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雪 しんしんとふる 静寂の朝 すべての音を呑み込んで。 平成の開国などと 嘘ぶいて、 例外無しに関税撤廃するというTPP、 環太平洋連携協定(TPP)に加わって、それを推進することに、内閣の命をかけるという。最後の砦、食料も外国任せにするという。 それが平成の開国だと言う。 農業のもつ根っこの特殊性を全く見ぬふりして あるいは無知か。 効率と金儲けだけが国を開国するという彼ら。ますます、壊国へと向かおうとしているのがお前らの目には見えないか。 またぞろ、 財源がない、お金がないとの大合唱させて、国民に増税は仕方がないと思い込ませ、未来の子孫に借金を負わせる事は出来ないなどとメディアや国民に大合唱させて、着々と消費税導入のレールを敷いている。 またぞろ、あの小泉内閣時代の自己責任の自由競争の理論横行する国家をまるごと賭博させ、金儲けめざす、内閣が誕生した。 本当にお金は底をついているか? 本当にそうか?お金は余りに余り、行き場を失って、投機に流れ込もうとしているというのに。 このお金をどうして、必要としているところに流れさせないのか、それをやるのが政治というものではないか?強い政治というものではないか。 似非世論調査に右往左往として、世論のご機嫌伺って、官僚の強大な権力に呑み込まれ、前よりも一層、強大な権力の思うままになっている今の政権。 国民が、お前達に求めたものはアメリカから自主的に立ち居振舞う外交と安心して暮らせる社会への転換だ。 菅直人内閣よ、老いぼれた老人まで、取り込んで、引き摺り出して、またぞろ、あの、小泉内閣のめざした、身勝手な自己責任の放縦な資本主義社会を推し進めようというのか? この内閣は、どこまで、迎合をくりかえし、転落していくのか?この内閣は品格のかけらもなく、ただ、汲々と権力にしがみついている。混迷しているとき、いつも世間が叫ぶのが一致できるところで、みんなが一緒になってやれという、体制迎合論だ。 このような風潮の危険性と何も建設的なものは生まないということは、すでに歴史の証明済みだ。 しんしんと降る すべてを呑み込んで 深々と降る 静寂の朝 2011年1月17日日本列島は大雪に見舞われている
2011.01.17
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寒中お見舞い申し上げます 今年の冬は昨年の12月末よりかなり厳しい寒さとなった。私の地方は雪こそまだ本格的には降っていないがこのところ連日最低温度は氷点下になっている。今日で7日連続最低温度氷点下の冬日である。 その寒さにきたえられ、瑞々しく活き活きした大根 首から根っこの先まで緑色切ると、はっとするほど美しい淡いグリーンが 寒に耐えビタミンいっぱい ビタミン大根温室育ちで、とてもキュウリとは思えないまずい冬のキュウリの代わりに生野菜のサラダにぴったりビタミン大根少しぴりっと、でも少し甘い大根 ニンジンも赤色ますます鮮やかほっこりしたやわらかな土の中で寒に鍛えられわが家の食卓にやって来た ニンジンもほのかに甘味増し鍋に、お味噌汁の具に、生で野菜サラダに色々な場面で活躍しているニンジンさん。九条葱も ほんのり甘くやわらか。お鍋にお味噌汁に活躍中 これも大根紅芯大根 根っこはほんのり紅おびて、切れば、中味は濃い紅いろビタミン大根のグリーンと紅芯大根の紅冬の野菜ならではの爽やかな鮮やかさ瑞々しさ鮮やかな色の共演毎朝、サラダにして頂いています。これらの野菜は、私がいつも購入している、自然農法を追求して、野菜作りに励んでいる若者の作物です。自然の恵みいっぱいつまった汗と労苦のたまものによるものです。 おいしい野菜に感謝! シクラメンの花 やわらかな冬のひかりさしこむ窓辺外の寒さを拒絶してそこだけが暖かな春の陽だまり 濃い青緑の葉っぱ水分をたっぷり溜め込んだ分厚な葉っぱから 力強くすくっと立ち上がり火のように燃えて咲く 戸外は裸木に木枯らし、吹きぬけ凍えてる
2011.01.13
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北部アルゼンチン・フォルクロールを訪ねる旅(15回目)サボテン(その2)サボテンは紀元前1万年前の昔から人々の暮らしのなかにあり、人々の文明を支える重要な植物であった。 (青銅色の山肌を背に、大きなハシラサボテンがにょきにょきと林立)メキシコのテワカン遺跡からは十数種のサボテンが出土している。ハシラサボテン類の種子と果実や、ウチワサボテン属の果実、種子などを、すでにその頃人々は食べていたという。(実をつけたウチワサボテン。3000メートル級の高い山々の強い日差しと寒暖の差が大きな厳しい気候条件のなかで、長い年月をかけて生育するサボテンの木。)アステカ族では、サボテンに含まれるアルカロイド成分を利用して麻酔剤やアルコール飲料にしたりした。また、食べる快感とともに多彩な幻覚症状を引き起こすことを利用して、儀式で生贄になる者に、これを食べさせ、恐怖を取り除いたという。さらにアステカ族の神話によれば、「岩の上のウチワサボテンに一羽の鷲が蛇をくわえて、止まっている場所に都を建設せよ。」という神託に従って、1325年テノチィトラン(メキシコ市)の地を選んで都を定めたという。 メキシコの国章は、この伝承を図案化したもの。 プルママルカのホテルの板のドアーの木目サボテンの材から作ったもの サボテンの芯材は建材、家具、道具などに、 トゲは入れ墨の針に、茎は胃薬やリウマチの民間薬に利用された。さらに、さらに、コチニールウチワサボテンに付くエンジムシ(カイガラムシの一種)からは、赤色染料カーミンが取れ、ペルーのモチーカ文化(1~6世紀)の壺にはすでに、その染料は使われていた。(現代でもコチニールという表記で、食紅や化粧品のなかで使われている。)このように、サボテンは古くから原住民の生活と深く結びついて、人々の生活を支えてきたのである。 そんなサボテンを歌った歌「カルドンの花」自然の懐に抱かれて自然と渾然と溶け合って生きるインデイアの自然への畏敬の念をこめた哀しくも美しい恋の歌。優しい穏やかなメロディーでサボテンを歌っている。(カルドン:Cardon ケチュア語で綿花や羊毛の繊維を梳く「梳毛機」の意味があり、サボテンのことをいう。) La Flor del Cardónカルドン(サボテン)の花 訳詞 : Mr.Danjose Vine del cerro trujiendo una flor, 山から花をもってまいりました。 Virgen del Valle la truje pa´vos, 谷の聖母マリアさま。pa´que alivies mi dolor あなたに花を持って来ました。 l´hai de poner en tu altar, ぼくの痛みを和らげていただきたくて、 la flor del cardón, la flor del cardón. この花をあなたにお供えします。 カルドンの花、カルドンの花。 Desde la cumbre del chango Real, チャンコ・レアルの頂きから、 vengo a pedirte que curis mi mal, 病を治して頂きたくてまいりました。 mi coyita me ha dejau´, 恋人がぼくを捨てました。 tal vez pa´ verme llorar, たぶん、ぼくが泣くのを見たかったのでしょう。 la flor del cardón, la flor del cardón. カルドンの花、カルドンの花。 Mi chuspa, coca y mi yesquero, ぼくの皮袋、コカの葉、火打石入れ。 tuito te traigo volveme ese amor. みんな君にあげるから、その愛を返して・・・。 Virgen del Valle me voy, 谷の聖母マリアさま。 ya ha comenzao´ a nevar, ぼくはもう帰ります。雪が降ってきたから。 la flor del cardón, la flor del cardón. カルドンの花、カルドンの花。 Los chrachalerosの歌うサボテンの花を You-tubeでどうぞ。
2011.01.10
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北部アルゼンチンフォルクロールを訪ねる旅 (14回目 ) サボテン(その1)数万年の歳月を厳しい乾いて山岳高地に生き続けているサボテン 荒々しい岩肌断崖数万年に及ぶ風雪に耐え続け変化を繰り返し今ここにある大地の姿 青銅色の岩肌に強い日差し反射して林立するサボテンに降り注がれる。山岳高地の強い風、強い日差し、あくまで乾いた空気、寒暖のの差が激しい大地。これらの厳しい生育環境に徹底して順応し、極限の形としての姿が今ここにある。この厳しい自然環境に適応すべく数万年の歳月をかけて進化した姿サボテンサボテン科(cactaceae)のハシラサボテン亜科(Cereoideae)セレウス類(Cereus)に属するハシラサボテン。太い柱状で分枝が多い。ハシラサボテンの仲間は地域性強く多くの属に分かれている。この仲間は全体として巨大なものが多い。トロ川流域では標高3000~3300メートルのこの辺り一帯がハシラサボテン類が最も多く生えている。根は浅く広く張りめぐらし雨季に水を取り込みやすくし、葉はほぼ退化してするどい針に変化し、茎に水を蓄え多肉化して、次の雨が来るまでの分を茎に蓄えている。背の高い柱状のサボテンが強風に倒れないのは、1本の太く長い根っこがあるためという。そして、驚くべきことに貴重な水の蒸散を最小限にとどめるために、昼間に太陽の光りを溶解状態で蓄えている二酸化炭素に加えておき、夜に光合成をおこなうという。休眠期間が長く、活動期はほんのわずかのため、1年に伸長するのはほんのわずか。1cmぐらいという。巨大な背の高さになるには、長い歳月が必要である。根の構造といい、茎の構造といい、緯度は低いが高い山岳地帯の極度に乾燥した環境に極限まで順応しているそのさまに感動する。その時間の長さに感動する。 ハシラサボテン天空に聳えて(遺跡&サボテン園:巨大なハシラサボテンが林立している。)サボテン園のサボテンウチワサボテンウチワサボテン亜科(Opuntioideae)ウチワサボテン属(Opuntia)学名:Opuntia ficus-indicaアルゼンチンのサルタの山岳地域に広く分布している。メキシコ原産。英名:prickly pears(トゲだらけの梨);Indian fig(インディアのイチジク)スペイン語:tuna(ツーナ) ウチワサボテン類の果実は赤、ワインレッド、グリーン、イエローオレンジ色など多様な色合をしていて、甘く水分が多い。メキシコではツーナ(tuna)と呼ばれ、食用として、栽培もされている。 生食のほかジュース、発酵飲料、砂糖漬けなど、茎はピクルスにされたり、髄は野菜お菓子など、幅広く食用に利用されている。ツーナの実 この赤い果実もウチワサボテン類のもので食べると甘くてジュースィ アップすると サボテンが食用とされる代表に、上記のツーナともうひとつピタヤ(pitaya)がある。ピタヤは、主としてハシラサボテンのなかまのヒロセレウス属の果実である。メキシコからペルー、西インド諸島に自生し、夜に大きな花を咲かせるという。アンデス山脈に自生するハシラサボテンのなかまシロサボテン (ハシラサボテン亜科;オレオセレウス属。中形の柱状で、白毛が密生。強いとげがある。)セレウス類のサボテンは建築用の建材に使うという。 プルママルカのホテルのサボテンから 作った 板のドアー 一般には、サボテンの茎は木質化しないので、腐ると篩管部が網目状に残る。これはレースウッドと呼ばれ、箱や電気スタンドを作り、民芸品として売られている。 サボテンと花 黄色い花とサボテンの共演後ろの黄色い花の葉っぱもサボテンの茎のように多肉化している。何という名前の花かしら?サボテンばかりの荒涼とした風景のなかでほっとする緑のある風景。 サボテン科は分類学的には、コノハサボテン類、ウチワサボテン類、ハシラサボテン類の3つの亜科に別れ、さらにその下の属の数は80前後とされているという(色々説がわかれているらしいが)。南北アメリカ大陸およびそれに付随する島々の乾燥した地域に多くは自生している。 サボテンは私にとっては、遠い国の馴染みのない植物で関心少ない植物であったが、今回、このブログを書くにあたり、色々調べてみて、サボテンの植生というものの凄さを認識した。長い歳月をかけて、その環境に順応した姿になるとともに、他の動物や人間との巧みな共生、生き物間の循環など、全くの無駄なく機能するように作り出されているのには、驚く。古代の人々がこれらを神の創造物として崇めたのもうなずける。サボテン(その2)を次回にアップする予定ですが、原住民インディアの歌う「サボテンの歌」「La Flor der Cardon ]を紹介します。素朴で優しい歌です。
2011.01.09
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2011年明けましておめでとうございます 私の散歩道・森林公園の山道には、今、フユイチゴが盛りと実っています 地を這ってからまりあって何処までも伸びる旺盛な生命力フユイチゴ落葉して明るくなった枯れた雑木林にひときわ濃いグリーンの葉っぱをひとり大地に張り巡らして可愛らしい赤い実をそこここに、まき散らしてルビーのように光る果実でもその実にもその茎にも荒々しいトゲがいっぱい厳しい寒に耐え、みのる実は人を毅然と拒んでいる 私の母や祖母の一生にも似て。 またひとつ齢を重ね、残された生きる時間ははっきりと目に見えて来た。 2020年代には国立社会保障・人口問題研究所の推計では、団塊世代が後期高齢者になり、毎年の死亡数は150万人台に達し、出生数の2倍になるという。高齢化率は30%に達する。 2030年代にはこの時期、中高年となる団塊ジュニア前後の男性の単身化がとりわけ進み生涯未婚率は男性3割、女性2割を超えると予測されている。1990年生まれの女性の場合3分の1以上が子をもたず、半数が孫を持たない計算になるという。現在農村部で起きている高齢化とは質的に異なる極めて多くの中高年の単身者が、都市部に溢れ深刻な都市問題が起きると予測されている。これは私の孫・ことねやちさが成人して社会に巣立つ頃の社会情勢である。 現在も社会は激しく変動しているが、まだまだ目に見えている部分は少ない。見えていないがために人々の多くは気づいていない。しかし、今、社会の深部で進行していることが孫たちが社会に巣立つ頃には誰の目にもはっきりと見えてくる。その時の備えを私たちはしているか?もし、いのち永らえていたら私たちは高齢者として、社会のお荷物になっているのか?そのころになって、私たちはどのような生をまっとうしよと、今を生きているか。今何を準備しつつあるか。よくよく考えて、人生最終ランドの身支度をしなくては。子に継がせる財もなく、はなはだ心細い余生ではあるが、若い者たちに、ほどほどに迷惑をかけつつも精神的に毅然と自立して生きる人生でありたい。そのためにもまずは健康、加齢とともに弱り故障する肉体を労わりつつ鍛えてまずは健康、 今年もこのような心がけで日々進化しつづける老人をめざしたい。 遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しく。 お正月は、息子夫婦が東京から帰省し、私の実家の姪や甥の家族と若者たちが一同に会して、にぎやかに過ごしました。特に、息子のKenは30にしてようやく、自分の目指したい、自分に合っている仕事で、将来設計を落ち着いて見通せる位置にたどり着き、これで自分のキャリアをどんどんつけるべく努力邁進出来そうな予測可能なところに到達して、親としては、ほっとしたお正月を迎えました。肩の荷がやっとおりました。 息子と色々話す機会を久しぶりに持ち、青年として、しっかり自分の足で立てるよう成長しているさまに、親の出る幕は、もうないと実感でき嬉しく感じました。 そして、日本の経済の最前線であがいている青年達はその組織に対する考え方、組織との距離のとり方、自分のキャリア形成の仕方など、私たち親世代とは質的に異なる見通し、実践を着実にしており、この青年達が、やがて日本の指導層になっていったとき日本もかなり変革できているのではないかという明るい希望も持てました。そのような青年達の一群が日々必死に未来にむけて格闘している世界があるということを実感でき、とても勇気をもらいました。 日本の社会は今、最前線では古いものとそれを否定する若いエネルギーの厳しいつばぜり合いがあり、まだ、表舞台には出てきていない新しい力が徐々に形をなしつつあることも見えてきて、頼もしく感じました。 生まれる命よりも、死亡する人数の方が2倍も多くなり、超高齢化社会になる20年後以降の日本、私たちが超高齢となったとき、今の巨大組織の企業のあり方は多分崩壊へとむかっているでしょう。新しく生まれ変われない企業は退場していることでしょう。 その時社会を創造的に変革していける価値観が何よりも要求され、より民主主義的な感性の人間像を社会は要求するのでは。 今の学校教育はその20年先30年先を見通したものであるか?子育ては、20年後30年後の社会をを見通しておこなわれているか?2011年は、新しい創造的な人間を育てる価値観はどうあるべきか、益々、身近な課題として、厳しく問われている。
2011.01.04
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