敬老の日という祝日が今年もまたやってきた。
最近では敬老どころか
高齢者も金儲けのターゲット
お金を持っている高齢者をねらって、
介護ビジネスに雨後の竹の子のごとく
色々な業者が参入し
これでもかこれでもかと
老人の懐を狙っている。
貧乏な庶民の我が家などには
残念ながら、高値の花。
死に至るまで、自力で生き切って、
静かにこの世を去っていけるよう
努力し続けるより他ないのである。
私の祖母
この人物画は、
私が描いた「私の祖母」である。
(初めて描いた祖母、気丈で孤高な品格が出ており、
全体的には我ながら満足。しかし、手は失敗。
働き者のがっちりした手を描きたかった。
何枚か描いてみたが、最初に書いた祖母がどうしても描けないので1回目のを掲載。)
25年前、90歳で亡くなった。
明治生まれの気丈な女の人生であった。
医者嫌い、
最期の最期まで医者に行くこと拒否。
最期に1週間ばかり床に着いただけ。
「風邪が少し重いのかな、
でも、又すぐ回復するよ」と
周りの物が安易に考えていたので、
私など、死に目にも会えず。
自宅で息をひきとった。
働き者、食べ物はほぼ菜食だけ。
日本が戦争を幾つも経験した激動の時代を
寺の坊守として
歴史に翻弄されながらも
ただ、寺を守り継承していくことが
自らの務めと信じて疑わず、
ひたすら頑固に家を守った女の一生である。
最近、昔のモノを整理していたら、
その祖母の最期の日常のメモが書かれた手帳が出てきた。
老いゆく日々、多方面に興味関心を示していた事がメモからわかる。
たとえば、こんなメモ
(原文のまま、誤字もあり、メモなので前後の脈絡もない。
ボケ防止に必死に生きていた姿がしのばれる)
「出発点に帰る喜び近づく。
老人ということは こわれ行く
見苦しくなる 此の世の幸福はこわれる」
そのすぐ下蘭には
「高校野球 ピーエル学園 取手高 2校。とか
県大会NHK音楽コンクール最優秀校大垣北中学」
などと書かれている。
あるいは
「伊吹山いり日の如くあかくと燃やし尽くさん残る命を」
と歌までメモしてある。
祖母の住んだ地は濃尾平野の真ん中、
伊吹山の四季折々を遠景に眺めて暮らした。
この歌を心で歌い、心の鬱積したものと闘っていたのか。
最後のページ
字が乱れて読めないが
「信人の智慧に入りてこそ
死して悔いなき
仏恩報ズル人と□なり
・・・・
などなど
これらはほんの1例。
祖母は親鸞の教えを見事に体現した人
現生の欲や憎しみも人一倍強く、
激しく生きた人、
その傍らで
自然と「念仏」が口に出る人。
このような人間は現代にはほぼ皆無。
私の子供の頃には、
こんな農民はいっぱいおり、
寄り集まって、
いろいろな行事をやっていた。
冠婚葬祭すべてが村の営みであった。
その中心に寺があったといっていい。
しかし、
祖母の晩年は孤独であった。
社会の価値観が大きく変わり、
地域社会は崩壊、
祖母がそれこそ命をかけて守ってきたものは、
ことごとく無価値と見なされ、
祖母自身の生きた存在すらも低められた。
その価値観だけに縛られて生きてきた人間にとって、
これは過酷な仕打ちだ。
今になって、
私はこの祖母の心境が理解できる。
もっと
優しい言葉がけをすればよかったと
悔やまれる。
もちろん私自身も、
そのような祖母の生きざまや、
その価値観で縛られで生きる
女の一生は嫌だと
激しく抵抗し反旗を翻し、
自らの生き方を求めて彷徨っていた。
しかし、
今、顧みれば、
祖母が育ててくれた人間としての土台があり、
その土台の上に私の人生を切り拓いてきたと思える。
祖母の生きざまは
私の中にも
形をかえて生きている。
死に至る直前まで、
己と戦い続けて
自らの生命を閉じた祖母。
波乱に満ちた生涯を
家という暗い重圧のなかで
最後まで貫いたその一途さ。
これは、
現代の私たちが見失っているものかもしれない。
この祖母の娘、すなわち私の母であるが、
母は現在90歳、
有料の介護付きホームにいる。
この母の生き方は、
祖母のいうまま、逆らうことなく
家の奥まったところで育てられ、
家を守り続けた人生であった。
90歳にして、
初めて世の中に出たといってよい。
集団のなかで初めて暮らしたといってよい。
「こんなはずではなかった最期を迎えようとしている」
祖母よりも
さらに、
寂しい悲惨な最期ではないのか。
この介護施設は
1か月20万円ほどもかかる。
このような施設について
私は今まで全く無知であったが、
この1年間母を通して
つぶさに観察して感じたことは、
このような施設に、私は
ご厄介にならぬようにしたいということである。
私自身は、
祖母のように
最期まで
ほんの少しの介助さえあれば
自立して
生きられるよう
自らと闘い続けなければいけないと
強く感じたのである。
身体の維持と同時に
精神の自立を
老いて持ち続ける困難さを
母のホームの人々をみて強く感じたのである。
ここにいる人々は
一見
経済的に恵まれて
いるように見える。
余裕があるように見える。
しかし、
老いて、体が衰弱したとき
このような施設に辿り着かなければならない必然は
個人により多義であるとはいえ、
現代の異常をそこに私は感じた。
病んだ老人ばかりを
同じ場所に何十人、何百人と集めて暮らすことの異常。
このような状態の中で
私は静かな気持ちで死んでいけない気がする。
様々な企業が今、
豪華なビルを競って建て
介護付きの様々な老人施設を作っている。
あのビルの中に
病気でうつろな老人が何百人も、
日々暮らすってなんだか恐ろしい。
昔の姨捨山の方がまだ健全では。
その山で、
自らの暮らしを
協同で創り出して暮らしていたというのだから。
どう老いていくべきか
自然に任せていたら
死ぬこともままならぬとは
まことに
現代は生きづらい。
この点からも
私の祖母の生きざまは
学ぶべきもの多い。
死ぬことも
最後の人生の一大事業なのである。
コロナで家ごもり 2020.03.29
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