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備忘録その19. Weingut Vols 次のフォルス醸造所は、ペーター・ラウアー醸造所と同じアイル村にあり、歩いても5分くらいの距離だった。以前はアルテンホーフェン醸造所といい、2010年にトリーアのビショフリッヒェ・ヴァインギューターの経営責任者を辞してまもないヘルムート・プルニエン氏が購入し、フォルス醸造所と改名した。 アルテンホーフェン醸造所は、2008年頃にオーナーが亡くなって廃業した醸造所だ。よくあると言っては何だが、代々続く家族経営の醸造所で、時々トリーアのワインスタンドに来ていたので顔見知りだった。ある時、ワインスタンドの中にいるオーナーがびっこを引いているのに気がついた。まだ30代だっただろうか、愛想は無かったが、誰にでも分け隔て無く接する、気楽に口のきける男だった。 「ライム病だよ」と彼は言った。細菌性感染症の一種で、脊髄にダメージを与えるので足が動かなくなる。「葡萄畑で仕事をしている時にマダニにかまれてよ。調子が悪くなったんだが風邪かと思って放っておいたのがまずかった。まぁ、気長に治していくさ」と力なく笑っていたのを思い出す。 亡くなった後しばらくして、やはりワインスタンドに来ていた甥っ子が跡を継ぐつもりだと聞いたが、醸造学校にも通うか通わないかの若さで、結局手に負えずに醸造所は売りに出た。それを購入したのがプルニエン氏だった。 2007年にプルニエン氏がビショフリッヒェ・ヴァインギューターに来る前は、ヴュルツブルクのビュルガーシュピタール醸造所の経営責任者だった。同じキリスト教関係の醸造所で、フランケン支社からモーゼル支社に異動したようなものだろうか。ビショフリッヒェ・ヴァインギューターはモーゼルでも最大規模の醸造所で、約100haの葡萄畑を所有しているのだが、そこから毎年何十種類というワイン-確か50品目はあったと思う-をリリースしていた。 「どんなワインでも、かならず欲しがる顧客はいる」というのが、様々な品種、葡萄畑、肩書き、残糖度でワインを造り分ける生産者の一般的な言い分で、とりあえずそれで経営が成り立っていると、品揃えを変えるのは難しい。まして規模の大きな醸造所では、下手に改革されては困ると考える古株の従業員が抵抗するのも、ありがちなことだ。 プルニエン氏の実家はヴィルティンゲンにある。トリーアに異動してからは、実家で両親が協同組合に収穫を納めていたヴィルティンガー・ブラウンフェルスの畑を継いで、醸造所を立ち上げた。それがフォルス醸造所だ。最初はヴィルティンゲンの実家の醸造所の収穫を、シャルツホーフベルクの麓にあるエゴン・ミュラーの裏手のビショフリッヒェ・ヴァインギューターの醸造施設で圧搾して、カンツェムのフォン・オテグラーフェン醸造所のセラーを間借りして醸造していた。Vols I、Vols IIと名付けた二種類だけだったが、桃や熟したリンゴの香る、とてもアロマティックなファインヘルブと甘口で、個人的にはもうすこし辛口にならないものかと聞いたことがある。自然に発酵が止まってある程度の甘みが残るのが、ザールの伝統的なスタイルなんだ、という答えだった。 2010年にアルテンホーフェン醸造所を購入して、葡萄畑は7haとなり、葡萄品種にヴァイスブルグンダー、シュペートブルグンダー、カベルネ・ソーヴィニヨンが加わった。アルテンホーフェンの前のオーナーは、ブルグンダー系の辛口に力を入れていて、確かシャルドネやグラウブルグンダーも得意にしていたはずだ。ステンレスタンクで醸造した真っ直ぐな辛口だった。フォルスの主力はリースリングだが、ヴァイスブルグンダーとピノ・ノワール、カベルネ・ソーヴィニヨンもラインナップに加わっている。辛口はザールらしくほっそりとして直線的で、繊細な酸味とミネラルが果実味を引き締めている。辛口よりも残糖が20g以上あるワインの方が魅力的に感じた。 試飲の後、新しく購入したショーンフェルスSchonfelsの畑に連れて行ってもらった。ペーター・ラウアーも隣に区画を所有している、ザール川沿いの急斜面の畑だ。標高約100mで下半分は断崖絶壁、上半分が葡萄畑になっている。新しくリリースしたそのワインは非常にエレガントで繊細でピュアで、試飲した中では最も良かった。 ショーンフェルスの斜面からは、遠くにオックフェンの村と背後に広がるボックシュタインの畑が見える。その奥の方の斜面の上に、整地されたばかりとおぼしき区画が見えるが、あれがファン・フォルクセンとマルクス・モリトールが蘇らせようとしている幻の銘醸畑ガイスベルクなのだろう。ザールは今も変わりつつある。 (つづく)
2021/01/31
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備忘録その18. Weingut Peter Lauer ツアー最終日。その日最初の予定は朝9時にザールのペーター・ラウアー醸造所、11時にそのすぐ近くのフォルス醸造所。午後は昨日に続いてザールのワイン祭りSaar Riesling Sommerに参加している醸造所を適当にいくつか廻るという、比較的楽なスケジュール。 朝トリーアを出てザール川に近づくと、霧が立ちこめていて視界が悪かったが、一山越えたら唐突に真っ青な空が広がった。ザール川の渓谷に沿って霧が溜まっていたものと思われ、やはり渓谷に近い葡萄畑に影響がありそうだった。 どのような形の影響になるかは、ペーター・ラウアー醸造所の当主フロリアン・ラウアーが説明してくれた。川に近い畑は辛口ワインの生産に向いていて、川から離れた畑は甘口に向いているのだという。例えば、シャルツホーフベルクはザール川から離れた位置にあり、見事な甘口を産する。川は気温の低下を防ぐ作用を、周囲の葡萄畑に及ぼすので酸が減りやすい。一方、川の影響がない場所では、気温が低下するので酸が高く留まる。つまり甘みとバランスすることで、持ち味が生きるワインになるのだという。 実際、川沿いにある彼のファス11 ショーンフェルスSchonfels GGやファス12 ザールファイルザーSaarfeilser GGは辛口で、ファインヘルブのファス6 セニオーSeniorやファス12 ウンテルステンベルクUnterstenberg、ケルンKern、ノイエンベルクNeuenbergは川から距離のある葡萄畑で、なるほど、と思った。 また、醸造所のあるアイル村で最も知られているのはクップKuppの畑で、お椀(カップ、Kupp)を伏せたような形の南向き斜面なのだけれど、フロリアンは山頂部の区画をファス15 Stirn(シュティルン、額の意)、中腹の区画をファス18 Kupp、麓の区画をファス12 Unterstenberg(山の一番下の意)として別々に収穫・醸造している。 丘の標高は約170mで斜度約70%。土壌は粘板岩なのだけれど、山頂から麓にかけての区画によって粘板岩の大きさが全然違う。山頂部ではごろごろとした礫なのだが、中腹ではやや小粒に粉砕されて、麓では細粒になって粘板岩には見えない。ワインの味も明確に違っていて、Stirnが繊細で透き通るような軽さ、Kernがストレートで緻密、Unterstenbergが緊張感に満ちつつ内側からにじみ出してくるような複雑な味わい。区画による個性を精緻に表現している。 雨がちで暖かく、収穫の急がれた2014年産は30人体制で臨み、一つの区画を3~4回選りすぐりながら収穫した上に、圧搾は房の状態に応じて全房か破砕かを使い分け、プレスもフリーランジュースと中間と終わり頃を分けて醸造したという。「そうしなければならない必要があったからやったので、やらないですめば、それに越したことはないよ」と笑っていた。 フロリアンはモンペリエで栽培醸造を学んだだけあって、フランス語も堪能だった。学位論文は確か、熟成したザール産リースリングに表現される葡萄畑の個性について、だったと思う。醸造所の所有する葡萄畑が良いこともあって、フロリアンが2005年に醸造に携わる以前から魅力的なワインを造る醸造所だったけれど、彼の代になってから年を追うごとに迫力を増している気がする。今後も注目したい。 (つづく)
2021/01/31
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備忘録その17. Saar Riesling Sommer その週末はザールのワイン祭りだった。ザール地区はエリアとしては比較的こぢんまりとしており、川沿いにまっすぐ走れば多分20分かそこらで通り抜けてしまう。そこに点在する10の醸造所が門戸を開放し、あちこちハシゴして試飲出来るイヴェントだ。 最初にファン・フォルクセン醸造所から車で5分ほどの、オックフェン村のDr.フィッシャー醸造所に向かった。ひとしきり村の中で迷ったあげく、ようやくDr. フィッシャー醸造所にたどり着いたが人の気配がない。裏庭はそのままボックシュタインの葡萄畑につながっていて、真っ青に晴れ上がった空をパラグライダーがゆっくりと旋回していた。しばらく眺めていると中から人が出てきた。フィッシャー家の跡取り兄弟の一人だという男によれば、会場は村の公民館に変更されたのだという。村長の鶴の一声で決まったとかで、あんな狭いところでやるより、ここでやった方がずっと気分が良いのに。暑ければ天幕を張ってさ、去年みたいに。と、少し残念そうに言った。 村の入り口付近で公民館を見つけ、35Euro支払って腕輪をつけてもらう。これがあれば祭りの会期中、参加醸造所を好きなだけまわることができる。幼稚園のような公民館は確かに狭く、天井もやや低く、村人が集会を開くには十分な広さかもしれないが、Dr.フィッシャーの他にも著名醸造所が3軒出展していることもあって大勢の人がいて、しかも空調は無く、全開にした窓から吹き抜ける乾いた風が救いだった。 個人的に注目していたDr. フィッシャーは、2013年産からモーゼルのザンクト・ウルバンスホーフと南ティロルのJ. ホーフシュテッター醸造所のオーナー達が資本参加して、共同経営という形で新たなスタートを切っている。色々と設備投資を行ったそうで、春にマインツで開催されたVDPの新酒試飲会では好印象を受けたのだが、今回はそれを裏付けるまでには至らなかった。Dr.フィッシャーだけでなく、その会場にあった他のワインも心を浮き立たせるまでに至らなかったのは、会場が暑すぎたのか、ワインが暑さにさらされてから急冷されたせいなのか、あるいは朝からずっと試飲を続けて、感覚が鈍っていたからなのかもしれなかった。 オックフェン村の公民館の次は、シャルツホーフベルクのビショフリッヒェ・ヴァインギューターに移動した。ここはエゴン・ミュラーの館の裏手にある醸造施設で、もともと修道院だった地所が、ナポレオンによる教会財産の世俗化政策で競売にかけられ、それを落札したのがエゴン・ミュラーの祖先だった。その後、競売は無効とする訴えを大司教側が起こした結果、館の前半分はミュラー家に、後ろ半分は大司教の所有となったと聞いている。 照りつける午後の日差しを逃れ、タイル張りの建物の中に入るとやはり涼しかった。そこにゲストとして出展していた3醸造所の一つがヴァインホーフ・ヘレンベルクで、ご主人のマンフレッド・ロッホ氏と会うことが、今回の旅の一つの目的でもあった。 1992年に副業として醸造所を設立したマンフレッドのワインに出会ったのは、トリーアの、今はもうないワインバーだった。凝縮した果実味と明瞭なオレンジのヒントという記憶からすると、1999年産だったかもしれない。一杯飲んでとてもおいしかったので、醸造所に電話して、訪問していいかどうか聞いた。電話に出たのは奥さんのクラウディアさんで、そうなの、そんなに気に入ったのなら来ても良いわよ、と言ってくれたのを覚えている。 醸造所はショーデン村にある普通の一軒家だった。どこにも醸造所と書いて無くて、周囲にそれらしい建物もなく、Lochという表札があったので呼び鈴を押した。中から出てきたのは快活な、どこかしら喜劇俳優を思わせる-ドイツの子供向け番組で、なんでも自作してしまう眼鏡の叔父さんがいるが、彼に少し似ていた-男で、それがマンフレッドだった。 あの時、我々はごく普通の家の居間で、ワインを飲みながら話をした。ワインバーで飲んだ以外のワインも、それまでに飲んだどんなモーゼルやザールのリースリングよりも濃厚で味わい深く、ミュラー・トゥルガウまでもが信じられないほどパワフルだった。 我々が居間で話している間、隣の部屋では明かりを消してテレビを見ている家族がいた。ロッホ氏の母と男の子達で、番組は"Wetten, das...?"という人気番組だったと思う。普通の家庭に土足で上がり込んでしまったような、申し訳ない気持ちがした。 あの時、薄暗い今でテレビを見ていた男の子が、目の前のマンフレッドの隣にいる青年だと知ったときは驚いた。まさかこれほど立派になっていようとは! 考えてみればあれから10年以上経っている。小学生くらいだった子供も、10年あれば立派な大人になるのだ。醸造所を継ぐつもりで、確か今年からだったか、醸造学校に通うそうだ。なんてこった! 時の経過のなんと早いことか。その間に流れた歳月を思ったとき、なんともいえない感情が胸の底から一気にこみあげてきて、あやうく慟哭しそうになった。昨年4月に3年ぶりにモーゼルを訪れた時、トロッセンの後ろをついてマドンナの畑の小道を上っている時も、声を上げて泣きそうになるのを抑えるのに苦労した。 こういう時、何故泣きたくなるのだろう。長い間会いたかった者に再会したときに味わう感情なのだろうか。切ないような、うれしいような、そして突き上げるような激しい情動で、試飲に訪れた大勢の人々の手前、それをなんとか押さえ込むことに成功してほっとした。そしておもむろに試飲を続け、写真を撮った。彼らに会えてよかった。 (つづく)
2021/01/30
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備忘録その17. Weingut van Volxem ファルケンシュタイナーホーフを後にした我々は、ファン・フォルクセン醸造所に向かった。毎年8月最後の週末に新酒試飲会が開催されており、訪問予約をとろうとしたところ、ちょうどその週末だから時間は決めずに気楽に来てほしい、とのことだった。 試飲会は相変わらず大勢の人であふれていて、その混雑ぶりは全く変わっていない。人混みをぬうようにして挨拶してまわるオーナーのローマン・ニエヴォドニツァンスキー氏や醸造責任者のドミニク・フェルク氏、ゲストで出展しているルクセンブルクのアビ・デュール氏、それに醸造所の従業員達にも何人か見覚えのある人がいて、なつかしかった。 この新酒試飲会には2001年、つまりローマンがゲルノート・コルマン氏と一緒に醸造所を立ち上げた最初のワインの時から来ている。まだ学生だった今の奥さんも会場でローマンに寄り添っていて、あの時は参加者のためにスープを作ったのだけれど、何かの事情で出すのをやめたい、と言っていた気がする。初々しい二人だった。 2004年の新酒試飲会にはフェルク氏が初めてテーブルの後ろに立ってサーブしていて、研修生からフェルク氏がいかに仕事熱心かを聞かされた。試飲会がとても混雑するようになったのはその年あたりだったか。手酌は出来なくなって、グラスに注がれる量も、舌の上で転がすことがかろうじてできるくらいに減った。その翌年くらいからは招待状が必要になり、入手も年を追うごとに難しくなって行ったが、私は毎年どうにかこうにか、潜り込むことに成功していた。 ファン・フォルクセンの2014年産はおおむね申し分ない。ほっそりとしてエレガントで、酸に切れがあってミネラル感に富んでいる。とても上質なザールのリースリングだ。ただ、アルテ・レーベンとシャルツホーフベルガーは若干表情に乏しい気がしたが、おそらく瓶詰めして間もない為だろう。2009リースリング・ゼクト・ブリュットは芳醇で鮮烈。これほどインパクトのあるゼクトは他にない。 この試飲会だけを見れば、醸造所は何も変わっていないように見える。しかし醸造所全体では、醸造施設をザール川の対岸にある丘の上に新築し、オックフェン村のガイスベルク14haをマルクス・モリトールと一緒に開墾している。ガイスベルクは1900年頃に競売会で高値をつけていたグラン・クリュだが、いつしか忘れられ、うちすてられていた幻の銘醸畑だ。その畑の古酒を内輪で集まって試飲して、そのポテンシャルに感動し、50人あまりもいた地権者を一人一人説得して購入したという。2016年春に苗木を植えるそうだから、リリースはまだ先のことだ。早くて2019年だろうか。(2021年1月現在未リリース) ファン・フォルクセンを一通り試飲した後、我々は一度ザールのワイン祭りに参加している他の醸造所を訪れ、その後夕方に再び戻ってきた。人々はあらかた立ち去り、アビ・デュール氏のシャトー・パークを落ち着いて試飲することが出来た。リースリングやピノ・グリ、ミュラー・トゥルガウといったドイツワインでもなじみのある品種を使っているが、スタイル的には明らかにフランス的な趣がある。モーゼル川上流のグレーヴェンマッハー村にあるのだが、職人的な手作り感のあるワインで、濃厚でしっとりとして、複雑で落ち着いている。 すっかり満足して会場を去ろうとしたとき、ちょうど従業員一同で記念撮影をしているところだった。みんなの笑顔がすばらしい。私も一枚撮らせてもらった。出来ることなら、来年もまた訪れたいものだ。 (つづく)
2021/01/30
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備忘録その16. Hofgut Falkenstein トリーアに着いた翌朝は、9時からザールのホーフグート・ファルケンシュタイン醸造所のアポがあった。その日は土曜日で、翌日曜から醸造責任者のヨハネス・ヴェーバーは、ニューヨークにワインのプレゼンテーションに行くのだという。小さな醸造所ながら国際的だ。 醸造所はザール川から離れたトリーア寄りの、コンツァー・テールヒェンのなだらかな斜面に囲まれた谷にある。前日訪れたマーリング・ノヴィアントのように、昔はザール川がこの谷間を流れていたのだろう。ホーフグート・ファルケンシュタインは、葡萄畑の斜面の中腹にぽつんと孤立して建っている1928年に建築された農場で、もともとトリーアにあるフリードリヒ・ヴィルヘルム・ギムナジウムがワインを醸造していた。しかし醸造がトリーアに移転してからは、ファルケンシュタイナー・ホーフは長い間使われてこなかったという。 ヨハネスの父エーリッヒが醸造所を購入したのは1985年、まさにあの不凍液混入事件の年だ。ここから車で5分ばかりの、モーゼル川とザール川が合流する町コンツに住んでいたエーリッヒは、農場で働いていた叔母を手伝ううちにワイン造りに魅せられて、ついには醸造家になってしまった。醸造所を引き受けたときの葡萄畑面積は0.3haと猫の額ほど広さだったが、建物も丹念にリストアして、現在はモーゼルの醸造所としては中規模の約8haまで広げている。 リースリング80%、ヴァイスブルグンダーとシュペートブルグンダーをそれぞれ10%ずつ栽培しているが、大部分が樹齢40~50年で、中には60~80年の古木もあり、約40%が自根。栽培はビオではない。除草剤も合成肥料も使わないが、銅を含むボルドー液を嫌ってあえて農薬を一種類だけ、ベト病対策に使っている。 葡萄畑の土壌は灰色と青色スレートに、ザール周辺で時折みられる火山性のディアバスDiavasと呼ばれる緑色がかった石や、赤味を帯びた砂岩も混じっている。畑をほんの10mほど移動すると、土壌の組成がかなり違っていて、それぞれ適した品種を栽培しているそうだ。 セラーは斜面の中腹に堀込まれるように造られており、昔は樽ごとワインを販売して、転がしながら道路脇まで持っていってクレーンで吊して荷馬車の荷台に積んだという、その名残が今も残っていた。何十年も修理しながら使い続けた樽がならぶセラーの上に圧搾所があり、2012年産までは伝統的な垂直式のバスケットプレスで圧搾していたが、2013年産からはスロヴェニア製のガス圧式圧搾機を使っている。セラーに空調はないが、年間気温は一定している。発酵は野生酵母で行い、出来るだけ手をかけずに醸造し、仕上がったワインはアサンブラージュせずに樽ごとに瓶詰めしている。 ここのワインはとてもクリーンで軽く繊細で、酸とミネラルのキレがある。醸造前に1度亜硫酸で樽を消毒し、瓶詰め前にもう一度加える。真っ直ぐで無駄のないピュアな味わいで、畑の個性も良く出ている。冷涼な気候なので果汁のpH値が高く、放っておいても乳酸発酵は起こらないそうだ。 ここのワインはやや甘味が残っていたほうが、酸味とのバランスが生きてくる。2014年産のニーダーメニガー・ヘレンベルクのリースリング・シュペートレーゼ・ファインヘルプには、樽番号2と樽番号3の二種類あって、樽番号3は熟した柑橘が華やかな香味がたっぷり、ゆったりと口中に広がり、樽番号2はしなやかで軽く繊細で、スレートの香りが余韻に残り上品だった。それぞれの個性がはっきり表現されている。シュペートブルグンダーは2013は売り切れで、2014を樽試飲した。赤いベリーに香草の混じる繊細で軽やかな味わいで、いかにもドイツの赤、昔ながらのドイツの赤の良いところ-ピュアでフルーティな味わい-が好ましい。ビュルテンベルクの赤にも少し似ている。 この醸造所のある建物は、実は2014年の12月に火災で深刻な損傷を受けた。中央部分の二階にはトリーア大学で中世史を教えていて退職した教授の図書室があったが、そこから恐らく漏電で出火し、蔵書は灰燼に帰してしまった。それからどうなっていたかずっと気になっていた-フランツ・イルジーグラー教授は中世のワインに関しては第一人者だから-のだが、建物は再建が始まり、教授は時々庭仕事をしているのを見かけると聞いて、少しほっとした。 (つづく)
2021/01/29
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備忘録その15. Weingut A. J. Adam A. J. アダム醸造所はドーロン川のほとりにある。去年の秋に訪れた時は工事中だった、祖父が経営していた醸造所の改装が終わり、試飲室も出来上がっていた。場所は脇道の奥にあって少々わかりにくい。脇道に入るところに醸造所名を記した小さい看板があるので、それを見落とさないようにしたい。 数軒の民家に囲まれた中庭のような場所が駐車場で、醸造所の脇は前夜の雨で増水したドーロン川が滔々と流れていた。川といっても、幅5mほどの小川だ。やがてモーゼルに流れ込むこの川に沿って、ドーロナー・ホーフベルクの葡萄畑が広がっている。 試飲室の内装は大方完成していて、西と北向きの窓から澄んだ光が差し込み、ベージュ色の壁に反射して部屋全体が落ち着いた明るさに満ちていた。ワイン用の冷蔵庫は、後から室内の調度にあわせた板を扉につけるため、フレームが剥き出しになっていた。木目の温かな、大きなテーブルが室内の大半を占め、青い染料で絵付けされた18世紀風のタイルが、落ち着いた雰囲気を醸し出している。 以前ブログ(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/diary/201003030000/)にも書いたが、当主のアンドレアスは2000年にガイゼンハイム大学に通いながら、廃業して20年近く経った祖父の醸造所を再興し、頭角を現してきた。今年36歳になる(2015年)。我々が訪問したとき、丁度子供が生まれそうなので奥さんの病院に付き添っていると、数年前から兄と一緒に醸造所を切り盛りしている、妹さんのバーバラ・アダムさんが言っていた。 ワインは相変わらず見事なものだった。一つ一つの個性が明瞭で味わい深く、絶妙な甘味が、辛口からファインヘルブのリースリングに深みを与えている。3.8haの葡萄畑には耕地整理を免れた樹齢60~80年の古木が多いことも、この醸造所のワインの個性を形作っている。伝統的な棒仕立てで、フーダー樽とステンレスタンクを使い分け、野生酵母で発酵する。 モーゼルの支流ドーロン川沿いの斜面は、奥に行くほどフンスリュックの高原に近づいて気温が下がるため、温暖化の影響で葡萄が熟し易くなった昨今、かつてはデメリットだった冷涼な気候条件がポジティヴな要素になっている。また、土壌も灰色や青色のスレートに鉄分が混じっていたり、結晶片岩Glimmerschieferと呼ばれる、地下深部の高圧で変性した片岩や珪岩が混じっていたりする。葡萄畑のポテンシャルは高い。 ドーロン村の他にピースポート村にも畑を持っており、(2016年までは)ユリアン・ハールトと共同で会社を設立して「アダム&ハールト」の名前でもワインを造っていたが、エティケットの意匠がA. J. アダムと同じなので見分けがつきにくい。しかし醸造はアダムが行い、品質も同レヴェルで葡萄畑の個性の違いも納得出来る。 また、VDPに倣ってグーツヴァイン(エステートワイン)、オルツヴァイン(村名)、ラーゲンヴァイン(畑名)のヒエラルキーを採用している(2020年にVDP加盟)。この醸造所ではラーゲンヴァインはVDP.グローセス・ゲヴェクスと同格の扱いなのだが、VDPのメンバーではないので裏ラベルにどこか遠慮がちに「GG」と記載し、表ラベルの畑名を金文字にしていた。しかし現在これはやめて、ラーゲンヴァインも他と同じ黒い文字にしてしまったので、どれがどのカテゴリーに入るのかとてもわかりにくい。一体、日本で「ドーロナーDhroner」が村名で、「ホーフベルガーHofberger」が畑名だなんてわかる人が、どれだけいるだろうか。 このわかりにくさは、できるだけエティケットの意匠をシンプルに、わかりやすくしようという意図もある。A. J. アダムの表エティケットには醸造所名、生産年と地理的表示の三項目しかなく、とてもシンプルだ。反面、地名を知らなければ品質等級の区別が付けにくい。それでもいい、というのはある意味醸造家の自信の表れかもしれない。「私の顧客はそういうことは承知している」と、トロッケンやハルプトロッケンのエティケット表記を避けて、キャップシールの色で区別させたりしているところは、大抵そう言う。 とはいえ、A. J. アダムのリースリングは素晴らしい。VDPにいつ加盟してもおかしくない。品質的にはザールのペーター・ラウアーといい勝負ではないかと思う。ラウアーの方がやや上手かもしれないが。ピュアで精緻で気品があり、ミネラリティに富んでいる。モーゼルの辛口系リースリングとして申し分ないと思うし、甘口ももちろん見事だが、カビネット、シュペートレーゼではそれほど抜きん出ている訳でもない気がする。ただ、アウスレーゼ以上の貴腐になると、葡萄畑のポテンシャルと丹念な手仕事が俄然ものを言う。昨年秋に試飲したベーレンアウスレーゼの味は未だに記憶に残っている。 帰り際、セラーの一角にしつらえられた棚の上に、小型のおもちゃのような木製のバスケットプレスがあった。バーバラさんによれば、祖父が兄に子供の頃プレゼントしたものだという。どうやらアンドレアスは、小さい頃から祖父に目をかけられていたようだ。そして祖父には、やがて醸造所を継ぐのは孫かもしれないという思いがあったのかもしれない。 5時頃に試飲を終えて、その日はもう予定がなかったのでアダムの葡萄畑に立ち寄ろうということになった。ホーフベルクの畑まではものの3分もかからない。斜面の途中で車を降りて、そこがアダムの所有する区画かどうかは分からなかったが葡萄畑で写真をとっていると、背後から英語で怒鳴り声が聞こえた。「おーい、そこは俺の所有地だ。おまえら人の畑に勝手に入って何やってんだ!」振り向くと、麓の村の一軒家の二階にあるテラスから、2, 3人の男達がこちらを見て、中の一人が叫んでいた。「すいません、写真とってます。いい畑ですね!」と言うと、また同じ事を繰り返した。「勝手に入るな!」と。 ドイツに13年住んで、葡萄畑には何度も入って写真をとっているが、怒られたのはたぶんこれが初めてのことだったので、いささかこたえた。ワインのあるところには寛容と愛がある。そう信じていた私はナイーブだったのかもしれない。少々へこみながら畑を後にして、我々は少しばかり悲しい気持ちでトリーアへと向かった。 (つづく)
2021/01/28
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備忘録その13. Weingut Zur Römerkelter ドクター・ケラーを後にしてベルンカステルの町中に降りると、平日だが観光客で賑わっており、サンドイッチを売る店もすぐ見つかった。今回のドイツ訪問ではすでに2回昼食を食べ損ねていて、3度目の正直とばかりに、その日はホテルの朝食でサンドイッチを作って持参したのだが、そういう時に限って食べ物には事欠かないのだ。畑の説明をするハンス・ディーンハートさん。 ターニッシュ醸造所の次の目的地はマーリング・ノヴィアント村にあるツァ・レーマーケルター醸造所だ。ベルンカステルからリーザーを超えて、川から少し離れた奥まったところにある村だが、36万~8万年前はそこがモーゼル川のほとりだった。長い歳月を経て、川がその流れの位置を変えてきたのだ。太古の川沿いの斜面であるマーリングの葡萄畑は南に向かって開けているゆるやかな弧を描き、ちょうどパラボラアンテナのようなあんばいで太陽に向かっている。土壌は細かな青色スレートに黒っぽい土が多量に混じり、表土は4mの深さまで砂と礫が混じり、地下9m以下は粘板岩の岩盤である。盆地状の地形と相まって、保温性と保水性がよさそうだ。 葡萄畑には様々な野草が生い茂り、あちらこちらに昆虫ホテルが設置されていた。 ツァ・レーマーケルター醸造所を設立したハンス・ディーンハートは69歳。醸造家の家系の9代目だ。ハンスが農薬や化学合成肥料の使用をやめたのは1977年というから、ルドルフ・トロッセンやクレメンス・ブッシュが始めたころと大体一緒だ。当時の若手醸造家たちの環境問題への意識の盛り上がりがうかがえる。ハンス・ディーンハートさん(右)と奥さん。 ハンスはトロッセンやクレメンス達の勉強会には参加せず、ビオワインの生産者団体エコヴィンの認証を受けたのも1995年と比較的時間が経ってからだった。それも今からもう20年も前のことだ。2007年に息子のティモ(34歳)が跡を継いで、エコヴィンの全国組織で広報部長を務めている。 醸造所の名前はハンスがビオロジックに取り組み始めた年に、ノヴィアントの葡萄畑から発掘されたローマ時代の葡萄圧搾施設Römische Kelterにちなんでいる。それは醸造所のそばにはなく、少し離れた場所にあるが、ハンスにはとても印象的な出来事だったのだろう。息子のティモが継いでからは、"Bee"がリースリングのラインナップのモティーフになっている。ベーシックなワインは"Bee-tle"で、テントウ虫がシンボル。ミドルクラスが"Bee"シリーズで、ミツバチ。フラッグシップが"Bumble-bee"で、マルハナバチがシンボルとなっていて、ビオロジックな醸造所であることとともに、製品構成をわかりやすくアピールしている。 ワインはいずれも澄んだ果実味で軽やかで繊細で、とてもクリーンでさっぱりとした印象を受ける。肩に力が入っていない、口当たりの良さが持ち味だ。試飲室のある母屋は伝統的なつくりで、昔ながらの醸造所のアットホームな雰囲気だが、近年裏手に新設された醸造施設では、圧搾所になるホールがイヴェントにも使えるように音響設備が設置され、地下にはステンレスタンクが鈍い光を放って並んでいた。 そこまではまぁ普通の現代的な醸造所だが、一角には容量1000リットルの炻器が二基、容量200リットルのが二基鎮座している。2014年の収穫からこれでリースリングを醸造し始めたのだ。亜硫酸添加版と無添加版があって、前者の2014 Steinzeug Rieslingはすでにリリースされている。熟したベリーやアプリコット、蜂蜜を思わせる甘い香りがする、やや柔らかなボディで、これもやはりクリーンな仕上がりだった。雑味や酸化の気配がほとんどないところは拍子抜けするほどだった。亜硫酸無添加バージョンは12月にリリースが予定されている。 前回、ターニッシュ家でリースリングのオレンジワインを醸造しているのはここだけだと書いたが、実はツァ・レーマーケルターでもやっていた。ただ、前者がバリックで醸造し、後者が炻器という違いはある。ちなみに炻器ではバーデンのエンデレ・モル醸造所と、ヴァッハウのスタガートも醸造していて、彼ら3人のプロジェクトワインだ。 ビオ、ビオディナミは珍しくなくなったが、亜硫酸無添加やオレンジワインの醸造が取り組まれて、ドイツワインの新たな個性が探求されている。さすがにモーゼルではアンフォラ、卵型タンクは聞かないが、そのうち現れるかもしれないし、私が知らないだけかもしれない。 (つづく)
2021/01/27
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備忘録その12. Weingut Wwe. Dr. H. Thanisch - Erben Müller Burggräf トラーベン・トラーバッハ周辺の生産者を訪問した翌日、モーゼル川上流のトリーアに向かいながら3軒の醸造所に立ち寄ることにした。最初はベルンカステルのDr. ターニッシュ・エルベン・ミュラー・ブルクグレーフだ。 Dr. ターニッシュにはエルベン・ターニッシュとエルベン・ミュラー・ブルクグレーフとがある。前者は本家、後者は分家と言われている。19世紀に医者のヒューゴ・ターニッシュが創設し、その未亡人カタリーナが跡を継いでドクトールの畑を取得し、醸造所を繁栄に導いた。しかし1988年に遺産相続で二つの醸造所に分割され、以来近年まで犬猿の仲にあったという。ミュラー・ブルクグレーフを継いだバーバラ・リンドクヴィスト・ミュラーさんのご主人はスウェーデン人で、大手醸造会社ジンマーマンの取締役副社長をしていた。それを揶揄して「分家は、質より量が大事なのよ」と、何年も前に本家のソフィア・ターニッシュ・スピアさんがちょっと皮肉っぽく言っていたのを思い出す。でも、今は仲直りして、2010年には本家・分家・そしてやはり19世紀以来ドクトールの畑を所有するヴェゲラー醸造所と共同で、ドクトールの垂直試飲会を開いたりしている。 メルヘンチックなベルカステルの町を通り抜け、ドクトールの畑の下を通る道を少し歩くと、ドクトールの伝説を浮き彫りにした扉がある。中に入ったことはなかったのだが、予約した時に伝えられた通り奥に向かって声をかけると、中から赤いカーディガンを羽織った年配の女性が現れた。前夜に雨が降って確かに涼しかったが、カーディガンを着るほどではないと外にいる時は思ったが、1時間半ほど中で試飲していると確かに寒かった。年間を通じて8℃らしい。女性は最初、オーナーの通訳だと自己紹介したが、名刺を見るとバーバラさん本人だった。 彼女が醸造所を継いだのは2007年のことだ。先代のオーナーだった叔母が92歳で亡くなり、それまでマーケティング担当だったが醸造所を率いることになった。そして2008年に醸造責任者兼経営マネージャーとして、マキシミリアン・フェルガーを抜擢した。2008年にガイゼンハイムを卒業してからオーストリアのシュロス・ハルプトゥルンで3年間働いていてから現職につき、その年ドイツ農業連盟DLGの若手醸造家コンテストで準優勝している。 ある日、フェルガーはバーバラさんを呼び「試飲してもらいたいワインがある」と言ったそうだ。どんなワインだか知らされずに飲んだのは、ドクトールの収穫を一部使ってバリックで熟成したリースリングのオレンジワインだった。その時彼女がどう思ったかは、録音を聞き直さないとわからないが、「何事も試してみなければわからないわね」と、フェルガーの好奇心を評価したようだ。 その日ドクトールの畑の地下にあるセラーで試飲した2011ホワイト・ターニッシュの印象は、繊細で堅い感じのするボディ、やや酸化気味のベリー系の果実味が軽やかで味わい深く、凝縮感のある余韻にがっしりとしたタンニンが残った実験的なワインだった。バリックの新樽100%で18ヵ月熟成したというが、おそらくマセレーション発酵の期間はそれほど長くない。オレンジワインにしてはやや物足りないほどに澄んでいて軽やかで、そして堅かった。2013年のホワイト・ターニッシュ-一般に、白葡萄を果皮と一緒に発酵して、ノーマルな白ワインよりも濃い色合いになったワインをオレンジワインと称するが、ターニッシュ・ミュラー・ブルググレーフではあえて「ホワイト」と称している-は、2011よりもふくよかでヴォリューム感があり、白い花の香りに山桃のヒントが感じられ、しなやかで澄んでいた。マセレーション発酵の期間を長めにしたのだという。2011年産とはまるで別物だった。ちなみに、モーゼルでオレンジワインを醸造しているのは、私の知る限りではここ一軒だけだが(2015年8月現在)、もしかすると他にもいるかもしれない。 「トラディションとヴィジョンが私の醸造所のモットー」とバーバラさんは言う。伝統的なリースリングは、これまでもあったのと同じ葡萄畑が描かれたお馴染みのデザインで、未来への展望とでも訳すのだろうか、ヴィジョンを意識したワインは、スタイリッシュでシンプルな、文字だけのデザインになっている。伝統的なリースリングはモーゼルらしい、甘味と酸味とエキストラクトが一体となって造り出す上品な果実味で、ドクトールはそのバランスがよく充実感があり、ユッファー・ゾンネンウーアは繊細でほっそりとして愛らしい。一方ヴィジョンのホワイト・ターニッシュと、エステートワインのリースリング・Dr. ターニッシュの、後者はクリーンかつクリスピィで、若者をターゲットにしていることが見て取れる。 バーバラさんが醸造所を継いで、フェルガー氏が醸造責任者になってから、葡萄畑の個性の表現は正確さを増し、実験的な醸造にも取り組むようになったわけだ。新しいモーゼルの風が、この350年余りの伝統を持つ醸造所にも吹いていた。(つづく)
2021/01/26
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備忘録その12. Weingut Weiser-Künstler その日最後の訪問先のヴァイサー・キュンストラー醸造所は、フォレンヴァイダー醸造所とモーゼル川をはさんで対岸にある。車でものの5分ほどで、泊まっていたホテルからもごく近い。前日チェックインした時、エレベーターの中に地元の醸造家団体クリッツ・クライナー・リングのイヴェントのポスターが貼ってあり、そこに写っていたのはヴァイサー・キュンストラー醸造所の二人だった。葡萄畑の休憩所と思しき小屋の前で、ほほえんで立つコンスタンティン・ヴァイサーの頬に、アレクサンドラ・キュンストラーがキスしようとしているようにもみえる、なんともロマンティックな写真だった。 彼らがトラーベン・トラーバッハの町にちかい、エンキルヒャー・エラーグルーブの畑0.8haを借りて二人でワイン造りを始めたのは2005年のことだ。もともとシュヴァーベン地方出身で銀行員になるはずだったコンスタンティンが、モーゼルで醸造家となったのは、先のフォレンヴァイダーと似た状況だ。実際、ヴァイサー・キュンストラーが2007年に廃業した昔の醸造所を購入するまで、フォレンヴァイダー醸造所のセラーを間借りしてワインを造っていた。 トラーベン・トラーバッハには、彼らのように新規に起業した生産者が多い気がする。木製のバスケットプレスを愛用することで知られるマーティン・ミュレンも、1991年に起業している。我々が泊まったホテルを運営しているオラフ・シュナイダーも、2005年に0.2haの葡萄畑を譲り受けてワイン造りを始めたという。彼らはクリッツ・クライナー・リングのメンバーで、9醸造所が加盟している(2015年4月)。うち捨てられた銘醸畑を蘇らせるためのプロジェクトワイン「ベルクレットゥング」を醸造して危機的状況をアピールするとともに、そこから得た資金で葡萄畑を整備することが目的の団体だ。 モーゼルの若手の生産者達のネットワークの一端が、この町に凝縮している。コンスタンティン・ヴァイザーは、現在ゲルノート・コルマンが切り盛りしているイミッヒ・バッテリーベルクの醸造責任者だった。ゲルノートは昔Dr. ローゼンで働いていて、同じ頃にやはりローゼンで働いていたフォレンヴァイダーと知り合ったはずだ。クレメンス・ブッシュも以前はクリッツ・クライナー・リングのメンバーだったが、VDPに加盟したことで脱退を余儀なくされた。他に日本に入っているメルスハイマーもメンバーだ。 ちなみに、モーゼルにはリングと名が付く醸造所団体が三つある。一つはVDPで、グローサー・リング(大同盟)と呼ばれる。二つ目はベルンカステラー・リングで、別名クライナー・リング(小同盟)。そして三つ目がこのクリッツ・クライナー・リングであり、意味は「極小同盟」。VDPを揶揄してつけたのではないかとも言われている。ヴァイサー・キュンストラーでは今回、彼らが最初にワイン造りをはじめたエンキルヒャー・エラーグルーブの畑を見に行った。耕地整理されていない急斜面なので、トラクターも入ることは出来ず、小さな階段を昇って上までいくか、小型のモノレールで移動する。棒仕立ての葡萄樹は手作業で彼ら二人が世話している。畑は全部で3.3haで、うちエラーグルーブが1.5ha。もしもこれをビオで栽培するとしたら、夏場は毎週30kgある噴霧器を背負ってくまなく散布して歩かなければならないのだから、ビオに転換するのを躊躇するのもよくわかる(2020年には有機認証済)。除草剤と化学合成肥料は使っていない。 エラーグルーブの土壌は、青色粘板岩に珪岩が混じっている。露出している断層にも、ごつい珪岩が混じっていて、ラインガウの下流のロルヒのあたりでも、似たような地層があったのを思い出す。そしてここに育つ葡萄樹のほとんどが自根で、樹齢100年くらいという古木もある。 急な斜面を登り切った先には、ポスターにあった小屋が建っていた。簡素な、今にも崩れそうな小屋だが景色は素晴らしい。しかし灯りがないから、バーベキューをするとしたら昼間だろう。暗闇で足を踏み外したらただじゃすまない。 手作業の収穫を野生酵母で発酵する彼らのワインは、上質なグーズベリーとリンゴの果実味でほっそりとして、ミネラル感と酸がピュアな印象を残す。特徴の一つが、残糖分が分析値よりも少なく感じることで、ハルプトロッケンでも辛口にしか思えない。甘口のカビネットでようやくハルプトロッケンあたりの感じだ。それだけ酸味とエキストラクトが充実している。辛口では酸味がしっかりと感じられるが、熟した酸味なので飲み慣れると次第に心地よくなってくる。何より軽やかで上品だ。2013年産の平均収穫量は35hℓ/ha。 ヴァイサー・キュンストラーはこの10年を地道に、一歩一歩、丁寧に歩んでいる。2007年に訪れた時から醸造所の様子はあまりかわっておらず、質素で、収入のほとんどを葡萄畑とセラーにつぎ込んできたという。収入といっても、3.3ヘクタールと小規模な葡萄畑で、ワインの値段も、フラッグシップに30ユーロ前後をつける生産者が増えている中では手頃感がある。あのエラーグルーブの急斜面を体験した後では、ことさらそう感じる。 (つづく)
2021/01/21
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備忘録その11. Weingut Vollenweider その日はトラーベン・トラーバッハ周辺の醸造所をまわることにしていた。昨年4月に来た時もそうしたが、移動距離はなるべく短いに越したことはない。クレメンス・ブッシュの次はトラーベン・トラーバッハのフォレンヴァイダー醸造所だった。町外れの小道にある、意外と大きな3階建ての、築100年前後と思しき古びた建物で、外壁に昔の醸造所名がうっすらと読み取れた。門の入り口の上にはゴー・ミヨのワインガイドの醸造所の紹介にいつも出ている、葡萄をかかえたバッカスの像があった。オーナー醸造家のダニエル・フォレンヴァイダーがあそこに登ってポーズをとるのは、ちょっとアクロバティックだったことだろう。フォレンヴァイダー氏はスイス人である。もともと電気設備関係の技師の資格をとるべく勉強していたのだが、エゴン・ミュラーのシャルツホーフベルクに感動して醸造家を目指し、スイスの醸造学校を卒業した。モーゼルのDr. ローゼン醸造所で働いていた1999年に、1haのヴォルファー・ゴルトグルーベを賃貸して、友人の醸造施設を借りて2000年産を醸造、約3500本をリリース。最初は故郷スイスをはじめとする国外のワインショップが主な顧客だったこともあり、甘口が生産の約9割を占めていたのだが、2007年からは辛口の比率が増えて辛口・中辛口が約6割甘口4割と、辛口の比率を増やしている。2014年産はほっそりとして、酸とミネラルがストイックな印象で、まだ閉じているのか、ややそっけなかった。2005年に現在の醸造所の建物を購入したときに付属していた単一畑シンボックの、2012年産の辛口は、酸がゆったりとしてタンニンの存在感があり、ブルゴーニュの白を思わせる上品さと力強さがあり面白かった。昔のバスケットプレスを使い、500~1000ℓの木樽の古樽で1年間熟成したというから、ちょっとゲルノート・コルマンのやり方に似ているかもしれない。醸造所から葡萄畑までは車で5分ほど。ヴォルフ村のゴルドグルーベは耕地整理されていないので、自根の古木が多数残る貴重な畑。フォレンヴァイダーが購入した当時は無名だったこともあり、荒れ果てていたという。粘板岩土壌は、フィロキセラにとって住みにくい環境だそうだ。青色粘板岩に赤色粘板岩が混じる。ゆるやかにカーブするモーゼルが遠くまでみわたせて、心和む景色だった。 一方、車で2, 3分ほど下流にあるシンボックの畑は壮絶な畑だった。アーチ型に組み上がった擁壁でテラスをつくり、その上にゴツゴツとして大柄な青色粘板岩と珪岩が、厚く堆積している。こんな粘板岩は、ヴェーレナー・ゾンネンウーアのほかでは見たことがない。急斜面に続く岩壁からは、時々岩石がおちてくることがあるそうで、川縁の車道のガードレールにはその時ぶつかって出来たというへこみが何カ所かあり、危ないことこの上ない。一部の葡萄畑は、岩石を止める鋼鉄のフェンスで道路から遮られていて、車は守られているが、葡萄畑で働いている時に落石があったらひとたまりもないだろう。 個人的には、フォレンヴァイダーはやはり甘口が良いと思う。辛口はミネラル感に富んでほっそりとして繊細で、90年代の辛口リースリングみたいな感じがする。でも熟成すると見事に化けるのかもしれない。 (つづく)
2021/01/21
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備忘録10. Weingut Clemens Busch トロッセンの次はクレメンス・ブッシュに向かった。キンハイムからユルツィヒを抜けてピュンダリッヒに入る。村の小道は入り組んでいて、どこから川沿いにある醸造所にたどり着けるのかわかりにくい。アポの時間が迫っているのに、そういう時に限って、ただでさえ狭い道路を、ビールの配送車が塞いでいたりする。 醸造所に到着すると、前で奥さんのリタ・ブッシュさんが待っていた。クレメンス・ブッシュもまたモーゼルを代表するビオの生産者で、1970年代に有機栽培をはじめた草分け的存在だ。トロッセンとは80年代はじめから一緒にビオ農法の勉強会をやっていて、その他の仲間とあわせて8人で「オイノス」という、ローカルなビオ団体を結成していた。 ブッシュが有機農法を始めたのは1975年。父のもとで修行していた74年に、その父が病気になり、2haの畑の世話を任されたのがきっかけで農薬の使用を止めた。当時17歳だった。そういえば、数日前に訪れた南ファルツのスヴェン・ライナーも、父が病気で倒れたのがきっかけで、ビオに転換したのと同じだ。 ドイツではこういうパターンが多いらしい。1950年代から有機栽培をはじめたラインヘッセンのザンダー醸造所も、当時のオーナーの祖母が体調を崩す原因が、どうやら農薬を使った牧草を食べた牛の牛乳にあることを突き止め、農薬や化学合成肥料から脱却することにしたという。近所にたまたまビオディナミに取り組む農場があって、その指導を受けながら導入したそうだ。 ブッシュでは、ビオ導入の契機は父の病気だったが、その背景には1968年の学生運動がある。高度経済成長と工業化の反動から「自然に還れ」という主張が高まり、原発や公害、酸性雨などが政治問題となり、緑の党の結成につながっていくが、ドイツのビオの初期の生産者達は多かれ少なかれ、この政治的な動きに共感している。健康被害から芽生えた問題意識が、やがて環境保護運動へと育ち、葡萄畑の生態系のシステムの再生が目標となる。ただ気を付けたいのは、ドイツでは、健康にいいからビオ、というのとはちょっと違っていて、食べて安心で高品質なのがビオである。ワインの場合、Bekömmlichkeitという訳しにくい言葉があって、飲み心地が良いとか、体にかかる負担が軽いとかいった意味だが、それがビオワインには使われることがある。 さて、初期の当時のラディカルさを今も感じさせるのがトロッセンだとすると、ブッシュはオーセンティックな生産者に、ある意味で成長したと思う。どちらもビオディナミだが、ブッシュは亜硫酸無添加には慎重で、ロー・サルファーという減亜硫酸キュベをつくっていて、総亜硫酸量は45mg/ℓ前後。ノーマルなキュベだと総亜硫酸量約100mg/ℓで、「必要最低限」使っているという生産者の辛口の使用量におおむね近い。減亜硫酸キュベの亜硫酸使用量は確かに少ない。が、トロッセンのプールスよりは、良い意味で普通のリースリングで、他のキュベに比べるといくぶん肩の力が抜けている感じがするが、ノーマルと一緒に試飲しても違和感はない。 ドイツ人の場合、品質保証に重きを置くので、とにかく必要十分な(必要最低限ともいう)量の亜硫酸を添加することが多い。輸送中の環境変化や、ショップの状態に幅があっても、醸造所で生産者が責任を持って醸造したクオリティを、消費者に届くまで維持するのに必要な、品質に責任を持てる状態でリリースするべきだと考えている。それと同時に、添加しすぎはよくないと考えているので、大抵の生産者は遊離亜硫酸量30mg/ℓをちょっと超えるあたりを目安にしているようだ。 ブッシュはドイツ的な良心を備えた生産者だ。ワインの完成度は非常に高く、モーゼルの辛口リースリングのお手本のような、土壌の個性を上品に反映したワインをつくっている。畑には青、灰色、赤の三種類のスレートの区画があって、精妙で奥行きのある青、構成のしっかりした灰色、華やかさと親しみ易さの赤というふうに、スレートの個性を知るにはとても良い教材だ。複雑で、調和がとれて、落ち着いている。 選果を手作業で厳密に行い、2014年は80%を使えないとして捨てたという。確か10月の3週目まで待っていたと記憶している。その週は気温が上がって雨が断続的に降っていたので、傷みによる損害が大きかったのだろう。醸造は野生酵母で、伝統的な木樽で必要なだけ時間をかけて発酵し、時にそれは2年近くに及ぶ。古木も多い。 日本ではいまひとつ受け入れられていないようなのは残念だが、ある意味、世界のどこのワインとも似ていない、独自の世界を持つドイツのリースリングを体現したようなところがあって、それも無理はないかとも思う。生真面目な感じがするからかもしれない。 (つづく)
2021/01/19
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備忘録その9. Weingut Rita & Ludolf Trossen モーゼルはキンハイム村のリタ&ルドルフ・トロッセン。1978年からビオディナミ、徹頭徹尾自然なワイン造りにこだわる生産者。世界はどうあるべきか、理想に近づくには自分はどうしたら良いのかを考えた結果が、ビオだったという。父の死で醸造所を継ぐことになったので、「ビオなんて出来る訳がない」と反対されることもなく、また、社交的な、人当たりのよい性格で村人との折衝もうまく話をつけて、ビオを続けてきた。 近年は亜硫酸無添加のリースリング、プールス・シリーズに力を入れている。亜硫酸無添加ということは、ワインが何も保護されていないセンシティヴな状態なので、セラーにある時から常にタンクを満たすなど、丁寧に丹念に醸造しなければならない。醸造所の規模2haという小ささが、様々な区画からの亜硫酸無添加のリースリングを可能している。 亜硫酸無添加だから体に良い、とか、頭痛がしない、ということを目指しているのでは全くない。ワイン本来の姿を求めて、あるいはリースリングの可能性を追求した結果、それを好む顧客が現れ-例えばコペンハーゲンのレストラン「ノーマ」など-、ドイツでもヴァン・ナチュールに力を入れるショップが出て来て、需要が増している。今回も昨年訪れたときよりアイテムが増えていた。オイレ、シーファーシュテルン、ピラミデ、マドンナ、シーファーゴルト。ノーマルなリースリングとは構造が違っても、畑ごとに違う個性が出ている。 個人的な印象では、2014は2013よりピュアでエレガントで、2013では筋肉質でエネルギッシュだったピラミデが、ずいぶんとしなやかで味わい深く、逆に繊細でほっそりと感じたシーファーシュテルンが、その名の通り口中で光芒を放つようなエネルギー感をそなえていた。マドンナは厚みと重み、なめらかなテクスチャー、完熟した柑橘類と干したアプリコットのヒントで充実。プールス・シリーズを試飲した後では、ノーマル版だという、やはり2014のマドンナのシュペートレーゼ・ファインヘルブを飲むとほっとするが、どこか物足りなさを感じてしまう。が、愛すべきモーゼルらいしリースリングだ。 プールス・シリーズは、これまで瓶内二次発酵しているシャンパーニュのように王冠で栓がされているが、アメリカの顧客がなんとコルクで栓をしたものを求めているという。亜硫酸無添加だけに瓶内再発酵や酸化のリスクが非常に高いのだが、それでもいい、と言っているらしい。トロッセン氏も前向きだ。我々が訪れる数日前にも、モーゼルの生産者達が集まって、スクリューキャップとコルクで栓をした同じワインを寝かせたものを比較試飲したが、その際の結果は一目瞭然で議論の余地がなかった、という。もちろん、コルクの方が断然よかったそうである。そんな訳で、リスクはあってもとりあえず試してみるそうだ。 試飲後葡萄畑へ行く。粒が小さく、ばらけている房が多く、生産量は控えめになりそう。マドンナの区画の裏手に1haあまりの急斜面の畑があり、今年から持ち主が世話をやめてしまったそうだ。誰か引き受けてくれる人を探しているのだが、まだみつかっていない。ブドウ畑の世話は、週末に都会から来るだけでは、到底やっていけるものではない、とトロッセン氏は言う。しかもキンハイムのほとんど無名の畑だけに、誰もやりたがらない。有名な畑なら、後継者はすぐに見つかっただろう。 (つづく)
2021/01/18
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備忘録その8.Weingut Immich Batterieberg マインツでラインヘッセンワインの試飲を午後3時に終えた後、町中で軽く昼食をとってからモーゼルに移動し、イミッヒ・バッテリーベルク醸造所を訪れた。もともと予定にはなかったのだが、醸造責任者のゲルノート・コルマンが、たぶん私がフェイスブックにアップした写真に気づいたのだろう。モーゼルに来るなら立ち寄らないか、と親切にメッセージをくれた。醸造所に着いたのは夜7時すぎだったが、まだ空は明るかった。 無精髭を伸ばした彼は、週末に醸造所で開催される新酒試飲会の準備で大忙しそうだった。そこにはアルト・アディジェからエリザベッタ・フォラドリ、キャンティからイスティネ、ラインヘッセンからグンダーロッホ醸造所がゲスト参加するという。さらにスチュアート・ピゴットによる新刊の朗読、バッハのゴールドベルク変奏曲のピアノ演奏会、そしてドイツポップのライヴと盛りだくさんの二日間だそうだ。昨年4月に訪れた時に試飲した2013年産に比べると、今回の2014年産は一層クリアで繊細になっていた。2013では飲み下した時に若干喉にひっかかるものがあったが、2014の余韻ではそういうことはなかった。すっきりとして、ほっそりとして、アルコール濃度も9.8%からと控えめで、多くは完全発酵した辛口で(樹齢100年以上というツェップヴィンゲルトは残糖12g/ℓで発酵が止まってしまった)、シトラスやリンゴ、グースベリー系の上品な果実味が心地よい。ヘクタールあたりの収穫量は20hℓと言っていた。使い古したバリック樽で、野生酵母で発酵するので、軽くても深みと落ち着きがある。こういうワインなら毎日でも飲みたいと、1年と4ヵ月ぶりにモーゼルに戻ってしみじみと思った。 その翌日の夜、ゲルノートが勧めてくれたレストランで彼とばったり合い、同じテーブルを囲んだ。一人ではなく、新酒試飲会に出展するキャンティの女性醸造家とイタリア人ソムリエ、ゲルノートの友人で、フランケンでワインを作り始めた会社員とゲルノートの彼女、それにスペインからバッテリーベルクに研修に来ている女性醸造家の卵と、15年前にスイスから来てモーゼルでワインを作り始めたダニエル・フォレンヴァイダーといった面子だった。 テーブルを移るとき、昔トリーア大学で日本語の非常勤講師をしていた時お世話になった学部事務室のゲルゲンさんが、同僚と食事をしていて、思いがけない再会にお互い驚いた。彼女はその昔、学生有志で葡萄畑の世話をする同好会を立ち上げて、州営醸造所の葡萄畑の一角を借り、年に数回、30人あまりの参加者達で一緒に葡萄農家の気分を味わったものである。相変わらずお元気そうでよかった。 (つづく)
2021/01/18
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備忘録その7. ラインヘッセンの格付け ファルツの醸造所を訪問した翌日は、マインツでラインヘッセンのグラン・クリュ試飲会だった。VDPではグラン・クリュのことをグローセ・ラーゲGroße Lage、そこからの辛口をグローセス・ゲヴェクスGroßes Gewächsと称するが、ラインヘッセンではVDP以外の醸造所有志が、VDPのガイドラインに沿って醸造したグラン・クリュの辛口をラーゲンヴァインLagenweinと称している。ただ、ラーゲンヴァインはあくまでも個々の醸造所の自主的な取り組みで、特に審査などはしていない。VDPの場合はグローセ・ラーゲの認定は各生産地域のVDPが行うが、それ以外の醸造所は醸造所の自己判断に任されている。つまり、その醸造所がグラン・クリュにふさわしいと思えば、その畑がグラン・クリュになってしまうという、けっこうユルい基準なのだ。いかに品種をリースリングとシュペートブルグンダーに限定して、VDPのグローセ・ラーゲの基準、つまりヘクタールあたりの収穫量を50hl/ha以下に絞り込んで、手作業で収穫を行い、伝統的な製法で醸造(これ自体曖昧な規定なのだが)したとしても、その品質を客観的に保証するものがないのが現状だ。 というわけで、その日のライン川沿いの選帝侯の館のホールの試飲会に参加した40の醸造所のうち15がVDP加盟醸造所で、彼らのグローセ・ラーゲは畑と生産年の個性を明瞭に反映したものが多く、官能審査を経ているだけのことはあった。一方でその他の生産者のワインにはばらつきがあり、ヴェクスラーWechsler、シェッツェルSchätzel、サンダーSander、クネーヴィッツKnewitz、ドライスィヒアッカーDreissigackerはVDPと十分互角に渡り合っていると感じたが、それ以外は(40醸造所のうち3軒は時間切れで試飲出来なかった)やや物足りないと感じることが多かった。2014は確かに夏場に雨が多く収穫期に気温が上がった難しい生産年だった。それにもかかわらず説得力のあるワインを出してきたところと、それが出来なかったところとあって、そのあたりに実力というか、気持ちの差というか、葡萄畑、あるいは栽培の違いが出ているような気がした。ラインヘッセンではこの他にオルツヴァインという村名ワインの規格があって、これもVDPの規格に倣っている。この試飲会は毎年4月下旬にあるのだけれど、こちらの方がラーゲンヴァインよりも楽しいのはなぜだろう。以前、VDPラインヘッセン代表のフィリップ・ヴィットマンは、ラインヘッセンでは他の産地よりもオルツヴァインの基準を高く設定して力を入れている、と言っていた。実際オルツヴァインは楽しめる。ラーゲンヴァインよりも安定していて、ラインヘッセンという産地のポテンシャルを感じることが出来る。 単一畑の方が必ずしも優れているとは限らず、複数の畑をブレンドした方が欠点を補ってよいワインが出来ることがある、と田中克幸氏がセミナーで指摘して、なるほど、と思ったことがある。ラインヘッセンにはそれがよくあてはまるのかもしれない。(つづく)
2021/01/14
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備忘録その5. Weingut Jürgen Leinerその日最後の訪問先は南ファルツのユルゲン・ライナーだった。なだらかな丘陵地帯が箱庭の様に広がり、低くなだらかな丘に葡萄畑が広がり、丘と丘の間を流れる川が、風の通り道となって昼夜の気温差をつくり、葡萄栽培に適した環境を作り出しているという。 醸造所のあるイルベスハイムは美しくこぢんまりとした村で、伝統的なハーフティンバーの建物が建ち並び、通りの上にメルヒェンに出て来そうな看板が突きだしている様子はアルザスのワイン村を彷彿とさせた。オーナー醸造家のスヴェン・ライナーとは、つい2ヵ月くらい前に東京で会ったばかりだった。その時彼は新しい剪定手法を試していると言っていた。葡萄樹本来の姿はどうあるべきかを考えて行う、とても高度な理解と技術を要する剪定方法だと言った。中世に剪定は熟練したマイスターの仕事だった。今では季節労働者が収穫後の空き時間を利用してやってしまうが、本来はそんなものじゃない、と。 そのやり方を実際の葡萄樹を前に説明してもらったが、素人の私にはやっぱり難しい。葡萄樹の樹液の自然な流れを考慮して、母枝に一定間隔でならぶ新枝から1本か2本の梢を伸ばす。枝を前の年と同じ位置まで単純に切り戻すのではなく、成長した将来の形を考えつつ剪定するのだそうだ。あとで録音を聞き直せばもうすこしわかるだろう。 以前Nさんが感動したというコンポストの山も見せてもらった。近郊の牛や馬を飼っている畜産農家から譲り受けた糞、敷き藁、木くず、葡萄の絞りかすを交互に積み重ね、内蔵のようにうねるような形にしている。ただ、今年は乾燥と暑さが厳しかったせいかコンポストも乾き気味で、虫たちも山の中の方に隠れているようだった。コンポストの堆積所はここだけではなく、三ヶ所にあるという。 2000年に父の病気で20歳で醸造所を任されたスヴェンが、まず始めたのが化学合成肥料から有機肥料への転換だった。2003年に病の癒えた父が戻ってきた時にはビオに転換し終わっていて、2005年にビオディナミに基づく堆肥の熟成を始めた。同年EUのビオ認証を取得して、2011年にデメターの認証を取得。そして今も取り組んでいるのが、上述の剪定方法である。南ティロルのアロワス・ラゲダーを始め、いくつかのビオディナミの生産者も取り組んでいる「やさしい剪定Der sanfte Schnitt」と言われるものだ。代表的生産者にマーティン・ゴーヤーMartin Gojerがいて、スヴェンの他にオーディンスタールのアンドレアスとも親しいそうだ。気のせいか、南ティロルとドイツの生産者のコンタクトが近年目立つ。 醸造所の建物は近年改築したばかりで真新しい。モダンでシックで、大抵の醸造家がうらやましがりそうだ。清潔なコンクリート打ちっ放しの空間にバリックとシュトゥック樽が並び、隣接する昔からある醸造設備にはタイル張りのコンクリートタンクがあり、整備して今も使っている。そういえば、バーデンのクルンプの醸造所も最近非常にモダンになってリニューアルオープンした。ドイツワインの勢いを感じる。 スヴェンのリースリングは畑によって明確に味が異なり、冷涼な畑は直線的なボディにシトラスの酸味、暖かい畑はたっぷりとして滑らかでエキゾチッックな果実が香る。その日飲んだシュペートブルグンダーはしかし、どうも大人しくて、日本で飲んだ時の繊細で女性的な魅力は出てこない。今にして思えば気温がすこし暖かすぎたのか。それとも直前に訪れたフランク・ヨーンのインパクトが強かったのか。多分、もう一度飲むとまた印象が変わるだろう。(つづく)
2021/01/11
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備忘録その3. Weingut Odinstal オーディンスタール醸造所、ファルツ。 ヴィースバーデンから車で1時間半ほど。遠くから山の上にぽつんとある醸造所が見えるが、そこまで辿り着く道は少々わかりにくい。Googleマップもお手上げ。目的地です、と言われてもそこには何も無く、彼方に見えた醸造所の方向へ山道をひたすら登る。すると、突然視界がひらけて葡萄畑と館が見える。 2004年に新卒で醸造主任に抜擢されたアンドレアス・シューマンは、2006年からビオディナミを初めて2013年に認証され、2008年から無剪定栽培に一部の区画で取り組んでいる。最初はリースリング、次はジルヴァーナーと増やし、2013年からはアンフォラ醸造も。それ以外に亜硫酸無添加も試している。あと、醸造所全体の葡萄畑でも葡萄の樹に負担の少ない剪定手法に取り組んでいるそうだ。 何はともあれ無剪定栽培の畑を再び――去年一度訪れている――見に行った。足の裏の怪我が痛くてまともに歩けるか不安だったのだが、畑やハーブ園を歩き回っているうちになぜか普通に歩けるようになった。ビオディナミの土のおかげか?奇跡だ。標高350mにある冷涼な気候に育つ葡萄による、繊細で精妙なワイン。ひそやかに囁くような澄んだ果実味が口の中で素直に広がる。数値ではなくフィーリング、腹で感じることを実行してワインを造るという。全房圧搾の割合、マセレーションの長さ、果汁に混ぜる果粒の割合、発酵容器の使い分けなどだが、樽・タンク・アンフォラに入れたらあとは野生酵母に任せて見守る。5haの畑でリースリング、ジルヴァーナー、オクセロワ、ゲヴュルツトラミーナー、ヴァイスブルグンダーを栽培している。 その日の朝、我々が来るまでオクセロワの畑に鳥除けの網を張っていたそうだ。森に囲まれていて、森の近くはとくに食害がひどいという。また所々に鷹だったか鳶だったか、猛禽類の止まり木が立ててあり、葡萄を食い荒らすねずみを見付けやすいようにしてあった。 今年の猛暑の被害はほとんどない。ギリギリもった。ただ、エスカなど病気にやられている樹はもたなかった。カビの繁殖と満月、その対策などのことも話したが、詳細は録音を聞き直さなければならない。 (つづく)
2021/01/11
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コロナで海外に行けなくなり、昨年は結局一度もパスポートを使わなかった。新しく書くこともなく、昔ここに書いた記録を整理しているうちに、フェイスブックに書いたからいいや、と放置している旅行記がいくつかあることを思い出した。ところが、読み返そうにも、書き込みがなかなか見つからない。検索をかけても見当たらず、何千万人、もしかすると数億人の書き込みが毎日あるのだから、どこかに埋もれて消えてしまっても仕方ないのかもしれないが、少なくとも自分にとっては、備忘録として書いた意味がないじゃないか、と憤りながら何度も探し回っていたら、なんとか見つかったので、ここにアップしておくことにした。ここなら、あとから見つけやすい。以下は、2015年8月下旬の記録である。 ドイツ行きの備忘録 その1。初日、出発の朝。日曜早朝で駅までのバスが出ていなかったし、足の裏の怪我を悪化させたくなかったのでタクシーを予約し、朝5時に駅に向かう。一番安い京成スカイアクセス線経由で成田空港第一ターミナルには8時前に到着。搭乗予定は9時55分発のルフトハンザFH711便だった。チェックインカウンターは既に長蛇の列だったが、何かおかしい。やがてその日には飛ばず、翌朝の8時40分に変更になったと知る。使用予定の機材がフランクフルトから飛んでこなかったそうだ。フランクフルト空港であった事故に巻き込まれたという説明だったが、後から調べてもそれらしい情報はみつからなかったので、真偽の程は定かではない。FH711の乗客は全て振り替えか一日遅れで出発することになり、代替チケットの手配をカウンターでやっていたので行列は遅々として進まない。一日遅れを受け入れた人にはミールクーポンと宿泊チケットは出ていたようだが、私はその日着の便か、翌日早朝着の便でなければ、元々ドイツ行きを決めた理由であるVDPドイツ高品質ワイン醸造所連盟のグローセス・ゲヴェクス試飲会に間に合わない。これは招待制の着席形式の試飲会で、VDPによればとても長いウェイティングリストがあるそうだ。そこに2日間の会期のうち、1日だけなら参加出来ると連絡があったのが約3週間前だった。もっと早ければ9万円台から航空券があったのだが、その時点で直行便の往復航空券は最低13万円以上。ちなみに、中東系の航空会社を利用しても11万円以上だったし、一日早い便はさらに高価なチケットしかなかった。いわば、最後の一枚、ラストチャンスと思って買った航空券だったのだが、それで私にとっては未だかつて無い、不測の事態に遭遇した訳である。不測の事態といえば、昨年一度ルフトハンザのチェックインカウンターで「予約がありません」と言われたことがある。この時はDWIドイツワイン基金のプレスツアーで、先方が手配していてEチケットもあったのでそんな筈はない、と主張。結局共同運航便の全日空のカウンターでチェックイン出来たので、事なきを得た。さて、FH711に話を戻すと、御用聞きのように回ってきた係員によれば、その日の便はもう既に満席だという。それはそうだろう。チケットを購入した点から予想出来た。数時間の遅れなら、到着日の夜に予定されていたVDPナーエのウェルカムイヴェントを諦めるだけですむかもしれないが、翌日発となると話は違う。午前10時にはヴィースバーデンで予定があるので、なんとかそれに間に合わせたい、と伝えると、空席はないと思いますが一応探してみますのでそのままお待ち下さい、と言う。もちろん、私の前には既に少なく見積もって100人-ジャンボジェットの乗客だ-が既にカウンターで交渉しており、彼らは皆、本当は予定通りドイツへ行き、なるべく早く目的地に着きたいと願っているのだ。約3時間以上遅々として進まない行列の中で待ち続け、ようやく私の順番が回ってきた。先程と同じことを繰り返すと、「探してみますのでお待ち下さい」と係員の女性は言った。これがドイツなら恐らく「申し訳ありませんEs tut mir Leid」の一言でとりつく島も無かっただろうと思う。やがて彼女は戻ってくると、日曜日なので中東系の便も全部埋まっている、と申し訳なさそうに言う。いよいよだめかと諦めかけた時「香港経由の全日空深夜便で、現地早朝5時台着ならとれるかもしれません」という。一縷の望み、希望の光が差してきた。深夜便なら前回ドイツに行った時も使った。「そ、それでお願いします!」とすがりつくように頼むと、わかりました、とうなづき、10人近い同僚達が端末を叩いているカウンターの一画に向かった。そして戻ってくるなり「午後2時台羽田発の直行便に空席が出たそうです」と言うではないか。真に奇跡としか言いようがない。「チケットを振り替えましたので、このままリムジンバスで大急ぎで羽田に行って下さい」と指示された。その時既に11時45分頃。チェックイン締め切りまで約1時間半強。羽田まで道が混んでいると1時間半くらいかかることもありますから急いで下さい、とバスのクーポンを握らされ、大急ぎで予約してあったWifiを借り受けて、3時間以上耐えたトイレを済ませて、これまた足の裏の痛みに耐えながらスーツケースを引きずって、リムジンバス乗り場に行くと羽田の国際線ターミナル行きはあと20分出ないという。ヤバい。しかし、不思議と乗り遅れることはないだろうという気がした。ここまで来たらなんとかなるだろう。幸い道は空いていた。羽田の駐車場付近で少し渋滞したが、約1時間強で国際線ターミナルに到着。バスを降りる直前に羽田のチェックインカウンターから「いまどちらですか」と電話があり「今行きます、大急ぎで行きます!」と答えながら、やっぱり待っていてくれたんだ、流石全日空ありがとう!と心の中でうれし涙を流した。カウンターは既にクローズされていたが、電話の件を伝えるとすぐ通じて、スーツケースを係員が手持ちでどこかへ持っていった。しかし、私の名前はどうやらウェイティングリストに載っているだけの状態だったらしい。しばらくして「空席がないので今回だけ特別です」と、プレミアムエコノミーにアップグレードしてくれた。ありがたい。出発便の遅れは最小限に出来た上に、なんという幸運。時間がないのでご案内します、と係員にエスコートされてゲートに到着したのは午後2時少し前、丁度搭乗が始まった頃だった。うれしさのあまり間違えてビジネスクラスの列に並び、係員にエコノミーの列に並んで下さいと追い出され、プレミアムでもエコノミーはエコノミーなんだと改めて知る。しかし、ゲートでもう一度不測の事態が起こった。渡されたばかりの搭乗券をスキャナに通すと赤いバツ印が現れ、そばにいた係員が「座席イシューです」と緊張した面持ちで同僚に告げたのだ。だめなのか、やっぱりだめなのか…?少し青ざめながら話を聞くと「プレミアム・エコノミーも満席ですので、ビジネスクラスにアップグレードします」と言うではないか。うわぁ、なんて一日だ!地獄から天国へ昇った気分だった。ビジネスクラスなんて10年、いや20年振りか。昔会社に勤めていた頃、一度だけロンドンからの帰国便がビジネスクラスだった。しかし、あの頃に比べると今は格段に進歩しているようだ。座席はフルリクライニングしても後ろの人を気にする必要がなく、しかも細かに姿勢を調整出来た。モニターも15インチのPC並みに大きいし、ヘッドホンもボーズ製で持参したノイズキャンセリング付きのを使う必要もなかった。着席するなりシャンパーニュのウェルカムドリンク(Jacquart Brut)で、食事もちゃんとした白磁の食器で前菜と主菜、デザートが別々に運ばれてくるし、ワインも白はファルツのDr. ベッカーの2014 ヴァイスブルグンダー „Blanc de Blanc“とアルトアディジェのホーフシュテッターのDe Vite 2013だった。赤も真っ当な赤が2種類(2009 Château Leboscq, Cru Bourgeois, Medoc/ 2012 Aconcagua Syrah, Arboleda, Chile)。飛行機の中で食器のたてるカチカチという音が物珍しく、離陸して間もなく出て来た昼食で、朝からパン一切れとお握り2個で耐えた空腹を満たし、ワインで心も満たしてフルリクライニングして熟睡した。なんという幸せ。足の裏の痛みも少し和らいだ気がした。正直なところ、これまでプレミアム・エコノミーやビジネスクラスなど必要なければ縁もない、と思っていたが、今後は少し考えるかもしれない。この快適さはクセになりそうだ。もっとも、お金がないのでマイレージでも貯まらなければ乗らないだろうけれど。ドイツには夕方6時頃に着いて、少しばかり痛む足を引きずりながら-靴の中に小石が入ったような痛み-電車でヴィースバーデンに向かう。夕暮れのドイツは涼しく、垂れ込めた雲からいつしか雨粒が落ちてきた。駅に着いた頃には本降りになっていたので、タクシーでホテルに向かう。歩けば20分くらいで行けるらしかったが、この状態で無理はしたくなかった。ホテルで靴下を脱いで包帯をほどくと、足の裏の傷は少し化膿していたが思っていたほどではなく、水で洗浄して消毒して化膿止めを塗り、滅菌ガーゼをあてて包帯を巻いた。そして翌日からの試飲の日々に備え、早めに寝た。(つづく)
2021/01/11
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