Free Space
”脳による知覚とその共有” ということを書いたことに関連があるので、
アップしておきます。
異次元や死後に関しての書類なども2作品ぐらいしか読んだことのない私が、
これまた漠然っと、全く何の根拠もなく、感じていることですからあしからず<(_ _)>
こころ在る 限り
という記事の追記です。
故人との思い出というのは、
実際に故人の思いや意思・意志がその時どうだったか?
は 別として、故人の思い出を抱いている人の解釈・受け取り方ではあっても
それはその人の心に存在していて、
何かの折に思い出したときに、影響を与えますからね~。
私勉強してないもんで、
輪廻転生 というのを認めると、必然的に因果応報も認めることになるんでしょうけど・・・
私の考えは、 輪廻はたしかにしていたなあ、、、と思うけれど、因果応報という考えが薄くなってます。
来世は、過去世によって決まる のであるから、
輪廻は因果によって生じるとみるのが一般的なんでしょうけれど、
なんか、、、、たとえ私が死んだ後、再びどっかの時代のどっかの誰かに生まれ変わっても
それは 偶然且つ必然であった故
とおもうんですよ。
亡くなった人のもの(亡霊)であれ、生きている人のもの(生霊)であれ
霊魂ってみられるべきものではないのですよ。
これらを科学的に証明せよ っというお題は、
それこそナンセンス 。
なぜならば霊魂がみられない理由は、科学的な理由に因るからです。
だって次元が異なるんですもん!
でもそれでも科学的には解明できない現象によって
霊魂を意識の状態によって、意識レベルをテレビのチャンネルを変えて
いろんなテレビ番組を見られるように変えて、
(あるいはラジオのフェレカンスを変えてラジオ番組が変わるように)
異次元の風景をみられることがあるんだと私は感じてます。
それは見るだけでなくて聞く、匂いを嗅ぐということまで含まれていて、
しかし、これらの知覚、五感によって認識しているっと、
身体に慣れてしまった私達には感じられたり、思われたりしてしまうことも、
もともと、この次元では存在しないものの存在を認識してしまうことが、
意識のレベルの変化によってチャンネルが切り替わってしまうことによって起こったことだから、
決して視覚や聴覚などの身体の五感によって認識しているものではないんだと私は思ってます。
意識のレベル、意識のチャンネルを意図的に、リモコンを片手に
テレビ番組を切り替えるように切り替えられて、異次元を旅することができる人が
この世にはおそらくたくさんいると私はおもっていますが、
私はそこまでできませんし、したいとも思いません。
なぜなら、 私が知るべきこと、見るべきことであったならば
私のほうから働きかけずとも知らされ、見させられるものであることを、
私は知っているからです。
霊魂というものは死者、生者の区別なく存在するのだろうと私は思います。
そしてそれに付随しているその人の心や思いも 生きている人の思いがあるように
亡くなった人のものも存在しますが、
なくなっている人の身体は存在しませんから、思いという意思や意志があっても
生きている人の世に実際に影響を与えることは、なかなかできないと思うのです。
**************
霊魂にしても、幽霊、亡霊にしても存在しているとしたら、なぜ、私達には見られなかったり、
存在を感じられなかったりするのか?
また、たとえ幽霊や亡霊が存在しても、この世のものに、直接働きかけることができない
(一般的に未来を知りたい人に教えたり、恨みを晴らすために何かをしたりすることができない)
っと私がかんがえるのはどうしてか? っということについてもう少し記します。
今あなたがたが目の前にしている空間、あなたが存在している空間には、
あなたとあなたの視界にはいっている空間に存在しているもの、
例えば、あなたの家族、パソコン、コーヒーカップ、書籍など・・・だけでなく、
同時に四次元、五次元などの世界も広がっていて、
次元の異なるものも同時に存在してるように、私は感じています。
この三次元の世界だけと思っている世界や空間は、実は角度を変えてみると、
全く同じ場所に違う次元の世界が存在しているように私は感じているのです。
おそらく身体をうしなって、意識や心や念だけになった存在には、
3次元の私達の世界が見えるものもいるっと、私は思うのです。
ではなぜある次元の存在は異次元の存在に働きかけることができないのか?
2次元である、紙に描いたりんご、如何に本物のように見えても、私達にはつかめませんよね?
それからテレビやパソコンの映像の中にも、我々は入っていけません。
それは身体が存在しているからです。
次元の異なる存在の関係も同じことが言えるのだと思います。
身体のある3次元体の私達をつかもうとしても、身体をもたない亡霊や幽霊にはつかめない、
彼らにとっては、3次元のものは紙に描いたりんごなのではないか?っと。
逆にテレビの映像の方は、身体のない魂、時空を超える彼らはおそらく、
テレビの映像を思い描いただけで、、、、
瞬間的にそこへ行ってるわね!っと想うのです。
(夢の中では、私達はその異次元の壁を楽に超えることができてしまいます。あるいは、意識の状態を異次元のチャンネルに意図的に合わせられる人は、身体をこの次元に置いたままに、意識を異次元に飛ばすことが可能でしょう。)
・・・
っとここまで書いたんですが、死者がなんとか生きている者に自分の存在を伝えようとするとき
この世の一瞬という短い時間に働きかけることは可能かもしれないなあ・・・っという感じは無きにしも非ずっと私は思ってます。
私は父の存在を感じたときに、思いもかけず父の自筆の字がかかれたホワイトボードが突然倒れたことがありました。
その時のことを記事にしたものは こちら
です。
まあ、もともとホワイトボードは立てかけられていて、不安定な姿勢ですし、
重さもありませんから、そういう風の力で動かせるぐらいの力を、
異次元の存在でも、一瞬時にこめることはできるのかもしれない・・・・
っとは感じています。
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