私の散歩小径1月は窯垣の小径
(洞町の「窯焼きさん」の住居が密集していた小径。この建物は
窯元「寺田邸」を改修して資料館にしたもの。
私が訪ねたときは、訪れる人なく、案内役の老婆が2人、おしゃべりしていました。
庭の突き当りにある便所の便器はすべて、染付の陶器で作られている。)
1月の私の散歩小径は、
足を少し延ばして
その昔、やきものでにぎわった窯の町・洞
何処からともなく
甘い香り漂う雑木林明るい朝の光に
まぶしくきらめいている蝋梅の花びら
見上げれば
何という巨木!
ムクノキ
このような巨木が窯跡のあちらこちらに
聳える小径、
その昔、
やきものが隆盛をきわめたころには
陶磁器を運ぶための天秤棒を
このムクノキを材にして作ったという。
陶磁器を運ぶ荷馬車や
天秤棒をかついだ担ぎ手たちが
この小径を盛んに往来したという。
(窯道具のタナイタとツクが敷かれた道・道端に転がっているのはエンゴロ)
上の写真・これが窯に通じる道。
道に敷かれているものは
古くなって使わなくなった窯道具。
窯道具とはやきものを焼成するとき
窯で使う道具
写真手前から
タナイタ (エブタともいう)
エンゴロ (登り窯で焼くとき製品を保護するためにに使った)
ツク (タナイタとタナイタをツクで組んでその間に製品を置く。円形の棒状のもの)
(窯道具で組まれた垣根)
窯道具で巧みに組まれた幾何学文様、
自然灰の釉薬のかかったその色合いの美しさ
長い年月の風雪に耐えた重厚さ。
このような垣根を窯垣と呼んでいる。
窯道具には屋号も刻み込まれて、その往事がしのばれる。
今はほとんど残っていない登り窯。
山の斜面にこのような窯が並び、周囲の山林から伐採してきたマツをマキにして窯を焚いた。
往事には、黙々と黒い煙が町中を覆っていた。
今はその活気なく、
訪れる人もまばら。
ムクノキもその役目を終えて
ただ、
苔むす巨大な幹に
つる草からませて
ただ冬空の天空に向かって
ふるえるばかり。
たびたびこのブログでも紹介したが
私が所属している鉛筆画サークルのメンバーは
ほぼ全員(私以外)が80歳代である。
その人たちがおしゃべりする話題の多くが
陶磁器産業が栄えた若き日々のこと。
更に講師の先生は
陶器の絵付け師であったという。
優れた絵師で、典型的な職人気質の方。
その絵の本物さに
私自身とても勉強になっている。
その人たちに刺激され、
瀬戸に来て25年になるが、あまり町のことわかっていないので、
洞の窯の町を散歩してみた。
(窯垣の小径にあった古びた窯元のショーウインドー。早春らしくお雛さまの
人形が飾られていた)
今はほとんど廃業に追いやられ、
作家活動している有名な窯しかないさびれよう。
ここにも
日本の地域に根付いた伝統的な産業が
時代の波にのまれ衰退していく現実がある。
日本の産業構造の一端が垣間見られる。
ブログの写真のとりこみが2月から変更になり、
ためしに新しいやり方でやってみたが、
まだまだ慣れないため、時間ばかりかかりうまくいかない。
今までのアップした写真はどこにいっていまったのだろう。
心配だ。
少しずつわかっていけばいいかとあきらめているが。
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