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この週末は土日ともよい天気で、寒さの中にも心なしか春の気配が感じられました。先週末のトリアーの葡萄畑にある、リースリングの棒仕立て。さて、コメントを頂いたこともあり、ドイツの最北の葡萄畑についてちょっとまとめてみました。ご参考になれば幸いです。(1) 最北のラントヴァインドイツ最北の公式な葡萄畑は、ベルリンとバルト海の中程にあるノイブランデンブルク近郊、スターガルトにあります。2004年3月11日付けの官報で、新たにラントヴァインの生産地域『スターガルター・ランド』として認められ、『メクレンブルガー・ラントヴァイン』として流通することが許されました。同地での葡萄栽培の歴史は13世紀まで遡り、1853年まで500年に渡りワインが醸造されていたのですが、鉄道の発達により南からのワインの流通が容易になると、気候的に不利な土地でのワイン造りはその意味を失いました。1996年にノイブランデンブルク近郊にある1806年建築の邸宅シュロス・ラッテイを買い取ったブレーメンの弁護士が、1999年にホテルとして改装・オープン、その際に0.2haの葡萄畑をホテルの景観を整える為に植え、翌2000年秋には初収穫に成功。レゲントのロゼが500リットルほど出来たそうです。それから5年後の2004年には栽培面積も3.5haに拡張、赤品種ではポルトギーザー、レゲント、シュペートブルグンダー、白品種はミュラートゥルガウ、オルテガとフクセルレーベが植えられています。ワイン生産地域として公式に認められるまでは一般への流通・販売が許されず、葡萄一本につき5ユーロを出資した人に、その見返りとして出来たワインが贈られ、残りの大半は出資者で組織される同好会の定例会で飲まれていましたが、現在では上記ホテルのレストランをはじめ、メクレンブルク州の何カ所かで販売されているそうです。詳細はwww.privatwinzer.de。ドイツのワイン雑誌Alles ueber Wein 2004 Heft 4とDeutsches Weinbaujahrbuch 2006 (Ulmer)にも関連記事があります。(2) ベルリン近郊のクヴァリテーツヴァインそこから140kmほど南、ベルリンの南西にあるポツダム近郊のヴェルダーでは、ドイツ最北の高品質ヴァイン(Qualitaetswein)が造られています。ワイン法上は生産地区ザーレ・ウンストルートに属していますが、そこから150kmほど北へ離れた飛び地です。醸造の歴史は13世紀のシトー派修道院まで遡ることができます。15世紀にワイン産地フランケン出身の選帝侯が着任して以来葡萄栽培が奨励され、17世紀半ばに当地の葡萄畑は100haに及びましたが、鉄道の発達とともにベルリンやポツダムといった消費地での南のワインとの競合が厳しくなり、ワインから生食用葡萄や果物へ転作がすすみ、19世紀末にはワイン用葡萄はほとんど姿を消しました。北の産地とはいえブランデンブルクの砂質土壌は日光を吸収して暖まりやすく、葡萄の植えられているヴェルデナー・バハテルベルクの丘の地形はライン川沿いの産地を彷彿とさせるそうです。1985年にワイン造りの伝統を蘇らせるべく再び葡萄が植えられ、現在6.2haあまりの畑には白品種はミュラートゥルガウとサフィラ(リースリング交配品種)、ソーヴィニヨン・ブランなど、赤品種はドルンフェルダーとレゲントが栽培されています。詳細はwww.wachtelberg.de/index.html。いずれの畑も今年1月下旬には氷点下20度前後の寒気におそわれていますので、凍害が出ているのではと思います。温暖化とともにワイン産地の北限の移動が指摘されていますが、被害の程度によっては北の葡萄栽培の難しさが再認識されることになるかもしれません。
2006/01/29
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ドイツは相変わらず猛烈に寒いです。厚着をしていても、じっとしているとすぐに肌まで寒気が染み通ってきます。そろそろ、春が待ち遠しくなってきました。ミモザの花。南仏原産で1月に可憐な黄色い花を咲かせ、春の前触れを告げる。さて、葡萄畑の名前の由来第8話はモーゼルの乙女達にちなむ葡萄畑です。8. モーゼルの乙女達1803年にナポレオンにより所領が世俗化されるまで、モーゼルの葡萄畑の大半は教会や修道院が所有しており、その中には女子修道院もあった。しかし所有者が男であれ女であれ、ワインがもっとも重要な収入源であったことに変わりはなく、また、女子修道院の乙女たち-ドイツ語でユッファーと呼ばれるが、そこには聖職者を坊主(プファッフェン)と呼ぶのと同様、いくばくかの皮肉が込められている-の毎日の食卓に上るワインの量もまた、男の聖職者と同等であった。モーゼル川沿いにある女子修道院には、とりわけ風光明媚な土地にあるものが多い。たとえばヨーロッパで最も急な葡萄畑がある村として有名なブレムの対岸にあるシュトゥーベンにはアウグスティヌス女子修道会修道院が、モーゼル川が大きく弧を描くツェルの近くにあるマリエンブルクにも同派の修道院が、小高い丘から古城が見下ろすコッヘムにはカプチン派女子修道会が、ツルティンゲン村の対岸にはシトー派女子修道院が、ザール川沿いのなだらかな斜面が囲むフィルツェンにはフランシスコ会女子修道院があった。それらの女子修道院の周囲か、ほど近い位置に彼女達が所有する葡萄畑があったことは、畑の名前が物語っている。たとえばヴァルドラッハのユングフェルンベルクJungfernberg(乙女の山)、ブラウネベルクのユッファー(乙女)Juffer、ベルンカステル=ヴェーレンのノネンベルク(修道女の山)Nonnenberg、プンダリッヒ=ブリーデルのノネンガルテン(修道女の園)Nonnengarten、ネーフのフラウエンベルク(女山)Frauenberg、カルデンのユッファーマウアー(乙女の壁)Juffermauerなど。葡萄畑のある土地の空気には、ワインを味わう喜びが満ちているとゲーテは言う。その一方で、モーゼルの修道女達には守らなければならない厳しい戒律があった。その相反する二つの要素のうち、ワインのもたらす開放的な精神が、いつしか規律の緩みにつながったのか、あるいは宗教革命に賛同する自由な気風を鼓舞したのか、ナポレオンが強制的に世俗化する前に姿を消した女子修道院も少なくない。例えば1478年にコッヘムの、1515年にマリエンブルクの、1640年にカルデンの、1788年にシュトゥーベンの女子修道院が解体されている。地元の言い伝えによれば、マリエンブルグの信心深い修道女達のもとには、戦乱の世にあって気性の荒い兵士達がしばしば訪れ、見目麗しい修道女を連れ去ることが幾度となくあり、次第に人数が減って行ったという。この女子修道院はトリアー選帝候により1515年に解体されたが、修道院に最後まで残った修道女達には、年金と穀物とともに、毎年一人あたり年半フーダー(約500リットル)のワインが支給されたという記録が残っている。一日1リットル以上の消費は中世においてはありふれたものだが、それが修道女達の心を喜ばせたことであろうことは想像に難くない。参考文献:Karl Christoffel, Die Weinlagen der Mosel und ihre Namensherkunft, Trier 1979
2006/01/27
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今日はドイツ各地でこの冬一番の寒さだそうで、ザクセンでは氷点下14度前後に達したようです。葡萄の凍害が心配されます。トリアーでは快晴で寒いことは寒かったのですが、冷たく澄み切った爽快な一日でした。さて、葡萄畑の名前の由来第七回目は日時計です。7. 日時計モーゼルではおなじみの畑名で、日時計を意味するゾンネンウアーは、ノイマーゲン、マーリング、ブラウネベルク、ヴェーレン、ツェルティンゲン、ユルツィヒとポンメルンにある。時間を計ろうとする人類最古の試みである日時計はオリエントで発明され、ヘロドトスによればカルデア人により紀元前575年頃にギリシアへもたらされたという。もっとも、晴れている時だけ時を示すそれは、すでに百年以上前から実用的な意味を失っており、ワイン村のあちこちの家の南向きの壁に、太陽の恵みをシンボル化した飾りとして見られる程度になっている。それら日時計にはしばしば古くから伝わる格言がラテン語で刻まれており、太陽が太古に神として崇められたこととの類似性を伺わせる。曰く『太陽なくして何も無し Sine sole nichil』『太陽は全てを照らす Sol lucet omnibus』。日時計は豊富に陽光を必要とする葡萄畑に、太陽の恵みをもたらす一種の聖像として、目立つ場所に設置されている。葡萄畑の栄えある一角に位置を占めると、その周囲の畑は大抵日時計と呼ばれるようになった。中部モーゼルの名所のような案配のヴェーレン、ツェルティンゲン、ユルツィヒの日時計を目にした時、昂揚しつつもなぜか時の流れとともに朽ちていく現世のむなしさが、荒れ果てた古城を前にした時のように脳裏をよぎった。夏の象徴である葡萄畑の中の日時計が、太陽の恩寵で満ちた秋の夕暮れ、ゆっくりと沈みゆく陽光の最後の閃きとともに別れを告げる光景を思い出したからだろうか。2005年11月初旬のツェルティンゲンの日時計。参考文献:Karl Christoffel, Die Weinlagen der Mosel und ihre Namensherkunft, Trier 1979.
2006/01/23
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今年最初の試飲会があったので、行って来ました。会場は市役所の近くにあるローマ時代の温泉の遺跡テルメンムゼウムで、午後3時すぎに赴くと、既に訪問者で溢れており、グラスを片手にワインの並んだテーブルまでたどり着くまで、体格のいいドイツ人で埋まった会場を通り抜けるため、一体何度「すみません」を繰り返したことか。これほどごったがえした試飲会は、数年前のコブレンツの『ヴァイン・イン・シュロス』以来です。ごった返す会場。ラインラント・ファルツ州農業委員会の審査で金賞を受賞したモーゼルワインが200種類以上試飲できるこの試飲会、一昨年までは毎年11月最初の週末に州立博物館で開催されていたのですが、昨年博物館が改装されたのに伴って、今回はじめてテルメンムゼウムに会場を移すとともに、開催日も1月に変更されました。しかし、この人出までは予想出来なかったのかもしれません。来年からはより大きい会場に移動する必要がありそうです。ヴァイスブルグンダーの辛口から試飲を始め、続いてリースリング辛口、中辛口、赤、カビネットと進みました。ちなみに金賞は、農業委員会が実施するブラインド試飲-生産年、品種、肩書きだけが明らかにされ、生産者と畑は隠した状態-で、香り、味、調和をそれぞれ5点満点で4.5点以上を獲得したワインに与えられます。同じく4点以上が銀賞、3.5点以上が銅賞です。金賞ワインだけあって、どれも果実のアロマの明確な、調和のとれたワインでした。コストパフォーマンスのいい高品質なワイン-4~6ユーロで金賞なんてざらです-が目白押しでしたが、逆に目立って個性的な魅力を備えたものは希でした。出品醸造所にVDP加盟醸造所はなく、ベルンカステラー・リング加盟醸造所がいくつかある他、各種ワインガイドにかろうじてランクインしている醸造所が若干ある程度。そのぶん、無名であっても高品質なワインをリリースする実力を備えている醸造所は数多いことを示していたと言えます。モーゼルだけで毎年5~6000種類が審査会に出品され、受賞数に制限はなく、数千のワインが何らかの賞を取っているようです。受賞したワインは、受賞した賞を示す金・銀・銅のシール-細長いものや丸いものもある-がボトルの首のあたりに貼られていますので、ワインを選ぶ際のひとつの目安になるでしょう。今回の試飲で最も印象に残ったのは、ハーフボトルで10Euro(約1300円)のリースリング・アイスヴァイン。金賞だけあって、10ユーロでもしっかりしたリースリングのアイスヴァインでした(Weingut Franz Pohl, 2004 Kroever Paradies Riesling Eiswein)。会場周囲の石壁はローマ時代の温泉の遺跡の復元。遺跡全体をガラスの建物が覆っている。
2006/01/21
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ここしばらく、先週よりも少し暖かいです。今日も雪ではなく雨がぱらついていました。天気予報によれば、週末はシベリアからの氷点下30度に達する寒気団に伴い、また寒くなるそうです。1月15日の葡萄畑。針金に巻き付いた蔓の残りについた霜が花を咲かせているかのようだ。さて、今日はピースポーター・ゴルトトロプヒェンの名前の由来です。参考にしたカール・クリストッフェル氏の推定も、ちょっと苦しいかなと思いましたが、面白いです。6. ピースポートの黄金の雫モーゼルで最も有名な畑ひとつにピースポーター・ゴルトトロプヒェンがある。1837年にモーゼルの歴史家クリスチャン・フォン・シュトラムベルグが、当時の主要なモーゼルの葡萄畑をリストアップしているが、その中にピースポーター・ゴルトトロプヒェンは見あたらないことから、畑名の発祥は19世紀半ば以降と思われる。ゴルトトロプヒェンは『金色の雫』を意味する。それがワインの色から発想されたとしても、一つには上出来のワインをちっぽけな雫と名付けることはワイン農民らしからぬ発想であるのと、いまひとつには『ゴルト』と名の付いた畑はゴルトベルク(金色の山)、ゴルトヴィンゲルト(金色の葡萄園)、ゴルトグルーベ(金色の坑)、ゴルトボイムヒェン(金色の小木)などがあるが、いずれもワインではなく葡萄畑と結びついている点からも、ゴルトトロプヒェンの命名は少し変わっている。そこでより理にかなった説明として考えられるのは、完熟した葡萄に小さな斑点となってあらわれる、貴腐のついた葡萄から得られる金色の雫からイメージされた名前ではないかということだ。正式にはボトリティス・シネレアと呼ばれる貴腐菌は、葡萄にとって敵であると同時に味方でもある。熟し始めたばかりの段階で繁殖すると、灰色カビとして収穫に大きな痛手を与える一方、北国の太陽のもとで完熟した状態のリースリングにつくと、非常に高貴で甘美なワインを造ることができる。ボトリティスは熟した葡萄の果粒を茶色っぽく変色させ、ビロードのように果皮を覆う。葡萄品種にもよるが、60~80エクスレに達していれば、水分の蒸発により干し葡萄のようにしぼみながら半分近くまで重量が落ちる一方で、果実に蓄積された糖分とエキス分の割合は相対的に増える。ボトリティスは成熟過程で果汁の成分を変化させるとともに発酵にも影響を与え、甘口ワインの品質を独特なかたちで向上させるのである。ゴルトトロプヒェンの畑名が貴腐のついた高貴な葡萄に由来するとすれば、中世以来の教会関係施設-トリアーのザンクト・マキシミン修道院、ザンクト・パウリン教会、ザンクト・アグネーテン修道院、カルトホイザー修道院、司教座聖堂参事会、さらにメットラッハ修道院、キル渓谷のザンクト・トーマス修道院、ヒンメロート修道院とエバーハート隠修修道院、そしてプリュム大修道院など-がこぞって区画を所有したワインの質の高さともうまく結びつく。ピースポートはローマ時代からフンスリュック山地とヴィットリッヒの渓谷を結ぶ街道の要所で、371年にアウソニウスもその詩に謳っている。『さて葡萄畑に目を移せば バッカスの賜物なる眺めに陶然となることだろう 急斜面をうねり縁取る荘厳な頂のもと 急峻な岩壁 陽光あふるる山腹 なだらかにうねる斜面が 葡萄に彩られ 自然の劇場のように広がっている』(アウソニウス『モゼラ』152-156行)ピースポートが当時からワインの産地としても重要であったことは、ピヒター、カレル、パルツ、アウレンクンプというラテン語由来の昔の畑名が示している。なかでもアウレンクンプはアウレア・クッパaurea cuppa-黄金の杯に由来しており、今日のゴルトトロプヒェンも、そこから導かれた名前であるのかもしれない。参考文献:Karl Christoffel, Die Weinlagen der Mosel und ihre Namenherkunft, Trier 1979Daniel Deckers (hrsg.), Zur Lage des deutschen Weins, Suttgart 2003
2006/01/20
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さて、今日は葡萄畑の名前の由来を説明する話ではないのですが、参考にしている本をパラパラとめくってみて、気に入ったのでご紹介します。有名な話ですがシュペートレーゼとアイスヴァインと貴腐ワインがごっちゃになっていますが、それはひとまず脇に置いておきましょう。5. ヨハニスベルクの奇跡1716年にヨハニスベルクがフルダの修道院に売却されてからというもの、葡萄畑の世話をしていた修道士たちにはつらい日々が始まった。それというのも、フルダの大修道院長にして貴族でもあったコンスタンティン・フォン・ブットラーは厳格極まりない男で、ヨハニスベルクの葡萄畑と酒蔵を管理するための査察役人を、うんざりするほどひんぱんに送ってよこしたからだ。主の恩寵により天候に恵まれたある年、豊かに実った葡萄を収穫するために修道士達はせわしなく働いていた。ところが、不運なことにいくつかの葡萄畑ではまだ最初の一房さえも収穫していないというのに、思いがけないほど早く初霜がおりた。そんな時、よりによってフルダからの査察役人の来訪が告げられた。修道士達は朝から晩まで熱心に働いていたので、ケチをつけられる謂われはないと思ったものの、何はともあれ大事をとって、査察役人をすでに収穫の終わった畑へ案内することに決めた。だが、役人の耳に悪魔が耳打ちでもしているかのように、彼はまっすぐにまだ手つかずの、半ば凍りかけた葡萄が至る所にぶらさがっている畑へと馬をすすめるではないか。その後、集会所に集まった修道士達を前に、査察役人は院長をこっぴどく叱責し、このように怠惰な者達にまっとうなワインを飲ませるわけにはいかん、今すぐ収穫作業にとりかかれば、あの半ば凍って腐りかけた葡萄からもいくばくか飲めるワインが取れるであろう、翌年はそれでしのぐがよい、とのお達しを残して去っていった。修道士達がやり場のない憤懣をどうやってぶちまけたかは、定かではない。さて翌年、くだんのワインが仕上がって院長のグラスに注がれ、最初の一口を飲んだとたん、彼の憂鬱そうな表情がぱっと輝いた。院長に続いて試飲した修道士達も、奇跡だ、主が熱心な仕事ぶりを認めて下さったのだ、かじかんだ指で収穫した苦労を報いてくださったのだ、と口々に神を賛美した。そして皆、これは今まで飲んだことのないほど高貴なワインであるとの意見で一致した。その年から、修道士達はわざと霜がおりるまで収穫の一部を畑に残しておくようになった。そうして奇跡と思われた結果が再びもたらされ、貴腐ワインの秘密が発見されたのだそうな。参考文献:Christine und Dietmar Werner, Die schoensten Sagen vom deutschen Wein, Husum 1999.トリアー大聖堂の回廊。
2006/01/18
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葡萄畑の畑の名前の由来について書かれた本はいくつかあり、今日はドイツのワインにまつわる言い伝えを集めた本からご紹介します。4. モーゼルワインの裸のお尻『クレーファー・ナックトアルシュ』。クレーフ村の裸のお尻という奇妙な畑の名前が何に由来するのか、定かではない。ある人は昔、葡萄が植えられる前の山の、こんもりと盛り上がって何も生えていない様子がお尻のように見えたからだと言い、ある人はナックトは盛り上がった岩石を意味する古ドイツ語の"ヌックNuck"に由来し、アーシュは古語では茂みを意味していたと言う。しかし最も有名なのは、以下の言い伝えである。その昔、クレーフの葡萄農民は葡萄畑の領主であった修道院に収穫の大半を年貢として納めなければならなかった。年貢の一部は労役によって代替されることもあったが、ともあれ修道院は労賃として無料の食事を提供するとともに、年に一度だけ、夜明けから決まった長さのろうそくが燃え尽きるまで、修道院の所有する畑から葡萄を収穫して自分のものとしてよいことになっていた。当然のことながら、葡萄農民はいつものなまけぶりと違って、その日ばかりは見違えるように猛烈に熱心に働いた。その有様に大いに立腹した修道院の代官は、とある企みを思いついた。その翌年、年に一度の葡萄農民に収穫が許される日、代官は生のまま水に漬けた豚肉を食料として与えた。水道の無い当時、生水といえば不衛生の代名詞のようなもので、とりわけ衛生事情の悪かった都市の住民はもっぱらビールかワインで喉を潤していたほどである。さて、その不衛生な豚肉は、代官の思惑通りてきめんに効果を現した。農民達はゴロゴロと鳴り続けるおなかのせいで、ひっきりなしに作業を中断し、用を足しに行かねばならなかった。そのうち、この腹具合が農民の一人が代官の豚肉のせいであることに気が付いた。まんまと罠にはまったことを知って頭に来た彼は、そうは問屋がおろさんぞとばかりにやおらズボンを脱いで上着をまくし上げ、お尻の用事をものともせずに、垂れ流しでひたすら葡萄を摘み続けた。この有様を見た代官は『裸の尻にはかなわんわい』と大笑いし、これが畑の名前そもそもの言われとなったそうな。参考文献:Christine und Dietmar Werner, Die schoensten Sagen vom deutschen Wein, Husum 1999.先週日曜日のトリアーの葡萄畑。
2006/01/17
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週末はこの冬一番の寒さで、あちこちの木々が霜で白く化粧していました。日曜の最高気温はおそらく氷点下だったと思いますが、それでも大勢の人が散歩を楽しんでいました。下は日曜午後のトリアー郊外の景色。さて、葡萄畑の名前の由来第三回目は教会に関係した葡萄畑です。3. 教会関連の葡萄畑ナポレオンが1803年に修道院所領を競売にかけるまで、教会関連組織はモーゼルにおける最大の葡萄畑所有者であった。中世において葡萄栽培に向いた村には12あるいはそれ以上の教会関係の所有地がひしめき、ゴシック様式やバロック様式の立派な醸造施設が、今日に至るまで村の景観を特徴づけている。ワインで有名ないくつかの大修道院は、モーゼルのワイン文化の先導者として9世紀のカロリング朝と12世紀のシュタウフェン朝に急速な発展を遂げた後も、17世紀の30年戦争で荒廃した葡萄畑の復興に尽力した。ライン左岸のトリアー選帝侯領における教会関係施設の所有する葡萄畑の割合は、1720年の時点でも25.4%と世俗諸侯の11.2%より多く、当時選帝侯が100万本以上の葡萄を所有していたのを筆頭に、ザンクト・マキシミン修道院が60万本、次いでヒンメロート修道院の55万6千本であった。ナポレオンの修道院領世俗化の後、教会関連組織のワインづくりの規模は縮小され、村の教区教会、トリアー高位司教座聖堂(ホーエ・ドームキルヒェ)、司教座聖職者養成学校(ビショフリッヒェ・プリースターゼミナール)および神学部(ビショフリッヒェ・コンヴィクト)、イエズス会が運営していた大学の後継組織であるトリアーのフリードリヒ・ヴィルヘルム・ギムナジウム、そしてベルンカステル・クースのクザーヌス修道参事会において続けられるのみとなった。かつて教会所領であった葡萄畑は、畑を所有していた教会や修道院の守護聖人の名前にちなんだ畑名にその名残を残していることが多い。また、畑名に神父から枢機卿へ至る教会のヒエラルキーの反映を見ることも出来る。教会に縁の深い畑名の例としては、キルヒベルク(ハッツェンポート)、キルヒライ(エルンスト)、プファールガルテン(司祭の庭、ブルッティヒ-ファンケル)、プファッフェンベルク(聖職者の山、エディガー)、アルテァヒェン(小祭壇、トリッテンハイム)、アルターベルク(祭壇山、エレンツ-ポルタースドルフ)、デヒャンツベルク(主席司祭の山、カルデン)、ヘレンベルク(共住聖職者の山、19村にある)、ドームヘル(司教座聖堂参事会員、ピースポート)、ドームヘレンベルク(司教座聖堂参事会員の山、トリアー、ゼンハイム、エレンツ-ポルタースドルフ)、マキシミン・プレラート(マキシミン修道院の僧正、カステル-シュタート)、プレラート(僧正、エルデン)、ドームプロブスト(司教座聖堂主席司祭、グラーハ)、ビショフスシュトゥール(司教座、コッヘム)、クアフュルスト(選帝候、エレンツ-ポルタースドルフ)、カーディナルスベルク(枢機卿の山、ベルンカステル・クース)、クロスターベルクおよびクロスターライ(修道院の山、11村にある)、クロスターガルテン(修道院の庭、ライヴェン、ブラウネベルク、コッヘム)、クロスターホーフグート(修道院所領農園、ヴェーレン)、クロスターカマー(修道院の小部屋、ザンクト・アルデグンド)、アプツベルク(修道院長の山、メルテスドルフ、グラーハ)、アプタイ(大修道院、ヴェーレン)、アプタイベルク(大修道院の山、メスニッヒ)、ミュンスターベルク(司教座聖堂の山、カルデン)、ベネディクティーナーベルク(ベネディクト会の山、トリアー)、イェズイーテンヴィンゲルト(イエズス会の葡萄園、トリアー-オレーヴィヒ)、イェズイーテンガルテン(ヴァルドラッハ)、ドミニカーナーベルク(ドミニコ会の山、カーゼル)、カルトホイザーホーフベルク(カルトホイザー(=シャルトリューズ)会の山、アイテルスバッハ)、ドイチュヘレンベルク(ドイツ騎士修道会の山、トリアー、ツェルティンゲン-ラハティヒ)などがある。かつて農耕中心の時代には、ワインは人生の楽しみに重要な役割を果たすとともに、聖職者にとって禁欲生活の息抜きに欠かせないものでもあったから、ワインを飲むことを正当化する神学的・哲学的口実まであった。中世における神学と薬学の権威であったアルノルド・フォン・ヴィラノヴァ(1240-1311)は、『ワインは思索を洗練し、思考速度を速めるものであるから、神学者が好んで上等なワインを飲むのは正しく、その理由も容易に説明できる。なぜなら、彼らは至高にして難解極まる問題に取り組まねばならないからだ。』と書いた。また教会に従属していた葡萄農民は『司教杖の下にはよい生活がある』と言い習わし、ワインにより教会が富むことに貢献した。参考文献: Karl Christoffel, Die Weinlagen der Mosel und ihre Namensherkunft, Trier 1979.
2006/01/16
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寒い日が続いています。午前中はしっとりと冷たい霧に包まれ、午後に少し陽が差した後、日暮れとともに再び霧が降りてきました。最高気温は3度前後、最低気温はマイナス3度前後。木々の小枝に空気中の水分が氷結し、樹氷のように白く染まっています。さて、今日は葡萄畑の名前の由来第二弾、畑の地形に由来する名前です。2. 葡萄畑の地形に由来する畑名モーゼルのワイン農家では、葡萄畑をヴァインベルクWeinberg(ワイン山)ではなくヴィンゲルトWingert(ワイン園)とも呼ぶ。ヴィンゲルトという語は古高ドイツ語のwingartoに由来し、今日の英語ヴィンヤードvineyardの語源である。これはローマ時代にモーゼルの葡萄畑は集落内の庭園か平地にあったこととも関連があるようだ。ライLayまたはレイLey(例えばベルンカステラー・ライ)という畑名は、ギリシア語で石を意味するラースlaasに語源があり、それはガロロマン語にライアlaiaとして受け継がれ、岸壁あるいは石(モーゼルではほとんどがシーファー(スレート粘板岩)であるが)を意味した。ライと同じく岸壁を意味する畑名フェルスFels(例えばヴィルティンガー・ブランフェルス)は古高ドイツ語でfelis(フランス語で巨岩を意味するfalaiseに通じる)、その語源はギリシャ語のペラpellaである。石を意味するシュタインSteinの語も希に用いられており、ヴァイセンシュタイン(Weissenstein[白い石]/クース)、フォン・ハイセン・シュタイン(von heissen Stein[熱い石]/ライル)、シュタインヒェン(Steinchen[小石]/カッテネス)、アウソニウスシュタイン(Ausoniusstein/レーメン)がある。ラテン語で酒器を意味するcuppaに由来するクップの畑名はアイル、ヴィルティンゲン、オックフェン、ザールブルグ、トリアー、ヴィットリッヒにあり、その他クロイツヴァイラーにはシュロス・トーナー・クップ、ヴィルティンゲンにはブラウネ・クップの畑がある。いずれも大地に杯を伏せたような形状の畑だ。ヘルドHeld、ヘレHoelle、ヘーレHoehleという畑名は炭坑を意味するハルデHaldeから来ている。ヘルドと呼ばれる畑はメスニッヒ、ケン、ペリッヒ、ケヴァリッヒにあり、ヘレはヴィルティンゲンとアルフに、フックスヘーレ(きつねの穴)はコバーン・ゴンドルフにある。テルニッヒにあるリッチRitschという畑は滑落を意味するルッチruetschに由来し、中高ドイツ語のsteinrutzeすなわち岸壁から導かれたものと思われる。ヴィニンゲンのハムHammはラテン語のhamusすなわち湾曲を意味し、牛のくびきやツェルでモーゼルが湾曲するあたりもハムと呼ばれる。グラーベンGrabenあるいはグルーベGrubeも畑の形状に由来するが、ドイツ語でグラーベンは『掘る』を意味するものの、大抵は逆に日当たりの良い斜面にある(ベルンカステラー・グラーベン、ブラウネベルガー・マンデルグラーベン、ノイマーゲナー・エンゲルグルーベ、エンキルヒャー・エレングルーブ、メスニッヒャー・ゴルトグリューブヒェン)。恐らくは周囲の畑と相対的に引っ込んだ地形だからであろうか。絶壁を意味するハングHangの語は、モーゼルでは急斜面が多いにもかかわらず、伝統的な畑名には用いられていない。唯一コッヘム近辺の集合畑(グロースラーゲ)にローゼンハング(バラ色の絶壁)という名があるが、1971年にグロースラーゲがドイツワイン法で定められた際に考案されたものである。同様にヒューゲル(丘)という畑名もモーゼルにはない。ラテン語由来の畑名にはブレムのカルモントCalmont(calvus mons, 禿げ山)が有名だが、禿げ山ではなく熱い山(calidus mons)に由来するという説もある。参考文献:Karl Christoffel, Die Weinlagen der Mosel und ihre Namensherkunft, Trier 1979.
2006/01/14
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昨日の町を通り過ぎたところ、あちこちで道路作業員が塩を撒いていた。夕方から降り始めた小雨が夜間の低温で凍結するのを防ぐためだ。地面に叩きつけるように塩を撒いている姿は、どこかしらミレーの種をまく人の絵を連想させた。翌朝、ドイツのあちこちで道路がアイスバーンと化したそうだが、トリアーではお陰でこれといって事故もなかったようだ。先週日曜日の葡萄畑。さて、生産年レポートに続いて何か連載しようと思うのですが、手元にモーゼルの葡萄畑の名前の由来について書かれた本があるので、とりあえずそこから適当にひろってご紹介しようと思います。1. 葡萄畑の開墾にちなんだ名前ワイン村の歴史にとって最も重要な出来事として、開墾による葡萄畑の拡張があげられる。森、湿地、いばらの茂みや荒れ地を葡萄畑へと作り替えていった村人達の記憶が、葡萄畑の名前に刻まれているのだ。中でももっとも古いものにピヒターPichterという畑名がある(メーリング、ニーダーエンメル、ミンハイム、ヴェーレン、ユルツィヒなど)。『収益をもたらすもの』という意味のラテン語Petituraから導かれたその語は、その土地が開墾すべく領主から貸与された所領であったことを示している。ピヒターに類似した畑名としてはプレンターPlenter、プレンテルPlentel、プランテルトPlantertなどがあり、新たに植えることを意味するラテン語plantariumから導かれている。ノイベルクNeubergすなわち新山という畑名(エンキルヒ)や、アルテンベルクAltenbergすなわち古い山という畑名(トリアー、クレッテナハ、オーバーエンメル、フィルツェン、カンツェム)もまた開墾に由来する。開墾Rodungから派生した畑名にはその他ローテルトRotert(ノイマーゲン)、ロートライRotlay(トリアー)、イム・レットゲンIm Roettgen(ヴィニンゲン、ギュルス)、イム・レーダーIm Reder(ユルツィヒ)などが挙げられる。ぱっと見には分からないが、サングSang(アイテルスバッハ)、フォーゲルサングVogelsang(ゼーリヒ、キルシュ)もまた開墾に由来した畑名だ。サングはドイツ語の『センゲンsengen(焦がす)』に由来しており、森を焼き払って畑にしたことにちなんでいる。センゲンはジンゲン(歌う)と似ていることから、フォーゲルサング(鳥のさえずり)という畑名が生まれた。その他、バッテリーベルクBatteriberg(エンキルヒ)も、シーファーの岸壁に発破をかけて開墾したことから、バッテリー(砲兵隊)の山と名付けられた。ドイツの葡萄畑で最も有名なヴィルティンゲンのシャルツホーフベルクScharzhofbergもまた、その名を開墾に由来している。1314年の古文書に"in monte ibidem vulgariter nuncpato Schayrt(住民にShayrtと呼ばれる同山にて)"という記載があるのだが、Shayrtはモーゼルロマン語のscartisすなわち『開墾において』という意味の語に由来する。同名の畑はフェル、カーゼル、デッツェム、リーザー、エンキルヒなどにもあったが、現在ではヴィルティンゲンに残るのみである。参考文献:Karl Christoffel, Die Weinlagen der Mosel und ihre Namensherkunft, Trier 1979.
2006/01/12
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先日大聖堂の向かいにあるワイン屋に行って来た。そろそろ2005年産も出ているかと思ったら、まだだという。仕方がないので一本4.99ユーロで出ていた売れ残りを2本買った。どちらも2001年産だ。2001er Kestener Herrenberg Riesling Kabinett halbtrocken (Weingut Paulinshof/Kesten, Mosel)合成樹脂のコルクが5mmくらい浮き上がっている。店の棚の上で夏をいくつもすごしたのだろうか。吹いた様子はないのだが、味は日本の夏を常温で越したドイツワインの印象と通じるものがあった。明らかな熟成香、力無く漂う柑橘、色あせた古着のようなワインで、パウリンスホフのワイン本来の魅力は見あたらなかった。売れ残りだから仕方ないか。くたびれたカビネット中辛口を3,4日かかって飲み干したあと、同じ日に買ったワインを今日開けた。2001er Neumagener Rosengaertchen Riesling QbA (Weingut Heinz Schmitt/Leiwen, Mosel)辛口とも中辛口ともラベルのどこにも書いていないので、てっきり熟して軽くなったほの甘いリースリングを想像していたのだが、辛口だった。一体どうやって見分けるのだろう。しかし、予想は良い方向に裏切られた。しっかりとして滑らかな舌触りのボディ、柑橘はまだ若さを残していてほのかにナッツの香りが漂い、かなり楽しめる。夕食のタマネギとジャガイモをベーコンと一緒に炒めたブラートカルトッフェルもどきに素晴らしく良く合った。アルコール度数を見ると、13%。なるほど、辛口なわけだ。12%以上なら、まず間違いなく辛口と思っていい。ワインが美味しいと、あっという間に中身が減っていく。確か売れ残りの箱にあと何本かあった筈だ。明日にでも買い足しにいこう。そうそう、1月20日から22日まで、トリアーでラインラント・ファルツ州の品評会で賞をとったモーゼルワインの試飲会がある。今年は200種類以上出品されると聞いた。入場料20Euroで誰でも参加できる。詳細はwww.weinforum-trier.de。先週日曜日、葡萄畑から眺めたトリアーの町並み。
2006/01/11
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今週から大学の授業が再開されて、バスもひさしぶりに学生でごったがえしていました。相変わらず寒いです。一日中霧で、遠くの景色は白い幕に閉ざされているようでした。昨日日曜日は晴れたので、葡萄畑で少し写真を。先日入手したタムロンA09の試し撮りです。13生産地域の2005年の状況をひととおりご紹介した最後に、地球温暖化との関連を少しまとめてみました。(14)地球温暖化とドイツワイン2005年の13地域にはそれぞれ違いがあって興味深かったですが、ドイツ全体として生育が前倒しぎみに早くすすむ傾向がここ数年続いており、それが地球温暖化の影響であることは専門家の一致した意見です。温暖化の影響と考えられる主な現象には、以下があげられます。(1) 毎年の様に葡萄が完熟する。(2) ソーヴィニヨン・ブランやメルロ、カベルネ・ソーヴィニヨンなどボルドー系品種の成功。(3) ミュラートゥルガウなど日光に敏感な品種が日焼けを起こす。(4) 本来温暖な南欧の病気であった黒腐病が昨年深刻な被害を与えた。(5) 昔は例外的に温暖な年に現れた蛾の一種が毎年現れるようになった。(6) 葡萄の房の成熟が早く進みすぎ、新酒の段階からすでにペトロール系の熟成香が出て不自然な印象を与える。これを避けるために近年では葡萄の葉を意図的に取り除いて、光合成の進捗を遅らせることが行れている。(7) モーゼルの岩場の急斜面など、かつて高温が生育を助けた畑では年々乾燥ストレスが深刻化している。この傾向がさらに続くと、40~50年後には葡萄栽培地域の北限が200~400km、つまり北ドイツやデンマークの近辺まで移動すると同時に、ラインガウがローヌとほぼ同等の気候になり、暑さに弱いミュラートゥルガウやジルヴァーナーは現在より北方で栽培されるようになることが予測されています。今後ワイン生産地帯が北へ移動する可能性は、すでに現実のものとなりつつあることが、ベルリン近郊(Werderaner Wachtelberg)や、スウェーデンのゴットランド島での葡萄栽培の成功として、新聞で取り上げられていました(Sueddeutsche Zeitung Nr. 287, 13. Dezember 2005)。2006年の葡萄の生育が温暖化の傾向を反映したものとなるのか、それともその逆となるか、今年も見守りたいと思います。
2006/01/09
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午後、それまで景色を包んでいた霧が晴れ、久しぶりの青空が広がりました。土曜とあって町は買い物客でごったがえし、どことなく春を思わせる日差し降り注ぐ歩行者天国には、毎年現れるミモザ売りの姿がありました。「ミモーザ、ミモザはいらんかね!」と、黄色い綿帽子のような花をつけたミモザを手に大声で呼ばわりながら歩き回っています。去年試しに買ってみたのですが、ミモザは日持ちしないそうで、買った翌日にはすっかりしおれて茶色ぽく変色してしまいました。今日のトリアーの歩行者天国。奥に見えるのはヴァイナハツ・マルクトの名残のイルミネーションとクリスマスツリー。アイスヴァインですが、昨年12月30日にはファルツ、ナーエでも収穫に成功したそうです。モーゼルとミッテルラインでは気温が充分に下がらず、葡萄も大半が鳥についばまれるなどして減ってしまったため、すでにあきらめた生産者も少なくない、と地方局SWRで報じていました。さて、生産年レポート最後の生産地域はザーレ・ウンストルートです。現在ヨーロッパで最も北に位置する公式なワイン生産地区で、荒々しい大陸性気候と霜害が特徴の厳しい環境の中、ザーレ川とウンストルート川に沿った南向きの斜面に大半の葡萄畑があり、早熟品種であるミュラートゥルガウが栽培面積の2割強を占めています。13. ザーレ・ウンストルート2004年10月の霜害、氷点下20度に達した長い冬、そして2005年5月の遅霜の後、低温で遅れ気味だった発芽は4月30日頃に始まったが、その後の好天で挽回し、品種によって異なるが6月11~18日に開花がはじまり、月末には花震いもほとんどなく結実した。7月の高温と多雨で葡萄は非常に早い速度で成長し、平年よりも2週間ほど先行するまでに至ったが、同時にペロノスポラに冒されるリスクが高まるとともに、一部に嵐と雹および洪水による被害があった。8月は比較的冷涼な日が続いたため成長速度は遅くなり、8月21~25日にかけて成熟期に入った。9月初旬から中旬まで葡萄は健全そのものだったが、9月末の収穫が始まる頃に腐敗が広がったため、収穫量は昨年に比べてかなり減少し、平均38~55hl/haに留まった。収穫開始はバフースが9月26日、ミュラートゥルガウとポルトギーザーが9月30日、ジルヴァーナーとドルンフェルダーが10月10日、ヴァイスブルグンダーが10月15日、そしてリースリングが10月16日である。果汁糖度は平均すると70~85エクスレだが、10月中旬に収穫されたブルグンダー系品種の果汁糖度は95~100エクスレに達したことから、品質については生産者は満足しているという。参考資料:Das Deutsche Weinmagazin 24/ 19. November 2005
2006/01/07
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相変わらずの寒い日が続いています。夜間に降った雨が雪に変わったらしく、あちこちの屋根には粉砂糖をまぶしたような雪が積もっていました。大学付近の今日の雪景色。収穫年レポート第12弾、今日は旧東独のザクセンです。収穫量の低さが北の産地であることを如実に物語っています。12. ザクセンリースリングの発芽は4月27日に始まり、6月12日に開花を迎えた。9月初旬までの天候は平年並みであった。ペロノスポラ、オイディウムや蛾の被害は抑制出来る範囲に留まった。9月中旬の、所により100mmを越える雨が熟しはじめた葡萄に深刻な影響を与え、びっしりと詰まった粒同士でつぶし合ったり破裂したりした。この為これまでにない腐敗が急速に広がり、ボトリティス用の農薬を散布しても手の施しようがなく、秋の霧が菌類の拡散を促したため、健全な房まで短期間で傷み始めた。収穫作業はミュラートゥルガウの9月29日から、リースリングは10月18日から始まった。収穫の際には念入りな選別作業が必要となり、ハーベストマシンの利用は不可能な状況であった。平年でも収穫量は他の生産地区に対し少なかったのが、2005年はさらに少なくなり、一部の生産者に深刻な状況であったが、手間はかかったものの品質的には上々の収穫となった。平均果汁糖度は65~87エクスレ、収穫量は35~63hl/ha。参考資料:Das Deutsche Winmatazin 24/ 19. November 2005
2006/01/06
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新年に入ってからずっと曇りがちで、今日も午前中は小雪のちらつくどんよりと薄暗い日でした。でも昨年12月21日に冬至の頃の日没は4時30分ころだったのが、最近は5時ごろまで空に明るさが残っています。春はすこしづつ、近づいてきているようです。典型的な冬空のもと、トリアー大のキャンパスにある池には薄く氷が張っていた。撮影1月4日。さて、生産年レポート第11弾、ヘシッシェ・ベルクシュトラーセです。11. ヘシッシェ・ベルクシュトラーセドイツで最も小さく、隣接するバーデンの付け足しのような生産地域であるが、地元では皇帝ヨーゼフ2世が『ドイツのイタリア』と賞賛した温暖な気候を誇りにしているという。2005年の葡萄の生育は、他の産地と比べても確かに早い。4月18~20日にかけて発芽し、4~5月に充分に降ってくれた雨と温暖な天候のお陰で葡萄は急速に成長するとともに、ペロノスポラの発生が危惧されたが、大した問題にはならなかった。6月8日にリースリングの開花が始まった。これはバーデンに次いでファルツとともにドイツでもっとも早い開花である。しかしその後急に気温が氷点近くまで下がり、開花が長引くとともに花震いの被害も少なくなかった。6~8月にかけて控え気味の雨で、降雨量は平年をかなり少まわったが、7月末の時点では平年より10~12日前後早い速度で勢いよく成長し、8月初旬には早くも成熟が始まった。続く8月は冷涼な月だった。9月の雨は土壌のミネラルの吸収と蓄積を助けた一方で、腐敗がとりわけリースリングで広がるきっかけとなった。9月20日に早熟品種から始まった収穫作業は、10月のこれ以上ないほど理想的な天候の中で進み、前年よりも14日も早い10月20日終了した。果汁の品質は2003年に勝るとも劣らない出来栄えで、平均果汁糖度は88エクスレ前後、リースリングのTBAは205エクスレに達した。平均収穫量は65~75hl/haで昨年を16%あまり下回るが、高品質な収穫に生産者は非常に満足しているという。参考資料:Das Deutsche Weinmagazin 24/ 19. November 2005
2006/01/05
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今年(昨年)のアイスヴァインが気になっていたのですが、図書館で新聞のバックナンバーに目を通していたら、12月31日/1月1日付のSueddeutsche Zeitungの一面にアイスヴァイン収穫の写真が出ていました。12月30日早朝にバーデンにあるフライブルク近郊のトゥニベルクと、ザクセンのフレイブルクでアイスヴァインの収穫に成功したそうです。http://de.news.yahoo.com/051230/71/4tfaq.htmlで収穫の様子の映像を見ることが出来ますので、興味のある方はどうぞ。さて、生産年レポートも残すところあと4地区。今日はビュルテンベルクです。10. ビュルテンベルクドイツの13生産地域の中で5番目に大きく、シュトゥットガルトとハイルブロンの間に大半が位置する生産地域ビュルテンベルクは、アールと同様赤ワインが主力の産地で、栽培面積の7割前後を赤用品種が占める。他の産地ではあまり聞かないシュヴァルツリースリング(=ピノ・ムニエ)、レンベルガー(=ブラウフレンキッシュ)に加え、近年では意欲的な醸造所のソーヴィニヨン・ブランが注目を集めつつある。トロリンガーの栽培面積が22.4%と最も大きいが、レンベルガー、ザムトロート、シュペートブルグンダーをバリックで長期間寝かせた濃厚な赤をリリースする醸造所も増えており、大半が地元で消費される口当たりのいいロゼかほの甘い赤がメインの生産地域というイメージは、様変わりしつつあるようだ。4月14日にケルナーとレンベルガーから始まった発芽は、ジルヴァーナー(4/15)、ミュラートゥルガウ(4/16)、リースリング(4/18)、シュヴァルツリースリング(4/19)、そして最後にトロリンガー(4/21)と続いた。開花はシュヴァルツリースリングの6月12日から始まったが、6月15日までには全ての品種で開花が観察された。開花の期間中は理想的な天候が続き、平年並みに結実。冬の降雨量も充分だったため、葡萄は順調に成長した。7月末の雹を伴う豪雨も大した被害ももたらすことなく、逆に不足ぎみだった降雨量を平年並みにした。成長期に順調な天候が続いたことから、質・量ともに上々の収穫が期待されたため、8月中旬から下旬にかけての成熟開始時期に房の間引きが行われ、高品質な収穫を確かなものとした。病害虫も対応しうる範囲内に留まり、とりわけフェロモン誘因による蛾の対策は地域全体で効果を発揮し、その結果殺虫剤の散布も行わずに済んだ。収穫作業は9月20日のミュラートゥルガウから始まり、続いてケルナーとシュヴァルツリースリング(9/26)、ジルヴァーナー(10/4)、トロリンガーとリースリング(10/10)、最後にレンベルガー(10/17)へと進んだ。まさにゴールデン・オクトーバーと言える10月の好天により、大半が健全な状態で収穫され、どの品種もほとんどがQmP以上の果汁糖度に達したが、うち25%が実際にQmPとしてリリースされ、残りはQbAとなる見込み。平均収穫量は80~120hl/haで、生産者は非常に満足しているという。参考資料:Das Deutsche Weinmagazin 24/ 19. November 2005最近花屋でみかける水仙の鉢植え。
2006/01/04
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バイエルンでは大雪で、ニュースでは屋根に積もった雪の重みで倒壊したスケート場の惨事がメインニュースとして繰り返し流れていましたが、トリアー近辺では雪はどこにも見あたらず、時々青空がみえる穏やかな一日でした。これまで11月末に一度アイスヴァインが出来るか出来ないか位に冷え込んだことがありましたが、今年はまだ収穫に成功したという話を聞いていません。週末には氷点下4度前後まで下がるようですが、どうなるでしょうか。雪景色の中の電話ボックス。最近は携帯の普及と柱だけの公衆電話にとって変わられつつあります。さて、今日は生産年レポート第九弾、ミッテルラインです。ドイツ13生産地域のうちヘシッシェ・ベルクシュトラーセとザクセンに次いで3番目に小さく、モーゼルの5%に相当する面積しかありませんが、それでも地区によって差が出たようです。9. ミッテルライン成長速度は平年より若干速く、リースリングの発芽は5月1日(平年と同じ)、開花は6月13日(平年6月17日)に始まった。結実後の実は小さく、順調に成長したことから、質・量ともに恵まれた年になることが期待されていた。しかし7月27日の豪雨と雹で、オーバーヴェーゼルとカウプ一帯で深刻な被害に見舞われ、ウルバー、ダムシャイド、エンゲヘル、デルホーフェンの村々では収穫の全てが失われ、ローレライ一帯の葡萄畑では30~80%の損害を被ったが、その他の地区、特にポッパルトから下流では雨が却って好影響をもたらした。7月より若干冷涼な8月には適度な降雨が畑を潤したが、実際には5月から9月にかけての降雨量は若干不足気味だった。しかし感覚とは異なり、実際にデータを比較すると、月間平均気温は常に平年を上回っていたことがわかる。成熟が始まった8月14日(平年8月21日)以降、果汁糖度は週ごとに6~7エクスレ上昇し、当初の酸度は25g/Literと平年並みに高かったが12~10g/Literまでは急速に低下し、それ以上は収穫までほとんど下がらなかった。9月末に一部の果粒にボトリティス菌による損傷が見られた。その後の好天続きで貴腐となり、10月中旬には125エクスレ以上に達するベーレンアウスレーゼの収穫に成功した一方で、同じボトリティス菌の影響で地面に自然落下する房もあり、収穫量減少の一因となった。黒腐病や果実の日焼けで果皮が痛んだり、蛾の被害も若干あった。ほどほどに雨が降ったため、葡萄の組織は乾燥した昨年、一昨年ほどしっかりしておらず、雨、露、霧などで繁殖したボトリティスに対する抵抗力が弱かったようだ。早熟品種の収穫は10月初旬に始まり、リースリングの収穫は腐敗の進み具合で開始時期が異なったが、10月10日前後に収穫の山場を迎え、月末まで続いた。一部で雹により全滅の被害を被った一方、リースリングの収穫量は100hl/haに達したところもあるが、大半は50hl/ha前後にとどまった。果汁糖度も地区により70エクスレから90エクスレとバラツキがあるが、最終的にほとんどのリースリングは糖度85~90エクスレ、酸度8g/Literに達した。力強くフルーティでストラクチャのしっかりしたワインになりそうだという。参考資料:Das Deutsche Weinmagazin 24/ 19. November 2005
2006/01/03
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日本では正月三が日は祝日ですが、ドイツでは2日から平日に戻ります。学食も図書館も今日から営業開始で、クリスマス前から続いていたお祭りモードは一段落。もっとも、授業は来週からなので構内は人気も少なく、のどかでした。さて、生産年レポート新年第二弾はラインヘッセンです。8. ラインヘッセンラインヘッセンはドイツ最大の栽培面積を占めるワイン生産地区で、それぞれ南と西に境界を接するファルツおよびナーエと生産年の状況はほぼ似ているものの、栽培されている葡萄品種のうちリースリングはラインヘッセンではミュラートゥルガウ(18.0%)、ドルンフェルダー(12.5%)、ジルヴァーナー(10.3%)に続いて10.1%で4位であるのに対し、ファルツ、ナーエではそれぞれ20.1%、25.1%で最も栽培されている。ここからもラインヘッセンで生産されているのは日常消費向け量産品が中心であることが読み取れるが、近年は若手醸造家を中心に品質向上とマーケティングに意欲的な動きが見られる。発芽は平年より数日早く4月17日から24日かけて始まり、6月7日にシュペートブルグンダーが開花、9日にミュラートゥルガウ、翌10日にドルンフェルダー、12日にジルヴァーナー、そして最後に13日にリースリングと続き、22日ごろに全ての畑で開花が完了した。花震いと花序ペロノスポラにより果粒が密集しすぎることもなく、予測された過度の高温も訪れなかったため、果実は順調に糖度を増した。夏の乾燥と水不足が収穫量を抑え、8月中旬の雨も地区によって差があり、水不足を全域で解決することにはならなかった。夏を通じて病害虫の被害もほとんど無かったが、9月10日頃に降った雨でボトリティスが一気に広がり、果皮が破れる房も出てきたことから、収穫開始時期の決定に腐敗の進行状況を考慮する必要が生じた。幸い秋の好天が腐敗部分を乾燥させたため、果汁糖度の増加を伴う貴腐への転換が見られた。収穫作業はミュラートゥルガウが平年より10日ほど早い9月19日に、ドルンフェルダー、シュペートブルグンダー、ジルヴァーナーがそれぞれ9月26日、リースリングは10月4日に始まった。平均果汁糖度は期待以上で、リースリングで86エクスレ(平年72エクスレ)、シュペートブルグンダーでは95エクスレ(平年76エクスレ)に達した。酸度はリースリングで7.6g/リットルと低めなこともあり、調和のとれた味わいになりそうだという。平均収穫量はリースリングで80hl/ha(平年85hl/ha)、ミュラートゥルガウで108hl/ha(平年110hl/ha)。ボトリティスの被害にあった収穫は醸造過程での改善-恐らく活性炭による雑味の除去-が必要となりそうだ。参考資料:Das Deutsche Weinmagazin 24/ 19. November 2005ザールブルクの町にある小さな滝。水車を回すのに活用される水力は、昔は主食であるパンに必要な製粉に欠かせない動力だった。撮影12月29日。
2006/01/02
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新年あけましておめでとうございます。大晦日は時々小雨がぱらついたものの、午前0時に町中から花火が打ち上がる様子を、丘の上から見ることが出来ました。0時前からすでにあちこちで打ち上がりはじめており、手元の腕時計でカウントダウンしてゼクトのコルクを抜いたのですが、それから10秒くらいしてから眼下の花火の量が一気に増えたので、僕たちはどうもフライングして新年を祝ってしまったようです。アパートへ帰る道すがらもあちこちで花火を上げている家族や若者たちがおり、「新年おめでとう!」「おめでとう!」と挨拶しながら帰ってきました。さて、今日は2年がかりのプロジェクト(^^;、生産年レポート第7弾、ナーエです。7. ナーエ2005年の生育は平年より数日早く進み、リースリングの発芽は4月27日(平年5月2日)、開花は6月19日(平年6月21日)に観察された。6月、7月の順調な天候の後、8月は冷涼で変わりやすい天気が続き、平均気温は平年並みだが、降雨量は平年の半分ほどで、8月末に一部の畑で乾燥ストレスの兆候が見られた。一気に夏らしい暑さが戻って来たその頃、葡萄の果皮が暗緑色に染まり、やがて茶色に変色し、粒がしぼむ症状が、早熟品種のバッフスやミュラートゥルガウに現れ、後に他の品種にも観察された。直射日光のあたる部分にとくに多く見られたそれは、当初ボトリティスによるものと推測されたが、実際は日焼けによる被害であった。丁度成熟がはじまりかけた時期と症状の出たタイミングが一致することから、物質交代が成熟へ転換する時期の葡萄の敏感さを示したものといえるが、オゾン層破壊との関連も考えられる。9月に入り引き続き乾燥した天気が続いたため、黴の被害にあった房も乾き、非常に順調に成熟した。実の付きぐあいは果粒がやや小さく、粒と粒の間隔もあいていたが、9月の平年並みの降雨量で、乾燥ストレスから葡萄は回復するとともに果粒もふくらんだ。9月上旬に普通は地中に生息しているはさみ虫がしばしば葡萄の房に生息しているのがみられた。葡萄に損傷を与えた様子もないこと、9月下旬から10月はじめの雨の後に再び地中に戻ったことから、暑く乾燥した地面から一時的に避難してきたものと思われる。秋が深まるにつれて腐敗が広がり、リースリングでは地面に落下する房も目に付くようになった。一方で葡萄を極限まで完熟させつつ、一方でベーシックなワインにする健全な収穫の充分な量を確保するため、収穫時期の決定には経験と勘が必要とされる。多くの醸造所では秋の好天を充分に活用して完熟した房を収穫したが、そのぶん腐敗による損失で収穫量は減った。ミュラートゥルガウの収穫は9月26日(平年9月30日)リースリングの収穫は平年より5日早い10月14日に始まり、リースリングの平均果汁糖度は90エクスレ(平年74エクスレ)に達し、収穫量は75hl/ha (平年81hl/ha)に留まった。ナーエの中でもばらつきがあり、早期に収穫を始めた地区は収穫量が多く、遅くなるほど収穫量は少ない。しかし早期に収穫を始めた地区でも、例年に比べて果汁糖度は高かった。リースリングでは30%がQbA、70%がQmPの基準をクリアしているが、QmPの一部はQbAに格下げしてリリースされる見込み。参考資料:Das Deutsche Weinmagazin 24/ 19. November 2005.12月29日、車窓から撮ったオックフェンの村と、背後のボックシュタインの畑。
2006/01/01
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