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ご存知のように(ご存知なのか?)私は剣道を始めて27年になる。強くは無いが、「剣道愛好家です」くらいは言える。前フリは置いておいて。先日、全国規模の大きな剣道大会があった。そこで、私が目にしたものは・・・・審判の不正であった。剣道は、審判が絶対であり抗議は一切、許されない。具体的な罰則は無いが、何かしらの沙汰が下されるのは目に見えている。その不正とは・・・ある高段者の先生が審判を務めた試合があった。しかし、実はその試合、その先生の指導するチームの試合であった。それでも公平を期してくれるのかと思いきや、全く逆であった。自分のチームがピンチに追い込まれると、相手チームに反則(2回で1本、2本取られると自動的に負け。1本取られたままで試合時間が終了すれば、その時点で負け)を宣告する。3人で審判をやっていたので、自分の判断に他の審判が従わないと見るや、二人を呼び寄せ、自分の判断を押し付ける。結局、そのチームはチームで合計3本をその先生の反則で取得し、勝利した。おそらく、反則を宣告された選手は、自分が何の反則を犯していたのかも把握できていないだろう。しかし、相手チームは非常に立派であった。剣道の試合規則に則り、淡々と負けを受け入れた。非常に遠い地方からの参加で、無念の思いはひとしおであっただろう。知り合いがいるわけでもないし、私にゆかりがある土地のチームでもないが、彼らには、心からの拍手を送りたい。では、何故そんな審判を残りの二人が止められなかったのか?それは、その先生は、日本で剣道をやっている人なら全員が名前を知っている、「あの」先生だったからである。全日本剣道連盟が「剣道の目的は人間形成である」と、本当に思っているならば、事実関係を調査していただきたい。私は剣道が好きだが、少なくとも、そんなことがまかり通る大会には、もう出たくないのだ。高校や大学と違って、「どの先生が指導しているか」は社会人になると判別しにくい。ならば、その先生は自分が指導しているチームの審判は自ら辞退すべきだった。そんなことをやってまで勝たせて、その先に何があるのか?結局その「勝たせてもらった」チームは、ベスト4にも入れなかった。彼らが得たものは、何だったのだろう?こんなことを書いていること自体が剣道の精神に反する、という御反論もあろう。しかし、これは剣道界全体の問題と受け止めるべきで、誰かが声を上げない限り、改善されない。そして、それを放置しておくような剣道界が、子供達に人間形成を語る資格は、無いのだ。明日から福岡出張で、来週まで日記更新が出来ません。ご了承を。
2005.09.26
3連休の初日、朝はゆっくり寝たけど、やる事は多かった。ま、そんなことを書いても始まらないので、日本に帰ってきてから目に付いた事を書こうと思う。日本でも何本かワインを購入した。決して質は悪くないのだが、なかなか気に入ったお店が無い。それと知られたお店でさえ、ちょっと首を傾げてしまう。最大のポイントは「ボトルが立って並んでいる」ことである。ワインの質を保つためにはボトルを寝かせて(或いは傾けて)おくのは常識と言っても良いだろう。それなのに、ボトルは立っていて、所狭しと並んでいる店が大多数である。フランスで誰かに言われた事がきっかけなのだが。「ワインボトルを立てて売っている店のワインは買わない方が良い。そんな店はワインの事を知らないか、ワインに対する愛情が無い店だ」ある意味、分からないでもないし、立てて売っているワインと、同じ期間寝かせてあったワインを飲み比べて批評ができるほどの舌を持ち合わせているわけでもない。しかし、おそらく収納本数(スペース)の問題で立てているであろう店の構造は、きっとフランス人が見たら嘆く事であろう。今日、また1本購入した。ここの店はOK。きっちりボトルは寝ていたし、立っていたボトルはそれなりのワインであった。ワインの美味しさを紹介するための地元の人達への行事も開催しているらしい。私はただのワイン好きのおっさんだが、少なくともそれを商売にしている人には、私以上の愛情を持っていただきたい。
2005.09.23
本題に入る前に、7月23日の、この日記を読んで、さらに新聞のスポーツ欄を見ていただきたい。私の予言は、的中している!!!!!えっと、で本題。先日、大学入学以来の友人の披露パーティー(披露宴ではなく2次会)に行ってきた。彼は独創性が豊かであることで我々の中でも際立った存在であった。そして、それを証明するパーティーとなった。会場に入ってまずびっくり。プロレスのリングが設営されている。ここで、ありきたりな発想の持ち主である私は「新郎新婦のバトルでもやるのか?それにしてはリングが本格的すぎないか?」と思ってしまった。お決まりのビンゴ(これもクイズ形式のビンゴで、代表で選ばれた客がクイズに正解して初めて穴があけられる)の後、リング上に登場したのは、「王様」。10年ほど前、外国のロック歌手の曲を、わざわざ和訳して日本語で歌うのをウリにしたミュージシャン、その人が登場。やはり生のライブは良いものだ。が、相変わらず、トークは下手だった。そして極めつけは・・突然、大音響で音楽が鳴り響き、その曲にあわせて現れたのは、何と現役プロレスラーO氏!(私も昔からのプロレスファンなので、彼のことはよくTVで応援していた)自らの率いるプロレス団体の若手を連れて、タッグマッチを決行!(O氏は戦わず。書くが違いすぎるから)目の前で蹴ったり張ったり、後頭部を強打したり。プロレスファンではあったが、実際に見たことは無かった(TVの方が良い角度で見られるから)ので、圧倒される。この日のメーンイベントも、パーティーお開きの予定時刻10分前に3カウントが入り終了。たとえプロレスが、ストーリーが決まっているショーだとしても、純粋にエンターテイメントとして楽しめた。こんなに新郎新婦に注目させないパーティーも珍しいが、そのイベントを夫婦揃って、本当に楽しそうにしていたのが非常に印象的だった。お幸せに、という言葉など不要な二人の雰囲気。心からの祝福を。明日からは、マジメ日記に戻ります。
2005.09.22
9月10日の話。この日はとくに観光はせず、自宅へ全員をもう一度招待。朝、かなりゆっくりして、昼食をとり(ここでも家内は獅子奮迅の活躍)、その後、自宅から近いところにある天然温泉へ。温泉自体、全く異なる文化なのでまともテンション上昇。が、当然女性陣のリアクションは目にすることなく(してたら犯罪)おやっさんの「Oh~~~~!」を何回も耳にする。(お湯につかる時に、このような声を出すのも万国共通らしい)大満足な様子の彼らをつれて帰宅。その後、ちょいとまったりして、都内へ移動。この日は、実はおやっさんにお世話になった日本人(過去にフランス駐在した人)全員を終結させてパーティを開くことになっていたのだ。(これはサプライズではない)場所は、私が駐在していたフランス企業の日本法人のマネージャー(フランス人)の家。さすが、いい所に住んでいやがる。今回は、おやっさん目当てで日本人が集まっているので私個人はおやっさんとの会話を控えた。我が家は家族で参加したので9時過ぎには家内と子供が帰宅。私も帰ろうと思ったのだが(次の日の朝、成田へ行くのに早朝起床だし)おやっさんが名残惜しくて帰らないので、お付き合いすることに。そんなこんなで深夜に及ぶ。タフだね。やつら。次の日はすげー朝早くにホテルをチェックアウトして一路成田へ。ま、ここでは大したエピソードもなく帰っていくのだが、心の中には、何かぽっかりと・・・しかし、再びフランスへ行こうと、心に強く決めた1週間だった。(家族分も合わせると4人分の費用がかかるのが、ネック)また会おう!おやっさん!
2005.09.20
9月9日の話。この日は京都最後の日。朝一番で実家に車を返してみやげ物ショッピング開始のゴングが鳴った。しかし、散財するねえ。フランス人のおやっさん。娘に「パパ、買いすぎ!」とか注意されているし。んでもって、「バッグを買えば何とかなる」とか言い出して、さらにバッグまで買うことに。ポイントがずれているようにも思うが、本人達がそれでよいなら、よしとしよう。人形にキーホルダーに絵葉書に漬物に八橋に・・・・「あっ!!!」というまにショッピングタイム終了。午後1番の新幹線に乗り東京へ。昼食は弁当を買って(この習慣もフランスには無いので新鮮だったらしい。)社内で。私は京都でも有名な某老舗の鯖寿司を食しながら東京へ。(土産にこの鯖寿司を買って帰らなかったことは、夜に家内から文句を言われる事になった)行きも帰りも不運にも富士山は見えなかった。帰路は、これといったイベントも無く(弾切れ)東京へ。ホテルの部屋へ荷物を置いて(先日泊まった所と同じホテルだったので大荷物は預かってもらっていた)我が家へ。家内がすげー頑張った夕食を取る。フランス語は話せないが、習いたいと強く希望している友人も来宅。通訳は必要だが、モチベーションは充分に上がったようである。あ、私、家用には漬物をしこたま買い込んでまいりました。漬物はフランス人には不評でした。しかし、この日は贅沢な夕食だったなあ。
2005.09.19
昨日は友人の結婚披露パーティだったのでお休みしました。非常に個性的なパーティだったのですが、それはまた後日書くとして、フランス人ネタの続き。9月8日の事。この日は女性陣のメインイベント。「舞妓の格好をして写真を撮る」でした。その手の店は結構あって、何が違うのか、傍から見ての差別化は難しいほどである。まあ、着物の種類が多いとか、帯の品揃えとかになるんだろうか?今回、お邪魔した店は女性専門店だったのだが、事前に頼み込んで1着だけ男性用も他店から調達してもらっていた。もちろんおやっさんの分。私?私が着物なんて着たら「やっぱり日本人には敵わないよなあ」と思われて彼らのテンションが下がってしまう事を懸念してパス。(大嘘です。単に面倒だっただけです)女性人には予め企画を伝えてあったので、朝からテンション高!おやっさん自身の着装はサプライズで伏せてあったので(知らぬは本人ばかり)おやっさんのテンションは「娘の和装を期待してカメラの点検に余念のない親父」であった。さて、いざ作業開始。女性の方が着付け、メイクなどにかなりの時間を要するため、おやっさんと私は雑談をしながら待つ事に。30分位した時に、店の人から合図が。「娘っ子たちの準備が出来たらしいから、向こうの部屋へ行こう」とおやっさんをだまくらかして着付け部屋へ。そこでプロの着付けの方々からボディランゲッジで「服を脱げ」と言われて焦るおやっさん。助けを求めるような視線を受け止めつつ、私はニヤニヤしながら「ほら、早く早く」とスタッフのお手伝い。男の和装は簡単で10分もすれば完璧な準備ができる。そこで親子の御対面。おやっさんは娘っ子達の美しさに驚嘆し、娘っ子たちはおやっさんの(意外に、という表現は失礼か)バッチリ決まった格好に大喜び。プロのカメラマンによる撮影会開始。3人合計で80しょっとくらい取ったかな。お店のご好意で私も入った4ショットも1枚取っていただいた。んでもって、各自20ショットずつの小さい写真を渡され、その中で気に入った3枚の写真を後日、でっかい写真にして送付してくれるという。フランス人3人が虫眼鏡片手にワイワイと自分の写真についてあーだこーだ行っているのは、見ていて楽しい。企画者として幸せを感じる。これまたお店のご好意で、4番目に選んだ写真を携帯ストラップにしてくれる(タダで)とのことで、なお感じ良し。お財布的には決して気軽にできる金額ではないが、止むを得まい。その後は車で、お茶の里、宇治へ。甘味好きの女性陣のため、この日は昼食を抜きにしてお茶ベースの甘味三昧で昼食代わり。茶団子、抹茶菓子、その他諸々+おうす(抹茶)。抹茶が思いのほか好評で、1缶ずつお買い上げ。宇治は個人的にちょっと思い入れがあるところなので自分自身も、遠き日に思いを馳せる事が出来た。甘味で腹を膨らませた我々は平等院へ。ご多分に漏れず10円玉と比較。鳳凰堂の中も見せようか、迷ったが現在天蓋が修理中なのでインパクトはイマイチと判断し、外観のみとした。鳳凰(いわゆるフェニックス)が日本でも伝説的な存在となっていたこと事態が、彼らには驚きだったようだ。平等院は、彼らにとってお寺以外の何物でもないので、ここは個人の別荘として建てられた事、鳳凰堂はその一族の礼拝施設だったので、他の寺院のようなつくりになっていない事などを説明。土産物屋に後ろ髪を引かれているッぽい彼らを車に乗せ、伏見稲荷大社に。そもそも、寺と神社の区別が着いていない彼らに、目で見てインパクト与える事が目的。何千にも及ぶ鳥居をくぐり、日本における神の考え方などを解説。やっと彼らも寺(仏教)と神社(神道)の違いが分かったようだ。この日の観光はこれで終了。夕食は居酒屋で済ませたが、ホテルへ帰った後、4人で世界柔道を見ながら酒盛りをすることになる。元気すぎ。浴衣は襟の部分が柔道着に似ているため、女性陣から技の解説をしてくれと頼まれて(私は専門家ではないが、フランス人よりは知識がある)彼女らの襟をつかむと、まばゆい肌が・・・なんてことはあるわけがなく、おやっさんの浴衣をつかんで解説。全員が程よく酔っ払って就寝。決勝戦を見ることなく眠りに落ちた。次の日は東京へ向う日。しっかりと休まないとな。
2005.09.18
9月7日のお話。今日は日帰りで奈良旅行。(その為に京都駅前のホテルを取った)やっぱ、東大寺の大仏は見せておかんとな。近鉄特急で奈良へ向かう。と、その前に朝食。今、飲む感じのゼリーってありますわな(キムタクとか宣伝してるやつ)。あれがフランス人女性に大ヒット!味が動向というより、ダイエットという言葉に敏感に反応したらしい。女性が美しくいたいという気持ちは万国共通である。近鉄の話へ戻る。昔は停車しなかった駅に特急が停車するので時代の流れを感じる。と、共に私が高校を出るまで住んでいた街を通るので、ひとしきり郷愁に浸る。ほんでもって、奈良駅からは、おやっさんの足を気遣って(昨夜から痛いとか言い出していた)タクシーで南大門へ。ひっさしぶりに鹿せんべいなぞを購入し、餌付けの手本を見せようとしたその矢先、鹿の襲撃にあう。まだ縛ってある紙を解いている最中なのに猛突進。「ちょっと待たんかい」状態で2秒。・・・・・鹿に噛み付かれた・・・・・腿を・・・・「いてこましたろかいぃ!」と、言えるはずもなく(ヘタレ)鹿せんべいをフリスビーのようにしてこの危機を脱出(頭脳プレー)。予想通り大仏は好評。そらインパクトはあるわな。しかし、帰りの南大門あたりでおやっさん、ついにダウン。ひざが痛くて歩けなさそう(必死に歩こうとはしているようだが)。再びタクシー、ってのも考えたがそれではあまりに奈良滞在時間が短すぎ。奈良が東大寺だけの街と思われるのもしゃくだし。大枚はたいて人力車に乗車(財布の悲鳴が聞こえる)。これがこの日一番の思い出になったらしい。なぜ、「この日」と限ったかというと、次の日にはもっとデカイイベントが待っていたからである。人力車で奈良公園の中を通過し、興福寺の横を通って近鉄奈良駅到着。車夫の人柄にも助けられ、快適な30分であった。おやっさんを歩かせたくなかったので駅前のお好み焼き屋に入った。これまたエキゾチックな食べ物らしく、朝食で「ダイエット」を口にした女性陣、食べまくる。をいをい、それ、俺のブタ玉だってば!その後、再び京都へ。多少予定は狂ったがそこは地元。丹波橋駅で京阪に乗り換え繁華街へ。そこでシップとサポーターを購入し、本能寺の境内でおやっさんの膝の手当て。と、私の携帯が鳴った。会社からだったのでイヤな予感。しかしこの予感は外れた。「おやっさんの奥さんが、日本への台風上陸のニュースで安否を気遣っている。本人から折り返し連絡させるように」とのことであった。本人に伝えたところ、「ホテルに帰ってから電話するよ」と言っているので放って置いたら今度は彼の会社の日本支社から電話。用件は同じ。ま、九州の映像を流されたら誰だって心配するわな。ショッピングへ新京極へ。これまたベタだが、仕方あるまい。ここでも彼らは大散財。もう、しーらねっと。夕食は先斗町で。お気に入りだった店が無くなっていたので、お手ごろな店に。ひっさしぶりに「京料理」を食べて(いいですか、お金持ちでなくても京料理は食べられるんです!)私が満足至極。カロリー低めなのでまたもや女性陣も満足。おやっさんは日本酒三昧。確かに和食に合うんですがね。和風の厨房が気に入ったのか、女将さんの許可を得て撮影。まあ、話のネタにはなるだろう。ホテルへ帰っておやっさんに電話をさせる。その間3分ほど。全ての作業を終え、湿布の効能に感嘆しながらこの日は終了。あ、この日の甘味は八橋と、どら焼きでした。
2005.09.16
9月6日の話。早朝に実家へよって車を借り、いよいよ京都観光開始。アジアが始めてで、「武士道」も読んでおらず、寺と神社の区別も着かないような西洋人には、インパクト勝負!この日は二条城、金閣寺、清水寺、三十三間堂の4箇所。わびもさびも捨て、「絢爛」に走ったこの観光。「取り敢えず金ピカ見せときゃ良いだろう」との謗りは免れないが、竜安寺、銀閣寺、詩仙堂などを見せても喜んでもらえないと判断。個人的に行きたい所もあったが、これは次回。ちょこちょこと、甘味を挟みながらの観光だが、フランス人は、とにかくよく喋る!こっちはフランス語で会話しながら運転だっちゅうの!二条城では「鶯ばり」の床がお気に入りで踊るように歩き、「椅子がないこと」に驚いていた。確かに、昔は日本は正座ばっかりだったもんね。で、二条城。鶯ばりの床だの、無意味に見える段差だのがやたらある。バリアフリーの全く逆を行っているのだが、実はこれには意味がある。昔は電気の証明など無いから夜半は暗闇である。京都は長期間、都であったせいもあるが、暗殺の歴史もすさまじいものがある。徳川家で暗殺された将軍はいなかったと思うが、その前は将軍ですら暗殺される時代であった。(名前は失念したが、確か足利家の14代将軍は暗殺されたはず)。その為、誰かが忍び込めば自ずと音がするし、慣れないものが走り回って逃げようとすると何かにけつまづいて転ぶ。武家屋敷にはよく見る構造である。また、建物自体も敷地の中で非常に「弓矢(或いは鉄砲)で狙撃しにくい位置」に将軍のいる建物はある。これらの策で、自らの安全を確保していたのは驚嘆の至りである。で、フランス人ネタに戻ろう。清水までは全員、上機嫌だったのだが、三十三間堂に移動する車の中で、娘っ子が一人急に泣き出した。驚いて事情を尋ねると「彼氏に会いたい」とか抜かしやがる。泣いてもらえる彼氏は幸せだろうが、こっちは・・・(黙)どっと疲れた出来事であった。昨日、書きそびれたが京都へ向かう新幹線の中での出来事。実はおやっさんの古い友達が名古屋にいることを知っていた私、ひそかに手を回してこの方にコンタクトを取り、名古屋駅での劇的な再開を企画していたのだ。緻密な打ち合わせとお互いの予定調整の結果、本当に名古屋駅での90秒の停車時間のみが我々に許された時間であった。名古屋へ着く直前、おやっさんに「来い!」と言って待ち合わせの乗車口へ。その日本人の方もフランスに滞在し、このおやっさんに非常に世話になったので、と家族総出でご挨拶に。ただ、それも10年前なのでフランス語は殆ど忘れてしまっているとのこと。当時は家族ぐるみの付き合いでもあったとのことで娘っ子も連れて駅ホームへ。あわただしく抱き合ったり握手をしたり、ボディランゲージで話をしたり。90秒はあっという間に。飛び込み乗車(よい子はまねしないように)で何とかセーフ。そして席へ戻ったおやっさん、大泣き。人目はばからず泣くもんだからただでさえ目立つのに、余計に目立っている。娘っ子も泣いているし、娘っ子の友達すらもらい泣きしている。結局、京都へ着く直前まで泣いていた。写真などの記録もたくさん残した旅行だが、これで少しは「記憶に残る」旅行になったのではないかと、うれしくなった。話は前後したけど、今日の話は、これにておしまい!
2005.09.15
9月5日のお話。午前中はおやっさんのたっての希望で、相撲部屋見学。本来なら、9月場所を見せたかったのですが9月場所は11日からで彼らの帰国当日なので間に合わず。知恵を絞った私(というほどでもないが)横綱 朝青龍関の所属する高砂部屋へ見学を打診(事前に)。快諾を貰い、この日、朝一番からの見学となりました。前日に購入しておいた菓子折りを渡し(これ、大事)、いざ見学へ。目の前で見る力士のデカさに圧倒されるフランス人達。さらにはその激しい稽古に食い入るような視線。残念ながら朝青龍関の稽古は見ることが出来ませんでしたが(目の前に座って、色々後輩達の稽古に口頭で指導していました)フランス人たちは満足だった様子。名前は知りませんが、小柄でも頑張っていたあの力士、是非頑張ってほしいものです。その後、両国国技館を見学。残念ながら江戸東京博物館はお休みでしたが相撲協会事務所で9月場所の番付を購入(1部50円)。相撲好きの外国人には涎もののお土産だそうです。さらには、両国駅前に有る元大関 霧島関(現陸奥親方)の経営するちゃんこ料理屋へ。ここでも「鍋料理」に初めて接した彼らは鍋料理の写真を取り捲る。日本人ならまずやらないこの行動、意外と新鮮。ちょっと周囲の視線を感じてしまったけど。そしていよいよ東京駅へ移動。台風接近を気にしながらも無事移動完了。富士山が見られなかったのは非常に残念でしたが、自然には勝てません。京都へ着いたのはもう、夕方だったのでこの日は観光を止めて京都タワー近辺で軽く買い物をして夕食=回転寿司。生魚嫌いの欧州人のイメージを払拭するかのように寿司をむさぼるフランス人たち。回転寿司店での禁じ技、「3皿ストック」も飛び出した。おやっさん、そりゃやりすぎだって。ホテルでは浴衣(ホテルにある奴なので質は知れているが)にまたまた大はしゃぎ(はしゃいでばっかりやな)、記念撮影の嵐。しかし、ツイン2部屋で宿泊して、おやっさんと同部屋だったため、この日から「朝起きてから、夜寝るまで」の文字通りのフランス語漬けとなる。(おやっさんと娘を同室にすると、もう一人の娘っ子が危険なのでな)また、何か起こった場合に傍にいないといけないと思ったので今回は実家への宿泊を断念。案の定、夜になって、おやっさん、腹が痛いと言い出した。どうやら極度の便秘で限界に達したらしい。フロントでピンクの小粒をもらい、コンビニで牛乳を購入していざ服用。効果は2時間弱で発現。体重が一気に減ったようである。そんなこんなでこの日も終了。次の日は早朝、実家に車を借りていよいよ京都観光の始まり、である。
2005.09.14
続き9月4日浅草観光に始まる。銀座線の浅草駅までは滞りなく到着。しかし予想通り、浅草寺に行き着くのに様々な「お買い物トラップ」に引っかかる。キャーキャー言いながらショッピングを楽しむ女性陣及びそのおやっさん。浴衣、扇子、雪駄、足袋など和装一式をお買い上げ(一人の女性は京都での買い物のために自重したようだが)。服って、軽いイメージがあるが手で持つと結構な重量がある。一日始まったばかりだというのに、大荷物で観光を開始する。浅草寺はさておき(関係者の方、ごめんなさい)脇の商店街でたこ焼き、焼きそばなどの庶民食を味わわせる。たこは抵抗を示すかと思われたがまったく問題なく平らげる。タフな奴らである。焼き鳥も食べさせたが、これも好評。フランスのリヨンで食べた焼き鳥は、二度と食べたくないくらいまずかったので、差を見せ付けるのが目的。まあ、初めての焼き鳥がこれなので彼らが比較するのはフランスへ帰国した後になるが。午後は渋谷、原宿観光。やはりファッションの国から来た人たちも、この二つの街には違和感を覚えたようだ。写真、取り捲り。「エキセントリック!(奇抜な)」「ビザール!(奇妙な)」の連発で褒め言葉は無かった。彼らの認識は、「人が見世物になる街」だったようである。また、本屋に入って漫画の多さに驚愕していた。日本の漫画は「manga」としてフランスでも通用する言葉である。そのくらいの知名度が有る。日本が世界に誇る(誇るべきかどうかは別の議論)漫画の世界を垣間見てもらった。と、ここでこの日はタイムアップ。彼らの宿泊しているホテルの近くの居酒屋で夕食。これがまた、こじゃれた所で、店の中を川が流れていて日本風の橋が架かっている店。ここでもまた、ひとしきり撮影タイム。案内者としては仕方あるまい。初めてのアジア、全てが珍しいのだから。それにしてもおやっさん、日本酒をやたらと飲みたがる。実は私、日本酒は少々苦手である。嫌いなのではなくて、ついつい呑みすぎてしまう傾向があるためである。これも仕方ないので、私の最もお気に入りの銘柄がメニューにあったのを良いことに少量注文。女性陣は、「多種類のものを少しずつ食べられる」居酒屋システムが相当、お気に召したようだ。日本っぽいものを、これでもか状態で押し込んで夕食終了。次の日は早朝からの活動であり、京都へ移動する日でもあるのでこれで終了。唯一といってよい、ハプニングの無い順調な日であった。でも原宿のファッションが日本のファッションだと認識されないように釘をさしておかないと・・・。ちなみにインターネットで私の写真を見つけました。http://www.kendo-chambery.com/にある写真の左側が私です。先に言っておきますが、顔は判らないので苦情は受け付けません。顔を見せたほうが苦情が来そうですが(笑)
2005.09.13
ようやく成田第一ターミナルで再開の抱擁を交わした我々は、車で都内へと向かう。空港への送迎は車が便利なんですが、当初の予定ではホテルへのチェックインには程遠い時間だったのと、次の日からのことを考えて電車で便利な(安い)ホテルにしたところ駐車場が無かったので、仕方なくそのまま観光へ。日本に来て最初に彼らを案内したところ。それは、東京タワー。ベタという無かれ。初めての日本、初めてのアジアで「渋い」ところなどフランス人に理解できるわけも無い(先入観)。エッフェル塔だの、凱旋門だの、高い建物が無いわけではなかろうに、展望台(150m)で怖がること、お子様の如し。当然、特別展望台(250m)に上りたいなどと言い出すわけも無く、おとなしく2階にあるレストランへ。高所恐怖症の私には救いだった。レストランでは、初めて食する日本での食事。彼らが選んだのは・・・ラーメンだった。ま、高級料理を食べさせるつもりも特に無かったので日本の庶民食を彼らには堪能してもらうことになる。しかし、同じフロアに有る土産屋のお菓子に興味津々。食事のデザートとして、お土産用に売っている菓子を皆で食べることに。いやあ、東京タワーの職員さんも、土産用の菓子を買ってその場でバリバリ包装破って食べだす人は、見たこと無いだろうなあ。この後、彼らは「和菓子」の世界に夢中になることになる。そしてその後は浜離宮。1週間前には予定に入っていなかったのですが、直前に食事をした先輩に勧められて行くことに。綺麗な庭園だったが駐車場が無い!時差ぼけも有り、彼らの疲労が見え始めたので和菓子で釣る。やはり和菓子の力は世界に通用するようだ。夕食には少し早い時間だったが、自宅から程近いレストランで私の家族を交えて食事。ファミレスなんで、大したものは食べなかったがまたもや和食は大好評。おにぎりレベルであんなに喜んでもらえると、レストランのほうも嬉しかろうの。彼らの睡眠時間を長めに取るため、この日はこれにて解散。私は二人をホテルまで送って(一人は私の自宅に宿泊)終了。フランス人でも絵葉書とかキーホルダーとか買い捲るのね。ただし、彼らは絵葉書を旅行中に全て消費していましたが(誰かしらに書いて出していた)。次の日の浅草観光に続く。
2005.09.12
先ほど、成田から帰ってきました。しばらくはネタに困りそうに無い状態です。この1週間のことをネタに、1日1ネタでフランス人とのお話を書いていこうと思う次第。9月2日3日早朝に成田着ということなので前泊して待機をする予定だったため車で成田へ移動。しかし、夜に会社から電話有り。国際電話で「Alionの自宅電話番号か、メールアドレスを教えてくれ」と言われたが、同僚は「プライベートな事なので」と断った、という内容。このタイミングで国際電話。何かトラブルがあったとしか思えない。初めて携帯から海外へメールを送った。電話をかけてきた(と思われる)フランス人同僚のアドレスは覚えていたので何とか連絡が取れた。「飛行機に乗り遅れて2時間遅れる」とのこと。合計で3人来日する予定なのだがそのうち二人は親子。この親子が遅れるらしい。「3人とも遅れるのか?」と聞いたら「3人とも遅れる」との返事。んじゃってことで朝、少しゆっくりホテルで寝て成田へ。すると、一人のフランス人が旅客センターで今、まさに私に電話をしてくれと係員に交渉の真っ最中。実は彼女は予定通りの飛行機に乗り、長時間私を待つことになったというわけ。とりあえず、一安心して2時間遅れの飛行機を待つ。2時間経っても現れない。3時間経っても現れない。又も何かあったか?と、成田のターミナル内をウロウロし、「遅れる」としか連絡を受けていなかったので、どこか別の国を経由する便に乗った可能性もあると、ターミナル1と2の間を2往復。4時間後、知らない番号から携帯にTelあり。「今、○○さん(友人のフランス人)と一緒に居るのですが」という日本人男性からのコール。成田についているのだが、入国審査が長引いていることなどを説明してくれた。安心はしたものの、初日からどっと疲れが。それにしても、世の中親切な人もいるものである。後日、お礼の電話をかけておいた。日本もまだまだ、捨てた物ではなさそうである。この日の午後のネタは、また明日。
2005.09.11
明日からやっと夏休みに入ります。今日の夜、成田へ移動して明日の早朝から日本ガイドです。でも、非常に楽しみ!ってことで、11日まで日記はお休みです。PCもって行かないし、携帯で更新するほどマメでもないし。楽しみにしてくれている人はいないと思いますが、どうぞまたのお立ち寄りを・・・
2005.09.02
人間というもの(いきなり大きく出たが)、誰しもがSとMの両面を持ち合わせていると思う。100%Sだとか、Mってのは少ないのではなかろうか。自分の中のSとMのバランスがかなり偏っている人はそれぞれ自分のことをSと認識したりMと認識したりするのであろう。例えば格闘家。究極のSに見える彼らだが、絶対にMの要素を持ち合わせているに違いない。何故なら、究極のSは「自分が痛みを感じる世界には踏み込まない」からである。リングに上がっている以上、殴られたりすることは初めから承知なのだ。しかし、かなりSに偏っていることは間違いない。究極のMの例が思いつかないが、男女間で主従関係を結んでいる人がいたとしても、全ての人に対してMであるというわけではないだろう。他人に対して怒りを感じて向かっていくこともあるであろうし。私はSの要素が多い。従って、痛みを伴うことを好まない。女王様が鞭を打ってきたら、マジギレして倍返ししそうな性格である。しかし、この性格、プライドにつながる部分を持っている。プライドは決して高いほうではないと思ってきたが、そうでもないらしい。けなされると凹むし、褒められると照れてしまう。そしてこの性格が、研究者としての資質に大きく関わってくる。SとMのバランスが良くないと、研究者としては大成しない(してないけど)。自分が考えたことを否定されても、それを客観的に、寧ろ好意的にその反論を迎え入れなければならないし(Mの側面)、それをバネにして「なにくそ!」という気概(Sの側面)も必要である。最近、つとに感じること。研究者にとって、もっとも邪魔なもの。それは、プライドと先入観である。
2005.09.01
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