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真の家庭世界化前進大会に対する総評一九九九年四月十一日、イースト・ガーデン 今回の世界巡回路程というのは、歴史時代の真の家庭を中心として天国に入っていくことのできる基盤を築くためのものです。そのために、またジャルジンで今教育しています。 アダム国家、エバ国家という名称が一九九七年十一月から父母の国に変わりました。初めて父母が現れて、昨年六月十三日を中心として聖人たちと悪人たちの解放運動をしたのです。 このような解放運動の基盤の上で、去る四月十七日にイエス様の家庭がベルベディアに定着しながら聖人たちも祝福し定着できる基盤を築きました。結局、そのすべてが霊界と基準が合うことによって可能だったのです。アメリカが父母の前に今まで長子ではありませんでした。一番反対の立場に立っていたので、これは放蕩息子と同じです。 それを長子権の立場に、一九四五年のキリスト教文化圏が長子として第二次大戦で勝利したすべてのイギリスとアメリカの立場を先生が探してあげて、長子権を回復したのです。それゆえに父母と長子が一つになったのです。この基盤の上でなされることがすべて循環コースのようになっています。 それで聖人たちも地上に任地を配置しました。真の父母の名をもって地上に彼らの任地を配置したのです。そのすべての霊人全体を動員し…。 韓国もみ旨の前から遠ざかり、日本もみ旨の前から遠ざかり、アメリカもみ旨の前で未完成段階にあったのを、今回、韓国に戻って二月七日、国際三億六千万双の祝福式をすることによって、初めてここで先生が責任を負うのです。霊界で失敗したすべてと地上で選民国家が責任を果たせなかったすべてに先生が直接責任を執り、韓国と日本とアメリカを結束し定着させるその大会をしたのが一九九九年、今回の二月七日の大会だったというのです。その内容は深刻です。 十六億双霊界祝福の背景 先生はそこから再び定着することのできる基盤を世界的に拡散するために、韓国も八か所で巡回講演をして、お母様がエバ国家の日本から息子の国家アメリカの責任を執ってきたのです。それで日本は十六か都市、アメリカでは二十四か都市、すべて四十の都市で大会を全部終えたのです。ですから、父母の責任と子女の責任が失敗したものすべてに、初めてもう一度先生が責任を執ってきたのです。それは神様もできず、誰もできず、キリスト教もできなかったことに、初めて先生が今すべての失敗したものの責任を執り、これを定着させることのできる決定をしたのです。そのような努力を今しているのです。 それゆえに、韓国の勝利、日本の勝利、アメリカの勝利を成して、長子権を中心としてカイン圏の文明世界の三十四か国を中心として、父母の国であるがゆえにこれを中心とすることによって、初めてキリスト教文化圏が一九四五年に責任を果たせず、その四十年荒野の家庭カナン復帰路程でも失敗したすべてに先生が責任を執り、全権を握って創立し、再度地上に定着させるこのような決定をするためのものが、今回の巡回路程ということを皆さんは知らなければなりません。 これをこれから世界に植えなければなりません。韓国まで合わせれば三十四か都市です。イエス様が三十四歳において国を見いだし、世界へ越えていかなければならなかったすべての失敗をみな清算する、このような残りの世界の基盤を確定する時だというのです。 今日、先生が「成約時代と天上天国、地上天国完成」ということを宣布したのですが、家庭完成ということと霊界のすべての解放圏を中心として見るとき、家庭の中には既成祝福家庭、法的に契約する契約家庭、その次にマッチング家庭があります。三十六家庭の三家庭に入っていたものを代表し、霊界において既成家庭祝福、法的結婚の未完成段階に地上と天上に分かれていたものとをつないで霊人祝福をしてあげると同時に、霊界でも霊人が祝福を受けた人々が三日式を通じて復帰も許すことができるようにしておきました。 今まで十六歳以上になった、地上で赤ん坊として死んだ霊たちが数百億になります。彼らを完全に祝福してあげているので、霊界のすべての先祖から法的結婚をしたものとともに、今まで未成年が天に入っていくことができなかったすべてを祝福してあげることによって、これが明日これから十六億双を祝福してあげるのです。このようにしてお母様がこれから新しく出発しなければならないのです。 それによって、霊界に行った霊人に十六歳のときにアダムとエバが堕落したそのような天使長家庭と同じ立場にあるために、アダムが堕落していない家庭を完全に抱き込むことのできる天使長家庭の形態として霊界で地上再臨し、青少年を一か所に追い出すのです。祝福権を出せということは、サタンが干渉できません。それゆえに、サタンを完全に除去する運動が行われるのです。 ですから、神様がここで占領し、完全に直接的な行動をし始めるのです。神様が今までとらわれの身として、玉座に独りで閉じ込められた身の上が解放された立場で、霊界と肉界を完全に主管することのできる次元に越えていく時となったのです。既成家庭、法的な契約家庭、マッチングなどの三十六家庭の形態の様子が霊界に入っていたのが、そのふさがったものをみな爆発させて、既成祝福を霊界祝福をしてあげ、まだ愛を成し遂げることができずに地上と霊界に分かれていたものを、統一教会を中心としてこれを互いに変えて連結させ、統一教会の四億を中心として霊界十六億、これの四倍になる霊人が一つになって、神様を中心としてサタン世界をひっくり返して打ち込むのです。センターになって真の父母と一つになり、真の父母を中心として真のカイン・アベルの勝利的基盤の上で世界とともに霊界と肉界においてひっくり返して打ち込むことができるのです。 祝福が何かといえば、神様の真の生命の血筋が連結することのできる基盤を相続することです。祝福を通して神様の血筋を受け継いだ人が、霊界や肉界にいるので、神様が思いどおりに主管することができるのです。 それで、神様の思いどおりに再創造、復帰歴史を今でも蕩減条件なく全権を押し出すのです。ですから、皆さんがそのような信念を持った相対的立場に立つか、立てないかということが問題です。決心したそのような絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準と一つになるときには、一瀉千里にすべてが水平世界へ線を引くことができるのです。 アダム家庭がもし堕落せずに完成していたならば、天使長に命令できるのです。「おい、こいつめ!やれ」と言ってです。しなければ法的に処理するのです。直ちに処理できるのです。天使長がそれをしないときは、原理原則によって法的に直ちに制裁を受けるのです。 神様のものが私のものとなるには ですから、皆さんがすべてが今は絶対愛、絶対服従する立場に立たなければなりません。エデンにおけるその家庭は、個人の所有物がありません。神様と神様の絶対愛と血筋が一つとなった立場に立っている真の息子・娘になれば、この宇宙のすべてが息子・娘に相続されるようになっているため、すべてが私のものになります。愛で一つになれば私のものになるのです。 ですから、皆さんは所有権というものがすべて財産だと考えてはなりません。所有の中の最高のものが神様の愛であり、神様の愛を受けることのできる息子・娘の家庭だということを知らなければなりません。それが一番です。それを失ったために、みななくしたのです。これを探せば、みな探すことができるのです。 皆さんがこの愛を中心としてそのような家庭を成し遂げるためには、所有権のない完全なる無で創造された理想と一つになる絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基盤を連結させて、本然的なものをこのサタン世界でも完全に拒否する立場において天に帰すのですが、私たちがその前でしなければならないのです。前でしなければならないというのです。 アダムとエバが前ですべて失ったものを、今は家庭を中心として真の父母との血統的関係を真の愛を中心として探すことによって、完全に復帰できるというのです。それゆえに、皆さんが今、財産とか何かの所有を持っていてはならないというのです。神様を中心として、血統を中心として、神様の愛を中心として一つになれば、神様のものがすべて私のものになることができます。 それで先生が世界的メシア、世界的父母として国家的父母と氏族的父母と家庭的父母を配置したので、これらすべての国家的メシア、氏族的メシア、家庭的メシアは先生とともに神様と一つになって大移動をしなければなりません。そのようにして本然の地を探して入っていき、本国を創建して、そこから氏族的な拡張をして世界を探して行くのです。そのような道を経て行かなければならないために、大移動が起こらなければならないのです。 それでジャルジンが重要なのです。そこは韓国とは正反対の地です。そこから家庭を中心として先生と国家メシアと氏族的メシアが再度天国へ入っていくことができるように公認をしてあげるのです。それで先生の一族圏内に加入でき、先生の血族圏内に加入できる権利を中心として、地上から天国へ行くことができるハイウェイに入るのです。 ジャルジン四〇日修練を受けた祝福家庭は、避難民の荷物をまとめて何でもみな売り、大移動の準備をしなさいということです。どこへ行かなければならないのですか? 韓国へすべて来いというのです。韓国は今、IMF体制下ですべてを売っている状況です。このとき、皆さんが来て土地を買い、落ち着かなければならないのです。 それで今は南北が統一されることにより、統一するように私たちが一つになることによって、天が認めるホームタウンが生まれるのです。地上天上天国のホームタウンが始まります。 初めて真の父母の家庭からすべての氏族、一族から祝福家庭が一つになって定着しなければならない時が来ました。これから南北が統一されるようになれば、世界はすべての思想的な面で完全に私たちについてこざるをえないのです。一つの世界になります。 途方もない真の御父母様の恩賜 今回二月七日の祝福が韓国に対する責任、日本に対する責任、アメリカに対する責任など、カイン・アベルすべてが失敗したことを先生が軌道を正して、先生が全権、勝利圏をもって釘を打ち込んでくる行事です。この「真の家庭世界化前進大会」が今その復興会です。 それで、先生がどれほど大変か見なさい。殺人魔まで地獄の門を開いて祝福してあげろという話は、神様はできないのです。神様もそれを知っているからしません。先生がここで「サタン世界の原理観がこのようなものではないか」。このようにしてすべて断行してしまうのです。 それで地獄の門を開けて、天国にどうか来なさいというのです。死んだ人の中から統一教会に何年間も反対した人々までも、霊肉を中心として霊肉結婚し、三日行事まで、地上で三日行事までしなさいというのです。これを韓国からアメリカに来るとき、一九九九年三月十三日に承諾してきたのです。 聖人になることのできる人、地獄に行っている悪なる側をすべて、聖人と殺人魔まで解放するのです。その原則において統一教会を信じる人は、統一教会にとても反対した夫でも、あるいは自分が望む人を引き込んで、地獄にいる人までも解放させて祝福させてあげることができるというのです。そのようなことが行われるのです。 神様の霊界は祝福家庭だけ生きることができる 聖人と悪人を一つにする、このような原則があるためにそれが可能でした。それが霊肉祝福の一体圏を中心として三日行事までするようになったので、残りの霊界において地上で生きられずに結婚もできずに死んだ子供の霊たちが育って十六歳以上の年齢になったすべての人々をこれから解放してあげるのです。その人々まで祝福してあげます。先生が地獄の門を開けて、すべての人々の前に祝福してあげることによって、神様の血族的権限を認めることによって、サタンは完全に後退せざるを得ないということを知らなければなりません。革命の中でこのような革命はありません。 アダムとエバの堕落以後に死んだ赤ん坊まで天国へ行くことができる、そのような環境を作っておきます。アダムとエバが堕落した以後に結婚できずに死んだ子供たちも結婚し、天国へ行くことのできる、すべての先祖が祝福を受けた圏内の霊界に入っていくことのできる環境を作って天国へ行くことのできる高速道路を作っておく、そのような基盤を蕩減復帰したのです。 天地創造のときに神様がお造りになった霊界には、堕落した人間が住みませんでした。その霊界は完成した祝福家庭だけが住むことのできる所です。そこはアダムが完成した以後に生活する天国のような環境です。ですから、神様が全権を世の中のすべての小さなことから大きいことまで思いどおりになすことのできる時だというのです。 「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」この言葉は、引き抜いてしまい、ひっくり返して打ち込みなさいということです。それで、お父様の八十歳である二〇〇〇年に入っては、すべての地上の一族たちはすべて天国行きだというのです。サタンの地獄から出エジプト、脱出する地上世界の出発が起こるのです。 モーセが八十歳で出エジプトしたのと同様に、これからの真の父母の家庭王としての世界の地球星が出発するのです。イスラエル民族がモーセの後に従って出たのと同様に、これから地上地獄を離れて天国に大移動が行われなければなりません。それゆえに、荒野のような過程をたどって行かなければなりません。そこは今のエジプトにあるすべてのものを売って、自らの故郷を建設することのできる資金をもって戻ることと同じ道理です。 すべて売り、ふろ敷包を包みなさい。避難民のように大移動です。このようにして韓国の土地を十倍ずつ高く買っても、すべて買わなければなりません。買って完全に私たちの土地を作って入っていくのです。 このとき、エジプトに住んでいたことを懐かしがってはなりません。エジプトで食べた肉、生活した豊富なそのすべてが荒野に入っていくようになれば、砂地の風が吹く中で乞食生活をするとき、どれほど懐かしいでしょうか? しかし、その時を懐かしがった人はみな滅びたということをよく知らなければなりません。 これから、国家的メシアの家庭が三代、七代を中心として一族の姓氏が合わさって、自らのすべての財産を売って祖国光復(解放)をしなければなりません。そうすれば、全世界が一度にさっと回るのです。 すべての所有は神様と真の父母の所有を中心として、世界のすべてが集まってくることによって再分配し、地上天上天国、神様の祝福を受けた家庭の所有権時代へ越えていくのです。そうして霊界が、全天使世界が一度に入っていき、アダム家庭の復活権を成し遂げることと全く同じことが行われるのです。 それで個人で家庭を成し、氏族・民族・国家・世界を成し、一度に父母様が成してくださった基盤を中心として祖国を探して入っていくことによって、自らの家庭・氏族・民族・国家・世界がすべて解放されるのです。それを嫌う人は地獄へ行きます。永遠なる路程で苦痛を受けて自分の行く道を誰も助けてくれません。自分が蕩減して行かなければならないのです。 知らなければならない摂理の時 それで皆さん、氏族的メシアを中心として、家庭的メシアを中心として百二十家庭が、国家的メシアは百八十家庭を中心として全体が一つになって一族たちが連合し、天国に入っていかなければなりません。一族が入っていかなければならないのです。それで世界天国になるのです。 韓国の地をもし買えなくなれば、南米の土地をすべて買って、すべて分割してあげようというのです。南米の土地を買えば、韓国の延長の土地として認めてあげるのです。 キリスト教、アメリカが一度に韓国に移動するというようになれば、南米まで世界キリスト教圏をすべて一つにして一度にみな復帰できるのです。一度に入籍をすることができます。それで家庭連合に、氏族連合に、国家連合を作っておいているのです。 これが総評です。それゆえに、この父母様がずーっと一度巡回することは、先生によって準備された勝利した基盤を父母の国と長子権、カイン権の国に扶植して帰ってくるようになるときには、このような行動をすることのできる天的解放圏、地上解放圏時代に入城するのです。それで今年の標語に「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」という基盤が地上になされて、神様の全権時代、全体、全般、全権、全能の時代に入っていくと見るのです。 さあ、見なさい。韓国が韓国の大統領を作ることのできる基盤を私たちが動かすことのできるそのような段階に入って、この長子権国の大統領を私たちが作れば、エバ権なしに親子が大統領になればエバは自動的に引かれて行きます。分かりましたか? 今がそのような時です。アメリカの大統領も私たちが影響を与えることができる段階に至り、その二つを作れば世界は統一されるのです。それでキリスト教を完全に早く教育しなければならないのです。早くしなければなりません。 今は摂理の時がいかなる環境に来たかということが分かりましたか?(はい)。 ですから、自分の今生きることのできるものが問題ではありません。天国の祖国の光復(解放)の時と、神様の地上天国が解放されるそれが第一の目標です。そのためには自分の家庭とか、自分の一族を犠牲にしてでもしなければなりません。避難民になったとしてもそれをしなければならないのです。 いつ先生が大移動を命令するかもしれません。今は皆さんが振り返らなければならない時です。振り返らなければならないというのです。全世界の祝福を受けた食口たちは、早い時期の間に南米に行って、教育を受けてこそ、これから天国に入っていくことのできるチケットをもらい、先生が一族に写真を撮ってあげるのです。これは先生の命令です。 ここのアメリカ責任者、州の責任者が問題ではありません。そのような話を聞くのではなく、先頭に立って教育を受けなさいというのです。お父さんが行かなかったならば、お母さんと息子と二人がお父さんの代わりにきて補い、条件を立てながらこのような避難袋を整理して行けというのです。それを経なければなりません。それは入籍手続きを受けることです。 韓国のIMF行きがそれで生まれたのです。神様がお作りになったのです。その銀行家たちを何人かだけコントロールすれば、すぐに元に戻すことができるのです。 今日、み言とともに世の中が変わるようになり、霊界が祝福家庭に処理されて、三日行事まで思いどおりにし、解放圏が行われたので、サタン世界の血族根絶をなし、霊界肉界の解放圏、神様の全権に入ったということを知らなければなりません。 〈祈祷〉 愛するお父様…、 複雑多端な摂理を導いてこられたお父様のみ旨の前に、足りなき者が韓国の地に生まれ、名もなくみすぽらしき立場において哀れな環境にありましたのを、あなたは導いてくださり、勝利の大道の版図にまで連結してくださいました…。そのお父様の苦労の前に、まずもって感謝申し上げます。 物心のつかぬ者が、今まで摂理のみ旨を知って、その日から行かねばならない子女の決心を促してこられたのも、天が共にあって日常生活のあらゆる主導的な方向を共にされたのも、お父様であるということに気づくとき…、どんなことがあっても、この終着点に向かっていかなければならないということを、私たちは知っております。 今日、私たちの標語が「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」であるという、この厳粛な一つの課題をめぐりまして…、忙しく昨年五月以後からこの期間までに、霊界のふさがった壁をすべて解決しうる出発をいたしました。 それから、祝福の恩賜圏を持ちえぬ天使圏内にいるカインの立場の先祖たちは、地獄と天上世界にとどまれず中間霊界にとどまっておりましたが…、それを完全に天と通じさせることのできる道を解放させんがために、この「真の父母」のみ名を持つ真の父母なるふたり、お母様とお父様は、新しき信念をもって断然と決定し、霊界の解放圏を備えるために、聖人と殺人鬼たちを祝福してあげました。 また、霊界と肉界が分かれており、天を信じる統一教会に反対していたすべての夫婦どうしが分かれておりましたが…、霊界に行っている夫や妻であっても、地上に残っている夫や妻が願うならば、改めて祝福を承認して彼らを受け入れ、地上世界において三日儀式まで経ることができ、地上と霊界の完成を共に備えるのできる…、このようなことを連結させるようになりました。 これによって霊界の祝福家庭が、地上の祝福家庭と同様に、地上にいる青少年たちを全権をもって祝福へと直行する道に駆り立てることができるようになりました。 この環境を経て、四億以上の祝福を受けた家庭において一人ずつ導き出すことによりまして、真の父母の前において、アダム家庭で失った、神様の前に失ったすべてのアダム・エバの家庭…、四億のアダム・エバの家庭を新たに祝福して、立てることができるようになりました。 今や、彼らを中心として、自らの残された一族に既成祝福をし、法的結婚圏内にあるすべての人々に祝福をすることによりまして…、霊界と肉界が一つになって出発した基準を中心に、幼い青少年の祝福を受けた彼らが、第四次アダム圏を再び成立させることによりまして…、家庭において堕落の峠を越え、神様の創造理想の本然の立場を取り戻し、先祖と子孫を祝福できる時代を付与いたしました。 ですから、天にいるすべての霊人と天使を動員して、このみ旨の一方通行の道を総力で前進的勝利をもって突き進むことができ、全力を尽くせるように駆り立ててくださらんことを、切にお願い申し上げます。 このような大清算計画を中心として摂理的プログラムを連結させんがために、韓国と日本とアメリカを通して父母と長子権勝利の基盤を、世界中の三十余か国に連結させ、八十の国家を中心とした勝利の版図を、神様が全権の活動基盤として伝授しようとなさるすべてのみ旨が、日進月歩となって万事がすべてうまく運ぶようにしてくださらんことを切にお願い申し上げます。 私たちの家庭は、神様の真の愛を中心として、「絶対信仰」と「絶対愛」と「絶対服従」で神様と一体となれる、血統的に結ばれた宿命的な子女の立場を、代わりになって完成すべき家庭を備え、「家庭的メシア」から「氏族的メシア」、「国家的メシア」、「世界的メシア」、「天宙的メシア」と、神様の血統圏を完全に連結させ、祝福を受けた血族となることによって…、地上世界から天上世界まで天国の門を開放し、地獄を免除してしまい、サタンをこの地から追放できる勝利的覇権時代を付与しうる時を迎えましたから…、祝福してくださらんことを切にお願い申し上げます。 このような計画が、あなたのみ旨と一致するすべてが、万事うまく運ばれますよう祝福してくださらんことを、切にお願い申し上げます。アメリカで勝利した二十四か都市での巡回講演に感謝申し上げます。父母様が韓国と日本における長子権の勝利圏を備えましたから、これから行くすべてのカイン圏の国々は、勝利の立て札をもってその国と全体の国民が、父母様を中心として長子権に従ってゆける方向だけを設定することによって、天下はあなたが望む所願の勝利の覇権、愛の主権時代へと越えていけることをご覧になる…、このすべての願うみ旨が、勝利、勝利、また勝利となる道を完成なさってくださいませ…。 すべての全体の祝福をお許しくださいましたことに感謝しながら、許されしこの夕べの食卓を、祝賀する意味で設けましたから…、霊界の食口たちと地上の祝福家庭たちが、霊的実体圏で一つとなった場において父母様に侍って祝う、この夜となるように祝福してくださり、共に召し上がってくださることのできる、このひとときとなるようお許しくださらんことを切に願いながら…、真の御父母様のみ名を通して祝願し祈祷いたします。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.21
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真の愛は誰もが願うこの講演文は、1999年3月14日、アメリカ・ニューヨークのベルベディア修練所で語られた文鮮明先生のみ言であり、2000年2月13日、「世界文化体育大典2000」の勝利祝賀晩餐会の時にもう一度宣布されたものです。 尊敬する内外の貴賓の皆様! 公私共にお忙しい中を、第四回「世界文化体育大典」に参席してくださった皆様に、心から感謝申し上げます。 理想家庭を通じた真の平和世界の具現のために、私が生涯をかけて追求してきた平和運動は、神様のみ旨を地上に成就してさしあげるための一環として推進してきました。分裂と藤の一世紀が終わり、和解と統一を模索して出発した新千年の希望は、漠然と成就するのではありません。 神様の創造理想を中心として全世界が、一つの神様のもとに一つの世界を指向するという具体的な青写真をもって、各界各分野で具体的な実践運動が世界化されなければならないのです。 私は、十六歳(数え)の少年時代に天のみ旨に接して以来、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖賢たちと自由に霊通しながら、生涯を通じてあらゆる試練に打ち勝ち、ただひたすら神様のみ旨成就に全身全霊を尽くしてきました。 知ってみると、神様のみ旨は、地上と天上に自由と平和と解放の天国を建設することでした。本然の神様と人間の関係は、永遠の父母と子女の関係です。 堕落は、その断絶を意味し、復帰は、父母と子女の因縁を回復することを言います。 私がこれまで設立した各種の平和団体と国際組織は、一人の神様のもとの一つの世界を構想してこられた神様の、み旨成就のための一環です。 特に、皆さんが参観された国際祝福行事は、堕落によって受け継いだ人種、宗派、国家間の葛藤を根本的に解決するための神様の戦略です。五色人種が一つに調和して、真の兄弟、真の夫婦として出会うことは、一人の神様のもとの一つの世界を追求する聖なる理想の現実化なのです。 きょう、私の八十歳の誕生日の祝賀行事と第四回「世界文化体育大典」を記念する歴史的大会を終えながら、皆様と共に考えてみようとするみ言の題目は「真の愛は誰もが願う」です。 皆様、人間に一番重要で必要なものとは何でしょうか。それはお金や権力や知識ではありません。生命よりも貴く、空気よりももっと必要なものとは真の愛です。真の愛が私たちにこれほどに貴く、重要なのは、何のためでしょうか。 人間が生きていく上で、神様に会うことを願うように、神様も真の人間に会いたいと願われるのです。ところで、人間の中でも男性と女性のどちらか一方に先に会いたいと言われれば、おそらく互いに不平を言うことでしょう。 ですから神様は、愛を前に立てざるを得ないのです。愛さえ一番に立てれば、男性と女性が一緒に会うことができ、一緒に触ることができ、一緒に分かち合うことができるからです。世の中で一番貴いものがあるとすれば、男性と女性が互いに先に所有しようと争うでしょうが、それが愛だということが分かれば、二人が互いに一つになって所有しようとするのです。 このように愛は誰もが好むだけでなく、愛のみが、人間の欲望をみな均等に充足させることができるという原則があるので、神様の救援摂理も可能なのです。 愛とは本来、神様のものです。しかし、いくら神様のものだといっても、神様一人では所有することができません。愛は必ず相対を要求するようになっているのです。男性一人、あるいは女性一人だけをもってしては、愛は成立しないのです。ですから男性の愛のために女性が、女性の愛のために男性がいるということになります。醜い男性も醜い女性も、愛の対象が現れることを願うのです。それも、最も高い愛の対象であることを願います。 ゆえに、宇宙のすべての存在を見れば、みな主体と対象、プラス(+)とマイナス(-)の対になっています。鉱物界、植物界、動物界、そして人間の世界もみなペア・システムになっているのです。なぜならば、すべてがこのような相対関係を通じて真の愛を願うからです。この宇宙の中で絶対に一人では所有することができないのが愛ですが、反面、相対が現れることによって、愛で連結されたすべてのものを所有するようになるのです。 同じように、子女がいなければ子女を愛することのできる父母の愛が現れないし、子女に対する父母の愛の主人にもなれません。ですから神様も、真の愛を成されるために、その相対として宇宙と人間を創造されたのです。 このように子女の愛や兄弟の愛、夫婦の愛、そして父母の愛すべてが、主体と対象が一つになることによって現れるのです。主体と対象として一つになれば、これら二つは分けることができません。もし分けるならば、真の愛が破壊されるのです。ですから離婚という概念はあり得ないのです。 男性が愛を感じるからといって、それが自分によるものではありません。女性から始まったものです。また女性が愛を感じるからといって、それもやはり自分によるものではなく、相対である男性から来たものです。すなわち、愛の主人は相対です。ですから愛を貴く思う以上にその相対を貴く思い、相対の前に感謝して、「ため」に生きてあげなければなりません。 これが、祝福を受けた夫婦が永遠に共に暮らすことのできる根本の道理です。このように夫婦が互いに「ため」に生き、尊重し合い、真の愛によって完全に一つになるとき、これを通じて堕落したサタンの血統は完全に根絶されるのです。 真の愛の縦的な垂直関係 真の愛とは、横的な水平関係だけでなく、縦的な垂直関係においても成されるのです。真の愛の横的関係が、縦的にだんだんその次元を高めれば、結局、その頂点に到達するのですが、この場が「真の愛の王」である神様の位置なのです。この場では、すべてのものが結合し、抱かれ、愛化され、そして花咲くことができるからです。 ですから宇宙の中にあるすべての存在は、愛によって和することを願い、愛の中で生きることを願うという結論になります。愛のために生まれ、愛のために生きて、愛のために死ぬということになります。 真の愛は人間のみならず、すべての万物も願います。ですから万物の霊長である人間は、神様が造られた傑作品を抱いて愛するだけでなく、すべての万物に愛することを教えてあげなければならない責任があることを知らなければなりません。万物たちはこのような主人を探しています。このような基準に私たち自身を照らしてみながら、自分を恥ずかしく思わなければなりません。 宇宙にいっぱいに満ちたすべての存在は、自分のレベルで相対と共に存在しますが、結局より高い愛の次元に吸収されて上昇するという原則に従うのです。すなわち、鉱物は植物に、植物は動物に、結局は人間にすべて吸収されることを願うのです。 ですからすべての存在は、捕まって食べられたり、吸収されたりして、より高い愛の次元に上がり、最後は愛の根源であられる神様の最も近い愛を受ける立場まで進んでいくようになるのです。このようにすべての存在が究極の目的地とするのは、正に真の愛の本質だというのです。 ダーウィンの「弱肉強食」という言葉は、このような愛の論理によって再び解釈されなければなりません。それゆえ、蟻や微生物までも真の愛を願うのみならず、自分を愛する主人のところに行って死のうとするのです。 このような原則から神様の愛の最も高い対象として造られた人間は、すべての万物をみな食べたり、もったりすることのできる立場にいるのです。このすべてのものをみな食べて、もちますが、これらを造られた神様の真の愛の心をもって食べ、もたなければなりません。 万物の中で長い形のもの、例えば、うなぎや魚が好きなみみずのようなものは、大体薬剤として使われるのです。どのレベルにおいてもみな、捕って食べられるようになっています。もしそうでなければ、宇宙は存立することができないのです。 神様の理想は、アダムとエバを種として家庭をつくり、氏族をつくり、国をつくって、膨大な天の国の民をつくろうというのものでした。天の国の民は、このような神様の真の愛の伝統に従って、繁殖されるのです。 私の理論とチャールズ・ダーウィンの理論は正反対ですが、平和の世界は、私の理論に従って成されるのです。なぜならば、これが創造理想を成す根本原理だからです。進化論と創造論の論争が続いてきましたが、「創造」という言葉には既に創造主であられる神様がいらっしゃることを認定する意味が前提となっているのです。 神様の創造には真の愛の目的がある反面、共産主義には闘争と破綻があるだけでなく、結局、すべて消えてなくならざるを得ないのです。神様が主体と対象を通じてつくられた創造には、方向性と目的観が内在していますが、唯物論をパターンとした共産主義理論には、何の方向性も目的観もあり得ないのです。 人間において最も重要な器官は愛の器官 すべての万物の中でも一番貴い存在が人間、すなわち、男性と女性なのです。その中でも一番重要な部分は、鼻でも、目でも、手でも、そして頭脳でもなく、愛の中心器官である生殖器です。この愛の器官によって、宇宙のすべてのものが再創造されるのです。 植物も動物もこの生殖器によって繁殖し、拡散していくのです。一番価値があり、一つとなった素晴らしい家庭もそれが一つとなった夫婦から現れるのです。一つとなった夫婦によって理想家庭が始まるのです。この愛の器官こそ、愛と生命の本宮であり、血統と歴史が連結するとてつもない価値のある場なのです。 神様が宇宙を造られた根本原理は、雄と雌の概念を通すのです。ところで、この雄と雌が絶対的な愛を願うならば、その相対が二つであってはいけません。ただ一つ、絶対に一つでなければなりません。永遠に絶対男性と絶対女性でなければなりません。それで神様は、アダムを二人造ったのではなく、エバも二人造ったのではありませんでした。ただ一人ずつ造ったのです。 ところが、今日世の中を見ると、義理の父が十人もいるケースを見ることができます。いかに偽りのごみ箱のような世の中でしょうか! 女性や男性が貞操を守り、保護するというのは、宇宙を保護することと同じです。男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本だからです。 ですからこれを動物のように濫用してはいけません。愛の主人は一人です。その中でも真の愛の「真」は、二つを許すのではなく、ただ一つであり、絶対に一人なのです。 「真の愛」とは、誰でも言うことができる言葉ではありません。唯一神様のみが、本当の真の愛をなすことができ、真の愛の絶対主人となられるのです。ゆえに、神様の真の生命も、神様の真の血統も、神様の真の良心も、真の愛を必要としています。このように、神様の最も根本となる本質は、真の愛です。 またこの真の愛と因縁を結ぶには、神様と関係を結ばなければなりません。うちのお母さんとお父さんがけんかしないで、豊かに暮らすからといって、真の愛で愛しているとは言えないのです。 恋愛している若い未婚男女が、互いに命を懸けて愛し合うからといって、それが真の愛ではありません。神様が介在していないので、真の愛ではありません。 真の愛は必ず神様を中心にしなければなりません。神様の息子、娘になるには、神様の血統と生命と愛に関係しなければならないのです。 権力や知識やお金、軍事力だけをもってしては、真の愛の世界で歓迎されません。 愛とは相手のためにしてあげることで可能 真の愛は、誰もが願うものですが、愛とは「ため」に生きることによって可能だという原則を知らなければなりません。相手のために奉仕し、犠牲になってあげなければならないのです。「私のために生きよ」という心で人に接すれば、みな逃げていくのです。 このような利己的な個人主義はサタンの戦略であり、目的であり、道具です。ですからその結果は地獄以外の何ものでもありません。全体のために生きなければなりません。人のために全体のために犠牲になり奉仕すれば、みんなが来て、私を愛してくれるのです。 子女として造られた人間が兄弟になり、夫婦となり、父母の立場に進む過程ごとに、神様はそのすべての真の愛の主人になるのです。 すなわち、人間が育つのを見ながら、神様はそのすべての段階の愛の主人として、定着されるのです。それゆえ、神様をしてすべての愛の主人となるようにした人間こそ、神様よりも貴い存在だとも見ることができるのです。ちょうど自分が愛する人を、自分よりも何千万倍も価値があり、貴く思うようにです。 ですからもっと貴いもののために、神様は投入され、忘れられ、また投入され、忘れられるのです。一〇〇パーセント投入されたのち、一〇〇パーセント忘れられるので、続けてさらに投入することができるのです。自分の夫が素晴らしくなるのを願う妻は、夫のために投入しては忘れ、また投入しては忘れることによって、夫を成功させるのと同じです。 投入して忘れることを続けるならば、その愛の段階を高め、究極的には、神様の位置に連結されるのです。そうして神様と共に父子の関係を成して、永生するのです。 みんなが天国に行きたがるのですが、「私のために生きろ」という思いだけをもっては天国に行けないのです。真の愛は神様が造られたすべての傑作品を抱いて、「ため」に生きるところから始まり、全世界の人類と究極的には神様にまで「ため」に生きることによって、天国に至るようにするのです。 一生に三回以上生命を捧げて、「ため」に生きようとしなければなりません。アダム家庭の堕落、イエス様の十字架、そして再臨主の家庭を追い出した迫害のすべての歳月を蕩減しなければなりません。 神様に出会うには、三回死に、再び復活したのちにも、神様に私のことを分かってほしいと願うよりも、神様のためにもっと尽くそうとしなければなりません。そのような人々が生きる世の中がこの地上にあるならば、そこが正に天国です。この道を私が教えており、そのような世の中をつくっていっているのです。 すべての愛の関係は球形を成す 子供はお母さん、お父さんの愛の実ですが、愛の実というのは、愛と生命と血統が合わさって成されるものであることを知らなければなりません。 子供たちが「自分のもの」を主張しますが、私のものの出発点は父母です。父母は根であり、幹です。父母がいなければ、すべて孤児です。父母に連結された愛のはしごを切ってしまえば、生きることができないのです。 真の愛の起源であられる神様を父母として、私たち人間は、息子、娘の立場に立てられました。父母は本来、子女のための愛の最高の主人です。 父子の関係が縦的な垂直関係なのに比べて、夫婦関係は横的な水平関係です。ですから父子関係と夫婦関係は互いに直角(九〇度)を成して、ここに前後関係である兄弟関係が合わさることによって、すべての愛の関係は球形を成します。 それで、愛によって成されたすべての存在は球形です。宇宙全体が球形になっているのです。このように成された球形の中心位置ですべての愛が統一され、定着しますが、この場に神様がいらっしゃるのです。 すなわち、神様とその息子、娘である人間の垂直関係を中心として男性の愛と生命と血統が右側に位置するならば、左側は女性の愛と生命と血統が定着するのです。ここに兄弟の愛が前後の方向に定着すれば、このすべての愛を中心として宇宙全体がバランスを取るようになりますが、これらが一番の核として出会うところに神様がいらっしゃるのです。これを平面的に横にしてみれば、愛の一番の根っこに、生命の一番の根っこに、血統の一番の根っこに、そして良心の一番の根っこに神様がいらっしゃるのです。 このように神様を中心とした家庭では縦と横、そして前後の愛が一つになりますが、このような家庭から氏族になり、民族、国家、世界、そして天宙に至るまで拡大していきますが、その根本中心は常にお一人、神様であられるのです。 全人類は真の父母を通して祝福を受けてこそ アダムとエバが堕落しなかったならば、真の夫婦の愛のモデルが出てきていたはずです。彼らから愛の教育、すなわち、愛することを学んでいたはずです。 彼らが子供をもてば、誰がその子供を結婚させてあげるでしょうか。それは父母です。それでは果たして今日、この社会で父母がどれほど子供たちの結婚に関与しているかを考えてみなければなりません。 統一教会では真の父母がいるので、世界の人々を父母の立場で結婚させてあげています。ここには、人種の違いを超えるだけでなく、聖人も悪人も一緒に結婚させているのです。 真の父母は、悪なる愛、悪なる生命、悪なる血統を接ぎ木して勝利し、否定させることによって、アベルを殺したカインを除去してしまわないで、みな同じ立場で祝福してあげるのです。 潮水を見るとき、出ていく水と入ってくる水が出合い、水平を成した時のように、歴史的に救援摂理(蕩減復帰)が終結する善悪の転換期において、善人と悪人を一緒にみな祝福してあげることによって、サタンは完全に追放されるのです。 エデンの園で結婚を誤ったことが堕落なので、今、真の父母が正しく結婚させることによって、これを再びひっくり返すのです。偽りの父母が犯したことを真の父母が清算することによって、地獄を撤廃し、数百数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させ、真の愛を中心とした本然の真の愛と真の生命と真の血統を取り戻し、真の父子関係を復帰するのです。 こうして神様の創造理想である八段階の真の愛のモデルの主人を完成するようになるのです。すなわち、腹中時代、幼児時代、兄弟時代、思春期時代(婚約時代)、夫婦時代、父母時代、真の祖父母時代、真の王と王妃の時代を経て、永遠に変わらない真の愛の伝統を立て、父子関係である真の愛のモデルが完成するようになるのです。 真の神様の愛と生命と血統は、絶対、唯一、不変、永遠なので、子孫万代の不変の真の愛を中心としたモデルとして相続するのです。真の愛を中心としては、父子一体、夫婦一体、兄弟一体になるのです。 父を愛の主人にしてくれるのは息子であり、夫を愛の主人にしてくれるのは妻であり、兄を愛の主人にしてくれるのは弟なのです。反対に、子女に父母がいなければ、妻に夫がいなければ、兄に弟がいなければ、それぞれ愛の主人の立場を見いだすことができないのです。 真の愛の主人になるためには、相対を自分よりも高め、「ため」に生きなければなりません。ですから、個人においては心身一体、家庭では夫婦一体、兄弟一体、国家一体圏を形成し、八段階の理想のモデルである愛圏を完成するのです。 そうして父母と子女、夫婦、そして兄弟(姉妹)、国家がみなこのような真の愛を中心に八段階のモデルである主人になることを願うところが、私たちの理想家庭と国家です。ここで永遠の世界的標準化が始まるので、地上天国が出発するのであり、また天上天国も自動的に築かれるのです。 今、新たに始まった二〇〇〇年代には、世界の至る所で定着した祝福家庭たちが、天地父母様と一つになり、真の愛を中心とした新たな家庭革命、世界的道徳革命を主導することによって、地上と天上すべてに永遠の平和と統一の理想天国を創建することを願うのが、神様の願いなのです。 私たちみんながこの聖業に同参し、神様の真の愛圏を相続する主人になることを願います。皆様の家庭に神様の祝福があることを祈ります。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.20
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信仰の翼♪ 前田つよし一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.18
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お母様のみ言1999年3月1日, 新潟県にて 皆さん、お父様の祈祷文を読んでみて、何を感じますか? お父様の祈祷文を読んでみた感想を話して下さい。話す人はいませんか? お父様の祈祷のすべてが、本当に神様を…、今、六十億の人類がいますが、どこの誰がお父様についていくことができるでしょうか? 誰よりも神様を愛し、人類を愛している方であるということを、祈祷から感じることができるのです。 一言、一言、祈祷一遍の一句一句が、すべて天を思慕し、天を愛し、天の願いを成して差し上げ、神様を解放しようという心なのです。またどれほど人類を愛し、瞬間的に多くの生命が地獄に落ちているのを、一時でも早く救わなければならないという、切迫した心を持って祈祷する姿を感じることができるのです。 そして、お父様がなされるすべてのこと、その中でたくさんの大会をされましたが、科学者大会や、教授アカデミーや、宗教大会等、お父様がなされることはすべてただ一つ、「神様と人類を解放する」ということなのです。 そして、最も難しいことが人種差別と宗教間の壁を越えるということであり、それは人類歴史の大問題だったのですが、お父様はすべて解消されました。 今回の三億六千万双を祝福した後には、多くの人々がそれを実感したと思います。 ですから、外部の世の中の人々が感じていることがそうならば、み旨を知っている立場で、真のご父母様に侍り、祝福を受けた皆さんの思いはどうでしょうか? 私たちの未来が見えるようではないですか? 皆さんの覇気によって、私たちの前から困難なことはすべて消え、雲はきれいに晴れ、明るい太陽の下で、日の光の下での希望に満ちた天国建設だけが残っているのです。今、私たちはどれほど興奮する世界に生きているのかを、皆さんは実感しなければならないのですが、どれほど実感しているでしょうか。 皆さんは、真のご父母様の健康と長寿を祈っていますが、真のご父母様が生存していらっしゃるということが、私たちにはとても大きな力なのです。 多くの宗教が実体的に、建物や教会等、歴史的なものをたくさん残してきました。キリスト教は勿論、仏教もそうであり、他の宗教も自分達の宗教を象徴する歴史的な建物をたくさん残してきました。 そして、一つの国を支配し、その名をとどろかせた王たちも、自分の代を残すために、自分がいる間には歴史的な何かを残すのだと言いながら、たくさんのものを残しました。 では皆さんは、過去の歴史上の王たちよりももっと良い位置ですか、良くない位置ですか? また、二千年前のイエス様の弟子たちよりも良い位置ですか、良くない位置ですか? キリスト教の歴史を代表しているイタリアに行けば、ローマ教皇庁を皆さんは見ることができます。そして、歴史の古い各都市を見れば、名前の通った城が、現在の二十世紀の文明では再現することのできない建築物が多く存在するのです。 歴史上、前にも無く後にも無い、真のご父母様に侍って生きている皆さんのこの重要な時代が、未来においてどのように現れるのか気になりませんか? 皆さんは、そのようなことを考えてみましたか? 私たちが考えることもできず、現実にあえいでいる時、霊界の興進様をはじめとして、大母様は驚くべき苦労をされています。 皆さんは清平によく行くので知っていると思いますが、今、清平で建てている建物があるでしょう? それは一段階として、大母様の願いは、お父様の八十歳のお祝いを聖別された所でお迎えして行いたいということが願いなのです。それは、すべて大母様の努力で建てている建物なのです。韓国の財団や、日本の教会が協助しているのではなく、修練費で建てているので大母様が苦労されているのです。 お父様は、それをご覧になられてこうおっしゃいました。「肉身を持っておられない霊人の身で、このように苦労されたのだなあ」 皆さんは、肉身を持った人として負債を負っている人なのです。 今回、日本巡回に出発しようとしたとき、興進君と大母様が、真のご父母様に侍ることのできるもっと大きな神殿を建てなければならないと言いました。霊界から天国の王宮の姿を、天使を通して見せてあげながら、実際の建築を担当しなければならない、一成建設に関係した設計チームを呼んで話をしなさいと指示したと言っていました。 イタリアに行けば、古い教会の建物があります。ある物は、何世紀もかけて完工したそうです。それでは、普通の建物ではなく、この時代に真のご父母様が住まれる神殿を、一、二年で建てることができるでしょうか? 設計だけしようとしても、多くの時間が必要なのに、お父様がお歳を召されているので十年以内に、早ければ五年以内に完工しようとして仕事を始めたというのですから、皆さんはそれを少し考えてみなければなりません。 皆さん、そのようなことを考えてみましたか? ただ与えられた目標、責任量にあえぎながら、時が来れば霊界に行くと考えていましたか? 歴史的な人物だったという証拠を残して、後世に見せてあげられるものを残さなければならないと考えたことはないのですか? 私たちには、すべきことが多いのです。世の中では、することがなく、願いがなく、希望がない人は自殺することもあり…。誰がそのように言ったのでしょうか? 日本には、自殺する数がものすごく多いという話を聞いたのですが、そのような人たちと、私たちは違うではないですか。 皆さん、女性が食事をつくるにしても、喜んでつくるのものと、同じ材料でも気分が良くなくい状態でつくるものとでは、天地の差なのです。私たちがすることはそうなのです。 小さいことから大きいことまで、この時代に生まれて真のご父母様に出会い、このようなことをすることができるようになったこと自体が、天の前に感謝なことであり、祝福を受けたことなのです。 皆さんは、これを自分の中に留めておかずに繁殖させて、皆さんのようなたくさんの実りを実らせなければなりません。 特に、日本の社会では、今この時間にもたくさんの人たちがみ旨を知らずに生命を失っているので、急がなければなりません。 ですから、皆さんはこのような大会がある度毎に、動機を高めて大きく結果を生み出すことができるよう、あらゆる方向に努力しなければなりません。 天が百パーセント施して下さったら、皆さんは百二十、二百パーセントにしてお返ししようと思って、一生懸命にすれば、どのようになるでしょうか? 皆さんは、今は時が違うということを皮膚で感じているのではないですか? 昨日、ここで奉仕していたお婆さんの中の一人の方も、天地祝福を受けて、今夫と一緒に暮らしているという話をしていましたが、私たちには、今霊界に五百億名にもなる祝福家庭がいるのです。霊界で地獄から解放された、また善なる先祖、悪なる先祖にかかわらず、解放されたすべての先祖が、皆さんの行く道をどれほど協助してくれるでしょうか? 皆さんが動いていないので、分からないのです。考えが及ばないので、そうなのです。 ですから、皆さんはもう「難しい。大変だ。できない」と、そのようなことを言うこともできなくなっています。それは、皆さんの能力に従って現れるのです。 どうですか? きょうはお父様の祈祷を聞き私の話を聞いて、何か少しでも感じることがありますか? (「はい」)。霊界の霊人たちよりも、私たちが足らなくて良いですか? 霊界では、お父様の前に来て敬礼しようとしても、手続きが複雑なのです。今、皆さんはお父様の前に出て敬礼もし、すべてのことの指示も受けて、み言も聞くことができるではないですか? 霊界でも、お父様が早く来られたら良いと思っていますが、私たちの立場から考えれば、お父様が早く行かれてはいけないでしょう、そうでしょう? (「はい」)。ですから、お父様がこの肉界で関心を持っていただけることが多くなければなりません。そうではないですか? 皆さんたちも、関心がある所に行きたいのではないですか。 ですから、皆さんが孝子孝女になろうとすれば、お父様が関心を多く持つことができるよう、皆さんが努力しながら実績を見せて差し上げなければならないのです。分かりますか? 皆さんが再決心して、きょうも希望に満ちた一日の出発をすることを願いながら話をしました。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【送料無料】韓流コーラ メッコール 250ml×30缶 1BOX 炭酸飲料 ノンカフェイン 防腐剤・人工着色料不使用 ビタミンB1 ビタミンB2 ビタミンC コーラ 炭酸飲料 大麦飲料 麦コーラ 韓流コーラ 韓流コーラ🇰🇷
2023.08.14
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cocoaさんから「UCI訴訟特報 (2023.08.13) 日本語版 !」の報告がありましたが、私からは既に過去記事◆「UCI裁判勝利と同時に、永遠に郭グループが「失うもの」とは?」(2023.06.30)◆「>郭グループ・コスモスさんほかへーー家庭連合はUCI裁判の勝敗を決めようとしていたのではない!!」(2023.07.01)UCI裁判勝利によって得たもの、一方で永遠に失うもの(愛、生命、血統、伝統)、どちらが大きいかぐらいの判断はまだ出来ると思います。◆「UCI裁判ーー結論は米国・修正憲法第1条「宗教裁判判断留保」、宗教問題は裁判では判断できない」(2023.07.04)にて、統一家の伝統に従わない郭グループの行く末について書いていました。裁判は真の父母様が許諾されたものであり、その結果はどうであれ善には後退というものはあり得ません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【送料無料】韓流コーラ メッコール 250ml×30缶 1BOX 炭酸飲料 ノンカフェイン 防腐剤・人工着色料不使用 ビタミンB1 ビタミンB2 ビタミンC コーラ 炭酸飲料 大麦飲料 麦コーラ 韓流コーラ 韓流コーラ🇰🇷
2023.08.14
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真の愛自体を解放しよう1999年2月21日(陰暦1月6日)韓国・中央修練院「真のご父母様ご聖誕日」の記念礼拝で語られた内容。真の愛の解放 (題目を板書される)一度読んでみてください。(「真の愛自体を解放しよう」)。これはどういうことですか? 真の愛の目的は、私たち人間世界が完成させなければなりません。個人完成、家庭完成をなし、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで解放するのです。人類が完成した後に、真の愛をだれが解放してあげるのですか? これは、大きな問題なのです。 苦労した真の愛は、どこに行くのでしょうか? 真の愛は神様の所にあるのですか、私たち人間の世の中にあるのですか? 天上世界にあるのですか、地上世界にあるのですか? 真の愛自体を解放することのできる日がありそうですか、なさそうですか? 今までは、文化史や聖書史を対象として、「復帰摂理というものは六千年である」と言っていました。それは、文化史的な見地からはそのように言うことができるのですが、堕落の根源から今までの歴史を掘り返してみるならば、何千万年もかかっています。長い歴史があったのです。 アダム・エバを創造された神様が理想とされていた、その理想とは何ですか? 愛の理想を完成させて愛の実体を成し、喜びを感じることのできる世界に到達しなければ、真の愛自体を解放することはできません。 この宇宙が生まれた動機は、能力のあられる神様に基づいているのではありません。その動機は愛なのです。その愛自体を解放するということは、どういうことなのでしょうか? 創世以前の世界から創世以後に至るまで、全体が一つとなり、神様と人間のすべてを皆抱いて、「私の愛だ」と言うことのできる位置まで行かなければ、「愛自体を完成させた」という言葉は出てきません。何のことか理解できますか? 皆さんが家庭において、父母に侍って孝子の道理を果たし、夫婦がお互いに愛し合い、兄弟が愛し合って、子女が父母を愛する平和な愛を中心として完成したというとき、そのような家庭があったとしても、家庭だけがすべての目的ではありません。 家庭を連結した氏族があり、民族、国家、世界、天宙があるのです。天宙として、創世前の理想圏まで連結されます。その全体をすべて解放することのできる世界が、いつあったでしょうか? 今年の標語は何ですか? (「真の祝福天宙化と……」)。真の祝福です。祝福に「真の」を付け加えました。初めて「真の」という言葉を使うのです。真の祝福? (「天宙化とサタンの血統根絶」)。サタンの血統根絶です。サタンの血統を根絶した後には、どのようになるのでしょうか? 神様ご自身が、愛の心の世界で解放されたと思われるでしょうか、それとも根絶を成したとしても、まだ「もっとこうだったら良いだろう」という基準が残っているでしょうか? 先生が願うこのみ旨をすべて成したならば、先生が皆さんを、神様が全体世界の完成を通して感じられた心情で褒めたたえることができるでしょうか? 神様や真の父母の願いは、それですべて終わるのか、ということです。宇宙全体のどこにおいても、地獄でまでも縦横無尽に動きながら、愛自体が「ああ、いい」と言うことのできる上下関係、左右関係になっているでしょうか? それが問題です。 み旨が成し遂げられ、地上と天上に天国が成し遂げられたと言っても、それは完全天国ではありません。天国に向かって進んでいるのです。地上もまた同様です。そこには、必ず堕落の痕跡が残っています。 神様は、地獄を忘れることができません。自分の子女がサタンの相対となって地獄において苦労し、呻吟してきた事実を、神様は忘れることができるでしょうか? このような観点から、神様を完全に解放し、愛自体も解放した立場において孝子が存在することができるか、ということが重要な問題なのです。 神様もその位置に入ってこられて、「私も一度、孝子になりたい」と言われ、真の父母も「一度、孝子になりたい」と言われながら、神様と真の父母が一つになり、愛の前に孝子になることのできる道があれば、どれほどいいでしょうか? 愛の中で主体と対象が完全に一つとなり、自由天地、上下どこに行っても歓迎を受け、喜ぶことのできる、解放的な称賛の環境になる、と言うことのできる位置をいつ迎えるのでしょうか? 果たして歴史理想完成終末時代、地上天上天国が開門したというとき、そのような位置をいつ迎えるのでしょうか? 愛が完成した位置において、神様自体が父親として立たれ、神様の愛と宇宙の根本的愛を中心として息子自体が孝子の道理となり、父親と息子が一つとなって、その愛の前により次元を高めることのできる孝子の道を、どのようにして植えつけることができるでしょうか? それを植えつけることができれば、堕落は永遠にありません。解放が展開されます。それは原理圏を凌駕するものなのです。根本世界です。 孝子、忠臣、聖人、聖子にいつなるのか このようなことを考えるとき、今後皆さんは、家庭理想、天上天国が成し遂げられればそれで終わりだと思ってはなりません。 きょうの題目は何ですか? 「真の愛自体を解放しよう」です。 神様と真の父母とすべての人類、被造世界全体に堕落のなかった本然の創造理想がすべて成されたとしても、神様ご自身を見るとき、愛自体を解放したと称賛することができるでしょうか? 先生自身を見るときに、愛自体を解放したと称賛することができるでしょうか? そこには、まだ解決しなければならない内的な根であるサタンの血統に汚された痕跡が残っているのです。数千万年の歴史を経てきたのであれば、その何十倍、何百倍以上の消耗をすれば、堕落した世界の過去のことを忘れることができるでしょうか? それを忘れるために、「あなたと私が一つとなり、息子、娘が一つとなって、愛自体の苦労を慰労することのできる孝子になってほしい」ということが、神様の最高の願いではないだろうかと、皆さんは予想しなければなりません。 そのような観点から見るとき、皆さんは家庭において孝子になりましたか? 私たち統一教会は、孝子の定義を知っています。忠臣の定義、聖人の定義、聖子の定義を知っているのです。聖子の道理まで行ってこそ、相続を受けられます。 相続するということは、サタン世界のカインに勝利し、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代の統一された基準における、孝子、忠臣、聖人、聖子の愛の軸を中心として一つとなった解放の位置まで行かなければならない、ということを意味するのです。 それゆえに、神様と真の父母がごらんになる位置においての、真なる解放を成すことのできる孝子というものが、どのようなものであるのかという問題を考えてみなければなりません。 このような観点から見るときにどうですか? 先生は、その位置で合格したと思いますか、今も合格まで行くべき未練を残している立場にいるのですか? どうですか? (「合格されました」) 先生に未練はないのですか? 孝子になってすべて終わったというのですか? 忠臣になったら、忠臣ですべて終わったというのですか? 皆さんも、先生のように孝子になり、忠臣、聖人、聖子になって、世界の人々がすべて解放されたとすれば、その上に立った真の父母、あるいは神様がそれをごらんになるときに未練はないでしょうか? 要求がないでしょうか? 「おお! 神様が創造された本然の基準、堕落がなかった本然の基準以上の位置だ。おお! 私の勝利の創造の結実を備え、愛自体の結果をすべてここに成し遂げた」と言えるような、合格して褒めたたえることのできる自分自体になれるのだろうかということです。 いつ、そのような自分になれると思いますか? 十年後ですか? 考えてみてください。この地上での一生の間にできるのですか? そうでなければ、そのように生きた生涯を持って霊界に行き、何千年何万年を生きた後にそのようにできる自分自身になるのですか? これは深刻な問題です。 今、皆さんが生きているこの世界で、神様が願われる解放された真の位置、愛を解放することのできる主体の前に対象の位置に立った孝子、忠臣、聖人、聖子となって、神様の前に相続を受けるのですか、未練を残した位置で相続を受けるのですか? どちらですか? このようなことを考えなければなりません。 今まで皆さんは、「親の前に孝行し、国の前に忠臣になり、世界の前に聖人になり、天宙の前に聖子の道理となる」ということを言うのですが、その言葉と自分が何親等になっていますか? 父親と息子は何親等ですか? (「一親等です」)。そして三親等の親族がいますね。三親等ですか、四親等ですか? 父親と息子の一親等という関係、そのような縦的な列をなしても恥ずかしくないですか? そこに垂直に立つと思いますか? 心と体が完全に一つになり、その水平の上に垂直点に向かうところにおいてのみ垂直になるのです。 父親と息子は一親等です。上中下がなされてこそ垂直になるのですが、一親等、二親等になり、この二点をもってどこに行くのですか? 父親の考えと息子の考えの方向が違えば、ジグザグに行くことになるのです。 二人がぴたっと一つとなり、滴のようになって水平線に落ちることのできる立場、その垂直の位置に立つのですか、どうですか? 父親と息子が永遠に行っても、少しも傾きのない永遠に垂直になると言うことのできる位置はどこなのか考えてみましたか? 可能性はありますか、ないですか? 心と体の統一 皆さんの心と体は闘いますか、闘いませんか? (「闘います」)。闘うものがどうして統一の基点になりますか? 体が心を引っ張っていきます。体を引っ張っていこうとする心は、どれほどつらいでしょうか? 少しでも間違えば、心は「するな」と言うのですが、体はしてしまうのです。 体の思いどおりになってしまえば、垂直に行くべきものが、ゆがむでしょうか、真っすぐに降りていくでしょうか? ぺちゃんこになってしまうのです。息も吐いてばかりいれば死にます。息が絶えるのです。吐き出した分だけ入ってきてこそ、引っ繰り返って水平線が傾くということがなくなります。 それゆえに、絶対的に心と体は統一されなければなりません。その心と体を絶対的に統一させる主体とは、何でしょうか? それは真の愛です。真の愛は変わってはならないのです。絶対、唯一、不変、永遠でなければなりません。 人間自体は絶対的ではありません。唯一的な存在でもありません。行ったり来たりします。不変でも、永遠でもありません。 それでは、神様はどのようなおかたですか? 絶対、唯一、不変、永遠であられる神様の前に、完全に一つにならなければなりません。父親と息子が完全にくっついて、動くときは四方に遊びまわるのですが、定着するときには間違いなく神様の位置を受け継ぎ、垂直と永遠に連結させることのできる自分となっていなければならないのです。そのようになっていますか? 神様は永遠なのです。何億万年、垂直でなければなりません。地球の年齢が四十五億年であるとか、あらゆることが言われています。それは抽象的な数です。何千億でもかまいませんが、地球は太陽を一年に一度ずつ回っています。 十分の一秒のずれがあったら、どのようになっていたでしょうか? 一年に十分の一秒ずつずれてくれば、今では数億年過ぎたので、数億秒のずれになっているはずです。そのようであったら、どうなっていたでしょうか? (「破壊されていました」)。破壊します。 大きくなるか、小さくなるか、結局は破壊するのです。何億年の間、一秒も、億万分の一もずれなかったという事実です。驚くべきことです。 自然は、法というものを中心として、そのようなことがなされてきました。その法をつくった動機が神様にあられるならば、神様を存続させることのできる動機が真の愛なので、真の愛は何十億万年、何千億万年たっても一秒もずれないのです。 このような論理を提示するとき、その愛の前に相対的な立場、父親の前に一体となる子女になることができますか? 今日、この地球星、堕落した人類歴史の中に生きている人間に、神様は会われることができると思いますか、思いませんか? (「会われると思います」)。 それでは神様はすでに解放されたのですか? 深刻な問題です。ですから、人間がこの地上においてその基準まで到達することは、億千万年かけても大変だということを考えれば、もしこの地を離れて霊界に行ったとしたら、霊界で億千万々年継続してやったとして、その立場に合わせることができる可能性があるでしょうか? それが問題なのです。 それでは、心と体を一つにすることのできる仮想的な秘訣があるとするならば、どのような論理を提示しなければならないでしょうか? 体が体だけのことを考え、心が心のことだけを考える関係においては、永遠に一つになれません。 体が体だけを考えず、心が心だけを考えずに、お互いがお互いを考えることが先行しなければ、一つになることのできる基準を私自体において永遠に発見できないのです。これは理論的です。 発見できないということが分かりましたが、発見できると言うことができるようにするには、どうすればいいのでしょうか? 発見できない道の百八十度反対の方向において、可能なのです。 それでは、反対となる可能性があるものは何ですか? 自分自身の体が喜ぶことのできるものは何ですか? 体は体のことを考えているのですが、体が考えるべきことは心なのです。心のために、心を中心として平安になることのできる道を開拓していくのです。 また、心も同じです。心自体の平安な道よりも、体の平安な道を開拓してあげるのです。そのためには、どのようにするのですか? お互いが絶対的にために生きることができるようになれば、遠かったものがだんだんと近くなり、最後には一つになれる可能性があるという論理になるのです。 この世の問題は「自分第一」の考え方 今日の世界で何が問題かというと、自分を最も貴く思うことです。人間の世の中に「未完成病原菌」がいます。その病原菌は何かというと、いつも「自分のために生きろ」という病原菌で、それがくっついてしまったのです。 そのうえ、自分が優れているという者たちは、「私は知識があるので、知識の王だ。権力があるから王だ」と頂上に上がっていこうとします。 それとは反対に、「権力を持っていちばん下に降りていこう」、「知識があればどん底に降りていこう。学のない人よりも、もっと無知な人のように行動しながらも教えてあげよう」、このような反対の道を開拓していく方法しかない、というのが文総裁の提案です。 皆さんは、自分をいちばん重要視するでしょう? どうですか? 男性は男性を重要視しますか、女性をもっと重要視しますか? 男性は男性をいちばん重要視するのです。女性は付属品だと思っています。 女性も自分をいちばん重要視するので、男性を付属品だと思っているのです。そのような夫婦は、自分たち夫婦がいちばん重要であると考えるので、息子、娘を付属品だと思います。 これが問題なのです。分かりますか? 問題は何かというと、「自分第一」の考えであり、「自分第一」の幸福です。「自分第一」の解放圏を願うところからは、何も成し遂げられません。 それでは、善なる人とはどのような人ですか? ある人を生まれてから死ぬときまで、永遠に助けてあげようとする人は、どのような人ですか? 階級を超越し、東西南北を超越し、人種とすべてのことを克服し、歴史過程も、定められた伝統も、すべてのことを超えて、永遠に人を助けながら生きていったならば、その人は善なる人ですか、悪なる人ですか? (「善なる人です」)。その人は、自分のために生きられないのではないですか? 自分自身はぽっかりと空いているのに、それがなぜ善なる人なのですか? 永遠に他の人のために生きて空になるのは、低気圧になるのと同じことです。自分自体を他の所にすべて投入すれば、周辺には高気圧が生じます。完全にすべてを投入して、ストップして息が止まるときには、その高気圧が一挙に押し寄せてきます。 そして、十年間、千年間積んでおいたものが一瞬のうちに上がってきて、自分を一気に千万年の頂上に上げてくれるのです。そのようになることが理論的ならば、人々はそのように生きることができるでしょうか、できないでしょうか? 水もそうではありませんか? くみ取れば、圧力を通して押され、水平に戻るのです。 それでは、「愛自体を解放しよう。神様自体を解放しよう」というのは、どのような意味ですか? これは可能なことですか? 愛も存在するものならば、授け受けします。存在というものは、必ず授け受けするのです。遠心力、求心力となって、運動しなければなりません。 それゆえに、すべて呼吸するのです。細胞も呼吸します。皆さんも呼吸するでしょう? 呼吸している音を聞きますか? 脈打つのを感じますか? 毎回感じますか? (「感じられません」) 忙しければ、一か月でも一年でも、それを感じずに暮らすのです。それでも脈は打っています。授け受けしなければなりません。地球も呼吸しています。運動するのです。 皆さんは愛を持っていますか? 持っていませんか? (「持っています」)。生命を持っているでしょう? (「はい」)。それから血統を持っているでしょう? (「はい」)。それを感じますか? (「感じません」)。なぜ感じないのですか? (「一つになっているからです」)。一つになっているからです。 一つになったところに相対が現れれば、すべてが発動します。男性の前に男性が現れて、すり寄ってみれば愛が発動しますか? キスをしたならば、愛が発動し、生命が躍動しますか? 血が熱くなりますか? (「熱くなりません」)。熱くなるでしょう、熱い! (「熱くなりません」) 最近、ホモといわれる人たちがいるではないですか? レズビアンもいます。それは異常です。そのような人々がいるということが異常なのです。 美人ならば、独りで愛を発動させることができますか? (「できません」)。生命も発動させることができず、血統も発動させることができません。 男性の前に女性が現れれば、美人でなくても大丈夫です。醜女であっても、足の指をくすぐって愛せば、そこから波動が来て、目、耳、鼻、口、五官がすべて集中し、水平基準さえ超えれば一挙に愛が震動し、生命が震動し、血統が上がっていき、黒い雲がかかって雷の音がし、稲妻が光り始めるのです。 男性と女性が目で合図をするというでしょう? 小さな目で見て方向性の基準が合えば、耳がそちらに行き、口がそちらに行き、鼻がそちらに行きます。そのようにして、五官が一方通行し、焦点を合わせるものが何ですか? 男性が男性を見て、「りっぱだ! その目に一度触ってみたい」と言いますか? 「鼻に一度触ってみたい。唇に一度触ってみたい。耳に一度触ってみたい。アイゴー、首を抱いて一度キスしたい」と言いますか? それは男性同士ではできません。そのようにするのは、特別なお化けが取りついているからです。男性の中に女性のお化けが取りつけば、そのようになります。霊眼を開けば、それが分かります。ホモを見れば、男性に女性が取りついているのです。女性には男性が取りついています。 そのような奇怪な世界の背景が、現実の自分にあるということを知らないのです。宇宙全体の力は、人間自体に対応的な関係を持って均衡を保っているのですが、これでは均衡が取れません。これが問題なのです。真の愛ならば、すべての均衡が取れます。 私たちの行くべき道 それでは、母親が死ぬのと、皆さんが死ぬのと、どちらがいいですか? (「……」)。母親が死ぬのがいいですか、自分が死ぬのがいいですか? (「自分が死ぬのがいいです」) 夫が死ぬのがいいですか、妻が死ぬのがいいですか? (「両方とも良くありません」)。父母が死ぬのがいいですか、子女が死ぬのがいいですか? どうですか? (「……」) 本当に愛していれば、夫は妻のために死ぬことができます。それが本当に愛している夫です。本当に愛していれば、父母が子女のために生命をささげることも一度だけではありません。数十回、数百回でもささげることのできる余裕しゃくしゃくの父母が、真の父母の中の真の父母なのです。 兄弟のために生命をささげることのできる人は、「真」に属します。それでは、弟が十人いて、そのいちばん下の病気の弟が、他の兄弟を生かすために死んでしまったとしたらどのようになるでしょうか? 残りの兄弟は何と言いますか? 自分の生命の主人はだれですか? 十人中、一人がそのようになれば、九人の生命の主人はだれですか? 救ってくれた人はだれですか? 病気の弟です。このことは正しいですか、正しくないですか? (「正しいです」) 父母も同じことです。子女のために生命を捨てるのが本当の父母です。妻の生命を尊重して、妻のために自分の生命をいくらでもささげる道を行こうとする人が真の夫です。このような定義が残るのです。分かりますか? (「はい」) 家庭を成すときに、最初の出発は父母です。父母がいなければ、家庭はできません。祝福を受けた家庭は手を挙げてください。すべて祝福を受けた家庭ですね。家庭にはだれがいますか? 父母がいて、それから何ですか? (「夫婦です」)。夫婦です。それから何ですか? (「子女です」)。兄弟、子女です。そのようになってこそ、家庭が形成されるのです。 一つの家庭というときは、父母がいなければならず、父母になることのできる夫婦がいなければならず、夫婦になることのできる、兄弟過程を経ていくことのできる子女がいなければなりません。 一人の男性と一人の女性が、子女時代、兄弟時代、夫婦時代、父母時代へと進んでいくのです。 皆さんも父母の子女として生まれましたが、子女であれ、父母であれ、同じ道を行くのであり、父母にも子女時代があったのです。 アダム・エバにも子女時代があり、大きくなって兄妹時代がありました。兄妹が結婚したのです。結婚時代があり、息子、娘を産んで父母時代がありました。この四大心情的結実が連結されています。 このようなものを系統的に受け継いだのが自分の息子、娘なのですが、彼らにいちばん良いものを父母は残してあげようとします。 何を残してあげようとするのかというと、自分が愛を受けた、いちばん良かった子女時代、いちばん良かった兄弟時代、いちばん良かった夫婦時代、いちばん良かった父母時代です。人間にとって、それ以上によいものはありません。 そこに歩調を合わせられない人は、国に行っても合わせられません。国に、多くの子女、多くの兄弟、多くの夫婦、数多くの父母がいても、そこに心を合わせることができないのです。 国家や世界、どこに行ってもその構成的要素を中心として連結されています。大小の国家形態で形成されているものに連結させるための基礎訓練場が、家庭なのです。 家庭においては、幼児時代、兄弟時代、夫婦時代、父母時代があります。このような系列が世界にもあるのです。国には、たくさんの幼児がいますね? たくさんの兄弟がいますね? たくさんの夫婦、たくさんの父母がいるのです。 それでは、この個人的に訓練を受けた理想的な家庭は、どのようになるのでしょうか? 数多くの民族、国家の中に、家庭はどれくらいありますか? 国家には数千万家庭があるのです。 千万以上の家庭があったとすれば、千万以上の家庭に、「おい、国よ、数多くの家庭よ、私のために生きなさい」と言いながら、吸い込んでしまおうとする人が良い人ですか、それとも数多くの家庭にすべて与え、保護しようとする人が良い人ですか? 自分の家庭のために生きる人は、忠臣の位置に行くことはできません。忠臣の家庭の伝統を受けられないのです。囲いの中で、家庭的な孝子になることはできますが、忠臣になることはできません。 忠臣というものは、数多くの家庭を超えた国の基準において、歓迎を受け、賛成され、昼であれ夜であれ、歓迎されて迎え入れられる家庭でなければならないのです。 自分のために生きる位置にいる家庭が、忠臣の家庭の位置に出ていくことができるでしょうか? 絶対にできません。それゆえに忠臣になろうとすれば、自分の家族全体を連合させて投入しながら、喜ばなければなりません。 犠牲になりながら、母親が子女のためにいちばん貴重なものを与えるように、夫が妻のために生命まで投入してこそ「真」であるというように、その家庭のすべてを投入することを喜びとすることのできる道を行って、国家全体の家庭が「模範的な家庭である、主体家庭である」と歓迎することができるようになるときに忠臣になるのです。 これは理論的です。そのことを知りませんでした。就職して会社に通うようになれば、会社のものをどろぼうしていく者たちが多いでしょう? そのようにしていたら、国は滅びます。 それでは、愛国者になりますか、愛国家庭になりますか? (「愛国者になります」)。愛国家庭にはならないのですか? 愛国者一人と愛国家庭とどちらが貴いですか? (「愛国家庭が貴いです」)。愛国家庭が貴いのです。 愛国家庭が十家庭あれば、その十家庭を中心として、「私のために生きなさい」と言わなければなりませんか、自分が犠牲になって投入しなければならないでしょうか? (「犠牲になって投入しなければなりません」)。皆さん、そのように生きますか? 自分の家庭の中において、祖母は好きで、母親は好きで、だれだれは嫌いだというのではいけません。それは孝子ではありません。父母の代身、祖父母の代身、神様の代身として愛することのできる人が、その家庭の孝子になり、主人になるのです。 神様も関心を持たれて、祖父母も関心を持ち、父母も関心を持ち、兄弟も関心を持ち、その家に住む僕たちも、ために生きる人に関心を持ちます。「私のために生きなさい」という人に関心を持たれるでしょうか? そのような人は、哀れな存在となって滅んでいくのです。 驕慢な人は、地獄の隅に行って後ろ向きに座って、人に会うこともできずに壁を見ています。このようなことは、すべて霊界を知らなければ分からないのです。霊界を知れば、一瞬のうちに分かります。霊界を知りたいですか? 霊界のことをすべて教えてあげても、今、分かる人は一人もいません。 統一教会の人々が行くべき道は、はっきりしています。個人は家庭のために投入し、犠牲になるのです。アーメンですか、ノーメンですか? (「アーメン」)。その家庭は、国家のために家庭自体を投入し、犠牲になるのです。(「アーメン! ) 息子、娘を祭物として、妻を祭物としてささげ、自分を祭物としてささげ、母親、祖父まで連れてきて祭物としてささげ、さらにそれ以上、ささげるのです。(「アーメン」)。自分の先祖まで連れてきて、「祭物になろう」と言うようにするのです。 そのようにすれば、神様はどうされるでしょうか? 「やめなさい」と言われるでしょうか、「そうしなさい」と言われるでしょうか? (「しなさい」と言われます)。それは、いつまでですか? そのように投入し、犠牲になる人によって、そのような家庭、そのような氏族、そのような国、そのような世界、そのような天国をつくるときまでです。 そうすれば、神様が「皆さんを助けてあげよう」と言われるのです。神様も、受けられれば与えられなければならないのではないですか? (息を大きく吸われて)このように吸ってばかりいると死ぬのです。天地の道理がそのようになっています。ですから、それくらい投入すれば、天地の大きな福をすべて自分にもたらしてくださるのです。そして自分は、どんどん膨らんでいきます。 ゴム風船に空気が入ると、ゆっくりと上がっていくのと同じことです。それをずっと続けていけば、自分だけ上がっていくのです。最後は、神様より上にまで上がっていきます。理論的に考えて、神様以上に投入して忘れるならば、神様よりも低くなるでしょうか、高くなるでしょうか? (「高くなります」)。本当ですか? (「はい」) 一九九九年は蘇生十数完結、長成十数完結、完成十数完結の年 よりために生きる人が、中心存在になるというのが天理です。このことを知りませんでした。よりために生きる人が中心存在になるのです。 今までレバレンド・ムーンに対して、世界全体が悪口を言いました。「こいつ、母親の愛を独占している」と言ったのです。サタンが「神様の愛を独占している」と言いながら、やたらに憎むのです。 今まで世界は、文先生に反対しましたか、しませんでしたか? (「反対しました」)。皆さんも反対したでしょう? (「はい」) きょうの題目は何ですか? (「『真の愛自体を解放しよう』です」)。「真の愛がくれるものを、私は受け取らない。あなたがくれようとする十倍のものを私が上げよう」と言えば、どのようになるでしょうか? 十倍、百倍のことをするならば、真の愛は現れるでしょうか、現れないでしょうか? (「現れます」) そうすれば、逃げなければなりません。そしてどこに行くのですか? することがなくなれば、先生のいる頂上に上がってくるのです。頂上に上がって見て喜びます。「わあ! 本当に素晴らしい。このようなことができる日は初めてだ」と言うのです。本当の愛の天国が生まれたというのです。そうしてこそ、愛も解放されるのではないですか? 世界の人々がために生きると言えば、愛はどのようになりますか? 上がっていくのです。それは可能なことですか、不可能なことですか? (「可能です」)。不可能なことです。(「可能です」)。そうですか? (「はい」) 真の愛を国民として、自分が真の愛の大王になったとしたらどのようになるでしょうか? 神様は、「おい、こいつ! 不良のようなやつ! どろぼう! と言われるでしょうか、どのようにされるでしょうか? 神様のために生きて上がっていったのですか、ために生きずに上がっていったのですか? ために生きて上がっていったならば、大丈夫なのです。 ために生きずに上がっていけば、「この不良! と言われるかもしれませんが、神様もかなわないくらいにために生きたならば、それを呪われるでしょうか、称賛されるでしょうか? (「称賛されます」)。神様も受け入れられなければならないのです。 神様を動員して解放運動をすれば、どれほど素晴らしいでしょうか? 神様も喜ばれなければなりません。ですから、あのようなこと(板書された題目)は可能なことですか、不可能なことですか? (「可能です」) 今からは、先生の八十歳の誕生日……。 一、九、九、九、一度言ってみてください。一(「一」)。九九九(「九九九」)。(板書される)一が頂上になり、すべての九に一を分けてあげればいくつになりますか? (「三十です」) 一は、ここも満たしてあげることができ、ここも満たしてあげることができるのです。ここに上げても、ここにくっつけてもすべて十になるのです。十、十、十です。蘇生、長成、完成です。行ったり来たりすれば、すべて六数が出てきます。 それで一九九九年は、三千から三百、三十まで、すべて円を描く完成数の判を押すことができるのです。 ですから今年は、すべてのものが蘇生十数完結、長成十数完結、完成十数完結の年です。どうですか? 気分が良いですか、悪いですか? (「良いです」)。(拍手) ですから長子権解放数、父母権解放数、王圏解放数です。今、私が何と言いましたか? (「長子権解放数、父母権解放数、王圏解放数です」) 蘇生世界、長成世界、完成世界まで連結されます。その連結された価値は、千数と対等です。相対数なのです。 それでは、三百数と千数を変えますか、千数一つを持ちますか? 三百数が出ていけば、千数はいくつになりますか? みすぼらしいものになるのです。 それゆえに「一九九九年はすべての幸福の結実、内外共に結実する数なので、この年に私が間違いなく主人の資格を完結しよう。そして愛までも解放しよう」ということなのです。分かりますか? (「はい」) 九十度をはずれた完成品はない 絶対、ために生きる王にならなければなりません。神様の属性には絶対、唯一、不変、永遠があるのですが、その絶対に絶対、唯一に絶対、不変に絶対、永遠に絶対をつけて、さらには神様から出てきた愛までも解放することのできる道が始まるのです。可能性のある理論なのです。分かりますか? (「はい」) それでは神様は、毎日のように仕事をして暮らすのがお好きでしょうか、踊りを踊って暮らすのがお好きでしょうか? (「踊りを踊って暮らすことです」)。仕事は嫌いですか? 踊りを踊るのはどれほど大変なのか分からないのに、そうなのですか? (笑い) 道端で、一人で踊るのは狂った人です。踊りは何ですか? (「二人で踊るのです」)。二人でするのです。踊って歌って喜ぶのです。一人で喜ぶことができますか? 一人で喜ぶのは狂った人であり、一人で歌うのも狂った人であり、一人で踊るのも狂った人なのです。 踊りを踊るのにも相手が必要であり、歌を歌うのにも相手が必要であり、喜ぶのにも相手が必要なのです。それでは、踊りを踊るとき、男性同士で踊りたいですか、男性と女性で踊りたいですか? (「男性と女性です」) それは、だれがそのようにつくったのですか? だれがそのようにしなさいと言ったのですか? それは自分たちで変更することはできません。公式なのです。 公式は、基となる単位を合わせてなしたものですが、公式を変えようとすれば、基となる単位が変わらなければなりません。その基となる単位が変われば、他のものになります。 ですから、女性の前に男性というものは現れず、女性と男性のごちゃまぜのような人が現れるのです。男性でもなく、女性でもない、人でもない、そのようなものは現れてはなりません。男性の前には、絶対的に女性という動物が必要です。女性の前に男性という動物が絶対に必要なのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」) 踊りを踊ろうとすれば、絶対に相手が必要なのです。歌を歌うのにも絶対に相手が必要なのです。どのような相手ですか? おばあさんと孫がするのですか? それも男性と女性です。おばあさんと孫がするのですか、おばあさんとおじいさんがするのですか? (「おばあさんとおじいさんです」) 孫は相対になりません。相対というものは、常にバランスを取らなければならないからです。バランスを合わせて水平をなしてこそ、相対になります。 男性と女性は、いちばん初めは合いません。男性と女性が共に暮らしたとしても合わないのです。バランスを取らなければならないのです。 この世の中は、関係の因縁を持った世界です。関係哲学実際化時代です。父母関係、夫婦関係、兄弟関係、師弟関係、外交関係、政治関係、音楽関係、すべて関係という言葉が入ります。水平になるためなのです。 バランスを取って水平になることが継続してこそ、因縁が続きます。ですから、外交世界でだれが勝つのかというと、水平を合わせてあげる人が勝つのです。少し上げてあげる、そのようなことを十回すれば、良心があるのでついてきます。 天地が動く運行法、自然の理知を通して、外交舞台の勝敗の真理も見つけだすことができるのです。 右の目は右の目のためにあるのですか、左の目のためにあるのですか? 片方の視力が一・二で反対が○・三ならば、弱いほうを補充します。右の鼻の穴は、左の鼻の穴のためにあり、左の鼻の穴は、右の鼻の穴のためにあります。すべてが相対的なのです。バランスを取らなければなりません。 バランスを取ることができずに、水平でなくなると、中心が生まれないのです。ですから、家を建てるときは水平になるようにするでしょう? 水平世界は、必ず零点になった所に垂直が降りてきて、縦的な垂直線と横的な水平線が九十度の角度を成すのです。 九十度を四つ合わせれば、三百六十度です。どこに持っていって合わせても、すべて合います。十二角があれば、その十二角をどこに持っていって合わせても、すべて合います。おじいさんやおばあさんの角度もすべて合うのです。 天の頂上から地の果てまで、九十度でなければすべて合わないのです。九十度を中心として、四十五度はオーケーです。いくら大きくても、九十度を外れた完成品はないのです。 皆さんの心は垂直です。心が垂直になれば、体は水平にならなければなりません。垂直が通じるのは直短距離です。水平も、垂直と合わせる所は直短距離です。垂直は九十一度でも、八十九度でも成り立ちません。九十度しか垂直は成り立たないのです。垂直に水平となるのは、横的な直短距離であるので、それは九十度しかありません。 皆さんの心は、垂直の父であられる天の父、神様を父としているのです。神様の愛の前に、完全に一つになることのできる水平の父は、堕落していない完成したアダムです。それで垂直の父であられる神様と、水平の父である完成したアダムが、九十度の角度で出会うのです。 それは上、中、下となるのです。夫婦関係の夫婦も、ぴたっと、この中心を通って左、中、右となります。必ず九十度の角度を中心として通るのです。何のことか、分かりますか? 上下、左右、前後というものは、球形を形成する絶対要因の単位なのですが、その単位が公式化されれば、完全に九十度の角度を経て、一つの点を通らなければなりません。何の点ですか? 中心点です。上下の中心点、左右の中心点、前後の中心点です。それが家庭形成です。親子関係の上下、夫婦関係、それから兄弟、子女関係です。そして、これをすべて取り囲むのです。 親子関係の殻、夫婦関係の殻、兄弟関係の殻、殻は丈夫なのです。しかし、それを裂けば、そのまま裂けるのです。種のようなものは、二またになっているでしょう? 二またになっているのですが、そこを中心として胚芽の中を見れば、十字型になっています。 東西南北、四方に合わせて生命を連結させる根があるのです。それが九十度なのです。それは父の思いどおりにできません。父も母がいなければ生きていけないのです。母も思いどおりにはできません。父がいなければ孤独です。かわいそうなのです。 女性は愛を与えるために嫁に行く きょうの主題は何ですか? 愛を解放してあげよう! 愛は、皆さんについてまわるために、どれほど疲れたことでしょうか? 考えてみてください。アイゴー、臭いにおいの中でもさらに不快なにおい、行動の中でもどうしようもなく不快な行動、人生を生きていくのに、お化け屋敷に蜘蛛の巣が張って、出ていく穴がなくなるくらい、めちゃくちゃにしてしまったのです。完成を願う愛は、それについてまわりながら、どれほど疲れたか、考えてみましたか? 父母の子女に対する愛、子女の父母に対する愛、夫、妻、兄弟、すべての愛が行き違っているのです。愛がどれほど嘆息したのか、考えてみてください。したでしょうか、しなかったでしょうか? (「しました」) 愛を解放するには、一つの公式しかありません。愛自体が愛を解決する道は、永遠にないのです。愛自体も相対がなければ、愛の解決はなされません。ですから、愛よりも相対がもっと貴重です。 全員、愛を持っていますね。生命を持っていますね。(「はい」)。それら自体では分かりません。それらを一挙に爆発させるものは何ですか? お金では生命も愛も爆発しません。何が爆発するのですか? 欲心の爆発です。知識でも、それはできません。権力でもできないのです。ただ愛だけが、愛と生命と血統を爆発させることができるのです。 それでは、皆さんの愛を爆発させて、男性の生命、女性の生命をぐつぐつと沸きたつようにさせるものは何ですか? 生命ですか、愛ですか? 愛の火がついて、二つの生命が一つになって血統と合わさって渦を巻くのです。生命が、愛によって熱くなり始めると渦を巻き、その中に自分の生命の主人によって種が植えられるのです。 男性の生命と女性の生命が出会い、遠心力と求心力が一つになるようになれば、運動すると言ったでしょう? 男性の生命体と女性の生命体が、愛によって運動し始めて回るようになれば、上がっていくでしょうか、下がっていくでしょうか? 上がっていくところに芽が出れば息子になり、下がっていくところに芽が出れば娘になるのです。理論的に合う話です。私は、そうなのか、そうでないのか分かりません。(笑い) それでは皆さん、ために愛しますか、愛を受けますか? どちらがいいですか? (「ために愛することです」)。韓国の女性たちは、嫁に行くときに愛しに行くのですか、愛を受けに行くのですか? どちらですか? 二番目ですか、一番目ですか? (「二番目です」)。愛を受けようとすれば、追い出されるのです。本当です。 愛そうとすれば、万事がオーケーです。しゅうとめは、嫁に自分の息子を奪われて、どれほど悔しいでしょうか? 考えてみてください。しゅうとめが未亡人であったならば、息子を夫の代わり、町内の男性の代わり、弟のようにして、どれほど親しく過ごしてきたことでしょうか? うれしいことやよいことがあったときには、息子が相手になってくれていたのに、小さな女性、滴のような女性が入ってきて、下の部屋に暮らしていた息子を奪い、上の部屋に入って行って夜通しこそこそするとき、しゅうとめの気分は良いでしょうか、悪いでしょうか? 「あの女に、雷が落ちればいい」と考えるでしょうか、考えないでしょうか? (「考えます」) 未亡人のしゅうとめに、嫁は「お母さんは夫の右側に寝てください。嫁は左側に寝なければなりません」と言わなければなりません。愛が慕わしくて生きているのに、独りで暮らせば、どれほど心がめいって暗くなるでしょうか。 一か月、四十日、三か月、百日をそのように暮らせば、しゅうとめの心はどうでしょうか? 夢見が悪くなるのです。しゅうとめを独りにしておいたら、自分の夫が来て、首を絞めて「この女は」と言い、先祖たちが来て、足でけ飛ばすのです。そうなりますか、そうなりませんか? 霊界があるならば、そうなるようになっているのです。ですから、嫁に行って「愛そう」という女性は、その家の主人になりますが、「愛を受けよう」とする女性は、追い出されるようになっているのです。 女性は、愛を受けなければなりません。愛を受けようとすれば、愛さなければならないのです。愛して受けるのが良いですか、愛さずに受けるのがいいですか? (「愛して受けるのがいいです」)。愛さずに受ければ、どろぼうになります。商売で資金をすべて使い果たすのと同じことです。 これは理論的なのです。それゆえに統一教会員は、嫁に行くときに愛を受けに行きますか、愛しに行きますか? (「愛しに行きます」) 愛を受けるために生まれたのですか、愛するために生まれたのですか? (「愛するためにです」)。私たちが他の人にご飯を与えるのが気分が良いですか、もらって食べるのが良いですか? 愛も与えるのがよいですか、もらうのがよいですか? (「与えるのがよいです」) 一九六五年のことですが、私が約婚のときにお母様に指輪を上げられなかったので、世界一周をする前に小さな指輪を上げたのです。〇・五カラットのものしか上げませんでした。しかし、それで体面が保てるでしょうか? それでオランダに行ったときに、原石をいちばんうまく磨くダイヤモンド店に入っていって、いちばん色の良いものを買いました。それを買って指輪をはめてあげたら、お母様はどれほどうれしかったのか、その後、だれに上げたのかも覚えていません。(笑い)すべて上げてしまったというのです。 そのような女性と一緒に暮らすのは良いことでしょうか、追い出すべきでしょうか? (拍手)お母様の愛が、ダイヤモンドより何十倍も大きいということを学びました。「おお! 私もそれを知らなかったのに……」と驚嘆したのです。 服も日本に百二着、上げました。韓国、祖国領土でのお母様の宝物であり、国宝級のものですから、すべて記録しておきなさいと言っておいたのです。 ところが、「日本の女性たちがかわいそうなので、服を一着上げてもよいですか?」と言うので、「上げるなら上げなさい」と答えたのですが、百二着すべて上げてしまいました。 それは一着、何千万ウォンなのか、私は知らないのですが、十億、百億出しても買えない服なのです。歴史以来、お母様が着ていた服は、その一着しかないのです。行事のときに着ていた服です! それを上げてしまったら困るのです。持っていった人は、きちんと保管しておかなければなりません。(録音がしばらく途切れる) その服を着ていたお母様の骨があったなら、その骨と何千億とを取り替えますか? 何のことか分かりますか? お母様の骨がその服以上に貴重であり、お母様の墓場がもっと貴重であるということです。 服は、いくらでも占領したとしても、千年万年、愛のお母様の墓場は占領する者がいないのです。ですから、その服を愛する以上に、日本の後孫たちはお母様を愛さなければならず、真のご父母様を愛さなければならず、祖国光復に対して忠孝の道理を伝統として残すべきです。そのような意味で、先生はよいと思うのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) 愛の主人 愛の主人はだれでしたか? 今日の堕落した世の中は、愛の主人を知りません。母親の愛の主人は、夫の愛の主人、息子の愛の主人はだれだったのですか? (「神様です」)。神様は見えますか? 心があることを、分からないではないですか? 実体を見て、心もこのようになっていると考えるのです。 愛の主人を知っている人は、手を挙げてください。もちろん、神様は神様なのですが、神様は根なのです。根だけで愛が成り立ちますか? 主体がいて、いくらその主体がりっぱであっても、主体だけでは、愛に出会うことは永遠にできますか、できませんか? (「できません」)。そうです、できません。 それでは、愛の主人はだれですか? 知りたくないですか? (「知りたいです」)。神様を完成させることのできる愛の大王は息子、娘です。愛を知らなければなりません。相対がいなければ、愛を見いだす道がありません。夫婦がオシドリのように仲が良くても、息子、娘がいなければ、その夫婦は子女を愛する愛を捜し出す道がないのです。永遠に見付け出せません。 子女という存在が、子女を愛することのできる母親の愛をつくってくれる主人なのです。それを知らなければなりません。母親の愛をもたらしてくれた主人は、母親ではなく、子女であるということです。 韓国では、女性を「内の主人」といい、男性を「外の主人」といいます。「内の主人」の中で、「内の主人」に自分自身で自らなった人は一人もいません。夫を通して「内の主人」になったのです。 「内の主人」をつくってくれたのは、絶対的に夫の恩賜であるということを知らなければなりません。それを知らないので、自分勝手に暮らしているのです。「外の主人」も、一人では絶対に「外の主人」になることはできません。妻を得ることによって、「外の主人」の位置を定めるようになるのです。 このように「内の主人」、「外の主人」になることのできる愛の主人は、自分たちから始まったのではありません。相対から始まったものを捨ててしまうということは、永遠にあってはいけないことです。そのような愛の心を、「外の主人」以外に上げるのは道を外れたことです。主人を打ってしまうことです。主人をなくしてしまうことです。 天理の前に、破壊的な存在、公認を受けることのできない存在として消えていかなければなりません。先生がいくらりっぱでも、一人で妻を愛することのできる位置に行くことはできません。子女を愛することのできる位置に行くことはできません。神様を愛することのできる位置にも行くことはできないのです。 神様が私を愛されているので、神様を愛することができるのです。愛の主人は、私からではありません。相対からきた愛の位置を無視するのは、堕落の群れです。地獄に行かなければなりません。 神様を解放してさしあげる息子となる きょう、先生は八十回を中心として三百六十度回り、青少年を中心としてエデンに帰ります。青少年の淪落と家庭破綻を復帰するためです。 今までは、愛の主人を知らなかったので混乱が起きたのです。これを整理して帰ってこそ、地獄の世界で百八十度回って、天上世界に行くことのできる方向が設定されるのです。(「アーメン! )。永遠に、アーメンと言わなければなりません、永遠にです! (「アーメン」) アダム・エバは、一人の男性と一人の女性でした。その一人の男性と一人の女性の功績がどれほど大きいかということを知って、皆さんは賛美しなければなりません。その二人の男女が、神様に子女の愛をもたらした主人なのです。子女の愛です。昔は神様も、双子の赤ん坊のように性相と形状が育ちました。兄弟のように育ちました。 神様の兄弟愛の愛の主人を、その位置に立たせたのはだれかというとアダム・エバなのです。アダム・エバが大きくなり、結婚するとき、神様も結婚されて愛の主人の位置を占められることができるのです。結婚できなかったので、問題になりました。それゆえに父母の位置に行かれることができなかったのです。 それでアダム・エバが子女の愛、兄妹の愛、夫婦の愛、父母の愛を神様の前に成してさしあげるべき責任を果たせなかったので、神様は愛の主人の位置が一つもないのです。 子女の愛、夫婦の愛、父母の愛の位置を体験できなかったかわいそうな神様です。なぜ、孤児はかわいそうなのですか? 父母がいたら、どれほどいいですか。子女の愛から兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛をすべて実体化することができるように見本を見せてあげ、教えてあげられる主人がいれば、相続して余りあるのです。ところが、そのような主人がいないので、かわいそうなのです。 夫がいなければかわいそうだというのは、どういうことですか? 夫の愛を見いだすことができないからです。また「内の主人」になれません。それでかわいそうだというのです。分かりますか? 姉妹がいないで兄だけいるのではいけません。姉が必要であり、すべて必要です。そうしてこそ、東西南北、四方の愛の主人の位置を占めて天の前に立つことができるのです。 「神様! 私という存在は、神様の赤ん坊時代、幼児の時代の愛を完成させることのできる主人です。この主人を愛によって、あなたの前に植えつけてさしあげます。私の代わりに主人の役割をしてください。私が私を愛することはできないので、代わりに私以上に愛してください。よりために生きる位置において大きいものが出てくるので、もっと大きい愛を受けるために、私がよりために生きます」と言うのです。 そして、私によって神様の幼児を愛することのできる愛の主人になり、兄弟を愛することのできる愛の主人になり、それから夫婦として愛し合うことのできる愛の主人になり、父母を愛することのできる愛の主人になれば、天下万事がすべて東西南北に定着できます。 しかし、神様は喜びが定着できる位置を定められることができなかったのです。ですから、堕落というのは、どれほど途方もないことでしょうか? アダム・エバは万年の一人息子、一人娘なのです。 七代の一人息子が死ねば、村中が、軍隊までもが慰労してくれるのに、天地を主管できる天の国、王宮の国の王子王女、息子、娘を一度に地獄に放り込んでしまったのです。 血統が変わることによって、サタンの幼児の愛の主人となり、兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛をサタンが編成してしまったのですから、どれほどあきれたことでしょうか? 皆さんは、それを考えなければなりません。 父親、母親、兄弟、一族が滅亡したのです。愛を体恤することができる立場を失ってしまった、そのような神様の位置において、これを復帰するために血のにじむ苦難の道、逆説的な路程を開拓されて、今まで何千万年間過ごしてこられたのです。 そのような神様の労苦がどれほど大きいか、考えてみてください。人類の解放とともに、神様が解放されるということを知らなければなりません。 皆さんの家庭が解放されるということは、家庭を失ってしまわれた神様の悲しみを、私が慰労してさしあげるということです。一族を解放するということは、神様の一族を受け継がせようとされて果たせなかった悲しみを、一国を建国するということは、失ってしまった神様の国を取り戻し、解放してさしあげようということなのです。 先生の生涯は、失ってしまった天宙を取り戻して、神様を解放してさしあげていることなのです。自分の願いはありません。自分の考えはありません。「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」です。死ねと言われれば、直行するのです。逃げようとはしません。 そして神様を完成させるのです。神様ご自身が、サタンの自然監獄に閉じこめられているのと同じことなのです。囚われの身になられたのを、解放する息子になってこそ、解放されない恨を抱かれていたかわいそうな神様が、終わりの日に家庭と世界と天宙において解放されるのです。 その神様を中心として家庭の愛、氏族の愛、民族の愛、国家の愛、天宙の大きな愛の法度を中心とした主権を立てた所において、万民平等の幸福の基地となり、地上と天上世界に一元化されるのです。(録音状態不良で一部整理できず) ……青少年を収拾する方法がありません。家庭を収拾するすべがありません。それは先生の特許権です。それは、大学者であれ、だれもできないのです。彼らは霊界を知りません。先生が必要ですか? (「はい」)。どれくらい必要ですか? 先生の名前だけを持って、いくらそのように話しても成し遂げられません。先生の前に接ぎ木されなければなりません。 歴史の主流を通して、大海と連結されてこそ、地上天上の解放圏がなされるのです。大海は解放圏を備えています。支流はありません。黒潮を中心として太平洋を回りながら、五大洋がたゆまなく流れているのです。 天地の道理が、原則を中心として主流の中心的な基準になってこそ、その主流の方向を通して統一的世界が展開されるのです。自分の思いどおりにはできません。 孝子とは何ですか? 家庭に入って、父親、母親に愛を体恤させることのできる代表者です。私によって、兄の前に愛の主人になることができ、父親、母親の愛の主人になることができるのです。私によって、愛するようになるのです。そうしてこそ、孝子になります。 孝子というものは、自分一人によって母親の代わりに愛することができ、兄の代わりに愛することができる全体の代表的な基準に立って、それを植えつけてあげる役割ができるのです。孝子は、自分の家庭のすべての相続を受けた基礎になり、中心存在になるのです。 父母がどこに行くにしても、鍵やすべてのものを、その人に預けて行きます。それは、ために生きる人なのです。なぜ、ために生きなければならないのですか? 生まれたものの中で、自分のために生まれた存在はありません。 「上」と言うときには、その「上」というもの自体だけを考えて言うのではありません。「下」を先に認定してから言う言葉なのです。 「上」と言うときには、先に「下」というものを認定して言うのです。「右」というものが先に認定するものは、「左」です。左側を認定してから、右側というものを決定するのです。前後もそうであり、すべてそうなのです。女性というものは、先に男性を認定してから言うものです。正しいですか、正しくないですか? (「正しいです」) 男性ということも、女性を先に認定して言う言葉なのです。息子、娘ということも同じことです。自分を中心として結論を下したものはありません。相対を中心として、相対を通して自分の存在圏を認定するようになっています。 すべてそのようになっているのです。それを根拠とすれば、雄雌も同じです。プラス・マイナスも同じです。プラス・マイナスになっているのは何のためですか? 愛のためです。雄雌が一つにならなければなりません。何をもって一つになるのですか? 生殖器なのです。 家庭で天国に入る 今から祝福家庭は、自分の先祖を解放する時代が来ます。百二十代までです。今回教えてあげたことは、先生が八十歳を越えれば、天地が「合徳時代」になるということです。先生が八十歳になるまでに、すべてを終えなければなりません。一代で終わらせなければなりません。それを終えなければ、大変なことになります。霊界を完全に解放するのです。 家庭が天国に入るようになっています。夫婦で天国に入るようになっているのであって、一人で入ることはできません。地獄の門と天国の門を、すべて開いておくのです。回りながら上がっていきます。自分の先祖たちが列をなして、番人となり、案内してくれるのです。 昔は、サタンが自分の欲望の穴を掘って、千年、万年行くことができないようにしていました。そして、サタンが人間に使いをさせていたのです。それをすべて撤廃してしまいました。それはうそのようですが、そのようになるのです。見ていてください。それはなぜですか? 霊界の事実がどのようになっているのかをよく知っているからです。それをしなければ、後代になって引っかかります。 子女がいなければ、その父母は永遠に、子女を愛することのできる愛が分かりません。男性を愛することのできる女性になれません。そうですか、そうではないですか? その張本人が絶対主人なのです。一つしかない、アダム・エバなのです。その二人だけです。父母を中心とした三人です。その原則基準に合わせて生きていかなければなりません。それがジャルジン第二宣言である絶対家庭なのです。 初愛が貴いのです。初愛を中心として、父母も精誠を尽くすのです。神様を解放させるのは、息子、娘しかいません。その息子、娘を通して子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛を感じるのです。神様は、そのように育ってこられました。 見えない神様の幼児時代を、実体の幼児を通して感じられます。幼児から兄弟時代を経て夫婦時代、父母時代です。父母時代に向かって創造を始められたのです。 見えない過去の時代を、見える実体を通して再現し、昔の歴史的な自分という存在の、根源的な愛の主体と対象に出会い、それを愛することのできる主人の位置を復帰しなければなりません。それを切り離すことはできません。永遠に切り離すことはできないのです。 男性として生まれて、父母がいなければ子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛まで行くことはできません。父母がすべて育ててくれます。そのように父母は貴いのです。 愛の主人を絶望させてはなりません。父母自体が私を通して子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛まで見いだすのです。三代にならなければなりません。おじいさん、おばあさん、夫婦、三代が四位基台なのです。 子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、夫婦の婚約段階の心情まで、先生を通して感じなければ復帰ができません。帰ることができないのです。エデンの園で暮らしていたように、育ててあげるのです。それで真なる姉妹をつくって、真なる妻をつくってあげなければなりません。それが先生の責任なのです。 そして、先生がとても愛している姉妹たちを、天使長である男性に任せるのです。ですから三年間、女王として侍らなければなりません。そうでなければ、天上の法に引っかかります。先生も同じことです。すべて守り、すべてを解いて、公式をつくっておいたので、公式のとおりに行かなければなりません。 愛の主人は「私」でした。男性、一度言ってみてください。愛の主人は「私」でした! (「愛の主人は「私」でした」)。愛の主人は「私」でした! (「愛の主人は「私」でした」)。男性と女性がいなければ、愛は成り立ちません。これが父母です。父母から下りてきて育っていかなければなりません。 子女時代から兄弟時代、結婚時代、そして父母に上がっていくのです。その過程を経て、そのような位置に行くのです。これは一つの種と同じです。種の結実が子女なので、子女も父母に伝授されるのです。父母が子女を愛することによって、子女を愛する主人、兄弟を愛する主人、夫婦を愛する主人に父母がなることができるのです。すべてのものを父母が持っているので、それを父母から伝授されるのです。 男性と女性の行くべき道 それが千年万年の代を継ぐようになります。それを混ぜることはできません。兄弟と夫婦と換えることはできません。子女と兄弟を換えることはできないのです。兄弟時代は分かれなければなりません。分かれて、自分自らの道を行くのです。男性の行くべき道、女性の行くべき道を準備しなければなりません。 学校も別々にしなければならないのです。堕落した世界において、男性と女性が一緒に勉強するのは良くありません。本当の愛に対する神秘的なものを、すべて失ってしまうのです。 先生は、男女共学をなくします。そうしなければ、愛に対する神秘性が分かりません。それは、本で説明しても分からないのです。蜂蜜の味がどのようなものなのか、味わってみる前は分からないでしょう。口のきけない人でも、蜂蜜の味は分かるのです。いくら病気の身でも愛の味は分かるのです。その味は平等です。永遠に平等です。それに流されない人はいません。そこに引っかからずに入っていく人はいないのです。 あなたも引っかかりましたか? どうですか? 「愛」といえば、だれもがそこについて行きたいのです。独りでは愛することはできないので、男性は死んでも女性について行き、女性は死んでも男性について行きます。父母を捨てて、町を捨ててでも結婚しなければならないのです。 女性たちは種をもらいに行きます。自分の家門の種をもらってはなりません。それは良くありません。遠い所に嫁に行かなければならないのです。 渡り鳥がそうです。渡り鳥は、南半球に虫が多いのに、それを捨てて寒帯地方で冬を過ごし、春に訪ねてくるのです。寒い所を克服して力がつくのです。そして、ここで繁殖した餌も丈夫なので、子供も丈夫なのです。それで渡り鳥が生まれたのです。 それゆえに、遠くに嫁に行かなければならないのです。国際結婚すれば、美男美女が生まれます。本当です。極というものは、中間では極ではありません。北側の果て、南側の果て、東西も極です。極が生まれ、それゆえに回るのです。 結婚するときに、男性と女性が同じような人であれば陥ってしまうのです。上がっていくことができません。気性の激しい女性は、穏やかな男性と結ばなければなりません。目を見ても、鼻を見ても、穏やかさがあふれ出ている男性と結婚しなければなりません。そのように相対的に迎えなければならないのです。 愛の主人はだれですか? 愛というものは、自分一人で求めることはできず、相対を通して主人の位置を訪ねていくのですが、その主人とはだれですか? 自分が主人の位置にいても、その主人の位置をつくってくれたのは息子なのです。息子が母親の位置をつくってくれます。母親が息子の心の中に愛を見いだすことのできる母親の愛を植えてくれるのです。 愛は自分から出てくるのものではありません。ですから、息子を無視することはできません。それが、愛の生命よりももっと貴いからです。息子のために、その愛を失ってしまってはならないのです。愛を守るためには、母親が生命までもささげなければならない、という論理が出てきます。 このことを、今まではっきりと知りませんでした。これが分かれば、私がサタン世界で滅びる者なのか、天の世界で復興できる者なのかを知ることができます。興亡盛衰の起源がはっきりと区別されるのです。 今からは、このことを知らなければなりません。愛は、自分によって復帰されるのではありません。息子がいることによって息子を愛し、夫がいることによって夫を愛して、妻として「内の主人」になることができ、母親になることができるのです。また、一人の夫がいるがゆえに、母親になることができ、妻になることができ、息子を持つことができるのです。 そのような三代を経て、主人の位置を持つようになります。主人になった者を追い出すことができますか? 絶対にできますか、できませんか? (「できません」)。簡単なことです。 夫も同じです。妻がいるがゆえに、父親になることができ、夫になることができ、息子を持つことができるのです。そのような伝統的な愛を持ち、お互いに夫婦になることによって、連帯的責任を共に完成することのできる家庭基盤を持ったという事実を、天下に誇ることができるということが代表的なことであることと知らなければなりません。(「アーメン」) 愛は、自分によって始まるのではありません。そのような伝統を持ちながら、浮気することができますか? 愛が自分から生まれたという道理はありません。寡婦や男やもめがかわいそうだというのは、そのためです。結婚できなければかわいそうなのです。兄弟がいなければかわいそうなのです。なぜですか? 愛の定着基地がないからです。 愛の相対圏を成すことができなければ、宇宙の中に消えてしまうのです。存在の基盤を歴史とともに残すことができるという、驚くべき位置を策定できたということは、結婚した妻によるものなのです。 そこから母親の愛が始まり、夫婦の愛が始まり、子女の愛が始まります。父親が子女を愛することができ、女性を愛することができ、先祖を愛することができる伝統を受け継ぐのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) 真の愛自体を解放しよう それゆえに、宇宙を愛しなさいというのです。宇宙のために生きなければなりません。ために生きるところから、愛が始まるのです。自分の生命圏を越えるところから、真の愛が始まります。(録音が頻繁に途切れ、一部整理できず) それで、イエス様は死なんとする者は生き、生きんとする者は、何と言われましたか? (「死ぬです」)。死なんとしましたか? 死ぬ境地に自分を追い込むのです。 過去の旧約時代、新約時代、成約時代において、祭物は所有物なのですが、神様とサタンがこの宇宙の存在物を分けて持つようになったということは、悲惨な事実なのです。だれのせいですか? アダムとエバ、男性と女性のふたりのためです。このふたりの夫婦は、そのことを清算しなければならない共同的な責任が連結されているということを知らなければなりません。 それでは、成約時代とは何ですか? 物質は旧約時代であり、息子は新約時代であり、自分たち夫婦が成約時代です。このすべての完成をしなければなりません。所有権はなく、あるだけの物すべてを神様の物として、総生畜献納しなければなりません。 結婚する前に、所有物は神様の所有であり、アダム・エバの所有でした。真の愛を持って、真の愛を先立ててこそ、所有権が決定されるのであって、物を中心としては決定されません。息子、娘を中心として犠牲になり、真の愛の安着地を取り戻していく歴史時代なのです。 そのような標準に一致できるよう、統一家の祝福を受けた群れは、世界のどのような国境を越えたとしても、一体化した理想的な観点から、この公式過程をすべて通過すべき勝利の家庭、勝利の天国形態に拡大していき、宇宙解放にまで至るのです。アーメン。(「アーメン! )(拍手) ですから家庭において、愛の主人の位置をすべて取り戻し、国の愛の主人の位置を成すのです。その愛の主人の位置は同じです。国家にもその公式を拡大しなければならず、世界にもその公式を拡大しなければならず、世界のメシヤの愛の理想圏も、家庭において成すのと同じ公式で拡大しただけなのです。 あの世に行っても、神様に侍って暮らすということは、そのようにすることなのです。家庭において成したのと同じように、膨大な天国全体のために投入して忘れる愛を持って生きる人は、天国のどこに行っても解放され、愛までも自分の後ろに従ってくるようになるのです。それが愛の理想です。 皆さんが家庭に行こうと、神様の宝座に行こうと、どこに行こうと、皆さんに侍ってついてくるのです。そのようにして、真の愛自体を解放することのできる位置が生じることによって、万宇宙解放、天上解放、地上解放、完成が成立するのです。アーメン。(「アーメン」) ですから、個人のために、家庭のために投入し、氏族のために投入し、民族のために投入して忘れる、そのように継続していけば、後に愛までも私のために生きて敬って暮らすことのできる時代に進むのです。 愛の目的がそのようになっています。完成さえさせてあげればよいのです。完成させて敬い、そのように生きていこうというのです。そうすれば解放されます。分かりますか? (「はい」) そのようにできる日のために前進、前進を誓う、そのような先生の八十歳の誕生日、お母様の五十七歳の誕生日を祝賀する記念日にならなければなりません。アーメン7 (「アーメン! )一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.13
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三億六千万双祝福式 祝祷1999年2月7日 愛する天のお父様 きょう、一九九九年二月七日、この日、天地が注視する三億六千万双の祝福を記念する式が開かれています。 全人類と全天上世界で祝福を受けた家庭が、共にこの場に参席し、天地の新しい解放の日、長子権復帰、父母権復帰、王圏復帰を越えて、創造本然の神様を中心とした、天地父母を中心とした、真なる愛を中心とした愛の主権の統一世界に向かう、お父様の御旨を完成させることのできる、世界史的転換の時点にあるこの場でございます。 エデンにおいて悪なる先祖によってなされた、悪なる愛、悪なる生命、悪なる血統を受け継いだ人類歴史の中で、サタンの主導下にあったすべての天宙を、全霊界と全人類が心を一つにし、再び復帰しなければなりません。これを復帰するために神様は、旧約時代を経て、新約時代、成約時代……。アダム家庭において、神様と父子の関係をなすことのできる血統的因縁を結べず、堕落し、これを失ってしまったのです。 父子の関係が、父の愛、父母の生命、父母の血統を結ぶ場において成立するはずでしたが、この場を人類始祖が誤ることによって、偽りの父母の立場でサタンと血統的因縁を結び、サタンの父、サタンの子女、サタンの家庭をもち、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を受け継いでしまったのです。そのような歴史的な恨みの歴史が、アダム家庭から始まりました。 そのことによって、私たち人間の体と心の闘いが始まりましたし、夫婦の闘いの環境、父母と子供との間に闘いが出発し、アダム家庭、第一代家庭において、カインとアベルの殺戮戦が始まったのです。それゆえ、全人類は、家庭から氏族、民族、国家、世界の版図まで、民主世界・共産世界として対峙し、上下の世界に、混沌とした末世に置かれるようになってしまったのでございます。 このような渦中、今日、統一教会を立て、旧約時代になせなかった御旨、新約時代にあなたの理想の王圏を立てられなかったことを、成約時代を迎えることにより、真の父母がこの地に来て、地上の未完成、天上の未完成を完結して、地上の解放的神様の名から、真の父母の真なる愛と生命と血統的因縁を復帰したのでございます。 そのために、堕落した世界において野生のオリーブの木を切ってしまい、真のオリーブの木を接ぎ木し、天の血族とつなぎ合わせ、天の眷属(一族)を見いだそうとする神様の御旨に従い、統一教会では結婚を誤ったことを再生させるため、真の父母の名で、世界万民を一兄弟眷属とするために、世界合同結婚式を始めたのです。 そして、今まで迫害の路程を歩んできましたが、神様が保護してくださり、個人的反対、家庭的反対、氏族的反対、民族、国家、世界、天地、サタンの地獄圏まで、反対するすべての存在を退けました。 そうして、神様の真なる愛を中心とした血統的因縁をもつことによって、父が息子を直接保護するように、今日、統一教会はそのような多くの迫害路程の恨みを、個人として踏み越え、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙史的峠を踏み越え、人類全体を代身して真の父母の名で、超宗教、超人種、超文化、超国境を越え、天と地が共に、解放的祝賀を、三億六千万双の祝福の因縁をもつことのできるこの恩賜を、本当に、本当に、本当に感謝申し上げるものでございます。 霊界の二百億を中心として見れば、五百億の天の父母、兄弟、子女たちがおり、地上の三億六千万双、四億を超すカップルを中心として見れば、八億以上を超す、一家庭に四人ずつと計算しても、三十億を超す、このような数でございます。この者たちが混乱した世界を救い、混乱した歴史を再創造するためには、青少年問題と家庭問題を再び確立しなければなりません。 世界全人類が祝福に同参できる環境的与件を越えて、すべての人々が、天の眷属として祝福を受けることのできる、この驚くべき役事を成就したのは、統一教会のだれかがやったのではなく、天と霊界全体が協助してなされたのでございます。 このすべての勝利の覇権を、永遠に、永遠に、永遠に保ってくださり、万世の栄光の愛の主権と共に、祝福され解放されたこの者たちによって地上天上天国をなしてくださることを、懇切にお願い申し上げます。 ここにいる三億六千万双の結婚する世界の人類が、一心団結し、心の統一、夫婦の統一、氏族の統一、民族の統一、国家の統一、世界の統一、天宙の統一、地上の真の父母と神様の愛の一族圏全体を代表し得る、愛の統一の核心として立ててくださり、万世にあなたが願われた創造理想的愛の主権、地上天国を完成するための祝福された群れとなりました。 それゆえ、この者たちがこの場から今、あなたの前にこの全体の御旨を受け継ぐことのできる真なる個体となり、体と心が一つになり、夫婦が一つになり、父母と子供が一つになり、祝福された世界の兄弟たちと一つとなって、地上天上天国を完成する、神様の選ばれた息子・娘になるよう祝福しましたので、永遠に、永遠に、保護してくださり、勝利の場に、栄光の場に、前進前進、祝福を加えてくださるよう、真のご父母様の御名によって三億六千万双の前に祝福いたします。アーメン。アーメン。アーメン。【送料無料】韓流コーラ メッコール 250ml×30缶 1BOX 炭酸飲料 ノンカフェイン 防腐剤・人工着色料不使用 ビタミンB1 ビタミンB2 ビタミンC コーラ 炭酸飲料 大麦飲料 麦コーラ 韓流コーラ 韓流コーラ一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.12
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世界平和実現の時代をぱっと開こうこの講演文は1999年2月6日、ソウルのロッテ・ホテルで開催された「世界平和超宗教超国家連合」の創設大会で語られたみ言です。 全世界からおいでになられた各界の著名な指導者の皆様! きょうこの場で、私が発議した「世界平和超宗教超国家連合」創設大会を挙行する運びとなったことを大変うれしく思います。公式的に発議したのは昨年でしたが、私は数十年間この志を抱いて準備してきました。 過去四十年間、私が展開してきた超教派、超宗派活動と組織の目的は、すべて神様と人間が共に願ってきた平和世界実現でした。平和に対するヴィジョンは超宗派運動の核心です。 人類は、二十世紀に凄惨な世界大戦を二度も体験し、そして七十年間の無神論共産思想の横暴と冷戦時代を体験しつつ、先鋭な対決と藤を経験しました。冷戦時代が終息し、世界はしばし平和のための祝杯を挙げることができました。 しかし、間もなく人類は、その冷戦の終わりが自動的に平和時代に連結されるのではないということを知るようになりました。世界のあちらこちらで、激烈な戦争が起こり続けています。今も、前ユーゴスラビアと中東で、またスーダンや南アジア等の地で殺戮戦が繰り広げられています。これらの紛争は、主要宗教間の根深い藤が背景になっていることは周知の事実です。宗派間の対話と和合がいかに重要であるかを悟らせてくれる事例です。 現代において宗教的な理想の実現は、しばしば世俗権力と一定の距離をおいて活動してきました。今日の一般的な認識は、これを当然なものとして受け入れています。しかし、世界平和理想に貢献する国際組織は、世界の偉大な宗教的伝統と自分たちとの関係を再検討すべき時になったと思われます。 いかなる国際機関よりも、国際連合が良い例になるでしょう。多くの人々は、国連は世界平和のための人類の理想が制度化された組織であると思っており、これに期待をかけています。国連には、世界の問題を解決し、平和と人類繁栄を促進するために共に働くあらゆる国の代表者たちが集まっています。 しかし、国連で国家代表者たちが世界平和を実現しようとする努力は、相当な障害を抱いています。国連を通じて得た実績と成果を否定してもいけないでしょうが、国連自体が改善すべき点も多いと思われます。世界の政治家と宗教指導者が国連を中心として、互いに協力し尊重する関係が切実に必要な時となりました。 本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。体と心が戦わず、真の統一の起源を成し遂げるのは、人が神様に似たその息子と娘であるからです。神様は心と体が戦いません。絶対者である神様は、自体内に矛盾や藤があり得ません。 心と体が統一体となる人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有するときに達成されます。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」というみ言も、神様を中心として心身一体理想を成し遂げたことを前提とします。 ところが、人間は堕落によって、心と体が統一調和の基準を失ってしまい、葛藤しながら自己矛盾の中で生きてきました。それだけでなく、個人の中で生じる心と体の葛藤と闘争は、家庭、社会、国家と世界に拡大されてきました。兄のカインが弟のアベルを殺害する犯罪も、ここから由来しました。 歴史始まって以来、この地球上で起こったあらゆる対決と戦争は、本質的に、より悪なるカイン側とより善なるアベル側との間の戦いでした。このようなカイン側、アベル側の戦いは必ず終息し、原状に復帰しなければならず、心と体の対決も終わり、調和一体として復帰されるべきです。 個人の心と体が統一されるべき原理を、世界的な次元で適用、実践しなければならないのです。この目的のために、私は世界平和を具現する、心の世界を代表する「世界平和宗教連合」と、体の世界を代表する「世界平和連合」などを創設しました。 人間の諸般の問題は、根源的に、単なる政治的な問題ではないので、社会的、政治的解決だけでは常に及びません。大部分の人間社会が政治的に統治されていますが、その反面に大部分の国家的、文化的アイデンティティーの根底には宗教があります。事実、大部分の人々の胸中には、宗教的な忠節が政治的な忠誠よりはるかに重要性をもっています。 今や宗教は、世の中でその真正なる指導力を発揮する時となりました。宗教人たちは、この時代の状況と様々な不正に対して責任を感じ、深い自己反省をまずすべきであると思われます。宗教人たちが愛の実践の手本となることができませんでした。自分個人の救いや、宗派の利益に汲々としたあまり、世の中のすべての救いに尽力できなかったことを悔い改めるべき時です。今こそ、信仰だけでなく愛の実践が要求される時です。 神様は、我々指導者、特に宗教指導者を召命していらっしゃいます。世の中の不義と罪悪に挑戦し、真の愛を施すことを願っていらっしゃいます。すべての宗教人が一つの心となり、神様の人類に対する熱望を代弁し、実行しなければなりません。 体と外的な世界を代表する政治家や外交家たちの経綸と実践だけでなく、心と内的な世界を代表する世界宗教指導者たちの知恵と努力が合わさってこそ、平和世界が完全に達成され得るのです。そのような点から、国連を再構成する問題まで深刻に考慮すべき時です。おそらく、両院制の形態をもった国連を想像することもあるでしょう。 国家代表でなされた既存の国連を、各国家の利益を代弁する下院に代えて考えることができます。著名な宗教指導者と文化界、教育界など、精神世界の指導者たちで、宗教議会、あるいは国連の上院を構成することも考慮してみることができるのです。このとき、宗教議会は地域的な個々の国家の利害を越えて、地球星と人類全体の利益を代弁すべきなのです。 両院が相互に尊重し協力することによって、平和世界の実現に大きく寄与できるのです。世界指導者たちの政治的経綸は、世界の偉大な宗教指導者たちの知恵とヴィジョンにより効果的に補完できます。 私は、宗教指導者の道徳的ヴィジョンと手本となる生活が、天上世界、あの世にだけ向かうのではなく、この世で真正な幸福と永続する和平の道を超宗教、超国家を論ずる価値観で教育しつつ、世の中に光とならなければならないと確信します。 宗教指導者たちは、もっている偉大な伝統の神聖で貴重な知恵を相続し伝承するだけでなく、また天を手本として私心のない奉仕生活をする理想的指導者となるべきです。宗教指導者であれ、政治指導者であれ、最も大きい欠格事由は無神論的利己主義であることです。 私は、世界宗教議会を継続して開催しながら、超宗教、超国家的に神側の真の愛の教育に努力してきています。そして、昨年は、世界の宗教指導者たちが率先して、全宗教人が七数の単位の献金をし、世界平和基金をつくることに率先しようと提案しました。国家の経済事情や個人の事情によって差異はあり得ます。七ルーブルでも良く、七百万ドルでも献金することができます。全宗教人が、心を集めて基金をつくり、この基金で平和の知恵とヴィジョンを教育し、また真の愛の理想と真の家庭の価値を促進するために、共に効果的に働くことができるのです。 尊敬する指導者の皆様! 私たちは最高の宗教的知恵の表現が、世界の最も深刻で緊急な問題が扱われる委員会に上程される、そのようなシステムを実行するために、共に志を集めて働かなければなりません。このようなシステムは、国連機構の中に宗教指導者たちの委員会を創設することによって成し遂げることもできます。このような様々な目標を現実化するための最初の措置として、皆様がきょう、「世界平和超宗教超国家連合」を創設してくださることをお願いいたします。 併せて、この高貴なる理想を実現していくにおいて、皆様の経験と知恵、そして努力を傾注してくださることを心からお願いいたします。特に、宗教界は、「ため」に生きる真の愛を教育することに力を注いでくださることをお願い申し上げます。 「世界平和超宗教超国家連合」が世界平和実現に決定的な寄与をすることを確信しつつ、皆様と皆様の御家庭、そして、なさるお仕事の上に神様の祝福が共にあらんことを祈願いたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.12
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自称ルポライターtomy4509から前記事「自称ルポライターtomy4509から米本和広さんへ送った手紙」(2023.08.05)で、プロの殻を外して「自称ルポライター米本和広」として自由気ままに書かれてはどうかとの意見です。と書いていました。過去には私からは「自称ルポライター米本和広氏」と書いては、お叱りの言葉もいただいていたのでしたが、私以前には、現在メディアにも顔出しの「やや日刊カルト新聞」にて”鈴木エイト氏”が「自称”ルポライター”米本和広氏」と揶揄していたものでした。実は、私の称号「自称ルポライターtomy4509」は米本さんから授かったものでした。過去には様々な経緯もありましたが、実質的には2013年9月にその称号を授かりました。それについては「自称ルポライター「火の粉」氏について。」(2019.11.20)にても紹介していました(以下に抜粋)。自称ルポライター米本和広氏記事「火の粉」、以下URLから。http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-1082.html(註:すでに削除済み)以下に引用:----->(削除済み「火の粉」記事コメント欄から米本さんのコメント)tomy4509が小生のことを揶揄した記事はこれである。「火の粉」氏の疑問--愛知県国際展示場に4万名は?(10月8日) 最初に大前提として2つのことを述べておく。(1) 冒頭の自称ルポライタイー「火の粉」氏について。これについては「ヨンギの糠味噌3」さんが(tomy4509)を批判した「ルポライターの仕事(自ら現地に赴いて取材」 を読んでいただきたい。とりわけ前半。秀逸である。(tomy4509)さんがとことんおバカなのは、「自称ルポライター」を使っていることだ。小生が全国紙の社会ネタで「自称ルポライター」の語句を最初に見たのは、今から30年以上も前になる。うろ覚えだが、ある男性が小田急百貨店で万引きした-という単純なもの。盗ったものが高額だったから記事になったのであろう。記事によると、男性は職業をルボライターと名乗ったという。つまり、自称ルポライター。ということは,tomy4509さんと同じ職業名なのである。ニッコリ口幅ったいけど、小生の場合、出版社・雑誌社が「ルボライター」(ときにフリーライター)という肩書をつけてきた。(tomy4509)さん、残念ながら小生は「自称」ではないのだ。ただし、今の私の肩書は「元ルポライター」あるいは母の介護人か。日本語は正しく使ってもらいたいものだ。(2)他者を批判する場合は、その記事の出典元を示すべきである。彼の記事は、小生の記述の何カ所かを引用して、小生を批判している。価値中立的に書かれた記事という印象を与える。仮に少しばかり疑問を抱いた人がいたとしても、火の粉の当該記事がリンクされていないので、わざわざ探してまで、比較検討する人はいまい。このことが「陰険で陰湿」という評価につながるのである。-----<(引用終わり)先ずは、私の「自称ルポライターtomy4509」についてだが、火の粉氏は30年以上前の万引き窃盗犯がそれを名乗ったとかで、tomy4509もそれと類似扱いか。私は「自称ルポライター」というのも知らなかったのだが、つい最近になって知るようになったのは教会反対派の「やや日刊カルト新聞(2012年2月11日土曜日)」からだった。私からは、「氏名公表」されたときの「火の粉氏の語録」を挙げていた。(tomy4509)氏に告ぐ。 さあ、これで私も(tomy4509)氏も、ネット上の実名者となった。片方が匿名者であるという、不公平はなくなった。……(FC2によって削除済みであるが、過去記事にて画像あり)削除された「火の粉」過去記事(2013/09/04)からがその出典元だ。私がその「自称ルポライター」というのであれば、ネット上で私と不公平がなくなった彼は「何?」私がプロのそれではないから、彼も落ちぶれては「自称ルポライター」ということになる。自称ルポライター「火の粉」氏は、だからといって彼は、私からの事実誤認の反論に決して事実を語ろうとはしないことも別の理由として挙げていた。このように、メディア顔出しの「鈴木エイト氏」に対して家庭連合(旧統一教会)信者の人権、特には、拉致監禁”事件”について強く反論できるのは、鈴木エイト氏が「自称”ルポライター”米本和広氏」と揶揄したその「米本さん」以外にはない、という意味も込めてのものであったことを補足しておきます。「元ルポライター」からの復活を願っての私からの意見でした。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ []
2023.08.11
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Web説教「燎原の火のごとく ~伝道の勝利の原点~」2023/08/07 家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「燎原の火のごとく ~伝道の勝利の原点~」説教者:柴沼邦彦伝道というときに、イエス様の時代の「教会」がどのようなものだったかを知ることが大切です。約2000年前、「教会」がどう形成されていったのかが聖書の「使徒行伝」に書かれています。復活されたイエス様が、昇天される時に、「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1章8節)と言われました。それから、最初の五旬節の日に弟子たちが祈っていると、聖霊に満たされて、いろいろな国の言葉で話し始めたとあります。その後、ペテロが11人の使徒とイエスの教えと復活について話し始めると、3000人が洗礼を受けるようになりました。この日がキリスト教の教会の始まりであり、伝道の大きな転換点になっていたと言えます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.08
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米本和広さんへ○○教会の(tomy4509)です。過去にはいろいろとありましたが、今となっては一つの思い出となりました。米本さんの耳に届いているかどうかは分かりませんが、私からは刑事告訴申請までもしていました。無駄な時間を使わずに済んだ分それが幸いだったとも思いますが、その申請は取り上げてもらえませんでした。さて、米本さんのブログ更新もなく随分とご無沙汰されておられるようですが、お体の方は大丈夫でしょうか。新たなブログ「山上徹也を救え」で継続されていかれるものと思っていましたが、それも数記事で休眠となってしまいました。安倍元首相事件から1年が経ちましたが、マスメディアの報道とは裏腹に、信仰とは一線を引きながら家庭連合を弁明してくださるジャーナリストや弁護士の方々も顔出しされてのそれには、私たちも大いに勇気づけられます。しかしながら旧統一教会の拉致監禁に関しましては、これまでも「反カルトのカルト性」を訴えられてこられた米本さんをおいて他にはないと思っています。「是々非々」の立場から拉致監禁、特には、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の弊害を取り上げられた米本さんであればそれについてはよくご存じかと思います。実はその被害者の一人が私の妻の幼馴染みで、妻と家庭を持つ前に原理修練会で見知っていたのですが、妻が家庭を持ってからその彼女に会いたいということで何度か車を走らせたことがありました。その彼女の過去を知ったのはその時でした。米本さんと後藤徹さんの対談が掲載された「いまなお続く統一教会信者の拉致監禁 日本収容所列島」は手元にありますでしょうか? その第一章のNo.3「精神病院に6年監禁され、人生を台無しにされた明美さん」がその人でした。妻も彼女の過去を思い起こしてはインタビューされたものが綴られていました。彼女は祝福を受けることは出来たのですが、その後もPTSDの弊害は改善されることなく悪化の一途をたどったようで、書籍からはご主人のご苦労の声も聞かれました。現在、マスメディアで騒いでいる鈴木エイト氏や全国被害弁連にに対して、「反カルトのカルト性」でもって拉致監禁の非法制を訴えることが出来るのは米本さん以外にはありません!!様々なご事情も抱えておられご無理な相談かもしれませんが、プロの殻を外して「自称ルポライター米本和広」として自由気ままに書かれてはどうかとの意見です。教会組織とは無関係に私が受けた霊界からのメッセージであり、私個人からの出来ればのお願いです。以下の私のブログ末尾には、米本さんへの「霊界からのメッセージ」も付け足されていました。◆「米本・共産主義は間違っている!! (その5)-- サウロが聖パウロに改宗」(2013.12.31)https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201312310000/ヘドロに限らず清平、私が清平で霊界と一問一答をしたなどとの証についての取材もされておられず、反対派(宗教憎悪団体)の受け売りだけではルポライター米本和広としての取材力を疑いたくなります。米本氏の統一教会への批判・告発の偏向ブログはいずれは身を滅ぼす結果となることは米国のフレーザー委員長がその例です。2000年前、キリスト教徒を迫害していたサウロという人がいましたが、後に名前を変えてキリスト教徒に加わった聖パウロもいます(使徒行伝 第8章、9章)。米本さんには気を悪くされることなく、「キチガイ」の戯言として受け流されて頂いても構いません。これからも暑い日が続きますので、熱中症対策にも気を使われてください。早々 2023年7月某日 by tomy4509一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.05
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新しい食口の証し統一教会は良いことを教えてくれる 何故、悪く言うんだろう?家庭連合旧統一教会のためにこれからもできることは多いだろう一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【送料無料】韓流コーラ メッコール 250ml×30缶 1BOX 炭酸飲料 ノンカフェイン 防腐剤・人工着色料不使用 ビタミンB1 ビタミンB2 ビタミンC コーラ 炭酸飲料 大麦飲料 麦コーラ 韓流コーラ 韓流コーラ🇰🇷
2023.08.03
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生と死についての理解99.02.05 '99 世界文化体育大典 開会晩餐会基調演説 韓国・ソウル 尊敬する議長、各分野を代表する世界指導者、内外貴賓、紳士淑女の皆様! '99世界文化体育大典に際して、全世界各国から尊敬される指導者の皆様がこのように参席してくださったことに対し、本大会の創始者として深く感謝申し上げます。 新しき千年を展望する人類は、平和と繁栄のために愛の文化、心情文化世界を指向しなければならないと見ているのが、私の所信です。その点から「家庭倫理と世界平和」をテーマとして開催する本大会は、大きなが意義があると思います。 望ましい愛の文化が定立されるための条件はたくさんあるでしょうが、道徳と精神的価値を復興させ、家庭の和楽と安定をなすことが先決要件となるでしょう。 個人の道徳的生活の基準や、家庭、あるいは社会の倫理基準が絶対価値を中心として確立されるためには、正しい世界観と宇宙観が定立されるべきでしょう。今回私は、歴史以来全ての人々が腐心してきた問題である、人間の生と死について見解の一端を述べようと思います。 私たちは、この地上に生きていますが、この世界は地上だけがあるのではなく、霊界もあります。間違いなく、霊界はあるのです。そして、この地上と霊界は全く別な二つの世界ではなく、一つの世界として連結されています。私たち人間は霊界から生まれたがゆえに、再び霊界に帰らざるをえないのです。 韓国語では、おもしろいことに「死ぬ」という意味に「帰る」という単語を用います。どこに帰るというのですか。これは単に共同墓地に行くことを表しているのではありません。 元来、人生の出発した本来の所に戻るという意味です。遥か遠くの歴史の起源を越えて帰るということです。かと言って、韓国人として生まれたから韓国人として帰るという意味ではありません。 われわれ人類の祖先の根源となるその世界に帰るという意味です。すなわち、創造主がおられるならば、その創造主のおられる所に帰るという意味です。そこから出発したからそこに帰るわけです。 宇宙も循環作用をします。例えば、山に積もっていた雪が解ければ、その水が小さな渓谷を通って流れるようになり、さらにはいろいろな川を通って大海に流れ込みます。 大海に流れて込むようになったその水は、水蒸気になってまた戻るのです。このように循環運動を通じて、より高くなれる所へ、より良くなれる所へと帰ることを願うのです。 では、私たちが行って永遠に暮らすべき所はどこでしょうか。私たちは地上界で肉身生活をしていますが、心だけは永遠の世界を目指しているのです。私たちはこの世に生まれると、10代、20代、30代、そして壮年、老年時代を経るようになります。 このように青春時代を過ぎ、壮年時代を経て老年の峠を越えながら、沈む太陽のように一生を終えるようになります。 しかし、霊界があるという事実の分かる人たちは、地上で肉身をまとって暮らす一生はつかの間であり、死んだ後に私たちが迎えなければならない世界は永遠だということをよく知っています。ですから、地上での一生の期間というものは、永遠の世界を準備するための準備期間なのです。 学生を例にしてみれば、その学生が一つの学期、あるいは一つの学年を終えながら学校が制定したすべての学科の単位を取るべき単位の基準があります。 その最高の基準を100点としてみるとき、その基準にその学生の単位がどれくらい到達しているかを比べることによって、学校に認められる学生にもなるわけです。しかし、単位に満たないパーセンテージが高ければ高いほど、その学生は学校の定めたその価値基準から遠ざかるのです。 このようにすべては、ある標準を中心としてその価値を測定するようになっています。私たちが一生の間、肉身世界で生きるのも、あたかも学生が学校で良い成績を取るために準備する期間のようなものです。つまり、私たちの全生涯を歩んで、単位を取る準備期間ということになります。 すなわち、私たちの一生を巡って責任が追求されるある基準の前に、私たちがどれほど一致するかという基準値を中心として、毎日私たちは生涯路程を歩んでいるのです。ところが大抵の人々は、本来人間がこの世に生まれ、生きては逝くべき本然の世界がどこであるか、はっきり分からずにいます。すなわち、死後の世界があるのかないのか、神が存在するのかしないのかも分からいままに生きているのです。 皆様! 私たちは皆いつかは霊界に行くようになっています。実は見てみれば、その霊界は一つの国なのです。地上世界のようにいろいろな国に分かれているのではありません。だとすると、霊界で生活する内容はどのようでしょうか。 例えば、魚は水を離れては生きられません。魚には水が絶対的な生命の条件になります。かと言って、魚も一ケ所だけで暮らすのではありません。魚の中には産卵のために淡水を離れ、海水と接する契機をつくって繁殖する場合もあるのです。 二つの世界に通じなければならないという意味です。私たちの体と心もこのように互いに通じなければならないのです。人類の歴史を詳しく考えてみるとき、もし私たちの先祖であるアダムの生まれた日と、結婚した日、そして亡くなった日を記念する世界的な統一圏が形成されていたならば、その日を記念する人類は一つの兄弟となり、一つの民となったはずでした。 すなわち、一つの世界に暮らす人類になりえたという意味です。そのようになっていたなら、アダムの生活風習はそのまま人類歴史を通じて継承され、そのとき形成された文化は、人類が生存する限り永遠に継承されたでしょう。 人間はいつ死ぬかも分からずに生きています。いつ交通事故が起こって死ぬかもしれません。死んでから初めて「ああ、文先生の言葉が合っていたんだなあ」と後悔する人もいるでしょう。分かってみれば、私たちはたいへん深刻な人生の道を行っていることを知らなければなりません。 私たちは永遠の世界を生きていくための準備をするために寸暇を惜しんで生きなければなりません。そのような運命の道に立っているということを私たちは知らなければならないでしょう。 一般的に霊界に行く人にも二通りあります。自らの持って生まれた寿命を全うして生きて死ぬ人と、自分の寿命を全うできずに死んでいく人の二通りです。自分の命を全うできずに死んでいく人の中には、罰を受けて早く死ぬ人と、民族や世界の罪を蕩減するため身代わりになって死ぬ人がいます。 もし神様が、千人の価値を持った一人の存在を中心的立場に立て、すべての人の身代わりに死の道を行かせたなら、千人が皆その人の恩徳の前に感動するのです。それでその人のために生き、その人の生涯を手本にし、その人のように生きようとなったなら、結局のところ人々はその人と同じ恵沢圏内に入ってくるのです。人々が忠臣の思想を見習おうとし、聖賢の人生に従おうとするのも、彼らのような恵沢圏内に入っていきたい欲望があるからなのです。 人間の中には、希望を持って生きる人もあり、希望を持てずに生きる人もあります。ところで、希望は人間を中心とした希望と、天を中心とした希望の二つに大別することができます。 私たちは生まれたその日から、母親のぬくもりが何よりも一番のものと思って成長しますが、ある程度成長してからは、母親の手から離れるようになります。私たちはまた成長しながら友達と交わり、友達こそ世の中で一番のものと思って過ごしますが、いつかはその友達とも別れてしまうのです。このように人間は、成長しながら愛する父母も、愛する夫婦も、愛する兄弟も、さらには愛する子女も、自分の希望の全体にはなりえないという事実を知るようになります。 人間は常に多くのことを希望しています。しかし、その希望する心さえも結局は消えてしまいます。家庭に対する希望、国家に対する希望、さらには世界に対する希望を持っていますが、年齢が高くなるにつれて、その希望する心もだんだん弱くなっていくのが事実です。 実際、多くの人々は、自らの希望を全体的な希望として誇り、自らの命をたとえ失っても、その希望は捨てられないというほどの確固たる信念は持っていません。 私たちは一生の間あらゆる希望を抱いて生きていますが、結局は死に直面し、自分の抱いていた希望を何もかも捨てたまま行ってしまいます。私たちは今日も生きることを希望し、明日も生きることを希望し、新しい希望を求めてさまよっていますが、死に直面するようになると、そのあらゆる希望を後にして、絶望しながら最後の道を行くのです。この事実を私たちはよく知っています。人間は自分を中心として見るときには、希望を持っているように見えますが、死の峠を越え得る希望は持てずにいるのです。 私たちが人生に規範としつつ、死さえもあざ笑って越えることのできるような一つの希望を見つけなければなりません。それが今日この地上に生きる人間の考えるべき重要な問題であると思うのです。 皆様! この世の万事はすべて過ぎ去ってしまいます。家庭も過ぎ去り、国家も過ぎ去り、さらには世界、あるいはいかなる主義や思想もみな過ぎ去ってしまいますが、最後まで残らなければならないものは何でしょうか。それがまさしく死と闘って勝利することのできる希望なのです。私たちにそのような希望がないならば、私たちは人生の敗北者というしかないでしょう。世の中には、生まれて以来、世俗的なすべての希望を一切拒否して、人の世の希望でない天の希望、すなわち永遠なる希望を抱いて生きる人たちがいます。 天はまさにこのような人を助けるのです。ですから、信仰生活をする人々は、地上の何らかの希望を抱いて生きるのではなく、死の峠さえも越えることのできる希望を抱いて、永遠なる希望の世界を夢みて生きなければならないのです。私たちが若いときは、死に対して多くを考えませんが、年を取っていくたびに私たちは死に対してだんだん深刻になっていくのです。ここに座っている皆様も、この場に立っているレバレンド・ムーンも、いつかは死ぬようになります。このように死というのは運命の関門なのです。 誰にも避けられない道だからです。私たちが死んだ後には、果たしてどのようになるでしょうか。「死」という単語をテーマに用いたねらいが何であるかお分かりでしょうか。生の意味を知らしめるためです。 では、生の価値は誰がよく知っているでしょうか。生きようとして身悶えしている人には分かりません。死の境地に入っていき、生死の岐路で天に取りすがり、生の価値を打診してみた人でなければ分からないのです。 では、私たちはなぜ死を恐れるのでしょうか。私たちがどうして生まれたのか、その目的を知らないからです。なぜ死ぬのか、なぜ生まれたのかということを知らずにいるのです。ですから哲学でも一番はじめに問う質問は、人生とは何であり、人間はなぜにして生まれたのかということです。 皆様! 私たちが死ぬということは、神様の愛の中へと生まれゆくことですが、人間世界では「ああ死ぬ!」と言って大騒ぎをします。それを見る神様は、ケラケラ笑いますか、もしくは「ウワーッ!」と言って驚いては悲しがりますか。嬉しく喜ばれるというのです。 制限された地上の愛の圏内から、無制限の愛の圏内に突入できる喜びを迎える瞬間が、肉身の死ぬ瞬間、つまり第二の出生の瞬間だからです。それでは、神様は私たちがこの肉身世界に生まれた日をもっと喜ぶでしょうか…。 もしくは、第二の無限拡大世界の愛のために肉身を脱ぎ、死を通して新しい息子に生まれるその時間をもっと喜ぶでしょうか…。もちろん後者です。私がこういう話をするのは、皆様が死の恐怖から解脱しなくては神様と関係が結べないという、事実を知らなければいけないからです。 神様は、人間が赤ちゃんとして生まれて、オシッコやウンチをしながら成長していく過程を見守り、また直接に参与もなさりながら喜ばれるのです。赤ちゃんの成長に応じて神様の心に動く愛の拍子も、グローイング・アップ(Growing Up・成長)するからです。 神様があるしぐさをすれば、子供たちも一緒にしぐさをします。神様が笑えば子供たちも一緒に笑い、神様が悲しまれれば一緒に悲しみながら…、このようにだんだん神様に似ていくのです。また子供たちは、成長しながら両親の姿に似るようになります。言葉も覚え、生活規範も両親から学ぶようになります。 もちろんこれらのすべては、本来神様から由来しているものです。とすれば、神様が私たち人間とともにこの地球星で暮らしている途中で、あの世にサッと飛び去っていくとき、私たちはどうしなければなりませんか。 「私もついて行きます!」と言ったら「こいつ、お前は誰だ?」と言いながら、神様が私たちをつまはじきにするでしょうか…。もしくは、一緒に連れて行くでしょうか…。もちろん連れて行きたいと思われるのです。 ところが「今は連れて行けないから、君はもう少し大きくなって、もう少し完成した後に連れて行こう」とおっしゃいます。人間は「僕たちも今は行けないけど、いつかは行く時が来るんだな」と思いながら待つのです。地上で肉身をもって生きている間は、人間は神様に常について回れません。 さて、そうだとすると何が問題でしょうか。私たちが神様の似姿になりたがり、神様も私たちが神様の息子・娘として御自身の似姿となることを望んでいるはずです。 それゆえ人は、もう一度神様に似ることのできる姿になって生まれなければならないという結論が出てくるわけです。神様と人間は共に永遠に飛び交いうる日を待ち望んでいるのです。そのように飛び交いうる人として生まれる日、そんな姿に生まれる日、その日がまさに肉身を捨てて死ぬ日なのです。 だとすれば、人間は死を歓迎しなければなりませんか…。あるいは悲しまなければなりませんか…。もちろん歓迎しなければなりません。だとすれば、私たちが死ぬにあたって、何のために死ななければなりませんか。「神様の真の愛」、すなわち「為に生きる愛」のために死のうとしなければならないのです。ですから、肉身を捨てるというのは、無限なる神様の愛の活動圏内に私たちが共に参加するためであり、神様の愛の世界のためであるという結論になるのです。 皆様! 皆様は一度そのような「真の愛」を受けて実践する神様の本物の息子・娘として生まれてみたくないですか。神様がお金持ちであるすると、どれくらいのお金持ちですか。皆様は一度考えてみたことがありますか。 あの無限な星の中にダイアモンドの星がないと言い切れますか。純金でできたた星はないでしょうか。神様こそ全知全能であられるお方です。御自身の子女たちに何もかも与えたいと思われないでしょうか。どうでしょうか。 神様はこの無限の宇宙をアッという間に往来することもできます。皆様も関心がありますか。だとすれば、私たちはどのようにしなければならないでしょうか。神様が定めてくださった法度を守らなければならないのです。 そのようにすればこそ、神様と共に暮らすことが可能なのであって、私たちの好き勝手にしていては不可能なのです。皆様、神様の「するべからず・すべし」と言われることを守れる自信がありますか。人間は二重構造になっています。心が主体で体は対象ですから、体が心に従って一つにならなければなりません。 人はまた三段階の世界である、蘇生・長成・完成時代を経ます。要するに、母親の胎中での水中世界・地球星の世界・天上の空中世界のことです。 私たちは胎中の「水の時代」を経て地上に生まれ、肉身をもって100年の間「地の時代」を経るようになり、最終的には飛び交う「空中時代」、このように三時代を経るようになるという意味です。私たちがお母さんの胎中にいるときは、外の世界に行くまいとして抵抗します。その中にずっと残っていようとして、じたばたします。 なぜなら、私たちが胎中から飛び出してくるときは、家はみな破壊され、私たちが食べて暮らしていた営養価値やすべてのものも破れて出て、分娩過程を通過しながら頭も伸び縮みしなければならず、体も伸び縮みしなければなりませんが、誰が喜ぶというのでしょうか。生まれるその瞬間まで皆が「ノー!」(NO!)と言うのです。子供は、羊水がパッとはじけ出てくるその水とともに出てくれば安産になります。 お母さんたちが赤ん坊を分娩するのを見れば、実に哀れです。赤ん坊を産んでみたお母さんたちは皆知っています。力を入れるときは、顔がどんなに美人だとしても、顔中をしかめながら…、夫までもその顔を見かねて逃げ出すほどです。よく似た万物相の姿になるのです。このように、妊婦も最後の瞬間までとてつもない苦痛を体験してこそ、子供が生まれるのです。 ところが、その過程でヘソについているヘソの緒をそのままにしておくべきでしょうか…。あるいは、無慈悲にも切ってしまうべきでしょうか…。「それは、他人の生命の綱なのに、人と人との生命の綱をどうして切るんですか」と言って抗議する人もいるかもしれません。 生まれる子供も死にそうだとギャーギャーと泣き叫びます。しかし、それを見つめる神様は喜びの笑いを抑えることができません。そのようになれば、産まれた新しい生命には一つの世界はすっかりなくなり、新たな一つの世界で「フーッ…フーッ…」と息をするようになるのです。 皆様! 人は一番最初生まれるとき、一番深い水の中から生まれるのです。腹中時代は水中時代です。赤ん坊がお母さんの胎中にいるときは、水中にフワフワ浮いています。ちょっと考えれば、お母さんのお腹の中の時代には、息がつまって生きるのが難しいように感じられます。 水中に生きているので、当然、水を吸って吐き出すことをしなければならないでしょう? そのために腹中の赤ん坊たちは、ホースをお腹に連結して生きるのです。 腹中の赤ん坊は営養分をどこを通じて供給されますか。ヘソを通じてです。ヘソは腹中の子供には口です。それで私たちは、ヘソをばかにしてはいけません。 「ヘソよ、おまえは昔苦労した」と言いながら触ってやれというのです。ヘソをたくさんたたいてやれば健康になります。笑い話ではありません。 そのように運動をしなさいというのです。ヘソの運動を通して健康になるという話です。その例として、どんなに寒い部屋で寝ても、ヘソだけよく覆いかぶせて寝れば下痢しません。私たちはまた、ヘソを私たちの昔の口だと呼ぶこともできます。 ある者は「この愚か者、昔の口がどこにある」と言うかもしれませんが、ヘソが私たちの過去の口だったことだけは間違いありません。このように、私たちの呼吸器の役割もしたヘソの次の段階は口です。絶えず上に上がるのです。 同じ原理で、この地球星で空気で呼吸をして生きる肉身についている私たちの霊人体は、お母さんの腹中の胎児のように肉身を吸いとって、肉身が完全に老いれば蹴って出ていこうとするのです。 ところがそのときに肉身が「ああ死なない、死なない」と言って悲鳴を上げるならば、神様はその姿をどのようにご覧になるでしょうか。苦痛にひんしたその肉身に同情なさるでしょうか。でなければ静かに微笑まれるでしょうか。 とてつもない苦痛を甘受してお母さんの腹中を飛び出してきた赤ん坊が成長して、お父さん、お母さんの愛の対象になるように、私たちは肉身の悲鳴を後にして新しく生まれ、霊的父である永遠の神様の相対として再び生まれるべきであるということが原理的な結論です。 地上世界でも子供が生まれた後成長すれば、お母さん、お父さんと友達になることができるのです。お母さん、お父さんと愛を共に分かち合うことができる地上世界に生まれるからです。赤ん坊が母胎の中で泳ぎ回るのと同様に、人間の地上生活は空気を吸って空気の風呂敷の中で生きるようになるのです。 そのような過程をたどりながら、地上でこのようにお母さん、お父さんと愛を分かち、呼吸する人であってこそ、死なないで生きていると言えるのです。同様に、私たちは霊的に無限な世界に通じうる父母であられる神様と愛を交わすことができる霊界に再び生まれなければならないのです。 では、霊界はどんな所ですか。私たちが霊界に入っていけば、頭上にある息をする穴と細胞で呼吸するようになります。霊界での空気は地上の空気ではなくて愛です。呼吸を通して愛の要素を受けるというのです。私たちが地上に生きるときも、ご飯だけ食べてはなりません。 ご飯だけ食べて水だけ飲んで生きるということは、ご飯の袋と水の袋を満たすことだけです。結局そうこうしながら死んでいくというのです。地上で生きる間の私たちの姿は、第2の私たちの存在です。 私たちがこの期間にしなければならないことは、新しい愛の人格を形成しなければならないということです。この地上で私たちが最も必要なものが愛です。孤児は何ですか。お母さんとお父さんの愛を受けることができない子供たちをなぜ孤児と呼びますか。 霊界と永遠に連結させうる愛がないからです。愛がなければ孤独なのです。それで独身で暮らす人を哀れだと言います。言い換えれば、私たちが死ぬということは、第2の呼吸をした肉体に連結されたこの器官を壊してしまい、愛の要素を受け継ぐことです。 ですから、私たちはどうせ肉身を壊して行かなければなりません。愛は見えないのです。父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、子女の愛、これらすべての愛を中心として、私たちの内的な構造が成長するのです。 それで神様の法則通りに生きるときにだけ、赤ん坊がお母さんの腹中で正常な赤ん坊として育つのと同様に、私たちがこの地でもよく成長できるのです。むやみに生きてはならないのです。 私たちが自然界を注意深く見れば、取るに足らない昆虫、実の中の木の種、そして鳥の子も飛ぶことができますが、まして万物の霊長たる人が飛ぶことができなくていいですか。タンポポの種(dandelion)をご覧なさい。風が吹けば自然に飛ぶようになっています。 このように鳥も飛び、昆虫も飛び、植物の種も飛ぶのを見れば、人間も明らかにとぶことができるように創造されたことは間違いありません。ある者は性急に神様に「神様、他のものは皆飛ぶのに、なぜ私たちは飛ぶことができなくしましたか」と抗議したいことでしょう。しかし神様には「君たちは何十年か待ってから完成すれば飛ぶようにしてやろう」とお答えになるでしょう。 ではそのときまで、私たちは何をしなければなりませんか。そのときになってその世界に適応できるように、私たち自らを訓練しなければならないのです。父母を愛し、夫婦どうしで愛し、子供を愛しながらこの地上世界で訓練をしなければならないのです。 そうして時が来れば、永遠の世界に入っていき、永遠に神様に仕えて生きるようになるのです。そのためには、いつかはこの肉身を脱いで死んでこそ可能なのです。 私たちがセミ(Cicada)の一生を注意深く見れば、セミも飛ぶようになる前に幼虫の段階を経ます。ところが、そのセミが「私は幼虫として生きたい。殻を脱ぐのが嫌だ。ああ、陸地とか何とか、空気とか何とか皆嫌だ」と言って反抗をしながらも、実際、殻を脱いでしまえばバタバタと飛ぶようになります。 トンボも同じです。初めは幼虫になって水の中で泳いで生きて、地上に上がってきてしばらくはい回って暮らします。その次には殻を脱いでスイスイと飛び回り、陸地では食べるだろうとは思いもよらなかった虫を捕食します。天下を自分の舞台にして飛び回るのです。このように、昆虫類の中では三段階世界を経ることが多いのです。 それで昆虫には羽があります。水と陸地と空中の三時代を生きながら羽を持つようになるのです。万物の霊長である私たち人間には羽がありますか。地上でだけ暮らしてもかまわないでしょうか。人間には次元の高い羽があるのです。 みなさんも肉身を脱いで死ぬことが嫌だと言うでしょうが、実際死んで肉身を脱いでしまえば、私たちは霊人体として第2の出生の幸福な関門を通過するためにサッと!いって飛んで行くのです。 前にもお話ししたとおり、人間はどうせ死ぬようになります。私たちは善なる自我を永遠の世界に第2の私として立てるために、苦労を覚悟しなければなりません。お母さんの腹中で胎教をよく受けてこそ、健康で善なる赤ん坊として生まれることのと同様に、私たちの地上世界での生活もよく準備しなければなりません。 神様の形象にならい、神様の心情に見習い、神様の偉大な神聖にならって育たなければなりません。育ってからは、また生命をかけて越えていかなければならないのです。したがってどんなに恐い暴風雨が打ちつけても、私たちは最後の峠を越えなければなりません。うまく行っている途中で、境界線の前で倒れてはいけません。 私たちがこのような人生の境界線に立つようになるとき、私たちは果たして何をすべきでしょうか。しっかりして走っても、終わりまで行くか行けないか分からないのに、あたふたしていては中途で挫折してしまうのです。最後の決勝点まで境界線を突破しなければ勝利者になり得ないのです。 人として生まれて一度してみるに値することです。どんなに背後で反対し、横から迫害しても、自分の行くべき道を行けばいいのです。 他人が反対するのに関与する余地がありません。一歩一歩でも早く進んでこの運命の道をたどって行くべきだという人が、最後の境界線を越えることができるのです。私たちは皆そのように行かなければなりません。 私たちはしばしば心が正直だと言います。その言葉はどういう意味ですか。まっすぐ垂直に立ったことを正直だと言います。木も横に傾いたものはまっすぐだとは言いません。心が正直だというのも同じことです。垂直に立っているという意味です。それで人は立って歩くのです。垂直になってこそ正直なのです。 自らの心を完全に垂直になるようにしなければなりません。そこに体が水平線となるのです。このように垂直と水平が私たち内部でなされるときに、垂直から引いてくれる力と水平から押してくれる力が均衡を取るようになって、求心力と遠心力が形成されるのです。 それゆえ、私たちは自分自身を見出さなければならないのです。私たちが自分自身を主張するときは、神様と真の父母がそうだと言って認定しなければならないのです。 その基盤の上に、私たちは親戚、一族、一国、このように発展させいき、私たちの生活環境を拡大していくのです。世の中で危険な伝染病患者を隔離して収容するように、近い将来神様のみ旨を知っても罪をたくさん犯す人々は隔離させて、北極のような寒帯地方に収容するようになる時が来るでしょう。 彼らは完全に悔い改めて回復するその日まで、そのような所に放り込んで、食べるものと寝る所もなく、途方もない苦痛の道を歩むようになるかもしれません。 皆様! 私が悲しく思うことが一つあります。神様が御自身のみ旨を成し遂げる責任を私に与えたゆえに、私は生きている間に神様が満足する水準までみ旨を成し遂げておかなければならないということです。 それ以前には、死ぬにも死ねないということです。したがって、私が死地に入っていっても、神様が導いて率いてくださるというのです。私はこのみ旨を成し遂げるために、ご飯を食べても、寝ても覚めても、世界と人類のために祈祷し努力しています。 ある特定の国家や特定の民族のために苦労はしませんでした。私の目的は、世界の救いです。私はその目的のために今まで死を覚悟して犠牲的に命を捧げて働いてきました。皆様も世界のために生きて死ななければなりません。 世界を救うためなら、愛する妻を抱き、家庭を抱き、自分の種族を抱き、民族をそっくり抱いて死ぬこともできなければなりません。今皆様は、今後ある一日に死に突き当たるようになり、死を前にして過去を回顧してみるようになるでしょうが、そのとき、どんな一言の言葉を残して行くべきかということを考えてみなければなりません。 死の道は友達もいない道です。愛する父母もいない道であり、愛する兄弟もいない道であり、愛する夫婦、愛する子女もいない道です。ただ一人で行く道です。 再び行ってみることもできず、行って来ることもできない道、一度行けば永遠に帰って来れない道ですが、この道を行くようになるときに、人間はいかなる心を持って行くのかが重要です。人間が死に出会うその瞬間に、その死を越えて立つことができる希望がないのなら、そこで最後です。 今日まで神様のみ旨を奉り、神様のみ旨を立ててきた数多くの人々は、どんな人々であったかというと、死の道の前で後退した者たちではなく、死をあざ笑い、死を堂々と越えた人々でした。そのような人々が、天の道を立ててきたという事実を、私たちは歴史を通してよく知るところです。 では天の願いを抱いて生きる人はどんな人でしょうか。人間が悲しむ死の峠も喜びで越えていくことができる人です。そのような人が天の願いを抱く者であるということを知らなければなりません。 ですから、私たちは死を前にして世の中の万事を怨んで歎息する人にならず、喜んで天の前に立って自己の死の価値を誇ることができる人になるべきです。では、死ねばどのようになりますか。死ぬ前までは自分のものですが、死んだ後には神様のものになります。それは私たちが堕落した血統を受け継いだからです。 したがって、死ぬ前までは私たちの生命の全部はサタン側の因縁から逃れることができないのです。しかし、死んだ後には神様と因縁が結ばれるのです。死なずには復活することができません。一つの時代を過ごさずには他の時代を迎えることはできないのです。 「生きようとする者は死に、死のうとする者は生きる」という聖書で言う死とは、何のことですか。神様が下さった永遠の真の生命を殺せというのではありません。 サタン世界の堕落した血統を受け継いだ生命を殺せということです。それでみ旨のために死のうとする人は生きるというのです。この話は逆説的ですが、堕落と復帰の内容を中心として見るとき、そのようにしなければ復帰することができないのです。これは復帰の正常な論法です。 人生の勝敗は何十年の期間に決定されるのではありません。それは一瞬にして決定されるのです。私たちの一生について見ても、皆様が生まれるその瞬間は長い時間ではありません。 もちろん、生まれる前までの腹中の時期がありますが、その腹中の10か月という期間は、出生する一瞬のための準備期間なのです。ところが、10か月間いくらよく準備したとしても、決定的な一瞬をうまく越えることができなければ、生まれるその赤ん坊は悲運の運命を迎えるようになるのです。 この地上に生まれ、運命の瞬間を迎える最後の場で過去を悔いる人がいるならば、その人の心には過去のあらゆる事実が映像として通り過ぎるでしょう。その中で「真があった。私の生命よりも貴いその何かを残した」という人がいるならば、彼はたとえこの地に生まれて逝っても、甲斐あるひと時を楽しむ人になるでしょう。 しかしながら、すべての過去の事情を回想してみるとき、首を振って回想したくない過去を持てば、彼は悲惨な人です。過去を回想すれば回想するほど、自分の顔に歓喜があふれ、自分のあらゆる問題が理想に浸ることができるならば、死の恐怖も彼には慰労の一つの場面として飾られるでしょう。 過去を回想する瞬間が恐怖の瞬間でなく、他の何かを残すならば、彼の過去は死なないのであり、現実も死なないものとして現れるでしょう。 そうすることができる過去を持った人は、必ず民族がついてくることができる因縁を持った人であり、世界の万民がついてこざるを得ない因縁を残した人であると見ることができるのです。 神様の前に一人で立つことができるかという問題について見るとき、真と善は自分から始まり、自分で終わるのではありません。自分から始まって他人に結果を結ぶようにするか、他人によって始まり自分に結果をもたらすことができてこそ善になり得るのです。 過去の生活が他人のためになる生活ならば、死の道にも恐怖がないでしょう。他人のためにすべてを皆与え、他人のために犠牲になり、真に近い生活をしながら涙も他人のために流し、自分の生命も他人のために投入し、自分の願いも他人のためのものなので、自分の脈拍から流れ出るすべて生命力を引き集めて、他人のために投入するようになれば、その過去は輝く過去になるでしょう。 聖賢の行く道と凡人の行く道は違います。聖賢は歴史とともに生きようとし、世界とともに生きようとし、未来とともに生きようとした人です。 しかし凡人は、自分によって生きようとし、世界も自分によって存在させようとした人です。霊界にも霊界なりの世界があり、国があり、宗族があり、家庭があり、個人がいます。個人を中心として見るとき、自分はそこで絶対的に必要な存在だと言える自主性がなくては入っていけない所が天国です。 家庭を中心として見るときも、宗族を中心として見るときも、やはり自分が絶対的に必要だと言える、そのような自主性があってこそ行くことができる所が天国です。 霊界では地球というものは、ちり一つと同じようなものです。霊界は時空を超越した無限の世界です。そして「ある時代にこれこれこういう心情を持って、地上で生まれて生きてから逝った人がいれば、ここに直接出て来い!」と言えば、その人が瞬間的に現れます。そのように直感的な感覚が現実化する世界です。 そこには食糧を作る工場もなく、自動車を作る工場もなく、何もありません。人間は霊界に入籍するとき、地上生活を証明する証明書を持って行かなければなりません。「私はこのように生きた。こういう仕事をした」と言える生涯の証明書のことです。そういう証明書は、自分自身が書くことはできません。 初めはサタンが書きます。まずサタンから証明書をもらってから、イエス様の証明書をもらわなければならないのです。その次に、神様の証明書をもらわなければなりません。 この3種類の証明書が必要だということを知っていなければなりません。霊界に行ってみれば、霊界は膨大ですが、3段階になっています。誰がトップに上がるかというと、より他人ために生きた人です。しかし、自分のために生きてきた人は、反対の立場に立つようになります。 自分のために生きた人はすべてが反対であり、他人のために生きた人はすべてが歓迎します。霊界に行っていれば自分の父母、自分の妻も関係ありません。高い所に行く人は、全部他人のために生きた人々です。 世界のすべての国を回りながら、自分の母親と家庭に対する愛を拡大したような心情を持ち、為になり、世界の人々を全部悪から救ってあげる聖人の心を持った人々が高い所に行くのです。 自分のために生きた人は、地獄へ行くのであり、他人のために生きた人は天国へ行くのです。この二つの世界が、死で分かれるのです。それゆえ、全体のために、より大きいことのために生きよというのです。 世界のために、神様のために、人類解放のために生きよというのです。これからは、互いに「為に生きよう」という競争が起こるでしょう。 天国では、為に生きる人が高い位置に行くので、私がその高い人のために生きれば、その人に乗ってジャンプできるというのです。その人のために生きることは、神様が創造して相対を作ったのと同じであるがゆえに、その人の愛の対象圏に立つというのです。霊界は真の愛を中心として他人のために生きる所です。 他人のために100パーセント尽くした人に対しては「私を踏み越えて行け!」と言うのです。いくらアメリカという国が大きくても、アメリカの大統領よりもその国民のために生きる人がいるならば、その人が大統領を踏み越えても皆歓迎するのです。 しかし、自分の利益だけを取るようになるときは、全部怨讐になるのです。霊界でも同じです。より大きいことのために生きようというときには、自然に通過するのです。より大きいことのために生きれば、自然に通ずるのです。ですから、世界のために生きる人はアメリカのために生きなくても良いのです。世界中の中にアメリカが含まれるのです。すべての国が皆含まれるのです。 皆が歓迎できるその方向の内容とは、真の愛を中心として為に生きてゆく愛の道しかないという結論が出てくるのです。 死ぬときに持ってゆくべきものは、神様を愛し、自分を愛し、本質的な人である自分を立てるために苦労し、自分と相対との夫婦の愛、家庭の愛を中心として、この愛を世界に拡大するために努力したものです。 人類を愛して神様を愛したことが最後に残り、あの世の所有権決定の基準になるのです。霊界に行けば、伝道した人の数によって、皆様の霊界の所有権が決定されることを知らなければなりません。霊界に行って誇ることが何かといえば、どれだけ人を恋しがって生きたかということです。 あの世で必要なことは、ほかでもありません。世界よりも、自分の国よりも、自分の妻よりも、自分の息子・娘よりも、神様をより愛したことです。妻が言うには「あなたは私より神様をもっと愛して、私を愛してよ」と言ってこそ夫からより高い次元の神様的な愛を受けるようになるのです。 今日、文先生は、心情圏というものを解き明かしていますが、心情圏の基地とは、神様を中心とした真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、そして真の子女の愛というものです。そのような愛が普遍化できる世界が心情圏の世界です。 そのような本然の世界においては、愛する夫婦の愛の基準を中心として生きるとしても、天地、天宙を主とした夫婦の愛でなければならないのです。ですから、その世界に合格できる愛の基盤をどこで磨きますか。文先生は、この世の中でそれを磨いてゆかなければならないと教えているのです。 この世の中で貴いという数多くの何かとは違い、心情圏世界の合格者になることができるようにということです。それゆえ、霊界には家庭を連れて入ってゆくべき原則があるのです。なぜ息子と娘がいなければいけませんか。 後孫とは、本来、縦的な神様の愛と横的な父母の愛、神様と父母の血が縦横に混合して生まれたものです。したがって、後孫を持つことができなかった人は、霊界に行って天地の調和を成し遂げることができず、東西南北に拍子を合せることができないということです。後孫を持たなければ、あの世に行っても遊んで休むことができる場所がないというのです。 皆様、霊界では宗教や宗派が必要ありません。そこに行って長老教(プロテスタント)や天主教(カトリック)とか言うことは必要ありません。神様との生活圏内に入っていくのです。あの世に行くようになるならば、世界を愛した人もおり、愛国者、忠臣、烈女、聖人たちが皆いるのです。 しかしながら、文先生が知ることには、今までは神様の本然の愛の中で心情圏の伝統を中心として生きた人は一人も行っていないということです。何かを出発させるときは、神様を中心として出発しなければなりません。 霊界に行けば、そのような原則にどれほど同化し、ここにどれだけ一致したかということが、今後、地獄から中間霊界、楽園、天国まで全部連結されるのです。 何が第一に貴い道かというと、天のために地上でどれほど苦痛を受け、どれほど涙を流したかということです。それがあの世にパスするチケットです。あの世に行けば、他の国の人間どうしは一緒にいられませんが、すべての宗教圏は一緒にとどまることができるのです。 宗教圏は一つの世界を願い、一つの神を信じてきたので、一緒にとどまることができるのです。宗教を信じる人々が、世の中の人と違うことは何かというと、彼らは一生の間、霊界を標準として生活するという点です。 宗教というものは、永遠の世界、超然とした世界の内容を中心として、神様ならば神様がいらっしゃった所と、神様がお暮らしになる所を中心として、私たちが関係を結ぶことができる内容を教えてくれるものです。 尊敬する指導者の皆様! 人類は、国家単位で、または国際連合を通じて世界平和と人類の繁栄をたゆみなく追究してきました。現実が物語っているように、その努力が政治、経済、技術的側面だけでは効果的になされません。より内的な宗教、教育、文化的側面があってこそ、理想的な結実となるのです。 なぜなら、人間の真の幸福は、外的、肉的、物質的な豊饒と安楽だけでは成就できないからです。人間は、より内的であり、霊的であり、精神的な完成と満足を通じて、真の理想がなされるのです。 このような側面は、宗教的な教えと、世界のすべての宗教の連合と、一致した行動を通じてのみ可能なのです。 私は今日この場を借りて既存の国連に、世界の主要宗教とその指導者たちの参与する「世界宗教国連機構」が創設されるべきことを主唱する次第です。 世界と人類の未来のために、今日この時点で「世界宗教国連」の創設とその役割の重要性に対し、今後、皆様と世界の各界の指導者たちが、より一層深い論議をしてくださることをお願い申し上げる次第です。 大変ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.02
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【天心苑祈禱】ミリンゴ大司教の夫人の証言語は韓国語ですが、【字幕】をONにして【設定】から自動翻訳(日本語)を選択すればある程度の内容を理解することが出来ます。近々、ミリンゴ大司教の映画も準備しているとのことでした。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一和 メッコール(250ml×30本×1ケース)【送料無料】
2023.07.30
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来るべき時に備えよ1999年2月1日 九か月半ぶりに韓国に帰国され、二月七日の三億六千万双国際合同祝福結婚式を目前に控えた二月一日、韓国の本部教会で御言を語られた。 天国には神様の血族が入る きょうは、何の日ですか? 二月の初めの日です。二月は正月の相対であり、正月を引き継ぐことのできる相対的な月です。きょう、先生がここに来ないと思って、参席していない人が多くいるのです。自分が願う時は、天が動いてあげてはいけないのです。それを知らなければなりません。いつでもそうなのです。最後まで、精誠ならば精誠、忠誠ならば忠誠を捧げる心をもってこそ、天の御旨の前に対応することができ、拍子を合わせることができるということを知らなければなりません。 今年の標語は何ですか?。(「真の祝福天宙化とサタン血統根絶です」)。全員で言わなければなりません。(「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」)。それは、どういうことですか? 天国には、祝福を受けた神様の血族が入っていくのです。真の父母が現れました。父母と血統が連結されていなければ、親子関係を結ぶことはできません。それを知らなければなりません。 そのような父母の血族が家庭から始まり、これが大きくなれば、氏族、民族、国家になるのです。国家もやはり、一つの血統に連結されているのです。主流を代身した責任者が、家庭の王の位置を受け継ぎ、氏族の王から、民族の王、国家時代の王まで相続するのです。国家時代の王は、家庭の王を代表し、氏族、民族の王にまでなるのです。国家の王といえば、家庭、氏族、民族、三段階すべての王の結実であると考えるのです。分かりますか? それゆえ、家庭と氏族と民族は三段階であり、四段階に立った王の結実である国王、あるいは大統領の前に、絶対信仰、その次は何ですか?。(「絶対愛」)。絶対愛。(「絶対服従」)。絶対服従です。それは何ですか? なぜ、そのようにしなければならないのでしょうか? 神様ご自身は、天地を創造される時、絶対信仰から始めました。絶対信仰です。それには異議がありません。信じたその通りになるのです。そのようにすることのできる神様の主体的立場であるならば、信じたそのままの立場で語られたことが、その通りにならざるを得ないというのです。その語った通りになされるというのは、愛のゆえです。絶対に信じるということは、絶対愛を復帰するためなのです。分かりますか?。(「はい」)。一度言ってみなさい。(「絶対に信じることは、絶対愛を復帰するためです」)。 では、絶対愛を復帰しましたか? 神様ご自身が創造する時、絶対信仰のうえで始められました。絶対信仰において、神様ご自身が主体になるのです。信仰の主体にならなければならず、愛の主体にならなければならず、服従の主体にならなければならないのです。それゆえ、絶対信仰の基盤には、愛がついてくるようになっているのです。 結婚した人が夫婦で生活するようになる時、夫は妻を絶対に愛さなければならないのですが、それを言うことができません。「あなた、私を絶対に信じますか? 絶対に信じてくれますか?」と言うでしょう。「絶対愛」という言葉を言うことができないのです。夫もそうであり、妻も夫に「絶対に私を信じてくれますか?」と主張するのです。分かりますか?。(「はい」)。絶対的に信じるところには、真の愛がついてくるのです。 皆さん、心と体が闘っているでしょう。(「はい」)。心と体が闘うところで、そのようなことがなされるのではありません。絶対に信じるということは、心と体が一つになったところでなされるのです。これが問題なのです。 堕落のゆえに、皆さんの心と体は闘っているのです。いつ、心と体を統一することができるのかというのです。統一しましたか、していませんか?。(「していません」)。いつ終わるのですか? 問題が大きいというのです。 血統が分かれてしまった それでは、神様は人類の何ですか? 神様はアダム・エバにとって、何になるというのですか? 創造主になるのですか、父親になるのですか?。(「父親です」)。創造主のほうが、父親よりもよいではないですか? 天地をつくられた神様、その主人。主人がよいですか、父親がよいですか?。(「父親です」)。なぜ、父親がよいのですか? 父親は血統が連結されているのです。血統が連結されるためには、父母の愛がなければならないのです。愛がなければ血統は連結されません。愛がなければ、男性と女性は別個のものです。男性も生命体であり、女性も生命体であり、二つは別個の生命体なのです。 女性はみなお尻が大きいでしょう。大きいですか、小さいですか?。(「大きいです」)。それはなぜですか? 地を産むためであり、国を産むためであり、世界を産むためであり、地上に天国を産むためなのです。それをだれが産むのですか? 父親が産むのですか、母親が産むのですか?。(「母親です」)。母親が産むのです。 それで、女性たちはみな成長する時、水平線以下を見るようになっています。それ以上の欲心をもてば、横道にそれていき、よこしまな者になってしまいます。それゆえ、女性たちは、常に四十五度以下の地を見るのです。そのような準備をしなければなりません。そうしなければ、大きな事故が起きるのです。どのような事故が起きるのかというと、国を失い得る、家庭を失い得ることが……。 家庭は、夫婦だけでは駄目です。夫婦だけいても駄目なのです。息子・娘がいなければなりません。息子・娘がいなければ、夫婦が死んだら、それで終わりです。 アダム・エバが夫婦になって、息子・娘がいなければ、どうなりますか? 創造するや否や、なくなってしまうのです。創造理想とは何かというと、神様が願った理想的家庭、理想的氏族、民族、国家を成し遂げることなのです。 今日、統一教会は復帰路程において、何をしているのでしょうか? 個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、それから何ですか? 世界復帰です。その次は何ですか? 天宙復帰です。なぜですか? 堕落したからです。堕落した息子・娘を生んでしまったので、これを収拾しなければ、本然の位置、地上に天国の位置を復帰することはできないのです。 それをなすためには、これをすべてを否定しなければなりません。自然屈服させるのです。創造する時、万物のすべての物質要素には、反抗する意識はありませんでした。「私は何だ」という意識はなかったのです。 皆さんはすべて名前をもっているでしょう。(「はい」)。姓をもっているでしょう。(「はい」)。どこの国の人ですか?。(「韓国人です」)。韓国人。韓国の国、皆さんの姓、皆さんの名前は、神様がつけてくれた名前ですか、サタンがつけた名前ですか? はっきりと知らなければなりません。 堕落したので、アダム・エバを追放しました。万年の一人子です。一人子、一人娘です。永遠なる一人子、永遠なる一人娘です。たった一人しかいない娘なのです。たった一人しかいない息子なのです。その息子・娘を、地獄に逆さまに突き落としたのです。追放したというのです。そのようにしながら、涙で別れました。神様は喜んで追放したでしょうか、あまりのことに息もできずに追放したでしょうか?。(「息もできずに追放しました」)。 今日のキリスト教徒たちは、でたらめです。これほどのでたらめはありません。信仰によって、救いを受けるというのですか? 信仰は、実体ではありません。信仰というものでは、相対ができません。実存体ではないのです。ヘブル人への手紙一一章に「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」と書いてあります。見ることができないのです。信仰で救いを受けるのですか? そのようなでたらめはありません。 何によって、救いを受けるのでしょうか? 何によって、生きることができるのでしょうか? 何によって、復活するのでしょうか? 愛さなければならないのです。 偽りの父母の偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだので、このような悲しみと嘆息の恨の世界となったのです。個人から天宙まで遮られた多くの垣根を、どのようにして崩すのかというのです。だれが崩してくれるのでしょうか? 皆さんの父母が崩してくれますか? 偽りの父母によって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統がつくられ、悲しくて死んでしまうように、息詰まって死んでしまうようになってしまった人間たちなのです。 それは、真の父母がしなければなりません、神様も思い通りにできないのです。神様が思い通りにできるならば、エデンの園でアダム・エバに「回れ、右」と言えば、すべて終わったのです。宇宙を創造した神様、能力の主人であられるその方が、そのようなことをなぜできないのでしょうか? 個人、家庭、氏族、民族、霊界まで、千々万々の垣根が築かれてしまうことを知っている神様が、なぜ、それに手を出すことができなかったのでしょうか? 血統が分かれてしまったというのです。 天地を破壊し、神様までも監獄に放り込んでしまった 神様の愛の血統を残そうとしたのですが、悪魔の血統が……。あすになったら結婚しようと、神様が妻の位置に立てておいたアダム家庭であったにもかかわらず、その前日の夜、サタンにすべて蹂躙され、体を汚されてしまったのです。それを神様が干渉することができますか? 訪ねていくことができますか? 唾を吐きながら、「愚か者」と言い、考えただけでもあぜんとしてしまうというのです。 背信者の歴史を代表し、宇宙を転覆させ、神様の最高の基準を地に放り投げてしまったのです。そのように、全宇宙を、天地を破壊したのです。神様までも監獄に放り込み、閉じ込めてしまったというのです。そのような罪を犯したのが、アダム・エバなのです。 その罪が何の罪かというと、善悪の果を取って食べたという罪です。善悪の果は、エバのそれのことを言うのです。女性はサタンと結婚すれば、サタンの息子・娘を生むのです。分かりますか? そして、王と結婚すれば、王の息子・娘を生むのです。善悪の果、それは男性のあれを、女性のあれを意味するのです。 血統を汚しました。血統を汚したので、血統を汚された生命体は壊れてしまいました。父母である神様は、それを見ることができません。血統を汚された、その愛の出発をしてしまったのです。絶対、不変、唯一、永遠なる愛の因縁をもった親子関係から芽生えた家庭をなすためにあった、そのすべてのものが、永遠に消えてしまったというのです。 では、そのような神様は「よし 天の国の宝座で、悪なる人は地獄に送り、善なる人は天国に送ろう」と、そのような審判長になる心の余裕があったでしょうか、あぜんとして息が詰まってしまったでしょうか?。(「あぜんとして息が詰まってしまいました」)。息が詰まって、神様も死んでしまったのです。 すべての希望が壊れてしまったのです。万年一人子であると思っていたのに、すべて壊れてしまったというのです。万年一人娘を永遠に愛そうとしていたのに、その息子・娘がすべて壊れてしまいました。永遠に愛することのできる兄弟の因縁、夫婦の因縁、父母の因縁、すべてが壊れてしまったのです。 天宙の大女王陛下になることを願う それが事実ならば、神様はどこに行っても立つ場所がないのです。このようなことを解消するために、宗教を立てたのです。ここで問題になるのが、真の愛です。統一教会では真の愛を語るでしょう。(「はい」)。真の愛を見ましたか? 真の愛と偽りの愛とは、色が違うのでしょうか? 考えてみましたか? 真の愛が白ならば、サタンの愛は何色ですか?。(「黒です」)。黒です。黒白が逆さまになりました。本来は白黒にならなければならないのです。 この宇宙が今まで均衡を保ってきたのは、宇宙の核があって、そこにすべてのものが焦点を合わせてきたからです。その核が何かというと神様なのです。神様がいらっしゃるのです。宇宙の心の位置に、宇宙の心の王の位置に、神様がいらっしゃるというのです。李相軒氏の『霊界の実相と地上生活』を見れば分かるでしょう。いくら足しても大きくならず、いくら取っても減らないのです。 では、真の愛を見ましたか? 真の愛を見ましたか、見ていませんか? この世の中は偽りの世の中ですが、自分が話すとしてもありのままを話さなければならず、サタンもありのままを話さなければならないのです。そうでなければ、この地上に存在できません。 では、神様は男性が好きでしょうか、女性が好きでしょうか?。(「どちらも好きです」)。この者たち 二人の中でどちらを好きかといっているのです。神様も婿になることを願ったのです。神様は婿になることを願ったでしょうか、嫁に送ることを願ったでしょうか?。(「婿になることを願いました」)。婿となり、一緒に暮らすことを願ったのです。 女性たちは嫁に行くのが嫌でしょう。女性は嫁に行ってこそ、女王になるのです。家では父親が王ですが、母親の王もいるのです。氏族の中に氏族の王がいて、また、氏族の母親の王がいるのです。国もそうでしょう。大統領は王であり、その夫人は何ですか? 女王です。それでは、女性は何の王になりたいですか? 国の王になりたいですか? 神様は天地の大王陛下ですが、その大王陛下の后になりたいというのです。家庭の王ではありません。分かりますか?。(「はい」)。 それは、ありがたいですか、悲しいですか?。(「ありがたいです」)。ありがたければ、早くその位置に行くのです。行かなければ、棒でたたいてでも追い立てて、その位置に行かせなければなりません。じっと座っていて、それがなされるでしょうか? 統一教会の蕩減は、世界歴史の英雄であっても、だれも行くことのできない所でも、喜んで、希望を抱いて行くのです。その位置を継続していかなければ、天宙の大女王陛下は現れることができないのです。一番になりたいでしょう。(「はい」)。 あらゆる病気の王で、顔が醜くても、そのような女性であっても、このようになりたいのです。このようになりたくない人は手を挙げてください。私が褒美をあげます。(笑)それは男性もそうでしょう。 なぜ、そうなのでしょうか? 堕落することによって、永遠不変な、万年にわたる神様の一人子になり、神様の一人娘になることのできる位置を失ってしまったのです。それ以上のことはありません。失ってしまったので、再びそれを復帰することを願うのです。 十六歳まで育ったので、その時までの本然の心は残っています。しかし、いくら努力して生きても、理想郷への道を探し出せないので、「邪悪な、罪悪の世の中に汚されずに、一晩だけ寝れば平安になれる。汚されずに、永遠に私の生命は清く残る」と考え、自殺する若者が多いのです。なぜですか? いくら求めても、その希望を成し遂げることができないからです。人生問題であるとか、考えれば考えるほど、だんだん苦痛になるのです。 このような話をしていては時間がなくなってしまいます。何時ですか?。(「七時三十分です」)。帰って食事をして、また世界日報に行かなければなりません。だれか私の代わりに行ってしてくれたらよいですね。すべて成就して、遊んで暮らす人のように、一度お金をたくさん使って生活をしてみたいものです。いつも忙しく生活をする先生の生涯は、かわいそうな生涯でしょう。 では、愛を見ましたか、真の愛を見ましたか?。(「お父様が真の愛であられます」)。この者たち 真の愛のことを聞いているのに、答えがどうして「お父様」なのですか? だから、よこしまな人たちだというのです。(笑)聞いた通りに答えなければなりません。 女性は、嫁に行くために生まれたというのです。なぜ、私は生まれたのか? 人生問題で、最初に尋ねる質問がそれです。それは簡単なことです。女性はなぜ生まれたのですか? 嫁に行くためです。合っていますか、間違っていますか?。(「合っています」)。 「ああ、私は女性として何種類もの博士学位をもち、総長になっても余りあるので、嫁に行く必要はない」と言うのですか?。(「いいえ」)。嫁に行かずに後孫がいなければ、この地上の石にも劣るのです。石は千年万年残るのですが、自分は骨までなくなってしまいます。骨は四十年もちません。砂粒にも劣るのです。そのような人生は、万物の霊長といえる、価値ある存在ですか? 悪口の中で、最も悪い悪口は「このアマ、嫁に行くな」というものです。結婚するなということです。 今日、娘たちは嫁に行くことができないでしょう。どこかに、信じられる男性がいますか? 男性は何という野郎ですか?。(「泥棒野郎です」)。泥棒野郎です。なぜ、泥棒野郎なのですか? 私たちの先祖の中で、天使長一人が泥棒野郎になりましたが、後代の人は三百六十人以上もの女性を泥棒したのです。女性を蹂躙したのです。 一人を地獄の真ん中に打ち込んだら、そのような人は地獄に行くでしょうか、天国に行くでしょうか?。(「地獄に行きます」)。「地獄に行かない」と言ったら、どうするのでしょうか? 神様は「この野郎 地獄に行くように、殴り倒す人がいたらよい」と言うでしょうか、「ああ、そのままにしておいたらよい」と言うでしょうか? 皆さん、問題が大きいのです。 先生は殺人魔まで許した 「文総裁は善いですか、悪いですか?」と、神様が皆さんに尋ねるでしょうか、尋ねないでしょうか?。(「尋ねます」)。尋ねられたら、皆さんは何と答えますか?。(「善いです」)。きょうこの時間におもしろい話をするので、善いというのではないですか。それも善いというのです。一年間、難しい中で暮らしたことを、同情してあげてもよいのではないですか。 統一教会の群れは今まで四十年間、先生を好きでしたが、いまだに先生のことが分からないのです。先生が何をするのか知っていますか? 今年の標語は何ですか?。「真の祝福天宙化」と何ですか?。「サタン血統根絶」です。すべて掃き出してしまうのです。根を抜いてしまえというのです。 真の父母といえば、だれですか? 神様が「真の父母はだれか?」と言われれば、どのように答えなければなりませんか?。(「見える神様です」)。ええ、何ですか? 神様が「真の父母はだれか?」と尋ねれば、(答えが)「神様」にならなければならないか、「アダム・エバ」にならなければならないか、ということではないですか? 私が神様の立場で、皆さんに「真の父母はだれがならなければならないか?」と尋ねたら、何と言わなければなりませんか?。(「……」)。小学校三年生にもなりませんね。(笑) 統一教会の文総裁は、真の父母は真の父母なのですが、かわいそうな真の父母です。その息子・娘はかわいそうな真の父母にならなければなりませんか、幸福で喜びの真の父母にならなければなりませんか? 骨が溶けるくらい努力して、その位置に行かなければなりませんか、何もせずにその位置に行かなければなりませんか? では、統一教会の孝進、顕進は来ていませんか? 行ったのですか? 孝進はまだ何の功績もありません。「孝進兄さん」と、そのように私も言うことができればよいですね。そのような欲心はないのですか? お父さんまでも、「孝進兄さん」と言うのです。(本人は)「なぜ、認めてくれないのですか?」と思っているのです。今までそのような心をもっていたのです。それを私はよく知っています。しかし、そうすることができません。お父さんを復帰してこそ、お父さんがいてこそ、兄がいて、弟がいるのです。お父さんを知らないのです。 妍娥というのは、何の「妍」の字かというと、「蓮」という字のことです。蓮の花が咲いたということです。仏教を信ずれば、一番の王になることのできる人です。運勢が強いのです。目を見ればそうなのです。スパイになれる素質が多くあります。(笑) (孝進は)先生が生きてきたすべてを作品化した人物ではないですか。孝進にきちんとついていきなさい。顔は美男子ではなくても、心の風呂敷には、五万種類の色彩の宝物が包まれているかもしれません。(「ありがとうございます」)。なぜ、父親が答えるのですか。(拍手)孝進は、一度孝行しなければならないのではないですか。私が名前をつけてあげたのですから。(「これから、そうなります」)。(拍手) それで、今回来る時に「おい、おまえ、父親が八十歳になって、もういつ死ぬか分からないというのに……。年には勝てない」と言ったのです。そうではないですか? 一度倒れれば、峠を越えるのは早いのです。あなたも四十になるまで三年残っています。一度このようなこと(孝子になること)をしてみたくはないですか? いつから、孝子になると言いましたか? 幼い時から「孝子は私だ 私だ」と言っていたのです。山に連れていき、「孝子になりなさい」と言うと、「孝子は私だ 東西南北の孝子は私だ」と言う、そのような子でした。 ですから、私が父親の役目をきちんとできなかったので、孝子になれなかったのです。それは間違いありません。 お父様は浮気しようと、考えませんでした。サタン世界のカインの兄を正し、地獄にいる人たちを解放させるために、息子・娘がどこで寝ようと、たとえ死んでしまっても……。私が基盤を築いたならば、すべてを復帰してくることができるのです。死ぬような姿で、足一つを切ってしまっても義足をつくることもできるし、義手をつくることもできるのです。それが問題ではありません。一緒に暮らすことはできるのです。 見なさい。先生は賤民やすべての殺人魔まで許してあげたでしょう。(「はい」)。それでは、自分の息子・娘が犯した罪を許してあげることができるでしょうか、できないでしょうか?。(「できます」)。 スターリンやヒトラーのような人は、何百万、何千万人もの人を殺したのです。そのような悪魔の中の悪魔である、その悪党までも許してあげ、祝福をしてあげたのです。それをしてあげなければ、地獄の門を開くことができないのです。それはよくやりましたか、間違っていましたか?。(「よくされました」)。 仏教の責任者たちが「ああ、私たちのお釈迦様を連れていって結婚させるなんて、そのようなことがあり得るのか? イエス様を結婚させるなんて」と言うのです。皆、楽園にいるのではありません。中間霊界にいるのです。 「あなたたちが願うことは何か?」「私たちが先生に願うことは簡単です。祝福してくださればよいのです」「祝福したらどうなるのか?」「地獄の門が開かれ、天国に行くことのできる道ができるので、私たちが世界を(御旨とは)反対の方向に一つにしようとしていた、その十倍以上努力します。そうする自信があります。聖人をすべて後ろに引き連れて行きます」。こう言うのです。 使徒パウロのような反対していた者を復帰してキリスト教の忠臣にした神様なので、堂々と自信満々に反対する悪党が復帰されるならば、神様がうまく使い、忠臣、王にもなり得るのです。 聖人であれ、何であれみな、自分のことを考えない人はいません。しかし、彼らは自分のことを考えません。一から百千万まで自分のことは考えず、完全に投入するのです。このような面から、逆に立てて利用するのが、より効果があるという時には、神様がそうするのです。全権時代なので逆賊たちをして、忠臣にすることができ、国を生かすことができるのです。そして、彼らを忠臣の班列に立てることができますか、できませんか?。(「できます」)。 孤独なお父様 真の父母はだれですか? 答えなければならないでしょう。苦労し、かわいそうで、神様が無念に思う真の父母ですか? そのような真の父母は、神様が願わないのです。真の父母は苦労もせず、幸福な位置に立つのが、神様の創造理想だったのです。先生が一番かわいそうでしょう。 今回、先生の生涯というものを、三家庭、三十六家庭、七十二家庭、「神の日」、「子女の日」、「万物の日」、「父母の日」、一つ一つを項目別に編成した本がこれなのです。四十年の歴史がこのように分かれているのではなく、もし先生が経てきた歴史を、すべて今のように記録していたら、どうなっていたでしょうか。これは否定することができないのです。 物にぶら下げるものを「おもり」といいます。そのおもりが重いので、おもりとしてぶら下げるのです。物には、ナイロンでもシルクでもなく、重いものをぶら下げるのです。分かりますか? 今、皆さんはその物となり、先生はおもりとなるのです。ぴたっとつるせば、風が吹いても帰ってき、水に流れても帰ってくるのです。おもりが必要なのです。そのおもりは、強風の中でつけるのです。 では、先生の歴史を隠してきたでしょうか、そうしてこなかったでしょうか? 孝進にも隠してきました。お父様のことを一つも知りません。先生がどれほど苦労してきたか……。背後で痛哭しながら「お父様」と、勝利して帰ってくることを祈祷すべきであったにもかかわらず、それも分からずに育ってきたのです。 自分の家の歴史を知らない人は、家門の伝統を受け継ぐことはできません。神の国の歴史を知らない人は、伝統を受け継ぐことはできないのです。それゆえ、天地間における神の国の歴史、神様の秘密の歴史、サタンの秘密の歴史、人類歴史の秘密の歴史を、だれよりもよく知っている神様が見る時、先生がだれよりもよく知っているので、神様も先生の後についてこなくてもよいですか?。(「ついてこざるを得ません」)。聞いていることは聞いているのですね。(笑) さあ、神様もついていくことのできる先生であるならば、皆さんはついてこなくてもよいですか?。(「ついていかなければなりません」)。何をしながらついていくのですか? おなかがすいた時、ご飯を食べながらついていくのではありません。眠い時、私を前に立ててついていくのではありません。 ついていく中で、孝子にならなければなりません。神様は、孝子・孝女をつくろうとしているのです。そうでしょう。(「はい」)。家庭の孝子・孝女。氏族の孝子・孝女。民族の孝子・孝女。国家の孝子・孝女を忠臣といい、世界の孝子・孝女を聖人といい、天地の孝子・孝女を聖子というのです。 それでは、相続は、どこまでいかなければならないのでしょうか? 聖子の道理を立て、神様が「おまえは、永遠に、永遠に、私の息子の中の息子であり、娘の中の娘であり、母親の中の母親であり、父親の中の父親であり、夫の中の夫であり、妻の中の妻である」と言うことのできる代表的な家庭と共に、神様は暮らそうとしたのです。 それが、アダム・エバが祝福を受け、定着すべき本然の家庭なのです。(「アーメン」)。そこには真の父母がいるのです。どこにいるのですか? 世界にいるのですか? それはどこから始まるのですか?。(「家庭からです」)。家庭です。 先生が蕩減をして、家庭的父母、氏族的父母、民族、国家、世界的父母、天宙的父母の位置に行くのです。悪なる兄が生じたので、これを収拾するために仕方がないのです。それを元返しておかなければ、長子を連れて、次子を連れて、天の国に入っていくことができません。これを引っ張ってくるのです。神様までも牢屋の身になっているというのです。 ですから、闘って元返し、世界に網を広げて引っ張り、そこに引っかかった百八十五か国のすべての魚(人)を捕まえなければならないのです。それは簡単なことですか、難しいことですか?。(「難しいことです」)。 統一教会という名前がありますが、あなたたちは郭錠煥が御旨に従っていると思いますか、朴普熙が御旨の通りになっていると思いますか? 朴普熙、郭錠煥とは一度も相談していません。相談したら引っかかるのです。真の父母になれないのです。独出派(何でも自分の考え通りに一人でする人)なのです。個人的に独出派であり、家庭的にも独出派であり、氏族的にも独出派であり、民族的にも独出派であり、国家、世界的にも独出派なのです。今、世界で文総裁を凌駕する人はいないのです。(「アーメン」)。(拍手) 郭錠煥に「三万双をしなさい」と言ったら、目がセメントのように固まっていました。(笑)三万双をすると言った人は、私しかいませんでした。どれほどかわいそうですか? 一人アリランというのがあるでしょう。独島(竹島)です。孤独に立っている独島です。独島という島のことを言っているのです。まさに私がそうです。独島のことを話したら、先生のことだと考えなさい。 そして、三百六十万双の時には皆、気絶しました。三百六十万双ができると思った人は、一人もいませんでした。あなたたちの中でいましたか? 思っていた人がいたら、手を挙げてみてください。それに自信をもっていた人がここにいますか、いませんか?。(「いません」)。 先生がいるではないですか? 先生も自信をもてませんでした。神様が「しなさい」と言うので、命を懸けるだけなのです。命を差し出したのです。その命を、髪の毛を切るように、大根を切るように、何百回も木を切るようにしてもよいと思い、命を差し出し、しがみつくのです。 愛は相対を通して成し遂げられる 絶対信仰は、絶対愛の存在を創造することができます。絶対愛をもって絶対信仰するところに、創造が展開されるのです。信仰のうえに愛の種を植えたので、芽が出たのです。芽が出たのですが、それをどのようにして育てるのですか? 自分自身を投入しなければなりません。絶対服従しなければなりません。服従ということは、自分の意識構造までないということです。分かりますか? ここにおいて、真の愛というものが始まるのです。投入して忘れてしまわなければなりません。 自分の生命以上に投入するのです。真の愛というものは、自分の生命を蘇生、長成、完成の三時代にかけて三度死んだとしても、また生きて愛そうとすることのできる、また投入しようとすることのできるものなのです。そのように三度以上、何千万回も投入しようと考えるところに、神様はいらっしゃるのです。 なぜ、そうでなければならないのでしょうか? 愛の相対は、自分の何億万倍になってもうれしいのです。女性たちもそう思いますか? 結婚していない女性たちは、世界の大統領になり得る男性と結婚したいでしょう。愛の相対は、自分の何千万倍も立派であることを願うのです。だれもがそう願うのです。 それでは、神様はどうだったのでしょうか? そのような思想はどこから来たのですか? 神様からです。それでは、本当の愛の相対はだれですか? 血統が連結されている者です。夫婦は血統が連結されているでしょう。それから、子女が連結されています。それゆえ、自分の妻、夫が、自分より何千万倍立派であっても、同居同参することができるのです。愛のひもで結ばれているので、それが可能なのです。「アーメン」と言わなければなりません。(「アーメン」) 子女がいくら病人で、その父母が大統領、神様であっても、その子女は愛を受けることができるのです。愛の相対は自分よりも高いことを願うので、神様ご自身もしかたないのです。 愛の種が出てきたので、その相対を育てるためには、自分の生命を百という基準で、これを百回、千回投入し、何億万倍投入して忘れるのです。そのように投入するのです。授け受けするのです。力を与えれば、作用が起こります。分かりますか? そのように与えれば、息子が愛を返さなければなりません。それゆえ、親子関係において、父母の愛と子女の愛は一つなのです。 子女に対する父母の愛はだれのものですか? そのようなことを知らないのですか? これは二つではありません。一つです。親子関係における愛というものは、二つが合わさってなされるということを知らなければなりません。それゆえ、分かれてはいけないのです。これは永遠なものです。自分の息子を、永遠に否定することはできません。自分の父母を、永遠に否定することはできません。永遠に否定することのできない中心の母体は、核にならなければならないのです。そして、大きくならなければなりません。これが大きくなってこそ、全体が大きくなるのです。球形をなすのです。 それゆえ、この愛はだれのものですか? いくら夫婦が千年愛し合い暮らしたとしても、子女がいなければ、父母の愛は永遠に復帰することはできません。それは正しい話ですか?。(「はい」)。愛は相対を通して成し遂げられる、ということを知らなければなりません。愛は相対を通して維持することができるのです。愛の主人になるためには、愛の相対圏を通過しなければなりません。その前には、母親、父親、息子、娘の愛の位置を復帰することはできないのです。このようになっているのです。 それでは、母親が愛の主人になれるよう、子女を愛する母親になれるようにしてくれたのは、だれですか? それは母親自身ではない、ということを知らなければなりません。子女によってそうなったのです。宇宙の根本であるこのことを知らなかったのです。 子女が父母を愛することができるように教えてくれたのは、だれですか? 子女一人では、探し出すことはできません。母親・父親が愛することによって、その子女は父母を愛することを知るのです。動機はだれかというと、子女であり、父母なのです。主人はだれかというと、相対であるというのです。父母の前には子女であり、子女の前には父母なのです。 交替したその立場で、愛の主人が探し出されたのです。交替して何をするのでしょうか? お互いが自分の位置を訪ねていこうと、回るのです。分かりますか? 運動が展開されるというのです。交替した位置に来て、お互いに抱き締めて運動が展開されるのです。これが宇宙の愛の出発動機であるということを知らなければなりません。 それゆえ、親子関係というものは永遠なのです。国の力をもってしても、神様の力をもってしても、これを分けることはできません。そうですか、そうではないですか?。(「そうです」)。これが最も貴いのです。親子関係です。アダム・エバは子女として成長し、結婚して父母の位置まで行かなければならないのです。神様は、循環運動をするようにつくられたのです。 真の愛はために生きるところから始まる 独身生活がどれほど悲惨であるか、知らなければなりません。人間の価値を根本的に無視するよこしまな人々は、地獄の奥底に行くのです。自殺も同様です。父母の愛を拒否し、子女の愛を完全に切ってしまい、夫婦の愛、それから兄弟の愛まですべて切ってしまうのです。 愛というものは、自分一人で独占することはできないということを知らなければなりません。宇宙の根本がこうであるということを、初めて話してあげるのです。今回、明らかにしてあげるのです。 自分一人では、愛することはできません。神様も一人では愛することができないのです。愛をもっており、生命、血統、良心をもっているのですが、これを発動させることのできる主人の位置に、だれが立ててくれるのでしょうか? 息子・娘なのです。それゆえ、神様は息子・娘をつくらざるを得ないのです。息子・娘を生まざるを得ないのです。なぜ、結婚をするのですか? 愛のためです。なぜ、愛するのですか? 息子・娘を生むためです。 このようにすることによって、父母の愛の主人になることができ、子女の愛の主人になることができ、夫が愛の主人、妻が愛の主人、兄弟が愛の主人になることができるのです。その愛は自分を主張すれば、すべて壊れてしまうのです。それゆえ、真の愛はために生きるところから始まるのです。愛の主人の位置は、ために生きるところから出発するというこの原理を、はっきりと知らなければなりません。 このようなことを考え、「上下」と言う時、上を主張する時は下を認めなければなりません。「左右」の左と言う時は、右を考えなければなりません。「前後」と言う時は、前より先に後ろを考えながら言うのです。女性という言葉は、男性を認めて言う言葉なのです。すべて同じことです。父母を考える時は、子女を認めて言う言葉なのです。同じ話です。 このようなために生きる天理の道を知らなかったので、堕落したのです。これだけを正せば、サタン世界は完全に退いていくのです。サタンは、「私のために生きろ」と(反対に)引いていくのです。愛を破綻させたということを知らなければなりません。このような論理で、愛が破綻したということを、きょうはっきりと理解しなければなりません。 自分を主張するよこしまな人々は、堕落した世界のサタンの罠に引っかかっているということを知らなければなりません。釣り竿の釣り針に引っかかっているのです。全体のために、お互いがために生きなければなりません。そのようにすれば、上がっていき、大きくなるのです。抱いてあげ、お互いに保護してあげるので、大きくなるのです。その世界は滅びません。 真の父母は、だれがならなければならないのですか? 先生が苦労して真なる家庭をなしたのですが、真なる家庭とは何ですか? ぼろぼろの板のような家庭になってしまいました。 天下がみな、手を挙げて万歳を叫び、「祝福を受けた家庭、万歳」と言う時、この人たちを見てついていくのです。教育しなくてもついていきます。そのような憲法が制定されるので、皆、行くべき道を行くのです。最近では世の中の法も恐ろしくて、皆守っています。そのようになれば、全体、全般、全権、全能の世界になるのです。思い通りにすることができるのです。 愛には、許すことができない法はありません。しかし、父親を殺し、息子を殺し、夫を殺し、妻を殺し、兄弟を殺した罪は許されないのです。神様を殺してしまったので、世の中のすべてのこと、理想的な父母、夫婦愛の原則の中心の王を殺してしまったので、その悪魔が行くところがどこにありますか? その悪魔の後孫は、すべて滅んでいくのです。 親族の相姦関係において、家庭という型が故障してしまいました。これを直すことのできる医者は、天下に文総裁しかいません。神様ですら思い通りにできないので、私にお願いしなければならないのです。なぜ、お願いしなければならないのですか? 堕落して偽りの父が生まれたので、完成すべきアダム、真の父が医者になるのです。真の愛は、それ(堕落)とは反対です。結婚を間違ったので、世界万民はもう一度結婚するのです。 今から見ていてください。三億六千万双の祝福を終えた後は、結婚していない人たちが結婚をしようとする時に、統一教会を研究しない人は地獄に直行です。それは世の中を知らない人々なのです。 三時代を経る 頭は何かというと、この地球を表します。人間全体の生涯を表示しています。これ(口)は水です。水として腹中時代を象徴するのです。そこから上がっていきます。鼻の時代です。これは空気の時代です。母親の腹中から生まれて、空気時代です。その次に目の時代です。これは太陽時代です。愛は光です。それは光の世界なのです。 三時代を経ていくのです。トンボも水の中で暮らし、そして地に上がってきて殻を脱ぎ、その次に飛び回りながら虫を捕まえて食べるのです。それも三時代を経ていくのです。万物の霊長も同様です。 腹中時代の母親のおなかの中から出てくる時は、自分が暮らしていた所帯道具を抱えて出てきますか、すべて破壊して捨てて出てきますか? それを一つでもぶら下げて出てきたら、大変なことになります。へその緒で食べることもし、息もしていたのに、それを切ってしまったらどうなりますか? 死んでしまうでしょう。しかし、母親のおなかの中から出てくる時には、それを切ってしまわなければなりません。無慈悲に切ってしまわなけれならないのです。すべて破壊して出てくるのです。 そして何をするのですか? 上がっていくのです。へその緒から愛の綱へ上がっていくのです。それを知らないでしょう。生まれて、母親を中心として愛の空気を吸わなければなりません。母親と父親の愛の綱を通さなければなりません。愛を食べるのです。 父親は、子供たちがどこかに行って家に帰ってくるとすぐに、「お母さん、どこにいるの?」と言うのを見るのでしょう。「お父さん、どこに行ったの?」と、聞いたことがありますか? それを悪いという父親は、泥棒の性格が多いのです。なぜそうなのでしょうか? 体の血、肉、骨、すべて母親から受け継いで出てきたのです。父親のものは精子一つしかありません。最近の言葉で言えば、それはコンピューターのプログラムです。見えないのですが、そこにすべて入っているのです。母親のおなかの中は畑です。畑にある栄養素をすべて吸い上げて、水の中から生まれてくるのです。 地上に出てきて、母親の懐に入っていけば、それは植物時代です。この地が、第二の父母であるということを知らずに生きているのです。万物が私の体と連結されているということを知らずに生きているのです。万物を愛さなければなりません。 水中のおなかから出てくる時、その門は狭いですか、広いですか?。(「狭いです」)。どれくらい狭いでしょうか。それゆえ、母親の骨盤は開いたり閉じたりするのです。これがこのようになって子供を生めば、元に戻らなければなりません。胎児が大きくなるのに合わせて、ぴたっと同じようになるのです。 一人の人間の生命を創造することを通して、再創造の神様の苦労を、女性が理解しなければならないのです。どれほど神様が苦労したのかということを理解しなければなりません。神様の前に孝女になれなかったことが恨なのですから、子供を生む痛みを感じる時に、「神様は私たち人間を創造する時、このようにつくったのだ」と思わなければならないのです。 そして、東西四方、十二人以上の息子を生めば、東西南北、春夏秋冬の子供たちをもつようになるのです。このうえなく調和した息子・娘をたくさん生んで育てた人は、あの国に行って福を受けるのです。この国においてもそうです。子供をたくさん生んで育てた人、弟子たちを本当の父母の位置でたくさん生み育てた人は、あの国の高い位置に行くのです。 それで、空気の世界から愛の世界に移るのです。神様が、この宇宙の根本の父母ではないですか。天の父母が、私たちの体と一緒によちよち歩き回るのがよいですか、千里の道を一瞬で行ったり来たりするのがよいですか? 神様は、太陽系が一千億個にもなる大宇宙を、一瞬のうちに行ったり来たりすることができるのです。霊界に行って、愛する人がいてその人に会いたいと思えば、すぐに現れるのです。すべての人に出会うことができます。神様のように行き来しなければなりません。 夫婦げんかをしてはいけない 祝福を受けた人は手を挙げてください。下ろしてください。では、夫婦げんかをしましたか、しませんでしたか? お父さん・お母さんがけんかするところを、子供たちに見せましたか、見せませんでしたか? 見せたならば、悔い改めなければなりません。父親・母親がけんかすることが、子供たちにとって、どれほど衝撃が大きいか知っていますか? 子供たちは直接、口に出して言わなくても、父親・母親のモデルが崩れてしまうのです。 父親と母親がけんかして、子供たちが「お父さん、お母さん、けんかするな」と言うのは、サタン世界でも悪いほうに入るということを知らなければなりません。分かりますか。(「はい」)。自分の思い通りに暮らしてはいけません。 ですから、息子・娘に関してすべてを知らなければなりません。息子・娘が多くても、自分の部屋に入ってくる足音を区別できなければなりません。いくら涙を流していても、涙をふきなさい 夕べ対していた理想の心で、対することができなければなりません。それゆえ、怒ったまま、三日間過ごすことはできません。三時間でも過ごすことはできません。息子・娘が訪ねてくるのを、怒った心で対することはできないのです。それが、純潔な子女に対して、父親・母親がすることですか。 今まで、たくさんけんかをしたでしょう。今までは教育をあまり受けていなかったので分別がありませんでしたが、もう教育を受けたのですから、これからはそのようにしてはいけません。 真の愛は、ために生きるところから始まり、三時代以上犠牲になっても継続しなければなりません。自分が夫を再創造し、妻を再創造して、神様の前に捧げ、「おお、よくやった」と言われてこそ、理想相対なのです。立派な人同士が出会うのですか? 美男子が美女に出会うのですか? それは、泥棒の子供たちです。先生は、そのようには結んであげません。 理想相対とは何ですか? 蕩減復帰して再創造するのです。涙を流し、血と汗を流し、自分の精誠を込めて、自分の愛の相対をつくるのです。復帰歴史を理解すれば、苦労を投入しない夫は泥棒の息子であり、苦労を投入しない妻は泥棒の女であるというのです。そのような人は、子供を生んではいけないということを知らなければなりません。今までは、分からなかったでしょう。それを知ったので、きょうから新しい時代に入っていくのです。 三億六千万双の時代は、真の祝福天宙化です。今からデモをするのです。真の父母になろう 真の父母、真の家庭、真の血統という三大題目をもって、世界中どこであれ、デモをするのです。 一つの国を中心として、その十二か都市で百二十回しなければなりません。国家はイエス様時代を蕩減するのです。十二弟子と百二十門徒は、家庭をもつことができませんでした。今から十二の中央都市を中心として、百二十回以上デモをしなければなりません。大きい国は二十四か所、もっと大きい国は三十六か所を中心として、そこでデモをするのです。 統一教会の先生は百六十家庭、百八十家庭です。しかし、十二か所、もしくは三十六か都市で百二十回デモをすれば、百六十回、百八十回デモをしなくても大丈夫です。国と一つになり、一日デモをすれば、百八十、千八百、一万八千以上の時代、全体解放時代に越えていくのです。 共産党はデモをして神様の御旨を破壊しましたが、先生は大会を通して復帰していくのです。数多くの大会をしました。今では、大会をして基盤を築いたので、二年、三年もデモをすれば、統一教会の祝福を受けていない人がいなくなります。その次からは法が出てくるのです。法制度とし、島国から復帰してくるのです。そのように教えてあげているのです。「分かりません」という言葉は先生には通じません。 蕩減の役事をするのが真の父母 孝進はしっかりしなければなりません。分かりますか? 先生が愛することのできる息子にならなければなりません。お父様は愛したのです。あなたも息子・娘に会いたくないですか? 同じことです。 妍娥 夫を再創造するのです。どこにでもついていきなさい。(「はい」)。ちょろちょろとついて回りなさい。お母様にも私が、ちょろちょろとついて回る自由を許可しました。三年路程は悲惨でした。涙を流し、どれほど慕わしかったことでしょうか。指で戸に穴を開けていました。むやみに対することができないのが、妻というものです。そのような伝統を受け継がなければなりません。分かりますか?。(「はい」)。今からそのようにするのです。 歴史的大転換時代、家庭理想天国に向かう時代において、真の父母とはだれですか? 堕落した世界を復帰するための蕩減の役事をしてきたのが、真の父母の位置です。蕩減のない子女を抱いたことがありません。一代でできないので、二代でこのことをしなければならないのです。あなたたちは、一代ですることができるのですから、先生よりも福があります。 ある祝福を受けた家庭に、先生が家庭(先生の家庭)を率いて入っていき、寝ることができるのです。それゆえ、先生の息子も見本にならなければならず、皆さんの息子・娘たちは、先生の息子・娘と一つにならなければなりません。三代が横的に一つになり得る環境的条件を成し遂げなければ、地上に天国が到来することができないということを知らなければなりません。 神様の手の先に刺さったとげまで抜かなければなりません。人間として生まれた人、母親と父親の血統を受け継いで生まれた人は一人も残さず、祝福の場に導かなければなりません。それで、腹中においては重生式、生まれた後は復活式、その次は永生式である祝福です。 血統根絶ということを目標として前進するのが、私たちの責任です。真の父母の代身であり、イエスの代身であり、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤ、神様を代身しているというのです。家庭的な王、家庭的世界の王、国家的メシヤはすべて過ぎ、天宙の王圏をすべて設置しました。家庭においてできなければ、世界の家庭に設置するのです。家庭において親不孝をし、逆賊になったとしても、世界の忠臣の位置に立てば、すべて解放されるのです。 そのように、相いれない環境を無視して、次元の高い前進的未来の基盤が残るようにしなければならないのが、真の父母である先生の責任であり、天の父母の責任であるということを知らなければなりません。それゆえ、皆さんの家庭が、神様を代身し、来られる再臨主を代身し、国家的メシヤを代身し、氏族的メシヤを代表した種になるのです。種はすべて同じでしょう。 それで、種のような家庭になるというのが、四位基台完成です。そして、「四・四節」が出てくるのです。今回、「四・四節」を中心として、天国に入っていくことのできる家庭は解放しましたが、天国に入っていくことのできる宇宙は解放していません。それが、「真の祝福の天宙化とサタン世界血統根絶」なのです。天宙的です。天地を代身し、神様を代身して、プンタデルエステで一月八日、発表したのです。 今からは、天地すべてをかき抱き、逆さまに打ち込み、新しい方向、天国に行くことができるのです。それゆえ、サタン世界とは永別です。ですから、皆さんが行く道には迫害がありません。迫害がない位置で、幸せに暮らさなければなりません。 自分の内的なすべてのことをきれいに掃除し、いくら行っても、天下に引っかからない家庭をなすのです。家庭を中心として氏族圏で歓迎され、民族、国家、世界、天宙、神様の前においても歓迎されることのできる代表的家庭を完成させなければならないのが、祝福家庭なのです。堕落前の、本然の全体代表の位置にあったアダム・エバの家庭的基準を蕩減するのです。アーメン(「アーメン」)。 寝る時も、一人で寝てはいけません。天宙と共に、世界と共に、国家と共に、民族と共に、氏族と共に寝なさいというのです。それらを代表しているので、「私は力不足だが、私が先に行って力を尽くして後援し、人知れず努力しよう」とする人たちは、天の国の中心的な家庭となり、中心的な家庭的核になるのです。 教会に多くの献金が集まろうとも、先生が個人で持っているものは一銭もありません。すべて世界のために使ったのです、世界のためにです。その町内でかわいそうな人がいたら、「私が責任をもとう」と思い、先生のように生きなければなりません。枝を折らないようにし、腐らせないようにしようという心をもってこそ、茎や幹や芽が育ち、全体が生きるのです。それゆえ、全体を代表した家庭なのです。 霊界をはっきりと知らなければならない 皆さん、立ってください。第五番の盟誓文は何ですか?。(「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」)。それはどういうことですか? 霊界を知らなくてはいけないということです。 最近では、皆さんが「訓読会」をすることによって、霊界についてたくさん分かるようになったでしょう。(「はい」)。はっきりと知らなければなりません。先生はこの道を闘ってきたのですが、霊界を知らなければそれはできませんでした。 真の愛を中心として何ですか? 毎日、主体的?。(「天上世界と」)。対象的。(「地上世界の」)。何に向かって?。(「統一に向かって」)。統一に向かって前進的発展です。前進していくのです。前進していくのにも、発展のために促進化するのです。それを知らなければなりません。 どうしたとしても、私が先祖から受け継いだすべての罪の殻をこの地上で完全に脱がなければ、神様の愛を受けることのできる、解放的な天国のその懐に帰っていく道はないのです。ですから、家庭復活です。家庭が進んでいくうえで、世界で妨害になるものをなくさなければなりません。 祝福を受けた家庭は、先生が家に来ることを願っているでしょう。あなたの家に来ることを願いますか?。(「はい」)。いつ行きましょうか? いつ行くか分かりません。十年間待ちながら、宴会のお膳を準備しておき、来るや否や数時間以内に宴会をするのです。そのような心をもたなければなりません。そのような家には、先生が過ぎていこうとしても、訪ねていかざるを得ないのです。訪ねていくことができなければ、車が故障して、その家に訪ねるようになるというのです。精誠を尽くさなければ、考えられないことです。 霊界を知らなければなりません。先生が霊界を知らなかったら、この道を行くことはできません。霊界のお父様が私のお父様です。それで、霊界の秘密をだれよりも知っているのです。 避難している時にも、おなかがすいた時、先祖たちが動員され、通りすがりの道端に食膳が準備されていたのです。そのようなものをたくさん食べました。そのような話をすれば、うそのような話がどれくらい多いか分かりません。それゆえ、そのような話をしないのです。 アダム・エバが堕落しなければ、結婚の前に、神様の所有権はなくなったでしょうか? 結婚の後にも、所有権をもっていたでしょうか? ここで所有権をもっていたら泥棒です。国であれ、だれであれ、すべて泥棒なのです。結婚する前は、その所有は神様の所有なのです。堕落の後に、人間が所有権をもったという事実は、神様を追放したということです。追い出したのです。物質の所有権、愛の所有権、家庭の所有権を破壊してしまったのです。 この怨恨をもっている神様の前に、その怨恨を知っている真の父母の前に、これを蕩減し、世界万民が真の孝子になり忠臣になるためには、自分のもつすべての宝物、自分の生命までも捧げて、「これをすべて父母のものとして、神様に返してください」と言うことができなければならないのです。 そのようにしなければならないはずです。それなのに、ジャルジンに行って教育を受けるお金がないというのですか? ご飯は食べているではないですか。「子供の教育費にお金がかかり、来られない」と言うのですか エデンの園でアダムに子供がいましたか? 子供の教育がありましたか? 真っ裸の人しかいませんでした。すべてをなくして、足の裏から骨が出て血を流したとしても来なければなりません。 日本が責任を果たせないので、しかたなく、私が責任をもって日本大会を……。日本でできなくなっては駄目なのです。そのようなことを考える者が一人もいませんでした。では、「オリンピック・メインスタジアムで祝福をしなさい」と言ったのは、よかったのですか、間違っていたのですか?。(「よかったです」)。その日は、氷がガチガチに凍って、零下五十度以下に下がり雪が降れと、私はこのように考えているのです。 祝福基金を出せないのですか? この者たち 公金で借りをつくり、暮らしているのですか? 許すことはできないのです。それを知らなければなりません。借りをつくってはいけません。二〇〇〇年の四月までに、きれいに整備しなければなりません。責任者たち、分かりますか 先生はそのように生きてきました。私の手には一つもありません。今までに購入した土地も私の名前では買っていません。父母は父母として、子女たちが飢え死にしないように準備しているのです。 では、総、何ですか?。(「生畜献納基金」)。一度言ってみなさい。それは何というのですか?。(「総生畜献納祭」)。それは何ですか? 堕落した偽りの父母によって、一つずつ奪ってきて泥棒になったので、真の父母を中心として世界をすべて結んで捧げなければならないのです。捧げる前には、先生は主人の役割を果たすことができないのです。それで地上に王圏、天上に王圏を築き、この地上で暮らして行ってこそ、天上世界も完全に合徳になるのです。合徳とは、一致するということです。天地が一つになるのです。 ご父母様の前に、不孝、逆賊という名を残してはいけない あなたたち、整備しなければなりません。就職が何ですか。 私は無慈悲な人です。それを悟り、そのようなご父母様に侍るうえで、脱線しないように、あらかじめよく準備をしておきなさい。千里の道を一息で走ろうとするご父母様の前に、不孝、逆賊という名を残さない祝福家庭になることを、懇切に、懇切に、懇切にお願いします。見本となる家庭にならなければなりません。ならなければ、私が審判してしまいます。自分勝手に暮らしてはいけません 今からデモをするようになれば、一族、金氏なら金氏一族が、山の中であれ、どこであれ、祝福を受けていない人がいたら引っかかるのです。一軒でも残したらいけません。デモをすれば、一瞬のうちにそのようになります。 キリスト教の人たち 残るかどうか見ていなさいというのです。アメリカの有名な牧師たちには、ご父母様に侍る祭壇を整える人たちが数多くいるのです。秋の葉は、一つ一つ落ちていきます。分かりますか? 鈍感な人は分かりません。秋を知っている人は分かるのです。キリスト教の看板はすべてなくなります。霊界には、カトリックの天国があると思いますか? そのようなものはありません。霊界のことを知らないのです。 さあ、そのような厳粛な審判、大掃除の審判の日が到来するのです。その世界の前に、皆さんの家庭が引っかからないように、親子関係、夫婦関係、子女関係、理想的な祝福を受けた家庭にならなければなりません。 アダム家庭の堕落していない家庭は、すべての家庭を代表するのです。長子権、父母権、王圏を個人時代、家庭時代、氏族、民族、国家、世界、すべての八段階を越えて、天宙解放圏までも、その権を備えることができず、失ってしまったというのです。 皆さんが世界の家庭を代表し、天地父母を代表して、世界的父母、国家的父母、氏族的父母、家庭的父母まで、家庭を代表した位置において、蕩減のない解放の位置に行こうとすれば、その方の血統を受け継がなければなりません。先生がこのことを代身してなしたので、その血統を受け継がなければならないのです。 先生がそのようにしたら、皆さんは、枝や葉、すべてを備えなければならないでしょう。分かりますか、分かりませんか?。(「分かりました」)。そうしない者たちは、その家庭を先生が審判してしまいます。統一教会の歴史時代の悲惨な歴史の血を吸い取ってしまう家庭は、許すことができません。すべてのことを掘り返して、あからさまにしてしまうのです。見ていなさい。しなければ、霊界でも呼んで、通告するのです。 そのような恨を解いていくのです。そのような恨を抱いた神様が、怨讐を愛さざるを得ないのです。そのような神様の心のうちを、私は知っているのです。神様は「そのようにしてくれ」とは言うことができないので、「私がそれを解き、根まで抜かなければならない」と決意して以来、すでに随分と時がたちました。 南米で暮らして一年ぶりに来て、そのように決定的な、そのように悲しいやりきれないことを言う、と考えてはいけません。悲しい無念な話は、喜びと解放の日が訪ねてくるので、そのような話をしてあげるのです。分かりますか、分かりませんか。(「分かります」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【送料無料】韓流コーラ メッコール 250ml×60缶 2BOX 炭酸飲料 ノンカフェイン 防腐剤・人工着色料不使用 ビタミンB1 ビタミンB2 ビタミンC コーラ 炭酸飲料 大麦飲料 麦コーラ
2023.07.26
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人間の行くべき生涯路程この講演文は、1999年1月17日から25日まで、韓国の8都市で開催された真の家庭世界化大会で語られたみ言です。 高名なる紳士淑女の皆様、きょう「人間の行くべき生涯路程」という主題で進められるこの大会に、御来場をいただき、心より感謝申し上げます。 今、全世界は大混乱の中で呻吟しています。個人では心身の紛争、家庭では青少年の淪落と家庭破綻、国家と世界の間に不信と戦争が絶え間なく続いています。ところで、この諸般の問題の解決は神人愛一体理想を知ることによって克服することができます。 神様が人間を創造した目的 人間はなぜ生まれたのかという問題は、人類が歴史的に追究してきた根本的問題です。ある人は自分の国のために生まれたと考え、ある人は自分の父母のために生まれたと考えます。あるいは自分自身のために生まれたと考え、信仰者たちは神様のために生まれたとも考えるのです。 しかし、神様が宇宙を創造なさった目的が人間だけのためであるとか、神様御自身だけのためであるという論理は成立し難いのです。人間が造られる過程に連結された様々な目的、すなわち神様が人間を創造なさった目的や天使が人間創造に協助した目的、万物が人間に投入された目的、そして人間が生まれたこと自体の目的などが、互いに違ってはならないのです。 全体がみな喜ばなければなりません。人間創造に関連した神様も喜び、天使も喜び、万物も喜び、そして人間自体も喜ぶことのできるそういう共通の内容でなければなりません。 それはもてばもつほどうれしく、一度もてば永遠に手放したくない、そのような何かなのです。それは外的な内容ではなく極めて内的なものであり、目に見えないものなのです。知識やお金や権力のようなものは、人間が生きていくのに必要な付帯条件であるだけです。そのようなものはすべて人間のためにあるものなので、人間には当然そのようなものを所有する権限があるのであって、そのようなものを所有するために生まれたとは考えることができないのです。そのようなものはみな流れていくものです。そのようなものは自分と一時的な相対関係を結ぶことはできるかもしれませんが、永遠の相対関係を結ぶことはできないのです。 さらに神様はお金が必要なのではありません。全能であられる方なので、お金はいくらでもつくることができます。神様は万物を造るとき、原理原則を通して造ったがゆえに知識の根本でもあられます。そして神様御自身は創造主として権力の主体であられるがゆえに、権力が必要でもありません。 それは、人間の努力だけで追究できるものではありません。人間の努力では生命の根源を支配することはできません。自分の生命の動機や過程、そしてその生命の終末まで動かし得る、そのような何かでなければならないのです。 このように見るとき、それは真の愛しかないのです。人間は愛で生まれ、愛の道を行かなければなりません。そして死ぬときも愛のために死ななければなりません。したがって私たちの人生を見るとき、生命より愛がもっと貴いのです。そして、それだけでなく、愛が生命よりも先なのです。したがって愛のためには生命まで喜んで捧げるのです。 愛は永遠なのです。小説や詩のような文学作品を見てもすべて「不変の愛」「永遠なる私のあなた」という表現が多く見られます。これは、私たちが瞬間的な愛、限られた時間内の愛を願うのではなく、永遠な愛を願うということなのです。 愛は神様も微動だにできなくさせる権威をもっています。神様も愛には弱いというのです。全能なる神様も人間の愛の香りをかぐならば、満面に笑みを浮かべられるのです。神様も愛の話が好きなのです。話だけでも好きなのに実際に愛すればどれほど喜ばれるでしょうか。 私たちの体の様々な器官も、愛という一つの目的を中心に生まれました。目は見るために生まれましたが、どのようなものを見るためかというと、共同のテーマである愛を探すために生まれたのです。鼻も臭いをかぐために生まれましたが、臭いの中でも愛の香りをかぐために生まれたのです。耳も愛の声を聞くために生まれました。私たちが聞く言葉の中でいくら聞いても嫌気がせず、好きな言葉は「愛している」という言葉です。これは若者も老人も同じなのです。 真の愛は宇宙創造の起源 したがって、あらゆる存在が互いにみな喜ぶことのできるテーマは、愛以外にはないというのです。その愛とは、大宇宙が歓迎することのできる真の愛です。神様も、天使世界も、万物も、そしてすべての人が公認できる、そのような愛なのです。愛というふろしきを持ってきてかぶせておけば、みなその中から抜け出そうとはしません。このような点から見るとき、宇宙創造の起源や生命の発源地とは、正に真の愛なのです。 人間が宇宙を愛する境地に入れば、宇宙のすべての門が開くことを経験することができます。また、自分が今この空間に極めて小さなものとして存在しているとしても、愛を中心としては極めて大きな存在と共同的で共通的な、そして同等かつ対等な相対的権限をもつようになります。その極めて大きな存在が絶対的な神様ならば、私は愛の権威によってその絶対的な神様の相対的な立場に上がることができるのです。 神様の属性が愛であるからです。したがって神様の愛の公約を立てておいて、その公約の中に存在するようになれば、宇宙のどこに行こうと自由なのです。神様の愛に酔えば、砂粒一つを千年見つめても飽きないのです。自分の手を見つめれば、自分の手から光が出ることが分かります。夜、一人で横たわっていると、暗い夜にもかかわらず、自分が黄金の板に横たわって黄金の光を発して寝ていると感じるようになります。夢のような話です。そのようになれば丘に上がっても万物が喚声をもって歓迎するのを感じることができます。皆さんもこのような経験をしたことがありますか。 私たちが、自分が愛の宇宙の中に生まれたと考えれば、無限に幸福に感じられるだけでなく、世の中に「我を見よ」と自慢するほどなのです。神様が実験室で研究している途中に最も理想的で、爆発的な発見があったとすれば、それは正に自分だったというのです。このような観点から、神様の愛の相対的立場として造られた自分自身を破綻させることは、罪の中の罪であり、これを愛して保護することは善の中の善であるという結論が出てくるのです。それゆえに自殺することは最も大きな罪になります。宇宙を破綻させる行動です。 監獄に入って、拷問で血を吐くことになったとしても、神様が抱いてくださる愛のみ手を感じれば、それがかえって神様が骨髄に染みる愛で抱くことのできる一つの条件になるのです。このように考えるとき、死ぬような環境も幸福な立場だと考えていくことができるのです。 このようなことを考えるとき、男性も女性も愛の力の中にいる人は強い人なのです。国や世界を与えても変化させることができないのです。そのような人の前にはサタンも屈服せざるを得ない驚くべき結果が現れます。したがってこの宇宙愛を中心として神様が人間を代表して呼ばれるとするなら、その方が正にメシヤです。イエス様がその代表者なのです。メシヤを通さなくては宇宙愛を見いだすことができないのです。ですから、万民はそのあとについていかなければならないという論理が成立するのです。 イエス様が「私は道であり、真理であり、命である。誰でもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四・六)と言われましたが、ここに愛という言葉を一つ加えなければなりません。「わたしは道であり、真理であり、命であり、愛である。誰でもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言ってこそ、論理がもっとはっきりするのです。 私は父母の生命、愛、理想の結実体 私たち人間は父母の愛の中で生まれました。その父母の愛の一番中心の主人として生まれたのです。したがって両親は私一人をつくり出すために愛し合ったという結論が出てきます。ですから両親に対して同等な立場で権利を主張することができます。「お父さん、お母さんは私がいなければ不幸です。私がいてこそ幸福でしょう」と言うとき、お父さん、お母さんは「そうだ」と言うのです。また自分も両親がいなければ不幸なのです。なぜなら父母が原因で私は結果であるからです。父母と自分は愛を中心として一つです。原因と結果が一つになって一つの愛の実体圏を成すのです。これが宇宙の道理です。 統一教会の原理では主体と対象が一つになるところから力が出てくるといいます。したがって原因である両親が自分と一つになれば、主体と対象が一つになって、一体となったがゆえに新しい対象となり、より大きな主体と一つになることができます。神様がその主体ならば、その神様と一つになるのです。すなわち神様の理想的な愛を中心として神様と完全な主体対象関係を成すならば、神様と人間は完全に一つになるのです。神様と人間の愛の圏が成されれば、宇宙にはいつも明るい太陽のような愛の光が発せられるのです。 自分はお父さんとお母さんの二つの生命が一つに結合した生命の連結体であるだけでなく、父母の愛の同参者として父母の愛と一体です。さらには自分は父母の理想とも一体です。理想には幸福や平和というものがすべて入ります。父母にとって、自分が世の中で成功したときの喜びが大きいとしても、なくした子供に出会ったときの喜びとは比較にならないのです。ですから子供は父母の最高の理想と一体だというのです。 自分にはお父さん、お母さんの生命の綱、愛の綱、そして理想の綱が連結されているので、この綱は誰も切ることができないというのです。神様も切ることができず、宇宙も切ることはできません。むしろ宇宙のすべての力がそれを擁護しようとするのです。 したがって私がどこに行っても、お父さん、お母さんがついてくるようになります。あの霊界にまでもお父さん、お母さんはいつも共にいようとするのです。ですからお父さん、お母さんが同行することを嫌うのは最も大きな罪です。この宇宙を破綻させる破壊行為なのです。父母を連れていくことを嫌うのは、既にその人が原則から離れて堕落していくということを意味します。 したがって父母を自分の体のように思って愛し、父母に孝行することが人間において最高に価値あることです。「円満な家庭に福が来る」という言葉も、みなそこから来るのです。反面、父母が離婚することは刀で子供を半分に切ることと同じです。それは宇宙の公法が許しません。これに逆らう父母はどこに行っても災いを受け、不幸がついて回るのであって、幸福になることはできないのです。 物質世界、父母、神様は三大父母 自分は三大父母を通じて生まれました。最初の父母は物質世界です。物質の世界からすべての要素を受け継いで、物質の中心として、物質の複合的な存在として自分は造られました。このような観点から、その物質元素自体が私を生んでくれた先祖でもあり、また自分の延長が物質世界でもあります。この物質は愛の理想の立場においてのみ安着するように宇宙はできています。 愛の理想の立場ですべての細胞が楽に生きられるようになっています。もし腹を立てれば、みなこじれてしまいます。次に、自分の体を生んでくれた父母が二番目の父母です。自分を生んでくれた父母が、自分をして一つの形態を備えて生まれてくることができるようにしました。しかし、この父母はどんなに頑張っても愛の主人になることはできません。自分の生命の主人にはなれますが、愛の主人にはなれないのです。 愛の主人は神様です。愛を宇宙化させて、愛を永遠化させるために神様がいらっしゃるのです。神様は愛の主体であられるので、愛を中心として父母になっています。ですから、神様が私たちの第三の父母です。このように私たちは三大父母をもっているのです。 人生が経る三時代の意味 私たち人間の一生を見てみると、腹中時代十カ月、肉身時代百年、そして霊魂時代千年万年を永遠に生きていきます。私たちの顔を見れば目、鼻、口の三段階になっていますが、これは人間が生きてゆく三時代の姿を見せているのです。口は物質世界の腹中時代を象徴し、鼻は人の世界の地上時代を、目は霊界の天上時代を表します。 赤ん坊が育つお母さんのおなかの羊水の中は、赤ん坊には正に自由天地です。お母さんのおなかの中ではいつも背中を曲げていなければならず、また勝手に足げりもできず、鼻も口もみなふさがっているのですが、ここは赤ん坊には自由天地だというのです。赤ん坊に必要なすべてを供給するパイプがへそについていて、へそでだけ息をしなければなりませんが、そのような世界が赤ん坊には自由天地なのです。 赤ん坊がおなかの中から生まれるとき、「私は世の中に出て、口で蜂蜜も食べて、餅も食べて、御飯も食べる」と考えて生まれますか。むしろ、その腹の中から外に出るかと思って「ああ、出なければいい」と言うのです。しかし「出たくない」と言っても、時が来ればみなはじけて出るようになるのです。水(羊水)が流れ出れば、それに従って外に出るようになりますが、このようにして生まれるのが安産です。 赤ん坊は生まれるや否や、泣くと同時に鼻の穴で息をするようになり、第二世界、すなわち空気世界に連結されます。 おなかの中から空気世界に連結されて出てくるときには、腹中世界で暮らしたへその緒と羊水の袋をみな破壊して出てこなければなりません。それらの死(破壊)と同時に地球星のお母さんの所に生まれるのです。生まれて口で食べて鼻で息をするのです。ところが地上で食べる食べ物は肉身が生きるのに必要な栄養分であり、本質的な生命要素ではありません。生命要素は、正に愛です。したがって、この世の中で愛という空気を吸わなければなりません。お母さんから、お父さんから、愛の空気を吸わなければなりません。 赤ん坊が生まれるとお母さんの愛の電波に沿って自動的に乳首を探しにいきます。醜女でも美女でも関係なく、お母さんであればいいのです。これこそ創造の妙味であり、神聖で偉大な姿なのです。人は愛で生まれ、愛を受けながら成長します。このような立場で見るとき「私」というものは、父母の愛の実なのです。お父さん、お母さんの愛がどうだということを実際の実として見せたのが自分なのです。愛の実であるがゆえに、父母は「私」を愛さなければなりません。 その実を通して無限な愛がまた実を結ぶのです。個人的愛、家庭的愛、氏族的愛、民族的愛、世界的愛、宇宙的愛、そして本質的な神様の愛まで連結することのできる道がここにあるというのです。 出生したのち、肉身時代には自分を生んでくれた父母が子育てを受け持って正しい人に育てるのです。世界と国と家庭を代表し、父母がすべてを教えて供給してくれます。私たちが父母から物質を供給され、教育され、個体として完成すれば、愛を中心とした横的な基盤に連結させなければなりません。それが結婚というものです。 父母は結婚するまで責任をもつのです。結婚してお父さん、お母さんが愛し合ったものを引き継ぐのです。父母が自分を生んでどれほど愛したかを、自分が結婚して子供を生んで育ててみることによって知るようになり、その愛を引き継ぐのです。そうすることによって自分は愛を完全に受けることができ、与えることができる人になるのです。そのようにして完全な一人の男性、女性として成熟するのです。 父母の縦的な愛で生まれて成熟し、横的に愛するようになって初めて、総合的な愛の圏を見いだすことができるのです。天地は球形世界であるがゆえに、縦横と上下、左右、前後の愛が連結されてこそ、それが授受して回り、すべてが総合されて一つの調和のセンターとして現れるのです。したがって天地の縦的愛が内外に軸としてしっかりと立てば、その次に横的な愛が必要なので思春期というものがあるのです。 思春期には、ただ秋風に落ち葉がころころ転がるのを見るだけでもいいと言うのです。乞食が訪ねてきて物乞いの歌を歌っても、思春期には「あ! また来た。またやってるな」と言って歓迎します。そのように四方に拡大されるのです。ですから、おとなしくしていた女性たちも髪の手入れや化粧をし、しきりに体に何かを塗るようになります。欲深くなるのです。それが愛の横的な現象なのです。 家庭を中心として人生が行くべき真の愛の道 したがって人生行路は旅のような道ですが、ここで備えるべきことは縦横の愛を体恤していくことです。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、真の息子、娘の愛を中心とした家庭を築いたのち、これを横的に拡大し、東西南北に多くの家庭を広げておかなければなりません。 そして彼らが縦横を連結させることのできる真の家庭の形態を成し、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏でもって神様と連結されるようになるとき、真の愛で連結されたその世界を天国というのです。 夫婦が愛するということは、神様を植えることです。本来父母は本然の神様の立場を代表し、ここで夫と妻は互いに他の一方の神様になります。そして息子、娘はまた一つの小さな神様です。神様は真の愛の本体であられるので、真の愛と連結されればみな同じ体になります。父母は神様の身代わりの生きている神様であり、夫婦も神様を身代わりし、子女も神様を身代わりするのです。このように三代が真の愛を中心として神様の立場を身代わりするのです。 それゆえに父母も、夫婦も、そして子女も真の愛を必要とするのです。このように真の愛を中心になされた家庭組織が天国の基盤です。そのような基盤を成さずには、天国が実現しません。これが公式です。家庭とは、すべての宇宙の現実世界の中心です。今日、人々は自分の家庭が国と世界と宇宙を代表した家庭であることを知らずにいます。中心としての家庭であるということを知らずにいるのです。ですから家庭を破綻させることは、国と、世界と、宇宙に対する反抗になります。 家庭完成は宇宙完成の基礎になるので、家庭で愛するように宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。この場合、神様は宇宙全体の父母として愛の複合的な中心の立場にいらっしゃいます。 真の愛を中心として男性と女性が一つになって理想的な夫婦となり家庭を築けば、彼らは神様を身代わりする立場に立つようになり、宇宙のすべてに連結されます。そうなるとき、神様のすべてが自分のものになるのです。どれほど幸福な立場でしょうか。ですから私たちは万物を征服したい気持ちになるのです。 男性と女性が合わさって家庭と社会と国家、そして世界を築くがゆえに、男女が中心になって築いた家庭は氏族のモデルにならなければならず、氏族は国家のモデルにならなければならないのです。私たちの家庭が行くべき道とは、理想的な家庭と氏族と国を復帰していくことです。したがって理想的な国が出てくるためには理想的な家庭がなくてはなりません。 三時代の人生において絶対必要なものは真の愛 尊敬する御来場の皆様! 真の愛が偉大な理由は真の愛で神様の対象になることができるし、神様も自分自身になることができるからです。聖書にも「神様が自分の中にあり、イエスが自分の中にある」という内容があります。父が息子の中に、孫がおじいさんの中に、おじいさんが孫の中にあるという言葉はここから生じた言葉だと考えます。 おばあさん、おじいさんは孫を中心として情を結ばなければなりません。それでこそ、愛の垂直線が始まるのです。また、孫はおばあさん、おじいさんと一つになるべきです。おじいさん、おばあさんは神様と同じ立場であるので、神様のように侍らなければなりません。そうでなければ縦的な愛の軸を探すことができません。これを立てたのちに、横が生じるのです。横的なものは四方に連結されますが、縦的なものはただ一つの方向です。横的なものは東西南北、三六〇度に動くことができますが、縦的なものは一つの点で動くことができず、分離することもできないのです。 ですから愛を中心として、まず体と心を一つにしなければなりません。そして神様を中心とした縦的な世界である霊界を愛することができなければなりません。そして未来に中心国家が現れれば、その国を中心として全世界の人類を愛さなければなりません。したがって真の愛を中心として犠牲、奉仕、献身の道を通じ、霊界と全世界の人類を愛する生活を送れば、人間は自動的に中心的存在になって二つの世界を主管し、一つの世界をつくることができます。そうすれば、神様もそこに臨在なさるようになるのです。 全霊界と全宇宙が合わさったものを天宙と言いますが、すべての霊界と宇宙は真の愛を中心として、この天宙が一つに統一されることを願います。天宙を統一することができるのも、全体の家庭を理想化させて一つにすることができるのも真の愛です。それで今日、人間が地上に暮らしても、永遠の生活をする霊界に入っても、絶対に必要なものは真の愛しかないという結論が出てきます。 真の愛は人間や霊界だけでなく、すべてが好むことです。ですから真の愛をもった人は動物も植物も好んで、彼を主人として迎えようとし、いかなる存在でも真の愛を中心とした人と一つになろうとするのです。被造世界のあらゆる存在は真の愛をもって生きる男性、女性の前に近づこうとして彼と共に生き、彼により主管されることを理想とするのです。 したがってこの世の中で一番貴いものとは、真の愛をもった男性と女性、すなわち真の人という結論が出てくるのです。人間には翼がないので、どんな昆虫や鳥よりももっと遠くに飛び、どんな飛行機よりももっと速く地球を回るためには、実体の肉身ではできません。どんなに飛んでもいくらも行くことができないのです。 人は万物の霊長として神様と対等な相対的立場にあります。ですから、一秒間に三十万キロメートルを走る電気や光よりもっと速い作用ができなければなりません。それを可能にするものが霊人体です。今、私がソウルにいても、霊人体はさっとニューヨークに行ってくることができるというのです。稲妻よりも速いのです。このように思いとともに歩調を合わせて作用できるのが霊人体です。 しかし、世の中で一番速い作用とは愛の作用です。世の中で一番速度が速いのは電波ではありません。世の中で一番速く、高く飛ぶことができる力をもったものが愛です。この地の果てとあの地の果てにいる人間同士で愛し合うようになれば、その地の果てを越えて引っ張り合うのです。愛はそういう力をもっているのです。真の愛を体験した人は、神様の本来の理想的な世界では神様が願うことすべてを即刻所有できる能力と権限をもちます。 そして、そのような資格は地上で成し遂げなければなりません。霊人体を中心として肉身が一つになる過程で、神様の愛の接続点がなされてこそ、そのような立場に進むことができるからです。神様の真の愛は同胞を愛するとか、世界の人を愛するとか、万物を愛することによって感じることができます。どの国の人でも五色人種を愛する心をもたなければならないのです。人だけでなくて微々たるものまでも愛することができる、そのような心をもたなければなりません。自動的にそれがわき出てこなければならないのです。 花が咲けば、その美しい色や香りは自然に出るのです。同様に、愛の花が咲かなければならず、愛の香りが自動的に宿らなければならないのです。そうするには、その愛の花を咲かせることのできる栄養素を受けなければなりません。植物が地と太陽から栄養素を受けるのと同様に、私たちも肉身と霊人体を通じて栄養素を受けるのです。それで、肉身を通じて生力要素を受け、その次には霊人体を通じて生霊要素を受けるのです。 そうすることによって自分が愛の完備体になって、どこでも飛んでいくことができます。そのようになれば、太陽系やすべての大宇宙世界は、全部自分の活動舞台になるのです。 霊界は愛を中心とした世界 人間が肉身生活を終えたのちには、第二の出生をするのです。これが死です。第二の出生をする所、死んで行く世界が正に霊界です。その世界に入って、第三の父母である神様から宇宙全体を代表した愛が供給されるのです。理想的な愛が供給されるというのです。ですから、霊界では統一されざるを得ません。 死ぬ瞬間からは第二の空気世界をけ飛ばして、新しい第三の愛の呼吸気管に連結されなければなりません。父母の愛、兄弟の愛をけ飛ばして霊界に入って、結局は大宇宙の神様の本体に化した愛の世界に入ります。種が本体から出てきたので、結果を結んで、また本体に戻らなければならないのです。 霊界は愛の空気でできている世界です。愛の空気でいっぱいです。ですから私たちはこの地上世界から愛の息をすることができるもう一つのパイプ装置をしかなければなりません。そして霊界を体験し、霊的な愛を感じて呼吸できる人になってこそ、霊界で死なないというのです。 霊界は愛を呼吸し、愛を中心として暮らす世界です。したがって完全な愛の人格を成し遂げることができなければ、行ったり来たりする道が制限され、四方に通じません。門を通ったとしても一つの門だけを通らなければならないのと同じです。 春夏秋冬、いつでもどこでも合わせて暮らすことのできる資格を備えようとするなら、完全な愛の人格を具備しなければなりません。ですから三時代を経るように人間を造ったのです。 とんぼも幼虫が水の中で泳ぎ回り、地上に上がってきてしばらくはい回ります。その次にはひらひらと飛び回り、陸地で食べるだろうとは思いもしなかった虫を捕まえて食べます。天下を自分の舞台として飛び回るのです。このように昆虫類の中では翼があって三段階世界を経るものが多いのです。 昆虫もこのように水と陸地での生を経て空中で暮らします。ましてや万物の霊長である私たち人間はもっと次元の高い翼をもっているのです。私たちは神様の代わりに愛で生まれ、愛で生きながら息子、娘を生んで、愛の目的地に到達して永遠に神様と共に生きるために神様の所に帰るのです。すなわち私たちの一生とは、愛で始まって、愛で熟して、愛の実として収められるのです。人が死ぬということは、愛の実を収めることです。 私たちが父母の愛を受け、夫婦の愛を交わし、子女を愛することによって、内的な愛の世界に蒔かれた神様の愛のすべてを、私が一生をかけて実を結んで収め、あの世に行くのです。したがって私たちが完全に愛で一つになれば、神様に似るようになります。夫婦が合わさってこのような三段階の愛を完全に成して霊界に行くようになれば、永遠の主体である神様の前に、永遠に相対的な神様になるのです。真の愛を中心とした夫婦が死ねば、そのようになるのです。そのように神様で始まって神様で締めくくるのです。 人間が死ななければならない理由は、体をもっていては制限された愛でしか愛することができないからです。無限大の神様の愛の対象的実権をもって現れようとするなら、制限された肉身だけではできないのです。ですから無形の霊にならざるを得ません。 さらに、愛の理想を全天地と同一化するためです。ですから、死は苦痛の道ではなく、宇宙的な愛を所有することのできる幸福の門を開門する時間なのです。 死ぬということは、歩き回る陸地の世界から、ひらひらと飛び回って暮らすことのできる世界に移ることです。 全宇宙を自分の舞台にして、愛で楽しむことのできる旅行の資格者になり、そのような世界に入門するために死の道を行くのです。ですから、死ぬことは正に新しく生まれることなのです。 私たちは初めお母さんの胎内にいました。その胎が私たちを育てたふろしきです。そのふろしきの中から出てくるとき、全部け飛ばして破ってしまって生まれるのと同様に、私たちの霊人体に対して肉身はふろしきのようなものなので、これを切ってしまって飛んでいくのです。したがって人間は結局水の世界、陸地の世界、空中の光の世界を経て、永遠なる真の愛の世界で暮らすようになるのです。 霊界では生命の要素が愛であるので、愛を通じた命令にはすべてに不可能がなく即刻なされます。そこでは億万人が一度に夕食を食べるとしても、そこに合う食べ物を準備して、あっという間に宴会をすることができます。そのとき列席する貴賓たちが、みな王女、王子になりたいというときは、本物の王女、王子になるのです。それが可能なのです。 皆さん、そのようなことを理解するなら、この地上で暮らしたいですか。あの世に行きたいですか。腹中にいるときは「腹中が一番いい」と言いながら、腹中でただ足でけりながら暮らします。中間に引き出せば嫌だと言うでしょう。そしてお母さんのおなかの中から外に出るときは、死んでから目覚めます。地上での死というものも、死んでから目覚めるのと同じ作用なのです。したがって死とは、正に第二のお産なのです。 回復すべき神様と人間の本然の関係 御来場の皆様! 今日、ひと時を生きていく私たちの人生の道というものは平坦な道ではありません。それは人間が堕落したからです。 私たち人間は堕落の因縁をもって生まれたがゆえに、その堕落によって生じた怨恨の過程をどうせいつかは乗り越えなければならない運命をもって生まれました。数千、数万年の歴史過程を経てもそれを越えなければ、その恨の道は私たちの前に永遠に残るようになるのです。 エデンの園でアダムとエバが堕落したその瞬間から、私たち人間は不幸の要件をもって出発しました。ですから、人類が幸福の世界に戻るためには、必ず不幸の世界を退けて進まなければなりません。そうでなくては誰も幸福な世界に戻ることができません。人類始祖が堕落したことによって人間だけが不幸になったのではなく、神様までも共に不幸になりました。 私たち人間が生涯を捧げて生きていく一つの目的は、理想世界の実現だけではありません。それよりまず、生命の根源であられる神様に積もりに積もった悲しみと悲痛さをどのように打開するかということが、私たちの生涯の目的です。したがって人類が幸福な所を訪ねるとき、神様も幸福になるのです。このように神様や人間は同じ立場に立って一つの目的を指向して、歴史過程を経ながら今まで歩んできました。神様はアダムとエバを失うことによって険しい道のうちで最も険しく、世の中の誰も願わない、また行きたがらない道を歩んでこられたのです。人間もやはり堕落で残った、この避けることのできない運命の道を、救いの一日を願ってやって来たのです。 神様に対して人間は「その方の息子、娘になりたい」ということが最高の願いです。なぜなら、父母と最も近い立場は親子関係であるからです。 「私」という人は父母の愛と生命が集中したところ、父母の理想を代表した立場に生まれました。ところが愛とか理想とかいう言葉は一人について言う言葉ではありません。生命も一人で独断的に出てくるのではなく、連結された立場で出てくるのです。したがって神様が人をお造りになるとき、神様の愛と生命と理想の対象として造られたのです。これは驚くべき偉大なことです。 自分がいなければ、父母の愛は現れることができません。父母の愛と生命と理想は自分と共に関係しているのです。自分は父母の愛と生命と理想の結実体です。ですから息子の立場は最高に価値のある立場です。神様と人類は親子の関係であるからです。 父母と自分が一つのところから共に出発したという事実は驚くべきことです。父母の愛は自分の愛であり、父母の生命は自分の生命であり、父母の理想は自分の理想として決定づけることができるのです。ですから父母は子女を見つめるとき、これは自分の愛する息子、娘だと言います。これは自分の愛と、自分の生命と、自分の理想の実体だということを父母は感じて悟り知っています。愛する息子、娘は一日だけ会わなくても、会いたいし、今見てもまたすぐ見たいというようなものなのです。それはどんなに離そうとしても離すことができない、骨の中の骨であり、肉の中の肉です。いなければ死んでしまうくらい、そこにはすべての理想がかかっているのです。 今日、堕落によって真なる愛と、真なる生命と、真なる理想をもたない人間世界に生まれた父母も、そのように子供を愛することができるのに、そのような父母の主体であられる神様は、それよりもっと愛するというのです。 本来堕落前のアダムとエバは神様の直系の息子、娘として神様の血筋を引く者です。アダムとエバは天上天国と地上天国を受け継ぐことのできる王子、王女だったのです。王子、王女であると同時に、無形の神様であられ、主体であられる神様の前に対象として造られた存在であるがゆえに、神様の前に愛を受けることのできる実体であり、無形の神様が実体として顕現したものです。 神様の息子の特権は、その方は自分のものであり、その方がもっているすべても自分のものだというものです。神様の愛までも、生命までも、理想までも自分のものです。このように驚くべき偉大な本然の価値を、人間は再び回復しなければなりません。 したがって神様が主体的愛で永生するなら、その愛の相対も永生しなければなりません。神様の愛と一つになれば、神様が自分になるのです。 堕落していないアダムとエバの体は、神様が住むことのできる家です。アダムとエバが神様を心の中心として真の愛で永遠に統一された愛の体、生命体、血統体になっていたならば、今日私たちの心と体は闘いません。 人生が行くべき最高の道 堕落とは悪魔の愛を中心とし、悪魔の生命体と血筋を受け継いだことです。 偽りの父母から生まれたのです。ですから、この血筋を改造しなければなりません。野生のオリーブの木を真のオリーブの木に改造しなければならないのです。そうするためには接ぎ木をして三代以上経て、そこで結ばれる実が真のオリーブの木になって、本然の基準を身代わりするようになるのです。そのとき、初めて堕落した人間が本然の人間に復帰されるのです。そしてそのとき、救いの摂理の完成がなされるのです。 このように神様と一致した愛を中心として、善なる父母の息子、娘にするために、神様がこの地上に救世主を真の父母として送るのです。救世主は人類の血統を清め、本然の創造理想を実現するために来られるお方です。 私たち人間は誰でも最高になりたいし、神様の息子、娘になって、神様の王子、王女として王権を受け継ぐことのできる相続者になりたいという本然の欲望があります。しかし、他の血筋を受け継いだがゆえに、生まれながらも嘆かわしく、生きながらも嘆かわしく、死にながらも嘆かわしいのです。人生は苦海だという言葉がここから出てきたのです。 ですから自分の体と心の闘いをどのように中止させ、一つに統一させるかという問題が重要です。自分の体と心を一つにできなければ、南北統一も、世界統一も、そして霊界統一も自分とは何ら関係がなくなります。 主体と対象は対応的な関係を結んだのちには、より大きいものを中心として一つにならなければなりません。男性と女性が対応して一つになったあと、より大きいプラスやマイナスになって、国の前に忠臣にならなければなりません。そして、これが再びプラスやマイナスとして世界的次元で聖人の道理に接ぎ木されなければならず、聖人の道理が再びプラスやマイナスになって、天宙的次元で聖子の道理に接ぎ木されなければなりません。そのように聖子の道理を備えたのちにこそ、神様に接ぎ木することができるのです。 ところが私たちは発展を願い、大きいものを願い、高いものを願うというこのような原則において、自分が行くべき道が運命的に横たわっているにもかかわらず、その道を知らずにいます。本然的な天道の動きに対する対応的な反射として自分の心の欲望は作用していますが、その成就の道を知らずにいるために、人生は塗炭の苦しみの中で呻吟しているのです。これを探すことができないがゆえに、世の終わりの日になれば、自分の生命を絶ってでもその道を探すために自殺がだんだん増えていくのです。私たちは何としてもこれを克服する道を求めなければなりません。 人類は世界の舞台で一番となることを願う前に、まず本然的アダムとエバの家庭で一番になるべきです。アダムとエバが神様の前に直系の王子と王女の立場を備えるようになれば、彼らは男性として最高であり、女性として最高になるのです。 しかし彼らが堕落したことによって、彼らが占めるべき長子権の王子、長子権の王女の立場を失ったのです。これが人類歴史に恨として残りました。それで人類は神様の愛を再び探そうと、最初の息子と最初の娘の立場を探していく人生の道を歩んできたのです。 そのような愛を受けるためには自己中心に生きるのではなく、神様を主にして、兄弟である人類を主にして生きなければなりません。お父さん、お母さんに代わって兄弟のために最も多く血と汗を流して長く耐えて克服した人であるほど、深く、広く、高い愛を受けるのです。そのような息子になり、娘になってこそ、お父さん、お母さんの全体を相続することができるのです。この道は男性も女性もみな行かなければなりません。したがって十回でも百回でも死の峠を経て、また死んだのちも絶えず神様の愛を求めていくことが、人生において行くべき最高の道なのです。 統一教会の原理は、人間が神様の愛の圏内から脱したことが堕落であり、神様の愛の圏内に再び入ることが復帰だと教えています。そのような愛の圏内に入れば、自分の手一つ見ても千回、万回激賛するようになります。その世界では自分の手も神様の愛を受ける手になるので、その喜びは言葉で表現できないのです。そのようにすてきな世界が天国です。 私たち人間の心が神様の愛を占領する日には、千年万年歌を歌って踊ることができるというのです。神様の愛に酔うようになれば、酒やあへんのようなものに酔うのは比較にもなりません。天下に存在するものすべてを呼べば、そこにこたえないものがありません。流れる水だけ見ても、千年間歌を歌うことができます。そこにおけるささやきの甘味は無窮無尽だというのです。その時は世の中のすべてを成し遂げたことになるので、金銀財宝も他の何も、みな必要ありません。世の中でそれより貴いものがないというのです。 このように見るとき、人間の価値は愛を通じ、真の愛の感覚を通じて宇宙と和することができる主人格なのです。これを成し遂げることが人生の行くべき道です。 宗教の使命 霊界は今まで未知の世界でした。その世界は神様の存在原則である、「ため」に生きた人間だけが行く所です。そういう内容で形成された世界が理想天国です。そこが私たち人間が求めていくべき本郷です。 今日私たちは堕落した人生によって本郷から追放された人間となったがゆえに、本郷の地に向かって帰らなければならない運命にあります。しかし、そこは人間自体だけでは帰ることができません。それで神様は人間が帰ることのできる道として、その民族の文化背景、風習あるいは伝統に従って数多くの宗教を立て、歴史的に収拾してこられたのです。 宗教は本郷の地へ帰ることのできる資格者を鍛える訓練の場です。神様は東西南北四方の文化背景によって、高い所に前進できる一つの統一された宗教世界に導いてこられたのです。 そのような本郷の地に導くべき宗教であるがゆえに、宗教は「ために生きよう」ということを教えてあげざるを得ません。それで高等な宗教であるほど「ため」に生きなければならないという原則を強調し、温柔謙遜であれと教えるのです。無数の人々を高め、彼らのためになる立場に立って、犠牲になり奉仕しなさいと教えるのです。 これから、私たちの前に到来する二〇〇〇年代は、世界の全人類が神様を中心とした真の本然の人間の価値を取り戻し、天地父母と一体となり祝福を受けた真の家庭を成し遂げ、神様と真の父母を中心として、永遠に「ため」に生きる真の愛の道理を実践する、真の平和と理想の天国時代を迎えなければならないのです。 皆様の家庭と国家が神様の愛と祝福に一層満たされますようお祈りいたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【送料無料】韓流コーラ メッコール 250ml×30缶 1BOX 炭酸飲料 ノンカフェイン 防腐剤・人工着色料不使用 ビタミンB1 ビタミンB2 ビタミンC コーラ 炭酸飲料 大麦飲料 麦コーラ 韓流コーラ 韓流コーラ🇰🇷価格:3,650円(税込、送料無料) (2023/7/22時点)楽天で購入
2023.07.22
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真の祝福天宙化とサタン血統根絶完成解放宣布式一九九九年一月八日、ウルグアイ、プンタ・デル・エステ 復帰路程では蕩減的な道を必ず経なければなりません。蕩減というのは、竹のように節目をつくって上がっていくのと同じです。 ですから七年路程を終えた後に、八年目に「神の日」を迎えるのです。一九六八年の一月一日を経た後に、「神の日」を迎えるのです。こうして七年の過程を経て「神の日」を迎えたがゆえに、我々摂理のみ旨は、家庭的なことを中心として、民族的なことを中心として、神様を中心として動いていきますから、サタンと闘争しうる道が分岐するのです。 神様を愛して誇りなさい ですから、七十年代に入ってからは世界的です。先生はそれゆえに全祝福家庭を大動員したのです。三千万民族の全家庭に方向を定めてあげるのです。その基盤の上に韓民族は、み旨の道において立つことができたのです。ですから、その時に先生は世界舞台において、イエス様が祝福を受けられなかった家庭的、国家的基準を超えた立場でアメリカへ行く準備をするのです。 一九七〇年度から三年準備して、一九七二年にアメリカに行って本格的な国家基準を越えていくのです。第一イスラエルの旧約時代と、第二イスラエルの新約時代が失敗したことを、韓国で収拾しなければなりません。そのため国家を中心として全体の基盤の上に立って、世界に行ける基盤を築いたのです。 今まで既成キリスト教会が韓国で反対してきたこと…、国家的反対の基準を蕩減しなければならないのです。それはアメリカを中心として蕩減復帰するのです。そういう復帰路程を歩んできたのです。 今年の標語は「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。それはどういう意味かというと、サタン世界と関係がないということです。「真」ということを中心としては、偽りは相対の立場に立てません。去年は「真」という言葉…、「真」の神様を愛して自慢することは…。神様が「真」の立場に立つのです。 今までは神様が救いの摂理をしてこられたがゆえに、サタンが前にずらりと並んでいました。これに対して、アベル的基準でカイン的基準を自然屈伏できる環境を整えるために、「真」という言葉が出てきたのです。「真の神様を愛し誇ることは三億六千万組祝福とサタン世界血統断絶」なのです。 これは既に、去年の九月三十日を中心として乗り越える時代に入りましたから、今や天と地において、相対的関係で闘争するという時代が過ぎ去るのです。峠を越えたというのです。本然のアダムの立場において、この世界人類を大祝福して乗り越えたために、多くの本然のアダム家庭が祝福を受けた立場に立ちましたから、天と地の塀はふさがってはいけないのです。今年は「サタン血統根絶」です。根を取ってしまわなければなりません。そのためには、祝福の恩恵圏をこの天宙、つまり霊界と肉界に築き上げなければなりません。 復帰路程において歴史とは、再創造の歴史です。神様は創造するとき、天使世界をつくってアダムとエバをつくったのです。ではそのアダムとエバの目的は何かと言えば、理想的家庭です。それで神様を中心として理想的家庭の実践を、世界と宇宙において乗り越えることができ、根を引き抜いて乗り越えることのできる、そのような時が訪れたゆえに、今日このような日をここで宣布するのです。 今回の巡回講演は五月二七日まででしたね? 私がこの地を離れたら大転換期です。こうして先生と一緒に祝福家庭は、みんな会って新しい教育をするのです。教育の内容は何かというと、霊界と肉界があって、その関係がどうなっているかということです。それを知らなければなりません。生死の塀が残っています。死の塀を壊さなければならないのです。 人は死んでも死なないというのです。新しい天国を連結させるのです。今までサタンによって堕落したことによって、死の峠は永遠なる死の峠として塀で張り巡らされていましたが、その塀を崩して死の恐怖を歓喜の出発基地へと転換させてこそ、地上と天上世界の塀がすべてなくなるのです。死から解放されるのです。腹中教も同じでした。死から解放されて感謝するという教団でしたが、今や彼らの歌を歌う時代なのです。そのような時代に入ったのです。 ですから、そんな日をただじっとしたままで越えていけないというのです。それゆえ真の父母はここで決着をつけなければなりません。境界線を作って石垣を積み、個人的な境界線を作っておいてから、所有権決定のごとく境界線を越えていかなければならないのです。そうしてサタン世界はこの地上から消えていくのです。 現在、清平に行って見てみると、すべての人々に霊がたくさん入っていると言っています。本来、これは清平でするのではなくて、真の御父母様が全部みな引っぱり出して連結してしまわなければならないのです。ここから連結できる道が開けるのです。サーチライトの光のように発するのです。誰でもその光について行くことができますが、ついて行くには自分たちのいる基準から出発するのです。 霊界に戻って地獄のどん底から探しますが、基準を証すことによって善なる霊は善なる基準を通じて上がっていける道を開いてあげなければならないのです。それで塀を…塀がみな条件というのです。…完全になくしてあげるのです。それで解放の塀を壊してあげなければならないのです。それでこれを開いてあげることによって、自分の上がっていく道が分かって上がっていけるのです。 霊界の解放祝福時代 このように、近いうちに自分たちが天国に行ける道が分かるゆえに、今現在、定着している人が、この地の悪霊によって被害を受けて、絞り上げられて生きているのを断ち切ってあげなければなりません。そういう祈祷をしてあげて出発しようというのが、今日この集会を持たせて式を行おうとする意義です。 アダム家庭を中心として見るときに、天使世界を中心にアダム家庭を完成しなければなりませんでした。ところが堕落したゆえに、アダム家庭に対してこれを清算しておいて、アダム家庭の再創造の歴史をしなければならないのです。 そのため先祖を再創造して、天使長の位置の家庭につくっておかなければならないのです。それゆえ大量祝福、霊界の解放祝福時代に入ってきたのです。解放祝福時代です。それによって霊界にいるすべての霊人たちを、家庭を中心とした天使長自由環境圏に押し入れるのです。家庭を中心とした解放圏では、サタンの役事というのはないのです。 ではそのサタンはどのようになるのでしょうか? 自分がこれから永遠に底無し地獄に落ちてしまうわけですから、人間の一番後にくっついて協助してあげることによって、エデンでアダムが家庭完成できなかったことを条件的な基準で救ったという条件を立て…そんな蕩減をすることによって解放されるというのです。 それゆえ、今や霊界の人々にも祝福をすれば、自分たちが降りてきて自らの子孫の先祖の立場に立って、自分の子孫たちの行く道を祝福の道へと駆り立てるようになるのです。本来人間は、真の父母を中心としてこの地で生きてこそ天国に入っていけるようになってます。ですからこれは、霊たちがこの地上に来ることのできる道を切り開いてあげる式にもなるのです。 自分が愛する人を連れてエデンで夫婦になれなかったわけですが、今では祝福を受けることができるのです…。 そして地上で子孫たちの背後で、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」するように後援することによって、地上において真の父母とともに生き、天国に入れるという大道の道にすべて参加できるようになるのです…。こうして、全体の根本を根絶するみ業を先生が打ち立てておかなければならないのです。どういう話か分かりましたか? これで原理的にすべてが整理されるのです。こういうことは、何もせずに成されるのではありません。このような原理原則に基づいて、この天地の前に、万宇宙の前に、真の父母が完成理想の地上における全権的な「愛の主権的中心者」、「愛の王子」、「中心者」の立場で宣布することによって、神様と先生を中心として、本格的な横的拡大…、中央を中心として国境を越えてでも行くことのできる時代になるのです…。 祝福によって、今後、王という王が、大統領たちが相次いで百二十人まで降りてきて、それを追い出すことができるために、地上では自動的に主権者が日が沈んで暗闇に入っていき、私たちは朝日を浴ぴていきます。光明なる天地が交代する時となったのです。今は最後の時となったということを知らなければなりません。 このような宣布式をするにあたって皆さんが参加できるというのは、真に栄光の時間であるということを知って、先生と同じ思いを抱いて、皆さんは誰もがみな正しく立たなければなりません。東西南北が相対基準に立って祝福をしなければなりません。 一九九九年は、数字をみな足せば二十八数です。ところで八数を足せば三十六数です。三十六数ですが、ここに式の時間である八を足すと、四十三数を越えて四十四数が埋まるのです。七時半さえ越えれば四十三数を過ぎて、四十四数にすべてを整理するのです。だから四十四数なのです。 全体解放、サタン追放、サタン根絶とともに、人間の罪の根が反対に進んでいたのを正して、すべてがまっすぐに進んでいくことができるのです。地獄には悪魔たちと罪人たちが行けるため、完成できずに全部みな逆さまに立っていたのが、善良になってまっすぐ立って、自分の階層から天上世界へと入っていくことのできる…、そんな地上・天上の、まさに祝福化、「天宙祝福化」へと越えていくのです。 ご父母様にこのようにしてくださいと言ってから、「私」が祝福をしてあげなければならないのです。地上世界と天上世界が一体となり、先生と一つになったことを中心として、それを成してほしいと、祝福してくださいとお願いするのです。このことを考えておかなければなりません。 〈祈祷〉 愛するお父様…、歴史路程は東から西を中心として巡り巡って、身心の一体をもって家庭と、家庭を中心としては宗族と、宗族を中心としては民族と、民族を中心としては国家と、国家を中心としては世界と、世界を中心としては天宙と、天宙を中心としては神様と一体理想を成さなければならないというみ旨を、私たちは知っております。 このように復帰時代におきまして、蕩減路程をたどってきた全統一教会の過去の歴史と、現在と、未来の歴史は連結しております。過去に生まれきては去ったすべての先祖たちも…、今現在この地上に生きている人類も…、今後、生まれくる子孫も…、一つの家庭と一つの連結した血筋が、神様の愛を中心として連なっているということを私たちはよく知っております。 今まで創造理想の愛の主権を立てることができず、歴史的な恨の道を歩んでこられたお父様を私たちがお迎えするようになるとき…、先祖たちの誤ったすべてを、人間が蕩減して回復されうる宿命の道を行かなければ、天は関わることができません…。このことをご存じの神様は、宗族を立ててこの蕩減の歴史を高めながら、積み重ねて上がってきたということをよく知っております。 アダム家庭が堕落の根本から家庭をたどって、宗族・民族・国家・世界、天宙を収拾し…、全人類とともに、過去のすべての先祖とともに、子孫とともに、神様の愛を中心として、定着とともに、世界のこの頂上まで解放できる家庭圏…、全体世界…、天上世界を迎えるためのこの道は…、この地上に「真の父母」のみ名を持ったこの子女が現れ、ご父母様を中心として祝福の愛の基盤を広めて個人時代を過ぎ…、家庭・宗族・民族・国家・世界の天地まで乗り越えることのできる、そんな峠の頂上まで参りました。 お父様…、思えば恨めしく、歴史を振り返れば、神様に恨をもって侍ってはならないと知っておりますから…、悔しく恨めしい心を抑えてあなたの前に立て、解放の勝利の神様を誇れる心…、全天宙、天上天下に「愛の主人」であり「王」として誇れる心を持たなければなりません。 今や順調に大道をゆく天の王子と王女の心を持って、この世界を私たちの家庭と同時に、私たちの国、私たちの天宙として立てて、神様を家庭・宗族・民族・国家・世界・天宙全体の愛の父母として侍れる勝利の版図を、私たちの心の基盤である個人から家庭、宗族圏において、備えなければならないということを絶対的にご存じであるがゆえに、神様は今まで耐えに耐えながら歩んでこられたということを知っております。天が責任を果たそうと努めるその過程で、悲しかった事情とあなたの心に連結した恨をたくさん残しました。 そのすべてをあなたが開放することによって、これを成し遂げられんことを切にお願い申し上げます。ご父母様自身も、本来出発したすべてを蕩減しなければならない道を知ったがゆえに…、韓民族がこのように塗炭の中にあり、韓民族がみ旨に従えないことによって、韓民族のアベル的な統一教会を中心としながら、この苦難の道を歩んで参りましたし、またご父母様の子女までも責任を果たせなかったこの道を、解放しないことには忘れられないことを知っております。今日この式をもちまして、ご父母様の心の谷間にある恨をすべて解いてくださらんこと切にお願い申し上げます。 お父様…、真の神様を「真の父」として仕え、「真の主人」として仕え、「真の師」として仕えて万世に自慢することのできる、天の王子王女のように解放された人格をもって神様に侍ってお仕えできる…、このような息子と娘になることを、どれほどまでにお父様は待ちこがれてこられたことでしょうか…。 この道を、この「真の父母」たる天の夫婦が、十字架の道を代わりに担って走って参りましたところ、この世界の頂上に立って今日を迎えるようになりました。真の祝福天宙化とともに、サタン世界血統根絶を根本的にできる宣言の時間を持たせてくださいましたことを、お父様…、切に感謝申し上げざるを得ません。 今日、この一九九九年一月八日朝七時半を越え、八時に向かう四十四数を迎えまして、四・四節とともに、家庭が主流でなく、国が、全天宙が天国に入れる解放的起源を迎えるこの時間を宣布して全天宙が安息し…、その道に沿って、地獄や、あの善なる霊たちがサタンに引っぱられていったのを、完全に方向を合わせて光明の天国を望みながら、自分たちの蕩減路程を早く解消して本然の基準に立ち…、真の父母がこの地上にいる間に地上に来て、侍って生きたという条件を立てることによって完全解放圏を備え、天国行の祝福を受ける家庭の群れとならしめてくださらんことを、切にお願い申し上げます。 このひととき、この式典を快くお納めくださいますよう切に請い願いながら、共に同行し成し遂げて宣布してくださらんことをお願い申し上げます…。アーメン! アーメン! アーメン! 〈祝祷〉 流れゆく歴史時代に我々人類歴史と宗教圏をたどりながら、過ぎし日の天の心の中に…、喜びの日々を望みつつ万物とともに苦労してこられた歴史を知っております。 この地上に「真の父母」という名前を中心として、第三次アダム完成理想、メシア思想をもって、カトリック、プロテスタント、旧約時代、新約時代、成約時代を越え…、解放の統一時代を念願できるこの時を迎えうるべく、内外に縦横に苦労されるお父様を、私たちは愛しております。 そのみ旨を私たちは相続いたしました。その実体である理想的家庭を築くために、あらゆる最善を尽くして参りました。足りないながらも、今や天上世界と地上世界が一つとなって、悪人と聖人が同じ場で、祝福の解放圏を持てるようになりました。塀という塀で分断されていた、我々人類始祖の血統的分別をもたらしたそのすべてが、真の父母の勝利圏をもって、「真の愛」と「真の生命」と「真の血統」の因縁を中心とし…、本然的父母の良心基準の相対的理想を中心とし…、個人から家庭から宗族、民族、国家全体の権限を、お父様の願いのままに成就なさいまして…、万国を代表した愛の王権が築けなかったことを築きうる深刻な時間ということを知る、この時間となりました。 お父様…、それによって堕落の痕跡をあなたの心の中から消し去り、真の父母の心の中から消し去り、怨讐としてきたサタンまでも最後まで解放させました。 このことによって、怨讐の子息を同じ祝福圏内に入れ、天上世界の怨讐の家庭の姿をこの地上に展開したすべてを、祝福で連結させて御父母様の血族に引き上げ、霊界に行ったすべての先祖たちにも引き続けて祝福の恵みを下賜いたしました。 それによって個人的立場でアダムが完成し、天の家庭になって神様に侍り、神様の息子・娘がみな神様に侍ることのできる…、そんな宗族基盤が持てなかったことを総蕩減、解怨成就できるこの時代を迎えましたから、サタンの根であるすべては既に根絶したものと認定してください。 この地上の人間も方向をサタンの側に向けておりますが、これを百八十度解放する立場に至って、サタン世界とともに同じ天上に向かうことのできる高速道路の行路を経て、段階的な発展基準を先祖から、あるいはこの地上で責任をすべて果たすことによって、天国に直行することのできる、同一の道を既に予備いたしました。 お父様…、この道を切り開きながら、サタン世界の地上に固着した歴史的な恨を解くために、定着する基盤も取り消しにし、人間個体個体の霊人を複数蕩減させるため、共に一体となって苦労してきたすべての根を抜き取って、この地上の悪なるすべての痕跡を取り消しにできるそのひとときを、どれほど待ち焦がれてこられたことか知っております。 今年の標語の「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」という標語とともに、三億六千万双の祝福完成の日も、残すところ今や一か月となっております。この儀式を前にして、この地上の霊人たちとすべての地上人が、この祝福の日を希望の最高峰として迎え、天と天の父母と全人類の解放を宣布できる…、こういう基準を成し遂げると同時に、悪世界とサタンまでも解放しうる天国直行の道を開くことが、あなたの最後の目的であり、願いであることを知っております。 真の御父母様は自らの気にかかるすべての四方を整備するために、地上世界の悪霊と悪人が基盤を固めていたその根を抜き取り、反対の立場から一八○度転換して、天の父母を中心として、地上の真の父母の後に追従することによって、あなたの一族として抱いてくださらんことを知って、このひととき、とりすがりました。 今や、あなたの本然の愛の理想を完成した天国の大道を打ち立てましたから、お父様…、地上における家庭はあなたの家庭であり、血族はあなたの血族であり、これから復帰されるすべての国と世界、すべての地上・天上天国は、あなたの国でございます。 全体・全般・全権の能力を中心として、東西南北はもちろん縦横を中心として、自由に活動し愛の種を中心にまいてきたことを収穫し、あなたの懐に愛で抱いてくださることによりまして、天の一族としての民族、地上天国解放圏の民族としてくださいませ…。 霊界の霊人たちは、個人としてアダム家庭の完成をさせることができませんでしたが…、この天宙的な家庭復帰の理想圏内において霊界の代身である我々の先祖と天使長たちが協助し、地上に訪れて共に参加し、真の御父母様に仕えることによりまして、そのアダム家庭の完成を成就し、一方通行で天に直行しうる道を確定してくださらんことを、お父様…、お願い申し上げます。 それによって、サタンの悲しき対象であることを忘れ去り、喜びの対象として祝福を受けた群れに、あなたが対することのできる愛の和合の世界、統一の世界、平和の世界、地上・天上天国へと進行することを…、真の御父母様と神様と共に、すべての天上世界と地上世界の先祖たちを代表して、地上の解放また解放、統一また統一、平和また平和の世界へと移転しますことを、真の御父母様のみ名を通して宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン! 〈み言〉 きょう行ったのが何であるかというと「真の祝福天宙化とサタン血統根絶完成」を宣布したのです。これから祝福を受けた一族が、先生の誕生日の二月二十日を中心に、献納と祭物をすることによって、地上における直系十二名でなく、七十二代から百二十代までイエス様が祝福したかったすべてを乗り越えることができるのです。そうすれば、自動的に真の父母の直接主管圏内に入っていって、サタンと関係のない時代へ移行していくというのです。 百二十代の先祖まで恩恵 そのような意味で、今日した宣布式が何かというと、真の祝福天宙化とサタン血統根絶完成宣布です。 霊界にいるすべての先祖たちも解放です。サタンも解放してやらなければなりません。それゆえ、今後、氏族的メシアとして百六十家庭を祝福してあげた人々は、一つの一族を中心として今後他の人がいれば、それがカイン圏の一族であるためにそれを自分の一族と連結させて総蕩減献納式をし、その基盤の上で百二十代の先祖を祝福してあげることができるのです。 百二十代の先祖とともに百二十代の王、その国の大統領や王を祝福することによって、その国の民と主流の系列を祝福することによって、横的に…傍系が皇族圏です。…全体祝福することのできる解放圏をつくってあげなければなりません。イエス様のイスラエル圏の国を中心として、霊界まですべてみな解放しなければならないのです。キリスト教圏をすべて解放してあげなければなりません。 こうすることによって、百六十家庭は、これは先生の時代であるために百二十家庭さえすれば、自動的に統一天下圏になっていきます。分かりましたか。公文を出しなさい。すべてみな伝達してやりなさい。 十二代、七十二代、そして百二十代、このようになります。それゆえ、百二十代するようになれば、すべて入っていくのです。百二十代の王たちとその長孫、その王圏を祝福すると同時に、その王圏にいたすべての国民を解放させるのです。真の父母と神様が許すということです。 これからこのような体制の下で、国家、民族的なグループがすべて連合することのできる時代になります。そうして地上の国と氏族、家庭が連合して統一圏へ入っていきます。 このように越えていくことによって世界は急速に変わります。これと反対の、ここと反対になる人々は、サタンがきて放ってはおかないのです。今まではサタンが地獄に連れていこうとしましたが、天国に連れていき、彼らのために協助して先祖までをも天国に連れていこうとするため、天国へ行く方向が完全にここで解放されることによって、急速に世界化時代へと入っていくのです。 これからデモを行わなければなりません。デモは何をするかといえば、「真の父母を誇り、その次には真の家庭を誇り、真の血統、真の純潔を誇る」。それが父母様がこの地上に来て目的を世界化させるように、個人でも家庭、氏族、民族、国家はすべてみな真の父母を中心としなければならないのです。個人で家庭的な真の父母、家庭的な基準で真の家庭、家庭基準で純潔、民族基準でもそれと同じく、国家基準で真の父母、真の家庭、真の純潔、このように世界化されます。 国家基準さえあれば、世界化することができるため、真の父母の基準が私たち個人から国家、世界、天宙まで連結し、真の家庭の基準が連結し、真の純潔の血統が連結されることによって、堕落がなかった解放の時代に入っていきます。それでこれを全体清算するためのデモをしなければならないのです。伝道よりもこれをしなければなりません。祝福することよりも、祝福を受けさせることよりも、これをしなければなりません。 今まで、私たちが既成家庭を祝福を受けられるようにしたのですが、その中には既成家庭があり、自分たちの間で結婚生活をせず法的な結婚、あるいは約束結婚することがあり、最後に娘と青年が残っているのです。 今や完全に旧約時代と新約時代が合わさって、成約時代の若者たちを生む運動をしなければなりません。それゆえ、自分の子女たちは父母が強制的にするなり、そのおじいさんたちが自分の孫を強制的にするなりして、自分の七代の孫を中心として強制的にでも原理のみ言を聞くようにして、一つの方向に大転換することのできる時代となるのです。 第四次アダム権解放祝福時代の到来 それゆえ、皆さんは家庭から十二人を動員しなければならず、氏族から七十二人を動員しなければならず、国から百二十人を連結させて解放させることができなければなりません。このようなことを郭錠煥会長を中心として公文を下すことができるようにしなさい。 それならば、前日のこのような式を行えばいいのに、なぜみな出発した後にするのかというのです。氏族圏で完成を宣布することによって、それに従って行けば、世界化されるので、世界の代表をみな送ってから…。これが家庭なのです…。先生のこの別荘の家庭にいる人々を中心として出発するという事実を知らなければなりません。それが基盤です。国と世界で統一圏ができるのではありません。宣布も家庭と氏族を中心として行われます。 ところが、劉会長が全体を代表して頼んだのです。地の人々が「切にお願い申し上げます。御父母様、お願いします。神様、お願いします」。このように祈祷したのを中間にいる真の御父母様が天に報告し平準化し、その志を果たすために宣布したのが今日の式です。分かりますか。(はい)。 今は皆さんの家庭が理想的家庭になれば、父母様と神様に直接侍り、父母様に代わる者とならなければなりません。皆さんが旧約時代、新約時代に来たメシア、新約時代を越えて成約時代に来たメシア、一次アダム、二次アダム、三次アダムに代わる家庭になることによって神様に侍るようになり、万民が天国へ直行できるようになるのです。そうなることにより、第四次アダム圏解放祝福時代に入るのです。 第四次アダム圏という話は聞いたでしょう? 今まで一次、二次、三次のアダムは蕩減が必要でした。サタンがついてまわりながら妨害の歴史をしてきたので、解放によって第四次アダム圏が――個人アダム圏、家庭アダム圏、氏族アダム圏、民族アダム圏、国家アダム圏、世界、天宙アダム圏――これが平面的になっているので皆さんの努力により、個人アダムになってアダム圏を勝利し、家庭アダム圏を越えて氏族アダム圏、世界まで越えることのできる自由解放圏ができるため、この地からあの天城まで行ってきて、帰ってきて天国へ入らなければならないのです。 蒔いたものを結実として取り入れて、新しい愛の種となり、天国の倉庫まで入るのが私たちの本郷の地である天国入籍でありました! アーメン。すべて終わりました。今後復帰完了時代がきます。 そうしてこそすべて理論的に摂理の思想が定立するのです。このように膨大でとてつもない歴史を、父母様を中心として管理してくることによって、神様がこれに参同したのです。これは神様の命令によってするのではありません。アダムが堕落するとき、知らずに堕落したために、神様が教えてくださる前に知って解放させてこそ、神様も解放され、サタンも解放されるのです。 そうすれば、真の父母に対して讒訴する者はないのです。サタンも讒訴できず、神様も讒訴できません。これから完全に解怨成就、所願成就したというこのような立場で、地上天上天国が着地するのです。 今後、教会がなくならなければなりません。しかし、家庭連合時代は去りません。終わりまで残ります。分かりましたか? そのようにみな整備してきましたね。(はい)。 そのようなすべてを今後千里遠征の蕩減路程を経て、先生の一代に八十歳まで、六十年代から父母様が四十年を歩んできたのです。韓国の年齢だと、私は今八十歳です。誕生日の前にこれをすべて宣布してしまいます。 このような宣布の記念の日は、神様も記憶しなければならず、サタンも記憶します。分かりますか? 背後の歴史がそうなのでそれを無視することはできないのです。それが重要なのです。 これからはイエス様の十二弟子を含めて百二十弟子、各宗派、教団、宗教界にも解放的な祝福をしてあげることができるのです。それゆえ、この聖人たちに祝福してあげたことを喜んで迎える人々を先にするので、宗派の順序が変わるのです。 サタン世界につくっておいた霊的な基盤が宗教ではありませんか? 宗教を信じた人々が祝福を受けて地上にきて真の父母に侍るということが起こるのです。元来は祝福を受ける前にすべきことです。それゆえに、祝福を受けて地上で父母様のために働いたという条件を立てながら、霊界が地上に総動員されます。サタンが今まで列をなしていたものを、すべて追い払うのです。今はもう強制的にすることもできるのです。 自分のお兄さんが復帰されたならば、弟を殴ってでも救わなければなりません。カインが、兄が弟を殴って地獄に連れていきましたね。祝福することによって、善主権をもってお兄さんの立場に立つことによって、地上にあるサタン世界、地上に隠れているサタンまでも祝福を受けさせ、その後、本来人間と因縁を持っていたすべてが仇をうつところを、怨讐を愛したという立場に立ち、サタンが捕まえていたその人も救うことができるので、サタンも解放されるようになるので、このような門を開けてあげなければならないのです。分かりましたか?(はい)。 このようにすれば清平で苦労する道がだいぶ短縮されます。霊を引き抜こうとせずに、命令し、天使を遣わして、一つの霊を中心として霊界全体が総攻撃することができます。 いかにして縦的基準を立てるか それと同様に、天の祝福を受けた家庭が地上に一つの家庭も残さずに、総攻撃、撃破していくのです。そうなれば、世の中がどれほど早く転換されることか考えてみてください。そして反対する者たちは霊界に連れて行くのです。そうすれば突然死ぬ人も出てくるでしょうし、あらゆる形態が現れます。そう考えて、そのような企図が先生の話したとおりになされるようになると祈祷しなさい。 世界で先生が問題であり、天国でも先生が問題であり、地上のすべての人、個人にとっても先生が問題です。先生にどのように侍るかということです。昨日も話したように、均衡を保つには、必ず会って主体と対象が水平にならなければなりません。水平になれば必ず運動を、回らなければなりません。中央で神様に侍らなければなりません。神様に侍って定着する家庭的に侍る場が愛です。愛を中心として大きくなっていくのです。 それゆえ、再臨時代に神様の復帰摂理で、メシア的基盤が国家的基準を上回ることができなければ、この幹が上がっても国家的基盤は崩れるのです。イスラエルがすべて滅びませんでしたか? そのために何千回、何万回も回ったのです。上がったり下がったり、上がったり下がったり。 それで家庭完成することのできる環境が今まで氏族圏、第二イスラエル圏を作り、中心家庭の個人代表、家庭代表、氏族代表、国家代表、世界代表として民族編成国家基準さえ越えたならば、世界は自動的に越えていきます。これが万一倒れるような日には、すべてが崩れます。 先生がもしみ旨を果たせずして行けばどうなるかというのです。もし地球にいる人類を完全に放棄して、神様が新たに再創造し、世界を造ったとしても、その造った世界とこの地上世界の間に必ず闘争が起こるのです。その救世主というのは、神様が進み出なければならないのですが、神様が前に立つことはできません。別動部隊でもって処理できるか知りませんが、サタン世界である地球星を消化する道がありません。 神様が本郷の世界で体をつけて万王の王の中心存在として立つことができなかった恨みがどれほど大きいかわかりません。神様の創造理想にこぶができたのです。それが何かといえば、がんのようなこぶです。とてつもない問題が生じたのです。先生と共に生きているからといって解放されるのではありません。いかに縦的な基準を立てていくかということです。歳月の流れとともにますますその思いは深まり、子どもだの、国だの考える暇がありません。どうやってこれを解決するかというのです。 今解放時代を迎えたということを考えるとき、この地球を中心とした宇宙がどれほど称賛しているか知りません。どれほど今日を喜んでいることでしょうか。それで今年に入って雨も降らず、今日まで祝いの雰囲気一色になっているのだと思います。 今後私たちが行おうとするすべては、天運がついてまわりながら支援するのです。分かりますか? 天運を捕らえようと苦労しますが、天運が私たちの後をついてまわっては手伝うのです。分かりますか? これが何を意味するかといえば、神様と霊界が数多くの先祖と数多くの善なる人々が氏族圏で動員されて、この地を支援することのできる時が来たということです。解放圏をつくることができ、変わることのできる時代が来たということです。 霊界を無視してはなりません。それが鉄則です。霊界が一生懸命に地上の基準においてアダムを完成させ、地上天上完成することにおいて先頭に立ち、アダムが天使世界と先祖たちを利用しなければなりません。アダム家庭の完成時代において、家庭的天使圏、天使長圏が生じたというのです。ですからこことは兄と弟なのです。 それゆえ、十二人を選んで七十二人をどこへ行っても祈祷し、すべて祝福できなければなりません。その上に百二十家庭が立つのです。 横的に十二家庭、七十二家庭をしてから、その上に百二十家庭をしなければなりません。百二十代の基準をイエス様時代に果たせなかったために、横的な百二十の国家に百二十人が世界宣教に行くのです。その百二十の国家が国連に加入したそのとき、百二十四双を祝福しました。 今後、個人の祝福時代は過ぎ去るのです。分かりましたか?(はい)。今は近所に集まって、むりやりおじいさんの還暦の日とか、お父さんの還暦の日とか、自分で祝宴を催す日、祝いの日に集まって「先祖解怨、宗氏解怨、子孫たちが天国へいくための先祖の責任を果たそう」というとき、反対する者がどこにいるでしょうか。 真の父母になりたくない人、手を挙げなさい。真の家庭を持ちたくない人、手をあげてみなさい。手をあげる家庭は一つもありません。また、真の純潔なる血統を持つのがいやな人は手をあげなさいといったとき、一人もいません。一人もいないので、むりやりにでも祝福してあげなければならないのです。分かりましたか? 今後はデモさえすればすべて終わります。 村に家が三つしかない所まで行ってデモをしなさい。そして先生の写真を分けてあげて、次は何ですか?(旗)。 その次は何ですか?(入会願書を書きます)。 入会願書を書いて祝福を受けたその時から、その家は天国の眷属になります。 それゆえ、していない家があるならば、行ってむりやりにでももらって、そうして旗を分けてあげ、父母様のお写真を分けてあげなければなりません。それは世の中で一番貴いものであるので、自分の家のすべてに代わるものなのです。 真の御父母様に従って それで所有権転換がなされるのです。その次は何ですか? 所有権転換。その次は心情圏転換、その次は実体圏転換です。実体圏というのは祝福家庭のことを意味します。実体圏というのは、個人的家庭、氏族的家庭、民族的家庭、国家的家庭、世界的家庭が実体圏、解放圏をつくるのです。したがって、実体圏の所有権が神様に戻らなければならないのです。 最後まで精誠を尽くす民族は、今後、世界を支配するのです。キリスト教がそうです。私たち統一教会員は最後まで蟻以上にしなければならないのではないでしょうか。 これから一つ一つ家庭を引き抜きます。そうすれば国がなくなるのです。私が始めたこれは千年万年続くので、その国がなくなることになるのです。それゆえ、先生の行く道にはサタン世界がなくなるしかないのです。このような鉄則をもってきたのです。昼も夜も。わかりますか、どういうことか。(はい)。自分の一族を消化できなければなりません。 先生がすべて教えてあげたので、できなかったとしても私は責任を負いません。自分たちが責任を負わなければなりません。私は私の行くべき道を行くのです。人がそこに責任を持ったならば、来て接ぎ木しなければなりません。先生の行く道に氏族復帰、民族復帰、国家復帰の輪を残していくのです。引っかかれば、越えるときにそれがぱっと引っかかるのです。 そうなればそこから先生に従って行けばよいのです。引っかけることのできるものがなければ、その民族は原野で生きてはいても死んだのと同様になります。天国に入ることができません。先生が再びこれをすべて収拾してやらなければならないのです。法で収拾するのです。 今日のこのような日を立て、私もここでするとき、すべて今後願うことを中心として「父母様、神様の祝福を請い願います」。そうしなければならないのです。「福を祈って下さい」。このようにしなければならないのですが、そのようには言いませんでした。その福を祈ってあげる祈祷は簡単にしなければなりませんでした。地上と霊界の家庭が地上に来て、真の父母の功労の立場に立って解放的な条件に引っかからないように、皆すべて努力するよう願います。 そうです、要求するままにすべてしてあげたのです。サタンやアダムが要求することは何でしょうか? 復帰時代においては、サタンも願うのがアダムの後に従っていくことではないでしょうか? ですから宇宙を代表した焦点でするのですから、切に切に何千年間苦労したその場を乗り越えていかなければなりません。 皆さんが頼んで、私がすべてあげたのですから、これから皆さんは税金を納めなければなりません。与えたのです。与えるのに、百パーセント与えました。分かりますか? 父母様の家庭がすべて分けてあげたのですから、皆さんは子女であるので七十パーセント、蘇生、長成圏にあり、父母様は完成圏にいるので、皆さんは三十パーセントを献納しなければならないということです。三十パーセントさえ出せば、税金はありません。ですから、どれほどの解放でしょうか。 すべての家庭がそのような鉄則さえ守れば、蘇生、長成、解放完成圏がここからできるのです。そのようにすれば、七十パーセントは走って越えていきます。そうではありませんか? 完成するのに蘇生、長成なしに完成はありえません。そうはいきません。ですから、祝福は七十パーセントです。七数はサタン側であり、三数は天の数ですね。このようにして三数は、縦的な面が連結すれば横的の面は自動的に連結するのです。 今後税金を納めなければなりません。その税金を略奪すれば大変なことになります。今日、サタンはそれを知りませんでした。天上世界の人と公金を悪用する人は大変なことになります。霊界にも家庭的地獄があります。本物の天国に行く家庭、楽園に行く家庭、中間霊界にいる家庭、地獄にいる家庭があるのです。 今現在の霊界はすべてなくなり、そのようになるのです。そうなれば、今後早く解消されます。楽園がなくなり、楽園がずんずん小さくなるのです。中間霊界もずんずん小さくなります。ですから宣伝教育をします。放送するのです。今までは放送できませんでした。放送時代になってどんな教育をするのかというと、原理教育をするのです。分かりましたか? 蕩減復帰をしてきたということを詳しく知っているがゆえ、過去を回想して悔い改め、許しを受けて、現在真の御父母様に侍ることができなかったので、今後地上で真の御父母様の息子と娘に侍り、その家庭の国にも侍ろうといってこなければなりません。来て均衡を保ち、水平となって天国に行くのです。 明確に知らなければならない霊界 それで、先生のすべきこととして何が残っていますか? 税金をもらって国の教育機関を作らなければなりません。そして国の官公署を新しく編成しなければならないのです。サタン世界の時代のことは見るのも嫌です。万国の国に聖酒をまかなければなりません。聖酒を飲んで生き返るのでしょう?(はい)。 堕落圏解放が加重されます。万物まで食べてあげなければなりません。そうするには、すべて神側に戻らなければならないのです。 それで、これから全世界の地球星に聖酒を飛行機でもってずーっとまいてあげながら、全部はしなくても主要都市だけでもまきながら祈祷します。父母様が祈祷するのがどれほど恐ろしいかということを知らなければなりません。あの国滅びなさいといえば滅びます。抜け出すことができません。 そのようなことを、解放をみな宣布したのです。だめになるときは「このやろう」といって制裁を加えるようになるのです。分かりましたか? 天国に入っていくようになるときに、この地上で合格者に入らなければなりません。今まで合格した者だけを送ったのではなく、ただ入ったがゆえにあの国の監獄や中間霊界に行っているのです。地上の中間霊界とか楽園家庭とか、あるいは地獄の家庭がなくなるほど、きれいに整備して天国へ直行することのできるこのような基盤を築かなければなりません。 それゆえに、霊界を明確に知らなければならないというのです。だらだらと生きることができません。分かりましたか、何の話か?(はい)。地で完全に合格した家庭として天国に直行でき、条件に引っかからないで解放、直行できるような家庭を皆さんが築かなければなりません。それは先生の責任ではありません。すべて行くことができるように祝福しました。ハイウェイを作っておいたでしょう? 自動車ができていて油さえやれば、どこにでも行くことができるのです。 地上でできない家庭を復帰しなければならないのです。お母さん、お父さんと息子と娘が自分勝手に生きてきたのです。制裁を受けてみなそのようになります。そうして地上において許されたとしても、今後はそうです。 罪を犯せば死刑宣告がありますか、ありませんか?(あります)。もし、その刑を中心として死刑を受けるようになれば、それを中心として死ぬようなところに、国境地帯、北極、南極に捨てて置きます。それで一年、二年、三年して五年ぐらいが過ぎ、飛行機で見て回って、生きていればその人を使います。死ぬものを、死んで当たり前の奴を、熊の餌食となって土に帰って当たり前のところを、それでも精誠を尽くして天が助けるならば生きるのです。 そうなれば、あの人間の世界を、世界を回りながらその人をいくらでもただで呼んで使うことができます。ある労働の場、国の公的な建設があるときはどこの誰でも呼んで使うことができるのです。 ある所、どこの何、ウルグアイに何人が入ってきたというようになれば、その人々を公共団体で、模範的な団体で使わなければなりません。その人々に対する工賃は、七十パーセント、三十パーセントの割合でもって、三十パーセントは国に捧げます。そうして「囚人」という服を着て何級、何級、このように書き、そのような事をするために、家ごとに近所に入っていくようになれば、自分が入っていく家を訪ねて「私がすることはないですか」といって尋ねます。絶対従順、絶対愛、服従することを自分の体に投入します。 その時になれば、監獄とか刑務所がなくなるのです。警察署もなくなるのです。自分の心が知っています。霊界の先祖が管理して天と通じ、良心的にその心を欺けません。解放することのできる自らの心がとてもとてもうれしくなるというのです。 そうして、帰ってきて間違ったことを清算してあの国に行かなければなりません。あの国に行っても犯罪者たちはただそのままでは入っていくことができません。霊界の蘇生圏、楽園、霊界の監獄を経て、そこから修練し再び呼んで体と心を検証し、水晶体のように透かして見ることができてきれいになったか、ならなかったか、鑑定しその程度の基準に持って行きます。 これから復帰路程において霊的な統一を成した後に、地上統一は協助をしてはいけないのです。神様は助けることができません。完成したアダムは助けることができないのです。これが人間の責任分担でしょう? 神様は助けることができません。 助けることができるならば、アダムとエバが堕落した直後にも干渉できる条件が成立しなければならないのです。七千年ならば七千年を越えては、神様が干渉することのできるこのような限界の基準を立てて介在することのできる摂理のみ旨が延びますが、愛を中心としてはこのようになりません。 それゆえに先生が直接神様の教示を受けて地上を処理し、愛の体をもって地上世界、サタンまで、すべての世界を収拾しているのです。そのように先生は偉大なのです。 お母様もお父様とまず霊的に一つにならなければなりませんか、体で一つにならなければなりませんか?(霊肉で一つにならなければなりません)。 造るときに何をまず造りましたか?(肉身を)。肉身をまず造りました。肉身で一つにならなければなりません。絶対に一つにならなければならないのです。 そうすれば、自動的に先生と一つとなって霊的に連結します。お母様だからといって特別に祈祷して解決するのではありません。話をせずに私がそのままにしておくのです。 さて、今はご飯を食べるの、行くの?(本当は召し上がらなければならないでしょう)。心配せずに激しく押し出せ!(はい)。真の家庭、真の父母、真の夫婦、真の息子と娘にならなければなりません。純潔を守って伝統的血筋を受け継いだ王子、王女にはサタンが相対する世界はないのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.20
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カンボジア国際指導者会議(ILC)開会式 / 釜山エキスポ特別公演日時 : 2023年 7月22日(土曜日) 日本時間 午後3時場所 : カンボジア ソカ プノンペンホテル中継 : 韓国語、日本語(諸事情により非公開となりました)、英語、スペイン語、フランス語(言語:韓国語)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【お買い物マラソンP10倍‼️】一和 メッコール(250ml×30本×2ケース)【送料無料】
2023.07.20
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訓読会以後に下さったみ言一九九九年一月五日、ウルグアイ・プンタデルエステ 皆さんが霊界の事実を知らないがために、精誠を込めていっても疲れ果て…そういうことを先生はよく知っています。ですが、皆さんはこのことを知らなければなりません。霊界の中心は神様です。その神様は私たちの父です。世の中の誰よりもいちばん身近で、切ることのできない宿命的な絆を持った方が、私たちの父なのです。 父の願い その父の願いは何でしょうか? 皆さんの家庭解放です。皆さん一家庭だけではありません。全世界人類の家庭をいかに解放するかということが、父の心の中において、ふさがれた壁だとすると壁、苦痛の傷だとすると傷となっているのです。 先生が皆さんに精誠を込めなさい、精誠を込めなさいというのは、どうしてでしょうか? 精誠を込めるときは、自分の事で精誠を込めてはいけないのです。自分の事で精誠を込めるようになれば、神様が世界の陽射しをすべて水平に照らそうとするところを、それを水平に照らさないで私だけを照らしてくれと言っているのと同じです。それではいけません。 ですから人類を代表し、神様の代わりとなって祈祷するという心を、いつも持たなければなりません。また、神様御自身が歴史を通してどれほど精誠をたくさん込めてきたことでしょうか…、このことを考えなければなりません。今日もそうであり、明日もそうです。私がこの地で生きてあの世に行って、神様が私をご覧になるとき、地で世界のために精誠を込めた神様が分からず、少しも同調できないという立場に立てば、息子の道理、あるいは祝福家庭の道理を果たしたということができません。あの世に行って苦痛が残るのです。 ですから、神様の心の中に堕落によって因縁づけられたすべての根本の根を引き抜くため…、そのために祈祷するという、神の役事を担う者、神を慰労する者とならなければなりません。皆さんがそのような難しい立場に立つようになれば、信仰の相対となってくれる者がどれほど貴く思えるか分かるでしょう。神様の愛の心情が反映されるために、人恋しく、我が町が恋しく、国が恋しいのです。 それゆえ、国を越えて最後の目的である地上と天上の解放の天国を望む思いが叶うまでは、神様の憂い、神様の苦痛の心情は解消されないということを、いつも記憶しなければなりません。そこに私が役事を担う者となるなら、それはどうなるか考えなければなりません。 神様が寝ることも休むこともせず、果てしない循環の道を解放するためにずっと精魂を込めておられるように、私たちも精魂を込めなければなりません。小さな韓国の一人として、天地を代身をしたそのお父様の胸中に入っていこうと精誠を込める、限りなく限りない精誠を込めても何千万分の一にしかならないということを考えれば、精誠をもっと込めて恩恵が来れば来るほど後退するのでなく、もっともっと精誠を込めたい心、その心が貴いのです。 それは何かというと、永遠なる世界を解放するための準備だというのです。準備できない人はできない基準に留まります。そこに行ってから、誰が嘆いても、誰がどのように苦痛にあっても解放の道がありません。自分が地上で準備できなかったことを蕩減するには、地上で準備した以上に霊界で準備しなければ解放されないのです。その解放圏を準備するには、地上が何千万倍も速いということを知らなければなりません。 それゆえ、自分の生命が尽きる前に、地上における神様の心情的願いの最高の標準の前に、私が小さき役事を担う者として精誠を込めて愛の因縁を結んだという事実は偉大なことなのです。 ですから、自分だけの一生ではありません。私が死んでも、永遠なる人類を解放するまで、神様の精誠の度合いは残るということを考えなければならないのです。そのことを心配して祈祷して、精誠を尽くして愛することによって、皆さんが霊界に行くようになれば、神様と因縁づけられたその世界において、昔愛して精誠を尽くしたがゆえに解放圏が広がるというのです。そのような事実を考えるとき、み旨を知った以後の道というものは楽な道ではありません。 ですから個人のために精誠を尽くし、家庭のために精誠を尽くすのです。それはすべての世界を代表して精誠を尽くす一つの祭物のようなものです。 祈祷と精誠と愛 生きた供え物のごとき家庭として、このような立場で進まなければならないのが、祝福を受けた人々が解放的完成圏に到達する道だということを、いつも考えなければなりません。ですから疲れ果てることのできない道です。 だんだん心が豊かになり、涙なしには行けない復帰の道に入ったのです。何か良いものがあれば、私がまず食べようと思うことができないのです。孝子の道であり、忠臣の道がそうなのです。天を考え、世界人類をまず考えるのです。私の食べるこのおいしいものは、私だけが食べずに神様を通して食べるがゆえに、その世界を心配して…。雨が降って、あの山の谷間に流れる水が一滴二滴ぐらいでは大したことはありませんが、流れ流れて水流となって大洋まで連結されるときには、山から流れてきたその水は海まで流れていき、水蒸気になって山に帰っていくことができる…、このようなことが展開されるのです。ここで解放圏が展開されるということを知らなければなりません。なんと簡単なことでしょうか。 たゆまない祈祷と限りない精誠を中心として、愛の線が引くのが、私がこの地で堕落した子孫として行くべき生涯路程であると、このように考えなさい。分かりましたか? 準備できなかった人は流れていくのです。準備できなかった人は相続者になれません。重要な話です。分かりましたか? 何においても天とともになし、天を同情して、神様の心に感動を与えることのできる、そんな小さな瞬間が、どのような立場であるかと考えると、精誠を尽くしてもまた尽くそうという、為に生きてもまた為に生きようという、愛してもまた愛そうという、父母の心のような立場です。 これが天国のお父様の心であることを知り、そのお父様の前に相対的な基準を立てなければなりません。相対基準を造成しなければ、授受作用が起こりません。運動が起こりません。運動が起こらなければ永生の路程が止まるのです。そのようなことを好むようであれば、それは永遠に神様とは関係のない脱落者になってしまいます。ですから、いつも準備しなければならないのです。分かりましたか? ここに来た皆さんも「ああ、そんなに遠い道のりをどうやって行けるだろうか?」 お金がなくて涙を流して「結婚したいのに…、結婚すべき時間は決めたのに…、お金は一銭もない…」それ、どうするつもりですか? このような所に来るのに、結婚が問題ではありません。歴史的大転換時代なのです。端から端へと転換しなければならない転換時代だというのです。転換しなければなりません。こちら側を経てきたならば、あちら側を経て転換しなければなりません。あちら側に転換できる最後の道がこの道です。この端を通じてのみ転換できるのです。 今まで暗い世界に生きていた人々や家庭が、先生を中心として明るい側について来る時がきたのです。暗い側というのは、先生の命令を中心として解放圏となっているために自動的に転換されるのです。 皆さんが転換するようになれば、それに連なってすべてよくなるのです。夜道を太陽のように転換できるのです。それゆえに天のために因縁の輪を広げ、自分の一族のために因縁を結んであげれば、その準備した因縁の天の基準を相続するために、知らず知らずその一族はすべてがうまくいくようになります。これはみな理論的です。これは妄想ではありません。それゆえに、精誠を尽くして祈祷して愛さなければなりません。祈祷と精誠と愛。分かりましたか? 神様がどれほど精誠を尽くして、神様がどれほど愛したのか…、それを知らなければなりません。顔を洗って鏡を見るとき、女性たちは自分の顔がきれいだとか何とか言うのではなく、この顔で精誠をどれほど慕い求めるかが問題です。この顔で自分が喜べることを中心として笑い、化粧をしながら笑うのでしょう? どれだけ神様を愛したのか考えてみなさい。それが皆さんの永遠の恵みであり、恵みの中の恵みとなる基礎だということを忘れずに、恨んではいけません。 「ああ、これは疲れる」、「先生が認めてくれる」、「認めてくれない」とか言っていますが、精誠を込めることを認めてあげればどのようになりますか? 愛してくることにおいて認めてあげればどのようになるのかというのです。認めてあげれば愛がつまってしまいます。認めてあげないということが、精誠が流れるように、愛が流れるようにしてあげるということなのです。流れなければなりません。水も流れ、空気も流れ、愛も隙間さえあれば埋めてあげなければならないのです。 神様の心の中のくぽみがどれほど深く、どれほど低気圧になっており、隙間があるとすれば、どれほどの隙間があるかというのです。その隙間すべてを埋めうる愛の心をもって、神様の心の世界を初めて埋められるその道こそ、子としてこの地に人生の命を担う生涯ではないかというのです。これ以上恵まれた道はありません。これ以上の幸福はありません。幸福だというのです。そうなれば、天がその価値を認めてくれます。その時、その時、その時…。 さらには転換期には十年の精誠を共に尽くしてから、私が頂上に行くようになれば、数多くの人々の十年の功がすべて飛ぶように私に移転されます。 それゆえに「孝子」よりも「忠臣」にならなければなりません。「忠臣」は全体のために生きて、大きく「国」を愛して精誠を込めるのです。「聖人」は世界を中心として精誠を込めて、「世界」の人を愛そうとします。「聖子」の道理は天地を中心として精誠を込めて、「天地」を愛そうとするのです。このように段階と差が生じるのです。 これを精誠と愛の道によって受け継いでいくということを知って、皆さんが貴いものがあるならば、世界のために整理しろという神様の命令があるとするならば、どれほどいいでしょうか? そのように考えてみましたか? そうすれば神様が恵みを与えてくださるのです。その時が訪れる前に天の恵みを受けて「ああ、恵みを受けたからには私の物だ」といえば泥棒野郎というのです。恵みを受けたけれども、それが災いとなるのです。地獄のどん底に落ちるのです。 時が訪れるように待っていたのに訪れないなら、橋を架けて道を切り開き、その時が訪れるようにと、自らの財産をすべて流して送ることのできるみ業、そんなみ業をする人々が、国家的運勢に沿って世界の恵みを蓄えておくことのできる基盤になるということを知らなければなりません。 先生はこのように考えるのです。悲惨で難しくても神様がついて来ることのできる道、分かりましたか? あんなにも受難の道で苦痛を受けてこられた神様、天のお父様が、私の後について来て慰めを受けるということは、これは驚くべきことです。神様の恵みをすべて抱えて歩むのです。それに対し感謝して、もっと大きなことを望み、神様の恵みをみな分けてあげるのです。 親心もそうではないでしょうか? 我が子が苦労しているならば、自分の財布の中にあるお金をみなはたいてでも、我が家の財産を売ってでも助けてあげたいのが親心です。分かりましたか? 疲れたと言えますか? 疲れ果てるわけにはいかないのです。 人類がこのようになっているのに、どうして疲れ果てたと言えるでしょうか? ですから、み旨を知るようになれば、一生を楽に生きられないと考えるのはどうしてでしょうか? これが神様を解放する道だからです。 永遠なる世界、億千万代の神様の解放圏に向かってそれを埋めるためには、投入して、投入して、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて…、このようにして歩むことによって無限なる解放…、天の皇族圏の外に逃げていっても神様が見つけ出して立てるようになるのです。分かりましたか? それが何ですか。精誠と愛…。精誠というのは祈祷しなければなりません。何もせず、ただ流してしまってはいけません。祈祷は何かというと宣言なのです。「私はこのようにします。こうこうこうです」という報告と宣布です。神様に報告して宣布したことは、サタンが奪っていくことができません。先生が今まで多くの宣布をしましたね? 峠を越えて宣布するのです。 精誠と愛の心…。南米に来て「ああ、故郷が恋しい。お母さん、お父さんが恋しい。帰りたい」となってはいけません。ここを通して天が与えたい心があるのです。ウルグアイは小さな国ではありません。四か国を越え、三十三か国を越え、南米・北米を越え…、そういった解放圏を願う天に侍って歩むべき道が、精誠の道なのです。そのためには精誠は当然であり、自分を犠牲にすることは当然だというのです。 親の前にたくさんの子がいるとき、親は子に対しては、自分を愛する以上に兄弟をより愛することを願います。道端を歩いていて、かわいそうな人がいれば、その人の母親、父親以上の思いをもって愛そうというところには、神様が同調するというのです。その場は天国と関係する場になるということを知って、精誠と何ですか。(愛)。愛さなければならないのです。 神様に近い道 今年が最高の年です。真の祝福天宙化とサタン血統根絶。精誠が必要です。分かりましたか。精誠の心。愛の心。それでなくては絶対に根絶できません。 アダムとエバが堕落したときの、神様の悲痛なる歴史の苦痛を感じうる根を、私がどうすれば抜いてさしあげることができるでしょうか? 神様はおやすみになりますが、私は再び起きなければなりません。一番難しい事をする、そのような立場に立たなくては、神様の心情よりも何百倍も難しい立場に立つ、そのような立場に立たなくては、恵みが受けられないという考えを持たなければなりません。分かりましたか? ですからパンタナールだとか…。そのようなときには孤独な道を行くのです。孤独な道を。独りで、独りです。私の前には誰もいません。あるのは自然だけです。自然を見つめ、動物を見つめ…それらを本然の神様が見つめるとき、人間のためにつくりましたが…、人間のためにつくりませんでしたか? 人間のために精誠を尽くし、愛のために統一をしました。本然の愛によって、常に小さなものから大きなものまで、因縁的心情でつながっていますが…、 その心情の畑を啓発しなければなりません。その訓練です。そのために、その中でお父様に侍って、私はそのお父様の前に愛される、かわいがられる子となって、神様の心の友、心の世界の解放の友となる…、このような考えを持つのです。そのように考えると、時が深まれば深まるほどに上がっていきますから、自分が標準とした以上に越えるときには、ほとんど想像もつかないことで自動的に解放されていきます。 億千万世にわたる今までの創世以降の堕落世界が、どれほど大きいことでしょうか? これをすべて包容しなければなりません。何で包容しなければならないのですか? 力をもってしてはできないのです。知識をもってしてもできません。唯一、愛の心だけができます。涙を流すには何をもって…、精誠を込めるには何をもって精誠を込めるのか? これが絶対的に必要です。そのような心をもって「できる? できない?」を心配する必要はありません。「そのようにしたのか? しなかったのか?」が問題です。欲ばった思いだけではできないのです。 先生が自分のことを考えていたならば、今日もこのような場に出てこられなかったでしょう。人をどれほど恋い慕ったのかというのです。涙とともに愛する…、言葉ははっきりしていなくても涙を流しながら、愛の言葉…、唇を動かす表示をして愛しているという言葉を伝えたならば、それははっきりした言葉よりもっと貴いのです。分かりましたか? 懐かしい人に会ったときにうれしくて涙が先に出ますね? 涙なくして天国に行くことはできません。 ですから、その道は豊かに食べて豊かに暮らす道ではありません。食べ物に困り、暮らしに窮し、人から指さされ批判される道が、神様と一番近い道です。それゆえ、そこにそのような事情を持っている人がいたとすれば、神様は御自分の秘密とすべての内容を話してくださろうとするのです。そうかと言って、神様お一人では人間を解放することはできません。人間を通して解放しなければならないのですが、その代表者が真の父母です。メシアだというのです。 皆さんがメシアの子女となったならば、そのような心…、父母様の解放を思えば、神様の解放を思えば、そのような尊いみ旨、大きな愛の圏に入っていくことができなければなりません。ただ何もせずに入っていくことはできません。水平的にジャンプしなければなりません。 そのようになれば、霊界に愛の低気圧が生じるため、愛を求めるためにその切実さが生じます。高気圧があれば低気圧を埋めてくれますね? 来るなといっても後ろから押してくれます。押してくれるのです。そのような契機をつくるためには「精誠と愛」、分かりましたか? 精誠の途絶えることを望む個人もないし、家庭もないし、氏族・民族・国家・世界、宇宙もないのです。精誠を込める道について行きます。愛というものは誰でもその道について行きます。これが伝道です。 それゆえ皆さんは、自分のする事を報告して宣言をしなければなりません。「お父様、今日はこのようにいたします」といえば、「今日、成し遂げました」と報告しなければなりません。報告をしなければ水平になりません。水平になって縦的な関係を築くのが報告です。そうすればそれが残るのです。 以前にも話しましたが、バランスを通じて水平になれば、当然中心が必要なのです。天に報告するがゆえに、愛によってその縦的基準が永遠に変わらないのです。そのような生涯路程を持った人は、永遠の世界において、自分の立てた中心基準に相当する水平が定まるのです。そこでは自分が関係を築いたぶんだけの所有権が生じるようになるのです。そこに該当したぶんだけ、霊界で自由に活動するのです。解放が行われるというのです。これは重要な話です。分かりましたか? 先生がそのように生きてきました。それゆえに、先生は怨讐扱いすることができません。憎んではいけないというのです。「この野郎…」というのはやめようというのです。どうなって怨讐となりうるのでしょうか? 自らそのような欲を抱くようになった動機は何でしょうか? 母や父や息子や娘を食べさせて、まかなっていかなければ、という新たな欲望の出発から欲も出てくるのです。 悪人も、強盗もいっぺんには現れません。仕方のない困難な立場に立たされて、自分がそうせざるを得なくなり、過激に環境を踏み外して行動するようになるとき、犯罪を行うのです。動機は自分が愛する妻、愛する息子と娘、愛する父、母を中心とした動機だったのです。思い通りに仕事がうまくいかずに、環境的与件を破壊して犯罪が起こったとき、それは悪くない動機で出発したと考えることができます。 一心不乱にしなさい 皆さんは先生のことをそれほど優れていないと思っているかもしれませんが、先生はこのような場でみ言に通じるようになれば…、み言に通じれば通じるほど、その精誠の度合いが高まり、愛の心がそこに宿るようになるのです。 ですから、み言で「訓読会」を毎日のようにしなさいというのです。「訓読会」の味が、ご飯を食べるよりも、自分の大好物よりもおいしいという人は、無限な発展をするはずです。先生の生涯を見ると場面場面には、深刻な場で最高に集めて宣布してきた実績が残っています。その宣布の位置があるゆえに「私の位置を埋め合わせていくためには、どれほど埋めていかなければならないだろうか…」といって私たちの生活を振り返ってみるとき、休む間がありますか。 霊界に行けば先生の近くに行きたいのでしょう? そうですか、そうではありませんか?(そうです)。答えは簡単です。精誠をどれほど捧げたかです。天の心をどれほど解放してあげ、ご父母様の心をどれほど引きつけて消化してあげたのかというのです。その次には、それを愛をもってしたのか、あるいは自分の出世や、自分が祝福を受けようと、恵みを受けようと思いながらしたのかというのです。自分が恵みを受けるためにしたならば地獄に行くのです。 殉教した人々であっても「このようにイエス様を信じてこそ…、こうして信じて死んでこそ天国へ行けるのだ」と思っていたならば、天国へ行くことはできません。哀れなイエス様の心の世界に入って、慈しんであげなければならないのです。 神様が数多くの聖人烈士を覚醒させて立てたのは、神様の心を解くためです。子女たちを解放させるためです。解放を願うその思いが、しこりとなって残っていますから、私たちの解放的環境のために、どんなことがあっても行くべきであるのが、子女としての果たすべき道理であり、子女の生きうる生活舞台であるということを忘れてはならないのです。分かりますか? これを忘れずに歩んでいけば、皆さんの行く道は大いに発展することでしょう。…自分も知らないうちに、知っています。知っているのです。人は霊的存在なので、知っているのです。通りすぎる隣の人について行って、よく見てみると、初めて会ったはずなのに、「あの人どこかで会ったな…」と、こんな気がすれば、その人を絶対に逃すなというのです。そのような人がいるでしょう? よく見てみると、どこかで会ったことがあるような…、どこでも会ったことがないのに…、そういう人は逃してはいけません。その人は皆さんに必要な人です。 そのようなときは、真心を込めて、神様に対していたそれ以上の思いをもって見るようになれば、直ちに、くっつきます。離れられないのです。それが自らの同志たちを一まとめにしていき、心情の基盤を広めていく方法なのです。多くの恵みによって、天国に近い祝福の立場に立つことができるのです。 苦労して精誠を込めて愛するものは、私のものです。ところで、恵みは神様が持っています。恨を乗り越えて、恵みを与えたい思いが蓄積されていますから、「いつ恵みが受けられるのだろうか?」と考える必要はありません。恵みは自動的に訪れるようになっているのです。分かりましたか? 帰ったときに、この思いをもって生活に適用して、そのとおりに動いてみなさい。 先生は何か一つ手をつけようものなら、「このために生まれてきた」と、このように考えるのです。生まれたのも、このために生まれたと…、それから好きになってするのです。喜んでしながら、生きていかなければなりません。深い峠を乗り越えることができるのが愛なのです。自分が嫌々ながらすることには手をつけません。心がみな分かるのです。 好きでする事には、神様がいらっしゃって恵みを祈ってくださいます。私は今、釣りを経て水産事業に手をつけました。今や養殖の時が近づいてきたので、心は釣りから離れています。それゆえに、断ち切って突然に転換できるのです。未練もなく…。政策や方向が変わったゆえに、愛する方向が変わったゆえに、未練なく断ち切って、きれいに整理しなければならないのです。そうしてこそ、サタンがついてこれないのです。未練を残してはいけません。分かりましたか?(はい)。 こういったことを、みなちゃんと理解してと…、今年は一九九九年ですが、九数はサタン数です。蘇生、長成、完成…、十数ならばいいのです。「真の祝福」というのは完成されたということです。ただの祝福ではありません。真の祝福天宙化…。完全に、最後に、神様の胸にしこりとなっていた宇宙的解放の定着…、完全に定着しうる真の家庭を、祝福してあげようというのです。違いますか? ですから、最後の峠だというのです。 それから、サタンの根を根絶しようというのです。最後です。最後…。絶対に最後です。機会を逃さず、精誠と愛の心を宇宙に拡大して祝福するようになれば、世界は自然についてくるようになるのです。私がプラスになっているために、マイナスは自ずからついてくるようになっているのです。 そのような思いをもって、来年に新たな国を持つようになるときには、皆さんの近所には祝福を受けたがらない人はいませんし、私が愛の因縁を結んでいない所がありませんし、神様を通して神様の愛する心の主体となって、それがすべて日光のように照らされ、解放が行われるというのです。それは理論的です。妄想的なことではありません。 それゆえに、恵みを受けようと思うなというのです。分かってほしいと言うなというのです。先生もそうしませんでした。気がついてみると、神様の関心を買おうとせずにその事をやっていたのです。報告もせずに、やっていたら、すべてが自然の理です。自然の理にすべてなっているのです。神様に報告しなくても、その前に出て報告した以上の価値として結実することが、天理の大道の原則というのです。 ですから、悲しがるなというのです。人と会って、気分を悪くするなというのです。動物を見ても気分を悪くするなというのです。絶対そのように考えないという条件をかけて、その怨讐に父母のように対してあげる心を持つとするならば、その怨讐はその立場において自ら頭が下がるようになるのです。天運が入っていって、別の行動ができません。皆さんは名のある人物や、大人の前に出ると行動が不自由になるでしょう。自然拘束が起こるのです。同様の役事が起きるのです。 準備しなさい 仕事に臨むにあたっては、絶対に悪い姿勢で臨むのではなく、良い姿勢で臨みなさい。仕事をするにあたって、自分の行く道は記録が残ります。いかなることをしたというのが…。絶対に喜びの心でしなさいというのです。 朝出ていって夕方帰るとき、仕事をやり終えて嬉しい心で…。家庭でもそのような生活を訓練してこそ、どこに行っても闇の世界から光の世界へ移れるようになるのです。光の世界にも境界線があります。十二時間まで昇っていってからは、沈んでいくのが原則であることを知らなければなりません。息というものは、息を吸い込むがゆえに、息を吐くときに容易になるのです。昇っていくがゆえに、沈んでいく闇も必ずなければならないのです。 ですから、自分のいちばん嫌なことも好きになるというのです。そうすれば、その人の暗いものは明るい地平へと向かうのです。「いやな表情で対さず、喜びの表情で一元化せよ」という生活哲学をもって生きることこそ、間違いなく神と共に生きることのできる、極めて素晴らしい道であるということを理解して、帰ってから一生懸命にがんばってください。 それが準備です。準備です。堕落した人間がしなければならない準備です。準備できない人は流れていくのです。自分がどんなに優秀であったとしても、水が流れ天運が流れるごとく流れていくのです。ですから、常に勝利的結果に対しては、木の根っこのようになり、レンガの家のようになって、天に仕えることのできる皆さんとなってくれることを、先生は切に願っています。分かりましたか?(はい)。 一生懸命に一年を喜びで消化しなければならないというのです。そうすれば神様もそこに同情して、臨在されるようになっているのです。 精誠と愛! 食べものがありますから、かわいそうな人がいれば「すまない」といって食べなければなりません。「お父様…、彼らを憐れんで私たちのように…」これが天国の息子、娘の行くべき道です。分かりましたか?(はい)。一度そのようにやってみますか?(はい)。 ですから女性は、むやみやたらに言ってはいけないというのです。精誠の道は険しい道です。また、むやみやたらに行動するなというのです。女性は行動が速いです。大慨、女性は口といっしょに行動しようとします。夫に対して、息子に対してそのようにするなというのです。愛で真心を込めて、母親が子に対するかのように話しなさいというのです。 聖人になるには、耳と口の王様にならなければなりません。分かりましたか? 女性が耳でひそひそ話をしていて堕落しました。口で話しているうちに堕落しました。分かりましたか? 耳と口ゆえに堕落したので、これをすべて制裁してこそ王妃になるのです。さらに女性はこのような面に注意しなければなりません。夫に対してひとこと言うにしても、ポンポン言い放ってこそスッキリするのですから…。そのようなときは夫のハンカチでもあれば、それをぎゅっと握りしめて…、そのように訓練しなさいというのです。夫を誰よりも愛するというならば、そのような条件が必要です。私たちはみ言を歌に変えて歌いますが、それはみな条件です。 このようにすべてを知って、今年は自らの生涯を天の前に残すことのできる、素晴らしきそのような年であることを分かってください。 精誠と愛の心をもって涙を流すようになれば、神様の胸中に記憶されて、絶対に流れていきません。分かりましたか?「私はそうしよう」という人、一度手を挙げてみなさい。(はい)。ありがとうございます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.14
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世界平和統一のための理想世界一九九九年一月四日、ウルグアイ・プンタデルエステ 一九九九年一月一日元旦、今年の年頭標語が何でしたか? 真の祝福天宙化とサタン血統根絶、「断絶」するというのは一つの幹をたくさんに切ることであり、根絶するといえば根元から引き抜いて捨てることです。初めからなくしてしまうのです。天地にそのようなサタンの因縁となる条件をどのようにきれいに根を引き抜いて捨てるかという内容です。 〈真の祝福天宙化とサタン血統根絶〉 一、世界平和統一のための理想世界 統合宗教のための超宗教国連 統合した宗教のための超宗教国連を作らなければなりません。統合宗教のための超宗教国連を形成しなければならないのです。宣伝大会から始まって、これから二月七日の大会のとき、これに対する具体的な会議をしようと計画しています。世界的な宗教の最高指導者たちと国家的な最高指導者たちを集めてこの会議を計画しています。 統合国家のための超国家国連 これは私たちがするのではなく、政治家がしなければならないことであり、国連がしなければならないことです。しかし、そのような私たち自体が内外の体と心が一つになるためには、宗教が心であるならば体が国家ですが、心の基準を考えると同時に体の基準を考えなければなりません。今回の大会が終われば、使命的な問題を負担させ、責任追及しようとするならば、私たちが知らなければなりません。また、それをコーチしようとするならば知っていなければなりません。そうかと言って、すべてが政治活動をしろという意味ではありません。政治活動するようになれば、直ちに問題が起きます。 「政教分立」が壊れれば、全世界のリベラルな輩、共産党の輩が反対するのです。政教分立は中世時代のローマ教皇たちが責任を果たせなかったために生じたものです。絶対神本主義を主張するその内容が、道義的な面や理想的基準に反するからといって、これに反対して人本主義思想が発達しながら反対が始まったのです。そのようにして共産主義と物本主義まで出てきたのです。歴史的観がそのようになっています。 それゆえに、本来の政教分立という言葉は摂理的にありえません。中間で誤ったのです。キリスト教が旧教と新教に分かれて戦ったのです。これを統合しなければならない時が来たために、霊的基準を次元の高い国連首脳基準まで引き上げると同時に、国家的基準で引き上げなければならないのですが、その準備過程が祝福家庭であるということを知らなければなりません。 今後、祝福家庭の世界化さえするようになれば、野党、与党をコントロールして、問題がみな解決されます。それゆえに、野党、与党が戦わず一つになれというのです。 アメリカが第二次大戦後に管理できなかったのです。共産圏のすべての問題、中東のすべての問題を譲り渡したのに、アメリカが責任を果たせなかったためにこのようになったのです。一つにならなければならないのです。そのような意味で、統合国家のための超国家国連を作るのです。統合国家は神様以外にはできないのです。これに反駁するとき、「神様以外には超国家国連を作ることができないではないか」と言えばいいのです。 今日、自由世界のすべての国家は、価値観が没落し、何もないではありませんか。世界観がどこにあり、国家観がどこにあり、氏族、民族、家庭観がどこにありますか。家庭に入ってもおじいさん、お母さん、お父さん、すべての子孫まで家庭破綻となり、みな分散し、実際にはないのです。それで超国家という言葉は神様を中心とする言葉だということを明確にしなければなりません。 政教分立、「レバレンド・ムーンが国連を丸め込むために政教統合運動をする」そのように反対しうる可能性を越えているということを知らなければなりません。なぜですか? 全世界の祝福家庭がどれくらいいますか。(二億五千八百三九万です)。 今まで一億八百万しかできなかったのですね。四千を超過して四億にしようとしたのに…。 この前、四千万したので四億を越えます。四億するようになれば、四億が夫婦だけなので分割して嫁の家、夫の家となれば八億軒です。八億軒ですが、四人ずつだとしても四位基台の中心として4×8=32、三〇億の人類を越えます。これが下層階級ではありません。知識的な基準にあって、今後一つの世界、平和な世界を作るためには、国際祝福しかないというそのような知識ある人が加担したので、上中下で見るようになれば中以上の人々です。それゆえに、これは人類を動かしていっても余りうる立場に立っている、このように考えます。 これを一か所に追いやり、いかにして統班撃破と訓読会に直結させるか? この問題は霊界を教えてあげなければなりません。霊界をはっきり教えてあげれば、行くなといっても行くのです。平和世界は家庭から始まるという徹頭徹尾の一つの思想を入れてあげなければなりません。国家での平和の出発はどこですか? 体と心が争うここから家庭が争い、親子関係が争い、すべて争いが起きるのです。分立された家庭基盤がみな仲たがいするので、平和がどこにあるかというのです。国ではすべて争いの場が生じるようになるのです。 それゆえに第一の根本の平和のスタートは、自分の個体、個体が一つであることです。体と心の戦争と武装を解消してしまわなければなりません。体と心の争いは今まで休戦もできず、停戦も一度もできませんでした。このような恐ろしい戦場の中で生きているという事実を知らなかったのです。体と心が一つとなった男性、女性が完全に平和のために一つになりうる夫婦を形成しなければなりません。永遠なる平和というものは、天国を知らなくてはできないのです。神様のみ旨を知らなければならないのです。 神様を中心として、神様のための国家を維持しなくては超国家になりません。国連に今そのような国はありません。神様を中心として宗教と合わせて未来にこのような国を形成することができます。未来のことをしっかりと進ませていきなさい。 統一宗教国家のための超銀行機構 統一宗教国家のための超銀行機構を作らなければなりません。まず、金融機関をどのように世界化させるかが問題です。去る五月に国際的な幹部会議をしました。その内容は、私たちはこれから家庭を中心としてはどのような国の力よりも超越的な機構を作ることができる時代に入っているというものです。これは間違いない事実です。分かりますか? 理解だけでいいですか、分かって実践できますか?(実践できます)。 間違いなくできます。今回、一八五か国の国家責任者の皆さんと宗教責任者たちが合わせて銀行を作ったと考えてみなさい。 世界銀行をピンセットでつまんで投げることができます。それで計画が何かといえば、全世界強大国以外の弱小国を結んで銀行を作ります。強大国は十二か国ではいけません。強大国といっても第二次大戦のときの英、米、仏、日、独、これら六か国です。これが第二次大戦のときに互いに戦った国家です。彼らは世界に負債を負って返せませんでした。先生はそれを取り返すことも考えています。 現在一九三か国の国家が国連に加入しています。一八五か国だけ考えてもどれほどですか? 四〇か国を除ければ一四五か国です。一四五か国を私たちが思いどおりにコントロールするのです。弱小国を連合させ、一八五の国家をすべて連合し、世界各国の国の中央銀行で評価したすべてを集めて銀行に保存しておきます。保存しておいて八〇%はいつも出して使えるようにすればいいのです。それは先生だけができます。可能だと思いますか、不可能だと思いますか?(可能だと思います)。そのために言論機関を動員するのです。 学者たちと行政府機関の長たちはすべて、教授など大学連盟の人脈を中心として銀行まで、通信社まで、言論までしておけばできないことはありません。国も動かすことができるのです。国を動かすことができる力があり、その次には新聞社があるので、道義的な教育をすることができます。方向をつかんでやることにブレーキをかける政府をお金と政治の力で調整し、世界的な銀行をもって押し進めるとすれば、いかなる個人や国家もかなわないのです。必ずこれをしなければなりません。それでここでウルグアイを中心としてウルグアイ銀行と…。私たちの銀行をすべて国家が管理します。これが一連の援助作戦です。今回、私たちと国家と半分半分にして銀行を作りましたが、国家が責任を負うのです。 ウルグアイは平均的に見るとき、ある国の国民水準以上の人が外国に出ているという事実が統計的基準から明らかになったのです。先生の本部がウルグアイにありますか、ありませんか? 本部がどこですか?(ウルグアイです)。 そこにホテルがあるでしょう、銀行もあるでしょう、新聞社もあるでしょう、印刷所もあります。印刷所も写真帖や住所録を作るためにアルゼンチン、ブラジルまでも来て撮らなければならないのです。一番良い新聞社を作りました。写真も同じようなものも印刷しようとするならば、私たちの会社に依頼して撮らなければなりません。 二十九個の銀行に四十三個の支部を早く作らなければなりません。銀行を作ってもウルグアイ、パラグアイ、アルゼンチン、ブラジルの四か国を動かして銀行を作ることができるので、アルゼンチン、ブラジルに支店を作る計画をするのです。お金はあるのです。 完全に基盤が準備された後には、何をするでしょうか? 韓国僑胞だという人は、私たちの銀行に入れなければ全部問題が生じるのです。何の問題ですか? 一度、私たちの新聞社でかき出すのです。二、三度かき出しさえすれば助けてくれと言うのです。そうかと言って、新聞で脅迫するのではありません。世界のためにこれから初めて新聞社を使って刈り入れるべきだというのです。 銀行計画を作り、南米全体の国家財産、地下資源から家から何からすべて合わせて、世界のIMF銀行を中心として鑑定し、いくらだというようになれば、一四五か国の全体価格を中心として全世界四か国を分割し、その中で八〇パーセントはどこでも対処することができます。 ところが、これを自分勝手にすれば大変なことになります。それで、各国に三十三名ずつ国家の重鎮を作っておきました。一番初めに一〇パーセントの十万人をおいて貸すのです。もし、一億ドルあるならば、五千万ドルをいつでも貸すことのできる制度だけ作っておけば不渡りは永遠に起こらないのです。分かりますか? 可能性のある理論的な体制を作らなければならず、理論的な体制と同時に理論的な事実が合わなければなりません。 番がどんな内容か分かりましたか? 統一宗教国家のための超銀行機構編成。 超宗教国家のための言論機構編成 世界の言論界を握らなければなりません。一八五か国に新聞社を計画していることを知っていますか、知りませんか? お金は誰が出さないといけませんか? エバ国です。来られる再臨主は何もありません。体だけ持って来ます。体と天の愛と天の生命の種を持って来ます。エデン園で失ったエバを探さなければならず、息子・娘を探すためのものです。そうするには息子・娘を産んで育てなければなりません。お母様は世界のすべての国家国民を食べさせて生かさなければならない責任があるので、日本のお金で世界の人を食べさせなければならないのです。 楽に天国へ行くでしょうか、難しく天国へ行くでしょうか? 楽に行けばすべて地獄に下って行きます。堕落した子孫の仮面を脱ぐことができません。難しく行くようになれば、この堕落線を越えて天国へ行くのです。④番が何ですか?(超宗教国家のための言論機構編成)。 皆さんに新聞社を任せて各都市に配置する時がくるのです。全世界的な情報戦争です。そのような意味で先生がそのような準備をみなしたのです。 超宗教超国家のための大学連盟機構編成 宗教と国家を合わせて、国連は非国連と和合して、統一宗教国家のための銀行と合わせて、言論機関と合わせて、大学を合わせれば、世の中がみな溶け出すのです。行くところがありません。その準備を今し尽くしたのです。 不渡りになると八年前から噂になったとき、先生がブリッジ・ポート大学を作り、鮮文大学を作りました。この南米開発をみなしたのです。しましたか、しませんでしたか?(しました)。それを皆さんが助けてくれましたか? 手をつけていないものがどこにありますか? 銀行もそうであり、サッカーもそうであり、芸術もそうであり、手をつけていないものがどこにありますか? それで、成功しましたか、失敗しましたか?(成功なさいました)。 絶対主体の前に絶対対象の存在は自然発生するというのです。運動を続けさえすれば自然発生します。男性と女性が世界的に見るとき、比率がどれほど違いますか。神様が見る絶対的原理原則において、男性が生まれれば、女性は自然に生まれるようになっています。調べてみなさい。いくらも違いません。 ⑤番は超宗教、超国家のための大学連盟を結成しなければならないということです。これさえすれば、先生が何をしていているか大体察することができるのです。それが今後、最高の国連の国を動かすことのできる立場に出ていくとき、このようなことは必須条件として世界体制化基盤を成し遂げることなくしては、世界を料理することができません。ここの科学技術であるとか先端であるとかそのようなものはすべて抜いたのです。それで、飛行機を作る会社を作ったのです。二、祝福の世界化で神の国を形成しよう 祝福の世界化で、今やサタンの国はなくなって、神の国を作らなければなりません。世界の祝福化で神の国を建てなければなりません。まず、世界から始まるのです。天宙はその次です。天宙はその後に自動的についていきます。まるで心的基盤が肉体に実を結んで、すべて種となっていくかのようにです。自然に循環して自然に大きくなっていくのです。 ですから、これは地上で成す世界化です。「天宙化」と言わずに、なぜ「世界化」といったのかというと、世界化されれば天宙化は自動的になされるからです。それで、題目は「祝福の世界化で神様の国を作ろう」というのです。形成です。編成というのは、この形成されていることを意味するのです。国がないのです。国をつくらなければなりません。「大学連盟」編成、「言論界機構」編成など、たくさんまとめればいいのです。ないから形成しなければならず、形を作らなければならないというのです。 真の統一家庭形成 私がこの前に真なる統一家庭形成のことを話しました。「真なる」の中に「世界平和統一」の概念が入っています。「真なる」ものよりも小さいものは何かというと「世界平和」と「統一」です。そのような家庭を形成しようというのです。真の統一家庭形成、話しましたね? 真の家庭を作らなければなりません。真の家庭を築こうとするならば、体と心が一つにならなければなりませんね? それでは、夫と妻が一つにならなければなりませんが、一つになりましたか? 妻の気分に合わせてやることができますか? これから先生のみ言を中心として楽しく生きなければなりません。 今まで自分勝手に生きてきましたが、そのようなことを考えてみると、国家メシアが一体いるというのでしょうか? そのようなメシアがどこにいますか? 先生が責任を持っていますから半分は私が責任を持つのです。有り難いと思わなければなりません。 真の統一家庭形成、分かりますね? 体と心が一つにならなければなりません。ですから動くにあたっては、それらがバランスをまず取らなければなりません。バランスを取るために動かなければなりません。バランスを中心として水平にならなければなりません。水平にならないと中心が定まりません。中心が定まらなければ上がることができません。下がってもう一度やり直さなければならないのです。蕩減復帰できなければ、振り出しに戻らなければならないということを知らなければなりません。 真の氏族形成 氏族的メシアにならなければなりませんね? 真の民族編成 十二氏族で真の民族を編成するのです。 真の国家編成 真の国家編成も真の十二民族をもって編成するのです。 真の理想党編成 理想党とは何ですか? 野党、与党が一つにならずに争っているので、一つにせよというのです。頭翼思想で一つにせよという、そんな意味です。理想党は神様党です。これ以上のものはないのです。夜も統一され、昼も統一され、一年も統一され、春夏秋冬も統一され、老いても若くても、四季、老若男女を問わず、万世を通じて統一されるというのです。一度決定されたら変わらないのです。家庭が変わらないのと同じく、国が変わるということはありえないということを知らなければなりません。 今の党は理想党でないために、私たちが教育してあげるのです。野党、与党を教育しなければならないのに、できなかったがゆえに、この有様になりました。命懸けでやりませんでしたね? 昼も夜も毎日のように訪ねてみるのです。一日に三回ずつ訪ねて、会わないといっても会わざるを得ずにはいられないようにしてみるのです。先生はしがみついたら放しません。ですから、ちょっとやそっとでは手をつけてきません。性格を知っているからです。 ⑤番、真の理想党…、真という言葉の次に何が入っていますか? 世界平和統一の理想党です。分かりましたか? 真の人は平和を成し、統一を成さなければならないという、そのような概念がみな入っているのです。家庭もそうであり、国家もそうであって、すべてみな入っています。 真の天国議会 党を編成して議会をつくらなければなりません。私たちが宗教議会をつくってから何年になりますか?(宗教議会は八九年度に開催しました)。 番は何ですか? 真の天国議会をつくろうということです。心の統一、家庭統一、氏族統一、民族統一、国家統一をすることができる…、大統領になることができる資格者たちが集まって議会をつくろうというのです。韓国は与党、野党しかないでしょう? 上院、下院がありません。宗教人が結合して、上院議員に出馬させなければなりません、七五パーセントが宗教人です。心配することはありません。 今後、宗教界は世界各国で上院議員になり、その国の選挙を通して出てくる下院議員になります。勝手には処理できません。下院を通し上院を通過しても、全体会議のときに再び通過しなければならないのです。そのためには徹底して解説して教育し、はっきり分からなければ、すべてを取り消しにできる新しい計画を発展させていかなければならないと考えるわけです。宗教を中心として国連に上院議員をつくらなければなりません。その概念が分かりましたか? そうかと言って、宗教と政治家が一致しなければならないのではありません。 国連に上院議員をつくってあげなければなりません。私たちが何らかの政治をするというのではありません。私が国連の大統領のようなことをするというのでもありません。大統領ができるように導いてあげるというのです。大統領になる人を教えてあげるというのです。これが長子権です。長子権が先に成されてこそ、父母権が出てくるのです。 私たちの手で、国連の上院議員をつくらなければならないというのです。誰がこの腐りかけた世界を支えるのでしょうか。銃や刀ではだめなのです。父母の心情…、愛だけが可能なのです。先生にこの仕事を成せる実力があると思いますか? ないと思いますか?(あります!)どうしてあるのでしょうか? 皆さんがしなければならないのです。 私がどれぐらい生きられますか? 力は年齢にはかないません。これから三、四年以内に解決しなければなりません。その時までに上院議員をつくって、国家がしっかりと立ったならば、日本が復帰路程で先生の命令をよくぞ守ったと、世界国家から歓迎されると思いますか? つまはじきにあうと思いますか?しっかりと気を引きしめていきなさい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.13
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第32回「真の神の日」午前零時の御言真の祝福天宙化とサタンの血統根絶1999年1月1日ウルグアイ・プンタデルエステ 真のご父母様は、南米ウルグアイのプンタデルエステで第三十二回「真の神の日」を迎えられ午前零時を期して祈祷され、引き続いてみ言を語られました。 〈祈 祷〉 愛するお父様。この時間、一九九八年最後の時間を過ごし、一年における「真の神様を絶対に誇り愛することは、三億六千万双祝福完成とサタン世界の血統断切」という、とてつもない課題を中心とした歴史的な出発をした日々、心に描き、夢にも描いたすべての困難の峠を越え、天が協助されたその勝利の栄光を備え、万民、万世の前に誇ることのできる栄光の一年を迎えさせてくださった恩賜を感謝申し上げます。 その年において、どれほどお父様はご苦労されたことでしょうか?。そのお父様の労苦の前に、本当に、本当に、本当に、この幼い子女たちは感謝を申し上げます。 そのような祝福の年を過ごし、一九九九年、新しい元旦のこの朝を迎えましたので、この市で新年を祝賀するこのすべての祝賀の声とともに、天が注視されるこの場、神様から千々万聖徒、私たちの祝福を受けた先祖たちと、天の許しの中で、この地上で解放の祝福を受けた万世の四億以上の祝福家庭たちが、ここを心で慕っております。 新年を迎えるにおいて、そのようにご父母様の万福を祈ることのできるこの場であることを思いながら、天と祝福を受けた家庭、人類全体が注視するこの焦点を合わせて、この時間をお父様の前に、新しく今年に計画するすべてのことを希望の中で申し上げることができ、計画するすべてのことをこの全世界に宣布することのできる元旦のこの日を、お父様、栄光の時間として、誇りの時間としてお受けくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 天が家庭を失われたエデンにおける恨みを抱かれたお父様の心、そのだれも知らなかった、そのような内情的な心情を、この地上に真の父母の姿を捜し、捜し、捜し立てられて、恨みの歴史をすべて解怨成就する日々を待ち焦がれたお父様。天が、復帰のために立てられる真の家庭を代表することのできる真の父母の家庭をこの地上に立てるためにどれほど、どれほど苦労なさったかという事実は、私たちは骨肉に感じながらも、そのようにご苦労された天がおられるということを知りませんでした。そのように無知であった、アダム以後の今までの過去の歴史の先祖たちをお赦しくださるようお願いいたします。 今日、この地上に真の父母があなたの心情の世界を慕い、この地上に表示し、万民解放の勝利の愛の法度を立てようとしたすべてのことを発表し、始めた日から久しくなります。五十年余りを過ごしても、このみ旨をこの地上に成就して、天の前にすべての国と世界を奉献することのできる勝利の宴を開くことのできなかったことは申し訳なく思いながら、今この年、一九九九年を中心としては、すべての長子権理想基準を越え、父母権理想基準を越え、王圏理想基準を越え、私たちが天の前にひざまずき、精誠を尽くす年となるように許諾してください。 天が個人から人類全体を超えて運行なさることによって、あなたの所願の解放の役事を成しても余りある祝福の恩賜を願っている、新しく全世界から集まってきた国家的メシヤたちとともに、この地上に訪ねてこられた世界的なメシヤとともに、天宙のメシヤとともに、祝福された家庭がジャルジンを中心として家庭的訓練会をして、天国入城に合格し得る家庭を標準として、修練したすべての家庭たちが、今、ジャルジン、この地域を中心として、ウルグアイ地域と連結させて、解放の地上天国、天上天国の開門の役事を宣布して出発いたしました。 このすべての歩みが、お父様が解怨成就なさることのできる喜びと栄光の日を迎え、創造理想以上に成したと誇ることのできるものとなるように許諾してください。そのような祝福家庭たちの姿を、お父様がどれほど待ち焦がれておられるかということを、私たちが本当に、この骨肉にしみて感じることができるように祝福してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 今、新しくこの年を迎えましたので、持てる精誠の限りを尽くし、天の前において、神様を望み、各自、各家庭たちが統一的な心情一体となって、あなたを私たちの家庭に互いにお招きしたいと言い得る、輝ける栄光の家庭たちとなるように許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 この地上に真の父母の家庭を中心として、真の父母の国を中心とした長子権解放を成すことのできる祝福を与え、国を立てましたので、この国をささげるために、この全世界の万民を一つの家庭を延長した国家体制を備え、天の前に王圏理想をあがめ奉る全人類となるよう許諾してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。 このために天上世界で今まで、真のご父母様によって興進君と大母ニムを通じて霊的解放をもたらして、霊的世界で祝福を受けた先祖たちとともに、この地上の後孫と一体となって、地上におけるアダム家庭が成せなかったもの、家庭を成せなかった堕落の恨みの世界を元返すために、天使長たるアダムを完成し、すでに祝福を受け、真の父母の印を受けて先祖となったすべての天使世界までも相対的理想を得るように成してまいりました。 そのような祝福を受けた家庭理想を通して、カイン・アベル的統一的家庭によって、孝誠の家庭、忠誠の家庭、聖人の家庭、聖子の家庭を霊肉を共にしてカイン・アベル統一圏となして、神様を本当にこの地上に、真の父母を本当にこの地上にお迎えして、解放天国を宣言できるように祝福してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 三家庭を中心として、三十六家庭から七十二家庭、百二十家庭、四百三十家庭、七百七十七家庭、千八百家庭、六千家庭、六千五百家庭、三万家庭、三十六万家庭、四千万家庭、三億六千万家庭。四億家庭以上の祝福をしたこのすべてが一心一体となって、地上天国解放圏を完全に備えてさしあげることのできる栄光の勝利の地上天国開門と勝利の天国基盤が完成するよう許諾してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。 この元旦に向けて、今年の標語をお父様のみ前にお立て申し上げます。「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶」という、「断切」ではなく、「根絶」するための誓いの宣言を、天地に新しい一年の標語として宣言し、この宣言を中心として、一心一体となって、神様に侍り、真の父母に侍り、前進に前進を誓いますので、全般、全体、全権、全能の解放的地上天上、愛の主権世界に前進することを、新年に祝福してくださるよう懇切にお願い申し上げます。 この時間を迎えるために、全世界に散らばっている祝福家庭たちが、ご父母様のおられる所に心を向け、精誠をささげております。その所ごとに、天の無限なる祝福が霊界の先祖たちとともに、千々万聖徒たちとともに、天軍天使とともに、神様と直接、そして地上と連結された祝福を受けた真の父母とともにあり、手に手を中心として、一つの統一された世界に、霊肉の統一された世界に前進、前進、前進して、勝利の解放された天国に前進することができるように祝福してくださいますことを、真のご父母様のみ名によって宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 (このあと、年頭標語を揮毫される) 〈み 言〉 サタンに連結された世界 今、私たちが住んでいる世界は、神様の創造理想に連結された世界ではありません。今まで住んでいた世界の出発は、サタンに連結された世界だったのです。サタン世界と連結されているのですが、何を中心として連結されているのかといえば、それはサタン的愛、サタン的生命、サタン的血統を通してです。このことは神様にとって、この上なく悲しい事実でした。 なぜならば、人類全体が神様の愛を受け継ぐべき後孫になり、生命と血統を受け継ぎ、全宇宙の主人の資格を備えなければならないにもかかわらず、すべてのものが、愛という因縁を中心として血統的関係を受け継いで、怨讐であるサタン世界と連結されたことによって、この世界全体がサタン世界になってしまったからです。 そのサタンがだれなのかといえば、神様がつくられた息子、娘でもなく、これは僕である天使長なのです。天使長が人類の先祖を強奪し、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を通して、偽りの父母、悪なる父母を中心とした世界を出発させたのです。 それゆえに、サタンは何者なのかといえば、神様の愛の怨讐であり、生命の怨讐であり、血統の怨讐であり、理想としていた家庭、国家、世界、天宙の怨讐であるというのです。怨讐の中で、これほどの怨讐はありません。 その怨讐を中心として連結されたこの世界の息子、娘。その愛の血を中心として連結されたその息子、娘を、堕落しなかった神様の愛する直系の息子、娘以上の位置に、どのようにして復帰するかということは、神様ご自身におかれては、この上なく痛嘆な問題であり、困難の中の困難な問題とならざるを得なかったという事実を、皆さんは知らなければなりません。 これを復帰することは、すべてを破壊して再び創造することよりも何百倍、何千倍も難しい事実であったのです。 創世以降、今日に至るまで神様が尋ねてこられた歴史は、失ってしまったアダム家庭ただ一つを復帰するためのものでしたが、アダム家庭を取り戻すためには、創造した出発の基準とは反対に行かなければなりません。 神様の本来の創造理想とは、アダムを創造した後にエバを創造し、この夫婦を中心として、人間の責任分担を完成するための愛の一体圏を備えることによって息子、娘をもうけ、直系の息子と傍系の息子を繁殖させて、家庭から氏族、民族、国家、全体に連結され、神様の直系の子女の文化圏が形成されなければならないというものでした。 ところが、これとは正反対の怨讐の極の愛の圏内にこれが全部包囲され、完全に神様がこの地上に足を踏み入れられることのできない環境的与件をつくってしまったのです。ですから、これは、ただそのままでは復帰することはできません。上から、アダムから復帰することはできないのです。これが落ちてしまうことによって、中心となる父母が下に落ち、その次は息子、娘、その次は万物、あらゆる微生物の世界まですべて逆さまになっているというのです。それゆえに、復帰するうえでは、これを復帰するには、ただそのままでは復帰することはできないのです。 神様の側に最も近い存在が何かといえば、それは万物です。それゆえに、万物を中心としてこれを分割して、祭物となった条件を中心としてこのような摂理に着手したのが、旧約時代の歴史だったのです。 旧約時代の歴史を中心として見てみると、この祭物を犠牲にさせて……。犠牲にさせるということは何かというと、息子、娘が行くべき道を捜し出すために犠牲の歴史を経ていくということであり、そのようにしながら、この地上に真の息子であるメシヤを送るために、地上の選民を中心として個人、家庭、氏族、民族、国家の形態を備えることのできる準備をしておいたのです。 そうして神様は、怨讐のサタン世界であるローマ帝国を吸収することができる、天の側の国家として立てようとされたイスラエル民族を中心としてメシヤを送られました。イスラエル民族は、家庭的基盤となるべきであったと同時に、氏族、民族、国家、世界まで行くことのできるすべてのみ旨の理想的な基台となるべきでした。しかし、そのイスラエル民族がイエス様を捕まえて殺すことによって、ここにおいて神様は、アダム家庭で失ってしまわれた以上の悲しい堕落の痛みを感じられたという事実を知らなければなりません。 キリスト教と再臨の摂理 このように、イエス様が地上に来られたにもかかわらず、み旨を成されることができず、再臨という、二千年後に延長された歴史を待たざるを得ませんでした。そうしてこの二千年間、イエス様と聖霊が新しい選民圏をつくるために霊的世界と肉的世界を分割して、霊的地上天国理想を成し遂げるために時代を継ぎながら始められたのが、失ってしまったイスラエル圏を霊的世界だけで連結させてきた今までのキリスト教文化圏世界なのです。 イエス様の体を失ってしまったために、肉的世界であるところの体を中心として持つことのできる家庭的基盤は、この地上に残すことができませんでした。そのことによって、霊的な第二イスラエル圏が形成されたという事実を知るべきです。 その霊的イスラエル圏を中心として世界的版図を成し遂げ、天が創造理想時代に願われた個人的完成圏を中心として家庭と氏族、民族、国家、そして全世界に行くことのできる、世界形態を連結させるための目的として「再臨」という標準を立てておき、二千年の間、キリスト教はたくさんの蕩減の路程、たくさんの殉教の路程を通して個人的な勝利圏から家庭、氏族、民族、国家、世界へと広がってきました。 そのようにしながら、天のために生きるすべての人間が、人間たちが住む至る所において血の痕跡を残してこざるを得ない悲惨な歴史過程を経てきながら、再臨に連結してきたのです。 第二次世界大戦後、一九四五年までに、神様を中心とした霊的選民圏世界を中心として、キリスト教文化圏はこの地上で初めて、天を代表することのできる霊的基盤となったのです。そうして、実体的中心存在であるメシヤが来られるのですが、洗礼ヨハネがイエス様の前に霊的基盤を相続させてあげなければならなかったことと同じように、イエス様が残しておかれたすべての霊的基盤を、霊界から地上に来られる再臨主の前にそっくりそのまま相続させて、霊的基盤一体圏と肉的基盤一体圏を備えなければなりませんでした。それが、世界的版図の上でカイン・アベル基準を代表することのできるキリスト教文化圏なのです。 そうして、旧教はカイン、新教はアベルとなり、それらが一つになった基盤の上に真のお母様をお迎えして、新しい世界に向かう家庭編成を成そうとしていたのが、第二次世界大戦以後の、この地球を中心とした神様の摂理でした。 そのときに、もしキリスト教文化圏が先生を受け入れていたならば、そのときから七年間ですべての問題を解決することのできる地上基盤が完結されていたのです。その問題の解決点は何かというと、すべての家庭が、「アダム家庭を完成した真の父母の資格」を持つことができるようになる、ということです。 そのようにして世界人類が一つの家庭を成し、その家庭がすべて祝福を受けることによって、今日、私たちが行っていることと同じようなことが成し遂げられていたはずでした。そうして今現在、四億以上の祝福を済ませたのです。 その当時のキリスト教文化圏の人口は約八億でしたが、その八億という人口が皆、祝福を受けて旧教と新教が一つになれば、その当時、七年以内にこの世界は、今日私たちが望んでいた、長子権世界化、父母権世界化、王圏世界化がなされた家庭とともに一体理想を成していたことでしょう。そのように、一時にすべてのことを引っ繰り返して地上天上天国を成そうとしていた神様の摂理が、このように延長されてきたのです。 このような復帰摂理のみ旨を成し遂げようとしたのですが、キリスト教が反対することによって、すべてのものが崩れてしまいました。それが崩れたということは、アダム家庭が堕落したことよりも、イエス様がイスラエル民族に反対されて十字架で亡くなられたことよりも、もっと無念で悔しく悲しいことでした。そのような歴史を経てこられた天のお父様であられるということを、皆さんは知らなければなりません。 先生は地上において、天は霊界において、縦的父母と横的父母が地上に一体圏を成し、イエス様の肉体と霊が分かれてしまったことを、この地上において宗教圏、イスラエル圏、第二イスラエル圏であるキリスト教文化圏を中心として、霊肉の統一を中心として家庭的出発を世界化させることのできる七年路程を整えようとしたのです。ところが、それができなかったことによって、再び四十年荒野路程を経ていかなければなりませんでした。 四千年歴史を蕩減するための生涯を中心として、一代において四十年期間という最短期間を中心として、蕩減すべき道を再び出発しなければならないその立場は、あまりにも悲しい立場であるということを、この地上のだれも知らないのです。 韓国は「解放された」と万歳を叫び、すべての民族は「第二次大戦に自由世界が勝利した」と褒めたたえることのできる環境でしたが、縦的な父母であられる神様と横的な父母である真のご父母様は、喜びではなく悲しみの行路を中心として、歓喜する環境から追放され、反対される道である家庭的荒野四十年路程を行ったのです。 天の祝福基準を失ってしまい、再びこれを復帰して帰っていくためには、歴史的な四千年間の摂理歴史の中でなされたすべての事件が、ご父母様を中心としてサタンによって再び試験されるという過程を経なければなりません。そうして、そこにおいて倒れることなく今まで来たという事実は、天が私を保護されるためにどれほど苦労されたかということなのです。そのような事実を、皆さんは知らなければなりません。 このことを考えるときに、苦労された神様の歴史を振り返って見詰めるとき、これは悲痛であり、無念であり、痛哭の歴史以外の何ものでもないという事実を皆さんは知らなければなりません。 それを踏み越えて、昨年の標語である「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という中に表された「真の神様」という言葉。歴史上初めて、「真の神様」を解放することのできる時を懸けて昨年という年を闘ったという事実は、歴史的な事件であると言えるのです。 三億六千万双の祝福を一年以内に完成すると考えた人は一人もいませんでした。それを可能だと考えた人は、一人もいなかったというのです。神様とご父母様以外にはいなかったという事実です。このような問題を中心として見るときに、三億六千万双の祝福をどのように完成させるのかという問題は、この上なく深刻なものであったということを皆さんは知らなければなりません。 心と体の統一 ここでは、きょう強調したように、心と体が必ず一つにならなければならないのです。心と体が完全に一つになれば、そこにみだらな考えが生じたりしてはいけません。レバレンド・ムーンがここに一生を懸けて心と体が一体となった基盤の上に、そこに万が一疑われ得る一点でも生じるときには、このすべてが方向が違ってくるというのです。このような深刻な一年を過ごしたということを、皆さんはよく分からないことでしょう。 食事をしていても、寝ていても、どのような休む場であっても、一秒でもこのような考えを失ってしまってはいけないという生活の中で、想像することもできないような、このような勝利的歴史をもたらしたという事実は、永遠に歴史に褒めたたえられることなのです。 世界の悠久の人類歴史において、またこれからの歴史において、この祝福というものは、結婚問題を中心として考えるときに、この峠は自分たちでは越えることができないために、この問題を再び思い起こし、考えながら越えていかなければならないという問題なのです。 ですから、今後、祝福を受け、結婚するすべての人類は必ず、勝利的な道を整えておいた真の父母の役事の庇護の下において、再び継承するこの祝福を絶対的に継承しなければ、天国に入っていくことのできる道は完全にふさがれてしまうのです。 このような年を今や決定すべき時代が来たので、皆さんはそれこそ、きょう再三強調しているように、天地におけるモデル的な自分個人を成さなければなりません。 その最初の提案は何かというと、心と体が統一されなければならないということです。心と体は統一されなければなりません。皆さんは朝起きれば、喜びの心を持って起きるべきです。そして最初に顔を洗うとき、五官を目から統一しなければなりません。目と鼻と口と耳と手、五官を統一し、心と体を統一しなければなりません。 五官は、心と体を一つに統一させることのできない通路になってしまったのです。これを完全に一つにし、心と体の統一を成した「統一された自分」となり、その完成した基準に神様が入っていかれることによって、性相的な神様の性稟が、自分の心に永遠に安着することのできる自分というものを成すことができるのです。 性相的なアダムを中心として完全定着基盤が成し遂げられると同時に、形状的なエバの心と体の中心に安着し、このような二人の男女が、永遠な神様の息子、娘の称号を持ち、永遠な神様の王子、王女の名を持って祝福を受けて成婚することによって、永遠に分けることのできない完全統一することのできる夫婦の姿を現すことができるようになるのです。そのような神様が慕っておられたものを再び復帰し、蕩減しておかなければならないということは、絶対的な要件です。天国に入っていくためには、これは絶対的な要件なのです。 このような基盤が成し遂げられなければ、神様が歴史時代に心に被られた悲しみと苦痛と無念な事実、そして神様の心の中に深く打ち込まれた、歴史的なこのすべての恨の釘を抜くことはできないのです。これを取り消させることはできないということを、皆さんは知らなければなりません。 それゆえに、いつも考えることは自分の「心の統一」です。縦的に各自が神様との統一、心の統一を成し、その次には横的に夫婦の統一を成して、一つの愛から三位一体にならなければなりません。三位一体です。 三位一体の愛の圏が連結され、一つになったそこで一体となった生活をすることによって、ここで子女を繁殖するのですが、その子女に関しては疑う必要も鑑定する必要もありません。父母を中心として神様と一つになっているので、その子女には天の愛が連結され、神様の生命と神様の血統が連結されているので、自動的に永生することのできる息子、娘となるのです。ですから、天の国に直行することのできる息子、娘を生むのです。 そして、この息子、娘が結婚し、父母とともに家庭的に縦的に立って上下関係の統一的な家庭を成すことによって、地上家庭完成、天上世界家庭完成を成していたならば、神様が初めてこの地上に上下、前後、左右を中心として安息されることのできる地上天国の基盤が確定されるはずであったのです。 これは、アダム家庭において成される事実ではなく、皆さんの個々人の家庭において、現実的舞台においてこれを終結させるべき厳粛な宿命的責任があるということを知って、このことを解決するためにすべての生活を集中し、その集中した統一的な基盤を持って、このすべての万物を抱いて、天の前に奉献しなければなりません。 そのような愛の家庭となり、そこに連結されたすべての万物を奉献するのです。七代までの一族の先祖が落ちて出ていってしまったので、家庭を中心として七代を合わせて、万物と統一させて天の前に奉献してさしあげなければなりません。 神様の前に奉献してさしあげるのは、真の父母がしなければならないのです。完全に奉献してさしあげた基盤の上に初めて、統一的な形象圏と象徴圏として創造した万物が、アダム・エバの家庭を中心として完全に一つになって、解放圏を備えるようになるのです。そのようにして、実体的永生的家庭の定着が始まらなければならないということが、皆さんの家庭が行くべき宿命的な課題として残っているということをはっきりと知らなければなりません。 それでは、皆さんはそのような家庭を成して、どのようにしなければならないのでしょうか?。自分の家庭が中心ではありません。その家庭というものはどこまでも、国を代表することのできる家庭です。そして、天宙を代表することのできる家庭とは、神様を中心とした直系の真の父母の家庭を中心として、横的な基準を拡大したものです。それらすべてが氏族を通して、これが長子権軌道を中心として王圏の継承に連結されるのです。 その千年万年変わらない公式的理想を完成したアダム家庭に、そのモデルの型が表されており、それが千年万年の間変わらない文化世界を成すことによって成し遂げられた世界が、いわゆる地上天国なのです。この地上天国で暮らした人が、天上世界に移動して入っていく所が、永遠なる天上天国であるということを知って、ここに一体となるかどうかということが問題なのです。今や、他のことを考える必要はありません。 実際の問題において、今日、自分を中心としてこのすべてのことを完成し、解決することのできる最後の終着点にいるということを知って、このことをどのように完成するのかということが問題なのです。それは、自分の体と自分自身の問題であり、「あなたと私」の心と体の問題なのであり、家庭においては夫と妻としての「あなたと私」の問題であり、夫婦を中心として子女がいれば「あなたと私」の相互関係の問題なのです。これは皆さんの家庭全体が、共同的に連結された完成の標題になったということなのです。そのことを知って、だれかが一方に偏れば全体が傾くのだという事実を、皆さんは知らなければなりません。 家庭完成、家庭統一 それでは、このような家庭理想をどのようにして成し遂げることができるのでしょうか?。皆さんにおいて、子女を中心とした考えを提唱すれば崩れ、妻であれば妻自体の主張をすれば、これが傾くというのです。夫ならば夫が中心となって、これを強力に主張すれば、これが傾くというのです。 全体が愛によってお互いのために生きる、お互いにために生き合う、そのような「ために生きる存在である」という刺激的な信念が強くなければなりません。どのようなものであれ、ある意識的な、あらゆる環境的与件を越えて、自体内におけるすべてのものが、「ために生きるために存在する」という考えを持つべきです。 そして、その家庭環境を越えて立つことができなければなりませんが、それ以上の犠牲になることのできる道をお互いが築かなければ、このような理想的家庭の定着は、完全な位置で継続することはできないのです。そのことを考えるとき、私たちが備えるべき家庭理想は、どれほど難しいものでしょうか?。そのことを知って、この基準の前に一致することのできる皆さんにならなければなりません。 そこで、これを成し遂げるためのものが私たちの教会であり、これを成し遂げるためのものが世界の兄弟であり、これを成し遂げるためのものが世界国家であるというのです。このことが狂えば、私たちの家庭や教会や民族というものは、すべて無くなってしまうのです。 ですから、神様が創造当時に宇宙を愛されていた心以上の心を持って、すべてのものを引き入れて集結させ、ここに一方的に投入しなければならないということを、皆さんは知らなければなりません。 このような家庭の最後の終着点に、芸術的な家庭理想を持って神様に侍り、真のご父母様が自分の家庭に来られて「永遠に離れたくない」と思われ得る家庭、また神様も、やはりそのように思われることのできる家庭を築くべきです。そしてまた、万民、さらにすべての責任者や指導者、さらには天の国に真の父母の直系の息子、娘、皇族圏があるとするならば、そのどのような皇族でも、その家に行って暮らしたいと思うことのできるような、モデル的な家庭を成し遂げなければなりません。それが、私たちの責任であるということを、一九九九年における当面課題として一つ提示するということを知るべきです(「アーメン」)。宣誓すべきです(「アーメン」)。責任を持つ中心者になるべきです(「アーメン」) そのようになれば、神様が願われる地上天国、永遠なる家庭の出発が成し遂げられるであろうということを記憶してくれることを願います。(「はい」) 今から何をしようとするのでしょうか?。新年辞はそれです。「家庭完成」、「家庭統一」です。その次に「個人統一」です。(「個人統一」)。「夫婦統一」。(「夫婦統一」)。その次は「父子統一」。(「父子統一」)。その次は「兄弟統一」。(「兄弟統一」)。このように、兄弟の中には子女が入っているので、「子女統一」は「兄弟統一」なのです。 赤ん坊として生まれ、兄弟になり、やがて結婚して父親、母親になります。これを統一しなければなりません。そして、子供たちもけんかをしてはいけないのです。「兄弟統一」、その次は「夫婦統一」、その次は「父母統一」です。これを体現して完全に成し遂げてこそ、神様のみ前に、エデンの園における人間の責任分担が完結されるということを知って、この目標に力を注いでいくように願います。 今から皆さんの家庭でけんかをすれば、問題が起こるのです。今まで皆さんは、「心と体を統一しなければ」と、言葉で言うだけであり、このように力を注いで統一してみましたか?「夫婦統一しなければ」と、「統一」というのは言葉だけで、本当には統一していないというのです。 「父親と母親、父子の関係を統一する」と、原理のみ言は語っており、何千万回そのようなことを暗記し、主張したりしました。また答弁し、誓いましたが、統一できなかったというのです。これは深刻な問題です。このことを完結しなければならないということは、宿命的な課題です。運命的な課題ではありません。宿命的な課題なのです。どのようなことがあってもこのことを完成しなければ、天上世界において全体解放圏を手に入れることができないというのです。行く道がふさがれてしまうのです。 上下、前後、左右、すべてのものが球形を成している球形世界は、共に力の交流を平均化することのできる地上でそれを決定してこそ、天上世界のどこに行っても歓迎され、どこに行っても支持されるようになるのです。そうしなければ、欠如した環境が現れるということを知らなければなりません。どれほど深刻か分かりません。 もし地上で果たせなければ、これは永遠の世界に行って、千年万年、永遠の教育を受けてこれをするのです。ですから、その完成基盤というものは天上世界ではなく、地上なのです。霊界に行ったそのときになって、それをしようと再臨することはできません。分かりますか?。再臨して蕩減復帰することはできません。後孫たちが蕩減しなければならないのです。 再臨することができるならば、完成した基準を中心としていつでも地上や天上を思いのままに上がったり降りたりできるのですが、条件に引っかかるようになるならば、その軌道を解くためには必ず、地上にいる自分の一族たちと天上にいる一族を動員して後援を受けなければ、行く道がないということを知らなければなりません。 それゆえに、地上に残された家庭的環境を完備するということがどれほど重要なのかということを、はっきりとよく悟らなければなりません。そのことの完成に、総力を注いでくれることを願います。 「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶」 きょうの題目は何ですか?「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶」です。「天宙化」です。「天宙化」とは、祝福したすべてのものは、天と地のどこでも完成的基盤になり、どこにでも伸びていき、どこにでも連結することができるということを意味します。 その次は何ですか?(「サタンの血統根絶です」)。サタンの血統根絶です。心と体が一つにならなければ、根絶されません。それは「根絶」です。今までは「断切」したのです。「断切」とは枝を断切し、葉も断切して木片の三分の一を断切したのです。しかし、これは「根絶」です。根を抜いてしまわなければなりません。根を抜くのには、どこで抜くのですか?。「家庭で抜く」ということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) 心と体の統一、夫婦統一、子女統一です。ですから、絶対家庭が成し遂げられなければなりません。これはジャルジン宣言においては第二です。第三、第四まで成して、その次に「四・四節」です。アダム家庭で、四位基台完成を定着させることができませんでした。そして、息子、娘が定着することができませんでした。ですから「四・四節」を越えて、今からジャルジンにおいて家庭訓練をして天国に入っていくのです。分かりますか?(「はい」) そのようにすることのできるこの一年に向かって、前進に前進を誓うべきなのです。言ってみてください。(「前進に前進を誓うべきです」)。勝利完成すべきです(「勝利完成すべきです」) ですから、神様万歳、私たちの家庭の万歳をしなければなりません。本当の万歳をしなければなりません。宇宙を代身して、最後の万歳をして、神様とともに一緒に暮らせば全体、全般、全権、全能として、何でもすることができるのです。今から、私たちに怖いものはありません。 お金はたくさんあります。どこにあるのですか?。皆さんの家庭にあるようになっています。そのような家庭が飢えるようになったら大変なことになります。そのようにすることのできる家庭は、飢えることはないのです。そのようにすることのできる家庭が十家庭になれば問題ありません。 ソドム・ゴモラには、義人は何人しかいませんでしたか?。五人いただけでも神様は「すべての人を救ってあげる」と言われたのですから、そのような家庭が百家庭にもなれば、その家庭が暮らす所は、アメリカや世界の歴史時代において豊かに暮らしたどんな国も問題にならないほどの祝福の恩賜が、すべての天運に従ってそこに押し寄せてくるようになっているのです。そのことを知り、私たちの家庭が、そのような動機をどのようにつくるのかということが問題になるのです。その動機さえ解決されれば、お金は問題ではありません。宇宙の中心存在ということになるのですから……。分かりますか?(「はい」) どこに行っても自信満々に、自分が爆発的な中心となって、天の中心から降りてくる力を受けて横的に押し出していくのです。三尋の竿が問題ではありません。八尋の竿を振り回しても邪魔にならないという自信を持って、自信満々に祝福天宙化をなしていくのです。これは天と地がすべて注目する家庭であるので、ここから解放圏を伸ばしていってこそ天宙が回っていくのです。 ですから今から、皆さん祝福を受けた一族は一つになって、すべてジャルジンで教育しなければなりません。 旧約時代の祭物時代を完全に統一祭物としてささげなければならず、新約時代の息子祭物を完全に統一祭物としてささげなければならず、その次に成約時代は、父母祭物を完全に統一祭物としてささげなければならないのです。 神様と完成した父母が初めて一つになって、怨恨の世界の解放と統一を宣布することのできるこの位置は、宇宙ではなく皆さんの家庭であるということを、はっきりと知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) ですから、今年、神様がたっぷり祝福してくださるということを知っているので、だれか精誠を尽くす人が福をたくさん受けるであろうというのです。 太い水道パイプに水がたくさん配水されることと同じように、皆さんが精誠を尽くし、努力するその内容いかんによって、勝利的パイプがそれぞれ天上世界と連結されるということを知って、精誠、精誠、精誠を尽くし、敗者になることなく勝利者になることを祝願します。真の父母の祝福が共にあることをお祈りします。アーメン。(「アーメン」)。「新年に福をたくさん受けてください」ということです。(「アーメン」)。(拍手) (「全体的に真のご父母様のみ前に先に敬礼をささげ、万歳四唱をいたします。全体、気をつけ。天地父母様に敬礼」) 「総生畜献納解怨祭」と一族教育時代 皆さん、今から敬礼するときは、私たちだけで敬礼するのではありません。必ず、天上世界の天の国を中心として、神様を中心として、祝福家庭と天使世界が完全に一つになって地上とともに敬礼し、お互いに切実な心で引き合うのです。そのようなときは、皆さんの霊界に行っている父親や母親、あるいは友人たちが、自分との関係を中心として引かれて降りてくるのです。分かりますか?。 七十二代、さらに百二十代までも引き降ろしてくることができるのです。皆さんは国家基準をまだ成していないので、国家完成をするためには、百二十門徒が必要なのです。イエス様の時代に百二十門徒の家庭形態を全部皆、祝福することができず失敗したことを、この国家基準以上に越えて行かなければなりません。 今、私たちは国を捜し求めていくうえで、百二十代の先祖たちがここに臨在し、自分を中心として、イエス様が失敗した百二十門徒の祝福圏を中心として、氏族基盤がイエス様の解放圏を代身するようにすべて成すことのできるその位置において、天の国と地上が合わせて敬礼しなければならないというのです。分かりますか?(「はい」) それゆえに、皆さんは聖日であるとか公式的な敬礼をする日には、家庭においての敬礼式に必ず全員が参席しなければなりません。分かりますか?(「はい」)。絶対に参席しなければなりません。今までは自分の思いのままに生きてきましたが、家庭を中心として自分の一族が連合して敬礼しようとするのですから、どのようにしてでも教会に集まり、このように公的な集会をしなければなりません。今からは、一族が集まらなければなりません。一族です。族長たちが礼拝するようになっているのであって、他の人たちではありません。分かりますか?(「はい」) それで、皆さんは今や、先生の誕生日を中心としては、「献納祭」をしなければなりません。「総生畜(蓄)献納祭」なのですが、それは何かといえば、「怨恨の解放式」なのです。解放式をしなければなりません。神様の怨恨を解いてさしあげ、解放してさしあげなければなりません。神様を解放してさしあげなければならないというのです。そのようにしようとすれば、サタンによって全部裂かれてしまったものをすべて統一して、真心を込めて一緒に皆、そっくりささげなければなりません。 そして、成約時代は父母を中心として神様と一つになり、その次に息子、娘、これは新約時代です。息子を犠牲にしたものを、息子を割いてサタンの持ち分として分けて、地上世界と天上世界が分け合ったのです。それから旧約時代は万物を割きました。サタン世界に取り分を与えたという事実は、堕落の結実であるということです。 神様の所有権であるはずなのですが、神様がつくられた被造物を、神様のものをどうして割いて二人の主人に分けるのでしょうか?。これは堕落のためなのです。所有権決定というものは、堕落したゆえに、子女を取り戻すため、そして新しい家庭を復帰するために、このような歴史時代を経てきたのです。このことはだれも知りませんでした。これを完全に合わせて、ささげなければならないのです。 それゆえに、皆さん自体が祭物にならなければなりません。どこで一つにならなければならないのかといえば、祭壇に上がってです。夫婦が祭壇に上がらなければなりません。ですから、自分の所有観念を持ってはなりません。 ところで、今日のアメリカのような国は、完全にサタンの世界になりました。サタンの地獄になったのです。個人主義がどこにありますか?。プライバシーがどこにありますか?。平等がどこにありますか?。上下前後が「平等」であると言っています。その「平等」と主張しているものは、中心を抜かしてしまっているのです。それは、縦的理想を完全に否定したものです。 縦的理想には「上・中・下」があるのです。これを抜いて逆さまにしたので、「平等」というのです。思いのままに行ったり来たりするようなものは、縦的基準ではありません。それは建設されていくものではありません。思いのままにするので、ひたすら落ちて下っていき、地獄に行くのです。そのようにして、愛の理想やすべての愛の秩序を完全に壊してしまったのです。 アメリカにどんな家庭がありますか?。アメリカにどんな父母がいるというのですか?。アメリカにどんな国がありますか、世界がありますか?。すべて失ってしまいました。このサタン世界を完全に整理しなければなりません。分かりますね?(「はい」) このような理想のすべてを持てば、すべてのものは粛然と皆さんの後ろを千年万年侍りながらついてくるということを知って、そのような信念を持って生活環境を整備していくように願います。 七代の一族です。自分の七代の後孫たちをすべて集めて今回の……。修練所に教育を受けるために来るときに、一人で来てはいけません。全部皆、一族を中心として来なさいというのです。四位基台が終わった後に、一族教育時代を経ていかなければなりません。分かりますか?(「はい」) そのときには、自分の持てるものすべてをささげなければなりません。そのささげようとする行列は、歴史以来最も長い行列だというのです。それをささげることによって、先祖の第一代となり、二代、三代と代数が展開されるというのです。ここに座っているのは何人ですか? 五百人ならば、五百代が生じるのです。五百代の差が生じるというのです。 一つの場所に共に座ったこの場において、だれがこれを完成して、先にそれを真心を込めて献納して入籍するかという問題において、五百代の差が生じるのです。そのことによって、天上世界に行ってからは、皆さんが会おうとしても会うことのできない段階に分かれてしまうというのです。何のことか分かりますか?。そのようになるかならないか、見ていなさいというのです。 ですから、一族を早く整備しなさいというのです。競争が展開するのです。世の中で一番恐ろしいことが展開されるのです。競争の中で、それ以上恐ろしいことはありません。 先祖たちは地団駄を踏みながら、「この者たちめ、おまえの持っているものを早く早くささげなさい」と言い、それをせずに越えていけば、その者の所有を踏みつけ、始末するというのです。この者たち。ある時になって、宣布する日が来たのにそれができなければ、残した万物、息子、娘、妻、夫婦すべて崩れてしまうのです。逆さまに差し込んでしまうというのです。 天の悔しく無念であったことが、解怨成就の日を迎えるのにもかかわらず、腐りゆく、地獄に行きかねない自分のその家庭にしがみついて、その周りをぐるぐる回って防御し、保護して何になるというのですか?。とんでもないというのです。分かりますか?。 ですから、この教育を終えて、今から皆さんが教育を修了して別れるようになれば、一族の教育を指示することでしょう。ですから、家庭教育時代は過ぎていくのです。分かりますか?(「はい」)。はっきりと教えてあげてください。ジャルジン教育に行かなければなりません。ジャルジンに帰っていかなければなりません。 「神様の全能時代」の到来 先生は、いちばん頂上にいたのですが追い出され、いちばん下まで来て、ここで地上・天上天国をすべて成し遂げなければならないのですが、それができなかったので、右側のキリスト教文化圏を中心として、これをすべてを収拾するのです。 失ってしまったものを、荒野で個人、家庭、氏族を中心として、家庭的に接ぎ木するみ業を行い、これをサタン側の家庭を上げて……。神様と家庭が分かれているというのです。ですから上がっていき、家庭的代表であるご父母様を神様の代身として侍り、この地上に降りてくるのですが、どこに降りてくるのかというのです。まっすぐには行くことはできません。 還故郷しようとすれば、この地の果てに来て帰っていかなければなりません。ですからここに来て、ここに、このジャルジン理想家庭教育本部があるのです。その教育本部は、天地の救世主となる、天地のメシヤである神様なのです。 地上・天上天国のメシヤは神様であられ、そして世界的メシヤは再臨主なのです。分かりますか?。その次に国家的メシヤがいますね?。メシヤの中には国家的メシヤがおり、その次は氏族的メシヤがおり、家庭的メシヤがいるのです。 祝福を受けた家庭を中心として、家庭的、氏族的、国家的、世界的メシヤがすべていることによって、これらがすべて皆、新しくジャルジンの教育を受けるその基地に来て、そこで天国に行くことのできるチケットを上げるのです。皆さんの写真を皆、撮ってあげるのです。この人たちは、先生が間違いなく歴史的先祖の系列に参加させるのです。ですから、その写真が必要なのです。その写真がなければ問題になるのです。 そうしようとするならば、ここに「献納祭金」というものがあります。それは十六数です。それゆえに、魚も百六十匹捕まえなさい、というのです。 皆さん、すべてそうではないでしょうか?。韓国と北韓も、韓半島が南北に分かれ、いつまでも国連に加入できませんでした。これが国連に加入したのが、北朝鮮は百六十番目、韓国は百六十一番目だったのです。このように百六十で区切るのです。最後なのです。”一”は一つ残ったものなのです。 それゆえに、国も百六十国家なのです。皆さんが伝道する祝福家庭は何家庭ですか?。百六十家庭です。第一次大戦も十六か国が加担して闘い、第二次大戦を中心として、韓国動乱も十六か国が加担したのです。十六数を中心として、「四・四数」が問題なのです これは祭物です。蕩減しようとすれば、祭物が必要なのです。それゆえに、旧約時代の祭物、新約時代の祭物、父母祭物、神様の心情に打ち込まれた釘を取り除くためには、私たちが全体を合わせ、真の父母を中心として祭物をささげなければなりません。 このようにして統一的祭物を献納することによって、神様が全体の主人となられ、この地上に私たちの家庭から氏族、民族、国家に君臨されることによって、思いのままに行き来されるのです。思いのままに上下関係、左右関係、前後関係を回っていかれることができることによって、神様が主管される世界になるのです。全体が同じなのです。 サタン世界のすべての全権、権能がいくら強いとしても、その中で神様の全能時代が来るのです。神様が思いのままになさることのできる時代が来るのです。そのようにすることのできる時代になって初めて、地上天国になるというのです。分かりますか?(「アーメン」)。神様を解放してさしあげなければなりません。 旧約時代、新約時代、成約時代、そして何ですか?。解怨時代です。それも四数です。全体をささげなければなりません。このようにすることによって、神様が全体を受けられるのです。しかし、神様はこれを受けられても、そのまま持っておられるのではありません。神様は全体を受けられてから、初めてアダムに譲り渡されるのです。神様は、ご自身が受けられたものを真の父母の前に譲り渡され、そのことによって、ここから所有権の分配が始まるのです。 地上天国というのは、これを返してもらって、統一的王圏時代を迎えなければ、地上に天国が成し遂げられないということを知らなければなりません。分かりましたか、分かりませんか?(「分かりました」)。はっきりと知らなければなりません。いずれにせよ、帰っていかなければならないのです。 それで、「四・四節」を北方のコディアクに行って宣言したのです。二世たちを中心として立てて行うのです。ここに、南の方には国家的メシヤ、北の方には母の国のメシヤ、カイン的メシヤ。このように分かれるのです。これを連結して心情的なものを中心として……。その前には二世になるのです。 だれが先になるのでしょうか?。プラスがあれば、マイナスがあり、またほかのプラスは、このマイナスにくっつかなければなりません。北側に入っていき、長子、二世たちがプラス・マイナスとして連結され、そこで「四・四節」を宣布することによって、アダム家庭の四位基台が着地し、息子、娘の四位基台が着地するのです。初めてその二つの四位基台が着地できることによって、天上世界の門を開くのです。 ですから、このことを準備するために、六月十三日に「聖人」と「殺人魔」たちを祝福してあげたのです。それは兄弟だというのです。サタンを抜いてしまったので、今や神様が思いどおりにされるのです。そうして、解放的地上・天上天国になったということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) 皆さんの一族がこれを皆、すべて献納すれば、七十家庭から百二十代の先祖をすべて解放することができるのです。何のことか分かりますか?(「はい」) そのようになれば、霊界で即刻、興進君が祝福してくれることでしょう。そのようにして霊界解放をするのです。そして地上解放です。それゆえに、真の父母に侍らなければなりません。霊界に行った人は、真の父母に侍ることができないのです。 彼らに対して皆さんは兄の立場であり、皆さんの家庭は兄の家庭であり、王の中の「兄さんの王」の立場なので、霊界に行った人は、地上に来て皆さんの後ろをついて回りながら、アダムの立場である、地上にいる皆さんの家庭を中心として、天使長の位置の体を受け継いだような弟の位置において初めて一体となるのです。 そうして絶対信仰、絶対愛、絶対服従して完全に一つになることによって、兄の後に従って天上世界にご父母様とともに入っていくことができるのです。解放的アーメンが展開するのです。分かりますね?(「はい」)。はっきりと知らなければなりません。 それゆえに、皆さんの家庭の問題なのです。一族の核になることのできる家庭、統一的基準を成すことのできる家庭、これが問題なのです。今までどれほど自分なりに生きてきましたか?。分かりますね?(「はい」)。自分たちで分かるではないですか?。本当に心と体が一つになりましたか?。 水晶が四方からすべて見通せるように、自らをよく照らしてみてください。それは自分たちがよく知っているのです。夫婦同士、けんかしてはいけません。引っかかってはいけないというのです。先ほど話しましたね?。さあ、万歳三唱ですか、万歳四唱ですか? (「まず、勝利された真の神様に万歳をささげ、二番目に勝利された真のご父母様万歳、三番目に第三十二回『真の神の日』万歳、四番目に『真の祝福の天宙化とサタン血統根絶』の一九九九年の目標を勝利することを誓う万歳をおささげします」〈郭クァク錠チョン煥ファン先生〉) 家庭が抜けましたね。統一家庭。(「はい。今年の標語を中心として……」)。「家庭」という言葉を入れなければなりません。(「はい。個人と家庭の統一を通した今年の目標を勝利する万歳をおささげします」) (「勝利された神様万歳」「勝利された真のご父母様万歳」「第三十二回『真の神の日』万歳」「勝利する一九九九年万歳」) 統一家庭万歳(「万歳」)一和 メッコール(250ml×30本×1ケース)【送料無料】一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.13
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2023.07.12
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生と死に対する理解 この講演文は、1998年12月19日、アメリカのワシントン・タイムズ社で開催された「世界平和超宗教超国家連合」の大会で語られたみ言です。 尊敬する議長、世界の宗教指導者、ならびに内外の貴賓の皆様! きょうのこの場は、各宗教の指導者の方々が参席されていらっしゃることと思います。キリストの聖誕日を前後して、各宗教では重要な日程と儀式が予定されているにもかかわらず、このように参席してくださり、心より感謝申し上げます。 死は根源の世界への回帰 時間をお借りして、これまで各宗教が解答に苦しんできた問題である「人間の生と死」に対しての、私の見解の一端を披瀝させていただこうと思います。私たちはこの地上に住んでいますが、この世界は地上だけがあるのではなく、霊界もあるということを知っています。霊界は間違いなくあるのです。そしてこの地上と霊界は、全く異なる二つの世界ではなく、一つの世界として連結されているのです。したがって、私たち人間は霊界から生まれたので、いずれにせよ再び霊界に帰らざるを得ないのです。 皆さん! 韓国語にはおもしろいことに、「死ぬ」ということを「帰る」という言葉を使って表現します。どこに帰るというのでしょうか。これは単に共同墓地に行くことを言うのではありません。もともと人生が出発した、本来の場に戻るという意味です。はるかかなたの、歴史の起源を越えて帰るということです。だからといって、韓国人として生まれたので、韓国人に帰るという意味ではありません。私たち人類始祖の根源の世界へと帰るという意味です。すなわち創造主がいらっしゃるならば、その創造主がいらっしゃる所に帰るという意味です。そこから出発したので、そこに帰るのです。 宇宙も循環作用をします。例えば、山に積もっていた雪が解ければ、その水が小さな谷を通って流れ、さらにはいくつかの川を通って大きい海へと流れていくのです。大海へと流れていったその水は、水蒸気となって再び帰るのです。このように循環運動を通してより高まることのできる所へ、より良い所へと帰ることを願うのです。 それでは、私たちが行って、永遠に生きなければならない所とはどこでしょうか。私たちは地上界で肉身生活をしていますが、心だけは永遠の世界に向かって進んでいるのです。私たちはこの世に生まれると、十代、二十代、三十代、そして中年と壮年と老年時代を通過します。このように青春時代を過ぎて壮年時代を経、老年の峠を越えつつ、日が沈むように人生を終えていくのです。しかし霊界があるという事実を知っている人々は、地上で肉身をもって生きる一生はわずかなもので、死んだのち、私たちが迎えるべき世界は永遠だということをよく知っているのです。ですから地上での生涯というものは、永遠の世界に行く準備をするための期間なのです。 学生を例に挙げれば、学生が一学期あるいは一学年を終えるときには、学校が定めたすべての学科の単位を取らなければならないという単位の基準があるのです。その最高基準を百点とするとき、その基準にその学生の単位がどれほど到達したかという割合によって、学校から認められる割合が決まるのです。しかし単位が足りない比率が高ければ高いほど、その学生は学校が立てたその価値基準から遠ざかるのです。 このようにすべてのものは、ある標準を中心としてその価値を測定するようになっているのです。私たちが一生の間肉身世界で生きるのも、あたかも学生が学校でいい点数を取るために準備する期間のようなものなのです。言い換えれば、私たちの生涯すべてを懸けて単位を取る準備期間だということです。すなわち私たちの一生において責任を追及するある基準の前に、私たちがどれほど一致するかという基準値を中心として、私たちは日々の生涯路程を歩んでいるのです。 ところがほとんどのこの世の人々は、本来人間がこの世に生まれて生き、求めていくべき本然の世界がどこなのかをはっきりと知らずにいるのです。すなわち死後の世界があるかないか、神様が存在するかしないかも知らずに生きているのです。人類は一つの兄弟、一つの国民 皆さん! 私たちはいずれにせよ、みないつかは霊界に行くようになっています。気づいてみると、その霊界は一つの国です。地上世界でのように、いくつもの国に分かれているのではありません。それでは、霊界で生活する内容はどうなっているのでしょうか。 例えば、魚は水を離れては生きられません。魚には水が絶対的な生命の条件となります。だからといって、魚も一箇所だけで棲むのではありません。魚の中には産卵のために淡水を離れ、海水と接するきっかけをつくって子供を産ませる場合もあるのです。二つの世界に通じなければならないという意味です。私たちの体と心も、このように互いに通じなければなりません。 人類歴史を互いに比較して考察してみるとき、もし私たちの先祖のアダムが生まれた日と結婚した日、そして死んだ日を記念する世界的な統一圏が形成されていたならば、その日を記念する人類は、一つの兄弟となり、一つの国民となっていたことでしょう。すなわち、一つの世界で生きる人類になることができていたという意味です。 そのようになっていたならば、アダムの生活の風俗、習慣はそのまま人類歴史を通じて継承されていたでしょうし、そのとき形成された文化は人類が生存する限り、永遠に継承されていたことでしょう。 人間は誰しも、いつ死ぬかを知らずに生きています。いつ交通事故に遭って死ぬか分からないというのです。死んでから、「ああ、レバレンド・ムーンの言うことが正しかったのだ!」と言って後悔する人もいるでしょう。私たちは、実はとても深刻な人生の道を歩んでいるということを知らなければなりません。私たちは永遠の世界へ行くための準備をするために、寸暇を惜しんで生きなければなりません。そのような運命の岐路に立っていることを、私たちは知らなければなりません。 一般的に霊界に行く人には、二種類があります。自分のもって生まれた運命のとおりに生きて行く人と、自分の運命のとおりに生きられずに行く人の二種類です。自分の運命のとおりに生きられずに行く人の中には、罰を受けて早く死ぬ人と、民族や世界の罪を蕩減するために代わりに行く人がいます。 もし神様が千人の価値をもった一存在を中心的な立場に立てて、すべての人の代わりに死の道を行かせたとすれば、千人がみなその人の恩徳の前に感動し、その人のために生き、その人の生涯を見習ってその人のように生きようとするなら、結局人々はその人と同じ恵沢圏内に入っていくのです。人々が忠臣の思想を見習おうとし、聖賢の生き方に従おうとするのも、彼らと同じ恵沢圏内に入ろうとする欲望のためなのです。 死と闘って勝利することのできる希望 人間の中には、希望をもって生きる人もいるし、希望をもたないで生きる人もいます。ところで希望は、人間を中心とした希望と、天を中心とした希望の二種類に大別することができます。 私たちは生まれたその日から、お母さんの懐が何よりも一番いいものと思って大きくなりますが、ある程度大きくなれば、お母さんの懐を離れます。私たちはまた、成長しつつ友達と付き合い、友達こそこの世で一番いいものと思って過ごしますが、いつかはその友達とも別れていくのです。このように人間は成長しながら、愛する親も愛する夫婦も愛する兄弟も、さらには愛する子供も自分の希望のすべてにはなれないという事実を知るに至るのです。 人間は、いつも多くのことを希望します。しかし、その希望する心も結局は消えてしまいます。家庭に対する希望、国家に対する希望、さらには世界に対する希望をもっていますが、年齢が多くなるにつれて、希望する心もだんだん弱くなっていくのが事実です。 事実、多くの人々は自分たちの希望を全体的な希望として誇り、自分の生命を失うようなことがあったとしても、その希望を捨てることができないという確固とした信念をもつことができないのです。 私たちは一生の間、希望を抱いて生きますが、結局死に直面して、自分が抱いていた希望のすべてを捨てて逝ってしまうというのです。私たちはきょうも生きることを願い、あすも生きることを願い、新たな希望を求めてさまよっていますが、死に直面するときには、そのすべての希望をあとにして、絶望しつつ最期の道を行くのです。この事実を私たちはよく知っています。 人間は自分を中心として見るときは、希望をもっているようですが、死の峠を越えることのできる希望をもってはいないのです。私たちが人生の道理として死さえも笑って乗り越えることのできる一つの希望を見つけなければならないのが、今日この地上に生きている人間たちが考えるべき重要な問題なのです。 皆さん! この世のすべてのことは、みな過ぎ去るのです。家庭も過ぎ去り、国家も過ぎ去り、さらには世界、あるいはいかなる主義や思想もみな過ぎ去るのですが、最後まで残らなければならないものとは何でしょうか。それが正に、死と闘って勝利することのできる希望です。私たちにそのような希望がないとすれば、「私たちは人生の敗北者である」と言わざるを得ないでしょう。 この世には、生まれながらにしてこの世的なすべての希望一切を拒み、人間の世の希望ではない天の希望、すなわち永遠の希望を抱いて生きる人たちがいます。天は正にこのような人々を助けているのです。ですから信仰生活をする人々は、地上のある希望を抱いて生きるのではなく、死の峠までも乗り越えることのできる希望を抱いて、永遠の希望の世界を夢見て生きなければなりません。 私たちが若いときには、死についてあまり考えませんが、年を取るほど私たちは死についてだんだん深刻になります。ここに座っている皆さんも、この場に立っているレバレンド・ムーンも、いつかは死ぬようになっています。このように死というものは、宿命の関門です。誰も避けられない道だからです。 私たちはなぜ死を恐れるのか 私たちが死んだのちには、果たしてどうなるのでしょうか。死という言葉を使った目的が何であるか知っていますか。生の意味を知らせるためです。生の価値は誰がよく知っていますか。生きようと身もだえする人は分かりません。死ぬ境地に入り、生死の岐路で天にすがり、生の価値を打診したことのある人でなければ分からないのです。 それでは、私たちはなぜ死を恐れるのでしょうか。私たちはなぜ生まれたのか、その目的を知らないからです。なぜ死ぬのか、なぜ生まれたのかということを知りません。それで哲学でも一番初めに問う質問が、人生が何であり、人間はなぜ生まれたのかということです。 皆さん! 私たちが死ぬということは、神様の愛の中に生まれることなのに、人間世界では「ああ、死ぬ!」と言って大騒ぎです。それを御覧になる神様は、げらげら笑うでしょうか。それとも「うう!」と言って驚き、悲しむでしょうか。喜び、うれしがるのです。限られた地上の愛の圏内から無制限の愛の圏内へと突入することのできる喜びを迎える瞬間が肉身が死ぬ瞬間、すなわち第二の出生の瞬間であるからです。 それなら神様は、私たちがこの肉身世界に生まれた日を喜ばれるでしょうか。それとも第二の無限拡大世界の愛のために肉身を脱ぎ、死を通して新しい息子、娘として生まれるその時間をもっと喜ばれるでしょうか。もちろん後者です。私がこのような話をするのは、皆さんが死の恐怖から解脱せずしては、神様と関係を結ぶことができないという事実を知らなければならないからです。 神様は人間が赤ちゃんとして生まれたときから、おしっこやうんこをしながら成長していく過程を見守り、また直接参与しながら喜ばれるのです。赤ちゃんが成長するにつれて、神様の心に動く愛の鼓動も増大するからです。 神様があるしぐさをすれば、子供たちも一緒にそのしぐさをします。神様が笑えば子供たちも共に笑い、悲しまれれば共に悲しみながら、このようにだんだん神様に似ていくのです。また子供たちは、成長しつつ親たちの姿に似るのです。言葉も習い、生活規範も親たちから習うのです。もちろんこのすべてのことは、本来神様から由来したものです。それなら神様が私たち人間と共にこの地球星に暮らしたのち、向こうにさっと飛んでいくとき、私たちはどうすべきでしょうか。 「ああ、私もついていきます」と言えば、「こいつ、お前は誰だ」と言いながら神様が私たちを切り離してしまうでしょうか。それとも一緒に連れていかれるでしょうか。もちろん連れていこうとされます。ところが「今は連れていくことができないので、お前がもう少し大きくなってもう少し完成したのちに連れていく」と言うとき、人間は「私たちも今は行けませんが、いつかは行く時が来るでしょう」と言いながら待つのです。地上で肉身をもって生きる間は、人間は神様にいつもついて回ることはできないのです。 さあ、それでは何が問題ですか。私たちが神様に似たがり、神様も私たちを神様の息子、娘として御自身に似させたいという願いをもつのは当然のことです。 それで、人は再び神様に似ることのできる体をもって生まれなければならないという結論が出てくるのです。神様と人間は共に永遠に生まれることのできる日を待ち望むのです。そのように生まれることのできる人に生まれる日、そのような体に生まれる日、その日が正に肉身を脱ぐ、死の日なのです。 それなら人間は死を歓迎しなければならないでしょうか。それとも悲しまなければならないでしょうか。もちろん歓迎しなければなりません。だとしたら、私たちが死ぬときは何のために死ななければならないでしょうか。神様の真の愛、すなわち「ため」に生きる愛のために死のうとしなければなりません。ですから肉身を脱ぐというのは、無限の神様の愛の活動圏に私たちが同参するためであり、神様の愛の世界のためだという結論になるのです。 皆さん! 皆さんは一度、そのような真の愛を受けて実践する神様の本当の息子、娘として生まれてみたいと思いませんか。神様がお金持ちなら、どれほどお金持ちでしょうか。皆さん、一度考えてみたことがありますか。 あの無限の星の中に、ダイヤモンドの星がないと言えるでしょうか。純金でできた星がないでしょうか。神様こそ全知全能なるお方です。御自分の子供たちに、何でも与えようとされないでしょうか。いかがですか。 神様はこの無限の宇宙を、あっという間に往来することができます。皆さんも関心がありますか。それなら私たちは、どのようにしなければならないでしょうか。神様が定めてくださった法度を守らなければなりません。そうしてこそ神様と共にいられるのであって、私たちの勝手にしてはできないのです。 皆さん、神様が「するな、しろ!」と言われることを守ることができる自信がありますか。人間は二重構造になっています。心が主体で体は対象なので、心が体に従って一つになるのではなく、体が心に従って一つにならなければなりません。 水中、地上、天上の三時代を通過しなければ 人はまた三段階の世界、蘇生時代、長成時代、完成時代を通過します。すなわち、お母さんの腹中での水中時代、地球星の世界、天上の空中世界をいいます。私たちは腹中時代を経て地上に生まれ、肉身をもって百年ほど地の時代を経るようになり、最終的には飛んでいく空中時代、このように三時代を通過するようになるという意味です。 私たちがお母さんの腹中にいるときは、外の世界に出ていくまいと抵抗します。その中にずっと残ろうとじたばたします。なぜなら私たちが腹中を飛び出るときは、家がみな破壊され、私たちが食べて生きていた栄養の価値とすべてのものが崩壊し、分娩過程を通過しながら頭も伸びなければならず、体も伸びなければならないからです。それを誰が好むでしょうか。生まれるその瞬間までみな「ノー!」と言うのです。子供は、羊水がどっと出てくるその水に従って出てくれば、安産になるのです。 お母さんたちが赤ちゃんを分娩するのを見れば、本当にかわいそうです。赤ちゃんを産んだことのあるお母さんたちは、みな知っています。力を入れる時は、顔がいくら美人でも、すごい形相で顔をしかめるので、夫さえもその顔を見ていられず逃げていくほどです。いかつい、あばた顔になってしまうのです。このように、産婦も最後の瞬間まで大変な苦痛を通過したのちに子供が産まれてくるのです。 ところで、この過程でおへそについているへその緒は、そのままにしておかなければなりませんか。それとも無慈悲に切ってしまわなければなりませんか。「それは人の命綱なのに、人と人の命綱をどうして切ってしまいますか」と抗議する人がいるかもしれません。 産まれてくる赤ちゃんも死にそうだと、あんあんと泣きじゃくります。しかしそれを見つめる神様は、喜びのほほえみを隠しきれないのです。そうなると産まれた新しい生命には一つの世界は完全になくなり、新しい一つの世界で「ふうっ! ふうっ!」と息をするようになるのです。 皆さん! 人は初めに生まれるとき、一番深い水の中で生まれるのです。腹中時代は水中時代です。赤ちゃんがお母さんの胎の中にいるときは、水の中に浮いています。ちょっと考えると、お母さんのおなかの中の時代では息が途切れて、生きるのが大変なように感じられます。 水の中で生きているので当然、水を飲んでは吐き出さなければならないのではありませんか。そのために腹中の赤ちゃんたちは、ホースをおなかに連結して生きるのです。腹中の子は栄養分をどこを通じて供給されるのでしょうか。おへそを通じてです。へそは腹中の赤ちゃんには口なのです。それで、私たちはおへそを冷遇してはいけません。「おへそよ、お前は昔、苦労したな」と言って触ってあげるのです。おへそをよくなでてあげると健康になります。笑い話ではありません。 そのように運動をしなさいということです。へその運動を通じて健康になりなさいということです。その例として、いくら寒い部屋で寝たとしても、へそさえよく包んで寝れば下痢になりません。私たちはまた、へそを昔の口だと呼ぶこともできます。ある者は「この愚か者、昔の口がどこにあるか」と言うかもしれませんが、へそが私たちの過去の口であったということは間違いありません。 このように私たちの呼吸器の役割もしていたへその段階が終われば、次は口です。しきりに上に上がっていくのです。同じ原理で、この地球上で空気を呼吸して生きる肉身についている私たちの霊人体は、お母さんの腹中の胎児のように、肉身を使って食べ、肉身が老いてしまえば、それを捨てて外に出ようとするのです。 ところがその時に、肉身が「ああ、死にたくない、死にたくない」と言って悲鳴をあげるなら、神様はその姿をどのように御覧になるでしょうか。苦痛に直面したその肉身に同情されるでしょうか。あるいは静かにほほえまれるでしょうか。 大変な苦痛を甘受し、お母さんの腹中を飛び出してきた赤ちゃんが成長して、お父さん、お母さんの愛の対象になるように、私たちは肉身の悲鳴をあとにして新たに生まれ、霊的父である永遠の神様の相対として再び生まれなければならないというのが、原理的な結論です。 地上世界でも子供が生まれたのちに大きくなれば、お母さん、お父さんの友達になり得るのです。お母さんとお父さんの愛を共に分かち合うことのできる地上世界に生まれるからです。赤ちゃんが母胎の中で泳ぎ回るのと同じように、人間の地上生活は空気を吸い、空気のふろしきの中で生きるようになるのです。そのような過程を経ながら地上でこのようにお母さん、お父さんと愛を分かち、呼吸する人であってこそ、「死なないで生きている」と言えるのです。同じように私たちは、霊的無限の世界に通じることができる親の代わりに、神様と愛を分かち合うことのできる霊界へ再び生まれなければならないのです。 それでは霊界は、どんな所でしょうか。私たちが霊界に入れば、頭の上にある気孔と細胞で呼吸するようになります。霊界での空気は、地上の空気ではなく愛です。呼吸を通じて愛の要素を受けるのです。 私たちが地上ですべきことは何か 私たちが地上で生きるときも、御飯だけ食べてはいけません。御飯だけ食べて、水だけ飲んで生きるというのは、御飯袋と水袋を満たすだけのことです。結局、そうして死んでいくということです。地上で生きる間の私たちの姿は、第二の私たちの存在です。 私たちがこの期間にすべきことは、新しい愛の人格を形成することです。この地上で私たちが最も必要とするものは愛です。孤児とは何でしょうか。お母さん、お父さんの愛を受けられない子供たちをどうして孤児と呼びますか。霊界と永遠に連結させることのできる愛がないからです。愛がなければ孤独なのです。それで独身で生きる人をかわいそうだというのです。 もう一度お話ししますが、私たちが死ぬということは、第二の呼吸をしていた肉体に連結されたこの器官を壊してしまって、愛の要素を受け継ぐのです。ですから私たちは、いずれにせよ肉身を破って出ていかなければなりません。 愛は見えないものです。父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、子女の愛、このすべての愛を中心として私たちの内的な構造が成長するのです。 それで私たちが神様の法則のとおりに生きるときにのみ、赤ちゃんがお母さんの腹中で正常に育つのと同じように、私たちがこの地でもよく成長できるのです。ですから、むやみに生きてはならないのです。 私たちが自然界を調べてみると、取るに足らない昆虫、実の中の木の種、そして鳥までも飛ぶことができるのに、ましてや万物の霊長たる人間が飛べなくてどうしますか。たんぽぽの種を見てください。風が吹くと自然に飛ぶようになっています。 このように鳥も飛び、昆虫も飛び、植物の種も飛ぶのを見れば、人間も明らかに飛べるように創造されたに違いありません。ある者は性急に神様に「神様、ほかのものたちはみな飛んで回るのに、どうして私たちは飛べないように造りましたか」と抗議したがるでしょう。しかし神様は「お前たちは数十年待って完成すれば、飛べるようにしてやる」と答えられるでしょう。 地上で愛する訓練をしなければ それではその時まで私たちは何をしなければなりませんか。その時になって、その世界に適応できるように、私たち自身を訓練しなければなりません。父母を愛し、夫婦同士愛し合い、子供を愛しながら、この地上世界で訓練をしなければなりません。そうして時が来れば、永遠の世界へ入り、永遠に神様に侍って生きるようになるのです。そのためには、いつかはこの肉身を脱いで死んでこそ可能なのです。 私たちがせみの一生を調べてみれば、せみも飛ぶようになる前に、幼虫の段階を経ます。ところでそのせみが「ぼくは幼虫のまま暮らしたい。殻を脱ぐのは嫌だ。ああ、陸地も空気も何もかもみんな嫌いだ」と言って反抗したとしても、いざ殻を脱いでみると、びゅーんと飛ぶようになるのです。 とんぼも同じです。初めは幼虫になって水の中で泳いで暮らし、地上に上がってきて、しばしはい回り、その次は殻を脱いでぱたぱた飛び回り、陸地では食べるようになるとは想像もしなかった虫を捕まえて食べます。天下を自分の舞台にして飛び回るのです。このように昆虫類の中には、三段階の世界を経るものが多いのです。 それで昆虫には翼があります。水と陸地と空中の三時代を過ごしながら翼をもつようになります。万物の霊長という私たち人間に翼がありますか。地上でのみ生きていいでしょうか。人間には次元の高い翼があるのです。皆さんも肉身を脱いで死ぬのは嫌だと言うでしょうが、いざ死んで肉身を脱げば、私たちは霊人体として第二の出生の恵みの関門を通過するために、ひゅーっと飛んでいくのです。 前にもお話ししたように、人間はどうせ死にます。私たちは、善なる自己を永遠の世界に第二の私として立てるために、苦労を覚悟しなければなりません。お母さんの腹中で胎教をよく受けてこそ、健康で善なる赤ちゃんとして生まれるのと同じように、私たちの地上世界での生活も、よく準備しなければなりません。神様の形状を見習い、神様の心情を見習い、神様の聖なる神性を見習いつつ、大きくならなければなりません。大きくなってからは、また命を懸けて越えていかなければなりません。したがってどんなに恐ろしい暴風雨がやって来ても、私たちは最後の峠を越えなければなりません。よくやっていても、境界線の前で倒れてはなりません。 私たちがこのような人生の境界線に立つとき、私たちは果たして何をしなければならないでしょうか。思いをしっかりして頑張っても最後まで行けるかどうか分からないのに、あたふたしていたら、途中で挫折してしまうのです。最後の決勝点まで境界線を突破しなければ、勝利者になれないのです。 人として生まれ、一度やってみるだけの価値あることです。いくら後ろで反対し、横から迫害したとしても、自分の行く道を行けばいいのです。人が反対するのに関与する余地がありません。一歩ずつでも早く行って、この運命の道を通過していこうという人が、最後の境界線を越えることができるのです。私たちはみな、そのように行かなければなりません。 私たちはよく「心がまっすぐだ」と言います。それはどんな意味ですか。まっすぐに垂直に立ったものを「まっすぐだ」と言います。木も横に傾いたのを「まっすぐだ」とは言いません。「心がまっすぐだ」というのも同じです。垂直に立っているという意味です。それで人は立って歩くのです。垂直になってこそまっすぐなのです。 自分の心を完全に垂直になるようにしなければなりません。そこに体が水平線になるのです。このように垂直と水平が私たちの内部で成されるとき、垂直から引っ張る力と水平から押す力がバランスを取り、求心力と遠心力が形成されるのです。 ですから私たちは、私自身を見つけなければなりません。私たちが自分自身を主張するときは、神様と真の父母にそうだと認定されなければなりません。その土台の上に私たちは親戚、一族、一国、このように発展させていき、私たちの生活環境を拡大していくのです。 この世で危険な伝染病の患者たちを隔離して収容するように、遠からず神様のみ旨を知っても罪をたくさん犯した人々は、隔離して北極のような寒帯地方に収容する時が来るかもしれません。彼らは完全に悔い改めて改悛するその日まで、そのような所にほうり出して、食べ物も寝る所もなく、大変な苦痛の道を歩むかもしれません。 天の希望を抱いて生きる人とはどんな人か 皆さん! 私は恨めしいことが一つあります。神様が御自身のみ旨を成就する責任を私に下さったので、私が生きている間に神様が満足される水準までみ旨を成就しなければならないということです。 そうするまでは、死ぬに死にきれないのです。それで私が死地に入っていっても、神様が導かれ引っ張ってくださるのです。私はこのみ旨を成すために、御飯を食べるときも、寝ても覚めても世界と人類のために祈り、努力しています。 ある特定の国や特定の民族のためには苦労しませんでした。私の目的は世界の救援です。私はその目的のために今まで死を覚悟し、犠牲的に命を捧げて、働いてきました。 皆さんも世界のために生き、死ななければなりません。世界を救うためなら、愛する妻を抱いて、家庭を抱いて、自分の宗族を抱いて、民族をまるごと抱いて、死ぬこともできなければなりません。 さて皆さんは将来、ある日死を迎えることになり、死を前にして過ぎし日を回顧するようになるでしょうが、その時どんな一言を残して逝くのかということを考えなければなりません。死の道は、友もいない道です。愛する父母のいない道であり、愛する兄弟もいない道であり、愛する夫婦、愛する子女もいない道です。ただ一人で行かなければならない道です。 もう一度行くこともできないし、行って来ることのできない道、一度行けば永遠に帰ることのできない道ですが、この道を行くときに、人間はどんな心をもって行くかが重要です。人間が死に逢着する瞬間、その死を乗り越えることのできる希望がないとするならば、そこでおしまいです。 今日まで神様のみ旨を支え、神様のみ旨を立ててきた多くの人々は、どのような人々だったかと言えば、死の道の前で後退した者たちではなく、死をあざ笑い、死を凛々しく乗り越えた人々でした。そのような人々が天の道を立ててきたという事実を、私たちは歴史を通じてよく知っているのです。 それでは天の願いを抱いて生きる人は、どんな人でしょうか。人間が悲しむ死の峠も喜びで越えることのできる人です。そのような人が天の願いを抱いた者だということを知らなければなりません。ですから私たちは死を前にして、この世のすべてのことを恨み、嘆く人にならないで、喜び、天の前に立って、自分の死の価値を誇り得る人にならなければなりません。 人生の勝敗はいつ決まるのか それでは、死んだならどうなるのでしょうか。死ぬ直前までは私のものですが、死んだのちは神様のものになります。それは私たちが堕落した血統を受けたからです。ですから死ぬまでは、私たちの生命すべてはサタン側の因縁を抜けきれないのです。しかし、死んだのちは神様と因縁が結ばれるのです。死なずしては復活できません。一つの時代を過ごさずしては、次の時代を迎えることができないのです。 「生きんとする者は死に、死なんとするものは生きん」という聖書で言う「死」とは、何を意味するのでしょうか。神様が下さった永遠で真の生命を殺せということではありません。 サタン世界の堕落した血統を受け継いだ生命を殺せということです。それで、み旨のために死のうとする人は生きるということです。この言葉は逆説のようですが、堕落と復帰の内容を中心として見るとき、そのようにしなければ、復帰ができないのです。これは復帰の正常的な論法です。 人生の勝敗は、数年の期間を通して決定されるのではありません。それは一瞬間に決まるのです。私たちの一生を通して見ても、皆さんが生まれるその瞬間は、長い期間ではありません。 もちろん生まれるまでの腹中の時期がありますが、その腹中の十カ月という期間は、出生する一瞬間のための期間なのです。ところがいくらよく準備したとしても、決定的な一瞬間をうまく越えられなければ、生まれるその赤ちゃんは悲運の運命を迎えることになるのです。 この地上に来て、運命の瞬間を迎える最期の場で、過去を悔い改める人がいるとすれば、その人の心には過去のすべての事実が映像として映し出されるでしょう。その中で「真があり、自分の生命よりも貴い何かを残した」人がいるとすれば、彼はたとえこの地に来て逝ったとしても、生き甲斐のある一時を楽しむ人になるでしょう。 しかし、過去のすべてのことを回想してみるとき、頭を振って回想したくない過去をもっているならば、彼は悲惨な人です。過去を回想すれば回想するほど、自分の顔に歓喜が満ち、自分のすべての問題が理想に浸ることができるならば、死の恐怖も彼には慰労の一場面として飾られるでしょう。過去を回想する瞬間が恐怖の瞬間ではなく、ほかの何かを残すなら、彼の過去は死なないのであり、現実も死なないものとして現れるでしょう。 そうすることのできる過去をもった人は、必ず民族がついていくことができる因縁をもった人であり、世界万民がついていかざるを得ない因縁を残した人であると見ることができます。 神様の前に一人で立つことができるかという問題を考えるとき、真と善は自分から始まって自分で終わるのではありません。自分から始まって人に結果を結ばせるか、人によって始まり、人に結果をもたらすことができてこそ、善になり得るのです。 過去の生活が人のために生きる生活だったならば、死の道でも恐怖がないはずです。人のためにすべてを与え、人のために犠牲になり、真に近い生活をしながら、涙も人のために流し、自分の生命も人のために投入し、自分の願いも人のためのものならば、自分の脈拍から流れ出るすべての生命力を寄せ集めて人のために投入するならば、その過去は光輝く過去になるでしょう。 聖賢が行く道と凡人が行く道は違います。聖賢は歴史と共に生きようとし、世界と共に生きようとし、未来と共に生きようとした人です。しかし凡人は自分によって生きようとし、世界も自分のためにあるようにした人です。 霊界は真の愛を中心として「ため」に生きるところ 霊界にも霊界としての世界があり、国があり、氏族があり、家庭があり、個人があります。個人を中心として見るとき、「私はそこで絶対的に必要な存在だ」と言える自主性なしには入れないところが天国です。家庭を中心として見るときも、氏族を中心として見るときも、「やはり私が絶対的に必要だ」と言えるそのような自主性があってこそ行けるところが天国です。 霊界では地球というものは、ごみつぶのようなものです。霊界は時空を超越した無限の世界です。そして「ある時代にこれこれこういう心情をもって地上に生まれ、生きて死んだ人がいれば、ここに直接現れよ!」と言えば、その人が瞬時に現れます。そのように直感的感覚が現実化される世界です。そこには食料を作る工場もないし、自動車を造る工場もないし、何もありません。 人間は霊界に入籍するとき、地上生活を証明する証明書をもって行かなければなりません。「私はこのように生きた。このようなことをやった」と言える生涯の証明書です。そのような証明書は自分自身が書くことはできません。初めはサタンが書きます。まずサタンに証明書をもらってから、イエス様の証明書をもらわなければなりません。その次に神様の証明書をもらわなければなりません。この三つの証明書が必要だということを知らなければなりません。 霊界に行けば霊界は膨大ですが、三段階になっています。誰が最高の位置に上がるかといえば、より人のために人生を生きた人です。しかし、自分のために生きてきた人は反対の位置に立つようになります。自分のために生きた人はみな反対し、人のために生きた人はみな歓迎します。霊界に行けば、自分の親、自分の妻も関係ありません。高いところに行く人はみな、人のために生きた人々です。 世界のすべての国を回りながら、自分のお母さんと家庭に対する愛を拡大したような心情をもって「ため」に生き、世界の人々をみな悪から救おうとする聖人の心をもった人々が、高いところに行くのです。自分のために生きた人は地獄に行くのであり、人のために生きた人は天国に行くのです。この二つの世界が死から分かれるのです。ですから全体のために生き、より大きいもののために生きよというのです。 世界のために生き、神様のために生き、人類解放のために生きよというのです。これから互いに「ため」に生きようとする競争が始まるでしょう。天の国では、「ため」に生きる人が高い位置に行くので、その高い人のために私が生きれば、その人に乗ってジャンプできるのです。その人のために生きるのは、神様が創造して相対を造ったのと同じなので、その人の愛の対象圏に立つということです。 霊界は、真の愛を中心として、ほかの人のために生きるところです。人のために一〇〇パーセント生きる人に対しては「私を踏んで越えていってください!」と言うのです。どんなにアメリカという国が大きくても、アメリカの大統領よりもっとその国の国民のために生きる人がいれば、その人が大統領を踏んで超えていっても、みな歓迎するのです。 しかし自分の利益だけを得ようとするときは、みな怨讐になるのです。霊界でも同じです。より大きなことのために生きようとするときは、自然に通過するのです。より大きなことのために生きれば、自然に通じるのです。ですから世界のために生きる人は、アメリカのために生きなくてもいいのです。世界の中にアメリカが含まれるのです。すべての国がみな含まれるのです。 みんなが歓迎することのできるその方向の内容とは、真の愛を中心として「ため」に行く愛の道以外にないという結論が出てくるのです。死ぬときにもっていくべきものは、神様を愛し、自分を愛し、本質的人間としての自分を立てるために苦労し、自分と相対との夫婦の愛、家庭の愛を中心として、この愛を世界に拡大するために努力したものです。 人類を愛し、神様を愛したことが、最後に残り、あの世の所有権決定の基準となるのです。霊界に行けば、伝道した人の数によって皆さんの霊界の所有権が決められるということを知らなければなりません。霊界に行って誇るものとは何かといえば、どれほど人を慕って生きたかということです。 あの世で必要なものは、ほかのものではありません。世界よりも、自分の国よりも、自分の妻よりも、自分の息子、娘よりも、神様をもっと愛したことです。妻が話すとき「あなたは私より神様をもっと愛して私を愛してください」と言ってこそ、夫からより高い次元の神様的愛を受けられるのです。 心情圏の世界は愛が普遍化できる世界 今日レバレンド・ムーンは心情圏ということを説いていますが、心情圏の基地とは、神様を中心とした真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、そして真の子女の愛というものです。そのような愛が普遍化できる世界が心情圏の世界です。 そのような本然の世界においては、愛する夫婦の愛の基準を中心として生きたとしても、天と地、天宙を中心とした夫婦の愛でなければなりません。ですから、その世界に合格することのできる愛の基盤をどこで築くのでしょうか。レバレンド・ムーンは、この世でそれを築いて行かなければならないと教えているのです。この世で貴いというそのいかなるものとも違って、心情圏世界の合格者になれるようにです。 ですから、霊界には家庭を連れて入らなければならない原則があるのです。どうして息子、娘がなければなりませんか。後孫とは本来、縦的な神様の愛と横的な父母の愛、神様と父母の血が縦横に混ざって生まれたものです。したがって後孫をもてなかった人は、霊界に行って天地の調和を成すことができず、東西南北に拍子を合わせられないのです。後孫をもてなければ、あの世に行っても遊び、休むことのできる場所がないのです。 世界宗教国連創設を主唱する 皆さん、霊界では宗教や宗派は必要ありません。そこに行って長老派だカトリックだのというのは必要ありません。神様との生活圏内に入るのです。あの世に行けば、世界を愛した人もいるし、愛国者、忠臣、烈女、聖人たちがみないるでしょう。しかしレバレンド・ムーンが知る限りでは、今までは神様の本然の愛の中で心情圏の伝統を中心として生きた人は一人も行っていないのです。 あることを出発させるときは、神様を中心として出発しなければなりません。霊界に行けばそのような原則にどれほど同化し、ここにどれほど一致するかということが、これから地獄から中間霊界、楽園、天国まで、みな連結されるのです。 何が一番貴い道かといえば、天のために地上でどれほど苦痛を受け、どれほど涙を流したかということです。それがあの世においてパスするチケットです。あの世に行けば、他の国の人同士は一緒にいられませんが、すべての宗教圏は一緒にとどまることができるのです。 宗教圏は、一つの世界を願って歩み、一つの神を信じて行くので一緒にとどまることができるのです。宗教を信じる人々がこの世の人々と違うこととは何かといえば、彼らは一生の間霊界を標準として生活するという点です。宗教というものは、永遠の世界、超然とした世界の内容を中心として、神様なら神様がいらっしゃるところと神様が住んでいらっしゃるところを中心として、私たちが関係を結ぶことのできる内容を教えてくれるのです。 世界の各宗教を代表して、きょうこの場に参席された皆さんに、私がこれまでお話ししたとおり、人間の生死の問題を中心とした生の価値を集中して取り上げたのは、他意があってのことではありません。生と死に対する正しい教えを与えるのは、私たち宗教指導者たちの責任であることを強調するためです。 今日、この世界の政治指導者たちは、国連を通じた世界平和と人類の繁栄を追求しています。しかし私の判断では、政治、経済、軍事的側面を中心とした国連の機能だけでは、世界平和の道は不完全だというのです。政治、経済、軍事的手段は、外的、肉的、物質的側面にすぎません。ですからより内的、霊的、精神的な側面は、宗教的教えと世界すべての宗教の連合と一致した行動を通じてこそ可能なのです。 私は、きょうこの場を借りて、これまでの国連に世界の主要宗教とその指導者たちが参与する世界宗教国連機構が創設されなければならないことを主唱するものです。 世界と人類の未来のために、きょうこの時点で世界宗教国連創設とその役割の重要性について、これから皆さんと世界のすべての国々が、さらに深く論議してくださることをお願いするものです。ありがとうございました。一和 メッコール(250ml×30本×1ケース)【送料無料】一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.12
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合唱曲「孝心 ~ご父母様を慰労する孝子とならせて下さい~」 混声三部 【世界平和統一家庭連合】 2023/07/11 #世界平和統一家庭連合 #合唱曲オリジナル合唱曲 ~合唱コンクールで生まれた課題曲~ 二世圏の合唱コンクールで制作された課題曲「孝心 ~ご父母様を慰労する孝子とならせて下さい~」です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.11
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第39回「真の子女の日」記念礼拝の御言1998年11月19日ニューヨーカーホテル 神様を中心とした愛 世界には数多くの宗教があります。その宗教が目指すものは天国であり、どのようにして天国に行くのかということが宿題になっているのです。堕落がなかったならば、そのような宿題はありませんでした。 神様はアダム・エバを創造されるときに、一人の男性と一人の女性としてつくられました。何のためにそのようにされたのでしょうか? 男性であるアダム、女性であるエバのふたりが喜ぶためにつくられたのでしょうか、それとも神様が喜ばれるためにつくられたのでしょうか? どちらが先に喜ぶべきなのかということが問題になるのです。どちらが先でしょうか? (「神様です」) どのようにしたら神様は喜ばれますか? アダムとエバの顔を見ることで喜ばれるのですか? (「いいえ」)。神様は、顔を見て喜ばれるでしょうか、それともキスしながら喜ばれるでしょうか? (「キスしながらです」)。それでは、アダム・エバが神様の所に上っていって、そのようにしたでしょうか、それともアダム・エバが住んでいる地上に神様が降りてこられて、そのようにされたでしょうか? どちらが先だと思いますか? (「地上に降りてきてされました」) それでは、神様が地上でキスされたとすれば、だれに先にキスをされたでしょうか? (「エバです」)。(「アダムです」)。(「エバです」)。(「アダムです」)。(笑い)はっきりと答えてください。どちらですか? (「エバです! )。皆さんがエバであると言うなら、アダムがそれを見てじっとしているでしょうか? 「私に先にキスをすべきなのに、なぜエバに先にキスをするのですか?」と言わないでしょうか? 息子のほうが貴いでしょうか、それとも娘がもっと貴いでしょうか?(「息子です」)。(「娘です」) このような問題が生じるのです。これはどれほど複雑な問題ですか。いくら複雑に考えても、事実を知らなければ意味がありません。真実を知らなければならないのです。 神様とエバがキスするときにアダムも喜び、アダムとエバがキスするときに神様も喜ばれることのできる位置はないでしょうか? そのようになれば神様も喜ばれ、アダム・エバも喜ぶはずです。アダムを先にしてもエバを先にしても問題になるので、それをどのようにして解決するのかを、私たちは考えざるを得ないという結論が出てこなければならないのです。 神様は、その問題を考えられたでしょうか、考えられなかったでしょうか? アダム・エバは、成長する過程において考えることはできませんが、神様はそれらのことをすべてご存じで考えておられたでしょう。アダム・エバが神様とともに喜ぶことのできるキスをしなければならないということは理想的結論なので、神様もよくご存じであったのです。 キスするときにも共に喜び、何かいいことがあっても共に喜ぶことのできるというのが理想的ではないでしょうか?神様が、「あなたたちふたりは、神様まで喜ばせることのできるキスができますか?」と言われるとき、アダムに尋ねてもエバに尋ねても「できません」と言い、このふたりが神様に、「それでは神様はできますか?」と尋ねれば、神様は「できる」と言われるでしょうか、「できない」と言われるでしょうか? どちらでしょうか? 神様の体が分かれて、その分かれたものが再び合わさって一つにならなければならない、という論理しかないのです。 なぜこのような話をするのかといえば、重要なことだからです。私たちが喜ぶとき、キスをするとき、何を中心とすれば一番いいのか、ということです。お金を分けてあげるためにキスをするのですか? 神様が力を誇るためですか? 愛を成就するためです。愛のためにキスをし、愛のために抱擁もするのです。 アメリカの人たちはカップルのことだけしか考えないでしょう? 第三者は必要ない、ということではないですか? アメリカの人には、祖父母も必要なく、父親、母親も必要なく、兄弟も必要ないのではないですか?男性には女性がどれくらい必要でしょうか? 絶対必要です。女性には男性がどれくらい必要でしょうか? 絶対に必要なのです。 それでは、どのようなパートナーを願いますか? 瞬間的な愛のパートナーですか、永遠に絶対的な愛のパートナーですか? (「永遠に絶対的な愛のパートナーです」)。本当ですか? (「はい」)夫にとって、妻のすべてのものは絶対的でなければなりません。妻にとって夫は絶対的でなければなりません。服や足の爪、髪の毛までも絶対的であるというのです。 それでは目はどうですか? もちろんです。鼻はどうですか? もちろんです。口はどうですか? もちろんです。手ももちろんであり、すべてのものが絶対的なのです。 それでは、アメリカにそのような家庭はありますか? 偽物ですか、本物ですか? (「偽物です」)。偽物なら、ゴミ箱に入れなければなりませんか、父母の机の上に宝物として置いておかなければなりませんか? (「ゴミ箱に入れなければなりません」) 神様がごらんになれば、ゴミ箱にほうり込まなければならないのです。そのような人が霊界に来て永遠な神様に出会うようになれば、地獄にほうり込まれるということを知らなければなりません。ゴミ箱の代わりに脱落者が行く所が地獄なのです。フリーセックス、ホモ、レズビアンが入り交ざったアメリカは、神様が愛される国ですか、呪われる国ですか? 今日、堕落した世の中の人間たちを、堕落していない本然の主人であられる神様がごらんになれば、何層にもなる地獄のいちばん真っ暗な、人も見ることができない所にほうり込まなければならないのです。それで底なし地獄というものがあるのです。 「アメリカの国民は優れている」と誇ってはいけません。偉そうに横柄な態度をとってはいけないのです。「チャンピオンである。お金がある。軍事力、知識がある」と誇ってはいけません。 「ワン・ワールド・アンダー・ゴッド」といえば、世界のためのアメリカになるのですが、アメリカはアメリカ国民のための「ワン・ネイション・アンダー・ゴッド」です。そのような国は必要ありません。アメリカ政府や上下院を中心として世界のためのアメリカとなることを決定し、そのような思想を持つようにしなければ、神様を訪ねていく道がないのです。 そのような意味から、レバレンド・ムーンのみ言を聞かなければならないのです。赤ん坊から国会議員、大統領、すべてがひざを折って悔い改め、神様の前に引導者を探し求めたとき、神様が「レバレンド・ムーンのみ言を聞きなさい」と言われれば、どのようになるでしょうか? レバレンド・ムーンをどれほど必要とするのかといえば、絶対に必要なのです。(「はい」)。神様が愛されることができる道を教えてくれる代表者であるからです。 愛の道 それでは、アダムとエバはキスのしかたを知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか? 考えてみてください。男性と女性が成長したらキスして抱擁して愛し合うことができる、ということがアダム・エバに分かるようになっていたでしょうか、分からないようになっていたでしょうか? 神様がいちばん喜ばれることが、男性と女性がキスして抱き合うことであるならば、アダム・エバが成長し大きくなったならば、そのようにできるはずです。ふたりがその年になったとき、神様が喜ばれる場所で愛し合ったでしょうか、神様が嫌われる場所でしたでしょうか? 嫌われる場所でしたのなら、それ以上神様の前に近づくことはできず、喜ばれる場所でしたのならば、それ以上神様と離れることができないのです。 アダム・エバはキスして抱擁したいと考えたでしょうか、考えていないでしょうか? (「考えました」)。どうしてですか? だれに教わったのですか? (「自然からです」)。自然です。自然を見れば、オウムが二羽くっついて、夫婦で大騒ぎして子を産み、キスしたりしているのです。そのようなものを見たでしょうか、見ていないでしょうか? そして、何をするのですか? 男女が愛し合って一つになり、子供を産むのです。子供がどれほどかわいいでしょうか。「アイゴー、赤ちゃんが欲しい。どうやってあのようなものを手に入れたのだろう? 私たちもあのようにできるのかな?」と思ったでしょうか、思わなかったでしょうか? 娘も大きくなれば淑女になり、ティーンエージャーになれば、「男性のあれはどうなっているのだろう?」と気になり、それを神秘的に考えます。そうですか、そうではないですか? ミステリーのように考えるのです。すべての神経、五官が集中することが、思春期に起こりますか、起こりませんか? 皆さんも、昔のサタン世界の堕落した人々も皆そうであったのですから、本然のアダム・エバがどれほど激烈であったかということを考えてみてください。それでは、アダム・エバが思春期に近づくほど、それに対して関心を持つようになり、すべての神経が集約されるでしょうか、されないでしょうか? 神様がおられれば、そのような人に「善悪の果を取って食べるな」と言われたでしょうか? 善悪の果とは何ですか? 思春期になると、自分でも知らずに自分の目と鼻と感覚の細胞が一つになって一つの火の玉のようになり、そのようになれば、自然にアダムとエバが抱いて愛し合うように神様がされたのです。目を見ても、鼻を見ても、口を見ても、耳を見ても、手足を見ても、すべてが笑っているのです。口も、耳も、手も、すべて開いているのです。愛に占領されようということです。すべてがそうなのです。死んでもよいというのです。 愛の道とはそのようなものです。その熱さが、百度どころか、千度、万度まで到達することを神様は望まれます。神様が抱いて愛されることができるということを教えてあげようとされたのですが、そのような境地まで行く前に問題が起これば大変なことになります。それゆえに「取って食べるな! と言われたのです。 そのようなレベルまで到達すれば、アダム・エバ以上に神様も興奮されるでしょうか、興奮されないでしょうか? 興奮されるのです。それでは、アダム・エバの熱と神様の熱を比較してみれば、どちらが熱いでしょうか? 神様のほうが熱いのです。レバレンド・ムーンがどうしてそのようなことを知っているのでしょうか? 見たのでしょうか? どうしてか知りたいですか? 教えてあげましょうか? (「はい」) このことは、私の宝であり、神様の宝であり、男性・女性の宝であり、人類歴史の宝であるのに、皆さんに教えてあげるのですか? (「はい」)。きょうは「真の子女の日」なので、良い贈り物として教えてあげましょう。 (「正分合作用は神様の愛の母体」と板書される) アダムの愛やエバの愛というのは、それ自体が原因ではありません。結果的なものです。原因的存在は神様です。神様の性相と形状に愛の根が存在するので、アダムとエバが上に上がっていき、そこで出会って火がついて二倍の熱が出るので、アダムの愛よりも神様の愛がもっと熱いのです。 (板書されたものを指されながらお話しされる)これが性相です。男性性相、性相と形状。そしてこれがプラス・マイナス、男性と女性は縦的・横的に四位基台をつくるためにいるのです。これは無形世界であり、これは有形世界です。このようになっているので、ここで回るのです。復帰ですから、このようにして回るのです。 皆さんは、神様よりも劣った存在になりたいですか、優れた存在になりたいですか? (「優れた存在になりたいです」)。そうです。真の愛の相対は、自分よりも優れていることを願います。それゆえに、アダム家庭においては、アダムはエバが自分よりもりっぱであることを願い、エバはアダムが自分よりもりっぱであることを願うのです。神様よりも優れていることを願うのです。 なぜ、そうでなければならないのですか? なぜ、神様がそのようでなければならないのですか? 神様は霊界でも見えません。そのような神様が見えれば、それよりももっと優れようとするはずです。アダム・エバは、神様が愛を中心としてご自身よりも優れていることを願われる、見える存在なのです。 刺激的で衝撃的な地上で、そのようなことを願われるのです。愛する相対は、自分よりも優れていることを願うという原則があるために、神様よりも優れていなければならず、息子・娘は父母よりも優れていなければならず、夫と妻も相対が、より優れていることを願うのです。 ですから縦的横的な関係において、父母は子女がりっぱであることを願い、夫は妻が、妻は夫がりっぱであることを願うのです。真の愛の相対は、自分よりも優れていることを願うのです。 男性がそのようにりっぱな妻を迎えようとすれば、自分のすべてを投入し、そこからさらに投入しなければならず、妻が自分以上に優れた愛の相対を願うならば、妻が投入しなければなりません。この天理に背くことはできないので、犠牲にならなければならないという結論が出てくるのです。 このような概念の世界を成就するためには、投入して忘れ、犠牲になり、奉仕をするという精神がなければなりません。神様ご自身がそのような精神を持たれ、アダム・エバも、兄弟も、国と国王も、すべての主体と対象がそのような関係になっていてこそ、神様は喜ばれ、神様がさらに愛することのできる道に導いてくださるのです。それゆえに、天国も無限なのです。永遠に新しい天国をつくることができる後代、永遠な世界がなければなりません。 アダムの中に入られる神様 それでは、初めに戻りましょう。アダム・エバが喜び、神様まで合わせて三人が喜べば、どのような世界になっていたでしょうか?この世界の息子・娘たちは、霊的にも肉的にも形がありますが、神様は無形です。死んで天国へ行ったとき、神様が見えなくてもいいのでしょうか? 「私がいちばん好きなお父様だ」と言わなければならないはずなのですが……。 アダム・エバがキスして愛し合うのは有形世界でのことですが、どのようにしたら無形であり、見えない神様と見詰め合うことができ、触れ合うことができる位置に立てるのかということを考えなければならないのです。 神様が喜ばれ、アダム・エバも喜ぶように愛を中心として一つになることを願うならば、どのようにしなければならないのでしょうか? これが問題なのです。それが一つになれば、見えない父母が見える父母になり、霊界に行っても実体であり、地上でも実体であるので、笑うときにもいつも一緒に笑うようになるのです。見えないのにどのようにして一緒に笑い、その相対になるのでしょうか? このことが問題です。一つになれる道をどのようにして立てるのかということが、神様が創造されるときの最後の宿題の中の宿題であり、人間の希望の中の希望であり、宿題の中の宿題なのです。 問題は簡単です。見えない二性性相の神様がアダムの中に入っていかれるのです。そうすれば、霊界の神様はいなくならなければなりません。どこに来られていなくなるのですか? ここ(形状的なアダムとエバ)と合わさったというのです。(板書されたものを指しながらお話しされる)アダムの体、エバの体に入っておられるのです。分かりますか? (「はい」)。はっきりと知らなければなりません。 アダムの中に神様が入っていかれれば、神様とアダムとエバの三人が喜ぶようになるのです。アダムとエバのふたりが喜べば、内外すべてが完全に喜びます。霊界、肉界がすべて喜ぶのです。 未婚の男女は、なぜ結婚しようとするのですか? 男性の世界を完全に絶対的に占領するためであり、女性の世界を絶対的に占領するためです。それゆえに自分の夫に、宇宙全体、神様までがすべて入っているのです。 神様の愛と人間の愛をすべて占領して抱くようになれば、宇宙を抱くようになります。(板書されたものを指されながらお話しされる)これらがすべて一つになるためには、このセンターの位置に来なければならないのです。男性もここに来なければならず、女性もここに来なければなりません。 男性・女性の体の四分の三が水です。水が一つになり、愛が一つになって動物を育てることができる平原地帯のようになって、その愛の懐で水を飲み、草を食べて世の中のすべての動物が幸福にすくすくと育つようになるとき、このすべてのものを創造された神様が、それを見て笑われるのです。それを見て泣かれるでしょうか? 女性が泣くときにはどこに行きますか? 女性は隠れて泣きます。台所のような所に行くのです。男性は外に出て泣きます。男性は門をけ飛ばして、家から出ていって泣くのです。(笑い)相対的です。そうではないですか? 出ていって、木や海など自然に話しかけながら泣くのです。 また、女性が喜ぶと「へへへへ」とこのようにし(体を縮めて笑うまねをされる)、男性は「ホホホホ」とこうするのです(肩を広げておなかを突き出しながら笑うまねをされる)。(笑い)そうですか? どのようなことをしても女性は女性であり、男性は男性です。女性は男性になれず、男性は女性になれません。絶対的なのです。アメリカの女性たちは、よく聞いておきなさい。 「なぜ男性が主体なのか? 主体は女性だ」と言うならば、夫婦が愛し合うときに「男よ、横になりなさい。私が上にいく」と逆さまにならなければなりません。(「女性が主体になろうとすれば、そのようにしなければならないということですか?」)。そうです。女性が主体であると思うなら、そのようにしなければなりません。男性を横に寝かせて、自分がその上に乗って愛するのです。 そのようにしたらどうなりますか? 水が全部あふれてしまうではないですか? 皆がはっきりと分かるように露骨に話をしているのです。笑わないでください。(笑い)このような夫婦は破壊します。女性は「受ける存在です。 アメリカの女性たちは、主体を知りませんでした。主体と対象を誤って暮らしていれば滅びます。世の中を滅ぼすのです。どこにおいても女性が出しゃばれば滅びます。自分の位置を失えば滅びるのです。前後が逆さまになれば罪になります。 それでは、動機は神様ですが、その結果を合わせる所はどこでしょうか? 頭から脊髄すべてに神様が連結されなければなりません。神様の見えない骨が、男性の見える骨に移されるのです。見えない肉が女性に移されるのです。男性は骨、女性は肉になり、ふたりが一つの体になることによって第二の神様になります。神様の愛の相対になることができる存在になるのです。そのようになってこそ、男性と女性が愛し合うときに、愛を中心として神様は喜ばれ、キスして抱擁し、踊りを踊られるのです。 それでは、どこで一つになるのでしょうか? キスするところですか? 抱擁するところですか? どこですか? (「生殖器です」)。生殖器を今までいちばん悪いものとして扱ってきませんでしたか? 卑しいものとして扱ってきたのではないですか? それは堕落したためです。生殖器は生命の根源であり、血統の根源であり、愛の根源なのです。 アダムとエバの結婚式は神様の結婚式 個人主義王国時代に、個人主義王権を主張する者たちは孤独、単身です。皆、相対を失いました。天使長によってそのようになりました。すべての男性・女性は相対的になっていますが、愛のパートナーを失い、息子・娘までもすべて失ってしまったのです。 そうして、「人生の価値とは何だろうか? 真の愛の道とは何だろうか?」と言うのです。真の愛の道を捜し出すことができないので、人生の価値が分かりません。フリーセックスになれば、自分の父親を殺した怨讐と関係を持ち、その怨讐の息子をはらんだことを憂えて、産むやいなや子供をゴミ箱に投げ捨ててしまうようなことが多いのです。 フリーセックスとは一体何ですか? どうやって本然の立場に返っていくのですか? 返っていくことはできません。すべて失ってしまいました。 そしてヒッピーになり、雨や雪が降る日は行く所、休む所がないので、嘆息しながら薬を飲んで死んでしまうのです。自殺者がどんどん増えていきます。人生行路において真の愛を失ってしまったら、どのようにして真の人生を生きていくのですか? 未婚の女性たちは男性に目が行くでしょう? 男性の中を搜して真の愛がありますか? 男性たちは、女性に真の愛があると思いますか? 男性が信じられますか? 女性が信じられますか? 女性が生まれたのは男性のためであり、男性は女性のために生まれたということを知っている人はいません。自分のために生まれたと思っているのです。 それでは、男性は何をするのですか? 女性は何をするのですか? 相対を僕にしようとします。ために生きようとはしないのです。ために生きなければ愛はあり得ません。初愛は永遠なのです。エデンの園では、エバ以外に他の女性がいましたか? 男性一人、女性一人でした。 自分自身が絶対に信じられる人がいますか? 心と体が一つになっていますか? 毎日、心と体が闘っているのです。これを、どのように解決しますか? 休戦も停戦もない戦争を、どのようにして終わらせるのですか? (板書されながら語られる)九〇度です。すべて同じなのです。十二角が三つずつで三十六です。これはどこに持っていって合わせても、すべて合うのです。統一教会もこれを中心としているので一、二、三の三対象であり、これを中心としても一、二、三の三対象であり、神様を中心としても一、二、三の三対象なのです。 これは、一つの永遠な公式的カテゴリーなのです。男性は神様が絶対に必要であり、息子・娘が絶対に必要なのです。女性も神様が必要であり、夫が必要であり、息子・娘が必要なのです。息子・娘は父母が必要なのです。同じことです。どれか一つ欠けるだけでも、すべてが崩れていきます。 これが春ならば、これは秋です。そして東側は男性に当たるので主体です。これを中心として、これが一つになるのです。ですから、祝福家庭は神様の形状にならなければなりません。神様は父母なのですが、堕落以後、形状を持つことができませんでした。形状を持つはずが持てなかったのです。 これを再び復帰して、ここにおいて神様が初愛を中心としてアダムとエバに入られて、縦的な父母と横的な父母がここの一点で愛されることによって、始まりが縦的・横的になるのです。そうなることによって、霊界と肉界を一つにすることのできる息子・娘が出てくるのです。 神様はここにいて、アダム・エバはこのようになっているのですが、これが一つになってこちらに上がっていくのです。アダム・エバは上に上がっていきます。神様は上から降りてこられるのです。アダム・エバは見えない性相を備えるために、見えない神様は見える形状を備えるために訪ねてこられるのです。 それはどこで出会うのですか? 赤ん坊から兄弟時代を経て、男性は男性として大きくなり、女性は女性として大きくなってここまで来て、擦れ違うのではありません。エバは「アイゴー、私をほうっておいて泣かしたまま逃げ回り、一人で歩き回っていたアダムが必要だ」と思い、アダムは「アイゴー、わんわん泣いてじゃまだったエバが絶対に必要だ」と思って、ふたりは出会います。それで神様も同様に訪ねてこられるのです。 思春期になると、神様がアダムとエバの中心に入っていかれ、「さあ、行こう。祝福することができる場所で会おう」と言われるのです。そして霊的な父母と肉的な父母が一つの体になり、霊肉が一つになります。そして霊的世界、肉的世界を見ることのできる息子・娘が生まれるのです。それが堕落していない天の国の家庭の息子・娘であり、それを拡大させたものが天の国の民族なのです。アーメン。 横的な父母であるアダム・エバは神様の体であり、縦的な父母であられる神様が心なのです。神様は、アダム・エバの心なのです。ここで心と体が一つになって愛するとき、アダム・エバの結婚式は「体」的な父母の結婚式であると同時に、「心」的な神様の結婚式になるのです。 二つの世界の結婚式をすれば、息子・娘の結婚式になります。息子・娘の結婚式、横的な父母の結婚式、縦的な「心的神様の結婚式になるのです。この三つをすべて祝福することのできる日を迎えることによって、神様が喜ばれ、アダム・エバが喜び、全体が喜びます。アーメン。そこから幸福になるのです。 ですから、神様もアダム・エバの結婚式をどれほど待っておられたでしょうか? それはご自分の結婚式なのです。女性が男性を訪ねていって完全占領して、男性が女性を占領するとき、ふたりで神様が喜ばれる場所を訪ねていくのです。そしてアダム、エバが神様の体になり、神様はアダム・エバの心になって、結婚式が完成するという結果になっています。 ですから結婚とは、男性が女性を完全に占領し、女性が男性を占領するものなのです。ふたりが占領した真の愛を中心として、神様までも占領するのです。神様がすべての主体なる動機になられ、その神様と愛によって一つになることによって、そこに属したすべての宇宙の存在は私の所有になります。アーメン。 神様といつ出会うのでしょうか? 結婚式に神様と出会うのです。アダム・エバの結婚式は、エバの喜びの日であり、アダムの喜びの日であり、夫婦の喜びの日であり、神様の喜びの日であるということを知らなければなりません。 神様は縦的なお父様であり、アダム・エバは横的なお父様です。九〇度の角度です。永遠に九〇度なのです。皆さんの心と体が堕落することによって体を失ってしまったので、堕落した後に、角度が狂ってしまいました。これを立て直さなければなりません。 自分の心と体が何度狂っているのか、皆さんは知っているのです。心を中心として体が一つになっていないということを知っています。一年三百六十五日の半分、心と体が一つにならなかったとしても、五〇パーセント狂っています。それどころか毎日のように体の命令に心が従って、すべてマイナスになって地獄に落ちていくのです。 アダム・エバは神様の体である、ということを理論的に認定しなければなりません。分かりますか? アダム・エバの心に神様が臨在されるのです。神様と一つになり、心と体が一つになっていたらサタンが入ってくる所がありません。 それでは、なぜ男性が生まれたのでしょうか? 女性のためです。女性はなぜ生まれたのでしょうか? 男性、女性はなぜ生まれたのですか? 人類といえば男性、女性しかいませんが、男性、女性はなぜ生まれたのですか? 愛のためなのです。愛して何をするのですか? 男性の世界は半分でしかありません。半分が完全になり、さらに神様までも占領するために結婚するのです。 三代から地上天上天国が出発 神様も赤ん坊から成長されました。神様が赤ん坊のときから兄弟時代、結婚段階に至って子供を創造されたのと同様に、皆さんの妻にも、相対的実体として体と一つになって育ってきた時代があります。その成長時代においては感じられなかった愛が、結婚して一つになれば永遠に継続されるのです。 見えない神様が見える神様として現れ、見えない神様と見える神様の世界、地上世界と天上世界が三代において初めて結実として現れます。アダムは神様の一代の愛しか受けることができませんでした。それは四位基台にならないのです。 それゆえに、神様も三代の愛を経ていかれなければなりません。息子・娘の愛と孫の愛まで経てこそ、三対象目的の四角形を中心として一つの完成体になることができるのです。この角度を満たすことをグローバルと言います。三角形では運動するのが難しいのです。 見えない神様が成長されて、見える神様になられて衝撃を感じられるために、息子・娘を代身としてつくられました。見えない内的な神様を見える神様として感じることによって衝撃を受けるのです。 同様に、アダム・エバも息子・娘を産むことによって、自分が育ってきた赤ん坊時代から兄弟時代、そして結婚して父母になる道を経て、三大創造主権を成し遂げることによって一つの実を結ぶはずであったのです。ところが、神様は孫を持たれることができず、三代を成すことができませんでした。実が結ばれなかったのです。 神様は、幼いときから結婚するときまで過ごしてきたすべてのものを、実体でごらんになって刺激を感じられます。霊界と肉界を一つにするのです。霊的に一つになって現れてきます。 皆さんが成長するときに皆さんの親は、子供が育つのをどのように見ていたのでしょうか? 自分の息子・娘を通してもう一度、自分たちの成長過程を見るのです。神様もご自身が成長してこられたことをもう一度ごらんになるときに、衝撃を感じられます。そのようにして神様が横的に拡張する世界を持たれたように、皆さんも子供を産むことによって、縦的な世界ではなく、横的な世界に発展することのできる愛の版図が広がるようになるのです。 アダム・エバは二代であり、その息子・娘が三代です。三代から四位基台が広がっていきます。アダムは、神様の愛、すなわち一代の愛しか受けることができませんでした。しかし、アダムの息子・娘は、神様の見えない父母の愛と、アダム・エバの見える父母の愛の二つの愛を受けるのです。 アダム・エバの心を中心として、霊人体に神様の愛の血統が三代の息子・娘に連結されます。ですから、二つの父母、二つの国の王の血統を受け継いだ、アダム・エバの息子・娘から地上・天上天国が出発するのです。 堕落した皆さんは、神様の愛と真の父母の愛を受けられなければ地獄に行きます。天国ではありません。それを知らなければなりません。その三代の神様の愛を成すためにアダムが来たのであり、メシヤが来られたのです。そして三代を成して天国の種を拡大していくのです。 偽りの父母から、天国の種を破壊する偽りの愛、偽りの生命を受け継ぎました。ですから、その反対にメシヤである真の父母が来られて再び三時代の基準をつくることによって、どこに種を植えても繁殖し、天国に直行する人々をつくります。それが、統一教会の家庭を立てて天国に行くことのできるチケットに印を押してあげていることです。(拍手) そのようにするためには、野生のオリーブの木を切ってしまい、真のオリーブの木の芽を接ぎ木しなければなりません。新しい芽です。そのようにして血統が変わるのです。接ぎ木すれば、切ってしまったものは肥料になります。切ってしまって接ぎ木すれば、世界全体は肥料とともに養育することができる新しい家庭の体になるのです。腐ったものは肥料になります。 芸術的な夫婦の生活 それでは、人間で最も貴い所はどこですか? (「愛の器官です」)。愛の器官とは何ですか? 生殖器です。生殖器とは何ですか? 自分のものですか? (「いいえ、違います」)。だれのものですか? (「妻のものです」)。(笑い) それは、だれがそのように言ったのですか? だれがそのように決めたのですか? (「神様です」)。神様です。天地がすべてそのようになっています。存在するものはすべて愛のために生まれました。愛のための存在は、自分のための生殖器は持っていません。相対のためにあるのです。 女性はイヤリングをしますが、どうしてか分かりますか? 女性は、ぶら下がっているのを好むのです。神様を象徴する上部構造である頭にぶら下がっているものは何ですか? 耳は四方を象徴します。そこにぶら下がっているものが何だと思いますか? イヤリングは女性です。女性が男性にぶら下がっているのです。 そして女性は、ネックレスが好きです。これも、「男性にぶら下がって生きていこうということです。首にぶら下がってです。(笑い)首にくっついていなければなりません。そのようにすると、女性が傾きますか、男性が傾きますか? 男性は傾きません。その次は何ですか? 指輪です。女性は指輪をはめて生きていくのです。これは、愛を象徴します。指輪は、なぜ四番目の指にはめるのですか? それは「東西南北を経由するということです。 よく寝て、よく休むのは男性ですか、女性ですか? (「女性です」)。男性よりもよく食べてよく寝て、夫が帰ってくるのを化粧をしながら夕食の準備をして待ち、帰ってくれば「アイゴー、お帰りなさい。おふろに入ってください」と言います。(笑い)男性たちは、死ぬほど疲れて帰ってくるのです。(笑い)おふろに入って疲れてしまい、ご飯を食べながら、うとうととするのです。うとうととしているときに、妻はご飯を片づけてしまい、背を向けて夫に悪口を言います。「この人は夫の役割も果たせない」と不平を言うのです。 それは、女性が悪いのですか、男性が悪いのですか? 先におふろではなく食膳を出して、「早く家に入ってきてください。とても疲れたでしょう?」と言いながら、ご飯を食べさせてあげながら抱いてあげ、「ひざの上で一眠りしてからおふろに入ってください」と言えば、その夫はどれほど幸福でしょうか! そのようにお互いに抱き合って、夫にご飯を食べさせてあげたならば、その夫婦はどれほど幸せでしょうか? 先生は不幸な男性ですか、幸福な男性ですか? (「幸福な男性です」)。私が幸福な男性ですか? (「幸福な男性です」)。なぜ幸福な男性なのですか?先生が、なぜ幸せなのですか? 髪の毛が長くなったときは、「オンマ、髪の毛が長くなった」と頭を差し出せば、お母様が髪の毛を切ってくれます。つめが伸びれば、「アイゴー、つめが伸びた。つめを切って」と言えば、切ってくれます。足のつめが長ければ、「アイゴー、靴下が切れるから足のつめをちょっと切って」と言えば、不平を言わずに切ってくれるお母様なのです。 何を頼んでもお母様がすべてしてくれるので、それが幸福なのです。おふろ場に入っていって、「アイゴー、背中がかゆい。背中に垢がたまっているからこすって」と言えば、こすってくれるのです。(笑い、拍手)お母様はどんな女性よりも、少しでも多く先生を愛すれば、それで幸せなのです。それが芸術的であり、幸福なのです。先生は、お母様の突き出ている所は全部触ってあげるのです。鼻も、耳たぶも触ってあげます。指も、お尻もです。(笑い) それが、芸術的夫婦が生きる愛の方法であり、暮らし方なのです。それは素晴らしいですか、素晴らしくないですか? (「素晴らしいです」)。私は、お母様の長男のようです。わたしたちには息子・娘が十三人いますが、皆、「お母様、髪の毛を切ってください」と言うので、お母様は、「子供たちはお父様に似ている」と言います。 ですからお母様は、一週間に何度も切ってあげなければなりません。そのために、お母様の鏡台の引き出しには、髪の毛を切る道具があります。そのように、外的に必要なものは母親が与えてあげ、内的な愛は父親が与えてあげるのです。それが理想的家庭です。外的なことは母親がして、内的な愛は父親が与えてあげるのです。 その日、よいことがあったか嫌なことがあったかは、女性の目を見れば分かります。その目をどのようにして笑わせるのかが問題なのです。向かい合えば目が笑い、鼻が笑い、口が笑い、走ってきて首にぶら下がって夫を抱き締めることができるようにしなければなりません。 女性たちは首にぶら下がって生き……。そして抱いてあげて、寝台に寝かせてキスすれば、どれほど幸福ですか? それが芸術的な夫婦の生活なのです。教主が、愛に対してこのように話さなければならないのは、どれほど大変なことでしょうか? かわいそうな教主です。(笑い)このような話をしたら、「アイゴー、文総裁は下品な男だ。聖なる壇上であのような話をする」と言う人がいるのです。この世の人は、そのように言うのです。「聖なる教皇のようだ。神様のようだ」と考える人は一人もいません。「淫らな話を良いことのように話す」と言うのです。 どのようなものが理想的なのですか? (「お父様です」)。正しく暮らさなければなりません。そうしてこそ天国に行くのです。神様を訪ねていかなければなりません。教えてあげることがどれほど多いでしょうか?ですから、皆さんは首にぶら下がって生き、夫婦が一つになって生き、芸術的に幸せに生きなければなりません。そのためには、「ために生きなければならないのです。 すべての存在は相対のために生まれた 女性という言葉は、女性が先にいて出てきた言葉ではありません。女性という言葉は男性を認めている言葉だということを知らなければなりません。「上という言葉は「下を先有条件としていう言葉です。「下という言葉は「上を先有条件としていう言葉なのです。 「右の目は「左目を認めている言葉であり、「左目は「右目を認めている言葉です。上の唇は下の唇のためにあります。上の唇だけあれば、どうなりますか? 人には五官がありますが、五官の中で自分のために存在するものがありますか? 目は目自体を見るために存在しているのですか? 鼻や、口はどうですか? すべての存在は、相対のために生まれたのです。そのことを知りませんでした。独身の牧師が「自分も男性である」と言っても、男性である自分のために生まれたのではありません。男性は女性のために生まれた、ということを知りませんでした。女性もそれを知りませんでした。自分の体は自分のものだから、思いどおりにしようと考えていますが、そうではありません。主人は夫(妻)なのです。 女性の胸は、だれのためにありますか? 自分のものですか? (笑い)子供のものです。胸の主人は子供です。そうですか? (「はい」)。女性のヒップがどうして大きいのですか? 子供のためです。自分のものはありません。女性はどうして美しいのですか? 女性は肉なのです。男性は骨です。女性が骨のようであれば、火が出ます。骨と骨をこすれば火が出るのです。 ここにいる美しい女性は荒っぽい男性を好みます。女性のような夫と結婚したら逃げていくのです。女性のように白くふわふわした手の男性を女性は嫌います。ふたりとも全く同じであれば、けんかするではないですか。ですから女性がソフトなのです。それでこそぴたっと合います。男性の空いた所を女性がぴたっと埋めてくれるのです。 発電所では、何十万ボルトの発電機のシャフトが回っていますが、それを支えているものは鉛です。ですから、引っかけば裂け目ができます。それはダイヤモンドのように固いものではなく、ソフトなのです。シャフトが回るのを支えているのは鉛なのです。そして、油がその間に入って、何千トンにもなるものを支えているのです。 ダイヤモンドは何で削るのか知っていますか? ダイヤモンドよりも硬いものだと思うでしょうが、そうではありません。それは何かといえば銅です。分かりますか?女性は口を隠して笑いますが、男性は口を開いて笑います。女性が笑えば、「あー」と言いながら手が上がるのです。男性が女性のようであれば、毎日のようにけんかになります。 そのようなときは、さっと妻をおんぶしてあげればいいのです。(ジェスチャーをされる)それができなければ、夫はトイレに十五分間だけ行ってくるのです。(笑い)分かりますか? なぜけんかをするのですか? 一度けんかをすれば、一時間で傷ついたことが十日間も続き、離婚にまで至り、息子・娘も傷つき、万物までも気分が悪くて泣くのです。それは夫婦同士ですることですか? 「夫婦げんかを永遠に見たいですか、見たくないですか?」と目に尋ねれば、「見たくありません」と言います。 鼻もそのような臭いは嫌であり、聞くのも、話すのも、そこにいるのも嫌になるのです。雲がかかって雨が降るのです。日の光を受けなければなりません。そのようなとき、先生が今、話したことを思い出さなければなりません。分かりますか? けんかをよくする女性、私がこの時間に賞を上げるので、手を挙げてみてください。(笑い)いないのですか? アメリカの女性は、男性とけんかをすればいつもチャンピオンです。東洋ならば男性が殴れば、それで終わります。アメリカでは、男性が一発殴れば、「離婚だ。離婚すれば息子・娘はすべて私が連れて行く」と女性が言います。アメリカは法律が悪いのです。 息子・娘は自分のものですか? 父親の骨の中から出てきた生命です。これは骨です。男性が骨を植えてくれるので、肉を付けて母親の体から生まれるのです。ですから、夫がたとえ博士になっても骨の役割が果たせなければ、女性がかわいそうです。女性が博士になっても、夫が半人前の男性ならそれで終わりなのです。男性は骨である、ということが分かりますか? (「はい」) 子供の種が骨の中にあります。骨の中から出てくるのです。女性は肉です。夫が骨を植えてあげ、母親のおなかの中で大きくなって、肉を付けて出てくるということを知らなければなりません。それゆえに母親と息子が一つになり、母子が父親と一つになってこそ完全な家庭なのです。 ですから父親は骨を、母親は肉を付けて私を産んでくれるのです。そこには自分という概念はありません。自分というものはないのです。愛だけがあります。愛には、すべてが入っているのです。愛と生命と血統だけがあるのです。 私にあるものは、父母の愛と父母の生命と父母の血統です。それゆえに父母が離そうとしても離せないと言うようになるとき、父母の永遠な所有となるのです。皆さんは、そのようにならなければ天国に行くことはできません。 祝福家庭の価値 祝福家庭は手を挙げてください。全員そうですね。なぜ「祝福家庭というのですか? それは天国の招請なのです。偽りの父母の偽りの愛、偽りの生命を受けることによって地獄まで行ったので、百八十度反対の真の父母、真の愛、真の夫婦、真の子女を中心として真の家庭を成してこそ、天国へ入ることができるのです。 天国には、真の家庭を中心として神様と共に暮らし、内的父母であられる神様と永遠に共に暮らすことができる夫婦生活をする人たちが入っていきます。神様の家庭に属するアダム完成家庭が入るのです。 天国には家庭で入っていくようになっているのであって、一人で入っていくようにはなっていません。個人救援を受けるというのは、それは天使長の世界です。このことを知らなければなりません。 家庭をしっかりとつかんで、家庭を復帰しなければなりません。家庭を正しく立てなければならないのです。サタンが、神様の家庭理想を完全に破壊することができる武器が、フリーセックスやホモです。それは、完全に人間をなくしてしまうものです。 彼らの家庭がどこにありますか? 「家庭が嫌だ」と言いながら、ホテルに行って男性と女性が暮らしているのに、家庭がどこにあるというのですか? 永遠に片方しかない立場ではないですか。 一日に何人も相手を変えて、ありとあらゆることをするのです。それが何の理想家庭ですか? 息子・娘は必要ないと言う人たち、独身生活がいいと言う人たちは地獄に行って、家庭世界の天国の前の隅の方に立って眺めながら、和合する所がありません。和合する相対がいないのです。 真の家庭の主人と所有を占有することのできるのが、天国なのです。真の家庭と真の主人と真の所有権を所有するのです。真の家庭が何かといえば、夫婦です。夫婦が何かといえば、神様の実体対象です。神様の体なのです。真の家庭を持てば、皆さんは神様を「お父様」と呼びます。親子関係です。父親と息子、母親と娘であり、一つの体なのです。縦横を合わせたものだからです。 み旨に従って一つになった夫婦が愛し合うときには、お互いが「神様をお迎えして愛の部屋に入っていく」と考えなければなりません。そして完全に心と体が一つになり、その妻が天下の女王の中の女王であり、美人の中の美人であり、一人しかいない絶対、唯一、不変、永遠なる、愛する私の体であると考えるのです。愛の体です。このようなことを知らなければなりません。 主体が主人であるならば、愛で一つになることによって主体である主人が自分の愛の所有になります。愛の所有として一つになるときには、主体を中心としてその愛も自分のものなので、主人も所有も自分のものになるのです。 主体と同じ価値を持つようになるので、宇宙のものは自分のものになります。「全世界の美人大会で、千回も万回も優勝した女性と、美男子大会で千回も万回も一位になった男性の夫婦より以上の位置に立って、一度しかない愛を結ぶというのが夫と妻である。神様まで関心を持たれて、共に暮らそうとされるような家庭をつくる。アーメン」と言わなければなりません。 神様に侍って暮らし、神様をお迎えして愛したという経験をしなければなりません。そうしてこそ天国の神様の血族になれるのです。妻は、王妃があいさつして、王の部屋に入っていって王に侍るとき、または、侍女が王と結婚して初夜を迎えるとき以上の謙遜な心を持って夫を愛し、夫もそのような謙遜な心を持たなければなりません。そして、雷のプラスとマイナスが何億万ボルトでパッと一度に爆発し、ごろごろと音を立てながら世の中を燃やしてしまうことができるくらいに愛そうという心を持たなければならないのです。 祝福家庭がどれほど……。天の国で神様がごらんになれば、家庭は星のように光り輝いているのです。神様も喜ばれます。太陽や月のように最高に光り輝くことができる愛し合うカップルになろうと思わなければなりません。 そして、どれほど掘っても、十年共に暮らしても、その愛の谷間を搜し出せず、一生の間掘り続けながら死んで、永遠の天の世界に行って初めて神様の前ですべてが公開され、一度でピタッと合わせるのです。 ですから、夫に対して研究してください。平面的に夫を見て「性格がこのようだと思っていても、後ろを見ると宇宙全体が入っています。「神様よりも素晴らしいと思うようになるのです。上から下に、東西南北の四方に違う面があります。 それゆえに、結婚するときに「私の夫はこうだと思っていた印象から抜け出すことができなければ、愛の理想を成就することはできません。上も見て、下も見て、寝ている姿も見て、すべて研究しなければなりません。 皆さんは、自分の夫に関して死んでも忘れることができない魅力的な部分を記憶していますか? (「はい」)。それはどこですか? 体全体です。「パチパチする目が私と似ている。息をするのが私と似ている。聞き方も私と似ている。唇も私と似ている。感じ方も私と似ている。好む愛も私と似ているので、それを手放すことはできないというように感じたことがありますか? 天国の一番の夫婦になる それでは、結論を出しましょう。心は年を取りません。そうですか? (「はい」)。心が年を取らないならば、愛はどうでしょうか? (「年を取りません」)。生命はどうでしょうか? (「年を取りません」)。血統はどうでしょうか? (「年を取りません」) 神様の真の愛を中心としては、すべて年を取らないのです。十年、二十年と愛が深まっていくほど、美人になっていきます。世の中で一番の美人、美男子になるのです。 地上においての醜い男、醜い女、黒人、白人であるということとは違います。愛の光ほど明るいものはないので、地上で醜い姿であったとしても、天の国ではその姿が最高の美しさになり、どんどん若くなっていくのです。 世の中の美人たちは、だんだん老けていきます。美人が天国に行けば、この世の美しさを中心として美女にならなければならないはずなのに、そうならないのです。愛の光が最高の光なので、そうならざるを得ないということを知らなければなりません。ですから、愛する妻は天宙の私の光であり、私の夢であり、私の幸福であり、私の平和はそこにあるのです。分かりますか? (「はい」). どこに行っても、いくら世の中の美人、有名な俳優を抱き抱えても、自分の夫や妻以外の相手には、腐った臭いを感じるようにならなければならないのです。天に通じる心を美しくする道以外にはありません。神様のように、太陽のように光り輝くことができ、神様もその光が慕わしくて訪ねてこられるような皆さんの家庭にならなければなりません。 先生が霊界について話したことを李相軒氏も信じなかったのですが、霊界に行ってみたら、先生のみ言がとても正確だったのです。皆さんも、李相軒氏の霊界からの証言を聞いてください。 四位基台理想というものは、神様と父母を中心として三対象目的が一つになるのです。神様は見えないのですが、三人が一つになってこそ見えるのです。夫婦の中に息子と娘が入っていき、神様がその中におられます。ですから、四位基台が一つの体にならなければならないのです。 きょうの総結論として題目を語るならば、「天国の一番として入っていくことのできる私たち夫婦となります」です。それがアダム家庭です。(拍手)アダムの神様がお父様でした。私たちの神様もお父様なのです。同じです。 私たちはサタン世界の家庭の前に立っているので、勝って突き抜けていかなければならないのですが、その仕事を先生がすべてしました。先生が祝福を世界化時代にすることによって、アダム家庭、天国のチャンピオンになることのできるチケットをもらったと考えて、皆さんが努力して先生のみ言と完全に一つになった世界、地上・天上の無限な解放世界で、王子・王女として主人の資格を持って登場しなければなりません。それが祝福を受けた家庭であったのです。アーメン。(「アーメン」) 真のご父母様は、地獄の門と天国の門のすべてを開いて聖子と殺人魔まで同じ位置で祝福しました。子女である皆さんも、堕落せずに祝福してあげられる愛を終わりの日にこの地上で成したという位置に立っています。ですから、その父母を絶対信仰、絶対愛、絶対服従する位置に入っていけば、真のご父母様が行く所に間違いなく入っていくことができるので、私たち統一教会では「ジャルジン宣言」が宣布されたということを知らなければなりません。(拍手)神様は、堕落がなかった世界の位置を必ず回復されるのです。神様は、堕落がなかったアダムの完成世界において、すべての怨讐をなくされます。 これから学ぶべき七つの内容 皆さんの家庭が天国に行くことのできる、りっぱな家庭になることを願いながら、第四十回「真の子女の日」を過ぎて、四十一回から四十三回までにすべてを整理しなければなりません。(「アーメン」) いつもこのような集まりに来るときは、一人で来るのではありません。先祖を連れて、一族を連れて、後孫の道をならすために来るのです。アダム家庭で孫を考えることができなかった基盤を、今日、皆さんの家庭において成し、その基盤を地上天上天国完結のために、霊界と現在の国と自分の後孫が合わせて喜びの祭物として天の前にささげる時間であるということを考えなければなりません。集まるときには、いつもそのように考えるのです。 (板書されながら話される) 一番目は予言者(『彼は誰なのか』)。 二番目は父母天国論(『地上生活と霊界』)。 三番目は李相軒氏の霊界の証言(『霊界の実相と地上生活』)。 四番目は『父の祈り(孝心編)』です。 五番目は「ジャルジン宣言」(第一宣言から第四宣言まで)。 六番目は「コディアク宣言」(『四・四節』宣布の内容)。 七番目は一九九八年十月五日、秋チュ夕ソク(陰暦の八月十五日、先祖に祭祀を行う韓国の名節)の「全体解放統一式」です。 先祖を崇拝しなければなりません 以上の内容を、しっかりと学んでください。 アダムの生まれた日、アダムの結婚した日、アダムが死んだ日がなければならないのですが、その日がありません。生活の記録がないのです。しかし、それは神様に必要ありません。 真の父母のときにおいて、真の父母が生まれた日と、真の父母が結婚した日と、真の父母が死んだ日と、真の父母の生活観を残すのです。皆さんは、それを守らなければなりません。(「アーメン」)。(拍手)新しい愛の世界をつくってこそ天国に行くのです。 先生が願う以上の息子・娘になりたいという人はいますか? 「なりたい」というのは希望なので、未来のことですから大丈夫です。「なりたい」という人は、手を挙げてみてください。(歓呼)ワー! 一所懸命に努力してください。(拍手)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール (250ml×6本セット) 韓流 コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.11
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「復帰完了」宣布一九九八年十一月六日、ブラジル・ジャルジンの二ューホープ・エデンの園にある世界平和理想家庭教育本部で、四十日修練生たちに、ジャルジンを中心としたパンタナール、サロブラホテル、ベルジド(聖殿の跡)など、四か地域の摂理的な基盤の上に、「復帰完了」が宣布された。真のご父母様は「完了とは完成の次の段階であり、完成して本来の主人に捧げるという意味がある」と説明された。 み言 題目は「復帰完了」です。そのような題目になると思います。(円を板書されながら)丸く見えますね? これはあごみたいですが、丸顔のようになりました。無形の観念と思ってください。神様とアダム・エバ、カイン・アベルがいるのです。それで何をしますか? 祝福です! サタンによって堕落したので、復帰するのです。それが一九四五年です。 ここにおいてアベル圏は新教です。カイン圏は旧教です。それらが一つになって、母を迎えなければならないのです。そのためには、キリスト教を中心として旧教と新教が、再臨主を中心とした王権摂理を準備しなければなりません。イスラエル民族とユダヤ教を中心として見るとき、ユダヤ教はアベルであり、イスラエルの国はカインです。それらが一つになった上で何を準備すべきかというと、王権摂理を準備しなければならないのです。 そのためには、永遠なる王が地上に来るので、地上にあっては女王を中心に一族を形成し、民族形成の準備をしなければなりません。イスラエル民族とユダヤ教は、絶対的な母、女王を中心として一つになり、夫、王を迎える完璧な準備をしなければなりません。もしも夫となる王が来たときには、その国の絶対的な権限をもった王の力を中心として、神様の保護のもとに、絶対的な王の前に、絶対的な女王の一族、民族を形成しなければならないのです。さもなければ、イスラエル国家基準を中心としてローマを征服することができません。 ユダヤ教とイスラエルの国は、イエス様を歓迎するとともに、イエス様が家庭を中心として皇族を形成できるように準備を完了しなければなりません。イエス様の新婦はイエス様が来られて選抜されるのであって、イスラエル民族やイスラエル教会が選抜するのではありません。ですから、多くの家庭・氏族・民族から女性たちを集めて訓練しなければならないのです。 イスラエル国家も教会も完全に一つになって、女性、女王を中心として絶対服従できる訓練過程を経るべきでしたが、メシヤが来るまでの四千年間、そのように信頼してきたにもかかわらず、その準備を一つもしなかったのです。 サタンがアダムの妹を盗んで女性世界の堕落圏を形成し、サタン世界を形成したので、この世のサタン世界の王宮では、王が全能の権限をもって、国民の女性を好き勝手に扱うことができます。愛したければ愛し、僕にしたければ僕にするという、自由な権限をもっているのです。ですから、王宮には王妃をはじめとして多くの宮女がいます。そうなれば、王妃は姉、宮女たちは妹となるわけですが、堕落したので、カインとアベルを転覆させるように、女性も姉と妹を転覆させなければならないのです。 それはヤコブ家庭において転覆したのです。妹ラケルの夫となるヤコブを、姉のレアが完全に奪って十人の子女を生み、三人の女を通じて、優勢な家庭圏を奪って繁殖したので……カイン側が強い基準において、イスラエル民族は常に苦難の蕩減歴史によって、捕虜の国家になったり、何度も国が減びたりしたのです。サタン世界の宮中では女性たちが仕えていて、その仕える女性たちを王が好き勝手に扱うのです。何でもできるのです。 なぜ、そのようなサタン的な世界を残すようになったかというと、イエス様が王妃を迎えるその時になれば、王妃の妹たちが多く存在することで……。昔、韓国の百済には三千名以上の宮女たちがいました。中国には三万名の宮女たちがいたと伝えられています。 なぜ、そのようなことが許されたのでしょうか? イエス様が地上に来れば、イエス様の一族、新しい家族と新しい氏族を中心として、国家を形成しなければなりません。アダムの妹をサタンが奪って、このように繁殖したので、イエス様の妻となる方も、妹を中心として蕩減復帰しなければなりません。 ですから、イエス様が結婚した場合には、天国の中心者として立つようになる閣僚や各部署の人たち百二十名以上を、堕落していない王、イエス様の指揮の下で、お互いにカイン・アベルの立場を守ってきた女性たちを中心として、すべて一緒に祝福してあげるのです。そのようにすることによって、サタンの血統を分立して、堕落の内容を断ち切ったエバの基準を蕩減復帰するのです。 女性が問題なのです、女性が。王妃は宮中の女性たちを妹のように、未来の後継者として愛さなければならないのに、そのような王妃が一人もいませんでした。妹でありながら怨讐の立場にあったので、競争してきたのです。そのため、女性ゆえに引っくり返ったり、ぐるぐる回ったりしながら来たのです。女性が問題なのです。 イエス様を中心としてイスラエル民族とユダヤ教、カインとアベルが一つになった場合には、どうなっていたでしょうか? 世界的な主権を建設したとき、その閣僚たちまでも堕落の血統と因縁のない……、旧教と新教で一番の美人、宮中で学び、宮中での出発基準の体験をもった女性たちと結婚させてあげたのです。 そのようになった場合、それは天使長が女性を蹂躙した立場ではありません。主人、王が公認して結婚することによって、サタンの血統以上の基準に連結されるのです。相手の女性は堕落していない立場なので、イエス様の祝福によって、サタンの血統を断絶した立場に立ったという条件を立てることができるのです。それゆえに神様が、個人的な王宮、サタン的な世界の王宮を、残してきたということを知らなければなりません。一斉に蕩減するためなのです。 イエス様もそうです。百二十名以上の女性たちを中心として、そこに王妃を立て、その百二十名が一つになってイエス様に仕えたならば、それまでに結婚してサタン的な血統に染まった複雑な者たち、見たくも触りたくもないその者たちを、すべて切ってしまい、再祝福するのです。百二十名の新しい宮殿におけるイエス様の妹の立場にある女性たちを中心として、血統的に一つにまとめることによって、サタンの分別が完璧になされるのです。 そのとき、そのようなことがなされていたならば、統一教会で今、サタン血統の断切という宣言をしなくてもよかったのです。それを知らなければなりません。そのようにしていたならば、サタンの血統断切を二度とやらなくてもよかったのです。そのような話をする時間がありません。 そのとき、百二十名の女性たちがイエス様と一体となっていたならば、どうなっていたでしょうか? 祝福と同時に、百二十名の国の主要部署にいる責任者たちが結婚するようになるのです。そうなれば、それ以下の部署は、自動的に結婚するようになるのです。一挙に国家全体が総括して、結婚解放圏に立つのです。簡単なのです。 このような革命的なことを上からやるので、その下の者たちに「このようにせよ」と言えば、「はい!」と答え、「あのようにせよ」と言えば、「はい!」と答え、「上に行け」と言えば「はい!」と答え、「下に行け」と言えば、「はい!」と答え、「前後左右どこにでも行け」と言えば、「はい!」と答えるのです。 どんなに喧嘩をし、どんなに気分が悪く、どんなに夫と別れる運勢をもっていたとしても、絶対服従して一体圏を成し、国家基準における祝福完了圏を超越することができるのです。そうなれば全体が完了するのです。 イエス様を中心とし、神様を中心として、絶対愛の心情圏を築き、個人心身一体圏、夫婦一体圏を中心として、閣僚から全国民までが一体となるので、イスラエル民族も、ユダヤ教も、イエス様の宮殿の親族になるのです。絶対圏を中心として、左右が一つに合わさるのです。 女王を中心として百二十名がすべて連結されるようになれば……。男性たちをすべて連結するには、完全なるプラスとマイナスが一つになって、マイナスとなれば、男性プラスが自然に連結されるのです。イエス様の宮殿の宮女たちを結婚させてあげるという天命が下るときには、それまでの自分が連結された家庭を切って、祝福されたその家庭の方について来いというのです。姉が妹の尻尾にくっつくのです。 そのようにすることによって、完全一体圏の復帰がなされるのです。サタンの血統圏の分別が、国家基準以上でなされるので、聖別や断切が必要なくなるのです。 統一教会では、多くの者をいっぺんに結婚させてあげましたが、血統転換をしないわけにはいきません。復活式や新生式、永生式をしなければなりません。そのような複雑な内容が介在していることを知らなければなりません。 父母を中心として、アベル世界とカイン世界が完全に一つにならなければなりません。旧教と新教は、第二次大戦直後には八億にもなったのです。そのときに結婚式が行われた場合には、一挙に世界が祝福圏に入ったのです。イスラエル民族と第二イスラエルのキリスト教は、再臨主が来られる準備をしなければなりませんでしたが、再臨主が雲に乗ってやって来ると聞き、怪物か何かのように考えて、何もせずに泥棒根性で霊界だけを頼りにしてきたのです。それがキリスト教の失敗なのです。 世界的なキリスト教全体で美人が、数万人、数千名でもいいから、来られるメシヤのために準備し、女王を中心として団結、団結、団結したならば、一挙に世界の指導者や閣僚たちが、妹の立場にある宮女たちと祝福結婚を受けることができたのです。そうなれば、世界が一挙に復帰されたのです。既存の結婚生活をしている家庭は、後ろに立つのです。 サタン的なものを分別しなければなりません。入れ替わるのです。そのときは新しく祝福を受けたその家庭において、アダムを中心としてカインとアベルになるので、アベルの妻に自らのカインの妻を絶対服従させなければなりません。そうでなければ、本妻を立ててきた天国の系統として戻っていける道がないのです。 戻っていく道がないので、妹を中心として新しい家庭を編成することによって、そこに絶対に一つにならなければなりません。離れないように一体化することによって、妹が本妻の立場、本妻が妹の立場となり、一列に並んで再臨主の天国に入れるのであって、平行的であったならば絶対に入ることができません。 個人の転換の主流がそのようになっていますから、世界的に転換する時代には、世界的にそのような環境が現れるようになります。それゆえに、世界的に家庭解放の問題、フリーセックスの問題、ホモの問題などが発生するのです。 天使長には相対理想がないのです。女性が女性と結婚し、男性が男性と結婚するといったことは、動物世界にもありません。相対圏を無視しているのです。天使長には相対がありません。女性を献納する基準を中心として、再祝福のために彼らを使わなければならないのです。 自分の祖母、母、妻、長女や次女まで、すべて再臨主の側にくっついて、世界が一体圏を成さなければならないのです。再臨主が結婚すると同時に……。なぜ、再臨主が再び結婚しなければならないのでしょうか? それが問題なのです。本妻には行けないのです。回っていかなければならないのです。姉が妹に仕えなければなりません。反対なのです。宮女に女王が絶対服従しなければなりません。そうでなければ行く道がないのです。 姉を昼と考えれば妹は夜ですが、夜の世界を通じて戻っていかなければ、昼の世界に戻れる道がありません。妹を中心として姉が絶対服従するという家庭的基準を中心として、一体圏を築くことによって、神の国に戻っていくことができるのです。そのような末世圏になっていくので、家庭がすべて破綻するのです。 イエス様が来られたら、女王も結婚させてあげるべきでしょう? 自分の祖父や祖母も結婚させてあげなければなりません。しかし、祖母が嫌だと言えば、結婚できないのです。女性が主体なのです。天が推薦する方向に適った生活や思想を過去にもっていたとしても、祖母が嫌だと言えば、別れなければならないのです。 そのようにすれば、世界平和圏、統一圏が完了したでしょうか、しなかったでしょうか? そのようにしたならば、一九五二年に完全に地上天国が完了していたのです。これまで先生がやってきたことは、及びもつきません。『父の祈祷』の孝心編を読むと、四十年前の祈祷ですが、同じ内容なのです。そうでしょう? 今までの歩みを振り返ってみなさい。三万双から一億二千万双まで何年かかりましたか? 七年間です。一九九二年から一九九八年まで七年間なのです。一九四五年から一九五二年までと同じです。 一九九二年には女性解放を宣布したのです。そうして、祝福を世界化したのです。このように七年間に完了しなければ、蕩減復帰ができないのです。イエス様一代で完了すべきだったことを、先生一代でなすのです。四千年間に数千万人を犠牲にしながら築いてきた祭壇を、そこに合わせて先生の前できれいに聖別するのです。それを一代で聖別するというのは、夢のような話です。 それを知った先生が、生涯路程を前にどれほど苦心してきたか、皆さんは想像もつかないことでしょう。内外ともに完璧でなければならないのです。見えない霊界における完璧な勝利圏を築くと同時に、完璧な理論体制を携えて、知識人たちが批判しても完全に欠点がなく、頭を下げて跪かざるを得ない、現実と実体を獲得できる勝利圏を築かなければ、地上天国・天上天国は永遠に現れないのです。 そのような苦労をした先生について、皆さんは何も知らないのです。ごまんといる、女性としてのレベルに達していない、飲み込みの悪い女性たちに、永遠に純潔な母の世界の伝統を伝授するということは、夢にも考えられないことです。 日本は島国で、卑賤な女のような国です。いとこ同士で結婚したり、総理や大臣の妾に自分の娘、東大出の良家の娘を結婚させても自慢するという、そのようなサタン的な国なのです。そんな国が天の最高基準の、聖別された女王の価値として公認される立場に立てられたのに、天から伝授されたその価値を知らないのです。 予言書にも出ているのです。日本が使命を果たせなければ、三人の娘に当たる島国は補助をすることはあっても、母の使命を代身する資格はないのです。そうなれば蕩減復帰によって、米・英・仏を中心として第二次世界大戦で得られた勝利圏を再び抱き…、日本とドイツが弁償しないで済ませてきたすべてを再び弁償するようになり、後悔して悔い改める条件に引っかかって、引っ張られていく道しかなくなるのです。先生はこのような教育をして、最後の決断を下さなければならないのです。深刻なのです。 ……これを成し得ずに、キリスト教の旧教と新教が反対したので、世界的な立場でアダムとエバが二度堕落したという立場になりました。神様が認定する基準の相対基盤をもてなかったので、一人になるしかなかったのです。韓国の統一圏、文氏の統一圏、すべてが二つに分かれたのです。東西文化統一圏や地上・天上統一圏、神様の心情一体圏、すべてが二つに分かれたのです。そのような基盤の上に、共産主義という問題によって韓国を中心として、朝鮮半島の六・二五動乱から冷戦が始まったのです。 それが最後の時となって、韓国のオリンピック大会、百六十六か国の国連加入によって、分かれていたモスクワとロスアンゼルスのオリンピック大会の二つが一つになることによって、冷戦が終わりを告げるのです。韓国動乱の休戦状態とオリンピック大会が結束して、百六十か国が参加する世界的な大オリンピック大会に発展したのです。そこに貢献した国が韓国なのです。 そのとき統一教会の文先生は、百二十か国以上の世界の宣教師、百六十か国に派遣された世界的な二世の宣教師とその国の二世たち、肉体の健全なチャンピオンたちを組んで、オリンピック大会を支援したのです。全世界の宣教師が共同作戦を取って、大使館やその本国よりも強烈に、世界的なオリンピック大会に神様のみ旨の基盤を造成する条件的な活動を展開したのです。 考えてみなさい。ソ連が一位、東ドイツが二位、三位がアメリカで四位は韓国でした。これは夢のようなことです。サタン圏のカイン・アベル、天の側のカイン・アベルが先生を中心として引っくり返ったのです。そこから世界的な準備を整えたのです。一九八八年を中心として一九八九年に「八定式」を発表し、その次には「天父主義」を発表したのです。それを中心として一九九二年に「女性解放宣布」をしたのです。 その時までお母様は先生の横に立つこともできませんでした。神様の前に立たないで、一番後ろに立っていたのです。先生の後ろにお母様が立っていたのです。前ではサタンを中心として闘争しているのです。お母様はサタンの秘密や闘い方を知らないのです。絶対服従することによって、世界的な祝福圏までずっとつながってくるのです。 一九九二年の三万双の祝福を中心として世界的な祝福圏に入るのです。三十六万双、三百六十万双で祝福の世界化運動をして、三百六十万双の時に三千六百万双の基台を何とかして着陸させたのです。それで今回三千六百万双の基準を中心として三億六千万双の祝福をするのです。これは山から吹いてくる北風のように垂直に進むのです。神様が切に待ち望んでこられたこの時を失ってはなりません。昨年十一月二十九日にやったので、十か月の間に三億六千万双をやるのです。 このような威勢堂々たる権威をもってサタン世界を屈服させるにあたり、その能力が死んでいなければなりませんか、生きていなければなりませんか? 生きていなければなりません。そこにおいて花が咲き、実を結ばなければならないので、祝福の世界化と共にサタンの血統断切を宣布し、二世全体が神様の祝福圏に立つ時代、世界的な春の時代に入ったのです。そのような統一教会の自由解放圏内に入ったと考えるとき、全体・全般・全権・全能の時代、神様がなそうとされることに不可能のない時代に入っているのです。 サタン世界の婦人としては、周りを見なければそのような展開が分からないのです。そのような立場にあるのが、日本というエバ国の全国民なのです。そのまま一人にしておけば、地獄のどん底に落ちてしまうので、ブレーキをかけてきたのですが、止められないのです。あきらめざるを得ない限界に来ているので忠告しているのです。こんなにはっきりと話してあげたのに従わない者については、先生は責任をもちません。 これまでは神様と人間の家庭を連結することができなかったので、その分別基準を中心として、お母様は先生の後ろについて来ましたが、世界的な祝福圏を中心とした編成によって、一九九二年の「女性解放宣布」と共に始まった世界的な女性運動を中心として、横に立つようになったのです。世界家庭を吸収する解放圏に立ったのです。先生の横に立つ、お母様の位置に初めて立ったのです。 そうなることによって、後ろにいた神様、人類のすべてに逆について来られた神様が、先生の前に来られるのです。先生がお連れして、先生の宝座に座っていただいて礼をし、神様の家庭の世界化運動に連結するのです。それが三万双、三十六万双、三百六十万双、三億六千万双なのです。そのようにして、祝福の峠をすべて越えてしまったのです。 そこには怨讐も何もありません。エデンの家庭でカインがアベルを殺した、そのような思いや意識を、神様の心情と愛によって消化することによって、勝利したアダム家庭の資格で神様を解放し、悪魔や殺人者までも解放して、天国に参席・加人できる権限を与えるために、地獄の門と天国の門を開いたのです。 今まで祝福した家庭の中には、マフィアもあり、やくざもあり、悪人や殺人者、逃亡者など、さまざまな人がいました。そのような処置によって、その圏内にいるすべての罪人たちは、歴史的に解放圏に立つようになり、神様に帰るハイウェイに乗って、天国に至るまで飛ばしていけるのです。天国の至るところに行ける、世界的な天宙解放圏を宣布したのであります! アーメン! 女性解放を中心としたその七年間を経て、今日、先生一代で解放圏を築くようになったのです。エデンに帰るのですから、そこには日本や韓国といった国はありません。このようにして、失われた第二次大戦直後の基盤、一九五二年の世界的完成圏をやっと再び迎え、祝福の世界化運動を中心として解放を宣布し、サタンの血統断切までも宣布したのです。ですから、サタンの条件に全く引っかからず、神様が万歳でもって歓迎なさることのできる、全権をもった新しい理想世界が展開されるようになったのです。 それは統一教会の勝利した家庭、純潔を守って純粋なる家庭の前に、神様が相続してあげるようになるのです。雑多で無秩序な家庭は、そのようにできないのです。そのような類の精神を徹底化するために、祝福家庭の教育を始めざるを得ません。その三回目に日本の幹部たちが参席したのです。尻をひっぱたいて連れてきたのです。 このようにすることによって、サタン世界の個人から、家庭・氏族・国家・世界全体が祝福の恵沢圏内に入ってきたのです。祝福を受ければ、それは世界的な解放ですから……。天国に入る門には、サタン的な門がありません。サタンの門を通過して天国に入るという道はないのです。天国の門は、一つしかありません。真の父母が来られて、初めて天国の門を開放し、その後で地獄の門を開放するのです。ですから、サタンも仕方がないのです。霊界の先祖は、天使長の体ではありません。アダムが十六歳以降に、サタン的な体となったのです。堕落以降、天使長の体となって生んだのが人類です。これを解放することによって、先祖たちはどのようになるでしょうか? 彼らをどのように救うのでしょうか? 天使長個人がアダム家庭を保護して、勝利圏に立てなければならなかったのに、それができなかったのです。ですから、今回はアベル圏の天使長家庭がそれを成さなければなりません。それで、堕落した血統を受け継いだ霊界にいる先祖たちを祝福するのです。 彼らを祝福してあげれば、彼らは天使長の兄と同じです。天使長の長子圏家庭なので、天使長の次子圏の立場に立った家庭を、自由に治めることができるのです。地上にあるサタン的な家庭を完全に追放し、除去できるのです。そのような祝福をしていくのです。 そのすべてをここに(以下板書をされながら)投入するのです。霊界の先祖を投入して、天使長が個人的に未完成なもの、言い換えれば理想家庭、理想国家の編成のために、カイン圏の先祖たちが、アベル圏の家庭・国家・世界を保護する時代へと転換していくのです。サタン家庭を追放するとともに天の家庭を助けるのです。 サタン世界のすべてを超えていくのです。このように世界化しましたから、その天宙的メシヤは誰ですか? 神様なのです。世界的メシヤは、再臨主、真のお父様なのです。そして国家メシヤ、氏族的メシヤ、家庭的メシヤと、メシヤがすべて……。ここで勝利すべきことが成せなかったので、失ったものをここで蕩減復帰するのです。天地メシヤの再臨、世界メシヤの再臨、国家メシヤの再臨、氏族メシヤの再臨、家庭メシヤの再臨が、ここで成されるのです。 ここジャルジンにおいて、皆さん祝福家庭が氏族メシヤになり、家庭メシヤにもなるのです。全体のメシヤがここに集まってくるのです。失ったものをここで蕩減しなければならないのです。韓国を中心として地面を垂直に掘っていくと、ぴったりこのウルグアイとパラグアイの地になるのです。それは南米大陸を中心としてカインとアベルです。ブラジルがカインならば、パラグアイはアベルです。アベルは東洋人の混血国家です。パラグアイはアフリカとの混血国家なのです。 神側から見ると、超国民的、超人類愛をもった国なので、アベルの立場となるのです。ウルグアイはサタン的です。白人しかいません。黒人と有色人種をすべて撲滅したのです。それを今、この基準を中心として家庭教育をすると、パラグアイが自動的に吸収され、ウルグアイも自動的に吸収されるのです。そのようにして四か国の経済統一圏を築き、四か国が一つになってアメリカから防備するのです。これは欧州と一体になっており、それ以上は北米と関係しているのです。北米と南米の紛争の中間圏に文先生が立ち、旧教と新教を統一することによって、南米と北米が統一される大転換期に入っていくのです。何によってでしょうか? 祝福によってです。 祝福をするにあたっては、旧教の信者も新教の信者も、南米人も北米人も祝福するのです。統一圏で祝福することによって、一つの文化圏が生まれるのです。そのような条件によって、かつて一体圏とならなかった南米と北米、旧教と新教が一体圏の立場に立って、祝福を受ける勝利圏を形成するとともに、世界を超越した基準になるのです。 ここにすべてが集まっているのです。神様、万能の王、国家メシヤ、氏族メシヤ、家庭メシヤ、すべての祝福家庭をここで結束させるのです。これまで四十年以上……ここですべきであったのに、それを失ってしまったので、先生は一人で来たのです。何もなしにです。 文氏の氏族が分裂し、国が反対し、東西文化が決裂し、地上天国が分裂したすべてを、ここで統合するのです。全体・全般・全権・全能なのです。世界の組織体制は平面圏になるのです。既に左翼も右翼もなくなりました。全権とは何ですか? サタン的な主権や全権によって神様の法を破壊した者は、全能なる神様の全権を中心として引っくり返るのです。 そのような条件のもとに、パンタナールやジャルジン、ベルジドやサロブラがあるのです。これが蘇生的で、サロブラが長成的で、パンタナールが完成的なのです。これから観光レジャー産業を活性化するのです。先生が話したでしょう? レジャー産業を興さなければなりません。将来は戦争というものがありません。青少年のバイタリティーをいかに消化するかが問題です。今、アメリカで海洋挑戦(オーシャン・チャレンジ)というのをやっているのです。やくざ、マフィア、テロ団に加入していた悪い青年たちを、海洋訓練させていますが、それが面白くなれば酒場には行かないのです。みんなが指折り数えてオーシャン・チャレンジの記念日に、東西南北を問わずに参加するようになります。大きなブームとなっているのです。 ですから、ここで皆先生について来いと言っているのです。神様と共に、神様を一番前に立て、先生とお母様を中心とし、先生の子女を中心として、上がっていくことは問題ないのです。 一九四五年から一九五二年までの祝福解放圏を築いて、再び戻ってきました。その基準において必要なのは、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の道です。神様が創世前に決意して成された、その基準に戻るのです。家庭的に完成したその基準を通過して、神の相対になる、それが「ジャルジン第一宣言」なのです。 「第二宣言」は何ですか? 神様の四大属性圏の相対は、その四大属性に一致しなければなりません。絶対・唯一・永遠・不変なる神様の「愛の相対」である私たちは、家庭において父母として絶対、子女として絶対、夫婦としても絶対、兄弟としても絶対、このような四大心情圏の実体にならなければならないのです。子女もそうであり、夫婦もそうであり、家庭時代のすべてが、そのような完成圏を築かなければならないのです。それが「ジャルジン第二宣言」です。それを忘れてはなりません。 父母として、絶対・唯一・不変・永遠なる父母にならなければなりません。そのうち一つでも成したならば、すべてが完了するのです。子女として、絶対・唯一・不変・永遠なる子女となり、夫として、絶対・唯一・不変・永遠なる夫となり、妻として、そのような四大心情圏をパスした妻となり、そのような父母を中心とした子女になることによって、そのような横的繁殖をする家庭として、徹底した完成圏に一致した解放圏に立つとき、サタン圏とは永遠に分立されるのです。 ジャルジンはどんな所ですか? 先生はここまで来るにあたって、神様を愛し、世界を愛し、万物を愛し、海を愛してきたのです。霊界を知ることによって神様を知り、霊界の事情を知ることによって国を知り、国を知った者として山河や草木をすべて愛してきたのです。 そして、先生は生涯にわたって水と陸地を愛してきました。陸地から海に帰るのです。陸地を連結して帰っていくのです。蕩減復帰なのです。後ろにはサタンがついてくることができません。解放圏を中心として歴史的なすべての罪……、神様とアダムが失ったものをすべて取り戻して、神側に入籍させることによって、天下の平和統一が必然的になされ、「神の解放完成」という表題が実現するのであります! アーメン! それ以上の解放圏はありません。何をもってその喜びを表わしたらいいのでしょうか? 天下を相続する厳粛なこの時間…、皆さんは心の中で誓い、誓った結果以上に踏み越えて、跳躍でなく飛躍する、天の王の前に現れる孝子、愛国者、聖人、聖子として、神様の皇族に属する祝福家庭になるために競争し、チャンピオンにならなければなりません。 そのようなことをわきまえ、このようにいったん団結した基準において、先頭に立とうが、後ろに立とうが、それは各自の自由、決意次第なのです。チャンピオンになりますか、びりになりますか? チャンピオンにならなければなりません。チャンピオンは一人ですか、二人ですか? 先生がチャンピオンならば、皆さんは十二弟子なのです。三十六弟子として勝利圏を得たチャンピオン圏に立つのです。 復帰完了の蕩減圏において神様を愛し、万民を愛し、山河や草木を愛し、海を愛する路程を行くことによって、サタンによって分裂したすべてをここで結集し、サタンを分別して直行することによって、家庭的な配置をし、氏族編成、国家編成と上がっていくようになっています。「四・四節」を宣布することによって、霊界解放と共に、地上の完全・完璧なる摂理復帰完了の時代を迎えるようになりました。ですから、万歳と共にアーメン! アーメン! アーメン! 宗教圏、政治圏を中心として完了したので、「復帰完了」という名詞が表題となりました。夢のような話がそのまま実現したのです。それで、先生はここにおいて十月五目、旧盆の日に、霊界で祝福した者たち、家庭的なカインの先祖たちを地上に配置したのです。サタン家庭は崩れるのです。万能なる全権をもって平面的に押していけば、全体が平地になるのです。小川が全体的に埋まって平地になるのです。木と空気は平面をつくるのです。 愛も自動的に平面化させるのです。水や空気よりもさらに接着力、通過力があるので、真の愛が浸透できない所は、この存在圏にありません。超越存在として、主体圏を成す権限によって…、すべての実体を愛で主管する権限をもっているのです。それは主人になっても余りある権限です。それが神様の子女としての資格なのです。(三〇七-九、九八年十一月六日)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール (250ml×6本セット) 韓流 コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.11
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2・3日前のことですが、突然にママさんが「文鮮明総裁は独生子ではないんですって」と話してきました。「えぇっ?!」」と、普通の教会員(「非原理集団」は勿論のこと)であればそうなるはずですが、自称ルポライターtomy4509は平然とした態度に、ママさんも呆気に取られていたようです。これまでも「独生女考」の記事を書いてきた私ですから、ようやく点と点が線でつながったというのが、その感想です。9日、今日の日曜礼拝でも教会長の口からそのことを聞きました。2000年前に来られたイエス様が「独り子(独生子)」とすれば、こんにちの文鮮明総裁も「独生子」となれば「独生子が二人は可笑しい」、という理由からというものでした。お母様がこれまでも語られていたもので、その理由が明らかとなった気がします。さて、これに関しては自称ルポライターtomy4509も過去に検証してきたものがあり、詳細は次のリンク先で読まれてください。◆「再臨主の位置--原理講論から整理を!!」(2017.08.16)◆「独生女考(26)-- 「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」は『原理講論』と矛盾しない 」(2017.12.02)分派子女様方、また、長く信仰されてきた大先輩であっても「お母様=独生女」を信じることが出来ないといっては分派へ行かれた方々も少なからずおられる。さてここで、分派子女様方が一番恐れるものがこの「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」ではなかろうか?! b408さんが持ち出してきたDNAの「Y染色体」がそれだ。お父様がが「無原罪の独生子」であってこそ、生まれたときからの男性としての「Y染色体」も貴重視され、それが男系血統に受け継がれた「子女様」としての名分が立つというものだ。これに反して「お父様に原罪あり」(堕落圏から)では、その名分も崩れ去ってしまうからである。2000年前のイスラエルが「エリヤが雲に乗って来る」のを待ちわびていたように、こんにちのキリスト教徒が「イエス様は雲に乗って来る」と信じていたように、三男派、七男派の方々もお父様は『雲に乗って来られた』(無原罪で)と信じたいところである。ところが上記からは、「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」のお母様発言は原理講論から見ても全く矛盾する所がない。このように、過去の慣習や偏見といったものに歪められて原理講論の主人である「真の父母様」を見てしまったのが、分派子女様方ではなかったか。イエス様の再臨、使命継承者である真のお父様もまた2000年前のイエス様と同じように来られるとは、原理から見ても到底信じがたい。過去の中心人物がそうであったように、摂理的中心人物として立つためには必ず「縦からなる横的蕩減復帰時代」(『原理講論』P.452~)に書かれたように「摂理歴史が延長されるにつれて、復帰摂理を担当する後代の人物が立てるべき横的な蕩減条件は、次第に加重されるのである。」というように、無傷では決して通れない道であった。したがって、イエス様の使命継承者としてのお父様も例外ではなかったということになる。ここで、改めて初臨のイエス様を中心とする復帰摂理(『原理講論』P.404~)を見てみたとき、第一次世界的カナン復帰路程の中心人物は「イエス様」ではなかった。「洗礼ヨハネ」がそれであった。ユダヤ人たちは洗礼ヨハネが立てた「信仰基台」の上に、彼をメシヤのように信じたのだが、ヨハネがイエス様をメシヤとして証ししたにもかかわらずそれをも疑うようになってしまい失敗の道をいった。第二次世界的カナン復帰路程は、イエス様が洗礼ヨハネの使命を代理するも、ユダヤ人はもちろんのこと弟子たちまで不信に陥ってしまった。そして、第三次世界的カナン復帰路程であった。上記引用文の『「再臨主の位置--原理講論から整理を!! 」で原理講論の「第三節 イエスを中心とする復帰摂理」』でそれの流れを示したように、再臨主は延長摂理の第三次世界的カナン復帰の「(2)再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程」ということになる。◆「独生女考(27)-- 「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」は『原理講論』と矛盾しない(その2)」(2017.12.04)◆「独生女考(28)-- 「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」は『原理講論』と矛盾しない(その3)」(2017.12.07)また、別の個所では女性が初夜の晩に使うような高価な香油でもってイエス様の足を自分の髪の毛で洗われたとの話もあったが、これもまた、イエス様が「僕の僕」の立場から女性に対してエデンの園でアダムがエバに主管されたその「主管性転倒を復帰」されたことを意味していたのではなかったかとも思う。初臨のイエス様と違って「再臨主」は原理講論・復活論にある「再臨協助」に当たるのではないかというのが、自称ルポライターtomy4509からの意見であったが、今回の教会長からの一言でそれがつながりました。加えて、非公開のはずがメディアでも公開されたお母様み言「(怪しい)全文」からですが、お母様「独生女」にも「成長期間」があって「独生女」の位置に進み出られたのが「小羊の婚宴」であったというものでした。◆「Re:”韓総裁「岸田を教育せよ」の真意、…、(機械翻訳からの)「報道1930」映像”は?」ここで皆さんが考えなければならないことは、天の父母様の創造原則を見て、あなたが選んだ人には成長期間という時間を与えると言いました。 6歳、8歳が摂理を受け入れるわけにはいかないじゃないですか。 そのため、私が自分の意志で判断して決心できるその年齢までは、天が私を守ってくれなければなりません。 それで天は北韓にいる私を南下させ、韓国戦争動乱という危機において空(天)は私を守るために国連の16カ国が動員されました。 国連が創設されたばかりで、それもソ連がある中、どうして満場一致(※ソ連が会議の投票に欠席したため)で国連の16カ国が参加できたのだろうか? これは人間の力ではない。 神様が作ったんだよ。 神様が何のために? 天の摂理の完成を見なければならない独生女の成長期間、時間を与えなければならないからです。 分かりましたか?その時、お父様は韓国にいました。 家庭を持ってました。 ところが天は北に行けと言いました。 なぜでしょうか? 結局は興南監獄で刑務所暮らしをしていた時、国連軍によって南下することになったじゃないですか。天の立場から見て、お父様は16歳でイエス様から召命を受けました。 イエス様が地上で成し遂げなければならない、叶えてほしい。 イエス様の願いは何ですか? 「また来るよ」って言った願いは何ですか? 独生女に会うためだよ。 独生女。分かりましたか?私が韓国戦争を経験しながら多くの善良な若者たちの犠牲を受けました。 しかも外国の16カ国の若い青年たちが来て、最近知ったこの加平戦線をめぐってアメリカにモルモン系の人たちが中心となって中国共産軍と戦った話を聞いたんですが、その時一人はその戦争をして、残酷な戦争をしてアメリカに帰って牧師になって仕事をする中で家庭連合とつながって韓国を再び訪問することになった時、彼は金浦空港から入ってきて本当にたくさん涙を流したそうです。その時、戦争当時残酷だった韓国が、空港周辺に多くの十字架教会があり発展した韓国を見ながらその時の状況を思い出し、限りなく涙を流したそうです。 そして後で言うのが、この国に若者たちが来て血を流すようになったのは、天がメシアを送るための国だからそうなったということを知ったと言いながら感謝したそうです。【送料無料】韓流コーラ メッコール 250ml×30缶 1BOX 炭酸飲料 ノンカフェイン 防腐剤・人工着色料不使用 ビタミンB1 ビタミンB2 ビタミンC コーラ 炭酸飲料 大麦飲料 麦コーラ 韓流コーラ 韓流コーラ🇰🇷一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.09
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総霊界霊人解放式 (ジャルジン第六宣言)一九九八年十月五日(陰暦八月十五日)の旧盆を迎え、ブラジルのサンパウロで国家メシヤたちが参席する中、「総霊界霊人解放式」が宣布された。その場で、既に祝福を受けた四大聖人と歴史的な重要家庭に、任地が割り当てられ、地上を協助する時代が聞かれた。イエス様の家庭は北米大陸、マリアとヨセフの家庭は南米、釈迦牟尼の家庭は韓国、孔子の家庭は中国、マホメットの家庭は中東、そしてソクラテスの家庭は欧州、というようにそれぞれ割り当てられ、真のご父母様はこの宣布を「ジャルジン第六宣言」と命名された。 祈祷 愛するお父様……、今日は一九九八年十月五日、この日は韓国においては旧盆であり、先祖をまつる記念の日でございます。 今や韓国の清平とこのサンパウロの城中と天地を前にし、霊界にいるすべての霊人たち、先祖と千千万の聖徒、神様を威示した地上の愛によって創造された被造万物と、今日この地上に暮らす六十億人類が、一体圏を成した愛の血族をもてなかった神様の恨を…、歴史時代に旧約・新約・成約の解放完成圏に向かって歩んでこられた、お父様の悲しかった歴史を、すべて消し去ってくださいませ。 人間アダム、エバの堕落がこんなにもとてつもない歴史的な悲運をもたらし、願わざる神様の怨讐となったサタンが、この地上に侵人することによって、心と体が分かれ、天地が分かれると同時に夫婦が分かれ、父母が分かれ、親子関係が分かれて散り散りばらばらになって、この地上に家庭的な形態を整えることのできない、主人なき終末時代を迎えました。 このような歴史的な悲惨な姿、天が正視できないような悲惨な姿を天が救うために、旧約摂理・新約摂理・成約摂理による神様の真の愛を解放するための、本然の父母をこの地上に立てるにあたって、どれほど苦労してこられたかという事実をこの息子は知っております。 天におられる縦的な真の父母が、天地を創造した私たちの父であり、地上の真の父母であられる神の体を代身した横的な父母が、私たちの初代の先祖だったということを知っております。 この方たちが家庭を中心として一体圏を成し、一体となることによって、縦的な心と横的な体が一体となり、一体となれる愛の種を地上にはじめて着地させることによって、永遠なる神様の血統と真の父母の血統が連結され、心と体の一つになった万民、子女たちが、この地上に繁殖すべき喜びの出発の一日を迎えるはずでございましたが……、その悔しくて心痛い歴史的な恨の足跡をかき消すために、これまでずっと歩んでこられたということを知っております。 想像を絶する恨を抱かれたお父様の前に孝行できる息子や娘を、この地上に一人としてもてなかったお父様……、寂しくてかわいそうなお父様でございました。億万代の一人息子、一人娘を愛することができず、追放せざるを得なかったお父様のその胸を慰労することができず、この地上に先祖をもつこともできなかった人類の悲惨さ……、そんな人類を見つめるお父様が、どれほど悲痛であったかという事実を、この息子は誰よりもよく知っております。 分別のない時代を過ぎて、神様を知るようになったその日から……、神様が行くべき道の上に平坦な道を整える数千年のキリスト教の歴史…、その労苦の土台を中心とした真の父母の祝福の一日…、それをもってエデンで失ったアダム家庭の勝利的な一つの血族を引き継ぐ、天の真の愛と結合することができず、それを再び取り戻すための受難の歴史であったということをよく知っております。 この受難の歴史を克服してゆかれる神様の愛が、先駆けて歴史の前にあり、過程にもあり、後ろにもありました。それをサタンがあらゆる手段と方法をもって、破綻させる歴史を繰り返してきました。 悔しくも恨めしいそのすべての因縁の数々、心的な因縁、内的な因縁……、地上に地獄ができ、天上世界に地獄ができ、天国は空っぽで、あなたが願われる血統はこの地上から消え、一人残った王座の足場を見つめられるお父様の恨めしく悔しい事実を、体恤できる私たちとならしめてくださいませ。 千辛万苦の受難の道を克服されたお父様の労苦によって、韓国の地のこの息子を立てられ、今までの天のもつれを解くのであり…、心情の因縁を結ぶための日々の生活において為に生き、涙と血の汗によって愛の道を開拓しなければならない、そのような道が残っております。 キリスト教文化圏で勝利し、かの山河に光明なる朝陽を迎え、永遠に陽の沈まない天国理念の地上天国が地上に顕現すべきでありましたが、ある日、キリスト教がみ旨に従えなかったことによって、こんなにも悲惨になってしまった事実を神様もよくご存じであられます。 それでも韓国の地をお父様は見捨てたまわず…、受難の道たる四十年の苦難の路程を経ながら、想像を絶する内面の悲しみを抱かれたお父様を慰労できなかったこの息子は、地を見ても、天を見ても、万物を見ても、責任を果たせなかった息子として恥ずかしさを覚え…、ある地点において、この道を回避できるかということを求め、求め、求めてみた結果、その地点から神の道を、私が行く道を開拓し、橋をかけ、山を越え、縦的な八段階、横的な八段階を経まして、八定式を宣布するとともに天父主義を宣布いたしました。 この地上に「七・八節」を宣布すると同時に、ジャルジンを中心として神様の創造理想の本然的基準、お父様が出発されたその本然の基準、絶対信仰・絶対愛・絶対服従と神様の属性の基準を無事に超越し、愛にとどまることのできる足場が築かれるようにしてください。 絶対・唯一・不変・永遠なる家庭的基盤を求めてこられた、お父様の願いを成就するため…、真の父母となれる絶対父母・唯一父母・不変父母・永遠父母、絶対子女・唯一子女・不変子女・永遠子女、絶対夫婦・唯一夫婦・不変夫婦・永遠夫婦、絶対家庭・唯一家庭・不変家庭・永遠家庭を世の中は知りませんが、天が待ち望む日が、この歴史の最高の転換点になるということを知るこの息子は…、千年を変わることなく待ち望んでこられたその日が訪れたということを、世上万世の前に称えたく思い、また、称えられるべき宣布の日であるにもかかわらず、誰も知らないこのジャルジンの基盤でそれを宣布することになりました。 「第三宣言」におきまして…、神様は、第一代創造主・第二代創造主・第三代創造主を縦的基盤として連結し、横的な土台の上で、地上天国と天上天国の王権の基準を中心とした三大創造主の権限を、地上に宣布することができました。 恨めしき宿命的な課題として残された、神様もサタンもどうすることもできないこのような課題を提案し、永遠不変なる宿命的な親子関係・夫婦関係・父母関係・子女関係を解怨成就することによって神様の恨の峠を越えることを願い、祈り求め、宣布するには足りなさを感じます。 これを条件に「四・四節」を宣布することによって南北が連結し、父母の心情を海から連結して…、万物の授受の原則を中心として、ノアの時に審判されなかった海の基盤を中心として、すべての被造物を解放的な審判の場に召集し得る意味合いから、国家メシヤをパンタナールに集合させ、祝福家庭をジャルジンに集合させ、世界的メシヤ・国家的メシヤ・氏族的メシヤ・家庭的メシヤという枠をもって、父母に続いて帰っていくべきことを明らかにしました。 左側で勝利したすべてを右側に展開していくにあたって、滞りなく直行できる道に沿って、真の父母が行くことのできる道を整備することによって、祝福家庭が絶対信仰・絶対愛・絶対服従によって四大属性を中心とした絶対・唯一・不変・永遠なる、父母・子供・夫婦・兄弟の家庭を基盤とした本郷の道をたずねていける、自由な環境を許諾してくださいまして、お父様の前に感謝申し上げます。 霊界と肉界が分かれたのを統一して、東西の文化の壁を超え、南北の貧富の格差を超え、今や統一された国の父母に侍る子女の心情を抱いて、平和の天地と平和の人類を見極めていくべき、統一家の祝福された群れたちでございます。 もっている財産やもっている土地、すべてを売ったとしても、この平和の天国の理念をうち立てるために、率先しなければならないのが祝福された息子、娘であり、祝福家庭であることを知っております。 そうすることによって、その家庭を祭物として国を治め、国を供え物として世界を治め、世界を供え物として天地を治め、天地を供え物として神様に侍ることのできる、万民万年解放圏の愛の実体主権を誇ることのできる、永遠解放地上天国を開門することのできる、歴史的な出発をいたしました。 既に六月十三日を通じて、聖人と殺人鬼を兄弟の立場で、ご父母様が痛哭の心、悲しい心を抑えながら、彼らを同じ立場で祝福することによって、天上世界では解放の喚声が今でも鳴り響いているということを、この息子は知っております。地の人間たちは知りませんが、天上にいる我々の先祖と天上世界と千千万の聖徒がそれを知っております。 地上のご父母様の環境を開拓するために……、堕落した天使長圏の家庭を残して地上で主権を振るってきた堕落した天使・サタン、神様の愛の家庭を破綻させた怨讐を……、霊界と肉界が一つになって兄弟の因縁を中心とした父母の愛を抱き、神様の愛を抱き、この地上で真の父母が解放圏の宣布をするとともに進軍命令を受けて、長子権を転換させました。 次子が長子となり、天の国におけるすべての長子権・父母権・王権回復の基盤の上に立って、次子圏となっていた天が長子圏になることにより、サタン的な世界において長子だったのが、天の祝福家庭の次子的な立場に立ちました。 それによってこの長子圏を中心として、サタンが残忍な行動をして死の道に追い込み地獄に行って嘆息していた全体、地上・天上地獄のすべてを崩し、彼らを解放して、共に天の父母と真の父母に侍ることのできる本然の国、愛の主権国家、地上・天上天国を準備するための最後の目的と整備をなすための、このような最終的な場に立ちました。 今日、この手続きと共に、これまで先祖をまつることのできなかった統一教会が、先祖に仕える条件を立て、また、この地上で子孫たちが先祖に侍ってきた体面を加えて、神様をこの地に迎え、真の父母の祝福を受けた家庭を中心として、この地上において個人・家庭・氏族・民族・国家・世界の版図を乗り越えられるようになりました。 と同時にサタンの血統を断切するとともに、今や新しき二世を中心とした解放世界を前に前進するこの現状にありまして、霊界に行ったすべての先祖たちも、地上においてこのような出戦舞台の上に共に同伴して、恨の歴史を振り返りながら、天の前に不足で申しわけなかったことを解怨できる時となりました。 今回、六月十三日に祝福した五大聖人を中心とした、その基盤と関連のある宗教団体と因縁を結んで霊界に行った、すべての弟子たちと共に祝福を受けた群れが、今や最後に転換の時を迎えるべき地上において、再び兄弟のように真の父母に侍り、神様と共に天上を立て、地上と共に忠孝の道理、伝統の足跡をたどっていかなければなりません。 この地上における天使長家庭の立場に立って、完成したアダム家庭にあたる地上の祝福家庭の解放圏の前に参戦、同参し、神様の前に家庭においては孝子の道理、国においては忠臣の道理、世界においては聖人の道理、天地においては聖子の道理の愛的な因縁を共に引き継げるように、天上・地上、神様と真のご父母様が一つになって、このみ業が永遠に可能となるように、彼らを中心とした彼らに従う弟子と、そのような先祖をもった、アダムとエバに連結した後代の先祖たちさえも解放してくださいませ。 そうして真の父母を地上に迎えた、本然の完成的な天と一体の愛圏の血族を中心として侍られなかったすべてが、地上・天上の先祖たちが、兄弟の因縁、父子の因縁の本然的な創造理想、縦横の決定に、愛の一家庭を中心とした定着点に、地球星の全体、霊界全体が一つの真の父母を中心とした宇宙史的な家庭的基盤を永遠に定着させることのできる宣布の日を迎えました。 霊界解放、地上解放をなして、すべての家庭が縦横無尽に自由に往来でき…、共に活動すべき時代を、真の父母のみ名によって今やこのすべてを一つに束ね、真の父母のみ名によって全被造万物と共に地上着地活動することを宣言し、真の愛を中心とした神様と真の父母の真の血統的な心情圏を中心とした、神様の愛の地上・天上天国、永遠なる神様の主権の勝利のために出動することを、真の父母のみ名によって宣言いたします。アーメン、アーメン、アーメン!(二九六-九、九八年十月五日)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2023.07.05
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第11回「世界統一国開天日」記念礼拝の御言1998年10月3日ブラジル・サンパウロ 心の「人」と体の「人」 人間にとって最も重要なことは五官であるということを、皆さんは知っています。ここでいう人間とは、どのような存在でしょうか?。それは、五官を統一させようとする最高の者のことです。 皆さんは、五官が統一されていますか?。(「いいえ」)。五官が統一されていない人が、五官を持っているということは恥ずかしいことですか、うれしいことですか?。(「統一されていなければ恥ずかしいことです」)。そのような人たちは、神様と一緒に暮らすことのできる場所にいることができるでしょうか、できないでしょうか?。(「一緒に暮らすことはできません」) そのようにして、地獄に行く人と天国に行く人がいるという観点があるということを、皆さんは知らなければなりません。 一般の人間が知るところは、「五官がある」ということですが、その五官は、人の体を中心とした目に見える五官のことです。体を中心として現れた五官、見ることができる五官、体に備わった五官が、わたしたちの五官であるということを知るべきです。 それでは、「人」と言ったとき、それは、いわゆる身体としての「人」だけが存在しているのでしょうか?。それとも、身体に対する心の「人」も存在しているのでしょうか?。「人」は、体の「人」だけが存在していると思う人は、手を挙げてみてください。一人もいないですね。それでは、「人」は体の「人」と心の「人」というように、二人いると思う人は手を挙げてみてください。(皆、手を挙げる)それは合っていますね。(笑い) 通訳を通して言っても分かるのですね。(笑い)半分も分からないと思ったのですが、皆、手を挙げるのでありがたいです。通訳を本当に上手にしているようですね?。(笑い) 体の「人」は、夜も見えるし昼も見え、一生の間見ることができますが、心の「人」を見ることができますか、できませんか?。(「できません」)。ですから、それがどれだけもどかしいことでしょうか? 皆さん、心を見ることができますか?。もし、「心がない」と言ったら狂人扱いされます。皆、心を持っています。だれであろうと皆、それぞれ心の「人」を持っているのですが、永遠の昔から今に至るまで、その心の「人」を見た人がいないというのです。 心の「人」がどれくらい美しいか、心の「人」を見たならば、心を奪われてしまうというのです。その男性の心の「人」、女性の心の「人」を、心の「人」同士で見たならば、これはぴたっとくっついて、神様も引き離すことができないというのです。そうなれば問題でしょう? 体の「人」を見たくない人もくっついて、男女問題が世界問題になり、世界が滅びるか栄えるかという問題が生じて、ありとあらゆる複雑な問題が生じるという事実を知らなければなりません。 世界には、多事多端な千万の問題がありますが、その問題は二人の問題であり、二人といえば男性、女性の問題に連結されているのです。アーメン。(「アーメン」)間違いなく、そのようになっています。それは合っていますか、合っていませんか?。(「合っています」) 二人の問題なのですが、どのような二人の問題なのかといえば、体の「人」と心の「人」の二人が、一つにならないことから問題が生じるということを知らなければなりません。 それでは、一つにならないことを願う人がいますか?。男性は女性が必要で、女性は男性が必要ですか?。それは、どのくらい必要ですか?。絶対に必要です。神様のもともとの性質は絶対的であり、唯一的であり、永遠的であり、不変的なのです。それゆえに絶対的に必要であり、唯一的に必要であり、不変的に必要であり、永遠的に必要なのです。男性の前に最高の真理が女性であり、女性の前に最高の真理中の真理の本体が男性なのです。アーメン。(「アーメン」) それでは皆さん、男性が女性に対して絶対的であり、妻も夫にとって一人しかいない唯一・絶対的な妻、不変的な妻、永遠的な妻であり、自分の夫もそうであり、自分の息子・娘もそうであり、自分の兄弟もそうであるというように、自分の家がもし、そのような家であるとしたならば、その家は神様が所有したいと思われる家なのです。 夫婦の間でいえば、それが何人になるのかというと、合わせて四人です。今日、世の中に生きている人たちは、夫婦のことを、お互いの目に見える体二つしかないと思って、夫婦は二人であると考えているというのです。 皆さん、このような話を聞いたことがありますか?。初めて聞いたでしょう?。夫婦は、この四人が一つになり、四人が一つに集まって永遠に一つの存在になるというのが、理想的夫婦なのです。 「神様は、人類と私のお父様」 それでは、それはだれに似て、そうなのでしょうか?。お父さん、お母さんに似て、そうなったのです。そのお父さん、お母さんはだれに似たのですか?。そのまたお父さん、お母さん、そのまたお父さん、お母さん、そのまたお父さん、お母さんに似てそうなったのです。それでは、人類の先祖が一番の根になっているのならば、人類の先祖の根は何でしょうか?。それが神様であられるのならば、人類は神様に似たのでこうである、というのです。 神様に似たのですか?。「神様に似た」と言う人は、手を挙げてください。(聴衆を見回されながら驚嘆の口笛を吹かれる)神様に似たのならば、それをどれくらい誇りたいでしょうか?。 神様に似たというのですが、神様とは一体だれなのですか?。息子・娘をだれがつくったのかといえば、それはお父さん、お母さんがつくったのです。創造と同じです。私を生んでくれたのは、お父さん、お母さんということです。それでは、神様はだれだというのですか?。 神様は、わたしたち人類のお父様なのです。それを大きな声で一度言ってみましょう。「神様は人類のお父様です。私のお父様です」わたしよりも、もっと大きく言ってみてください。(「神様は人類のお父様です。私のお父様です」) 千人近い人が集まったのに、わたしより声が小さいのですから、皆死んだ人たちです。死体のように麻痺した人たちです。気分が良いですか、悪いですか、どうですか?。「神様は私のお父様です」。(「神様は私のお父様です」)。そのことを、それぞれが忘れないでください。 それでは、神様はだれに似たのかというのです。私が神様に似たのですか、神様が私に似たのですか?。人間の欲望のふろしきは、どれくらい大きいでしょうか?。「神様もわたしに似ていれば良い、わたしが神様に似ているのは嫌だ」。人間の欲望は、このように大きいのです。 そのように考えてみたことがありますか?。「神様はわたしに似た。わたしに似た。間違いなくわたしに似た」。このように考えられる人がいたら、神様は喜ばれるでしょうか、頭をたたかれるでしょうか?。(笑い)愛する息子・娘が、「お父さんが私に似たのであって、私がお父さんに似るとでもいうのですか?」と言っても、気持ちが良くて抱き抱えて口づけするのです。 時間が随分たったので、これぐらいにしてやめましょう。(「いいえ」)。やめましょう。もっとやろうというのですか?。(「もっとやってください」)。わたしは、きょう朝から一時間半遅れたので、それをどれほどすまなく思っていることでしょうか? 皆さんは、「文総裁は時間をきちんと守るといううわさであったのに、きょうはなぜ、このように遅れたのか?。約束した時間を一時間半過ぎてから来るのか?」と思うかもしれませんが、皆さんを集めてこのように話をすることよりも、ブラジルや南米全体、あるいは世界が生きるか死ぬかという問題の会議があるのです。それを解決しようとして時間が遅れたのですが、それは、「皆さんであれば許しても余りあるであろう」と考えたので、このように遅れたのだという事実を提示いたします。アーメン。(「アーメン」) 世の中に神様よりも優れた人がいた場合、神様が「人類はわたしに似た」と言われるとき、その言葉を喜んで歓迎する人はいません。神様が「わたしが人類に似た」と言われれば、「ふふふ」と笑うのです。そう言いたいでしょう?。そう言いたい人は、一度手を挙げてみてください。 人の欲望は神様よりも、もっと高いではないですか。ダイヤモンドの包みを、お父さんの財布に入れるのが良いですか、自分の財布に入れるのが良いですか?。(「自分の財布に入れるのが良いです」)。皆さん、わたしに似ましたね。 神様よりも、もっと大きい人はだれですか?。神様よりも十倍大きいかたがいらっしゃったならば、その十倍大きいかたを占領しますか、十分の一の神様を占領しますか?。皆さんの欲望は、どれくらい大きいでしょうか?。十分の一の神様を占領するという人は、手を挙げてみてください。十倍のかたを占領するという人、手を挙げてください。どちらですか?。(「十倍のかたです」) 神様が優れていて、さらにその神様よりも十倍優れた神様がいても、「そのすべてはわたしに似た。気分が良い」と、このように考えなさいというのです。その話は何かというと、神様が自分よりも劣っているということになるのですが、ここで、神様がどのようなかたであられるのか分析してみましょう。 心と体の闘い 神様の心と体が闘うでしょうか?。神様も心と体があるでしょう?。神様の心と体は闘いません。そのように闘わない神様に向かって、「闘え」と言って闘うでしょうか、闘わないでしょうか?。神様は、サタンが「神様、闘え、闘え」と言うのを聞かれるでしょうか、聞かれないでしょうか?。 もし、神様よりも十倍優れた最高の神様が現れて、「おい、おまえ、闘え、闘え」と言うからといって、闘うでしょうか?。劣っている人と優れた人が、いくら一緒に合同作戦をして「闘え」と言っても闘わないのが、神様なのです。分かりますか?。 それでは、「神様はわたしに似た」と言うとき、神様の心と体が一つになるそのレベルが、私よりも劣っているということですか、優れているということですか?。 それゆえに人が、心と体が絶対に一つになっている神様に対して、「神様もわたしに似た」と言うのならば、その人は、自分の心と体が神様よりも何百倍、何千倍一つになることができる位置を愛し、崇拝し、そのようになろうと努力する人でなければならないという結論が出てくるのです。 問題は何かというと、神様が息子と一つになれないということが災いなのです。問題が何かというと、父親と息子が一つになっていないことが災いなのです。それは悪いことであり、破壊されるべきことであるということを、皆さんは知らなければなりません。 個人主義的な世の中になったので、自己中心の考え方をする世の中は、神様に反する世の中になり、堕落した世の中となりました。ですから、今日、堕落した人間は、自分がいくら劣っていても自分に似ることを望み、自己中心に動いているという事実が問題なのです。父親と息子の関係において、息子たちのほうは、このようにめちゃくちゃになっているのです。五官を持ったすべてのものが自分の思いどおりにし、心も体も一つになっていないというのです。これが問題であるというのです。 皆さん、心と体が一つになっていますか?。世の中の大問題は、心と体がいつ、一つになることができるのかという問題なのです。これが、皆さんの心においても問題であり、体においても問題なのです。息子・娘になる人たちの立場が、心と体が一つになることができずに闘っているという事実が、息子の問題であり、娘の問題であり、父親の問題であり、母親の問題になるというのです。 先祖から始まった心と体の闘いこそが、世の中の災い中の災いであり、世界大戦よりも恐ろしい戦争なのです。それが、いまだに一度も休戦も停戦もしないままに引き続いてきたのであり、人類は今まで、心の世界が人類を地獄に引いていく戦争の場になってきたということを知らなかったのです。 わたしは、東側の国に行っても、心と体の闘いが停戦し、休戦していることを見ることはできず、西側の国に行っても見ることはできず、北側の国に行っても同様であり、南側の国、どこを巡っても同様でした。そのように、自らの内に戦場を持っている彼らが行く所に、平和の世界、誇ることのできる世界があり得るでしょうか?。それは、ないというのです。 神様は、わたしたち人間となぜ一緒に暮らされることができないのでしょうか?。神様は、心と体が絶対的に一つになっておられて、永遠に変わられないのに、毎日のように、それも永遠に変わる心と体の戦場である人間と、どうして一緒におられることができるでしょうか?。それは、できないというのです。 神様と人間が、だれに似なければならないのかというとき、神様は「おまえたちがわたしに似なさい」と言われるでしょうか、「わたしがおまえに似る」と言われるでしょうか?。それが問題です。 今日の個人主義というものは、自己中心主義という観点を中心としたものなのです。神様を代身した心の命令は、「わたしに似なさい。わたしに似なさい」と、体に対してそう言うのですが、体は「おまえには似ない。反対にわたしの後についてこい」と言うのです。この闘いが続いているということを知らなければなりません。 このように、自分の立場が正に、戦争の場に出征して、第一線で闘っている兵士であるということを分からずにいるのです。自分自身が戦場と化している、ということが分からずに生きている人間なのです。今日、皆さんがこの心と体の闘いの戦場であるということを知らなければなりません。 心と体が一つになる道 きょうは何の日ですか?。「世界統一国開天日」です。それで何をするのですか?。皆さんの心と体が一つになることができる道を個人的に開き、世界的に開き、平和の世界を出発することができる世界に行きましょう。天の門が開かれ、この強い体を無理にでも抑えて心を強くし、強制してでも引いていくようにさせましょう。 皆さんは、いつ神様に似たことがありますか?。わたしたちの先祖が神様に似たことがありますか?。心と体が一つになって気持ちを整え、「私は心と体が一つになりました。お父様。一つになりましたか、なりませんでしたか?」と言って、神様から判子をもらったことがあるのかというのです。そのようにして、心にも判子をもらい、体にも判子をもらうべきものなのであり、本来はこのようにはなっていないというのです。 そのように、目に見えないお父様の判子をもらわなければならず、さらに目に見えるお父様の判子をもらって、心と体が一つになったという自分を復帰してこそ、堕落していない人間の先祖の位置へ帰ることができるのです。 神様が、喜ばれ、「自分に似た」と思われるような人に出会われることができることによって初めて、神様は孝子・孝婦に出会うことができ、孝子・孝女が暮らす、天が誇ることのできる自分の家、千年万年暮らすことができる自分の本宮の基台を手に入れられるのです。アーメン。 見えない神様の印と、見える神様の印を一緒に押してぴたっと合って、内外が一つになることができる、そのような印をもらわなければなりません。そうすれば、心と体が闘う戦場は永遠に存在しないので、神様の友達になることができ、神様の直系の息子になることができ、天国に直行するというのです。 それでは、統一教会では、真のご父母様とは何ですか?。「神様」であるとか、「真のご父母様」であるとか、それはどういうことですか?。神様は絶対必要ですか?。(「はい」)。なぜですか?。神様は、私の心のお父様なのです。見えない心の世界のお父様であられ、見える世界のお父様が……(テープ中断) どうやって一つにするのですか?。真の愛によって、真なる男性と女性の生命が結合し、その中において真なる私が生まれたのです。これは、どこのだれも分けることはできないのです。自動的に心と体が一つになり、息子・娘が生まれるのですが、堕落することによって、逆さまになったのです。 逆さまにサタンが神様の位置に入っていき、体がサタンの体になり、天理に積極的に反対する立場に立ったので、心と体が闘うのです。体がプラスなのですが、サタンの愛を中心として、また別のプラスになったので反発するのです。それゆえにこの体を、心を中心として完全に屈服させなければなりません。そのような役事をするのが、宗教世界の任務であり、責任なのです。 それで、「断食をしろ」、「温柔謙遜であれ」、「傲慢になったらへりくだれ」、「許せ」、「犠牲になれ」と、宗教は、このような道を行くようにというのです。それは、体に対して言う言葉なのです。 この地において、体が心を引きずり回しているのを、心が永遠に体を引っ張っていくようにすることができる自分を、どのように発見するのかということが、人間にとって何が何でも解決しなければならない一番の宿題中の宿題であるということを知らなければなりません。これが、一番大きい問題なのです。 皆さんの心は、皆さんが悪いことをしようとすれば、「おい、おまえ、やめろ」と言いますか、言いませんか?。それを肯定して「はい、そのとおりです」と従っていくことをせずに、「いや、これは何だ。わたしがやりたいようにしなければならない」などと言ってはいけません。 体は、悪魔の活躍する舞踏場になっているので、サタンの本拠地と通じます。滅びる地獄の底に行きかねない、このような基台になっているのです。これをなくすためのものが宗教であり、どのようなことがあっても、これを整理しなければならないというのが、神様の救援摂理の目的であるということを知らなければなりません。 なぜ、そのようになったのでしょうか?。堕落するときに、堕落的愛が、良心を中心として神様を愛する欽慕の愛、追慕の愛よりも大きかったからです。実際に、不倫の愛の関係を結ぶとき、良心基準がその長成期完成級からもっと上がっていき、一つにならなければならないはずでしたが、そこに到達することができずにサタン的愛が入ってきて、それが強かったので堕落したのです。 そのサタンの根拠地がこの体なので、体に良心が引かれるということが行われているのです。これを本然に立ち戻って、火をつけて焦がしてしまわなければならないというのです。そうしなければ、私の心の世界と体の世界に、平和と統一の世界はあり得ないというのです。どのような犠牲を覚悟してでも、これを清算しなければ、平和や幸福などはないのです。 堕落せずに、完全に神様に侍り、神様の愛でアダム・エバが結婚して一つの体になっていたならば、神様の息子・娘になっていたのです。神様の血筋が連結され、真の父母の血筋が連結されるので、永遠に心と体が一つになることができる、そのような人になるはずでした。 ところが、堕落することによって、これが壊れてしまい、この壊れてしまったものを、いまだに修理できていないのです。このような廃品になってしまったということを知るべきです。 それで聖書では、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」というような、逆説的な教訓の論理を教えてくれているのです。そのような、サタンの舞踏場になっている体が願うことを抹殺してしまうように、というのです。心の命令を絶対視して、心の命令に服従させるように、というのです。 心を中心として、完全に体が一つになることができる位置に行ってこそ、人類歴史に混乱を引き起こしていた戦争を防ぐことができるのです。サタンと闘っていた舞踏場が平和の基地になることによって、わたしたちが平和の家を自分の心と体の中から始めることにより、家庭的平和、国家的平和、そしてすべての平和が成就するのです。 心と体が闘っているのに外的な平和が成就しても、自分とは関係がないというのです。これをなしてから、そこに接ぎ木しなければ、すべてのことは不可能であるということを知らなければなりません。 この二つの目が戦争をしますか?。(「いいえ」)。もし戦争して、一つが自分の思いどおりにしたならば、どれほど苦痛でしょうか?。この体全体が苦痛を受けるのです。同じことです。そのように、すべては相対的なのです。鼻の穴も、大きく穴を一つぽんと開けておいたらいいというのに、なぜ二つなのでしょうか?。 男性、女性。主体、対象。オス、メス。すべてがペアになっているのです。風邪をひいて鼻がグジュグジュするとき、気分が良いですか、悪いですか?。気分が悪いでしょう?。目の視力も、例えば片方が一・二で、もう一方が〇・二になってみてください。その苦痛は、どれほど大きいでしょうか?。耳も、片方の耳がよく聞こえて片方の耳がよく聞こえなければ、どれほど苦痛を受けるでしょうか?。このように、耳を傾けて聞くべきことをこのように聞くので天地が引っ繰り返されるのです。 五官は、絶対的に一つになるようになっているのですが、すべて似ているというのです。一つになっています。この口の位置が一ミリ、二ミリほど違っても、言葉はきちんと出ません。口も絶対的に一つにならなければなりません。鼻も絶対的に一つにならなければなりません。目も絶対的に一つにならなければなりません。耳も絶対的に一つにならなければなりません。手も絶対的に一つにならなければなりません。心と体も絶対的に一つにならなければなりません。すべて同じなのです。 このように、主体と対象がなければ感じることができません。存在が形成されず、理想を感じることができないのです。天に垂直に通じることができる心は、まっすぐなのです。 心はまっすぐで体は横的になり、正しくならなければなりません。九十度の角度になり、ぴたっと合わせておいたならば、そのまま平安に眠りにつけばよいのですが、この角度が少し違っても平安に眠ることはできません。この角度が違えば苦痛が起こり、良心に紛争が起こるのです。 アダムが堕落していなかったならば、神様が垂直に入ってこられる門があったのです。水平に入ってきて垂直に出ていくことができるというのが、子女の行く道です。左側、右側、垂直に行くということは、妻と夫がこの世界を抱くことであり、その次に兄弟が、垂直を中心として行ったり来たりするということは兄弟愛として連結されるのです。真の愛の門を通さずしては、垂直と水平が九十度にならないというのです。 垂直、水平、前後、これが九十度の角度にならなければなりません。角度がみな同じであるものが、堕落することによって角度がすべて違っているのです。テロ団、マフィアのような人は、この九十度がすべて逆さまになっています。それを正して平和な「私自身」になり、天地に対する親子関係、左右の夫婦関係、兄弟関係が一つになることができるためには、堕落した世界の、自己を中心として考える愛を中心としては一つにならないのです。他人のために、全体のために愛するという愛が展開してこそ、そのすべてを九十度に合わせることができるのです。どこにでもきちっと合わせることができるというのです。 堕落することにより、偽りの父母の愛を中心として偽りの父母の生命、偽りの父母の血統を受け継いだためにすべてが間違ってしまったというのです。丸い球形にならなければならないのですが、ありとあらゆる形態の球形になってしまったのです。それを正さなければなりません。 完全な球形を成そうと、本然の真なる目に見えない無形の真の父母、有形の真の父母を中心として、九十度の角度を合わせて心と体が統一された人をつくろうという所が統一教会であり、そして、神様が暮らすことができる家をつくろうというのが統一教会の祝福家庭なのです。悪いですか、良いですか?(「良いです」) 永遠に投入して忘れる 神様は絶対、唯一、不変、永遠であられるので、神様の息子も絶対、唯一、不変、永遠です。神様を中心とした息子・娘の結婚も絶対、唯一、不変、永遠、その次に兄弟も家庭も絶対、唯一、不変、永遠な家庭になるのです。 そのような天国の基盤になる、神様が暮らすことのできる家を完成しようとしていたのですが、それを失ってしまったので、どのような苦労をしてでも再びそれをつくりだすために、救世主や再臨主が来られたのです。そうして、それを是正するための役事を代表して世界の統一教会、また世界平和統一家庭連合が生まれたのです。アーメン。(「アーメン」) 真の愛は、自分の生命を投入して忘れ、投入して忘れ、永遠に投入して忘れるための愛の道であるので、家庭形態、国家形態、世界形態は自動的に統一圏が展開されるのです。アーメン。(「アーメン」) 神様が、一番好まれるものは何ですか?。お金です。(「いいえ、違います」)。力。知識 全知全能であられる神様なので、それらはいつでもつくることができ、いつでも持つことができます。神様は、何でも造ることができるのです。ダイヤモンドの山もつくり、ダイヤモンドの星もつくることができる神様であられるので、それらは必要ありません。神様が必要とされるのは、愛です。 神様は絶対的な神様であられるので、与えても永遠に与えられるのです。一度与えてやめてしまわれるのではなく、与えて忘れ、また与えようとされ、もっと良いものを与えようとされます。それが真の愛の道なのです。 夫になったとするならば、他人のために生きるとしても限界線なく、ために生きて、ために生きては忘れ、ために生きて忘れて、永遠にために生きていく中で、世界がすべて入ってくるのです。ために生きて、ひっきりなしにために生きてあげるので、ために生きる懐に世界が入ってくるのです。 サタン世界では、親は与えたら「与えた」と思って、受けることを考えますが、神様と真の父母は、与えて永遠に忘れ、永遠に投入しながら忘れて生きるかたであるので、真の愛の主人なのです。アーメン。(「アーメン」) 神様も同じなのです、自分が愛する人は、自分よりもりっぱであることを願われるのです。このことを知らなければなりません。皆さんはだれに似ましたか?。神様に似たので、神様のように、自分が愛する相手は自分よりも優れていることを願うのですが、それは、人間の欲望が神様に似たためにそうなのです。「アーメン」と言わなければなりません。(「アーメン」) 自分が愛する相手が、自分よりも何倍もりっぱであることを願いますか、千倍もりっぱであることを願いますか?。永遠に、無限に、そうでしょう?。自分が愛する相手には、そうであることを願うのです。 それは何かというと、男性であれ女性であれ、自分が愛する相手は、夫人と夫は自分の何百万倍、何億万倍りっぱであることを願うというのです。神様よりも劣っていることを願いますか、優れていることを願いますか?。どちらですか?。(「自分より相手が無限に優れていることを願います」)。自分の夫が神様よりも醜いことを願いますか?。自分の妻が神様よりも劣っていることを願いますか?。それは、優れていることを願うのです。それは事実ですか、違いますか?。皆さんはそれを肯定しますか、しませんか?。(「肯定します」) それならば、神様ご自身がその前に投入しなければなりません。投入して忘れ、無限に投入して忘れ、忘れてこそ自分がもっと大きくなるのであって、自分が百くらい投入するのが嫌であるのならば、百以下のものとして存在するというのです。 皆さんも、妻がそうであることを願い、夫がそうであることを願いますが、愛する夫婦は息子・娘を生んだならば、息子・娘がそうあることを願いますか、願いませんか?(「願います」)。お父さんとお母さんも、お兄さんとお姉さんも、兄弟も夫婦もそうですか、そうではないですか?。(「そうです」) ですから、問題は家庭の平和のためには神様のように投入して忘れながら、奉仕して犠牲になりながら永遠に犠牲になることによって、すべてが平和の根源になるというのです。より犠牲になり、より投入する人が中心存在になるのです。アーメン。 この宇宙の中で、愛を中心として投入して忘れ、投入して忘れて、今まで投入しながら、忘れることにもっと努力しようとするかたがいたとするならば、そのかたは宇宙の中心存在にならざるを得ないのです。アーメン。これが天理なのです。 天と地の永遠な歴史的真理というものを知らなければなりません。この国の大統領になるという人は、少なくとも労働者、農民の世界から高位層までのだれよりも、ために生きて忘れ、忘れて投入することを願う人でなければなりません。 そのような人が、その国の中心である大統領になることと同じように、今日の若い人たちは今後、後代において世界的な指導者になろうとするならば、世界のために自分を投入して忘れることのできる思想的行動をすればいいのです。ブラジルが、世界国家の若者たちを代表してそれを行うようになれば、未来の世界は、ブラジルの青年たちを中心として統一天下の世界が相続され、そこから指導者が生まれてくるでしょう。アーメン。 ここには、ブラジルの父母兄弟姉妹たちが集まっていますが、皆さんの家庭において、若者たちがその家庭の全体に投入して氏族を越え、国を越えて自分のすべてを投入して忘れ、忘れて、一生そのように生きれば、その家門から尊敬を受け、「私たちの家庭では、だれそれが中心である」と家庭で認められます。そして、社会で認められ、国家を越えて、南米全体のために生きれば南米の中心になり、世界全体のために投入して忘れることができるならば世界の中心になり、神様のように宇宙に向かって投入して忘れるならば神様の代身者になり、神様から相続を受けることができる者になるのです。アーメン。これは鉄則なのです。 きょう、ここに集まった皆さんに、忘れずに記憶して帰るように願うことが一つあります。それが何かといえば、「より、ために生きる者は、神様までも屈服させることができる」ということです。アーメン。(「アーメン」)。それを信じますか?。そのようにすれば、偉大なブラジルはここから誕生する、ということを知らなければなりません。 若い人たちがこのような思想を持って、南米の三十三か国のために投入して忘れて南米の中心になり、世界のために投入して忘れて世界の中心になり、その次に神様にまでも投入して忘れようと思うようになれば、神様の兄の立場に立って神様を抱いて、この世界の相続者になることができるという話が成立するというのです。 この中で中心存在になりたい人、「中心存在に一度なりたい」と思う人は手を挙げてください。 より、ために生きるのです。十人の食口が暮らす中で「自分が中心存在になる」と思うならば、十人の食口のために投入して忘れ、忘れて投入すれば、必ず中心存在になるのです。家庭の中心になり、父母から、そしてすべての兄弟からの相続者になるのです。アーメン。 そして、おじいさんやおばあさんもこの人が好きで、お母さんとお父さんも好きで、夫も好きで、息子・娘も好きならば、親戚に連結させて投入し忘れるのです。そして、このようなことを続ければ親戚の中心となり、国に向かってこれを続ければ、国の愛国者中の愛国者になるのであり、世界に向かってこれを続ければ聖人中の聖人になり、天地に対してこのようにすれば聖子中の聖子になります。 そうして、神様よりももっと続けることができ、もっと高く大きくすることができれば、神様よりも高くなることができる中心存在になるのです。永遠にアーメン。(「アーメン」) ブラジルに来たレバレンド・ムーンは、この地にお金を集めるために来たのではありません。詐欺をするために来たのではありません。自分の最も貴いものを、永遠に途絶えることのないわき水のように真の愛を与え、永遠に与えて与えて、神様以上に忘れるというみ業をしようと思い、看板を掲げて統一教会の教主として臨んだという事実を知らなければなりません。(拍手) 政治家や権力者、官僚たちが詐欺をして飢えるようになった、かわいそうな世界の人々の兄になり、父親になり、母親になり、国の主権者と神様の代身のみ業をしようというのが、統一教会のレバレンド・ムーンなのです。 ですから、ジャルジンに来た当初は皆、ごたごたと反対したのですが、今では皆、「良かった、良かった」と言っているのです。 地下室よりももっと暗い、一番の地獄へ行っても、精誠を尽くして彼らの前に見本となり、国を生かすことができる泉を開こうという運動が、統一教会の運動なのです。それゆえに、その運動にブラジルの国が侍り、侍って中心になるように尊敬しなければならないのであり、それを忘却していけば、この国は滅ぶのです。 レバレンド・ムーンが行く所には、どのようなことが展開されるのでしょうか?。個人主義思想を撃破し、自己を中心とする思想を撃破するのです。全体のために生きなさい、というのです。そのために息子・娘を教育して、自分の父親・母親と一家を生かそうというのです。 しかし、そのことによってレバレンド・ムーンは、このような人々を「精神洗脳」して、死ぬまで永遠に天地、宇宙のために生きるような人をつくり上げるので、彼らはレバレンド・ムーンに対して、「自分の息子・娘をどろぼうして奴隷をつくる。破壊分子をつくる」と悪い宣伝をしたのです。ところが、そう思っていたのですが、最近になって、このように逆さまになっていたものが、反対に元どおりになってきているのです。 レバレンド・ムーンの息子・娘や、レバレンド・ムーンを尊敬している祝福を受けた人たち、そのような人たちすべてを、たちの悪い人々であると思っていたのですが、その人たちは、どこに行っても一番良い、中心的な使命を担って見本になる使命を果たすので、どのような部落でも「アーメン、アーメン、アーメン」と言って歓迎されるということが、今、たくさん起こっているのです。 結婚をもう一度するということは簡単なことでしょうか?。自分の息子・娘を伝道するという意味で、結婚しなければならないということは簡単なことですか?。 しかし今、多くの人たちが、そのために互いに競い合って、自分の息子・娘たちに祝福を受けさせようとしているのです。このような環境が展開されたということは、天下統一の役事の日が遠くない、という証拠なので、そのことを知って、皆さんの個人から家庭、氏族を越えて国家全体が歓迎しなければなりません。 そのようになれば、ブラジルは地上・天上天国の王権を受け継ぐことができる主体的な国になるのです。アーメン。アーメン。アーメン。踊りを踊って歌い、喜ぶのです。 通訳が、なぜ韓国語の三倍も長く話しをするのですか?。韓国語は良いことは良いですね。この不便な言葉よりも韓国語を学びなさい。 中心存在は責任を持たなければならない 中心存在には、すべてがなるのではありません。条件がついているのです。永遠に中心存在になることができる資格、必要条件とは、どのようなものですか?。皆が中心存在になることを望みますが、資格になり得る内容が三つあるのです。ブラジルが世界の中心国家になるならば、世界に責任を持たなければなりません。 すべての人が、このようになることを望むのですが、その内容で必要なことについては「嫌だ」と言って、うそをよくつくのが南米であり、ブラジルなのです。ノーメン、ノーメン。ブラジル人は良い人ですか、悪い人ですか?。(「良い人々です」) それならば、責任を持たなければなりません。塗炭の苦しみの中にいる世界のかわいそうな人々のために、ブラジルは国家予算の三十パーセント以上を投入しなければならないということを知らなければなりません。それで、自分の責任を果たすのですが、統一教会式では「七十パーセント以上を世界のために投入するように」と言っているのです。 南米に来たら、レバレンド・ムーンに皆が手を差し出して「助けてくれ」と言うのです。ですから、借金をしながら助けてあげるのです。しかし、借金をどうやって支払いますか?。他人が八時間働くのならば三倍の二十四時間働いて、夜も寝ずに一所懸命に早くやって、一日を二倍、三倍以上努力しようというのです。そのような人は滅びる人ですか、栄える人ですか? (「栄える人です」) 皆さんは、「人生は一度しかないのに、そのように生きて何がありますか?。死んだらそれで終わりでしょう?」と言いますか?。いいえ、統一教会は「死んだらそれで終わり」ではありません。このようなことが永遠の世界に連結されるのです。神様まで解放してさしあげようというのですから、神様以上にしなければならないという哲学を持っているのです。 今、わたしは何分間、話をしましたか?。(「一時間を越えました」)。朝は、何時間話しましたか? (「三時間話されました」)。毎日のように話をして、八十歳の老人が立ちながら足も伸ばさず、体力も良いです。「じっと立って話せば良いのに、座りもせず、なぜあのように行ったり来たりするのか?」と思うかもしれません。力も強いですね。それは、死ぬ覚悟でこのようにするのです。 健康においては、レバレンド・ムーンに似ましょう。アーメンですか、ノーメンですか?。(「アーメン」)。ありがとう。 運動を学ばなければなりません。レバレンド・ムーンがする運動を学ばなければなりません。七分間あれば、他の人の三時間分を行う運動法があるのです。しかし、これを売ってしまえば良いのですが、これを教えてあげたら金もうけをするどろぼうのような人が多いので、教えてあげないのです。この運動を学びたいでしょう?。八十歳になれば、つえをついて、このように歩き回らなければならないはずなのですが……。(笑い) 今も、さっさっさっと八十歳の老人が行くので、皆「あの若い人は、なぜ真っ直ぐに歩くのか」と言うのです。靴の底もすり減りません。ぴたっと同じなのです。これがぺちゃんこになったらいけないのです。それを見習わなければなりません。 女性として生まれれば、レバレンド・ムーンのように歩く人を得たいし、レバレンド・ムーンのように、年を取っても若い人のように気迫が堂々とした男性を得たいし、レバレンド・ムーンのように世界から悪口を言われても女性たちが好む、そのような夫を持ちたいのです。皆さん、そうだというのです。 女性として、レバレンド・ムーンのように若い人がいたら、プロポーズしますか、しませんか?。(「します」)。だめです。レバレンド・ムーンのような人は一人しかいません、二人いますか?。(笑い) とにかく女性たちは、レバレンド・ムーンが好きなので、わたしは大変なのです。どこかに行って、心おきなく暮らすということができません。どこかに行って隠れていても探してきて、「アイゴー、先生、夕食の時間になったので、夕食を買ってさしあげます」と言って大騒ぎなのです。 昼食のときにどこかにいれば、「昼食を買ってさしあげます」と言い、朝食も食べずに隠れていれば、探してきて「朝食をなぜ食べないのですか?。準備するので出てきてください」と言うのです。それは幸福な男性ですか、不幸な男性ですか?。(「幸福な男性です」) 女性が二人従い、三人従えば、それは世の中から見れば一番悪いことなのです。ブラジルへ来ればブラジルの女性がついていき、パラグアイに行けばパラグアイの女性、どこでもついてくるのです。「アイゴー、面倒で死にそうだ」と言ったら、「大変なことになった」と大騒ぎなのです。 それで優秀な美男子を紹介してあげようとしたならば、その美男子には皆、お尻を向けて、先生のような年老いたおじいさんが良いというのですから、大変なことになりました。それは本当ですか?。それが事実なら手を挙げてください。この者たち。(笑い) 自分の父親・母親をわたしよりももっと愛して、夫をわたしよりももっと愛するべきなのに、わたしをもっと愛するので、よこしまに見える問題になり、悪い男性として埋葬されるようになるのです。そのようにしたのが、この女性たちなのです。 わたしは、ここから落ちるところだったのですが、しかし、若い気迫があるので落ちませんでした。男性たちは女性が好きなので、一番恨むのです。「レバレンド・ムーンよ死ね、死ね。殺そう、殺そう」と言うのです。(笑い) 女性たちは、真なる兄に出会うことができず、真なる婚約者に出会うことができず、真なる夫に出会うことができず、真なる父親に出会うことができず、真なる祖父に出会うことができず、真なる王に出会うことができなかった女性たちなのです。それが恨だったので、この門を開いてあげ、教えてあげることができる責任者がレバレンド・ムーンであるために、女性という生き物の中でわたしを嫌いな者は、一番低い地獄に行くのです。 わたしが一緒にいる限り、それを恨む者たちを生かすために、私自身を投入しなければならないのです。自分を恨む者たちを愛そうというのです。弟のように愛し、父親のように愛し、祖父のように愛し、王のように愛そうというのです。 そういう心を持っているのですが、だれが先に堕落したのですか?。エバが堕落したので、いくらりっぱな兄、りっぱな夫、りっぱな父親、りっぱな祖父、りっぱな王になろうとしても、この女性たちが復帰されていないために、それができないのです。ですから、これを先に復帰しようとするのですが、それを待てずに反対派は、レバレンド・ムーンを世界的に埋葬しようと大騒ぎしたというのです。 女性がたくさんついてきても、先生に必要なのは一人ですか、二人ですか、十人ですか、百人ですか?。女性が妹、姉になり、婚約者になり、理想的な母親になり、妻になり、女王になることができる、りっぱな神様の娘になるのです。神様の一人娘を造ってあげるのです。 この世の男たちは、天使長です。アダムとは関係ありません。神様とは関係がありません。血筋が変わってしまったのを切ってしまい、十六歳以後に堕落して人類を輩出したサタンの体を切ってしまい、完成した真の父母の体に接ぎ木するのです。そうして、完成した真の父母は兄になり、接ぎ木されたものは第二のアダムになるのです。 第一の完成したアダムは真の父母がなり、接ぎ木されたものは第二のアダムである弟になって、この聖別されたものを一つの所に集める公式路程が、模範的な祝福をしてあげる合同結婚式なのです。超人類、超歴史、超天宙的な幸福の旗を掲げていく、天の国に直行する一組の王子・王女となるのです。アーメン。 神様は、愛する一人娘を新婦として迎えたいですか、天の家庭において真なる妻になることができる資格者を妻として迎えたいですか、天の家庭において母親になることができる資格者を迎えたいですか?。そのような祖母を迎えたいですか、そのような女王を迎えたいですか? どうですか?。 人の欲望は、先生が言う家庭から氏族、民族、国家、女王まで代表することができる、真なる神様の娘を迎えたいのであり、それが男性の欲望なのです。アーメンですか?。 ですから、男性は焦ってはいけません。そのりっぱな妻、そのようなりっぱな女王から祖母、母、妻、娘、長女まで、神様が一番愛することができる娘を育ててあげられる責任を持ったのがレバレンド・ムーンなので、三年間は女王から祖母、母、妻、上の娘、下の娘まで文先生に送って教育させ、理想の妻を迎えなければなりません。アーメン。三年間どのようにするかという問題なのです。しかし、このどろぼうたちは、それが嫌だというのです。男性はどろぼうです。分かりますか?。 中心存在の三つの条件 中心存在は、責任を持つということです。中心存在は、第一に責任を持たなければなりません。 二番目は何かというと、保護しなければなりません。今日、このブラジルの大統領が責任者で中心存在になっていたならば、お金をもうけて国民に追い出されて逃亡するでしょうか?。しないのです。保護しなければなりません。国民の難しいことを保護しなければならないのが、中心存在としての責任なのです。 レバレンド・ムーンは、あのアメリカにおいてどうでしたか?。起訴事件が起きたとき、ドイツに行ってから、韓国に立ち寄らずにすぐにアメリカに飛んで帰ってきたので、かえってアメリカの法務省が困ったというのです。「レバレンド・ムーンは絶対に帰ってこない」と思ったのに、すぐ帰ってきたというのです。このような闘いをするのです。責任を持つのです。そうして責任を持ったので、保護しなければなりません。保護しなければならないのです。 三番目は何ですか?。育成しなければなりません。育ててあげなければなりません。自分よりもりっぱに育ててあげなければならないのです。世の中には、「自分が責任者になる」と言う人はたくさんいますが、その責任者としての三大条件である、「自分が責任を持ち」、「保護し」、「犠牲になりながら養育する」という考えをしないのは詐欺です。詐欺師です。悪魔の群れであるということを知らなければなりません。あなたたちも同じです。 しかし、統一教会は違います。ですから、そのようなところが偉大なのです。いったん仕事に責任を持ったならば、その環境的与件で崇拝を受け、中心の位置を占めて中心者になるのです。 責任を持つには、第一に環境に責任を持ち、保護し、育成できる責任を負うために、それは父の代身であり、神様の代身であり、兄の代身であり、先生の代身であり、王の代身であると永遠に理解できるのですから、天国を占領するのに問題がありますか、ありませんか?。問題がありません。 皆さんが予備祝福を受けるときは、統一教会が忙しく夜昼訪ねていきましたが、今はもう部屋に訪ねていって寝ながら教育するのです。育成しようとするのですが、教育するときにきちんと聞きますか、聞きませんか?。神様が喜ぶ家庭、神様が訪ねてきて暮らすことができる家庭をつくるために、最後まで責任を持って育成するのです。それが嫌だという家庭は、地獄行きなのです。それを歓迎しますか、しませんか?。歓迎するなら拍手をしないのですか?。(拍手)ありがとう。 そうすることによって、だれに似たのかといえば、神様に似たのです。内外に神様に似て、生活で神様に似て、行動で神様に似なければなりません。そうして父母として、秋の収穫を刈り入れの主人として受け取り、そして真の父母に似て真の家庭の代表的存在として永遠に残らなければなりません。アーメン。 そのような人になりたいという人は、手を挙げて宣誓しなければなりません。アーメン。これは何ですか?。下ろしてください。死んだ犬のようです。もう一度大きな声で。寝ていた神様が、「これはどうしたことだ?」と言われるほどにりりしく挙げなさい。ワー(「ワー」)。そのように生きるのです。そうすれば家庭が祝福を受け、ブラジルが千勝万勝するのです。 わたしもお腹がすいて、力がなくなりました。皆さんもそうでしょう?。時間が随分過ぎました。一時を過ぎました。昼食時間を守ってあげなければ、悪口を言われます。時を過ぎて仕事をさせると、どろぼう扱いされるのですが、きょうは記念日なので、しかたありません。良い話をしていたらこのような時間になったので、それを許して、食事をもっと美味しく食べることができる自分になったことを感謝して、グッバイしましょう。 男性たちはわたしを好きですか?。(「はい」)。わたしがあなたの国に行って、一日ずつ食事をごちそうになると言ったならば、準備して待ちますか?。(「はい」)。隣りの家の食事をもらって接待しますか、市場の一番おいしい物を買ってきて、きちんと料理して接待しますか?。(「一番おいしい物を差し上げます」)。一年に何回しますか?。(「毎日のようにします」) それでは、近所にかわいそうな人がいたならば、わたしの代身として接待をたくさんしてください。一月に一回ずつしても、あなたの家庭には福が訪ねてくるということを伝達してあげるのです。感謝します。お客さんを接待する、そのような心を持ってしてください。(拍手)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.05
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천심원 기도로 나아가리 【カタカナ歌詞】天心苑祈祷で歩みます一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料
2023.07.04
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ヨンギ氏記事「UCl裁判の結果に不満たらたらのピース展望台!」で、韓国ブログ記事に書かれたUCI裁判についてを紹介していました。結論は米国・修正憲法第1条「宗教裁判判断留保」、宗教問題は裁判では判断できないということが書かれていたというものでした。UCI勝訴とかいったものではなかったということです。また、「「UCI=H3ムン・ヒョンジン所有」という確定判決でも受けたのか?」との1節からも、文顯進氏とUCIとの直接の関係については裁判所は触れておらず、これまでの「後継者」だと騒いでいた顯進氏を支持される方々にあっても今後の後継問題には何らの影響もないことが書かれていたということです。私の記事以下も参照してください。◆「UCI裁判勝利と同時に、永遠に郭グループが「失うもの」とは?」◆「>郭グループ・コスモスさんほかへーー家庭連合はUCI裁判の勝敗を決めようとしていたのではない!!」【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.04
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真の愛によって克服するところに怨讐はない1998年9月21日イースト・ガーデンイースト・ガーデンで、祝福家庭に語られた御言 原因の中心は神様 みんな祝福家庭ですね? 祝福家庭たちが行かなければならない責任がどのくらい重要なのか、皆さんは分かりますか? 祝福家庭というのはどんな意味ですか? 予言書(『彼は誰なのか?』)については以前、話をしてあげたでしょう。韓国の予言書について、知っている人は手を挙げてみてください。みんな知らないのですか? (「この本が出てあまりたっていません」)。 その次に、文鮮明先生御言特別選集の第十巻と第十一巻『地上生活と霊界』を全部読むか、聞いた人、手を挙げてみてください。 (「約三分の一くらいになります」)。これでは、統一教会の人なのか、どこの教会の人なのか分かりませんね。統一教会の人ですか? その次に、李相軒氏の『霊界の実相と地上生活』の本を読むか、聞いた人は、手を挙げてみてください。 (「その本は全員読みました」)。それは結果なのです。霊界について説明したものです。すべてのことは原因がなければ結果は現れないのです。 さあ、そのような本がなぜ必要なのかというのです。教会の責任者たちが答えてみてください。霊界が先ですか、人が先ですか? (「霊界が先です」)。霊界が原因なのです。人は結果です。神様の救援歴史を通して、人間が行かなければならない最後の目的地がどこかといえば、原因世界で堕落したので、再び原因世界に帰って、結果世界に連結させなければならないのです。原因世界という根本をはっきりと分からなければ、結果世界において確実な完成ということはあり得ないのです。それは理論的なことです。 霊界が原因世界です。原因の世界なのです。原因の核、原因の中心が何ですか? (「神様です」)。 神様。 「神様」という一言にすべて含まれますが、神様の内容とは何でしょうか? 神様自体は人格的な神です。私たち人間自体は、結果の存在として原因に似ているのです。では、原因であるその神様は、どのような存在でしょうか? 結果を見ると、二性性相になっているのです。二重になっているということを皆さんは知っているでしょう。人間は男性と女性になっていることもありますが、心と体からなっているのです。この心と体との関係で、心が何かといえば、神様と連結されているのです。皆さん、そのようなことを感じますか? (「はい」)。皆さんの心はどうですか? 心の方向が、一日、二日、毎日のように変わりますか、変わりませんか? (「変わります」)。なぜ、そのように変わり得るのですか? 神様が変わり得るように造られたので、そうなのでしょうか? 神様が変わらないように造られたのに、そうなのでしょうか? どちらなのですか? (「変わらないように造られました」)。それはあなたたちの話でしょう。それをどうして分かるのですか? (「お父様が言われたので信じます」)。信じることと実体は違います。信仰と生活が違うのと同じです。 それでは、神様が、心の変わることのない人間として造られたのに、変わるようになったということは、事故が起こったとか、何か問題が生じたためでしょうか、それとも、そのままそうなってしまったのでしょうか? ただ、そのままそうなったのなら、神様の創造が間違いであり、神様がいない、ということになるのです。 みだらで、邪悪で、いいかげんな人間 では、神様はどのようなお方でしょうか? (「神様は変わらないお方です」)。そのお方がだれですか? 創造主ですか、私たちの先生ですか? 私たちとどんな関係ですか? (「私たちの父母です」)。父母なのです。 「父母」というその言葉は、何も分からないこのような立場で立ててはいけません。このように、尋ね尋ねて、入って行って、最後に、神様と私たちが関係を結ぶようになる時に、「父母」という言葉が出てくるのです。 それでは、神様が皆さんの父母であるなら、だれに似たでしょうか? 父母と子女は似ているのです。子女を三、四人だけ見たら、お母さん、お父さんがどのような人か分かるのです。人間が神様の子女であるならば、世の中に子女がこのように多いのですが、神様はこの人たちに似ているでしょうか、どうでしょうか? (「似ています」)。人に似ているならば、人自体には人格というものがあります。標準的な人格があります。 それが何かといえば、私たちの良心の世界、心において見れば知情意があります。私たち人間の価値を認めるためには、心の世界が、どのようになっているのかを知らなければなりません。知情意になっているのです。知情意を備えた人が願うことは何でしょうか? 知情意を備えた人格的な人が好むことは、真善美なのです。真善美を追求するのです。知情意を中心として真善美の人格を備えなければならないのです。それでは、その真善美の中心概念は何でしょうか? 真とは何でしょうか? それは変わりますか、変わりませんか? (「変わりません」)。何が真ですか? (「『原理講論』です」)。『原理講論』は文字で書いた御言です。何が真理ですか? さあ、(右手を挙げられて)この手が右手ならば、右手トゥルースでなければなりません。これは、万人がみな同じでなければならず、永遠に変わってはならないのです。ここ(小指の三番目の関節を指されて)、この一つの関節だけでもなかったら、どうなりますか? これだけ、この一つの関節だけなくても、これがトゥルース・ハンドですか? 真というのは、標準でありモデルであって、その標準は、変わらないすべての統一的な内容を備えていなければならないのです。この(小指の)一つの関節も、「右手の最後の指のこれだ」と分からなければなりません。どこのものだという確実な証拠にならなければならないというのです。 では、ある人は、右手は真でその右手一つだけあるというとき、その人は、真なる人になりますか? これが問題になるのです。本当の真なる人にはなることはできないのです。家の場合、完全なものを持ってきてつけて完成した後に、完全な家だということができるのです。同様の理論です。完成した後に、私たちは完全な家だというのです。 では、あなたたちは、完全な人格者になりましたか? (「なっていません」)。それでは、点数をあげるなら何点あげなければなりませんか? もし、神様が点数をくださるなら、何点くらいになりますか? 百点の人がいますか? このように見るとき、人間たちがどのくらいみだらで、邪悪で、いいかげんで、混沌としているか、ということが分かるのです。 変わり得る人を必要とする人が、この宇宙にいるでしょうか、いないでしょうか? 変わる人を願うでしょうか、変わらない人を願うでしょうか? 皆さんのように変わり得る人たちが、この変わらないすべての宇宙をもとうとする時、宇宙が喜んで抱かれようとするでしょうか? つばを吐いて嫌がるでしょうか? (「つばを吐いて嫌がります」)。つばを吐くだけでなく、頭を振って「嫌だ」と言うでしょう。(笑) それでは、あなたたちが食べる食物は、どのくらい真理体ですか、変わるものですか? (「変わらない真理体です」)。では、それらが皆さんの口に入る時、それらが喜ぶ皆さんになっていますか、それらが嫌がる皆さんになっていますか? (「嫌がる私たちです」)。それが分かって、真なる人になろうとするならば、それらを食べなければなりませんか、食べてはいけませんか? (「……」)答えてください。(「食べなければなりません」)。それなら、真でない皆さんが、そのような真なるものをすべて殺してしまったということになります。悪い言葉で言えば、殺人者になりました。 このように見るとき、世の中に優れた人、正しい人はいますか? 皆さんは毎日、「あの人は優秀だ。この人は悪い。どうだこうだ」と言いながら生活しています。その人が正しい人ですか、間違った人ですか? 絶対愛の器官 ところで、皆さんは、なぜレバレンド・ムーンについて回るのですか? 真理が真だからですか、レバレンド・ムーンの手が真だからですか? 何を見て、ついて来たのですか? 何を見て、ついて回るのですか? この者たち。 レバレンド・ムーンが東洋人として一番愚かな人なのでついて来たのですか? そうではないでしょう。東洋人の中で一番美男子なのでついて来たのですか? それは可能性があるのです。どうしてついて来たのですか? (「一番の美男子だからです」)。 では、西洋の食口は、東洋の美男子を願いますか、西洋の美男子を願いますか? (「東洋の美男子を願います」)。(笑) 真理というのは、変わらないものです。すべてのことがそうです。手も真理であり、すべての体の部分が、体を代表する真理です。では、この体の代表になり得る部分はどこですか? 顔です。その次に代理部分、顔から上中下、四肢があるのです。その三つの部分の中で、一番重要な部分がどこですか? 顔ですか、目ですか、へそですか? 足ですか? (「目です」)。 目なのですか? ここに男性と女性がいますが、男性が男性であり、女性が女性であるということを区別できるのは目ですか? (「違います」)。それでは何ですか? 尋ねたのですから、答えてみてください。(「生殖器です」)。あなたたちはその愛の器官をもっていますか? (「はい」)。愛の器官は、一番恐ろしいものですか、一番良いものですか? (「一番良いものです」)。 では、アメリカ人を中心として見るときに、アメリカ人の愛の器官は変わらない生殖器ですか、毎日変わる生殖器ですか? (「変わる生殖器です」)。その変わるものは、真ですか、偽りですか? ごみ箱へ行くものですか、王宮へ迎え入れられるものですか? (「地獄へ行くものです」)。 道徳とは何をいうのですか? ご飯を少し食べることですか? 断食するのが道徳の価値ですか? 道徳の中心がどこから立てられたのか、というのです。女性が守らなければならない道徳、男性が守らなければならない絶対的道徳とは何でしょうか? 変わる愛の器官の上に立つのですか、変わらない愛の器官の上に立つのですか? (「変わらない愛の器官です」)。変わらない愛の器官とはどんなものですか? 絶対愛の器官だというのです。 神様は第一の神様、私は第二の神様 今日、私たちの心の世界は変わり得るのですが、変わらない本然の場所がどこにありますか? 神様がアダム・エバを中心として創造する時、「変わる」という概念が介在していないのが、本然の世界であるということは間違いありません。それは何を中心とした世界でしょうか? あらゆる無限の調和と変化が愛によって動ずるというのが、妥当な結論なのです。このように言うことができます。 なぜ、永遠に変わらないのでしょうか? 核心が連結されているからです。それが発電機です。神様と連結されている発電機です。発電機は神様の立場を代身するのです。真の愛の本然の発電所は神様です。そのような本来の発電所は、神様の真の愛の発電所と連結されているのです。この発電所から出てくるプラスとマイナスが連結される時、バチッとスパークするのです。 皆さんの家庭でもプラスとマイナスが出会う時、スパークが起きるのです。そして、このスパークが起きる中で、二人が一つになり定着するのです。どんな力もこれを離すことはできません。それをいくら離そうとしても、離すことはできないのです。そうでしょう。男性・女性の愛は、プラス・マイナスの電気がスパークを起こすのと同じなのです。世の中ではどうですか? フリーセックスはどうですか? 離すことができないですか、いつでも離すことができますか? (「離すことができます」)。 愛が好きですか? (「はい」)。目も愛するようになれば喜び、鼻も愛するようになれば喜ぶのです。口も愛するようになれば、「ワワワワ」と言って喜ぶのです。耳も動き、体も動き、全部動くのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。 女性は、愛をそのように起こすことのできる力の動機をつくるのです。プラスがあれば、マイナスが動いて環境を占領します。そのような運動をするために、女性・マイナスには、プラス電気を代表する愛の力が相対として絶対に必要であり、男性にはマイナスの愛の力が絶対的に必要なのです。永遠に、絶対変わらずに必要なのです。 ここに集まったのは人ですが、人といえば何をいうのですか? 男性と女性をいうのです。男性と女性が何ですか? 男性の人格があり、女性の人格があります。それでは、人格というときには、必ず心に知情意があって、真善美の完全な価値の内容を備えた者をいうのです。それは、女性ならば完全な女性であり、男性ならば完全な男性の価値なのです。完全な人格です。 神様も同様です。「神様は人格的神だ」という結論を下すことができるのです。人格的神です。それゆえ、宗教を中心として人間の完成は、人格的神を発見しなければ完成できないのです。父親のことが分からなくては、子女のことは分からないのです。 神様を見ましたか? 神様は第一の神様であり、私は第二の神様であることを知らなければなりません。息子だということは、どういうことでしょうか? 息子といえば、神様の愛と一体となっており、生命と一体となっており、血統と一体となっているということで、第二の神だというのです。アメリカでいうなら、姓がマクドナルドなら、マクドナルドお父さんは第一のマクドナルド、息子は第二のマクドナルドです。神様は第一の神様、私たち人間は第二の神様、同じことです。 私は神様の息子・娘なので、第二の神様なのです。そうですか? (「はい」)。なぜ、第二の神様ですか? 神様に似たというのです。神様が上で、私が下であるというだけです。この二つが一つの体にならなければなりません。何で連結するのですか? お金の関係ですか? ここには三種類あります。愛の因縁、父母の生命の因縁、父母の血統の因縁を中心として連結されているので、似ているというのです。分かりますか? (「はい」)。 原因と結果が、同じ線で連結されているのです。愛の線、生命の線、血統の線で、神様につながっているのです。神様もこれがなければ、気が狂ってしまうのです。それで、私たち人間は、お父さん・お母さんの愛を受けざるを得ず、愛さざるを得ない立場だというのです。愛は二つの生命体を一つにさせる力があり、それが回り、回って、宇宙の力と交じり合う中で、生命の種が蒔かれ、育てられたのが私だというのです。 お父さんの性格というのは、お母さんの性格を愛するのです。愛らしい顔、体、笑い声など、すべてのものから愛を感じるのです。女性の体の動き、まなざし、笑顔、受け応えするすべての雰囲気。体で感じるその中で、男性であるお父さんと女性であるお母さんは一つになって、あらゆる方向に回転するのです。分かりますか? その回転の力は、分離させようとしても分離させることができないくらい、強い力をもっているのです。その中で二人が完全に一つになる作用を通して、絶対的な一つの体になるのです。それで? (「喜び」)。何をもって喜ぶのですか? 愛の関係を通してです。(息が止まる表情をされながら)停止、完全停止。どんな強い力だとしても、その喜びほど大きくなることはできません。 完全極致に到達した後に離れるのです。その時、本然の出発点であるゼロの状態になります。再び極致に到達したら、その状態でより大きい宇宙くらいの大きさになり、また、原点から始めたら、よりもっと大きくなるのです。その大きさは、もっとたくさんの人類を愛することができる内容を内包しているのです。その中でもっと大きな力と出合い、一緒に楽しむことができるのです。 そのような愛の行為は、宇宙を神様よりもっと美しく大きい存在につくるのです。神様よりもっと大きくなろうとするのです。(「何が神様よりもっと大きくなろうとするのですか?」通訳者)人間自身の愛の欲望が、神様よりももっと大きくなろうとするのです。 あなたたち、神様より高くなりたいですか、低くなりたいですか? (「神様より高くなりたいです」)。みんな、そうですか? あなたたち、先生より高くなりたいですか、低くなりたいですか? (「高くなりたいです」)。 四十年間悪口を言われながらじっとしていた 愛国者と逆賊の違いは何でしょうか? 愛国者とは国の未来にプラスになることができ、国が何倍も復興できる道を立てる人です。彼を忠臣というのです。自分の利益のために国を売るならば、逆賊だというのです。善悪の分岐点がここで生じる、ということを知らなければなりません。個人の目的のために国を売る者は滅びるようになっているのです。同じ立場です。 「私は以前、統一教会の重要な食口だった。しかし、今は違う立場にいる。私は統一教会が悪いところだと宣伝している」。なぜ、そのような行動をするのですか? それは、彼自身の利益のためにそうするのです。分かりますか? 彼自身がサタン側にいるためです。怨讐の立場にいるためです。言い換えれば、サタンが喜ぶ立場にいるからなのです。間違いありませんか? (「はい」)。 統一教会のレバレンド・ムーンは、じっとしています。四十年間悪口を言われましたが、じっとしています。私がだれかを悪いと宣伝しましたか? アメリカが反対し、アメリカ政府が裁判をしたのです。原告がアメリカ政府であり、被告が文鮮明個人です。文鮮明、ただ一人なのです。だれが悪い宣伝をしたのですか? アメリカ政府がしました。レバレンド・ムーンをコーナーに追い込んだのです。 今まで、共産党がありとあらゆる反対をし尽くしました。しかし、調査をしてみると、レバレンド・ムーンには罪がないということがかえって明らかになったのです。 (一九五五年に)韓国政府が世界の世論のゆえに、レバレンド・ムーンを監獄に入れて調査をしてみましたが、何もないのです。それで、兵役忌避の罪をきせようとしましたが、それでも引っかからないので、無罪の判決が下りました。そのことを世の中は知らないのです。それも(韓国政府が)「宣伝するな」と言ったのです。韓国ではレバレンド・ムーンは、息子・娘泥棒であり、妻泥棒、母親泥棒、娘泥棒、おばあさん泥棒、それから女性泥棒だというのです。 なぜ、統一教会にこのような迫害が、起きたのかというのです。既成教会が反対したからです。先生の言うことさえ聞いていたならば、先生のもっている真理は、旧教、新教の統一だけでなく、すべての宗教を統一し、すべての思想を統一できたのです。このように驚くべき真理をもっていたので、これを阻むために、ありとあらゆることをし尽くしたのです。 それゆえ、重要な問題として「社会破綻の根本、息子・娘を拉致していった泥棒、妻を奪った泥棒、家庭破壊泥棒。韓国伝統思想を無視する合同結婚式は、韓国の歴史にない。韓国の伝統を根本的に破壊させた怪物だ。殴って捕まえろ 追放しろ」、このように言ったのです。 男性という男性、個人の男性、家庭の男性、氏族の男性、国家の男性、世界の男性、霊界にいるサタン世界の天宙の男性、すべて動員して、「レバレンド・ムーンを排斥しよう」と言いました。男性たちの見解がそうなのです。 女性たちの見解はどうですか? お母さんがじっと見ると、男性たちというのは、自分の欲望を中心として考えているのです。息子・娘たちは、昔(教会に行く前)よりもよくなっているのですが、お父さんが「このようにしろ」と言うので問題が起こるのです。 「私は統一教会に行ってみたいです」。このように言って一度行くと、ころっと熱中してしまうのです。うわさだと思っていたら、自分の家庭にこの火がついて爆発したのです。それゆえ、どのくらいあきれるでしょうか。考えてみてください。 息子・娘だけ奪われたと思っていたら、お母さんが行ってみると、お母さんまで熱中するのです。それゆえ、お父さんが気が狂いますか、狂いませんか? 夫が狂うのです。それで、銃を持って来ないですか? こん棒を持って来ないですか? ありとあらゆることをするのです。 では、東洋の女性と西洋の女性を見れば、どちらがきれいだと思いますか? (「東洋の女性です」)。 東洋の女性の顔が平べったくてもですか? この平地にちょっとした山があっても、観光地になるのです。西洋の女性を見れば、どのくらいそびえたつように突き出ているか見てみなさい。鼻がこうで、目がこうで、青い目です。足も長く、背がすらっとしています。 笑うのも千態万象なのです。東洋の女性たちは、笑うのもこのようにして笑うのですが、西洋の女性たちはこのようにも笑い、あのようにも笑い、体で大騒ぎしながら、行動しながら笑うのです。アメリカ女性の笑い声は、どうしてこのようにうるさいのでしょうか? ソプラノのような声で笑うので、その声が、壁を越えて何百メートル先までもいくのです。(笑) 西洋の女性が、先生は有名な遊び人で浮気するのかと思えば、しないというのです。CIAやFBIでも、「レバレンド・ムーンを誘惑しろ」と、美人を送り込んで来たのですが、その女性が良心の呵責を感じて、手紙を書いて送ってきたのです。手紙を破ってしまわずに、そのまま保管していたら、どのくらい貴重だったでしょうか? カイン圏の子女たちを愛してこられた真のご父母様 東洋の女性たちは、先生が東洋の人たちによくしてあげずに、西洋の人たちによくしてあげるので、アメリカで反対者になりやすいのです。東洋の女性が西洋世界に来て迫害を受け、孤独な立場にいるので、同情しなければならないはずですが、かえって、自分たちを押しのけて西洋の女性たちを愛するので、反対し得る可能性があるというのです。 「何、愛の宗教だ、真の愛だと言いながら、顔について行き、環境について行く、そういう先生だ。あー、気分が悪い」と言いながら落ちて行った人たちが、本当に多いというのです。 先生の家にいる娘たちもそうです。娘たちも、お父様を好きではありません。西洋に来て仕事をしてみたら、出会うのは西洋の女性たちであり、また、西洋の女性たちがひっきりなしについて回って喜ぶのです。娘たちよりもこの女性たちを愛していたら、娘たちがわあわあと言うのです。 「日本の女性たちを愛して、黒人までも愛するのに、その黒人よりも自分たちを愛さないなんて、それがなんで私たちのお父様なのか」。そのように言っているのです。エデンの園においても、天使長が愛の減少感を感じて堕落したように、ぴたっと、そのようになったのです。あなたたちもそうでしょう? では、私が自分の息子・娘たちをもっと愛しましたか、カイン圏にいるあなたたちをもっと愛してきましたか? (「カイン圏の子女たちをもっと愛されました」)。それは、うそです (「うそではありません」)。自分の娘をもっと愛しましたか、あなたたちをもっと愛しましたか? 今、南米にいるスパニッシュ系をもっと愛しています。そのような時、ここにいる息子・娘たちは「行かないでください」と言ってしがみつきました。大きい子も、小さい子も、「もう一晩過ごしてから行かれればいいのに、なぜ、きょう行こうとされるのですか?」と言うのです。いつもそのように言うのです。 「あー、お父様、久しぶりに来られたのですから、時間を少し取ってください。三十分だけ時間を取ってください」と言いながら、何時間も待つのです。それでも、一晩だけ寝て行くのです。彼らに会ったら何もできないのです。十分、三十分も、許可できないお父様です。それよりも、公的な会合が列をなしているのです。 今、孝進の家庭問題のために問題になっているのですが、その問題は何も心配する必要がありません。 私はその嫁とひざを突き合わせて、一時間も話をしたことがありません。若くして、十七歳で嫁に来て、どれくらい孤独な環境にいたのか、私はよく知っています。(お父様から愛されたいという)心がありながら、それを感じることができない立場が、どれくらい孤独だったことでしょうか……。 その事実を考えるようになる時、「義理のお父さんは、愛だ、何だと、真の愛の話をするのに、自分の息子・娘に歓迎されず、私の心をこのようにさせておいて、それで、何が真のお父様であり、何がメシヤであり、何が救世主なのか。 ぺっ、ぺっ、ぺっ」と、このように考えるというのです。 さあ、今はもう時が来ました。今は、「四・四節」を宣言したので、今からは故郷に帰り、だれよりも愛して、幸福にしてあげることのできる時が来たのですが……。もし、何時間、何日、何週間、私が話をしてあげたら、そのようにはなりません。 世界にアメリカが長子の国であり、日本が母の国であり、韓国が父の国であることを宣布して、全世界が一つになり、先生を歓迎できる時になってみたら、「自分たちを抜かして、私たちをすべて犠牲にしておいて、あのように行くのが、何でメシヤなのか」と、反対するようになったのです。 今、南米に行くのですが、南米にいる人たちは、あなたたちよりも、立派な国家指導者たちよりも、優れた人たちではありません。かわいそうな人たちであり、悲惨な人たちです。彼らはみなかわいそうなのです。そのように「かわいそう」と考えるのが、神様の心なのです。真の愛の心をもっているので、そのようなことをせざるを得ないのです。そのことを知らなければなりません。 服などは、国家メシヤたちには高級な服を買ってあげながら、自分の子女たちを連れて行って、服を買ってあげたことは一度もありません。娘たちを、一度でもそこに連れて行って、そのような服を買ってあげたことはありません。息子たちにも同様です。 一番近いところから、神様は復帰摂理の祭物としてこられた 外的な世界の人たちに愛を与えていたら、自分の家族が悲惨になってしまいました。 先生はどのように考えるかというと、「愛の祭壇を世界化させる仕事を私がする」と考えるのです。そのように考えるのです。分かりますか? それゆえ、家庭を犠牲にしなければなりません。祭物を捧げる時には、家庭祭物を捧げなければなりません。父母様が祭物にならなければなりません。父母様自体が、食口自体が、祭物にならなければならないのです。一番近いところから、神様は復帰摂理の祭物としてこられたではないですか。 統一教会員たちはそれを知っているので、自分(お父様)の背に乗って越えていかなければなりませんでしたし、踏んで越えていかなければならないと考えるのです。統一教会の人たちはそれを知っているので、私たちの家庭の背と私たち夫婦の背を、このように踏んで越えていったのです。そうですか? (「はい」)。なぜですか? 祭物なのです。祭壇の祭物になったので、みんな頭を下げなければならないのです。全世界の祭物なので、全世界の人類が、その祭壇の前で敬礼を捧げなければならないのです。 御旨がすべてなされた後、三億六千万双祝福とサタンの血統断切がすべてなされた後に、私たちの家庭を、世界の家庭がどれくらい尊敬するか、考えてみてください。償わなければなりません。全人類が、全世界が、私たちの家庭に感謝する日が来るということを知りません。それを知らないのです。 五十年の歴史を過ごしながら、すべて悲しみで埋められているので、それを越えて来ることのできない環境にあるのが、先生の家庭であることを知らなければなりません。家庭的祭壇を積んで摂理してきたことを知らなければなりません。 先生の家庭を中心として、神様の純潔の祭壇に祭物を捧げるようになる時、全世界的に祝福を受けることができる環境を迎えるようになる時、「すべての代価を支払わなければならない責任がある」と、天が勧告するのです。このように考えるのです。 (私たちの家庭が)アメリカに来ているので、このようになったのです。韓国にいたら、このようにはなっていませんでした。アメリカにあるプライバシー・コンセプト、自己中心的個人主義概念、このような概念はすべて、サタン世界に所属して起こる現象です。それが事実ですか、事実ではないですか? (「事実です」)。そうではないという人、手を挙げてください 私が一つ質問をします。一生の間に、私がだれかに反対しましたか? 私には怨讐が多いのです。私を殺そうと、ありとあらゆることをした人たちが多くいます。できれば、忘れてしまおうと思います。忘れて、忘れて、迫害を受けたすべてのことを忘れてしまおうと思います。きれいに忘れてしまおうと思うのです。サタンは、レバレンド・ムーンがすべてに対峙して闘うことを望んでいるのです。 個人、個人として、世界がすべて反対したのですが、私が一人の個人に勝ったとしても、その闘いは何十年も続き、一生闘ってもその闘いは終わりません。次には、全世界の家庭が、レバレンド・ムーンに反対するようになるのです。分かりますか? 私が彼らと闘えば、その闘いは終わらないのです。それゆえ、忘れてしまうのです。忘れてしまうというのです。私の行く道は忙しいのです。行く道が忙しいというのです。 さあ、見てください。四十年の間に、四千年間の人類歴史の複雑な天の国と霊界を整理して、国家と世界が行くことのできる道を、すべての伝統をつくっておかなければならないのです。このような責任があることを知っている先生には、闘う時間はありません。闘う時間がないのです。 先生について来た世界の有名な人たちが、数十年過ぎてみたら、レバレンド・ムーンがすべて正しいので、彼らはみな統一教会の祝福を受けて、統一教会のかわいそうな人たちの垣根となり、国家の垣根となってきている、という現実を私は知っています。 レバレンド・ムーンが行く道はすべて、くねくねと曲がっていますが、行く道は一つの所です。世界平和、統一天下を考えるのです。分かりますか? 今日、アメリカで起こっている環境はレバレンド・ムーンと関係のない環境ですが、法廷闘争において、アメリカが歴史的に、先生にノック・ダウンされたという汚点を残した事実を知らなければなりません。そのような環境で闘いました。そこに刺激され、歩調を合わせたならば、サタン側に、サタンのかまどに入って行く、ということを知らなければなりません。 女性たちのために迫害されたお父様 先生を(第二次世界大戦直後に)キリスト教が歓迎していたならば、離婚はありませんでした。先生は離婚しなかったのです。キリスト教さえ先生を歓迎していたならば、先生を中心として南北統一、アジア統一、東洋と西洋の統一をなし、地上天国を建設することができたのです。そのように展開されていたならば、どうして離婚するのですか? 離婚しないというのです。 家庭にいる女性たちがたくさんついて回り、お母さんと娘がすべて統一教会を信じるようになるので、男性の群れはすべて反対するのです。こうして反対することにより、そのような環境的与件において監獄にも行きました。しかし、すべて(調査して)みたのですが、何もないのです。社会秩序破壊、家庭破綻、すべてうそなのです。 彼らに聞いてみると、それに同調する人は一人もなく、過去よりよくなり、立派な息子・娘になり、愛国者になったというのです。放蕩な人、ギャング・スターのような人たちがみんな愛国者になったということが、すべてあからさまになったのに、どうして法廷で刑罰を与えることができるでしょうか。 夫人たちは、霊界から聖別生活をさせるのです。堕落した偽りのサタンの愛を遠ざけるのです。それゆえ、「レバレンド・ムーンのとりこになり、狂ったので、そうなのだ」と誤解するのです。 当時、韓国は夜十二時から明け方四時まで通行禁止だったので、明け方まで待って、通行禁止が解除されるサイレンの音がなれば、女性たちは家庭において監禁されていた門を蹴って出て、裸でパンツだけはいて走って来るのです。走って来て教会の壁を越えようとして、滑り落ちて、「どかん」という音に近所の犬がほえて……。ありとあらゆる事件が伝わっているのです。 先生がお父さんのようであり、お兄さんのようであり、婚約した人のようであり、夫のようであり、おじいさんのようだと、そのように言うのです。エデンの園で、子女の時代、少年の時代、夫婦の時代、父母の時代の四大心情圈を失ってしまったことを蕩減復帰するための現象が起こるのです。先生に会いたくて夜眠れず、ご飯が食べられない、そのようになるのです。霊界がすべて開かれ、先生が何をしているかすべて分かるのです。どこかの市場とか百貨店に行くと、そこにみんな来るのです。霊界が役事するのです。 家庭環境では、男性がみな反対します。おじいさん、お父さん、夫、兄、息子など、男性たちがみな反対するのです。お母さん、お姉さんは家庭では家事が主な仕事ですが、みんな教会ばかり通うのです。 そのような環境で、だれのために迫害を受けましたか? この女性たちのゆえです。「銃で殺す」という脅迫もたくさん受けましたし、袋だたきにも遭い、追い出されもして、ありとあらゆることをされました。 なぜですか? 女性を救うためです。サタン側にいる女性を復帰しなければなりません。サタンの国の女王から、おばあさん、お母さん、夫人、長女、次女を復帰してこなければならないのです。彼女たちは、エバを代表した女性たちなのです。男性は王から、おじいさん、お父さん、すべて天使長の立場です。エデンの園における再臨主は、女性を復帰するために来たのです。新婦圏に対して、新郎は一人なのです。 それゆえ、先生に出会えば、先生を憎むことができないのです。このような現象は世界的です。あなたたちもそうですか、西洋の女性たち? (「はい」)。その「はい」という答えは本当ですか、うそですか? (「本当です」)。自分たちの心がそうなのです。本性がそうなのです。 「敵」という概念を除去し断絶する 春が来れば氷山も溶けます。レバレンド・ムーンは、神様の愛の春の始まりと同じです。寒帯地方の共産主義が過ぎて行きます。民主世界は秋の季節の文明です。共産主義文明が過ぎ、春の季節の文明が東洋から訪ねて来るようになるのです。それが、統一教会の文明圏の出発なのです。これが春の季節に該当します。それで、家庭が破綻するのです。家庭破綻が展開されるのです。 春というのは、神様の真の愛を意味します。分かりますか? (「はい」)。女性の花のような心が、咲いてくるのです。そこに蝶のような先生がいるので、みんな歓迎するのです。八十歳になるおばあさんも先生の後をついて回ろうとし、十二歳になったばかりでも先生の後をついて回ろうとするのです。おばあさん、おじいさん、夫、息子、娘がみんな見ていても、ついて来るのです。 その愛の春の園で花が咲き、実を結び始めたのが合同結婚式だということを知らなければなりません。国際合同結婚式です。それで、四十年が過ぎていきました。春夏秋冬。実を結ぶためには、春を迎え、夏を迎えて発展し、秋の季節に入り、あなたたちの家庭が植える種にならなければならないのです。真の父母の家庭のようにならなければなりません。真の父母のような価値をもつことができなければならないのです。そうしてこそ、神様が願われる地上・天上天国定着の出発がなされるのです。確実にそうですか? (「はい」)。 あなたの家庭がそのようになりましたか? 世界のための家庭であり、天と地を代表した家庭であり、人類を代表した家庭であり、万物を代表した家庭であり、真の愛の歴史をすべて包括することのできる家庭なのです。そこには敵がいません。神様が「敵」という概念をもったならば、片隅に敵の国が残るので、いつまでも平和の世界は来ないのです。神様はそれを知っていたので、「敵を愛せ」という標準を立てたのです。それは驚くべきことです。 「敵」という概念を除去して断絶しなければなりません。「敵」という概念が行動の基準になっているかぎり、世の中に信頼というものは永遠に存在しないのです。どうやって平和な世界をつくることができますか? すべてのことを消化しなければなりません。悪いことも、善いことも、すべてのことをのみ込んで消化しなければならないのです。それで、体のエネルギーにしてしまうのです。 先生の観点は、共産主義ものみ込んで、民主主義ものみ込んで、怨讐の国ものみ込みました。何をもって消化したのですか? 真の愛の力でです。真の愛の力は、このようなものを消化させるのに十分なのです。何の問題もありません。 先生のこのような視点で見れば、怨讐というものはありません。今までたくさんの怨讐と遭いました。しかし、先生は、彼らに対するすべてのことを忘れてしまいました。短い時間に、彼らの顔やその時の状況を永遠に忘れてしまいました。すべての状況を神様の立場で、今まで忘れてきましたし、今後も永遠に忘れるのです。そのかわりに、いつもそのような人たちのために生きてきました。他人を愛し、為に生きる側が、自動的に中心になるのです。為に生き、より愛する人が主人になるのです。中心存在になり、主人になるのです。 神様と天運が私を保護している 指導者は、第一に、中心に連結された責任感をもたなければならず、第二に、自分に任された分野を保護して、第三に、その分野を育成、および発展させるのです。これが責任者の使命です。これは、先生にもそのまま適用されるのです。すべての統一教会の指導者は、全世界に対してこのような責任感をもたなければなりません。また、すべての統一教会員たちも、このような責任意識をもたなければなりません。先生は今まで、世界を救い、保護し、育成する活動を続けてきました。 今日、アメリカには理想世界はありません。南米にもありません。アジアにもありません。アフリカにもありません。六大州には理想世界はないのです。 このような時に、世界の人たちはレバレンド・ムーンを尊敬し、誉めたたえています。それはレバレンド・ムーンがすべての階層の人たちにとって、最後の日の唯一の希望の中心であるからです。このような環境が、私たちの祝福活動のブームを全世界に巻き起こしたのです。 だれがこのようにしたのですか? だれがこのような結果をもたらしたのですか? レバレンド・ムーンではありません。レバレンド・ムーンは仲保者であるだけです。レバレンド・ムーンが、このような結果の原因者ではありません。レバレンド・ムーンが世界的にいくら有名で、いくら真の愛の中心存在だとしても、レバレンド・ムーンは原因者ではありません。分かりますか? 神様の愛を中心として、他のために活動をしていたら、そのような結果が現れるようになったのです。レバレンド・ムーンの背後には、神様の力があるという事実を知らなければなりません。 そのような人に反対して、何か利益になることがありますか? 今、私たちの家庭を破壊させようとしているのですが、それはできないのです。してもできません。ユダヤ教とキリスト教が一緒になって、そのようにしようとしているのですが、駄目です。ユダヤ教の『旧約聖書』とキリスト教の『新約聖書』をもって、統一教会の『原理講論』に勝ることはできないのです。それはできません。 統一教会は何時代ですか? (「成約時代です」)。成約時代というのは完成時代です。蘇生時代である旧約時代、長成時代である新約時代に未完成な内容を含めて、すべてのことを完成させる時代なのです。 真の愛の力は、すべての時代を消化する力をもっています。それで、ユダヤ教の若者たちが彼らのシナゴーグ(ユダヤ教の教会)の門をぱっと開けて、原理講義を一週間だけ聞けば、彼らは完全に溶けて、一八〇度引っ繰り返るのです。このような現象は、キリスト教の若い青年たちにも同じように現れます。また、他の宗教でも同じなのです。 それでは、問題は何ですか? 問題は、原理講義を聞かない人たちにあるのです。全世界の人たちが原理講義を一度だけ聞けば、彼らの思想は崩れてしまうのです。そのくらい強力な力を、『原理講論』はもっているのです。 それで、反対するのです。彼らはかわいそうです。今まで、その敵がみな罰を受けました。反対した人たちの中で、成功した人は一人もいません。皆、滅んでいくのです。二十年間反対したすべての統計を出してみなさい。八〇パーセント以上が滅びました。統計が出ているのです。レバレンド・ムーンを四十年、五十年以上、「殺せ。 破壊しろ」と迫害して、監獄にたたきこみ、ありとあらゆることをしましたが、滅びませんでした。(拍手) 世の中では皆、「歴史を通してそのようにたくさんの迫害を受けながらも、勝利できる力は何であるのか? 何が、そのように統一教会を繁栄させてきたのか?」と、とても不思議に思っているのです。それは、レバレンド・ムーンの力ではありません。それは、神様と天運が私を保護しているからなのです。柱を通して上から下に降りてくる強い力、永遠なるその力が、私を保護するのです。 理想世界のこの柱は、何であっても砕いてしまうのです。その力は、絶対に壊れることはありません。一度受けると、そのまま粉々になるのです。それで、問題が生じるたびごとにいつも、神様が主体の立場、先生は対象の立場で、完全に九十度の角度で影をつくらないゼロポイントをなして一つになるのです。そのようになれば、いくら強い者が私を攻撃したとしても、かえって、彼が落ちていってしまうのです。分かりますか? このような公式路程を、神様ははっきりと知っておられるのです。共産主義もいち早く崩れました。民主世界であるアメリカも救いを受けるために、私の前にひざをつきました。宗教世界も同様です。 そこに歩調を合わせる者は先に天が審判してしまう 世の中にあるすべての家庭は、私に属しているのです。そうではないですか? 家庭がなくては国があり得ません。国がなければ、世界もなく、地上天国もなく、天上天国もありません。理想家庭が立つことができて初めて、理想的な国、世界、天宙を立てることができるのです。このような世界の核が、まさに真の家庭なのです。 その所に初めて、神様が永遠にいることができ、一緒に生活することができるのです。神様は、愛を中心としてその家庭を主管するようになるのです。そうなれば、その家庭は永遠に壊れないのです。 このような家庭が大きくなれば、氏族、民族、国家、世界、天宙をなすようになるのです。これがまさに、地上・天上天国なのです。このような天国が、個人的概念から家庭的概念に越えていけば、ここにはそれ以上の迫害と反対はないのです。順調に、氏族、民族、国家、世界を越え、霊界まで越えて行くのです。 このようにして霊界に行けば再び、自動的に真の家庭が中心となった円がつくられるのです。真の家庭が中心になり繁栄するのです。世界の環境をつくるうえで、核は家庭なのです。家庭から親族、氏族に拡散し、氏族から国家、世界に拡散するのですが、中心は同じなのです。中心と同じ価値をもって、民族、国家、世界、天宙へと拡散されるのです。モデルの公式は、中心と同じです。 それで、完成したアダムの家庭では、アダムが家庭の王です。アダム家庭が大きくなれば、アダムは氏族の王、世界の王、天宙の王になるのです。ここから家庭の天国が出発し、これが拡散して、親族の天国、氏族の天国、国家、世界、天宙の天国として大きくなっていくのです。霊界と地上は、陽性と陰性でつくられた一つの体のような構成体なのです。陽性は内面の世界であり、陰性は外形の世界をいうのです。 宇宙のすべては、カップル制度になっています。鉱物世界、植物世界、動物世界、人間までも、すべてカップルになっているのです。なぜ、このようにカップルになっているのでしょうか? 永遠に存続するために、このように創造されたのです。 人間を見れば、個人は、心と体、そして、陽性と陰性の二性性相になっています。心は神様と連結され、体は地と連結されているのです。それで、体と心が一つになるということは、すなわち、天と地が一つになることと同じなのです。それゆえ、平和の世界をつくるうえで、個人の体と心の統一が中心核になるのです。 その道は簡単ではありません。アメリカの人たちは毎日、マクドナルド・ハンバーガーを食べるのが好きでしょう。今から一生の間、そのハンバーガーを食べないでください。韓国式に変えてください。いいですか? (「はい」)。 あなたたちは簡単に答えますが、難しいことです。長い間に形成された習慣を変えるということは、どれくらい難しいですか? 数十年の間、形成された習慣と伝統的な概念を変えるということは、簡単ですか、難しいですか? アメリカ人がどこかに行って三年ぶりに帰って来たら、一番先にマクドナルドに行って、ハンバーガーを買って食べるというのです。ちょっとした習慣を変えるのも、このように大変なのです。 宇宙の伝統は、最悪の愛が中心になって出発し形成されました。ハンバーガーを食べる習慣を変えることと比べたら、間違って形成された宇宙の伝統を変えるということは、何百倍、何千倍以上もっと難しいというのです。 歴史を通してたくさんの義人たちは、過った基盤を復帰するために、数千回も試み、反復してきたにもかかわらず、九〇パーセント以上、地獄に落ちました。それは、自らをゼロのポイントに定着させることが、あまりにも難しいからなのです。こんなにもサタンは、たくさんの義人を地獄に落としてしまいました。 このようなことを神様が見る時、人間堕落以来今まで、神様はどれくらい悲惨で、悲しい状況におられたのかというのです。このような神様が、まさに私たちのお父様であり、真のお父様であられるのです。あなたたちは、このような苦痛を感じることができますか? (「いいえ」)。それなら、あなたは自動的に地獄に落ちるのです。地獄というのは影のような所です。そこは、光が存在しない所です。ただ、影だけがあるのです。 統一教会の世俗的な環境にいるアメリカの食口たち。 レバレンド・ムーンと統一教会の家庭を分離させようとする、このような行動を中心として見る時……。このように生きたレバレンド・ムーンは、自分の家庭、自分にある財産、世界の統一教会にある財物まで投入して、世界のためにアメリカを救おうとしました。 アメリカにおいて自分の利益のために反対する群れに対して、アメリカ自体が糾弾しなければ、このアメリカの地が讒訴し、アメリカの空気が讒訴し、アメリカの天運が怨讐視するというのです。そのことを知って、そこに目を合わせて、五官を合わせて、行動と歩調を合わせる者は、先に天が審判してしまうのです。 憤怒するのです。 これを知らなければなりません。分かりましたか。 (「はい」)。 どれくらい大変な十字架の道か…… 神様と真の父母は一つの体です。真の父母は神様の横的な体です。同じ価値をもっているのです。真の父母はどこにいても、神様に九〇度の角度を合わせることができるのです。 神様と真の父母の間には消耗がありません。これはちょうど、ある物体が無重力状態に行けば、力が消耗されないということと同じ理屈です。それゆえ、消耗がないので、一度押したら永遠に行くのです。人工衛星が慣性の力で運動するではないですか。負荷がないので、一度押したら永遠に行くのです。負荷がかからず、どこでも百パーセント通じるのです。 横で言う人(食口)がいたら(レバレンド・ムーンとその家庭に対して言えば)、口を裂いてしまい、目を取ってしまうと考えてみなさい。「この者たち、何ですか。 統一教会を中心として」と言いながら、目が取られ、口が引き裂かれてしまうだろうというのです。そのように考えたら、そのようになるのです。 神様に祈祷してみてください。そのような人はみんな滅びます。私が祈祷をそのようにしたら、七か月以内に雷が落ちます。しかし、父母はそのような祈祷はできないのです。息子が刑場に行き死ぬということを知っている父母は、「この国の憲法がよくできていて、あの子はよく死んだ」とは言わないのです。この国の法をすべてなくしても、その息子が解放されることを願うのです。 さあ、真の愛の運動をしている統一教会の文先生の歴史には、なぜ、家庭的にそのように問題があるのか、ということが問題なのです。なぜそうなのでしょうか? 「絶対性」を主張する神様が、絶対ホモ・セックスの世界に来て、愛の関係を結ぶことはできません。永遠に不可能なのです。これを救おうとすれば、神様が手を出すことはできません。手を出せないというのです。エデンの園でアダムとエバが堕落した時、手を出せなかった神様が、これに手を出すことはできません。これは、だれが引き起こしたのですか? 偽りのアダムです。偽りのアダムがこれを引き起こしたので、これをはがして直すことができるのは真のアダムしかいないのです。 それで、悪なる世界で「絶対性」を主張していたそのような神様を代身して、サタン世界の滅びゆく女性たちをより愛することができる心の基点をつくるために、絶対悪の中で愛を復帰してくる時、救われるというのです。 それが、どのくらい十字架の道であるかということを考えなければなりません。どれくらい骨が折れ、どれくらい大変な十字架の道か……。分かりますか? (「はい」)。 先生自身はきちんと神様の神聖な訓練を受けました。そのような人が、離婚が何ですか? このようなことまで試験を受けました。世界の一番の美人、世界の男性たちが愛することができる美人が現れ、最高の愛で包容し、キスをして、性関係ができるその場に入っていき、完全に百パーセントセックスをすることができる状態に行ったとしても、ゼロに帰ることができる訓練を受けた人なのです。そのような人が離婚して、他の女性を考えることはできません。 (歴史を通して)三段階で落ちていきました。女性が、アダム家庭、イエス家庭、再臨主家庭を破綻させました。それゆえ、女性たちの生きる道がないのです。生きることができる梯子をかけなければならないのです。そのような時は、どのようにしなければならないでしょうか? その道は、愛の十字架を背負って行く道なのです。歴史以来、天地にこのような愛の十字架の道を、伝統の道を悟らせて、それを立てた方が真の父母なのです。今も聖進のお母さんが、私をどれくらい愛しているでしょうか? 今も思慕しているのです。 学生時代には、たくさんの女性から誘惑を受けました。誘惑を受けるということにおいて、世界の記録をもっている男です。それゆえ、春の季節のさかりには、鍵を四つもかけて寝ました。部屋に鍵を四つもかけて寝たのです。それは、統一教会の人たちはみな知っています。そうしなければ、門をこじ開けて入ってくるのです。先生が寝ている布団をどけて裸で入って来て、しがみつき、「助けてください」と言うのです。「五分あれば解決することなのに、男がそのようにできるのですか?」と言うのです。 このような女性に対して、「私には性機能がありません」と言いながら送り帰しました。(笑)どうしても帰ろうとしないので、そのようにして解決するのです。その女性は普通の女性ではありません。美人であり、財閥の娘であり、有名な学校の在学生なのです。肥桶に神様の生殖器を差し込んではいけないのです。嫌でも、嫌な道がその道だということを皆さんは知らなければなりません。 神様の御旨を成し遂げるためには、地上世界で神様の代身者として、離婚してでも真の愛の関係をつくり、離婚を三回してでも真の愛の関係をつくらなければならないのです。 それゆえ、地上の摂理の中で、ヤコブのような人は女性をたくさん迎えました。宗教界にも女性をたくさん迎える人がいるし、あのイスラムのような所もみなそのような意義を中心として、そのようになったのです。 ヤコブにおいては、十二人の息子を生むために女性が四人いましたが、結局はレアとラケルの問題であったということを知らなければなりません。このラケル一人だけだったならば、復帰ができないのです。支流で反対の妾であるとか、傍系的な道で復帰がなされるのです。 これを、だれが解決してくれますか? そこにピュア・ラブを主張して、それをどのように解決しますか? それゆえ、先生が地獄よりももっと恐ろしい道、苦痛を受けながら、その道を開拓したのです。愛の十字架の王者の道を歩いて来たということを知らなければなりません。それは、女性を救うためなのです。 女性たちは、三人の男性を殺しました。アダムを殺し、イエスを殺し、再臨主を殺しました。先生を荒野に追い出すことによって、お父様の家庭に破綻が起こり、お父様はもう一度結婚しなければならなくなったのです。そして、韓国が南北に分かれ、兄弟としているべき東西洋が多くの地域に分かれ怨讐になり、天と地が再び分かれたのです。 すべては朝の草葉の露のごとく、陽が昇りさえすれば落ちてしまう 終末になればメシヤが雲に乗って来るというのですが、再臨主が飛行機を使えば問題ありません。稲妻のように、世界中、南極や北極、東洋や西洋、すべての国を訪ねるのも問題ではありません。ですから、先生は飛行機を買ったのです。グローバル・エクスプレスです。一度飛べば、どこへでも行くことができるのです。一日で世界中を稲妻のように飛んで、南極や北極、東洋、西洋へも行くことができます。現代科学技術が発達して、神様の目的を助けているのです。このように、真の父母の生活様式に貢献しているのです。 真の父母は、世界のどういう場所でも行かなければなりません。インター・ネットや電子メールのような現代の科学技術を通して一度に全世界の人たちが、ここで話すことを聞くことができます。五十億人類が一度にみな聞くことができるのです。だれのためにですか? (「神様です」)。真の父母のためにです。私が五十年前にこのような科学技術の話をした時、人々はみな私を「狂った」と言いました。「本当に狂った人だ」と言ったのです。その時に特に反対してお父様を笑ったある一人の牧師が、今はすべて悔い改めているということを聞いています。(拍手) ピュア・ラブの主人であり、王であられる神様が、この地に真の愛と真の家庭を植えようとすれば、真の父母、真のアダムが必要なのです。そのことを知らなければなりません。 今回のマディソン・スクェア・ガーデンの祝福の時、先生が昔責任をもった聖進のお母さんとそのお母さん、つまり聖進のおばあさんまでもすべて祝福をしてあげたのです。そうして、理想的夫婦の理想を実現するのです。 今でもレバレンド・ムーンに反対する人たちがいますが、彼らは何も知らずにそうするのです。レバレンド・ムーンがどれくらい立派な人間であり、どれくらいこの地上で貴重な人であるのかという事実を知るようになれば、尊敬するようになるのです。 聖婚式の時、真のお母様の候補者になると言っていた人、数十名が今でも待っているのですが、「一回でも先生の手を握りたい。キスもしてくれたらいい。死ぬ前にしてほしい」と言っても通じないのです。そのような人には、全く見向きもしません。私は冷淡な人です。「世の中の男性の中で、最も冷酷な男性、石のように冷淡な人だ」と、うわさが立っているのです。 そのような人たちに「そのようにする先生は悪い先生ですか、善い先生ですか? そのようにしていかなければならないでしょうか、あなたが願う通りしていかなければならないでしょうか?」と尋ねれば、「先生がする通りしていかなければなりません」と言うのです。 多くの人が今でも統一教会とお父様に反対していますが、私たちは世界に出かけて彼らを許し、愛でしっかり抱きかかえて、真の父母と共に真の家庭、真の天国を築く立場なのです。天上天下、地上天国が、真の父母の「真」を何個も合わせて、真の父母を尊敬することができる時代が待っているというのです。 そこに歩調を合わせることを願います。今晩このような時間をもったことを栄光に思い、先生の言葉を大切にしっかりと保管して、その世界に行って称賛され、賞を受ける皆さんになるために、大切な内容を発表するのです。分かりますか? (「はい」)。 その言葉が正しいと思い、自分自身の心が先立たなければなりません。何を話しても、何をしても、私の愛の心は変わらないのです。真の愛なのです。それゆえ、神様も、世の中が何と言っても、「世界のすべて、神様が創造した貴重なものは文先生に預ける」と考えているのです。 そのような神様であることを知り、そのような神様がいるということを知らなければなりません。そして、その神様の娘・息子になるためには、文先生のように、このようなすべてのことを克服し、耐えていかなければならないのです。そのようなことを理解して、あなたたちも耐えることができなければなりません。 アメリカがいくら騒いだとしても、先生は心配しません。これはすべて朝の草葉の露のごとく、陽が昇りさえすれば落ちてしまうのです。 それゆえ、南米に行ってもそのような心配はしないのですが、私が南米に行けば、この人たち(アメリカ食口たち)が糞の穴に落ちてもがくと思ったので、このようなことも話して洗ってあげたのです。皆さんの喜ぶ姿と喜ぶ態度と喜ぶ決心を見て、喜ばれる旅行に出発するのです。アーメン(拍手)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.03
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ジャルジン第五宣言(「四・四節」宣布)一九九八年九月八日、アラスカのコディアックで朝の訓読会のとき、真のご父母様は、その日の数字をすべて足すと四十四になるということをご存じであられ、二階に上がって特別祈祷をなさり、再び一階に下りてこられてみ言を語られた。「み言に同意する者は手を挙げなさい」という問いかけに対し、参席者全員が手を挙げ、祝祷を通して「四・四節」が宣布された。この日、コディアックのノースガーデンでは、顕進様を中心とした二世の代表と大陸会長、及びカイン圏の国家メシヤの四十数名が、四十日修練会に参加しており、ブラジルのジャルジンでは、世界平和理想家庭のための第二次四十日修練会、パンタナールでは韓国の国家メシヤたちの四十日修練会が進行中であり、南北のアメリカで四十日修練が二チームに分かれて行われていた。同年九月二十日、ベルベディアで「摂理的総整理」というみ言が語られた際、九月八日の宣布はジャルジン第四宣言に続く「第五宣言」であると命名された。 み言 主題 - 全体・全般・全権・全能の時代 この日が宣布されれば、天は全体・全般・全権・全能の時代にさしかかります。天が計画するすべてが地上で実現されるという、直接的な結果が現れる時が来るのです。 サタン世界においてもすべて体制が整っているのです。いろいろ複雑ですが、一体化です。一方の方向に、全体が全般的な基準で一つにならなければならないのです。サタン世界にも権限がありますね? その次には全能です。天は意のままになすことができるのです。サタン世界には全能はありません。今まで立てられた国家的基準における全権となっていますが、それを超えて全能の時代となるのです。何もかもが国家と世界に影響を及ぼす自由奔放な世界に移行していくという、概念を知らなければなりません。 今までは、アメリカならばアメリカを中心として、各国に体制を整えてきましたが、これからは体制が一つになるのです。一つの世界になるのです。サタン世界の権限は国を中心として一つになっていましたが、世界にまで拡張させることはできませんでした。しかし、これからは天がそれに取って代わり、サタン世界や霊界に影響を及ぼせる時代に入っていくのです。 今までサタン圏は、国家基盤に限定されていました。今はそれを超えていくのです。それはサタン圏を超えていくということです。宇宙基盤と天国基盤を主管するのは、神様にとって問題ありません。この地上からサタン圏は消え去り、新しい天の主権が現れるのです。神様が個人から宇宙に至るまですべてを主管することができるのです。神様が初めて主権をもつようになるのです。 全体・全般・全権・全能の神様が、意のままになせる時が来るのです。全般とは、サタン世界のすべてが一つの世界になるということです。サタン世界の全権を神様が掌握し、意のままにできるようになるのです。サタンの全権は、国家基盤を超えることができません。世界基盤は神様が握っているのです。 十九も悪い数字であり、九も悪い数字ですが、八数は良いのです。四十四数をいつ迎えるのでしょうか? 今日はその日に合致しているので、歴史的な転換点に入ったのです。どこの国の人かと尋ねたら、皆さんは何と答えますか? 天国人であると答えなければなりません。そのように考えなければならないのです。 神様が創造したとおりになっていれば、アメリカやイギリスやソ連、共産世界や民主世界といったものは、すべてありませんでした。まず愛の秩序が定まらなければならないのです。愛、生命、それが完全に一つとなった後で、血統が定まるのです。そのためには、先祖を一〇〇パーセント占領しなければなりません。自由はありません。自由があり得ますか? 皆さん、生まれるときに自由があるでしょうか? 自由はありません。お父さんとお母さんの精子と卵子を勝手に取っていく権限、自由に供給を受ける何かが皆さんにはないのです。ですから、誰々の息子、誰々の夫、誰々の父親となるのであって、「誰々の」と言わなければ呼ぶことができないのです。それを知らなければなりません。そのことを知らずにいます。自分を主張できるものは何もありません。父母の愛、父母の生命、父母の伝統!神様の宇宙史的なアイデア!それしかないのです。サタンによって植えつけられたので、今このようになっているのです。 腹がこのように出ている人は、食事を抜いた生活をしなさい。三度の食事のうち、二度だけ食べて、残りの一度の食事を飢えている人たちに与えて、助けてあげなさい。先生もそのようにしてきました。そのようなことを四十年前から準備しているのです。命令したら皆家を売り払って、アフリカに行って家を交換して生活するのです。そのようになれば、そこが天国になります。「アフリカ人はアメリカに行き、アメリカ人はアフリカに行って家を交換して暮らそう!」といって、それを実現するようになれば、たちまち天国になるのです。そのようにしながら幸福になるのです。天国に行く境界線を越える、というように考えなければなりません。天国は地獄を切り抜けて越えていかなければなりません。ですから大移動が始まります。大移動が始まるのです。 呼吸をするには、膨脹と収縮をしなければなりません。それと同じく、みんなが貧しい暮らしをしているのに、一人で豊かな生活をしている人は地獄に行くのです。地獄に行かないようにするためには、その反対のことをすればよいのです。そうすれば天国に行けるのです。息を吸い込んでばかりいれば滅びてしまいます。死んでしまうのです。 先生はアメリカでお金を稼いでアメリカに投入し、世界に投入しているので、先生の手には何一つありません。世界のために投入したので、それが世界のものとなり、世界を超えて天地、神様のものとなるのです。それは誰も奪うことができません。先生自身は何ももっていません。先生は世界と宇宙の所有権を神様に連結するのです。 そのような意味で、これからは人数を中心として世界のすべてが、神様の栄光を受けられる時代に入っていきます。ですから、真の愛の大将にならなければなりません。 真の愛は、家庭・氏族・民族・国家・世界・宇宙の中心だけでなく、神様の中心です。皆さんもそのように連結すれば、神様はどのようになさるでしょうか? 神様が皆さんに返してくれるのです。皆さんはそのように相続することによって、聖子になれるのです。 家庭盟誓の三番目に「四大心情圏」が出てきますね。自分が生まれたのは、神様の家庭のために生まれたのです。ですから、兄弟というのは、神様が実現しようとされる兄弟を代身するものなのです。また、夫婦というのは、神様が実現しようとされる夫婦を代身するものです。そうして、息子と娘を生むというのは、神様が創造した実体創造に続く第二創造なのです。 そうなればアダムとエバは、霊界と肉界、お父さんとお母さん、おじいさんとおばあさんの世界をすべて未来に伝授することができるのです。アダムとエバが息子を生むことによって、天国を創造しようとしていた神様の理想の出発が初めてなされるのです。ですから、神様は第一創造主、アダムとエバは第二創造主、アダムとエバの息子と娘は第三創造主なのです。 統一教会において、第四次アダム圏時代に入って定着し、本然の祝福と、万代の子孫が父母を尊敬し、子女が一つになって、天国に入れる世界に転換される時が目前に迫っているのです。 ですから、皆さんの家庭は歴史と天地を代表した家庭です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従の上に、絶対・唯一・不変・永遠なる家庭、神様を迎える永遠の家庭となって、それが永遠の氏族、永遠の民族、永遠の天国となるとき、地上天国時代から天上天国に直結して、一つの世界になるのです。 アダムは二代目で、孫は三代目です。孫が息子や娘をたくさん生めば、その兄弟を中心として伝統を引き継ぐようになり、すべて同じ価値をもつようになります。ですから、孫も神様に向かって「お父様」と言い、父親も神様に向かって「お父様」と言い、すべてが「お父様」と言うのです。同位価値的に天のお父様に仕える立場、アダムのような立場にすべての万民が立つようになるのです。誰もが対等な価値をもつのです。それゆえに皆さんも先祖になるのです。 神様と真の父母が、その喜ばしいことを中心として、世界へ拡張するための式を行います。その段階に至りました。では、皆さんはそれに対して両手を挙げて歓迎しましょう!(二九五-二五三、九八年九月八日) 祝祷 愛するお父様…、人類の先祖が犯した瞬間的な堕落の行為によって、億千万世の宇宙を創造されたお父様が、これほどの受難と迫害の道や祭物の路程をものともせずに切り抜け、勝利の個人時代を経て、氏族、民族、国家、全世界の解放時代まで歩んでこられるのに、どれほど苦労されたかを、私たちが骨肉に徹して感じながら、それを私たちの生活圏内で蕩減しなければならないという事実を悟り、厳粛に宿命的過程を通して歩んでいけるようにしてくださいませ。 宿命とは、死んでも行かねばならない立場に立っているという言葉でございます。堕落の怨恨、身に染みる苦難の道において、死んでも解決しなければならないという宿命的な課題をめぐって考えてみるとき、真の父母を中心としてこれを蕩減するための救援摂理において青少年問題と家庭問題が、世界の先端において誰にも手のつけようのない時代に入りました。 アダムとエバが堕落するときに神様が手をつけられなかったように、今やサタンだけが行動していた結果の世界においてサタンも一つの家庭ではなく世界を抱きながらも、天側の人々を殺すことができなくなり、サタンも手をつけられず、神様も手をつけれらない青少年問題と家庭問題を、真の父母のみ名を中心として、根本的に霊界と肉界、地上と天上世界の因縁をはっきりと悟らせて解き明かすことができ、それを霊界が知り、地上世界、未来世界がはっきりと知り、個人の行くべき道、氏族・民族・国家・世界・天宙の行くべき道、そのすべてを知ることによりまして、誰が反対し、誰が阻もうとも、この道を行かなければならないという、確固たる信念をもたせてくださった恵みに感謝申し上げます。 そのような意味において、サタン世界のすべての氏族、民族全体の編成を代表することのできる、天国の三六家庭から今まで十二の峠を越えることのできる立場に至り、今やすべての地上世界の清算と天上世界を清算するために、サタンの血統を断切することによって、サタンの讒訴条件を否定し得る天地の権限を真の父母が立てまして、真の父母の行く手には、国家的基準と世界的基準でサタンによる地獄の権限の行使が除去され、国家的次元のものを整備して世界的次元で天国の門の解放の世界に真の父母のみ名が通じ、本然的な真の先祖と因縁をもち得る地上・天上天国が開門することのできる時代を迎えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 お父様…、今や来年二月三日(実際は七日となる)を中心として二億四千万双を祝福することによって……、サタン世界の血統を断絶するために、韓国では青少年の純潔教育が既に終わり、日本とアメリカを通じて全世界に拡張できる教育をしておりますから、その教育があなたのみ旨の前にあって日進月歩し、勝利の権限とあなたの解放的な全体・全能・全権の行使が可能となる時代が、実を結べるようにしてくださいませ。 今日、四数を中心として、アダム家庭の四位基台、アダムの息子と娘の四位基台を中心として歴史的な伝統を世界化できなかったことを、世界化四位基台……、真の父母と共にすべての家庭がそのような立場に立ち、サタンを除去し、汚れた血筋のすべてを消して乗り越えることのできる、全体解放時代を迎えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 一九九八年を中心として、九数はサタン数であり、十九数もサタン数ですが、八数を連結させることによって、この日九月八日が新たな解放の出発を宣言することのできる、四十四数の基盤を踏まえて地上の四数、天上の四数を中心として、解放的天宙に向かって全家庭が入籍することのできる、天国時代を迎えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 今日、このような日を記念し、サタンが数においても讒訴できる条件がなくなるようにするため、これをあなたの名と共に、真の父母の名と共に、全天宙全体の前に宣布いたしますから…、この日が、あなたの権限によって、全体・全般・全権・全能の能力を中心として行使することのできる、解放の解放時代を迎えられる日となるように、祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。今日このひととき、真の父母の名と共に神様の名と共に結ばれた、喜びの解放を宣言すると同時に、万民解放圏へとつなぐことのできる勝利の宣布をいたしますから、受け取ってくださいますよう切にお願い申し上げます。 今、「四・四節」解放の日を宣布したことを地上と天上に、神様と真のご父母様が再度宣言してくださいますことを願いながら、真の父母のみ名によって「四・四節」を宣布いたします! アーメン、アーメン、アーメン! (二九五-二五七、九八年九月八日) み言 成約時代には、祝福家庭と霊界に関する事実を知らなければ完成できません。成約時代の家庭祝福は、堕落していないアダムとエバが、家庭を中心として神様と共に生き、家庭が定着して生きるので、霊界と肉界が一つになった立場に立ちます。そのような一つとなった立場になるためには、霊界の事実をよく知らなければなりません。霊界をはっきりと知らなければなりません。今、霊界には楽園や中間霊界、地獄といった絶対にあってはならないものがあります。地上にも、堕落した関係によってなされたものが、本来あってはならないのです。 統一教会の信徒は、二つの世界に拍子を合わせて生きていかなければなりません。この世で生活するには肉の糧が必要であり、霊的な面においては霊の糧が必要となります。霊的な世界は永生することのできる世界です。肉的な世界での人生は、つかの間です。霊的世界において肉的世界の数百倍もの味を感じなければなりません。その味を知れば、眠ることも食べることも忘れ、すべてを忘れてしまうのです。 霊的な糧は真の愛の味がして、永遠の生命と結束しますから、今日の肉的な生活、肉的な命を維持する味とは比較になりません。 この世の未婚の若い男女は愛し合うようになると、眠ることも忘れて恋しがりますが、それ以上に恋しく思わなければならないのです。それはつかの間の世俗的な愛ですが、これは永遠の愛です。その立体的な愛は、世俗的な愛とは比較にもなりません。そのように心を集中させ、生活的な面で高次元的な愛を味わいながら生きなければならないのです。 皆さんが先生のみ言を聞けば、真の愛の味を知るようになり、このみ言を中心として先生が慕わしくなり、会いたくなるのです。 男性は女性が恋しくて、夜も眠らずに泣き明かします。堕落した世の中の愛もそれほどであるのに、本然の愛となったらどうなるでしょうか? 男性たちも先生に会いたくて泣き明かし、涙を流すのです。先生の相対的基準、共鳴圏に入ったならば、先生が何をしているかすべてが見え、先生と常に共にあって、何かを食べたくなれば霊的に本当に食べることができるのです。そのようになれば、すべてが通じるのです。先生が何をしているのか、すべてを知って生きることができるのです。そのような境地に達しなければなりません。 慕い求める愛の力が、堕落したアダムの愛よりも高まれば、無限の世界と通じるのです。 断食をしているときに恋しくなれば、食べたいものを共に食べるという、そのような境地に入っていくのです。そのような体験があってこそ、皆さんは真の愛の味が分かるようになるのです。 訓読会をすれば霊界に対する事実を……。李相軒氏が霊界について紹介してくれましたが、それよりもこの『地上生活と霊界』という本は、原理的な内容をすべて教えてくれるのです。そこには現象的なことが語られていますが、原因的な内容を教えてあげたので、相軒氏もそのみ言を中心として霊界を見てみたところ、内外において一致しているので驚いたのです。先生の責任がどれほど重要であるかということが初めて分かったのです。 み言と霊界の現象が一致して、その時になってやっと実感が湧いたのです。膨大な世界が、自分と離れることなく、永遠に共に生きられる世界であるということを実感したのです。自分の国や自分の家というものがありますが、神様は父親ですから、自分の国や自分の家で共に過ごすことができるのです。その世界のすべてが自分のものであるという信念をもつようになったのです。 霊界も世の中も、堕落した結果になっているので、やがてそれらはすべてなくなります。すべて整理しなければなりません。堕落した世界をすべて整理して、一つの世界にしなければなりません。アメリカ、イギリス、ドイツが一つになるのです。すべて同じです。真の愛は一つです。絶対的に一つです。真の愛を中心として編成された国は、全体がIつなのです。霊界と肉界は裏と表のようなものです。 家庭盟誓の五番目にあるように、私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的な天上世界と対象的な実体的世界が一つになって、整理しなければなりません。霊界は主体的世界です。この地は対象的世界です。これからは、この二つの世界が一つになるように拍車をかけるのです。強制的にでも急がせるのです。打ってでも駆り立てるのです。 死ねばあの世にすっぽりと入るのです。霊界を解決しなければなりません。あの世も地で解決しなければなりません。霊界に入ったときに引っかかってはなりません。この地ですべてを解決しなければならないのです。それは観念ではなく、実在です。 先生もそのような世界が事実であるということを感じたので、多くの迫害があっても何の問題にもならなかったのです。反対や迫害をされることが観念であるとするならば、これは実在なのです。それでこそ生き残るのです。霊界が実在するということを、いかに実感するかが最も重要なのです。 ですから、迫害は問題ではありません。目的を知っているからです。朝、起きて自然の現実を感じるように、霊界の事実をさらにはっきりと知らなければなりません。膨大な世界が霊界の世界ですが、そこにはイギリス人、アメリカ人だけがいるのではありません。世界各国の中で心霊状態が同じ人たちが集まっているのです。五色人種のすべてが同じところに集まっているのです。 ドイツ人だとか、何人だとか、昔のこの世的な姿形はありますが、心の世界を見るので、心の世界がどれほど美しいかによって、親密になる度合いが決定されるのです。心の世界がより美しい人と一つになろうとするのです。一つになるなと言っても一つになるのです。何千年、何万年前の人でも、会えばすぐに分かります。先生の言っていることが観念や夢のような話だと思って、事実として感じていないでしょう? 単なる話と思うのではなく、事実として感じて生きなければならないのです。それが問題です。それを悟れば、この世は影です。影のようなものです。 その世界には境界線がないので、その世界で愛の心をもつようになれば、誰とでもすぐに通じるのです。心は老いません。心は長生きすればするほど美しくなるのです。神様を中心とした息子や娘が、とても見られないような姿だったらどうしますか? 深い愛の中で和して生きる人は皆、美女や美男子になるのです。 女性だけでなく、男性もそうです。あらゆる問題について、すべて祈祷をしながら、先生の教えや導きを受けなければなりません。エデンで堕落しなければ、神様に仕えて生きるはずでした。神様がご自身の実体の体を必要として創造したのがアダムの体ですから、先生を中心とすれば霊界にも通じるようになるのです。それを知らなければなりません。神様の愛を完成させるのは、神様ご自身ではありません。人間を通じて完成するのです。今までそれを知らなかったのです。 このようなすべての内容を教えてあげましたから、知っているとは思いますが、皆さんは死ぬ時に先生の卒業証書を受けて、パスできる学位をもって行かなければならないのです。どうするつもりですか? 大学の博士コースが問題ではありません。神様の息子、娘となって、天国の皇族になるのです。このようなことを知って、自分が留まる所……、自分を中心として「私はこの世界を中心として、このように思うのだけど……」というのではなく、あの世に行ってからは何をするかという下準備をしなければならないのです。 これからは、霊界に行って住む家を自分で建てなければなりません。「家」というと、父母がいて、子女がいて、兄弟がいて、夫婦がいて、息子、娘がいなければならないのです。どんな家庭かというと、神様の愛と和した、永遠に一つとなった家庭を築かなければならないのです。意味もなくここに招集したのではありません。この世の世俗的な動きではありません。根本的に違うのです。動く根本の内容が違うのです。ですから、集まっても、今まで教会で集まっていたような思いで集まってはならないのです。立体的な世界です。深く高いこと、広く大きいことを考えなければならないのです。 これから世界が変わります。サタンは国家的基準ですから、世界的基準に干渉することができません。今までは神様も先生も、サタン世界が滅びよという祈祷はできませんでした。怨讐を愛せと言っていたのに、怨讐に滅びよと言うことができますか? 蕩減復帰によって必ず蕩減を受けるようになっていますから、怨讐を愛さなければならないのです。 しかし、今私たちはサタン世界の国家的基準を超えたので、神様が国家と世界を超え、全世界の家庭がそれを超えたので、サタンは離れざるを得ないのです。そして、神様がエデンの園でアダム家庭から始めて天国全体を管理していた、そのような時代が開門することによって、神様の全権時代が到来するのです。神様が意のままに行える時なのです。 それはどういうことでしょうか? 祝福というものが世界化時代に入ったということです。国家的時代ではなく世界化時代です。この世界は真の父母を中心として家庭的に接ぎ木をしたので、サタンとは関係がないのです。それによって、神様がみ意のままにできる時代に入るのです。それが世界時代です。ですから、モデルとなるアダム家庭を中心として、一代目と二代目が四位基台を完成し、「四・四節」を成せなかったことを今日……、全世界人類の家庭が、アダム家庭を中心としてアダムの息子と娘の立場に立っているのです。それが四・四です。すべてその二つが合わさって、息子と娘を中心として、父母の国と長子圏のアメリカを中心とした統一環境をつくったのです。それが回転するのです。 三億六千万双を祝福するにあたって、三億家庭を超えました。三億を超えて、半分以上を超えたので、神様がすべてを意のままに管理できる時代が来たのです。家庭全権時代です。蘇生、長成を越えたのです。 アダム家庭において、アダムの子女までの三代を連結しなければなりません。祝福家庭を連結して世界化させるのです。一つの国を立てて平和の世界に向かうことのできる大転換時代なのです。三分の二を超えるのです。ですから、神様が意のままになすことができるのです。長成圏を超えて完成圏内に連結されることによって、神様が意のままに行えるのです。 地上世界と霊界が分かれ、個人や家庭、氏族や民族が分かれていたのが一つとなり、本然の基準で全世界人類の家庭が、完成したアダム家庭のようになり、アダムの息子や娘の家庭のようになって、大転換するのです。ひっくり返るのです。天側の家庭完成した基準をもって、神様・アダム・アダムの子女という三大圏で、二つの家庭が完成するのです。それが四位基台の完成です。三対象目的を完成するのです。それによって、神様がその中で直接主管することができるのです。共に暮らすことができ、中心の権限をもって支配することができるのです。 真の父母が現れて天と連結させる宣布式が「四・四式」です。霊界と肉界を連結するのです。神様の創造理想的なその国と分裂していたものを一つにして、天国の宮に入るのです。偽りの父母が破壊したものを、真の父母が代わって天の前にお返しするのです。それが「四・四節」宣布です。 今後皆さんは、蕩減というものが必要ありません。歴史をかけて蕩減してきたものが即決処分される時代が来るのです。今まではアダムとエバが堕落したことを、何千万年もかけて蕩減してきましたが、これからは自分が過ちを犯せば自分が処分を受けるのです。天国の法に規制されて監獄にも行き、ありとあらゆることが代々起きるのです。ですから、過ちを犯せば即刻処分されるのです。 ですから、事故も起きます。過ちを犯せば事故も起きるのです。過ちを犯せば直ちに事故が起きるのです。先生もこの道を行かざるを得ないのですが、もしも行かなければ問題が生じるのです。周りが問題となり、後になって自分自身が問題になるのです。行かなければ体が固まり、ケイレンが起きるのです。すべてそうなのです。ですから、行かないわけにはいかないのです。天地に影響が及び、国に影響が及び、自分の家庭に影響が及ぶのです。 旧約時代は物質に対する蕩減、新約時代は子女に対する蕩減、成約時代は自分に対して直接的に刺激が来るのです。それでも、足りないときには根っこまですべて……。なさなければ、根こそぎ引き抜かれてしまうのです。そのようなことが起こるのです。そのようになれば、どんなに祈祷しても祈祷の門が開きません。一言誤っただけで六か月、一年もかかるのです。一言だけでそのようになります。言葉や一つの行動がそれほどに重要なのです。そのようなことを皆さんは知らないでしょう? それは経験してこそはっきりと分かるのです。そのようなことをすべて経験してこそ、霊界と自分の人生が連結しているということが分かるのです。ですから、霊界を知らなければなりません。 今、統一教会で「訓読会」を最も熱心にやっている人は誰ですか? 神様です。その次がお父様で、その次がお母様です。先生はすべてのみ言を記録し、語り、すべてを知っているのに、そうしているのです。どうして一生懸命に訓読するのかというのです。皆さんと和するためにです。先生と和合するためにです。完全な主体の前に対象をつくってあげ、真の父母がしたことを、皆さんもできるようにしてあげるためなのです。いつも神様と共に「訓読会」をします。皆さんが両親と一緒に訓読し、兄弟たちと一緒に「訓読会」をすることは、どんなに恵み深いことでしょう。それが神様に仕えて生きるということなのです。 神様と皆さんが主体と対象となって、同じことを聞き、感じ、経験することによって、一つになるのです。それでこそ、幸福や完成というものがあり得るのです。そのような基盤がなければ、理想というものはあり得ません。皆さんも霊界を知らなければなりません。それが最も重要なことです。主体の目的観と同じレベルにならなければなりません。神様の目的観と一体になれてこそ、神様が喜ぶときに共に喜ぶことができるのです。 皆さんは主体にはなれません。先生も主体ではないのです。神様に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、神様の前に一つとなり、それが一つの主体となって、家庭や世界に対して徐々に対象圏を展開していくのです。 この本の中には先生のイマジネーション(構想理想)、先生の写真が写っていると考えるのです。それと同様に、これを中心として、先生の写真に息子と娘の姿が写るようにしなければなりません。直系の息子と娘のような相対的な写真にならなければなりません。それから、夫婦関係や親子関係、兄弟関係においても同様です。主体と完全に一つにならなければならないのです。 神様から「ああ、この者はあの基準にいるのだな!」と言われるようにならなければなりません。先生の目から見ても、「息子や娘の顔が焼き付いているな」と思われるようにならなければならないのです。皆さんが、幻想ではなく実際のように感じることによって、根を下ろしたような気分になり、そこから神様の愛を感じて早く発展するのです。そのような体験をしなければなりません。あの世に行く目的は、神様の愛を中心として家庭と共に一体圏を成すことですが、ここにおいてそれを願ったならば、あの世にはそのような世界があるので、直ちにその位置に行けるのです。そのような観念をもたなければ、それが刺激剤となって連結される道がないのです。それをこの地でしなければならないのです。 地で未完成となったので、地で完成しなければなりません。堕落することによって、神様が願っていた家庭の理想を完全に失ってしまいました。皆さんの地上での短い人生の間に、それを再び完成しなければなりません。それほどまでに地上の人生が重要なのです。その期間に、堕落して失ってしまったものを完成させなければならないのです。堕落したのちにすべてを失ってしまいました。個人観、家庭観、神観も完全に地上で失ってしまったのです。どこにおいて再びそれを捜し出すことができるでしょうか? 地上において、皆さんの短い生涯路程において、捜し出さなければならないのです。それほどまでに皆さんの生涯が重要なのです。こんなにも短い時間に、この地で失ったものを取り戻さなければなりません。堕落によってすべてを失ってしまいました。それを皆さんが再び復帰しなければなりません。それでこそ、神様の宝座の前に進むことができるのです。それで、訓読会が必要なのです。 摂理のセンターは祝福家庭です。祝福家庭は真の父母の家庭を中心として、そこに接ぎ木するのです。ですから、絶対的に一つになるのです。そこに神様が臨在するのです。そのように主体と対象が一つになれば、中心が定着するようになり、その中心が柱になります。その個人的な柱が世界的な柱として拡大するのです。その柱に沿って上るためのはしごが、家庭という基盤なのです。 そこに真の父母、真の子女、真の夫婦、真の兄弟たちがいます。彼らは絶対的で、唯一・不変・永遠なる父母・子女・夫婦・兄弟たちです。誰も彼らを引き離すことはできません。永遠に一つです。神様も彼らを引き離すことはできません。それは、一、二、三、四、五、六、七の七段階です。それを別々にすることはできません。私たちはそれを堕落したのちにすべて失ってしまったのです。 韓国の家庭制度は、完全に原理的です。血統もそうなっていますし、歴史がそのようになっています。三対象、そして四位基台! 祖父、父母、自分という三代が、一つの家庭に住むのです。おじいさんは天国の大使と同じであり、父母はこの世界の王と同じです。自分自身は、天国とこの世界と未来世界を引き継ぐ王なのです。神様はご自身の孫を愛してみることができませんでしたし、アダムは息子や娘を愛してみることができませんでした。それが堕落なのです。 おじいさんは天国の大使と同じであり、神様の代身者と同じです。神様の代身者なのです。おじいさんは神様の代身者であり、お父さんとお母さんは、この世界の王の代表者です。私は未来の天の国と、この世界の王です。これが統一教会で語る三大王権なのです。それゆえ、今日のアダムの四位基台、アダムの息子と娘の四位基台で、「四・四」なのです。 ですから、祖父、祖母、父、母、息子、娘が家庭で一つになるのです。息子と娘が種になるのです。種のように植えられたものがアダムの息子と娘です。四位基台と四位基台が合わさって全体が完成し、サタンが所有できない世界版図を祝福することによって、これらすべてを求めて、本然の神様の愛を中心として子女と父母の家が、天上天国と地上天国が連結し得る一つの家庭として定着するのです。それが理想的家庭です。神様が創造理想を完成し、地上・天上天国が続くのです。(二九五-二六〇、九八年九月八日)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.03
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【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料四・四節宣布の祝祷一九九八年九月八日、コディアック 〈祈祷〉 愛するお父様…、人類の先祖が一瞬にして失った堕落の行為によって、億千万世の宇宙を創造された主人である私たちのお父様が、これほどまでに受難の迫害の道と祭物の路程をものともせずに歩まれた勝利の個人時代を経て、氏族、民族、国家、全解放時代まで来られるのにどれほど苦労されたかを、私たちは骨身にしみて感じては、それを私たちの生活圏内で蕩減しなければならないという事実を知り、厳粛に宿命的過程を通っていくことができますようお願い申し上げます。 宿命という言葉は、死んでも行かねばならない立場に立っているということです。堕落の怨恨のすべての淵を、死んでも解決すべきこの宿命的課題をめぐって、これを蕩減するための救援摂理という立場において真の父母を中心として、青少年問題と家庭問題が、世界の終末において誰にも手のつけようのない時代となりました。 アダムとエバが堕落するときに、神様が手を出せなかったように、サタンだけが行動してきた結果の世界において、サタンも今は一家庭ではなく、世界をつかみ、天側にいた人の誰も、これを殺すことができずして、サタンも、神様も手を出すことのできないのが全体の青少年問題と家庭問題でございます。これを真の父母の名を中心として、根本的霊界と肉界と地上と天上世界の因縁を確実に悟らせ、解いてやることによって、これを霊界が知り、地上世界が知り、未来世界が個人の行くべき道、氏族・民族・国家・世界、天宙が行くべき道のすべてを確実に知り、誰が反対し、誰が阻んだとしても、この道を行かねばならないという確固たる信念を持たせてくださった恵みに感謝を申し上げます。 このような原則に立って、サタン世界のすべての氏族、民族、全体の編成を代表しうる、天国の三十六家庭から今までの十二の峠を越える最後の場に至り、今後、地上世界のすべてを清掃し、天上世界を清掃するには、サタン世界の血統を断絶しなければなりません。 そうすることによって、真の父母の前途では、国家的基準と世界的基準において、サタンが地獄の権限を行使したのを除去しうる国家的次元のものを整備し、世界的次元で天国の門解放の世界、真の父母の因縁に通じ、本然的真の子孫と因縁を持ちうる、地上、天上天国が開門される時代を迎えさせてくださった恩賜に感謝いたします。 お父様…、来年二月七日を中心として、サタン世界の血統断絶のための二億四千万双を祝福いたしますが、そのために韓国では青少年の純潔教育をすでに終え、日本を通し、アメリカを通して全世界に広める計画をしております。 その計画があなたのみ旨の前に、日進月歩の勝利の日と、あなたが解放的全体、全般、全権、全能の行事を行うことのできる時代を連結させるためには、今日の四・四数、アダム家庭の四位基台、アダムの息子、娘の四位基台を中心として歴史的伝統を世界化することができなかったのを、真の父母とともにすべての家庭が世界化四位基台をつくった立場に立ち、サタンを除去し、あの汚された血筋をすべて消して越えることのできる全体解放時代を迎えさせて下さった恵みに感謝申し上げます。 一九九八年、これは九数を中心としてもサタン数であり、全体の十九数もサタン数でありますが、八数を連結させることによって、この日が九月八日となることで、新たな解放の出発を宣言することのできる四四数のこの基盤を踏んで、地上の四数、天上の四数を中心として解放的天宙に向かって全家庭と国が入城することのできる天国時代を迎えさせて下さった恩賜に感謝いたします。 今日、このような日を記念して、サタンの讒訴条件数においても条件をなくすために、これをあなたの名とともに、真の父母の名とともに全天宙全体の前に宣布いたしますので、この日、あなたの権限をもって全体、全般、全権、全能の能力を中心として行使しうる解放時代を迎えることができますよう祝福して下さいますことを切にお願い申し上げます。 今日この時間、真の父母の名と神様の名に結ばれた喜びの解放の宣言とともに、万民解放圏へとつなぐことのできる勝利の宣布をいたしますがゆえ、お受けくださいますよう切にお願い申し上げます。 今、四・四解放の日を宣布したことを、地上、天上天国に神様の名と真の御父母様の名により再度宣言して下さいますことをお願いしながら、真の父母のみ名により四・四節を宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.03
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郭グループ・ブロガーの方々へ‐‐「批判のための批判」ばかりですか?ブログ村「家庭連合」を見れば、郭グループ・ブロガーの方々の記事は家庭連合批判の記事ばかりですが、支持されておられるはず(?)の肝心の顯進氏はどこへ行かれたのでしょうか?そもそも、顯進氏は今何をされているのかも皆目見当がつかないというのが郭グループ・ブロガーの方々の記事群です。数日前には韓国ニュースで顯進氏が主催したフォーラムの記事がありましたが、そういった動きも出てきません。私がそれを紹介するたちばではないのですが???◆「「北と南の古い分割は、モンゴルのようになります」とモンゴルフォーラムは警告します」郭グループ・ブロガーの方々の関心は以下に家庭連合を蹴落とすか、にしか興味がないようですね。顯進氏はどうでもいいということで……。【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.02
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>コスモスさんへ「まだ騒ぐか?見苦しい!」は私の記事(以下)に向けられてのものでしょうか?◆「UCI裁判勝利と同時に、永遠に郭グループが「失うもの」とは?」◆「【複製】「驚いた!この礼拝」-->驚いた!この映像、コディアック「盗賊認定」(2011.7月末)」さてコスモスさん、裁判を許可した(異端者爆破者宣布文、真の父母様宣布文)のもお父様、盗賊認定もお父様、郭グループ(郭ファミリー)もお父様でした。そうであるにも関わらず、(「バカの壁」でもって)その言葉に耳を貸そうとはせずに長引かせた張本人はどなたでしたか?● 聖和後もお母様発言の「裁判を即停止」、どちらに発せられたというのですか。家庭連合に向けられてであればお母様は米国裁判所にわざわざ赴いて証言はされなかったでしょう。しかしながら、事実はその証言をネットで流してまでしてそのお母様まで貶めようとした非原理集団の姿がありました。最後の最後までそれらの方々の「悔い改め」を待たれたのが父母様(お母様)でした。しかしながら、「親の心、子知らず」とはよく言ったものです。「異端者爆破者宣布文」の映像もしっかりと最後までご覧ください◆「(三男さんの悪事が)広がれば、天はほっておかない。アイゴ。」https://youtu.be/6c2JN0-ewLo?t=17m44s「真の父母様宣布文」サイトからはこのUCI裁判の本質がどういうものかについて書かれたものがありました。「米国UCI訴訟の判決の意味」からの一部引用は以下です。ここでも、統一教会の信仰を持つものであれば、「宗教組織内の最高決定者(最高決定機関)とは、真の父母様であられる」ことは明確であり、その最高決定者の決定は「真の父母様宣布文」において明確に示されていたわけですから、裁判所がこの決定を受け入れることも可能ではありました。しかしながら、「尊重の原則は、裁判所が宗教組織内の最高決定機関が何かを決定するための宗教形態への調査を認めていない」という理由から、統一教会員における最高決定者が何か(誰か)を証明するには、「裁判所は統一教会の形態に足を踏み入れなければならなくなり、宗教への不介入の原則に触れるため、裁判所では扱えない」と裁判官は結論付けたことで、原告の訴えが棄却されたのです。UCI理事陣に宗教心があるならば、信託義務違反であることを悟ることは可能繰り返しますが、どの争点においても、統一教会の教義、形態、最高決定者を知る者から見れば、現UCI理事陣の信託義務違反は明確であったとしても、世俗の裁判所としては、それを判断できないと裁判官が結論付けただけであり、現UCI理事陣の行為の正当性を認めてはいません。むしろ、現UCI理事陣は、今回の判決の意味することを理解できるのであれば、宗教を重んじる米国憲法の精神に敬意を払う思いを持っているのであれば、そして今も真の父母様への信仰があるならば、自らの行為が信託義務違反であることを悟ることは可能なはずです。今からでも現UCI理事陣は、信託義務違反を認め、悔い改め、公的資産の返還に努めるのが神を信じる宗教者としてのあるべき道であるはずです。裁判を通して明らかになった郭グループの意図既に説明したように、今回の裁判のポイントを分かりやすく表現すれば、「真の父母様に従うことが正しいのか、真の父母様の指示を無視し、別のことをしても正しいのか」が問われたものでした。これについて、郭グループ側は、「お父様の指示を無視し、別のことをすることは統一教会の教えに反していないし、統一教会の目的を成す上で正しいことだ」と主張していたのです。実際、UCIの定款を統一教会と関係ないものと変更したことについて、裁判所が示した「判決理由」の中に、郭グループ側は、「UCIが統一教会と直接関係があるとすることは、統一教会に対するネガティブな印象ゆえに、『その団体の目的』を成し遂げることを困難にしていると何度も主張していた」と記してありました。郭グループがいうところの「その団体の目的」とはなんでしょうか。郭グループはお父様の指示を無視し、統一教会と関係がないことにすることで「その目的」を成し遂げられると主張していたのです。そして「原理講論を広める」という定款内容を削除したことは、「その目的」とは、「原理講論を無視」して成し遂げようとしているものです。真の父母様を無視し、統一教会との関係を否定し、原理講論の内容を教えることを否定して成し遂げられる郭グループの目指す「目的」とは、果たして何でしょうか?GPFFは世界に数多くある世俗的「平和運動」の一つつまるところ、郭グループの目指すものとは、耳あたりのいい「平和運動」を展開することにあるといえそうです。郭グループの活動の核となっている組織GPFF(Global Peace Festival Foundation)は、たとえ提唱者が文顯進様だとしても、2008年に統一教会の指導とUPF(天宙平和連合)の支援を受け、世界各地で大きな大会を行ったGPF(Global Peace Festival)が母体となったものです。統一教会の指導とUPFの支援がなくなった今、GPFFが行っていることは、統一教会の基盤と資産と人材、及び教えの一部を奪い、耳あたりのいい「平和運動」、つまり世界に数多くある世俗的「平和運動」の一つを展開しているにすぎません。こうした運動が今後、世界を導いていくことはあり得ません。郭グループに関わった方々におかれましては、早くその間違いと限界に気づき、真の父母様を中心に一つになることを願っています。そして、何よりも顯進様、郭錠煥氏が悔い改めて真の父母様のもとに帰ってこられ、「天の父母様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界(家庭盟誓 四)」の完成を目指し、全世界の統一食口と共に歩むことでできる日が来ることを切望しています。私・自称ルポライターtomy4509とコスモス過去記事のやり取りからも、郭グループ(UCIグループ)がどういうものかをコスモスさんには伝えていました。忘れたわけではありませんよね。◆「コスモスさんへ--「原理講論を捨てたのはUCか? UCIか?」」(2017.07.03)コスモスさんに、もう一度問いただす。決して曖昧にされることなく、これにハッキリと答えられて今後の道を行かれることだ。「原理講論を捨てたのはUCか? UCIか?」上記宣布文引用を元にしてコスモスさんに聞いたものでしたが、コスモスさんも郭グループのおひとりとして「原理講論を捨てた」のではないですか???余談ですが、サンクチュアリ教会もまた「八大教材教本」を捨てては「荷台王」・亨進氏に乗っかった三位一体の「夜の神様(男性格)」で走っています。● このように、顯進氏初めとした郭グループが求めたものは、「「UCIが統一教会と直接関係があるとすることは、統一教会に対するネガティブな印象ゆえに、『その団体の目的』を成し遂げることを困難にしている」として、その宗教的ネガティブな部分を排除した平和運動を目的としたものでした。ところが、6000年の蕩減をも扱っている真の父母様から見れば、それは父母様の意に適ったものではなかったということです。私がこれ以上長く書いたところで「サンクチュアリ人の『深刻な「バカの壁」症候群』は、【20ドル紙幣のデマ】1枚のフォトから?!」同様に、郭グループも2003年にベストセラーとなった「バカの壁」(養老孟司氏著)から「人は知りたくないことに耳を貸さず情報を遮断する傾向」があり、著者はそれを「バカの壁」と呼んだ、といったのがこれまでの通例でしょから、この辺で止めておきます。但し、家庭連合はUCI裁判での勝敗を決めようとしていたのではないことを分かっていただければということで、これら記事を書いています。また、それら周辺の方々にあっては今からでも遅くはありません。私が記事にした通りです。UCI裁判勝利によって得たもの、一方で永遠に失うもの(愛、生命、血統、伝統)、どちらが大きいかぐらいの判断はまだ出来ると思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ ・
2023.07.01
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UCI裁判がようやく最後の決着を見たようです。それを喜ぶ郭グループ・ブロガーの方々の記事がありました。ところで、この世の法律にてUCI裁判勝利で得たものと同時に、天的に「失ったもの」についても考えてみてください。真の父母様宣布文 全世界の統一教、霊界、地上界、祝福家庭食口、特にUCI指揮下にいるすべての食口たちに次の事項を指示する! まず、全食口は、永遠・永生の世界にたった御一人である真の父母様の指示と命令に絶対に服従しなければならないことを忘れてはならない!これが統一家の永遠の伝統であり、信仰である!この点については、天宙的に真の子女も、一般食口も同様である。 二番目に、文顯進をはじめとするUCI理事陣は、即刻現職から退くことを指示する。UCIの創始者である真の父母様が、再びUCI理事会全体を編成して、その指揮下にあるすべての組織を在世時に整備、管理するものである。私はすでにUCIを取り戻すように指示したのであり、このためにまず裁判所に提起した法的措置は、天宙に責任を持った私本人が許可したことであり、その内容は今も全面的に有効である。しかし、私のこの指示に従うならば、法的訴訟を即刻中止させるものである。 三番目に、文顯進をはじめとして、義父である郭錠煥とその一族で構成されたUCI理事陣は、韓国で展開されている汝矣島聖地開発工事に関連するすべての権限を、創始者である真の父母様に返還しなさい。再び計画を立て直して、摂理的次元の開発をするものである。 四番目に、文顯進をはじめとするUCI理事陣は、汝矣島以外にもUCI指揮下で進行しているその他すべての訴訟を即刻中断し、今まで真の父母様の許諾なく公的資産を処分して得た全財産を返還せよ。すべて公的に、天の摂理を成し遂げるために使用するものである。 統一教会と関連するすべての組織と機関を創設した創始者として、そして真の父母である文鮮明・韓鶴子夫妻の名で、これらの指示を全天宙に宣布するものであり、すべての人々は、この点について億万年(永遠に)期間、順理的に服従してくれるように願う。数日前に「文鮮明先生御言選集 19980719 - (文顯進)「世界平和統一家庭連合」世界副会長就任式」を挙げていたでしょう。顯進氏副会長就任式でのお父様み言葉です。顯進氏を支持される郭グループ・ブロガーの方々は、その中で何回も語られていた「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」について隠蔽しては、顯進氏が「第4次アダム」であり「後継者」だとする根拠とされていました。しかしながら、最終的結論は 「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」 私は顕進君に話します。「あなたは今から、妻や、父母の前や、息子、娘の前、教会の前で、絶対信仰圏を維持することのできる者になりなさい」。そのようにして任命するのです。「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」です。 「あなたの家庭とあなたの息子・娘を中心として越えていくときに、第四次アダム圏時代に向かったあなたたちは、上下関係が父子の関係であり、左右関係は父母関係であり、前後関係は子女関係となりますが、それを中心として、家庭を中心として民族、国家と越えていかなければなりません。ゆえに、結局は『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』の環境を父子の関係、夫婦関係、子女関係、兄弟関係において、それらの完成を定着させなければなりません」 結論的な話は、「死んでも『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」、「生きても『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服徒』」、「永遠に『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」。そのようなことです。死んで霊界に行っても永遠に同じです。分かりましたか? (拍手) きょう、私たちは今から、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を心から決意しなければなりません。なぜならば、私たちの「生」は、天国の「生」の根源であるからです。私の心情は、この三つのためです。この三つのことが成されれば、すべてのことを占有します。占有したすべてのものは、完全なのです。このようなものは、どれほど素晴らしいことでしょうか? アーメン。 顕進様、そのような信仰を持って、お父様よりも、お父様の一期よりもどれくらい優れることを願うのか、というのです。百倍ではありません。千倍、万倍、優れることを願います。 神様がアダムとエバに対して持っていた希望とともに、その希望はとどまることなく、永遠なる希望として残ることによって、父母たる私も子供にこのような希望を託さざるを得ないということを、快く受け入れなければなりません。(拍手) 顕進は、私よりも美男であり、力もあり、りりしく、覇気もあります。ハーバードのMBA (経営管理学修士)課程まで卒業しました。顕進はMBAまで卒業したので、今後、事業に対する専門家として監査の大王になるはずです。また、これからUTS (紘一神学校)を卒業して、世界に二人といない神学者となって、博士の学位を持って、どのような神学者でも教育することのできるチヤンピオンになるであろうということを考えるとき、希望の一日として、この責任を顕進に任せてあげるのです。祝賀します。アーメン。(拍手 ですから、今から顕進は、お父様が「これをしなさい」と言えば、「それだけではなく、千倍やらせてください」と、このようでなければなりません。(拍手)宣布文にもあるように、裁判は真の父母様が許諾されたものであり、最高裁の最後の最後まで郭グループの方々が悔い改めることを待たれたのが、真の父母様の愛でした。しかし、律法学者や洗礼ヨハネ、十二弟子らもイエス様の元から離れていったでしょう。そのような歴史の悲哀を繰り返して歴史に汚点を残した結果でした。お父様み言には「(真の)愛、生命、血統、伝統」というのもあり、どれ一つとして切り離して考えることのできないものです。「億万年(永遠に)期間」ということになれば郭グループの皆さんはそれらを手放された今、裁判勝利を手放しで喜べるでしょうか?「地でつなぐことは天でも…」真のお母様がまだこの地上におられます。霊界に行ってしまえば「永遠に」ですが、まだ間に合うと思います。真の御父母様の怒りの声郭一族を「盗賊」とはっきりと認定しています。以下、真のお父様の御言葉「郭の家族、顯進サイドは、私の(お父様)の意(御心)にかなったことをしていないと、君たちは、よく知っているだろう。」→郭グループがお父様の意にかなっていない、とはっきり言われている。「彼らのために、写真を撮りなさい。ビデオ(を撮影する人)もここに来て(ビデオに録画しなさい)。そして、明確に(しておきなさい)。」→お父様自身が動画の撮影を指示している。ゆえにこの動画の拡散が願われている。「郭家の家族は刑務所に行くようになるんだ。なぜかと言えば、彼らは真の父母に逆らい、真の父母が所有するお金を奪い、資産を奪い、企業を奪うからだ。 それが、どこの国(にある)であったとしてもだ。アメリカであれ、モンゴル共和国であれ、真の父母に所属するものを、郭ファミリーのように盗んでしまうものたちは、全部、刑務所行きだ。 」「だから、もし、君たちが彼らと、結合するならば、それは、君たちも狂っていることを意味するのだ。 」→郭ファミリーを盗賊と認定、結合してはならない、と仰られている。「それなのに、どうして、真の父母に対抗するのですか?」天の嘆きが聞こえてくる・・・。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.30
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第2回「七・八節」敬礼式後の御言宿命的提案解怨1998年年8月28日(陰暦7月7日)ブラジル・ジャルジン 第二回「七・八節」の敬礼式後に語られたもの。日本語で語られた部分は録音状態が悪く、聞き取り不能なため、韓国語で語られた部分を翻訳。 旧約時代の完成、新約時代の完成、成約時代の完成ということを考えるとき、旧約時代は万物を祭物として所有権を決定するための闘いをしました。供え物を半分に切って祭祀を執り行ったのです。これは神側とサタン側に分けることでした。 エデンの園において、右側は天側であり、左側はサタン側なので、そこで分かれた世の中を統一するためには、分かれたそれ自体においては統一することはできません。分かれるそれ自体を眺める神様が統一的立場を持ったとしても手をつけることができなかったので、終末に分かれた世の中を清算しなくては、手をつけることのできない時が来るのです。それゆえ、二つに分けて、天側、サタン側の所有物を決定しておかれたのです。 そして、宗教という儀式を通して、またシャーマニズムであるとか、ムーダン、占い師などを通して役事をします。一時は、神様とサタンが人を中心として役事してきました。天使長を失ったので、男性の側は天側の天使長を立てるためのみ業をなし、女性はサタン世界の側を代身してきたのです。 ムーダンと呼ばれる人たちは、道義的な面で中心がありません。大概、淫らな女性たちです。自分の家庭を失敗した人たちに悪霊やサタンが接してする業によって、自分の運命的な道について分かるようになるのです。 悪霊がさまざまなことを教えるのです。ですからここには、サタン側と接する人たちを天の側に連結し得る道はありません。 今日の世の中において、占い師たちの言葉を中心としてムーダンによって祭祀を行うことによって、一時はそのすべての環境的与件に喜びを感じることができるかもしれませんが、それによって神様と関係を結ぶことはできないということを皆さんは知らなければなりません。 ムーダンの中に男性もいます。このような人たちの起源も大概良くありません。性関係に対しての紊乱によって二つに分かれます。 道義的な道を行く人たちは、宗教圏と連結されます。宗教圏を中心として、道義的な出発を中心にして、人間は道義的に生きなければなりません。人間は天を中心として正しい道を行くという家庭生活の伝統を正さなければなりません。 「自分の思いどおりに生きて、愛の関係を自分勝手に持つ人たちは悪い」と言い、人間世界でこの愛の道理を立てていくためのものが宗教です。 儒教がそのようなものです。礼式において人類を代表することのできる内容を教えてくれたのが孔子です。 李相軒氏の霊界からのメッセージによれば、孔子様は何をかぶっていますか? 笠をかぶっていますか? 韓国の道袍(韓国の男子が上着の上に羽織る袖が広くて長い礼服)を着て、テエニム(韓国の男性のズボンの裾を締めるひも)を結んでいます。いつでもそのような人たちが近くに集まっています。 李相軒氏が行って出会った事実について見るとき、孔子は韓国人です。それゆえ、東方の国を相当追慕したのです。そのようなかたを通して、人間の外的な道義的な面のすべてのことを教えてくれました。 孔子の伝統的思想とは何かといえば、「元亨利貞は天道之上」と言いました。天が行くその道は天道之上です。天地が行く道です。「仁義礼智は人性之綱」と言いました。 孔子は、理知的な神は分かりましたが、人格的神が分かりませんでした。これは、天使長型です。道義的な面で世界人類に影響を及ぼしました。アジアが根源なのです。アジアに影響を及ぼしたという事実は驚くべきことです。 今まで私たちが生きている周辺にも、シャーマニズムやムーダン、占術などがありました。宗教はそれ以上の立場にありますが、宗教がそれ以上の立場にあるということが分かりませんでした。 宗教の中でも四大宗教を中心として、心情的宗教を教えてくれたのはキリスト教しかありません。それ以外の宗教は、アダムの前に反対していた男性・天使長型ではなくて、天を中心として順応することのできる天使長の代表宗教型として現れたのです。 神様はアダム・エバをつくられる前に天使長をつくられたように、儒教や仏教のように古い宗教が過去にはたくさんありました。 イスラム教は、イエス様が亡くなってから七百年以内に現れました。これは別動隊なのです。イスラエル民族が祝福を喪失することによって、サタン圏が所有した宗教代表の内容を中心として権限を立ててきました。コーランと剣による力の制裁を通して宗教圏を拡大したことは、神様の心情世界における、ために生きて自然屈伏させる復帰路程と対立するのです。 そのイスラム教が、キリスト教と相入れませんでした。キリスト教文化圏が失敗し、後退する可能性のある立場に立つようになったのも、キリスト教が責任を果たすことができなかったからです。 それでは、中世キリスト教がすべきことは何であったのでしょうか? 絶対的な神様、絶対的な人間、絶対的な万物、このような基準のすべてが展開されたならば、絶対唯一の神様は絶対神を代表し、人間は絶対人を代表した神人一体理想を中心として、この世の中の万物、絶対神、絶対人、絶対万物一体圏を成さなければならなかったのです。 そこにおいて唯一神と絶対に一体となることのできる唯一先祖を絶対中心として、唯一万物、絶対的相対圏と一つになることによって、統一の世界ができるのです。それゆえ、中世キリスト教は、神様は人格的神であり、自分の父であるということを絶対的に知らなければなりませんでした。このことが分からなかったのです。 「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を中心とした一体理想を描いてきたということを中世キリスト教は知りませんでした。根源がはっきりとしていません。出発が誤っているのです。ですから、過程はどんなに徹底していたとしても目的が変わってしまいました。 そして、数多くの教派が一つの道を行かなければならないはずなのに、一つの道を行くことができずに、数多くの道ができました。後には世界の方向を決定しなければならない終末を迎えて、地上のサタン世界を整備しなければならないという観はありません。なぜでしょうか? 出発が間違ったからです。 角度が一度だけ違っても、終わりに行けば数多くの分派が生じます。この地上には、三六〇度を中心とした何倍以上の分裂と方向が生じたということを知らなければなりません。 中世キリスト教が宗教を統合して、一つの宗教理想圏、神様のみ旨の世界に行っていたならば、すべてのものは整備・整理されるはずであったのですが、キリスト教が教条主義的な思想を持って自分の教派、自分が置かれているカトリック絶対主義を中心として、神様の絶対主義、摂理の絶対主義、目的の絶対主義を忘却してしまいました。 ですから、サタン世界で攻撃を受けるのです。攻撃するのはだれかといえば、サタン側を代表した宗教形態をもって現れたイスラム教です。 先生がいちばん心配するのは、共産党を消化し、イスラム教を消化することです。民主世界が戦うときに、イスラム教が共産党と一つになりました。イランやイラクが、そのような圏内に基盤を築いてきたのです。これを消化しなければなりません。 体的な基準を中心として代表したサタン的基準は共産世界であり、体的な共産世界と一つになり得る心的な宗教の形態を備えたのがイスラム教です。それは唯一神を否定するからです。 ハガルを中心としたアブラハムとイシマエルの一族の出発を中心として歴史をひっくり返して、自分たちがアブラハムの直系であるという民族の伝統を主張するのです。そのことによって神様を断ち切ってしまい、神様が人間との関係を結ぶことができないようにするための歴史的過程の闘争歴史を繰り返してきたのです。 今日の人間、歴史家、あるいは人間の伝統を誇る世界的な主導国家も、そのような内容を知らずにいるので、その国家の末路も落ちて悲惨になっていくのです。 今現世になって、世界を指導するアメリカがどこに行くのでしょうか? 行くべき所が分かりません。み旨の道を知りません。 そして、真理を知りません。自分・人間が行くべき道、正義の道を知りません。知情意の人格的神の創造理想の目的点と過程と根源とを結託させることのできる私たち人間自体を見つけることができないので、人類はどこまでもサタンの後孫であり、サタンの血統が連結された後継者であるということを考えなければなりません。 このような分裂した実情が今日の私たちの個体に連結され、この闘いの根源が残っているのが心と体の闘争であったのです。 心と体の闘争が解決されない限り、歴史的闘争過程、神様とサタンの対立歴史を整備することはできないのです。整備することのできることは神様がされるはずですが、哲学や、知識を通してはできません。知識と情は違います。 情を中心とした意志と知識がないことによって、外的な基準に立った体を中心とした基盤にサタンが触れて、人間の情的世界まで血統を占領して人間の家庭的理想を破綻させ、人間の意志である世界統一理想天国を破綻させ得る自分自身の出発起源が、今日、自分自身に残っているという事実を知らずにいるということが分からなければなりません。意志が確定しなければなりません。 意志の「志」という字は、「士」に「心」です。知識に通じることのできる統一された心を備えることのできるのが志の道です。 「知」という字は、矢を中心として入り口の「口」を書きます。み言を口で射なければならないのです。「情」という字は、心の中に「青」です。いつも変わらない不変の愛は、統一的内容を備えています。 この知情意理想が神様を中心として結託できないことによって根源がはっきりとしていないので、歴史も目的もはっきりとしない世の中、混沌、暗黒の世界で、覆いかぶさる暗闇と光が混沌となって、暗闇の権限が光よりも強くなり得るのが夜の世界です。 夜のような混乱した世界で黎明を過ぎて光り輝く朝の陽光が昇るのが、私たちの神様の心情を中心とした知的王宮であり、情的王宮であり、意的王宮です。このような時代を眺めるのが統一家を中心とした神様の理想・天上天国、地上天国であったのです。(「アーメン」)。歴史をこのように見なければなりません。 「私」という存在は、歴史を起源としているので、歴史的過程と自分を引き離すことはできません。「私」において歴史を全部清算しなければならないのが蕩減歴史です。 それゆえ、偽りの父母によって蒔かれたものを、真の父母を立てることによって、その個人と家庭で清算することのできる世界大転換運動として提示したのが今日の統一家における新しい青少年運動です。 アダムとエバが自由奔放な立場で堕落して、神様の天理の大道を破壊したことを正すみ業をしなければなりません。それが人類歴史を通したカイン・アベルの闘争歴史です。そこに、父母という言葉はありません。人類の歴史は、兄弟の因縁を正すための闘争歴史をつづってきたのです。 儒教には、三綱五倫というものがあります。五倫とは、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信です。この五大条件は全部、忠孝烈を指すのです。その人間が行くべきすべての内容を見れば、神様のみ旨の前に外的内容を中心として、サタンを防御することのできる環境的与件を成しておいたのが、天使長的み旨の宣布であったということを知らなければなりません。 ですから霊界を見ても、神様は、孔子を釈迦やマホメットよりも愛され、いつも重要な行事の時には参席させています。外的相対基準に立っているので、イエス様と同位的な立場に立てられたのです。縦横は異なりますが、横的な代表の立場に立ったのが体を代表した儒教思想であったのです。宗教形態ではなく、教育形態になっています。 アダムとエバは青少年のときに堕落しました。神様を否定し、理想的男性も否定し、理想的女性も否定し、理想的子女も否定し、理想的兄弟を否定したという事実を知らなければなりません。 結局は、神様のみ旨を広めていく創造理想圏内でサタンが否定的全権を広めていくことができたのは、血統を中心として結託したためです。不可避な結果です。 ですから、このように否定的基準に分かれた左側、サタン側にいるこの人間は神様と関係がありません。 神様がエデンの園で、アダムとエバの堕落に干渉できなかったのはなぜでしょうか? エバは、いわば神様ご自身が婚約された女性です。婚約した女性と結婚する日を決めておいて、結婚をするために成長するのを願っているのに、十六歳で堕落しました。 十七歳、十八歳さえ越えていけば、結婚することができるのです。十六数は四位基台の理想数です。それゆえ、十六歳で堕落したという話も理にかなった話です。それを通り越すと、十七、十八、十九、二十歳までが四数です。 二十歳までを中心として天の子女、天の兄弟、天の父母、天の夫婦、天の父母形態を立てられず、堕落することによってサタン的子女、サタン的兄弟、サタン的夫婦、サタン的父母になりました。天側の子女としてアダムを創造し、天側の兄弟としてアダムをつくり、天側の夫婦、家庭としてアダムとエバを願われた基台の上で自分の血代を打ち立てようとしたすべてのものが崩れたのです。 これを蕩減するために、十六歳を中心とした基盤の上に四年を通じて二十歳まで……。二十歳を乗り越えさえすれば、そのような基盤を築くことができるのです。 その基盤が崩れたので、これを再編成するために、四年ならば四×四=十六となり、四千年の歴史を子女を中心として蕩減復帰する役事をするのです。いつも四百年、四十年が問題になります。この四数は四位基台から来ています。それは原理が教えてくれるものです。 二十歳さえ越えたならば、二十一歳を迎えるときに神様と人間が一つになることができました。 私たちの先祖が復帰過程を経てくるために個人的整備時代から家庭的整備時代、氏族、民族、国家……と、八段階の整備過程を経てくるときに、カインとアベルを中心として血を流す歴史をつくったのです。このような悲しい歴史としてつづられたことを皆さんは知りませんでした。 アベルが殺されました。アベル側は、死の道を乗り越えなくては行く道がありません。善なる人が踏まれ、宗教人、義人が血を流す役事がなされてきました。血を流す中で復活し、死んだとしても「死ななかった」ということのできる実力を持ち、そこから永遠な生、絶対的信仰、絶対的愛、絶対的服従が成されなければならないのです。 神様が創造されるとき、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の上に理想的な絶対愛の統一世界を願われました。神様ご自身がそうであられたので、私たちもその神様ご自身の相対圏を捜し求めていくためには、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」をしなければならないのです。それは不可避です。 自分が死の場に行ったとしても、「この生命が断たれるのは、歴史時代に、すべての祭物を半分に割いたのと同じである」と思わなければなりません。半分に割く祭物の代表的な立場に立っているので、割かれても復活しなければならないのです。 イエス様が死後、復活することによって、キリスト教の霊界統一圏が始まったように、死んだ立場に行ったとしても……。死なんとする者は何といいましたか? (「生きる」)。死んだとしても自分は復活するのです。そのような決心をすることによって、第二次的な復活の実体を所有するのは神様なので、神側は今まで血を流しながらも耐えてこられました。 神様の怨讐がだれなのかといえば自分の父母なのですが、これが自分の怨讐であり、あなたの怨讐です。 「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」です。投入し、投入して忘れてしまい、個人的な死亡圏、家庭的な死亡圏、氏族、民族、国家、世界的な死亡圏があったとしても、乗り越えることのできる「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の基準に立たなければなりません。 それによって、神様が絶対信仰の上に絶対愛を捜し求められるために、絶対投入をされながら、投入して忘れてしまう歴史を経てこられたお父様の息子の姿に似ることができるのです。 キリスト教はイエス様から家庭、氏族、民族、国家的な犠牲の祭物の道を行くのです。共産党、スターリンを中心として一億七千万人を虐殺しました。ヒトラーは、イスラエル選民六百万を虐殺しました。六数です。それらのすべてのことを許されたのです。神様が「だめだ」と言われることのできる条件があったならばできなかったのですが、そのような条件を提示することはできませんでした。 なぜでしょうか? エデンにおいて「だめだ」と言えないことを、世の中に対して「このようにしなさい」と干渉することはできません。ですから、サタン側の堕落した怨讐の前に、天側の天使長である宗教を立てて整備するのです。このことをはっきりと知らなければなりません。 自分の出発において、祭物の前で天とともに右側に第一歩を踏み出すのが、人生の犠牲の道であり、希望の出発の道であるということをはっきりと知らなければなりません。 それゆえ、絶対的な信仰を持たなければなりません。絶対的な神様であられるので、絶対的な信仰の主人であられ、絶対的な愛の主人であられ、絶対的な服従の王であられます。 神様の息子・娘になり、神様の愛と一致し、一体となるためには、嫌でも、個人否定、家庭否定、氏族否定、民族否定、国家否定を標語として越えなければならない峠があるのです。ですから、サタン世界において宗教は、「あなたの家を捨てて、出家しなさい」という命令を下したのです。 それは、サタン世界を否定することです。サタン世界の国、サタン世界の民族、サタン世界の氏族を否定することであり、サタン世界の家庭において、おじいさん、お父さん、お母さんを否定し、夫を否定し、妻を否定し、子女を否定することです。歴史は、そのようなサタン世界を否定することのできる時代を捜し求めてきたのです。 世界の先進国、優れているという知識人は天上世界のすべてのものを全部推し量ることができ、知識という万物の公式現象を中心として私たち人間の理想と一つになることによって、想像することのできない文化世界を創造しましたが、その世界が自分と関係がないので否定されなければならないのです。否定を受けた後でアベルの肯定が始まるということを知らなければなりません。 否定できない人は、天の前に公的な内的条件を立てることができません。夫婦もサタン側であり、子女もサタン側であり、万物もサタン側に属するので、これらを否定できない人は天の国に帰っていくことはできないのです。 祭物的歴史過程において、左側に回っていったサタン側になることはできるとしても、天側に帰っていくことのできる道は永遠にないのです。祭物過程には日本という国はありません。日本の何々であるという自分の姓はありません。一族も、自分の名前もないのです。 ただ、神側なのか、サタン側なのかということだけが問題になります。万物も天の側になることができずにいます。これを分立して、サタンを否定するのです。 本来の主人は神様なので、サタンは、「あなたは右側を行ってください。私は愛を中心として体を占領しました。体を占領した愛の種を蒔いたので、秋になるときまではあなたはこれに干渉できません。これを根元から引き抜いて、切って燃やしてしまい、穀物を収穫しなければなりません」と言うのです。終末までにそのような歴史過程を経てくるので、闘争歴史があるのです。その代表的な戦争が唯心論と無神論です。 サタンは今まで、「神様はいない」ということを中心として自分が主人のようにふるまってきました。世界を見れば、サタン的頭が出世しました。その次には肩時代です。肉体を中心として力で世界を占領しました。「神様はいない。だから力のある人間が神様の代身である」と言ったのです。 その次に、腹(度胸)によって世界を制覇しました。政治家が腹でくだらない者になって、王になろうとしたのです。そのような人が、皆出世しました。 頭、肩、腹の次は手足です。労働者、農民のことです。労働者と農民の出世、労働者と農民の全権時代を中心として、頭だとか王などの天が捜し求めてきたものを否定します。無神論なのです。 今まで優待されていたサタンは、自分勝手に神様を代身していたのですが、もはや足まで追い出されたので行く所がありません。自分の足までしか占領することができないのですから、共産党が世界制覇するようになってはいません。 真の父母と一つになったならば、共産党はこの地上に現れることもできず、わたしの手できれいに整備されるのです。神様の摂理観を知っているのできれいに整備できるのです。 皆さんが今聞いている話は、先生が八十年の生涯を通して学んだものではありません。すでに二十代の青年のとき、二十七歳以前にすべてのことを完了しました。イエス様は二十七歳のときからマリヤと談判した三大勧告の闘争過程で、天の国を分家して出家することのできる準備を完全にしたのだそうです。 そのような内容を、皆さんはすべて分からないでしょう。霊界の秘密、神様の秘密、サタンの秘密、人間の秘密を見るとき、歴史がどのようになったかという事実がすべて分かるのです。シャーマニズムから文化世界の高次的な宗教までが編成されるためには、三時代を中心とした祭物過程を経てきたのです。それが物質的祭物時代です。 堕落することによって物質よりも低い立場に落ちたので、物質をつかんでぶら下がっていれば、神様はその物質を餌としてしっかりとつかまえてくださるようになっています。そのようにして神様と絶対に一つになっていれば、歴史の発展とともに引っ張り上げられて、個人的勝利時代、家庭的勝利時代へと上がっていくのです。そのようになれば、歴史過程を中心として永遠に不変なのです。 永遠、不変、唯一、絶対! 神様の属性に該当する信仰基準を中心として、千万世代の恨みを解かれていく神様の恨を知ったので、そのかたを呼び入れるのです。そのかたは私たちの父親です。父親の歴史の怨讐を整理するために、血を流すような悪なる場に行かなければなりません。その場に神様が立たれることはできないのです。 血を流す立場に立てば自然屈伏させることができます。そのようなみ業をしたので、数多くの歴史で……。人類歴史は数千万年です、数千万年。六千年ではありません。動物のようなものも二億五千万年の歴史があると考えられています。シャーク(サメ)のようなものは二億五千万年前に人間のためにつくられました。そのようなものを愛することのできる主体として人間をつくられたのです。 その愛することのできる象やワニやシャークのようなものを二億五千年前につくられたならば、何千万年待ってからそれらをつくったのでしょうか? シャークのようなものは一般の魚とは違います。これは子を産むのです。鯨のようなものもみなそうですね? パンタナルに行けば海があります。魚が三千六百種類くらいいるのですが、小さな魚を餌食にする大きい魚は、口を広げて入ってくるものは鯨の赤ちゃんでもすべて食べてしまいます。循環運動と同じことです。「鯨は私のお父さん・お母さんを餌食にするが、私は鯨の赤ちゃんをみな餌食にする」というのです。循環運動するのです。 パンタナールに行けば、そのようなものをたくさん見るでしょう。パクがワニの赤ちゃんを餌食にします。餌食にするときに、「おい、おまえのおなかに糞がたまっているだろう」といいますか? 虫を捕って食べるとき、虫の羽に糞のような汚いものがいろいろとくっついているのですが、それをすべて洗って食べますか、それとも丸ごとのみ込みますか? 丸ごとのみ込まない人は、天下統一できません。(笑い)丸ごと食べることができなければなりません。良いものも食べ、悪いものも食べなければならないのです。堕落した人間たちは悪いものは取って投げ捨てて、良いものだけを食べようとしますね? 愛はそのようではありません。愛は地獄まで消化しなければならないのです。 皆さんの生殖器から何が出てきますか? 生命が出てきます。そのほかに何が出てきますか? 小便が出てきます。糞の従兄弟です。 教主がこのような話をするので統一教会は淫乱な教会だといううわさが立ちますが、仕方がありません。真理がここにあるのです。ここに対する知識が矢を通して口で射るのです。それが「知」という字です。口とは真理であり、言葉です。 男性も、女性も口づけをしますね? 何のためにですか? 愛の矢を射るためです。それが知識です。 何を知るのでしょうか? 男性と女性の愛の根本を知るのです。それが万世の真理の中の真理です。そこに愛と生命と歴史的伝統があり、良心の平和基盤があるのです。 そこに男性・女性が矢で射て、愛に定着して目的の理想世界に向かっていくのです。愛と生命と血統と理想世界が結ばれ、平和の世界が連結されます。それがなければ平和世界もすべてなくなります。自分もなくなるのです。女性も、男性も、家も、国も、何もありません。 その生殖器を通して私たちの家庭が生まれるのです。このことが分かりませんでした。簡単なことです。これは永遠の真理です。 知情意というものを考えるとき、愛を成さずに知がどうして分かりますか? 矢を口でどのように射ますか? 口というものは真理を語るものです。真理を感じることができるのです。 情をどのように関係を結びますか? 情のない意志に何の意味がありますか? 男性は、女性がいなければ何の意味がありますか? 女性も、男性がいなければ何の意味がありますか? 愛がなければ意志も何もありません。愛のために意志も生まれるのであり、愛を立てるために知が必要なのです。 その知識と意志が完全ではないものなので、世の中の愛は不完全なものとして流れていって当然です。流れていくごみ箱の主人がサタンなので、地獄に行くしかないということを理論的にしっかりと結論づけることができるのです。 皆さんの特権は、「真の父母」という名前です。私(自分)の骨の中の骨であり、肉の中の肉であり、血の中の血であり、心の中の心であり、私たちのすべての基本中の基本です。それが愛と一体化しなければならないのです。このような話をしようとすれば、原理講義をすべてして、数千年の歴史を解かなければならないのです。 問題は何でしょうか? 神様が問題ではなく、サタンが問題であり、自分が問題です。怨讐の中の怨讐が「私」です。 きょうのような日を中心として、天地の大道の出発がこのようになって、宗教圏から理想世界へと向かう道においては祭物にならなければなりません。祭物とは何でしょうか? 所有権を決定するための条件です。 さて、文総裁は何でしょうか? サタン世界のすべてのムーダン、占い師に天の側から対抗できる代表者です。彼らを教育できる代表者であり、その次に神様の愛の世界を中心として神様が願われた内容を代表して教えてあげることのできる人なのです。 そのような人が祭物を否定して、祭物が必要ないという代表者として登場しているのです。祭物をささげずに、生きた祭物としてすべてをささげることのできる人を教育するのが統一教会です。左側のサタンがいなくなるのです。 先生がだれなのかといえば、先生も占い師です。さっと見れば分かります。天使長のことも分かります。先生は独りで暮らしていた時代を経て、お母様に出会うことによって地上に定着して、家庭的基準、氏族的基準へと上がっていき、世界基準に上がってきたのです。サタンが世界に数多くの国家をつくっておいて、国家を使って、どれほど文総裁を殺そうとしたのか分かりません。蘇生、長成、完成的国家権限を中心として……。 百六十国家以上です。百二十家庭の祝福(一九六三年)をするときに、国連に加入していたのが百二十国家でした。それらの数がすべて合わなければなりません。千八百家庭を中心として世界宣教を出発するときに、国連の加入国は百八十国家でした。今は百九十近くの国が加入していますね? 日本女性を中心として世界国家の母、代表として先頭に立てたのが一か国百二十人の女性たちです。南米には四千二百人を派遣しました。先生まで含めて、摂理的にみれば四千三百人と同じことです。四、三数です。先生の家庭を代表に立てるのです。そのような歴史において蕩減があってはなりません。 ですから、百八十五か国に派遣しなければなりません。二万二千二百は六数です。蘇生、長成です。数理的にぴったりと合います。神様は本当に科学者です。ですから、二万二千二百人を百八十五か国に、宣教師を百二十人ずつ派遣しなければなりませんか、しなくてもいいですか? 母国家の責任を果たすためには、女性たちが夫の願いを受けて子供たちを善なる方向に導いていかなければならないのです。世界で赤ちゃんたちを生んで、その国を神様を中心とした国にするのです。 その国を生むときまで、血を流して骨を削って地に埋もれたとしても、その国を神様を中心とした国にしなければならないのです。それは母の国の責任です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.29
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文顯進氏、「世界平和統一家庭連合・副会長就任式」の関連記事は以下リンクです。◆「Re:ヨンギ氏の「(コピー)文顕進様世界副会長就任式映像」で省略されたものは?」(副会長就任式映像:https://vimeo.com/180416334)「世界平和統一家庭連合」世界副会長就任式1998年7月19日、米国・ニユーヨーク市 マンハツタンセンターで) きょう、このような集まりを持ったことは、統一教会のれきしにおいて、あるいは、先生の人生においてはじめての記念日となると思います。のみならず、神様の願いがあるとしたならば、このような日のあることをどれくらい待ちわびておられただろうかということを考えるとき、私は心からの深い感謝を天の前にささげるものです。 成約時代の宣布 アダム家庭においては、神様が一代ならばアダムは二代であり、アダムの息子、娘は三代目になりますが、その三代を見ることができなかったということが堕落です。そうして、三代の歴史を再び起こすためのものが救援摂理であり、復帰摂理の完成である、ということを考えるとき、この三代を中心として天の公的な責任を任命するということは、天国史的な一大事であると考えます。 三代までは救援摂理の蕩減が終わっていないので、いずれにせよ、顕進君も「世界平和統一家庭連合」の世界副会長という責任を負って、いまだに行くべき蕩減の道が残されているのです。ですから、私たちの願いは、この蕩減の三代を過ぎて第四次アダム圏解放の時代である地上・天上天国の到来を結論づけることです。私たちはそれに向かって前進しているということを、皆さんはよく知っていることと思います。 この時代において私たちは、「成約時代が到来した」ということを宣布しました。「旧約」とは何かといえば、人間が神様との約束を成し遂げることができなくて失敗したので、その昔の約束を取り戻すための始まりを意味するのが旧約ということです。 また「成約」とは、その約束を成し遂げようとするだめにメシヤが来られて、それを成就するということです。その基本の単位は家庭を指します。そのような家庭単位が成し遂げられなかったので、「再臨」という言葉を中心として、世界的舞台に立って世界平和というスローガンを掲げて、世界地上天国を受け継ぐことのできる世界統一圏に向かっていくのです。そのように、家庭的完成を世界的に編成して、終えるべき「再臨時代」があるということを私たちは知っています。その時代を、私たちは「成約時代」と呼ぶのです。 「成約」ということは、"約束を成就する"ということです。それはどのようなことかといえば、私たちが何か国を建てて独立の国を祝賀するというのではなく、また天上天国を建てて、天国創建を祝賀するというのでもありません。 それは、神様がいちばん祝賀され、迎えられたかった日が起源となっています。神様と神様の息子、娘を中心として、神様が創造理想を願われていた家庭完成を祝賀する日が起源なのです。神様ご自身が、その日を迎えることを待っておられたのであり、それが始まりであったという事実を、皆さんは知らなければなりません。 私たちは成約時代を宣布しながら、ジャルディン宣言を成しました。「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を経なくては、家庭の完成を成し遂げることはできないということを宣言したのです。神様が理想として願われることは、「絶対信仰」の上に家庭、「絶対愛」の上に家庭、「絶対服従」する理想の上で成立する完成家庭を願われたのです。 そのような日を願っておられた神様は、アダムとエバの堕落によってどれほど悲しまれたでしょうか? アダムとエバは万代、億万代のひとり子であったということを皆さんは知らなければなりません。七代のひとり子ではありません。千代、万代のひとり子でもありません。永遠のひとり子、ひとり娘でした。そのひとり子、ひとり娘を失って、生きている者を死の場に追い出さなければならない神様の悲痛な心情がどれほど大きいものであったのかということを、皆さんは考えなければなりません。死んでもいない・生きている者を死の場に追い出すというその悲しみ。 そのために、神様の立場は苦痛の王の立場であり、悲しみの王の立場であられたのです。人間が想像すらできなかった、そのような立場におられたということを、私たちは知らなければなりません。 統一教会が現れることによって、このような神様の心を越えて完成の成約時代を成し遂げることができるのです。そのためには、このようなすべての悲しみの道全体に責任を負って解放してさしあげなければなりません。 神様が願われる、家庭における真正な孝子、孝女、また神様の国はありませんでしたが、ひとたび神様の国が現れるときには真正な忠臣、神様の世界が現れるときには真正な聖人、地上天上天国では真正な聖子の道理を立てることのできる、そのような伝統の責任を負ってこられるおかたが、正にメシヤ、真の父母です。そうして、そのようにして完成した成約時代を成し遂げていくことが、真の父母の使命であったということを、皆さんは知らなければなりません。 「絶対信仰」 皆さん、聖書にも「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」、「地で解けば天でも解かれ、地で結べば天でも結ばれる」というようなことが記されていますが、なぜそうなのでしょうか? 神様の悲しみのその峠を、自分が同時に越えていって、神様が悲しい立場にあられながら何億千万代のひとり子を追求するその心自体までも解いてさしあげるべき責任が、私たち人間にはあるからです。ですから、一度死ぬだけではなく、数十回、数百日死んだとしても、その峠を越えることは難しいという事実について私たちは考えてみるべきです。 そのような心を感じておられる神様を解放しようとするのですから、私たちが神様を信じるというときには、絶対、絶対、絶対、正に永遠に絶対な立場において信じなければならないという概念が出てきます。 愛についても同じことです。神様を愛するときには、神様は息子、娘を追い出されたのですから、その心情以上に愛さなければなりません。ですから、絶対、絶対、永遠な立場で絶対に愛さなくては、神様のその心を感動させることはできないのです。 真なる信仰が成立するときには、真なる愛がついてきます。真の愛が植えられて芽を出すようになれば、これを育てなければなりません。大きくするためには、絶対的に投入しなければなりません。それは、自分の意識まで忘れて投入しなければなりません。そこで、「絶対服従」という言葉が必要になってくるのです。 ところで、「信仰」というものは概念であって、事実ではありません。ですから、(新約聖書の)『ヘブル人への手紙』十一章を見れば、「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」とあります。望んでいる「願い」は実体なのですが、それは見ることもできず、触ることもできません。 神様が正にそうです。天は、私たち人間を絶f的に信じ、「絶対信仰」によって訪ね求めてこられました。ですから、私たちも絶対的に神様のことを信じなければ、実体的愛という根源を連結させることはできません。 上下関係、左右関係、前後関係において、そのような内容があるということを皆さんは知らなければなりません。愛を中心として上には信仰、下には服従。愛を中心として右側が「絶対信仰」であるならば、左側は「絶対服従」であり、前を信仰というならば、後ろは服従です。一つの体(たい)を成しています。 このような苦痛に真剣に取り組まれる、その神様に対して、信じることができないなどという心は、夢にも持つことはできません。 その場には、自分の意識であるとか自分の概念はありません。ですから、それ自体を絶対視し、それ自体をすべて概念とし、それ自体を実際としなければなりません。「絶対信仰」の前に、その神様が信じられることと同じように、自分も相対的立場で、神様が願われる実体の心を持たなければならないという話です。信仰も、神様と同じ信仰を持たなければならないということです。 このように見るとき、皆さん自身を中心として、自分という存在それ自体に立ち戻って考えてみたときに、自分においてどこから信仰を求めるのか、ということが問題です。 皆さんは、神様の前から追い出された人類始祖の後孫です。そのような自分自身の持っている五官、例えば自分の目自体は、「絶対信仰」を持っていますか? 持っていません。ですから、目を信じることはできません。自分の鼻を信じることもできません。そのように、においをかぐこと、自分が聞く音、自分の言葉、自分が感じる触感、それらを信じることはできないということです。 それでは、自分の体はどうですか? 自分の心はどうですか? 自分の心は行ったり来たりします。 ですから「絶対信仰」というものは、人間の堕落した後孫からは捜し求めることはできそうにないので、神様を発見するところからのみ可能なのです。「絶対信仰」をもって、「絶対愛」と「絶対服従」の実体としてつくっておいたものを失われた神様が、信仰、愛、服従というものを捜し求めるときに、それ自体は堕落した人間にはないので、どれほどの苦労、どれほどの努力をされなければならないでしょうか? これは堕落した人間にとって、天を訪ね求めていく一つの宿命的な課題となっているのですが、そのことを人間たちは考えることもできませんでしたし、知ることもできませんでした。 天は、私たちを喜びの立場で対することができないように追い出されたので、私たちが天に従って行き、対そうとすれば、反対にまた、それを再び追い出さなければなりません。神様が、いつも人間を追い出す立場であられても、私たちはそれを越え、また越え、乗り越えていかなければなりません。たとえ神様が、私たちを個人的に追い出し、家庭的に追い出し、世界、天、地、全世界の何かを条件として追い出したとしても、それに耐えて越えていくことができて初めて、私たちは神様に対する信仰を持つことができるのだと、考えることができます。 今日、この地上に生きる人類が、信仰の道を歩んだり、宗教の道をたどったり、あるいは、神様を発見するために道を切り開くというときに、天を絶対に信じる立場で切り開いた人は一人もいないのです。全部疑って、自分勝手にあれこれとやりながら、「信じる」とだけ言って信仰の基盤を築いてきたというのが、人類歴史に残された宗教の形態なのです。 人間は堕落することによって、万物よりも低い立場に落ちてしまいました。そのことによって天は、信仰の道を行こうとする人に対しても、取るに足らない虫けらに対する扱いにも及ばない扱いをされたのです。しかし、そのような扱いを受けたとしても、そのような環境を越えて、この字宙の創造主であられ、主人たる神様を信じようという心を、自分の生涯路程、あるいは信仰路程で求めてみなければなりません。 そのような環境でも信じようという心を持って、神様が創造主であられ、私たちすべての存在全体の生命の源泉であられると、絶対的に信じていくことができる立場を発見しなくては、人間は動物よりも下に落ち、万物よりも低い位置に落ちた立場からは、上がっていく道がないのです。 そのようにして、万物世界で理想の価値を捜し求め、人間世界の段階になってからは、個人的な価値、家庭的な価値、氏族、民族、国家的価値までも、「絶対信仰」によって捜し求めていくのです。そうして、いちばん底から上がっていきながら、神様に会っても決して疑わず、自分に対して千万回、「おまえは堕落して、もっともである」と言われてもそれを信じてしまうことなく、むしろそれを悔い改めることのできる立場にまで行かなくては、神様の愛、神様の信仰圏内に入ることはできない、という概念を立てることができます。 しかし、この地上に生きる人の中で、そのような概念を持って信仰の道であるとか、何かの社会に奉仕する仕事であるとか、そのような道を行った人はいません。 「絶対信仰」の上で創造したものを失われた神様が、このような「絶対信仰」に接することのできる基準を中心として、私たちは万物のいちばん後から人類の世界に越えていって、神様と人間との間にふさがれていた、「絶対信仰」を失ったその基準をすべて解怨成就しなければなりません。そのためには、苦痛の神様、受難の神様を解放してさしあげなくては関係を打ち立てることができないのです。ところが、そのようなことについて考えた人はいません。 ですから、苦痛に満ちた神様の心を慰労してさしあげ、悲しみの神様を慰労してさしあげるためには、神様が流された涙の何千万倍もの涙をさらに流さなければならないということを知らなければなりません。 それは、言葉では簡単です。「私はやる」と、皆言うことができます。本当に神様を解放しようというのですか? 統一教会は神様を解放しようとしているのですか? それは事実ですか? (「はい」) それならば、「絶対信仰」という基準について考えてみなければなりません。今までの私たち、サタン世界の堕落した概念を持った立場で「絶対信仰」という基準と、純粋な堕落していない本然の神様の心情にかなった、恨の峠を越えてくれることを願う「絶対信仰」の基準とでは、どれくらいの差異があるのでしょうか? それは、堕落した基準では標準化され得る立場に立つことはできません。 このように見るとき、神様ご自身を見れば、堕落した世界に対して、今まで悲しみの歴史の中で苦痛に呻吟(しんぎん)してこられながらも、その間、心の中で消えないことがあるのです。それは、このような心の慰めに相対し得る孝子、孝女を失う前の本然の世界のことであり、また、そのような本然の神様の愛を中心としてつくったアダムとエバ、完成的孝子、孝女に、いつまた再び会うことができるのか、ということでした。 しかし、それは簡単でたやすいことでしょうか? 言葉は簡単ですが、それがどれくらい難しいことであったかということを、皆さんは考えてみなければなりません。 メシヤの使命 神様はメシマを送られたのですが、メシヤとは何でしょうか? 真の父母とは何でしょうか? それは、完成したアダムの立場です。神様が、追い出したアダムとエバに会われて、神様の中に残された苦痛と悲しみをなくすことができるように、その本然の立場までこれを乗り越えていって神様のみHOに孝行することができなければなりません。その代表者として送られたのがメシヤであり、その代表者の相対が、失われたエバの立場、女性であったのです。 メシヤになることができるのは、「愛の息子」なのですが、本然的「愛の息子」になるためには、その愛の息子が涙を流したのならば、その父母も涙を流すようでなければならず、その兄弟や同居者、あるいは天使世界に天使がともにいれば、その天使までも涙を流すことができなければならないのです。 天使が涙を流し、息子が涙を流し、神様も涙を流されるのですが、だれが涙を流すのをやめて、「もう、泣くのをやめなさい」「泣くのをやめましょう」と言うのでしょうか? 神様は「さあさあ、涙を流すのをやめよう」と言われることはできません。あまりにも受難の道を歩んでこられたからです。 ですから、メシヤとなり得るおかたが神様と出会って、涙のにじむ出会いをするようになれば、十回会ったならば十回、涙を続けて流さなければならず、千回会ったならば千回、涙を続けて流さなければならない立場であったということを、皆さんは知らなければなりません。 神様は、人間のために微生物から動物、草木、昆虫に至るまでつくられたのですが、そのとき、私たちを愛されるために、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の美しい相対的価値を、喜びを感じるためにつくられたのです。ですから、人間の堕落によって、これらの小さなものから大きなものまですべてが引っかかっているのです。 鉱物世界から植物世界、動物世界まで、すべてを主体である人間が犠牲にし、これらをすべて殺してしまったので、これらのものを生き返らせるためには、人間が創造主の苦痛を感じて、再びこれに橋を架けなければならないのです。解放してあげなければなりません。 神様が嘆息圏内におられて、人類が嘆息圏内におり、万物が嘆息圏内にいるということを、皆さんは知るべきです。聖書にも、万物が嘆息しているということが記されています。それはだれのせいでしょうか? アダムとエバのせいです。アダム以後に、エバが完成した後に来られたメシヤは、このすべての雲と霧を取り払わなければなりません。 それでは、メシヤはどれくらい涙を流したのでしょうか? 朝になれば朝日を見て、その現れた万物の状態が、例えば曇り空であったり、春夏秋冬の四季のようすが異なる、そのすべての環境における涙なくしては、天に対することができなかったのです。その涙の代表者、苦痛の代表者がメシヤになるのです。 苦痛の王、悲しみの王であられる神様がごらんになるときに、"あなたもわたしと同じ悲しい立場にあるのは、あなたのためではなく、これはすべて被道世界全体、万物のため、人間のため、わたしのためにそうなのだ"という同情で因縁を起こさなくては帰る道がないということを、皆さんは知らなければなりません。 それは、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」という言葉は、涙の峠、悲しみを越えたその後に必要なものであるということです。ところが皆さんが、それを感じることも考えることもできなければ、「絶対信仰」、「絶f愛」、「絶対服従」という言葉は、神様と関係を結ぶことのできる何らの内容もないということになってしまいます。そのような「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」というその概念の実とは、私たち人間においては何なのでしょうか? それは、アダムとエバそれ自体であったということを、皆さんは知らなければなりません。 「絶対男性」と「絶対女性」 皆さんは堕落しなかったならば、絶対男性としてのアダムであり、神様の「絶対信仰」の対象であり、「絶対愛」、「絶対服従」の対象であったはずです。同様に、アダムがそのような立場にいれば、エバも「絶対信仰」に関してはアダムの「絶対信仰」の対象であり、「絶対愛」と「絶対服従」の対象となります。エバを中心としてアダムもそのような立場で・絶対圏内に立っているものすべてに、神様とアダムとエバの一体的愛が定着すべきであったのです。それが、アダム家庭の理想であったということを考えなければなりません。 神様はアダムをつくられてから、「人がひとりでいるのは良くない」と言われてエバをつくられました。それは、「はなはだ良かった」とされています。「良い」ということは、「絶対的に信じることができ、絶対的に愛することができ、絶対的に投人してもよく、犠牲になってもよい」という言葉です。 これは極端な結論の話になりますが、変に考えないでください。アダムとエバは何が異なるのでしょうか? 人は皆、同じです。アダムにおける相対はエバという女性ですが、女性とは何でしょうか? 男性と女性が異なるのは何ですか? 生殖器が違うのです。ですから、神様は女性の生殖器をつくられてから、「良し」とされたということを知らなければなりません。 それはどのようなことかといえば、絶対男性にとっての絶対女性というのは、絶対女性器官、「絶対愛」器官のことを指すのであり、「絶対服従」器官を指していた、ということです。それは、信仰の結晶体であり、愛の結晶体であり、服従の結晶体であったのです。 皆さんのあらゆる五官が集中して、一つの方向へと直行しようとするのは、真の愛の道です。皆さんが夫婦生活をすることも、その器官を中心として、「永遠に直行である。放った矢のように、砲弾のように直行する」というようになっています。「私」という存在は、このことのために生まれたというのです。アダムもエバのそれのために、エバも男性のそれのために生まれたのであり、ほかにはありません。 それは、その国の王よりも素晴らしく、自分のおじいさんよりも素晴らしく、お父さんよりも素晴らしく、自分の息子、娘よりも素晴らしいものであるというのです。それを中心として動員されているのが五官です。 そのような絶対的な信仰の上に、また絶対的な愛と絶対的な服従、そしてお互いに一体化し、一つになったその場において、すべての男性、女性の五官が、お互いがお互いのために生きるという立場に立たなくてはなりません。そうでなければ、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」という地上の基盤は見いだすことができません。 自分の体のなかでいちばん貴いものは、自分のためのものではありません。相手のために生まれたということを考えなければなりません。自分のためにあるという存在は、なくならなければなりません。滅びるべきです。 その愛の器官を中心として初愛が芽吹き、愛の家庭の生活が始まるのです。そして、生涯において光り輝く勝利的実績も、その愛と関係なくしては、いかなるものも神様と関係なく、歴史とも関係ないということを、皆さんは知らなければなりません。 皆さんは、三六O度を上下を中心として回したとしても、すっと立たなければなりません。倒してもさっと起き上がる”起き上がり小法師"があるではないですか? そのように、東西南北をすっと合わせる立場に立たなければなりません。 南極と北極を結ぶ磁力線や、磁石に物が引き寄せられてくっつくときにも、同じ方向にそろうように、どんなにぐるぐると磁石が回ったとしても、くっついた物体がさっと磁力線に従ってくるようになるのです。何をどうしようが、その方向は間違うことはあり得ません。 愛する人に会うときに、皆さんは会えば、キスしてから何を触らせますか? (「アーメン」)。何ですか、それがアーメンですか? (笑い)それは、永遠につかんで永遠にタッチして初めて幸福であるというのです。これに異常があれば問題です。おじいさん、おばあさんに異常があれば、家庭がめちゃくちゃになり、お父さん、お母さん夫婦に異常があれば、家庭がめちゃくちゃになり、息子や娘、嫁に異常があれば孫がめちゃくちゃになり、破壊が起こり動揺が起こります。そうですか? (「はい」) きょう、このような日に、このような深刻な話をするのは、今後、理想的家庭を築いていくということが、それほど簡単なことではないからです。 神様は、どのように考えておられるのでしょうか? それは、アダムとエバに対しては、"おまえたちが絶対に信じるということも、いつのことから信じようというのか?"というのです。それは、結婚するときのことから信じるのではありません。 神様はアダムとエバに、神様が創造されたときのその心から信じてくれることを願われるのです。アダムとエバには、神様がアダムとエバをつくられてからのことを信じるよりも、神様がアダムとエバをつくるために考えを巡らされたそのことについても、その理由を知ってくれて、信じてくれることを願われるのです。そのようにできますか? 結婚するときというのは、もうすでにすっかり大きくなっているということでしょう? 結婚してからは、それらのことを見ることはできません。ですから、お父さん、お母さんの役事を通して生まれるときから、全部を絶対に信じ、絶対に愛し、絶対に服従する心で対することのできる因縁を結ばなければならないということです。 自分が理想的夫、理想的妻になるということは、胎中に身ごもって、おなかが大きいときに、お母さんはお父さんを愛しているのですが、転ぶときに一緒に転ぶことのできる、そのような心を皆、持たなければならないのです。(笑い) アダムとエバが結婚するときは、自分が胎中で育っていたそのことも見たがらなければならないのです。ですから、神様がアダムとエバを生むときには、「おい、アダム、エバ。あなたたちの体がそのようにできているのは、それはお互いのためである。アダムのそれはエバのものであり、エバのものはアダムのものである」と言われるのです。 そのようなことをすべてご存じの神様が、大きくなったアダムとエバをごらんになるときに、どれほど喜ばれることでしょうか? その喜びが現れるとき、神様は喜ばれるのです。動機に喜びを連結させて、現実に動機が連結されるということです。 このように見るならば、皆さんは結婚する前、生まれてから少女として育つときに、"私が今、このように成長しているのは、自分のたった一人しかいない夫のために成長しているのだ"という概念を持ちましたか? 娘ならば娘、エバ自体の体のすべてが成長するのは、たった一人しかいないアダムのためなのです。他の道はありません。永遠に一つです。 第四次アダム圏蕩減解放時代へ このょうに見るとき、「理想的家庭」という言葉・「世界平和統一家庭連合」における「家庭」というものは、そのように簡単なものではないということを、皆さんは知らなければなりません。今日のアメリカにおけるような家庭が家庭ですか? 「ノー」、絶対に「ノー」です。溶鉱炉にほうり込んで溶かして、再びこれをつくり直さなければなりません。 ただそのまま家庭を願いますか? 溶鉱炉に入れて再度つくった理想fな家庭を願いますか? (拍手)フリーセックスを考えてみてください。フリーセックスは、カラスやハゲ鷲や野良犬のえさになるようなものです。何の話か、分かりましたか? (「はい」)。どれくらい変わらなければならないのかということを知らなければなりません。 このような原則があるので、皆さんは霊界に行けば、天の国に入っていったとしても、このような過程を全部経て、きれいに清算しなくては入っていくことはできません。アダムとエバは、結婚してから離婚しようなどと考えたでしょうか? 女性がほかにいますか? そこにはステップ・マザー(継母)が存在し得ますか? このアメリカは何ですか? ステップ・マザー、ステップ・ファーザーが五人、六人は普通なのです。そのようなものは、滅びなければなりません。滅びるべきです。滅びなければ、滅びるようにしなければなりません。(「アーメン」) アーメンと言ったのは黒人ですか、白人ですか? (笑い)黒人ですね。(笑い)黒人がアーメンと言ってはなりません。白人がアーメンと言わなければなりません。(笑い)それが事実です。 レバレンド・ムーンは、何か皆さんの耳を楽しませ、心を喜ぼせようとしてこのようにのでのではありません。事実を教えるために話しているのです。注射をする医者ならば、本当にそこに適した、対抗する薬を打たなければなりません。そうでないものは薬ではありません。ですから、深刻なのです。 一度愛した者は、永遠に忘れてはなりません。その人に出会って、悲しい一言でも残して逝げば、霊界に行って引っかかるのです。分かりましたか? 「世界平和統一家庭連台」の世界副会長を任命するのですが、その副会長という立場は、容易な立場ではありません。祭物です。生きた祭物の立場です。 しかし、ありがたいことは、お父様がいて、今、世界を浄化して、成約時代を発表する時が来たということです。もはや、統一教会において家庭的迫害がない時代が来たのです。 イエス様は、三十歳で初めて家庭を築こうと出発されたのですが、それにもかかわらず、その目的を成し遂げることができませんでした。感謝すべきことは、今、世界全体の家庭が祝福を受けて、国を超えて世界に進むことができる祝福の環境を開拓した後に、三十歳にならない顕進をこのように家庭連合の副会長として立てることができたということです。そのことを、私としてはうれしく思います。これは喜ばしいことです。(拍手) 堕落した後孫たちの中において、堕落した人間を中心として、これが蕩減復帰という最後のぺージです。サタンの血統を断切して、きれいに清算した後に天の直系の子女が家庭を中心として第四次アダム勝利圏を引き継ぐことのできる、そのバトンを受け継ぐことのできる出発がなされたという事実は、驚くべきことであるということを、皆さんは知らなければなりません。この顕進の息子、娘たちの話です。それは、四代ではありませんか? その家庭を通して、第四次時代に人っていくことができるというのです。 堕落圏を越えて最後に、すべて清算するようにしてから、その家庭が一つになって神様が一代、アダムが二代、そして三代と、全部が堕落の限界線を越えて、第四次アダム圏蕩減解放時代へと、地上天国時代へと越えていくことのできる境界線へ入ってきたということは驚くべきことです。 「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」 私は顕進君に話します。「あなたは今から、妻や、父母の前や、息子、娘の前、教会の前で、絶対信仰圏を維持することのできる者になりなさい」。そのようにして任命するのです。「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」です。 「あなたの家庭とあなたの息子・娘を中心として越えていくときに、第四次アダム圏時代に向かったあなたたちは、上下関係が父子の関係であり、左右関係は父母関係であり、前後関係は子女関係となりますが、それを中心として、家庭を中心として民族、国家と越えていかなければなりません。ゆえに、結局は『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』の環境を父子の関係、夫婦関係、子女関係、兄弟関係において、それらの完成を定看させなければなりません」 結論的な話は、「死んでも『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」、「生きても『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服徒』」、「永遠に『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」。そのようなことです。死んで霊界に行っても永遠に同じです。分かりましたか? (拍手) きょう、私たちは今から、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を心から決意しなければなりません。なぜならば、私たちの「生」は、天国の「生」の根源であるからです。私の心情は、この三つのためです。この三つのことが成されれば、すべてのことを占有します。占有したすべてのものは、完全なのです。このようなものは、どれほど素晴らしいことでしょうか? アーメン。 顕進様、そのような信仰を持って、お父様よりも、お父様の一期よりもどれくらい優れることを願うのか、というのです。百倍ではありません。千倍、万倍、優れることを願います。 神様がアダムとエバに対して持っていた希望とともに、その希望はとどまることなく、永遠なる希望として残ることによって、父母たる私も子供にこのような希望を託さざるを得ないということを、快く受け入れなければなりません。(拍手) 顕進は、私よりも美男であり、力もあり、りりしく、覇気もあります。ハーバードのMBA (経営管理学修士)課程まで卒業しました。顕進はMBAまで卒業したので、今後、事業に対する専門家として監査の大王になるはずです。また、これからUTS (紘一神学校)を卒業して、世界に二人といない神学者となって、博士の学位を持って、どのような神学者でも教育することのできるチヤンピオンになるであろうということを考えるとき、希望の一日として、この責任を顕進に任せてあげるのです。祝賀します。アーメン。(拍手 ですから、今から顕進は、お父様が「これをしなさい」と言えば、「それだけではなく、千倍やらせてください」と、このようでなければなりません。(拍手) 今後、統一教会は万歳、万歳、万々歳。アーメン。アーメン。アーメン。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.27
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天勝号 進水式1963年 6月26日 京畿道仁川市 萬石洞埠頭 【関連記事】◆「天一国摂理歴史-- 天勝号進水式(1963年6月26日)」(2019.06.27)天勝号進水式1963年6月26日「天一国経典・真の父母経」から。真の父母経 - 第10篇 - 第2章 - 第1節 韓国を中心とした海洋摂理第二章 海洋摂理と海洋資源の開発第一節 韓国を中心とした海洋摂理4 一九六三年に韓国で船を造ったのですが、その名が「天勝号」でした。天が勝利する、神様のみ旨を成就するという意味です。「天勝号」を造り、「世界の海を占領しよう」と語ったのです。しかし、誰もが船に乗るのを嫌いました。「このように波が荒れているときは出られません」と言うのです。漁夫がそのようなことを言っていられます か。命懸けで出ていかなければならないのです。私は漁夫になりました。雨が降っても雪が降っても、意に介しませんでした。夕立があっても釣りをしました。 雨が降っても、夕方までしたのです。5 お父様は、一九六三年に船を造りました。それが「天勝号」です。船の名前を「天勝号」としました。それには、すべて意味があったのです。天が勝利したという基準を立てるために、そのように名付けたのです。アメリカに来て、一九七三年から船を造り始め、今に至るまで船に乗っています。アラスカでは、夜も昼も船に乗りました。一片丹心、船に乗ったのです。6 お父様は、一九六〇年代に入って、韓国の有名な山はすべて回りました。狩りをしながら歩き回ったのです。陸地を訪ねて回ったのです。その次には、海に行って魚を釣りました。本来、審判を受けたのは陸地です。魚は審判を受けませんでした。ですから、陸地のすべての蕩減を消すことができるのは、審判を受けていない魚たちで す。それらは、神様が造った本然の姿のままで存在しています。それを愛さなければなりません。そのために、二〇〇〇年まで、二十七年以上の期間、海で船に 乗る生活をしました。水を訪ねていったのです。韓国で船を造ったのが一九六三年でした。それを海洋事業と連結するのです。その時のみ言を聞いてみれば分かるでしょう。船の名前は「天勝号」だったのですが、天が勝つという意味です。船が必要なのは、陸地と連結するためです。海を占領するために、「天勝号」から始めて、海洋事業と造船事業を継続していくのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.26
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愛によるおもしろみのある天国的生活1998年7月16日アラスカ・チグニック・レイク 一九九八年七月九日から十七日にかけて、アラスカ半島の中ほど、チグニック・レイクで「アラスカ・チグニック特別修練会」が行われた。修練会の中、七月十六日にお父様が語られた御言。 趣味として仕事をしておもしろみを感じる 父の国が韓国であり、母の国が日本であり、アメリカが天使長です。日本に従っていくことはできず、韓国の今までの伝統に従っていくことはできず、アメリカに従っていくことはできません。従っていくことができるのは、天が願う地上・天上天国の理念です。そのような目的をしっかりと定めたので、それとどのように一つになるかということです。 このように見るとき、今の自分たちのもっている「観」をすべて否定しなければなりません。それを踏み越えることができなければなりません。このようなことを考えるとき、先生が定めた方法と皆さんが結束しなくては、この峠を乗り越えていく道はないというのです。それが何かといえば、私の標語です。「三億六千万双祝福完成とサタン世界血統断切」です。ここに、あらん限りの精誠を尽くさなければなりません。 それから、先生がなしている趣味産業です。一般の人をこれに導くためには、私たちが先頭に立って趣味生活をしなければなりません。趣味生活です。趣味生活を根拠とした趣味産業です。生産は社会的な仕事場として連結されているのです。反対のことをしているのです。今、世界的な農場を中心として見ても、国営企業体を見ても、主人の立場で見ても、それはおもしろくてするのではありません。趣味(喜び)という内容はありません。趣味は協同的なものです。人生として行くべき道の前に、これが連関関係となっていません。 どのようにこれに関係を結ぶのかという問題を考えるとき、「趣味」というタイトルを中心として、国家を越え、職場、経済分野、政治分野の峠を越えていくのです。政治も趣味、経済も趣味、学校も趣味と、すべてが関係するのです。関係というものは、主体・対象関係です。師弟関係、夫婦関係、父母関係、何々関係、全部関係ではありませんか。大統領を中心とした閣僚関係、国会の上下院関係、すべて関係です。 この関係は、闘争概念として登場するのではありません。では、関係において、だれが一番関心をもって趣味(喜び)をもつのかということによって、その人格基準が決定されるのです。これは重要なことです。何のことか分かりましたか? (「はい」)。 郭錠煥は世界平和家庭連合に関係した興味をもたなければなりません。おもしろみを感じなければならないのです。ご飯を食べることよりもおもしろみを感じ、生きることよりもおもしろみを感じれば、その人は行く道において成功するのです。食べて、寝て、遊ぶことよりも、もっと趣味(喜び)を感じるようになれば、その事業の責任者は成功するのです。 趣味とおもしろみとは何でしょうか? 趣味として仕事をして、おもしろみを感じなければなりません。趣味は環境であり、おもしろみというのは私(自分)です。私を中心としておもしろみを感じるためには、主体と対象のすべての心情的一致圏がなくてはなりません。これが原理観です。分かりましたか? (「はい」)。 趣味という環境の与件、神様が創造された環境には、必ず主体と対象があります。主体と対象が授受関係を結んで合性一体となり、喜びを感じるのです。喜びはだれが感じるのかといえば、自分だけがうれしいのではなく、二人で大きくなっていくのです。それゆえ、一つの軸を中心として大きくなり、それがすべて球形をなしていくのです。 おもしろみを感じなければならないのです。おもしろみを感じて連結したものは分かれません。核と副体は決して分かれません。そのようにして一つの体をなすのです。 この社会の全般的な職場や関係している世界には、趣味(喜び)というものがありません。闘争概念で連結されるのです。これをどのようにカバーするかが問題です。 趣味という言葉は皆好きなのです。「趣」の字は、走る「走」の字の中に取る「取」の字です。「味」は、口で味を感じるのです。走っていきます。走るということは、苦しいことを指すのです。走っていくこと(行動)を取って、味を感じよう。到達していないことに(走っていき)味わわなければならないのです。それが味と通ずるのです。おもしろいという味です。 労働の神聖性 私たちは今、趣味産業について話をしていますが、そこにはすべてが入るのです。政治、経済、文化、産業的な面、世界のすべての問題、宗教のすべてが入るのです。趣味生活の中でおもしろみを感じなければなりません。趣味だけもっていても豊かになることはできません。趣味だけでは自分の立場がないのです。趣味を感じて、何をするのでしょうか? おもしろみを感じなければなりません。 このように見れば、労働の神聖性というものが出てくるのです。血と汗を流しながら働くことは、その人たちだけがもったおもしろみなのです。趣味です。無限なおもしろみを感じるその場に立てば、自分も想像できないところでおもしろみを感じるのです。それを表現することはできません。それゆえ、おもしろみを感じなければならないのです。働く人は、だれでもみな平等です。平等に尊敬することができる社会形態になっていかなければなりません。分かりましたか? このような立場から見るとき、闘争概念や競争概念があるこの関係的世界を、どのようにして趣味としてなすことができるように変えるか、というのです。そうすることによって、すべての人たち、個々人の生に価値が付与されるのです。だれも奪うことのできない、自分だけがもつことのできる個性真理体の価値というものが成立するのです。 それが必要なのです。そのように、この地上で生きた人があの国(霊界)に行くようになれば、だれでも、高い、低い、ということがないのです。神様が創造したおもしろみを感じて、趣味(喜び)を感じれば、そのすべての創造の圈内で同化・同参できる人格者になるのです。このように見るのです。分かりましたか? 皆さんの背後を中心として、韓国ならば韓国の今までの歴史を中心として、国家摂理史的な立場と現在の立場を中心として、ここに趣味的内容として前に立てることはできませんでした。しかし、今からはある一つの家庭を中心として、世界に標準的基準として立てることができる時なのです。家庭環境に対して趣味(喜び)を感じ、ここでおもしろみを感じなければなりません。そのような結論となります。 今百八十五か国ならば、自分の国にある家庭を中心として、環境的な国家が趣味(喜び)の舞台になっていないのです。すべてのものが衝突しているのです。それゆえ、一般的に趣味化され得る環境を、どのように補完させるかというのが問題なのです。 今から私たちが世界の家庭問題を、趣味と環境を中心として、楽しい家庭として定着させなければならないのです。これが天国をなすうえで、絶対に必要なのです。一つの伝道になるだろうと見るのです。 この関係の世界は、父と母の関係です。夫婦関係です。父親が優れているか、母親が優れているかではなく、父母ならば父母自体に対して趣味(喜び)を感じなければならないのです。父母を分けてはならないのです。 目を見れば、目二つが一対になっています。右の目が優れているのでしょうか、左の目が優れているのでしょうか? そのように尋ねること自体が矛盾です。右の鼻の穴がよいのか、左の鼻の穴がよいのか? 右の耳が一番か、左の耳がよいのか? そうではなく、一つとして扱いなさいということです。 父母に対して趣味(喜び)を感じ、父母に対して興味をもたなければなりません。父親の性格と母親の性格が違うので、そこに対して、趣味(喜び)をもって生きるようになれば、二人の人格の素養がその子女に植えられるのです。 ですから、社会の先生を見ても、大統領を見ても、何かの職場であれ、差別せずに趣味(喜び)をもっておもしろみを感じるようになれば、おもしろみの価値が愛によって連結され、すべてのものに同居、同参、相続権があるというのです。そこから、統一的な心情だけが連結され得るのです。このようになります。 生活の一つ一つにおもしろみを感じなければならない さあ、そのような世界に向かって行かなければなりません。現在の韓国の実情を中心としてそのようにしようとすれば、政治的風土であれ何であれ、まだ反対が終わっていないのです。そこで私たちが問題を提示するのが何かといえば、それが祝福家庭です。祝福家庭をつくっておいたのです。 これら家庭がどのようになるのでしょうか? 趣味(喜び)です。いつも趣味(喜び)をもつと同時に、大韓民国が(祝福家庭に対して)趣味(関心)をもたなければなりません。大韓民国が趣味(関心)をもつと同時に、韓国の家庭に対してアジアが趣味(関心)をもたなければならないのです。そのような環境へと自然に連結されるのです。本然の理念を中心として祝福をし、中共とソ連が連結され、このような天の摂理を中心として、趣味生活を通して、おもしろみのある定着基盤をもつのです。 家庭を離れてはおもしろみがありません。ご飯を食べるおもしろみもなく、遊ぶおもしろみもないのです。寝るおもしろみもありません。寝ることもそうではありませんか? お母さん・お父さんと兄弟が一緒に寝てこそおもしろく、ご飯を食べることも、両親と一緒に食べてこそおもしろいのです。自分の生活の中で皮膚と直接的関係を結び、第二の明日の希望を常にもち続けることのできる刺激的な期待があってこそ、その人が発展するのです。それが家庭です。 息子・娘を生んだのならば、興味をもって、「大きな娘はどうだ、大きな息子はどうだ」と楽しみなのです。話すのが楽しく、連れて回るのも楽しみなのです。おもしろみであって趣味ではありません。家庭は環境的な与件であって、生活的なすべての生命と連結されていないのです。生命の復活のおもしろみを感じなければならないのです。 祈祷するのもおもしろいのです。祈祷すれば何ですか? (「敬礼です」)。それもおもしろいのです。訓読会もおもしろいのです。ご飯を食べることよりもおもしろいのです。ご飯を食べることを忘れ、寝ることを忘れてしてみなさい。そうすれば、すくすくと自分の基盤が家庭で芽生え始め、それと同時に、家庭がそびえ立ち、その影響と作用が始まるのです。趣味圏内は、自動的に影響を受けるのです。そのような高い所、広い所、深い所に行き、すべて一つになるのです。 人もおもしろい人がいるではありませんか? 「私は何の趣味をもっている」と言いますが、趣味と自分とは関係が遠いのです。相対的与件にはなりますが、関係が始まりません。関係を結ぼうとすれば、喜びのある場で広がっていくのです。 この世界は、関係の世界に連結された社会構成体にならなければならないのですが、今まではすべて競争相手であり、闘争でした。どのように調和して連結させるのか、というのは趣味です。すべての人たちが趣味圏内で生活するのです。 政治ならば政治に対する趣味、産業ならば産業に対する趣味、経済ならば経済に対する趣味、釣りだとか狩り、それはすべて趣味ではありませんか? それが趣味として終わってはいけません。おもしろみを感じなければなりません。おもしろみを感じるというのは、産業分野ならば、産業分野全般にだけ対するものではありません。一つの趣味を感じ、全体の環境的与件を収拾できるおもしろみを感じて、関係を拡大させ、発展が繰り広げられるのです。 ですから、おもしろみがなく、趣味を生かすことができなければ駄目なのです。自分が一生を生きるうえで、趣味がなく生きては駄目なのです。趣味がなく生きてはならず、趣味をもったならばおもしろみを感じなさいというのです。 自分で自分の顔を見るときもそうです。自分の顔を鏡で見るとき、自分の顔が整っていれば、自分の顔を見るのを好むではありませんか。顔を見るのも趣味(喜び)であり、化粧台で上手に眉毛を描くのも趣味であり、何であれ趣味であり、それはすべておもしろいのです。 そのようなことに対しても、自分の生活において、一つのおもしろみを感じることができるようになりなさいというのです。鼻ならば鼻、顔ならば顔、そのようにおもしろみを感じなければならないのです。 おもしろみを感じ、趣味を感じるのは自分だけではありません。環境圏は必ず主体・対象関係になっているのです。妻は自分(夫)が感じることのできるものを感じるので、影響を与えなければなりません。影響を与えて、相対的な基準で夫婦同士、同じ趣味を感じ、おもしろみを感じなければなりません。また、父母を中心として親子の関係においても、同じおもしろみを感じ、それを育てていく生活となり、関係にならなければなりません。そうすれば自然に、平和な家庭となり、幸福な家庭になるのです。 多方面に趣味をもつ 趣味をもった家門になったのかというのです。先生は趣味をもち、おもしろみを感じます。子供は父母の趣味が分からなければなりません。自然にそのようになるのです。父母を中心としてすべてのものが関係しているのです。父母を中心として趣味(喜び)を感じ、その趣味の環境においては、お互いが好む結果になるので楽しいのです。このようになります。 趣味(喜び)を感じなければなりません。先生がこのようにするのは、自分が好きだからするのですか? 大陸を越えて人類を救うためのものです。趣味の環境を多様に開発するのです。先生がすることは多様でしょう。運動もし、釣りもし、狩りもし、教育もし、政治家たちと会い、多方面に趣味をもっているのです。 多方面に趣味をもたなければなりません。自分が一つの趣味をもっていれば、一つの分野に関係を結ぶことはできますが、大部分のものとは関係をもてません。多方面に趣味をもって関係を結んだので、統一教会がこれくらい世界を管掌することができるのです。分かりましたか? 世界を自分の一つの活動舞台として考えるのです。それが自分が活動することのできる一生の舞台です。そのような関心をもたなければなりません。関心がないことに対しては、趣味とすることはできないのです。 男性は、女性がいなければ家庭に対する関心をもつことはできません。家庭に対する趣味をもつことはできないのです。必ず、相対がいるのです。相対の世界は、父子関係もおもしろみ、夫婦関係もおもしろみ、師弟関係もおもしろみ、すべて関係の世界です。関係の世界のすべてのものが、主体・対象関係です。そのすべてにおもしろみを感じれば、天国化され得るというのです。 そうしようとすれば、何がなければならないのでしょうか? 愛です。結婚にも愛がなければならず、事業にも愛がなければなりません。真の愛です。政治にも真の愛がなければならず、狩りにも真の愛がなければならず、全部そうです。 真の愛とは何かといえば、主体の前に対象として一つになるためのものです。神様は永遠の主体です。永遠の主体、創造主がつくったすべてのものを自分が楽しく返す、それが美をお返しするということなのです。 今皆さんは、十二時を過ぎたので仕方なく働くと考えるのですか? おもしろくて働いているのですか? 答えは何ですか? 義務と楽しみは違います。義務というものは、全体と関係を結ぶ環境的与件なのです。周辺と分かつことはできません。主体が違います。おもしろみというのは、家庭でのみ享受することのできる特権です。 夫婦関係、子女関係という相対関係、これは三位一体です。自分の家庭に家族がたくさんいれば、丸い顔、長い顔、広い顔、笑顔と、ありとあらゆる顔があります。そのようなものを全部知れば、人は十二とおりに現れるのです。自分を中心として十一の型(11の対象)があるのです。 人を見ればこの四つなのですが、形が少し違うだけですべて似ているのです。口が三つあるのを見ましたか? 鼻が横についているのを見ましたか? 眉毛、目、すべて似ています。しかし、個性があります。目もすべて同じではありません。それがおもしろいのです。特性が一つになって調和をなしているのです。自分が何だと批判できません。すべてのものが相対的与件で和合されており、調和しているので、批判せずに公認するのです。 今世の中では政治家たちが陰謀を企てて、自分が大統領になろうするのです。大統領をしたならば、楽しくすることができると思いますか? それが問題なのです。中心の責任者は趣味的環境として、閣僚に対するのも趣味で対し、だれがいつ来たとしても、春夏秋冬いつも同じように対してあげなければならないのです。おもしろみがなければなりません。個々人の人格を分析し、それを理解し、そこにおもしろみを感じなさいというのです。そうでなければ環境にいる人たちが落ちていくのです。 心で祈祷をもう一度してあげ、より考えてあげる人、そのようにしてくれる人に対して、おもしろみを感じます。会いたがるというのです。徹夜をしても会いたく、環境的な難しさがあったとしても会いたくなるのです。 きみたちは、先生に会いたいとき、ジャルジンが問題ではありません。行くその道が楽しいのです。外国に行って一年間苦労して、先生を見るとき……。そのような人は、堕落することができないのです。横道に行くことができません。天国は、おもしろみのある生活と連結されています。趣味生活とは違います。おもしろみを感じるときに、生命が復活するのです。生命が育つことができるのです。 それゆえ、労働者たちは汗を流して朝から夕方まで一日中仕事をしても、嫌ではありません。汗を流してそのようにして、「ああ、新陳代謝がどれくらいよくできるだろうか」と言うのです。 汚い都市で汚い水を飲んで汚い空気を吸い、汚い太陽の光を受けていたものが、神聖なる自然にやって来て、シャベルを持って、あるいはつるはしを持って、土を掘り汗を流し、よい水を飲み、よい空気を吸いながら太陽の光を受けることが、どれくらいおもしろみがありますか? 労働を一生懸命にした人は長く生きます。体力があるのです。 大概、長く生きる人は学者ではありません。頭を使い、テーブルに座って仕事をする人ではありません。苦しい仕事をすると、筋肉と骨が一つになります。骨に力を受けて和合するので、骨が弱くならない限り生きることができるのです。 責任を負った人は、おもしろみを感じてしなければならない 先生も監獄でそのような生活をしながら、一等の労働者でした。喜んでするのです。 朝五時に起きてご飯を食べて、昼食を食べる十二時まで、何時間ですか? 七時間です。昼食の時を待とうとすれば、それこそ立ち上がるのが難しいのです。朝集合して出ていく時間が七時なのですが、警護問題で体の検査をするのですが、八百名、千名近い人たちをしようとすれば、二時間以上かかります。 興南の寒い冬に、一枚重ねの服を着て震えるのを見れば、かわいそうです。そのようなことを知らないでしょう。風で砂利石が飛んでくるのです。一枚重ねの服を着て、ぺしゃんこになって座って……。どんな下着を着ているというのでしょうか……。一枚重ねの服なので、風に震えるのです。そのような話をすれば悲惨ですから、話さないでおこうと思います。それをおもしろみをもってしました。世の中のだれよりも楽しいと思わなければなりません。 そのように消化しようとするので、すべてが私を占領することができないというのです。監獄生活では、余暇の時間に詩をつくりました。 おもしろみを感じなければなりません。働くことに、おもしろみを感じなければならないのです。それゆえ、先生も朝に出かけ、ぱっと手をつければ、昼食の時まで他のことは考えません。おもしろみをもってするのです。普通の人は嫌がるので、六か月ももちません。おもしろみをもってしなければならないのです。それが成功の秘訣です。 全精力をすべて投入すれば、すぐにその環境で認めてくれます。嫌でやる人と、おもしろみをもってやる人では、違うではありませんか? かますのようなものを結ぶ場合も、先生はそこで一等の労働者になりました。競争して負けません。 夢のような話ですが、すべてのことを、おもしろみをもってするのです。趣味の内容として、おもしろみを感じなければなりません。どうですか? そのような観ができていなければなりません。自分が仕事をする場でも、趣味(喜び)をもたなければなりません。主体的な影響を及ぼすことができるように、おもしろみを感じなければなりません。そのように、模範的な生活をしなければならないのです。 仕事をするとき、一時間、わずかな時間でも、他人よりももっと仕事をしようとするのです。朝、一分でも早く出勤するのです。遅刻があり得るでしょうか? 五分、十分、三十分、より早く行って、昼にすべき仕事を整理してしまうのです。 その次にそこで研究して、自分の責任、職種、組織体などに関するすべての内容を理解するのです。新しい課題に対して責任を果たせなかったことに関心をもって、自分が見る観点で主体の責任を感じ、指示し、一時間一緒に仕事をするのです。そのようにして、息子・娘が全部仕事をすることにおもしろみを感じるならば、そのようにしなければならないのではないでしょうか? そのように生活をするようにすれば、心は分かるのです。人は霊物です。どこに行って何をするにせよ、おもしろみを感じなければなりません。 普通、釣りのようなものをすれば、さっと垂らせば楽しいのです。釣り竿を垂らすときも、関心をもって垂らせば、きちっとやって来て食いつくのです。心が魚のいる所を探すのです。分かりましたか? 天がそのように役事するのです。 天の道を築くのに、嫌々するところには天は共におりません。 監獄も楽しく、自分の人格修養の第二の訓練場と考えれば、朝から夕方まで全部自分のためになるのです。自分の発展のためにするのです。深い谷に出たり入ったりしながら、体験するのです。六か月過ごせば、刑務所であっても、そこのことがすべて分かります。それゆえ、趣味が楽しみになれば恐ろしいのです。 先生に対して、趣味をもっていますか? (「はい」)。では、先生に対して、おもしろみはもっていますか? (「はい」)。一番おもしろいのは何ですか? 一番は何、二番は何、三番は何ですか? 楽しみが多い人であればあるほど、その人は中心人物になるのです。 私はいったん手をつけようものなら、「このために生まれた! と思うのです。天職です。天職基盤を築くのです。そうすれば必ず、天がそのことに協助してくれるのです。おもしろみを感じてこそ、責任者として立つことができるのです。責任を負った人は、おもしろみを感じながらしなければならないのです。そうでしょう。それは絶体絶命の要件です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.26
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世界平和理想家庭教育本部の竣工・奉献式一九九八年七月一日、第八回「七・一節」を迎え、真のご父母様はブラジル、ジャルジンのニューホープファームにて、内外の著名人ら約三千名が参加する中、世界平和理想家庭教育本部の竣工と奉献式を挙行された。 開会の祈祷 天のお父様……、このジャルジンの地を中心として、第一回四十日修練会を新たに出発するとともに、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の土台を備えた一つの基準を立てます。この教育センターの地に集わせてくださったことに感謝いたします。修練会の参加者たちの歩みを祝福してくださいませ。気をもみながら責任を担ってきたすべての者たちが、彼らの願いが成就する一日をもって、歴史的な喜びの一日として残る今日の竣工式となるよう、切にお願い申し上げます。 ここに、お父様の前に奉献するにあたり、聖なるものとする聖別式を挙行いたしますので、これ以降、この地はお父様が所有権をもたれ、この地に来てこの地と共に関係を結ぶすべての人々、これを公にして祝賀するすべての人々、悪なるあらゆるサタン的な条件も、すべて神様の愛を中心として天運と関係を結ぶことのできる、幸福の基地となるようにしてくださり、希望の基地となるようにしてくださいよすよう切にお願い申し上げます。 今日、七・一節を中心とした竣工式と奉献式を執り行なうこの日を中心として、この聖別式をすることで、神様の所有の決定を宣布しようと思いますので、お受けくださるよう切にお願い申し上げます。この環境が連結して拡大し、すべての統一家の所有権と統一家の人々の上に天運が保護し育成してくださいますよう、今一度、お願い申し上げます。このすべての聖別式を挙行するにあたり、お受けくださることに感謝申し上げます。神様の愛と神様の恵みが、この式と共に永遠に全人類の幸福の基地を整え、家庭解放圏を築き、天国に直行できる教育の殿堂となるように祝福してくださいませ。神様が快くお受けくださることを願いながら、真のご父母様のみ名によって聖別、献納いたします。アーメン、アーメン、アーメン。 奉献祈祷 愛するお父様……、本日一九九八年七月一日、「七・一節」を記念して、このジャルジンの地において「世界平和理想家庭教育本部」を立て、竣工式と奉献式の式典を執り行ないます。これまで多くの人々の関心のもとに新しい建物がこの地に建築されてきました。その過程において多くの人たちが関心をもち、また噂を耳にして、世界中に知れわたったこの場所が、天の祝福の場所となり、南米全体の理想家庭の指導的人物を養成することのできる教育機関として、また、この基盤を中心として、南米で新しい教育と新しい家庭の行くべき道を開拓できる教育の殿堂として、既に竣工を終え、今日、奉献式を挙行いたします。 ここに所属し、関係するすべての人たち、彼らが精誠を尽くした土台、今後居住し活動できるすべての舞台が、あなたの愛と恵みの中で連結され、一つの世界、一つの地上天国・天上天国を中心とした、あなたの愛の主権と権限を養成し育て上げることのできる、すべての教育的、かつ実践的な基盤となるよう、祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。今日、この日のために集まったすべての人たちを祝福してくださり、ここを行き来する道を守ってくださり、ここに来て感じたすべてが彼らの生涯に変化をもたらし、環境的な家庭や国と国の上に影響を及ぼせるようにしてくださいませ。お父様……、霊界にいるすべての先祖たちを動員してくださり、直接管理して因縁を結び、勝利の一つの平和世界へと進むことのできる、そのような道へとせき立ててくださいますよう切にお願い申し上げます。 今日、このすべてを竣工を終えて奉献いたしますから、このひととき、お父様が快くお受けくださいませ。今日祝賀するすべての順序が、あなたの栄光と家庭の上に、祝福の道を開門する恵みの時間となり、基盤となるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。天の全面的な支援と、万民の全面的な支持と、食□たちの全面的な奉仕を通して一つの心情的な結実となり、理想的な男性と女性を中心として家庭形成の標準を立てるというこのみ旨が、今日から出発できるように祝福してくださることを切に願いながら、全体の万物万象が見つめるこの場において、真の父母のみ名によって奉献、宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 奉献式のみ言 主題 一心・一身・一体 「七・一節」を記念するこの日に、世界平和理想家庭教育本部の竣工式と奉献式に参加されたことを心より歓迎いたします。私たちは今までの道徳的な混乱、世界紛争、環境問題、犯罪に染まった二十世紀を清算し、希望の中で二十一世紀を迎えるべき歴史的な大転換期に立っています。人類は戦争と苦痛のない平和の世界を渇望しております。 しかし希望よりは、逆に激しくなる物質万能主義の傾向と共に、国家権力と宗教が好ましい影響を及ぼせない中、青少年たちの退廃、家庭の破綻、麻薬とエイズなどの問題は、人類の前途をいっそう暗いものとしています。高度の科学技術も、便利な情報通信の発達も、経済開発と政治的な努力も、人類の幸福と真の家庭を通した平和な世界をもたらすことができずにいます。 人類は長き歴史路程を通して、一度たりとも完全な幸福の真なる主人公にはなれませんでした。個人的にも、全体的にも、家庭はさらに多くの不幸を経験してきました。それでも人間は、放棄することなく、常に粘り強く幸福を追求してきました。なぜならば、神様は人間を真の家庭で幸福に暮らすようにつくられたからです。人間は、堕落によって罪と苦痛の生活を送ってきましたが、その本性においては本然の幸福な自我を追い続けてきたのです。 神様の真の愛の動機によって、その対象としてつくられた人間にとって、最も貴いものは真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。真の愛の根本目的は、真の愛とその対象である真の人です。絶対者である神様の前に、人間はいかにしてその相対的な立場に立つことができるでしょうか? 努力や外的な条件によってではありません。唯一、真の愛の因縁によってのみ可能なのです。主体と対象が完全な真の愛の因縁を結んだならば、一度で互いが同位権や同参権、相続権をもつようになるのです。 神様の真の愛の動機によって、その対象としてつくられた人間にとって最も貴いのは、真の愛を中心とした真の家庭を築くことでした。真の愛は人間の幸福の根本です。真の愛の中には無限の喜びがあり、無限の自由があります。真の愛の中で永遠の調和が実現されるのです。 神様は無形の主体であられ、人間は有形の実体対象です。神様は人間の真の愛の主体であり、真の生命の主体であり、真の理想の主体です。ですから、人間は真の愛の対象であり、真の生命と理想の対象になります。神様は創造主、父であられ、人間は真の愛によって、創造主たる神様ご自身の子女としてつくられました。本来、真の人は、心と体が常に神様の真の愛と一つになり、喜びの中に陶酔して生きるようになっていました。神様は、真の愛によって幸福に暮らす真の家庭をご覧になり、ご自身も喜びを感じるとともに、その人間と同居しようとして、人間を創造なさいました。神様は真の愛で人間と調和一体を成そうとされたのです。ところが、人間始祖が堕落してしまったのです。 人間の個体の中では、悪の欲望を達成しようとする邪心の指向性と、善の欲望を成就しようとする本心の指向性が、それぞれ別の欲望を前面に押し立てており、私たちは熾烈な闘いをしていることを感じながら生きています。私の体、私の心ではあるけれども、実は心と体に分裂している自らであるということが分かるのです。このように人間の心と体が葛藤する矛盾性があるのは、正に人間始祖の堕落によるものなのです。こうした心と体の分裂や相克は、家庭や社会、民族、国家、世界、天宙の分裂や紛争へと続いていきました。 堕落とは、サタンの利己的な偽りの愛によって、天道に背いたことであり、その結果として神様と真の愛を知らない無知に陥ってしまいました。こうして人間は、サタンに従って神様を失い、本来の価値も失ってしまいました。幸福の根本要因である真の愛を中心とした真の家庭を築くことができませんでした。そうして、創造本然の理想完成である心身一体を成す真の人間になれなかったのです。 すべての被造物は、愛の法度に従って創造され、また存在しています。人間の完成も知識や権力、または財力によるのではなく、真の愛によってなされるのです。真の人は真の愛の経験を通して、神様の根本的な真の愛に似た人格として完成するようになっています。個性完成というのは、心と体が一体の調和をなすことを意味します。人間は神様の真の愛の核と一致する立場にあるとき、心身の一体を成すようになっています。心と体が分かれない真の愛の土台の上で、生活的な授受作用を永続しながら、完全に神様も真の愛の人格として成就するようになります。心身の統一した基地をつくってこそ、その上に神様の真の愛の完成である真の家庭が安着します。 真の愛のみが、心身の理想的な関係を永遠に築くことができるのです。神様の真の愛が、心身統一の基地の上に臨めば、真の人は真の愛の門が大きく開いて、神様と宇宙の真の愛と共鳴するようになります。そのようになった真の人は、見て、聞いて、感じることが真の愛でないものがなく、自動的に無限の自由と喜悦の主人公となるのです。このとき、真の人は真の愛に酔いしれて、最高の芸術的な感情の中で生きるようになっています。真の愛の人格は、自然に相対世界と共に同化して、共に酔いながら、生活の中に美しさを体験しながら、前進的な創造目的を完成するのです。 このようになれば、神様の前に完全な対象体となり、神様の似姿となり、その真の愛を相続するようになります。神様が感じることをそのまま感じ、神様が好きなものをそのまま好むようになります。 人間にとって最も神聖で尊いものが真の愛です。真の愛は自分一人だけでは生じません。自己中心的なところでは生じません。真の愛は相対のため与え、また与えて、与えたことをすべて忘れ、また与えて、施しながら一つになろうとするものです。ですから、真の愛は、すべてを抱くようになります。真の愛は私個人の所有だけにはなりません。真の愛を相続すれば、私のものであると同時に万民のものであり、宇宙公認のものとなるのです。 神様の願いは、真の愛を人間と共に実現することです。神様はご自身の息子であり、最高の尊い被造物である人間と共に、心情世界において真の愛の喜悦と幸福を、永遠に分かち合いたいのです。 人間世界で真の愛を完成すれば、政治的、経済的、文化的、環境的に何の問題があり得るでしょうか? 真の愛の世界では、解決できない問題などありません。真の愛の世界は、まさしく歓喜と理想が充満した、自由と平和と幸福の世界なのです。真の愛の同位権、同参権、相続権によって、喜びと幸福が無限に、そして永遠に拡散する世界になります。今日、世界人類が抱えている数々の難問は、真の愛によってのみ根本的な解決が可能なのです。 人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得しながら相続するようになっています。真の愛によって生まれた人間は、真の父母の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛を順次体得しながら完成するのです。個体を見ると、心と体が一つになるところから、真の愛が出てきます。その次には心身一体となった完成した男女が、真の夫婦の真なる愛をなし、その次には彼らが真の神様の真なる愛と連結して、子女を真に愛せる真の父母にならねばならないのです。夫婦の心と体のうちに神様の愛が臨んで、その真の夫婦が一つになり、息子、娘を生むようになっています。そのようにしてこそ、完全な理想的家庭が築かれるのです。 父母の真の愛、兄弟の真の愛、夫婦の真の愛、子女の真の愛、このように四大愛を完成し、四大心情を体恤できる最小単位が、真の家庭なのです。ですから、真の愛は人間の真の愛と真の幸福の土台です。真の生命と真の血統が芽生える所となります。したがって真の家庭は、人間が創造本然の真の愛と真の人格を育む修練所であり、真の愛の学校です。 このような真の愛による真の家庭は、人類の願いであると共に、神様の創造目的の根本になります。こうした真の家庭から輩出される真の愛の真なる人格によってのみ、真なる社会・国家・世界の完成があり、すべての環境圏の創造理想が具現し得るのです。私が、常に地上での真の家庭天国を強調する理由もここにあります。真の家庭天国が築かれれば、自動的に地上天国が築かれるのです。真の家庭天国で完成した真の愛の人格は、社会、国家、世界に拡大し、不義と妥協せずに、常に為に生きる真の家庭として調和一体を成す真の人になるのです。 男性は陽性性稟、女性は陰性性稟として、神様の性稟を代表した主体と対象です。神様の創造理念は、両性の中和体としておられる神様の二性性相を分立し、再び神様の本性相に似た姿として合成一体化するのです。真の夫婦は神様の二性をそれぞれ代表しており、天と地を代表した立場で、互いに調和一体を成すために生まれました。つまり男性も女性も本来、自分のために自分を中心として生きるように創造されたのではなく、相対のために存在するよう創造されたというわけです。真の夫婦はそれぞれ相対のために生まれたということを明確に知らなければなりません。 真の愛は、一つになろうとするとき、絶対的な神様の真の愛が臨在するのです。真の夫婦は神様の真の愛を抱いて、合一した願いにより、未来世界に向かって歩んでいかなければなりません。子をはらむのも、家門が繁栄するのもこの基台の上でなされます。夫婦の真の愛が、生活環境圏を超えて神様の真の愛の理想と一致する家庭を築くことが、究極的な目標になるのです。堕落がアダム家庭で起きたので、本然の姿に戻るべき復帰の目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は世界と国を求めるために、民族と教会を求める前にご自身の対象を求め、一つの中心家庭を求めます。神様は歴史を通して、ご自身の理想的な対象となり得る真の家庭を探し求めてこられました。この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは根本的に内容が違います。神様を中心とした理想的な家庭を得られなければ、理想的な国や世界を得ることができません。本然の真なる家庭をまず立てるべき原則がここにあります。ですから、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの根本単位になるのです。 堕落がなかったならば、真の愛によってアダム家庭はどのように繁栄していたでしょうか? アダム、エバは真の愛による理想的な真の夫婦となり、さらには真の父母となり、その後孫と全人類の真なる先祖になったでしょう。アダム、エバを真の父母として侍り、繁殖した人類は、一つの大家族を築き、アダム文化圏の平和世界を築いていたことでしょう。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真なる家庭を探し立て、これを中心として編成されるのです。このとき、中心の真の家庭は、人類の願いであると同時に神様の願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の源となり、人類の平和と幸福の基点になります。 「蒔いたとおりに刈り取る」という言葉があります。人類始祖はサタンを中心とした偽りの愛によって、悪なる人格、悪なる夫婦、悪なる父母となり、悪と偽りの歴史をはらみました。今日に至って、これまで人類社会の道徳的な礎となってきた父子の因縁や、基本的な倫理道徳までが、すべて崩れてしまいました。動物よりも劣る背徳行為が相次いでいます。次第にその程度が激しくなっています。エデンの園で堕落によってまかれたために、そのような現象が歴史的、世界的に実を結ぶようになったのです。 本然の真の愛は、時代によって発展するのではなく、原型そのものが真であり、不変、永遠、絶対的なものです。ところが、人間始祖は成長期間内で未完成のまま堕落し、偽りの愛の始源となったのです。利己的で、悪なる偽りの愛をもとに積み上げた人類の文明は、このまま続くことはありません。このままではいけません。このままいったら、人類は滅びてしまいます。家庭の土台が崩れて子孫が根本的にだめになるというのに、外的な発展と物質的な豊さに何の意味がありますか? 歴史的な過ちと不条理を根本的に清算しなければなりません。人類に最も緊要なことは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な革命なくして、人類の幸福や平和な世界は期待できません。今日のさまざまな問題は、真の父母が中心となった真の家庭主義、神様の真の愛主義によって整理、収拾されねばなりません。 尊敬する指導者の皆様、私がこれまで世界的に繰り広げてきた平和運動と共に、真の愛主義の理念を真剣に研究、評価してくださるようお願い申し上げます。青少年に対する真の愛と純潔運動、そして国境、文化、人種、宗教を超越した真の愛による真の家庭運動を、教団の行事に過ぎないと考えてはなりません。 世界平和には、平和な国家がまず必要です。国家の平和は、家庭の平安が前提とならなければなりません。世俗的な人たちが一般的に願ってきた権力や富貴、知識などは、平和と幸福にとって必要な十分条件にはなりません。真なる幸福は、愛の所有に比例するものではなく、外的な生活の便利さによって左右されるものでもありません。それらが真の愛と共にあってこそ、真なる平和と真なる幸福を得ることができるのです。真実の平和も、限りなき幸福も、真の愛をもって人のために施すとき、そしてその施したものが全体をめぐって、再び返ってくるとき、確実なものとなるのです。 尊敬する指導者の皆様、これまで皆様は各分野で秀でた功績によって、人類の福祉と社会発展のため、大きな実績をあげられたことと存じます。もちろん、今後もその分野で、より大きく寄与されなければならないでしょう。しかし今、人類は、総体的な危機を迎えています。特定分野だけの備えや手立てでは足りません。指導者たちが時代の良心となって、積極的に模範を示しながら、平和世界の基本単位、前提条件である、真の家庭を創造して指導していかなければなりません。 去る六月十三日、私が執り行った三億六千万双の祝福結婚式、一億二千万双の第一次結婚儀式は、私が生涯を捧げて、理想家庭について教育してきた結実の一つです。祝福儀式に同参する人たちは皆、神様によって神様の真の愛を中心として、真の夫婦、真の父母となり、真の家庭を築く人たちです。平和世界の実現のために、真の家庭運動による歴史的な真の愛の革命は、着実に進められているのです。 親愛なる指導者の皆様、人類を家庭破滅の道から救うことよりも、深刻な問題が他にあるでしょうか? 世界の救いを目指す真の家庭運動に、積極的に同参されますよう重ねてお願いいたします。神様の真の愛が皆様と皆様の家庭、そして国と共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。 祝祷 南米全体の州が一つになり、教育を受けて、家庭的な理想の一つの殿堂としてまつられるように祝福してくださることを切にお願い申し上げます。さらにカトリック圏と新教圏が一つになって、この南北のアメリカのために統一的な役事を成すことのできる、大いなるあなたの願いであるみ旨を成就してさしあげる、なくてはならないカイン・アベル基盤の上に真の父母を立てて南北アメリカを統一し、南北アメリカを統一することによってすべての宗教を統一し、宗教を統一することで、外的な世界全体を統一し、天の前に、真の父母のみ名と共に、全世界の万民が一つになって全体を奉献するにあたり、解放の世界、勝利の世界、すべてが天と地に成就するように今一度、切にお願い申し上げます。すべてを神様と真のご父母様のみ名によって宣布いたします。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.24
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「世界平和理想家庭教育本部」落成時の御言1998年7月1日ブラジル・マットグロッソドスル州ジャルディン 第八回「七・一節」を迎えジャルディンに建設中の「世界平和理想家庭教育本部」が落成し、内外の著名人が参席、竣工式・奉献式が行われた。集まった二千人以上の聴衆を前に、真のお父様が韓国語で語られたもの。 「世界平和理想家庭教育本部」の竣工式と奉献式に参席されたことを心から歓迎いたします。 私たちは、深刻な道徳的混乱、世界紛争、環境問題、犯罪などに染まった二十世紀を清算し、希望の中で二十一世紀を迎えるべき歴史的な大転換期に立っています。人類は、戦争と苦痛のない平和な世界を渇望しています。 しかし、どんどんと強くなっていく物質万能主義の傾向とともに、国家権力と宗教が正しい影響を与えられない中で、青少年たちの退廃、家庭破綻、麻薬とエイズなどは、希望というよりはむしろ、人類の将来を一層暗いものにさせています。高度に発達した科学技術も、便利な情報通信の発達も、経済開発や政治的努力も、「人類の幸福」や「平和な真の家庭を通しての世界」をもたらすことができずにいます。 人類は、その長い歴史路程を通して、ある一時さえも完全な幸福の真なる主人公になることができませんでした。個人的、あるいは全体的に、家庭は多くの不幸を経験しながら歴史を経てきました。それでも人間は、いつでも放棄することなく、ねばり強く幸福を追求してきました。それは本来、神様が人間を幸福に、真の家庭で幸せに暮らすように造ってくださったからです。人間が、たとえ堕落によって罪と苦痛の生活をしてきたとしても、本性においては、本然の幸福な自我をずっと希求してきたのです。 神様の創造の根本目的は、「真の愛」とその対象である「真の人」です。絶対者神様のみ前に、人間はどのようにすれば、その相対的な立場に立つことができるのでしょうか? それは、労力や外的な条件でなされるものではありません。ただ真の愛の因縁でのみ可能なのです。主体と対象が完全な真の愛の因縁を結べば、一度に互いに同位権、同参権、相続権を持つようになるのです。 神様の真の愛の動機によって、その対象として造られた人間において、いちばん貴いことは、真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。真の愛は、人間を本当に幸福にする根本です。真の愛の中に無限の喜びがあり、無限の自由があります。真の愛の中で永遠の調和が実現されるのです。 神様は無形の主体であられ、人間は有形の実体対象です。神様は人間の真の愛の主体であり、真の生命の主体であり、真の理想の主体であられます。したがって、人間は真の愛の対象であり、真の生命と真の理想の対象になります。 神様は創造主、父であられ、人間は真の愛によって創造主であられる神様の子女として造られました。本来、「真の人」とは、心と体がいつも神様の真の愛と一つになり、酔いしれながら喜びの中で暮らすようになっていました。神様は、真の愛で幸福を喜ぶ真なる家庭をごらんになり、ご自身も無限な喜びを感じられると同時に、そこに同居するために人間を創造されました。神様は、真の愛によって人間と「調和一体」を成そうとされたのです。ところが、その人間始祖が堕落してしまいました。 人間は、その個体の中で、悪の欲望を達成しようとする邪心の指向性と、善の欲望を成就しようとする本心の指向性が、それぞれ異なった欲望を前面に立てて、熾烈な戦いを繰り広げるのを感じながら生きていきます。自分の体、自分の心ではあるのですが、気がつけば、心と体とに分裂している自らであるということを知ることができます。 このように、人間の心と体が葛藤する矛盾性は、まさしく人間始祖の堕落によるものです。このような心と体の分裂、相克は、家庭と社会、国家、世界、天宙の分裂と不幸につながってきました。 堕落とは、サタンの利己的な偽りの愛によって天道に背いたことであり、結果的には神様と真の愛が分からない無知に陥ったことです。こうして人間は、サタンに従って神様を失い、本来の価値をも失ってしまいました。幸福の根本要因である真の愛を中心とした真の家庭を成すことができませんでした。そうして、創造本然の理想完成である、心身一体を成す「真の人」となることができなかったのです。 すべての被造物は、愛の法度に従って創造され、また存在しているのです。人間の完成も知識や権力、あるいは財力によって成されるのではなく、真の愛によって成されるのです。「真の人」は、真の愛の経験を通して、神様の根本的な真の愛に似た人格として完成するようになっているのです。個性完成とは、心と体が一体調和を成すことをいいます。人間は、神様の真の愛の核と一致する立場にあるとき、心身が一体を成すようになります。 心と体が分かれることのない真の愛の土台の上で、生活的な授受作用を永続しながら完全に一つになり、真の愛の人格として成就するようになっています。心身が統一された基地をつくって初めて、その上に神様の真の愛の完成である真の家庭が安着します。 真の愛だけが、心身の理想的な関係を永遠に成立させることができます。神様の真の愛が心身統一基地の上に臨めば、「真の人」は真の愛の門がいっぱいに開き、神様と宇宙の真の愛と共鳴するようになります。そのようになった「真の人」にとっては、見るもの、聞くもの、感じるものの中で真の愛でないものがなくなり、自動的に無限に自由と喜悦の主人公になるのです。 このとき、真の人は真の愛に酔いしれ、最高の芸術的な情感の中に暮らすようになっています。真の愛の人格は、自然に相対世界と同化し、ともに酔いしれながら生活の中に美しさを体験しつつ、前進的な創造目的を完成します。このようになれば、神様の前に完全に対象体となって、神様に似るようになり、その真の愛を相続するようになるのです。神様が感じるものをそのまま感じ、神様が好まれるものをそのまま好むようになります。 人間において最も神聖で貴いものが真の愛です。真の愛は、自分一人だけで生じるのではありません。自己中心的なところからは生じません。相対のために与え、また与え、与えたことをすべて忘れ、また与え、施しながら一つになろうというのが真の愛です。 そのようなことから、真の愛はすべてのものを皆、かき抱くようになります。真の愛は、自分個人の所有ばかりではあり得ません。真の愛は、相続すれば、私のものであると同時に万民のものであり、宇宙の公認のものになるのです。 神様の願いは、真の愛を人間とともに成就することです。神様は、ご自分の息子、娘であり、最高かつ最も貴い被造物である人間と、心情世界において永遠に、真の愛の喜悦と幸福をともにしたいと思われます。 人間世界において真の愛を完成することに、政治的に、経済的に、文化的に、そして環境的に何の問題があり得るでしょうか? 真の愛の世界では、解決できない問題はありません。真の愛の世界は、すなわち歓喜と理想が充満した、自由と平和と幸福の世界です。真の愛の同位権、同参権、相続権によって喜びと幸福が無限に、そして永遠に拡散する世界になります。今日、世界人類が抱えている難問題は、真の愛の完成によってのみ根本的な解決が可能なのです。 人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得しながら成熟するようになっています。真の愛によって生まれた人間は、真の父母の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛を順次、体得しながら完成するのです。 個体についてみれば、心と体が一つになるところから真なる愛が現れるようになります。次に、心身一体を成した完成した男女が、真なる夫婦の真の愛で愛し合い、次に、彼らが真なる神様の真の愛と連結して、子女を正しく愛することのできる真なる父母にならなければならないのです。夫婦の心と体の中に神様の真の愛が臨み、その真なる夫婦が一つになって息子、娘を生むようになっています。そうしてこそ、完全な理想的家庭が築かれるのです。 父母の真の愛、兄弟の真の愛、夫婦の真の愛、子女の真の愛、このように四大愛を完成し、四大心情を体恤することのできる最小単位が「真なる家庭」です。ゆえに真の家庭は、人間の真の愛と真の幸福の土台であり、真の生命と真の血統が芽生える場所となります。したがって真の家庭は、人間が創造本然の真の愛と真の人格を育て上げる修練所であり、真の愛の学校です。 このような真の愛の真の家庭は、人類の願いであると同時に神様の創造目的の根本になります。この真の家庭から輩出される真の愛の真の人格によってのみ、真なる社会、国家、世界の完成があり、すべての環境圏の創造理想が具現され得るのです。 私が常に、地上における真なる家庭天国を強調する理由もここにあります。真なる家庭天国が築かれれば、地上天国が築かれるのです。真なる家庭天国で教育され、完成した真の愛の人格は、他の幸福を阻害したり環境と不調和を成しません。いつもために生きる真の愛で調和一体を成す真の人になるのです。 男性は神様の陽性性禀を、女性は神様の陰性性禀を代表した主体と対象です。神様の創造理念は両性の中和体としておられる神様の性相を二性に分立して、再び神様の本性相に似た姿へと合性一体化するのです。 真の夫婦とは、神様の二性をそれぞれ代表したのであり、天と地を代表する立場で互いに調和一体を成すために生まれました。すなわち、男性も女性も本来、自己のために、自己中心的に生きるように創造されたのではなく、相対のために存在すべく創造されたという話です。このように真の夫婦は、それぞれ相対のために生まれたということをはっきりと知らなければなりません。男性は女性のために、女性は男性のために生まれたのです。 真の愛は、一人では成されないと言いました。真の愛は、必ず相対的基盤を通して成されるのです。夫婦間の真なる愛は、自分の夫婦だけのためのものなのではなく、神様の創造理想を中心とした真の愛になります。絶対的な真の愛の主人は神様です。神様の真の愛によって自己の相対と一つになろうとするとき、絶対的な神様の真の愛が臨在するのです。 真の夫婦は、神様の真の愛を抱き、合一した願いによって未来の世界に向かっていかなければなりません。子女の懐胎も家門の繁栄もこの基台の上でなされます。夫婦の真の愛が生活環境圏を超えて、神様の真の愛の理想と一致する家庭を築くことが究極的な願いとなるのです。 堕落がアダム家庭から始まったので、本然の姿に戻る復帰の目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は世界と国、民族と教会を尋ね求める前に、ご自身の相対を尋ね求められ、一つの中心家庭を取り戻されます。神様は、歴史を通してご自身の理想的な対象になり得る真の家庭を捜し求めてこられました。 この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは根本的に内容が違います。神様を中心とした理想的な真の家庭を取り戻すことができなければ、理想的な国も世界も復帰することはできません。本然の真なる家庭を先に立てるべき原則が、ここにあります。したがって、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの根本単位になるのです。 堕落がなかったならば、真の愛によるアダム家庭は、どんなに繁栄していたことでしょうか? アダムとエバは真の愛による理想的な真の夫婦になり、さらに真の父母になって、その後孫と全人類の真の先祖になっていたことでしょう。 アダムとエバを真の父母として繁栄した人類は、一つの大家族を築き、アダム文化圏の平和世界を築いたことでしょう。したがって復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真なる家庭を捜し立てて、これを中心として編成されることでしょう。このとき、中心の真の家庭は、人類の希望であると同時に神様の希望です。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始まりとなり、人類の平和と幸福の基点となります。 「まいたとおりに刈り取る」という言葉があります。人類始祖がサタンを中心とした偽りの愛によって、悪なる人格、悪なる夫婦、悪なる父母から、悪と偽りの歴史としてまかれました。今の時は、これまで人類社会をかりそめにも支えてきた「父子の因縁」であるとか基本倫理道徳律までも、みな壊れてしまいました。動物にも劣る悖倫行為が相次いで起こっています。そしてだんだん、その程度がひどくなっていきます。それは、エデンの園において堕落によってそのようにまかれたので、その現象が歴史的、世界的に実を結ぶ収穫期になったという意味です。 本然の真の愛は、時代に伴って発展することもないし、そのままで完全なものです。原型そのままで真であり、不変、永遠、絶対的なものです。 ところが、人間始祖が成長期間の中で、未完成のままで堕落して、偽りの愛の始まりとなったのです。利己的であり、悪なる偽りの愛を土台にして積み上げられた人類の文明は、このまま続くことはあり得ません。このままではいけません。人類は滅びてしまいます。 家庭の土台が崩れ、後孫が根本的に誤っているというのに、外的な発展と物質的な豊かさに何の意味があるというのでしょうか? 歴史的な過誤と不条理は、根本的に清算しなければなりません。人類に最も緊急に必要とされることは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な革命なしに人類の幸福や平和な世界は望むことができません。今日の諸問題は、真の父母が中心となった真の家庭主義、神様の真の愛主義によって整理、収拾されなければなりません。 尊敬する指導者の皆様。私がこれまで世界的に展開してきた平和運動とともに、真の愛主義の理念を深刻に研究、評価してくださるようにお願いします。青少年に対する真の愛と純潔の運動、そして国境、文化、人種、宗教を超越した真の愛による真の家庭運動等を、教団的行事としてのみ、とらえてはならないはずです。 世界平和のためには、平和な国家が先になければなりません。国家の平和は、家庭の平安が前提とならなければなりません。世俗的な人たちが、一般的に願ってきた権力や富貴や知識は、平和と幸福の必要十分な条件にはなり得ません。真なる幸福は、愛の所有に比例するのでもなく、外的な生活の便利度に従って左右されるものでもありません。このようなものは、真の愛とともにあるときに、真なる平和と真なる幸福をもたらすようになるのです。真正な平和も、無限の幸福も、真の愛で人のために生きて施すときに、そしてその施したものが全体を回って再び戻ってくるときにのみ、確実にもたらされるようになるのです。 尊敬する指導者の皆様。これまで皆様は、各分野において並々ならぬ確信によって、人類福祉と社会発展のために大きな実績を上げておられることを知っています。もちろん、その分野で一層大きな寄与をなさらなければなりません。しかし今、人類は総体的危機を迎えています。特定分野だけの備えや処方では十分ではありません。指導者たちが時代の良心となって、積極的に模範を示しながら、平和世界の基本単位であり、前提条件である真の家庭を創造し、指導することに立ち上がらなければなりません。 去る六月十三日、私が執典した三億六千万双の祝福結婚式の第一次一億二千万双結婚儀式は、私が生涯をささげて理想家庭について教育してきた結実の一つです。祝福儀式に同参した人は、すでに神様に誓約し、神様の真の愛を中心として、真なる夫婦、真なる父母となって、真なる家庭を築く人たちです。平和世界の実現のために、真の家庭運動を通じての歴史的な真の愛の革命を滔々と進めているのです。 親愛なる指導者の皆様。人類を家庭破綻の道から救うこと以上に急を要することがどこにあるでしょうか? 平和世界に向かう真の家庭運動に積極的に同参されるように重ねてお願いします。 神様の真の愛が、皆様と皆様の家庭、そして国にともにあるように祈願いたします。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.24
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真のお母様 グランプリ 平和賞受賞2000年 6月23日 大韓民国ソウル市 ロッテワールド 民族博物館 『ファミリー』2000.8月号より:真のお母様の御言「世界児童平和美術大典」大会の辞 六月二十三日、韓国のソウル市内のロッテワールド民俗情物館で国連NGO(非政府組織)の世界平和教育者国際連合(IAEWP)韓国支部などが主催する「世界児童平和美術大典」が開かれました。 真のお母様は、その場に名誉会長として出席され、IAEWPが制定したグランプリ平和賞を受賞されました。IAEWPは一九六七年に米国で設立され、一九七三年に国連NGOとなり、現在、全世界百か国以上に支部を置いています。 このみ言は、その授賞式に先立って行われた「韓国動乱五十周年写真展および世界児童平和美術大典」のパンフレットに掲載された真のお母様の大会の辞を翻訳したものです。 (文責・編集部) 「韓同勤乱五十周年写真展および世界児竜平和美術大典」に参加してくださった内外の貴賓の皆様に心から感謝いたします。愛と平和の象徴である子供たちが平和統一を祈願して開かれる今回の美術大典は、いつにもまして貴重な意味を持ちます。 きらきらと輝く彼らの目を通して映し出された絵は、器量の面においては大人と差があるかもしれませんが、内容の面においては、むしろ分断の悲劇と平和にもとづく南北統一への熱望がよりいっそう真率に描かれています。 私は、夫である文鮮明総裁とともに、国内外の各分野において国際的な平和団体を設立し、生涯を南北統一と平和世界の実現のために努力してきました。地球上で唯一の分断国家として、南と北の統一は、単純に韓半島が一つになるということにとどまらず、共産主義と民主主義、唯物論と唯心論の葛藤が克服され、統一されるということを意味し、永遠の平和世界のモデルが誕生するということを意味するのです。 このような南北統一の成就のために何よりも重要なことは、真の愛の心とその実践です。このことだけが、さまざまな障壁を崩すことのできる土台となるからです。南と北の統一は、条件なく与えて、さらにまた与え、ために生きて、さらにまたために生きるという真なる愛の心があるときに可能なのです。 戦争と葛藤と暴力に染まった二十世紀を超えて、平和と和解と愛のあふれる二十一世紀を成し遂げるためには、わたしたち全員が子供のような純粋な愛の心で世の中を変えていかなければなりません。 わたしたちは、平和の秘訣を子供たちから見いだすことができます。子供の世界には闘争と分裂がありません。ただ平和と愛と純粋さがあるだけです。 それは、空のように明るく、海のように青い本性の願いどおりに生きるからです。子供たちのように真の愛を中心として生きていくとき、わたしたちの心と体が一つとなり、家庭の構成員が和睦し、国と国が和解し、地球村に人類大家族を実現した平和の世界が成し遂げられるでしょう。 この平和美術大典を通して、戦争の傷によって苦痛を受けるこの地の数多くの離散家族の痛みを慰労し、また祖国の統一を念願する情熱の炎を燃やす貴重な契機となることを願いながら大会の辞を締めくくりたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.24
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3億6000万双第1次世界祝福式祝祷1998年6月13日マディソンスクエアガーデン 愛する天のお父様。きょう、一九九八年六月十三日、天地が直視するこの聖なる場、マディソン・スクェア・ガーデン。この場を聖なる祝福の場として策定し、一億二千万以上が祝福の恩賜を受けることのできるこの聖なる時間を賦与してくださったことに心から感謝を申し上げます。 きょうのこの祝福は、今まで連ねてこられた祝福とは異なり、天地を解放するために、天地の統一的平和の道を開拓するために、霊界と肉界のすべての善なる人と悪なる人たちを集めて行われるものでございます。 エデンにおいてアダムとエバが堕落した種を蒔くことによって、神様の恨の歴史を生じさせ、偽りの父母の血統を中心とした、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統、サタンの血統を受け継いでしまいました。そればかりでなく、第一代の家庭であるアダム家庭で、長子カインがアベルを殺害して血肉戦を起こすという、悲惨な歴史から出発し編成された人類のすべての家庭でございました。 そして、家庭を越え、氏族において、カイン側が、アベル側、天の側を今まで犠牲にしてきましたし、蹴ってまいりました。家庭を越え、氏族を越え、民族を越え、国家を越え、世界を越えて、このようなカイン的権限をもち、サタンと共に神側の父、アベル的なすべての家庭と世界まで打って、血を流させた歴史的な怨恨の事実がございましたし、宗教歴史を通して、良心的な世界の人々が暮らす歴史の路程において血を流してまいりました。 アダム家庭で殺戮戦の兄弟関係と家庭破綻が始まり、神様にあってはならない悲痛な歴史の出発となりましたが、これを救援完成しなければならない長い期間を、本来の復帰すべき未来を見つめながら、個人的受難の道で打たれ、耐えてきて、家庭的受難圏、氏族、民族、国家、世界的受難圏でも打たれて勝利し、耐えてきながら、蕩減してきたのです。打たれて奪ってくる戦略で、サタンの前に今まで耐えてこられた神様に、全人類は感謝を捧げるものでございます。 このようなことを敬い、勝利の道を開拓するすべての宗教指導者を中心として、歴史時代にその足がかりを拡大するための犠牲の祭物として、すべての聖人たちも耐え、歴史的な世代を受け継ぎ、世界史的な統一の歴史をおつくりになるまで連なってきた先祖たちの前に感謝を捧げるものでございます。今や神様の勝利の圏を備えることのできるこの時代を迎えました。 今の時代を迎え、偽りの父母が蒔いた霊界から肉界のすべての実情の結果を清算するために、天は真のご父母様をこの地に送り、真の愛を中心として、汚された代々の血統を清算し、汚された国、汚された地上のすべてのものを清算し、神様の創造理想、神様と直系で通じることのできる、真の愛の血統を受け継ぎ、地上から天国に直行することのできる道をつくられました。 そして再び真の父母によって、個人的な塀、家庭、氏族、民族、国家、世界、天地の塀を完全に崩して、地上地獄を解放し、天国を開門したのでございます。真の父母が全人類の家庭を祝福して、アダム家庭で恨み多かったことを蕩減復帰し、天の眷属(一族)を率いて天国に入っていくうえで、霊界が歓迎することによって、解怨成就するために、サタン世界の頭目となるすべての人も、エデンで兄が弟を殺したそのことを世界史的版図に立て、復帰された兄を中心として、真なる神様と真なる父母の愛の心情をもち、長子の立場で今までサタンと共に生きてきたことを解放させるために、きょう、このような祝福の日を共に許諾してくださった恩賜を、天の前に感謝申し上げます。 お父様、今、霊界にいるすべての霊人、全世界の人々が、きょう、この場を追慕しておりますので、ここのイエス様を中心として四大聖人と数多くの善なる霊たちを、それだけでなくアダム家庭でなすことができなかった解怨成就のために、サタン圏内で代身したこのすべての人々を共に祝福してください。それによって彼らが天に仕え、サタンに反旗を翻すことによって、サタンを屈服させると同時に、天の祝福圏に同参するという、億千万代の受難の土台の上でもなすことができないことがなされるようになりました。 偽りの父母によって蒔かれた血統を取り去ることによって、真の父母の勝利の結果をもたらし、長子圏と次子圏、霊界と肉界が分かれたものをあなたの統一的愛の心情でもって、エデンの園で願われた所願成就を、世界的家庭圏に立って、天国に全人類と共に直行することのできる、解放の日として祝福することのできるこの時間を許諾してくださったことに心から感謝いたします。 イエス様を中心とした四大聖人、数多くの良心的人士、霊界の先祖たちが祝福されることによって、地上に連結されたその後孫はもちろん、そこに属した後継者まで解放圏を備えて、真のご父母様の解放的天宙開門の歴史に同参することのできる祝福をしてくださったことを、万民と共に、神様と真のご父母様の前に感謝を申し上げます。 きょう、この一億二千万双、三億六千万双を準備していくすべての道が人類と共に、地上天上開門において、神様が直接天国に直行できる高速道路をつくることができるよう、許諾してくださったことに、感謝、感謝、感謝申し上げます。 この日のすべての聖なる式典を直接主管なさり、無限の祝福、解放、永遠の自由を賦与され、勝利の天国に前進、前進、前進することをきょう、この祝福の席で万宇宙と人類全体、先祖、後孫全体の前に宣布いたしますので、その道に従って、天国の国民となり、天国の子女となるよう許諾してくださった恩賜に、本当に感謝しながら、この万事勝利の結果をなすことのできる時点となったことを、神様の名と真の父母の名で天と地全体万象の前に宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.23
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「地上・天上世界の解放圏」宣布一九九八年六月十三日、ニューヨークにあるマジソンスクエアーガーデンで三億六千万双の第一次祝福式が挙行された。この祝福行事では、喜進様の霊界祝福と、五大聖人の霊・肉界祝福式、天の側とサタン側を代表した三十四人の祝福を含め、九十二億人の霊界祝福がなされた。真のご父母様は祝祷を通じて、この祝福行事が万国、地上・天上世界の解放圏を宣布する「地上・天上解放祝福式」であると宣布され、全天地の統一、地上・天上天国の解放的な出発の起源とされた。 告文及び統一祝福式 万有の根本なる真の愛の本体であられる天のお父様、この日、真のご父母様を迎え、ここニューヨークのマジソンスクエアーガーデンと全世界、百九十五か国を連結し、一億二千万双が真の愛の夫婦として真の家庭を築こうと思いますから、神様が直々に執政して永遠なる真の愛の祝福を許諾してくださいませ! またこの式典で真のご父母様は、霊的には興進様の家庭とイエス様の家庭、肉的には私たち家庭を代表に立てて、地獄を含めた天上世界のすべての壁を取り壊す特別な恩赦を下します。この場において真のご父母様のみ名のもと、私たち代表家庭が霊人たちに予備祝福を行います。既に予備祝福した百六十億双の霊人たちまで含めて、引き続き行われる真のご父母様の祝福に備えるのでごさいます。漠然として不確実だった霊界の法度と内容を真のご父母様は完全に知っておられます。また霊界に大使を送られて、最高位の聖人たちから地獄にいる霊人にいたるまで会って事情を調べたり、教育するように指示されたりします。信じられないかもしれませんが、これは事実です。既にその内容が本として出版されました。 数多くの霊人たちの祝福のうちで、天側とサタン側を代表して三四双が特別に祝福を受けることになります。イエス、孔子、釈迦、マホメット、マリア、アダム、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、カレブ、洗礼ヨハネ、ソクラテス、スウェーデンボルグ、サンダーシンク、李承晩、金活蘭、朴マリア、朴正煕、アイゼンハワー、ニクソン、岸信介、福田赳夫、マルクス、レーニン、スターリン、毛沢東、金日成、ヒトラー、東条秀樹、ムッソリーニなどでございます。天の側の代表には、地上人を相対に迎えて祝福を受けるという特別な方々もおります。真の愛の祝福は、行き渡らないところがなく、善霊はもちろんのこと、地獄の門さえも開き、天国に向かって出発できる道を開いてくれる驚くべき恵みでございます。 地獄の門と天国の門が開かれ、上下の全霊界に連携されている善なる霊と悪なる霊が共に祝福を受け、既に祝福された善側の長子に従う、復帰された次子の立場に立たせるのです。神様は、長子のカインが弟のアベルを殺害するという罪悪の現場を、ただ見つめているしかなかったという悲しい恨を抱いてこられました。今や神様はその反対に地獄にいる怨讐たちまでも許し、祝福して、愛する長子に従うようにする真の愛の摂理をされるのです。 今回真の父母によって成される霊界と地上に対するこの歴史的な統一祝福儀式によって全宗教圏が和合し、霊肉共に一つの祝福圏を成し、霊界と肉界が解放圏を成して一つになるのです。ここに神様と真のご父母様を中心とした地上・天上天国時代を開門する、大転換的な祝福式を宣布いたします。 祝祷 愛する天のお父様……、今日、一九九八年六月十三日、天地が見つめるこの聖なる場所、マジソンスクエアーガーデンのこの場を聖なる祝福の場と策定して、一億二千万双以上が祝福の恵みを受けられるこの聖なる時間を与えられたことを心から感謝申し上げます。 今日のこの祝福は、これまで時代を下ってきた祝福とは異なり、天地を解放するため、天地の統一的平和の道を開拓するために、霊界と肉界のすべての善なる者、悪なる者を集めました。 神様の恨の歴史を招いた偽りの父母の血統を中心とした、偽りの愛・偽りの生命・偽りの血筋と偽りの良心の愛によって、サタンの血族を引き継ぐことによって、エデンの青少年たちがアダムとエバの堕落した種をまき、さらには初代の家庭であるアダム家庭で、長子のカインがアベルを殺害するという血肉戦を招いた、寒風の歴史の上に出発した先祖の家庭によって継続してきた全人類の家庭を超え、氏族におけるカイン側が、アベル側、神側を犠牲にし、打ってきながら、家庭を超え、氏族を超え、民族を超え、国家を超え、世界を超え、このようなカイン的な権限をもって、サタンと共に、神側のアベル的なすべての家庭と世界まで打って、血を流させた歴史的な怨恨の事実……、宗教歴史を通し、良心的な世界の人々が暮らす歴史を通して血を流してまいりました。 アダム家庭で殺される兄弟姉妹と家庭破綻のありさまを見つめる神様は、あってはならない悲痛なる歴史の出発と共に、それを救援し、完成し得る遥かな期間を、本来復帰すべき未来を見つめてこられました。個人的な受難の道で打たれて忍び、家庭的な受難の道、氏族・民族・国家・世界的な受難の道でも、打たれて克服しながら忍んで蕩減し、打たれて奪ってきたのでございます。そのようなサタンに対する戦略の前にこれまで耐えてこられた神様の前に、全人類は感謝申し上げます。 このようなことを掲げて、勝利者の道を開拓すべきあらゆる宗教の指導者を中心として、歴史時代のその足場を拡大するための、犠牲的な祭物として消え去ったすべての聖人たち……、創造歴史の代を継いで、世界史的な統一の歴史をもてるまで続いてきた先祖たちの前に感謝を捧げつつ、神様の勝利の足場を備えることのできるこの時代を迎えました。 この時代を迎えて、偽りの父母によってまかれた霊界から肉界にいたる、あらゆる失敗についての結果をすべて清算するために、天は真のご父母様をこの地上に送られ、真の愛を中心として汚れた血代を清算し、汚れた国と汚れた世の中のすべてを清算し、神様の創造理想が神様と直接に通じることのできる真の愛の血族を引き継いで、地上から天国に直行できるようになりました。 真の父母によって個人的な壁、家庭・氏族・民族・国家・世界・天地の人類の家庭を祝福して、アダム家庭で恨めしかったことを蕩減復帰し、天の眷属を率いて天国に入るにあたり霊界がそれを歓迎することによって……、彼らを解怨成就するためには、サタン世界の主犯である者たちも皆、エデンにおいて兄が弟を殺した因縁を世界的な版図に立て、復帰された兄を中心として、真なる神様と真なる父母の愛の心情をもって、これまで長子の立場でサタンと共に守ってきたものを解放しなければなりません。 今日、そのような祝福の日を共に許諾してくださった恵みを、天の前に感謝申し上げます。お父様……、今やすべての霊界にいる霊人、全世界の万民は、今日この場を見つめておりますから、ここにイエス様を中心として四大聖人と数多くの善霊、さらにはアダム家庭で成せなかったことを解怨成就するために、サタン圏内でこのすべての啓示を受けた者たちを、共に祝福してあげることによって彼らが天に抱かれ……、サタン世界に対して、サタンに対して反旗を翻すことで、サタンを屈服させるとともに、天の祝福圏に同参することとなりました。 億千万世の時間を通じてできない道を、偽りの父母によってまかれた偽りの血統を刈り取ることによって、真の父母の勝利的な権限をもって長子権と次子権、霊界と肉界が分かれたのを、統一的な精神の愛の心情、エデンの家庭で望んだ所願の心億……、世界的な家庭圏を超えて天国を全人類と共に直行できる開放の日、解放の日として祝福することのできる、この時間を許諾してくださったことを心から感謝申し上げます。 イエス様を中心とした四大聖人、数多くの良心的な人物、霊界の先祖たちが祝福を受けることによって、地上に連結したその子孫はもとより、その教団的な子孫までが解放圏を備え、真の父母の解放的な天宙開門の役事に同参することのできる祝福を許諾してくださいましたことを、万民を合わせて、神様と真のご父母様の前に感謝いたします。 今日、この一億二千万双、三億六千万双を準備する、このすべての者たちが、人類と共に地上・天上の開門にあって、神様が、天国に直行できる高速道路を築かせてくださったことを感謝、感謝、感謝いたします。この日のすべての聖なる式典を直接、主管なさって、無限なる祝福と永遠なる解放と永遠なる自由と勝利の天国に前進、前進、前進することを、今日、この祝福の場所において、全宇宙と全体の人類先祖、子孫全体の前に宣布いたします。 この道に従って天国の国民となり、天国の子女とならせてくださった恵みに心から感謝しながら、すべてを勝利の結果となり得る式典となったことを、神様と真の父母のみ名によって、天と地、全体の万象の前に宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン! み言 これまで全部で何双やりましたか? 三十六億双です。以前に九十八億と言いませんでしたか? ですから、五十億になるので……、百五十億です。百五十億になったそこにおいて、一〇パーセントを霊界で祝福すると、心の中で考えなさい。そこに付け加えて百六十億、サタンを解放するために霊界祝福をしてあげたという基準を立てておいて、それを今回、発表しなさい。 興進君とイエス様を呼んで、ずらっとその代表を、郭錠煥が聖人たちを中心として予備祝福してあげて、本祝福に加担させるのです。予備祝福をその式場でやらなければならないのです。ですから、全体を代表して郭錠煥が、自分の妻と二人で代表し、全体の解放圏の聖酒を飲むと考えなければなりません。そこに相対できる者、四人聖女ならば四人聖女を中心として、残りの者は郭錠煥が全体の前に天上・地上の解放圏を与えるようにしなさい。夫婦の因縁を結べる自由の解放圏のために、郭錠煥が真の父母を代身し、興進君とイエス様を代身して、第三の真の父母の前に、全世界の家庭連合の会長として予備祝福するようにしなさい。祝福されたすべての者たち、すべての聖人たち、霊界で百六十億を祝福したすべての者たちが、今回、正式にここに共に参席し、解放の宣布をされるのです。このような重要な時期であるということを、宣布しなければなりません。 そこに「サタン血統の断切」という二回を入れなければなりません。その基準を据えたので、サタンの根がなくなるのです。それがすべて兄弟です。神様を中心として、真の父母を中心として、兄弟の立場に立つのです。父母と兄弟の立場に立つので、そこにおいて真の父母は、霊界と肉界を総蕩減するために清算した、このような権威を中心として、神様の代わり、サタンの代わりに、すべての全権をもって決定できるので、こうした内容を決めるのです。 興進君の家庭とイエス様の家庭を代表して、郭錠煥の家庭が祝福することによって、全世界の新しい家庭が霊界と肉界の出発を始めるのです。それによって地上地獄・天上地獄の門が聞かれて、天国まで門が開かれて、誰でも祝福された者は、天上世界に入っていけるようになるのです。しかし、祝福を受けたからといって、カインが直接的にすぐに入っていけるというわけではありません。段階的に教育を受けて、発展過程を経るのです。いずれにせよ、地獄から天上世界に入れる過程のシステムは、霊界で教育を受けることで解放されるのです。 そして予備祝福は、その前にやるのです。式場で本祝福を始める前に予備祝福式をやるのです。ですから、第一式、第二式となります。第一式は霊界統一解放式です。霊界と肉界の統一、地上と天上天国の間に地獄があって、両世界をふさいでいます。天国に行くには数多くの怨讐たちの闘いの場があるのです。これが何かというと、神様とサタン、再臨主と実体の怨讐たち、この二つの群れが分かれて、決戦をやるのです。供え物を裂くのと同じです。 これを合わせるのが真の父母の仕事です。心と体が一つになり、夫婦が一つになり、神様と一つになり、真の父母と神様が一つになって、分かれたすべての息子と娘が祝福され、連合するのです。カインの群れとアベルの群れを一つにするのです。ですから、ここは(板書をされながら)悪党でしょう。この世で最高の悪党の群れを中心として祝福してあげ、一か所に集めるのです。カインはこれまでサタン世界で長子権を行使してきましたが、これからは真の父母を中心として、祝福を受けた三六家庭から全世界の三億六千万双を中心として、霊界を中心として連結させていくのです。 ここは数が合わなければなりません。地上の代表氏族を中心として、その背後に霊界がどんなに多くあっても問題ではありません。代表として祝福を受ければ、彼らは霊界で代表を通して祝福していくのです。そうして一つにして、祝福圏を地上・天上世界に立てることによって、天国に入れる門に向かい、解放者として教育を受けて、入るようになるのです。 (「お父様、具体的にその日、ご父母様が臨まれた後で、その式をやるのですか、臨まれる前にやるのですか?」)。私が祝福をしに出て来ます。出てくる前にその式をやり、それから祝福式をやるのです。(「それならば待機室におられる時にやるのですか?」)。違います。式場に真の父母がいなければなりません。(「ご父母様は『付き添い入場』の後で出て来られますが……」)。式場に出てきてから真の父母の前でやるのです。(「ご父母様が来られて、私が告文を読む時間があります」)。告文のその時間にやるのです。(「それでは、それは公式的に私が条件を立てて、心の中で祈祷しながらやらなければならないのですか、発表をするのですか?」)。宣布するのです。プログラムに入れなければなりません。プログラムの中間に入れて、「地上・天上解放祝福式」があると言って、宣布するのです。 どうして、それが必要なのでしょうか? 発表しなければなりません。四大聖人の相対が誰であるか発表するのです。郭錠煥が、地上で結婚して暮らした最初の妻、初愛の相手だった妻と相対できるようにしてあげるのです。全宇宙の人たちが、このような原則に従って、無限に霊界で祝福を受けられる特権を許諾してあげたのです。それで、興進君とイエス様に与えた特権よりも……、郭錠煥が霊界を祝福することのできる代身者となるのです。 興進君が全権を与えるのです。そしてイエス様も全権を与えるのです。この二人が祝福をして、郭錠煥を中心として三人が一つになって、地上で門を開いてあげるのです。そのようにすることによって、二人が天上世界においても門を開いて収拾し、真の父母に侍りながら入っていくようになっているのです。そのような基準を合わせるために、このような式が必要なのです。 ですから、まず四大聖人をはじめとして、三十三名を宣布したでしょう? ウルグアイに行って、イエス様を中心として三十三名です。イエス様まで含めて三十四名です。王として仕えられなかった三十三名の王、王として仕えるべきであったのに、仕えられなかったのです。それで三十四か国が一つになって、統一天下にできなかったことを、私がウルグアイに行って蕩減してあげるのです。全世界的にそのような組織をつくるように言いました。それで七百八十人の女性たち、六大機関に百三十名を中心として、これをすべて束ねておいたのです。それを今、韓国も他の国もできずにいます。。 ですから、今から国に戻って、三十三人をこのような原則で集めて、祝福してあげるのです。その次に、七百八十人の女性たちをその代表として祝福してあげれば、男性たちが自動的に回るのです。なぜ女性たちをそのようにするのでしょうか? 地上で先生の側近で侍っていた女性たちは、郭錠煥が霊界の誰かに関われば、そのとおりにしなければならないのです。霊界の人が中心ではないのです。 ですから、先生の側近で侍っていた玉氏のお母さんや承道女史、基完女史をはじめとして……元福女史の三位基台お母様の三位基台などはすべて連結しています。ところが、霊界に行っても一緒に暮らすことができないのです。そこで新たに相対を結んであげなければなりません。一対一なので、皆解いて新たに配置しなければなりません。整理しなければならないのです。 ですから、その者たちをここに集めておき、統一教会の霊界に行った人たちを皆集めておくのです。これまで、統一家において側近で過ごしてきた者たちは、どれほど迫害を受けてきたことでしょうか。夫や息子や娘から迫害されたのです。その夫が嫌いならば、やってあげないのです。あらゆる聖人たちと受けずに、自分の昔の夫が一番いいと言えば、そのようにしてあげるのです。先生の言うことに絶対服従して、先生の言ったとおりに従うならば、聖別し決定して、祝福するのです。 それで、服を三十三着準備したのです。イエス様は以前にやりましたから、三十三着を準備しました。三十三名の名前を呼んでもかまいません。名前を呼んで、それに合わせて祝福してあげればよいのです。そして、全世界の百八十五か国に三十三名を決定するように宣布したのです。各国で三十三名、国家代表に連結させることのできる総体的な人物をまとめるように言いました。そして七百八十名の女性連合の代表者をまとめて、その夫たちが三十三名を祝福するようにするのです。七百八十名さえこのようにすれば、国が一気に動くようになるのです。今回の祝福家庭を盾としながら宣伝し、各国家でこのような祝福をすれば、その国が完全に動くのです。 世界的に公文を送って何度も実践するように言いましたが、ヨーロッパはみなやりましたか? 女性たちを七百八十名選んで教育するのです。南米はみな終わりました。それはむやみにやったわけではありません。イエス様の恨を解かなければなりません。イエス様は三十三歳ですが、その三十三歳は何を意味するのでしょうか? 毎年、三十三か国がその国の王として侍らなければなりません。王の王なので、すべての国家が訪問して侍らなければならないのです。 幼い頃から、生まれながらにして、周辺国家の王たちが礼物を携えて訪ねてくるのです。イスラエルの国だけではありません。周辺にある三十三か国がすべて来なければなりません。イエス様が三十三歳ならば、本来三十四歳になるのです。三十四歳のために出発したのです。そのようにして三十四数が、三数と四数で七数になるのです。さらに三かける四は十二数、すべての数理の数となるのです。イエス様を中心として三十四名、三十四の王です。これを指すのです。そこで一つになっていたら、天下が統一されていたのです。イスラエルがそのような準備をして、各国の王をすべて招侍し、イエス様を中心に立てて侍っていったならば、どうしてイエス様が亡くなることがありましょうか? それができなかったのです。王として来られたのに、王として侍られなかったのです。 それで、先生の時代はどうですか? それまでは王として来たのですが、何ですか? 王として来たのではありません。統一天下の、地上・天上天国の権限をもって来たのです。百八十五か国が、国連に加入したすべての国家が……。私たちが百二十家庭を祝福するということは、百二十国を祝福するということです。……あの時に、そのようにすべてが侍るべきだったのです。それでこそ、イエス様の峠を越えて、世界が統一天下になるのです。それがすべて蕩減なのです。言ったとおりにやらずに皆勝手にやったのです。 それで今後、霊界祝福を宣布したら、問題が起きるのです。宗教界に問題が起きます。「文総裁が何の権限をもって私たちの教主を祝福するのか!」と言うのです。それは違います。その教主たちが実際に願っているのです。霊界で連結して呼んで、自分たちが願う相対、文総裁の前に相対と一つになって、解放されることを切に祈ったからです。自分たちが「今後、私は宗教団体の責任者として、私の団体すべてが祝福の恵みを受けられるように祈ります」と言ったのです。宗教団体の代表が祝福を受けることによって、天上世界の先祖たちも一つになって祝福を受けるので、地上にある宗教団体も祝福を受け、宗教が一つになるのです。真の父母によってです。経典は捨てられないので、今後はそこに統一原理、成約聖書を付加するのです。ですから数年間やって、皆祝福さえ済ませればすべてが終わるのです。経典やら何やら、すべてを中断して、成約聖書、キリスト教の伝統的な歴史によって、単一宗教圏として結実しなければなりません。宗教界は世界的な事件が多いのです。 李相軒氏も知らないのです。相軒氏も霊界に行って原理を中心として、合っているか否かを、踏査しながら照らし合わせて、間違いないので、これを真の父母の前に通告し、さらには、真の父母の手が及ばなかったことを連結しているのです。金日成がどうであるとか、共産世界がどうであるとか、第二次大戦の元凶たちは怨讐で、どのようになるかといったことが、すべて問題になるのです。それをまとめて、先生が全般的な原理の観点から治めてあげなければならないのです。それが結論です。 郭錠煥、宣布式をする前に祈祷するようになっていますね?(「はい、告文です」)。告文。地上に告げるのです。三十三人の代表として、十二人が連結されます。イエス様まで含めれば三十四人です。イエス様が同参するので、三十四人でもかまいません。 ですから、生まれながらにして王として対されず、恨の歴史を残しませんでしたか? それを解いてあげ、そのようにできる立場で、そのような話をする必要はないのです。イエス様まで合わせて三十四人です。もしその数が満たなければ、十二名の代表をしてもかまいません。その相対となるので二十四種類です。十二支派を中心として、天上路程に二十四路程となったので、その数を合わせるために十二数だけ合わせてもかまいません。三十三人、イエス様を中心として十二弟子さえ一つになったならば、天上天下・地上天下が統一される基台となるのです。(二九四-四七、九八年六月五日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.21
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真の家庭と世界平和日付:一九九八年六月十一日場所:アメリカ、ニューヨーク、ウォルドルフ・アストリア・ホテル行事:一九九八世界文化体育大典 著名な学者の皆様、尊敬する宗教指導者、そして各界の指導者の皆様。「真の家庭と世界平和」という主題のもとに進められるこの特別会議に御参席くださったことを、心から歓迎いたします。 私たちは、深刻な道徳的混乱、世界紛争、環境問題、犯罪などに染められた二十世紀を清算し、希望の中で二十一世紀を迎えるべき歴史的な大転換期に立っています。人類は、戦争と苦痛のない平和の世界を渇望しています。しかし希望よりも、かえって次第に悪化していく物質万能主義の傾向と共に、国家権力と宗教が正しい影響を及ぼせない中で、青少年の退廃、家庭破綻、麻薬とエイズなどが、人類の将来をさらに暗くしています。高度に発達した科学技術も、便利な情報通信の発達も、経済開発と政治的努力も、人類の幸福と平和な真の家庭を通した世界をもたらすことができずにいます。 真の愛の創造理想 人類は長い歴史路程を通して、ある一時も、完全な幸福の真の主人公になれませんでした。個人的にも全体的にも、家庭は多くの不幸を経験しながら過ごしてきました。それにもかかわらず、人間はいつも諦めずに、粘り強く幸福を追求してきたのです。それは本来、人間が幸福に生き、真の家庭の中で豊かに暮らすように神様が造ってくださったからです。人間は堕落の罪によって苦痛の生活をしてきましたが、その本性においては本然の幸福な自我を希求し続けてきたのです。 それでは、真の幸福の本質とは何でしょうか。神様は何によって、人間が本当に幸福になるようにしてあげようと思ったのでしょうか。神様は真の愛の本体であられます。神様は真の愛の理想ゆえに、無限に投入しながら創造をされました。真の愛は一人で、独断的にするものではありません。主体と対象の関係を通して、成就できるものなのです。したがって、愛を成就して体恤するためには、神様も主体と対象の関係を結ばなければならなかったのです。正にそれが、真の家庭でした。 堕落によって失われた真の愛 神様の創造の根本目的は、真の愛とその対象である真の人です。絶対者である神様のみ前に、人間はどのようにしてその相対的な立場に立てるのでしょうか。努力や外的な条件によってではありません。ただ、真の愛の関係によってのみ可能なのです。主体と対象が完全な真の愛の関係を結べば、一度に同位権、同参権、相続権を互いにもつようになるのです。 神様の真の愛の動機により、その対象として造られた人間にとって最も貴いものは、真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。真の愛は、人間を本当に幸福にする根本です。真の愛の中に無限の喜びがあり、無限の自由があります。真の愛の中で、永遠の調和が成し遂げられるのです。 神様は無形の主体であられ、人間は有形の実体対象です。神様は人間の真の愛の主体であり、真の生命の主体であり、真の理想の主体です。したがって、人間は真の愛の対象であり、真の生命と真の理想の対象になります。神様は父なる創造主であられ、人間は真の愛によって一つの体となる、その方の子女として造られたのです。 本来、真の人は心と体がいつも神様の真の愛を中心として一つになり、それに酔って喜びの中で生きるようになっていました。神様は真の愛によって幸福を感じる真の家庭を御覧になり、御自分も無限の喜びを感じると同時に、共にお住まいになろうとして、人間を創造されたのです。神様は真の愛によって人間と調和一体を成し遂げようとされたのです。ところが、人間の先祖が堕落してしまいました。 人間は個体の中で、悪の欲望を達成しようとする邪心の指向性と善の欲望を成就しようとする本心の指向性が、それぞれ異なる欲望を前に立てて、熾烈な闘争を繰り広げていることを感じながら生きていきます。私の体と私の心なのですが、気づいてみれば、体と心が対立している自分であることが分かるのです。このように人間の体と心が葛藤する矛盾性は、正に人間の先祖の堕落のためです。このような体と心の分裂、衝突は、家庭と社会だけでなく、国家、世界、天宙の分裂と不幸として続いてきたのです。 堕落とは、サタンの利己的な偽りの愛によって天道に逆らったことであり、結果的には、神様と真の愛が分からない無知に陥ったことです。こうして人間はサタンに従い、神様を失って、本然の価値も失ってしまったのです。創造本然の理想完成である心身一体を成し遂げた真の人になれず、幸福の根本要因である真の愛を中心とした真の家庭を築けませんでした。 心身の統一基地 すべての被造物は愛の法度に従って創造され、また存在しています。人間の完成も、知識や権力、もしくは財力によって成し遂げられるのではなく、真の愛によって成し遂げられるのです。すなわち、真の人は、真の愛の経験を通して、神様の根本的な真の愛に似た人格として完成するようになっているのです。個性完成とは、心と体が一体となって調和することを意味します。人間は神様の真の愛の核と一致する場にいるとき、心身が一体となるのです。 心と体は、神様の真の愛の基盤の上で、生活を通して授受作用を永続しながら完全に一つとなり、真の愛の人格を成就するようになっています。心身が統一基地をつくってこそ、その上に真の愛の完成である真の家庭が安着するのです。真の愛だけが、心身の理想的な関係を永遠に成し遂げられるというのです。心身統一の基地の上に神様の真の愛が臨めば、真の愛の門が大きく開き、真の人は神様と宇宙の真の愛と共鳴するようになります。そのようになった真の人は、見て、聞いて、感じるもので真の愛でないものがなくなり、自動的に無限の自由と喜悦の主人公になるのです。 このとき、真の人は真の愛に酔い、最高の芸術的情感の中で暮らすようになっています。真の人の人格は、自然な形で相対世界と情によって同化し、共に酔いながら生活の中で美しさを体恤しつつ、全体的な創造目的を完成するのです。このようになれば、神様のみ前に完全な対象となり、神様に似て、その方の真の愛を相続するようになるのです。神様が感じることをそのまま感じ、神様が喜ぶことをそのまま喜ぶようになります。 人間にとって最も神聖で貴いものが真の愛です。真の愛は、自分一人だけでは生じません。自己中心的なところでは生じないのです。真の愛は、相対のために与え、また与え、与えたことをすべて忘れ、また与えて施しながら、一つになろうとするのです。ですから、真の愛はすべてのものを抱くようになります。真の愛は、私個人だけの所有にはなりません。真の愛を相続したのちには、私のものであると同時に万民のものであり、宇宙共有のものになるのです。神様の希望は、真の愛を人間と共有することです。神様は御自身の息子、娘であり、最も高く最も貴い被造物である人間と、心情世界において真の愛の喜悦と幸福を永遠に共有したいと思われるのです。 真の愛の完成 人間世界において真の愛を完成すれば、政治的や文化的、環境的に何か問題があり得るでしょうか。真の愛の世界では、解決できない問題がありません。真の愛の世界は、すなわち歓喜と理想が満ちあふれた自由と平和と幸福の世界です。真の愛の同位権、同参権、相続権によって、喜びと幸福が無限に、そして永遠に拡散する世界になるのです。今日、世界人類が抱いている難問題は、真の愛の完成によってのみ、根本的な解決が可能です。 人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得しながら成熟するようになっています。真の愛によって生まれた人間は、真の子女の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の父母の愛を順番に体恤しながら、完成するのです。 個体について見れば、心と体が一つになるところから真の愛が現れます。その次に、心身一体となった完成した男性と女性が真の夫婦の真の愛を交わし、その次に、彼らが真の神様の真の愛と連結して、子女を正しく愛する真の父母にならなければなりません。夫婦の心と体の中に神様の真の愛が臨み、その真の夫婦が一つになって、息子、娘を生むようになっているのです。そうしてこそ、完全で理想的な家庭ができるのです。 父母の真の愛、夫婦の真の愛、兄弟の真の愛、子女の真の愛など、四大愛を完成し、四大心情を体恤できる最小単位が真の家庭です。したがって、真の家庭は人間の真の愛と真の幸福の土台であり、真の生命と真の血統が芽生える所となります。ですから、真の家庭は人間が創造本然の真の愛と真の人格を育て上げる修練所であり、真の愛の学校なのです。このような真の愛の真の家庭は、人類の願いであると同時に神様の創造目的の根本になります。この真の家庭から輩出される真の愛の真の人格によってのみ、真の社会、国家、世界の完成があり、すべての環境圏の創造理想が具現されるのです。 私が常々、地上における真の家庭天国を強調する理由もここにあります。真の家庭天国が形成されれば、地上天国が形成されるのです。真の家庭天国で教育され、完成した真の愛の人格は、他人の幸福を阻害したり、環境と不調和を起こしたりはしません。いつでもために生きる真の愛によって調和一体を成し遂げる、真の人になるのです。 男性は神様の陽性の性稟を、女性は神様の陰性の性稟を代表する主体と対象です。神様の創造理念は、両性の中和体としていらっしゃる神様の性相を二性に分立し、再び神様の本性相に似た姿に合性一体化することです。真の夫婦は神様の二性をそれぞれ代表しているのであり、天と地を代表した立場で互いに調和一体を成し遂げるために生まれたのです。すなわち、男性も女性も、本来自分のために、自己中心的に生きるように創造されたのではなく、相対のために存在するように創造されたということです。真の夫婦はそれぞれ、相対のために生まれたことをはっきりと知らなければなりません。 真の愛は、一人では実現されないと言いました。真の愛は必ず相対的基盤を通して実現されるのです。夫婦間の真の愛は、自分たち夫婦のためだけのものではありません。神様の創造理想を中心とした真の愛です。絶対的な真の愛の主人は神様です。神様の真の愛によって、自分の相対と一つになろうとするとき、絶対的な神様の真の愛が臨在するのです。 真の夫婦は、神様の真の愛を抱き、合一した希望をもって未来の世界に向かって進まなければなりません。子女の誕生も、家門の繁栄も、この基台の上で可能になるのです。夫婦の真の愛が生活の環境圏を越え、神様の真の愛理想と一致する家庭を完成することが、究極的な願いになるのです。 家庭の重要性 堕落はアダム家庭から起きたので、本然の姿に戻っていく目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は世界と国を求める前に、民族と教会を求める前に、御自身の相対を求め、一つの中心家庭を求めます。神様は歴史を通して、御自身の理想的な対象となる真の家庭を訪ねてこられました。この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは根本的に異なります。神様を中心とした理想的な真の家庭を探し出せなければ、理想的な国と世界も探し出せません。本然の真の家庭を先に立てる原則がここにあるのです。ですから、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの基本単位になるのです。 堕落がなかったならば、真の愛によるアダム家庭は、どのように生み殖えたでしょうか。アダムとエバは、真の愛による理想的な真の夫婦となり、さらには真の父母となって、その子孫と全人類の真の先祖になったでしょう。 アダムとエバを真の父母として生み殖えた人類は、一つの大家族を形成し、アダム文化圏の平和世界を成し遂げたでしょう。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真の家庭を探し立て、これを中心として編成されるのです。このとき、中心である真の家庭は、人類の願いであると同時に、神様の願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始原となり、人類の平和と幸福の起点になるのです。 真の愛の革命 「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六・七)という言葉があります。人類の先祖がサタンを中心とした偽りの愛によって、悪の人格、悪の夫婦、悪の父母から、悪と偽りの種が蒔かれたのです。今の時代は、それでもこれまで人間社会を支えてきた父子の関係や基本倫理、道徳律までもがすべて崩れてしまいました。動物よりも劣る破倫行為が起こり続けています。その程度がひどくなっていくのです。エデンの園における堕落によってそのように植えられたので、その現象が歴史的、世界的に実を結ぶ収穫期になったという意味です。 本然の真の愛は、時代による発展もなく、そのままで完全なものです。原形そのものが真であり、永遠、不変、絶対的なものです。ところが、人間の先祖が成長期間において未完成のまま堕落し、偽りの愛の始原を形成したのです。利己的で悪の偽りの愛を土台として積み上げた人類文明は、このまま続くことはできません。このままではいけません。人類が滅んでしまうのです。 家庭の基盤が崩れ、子孫が根本的に誤っていくのに、外的な発展と物質的な豊かさに何の意味がありますか。歴史的な過ちと不条理は、根本的に清算されなければなりません。人類にとって最も至急に必要なものは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な変革なくしては、人類の幸福や平和な世界は望めません。今日の問題は、真の父母が中心になった真の家庭主義、神様の真の愛主義によって整理されなければなりません。 尊敬する指導者の皆様。私がこれまで世界的に展開してきた平和運動とともに、真の愛主義の理念を深刻に評価してくださることをお願いします。青少年に対する真の愛と純潔運動、そして国境、文化、人種、宗教を超越した真の愛による真の家庭運動などを、統一教会の教団的行事としてのみ考えてはいけません。 世界平和は、平和な国家がまずあってこそ、実現されます。国家の平和は家庭の平安が前提でなければなりません。世俗的な人々が一般的に願ってきた権力や富貴や知識が、平和と幸福の必要十分条件にはなり得ません。真の幸福は、所有に比例するのでもなく、外的な生活の利便さによって左右されるのでもありません。このようなものが真の愛と共にあるとき、真の平和と真の幸福を得るようになるのです。本当の平和も無限の幸福も、真の愛で他のために生きて施すとき、そしてその施したものが全体を巡って再び訪ねてくるときにのみ、確実に得られるのです。 尊敬する指導者の皆様。今に至るまで皆様は、各分野において並外れた信念をもって、人類の福祉と社会発展のために大きな実績をもって寄与してこられたことを知っています。もちろん、その分野においてさらに大きく寄与されるでしょう。しかし今、人類は総体的に危機の時代を迎えています。特定分野だけの備えや努力だけでは足りません。指導者たちが時代の良心となり、積極的に模範を見せながら、平和世界の基本単位であり前提条件である真の家庭を創造し、指導するために進み出なければなりません。 十三日に私が執り行う三億六千万双祝福結婚式の第一次儀式は、私が生涯を捧げ、理想家庭に対して教育してきた結実の一つです。祝福儀式に同参する人は、既に神様のみ前に婚約し、神様の真の愛を中心として真の夫婦、真の父母となり、真の家庭を築く人々です。平和世界の実現のために、真の家庭運動を通した歴史的な真の愛の革命を勢いよく進行しているのです。 親愛なる指導者の皆様。人類を家庭破綻の道から救うことよりも、さらに急がれることがどこにあるでしょうか。平和世界に向かう真の家庭運動に積極的に同参してくださることを重ねてお願いします。 神様の真の愛が皆様と皆様の家庭、そして国と共にあることをお祈りいたします。誠にありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.20
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第2回公開シンポジウム_「二世と有識者による”反日カルト”批判についての考察」参院本議会で世耕幹事長は、「『日本人は贖罪を続けよ』として多額の献金等を強いてきたこの団体の教義に賛同するわが党議員は1人もいません」と断言しました。”家庭連合の歴史認識は極端に韓国寄りである””韓国に対する「贖罪意識」を動機として多額の献金を行ってきた””韓国や北朝鮮の工作機関ではないか”保守層から“反日カルト“と言われることは、私たち二世にとって、衝撃的な出来事でした、教会の教えが“反日”だと思わない事はもちろん教会で「自国を愛する」という精神を学び、日本のために祈る親の姿を見てきたからです。しかし、日本と韓国の歴史問題については 教会内でも様々な意見がある中、これからの未来のために、世間からの指摘に向き合い、学び考える必要があると感じています。未来の教会はどう行動し、どうあるべきなのか、議論を重ね検討し続けていきたいです。その第一歩として、「信者の人権を守る二世の会」が主催となり、6月18日(日)シンポジウムを開催致します。▼シンポジウム「二世と有識者による”反日カルト”批判についての考察」感想フォームです。本日のシンポジウムのご意見ご感想をお聞かせください。よろしくお願いいたします。https://forms.gle/9h89GzXYzQES1Ws36一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.18
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「奉献転換式」宣布一九九八年五月二十六日(陰暦五月一日)、米国のベルベディア国際修練所で、約五百名の食口が参加する中、第三十六回「真の万物の日」の記念礼拝が行われました。この礼拝で、真のお父様は「すべての存在と歴史的事件の主人は神様であられる」という主題でみ言を語られ、午後二時を期して「奉献転換式」を宣布なさった。 式前の準備 この日の宣布式には、真のお父様の指示によって、父の国の韓国代表十二名が最前列に立ち、母の国の日本代表四十名、三人の娘にあたる台湾・フィリピン・カナダの代表がそれぞれ十二名ずつその後ろに並んで立ち、長子国のアメリカ代表四十名は、彼らを取り囲むようにして立った。それ以外の人たちは皆外に出され、真のお父様は「奉献転換式」の祝祷をされた。 み言 「すべての存在と歴史的事件の主人は神様なり」。この題目は大きいのです。そこには欠けているものがありません。では、世の中に関してはどうなるでしょうか? また、悪に関してはどうなるでしょうか? 悪に関しても神様が主人でしょうか? 歴史的な事件といえば、そこには悪も含まれ、善も含まれているのです。 神様のみ旨が完成した世界になれば、地獄の主人は誰になるでしょうか?(「地獄はありません」)。地獄がないとはどういうことですか? 刑務所は地獄と似たような所ですが、アメリカには刑務所がありませんか? その地獄はアメリカの所有ですか、他の国の所有ですか? アメリカの所有なのです。 それと同じように、神様がつくられた万物は、すべて神様のものにならなければなりません。良きにつけ悪しきにつけ、神様の所有圏内になければならないという結論になるのです。ですから、地獄も神様のものにならなければならないのです。 では、地獄の主人は今誰でしょうか? サタンです。そのサタンは、もともとサタンになる前は誰のものでしたか? 神様のものでしたか、サタンのものでしたか? 神様のものでした。神様が完全にすべての主人であれば、すべては神様のものとして返らなければならないのです。 今日は「真の万物の日」です。今までは自分のものと思っていました。私に属するすべての土地や家は、私のものであると考えてきたのです。皆さんの夫、皆さんの妻、皆さんの息子や娘を、我が息子、我が娘、我が妻、我が夫と考えて、自分勝手にやってきました。それらが堕落後に継承された存在であるということを、はっきりと知らなければなりません。 それを整備するために、私たちが知らない中で、神様が数千年間も役事されてきたということを知らなければなりません。ですから、私たちは所有権を否定しなければなりません。万物をすべて否定しなければなりません。万物をサタン世界で否定しなければならないのです。神様はそのまま取り戻すことができないので、万物を半分に裂いて所有権を決定するという祭物の時代があったのです。神様は強制的に奪ってくることができないのです。 旧約時代は所有権を否定するための時代です。所有権を否定して、神様の所有とサタンの所有を決定するための条件物が祭物なのです。条件物は所有権を決定するためのものであるということを知らなければなりません。半分以上を占領して、その占領した世界に神様の息子と娘を送り、その世界を相続するというのが神様のみ旨なのです。 ですから、旧約時代は万物を犠牲にした時代です。万物を供え物として、神様の所有を取り戻そうとしてきたのです。供え物とは何ですか? 原理ではどのように教えていますか? サタンのものを半分に分けて、所有権を決定するためのものです。それを祭壇を通して神様の前に捧げるのです。民を二手に分けて、祭司長が一つとなって、神様の前に二つとも捧げなければならないのです。分かれた祭司長と民が一つになることによって、分けられた供え物と民が一つになるのです。この二つが一つになることによって、神様の所有権が決定されるのです。こうした概念があるということを知らなかったのです。 供え物を誰が殺しますか? 誰が殺すのですか? 祭司長が殺すのです。祭司長は屠殺者です。この世から見たら、唾を吐かれるような存在なのです。供え物はプラスとマイナスです。民の代わりに殺して捧げた供え物と祭司長とが一つになれなかったので、一つにならなければならないのです。供え物のプラスとマイナス、そして民と祭司長が一つにならなければならないのです。縦横に一つになってこそ、神様が所有することができるのです。ですから、神様の息子が来て所有することのできる地、つまり王権を立てていくのです。王権をつくっていくのです。 旧約時代には、供え物を捧げる法をどれほど厳格に守ったことでしょうか! 供え物を捧げるということは、神様の息子、つまり天国の王者を迎えるということだったのです。神様の息子を迎えるのです。サタンの息子ではありません。サタン世界には神様の息子はいないのです。サタンの息子に来いと言うのではありません。神様の息子を迎えられるイスラエル選民の王権基盤をつくらなければならないのです。 その王として遣わされたのがメシヤです。ですから、そのメシヤの前に民が一つにならなければなりません。ユダヤ教はアベルであり、ユダヤの国はカインです。そのカインとアベルが一つにならなければなりません。一つになって、イエス様を国の王として、仕えなければならないのです。ユダヤ民教は蘇生、ユダヤ教は長成、イスラエルの国王は完成です。ですから、民と祭司長と王が一つにならなければなりません。 民は家庭をもつようになり、父母となって、王の位置に上がらなければなりません。天の位置、真の父母となって王権を回復するのです。ですから、イスラエルの民は、家庭をもって教会と一つになった後で国と一つになり、イエス様を王として、仕えなければならなかったのです。家庭の王、教会の王、それから国の王を復帰しなければならなかったのです。それをしっかりと理解しなければなりません。 これから統一教会は、長子権時代と父母権時代を過ぎて、王権時代に入るのです。ですから、その手続きを踏むべき時が来ました。さきほども話しましたが、先生のお尻に何がぶら下がっていると言いましたか? 旧約時代、新約時代、成約時代、王権時代がぶら下がっているのです。王権時代に神の国を立てたならば、すべてはまず王の所有にならなければなりません。 真の父母が現れてどうなるのでしょうか? 未来の王権を代身した所有物は、私たち家庭のものではなく、貴重に扱って国のものとしなければなりません。国の家庭を代表できなければなりませんし、その国は、世界の王権の物を代身し、世界の民を代身し、世界の家庭を代身しなければなりません。このように連結していかなければならないのです。そうして、全天宙の万物を神様に捧げなければならないのです。そのようにしてこそ、その万物が完全に復帰されるのです。 このように、万物を供え物として犠牲にし、神様の息子を迎える準備をしましたが、イスラエル民族の不信によってイエス様を殺してしまったのです。それで、息子が犠牲になったのです。息子の祭物時代です。ですから、キリスト教が血を流すのです。このように万物の祭物時代が過ぎて、息子が供え物となって血を流す時代直系の子女が血を流す時代に入るのです。 キリスト教はどの国に行っても二つの群れ、、すなわちサタンの群れと教会の群れに分かれて、教会の群れが犠牲になってきました。教会の群れとは、教会の牧師や宣教師たちのことです。地図を抱え異国に行っては血を流してきたのが、宣教師たちの歩みであったということを知らなければなりません。その時、イエス様を代身した教会の牧師と、国を代表した国の群れが、完全に一つになるべきでした。 息子と娘に血を流させ、犠牲にしてきたのは、真の父母をこの地に迎えるためであったということを知らなければなりません。ですから、イエス様が亡くなったのちに再臨時代を預言するのです。イエス様が家庭を築いて、氏族、民族、世界において、イスラエル民族を編成できなかったので、来るべき主がそれを成さなければならないのです。ですから、イエス様が血を流したその場に、父母として訪ねて来られた方が再臨主であるということを、皆さんは知らなければなりません。真の父母です、真の父母なのです。 旧約時代の過ちは、新約時代に蕩減しなければなりません。旧約時代のエリヤが新約時代の洗礼ヨハネとしてやってきたように、旧約時代を蕩減するために「雲に乗ってくる」と言いはしたものの、雲に乗ってこられるのではなく、人として来られるのです。人として来られて、この地上で完成するのです。旧約時代を蕩減し、新約時代も蕩減し、成約時代をも越えていくのです。当時は、エリヤが天から雲に乗って、何か不思議な姿でやってくると思っていたのですが、実際は洗礼ヨハネとしてやってきたのです。 再臨主が来られる前には、世界は全宗派が連合する運動を中心として、洗礼ヨハネのような存在が現れ、統合運動をしなければなりません。世界的統合運動をして、一つの世界にするのです。それで、すべて連合運動をするのです。家庭連合運動、宗教連合運動をして、世界連合体制に入っていかなければならないのです。 自分の財産や息子、娘、自分たち夫婦を投入してでも、天の王権を求めるべし! 歴史はこのように宣言しているのです。自分の国までも投入しなければなりません。神の国と神の家庭、神の父母、神の子女、神の財産へと転換しなければならないのです。皆さんの所有ではありません。アメリカの所有でもなく、キリスト教世界の所有でもありません。すべてを天国に返還してこそ、本然の神様の愛を中心とした本郷が、この世界に定着するのです。 所有権の概念をもってはなりません。私のものだと考えてはならないのです。完全に今日から、この第三十六回は十二の三倍数ですから、三十六家庭に立ち返るべき時となりました。それが家庭的な十二支派です。モーセの時の民族的な十二支派、イエス・キリストの時の国家的な十二支派、世界再臨時代の十二家庭、すべて必要なのです。 周辺のすべてに対する所有権がありません。創造当時には、神様の所有でした。すべてが神様に返されなければなりません。皆さんの息子や娘も、皆さんの息子や娘ではありません。真の息子、真の娘の名を接ぎ木してあげなければなりません。今まで神様の息子や娘がいませんでした。レバレンド・ムーンによって、真の父母によって、真の息子と娘が生まれるのです。神様はすべてを失ってしまったのです。ですから、再創造しなければなりません。誰がそれをするかといえば、神様ではありません。真の父母だけができるのです。真の父母が完全に所有権を神様にお返しするのです。 今や真の父母が家庭をすべて元に戻すのです。三億六千万双の祝福を捧げたのちには、サタンの血統を切るのです。神様が「ついに地上・天上天国で私の家庭をもつようになったなあ! これからは私が主人だ!」と宣布されるのです。本然の理想的観念が出発するのです。堕落によって失ったものをすべて取り戻すのです。再創造過程で経てきたすべての受難の道は終わり、家庭から天宙にいたるまで解放されるのです。既に六月十三日にすべて終わったのです。 完全な種を再創造しなければなりません。完全な種が何かと言えば、真の父母の家庭です。そこに連結して、地上天国と天上天国が生まれるのです。種は同じです。変わりません。完成された真の父母がこの地に現れるようになれば、その一つの種が地に植えられることによって、育ち、花が咲き、実を結び、再び種を生産するのです。一つの種を植えて、収穫するときには、十倍、百倍に拡大するのです。その種の価値はすべて同じです。真の父母の価値と皆さんの家庭の価値が同じだというのです。 ですから、皆さんの家庭の種を地に植えれば、真の父母の家庭の種と同様に、収穫するときは、再びその価値と同じ種が出てくるのです。代々に伝わっていくのです。永遠にその種は同じです。 それはどういう概念ですか? それは何ですか? すべての所有は神様の所有です。すべての万物が私たちのものではなく、神様のものなのです。息子と娘も神様の息子、娘なのです。堕落した世界において、神様の息子と娘をもてなかったことが神様の苦痛でした。いかにすれば、真の息子と娘を取り戻すことができるのでしょうか? 神様が留まることのできる永遠の家庭基盤が、正にアダム家庭でしたが、そのアダム家庭の価値と祝福家庭の価値が同じだというのです。そこには中国や日本といった国の概念があってはならないのです。国の伝統とか何とかいうのは、あってはならないのです。それをみななくして、ゼロにならなければなりません。財産も神様にお返しし、息子と娘も神様にお返しするという心情圏が大切なのです。 ですから、相続しなければなりません。相続して私のものにしなければなりません。国・氏族・家庭の主人になるのです。そこから愛が泉のようにわいて出発するのです。その愛の水が流れ流れて、大きな河となり、大洋となるのです。小さな支流のような家庭や氏族が集まって、大きな河のような国を築くのです。その国が集まって地上天国の大洋へと流れていくのです。 大洋は潮流によって動きます。太平洋には四千五百マイルを流れる黒潮というのがあります。大洋とは別にそのような潮流が流れているのです。それと同じです。天の王権を中心とした中心の潮流、主流が天国の皇族なのです。それが移動、循環することによって、周りもそれについていくのです。すべての被造物、家庭がつられて動くのです。ですから「ワン・ワールド・アンダー・ゴッド(One world under God :神様のもとに一つの世界)」、「ワン・コスモス・アンダー・ゴッド(One cosmos under God:神様のもとに一つの天宙)」を形成するのです。 レバレンド・ムーンが絶対に必要ですか? 私個人にも必要であり、家庭にも、国にも、世界にも、天宙にも必要なのです。他から学ぶものは一つもありません。レバレンド・ムーンが教える内容にすべてが含まれています。真の愛はすべてと連結しているのです。 ですから、今日から皆さんは所有観念、息子や娘という観念、妻という観念、自分という観念を消してしまいなさい。神様の所有という観念をもたなければなりません。今日、このような内容を宣布したのです。何によってですか? 真の愛によってです。それでこそ、真の愛が私のものとなるのです。家庭的な真の愛、国家的な真の愛、世界的な真の愛、天宙的な真の愛が、私のものとなるのです。 家庭的な真の愛とは何かと言えば孝心です。国家的な真の愛は愛国心です。世界的な真の愛を代表するのは聖人、天宙的な真の愛を代表するのは聖子です。家庭から天宙までの愛が私のものになることによって、霊界に行って「堕落する前にアダムが願っていた以上の天宙世界を再創造してください!」とお願いすれば、神様が「よしよし、分かった!」と言われるのです。ダイヤモンドの服も問題なく、数万名を集めて晩餐会を開くことも問題ないのです。信じられますか? 考えたならば、そのとおりに現れる理想世界なのです。晩餐会が終わり、残ったごみも一瞬にして消えてしまい、きれいに片付くのです。元の場所に戻っていくのです。どんなに便利か分かりません。 先生はそのような世界をよく知っているのです。ですから、サタン世界がどんなに反対しても、関係ないのです。怨讐だとは考えません。真の愛の力は、彼らよりも数次元も高いので、それを超えることは問題ありません。真の愛を知れば、怨讐をも超えて愛せるのです。イエス様も十字架上で自らを槍で突き刺した怨讐、ローマ兵のために、神様に許しを求めたのです。怨讐であるローマまでも愛したのです。 旧約時代が私の後ろにぶら下がっています。これを切ってしまわなければなりません。その次に何ですか? 新約時代が私の後ろにぶら下がっています。息子の権威、家庭の権威を失ってしまいました。イエス様が来ましたが、家庭を失ってしまいました。この新約時代を切り捨ててしまわなければなりません。 では今、くっ付いているのは何ですか? 成約時代です。成約時代とは何ですか? 万物も神様のものであり、子女も神様のものであり、夫婦も皆神様のものだということです。私たちの人間世界において、自分のものは何一つありません。真の父母の真の愛を中心として接ぎ木をし、万物も本然に戻り、息子も本然に戻り、夫婦も本然に戻ったのです。 では、それらをすべてもった神様は、何をするのでしょうか? それらを処理することは大変です。処理に困るのです。ですから神様は「私は王であるが、あなたがたは王宮をつくって、ロイヤル・ファミリーをつくって、あなたがたがすべてもちなさい。すべては私の所有であり、私の息子と娘であり、私の家庭であるが、すべてをあなたがたの家庭に相続してあげよう!」と言われるのです。王に代わる家庭の夫婦となり、王に代わる息子、娘となり、王に代わる所有権をもって、神様に代わる主人の役割を間違いなく果たすのです! アーメン 「私は王であるが、あなたがたはロイヤル・ファミリーをつくって、代々にわたって発展し、家庭が氏族に、氏族が民族に、それから千代、万代の王となることができる。そのような家庭の王となるならば、祝福した私よりも立派ではないか!」と言って、神様は「ハッハッハ!」と笑われるのです。それで皆さんが「ありがとうございます。アーメン!」と言えば、神様は「万歳!」を叫ばれるのです。 ですから、すべては教会の所有にしなければなりません。郭錠煥! 家庭連合の所有権を個人から教会に移転する公文をつくりなさい。それは自分のものではありません。教会のものでもありません。国のものですが、日本や韓国のものではありません。国を超え、世界を超え、宇宙を超えて、神様のものです。神様のものになってから私のものになるという、但し書きをつけなければなりません。そのような公文をつくって世界に送り、所有権の移転時代に入るのです。 祝福を受ける前に、所有権の移転時代に入らなければなりません。これが逆になっています。日本は責任を果たせませんでした。この者たちが、その責任を果たせなかったのです。自分の所有権をもって、皆その上であぐらをかいて、自分の息子や娘を中心として自分の妻が暮らせる生活費を残し、今まで真の父母の命令に背いてきたのです。責任を果たせなかったのです。 今回、李相軒氏が送ってきた手紙を見ても、イエス様を含めたすべての人が、真の父母が来て霊界を統一することを願っている、という内容がありましたね? どれほど待っていることでしょうか? その日が待ち遠しいのです。「真の父母という方が来てくださったら、ああ、地獄の門が解放されるのに……」と言っているのです。それで今朝それを宣布したのです。 祝福家庭の息子や娘をすべて神様の所有とし、先生が祭司長となって、裂かずにそのまま祭壇の前に、神様の前に、真の父母と共に奉献するとしたならば、皆さんはそれを願うでしょうか、願わないでしょうか? 願うのです。それが皆さんの正直な思いなのです。世界の祝福家庭を、解放的な天国に直行できる家庭として連結するには、真の父母がいなければならないのです。それを願いますか? 目、鼻、口、細胞まで、数百兆の細胞まで、両手、両腕まですべて天の前に……。皆さん、間違いなく約束するのです。皆さんが教会に任せた所有は国のために使いますが、任せた所有を先生が容認して、売って使っても構わないのです。歴史上はじめて天の国が出発するのですから、そこに皆さんの財産となるすべてを捧げるのです。それは皆さんの財産ではなく、神様の財産になるのです。どれほど光栄でしょうか。 では、皆さんは今日帰って、皆さんの財産、皆さんの息子や娘、皆さんの夫や妻を、すべて天のものとすると、夫妻でサインをするのです。今後、決められた用紙が出るのです。そのように教会の所有として移さなければなりません。しかし、その所有は教会で勝手に使うことができません。教会の所有までもプラスして、国を復帰する運動をしなければならないのです。すべてを国の所有として捧げなければなりません。さらには、その国の所有を世界の所有にしなければならないのです。三回です。 教会の所有になれば、国の所有にします。国の所有になれば、世界の所有にします。世界の所有になれば、さらには天宙の所有にするのです。天宙の所有になれば、神様の所有にします。それから神様の所有が、私の所有となるのです。アーメン! これっぽっちの小さなもので世界を接ぎ木して、世界をもつことができるのです。それをはっきりと知らなければなりません。 それで家庭の所有を教会に任せるのですが、それは教会のものになると同時に、教会を超えて国のもの、国を超えて世界のもの、世界を超えて宇宙のもの、宇宙を超えて神様のもの、神様を超えて私のものとなるのです。所有権を移転させて、主人のもとに行かせるのです。 その所有を、真の父母の家庭のために使いたいですか、真の父母の国のために使いたいですか、天上天国の神様のものとして使いたいですか? どうですか? 皆さんの所有を任せるならば、世界を超えて宇宙のもの、宇宙を超えて神様のもの、神様を超えて私のもの、このようになるのです。自分自身は小さなものを捧げますが、そこには国が付加され、天宙が付加され、神様までが付加されて、私に相続されるのです。どれほど次元の高い相続者になることでしょうか! 神様以上の主人になるのです。 皆さんは地上にいるときは有限なのですが、無限の神様や見えない永遠の世界と関係を結んだときには、時代を超越して相対となるので、神様からすべてを相続することができるのです。なぜならば、神様は真の愛のセンターであり、真の父母だからです。神様の望みはそれ以外にありません。神様は既にすべてを創造しておかれました。皆さんは地上で生きながら楽しんで創造生活したすべてを、天国にそのままもって入っていくことができるのです。それは皆さんのものになるのです。アーメン! 「万歳! 万歳! We will do it! (私たちはやります)、I will do it !(私はやります)」と言わなければなりません。神様の恩寵が共にありますように! これから「奉献転換式」のプログラムを始めます。ここに日本から来た四十名が立ちますが、長女十二名、次女十二名、三女十二名、三十六名です。その次に、アメリカ四十名、韓国の十二名です。そうして整列します。日本人が二十名ずつ二列に並び、その前に三か国(台湾、フィリピン、カナダ)の十二名ずつが立ち、その周りにアメリカ人四十名を立てて、一番前に十二名の韓国人を立てなさい。 このドアはすべて閉めて、他の者は皆出るように。こちら側のドアもみな閉めるように。早く出なさい。のぞき見してはいけません。あちらの後ろのドアは閉めなくても結構です。至誠所の門と同じですから、開けておいても構いません。完全に開けておいても構いません。関係のない者は入ってはいけないと伝えなさい。 「奉献転換式」、一九九八年五月二十六日「すべての存在と歴史的事件の主人は神様なり!」これは歴史的な事件です。私たちがこのように何人か集まって、真の父母がこのような役事をするというのは歴史的なことです。真の父母は公的な人間です。横的な面でも公的であり、縦的な面でも公的です。ですから、横的な世界において祝福家庭が終わるときに……。 今年の年頭標語は「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。これは歴史的な宣言です。これは世界史的な宣言なのです。神様がどれほど心の中で、この日を待ちわびてこられたかを考えなければなりません。慟哭すべき時間なのです。 神様は父母として、父母の国がなければならず、長子の国がなければなりません。そこで出てきたのがイギリスです。カインとアベルの立場の国が、母の国であるイギリスと一つになって、父母の国をつくり、子女の日を制定していたならば、統一天下になっていたのです。しかし、キリスト教文化圏が反対しました。キリスト教が反対したのです。 旧約時代にイエス様が来て、新約時代の出発をしようとして反対されたように、来られる主の家庭的な理想が完全に破綻させられたのです。荒野に立ってこれまで……、家庭的な荒野路程の四十年において、すべてが分かれてしまったのです。地球星に成約時代が来たので、地球星をすべて天の国として立てて、王権と王宮を回復してこそ、創造理想を願っていたアダムの失敗を復帰することができるのです。そのために、イエス様を立てて国の成就、世界の成就まで延長してきたすべてが終結することによって、神様の解放、真の父母の解放を中心とした地上・天上天国の王権を中心として、このみ業が終結するのです。その終結のための最後の準備式が「奉献転換宣布式」なのです。奉献転換宣布式です。今、ちょうど二時です。 今、真の父母を中心としてこの式をするならば、真の父母が共に立たなければなりません。それを復帰の過程に連結するためには、長子と母が一つとなり、真の父母を復帰しなければならないのです。それでこそ奉献式が終わるのです。そのような過程を経なければなりません。 まず天の前にあいさつして「奉献式を宣布いたします」と言います。奉献式は、先生が神様の代わりに立って、お母様がこのすべてを代身した母の立場に立って「全体を奉献いたします」と言わなければなりません。その次に共に立って、韓国が「国、南北全体を奉献いたします」と言い、日本もまた「全体を奉献いたします」と言わなければなりません。このように奉献したことを中心として父母の国……、父母から始まって、父母の国を中心として、父母の前に「長子圏が一つになって奉献いたします」と言うのです。このようにして百八十五か国を代表した全体が、父母圏と長子圏と一つになれば、世界がすべて統一されるのです。 (「長子圏の次に、娘の国も奉献いたしますと言うのでしょうか?」)。娘の国もすべて入ります。(「長子圏がするときに、奉献いたしますという言葉を一緒に言うのでしょうか?」。日本がやるときに、三つの娘の国が共にやり、アメリカが長子権を中心としてやるのです。日本が責任を果たせなかったので、三人の娘が必要なのです。それでは二時なので、式を始めましょう。お母様、神様の前に祈祷しましょう。 祈祷 愛するお父様、今日一九九八年五月二十六日、「真の万物の日」の午後二時を期し、真の父母を中心として、父母としてこの地上でなすべき蕩減的な峠をすべて越えることとなりました。一九九九年二月十三日の三億六千万双の祝福を中心とした一年七か月後には、三億六千万双全体が……、この父母の国と長子権の国が一つになって、全世界が方向を整えて一つの国、宗主国を訪ね、天国に向かって直行する高速道路に乗るべき時代となりました。 ここにおいては地獄が解消され、嘆いていた全人類、天上と地上世界の人々が解放される時代をもたせてくださいました。天が真の父母を愛することによって、今や父母の国を立てて長子権の国を決定したので、韓国の十二名、日本の三十六名を中心としたエバ国家、母の国家が責任を果たせなかったことを、三人の娘の国と一つになることによって四位基台的な基準を復帰し、天使長世界となったアメリカをついに祝福できる時代となりました。 今、韓国と日本と台湾とフィリピンとカナダとイギリス、そして第二次世界大戦に属していたすべての国々が合わさり、そこに加担して勝利の統一を願ってきたことを、第二次大戦直後に真の父母を中心として築くべきであった統一王国時代を失ったことを……、家庭的な王国を編成するために、祝福の道を開拓してきた真の父母の苦労に、手をかしてくださったお父様の前に心から感謝申し上げます。 夢のような事実を開拓する路程を、お父様が苦労して開拓されたその日々を私は知っております。誰も知らないこの道を、お父様……、峠を越え、山を越え、大洋を渡り、大陸を渡り、このみ旨を成すために統一家の人たちが、どれほど冷遇され、涙を流してきたことでしょうか。この涙の功をお見捨てにならないお父様の愛に基づいて、真の父母の国を条件的に代わりに捧げ、子女の国をも代わりに捧げ、キリスト教を中心とした統一王国圏を立てることのできる、解放的な世界に前進するようになりました。 これによって南北統一はもとより、日本と韓国が一つの国になり、台湾とフィリピンとカナダが人種を超越して一つになったその基準の上に、アメリカを中心として一つの家庭的な子女の因縁をアダム家庭で立て、神様の愛をすっかり受けた上下の愛、左右の愛、前後の愛、家庭的な理想の愛の基準を中心として定着できなかったすべてを、天下の国々を中心として再び安着させることのできる、そのような基盤を真の父母が宣布し、これを成就させた基盤をお父様の前に奉献いたしますから、お受けくださいますよう切にお願い申し上げます。 今やお母様が、韓国の十二名と母の国である日本を中心とした台湾、フィリピン、カナダの三十六名と天使長国までを連合させて、ついにお母様と一つになった場を築きました。この二つが一つになった基盤の上に真の父母と一つとなり、神様の前に父母と子女が一つになった、全体の条件的勝利の限界線を越えられる約束の時を迎えながら、このような式を執り行いますので、快くお受けくださいますよう切にお願い申し上げます。過ぎゆくすべての条件が、歴史的な宣言となり、摂理史的な勝利の盾となり、愛の主権完成の世界へと家庭を超え、国家を超え、天宙全体に神様が自由に往来することができ……、サタン世界の痕跡を取り除いて、解放的な全体圏の中で愛の覇権をもった主権によって治めることのできる、愛の大王とならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。このような「奉献転換式」を宣布いたしますので、お父様……、お受けくださいませ。真の父母のみ名によって重ね、重ね、重ねて、宣言、宣言、宣言、いたします! アーメン、アーメン、アーメン! み言 さあ、お母様、こちらに来なさい。では、お母様が前に立ちなさい。韓国と日本が、このお母様と一つにならなければなりません。母の国と父の国が一つにならなければなりません。天使長復帰型の立場において、今やアダム中心線を越えたのです。日本の国と韓国の国が父母の国です。今や祝福したので、これを再び奉献しなければなりません。言葉でなく、実際に奉献をするには、日本と韓国の兄弟たちが一つにならなければなりません。 ここに(板書されながら)何がぶら下がっているかと言えば、三人の娘がぶら下がっています。台湾、フィリピン、カナダがぶら下がっています。それは何でしょうか? 日本は今回、責任を果たせませんでした。韓国に対する責任を果たせませんでした。韓国は祖国光復の道です。韓国という国があってこそ、日本という国があるのです。韓国と日本が天の前に安着してこそ、アメリカがあるのです。これは祝福家庭の国を指すのです。それができなかったので、これを家庭を中心とした祝福基盤として、日本と韓国が父母の国になるのです。そこに天使長だったアメリカが、長子の国になるのです。これはキリスト教文化圏なのです。 真の父母を中心として興進君と、その次には統一教会の祝福家庭、霊界の祝福、地上の祝福が、世界の限界線を越えることによって、キリスト教の次子の立場に立って、キリスト教祝福の世界化時代へと移行していくのです。そのようになることによって、霊界には真の父母のアベル的な祝福家庭である興進君がいて、地上には祝福家庭であるアベル圏があるのですが、霊界にはそれがありません。それで、イエス様を祝福してあげたのです。ですから、カイン圏である地上のキリスト教を統合する運動をして、キリスト教が今回の祝福を主導しなければならないのです。びりになってはならないのです。 ですから、アメリカにおいては六月までに三つの教団の十二万家庭が祝福を受けるのです。これが十二数です。祝福教育を受けるようになっています。ですから、経費は自分たちが払って、真の父母も助けてあげるのです。アメリカも助けてあげるのです。その三つの条件を合わせて、六月までに何としてでも完成しなければなりません。そうなれば、キリスト教文化圏の体質が完全に改善されます。祝福家庭へと向かっていかなければならないのです。 最もきびしい立場にあるのがアメリカです。兄弟の破綻、青少年の破綻、家庭の破綻が起こっているのです。全く系列がありません。父母もなく、おじいさんもなく、すべてがないのです。三大完成圏が完全に破壊されたのです。アメリカのキリスト教がこのようになってはならないのです。既に四十年前に祝福を受けなければならなかったのに、それを失ってしまったので、先生が荒野に行って、その位置を取り戻し、家庭を連結して接ぎ木するという、このような解放圏をつくったのです。それで父母の国、長子権の国が立てられたのです。 これらの国が一つになれば、アメリカの経済圏であれ、何であれすべてが……。クリントン大統領、彼は偽者ですが、外的な面を再び祝福してあげるのです。日本が主導的な役割を果たせなかったので、人れ替わるのです。そのようにして、日本がアメリカに従わなければならない立場に立つのです。 ですから、アメリカが模範にならなければなりません。キリスト教が動くようになるとき、キリスト教に伝統を植えることのできる……。今、統一教会の人々は、今日の奉献式のように、万物の所有、子女の所有、夫婦の所有の全体を天の前に捧げるにあたり、アメリカ式の考え方を脱して、真の父母が伝える天の心情と一体となり、奉献できる模範的な伝統を立てて、キリスト教を新たな第二次革命の基地とし、天の王国と地上天国を復帰する功臣になるべき、長子としての役目があるのです。 すべてをお母様が収拾して一つになり、真の父母と一つになり、再び天の前に連結するようにしなければなりません。その式を挙行しなければなりません。お母様、後ろ向きになりなさい。 よく聞きなさい。真の父母と中心です。さあ、先生について言いなさい。真の父母を中心として、皆さん韓国人は絶対信仰!(「絶対信仰!」)。絶対愛!(「絶対愛!」)。絶対服従によって!(「絶対服従によって!」)。地上の国と天国を完成することを宣言いたします!(「地上の国と天国を完成することを宣言いたします!」)。 日本の食口も同じです。絶対信仰!(「絶対信仰!」)。絶対愛!(「絶対愛!」)。絶対服従によって!(「絶対服従によって!」)。エバの国、母の国を!(「母の国を!」)、真のお母様と一つになって!(「真のお母様と一つになって!」)、天に奉献しようと思います!(「天に奉献しようと思います!」)。アーメン!(「アーメン!」)。この台湾の十二名は長女の立場であり、フィリピンの十二名は次女の立場であり、カナダの十二名は三女の立場にあるのです。この三人の娘は、「日本と完全に一つとなり、父母の国のあらゆる未完成な内容を蕩減復帰し、お母様の行く道の前に遜色なく、完成いたします!」と言わなければなりません。完全に一体となることを宣言いたします!「アーメン」と言いなさい。(「アーメン!」) その次に、周りにいるアメリカ人たちは、国家のあらゆる権限をもって、今、父母の国や、世界の国を保護しなければならないのです。台湾やこのような国々は、力がありません。国の主権がないのです。しかし、この世のカイン的な国家は長子権を代身した力をもっているのです。ですから、弱小国家を保護して、この理念を数多くの国の前に、父母の伝統と長子権の伝統を植え付けることに責任をもちなさい。これからは、そのような責任を果たさなければなりません。 ですから、アメリカの統一教会の人たちは、自分の所有やら何やらすべてを母の国を通して、アダムの国を通して、真の父母を中心として返還するのです。そうすることによって、共有財産、つより天の公的な機関、学校機関、国のあらゆる公共機関の準備を始めなければならないのです。このように各家庭が税金を納めるべき時が来るのです。 それで、そのような条件の出発として……。しっかり聞きなさい。この道は、ただ単に行ける道ではありません。蕩減の道を行かなければならないのです。蕩減です。ですから、いかなる家庭も、皆行かなければなりません。そこで、女性が再び登場するのです。これまでは女性が軸に入れませんでした。そのような意味で、三人の娘もなかったのです。女性を中心として見ると、家庭において父母を中心として息子と娘がいれば、娘にも蕩減条件の数を付加しなければならないのです。四位基台を中心として見れば、娘がいて、息子がいて、母親がいて、父親がいるのです。これを統一的な基準で束ねなければならないのです。このような祭物的な条件によってです。 娘はアメリカの長子権のもとにありよす。娘を中心として十二数の蕩減基金を払わなければなりません。それは皆さん自身の意志によります。十二数というのが条件です。娘をもった統一教会の食口は誰であれ、十二数を条件として娘を蕩減させるのです。娘の解放を中心として十二数を越えていくのです。息子は十二数を中心としてその圏外にあるので百二十数です……。祭物基金として、息子や娘、父親や母親に代わって、蕩減基金を真の父母に献納しなければならないのです。 そうすることによって、真の父母が今までに立てたはしごをみな上っていけるのです。解放圏に立つことができるのです。そのような過程を通して祝福家庭は皆そのようにしてから、国を中心としてはどうするのでしょうか? 祝福家庭は家庭全体を代身して、献納しなければならないのです。家庭が上っていかなければなりませんね? 息子と娘が上っていきましたが、その上に家庭が上らなければならないのです。家庭が連結しなければなりません。家庭全体が奉献しなければなりません。蘇生的な家庭を中心として、長成の位置に上っていかなければならないのです。 その次には氏族編成です。氏族が入籍するときにも奉献しなければならないのです。血の汗を流してでもです。ですから、これから七年間、奉仕生活をしなければなりません。国を中心として新しい七年の過程を経なければなりません。 皆さんは祝福を受ければ、長成期の完成級ですが、真の父母のような七年路程を行かなかったのです。それを越えるために、七年間を中心として、祝福家庭は一族が共になって、越えていかなければなりません。その次は国です。国が天の国に編入するときにも奉献しなければならないのです。六大大陸が編入するときにもそうです。さらに、全世界の統一時代が来れば、天の前に奉献しなければなりません。そのようにしてこそ、すべての祝福家庭、国や六大大陸が、解放される時代へと移行していくのです。それが税金です。蕩減条件税金なのです。 地上に天国が築かれれば、税金をもらいに回る必要もなく、税金を払う必要もありません。自ら天の民として、自分の収人の三〇パーセントさえ払えば、すべての税金は免除されるのです。払わなくてもいいのです。そのような時代になるのです。三・七制です。地上での七千年の七数を完成するのです。その上に三数を連結させて十数をつくるのです。十数は帰一数です。神様の理想的な世界の出発から、完成的な天に帰って、帰一数に再び戻っていくのです。 ですから、祝福も世界化の時代を迎えて、三万双の蘇生を中心に、三十六万双の長成、三百六十万双の完成を中心として、下っていくのです。三千六百万双も霊界の協助ですべてを越えました。四千万という条件をもって乗り越え、すべて三億六千万双時代に着地しました。着地したので、整理しなければならないのです。 三億六千万双という、この世の家庭を完全に統一教会の主流思想にしなければなりません。このようにして、サタン圏の血統を断切できる時代へと移行するようになったのです。このような内容をはっきりと知って、帰ってから実際にそのように行動を始めなければなりません。これを催促されるようではだめなのです。 ですから、これから百八十五か国には、このような準備をするために、天を代表し得る伝道機動隊をつくらなければなりません。教会の伝統をうち立てる伝道機動隊です。霊肉を統一させる伝道機動隊の活動を中心として、統一家の二世たちは皆、どこに行っても借りをつくらず、世話にならず、逆に世話してあげられる伝統を立てていかなければならないのです。そのような為に生きる勝利の基盤に応じて、神様は地上で解放的な行動を開始することができるのです。「アーメン!」となるのです。 その次に問題になるのは何でしょうか? 先生がこれまで苦労して築いたものを、売り飛ばしてしまわなければなりませんか、保護しなければなりませんか? 保護しなければなりません。先生がもし霊界に行ったならば、どうするのですか? 保護しなければなりません。どんな困難があっても保護しなければなりません。これまで先生が韓国で血と汗を流して築いてきた、すべての所有権が侵害されれば、全体が問題になるのです。 先生を中心として、これまで準備した所有権、その所有権の全体が侵害されてはなりません。いかなる困難があっても、侵害されてはならないのです。日本の国を売ってでも、皆さんの家庭を犠牲にしてでも、それを守らなければならないのです。どんなことがあっても、天的なものとして神様に奉献したものを再び売り払うことはできません。 今や国家的メシヤを代表として、今それをなしていくのです。このような原則を中心として、生きるか死ぬかが問題ではありません。独裁者以上の厳格な指令を下して、行動を開始し、このみ旨を完成するのが神様の願いなのです。銃や剣の前に死んでいく以上、脅迫の前に死んでいく以上の環境圏において、真の父母に指示された以上に決意する立場に立って実践し、行使してこそ、天国の民として入籍するのにふさわしいのです。そうでなければ問題になるのです。そのような伝統をはっきりと残さなければなりません。 お母様が前に立ちなさい。気をつけ! 韓国と日本、そして三人の娘と長子圏全体は、お母様と完全に一つになって、真の父母の前に奉献することを願います。アーメン。(「アーメン」)。アーメン。(「アーメン」)。アーメン。(「アーメン」)。先生が快く受けて、これを天の前に奉献しなければならないのです。 祈祷 二 愛するお父様、今日一九九八年五月、万物が生い茂るこの五月を中心として二十六日、この時間に真の父母の国を代表した父母の実体を中心に、父母の国と父母の国のいたらなかったすべてを連結する三か国の娘の国と、その家庭を取り囲んで保護すべき天使長の立場にあった国が長子圏の立場に立ち、霊界と肉界が分裂したままであった今までの歴史時代は、長子圏が次子を打ってばかりいましたが、今や次子がなくなり、長子だけが残りましたから、絶対的な真の父母の権限を代行できる長子の責任を果たせるようにしてください。 真の父母は心情を中心として彼らを教育して伝統を立てることを行い、アメリカの長子圏は、国の環境的な与件を解決する責任を天の前に果たす決意と忠誠を誓いましたから、快く受け入れてくださいませ。父母の国を代表した代表者、三か国の娘の代表者アメリカ全体が今やお母様を中心として、真の父母の前に組み合わされた全体を真の父母のみ名によって成そうと思います。 エデンで堕落することによって偽りの父母が生まれたときに、万物と子女、すべてを失いました。真の父母を中心とした旧約時代・新約時代・成約時代の完結を中心として、天が天地父母を安着させられる時代を発表することで、天の家庭と天の父母たちが定着できる時代を迎えました。父母の名前で父母の国を策定し、三人の娘と共に足らないところを補い、完成させることを決意し、娘たちを犠牲にすることがあっても、このみ旨を完結すべき世界史的な運動が残っていることを、お父様……、知ってくださり、み意のままに命令してくださいますようお願い申し上げます。 いかなる命令であれ、女性たちが統一された世界に奉献できる道を再度歩み、先頭に立てたとしても不平を言わずに行くことができるように祝福してくださいませ。これらすべてが長子圏と一つになり、今やお母様を通して一つになり、お父様と一つになり、神様の前に横的父母の統一圏を縦的父母の統一圏として完結することによって、地上が解放され、祝福の基盤と天上解放のための祝福の世界を、興進君を中心として、イエス様を中心として、キリスト教文化圏、宗教文化圏、良心文化圏、それから世界の至るところにいるすべての悪党の群れまで、マフィアの群れまで、テロ集団の群れまでも拡大して祝福しましたから、霊界の地獄の底に行っている者たちまでが、祝福の恩恵を受けられるように門を開いてくださいませ。 系列的な自分のレベルを中心として教育を受け、真の父母の伝統的な思想、愛を中心としたこの新しい勝利的な伝統を、地獄から天上まで立てていけるように真の父母の前に許しましたから、祝福の恩恵圏を天が直接に賜り、お受けくださいませ。 公義のこの時間、真の父母は神様の代身、地上世界全体を代身した代表者の立場、勝利的な真の父母の立場で、偽りの父母が失敗したすべてに対して公的に責任を担い、解放することを祝福によって提示しますから、神様……、この場でそれをお許しになり、万民と万国、地上天国から天上天国にこれを宣布して、今日から解怨成就の喜びをもって天上・地上の解放の行動を開始し、あなたの国の権威とあなたの家庭の権威とあなたの民族の権威を立てさせてくださいませ。サタンを完全に屈服させる勝利の覇権をもった、地上天国へと連結されますようお願い申し上げます。 このすべての内容を、父母の国と娘の国と息子の国を揃えて父母の前に新たに集い、「奉献転換式」を致します。受け入れてくださったことに感謝しながら、真の父母のみ名によって、すべてが勝利的な結果となったことを新たに宣布いたします。 アーメン、アーメン、アーメン! (二九三-一三二、九八年五月二六日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.17
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「転換的な万物解放の日」宣布一九九八年五月二十六日(陰暦五月一日)、イーストガーデン(米国)にて、約二千名の食口たちが参加する中、第三十六回「真の万物の日」を記念する敬礼式の祝祷があり、それを通して「転換的な万物解放の日」が宣布された。 祈祷 愛するお父様…、今日は一九九八年五月二十六日、この日は第三十六回「真の万物の日」であり、統一教会における貴重な祝賀の日でございます。全世界の国家メシヤと幹部が集まったこの式典を、お父様の前に奉献したく思うものでございます。 旧約時代・新約時代・成約時代、、万物の祭物時代・子女の祭物時代・父母の祭物時代を待ち望むすべては、天国の王権と地上の王権を完成するための摂理路程を………、今や「真の万物の日」から全体・全般・全能の権限をもって万物を生畜の祭物として奉献することのできる、祝賀の日をもつようになりました。この日を起点として、家庭的・氏族的・国家的・世界的・天宙的メシヤ……、神様のみ名を中心としてすべての万物は、あなたの所有へと返還される歴史的な大転換の基準を、三十六回日を迎えるこの日から展開し……、今年の標語である「真の神様を絶対に誇り愛することは二億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という最後の終幕を前に、残すところ十九日となった六月十三日まで、私たちが内的、外的に万物と子女と父母を中心として完全に一つとなって、あなたのみ名の前に再び全体を奉献しなければならない地上最大の希望の時がやってまいりますから…、その日に先だって、第三十六回目を迎えるこの「真の万物の日」を、今や全体を返還させることのできる天の所願の時を迎える起源といたします。 今回の集まりに日本から十二名、台湾から十二名、フィリピンから十二名、カナダから十二名、そしてアメリカから四十名、このように集まってすべてを清算する生畜の祭物として立ちました。祭物は今まで二つに裂きましたが……、完全に真の父母の勝利圏、家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的な真の父母の権限によって、地上・天上天国を築く、天国の王権再臨を宣布し得る時代が訪れることによってそのすべてを整備し……、地上世界の偽りの父母から展開されたすべて、天上世界の偽りのすべてを、真の父母を通してきれいに清算すべき厳粛かつ歴史的な「真の万物の日」の式典を執り行います。「真の万物の日」を制定すると同時に「真の子女の日」・「真の父母の日」・「真の神の日」の基台を築いたごとく、蕩減の歴史を清算できる今日の式典となるようにしてくださいませ。 今や真の父母は家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤとして……、王権を具備し得るキリスト教文化圏から統一天下を成そうとしていたすべてが延長して以来、今やこの時を迎え、三億六千万双を祝福すると同時に、人類の解放を宣言できる時を再び迎えました。父母の国と父母を中心とした統一教会の祝福を受けた地上の家庭と、天上の興進君と相対的に連結した直系外の養子圏・庶子圏に立つキリスト教を中心として、霊界と霊人たちを代表する彼らが祝福を受けられなかったので、真の父母の家庭を中心としたアベル的な父母の権限を中心として、カイン的世界のアメリカを立てて長子権を祝福いたしました。これによって、霊界がそれを統一天下の一つの起源とみなしてくださいますように。そしてアメリカ全体のキリスト教、全宗教、人類が統合できる道を経て、天国の王権樹立を宣布することのできる、その日のために私たちは忙しく動いておりますから、その過程において天の前にすべてが滞りなく運ぶようにしてください。 このような厳粛な式典をこれから奉献しようと思いますから、ことごとく深き心をもってこの「万物の日」を迎えることによって、エデンでアダム家庭が堕落することによって万物と子女と父母が……、王権を中心として天国復帰の世界的な宣布をすることによって、全体・全般・全権・全能の起源を中心として、自由解放圏で主導的な役割を果たすことのできる、主人の位置に立たれましたことを、喜びのうちに受け入れてくださいますようお願い申し上げます。真のご父母様のみ名によって申し上げ、天地の前に、神様の前に、真の父母の前に要求しながら、万民の前に宣布いたします! アーメン! (敬礼式へと続く) 祝祷 愛するお父様……、今日は一九九八年五月二十六日、第三十六回「真の万物の日」でごさいます。復帰摂理の路程における三十六数は、最も重要な数であり、統一家における三六家庭を中心とした十二数と七二家庭、一二〇家庭・四三〇家庭・七七七家庭・一八〇〇家庭・六〇〇〇家庭・六五〇〇家庭を祝福して、帰一数である十番目の三万双の祝福と三万双を蘇生として長成である三十六万双、三百六十万双の祝福完成の峠を越え、四千万双の祝福を宣布することによって三千六百万双という下るべき段階を超越し、三億六千万双という歴史にない大転換を宣布し得る時代を迎えました。 この事実は「真の神様を絶対に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という、創造主たるお父様の宿命的な願いを終結するための、宿命的な因縁をもった、父子関係を提示した真の父母の名前をもつ息子として、偽りの父母の因縁を残した数多くの事情と蕩減の恨を解かなければ、神様の前に恥ずべき過去の歴史を清算しようとしても、清算することができないという事実がごさいましたが、真の父母が現れることによって、天の秘密と地の秘密、サタンのすべての秘密を暴露し、長子権と父母権と王権を取り戻して、あなたの摂理歴史を、縦的な過程と横的な過程を連結させ、万民解放を中心として成約時代を迎え、祝福完成という宇宙史的な天宙の恵みを万民の前に付与することのできる、この時をもたらしてくださったことに感謝申し上げます。父母なる神様の願い、地の父母なる真の父母の願い、真の父母の道理を果たす、数多くの統一家の子女の名分を備えるためにしたがってきたすべての子女たちが苦労した事実……、彼らを礎にして短い間に、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、天宙時代まで心情的に団結した事実を連結して、私の心と体から統一して、夫婦統一、氏族統一、民族・国家・世界・天宙統一、天の父母と真の父母の実体と一体となり、あなたの創造理想、解放的な愛の主権世界を、個人から家庭・氏族・民族・国家の、全体・全般・全能・全権時代として対応しようというすべてを再び回復し、定着できる時代を目前に控えております。 今回、第三十六回「真の万物の日」を中心として、今やっと神様がアダムとエバの真なる愛の因縁を中心として、真の家庭によって……、万物の喪失、天の子女の喪失、天の夫婦の喪失、天の主権、王権の喪失、この全体の数多くの恨の歴史による蕩減をお一人で担い、無知なる人類の歴史的な背後で徘徊された、お父様の苦労がいかばかりであったかを、統一教会の食口たちは薄々知っております。主体の前に対象的な実体圏を備えるために、恨多き歴史的な神様の心情を代身して、地において真の父母というみ名をもって、個人的な受難の道、家庭的な受難の道、氏族・民族・国家・世界的な受難の道を再び蕩減し……、霊的世界と実体世界、願ってもいない霊界に行っている天上の彼らと地上の全人類を統一するために、真の父母は霊界に興進君を送った後で祝福をいたしました。 地上世界のキリスト教が責任を果たせずに世界的な祝福の限界線を残したのを、今まで統一教会が先頭に立って……、今やそれを越えることのできる時がやってまいりました。そのように越えることによって、天の懐に帰れない皇族圏を解決するという問題をめぐって、世界史的なキリスト教を再び立て、怨讐のような立場、サタンよりも悪い立場に立っていたものを愛して抱き、今や父母の国とその代身となる統一教会と、霊界を代身する興進君夫婦の祝福家庭を中心として、養子のような立場、庶子のような立場にあるこのキリスト教を、イエス様を中心として既に祝福は二十五年前にいたしましたが、ようやく今年の四月十七日、勝利的な時を迎える三億六千万双の祝福を前にし、世界史的な整備をいたしました。 そうして「家庭盟誓文」の第五にあるように、毎日、私たちが主体的な天上世界をはっきりと知って、地上世界、対象世界をはっきりと知って、統一のために促すとともに、促進化させるための前進的な誓いを唱えるために、霊界の事実を地上に引っ張ってきて、真の父母のみ名によって霊界全体の状況を知り、地上においてこれを代置できるものを連結させ……、真の父母が清算しなければ、恨の峠を個人から数多くの障壁と数多くの城壁を崩すことができませんから……、天上世界のすべての内容と地上世界の誤ったものは、堕落した父母によるものであり、サタンと因縁を結んだものですから……、今や三億六千万双を出発する前に、それを清算するために、李相軒氏を通して霊界の事実を地上に知らしめました。 今や私たちは、霊界の諸事実を事実として信じ、地上の真の父母のみ言と一つになって……、霊界と肉界が私の家庭から、私自身から分裂しましたが、統一的な基盤を備えた忠孝の道理、聖人の道理、聖子の道理を果たして、全宇宙の解放圏を形成すべき摂理史的な最終段階に立って、万物から帰るべき時が来たので万物統一圏を宣布し、これをお父様の前に奉献し、子女圏を中心とし、夫婦圏を中心として、真の子女の長子権・真の父母の長子権・真の王圏の長子権を総合して、全宇宙の解放を宣布すべき日が目前に迫っております。この全体を代身した第三十六回「真の万物の日」から、今や一心同体となって、霊界と肉界の全体を統合した立場の個人となり、家庭・氏族・民族・国家・世界・全人類の家庭とならせてくださいませ。 天に直行すると同時に、霊界が弟の立場で共に天国に入ることのできる、特別の恩恵を与える開幕式のごとき、本日、第三十六回目の「真の万物の日」を迎えました。日本が責任を果たせなかったすべての蕩減条件を連結させるために、台湾をアジアを代表した長女の立場に立て、五色人種の中間にある立場にフィリピンを立て、アメリカのエバの立場にあったカナダを全世界のエバ国家を連結した立場に立てました。カナダはアメリカが長子というとき、エバ圏の立場にあるからでございます。この三か国を娘の立場に立てて、真の父母に完全に侍って完全に一つになる立場で、今や万物世界の清算、旧約時代の完結、子女時代の清算、成約時代の完結、父母時代の清算、この地上・天上天国の王権降臨を宣布し得る時代を迎える、厳粛な宿命的課題を前に、第三十六回「真の万物の日」を奉献いたしますから、お父様……、喜びの心でお受けくださいませ。 恨多き復帰の道で万物を失い、子女を失い、父母を失ったその歴史的な事実を、今や、天の真の父母である縦的な真の父母と、地上の横的な真の父母と真の直系の子女が、霊界・肉界において一体となり得る内容を中心として……、養子圏のキリスト教、その代表的な国のアメリカを長子の立場に立てて、天の長子を、長子の国を愛せなかったことを、この次子の立場にあるものを復帰することによって、絶対アベル基準である兄が絶対信仰・絶対愛・絶対服従し、その二人が一つになって真の父母の前に絶対信仰・絶対愛・絶対服従の天理の道理を果たし、六月十三日を中心として、万国、地上・天上世界の解放圏を宣布する時が来ましたから、急いでこの場を準備いたしました。 お父様…、この神聖なる式典、万物復帰の式典を中心として、裂かれる供え物ではなく、全体をお父様の前に奉献できる生きた供え物、勝利的な供え物として、サタンと関係ないこの万物世界を奉献することのできる、復帰の大転換的世界の奉献を代表して、この式典を奉献いたしますから、お父様……、お受けくださいませ。この万物を愛する息子と娘はサタンが干渉することができず、サタンの干渉できない子女を愛する父母はサタンの国が干渉することができず、父母に代わって愛する真の父母は、サタンの天宙が参席できない勝利的な大解放圏に向かって、この日を記念しようと思いますから、お父様……、喜びの中で霊界に行っている統一家の三六家庭のすべてと、因縁のあるキリスト教宗教圏すべての……、地上で罪を犯した全体を、地上で解消できる時代を迎えることによって、霊界解放の開門、地獄から天国まで高速道路の愛の道を連結させたいのが、あなたの願いであるということを知っておりますから……、誰も知らない中でこの場に来てこの日を宣布することのできる、勝利の日をもたせてくださったことに感謝申し上げます。 アダム家庭一つの祝福を成就することによって、今では万物をあなたの前に寄与することができ、子女もあなたの子女であり、父母もあなたの子女であり……、万物の転換的な復帰の基盤として地上・天上世界まで宣布することによって、自由の解放万物世界から、愛する子女の世界から、子女を愛する父母から、父母を愛する子女から、一体的な解放の歴史が地上万民から、定着することのできるこのみ業を、真の父母、真の神様、真の子女と共に認定しながら、この日を期して宣布いたしますから、お父様……、縦的な真の父母、地上の横的な真の父母、祝福家庭が一心同体となり、失った全体をお父様の前に、万物自体、子女自体、夫婦自体、王権自体をそのまま奉献することのできる、喜びの春に逢うことのできる、転換的な万物の解放の日を宣布いたしますから……、喜びの中でお受けくださいませ。 全天下にこの日を記念し、天上解放・地上解放の万物の主人となられまして、恵みを受ける子女の所有、夫婦の所有、天国の所有になることを、真の父母のみ名で宣布いたしますから、天の父母が共に宣布なさり、天上世界の一つの勝利の日として記念することによって、地上世界・天上世界の解放の基盤とならせてくださいまして……、その上に子女の名分、父母の名分、王の名分を再び回復できる三億六千万双解放、サタン血統の断絶と共に、第四次アダム圏のその時を迎え、全天地の統一、地上・天上天国の解放的な出発の起源とされますことを、真の父母のみ名によって奉献いたしますから、お父様……、受け取ってくださいませ。 この事実を宣布なさいまして、天の天理を立てる記念の日として立ててくださるよう神様の前に神様を代身して宣布いたしますので、霊界の神様もこの真の父母を代身して受けられ、天上世界から地上世界に宣布してくださいませ。真の父母のみ名によって生畜の生きた供え物として奉献しながら、解放的な天上・地上の圏を築いてくださいませ。真のご父母様のみ名によってこの日を期して宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン! (祝賀ケーキに点火) 敬礼式のみ言 一八○○家庭と日本家庭、国家的メシヤの代表たちは皆、ここで十二種類のもの、花でも何でもいいのですが、十二種類のものを取って包みに包んで、写真に撮っていきなさい。歴史的なこの大会、万物の転換式を行うことによって、子女たちも引き続いて主管し、父母も引き続いて主管し、神様も引き続いて主管できるのです。 万物を祭物としたのは、子女圏を復帰するためです。旧約時代は子女を探すためのものであり、(新約時代に)子女を祭物としたのは父母を探すためです。そうして今、成約時代まで来たのです。 成約時代は何かと言えば、すべてをもらい受ける祝福です。アダム家庭で誤った愛が出発したので、万物を祭物とし、子女を祭物とし、父母を祭物としてきたのです。そればかりか、神様とすべての宇宙が祭物的な立場に立って、サタン圏と天圏が闘ってきたのです。血を見たのです。 全世界の人類がアダムー家庭ゆえに、そのようにしなければならないのです。すべての女性はエバとして来たのです。これまで祝福を受けた皆さんは、まだサタン圏内にいます。三億六千万双の峠を越えられませんでした。解放的な世界に至れませんでした。それで地上に着陸して、今日このような宣布を行ったのは、すべての所有はまずアダムとエバのものにならなければならないからです。まず、神様のものにならなければなりません。その後に子女のもの、その後にアダムと祝福を受けた家庭………。その後、アダム家庭で王権時代を築いて、氏族の王、民族の王、国家の王、世界の王権時代に発展し得るすべてを総合した蕩減的なこのみ業を成すために、旧約時代、新約時代を経て成約時代を迎えたのです。 成約時代とは何でしょうか? 真の父母はこれまで苦労してこられました。息子が苦労するのは、真の父母がこの地上に来られるようにするためのものなのですが、キリスト教が血を流して子女の立場で真の父母が来られるようにするみ業を成就できなかったのです。キリスト教が真の父母に反対したので、それが延長して真の父母が家庭を失ったのです。 ですから、個人の救いではありません。家庭を救って、天の国をこの地上に君臨させるのが目的です。しかし、それがなされていないのです。そこで、三億六千万双を完結して、サタン世界の血統を断絶すれば、世界は完全に真の父母の世界に帰っていくのです。 ですから、真の父母はどんな王になるべきでしょうか? 万物の王になるべきでしたが、万物の王になれませんでした。万物の主人になれず、子女の王になれませんでした。そして、その次には夫婦です。皆さんはまだ真の愛を完成していません。皆さんの家族を見ると、物も天のものになっていませんし、息子や娘も自分勝手ですし、皆さん夫婦もいい加減です。この三億六千万双が成就することによって、全世界が真の父母を中心として、父母として迎えることのできる父母の王が出発するのです。父母の王権が出発するというのは、アダム家庭を完成して家庭の王が出発する、というのと同じ意味です。 ですから、アメリカが一つの体のようになって、真の父母の前でこれが長子、父母の国……。本来は、韓国とイギリスが父母の国になるべきでした。そして、アメリカが長子となり、フランスがアベルとなるべきでしたが、彼らがむしろ反対をしたのです。キリスト教文化が反対し、旧教と新教が反対し、人類が反対したので、完全にサタン側に落ちました。これを再び、家庭を中心として十字架の路程を歩んだのです。ですから先生が、心情の十字架を背負ってきたということを知らなければなりません。心情の十字架です。 家庭が問題です。聖進君の母親から何もかも……。聖進君の母親が絶対信仰・絶対愛・絶対服従したならば、統一教会に今日のような悲惨な事はなく、先生には一生苦労がないのです。そうなれば、韓国も南北に分かれることはありませんでした。先生の家庭と一族がすべて分かれることで、韓国が二つに分かれ、すべてを統一できるキリスト教が、旧教と新教が統合できず、そのままサタンの祭物となって、天の家庭の破壊の旗手として登場したのです。キリスト教が共産党と結託して統一教会を売り飛ばす、そのような受難過程を経て、今や、この家庭全体が世界的に歓迎される時が来たのです。 また、青少年問題と家庭破綻の問題は、アダムが結婚を誤ってこのようになったのですが、これが世界的な事件になっているのです。神様も堕落したアダムに手をつけられず、サタンも手をつけられないのです。ですから、神様もお手上げで、サタンもお手上げでした。ですから、どこにも行くあてがありません。自分たちとしては、この道だけは行ったことがないのです。 世界を所有するためには、神様の理想世界、一つの世界を所有するためには、原理原則に立脚した内容を備えなければなりません。これからはそれを備えて、世界に行ける一つの個人的な完成、家庭的な完成、氏族的な完成、民族的な完成、国家的な完成をしなければなりません。これを連結するために、祝福家庭は「家庭的メシヤ」というのです。 その次に氏族的メシヤです。イエス様は氏族をすべて束ねることができませんでした。家庭を束ねて、氏族を束ねることができなかったのです。それで、氏族的メシヤを宣布したのです。ところが、氏族的メシヤが責任を果たせませんでした。世界的なメシヤ基盤を築いていくにあたって、韓国では氏族的メシヤ……。南北を統一するには、共産党以上、金日成以上に、一生懸命に神のみ旨に従っていかなければならないのに……、天の主人たる真の父母が、この世界をすべて救うために歩んでいかれるのに、家庭において皆泥棒をしたのです。完全に破綻させたのです。それによって国と共に滅亡段階に入ったのです。これが韓国の通貨危機です。このような時代になったのです。 ですから、政治はもとより、経済もすべて破綻するのです。宗教、キリスト教もみな終わりました。すべておしまいです。文化をはじめ何も自慢するものがありません。唯一、真の父母を中心として自慢できるだけです。その内容は何かというと、真の父母が経てこられた歴史です。真の父母がどれほど天の国の文化を愛し、どれほど教育し、どれほど宗教を愛し、どれほど国を愛し、どれほど世界を愛してきたかというのです。神様は創造理想の全分野にわたって迫害され、その段階からこのような世界的な条件をすべて立ててこられたのです。 六月十三日の一次祝福式が終われば、百八十五か国の国家メシヤを中心として、その国から三人を選び、まず海上から先生の生活の伝統を受け継がなければならないのです。 一六○が何かというと、私たちの一六○家庭です。韓国動乱に参戦した国連軍も十六数です。十六数なのです。それを代表できる魚を取って、天の前に、神様の代わりに、真の父母の代わりに、神様の息子の代わりに魚全体を生きた供え物として捧げる、そのような式を行わなければならないのです。それで、十月十日にパンタナールに行って式を行い、それから、ウルグアイに行って訓読会の伝統を立てるように指示したのです。 今後、残されたことは何でしょうか? 先生は霊界に行くのです。今後、真の父母はいなくなるのです。真の父母の息子や娘たちも皆逝くのです。逝けば、この地に残る生は、真の父母から残されるのです。真の父母の子女から残すのです。真の父母の血統による一族が残すべきものは何でしょうか? 主体の前にサタン世界は対象なのです。皆さんの子孫が、み言を絶対信仰しなければなりません。 原理のみ言というのは、神様が絶対に信じてこられたのです。そのようにしなければならないのです。この峠を越えることによって、絶対愛の相対を求めるのです。無限に投入して、投入して、忘れてしまい、為に生きて、為に生きて、忘れてしまえる愛を抱いた者だけが、天の直接の愛と生命と血統を受け継ぐ、直系の子女としての資格をもつのです。 それが個人から世界に平準化、代表的家庭が接した世界になるとき…、神様と真の父母の前に相対的な家庭となるとき…、それは家庭的メシヤの完成、氏族的メシヤの完成、国家的メシヤの完成、世界的メシヤの完成をしたという資格を……真の父母を認定すると同時に、真の父母の子女の名分をもった祝福家庭が、その前に立つとき…、家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤの上に立って、神様が「すべて完成した。みな成就した」と言えるのです。そのように神様を中心として、真の父母の実体の前に対象的な家庭をもった民族、国家、世界の代表者になってこそ、相続がなされるのです。 今、家庭では相続できないのです。皆さん、個人が祝福を受けることでは、相続は成されません。サタン圏をすべて超えて、第四次アダム圏、第四次アダム圏の代表になれる人類の代表、人類の個人的代表家庭・氏族・民族・国家のすべての結実が、真の父母なのですが、神様自体の実のような種が移されることで、そこから皆さんが自分の子女を祝福する時代へと展開していくのです。その時から地上・天上天国が連結されていくのです。そのような時代に移行していくのです。 なぜ、このようなものを写真に撮っていけと言うのでしょうか? 皆さんが百八十五か国に行って……、今日ここに十二種類を広げて、それを写真に撮って、石の箱に入れて、写真の品物が何だったか、はっきりと見えるようにするのです。十二種類を写真に撮って、どの時代においても、その国の代表的な祭物の足場となるような記念物として残しておけというのです。 万物を愛する、そのような家庭になったときには……。万物は自分の所有ではありません。地上において堕落した人間たちには、自分の所有というものがありません。サタンが盗んでいったのです。自分の体は自分のものではありません。サタンのものだったのです。夫婦は自分のものではありません。サタンのものなのです。これを断切するのです。 アダムとエバが堕落する前は、その所有は神様の所有であると同時にアダムとエバの所有でしたが、これをすべて失ってしまいました。ですから、世界祝福を受ける前に、万物の統合解放圏を成すために……。今日が三十六回です。十二数の三倍。アダム家庭からノア家庭、ヤコブ家庭まで三十六数です。それは蘇生十二数、長成十二数、完成十二数の三十六数を代身したものです。これをすべて統合した数です。それで今年はとても意味ある年なのです。そのような式典が今、先生が祈祷することによって終わりました。 この万物を十二種類ずつ取って……。何でもいいのです、何でも! 一つも欠けないようにしなさい。全体のうち一つも欠けてはなりません。そのようにすることで、全世界百八十五か国が今日の解放的祭物をまつり、統一的な所有時代を迎えて……。 これまでは自分の所有時代でしたが、これからはみな教会の所有に移転しなければなりません。所有権を転換しろというのです。自分たち個人が、そのまま所有してはいけません。真の父母の所有権でもありません。教会の所有、国の所有、世界の所有、その次には天宙の所有として、真の父母がこれを神様の前に捧げてこそ、神様の所有となるのです。そこから新たに祝福を受けた血統を通して相続できる立場に立ってこそ、天の国の所有権を引き継いで、自由に振る舞うことができるのです。天の国に直通するのです。妨げるものはありません。祝福を受ければ地上世界・天上世界のどこにでも通じるのです。 このような時代が来て人間が解放圏に立つので、地獄の門も開けておくのです。地上解放が実現したのです。三億六千万双には泥棒はいないでしょうか、マフィアはいないでしょうか、テロ集団はいないでしょうか、ありとあらゆる者が皆いるのです。彼らを祝福してあげるのです。これをなしたゆえに、天上世界の門を条件的にでも開け放ったのです。 だからといって、誰もが皆、天上世界に入っていくわけではありません。そのためには、自分が個人完成して、氏族完成のために投人しなければなりません。個人は家庭のために犠牲となり、家庭は氏族のために犠牲となり、絶対信仰・絶対愛・絶対服従をしながら上がっていくのです。僕の僕の立場から僕の立場、それから僕の立場で忠誠を尽くして一つになり……、そのように生きた人たちに、祝福を受けられる秩序が生まれるのです。 僕の僕から、僕から、そして養子から庶子の立場に上がっていくのです。庶子は養子の代表者にならなければなりません。それから、庶子の立場から直系の子女の立場に上がっていくのです。直系の子女たちも、自ら生きた供え物にならなければなりません。このようにして、やがて父や母となって、自分たちの息子と娘も生きた供え物として捧げていかなければならないのです。これは裂くことはできません。絶対に一つになるのです。真のお父様の教えに絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければなりません。異存はありません。異存はないのです。これまでは勝手にやってきました。これからは完全に一つにならなければなりません。 このようにして、この一つになったものを……。神様が出発当時に絶対信仰したように、真の父母はこのみ言と共に絶対信仰しました。再創造のみ言なのです。復帰のみ言なのです。絶対信仰です。疑いがありません。それが嘘でも絶対信仰するのです。嘘でもサタンの言葉を神様の言葉として信じれば、長成期完成級に行ってそれを神様の言葉として信じれば、サタンが所有権を引き渡さなければなりません。 ですから、今はどんな時かといえば、サタンの役事、反対の役事が起きても、恐れるなというのです。真の父母を愛する心を抱けば……絶対信仰が先立ち、愛の心が先立ち、真の父母を誰よりも思う人は、嘘をついても許されます。そのような解放的な標語を知らなければなりません。 神様は創造当時に絶対信仰を抱かれたのです。絶対的に愛したのです。絶対的に自分を投人して愛の対象をつくりました。それで、父母という形状をもたせたのです。愛の対象、実体が必要なのでつくったのです。天上世界・地上世界において実体がなければ、実体の子女を指示できないので、形状として体をもたなければなりません。これが完成した真の父母の形態です。その次に何ですか? 愛の対象です。神様が地を中心として愛することのできる愛の対象が必要だったのです。その次には何ですか? 繁殖しなければなりません。これが三大要素です。 創造目的の一番目は形状が必要であり、二番目は愛の対象、三番目は繁殖です。垂直で縦的な世界である霊界には繁殖がありません。縦的な世界には面積がありません。ですから、横的な人間の実体世界を中心として、この空間世界の無数の面積の中に、無数の万民を繁殖して、天国をつくるのです。その国を数多くつくっても、それはすべて天国の花と同じです。香りが同じだというのです。それがみな天の栄光となり、天の誇りとなり、愛を中心として永遠に和合する家庭的な理想天国、天上の無限なる世界、理想天国、神様の自由解放圏として、億千万世に、共に生きるのです! アーメンです。(二九三-一一〇、九八年五月二十六日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.17
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