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秋のサンティアゴ巡礼街道(6)ウスベニアオイの花さく巡礼街道の街オルニージョス沿道には木一本なく、道端の草花はすべて枯れ茶褐色一色の寂寞とした大地を歩き、歩き続けて20数キロたどり着いた第一日目の巡礼宿の町オルニージョス 午後三時半、ひっそりと秋の柔らかな光りに包まれてしーんと静まり返って眠っている街オルニージョス。疲労困憊した巡礼の旅人の影法師だけがただ通りを行き交っている街町の人々は、シエスタ(昼寝)の時間でうとうとと柔らかな秋の午後をまどろんでいる。その静けさ、その物憂さ、時間が止まったままである。中世のまま時間が止まっている。今日の宿は、オルニージョス教会の巡礼宿その教会の周囲に咲いていた花ウスベニアオイ(薄紅葵)《アオイ科、ゼニアオイ属。学名:Malva sylvestris;英語名Common Mallow(コモンマロウ) 和名:ウスベニアオイ。未開地、荒地、道端などに自生。ヨーロッパ。地中海沿岸に分布。花期4~9月。ハーブとして人気があり、栽培されている。マロウテーは、レモンを入れるとブルーからピンク色に変り、やがて消えることから夜明けのティーと呼ばれている。花、葉、若い芽は食用になる。薬効もあり、抗炎症、収れん、暖下作用あり、葉をもんで、虫指され傷の手当に使う。タチアオイ(立葵)《アオイ科、タチアオイ属。学名:Althaea rosea,英語名Common Hollyhock(ホリホック)花期:6月~8月。瓦礫地や雑木林に自生。原産国は中国。16世紀にヨーロッパにもたらされた。英名「ホリホック」はホリーホック聖地のことで、かつて十字軍がシリアから持ち帰ったという説があることから。現代では、ハーブとして、庭での栽培も盛ん。花はお茶や染料として用いられ根や葉にはゼニアオイ同様薬効がある。9月の終わりだというのに咲いていたタチアオイとウスベニアオイの花何かしら懐かしいものに出遭ってこころが和んだ。枯れ色の世界から来た巡礼者の心には薄紅の花びらは、まぶしく華やぐ。ぎらぎらと太陽がく輝く日本の夏にタチアオイの花の赤やピンクが鮮やかに競い合って入道雲がムクムクと湧く真っ青な空に向かって何処までも伸びるあのあでやかさ、あの力強さとは違う、野に咲く花の可憐さと薄紅の深い色合いがどこか寂しげな秋の巡礼街道を、趣深いものにしていた。
2007.01.26
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秋のサンティアゴ巡礼街道(番外編)大学センター入試問題(世界史B)に出題されたサンティアゴ巡礼街道1/20~21日の2日間にわたり行われた大学入試センター試験の世界史Bに、このブログで連載中のサンティアゴ巡礼街道に関する問題が次のように出題されていた。世界史B 第1問の問題(原文のまま転載)第1問 聖地や霊場への巡礼は、その地に関する情報の蓄積や交通の発達とともに盛んになった。信仰の地を訪れる旅と、それを引き起こした社会現象について述べた次の文章A~Cを読み、下の問いに答えよ。 A イベリア半島北西部のガリシア地方に位置するサンティアゴ=デ=コンポステラは、(1)キリスト教の重要なな巡礼地の一つである。9世紀に、イエスの使徒の一人ヤコブの墓とされるものが発見され、キリスト教の聖地となり、ヨーロッパ各地から巡礼者が多く訪れるようになった。「サンティアゴの道」と呼ばれる巡礼路が形成され、ヤコブは、(2)巡礼者や旅人の守護聖人として崇拝を集めることになる。その一方で、イベリア半島のおける(3)レコンキスタ(国土回復運動)が盛んになると、異教徒に対して戦うキリスト教徒の守護聖人として位置づけられるようにもなった。 (写真はDanjoseが撮影したもの。これらと同じような写真が問題文にも掲載されていた) サンティアゴ・デ・コンポステラの聖堂にあるヤコブ像 (左が巡礼者としてのヤコブ、右が異教徒と戦うヤコブ)問1 下線部(1)について述べた文として正しいものを、次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。 (1) イスラーム教を批判したイエスの教えをもとに、成立した。 (2) 『新約聖書』を経典とする。 (3) ディオクレティアヌス帝によって国教とされた。 (4) クレルモン教会会議(公会議)において、ウィクリフが異端とされた。問2 下線部(2)に関連して、旅行や航海について述べた文として正しいものを、次の(1)~(4)から選らべ。 (1)コロンブスは、スペインのイサベル女王の後援を受け、カリカットに到達した。 (2)クックは、ポルトガルのジョアン2世の後援を受け、太平洋の島々を探検した。 (3)カブラルがブラジルに漂着し、そこをポルトガル領にした。 (4)リヴィングストンは、アフリカ内陸部を探検し、アクスム王国を訪れた。問3 下線部(3)が行われた時期のイベリア半島について述べた文として正しいものを、次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。 (1)アッバース朝から独立した西ゴート王国の王が、カリフを称した。 (2)イベリア半島西部にアラゴン王国が建国された。 (3)イベリア半島に進出したムワッヒド朝は、ムラービト朝に滅ぼされた。 (4)ナスル朝が、グラナダにアルハンブラ宮殿を建てた。以上が世界史Bのセンター試験第一問目の一部で、さらにアンコールワットへの参詣、イスラーム教の巡礼の問題へと計9問設問されている。これらの問題に解答できましたか?私は、サンティアゴ巡礼街道の記事をこのブログに書くために、それなりに中世ヨーロッパについて勉強した。その私は、3問中1問しか正解出来ていない。それ以上に、これらの問題のねらいは何か、受験者のどんな力を試そうとしているのかよく分からない。世界史Bは、必修科目の履修漏れが発覚して、世間が大騒ぎした教科である。なぜ、高校は嘘までついて、履修したことにしたか。「世界史履修漏れ」事件騒動の時に、管理者(校長)のモラルを世間はバッシングすることに急であったが、高校の歴史授業がどう行われているかについては、ほとんど誰も問いかけていなかったといってよい。日本史Bもそうであるが、高校の歴史の授業が、非常に瑣末な膨大な知識、語句の暗記教科になっており、子供たちに歴史ぎらい、歴史への無関心を大量に作り出している。ある一定量の知識の暗記、そのための反復の勉強を私は否定するものではないが、意味もなくただ膨大な量を暗記して、エネルギーを無為にすることは、かえって害ではないか。『サンティアゴ巡礼街道』とこれらの設問にどんな有機的な意味があるのか。ヤコブ像の写真は、問題文や設問にどんな関連づけがあるのか。(ただ、気休めに、安直にその場を飾るために挿入しただけではないか)『サンテイアゴの道』を暗記することが、その子どもの歴史観に何をもたらすと云うのか。問題の出題者にその出題の意図を問いたい。現代社会は、過去のどの時代よりも、世界がボーダレスの状態で日々進行している。子供達が世界史を学ぶ意義は、かってなく重要であるといっていい。過去の人類がどう生き、どんな社会を築いてきたのか。その歴史的認識の学習なしには、現代社会を深くとらえ、人間としてどのような技能や知識を学び身につけていくことが、未来を生きる力になるのかという、広い意味での教養、知性を身につける事は、ほとんど不可能といってよい。瑣末な膨大な知識は、過去の本のなかにあり、膨大な記録された過去の資料のなかにある。その過去の膨大な遺産の中から、何をどう学ばせるのが現代の子供たちには必要か、何を身につけさせることが歴史を学ぶことか、検討し精選しなければいけないのではないか。とりわけ青年期の子供達が、世界を見る目を大きく変えたり、世界を深く考えたりする基盤を作るような基礎学習をするには、どう歴史の教科を編成し、授業を展開していくかが厳しく問われている。このことを欠いたまま、ただ単位の履修もれを「補習」で補っても、根本的な解決にならない。現場は益々混乱するばかりだ。逆にいえば、履修しなくても、将来の勉強には余り関係ない内容だということを暴露しているだけである。特に世界史Bを学ぶレベルの高校は、将来日本の中核を形成するであろう青年達が多く学んでいる。とりわけ理科系に進む生徒に未履修が多い。このコースの国立大学を志望している生徒は、気の毒なくらい多量な科目をこなさなければならない。その量を高い質に転化できないような学習内容にとどまっている限り、未来を担う有能な人材を育てる教育など絵空ごとである。理科系の青年にこそ、将来社会人として起つときの価値基準を形成していく土壌のひとつとして、世界史の教養的意義は重要だ。
2007.01.22
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秋のサンティアゴ巡礼街道(5)農家の石垣に群生して咲くイタドリの花歩けども歩けども枯野が続く一日、優に20kmを超えても枯野ばかりを歩く秋のカミーノ。そんな茶褐色の世界に絶妙な色のハーモニーをかもしだして、農家の石垣に淡いクリーム色に群がって咲くイタドリ(虎杖)の花この白い群生はロンドンでも空港から市内に向かう電車でしばしば見かけたもの。秋の巡礼街道でも、石崖や土手に他の花にまぎれてあちこちに見かける白い群れイタドリの花(トケイソウの花咲く石崖に、イタドリの白い花も紛れ込んで咲く。写真左側の花)イタドリはJapanese Knotweedという呼び名を持っている、日本原産のタデ科の植物。イタドリは、1825年にイギリスに装飾植物として日本から輸入された。その後、次々にオランダに、北米にと広がり土壌の侵食を防いだり、家畜の餌として利用された。しかし、現代では、その旺盛な繁殖力で、瞬く間に野生化して自然の生態系を破壊したり、洪水の原因になるなど厄介ものとなっている。しかし、花の少ないこの時期には、ハチの密源として貴重な花イタドリ。養蜂業者にとっては有用な植物でもある。サンティアゴ巡礼街道にも咲くイタドリは千年余りの時空を超えて、今もなお、いのちを繋ぎ枯れた大地に、旺盛に咲ききっている。《花の名一口メモ》イタドリ(虎杖)(私の散歩道のマンジョンの生垣にまぎれて咲くイタドリの花:by fujiko)雌雄異株でイギリスに輸出されたのは雌株のみにもかかわらず根によって増え、強い繁殖力。Japanese knotweedの別名があるが、次の3つの学名があった。1.Reynoutria japonica オランダの植物学者Houttuynによって命名(1777年)2.Polygonum cuspidatum Siebold(シーボルト)、Zuchhariniによって命名(1845)3.Fallopia japonica: 現在使われているもの。いずれも19世紀前後より、日本とヨーロッパとの深い関りがあったことを示す学名である。日本名「イタドリ」は「痛みを取る」がその名の由来。「虎杖」は漢名。花期は7~10月。春先に伸びてくる中空の茎は、生で食べられるが、シュウ酸を含むので多量に食べるのは害がある。漢方薬としても有名で、根を乾燥させたものを「虎杖根」といい、煎じて服用すると著しい抗菌作用がある。日本でも全国各地の丘陵地の土手や道端草地などに自生。花や果実が赤味を帯びるものをメイゲツソウ(名月草)あるいはベニイタドリといい、しばしば栽培される。19世紀半ばに、ヨーロッパに輸出され、帰化植物となったがその繁殖力が強靭で旺盛なことから、植物の自然体系を破壊し、イギリスではThe Wildelife and Countryside Act 1981によって、不法侵入植物(illegal)に指定されている。その他、欧米では環境を守る協会や組織で、侵入植物として、有害な部分をコントロールする方法が模索されている。参考サイトhttp://www.cabi-bioscience.org/html/japanese_knotweed_alliance.htmhttp://www.ecy.wa.gov/programs/wq/plants/weeds/aqua015.html
2007.01.18
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秋のサンティアゴ巡礼街道(4)セイヨウキヅタの花が群れ咲く秋のカミーノ古都ブルゴスから歩き始めて数時間、どこまでも、どこまでも刈り入れの終った麦畑、枯葉色の荒涼たる平坦な道が続く秋の巡礼街道日本の秋に比べても咲く花の種類は少なく、寂寞とした道が延々と続く秋のサンティアゴ巡礼街道。そんな枯れた秋の平原に可憐に咲く花、巡礼者の心に、ほっとした安堵を何かしら感じさせてくれる花たちがひっそりと咲く。 黄色、青色の可憐な花々が、秋の冷涼な空気に、その深い色合いを一層深くして、枯れ色の世界で、ひっそりと気品さえ満ちて咲いていた。 枯れようとする野原のわずかな茂みにオニノゲシの葉っぱの青みがかった緑色が、花びらの黄色が巡礼者のこころを少しだけ華やいだものにする、 オニノゲシ:(Sonchus asper) ヨーロッパ原産、花期は春から秋と長い。日本には、ノゲシと同じような環境に生育しているがオニノゲシは明治時代に帰化した植物。この冬は暖かいためか、日本では1月の今も道端の陽だまりに咲いている。農家の土手には、ツタが見事に生い茂り秋の柔らかな光りを一杯に浴びて薄黄緑色のヤツデのような花を満々と咲かせていた。Hedera helix:満開の花を咲かせているキヅタの群生荒涼と続く、枯れた大地に、太陽だけが明るく降り注ぎ群がって咲く、淡いクリーム色の花だけがそのいのちの営みの華やぎを告げるサンティアゴへの道は遥か遠く、まだ始まったばかりである。《花の名一口メモ》セイヨウキヅタ(ヘデラの花)ヘデラ(Hedera Helix)崖や壁や木に這い登り、ある時は地面をおおいヨーロッパや西アジアに自生する。Helixは、螺旋を意味する英語、ラテン語のhelikに由来。若い葉っぱは5個の浅い切れ込みがあるが、成長し長じると切れ込みはなく、ハート型の葉になる。日当たりのよい場所で、夏の終わりから晩秋にかけて、繖形花序(ヤツデのような)の花を咲かせ、晩冬には小さい黒い実となる。花は昆虫の大切な蜜となり、実は人間には有毒であるが、鳥たちには冬場の大切な餌である。現代ではヘデラはオーナメント植物(装飾植物)として、多種栽培されている。English Ivyとして知られている北アメリカでは、とりわけ太平洋側においては、帰化植物として、野生化してinvasive speciesとみなされ、生態系を乱している。
2007.01.16
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ウェブのなかで生きる子供たちはどのよう成長するのか。 2006.05.19の私の日記、カテゴリー本の紹介で、私は梅田望夫著「ウエブ進化論」について、ネットに住む若い人々がどんな世界を築きつつあるのかについて、驚き、感銘して、興奮して、「ウエブ進化論」の革新性とその《思想》を紹介した。 今度はその同じ著者が若い作家:平野啓一郎と対談する形式で「ウエブ人間論」という本を出版した。 ウェブ人間論 梅田望夫・平野啓一郎 (新潮新書) 今回のこの本は、ネットが進化することで、社会はどのように変化し、人間はどのように変容していくのかということが、テーマの中心になっている。日本におけるインターネット元年は1995年と言われている。それから10年、それ以前の生活が想像できないほど、質的に変化した暮らしを私達は、今、している。とりわけ、中学生以下の、子供たちは、生まれたときから、或いは幼児期から、インターネットのある大人の生活の中で成長してきた。彼らにとっては、ウェブの世界は空気のようなものである。さらに、昨年あたりから、携帯電話の進化は著しく、子供たちは携帯を通して、日常的にインターネットと結びつき、まさにネットのなかで生活している。子どもたちの生活は、以前とは質的に異なるレベルでネットのなかで生活している。益々深くネットにもぐりこんでいる。毎日このような中学生とおしゃべりしたり、勉強している婆さんとしては、「この子供たちはどのような大人に成長していくのか」ということにとても興味があり、予測の立てることのできない不気味さを感じている。子供たちは、言い面も悪い面もすべてをこき混ぜて、無批判にどっぷりとネット世界に浸かっている。「これでいいのか」とい思いが強いが、何しろこれは人類が始めて遭遇している状況であり、おいそれと結論は出ないし、下手に発言するものなら「よい子」や「わけのわからぬ批評家諸氏」から罵詈雑言を浴びる羽目になるのである。そんな日常生活のなかで、この「ウエブ人間論」は、私に色々な示唆を与えてくれた。特に、若い作家、平野啓一郎の現代をとらえる視点、その中で生きる人間は、どう変容しつつあるかに関する深い思索に感銘した。若い人の中に、このように根源的なところから深く社会を人間を見ようとしている人がいるということに力強い未来を感じた。 昨年5月に「ウェブ進化論」について書いた時には、ウェブ2.0の世界に突入したネットの世界に何が起きているのか、読みつつもイマイチすっきりと理解できなかったが、今回の「ウェブ人間論」では、作家の平野啓一郎が、私のような未熟者にも分かるような質問を梅田望夫に投げかけて、対話を進めていることにより、より深めて具体的に理解することが出来た。梅田望夫氏が言われている「ネットに住む」と言う意味も少し具体的に理解できた。 ネットの「進化」によって、人類未踏の新しい「知」を創造できる、現に創造しつつある。その世界に住む新しい人間像が生まれつつある。技術の革新、革命性が社会の仕組みや経済の仕組みそのものを変革していくことへの無垢な信仰や、社会に変動を与えることへの快感や熱狂が、アメリカのIT産業を推進しているアメリカの「エリート」集団であることはよく分かった。アメリカの豊かさがまさに生み出すことの出来た「恐るべき子供たち」が、グーグルの集団であることが今回の本でよくわかった。この集団が創造している「知」が、革命的ともいえる影響を社会に与えていることも事実である。この集団の組織のありかたが、未来の社会を暗示しているかもしれない。100年後の働き方は、こんな風かもしれない。しかし、この科学技術が、それを使う人間に何をもたらし、今後の歴史をどう作り変えていくかは、ほとんど未知数といっていい。そして、人間をどう変えて行くか、どんな社会を作り出す力になるかは、今、実験中であるといっていい。この優れたテクノロジーを使いこなし、人間の暮らしを人間的に豊かなものものにしていく世界観が出現することなしに、このテクノロジーの革新性は真に社会を変革へとする事にはならないのではないか。ただ、技術の革新を追及することで、社会に変動を与えるというのは、技術者集団の幻想ではないか、とい思いを私は強く今回は抱いた。梅田氏の言われる「玉石混淆のネット世界」は、自然淘汰により良い秩序を作り出す。個人がウェブを生き抜く「リテラシー」を身につけていけば、良い秩序をネット自身が生み出す力があるといのは、幻想ではないか。現実の社会そのものを、意思的な人間の「知」で変革するすることなくして、ウェブの真の意味での進化などありえない気がしてきたのである。庶民の子供たちの育ち方や日常をみるにつけ、深く憂慮するのである。彼らは、受身的にしかネットの中に住んでいないし、今後もそうであろう。この大衆は、社会の一大勢力であり、日常を動かす大きな力である。しかも未来の社会の住人たちである。いずれにしても、この「ウェブ人間論」は、現代進行中の技術革新が、社会の深部にまで及んでおり、その中で生活している人間の在り方に、深刻な影響を与えていることを、私達の前に示してくれる。大きな時代の代わり目に、私達は、どう生きるべきか、どんな子育てをすべきか、深く考えさせてくれる本である。
2007.01.13
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