日々草

日々草

2005.05.17
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カテゴリ: 教育・子育て
最近、幼い頃からの食育(食事教育)の必要性が叫ばれている。

 食べ物の4~5割が破棄されゴミになっているという記事を目にした。以下のような記事である。

 アリゾナ大学応用人類学研究所のティモシー・ジョーンズ博士が次のような調査、推計結果を公表した。
 アメリカで出回る食料のうち収穫から流通、食卓を通じて40~50%が無駄に捨てられ、経済損失は約1千億ドル(10兆7千億円)に及ぶ。
 4人家族の一般家庭では1日約580グラムの食料が捨てられていた。賞味期限切れのパック、肉、缶詰、乳製品などのゴミを調べると、野菜類27%、穀類20%、果物16%、肉11%を占めた。ゴミになる食料は1年に212キロ、約590ドル。全米の家庭に換算すると約430億5千ドル(4兆6千億円)。
 流通段階ではコンビニエンスストアで食料の22,33%、ファストフード店で9,55%、レストランで3,11%、スーパーで0,76%が捨てられた。

 日本においても、04年食品ロス統計調査によると、日本国内の食堂とレストランで食事の3.3%食べ残しになっている。家庭を含めると約11兆円分の食べ残しがあると試算している。

何ということであろう。
日米ともに期せずして約11兆円分もの食料が捨てられているのだ。 
世界には今この時間にも餓えで苦しみ死んでいっている子供たちがいるというのに。
これが大量生産大量消費を豊かさの指標にしている社会の現実である。

「食べる」ということは人間の命の根幹にかかわる重大事だ。

何をどのように食べるかはその国の、その民族の文化そのものであり、文化の質を決定する。
 成長の最も著しい子供たちにとっては、まさに何をどう食べるかは命を育む子育てそのものだ。健やかな柔軟な体を育てる事は心を育てるその事と表裏一体だ。その逆は断じてありえない。そうであるなら、このように食べ物が粗末に扱われていいものだろうか。命を大安売りしていることと変わらないのではないか。

 私たちの幼年期は、戦後の混乱の中、現在のように物が溢れていなかった。
経済的にも、高度成長期のはるかなたにあり、大部分の国民が農地解放により土地を取得した農業従事者であった。お百姓さんたちは生き生きと米作りをしていた。稲の成長を誇らしげにおしゃべりしている井戸端会議での会話を日常的に耳にして私は育ってきた。遊び仲間たちは、小4年ぐらいから冷たい水田の中で苗とりをしていたし、中学生などは大人に混じって田植えさえもした。貴重な家族の労働力だった。
 こういう子供たちが成長して大人になり、日本の高度経済の成長の担い手になったのだ。彼らが現在の日本の豊かさを築いてきたのだ。

しかし、この世代が失ったものは余りにも大きすぎる。
現代という社会に翻弄され続けている。

 私たちの世代は、この百姓の日々の労働を見て育ち、祖父母たちからは「食べ物を粗末にするな。お米は一粒でも拾って食べろ。」と言われ続けてきた。お米が厳しい労働と厳しい自然に耐え生育して、収穫を迎えることの出来る意味とその重さを子供心に肌で感じ取っていた。だから「食べ物を粗末にするな、一粒たりとも残すな」という教えは心に響く。

この時代は、食べ物が体の栄養であると同時にこころの滋養ともなりえた貧しいけれども幸福な時代であったのだ。

 現代の若者は実に食べ物を粗末に扱っている。
給食やレストランでの食べ残しに対して何の心の痛みを感じないばかりか、「最後まで、きれいに食べなさい」と忠告しようものなら、「おなかが満杯になったのに、何で残していけない。」とか「嫌いなものどうして、食べないといかん?」など等、「そんな事、昔のことや。古い古い、今は違う」などと価値観を全面的に否定されたりもする。
 若いママたちは、やたらに賞味期限とかを気にしている。賞味期限がきれたと言って気前よく捨てている。捨てるのだったら最初からそんなに大量に買わなければいい。1日分の食料を買うだけで充分だ。

 若いママや青年たちには、一粒のお米が、ひとつのトマトがどれだけの人々の労力と丹精が込められているかを想像する能力をなくしてしまっている。植物がこの大地に根をはり、育つ事の尊厳を思いやる知性をなくしている。
そして、こんなに豊かに物が溢れているかに見えるけれど、多くの若者たちの食事はとても貧しいものである。食事が貧しいだけではない、食べるという行為そのものもとてもひどい状態である。寂しいものである。

高校生で1日に3回、しつかり食事している人はどれだけいるか。
親元から離れて暮らす大学生で朝食をしかるべき時間に毎日しつかり食べている人がどれだけいるか。
家族が揃って食事する時が少なくとも1日1回はあるか。

食べる事はいのちを育む事なのに、その根底がくずれている。
親たちの子への幼い頃からの食事への躾け、食べ物への関り方が今の若者たちの食への態度へとつながっている。

 私たちの老年世代が次の世代に何を受け継ついで欲しいのか、老年世代はもっと語るべきだ。昔は貧しく粗末なものしかなかったという全面否定の中に今の若者の食生活がある。
アメリカ流の大量生産で、コストを如何に低くするかという効率のみを優先する農産物が市場を独占し、食の根本を見失った。そのことによって心の栄養までも失ってしまった。

挙句の果てにその生産量の半分近くが捨てられている。

食べることは、いのちを育むことでもある。
豊かに、健やかに生きる事を阻害するものに敏感に立ち向かう感性を育てる学びが必要である。
食育は人間が人として豊かに育つ為に欠かすことの出来ないものである。

自分たちが食べている物がどのようにどんな人々の力で作られているか、そこまで遡って学ぶことが今こそ必要な事だ。自らも作物を作ってみるのもいい。種をまき収穫するまでを自分の力でやってみるのがいい。





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最終更新日  2005.05.17 23:10:38
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