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【9月23日(金曜日) 旧八月二十六日 辛巳 先負 秋分】今日は秋分の日で祝日だ。21日の台風が通り過ぎて、翌朝は「台風一過」の青空が広がった、と思いきやその後雲がどんどん広がり、夕方には真っ黒な空から雨まで降ってきた。明けて23日もご覧の通りの曇天で、秋の青空は望めそうにない。(それにしても、日本の空は電線が「うるさい」!・・・・ん、私の家の辺りだけか?)【お彼岸の由来】さて、今日はお彼岸の中日。お彼岸は祖霊を敬う日として、墓参りに行く習慣が根付いているが、本来は太陽に祈る日だった。彼岸は「日願」だったのだ。ご存知のように春の彼岸のお中日(春分)と、秋の彼岸のお中日(秋分)には、太陽は真東から昇り、真西に沈んで行く(昼と夜の時間が同じ)。そこでこの日、真西に沈んでいく太陽に礼拝し、はるか西方にあると信じられていた極楽浄土に思いを馳せていたというのが彼岸(日願)の始まりだそうだ。「だそうだ」というのは、紀元806年(大同元年)に崇道天皇が詔勅を発して、この日を中心に前後七日間、全国の国分寺の坊さんたちに「金剛般若経」を読経させたという記述が「日本後記」にあり、これが「彼岸会」の初出だとされているからだ。今を去ること1300年も昔のことである。天皇の詔勅で始まった彼岸会は、日本独自の行事なのだ。彼岸会はこのように、元々は太陽信仰と仏教の浄土思想が合体したものとして始まったが、浄土には祖霊も仏になっていらっしゃる。それで徐々に「祖霊を敬う日」として定着していき1300年後の現在にまで至るというわけだ。因みに「彼岸」は「此岸(しがん)」に対する言葉で、悩みや苦しみに満ちた現実の世界に対して、「三途の川」の向こう岸、悟りと安息の西方浄土を表している。今年の秋のお彼岸は、9月20日が「彼岸の入り」。そして今日が「お中日」として、26日が「お彼岸明け」と、延べ7日間続く。「今年の秋のお彼岸は」と書いたのには訳があって、太陽と地球の位置関係で決まる春分も秋分も、年によって微妙に変化するのである。「最近」では秋分の日は、1888(明治20)年~1899(明治31)年の間は9月23日ではなく、一日早い22日だった。そして1900(明治32)年~1979(昭和54)年真での80年間は9月24日だったのだ。1980(昭和55)年から今年(2011年)までは、9月23日が秋分の日だが、来年(2012年)から2099年までの間は再び9月22日になる予定だ。「予定だ」というのは、今後の事は天体力学からの予測であって、何らかの天変地異、じゃなくて「宇宙的事件(例えば地軸の傾き方が変わるとか)」が起これば、この限りではないからだ。天文学的な予測によって「国民の祝日」としての秋分の日が決まる(春分の日も同じです)のだが、先ず日本の国立天文台の計算結果が毎年政府に報告される。次に、それによって時の内閣による「閣議決定」が下される。その上で、毎年「前の年の2月1日」までに官報に掲載されて告示されるのだ。こうして、暦が天文学に基づいて決定されるのは世界でも大変珍しいことだそうだ。つまり、今年の秋分の日は、鳩山由紀夫さんが閣議決定に署名して今日に決まった。来年の秋分の日は、野田佳彦さんが閣議決定に署名することで決まるのかどうか・・・・・?いずれにしても管直人さんは、日本の暦にも関係ない総理大臣だったことになる。【おはぎとぼたもち】 「おしることぜんざいがどう違うのか?」というのは、「天ぷらをソースで食べるか、塩か、はたまた天ツユか?」と共に、暇つぶしの格好の話題とされている。では「おはぎ」と「ぼたもち」の違いは?こし餡が「おはぎ」で、つぶ餡が「ぼたもち」?ご飯粒が残っているのが「おはぎ」で、そうでないのが「ぼたもち」?大きくて「庶民的」なのが「ぼたもち」で、小ぶりで高級なのが「おはぎ」?お母さんが作ってくれるのが「ぼたもち」で、和菓子屋で買うのが「おはぎ」?・・・・・ 私の結論は、「どっちも同じ」だ。 おはぎもぼたもちも、江戸時代頃に出来た「お菓子」で、お彼岸や四十九日の忌明け法要に食べる習慣が定着したようだ。餡に使われる小豆の赤色には、厄除け、魔除けの「おまじない効果」があると信じられており、お彼岸(本来は祖霊を敬うと共に、前後の三日間で仏道に精進するという延べ一週間の期間である)に、小豆餡で包んだ米餅をお供えして祖霊を慰めると共に、自分自身の功徳を積んでいた。つまりは、どちらも「お供え物」で、「自分たちで食べる」ものではなかったようだ。(無論、彼岸明けに「お下がり」としては食べたはずだ。)さて、餡の原料となる小豆の収穫時期は秋のお彼岸の頃だ。獲れたての「新小豆」は皮も柔らかく、つぶしただけで食べても苦にならない。それで秋には新小豆をつかった「つぶ餡」で米餅を包む。春のお彼岸の頃には、小豆も一冬越して皮も固くなっているから舌に残る。そこで、餡を濾すことで、食感を良くしようということになる。それで「こし餡」。つまりは、昔は「秋の彼岸はつぶ餡」、「春の彼岸はこし餡」というのが主流だったようだ。次は「おはぎ」と「ぼたもち」。秋のお彼岸の頃は萩の花が咲き、春のお彼岸の頃は牡丹の花が咲く季節でもある。そこで、秋のお彼岸には赤紫の萩の花を真似て、米餅を小ぶりにやや細長くまとめる。一方、春のお彼岸には、牡丹の花になぞらえて大きめに豪華に作る。と、こんなような習慣もあったようだ。まとめると表のようになる。…ところが、最近では保存方法も随分進歩していることもあって、こういう区別は特に意識されなくなって来た。それと音の響きとして「ボタモチ」より「オハギ」の方が何となく「上品そう」でもある。但しこの場合「オハギ」の「ギ」は、松田聖子の登場以来日本人が急速に失ってしまった鼻濁音で発音されなければならない。そうでないと「オハギ」も下品な発音として同類だ。(因みに江戸城の大奥では、「オベッタベタ」などとも呼んでいたようだ。これまた、キタナイ。だから、私の結論としては、総合的に考えて「どっちでも変わらないでしょ!」ということにしておく。さて、「彼岸」は俳句の季語でもある。ただ、季語として「彼岸」といえば春のお彼岸のこと。秋の場合は「秋彼岸」とか「秋の彼岸」となる。やはり秋より春のほうがときめくものがあるのだろう。 道問はれ道づれとなる秋彼岸 (松山寿美) 年金をもらわず生きて秋彼岸 (松沢久子)いずれにしても今日はご先祖の霊を慰めた後は、和菓子屋で買った(どうせ、わざわざ作る方は殆ど無いでしょう?)「ぼたもち」でも「おはぎ」でも召し上がって、ご自身(のおなか)もお慰めになりますよう。
2011.09.23
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【9月21日(水曜日) 旧八月二十四日 己卯 先勝】昨日は秋の彼岸の入りでした。二日後の23日は「彼岸のお中日」、つまり秋分の日です。秋分も春分と同じく「二十四気」(よく言われる「二十四節気」は、用語法としては誤りです)の一つです。二十四気は太陽の位置を基準としています。太陰暦の昔から言い習わされていますが、これはれっきとした太陽暦での暦日なのです。一般には雑節の「二百十日」に、嵐などの天候災害が起こり易いと言われていますが、統計的には二百二十日(9月10日頃)から、9月末にかけて台風の来襲頻度が高いため、台風にはむしろこの期間に注意をした方が良いのです。と、いった通り、今日本列島は台風15号の洗礼を受けています。この台風は、少し前に紀伊半島を中心に大きな雨被害をもたらした12号と同じく、沖縄や南大東島辺りをゴニョゴニョと迷走した後、やおら進路を定めて日本列島を縦断しようとしています。つい先ほどのニュースでは、14:22頃に浜松市付近に上陸し、現在時速45キロメートル程のスピードで北東に進んでいるとの事です。私の住んで居る辺りでも、午後2時半を過ぎた辺りから、急に雨風が強くなりました。雨は雨脚が白く見えるほどの、まさに「白雨」です。予報では、台風の進行スピードは更に早くなり、首都圏では、これから明日の明け方にかけて暴風雨に見舞われるとの事です。此処のところ列島の方々では、地震やら大雨やらで地盤が緩んで不安定になっているところが多いので、なるべく被害が少ないことを祈りたいものです。さて、例によって台風についての私のウンチクです。【台風はどうして出来るか】台風は太平洋の南方洋上に生じる「暖かく湿った空気の巨大な渦」だと言い換えることが出来ます。もう少し詳しく言うと、先ず赤道付近の海上で熱せられた空気が上昇気流となってはるか高空(海面上約1万メートル)程まで達します。こうして高空に滞留した空気の塊は、やがて冷たい高空で冷やされて、海面に向かって落ちてきます。文字通り落ちてくるのです。だから海面では、落ちてきた空気の塊の圧力で「高気圧」になります。これを「亜熱帯高気圧」と言います。高気圧では「落ちてきた空気の塊」が周囲に噴出します。つまり高気圧を中心として「外側」に風が吹き出すことになります。こうして吹き出す風は地球の自転の影響を受けて、北半球では東から西に向かう「偏東風」という流れを作ります。この偏東風に何らかの原因で「うねり(波動)」が出来、それが渦になると、それが台風の「芽」になるのです(渦の中心では再び上昇気流が生じます)。この段階では渦は「熱帯性低気圧」と呼ばれます。なぜ偏東風に「うねり」が出来るのかは、今の科学では未だ解明されていません。(科学といっても、実は未だ分からないことばかりなのです。)さて、熱帯性低気圧の中心では湿った空気が上昇しています。湿った空気は上昇するにつれて温度が下がり、水蒸気は凝結して水滴に、やがては氷の結晶になります。この時「潜熱」を周囲に放出します。水蒸気が凝結した空気は更に軽くなって、もっと上昇しようとします。そうなると空気が「薄くなった」海面では、上昇する渦の中心に向かって、周囲から湿った暖かい空気が吹き込みます。この空気が又上昇していく際に同じことが起こり、それが繰り返され、熱帯性低気圧には更に「潜熱」が供給されます。台風の駆動力のエネルギー源は潜熱なのです。こうしてエネルギーを蓄えた熱帯性低気圧では、渦の中心に向かって風が吹き込んでいるのですが、このうち「10分間毎の最大風速の平均が秒速34ノット(17.2メートル)を超えるもの」を、日本の気象庁では「台風」と呼ぶことにしているのです。熱帯性低気圧が晴れて(というより大雨と大風で)台風に成長するためには、海水面が26℃以上であることが重要な条件だとされています。この辺りの出来事は、北半球では北緯2度から40度の辺りで起きるものですが、今回の台風15号の場合は、沖縄など南西諸島でウロウロしている間、26℃以上の海面から更にエネルギーの供給を受けて、大きくなってしまった訳です。【台風はどの方向に進むのか】台風の進路については、色々な要素が絡むので一概には言えないところがあります。(だから予報も難しくて、しばしば外れるのですね。)しかし大雑把に言えば、「台風は低気圧に沿って進む」と言えます。上に述べたように高気圧は「空気が吹き降ろしてくる場所」で、低気圧は「上昇気流が起きている場所」ですから、巨大低気圧である台風も高気圧に向かっていくのは「しんどい」のですね。前回紀伊半島に被害をもたらした台風12号に関する9月3日朝の天気図のあらましを掲げておきます。この時は、西からは中国大陸からの高気圧に阻まれ、北からは大陸高気圧に頭を抑えられ、おまけに東からは北太平洋高気圧に威圧されて、台風12号は紀伊半島付近に滞留を余儀なくされたのですね。今回の台風15号の場合には、北の高気圧と東の太平洋高気圧がやや遠くにあり、西の高気圧は12号の時よりやや日本側に張り出してきているので、浜松付近で上陸した後は列島を縦断するコースに乗ったという訳です。【台風の雨と風は?】 台風は上空から見ると中心に向かって左回り(反時計回り)に風が吹き込んでいる渦だと言うことが分かります。つまり台風の進行方向に向かって右側では、風は「後ろから」吹き、左側では「前から」吹くことになりますね。更に進行方向の右側では、吹き込む風に台風が進む速度が「足し算」されます。例えば台風15号は現在時速約45キロメートルで北東に進んでいますが、これは秒速にすると約12.5メートルになります。今台風自身による暴風が風速25メートルだとすれば、進行方向の右側に当たる地域(私の住む付近も今回は右側です)では、実際の風速は秒速37.5メートルになります。逆に進行方向の左側では、逆に「引き算」になって、風速12.5メートルになり、この地域では風より雨による被害を心配した方が良いということになります。又、台風12号のように進行スピードの遅い台風では、同じ場所に大雨が長く続くため、浸水や土砂崩れの被害を受ける事が多いのです。今、台風15号のように、台風が北東方向に進んでいる場合を例にとると、進路の右側では台風の接近によって「東寄りの風」が強くなります。その後風の向きは段々南に移って行き、最も台風の中心(目)に近づいたときには、風は「南」か「南南東」から吹くように変わります。そして、風向きが「西寄り」に変われば、台風の中心は通過していったということになる訳です。だから台風がやって来るという時には、自分の居る、住んでいる所が進路の右側か左側かにも注意しておくのが良いのです。さて、現在私の住んでいる辺りは風向きが南寄りに変わってきているので、そろそろ中心に最接近する頃かと思われます。何れにしろ、雨も風ももう少し続くようです。願わくば、大過なく過ぎて、明日には爽やかな「台風一過」となりますように。皆さんのご無事もお祈りします。
2011.09.21
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【9月15日(木曜日) 旧八月十八日 癸酉 先勝 居待月】13日は月齢を基にする旧暦では仲秋の名月、つまり八月十五夜、満月であった。8年ぶりの「熱帯夜の十五夜」だったそうだが、それでも月が屋根の向こうに姿を現す頃には、秋の到来を思わせる風が立った。そして今日は「居待月」である。日本人は観月、つまり月を眺めるのが大好きなようで、十五夜だけで無く、その次の夜の月、又その次の夜の月、・・・と随分しつこく月を愛でていた。それぞれの夜の月には、十六夜(いざよい)、立待(たちまち=「たちまち現れる」の語源である)月、居待(いまち)月、寝待(ねまち)月、更待(さらまち)月と、ちゃんと名前まで付いている。それぞれに「待ち」という字が付いているから、月が東の空に昇ってくるのを待ち焦がれていた気持ちが伺われる。ところで、月の公転周期(地球の周りを一周する時間)は、現在27.32日である(少しずつ長くなっている)。本当はもっと細かい端数まであるが、私には小数点二桁もあれば充分だ。つまり月は一日に地球の周りを約13.2度だけ動く。(360度÷27.32=13.177・・・度。)これも13.2度としておけば充分だ。月の公転方向は地球の北極方向から見れば左回り(反時計周り)だ。つまり、地球から見ると月は空(天球上)の東の方に向かって、一日に13.2度ずつ動いているように見える。さて、地球は周知のように、一日=24時間を周期として自転している。これも、もっと細かい端数まであるが、私には24時間で充分だ。これを言い換えると、地球から見て空の同じ位置は24時間後に戻ってくることになる。地球は同時に太陽の周りを(月を連れて)一年かけて公転しているから、「空の同じ位置」は一日に1度だけ昨日の晩よりずれていく。(これも1年は365日だとか、そういう細かいことは忘れる事にする。更には一日に1度ずつずれることも、この際忘れる事にする!)さてそうなると、空は地球から見て1時間に15度ずつ(360度÷24=15度)東から西に向かって動いていくことになるのだ。此処に月の公転による動きを重ねると、月は24時間後には13.2度だけ東にずれているということになる。この13.2度は時間にすると0.88時間(13.2÷15=0.88)になり、52.8分となる。いいかえれば、月の出は毎日約52分ずつ「遅くなる」ということである。ここでまたまた大雑把に(私は昔物理を勉強していたせいで、この「大雑把」というのが大好きなのだ。)、満月のとき月は午後6時に東の地平線から昇って来て、深夜0時に中天に懸かり(南中という)、朝の6時に西の地平線に沈むと考える。まぁ、そう大雑把に考えても人生の一大事には関係ない。そうすると、「十六夜」の月の出は午後7時近く。「立待月」の出は午後7時45分頃。「居待月」の出は午後8時半頃。「寝待月」の出は午後9時半頃となり、「更待月」の出は午後10時20分頃になる。月が地平線に出た辺りでは、昔だって隣の家だの、木立だの、色々障害物もあって月も良く見えなかっただろう。それに地平線近くでは、月光も厚い大気の層を透過して来るせいで、赤っぽく濁って見え、余り美しくない。だから、東に昇って来た月が「見ごろ」になるのは、月の出から1時間ほど経って、少なくとも15度ほど動いた辺りである。都会では30度ほども昇らないと、ビルやら何やらで見えないところも多い。因みに、腕を伸ばして指を一杯に開いたとき、親指の頭から中指の先端までが、大体15度の視角に相当するから、ためしてご覧になると、この辺は感覚的に理解できるだろう。そうなると、「見ごろの月」を拝める時刻は、十五夜(満月)で午後7時頃。十六夜で午後8時頃。立待月で午後9時近く。・・・夕方から立って待つにはちょっと辛いか?居待月で午後9時半。・・・そろそろ座って一杯でもやっていないと。寝待月で午後10時半。・・・もう子供は寝ているな。更待月で午後11時半。・・・もう居酒屋も店じまいして、終電車も気になりだす頃だ。いずれにしても、宵の内から夜半近くに至るまで、延べ6日間にもわたってしつこくお月見をしていたのだから、昔の人は余程お月様が好きだったのか、あるいは暇で他にやることが無かったのか・・・・何れにしろ、今夜は居待の月。今夜もこの辺のお天気は良いらしい。十五夜をご覧になれなかった方は、午後9時半過ぎに、帰宅の途中、或いは居酒屋を一旦お出ましになって、東の空を仰いでご覧になるのも一興かと。今夜の月は向かって右側(東の地平線から遠い側)が、もう少し欠けているはずだ。
2011.09.15
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【9月11日(日曜日) 旧八月十四日 己巳 先負】2001年のこの日、ニューヨークのWTC(ワールドトレードセンター)が、テロ攻撃の標的になり崩壊した。もうあれから10年経ったのだ。私はあれより少し前にNYに行く機会があり、オノボリさんよろしくWTCの展望階まで行って、何となくゆらゆら揺れているような感じがしながら、眼下のNY港を眺めたことがある。あんなところに飛行機が突っ込んで、その後ビル全体が崩れ落ちるなんて、今でも想像するのが恐ろしい。さて、眼の獲得が我々の揺籃であると昨日のブログに書いたが、もう一つの「揺籃」が、カンブリア紀のもう少し前、先カンブリア紀と呼ばれる時代にもあったらしい。それは「ンコ」をする生き物がこの世に登場したことによるものだった。この頃地球は「全球凍結」という大イヴェントを経験している。全球凍結は英語では「Snowball Earth:スノーボール・アース」ともいう。このとんでもない出来事は、今から20数億年前と、7億5千万年ほど前と、過去に2度ほどあったらしい。こういうイヴェントがあったらしいというのは、1992年にカルテク(カリフォルニア工科大学)のジョー・カーシェヴィング教授が「スノーボール・アース仮説」として発表した。その後1998年に、ハーヴァード大学のポール・ホフマン教授が、南アフリカでの地質調査の結果でこの仮説を補強し、スノーボール・アース仮説は一躍世界中の学会で話題になった。全球凍結というのは、文字通り地球が南北両極は勿論のこと、赤道地帯まで丸ごと凍ってしまうことだ。どうしてこんな過激な現象が起きるかは未だ完全に解明された訳ではないらしいが、どうも大気中の二酸化炭素ガスの変動に因るものらしい。何らかの原因で極地方が低温になると、海流の影響で近くの海が冷やされる。冷やされた海は二酸化炭素をより大量に溶かし込むようになるので、空気中の二酸化炭素ガスの濃度は減少する。すると二酸化炭素ガスによる大気の保温効果が弱くなるので、地球は更に冷え込むことになり、それで又海中に溶け込む二酸化炭素量が増え、大気中二酸化炭素濃度は又々減少し・・・という連鎖反応が発動される。その連鎖が全球凍結に至るというのだ。これには逆の場合もある。逆の場合は、先ず何らかの理由で大気中の二酸化炭素濃度が高くなると、その温室効果で海の温度が上昇し、その結果二酸化炭素がガスとして海から大気中に放出され、それが又大気の温度を上げ・・・というわけだ。どちらもポジティヴ・フィードバック、つまりは一種の暴走プロセスだから、一旦始まってしまうと行くところまでいかないと終わらない。と、いうことは、現在の地球環境は、一方に転げれば全球凍結、反対側に転げれば熱球甲子園、じゃない!全球熱帯化という、極く幅の狭い尾根の上で、辛うじて危ういバランスを保っているのだといえそうだ。さて、7億5千万年前の二度目の全球凍結は、始まったきっかけ、終わった理由もはっきりとは分かっていないらしいが、いずれにしても我々が今こうしている以上、終わったことは終わった。おそらくはどこかの火山の大爆発で、二酸化炭素ガスが空気中に大量に放出され、それが寒冷化のポジティヴ・フィードバックサイクルをストップさせたようだ。一回目の全球凍結が終わった時も同じだったが、氷が溶けて温かくなってきた海に、シアノバクテリアが大繁殖した。私が学校に居た時代には、シアノバクテリアは藍藻類という名で呼ばれていた。シアノバクテリアは、今ぞわが世の春とばかりに、海中に豊富な二酸化炭素を利用して、活発に光合成を行い、どんどん酸素を放出する。そしてその酸素は、海中に大量に棲息するシアノバクテリアの死骸や有機物を酸化・分解し、マリンスノーとして海中を浮遊し、海底に降り注いでいった。つまり当時の海は「濁っていた」。そして酸素は海中で費やされて、大気中には大して放出されてはいなかったらしいのだ。ここで、満を持してヴェンドビオント(Vendobiont)という生き物が登場する。ヴェンドビオントは、地球上で一番初期の動物群といわれ、多細胞動物だったとか、いやいや大きいけれど単細胞動物だったとか色々な説があって、謎の多い動物群の一つだそうだ。この生き物はは、極端に平べったく、エアマットのように軟弱で、カンブリア紀に先行するエディアカラ紀という時代に生きていた。勿論彼らは絶滅し、今では化石で偲ぶのみで、その子孫も今には遺されていない。このヴェンドビオントは軟弱ではあったが、腸管という器官を持っていた。つまり史上初めて「ンコ」をした。つまり糞をする動物として、我々後世の生き物達にとって画期的な役割を果たしてくれたのだ。彼は(彼女は?或いは性別など無かった?)、海中を大量に浮遊するマリンスノーをせっせと食べ、それを腸の中で固形化して排出した。排出された「ンコ」は、固まって海底に沈んでいった。その結果海の濁りは徐々に無くなり透明になった。つまり海は「晴れ上がった」のだ。そうなると、シアノバクテリアの産生する酸素(遊離酸素)は、酸化で消費されることなく、海中に満ちみちて、更には海面から大気中に放出されていった。その結果地球は「酸素の満ち溢れる星」になり、全ての生き物を育み得る下地が出来た。それが三葉虫の眼の出現に繋がり、更にカンブリア大爆発をもたらす事になったのだ。宇宙論では、ビッグバンから徐々に温度が下がり、38万年程経った頃に光子が電子との相互作用から解放されて、長距離を進めるようになった。これを「宇宙の晴れ上がり」といって、原子が生成され、遥かにはるかに後に我々が誕生できるきっかけにまでなったのだ。海では、海が「晴れ上がる」ことで、生き物が多様化することを可能にした。そしてそのきっかけをつくってくれたのは、生き物として初めて「ンコ」をして下さったヴェンドビオント様なのだ。まことに「ンコ」が我ら生きとし生ける物の揺籃を与えてくれたのである。快食快便は、古今を問わず侮るべからざるものなのだ。
2011.09.11
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【9月10日(土曜日) 旧八月十三日 戊辰 友引】今日は日本でカラーテレビの放送が開始された日だそうだ。1960(昭和35)年のことだ。この日からテレビの映像は、白黒の明暗画像から極彩色に変わり、そのお蔭で視聴者の想像力は自ずと制限されるようになった。それが最近は地デジ化やハイビジョン放送などのお蔭で、テレビの画面は非常に高精細になって、ちょっと見には写真を観ているのと変わらない。自然や、美術館、それに景勝地の映像など、美しいのは確かに非常に美しい。しかし、同時に女優さんの顔の毛穴までつぶさに見えてしまい、美しいかんばせに小さな瑕疵でも見つけようものなら却ってお気の毒になる。以前のように、走査線のすだれ越しに映像を観ている頃と比べれば、画の粗さで却って想像力を刺激されていたことなど遥かに昔のことだ。ところで、生き物が眼を持つようになったのは、今を去ること約5億4300万年前。地質年代でいうとカンブリア紀の事だ。最初に眼を獲得した、つまり最初に世界を「見た」生き物は三葉虫だったそうだ。少なくとも化石においてはそういうことになっているらしい。それ以前の生き物(この頃は未だ全ての動物は海棲であった)には眼は無かった。しかし多くの動物は、眼の前身ともいえる光の明暗を感知できるセンサーを持っていたそうだ。だから、海の浅いところで傍を何者かが通過して光が遮られた場合には、漠然とそれを「感じる」ことはできた筈だそうだ。然しその「何ものか」が餌なのか、或いはこっちが餌になりかかっているのか、はたまた上から石ころが落ちて来たのかは想像するしかなかった。つまりは、明暗センサーを頼りに「そのもの」の影に向かっていっても、次の瞬間餌を確保できるか、或いは逆に餌にされてしまうか、はたまたぶつかって怪我をするかは、全ては「賽の目の出たとこ勝負」、運の為せる業であった。ところが、眼を獲得した三葉虫には、それこそ画期的な「視野」が開けた。前を横切るものの正体を朧げながらも「見極める」ことが出来るのだ。因みに三葉虫の眼は複眼だったので、我々が見るような明瞭な世界を「眼」にすることは出来なかった。複眼は現世の昆虫も持っているが、これは映像を見るというより、動きを感知できるモーションセンサーの働きをしているらしい。それでも周りは眼のない連中ばかりの中で、眼が見えるようになった三葉虫は、まさに餌の獲り放題、連日連夜酒池肉林、飽食の限りを尽くしたことだろう。そのせいで三葉虫はカンブリア紀から古生代全般を通じて最も繁栄した生き物である。化石の写真では三葉虫はゴキブリの親戚のように見えるが、大きさもゴキブリ大から数十センチまでとヴァリエーションが豊かで(数十センチものゴキブリなど、想像するだにおぞましいではないか。昆虫嫌いのかの人など、話を聞いただけで卒倒してしまうだろう。)、仲間は一万種ほどにも及ぶ。本物のゴキブリが出てくるのは未だずっと先の話であるから、正しくはゴキブリが三葉虫の親戚に見えるというべきだろうが。こうなると、より良い視覚を求めて、眼はどんどん進化し、精巧になる。その内立体視も可能になる。更に獲物狩りは、眼のお蔭で狡知に長けたものとなっていったのだ。しかし餌にされる側、つまり被食者の側も、ただ漫然と眼のある連中に食われるままの境遇に甘んじていたわけではない。飽食の暴君に対抗すべく新たに眼を開発した連中が出てきた。俊敏に動いて逃走する能力を開発したものも出てきた。また自分に「眼をつけて」襲ってくる捕食者から身を守るために、硬い殻や甲を見に纏うものも出てきた。又三葉虫自身も同属から喰われてしまうのを防ぐために鎧を纏うようになった。初期の三葉虫には硬い外骨格はなかったらしい。つまりあるものは防衛方針を優先させて、鎧や甲羅を纏った。これは外骨格派である。別の一派は骨を体内に形成させ、俊敏さを獲得した。これが内骨格派である。我々ヒトは勿論内骨格派に組するものである。こうして世界の動物はそれまでの「運任せ」の食生活から、狙って食うか、或いは狙われて食われるかという、弱肉強食の時代に突入して言ったのだ。この時代、酸素濃度は現在より高かったようで、濃い酸素の効果も相俟って、生き物達は一挙に様々な「形態上の実験」に打って出た。つまり「視野」が開けたことをきっかけにして、捕食上や防衛上の見地から、考え得るありとあらゆる「形状」の実験を、まさに身を以って展開したのである。これが「カンブリア大爆発」と呼ばれる、生物形態の多様化である。この頃出てきた殆ど冗談としか思えない形をした生き物達は、最近は色々な本でその姿が紹介されている。このカンブリア大爆発の結果現世動物の全ての形態が出揃ったのだそうだ。カンブリア大爆発は眼の誕生から僅か100万年後に始まり(「進化」の時間スケールからいえば、100万年は本当に僅かな短い時間なのだ。)、そして約1200万年続いた。そして文字通り百花繚乱の「形態のファッションショー」が終わると、多くの「カンブリア大爆発の申し子」たちは、淘汰の荒波に浚われて消え去っていったのだ。眼が登場したことこそがカンブリア大爆発の原因である。更に言えば、眼の獲得こそが現在の我々を含む全ての動物の揺籃をもたらしたのだ。これは21世紀に入ってから提唱されるようになった新しい学説で、例えば『眼の誕生』(アンドリュー・パーカー著:邦訳は草思社2003年)に紹介されている。音だけの放送から画が見えるテレビ放送、そして色の付いたカラー放送になって、我々の想像力は減退していった。一方で生き物の世界では、「見える」ようになって創造力が爆発したという訳だ。
2011.09.10
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【2011年(辛卯) 9月8日(木曜日) 旧8月11日 丙寅 赤口 二十四気の白露】今日は二十四気の「白露」。朝夕に草木の葉の末に結露が見られる頃という意味だ。日本人は透明とか無色を表すのに、「白」という「癖」がある。夏の驟雨を表す「白雨」というのもそうだし、かき氷にかける甘みも、「イチゴ」、「ミルク」、とあって、糖蜜だけのシロップは「白」といった。「ミルク」のシロップは見た目には白いのだけど、これは「白」とは言わず、あくまでも「ミルク」だった。名古屋名物(?)の「ういろう」も、「♪白、黒、抹茶、あがり、コーヒー、柚子、桜♪」とコマーシャルで唄っていた。この内の「白」は単に砂糖の甘みで作られたもののことをいう。黒は「黒砂糖味」ということだが、「あがり」というのは何だったろう?ともあれ、白露の候ともなれば、いよいよ秋の気配は濃くなる。さて、それはさておき、今読んでいる本に蝶や蛾の口吻のことが書いてあった。我々の口は、頭蓋骨の下に、昔祖先だった魚の鰓(エラ)が張り出してきて下顎になって出来たのだそうだ。それと共に鰓の出口(鰓は口から入った水の中の酸素や栄養物を漉しとると共に、余分な水の排出孔でもあった)を失い、口が呼吸の際の空気の入口と出口を兼ねることになった。口は勿論食べ物にとっては入口である。あくまでも口は入口であって、出口はご存知の通り別のところにある。これが一緒だったら、ちょっと食事時には言いにくい仕儀とはなる。ところがこの口が呼吸(酸素の取り込みと排出)を兼ねることになったために、色々不都合なことが出来てきた。呼吸の際には口は入口と出口の役割を交互に行うことになる。一方食事に際しては、口は取り込むだけだ。それを、喉の奥で切り替えている。だから、物を食べながら(特に飲み込む際には)話すことは出来ないし、そのことから(多分)食べ物を口に入れたままで話すのはお行儀が悪い、ということになった。つまり、口は気道と食道が共有する出入り口であるため、双方はちゃんとその都度分離されなければならないというわけだ。実際、マンナンライフが問題になったのも、子供やお年寄りによる誤嚥下(食べ物が誤って食道ではなく気道に入ってしまうこと)のせいであり、高齢者が食べ物を喉に詰まらせて呼吸困難に陥ったり、悪くすると肺炎(気道の炎症)を起こしたりするのもこのせいだ。どうも人間の体のデザインは、祖先が無理して海から陸に上がったり、更には四足のままで満足せずに二本足で立ち上がったために、随分無理な変更を強いられたらしい。我々が当たり前のようにお付き合いを余儀なくされている「肩こり」も、その原因の一部は、神経の束が鎖骨と肩甲骨の間に「無理やり」配線されているところにあるようだ。ところで、昆虫は人間とは全くといっていいほど異なるデザインコンセプトの下にあるようだ。先ず、昆虫の口は「立て口」で、人間のように「横口」ではない。人間はあくびをする時口を大きく上下に開けるが、昆虫はあくびをする時(昆虫があくびをするかどうかは知らない)は口を大きく横に開ける。これは人間とは異なり昆虫は外骨格で、体節が組み合わさって体が出来上がるというデザインが採用されているからだそうだ。私の知人には、昆虫を目の敵にしている人が居る。彼女(その人は女性です)は、昆虫の外骨格が非現実的で許せないとおっしゃる。「ムシは硬いからヤダ!」と。この場合「ヤダ」というのには異質なものに対する「恐怖」や「畏れ」、そして「嫌悪」の気持ちが込められている。この人は、一方でカエルやヘビ、イモリやヤモリなど、普通の女性なら気味悪がるイキモノたちを「可愛い!」とおっしゃる。「彼らは虫を食べるし、柔らかいから」だそうだ。左様に、昆虫は我々とは別次元のデザインコンセプトの下で進化してきたイキモノ達だが、地球上の全ての陸棲動物の内約80%以上を昆虫が占めていることを知れば、むしろ昆虫の方がメジャーで我々はマイナーな存在だといわざるを得ない。さて、かの人が昆虫の中でも「嫌いだ!」とおっしゃるのは、セミや蝶、蛾など、樹液や花の蜜を吸う虫たちである。「あんなストローみたいな口でどうしようって言うの。信じられない!」だそうだ。これらの虫たちの「ストロー」は体節に付属する肢が変化したもので、それが長く管状に進化した結果である。基本はやはり「立て口」なのだ。あのストローは「口吻」と呼ばれている。セミならば樹皮に、蝶や蛾なら花の奥に口吻を突き立てたり差し込んだりして、樹液や蜜を吸っている。我々も飲みものを摂取するのにストローを使うが、その際には呼吸器官を使って「吸い込む」必要がある。そして吸い込んだ液体を気管ではなく食道に送り込むために、一種の「スイッチ操作」をしなければならない。その際に、誤って液体が気道に入り込んで「むせる」のは良く経験するところだ。しかし、セミや蝶は「吸わない」。彼らは「毛細管現象」で、樹液や花蜜が自然に口吻(ストロー)から上がってくるのを、舐めとっているのだ。そして昆虫の体の側面には呼吸のための孔が開いているから、食事の間も平気で呼吸を続けることが出来る。行ってみればお酒を飲みながら、その最中に呼吸をしているのだ。彼らは口からは呼吸しない。だから、昆虫をやっつけようとすれば、この体側の呼吸孔を何らかの手段で塞いでしまえば良い。昆虫を水浸しにすれば、もっと念を入れて石鹸などの界面活性剤を含んだ液体に浸せば、彼らはあえなく一巻の終わりとなる。しかし、私は生物多様性を護持する見地から、この事を虫嫌いの彼女には教えない。さて、ここでモスラの登場である。モスラは1961年(昭和36年)の東宝映画に出てくる、蛾の怪獣である。ゴジラやラドンと並んで「東宝三大怪獣」と称される、当時の銀幕のスターだ。このモスラ、生まれ故郷の島から、芋虫の姿で日本にやってきて、途中で様々な被害を生じさせる。やがて人間側の様々な攻撃にも係らず東京タワーに蛹をかけ、羽化して巨大な蛾になる。そして、やがてザ・ピーナツ(古い!)の唄に誘われるように、故郷の島に帰っていくのだ。ところで、当時のポスターを観ると、この蛾は本当にかなりデカイ。モスラの諸元は知らないが、東京タワーにかけられた蛹の大きさ(とザ・ピーナツとの比較)からすると、体長は少なくとも数十メートルはありそうだ。こんな大きな蛾が、昆虫としての体の構造と筋肉で飛べたものかとうか甚だ疑問だが、それをさておいたとしても、この蛾は羽化後の食事はどうしたのだろうか?毛細管現象で、液体がある直径(d)の管の中を昇ることが出来る高さ(h)は、h = 4Tcosθ÷ρgdという式で表される。ここでTは表面張力、θは対象とストローの接触角、ρは液体の密度、そしてgは重力加速度である。今ストローがガラスで出来た直径0.1ミリで、水を液体とした時にはhは約30センチになる。我々が普通に目にする虫たちは大体こんなスケールだから、セミや蝶、蛾たちは悠々と樹液や花蜜を食することが出来る。ところがモスラほどの大きさになると、体の各部分の大きさが、相似形を保ちながら大きくなるとして(そうでなければモスラは「巨大蛾」としてのスタイルを失うだろう)、このストローは直径10センチほどにはなるだろう。そうなると、上の公式を見れば単純に言って、hは上の値の千分の一程度になる。と、いうことはモスラが幾ら花蜜を吸おうとしても、ストローの先端から0.3ミリ程度のところまでしか蜜は届かない。つまり、モスラは蛾になった時から餌を獲ることができなくなり、飢え死にしてしまう。とても故郷の「インファント島」まで飛んでいけるどころではないのだ。モスラが毛細管現象ではなく、ストローを「吸い込んで」蜜を獲るのだとすれば、それを可能にする呼吸のメカニズムを新たに開発しなければならず、その結果は最早昆虫とは言えない。インファント島の水爆実験が如何に「原モスラ」の遺伝子に作用したとしても、ちょっと無理すぎる「突然変異」だと言わざるを得ないのだ。こういう事を考え出すと、気になってしょうがないのだ。
2011.09.08
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【2011年(辛卯) 9月7日(水曜日) 旧8月10日 乙丑 大安】最近本屋へ行くと「反原発本」がやたらに目に付く。「新刊・話題書」のコーナーに行くと、新しく出た小説などに混じって、こういう本が必ず何冊も並んでいる。ちょっと大きな本屋だと、わざわざ「原発コーナー」まであったりする。「原発コーナー」といってもあるのは「反原発」の本ばかりで、原発を支持する本はおろか、冷静に原発の効能や付帯するリスク、エネルギー問題全体を踏まえて今後どうあるべきかを評論したり解説している本は皆無である。少なくとも私は3.11以降お目にかかっていない。まるで原発は今や日本中の不倶戴天の敵にされてしまったようである。私はそれが気に入らない。少し前に「日本の食料自給率は40%弱」という話をここに書いた。お米1キロを作るのに3.6トンの水、大豆1キロだと2.5トンの水が必要だ。食料全般に大量の水を必要としている。食料問題は水問題である。その食料の6割強を海外に仰いでいるのでは、日本では全世界的な環境の維持と外交に腐心しなければならない。そんなようなことを書いた。つまりはフード・セキュリティだ。ところがエネルギー(今のところエネルギーを「電力」に置き換えてもいい)に至っては、わが国の自給率はたった4%程度で、所謂「主要国」の中では最低のランクである。そしてエネルギー資源輸入の大部分は中東地域に頼っている。これは、食料と並んで国民生存の要であるエネルギー・セキュリティ上の大問題だ。日本はその稀少なエネルギー(発電量)の内約30%超を原子力発電、つまりは核分裂を利用する原発に依っているのだ。核分裂を起こす燃料であるウラン235は100%輸入に依存しているが、原発に必要な技術では日本は他の国を凌駕しており、極論すれば日本の技術が無ければウラン鉱石など、ただの石だ。そういう意味では原子力エネルギーは日本の「準国産エネルギー」だと云ってもいい。それに、他の石油や石炭、天然ガスなどの埋蔵資源を利用するのと異なり、二酸化炭素の廃出という観点からは、今のところ最も「クリーン」なエネルギーでもある。しかし原発は、その中心部では非常な高温度の中を放射線が飛び交っている。結果として放射能廃棄物も出てくる。放射能は目に見えないだけに不気味である。特に日本人は先の戦争以来原子力には「本能的」な恐怖感を持っている。今回のようにそれが事故で漏れ出すと、不安が現実的なものとして、理屈を超えて迫ってくる。それに、漏れ出さなくても、発電の結果産生される放射性廃棄物を何処に捨てるのかという不安も生じる。半減期の長い廃棄物だと余計に不安になる。ここでちょっと面白い話がある。放射性廃棄物の処理について、各国間で話し合ったことがある。これを永い間(ものによっては数百年から十万年ほども長い期間、放射能を帯びたままの廃棄物もある。)安全に隔離するにはどうすべきか。結論は「何もしないで普通に埋めておく。」だったそうだ。つまり、危険なことを報せるために、何らかの標識を設けたり、モニュメントを建てたりすると、後世の「歴史好きな人」や、ひょっとしたら「考古学者」や、好奇心に溢れた子供までが発掘したりしてしまう。だから、「何もしないで普通に埋めておく。」のが一番安全なのだと。そうすれば、だれも気が付かない!(本当の話かどうかは知りません。)現在の原発でも高速増殖炉との併用で、廃棄物の心配は大幅に減らすことが出来るし、長期的には核融合発電が実現できれば、核燃料の問題も核廃棄物の問題も「許容可能」なまでに解決することが出来るが、核融合発電の分野でも日本の技術は世界の中で群を抜いている。核融合発電だと燃料(重水素と三重水素だ)がわずか1グラムで、石油8トンを消費するのと同等のエネルギーを生み出すことが計算上出来るそうだ。しかし、分裂であれ融合であれ、「核」が付くと不気味で面妖な印象が付いて回る。一つにはあの「爆弾」をどうしても連想してしまうこと。そしてこの分野では、ウランとかプルトニウムとか、シーベルトとかベクレルとか、更には非常な高温度とか、非日常極まる言葉や概念の氾濫である。核融合に至っては「イオン温度5億数千万度(!)以上の高温を実現して、プラズマを長時間閉じ込めて・・・」などということになるから、大学で物理か工学を専門に勉強した人以外には、面妖以外の何ものでもない。だから、先日の事故とそれ以来のあれこれで、「校庭の土」、「海で獲れた魚」、「牛が食べた稲藁」、「お茶の葉っぱ」など、身の回りの分かり易いところから国の基準以上の放射能が検出された、ということになると、それまでの漠然とした不安感が突然具体的に、また現実的な脅威、恐怖と変わるのだ。私は何も特に原発を擁護するものではない。こういう問題は情緒論ではなく、冷静な議論が必要だと思うのだ。人間は、森林や草原を切り開いて農業を始めて以来、ずっと環境問題と自分たちの生存との間で折り合いをつける問題と直面し続けている。それがのっぴきならない問題として、広く認識されるようになったのは、せいぜい20世紀の後半に入ってからである。それまでの唯我独尊、発展至上の思想が変化し始めてからは未だ50年ほどしか経っていないのだ。そしてその期間でも「発展至上」の考えを払拭することが叶わなかった。今でもそうだ。誰でも「自然は守らなければならない」、「環境を保護しなければならない」、「自然に優しく」などといえば(考えてみれば随分思い上がった言葉だと思う)、反対する人は居ない。その一方で、縄文時代、いやそうは言わずとも、せめて弥生時代に戻っても良いと思う人は誰も居ない(と思う)。有機農法や自然農法による野菜を好みながら、そういう野菜を作るのにどれほどの埋蔵エネルギーが費やされているかには無頓着だ。更には、自分たちの快適な生活を支えている電力の30%が原子力発電によって賄われていることは、敢えて普段忘れるようにしている。残りの70%だって大部分が埋蔵資源を燃やすことで賄われているのだ。太陽光発電や風力発電は、実現すればクリーンで「環境に優しい」が、実現するまでにそれを製造し、配備するために必要なエネルギーは何処から来るのだろうか?つまり、環境保護と人間の快適な生活は、本質的に両立しない。相互の「折り合い」をどう付けていくかということしかないのだ。環境保護(私はこの「保護」という言葉がどうも引っかかるのだが)とは、「地球環境」と「生物環境」が両者とも今より急激に悪化しないように、出来得るならば少しは改善したいということだろう。「人間の快適な生活」とは、先ず「せめて後十世代程度、つまり我々の玄孫(やしゃご)が玄孫を持てるようになる頃までは、人類が大きな不安も無く存続できること」と、その間は「暑すぎず凍えることも無く、ご飯もちゃんと食べられること。」この両者を実現し維持するには、今我々はどうすれば良いのだろうか?ここで、反原発本に立ち返ると、私の印象では殆どが大衆の情緒におもねる程度のものしか無い。原発は単に技術の問題ではなく、政治や私企業、それに自治体の利害が様々に絡んでいる。其処には当然利権も大きく絡んでいるはずだ。そういう「負の部分」を殊更に取り上げて、センセーショナルに仕立て上げ、「原発は悪だ」、「原発など要らない」と書き立てて印税を稼ごうなどというのは、出版ポピュリズムというにも値しない。私は、単に原発のみでなく、将来的に可能な様々なエネルギー源、エネルギーの産生・分配方式を取り上げて、包括的に、且つ冷静に理論的に教えてくれる本。文明の観点から人間のエネルギー生活に視点を開いてくれる本。発電と蓄電、それに配電のあるべき形態と、それに係る政治や企業、そして更には我々民草に課せられる課題を提示してくれる本。そういう本があって欲しいと、今切実に思っている。最後になるが、つい先ごろ【「脱・石油社会」日本は逆襲する】という本を読んだ(清水典之、光文社ペーパーバックス)。中々面白かった。この本の中では、石油を中心とするエネルギー資源の枯渇を踏まえて、水素社会や電池社会の可能性が述べられている。これからの都市形態の有り様まで述べられている。総じて反原発ではなく、暫定的原発支持の基調で書かれているが、この本が出版されたのは2009年の1月だ。彼の本が出た2年後に3.11が起こったのだが、清水さんには改めて現在の時点で、この本の続編か補遺版を書いて欲しいと思う。私はかなり触発されたので、ご興味のある方にはお勧めしたい。
2011.09.07
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