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一週間前までは「暑いなあ」とぼやいていたのに、この数日はグンと冷え込んできた。今朝はとうとう、電気ストーブを出してしまった。本州はまだ夏のようで、かつ北海道以外の日本列島は大雨に見舞われている地域も多いようだ。それも、こともあろうに能登地方。どうしてこんなに自然の神様は意地悪なのだろう。22日、元台風14号+秋雨前線 石川県は過去にないような大雨 命を守る行動を明日は、息子のブドウ畑の初収穫日であるが、今年の収量はどうなるだろう。昨年は、この時期から鳥の被害でガックリしたのだが、さて…。
2024年09月22日
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私が心から尊敬している昔からの知り合いがいる。知り合いではあるが友達関係ではなく、それでも彼女の長年続けている地域活動は時々重なり合っているので、ずっとその活動には関心を持ち、ひそかに応援している。名前も、漢字は違うが同じなので、そこにも親近感を抱いている。そんな彼女はFacebookを毎日更新していて、それをチェックするのが最近の習慣だ。今朝のFacebookを見てとても驚いた。私と彼女は共通点もあるけれどかなり違うと思っていたが、想像より共通点は多かったようだ。Facebookの一部を、個人名など伏せて少し転載してみよう。孫の〇〇ちゃんは、人の名前を言えない。ジージとバーバは同じカテゴリに入ってるので、私の事を今だにジージと呼ぶ。本人もどっちかな〜と考えてるので笑って誤魔化す。パパののことも、パパママゾーンのカテゴリに入ってるのでママになる。やはり思出せない時は笑って誤魔化す。いちごとトマトは、赤の食べ物カテゴリに入るので、大好きないちごでさえ、トマトになる。色んな名称がカテゴリの中に入るが、迷って一つに絞る事が出来ない。実は私がそうで、顔と氏名が一致しないし、そもそも思い出せない。何回あった人でも初めましてと言う。〇〇ちゃんを見ていて、あ〜私は幼少期からこんなだったから、今もそうなんだと納得出来る。昔から、母がおまえは笑って誤魔化す。と言ってた。思い出せなものだから、笑って誤魔化す癖がついた。レジの前に立つと途端に緊張して間違える。人の顔が覚えられない。漢字が書けない。整理整頓が苦手。同じカテゴリの中に入れられるがその中から一つを探すのが苦手。地図が読めない。毎日探し物をしている。欠点の多い私なので、人を責めることはしない。先ず自分を疑う癖がついている。なので、敵を作らない。コレは利点にもなっている。この様な私は一日にして出来たのではなく、幼少期から確立されていたと、〇〇ちゃんを見ていてハッキリした。コレから大人になる〇〇ちゃんも苦労するだろうけど、大丈夫。その、欠点を隠す技を既に身につけている。笑って誤魔化す術は身を助けてくれるだろう。彼女は私とは違い、とても社交的でプラス思考で行動的だ。基本的な気質は違うと思うが、転載した部分はそっくりだ。「同じカテゴリの中に入れられるが、その中から一つを探すことが苦手」と明文化してもらって、私が物の名前を言い間違える理由がよくわかった。同世代の彼女の生き方は私には眩しいくらいだ。もう少し接点が多くて一緒に活動が出来たら楽しかっただろうなと思うが、今生ではもうないだろう。でも、彼女と知り合えて良かったと思っている。人は、どんな出会い方であってもかけがえのない存在になれるものだ。
2024年08月24日
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中学の同級生Hさんの家を訪問。以前から渡すことを約束していたものを届けに行き、ついでに家に上がり込んでしばしおしゃべり。彼女は中卒で働き始めた人で、その後電気店を営む年下のご主人と出会い、結婚。同じ町に住んでいるのだが、会うのはクラス会の時くらい。それに、中学時代も仲が良かったわけでもないので、考えてみたら彼女の個人的なことはほとんど知らなかった。いや、ほんとに人は表面のことしか知らずに付き合っているものだとあらためて思う。彼女が結婚後に色々と大変だったことも初めて知った。数年前に心筋こうそくで倒れたとは知っていたが、それも乗り切って今は一番幸せかもしれないと言う。やはり、苦労や病と言うマイナス要因も、決してそれだけでは終わらないのが人間のたくましさだ。そして、細い縁でもつながっている人とは、こんな風に改めて出会うことがあるのだとも。私の知らなかったクラスメイトのことなどや、中学時代の思い出なども話して、楽しい数時間だった。
2024年08月05日
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現在フランスで行われているパリオリンピックでは、世界から集まってきたアスリートたちが死力を尽くした戦いを続けている。私も、主に日本人の選手やチームには心から応援をしているし、その勝ち負けに一喜一憂している。そして、このような大舞台に立つ人たちは、本当に努力の天才だなと感動している。それなのに、ネット上ではそんな選手たちへの誹謗中傷が溢れているという。もちろん、自国の選手が負けたら悔しいし、審判の判断に納得がいかないこともあるのは私も同じだが、それを公開のネット上で誹謗中傷作業をする人に対しては、嫌な気分になる。そして思う。きっと、誹謗中傷する人は日常生活で不満のマグマを抱えているのだろうと。そして、多分その人の発する言葉は、自分自身が誰かから言われている言葉なのかもしれないと。とにかく、誹謗中傷する人には考えられないような努力の日々を選手たちは積み重ねてきたのだ。それで負けたからと言って、避難できるはずはないだろう。負けて我を忘れて号泣する人を叩く必要はないだろう。たとえ審判の判断が誤審だったとしても、それで勝った人を叩く必要はさらにない。今まで、こんなに誹謗中傷が飛び交ったオリンピックはあっただろうか。あったかもしれないけれど、今はセット世界が過剰に拡大していて、その傾向が強まっているのかもしれない。それと、世界中で理不尽な争いが絶えないどころか拡大していて、人々の心が蝕まれているのではないだろうか。
2024年08月03日
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実家の片付け作業で庭の除草ができないままになっていた上に、数日雨模様の日が続いたので、いわゆる「雑草」と呼ばれる草たちが自由奔放に伸び放題。ということで、昨日は比較的涼しかったので朝から私は草取りで、夫は庭木の剪定作業。今年は実家の荒れ地に草や木を持ち込むことができるけれど、来年からはそれもできなくなる。毎回、「燃やせるゴミ」として出さなくてはならなくなるので、せめて木は少なくしたいと思っている。空いた場所や花壇の一部は、来年からは「家庭菜園」にするつもり。昨年までは実家の畑で妹が野菜をつくっていたのだが、母がいなくなった今年からはまったくしなくなった。私も、実家で野菜をつくるので我が家で家庭菜園をしなくても(いや、しないほうが)いいだろうと、今まではミニトマトや紫蘇やパセリ程度しか作っていなかったのだ。それにしても草は強い!抜いても刈ってもまったくめげずに隙あらば手足を伸ばしていく。いつも「花も草も同じ植物なのに」と思いつつ、根こそぎやっつけようとする私とのイタチごっこ。まあ、私が常に負け続けているのですけどね。今日も草取り頑張ろう!
2024年08月01日
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昨日は気心の知れた友人とランチをしながら色々なことを話した。私の中で記憶に残った話題は「運の良い人悪い人」と、「貧困」「子ども達の未来」だ。今日はその中で、「運の良し悪しと人生」について思ったことを書いてみよう。私は74歳になったので、自分の来し方を振り返ると、「私は運が良かったな」と思うし、それも色々な人との出会いや支えがあったからだなと心から感謝している。自分が「運が良い」と感じるようになったのは、いつの頃からだろうか。多分、仕事をしていた頃のとても嫌な出来事の時に「私は守られているかも」と思った頃からのように思う。そのことがなければ、その後も運が良いとか守られているなんて考えなかったかもしれない。それはある意味、私にとってはピンチの時だった。今でもその出来事のことを思うと辛いし、私にもっとできることがあったのではないかと後悔もある。それなのに、私は「運が良かった」と思うのだ。具体的に言えば、私は「その日、完全にアリバイがあった」のだ。通常ならば、そのような日は私は家で一人で家事をしているか、子ども達と一緒だというだけだったはずなのだ。私は容疑者の一人になるかもしれなかったかもしれないし、そうでなくても長時間の取り調べを受けなくてはならなかったのは必定。その後は色々なことに翻弄され、疲れ果て、結果的にずっと続けたいと思っていた仕事も辞めることになった。私にとっては一種の挫折であり、自信を失うことにもなったのだけど、人生はわからないものだ。そのことで私は次の段階への足掛かりを得て、まともな報酬を得られる仕事にはとうとう巡り合えなかったけれど、何らかの社会と関わる仕事を続けてくることができたと思っている。さらに人生を俯瞰してみたら、私は若い頃から運が良かったのだと思う。しかし、ずいぶん後になるまで、そのことに気付くことはできなかったし、むしろ自分の望む形になれないことを嘆いていたように思う。その頃は、周囲の人に心から感謝する気持ちも薄かったと思う。交通事故や自然災害での死、理不尽な事件に巻き込まれたり殺されたりと、新聞などでは運が悪いとしか思えない最期になってしまった人たちが沢山いる。それを思うと、生きていること自体が運がいいとさえ思う。しかし、そんなことを実感できる人は多くはないだろう。心から「私はついてる。運が良かった」と思わざるを得ない時に初めて、自分の運の良さに気付くものなのだろう。しかし、同じ条件でもなお「運が良かった」とは思えない人もいる。そのような人は、きっといつまでも運は巡ってこないかもしれないと思ったりもする。「ピンチはチャンス」という言葉がある。本当にそうだと思う。ピンチの時に「チャンスかもしれない」と思える心の働きは、必ずチャンスを見つけようとする。それが運を引き寄せるのだろう。私は長い間、自分は運がいいし、色々なことに恵まれているし、いつまでもこんなことは続かないのではないかと思っていた。今まで運が良かったのだから、これからどんなことがあっても文句を言わずに引き受けなくちゃバチが当たるとも思っていた。それなのに今のところさほど大変なことは起きてはいない。これからどうなるかはわからないけれど、ここまで平穏無事だったのだから、もう十分だなと思う。こう書きながら思う。一度運が良いと確信してしまったら、不運も寄せ付けないのじゃないか?!「運の良い人、悪い人」なんて本もあったように思うが、きっと私が書いたようなことをもっと論理的・学術的に書いているのではないだろうか。
2024年06月14日
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親友が多い65歳以上は7.8% 前回調査から大幅減、24年白書5/28(火) KYODO 政府が近く閣議決定する24年版「高齢社会白書」の原案が判明した。内閣府の調査で、親友が「たくさんいる」と答えた65歳以上高齢者が18年度の24.7%から23年度は7.8%へ大幅に減少したことを盛り込む。1人暮らしの高齢者が今後増加すると見込まれる中、「望まない孤独・孤立に陥らないようにする対策の推進が必要だ」と指摘している。関係者が28日、明らかにした。 内閣府の調査は23年10~11月、全国の65歳以上の男女2677人の回答を集計。前回18年度調査の結果と比較した。 「親しい友人・仲間がいるか」との質問に対し「たくさんいる」「普通にいる」「少しいる」などの回答を選んでもらった。「普通にいる」は18年度の47.5%から23年度は39.0%に減少したのに対し「少しいる」は21.5%から36.0%に増加した。他は「ほとんどいない」「全くいない」などの回答だった。 人と話す頻度について「毎日話す」との回答は90.2%から72.5%に減った。1人暮らしの人ほど、人と話す頻度が少ない傾向もあった。何をもって親友とするかどうかは意見が分かれるだろうが、親しくしている知り合いが減少しているのは寂しいことだと思う。多分、コロナ禍が続いたことで人との付き合いが希薄になったのだろうとは想像するし、能登の地震などの自然災害や本人の家庭の事情などで、住み慣れた土地を離れることが多かったのも要因かも。幸いなことに現在の私は、親しい友人が何人もいてありがたいことだと思う。ただ、一人で過ごすことも嫌いではないし、時々ブログでも書いているが一番の親友は本なのかもしれないので、目が見えさえすれば友には不自由しないだろう。私のようなタイプの人間は人と話す機会が減ってもさほど寂しくはないかもしれないから、幸不幸は人それぞれなのは言うまでもない。それでも、「望まない孤独・孤立に陥らないようにする」ことは大切だ。ただ、それは本人の努力なしでは公的な対策で何とかなるものでもない。人との付き合いを減らしたくないと思う人は、足腰が丈夫なうちに自分の居場所になりそうなところを探してほしいと思う。新しい場所に足を運ぶのは私なら億劫だし勇気も必要だが、自分にとって必要だと思うならこれからの人生を豊かに過ごすためにチャレンジしましょう。まずは、その場所に行って様子を見ながら、笑顔の多い人に声をかけ、差しさわりのない程度の自己紹介から。注意しなくてはならないのは、いくら自分が自慢できる経歴があろうとそれをひけらかさないこと。せいぜい、「〇〇歳まで働いていたけど、リタイアしてから新しいことにチャレンジしたいと思って」とか、「趣味は〇〇です。同じ趣味の人がいたら話したいなと思って」程度がいいかも。親しくなってきたら色々話してもいいけれど、私の経験では前職を自慢げに言う人は嫌われがちですよ。女性なら、夫や子どもや孫の自慢は、よほどなんでも話せるようになってからの方が無難です。まあ、私くらいの年齢になったらそのくらいのことはわかっているとは思いますけど。
2024年05月29日
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大谷翔平、水原一平容疑者について言及…「(親友を)失った以上に支えてもらった人がいる」…喪失感より仲間に感謝4/25(木) 長年の相棒で「恩人」とまで思っていた人からの手痛い裏切りを受けた時、どのように受け止め対処できるかで、その人のその後が変わってくる。あるいは、想像していなかったような不運に見舞われた時も同様だ。「ピンチをチャンスに」とはよく聞く言葉だけれど、ピンチの時にチャンスの芽や光を見出す力を持つことができる人は、それほど多くないような気がしている。多くの人はショックに打ちひしがれ、自分を立て直すために時間がかかるだろう。相手が人間だったなら、恨みや怒りや憎しみを制御するために多くのエネルギーを使うだろう。どうしようもない事故や事件や自然災害の時には、運命を呪ったり自分の不運を嘆く時間が続くだろう。多分私も、その例を免れないだろうと思う。そんなことを思う時、大谷翔平のすごさをあらためて思う。単に能力に恵まれているだけではない。これまでの長い時間続くぶれない夢や信念、その目的のための努力や忍耐や節制、その中で培う周囲の仲間や親しいとの信頼関係や感謝の時間。それが土台になっての「ピンチはチャンス」になる。彼から学ぶことは本当に多大だ。
2024年04月25日
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「老いはみんなに訪れるけど、成長は望む人にしか訪れない」ダフネセルフある人のFacebookでみつけた言葉。ダフネセルフという人は知らなかったけれど、検索したら下記を見つけた。世界最高齢モデルの生き方(2)老いはみんなに訪れるけれど、成長は望む人にしか訪れないダフネセルフ誰にでも当てはまるものではないと思うけれど、とても励まされる言葉だ。少なくても、今をよりよく生きようとする意志なくては、前向きにはなれない。諦めることはいつでもできる。まだ自分にできることがあるならそれを目指した方が、今日と明日が楽しみになる。
2024年04月10日
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大谷翔平クンと結婚した女性の動画が、昨夜知人からラインで送られてきた。多分本人のものだろうと想像するが、私に届くくらいだから、すでにこのような動画が拡散されているのだろう。決して悪意あるものではなく、多分彼のファンである人が好奇心に突き動かされてのものだろう。いずれはわかることなのだろうに、一刻でも早くみんなに知らせたいと思うのだろうか。私だって彼が結婚した人がどのような人かは知りたいけれど、このようなことまでしようとは思わない。まあ、そこまで熱烈なファンになったことがないので、その心理は推し量るしかない。雑音に惑わされずに、お二人ともマイペースを貫いて、それぞれの選んだ人生を歩み、二人とも幸せになってほしいと願うばかりだ。ちにみに私は、「幸福or不幸の手紙」などというものの時代から、このようなものは次には送らないことに決めている。ストップして、不幸になったり幸せになったりはしていないと思う。
2024年03月09日
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朝刊で「お悔やみ欄」を見ることは欠かさない。現在では、お悔やみ欄に掲載しない人も多いのだが、葬儀終了後に自宅への弔問者が来ることの方が大変なので、掲載する人も多いのだ。私も、知らなかったのなら仕方がないが、お世話になった人のお悔やみには行きたいのでできるだけチェックするようにしている。今朝のお悔やみ欄で、懐かしい人の名前を見つけた。同世代というだけで「ああ、まだ生きたかっただろうな」と思うのだが、こればかりは運命なので仕方がない。あまり辛い思いをせずに、納得して逝ったならいいけどと思う。懐かしい思い出をありがとうございました。心からご冥福を祈ります。
2024年02月25日
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毎晩のように夢を見ているが、目覚めたら忘れていることがほとんどだ。だが、先週はちょっと気になる夢を見て少し覚えているのでメモしておこう。●雪の夜、私は従妹の家(とても田舎)で中学の同級生(男性)の相談に乗っている。彼とは特に親しかったわけでもなく、最後に会話したのは多分クラス会の時ではなかったかと思うが、はっきり覚えていないくらいだ。ただ、少し精神的に不調だということは伝え聞いてはいた。どんな相談だったか覚えていないが、相談に乗るというよりは話を聞いていただけかもしれない。しかし、遅くなってしまったし雪も降ってきたので、従妹に駅かバス停まで送ってほしいと頼むと、「この雪では車も危ないので、泊まっていきなさい」という。泊めてもらうことにして、実家の母に電話連絡することにした。なぜ夫ではなく実家の母なのかはわからないが、多分母方の従妹の家なので了解してもらおうとしたのだろう。その時、「母に怒られないように説明するにはどう言えばよいか」なんて考えている。電話は数回つながらず、やっと繋がった時に母が出たところで目覚めたらしい。まったく、もう亡くなっている母になぜ気を遣わなくちゃいけないんだと、自分でガッカリしてしまった。●親しくしている友人とでかけて、彼女の車で帰ろうとしている。どうも遠方のようで、彼女に「帰る道はわかるの?」と聞くと、「だいたいわかる」と言う。私が「念のためにナビを入れたら?」と言うと、「この車、ナビが使えない」とのこと。私がスマホでナビを検索しようとしても、どうもよくわからない。そのうちに、高速道路に入ったような感じで何と空に向かって飛んでゆき、車は青空と地上の間を走っている。しかし、下の風景を「きれいだなあ」と見ていたら、どうも右に海岸があり積丹半島に向かって飛んでいるような感じがする。「これ、反対方向だと思うよ」と言うと、彼女が「えーっ、ホント?!」と焦りだす。今思い出せるのこれまでだ。ちゃんと布団の中で目覚めたのだから、無事に我が家に着陸したのだろう。●これは昨夜の夢だが、風景だけを覚えている。多分地震で地面が割れ、変なところが隆起し、家が倒れている。これはきっと、テレビで見た光景なのだろうと思っている私がいる。多分、現実感がないということなのだろうが、これが現実化しないことを願う。
2024年02月11日
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昨日は、一年ぶりくらいに、気心の知れた友人三人とランチとおしゃべりを楽しんだ。Iさん、Hさんと私は、時期は違うけれど同じ職場で働いたことがある。そのためもあり、この人たちと話す時はついつい昔のことを思い出してしまう。特にIさんはそのお母さまにも仕事上でお世話になったため、ダブルで思い出してしまうのだ。話題は今回も児童問題になってしまう。社会全体の格差が広がり、そのせいもあって包容力もなくなり、学歴競争社会が長年続いた結果、本当の人間力を育てる教育からどんどん離れてしまい、子ども達が息苦しくなっている学校教育。いつも話し始めるとやりきれなさが募ってしまう。それでも、日頃思っていることをお腹いっぱい話せて、お互いに共感しあえる時間は本当に貴重だ。お互いに仕事から離れて、考えていることを生かせる機会はほとんどなくなっているので、可能なのは自分ができる範囲で今まで経験に基づく思いを、身近なところで伝えたり実行することだけ。さしずめ私は、このブログや関わっている団体の管理ブログなどで思いを綴ることかな。それだけでもできることがあることはありがたいことだと思う。
2024年01月31日
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どんな仕事も、基本的には人のためだと思う。だから、どんな仕事にも心を込めなきゃダメだと思っている。些細なことにも心をこめているかどうかは、その言動に現れる。岸田総理の言葉がいつも準備された文章を読んでいるようだったり、定型句のような言葉を聞くと、心がこもっていないとしか思えない。多少の失言になってもいいではないか。大切なのは、目の前にいる人、あるいはテレビを通して見つめている人々に心をこめて語っているかどうかだ。もっと身近な話にしよう。たとえば、事務連絡の電話であっても、会議のための書類であっても、そこに心を込め、願いを込めることで、何かが違ってくるのではないか。電話相手や、文書を受け取る相手のことを知っているならなおさらだ。そこに、相手のためにどんな工夫をするのかは、仕事をする自分の裁量だ。どんな仕事でも、言われたとおりにするだけでは心はこもらないし、良い工夫や知恵も生まれてはこない。たとえパフォーマンスであってもである。なぜか、岸田総理の顔をみながらそんなことを考えていた。「1階をのぞいただけ」 首相の被災地訪問に“パフォーマンス”の声1/14(日) 20:03 毎日
2024年01月15日
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何度かこのブログでも書いていると思うが、私は子ども時代には友達が少ないことを自覚してから、ひそかに悩んでもいた。多分、悩みながら戸惑いながらも、普通に学校生活を過ごしていたはずだが、何だか疎外感というか、みんなから浮いているような気がしてならなかった。それでも、いじめられたりシカトされたりすることはなく、いつの頃からか親友と言える人はいないかもしれないけれど、知り合いはいると思うようになった。多少苦手な人とでも付き合うことはできると割り切り、誘われたらできるだけ付き合い、頼まれたらできるだけ要望に応えるようにしてきた。どんなことでも自分を開いて話せるように思う人と出会ったのは、四十代になってからだ。ずっと生まれ育った地で暮らしてきたため、中学のクラス会も万年幹事である。去年のクラス会の時に、来たいのに来れなかった神戸の友達に、「貴女が来れないなら、今度私が行くよ」と言ってしまったので、今年の三月に関西に行くことにした。そこには、三人の中学の同期・同級生がいるので、三人で会うことになった。そのことを知らせると、三人ともとても喜んでくれて、それぞれ旅館を選び、一緒に歩いて話したり食事をしたりするコースを、下見してまで考えてくれている。私が行くことでそんなに喜んで迎えようとしてくれていることに、正直なところかなり驚きつつ、嬉しくも感謝もしている。実は、この四人が同時に同級生だった時期はない。一人については、一度もクラスメイトになったことはなく、どうしてこれほど楽しみにしてくれるようになったのか思い出せない。多分、同期会の時に色々話したことで親しくなったのかもしれない。それでも、それぞれがお互いを間違いなく懐かしい幼馴染と思って、再会を楽しみに待っているのだ。そんな旧友とのつながりを思い出しながら考えていることを書いておこう。色々あったにせよ長く付き合いが続いているなら、それはひょっとすると親友と言えるのではないだろうか。私は友達が少ないような気がして寂しかったから、付き合ってくれる人を大事にしてきたように思う。声をかけてくれるだけでも嬉しいと思ったから、自分と同じように寂しさを感じているように見える人には、おずおずとではあるが声をかけるようにしてきた。(若い頃には男女を問わず…)それが時には誤解を招き、混乱したり自己嫌悪に陥ったこともあった。そんな渦潮の時代を潜り抜け、いまも付き合いが続いているということは、間違いなく大切な友達なのだと思う。そんな関係は、一朝一夕では紡げない。やはり、人との付き合いは大切にするのがいいようだ。縁はつないでこそ縁となる。ただし、辛いのを我慢してまでつながなくてもいい。
2024年01月14日
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「出ていく判断できない人が多い」総理も呼びかけ“2次避難”加速へ 必要なケアは?1/11(木) テレ朝インフラが整った安全な場所への2次避難が加速しています。愛知県は、石川県からの要請を受け、12の医療機関で被災した高齢者30人を受け入れました。ふるさとから避難するのは、高齢者だけではありません。輪島市の日本航空高校石川も被災。段階を踏みながら、約600人の生徒を山梨県にある系列校で受け入れる予定です。金沢市内で、レジャーシートをかぶせて走る車を見つけました。話を聞いてみると、夫婦は、輪島市から避難してきたそうです。この状態で5時間かけて、移動してきました。2人が向かったのは、被災者を受け入れているホテル。石川県内での2次避難です。輪島市から2次避難した男性:「感染症が出たところもあったので、衛生上も悪くなってきているので、ずっと食事して寝るだけじゃ体も悪くなるし。震度4とかでグラグラくるので、またドンとなったので、これはまずいなと」これで12日ぶりのお風呂にも入れます。輪島市から2次避難した男性:「(Q.娘さんが見つけてくれてよかった)複雑やね。嫁さんは『行こう』って言ってたけど、俺が渋ったからね。兄弟は旅館やってるので、全壊はしてないけど、兄妹を残してくるのも、こそばゆかった。自分だけっていうか。輪島は昔から住んでいる人の集まりなので、簡単にうちが壊れたから出て行きますと、自己判断できない人が多い」(中略)それでも簡単には、ふるさとをあとにできない人たちがいます。七尾市の避難所でも話を聞きました。夫と2人で避難している女性(77):「私はここにいたいです。ここにいた方が、みんな力になってくれる。横に座っている人も『みんなでがんばろうね』と言って、励まし合っているので、ここから離れたくない」石川県によりますと、2次避難とは、現在、被災地の“1次避難”先から、インフラの整ったホテルや旅館などの安全な場所に移ること。さらに、その先にあるのが、自治体が提供する仮設住宅などです。県は、1次避難所と2次避難所の間に“1.5次避難所”を設けていて、ここで避難者により適した2次避難所を案内しています。石川県では、11日午後2時時点で、255施設、1日約7000人分の2次避難所を準備。主な受け入れ先は、金沢市・加賀市などのホテルや旅館です。石川県は、高齢者や医療・介護を必要とする人を最優先にするとしていますが、基本的にはどなたでも利用できます。現時点でり災証明書は不要です。後日、自治体の申請受付け準備ができてから用意すれば大丈夫だということです。県外でも、避難者の支援の動きが出ています。斉藤国土交通大臣は11日、全国で約6500戸の公営住宅などを確保したと明らかにしました。■今回の地震で、“2次避難”という言葉がよく使われるようになりました。(中略)2次避難の課題について、被災者の避難生活に詳しく、今回の能登半島地震でも調査を行った兵庫県立大学大学院の阪本真由美教授は「住んでいた土地から離れて避難すると、コミュニティの分断が生まれやすい。特に能登半島の住民は地域ごとのつながりが強いと感じた。“世帯ごと”にバラバラで避難するのではなく、“地域ごと”など、ある程度固まって、避難先を選ぶ仕組みにすることが大事だ」といいます。これについて、石川県に取材したところ、できるだけコミュニティごとに2次避難先を割り振ろうとしているとのことです。また、阪本教授は「被災者が2次避難先にいくと“別世界”に感じる人が多く、不安や孤独を感じやすい。人も街も平常なのに、自分だけ取り残されているような感覚になる。2次避難先では、より一層、被災者に寄りそうサポート体制が重要だ」と話します。例えば、心身の健康状態チェック、行政支援の手続き補助であったり、離れていても被災地の情報が届くようにすることが大事だといいます。東北の震災の時にも強く感じたことだが、本州の人達には先祖から住み続けてきた土地や地域への思いが、とても強いようだ。「みんなが頑張っているのに自分だけ出ていくのは…」という気持ちもあるようだ。だからこそ、地域集団がまとまっての二次避難などの配慮が必要なのは理解するし、可能な限りそうしてほしいと思うが、今は緊急事態なのだ。地域の人達の命と安全を守るために、自分がどのような選択をするのが最善なのかを考えてほしいと思う。どれほど高齢の人であっても、いや、だからこそ、「自分はここで死にたい」と言ったとしても、そのまま放置はできないだろう。とにかく今は、高齢者や幼い子供を抱える人、持病を持つ人たちは二次避難をしてください。「必ず元の土地で暮らせるようにするから」と、国と自治体は断言してあげてください。「この土地と住民を守るためには、しばらくの間は安全な場所で待っていてください」と、たとえ強引にでも移住が必要なことを説得してあげてください。たった一人で故郷の土地を守っているような「ぽつんと一軒家」のテレビを時々見るのだが、多分能登半島にもそのような人たちがあちこちの小集落で暮らしてきたのだろう。でも、そのような人たちが土地を守ってくれているおかげで、日本の国土は守られているのだと思う。そのことへの感謝を忘れずに、国や自治体は復興のために頑張ってほしい。そのためにどれだけ税金が使われても、そして多少の不便があったとしても、私は文句は言わない。
2024年01月12日
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今年は母が亡くなったので、一応喪中である。しかし、久しぶりに子ども達が泊まるので、それなりに料理の準備中。世界や日本では悲しいことや辛いこと、腹が立つことや情けないことも続いているが私個人としては特段の想定外のこともなく、平穏に過ぎた一年だった。何とか今年も、とぎれとぎれではあるがブログも続けてこれた。新しい出会いや嬉しいこともあった。ブログを書き続けられることも、見てくださる人がいるおかげでもある。私に関わりのある皆様、今年も本当にお世話になりました。来年は、今年よりも良い年になりますように。これを見て下さった皆様の、ご健康とお幸せを願っています。
2023年12月30日
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12月3日に小中学校時代の幼馴染Kさんが、中学の担任の先生が関わっている演劇公演のために来道した。私はその先生には社会科を習っただけなので、随分前に二度ほど行っただけだ。毎年、その公演に合わせて彼女は関西から来道し、次の日には私とも会うのが恒例だ。今年は、夏に私達の担任が彫刻展を開催したので、それに合わせて来ていて、その時にも会っている。市内のクラスメイトとも数年に一度しか会わないのに、彼女とは毎年のように会っている。彼女と会うのはイヤではないし、その都度懐かしい思い出話もして楽しい時間を過ごす。会いたいと思ってもらえることは、ありがたいなあとも思うし感謝もしている。それにしても、どうしてそれほど彼女は北海道の旧友に会いたいのだろうかと、多少不思議なのも事実である。次の日の12月4日は、小中学校時代に住んだ場所や小学校に行きたいということで付き合った。同じ市内で私はこの町にずっと住み続けているのだけど、通学路や小学校、彼女たちの住んでいた場所などを歩く機会もないし、歩こうとも思わない。まさに、「故郷は遠きにありて思うもの」のようで、私も彼女もそのあたりを歩くのは久しぶりなのだけど、彼女のように「わー、懐かしい!」「随分変わったけど、山並みはおんなじだね!」なんて感動の言葉は出てこない私である。彼女は関西生まれなのだが、小学校から高校時代までの成長期をすごしたこの町や北海道は、まさに故郷なのだろう。帰宅すると、留守電が入っていた。なんと、宇治に住む幼馴染だった。一緒に話をしていた時に、彼女のことも話題に上った。私達の会話が何となく彼女の気持ちにシンクロしたのだろうか。すぐに電話をしたら、「特に用事はなかったけれど、どうしてるかなと思って」ですって。「今日はね、Kさんが来ていて、途中からО君が車で空港まで送ってくれて、貴女のことも話していたんだよ」というと、「えーっ、ホント!」と驚いていた。これがシンクロニシティというものかもしれない。色々な会話の中で、亡くなった友人たちの情報も聞く。「またね」とは、いつも別れる時にかけあう言葉だけど、再会できるかどうかもわからない年頃になったのだと痛感する。彼女が関東に住むN君に、空港で三人で撮った写真をラインで送ると「自分もみんなに会いたい」と、近いうちに場所や時間を決めてほしいと返事が来たとか。「どうしたもんだか…」とラインが来たけれど、とにかく北海道・関西・関東と離れている仲間同士。彼自身がこちらに来た時に、近くにいる人たちで都合がつけば会うというようにはいかない。どうもKさんもN君も、呼んだら私もO君も喜んで駆けつけると思っているような感じ。正直にここで白状しましょう。ずっとここにいて、みんなか来た時には精一杯歓迎する故郷居残り組と、離れて故郷を熱い思いで懐かしむ人たちとは、幼馴染や故郷に対する懐かしさの度合いも違うようですよ。ホッチャレになりかかった鮭を、ふと思い出してしまった私でした。(ホッチャレは名詞です。念のため)
2023年12月06日
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中学の同級生が、和服をリメイクしていると知ったのは一年ほど前だっただろうか。彼女は夏のクラス会の時にも、自分でリメイクした洋服を着ていた。それがとても素敵だったので、「私の着物もリメイクしてもらえるだろうか」と話すと喜んで承諾してくれた。最初にほどいたのは、随分前に親戚の人からもらった紬。ほどいて洗濯してアイロンをかけるまでは私の仕事。それを持参して、図書館で借りた着物リメイクの本の中で良さそうだと思ったものをお願いした。彼女は専門的に洋裁を習ったわけではなく、自己流に若い頃から自分のものやお子さんのものを縫っていたという。そのようなことがからきし苦手としいうか、好きではない私としては尊敬するばかり。それがこれ↓残った布で、スマホや財布を入れるポシェットも作ってくれた。予想よりとても良かったので、また次もお願いすることにした。この一週間は、時間をみては箪笥のゴミと化していた着物三着をほどいた。最初にほどいたのは喪服。実は、これは結構着用した。母方の祖父母、夫の両親、祖母と父の葬儀の時に着たはずだ。次は、独身時代に最初に誂えてもらった訪問着と道行。これも結構着たと思う。友人や親せきの結婚式や、当時は仕事始めに女性は和服を着ることが多かったし、結婚してからも何度も着たと思うのだが、その後の手入れが悪かったため、結構シミなどの汚れがあったので、まともには使えないかもしれないけれど、喪服の黒地の差し色になら使えるかと思うが、どうだろう。道行の方はさほどの汚れもなく、色合いもそれほど派手ではないので、上着として活用できるかもしれない。ということで、そろそろ友達に頼みに行こうかな。
2023年11月29日
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中学時代の同級生が、11月11日に急逝した。夏に開催したクラス会の時には、足が悪くて杖をついていたし、糖尿病があるとは聞いていたけれど、とても元気そうに見えた。中学卒業後は家事手伝いの後に農家に嫁いだ。舅姑のいる家に嫁ぎ、農業をしながらの子育ては苦労も多かったと思う。若い頃から数年に一度のクラス会をとても楽しみにしていて、「クラス会には絶対に出してもらいたいって言ってるんだ。だから、絶対に案内してよ」といつも言っていた。きっと、嫁の立場では自由に出歩くことも難しかったのだう。私達の世代でもそのような人もいるのだと、彼女に会うたびに思ったものだ。今年のクラス会も、足が悪いのを心配した娘さんが、一緒に同行してくれた。「修学旅行は盲腸の手術をしたばかりだったので、行けなかったの。だから、今回のクラス会はとても楽しみだった」と話していた。クラス会を楽しみにしてくれている人は何人もいるけれど、その筆頭の人だった。同室で泊まったので色々と昔話もしたのだが、苦労もあったけれど今は穏やかな日々だと話していた。昨日、彼女のことを同じ中学時代の同級生に話を聞いた。その夜、夕食後に急に具合が悪くなり、ご主人が様子が変なので声をかけたが、すでに意識がなく、慌てて救急車を呼んだけれどそのまま旅立ってしまったという。クラス会の思い出を楽しそうに話をしていたので、お棺にはその時の写真とクラス会に出るために買った洋服を入れたのだという。そうか、あの日のことを思い出しながら旅立ったんだね。あちらの世界には、すでに何人もの同級生がいるから、あっちでもクラス会できるね。そのうちにみんなそちらに行くのだから、その時には一番クラス会を楽しみにしていた貴女が幹事をやってね。そんなことを思いながら、冥福を祈っている。
2023年11月20日
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朝カーテンを開けると、うっすらと雪が降っていました。いよいよ冬です。でも、8時過ぎには消えてましたけどね。また、長い冬の季節に入ります。あまり大雪にならなければいいのだけど…
2023年11月11日
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いつの頃から「忖度」がこれほど大手を振るようになり、その上悪弊のようになったのだろうか。いや、忖度はどの時代でも人間関係や社会に必要なものだったとは思うし、私もこの言葉は若い頃から知っていたように思う。でも、それは「思いやり」や「場の空気を読む」ような意味合いであり、あまり悪い意味はなかったように思うのは、私が狭い意味だけで知っていたのだろうか。思えば、故安倍首相の頃から、政治問題で忖度がよく言われるようになり、忖度の限度を超えたような気がする。忖度で国会答弁が疑惑だらけになり、さらに公文書が改ざんされるなどのことが続き、私の政治への信頼度は急降下した。今では忖度の毒が蔓延し、政治家のみならず企業風土もひどいことになっている。今回、ジャニーズ事務所の少年たちへのセクハラだけではなく性的虐待の経過を知り、この世界では忖度と隠蔽は随分昔からの常識にまでなっていたのかと唖然としている。あの事務所から巣立ったスターたちは、それぞれどのように感じそれを黙認し、受け入れてきたのだろうか。そして、巨大芸能事務所に忖度というか遠慮をしてきたメディアの罪は大きい。さらに言えば、この事務所の問題について他の芸能事務所などが全く知らなかったわけもなく、芸能界全体は大丈夫なのだろうかと思ってしまうのは自然だろう。今さら記者会見で鬼の首を取ったように事務所関係者をつるし上げるメディアも、結局は同じ穴の貉だろう。青少年への性加害の罪は、その影響がその人の生涯に影響を与えることだ。児童への虐待は、時として再生産(?)されることがある。あるいは生涯にわたり人への不信感や恐怖、自然な性のありようを歪ませることがある。最近の私は、政治家の言葉も官僚の言葉もそのまま信じることができなくなった。その上に、テレビや映画に登場するあの芸能事務所出身の人達をどうしても曇った目で見てしまう。どんな言葉も「きれいごと」「たてまえ」に聞こえてしまうようになってしまった。この国に蔓延してしまった忖度による不信感という毒は、きっと私自身をも汚染しているのではないかと感じる。私が気付かなかっただけで、これが日本人の本質であり、日本社会なのだろうか。追記児童への様々な虐待については、忖度と言うより子どもの人権に対する認識が低すぎたし、今でも低いからかもしれません。
2023年09月10日
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これも、今週のどこかで受けた電話についての備忘録。関西のA.Iさんは、お姉さんががんの末期であることと、自分のがん手術の後遺症のリンパ浮腫が良くなくて、中学のクラス会に出席できなかった。クラス会から一か月がたち、そのごどうしてるかと安否確認(?)の私からのラインへの返事の電話。彼女は日赤短大を卒業後、ずっと看護師を続けてきた。職場の変遷はあったけれど、看護師長→訪問看護ステーション管理者として、家族の問題で色々あったり、自分のがん手術の治療などを続けながら、医療現場で働き続けてきた人だ。多分、生涯現役で働き続けたい願いはあっただろうが、自分の体調のことで今年の春に退職。仕方がないと納得してはいるものの、看護現場から離れたことで張り合いをなくしはいないかと、少し心配もしていた。そんな彼女だったが、電話の声はとてもハイテンションで元気いっぱい。話しているうちに理由が分かった。東北に住むお姉さんが在宅医療からホスピスに移るということで、そのことで家族親族の中心となって働いてきたらしい。まくしたてるようにその顛末を話す彼女は、やはり看護師が天職なのだろうと思った。そのような仕事に出会ったことは、少し羨ましく思う。私もかつてこの仕事は天職と思うときがあったが、何せ少し精神的にヤワだった。でも、そのおかげで色々な世界を垣間見ることもできたし、報酬とセットの仕事は続かなかったが、ボランティア的な活動は現在も細々と続いている。自分の働きが何かの役に立っていると感じることが、私にとっての生きがいだ。そしてその生きがいは、自分自身がどのような状況になっても可能なことを私は知っている。なんだ、彼女を羨ましく思うことはないな。私のような生き方を、彼女は羨ましく思ってるかもしれない。その次の日だったか、愛知のH.Kさんから電話。彼女は高校時代の同級生で、こちらに実家がある。といってもご両親は数年前に亡くなったので、最近は法事などで来道するくらい。彼女から電話がかかってくる時はいつも「今帰ってるんだけど、今日か明日、会える?」という感じ。私だっていつもいつも暇ではないので、そんな時は何とかやりくりして会うことになる。だから今回も、(えっ? 明日は用事なかったかな?)と思いながら、開口一番「Kちゃん、今こちらに来てるの?」と声をかけた。すると、あまり毎日暑いので、私がどうしてるかと思いついて電話をしたようだ。本当に珍しいことなので少し驚きながら、お互いの近況報告やクラス会のことなどを話した。彼女は中学も同じだったので、共通に知っている先生や友人たちも多いのだ。しばしのおしゃべりの後電話を切ったのだが、その後ふと思った。本当は、もっと話したいことがあったのではないのだろうかと。彼女はお子さんのことでとても悩んでいた時期があり、その頃は実家にもほとんど帰らず、もっと言えばお子さんの状態についてご両親にも長い間話してはいなかった。そんなこともあったのだろうが、何度か開かれた中学の同期会にも顔を出さず、私とは付き合いは続いていたが、多くの友人たちとは何となく距離が出来たままのようだ。年を重ねて、次第に遠くなった故郷を懐かしく思うようになったのかもしれない。まあそれだけならいいのだけど。私は死ぬまでここにいます。
2023年07月29日
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うかうかするとみんな忘れてしまいそう。とにかく、書けるときに書いておかなくゃ。7月20日は、関西からクラス会のために来道したKさんが帰る日に、空港で待ち合わせをして食事とおしゃべり。Kさんは小学校四年生の時に大阪から転校して、私と同じクラスになった。明るくてひまわりのような感じの彼女が眩しかったが、自分から声はかけていない。彼女から唐突に「ねえ、友達にならん?」と言われた時の驚きと嬉しさはよく覚えている。しかし、彼女は私だけではなくて色々な人と友達になっていったので、何となく友達なのかなと思いながら時は過ぎて行ったのではないか。彼女とより親しくなったのは、小学校の児童会役員になった時から。私は書記、彼女は会計だったと思う。その後中学に進学し、クラスは別だったが、中二の前期の生徒会役員で一緒になった。この時の仲間は、現在も交流が続いている。中二の後半で彼女は札幌に転居し、高校の多分三年生の時にまた大阪に転居した。私は筆まめだったので、彼女が転校してからも文通は続いていて、以来ずっと友達関係である。とはいえ、「友達」とはお互いに思ってはいるけれど、少し微妙な点もある。それでも、いつも一緒に顔を合わせるわけではないので、彼女が来道する時には必ず会っている。彼女は小学生から中学まで過ごしたこの町を「ふるさと」と思っている。私から言わせるとたった五年くらいなのだが、彼女の故郷愛はとても強い。私はずっとこの町に住んでいるので、あまり故郷を感じることがない。どちらかというと、若い頃はこの町から離れたかった。彼女が羨ましいというこの状況が、私には「うーん、そうかもね」と返事をするくらいだ。ともあれ、久しぶりに会って近況報告を色々しながら、今回も彼女との違いを感じることはあった。彼女は昔の仲間達への強烈な友情というか愛を感じているのだが、私は色々複雑な経験も共有しているので、微妙なところがある。彼女だってその渦中の時には色々な思いを抱いたはずだが、年月で浄化された部分と強いこだわりを感じ続けている部分はある。その「部分」が私と異なるようなのだ。だから、時々話がかみ合わない。同じ経験なのだけど、見えていた光景や思い出が違っているという感じだろうか。とはいいつつも、私は彼女と向き合うと子どもの頃のパターンになってしまう。人間って不思議だなと思う。たしか谷川俊太郎だと思うが、人間の心は年輪のようなものと例えていたと思う。老木になっても、幼い頃に刻まれた記憶や傷は、大人になってもそこにあるというような感じかな。だから、幼い頃の友達関係がふとした時に立ち現れてきて、当時と似たようなパターンになるのかもしれない。ともあれ、彼女も息子さん達やその家族(息子の配偶者や孫たち)とは色々と気遣いながら生活している。そんな話では共通するものがあり、お互いに次の再会まで元気でいようねと別れたのだった。
2023年07月25日
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7月19日早朝、同じボランティアグループで二十年以上活動していたFさんが亡くなった。私は現在はその活動を卒業しているので、半年くらいはお会いしていなかったと思う。夕方、事務局担当のNさんから訃報のお知らせ電話をいただいた時、頭の中が?!で言葉が出なかった。前日も、ボランティア活動で除草作業をしていたようだが、調子が悪そうな様子もなく、次の日の予定をご主人に話して休んだという。次の日の朝、いつもの時間に起きてこないので様子を見たらもう意識はなかったようだ。人の命がいつ尽きるのかは誰にも分らないものだと、あらためて思う。次の日のお通夜に参列すると、様々な活動をしていた人だったので大勢の参列者に驚いた。彼女はとてもまっすぐな正義感の強い人で、はっきりと意見を言う人だった。「いいことはいい、ダメなことはダメ」という感じで、女性のボランティアグループの中では珍しいタイプと言えた。でも、キチンと意見を言うだけに何事にも一所懸命取り組む人で、彼女に任せたら間違いはないと信頼できる人だった。あまり人とつるむ人ではなかったし、要領よく人と交流する人ではなかったような気がする。私もあまり人とつるむタイプではないので、長年同じグループで活動していても、活動以外の場でおしゃべりをしたりランチをしたりしたことはない。だから、彼女の個人的なことはほとんど知らなかったので、お通夜で故人の経歴を聞いて改めて知ったことが多かった。同世代だろうとは思っていたが、同じ年齢であった。この年になると、突然の別れも珍しくはないし、もう会えないのだなという寂しさはあっても、「よく頑張ってきましたね。お疲れさまでした」という気持ちが強い。残されたご家族にとっては納得のできない辛い別れだろうし、娘さんの号泣の姿と、ガックリとされたご主人の姿には心が痛んだ。しかし、何事にもきっちりした人だったから、きっと家の中も整理整頓していて、「立つ鳥跡を濁さず」そのものの旅立ちだったのではないかと思う。きっと、亡くなる時もあっという間の潔さで、「ごめんなさいね、こうなっちゃった」という感じだったのではないか。勝手に想像して申し訳ないけれど、そうあってほしいという私の願望だ。可能であれば、私もそのような旅立ちでありたいが、私は整理整頓が苦手なので、飛び立った後はきっと(いや、間違いなく)グチャグチャだろう。でもきっと、それが私らしいんだろうとも思う。本当にありがとうございました。会議の時に貴女が頷いていたら、これでいいんだと安心しました。反対に、「ちょっといいですか?」と発言されるときには、何を指摘されるかとちょっと緊張しました。それでも、なあなあで物事が進むよりは、きちんと納得しながら進めることが出来て、私はとてもありがたく思っていました。ずっと様々な活動で社会のために働いてこられたのですね。「何かのお役に立ちたい」という思いでは共通するものを感じていました。今となれば、もっと色々なお話をしてみたかったと思います。どうぞ安らかにお休みくださいね。
2023年07月20日
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クラス会が無事終了しても、幹事の仕事は残っている。K氏が印刷してくれた集合写真やスナップ写真を、写っている人への郵送。残念ながら参加できなかったクラスメイトには、4年後に担任のS先生の米寿に合わせて最後のクラス会をするという報告を兼ねて、集合写真をハガキにして郵送。全部の作業が終わったのは、3日前だった。その後、ラインやメール、電話などで友人たちからのお礼メッセージが届く。ラインやメールは簡単な返信で済むのだが、電話となるとやはり少し話をすることになる。特に欠席者との個人的な会話は、以前にあったかどうかわからないくらいだ。私はずっと地元に住み続けているので幹事も続けているのだが、「やらなくてはならないから」という感じである。幹事グループの中では事務仕事が得意の方なので、自ずとその役割を引き受ける。できれば誰かに代わってほしいものだとずっと思い続けていたが、やはり最後までこの立場だろう。しかしそのおかげで、このような役得があることも確かだ。そして一番のお得は、みんなから「ありがとう」の言葉のシャワーを浴びることだ。私は子どもの頃から友達とワイワイと楽しむことはあまりない。しかし今回、クラス会でみんなの楽しそうな顔を見ていて、私はみんなが喜ぶことに関わることが好きなんだと再確認した。実は、電話を貰った一人から「楽しかったねえ」と言われた時、一瞬絶句してしまった。私のその時の気持ちは、楽しかったというよりも、みんなが楽しく参加しているかどうか、二次会の時の飲み物食べ物をどう手配しようか、クーポン券をどのように活用しようかなど、常に次のしなくてはならないことを考えていたので、何だか仕事をしていた時のような感覚だったのだ。それでつい、「私は楽しかったというよりも、皆が楽しそうで嬉しかったよ」と本音を言ってしまった。彼女は、「幹事さんって大変だよね。本当にいつもありがとう」と言ってくれた。その言葉に、(ああ、私はそれが嬉しいんだ)と思ったのだ。楽しいと嬉しいとは同義なのだろうか。少し違うような気もするし、私は楽しさを求めてクラス会の幹事をしてはいないが、やはり嬉しいことがあると心の中で確信しているので、今まで逃げずに引き受けてきたと思う。4年後もみんなに会えることを楽しみにすることにする。(やはり「楽しい」と「嬉しい」は同じかもね)
2023年07月02日
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大型連休も終わりました。我が家でも、姪一家が四年ぶりくらいに北海道に来ましたので、もうすぐ二歳と小学校一年生の子ども達も含めて、連休らしい日々を過ごしました。(ハイジ牧場や息子たちのブドウ畑。みんなでの会食などなど)姪夫婦は都会で共働きなので、普段はとても慌ただしい日々を送っています。下の子はコロナ禍の中での妊娠・出産で、夫婦交代で育児休暇をとったとは言えども在宅ワークの日が多く、現在もその大変さは続いているようです。久しぶりに会った姪は、ふっくらしていた顔が少し細くなり、毎日疲れているんだろうなと、自分の子育ての頃を思い出しました。つまりは、子ども達も毎日、保育園や学校、学童保育に追われる日々で、久しぶりに両親と楽しい日々を過ごしたことは、リフレッシュにはなったでしょうが、きっと今日あたりは「あーあ、学校に行かなきゃ」「保育園に行きたくない」などとぐずっているのではないでしょうか。きっと、お子さんのいるどの家庭でも、連休明けは仕事や学校への意欲を掻き立てるのに大変かもしれません。ましてや、学校が辛くなってきた子には、連休はホッとする日々であったからこそ、どうにも元気が出ないことが多いはずです。 そんなお子さんの様子はとても気がかりだし、何とか登校してほしい気持ちにもなるでしょう。でも、子どもが学校に行きしぶるのは、決して怠け心のせいではないし、行きたくない自分を責めながら葛藤しているはずです。もしも腹痛や頭痛などを訴えているなら、それは学校が危険のサインかもしれません。昨夜、NHKの「いのちを守る学校に 調査報告“学校事故”」という番組を見ました。8729人。学校管理下で死亡または障害を負った子どもの数だ。日本スポーツ振興センターの2005年度以降のデータベースを元に学校事故を分析すると、浮かび上がってくるのは「同じような事故を繰り返す」実態。窓からの転落事故、運動会の事故、熱中症…。どうすれば子どもたちを事故から守り安全な学びの場を実現できるのか、データと現場への取材から再発防止の方策を探る。 これほど多くの子ども達が、学校での事故で死亡や障害を持つことになっているのかと愕然としました。子ども達が集団で遊んだりするのですから、怪我くらいはあるだろうと思っていましたが、死亡事故や、そのために重度の障害を持つことになるとやはり大問題です。何か事故が起きると、そのことが危険だと禁止されたりしますが、一番大切なのは予防です。事故の原因を分析し、子どもたち自身が危険を回避したり察知して対応できるようにすることが教育ですし育てるということです。子どもの不登校で大きな要因とされているのが、いじめや学校でのトラブル、教師の対応のまずさなどがありますが、これもある意味学校での事故・事件です。教師の数が足りず、個性的な子ども達の対応に学校現場が苦慮している現状があるなら、そこをまず改善するのが大切ですが、学校の取り組みいかんで工夫の余地はあるはずです。そして、そのように危険に満ちている学校に日々頑張って登校している子ども達の健気さを、大人はもっと理解したいものです。まず、「行きたくない」というのは必ず自分を守る本能によるものですから、その気持ちを肯定し理解するように努めてください。子どもは直感的に学校を忌避することがあるので、理由を聞いてもはっきりいえないことがあります。もう二十年以上も前に、不登校していた中学生の女の子に「学校に行きたくない理由はあるの?」と聞いたことがありました。彼女は「うーん」と少し口ごもり、迷いながら言いました。「いじめられているっていうわけじゃないんだけど、学校の校舎を見ると息苦しくなる。どうしても足がそれ以上進まないんだ…」と言いました。その時の私は、その言葉に少しだけ戸惑い、「そうなんだ…」と言うだけでしたが、今は何となくその気持ちが理解できます。(また、「いじめられてはいない」ということも、本当はどうかわかりません。本人が確信できないいやがらせや仲間はずれ、無視などだってありますしね。)彼女は、全身で学校の様々な息苦しさを感じていたのですね。中学生の子でもそうなのです。(その子は、発達障害的な子ではありません)小学生ならなおさらかもしれません。 下記の記事も見つけました。参考にしてください。ゴールデンウィーク明けは「学校つらい…」が出やすい時期。学校へ行きたくない子は、自分を責めないで。5/7(日) マイナビ子育て
2023年05月08日
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昨日、内田樹氏のブログ「生産性の高い社会のゆくすえ」を書いたのだが、今見たらまたブログがアップされていた。これも、考えさせられる内容だったので、コピーしておこう。「パワークラシー」とは内田氏の造語だそうだ。「パワークラシーの国で」2023-02-22 若い経済学者が高齢社会対策として高齢者の「集団自決」を求めた発言がニューヨークタイムズに大きく報じられた。「炎上」発言をしたイエール大学助教の成田悠輔氏について、記事は「米国の学界ではほとんど無名だが、日本のSNSでは、その極端な見解のせいで、老人支配で割りを食っていると思っている不満な若者たちを中心に数十万のフォロワーを獲得し」、「社会的禁忌を嬉々として破ることで熱狂的な視聴者を獲得してきた日本の扇動者の一人」と紹介していた。 記事を読んでいささか考え込んでしまった。日本社会を「老人支配(gerontocracy)」と呼ぶのは果たして適切であろうかと思ったのである。 確かに日本社会には「権力を持つ老人たち」がはびこっていて、若い人たちのキャリア形成を阻んでいるのは事実である。だが、他方には圧倒的多数の「権力を持たない老人たち」がいる。彼らは支配され、収奪され、権利を軽んじられる側にとどまっている。このような社会を「老人支配」と呼ぶことが適切であろうか。 では、どう呼べばいいのか、しばらく考えているうちに「権力者支配(powercracy)」という言葉が思い浮かんだ。 むろんそんな政治用語は存在しない(今私が思いついたのだから)。だが、「権力を持つ者が権力を持つ」「支配する者が支配する」という日本の政体の同語反復性を形容するには「パワークラシー」という語が適切なのではあるまいか。 ふつうは王政であれ、貴族政であれ、寡頭政であれ、民主政であれ、主権者はその権利を正当化する根拠を示す。「神から授権された」とか「民意を負託された」とか、あるいは端的に「賢明だから」とか。「パワークラシー」は違う。権力者の正統性の根拠が「すでに権力を持っている」ということだからである。「パワークラシー」の国では、権力者批判が許されない。権力者を批判できるのは、権力者だけだからである。選挙で相対少数になった野党には政権を「批判」する資格がない(できるのは「反発」だけである)。市民にも政治について不満を述べる権利はない。不満を口にすると「だったら、お前が国会議員になればいい」と言われる。メディア有名人を批判すると「だったら、お前が有名になって、メディアで自説を語ればいい」と言われる。「パワークラシー」の国では、権力者が権力者であるのは、政治的に卓越しているからでも、知的に優れているからでも、倫理的に瑕疵がないからでもない。すでに権力を持っているからである。これが「パワークラシー」である。「パワークラシー」の社会では、「権力的にふるまうことができる」という事実そのものが「権力者であること」の正統性の根拠になるのである。なんと。 先日、ある政治家が国会議員を引退するに際して息子を「跡目」に指名するということがあった。日本ではよくあることである。「跡目」を継ぐことになったその息子はさっそくホームページに自分の家系図を掲げて、近親者に三人の総理大臣を含む何人もの国会議員がいるという「毛並みのよさ」を誇示してみせた。自分が国会議員として適格であることの根拠として「国会議員を輩出している家系に属する」ことを掲げたのである。たぶん本人も、それを提案した周りの人間も、それが一番アピールすると信じたからそうしたのだろう。「すでに権力の側にいることが、今後とも権力の側にいるための最優先かつ必須の条件である」という「パワークラシー」信仰をこれほど無邪気に表明した事例はさすがに珍しい。 わが国が「パワークラシー」の国だと考えると、当今の権力者たちの異常な言動が理解できるはずである。彼らの非論理性や非倫理性は、別に何らかの政治目的の達成のために採択された非情な手段ではないのである。権力者であるために必要なのは、卓越した政治的見識を持つことでも、雄弁の才に恵まれていることでも、人心掌握に長けているからでもなく、「現に権力的にふるまっている」という既成事実だったのである。 だから、彼らは自分たちが「法の下の平等」から除外されていること、「非常識」という評言が自分たちには適用されないこと、他人に無用の屈辱感を与える権利があることを繰り返しアピールすることになる。 まことに困ったことに、「パワークラシー」の国では、権力者だけでなく、権力を持たない一般市民までがその影響を受けて、「権力者であるような顔つき」を競うようになる。 知者が統治する国なら、人々は自分を知者のように見せようとするだろう。有徳の人が統治する国なら、人々は自分もまた有徳者であるように見せようとするだろう。同じ理屈で、権力的にふるまう者が統治する国では、上昇志向に駆られた人々はそれを真似ようとする。 どうも最近、非常識で、傲慢で。攻撃的な人が増えてきたなと思っていたが、あれは別に日本人の人格が劣化したわけではなく、彼らなりに社会的上昇めざして、「いやな野郎」になるべく努力していたのである。そう気づいて、腑に落ちた。私も腑に落ちました。が、これでは絶望的ではないですか。内田先生、そこからの脱却の方法を教えてください。
2023年02月23日
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岸田総理の「異次元の少子化対策を検討」なんて発言を聞いた時には、もう何もコメントする気にもなれない気分だった。そもそも、今更「検討」なんて言葉を使うこと自体がボケているし、異次元なんて言葉で胡麻化そうとしているとしか聞こえない。こんな言い方をする岸田総理には、心底ガッカリした。そんなことを思っていたら、東京都、18歳以下に月5000円給付へ 所得制限設けず 第2子の保育料無償化も検討 東京新聞というニュースを聞き、小池さんも呆れて挑戦状をたたきつけたのかと思ったりもした。しかし、先程下記のニュースを見て、そうかと妙に納得した。岸田首相、太っ腹!東京捨てれば100万円、子供1人につき追加で100万円…「デジタル田園構想」は年間1万人を地方移住させる作戦 2022/12/29(木)小池都知事は呆れたのではなく、頭に来たんだろう。私自身は、東京から人が離れた方がいいと考えているので、「デジタル田園構想」は賛成だし、多分大枠では小池都知事も反対はできないだろう。日本全体のことを考えたら、それに反対する理由はないだろうし。それでもやはり、今都政を担っている身としては、この構想にどのくらいの小池氏との調整があったかわからないが、頭にきたんじゃないかと感じる。まあいいや、子育て世代に良い政策であるなら、丁々発止も悪くない。それはともかく、私は今の少子化対策では少子化は止められないような気がしている。ちょっとスピリチュアルめいているけれど、そもそも生まれようとする魂があるとしたら、今の日本に生まれてきたい子どもは少ないだろう。大地震があるかもしれないし、毎年のように自然災害は多い。子ども時代もあまり子どもらしく楽しめなさそうだし、やっと大人になっても競争世界に追い立てられそうだ。それと、これは日本の女性の深層心理の中で、子どもを積極的にほしい人は少ないだろうということだ。人間も自然の一部の動物だから、種の保存の危機を突きつけられたら、子どもを持とうとするかもしれない。幸いにして、日本はそのような状況ではないし、女性も自分の人生を考えられる時代だ。いつまでたっても男性優位の社会は変化しないし、男性の望む女性像は、女性の望む姿ではない。どうしても男性と共に生きたい女性はいるだろうが、共に生きるということと結婚して子どもを持つこととは違う。それになにより、女性が子どもを産む時の一番の願いは、わが子が戦争に巻き込まれないことのように思う。というのは、私が妊娠し出産した時、一番の望みは「この子が戦争に巻き込まれる時代にならないように」ということだった。当時は、日本が戦争に巻き込まれることなどあまり想像できない時代だったにも関わらずだ。「この子の大人になる時代は、今よりも世界で仕事をする時代になるだろう」と思っていたので、海外で何が起きるかわからないということと、自衛隊が万が一にでもアメリカと共に戦うことにならなければいいという思いはあった。男の子だったから、職業の選択肢としての自衛隊は身近だったからだ。そう思い返すと、現代の女性が子どもを産むことに躊躇する気持ちはとてもよくわかる。今私がそのような状況なら、多分結婚も出産もしないだろうと思うのだ。
2023年01月06日
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穏やかな年末年始を過ごしています。元旦には、山形に住む孫以外は我が家に集まり、テーブル満杯のおせち料理を囲んでの楽しい時間を過ごしました。昨年、老母が介護付き老人ホームに入り、同居していた妹も年越しも元旦もずっと同席することが出来ました。近年は、母から長時間目を離すことが難しいので、ちょっとだけ顔を出したり、みんなで実家に行って母と短時間話をすることくらいしかできなかったのです。(コロナ禍になってから猶更でした)昨日は、長年両親の介護を担ってくれてきた妹に、「これからは自分の好きな食べ物やお菓子の料理をしてください」と、お年玉と称して、イタリアン関連の調味料や食材、お菓子作りの食材などを渡しました。私も、ずっと妹に対しては申し訳ないという気持ちを抱いていたので、とても気持ちが楽になったのが正直なところです。母とは入所以来会えてはいませんが、ホームからの連絡では随分馴染んでいる様子。ダブルでホッとしているお正月です。昨夜息子たちも帰っていったので、今日からは夫婦二人の静かな日々が戻ります。今年も、備忘録的ブログをボケ防止も兼ねて続けますので、どうぞよろしくお願いします。今年こそ、確かな平和の足音が聞こえますように。そして、これを見てくださる皆様が、健康で穏やかな日々をお過ごしになりますように。
2023年01月02日
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よく読まれている日記に、「熟年離婚予備軍? 」があったので、どんなことを書いたっけと再読してみた。ああ、そんなこともあったなと思い、いつのことかと確認したら、2005年08月03日のブログだった。もう17年も前のことになる。あのブログをお読みになった方は、この夫婦はどうなったのだろうと思われただろうから、その後をお知らせします。その後、彼女の忍耐と頑張りのおかげか、二人の子ども達は大学を卒業し、良い企業に就職し、一人は結婚して孫も二人授かった。夫の方はめでたく定年退職→再雇用→完全退職で、年金生活である。二人の子どもが自立したという頃、私はそろそろ彼女の計画は具体化されるのだろうかと思っていた。しかし、なかなかその気配がない。共通する知人でもある妹に「あの夫婦は離婚しないのだろうか」と話した時、「多分離婚しないと思うよ。一番の理由はお金だね」と言ったものだ。「彼女はアルバイト的な仕事をしただけだし、年金もたかが知れている。反対にご主人は高給取りだったから年金も潤沢だろうしね。離婚すると言っても、浮気やギャンブルやDVなど明らかにご主人に非があるわけではないし、老後のことを考えたら離婚はしないと思うよ」とカラッと話していた。結果的に、妹の見方が正しかった。どのような理由で離婚しなかったのか本人に確かめたわけではないが、多分当たらずとも遠からじだろう。私は、あのブログを書いた時には、彼女の離婚は仕方ないと思っていたので、自分の目の節穴を痛感している。
2022年12月21日
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共通の友人を通して、高校時代のクラスメイトのОさんが、息子たちのブドウの収穫の手伝いに来てくれた。時々メールなどでつながりはあったのだけど、直接会うのは多分30年ぶりくらい。聞けば彼女はワインも好きで、私の息子たちがワインづくりをしていると知り、一度行きたいと思っていたそうだ。青空の気持ちの良い天気の中で、一緒に作業をしながら高校時代の思い出話をしたり、現在のことあれこれなど話は尽きない。この日の作業は、ブドウの選果作業をしながらだったので、畑に座り込んでのチマチマ作業をしながらのおしゃべりには最適だったのだ。この年になって、彼女とこんな風に話すことになるなんて想像もしなかった。人生、生きていたら面白いことがあるものだ。高校時代には格別仲良くしていたような記憶はないので、思い出もそれぞれ。同じ教室にいても、その時の交友関係や興味によって思い出も異なる。なんだか、高校時代の思い出がとても豊かになったような気がする。収穫作業も来週が大詰め。昼食の時は、手伝ってくれている人に、その日収穫しているブドウから造ったワインを味わっていただくのが常。ボランティアにはソムリエの人や飲食店の人、ワイン愛好者などばかりなので、私にはよくわからない専門的な話も多いのだが、ワイン好きの彼女にはそんな話もとても興味深いことのようで、とても喜んでくれた。来週は収穫や仕込みも大詰め。都合がつく日はまた来たいと言ってくれた。本当にありがたいことだし、とても懐かしく楽しい1日となった。こんな機会を持てたのも、息子たちがワインを造っているおかげと思う。色々なことに感謝である。
2022年10月15日
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毎年、町内会の花壇整備に出てくる人の顔ぶれが変わっている。今年は、以前からの顔見知りがほとんどいなかった。私が町内会に参加して以来の女性たちは、高齢化やあちらの世界への旅立ちで、今では数えるほどしか残っていない。係の人の話によると、その数少ない人も「膝が痛い」「体調が悪い」などで出られないようだ。この作業が平日になったのはいつの頃からだろう。10年くらい前までは日曜日にやっていたような気がするが、出てくる人は高齢者ばかりなので平日になったのだろう。最近増えてきた町内の賃貸マンションには、高齢者一人暮らしも増えているようで、そのような人が参加してくれるようになったのが救いだ。さて、来年はどのような顔ぶれになっているだろうか。ひょっとしたら、私が出られなくなっていたりして。
2022年09月09日
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今回の安倍氏への襲撃事件で、統一教会のことが再注目されたことだけは良かったと思っている。統一教会で家庭を壊された人や、退会後もその後遺症のような精神状況で苦しむ人は、私も知っている。以前からこのブログでも、政治家と統一教会などとの関係については少しは触れた来たが、そのせいか今回の事件でも最初はこの宗教団体名を明らかにしない報道が多かった。しかし私は、多分統一教会だろうと最初から感じていた。だからこれは、政治家たちが異口同音に語る「民主主義云々」ではなく、「政治と宗教の癒着」が根本問題だろうと思う。あまりにも宗教に関係する政治家たちが多いから、それを口にできないだけだ。宗教が悪いとは言わない。しかし、家庭を破壊するような宗教は邪教であることは間違いがない。また、政治家が個人として何を信じても構わないが、宗教団体と強く結びつくのは怖い。とにかく、何かを純粋に信仰する人のほとんどは、少なくとも私よりは純粋で素直で、人を信じやすいと思っている。そのような人の心を、そして人の弱みに付け込むような宗教を、私は嫌悪する。この機会に、政治と宗教団体との関係を明らかにしてほしい。
2022年07月12日
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最近はあまり疲れる夢は見ていなかったのだが、今朝がた久々の悪夢を見た。私は仕事で団体旅行の世話役をしているようだ。(かつての仕事では、各種団体の世話役的な仕事が多く、研修旅行などに同行することが多かった)その中のEさんの家族連れが少し気を遣わなくてはならないわがままな人たちで、旅行のスケジュール変更を希望している。私は何とかそれに応えたいけれど、予定との兼ね合いで苦労しながら一緒に考えている。同席していた職員や添乗員は、いつしか「みらいさんに任せる」のような感じで消えてしまい、私は能力全開で相手の説得と調整にあたっているのだ。そこは宿泊先のやっかいなE家族の部屋で、私はやっとの思いで打ち合わせを終了し、夕食会場に向かった。夕食会場は三部屋に別れていて、一部屋はやっかいな家族がいる部屋、次の部屋は仕事仲間というか、一番心が許せる人がいる部屋、三部屋目は添乗員やバスガイド、運転手の部屋である。私は一部屋目には目もくれず、次の部屋に向かったのだが、そこでは「みらいさんはべの部屋じゃない?」と言われ、次の部屋は運転手やバスガイドでお呼びじゃない感じ。「えーっ、あの家族のいる部屋は勘弁してくれ!」という感じで二部屋目に入り「ここで一緒に食べさせてくれませんか?」というと、「多分、Eさんの部屋に用意されているはずだよ。みらいさんはEさんのお気に入りだから」。本当に絶望的な気分になり、私はホテルの仲居さんに何とか善処を頼もうと考えているあたりで夢から覚めた。仕事をしている時や、ボランティア活動をしていた頃は、悪夢は吉兆だった。つまり、悪夢を見るとその時取り組んでいる仕事はうまくいくのだ。しかし、今は何も気にかかることがないし、一所懸命取り組んでいることもない。つまりは本当の悪夢か!それとも、昨日孫が希望する企業の内定をもらったという知らせを受けてホッとしたので、一日遅れの吉兆悪夢か?そうであってほしいと思う朝である。
2022年06月30日
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26日は畑の手伝いに行ったのだが、午前中はとても熱くて、熱中症予防のためにこまめに水分補給をしていたのだが、昼近くに頭痛がしてきたので早めに休憩小屋に退避。午後は風が出てきたのでしのぎやすくはあったけれど、やはり日差しの強い1日だった。次の日は一転、雨と風の日となった。本州から末の妹が来ているので実家に行ったのだが、その時は強い梅と風で傘をさすのも心配なほど。実家の妹が植えた野菜の苗も風に吹き飛ばされそう。折れずにちゃんと育ってほしいものだが。気温も下がり、前の日の暑さが嘘のよう。そして今日は、曇り空の湿った日で、気温も15~16度前後。それでも雨は降っていないので、雨上がりの庭の雑草を引き抜く。今は芝桜が最盛期なのだが、そこにスギナやイネ科の雑草がニョキニョキ伸びているのだ。でも、除草している時に芝桜の香りが漂い、心地よい。昨年の大雪で支えていた杭が折れて鹿敗していたクレマチスも、今年もきれいに咲いてくれた。さて明日は、どんな天気になることやら。
2022年05月28日
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息子さんが自死して以来、様々なことも重なり、うつ病の辛さと共に生きているTさんが、今年のお正月に〇〇癌が見つかり手術。その後放射線治療を続けていたのだが、そのさなかに本州のお母さんの体調が悪化。そのために治療を中断して本州との行ったり来たりを続けていて、お母さまは何とか持ち直したことで治療再開。それもやっと終了したとのことで、この日は「治療完了祝い」と称して共通の友人の家でランチ。宅配のお寿司と、Iさん手作りのお赤飯やサラダなどなどが並び、半年ぶりくらいにTさん夫婦と話が出来て本当に安堵した。彼女にはうつ病のほかにも気がかりな精神的傾向性があり、以来ほとんど毎日のようにラインでのやりとりで、少しでも彼女の支えになりたいと思ってきた。彼女の精神的傾向性や病は、幼少期からの辛い経験と、現在も抱える家族の問題が背景にある。私としてはおせっかいすぎるような気もするが、やはり「命」に直結する状況であり、行きがかり上ずっと付き合おうと思っている。私一人では荷が重いので、いつもIさんに協力してもらうのだが、なんだか彼女を巻き込んでしまっているようで心苦しいのも本音だ。それでも、このところ立て続けに様々なことがあったのだが、本当に自分の命と母親の命、そして夫の精神的混乱に向き合うことになったためか、以前よりは死への希求の悪循環に落ち込むことが軽減されたような気もする。これからどうなってゆくのかわからないが、お互いに寿命を全うしたいものと願っている。
2022年05月18日
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天気の良い日が続いているので、息子たちの畑の手伝いに行ったり、それがない日は庭仕事で追われている。息子たちの畑までは小一時間かかるのだけれど、日々景色が変化していくのがこの季節の楽しみである。山々の雪や、日陰の雪が少しずつ消え、それと並行して山々の木々が少しずつ芽吹き始める。それに伴い、道路わきの草が伸び始め、ふきのとうが顔をのぞかせ、グングンと太陽に向かって伸び始める。クロッカスが紫や白、黄色に輝いた次は、黄色い水仙が開いてくる。朝には見えなかった色が、夕方には見えてくるというように、本当にこの季節は寒い季節を耐え忍んだ植物たちが、大きく背伸びをしてくる感じだ。連日の肉体労働は疲れもするが、縮こまっていた体が動き始めている実感がある。人間も自然の一部だなと実感する季節だ。一昨日は殺風景な山々にポッと明かりがついたようにコブシの花たちが咲いていた。コブシの花を見ると、小学校2~3年生の時の担任、西木先生を思い出す。思えば、私が初めて大好きだと感じた大人が先生だったのかもしれない。振り返ると、その先生のイメージが信頼できる男性のイメージになったような気がする。いわゆる「初恋」とは違っている。先生に対してドキドキするような気持ちはなかったと思うが、このような人になりたいという、理想の大人のイメージにつながったような気もする。毎年、こぶしを見るととても懐かしい思いに心が満たされ、先生より20年も長生きしたんだなと思う。毎晩、心地よい体の疲れで、布団の中で大きな伸びをしながら「今日も頑張ったよ」と眠りにつく。これも、健康な体があってこそだ。心から自分の身体に感謝する。
2022年04月22日
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昨日、知人から親戚の男性が自死したという話を聞いた。その人は本州に住んでいたため、あまり交流はなかったようなのだが、風の便りで〇〇依存症で離婚し、一人暮らしだったという。本来は真面目な人なのだが、どのようなことがきっかけだったのか、〇〇の依存から脱出できず、自分自身の現在と未来に絶望した結果ではなかったかということだった。「本人はとても苦しかったのだろうから、これで楽になったのかもしれないけれど…」と知人は話す。私もそうだっただろうと思うし、そうなってしまったことは仕方がないので、あとは故人の冥福を祈り、残された人が何とか気持ちを落ち着かせ、さらなる苦しみにつながらないことを祈るのみだ。 「依存症」は病気である。自分一人で何とかできる病気ではない。そこから立ち直るには、医療は勿論のこと、家族や知人の支えがどうしても必要だ。しかし、どのような依存症も最初はあまり深刻に考えない。アルコール、ギャンブル、薬物などは昔から知られているが、最近ではゲームやネットから離れられないことも依存症につながるようだ。 アルコールやギャンブル、薬物依存は、家族生活の破壊や借金地獄につながる。これは、家族が大変な状態になることが多く、当然家庭内暴力や家族離散につながりやすい。本当は、家族が気付いた時にはできるだけ早く家族以外の人や病院、時には保健所や警察などに相談することが大切なのだけれど、日本人は家族の問題は家族の恥と考え、世間体も気にする傾向が強いせいか、どうしても自分たちだけで何とかしようと考えがちだ。しかし、家族メンバーに何か心配事が起きた時には、誰にも知られないうちに家族だけで解決しようとしても、ほとんどはうまくいかない。それは、どんな問題でもそうなのだ。 家族の扉はできるだけ開いておこう。嫌なこともあるだろうし煩わしいことも多いだろう。でも、家族のバランスを保ち、家族で煮詰まってマイナスのスパイラルになることを防ぐには、とても大切なことだと思う。昨日の知人の身内も、このようなことになるまであまり人には相談しなかったようなのだ。離婚して離れて暮らしていたとはいえ、ご両親や兄弟姉妹はその状況は察していたそうだし、心配もしていたようだ。その過程でご本人とどんなやりとりがあったのかわからないが、心配していた分だけ自死という最悪の結果はどれほどのショックであっただろう。自死する人のほとんどは、「こんな自分は死んだ方が家族の負担を軽くする」と思っていたに違いない。しかし、それは心配してくれる家族や知人がいる限り、間違っている。亡くなった状況によって程度の差こそあれ、その結末の状態に大変なショックを受ける。そして、残された人のほとんどが自責感に長い間苦しむことになる。親であれば、どうして自分が生き残っているのかと苦しむし、子どもであれは、自分を残して親が自死することは、見捨てられたような気持ちになるだろう。そして、自分にもその親の血が流れていることに不安を覚えることにもつながる。とにかく、自死は周囲の人に悲しみや不安や罪悪感や後悔という感情をまき散らし、その影響は長い間続き、時には二次的な家族の病を引き起こすことにもなる。 自死した人はそれほどに苦しかったのだろうと責める気持ちにはなれないが、今現在自らの死を考えている人には、何とか今日を、そして明日を生きてほしいと願う。自死する人のほとんどは、「うつ状態かうつ病」だという。これもまた、死に至る病であるのだが、先に書いたようにこのような死は、残された人がどうしても納得できにくい死なのだ。 もう一度叫びたい。どうぞ、家族の問題を家族だけで解決しようと考えないでください。家族の扉は決して閉じないでください。死を考えている人は、何とかその苦しい今日をしのいで生きてください。
2022年03月26日
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今、自分のアクセスリポートを見たら、下記の記事が出ていた。「キレル人」2003年11月08日その時は全く別のことを思い出して書いていたのだが、今は「キレル人」で連想するのはプーチンだ。今、ウクライナのみならず世界を震撼させている彼には、もうまともな言葉が通じなくなっているのだろうか。あるいは、本当に本人の立場になり、彼に通じる言葉を届けられる人がいないのだろうか。
2022年03月02日
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様々な物議を醸しながら、北京オリンピックでの競技が続いている。冬季オリンピックは道産子選手が多いこともあり、私もそれなりに関心を持ちながら毎日一喜一憂している。オリンピックは、競技者にとっては四年に一度の特別な思いで臨む特別な大会のようだ。その日に向かって、選手たちは毎日毎日大変な努力を積み重ねてきているはずだ。誰しも、その努力が報われる瞬間を信じて、多くの人達とのチームワークの中で歯を食いしばって頑張ってきたのだろう。しかし、「努力は必ず報われる」というものでもないことを、私たちは見なくてはならないし、選手たちにとっては非情とも思える現実と向き合わなくてはならない。私は多分、そんなことも起こりうる状況の中で、自分を信じて自分を乗り越えようとする姿に心を打たれるような気がする。選手たちがよく「みなさんに勇気や元気を与えられるようなパフォーマンスを」とか、「スポーツの力を信じて」というけれど、それよりも私は、想定外のことに打ちひしがれながらも、必死に前を向き立ち上がろうとする姿にこそ、人間の底力を感じてしまう。それは、スポーツ選手のことだけではだけではないので、私にも共感しやすいのだろう。 人は目標や夢を持ち努力することに美しさを感じるのかもしれない。しかし、目標や夢は人それぞれ違うし、誰もがわかりやすい夢を持たなくてはならないわけでもない。それでも、オリンピックの選手になれるような人たちは、とてもわかりやすい形で人の努力やチームワークの素晴らしさや、努力は報われる時もあるし、続けてきた努力や研鑽はその人にとっては決して無駄にならないということを私達に伝えてくれる。だからこそ、そこを大切にしてほしいと思う。今のような、オリンピック精神とは相反するような利権や政治的な思惑に巻き込まれ、時にはスポーツには不可欠の公正なルールにすら疑問を抱くようなことだけは、絶対に避けてほしい。 札幌は、「2030年の冬の札幌大会の招致」を考えているようだが、正直なところ私は反対である。この北海道の地で、オリンピック利権争いを見たくはないし、それに選手たちが利用されたりしたら本当にたまらない。札幌市は招致の可否についてのアンケート調査をするようだが、私も参加して反対の一票を投じたいと思っている。
2022年02月09日
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札幌大雪、JR大規模運休続く 除雪で夜の一部再開目指すが見通せず2/8(火) 11:00 札幌での記録的な大雪によるJR北海道の大規模な運休が8日も続いている。JR北は除雪作業の遅れにより、8日の始発以降も札幌駅発着の列車を運休。除雪作業を続けている。札幌と新千歳空港(千歳市)を結ぶ「快速エアポート」も運休したままだ。JR北は札幌発着の多くの列車は終日運休し、基幹路線の函館線・千歳線の小樽―札幌―新千歳空港間については夜にも運転再開させたい考えだが、「除雪作業の状況により、運転再開の時間が遅れる可能性がある」としており、まだ復旧の見通しは立っていない。 8日午前5時時点の運休は631本(特急108本、エアポート84本、快速・普通439本)にのぼっている。 通勤時間の午前8時過ぎ、札幌駅の改札口はひっそりと静まり返り、時折、始発からの全面運休を知らせるアナウンスが、構内に響いていた。スキー板を担いだ外国人観光客2人が、駅員に声をかけ、地下鉄への案内をされていた。 新千歳空港へ向かう高速バス(北海道中央バス、北都交通)は札幌市中心部からの都心線について、道路除雪による渋滞のため、前日に続き出発地を市営地下鉄福住駅(札幌市豊平区)のバスターミナルに変更している。 福住駅では、7日は一時数百人がバスを待つ行列ができたが、8日のバス待ちの列は数十人程度で、次々に空港へ向かっていた。 福岡県から観光で来た女性(26)は、6日に新千歳空港に着いた時もすでにJRが運休しており、空港からは他の客とタクシーに乗り合う形で札幌に来たという。「旭川に観光に行きたかったが雪で行けなかった。今日午後に帰りますが、早く飛行機に乗れそうです」と話した。 JR北によると、8日午前5時時点で終日運休が決まっているのは、札幌発着のすべての特急列車▽函館線の札幌―岩見沢間▽千歳線の南千歳―苫小牧間▽学園都市線の札幌―北海道医療大学間▽石勝線の南千歳―新夕張間。 室蘭線の岩見沢―追分間は始発から19時ごろまで運休する。 函館線の小樽―札幌間、千歳線の札幌―新千歳空港間は始発から夜までの運休とし、夜の運転再開を目指している。 札幌市教育委員会の8日午前9時半現在のまとめによると、同市立学校の雪による臨時休校は小学校、中学校、小中学校、高校、特別支援学校各1校の計5校。始業繰り下げが中等教育学校1校となっている。 北海道教育委員会の午前8時半現在のまとめでは、札幌市や岩見沢市内の公立高校26校が臨時休校となっている。 北海道では札幌など石狩地方で6日に大雪となり、同日午後2時までの24時間降雪量が過去最多の60センチ、同午後1時の最大積雪深が133センチと8年ぶりに1メートルを超えた。大量の雪が線路や道路上に残され、その後も除雪が追いつかずに列車の運休や渋滞が多発している。(榧場勇太、芳垣文子、川村さくら)この大雪で、JRは今日も含めて三日間も運休しているようだ。今までに、JRが二日以上運休なんて記憶にない。当然、公道の除排雪も進まず、市民生活は大混乱のようである。我が家の周りも、もうどこに雪を捨てればよいのか↑我が家の玄関から市道までの光景。右側の車庫は、雪に押しつぶされないか心配だけと、どうしようもない。とにかく、もう降らないでくれと祈るばかりだ。
2022年02月08日
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昨日の明け方、懐かしい恩師の夢を見た。先生はまだ若くて、多分私が小学校二年生の時に担任になってくださった時の面影。対する私は、多分現在の私。昨日書いておけばよかったのに、一日経つと夢の詳細を忘れてしまったが、当たり前のような普通の会話をしていたような気がする。夢はとても不思議だ。どうしてそんな夢をみたのだろうと昨日は時々考えていたのだが、(内容を思い起こすというより、先生との思い出を思いおこしてた)多分「マチネの終わりに」の影響だろう。過去は未来を作り、現在は過去に支えられ、未来は過去を変えてゆく。そんなことを、先生との出会いと影響と絡めて考えていた。私がこのブログで自分の思いを記しているのも、あの時の先生との出会いがスタートだったと思う。出会いは偶然だが、その偶然を自分にとっての必然に変えることが出来るのは自分自身だ。「意志」もあるけれど、「気質」や「その後の出会いや行動の選択」が必然へと導く。N先生、本当にありがとうございました。また時々夢で逢いに来てくださいね。N先生のことについて書いているエッセイはこれ。
2022年01月23日
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親しくしているIさんの誕生日なので、「畑のレストランひら里」でランチ。由仁町の畑の真ん中、というか、今は雪原の真ん中にある小さなレストラン。ここに来るのは二回目なのだが、昨年の夏に来た時もあまり混んではおらず、とてもゆっくりできて心地よく、お料理もおいしかったので彼女を誘った。私は自動車の運転免許を持たないので、彼女はいつも私のアッシーさんである。このところ悪天候も多く、かつ凍(シバ)れる日が続いていたので、万一吹雪く日になったら絶対に行けないお店。幸いこの日は天気が良く、11時半の開店から3時頃までゆっくりと色々な話をすることが出来た。「畑のレストラン」というだけあって、お野菜をふんだんに使った料理で、かつ彩りがとても美しい。彼女もとても気に入ってくれて、「次はTさんの全快祝いをこのお店でしようね」と勝手に二人で決めた。Tさんは、昨年末に検診で乳がんが発見され、年明けに手術で入院中。手術後は放射線治療やリハビリが続くようなので、全快祝いは夏景色になるのだろうか。その日が一日も早く来ることを心から願っている。
2022年01月18日
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何年かぶりに、30代からの友人と共通の友人の三人で会う。彼女からのラインのお誘いメールのようなものがお正月に届き、それに返事をしたのが再会のきっかけ。彼女がスマホに替えて、操作の過程でそのようなことになったらしく、瓢箪から駒のような感じでつながったということは、会ってからわかった。彼女とのことを以前に書いているはずだと思ったが、みつからない。詳しく書く時間がないのではしょるが、彼女とは以前勤めていた仕事を辞めて在宅していた頃、産休の補助として短期で元の職場で働くことになった時出会った。私はその仕事を挫折してやめたので、本当は短期間でもその職場には行きたくなかった。挫折した時のことの記事はこれ。「心身障害児の療育指導員をやめる」その時、おそるおそるビクビクと、それでも無理に笑顔を作りながらかつて関わっていたお母さん達や子ども達と時間を過ごした後、彼女が言ってくれた言葉を忘れることが出来ない。「みらい先生は、いい指導をしていたんだなって思いました。先生を迎えるお母さんたちや子ども達の笑顔が本当にいいな…って」私は想像していなかったその言葉に、とても驚きながら本当に嬉しくありがたかった。その言葉が本当かどうかはわからないけれど、そう言ってくれた彼女の言葉は私の心に光を与えてくれたのだ。それがきっかけで彼女とはその後も仕事がらみで付き合うようになったのだが、個人的に親しい友人というほどでもない。それなのに、今回彼女は会うなり、「ありがとう…、会いたかった―」と涙ぐむ。彼女も会わない間にお母さまの介護問題など色々あって、誰かとそんな思いを話したいと思っていたようだ。出会った頃はお互いに30代だったが、あれから40年近い年月が経っている。もう一人の彼女とも、もう30年近い付き合いだ。人生は生きてみなければわからないし、年を取ってからの価値観が近い友人は本当にありがたいとつくづく思う一日だった。
2022年01月11日
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私の周辺では、とにかくつつがなく年を越すことができました。でも、世界各地では、今現在も大変な思いをしている人たちが多いと思うと、穏やかに平和に暮らしていることが申し訳なくなりそうです。それでも、今は他の人達のことを思うことが出来ることに感謝して、今年もマイペースで暮らしてゆきたいと思います。とにかく、一日も早くコロナ禍が収まって、うっとうしいマスクなしで過ごせることになるように祈るばかりです。北海道は真冬日が続いているので、今はマスクが防寒にもなるのでいいのですが、春になったらダウンもマスクもなく軽やかに過ごしたいものですね。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2022年01月01日
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2021年も今日で終わります。私の印象は、やはりコロナで終始した一年だったという感じです。ネットで「10大ニュース」を検索したら色々出てきたが、とりあえず下記を載せておく。【2021年日本の10大ニュース】 集計結果一覧1大谷翔平、メジャーMVPに22,722票(81.9%)2東京五輪、日本は史上最多58メダル19,218票(69.3%)3新型コロナワクチン接種開始18,966票(68.4%)4眞子さま、小室圭さん結婚18,340票(66.1%)5静岡・熱海で土石流、死者・行方不明者27人15,605票(56.3%)6新型コロナ、変異株が猛威15,140票(54.6%)7自民党総裁に岸田氏、首相に就任14,259票(51.4%)8将棋・藤井聡太さんが新竜王、最年少四冠に13,872票(50.0%)9ゴルフの松山英樹がマスターズ優勝12,017票(43.3%)10東京五輪「原則無観客」決定。直前まで混乱続く 8,009票(28.9%)【2021年海外の10大ニュース】 集計結果一覧1ジョー・バイデン氏が米大統領に就任16,050票(84.1%)2新変異株「オミクロン株」、世界で感染拡大14,797票(77.5%)3新型コロナの世界感染者が2億人超に14,456票(75.7%)4ミャンマーで国軍がクーデター12,298票(64.4%)5アフガニスタンでタリバンが首都制圧11,766票(61.6%)6日本のコンテナ船、スエズ運河で座礁7,761票(40.7%)7北朝鮮、相次ぎミサイル発射6,378票(33.4%)8トランプ米大統領支持者が議事堂占拠6,189票(32.4%)9中国の不動産大手「中国恒大」が経営危機6,126票(32.1%)10新型コロナ治療の飲み薬、米製薬大手メルクが使用申請 5,551票(29.1%)私の印象に残っているのは、国内では「コロナ」「オリンピック」「大谷翔平」「藤井聡太」「眞子さんの結婚」かな。海外では、トランプ氏が大統領でなくなったことにホッとしたが、アフガニスタンのタリバン制圧にはガックリ。我が家のことでいえば、全般的に穏やかに過ぎている。孫の住んでいる鶴岡中心に、東北をJR鈍行で巡ったことが一番の思い出。細かく言えば色々あるとも言えるが、大病も事故もなく、家族が元気にそれぞれ頑張ってきたことが本当にありがたい。昨日は息子の家で餅つき大会。以前は家族だけの餅つき行事だったが、今では家庭行事としての杵と臼での餅つきは珍しく、息子たちの友人知人が年々参加するようになり、昨日はとうとう大人も子どもも含めて20人の一大イベントになってしまった。着いたお餅を、大根おろし、納豆、餡、きなこのからみ餅と、お雑煮でそれぞれ好みで食べるのだが、みんな大喜びだった。私達は久しぶりの参加で、(前夜遅く山形から帰省した孫を送りがてらの参加)私の実家の杵と臼が、今でも現役で働き続けていることに感慨深い。息子のお嫁さんも、すっかり慣れたように色々な準備や采配をし、息子も会場(大きな納屋が会場で、屋内では密になるのでその場で食べる)の設定などの準備も手際よい。「あの杵と臼はいつから使っているのですか?」と聞かれても、私の物心ついた時にはあったし、考えてみればひょっとすると100年以上使っているのかもしれない。そう思うと、あちらの世界のご先祖様や、多分大木を切り倒して臼と杵を作ったであろうひいおじいさんも喜んでいることだろう。少なくても、今年までは家族行事の伝統をつなぐことが出来たことに、ホッとする気持ちがした。今日は息子一家が我が家に来て夫の手打ちそばやお寿司などで年越しイベントだ。つつがなく今年を終えられることに心から感謝するばかり。このブログも、何とか来年につながるようだ。読んで下さったみなさま、本当にありがとうございました。来年は良い年になりますように。
2021年12月31日
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4年ぶりくらいに知人と会った。息子さんが高校生の時に学校に行けなくなり、その後色々あったけれど高認を取り専門学校に進学し、無事に卒業出来て就職もしたという、とても嬉しそうなメールを貰ってから半年。その彼女から「久しぶりに会いたいんだけど」と連絡が来たので、共通の友人と共に会った。直接会うのは、多分4年くらい前以来だと思う。就職した息子さんはどうしてるかな、嬉しい報告ならいいけど、一番嬉しい報告はメールだったことを思うと、少し不安もあった。不登校になるタイプの子は、生真面目で人に気を遣う優しいタイプの子が多い。私は一度しか息子さんに会ったことはないが、多分そのようなタイプだと思うので、かすかな不安は抱いていた。それに、この日は9月1日。T君のご命日だ。最悪のことすら脳裏をよぎるが、そんなはずはないと振り払いながらの再会だった。予想は30%ほど当たっていて、70%は外れの感じ。親から見たら大ピンチかもしれないが、客観的に見たら自分の道を求めての勇気ある飛躍だ。彼は、自分をいつの時も守り続けてくれた母鳥の懐から自分の羽で飛び立ったのだ。ひな鳥は必ず、親から飛び立たなくてはいけない。人間の子どもが飛び立つ時には、親に逆らったり縁を切ったりしなくてはならない時もある。強烈な行動をしなくては、踏ん切りをつけることができないからだ。そうやって、親の願う路線ではなく、自分の心が求める生き方に路線変更するのだ。「親」という字は、木の上に立って見ているという意味があるという。飛び立った子どもの飛び方は、まだまだ不安定だし見ているのも怖いものだ。それでも親は、わが子の力を信じて見守り、安全と成長を祈るしかない。いつかまた、疲れて舞い戻って親の傍で羽を休めるときがあるだろう。その時には「よく頑張ったね」と思いっきり褒めて、その成長を喜んであげよう。傷ついた体験を持つ人間が勇気を振り絞って飛び立つには、多くのエネルギーと背中を押してくれるきっかけが必要だ。意図してはいなかっただろうが、そのきっかけを作ったであろう彼女に拍手だ。親の仕事はいつまでも続いていく。思えば、100歳で亡くなった祖母も、最後まで80歳に近い父を心配していた。親としての責任は果たし終え、余計なお世話は厳禁の時になっても、最後まで親の仕事はある。「信じて見守る」という仕事が、私にもまだ残っている。
2021年09月02日
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数日前までの耐えられないような猛暑から、昨日から一気に肌寒くなってしまった。たとえば旭川では↓旭川の連続真夏日 27日間で終了08/10 05:00 北海道新聞 上川管内は9日、連日の暑さから一転、気温が下がり、23の観測地点全てで最高気温が30度を下回った。旭川市も26・0度で、観測史上最長の記録更新が続いていた真夏日(最高気温30度以上)の連続記録は27日間で終了した。 北海道の北にあるオホーツク海高気圧が張り出し、道内に冷たい空気を運んだため。旭川地方気象台によると、旭川市の最高気温26・0度は平年より1・2度低く、8月下旬並み。幌加内町朱鞠内では平年より6・6度低い9月下旬並みの18・3度となるなど、6地点で20度を下回った。 旭川市の連続真夏日は7月13日からで、8月7日には観測史上最高の37・9度を記録するなど、最高気温が35度以上の猛暑日が計10日もあった。 同気象台によると、10日は旭川市などで雨が降り、最高気温も平年より3度ほど低くなると予想。その後は平年並みの気温に戻る見通し。(山口真理絵)当市でも、例年なら昼間は暑くても夜間から明け方にかけてはグンと気温が下がるのだが、今年は最低気温が25℃前後の日が続いていた。私が記憶している限り、6月末から30℃を超え、その後もこれほど暑い日が続いた年はなかったような気がする。我が家も耐えられずエアコンをつけたので命拾いしたようなものだ。このエアコンも、大型店ではお盆過ぎまで設置できないという話で、我が家では近所の電気店にお願いして付けてもらえた。やはり、メンテナンスも含めてかかりつけ電気店は必要だと感じる。なのに、このあたりの個人電気店も随分減ってしまった。なんとか踏ん張ってほしいと、大型の電化製品はこのお店で買うようにしているのだが、少なくても私達が生きている間はお店を閉めないでください。
2021年08月10日
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最近は、出かけることも多くてブログもご無沙汰傾向。それに、ニュースでは腹が立ったり苛立つことが多くて、ニュースネタで書くのは精神衛生上あまりよくない。その中で、嬉しい気持ちになるのは大谷君の大活躍。大谷翔平 両リーグトップ独走14号ソロ!3年ぶり3度目の3戦連発 外角直球を134メートル中越え弾このような人は、あと100年は出てこないんじゃないかな。どうぞ怪我をしないで、のびのびと野球を楽しんでほしいと願っている。きっと本人は、小学生のころからの「野球少年」のままに楽しんでいるような気がする。ケガと言えば、大相撲の照ノ富士の取り組みも楽しみにしている。ちなみに昨日は「パチン」鋭い当たりと左差しに館内ざわめき 無傷で二桁勝利の照ノ富士に「内容が横綱」の声5/19(水) 7:08こちらも、怪我をしないでほしいと毎日心配しながら応援している。北海道は緊急事態になったけれど、私の生活にあまり変わりはない。日々の用事と言えば、身内関係との付き合いや、庭の雑草取りや息子の畑の手伝いなど。今は、芝桜とチューリップ、水仙などが満開。そうそう、黄色いかたくりやボケの花も咲いているし、名前を知らない紫色の芝桜みたいに広がる花も。畑の方はタンポポ畑だ。先日植えた花壇の花もプランターの花も元気。ニュースを見ないで花を見ている方が精神衛生によろしいこの頃である。
2021年05月19日
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