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【10月12日(水曜日) 旧九月十六日 庚子(かのえね) 赤口 満月】今夜は満月だ。この分では今夜は綺麗な満月を望めそうだ。さて、今日も日中は秋晴れで風も無く、穏やかな日和となった。「小春日和」というのは、日本ではもう少し先のことになる。「小春」というのは旧暦(陰暦)の十月のことなのだ。今年の暦では「小春」は10月27日からである。ところで、この「小春日和」、米語ではインディアンサマー(Indian Summer)と言うけれど、なぜ?実は地元のアメリカでも色々説があるようだ。(1) 米語ではIndianと言う言葉には、「偽の」とか「嘘の」という意味もある。(え、「インディアンはウソ付かない!」じゃなかったの?)、それで「偽の夏」というのでインディアンサマー。(2)秋には、朝霧が出て、それがインディアンの焚く「のろし」のように見える日がある。そういう時日中は穏やかに暖かくなる。それでインディアンサマー。(3)秋の暖かい日には、冬篭りの支度をしていた動物達がワラワラと野面に出てきて、餌を漁ろうとする。それをインディアンが待ち構えていて狩りをする、というのでインディアンサマー。(4)あるいは、当時の移民たち(イギリスという、冬の寒い、暗い土地から来た)には、インディアンが棲んでいるけどこういう暖かい日がある土地には憧れていた。だから憧れを込めてインディアンサマー。私は、若い頃にニューイングランドに(マサチューセッツ州)居た事があります。これらはその当時に聞いた「解釈」だ。・ ・・・と、いう訳で、語源は「実のところ良く分からない!」というところである。因みに、日本の小春日和と違い、あちらのインディアンサマーは9月下旬から10月始め頃の「夏の戻り」をいうようだ。丁度今頃のことだ。ニューイングランドの田舎を、今頃車で走っていると、方々の農家の軒先でリンゴを売っているのを見かける。日本のリンゴとは異なり、小さめの固くて酸味の強い種類が主流である。道路から玄関に続くドライブウェイに、無造作に袋に詰めたリンゴが置かれてあったりして、廉い!又、1ガロン(約3.8リットル)入りポリタンクに、リンゴの搾り汁を詰めた「Apple Cider」も売っていて、これが又廉くて私が居た頃はたった3ドルだった。私は休日になると、そういうところでリンゴを買って、ついでに(同行者がいる場合は)アップルサイダーも買って、長距離ドライブに出かけたものだ。元々アメリカのリンゴはイギリスからの移民が苗木を運んできたのが嚆矢だそうで、昔ゆかしい種類が多い。「マッキントッシュ」とか「リサ」や「ニュートン」という、アップル社のパソコンの名前は、これらのリンゴの名前である。先日他界したスティーヴ・ジョブズは西海岸の人で、アメリカでリンゴが出来る東海岸には縁が無かったけれど、イギリスに何となく憧れのようなものがあったのかもしれない。又一説には、ビートルズのレコード会社、「アップルレコード」から会社の名前を思いついたという話もある。この辺の経緯はアップル社では公にしていないそうだ。私には上のような体験が有るせいか、日本のリンゴでも紅玉という、果肉が固めで酸味の強いリンゴが大好きだ。(未だ自分が固くて甘酸っぱい頃が忘れられない!?)紅玉は、普通は料理やアップルパイに使われることが多いが、私はそのままかぶりつく。その度に独特の甘酸っぱさに口元を絞り、「あぁ青春!」と感極まっている。さて、インディアンサマーだが、米語では又別の意味として、「平穏・快適な晩年」、とか「人生後半の全盛期」という意味もある。これは良いですね。「人生後半の全盛期」!私には多分ぴったりかも。【おまけ】所変われば品じゃなかった、言葉も変わるで、ドイツを始め北ヨーロッパ地方では、「小春日和」のことを、「老婦人の夏」といっている。例えばドイツ語では”der Altweibersommer”(デァ・アルトエイヴァーゾマー)だ。「オバァちゃんの夏」である。これはこの頃卵から生まれたクモの子が、糸を引いて風に乗って空を渡るのが観られ、群れを成すように飛ぶクモの子達の引く糸が、秋空を背景にしてキラキラ銀色に光る。それがオバァちゃんの銀髪のように見えるからだそうだ。クモは多くの種類が、生まれ出た後、高いところにヨチヨチ歩いて登って行き、やがてクモの糸で風を捉えて、遠くまで飛んでいくという習性がある。これを英語でBallooning(バルーニング)と言う。昔、「ノンちゃん雲に乗る」という映画(?)が有ったが(古い!古過ぎて知っている人居るかなぁ?)、「クモの赤ちゃん、糸に乗る」というところだろうか。この現象は北ヨーロッパだけでなく、日本でも(どちらかというと関東以北の地方で)観られる。秋ヴァージョンと春ヴァージョンがあって、春は「雪送り」、秋は「雪迎え」という美しい名前で呼ばれているそうだ。この頃木の枝の高いところに、銀色の糸が見えたら、クモの赤ちゃんたちの大冒険の名残ということだ。さて今夜の満月、丸い紅玉でもかじりながら、丸い月を眺めてみようか。
2011.10.12
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【10月10日(月曜日) 旧九月十四日 戊戌 仏滅】先日東急某線で某駅に到着したときのこと、ドアが開くや否や、「私は85歳です!席を譲ってください。」と乗り込んできた人がいた。それが車輌全域に響き渡るほど随分大きな元気の良い声だ。あぁ言うのを胴間声っていうのか?いやいや、胴間声というより朗々たるバリトンというべきで、むしろ良い声だった。同じ調子で、「その席は、あんた方若い人たちは座ってはいけないんでしょう。」と続く。オジ(イ)サンが乗ってきたのは優先席近くの乗り口で私の背後に当たる。何人かがもぞもぞ動く気配があって、「何もそんなに大声で言わなくっても・・・」とつぶやきじみた声がして、優先席に座っていた若者達が立ち上がったらしい。オジ(イ)さんは、悪びれる様子も無く、「ハイありがとさん。」とバリトンの美声でお座りになったようだ。今時の85歳は随分お元気だ。この人の「自己申告」が正しければ、1926年生まれ。これは昭和元年である。傘寿を越して尚、バリトンの独唱を車内に響かせていらっしゃるのは、ご同慶の至りだ。若者達が、勢いに負けてしまっている。しかし、私は不愉快だった。先ず自らの年齢や境遇を敢えて喧伝して、席を譲れというのに違和感を覚える。己のハンディキャップを誇示して、人に謙譲を要求するのは、いかにもあざといではないか。「私は42歳の妊婦です。高齢出産です。シングルマザーとしてこの子を産むため、頑張っています。だからその優先席、私に譲ってください。」・・・・こんな事を言う人は、私は嫌いだ。それに、優先席は「優先席」であって、そこが空いていれば誰でも座れるのだ。このオジ(イ)さんの大声のお蔭で、若者達が座席を譲った後は、件のバリトンオジ(イ)さん以外は誰も座らない。そりゃぁ誰でも座りにくいだろう。よく女子高生が、優先席が空いているのに、その前で立っているのを見かけることがある。うら若い乙女としての彼女達は、優先席に自らが座るのを憚る気持ちがあるのだろう。気持ちは分かるが、あれは邪魔である。立っている空間も座席と共に車内の空間だ。それに通路でもある。空いていれば、座席にさっさと座るのがマナーというものである。バリトンオジ(イ)さんは、自らの朗詠によって邪魔を創り出したとも言える。日本人には、さりげなさを尊ぶところがある。老人や具合の悪そうな人、それに妊婦などは、敢えて声高に座席を強要しない。又座っている方は、そういう人を見かければ、黙って即座に席を立つのだ。それが日本の美風というものだろう。このバリトンオジ(イ)さんは、以前から何度も辛い目に会って来て、こういう態度が身に付いたのかもしれない。こういう人は、「優先席付近では携帯電話を使っちゃいけないでしょうに!」とか、「電車の中で物を喰うんじゃない!」とか、「車内で化粧なんかするな!」とか、事毎に小言を言い立てるのだろうな。85歳のおん年で、老人代表のような態度をされるのは、他の多くの奥ゆかしい老人達からすれば迷惑千万。私もこういうオジ(イ)さんにはなりたくは無い。不愉快が極まったのは、このオジ(イ)さんが後ろから私の背中をつついて、「此処空いてますよ」と自分の脇の席を勧めてくれたことだ。誰が座るもんか!それにしても、私の目の前の、やはり優先席に座っていたオジさん達(この人達はオジイさんではなく、立派なオジサンだった)は、目前のバリトンの朗詠に係らず、申し合わせたように全員寝ていらした。そうか、日本人にはこういう習性もあったのだ。
2011.10.10
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