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8月29日昨日とおとといでプラトン「ソクラテスの弁明/クリトン」を読んだ。意外にもKのことが重なってきて、予想とは違った感慨を受けた。信念を貫き、意見を曲げない態度、死に対する考えなど今の私には感じ入るものがある。9月2日染色家・志村ふくみさんのエッセー集「ちよう、はたり」を読み終わった。「創ることは汚すことである」という言葉がずさっと胸にささる。今度はショウペンハウエルの小論集「自殺について」を読み始めた。ニーチェ、ヴィトゲンシュタインからショウペンハウエルへと導かれてきた。詳しく知らなかったが、意外にも仏教への言及が多く、ここ数年の私の中での流れと結びついてくる。今年の目標の1つ、ひと月に1冊ずつ哲学書や関連の本を読むことをブランクがありつつも、細々と続けている。
2009.08.29
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8月27日仕事帰りに、ちらしデザインを担当した「ヴェニスの商人」初日を見に行った。キャパオーバーするくらい客席がいっぱいで、盛況のようでよかった。Sちゃんもポーシャ役でがんばっていた。終演後、Sちゃんがメンバーに紹介してくれて、出演者とスタッフによるお疲れさまの乾杯に加えてもらった。演出のM先生に挨拶した。デザインについて、「こんな特技があるとは」と言ってくださった。以前、演劇学校のとき指導を受けていた先生で、私は芝居に挫折しているだけあって、他の人にほめられるのとは格別な悦びがある。舞台背景の絵がやはり海の風景で、青と緑の融合加減がちらしデザインと似ていて、イメージが合ってたんだな、よかったと思っていたらM先生が美術担当に"ちらしデザインのイメージで"と舞台背景の指示をしたのだと、Sちゃんが教えてくれた。驚くとともに、とても嬉しかった。劇団員の方が覚えていて下さったり、音響のM子さんが気さくに対してくれたり昨年のときからちらしデザインを気に入って下さった主催の方にもやっとご挨拶できた。劇団のときは私の中では暗黒時代と思ってしまっているのでその後芝居を見に行っても顔向けできない心境だったのだが、今回、デザインのほうで認めてもらうことが出来、やっと顔向けできるような、マイナスがやっとプラスに転じたような気がした。そのあとの飲みにも誘われ、行った。いつも忙しくしているSちゃんとも話が出来てよかった。最近は芝居後の飲み会に行くと、いつも"無頼"という言葉が浮かぶ。彼らは不安定かもしれないけど芝居を生業とし、舞台に生き、一瞬に生き、内側から生き生きとしたパワーを発し続けている。帰ったのは夜中の12時半で、平日にしては遅いけれど、パワーをもらえた幸せな晩だった。
2009.08.27
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自らに対し、革命を起こし続けることのできる者こそ生き残る。今の私には革命が必要だ。生ぬるすぎる。安楽すぎる。
2009.08.25
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夢中になること、没頭すること。人と比べたり迷ったりしていると気が弱くなり、自信がなくなり、ネガティブになってしまう。しかし何か1つの作業に集中していると、そんなことは頭から追い出され、そこに自分の力をぶつけることができる。一行三昧。余計なことを考えるな。
2009.08.24
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8月16日渋谷Bunkamuraでブロードウェイ・ミュージカル「コーラスライン」を見た。ストーリーは分かりきっているし、エピソードも大体覚えているのに、それでも心打たれ、心が震え、泣けてきてしょうがなかった。不安定な生活でも希望を持ち、後悔しないと言い、踊り続けるダンサーたち。最後のナンバー"One"では本当にひとりひとりが黄金に輝いていた。生きていること、踊ること、人とつながっていること、その全てが、ただただ素晴らしいと思え、感動し、感嘆し、感謝した。
2009.08.16
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随分前の記事ですみません・・・7月31日会社帰りに千駄ヶ谷の76Cafeに檀田波ゲンさんの個展を見に行った。ゲンさんは駅まで迎えに来てくれていた。駅前のロータリーにちょこっとしゃがみ、いつもながら何やら書きなぐっている。デザインフェスタのときはアジアンな服をまとい、強いアイラインをひいていて、底知れぬ湖のようなマットな吸い込まれるような目をしていたのが印象的だったけれど、髪が少し伸び、ほとんどメイクをしていなくて、黒シャツにパンツにスニーカー姿のゲンさんはちょっと新鮮だった。アイラインを引いていないゲンさんの目はマットではなくてきらきら大きく輝き、随分印象が異なっていた。お店まで案内してくれた。入り口付近にはプロフィールのボードと、展示販売用のポストカードが並べられたテーブル。明るい店内の壁には、ゲンさんの作品がいくつも飾られている。デザインフェスタで私が気に入って買ったポストカードの原画もあって、嬉しかった。秘められた言葉、地の声、宇宙へ続くささやき声がひそかにひそかに聞こえてくるような蒼い画面。カフェではお茶を飲みながらとりとめなく話をした。途中からデザインフェスタのスタッフでもあり、クリエイターでもあるおちさんが来店し、話したり作品を見せてもらったりした。ゲンさんもおちさんもその作品は若いエネルギー、素直な感情、敏感で、何か大きな優れた感覚を感じさせ、すごいなあと感嘆してしまう。大きなものに没頭しているのだ。それは残念ながら私にはないものだ。この日は個展最終日でもあり、時間になると作品群を撤去し始めた。新宿から夜行バスに乗って関西に帰るというゲンさんを荷物運びを手伝いがてら、見送りに行くことにした。夜行バスは最近はものすごい人気らしく、夜中の西新宿のバス乗り場はオレンジのライトがたかれキャリーケースをころころ転がしたり、おしゃべりしながらバスを待つたくさんの人で賑わっていて、びっくりした。各路線のスタッフの、集合をかける声が飛び交っている。そんな喧騒の中、道端にしゃがみ、時間までぽつぽつと話した。絵のこととか、これまでのこととか。久々にストリートな感覚を味わった。いい夜だった。
2009.08.12
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7月31日Gからずっと借りているエーリッヒ・フロムの本、最後のほうを読んでいる。ここでも宗教のこと、新しい生き方のことと直面する。千葉に行ったときにGと夜通し話したこと、キリスト教の信仰のこと、パートナーのこと、家族のこと、Gのお姉さんの経験を聞き、考えさせられた。"一番大事なものを捨ててついて来なさい"とキリストは言い、大事なものを捨ててついて行った弟子たち。Gのお姉さんは大事なものを捨てること、手離すことによって、巡り巡って結果的に大事なものを得ることができたという。それを聞くと納得できるけれど、クリスチャンではない私にとってはどうだろうかと思ってしまう。我執を捨てること、それにより本当の望み、祈り、平安がもたらされる、ということかもしれない。我執を捨てることは仏教や禅の教えにもつながる。神が救ってくれると思うから間違いなのだ。もし創造主なり全知全能の存在がいるとしても、人間の祈りや希みを叶える必要性も義務も何もない。どう考えても救ってくれる神などというものは人間の想像力がつくったとしか思えない。破壊の神、気まぐれの神ならまだ考えられるけれど。8月2日私が一番大事なものは、かたく握り締めているものは、私自身だ。エゴだ。自己愛だ。これを捨てるのは非常に困難なことだ。困難なことだけど、ひとつの可能性を思いつく。それは外面的に、他に奉仕したりすることではない。そんなことをすればますますエゴが浮き出てくるだろう。私の場合、考えられるのは何かに没頭することだ。忘我の状態になるほど、ものに打ち込むことだ。それは仕事であれ、創作であれ、掃除であれ、思考であれ、何でもいい。私の集中力のなさは、自分への甘えのような気がする。集中し、ものに打ち込み、能力を最大限に駆使するとき、私は利己でもなく利他でもなく、その対象物と同化して生きている。世界との接点に四次元を作り出す。そのとき時空が現世のものではなくなる。それは私にとって""涅槃"、"空(くう)"の状態なのかもしれない。これが何になるのか、ではなく、こうしていること自体が涅槃の状態だと感じ、納得するのでいいのだろう。それは禅僧の作務のようだ。集中して物事をやっているとき、それで仏なのだ。即身成仏。色即是空。修行。行は練習ではない。その一瞬一瞬が完成形であり、価値のある時間なのだ。人生の内容そのものなのだ。だから誰かの人生、その一瞬一瞬も否定したり嘆いたり憐れんだりすることはできない。それは不当なことなのだ。2~3年前からにわかに仏教や禅に興味が湧き、少しずつ学び、考えてきたことが今に結びついている。風であり、水である。人もこの世も。雨が強くなってきた。雨に降り込められて家に一日、いる。世界は雨に包まれている。8月4日刻々と思考は流れる。少しずつ進む。こんな地味なものなのだろうか?地味なものでいいのかもしれない。8月6日降る、蝉の声。葉影をぬって吹いてくる風。あそぶ雀、飛び立つ鳩。一瞬一瞬が完成形。そう思って今を大事にしたり、同時にいろんなことにチャレンジしたりすればいいのだろう。どんな状態のときでも私は私で、その一瞬が完成形なのであれば。しかもそれは終わりの完成形ではなく、途上の完成形。パラドキシカルだけど。8月11日Kのこと。今回は本当のさよならだと思い至る。一度離婚という形で決別したけれど、いつかは交流が復活できないだろうか、交流まで行かなくても、彼が夢を叶えたり、幸福な生活を送ったりするのを見届けたいと思っていたことが、すべて完結してしまった。これ以上願うことも何もなくなってしまった。彼はこの世から決別してしまった。だから私も彼と本当に決別しなければいけない。しかし、遅かれ早かれ誰とでも決別のときは来るのだ。家族ともパートナーとも友人とも。そして自分自身がこの世とも。それまでの時間が長い、短いというのもない。どれだけ生きれば、どれほど関わればそれでいいということはない。それには一瞬一瞬が充実していれば、それで十分なのだ。後悔のないように、そのように心をこらして日々、やっていきたい。木があって、蝉が鳴いていて、風のゆらぎがある。人の手によって彫られた石、苔むしながら黙って突っ立っている。黙っていること。黙って生きていること。その重さ。語ることのほうがどんなに簡単なことか。
2009.08.11
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7月17日Kが亡くなった。昨夜連絡があった。18日にお通夜、19日に告別式。誕生日に告別式をやることになるとは。Kの死を知らせると、親友のKyouちゃんから詩が送られてきた。Kyouちゃんの詩は本当に"うた"だ。ゆらぎだ。私とは随分違う。今の私は何にも言葉が出なくて、うたうことはできない。7月18日豊橋へ向かう新幹線ひかりの中。運ばれる、運ばれる。過去へ運ばれてゆく。人は死に瀕するとその人のいいところばかり思い出す。そして惜しむ。生きているうちにお互い認め合って許しあっていければいいのにね。存在そのものが失われそうになって初めて、その存在の貴さに気づく。小さな単線の駅の、何気ない柱、枕木、はげかけたペンキの色。名も知らぬ雑草。そんな風景が何故こんなに心懐かしく、魅かれるのだろう。これは私の転機になり得るだろうか。何が変わったわけじゃない。彼と離れて7年経ち、会うことも話すこともなかったけれど。何か変わるだろうか?7月19日終わった。終わったのだ。急に激しい雷雨が降る。洗い流せ洗い流せ。ぬぐい去れ。これからなのだ。これから意味が立ち上がってくるのだ。今回のことの意味。何を学ぶべきか。何を捨て去るべきか。妄想。人生の悩み煩いの90%は妄想だ。そう思っている。今日は火葬場に行き、火葬、収骨に立ち会っても想像したようなパニックにはならなかった。むしろ実感がわかなかった。棺に泣きすがる彼のおかあさんが遠く見えた。空(くう)になった。空(そら)になった。空へ翔り、身軽な身体となり、下界を見下ろし、哄笑している。そうであったらいい。告別式のとき、たくさんの参列者がいて、Hさんの心に響く弔辞があって、祭壇の上の写真を見ているうちに、急に、彼は幸せだったんだな、と思えた。辛かろうが、淋しかろうが、たくさんの人の愛に囲まれていたのは確かなのだ。そして彼も周りの人を愛していた。親族の待合室を抜け出した。立ち昇る煙を見たかったけれど、煙は見えなかった。蝉の声と小さな用水のせせらぎの音の中で、ぼーっと空を見上げていた。蝉の声は優しかった。細い柔らかいリリアンが紡がれていくようなあんなにデリケートで優しいゆらぎの声に聞こえたのは初めてだ。7月21日弟さんと毎日のように、今日の血圧はいくつ、脈拍はいくつ、19日まであと何日、とカウントしていた日々がすでに懐かしい。人は哀しみの中でも笑えるものなのだ。お通夜の晩と、告別式のたった1日半の短い間に経験した、たくさんのたくさんのこと。濃く、あたたかく、暗く、湿っていて、割り切ることのできないもの。胸の奥に追いやられた言葉。虚しい。昨夜は久々に飲みすぎた。気分悪くなって道端に座り込んだ。そんなのは久しぶりだったな。喪失。喪失してきた、この7年間で。彼の不在には慣れてしまったが、絶対的な不在ではなかった。今あるのは絶対的不在だ。あり得ぬ未来だ。彼の時は止まり、閉じ、完結してしまった。絶対的無言だ。もうしょうがなかったのだ、あんなに白く冷たくなってしまっては。もう焼くしかなかったのだ。あの骨がKのものだとはまだ信じられないし、あの肉体が無くなってしまったことも信じられない。7月22日あの日の朝を覚えている。前夜の雨でアスファルトは湿っていて、明け方の街はブルーグレイ、夏だというのに空気はひんやり冷たかった。懐かしい街、二度と足を踏み入れることはないと思っていた街を運転した。途中のコンビニに寄った。お客など誰もいない店内。パンとあたたかい飲み物を買い、駐車場で車の中で食べた。朝4時半だった。そして病院へ向かった。瀕死の彼に、そして捨ててきた過去に立ち向かう時間が近づいてくる。哀しみに侵食される。この身体のだるさは哀しみが内側から巣食い、私をひきずり落とそうとしているのかもしれない。ふと考える。自分が死ぬとき、それが遠い将来なのか、案外近い将来なのかわからないけれど、Kのことを思ったとき、それはプラスにしか考えられないのではないか。振り返って、出会えて一緒の時間を過ごせて影響を与え合って、本当によかったと思うしかないような気がする。今のいっときの哀しみに暮れてしまうとそれしか見えなくなってしまうけれど、人生長く生きたとしても、終わりのときにはさほど違いを感じないのではないだろうか?(カミュの「異邦人」を思い起こす。)死という理不尽さは依然としてあり、人生のはかなさを痛いほどかみしめるのではないだろうか?先に人生を駆け抜けてしまった先輩として、ただただ出会いに感謝するのではないだろうか?全てをプラスにしてうたうことは私にできるだろうか?7月28日何か全く異なった視点から、異なった理解や考え方ができないものだろうか?それを探りつつある。まだ漠然としているけれど、それが課題なのかも。今回の一連のことの。そしてこれまでの。これからに対しての。何か大きなブレイクスルーが必要なのかもしれない。考え方の転回。それはほんのちょっとしたことかもしれない。しかしそれが大事な気がする。それによって生き方が変わるかも。マルコムによるヴィトゲンシュタインの回想録を読んでいる。Kの実家にあった本だ。Kがヴィトゲンシュタインの哲学が好きだったから、軽い気持ちで読み始めたら予想以上に多くの示唆があり、考えさせられている。発見もある。そして私自身も勇気づけられている。彼はヴィトゲンシュタイン同様、現世的な幸福を求めなかったかもしれない。そして思っていたよりもすでに、哲学的生き方をしていたと思い至る。常に考え、分析し、批判し、正しいと思うことははっきり言い、絶対曲げなかった。7月29日千葉の姉のところで感じた生き生きとした感覚、解放感。生き生きとした風に吹かれた2日間だった。死、はかなさ、虚しさ、物質世界の重圧、そうしたものに打ちのめされて、無力感を感じていたのに、千葉行きはそれらを払拭してくれた。とても楽しく、充実した時間だった。姉の家のあの清潔で、いつも爽やかな風が通っているような雰囲気、九十九里の砂浜の広々とひらけた風景、それらが印象的に私の中に刻み込まれた。何かを示唆している。ヴィトゲンシュタインの回想録を読んで、Kのことを考える。そしてヴィトゲンシュタインのように死の床で「素晴らしい人生だった!」と叫びたかったかどうか、わからないけれど、思うように生きたのだからこれでいいのだろうと思えた。それぞれにそれぞれの条件を背負って生き、そして死んでいくのだ。私は私の思うように生きていくこと。7月30日昨夜の月は幻想的だった。半分欠けていてもやに包まれて、黄色い光を発していた。あそこにKはいて哲学しているのだろうか、地上を見下ろしているのだろうか、とぼんやり考えた。そういうことを考えるのは、以前は自分に禁じていたけれど、今、そう考えたほうがよりよく生きられるのであれば、それでいいではないかと思う自分もいる。死、現世での死は解放であって、死した後は空翔けることができるのだ、と。8月2日死はこの現世からの離脱ではあるけれど、その先のことは何もわからない。それについては何も語れない。でも何を信じてもいいのだろう。大事なのはよく生きることで、何かを信じてよりよく生きられるのであれば、真実かどうかは重要でないのかもしれない。かと言って虚飾はやはり好きになれないが。途切れた糸。何も思わない、感じない、考えられない。Kの思考はもう、存在しない。もう本当に後戻りできない。取り返しはつかない。今取り組んでいる、この死生観の問題。哲学と宗教。過去をどうとらえるか、それらをブレイクスルーしたとき、より自由になれる気がする。自分が何をなすべきかもっと見えてくる気がする。今の自分は何も捨てられない。自分を信じること。ヴィトゲンシュタインの回想録を読んで思ったこと。不幸でもいいのだということ。傍から見て不幸に見えても、それでいいのだということ。Kはあれでよかったのだと、不幸でよかったのだ、と。理解ある優しい女性と再婚して穏やかに暮らして学問して、著作活動して成功する――それは私の彼に対する希み、願いではあったけれど、考えれば実は似つかわしくない生き方なのかもしれない。彼は孤独で、病に苦しんで、社会的に辛い思いをしつつ、でも正しいと思うことは絶対曲げず、言いたいことを言って闘い続けてきた。そして倒れた。のたれ死んだも同然だ。穏やかな人生とは無縁だった。賞賛したい。彼は言い訳なんかしなかった。憐れみもいらなかった。彼は一番大事なものを手離して、哲学の神についていったのだろうか?ついていけたのだろうか?私はどうだろう。私は離婚によって大きな大事なものを捨てた。それまでの生活を捨て、友人や知人を捨てた。どん底に見えた。無一物状態を感じた。そこから這い上がってきた。しかし、今、今はどうだろう?生ぬるくないだろうか?大きな波がやってくる。これを乗り越えないと次へ行けない。深遠なるものを感じたい。自分自身に突きつけるもの。生。容赦ない問い。雨が降り、蝉の声が降る。この雨は8月だというのに梅雨のままのようだ。この夏の雨と蝉の声は、Kのもとへかけつけ、また火葬したときの情景とともに焼き付けられるだろう。
2009.08.03
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7月10日私が死に瀕したときには憐れまれたくないのと同じように、彼も憐れまれたくないに違いない。そして昔、のたれ死にしたいと言っていたので、むしろわざと今の状況に導いたのかも、と思った。今病院にひとりいるのがかわいそうなのではなくて、ひとりになりたかったのだろうか。7月12日一部の友人たちには、私の今回の行動を理解も実感もできない。わかってはいても泣けてくる。わかってもらわなくていい、わからなくて当然、と思っていても。姉に電話すると、姉はこう言ってくれた。Go with the flow。"川の流れのように"、"思う通りにやればいい"と。ここ数日、考えがまとまらない。考え、書く時間が欲しい。死の理不尽さを受け入れられない。信じないなら信じなくていい。そういうスタンスのはずだったではないか。自分を信じて行動すればいいだけ。7月13日昨日姉と話したことで随分救われた。自分を信じよう、と改めて思った。信じる、とはどんなことか。昔は私は何も信じられるものがなかった。それに気づいた20代の頃の私はまず信じるものを2つ決めた。それによって何とか20代を泳ぎ切れた。その頃が懐かしく思えるほど、今の私には信じられるものがたくさんあり、幸せだ。信じるとは、肯定し続けることではないか。否定するほうがずっとやさしい。肯定することは難しい。価値を見出し、Yesといい、それに対し自分をオープンにし、委ねることだから。背中を向けるほうがやさしい。閉じこもるほうがやさしい。肯定し続けること。自分を肯定し続けること。そして今、Kの人生を、存在を、肯定すること。嘆いたり憐れんだり、罪悪感を感じたりすることは、実は彼の人生に対して、彼の存在に対して、冒涜なのではないだろうか。彼はどんなに生きにくい人生を送ったかのように傍からは見えても、他の誰も替わることのできない人生を歩んだのだ。燃焼し尽くしたのだ。闘い続けたのだ。勇気と明晰さと優しさをもって。正当に彼の存在の、生の重みを見るべきだ。肯定すべきだ。今朝弟さんからメールがあり、名古屋に呼ばれたので仕事で徹夜明けだけど行ってくると書かれてあった。いよいよか、と思ったし、昼に妹さんから電話があったときは覚悟したけれど、また状態が落ち着いたので慌てて来なくていいという連絡だった。血圧も脈拍も40くらい。細々としている。でもまだがんばっている。19日まであと6日だ。7月14日母のことを思い出すと励まされる。おととし近所の親しくしていたIさんがやはり急に亡くなったとき、母は一切、嘆きも悔やみも淋しくなったとも言わなかった。ただ、Iさんの亡くなり方を、ほめた。つまりはぎりぎりまでのIさんの生き方を。あの母の姿勢には感銘を受けた。お昼に弟さんからメールがあり、脈拍は80台に、血圧は70台にまで戻ったとのこと。1日しかもたない、と言われていたのにもう2週間近く永らえている。本当に不思議で、感服してしまう。完全燃焼しようとしているのかもしれない。一日、一日と弟さんと一緒に数えている。一日、一日。Kだけでなく、今生きている自分も周りの人も同じなのに。一日、一日。生き延びている。その喜び。危うい中で生きているのだ。いつ誰に何があるかわからない。精一杯、一日一日生きるしかないのだ。ともすれば無自覚に日々は過ぎてゆくけれど。これ以上望むのはぜいたくだ。彼からもらったものは私の中に息づいていて、それで十分だ。一緒に過ごした10年の時間も消えるわけではない。彼の人生に対し、これ以上何か付け加えることはない。彼は彼の持てる力で闘い、考え、アウトプットしたと思う。彼の意志は厳然と貫かれたはずだ。彼は会社からも人間関係からもきょうだいの問題や、遺伝性の躁うつ病からも逃げなかった。夭折。夭折という言葉。生と死に対する恐怖、苦悩、理不尽さへの苦痛が、人をして宗教の救いへと向かわせるのだろう。宗教でなくてもいい、救いが欲しくなるのだ。無宗教の私だって、今救いを求めている。人の言葉に、思いつくことごとに、親しんでいる小説の文章の中に、それを求めている。同じことだ。7月16日友人のGと姉に電話し、今月24日千葉行きのこと、やはり決行する方向でいることを伝えた。2人とも喜んでくれた。そう、Kのことでいつどうなるかわからないので身動きできない、保留状態にいるしかないと勝手に思い込んでいたけれど、それは大きな間違いで、私だって周りの人だって明日どうなるかわからない。周りのひとつひとつの縁を大事にしたい、時間や機会を大事にしたいから、1つずつ決めて進んで行かなければ。それがそのまま生きることなのだ。心に決める。コミットメントする。単なる予定ではなく。19日まであと3日。
2009.08.02
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6月29日鳥が鳴いている。リングノートを開くぎりっとした音が部屋に響く。たったそれだけのこと。たったそれだけの音。26日、Kが脳死状態になった。驚愕と困惑。Kとはもう離婚して7年半経つ。それでも土曜の夜10時半くらいに家を出て、東名をひとり運転して明け方名古屋のF大学病院まで来た。こんな形で過去の地に、またその周辺の人たちに再会するなんて思ってもみなかった。こんな精神状態で真夜中に300km運転するなんて無謀かもしれない、とも思った。過呼吸と不整脈。しかし、取り乱しながらも車で行くことを本能は選び取っていた。朝の新幹線を待って間に合わなかったときにはきっと後悔するだろうから。少し落ち着いてから出発した。自分は大丈夫、と直感していた。離婚が遠因ではないかと、自分を責める気持ち。しかし運転しながら、いや、彼は逆に私がいることでその分、長く幸せにいられた時間があったのだと、プラスの考えをしようと思った。途中から激しくフロントガラスを叩く雨、雨、雨・・・でもこれは戒めの雨ではない。哀しみの雨でも慰めの雨でもない。その日の昼間、走墨の稽古で最後に書いた"慈雨"。その言葉が浮かぶ。そうであったらいいのに。彼を憐れむことは誰もできない。彼の苦しかったであろう、生きにくかったであろう人生を誰も否定することはできない。彼が希望を持っていたこと、哲学を志していたこと、望む生き方を手に入れようと努めたこと。それを聞いてひどく嬉しく、賞賛したい気持ちになった。叶わず無念だったけれど。彼の望みは意志は一直線に彼方に向けられていたことを知ると安心した。45で引退する、そして好きなことをやると言っていたけど、人生を引退してしまうとは思いもよらなかった。もしかしたら魂の領域へと引退したのかもしれない。彼の哲学はそこで続けられているのかもしれない。彼は現世では苦しんだと思う。現世では哲学できなかったのかもしれない。彼はどこか他の次元の人だったのかもしれない。彗星のようにこの世に現れ、人には理解されない言語をしゃべり、憤り、失望し、或いは小さなもの弱いものに愛情をかけ、ものを教え、考え、つくり、そして笑った。真理を語るには沈黙するしかなかったのかもしれない。形ではないところ、現世的な金銭、組織、しがらみ、そういったものの一切ないところへ行ってしまった。くさびを打ち込んで。そのまま行ってしまった。7月4日彼はもう語らない。ヴィトゲンシュタインを思い出す。早死には彼らしいとも言える。そして身体の器官の中で最大に使ったであろう、脳から先に活動停止するなんて。おととい、昇圧剤をやめることをご家族が決めた。先生はもう脳の回復はない、と断言し、脳内の圧力がひどく高くなっているために髄液を抜く栓を止めていると言い、それを開けたら、壊死した脳細胞が流れ出てくるかもしれない、と言った。また倒れたときの様子を、緊急治療中に2度目のくも膜下の破裂があり、そのとき瞳孔の反応が無くなった、と説明された。その2つの話をひどくリアルに想像し、私はうめき、打ちのめされた。そのとき彼の死を思い知った。私の中ではまだそのときまでは現実感がなかったのだ。私はうめいた。身体を折った。7月5日看護士の友人によれば、昇圧剤を止めたら1週間ももたない、と言われている。先生の口からも一般的には1日、とはっきり言われた。しかしもう3日ももっている。身体はまだがんばって生きている、と思うと嬉しさと賞賛のため息がもれる。もしかしたら、ありえないかもしれないけれど、彼の誕生日の7月19日までがんばろうとしているのかと思いたくなってしまう。倒れ伏してもなお、彼方へと伸ばされる手。火葬について考える。火葬は私にとってショックなことなのだ。私に耐えられるだろうか?私は彼の肉体が焼かれて無くなってしまうことに耐えられないかもしれない。残酷な、むき出しの、物質的事実を目の前にして平静ではいられないかもしれない。昔、片想いしていた人に対し、もしその人が亡くなったらその骨を食べたくなるかもしれない、とまで思ったものだが、今はそのグロテスクなほどの想いさえ、ファンタジーだったと言える。彼が骨になってしまうこと自体が、今は耐えられないかもしれない。自分にとって大事なのは、内的、精神的なつながりだと言い、ある意味、物質世界を軽んじてきたはずなのに、いざこういうときになると、この執着の仕方は一体なんなのだろう?リアルに想像してしまう。圧倒的な物質の世界のむき出しさ加減におしつぶされそうになる。自分なんて、ちっぽけだ。普段、少しばかり思いあがって友人に"言葉や思考が自分の武器"だと言ったり、美しいもの、心慰められるようないいものを創ろうと思ったりしていても、いともたやすく物質世界は私の精神の息の根を止める。打ちのめされる。幼い頃から怖れてきた"死"というもの、これはその序章に過ぎない。7月6日変な感じだ。夜がきて朝がきて夜がきて朝がくる。今日からまた出勤する。名古屋から戻ってきて、この3日の休みの間、特に何もしなかった。ただ時間を過ごした。たくさん寝た。あの日から毎日、安定剤を飲まないと眠れないけれど。思ったほどは泣かなかったし、悩まなかった。かと言って元気に活動することもなかった。言葉は決してあふれ出てくることもなく、頭が感覚が麻痺しているというほどでもなかった。しかし何かが確実に違っている。身体が失われるということ、それがこんなにリアルに胸に迫ってくるとは。もう脳は機能していないというのに。考えたり、会話したり、すでに出来なくなっているというのに。それでもまだ肉体に固執することの不思議さ。"風と共に去りぬ"でレットバトラーが、部屋に閉じこもって愛娘の遺体を渡そうとしなかったシーンを思い浮かべる。もうそこに魂はないのに。物質世界にとらわれている。そこから自由になれない。会えなくてもこの世のどこかにいる、ということと、絶対的にもういない、ということの違い。大学のクラスメイトのNくんが亡くなったときも考えたこと。死を待つだけの日々。時間。そんなふうに思いたくないのに、事実はそうなのだ。なんとか生き延びて「がんばってる」などと思ってみても、刻々と迫る瞬間を待っているだけなのだ。なすすべはない。虚しい。誰か助けてほしい。これは哀しみではない。苦悩の涙だ。やるせなさの涙だ。感謝しているだの、いい人生を送っただの、そんな言葉では片付けられない。理不尽な虚脱感だ。永遠に続く疑問符だ。Hちゃんはよくお父さん、続いてお母さんの死に際にひとり立ち会えたなあ。そして喪主まで務めて。強い。私にはそんな強さはないような気がする。7月8日昨日、弟さんからの連絡では脈拍80、血圧70/50くらいで急変はないらしい。しかしゆるやかに血圧は下がってきている。メールや電話があるたびにどきっとする。彼は憐れみは拒絶するだろう。今私が悩んでいるのも単なる憐れみではないだろうか?今日で6日。驚異的だ。本当に19日まで永らえるかもしれない。45歳まで。そして奇跡が起こって、脳が動き始めないだろうか?本当にそう思う。どうしたらいいのだろう。もうどうしようもなくて途方に暮れる。疲れ、しかめた顔のまま帰り道を歩いている。明日で一週間。こんなことを一週間前は想像もしなかった。死ぬのを待つのではなく、生きている彼を見守る。命の灯はまだ燃えているのだ。本当にこのまま回復しないだろうか?!今まで解明されていない力で、脳が復活しないものだろうか。これらの日々を大事にしよう。一日一日。この日々を忘れないようにしよう。もしあのとき、ご両親が臓器提供にうなずいていたら、決してあじわうことのなかった日々だ。彼は何を教えようとしてくれているのだろう。私は何をとらえ、どう考えるべきなのだろう。これ以上の延命措置をしないと決め、昇圧剤をやめてから、奇跡的に急変は起きていない。このまま全き中庸の領域に突入してしまうのだろうか。生きながらの涅槃の状態。Mちゃんの言う通りかもしれない。Kはみんなに考える時間を与えてくれている。目を覚ませ、考えろ、と。疲れ、絶望的になっているときに弟さんからの連絡でKの状態を聞くと、自分の中で変わるものがある。生きていること、を感じさせ、考えさせられる。彼は今どこをさまよっているのだろう。会社帰りにふと雑貨やさんのルームフレグランスのボトルを手に取る。きれいなヘアアクセサリーが気になる。ビールが飲みたくなり、甘いお酒が飲みたくなる。よくランチに行く店で、話したことのないスタッフから思いがけず話しかけられる。Mちゃんから電話が来る。ちょっと気が弱くなって、実家の母に電話をして話したい、と思ったりする。みんな生きているからこそ。生きているということ。
2009.08.01
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