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ブログの写真ネタがなくなると始まるのが何でもオクチャンの本領発揮です。ベランダに出て細い三ケ月を写してみました。 前の棟間に沈んだ夕日の焼けが残った空に細い月が絶好の被写体です。 一寸アップにしてみました。夕焼けの赤みが段々少なくなっていきます。 月だけを撮ったがやはり物足りませんね。星でも入ればいいのだが、、あいにくこのアングルには星が見えません。 最後は270mm目一杯のズームです。後で気が付いたことは露出時間をもう少し長くすれば地球照が映ったはずと思っても後の祭りです。三ケ月4枚でブログ1日分稼いじゃいました。(汗、汗)
2010.01.31
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写真の整理が悪くてやっと探し出しました。カワセミの撮り貯めた画像です。たまには時間を作り写真のストック整理をしないと大変なことがつくづくわかりました。 こんな小さな川で 同じ場所で 12月8日小さくてわかりますか? 同上 これも小さくてわかりづらいですね 意外に動きが早いですよ カワセミは止まっているときがシャッターチャンスです 同上 ダイビングを待っていたが? 撮影場所を詳しく明記するとブログ掲載した翌日からすぐ撮影にやってきます。それだけならいいのだがカワセミの動きにあわせて追い回したり中には餌付けをしようとする人などの不心得物が出るために省略します。この川も桶川の衛生センター先で元荒川に合流(4~5km先)しているから場所の特定もしづらいと思えるのであえて川の名前だけ出しました。
2010.01.30
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気温が低かったり風があったりでウオーキングに出ないと困るのがブログの写真です。フォトダイアリーで写真無しと言うのも一寸気が引けるので小細工です。 ベランダのプランターからかみさんが小瓶に挿した竹に根が生えてきました。 根が写っていないので縦撮りですが近づきすぎで一寸だけです。 根が出て暫くたったら花芽が出て花が咲き始めました。 ピンクの小さく可愛い花です。マクロで最大にアップしました。何とか見れますね。この花がしぼむと葉が枯れ始めます。竹は花が咲くと枯れると言うが本当ですね。また新芽が出てくるんですよ。リビングのテーブルの上に挿した竹の花で無理やりブログ1日分できました。身の回りでも何とかなる物ですね。(汗)
2010.01.29
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ジョウビタキ、晩秋の頃、大陸から渡ってくるが山にいることが多い。 日本各地の住宅地の庭先などで見られるようになるのは山に雪が降り出してからで、平地でも雪の多い寒冷地では数が少ない。 連射機能(秒速4,5枚)を使って撮ったので似たような画像になってしまいました。 一羽で縄張りを持ち、集団で見られることは無い。春先になると日本から飛び去るが、この時期はつがいとなることもある。 縄張りを主張するときには「ヒッ、ヒッ」とも聞こえる甲高い声で鳴き、雰囲気はルリビタキの鳴き声にも似ている。 上から9枚はオス、最後の一枚がメスです。オスは頭が銀色で、顔や背中が黒く、羽の中ほどに白い班がはいり、胸から腹にかけてオレンジ色。メスは全体に色が薄く羽の白い班は同じ、お腹のオレンジ色も薄い。見られる時期は10月~3月頃まで、 渡り鳥(冬鳥)、見やすい場所、畑地、林、庭先、
2010.01.28
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気温も上がり始め強風も吹かなくなってきたのでウオーキング開始です。やはり今までやっていることをサボると体調が狂ってきそうです。 加納の畑の脇にはからし菜の花が咲いています。ここは風も当たらず陽が当たるところなので早く咲くのだろう。 カレンデュラ(和名、ふゆしらず) 冬の日差しを浴び元気に咲き葉もしっかりしている。フユシラズという名前がピッタリですね。 ここでは紅梅がほころび始めていますよ。 まだほんのポツポツですが嬉しい光景です。 キンカンではありませんよー フユサンゴです。黄色の実が日差しで輝いています。加納から栢山(かやま)にかけて歩いてみたが花が目に付き始めました。これから日増しに多くなるかと思うとうれしくてたまりません。
2010.01.27
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ツグミ、スズメ目、ツグミ科、渡り鳥(冬鳥) 見やすい場所、芝生の広場、公園、 身近な野鳥の中では中型。秋に日本に渡ってきて、しばらくは低山地などで木の実などを食べ、小集団で生活する。この時期は地上で見かけることは少なく、枝に止まっていることが多い。 寒さが厳しくなるにつれ、集団を解消して都会に移動してくる。真冬には木の実は殆どないので餌を求めて地上に下りることも多く、公園の緑地などを歩いている姿をよく見かける。 この時期同じ場所で見られるヒヨドリ、ムクドリなどとともになじみ深い代表種といえる。 真冬には餌を求めて人家近くの広場や公園などに下りてくる。 器用な歩き方、ツグミは警戒心の強い鳥で地上に下りると胸を張るようなしぐさで周りを見回す。このときは両足をそろえて「チョンチョン」とホッピングをする。 餌を探すときは足を交互に差し出すウオーキングで頭を下げていることが多い。「ツリーツリー、キョロキョロ」北方へ帰る前の時期(4~5月頃)に目立つところでさえずる。ツグミにもトラツグミやクロツグミなどがいるが色合いが違う。
2010.01.26
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先日用事があり新橋まで出かけたときに帰りにかみさんと合流するために時間があったので行ってみた浜松町駅脇の旧芝離宮恩賜庭園の風景です。 駅を出て竹芝桟橋方向え向かってすぐ右側にあります。入り口を見ただけではそうたいした庭園に見えません。 今に残る最も古い大名庭園の一つで典型的な「回遊式泉水庭園」で池を中心にした地割りと石割は秀逸だとのことです。 この地はかって海面でしたが明暦(1655~1658年)の頃に埋め立てられ、延宝6(1678)年に老中・大久保忠朝の邸地となりました。 忠朝は上屋敷を立てる際に、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて作庭し、これを『楽寿園」と命名しました。 その後、数氏を経て、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となりました。明治4(1871)年に有栖川宮家のものになりましたが、同8(1875)年に宮内省がこれを買い上げ、翌年に芝離宮となりました。 大正12(1923)年の関東大震災によって、建物と樹木のほとんどが焼失しましたが、よく13(1924)年1月、昭和天皇のご成婚記念として東京市(都)に下賜されました。 庭園の復旧と整備を施して、同年4月に一般に公開されました。昭和54(1979)年6月に国の名勝に指定されています。 庭園の要となる約9000m2の広さを持つ池で昔は海水を引き入れた潮入りの池でしたが、現在は淡水の池になっています。池は中島と浮島を配して海と湖を形どり、一画には小さな州浜が設けられています。 中島、園景の要となる箇所で、池の中央にある中島です。中国で仙人が住み不老不死の地といわれる霊山を模した石組みとなっています。 池の向こうに見える東京タワー、国際貿易センタービル、以外にこの風景とマッチしているように思えませんか? この先に鯛形の根府川石の橋を渡ると豪壮で圧倒されるような築山があります。その山麓に根府川石の飛び石が端正な形にしかれていました。 中島を反対側から撮ってみました。こんな街中のビルに囲まれた一画に落ち着いた庭園があることを知っている人がどれだけいると思いますか?一寸した時間でしたが自然の中の公園ばかり歩いている私には街中の庭園もまた違ったおもむきを感じさせられました。
2010.01.25
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先日用事があり久しぶりに都心に出たついでに時間つぶしに立ち寄った浜松町の旧芝離宮恩賜庭園で写した物です。 小石川後楽園とともに、今に残る最も古い大名庭園の一つです。典型的な「回遊式泉水庭園」です。 浜松町駅の東側にありビルの谷間にこんな静かな落ち着いた庭園があることさえ知らない人が多いのではないでしょうか。 カンザクラ 丁度盛りと咲き誇っています。 この時期冬牡丹が展示されています。わらのこもの小屋が建てられ風を防ぎ日当たり良くしてある。 見事な花の大きさです。 三つのブロックに分けて白、赤、ピンクと並んでいますが全景を撮るには幅が広すぎて撮影できません。 ブロック物に分けて写しました。赤い牡丹 こちらにはピンクと赤のコラボレーション。 ピンクの牡丹をアップにしてみました。冬牡丹は上野寛永寺のものも有名です。冬牡丹は心に安らぎを与えてくれるような気がしてなりません。今年は花が咲くのが早く良いとこ撮りの画像です。帰りの高崎線の電車の時間の都合で立ち寄ったわずかな時間ですがなぜか心に暖かさが残った時間でした。
2010.01.24
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1月14日ゴルフから帰ってきたら孫と孫犬リューキと娘が私の誕生日のお祝いにとケーキを持ってお祝いにきてくれた。 家に入ると飛びついてじっとしていないがかみさんが何時もきついことを言うのでいうことを聞いて押さえ込まれている。 一時もじっとしていない、たまにしか来ないので来たときは大暴れして騒ぎまくっている。 階段の所でおじいちゃんちにいくと判ると駆け上がってくるらしい。 時にはインターホンのスイッチのところに飛びつくこともあるそうだ。 私は余り娘宅に出入りをしないがかみさんはしょっちゅう行っているのでリューキはよく言うことを聞くようだ。 やはり女どもは何時も顔を合わせているし、注意もするので犬の方も一目置いているのだろう。 やっぱり飼い主の娘の膝の上が一番落ち着くらしい。来月4日で丸2歳になるが人間で言うと13~4歳に当たるらしい。 孫の5年生と良い友達相手みたいだがそのうち自分の方が年上だと言うような態度を取るようになるのだろう。イヌの成長は人間の何倍にもなるようなのでしょうがないことですね。散々暴れまくって疲れたのかリビングの床にベターと延びています。可愛い物ですね。 別の棟に住んでいてもおじいちゃんちに行くよと言うと家の棟のところに来て階段の所で非常扉を空けてくれるのを待っているらしい。
2010.01.23
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1月9日高尾グリーントラスト、高尾さくら公園近辺を散策したときに写した画像です。冷え込みが厳しかったのできっと見えるだろうと行ったさくら公園展望台です。 展望台には目に入る範囲で山並みの形と山の名前が刻んであります。右から赤城山塊、~一番左に富士山まで並んでいます。 秩父連山の右手に見える浅間山 前に障害物が無いのだが条件が良くないと見えることがそう無い。 18mmで撮るとこんな状態です。 ここにきてもこんなに良く見える事は滅多に在りません。 山の形が富士山に似ていて美しいですね。 浅間富士と言われているそうですがその名がうなずけます。 この展望台から一番左に見える富士山。 富士山は結構見えることが多いですが浅間山は滅多に見えることがありません。 おまけ画像は元旦に吉見町の文覚川そばの田んぼからの富士山です。黒いボツボツはカラスなんですよ。強風にあおられながら飛んでいました。関東平野のど真ん中埼玉も結構高い山が見渡せます。
2010.01.22
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あちこちで撮ったモズの画像がまた溜まってしまいました。それだけ目に付く機会が多くなってきたと言うことでしょうか。 自然観察公園、さくら並木にて 自然観察公園、北里研究所下にて 自然観察公園、城ケ谷堤にて 自然観察公園、一夜堤そばにて ちょとピンボケですが総合公園にて 自然観察公園、北里研究所下、サクラ並木にて 高尾さくら公園にて 自然観察公園、ふれあい橋そばにて同じ日に撮ったわけではありませんが同じ公園であちこち移動しているのか?また違うモズなのか定かではありませんが、モズもテレトリーを持っているはずなのでそれだけ多く見受けられるのかもしれません。最近特に目が悪くなってきているのが画像でもわかります。マニュアルモードでの撮影はピントが合っていないですねー、ご了承の程。
2010.01.21
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久々のウオーキングです。風も無く暖かな日を選ばないとウオーキングもままなりません。 グンバイナズナ、2年草、アブラナ科グンバイナズナ属、原産地ヨーロッパ、生育環境、野原、 果実の形が軍配に似ているため付いた名前、花言葉、勝手も負けても、人里の空き地や田畑で見られるヨーロッパ原産の帰化植物。変わった匂いを持つ、茎は直立し根出葉は早く枯れ、上方の葉は矢じり形に茎を抱く特徴がある。果実は扁平で広い翼があり、軍配扇に似ている。 金色に美しい黄金チャバヒバ モクレンの花芽も膨らんできています。 畑ではハナナが咲き始めています。風が強かったり、気温が低かったりで外に出る機会が少なかったが、植物は春に向かって少しずつ成長しているのですね。私も家に引っ込んでばかりいられませんね。もっと歩き回らないと置き去りにされそうな気がします。
2010.01.20
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久しぶりの天気に誘われウオーキングに出たがカメラの被写体が無く歩くのも張り合いがありません オオイヌノフグリ、2年草、ゴマノハグサ科クワガタソウ属、原産地、ヨーロッパ 花言葉、子供に恵まれる。ヨーロッパ原産の帰化植物、路端や畑の畦道などでよく見られ、早春から花を咲かせる。花弁は4裂、雄しべは2本、真冬になると、成長を止め、花目をつけ始める。温度差の激しい環境でも育つことが出来る丈夫な植物。 日本各地に分布、日当たりが良い場所に生育する。葉や茎に軟毛があり、根元から分岐してカーペット状に横に広がる。葉は卵形で、縁には鋭いギザギザがある。上部の葉脇に付く花には筋が目立つ。 この時期珍しい薄いピンク色に誘われて近づいてみた。何の木だろう? 葉は線状葉でイチイの葉に似ているがイチイはこんな花が咲くだろうか? イチイには赤い実がなるから花も咲くだろうが今まで見たことも無いので定かではない。 はなのぶぶんを拡大してみたら花の中心にイチイの種のような黒い物が見えた。それでも同定は出来ません。何時もの癖で写してから名前がわからず苦心しています。 おまけ画像は12月に写していたモチノキの実、民家の周りに防火林として植えられ、木の皮からトリモチをとり、又染料にもします。メス木の赤い実は春遅くまで枝に残っています。
2010.01.19
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最初はカヤの中にあるごみかと見間違えていたが一瞬動いたので野鳥と判り慌ててズームで覗いてみた。よく見ないと見落としてしまうところだった。 ゴイサギの若鳥 カヤのそばでじっとうずくまっていると周りの色に溶け込んでいて良く見ないとわかりませんね。 何か居ると気が付いたのは首を動かしたからわかったのでじっとしていたら気が付かなかったかもしれない。 親鳥とは似ても似付かぬ色です。コサギとほぼ同大の体と短めの首をしたサギ類で、成鳥は頭上と背中が緑色を帯びた黒で頭に2本の白く長い冠羽がある。 若鳥は褐色で全身に淡褐色の斑点があって「星ゴイ」と呼ばれる。目は赤い。 幼鳥は若鳥に似ているが目は黄色い。本州から九州で繁殖し、北方のものは冬は暖地に移動する。夜行性で川、池などの水際で魚などを捕らえる。自然観察公園では始めてみる種類でした。じっと立っているだけなので同じような画像ばかりになってしまいました。
2010.01.18
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今の時期は草花や野草が殆ど見られないので柑橘類は貴重な写真ネタになります。 キンカン 一寸近づき画像増やしです 青空に映えるキンカン良い色です アップでもう一枚 ついでにマクロでもう一枚 ロウバイ 少し近づいて このくらいなら花びらもわかりますね 随分枝を切ってしまったようです アップで写してみました これは一寸開きすぎですね やっぱりロウバイは蝋で出来ているように見えるのが一番雰囲気があります。艶があり触ると欠けてしまうように見えますが、、、之だけ近づくと良い匂いがしてきます。 1月8日撮影
2010.01.17
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花の少ない時期水仙はカメラの被写体にはありがたい存在です。つい枚数を写してしまうのですが代わり映えもしないことに後で気が付きます。 スイセン、属名ナルッシサスはギリシャ神話の美青年ナルキッソサスに因んだもの。 水面に映る自分の姿に恋をしたナルキッソスが、ついには水に身を投げて死んでしまい、哀れんだ神が水辺に咲く水仙に変えたといいます。 またナース(麻痺する)という言葉を語源とする説もあります。ヒガンバナ科のこの球根に神経を麻痺させる物質が含まれているからでしょう。 英名ではスイセンの仲間はナルシッサス、ラッパスイセンをダフォデイル(永遠にしぼまない天国の花)といいます。 ラッパスイセンの他に、中心のカップが大きい大杯スイセン、カップが浅い小杯スイセン、八重咲きスイセンなどがあり、いずれも一茎一花で大輪です。 さらにニホンスイセンのような房咲きスイセン、香りの良いジョンキル系、口紅スイセン、カップが裂けているスプリットタイプなどたくさんの園芸品種があります。 原種とミニ種ではバルボコジウム(フープペチコート)と言われる黄花種もあり、春早く咲き始めます。又外弁が反り返るシクラメン咲き、その園芸品種のミニスイセンもあります。 スイセンは切り花、鉢花の他、群生も美しく、斜面などに沢山植えると効果があります。
2010.01.16
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ブログネタがなくなると登場するのが野鳥のアップです。野鳥も季節により渡ってくる鳥やそこにとどまっている留鳥に分けられます。今回はジョウビタキのメスの登場です。 しぐさや小さな目がまた可愛いでしょ ジョウビタキのメスは全体に淡い茶色で下腹から尾が橙色、翼に白班がある。冬鳥として全国に渡来し、林の縁や農耕地に生息し、市街地でも見られる。 古代蓮の里にて撮影今日もまたゴルフに行ってきます。行き先は栃木のあさひが丘G、C、出発は8時です。今日も存分に楽しんできます。
2010.01.15
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八丁湖での正月を過ごしてから強風や気温が低い日が続いていたのでウオーキングに出ることを控えていたが風邪が治れば退屈な毎日です。 強風も幾分おさまり気温も暖かくなってきたのでウオーキング開始です。自然観察公園地続きにある子供公園にあるロウバイが咲き始めました。 梅の中でも一番早く咲き始めます。ロウバイも種類が多くなかなか覚えきれません。 今年は寒さが厳しいので開花が遅れると思っていたが花はその時期になるとちゃんと咲くものですね。 冬のさなか、香りの強いロウ細工のような色つやの黄花が葉に先立って開きます。 ソシンロウバイは花全体が黄色です。樹高は2~5mtくらいになります。 ロウバイ科:属・・・・・・蝋梅、一名、カラウメ、落葉低木、 図鑑上では花期は2~3月となっているが何処でももっと早く咲き始めています。花期も長く楽しめる花の一つですね。 花期が早くなっているのはやはり温暖化の影響ではないのだろうか?植物が訴えていることをもっと深刻に受け取らなければいけないのではないでしょうか? 自然観察公園と栢山での画像です。 1月7日、8日撮影 今日はこれからゴルフです。今年の初打ちでどうなる事やら? 行ってきます。
2010.01.14
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ヒヨドリ、スズメ目、ヒヨドリ科、留鳥、北日本では秋から冬に暖地に移動する物もいる。 姿は地味だが「ピイ!ピイ!」という甲高い鳴き声はよく聞こえる。街中の公園でも大きな木が数本あれば飛んでくる。 気性は激しく、餌場に集まるスズメや同じぐらいの大きさのツグミまでも追い払うことがあり、他の鳥と仲良く餌をついばむことは少ない。 年中見られる鳥だが、かっては夏になると北方や山地に移動して繁殖していた。 しかし東京などでは移動しない個体も多くなった。そのため街中では秋になると山から帰ってくる個体が加わり急にヒヨドリの数が増える。 歩くのが不得意なヒヨドリ。地面を歩くスズメやムクドリはよく見かける。しかしヒヨドリは歩くのが苦手で、地上に降りてくることは少ない。 木などに止まるときも直立姿勢でとまることが普通である。 飛翔能力が高く、ホバリング(空中停止)をして花の蜜や水を飲む姿をよく見かける。 鋭く鳴くときは高い梢に止まっていることが多い。仲間同士で呼び合って居るときがほとんどである。 頬は茶色く、下面には班模様があって下尾筒の羽は白い羽縁が目立つ。くちばしは鋭く尖り、頭に短い冠羽があり、尾は長めである。公園や街路樹でも営巣するようになり冬期も同様な環境に生息し、木の実や蕾を好んで食べるほか、キャベツなどの葉菜をついばんで被害を与えることがある。 資料は山渓、フィールドブックス、野鳥参照、 12月22日撮影
2010.01.13
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元旦は毎年何処か初詣に行っているので今回はフレンドシップ・ハイツよしみから徒歩10分ほど一つ丘を越えたところにある吉見観音に行った。 大晦日の12時前から大変な人だったらしい。一段落過ぎた午前中だったがやはり人が多い。正式名称は坂東11番岩殿山、安楽寺という。 下の道路から急な石段を上がったところにある山門をくぐる。この山門と両脇にある不動明王の木造が天然記念物になっているらしい。 山門をくぐるとすぐ前に日蓮上人像が見える。 その右手に鎮座しているのが吉見観音、品のある顔が綺麗ですね。 観音像の左の石段を上がると岩殿山、安楽寺の本堂がある。 丁度人の流れが少なくなった所でおまいりをして左手に回り込んだところで破魔矢と孫の高校受験の合格祈願のお守りをもらう。 本堂の右手にある三重塔の説明板、 木造建築で江戸時代の建造三重塔としては埼玉県に3基しかないとの事です。 塔の前に植えられた三笠宮殿下のお手植えの松 本堂の左をさらに石段で上がったところにある鐘楼、ここでは鐘を撞いて最後のお参りをしてきた。やはり初詣は形だけでもしないと新年を迎えた気になりません。お気ずきになりましたでしょうか?画像の色、カメラの設定を間違えていて失敗画像があり紅葉の時期の写真を一部使用しましたのでご了承下さい。
2010.01.12
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吉見百穴と道路を挟んだところにも史跡があります。昔はその隣の山肌に掘られた洞窟で岩窟ホテルという温泉宿があったが今は温泉も出なくなったのか閉鎖されています。 岩室観音堂、石段をあがったところに2層の木造の本堂がたっている。両脇はがけに挟まれ裏側も急な傾斜になっています。 岩室観音は「比企西国三十三所観音札所」の三番である。札所巡りとしては「西国」「坂東」「秩父」が有名であるが、比企西国三十三所観音札所は、遠隔地を巡礼できない人々のために享保八年(1723年)に開設されたといわれている。現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1661年~1673年)に再建した物と伝えられています。 ここに収められた八十八体の石仏は四国八十八箇所の霊地に建てられた本尊を模した物である。 この弘法大使が修行した四国八十八箇所を巡拝することを「遍路」と呼び、観音霊場を巡る「札所めぐり」とは区別される。 一番から五十一番の石仏 五十二番から八十八番の石仏 一階の八十八箇所の石仏を見て急な階段を登ると観音堂にあがれる。昔は由緒ある観音堂として参拝されたのだろうが百穴温泉が寂れるのと観音堂に参拝する人が少なくなるのとどちらが早かったのか?そう考えると国指定の天然記念物が惜しまれます。 この急な斜面が観音堂裏の斜面です。左側にあるのがクサリ場でこれを伝わり登ることが出来ます。 クサリ場を登ると体内くぐりがある。左が入り口から、右が出口からの画像で上の画像の真ん中の枯葉のところに下りてこれます。 先ほどの体内くぐりの崖の上一帯が松山城址、松山城は比企丘陵の先端に築かれた北武蔵地方屈指の平山城です。15世紀中ごろから後半に、古河公方足利氏・扇谷上杉氏・と山内上杉氏との軍事的緊張関係の中で築城されたと考えられています。河越夜戦後、関東制覇を進める後北条氏の支配下に置かれ、永禄3年~6年の間には後北条氏と上杉氏の間で、武田氏や岩槻太田氏を巻き込んだ激しい城取合戦が何度も行われました。 城主の上田氏は扇谷上杉氏の重臣でしたが、河越夜戦後、後北条氏に臣従し、他国衆に位置付けられて所領を安堵されました。天正18年豊臣秀吉の小田原征伐によって落城しました。 松山城址前には昔懐かしい百穴温泉のゲートだけ残っています。この先の川沿いに何件かの温泉宿があったが今はみなやめてしまったようで残っているのが吉見百穴と岩室観音堂、松山城址といったところですが近隣にはまだ沢山の史跡が残っています。 国指定の史跡というのは勝手に手を加えることが出来ずに朽ちていくのだろうか? 城跡から駐車場に下りてきたら急に風が吹き出し雪が舞ってきました。まるで吹雪のようでしたが車に戻ってからほんの10分ほどでした。 12月31日撮影
2010.01.11
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川島町のハクチョウ飛来地から昼食を済ませて何処に行こうか?年末年始で営業している観光施設は民間の物ばかりであまり数が無い。おまけに距離があるところばかりで時間が中途半端でもある。 やってきたのはやはり吉見町で国指定史跡、吉見百穴、百穴の名が文献に見られるのは約200年前からで江戸時代の中ごろには「百穴」の呼び名も生まれ不思議な穴として興味をもたれていたらしい。 古墳時代の後期~終末期(6世紀~7世紀末)に作られた横穴墓で、大正12年に国の史跡に指定された。 横穴墓は丘陵や台地の斜面を掘削して墓としたものであるが死者が埋葬された主体部の構造は古墳時代後期の横穴式石室とほとんど同じだとの事。 百穴の一番下部には第2次世界大戦末期、昭和20年初頭から8月に至る間地下軍需工場用に掘られたもので、左右約500メートルに亘り山腹にほられた一部であリます。 この戦争の末期に日本各地の軍需施設は、アメリカ軍のB29爆撃機により大きな損害を受けました。この危機に当時わが国で最大といわれた中島飛行機株式会社(現在の富士重工)でもその大宮工場エンジン製造部門の全施設をこの地下に移転することになり、各地から集められた3500人ほどの朝鮮人労働者により昼夜を通した突貫工事としてすすめられ、ダイナマイトを使用した人海戦術だった。現在公開されているトンネルは1/10にも及ばない。本格的生産に移る前に終戦を迎えた。 正岡子規の句碑 町の記念事業として立てられた物で正岡子規が明治24年11月にこの地を訪れていたとの事から立てられている。 吉見町埋蔵文化財センター 資料館の展示品 石剣や石斧 色んな土器が出土され展示している、埴輪などもあったがガラスが光って写真にならないのでカット、 もう一度百穴のある山を、手前の木組みのあるところから地下軍需工場跡が先の山の下まで続いています。横穴墓群の脇に見学路が作られていて穴に入れる所もある。もし戦争が長引いていたらこの百穴の史跡も爆撃でなくなっていたのではと思うと8月の終戦がありがたいことだと感じたのは私だけでしょうか?
2010.01.10
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正月のブログ写真の整理がまだなので一寸一息、野鳥のアップです。今回はハクセキレイです。 相変わらずストックから野鳥のアップです。野鳥も写した時期により色合いや模様が少し違っているのが面白い現象です。 ハクセキレイ、スズメ目、セキレイ科 6月4日、総合公園芝生広場にて、 12月8日総合公園裏の小川にて 川の中州で餌が流れてくるの待っています。 カメラのレンズが気になるのか時々首を持ち上げ様子をうかがっている。 顔が白くまゆのところに黒い線がはいっているのがハクセキレイ 11月28日同じ総合公園裏の小川で、 アップの順番が逆になってしまいましたが10日前は色も少し薄めです。 よく似ているセグロセキレイがいるが違いはセグロセキレイは顔が黒く、まゆのところに白い線が入るので見分けます。(ハクセキレイは逆パターン) ハクセキレイは生育環境の適応幅が広く、川原だけでなく、駐車場、芝生などでも見られ、人がかなり近づいても逃げない。50年程前には関東以北で繁殖していたが、年々南下して最近は九州北部に達している。都会に進出したハクセキレイは昼間は単独か数羽で餌を探すが夜になると決まったコンクリートの橋脚の隙間や街路樹に集まり集団でねぐらを作る。この場合騒音は気にならないようで、交通量の多い場所にある木に集まることもある。 学研、しぐさでわかる野鳥、引用
2010.01.09
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12月31日孫(中3、小5)とかみさんを連れて八丁湖のハイツから出発、娘夫婦は他に行くという。男の子はいずれも車がすきで楽ですね。天気が悪くても走っていれば気が済むようだし何処に行こうか考えてしまう。年末年始は民間の遊園地は遣っているが国営や県営の施設は2日まで休み。夕方5時過ぎには帰ってくる予定なのでいける場所もおのずから決まってくる。 ここ川島町のハクチョウ飛来地は1昨年まで餌付けをしていたが鳥インフルが流行しだしてから餌付けをやめてしまった。 越辺川との合流地点の中州が彼らの休息地。折角遠くから渡ってきたのに餌が無くては話にならないだろう。 数も前の半分くらいに減っている。何処か違うところに分散しているのだろうと思うが、、、 中には内緒で餌を遣っている人がいるのかもしれない。人が近づくとすぐ近くまで寄ってくるが一定の距離以上は絶対近づかない。 水辺のそばで川底をつついているが餌を探しているのだろう。中州では首を曲げて昼寝をしている物もいる。 数えてみたら40羽ほどしか居ない。多いときは130羽くらい着ていたが、もっと上流の荒川に分散しているとの話も聞いています。 群れの中の顔の色がうす黒い鳥は幼鳥で、醜いアヒルの子の童話に登場することはご存知ですね。 ハクチョウは親子、兄弟などで3~6羽くらいでグループを作って行動しているといわれています。 群れのグループの中に必ずというほど顔の色が薄黒い幼鳥が混じっていることでも親子や身内でグループが作られている証拠が確認できます。この幼鳥も春に故郷に帰る頃は綺麗な真っ白いハクチョウに変わっています。 餌の少ないところでカモの群れも同居しています。夜を過ごすのに安全な中州があるのでカモも見習って一緒にいるのだろうと思えます。 体が黒くくちばしの白いバン、昨年はもっと沢山居たがカモやハクチョウと同じに餌付けをやめたために減ってきているのだろう。今まで餌付けをしておいて鳥インフルが流行ってきたので禁止してしまったことにハクチョウたちも戸惑っているはずです。餌付けを禁止しても鳥インフルは他の野鳥からでも伝染はするはず、人(役所)の身勝手な才覚や決定に困っている野鳥がかわいそうに思います。孫にもそのことを話し勉強させたハクチョウ見学でした。 12月31日撮影
2010.01.08
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ポンポン山からの戻りは野鳥観察コースに入って見たが気温が低いためか野鳥を見ることが出来ない。そういえばこの朝は随分冷え込んでいたようだった。 湖畔に戻ってくると左手にある黒岩横穴群、昔の横穴墓群の跡だとか。この近所には総数5箇所、500基以上の横穴群が点在していたそうです。 その中の一つがこの黒岩横穴群、規模は一番大きかったそうだが地盤がゆるく崩れ落ちてしまったため少ししか残っていない。 地盤が硬いところだけいくつか残ってポッカリ口をあけています。 昔のことを気にしなければホームレスでも入り込みそうな気がしないでもないがそのため柵を設け立ち入りできないようにはしてある。 脇から上に上る石段があり八幡神社なども祭られている。この黒岩横穴群は県指定の記念物になっています。 幾つも曲がりくねった階段を登るとやっとなだらかな散策路に出る。横穴群の真上に当たるところです。 ここの左側で先日ツツジが咲いていた場所です。前に見える東屋は陽気のいいときはお弁当持参で昼食の指定席にしています。 この日は寒かったが野鳥観察のグループかウオーキングのグループかティータイムでお茶を飲んでいましたよ。 上の散策路から見える横穴群の一部、傾斜が急でこれ以上は見えません。上の方の一部だけです。今の時期は野草は無いので野鳥探索が出来るのですが野鳥は歩いていて見つけたら写すということにしています。八丁湖周りにはウオーキングや散策しながらこういう史跡なども結構ありウオーキングをしながら気楽に歩けます。そろそろハイツに戻って車で出かけることにしよう。
2010.01.07
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12月31日朝食後腹ごなしのための散歩に出た、前の夜遅くまで飲んでいたのでアルコールを抜くための目的もありのウオーキングです。孫を連れいざ出発。 八丁湖には日本オリエンティーリング協会に登録されたコースがあります。年齢や時間で幾つかのコースが取れるようになっている。 ハイツを出て湖の周りをと歩き始めて気が付いた。こっちへ先に行くとポンポン山のコースは時間もかかるのでハイツの写真だけ写して逆戻り。まだお酒が抜けていなかったようだ。 何時ものコースに戻り湖を少し回りこむと急な上り坂があり、ここからポンポン山に向かって入っていく。アカマツ林があり急坂です。 食事の後でもあり昨晩の飲みすぎのせいもあるのか息が切れる。孫たちはさすが元気、大阪の街中ではこんな雰囲気が味わえないからだろう。 急坂の後くだりが過ぎると雑木林の中のフラットなところになる。やっと息も落ち着いてきた。幾つかのカーブや一寸した上り下りを過ぎてハイツから反対側の一番端まできます。 ここまで約40分良い運動になる。高布彦根神社の社が見えてくる。この神社も相当古いらしく延記式の書物にも載っているとか聞いています。 境内を入ると右側に神社の歴史やポンポン山のいわれ等がしるされた説明板がある。この山の下を昔の荒川の流れがあったとか、、、、 神社の建物の裏がポンポン山、神社の裏山といった感じで木が茂っていてうすくらい感じです。やっぱり設定を間違っていて写真もご覧の通りです。 山頂は岩場があり気をつけないと危ない、ポンポン山の頂上からの遠景、遠くに見える赤い端は水道橋で土手間の長さが日本一とのことです。 脇から回り込んでポンポン山の裏側から1枚。画像のような崖になっていて近隣の消防レスキュー隊のロープ訓練の場所にもなっています。頂上の岩にはロープを通すリングが幾つか埋め込まれている。ポンポン山のいわれは説明板をご覧下さい。帰りは他のコースを戻ることにしよう。
2010.01.06
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昨年12月23日の画像から、、学校が休みの孫がドライブに連れて行ってと電話をしてきた。10時頃うちを出るのではそう遠くにいけないのでとりあえず254号に向かう。 小川町から東秩父に向かい定峰峠を抜ける。ヘアピンカーブが多く前を4トン車のロングベースのトラックが走っていたが道が広くなったところで追い越せのサインを送ってきた。峠の頂上で一字停止、峠からの遠景、遠く見えるのが長瀞の町。 少し下ってきたら長瀞えの分岐点に着たので長瀞に向かう。途中秩父1番札所の四萬部寺がある、一寸寄ってみて本堂だけ写してきた。 長瀞駅前から左に上がれば宝登山へのロープウエーがある。祭日だが以外に人は少ない。60人ほど乗れるゴンドラに12~3人、ゆったり出来ます。 運転は30分間隔です。すぐ発車になり動き始めた。ロープウエーも見所はケーブルカーと同じで頂上までの風景、下の景色など時間がすぐすぎてしまう。 載っている人が少ないので上から降りてくるゴンドラが見えてきた。やっぱりみなこの交換する瞬間を写真に撮ろうとしている。 私はズームで引張るから慌てずに準備が出来ます。ただロープを支えている塔の近くに来るとロープがピンと張り鉄塔を過ぎたところで急にロープがたるむので揺れが激しくなる。こんなとき手ブレ防止機能が役に立ちます。 山頂駅に着きミニ動物園に行こうということになった。サル山とヤギなどのほかにミニ豚園とシカ園があるという。孫はシカが見たことが無いので見たいとの希望です。 サル山では山頂駅と園の所でサルの餌を売っていた。サツマイモと人口飼料の塊を最中の皮に入れたもの、下のサルの群れに投げると先を争って取り合うがボス猿らしきのそばには他のサルは近寄らない。 シカ園では柵の中に自由に出入り(雌シカの園)ができシカに触れることも出来る。孫は怖々近づいていたが何とかシカをバックに一緒に記念写真が撮れた。 この宝登山は他に梅園のロウバイが有名です。早い物は12月下旬から咲くがこの日頃は温度も低くまだ無理なようでした。 やっと少し開いている枝を見つけズームアップ、和ロウバイのようです。 少し離れたロウバイ園では咲いているようだがロープウエーの時間がありそばに行くのは無理なのでズームで引っ張ってみたがはっきり判りませんね。 1時のロープウエーでのぼり2時の下りにのる事で余りユックリ出来ないが今の時期は見るものもこのミニ動物園ぐらいです。 くだりは一番下に陣取り、長瀞の町を撮りながら登りのゴンドラを待つ。遠くに少し見えているが鉄塔の陰で写せないので近づくのを待つ。 やっと登りのゴンドラが視界に入ってきた。光線の加減でゴンドラの風防のプラスチックが霞んでしまっているところがあり、慌てて場所を変わって何とかゲットできました。駐車場まで歩き何処に行こうか思案中。暖かい時なら長瀞ライン下りもいいが寒い今はとてものれた物ではありません。しぶきをかぶることもあるのでしぶき避けがあっても濡れる事がありやめにして秩父に向かう。天気も余り良くないので秩父周りで正丸トンネルを通り日高径由、圏央道利用で帰れば高速好きの孫も満足。170kmほどのドライブでした。
2010.01.05
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新しい写真の不足と整理が付いておりません。すっかり正月ボケにはまっているようです。こんなときは撮り(鳥)おきの写真が役に立ちます。替り映えもしませんがご了承のほど。 シジュウカラ、(スズメ目、シジュウカラ科)留鳥、全国の平地から山地の林、時に亜高山地帯にも生息し、同じ仲間のカラ類の中では最も生息地が広い。 公園や庭先でもよく見かけ、巣箱をかけると利用することも多い。 公園や木の多い場所の高い所で「ツツピー、ツツピーツツピー」とよく通る声でさえずりが聞こえるが、これはほぼシジュウカラ。 市街地周辺の里山などでも見られる。縄張り意識が強い鳥で、一度見かけた場所に行けば、おおよそ目で見渡せる範囲で出会うことが多い。 しかし晩秋から冬にかけては縄張りを解消して、雑木林の中を小集団で行動したり、メジロ、エナガ、ヒガラなど複数の種類と一緒に移動している。これを「混群」と呼ぶ。 シジュウカラのさえずりが目立つのは、複数の雄が雌を争っているとき。この時期にはネクタイのように見える黒帯を大きく見せるようなしぐさや、空中で激しく争う姿も見られる。幼鳥は関東なら5月(バードウィーク)頃に見られる。成鳥に比べてからだの色が薄く、黒帯は明瞭ではない。 資料は学習研究社、しぐさでわかる身近な野鳥、から引用しました。
2010.01.04
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八丁湖での3泊4日で孫の相手でブログ用の写真がないのにきずいたが後の祭りです。孫たちの写真ばかり、ジジぶり発揮だがブログには使用不可の画像ばかりです。 この湖の山の斜面にたっているフレンドシップ・ハイツよしみここが宿泊場所でした。下書きで残っていた原稿も八丁湖の物とこれ幸いに使いました。この案内図が吉見百穴近辺のふるさと散歩道の見取り図です。百穴や八丁湖、吉見観音、その他もろもろの場所や距離、所要時間がわかります。 私はもっぱら八丁湖専門です。他に行くには又車のところに戻ってこなくてはいけないし目的がウオーキングと写真撮影だからです。風景を写したいときは車で回って写して来てもいいかな? ツツジの狂い咲きの林から少しコースを変えて野草観察コースや丘陵コースを歩いています。花を楽しんだ後は実がなる物、マユミの実を種が落ち始めています。 コウヤボウキの種子 ツルのような枝を集めて高野山では箒を作って使ったのでコウヤボウキの名が付いたそうです。名前もこんなところから付くのですね。 フユイチゴ この時期に実が赤く熟れるイチゴで甘みは余り多くないとか。食べられるので沢山取れればジャムを作れるとか、ここでは少ししかないので味見するくらいです。 フユイチゴは沢近くの少し湿ったところにありました。この林は丘陵コースの一部でこの先坂を下ったところが沢沿いの散策路になっています。適度なアップダウンがあり足腰を鍛えるウオーキングには最適です。時々大学生が走っていることがあるがきっと城西大の学生が箱根駅伝の練習でもしているのだろう。葉が落ちて見渡しが良くなってきたので野鳥が居ればすぐ判ります。 12月14日撮影
2010.01.03
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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 娘夫婦孫たちも3泊4日の外泊を終え大阪え帰って行きましたが孫の相手も大変でした。いつも行く八丁湖のフレンドシップ・ハイツよしみでの正月をユックリ過ごしてきました。今年のブログの初めも八丁湖での昨年の写真からで恐縮です。31日にまだツツジが少し咲き残っていましたよ。八丁湖でアオサギやカモを写した後林のほうに入って見た。もうマムシやスズメバチの恐れも無く沢沿いの湿地や下のコースも安心して歩けます。 野鳥観察コースの中にある黒岩横穴墓群の一つです。土が崩れて奥行きも浅くなっていて水が少し溜まっていた。散策路から少し上がったところにポッカリ口をあけています。 暫く進み八幡神社にいく階段を上がると林の中に赤くちらほらと見える、てっきりモミジの散る寸前かと思っていたが? な、なんとツツジです。先日家の近所の総合公園でも見かけた同じ種類のようですがここにも咲いていました。 春にキンランやジュウニヒトエの後に咲いていたつつじに間違いないのだが、やっぱり狂い咲きなのだろうか? モミジのわくら葉と一緒に並んでいます。それも一株だけでなくあちこちにけっこうみかけるのですよ。 この画像では右にも真ん中も左にも、みな株が違っています。これだけ沢山咲いていると春に見たツツジと違うような気になってしまうがこの太い木の後ろで咲いていたのを間違いなく覚えています。 木に近づいてアップにしてみました。間違いなくツツジでしょう?何の種類かわかりませんが、春に咲く山ツツジやクルメツツジのように花は小さく同じように見えましたが同定できません。このツツジだけでなく花の時期が狂っていることが多いのでやっぱり狂い咲きなのだろうか?季節感がなくなったことと花が人間社会に警告しているあらわれでないのかと気になるところです。もっと真剣に温暖化対策を考えなくてはいけないのではないだろうか? 12月14日撮影
2010.01.02
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