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2/17に仮面ライダーを久しぶりに観ました。前に観たのはいつでしょう。仮面ライダーブラックを2,3話観たくらいですから、観たといえるのはスーパーワンまで遡らないといけないかもしれません。えらい昔のことです。 ちなみに、今回の内容についてはまんま観た印象と上記のような昔の記憶からなので思い違いは多数含まれていると思われます。万が一制作関係者が目にしてもご容赦ください。 見た感じのあらすじは・・・ 主人公の父親『クレナイ オトヤ』(漢字表記場面無かったと思います)はあふれる音楽(ヴァイオリン)の才能を持ちながら、その気まぐれな性質で多くの人を不幸に追いこんでいた。 父親の過去を知った主人公は少しでも罪滅ぼしをしようと、身を粉にして尽くす・・・。 そんな主人公の姿を主人公の関係者(少女)は被害者に訴え、「父親の罪」を背負う主人公を許してやってほしいと被害者(ここではおじさん二人)に訴えかける。 「親の罪と主人公は別である。」気持ちを動かされた被害者2人は発起人(被害者の会?)と思しき女性に主人公を許そうと持ちかける。すると・・・・ 空中から注射器のようなものが被害者の男性を襲う。男性は注射器に実態を吸われるかのように透明になってしまう。同時に女性は怪物の姿に変貌した・・・。 怪物の波動(気配?)を察知した主人公はバイクにまたがり(今回ここだけ”ライダー”)海岸に向かう。 到着するともう一人の被害者の男性も既に透明になってしまっていた。 主人公はキバット(蝙蝠型の)に咬まれることにより”ライダー”に変身。ほぼ一方的に怪物を攻撃し倒してしまう・・・。 変身が解けた怪物は主人公の知る女性だった。動揺する主人公。主人公の変身はここで解けてしまう。 怒りの眼差しを向けた女性は再び変身し、生身の主人公を襲う。主人公はピンチに陥るが、ここでキバットが再び咬み、変身した主人公は何とか持ちこたえる。 主人公はベルトのバックルに装着されたキバットに青い注射のようなものをさす。するとライダーの左手に狼男の力と刀が備わった。 中高く飛び上がったライダーは強烈な斬激で怪物を両断する・・・。 元の姿に戻った女性はこうつぶやく。「クレナイ オトヤはひとつだけ良いことをした。彼は花のために音楽を奏でた。」 バイオリンを奏でるオトヤの姿に惹かれる女性・・・。一度は声をかけられるもすぐさま別の女性に「運命の人よ」と移っていってしまうオトヤ。 「私は彼の花には成れなかった・・・。」その一言が最期となった・・・。 大体こんな感じですかね。文章力が無いのはご容赦ください。 突込みどころは満載なんですが、1話の時間と仮面ライダーという戦闘シーンを組み込んだりしなければならない縛りを考えると駆け足ではあるものの、がんばっているなぁという印象です。戦闘・変身表現なんかは自分の記憶とはかけ離れて進化してました。 ”ライダー”といえばバッタという印象があったんですが、ドラキュラですかね。大きく過去の”ライダー”と異なるのは以下の点。1.主人公の絶対性、鉄の意志の欠如2.敵の存在理由のあいまい性3.精神世界(もしくはパラレルワールド)との境界のあいまい化1、について言えば正義の味方はその「意思が」正しいもの、強いものという絶対的な条件があいまいになっています。主人公自身は対人恐怖症のような表現がされています。被害者男性には土下座しまくり。にもかかわらず怪物化した相手には容赦ない攻撃で倒している・・・・。 「人間だから1面的な存在ではないんだよ」ということが表現したいのかもしれませんが、私は単純に場面によって態度が変わっている「2面性」のほうが気になりました。2.では私のしる過去の”ライダー”では『悪』とされる存在と、その存在意義が確立されていました。世界制服なんかが代表的な理由です。 同時に、その行動自体が『悪』であることから、同調者は『洗脳』等の過程がありました。つまり、組織の頭をつぶせば話が完結する部分が明確になっていたのです。それだけに過去のシリーズでは追加の組織(これ自体今思えばなんだかなぁって感じですが)が発生したりもしました。 ところが、今回の話に限って言えば変身が勝手に意識が先頭から離れた瞬間に解けたりしている点を見ると「怪物」「ライダー」「人間」というものが「特別な違いではない」ということが印象的でした。組織の後ろ盾って言うものも余り見えてきませんし、この女性が何故怪物化するのかが???? 結果として「何をすれば『悪』が滅びるの?」というところが曖昧になってしまいます。ドラマ部分で考えれば『クレナイ オトヤ』は一般通念では悪い存在ですし、彼が「存在すること」で被害にあう人は増え続けます。では、この『クレナイ オトヤ』を憎む女性に『理』があるかというと、最期の台詞から言えば女性のジェラシーでしかありません。”ライダー”を倒すために利用されたのであれば、怪人化して『戦闘』に持ち込む必要性は???? 第一『クレナイ オトヤ』(観た限りでは怪人でも悪の幹部でもない)を倒すということが番組の最終目的になってしまったらではライダーの存在意義が・・・。 そのうちドラマが収束していきこのあたりの曖昧さは解消されるんだろうとは思いますが、子供向けかというと変に凝ったつくりが「結局何が言いたいの?」という疑問にしかつながっていない気がします。被害者の男性も救われたのかどうか・・・。3.については狼男の降臨シーン。擬人化(?)した狼男がパラレルワールドと思しき部屋から「シャバの空気をすってくるか」とつぶやいて降臨するのですが、1話から観ていないせいかどんな世界観が全くわかりません。武器・アイテムに個性を持たせるというと古い人間の私はウルトラセブンのカプセル怪獣なんかを思い出してしまいますが、印象としては「女神転生」の『仲魔』って感じでしょうか。やはり台詞の有無は『個』を立たせる上で重要でわかりやすい要素ですが、いきなり出てきてボソッと喋って変身シーンでは世界の切り替わりが突然で一見さんにはわかりにくい。 追記しますと、この2段変身も少し様子が変わってきたようです。仮面ライダーブラックのときにもロボライダー、バイオライダーという2段変身がありましたが、ジャンケンの理屈で「相性」があった記憶があります。万能ではない。場合によってはノーマルのほうが強いわけです。 ところが、この2段変身は『強さの加算』の印象が強い。バンダイらしい(玩具の売上げ拡大が目的)といえばそれまでですが、ちょっと考えました。ノーマル(普通)が弱い存在となるのは「特徴を持ったものが強い」という世相の反映なのかもしれません。勝ち組負け組み思想は安易な発想といわれている一方で『格差社会』として認められてもいます。持つものと持たざるもの。考えすぎだとは思いますが、意識せずにそういう発想にいたっていることは否定できないのではないでしょうか。 子供が観て育つものだからこそ「正しいこと」を伝える内容であってほしいと親の身では思いますが、作り手が「よりリアルに」「より見ごたえのあるものに」と頑張れば頑張るほど「わかりやすさ」が失われていくのは皮肉なものです。現実世界が見通しにくい世界になっているのがこんなところにも現れています・・・。【バンダイ】装着変身 仮面ライダーキバ キバフォーム 《予約商品》コンプリートセレクション 仮面ライダー新1号変身ベルト
Feb 18, 2008
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子供の玩具ってどんどんバカに出来ないものになって行きますねぇ今朝、仮面ライダー(これはこれで本当に子供向けなのか疑問に思うところがありましたが・・・)を見ているとCMでドラえもんのステンシルセットが入りました。 よくよく見れば『エアブラシ』ですよ。細ぶきが出来そうもないですが、画材のレベルで考えれば、コピックのブラシ(下参照)と同程度の機能はありそうです。 コピックの時はコピック自体の価格も気になってなかなかそろえることが出来ませんでしたが・・・。これでTシャツなどへの定着剤もしくはインク、曲面対応(簡易シールとか)のテンプレートなどが出ると、幼稚園の子供がいる家庭などでは子供の好きなキャラクターを入れてあげたりすることが手軽に出来そうですね。 あかちゃん本舗辺りが共同して出しませんかねぇ。スターティングセットABS-2エア缶直結セットコピック製品[スプレーアート]おてがるセット(仮)スプレーアートPRO(7月5日発売予定・ご予約品)
Feb 17, 2008
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「ゆとり教育」の先に…自信も失った若者たち ( 産経新聞より ) 「未来像…学力低下はさらに進む!!」。昨年12月下旬、福島県相馬市から県立相馬高校の2年生14人が、元文部大臣の有馬朗人氏(77)を東京に訪ねてやってきた。 生徒たちは研究発表の資料を携えていた。「学力低下の要因の1つは『ゆとり教育』」「授業で習うことが社会で役に立たないから、学習意欲・関心が低下している」「教員の質も問題だ」…。資料には有馬氏を詰問するかのような学力低下の“分析結果”が並んでいた。 物理学者で東大総長も務めた有馬氏は、平成8年に「ゆとり」「生きる力」を打ち出した中央教育審議会の当時の会長だ。 生徒たちは、理数教育を推進する「スーパーサイエンスハイスクール」活動の一環として教育の科学的考察に取り組んだ。きっかけは、昨年12月上旬に発表された「生徒の国際学習到達度調査(PISA)」の結果で、「日本の順位がまた落ちた」という報道だ。 「学力は下がっていない」。きっぱりと反論する有馬氏に、生徒は目を丸くした。熱弁は2時間近くに及んだ。 有馬氏は内心ではこう嘆いたという。「自分たちが悪い教育を受けてきたと思っている。過度の『学力低下』批判が、子供たちの自信を失わせた。学力の問題より、こちらの方が大変なことではないのか」 (中略) 中教審委員として前回と今回双方の指導要領改定に携わり、私立有名進学校を経営する「渋谷教育学園」の田村哲夫理事長(71)は、ゆとり教育の目指したものについて「教育の目的は不測の事態への適応力をつけるための訓練。高めるには知識などの学力が3割、意欲や思考力などが7割-が心理学の定説だ。前回の改定は、学力訓練に注力しすぎた教育をただすためだった」と位置づける。 「『ゆとり』には、地域社会と大人が土日は時間のゆとりを持って子供たちと過ごし、子供を鍛えてほしいという意味も込めていた」と有馬氏は言う。 「答申後、文部省(当時)の役人とともに全国を回ればよかった。ゆとりの意味はこうだ、とていねいに説明すべきだった。後悔している」(以下略) 単純にいって知識を得る手段が拡大して、共通一次などがあった時代に比べて『知識の詰め込み』で仕事に必要な知識や、また、実体験を伴った知識を得ることが難しくなっているのが現在です。 ネット上の書き込みなどで『ゆとり』が侮蔑の言葉であるのは確かですが、勘違いしてはいけないのは『「ゆとり教育世代」は確かに実在しているが、侮蔑されている事象自体は知識や理解の不足に対する個人に対して行われているもの』だということ。 情報が氾濫する現在ですから、「情報を取得・分別する能力」「加工する能力」が発達するのは自然な状態で、逆にその基礎となる「創出する能力」「基礎能力」の部分はある程度無視されてしまいます。 仕組みが分からないと出来なかったことが、自分の身の回りの事象でそれこそボタンひとつで出来るようになったわけですから・・・。PCのセッティングひとつとっても一昔前と比べると段違いでしょう。 新しい技術への適応能力などを考えれば、単純な『能力不足』では無いことは分かると思うのですが・・・。 世代間の差によって生じる『常識』が違うことによって、判断基準が変わってくることは自明です。ただ、その中で『最低限ここは抑えておかないといけない』という常識を教育や日常(大人や周りの人間がお手本となるって事)にどれだけ取り込めるかが教育の難しいところであり、なさなければならないことなんだと思います。 『強み』『弱み』がそれぞれの教育である中、記事のようにその意味合いが悪い方向にしか捉えられない原因(日○組とかマスコミの報道とか・・・)はハッキリしている気がするんですけどねでんじろう先生のかがく ~それゆけ!科学実験隊~ 1 空気砲と音編高校のときの担任は学年などを問わないオープンな課外授業で経済予測をやっていました。これが年数回。いつも満員。成績はテストの点で決まってしまいますが、能力はそれだけでは決まりません。経験や知識をその先にどう生かせるかなんだと思います
Feb 17, 2008
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両腕切断の少年「おやじにやられた」 足立の3人死亡 (産経新聞より) 東京都足立区梅田の民家で11日夕、男女4人が血まみれで倒れているのが見つかった事件で、両手首切断と後頭部陥没などの重傷を負った15歳くらいの少年が病院に搬送中、「おやじにやられた」などと話していることが分かった。父親は頭などに傷を負っており病院に運ばれたが死亡した。警視庁捜査1課と西新井署は無理心中を図った可能性もあるとみて、殺人事件として調べている。 事件自体の猟奇性(マスコミが『そう表現したい』という意味で)も痛い事件ですが、個人的にはその後ネット上で切断表現のコミックやアニメ、特撮等の画像が多数見られたことがショックでした・・・ 予め断っておきますが、残酷表現自体私は否定しません。戦争などで痛ましい状況があるのは事実ですし、そうしたものに目をそむけたままというのも問題です。さらに、娯楽というのはキツイ部分もありますが、分かりやすさを出す為に必要な場合もあることは承知しています。 率直な感想として リアル = ありのままの表現が横行してしまい、且つ、表現媒体が媒体自体のターゲットを考えなくなってきた為に、表現者の自由や『なんとなくそう匂わせる表現』が出来にくい環境では無いかと感じます。 私が人体切断表現をコミックで最初に見たのは『聖闘士星矢』の初期の頃でフェニックス VS ウルフ の回でした。クビちょんぱ(あえて軽い表現にします)でした。 酷い表現で言えば北斗の拳などは人の体は簡単に爆ぜるし、壊れるし・・・。 つまり、こうした表現は今に始まったものではないし、受け取り手側が『うわっ、ひでぇ。こんなことしちゃいけないな』と、反面教師にする社会環境があれば「受け取り手側のモラル」に委ねることが表現の自由を生きたものにすると思うのです。かつては雑誌も「ヤング」とついているようなのは小学生が読むようなものはなかったですしね。PTAとかで「読ませないように取り締まるべき」というのは、ルールを守っている良識のある(こういうところは基本的にこうした表現が少ない)所だけが保守的になるだけですよ。 ところが、送り手側が殆ど愉快犯といえるようなのが増殖し、且つ、その雑誌など媒体のターゲットが幅広くなってしまった場合はどうでしょう。 週刊少年ジャンプなどはターゲットが広がって自分の売りも分からなくなっている節があります。そして、残酷表現も結構低レベルです。 愉快犯の代表格はH×Hの作者(どうもこの人は自分がウツになるとやらかす)。 好きか嫌いかで言えば、この人の作品は賛否両論あっても「読ませる」作品を書く人だと思っています。元々少年誌でありながら18禁色の強い人ですが、少年誌の色とずらすためにワザとインパクトを与える残酷シーンを大目に盛り込んできたりしますね。 この作者の場合「雑誌への嫌がらせ」が含まれているなんて噂までありますから、一概に言えないのですが、明らかに少年誌の枠で描かせる人ではありません。18禁色も最近書かないだけで、兄弟誌で大暮氏などを描かせているのにそちらに飛ばさないのも、『看板作家』不足の為でしょう。となればターゲット外のものが目を通す可能性が高いところに販売の為に出していることになり、雑誌社の倫理観が問われてくるわけです。 『表現』に対して『規制』の声を高らかにすることは簡単です。実態を踏まえた人間が反対するわけではないですから、表面上の処置で終わってしまうと思いますけどね。 『自主規制』もできなくなった表現者が多いのには閉口しますが、社会通念・表現者の力量・受け手側のモラルのバランスをどうとるかということです。 適切なターゲットに対して「そのまんま」か「匂わせる表現」か「表現の回避」かを選ぶことも出来ない以上は批判されるのも当然だと思いますし、影響力という係数(有名であればどうなるか)を考慮する必要があるのは言うまでもないこと。選択する自由があるんだから表現の自由はもっと『考慮』の上に立ったものに成長することが出来ると考えるのは私だけでしょうか とりあえず、むやみな『規制主義』には反対です。てんで性悪キューピッド 〔B6版〕全3巻 冨樫義博/作ジャンプ登場作品ですかね。子供にはまだ読ませたくない(18禁より)。納得のラストなんですけどね・・・・。【新刊】 レベルE (1-3巻 全巻)上のとは別の意味で子供には読ませたくない(笑)。 でも、読んで得るものは読み手しだいであるはずです。
Feb 12, 2008
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私が風邪を引き続けていると家族が先に寝込みだす♪ これ以上悪化させない為に飲み物を移行中。 緑茶の成分は風邪に良いとか、風邪の時に水分補給は牛乳(普段飲むコーヒーは牛乳7で割ったカフェオレっス)はダメだとか・・・。 こんなに長引いているのも、飲み物まで変えるのも大学1年の時以来です。 忘年会で十六茶が一ケース当たってしまい、家族は別の飲み物を既に買い込んでいたので1人で飲みましたが・・・。なれって怖いですねぇ。好きでもなかったのに飲めるようになってくるんですから。しかもこの当時風邪が治ったりしてますから不思議。 今回はどうでしょうね。ちなみに最近歳をとったせいかお茶の甘みとかがわかるようになってきて数多くでているお茶を飲み比べたりしてます。4歳児は私より違いが分かるようですが・・・。 2月11日から全国のコンビニエンスストアで、「PansonWorks ロビンくんフィギュア」がついた十六茶490mlペットボトル、ドラッグストア等)にて、人気の「クリスタルベアチャーム“アニマルブレンド”」がついた十六茶2Lペットボトルが発売されるとの事。飲料のおまけつきも大分定番化したもんです。出来ればキャンペーン期間がもう少し長ければコンプリートできるものも増えるんですけどね。 我が家はどれも半端ばかり・・・アサヒ 若武者 うまみ一煎 490ml.ペット×24本一番最近「お?」と思ったのはこれ。甘みがある感じです。玄米の入った十六茶の甘みとも異なるもの。「楽しむお茶」かな。
Feb 11, 2008
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教員給与に残業手当=教職調整額見直しの方向-勤務時間管理など課題も・文科省(時事通信より) 文部科学省は9日、公立小中学校の教員給与に、時間外勤務手当を導入する方向で検討に入った。仕事のどこからが残業かを明確に区分することが難しい教員については現行、給与月額の4%を残業分とみなした「教職調整額」が一律支給されているが、同省は勤務実態に応じた公平な配分に改める方針だ。 手当支給により教員の勤務意識に大きな変化が生じることが予想されるほか、学校側が残業時間を厳密に管理できるかといった課題もあり、議論を呼ぶのは必至。同省は、今夏の2009年度予算概算要求までに結論をまとめる。 教職現場では「教員の勤務は自発的なもの」との理念の下、「残業」という概念がない。調整額は、繁忙時でも休職中でも一律支給になっている。同省は昨年、勤務の負担に応じて調整額を増減させる改革案を検討したが、法的な問題から断念。時間外勤務手当に転換する案を軸に、再検討することにした。 おそらく残業手当化による一番の懸念は教員のサラリーマン化教員や医師には『聖職者』としての立場が常時求められます。そして、この立場が保ちにくい状態になっています。不勉強でこの給与体系については知りませんでしたが、部活動の指導などがある教職員の勤務時間はめちゃくちゃなことになるのでは? 進路指導、教職員の主任職になれば管理職的な仕事まで・・・。夜スペでの補修などいろいろな試みが行われている教育の現場ですが、教員の能力低下が言われる背景にはこうした本来なら『教職』から切り離すべき管理等の部分を集約しすぎた結果であるように見えます。 以前も教育委員会への管理部門の移管など、地域で基本教育・管理レベルを整える手法を上げましたが、「教員の自主性」に頼りすぎることは、教員の負担はもちろん、教員の力不足の場合に「子供に付けが回る」ことになります。 これが教員の責務の部分の整理がつかないまま、サラリーマン的な発想で手当の是正をすればどうなるか・・・・。 君が代拒否で再雇用拒否されたものが裁判を争う昨今、教員の性格があまりにも影響を与えすぎる方向への駄々すべりは危険です。 教師とて全てにおいて万能な人間がなっているわけではなく、少しでも余裕を持った状態で子供に向き合えるようにしなければならないと私は思うのですが・・・。香港DISNEY 限定 ミッキーメモスタンド「教員」が子供の人生の道標たらんことを願います
Feb 10, 2008
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『不可分の裏方』人を介して生まれるのが作品(歌や技術etc.)。にもかかわらず、生み出す主体を『裏方』とすることには矛盾があるようにも感じます。しかし、作品は生み出された時点、例えば作詞家・作曲家によって生み出され、歌い手によって歌われた時点では完成していません。 あくまで受け手が受容し、その人の感受性や環境・感情を加味して受け入れた事でひとつの形として完成するのです。当然受け入れる人の主観的な気分や、状況によって同じ作品を受容しても全く異なったものに感じることもあるのは自明です。 どんなにすばらしいといわれる古典名作(世間的な名作)が個人としては駄作に感じたり、今世間で一番面白いといわれる芸人が全くくだらなく感じたりするのも当然ありうる話なわけです。 ここからはさらに主観的なものです。 もう一段階掘り下げてみると、世間的には同じジャンルにされているものでも、全く別の分類としてみるべきものがあることがわかります。そして、そこを誤認することによって名作も駄作に化けてしまいます。 「音楽」と一言で分類すればクラシックもポップスもジャズも全て同じものです。 例えば昔「光GENJI」というグループが人気を博しました。確か小学生のころでしたが、クラスで話題になったときに「別にうまくもないし、くだらない」とサラッといってしまい女子の集団から猛反発を食らったことがあります。 実際今もって間違ったことを言ったとは思っていませんが、思うところもあります。つまり、私は「歌」というものに対して評価したのに対して、女子は「光GENNJIが歌っている歌 + その映像」に対して評価しているという差があるということです。 この女子の評価はテレビの影響力が強い現在においては当然の反応で、純粋な評価の難しさも示唆しています。時代が流れて映像が無い状態、もしくは映像の中身が「古臭い」と感じられた場合、どんなに名作といえるものであろうとも、視覚に影響されて「駄作」と感じてしまうこともありうるわけです。 名作とされるものには「作品単体で終わらず、その作品を入り口にしてその先の世界を感じさせるもの」であるべきだと思います。ドラえもんの「どこでもドア」見たいなものといったほうが言葉として近いかもしれません。どこでもドアはそれを見ればただの「扉」です。しかし、扉を開けた瞬間受容する側の主観を受け入れる世界(望む世界)が広がるわけです。この主観の受容が「共感」であったり「昂ぶり」であったり「安らぎ」であったりするのです。 裏方は裏方らしくしていないと、送り出されて即使い捨てにされる状態は続いてしまうのではないかと思います。大きな才能を持った人たちがいるにもかかわらず、そうした人たちが『熟成する場』を得られない状況は決して健全とは思えませんけどね。職人力TVチャンピオンなど職人芸に対して評価が高まっている一方で、「営業力」「経営力」という面で維持しにくくなっているのも『作品』を生みにくくしている背景です。本当に「商品」は溢れているんですけどねぇB-BarrelTY800系トゥールビヨン手彫りフルスケルトンモデル・GD
Feb 9, 2008
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4歳児に下の子がもう数ヶ月で出来るのですが、やたらとパパスキーママスキーになっています。もっとも、パパのママスキー及びママのパパスキーは4歳児に許されないのですが・・・。幼稚園で急にお漏らしをするようになったりもしていますし、不安な部分の反動なのでしょう・・。 で、子供の気持ちになって考えようと参考までに私が弟(3歳違い)が生まれた当時どうだったか思い出そうとしたのですが全く覚えていない。記憶にございません。弟が生まれる以前の記憶はちらほらあるのに、その前後の記憶がすっぽり抜けている・・・。記憶に残したくないようないやな出来事だったのでしょうかねぇ・・・。切りっぱなしがカッコイイ【50%OFF】TOMICAトミカ車プリント半袖Tシャツ(100-120cm)1225than...ちいさなあかちゃん、こんにちは!「お兄ちゃん」で検索すると秋葉系と18禁が・・・。それはともかく、頑張っておくれ、うちのお兄ちゃん
Feb 8, 2008
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よく芸能人で批判や非難が噴出すると、「そんなこといわれる筋合いは無い」「プライバシーの侵害」等とする人たちがいます。先日下記のようなニュースがありました。「キングコング西野 2ちゃんねらー批判」記事で私が「これはもっとも」と感じることは「意見を述べるのであれば、反対意見(批判)を受ける場を持つべき」(彼のブログには掲示板も、コメント欄もないそうですが・・・)という部分です。 意見をするからには他人からの反発や、自分の意見の妥当性を考えるためにも必要なことであり、この点について異論はありません。 しかし、一般の視聴者にとって反対意見を受ける場とは何なのでしょうか? 「2ちゃんねるは匿名で意見を言うから卑怯だ」それが論拠らしいのですが、そもそも、一般視聴者と顔を公共の電波に乗せることを生業とする人間を同じ舞台に上げて論じようというのは少々乱暴な気がします。 そこで、公共の電波で名を知られた人間はどこまで「舞台の上」としてみなすかという点が今回の主眼です。ここのところTVの番組作りもいい加減になりすぎていて、視聴者の反感を招くようなことが出ていても番組の時間帯などでは笑い話で済ませてしまっているものが結構見受けられます。 いってしまえば、「自分達は有名人」 = 「偉い」 という構図を作り上げてしまっている節があるのです。 この西野氏を例にとって考えると、彼の自分の『作品を見せる舞台』は文字通り舞台であり、テレビラジオといった媒介に乗るものでしょう。実際彼の『仕事に対する報酬』はこの部分から出ているはずです。本来的にはこの部分以外は「プライベート」であり、彼自身は犯罪行為でなければ何をやっても彼自身のことに過ぎないはずです。 しかし、例えばプライベートな時間に視聴者が彼を街中で見た場合、中には握手を求めたり、サインを求めたり写真をとろうとする人もいるはずです。この時に「今はプライベートな時間だから・・・」といってはっきり断ることは可能でしょうか? 断る態度や口調にもよるでしょうが、完全に納得はしてもらえないでしょう。結果として「愛想が無い」とか「何様のつもりだ」等という批判も出かねません。これだけネット社会も一般化すると、それこそ「どこどこの店で西野があんなものを買っていた」とか細かいことまでいわれているのも1度や2度ではないでしょう・・・。この辺は全くかわいそうとしか言いようがありません・・・。 つまり、『作品を発表する舞台』と視聴者が感じる『ここまでは彼(彼女)の作品(サービス)の範疇』というものに大きな乖離があるのです。 原因は2つほど考えられます。 ひとつは『銀幕のスター』等という言葉が言葉通りの意味だった時代に比べて、「特別な存在」が「特別な生活」をしていないようになったことです。今では時代劇の俳優が料理の腕を披露するのもさほど驚きの無い状態になってしまいました。つまり、その人たちを評価する対象が「作品のみ」だった状態が変わってしまったのです。 もうひとつは、見せる側が「稽古」や「控え室」までもお金を稼ぐ場にしてしまっていることです。ドキュメンタリーなどでも「真実を見せる」という大義名分の下こうした部分を放送しすぎるんですよ。マッスルミュージカルでも宣伝用に練習風景を流しまくりましたし、『人生波乱万丈』なんて個人的には自伝にでも残せばよいもので、ピンシャンしているうちにこうしたものを放送するのはよく「老人の昔の自慢話」として嫌われているものとなんら変わりないでしょう・・・。芸人が私生活や自分のスキャンダルを「芸のごとく」見せているのも問題です。スキャンダルなどが芸であるならば、自らそれが「プライベートであること」を否定しているわけで、視聴者が街中で芸能人を見てそれを『舞台の上の彼(彼女)』としての行動をしたところで一概に攻められる筋合いのものではなくなっているのです。 メディアの使い分けとしてTVなどに比べて、活字媒体はより視聴者が選択することが必要なものです(自分で手にとって読まなければ活字は読めない。TVなどはつけっぱなしにしておけば勝手に入ってくる)。こうした内容をTVで流すこと自体が『無粋』の押し売りであり、これが一般的な感覚になりつつあるのがいろいろな面で社会問題化しているというのもいいすぎではないでしょう・・・。 TVに出ていようと同じ人間です。それは「銀幕のスター」であろうと変わりはありません。しかし、自分達で「自分達は特別な存在」としながら「作品の一部」にしてしまっているところを「自分達の意に沿うように対処せよ」といっても通りませんよ・・・。 個人の生活(スタイルや恰好、思想など)を『作品の発表の場』としてしまっている現状では『作品への批判』は生活全般にわたります。 とはいえ、そうしたものは需要があって供給の形態が変化していくものです。ということは視聴者の質の変化、下劣化が進んでいるって事ではないかと・・・。気をつけねば。【送料無料選択可!】小林亜星 TVサントラ・アンソロジー / オムニバス『キングコング』で検索すると何故か小林亜星が?? キングコングの楽曲にも関わってるんですね。ピンポンパン体操とかホントに幅広い御仁です。
Feb 7, 2008
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NHK朝のニュースで暮らしの中での便利グッズを紹介するコーナーがあります。 2月6日は「クレヨン」でした。 鉛筆ホルダーのようなものに軟質のクレヨンを芯として入れることで・手を汚さない・軽い力で絵を描くことが出来るというものや、ノート側に工夫があり何度も消すことが出来るものなど・・・・。 基本的に感じるのが『親の都合』である点。もうひとつ、『工夫する』ということが『もっと便利な別のものに変えればよい』という思考が見え隠れする点。我が家でも子供は絵を描くのが好きですが、紙からはみ出すようにおおらかに描いてしまいます。結果嫁が金切り声を上げ、子供がある程度の範囲までしか自制して描かなくなってきました。 NHKの番組と我が家の嫁のやり方には問題があります。『自分で失敗した経験』『自分でしまったと感じた経験』が経験自体の喪失や『しかられていやだと感じた経験』になってしまっていることです。 しかられることは私だって嫌です。しかし、自分のしたことに対して自分以外の意思でストップがかかる事が必ずしも良いとは思えないのです。 例えば息子は新幹線が好きですが、新幹線の写真にクレヨンで落書き(本人はそうは思わないでしょうが)してしまったとします。これが「消えないもの」だということがわかり「自分がしたかったこと」と隔たりがあった場合「こんなはずではなかった」という思いが生じるはずです。 これが、『人に言われて嫌なこと』と『自分が嫌だと実感したこと』というものの感情の深みの差を生むはずです。 親の都合、周囲の都合で工夫を施されたあとのものを使っているから「選り好みする」ことはできても「現状使っているものを工夫する」能力を奪ってしまっていることは無いでしょうか? 一工夫や目新しさが無いと『商品』として売れないということもあり、売り手とすればしょうがない事でもあるんですけどね・・・。はじめてのお絵かき・・♪♪ベビーコロール 12color
Feb 7, 2008
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雪です。 音を吸い込むように・・・。 表に出る人影が減るせいなんでしょうけど、舞い散る雪に周りの音が吸い込まれていくように感じるから不思議です。 誰かが言いました。 「雪は汚いものを全て多い尽くしてくれるから好きだ」 生きていくと汚いことを避けては通れなくなってきますが、ひととき、そんな事を忘れる時間を。 ・・・・・・・帰ってきたら雨になっちゃいましたホワイトゴールドの雪の結晶と美しいスノークオーツのポストピアスまるで粉雪が舞い降りる夜の...
Feb 6, 2008
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2,3日前NHKのニュース『団塊世代向けビジネスの展開』を特集していました。その中で、昭和の音楽だけを集めた店が人気になっているようです。 店内で見ず知らずの他人が振りを合わせながら歌う・・・。昭和といっても幅広いのですが、同世代の共有の歌があるというのは(しかも振りまで)歌までもが日常的に消費して忘れられている現在ではとてつもないことである気がします。 現在の時代の歌ってあるんでしょうか? 生まれる土壌はあるんでしょうか?単純にいって歌い手等、歌の送り出し手は相当な増加を遂げていると思います。先日吉永小百合さんのことを書きましたが、時代を代表するような芸能人(圧倒的に芸No人が多いですが)なりそうな人たちも異性関係を中心にスキャンダルに追い回され、「幻想」や「理想」を見るものが乗せるのが難しくなっている気がします。 「知る権利」をマスコミがおおっぴらに振りかざしてから「プライバシー」との兼ね合いで多くの裁判が行われてきました。また、芸能人ごとの得意分野というものの仕切りが非常にあいまいになり(芸人が俳優になったり、歌を出したり・・・、元スポーツ選手の芸人化etc.)多方面で「タレントの個性」を発表する機会が生まれています。 歌と歌い手、また作詞家や作曲家の個性との相関関係は、本来『歌』というものの『不可分な裏方』だと私は考えています。他にも俳優がドラマや映画で演じる『役』も同じです。 『歌』や『役』に視聴者じは感情移入する段階で 「あぁ、あの不倫している人ね。」とか「何年か前に薬でつかまった人でしょう?」とかの前提条件があったらその歌や役の印象をそのまま受け入れることは出来るのでしょうか? 送り出し手の個性(タレント)が歌や役に厚みを持たせることによって「名曲」や「名作」が生まれることは全く否定することではないのですが、余りに表に出て「個人」の印象をつけてしまえば、結果として作品に余計な印象を付加してしまうのは避けられないことです。 例えば 羽賀容疑者が「誠意」という言葉を使ったときに、本人への偏見やさげすみ(当時です)から、「誠意」という言葉自体が軽く見られていた時期があります。これなどは「不可分の裏方」が影響してしまっている例ですし、もし、この時羽賀容疑者が何らかの作品で「純愛」や「誠実」等のテーマにかかわっていれば、その『役』及び『作品』は失敗となるでしょう(実際はそんなキャスティングはされませんけどね。) 他にもドリカムの吉田さんが事実婚にとどめたのは「失恋ソング」のイメージを崩さないためだとか、声優で自分の顔が画面上に出てくるのを拒んでいる人がいるのも、『作品へのこだわり』と『作品に対する送り手のイメージが与える影響』を示しています。 『大衆』から『分衆』への移り変わりも影響しているのかもしれません。この『分衆』というのはとある本で見た社会学者の造語です。大衆という国民総中流意識から個人主義への移り変わりの中で、日本では完全な個人主義、つまり自分のみの価値観に移行したわけではなく、集団の中に共通の価値基準を置きながら個人ごとの意見を出す機会を得た状態というようなことが主たる意味だったと記憶しています。 当然興味の対象が多岐にわたれば、『共通してよいもの』『共通の代表』というものが数字で示せないもの(※2)、感覚的なものでは共通項として意識しにくくなっても仕方ないのかもしれません。 よくスポーツ選手は「フィールドで全部答えを出します」とか「私の演技を見てもらえばわかります」等といいますし、画家で「私の作品は製作過程を見てもらうものだ」という人はいないでしょう。 全て「発表する舞台」上で見せるからこそ価値があるとされています。 であれば、舞台に上がるまえの稽古や控え室をのぞこうとするのは『無粋』(※)ですし、作品とCMなどとのタイアップが日常化している現在では、『作品自体の評価として』時代の代表的なものと見るのは難しいといわざるを得ません・・・。 もう10年か20年の後、冒頭の店のお客達のように、同じ時代を感じることができるようになればいいな、そう願っています。贅沢な望みなんですけどね。(※)このところでは例外があると考えています。それは自称「タレント」の人たち。 この人たちはどの舞台が自分の『作品』を見せる場か決まっていないと感じる人たち(マルチタレントなんて 言葉を使っているのもいますね)は別途考察したいと思います。(※2)音楽や映画などでは売り上げや入場者数など、『数字で表せる』『各賞受賞等評価がある』といわれそうなものですが、冒頭の歌のように「共通意識になるもの」という意味では、商業的な競争に数字が宣伝の一部として使われたものは比較基準には出来ないと考えます青春歌年鑑 80年代総集編世代的にはこれより後のはずなんですが・・・・懐かしいって言うとこの辺りが連想されてしまいます
Feb 6, 2008
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使ってみれば一押ししたときに「懐かしいにおい」 ナニの話しかといえば「ハンドソープ」です。 牛乳石鹸のハンドソープTWO'S(ツーズ)。 商品自体には「微香」「かすかなにおい」というようにうたっているのですが、きめ細かい泡が出るときに石鹸の良い香りが広がります。同様のハンドソープを以前使っていたのですがこんなに香りは感じませんでした。 実際に手を洗ってみると泡がより手になじむ感じがします。洗い流すときに結構手に広がってついているので洗剤としての伸びもかなり良いのでしょう。手を洗った実感と、洗い流した後、商品のうたい文句どおり「さわやかな石鹸の香り(微香)」なのは良い感じです。 効果は・・・・。実はこれがこのハンドソープの売りらしいのですがわかりません。 使い始めるより前からキツイ風邪を引いて全く治らない(原因はストレスがかなりの割合を占めていたりします)ので殺菌効果が良いかどうかはなんとも判別できない もっとも、こうした商品は使い続けることで効果が上がるのが大事ですから、そうした意味では「使い心地のよさ」が高いのは高得点です。子供(4歳児)も気分よさそうですしね
Feb 5, 2008
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