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再度 福岡へ来てしまった。「スポーツ新聞を見てて、給料が良さそうだったから電話で応募したい旨話しておいて 女房と話したら福岡へは行かないというので俺も行けない だから まつ お前俺の代わりに行け」なのです。何はともあれ、博多駅から野間の4つ門を皿山方面に行き3分さすがタクシーは詳しい!会社の受付で「ダチの代わりにきました」と説明 面接のおっさんが出てきた、名刺には代表取締役と肩書き ナ~ンダ社長か・・なぬっ社長っ! 話によると鹿島建設のダム工事を5箇所やってる。別に神奈川県の寒川に運送会社で大型車60台ほどの支店大阪の境に、山口県の徳山、北九州の戸畑、長崎県の大村湾、宮崎県の都城にそれぞれ営業所があるとの事。ダム工事だけは、本社直轄で賄ってるそうだ。何十年も年間通して5箇所のダムを造ってると言う。「まつさんは、給料いくら欲しいんだね?」「えっ この会社は従業員の言うだけ呉れるんですか?」「いやっ そういう訳ではないんだが、要求金額があるのかと思ってね」「仕事を見てもらってから 出来ると思ったら人並みに下さい、じゃ無ければ割り引かれてもしょうがありませんが」。何とか面接を済まし 期待をされて会社を出る 社宅まで可愛い娘から案内され いい気分 この会社は目が高い まつに期待をするといった、なかなか言える言葉ではない(単なるお世辞の場合もあるが)マアそんなことはどうでもいい、 明日からとりあえず 徳山に行け と行き先が決まった 海の埋め立て工事をやってるそうだ、社宅も1晩だけだが ゆっくり出来た 明日は徳山か~。
2002年02月27日
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大体 ひそひそ話しにいい話はないですね。隣の部屋で世話役と見習世話人の会話 「オイ、最近マツは面が太え事ないか?」「そうですね」 「明日以降お前感じるこつがあれば いつでん”しまやかせや”」「後ん始末は俺に任しとけ」 「はい」。この話を聞いたからって 早々に太てえ面は辞められんわけですよでも どんな ”しまやかし”するんだろうと、気になるどうせ 私も一本どっこ 出たとこ勝負でなんとかなるわと たかくくったんです。翌日の朝 見習が私のところに向かってくる なぜか自分の態度が構えの体制 目はにらみ合ってる。どんどん接近して当たりそうになる、さっと身を引き構える 「おはよう!」見習はそのまま通り過ぎたんです。 「ガクツ」でしたね、な~んだ だらしのねェ奴だな!と思いながら 反面 ホツとしましたね。普通にブルドーザーの仕事をしていた10時ごろ、見習がやってきた 何か言いたそうだったけど無視して仕事してたら 杉の丸太が飛んできた 身をかがめて避けたけど 左腕に痛烈な痛み 「このやろう」と 見習いめがけてブルのハンドル切ったんです、とにかく 追いかけて 踏みしゃいでやろうと 高速ギヤで走りましたね 悲しいかな時速11kmしか走らない それでも林道工事 藪や段差は関係なく 近道なればの走りで 1時間余り追いかけたんですでも逃げられた。仕事を辞めて飯場に帰ったけど見習いは帰ってない、段々憤りが増してきて 殺してもいいか って思えるようになって来た。腕も痛い!1mくらいの鉄棒を持ち飯場の前に立ち、行き来する奴をにらみつける。世話役が帰ってくる、33歳 精悍な感じのするニッカズボンにたこハチマキだ、「マツ どうしたんか?」「どうしたんもあるか!」「俺は、あの見習を しまやかされる前に俺が先にしまやかすんだ」「次はお前だ!」・・・「マツ チョット待て」「いや またねェ 俺がやられる前に お前を殺す!」 「そうじゃねえ チョット落ち着いて話をショウや」 集まった周りの連中が私をなだめるのに 一生懸命 私は、皆に 昨夜から 今までの出来事を話したんです。そうして部屋に戻り荷物をまとめて 帰り支度 でもそこは工事現場の世話役ですブル仕事が残ってるのに まつ に帰られたら困る。それを振り切り 歩いて山を下る10分も歩いたところでツルハシ持った ごついおっさんが 道路の側溝の溝堀してるんです。私が下って行くのを待ってるみたいに立ちふさがり 世話役から聞いてない奴は 下ることは出来ん。「なにおっ」といっては見たけど プロレスラーみたいなおっさんです、しぶしぶ部屋まで戻ってしまったんです。おっさんの監視がなくなるまで 夜まで待って 山下ろうと思ったら 部屋の外で若いのが 見張りしてる 諦めて 寝袋広げて部屋で普通に寝ることにしたんです。朝の3時ごろ目を覚まし通路を見たが 見張りも居ない「ざま~みろ」ってな具合でそ~っと 抜け出し 山道を灯りもなしでスタコラサッサ 持ち物も ギターにバック・寝袋 軽快に下りましたね追っ手が来ても、プロレスおっさん以外なら 負ける気なかったから 悠々と下ったんですけど ただ 石ころだらけの山道には閉口しました。見られてたら 最高に無様な転び様だった。始発のバスに30分前にたどり着き バス待ちしてると 会社の社長が通りかかる コロナの逆輸入車で左ハンドル 「オ~ まつ どうしたんだ 荷物も持ってるが 辞めるのか 」「そうです、私一人を 除けものにして いじめるんです 」「今月分の給料も要りません バスが出ますんで 失礼しま~す」 やっと”たこ部屋”(一度入ったら 出られない 飯場)を抜け出たんです。でも 何か楽しかった お山の大将だったし たこハチマキが巻き返しを図りそうになったときは 辞めてきたし、何でも一度家に帰ろう 少し体制を整えて もうチョット気の聞いた会社を見つけよう。帰って3日もしないうちにダチより電話 「俺の代わりに まつ 福岡へ行かんか?」「俺 今帰ったんだ」結局 また 福岡へ行く事になったんです。
2002年02月21日
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オオイ まつ 時間だぞ~隣の部屋の世話やきの声 これが地獄からの声に聞こえるんです。あ~ア 又消しに行くのか しぶしぶとぼとぼ 懐中電気の灯りだけを頼りに山の中へ 下方では灯りが点り布団の中だ!林の中の発電機小屋までたどり着く 小屋の中で座り込み一時灯りの下方を眺めてるんです。でもきりがない 勇気を出してエンジンを止めるんです。下方の明かりも消えてしまい エンジンの音も無くなり 真っ暗の何の音もしない静けさ、自分のする息の音だけ、懐中電気の灯りですこしずつ下るのです。何も考えないようにしながら。かなり足は がくがく してるんです。 でも結果的には、半年間やりましたね。仕事は、私一人がよそもんですね、でもブルドーザーのオペは私一人だと言う強みで 20歳のくせして かなりワンマンな自由をしました 所が 慣れてくると それを許しておくほど やわな たこハチマキじゃなかったんです。半年ほどしてからのこと 隣の部屋でひそひそ話 聞き耳立てるとこりゃやばい!
2002年02月17日
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当じ 飯塚・田川などの炭鉱が閉山してモグラがぞろぞろ穴から出てきた感じで 地上の仕事を占領し始めたんです。私を買った道路会社も30人ほどのモグラがいたんです。たこハチマキ巻いて ニッカズボンはいて 「なにおっ きさ~ん しまやかっせ~」。意味わかります?「なんだと~貴様~殺すぞ~(仕舞える・おわりにする)」という意味です これが日常の会話なんですこの会社の工事は、二日市から入るのですが九千部(くせんぶ)山の林道工事で最後の部落はづれから3~4km林道を入ってそこから7kmの林道(営林署)を造るのです、工事開始場所に飯場もありましたが、水は当然山水ですけど、電気がないのです電灯があるのでマサカと思ったらやっぱり 発電機を使って灯火するんです。私が一番若いから 発電機の当番になったんです。朝は、炊事のおばさんに5時頃起こされるんです冬の5時はまだ真っ暗 懐中電気で足元をてらし 殺人のあったという杉林の中の発電機のヤンマーエンジンを駆けるのです。杉山を抜けた下の方で明かりが灯ります。ほっとして山を下りますでも、夜がいけません 点いてる灯りを消しに行くのです毎晩10時消灯なんです。
2002年02月15日
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いい環境で楽しい日々に つい気を緩め 里の親に居所知らしたわけですわ。親は、やっと 連絡のついた息子に 正月餅を送ってくれた訳ですよ これがいけなかったんです。元来餅好きだから 焼いて食おうと 美人の姉に 七輪借りて 部屋に運び炭火をおこすんです 良い火がおきて 餅を最高の気分で一人で焼いて食ったんです 美味かったな~ 10個くらい食ったかな? 満腹を報告しょうと 七輪抱えて立ち上がって 仰天!!! 畳真っ黒 畳の上にじかに七輪置いたりしたから バッカメ~ッ 何とかしなくちゃ と思ったけど考えつかない 後で気が付いたけど 畳変えてもらえば済んだんだけど 畳代以上に残ってる宿代(先払い)を残して 美人姉妹が怖くて 朝そのままスタコラさっさと 朝逃げをしたんです。大分に帰ろうかな~と バスで博多駅まで行ったけど スポーツ新聞買って求人欄を当ても無く読んでて、重機製作所九州支店がオペレ-ター募集があったんです。そのまま 支店のある天神に出かけたんです。求人担当の兄ちゃんから 「内の重機と一緒に買われて行ってくれ~」 だって! 結局 道路会社に ”オペ付き重機” と言う触れ込みで売られた訳ですわ。20歳10月 この道路会社 俗に言う たこ部屋 だったんですわ。
2002年02月13日
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福岡市内の比恵(ヒエ)という所にコマツ(建設機械メーカー)の指定修理工場があったんです。ここに就職をしたんですが一番の問題は、寝るところがないんです、寝袋は持ってるけど 毎日野宿と言う訳にも行かないし、歩き疲れて見上げれば 温泉マークの宿の前 風呂も入りたいし まともに寝たい ふらふらと 戸口を開ける、幸い銭は持ってたので何とか泊めてもらうことにしたんです。後で気付いたのですが、泊めて貰うのにややこしかったのは、別に浮浪者的だったわけではありません。逆さくらげの連れ込み旅館で男一人じゃ、ダメだったわけですよ。でもなんとか話をして、宿代も1泊2食で1200円(昔だからな~)なぬっ!安い~と思ったわけです 次の朝、仕事の前にもう一交渉このままここに居候する話をまとめたんですね ついでに弁当も握り飯を作ってもらっての初出勤をしたんです。この宿には、女将と娘2人(すごい美人・博多人形のモデル位)日が経つに連れ段々ここの養子に入ってもいいかな~と思うようになったんですね。実は私は男ばかり4人兄弟の長男なんです でもそのときは忘れてましたね。連れ込み宿というのは、昔は夜だけのビジネスで昼間は玄関戸は閉めっぱなし、夕方6時から夜中12時まで開放 従って居候の入浴は午前1時過ぎ、でも美人姉妹といつも屋根の下だ いつも握ってくれる昼にぎり 楽しい日々が続いたんです 半年も!
2002年02月12日
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男19の渡り鳥 手にする荷物もほそぼそと 背なに担げし愛しのギター バック・寝袋 しっかり抱いて 先ずは九州福岡県 久留米信愛女学院 (入学したのではありません)(ちなみにこの学校は 松田聖子の通ってた学校)まだ1年生しか居なくて グランドの造成工事だったんです ブルドーザーのオペの見習となる この造成中に 土中から縄文時代の土器を発見したんです 感激したな~だけど1個のかけらも取ることが出来なかった なんとか委員会が皆持ち去ってしまったんです。このグランド整形工事でベールを被った尼先生をブルドーザーに乗せ 膝に乗せて走ったのは わたしだけです!もともとメカが好きだけに ブルのメカに興味を持つことになるんです オペ(運転手)辞めて ブルの修理をしたいと思うようになったんです。やがて福岡市内のブルの修理工場でマツの姿がちらほらしだしたんです。
2002年02月06日
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今日から まつの自叙伝を書くことにします。むかし むかし 40年前 19歳の若者でした、小学3年から 海に出て 親と一緒に毎日魚とる漁に出てました 朝3時頃でて8時に帰るのです 学校へは自転車のリムを転がして走っていくんです歩いて30分の所 夕方は学校帰るの待って カバン担いだまま船に乗るんです 宿題も船の上 波があったり 雨が降ったりは 辛かったです。やがて19の春 海と親とに別れを告げ 一人さすらいの旅に出たのです。
2002年02月05日
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マア何を書いても関係は無いわけだけど 他人が見るとなるとそうも行かない それなりに文章になってないと 語学の脳みそを疑われる だから 言葉を選び内容を選ぶことになる お客さんに教えられたのですが 過去の昔話でも書いたら!だって 今考え中です
2002年02月02日
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