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今年は新型コロナウイルス感染拡大による非常事態宣言で成人式が中止なっているそうですね。中学校の頃、ちょっと気になっていた可愛かった女の子の晴れ着姿を見るのを楽しみにしていた今年の新成人男子の皆さんには、ちょっと残念なことかもしれません。MoMo太郎が市長なら、そういう残念な思いをしている男子のために、コロナが収束していそうな、夏のお盆の頃に成人式を開催して、新成人男子の票固めにつなげたいと思います。さて、2020年11月8日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して蒲田から羽田を歩いた報告です。赤い鳥居があるのは「穴守稲荷神社」(→→→こちら)です。こちらが拝殿です。「穴守」の冠号は「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う」という御神徳を称えているそうです。穴守稲荷神社は、1804(文化元)年頃、現在の羽田空港敷地内にて羽田猟師町(現羽田2丁目・6丁目付近)の名主、鈴木弥五右衛門が中心となり新田の開発(鈴木新田)を行った際、激しい波のため沿岸の堤防に大穴が開くなどして決壊し、甚大な被害が発生したため、堤防の上に稲荷大神を勧請し祀ったのが始まりだそうで、堤防の穴から田畑を守るということに通じるのですね。終戦直後GHQが羽田空港を拡張すべく、海老取川の東、今の天空橋駅付近にあった旧社地を接収したため、氏子であった約3,000人の付近住民とともに鎮座地を追われ現在の場所に遷座したという歴史を持っています。ということは、穴守稲荷神社、氏子や氏子地域を持っていない神社ということ?氏子地域がなくなって、氏子の人も減ったとしても、こんなに立派な神社として栄えているのは、江戸時代には、この「穴守」という名から転じ「(性病から)守る」に通ずるとされ、遊女達の信仰も集めていたそうなので、今でも、そういう関係の人や、穴を掘ったり塞いだりする仕事をしている人達がここへ参拝されているのでしょうか。千本鳥居の後ろに見える山のようなものは、2020年4月19日に完成した「稲荷山」だそうです。こちらの千本鳥居も鮮やかで、最近できたものなんでしょうね。千本鳥居の奥に鎮座するのが「奥之宮」です。この中には商売繁盛にご利益乗る「穴守のご神砂」が置いてあり、持って帰ることができます。稲荷山の階段を登っていきます。拝殿や本殿の屋根が見下ろせます。本殿の後ろに鎮座する祠。山頂には穴守稲荷神社上社と、御嶽神社が鎮座しています。穴守稲荷神社のまわり、モダンなビジネス街の雰囲気ですね。ちなみにちょっと見えている広い道は環八です。さて、神社を出て羽田空港の方へ、しかし、この稲荷山、案外大きいですね。【つづく】人気ブログランキングへ蒲田から羽田へ(その9) 穴守稲荷神社
2021年01月10日
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2020年11月8日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して蒲田から羽田を歩いた報告です。羽田空港へ向かって歩いて行くと、また神社が。羽田道と刻まれた石柱。その側面には、羽田道の説明がありました。昔はこの道を通って魚が運ばれていたのですね。そしてこのあたり、漁村だったんですね。そしてこの神社が鴎(カモメ)稲荷神社です。カモメが奉られている稲荷神社?「鴎」という冠号の由来は、その昔、漁師たちが祈願すると鴎(かもめ)が飛来し大漁であったと云うことから、鴎を大漁の兆しとして崇め、以後「鴎稲荷」と呼ばれるようになった。ということだそうです。都営浅草線の新型車両「5500型」(→→→こちら)が走っていますが、これは京浜急行空港線です。この線路を越えて、羽田空港に近いせいでしょうか、ビジネスホテルがありました。ちょっと昭和っぽい感じですね。そして、再び赤い鳥居が現れました。【つづく】人気ブログランキングへ蒲田から羽田へ(その8) 鴎稲荷神社
2021年01月09日
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2020年11月8日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して蒲田から羽田を歩いた報告です。羽田空港のある東に向かって歩いて、産業道路に出ました。産業道路に面して立派な山門のあるお寺がありました。門前にあった羽田街道の石碑。内川橋際(大森東二丁目2番先)で東海道から分かれて、川崎大師(平間寺)まで行く道が羽田街道だったのでしょうか。お寺の名前は「喜修山正蔵院」(→→→こちら)です。その正蔵院の近くに、大きな神社がありました。羽田総鎮守の羽田神社(→→→こちら)です。夏の例大祭で使われるお神輿です。立派な拝殿です。羽田と言うからには、羽田空港も氏子に入ってるのでしょうか。空の安全もお祈りしてみました。今から約800年程前、当地の領主・行方与次郎が牛頭天王を祀ったことに始まると伝わる神社です。産業道路を越えて、さらに東に進むと、首都高速の横羽線の高架橋が見えてきました。【つづく】人気ブログランキングへ蒲田から羽田へ(その7) 羽田神社
2021年01月08日
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2020年11月8日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して蒲田から羽田を歩いた報告です。ちなみに今週末から始まる予定だった駅からハイキング、緊急事態宣言を考慮して中止となっているようで、ちょっとガッカリしています。多摩川の土手を歩いていきます。このあたりの地名「本羽田」というのですね。「羽田」という地名、翼のある飛行機が飛ぶ飛行場ができたから付けた名前ではなく。「羽田」という地名は、以下のような由来で、 地形説 - 多摩川河口で海に接する地を「ハネ」という。 地名説 - 古代の荏原郡に特に多い田のつく地名。 半田説 - 方言で半分のことを「はんだ」ということから。 地形説 - 海老取川を境に2分され、その形が海上から見ると鳥が羽を広げたよう見えることから。 土質説 - 赤土・粘土地などの「はに」に由来する。 開墾地説 - 新開地・墾田を「はりた」というが、その転訛。付けられたのだとか。歴史ある地名だったんですね。そして、ここから神社巡りが。この神社、重幸(じゅうこう)稲荷神社(→→→こちら)です。多摩川の洪水に悩まされていたこのあたりの大野上田の住人達が、旧六郷土堤際に、田畑の守護と五穀豊穣を祈願して祀った神社だそうで、この神社の管理に尽力した家亀重幸氏が社名の由来だそうです。今流行の町中華のお店です。町中華というと、BS-TBSの「町中華で飲ろうぜ」(→→→こちら)を観ていますが、そこに出てくる町の中華料理屋さんって、大抵、「店主は18歳の時に山梨県から出てきて、銀座の中華の名店で修行して、32歳の時に結婚を機に独立してこの店をはじめて、以来、シュウマイの旨い店として地元の人に愛されて25年」みたいな歴史が語られていますね。このお店にもそんなファミリーヒストリーがあるのかもしれませんね。こちらの集合住宅。ちょっと変わった名前、「工場アパート」(→→→こちら)。工場と住宅が一体となった施設だそうです。こちらの神社は「中村天祖神社」(→→→こちら)です。江戸時代に祀られたとみられる旧羽田村・中村の鎮守だそうで、立派な社殿です。しかし、本命はこちらの高山稲荷神社(→→→こちら)です。「高山」の冠称は、遷座前の社殿が飛騨高山より来た大工によって造営された事にちなむのだとか。この大きな土地と建物は、「東京都立つばさ総合高等学校」です。2002年、東京都立羽田高等学校と東京都立羽田工業高等学校の全日制課程を統合して開校したそうです。【つづく】人気ブログランキングへ蒲田から羽田へ(その6) 稲荷神社めぐり
2021年01月07日
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2020年11月8日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して蒲田から羽田を歩いた報告です。水門通り商店街を抜けると、静かな公園に出ました。「南六郷緑地」というそうです。橋の欄干にあるこのマーク、「豪郷」の文字が図案化されて、地元の町のマークだそうです。さらに進むと、舟だまりとなって船が係留されていました。六郷水門(→→こちら)の先にある多摩川を通って東京湾に出かけられますね。釣り客の人がむ利用する遊漁船でした。イラストにあるようにハゼが釣れるのですね。六郷水門と赤レンガのポンプ場。歴史を感じます。六郷水門は国土交通省の「近代土木遺産リスト」に登録されていて、また、(社)土木学会の「日本の近代土木遺産」にも選ばれているそうです。六郷水門は、昭和に入り、六郷地区の住宅化が進み、流出する生活用水が増し、大降雨時など排水しきれずに浸水する地域が拡がったため、かってこのあたりの農地を灌漑していた六郷用水(→→→こちら)の末流、池上・矢口・羽田の一部と六郷の全域の排水を受け持つため、昭和6年(1931年)に完成した水門です。今日では、下水道の完備によってその使命を終えているそうです。重厚な堰柱です。多摩川です。こちらは六郷水門から下流側、対岸は川崎の工業地帯ですね。河口から4kmの地点でした。【つづく】人気ブログランキングへ蒲田から羽田へ(その5) 六郷水門
2021年01月06日
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2020年11月8日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して蒲田から羽田を歩いた報告です。 雑色駅の西側を走る第一京浜(国道15号線)です。 40年前のお正月、母校の襷を背負って、この道を駆け抜けていった、MoMo太郎の姿をみなさん覚えているでしょうか(ウソをつきました申し訳ありません<(_ _)>)。 第一京浜を過ぎると、また商店街が。 水門通り商店街(→→→こちら)です。 商店街から見えた煙突。 昔ながらの銭湯という風情がありました。 ちなみに大田区民だと、 毎月第1日曜は、「子ども入浴デー」ということで、区内在住の小学生以下のお子さんは、毎月第1日曜は区内の公衆浴場に無料で入浴できます(→→→こちら)。 また、70歳以上の区民の方は、「いきいき高齢者入浴証」を区内の公衆浴場で呈示すると、1回200円で年間36回(2カ月で6回まで)利用できます(→→→こちら)。 【つづく】 人気ブログランキングへ 蒲田から羽田へ(その4) 水門通り商店街
2021年01月05日
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2020年11月8日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して蒲田から羽田を歩いた報告です。 こちらの商店街に出ました、結構大きな商店街です。 何と読むのでしょうか。 アーケド街もあって、その上に読み方が。 「雑色」と書いて「ぞうしき」と読むそうです。 雑色(→→→こちら)とは、古代律令国家時代から、宮中の雑役などをする役目の人のことを呼んでいましたが、どうしてこのあたりの地名が雑色となったのかは、よくわかりません。宮中、つまり天皇のまわりの雑用をしていた人たちが、明治維新で京都から東京に天皇が移られた時に、こちらに移り住んだのでしょうか。 こちらは京浜急行の高架橋です。 2010年(平成22年)5月16日 - 上りホームを高架線へ切り替えられ、2012年(平成24年)10月21日 - 下りホームを高架線へ切り替えられたので、比較的新しいですね。 こちらが京急の雑色駅の改札口。京急の駅にはセブンイレブンがあるのですね。 「ぞうしき」なので象のキャラクター? 雑色商店街、お店の数も多くて、とても便利なところですね。 【つづく】 人気ブログランキングへ 蒲田から羽田へ(その3) 雑色商店街
2021年01月04日
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2020年11月8日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して蒲田から羽田を歩いた報告です。JR京浜東北線沿いにさらに歩いていくと、「西六郷タイヤ公園」(→→→こちら)にやって来ました。この公園、線路沿いにあるので、京浜東北線を利用している乗客の皆さんにはお馴染みかも。テレビなんかでもよく取り上げられているので、ご存知の方も多いかもしれませんが、とにかく古タイヤが沢山あって、それを使った遊具があったり、タイヤでできた怪獣もあり、きっと子供達には人気の公園でしょうね。西六郷公園のすぐ近くにある跨線橋を渡って、線路の東側へ。東海道線、京浜東北線の線路です。むこうは川崎方面。【つづく】人気ブログランキングへ蒲田から羽田へ(その2) 西六郷タイヤ公園
2021年01月03日
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年が改まっても、去年の駅からハイキングのことをアップしています。かなり、駅からハイキング沼にはまり込んで、2021年も参加したいと思っています。2020年11月8日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して蒲田から羽田を歩いた報告です。出発はここJR蒲田駅西口。JRの主催するイベントだけど東急の池上線や多摩川線も蒲田に来ているので、東急を利用して来た人も多かったりして。蒲田駅の駅ビル、なかなか立派です。西口の駅前にある銅像です。男の子、おそらくお兄さんでしょうか、に掴まって一緒に入る女の子、おそらく妹さんでしょか、なんか兄妹仲良くて良かったです。駅から南へ向かって線路沿いに歩いて、富士通の事業所がありました。そして、すぐそばにJR東日本の大田運輸区への引き込み線の踏切がありました。京浜東北線が大田運輸区に入って行きます。この先が大田運輸区、むかしは蒲田電車区と呼んでいて、車両が配置される車両基地でしたが、今は運転士さんや車掌さんが勤務する運輸区になっています。京浜東北線の車両は南浦和として。つまりここで電車に乗り込んで、始発駅に向かい、終着駅から戻ってくるところです。運転士さんや車掌さんは、蒲田駅から歩いて、ここまで通勤しているのですかね。ちなみに、松本清張の「砂の器」の事件現場だった国鉄蒲田操車場はここのことです。まだ運輸区に付属するこの建物、駅社員に安全教育・訓練を行うための蒲田トレーニングセンターです。ここでホームから落っことしたワイヤレスイヤホンの拾い方も練習していたりして。駅の発車メロディーになる蒲田のご当地ソング「蒲田行進曲」のオリジナルバージョンです。なんといっても昭和4年(1929)の音源ですから。そういえば、観てはいませんが「蒲田行進曲」(1982年、監督・深作欣二)という映画もありましたね。【つづく】人気ブログランキングへ蒲田から羽田へ(その1) 蒲田行進曲
2021年01月02日
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江東区深川、仙台堀川にかかる海辺橋のたもとにある「採荼庵跡(さいとあんあと)」です。立派な石柱も建っています。元禄2年(1689)に松尾芭蕉は、ここから『おくのほそ道』の旅へ出発したそうです。採茶庵は芭蕉の門人である杉山杉風の別荘だそうですが、正確な位置はわかっていないようで、おそらくこの辺りだろうということで、こういう施設があるようです。濡縁に腰掛けた芭蕉像は、これから旅に出るらしく旅装束でした。人気ブログランキングへ採荼庵跡の松尾芭蕉
2020年10月18日
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あまり気がつかないかもしれませんが、錦糸町駅の南口、地下鉄半蔵門線A1の出口の横にある石碑。よき日には 庭にゆさぶり 雨の日は 家とよもして 児等が遊ぶも 左千夫という碑文が刻まれています。その隣にある説明板には。明治時代の歌人で小説家としても活躍した伊藤左千夫(→→→こちら)の牧舎と住居がここにあったとありました。明治22年(1889)、左千夫は上京後しばらくして、ここに居を構え牧場を設け搾乳業を、晩年に亀戸へ移るまでの26年間ここで営んでいたそうです。文学だけでは生活できなかったのですね。或いは、酪農の経験が創作の原動力だったのでしょうか。人気ブログランキングへ錦糸町駅前はむかし牧場でした
2020年10月10日
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墨田区にある天台宗の寺院「如意輪寺」です。849年(嘉祥2年)、慈覚大師円仁によって開山されたと伝わっています。境内に太子自刻といわれる聖徳太子像を祀った堂があることから、牛島大師堂、中ノ郷大師堂の名で広く知られていましたが、聖徳太子像は関東大震災で罹災したため現在はないそうです。鬼平犯科帳の第4巻の「敵」では、寺の前の花屋が盗人宿という設定でした。人気ブログランキング如意輪寺
2020年07月14日
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このすみだリバーウォーク、東武鉄道の線路のそばを歩くので、 ちょっと変わった角度から、東武鉄道の車両を見たりできます。 こちらは、鬼怒川温泉方面に行く、特急スペーシアですね。 こちらは下流側にある吾妻橋。丁度、隅田川の遊覧船がやってくるのが見えました。 橋の下を潜る遊覧船。 そういえば、遊覧船も長い間、乗っていないので、たまには乗ってみたいですね。 浅草側の方へは鉄橋の下を潜って、上流側に出ます。言問橋が見えました。 すみだリバーウォークからは、スカイツリーと高速道路も楽しめます。 浅草駅から東京スカイツリーへ歩いて楽しめる新しい回廊が完成したので、また、このあたりの魅力もアップしたのでしょうね。 【了】 人気ブログランキング 東京ミズマチとすみだリバーウォーク(その7) 隅田川を堪能できます。
2020年07月01日
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すみだリバーウォークを渡ります。橋桁は、木製です。東武鉄道の隅田川橋梁のすぐ横を歩いて行きます。隅田川の景色がよく見えて歩いてくのも気持ちがいいです。途中で一カ所、橋の下の隅田川を見下ろせるようになっていました。欄干にあるプレート。恋人の聖地とありました。出来たばかりで、もう恋人の聖地になっているとは、この橋の上でカップルがもう誕生していたのですかね。それともお薦めのデートコースということでしょうか。【つづく】人気ブログランキング東京ミズマチとすみだリバーウォーク(その6) 隅田川は恋人の聖地?
2020年06月30日
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もう一度、東武鉄道の高架橋の北側にある隅田公園に戻って、6月18日に開通した「すみだリバーウォーク」を渡ってみます。開通したということで、お祝いの花輪もまだ飾られていました。源森川水門の横を抜けて、東武鉄道の隅田川橋梁の下に添架されている橋でした。いよいよこの橋を渡って隅田川の向こう岸、浅草に行ってみます。【つづく】人気ブログランキング東京ミズマチとすみだリバーウォーク(その5) すみだリバーウォーク
2020年06月29日
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枕橋から、ちょっと撮り鉄気分で、東武鉄道を撮影してみました。河川工事の台船が写り込んで、ちょっとパッとしない写真ですが、撮影したのは、宇都宮線と、野岩鉄道を経由して会津鉄道の会津田島まで乗り入れる4両編成の特急「きりふり」号(写真右側)と浅草から栃木、群馬方面に向かう特急「りょうもう」号(写真左側)でした。スカイツリーも背景に入れて、こんな感じで撮影できるのですね。【つづく】人気ブログランキング東京ミズマチとすみだリバーウォーク(その4) 撮り鉄気分で
2020年06月28日
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東京ミズマチも源森橋から枕橋(→→→こちら)にかけての区間はお店もできているようでした。スカイツリーに向かって川沿いを歩いていける散歩道として、楽しめそうな東京ミズマチですね。とはいえ、まだ開店していないお店もあるようで、こちらのお店のオープンはまだ先のようでした。もちろん、もうオープンしているお店もありますよ。高架橋の北側に行ってみると、水戸徳川家の下屋敷跡である隅田公園が広がって、自然に親しむこともできますね。こちらのカフェは、かなりのお客さんが集まっていました。東京スカイツリーという点だけではなく、東京ミズマチという商店街、そして隅田公園と面的にも広がって楽しめるようになっていますね。東京ミズマチ、これからの観光名所になりそうですね。【つづく】人気ブログランキング東京ミズマチとすみだリバーウォーク(その3) 開店準備中のお店もありました
2020年06月27日
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減森橋からみた東京ミズマチです。まだ高架下も工事中ですね。こちらは反対側、浅草方面です。こちらは高架下にお店も出来ているようでした。源森橋のたもとにむかしからある商店のようですが、「汽罐と煙突」って? 煙突はわかりますが、「汽罐」ってボイラーのことなんですね(→→→こちら)。【つづく】人気ブログランキング東京ミズマチとすみだリバーウォーク(その2) 汽罐とは?
2020年06月26日
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東京スカイツリーの近くに、また新名所ができました。東武のとうきょうスカイツリー駅からでて、こういう看板が見えます。先だっての6月18日から開業した「東京ミズマチ」(→→→こちら)です。東京ミズマチは、北十間川に沿って浅草へ向かう東武鉄道の高架下にできたショッピング街のようです。でも、小梅橋から源森橋の北十間川は、河川の改修工事中で、まだ東京ミズマチは開業していませんでした。東武鉄道の高架橋の北側の側道を歩いて源森橋(→→→こちら)の方へ。そして途中で見かけた「鳴戸部屋」、ブルガリア出身の元大関琴欧州が親方の部屋ですね(→→→こちら)。1階は土俵で、2階からは親方の住居や弟子のみなさんの部屋になっているのでしょうね。【つづく】人気ブログランキング東京ミズマチとすみだリバーウォーク(その1) 鳴戸部屋
2020年06月25日
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1月12日の日曜日、しばらくぶりに浅草に出かけました。 浅草演芸場、いかにも新春という雰囲気で賑わっていました。 その浅草演芸場の近くにある「まるごとにっぽん」です。 「まるごとにっぽん」は2015年12月、「全国各地の魅力が集積する地域振興の総合拠点」をコンセプトとして、東京楽天地浅草ビル1~4階にオープンした商業施設です。最近よく言われる地方創生の流行に乗ったのでしょうか。 ちなみにこの施設は今年の11月閉店だそうです(→→→こちら)。 ここで、1月11日から12日にかけて開催された「柳川フェア2020」に行くことが、この日の浅草に来た目的です。 ここでなにか買うと抽選で当たるみたいでした。 3階のイベントスペースでは、柳川氏の特産品や名産品が販売されていました。そして、柳川のひなまつりを彩る「さげもん」も展示されていました。しかし、折角柳川からやって来たのですから、元福岡県民としては、もっと柳川の魅力を紹介するようなビデオとか流してもらいたかったです。 ところで、この建築現場は2016年に閉店した浅草観音温泉(→→→こちら)があったところです。 こちらの工事現場は、ちょっとわかりにくいですが、浅草のすしや通りから少し入ったで、蛇骨湯(→→→こちら)があった場所でした。 ここも閉店していたのですね。 浅草で温泉が楽しめなくなるのはちょっと寂しいですが、浅草もやっぱり変化していきますね。 人気ブログランキング 新春の浅草へ
2020年01月15日
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今年はオリンピックイヤー、スポーツの勝利の神様で有名な亀戸の香取神社(→→→こちら)にお参りしてきました。多くの人が参拝にこられていました。やはりNHKの「行く年、来る年」で中継されたこともあるのでしょうか。参道の脇に並んだスポーツ灯籠です。この灯籠にはアスリートの皆さんからのメッセージが書かれています。今年のMoMo太郎の決意に使いかな?拝殿です。扁額には「香取大神宮」とありました。境内に転がっている白い石は、白星・勝ち星として縁起のいい石らしいです。勝運袋に入れて社殿で祈願するそうです。勝運袋にいれておかないといけないそうです。オリンピック委員会のみなさん、勝運袋を購入して、小石を入れて出場する日本選手に配ってあげればどうでしょうか。人気ブログランキング香取神社に初詣
2020年01月04日
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いつも沢山の人がやってくる東京スカイツリー。その中で、穴場というか、空いていてゆっくりできるスペースが、ソラマチの5階東側にある「産業観光プラザ すみだ まち処」です。スカイツリーにある飲食店って休日はどこも混んでいますが、ここはこのとおり、ゆっくり座って休憩できます。そして、こんなテラス席もあって、まあ、絶景ではないですが、ちょっと開放的な気分になれます。また、喫茶店もあって(メニューは少ないです)、ここで、抹茶もなかアイスとコーヒーのセットをいただきました。人気ブログランキング産業観光プラザ すみだ まち処
2019年12月30日
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浅草サンバカーニバルと並行で、隅田川を挟はさんだ対岸の墨田区では、吾妻橋フェストが開催されていました。 色々な食べ物をワゴン車で販売していました。 こちらは子供向けの縁日の遊びも楽しめました。 特別に隅田川クルーズの船も出ていました。 遊覧船の屋根には、東京オリンピック・パラリンピックのマスコットが描かれていました。 また、ライブ演奏も。 ちょっとおじさんのバンドでしたね。演奏も衣装もビートルズのコピーでした。 ジョン・レノン気取りです。 フォークソングのグループで出演です。 男女のペアでした。 鍵盤ハーモニカを演奏しつつ、歌っていましたよ。 今年の夏は、このコーヒーショップのチェーン店のサービスを楽しんでいました。 7月から8月の2カ月間、1と7と2のつく日は、アイスコ-ヒーとアイスティーが、同じ値段でレギュラーサイズからラージサイズにサイズアップできるサービスをしていました。 ということで、今年の夏の最後になるアイスコーヒー、たっぶり味わっていただきました。 【了】 人気ブログランキング 夏休み最後の休日(その2) 吾妻橋フェスト
2019年09月02日
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浅草の夏の終わりを彩るイベントといえば、浅草サンバカーニバル。オープニングのパレードの様子です。このお姉さんがサンバカーニバルで踊るのでしょうか。それても昔は踊っていたとか。中学生のみなさんの行進です。やっぱり、こんな方が踊られてこそですね。東武浅草駅の大型ビジョンでは、参加チームの紹介がされていました。あまりにも沢山の人出でゆっくり見物というのもできず、早々にドロンしました。【つづく】人気ブログランキング夏休み最後の休日(その1) 浅草サンバカーニバル
2019年09月01日
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両国の国技館通りで8月3日と4日の夜、盆踊りが催されていました。暑い夏の宵にもかかわらず、沢山の方が来ていました。夜店も欠かせませんね。皆さん、上手な振り付けで踊られています。櫓の上では太鼓。女性の方でした。浴衣を着用の本格的な踊り手のみなさんもこういうイベントには必ず参加していますね。そういえば、昔、MoMo太郎も職場のグループで衣装一式整えて、花笠音頭を踊りに山形市まで行ったことがあります。人気ブログランキング盆踊り
2019年08月10日
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7月10日、いつものように仕事を早めに切り上げて、やってきました。雷門と呼ばれる「風雷神門」の前、たくさんの人出ですね。そう、7月9・10日は「ほうずき市」が開かれる浅草寺の縁日です。ということで、仲見世を通って、宝蔵門までやってきました。このあたりから、「ほうずき」を売るお店があります。ほうずき市、売れ残らないようお店の人も頑張っています。しかし、どうしてほうすきが売られるのでしょうか?「ほおずきの実を水で鵜呑み(丸飲み)すれば、大人は癪(しゃく:原因が分からない疼痛を伴う内臓疾患)を切り、子供は虫気(むしけ:腹の中にいると考えられた虫による腹痛など、寄生虫?)を去る」という民間信仰があって、一種の薬草だと考えられていたため開花したほうずきが売られたそうです。でも、ほうずきには微量ですがアルカロイドとわれる毒物が含まれているそうで、江戸時代には堕胎剤として利用されていたとも伝わっています。ですから、ほうずきの実を口に含んでキユッキュと鳴らす遊びは案外危険な遊びかもしれません。そして、大切なのはお参りすることです。浅草寺では月に1度、年に12回の功徳日を設けていて、ほうずき市のある7月10日は最大の功徳がある日で、46,000日分の功徳があるとされることから、特に「四万六千日」(しまんろくせんにち)と呼ばれています。つまり126年分の御利益があるご利益の超特売日みたいなものです。本堂から見たスカイツリーです。夏といえば風鈴。風鈴も売っていました。かご入りのほうずきに風鈴をつけて、軒先に吊り下げてみるのもいいかもしれませんね。ちなみに鉢植えのほうずきは一つ2,500円ですが、スーパーのお惣菜と同じように、店が閉まりかける頃に行くとディスカウントがあるかもしれませんね。そんなわけで、人の多い浅草寺境内、迷子になったら境内にある「迷子しるべ石」の前で待ち合わせるようにしましょうね。人気ブログランキング四万六千日分お参りしてきました
2019年07月11日
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江東区富岡にある八幡堀遊歩道を歩きます。ここが、八幡堀遊歩道です。かって富岡八幡宮の東に流れていた運河、「八幡堀」を埋め立てられて造られた遊歩道です。遊歩道を歩いていくと、遊歩道の上に架かる橋があります。この旧掘割を利用した遊歩道の凹部に架けられている「八幡橋」です。鉄橋としては日本最古のもので、国の重要文化財に指定されています。 元は現在の中央区宝町の楓川(→→→こちら) に架橋されていた弾正橋(だんじょうばし)であり、「旧弾正橋」「元弾正橋」とも呼ばれています。 この八幡橋、鉄橋というものです。今造られている橋は鋼鉄で造られていますが、この橋はアーチ材を鋳鉄製、引張材は錬鉄製という結構変わった構造の端だそうです。実際、この橋を渡ってみました。この橋、自動車は通れない人道橋です。振り返ってみた先の林の先は「富岡八幡」となります。橋の部材は、このような結合がされていました。これはピン結合というそうです。八幡橋を詳しく知りたい人は、土木学会の資料(→→→こちら)をご覧ください。【つづく】「歩いて愉しむ江東区」シリーズ、なかなか面白いので、まだまだ江東区も歩き回りたいので、続けていきますが、ネタ切れとなったので、「歩いて愉しむ江東区」シリーズいったん休止さていただきます。人気ブログランキング歩いて愉しむ江東区(その12)八幡橋
2019年06月10日
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さて、洲崎から永代通りに戻ります。洲崎橋跡地から大門通りを北に行って、東陽三丁目の交差点に出ました。大横川を渡る沢海橋の袂にもありました。皇太子殿下御降誕記念の石柱。建立されたのは、昭和9年12月。つまり今の上皇陛下の誕生を記念した石柱ですね。それだけ、当時のこのあたりの人は皇太子の誕生が嬉しかったのでしょうか。永代通りから、洲崎神社へ向かう参道にあったこの赤い橋。おじさんが橋の説明板を見ています。この橋、実は有名な橋だそうで、もともとは、大正時代に岐阜県から上京し、木場5丁目で医院を開いていた新田清三郎氏が、不慮の事故で亡くなった夫人の供養として、多くの人の協力で架けられたた「新田橋」というそうです。当初は「新船橋」と呼ばれていましたが、人望のあった新田医師への情からいつのまにか新田橋と呼ばれるようになったそうです。新田医師は、8人家族という大家族でありながら、同郷の人や、失業している人など困窮した人々を自宅に居候させるなど、まさに「木場の赤ひげ先生」と慕われていました。平成12年に行なわれた護岸整備により、往時の新田橋は撤去され、新しい今の橋に架け替わりましたが、往時の橋は富岡八幡宮近くの八幡堀遊歩道に移設されています。こちらが八幡堀遊歩道に移設された旧新田橋です。こちらがかってあった新田橋の写真です。さて、新田橋を渡ると、ちょっとシブイ感じの暖簾がかかった店がありました。屋形舟をやっているお店のようです。お店の横を流れる大横川に屋形舟は係留されていませんでしたから、乗船場はもっと別のところにあるのでしょうね。【つづく】人気ブログランキング歩いて愉しむ江東区(その11)新田橋
2019年06月09日
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洲崎神社まで来ると、もう少しこの洲崎の町を歩いてみました。洲崎(すさき)は、東京都江東区東陽一丁目の旧町名で、ここは元禄年間(1688~1704)に埋め立てられた土地で、古くは「深川洲崎十万坪」と呼ばれた海を望む潮干狩りなどを楽しむ景勝地だったそうです。永代通りの東陽三丁目交差点から東陽一丁目方向へ入ったところを流れていた洲崎川にかかっていた洲崎橋の跡地の石碑がありました。その洲崎川は今は埋め立てられて、洲崎緑道公園として、貴重な緑の空間となっています。この洲崎の土地は、南側を海、東西と北はこの水路で区切られていました。そして、この洲崎は遊郭(→→→こちら)があったことでも有名でした。しかし、この石碑には洲崎が歓楽街であったことには触れられていませんでした。まあ、世の中そんなものでしょうね。MoMo太郎も入学したかった東京大学の前身東京帝国大学が出来ることから、明治21年(1888)に根津の遊郭が洲崎に移転して、それから昭和33年(1958)の売春防止法成立まで吉原と並ぶ都内の代表的な遊郭がある歓楽街となりました。その歓楽街の入り口に「洲崎パラダイス」というネオンサインのついた大きな門があったそうで、その名残がこの通りの名前に残っています。 洲崎(今の東陽町一丁目)の真ん中をとおる大門通り。片側三車線という広い道路になっています。この両側に歓楽街が広がっていたのでしょうか。もう少し、ここがかっての「洲崎パラダイス」と呼ばれた歓楽街だった痕跡を探してみました。で、発見したのがこの国旗掲揚台。その根元には「皇太子殿下御降誕記念」と記された石碑がありました。この石碑が建立されたのは、昭和5年。つまり今の上皇殿下の誕生を記念したものですが、この石碑を建立したのが、洲崎三業組合と深川区分会第十一班。三業とは料理屋・待合茶屋・芸者屋(置屋)のことで、洲崎にはそういう業態のお店があったということですね。まあ、なんとなく世間的にこういう寄付行為はしておかないといけないってことですかね。その他に何かないかと探してみましたが、アパホテルがありましたが、これは普通のホテルですよね。でも、ここが洲崎遊郭の中心地だったかも。こちらは銭湯のようですが、銭湯が集合住宅と一体化されています。このアパートに住むと銭湯が無料で利用できたりして。そして、この石碑。洲崎遊廓開始以来先亡者追善供養碑です。信州善光寺大本願大宮尼によって法要が執り行われたそうです。【つづく】人気ブログランキング歩いて愉しむ江東区(その10)洲崎といえば
2019年06月08日
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三ツ目通りを渡って、その先にある洲崎神社へ、道の奥に見える赤い鳥居が洲崎神社です。日本の神社の頂点にある天皇陛下のご即位は、どこの神社でもお祝いしているのですね。須崎神社の鳥居です。さて、洲崎神社、東京の江東区以外にも、千葉県館山市洲崎にもあるじゃないかとお気づきの方も多いかと思い。あちらは「すさき」又は「すのさき」と読むようです。こちらも「すさき」ですが別名として「洲崎弁天」とも呼ばれ、祭神の市杵島比賣命(いちきしまひめのみこと)は神仏習合の本地垂迹(→→→こちら)では弁才天に比定されています。さて、こちらにも波除碑(→→→こちら)がありました。こちらも、平久橋とものと同様に、関東大震災やら戦災などで元々の石碑は崩れていました。こちらが須崎神社の拝殿です。有り難くお参りさせていただきました。、同【つづく】人気ブログランキング歩いて愉しむ江東区(その9)洲崎神社
2019年06月07日
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歩いて愉しむ江東区。ようやく平久(へいきゅう)橋にやってきました。平久橋の「平久」とは、旧町名平富町と久右衛門町の間にあったのが名の由来だそうです。また、この塗装は深川鼠(ふかがわねずみ)という色だそうです。この橋は、昭和2年に関東大震災からの復興計画のもと架橋された鋼橋のひとつで、震災復興橋梁(→→→こちら)のひとつです。神田川と隅田川の合流する付近にある柳橋も震災復興橋梁でこんな感じですね。なお、平成5年にこの橋は改修されています。ちょっと使われている街灯が洒落ているので撮影してしまいした。橋の下を流れる平久川(平久運河)です。一番奥に見えるのが平久川水門橋の西詰には石柱が建立されていました。「戦災殉難者供養塔」というのは、やはり第二次世界大戦の時に空襲で亡くなられた人々への供養ですね。広瀬すずさんの演じる戦災孤児のそらちゃんのご両親もこのような戦災殉難者なんですね。その隣にあったのが「津波警告の標柱」とやや破損した石柱です。この破損した石柱は、「波除碑」(なみよけのひ)というそうです。隣にあった説明板によると。「寛政3年(1791)9月4日、深川一帯に襲来した高潮によって付近の家屋がことごとく流され、多数の死者、行方不明者が出ました。幕府はこの災害を重視して東の洲崎神社と西の平久橋を結んだ線(ほぼ現在の東京メトロ東西線)から海側の一帯、東西285間、南北30余間、総坪数5,467坪(約1万8000平方メートル)を買い上げて空き地とした。」とありました。そして後世へのこの災害を伝えるため、洲崎神社と平久橋の袂に波除碑を建立したそうぶす。建てたものです。このように平久橋の回りには、自然災害と戦争の悲劇を今日に伝えるものがありました。【つづく】人気ブログランキング歩いて愉しむ江東区(その8)平久橋と波除碑
2019年06月06日
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歩いて愉しむ江東区、古石場川親水公園を歩いています。さて、この古石場という地名ですが、文字通り、「石場」という地名が示すように古くは江戸幕府の石置場であったそうです。その音、大田道潅が江戸城を築く時、伊豆方面から石を舟で運搬してこの地におろし、加工して再び舟で運搬して築城したと伝えられているそうです。石の加工をするようになってから、誰いうとなく右置場というようになり、のちに古石場という地名に変わったのでしょうね。そのことを残すために「石の広場」という場所が公園の中にあります。ここが石の広場です。このような石の彫刻のオブジェが展示されています。これは子供が遊んでいる情景を石の彫刻で表現したものでしょうか?水路を渡るための飛び石なども配置されていました。このオブジェは、石切り場のイメージでしょうか。石積みに使う立方体の石を切り出している様子でしょうか。金属製の車の進入防止柵には、リスが遊んでいました。古石場川親水公園の石碑です。【つづく】人気ブログランキング歩いて愉しむ江東区(その7)古石場の名前の由来
2019年06月05日
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歩いて愉しむ江東区、親水公園の中には花が植えられていて、歩く人の目を楽しませてくれます。コデマリの白い花がいいですね。こちらは紫の花。シラン(紫蘭)ですね。親水公園ということで、水辺に生えるアシ(葦)もありました。親水公園ですが、水に親しむだけではなく、花にも親しめる公園でした。【つづく】人気ブログランキング歩いて愉しむ江東区(その6)古石場川親水公園の植物
2019年06月04日
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歩いて愉しむ江東区、古石場川親水公園、周りがマンションなどに囲まれ、人工的な水路が流れる都会的な空間ですね。でも、こういう空間があるのはちょっと心が和むものですね。古石場川親水公園は、古石場川に沿って整備されている東西に細長い公園で。長さ約750メートルだそうです。公園の両側はコンクリートの壁になっているのは、ここがかって運河でその護岸のコンクリート壁だったのでしょう。そして、ここには落書きが。いや、落書きではなくどうやら、ちゃんとした作品のようで、横にタイトルをいれた説明版が付けられていました。この親水公園の中を歩いて行きます。【つづく】人気ブログランキング歩いて愉しむ江東区(その5)これは落書きではなく、作品です。
2019年06月03日
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歩いて愉しむ江東区、古石場川親水公園沿いを歩いて行きます。このあたり牡丹町と呼ばれる地区です。古石場橋という橋が架かっていました。この橋の上に行ってみました。かってこの付近を流れていた古石場川を中央に水路を残して埋め立ててできたのが、この古石場川親水公園です。ぼたん園を示す幟が建てられています。古石場橋は「ふるいしばばし」と濁音で読むようですね。この古石場橋と古石場川親水公園に隣接して「牡丹町公園」があります。この公園にもボタンの花が植えられていました。こちらもボタンの花が艶やかな姿を鑑賞することができました。ピンクのボタンの花もありました。地元のみなさんが丹精を込めて育てられているのでしょうね。【つづく】人気ブログランキング歩いて愉しむ江東区(その4)牡丹町公園
2019年06月02日
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歩いて愉しむ江東区が続きます。大横川と平久川をつなぐ木材屋用の掘割・運河であった古石場川(ふるいしばがわ)沿いに整備された古石場川親水公園に入っていきます。この古石場川親水公園には、牡丹園があります。4月上旬から5月上旬がボタンの季節ですね。それほど大きい公園というわけではありませんが、それなりに手入れされた庭園でした。白い牡丹の花もいいですね。こちらも牡丹の花なんでしょうか、色々な花が品種改良で作られているのでしょうね。上野公園にある東照宮のボタン園などと違いで無料でボタンの花が楽しめるのはうれしいことです。【つづく】人気ブログランキング歩いて愉しむ江東区(その3)牡丹園
2019年05月31日
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歩いて愉しむ江東区を続けます。黒船橋のたもとにあるこの建物。門前仲町の火の見櫓を復元したものだそうです。さて、大横川の散歩道を東に向かって歩きました。緑の木陰がちょっと気持ちよいですね。水辺の散歩道として整備されていました。都会の中にある水辺の散歩道、ちょっとしたオアシスですね。【つづく】人気ブログランキング歩いて愉しむ江東区(その2)水辺の散歩道
2019年05月30日
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歩いて愉しむ江東区、地下鉄の門前仲町の駅からスタートです。とりあえず、腹ごしらえは、ここですね。朝食メニューのおろし焼きさばめし(360円)をいただきました。清澄通りを越中島方向へ歩いて、最初にある橋が「黒船橋」です。橋の名前は、幕末に日本にやってきたベリーの黒船と関係ないそうで、近所にある黒船稲荷(→→→こちら)に由来するそうです。橋の名前、漢字で書くと「黒船橋」ですが、橋の親柱の銘板では「くろふねはし」と濁らず読むようです。この黒船橋がかかる大横川の両岸は桜の並木となっていますので、桜の季節には見事な景観となります。黒船橋の近くにある「臨海小学校」。今では回りも埋め立てられて、海からは離れてしまったのでしょうが、この小学校が創立された頃は、ここから東京湾まで近かったのでしょうね。【つづく】人気ブログランキング歩いて愉しむ江東区(その1)黒船橋
2019年05月29日
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浅草神社境内に町内神輿がやってきました。大人神輿の担ぎ手のみなさんです。女性の方も担いでいますね。元気出して担いでいきましょう。こちらは本社神輿の宮入を中継するJCOMのみなさんです。こちらは、最後に神楽殿で行われる太鼓奉演のみなさんです。いつもは車が行き交う馬道通りも三社祭中は車が通行止めの歩行者天国です。路上ではお神輿、待機中です。お囃子屋台も休憩中ですね。雷門通りでは、記念撮影をする修学旅行中の中学生の皆さん。背景のスカイツリーがこの記念撮影のポイントですかね。以上、令和元年の三社祭の様子でした。【了】人気ブログランキング三社祭に行ってきました(その6)修学旅行もやって来ました
2019年05月25日
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奉納舞吉例くみ踊り 、こちらの幇間(ほうかん、たいこ)の皆さんも芸を披露しました。みなさん踊りも見事ですね。踊りの後は、ショートコントが披露されました。こういう面白い出し物も神様には喜ばれるかもしれませんね。男芸者と呼ばれる幇間のみなさん。浅草には女性の幇間さんもいました。幇間の世界も男女共同参画社会ということですね。おめでたい松の披露ですね。最後の出し物も芸妓衆による舞の披露でした。こちら組の地方の皆さんです。宝塚風の男装の麗人というところでしょうか。ちょっとふっくらされているのも、またいいですね。舞のポーズ、いいですね。娘姿の芸妓さんが参加されると華やかな感じですね。やっぱり、花街あっての浅草ということですね。【つづく】人気ブログランキング三社祭に行ってきました(その5)幇間のみなさんも奉納舞です
2019年05月24日
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引き続いて、浅草芸妓衆によるくみ踊りの披露です。こちらのお姉さん方は、長唄や清元などの唄、語りや三味線や鳴物の演奏をうけもつ地方(じかた)のお姉さん方です。そして、こちらは舞を披露する立方(たちかた)の皆さん。艶やかですね。こういうのを料亭のお座敷で観られる身分になりたいものです。なかなかの姿ですね。芸妓さんいいですね。観客の皆さんもうっとりでした。【つづく】人気ブログランキング三社祭に行ってきました(その4)奉納舞吉例くみ踊り
2019年05月23日
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浅草神社の中にある神楽殿です。三社祭りの時には、ここで奉納舞踏が披露されます。奉奏と呼ぶみたいですね。ここで舞を奉奏する巫女さんたちですが、彼女たちは巫女舞を習っている小学生から大学生までの皆さんです。舞が始まる前に部隊の支度をするのは、本職の巫女さん達ですね。最初に登場した巫女さん役の中学生の方です。外国からの観光客も多いせいか、英語のアナウンスでも紹介されていました。真剣な面持ちで、舞っています。こちらは、小学校低学年のお子様です。小さいお子様ですが、しっかりと舞っていました。こちらは緊張した面持ちの小学校高学年の女の子です。着物の柄は、縁起のよい鶴でした。見事な舞姿でした、よく練習されているようです。次は、最初に搭乗した中学生と先ほどの小学校高学年のお二人です。見事に息の合ったところですね。最期は、この高校生のお二人と大学生のお二人によるカルテットでの奉奏です。長い修練の成果を披露されていのすね。皆さん、お見事でした。【つづく】人気ブログランキング三社祭に行ってきました(その3)奉納舞踏
2019年05月22日
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浅草と言えば、この浅草寺ということになりますね。というわけで、多くの人が浅草寺に参詣されていました。しかし、三社祭といえば浅草神社の例大祭ですから、浅草寺の隣にある、三社様と呼ばれる浅草神社に参詣しましょう。こちらが、浅草神社の参道です。境内では、長い行列ができていました。ご朱印所もありましたが、整理券をもらい、出来上がると、番号が呼ばれて書き上がったご朱印帳を受け取るようでした。みなさん随分待たされていたみたいですね。ドローンの飛行は禁止です。突然の事故に備えて、二天門の近くに消防隊員も待機していました。浅草寺の裏にある「はとバス」の専用駐車場。こういう日なら、はとバスの観光客も多いでしょうね。みなさんお祭り見物ですね。露店もこのにぎわい。浅草寺横の露店です。電球ソーダって、韓国生まれだったですね。お祭り装束のみなさんも屋台で買い物ですかね。浅草神社境内に行くったら、是非、この石碑をチェックして下さい。これは、浅草神社が「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の舞台となったことを記念した石碑だそうです(→→→こちらです)。【つづく】人気ブログランキング三社祭に行ってきました(その2)友情はいつも宝物の石碑
2019年05月21日
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5月17日から19日は三社祭でした。浅草に初夏の訪れを告げるお祭りです。ということで三社祭見物に行ってきました。都営浅草線の駅の近くです。細い路地でも、お神輿担いでいました。こちらは雷門の前で、子供たちが担ぐ子供神輿です。子供たちも元気一杯、神輿担ぎの英才教育ですね。こちらは大人が担ぐ大人神輿。見物の人が一杯の中でも進んでいくます英才教育の結果ですね。気勢をあげてお神輿を高く上げました。この三社祭、正式名称は「浅草神社例大祭」。つまり浅草神社のお祭りで、浅草寺とは今では関係ないお祭りのようです。浅草神社は明治時代に入るまでは浅草寺と一体であり、この時代には浅草寺の祭りとして行なわれていたそうです。なんか、三社祭というと伝統ある有名なお祭りのような感じですが、江戸時代から謳われている江戸の大きな祭りを謳った狂歌「神輿深川(深川祭)、山車神田(神田祭)、だだっぴろいは山王様(山王祭)」の中には含まれていませんでした。 でも、これだけ人気があるのは、浅草の持つイメージを活かした観光宣伝色が強い祭りかもしれませんね。こちらはお囃子を演奏している屋台でした。こちらのような町内神輿が約100基はあるそうです。担いでいる人の中には、こんな模様の入った人もいるようですね。【つづく】人気ブログランキング三社祭に行ってきました(その1)祭りといえばお神輿ですね
2019年05月20日
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国技館の2階でもイベントをやっていたので、2階へ上がってみました。ちなみに、国技館の後ろで建設中の高層ビルは、「アパホテル」だそうです。イベントをやっていたのは、岡山県新庄村(しんじょうそん→→→こちら)から来られた皆さんです。もらったチラシには、芝田山親方(第62代横綱 大乃国)の写真がありました。ちなみに、岡谷健新庄村といえば、こちらのがいせん桜(→→→こちら)で有名ですね。この写真2005年にまだ岡山に住んでいた頃に撮影したものです。こちらのイベントは、「餅つき」でした。新庄村で獲れたモチ米「ひめのもち」から作ったお餅だそうです。この餅つき男性4人が餅をついていて、普通の餅つきの時にいる。お餅の形を整える合いの手の方がいませんね。合いの手の人がいないので、手水が入らないせいか、お餅は結構、粘りが出ているのでしょうか?随分、伸びますね。4人でついているから、もち米もきめ細かく潰されて、粘りのあるお餅になっているかも。つき上がったお餅は早速、形を整えられます。普通の白い餅は100円、きなこや砂糖醤油つきだと200円で販売されていました。白いお餅いただきました。別になにもつけなくても、ほんのりと甘みがあるお餅でした。運動エネルギーとなる糖質(炭水化物)を前もって筋肉に蓄えておくことで、持久力を向上させる食事法が「カーボ・ローディング」です。ということで、お餅でカーボ・ローディングもしたことで、新時代、令和も走り抜ける持久力が蓄えられたかな?【了】人気ブログランキング両国にぎわい祭(その4) カーボ・ローディングで令和を乗り切ろう
2019年05月02日
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元号も令和に変わりましたが、平成最後の両国にぎわい祭の紹介を続けます。ゴールデンウィーク期間中の国技館のイベントといえば、この両国にぎわい祭と、横綱審議委員会による稽古総見の一般公開ですが、今年は稽古総見の一般公開はないそうなので、この両国にぎわい祭だけが国技館のイベントとなります。国技館の中には、神社が二つ建立されています。こちらは、「豊国稲荷神社」。そして、こちらは「出世稲荷神社」ということで、二つとも稲荷神社というのは、相撲と稲荷神社、何か関係があるのでしょうかね?国技館の中にあった出店です。出店しているのは、横綱町会ではなく横網町会でした。国技館あるあたり、横網町ということで地元の町内会も祭を盛り上げるのに協力しているのですね。いよいよ国技館の中に入りましょう。国技館、横書きでも右から書いているのが、大相撲の伝統を示しているのですかね。中は、国技館らしく大相撲関係のお土産を売っていました。そして、国技館の内部です。普段は土俵ってないんですね。ちなみに、相撲と言えば、こういう桝席に座って観戦するんですね。【つづく】人気ブログランキング両国にぎわい祭(その3) トコトン国技館
2019年05月01日
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平成も残すところ今日一日ですね。悔いなく平成最後の一日を楽しみたいです。さて、最近よく墨田区内で目にする「あしたのジョー」がモデルとなったポスターが、両国にぎわい祭り会場でも展示されていました。「あしたのジョー」の主人公、の主人公、矢吹丈といえば、少年鑑別所に送られた不良少年が、更生してプロボクサーになる物語で、それにあやかって、犯罪を犯した少年を更生させる取り組みを進めようというキャンペーンをやっているのかと思いきや、そうではなく、東京オリンピックのボクシング会場が墨田区になるという宣伝でした。こちらでは、ベーゴマを楽しむイベントをやっていました。最近の子供もベーゴマなんてしないと思いましたが、なかなか、見事にベーゴマを回していましたね。【つづく】人気ブログランキング両国にぎわい祭(その2) あしたのジョー
2019年04月30日
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10連休、楽しんでいますか?さて、ゴールデンウィークの両国といえば、「両国にぎわい祭」ですね。メインはこの国技館通りを会場にした地元商店会などにより出店ですね。このお店もチャンコ料理で有名ですが、出店で営業です。特に連休初日の4月27日は肌寒かったので、温かいチャンコ料理は売り上げが立ったかも。そして、にぎわい祭に華といえばステージ上で繰り広げられるパフォーマンスの数々。その中でもこちらは出番を待っている両国幼稚園のガールズ。さわやかな、幼稚園ガールズのパフォーマンスの司会にはちょっと似合わない感じの、司会のおじさんと後ろに控えるのは、幼稚園ガールズのダンスを指導ている。幼稚園の先生方。幼稚園の先生って見た目は優しそうな方が多いですね。ステージに登場してきた幼稚園ガールズのみなさんは、円陣を組んで、声を出して勢いをつけて、元気よく踊ります。おばあちゃんもスマホで撮影です。しかし、幼稚園ガールズですが首をかしげて、しなをつくって、可愛くみせるところなんて、幼稚園ガールズとは思えない、女の子の持って生まれた愛嬌が、つまり「フラ」(→→→こちら)がありますね。そして、元気よく、踊っています。しかし、みんな真面目に踊ってますね。MoMo太郎が幼稚園の頃は、なんかお遊戯会とかで歌ったり、お芝居したりするのは、超恥ずかしくて、嫌でした。それに、人間なのにテントウムシさんの役をやれとか言われたので、本気でテントウムシに成りきろうと考え、ひとりだけ四つん這いになっていたら、先生から「ちゃとん立って歩きなさい」と言われて、子供ながら、釈然としない思いでした。こういう衣装は、親が用意するんでしょうね。お金持ちのいい所の子供たちなんですね。MoMo太郎は、幼稚園のカバンなんか買えなくて、風呂敷に包んでお弁当とか持って行ってましたよ。今の時代に幼稚園に行きたかったです。ということで、令和の時代を担っていく幼稚園ガールズのみなさん、これだけ元気があれば大丈夫ですね。【つづく】人気ブログランキング両国にぎわい祭(その1) ダンスパフォーマンス
2019年04月29日
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去年に続いて、ことしも向島にある牛嶋神社(→→→こちら)に初詣に行ってきました。向島や本所の人々の信仰を集めているようで、かなりの初詣の人出でした。なかなか立派な社殿です。神社は隅田公園の中にあるので、日本庭園があり。オナガカモ(?)も優雅に泳いでいました。こちらは吾妻橋からアサヒビールの本社とスカイツリーを撮影したところ。定番の撮影ポイントですね。ビルの壁面にスカイツリーと隅田区役所が写っていました。人気ブログランキング初詣は今年も牛嶋神社
2019年01月03日
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回向院も会場になっていて、境内の中では江戸の曲芸、「江戸太神楽」が披露されていました。これは茶碗を傘の上で回すという曲芸。「江戸太神楽」太いと書いて「だいかぐら」と読むそうです。昔はお正月の演芸番組では、海老一染之助・染太郎によるこの手の曲芸、必ずありましたが、最近は見かけませんでしたが、ちゃんと伝承されているのですね。「いつもより余計に回しております!!」海老一染之助・染太郎の場合は「弟は肉体労働、兄は頭脳労働、これでギャラは同じなの」ということで、染之助が芸を見せ、染太郎が話術で楽しませるというスタイルでしたが、このコンビは両方が芸を披露しています。マスを二つ回して、「ますます繁盛」というところですかね。こちらは鞠を使った曲芸です。わかりにくいですが、鞠が二本の棒の上を行ったり来たりしていますよ。こちらは一萬灯という曲芸だそうです。上に載ったコップから水がこぼれないようにしているところがポイントですね。こちらは一萬灯を回して、水が散っていくという芸です。こんな曲芸も楽しめて、なかなか両国にぎわり祭面白かったです。【了】人気ブログランキング両国にぎわい祭(その3) 江戸の曲芸
2018年05月07日
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