話は、本当にこちらが勉強して、かなりの知識を詰め込んでから対峙しないと危ない。本人が言っているんだから間違いない、なんてことはないんですよ。誰だって自分を守りたい。それを忘れちゃいけません。私自身、必死に東京大空襲を生き抜いたけど、だんだん語り慣れてくるというのかな。気がついたら、非常に冷静沈着な勇気ある少年が、あの火事の中を逃げて、人を助けようとして川に落ちて……なんて、格好いい体験談になってきた。あのときの私は、実際はそこら中に散らばる死体を見ていても、哀しいなんていう気分は全然なかった。麻痺していました。そういう言いたくない部分は抜け落ちてしまうんです。ただ、書くときはさすがに自制が利きますから大言壮語にはなりにくい。最近、よく『体験を語り継げ』という声を聞きますが、じつは語り継ぐのは難しいことなんですよ」半藤氏は自戒をこめて、こう語る。戦争をしてはならない、と繰り返す半藤氏は、同時に戦争へと引きずられないためにいかに外交が必要かを説く。「私に言わせれば昭和8年以来、日本に外交なんてものは一回もありません。昭和8年3月。決してやってはいけなかった国際連盟脱退から、日本はどんどん突っ走って戦争になり、敗戦になった。昭和27年に独立したといっても、その日から安保条約の傘の下に入り、自分たちのことを米国に丸投げした。それが今まで続いている。昭和8年から外交がないということは、もう誰一人、日本人は外交の経験がないということです。だから北方領土の暴言を吐く議員みたいなのが出ても、どうしようもないんですよ。北方領土のことで言えば、かつて幕府海軍を率い、維新後に駐露特命全権公使になっていた榎本武揚(たけあき)が、樺太千島交換条約を結びました。日本国内では、広いほう(樺太)をロシアに渡すとは、と大不平が出たんですが、実はロシア国内もこの決定には大反対が巻き起こっていた。『あんなだだっ広くて何にもないところをもらってどうするんだ。俺たちに必要なのは太平洋に出ていくための足がかりじゃないか。千島が日本の領土になったら、ロシア艦隊が太平洋に出る海路は封鎖されてしまう!』と。榎本は目先の大小にとらわれず、その地が将来どのような役割を果たすかまで見通して交渉した。榎本が行ったことこそが外交というものです」太平洋戦争から74年。昭和から平成へと、曲がりなりにも日本は平和を保ってきた。令和の世はどうなるのだろう。「この前、3ヵ月だけ女子大で講義をしたんです。そのとき、アンケートをとります、と4択問題を出した。『太平洋戦争において、日本と戦争をしなかった国は? (1)アメリカ (2)ドイツ (3)旧ソ連 (4)オーストラリア』そうしたら、50人中実に13人がアメリカと答えた。次の週に、『僕の授業を聞いてるのに、君たち13人はふざけてるのかね?』と聞いたら、大真面目だと言う。しかもその一人が手を挙げてこう言った。『で、どっちが勝ったんですか?』こうやって話していると笑い話のように聞こえますが、決して笑い話じゃない。これから来る令和の時代って、きっとこういう時代なんですよ」『FRIDAY』2019年6月28日号より
2019年06月21日
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇パソコンを開いたら、yahooニュースでこの記事を見つけた。このようなことがあったことは、前から少しずつ知る機会はあったし、ひとたび戦争になってしまうとこのようなことが起きうると思っている。それにしても、その時は生死の分かれ目で生き延びることの前にはやむをえない部分があったとしても、終戦後のこのような選択をした大人たちの無責任性については反吐が出るような思いだ。原発事故後の東電や政府の対応とつながるものがあるのではないか。日本人の一人として、日本に対して誇りは持っているけれど、このような事実から目を背けてはならない。従軍慰安婦問題で韓国と関係悪化がしているけれど、日本人要人の潜在的なこのような意識が、傷ついた人たちの神経を逆なでしているようにも思っている。
2019年03月14日
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大熊町では白血病で沢山死んでいる「福島第1」事故から8年 思考停止をやめ脱原発へ<東日本大震災8年住まいの差 孤立招く つながり維持難しく 被災3町でも懸念 東日本大震災から、11日で8年を迎える。岩手、宮城、福島の3県などの被災地では、災害公営住宅の整備や自力での住宅再建も進むが、今も5万2千人が仮設住宅などで「仮住まい」を続ける。新たな住まいを見つけて仮設から出て行く人と、残された人。復興が進む中で生じる「住まいの格差」と「孤立」の問題は、昨年9月の胆振東部地震の被災地でも現れ始めている。宮城県で最大の被災地、石巻市の仮設住宅を訪ね、数カ月後、数年後の道内被災地の姿について考えた。(川崎学) 「病気どう?」「大丈夫よ」。2月上旬、石巻市の蛇田西部第2仮設団地の談話室で、60~70代の男女7人が世間話に花を咲かせていた。7人は全員がこの団地の元住民だ。 一般社団法人石巻じちれんが2年前、元住民のために始めた「つながりお茶っこ会」。週1回開催され、毎回10人ほどが集まる。昨年1月に市内の災害公営住宅に移ってから、毎週必ず参加する杉山とくよさん(78)は「仮設でのつながりに救われている」と話す。 海沿いの同市雄勝(おがつ)町で、夫と2人暮らしだった杉山さんは、津波で自宅を失った。避難所から仮設住宅に移ったのは震災から3カ月後。公営住宅に入居したのは、さらに6年半が過ぎた昨年1月だった。 ■別れる「家族」 仮設での生活を支え合った住民は「家族のような存在」だ。しかし、自宅を再建したり、災害公営住宅の抽選に当たったり、仲良くなった住民は次々と出て行った。杉山さんは公営住宅の抽選に5回落選。「この年齢では、家を建て直すこともできない。友人を見送るたびに情けない気持ちになった」と打ち明ける。 復興庁によると、最大約47万人いた東日本大震災の避難者のうち、昨年6月末までに約14万3千世帯が自力で住宅を再建した。自主再建が困難な被災者向け災害公営住宅は、1月末現在、3県で計画の98%の約2万9千戸が完成。ただ、抽選に当たっても、所在地など条件が合わずに、移れない被災者も少なくない。石巻市社会福祉協議会の伊藤勝弘事務局次長(60)は「住居や転居時期の差が住民の孤立化を生んだ」と漏らす。 転居先で、新たな人間関係を築けないケースも多い。杉山さんは公営住宅でも会合を開くが、集まる住民は少ないという。石巻じちれんの増田敬会長(67)は「住まいを移るごとに住民が新たなコミュニティーをつくれるよう、行政は自治会活動に補助金を出すなどの支援を続ける必要がある」と指摘する。 ■立たぬ見通し 北海道新聞が2月下旬、胆振管内厚真、安平、むかわ3町の仮設住宅の住民を対象に行ったアンケートでは、今後の住居について「年内には自宅に戻れる」「3月末、新居完成予定」との声がある一方、「まったく見通せない」「仮設住宅に長く住むしかない」と訴える人も多かった。 厚真町は年内にも、災害公営住宅を整備する予定だが、国の基準では自宅が全壊した被災者しか入れない。全壊戸数が100戸未満の安平、むかわ両町では、国の災害公営住宅の整備条件を満たせず、建設そのものの見通しは立っていない。 東日本大震災の発生直後から岩手県で被災者支援を行った、厚真町社協の山野下誠さん(37)は「仮設住宅に入る時は同じでも半年、1年と時間がたつうちに、住民間の生活再建のスピードに差が出てくる」と指摘し、「厚真でも孤立する住民が出てくるかもしれない。最後に残る住民まで、息の長いフォローは欠かせない」と強調した。<東日本大震災8年>災害住宅高齢化 空室多数 住民自治に不安 世代や地域の連携課題 東日本大震災の被害に遭った岩手、宮城、福島3県の市町村が整備した災害公営住宅では高齢化が進み、自治会の担い手不足などが問題化している。若い世代の流出などで空室が多い住宅もあり、このままではコミュニティーが維持できないと不安の声が上がる。一部の自治体は被災者以外にも入居募集を広げるなど対応に苦慮している。 「ここも、あっちも空室です」。岩手県釜石市の災害公営住宅「日向復興住宅」の自治会長小野寺喜代子さん(72)はため息をつく。全30戸のうち、1日時点で10戸が空室となっている。■若い世代流出 若い世代は自力で住宅を再建したほか、避難先の都市部に定住した人もおり、災害公営住宅に入居したのは住宅再建の余裕がない高齢者が目立つ。 所得に応じて家賃が上がる仕組みのため、入居した若い世代の中からも「引っ越したい」との声が上がっているという。 小野寺さんは「このままでは年金暮らしの高齢者ばかりになるのでは」と肩を落とした。 津波で家族を失い、気落ちして自宅から出ようとしない1人暮らしの高齢者もおり、孤独死が心配だ。自治会で見回りも実施するが「できれば体力のある若い人にも入ってほしい。自分の家のことだけでも精いっぱい」と漏らす。 自治会活動の担い手不足も深刻だ。小野寺さんの任期は3月末までだが、次の会長は決まっていない。入居者が少ない階は廊下などの共有スペースへの掃除が行き届かず、自治会で行う敷地周辺の草刈りや雪かきは「これ以上人が減ると厳しい」と不安そうに話す。 災害公営住宅の入居者の53%が65歳以上の福島県南相馬市では、自治会活動は70代が主力になっているという。家族の介護などで忙しい人も多く、担い手は減る一方だ。 南相馬市建築住宅課の相沢広到係長は「若い世代が増えれば高齢入居者の支援を頼むこともできるかもしれないが、今は高齢者同士で助け合っている状況だ」と危機感を募らせる。 自治体も模索を続ける。共同通信が昨年末から今年1月にかけて行った調査では、岩手、宮城、福島で災害公営住宅を管理する被災38市町村のうち、岩手県陸前高田市など19市町村が、災害公営住宅を被災者以外の一般向けにも開放している。約680戸で被災者以外が入居しており、さらに増える見込みだ。 陸前高田市建設課の村上充課長補佐は、入居が進むことで「自治会の担い手も確保でき、コミュニティーの活性化も期待できる」と意義を説明した。■居場所づくり 宮城県南三陸町の社会福祉協議会は昨年4月、災害公営住宅に、住民の居場所となる「結の里」を開設。デイサービス施設やカフェを備え、映画観賞会などのイベントも開く。 月に1度、住人らが一緒にご飯を作って食べる「みんな食堂」も開催し、子どもから高齢者までにぎわいを見せる。 それでも家からなかなか出てこない人はいるというが、高齢者の孤立を防ぐ上で、一つのモデルとなりそうだ。 被災地のコミュニティーづくりを支援する岩手大の船戸義和特任助教は「高齢化が進む災害公営住宅の中だけでなく、地元町内会などとの連携が効果的だ。住民が集まる機会をつくることが大切になる」と指摘している。<ことば>災害公営住宅 災害で自宅を失った被災者向けに、自治体が整備する賃貸住宅。被災直後に一時的な住まいとして無償提供される応急仮設住宅とは異なり、恒久的に暮らせる。集合住宅と一戸建てがあり、一般の公営住宅と同様、入居者の収入や間取りなどによって家賃が決まる。東日本大震災では、被災した沿岸市町村に加え、県や内陸の市町村も整備している。■孤独死 黄色い旗で防げ 福島から広がり 仮設住宅では、1人暮らしや高齢者の孤独死の防止が大きな課題だ。東京電力福島第1原発事故の避難者が入る福島県大玉村の仮設住宅では、玄関先に掲げたA4サイズの黄色い旗で安否を知らせる取り組みを発案、他の被災地にも広がっている。 「ここから孤独死を絶対に出したくなかった」。入居者がゼロになり取り壊しが始まった大玉村の仮設住宅の前で、同県富岡町から避難していた建設業鎌田光利さん(63)が振り返る。2011年9月、仮設住宅の自治会長に選ばれた鎌田さんは、黄色い旗の取り組みを提案した。 映画「幸福の黄色いハンカチ」からヒントを得た旗は、起床後に玄関先に掲げ午後6時には取り込むと決められた。近所同士、旗の有無で異変を察知できる仕組みだ。 ある日の夕方。旗を出しっぱなしの住宅があった。鎌田さんが訪れると、1人暮らしの高齢男性が布団でうずくまっていた。すぐに救急車を呼び、病院で尿結石が見つかったという。 掲げられたままの旗の多くは、しまい忘れ。しかし鎌田さんは「(そのような人を)おおかみ少年にしないように、必ず訪問した」と語る。既に仮設を出て同県二本松市で暮らす鎌田さんは「旗を出すだけではなく、近所同士で徹底的に見守る体制をつくらないといけない」と強調した。 旗は他の被災地に広がり、さらに各地に受け継がれている。17年7月の九州北部の豪雨で被災した福岡県の朝倉市と東峰村では、昨年2月から全4カ所の仮設住宅団地で導入。16年4月の熊本地震の被災地を視察し採用を決めた。 朝倉市の林田団地では、入居住民らでつくる「見守り隊」が1日4回巡回して確認。1人暮らしの杉幸子さん(81)は「隣近所で旗が出ていないと声を掛け合っている。安心感が全然違う」と効果を実感している。■福祉特化やトレーラー 仮設住宅多様化 災害救助法に基づく仮設住宅の多様化が進んでいる。昨年9月の胆振東部地震を受け、道は特別養護老人ホーム(特養)や障害者施設の入所者がまとまって入居できる大型の福祉仮設住宅を整備。同7月の西日本豪雨では、入居までの期間を短縮できるトレーラーハウス型も登場した。 道は、地震で大きな被害を受けた胆振管内厚真町と安平町に福祉仮設住宅を整備。厚真町では4人部屋や食堂が並ぶ「居住棟」5棟と、浴室や職員室がある「集会所棟」1棟を渡り廊下でつなぎ、車いすで通りやすいよう入り口などの幅を広くして手すりも設置した。6日時点で特養と障害者施設の入所者90人が身を寄せる。 道は2000年の有珠山噴火の際、伊達市で障害者施設の入所者向けの福祉仮設住宅を建設したが、入居者同士が交流するスペースはなかったという。道保健福祉部の佐賀井祐一担当課長は「入居者の負担とならないよう、今回は施設と同じ生活ができるようにした」と話す。 厚真町の福祉仮設住宅を運営する北海道厚真福祉会によると、入居者は顔なじみの仲間や職員との生活に笑顔を見せている。2月21日に厚真町で震度6弱を観測した地震の際には「渡り廊下を通って入居者の部屋に駆け付け、安全確認がスムーズだった」という。 西日本豪雨で被災した岡山県倉敷市では、トレーラーハウス型を初めて利用した。きっかけは、東日本大震災や熊本地震で被災地支援に携わった立教大の長坂俊成教授からの提案だ。完成している住宅を移動して設置するため入居までの期間が短く、プレハブや木造と比べて設置から撤去までの費用が200万円ほど安いことから、国と協議して導入を決めた。 着工から約1カ月の作業を経て、昨年9月に他の仮設住宅に先駆けてトレーラーハウス51戸への入居が始まった。市の担当者は「早く避難所を出たいという希望に対応することができた」と振り返る。入居期限の2年を過ぎた後は再利用される。 倉敷市真備町辻田の自宅が全壊した堀口康夫さん(80)は、2DKのトレーラーハウスに夫婦で暮らす。「豪雨後の避難所生活ではプライバシーもなく、身体的にもつらかった」と語る。従来の長屋造りの仮設住宅とは異なり、一戸建ての構造となっている。「生活音を気にせず、落ち着いて過ごせるので住みやすい」と笑顔を見せた。何度でも言う! 安倍首相こそが福島原発事故の最大の戦犯だ! 第一次政権で津波による冷却機能喪失対策を拒否 ritera 2019.03.11
2019年03月12日
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ブログ報告が遅くなりましたが、先日のブログに書いた「アフガニスタン 山の学校現地報告会」に行ってきました。この日は町内会の行事にどうしても参加しなくてはならず、それを中座して札幌に向かいました。駅まで送ってもらえたので開会の15分前には到着することが出来、展示している長倉さんの近著などを見ていました。その中に、私が気になっていた「世界は広く、美しい 地球をつなぐ色(全6冊)」が箱入りのセットで置かれていた。一冊を手に取って見ると、とても美しい世界の風景の中に、生き生きと暮らす人々や子どもたちの姿が心に迫ってくる。たまたま近くにいた長倉さんに、「この本をセットで買えるのですか?」と聞くと、「ここでは販売はできないし、これは見本なので注文を受けて後で送ることになるのですが…」と言う。それじゃあ仕方がない、注文しようと思っていると長倉さんが続けた。「でも、これを持ち帰るのも重くて大変だし、セットで今日持って行ってくれるのなら、代金は二割引きで「カンパ」と言う形でいいですよ。」と言ってくれた。すかさず「お願いします!」と財布を見たら、すでに参加費や活動資金へのカンパをしていて代金に足りない。慌てて会場の近くのコンビニに走ってお金をおろして会場に戻るという、少しバタバタした時間になってしまった。会場は75人定員ということだったが、ほぼ満席状態だった。報告会は、スライドを使って長倉さんがこの会の発足の経緯や最初の頃の「山の学校」の様子の説明から始まり、約20年間の子どもたちの成長の様子などが詳しく説明をされ、長年関わり続けることの意味の大きさを感じた。休憩をはさんで後半は、山の学校支援の会の現地訪問のビデオ映像。今回は、昨年Eテレで放映された「アフガニスタン・山の学校の記録。マスードと長倉洋海の夢」が映画化されるということで、その関係者も同行したとのことだった。この報告会を通じて強く感じたのは、この活動が若い頃の長倉さんがアフガニスタンの若きリーダー・マスードとの出会いが始まりであったということの意味である。私と長倉さんの出会いは、そのマスードが亡くなった後に開催されたマスードの写真展であった。マスードやアフガニスタンについて全く知識のなかった私は、たまたま札幌に出て「入場無料」に惹かれてその会場に入った。受付には長倉さん一人がいたように記憶しているが、精悍な感じではあるが物静かな人という印象だった。会場にはマスードの写真が当然ながら並んでいたのだが、私は一瞬にしてマスードのそれぞれの写真に魅了された。闘いの日々の合間に草原で読書をする姿、暗闇の中で小さな灯りの中で本を読む姿、考え込み悩む姿などが、特に印象深かった。マスードは、決して争いを好む人ではないということが、その写真から伝わった来た。仲間達や村の人々との談笑する姿から、彼がどれほど信頼され愛されているかも伝わった来た。そして、そんな彼が暗殺されたということに、やりきれない思いを抱いた。写真にはとても感動したので、そのことを長倉さんに伝え、もっとマスードのことを聞きたいと思ったのだが、何しろ基本的知識がゼロだったので少し恥じる気身持ちがあったことと、その時に長倉さんが来場者と話していることもあり、声をかけることもなく会場を後にした。それが確か2001年の冬あたりである。それからしばらくは、長倉さんとマスードがマイブームとなり、彼の写真集や著作を読んだり買ったりし、山の学校の支援のためにだったと思うが、長倉さんの写真の販売会場にも行き、私は難民キャンプの少女ヘスースの写真を買ってきた。本当はマスードの写真が欲しかったのだけど、希望の写真はとても大きかったしちょっと高かったので、愛らしい5歳くらいの少女ヘスースの写真にしたのだ。ヘスースについても長倉さんはずっと写真を撮り続けていて、彼女はすでに結婚してたくましい「肝っ玉母さん」になっているようである。長倉さんは世界各地の紛争地域に足を運び、そこに生きている人たちに焦点を当てた写真を撮り続けている。彼は講演の中で語っていた。「人にとっての幸せの総量は一定なのかもしれない。どんなに悲惨で貧しい状態のように見えても、その分だけ人は小さな幸せや喜びをとても大きく感じ、受け止められるのではないか」というようなことだった。私も、その言葉にはとても共感する。机も椅子もない、ただそこには先生と小さな黒板だけがある学校に、子どもたちは山道を一時間以上かけてやってくる。その楽しそうな嬉しそうな笑顔は、知らないことを学ぶ喜びと、友達に会って遊べる喜びに満ちている。家の手伝いなどで学校に行きたくても行けない子はいるけれど、「学校に行きたくない」と苦しみ体を壊したりする子はいない。初めてカンボジアに行った時に、図書館の絵本に群がって読む子供たちの目の輝きを見た時、私は日本で読み聞かせをする時にこんなに喜んでいる小学生を見たことがないと感動した。アフガニスタンやカンボジアなどだけではない。世界中の苦しい状況下にある子どもたちにとっての学校や本の意味は、日本の子ども達にとってのそれとは大きな違いがある。これからしばらくは、またマイブームは長倉洋海になりそうだ。
2018年11月30日
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お近くの人はぜひ足を運んでみてください。アフガニスタン 山の学校現地報告会長倉 洋海スライドトーク 「山でまなぶ子どもたちの今」 山の学校の子どもたちの夢を一緒に応援しませんか? 「アフガニスタン 山の学校支援の会」は、写真家・長倉洋海が代表を務める非営利の団体です。 20 余年にわたるアフガニスタンでの取材活動を通して出会ったパンシール渓谷 ポーランデ地域の子どもたちの教育支援を目的として 2004 年 2 月に設立されボランティアの手で運営されています。 2017 年 9 月 9 日にNHK・ETV特集で 「アフガニスタン・山の学校の記録 マスードと写真家長倉洋海の夢」が放映され、大きな反響を呼びました。 番組を製作した河邑厚徳監督が今年度山の学校を訪問され、新たな映像を撮影。現在映画制作中です。 日 時:11月25日(日) 13:00受付開始13:30-14:40 活動報告 長倉代表よりスライドをお見せしながら、 子どもたちの学校や村での 生活を通して、 14年間の活動と子どもたちの夢や現在をお伝えします 14:50-15:40 ビデオ映像「山の学校の記録」&質疑応答 場 所: 札幌エルプラザ 4階 札幌市男女共同参画センター 中研修室 札幌市北区北8条西3丁目 JR 札幌駅北口より徒歩3分(札幌駅北口地下歩道12番出口)参加費: 一般1000円 大学生 高校生500円 中学生以下無料 お申込みは不要です みなさまのご参加をお待ちしております!
2018年11月25日
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釧路市出身の写真家・長倉洋海さんが、アフガニスタンで長年続けている教育支援「山の学校」の報告会を開催します。アフガニスタン 山の学校現地報告会 長倉 洋海スライドトーク 「山でまなぶ子どもたちの今」 山の学校の子どもたちの夢を一緒に応援しませんか? 「アフガニスタン 山の学校支援の会」は、写真家・長倉洋海が代表を務める非営利の団体です。 20 余年にわたるアフガニスタンでの取材活動を通して出会ったパンシール渓谷 ポーランデ地域の子どもたちの教育支援を目的として 2004 年 2 月に設立されボランティアの手で運営されています。 2017 年 9 月 9 日にNHK・ETV特集で 「アフガニスタン・山の学校の記録 マスードと写真家長倉洋海の夢」が放映され、大きな反響を呼びました。 番組を製作した河邑厚徳監督が今年度山の学校を訪問され、新たな映像を撮影。現在映画制作中です。 日 時:11月25日(日) 13:00受付開始 13:30-14:40 活動報告 長倉代表よりスライドをお見せしながら、 子どもたちの学校や村での 生活を通して、 14年間の活動と子どもたちの夢や現在をお伝えします 14:50-15:40 ビデオ映像「山の学校の記録」&質疑応答 場 所: 札幌エルプラザ 4階 札幌市男女共同参画センター 中研修室 札幌市北区北8条西3丁目 JR 札幌駅北口より徒歩3分(札幌駅北口地下歩道12番出口)参加費: 一般1000円 大学生 高校生500円 中学生以下無料 お申込みは不要です みなさまのご参加をお待ちしております! 長倉洋海さんについては、左側のフリーページ「長倉洋海さんとアフガニスタン」にも書いてあるので、興味のある人はご覧ください。この日は町内会行事と重なっているのだが、少し顔を出してから札幌に向かう予定。長倉さんにお会いするのも何年ぶりだろう。アフガニスタンへの教育支援、頑張って続けていらっしゃるのだな。お近くの人は、足を運んでみてください。
2018年11月11日
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