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霧馬山改め大関霧島がモンゴルから帰ってきました。今月5日にモンゴル・ウランバートルへ行き、7日には車でドルノド県の故郷セルゲレン・ソムに行き、大歓迎を受けたとの記事が載っていました。その霧島が14日にモンゴルから日本に帰国したとのことです。10日間の滞在と聞くと何となくのんびりできそうですが、実際の期間を考えるとかなりハードなスケジュールです。到着日は夜なので、その日は活動できないし、出発日は早朝なのでこの日も活動できません。なので、これだけで実質8日です。しかも今回は彼の故郷のソムであるセルゲレンに帰っています。それをなんと700kmもの距離を車で移動です。私がドルノドへ行ったときはさすがにチョイバルサン(県庁所在地)までは飛行機を使いましたが、彼は敢えて車で行ったのでしょうか?そうなると、これまた片道で1日潰れますから、往復で2日間活動できません。もちろん高速道路なんてないですから、一般道を延々と走り続けるのです。それでも昔(と言っても私が知っている程度の昔)は舗装道路がなく大変でしたが、今ではウランバートルからチョイバルサンまでは舗装道路となっているので、その日のうちには到着できるでしょう。彼は6月7日にドルノドへ行き、日本への帰国が14日です。ウランバートルで挨拶等もあり帰国前に最低限1日滞在するとなると、帰国日の前々日の12日にウランバートルに帰る(移動する)必要があります。従って、彼が故郷で過ごせるのは8日から11日までのわずか4日しかありません。この中には地元の名士や政治家などによる歓迎会もあったことでしょう。さらに驚いたのは、彼はナーダムにも参加したというのです。モンゴルをご存じの方ならよくわかると思いますが、ナーダムは7月上旬に行う、モンゴル最大の祭典です。普通は、まずウランバートルで7月11日あたりから3-4日間やって、その後地方の各地でもナーダムを行います。地方によっては7月下旬というところもあります。そのナーダムになんで6月に参加できるのか?それは霧島の帰国に合わせて、その地域のナーダムのスケジュールが変更されたということなのです。ナーダムの予定を変更してまで霧島を歓迎するのは凄いですが、ここまでやってもらうとなれば、最低2日間程度はお付き合い(イコールお酒をたくさん飲む)が必要でしょう。こうやって時間をどんどん削っていくと、一体彼は故郷の家族らとのんびり過ごせたのはどのくらいなんだろうかと思います。良くてせいぜい2日間程度ではないかと思います。もちろん、それだけ地元から愛されているということでしょう。そういえば、ウランバートルのテレビ局もドルノドまで取材に出かけてました。私が「霧島は必ず横綱になるから、その時のドキュメンタリー番組のために今からできるだけ撮影しておいた方がいいよ!」というと「もちろん、それを意識しています。だから、今回はニュースで流す分とは別に将来のことを見据えて取材します!」と言ってました。4年ぶりのモンゴルで英気を養った霧島に来場所は期待しましょう。
2023.06.14
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まだ正式な発表はありませんが、この夏はMIATの東京ーウランバートル間の便が、1日2便になるとの情報が入りました。「おう、それは便利になるな」と思われるでしょうが、必ずしもそういうことではないのです。具体的には、現在ウランバートルから朝7時45分にOM501便というのが飛んでいますが、この20分後、恐らく8時5分(?)にOM7501便という飛行機が成田に向けて飛ぶというのです。ですので、確かに1日2便になるのですが、たったの20分差では利便性の向上というわけでもなさそうです。ですが、メリットはあります。それはキャパの増加、つまり客席数の増加があるので、予約がとりやすいということはあるでしょう。帰りの成田発も同様の措置となります。なぜこのようなスケジュールになったのか?詳細は発表を待つしかありませんが、現時点での推測は以下の通りです。MIATは飛行機のキャパを増やすべく、現在の160人乗りの機体から260人乗りの機体に変更する予定でした。一般的には、リース会社から航空機リースで調達します。そしてそれを前提にこの夏の予約を受け付けていました。つまり260人分の予約を入れていたということです。ですが、リース会社との契約上の問題から、その260人乗りの機体がモンゴルに来ないことが判明したのです。このままでは、既に260人分の予約を受け付けていることから、モンゴル内外で大混乱になることが予想されます。今月下旬から7月上旬のナーダムにかけては、一年で一番混む時期でもあります。このトラブルを回避するため、MIATは急遽、入手しやすい160人乗りを手配し、1日2便でわずか20分差での運航となったのです。恐らく、チケットを予約済みの人に対して、OM501便とOM7501便に分乗して載せるような案内が届くことでしょう。私も既に予約している便がありますが、それがどうなるかはわかりません。ただ、出発時間が20分程度の差であれば、乗客にとっても大きなスケジュール変更とはならないでしょう。なので、これが発表されれば、既に満席となっている便でも空席が出ることが予想されますので、モンゴルを訪れるチャンスとなるでしょう。というわけで、今夏のMIATはキャパシティアップとなりそうです。ちなみに、これは東京便だけでなく、他のルートでも2便制にする空路はあるようです。
2023.06.09
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霧馬山がいよいよ大関になりました。モンゴルのご両親もお喜びのことでしょう。霧馬山の出身地や霧馬山の名前の由来については、本ブログの本年3月30日付け「霧馬山、ドルノド出身だけど、内モンゴル人も気になるのはなぜ?」(https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/202303300000/)を書いたので、そちらをご参考に。そのブログで、彼がドルノド県の遊牧民の息子だったことは書きました。おじいちゃんが内モンゴルからやってきたウゼムチン族です。ネットの記事によれば家畜が1500頭もいたとあります。ちょっと信じられませんが、この数字が本当だとすると相当に大規模な遊牧民と言えます。遊牧民にとっての家畜の数は多ければ多いほどいいというものではないからです。近代的な牧畜業やアメリカ的な企業経営であれば規模は大きいほどいいでしょうが、家族経営の遊牧の場合はそうとも言えないのです。地図中央にあるのがチョイバルサンというドルノド県の県庁所在地です。セルゲレン・ソム(郡)はその北約60kmのところです。地図の右に赤い線で書かれているのがハルハ河です。日本名ノモンハン事件、モンゴル名ハルハ河戦争のエリアです。私も詳細を知っているわけではありませんが、大体こんな感じのようです。遊牧民とそして専業でやっていくには、最低でも300頭程度は必要です。もちろん、家畜の種類のミックスで多少の違いは出ますが。まあまあの中規模で500頭くらい。1000頭ともなるとかなりの規模です。私は以前遊牧民に聞いたことがあります。「今、1000頭もいるけど、将来的には2000頭とかそれ以上を目指すんですか?」と。それに対しては、きっぱりと「それはできない」と言われました。いくつも理由があると思いますが、大きく2つあると思います。1つは、えさの問題。えさとは草、つまり草原ですが、1500頭にもなると、自宅ゲル付近の草原の草はあっという間に食べきってしまう可能性があるということです。単純計算で、300頭で3か月くらい過ごせる場所が、その5倍となると単純に3週間足らずで食べきってしまいます。3か月ごとに移動しているとすると、3週間ごとに移動しないといけないということです。いくら遊牧民と言えども、これは簡単ではありません。もう1つが、管理の問題です。500頭くらいまでなら、家族(お父さんと子供数人)で家畜の移動などの管理ができますが、1000頭となると家族だけでは難しいです。親戚の子を呼んだりします。ですが、1500頭だと、家族内ではもうお手上げで、外部の人を雇う必要も出るようです。そうなると、賃金かどうかはわかりませんが、かなりのコストが発生してしまうということなのです。家族だけでやるとなると、せいぜい7-800頭が限界のようにも聞きました。その観点からしても、1500頭というのは相当な規模です。まあ、情報源が日本のスポーツ紙なので、数字が正確かはよくわかりませんけど。ですが、いずれにしてもかなり大規模な遊牧生活をしていた両親のもとに生まれたのでしょう。逸ノ城と同じように、本物の遊牧民の子として小中学校まで草原で育ったとのことです。草原に立つ霧馬山の少年時代です。良い体つきですね。確かに親方が霧島だったころにも似ているような筋肉質の体系です。師匠である元霧島の陸奥(みちのく)親方の指導も良かったようですが、モンゴルの先輩である部屋付き親方である鶴竜親方の指導やアドバイスが良かったようです。おそらくナーダムの時の写真でしょう。やせっぽちだった霧馬山に対して「どんぶり飯3杯!」を義務とさせられ「日本で一番いい」食べ物として納豆を勧められたそうです。日本食が大丈夫なモンゴル人でも納豆が苦手な人は結構いますから、食に関してはちょっと大変だったと思います。元白鵬の宮城野親方は「組んでよし離れてよし」と彼を絶賛しているそうです。恐らく、千代の富士、霧島系の帰任肉質を保ったままの強い力士になっていくのではないかと期待しています。新聞などではモンゴル出身で6人目の大関とあります。驚くべきは、5人、つまり朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜そして照ノ富士の5人全員が横綱になっているということです。当然、大関霧島も横綱になってくれるものと期待しています。そして来場所には豊昇龍にも大関になってもらいたいと思います。その下には北青鵬もいますので、再びモンゴル出身力士が横綱大関をにぎやかす時代が来そうです。モンゴルがらみで一つ追加です。モンゴルと関係している方々及びモンゴル人の方々にはちょっと気に留めておいてほしい力士がいます。それは狼雅(ろうが)という十両力士で、まだ24歳と若いです。彼はロシアのトヴァ共和国出身のモンゴル人なのですWikipedeiaによれば、国籍はモンゴルだそうです。よくご存じない方のために簡単に言えば、トヴァとはモンゴル人居住地域でしたが、ロシアに盗まれて今はロシア連邦になってしまったところです。居住地だけでわかるのか?という方もいるかもしれませんが、彼の本名がアマルトゥブシン・アマルサナーと聞けば、100%モンゴル人だとわかります。(お父さんはブリヤード人、お母さんはロシア人)狼雅です。彼が14歳の時にモンゴル国へ移住し、モンゴル国籍を取得したそうです。これはとても良い判断だったと思います。なぜか?彼がまだトヴァにいたら、率先してウクライナに送られたであろう、ロシア内では差別を受けている地域なのです。モスクワの若者は「戦争なんて関係ない!」という生活を送っていますが、ロシア連邦内のトヴァ共和国やブリヤード共和国にいるモンゴル人は大量にウクライナに送られているからです。(もちろん、たくさん戦死している)彼もモンゴル人力士として、応援したいと思います。ただ、相撲の紹介では「ロシア出身」ということになっているようです。ま、出生地は確かにロシアですから。
2023.06.01
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逸ノ城が引退するとの発表がありました。当然、上位を狙えるだけの素質があるだけに残念です。逸ノ城は、本名アルタンホヤグ・イチンノロブ(Алтанхуягийн Ичинноров)といい、アルハンガイ県出身の本物の遊牧民でした。「モンゴルは草原の国で、小さいころから遊牧で足腰を鍛えられている」などと勘違いしている日本人は多いです。白鵬をはじめ、朝青龍、鶴竜などの有名横綱は皆、ウランバートル育ちの都会っ子で、遊牧民ではありません。日馬富士もゴビアルタイ出身と紹介されますが、実際はウランバートル生まれの都会っ子です。そんな中で、初めて本物の遊牧民が登場してきたときはインパクトありましたね。2014年の新入幕の時は「黒船来襲」とまで騒がれ、新入幕力士が横綱(鶴竜)と2大関(稀勢の里、豪栄道)を倒したのは史上初で、13勝を挙げる快挙でした。新入幕の翌場所に関脇昇進は昭和以降では初となり、そのまま順当に昇進を続けると期待されました。しかしその後は、幕内上位を行ったり来たりで、なかなかいい成績は続きませんでした。また体重増によるけがが多かったとも報道されました。しかし2022年には幕内優勝をし、完全復活かと期待されました。ですがその頃から、親方との確執も伝えられるようになり、成績もまた不安定になりました。が、今年の3月場所で十両優勝をし、よしこれからだ!というときに突然の引退発表となったのです。わずか2か月前に十両優勝したばかりなのにと思うととても残念です。報道によれば、腰の痛みが限界に近く、夜は横になって寝ることもできないほどで、座ったまま寝たとも書かれていました。そうであれば、確かに体に限界が来ているのかもしれません。親方との確執が原因ではという推測もあるようですが、どっちにしても身体がいうことをきかなければ相撲は取れないでしょう。四股名は「イチンノロブ」の「イチ」、人並み外れた才能を持つ「逸材」の”逸”と相撲留学をしていた鳥取城北高校から”城”を取り、「逸ノ城」と名付けられたそうです。現在は日本国籍を取得しているので、日本人です。一般に外国人力士が日本に帰化するのは、相撲協会の幹部として残るため(親方になるため)なのですが、どうやら逸ノ城は相撲協会には残らないようです。この辺にも、親方との確執が影響しているのかもと思ってしまいます。今の幕内で遊牧民出身は、ドルノド県出身の霧馬山くらいでしょう。本物の遊牧民の子が日本で大きく活躍する姿を楽しみにしていただけに残念ですが、本人の決断ですから見守るしかありません。恐らく、引退の準備なんかは全く考えてなかったでしょうから、今後のことは本当にこれから決めるんだと思います。まだ30歳と若いんですから、第二の人生を思うように歩んでほしいと思います。お疲れさまでした。
2023.05.04
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少し前の新聞の映画紹介コーナーで、モンゴル映画の「セールスガールの考現学」が紹介されていたので気になっていました。この映画は2022年大阪アジアン映画祭で、「最も輝きを放った出演者」に贈られる薬師真珠賞を受賞しました。モンゴル映画と言えば、チンギスハーンをはじめとする歴史映画とか、草原を舞台にした遊牧民の生活を描いたものなどをイメージしがちですが、この映画はウランバートルが舞台で主人公は女子大生という、現在のモンゴルの日常を取り上げています。つまりこの映画はモンゴルという国の歴史や民族性とは関係なく、どこの国でもありうる普遍性を持った映画だということです。逆に言えば、監督や脚本家の腕次第ということです。新聞やネットで何度かこの映画についての論評を見たので、普通にいつも行くような映画館をチェックするとありません。で、検索してみたら、なんと都内では新宿と渋谷で各1か所、あとは立川で、合計3か所でしか上映していないことがわかりました。なので、渋谷の小型映画館に行きました。席数60席程度とかなり小さな映画館でしたが、入った時はほとんど満席でした。観客は若い女性が多かったと思います。内容的には「アダルトショップでバイトをする女子大生」というキャッチーな設定ですが、特段、セクシー映画と言えるようなものではなく、まさに普通の女子大生を描いていたように思えます。舞台がウランバートルなので、私は「ここはどこかな?」という視点で見ていました。が、全体に引いた画像(建物全体など広く見える画像)は少なく、見覚えはあるものの、定かではない場所が多かった気がします。定番の「スフバートル広場」とか「ガンダン寺周辺」というわかりやすい場所はなかった気がします。敢えて、場所の設定を追えば、いくつかはわかりました。舞台となったアダルトショップはデパート近くじゃないかなと思いましたが、街の風景はかなり近代的で、オリンピック道路の大統領府側にできた新しいショッピング街あたりかなと。あとは、MUIS(モンゴル国立大学)付近、ソウル通りもあったように思います。川が出ましたが、あれは市内の風景ではなくテレルジあたりかなと思いました。「君の名は。」で四谷駅付近の風景を映画の中で探していたのに似た感覚です。登場人物は、主人公の女子大生サロールとアダルトショップの女主人の二人がメインで、あとはサロールの友人や家族など、基本的には少ないです。モンゴルの生活ぶりを特に貧しく描くわけでもなく、民族的特徴を強調するわけでもなく、本当にナチュラルな感じで描いていたのは好感が持てました。ゲル地区問題も大気汚染問題もありません。ただ、唯一私が「これは現実と違うな」と思ったのは、交通渋滞です。昼の時間帯の中心地や夕方の風景など、何度かバスや車で移動するシーンがあったのですが、その全てで渋滞がなく車が順調に進むのです。ほんの少しでもウランバートルで過ごせばわかりますが、「たまたま撮影の時に道路は空いていた」というレベルではないと思いました。映画鑑賞後にパンフレットを買ったのは、一体何年ぶりかも覚えてないほどです。その解説を読んでいろいろわかりました。まずサロールの変化です。最初に登場してきたときは、ちょっと野暮ったい女子大生として描かれていましたが、段々都会的な魅力ある女子大生に変わっていったのです。うっすら口ひげが生えているような女子大生で登場したのですが、やはりあれはメイクさんが素朴な雰囲気を出すためだったんだとわかりました。オーナー・カティア役のエンフトゥール・オィドブジャムツさんはドイツ在住のモンゴル人の有名女優さんでこの映画には久しぶりに出演したそうです。民主化前のロシア影響下時代に育った雰囲気を出していて、私の同僚だったMUISの年配の女性教授を思い出しました。タバコの吸い方とか、話し方などが、この女優さんにとても良く似ていたのです。この映画でも「良きロシアの時代」と現在の民主主義時代とのコントラストが微妙に描かれていました。ストーリをここで書くようなことはしませんが、主人公が社会勉強、特にカティアの影響を受けながら、自立した大人になっていく様子を描いた作品だと思います。パンフレットで面白いのは、モンゴル国の紹介のために2ページも使っているということです。良くまとまっていて、地球の歩き方レベルです。特に私が本ブログで何度も書いた「モンゴルは女性の社会的地位と教育レベルが高い」と強調しているのは、日本人に向けた明確なメッセージでしょう。ご興味を持たれたら、この連休にでも見に行ってはいかがでしょうか?下記が、上映中の映画館のリストです。http://www.zaziefilms.com/salesgirl/各県に一か所くらいはありますが、残念ながら新潟県ではやっていません。政令指定都市を持つ都道府県で、上映してないのは新潟県だけ!と思ったら、なんと埼玉県もありません。これが「文化レベル」というものでしょう。
2023.05.01
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久しぶりに新橋駅前で待ち合わせをしたら、びっくりする広告が目に入ってきました。これは目立ちますよね?どこにあるかといえば、これは新橋の駅前にある「ニュー新橋ビル」の広告です。名前は「ニュー」ですが、建設されてから50年以上も経っているビルです。駅前の一等地ですが、かなり古いビルのため、安めの居酒屋さんなどが入っている庶民的なビルで、近々建て替え予定があります。そこにこのインパクトある看板です。一体何なのでしょうか?早速調べて電話してみると「このビルではヘッドスパをやっています」とのこと。要するに、髪を洗ってちょっとマッサージしてくれるってことみたいです。そういうお店なのに、店の営業は18時で終了とのこと。この立地で夕方6時閉店はないと思うけど、どうなんでしょうね?で、ついでにいろいろ聞いちゃいました。「モンゴ流って、モンゴルと関係あるんですか?」と聞くと、モンゴルで生産されたものではないと言います。なんでモンゴルっぽい名前なのか、もうちょっと突っ込んで聞きましたが、、、作り方とかも含め、モンゴルとは関係ないそうです。まあダジャレ?ってとこなんでしょうか?で、ネットで調べてみると、どうやらシャンプーを通販で売っている会社のようです。1本4400円とかなり高いです。「薄毛に悩む男性が選ぶ、スカルプシャンプー」とあります。男性向けシャンプーなのでしょうか?調べてみると、大阪にあるアルファウエイという会社で「見た目年齢」の研究をしているそうです。そんな研究があるかどうかはわかりませんが、そういうことをテーマにしているのでしょう。そしてなぜモンゴ流かの説明もありました。その説明文がなんとも大げさで面白いです。まず「モンゴ流シリーズの開発は、モンゴリアンとインディアンという2つのモンゴロイド、そしてそのDNAに刻まれている豊かな髪の秘密に由来します。我々は1万年を超える歴史をもつモンゴロイドにおける3つの真実に着目しました。」とあります。要するにモンゴはモンゴロイドから来たんですね。最初の理由は「日本人も同じモンゴロイドである」です。これはすごい。当たり前のことを何か発見したように書いているのがすごいです。なので「モンゴリアンとインディアンは日本人と同じモンゴロイドであり、目・肌・髪色・彫りの深さが同じである。」と解説しています。彫の深さがインディアンと同じだとは思いませんが、そう言い切ってます。次の理由は「モンゴリアンとインディアンの髪は豊かである。モンゴリアンやインディアンの髪は黒く、ハリ・コシ・ツヤのある健康的で活き活きとした髪の持ち主が多い。」です。髪が黒いという点にはその通りですね。でも、まだこれだけでは「モンゴ流」の特徴とは言えません。そして最大の特徴が「洗髪体系が日本人と異なる。」ということです。洗髪体系という言葉は初めて聞きましたが、どうやら頭の洗い方に特徴があると言いたいようです。そして「モンゴリアンは古来より洗髪時にイラクサを使用し、インディアンはユッカを使用していました。」とあります。イラクサで髪を洗うなんて聞いたことないですが、この会社はそれを発見したのでしょう。イラクサは確かに体には良いようで、薬用やハーブとして使ったりするようです。ユッカは北米原産で、先住民(ここで言うインディアン)は食用、薬用に使ってきたとあります。ただどちらもシャンプー代わりに使っていたかは不明です。そしてこの会社は「さらに調査を進めていくと、両者ともにシーバックソーン(サジー)を用いていることがわかりました。」とあります!おおー、ここで登場したか、シーバックトーン!!(ソーンでもトーンでも同じ。thの発音だから)確かにこれはモンゴルでは有名で、健康に良いと伝えられてきた植物です。「この3つの伝承成分(=モンゴロイド3大伝承成分)に着目し開発されたのがモンゴ流シリーズです。」とモンゴ流シャンプーの特徴を定義しています。つまり、イラクサ、ユッカそしてシーバックトーンの3つの成分を使ったシャンプーということなんですね。最初は「怪しい通販で売る高いシャンプー」としか思いませんでしたが、結構メジャーな場所で売られてます。全国規模では、ハンズ、ロフト、ヨドバシカメラなどで売られてます。なるほど、それだけ買っている人がいるんですね。全く知りませんでした。新橋で見た広告はインパクトありますし、こんなネーミングのシャンプーを売るのもすごいです。モンゴルがマイナスではなく、プラスイメージなのは良かったです。
2023.04.04
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先日、大学時代の仲間と飲んでいた時のことです。仲間の一人(女性の方です)が「モンゴル行ってきましたよー!」というではないですか!聞いてみると、阪急交通社のツアーに一人で参加されてとても楽しかったとのことでした。ツアー中の写真を見せてもらいましたが、3泊4日ということで基本的には定番コースでした。テレルジ、ザイサンの丘、巨大チンギス像、オペラ座などなどです。仲間の一人が「なんで一人で参加したの?」と聞くと「今の子供は母親と旅行なんかしないし、旦那さんは仕事あるから」とのことでした。で、そういう年配の女性が結構多かったそうです。モンゴル旅行には非常に満足していました。聞けば時期は10月とか。それはもう寒いはずですが、「寒かったけど、たまたまいい天気が続いていた」と気にする様子もなさそうでした。「なんでモンゴルへ?」と聞くと、答えはずばり「だって、安かったんだもの」と言うではないですか。私が「安い?そんなわけないだろう?15万円?20万円?」と聞いたほどです。なんで私がそう言ったか?最近、MIATの運賃を調べる機会があって見てみると、、、なんと10万円超えどころか11万円越えにもなっている時があるのです。年末年始とかではなく、普通の11月や12月上旬です。理由は恐らく、コロナ緩和の影響でモンゴルから出る人が増えたにもかかわらず、成田便は週3便しか運航していないため、需要と供給の関係で値段が上がったんじゃないかと思います。それにしても高いです。コロナ以前のおおまかな傾向は、夏にピークを迎えてもさすがに10万円に行くことはなく、8万円や9万円でした。秋以降、徐々に下がり12月上旬なんて5-6万円くらいだったと記憶しています。ですが、コロナ後は全てが上がり、今年の5月でも9万円超えでした。それでもピークである今年の7月上旬は10万円は切っていました。それをピークとすると、今年の11月あたりは高くても6-7万円くらいでもいいのですが、なんとナーダム時期よりも11月ー12月上旬の方が高いという異常現象なのです。そのように高くなっているモンゴルへの航空料金であるにもかかわらず、「安かったから参加した」と言うのです。で答えは「99,000円だったかな?」と10万円を切っていたとの答えでした。「いや、いくらなんでも航空運賃だけで10万円するのに、ツアー料金が10万円を切るなんてあり得ない!」と思ったわけです。そもそもMIATはコロナ前から、ツアー用の料金でもたいして安くしていませんでしたし、そのせいでモンゴル向けのパッケージツアーは他のアジア向けツアーに比べて高かったのです。私も何度も「東南アジアツアー料金が立派なホテル代を含めて、10万円以下ではとてもモンゴルは対抗できない。」と思ったものです。そしてその主たる要因は、MIATの価格にあったわけです。で私が「いや、いくらなんでも10月に10万円切るツアーはないよ。航空会社はMIATでしょ?」と聞くと「よくわからないけど、アエロなんとか、、、」と言うので「アエロモンゴリア?」と聞くと「それそれ!」と言われました。アエロモンゴリアが今年春から就航していることは聞いていましたが、実際にどこでチケット販売をしているのかはわかりませんでした。ネットの検索では出てこないのです。ブッキングドットコムのようなサイトには出ることは出ますが、運航しているのかどうかはよくわからないのです。で、いろいろ検索してやっとわかりました。アエロモンゴリアのHPによると、成田便は本年4月から10月まで火曜日のみで4月だけは火曜・金曜運航とあります。ただ、これだと5月から10月までは週1便ということになりますが、これはHPの更新ミスであろうと推定します。モンゴルの会社では良くあるミスですから。週1便だけでは3泊4日のツアー客も乗せられないし、スケジュールが固定的すぎます。なので、今年は7か月間を週2便で運航したと思われます。恐らく一般向けの販売はしていないか、少なくとも日本では日本人向けでの一般向け販売はしていないと思います。今年は日本では旅行社向け販売のみだったのではないでしょうか?ちなみに現在の阪急交通社のツアー案内を見ると、東京発、大阪発などの来年のツアーが載っています。価格は成田発で179,900円から299,900円となっています。不思議なのは「ツアーの題名」には「ミアットモンゴル航空直行便利用」と書いてあるにもかかわらず、詳細日程を見ると「成田からアエロモンゴリア直行便にてウランバートルへ」と書かれています。モンゴル側だけじゃなく、日本側も混乱しているのでしょう。ですが、これに比べてもやはりその友人が行った「10万円を切る阪急交通社のツアー」は激安だったことがわかります。10万円の売上で、阪急が2万円取るとすると、残り8万円。モンゴル旅行者側で3万円としてもアエロモンゴリアは5万円と、ミアットの半額です。やはりミアットには競争原理が必要なようです。来年は是非ともアエロモンゴリアに通年で一般個人客向けでも営業してもらいたいものです。アエロモンゴリアにJALも参入してくれれば、選択肢は増える、料金は安くなるといいことばかりなんですけど。
2022.12.15
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休憩時間後に天皇は果たして戻ってくるのか?前半に顔を出して、それで終わりという可能性もあります。ですが、休憩後に戻ってきました。これを見て思ったのが、他の政治家たちです。会場には林外務大臣や公明党の山口代表などの政治家らか来ていました。正直言って、モンゴルの民族音楽に林さんが興味あるようにはとても思えません。よくわる会合などでは、最初だけ顔を出してその後は退席するというのが多くの政治家の行動パターンだと思います。ですが、この会場には天皇皇后両陛下が来ており、しかも休憩後の後半にも鑑賞するのです。さすがの林さんも「私はちょっと次があるので失礼します」なんて言えないのでしょう。最後まで会場にいましたね。後半は前半の演奏よりも少しアップテンポの大草原らしい曲が演奏されました。日本語の歌も何曲かありました。「ふるさと」や東日本大震災の時の「花は咲く」などで、日本語で上手に歌われていました。演奏会は無事終了しました。アンコールはあるのかな?と思っていましたが、天皇の行動を見ればわかると思いました。天皇の退席は一般人の前に行いますし、当然事前に全て打ち合わせをされているに決まっています。演奏会が終わって、演奏者が全員退場しても天皇は動きません。これはアンコールがあるという意味です。案の定、アンコールで最後の曲が演奏されました。そして、これも予想通りアンコール後に天皇皇后両陛下が退席をされたのです。にこやかに退席しました。左に見える鋭い視線の男性はSPです。終始、周囲を見ていました。天皇をこんなに間近で見る機会なんて滅多にありません。観客は大喜びでした。会場中が大きな拍手で両陛下を見送っていました。帰りの際にもあちらこちらでモンゴル語が聞こえてきました。東京及び近郊にこんなにたくさんモンゴル人がいるのかと思うほどで、渋谷駅への帰り道にもパルコあたりでもたくさんのモンゴル語を耳にしました。ほとんどが留学生などの若い人たちでした。今回のモンゴル大統領に対する日本政府の扱いは、やはり別格だと思いました。大統領は国賓ではありませんが、岸田首相と首脳会談を行い、天皇皇后両陛下とは昼夜に渡って長い時間を一緒に過ごしました。永田町にはモンゴル国旗が日の丸と共にはためいていました。後ろに見えるのは議員会館です。東京での演奏会は、12月3日の桜美林大学でいったん一区切りとし、その後大阪へ行きます。その後、関西、中国、九州を経て、焼津、そして再び東京へ戻ってきます。各地のチケットはまだ買えるようなので、ご興味ある方はぜひ行ってみてください。演奏会のつかの間の休日で、若い演奏者らと食事をしました。若き馬頭琴演奏者のA君とマネジャーのNさんです。若いモンゴル人とはやっぱり寿司より焼肉ですね!ツアーの成功を祈っています。(完)
2022.12.03
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NHKホールです。初めてではない気もしますが、いつ来たのかは覚えていません。新装になってからは初めてです。座席は2階の11列目でした。当初は「2階席だし、招待券だからあまりいい席ではないのかな?」と思っていたけど、見晴らしも良くいい感じです。隣に座ったFさんと「天皇はどこに座るんでしょうかね?まさか一般人と同じ席のはずはないし。」「天皇のために20席確保したと聞いたので、一般席かな?まさかね。」「やっぱりあの貴賓席からかな?」と左右にあるオペラ劇場の貴賓席みたいなところなのだろうかと想像しました。ですが、その瞬間は突然やってきました。私たちの座っている場所の近い後方の出入り口から20人くらいの人たちが、ゾロゾロ入ってきたのです。そこにはフレルスフ大統領夫妻やバトツェツェグ外務大臣らのデールを着たモンゴル人とスーツ姿の関係者らがいました。そして、続いて天皇皇后両陛下が入ってきたのです。あまりに急で予想外だったので、スマホを取り出すのに時間がかかりました。両陛下や関係者らは、私たちの席からわずか7-8席前に座ったのです。Fさんによれば、私たちの周りも外務省関係者らが結構いるようで、2階のこの辺りが関係者と招待客の席なんだと認識しました。いよいよ馬頭琴コンサートが始まりました。鮮やかな民族衣装デールを着て演奏します。最初の演奏が行われた後に、司会者が登場しました。友人のモンゴル人Uさんです。前日Uさんと話しましたが、さすがに天皇が来るということでとちってはいけないと緊張していたようです。が、よどみなく司会進行をしました。実はUさんは、ある意味、ピンチヒッターだったのです。元々この馬頭琴楽団演奏会の企画は、長年モンゴルと日本の文化交流をされてきたモンゴル国文化大使の佐藤紀子さんが手がけたもので、司会も本来は佐藤さんがやるべきものでした。ですが、佐藤さんは天皇皇后両陛下のそばで解説をするという大役があったため、他の人に交代することになったのです。Uさんはこの楽団とは長い付き合いで、日本公演などを応援してきましたが、さすがに3000以上もの人を前にしての司会には緊張があったようです。普段は敬語も含め、非常に流ちょうに日本語を話しますが、この時はさすがにジョークも言えず真剣そのものでした。肝心の演奏は?もちろん、良かったです。50人ものプロの演奏家たちが奏でるのですから、素晴らしいに決まっています。確かにクラシックでも何でもできるだろうなと思いました。ですが、私の率直な感想は「洗練されすぎている」です。馬頭琴であることを忘れるくらいに綺麗な演奏なので、普通のコンサートに来たような気がしてしまいました。モンゴルの草原で聞く馬頭琴や、モンゴルの激しい民族舞踊での馬頭琴と比べると、きれいすぎてちょっと物足りなさを感じてしまいました。とはいえ、技術的にはこちらの人たちの方がずっと上手なんだと思います。プログラムは順調に進み、司会のUさんは幕の後ろからの声も含めて10回以上は登場していたと思います。そして1部が終わり、休憩となりました。天皇皇后両陛下も、休憩時間に退席されました。(続く)
2022.12.02
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今年はモンゴルと日本の国交樹立50周年です。以前お伝えした、那須での高校生たちの合同合宿などもそうですが、各地で地道な50周年活動があるようです。文化的交流という視点では、50周年事業の最大のイベントが「モンゴル国立馬頭琴交響楽団演奏会」と言えるでしょう。馬頭琴はモンゴルの民族音楽ではなくてはならない2本弦の弦楽器です。モンゴル語ではモリンホールと言います。モリンは馬、ホールは楽器です。2003年にユネスコの世界無形文化遺産に指定されました。大草原の中で馬頭琴を聞くと、一層心地よくなるのを覚えています。が、今回は交響楽団です。ここはモンゴルでの優秀な演奏家たちが所属する国立交響楽団で、モンゴル芸術文化大学などを卒業した人が多くいます。日本への講演の歴史も古く、楽団が誕生した30年前から日本での演奏は全国各地で行っています。国内では今回のNHKホールやサントリーホールなど、海外ではカーネギーホールや国連本部、ユネスコなどでも演奏会を実施してきたそうです。そして今回の目玉は何と言っても、天皇皇后両陛下のご列席があるということでしょう。11月30日の午後に皇居でフレルスフ大統領夫妻と会い、そのまま渋谷のNHKホールに一緒に来たというわけです。外交専門家によれば、天皇陛下が1日で同じ相手と2度も会うというのは珍しいことなんだということで、それだけモンゴルとの友好関係の重要性が理解されます。無論、全ては日本の外務省の管理下ではあるでしょうが、外務省の「モンゴル組」の縁の下の根回しが想像されます。というのも、実は中国とも外交50周年なんですね。ついでに言えば沖縄返還も50周年です。中国と言えば、天皇への思いそのものはわかりませんが、「天皇の重要性」は十分に理解している国です。天安門事件で西側諸国から干されたときに、天皇訪中を実現させて国際社会再デビューを果たしたこともあります。また習近平がまだ副主席だったときに、習の「箔」をつけるために当時の小沢幹事長経由で無理やりルールを捻じ曲げて、「副主席」の習を天皇に面会させたという事実もあるほどで、実は中国は天皇というブランドには弱いようなのです。清の皇帝がいなくなった後、アジアには天皇しかいませんからね、エンペラーは。その大国中国を差し置いて、隣の小国モンゴル大統領が1日に2回も面会し、しかも夜遅くまでモンゴルの民族音楽を両陛下そろって鑑賞されるということは、恐らく我々日本人が思っている以上に中国の外交当局にとっては悔しいことだと思います。「なんで我が偉大なる中国が、あんな遊牧民の国より下なんだ・・・」と言うかどうかは知りませんけど。それだけ、日本の外務省内でもいろいろあったんじゃないかと、単純に拝察するわけです。多分、岸田だったら、中国は何とも思わないでしょうね。笑6時半の開演ということで、当日は6時にモンゴルビジネスのプロである商社マンのFさんと待ち合わせをしました。Fさんに招待状を渡すためです。Fさんにも招待状は送られてくるはずだったのですが、2日前になっても届かず、私が持っている分をお渡しすることになったのです。当日NHKホールの前に到着すると、いるわいるわ、たくさんの数のモンゴル人やモンゴル関係者が来ていました。特に若い女性が多かったようで、まるでモンゴル人留学生の同窓会みたいにあちらこちらからモンゴル語が聞こえてきました。とにかくその数に驚きました。NHKホールと言えば、あの紅白歌合戦をする場所で、3500人以上も収容できるそうです。みんなどうやって知ったのでしょうか?若い人はやはりSNSでしょうか?日本人も結構いましたが、そんなにモンゴルの音楽に興味あるんでしょうかね?もちろん、お約束のお相撲さんたちも来ていました。有名な力士はいなかったようですけど。さて、いよいよ入場です。(続く)
2022.12.01
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先週、日本とモンゴルの学生が合同で合宿をしました。それを耳にした時「確かにそれは良い話だけど、誰がそんなことやるの?お金は誰が出すの?」という疑問がわきました。ですが、どうもこれは「日本とモンゴルの国交樹立50周年記念事業」の一つであり、主催は日本の外務省であるとのことです。こういう草の根交流に資金を出すのは「箱もの建設」に比べればごくごく少額で済むでしょうから、良いことだと思いますね。そのことを取材に行くモンゴルのテレビ局も来ていました。でもいくつかの疑問がわきました。「このコロナで、モンゴルの学生を呼ぶ?できるの?」と。ですが、対象は現在日本で学んでいる学生が対象であるとのことでした。全部で67人と新聞にありますが、モンゴル人学生は約30人とほぼ半数だそうです。確かに日本の大学にはたくさんのモンゴル人留学生がいますから、対象を日本留学中のモンゴル人に絞ったのもいいでしょう。議論は日本語で、防災、ジェンダー、開発、地域活性、アート思考など5つのテーマにグループ分けし、SDGs的観点で行動計画を考えたようです。現場に行っていた、日本語ペラペラのモンゴル人でさえ「モンゴル側の学生の日本語がすごく上手なのには驚きました」と言っていたように、議論には語学の壁はなかったようです。とはいえ、これはちょっと残念だなと思いました。昔の話ですが、ヨーロッパに行った日本人学生とヨーロッパの学生たちが交流し、ディスカッションをするという機会がありました。ヨーロッパ側は「どの言葉で議論しようか?わざわざ日本から来てくれたんだから、君たちが決めてもいいよ」と言うと「じゃあ、日本語で」と答えたという逸話が残っています。もちろん、日本語が通じるわけはないのですが、重要な国際会議でもないのですから、できるだけ日本人学生にも何らかのハードルを与えてほしいものです。せっかく外務省がこういう機会を作るのですから「議論は原則英語で!」などのルールを設け、日本人学生側にもプレッシャーや学びを与える工夫も必要だと思います。昔の経済大国だった時代はとっくに終わっており、今は「日本に来るなら日本語で話せ!」という時代ではないような気がするのですけど、どうなんでしょうか?場所は那須塩原で行われたそうです。私も那須にマヌルネコを見に行きましたが、モンゴル人にとっては都内でやるよりはずっといい環境です。しかも会場近くにはモンゴル人が経営しているゲルペンションのようなものもあります。是非、マヌルネコ見学とゲル訪問はやってほしかったですが、外務省のスタッフはどこまで知っていたのかはわかりません。マヌルネコまでは知らないかもしれませんね。かわいいアズちゃんとエルちゃんが待ってます。またモンゴル人なら、アルパカにも喜ぶことでしょうが、さすがにそこまで外務省が気が利くとは思えませんね。全国にはここ以外でも、北海道旭川近くや長崎県の松浦など、ゲル民宿のような場所はいくつもありますから、そういうところを会場にするのもいいかもしれません。今の外務省では腰が引けて実現できないかもしれませんが「日本人、モンゴル人に内モンゴル人」を加えて、文化交流をするというのも日本でしかできないことだと思います。が、まぁ、中国を怖がってばかりいる外務省にはできないでしょうね。それが実現したら、私が講師になって訪れましょう!
2022.10.04
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24日にビッグサイトでのツーリズムEXPOジャパン2022に行ってきました。これは日本の観光業界が行う最も大きなイベントだそうです。恐らく広い会場には日本各地の観光地からの出展もあるのでしょうが、今回は時間の制約もあり、インターナショナルのブースのみに行きました。会場内は、一般客が多いモーターショーや出展業者が非常に多いFOODEXほどの人出ではありませんでしたが、まずまずの賑わいでした。そんな中にモンゴルのブースもありました。まあまあ目立つ感じではありましたが、さすがにフィリピンや韓国と比べると小さめのブースでした。が、モンゴルと同程度のブースに、中央アジア諸国(カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギスなど)がひとまとめに展示されているブースに比べれば、単独ブースですから立派なものです。ざっと回ったところ、やはり韓国ブースは圧倒的な人気でした。なんと長蛇の列ができていました。どうして並んでいるのか聞いてみましたが、誰か有名人のサインがもらえるようなことを言ってましたが、確かなことは分かりません。ですが、日本人が韓国への旅行に高い関心を持っていることは十分理解できました。モンゴルのブースには統一感ある案内はなく、MIATやモンゴルの旅行会社数社が小さなデスクを設けて案内している程度でした。MIATからはボールペンをもらいました。私が冗談っぽく、「モンゴル製ではなく、ヒャタッド(中国)だね?」というと「多分ね」と笑っていました。笑い事ではなく、このボールペン冗談ではなく、新品なのに最初は1mmも文字が書けないのです。もう捨てようと思って、白い紙に惰性で数十秒間円を描いていたら、途中から突然インクがドバっと出てきました。うーむ、なかなかこういう品質のボールペンは日本では見ませんね。MIAT、せめて品質チェックくらいしてほしいですね。ま、MIATにはあまり品質という概念はないでしょうけど。ブースの近くではモンゴルのテレビ局のインタビューをやっていました。インタビュー相手は、駐日モンゴル大使バトジャルガルさんでした。この方の名前ですはBatjargalさんですが、ほとんどの場合、この名前は日本語ではバトジャルガルと書かれます。が、なぜか駐日モンゴル大使館のHPでは、バッチジャルガルと表記されています。まあ、外国語の日本語表記なんてどっちにしろ正確ではないでしょうが、バッチと書くのは初めて見ました。Batsaikhanも通称バッチさんと呼ぶのでしょうかね?その後、私も会場にぶらっと来ている日本人という設定でインタビューを受けました。モンゴルのテレビに出て、友人らに元気な様子を伝えられたら嬉しいです。内容は「モンゴルの大自然は素晴らしいので、多くの日本人が行きたがるでしょう!」というリップサービスでしたけど。せっかくの日本からの映像ですから、面倒なこと言ってはいけませんから。率直な疑問として、この展示ブースは何のためにあるのだろうと思いました。ブース来訪者は多くはありませんし、私のようなそもそもモンゴルを知っている日本人もちらほら来ていました。日本の旅行代理店が訪問しているようには見えなかったですし、ほとんどがモンゴル人同士で仲良くおしゃべりしていたという感じでした。私もパンフレットなどでモンゴルの乗馬ツアーやトレッキングツアーの説明を受けましたが、入場料も必要ですし恐らく完全な一般人が来場しているわけではないので、ツアーを申し込むという人は皆無でしょう。しかもツアーのほとんどは6~9月向けの内容ですから、来年にということでしょう。そんな半端な感じを一新させたのが、モンゴルの芸能です。馬頭琴の後に、女性歌手が歌いました。恐らく長唄だと思いますが、さすがに声の張りが違います。あっという間にモンゴルブースが人だかりになりました。会場係員もやってきて「この辺りに立ち止まらないでください!」と言ってましたが、皆立ち止まっていました。次は、女性舞踏家です。私はモンゴルの伝統的なダンスが好きですが、この狭い会場にソロで踊ったのは初めて見ました。ですが、さすがプロです。たった一人でも、多くの聴衆を惹きつけました。リズミカルに体を動かし、特にモンゴルのダンスは肩の動きに特徴があります。この方の動きは、遠いハバロフスクの先住民(もちろん、モンゴロイド)の踊りにもよく似ています。古代から遠くシベリアにまで伝わる踊り方なのかもしれません。次は、男性歌手でした。最初は普通の長唄っぽかったですが、途中からホーミーに代わり、私も久しぶりに聞き入りました。他の国のブースでも芸能ショーはありましたが、モンゴルブースがダントツだった気がします。最後にちょっと驚く情報を。MIATの方と話していたら「日本航空さんがもうすぐモンゴルへのフライト始めるようですよ」と言ったので、私が「ああ、コードシェアですね。もうMIATとやってますよね?」と言うと、「いいえ、単独で飛ばされるみたいです」と。日程は不明だし、真偽のほどもわからないので、JALのブースに行って聞きました。JAL内でも知らない人も多かったですが、どうやら11月からJALが単独でウランバートルに飛ばすという話があるようです。JALの方が運賃高くなりそうですが、それでも日本人はJALを選ぶ人が増えそうです。今後の情報を待ちたいと思います。モンゴルへの観光客が増えることを期待しています。
2022.09.26
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今、モンゴルにいます。コロナ前の2019年12月以来、3年ぶりのモンゴルです。成田でチェックインをしていた時に、「安倍元首相襲われる」とのニュースを目にしました。「襲われる」という表現は政治家には時々あることなので、変な奴が襲おうとしたけど、SPがそれをよけて守ったのだろう、くらいにしか思いませんでした。ところが、飛行機に乗る直前のニュースは「銃で撃たれ、心肺停止」「病院に運ばれた」とありました。そしてウランバートルの新空港に着いたら「死亡」とのニュースが。本当に驚きました。首相を襲うなんて、戦前の515事件か226事件かと思いました。背後関係はもちろんわかりませんが、元自衛官だとのニュースを見て、本当に戦前みたいだなとも思えてきます。ウランバートルのホテルにチェックインした時、受付の女性が「今日は大変な日ですね。」と声をかけてきました。何があるのかなと聞くと「日本の元首相が亡くなりました。」と手で涙をぬぐうようにして「私は泣きました。」と言いました。自民党や安倍さんの長期政権には飽き飽きしていた人たちからすると、恐らく想像もできないでしょうが、安倍さんはここモンゴルでは大変人気があります。「ありました」ではなく、今もあるのです。スガやキシダは知らなくても、安倍さんを知らないモンゴル人はほとんどいないと言ってもいいでしょう。その訃報は、あっという間にモンゴル中に広まり、誰もがひどく悲しんでいます。もしかして、日本人よりも悲しんでいるのではないかと思うほどです。恐らくですが、日本人の場合は、「選挙中の襲撃」「テロ行為」「民主主義を揺るがす行為」など、その許されざる行為に対しての怒り、悲しみがメインだと思いますが、ここモンゴルでは完全に、安倍さんの死、外国人政治家として人気があった「シンゾー」が亡くなったことへの悲しみがとても強いのです。モンゴル外務省の人たちも大いに悲しんでいるそうです。モンゴル外務省には安倍さんと直接会ったことがある人が結構多いのです。それはなぜか?安倍さんは3度もモンゴルを訪問し、何度もモンゴルの大統領や首相に日本で会っています。恐らくモンゴルの首脳(大統領、首相)が最も多く会った外国の首脳は安倍さんだと思います。なので、外務省の官僚たちはその随行員としてや通訳として、安倍さんと会う機会が多かったのです。そして個人的に政治家として好きになっている人が多いのです。エルベグドルジ大統領とモンゴルで首脳会談しかもそれだけではないのです。安倍さんの私邸は渋谷の富ヶ谷にありますが、モンゴル大使館もその近所です。安倍さんは散歩の途中に大使館に寄ったり、大使館に手を振ったりしていたそうです。日本大使館はモンゴルの在外大使館の中でも重要な拠点ですから、外務省の官僚もよく知っているのです。更にもっと驚くべき交流が!それはゴッドマザーです。安倍さんのお母さん安倍洋子さんは、政界のゴッドマザーとして有名ですが、彼女はモンゴル大使館にしょっちゅう遊びに来ていたそうです。年に数回というレベルではなく、月に数回、時には毎週ということもあったそうです。どうやらお母さんもモンゴルが好きだったようです。安倍さんのみならず、お母さんもモンゴルに来ていたのです。お母さんは書道家でもあり、モンゴルで「日本モンゴル書道展」を2014年に開いた時、モンゴルへ来たのです!モンゴルでの書道展で挨拶をする安倍洋子さんもちろん、日本がモンゴルへの最大援助国ということも、モンゴル人に人気があった理由でもあるでしょう。私がはっきり覚えているのは、新空港建設のことです。新空港建設案についてはかなり前からあり、私がモンゴルにいたころから既にODA供与は決まっていました。が、その後建設業者をどうするかなど紆余曲折があり、なかなか決まりませんでした。しかも建設予算が決定的に足りなくなり、その事業そのものを手掛けようという日本企業もほとんど消えてしまったのです。実際、400億円近いODA枠に対して、建設費が100~200億円くらい足りないという話も出てきて、頓挫してしまったのです。日本側は「約束のODAは出すんだから、後はモンゴル側で進めてくれ」と言うし、モンゴル側は「そもそもお金が全然足りなくて着工もできない」となります。役人レベルでは膠着していた時に安倍さんがモンゴルにやってきて「エイヤ!」かどうかは知りませんが、「必要な資金は日本政府が出す」とエルベグドルジ大統領に約束して、昨年完成したのです。空港これが新空港です。今日初めて見ましたが、綺麗で近代的な空港です。今後のモンゴルの発展のカギを握る存在になるでしょう。安倍さんの死を悲しんでいるのは、首都ウランバートルの人たちだけではありません。安倍さんはモンゴルでは田舎でも大人気でした。モンゴルはファーストネームで呼ぶ習慣があるので、私は何度も「シンゾー」と言うのを耳にしました。その田舎の人たちも、今日の事件には大変悲しんでいるとのことです。再度申し上げます。日本の方からするとちょっと想像できないほど、安倍さんは人気者です。なのでその分、今回の悲劇には大きな悲しみを多くの一般庶民のモンゴル人が抱いてくれているのです。ありがたいことだと思います。合掌
2022.07.08
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写真展は、100年前のモンゴルと現代のモンゴルとの邂逅(かいこう)、すなわち両者の出会いがテーマですので、当然現代モンゴルの写真もありました。が、私個人的にはやはり100年前の方に関心が高いです。100年前と現在の違いを象徴する写真がありました。それはモンゴル相撲です。現代モンゴル相撲の力士たちは当然ですが身体は大きいです。ですが、多くのモンゴル人女性が「今の力士は太っているだけで格好悪い」というのを耳にしたことがあります。話を聞くと昔はどちらかと言えば「細マッチョ」で格好良かった、と。確かにこの写真を見ると、特段大きくも太っているわけでもなく、やや細身の力士同士が戦っています。元々は、普通の遊牧民が戦っていたのですから、無駄に太い人はいなかったのでしょう。一般人の目からすれば、この頃の力士の方が「筋肉質で強い人」というイメージがあったようです。今によみがえる昔の写真の多くは外国人探検家、調査隊などにより撮影されました。デンマーク、ハンガリー、ロシア、アメリカなどから探検家、技師、医師、学者などがやってきたのです。1910年から1930年くらいに訪れていたようです。清朝が終わったばかりのモンゴルの様子は、恐らく中世時代とほとんど同じだったのではないかと思います。明治初期の日本の様子が江戸時代と同じだったというのと同じですね。もちろん、日本からも来てました。今西錦司と梅棹忠夫はともに京都大学の研究者でした。私もモンゴルに関連する本を読みますが、この二人に加え、杉山正明など京大の先生がモンゴルには強い印象があります。当然、東京外語大、大阪外語大(現大阪大学)出身者にも多くのモンゴル研究者はいます。東外大出身の代表は田中克彦(現一橋大学)、大阪外大の代表は言うまでもなく司馬遼太郎でしょう。そして現代です。日常の現代写真はいくらでも見れますので、ここではこの展示会の流れだけ見ていただきます。現代モンゴルのアキレス腱ともいえるゲル地区の問題が投げかけられています。水道はない、トイレは自宅敷地内(穴を掘る)、冬季の煙問題などの現象面に加え、基本的には地方から首都へ出てきた人たちの最初の住みかとなっている様子、貧困問題などが写真を通じて取り上げられています。一方で近代化が進む首都の様子も展示しています。ウランバートルに住んだことがある人にとってはお馴染みの光景が続きますが、「モンゴルは草原とゲルの国」という観光ポスターでしかイメージできない人にとっては、大草原に浮かび上がる近代都市といった光景を驚くかもしれません。今やモンゴル人の過半は都市部に住み、純粋な遊牧民は国民の1割以下となっています。更にファッションも。モンゴルと言えば、デールです。私もこの伝統的衣装を持っています。冬用なので、日本ではまず着る機会はありません。日本の冬では「暑すぎ」ますから。街を歩くとデールの仕立て屋さんの看板を見ることがあります。年末の「シンジルパーティ(新年会)」、旧正月の「ツァガアンサル」などに向けたころが需要期です。が、今では女性を中心に、デールをベースとした近代的なファッションを楽しむ人が増えています。ここでは「コスプレ化する民族衣装」として展示されていました。30年ほどさかのぼった、近年最大の国家変貌である民主化も展示されています。ゾリグらを中心とした若者の民主化運動により、無血革命により社会主義は終焉し、民主主義国家への道を歩みました。これは「現代モンゴルをイメージした」ポスターです。モンゴルでは特にヒップポップなどの音楽活動が盛んになっており、エンターテイメントが今後のモンゴル文化を示す一つの方向性かなとも思います。最後に、新旧モンゴル人の顔です。遊牧民らしい素朴な風貌は次第に減っていくことでしょう。モンゴルの今後の更なる発展を祈ってます。(完)
2022.05.19
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更に100年前の写真は続きます。各写真には若干の解説はついていましたが、全部覚えているわけではないので、あいまいな部分もあります。この下の写真は、罪人に大きな首輪?をかけています。小説などでは読んだことはありますが、こうして写真で見るとインパクトあります。これは結構有名な絵でしょう。私も見たことがあります。ウランバートルは基本的には宗教都市でしたが、大きく2つの寺院を中心に僧侶らが住んでいました。左のやや小さな円形集落はガンダン寺を中心とした街です。右側の大きな円形集落は、現在のスフバートル広場あたりでしょうか?昔は寺町でしたから、たくさんの寺院があったようですが、その後の社会主義化により大半は破壊されたのは残念です。当然、多くの僧侶がソ連の指令で粛清されました。(殺されたということです)これは昨日の本ブログでも掲載したものと同じ場所です。これらの写真の撮影者を見てください。上の写真はノルウェー人、下の写真はアメリカ人によって撮影されました。この頃、欧米露そして日本からも調査、探検隊がモンゴルを訪れ、写真を撮っていたのがわかります。左上はシャーマンの写真です。身なりはかなり貧しそうですが、丸い神器を持っているのは現代と同じです。これらは大きな髪飾りからわかるように、貴族の女性たちです。こちらも同様です。後ろ姿も撮っています。こちらはもう少し普通の人々や遊牧民の暮らしぶりでしょうか?真ん中下の写真は、家畜をさばいている様子です。こちらは遊牧民の女性の髪飾りです。内モンゴルの人たちの写真も含まれています。こちらは遊牧民の女性や子供たちです。右側中央は赤ちゃんをぐるぐる巻きにしています。これは今もモンゴルでよく見る光景です。一方、その隣は赤ちゃんをおんぶしています。モンゴルでは日本人のようにはおんぶしないと聞いていましたが、そうでもないようです。上の写真は、眼の病気トラコーマの治療の様子です。その下はゲルの前にいる遊牧民女性です。「貧しい遊牧民」との注書きがありましたいかがでしょうか?100年前のモンゴル、さすがに今のモンゴルとはかなり違いますね。(続く)
2022.05.18
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1年ぶり以上の大阪です。コロナでなかなか関西に来る機会がないまま、結局昨年は一度も来ることができませんでした。せっかく大阪に来るのですから、なんとか時間を作って本ブログでもお伝えした「邂逅(かいこう)する写真たち モンゴルの100年前と今」を見に行きたいと思いました。私がこの写真展をやっていることに気づいてからすぐに、たまたま私が時々寄稿しているWEB論文サイトの理事の方とメールでやり取りする機会がありました。その時その方が「先日大阪へ出張に行ったときに、モンゴル写真展見てきました。良かったですよ。」と言われたのです。その方は、特段モンゴルと関係のある方ではないのですが、それでも気になって見に行かれたそうです。だったら私も行かないといけないと確信し、行ったわけです。場所は万博会場のあった万博記念公園です。大阪には数百回は出張に来ていましたが、ただの一度も行ったことがなかったのです。千里中央駅経由のモノレールで行きます。ご覧の通り、千里中央駅には大きな電光ポスターがありました。モノレールの万博記念公園駅で降り、歩くこと15分ほどで公園入口に到着します。入園料を払って入ると、まず目に入るのが有名なこれです。岡本太郎で有名なこの塔は、私にとってはドリカムで何度も聞いた「太陽の塔見たいよ~♪」と吉田美和が歌う歌詞の方が頭に残っています。ちなみに裏から見るとこんな感じです。会場はかなり広いです。修学旅行?課外授業?かと思われる学生の団体もいくつか見ました。暑いくらいの良い天気だったので、平日でしたが家族連れもたくさんいました。10分ほど歩くと、例の写真が。民族博物館へ向かう道ですが、同じ写真が大きいです。やはり民博の目玉なんでしょう。そして入口です。他の民族関係の展示もあるのに、まるでモンゴル専門博物館みたいです。最初に出てきた写真は、ボグドハーン夫妻です。ボグドハーンとは、1911年12月29日にモンゴルが清朝から独立した時の最初の元首です。この12月29日は非常に大事なのです。辛亥革命のあったこの年の12月29日に孫文が中華民国大統領に選出されたのですが、孫文が南京で中華民国成立の宣言をしたのはモンゴルが独立を宣言したわずか3日後の1912年1月1日なのであり、最後の清朝皇帝溥儀が退位したのは、1912年2月12日なのです。つまりこの3日間の違いが重要で、モンゴルは清朝から独立したのであり、中華民国から独立したのではないのです。。それを知らない日本人などの外国人は、「モンゴルは中国からロシアの助けをもらって独立したんでしょ?」と思い込んでいる人が多いのですが、事実は、独立相手は清朝であって中華民国ではないのです。なぜ、そんなことがモンゴル人にとって重要なのか?清朝は満州人の国であり、モンゴル人はある意味「共同統治者」の地位にいました。その時の被統治者の大半は漢人(ほとんどの中国人)でした。満州人は民族的にはモンゴル人と同じグループの遊牧系民族であり、満州文字もモンゴル文字が伝わったものだったのです。つまり、モンゴル人にとっては「同じ民族グループの中で、満州人が統治していた」というレベルなのです。これは遊牧民同士では歴史的にもよくある話でした。それに対して、漢人・中国人は全く違います。数千年もの間常に戦ってきた相手なのです。モンゴル人は言います。「私たちモンゴル人は過去にただの一度も漢人・中国人に支配されたことはない。支配したことは多くあったが、されたことは一度もない!」と。もちろん、現在の内モンゴルの状況は悲しい事実ですが、北のハルハ・モンゴル人にとっては「漢人・中国人に支配されたことがない」事実は、強調してもしきれないほど重要なことなのです。モンゴル人と会う機会がある方は、この辺のことは頭に入れておいてください。話を写真展に戻しましょう。次の写真は、貴族の女性です。やはり時代もあってか、写真の被写体になるのは一般庶民よりも貴族の方が多いです。モンゴル女性貴族はこうした頭部への飾り物が多いです。恐らく最初は耳飾りやヘアバンド的なものから始まったのでしょうが、地位や家柄を象徴するためか、どんどん大きくなっていったようです。この写真の女性も、飾りの部分が顔の5倍くらいはありそうです。100年前のウランバートルです。ガンダン寺を中心とした仏教街のような存在でした。ウランバートルの名前はちょっと複雑です。元々は宮殿の意味を持つオルゴーだったらしいですが、ヨーロッパ人がそれをウルガと訛って、それが広まったのです。しかもオルゴー自体が、寺院の意味を持つフレーに変わったのです。現地ではフレーに変わりましたが、ヨーロッパではオルゴーのままでした。更に漢字では庫倫と書かれ清朝からはクーロンと呼ばれていたのです。というわけで、ボグドハーンが独立国の元首になった時は、国内ではフレー、ヨーロッパではオルゴー、中国ではクーロンと呼ばれたいたものと推定されます。いずれにしても1924年にモンゴル人民共和国となり首都がウランバートル(赤い英雄)になってからは、世界的にこの名前となったというわけです。これは当時の漢人街です。当時は、モンゴル人のエリートの多くは僧侶でしたので、いわば寺院街でした。ボグドハーンも神権政治としてのトップであり、自身がチベット仏教での活仏でしたから、まさに宗教国家だったのです。私のモンゴル人の知人にも、知識人と思われる人の祖先には「おじいちゃんはお坊さんだった」という場合が多く、3代、4代前であれば親戚の男性うちに必ず僧侶はいたようです。そして貿易・商店は漢人が一手に担っていたのです。次も当時の写真です。やはり女性の被写体は貴族が多いようで、頭の飾り物はとても大きいのがわかります。ゲルの前のカップルも貴族です。こんな感じで、昔のモンゴルに出会えました。(続く)
2022.05.17
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29日にモンゴルの友人と電話していると、「これからちょっと忙しいんです。林外務大臣が来るので、その準備をしないといけません。」と言われました。「はぁ?林?え?モンゴルに行くの?全然話題にもなってないよ。」と答えました。「いや、カザフやウズベキスタン経由なんですよ。」と教えてもらいました。私はもちろん、常日頃からモンゴル関連に関しては関心を持っていますが、林さんがモンゴルに行くなんて全然知りませんでしたし、そもそも何の用事なのかなと思った次第です。ですが、岸田さんがインドネシアやらタイに行って、対ロシアで日本やアメリカ側に立ってくれというお願いをしているのを見て「なるほど、岸田さんと二手に分かれて、アジア諸国へのロシア反対運動みたいなことをやっているんだな」とようやくわかったわけです。日程を調べると、4月28日出発で翌29日にカザフスタン着、外相会談。その日のうちにウズベキスタン着。30日ウズベキスタンで外相会談。その日のうちにモンゴル着。1日に外相会談。翌2日帰国となっています。モンゴルには二泊です。つまり林外務大臣は今日帰国したわけです。ちなみに今朝、フレルスフ大統領とも会っています。このブログを書いている今、ビデオ電話でモンゴル側と電話したら、モンゴル外務省では会談を成功させた安堵感からか、会議室で軽くビールを飲んでいる様子も伺えました。この時期、モンゴル外務省はいろんな意味で大変なんでしょう。さて今回のモンゴル訪問をどう見るか?私は当初、「この時期にモンゴルへ?モンゴル国民が苦しんでいる時に、特段のお土産もなく、対ロシアでお願いする?モンゴルの立場を考えたら、そんなこと言えるはずないだろう!!」と否定的に捉えていました。実際、林外務大臣のモンゴル訪問に関する記事へのネット上のコメントも「モンゴルに対ロシアで厳しいこと言えるはずないだろ!」とか「アメリカの指示によるアジア巡りしても意味ない!」など9割以上が否定的です。日本の一般報道もやはり一面的で「国際ルールを守る」とか「法と正義」のことは書いてありますが、モンゴル側は対ロシアで何の言質も与えないというような書き方で、読み方によっては「やっぱり無駄だった?」とも捉えられそうに見えます。ですが、現地と直接話してみると、どうもそうではないようなのです。日本の新聞も、少なくともモンゴル側にとっての重要なポイントについては触れてはいないように思いました。結論から言いますと、少なくともモンゴル側、もちろんこの時点ではモンゴル外務省、モンゴル政府という意味が大きいですが、彼らにとっては「良い会談であった」という受け止め方です。いくつかポイントがあるので、ご説明しましょう。まず、準備が良かった。これは意外です。林さんは、訪問前にモンゴルのメディアに今回の訪問について寄稿しています。(もちろんゴーストライターがいると思いますが、私は詩まで引用しているのを見ると、駐モンゴル小林大使ではないかと拝察しています。)それはモンゴルの詩人D.ナツァクドルジの「わが故郷」という詩の一部を引用するところから始まります。詩はこれです。ヘンティ、ハンガイ、ソヨンの高く美しき嶺々北方のきらめきとなりし、緑の山々メネン、シャルガ、ノミンの広大なるゴビ南方の秀美となりし、砂丘の海原これが、わが生まれし故郷、麗しきモンゴル(D.ナツァクドルジ「わが故郷」より)更にこの詩に関しては、「ナツァクドルジの「わが故郷」は、単にモンゴルの美しい自然をうたいあげた詩ではありません。詩の後半において、ナツァクドルジは、モンゴルの長い歴史と伝統に触れ、民族の誇りをもって、愛する故郷を守り発展させるのだという決意もうたっています。彼のこの強い思いは、21世紀のモンゴルの人々に脈々と受け継がれていると思います。」と書いています。モンゴルの人々には、この詩を取り上げたこと、そしてモンゴルの歴史と伝統に触れたことで「日本の外務大臣はモンゴルのことを分かってくれているんだな」との好印象を抱いたそうです。この「わかってくれているんだな」というのが、今回の訪問のポイントになると思います。この後に、今までのモンゴルと日本の関係などに思いを巡らしつつ、「自由と民主の精神」を共有する仲間であることを強調し、「これまでの国際法と国際的規範の歩みと蓄積を全て否定するような、明白な国際法違反、力による一方的な現状変更の試み等、アジアを含む国際秩序全体の根幹を揺るがす深刻な事態も生じています。」と述べています。ロシアという名前は出していませんが、明らかにロシアのやり方を批判しています。全文ご興味ある方は、こちらをご覧ください。https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/mn/page4_005573.htmlこれが訪問前のモンゴルで公開され、現地としてはかなり良い印象が持たれたということです。確かにモンゴル人は「自分たちのことを分かってくれる人には嬉しい気持ちになる」という傾向は大きいと思います。次のポイントは、5月9日です。これは何度も報道されているように、プーチンが重要な節目と思っている第二次大戦対独戦勝利の記念日です。「この日までに勝利宣言をしたい」とか「この日までに明確な結果を示したい」などの報道がある、その日です。日本の私たちにとってはその日はその程度の認識ですが、モンゴルにとってはそうではないのです。というのは、既にロシア政府から対独勝利記念行事に出席するように言われているのです。確かにモンゴルは国連での日米欧の提出したロシア批判の決議には棄権しましたが、それが精一杯です。心の中では日本人と同じく「あんな侵略は許されるはずはない。大反対だ!」と思っていても、現実問題としてロシアに睨まれたら、ガソリン、電気、ガスなど全て大きなリスクに晒されてしまいます。なので棄権がぎりぎりの行動なのです。林大臣は、その点に関してはあまり無理なことは言わなかったようです。というか「わかってますよ、あなたたちの気持ちは日本と同じなんでしょう。でも、難しい立場なんですよね。」という雰囲気で、この「わかっていますよ」というのがモンゴル側に伝わり、喜ばれたそうです。但し、「5月9日の出席はよく考えてください」的に、明確に言葉にしては不出席を要請しなかったものの、モンゴル側にはその要請は十分に伝わったとのことでした。ロシアはかなりこの軍事パレードを重視しているようで、首都モスクワに来れなくても国境近くの街でもいいからモンゴルの政治家に参加してほしいとの依頼があったようです。モンゴル側も実はこの要請で悩んでいたそうです。もちろん、本心では「この世界情勢の中で、行けるはずないだろう!」と思っているのは確かですが、そこは相手がプーチンなだけに悩ましいわけです。ですが、このタイミング、まさに5月9日を前にしたこの時期に日本の大臣が来てくれたことはかなり大きな力になったとのことです。少なくともモンゴル外務省スタッフらは、「このタイミングに日本の外務大臣が来てくれて、揺れそうになるモンゴル人政治家に対してちゃんと言ってくれたことは非常に良かった」という評価です。日本側のメッセージもちゃんと受け止めた、とのことです。というわけで、私はイメージだけで「今回の訪問は大した意味はなかった」と思っていましたが、こちらが考える以上に、モンゴル側の受け止め方はポジティブでした。私が「でも、今回は何も土産ないでしょ?困っている国民におむつ100万枚とか持っていけばよかったのに。」と言ったら、「モンゴルもそろそろ普通の外交をしないといけないのです。お土産なしで、ただ会って話し合うだけの外交に。」と言われました。私が「でも、フレルスフ大統領はプーチンみたいな強権的リーダーになりたいんじゃないの?プーチン好きでしょ?」と聞いたら「もうそんなこと言ってられないでしょ?ウクライナの次?の次?くらいには、あり得るかもしれないんですから。選挙とか利権とか言ってる場合じゃない。国を守らなければならないんですから!」と言われました。ちょっとおかしいかもしれませんが、このウクライナ侵攻を奇貨として、モンゴルの政治家が国民第一の理想に戻ってくれることを願っています。
2022.05.02
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先日、神保町を散歩していました。神保町の散歩で多いのは、古本屋さんを訪ねることです。特に目的もなく覗いくだけでも時々興味深そうな本と出合えるので、数か月に1回は行きます。当然、モンゴル関連の本もこうしたところで出会い、買ったことは何度もあります。普通の新品を売る街の本屋さんにはモンゴル関連は少ないですし、大きな書店の場合は一体どこにあるのか探せないこともあるのです。アマゾンに出ているのを探すのも疲れるし、そもそも新刊が多いのです。ただ問題は、いくら日本一の古本屋がそろっている神保町でも、モンゴル専門の本屋さんはさすがにありません。多くの場合、中国関連の本屋さんです。モンゴル人からしたら「冗談じゃない!モンゴルと中国は違うんだ!!」と言いたいところでしょうが、現実にはそうしたところにある場合が多いのです。モンゴル関係の本は驚くほど深い研究をしたような本が結構あります。それらを見ていると、日本人によるモンゴル研究の歴史と層の厚さを感じます。とはいえ、そういう学術研究書みたいなのは、非常に読みにくく、高価で、とても素人が立ち向かえるはずもありません。先日も戦後に書かれた本をちょっと立ち読みしました。私の生まれる前の時代で製本もボロボロでした。当然、モンゴルは蒙古ですし、カタカナでモッコと書いてあるのもありました。中は旧字体の漢字が多く、素人がとても読めたものではありませんが、とにかくモンゴルのことを研究し発表しようという熱意は感じました。ある中国・アジア系の古本屋さんに立ち寄った時、モンゴル関係がある2階に上がりました。その途中の踊り場で一瞬でモンゴルとわかるポスターとは言えない、小さなパンフレットが張られているのが見えました。この女性の顔写真が印象的です。同じ写真の下半分には男たちが写っています。どうやらこれは写真展のようです。多くの場合、こういう告知ポスターなどはもう終わってしまったものが貼られているのをよく見ましたが、まだやっているようです。国立民族博物館?なんだか興味深い名前の博物館です。行ってみようか・・・と思ったら、場所は大阪です。なるほど、なんでもかんでも国立博物館を東京へ持ってくればいいというわけではないということなんでしょう。それは納得です。早速、そのHPを見てみました。https://www.minpaku.ac.jp/ai1ec_event/23187「日本・モンゴル外交関係樹立50周年記念特別展「邂逅する写真たちー――モンゴルの100年前と今」面白そうな題名じゃないですか!ちなみにこの「邂逅する」は「かいこうする」と読みます。思いがけず出会う、巡り会うという意味です。ですから、100年前の写真と現在モンゴルの写真の出会いを言うような意味でしょう。3月17日から5月31日までとあります。良かった、まだ間に合いそうです。コロナで関西方面への出張は随分と控えていましたので、これを絡めながら行ってみようと思いました。モンゴルでも以前、モンゴルの昔の写真を見たことがありますが、結構感動します。「これが本当の遊牧民の生活なんだなぁ!」と強い印象に残りました。恐らく日本人はもちろん、ヨーロッパ人やアメリカ人の手で撮影された写真が多いことでしょう。関西地方にお住まいの方、関西に仕事や旅行で訪れる予定のある方、是非行ってみてください。
2022.04.30
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3月25日午前0時以降、モンゴルは3日間待機(隔離)を必要とする対象国から「待機なし」の国となりました。3月20日付けの本ブログで書いた通り、モンゴルはワクチン3回接種済みの人でも3日間のホテル待機(日本に自宅があれば自宅待機)が必要でした。その日本側のチグハグな対応により、3回接種の人よりも2回接種の人の方を優遇するというおかしな規制をしていました。が、それがついになくなったのです。その時のブログで書いた通り、モンゴルを含む17か国が指定されていましたが、25日をもってその中からシンガポール、ネパール、ミヤンマーとともにモンゴルも解除されたのです。だからと言って、モンゴル人全員が気楽に日本に行けるわけではまだありません。モンゴル人で上記の適応を受けられる人は以下の条件の方々です。まず必要なのは当然ですが、ビザです。まだ観光ビザは発行されませんので、ビジネス用か留学用、あるいは特定技能などのビザが必要です。(日本の永住権を持っている人は除く)その上で、ワクチン3回接種済みである証明書も必要です。具体的には、2回目まではファイザー、モデルナ、アストラゼネカ、ヤンセンのいずれかのワクチンを2回接種しており、かつ、ファイザーかモデルナの3回目のワクチン接種済みの証明書が必要です。ワクチンを3回接種していない人は、7日間の自宅待機(またはホテル待機)が必要となり、3日目にPCR検査をして陰性であれば、その後は自由となります。これらにかかわる費用は全て個人負担となります。上記の待機にかかわる規制は、モンゴル人であろうと日本人であろうと、それ以外の外国人でもモンゴルからの到着者には同じ条件での適用となります。従いまして、20日の本ブログでは「経済的なことを考えれば、3回接種よりも2回接種のほうがお得」みたいに申し上げましたが、25日以降は当然ですが、3回接種のほうが断然いいです。なんせ待機ゼロで自由なんですから。これをきっかけに日本とモンゴルの人的交流が再び活発になることを期待しています。
2022.03.26
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いよいよマンボウ(蔓延防止等重点措置)が全国的に解除になり、外国人の日本への入国制限も緩和されてきたようです。長い間日本へ来られなかったモンゴル人ビジネスパーソンらもそろそろと動き出しそうな気配です。政治家は緩和と口では言いますが、問題は実際の窓口です。本当に緩和されれば嬉しいですけど。モンゴルについて、具体的にどう入国できるか見てみましょう。ここで言うモンゴル人とは、日本に永住権を持っていない一般的なモンゴル人のことです。第一段階として、目的というのがあります。日本は緩和とはいえ旅行目的の外国人訪問者へはまだ入国は認めていません。これはモンゴル人でなくとも皆同じです。次に、どこの国か?で規制は変わってきます。水際措置にかかわる指定国というのがあって、その国のコロナ発生状況などで決まるようです。指定国というのは全部で17か国しかないのですが、残念ながらモンゴルはその指定国に入っています。以前のモンゴルであれば、どちらかと言えばコロナ対策優良国と言えたかもしれませんが、残念ながら今はヤバい国になっています。17か国とは、モンゴル、イラン、インドネシア、エジプト、韓国、サウジアラビア、シンガポール、スリランカ、トルコ、ネパール、 パキスタン、ベトナム、ミャンマー、モンゴル、ロシア全土、イラク、インド全土、ヨルダンです。これをよく見ると、アフリカや南米がないですね。恐らく、そもそも「上陸拒否国」になっているようですので、さすがにモンゴルはまだ良いほうです。指定国からの日本入国にはワクチン接種の有無で規制が変わります。これには「有効なワクチン接種証明書の有無」とあります。これもモンゴル人にとっては留意しなければならないポイントです。有効なワクチンとは日本政府が「まともなワクチン」と認めているワクチンです。まともじゃないのって、何?それはロシア製や中国製ワクチンです。これらはWHOにも認められておらず、有効性が怪しいワクチンです。モデルナ、ファイザー、そしてアストラゼネカは大丈夫ですが、残念ながらモンゴルにはロシア製や中国製ワクチン接種者が結構いますので、この人たちは再度ワクチン接種が必要になります。次の問題は2回接種か、3回接種です。当然、3回接種のほうが優遇されると思いますよね?私も当然、そう思いました。が、漏れ聞くところでは、どうもそうではなさそうなのです。これは人から聞いた話では間違いがあるといけないので、私自身で日本の厚生労働省に電話して聞きました。今の日本の役所は少々面倒くさいことになっていて、ビザの取得に関しては外務省の管轄ですが、入国時の隔離規制などに関しては厚生労働省が担当なのです。なので、ビザが取得できるかどうかを聞くときは外務省へ、ビザは問題ないが実際に入国するときにどうなるのかを知りたいときは厚生労働省へ、となるのです。で、どうであったか?結論的に言えば、コロナにかかっていない普通のモンゴル人にとっては、3回接種と申請するよりも2回接種と申請する方が経済的な観点からお薦めです。理由は以下の通りです。2回接種のモンゴル人の場合:日本政府が指定した施設に3日間隔離され、3日後にPCR検査をやり、陰性であればそれで解放されます。以後の活動は自由です。もちろん、陽性であれば隔離が続くでしょう。指定した施設というのは、ホテルです。基本は成田空港周辺ですが、その辺が満員の場合は中部空港や福岡空港周辺のホテルの場合もあります。当然、そこへの航空運賃は全額国が負担します。隔離中のホテル代、毎日の3回の食事代、3日目のPVR検査も全て国が負担します。3回接種のモンゴル人の場合:自宅または滞在ホテルで7日間の自主隔離です。ですが、3日目にPCR検査をして陰性であれば、その後の行動は自由です。もちろん、陽性であれば保健所からの隔離指示が出るでしょう。ここでは2回接種の人も3回接種の人も3日目のPCR検査で陰性なるという前提で話を進めます。この2つのケースは似ているようですが、実は経済的(お金の面で)全然違うのです。3回接種の場合、ほとんどのモンゴル人は「自宅」は日本にはありませんからホテル滞在となりますが、それは自分でお金を払って滞在するホテルです。もちろん、3度の食事代も全部自分で負担です。更に、3日後のPCR検査も自分で検査会社を探して自分でお金を払うのです。要するに隔離の3日間の費用は全部自己負担なのです。もしかしてこう考える人もいるかもしれません。「政府指定のホテルでの隔離時はさすがにずっとホテルから出られないだろうけど、自分で予約したホテルでの場合は、隔離を無視して出かけちゃえばいい!こっちのほうが自由だ!!」と。ですが、残念ながらそれはかなり難しいのです。以前は確かに緩い管理だったときもありますが、現在はかなり厳しくなっています。自主隔離の人は、スマホに政府指定のアプリ及びGPSを登録します。そして、毎日数回、指定された顔認証付きWebへの対応(代理人が対応できない)やビデオコールもあり、しかもその時間が定期的ではないので、外部へ移動してしまうと相当対応が困難となります。GPS対応ソフトなので、当然その指定されたホテルから離れればすぐばれます。日本人であれば怒られて済むようなケースでも、外国人の場合ビザ取り消しなどのリスクもあるので、絶対にお薦めできません。つまり3回接種の人も結局はホテル滞在で3日目にPCR検査を必要とし、2回接種の人と同じ行動が求められるのです。違いは、3回接種の人は全部自分で費用負担ですが、2回接種の人は全部日本政府が費用負担するということなのです。なので、モンゴル人ビジネスパーソンで、日本に出張される方はどう考えても「2回接種」で申請したほうが有利だと思うわけです。日本人の納税者としては、日本の政府に対して「あんたらは、3回接種の人よりも2回接種の人を優遇したいんですか?」と聞きたくなる施策です。現に、電話で問い合わせた厚生労働省の人に「これって3回接種より2回接種のほうが経済性では有利ってことですよね?」と確認したら、苦笑しながら「経済性ではそのようになっています」と認めていました。全くおかしな制度ですが、仕方ありません。
2022.03.20
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今年に入ってコロナ感染者数は爆発的に増えています。どうやらまた、感染者の入院は難しく自宅療養が増えているようです。私も昨年感染しましたが、感染してしまった人はもう有無を言わさず、隔離しかありません。できれば、施設や入院が望ましいと思います。ですが、濃厚接触者の場合は難しいです。要するに「感染したかもしれない人」であって、実際には隔離期間の1週間を終えれば「結局感染はなかった」という人が多いことでしょう。ですが、濃厚接触者の中から新たな感染者が生まれているのも事実ですから、油断することもできません。最近の報道や身近な例を見て「隔離を必要とする濃厚接触者」の数が際限なく増えていくような気がしています。それはもう、ネズミ算式に増えてもおかしくはありません。具体的な例で考えてみましょう。私が時々行く近所の小料理屋さんの例です。大将はお孫さんもいる和食の板さんで、一人で切り盛りしています。カウンターだけの店で、アクリル仕切りなどをし、座席数も減らして対策を十分にしながら店を開いています。問題はお孫さんの保育園の話から始まりました。3世代同居の大将が「いやー、保育園行けなくて困っているんだよ」と言うのです。私は最近新聞で見る、コロナ対策により保育園が閉園し、その孫の親が仕事に行けないのだろうと思って「大変ですねー」と相槌をうちましたが、よくよく聞くと結構深刻な話です。保育園自体は今も開園しているのですが、その孫の先生が感染したんだそうです。なので、その先生のクラス全員が濃厚接触者になったので、その孫はどこにも行けずに家にいるのです。と言っても、当然熱などの症状は全くなく元気いっぱいですから、家にいるとヒマで元気に騒ぐし、おじいちゃん(大将)にも遊んでもらいに来ます。そこで大将はふと考えたそうです。「この子は濃厚接触者なので、感染している可能性がある。とすると、俺も濃厚接触者になるのか?」「その場合、店を閉めなくてはならないのか?」と。更に、仮に大将が感染者なら、客でカウンター越しに話している私も濃厚接触者になるのか???もちろん、今の制度では私は隔離対象ではないと思いますが、感染と言うのは濃厚接触者への感染の連鎖が起こるということです。確率は相当低いのでしょうが、理屈でいえば私が濃厚接触者と言えなくもありません。その私とマスクを取って一緒に食事をした人はどうなるのか?こう考えてみると、濃厚接触者の連鎖は際限なく広がります。なので、現実的には「実際の感染者の第一次的な濃厚接触者」のみが、隔離対象となっているのでしょう。この論で行くと最初の感染者(保育園の先生)の濃厚接触者は推定園児20人と先生のご家族4人(勝手に推計)ですが、園児一人一人に同居する家族がいます。大将の家は今時珍しい3世代ですが、まあ平均的には若い夫婦と考えると、家族3-4人でしょう。その家族、例えばお父さんが会社に行けば二次的濃厚接触者は5人や10人はいそうです。お母さんも当然職場で濃厚接触者がいるでしょう。あるいは、その保育園児のお兄ちゃんかお姉ちゃんもいるかもしれません。小学生なら30人のクラスメイトがいます。これも濃厚接触者に近い存在です。更には、その小学校の先生はそのお兄ちゃんやお姉ちゃんと濃厚接触しているかもしれません。こうして考えていると、最初の先生(1)X 園児(20)X 同居家族(3)X 両親兄弟の職場・学校の同僚(20)・・・あっという間に1000人、2000人規模になります。これらを全部真に受けて「感染対策が最優先。濃厚接触の疑いがある人は7日間の隔離を」なんて本気でやっていたら、感染者数2万人ともなると、すぐに数千万人規模の濃厚接触者が生まれ、社会経済活動がすべて止まってしまうでしょう。毎日数万院人から数十万人の感染者を出している欧米諸国は、こうした計算をしているうちに「濃厚接触者をいちいち隔離していたら、社会が破綻する」と考えたからかどうかはわかりませんが、規制緩和の方向に進んでいるのでしょう。今も毎日2000人前後の感染者が出ているモンゴルでは、簡単に全国民が一次、二次、三次の濃厚接触者になってしまうでしょう。それらを全員隔離させるのか?そうなれば社会活動は全面的にストップしてしまいます。医者も隔離、スーパーマーケットの店員も隔離、物流トラックの運転手も隔離、もちろんバスの運転手もレストランのシェフも隔離です。欧米諸国で今もたくさんの感染者を出し続けている国で、規制緩和に向かっているのはこうしたロジックが裏にあるのかもしれません。最早「濃厚接触を自宅に押し込めればいい」という施策は限界がきているのかもしれません。それにしても恐ろしいオミクロンな感染力です。
2022.02.03
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海部元首相が亡くなったとのニュースがありました。海部さんに関する実績等の報道は「湾岸戦争」「新進党初代党首」「神輿(みこし)は軽いほうがいい(小沢氏談)」などなど、いろいろありますが、やはりモンゴルにとってのこの人の実績は何と言っても「史上初めてモンゴルを訪問した日本の首相」ということになります。海部首相が誕生したのは1989年8月と、日本はまさにバブル絶頂で、バブルの終焉の直前であった時でした。その頃の世界は、同じ年の11月にベルリンの壁の崩壊が起こり、事実上東西冷戦が終了してしまうという大きな転換点でした。この流れを受けモンゴルでは、1990年の一党独裁の放棄を経て、1992年にモンゴル人民共和国からモンゴル国となり、社会主義体制を完全に放棄したのです。こうした流れの中、当時の海部首相が1991年8月に日本の首相として初めてはもちろんのこと、西側諸国の首脳としても初のモンゴル訪問を成し遂げたのです。当時の日本は「もしかして経済力でアメリカを抜くんじゃないか?」などという声も出るほどの経済大国であり、モンゴル側にとっては大きな意味のある訪問だった、と聞きました。余談ですが、よく日本の首相が小さな国、あまり知られていない国を訪問したりしますが、日本国内ではベタ記事程度で大して話題にもならないことが多いです。確かに、そういうマイナーな国へ首相が訪問したからと言って、日本にとって何か大きな影響が出ることはまずありません。私も以前は大して気にも留めていませんでした。ですが、訪問される側にとっては大きな意味を持つ場合が多いのです。モンゴルも海部首相訪問後から日本による支援が始まったのです。ODA(政府開発援助)の最大の貢献者が日本であることはモンゴルでは良く認識され、大変な親日国となりました。これ以外にも、今では当たり前だと思われているモンゴルの国際的地位確立への日本の支援は大きいものでした。・1991年以降世界銀行とともに「モンゴル支援国会合」を東京で10回も開催した。・1991年、92年、93年のG7サミットにおいて、日本の提案として「政治と経済におけるモンゴルの民主主義促進に関する記述をサミット最終確認書に反映させた。・モンゴルのCOCOM規制対象からはずして、アジア開発銀行、世界銀行、国際通貨基金(IMF)、世界貿易機関(WTO)への加盟を支持した。これら以外にもたくさんの支援をしてきたことがわかります。現在では当然の仕組みですが、これらの経緯を見ると、わずか30年前まではモンゴルはほとんど国際社会の一員になり切れていなかったことがわかります。モンゴル側も日本の熱意にこたえ、1994年の国家大会議で「モンゴル国にとって日本はアジアの有力なパートナーであり、友好関係と協力の発展は外交政策の優先の一つ」と規定されました。こうした両国の友好関係は、両国民、特にモンゴル国民に対し「非常に」強い良好な日本のイメージを植え付けたのです。20年前を知る日本人の方が「日本人に対する好意的イメージは半端なかった。ブランドでいえばエルメスだな。」と。私がじゃあ今は?と聞くと「うーん、ソニーかな。良いも悪いも含めてな。」と言われたのを覚えています。ソニーを解説すると(おそらく多くの途上国では同じだと思いますが)「以前は憧れ。最高の製品を作り出した凄く素晴らしいイメージ。でも今は?ソニーのテレビはサムソンに代わり、ソニーの携帯電話はアップルになり、今は・・・あれ?ソニーって今、何やってんの?」ってとこでしょうか。90年代のテレビ番組も「おしん」「東京ラブストーリー」「一つ屋根の下」など、日本の番組にモンゴル国民がくぎ付けになりました。学ぶ外国語も英語が一番なのは世界共通ですが、その次は日本語!という時代になりました。が、もちろん、今見るのは韓流ドラマです。日本のドラマはほとんどないと言っていいでしょう。学ぶのも韓国語、更には「学んでいることは他人に話すのも恥ずかしい」と言われた中国語が人気です。海部さんの訪問からスタートした日本とモンゴルの良好な関係、特にモンゴル側にとって「日本は特別な国」であったことが、2022年の今では「へー、そんな時代もあったんだ!?」と言われそうな状況です。エンタメ、ドラマ、コスメ、家電など基本は韓国製。投資、ビジネス、金持ちイメージは中国です。日本は(身近な存在ではなく)ちょっと霞がかった遠いところにいる、まあまあ良好なイメージの国、って感じでしょうか?この30年間の日本の停滞をモンゴルという鏡で見ると、日本の置かれている現状がよくわかります。海部さんの後の首脳が続きませんでしたね。海部さんのご冥福をお祈りします。
2022.01.14
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大相撲でのモンゴル出身力士の活躍は、もう当たり前のこととなりましたが、他のスポーツでも日本経由で世界へ羽ばたくモンゴル人が出てくる可能性があります。それはバスケットボールです。ウインターカップと称される全国高等学校バスケットボール選手権大会に出場した明徳義塾高校(高知)の3年生プレイヤー、ヒシグバータル オーギル君がその人です。明徳義塾と言えば朝青龍も留学したスポーツの名門校です。オーギル君は高校入学時に日本へやってきたそうです。その身長はなんと204cm!です。明徳義塾のチームで彼の次に高いのが184cmですから、彼がダントツの高さであることは間違いありません。彼がこの写真の中の誰かは、説明する必要もないほど、とびぬけて背が高いです。彼は2試合連続フル出場を果たし、初戦は26得点13リバウンド、次の試合は19得点20リバウンドと好記録を残しました。残念ながらチームは2回戦で負けましたが、今後は大学へ進学して日本でバスケットを続けるそうです。今の若い世代には、海外からの留学生や在日外国人の子供、更には日本人と外国人とのハーフなど、当たり前のように国際的な選手が増えています。女子バスケットのオコエ桃仁花(楽天オコエ瑠偉の妹)はオリンピックでも大活躍をしました。大相撲の御嶽海も高安もそうですね。オーギル君には大学、その先のプロでも活躍してほしいです。幸い日本でもバスケットボールのプロ化が実現し、活躍の場は広がるでしょう。モンゴルで一番人気のあるスポーツは、モンゴル相撲を別にすれば見るスポーツはサッカー、やるスポーツはバスケットボールではないかと思います。アパートの裏手や公園の一部にはバスケットのゴールが設置されており、そこでは若い人たちがバスケットをやっているのは日常的光景です。そうは言っても、才能ある選手で身長が200cmを超えるとなると、さすがのモンゴルでもそうは多くないでしょう。でも、いろんな分野でモンゴルの若者がスポーツの才能を生かして日本で活躍してくれればいいなと思います。バスケットの場合は、活躍すれば更にアメリカのNBAという目標も出てくるでしょう。オーギル君が活躍すれば、朝青龍の後に多くの力士が続いたように、日本を目指す道も拓けてくるでしょう。モンゴル人の性格や素質と、日本で活躍できる可能性のあるスポーツを考えてみると、どんな競技が浮かぶのか?柔道は当然その有力候補ですが、残念ながらプロの道はないので、その後の格闘技などを別にすれば、職業としては難しそうです。日本を前提に考えれば、やっぱり相撲、サッカー、バスケットボールくらいでしょうか?欧米を含めれば、アメリカンフットボール、ラグビー、アイスホッケーなども考えられますが、どれもチームスポーツでしかもあまりモンゴルでは盛んではないので、かなり早くから留学しないと難しいでしょう。それよりは個人競技ということで、ひょっとしてゴルフはありうるんじゃないかと思います。本当はここに競馬も入れたいところですが、これも難しそうです。確かに騎馬民族であるモンゴル人の馬の扱いは抜群にうまいですが、それと英国発祥の乗馬の技術はかなり違うようで、なかなかうまい具合にはいかないようです。体格的にも大きいことが逆に難しいということもあります。日本の競馬学校に留学したモンゴル人がいたと聞いたことがあるような気もしますが、残念ながらプロのジョッキーが誕生したという話は聞きません。とはいえ、人口300万人ちょっとの国でオリンピックのメダリストを毎回複数輩出している国ですから、誰かが道筋をつければ優秀な才能がもっとやってくるのではないかと思います。
2021.12.25
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モンゴルの感染状況は一時ほどではないものの、やはり感染拡大が収まったというほどのレベルではなさそうです。10月は一日3000人前後、11月は1000人前後の感染者が出ていたようです。これは日本の人口換算では10月が10万人以上、11月でも4万人近いというとんでもない数字になります。日本全体の感染者数の10月で300-400人、11月は200人以下という数字と比べれば、いかにモンゴルが大変な状況に陥っているかがわかろうというものです。12月に入っては、モンゴルでは100人から600人(日本換算では、4000人から2400人)で、日本は150人以下となっています。モンゴルとしてはかなり落ち着いてきたものの、依然として高い水準です。現在までの累計感染者数を見るとよりその違いが明確になります。日本の累積感染者数は172万人(ここには私も入っています)であり全人口の1.3%程度とみられます。一方のモンゴルは、38万人余りで全人口の11%以上となります。つまり100人に一人なのか10人に一人なのか、という10倍近い違いです。感染者率が10%を超えるとなると、相当肌感覚が異なってくるようです。日本では、私は夏に感染しましたが、そもそもそれまで私が直接知っている人の中で、「感染した人」は全く知りませんでした。私自身が初めてでした。それから半年近くたった今、感染したことを公言している私でも、わずか2-3人くらいしか知りません。ですが、モンゴルは違います。ある知人は「友人も家族も、感染した人はたくさんいる」と言いますし、別の知人は「兄弟家族ほとんど感染した」とも言います。中には感染2回目という人もいるようです。昨年の感染当初は、モンゴルは鎖国状態になりかなり感染を抑えました。その後もワクチン接種を積極的に行い、ワクチン接種率は低迷し家ていた日本をしり目に、世界トップクラスを誇っていました。それがなぜ、こんなに増えたのか?もちろん、専門家でもなくしかもここ2年間モンゴルへ行っていない私が正確なことを知る由もありません。ですが、身近なモンゴル人から聞く範囲でも、やはり日本とは相当対策が違うなと感じます。一つは水際対策です。当初は鎖国状態にして、完全に外国との人的交流を遮断していましたが、日用品や日々の食糧のほとんどを輸入に頼っているモンゴルがそんなに長く鎖国状態は続けられません。なので、徐々に外国との人的交流が復活してきました。そこでポイントになるのは水際対策である「隔離」です。外国からの入国者に対して、PCR検査やワクチン接種済を問うのは当然ですが、それでも隔離が必要です。日本も入国直前PCRやワクチン接種済確認はしていますが、それでも空港検査では頻繁に感染者が出たと報告されています。なので、日本の場合はほぼすべての入国者に対して最低3日間の強制隔離をしています。入国者全員を隔離しようというのですから、相当な隔離施設確保が必要です。新聞報道にもあるように、成田や羽田周辺と言える首都圏の隔離可能ホテルはもうすでに満杯で、隔離先は中部国際空港周辺、福岡空港周辺、仙台空港周辺にまで広がっているほどです。具体的にどういうことか?そもそも現在日本入国が認められる人は、日本人及びその家族、永住権ビザ所有者そして特別に許可された外国人に限定されています。入国は羽田、成田、関空に限られています。例えば成田で入国する人に対しては、当然上記のPCR陰性及びワクチン2回接種済み証明は出してもらいますが、さらに成田でも到着後改めて全員にPCR検査をします。恐らくほぼ全員が陰性となるでしょう。それでも全員ホテルに隔離します。そのホテルが首都圏では足りない。今年の5、6月頃に入国した知人らは、横浜や東京のホテルで隔離されましたが、今は足りないようです。なので、中部国際空港や福岡空港へ運ばれるのです。「隔離が必要な人」と見なされているわけですから、一般客とは別に運ばねばなりません。なので、恐らくほぼ全部チャーター便でしょう。そして名古屋あたりのホテルに隔離し、3泊4日を過ごしてもらい、3度の食事も提供するのです。ホテル代、往復の飛行機代、食事代など当たり前のようですが、当然これは全て国費で賄われます。(ちなみに、私のコロナ入院費用もすべて国費でした)しかしこの当たり前のような国費による水際対策は日本だからできるのであり、残念ながらモンゴルではできません。モンゴルの場合はほぼすべて「自宅待機」「自分で予約したホテルでの待機」となっています。そうなると、当然、どこかでPCR陽性の人が紛れ込んでしまう可能性があります。この辺の水際対策の差が、感染拡大の差となっている可能性はあると思います。隔離対策が日本と異なるのは、入国者だけではなく、モンゴル市民に対しても同じです。とあるママさんの話を聞いて驚きました。その人は若いママさんで、子供を連れてUBの病院へ行ったそうです。待合室で待っていると、隣に座ったご婦人がせき込みながら「今、この病院でコロナ陽性と言われちゃいました。」と笑っていたというのです。そのママさんは怒って、「子供がいるのに近づかないで!」と言ったそうです。日本であれば、陽性とわかれば即隔離で、その後の身柄は役所が管理することになります。私の例でいえば、すぐにホテルへ連れていかれました。ですが、どうやらモンゴルではそうではないようです。医者が陽性者に「自宅でおとなしくしててください」というだけで、特段の隔離施設はないそうです。確かに国が「隔離せよ!」と命令したら、隔離施設の確保、隔離施設までの輸送手段、隔離中の食事提供などを全部やらねばできません。ですが、残念ながらモンゴル政府にはそんな余裕はないのでしょう。なので、「家でおとなしくしててね」というだけで、実際には放りっぱなしに近い状態なのです。ちなみに、その若いママさんは、やはりその病院でうつされて、コロナ感染者となってしまいました。これらの感染対策を細かく見ていくと、モンゴルの感染が収まるのはまだ先かなという気もします。ですが、朗報もあります。既に3回目の接種を終えた人も出てきているとのことです。しかも中国製ではなくアメリカ製だそうです。ワクチン3回目接種で、なんとか感染拡大を抑えてほしいものです。
2021.12.14
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日本沈没というテレビドラマが放送されています。12月で放送終了ですが、その内容よりもモンゴルが登場したので気になっていました。この原作は作家の小松左京が今から48年も前に書いたSF小説ですが、それをベースに現代風にアレンジした物語です。原作はなんと385万部も売れた大ベストセラーでした。私は読んだことはありませんが、当時話題になったことは覚えています。これは近い将来(テレビでは半年とか1年後)に日本列島が沈没するという話です。物語の後半は、沈没することがわかったので1億2千万人の日本人をどう生き残らせるかというストーリーが中心になります。世界中に日本人を移民として移住させようという計画です。私はそれを見ながら「世界的に見ても移民の受け入れに最も閉鎖的な日本政府が、こういう時には世界中に移民先をお願いする」のは虫がいいなと思っていました。そして「これが現実になったら、私はどうするんだろうか?」と自問し、「多分、モンゴルに行くんだろうな」とも思いながら見てました。そしてその「モンゴル」が番組で言及されたのです。移民の必要性が考えられはじめた当初は番組内で「国土や対日感情を考えると、現実的にはインドかモンゴルくらいしか考えられません。」と、最初の移住先候補として出てきたのです。これには、私もストーリーの流れからなんとなく「モンゴルは候補だろうな」と漠然とは思っていたものの、現実に言及されてちょっとびっくりしました。確かにいくら対日感情がいいと言っても、国土が狭く、テレビドラマとしては対中関係も考慮すれば台湾を出すわけにはいかないでしょう。お隣の韓国も対日感情という点では論外でしょう。番組ではいろんな取引条件が考慮され、最初の大規模移民先として、中国とアメリカが出てきました。アメリカはともかく、今の共産党中国に移民したい日本人なんているはずないのですが、そこは大手テレビ局ですから、中国にある人権問題には一切触れずに、何の問題もない平和な国のごとくに中国を登場させていたのには違和感がありました。ですが、なんせこちらは1億2千万人ですから、とにかく移民先の確保が最優先です。で、結局、中国は1000万人、アメリカが700万人の受け入れを表明したということで、その後の移民先確保が一気に進みました。だけど、そこにはなんとロシアのシベリアもありました。中国やロシアに「こちらからお願いして受け入れてもらった日本人」なんて、現地では人権もないような労働者として半奴隷のような扱いをされるのは目に見えていますが、そこはノー天気なTBSですから、さも優しい友人が招くように描かれています。人権無視の共産党中国がいいか、シベリア抑留の再現がいいかは、人生最低の選択肢となるでしょう。で、モンゴルです。移民先として最初に登場したものの、その後特段番組内では話題になりませんでした。が、世界60か国くらいが受け入れを表明し、なんとか1億2千万人の受け入れ先が確保できたという地図を見た時にびっくり。中国1千万人受け入れだとして、中国の人口14億人の0.7%です。アメリカは700万人なので人口3.3億人の2%です。なのになんと人口3.3百万人のモンゴルに日本人3百万人が受け入れられるというのです。ありえないでしょう!!この番組製作者は、単なる数合わせ以外には何も考えていないのでしょう。自国の人口と同規模の移民受け入れをする国が一体どこにあるというのでしょうか?確かにこれはフィクションですし、全部架空の話であることは分かっています。ですが、モンゴルという実際に存在する国を取り上げ、しかもその他大勢の50数か国ではない、最初に候補地として取り上げたモンゴルは、この番組内ではもう少し真面目に検討されるべき国だと思うのです。という怒りは別にして、SFらしく空想することも可能です。300万人はともかく、大量の日本人がモンゴルに移住することになったら、一体どこへ行くべきでしょうか?ウランバートルはもちろんもう満杯で無理です。トゥヴ県(UBの周囲の県、関東の1都3県の3県みたいな場所)もダメでしょう。そうなると、もっと離れたところがいいでしょう。私なりに空想してみましょう。最初の候補地は、ウランバートル北部のセレンゲ県。ここはモンゴル有数の農業地帯です。モンゴルのほとんどが乾燥ステップの遊牧地帯であるのに対して、セレンゲ県は広大な農地が広がっています。昔の北海道の開拓民ではないですが、日本人の農業経験者を中心に歓迎されるような気がします。次の候補地は?残念ながら、どこも似たような条件なので決められません。ですが、敢えて候補をあげるなら、フブスグル県やヘンティ県でしょうか?南のゴビ周辺は乾燥しておりほとんど緑豊かな樹木がありません。ですが、この両県の北部にはタイガ地帯というか、森林地帯があります。砂漠、砂礫の乾燥地帯と森林地帯を比べれば、日本人には森林が近いほうがいいかなと思う程度です。大した理由ではないですね。個人的に興味があるのは、西の方です。具体的には、オブス県やホブド県です。産業はほとんどないでしょうが、景色は素晴らしいと聞いています。将来的な観光開発ができるかもしれません。とまあ、原作がSFだけに最後は単なる空想になってしまいました。モンゴル経験をお持ちの読者の方に尋ねてみたいですね。モンゴルに移住するとしたら、どこがいいですか?もちろん、UB,トゥヴ、ダルハン、エルデネットなどの都市部は除きます。
2021.12.10
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日本におけるコロナ禍は徐々に沈静化し、日本政府も日本への入国規制を緩和しようと動き出しました。それに伴って、モンゴルでも日本へのビザについての関心が高まっているようです。モンゴル人の友人Uさんのもとにも、そうした問い合わせが増えているとのことでした。(Uさんはビザの専門家ではありませんが、日本の事情に詳しい人として知られていることが原因でしょう)とはいえ、まだまだ規制も存在しますし、規制そのものも流動的なので、正しい情報をつかむのも大変です。そんな状況下で、在モンゴル日本大使館のホームページに新たな情報が追加されました。それは「ビザに関する問い合わせに対応する電話番号」です。従来もあったと思いますが、今回の新しい番号による案内の特徴は24時間いつでも電話が自動で日本に転送されるという仕組みです。これは、モンゴル国内でモンゴル国内の電話番号に電話するだけで、その電話が日本に転送され、日本にいるオペレーターと直接話ができるという仕組みです。電話料金は、モンゴル国内の電話料金だけで、国際電話料金は課金されないという優れた仕組みです。(国際電話転送後の電話料金は日本側が負担する)言語は、英語か日本語とのことです。その電話番号は、7727-7007です。コロナ後の日本への渡航を考えておられるモンゴルの方々は是非かけてみてください。また、このブログ読んだ方で、モンゴル人から情報を求められている方もおられるでしょうから、是非、この電話番号を教えてあげてください。日本とモンゴルの交流がますます深まることを期待しています。
2021.11.14
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モンゴル原産の野生ネコであるマヌルネコは、今はかなり人気者になっているように見えます。私のブログでのマヌルネコ3部作2018年11月22日付け「マヌルネコを知ってますか?」(https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201811210000/)2019年12月22日付け「日本最高齢マヌルネコ死亡」(https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201912200000/)2020年1月31日付け「マヌルネコを見てきました」(https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/202001300000/)は、本ブログの中でも結構アクセス多く人気です。そんなマヌルネコに歌があると知りました。最初はネット上で見つけても気にも留めずに聞いてはなかったのですが、ネット上のコメント「マヌルネコの歌が頭から離れない」とか「クセになる」「中毒性がある」というのを見て、結局見てしまいました。確かに調子がいいという独特のリズムで、はまる人は出そうな感じです。私は特に出だしの部分の曲と詩が上手くマッチしてすごいなと思いました。まあ、聞いてみてください。https://youtu.be/5YLSP6b6yHg
2021.10.09
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大相撲の9月場所は照ノ富士が新横綱としての優勝に終わりました。大関以下は勝ち越しがやっとで、場所始まってからほとんど照ノ富士の独走状態となっていました。その最大の要因は、横綱白鵬の休場にありました。今回の休場はケガなどによるものではなく、宮城野部屋の力士が場所前にコロナ陽性になったため、部屋全員が休場とさせられたためです。白鵬は陽性ではありませんでしたが。なので、当然、11月場所からは元気に復活するとばかり思っていました。が、9月場所後、白鵬の引退が報道されました。まだ正式な表明ではないようですが、数日中には引退会見がありそうです。理由は、長年のケガなどによるものですが、大きかったのは今年前半休場の原因となっていた右ひざの傷が回復しないことだそうです。手術までして回復を期しましたが、相撲を取れる状態には戻らないということでしょう。長年の相撲界への貢献は偉大であり、モンゴル国、モンゴル人の象徴として長く日本でもモンゴルでも大きな存在でした。モンゴル関係者ならだれもが知っているように、白鵬のお父さんはメキシコオリンピックの銀メダリストで、モンゴル相撲の大横綱でした。ですが、白鵬の少年時代は細い少年で、日本の大相撲のスカウトからも目にかけられないような少年でした。白鵬の少年時代です。ですが、本人の努力と天性の素質で横綱まで上り詰めました。その頃は、朝青竜の全盛期で、さすがの白鵬も当初はなかなか勝てなかったように記憶しています。これは朝青竜に敗れた一番です。この頃のことはよく覚えています。モンゴル関係の会合や、それとは関係ない集まりなどで、生の白鵬をよく見ましたから。この頃は、「やんちゃ」「マナーが悪い」朝青龍に対して、「相撲道を求める」「真面目な」白鵬という好印象が多くの日本人にあったように思います。が、その後朝青龍引退で、一人横綱の時代が長く続き、あらゆる記録を塗り替えながらも日本人からの白鵬への印象はどんどん悪くなっていったように思います。その後、日馬富士、鶴竜とモンゴル出身横綱や稀勢の里が続きましたが、やはり大横綱白鵬の地位を脅かすことはできませんでした。白鵬と比較できるのは大鵬や双葉山クラスだということなんだと思います。八百長危機や大震災後の困難という外部環境を考慮すれば、白鵬は歴代の横綱の中でも最大の功労者だと私は思います。白鵬への批判を見聞きするたびに、日本人の島国感覚は明治時代から全然変わっていないんじゃないかと思うほどです。結果として、白鵬最後の相手は照ノ富士でした。このガッツポーズについても、ごちゃごちゃいう人もいますが、小泉首相が「感動した!」と言った時の貴乃花だってやってました。何の問題もないことです。恐らくこれから、白鵬を振り返る番組がいくつも出てくるでしょう。特にNHKは長年白鵬を取材していますから、特集で放送されるんだろうと思います。楽しみにしています。長年の功績に敬意を表するとともに、お疲れ様と言いたいです。ちょっと残念なのは、・朝青龍のころよりモンゴルでの大相撲人気は大幅に低下してしまった。・白鵬自身のモンゴルでの人気も、結局、朝青龍には及ばなかった。おそらくその一因は、日本人女性と結婚したことにある。今後も日本にいるということなので、新しい白鵬の進む道を楽しみにしています。
2021.09.27
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コロナ退院から4週間近くたちます。幸いなことに特に後遺症を感じることはありませんが、「体力低下」「疲れやすい」は退院直後ほどひどくはないですが、まだ続いています。とはいえ、体力強化の特別な運動を始める元気もないので、今はとにかくできるだけ歩くようにしています。大体、往復で1万歩くらい歩けたらいいなと思っていますが、往復だとどうしてもルートが限られ風景も似たようなものになってしまいます。なので土曜日の今日は「片道1万歩」コースを考えていました。行先は神保町。この街は私の好きな街で、コロナ前は「古本屋巡り」と「渋い飲み屋さん巡り」を時々楽しみにして行きました。で、出発、と思った時に、「神保町と言えば岩波ホールか、何か面白いのやってるかな?」と思って検索してみると・・・ 全くの偶然なんですが、今日21日から内モンゴルの映画の上映開始日だったのです。ということで、入場時間を意識しながら、神保町に行きました。確かにコロナでここ1年は来ていないせいもあるのか、結構店が入れ替わっていたり、有名店が閉鎖されたりしていました。キッチン南海は小諸蕎麦に、スヰートボーズも閉店していました。で、映画です。これは漢人監督による内モンゴルの揺れ動く時代の波を描いた映画でした。舞台は内モンゴルのフルンボイル草原です。旧満州の一番北の方、モンゴルのドルノド県と接している内モンゴルです。ハルハ河戦争(ノモンハン事件)の舞台になった場所でもあります。ここの草原はモンゴル高原の中でも大きな草原で有名な場所です。その草原に暮らす一組の若い夫婦(結婚5年目)が主役ですが、一般的な映画のような「ストーリー」的展開はほとんどなく、淡々と日々の暮らしが映し出されます。メインのテーマは、草原から街へ出て暮らしたい夫と草原にとどまりたい妻の葛藤のようなものが描かれています。ある意味、これは世界中の田舎で起こっている普遍的テーマとも言えます。今のNHK朝ドラだって、故郷の宮城県を出て東京で頑張る姉と故郷に残っておじいちゃんら漁師の助けになる研究をしたい妹が登場します。多分、沖縄を出たい気持ちと沖縄に残りたい気持ち、などなど、世界中にたくさん似たような事例はあるでしょう。それを「モンゴル人に強い関心を持つ有能な漢人監督」が描いているという映画です。では、私はどう感じたか?以下は、映画の評論でもなんでもなく、モンゴル側から見た視点です。まず、この映画にはほとんど漢人は登場しません。多少は出てきますが、それは単なる物の取引の相手程度であって、メインのストーリーには一切かかわっていません。草原が舞台だからということもありますが、舞台が街になった時も一切漢人の匂いもしません。これは当然でしょう。この映画が日本にまで届いているということは、中国共産党のお墨付きということです。漢人をメインのストーリーに入れるとなると、どうしても「対立」「なんでこうなったのかの経緯、歴史」が必要になります。が、それは一切入っていません。「なぜ、子供のころは冬と秋で遊牧の場所を変えていた(と映画中のセリフにあった)のに、今は定住しているのか?」「なぜ、草原は移動自由な場所なのに、各家で区画された草原に有刺鉄線を張って、自分の牧草地をちょっとでも侵害した人を攻撃しなければならないのか?」などの経緯はなく、まるで社会の発展とともに自然にルールが出来上がっているかのようです。佐渡が過疎になったのは、誰かに強制されたからではありません。漁業や農業の将来性と島を離れて得る可能性を各個人が判断して、長い月日をかけて残念ながらそうなってしまったのです。ですが、内モンゴルは違います。中国共産党により、基本的な遊牧文化、遊牧生活を根こそぎ否定されて、制限され、差別されてそうなってしまったのです。その辺の根本的な大前提が全くなく、あたかも「世界中で田舎と都市の問題は普遍的テーマですね」みたいなアプローチにはとても違和感がありました。 言葉はほとんどモンゴル語です。メインに出てくる俳優たち(といっても、せいぜい10人前後でしょうか?)もモンゴル語です。私にはもちろんモンゴル語は分かりませんが、いわゆる南モンゴルの中心地の言葉であるチャハル語とは違うように感じました。モンゴル語話せないくせになんだか偉そうに言ってますが、単なる感じ方です。というのは、内モンゴル人が話すモンゴル語とハルハ人(モンゴル国)の話すモンゴル語の違いは、結構わかることがあるのです。典型的なのは「ツァ」とか「ツェ」がチャハルでは「チャ」「チェ」になるのです。うちの近所のセブンイレブンで働いている留学生は「チェチェグ」さんですが、その名札を見てすぐに内モンゴル人だとわかりました。これがモンゴル国ですと「ツェツェグ」さんなのです。どちらも日本的に言えば、花子さんという意味です。他にも必ずチャハルの言葉だと、小さな違和感を感じることが多いのですが、この映画ではそこはほとんど感じませんでした。もしかして、ドルノド県の隣ということで、方言的にはハルハに近いのかもしれません。で、この映画はお薦めか? モンゴルや内モンゴルに非常に関心のある方であれば、題名通りの大地と白い雲が広がる大草原が舞台なので、風景として楽しめると思います。ですが、一般的な意味での映画鑑賞となると、サスペンスでもコメディでもありません。ヒューマン?というほどのメッセージはないように感じます。少なくともモンゴルに関心がない方からすると、「え?これだけ?」と感じてしまうかもしれません。私は最後のエンドロールを目を凝らして見ました。俳優陣はともかく、監督以下ほとんどのスタッフは漢人で、モンゴル人(の名前)はほとんどいなかったように思います。この漢人監督のモンゴル人への思いは感じましたが、でもそれはやはり一定の制限の下でしか製作はできないんだろうなとも思いました。全編モンゴル語で、草原が舞台の映画が、とにもかくにも日本にまで届いているのです。モンゴル国の映画スタッフは何をしているのでしょうか?何の制限もなく、自由にモンゴル人、モンゴル文化、遊牧民を描けるはずです。モンゴルこそは何も強制されたわけではないけど、遊牧民には「遊牧を続けるか、街へ出るか?」の葛藤があるはずです。それを描いて、外国に伝えてもいいと思うのですが、残念ながら日本には来ていないようです。あと一つ。映画の中で妻役の俳優が長唄を歌うシーンがあったのですが、突然あまりに上手に歌うのでびっくりしました。パンフレットを見たら、この主役の女優さんはタナという内モンゴルの歌手なんですね。納得しました。
2021.08.21
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オリンピックも終わり、モンゴルからの選手やメディらも帰国しました。新空港への到着時に、友人のUさんから「ただいま、到着しました」とのメッセージが来ましたが、その時間を見て驚きました。0:26のメッセージでした。MIATの飛行機は8月11日に成田を飛び立ちましたから、翌日深夜ということです。しかもモンゴルとの時差があるので、モンゴル時間では午前1時を過ぎていたそうです。更に、あの新空港の距離です。Uさんは迎えの車があったので大丈夫でしたが、結構な人数が新空港に朝まで取り残されたそうです。今は週に1回しか東京便はなく、時間が不正確などうなのかはわかりませんが、LLCでもないのになんで深夜の1時に遠い新空港に到着させるスケジュールを立てるのか、全くわかりません。Uさんによれば、機内はほぼ満席だったそうです。半分くらいがオリンピック関係者で、残り半分くらいが一時帰国などの普通のモンゴル人だったそうです。日本人をはじめとする外国人はほとんどいなかったようです。私も言われました。「田崎さんは、今はもうモンゴルに来られるんですよ」と。ワクチンを2回接種した証明書やPCR陰性証明書などを用意すればモンゴルに行けるらしいです。ですが、便は週に1便だし、日本帰国後の2週間隔離などを考えたら、よほどのモンゴルへ行かなければならない事情がある外国人でもなければ、今はいかないでしょう。それでもUさんに「まずは、無事に帰れてよかったですね」と電話で話すと「いや、僕は無事ですが、荷物がないんです」と言うではないですか。よく聞いてみると、MIAT以外の航空会社ではあり得ない対応ぶりだということがわかりました。荷物が乗客と一緒に届かないというのは、世界的に見れば珍しいことではなく、私も20年以上前にヨーロッパに出張に行ったとき、同僚だったベルギー人の荷物(東京から私と一緒に預けたスーツケース)が空港で出てこないことがありました。私には初体験だったので、非常に驚き「えー、荷物が無くなるなんてあり得ない!これからどうするんですか?」とまるで、「これからどうやって生きていくんだ?」くらいに信じられない気持ちになったのを覚えています。ですがその同僚はあまり慌てる素振りもなく「ああ、良くあることなんです」と落ち着いており、航空会社と掛け合っていました。そして結論は「私の荷物だけどうやら、アフリカ行きの便に載せ替えられたようです。仕方がない、市内のホテルに行きましょう。」と落ち着いています。2-3日中にブリュッセル空港に戻るので、荷物は自宅まで配送してくれるとのことでした。そして実際、彼の自宅に届いたのには驚きました。この話を欧米人の同僚らに言ったら「まあ、それは確かに時々あるね。きっと日本はちゃんとしているからないんだろうけど、こっちでは珍しくはないよ。」とのことでした。それで欧米のビジネスマンのリスク管理を知りました。彼らは仕事中の移動でも非常にラフな格好をしています。今のようにカジュアルウエアが一般的ではなかった時代は、やはりコンサルタントはクライアントの前ではスーツ着用が当たり前でした。なので、重要なのが「手荷物」なのです。私はそのことがあってから、欧州内の路線で特に注意して見るようになったのですが、手荷物にスーツを持っている人が結構多いのです。スーツをそのまま持つわけではありませんが、スーツ専用の手荷物バッグみたいなものです。更に「手荷物にはPC、スーツ、その他メインのスーツケースが無くなっても即仕事やプレゼンができるに十分なものを入れておく」という習慣を知りました。ですので、私もスーツ専用の薄っぺらいスーツ用カバーみたいなのを買い、海外への出張時にはそれを持参していました。もちろん、国内線ではそんなリスク管理は不要ですけど。 このように荷物が届かないということは、決して珍しいことではありません。それらはほぼすべて人為的か偶然かのミスによるものです。ミスならまあ、仕方ありません・・・。ところがMIATは違うのです。確信犯なのです。今回の11日に成田を出発したMIATは30数個のスーツケースを成田に「置いてきた」のです。「置き忘れた」のではなく、意図的にしかも事前にわかっていながら置いてきたのです。しかも乗客には何も言わずに。つまりミスとか事故ではなく、100%の確信犯で、30数名の荷物が成田に取り残されるのが予めわかっていたにもかかわらず、乗客には一切何も告げずに飛び立ち、モンゴルについてから「成田に置いてきた」と説明したというのです。もちろんMIATは「顧客の立場」「乗客の気持ち」などただの一度も考慮したことがない航空会社であることは誰もが承知していますが、これはやや強めに言えば「乗客への裏切り」「敵対行為」ともいえる対応です。一体なんでこんなことになったのか?話はその1週間前の8月4日に戻ります。細かいことは分かりませんが、MIATは予定していた機体よりも小さな飛行機で成田へ来たようなのです。そして成田からUBへの帰りの便でなんと荷物が総重量オーバーで、37個も乗せることができず取り残されたのだそうです。で、その1週間後の11日の便にその取り残された荷物を載せるために、それとほぼ同数の荷物が成田に置いたままになったということです。百歩譲って、それはそれで仕方ないことだとしても、それを乗客に一切知らせずに受付をしたということが大きな問題です。帰国便ですから、多くの人はスーツケースにびっしり詰めて、身軽な格好で乗り込んだことでしょう。日本のコンビニのスィーツが美味しいから、それを当日空港で買ってスーツケースに詰めた人。実際に「納豆を買ってきてくれ」と頼まれて、それをスーツケースに入れた人もいます。明日から仕事で使うオリンピック関連の報告書や資料をスーツケースに入れた人。考えればきりがないほど、悲惨な例はありそうです。しかも通常の夏季便であれば、翌日には手元に戻りますが、今は週に1便です。しかもなぜか次回の便は来週の金曜日なんだそうです。ということは、暑い成田に10日間も30数個のスーツケース放置されることになるのです。Uさんの例でいえば、お土産の食品はもちろんヤバいです。PCは手荷物に持っていたけど、PCのバッテリーコードはスーツケースの中です。なので、実質的にPCは使えません。たった10日のために新品を買うべきなのか?私の海外出張を考えてみたら、シェーバーはスーツケースの中なので、10日間は髭はそれません。携帯電話の充電コードもスーツケースに入れることが多いです。もし自宅のカギをスーツケースに入れっぱなしだったらどうなるのでしょうか?人によっては、薬をスーツケースに入れている人もいるでしょう。これらの問題のほとんどはMIATが事前に通告していれば防げたはずです。1週間前からこうなることは分かっていたにもかかわらず、それを何も言わずに運航したMIATはある意味「犯罪者」に近いと思います。真夏の成田で10日間も過ごした納豆が入ったスーツケース、開けたときに一体どうなるのかは想像もつきません。
2021.08.12
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私が「警察は必ず住所とか書かせるけど、まさかモンゴルの住所?」と聞くと「茅場町のホテルの住所で大丈夫でした」と。警察に何か届けるとかすると、たくさんの書類を書かせるというイメージがありましたが、今回の各地の交番の方々はとても優しく、余計な負担もかけていないように思われました。Uさんも「とにかく日本の警察官は優しいですね。モンゴルとは比べ物に・・・」となりました。Uさんの感想では、モンゴルの警察官はとにかく威張っている。そして、自分たちのほうが「偉いんだぞ!」というのをいつも主張しているように見える。それに対して日本の警察官は非常にフレンドリーで、市民のために働いているという感じがすごくした、と日本の警察官を褒めていました。もう一つは、交番も含め、どこでもオンラインで検索できる落とし物検索の有益さです。言われてみれば今の時代にそういうオンライン検索があること自体は当たり前に感じるかもしれませんが、私も「へー、あの警察がねー」と感心しました。さて、ここまでくると、モンゴルと比較しないわけにはいきません。モンゴルは「落とし物、忘れ物の保管」という概念がないことが、まず最大の違いでしょう。モンゴルにはそんなものはないのです。なぜなら、そういう忘れ物や落とし物は有益物であれば瞬時に所有者が変わって終了となるからです。私がモンゴル国立大学に赴任した年の初冬の頃でした。モンゴルはマイナス30度、40度にもなりますから、日本から持参したコートなどは役に立ちません。なので、私はノミンデパートで、モンゴル製の内側羊の皮と毛、外側牛の皮という頑丈そうなコートを買いました。さすがにいい値段だったのを覚えています。とある授業を終えて、教師の部屋に戻ったらコートを忘れたことに気づき、即取りに帰りました。ですが、部屋にはカギがかかっており、開けてもらった時にはもうそこにはコートはありませんでした。私はたいして焦りもせず、主任教授に「忘れ物係はどこですか?」と尋ねたのです。ですが、その先生、よく意味が通じません。私は当たり前のように「ほら、忘れ物や拾い物を保管したりする場所ですよ。管理人ですか?警備の人かな?」などと何の疑いもせずに聞いたのです。すると、「モンゴルにそんなものがあるはずないじゃないですか!」と興奮気味に私に怒って「ここは日本ではないのです!部屋に置き忘れたら、それは誰かが持って行ってしまうのです。だからそんな落とし物係なんてモンゴルにはないのです!」と、それはそれはきつく言われました。(最終的にはお掃除のおばさんが個人的に保管してくれて、戻ってきました)私がモンゴルにいたときは、携帯電話に長いゴムひものようなものをつけて使っていました。ゴムひもの一端は携帯電話で、もう一端は私のズボンのベルト通しに括り付けていました。なぜか?それは忘れ物防止以上に盗難防止です。モンゴルではちょっとテーブルに置いただけで携帯はあっという間に盗まれていたのです。路上で会話中の携帯がひったくられた話や、バスの中で携帯を取られた話など、かなり頻繁に聞いていたからです。なので、モンゴルでは「忘れてしまった」のを「もらっちゃう」というのは当然すぎる話で、人が使っている携帯でもひったくられるほどの状況なのです。更にモンゴルの警察の問題があります。私も何度か直接UBの警察官と接したり、とある事件に関連して警察を訪れたりしたことがあります。そこでわかったのは、概ね「すごく威張っている」「驚くほど思考力がない」「市民のために働くという感覚はほぼゼロに近い」というものでした。今、モンゴルでタクシーの中で携帯を忘れたらどうなるでしょうか?答えは見えていますね。「タクシーの中に携帯電話を忘れました」と警察に届けたら、どうなるでしょうか?これもわかりきった結果です。モンゴル人に言われたことがあります。「日本は豊ただから、金持ちだから人のものを盗まないけど、モンゴルは貧乏だから・・・」これは何度も聞きました。要するにモンゴル人はそういうモラル崩壊を自分が悪いんじゃない、貧乏だから仕方ないと、言い訳し納得しているのです。日本を明治時代に訪れた西洋人が、日本人はこんなにも貧しいのに、ほとんど盗みや殺人がないと驚いたという記述は珍しくはありません。私たちは子供のころから、「落とし物拾ったら、交番に届けましょう」と言われて育ちました。私も拾った千円を交番に届けた記憶もあります。ですがモンゴルでは「人の物を盗むのは絶対にだけだけど、落とし物は拾った人の物になるんだよ」と子供のころに教えられたという人もいるくらい、そもそもの文化的背景が違いすぎるほどです。なので、忘れ物、落とし物をどこかに届けるという概念そのものがないのです。落とし物を拾って届ける。警察はそれも一つの仕事として、市民を助ける行動をする。この両方がなくては、とてもできないことです。残念ながら、これはモンゴルではあと10年、300年たってもできないでしょうね。(完)
2021.08.08
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オリンピックには世界各国から選手団やその関係者がたくさん東京を訪れていますが、その関係者とは別に世界各地からメディアの人たちも東京を訪れています。モンゴルも例外ではなく、メディア関係者が東京に滞在しています。メディ関係者も例外なく、自主隔離を強いられてきました。指定されたホテルと取材先との往復のみという制限です。ですが、どうやらその隔離期間の2週間が過ぎた人は、若干の自由な行動も可能になったようです。モンゴルの放送協会を代表してきているモンゴル人の友人のUさんもその一人です。そのUさんから8月2日に私の携帯に連絡が来ました。それが「携帯、無くした」というものでした。無くした場所を聞くと、タクシーの中だと言います。それを聞いて、ああ、それなら時間の問題だいだと思い、さほど心配せず「タクシーの領収書に書いてある会社に電話すれば、ほぼ確実に見つかるよ」と。ところが、どうやらUさん、領収書を受け取らなかったみたいなのです。東京のタクシーは、ほぼ100%何も言わなくても自動的に領収書を渡しますが、それをきっともらわなかったのでしょう。しかし、そうなると話は面倒です。東京にはたくさんのタクシー会社があり、それを特定するのはほぼ不可能です。どうなるんだろう?と心配しましたが、どうすることもできませんでした。せいぜい、私の携帯からUさんの携帯に電話して誰かが出るのを待つくらいです。あるいは、メッセージやメールを送って「この携帯を拾われた方は、XXXへ連絡してください」とか。ですが、他人が携帯の中を見れるはずないので、もちろん効果なしですが。ところが、数日後、Uさんから「見つかりました」との連絡を受けました。私は「えー!!どうやって??」と驚いて聞きました。以下、Uさんから聞いた内容です。8月2日に取材で浅草方面に行ったんだそうです。その時にタクシーを使い、降車するときに携帯をタクシーの車内に忘れたのだそうです。どうもタクシーの中で充電していたようです。タクシーを降りて携帯をタクシーに忘れたUさんは、すぐに浅草の交番に駆け込み、事情を話したそうです。交番のおまわりさんは優しく対応してくれ「今の今では、まだ落とし物リストには出てないだろう」と言って、アドバイスをしてくれたそうです。日本の場合、携帯は大体見つかる。だが、タクシーとなると、まずはタクシー会社各社のルールがあって、その後警察に届けられる場合が多いとのことでした。どういうことか?今回Uさんが乗ったのは日本交通という最大手のタクシー会社だったとのことです。日本交通は、忘れ物があった場合は2日間会社で保管するそうです。通常は領収書を見て電話が来ますので、2日間は自社で保管するそうです。自社というのは、そのタクシー運転手が所属する営業所です。日本交通は都内にタクシーの営業所だけで7つありますが、Uさんを乗せた運転手さんは千住営業所だったそうです。その2日が過ぎると、警察に届けるとのこと。そうなれば、最寄りの警察や交番で聞けば、状況を教えてくれるというのです。聞けば、警察に届けられた落とし物、忘れ物の情報はオンラインですべての交番で見られるんだそうです。私がUさんに「警察に届けると、結構面倒な書類書かされるでしょ?」と聞くと、Uさんは「いいえ、何も書きませんでした」と言います。どうやら、浅草の警察官はとても優しく、「書類書いてもいいけど、まずはその携帯が見つからないことにはどうしようもない。どこの交番でも探索できるから、それで見つかったら書くことにすればいい」と細かい書類を要求することなく、今後どうすべきかを教えてくれたそうです。Uさんは無くしてから3日後の8月5日に滞在しているホテルの近くの茅場町の交番に行ったそうです。すると、またそこの警察官も優しかったそうです。Uさんの事情を聞いて、すぐに落とし物を検索してくれました。すると、それらしいiPhoneが千住にあるらしいことがわかりました。そこで書類等の手続きをするのかと思ったら、「せっかく書類書いても、もし実物が違っていたら無駄になる。一番早いのは、直接千住に行ってみること」とアドバイスされ、茅場町でも書類など一切作らず、Uさんは北千住に向かいしました。警察に着くと、これまた警察官は優しかったそうです。そこで保管されていたiPhoneを見たら、Mobicomで買った携帯があったそうです。Uさんの行動(浅草交番、茅場町交番)などから、ほぼUさんのものには間違いないと思われましたが、警察としては一応チェックしなければなりません。当然ですが、暗証番号は一致しています。これで9割はOK。あとは、通信している相手とその内容などを聞かれたそうです。モンゴル人同士のは内容がわかりませんから、私が書いた内容「この携帯を拾った方は・・・」を田崎さんに書いてもらったなどを伝えて、それでUさんのものと証明されて、引き渡し完了。(続く)
2021.08.07
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今日はテレビでワールドカップ予選の日本代表の試合をやっていました。が、今日はもう一試合が大阪で行われました。それはモンゴル対キルギスの試合です。そしてモンゴルは1-0で勝ちました!おめでとうございます。2次予選グループFでは日本がトップ通過ですが、その他の国々は成績に大きな差はなく、最下位とされるモンゴルも2勝をあげ、勝ち数ではキルギスやミヤンマーと並びました。モンゴルはFIFAランキング192位と実質的に世界最下位クラスですが、97位のキルギスを破りました。素晴らしいことですが、それには理由があります。それはキルギスの選手の中にコロナ陽性の人が出て、その濃厚接触者とみられる選手5人が出場できなくなったのです。5人中、3人がゴールキーパーとのことで、出場できる選手の中に正式なGKはゼロになってしまったそうです。そうしたハンディをもらった上での勝利ですが、まずは良かったです。そして今回モンゴル代表を率いたのはなんと日本人監督だというのです。モンゴル代表の監督が日本人だというのは全然聞いたことないと思ったら、なんとこの4月からだそうです。それはJFA(日本サッカー協会)のアジア貢献事業の一環とのことです。要するに、モンゴルとしては外国人監督を迎えるような資金もないけど、モンゴルサッカーを強化するために日本側がお金を出して日本人監督をアサインしたということでしょう。その監督は、間瀬秀一という方で、元日本代表監督のオシム氏の通訳を務めた方だそうです。間瀬氏の経歴を見ると、アメリカ、メキシコ、グアテマラ、エルサルバドルなどの北米大陸諸国でプロ選手生活を経験して、クロアチアで3チームも経験されたということです。このクロアチアでの経験が旧ユーゴスラビア出身のオシム監督の通訳になったきっかけかもしれません。あるいは、英語経験が豊富だからかもしれませんが。この4月からの就任で、コロナという事情なんでしょうが、なんと間瀬氏は日本にいたままリモートでモンゴル代表監督になったそうです。その様子については、間瀬氏は「モンゴル国内でモンゴルの選手たちがものすごくコミュニケーションを取って一体となってやってくれました。練習もミーティングも自身のパソコンをつないで、全ての選手たちを見ていましたが、画面を通して彼らの気迫がとても伝わってきました」と述べています。モンゴルを良く知る日本人から見ると「モンゴルあるある」のような話もしています。「過去のモンゴルを見てきて思うことは、サッカーのピッチ上ではモンゴル人の持つ力を発揮できていない、相撲では発揮できている。11人で力を合わせるサッカーにおいてはモンゴル人の力が全く発揮されていない。まずはそれを生かせるように、自分が代表監督をやらせていただいているという考えです」と間瀬氏が言ってます。私はモンゴルでモンゴルのプロチームを指導していた日本人から似たような話を聞きました。それを基にこの談話を解釈するとこうなるでしょう。「モンゴル人は個々の力は日本人とは比べ物にならないくらい素晴らしいものがある。それは相撲を見ればわかる。しかしモンゴル人にはチームプレー、チームワークという概念がない。全員が同じようにFWのごとくゴールを狙いに行くだけで、組織としては全くㇷ゚レーできていない」ということです。「ピッチ上で力を発揮するには、サッカーの原理を理解する必要があります。」とも間瀬氏は言ってます。要するにチームや組織としてのサッカーの原理原則が全く分かっていないということなのでしょう。そうでなければ「個々人の運動能力が高い」「モンゴルでは人気のスポーツ」という条件がそろっているのに、いくらなんでも世界最下位レベルというはずがありません。間瀬監督の任期は2023年1月30日までだそうです。いずれコロナが収まって、監督もモンゴルの現地へ行ってくれるでしょう。あと2年弱でどこまでモンゴルサッカーが強くなれるか楽しみです。間瀬監督は以前はオシム監督の通訳をされていました。通訳にはサッカー経験が絶対条件でしょう。そうなると、間瀬監督のモンゴル語の通訳は一体誰なんでしょうか?ちょっと気になります。
2021.06.07
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なにやら時代はどんどん動いているようです。モンゴル人は歌や踊りが上手い人がたくさんいるので、日本や欧米で活躍した例はいくらでもあります。が、その逆となるとほとんどないような気がします。逆というのは、外国にいる外国人がモンゴル語の歌を作って歌うという意味です。まずは聴いてみてください。曲はなんとツィヴァン(Tsuivan)を題名にしています。ツィヴァンとは、蒸した焼うどんのようなもので、モンゴル人の国民食的存在です。なので、日本に来たモンゴル人に焼きそばや焼うどんが好きな人が多いのは、このツィヴァンの存在があるからでしょう。モンゴル語:Монгол цуйван хэр вэ? ローマ字表記:Mongol tsuivan her we?日本語訳:モンゴルのツィヴァンは美味しいですか?では、どうぞ。https://www.youtube.com/watch?v=TKR6hMXmBjAいやー、驚きました。歌っているのは「Chaka land」というグループのようですが、もちろん聞いたことありません。モンゴル人からの情報ではこれは日本人だというのですが、本当にそうなのかはわかりません。で、真剣に検索してみました。あり得る予想は、モンゴル語を勉強している人、モンゴルに住んだことがある若者でモンゴル語が話せる・・・って感じでした。ところがこのグループは沖縄ラフ&ピース専門学校の生徒であり、彼らが作って歌っているらしいということがわかりました。変わった名前の学校だと思って調べてみたら、なんとあの吉本興業が沖縄に作ったエンターテインメント人材育成のための専門学校なんですね。最初ラブ&ピースのパクリと思ったらちゃんと意味があるのです。英語名はLaugh and Peace Entertainment Okinawaとありますから、ラフはお笑いということなんです。立地も那覇国際通りとかなりいい場所にあります。しかも開校は2018年4月とありますから、まだ3年しかたっていない新しい学校なのです。確かにユーチューブをよく見てみると、背景はモンゴルの草原やウランバートルではなく、海が見える街です。恐らく那覇市のどこかで撮影したのではないでしょうか?歌っているモンゴル語の発音も、明らかに「外国人」とわかる発音なので、推測ですが、モンゴルに住んだことあるとかという人ではなさそうです。作ったのはこの学校の2期生のChakamotoという人で、だからバンド名がChaka Landなのでしょう。きっと坂本という人なんだろうなと想像しています。以下がそのメンバーです。ユーチューブには3人が登場していたので、この4人のうちの3人なんでしょう。【作詞・作曲・プロデュース】 Chakatomo(沖縄ラフ&ピース専門学校 2期生)【トラック】Hao blossom(沖縄ラフ&ピース専門学校 1期生)【アレンジャー】Eku Enherdene(沖縄ラフ&ピース専門学校 1期生)【コーラス】 Tsukushi Horai(沖縄ラフ&ピース専門学校 2期生)この名前を見たときに、アレンジャーの名前が気になりました。Eku Enherdeneとあります。これはEkh Enkh-Erdeneというモンゴル人ではないかと思います。エフ エンフエルデネさん、かな?だとすると、彼がモンゴル語を担当したと考えられます。でも作詞ははっきりとCakamotoとあります。創設間もないエンタメの専門学校ですが、結構国際的なのかもしれないと思いました。そしてもう1曲がバクテリアという歌です。https://www.youtube.com/watch?v=qMxw6S2B0Zk&list=RDqMxw6S2B0Zkこちらは映像がアニメっぽくて面白いです。ツィヴァンよりも背景がもっとモンゴルっぽいです。歌詞は単純で、繰り返しが多いです。このメンバーの歌が他にもアップされていますが、これら以外は日本語の歌です。どういう経緯でモンゴル語の歌を作ろうと思ったか、興味ありますね。モンゴルでは既にネット上で話題になっているようですが、全く意外なところから日本とモンゴルの交流が生まれそうで、今後が楽しみです。
2021.05.05
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遂に自民党が動きました。14日夜の産経新聞のネットニュースによると、「自民党有志が、中国・内モンゴル自治区で漢民族への同化政策を強いられているモンゴル族の言語や文化を守ろうと「南モンゴルを支援する議員連盟」(仮称)を発足させることが14日、分かった。」とあります。発起人は高市早苗前総務相とのことです。しかも内モンゴル自治区問題に取り組む議員連盟は世界初とのことです。本来は、モンゴル国に最初にできてもおかしくはないのですが、中国賄賂に染まっている今のモンゴル政治家たちには、そんな議員連盟を作る度胸はないのでしょう。恐らく以前から問題意識はあったのかもしれませんが、やはり大きな契機になったのは昨年来の「モンゴル語教育の消滅」「モンゴル文化継続の否定」などによる、中国政府による民族弾圧が大きかったようです。「超党派への改組も検討し、中国の諸民族迫害を非難する国会決議の採択に向け、日本ウイグル議連などと連携していく。」ともあります。日本政府が正面からやるといろいろ面倒なので、自民党中心の「議員が勝手にやっている」と見せかけて、中国からの反発を最小限に抑えたいという戦術も見える気がします。「内モンゴル自治区の一部はかつて日本の植民地で、今でも親日的な人々が多いという。議連の関係者は「歴史的な背景を踏まえれば、自治区の人権改善を目指すため、日本がリードしていく意義は大きい」と話した。」というのを読んで、「え?今のボンクラ国会議員がなんでそんなことまで知っているの?」と思ったら、やはり背後にはこの方がいたようです。内モンゴル(南モンゴル)出身で静岡大学教授の楊梅英さんが関わっているようです。楊さんは、南モンゴルの「解放」に向けて、日本では精力的に執筆活動をしています。私も本ブログで紹介したことがありますが、南モンゴル出身で様々な実体験をしてきただけに、漢人によるモンゴル人への迫害が生々しく書かれています。私は楊さんの本を10冊近く読んでいますが、そのどれもが「日本人に対して、滅ぼされる前に早く南モンゴル人を助けてほしい」との願いを込めた書物になっていると思いました。最近は、ウィグル人、チベット人への人権迫害ばかりが報道されていますが、中国共産党が最初に殺戮を含む民族弾圧をしたのはモンゴル人です。漢人にとっては、長い歴史の中で最大の悩みで最強の異民族だったモンゴル人をどう抑えるかが、清朝末期からの大きな課題だったのです。モンゴル人弾圧に成功し、成果を挙げたことで自信を持ち、その後のチベット人、ウィグル人弾圧へと続いているのです。自民党、見直しました。今後、この議員連盟所属の人たちは「反中派」と見なされ、陰に陽に中国共産党からの嫌がらせを受けるでしょうが、負けずに頑張ってほしいと思います。そして、モンゴル国内でも声をあげる人たちが出てくることを願ってやみません。モンゴル国の皆さん、このままでは「日常的にモンゴル文字を使う人々がこの地球上から消えていくんですよ。それでいいんですか?」「モンゴル縦文字が古典や教科書上の文字だけになるのですよ!」というのが、私の問いかけです。今の「ウィグル文字」や「満州文字」のように誰も使わない文字になるのが、目前に迫っているのです。(ウィグル文字も満洲文字も、基本的にはモンゴル文字と同類)
2021.04.15
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ワールドカップ2次予選、日本代表対モンゴル代表が千葉県にあるフクダ電子アリーナで行われました。試合結果は、ご存知の通り14対0という、日本代表史上最大の得点となりました。日本が勝つというのは大方の予想通りだったと思いますが、モンゴルチームがホームでやっていればここまでの差は付かなかったんじゃないかと思います。モンゴルで予定されてたホーム試合を日本でやるというニュースを見た時「フクダ電子アリーナって何?」「千葉のどこかに国際試合できるようなサッカー場があるの?」と思ってしまいました。が、調べてみると千葉市蘇我にあるサッカーグラウンドが2面もあるかなり立派な施設です。ジェフユナイテッド千葉の本拠地でもあるようです。今回の予選は、本来はホーム・アンド・アウェイのルールで言えば、本来はモンゴルで行うべきでしたが、コロナ事情で日本開催となった経緯があります。ただでさえ、モンゴルチームにはアウェイでやるハンディがありましたが、この時期の試合なら「本当の意味のホームの有利さ」があったはずだと思うのです。昨年、モンゴルとの試合の日程を見た時「マジか!?3月にモンゴルでサッカーやるのか?日本選手、大丈夫か?」と思ったものでした。理由はこの時期はまだモンゴルは寒いということです。もちろん3月は2月とは違って極寒ではありません。モンゴルに住んでいる人にとっては「随分、暖かくなったなあ」と感じるものです。でもそれはあくまでモンゴルに住んでいる人にとってです。なんせ1か月前までマイナス30℃以下の世界で、昼間の最高気温ですらマイナス20℃という寒さだった人には、確かにマイナス一桁は「暖かく」感じるのです。少なくともこの時期の最低気温はまだまだマイナスで、昼間だってマイナスの日もあるわけです。この気温ですから、サッカー場の芝だって日本のように青々としている状態は期待できません。そんな場所へ「最高気温23℃」という初夏のような日本から遠征したら、当然「なんじゃこりゃー!」という寒さを感じるでしょう。欧州―日本―モンゴルと長い異動を続けてきた代表選手の体調管理は相当難しいと思います。そういう意味では、日本選手にはかなりのハンディキャップになり得た開催時期だったのです。もちろん、相当なハンディがあっても勝負の行方には影響はなかったでしょう。が、14対0というスコアにはなり得なかったんじゃないかと思うわけです。ですが、番組ゲストの朝青龍も言ってましたが、どうせ負けるなら「記録に残る負け」というのも意味あるかもしれません。今後、日本と試合をすることがあるとすれば、点差の目標を一つの目安にできるからです。「今回は一桁以内にしよう!」とか「5点差以内にしよう!」あるいは「1点でも入れよう!」という目標ができます。力の差は歴然としているのですから、今後は目に見える形でモンゴルサッカーの進化を示すことが目標になると思うのです。人口320万人の国で、サッカーリーグができてまだ5年です。プレー可能なシーズンはわずか半年。今はチェコの監督の下で頑張っていますが、今後も外国人コーチ、選手の導入などでどんどん強くなっていくことができるんじゃないかと思います。朝青龍も本気で「プロチーム作るぞ!」「ブラジル人指導者を呼びたい」と言ってましたから、今後の進化が楽しみです。
2021.03.30
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この題名は「ターコイズの空の下で」であり、モンゴル語ではНомин Тэнгэрийн Хязгаарtと書き、ノミンは「トルコ石とか青い空」という意味、テンゲリーンは「空の」で、ハヤズガールトは下端部つまり「下で」という意味なので、まさに「(トルコ石のような)青い空の下で」という意味なんだろうと思います。まさに、モンゴルの青い空の下での物語って感じで、複雑なストーリーもセリフもない映画です。私はこの映画が日本とモンゴルだけでなく、フランスとの3か国共同映画だという点に注目してます。日本人とモンゴル人の物語ですが、そこに第三者であるフランス人の見方が入ることにより、芸術性が膨らんでいるのではないかと思いました。ヨーロッパ人から見れば、日本人捕虜が強制労働をやってたなどという歴史的認識にはあまり関心はないでしょうし、そのストーリーそのものにも強くひかれる部分はないと思います。あるのは「モンゴルの草原を旅する言葉の通じない異邦人」という姿だけでしょう。それだけでヨーロッパの人に訴えるとしたら、やはりモンゴルの風景が一番だと思います。ヨーロッパでは複数の映画賞を取っていますから、やはり向こうでは評価されるのでしょう。逆に日本で上映映画館が少ないのは、それが日本人的評価の表れなのかもしれません。ということで、モンゴル経験者及び在日モンゴル人にはお薦めの映画です。あまりモンゴルに入れ込む気持ちのない方やモンゴルに行ったことない方には、ここに書かれていることを理解した上で、ご興味あればご覧になってください。田舎の光景は当然映画のハイライトです。そこをストーリーとか気にせずに楽しめる人はこの映画を楽しめるでしょうし、「単なるつまらない田舎の光景」と受けとめてしまう人には、この映画はつまらないかもしれません。はっきり言って、見どころはそこしかないのですから。モンゴル語のセリフも少ないですがもちろんありますから、モンゴル経験者であればそれと字幕を見ながら楽しめます。要は「モンゴルを知っている」「モンゴルの田舎を見て懐かしい」と思える人には楽しいですが、モンゴルと全く縁のない人たちが楽しく見れるかどうかは私にはわかりません。(完)
2021.03.08
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昨年9月30日付け本ブログ「俳優の柳楽優弥さんがモンゴル映画の主演に!」(https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/202009300000/)でご紹介した映画が、2月26日から公開となりました。しかしながら残念なことに上映する映画館は非常に少ないのです。なんせ大都市東京でも3か所のみ。そもそも2月26日からやっているのは、全国でも東京の3館に加えて埼玉の三郷のみ。他も遅く始まる県もありますが、上映予定さえもない県が結構あります。上映予定のない県は、東北は秋田、山形、福島で関東でもなんと千葉、茨城はないのです。我らが新潟県もなし。中部地方は北陸3県、静岡、山梨、岐阜もなし。関西も大阪、京都、兵庫以外はなしで、中国四国に至っては岡山と高地以外は全滅です。九州も佐賀、長崎、宮崎はありません。有名映画は全国ロードショーなんて当たり前なんでしょうけど、マイナー映画にとっては現実はなかなか難しいですね。場所は渋谷の結構奥まったところです。渋谷の映画館はもちろん行ったことありますが、「こんなところに映画館があるの?」と思われるような駅からかなり離れたマイナーな場所にありました。しかも小さい映画館。子供の頃、新潟市の中心部ではない、近所の住宅地にあった小さな映画館みたいな大きさでした。小学校の教室を一回り大きくしたくらい(?)のイメージです。定員も58名とありましたが、恐らく実際の入場者は30~40名程度でしょう。日曜日の午後ということもあり、そこそこ入っている感じでした。私も含め、中高年の方が多かったように思います。で、見てどうだったのか?私には良かったです。「私には」とわざわざ注釈するところが、この手の映画のマイナーにならざるを得ない部分なのでしょう。普通の映画とは全く違う作り方で、ストーリーらしいものもほとんどなく、セリフもほぼなし。主役の柳楽さんでさえも、ほとんどセリフなし。演技らしい演技もなし。一応「サエンバエノー」(こんにちは)とか「バイルッラー」(ありがとう)くらいのモンゴル語が出てくるのかと思いましたが、柳楽さんからはただの一言もモンゴル語は発せられることはありませんでした。というか、日本語だってセリフはほとんどなかったように思います。モンゴル人助演男優はモンゴルでは有名な俳優さんだそうですが、その人も日本にいるモンゴル人役なのに「一言も」日本語を話せない設定です。今時、日本にいるモンゴル人で全く日本語を話せない人はまずいないでしょう。パンフレットには「ロードムービー」とありますが、確かにモンゴルの田舎の道中をほとんどセリフなしで撮影したって感じです。なんとなくネガティブに書いているように感じるでしょうが、そこが上述した通り「私には」良かった、ということでもあります。要するに通常の映画に期待するような「テーマ」「ストーリー」「会話」などはほとんどないものの、モンゴルの風景はたっぷりあるわけです。ウランバートル市内の映像のほとんどどこで撮影されたかわかりましたし、街を思い出しながら見てました。主人公が最初に泊まったホテルはケンピンスキーだとか、西の方面に向かったらしいとか。ロシアンジープ(ミニバン)のナンバープレートはДАЛ(DAL)のようにも見えたけど、あれはどこかな?ダルハンかな?ドルノドはスペルは違うし、とかいろいろ思うわけです。(続く)
2021.03.07
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モンゴルとの往来は、日本のみならず外国とのMIAT航空便は現在全便が停止中です。ですが、現実には限定されてはいますが、日本やヨーロッパなどとの往来はあるようです。また今年は一体いつから運行されるのでしょうか?日本国内の「緊急事態宣言の解除日」もわからないのに、「モンゴルのことがわかるはずない」という前提でほとんど推測ですが、とりあえずわかることを書いてみます。まず現在の往来ですが、やはりMIATは一部で飛んでいるようです。時々目にしたのは「現在も海外でモンゴルに帰れない人を返すためにチャーター便を飛ばしている」という記事です。これに関してはいろんな「噂」を聞きました。在外モンゴル人で帰国希望者向けにMIATを飛ばすというものです。ですが、当然タダではありません。詳細な金額はわかりませんが、どうもその金額は安くはないようです。航空券のエコノミーチケットというのは、本音と建前の塊みたいな仕組みであり、定価通りだと通常我々が買っているようなチケットの倍以上となるのが普通です。ですが、平常時は定価はあくあでも「建前」であり、実際には半値以下になるわけです。もう10年以上も前ですが、夏の一番の繁忙期の直前に東京―UB間のチケットを買ったことがあります。代理店からは平気で「ディスカウントチケットは売り切れましたので、定価のチケットしかありません。」と言われたのです。記憶は定かではないのですが、当時6万円か高くてもせいぜい8万円くらいだったチケットが15ー6万円くらいだと聞いたのです。驚いて「じゃあビジネスクラスは?」と聞いたら、それと大して変わらなかったので、ビジネスに乗った記憶があります。結果としてですが、MIATのビジネスクラスのサービスがあまりにもお粗末だったので、これは全く不要だと思った覚えがあります。JALなどのビジネスクラスを想像したら、痛い目にあいます。(笑)恐らくですが、今回のチャーター便の価格はこの定価をベースにしているのではないでしょうか?希望者は多いし、別にディスカウントする必要はないのですから。更にそれどころではないお金がかかるらしい、という話も聞きました。以下は、何の証拠もないのですが、モンゴルなら「さもありなん」という話です。MIATはチャーター便を運航する日程は在外モンゴル人などに周知します。通常はその便に申し込んで予約完了となるのですが、なぜか希望者は「申し込み登録」をするだけです。運航日程は決まっているのですが、予約の決定は出さないのです。そうなるとどうなるか?希望者は日程不明でも登録しますので、MIATからすれば何人の希望者がいるか事前に把握できます。今はわかりませんが、昨年は当然希望者数は座席数を上回っていました。となるとどうなるか?当然ですが、こうした「利権」の匂いに敏感なのはモンゴルの政治家です。ある説によれば「政治家に袖の下を渡した額により、早期にモンゴルへ帰国する便の予約ができる」というものでした。これが事実かどうかは不明ですが、通常であれば予約順に受け付けるはずですが、このチャーター便は登録のみ受け付け、乗れるかどうかは「その後の態度」次第だというのです。これが日本航空だったら「そんなことしたら、叩かれるから、袖の下で決まるはずない!」と言えますが、なんせモンゴルです。私には「そりゃあ、金次第だろうな」と信じる方が正しく思えます。これを裏付けるかどうかは不明ですが、モンゴルにおられる日本人ビジネスパーソンが日本へ帰国するにあたり、チャーター便を予約しようとしたという話を聞きました。その会社は日本でも超有名な大企業です。やはりこの噂の通り、申し込んでもいつの便に乗れるのかはわからないんだそうです。具体的には、3月に11日、15日、25日と東京成田へ行くのは3便あるのですが、申し込んだにもかかわらず「搭乗希望者はMIATにまず登録しろと言われ、登録するのですが、ビンは指定できないです」とのことです。ちなみに、3月2日の時点で3月11日に乗れるかどうかもMIATは明らかにしないそうです。私は実際にどうなのかはわかりませんが、「噂で聞いた話」と全く一致するので、はっきり言ってMIATあるいはその後ろにいる政治家が「賄賂をくれる順」に搭乗できる人を決めているというのは本当なんだと思います。日本人相手に賄賂を貰えるのかはわかりませんが、この程度のことはモンゴルでは当たり前のことと理解した方がいいでしょうね。で、今後の予定です。もちろん正式な発表はありません。日本のMIATの代理店のHPを見ても、去年のスケジュールしか載ってなく、そもそも今年はどうなるかなんて一切書かれていません。日本航空JALは昨年からMIATとコードシェア便というこでJAL経由でも予約できるはずです。で、JALのHPを見てみると、以前にはなかった「予約可能な行き先」になんとウランバートルが入っています。でも、実際に検索していると、どうやっても予約できる便は出てきません。代理店もJALもダメなので、MIATのホームページにアクセスしてみました。すると、東京行は4月2日から運航とあります。ソウル、北京、フランクフルトなども4月に入ってから運行とあります。これを見る限り、MIATとしては4月から運航再開を目指しているのかもしれません。一方、モンゴル政府(?)に近い報道を見ると、5月から外国との交流を再開するとあります。これらを勘案すると、少なくとも5月くらいからはモンゴルへの渡航が再開されそうです。ですが、こういうニュースもあります。「モンゴルのオユンエルデネ首相はワクチンを接種した外国人の入国を5月から認める」というのです。日本は5月ではワクチン接種は医療関係者のみでしょうから、とても我々一般人は認められそうにありません。もしこの通りだとすれば、我々一般日本人がワクチン接種ができるのは、早くても7月以降でしょうから、恐らく当分は難しいと思われます。さらにモンゴルの方針だっていつ変わるかわかりません。現に昨年9月には「モンゴルはコロナ禍から脱出したので、10月から外国との交流を再開できるであろう」と言ってましたが、実際には今日まで閉鎖が続いています。モンゴル国内のロックダウンは先月下旬に終えましたが、対外的に交流が自由になるにはまだまだ予断を許さない状況が続いています。ワクチン接種もできてないであろう我々一般日本人には7月のナーダムに行くことは結構難しいように思えます。「ワクチン接種者のみ」との規制がなくなれば別ですが。
2021.03.04
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ワールドカップ予選日本対モンゴルは来月3月30日に予定されていました。が、どうやら日本開催に変更されたようです。理由はコロナ禍ということですが・・・私はそもそもウランバートルで本当にできるのか懐疑的でした。それはコロナ以前の問題で。なぜなら、本当に日本人選手はマイナス気温の中でのサッカーに耐えられるのかどうかという疑問があるからです。本ブログでもこの日程が発表された時に真っ先に思ったのがこの日程である旨、書きました。いくらホームアンドアウェーで次はモンゴルだからと言って、何も3月にやることはないだろうと思ったのです。モンゴルはツァガンサルを過ぎれば暖かくなると言われていますが、それは現地のモンゴル人が言う話で、日本人にとっては4月だってまだまだ関東の真冬以上に寒いのです。モンゴルでは明日が大晦日、明後日12日金曜日が元旦です。この元旦の予想気温はヤフー天気予報によれば「最高気温」がマイナス7℃です。ツァガンサルが終わるころ、2月14日の予想は「最高気温」がマイナス19℃です。念を押しますが「最高気温」です。最低気温はこの時期はマイナス30ど近くが普通です。「最高気温がマイナス」状態でなくなるのは、通常は4月または5月になってからです。つまり3月末日では昼間の最高気温はマイナスである可能性が非常に高いのです。それを承知でこの日にしたのかは大いに疑問があります。多分こんな会話でもあったんじゃないでしょうか?日本側:モンゴルは寒いと聞きますが、3月は大丈夫でしょうか?モンゴル側:3月はもう春ですよ。サッカーするのは問題ありません。なんてね。そりゃあ、マイナス20℃でも30℃の日でも屋外でバスケットボールをやっているような人たちですから、3月下旬のマイナス気温なんて楽勝でサッカーできるでしょうね。でも、それを日本側が真に受けていいのか?そもそもの耐寒性などの前提条件が違うことを知らずに決めたような気がしていました。ですが、不幸中の幸いという言い方はおかしいですが、結局は日本でやることになったようです。その理由はコロナだということです。報道によりますと、「新型コロナウィルスの感染状況とモンゴルの感染対策を踏まえ」とあります。が、これではまるで「モンゴルでやると感染リスクが大きいから、日本の方が安全だ」というように誤解する日本人も多いでしょう。モンゴルの名誉のために申し上げますが、日本とモンゴルでは圧倒的に日本の方が危険なんです。モンゴルの現在の感染者数は2120人です。これは人口100万人当たり663人ということです。日本はどうかと言えば、その5倍近い3268人にもなるのです。なので、少なくともモンゴルの方が危険ということは全くないのです。ではなぜか?それはモンゴル政府側の感染対策でしょう。本ブログでも時々言及していますが、モンゴルは人口少なく、かつ、巨大な2国ロシアと中国に囲まれています。こうした死亡にもつながりうる感染症への恐怖は日本人が想像できなほどであると思います。それは「下手したら、民族が消滅する」という恐れです。現にアメリカは既に感染者が2700万人と優にモンゴルの人口を8倍以上超えています。元々の人口が違うと言えますが、隣の中国はあのアメリカよりも圧倒的に多い人口を抱えているのですから、一つ間違えば数千万人が感染しうる状況なのです。そして百万人単位で死亡者が出ることもあり得ます。中国にとっては14億人の中の数百万でも、地続きのモンゴルにとっては民族の消滅につながる話です。ですので、モンゴル政府は今も頑なに外国との出入りを遮断しており、航空便も一部チャーター便を除いてはまだ全面的な停止が続いています。昨年末には「早く一部解除を」との話も出ましたが、政府は当面続けると拒否しました。日本からも「再開の要請」がありましたが、やはり拒否したと伝えられています。こういう状態で日本から選手、スタッフにマスコミなど合わせて100人以上が来ることへの拒否反応は非常に強いものがあると思います。モンゴルサッカー協会としてはやりたいかもしれませんが、モンゴル政府は断固拒否したのだと思います。とはいえ、これで日本人選手も大けがの可能性もあるような極寒の環境ではなく、春うららの千葉県でやることになったので、一安心だと思います。私は思わず「おっ、じゃあ、見に行こうかな」と思いましたが、当たり前ですが無観客試合とのことです。残念ですが、テレビで見るしかありません。モンゴル選手には大いに頑張ってもらいたいと願っています。
2021.02.10
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柳楽さんが主演するのは、日本・モンゴル・フランス合作映画「ターコイズの空の下で」という映画です。ターコイズというと耳にしたことがあるのはターコイズ・ヒルというカナダの鉱山会社です。国はカナダですが、もちろんモンゴルでの採掘が中心で、オユントルゴイ(OT)で金や銅の採掘をしています。ターコイズというのはトルコ石のことですが、「大空を象徴する澄んだ水色」を意味することもあるようなので、現地でよく使われるモンゴリアン・ブルー(青空)のような意味もあるかもしれません。そう考えると、この映画の題名にも納得です。こんな感じの石です。もっと大きく見るとこれを見ると、なんだかモンゴルの田舎で見たことがような記憶もありますが、正確にはわかりません。この映画がなぜ日本とモンゴルだけの合作ではなく、フランスも入っているのかわかりません。ですが、以前浅野忠信が主演した「モンゴル」という映画は、ドイツ・カザフスタン・ロシア・モンゴルの合作映画でしたから、ヨーロッパからの関心は高いのかもしれません。ちなみにこの映画「モンゴル」の主役は浅野忠信さんでしたが、日本が出資しているわけでもないのに、主役抜擢には驚きました。しかも全編モンゴル語でした。しかも、役者さんの中で唯一の日本人だったそうです。私は日本でDVDを買って、モンゴルの自宅で見たのを覚えています。ほぼ同時期にあった反町隆史さん主演の「蒼き狼」(日本とモンゴル合作)が超がつく駄作だったので、それに比べても浅野さんの演技は素晴らしいと思いました。今回の柳楽さんは日本人役なので、モンゴル語を話すシーンはほとんどないでしょうが(せいぜいサエンバイノーくらい?)アムラという俳優も出てくるようなので、モンゴル語のシーンも結構あることでしょう。ちなみにこのアムラ役の俳優さんの名前は「アムラ・バルジンヤム」というのだそうです。多分、モンゴル国内では「アムラー」と呼ばれているのでしょう。映画は楽しみですが、日本での公開はなんと来年です。『ターコイズの空の下で』は2021年2月26日(金)より新宿ピカデリーほか全国にて順次公開とのこと。https://www.cinemacafe.net/article/2020/09/15/68998.htmlちょっと先ですが、楽しみにしましょう。
2020.09.30
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2週間ほど前とやや古いかもしれませんが、「行くぞ最果て!秘境X鉄道▽モンゴル絶景列車」という番組がNHK/BSで放送されました。コロナ禍でもあり、新しい番組製作ができないからでしょう、NHK/BSでは再放送がやたら多いです。この番組も以前に見た記憶がありますが、また見てしまいました。番組は4回に渡って放送され、ロシアとの国境の街スフバートルから、ダルハン、ウランバートル、サインシャンド経由で中国との国境の街ザミンウッドへの旅程となっています。スタート地点では「横綱の鶴竜の出身地であるスフバートル市」と紹介されたのです。私は耳を疑いました。「え?何言ってんの?NHKでしょ?」「これ監修にモンゴル人がいないの?あまりにも凡ミスでしょ?」と思ってしまったからです。大相撲の力士紹介では「西方 横綱鶴竜 モンゴルスフバートル出身 陸奥(みちのく)部屋(以前は井筒部屋でした)」とアナウンスされます。鶴竜の実際の出身地は首都ウランバートル市ですが、自分の出身地をお父さんの出身地である「スフバートル」を名乗っているのです。NHKはその鶴竜の出身地をスフバートル県であるのをスフバートル市と間違ったのです。赤い☆印が首都ウランバートル市です。東側の赤いエリアがスフバートル県で、北の黒い●印がスフバートル市です。新潟県と新潟市の間違いなら大した違いはありませんが、鶴竜の場合は全然違います。NHKの紹介では、ロシアとの国境の街であるセレンゲ県にあるスフバートル市を鶴竜の出身地と紹介したのです。実際には中国との国境の県であるスフバートル県であるにもかかわらず!このことを書くにあたって一応ネットで調べました。鶴竜をウィキペディア(日本語版)を見ると単にスフバートルとなっていますが、その文字がクリックできるようになっています。スフバートルをクリックすると「セレンゲ県のスフバートル市」とあります。つまりウィキペディアも間違っているのです。そしてなんとウィキペディアの「スフバートル市」を調べると、わざわざ「鶴竜の出身地で父親の故郷」とあるではないですか!なんだか私の方の知識が間違っているのかと不安になるほどです。日本相撲協会のHPでは単に「スフバートル」としかありません。「大相撲のはてなに効く!観戦ガイド」というHPには鶴竜は「スフバートル県出身」と明確に書かれています。他にもネット上で調べてみました。単に「スフバートル」というのが多いのは、相撲協会HPを参照したのでしょう。「スフバートル市」としているのも結構ありますが、これはウィキペディアの影響でしょう。そして意外ですが、明確に「スフバートル県」と明記されているのが結構少ないのです。私は結構自信がありましたが、こうした事実を見せられると「NHKの阿保!間違ったっことを言うな!!」と断言できる自信が揺らいでいるのも事実です。ですが、これ以上日本語でのネット検索しても真実がわからないでしょう。なぜなら、元ネタとなる部分が間違っているか曖昧なのですから。相撲協会は「スフバートル」だけですから、わかりません。ということで、モンゴル語での検索をモンゴル人の協力を得てやってみました。が、モンゴル語版にはウィキペディアはなく、「絶対に正確な情報」が意外にも探しにくいのです。なんせ鶴竜自身はウランバートル出身なのですから。ですので、鶴竜のお父さんの情報を探すことにしました。鶴竜のお父さんはモンゴルの有名人で、モンゴル国立科学技術大学(略称:科技大)の教授で電気系学部の学部長をしている方なのです。科技大は私が教えていたモンゴル国立大学と並んで、モンゴルの2トップ大学ですから、優秀なお父さんだということはわかります。そのお父さんへのインタビュー記事を見つけました。Би Сүхбаатар аймгийн Асгат сумын уугуулとありました!訳すと「私はスフバートル県のアスガット・ソム(村)の出身です」とはっきりと言ってるではないですか!地図で見ると、スフバートル県の県庁所在地バローンオルトから南東に50キロくらい離れたところにあるソムだとわかりました。というわけで、再放送のNHKを見て気になった結論は、・NHKのナレーションは完全に間違っていた。・番組監修にモンゴル人の名前があったにも関わらず間違っていたということは、そのモンゴル人は何も役には立っていなかった。・NHKは自分で調べようとしたのではなく、単にネット上のウィキペディアの情報を鵜呑みにしただけ(らしい)ということでした。NHKとウィキペディア、世の中正しそうなことを言うメディアでも間違っているということなんですね。
2020.08.30
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今日の新聞の広告欄に「高専DCON2020」(本選)という題名の企画が出ていました。これは全国の高等専門学校生が参加するディープラーニングコンテストに関して周知する広告です。既に一次、二次審査を通過したチームが、8月22日の本選に望むというものです。その参加校は以下の11チームです。最後のモンゴル3高専連合は唯一の海外からの参加チームです。具体的には、モンゴル工業技術大学付属高専、モンゴル科学技術大学付属高専そして新モンゴル学園高専の3校からの選抜メンバーよのことです。日本の高専生は非常に高い技術レベルを持っており、トヨタなどの大手製造業にとっても採用したい学生が多いことでも知られています。恐らく一次、二次審査で多くの高専と競い合った中で勝ち残った優秀な高専生なのでしょう。そこにモンゴル代表も入るわけです。なぜここにモンゴル代表が?もちろん、理由はわかりませんが、私なりに2つの推測ができます。一つは、この大会の後援には「全国高等専門学校連合会」があります。高専は今後海外展開も視野に入れているようですが、その第一号がモンゴルのこの3校なのです。(2014年開校)ちなみにその後、タイにもできたようです。なので、この海外第一号高専を入れたかったのではないかということが推測できます。もう一つがスポンサーによる推薦です。この大会は、大手企業6社による特別協賛によって成り立っていますが、そのうちの一つがKDDIです。これはモンゴル最大の携帯電話会社(かつモンゴル最大企業の一つでもある)モビコムの親会社です。なので、KDDIからの推薦ということも十分に考えられます。この大会の実行委員長は、東大の松尾先生です。現在世界中でAIに関しての研究や事業企画が盛んにおこなわれていますが、日本でのAI研究の第一人者と言えば、この松尾先生が一番有名でしょう。実は私も2度ほど、松尾研究室の勉強会的AI研修に参加させていただきましたが、若い研究生やスタッフらが熱い思いでAIによる事業化を目指しているのを目の当たりにしました。スポンサーにはKDDI以外にもトヨタやコニカミノルタなど、モンゴルに馴染みのある名前もあります。ここで好成績を収め、是非とも研究資金の獲得を目指してほしいものです。この時勢を考えると、当然東京の会場での全校参加ではなく、ライブ配信での参加のようです。遠いモンゴルも近くの東京高専も同じ条件です。どんな結果になるのか、楽しみです。モンゴル初のAI事業が生まれることを期待しています。
2020.07.23
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モンゴルの「オリンピック関係者」から表記のような質問が来ました。確かに、選手を派遣する立ち場にしろ、オリンピックを放送する立場にしろ、遠く離れたモンゴルにも東京オリンピックの開催の可否について関心を持つ人がいるのは当然のことです。聞きたいのは当然としても、答えるのは容易ではありません。なぜならが、公的には一切議論はされていないからです。というか、日本は決定とか中止の判断をできる立場ではないのです。スイスの国際オリンピック委員会(IOC)だけが中止かどうかの権限があるということです。従って、日本政府の立場としては「予定通りにやるために全力で準備を進めていきます」以外には何も言えないのです。更に竹中平蔵先生によれば、こうした大規模イベントには損害保険が掛けられているが、日本が自ら中止を決定した場合は、損害保険がおりない可能性が高い、という問題もあるようです。日本に何の権限がないことには前例があります。昨年11月にオリンピックのマラソンを札幌でやることが発表になりましたが、あれは日本オリンピック委員会(JOC)や東京都には「一切の相談はなく」、突然IOCが東京ではなく札幌でやると決めたようなのです。日本側は猛反発しましたが、全ての決定権限はJOCではなくIOCにあるということです。日本は議論すらできず、IOCの決めたことに従うだけの立場だということが明確になりました。なので、モンゴル側から「どう議論されていますか?」と聞かれても、「何も議論されていません」としか答えようがないわけです。とまあ、ここまでは、公式の話。当然、それとは別に、実際にはどうか?という疑問に答えないといけません。ネット等で調べると、いろんな識者が意見を述べています。それらを総合すると、私は開催は無理なんじゃないかと思います、と伝えました。その理由としては、いくつかあります。まずは判断の期限ですが、先日IOCのベテラン理事が言ってた通り、「5月末までにこのウィルス騒動が終息してない場合は、中止か1年延期という議論になる。」ということでしょうから、5月末が大きな目安となると思います。それを前提に考えてみます。発生源の中国では全人代(中国の国会)を3月開催をできずに延期し、習主席の4月の来日も延期となりました。しかも中国は未だに終息時期は見えておらず、感染者が10万人にもなりそうな勢いです。終息宣言のためには、感染者ゼロが2~3週間は続く必要があるので、少なくとも4月中にはゼロにならないといけないわけです。それは無理だろう、とうのが一つ目の理由です。もっと深刻なのは、もう「アジアのウィルス」ではなく、「欧米のウイルス」にもなっているということです。イタリアは9千人を超し、アメリカの感染者数は日本のそれを超えたほどです。(ダイヤモンド・プリンセス号は除く)欧米は「これから」拡大する時期であるわけです。中国が仮に5月に終息したとしても、発生の12月から半年かかったことになるわけで、欧米では今からあと半年はかかるとすると、5月までにはとても終わらないでしょう。更にアフリカです。ご承知の通り、アフリカには中国人が非常に多くおり、そこにも感染しています。アフリカは医療設備が不十分な地域も多く、そもそも感染したかどうかはわからないケースも多いでしょう。一度火がついたら、今後爆発的に拡大するかもしれない可能性もあります。これらを考えると、現在約100か国で感染者が出ているのが、5月末に全部消えているとは考えられないのです。5月末に終息宣言を出すには、4月末には主要地域でほぼ新たな感染者が出てこない状態でないといけないとなると、そのハードルは極めて高いと思うわけです。というわけで、私は個人的には無理だと思っていると書きました。ですが、「中止になりそう」という話はテレビや大手新聞ではなかなかできないのが現実です。恐らく「政権」や「国民の期待」への忖度があるから、なかなか本音を言えないのだと思います。「選手がこんなに頑張っているのに、中止とは何事だ!」などと批判される可能性があるということです。今日時点の結論としては「70%の確率で無理だと思う。」と書きました。
2020.03.09
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昨年の今頃、明らかに「拙速」とわかるやりかたで新しい外国人労働者受けビザ「特定技能の在留資格」を決めました。が、やはり懸念通りになかなか進んでいないとの報道がありました。当初の政府発表では2019年度中に最大4万人の受け入れ見込みがあったが、現実にはその10分の1以下の2400人ということです。対象14業種のうち、最も合格が多かった介護は、フィリピン、カンボジア、インドネシア、ネパールそしてモンゴルで試験が実施され、約3000人が受験したとのこと。合格者数1400人の85%をフィリピンが占めたそうです。逆算しますと、受験者数3000人で合格者数は1650人となります。合格率は55%です。フィリピン以外は4か国合計で250人ですから、人口の少ないモンゴルは恐らく50人以下と思われます。別なデータでは、2019年12月末時点での「特定技能」で日本に在留する外国人は1621人とあります。これが上記の合格者数と似ているので、この人たちかと思いきや、実際は「9割超は技能実習からの切り替え」だったとのこと。この言葉もわかりにくくちょっとややこしいです。技能実習とは以前からある「研修制度としてのビザ」ですが、これは本ブログでも再三お伝えしているように、非常に問題のある制度です。政府はこの技能実習をもっと拡大すると批判が増えるので、昨年「特定技能」を新設したわけです。が、結局分かったのは、もともと日本にいた「技能実習」の人のビザを「特定技能」に切り替えただけのことでしかなかったということです。新たに「特定技能」を取得した人は、1621人の1割にも満たないというのですからせいぜい140~150人なんでしょう。となると、フィリピンなどで合格した1400人の「特定技能」合格者の大半はまだ日本に来ていないということになります。先日もお伝えしましたが、新型ウイルス対策での学校閉鎖と同じく、ほとんど何の準備もしないまま安倍さんの個人的希望だけで進めようとする政策が、いかに杜撰かが見えてきます。「俺は決めた。あとは、官僚が帳尻を合わせろ!」というのが彼の真骨頂のようです。もちろん、拙速は拙速であり、やる前からこうした混乱になるのは、安倍さん以外はわかっていたことでしょう。実際、フィリピンなどでは「日本側の数字ありきの立ち上げ方が拙速だった」との声が聞かれます。数字ありきというのは、安倍さんが「経済界のニーズに応えるには、年間4万人くらいは必要」と口にしただけのことであり、それを成り立たせるための試験制度などは、当たり前ですが安倍さんは考えたこともないでしょう。もし誰かが言ったら「え?私が決めれば自動的に4万人来るんじゃないの?」と思っている程度の知能であることは最近の言動を見ても、国会の質疑を見ても十分に裏付けされています。とはいえ、現場での労働力が不足しているのは事実ですから、ゆっくりではあっても今後は増えていくことが期待されるでしょう。が、残念ながら、実際にはしばらくは加速されそうにもないと思います。理由は二つ。1つはこの新型コロナウィルス騒ぎです。多くの国々からすれば、現在汚染度が高いと思われている国は「日中韓」の東アジア3か国です。東日本大震災の時、沖縄にいる子供に対しても「日本は津波で沈没しそうだ。早く帰ってこい!」と泣きながら母国に呼び戻した人がいるくらいですから、日本の情報が正しく伝わっているとは思えません。このウィルスが落ち着かない限り、日本への希望者は間違いなく減るでしょう。もう1つは、経済環境です。今回のウィルス騒動では、自動車関連をはじめとする工場の稼働が大幅に減っています。観光関連も生き残れるかどうかという地域もあるでしょう。昨年の今頃に、人手不足で悲鳴を上げていた業界が、今も同じように労働力を求めているかといえば、それはないでしょう。オリンピックも予断を許さない状況ですし。多くの工場の状況(稼働ストップあるいは稼働率低下)、旅館・ホテルの低稼働、インバウンド関連の施設での低稼働などを勘案すると、ほぼ変わりなく人手不足が明確なのは介護くらいではないでしょうか?そこは恐らくモンゴル人的には得意分野ではないような気がしています。となると、海外での試験制度などが今年中にようやく整備されたとしても、そもそものニーズが減っている現在、急速に「特定技能」在留資格者が増えるとは思えません。明るいニュースもあります。あくまでもまだ「提案」の段階ですが。対象は外国人理容師です。以前、本ブログで「日本の専門学校に通い、日本の理容師の国会視覚を取得したにもかかわらず、日本では働くことができない」という制度の欠陥を指摘しましたが、東京都が「特区」として、それを可能にしたいと「提案」している、とのニュースがありました。これは架空の話ではなく、実際にモンゴル人で日本の美容師・理容師の国家資格を持っているのに日本では働けないという状況を私も知っています。ちなみに理容師は床屋さん、美容師はヘアサロンなどの美容室で働く人です。微妙に資格が異なるのです。ただ、記事をよく読むと、「東京都は2018年にも外国人美容師の規制緩和を提案した」とあります。2018年に提案したとしか書かれていないということは、提案はされたけどまだ実現していないと言ことなんでしょう。そう思うと、もしかしてまだまだ時間がかかるかもしれませんね。美容師、理容師の次は調理師の国家資格者に対するビザ緩和も期待したいです。
2020.03.03
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一昨日の本ブログで、モンゴルと日本の航空機停止についてのお知らせをしましたが、やはり正式に決まったとのことです。以下、在モンゴル日本大使館からの情報です。「2月26日(水・祝),国家非常事態特別委員会が開催され,モンゴル政府は日本からの渡航者に対する入国制限措置を以下のとおりを決定しました。 今後も感染症対策に伴う措置が変更・強化される可能性がありますので,在留邦人及び邦人短期渡航者の皆様におかれましては,報道等により関連情報の収集に心がけていただきますよう,よろしくお願いいたします。 【期間】 2月28日(金)から当面の間(=いつまでかはわかりません)【内容】●過去14日以内に,韓国,日本,イタリアに滞在歴のある外国人及び無国籍者は,モンゴルへの入国が禁止され,査証申請・発給が停止となる。●韓国・日本・イタリアへの通過(トランジット)歴のみを有する外国人及び無国籍者については,モンゴルへの入国を許可される(注)。」とのことです。更に以下の情報もあります。「【現在行われている国境管理措置(まとめ)】●2月14日(金)から3月29日(日)までの間,中国との国境ポイント(空・陸路)からの出入国禁止(モンゴル人,外国人を問わず)●2月22日(土)から3月29日(日)までの間,過去14日以内に,中国(香港,マカオを含む。)及び台湾に滞在・通過歴のある外国人・無国籍者の入国禁止及び査証申請・発給の停止●2月28日(金)から当面の間,過去14日以内に,韓国,日本,イタリアに滞在歴のある外国人・無国籍者の入国禁止及び査証申請・発給の停止(トランジットのみの場合は,入国が許可される。)」とのことです。韓国との制限も延長されました。「なお下記日本からの入国制限とは別に2月26日(水・祝),モンゴル政府は期限を3月2日までとしていた韓国定期往復便の一時欠航措置の期間延長を決定したとのことです。 【期間】 2月25日(火・祝)から3月11日(水)まで 【対象】 チンギスハーン国際空港に離発着している,MIATモンゴル航空,大韓航空,アシアナ航空の全ての韓国(仁川,釜山)定期往復便」韓国へ行っていたモンゴル人が感染したということはお伝えしましたが、亡くなられていたようです。「直近では繰り返し韓国訪問歴のあるモンゴル人が一昨日韓国訪問時に韓国で死亡。COVID19に感染していたという事です。同行していた家族は全員陰性だったとの事。」「又、現在韓国からは直接入国できない事より、韓国からモスクワ経由でモンゴルに入国しようとした韓国人を入国時即隔離をしたとの情報もあります。上記正式発表以外に、現地モンゴル人の話によると国家非常事態特別委員会でのDiscussionがTV放映されたらしいですが、上記の入国制限にも関わらず入国した場合は、その場で即隔離所送り&費用をすべて個人負担させることも決定しているようです。」「さらにUBとそれ以外の都市間交通を3月2日まで延長して遮断。石炭及び石油の輸出再開を3月15日まで延期。UB市内のバスの運行を3月2日まで停止も決定したようです。」というわけで、準鎖国状態のようです。唯一の航空便のモスクワルートは空いているそうです。当面、ここ1~2か月は日本とモンゴルの交流はほぼなくなると考えた方がよさそうです。
2020.02.27
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ついにというか、滔々とと言うべきか、モンゴル政府はモンゴルと日本との間の運行停止を検討しており、近々決定がなされるとの情報が飛び込んできました。具体的には、ウランバートルと成田の間のMIATが運航停止になるということです。中国とはすでに運航停止になっていますし、韓国も今のところは3月2日まで運航停止です。これに倣うと、とりあえずは3月2日まで停止となると思います。2月12日に韓国に行ったモンゴル人の新型ウィルス感染を受け、入国者のみならず、出国の制限をしないともっと広がると懸念したのでしょう。運航停止は、今のモンゴルの状況(隣が中国、人口少ない、人口希薄で医療施設が十分でない)を考えると、十分に理解できます。が、こうした措置で一番難しいのは「再開をいつにするか?」です。一番いいのは、「ウィルス騒動が収まったら」ですが、そんな簡単には収まりそうにありません。陸も空も閉鎖してしまったら、モンゴルは本当に陸の孤島になってしまいます。ヨーロッパ・ロシア線がかろうじて残るということでしょう。3月2日以降解除されないと、モンゴルとしても国の運営に大きな影響がでてしまいます。ですが、そんなことよりも、モンゴル民族を残すことの方が大切だとは思いますが。心配は尽きません。未来永劫、記憶に残るツァガンサルになりそうです。
2020.02.25
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本日、本ブログへの累計アクセス数が200万を超えました。最初の100万アクセスは2016年12月でしたので、2008年8月の開始から100か月かかりました。次の100万アクセスにはその3分の1近い38か月で到達しました。前半8年間の1日平均のアクセス数は330で、後半3年ちょっとの間の1日平均アクセス数は877ということになります。これもご愛読していただける皆様のおかげと感謝しております。私のモンゴルとの関係は、本ブログ開始以降で申し上げると、大きく3つの時期に分かれるような気がします。第1期は当然のことながら、モンゴルで生活していた当初の2年2か月です。この時期は、毎日が驚きの連続で、日本に向かって伝えたいことが山のようにあり、ネタに困ることはありませんでした。読者の方々も、私の知人友人も含め、モンゴルでの驚きの生活ぶりを、まるで漫画を読むように楽しんでおられたのではないかと思います。第2期は2010年11月の帰国後から、2017年くらいまででしょうか。この時期はモンゴルを離れたとはいえ、コンサルティングの仕事などでかなり頻繁にモンゴルを訪問していました。読者層も「モンゴルビジネスに関心を持つ日本企業の方」や「在日モンゴル人など、日本語がわかるモンゴル人」などへと広がっていったように思います。まさにモンゴルのビジネスの現場と日本をつなぐような内容も増えていった頃と思います。そして現在は第3期と言えるでしょう。今も定期的にモンゴルへは行きますが、以前ほどの頻度ではありません。むしろ、モンゴルから日本にやってくるモンゴル人と日本で会う機会の方が増えたと言えるほどです。モンゴルと最初に縁を持った2002年当時(なんと18年前!)ではまず考えられなかった、モンゴル人ビジネスパーソンの海外出張が大いに増えているということもあると思います。私の関心も、モンゴルの歴史、民族、更には、もっと広域にわたる遊牧民文化という方向にかなり広がってきていると言えます。日本では毎日モンゴルのニュースが流れているわけではありませんが、これからも日本とモンゴルをつなげることができるようなブログを書いていきたいと思いますので、ご愛読のほどよろしくお願いします。
2020.02.13
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留学生ビザの厳格化の対象範囲を広げるというニュースが出ていました。そもそもビザの発行基準というか、難易度が国によって違うであろうことは容易に想像はついていました。アメリカからとモンゴルからはおのずと違うであろうと。ですが、そこに明確な基準があることまではわかっていませんでした。今までは問題がある国だけを厳格にしていたが、今後はその厳格審査の対象国を10倍に増やすというのです。モンゴル人はまた一層面倒な手続きが必要になるのかなと思って読んでいったら・・・そのニュースには今までの7つの「問題国」が載っていました。いわば「ワースト7」です。中国、ベトナム、バングラディシュ、ネパール、ミヤンマー、スリランカそしてなんとモンゴルも堂々の「ワースト7」国に入っています。なるほど、そういうことだったのか。安倍さんが留学生を増やそうとか訪日観光客を増やそうと表向き言っている割には、モンゴルからの留学生へのビザ取得手続きは面倒でなかなか難しかったのには、この「ワースト7」入りが影響していたということなんでしょう。在モンゴル日本大使館でも「モンゴルの在留ビザは、法務省にとっての要注意国リストになるので難しいんですよ。」と聞いたことと符合します。技能実習生ビザ問題や特定技能ビザが話題になると出てくる似たような国としては、この7か国以外にはインドネシア、フィリピン、カンボジアなどがあります。当然これらの国々も今後はモンゴル並みに審査が厳しくなるということです。このワースト7とそれ以外のアジアの6か国、合計13か国の状況を見ていたいと思います。そして何ゆえにモンゴルがそんなに低い評価しかされないのかを探ってみます。まずは一人当たりGDPを見てみます。データはネット上にあった2018年データから拾いました。ワースト7中国 世界70位 9580ドル 2019年には1万ドルを超えたと報告されていますので、今回の7か国の中では1位と言えるでしょう。スリランカ 世界113位 4099ドル 小さな島国に見えますが、人口は22百万人とモンゴルの7倍近い。モンゴル 世界115位 4017ドル 一時的に4000ドルを割りましたが、再び戻り、ランキングも2017年より6ランクアップしました。ベトナム 世界137位 2551ドル 最近では最も留学生が多い国で、実際に問題行動も多いとの報道が多い国。バングラディシュ世界147位1749ドル 以前聞いた話では、日本で行方不明になる比率がモンゴルに次いで2番目に多い国とのこと。ミヤンマー 世界160位 1299ドル 難民認定の人たちも含め、飲食店ではよく見かけます。ネパール 世界164位 1033ドル 最近見るインド料理屋さんにいる南アジア風の顔立ちの人は、ネパール人が多いらしい。上記に指定されてなかったアジア主要国(一人当たりGDPが中国以下の国)タイ 世界82位 7448ドルインドネシア世界118位 3870ドルフィリピン 世界131位 3104ドルインド 世界142位 2037ドルカンボジア 世界153位 1504ドルパキスタン 世界150位 1565ドルこう見てみると、経済的な理由(一人当たりGDP)では、モンゴルのポジションはそんなに悪くはありません。何よりも問題なのは、モンゴルよりも低いインドネシア以下5か国が厳格審査対象である「ワースト7」に入ってなかったということです。国にとってのビザ基準の認定は、簡単に言えば「お金」と「お行儀」です。一例が中国です。中国はお金、つまり一人当たりGDP水準で言えばトルコやメキシコ、ブルガリアなどと同じレベルです。でも、「悪さをする人数」が間違いなく絶対的に多いので、このワースト7からは外されないということなのでしょう。ベトナムもそうです。ベトナムの隣国フィリピンやカンボジアが、お金に関しては大差ないのに、「悪さをする確率」がこれらの国よりも高いというデータに基づいているのだと思います。モンゴルは?モンゴルの場合は明らかに「お金」ではないでしょう。インドネシア以下、一人当たりGDPがモンゴルの半分以下のカンボジアやパキスタンさえもワースト7に入っていないのですから、これはもう「行儀が悪い」比率が高いこと以外には理由はありません。事実、私が日本大使館で聞いた話は「日本入国後に行方不明になる人の確率は、第2位のバングラディシュの10倍以上で、ぶっちぎり「世界ワースト1位!」だ」ということですから。モンゴル人はよく「どうしてモンゴル人は自由に日本に行けないのか?」「モンゴルは貧しいから来てほしくないのか?」などを聞きますが、これを見ると「経済力の問題」というよりは、今までにやってきたモンゴル人たちの「行動」が抜群に「悪かった」結果だということです。尚、多くの日本人は「留学生」というと「大学、大学院留学」を思いがちですが、2018年の在日留学生訳30万人のうち、日本語学校が30%、日本語学校後に進学しやすい専門学校が23%とこの2つで過半になります。今回の留学生審査の厳格化の最大の原因は、昨年の大きな出来事によるものです。私も2019年3月15日付け本ブログに書いた「東京福祉大学、消えた留学生」(https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201903150000/)のことです。この事件で、入管や文部科学省がマスコミに叩かれ、結果としてアジアに対して留学生の門戸を狭める結果になったのです。昨年のブログにも書きましたが、実はこの事件、被害者らしい被害者はいないのです。叩いたマスコミは気持ちがいいでしょうが、それによって何かが良くなった、ということは全くないと思います。居酒屋働くベトナム人青年が週に28時間じゃなくて40時間働いていたとしても、誰に迷惑をかけるのか?という話です。
2020.02.09
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本ブログではマヌルネコの記事が意外と人気で、ページビューも多いようです。2018年11月22日付け「マヌルネコを知っていますか?」(https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201811210000/)2019年12月20日付け「国内最高齢のマヌルネコ死亡」(https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201912200000/)以前から本物のマヌルネコを見てみたいと思っていました。今までで一番迫力あった映像は、NHKの番組での真冬の草原におけるマヌルネコでした。時期で言えば、今月来月あたりでしょう。ですが、そもそもモンゴル人のほとんどさえも見たことがない珍獣です。こんな時期にマイナス30度や40度の草原なんて行けるはずありません。ですが冬ではないといけない事情もあります。マヌルネコは夏に痩せていますが、冬に脂肪たっぷりと太れることで、この厳しい草原を生き抜いてきたのです。なので、夏に見たのでは「なんか普通っぽい猫だな」で終わってしまいそうです。モンゴルでいつでも見られる場所があるわけではありませんから、見たいときに見られるとすればそれは日本国内しかありません。ということで、冬の那須に行ってきました。暖冬のせいか那須の冬と言っても全然寒くなく、もちろん雪もありません。冬季営業時間がかなり限られているので、事前にマヌルネコを見られるかどうかを確認してから行きました。行かれる方は、冬季営業はかなり制限がありますから、事前に確認された方がいいと思います。で、行ってみました。これがオス親です。最初は寝てるだけでしたが、こちらが近寄ると、サービス精神のためか窓際まで来てくれました。モンゴルの真冬ほどは脂肪はないようですが、ちゃんと冬の体形をしてました。他方メスはほとんど同じ場所から動きませんでした。ほとんど顔も伏せてましたが、これはほんの少しだけ顔を上げた瞬間です。メスの方は人間なんて全く気にもせず、ただただマイペースでした。訪問の一番の目的はまだ1歳にもならない赤ちゃんマヌルネコを見ることですが、ここにはお父さん、お母さんのみで子供たちはいませんでした。他の部屋にいました。やはり親ネコよりは身体は小さいです。これは二匹の赤ちゃんのうち、どちらでしょうか?メスの赤ちゃん、アズちゃんです。アズはモンゴル語で幸せを意味しますから、日本語で言えば「幸ちゃん」でしょうか?モンゴル語で命名してくれたのはすごいですね。子ネコと言えども、しっかり太っています。注意書きによると、赤ちゃん2匹の同時展示はないとのことです。で、1時間後に入れ替わって今度はオスの赤ちゃんが登場しました。こちらも堂々とした赤ちゃんです。名前は・・・オスのエル君です。エルはモンゴルの語で健康を意味するエルールから取った名前なので、日本風に言えば「健くん」でしょうか。家ネコとは違い、肉食系ですから、時々野生っぽい雰囲気も出ています。解説などを読むと、現在に生きるネコの仲間では最も古くから存在している種類だそうです。今後も大切に保護されていくといいですね。せっかく那須に来たので、マヌルネコのいる動物園からほど近い場所にある、アルパカ牧場にも行ってみました。アルパカが260頭もいるそうで、確かに柵の中にたくさんいました。初めて本物のアルパカを見ました。とても人懐こくてかわいいです。私の姿を見つけると、すぐに寄ってきます。毛の色は大まかに分けて、茶色系と白系がいるようです。第一印象は「ラクダそっくりの顔とヤギのような人懐こさ」って感じでした。これはクラレのコマーシャルにも出ているアルパカで、確かに見た目で他のアルパカとは違ってました。まあ、人間と同じく、イケメン俳優というところでしょうか?毛は確かにしっとりと柔らかく、カシミヤのライバルになりそうな感触でした。いつかモンゴルでも育てられる日が来るような気もしました。南米からモンゴルに連れて行くのは相当大変でしょうけど。
2020.01.30
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