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顔を上気させ喜んだ日もあった。コンニャクのように弱った日もあった。
2008年12月31日
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クリスマスの挨拶の直後に「あけましておめでとうございます」と重ねる意欲が湧かないのは困ったものです。それで年賀状というものをあまり書きません。でも送ってくださるかたがあるので、お返しに「寒中見舞い」を書きます。元旦礼拝の様子や、その年の御言葉や礼拝の後、近所の山に登りましたとか、富士山が良く見えましたとか、犬を連れて行きましたとか、暖かい一日でしたとか、寒い一日でしたとか、子供たちが顔を見せましたとか、母や弟が来ましたとか、孫が二人になりましたとか、妻も元気でいますとか、これでいいのかなぁもっと、ほかのことないかな?
2008年12月30日
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信仰と心は離すことができないように一つになっている。だれかが、心から信仰を剥がそうとするなら、心もくっついて剥がれてしまうだろう。
2008年12月28日
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今日のように日が昇ったクリスマス前の先日玄関のインターホンが鳴った。「自分は路上生活者です、食べるものはありますか?」「ありますよ、一寸待って下さい」扉を開けると、寒さに鼻を赤くしている男性がたたずんでいた。「ホームレスさんだよ」と一言言えば、妻はすべてを合点。インスタントラーメンを手早く作り中に生卵を落とす。「今日は温かいから外のその椅子に座って食べて下さい。 終わったら器をそこに置いてお帰り下さい」そう告げた。これから静岡市まで歩いていくのだと。ああ主よ。
2008年12月27日
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昨日は子供たちを迎えてのクリスマス会近所の若いお父さんお母さんたちが子供たちを連れて10組ばかり来て下さいました。その集いを最後に、クリスマスの行事は終了です。今日は気が抜けたようになり、精神的に落ち着きを欠きました。夕食後、妻に「祈りの細胞」を誘われました。それで居間で二人で聖書を読んで祈りました。よかった!「主の臨在感」が戻りました。
2008年12月26日
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クリスマスイブの集いが終わり、笑い声が星空に吸い込まれるように消えた頃2人の青年が訪れました。「うちはもう終わりました。 でもカトリック教会なら 夜中のミサがそろそろ始まるでしょうから そちらに伺いなさいな。」そう言って、カトリック教会までの道順を教えてあげました。彼らは羊飼いたちではなかったか?
2008年12月25日
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今晩はクリスマス前夜祭(クリスマス・イブ)ボクたちは、キリスト様のお誕生を感謝する夜を過ごします。厳粛なキャンドルライト・サービスではなく、わが家は楽しい感謝の集いです。キリスト様によって「聖家族」とされたボクたちが、それぞれが感謝の心を、お互いと分かち合うことができれば!6時頃、皆さんが集まってきます。カレーライスを食べてから、7時からボクたちの喜びが爆発するのです。主のお誕生を記念する日は、思い出としてではなくそうボクたちが守っている聖餐の式と同じく、主は今も生きておられ、ボクたちの心に強く明るく、幸せを与え続けてくださることを感謝するのです。わ~いハレルヤメリー・クリスマス!!!!
2008年12月24日
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「寄る年波も人間を成長させないね」そんな話をしたら妙に意見が一致した。夫婦揃って60歳になっております。
2008年12月23日
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昨日のクリスマス礼拝の「聖書朗読」と「説教」をアップロードしました。左のブックマークにある「三島西キリスト教会」からどうぞ。チャペル・コンサートのことは、ブックマークの左下「ちびくま・のんちくん」からどうぞ。お祈り下さった皆さんに感謝をいたします。ご協力下さった関係者の皆さんに感謝いたします。
2008年12月22日
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主よあなたにメリークリスマスただそれだけですがメリークリスマス天地が滅び去っても一つの言葉だけ忘れませんそれはメリークリスマスメリークリスマスメリークリスマス「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネによる福音書3:16
2008年12月21日
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4番目のろうそくに灯が灯される日曜日の朝はクリスマスの礼拝です。12月25日「クリスマス」の前の日曜日に「クリスマス礼拝」をささげるのが習わしです。今年は、午前に礼拝午後にバイオリンコンサートを持ちます。この町で長年活動されている芸術家が、チャペルコンサートを開いて下さいます。「ちびくま のんちくん」の作者でもあられます。http://www.nonchi.com/のんちくんの原画展を、先日、見てのんちくんのかわいらしさにあらためてビックリ。ボクは、ある感動を思い出しました。それは、高校生の頃だったか鎌倉の美術館に、パウル・クレーのたくさんの絵が飾られた時。澄みきった精神ああ、心に何を感じてそれを絵にしたのだろうか? とあの若き日の感動をもう一度味わえたのです。「ちびくま のんちくん」の作者はバイオリニストだったのです。きっと明日ものんちくんになりきってバイオリンを奏でてくださるでしょう。お近くの方は、いらっしゃって下さい。
2008年12月20日
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主を賛美する人たちと一緒にいたいという願い。み国ではそうであろうから。地の上でもそうありたい。
2008年12月18日
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夜は死朝は復活昨夜までの心の痛み苦しみ悲しみ嘆き怒り恨み昨日は早めに死んだらクリヤーな朝が来た
2008年12月16日
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外出をしながら考えた。僕には帰るところがある。待っている人がいる。そんなことがきっと一番の幸せなんだ。
2008年12月14日
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支持率が急落し、身内からも公然と批判が出始める。身内からの批判は支持率急落の焦りからだろう。支持率なんて春風のようなものだ。舌禍が見られるとしてもそれほどのものでもない。この世界経済の悪化の時、何もかも首相のせいではないだろう。首相がんばれ!!!明るくやってください。日本社会特有のいじめの構造に負けるな。
2008年12月13日
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イエス様は小さなパンとぶどう液に御身を潜めてボクたちに命を吹き込んで下さる。小さな教会に身を潜めて歩みながらボクもだれかに命を灯せたかな?
2008年12月12日
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北朝鮮首席代表、金外務次官の悲しみ「西側の人々とは、もう話したくない。 西側に思いはつのるばかりだ。 故郷に帰り、ひっそりと暮らしたい。」
2008年12月11日
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二人の人が寄り添っている「人」という字の形。あなたが生きることでボクが生きる。ボクが生きればあなたも生きる。ボクが生きればだれかが生きるのかな。しっかりと生きなければなぁ。
2008年12月11日
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還暦を迎えてしまっていよいよ涙腺がゆるむ。説教の時も聖餐式の途中でも言葉がつまってしまった。こんな小さなパン切れと葡萄ジュースの中に主がお出でになり、身を潜めておられると思ったらもう祈りを続けることが出来なかった。
2008年12月08日
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おはようきょうもすでにたくさん来て下さりありがとうたくさん読んでくださりありがとうあなたに神の祝福がありますように。書いた日記を消すのはこのブログが続く限り置いておきたいものとその場限りにしたいものがあるからです。今日は「待降節Adventus第2」です。クリスマスが近いのですね。これから今日のメッセージを読み直して礼拝に備えます。よい日曜日をお過ごし下さい。 山口不出来(やまひで)
2008年12月07日
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クリスマスの飾り付けをアドヴェント第一に備えてするそれはあまり重要なことではありません。教会暦にもありません。単なる便宜です。「アドヴェント・クランツ」と言う名のろうそく立てに4本または5本のろうそくを立てアドヴェントの第一日曜日に初めの1本に点灯することはかなり知られています。クリスマスツリーとかはクリスマスの日に出し1月6日の公現日まで飾って置くことの方が、正確と思います。ただし日本でお正月にツリーがあるのは、「しまい忘れ」と思われます。ボクはお正月の「お飾り」としてリースとかツリーとかは出しておきます(笑)。ツリーもリースも、教会暦とはあまり関係がありません。
2008年12月06日
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「祈り」とは「遠隔ヒーリング」の効用があります。遠くの人のために祈る時そこで効果が現れます。クリスチャンたちは多くの遠隔ヒーリングを当たり前のようにしているのです。遠隔ヒーリングのベテランになって祈りの中で絶大な仕事をなしとげています。心や体の癒しばかりではなく愛の交流さえも、遠隔でできます。顔も知らない人々との間でもそんな交流が出来ているのです。そんなステキなことを教えられそして知っているボクたち。もっと祈りのベテランになりたい。
2008年12月06日
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この地上では会わなくても大丈夫天国では会いたい人がある主を賛美している大群衆の中にその人がいるでも来ていなかったらどうしよう?
2008年12月04日
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突然に霧が舞い降りてくるように心配事が心を占領し始める時があります。そんなとき「オー神様、真実なあなたにこの心配事をお委ねします」と心の中で主を見上げ心配事を1秒も心にとどめないようにします。
2008年12月01日
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