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「陸地還元」宣布二〇〇〇年六月二十四日午前、真のご父母様は、韓国で活動中の国家メシヤたちをソウル漢南洞の公館に呼ばれ、祖国光復についてのみ言を語られた。引き続き午後の集会では、全国十六の市・道(ソウル六名)の連合会長十九名を任命された。新任の連合会長たちが簡単な会議の後、「二〇〇三年までに祖国光復と解放のため身命を捧げて南北統一を完遂する」と決意して、敬礼を捧げると、真のご父母様は午後五時三十分、祝祷を通じて「陸地還元」を宣布なさった。 み言 国家メシヤの後継者は、神学校を卒業して、行って杭を打たなければなりません。すべて計画を立てなさい。いちばん能力のある者を天に捧げるのだと考えなければなりません。この世の中では泡のように流れてしまう者が多いのです。いちばん貴いのは、その一族がどれだけ天の国の民を教育し、国の中心人物となりうる人材を育てたかということです。その功が大きいのです。世の中では霊界の事実を知らないのでそうなのです。 今は皆、故郷に行かなくてはならないでしょう? 皆、自分の故郷に帰っていきますか? どうなっていますか? 縁故地で四名ずつの班を組むでしょう、教育する班を。縁故地に行ってそこの教区長や教域長と合わさって、四名が一つのチームになり、自分たちが活動していきながら、再び四つのチームに分割するのです。その下に教会長を中心として、そのようなことをして統・班に下っていきながら、能力のある全国的に優秀な家庭は、外国に送り出すのです。何の話か分かりますか? 今、十六の市・道を中心として見ると、一か所に十一名以上が行くのです。百八十名が行けば、一つの道に何人ずつですか? 万一病気で責任を果たせないときは三か月が過ぎれば人事するのです。病気だからといって、そのまま置くわけにはいきません。そうでなければ、自分の妻とか息子・娘を配置するのです。できないときには人事措置をしなさい。 そして一八〇家庭を祝福してあげましたが、彼らはカイン的な基準なのです。自分の血族ではありません。自分の直系の家庭たちを配置して家庭とともに、自分の一族とともに集まり、姉妹血縁を結んで、ともに祝福してあげなければなりません。アダム家庭は兄妹同士で結婚したでしょう? ところが、カイン、アベルが怨讐になりました。そのように結婚させて国境を撤廃するのです。 自分たちが祝福してあげた一八○家庭をそのまま放っておくのではありません。自分が金氏ならば金氏の一族も、劉氏ならば劉氏の一族、近い親戚を束ねるのです。姻戚の八等親までもかまいません。母方の親戚まで合わせて一八〇家庭を束ねて、三六〇家庭を築くのです。家庭教会をやっていたその運動基準を築かなければなりません。こうして、その三六〇家庭が国家メシヤを手助けするのです。外国に宣教に行かなければならないのです。そうしてこそ、氏族たちが世界に行くことのできる道がつながります。自分につてがあってこそできるのではないですか? ですから、今や優秀な人は、自分の息子・娘のうち天才的な素質のある人は、混迷する世の中に置いておくより、天の前に奉献しなければなりません。今後、私たちは神学の勉強だけではいけません。必ず世の中の勉強をして神学校に行けというのです。二つ以上の学位を持たなければならないのです。 それで、霊的な基準である神学校を中心として今後体制を教育していくのです。心が体を支配していたのと同じようにです。外的な活動をしていても、心の命令を受けるのと同じく、信仰基準を中心とした教養を持った基準で社会生活、経済生活してこそ、社会が浄化します。今後は、すべて行く道がそうなのです。優秀な人たちをそのようにしなければならないのです。 世の中を見ると、ゴミ箱のような者たちが神学校に行っているでしょう? 私たちの考え方を根本的に直さなければなりません。卒業試験するときに評価して、優秀な人を国家が指定して神学校に送るのです。そして、自分たちが勝手にはできません。十二支派ならば十二族の編成が展開されるからそうなのです。十二の月というのは何ですか? 春夏秋冬と季節が違いますが、十二の月は自分の季節的な特性を代表しうる主体なのです。 ですから、それを今後、協議にかけてどの学校に送るか指定しなければなりません。自分の息子・娘をお金があるからといって勝手にはできません。どんなにお金がたくさんあっても、勉強ができなければ行けないのです。今はそのようにできる時です。三か月が過ぎれば人事措置をするのです。 今の時がそうです。皆さんが南北統一に対する主体的な力量を持って、南北統一運動をしなければなりません。南北統一が進まないからと、摂理のみ旨の前において、いつも延長させることはできません。三年以内に、四年までに片付けなければならないのです。 そのためにはいかにすべきですか? 北朝鮮との南北統一が問題ではありません。韓国を中心として見れば、南側の国のいかなる国であれ、姉妹関係を結ぶのです。これは国境ではありません。大陸を境界線で一つにできるこれを選んでおかなければなりません。 そのような意味から、韓国を中心とした南側の国であるウルグアイをすでに十八年前に、二十年前から先生が準備したのです。それで、そこで大統領をした人物たちが、三人の前職大統領が今も生きていますが今回、辞任したのがサンギメティー(フリオ・マリア・サンギメティー)です。この人を私が使おうとしています。私の側の人物として南米を中心としてUPI通信社に代わって大陸の責任者として使おうと思います。 それから大陸を中心として、南米三十三か国が責任者を立てるのです。UPI通信社をそのようにしなければなりません。三十三か国の国家のうちには責任者がいるので、UPIを中心として新聞社を後援するのです。大統領の経歴のある人物たち、有名な言論人、その国の著名人たちが後援しているので、新聞社を媒介にしてUPIが吸収しなければなりません。フランスでも何でも全部です。いちばん最初には多いですが、二か所はプラス、マイナスにするのです。UPIを支持できる立場で取りまとめて、統一してしまわなければなりません。あれこれと複雑な道がありえないのです。 それで、国家ならば国家の内にあって新聞社を中心として、教育機関、学校と束ねてなさなければならないのです。また、この通信社は世界の各国の新聞社と束ねてなさなければなりません。それから宗教と国家を超宗教超国家連合で束ねていかなければなりません。残るとするならば新聞社と通信社です。新聞社と大学連盟です。これは人脈を必要とするのです。キャンパスを中心とした学者たちを中心として、これは一国の新聞社も必要として、世界の新聞社も必要とするのです。これを連合して国家的な教育と世界的な教育を連結させなければなりません。これが分かれてはいけないのです。 今はそれが通じないのです。世界の言論機関は手ごわいのです。皆、優秀ですが、連結しておかなければなりません。その次に超宗教超国家連合も連結させるのです。 では、残ったのは何かというと、金融機関です。金融機関は、政治と経済問題を連結させるのです。今後、政治の世界というのは管理体制であって指導体制ではありません。政策というのは計画を立てる必要がありません。原理的な観点で平和のために暮らすのです。国家のために全体の前にお手本を示すことのできる、為に生きる管理体制であって、指導体制ではありません。 その管理体制で何をしますか? 経済的な問題、人が食べて暮らす生活が重要なので、生活面を指導的に解決できるようにすべきなのです。ですから、生活するにあたって上・中・下の三階級に分けて上級は生活基準がどれだけ、中級はどれだけ、といった具合に、これを中心として平準化するのです。中級になるときを中心として連結させ平準化しなければなりません。そうするには世界が必ず国連と一つにならなければなりません。整備管理を徹底しなければならないのです。政策を誤まって立てれば、経済の管理体制を破綻させてしまいます。 ですから、一家の生活のような計画を立て、一年にいくら、全世界の予算がいくらかかるかということ、上はいくらで、中はいくらで、下はいくらというのが出なければなりません。そして上はできるだけ中を中心として降りていきながら下を引き上げ、平準化させて合わせていかなければならないのです。そうした体制を築かなければならないのです。 ですから、政策的な方向がすべて異なれば、経済的に行くべき方向が無数に分かれてしまいます。そうすれば問題が生じるのです。平和の世界は、絶対に訪れないのです。それで政治体制が一つの管理体制にならなければならないのです。 いちばんの問題が政治問題です。政治家たちが詐欺をすることはできません。管理体制になっていきます。法によって保障された道を行かなければならないのです。問題は何かというと、お金の管理です。食べて暮らすのに、誰が良いものを食べて、誰が良いものを持つかというのです。これが問題なのです。良いものを互いに持つと言ってはいけないのです。良いものは全体のために与えて、中以下のものを自分が願うようにすれば、自動的に平準化がなされるのです。 それで今後、いちばんの問題が何かというと、公金の活用です。これがいちばんの問題です。その次には人事措置です。この二つです。人事措置を自分の系列を中心として行い、民主主義とか何主義とか言って野党、与党に分かれたのです。ですから、国家の傷跡がどれほど大きいですか? これまで携わった仕事に熟達した人たちが、負けて流れていってしまうのです。そうでなければ、中間で負けてしまい、そこでそれ以上は上がっていけないのです。その場で回りながら下っていくのであり、上がることができません。ですから、政治がなくなります。管理体制となるのです。すべて管理するのです。お金を分配してうまくやるか否かを管理するのです。 ですから、いちばん初めには服も制度化させるのです。そして今後、物の良し悪しを何で区別するかというと八色で区別するのです。今も何か良い品物を買うには色を見るのです。どんな色かというのです。虹の色があるでしょう? 人は色をうまく合わせなければなりません。服もお金があるからと高級服を買って着ますが、色が合わなければめちゃくちゃです。そのような面から相当に発展しなければなりません。そうであるだけに今からそうした訓練がなされていなければなりません。 自分の家庭を中心として標準化してはいけません。その村ならば村の上・中・下を中心として、そこに合わせて暮らさなければなりません。そうして、一か月に一度ずつ私たちの上・中・下の生活基準がいくらであるとして、主生活費はいくらで、経費はいくらで、消耗費はいくらと、その基準を中心としてどこに何をして、どのようにしていくかという、自動的に会議の結果によって翌月はどのようにしていくかが定まれば、そこに合わせて暮らさなければなりません。 私たちの生活方法を保障するのはいつも法です。月給をいくらかもらえば、今月は何パーセントの人の金額がいくらだ、というようにです。上・中・下によって比例基準が異なるのです。それを鉄則として守るのです。それが間違えば、霊界の自分の生活に侵害を受けます。霊界がそのようになっています。 資本主義社会のようにお金を積み上げて、暮らすことはできません。私はお金を積み上げていません。今後、息子・娘と共に暮らしても息子・娘の村全体の平準基準が三人ならば、三人を基準として四人、五人になれば生活を比べた基準を自分たちが協力して付加しなければなりません。百世帯が住むならば、百世帯が分割して赤ちゃんの多い家を助けるのです。兄弟なので甥や姪のように考えなさいというのです。それで今後、村で結婚するのです。助けてあげた家、助けてあげた因縁に従って連結されることによって、平和の基盤がだんだん拡大されていくのです。 国家メシヤたちが一八○家庭ずつ祝福しましたが、皆どこに出してしまいましたか?皆、いますか、いませんか? どこかに引っ越せば報告させ、住まいに関する問題も管理しなければならないのです。こうして自分の一族を中心として会議して話を聞いて、一八○家庭をやった外部の人たちを集めて、劉氏ならば劉氏の家門の一八〇家庭と結んであげるのです。結んで一つにして、今後結婚させなければならないのです。村の中でいえば、李氏とか、金氏とか、朴氏とか皆、境界線があるでしょう? そのようにすることによって、境界線がすべてなくなるのです。 そして、これからは国際結婚しなければなりません。自分の何代かの後孫のうちに、数か国の人たちが入ってきて暮らすようになるのです。それで、村に世界各国、百八十か国の人たちが集まって暮らすのです。私たちはアベル的な国際結婚をした人であり、彼らはカイン的な国際結婚をした人です。国際結婚した人は寂しいのです。どこに行っても集まって住むのです。こうして保護して国際結婚した人のクラブが自国の人たちが集うクラブよりも大きくなると、その世界を包摂するのは問題ないのです。 先生の家庭も孫の時代には、国際結婚させなければなりません。三代目には国際結婚するのです。世界民族を編成する先祖たちです。そのような概念がなければ、世界人類が一つになりうる道がありません。先祖の心を持たなければなりません。先生の家庭の二代直系子女は国際結婚させることができません。そうすれば問題が生じるのです。 さあ、それでは行く道を先生に任せるのです。それ以外にもう一つ話すべきことは、皆さんが南北統一を四年間に成就できないときは問題が生じるのです。問題が生じるというのです。宿命的な課題をおいて、決定的な運命を打開すべき立場に立っているということを知らなければなりません。 それがもし、できないときは、どうなるかというのです。それで、このような準備をするのです。東西があります。平面に東西です。横的に一つになったのは民族的な基準ですが、縦的な基準で南北が一つになりえなければならないのです。二重民族です、二重民族! 韓国とウルグアイがそうです。 ウルグアイの国は地の果てにある国で、極です。そこに新聞社を設け、銀行も設け、ホテルも設け、教育機関である学校まで設けようとするのです。やったならば、すべてやったでしょう。 世の中の人たちは皆、百人いれば百人が後退して放棄するものと見ていたのです。先生は放棄しません。損しながらもやるのです。それがその国において、誰よりも信任できる一つの伝統になるのです。 今、大統領もそうであり、前職大統領の三人は完全にみ旨を中心として、全国民の教育を私に任せました。六十余名をやれば、統一するのは問題ないと言ったのです。その次に二百名? 二百名はいっぺんに呼んで三日だけすればすべて終わるのです。ALC(アメリカ指導者会議)教育をするのです。そのようにできる時が来ました。国を復帰するのは難しいことではありません。アメリカで実践しているのです。韓国も知っていますか? 日本も知っていますか? 帰っていってそのようにやるのです。本をもってそのままそのやり方でやるのです。 その次には大学に行かなければなりません。キャンパスに出入りする人たちを軍隊の訓練をするように、すべて思想武装をしてしまわなければならないのです。そうすれば、すべて終わるのです。どこに反対する人がいますか? 今や私に反対せよと言ってもできません。反対したとしても得することはありません。力で見ても、何で見ても世界的な版図を築きました。今、アメリカの国務部が私たちの本を学ぶのです。大会を開くと、国務部が私たちの下に来て学ぶようにと言います。 以前、アジアの言論人と西欧社会の言論人が集うといったとき、国務部が笑ったのです。レバレンド・ムーンは手しかないのに、誰を集めるのかというのです。自分たちがどんなに集めようとしてもできなかった人たちがすべて集まってきたので、私に大使館を連結させて働かせることができるように許可してくれと言ってきたのです。それで、それを連結しようと許しを得てそうしたのです。私たちの世界の人脈にかなわないのです。それを知っていますか? 彼らを教育さえしてみなさい。すべて終わるのです。 ですから、そのような教育をすることができる訓練がなされていなければなりません。これから皆さんが国際舞台に出て、生存基盤を築かなければならないのです。国家を越えて世界に連結させるという召命的な責任を完遂できるか否かという試みの過程に入っていくのです。公式的にやらなければならないのです。それが早道です。 皆さんが何かをするようになれば頭が複雑になるのです。単純化させなければなりません。それで原理講義も公式化するのです。単純でなければなりません。十人、百人が入ってきてもそれが良いのです。公式を崩してしまえば、ありとあらゆる立派な人たちが統一教会に入ってきても、すべてぼろ切れのようになるのです。自分が暮らしてきちんと定めておいてこそ、それを中心としてそこに補っていくのです。第一、第二、第三分野まで拡大して、それ以上は必要ありません。 教本を皆持っているでしょう? 皆にあげるように言いましたが、もらってきましたか? 英文になっていますが、英語の勉強をしなさい。それをすらすらと覚えれば、英語もすぐに学ぶのです。大したことはありません。英語は暗記する方法しかありません。 どのようにしようと言いましたか? 私がこれから祈祷しなければなりません。皆さんが四年間に南北統一に責任を持つかというのです。決定的に責任者だというのです。できないときには、民族をすべて追い払ってしまわなければなりません。放棄してしまわなければならないのです。大移動するのです。それで皆さんを収容できる済州島ほどの土地を買うのです。統一教会の信徒は、いくらでも食べて暮らし、押し込めば何でもすべてできるのです。 どのようにしますか? 私が先に海洋還元祈祷をしましたが、これから大陸還元祈祷をしてあげなければなりません。済州島に行って、海洋と大陸を結んであげる祈祷をしていかなければなりません。そうすれば、私の責任は終わるのです。皆さんに任せたので、やるならやり、やらないならやるなというのです。ウルグアイで現在、家を買って宮殿のように立派に建てておきました。皆さんは働くならば働き、やらなければやるなというのです。私は今そこに行って休むのです。皆さんに任せてもよいでしょう? 問題ないでしょう? 日本もそうです。日本はフィリピンに匹敵し、韓国はウルグアイに匹敵します。極と極を設けなければなりません。フィリピンが日本の占領地でした。そこはアメリカの領土でした。アメリカを料理するためには、フィリピンを前に立てなければなりません。日本の女性たちがフィリピンの女性たちを連れてアメリカに行って働ければ、通訳させて、とてもよいのです。妹のように従えることができるのです。 南北統一ができるように日本が助けなければなりません。日本人たちが財産を処分するか、何かを売るかして、三分の一を中心として、北朝鮮の人たちを食べさせることをやれば、統一は問題ありません。どのようにしますか? そのままあなたがたが、この四年間に南北統一に責任を持って、突き進むというならば、そのような祈祷をしなくてもかまいません。どうしますか? それを決定するのです。 万全の備え? 完全統一することが万全の備えです。それが万全であって、他に何がありますか? 第二の案として良いものがありますか? 韓国人にすがって泣きわめいて血筋が動き、骨がきしみうる、同化しうる環境が縦にも、横にもすべてありますが、異国の地に行けば問題が生じます。 それを決定しなければなりません。本当に国に責任を持つかというのです。責任を持てなければ、皆さんの親戚とか、何とかすべてが分かれて、ふろしきに荷物をまとめて私たちは離れていかなければなりません。だからといって悪くなるのではありません。南北が連結されて一つになるのです。横的に、水平に一つになるのが、縦的に一つになるのです。縦的というのは、立場が二つではありません。違います。横的には立場が同じでしょう? 縦的な立場に立って、同じ氏族を中心として、横的な面において板門店を中心として、横的に連結するのです。そうすれば、横的基準はすべて消化できるのです。それができずにいるので、縦的な面を中心として対峙しておいて、今やアメリカさえ一つにすればいいのです。アメリカさえ一つになれば、すべて一斉に解決されるのです。ですから、教育が残りました。それでソ連も教育するのです。中国とソ連に命じて北朝鮮に影響を及ぼそうとするのです。日本を通じても影響を及ぼさなければなりません。 早く決定するのです。それには、どうすればよいですか? 間違いなく責任を完遂しますか? それが何かというと、皆さんが責任を果たせなければ、皆さんをすべて置いて、先生の家庭だけ治めて、このみ旨を果たしていくのです。その国に行って教化させるのです。南北を旧教と新教を中心としてアジア大陸以上に一つにするのです。そこは資源があり、文化の面で基盤が整っています。移すことができるのです。アジアでイエス様を殺すことによって、西側にすべて行ったのと同じことです。 私がこの民族に対する責任を、それ以上にすべてやったのです。北朝鮮と韓国が私の言葉を聞けば、世界的な基準をかちっと移してあげるのです。いっぺんに世界基準に上がっていける道をすべて整備しておきました。 決定しなさい。それはどういうことかというと、皆さんが決定すれば、皆さんは仕事をして、私は南米に行って存分に暮らしてもいいのです。あなたがたを助けるお金をもって、そこで暮らせばいいのです。北朝鮮を助けて、あなたがたを助けることのできるお金を、韓国を助けることのできるお金をそこで使えば、韓国以上に一つにできます。 どうしますか? 責任を持ちますか? 責任を持てなければ、祈祷するのです。国家メシヤたちは、イエス様のように楽園で神様のみ旨が成就するときまで、待たなければならないというのです。それができなければ、再び世界が復帰されうる時を数千年でも待たなければならないのです。今、韓国で生まれる赤ちゃんたちは、先生の運勢に乗って立派な子が生まれます。最近、電子世界の先端を走るのも天の運勢によるものです。 私が韓国人に反対され、韓国のキリスト教に反対されたことを考えると、とてもむしずが走ります。今はなぜ私がこのようになったか分かりません。かわいそうだったのがさあーっと引いてしまいます。本当に私も不思議な人です。昔は朝鮮半島の故郷の山河を思うとほのぼのとしたものですが、今は次第にそれが薄れていきます。天が離れるのです。私が共産党を中心として何度ですか? 統班撃破を三回までやりました。三回までやっても失敗したら、それにすがることができますか? どう考えますか? それで、孫たちを国際結婚させて、孫の嫁や夫を立派に育てなければと考えるのです。韓国人よりはましでしょう。 ウルグアイの人たちは、ブラジル人とは結婚しません。また、アルゼンチンをばかにしています。それは教育を誤まったからです。信仰の伝統が立っていないのでそうです。私が連れて働かせれば、おじいさんとして若者たちが一生懸命に従わないことはありません。 私がそうする余力があるのです。畑を耕してもそうであり、船に乗ってもそうであり、穴を掘れと言っても、誰よりも早く掘るのです。肥料工場に行って三年間、肥料の山を掘ったのです。ですから、つるはしを扱うのも上手ですし、シャベルを扱うのも上手です。今でもそうです。私が食べて暮らすのは心配しません。どこに行っても何の仕事でもさっさっとこなすのであり、遅れを取らないのです。ですから、どこに行っても恐さを知らないのです。パンタナールに行ってアナコンダ(大蛇)の棲む園に行って暮らしても、私は生き残れると考えるのです。 皆さんが責任を果たせない日には、他の国に行くのです。すでに約束しておいて、できないときは、先生はふろしきを包んで、皆さんを置いて引っ越すのです。本来ならば先生の息子・娘を誰よりも愛すべきでしょう? それを歓迎する環境が、韓国になるのです。 神様がイスラエルを失ってしまわれた悲しみ、キリスト教を無にした悲しみ、私もそれを感じなければならないというのです。韓国を無にした悲しみ、それよりもみ旨をもっと愛する心があるので、悲しみを忘れて回れ右して、行かなければならないのです。 日本はフィリピンと一つにならなければなりません。韓国がやらなくても、やらなければなりません。日本が責任を果たせませんでした。アメリカを料理するには、日本人自体ではだめです。フィリピンを抱いて、フィリピン人を通じてやるのです。皆、英語ができるでしょう? 日本人は英語ができますか? 難しいでしょう。兄弟のように結んでカイン、アベルのように二つの国が協力しなければなりません。それで、アメリカとフィリピンを近づかせて、北朝鮮も包括してそのようにしなければならないのです。 どうですか? 皆さんが南北統一を受け持ちますか? 他の国を加えますか? 主導的な役割は皆さんが果たさなければなりません。それでは中心的な役割とは何ですか? 南北統一をして大統領も皆さんが立て、国会議員も皆さんが思いどおりにすることができなければなりません。それをやるために教育しなさいというのではないですか? 教育すればそれが可能なのです。間違いなく可能です。八〇パーセント以上です。あらん限りの精誠を尽くしてやりなさい。 先生は難しい環境において、これまでアメリカを中心として三十三年間、闘ってイエス様の三十三年を蕩減して、復活させるみ業を展開してきたのです。個人復活ではありません。宗教復活です。 皆さんは一生の間、責任を果たしたことが一度でもありますか? 先生が整えておいたその道の上に橋をかけて、機関車までつくり、レールの上を走る車に乗って回るだけだったでしょう。そうかといって、家庭といっても、天の前にささげることのできる家庭を持ちましたか? 家庭の垣根になれるのが氏族であり、氏族の垣根になるのは国ですが、氏族もなく、家庭もそのようになっていません。国の垣根も持ってこそ、安着できる環境になるのに、それもできないで何をしますか? 国家メシヤたちが来て何をしますか? 祖国光復をしてこそ、自分の妻と息子・娘を生かすことができるでしょう? 配置するとき、そのようになっているでしょう? できなければ、息子・娘に会えません。蕩減する前には、また繰り返さなければならないでしょう。それで再臨してすべて反対するようになれば、先生が繰り返すのと同じようにしなければなりません。公式がそうです。誰かを信じてはいけません。自分の責任があれば、自分がやらなければなりません。本部から助けが必要とか、どうこう言ってはいけません。 きょう、新しく任命した責任者たちは、棒を持つか、野球のバットを持つかして、殴ってでもてっぺんから統・班の責任者たちまで、教育を完了させなければなりません。ですから、挙国的な国民思想武装を行うのです。そして、今回、選択した責任者たちに絶対に従っていきなさい。年齢とか、先輩だとか、家庭の事情とか、すべて公認しません。この目的の達成のため、一人の責任者を絶対的に信奉して歩むことを命令するのです。 そして、日本はフィリピンを助けなさい。二つの国が兄弟にならなければならないのです。そうすればウルグアイは本流なのです。その代わりに皆さんが生命を懸けてやらなければなりません。 祝祷 愛するお父様、二〇〇〇年六月二十四日を中心として、韓国に来て南米と北米を連結させる海洋還元を決定した後、今や大陸の南端にある朝鮮半島に来て、アジア大陸を中心として全世界六大州を連結させうる大陸還元が可能になりました。海洋と大陸が創造理想のうちにつくられたあなたの本然の園にあったものが、海と陸地の還元を中心として、天地ご父母様の前に連結させたものを、今日、この時間を期して、真の父母の御名をもって全天地に宣布いたします。 霊界の祝福された全家庭と地上の祝福された家庭が、新しい神様の真の愛を中心とした血統的な基盤を通じた、一つの入籍の権限を地上に立て、南北統一の完成を一族の血統を中心として築かれた因縁を通じて、持続的な権限をもって、主体意識を持ってやらなければなりません。 真なる主体は、真なる対象圏を消化、完成させるという原理基準から見るとき、韓国の野党、与党を、すべての基準を一つにして、絶対ご父母様の愛の心情を抱いて、心情的に北朝鮮の地を消化して、残ることができるよう祝福してください。そうして、あなたが願われた祖国光復の恨を解かれ、神様の祖国としての千年万年、永遠なる地上に地上・天上天国の基本に据えてください。全宇宙の被造万物の解放とともに、その中に主人となった人間が地上地獄・天上地獄にあったのを開門して、地上・天上天国の一つの祝福された家庭として、神様が選択した勝利の家庭として、永遠なる自主的な心情一体圏を備えた、単一民族的な血統を備えた、天地父母の血族として立ててくださいませ。 そうして万国を統治できる統一の世界に前進するにあたり、体、心がともに衝突がなく、家庭の夫婦と父子関係、また兄弟の関係、一族の関係を越えて、一国を越えて、全世界が統一的な伝統をもって、神様が自主的な立場で個人から天宙全体まで、自由に往来することのできる自主的な愛の主権国家を完成なさってくださいませ。全天宙の解放とともに、万世の勝利の栄光を全宇宙の存在世界とともに受けられ、栄光の天国の生活を図ることのできるよう、祝福してくださることを切にお願いいたします。 今や真の父母は今日、この時間を期して海洋とともに陸地を還元して、創造理想の愛の心情を通じた血統的な因縁の本然的な還元を宣布いたしますので、あなたが自主的な立場で主人となられて、億千万世の権限を中心として全体・全般・全権・全能の行使を整えられ、愛の全主権国家、愛の全主人の保護を受ける万物世界となるよう、許諾してくださることを切にお願いするものでございます。 きょう、六月二十四日、この時間を期して、すべての全体が還元されたものをお返しいたしますので、真の父母の代わりに天上の創造主が受けられて、永遠に勝利の覇権をもって、一方通行により平準化された天地を備え、地上・天上天国に前進することを願いながら、真のご父母様の御名により新たに還元完成を宣布いたします! アーメン! アーメン! アーメン! み言 今や国を見いだしたことを知らなければなりません。そこに反するすべてのものは除去されるという信念を抱いて突き進めというのです。 第二次世界大戦直後に再臨主が、この地に来たとき、カトリックと新教が合わさり一つになっていたならば、祝福された彼らが先祖となって、自分の母、父を祝福してあげるのです。今やそうした時代に帰っていくのです。それで国際結婚も怨讐同士で行うのです。三六家庭も好まない者同士を組み合わせたのです。 今回、自分の道(県)に行けば道議員から訓読会をやるのです。そのようにやるからと反対する者はいません。「南北統一がこの方法以外にあるか調べてみなさい!」と言うのです。堂に入ってやるのです。自分の側にするには既成教会に行って訓読会をやるのです。そうすれば、自分の側がたくさんできるのです。生命を投げ出してやれば、できないことがないのです。人は冒険をしてこそ発展するのです。(二〇〇〇年六月二十四日、韓国国際研修院)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.16
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「世界児童平和美術大典」大会の辞2000年6月23日 ソウル市内のロッテワールド民俗博物館で国連NGO(非政府組織)の世界平和教育者国際連合(IAEWP)韓国支部などが主催する「世界児童平和美術大典」が開かれました。 真のお母様は、その場に名誉会長として出席され、IAEWPが制定したグランプリ平和賞を受賞されました。IAEWPは一九六七年に米国で設立され、一九七三年に国連NGOとなり、現在、全世界百か国以上に支部を置いています。 その授賞式に先立って行われた「韓国動乱五十周年写真展および世界児童平和美術大典」のパンフレットに掲載された真のお母様の大会の辞を翻訳したもの。 「韓国動乱五十周年写真展および世界児童平和美術大典」に参加してくださった内外の貴賓の皆様に心から感謝いたします。愛と平和の象徴である子供たちが平和統一を祈願して開かれる今回の美術大典は、いつにもまして貴重な意味を持ちます。 きらきらと輝く彼らの目を通して映し出された絵は、器量の面においては大人と差があるかもしれませんが、内容の面においては、むしろ分断の悲劇と平和にもとづく南北統一への熱望がよりいっそう真率に描かれています。 私は、夫である文鮮明総裁とともに、国内外の各分野において国際的な平和団体を設立し、生涯を南北統一と平和世界の実現のために努力してきました。地球上で唯一の分断国家として、南と北の統一は、単純に韓半島が一つになるということにとどまらず、共産主義と民主主義、唯物論と唯心論の葛藤が克服され、統一されるということを意味し、永遠の平和世界のモデルが誕生するということを意味するのです。 このような南北統一の成就のために何よりも重要なことは、真の愛の心とその実践です。このことだけが、さまざまな障壁を崩すことのできる土台となるからです。南と北の統一は、条件なく与えて、さらにまた与え、ために生きて、さらにまたために生きるという真なる愛の心があるときに可能なのです。 戦争と葛藤と暴力に染まった二十世紀を超えて、平和と和解と愛のあふれる二十一世紀を成し遂げるためには、わたしたち全員が子供のような純粋な愛の心で世の中を変えていかなければなりません。 わたしたちは、平和の秘訣を子供たちから見いだすことができます。子供の世界には闘争と分裂がありません。ただ平和と愛と純粋さがあるだけです。 それは、空のように明るく、海のように青い本性の願いどおりに生きるからです。子供たちのように真の愛を中心として生きていくとき、わたしたちの心と体が一つとなり、家庭の構成員が和睦し、国と国が和解し、地球村に人類大家族を実現した平和の世界が成し遂げられるでしょう。 この平和美術大典を通して、戦争の傷によって苦痛を受けるこの地の数多くの離散家族の痛みを慰労し、また祖国の統一を念願する情熱の炎を燃やす貴重な契機となることを願いながら大会の辞を締めくくりたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.15
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【イエスの教え③】迫害される者は幸いです~2023/11/12 #ポッドキャスト #聖書 #信仰I am enough!平野耕一牧師のショートメッセージです。マタイによる福音書/ 05章 10~12節 義のために迫害されてきた人たちは、 さいわいである、 天国は彼らのものである。 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。使徒行伝/ 07章 52節いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。ガラテヤ人への手紙/ 05章 11節兄弟たちよ。わたしがもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、いまなお迫害されるはずがあろうか。そうしていたら、十字架のつまずきは、なくなっているであろう。テモテへの第二の手紙/ 03章 12節いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 全国弁連に牛耳られた岸田政権2023/11/13国際勝共連合(IFVOC)街頭演説 2023年11月10日街頭演説「このままでは日本は滅びる」からの抜粋です。
2023.11.13
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「海洋還元」宣布二〇〇〇年六月十七日、アメリカのアラスカ・コディアックにあるノースガーデンで真のご父母様は朴久培、尹キビョン、井上、神山氏など四名が参席した中で「海洋還元」を宣布なさった。 祝祷 愛するお父様! 今は海洋産業が定着できる時代となりました。すべてを成し遂げて、過ぎ去った日々を深く回想するものでございます。一九六三年から出発しました海洋事業が、今や世界的な版図を中心として、海洋圏の頂上の場をうかがうあらゆる準備をなし、過ぎし日を回想するとき、海を抱いて愛したその心を慰労できる子女たちがおらず、海の自然物を主人の立場で守ってあげる、そのような息子・娘がいませんでした。真の父母が現れてそのような事実を知り、その仕事を代わりにするために、五大洋を中心としてさまよった過去の歴史に思いをはせるのでございます。 その中にあって、天が万民の前に残す祝福の恵みのすべての礼物を、天の望みとともに、人類の望みとともに、真の父母の望みとともに一筋に連ねて、天の主人、地の主人、万民の主人として奉献できるその日を願って、これまで過ごしてきたすべてを今コディアックに来て……。 この地は歴史時代において、統一教会において忘れることのできない八定式を発表し、天父主義を宣布した所でございます。この日から世界の大変革をもたらした歴史的な起源を定めて、再び世界的な大混乱を収拾して海洋世界と陸地世界を連結させ、今や天の主人が海洋の主人を越えて、陸地の主人まで連結させられるようになりました。海と陸地がプラスとマイナスの相対圏を整えて、天に奉献できる摂理史的な宣布の内容と教えたすべての内容をもって、今やこの日を峠にして韓国の地に帰っていく道を残しております。 韓国の南北統一前進大会を中心として統一教会の全体食口は、国の主権が問題ではありません。サタン世界の与党、野党、南北のすべての主義が叫んで動くすべてのこと、欲望を通じて望んでいたすべてを踏み越え、ひたすら神様の心情的な願いを安着させ得る一日の基地を求めて喘ぎ、築きいく統一教会の群れをお父様、祝福してくださいませ。 この統一教会の国家メシヤたちは、長子権国家であるアメリカと一つになり、南北アメリカを連結させると同時に、世界の祖国光復とともに相対的な世界圏を築くため、四年間、韓国に配置され、その母と息子・娘は国家メシヤの基準を守ることとなりました。新しい体制に任命したすべては、一時のあなたの理想的な創造圏を望んだそのみ旨を終結させるための、最後の障壁を崩すためのものでございます。 このように配置して一心一体となり、あなたの心情が安着できる、本然のエデンの園に堕落のなかったアダム家庭が定着できるその日を抱くことにより、家庭を代表して氏族・民族・国家・世界・天宙を代表して愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮であり、解放的な真の愛の基盤を無限なる世界に連結させ、祖国と全世界と天と地が真の父母の心情と一致して安着できる、全体定着の一日を発表するための南北の統一時代をもたらせるよう、許諾してくださるように願う心を抱いて、韓国を訪問いたします。 南北韓の首脳が発表した内容を中心として、世界がざわついておりますが、そのすべてを天の勝利の権限として、いかに結実させるかというのが、天のみ旨に対する統一教会の群れたちが行くべき道でございます。ですから、厳粛に真なる意味において、これを一つの最後の焦点として見つめながら、心と体の限りを尽くして、ここに天の心情を植えんと願う、解放的な祖国光復の日を与えてくださるよう願って歩まれる真の父母、天地父母の道の前に永遠なる勝利と平和と栄光と尊貴がともにあることを切にお願いいたします。 韓国において祖国光復という言葉、解放の地上天国という言葉を私たちが新しい挨拶の法として発表したこの時から、第四次アダム圏……、天の進む前途に障害物を除去して、天上世界と地上世界にふさがっていた壁をすべて取り壊してしまい、地獄解放圏までともに備えて、地上の中心に定着できる祖国光復とともに解放の天国、天上世界が完結することをお父様、切にお願い申し上げます。 さらには北側と南側のすべての海洋事業を連結させて、これをお父様の前に奉献するこの時間をお受けくださいませ。今や海洋とともに陸地を連結させうるときを持とうと願う韓国の首脳を抱いてくださるようお願いします。 生命が水と空気によって維持されるのを考えるとき、新しい水、新しい空気、新しい生命体を持った解放の愛と共に和合できる一体理想の、あなたが安着できる全体を代表した家庭、国家を代表した祖国光復の基盤を整えられますように。億千万世、解放の天国を感謝しうるその原理……、真のご父母様の、天地ご父母様の恨を越え、解放の国に向けた万国が一つの厳粛なる国連国家形態を備えるすべてのみ旨の前に一念を整え、全人類がその目的に協助するようにしてください。地上天国・天上天国の国民とその一族となり、万物となって、天の主権の前に恥じることなき主権と民と万物をあなたの愛全体における勝利権限のうちに捧げてきました天宙に、永遠無窮にすべての全体の標的となり、一つの目的的な結果の基盤となりうるよう、祝福してくださることを切にお願いいたします。今や残された道、あなたの願い、なされるみ業が、お父様の祖国光復のため、アメリカとソ連と中国を中心としてオセアニアまで一つにならなければなりません。これは歴史的にすべての天の責任を果たす真の父母の願いが成就されたのでございます。このすべての大会を準備するのが、日進月歩に勝利の天国を開門できる起源的な行事となるよう、許諾してくださるよう切にお願いいたします。 地上と天上が一致圏となり、地獄と天国が一つになりうる時代において、南北の良心的な人物たちが一つとなり、祖国光復の脈を立て、天の血統的な因縁を備えて、循環の法度に天地が調和し、万物と海洋の万物が一体となりますように。そうして、受難のお父様の心情的な起源と永遠に通じることのできる自由解放圏、地上天国理想の完成、愛の統治主権世界に億万世、億万世、億万世、継続できるよう、祝福完成してくださることを切にお願いいたします。 この朝に、真の父母、天地父母、万物万象が注目する頂上において、このみ業をお父様の前に通告いたしますので、許諾されたみ旨と願いに一致されて、勝利と尊貴と栄光により、天の解放的な天上天国の愛の主権を備えるよう、許諾してくださることを切にお願いいたします。 この全体をお父様の前に通告いたします。天上の祝福された群れと地獄から解放された群れ、三十三名の彼らを中心として自分の分野の長として任命し、その世界を収拾して全権を抱いたイエス様を中心として、四大聖人と哲人、聖賢を中心として中間霊界、地獄まで収拾できる体系を完成することを通告するものでございます。ですから、このすべてが霊界から始まり地上世界に終着の起点として終えられるよう、全地上・天上世界の祝福された群れたちが一心一体となって、その目的に向かって前進、全宇宙解放圏を成就するよう許諾してくださいませ。そうして、天が永遠無窮に真の愛の主権の上に万世の主権権限を中心として、永遠に地上・天上天国勝利と栄光が溢れる世界に導いてくださることを切にお願いいたします。 この朝に、お父様の前に通告したことを記憶なさり、天上世界と地上世界に祝福の因縁を整えたすべての良心的な人物たちが、先祖や地上の祝福された家庭が一つになって、天上世界と神様の主権の権限を持って自由に現れうる全体・全般・全権・全能の世界に前進、前進、前進できる恵みを許諾してくださるようお願いしながら、真のご父母様の御名でこの朝に宣布いたします! アーメン! アーメン! アーメン! み言 今朝、先生が祈祷した内容を中心として「海洋還元宣布式」を行うのです。海洋世界の還元、帰っていくことを宣布するのです。このようにすることで、今や海上のすべての悪霊たちが、自分勝手に徘徊し、自分勝手に行動していた悪なる者たちがすべて除去されるのです。ですから、海でこれをなしたので、陸地と連結させなければなりません。 国連世界平和教育者国際連合(IAEWP)で、真の父母に賞を与えることにしました。国連五十五周年を記念した世界子供平和美術大典の授賞式とともに、韓国動乱から五十周年を記念するこの期間を中心として、国連の名前で賞を授かることに大きな意味があるのです。そうすることで、お母様を中心として四十万の子供たちに本立てを与えるのです。 今回、美術展を行ったのです。真の父母が子供たちとともに記念の表彰を受ければ、全世界の四十万の美術世界に関係している父母たちを連結できる一つの好ましい体制をつくることができます。このような重要な転換の時になると見通して歩む道であることを皆さんが記憶するように願います。 今からは私たちが魚を家で育てて送り出すのです。鶏を育てるのと同でように養殖して海に多くの種類の魚を送らなければならないのです。送ってあげて、愛してから捕って食べるのです。愛された万物は、主人の前に報いるために生命を生きた供え物として奉献するのです。それは万物が人間たちの前に食べ物を供給することなのです。それで今からは捕ることよりも、養ってから放さなければならないのです。 一九六〇年代には狩猟をして豚を捕まえたり、何かを捕まえたりして供え物としたのです。その次には海に出て、大きな魚から捕って……。今、私たちが海洋事業の分野で頂上の位置まで上がってきました。海のためになし、人類のために働いたすべてのことが、今や頂上の位置に上がってきたのです。 今やトップ・オーシャン号(Top Ocean)が、南極に行ってクリル海老を捕るのです。クリル海老は高機能タンパク質なので、万物を育てられる資源となるのです。小さいときからすべての動物たちを食べさせていける飼料になるのです。これは人類のための飼料です。万物のための飼料として私たちが供給していかなければなりません。それで、こうしたことを続けることで、海から人類の食糧問題を解決するのです。人類の食糧問題を解決する道は、この道しかないのです。 ですから、砂漠地帯までパイプを埋めて養殖場をつくることができるのです。私が何を言っているか分かるでしょう? アラスカにある石油をアメリカ本土まで数千万里を移送するのと同じように海水をどこにでも、また淡水をどこにでも移すことができるのです。淡水をそのようにするには、アマゾン河しかないのです。これを世界に送って砂漠地帯においても養殖を行うのです。魚を愛によって育てて食べて暮らすのです。 それと共に養殖場を砂漠につくれば、そこで水草をいくらでも育てることができるのです。今、陸地が次第に砂漠へと変化しているでしょう? その反対に人工的に養殖場を営み、それを中心として海洋の水草を育て、陸地の樹木とともに栄養素をいくらでもつくり出すことができると考えています。 私たちが養殖をやるのは、一つの分野だけに限りません。大砂漠ででも養殖ができます。食糧を無限につくり出すことができるのです。朴久堵がその責任者となっています。 海洋事業の最後の終着点を築くこと、コディアックと南極を連結しようというのが、夢のような話でしたが、今や実現しているのです。それで私がウルグアイに造船所をつくろうとしましたが、金クァンインが逃げてしまいました。造船所に関心ないでしょう? どうですか? 私たちは中間の造船所が必要です。韓国の金海にある造船所を私たちが買おうとしました。それが五万トン級です、五万トン級。それを買おうとしましたが、結局は二万トン級の造船所を買いました。 五万トンから十万トン級さえ越えたら……。それ以上の船はつくりません。中型船、五万トンから少しだけ大きくなれば七万トン、十万トンまで船をつくるのです。埠頭さえ一つつくれば、いくらでも拡大させられるのです。アルゼンチンに売るというのを私たちが交渉して……。アメリカがやったならば、本格的に建設したでしょう。今回、行ったら食口たちに連絡して調査するように言いなさい。 私が金クァンインに連絡します。現在、韓国から注文を受けたものを南米でつくることができます。私たちの造船所が今、二年以上の物量の注文を受けています。ですから、それを中心として包摂すれば……。大きな船をつくる時代は過ぎ去りました。今やそれは飽和状態です。日本とか、韓国とか、ドイツでそうした時代がすべて過ぎ去りました。大きな船はつくりません。中型の船をつくるのです。 中型の船をつくって今後、輸送船として使うのです。今後、ケミカルタンクやガスタンクをつくって原資材、化学原料とガスを世界に早く運搬しなければなりません。そうするには大きな船など必要ありません。五万トンから十万トン級が必要です。十万トン級以上は必要ないと見るのです。それを考えているので、売りに出ているなら、それを早く買えるよう交渉しなさい。 韓国に立ち寄って、私はすぐにアメリカを経て南米に行くでしょう。この期間にソ連と中国を中心とした大命アメリカで五十州を中心としたALC(アメリカ指導者会議)大会をやるのです。一万五千名の機関要員たちが教育を受けるので、完全に一つの方向に回っていくのです。こうなると、アメリカに来ている全世界の大使館と国連大使館の教育がすべて終わるのです。 そして、これまで私たちが世界的に訓読会をした要員たちを中心として、国家的な次元で束ねようとするのです。ですから、UPI通信が必要です。これまで私たちがサミットクラブ(世界平和頂上会議)とか、世界の人脈を組んだのを中心として、六大州のUPI、それから各国家のUPI代表を任命するのです。それで通信社を設けるのです。アメリカの通信社とイギリスの通信社、フランスの通信社がありますが、それが問題ではありません。 各国代表を中心として一方向に連結させて、私たちが今や国家を中心としてALC活動のような活動をすることで、完全に世界的な風土を造成して、言論を中心として……。三権分立が問題ではないのです。 大学連盟と言論界を中心として、その次に金融関係を中心として連結するのです。超宗教、超国家、超金融、これを中心としてその世界の重鎮たちをUPIの顧問団や理事にするのです。大統領を経験したこうした者たちは、年を取ってやることがないのです。言論界は死ぬまでやれるのです。ですから、六大州にそのような基盤を造成しようとするのです。 ソ連と中国がどんなに勢力基盤を持ったとしても、やられません。数干、数万の言論機関を中心としてそこに影響圏を持つときは、その方向性を中心として提示するとおりに動かなければなりません。ですから、各国家では大学連盟が国家の行く道を教育して、世界的な指導体制はUPIを中心として方向を整え、国連がここに協助できる国家形態を形成すれば、世界はそこですべて収拾されると考えます。 それで金融関係を一つにしなければなりません。フランスならばフランス自らの領土を中心としてドル圏と対峙して、スペインは自分の領土を中心として南米に力を往いで、アメリカと対峙しますが、それではいけません。その時代は過ぎ去ったのです。ですから、それを叩きつぶすには、私たちが何を持つべきかというと、海洋圏に対する基準を早く準備しなければなりません。 これまで造船所をやってきましたが、金クアンインがつぶしました。一興水産もなくなりませんでしたか? 韓国で一興水産の会社がなくなりませんでしたか? 一興という会社が問題ではありません。私たちは世界的な分野で委譲できるこの道を歩んでいかなければならないのです。 今から私は魚を捕って食べません。ですから、私が捕ったのは食べないのです。食べないで来ました。初めて捕ったものは生きた供え物として捧げるのです。死んだ供え物ではありません。今や生きた供え物として捧げなければなりません。一九六〇年代には捕って供え物として捧げましたが、これまでは捕るために供え物を捧げましたが、今は生かしてあげなければなりません。海から育てて、養殖して放してやらなければなりません。 動物も絶滅させてはいけません。すべて私たちが育てて放してやらなければならないのです。このような動物園をつくるのです。展示する動物園であると同時に、生産する動物園をつくらなければならないのです。 南米のアマゾン河地域とか、パンタナール地域には三千六百万種の昆虫がいます。昆虫も保護しなければならないのです。植物とか動物たちの餌なのです。これを保護して育てなければなりません。世界に種がなくならないように、保護しなければならないのです。 パンタナールには三千六百種類の魚がいます。この三千六百種の魚を中心として魚場を造成すると考えてみなさい。小さなものを育てるには、ビルを建てて一か所で管理しなければなりません。すべて平面的に管理できません。ビルを建てて管理しますが、温度を調節して人工的に熱帯地方、寒帯地方をつくりだすのです。 それを他の所でやるのではありません。パラグアイ地域を中心としてそのようなことをやるのです。それで植物と動物の種が絶滅しないよう保護しなければなりません。水草も保護するのです。自然公園地域のような地域をつくらなければならないのです。 飼料としてクリル海老以上のものはありません。アマゾン河で育つ昆虫がどれほど多いですか?海水と淡水の間で育つのです。虫たちも大量に育てようというのです。それがすべて餌になるのです。魚の餌です。草と他の魚を食べさせるよりも昆虫を食べさせて育てるのです。 神はいないと否定する無神論の共産主義は永続できません。神がいるという主義は、永遠に続くことができるのです。神がいないという論理は永遠に続きません。 科学の世界でも、弁証法の論理とか進化論は過ぎ去った歴史の遺物として残されたのです。科学的に神様がおられることを実証できる時代になったので、唯神論の世界に越えていってこそ平和の世界が訪れるのです。 平和の道は二つにはなりえません。一つでなければならないのです。一つにするのは統一教会しかできないので、統一教会は今や名実共に世界の一つの道であり、また霊界の解放圏を備えたので、神様解放の道になりえます。理論的な記録としてすべて見せてあげられる、誰でも認定できる時代圏内に来たので、世界は私たちの時代へと向かうのです。 朴久培がその中で海洋事業について養殖を出発するというのは良いことです。産業の復興と食糧に扶助できるこの道を行くのに、スタートが良いのです。クリル海老を中心として始めるのです。クリル海老が餌としてどれほど良いでしょうか? 無尽蔵なのです。それを売る必要がないのです。魚をもっとたくさん育てて食糧を補強しようというのです。 それで先生の考えは何ですか? ゴビ砂漠や、アメリカなど、大きな大陸には砂漠があるでしょう? その砂漠を開発するのです。潮水とか淡水を引っ張ってきて淡水魚、海水魚を育てるのです。海水をもっていくらでも養殖できるのです。こうしたことを見るとき、いくらでも養殖できるのです。海水がなくなりますか? 世界の砂漠地帯を養殖地帯に転換させるというが先生の考えです。 それで南極と北極を私たちが占めなければなりません。世界的な共同管理時代に向かえば、いかに管理するかというのです。それを保護して、管理できる国民がいません。自国の一か国の利益のために進むので、北極と南極の原資材がすべて飛んでしまうのです。共同管理できる一つの世界のため、貯蔵された産業復興のための原資材とは考えないのです。それを元返して管理して新時代の一つの資源地帯として活用しなければならないのです。 北極をどうするかという話をしたでしょう? 港を造成しなければなりません、港。船が寄港できる港を造成して、造船所をつくろうというのです。アメリカが先導的な立場にあるので、それをやるのに問題はないのです。 真の父母が死海を中心として海洋を踏査したのです。たくさん損害も被りましたが、人類の幸福に向けたその基地を連結させるため、そのようなことをしたのです。 これからパクー(Pacu)を養殖するのです。朴久培がパクーに似ているので、パクーについて関心を持つのは良いことです。私がここに来て知ったことは何かというと、ブラックフィッシュです。ニューヨークの沿岸にブラックフィッシュがいます。噛みつきさえすれば隠れるのです。そのブラックフィッシュに関心があります。ブラックフィッシュは日光を好むというよりは、日光を避けると見るべきです。陰鬱なるところに集まって棲みます。 砂漠に養殖場をつくるという試みは、たぶん私が初めてでしょう。陸地で養殖するのが収入は良いのです。飼料としてクリル海老を捕って、海の草と陸地の植物を混ぜて粉にして、化学食糧もつくり、化学飼料もつくるのです。飼料はいくらでもつくることができるのです。廃棄物を利用しても飼料をつくれます。木の腐ったのもあるでしょう? すべて飼料にすることができるのです。(二〇〇〇年六月十七日、アラスカ・コディアック)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.12
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韓国超有名作家キム・ホギョン氏の統一教教祖(文鮮明総裁)に対する証言https://www.youtube.com/watch?v=r7uYWqp7L882023/06/14改めてリンクを下記に入れておきますので、関心のある方はお読みください。<新刊掘出し閲覧>文鮮明評伝ーー人類を愛した平和の聖者[Book] 文鮮明評伝―― 人類を愛した平和の聖者https://search.shopping.naver.com/book/catalog/32503845625<本の紹介>文鮮明、彼は誰なのか?時代の異端児であるかそれとも人類を愛した平和の聖者か?極と極の称賛と非難を一身に受ける世界人物、文鮮明、果たして人間としての彼の人生はどうだったの?- 最初に出版された文鮮明一代記 統一教会(世界平和統一家庭連合)教主文鮮明が2012年9月に聖和(他界)してから満3年が経った。生前の文鮮明の評価は両極端だった。これは韓国だけではなく、統一教が旺盛な活動をしている日本、米国、欧州、南米でも同じだ。文鮮明は1970年以降、日本の入国禁止令が下され、ヨーロッパの多くの国でも入国が禁止された。なぜ少なくない国で文鮮明の入国を禁止したか。 彼は生涯6回刑務所に収監されており、彼の言葉と言動はいつもマスコミの追跡対象となった。 6回の監獄生活にもかかわらず、彼はどのように企業、教育、芸術で驚異的な業績を遂げ、数多くの議論と非難にもかかわらず、光復後、韓国の新興宗教として初めて統一教を世界宗教に育てたのだろう? 文鮮明、その名前だけで - 彼の言葉のように - 世界はワイワイうるさくなる。なぜ、何が、どのような理由で、彼は常に議論の真ん中であったか彼のいくつかの言葉が彼をいんちき階層的に追い詰めて行き、彼のいくつかの教義が、キリスト教からの攻撃を受け、どのような行動が、1970年代以降、韓国と世界を騒がせたか。彼の名前を言う自体がなぜ冒涜とまで考えられているか統一教会に接したという理由だけで指弾を受ける理由は何ですか? この本は、1920年1月6日文鮮明の誕生から2012年9月3日に聖和(死去)するまで92年の間、彼が行なったすべてのもの、彼が主張していた教義、彼がしたスピーチ、彼が成し遂げた成果、彼が訪れたところ、彼は作った機関や団体、組織などを網羅して、取材して、探検し、綿密に分析した最初の本である。主観的立場と教義を徹底的に排撃しながら客観的資料で彼の行なったスピーチ、行動に基づいて、果たして文鮮明は、韓国と世界にどのような影響を及ぼしたかを綿密に探検した。<続きはリンク先にて>
2023.11.12
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Web説教「消えることのない信仰の火 ~悪に対する敵愾心~」2023/11/10 #世界平和統一家庭連合 #Web教会 #礼拝家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「消えることのない信仰の火 ~悪に対する敵愾心~」説教者:柴沼邦彦ノアやアブラハム、モーセなど、信仰の基台のある人は、悪に対する強い違和感を持っていました。悪や罪に対して、絶対それを許してはいけないという敵愾心を持たなければ神の人とは言えません。許しは、やった行いをただ許してあげるのではなく、罪を犯した人が悔い改めた時に七たびの七十倍までも許すのが真の愛です。罪に対する敵愾心が無く許したならば、神無きヒューマニズムになってしまいます。今回は、罪に対する敵愾心を持つことについて、イエス様や真の父母様のみ言から考えていきましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.11
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第38回「真の万物の日」記念礼拝の御言成約八年 2000年6月2日(陰暦5月1日)ニューヨーク市 きょうは何の日ですか? (「『真の万物の日』です」)。きょうは「真の万物の日」ですが、何の日から始まりましたか? 「真の父母の日」です。「真の神の日」を立てる前に、「真の父母の日」と「真の子女の日」と「真の万物の日」を立てることによって「真の神の日」が始まるということを知らなければならないのです。 「真」という言葉をつけたのですが、そのような意義があるということを知らなければなりません。「真の万物の日」です。「真の父母の日」と「真の子女の日」と「真の万物の日」を持つことができるようになったので「真の神の日」が始まりました。「真の神の日」が立てられるまで、小さいところからずっと千年まで発展してきたのが蕩減復帰の路程であり、創造理想完成の路程なのです。 いちばん下は何かというと、万物です。「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」です。すべてここに帰らなければなりません。帰ろうとすれば、神様を解放しなければならないのです。神様を解放するにおいては、人間から上がっていくのですが、「真の万物の日」の前に「真の子女の日」があり、「真の子女の日」の前に「真の父母の日」があり、「真の父母の日」の前に「真の神の日」があります。 平面的な万物の日が出てきたというのです。万物を食べて暮らすすべての人が真の人になれるのではありません。それは、真の父母の教育を受け、真の父母の道に従っていくことによって真の人となり、真の夫婦として一つになり、真の天の国を解放しなければなりません。 そのようにして摂理の歴史は始まり、すべての正道を通過するのです。ただ一つ残るものは、神様の愛と神様の生命を中心とした血統と家庭と世界です。神様の恨は何かというと、真の愛の血統によってつづられた家庭と氏族、民族、国家を中心として世界を一つにし、天上世界と一つになり、天上世界の自由奔放な解放圏と地上世界の自由奔放な解放圏を成し遂げようとしたことであり、それが堕落以降の救援摂理史における全体目的であったのです。アーメン。(「アーメン」) それで、きょうが何の日なのですか? (「『真の万物の日』です」)。きょうは、どのような話をしてあげればよいでしょうか?。どのような話ですか? 皆さんのことに関する話をしてあげればよいでしょうか、万物に関する話をすればよいでしょうか、人に関する話をすればよいでしょうか、真の父母に関する話をすればよいでしょうか、神様に関する話をすればよいでしょうか? もし万物と真の父母と人間が一つになったとき、その全体が掲げるあるものを、自らの代身として自分のもののように愛すれば、全体を愛したという条件になるということを知らなければなりません。 ですから、蕩減条件が必要なのです。蕩減条件です。全体を代表し、過去、現在、未来を代表します。個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、いかなる時代を横的に代表するとしても、その条件を立てるにおいて、夜も昼も、過去や現在や未来においても変わらない内的なものが、神様の救援摂理史上に現れた蕩減条件であるというのです。条件的な表示物が重要であるということを皆さんは知らなければなりません。分かりますか? きょう皆さんと「これを(チョークを持って話される)持つ人には天下を上げる」という約束をしてから、これを放り投げ、ある人が足を先に出してからこれを左手で間違いなくつかんだならば、これを持った人に天下を渡さなければならないでしょうか、渡してはならないでしょうか? (「渡さなければなりません」)。渡してあげなければなりません。 さあ、それでは、きょうはどのような話をしましょうか?。いちばん良い話や悪い話をしますか、悪い話、良い話をしましょうか?。統一教会の教会員は、このような集会のときには必ずイヤホンを持ってこなければなりません。 一か所で日本語、韓国語、また世界各国の言葉でそれぞれの国の人々に話をして皆が理解できるようにしなければならないのです。そのようなことをジャルジン修練所で訓練しているのですが、イヤホンを持ち歩いていますか、持ち歩いていませんか? 日本のメンバーでイヤホンを持っている人、手を挙げてください。アメリカのメンバーでイヤホンを持っている人、手を挙げてみてください。一人もいませんね。ただが好きな西洋のメンバー、いつも持ち歩きなさい。分かりましたか? (「はい」)。それをいつも準備しなければなりません。ドイツ人が十人来て、韓国語が分からなければ強くけ飛ばしてしまうのです。 このような日には、ここで必ず韓国語で話すようになっています。先生は、韓国語で話すようになっているのです。英語や日本語が分かっても、それらの言語で話すようにはなっていないというのが原則なので、話を理解できるように韓国語を分かる人が英語や日本語に通訳してあげなければなりません。橋を架けざるをえないのです。他の国の言葉を話す人のかわいそうな立場であるということを知らなければなりません。ノーメンですか、アーメンですか? (「アーメン」)。ノーメンは、KNOWでもよいです。NOではありません。 さあ、良い話からしましょうか、悪い話からしましょうか?。悪い話からしましょうか、良い話からしましょうか?。どちらですか?。選択したとおりに……。(「悪い話からしてください」)。なぜ悪い話からするのですか?。きょうは良い日ではないですか? 見てください。良いものでも良く、悪いものでも良いというならば、本当に良いでしょう?。皆さん、見てください。手をこのようにしてください。いちばん長い指はどれですか? (左右の手の中指を立てて、合わせながら)やってみてください。両手でこのようにしてみてください。 大きいもの(左右の中指)同士、左手と右手の両手でこのようにすれば、どのようにしたいですか?。どちらが長いのか、二つともぴったりと同じものを合わせてみたいでしょう?。大きいですか、小さいですか、ぴったり同じですか? (左右の中指を前後に動かしながら)このように比べてみても、このように比べてみても同じでなければならないというのです。 男性と女性では、男性が大きいですか、女性が大きいですか? (「男性が大きいです」)。男性と女性は、何を中心として同じなのですか?。愛を中心として同じなのです。男性と女性は、何を合わせるのですか?。真ん中を合わせます。真ん中です。 この宇宙の中心になることができ、最も高い所から最も低い所にまで通じることができるので、それを合わせるのです。それが真の愛であるというのです。男性と女性が同じであるためには、真の愛を中心として高低がない一つの体にならなければなりません。アーメンです。分かりますか? (「はい」) (中指を指しながら)これは何番目ですか?。これは良いところです。(親指から数えて)一、二、三番目で、良いところです。(小指から数えて)一、二、三、すべて良いのです。この二つが一つになってこそ……。(片方の手の五本の指先をつけて)このようにつかむとき、皆さんの手の親指がどこにつくかというと、これ(中指)と比例します。 一度やってみてください。(中指と親指の先をつけながら)このようにしてみてください。このようにするのです。(五本の指先をつけながら)これ(親指)は、どの指にでもついてまわります。(四本の指が親指の)囲いになるのです。これ(中指)が男性、これ(薬指)が女性です。それから、(人さし指と小指が)息子・娘であり、(親指が)神様です。このように、このすべての宇宙がぴたっと四位基台になるのです。 合っていますか? (五本の指をつけられながら)これがぴたっと四位基台です。ですから、これ(中指)を中心としてこれ(薬指)も喜び、これ(小指)も喜ぶのです。良い話でも喜び、悪い話でも喜ぶということです。中心さえ立っていれば、真の愛さえあれば、悪口を言っても喜び、褒めても喜ぶのです。アー (「メン」)。(笑い) ですから見てください。(親指から数えて)一、二、三、三数です。(小指から数えて)一、二、三。三です。(親指から数えて)一、二、三、四、五、(小指から戻って)六、七、八(中指に戻る)。三・八。三八度線は宇宙的な壁です。 心と体の三八度線、夫婦の三八度線、父子の三八度線、家庭と氏族の三八度線、氏族と民族の三八度線、国家間の三八度線、天地の三八度線、すべて三八度線が問題なのです。それゆえに、韓国の三八度線が撤廃される日には、それらのすべてが撤廃されるのです。 これを見てください。赤ん坊が腹中にいるとき、手をどのようにしていますか? (親指を外に出して手を握られながら)このようにしていますか、(親指を中に入れて手を握られながら)このようにしていますか? (親指を出して)このようにすれば、つめが引っかかります。何に引っかかるのですか?。子宮です。ぴたっと(親指を中に入れて)このようにすれば、引っかかるところがありません。 ですから、腹中でこのように(親指を中に入れて)手を握っているのではないですか? (親指を外に出しながら)このように握っているのはばかだというのです。引っかいてしまいます。ですから、しっかりとこのように(親指を中に入れて)握るのです。 (親指を立てられながら)これは何ですか?。ナンバーワンです。ナンバーワンとは何ですか?。神様を象徴するのです。二性性相です。二性性相を中心として、一、二、三、春夏秋冬、十二か月がぴたっと神様を中心としているのです。男性性相、女性性相、二十四の節気です。四位基台を中心として二十四の節気が一つになるのです。 それゆえに、人間は、二十四の節気を守らなければなりません。節気に従って自分が行うべき礼法を備えて生活することができなければなりません。法度に合わせなければならないのです。西洋は、このことを何も知りません。そのような意味において、東洋思想には偉大な内容があるということを、皆さんは知らなければならないのです。 これを見てください。(目を指されながら)これは神様でしょう?。人が行ったり来たりしながら、このように回るのは何によってですか?。これが回るときは、何によって回るのですか?。体がいくら大きくても、目によって回るのです。 この宇宙は、神様によって回るのです。これは何ですか? (おでこを指されて)これは霊界を表します。これ(おでこの下の顔の部分)は複雑な地上です。地上には耳もあり、すべてあるのです。この代表が鼻です。鼻で呼吸するのですか、鼻でご飯を食べるのですか?。鼻でご飯を食べるのですか、鼻で呼吸をするのですか? (「呼吸をします」) 呼吸をするのは、何を食べることですか?。空気を食べることです。口では何を食べるのですか?。見えるものを食べなければなりません。見えるものと見えないものを一緒に食べなければならないのです。口と空気の穴は通じていますか、通じていませんか?。これ(鼻)をふさいでも、「ふふふ」……。(口をふさいで鼻で呼吸をされる)しかし、ご飯を食べなければ死んでしまいます。ご飯が必要でしょう?。空気を食べることがより必要ですか、ご飯を食べることがより必要ですか?。 共産党は「ご飯だ」と言うのです。「ご飯によって生きる」と言っています。生きていくのに、空気がより必要ですか、ご飯がより必要ですか? (「空気です」)。わたしはご飯です。(「空気です」)。この者たち。ご飯です。(「空気です」)。そうです。空気がより必要なのです。 統一教会に入れば、四十日断食は普通に行います。四十日食べなくても生きていけますが、空気はどうですか?。十五分だけでも呼吸しなければ、二×七は十四で、十四分過ぎただけでも死んでしまいます。(鼻をふさぐジェスチャーをされる。笑い) ですから、生命がどこにかかっているのかといえば、ご飯にかかっているのではありません。見えない空気の世界に生命要素があります。それは、すべての骨と肉に育っていくことができるものなのですが、この体は、肉を維持する食物を食べているのです。分かりますか?。それで鼻は、次元の高いものを食べるのに必要なのです。 神様の生命は何かというと、愛です。神様は空気も吸います。それは霊界にもあります。しかし、神様にとって最も重要なものは何であるというのですか?。お金は必要ありません。お金はいくらでもつくることができます。神様は知識の王です。権力の王です。 地上では、大統領になると、お互いに死ぬか生きるかという、あらゆることをしていますが、それはすべて流れていってごみ箱に入っていく者たちです。しかし愛だけは、神様にとって絶対に必要なのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)そのことをどうして知っているのですか?。愛が一番なのかどうか、どうして知っているのですか?。愛を行ってみれば分かるのです。分かりますか?。行わない人は、愛がご飯よりも劣り、空気よりも劣ると考えるのです。 しかし、愛の味を感じた人は、ご飯を食べることよりも、空気を食べることよりも、愛を食べるほうがもっと素晴らしい味があるというのです。どのようにして食べるのですか?。むしゃむしゃ。一度むしゃむしゃと言ってみてください。(口を開けてむしゃむしゃとする音を出される)では、愛を食べてみましたか? 男性と女性は、なぜ生まれたのですか?。男性はどうして男性として生まれ、女性はどうして女性として生まれたのですか? 「愛を食べるために生まれた」というのは合っていますか、そうではないですか? (「合っています」)。その愛を食べる食器はどこにありますか?。愛を食べることのできる食器はどこにあるのですか?。ご飯のお皿がどこにあるのかというのです。どこにありますか?。わたしも知りません。学ぼうと思っているのです。愛を食べることのできるお皿がどこにあるのかと尋ねているではないですか?。この者たち。(「生殖器です」)。何ですか、生殖器ですか? 「生植器」と言えば、韓国語では「生きているものを植えておく皿」という意味もあるのです。 それでは、その生殖器で何を食べるのですか? (「愛です」)。何ですか?。愛を食べるのですか?。愛を食べるのを見ましたか?。見てはいませんが、味を知っているのです。 本物の男性となり、本物の女性となり、そのふたりが夫婦になれば、生殖器を通して愛を食べる味が分かりますか、分かりませんか?。郭クァク錠煥氏。(「分かります」)。梁昌植シク氏。(「分かります」)それから、この優秀だという人、分かりますか、分かりませんか? (「分かります」)。どうして分かるのですか? (「食べてみました」)。食べてみてどうでしたか? (「おいしかったです」)。味がどうなのかと聞いているではないですか? (笑い)(「言葉では言えません」) 五官がストップして、死んだ人が口を開いて笑っているように寝入ってしまうのです。愛の味がそうなのです。いろいろな悪口を言い合いながら死ぬか生きるかというほど、めちゃくちゃにけんかをしても、愛を味わえば、すべてが溶けて、愛に酔い、「夜よ、早く来い、早く来い。昼よ、早く来るな」と、あらゆることをしても幸せだというのです。(笑い)なぜ笑うのですか? 「統一教会の教主であるという人が、あのような話ができるのか?。やあ、まったくあのようにして教主の役目ができるのならば、わたしもなってみよう」と思う人がたくさんいるでしょう。しかし、味が違います。他の人の味と、わたしが教えてあげた味とは違うのです。それゆえに、統一教会の人々が愛の味を知ってみると、文先生が教えてくれるものがいちばん良いので、その先生に従わざるをえません。それが何のことか、わたしには分かりません。 先生が好きですか? (「はい」)。(拍手)じっとしていてください。夫婦で座っているときに、自分の夫や妻よりも先生がもっと好きなのかと尋ねれば、その夫や妻に失礼ですか、失礼の反対の得礼ですか? (笑い)ですから、それよりももっと良い「父」というものをつけたのです。分かりますか? 「父」とは、幼いときから愛の味を教えてくれたかたであり、母もそのようなかたです。 父と母の懐に入っていって愛を受けるときには……。母親の懐に抱かれてオッパイを飲むとき、左のオッパイを飲んでいる赤ん坊が「お父さんが来て、右のオッパイを飲むのを見たい。触りたい……」と思いながら、お父さんが来ることを願うでしょうか、願わないでしょうか? 郭錠煥氏。きょうは良い日なので、良い話を尋ねているではないですか? (「考えれば結論が出ると思います」)。考えなければならないということは、愛の味を知らないという話でしょう。 自分が左のオッパイを飲んで母親が胸を出しているのに、お父さんが右のオッパイを飲んだからといって赤ん坊が足でけ飛ばし、顔をがりがり引っかいたりするでしょうか、顔をさわって……。(「喜びます」)。喜ぶのなら、「喜ぶ」と言わなければならないでしょう?。そのような説明をしなければ分からないほど鈍いので、「天国に行きなさい」といってもびりに近いということを知らなければなりません。(笑い)分かりますか? 夫婦で赤ん坊を生んで、右のオッパイを飲ませるとき、その息子は、お父さんがお母さんの左のオッパイを飲んでくれたらよいという思いがないことはないということを知らなければなりません。そのようにすれば、お母さんと子供とお父さんと一つになっていますか、なっていませんか? (「なっています」)。何を中心としてですか?。お母さんを中心としてです。だれか、そのような家庭がありますか?。そのような家庭があるのかと聞いているではないですか?。なければ偽物です。 「お母さん、赤ん坊がオッパイを飲む?」と夫が言えば、妻は「どうしたのですか?」と尋ねてきます。そして夫が「分かっているでしょう。赤ん坊が飲みたがっているよ」と言い、妻が「そうですか」と答えれば、統一教会の教会員たちは、赤ん坊よりも先に胸に飛びついていって……。赤ん坊も、オッパイを飲もうとすれば、口が渇くではないですか。 ぱっとくわえてぬらしてあげて、自分が教えてあげると言いながら、ちゅうちゅうとすれば、それは失礼ですか、有礼ですか?。そのようにしたからといってお母さんが夫を足でけ飛ばすでしょうか、歓迎するでしょうか?。アメリカの女性たち、どうですか?。アメリカのお母さんたち、どうですか? 妻と夫が、「お父さん」、「どうした」、「赤ん坊にオッパイを飲ませましょうか」という、やりとりをするようになるのです。「口が渇き、乳首が乾いているので、うまく飲めるようにしてください」ということです。そうして、ちゅうちゅうと吸ってあげれば、それを見て赤ん坊がオッパイを飲むことを学ぶのです。それをお母さんが見詰めるとき、不幸でしょうか? (赤ん坊がオッパイを飲むのをまねされる) 両手でお父さんとお母さんを抱いて……。それで寝転がってもよいのです。赤ん坊を抱いて愛するようにです。分かりますか?。お父さんとお母さんがこのように暮らしていたということを子供に教えてあげてもよいのです。そのようにすれば、不幸な家庭になるでしょうか、幸福な家庭になるでしょうか? きょう、わたしは何の話をしているのでしょうか?。きょうは「真の万物の日」なのに。(笑い)このくらいで終えればよいでしょう?。終えればよいですか、やめればよいでしょう? (「NO」)。「ノー」はKNOWです。それも「ノー」です。ああ、これほど照れくさい話をしているのですが、いつまた聞けますか?。十年後、二十年後に統一教会を離れずにいれば、その話を聞くことができるのであり、その前に離れれば聞くことはできないでしょう。 きょうは、「真の万物の日」です。「真の万物の日」を、真に分かりました。(板書される)韓国語は、本当に難しいのです。わたしはお母様に学んできました。真に分かりました。このように書かなければならないのです。お母様、ありがとう。真に分かりました。言ってみてください。(「真に分かりました」)。本当に分かりました。(「本当に分かりました」) 「本当」と「真」とは、どのように分かることですか?。真の味を知ったあとは、「本当に分かりました」と言うのです。愛が「真」であるならば、愛の味を知ってからは、「愛が本当に分かりました。愛が分かりました」と言うのです。「愛が本当に分かりました」と言わなければなりません。 全員、愛が本当に分かりましたか?。分かりましたか、分かりませんか?。この者たち。分からなければ、ろくでもない者たちでしょう。愛が本当に分かりましたか、分かりませんでしたか? 「フリーセックスが真の愛である」と言うことができますか? (「できません」) わたしは、のどがかれてつらいのです。今ではもう八十を超えました。語る時間を好むでしょうか、嫌うでしょうか?。八十になった老人は語る時間が長いことを願うでしょうか、短いことを願うでしょうか? 今まで先生が語ったものの中で、一時間、二時間、十時間とありますが、十六時間四十五分まで話したことがあります。ですから、通訳をしながら大便をもらし、小便をもらし、ありとあらゆるにおいをかぐ生活をしたのです。歴史が多いのです。 それはなぜですか?。数多くの群れを生かしてあげようとするからです。話は簡単です。真に分かりました。真の愛が本当に分かりました。本当に分かりました。そして、「気がついてみると、死にそうです」。そうすれば、それですべてです。 韓国人が、ときどき言うでしょう? 「ああ、うれしくて死にそうだ」と。何がうれしくて死ぬのですか?。愛の味がそのようであるというのです。ですから、韓国人の言葉を聞いてみると、「ああ、うれしくて死にそうだ」と言い、人に会えば「出会えたことがうれしくて死にそうだ」、「ああ、あなたの顔を見て、喜びで死にそうだ」と、すべて「死にそうだ」という言葉をつけるのです。奇妙でしょう? そのような民族は、良いものをうれしく思い、悪いものまでもうれしく思うことができ、内外共に身もだえしながら暮らしても「不幸だ」と思わずに幸福の道を開拓することのできる民族性があるのです。神様の心の中に記憶されうる民族とならざるをえないのです。ノーメン?。アーメン? (「アーメン」)。よく知っていますね。 それでは、郭クァク錠煥氏。尹貞恩さん(郭錠煥会長夫人)が好きで死にそうですか?。一度キスしてみてください。(笑い)してみてください。拍手してください。(歓声、拍手)そのようなキスを神様の前に行ってしなければならず、国の王の所に行ってしなければならず、祖父の前でもしなければならず、父の前でもしなければならず、自分の子女の前でもしなければなりません。そのようにして自由解放の時代が来るのです。 それでは、これから服を着て暮らさなければなりませんか、脱いで暮らさなければなりませんか?。実際に愛するときは、服を着て愛しますか、脱いで愛しますか?。わたしは分かりません。女性たち、夫と愛し合うとき、良い下着、ありとあらゆる色とりどりの布団をかぶって愛しますか、パンツまで脱いで愛しますか? (笑い)尋ねているのですから、笑わずに答えてください。 新郎の部屋に入っていくとき、たくさん服を着て入っていきますか、何かを履いて入っていきますか、かぶって入っていきますか、脱いで入っていきますか?。服だけ脱いで、このようにしていれば、どのようになるでしょうか? (笑い)解放です。夫婦関係は、男性と女性の生殖器を中心として、恥ずかしいことをすべて解放することができ、その主人を選択することが夫人であり、結婚式なのです。このことから知らなければなりません。 ですから、夫の前で胸を出して「吸ってください」と言うことは恥ずかしいことですか、誇らしいことですか?。おばさん、どちらですか?。アメリカの女性はよくするはずですが?。吸ってくれることを願っているというのです。夫の前で胸を出すことを妻は恥ずかしく思うでしょう?。郭錠煥氏? (「思いません」)。(笑い) この胸が踊らなければならないでしょうか、泣かなければならないでしょうか?。このことを知らなければなりません。胸が踊ります。胸が踊るので、胸とおしりが合うのです。前の山と後ろの山の二つがバランスを取るのです。(爆笑) おしりも踊ります。胸とおしりが踊れば、上には手がぶら下がっていて、下には足がぶら下がっているので、手と足が踊ります。このようなことをするのです。そのようにすれば、自分自体が思いどおりに解放されるのです。このようになるのです。(笑い) これは常識として知っておかなければなりません。自然の法則です。文総裁が特別な話をしているようですが、これは自然の道理なのです。愛の立ち居ふるまいの一つの象徴的な姿を語っているだけであって、心の世界では、それ以上に激しいことを願っています。祝福を受けた人、手を挙げてください。分かりましたか?。今からそのように暮らすのです。分かりましたね? さあ、女性たちも、百里の道、千里の道を汗をかきながら歩いてきて足が疲れたときに、「お父さん。わたしの足が痛くて死にそうなので、ちょっともんでください。靴下は履いていましたが、汗をかいたので、においがするかもしれません。においがしたらいけないのですが」と夫に言って、夫がにおいをかいだとすれば「この悪い夫」と思いますか、「良い夫だ」と思いますか?。良い夫であると思わなければなりません。 「そのようににおいをかいだのなら、それだけでなくこの足を一度なめてみてください」と妻が言ったとしても、夫が本当に妻を愛していれば、飛び出していくでしょうか、なめるでしょうか? 愛に汚いものがありますか、ありませんか?。皆さん、キスをしてから、鼻の穴まで鼻をすべて掃除してみましたか?。今から、それを全員しなさいというのです。(笑い)なぜ笑うのですか?。口からいちばん近いのに、鼻の穴も掃除すれば、どれほど気分が良いでしょうか?。そのような夫と暮らす女性は幸福ではないですか?。そうでしょう?。他のところに十回嫁に行ったとしても、夫の顔が醜くても、その夫のところに再び訪ねてくるというのです。 さあ、それでは、においのする足にキスしなさいと言えば、キスできますか?。アメリカの女性たち、できますか、できませんか?。赤い色ばかりを好むアメリカの女性たち、東洋の人が本当に愛する白、七種類の色が一つになった白を愛することを好む東洋の人。赤いものを好む西洋の人になりますか、白を愛する心を持った東洋の人になりますか? 良いものと悪いものの七種類の色を合わせた白い色を好きにならなければなりません。愛には色がありますか、ありませんか?。愛には色がありませんか、ありますか?。真の愛には色がありますか、ありませんか? (「ありません」)。どのような色ですか?。白です。白は降伏を意味します。 夫がここに墨を塗ったとしても、「お母さん、これが消えないので、舌で消してください」と言えば、消してくれるのです。先生のおしりがかゆくて、「ああ、かゆい。ここをちょっとかいてください」と言えば、かいてあげなければなりません。 女性が最も愛するものは何ですか?。男性のあれでしょう?。それのために生まれたのです。この者たち、なぜ変に思うのですか?。それが創造原理でしょう。わたしが作った話をしているのではありません。 神様が男性と女性を愛するときに、最も愛するのはどこですか?。それを愛するのです。絶対、唯一、不変、永遠な愛の起源を愛するときには、寝ていた神様も、夢を見ていた神様も、ぴくっと起き上がり、「わたしのものだ」と言って訪ねてこられるのです。分かりますか、分かりませんか?。理解したという人は手を挙げてください。理解したことはしたのですね。下ろしてください。そのように暮らさなければなりません。(「はい」) パンタナールに行けば、鳥が本当にたくさんいます。朝寝坊の鳥がいるはずです。メスは楽にしていて、オスが捕まえてくれる魚をもらって食べながら暮らし、オスは明け方から日が暮れるまで、急降下して魚を捕まえてメスを養うのですから、どれほどくたびれるでしょうか? くたびれて帰ってきて、妻が準備した食事を食べようとするとき、座ってこっくりこっくりと居眠りをすれば、「この悪い夫」と言ってけ飛ばさなければならないでしょうか、布団を敷いて愛して、食事は次の日の朝、食べるようにしなければならないでしょうか? 自分勝手に暮らしてはいけません。自分のために夫が疲れたのなら、それを慰労してあげて、新しい希望の朝の一日を迎えることができるようにしてあげなければならないのです。夫が困難な谷間にいればそこを満たしてあげ、自分に良いことがあれば、それを夫のために与えてあげなければなりません。水平にしなければならないのです。水はいつでも水平です。 水平にしてくれるのは水です。水は、どのような形態にでもなり、生命を永遠に養殖することのできる元素になっているということを知らなければなりません。水は、どのような形にでも合わせることができます。人の体の四分の三は水なのです。女性たちは、家庭における平和な水面のようにならなければなりません。 女性一人が過ることによって、すべて……。おじいさん、おばあさん、八代先祖、数百人がいたとしても、ぴったりと形を満たすことができるのは、女性が水のような……。 愛も水のように流れます。そのような水のように流れる愛の起源を養成するのが母親です。おなかから息子、娘を生んで愛で育てるのです。愛には形がありません。いつもお皿を充分に満たしてあげることのできる女性にならなければなりません。そのようにすることのできる家庭だけが幸福な天国の家庭を受け継いでいくことができるのです。アーメンですか、ノーメンですか? (「アーメン」)。アーメン、ノーメン? (「アーメン」)。わたしはノーメンです。(「アーメン」) さあ、それでは、「真に分かりました」と一度言ってみてください。(「真に分かりました」)。何を真に分かったのですか?。神様を真に分かったのですか、真の愛を真に分かったのですか?。どちらがより良いのですか?。神様を真に知ることが良いのですか、神様が分からなくても真の愛が分かることがより良いのですか? (「真の愛です」) 有名な画家が描いた傑作品があるとします。その傑作品を描いた画家のことは知らなくても、その絵が好きで毎日のように泣きわめき、「ああ、素晴らしい」と言いながら一週間、過ごしたとすれば、その傑作品をつくった主人はその絵をその人に上げたいと思うでしょうか、上げたいと思わないでしょうか?。世界のために生き、本当に自分の傑作品を愛する人に上げたいと思うでしょうか、上げたいと思わないでしょうか? (「上げたいと思います」) それは、神様も同じことです。宇宙をつくられた主人が神様ですが、その傑作品をあなたたちが愛し、その愛を千年万年と神様よりももっと愛すれば、神様ご自身が男性も女性も万物もすべてのものを皆さんに与えることができるという話が通じるということを理解しなければなりません。アーメンです。分かりますか? (「はい」) 神様は分からなくてもよいのです。神様は分からなくてもよいのですが、真の愛の味を知って死ぬほど愛し、その愛を世界的にまいていけば、神様が訪ねてこられて……。神様は種をつくるということを知りませんでした。「それを教えてあげましょう」と言って、神様がその種を持つようになるときに、男性と女性がそのように愛して種が生まれてこそ、その種を神様がさらに愛することができるのです。 ですから、愛する息子と娘が真なる男性と女性となり、だれよりも愛するようになれば、自分にあるすべての才能と主人の位置まで与えるということが起きるので、より愛する人、最も愛する人が全体の王となり、主人となることができ、相続権を持つことができるのです。アー 何ですか? (「メン」)。「アーメン」は「エイメン」です。ナンバーワン・メンのことです。アーメン。 さあ、それでは、神様が喜ぶなら一体どれほど喜ばれ、愛するならどれほど愛されるのかというのです。神様が本当に愛されるのならば、五官の中の耳が一つない四官だけの人に対して、五官の中のなくなった五分の一の分を減らして愛するでしょうか?。それとも、五分の一がないとしても同じように愛することこそ、真の愛でしょうか?。 「五分の一を減らした愛でしか愛せない」と言ってこそ、それが真の愛なのでしょうか? 「五分の一がなくなったとしても、百パーセントのもののように愛することができる」というのが真の愛でしょうか?。 どちらが真の愛なのでしょうか?。目をすべて取ってしまったらどうですか?。目まで取ってしまったら、五分の二がなくなるのですが、五分の二に制限して愛するのが真の愛の主人であられる神様なのでしょうか?。五分の二がないとしても、そのことが「よりかわいそうだ」、「それよりももっと良い耳と目をつくってあげよう」という心を中心として、愛する心がさらに大きくなっていく主人になってこそ、真の愛の主人となるのでしょうか? どちらが主人になると思いますか?。後者ですか、前者ですか? (「後者です」)。そうです、後者です。知っていることは知っているのですね。愛するものが五分の五なくなったのを見るとき、「ああ」と言って、ごみ箱に投げ捨ててしまうでしょうか? かわいそうに思って五分の五を自分がもう一度つくってあげて、「あなたが本当に神様を愛することができ、天地に対して尊敬されることのできる道がある」という、その道を神様は選ばざるをえない、という結論を出さざるをえないのです。アーメン。(「アーメン」)。そして、そのような神様は、「怨讐を憎め」と言うことができるでしょうか、「怨讐も同じように愛しなさい」と言われるでしょうか? (「『同じように愛しなさい』と言われます」) きちんと答えが出ました。怨讐をも同じように愛さなければなりません。神様は、すべてを奪われてしまいました。神様はお一人です。宇宙のすべて、水の中にいるカニからすべての昆虫、最も小さい微生物から人間まで、すべてを奪われてしまったのです。すべてを奪われてしまいましたが、神様は、この奪われた世界を中心として、奪われる前に愛していた本来の心を失ってしまわれた神様になるでしょうか、「それよりももっと愛そう」という神様になりたいと思われるでしょうか? 「どちらになられたいだろうか?」という問題を尋ねれば、神様はどのように答えられるでしょうか?。すべてを失ってしまった空の位置において、「失ってしまった」と身もだえし、「わたしは死ぬ」と言って、世界をすべて壊してしまう神様になられるでしょうか?。すべてを失ってしまったとしても、すべてを失う前より以上の愛の心を育てていけるのかという問題に対して、どのように答えなければならないのかというのです。 石竣昊氏。(「はい。……」)。なぜ黙っているのですか?。答えなければならないでしょう。(「もっと愛さなければなりません」)。ええ、何ですか? (「もっと愛さなければなりません」)もう一度言ってみてください。もっと愛さなければなりません (「もっと愛さなければなりません」)。もっと愛さなければなりません。 さあ、サタンとはどのような者ですか?。愛の怨讐です。どのような愛の怨讐ですか?。神様は、この万宇宙を自分の代わりとして、愛するすべてのものをつくったのですが、それを一度に滅ぼしてしまいました。滅ぼしたのではなく、一度にすべて盗んでいったのです。 神様が空になりました。自分がつくって愛していたものや、昔のことを思い出しても、あまりのことに言葉も出ないのです。それらを見詰めながら希望を抱いていたのですが、それがどれほど真っ暗闇の天地となり、地獄のような世界になってしまったことでしょうか? サタンがすべて奪っていって暮らしているのをごらんになるとき、「こいつ、きょうからめちゃくちゃに雷に打たれろ」と考えられるでしょうか? 「おい、サタンよ。わたしの怨讐だが、愛することのできる限界線まで、わたしがすべての精誠を尽くして愛して満たせば、すべてをわたしに渡しなさい。おまえ以上の愛をわたしが教えてあげる」と考えられるというのです。 そのようにできるサタンならば、サタンにはなれません。そのようなサタンは、復帰されるのです。それは何のことか分かりますか?。すべてをサタンに渡して、それを神様が愛そうとするとき、どれほど憎らしく思われたでしょうか?。憎らしく思われたでしょうか、保護されたでしょうか?。尋ねているではないですか?。保護されたでしょうか、憎まれたでしょうか? (「保護されました」) なぜですか?。神様が憎めば、神様の威信を立てるときが永遠になくなります。憎めば、それで終わりです。審判したとすれば「すべてサタンのものになった」という結論になってしまいます。 どのように考えられたでしょうか? 「そこはサタン側だが、わたしが委託し、任せてあげただけである。わたしの時代、わたしが愛することのできる時代が残っている」と、愛する時代が残っていると思われたでしょうか、愛する時代はないと思われたでしょうか? 神様は、サタンよりも優れていなければならないでしょう?。サタンは、「神様が愛することのできる時代はない」と考えます。しかし神様は、怨讐の悪党に「おまえの愛以上の愛を願う相対がいれば、愛せないときが来るはずだから、そのときになればわたしがそれ以上に愛する道も教えてあげておまえに与えてあげる」と言われるのです。 神様ご自身が「所有しよう」と言われるのではありません。怨讐のサタン側の山であっても、自分の種を植え、リンゴや柿の木を植え、実を結んだものを中心として、その怨讐が取って食べながら喜び、売ってお金持ちになれば……。 人はそうなのです。恩恵を受ければ返さなければならないので、柿を売ったり、何かを売ったりして、秋が過ぎて利益が生じれば、何百分の一であったとしても返したいという思いを持つでしょうか、持たないでしょうか?。持つというのです。 最後はそのようにならざるをえないのです。神様を中心として変わらずに愛するときには、その愛に入っていって自分のすべての過去を夜寝るように洗い流すのです。そして、朝のように新しい太陽を吸収して歓喜の同参者となり、昔主人を悲しませた何百倍、何千倍も主人を歓迎してあげて孝子となり、忠臣となるというとき、神様も「わたしの心に似たな」と言われるのです。そこで、「わたしに似た」といって一緒に暮らすことのできる道がないことはないということを考えなければなりません。分かりますか? 天の国の最も良いものもすべてサタン世界に行ったのです。家庭の王は母親です。女王を奪っていきました。母である女王を奪っていったのです。女性たちをサタンがすべて奪っていきました。 そのようにして女性たちをじゅうりんするのがサタンです。夫の名によって愛するという条件を立てましたが、女性を売ってあらゆる道理に背く行動をし、女性の胸に釘をたくさん打ち込み、罪のふろしきにくるまって暮らしていながら恥ずかしさを知らないサタンの後継者がたくさんいるでしょう?。分かりますか?。たくさんいるのです。 そのような女性たちは、どのようにならなければなりませんか? 「このサタンめ。恨みを晴らさなければならない。男性という種は怨讐だ。切り捨ててしまわなければならない」と言うのです。そのようにすれば、女性たちは天国に入っていくことができますか? 「男性たちはすべてどろぼうであり、全員道理に背く者たちだ」と言って切り捨ててしまい、無視し、蔑視するならば、天国に入っていくことができるでしょうか? 天国は夫婦で入っていく所です。男性が滅んで、女性が天国に入っていくことができますか?。ヨルダン川を越えていく前にモーセがネボ山で死んだのと同じことです。嘆息して三度祈祷しても、神様が「だめだ」と言われました。天国に入っていくことはできません。 このことが分かったとき、女性は「ああ、この世の中で最も愚かな男性の中の愚かな怨讐の男性を、わたしが同じ愛で愛すれば、「最も高い愛を行った女性」という看板がつく」と考えるのです。そして、そのように生きてあの世に行き、天国の門に入るとき、「私は、怨讐である男性たちを愛しましたが、天国に入っていこうとすれば、つえのような男性が必要なのに、その男性がいません」と言えば、神様が「おいおい、心配するな」と、すぐにりっぱな男性をつけてくださり、どのようにしてでも天国に送り出してあげることができるのです。 真の愛を持たなくては、天国に行くことはできません。真の愛の世界において、王になりたいですか、なりたくないですか?(親指を立てて右手を前に出されて)王になりたい人は皆、このようにしてください。真の愛の世界である天の国に行って王になりたい人は皆、このようにしてみてください。全員、なりたいのですね。お母様はしないのですか?。お母様。このようにしてみてください。(笑い) もう一度やってみてください。このようにしなければならないでしょう。神様のあごを支えるようにしなければなりません。全員なりたいでしょう?。そのようになれば、間違いなく一等賞を下さるはずですが、一万人が一等ならどのようになるでしょうか?。万等に分けることができますか? 一万人全員が一等であると言うとき、神様が賞を下さるでしょうか、下さらないでしょうか?。尋ねているではないですか?。下さるでしょうか、下さらないでしょうか? (「下さいます」)。同じだからです。ある人とある人を入れ替えても同じです。全員が同じなのです。どれを取っても一等であるというのです。 ですから、世界の女性たちがそのようにして一等になり、全員が王圏の立て札を掲げていれば、世界の愚かな男性たちは喜ぶでしょうか、幸福でしょうか?。最も幸福になることのできる男性は、どのような人でしょうか? 世界で一等の女性が、世界で一番のびりの男性を訪ねていって神様以上に愛そうというとき、神様が関心を持たれるのです。一等の女性が一等の男性を愛そうというのと、一等の女性が一番びりの男性を愛そうというのでは、どちらが神様の注目の対象になるでしょうか? びりですか、一等ですか?。びりですか、一等ですか? (「びりです」)。びり、言ってみてください。(「びり」)。びり (「びり」)。今、自分で答えましたか、先生が「言いなさい」と言ったので一緒に答えたのですか?。自分で答えたならば、その一等に先生がなれなくても自分がなることができるのです。「先生が一等になれなくても、その一等はわたしである」というようになります。ですから、そのような人は極から極までの愛を行ったので、天の国の博物館において、神様が愛される場に同参できるのです。 そのようになった人は、天の国に行って神様の玉座から遠い位置に座るのですか、近い位置に座るのですか?。わたしには分かりません。どちらですか? (「近い位置に座ります」)。本当ですか? (「はい」)。本当であると思う人は両手を挙げてみてください。おうおうおう。もう説教はすべて終わりました。(笑い)説教はすべて終わったというのです。 それでは、きょうは「真の万物の日」なのですが、この地上でだれがいちばん万物を愛しましたか? 「神様ではなく、わたしです」と言えるほど愛してみましたか?先生は、パンタナールに行って、夜も昼も、雨が降っても台風が吹いても、「神様は、わたしのように、このような万物を愛することはできなかっただろう」と神様と競争してみるのです。 最初は大きい動物を愛して「オーケー」です。それから手で地面を掘って虫の幼虫が出てくるのを見て、「神様がこのようなものを愛することができなかった」と考え、「この土地だけでなく、あの山の谷間、北極の雪の下に隠れている虫まで神様は愛することができなかったが、わたしは、それまで愛するので神様に負けない」と思いながら、愛し精誠を尽くしていくと、南米の濁水の天地にあらゆる動物が暮らしていたのです。 人間が捕まえて食べるので、人間を恐れます。ですから、隠れるのに良い所が濁水の天国です。パンタナールの水は濁水です。その濁水の中にあらゆる原初的な動物がすべてすんでいます。なぜですか? 人間たちは見つけさえすれば捕まえて食べます。捕まえて殺すというのです。ですから、見えない所にすみます。いくら泳いで入っていっても、水の中が見えなければ捕まえることはできません。十メートルどころか五メートル先も見えないので、捕まえることができないのです。ですから、地獄のような水の中に魚の群れがすんでいるのです。 この魚を神様が創造されたとき、澄んだ水に放してあげたでしょうか、濁った水に放してあげたでしょうか?。濁った水に放してあげたと思う人、手を挙げてください。その手を切ってしまいなさい。(笑い)そのように考える頭を切ってしまいなさい。そのように考える人は、一人もいないということです。 神聖で、とても美しい万物を神様が精誠を尽くしてつくられ、澄みきった泉の中に放ちたいと思われたものが、どうしてこのように濁った水で暮らしているのですか? 「地獄に行く人間たちがわたしたちを残さずに捕まえてしまい、価値も分かってくれず、怨讐に捕まえられて食べられるのよりももっと人間たちが恐ろしく、絶滅させようとするので、ここに来て隠れているのです」と言うのです。その答えは、正しいですか、正しくありませんか? 「おまえたち。真の父母は、この濁った水を澄んだ水にして、ここですんでいる魚がすべて絶滅しないように、澄んだ水、泉のような水であらゆる種類のものを育てて分配し、神様が理想としていた原初的な愛の解放された魚にしたい」と言うのが先生なのです。そのような心で、このアンデス山脈の谷間から流れてくるアマゾン川やパラグアイ川の水をきれいにして、全体を解放して魚が澄んだ水の中にすむことができるようにするのです。 そのような魚のように、行く道が分からずに地獄の天地に暮らす人間たちを解放するために、汚れた水を澄んだ水にして解放の王子となり、そのために人類が動員されてそのことを成せば、人類は自動的に解放され、明るい天国に入っていくのです。アーメン (「アーメン」) それゆえに、海を愛する文総裁になったのです。文総裁は滅びなければならない 「ノーメン」ですか、「アーメン」ですか? (「ノーメンです」)。「ノーメン」は「NO」でもよく、「KNOW」でもよいのです。どちらでもよいのです。 それでは、文総裁に従っていきますか、従いませんか? (「従っていきます」)。それでは、パンタナールの濁った水を飲みなさい。アメリカは今から、濁った水を飲みなさい。おいしい泉の水よりもさらにおいしく、湧き水でも何でも、ろ過器を……。長雨になって、豚のふん、何かのふんと、ふんの天国のように、ふんが混ざったものを薬であると思い、「おいしい」と言って飲めば、薬の中の薬になるのです。 信じて飲めば、病気が治るかもしれないでしょう。濁った水を飲み、濁水の中で体を洗い、魚以上に汚い水の天地で暮らしたとしても愛することのできる、主人の代わりになろうという人がいれば、文先生がそのようになろうと言えば、それを歓迎できる人はどのくらいいますか?。歓迎できるという人は、永遠に生きることができます。 では、「文総裁がしようと言うとおりに、パンタナールの水辺を湧き水のような澄んだ水にして、神様が澄んだ水にすむように魚を創造されたように、魚たちが神様の原初的な基準において解放的で統一的な群れとなるよう、神様の代わりに再創造の王になろう。アーメン」と言うことのできる人は手を挙げてみましょう。わわわ、わわわ、先生がするとおりに従っていきますか、従っていきませんか? さあ、海を愛しましょう。澄んだ海だけを愛する人、そのような人が、サタン世界を料理することができるでしょうか?。良い面が澄んだ水で、悪い面が濁った水とするならば、濁った水を嫌う統一教会の群れが、明るい世界をつくることができるでしょうか?。できますか、できませんか? (「できません」) 絶対にできます。(「できません」)。唯一的にできます。(「できません」)。不変的にできます。(「できません」)。永遠にできます。(「できません」)。神様の属性は絶対、唯一、不変、永遠です。 雨が降る日には、そこにどれほど……。泥と水でひどい状態ではないですか。一度滑れば、氷の路面よりひどいのです。足をこのようにしたとしても、地は粘土になって、いくつもの手錠をがちゃっとかけられたように自由に動けなくなります。じっとしていても、いくらでも滑っていってしまいます。 さあ、そのような統一教会の教会員を見れば、すべて……。統一教会の女性たちは、楽に暮らそうとして足が偏平足だと思います。偏平足では軍隊に入ることもできません。姜賢實シルさんは偏平足になりましたか、土踏まずがある足になりましたか?。ソ連に行ってきて、凍った路面を最頂上から平地まで押し出されてしまうのですか? 今回、百六十匹を釣りにいって、「ああ、わたしには死んでもできない」と報告していましたね。氷の世界でいつ女王になることができるのですか?。水を貯蔵することができてこそ、氷も溶けずに万年雪が残るのでしょう。 水が嫌いな人、手を挙げてください。水が嫌いな人、手を挙げてください。それでは、水が好きな人、手を挙げてください。知っていることは知っているのですね。(笑い) 「水が嫌いな人、手を挙げなさい」と言ったときには、悪口を言っても黙っていましたが、それでは水をどのくらい好きなのですか?。水が好きだというのならば、どのような水が好きなのかということが問題になります。 澄んだ水が好きですか、ふんの混ざったような水が好きですか?。水はすべて好きなのですか?。澄んだ水が好きですか、汚水が好きですか?。好きだといっても、いくつもの系統があるのです。三百六十度があるということを知らなければなりません。 それでは、先生が好きですか? (「はい」)。本当ですか? (「はい」)。皆さんは方向性が分かっていません。自分を中心として、自分の基準に合うものだけを好んでいます。先生が好むものをすべて好むのですか?。地獄までも天国にしようとしている先生を好きだというのですか? 「パンタナールに来なさい」と言っても、来る人は一人もいません。今回も、グロスターで海洋事業を始めました。四十年前、四十三年前です。そのようにしたので、その結末をつけるためにです。このニューヨークなど、魚がどのように暮らしているのかすべて調査したところです。 ヘーソン港、ニューヨーク港、ロングアイランド・サウンドなどで、海洋事業の出動を中心としてここにいる魚から大洋に広がっていく魚までをわたしが捕まえ、それを中心として神様の前に祭事をささげ、海洋の勝利の王子となって帰ってきて最後を締めくくってあげたのです。今回、帰ってきてそのことをしました。他の人がついてくるので、昔は眠らずに明け方二時にグロスターに出発しました。 そこで準備をしようとすれば、一時間以上かかります。準備に一時間かかるので、五時に行こうとすれば四時から準備をしなければならず、一時間半前に準備しなければならないときもあります。運動をして、祈祷もしなければならないでしょう? ですから、家で一緒に暮らす人の中でわたしを好む人は一人もいません。「ああ、いつまであのようにするのだろう?。早くやめればよい。続けようとするなら病気にかかればよい」と考える者たちがでてくるのです。 郭錠煥氏が近くにいれば、そのように考えたかもしれません。柳光烈ニョル氏は、本当にそのように考えたかもしれません。詩を書いて、筆をつかんでそのようにしていますが、何をしようというのですか? 「わたしが死ぬか、先生が死ぬか、二人のうち一人が死ななければならない」と、そのように考えているのではないですか? (笑い)それは、当たっているでしょう? 「ああ、あのような姿をいつまで見るのか?」と思っているというのです。そのような姿を見るのは皆好きではありません。 そのような姿を見るのを好まないということを知っていながら、わたしはなぜそのようにするのですか?。この地に教えてあげなければなりません。地に負債を負いました。主人に出会うことができなかったので、主人を教えてあげなければならないのです。水も主人に出会うことができなかったので、教えてあげなければなりません。 霊界に行った霊人たちも自分たちがしたことを好むのであって、先生がしたことを好まないのです。これを清算し、澄んだ水辺で、愛する園で遊んでいたアダムとエバの基準を復帰するという心情からそのことをしているのです。分かりますか? ですから、水というものは、濁水にも、汚水にも入っていって踏みしめていかなければなりません。(アメリカの女性が何か答える)ありがとう、アメリカの女性。そのようなときは早いのです。世の中の人と同じように出世しようというのですか?。分かりますか? 水をどのくらい愛していますか?。水を愛していますか、いませんか? (「愛しています」)。愛していなかったとしても、きょうは「百パーセント愛している」という仮説を定めてでも、そのようにしなければならないでしょう?。何パーセントですか? (「百パーセントです」)。仮説が本当になれば解放されるのです。 目も水が必要です。水が出るでしょう?。鼻も水が必要です。鼻が乾けば、鼻くそが乾くでしょう?。水分が必要なのです。口にも必要です。耳にも必要です。これを乾かしてみてください。耳かすで、耳がふさがってしまいます。いつも湿気がなければなりません。 水が必要なのです。自分の生命をもって生きていく生涯の路程は、水と調和を成しながら生きていくのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。わたしたちの体の四分の三は水です。肝臓の水が違い、胃の水が違い、大腸の水が違い、小腸の水が違います。すべてに水がありますか、ありませんか?。そこにある脂肪はすべて水です。脂肪の水分は六十パーセントであり、脂が四十パーセントです。脂だけではいけません。絶対に水が必要です。水、言ってみてください。(「水」) おなかがすいてご飯が食べたいと思うのと、のどが渇いて水が飲みたいと思うのでは、どちらがより切実ですか?。皆さん、「のどが渇いて死にそうだ」ということを、よく言うでしょう?。おなかが空いて死にそうでも、そのようなことは言いません。水から離れては生きていくことができないのです。 (服を指して)ここに水分がなければ、ぱさぱさになります。水が絶対に必要なのです。体の五臓六腑にある多くの種類の水を補充するのに、この地球上にあるあらゆる種類の水の要素を吸い込んで貯蔵して生きているのです。 それでは、神様の本性的なきれいな水を補給できる自らになっているのか、仮の水で補充できるのかというのです。長雨で濁った水になり、豚が流されていき、虎の子どもが死に、何かのふんや人が流されていった水、黄土が混ざった水、それらがすべて混ざっている水でしょうか? 神様をお迎えし、皆さんの中にある水をすべて搾っておささげすることができるでしょうか、めちゃくちゃになって肥料の山に持っていって捨てるものになっているでしょうか?ですから、ろ過器に何回くらい入っていけば神様をお迎えすることができますか? きのう、わたしはニューヨークの貿易センターの約二、三百メートル前で釣りをしました。(録音がしばらく途切れる)……それをそのまま流せば、その水はどのようになるでしょうか?。汚水になるでしょう?。これを、ろ過装置を通して水蒸気になるのにちょうどよいくらいの海水と差がない水になるので、魚が飲むのです。酸素補給、窒素補給、すべてのことを考慮しても分量が適切なので生きることができるのです。そうでしょう? 事実をみれば、トイレから出てきた、その水です。混ざっているでしょうか、混ざっていないでしょうか?。小便を上に浮くようにして、これをろ過装置にかけて澄んだ水をつくれば、それを飲んで病気になるでしょうか、死んでしまうでしょうか? 小便や大便を貯蔵していた水をこして澄んだ水をつくっても、魚も喜び、人間もそれを水道水として飲んで生きるのです。循環です。循環します。それゆえに、空気なら空気、窒素、酸素……。木が二酸化炭素や窒素を吸って酸素を吐き、循環しながらろ過したものを飲んで生きているのです。ですから、一人で生きるということは、罪悪の中の罪悪です。分かりますか? ですから循環するということです。そのような原則から、良い人とはどのような人ですか?。アメリカ人、ドイツ人、皆、怨讐です。日本人、アメリカ人、ドイツ人、韓国人は怨讐ですが、怨讐の国の人が皆、喜ぶように、ろ過器を通してこして、自分の父と母、自分の愛する人以上に愛すれば、神様の友達になることができるのです。 ろ過装置を通せば、だれでも飲むでしょう?。王でも飲むでしょう?。だれでも、上下高低を問わず、平均的に供給することができます。王も飲むことができ、使い走りも飲むことができ、同じ生命を維持し、この宇宙に堂々と存在の価値を維持するにおいて欠如しているものはないというのです。同じことです。 皆さんがろ過装置を通した水を、どのくらい取り入れて生きているのか考えてみましたか?。皆さんをそのままぎゅっと搾って水を出しておけば、だれが喜ぶでしょうか?。自分の愛する夫が喜ぶでしょうか?。湧き水のように澄んだ水はだれもが、夜でも昼でも、一年中、永遠を中心として喜ぶようになっているというのです。同じことです。 そのような水を持つことのできる自分の水源をつくらなければならず、そうでなければ、ろ過器でもつくって暮らしなさいというのが、宗教という機関なのです。宗教とは、ろ過装置のようなものです。そのように考えればよいのです。 では、皆さんは百パーセント純潔な水にならなければなりませんが、皆さんは何パーセントの水ですか? 「わたしは百パーセントの水である」という人、手を挙げてください。 皆さんは、〇点以下でしょう。宗教でみれば、〇点以下です。自分が天の国に入っていくときには、ろ過装置にかけられた純潔な百パーセントの価値を持っていなければなりませんが、その前にろ過装置を百回、千回、万回以上通過してきれいに、きれいに、きれいになることができる過程を経なければなりません。 それは、なぜでしょうか?。堕落の血筋から神様の血筋に変えようとすれば、どれほど大変でしょうか?。宇宙も反対します。このように汚れたものがこのように良くなろうとすれば、これが転換されなければなりません。ろ過の過程をすべて経ていかなければなりません。分かりますか? ろ過の過程を経ましたか、経ていませんか?。経ていますか、すべて終わりましたか、経ていこうとしているのですか?。どれですか? (「経ていこうと思います」)。いつ終わるのですか?。死ぬ前に終えなければなりません。 そのようにしようとすれば、どのようにしなければなりませんか?。真の愛は、どのような水であっても、ろ過させて浄水をつくることができる源泉なのです。分かりますか?。真の愛の水さえ経ていけば、取るに足らないものでもすべてろ過されるのです。細菌までろ過されるというのです。 では、真の愛のろ過器を持っていますか、持っていませんか? 「先生の話を聞けば、わたしは真の愛のろ過器を持っています」という人は、手を挙げてください。一人もいませんね。ですから、洪水の水辺からくんできた、うじ虫がうようよし、あらゆる種類の昆虫や菌がいる、そのような水です。ろ過器を何回通過したのですか? では、統一教会に入ってきて涙を流して悔悟したことがあるでしょう?。それでは、十パーセントくらいになったでしょうか、二十パーセントくらいになったでしょうか?。二十パーセントろ過されて、八十パーセント汚れたものをだれが食べるのですか?。つばを吐くというのです。 絶対にろ過装置が必要ですが、ろ過装置の過程を経ていくということは真の愛であり、真の愛のろ過装置を経ていこうとすれば、自分のために生きるということがあっては、本当の本質的な百パーセントの源泉水の位置に到達することはできますか、できませんか? (「できません」)。できませーん、一度言ってみてください。できませーん(「できませーん」)。できませーん (「できませーん」)。なーい (「なーい」)。命令形にしなければなりません。「できません」は相対的であり、「ない」は「わたしには必要ない(断定=絶対という意味)」です。 神様は百パーセント、浄水ろ過装置を準備されたでしょうか、されなかったでしょうか?。神様が百パーセント、ろ過装置を人間のために準備されたでしょうか、されなかったでしょうか? (「されました」)。あなたは準備したと思いますか? (「……」)。「準備した」と思うのかというのです。 それでは、そのろ過装置を一番の都会のうじ虫がわくような所に設置されたでしょうか、白ペク頭山の頂上、エベレストの山頂、ヒマラヤ山脈最高のエベレストの山頂よりも、もっと高い頂にろ過装置を設置されたでしょうか?。だれもがやたらと来ても困ります。 まじめに一所懸命働き、至誠を尽くして、神様まで起こしてでも自分が称賛することのできる、そのような精誠を尽くした所にろ過装置を設置しなければなりません。「訪ねてくることができる人は訪ねてきなさい、そうでなければだめだ」と言うことのできる場所に、ろ過装置を設置しておくのです。だれでも行くことができるのではありません。 サタンはそれを知っているでしょうか、知らないでしょうか?。問題はそれです。サタンが知っているでしょうか、知らないでしょうか?。サタンがろ過装置を持っていったら神様が困るのではないですか?。サタンは、いくらやっても持っていくことはできないというのです。 サタンは「自分のために生きろ」と言ったのです。ですから、これを持っていこうとすれば、どうなるでしょうか?。持っていったその結果、サタンが神様よりも「ために生きる」ことができるようになれば、「神様、より「ために生きる」ことのできるあなたが願う所にろ過装置をおきましょう」と言うのです。分かりますか? 大変なことであったとしても、ろ過装置を経ていくためには、ついていかなければなりません。九十九・九九九九になって〇・〇〇〇一が残っているとしても、その一つを満たすために、「あらゆることが起きて険しくても行けないところはない、行ってあまりあり、千回、万回でも行く」と言うことのできる人、「ために生きよう」という人だけが、ろ過装置の門を通過できるのです。 柳鍾寛氏が何かの長(責任者)をしていたとしても、わたしが足でけって、「こいつ、なぜこのようにするのか?」と言えば、三言も言わず顔をしかめて、「なぜ、わたしにだけつらくあたるのか?。郭クアク錠煥のことは愛しておきながら」と思うのです。そうなのです。わたしは郭錠煥氏を愛していません。見た目のどこが良いのですか?。どこに見るに値する所がありますか?(笑い)しかし、郭錠煥氏は、心の使いどころがあなたたちと違います。だれかが誤ったことをすれば、だれが何をしたのか、先生はすべて知っているのです。最近でもそうではないですか? 責任者のだれだれから報告を受けておいて、それを郭錠煥氏は先生に直接、報告しなければならないはずなのに、そのことを聞いてみると郭錠煥氏は「知りません」と言うのです。「こいつ、わたしがすべて知っているのに知らないのか?。見なかったのか?」と言うと、そのときになって、やっと「見ました」というのです。 それはどういうことなのかというと、「自分が責任を執る」ということです。しかも、それで終わるのではありません。「そのようなすべてのことは、自分が注意して統一教会の一つの標準になります」という、その心情が貴いのです。先生をとらえるのはその心情です。分かりますか? アメリカの女性たち。「先生が好きだ」と大騒ぎして、先生がどこかに行けば旗を掲げて大騒ぎしていますが、最近では皆、前に座って目をむき、「先生はどのような話をするのか」と思いながら、悪い話はすべてノートに記録し、良い話はポケットに入れているというのです。悪い話を中心として後でこき下ろそうとしています。そのようなことはあってはならないというのです。 悪い話は、「自分が責任を持とう」と思い、「自分がアメリカ人を代表し、天上天下を代表して、自分が見て自分が語ることには、自分で責任を持とう」と思わなければなりません。わたしは、五十年前に天地の秘密をすべて知っていましたが、話しませんでした。なぜでしょうか? 「わたしが責任を持つ」というのです。困難な苦労の峠が問題ではありません。困難であれば困難であるほど、「そのことが早く解決されることが恐ろしいので、千辛万苦して狭いろ過装置の穴を通らなければならない。血と汗を流し、またが裂けても通過する」という一片丹心なのであって、分裂した心ではありません。そのような人は、浄水の中の浄水になるのです。アーメンです。分かりましたか?。真に分かりましたか? (「はい」) それでは、ろ過器を通過した浄水になるのですか、浄水をつくる浄水器になるのですか?。二つとも好きにならなければなりません。浄水を好む以上にろ過器を好んでこそ、浄水のためにそれが願うとおりに動いてあげてこそ、浄水になるということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。真に分かりました。何になりたいですか?。水の中できれいな水です。 世界は、「水」で象徴されてきました。今日、地獄のような濁り水を解放した源泉によって、すべての万物をつくろうと苦心している先生の後に影が天下をすべて……。ここから三八度線と「以北(北朝鮮のこと)」が生じました。統一教会の人はどこに行っていますか?。先生が受難の道を行っているので自分が道案内をし、先生が楽に行くことができるようにと船をつくり、「折れないさおと切れない釣り糸を準備してさしあげよう」と思いながら、「苦労する先生を助けてあげよう」と考える人は一人もいません。わたし一人で成してきたというのです。 そうです。先生は、かわいそうな人なのです。そのような先生を中心として苦労させる神様は、もっとかわいそうなかたです。なぜ、苦労させるのですか?水蒸気をつくって雲になるようにし、この天下でよく肥えた土地に雨を降らせればよいでしょう。雨を降らせるにしても、根まで濡らす必要はありません。季節にしたがって少しずつ少しずつ貯蔵して、貯金通帳からお金を引き出すようにすればよいというのです。 洪水を起こして、汚いものを一度に洗い流してしまうようなこともしなければなりません。そのようにしなければ、土地が腐り、草木が死んでしまうのではないですか?。そのような悲運の歴史がわたしの生涯にはあり、環境的条件の均衡を崩して、死ぬか生きるかという混乱した問題が起きるのです。 さあ、それでは、浄水器、ろ過器を通すべきでしょうか、通すべきではないでしょうか?(「通さなければなりません」)。アメリカが世界を支配しようとすれば、アフリカの最も貧しい国を王のように侍らなければなりません。そのようにしてこそ、いかなる国の人でもアメリカの水をおいしく飲むことのできる浄水器になることができるのです。 世界の人は皆、アメリカ人を嫌っています。アフリカに行っても、「ヤンキー、ゴーホーム」と言っているのです。それでは、世界は自分の思いどおりになりません。浄水器を通さなければなりません。ろ過器を通さなければなりません。では、ろ過器はどこにありますか?。機械に愛を通すことができますか?。そのろ過器は、浄水器をつくる機械のチャンピオンですが、その機械として来るのがだれかというとメシヤなのです。救世主です。 しかし、それは「救世主」ではいけません。「救世主」は、世の中の救いだけです。救世主は、世の中を救ってくれる存在です。必要なのは、「救父母主」です。世の中を救うのですが、父母を救わなければなりません。父母を救うのですが、兄弟を救わなければなりません。兄弟を救うのですが、家庭を救わなければなりません。それをなしてから世界を救うのです。 真の父母によって真なる父と母になり、真の息子、娘を育てて真なる家庭を備えなければならず、そこから世の中に繁殖していって世の中を救うことができる礎となり、その礎に合わせて家を建ててこそ、すべての世界が入ってきて暮らせる平和な家庭になることができるのです。理論的にアーメンです。分かりますか?。分かりますね? (「はい」) それでは、ろ過器になりますか、水になりますか?。先生は、水ですか、ろ過器ですか? (「ろ過器です」)。水ですか、ろ過器ですか? (「ろ過器です」)。あなたたちは何ですか? (「水です」)。洪水で五万種類のものが入っている汚い水です。 最初に泉がわき出る所には、ろ過器は必要ありません。見えない穴で菌までを抜き出す必要はありません。雑巾の切れ端のようなものはろ過されるのです。それを知らなければなりません。 そして、統一教会に入ってきて、入るやいなや皆、「先生に会う」と言うのです。きょうも、だれかがここに先生に会いにきましたね。この位置がどのような位置ですか?。天の前に敬礼して礼を尽くさなければならないのです。神様に敬礼する前に、人を使って道に外れたことをさせることはできません。 きょうも、だれか大統領が会おうというのを「だめだ」と言って、飛ばしてしまいました。その人は今、先生に会いに来て、ニューヨーカー・ホテルで待っているというのです。しかし、わたしが終わるときまで会うことはできません。天に侍ることのできる礼法、環境条件を整え、そこにおいて自分がろ過器になったのかどうかが重要です。ろ過させることのできる主人となり、ろ過器に通さなければならないのですが……。 嫌でも、捕まえて逆さまにしてでも、横向きにしてでもそのようにできるのならば、ろ過器を通過するようにしてあげることが愛の中の愛であり、名声を得た一等の人になれる道がそこにあるので、良い人の中でも最高に良い人なのです。アアアアアアアア、言ってみてください。アアアアアアアアアアアア(「アアアアアアアア」)。すべて入りました。メメメメ。アーメーン (「アーメン」)。解放だということです。(拍手) では、先生が「しなさい」と言うとおりにしなければならないでしょうか、してはならないでしょうか?。先生も、神様がろ過器を制作する方法を教えてもらってつくったので、これを通らなければなりません。これは不可避的な運命ではなく、宿命的な責任です。父子の関係なので、死んでも分けることはできません。分かりますか? 先生がろ過装置をつくり、最も困難で耐え難いことをすべて行ったので、千の峠があるならば、自分がそれを越えていこうと思う人たちが、百の峠を越えたのか、千の峠を越えたのかということを比較した基準に従って、天の国で神様に侍ることができる序列や、系列における自分の位置を永遠につかむのです。アーメン。(「アーメン」) 何回死にますか?。穴がこのくらいでも出ていくのは大変です。百回、千回、万回ろ過器を通らなければならないのなら、万回死んで目覚めても自分を否定しなければなりません。「理解してほしい」と思ってはいけないというのです。 「ああ、文総裁。絶対信仰、絶対愛、絶対服従、独裁者の王だ」と、このように思ってはいけません。それで何をしようというのですか?。わたしがその機械をつくるのは簡単です。み言がその機械です。み言どおりにしなければなりません、この者たち。「訓読会」をしていますか、していませんか? アメリカの上下院議員、連邦政府の国会議員やトップの人たちを皆、集めておいても、これに感動するようになっています。全員が「そのとおりです」と言うようになっているのです。天下が公認することのできるろ過装置を準備したので、み言の過程を経ていかなければなりません。経ていかなければ落第です。 いくら博士の学位を持っていたとしても、責任教授のサインをもらわなければなりません。そのようにしようとすれば、責任教授の子供を育ててあげる生活を六か月訓練するということまでしてでも努力すれば、サインをもらうことができるというのです。すべてに通じなければなりません。 柳鍾寛氏は、先生から訓練を受けていません。(「受けています」)。わたしは訓練していません。「昔から道を築いて峠を越えていきながら、このような峠もあり、このような橋も築いたのだなあ。ああ、先生が苦労され、わたしは見物して越えていったなあ」というのではないですか? あなたをここに送るために、食口たちが血と汗を流しながら苦労し、支援したのです。そのような困難な事情を知っているのですか?。負債を負って生きています。「ここには飛行機に乗ってきたので、一日でも断食していかなければならない」と考え、三食のうち一食でも蕩減条件を立てて生きていくことができなければなりません。わたしは、そのようにしています。 わたしは、一日に大きなお金を使うことのできる力を持っていますが、一銭も使いません。あなたたちのために使うのです。それが原則です。だれの世話にもなりません。それゆえに堂々としているのです。 アメリカを滅ぼすためではありません。生かすためなのです。国をつくるためです。日本を苦労させるのも、日本を滅ぼすためではありません。より次元の高い国にするためです。韓国を苦労させるのも同じことです。わたしが統一教会員を苦労させるのも、あなたたちが生きてきた国以上に良い国をつくるためなのです。 この世が嫌うところに天の国が訪ねてくるのです。この世が嫌だということを「好きだ」ということができる所で天国が完成するのです。分かりますか?そのことが分かりませんでした。今では、真に分かりました。分かりますか?。結論を出しましょう。 神様は、サタンが本当に愛していたものを愛することができるのでしょうか?。答えてみてください。一人の女性を中心として、サタンが抱いていたその女性を神様が愛することができるのでしょうか?。この答えが出てこなくては復帰の道がありません。柳鍾寛氏。(「はい」)。答えてみてください。(「……」)。郭錠煥氏、答えてみてください。 どのようにして愛することができるのかというのです。それを愛することはできません。絶対にできません。それで「真に分かりました」なのです。真に分からなかったので「真に分かりました」という言葉が出てくるのです。 国の王がいれば、その王の十倍、百倍愛するのです。千年の事情を抱えて完成した「わたし」が愛した階級は、だれもついていくことができない愛であり、そのような千万倍高い次元で愛するのです。その怨讐の妻を自分の勝利の王宮の最高の位置で愛する、それ以上の愛で愛そうという心情があったというのです。ですから、薬を飲めばすべての汚れたものをすすぎ落としていくことと同じです。相対できないもの、相対しない位置で……。 統一教会はそうです。父と母がいて、おじいさんとおばあさんがいるのに、なぜ先生に従っていかざるをえないのかというのです。母親という標準があれば、「母親以上に愛することのできる心情をどのようにして人類に対して持てるのか?」ということを神様が考えなければならないということです。これが問題になるのです。 サタンがどれほど悪辣だったか知っていますか?。七代の先祖にいる、すべての王女たちを犯したのです。神様の前でです。三代は普通です。おじいさんとおばあさんの三代ではありません。七代です。曾祖父、高祖父、それ以上までです。それをどのようにして愛するのですか?。そのように汚されたものをどのように愛するのですか? 自分が愛したその愛を人々が知れば、数万年間愛した自分に対して、全体がついてくるというのです。蘇生、長成級ではなく、その何段階以上の次元の高い愛を行ったので、その愛の味を知った人は、永遠にそこには行かないというのです。 統一教会には、そのような何かがあるのです。そのような伝統精神を立てました。怨讐の妻を、自分が愛するだれよりも愛し、怨讐の娘を、怨讐の母親を、怨讐の女性の一族を、悪なる王が天の国の女性を道理に背く行動をして滅ぼした、その何千倍、何万倍の愛で愛したので、サタンはその道についていくことができないというのです。それゆえに、その心情を思うとき、怨讐を愛する心情は、怨讐同士で親戚になることが問題ではないというのです。分かりますか? 怨讐が「三代の妻たちを取り替えて暮らそう」と言えば、神様は驚くというのです。しかし、問題はありません。他の人々の何十倍愛するので、他の人々には絶対についていかず、自分についてくるというのです。柳光烈ニョル氏。(「はい」)。それが何のことか分かりますか? (「はい」)。分からなければ、新しい女性と暮らす資格はありません。 サタンが屈伏して、自分の一族の三代まで、おばあさんまでが三代ですが、三代をすべて任されるようになれば、それまですべての精誠を尽くして生きてきた、その愛が問題になるのです。 わたしの愛には、完全に溶かされてしまうのです。歴史上のいかなる怨讐であっても愛してあまりあり、そのるつぼの中に入っていけば、金だけが残るのであって、石はすべて煙となって流れていってしまうのです。そのような心情です。怨讐を愛する心情が問題ではありません。 今から、柳鍾寛氏が「現在の妻をおいて、サタン世界の怨讐の国のおばあさんと暮らしなさい」と言えば、暮らしますか? (「……」)。尋ねているではないですか? (「お父様が『暮らしなさい』と言えば、暮らさなければなりません」)。わたしが「暮らしなさい」と言うのですか?。自分が願わなければならないでしょう。(「相当に難しい質問だと思います」)。難しいでしょう。しかし、そのような質問はまだまだ普通です。 ですから見てください。タマルが義父とくっついたのです。怨讐の嫁が来たとしても、歓迎の意を表さなければならないというのです。そのような心情を持たれた神様が、どれほどかわいそうであられるか理解してみてください。世の中から見れば、かわいそうでしょう。涙を浮かべて進んでいかなければならない路程があったということを知らなければなりません。分かりましたね? 神様が何度、結婚しようとされましたか?。アダム時代、それからいつですか?。イエス時代、再臨主時代、それから第四次アダム時代です。四度目に定着したというのです。歴史的な怨讐に汚された愛を天の愛に変えなければ、霊界にいるアダムの後孫、イエス様の後孫、再臨主の後孫を救う道理がないのです。その愛の前には、サタンの千年の事情、万年の事情がすべて溶けてしまうのです。何のことか分かりますか? 「愛には汚れたものはない」と言ったでしょう?。サタンは汚れたものではありません。本来、抱いて愛することのできる天使長です。一つの家で暮らそうという心情をいつも持っているのです。「わたしが解怨されるとき、おまえにも相対をつくってあげよう」という、そのような心情は変わりません。 そのようにするために、わたしが橋を架け、捨てられたすべてのものを救ってあげるために、億千万世を経て数多くの人が犠牲になりながら、さまざまな社会の複雑に分かれた幾重もの道を経て、埋め合わせてきた歴史であったということを知らなければなりません。ですから、「わたしは嫌いだ」、「好きだ」と言うことができますか? 「わたしにはできない」と言うことができますか?。分かりますか? では、もう本当に分かりました。今回、わたしがインディアンが住んでいるネバダ州の農場に行ってみると、そこには男性が六十二人で女性が二人しかいませんでした。それをそのままにしておけば、どのようになりますか?。絶滅です。五十年すれば、すべていなくなるというのです。それを見てどうするのですか? 統一教会の子女たちは放っておいて、女性たちを連れてもう一度嫁がせて……。そのようにして、「自分の娘であっても嫁にして後孫を残そう」と、そのような女性を探してペアを組もうというのです。「罪にならないように、わたしが防波堤をつくってあげよう」。先生は、このような考えを持っている人です。 梁昌植シク氏。(「はい」)。自分の妻が自分の娘を連れて、そのようにしたらどのようにしますか? (「……」)。尋ねているではないですか? (「……」)。できないでしょう?。自分の愛する人を譲り渡してあげることのできるほどの雅量がなければなりません。 中国は、今から十年、二十年後になれば、大変なことになるのです。一人しか産めないようにしていますが、男性ばかり残しているのです。女性がいません。皆、死んでしまったというのです。どのようにするつもりですか? 最近、韓国人が結婚するときには、歩き回りながら結婚相手を探してくるのですね。上手ですね。道を築いておいたので、これからは、韓国の女性たちを世界じゅうに生んで満たしておけば、そのように結婚相手を探してくることはできません。平準化して、地獄までも穴を埋めてあげようと考えているのが先生なのですが、どうですか?。そのようなことまで考えているのです。 六十を超え、七十を超えた男性は、器官が衰退するでしょう?。郭錠煥氏。(「はい」)。何歳ですか? (「六十四歳です」)。昔と同じではないでしょう? (「違います」)。劉正玉オク氏。(「はい」)。どんどん曲がっていくでしょう。(「はい」)。(笑い) 六十を超えれば、老けた妻が世話をするよりも、世話をしてくれる娘がいたり、孫娘がいれば、孫娘を連れてくるほうがよいというのです。妻が世話をしてくれるのは、不便でしょう?。そこで子供、孫がたくさんいるので、中国人を一人連れてきて二世が生まれて、「天下にない傍系の系列をつくって、二つの世界の父に一度なってみよう」ということです。 神様がそのようなことをなさっているのです。何のことか分かりますか?。神様が、正にそのようなことをなさっているのです。自分が最も愛する人を怨讐に分け与えるのです。そうですか、そうではないですか? (「……」)。そうですか、そうではないですか、この者たち。(「そうです」) できないことはないというのです。国を取り戻さなければなりません。何が体面ですか?。一族を残すことができ、一国を引っ張っていくことのできる伝統を立てれば、滅びません。 さあ、そのような意味で、今まではよく分かりませんでしたが、今では「真に……」何ですか? (「分かりました」)。「分かりました」。周囲にいる女性たちを、かわいそうな男性たちを助けてあげるために動員し……。 「二十年、三十年くらい一人で暮らしなさい。寺に行って精誠を尽くし、天国に行って天の国の皇族圏内に入っていくことのできる特権がある」と言って連れて行き、解放的なことをするかもしれないということです。 そのようにしたからといって、神様が「おいおいおい、真の父母がそのようなことを考えてはいけない」と言うことはできないというのです。そのように言うことができないので、心配でしょう。全員、分かったでしょう? (「はい」)。さあ、分かりましたか?。真に分かりました。(「真に分かりました」) ですから、怨讐の妻と自分の妻を取り替えたとしても、それを愛してあまりある真の愛によって天の国をつくれば「オーケー」です。怨讐と親戚関係を結び、その娘を嫁だと思い、その息子を婿だと思うことは問題ないということです。 そのようにしてこそ、国境がなくなり、怨讐がなくなるのです。そのいちばんの近道がそこにあるということが分かったので問題ありません。いつでも「オーケー」です。分かりますか? 今からの課題は、自分にどのような願いがかけられたとしても、それを断行することができるかどうかです。「息子に対して、妻に対して、娘に対して、新しく願われることがあれば、天下を改革するためならばどのようなことでもできる」ということです。分かりますか? (「はい」) 先生は、側近をすべてそのように整理していくことができるのです。何のことか分かりますか?。分からなければ、石にしがみつくように自分の頭をかかえて祈祷してみるのです。その心情が分からなければ、真の父母を解放することができる安息基盤の礎石を置くことはできません。そのようにしてこそ、神様を解放する根源ができるというのです。西洋人には考えられないでしょう。 真に分かりました (「真に分かりました」)。今までは真に分かりませんでした。(「真に分かりませんでした」)。どのように生きるべきなのか分からなかったのですが、怨讐を愛することは何でもありません。怨讐に家を買ってあげ、怨讐に福を与えてあげることは何でもありません。 怨讐の国の王が敗亡し、その一族をすべて生かしてあげるための道を、自分が責任持たなければならない立場に立っているということを知らなければなりません。サタンの王宮を尊重視することのできる価値(観)を持ってこそ、サタンが千年、万年屈伏するというのです。そこに「怨讐だ」という心があれば、「いつか復讐してやる」という心が消えないということを知らなければなりません。何のことか、分かりますか? (「はい」) 今まで、真に分かりませんでしたが、今では本当に分かりました。万物を愛し、昆虫、魚、万物から人類全部を愛するのです。私たちの園は、百八十五か国の孤児と、その国の王子王女が暮らす園にならなければならないというのです。そのような家にならなければなりません。 神様は、その複雑な環境を成して地上天国をつくっているという大王陛下なのです。一つの園、一つの国の国境内において、一つの大陸内においてそれを成し遂げることは問題ありません。分かりますか? (「はい」) アメリカの国民が「オーケイ、オーケイ」と言うのは、「オー・キング」という、そのような意味があります。先生を中心として「オー・キング」の位置で、世界のどこでも、天国のどこにでも通じることのできる道を相続させてあげても嫌だという国民は、どのようになりますか?。滅びる兆しが見えるというのです。 あなたたちはしっかりして、このような膨大な「ために生きる」愛、ろ過器を通るために、ために生きなければなりません。なぜですか?。浄水になるためには、すべて投入して忘れるのです。 世界を一つにするためにどのようなことでもする、このように「より、ために生きよう」という人は、その人からために生きてもらった人たちが、その人を父のように侍り、女王のように侍り、神様のように侍るのです。アーメン。(「アーメン」)。分かりますか? ために生きると、「私」を受け入れて、中心の位置に立てるのです。それゆえに、「父の代わり、王の代わり、神様の代わりに、永遠に絶対ために生きよう」という位置には、父の代わり、国の王の代わり、神様の代わりに侍ろうと思うので、そのような位置を経た人たちは、神様の直属の息子、娘になることができるのです。それゆえに、天の国に行って王子王女、皇族の中でも主流の皇族になることができるのです。アーメン。(「アーメン」) 万物からために生き、人間のために生き、そのようにして新しい水、浄水のようになって、すべての人が浄水のようになって王の位置まで上がっていくためには、ために生きて、ために生きるのです。 そのようにすれば、すべてのものが逃げていくのではなく、すべて一つに集まって自分を中心存在として侍ろうとするのです。天運が、天の運勢が訪ねてくるのです。ですから、それを収拾するまで時間がかかるだけであって、継続していけば天運が「私」に侍って、中央の位置に立てるというのです。 徒党を組んでけんかをし、民主主義の大統領、共産主義の大統領になろうとすれば滅びるのです。自然屈伏して整理され、自分を中心として、天運とともに侍ることのできる中心が環境的条件に設定されれば、この世界は天の国の王圏とともに地上の王圏が、千年万年続く幸福と平和の基地となるのです。アーメン。(「アーメン」)。神様解放、真の父母解放、万民解放、万宇宙解放、神様の本然の……。 ブラジルに行けば、ホテルアメリカーノ(支店)は基礎聖地、「源焦聖地」です。「源焦聖地」とは何かというと、神様の創造理想の聖地です。それから何ですか? 「根源聖地」です。 人類歴史の根源は堕落です。堕落を知らなければなりません。神様を失ってしまったのです。父母を失ってしまい、すべてを失ってしまいました。神様を失ったので、地を失ってしまい、家庭の父と母を失ってしまいました。根源を知らなければなりません。「根源聖地」です。堕落した道です。 それから「勝利聖地」です。蕩減復帰勝利完成を成さなければなりません。そのような三つの名称を持った聖地を決定したのです。ですから、その家庭を中心として祝福家庭四十日修練を中心として、その運勢に従って、源焦基準の解放者であり、根源基準の解放者であり、勝利基準の解放者として、南北統一とともに入籍時代を再び準備するのであり、今この時は、先生が世界的な運勢をすべて決算する、そのような時であるということを知らなければなりません。アーメン。(「アーメン」) それゆえに、霊界と肉界の統一、地上世界の統一、そしてアメリカにおける朝野、上院と下院の統一をするのです。宗教と国の統一、このようなことを清算しなければならず、今年六月を中心とした、新しい統合運動を全世界的に提示しなければならないのです。そのような集まりの出発が、今回の第三十八回「真の万物の日」に参加した皆さんが待っている時間なのです。アーメン。(「アーメン」)。ですから、意義深いというのです。 解放の位置において、愛の主人である神様の位置に立って万物を愛して食べ、食べて愛したその万物は、神様と万物と人類全体を愛することのできる位置から本源地に帰っていくのです。そのことによって、地上、天上天国解放の天地、万事が「オーケイ」となり、「キング・オブ・オーケイ」時代が来るのです。アーメン。(「アーメン」) わたしたちは、そこに向かって突進します。前進しますか、突進しますか? (「突進します」)。前進ではありません。突進です。跳躍しますか、飛躍しますか? (「飛躍します」)。エレベーターのようにさーっとです。エレベーターに乗って昇っていかなければなりません。そのような時が来たのです。 家庭の基盤を築いてあげ、国の基盤を築いてあげ、世界の基盤を築いて、神様の玉座の前にさっと……。自然の世界で暮らしながら動物たちに命令して、あらゆることをする人を何と言いますか?。ターザンです。ターザンとは何ですか?。乗り回す商売がターザンです。上手に乗るではないですか?。猿も他の動物も、ターザンの声さえ聞けば、朝から集まってくるのです。 神様の前に、神様の息子、娘に代わるターザンになって「アーアーアー」と言えば、全世界がわあっと押し寄せてくるのです。このようにすることのできる所が、一つに統一された天国であったのです。そのような「ターザン王宮のターザン王」になるためのものが、統一教会の飛躍する者たちがしていることなのです。アーメン。(「アーメン」)。千年、万年、アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.10
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旧統一教会会長らが会見 解散請求受け対応を説明(2023年11月7日)世界平和統一家庭連合(旧統一教会)は、7日午後2時から記者会見を行う。東京地方裁判所から解散命令請求の正式通知が届いたことを受け、田中富広会長と改革推進本部長の勅使河原秀行氏が今後の対応方針を説明する。旧統一協会田中会長 解散命令請求は「信教の自由、法の支配の観点から到底受け入れられない」「国と国民の皆さんを巻き込んでこのような事態に至ったことを深く反省」と謝罪一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.07
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完全整備時代成約八年 2000年4月30日ニューヨーク州・ベルベディアニューヨーク州のベルベディア国際修練所の聖日礼拝で語られたものです。 アメリカの人たち、手を挙げてください。(日本人が多いのをごらんになって)ここは日本の教会ですね。英語で話さずに、日本語で話さなければなりませんね。(笑い)第二次大戦の時はアメリカが勝ちましたが、信仰の世界においては完全に日本に負けていますね。 なぜ、そのようになったのでしょうか?。イギリスが責任を果たせなかったからです。イギリスが責任を果たせなかったので、そのようになりました。イギリスがエバ国家だったのですが、その責任を果たせなかったのです。イギリスは母親で、アメリカは息子です。母子が責任を果たせませんでした。それゆえに、イギリスの代わりに、怨讐の国である日本を選んでエバの国として立てたのです。 なぜ、日本を選んだのでしょうか?。日本は島国です。島国は、いつも大陸を慕うのです。ですから、その島国のエバが訪ねていくべきところは大陸です。しかし、一人で大陸を訪ねていくことはできません。息子を立てて訪ねていかなければならないのですが、その息子が何かというとアメリカです。母親と息子が一つになり、来られる主を迎えなければなりません。ところが、これが一つになって来られる再臨主に反対しました。蕩減です。 アメリカはキリスト教国家であり、イギリスはアングリカン・チャーチ(英国国教会)ですが、アングリカン・チャーチは完全な新教とは違います。ですから、旧教との中間にいるイギリスとアメリカが母子の関係で一つになり、ヨーロッパとアメリカ大陸を一つにして、来られる主を歓迎していたならば、世界は統一されるのです。 これは、エバが堕落し、長男がみ旨を破壊して殺戮戦が起きたことを蕩減するためのものであり、アメリカとイギリスが一つになり、来られる主と一つの家庭的基準において連結し、世界家庭、世界国家、世界天宙家庭形態を成し遂げるべきなのです。ところが、これを成し遂げることができなかったので、すべてを失ってしまいました。このように、サタンがこれを占領して頭をつかんでいるので、怨讐の国をエバ国家として訪ねていって天の前に立てたのです。東洋に帰ってきたのです。 日本は、イギリスの文化を受け継いでいます。そして軍隊はドイツ、法はイタリアから吸収しました。ヨーロッパの新しい文化を完全に受け継ぎ、アジアにおける新しいヨーロッパとして立つことのできる基準を持って現れたのです。そうしてサタン世界と共になしてきました。 イギリスとアメリカを握ることによって、サタンが頭を握るようになったので、しっぽに当たる日本という島国が選ばれたのです。それで、今現在に至るまで、ヨーロッパの経済問題、電子化などの問題、このような電子世界のすべての分野において日本が世界の記録を所有してきました。そうしてアメリカとヨーロッパのすべての経済圏、すべての技術を完全に日本が占領するのです。 一方、韓国は世界的アダム国家なので、いくら日本が頑張っても及ばないほどの潜在的力を持っています。ですから、日本が最も恐れるのが韓国なのです。技術オリンピック大会では、韓国が連続してチャンピオンを出してきています。そのくらい頭が優秀で、天才的な素質を持っている国なのです。韓国人たちは、世界のいかなる有名な会社がつくった物でも、それが市場に出てから同様な物を一週間以内でつくり上げてしまうというのです。 あれは、どこだったでしょうか?。アメリカ人をはじめとして西洋人が物を買う所です。(「梨泰院ですか?。」〈お母様〉)。梨泰院です。梨泰院では、世界のいかなる商店の物でも思いどおりに買うことができます。それも三分の一の価格で買うことができるのです。それゆえに、日本がいくら研究しても、三か月ですべて奪われてしまいます。 ですから、日本が最も恐れる所はどこですか?。中国を恐れるのではなく、韓国を最も恐れるのです。それは、技術的な面においてです。 第二次大戦以降七十年を過ぎれば、韓国では天才的な人たちがたくさん生まれるようになるので、すべての電子世界、インターネット、Eメールの世界における最高記録を持つことができる時代が来ます。ベンチャー産業において、今、韓国人が世界の最先端にいるのです。 IMF(国際通貨基金)問題で、いったんは産業が復興できなくても、このような電子世界のベンチャー産業が、韓国の難しいIMF経済問題を押し出して、乗り越えていくことのできる力を持つようになりました。しかし、世界的に一つの国家形態の組織以上に活動できる体制を持った所は、統一教会しかありません。(「アーメン」)。(拍手) アメリカの国務省も、それを認めています。世界の学者を集めることでも、大会を行うことでも、どのような大会を行っても、統一教会に太刀打ちできる国はありません。その活動が何か知っていますか?。神様が期待しているのは、統一運動です。ですから、わたしたちは何でもできるというのです。芸術分野や体育分野、すべての分野でわたしたちが……。 今、バレエでもそうではないでしょうか?。ユニバーサルバレエ、キーロフバレエ、リトルエンジェルス、これは東洋無形文化、西洋無形文化を代表するものです。また、体育分野でもそうです。体育分野でも一和天馬サッカーチームを中心として、すべての面において先頭に立っているのです。 それで今現在、先生は、南米のサッカーチームを中心としてアメリカとサッカー連合をつくり、世界的な体育分野までも組織化しようとしています。今から見ていてください。アメリカンフットボールよりも、サッカーがもっと大きく発展できるのです。これが世界的だからです。ブラジルも、指導できる能力がありません。それは今、先生がアメリカと連合して計画しています。 アメリカの高位階層、ヘッドたちを全部、教育しています。上院議員、下院議員、州議員、全員を教育していくのです。三日間ですべて回ってしまいます。今、「アメリカが世界一だ」と言う人々は、今後のアメリカが行くべき方向をつかむことができずに苦しんでいるのですが、わたしたちのみ言を三日間だけ聞けば、「やあ、これだ。新しいアメリカとして発展し、世界をリードしよう」と言うのです。 今まで、アメリカのワシントンで五次にわたって千五百人を教育しました。彼らは皆、上院議員、下院議員などのトップレベルの人たちなのですが、彼ら全員に火がついて「自分たちの州が一等になる」と言って、競争が始まったのです。 彼らを中心として全国的な教育を行い、放送局を通して教育することは簡単だと考えています。今まで、統一教会を覆い隠して聞くことができないようにしていたのですが、Eメールやインターネットで完全に公開されました。 さあ、このようなことを知っているので、今後、すべての分野において統一教会に太刀打ちできる国家体制もできていませんし、いかなる宗教団体もこのような膨大な基盤を備えた所はないということを、皆さんは知らなければなりません。 アメリカのCIA(中央情報局)やFBI(連邦捜査局)も統一教会を恐れています。しかし、統一教会が神様を中心としたキリスト教文化圏を背景にしているので、嫌でもしかたがないというのです。歓迎せざるをえません。 また、いかなる宗教も、いかなる教理をもってしても統一教会に太刀打ちできないということを知っているので、やむをえずに歓迎せざるをえないという段階に入ってきているということを知らなければなりません。 統一教会は、キリスト教の基盤の上に現れたのです。このことを知らなければなりません。それゆえにキリスト教は、統一教会を知らなくては旧教と新教が分からないようになっています。 今回の大会を通して、三日間学んで知ることによって、「今まで自分が三十年、五十年信じてきた旧教や新教が、すべてうそをついていたという事実が分かった」と言って、憤慨しているということを知らなければなりません。そのようになっているのです。ですから、どれほど恐ろしいでしょうか。問題は、頭の闘いなのです。 それでは、頭の最高の頂上はだれかというと、神様です。(拍手)考えてみてください。レバレンド・ムーンは、第二次大戦以降五十年間、これほどの迫害を受けながら……。どれほど複雑でしょうか?。その中から出発して世界の頂上まで上がってきたのです。 今は霊界と肉界です。霊界までもすべて直すのです。神様は思いのままになさることはできません。神様とサタンの闘いを、神様も止めることができず、サタンも止めることができません。 その闘いをだれが止めるのかというと、完成したアダムです。創造理想を完成した絶対夫婦です。それは何でしょうか?。四位基台を完成した絶対夫婦、家庭です。それが何かというと、真の父母の家庭です。真の父母だけが、サタンと神様の闘いを止めることができるのです。 神様に「あなたは、これこれこのような内容があるので闘うのでしょう?。」と伺い、「サタンよ、おまえは、これこれこうだから闘うのだろう?。」と言って、この二つの問題を解決すれば平和になりますね。平和にすることは神様でもできないのです。 それでは、どうすればよいのでしょうか?。人類をすべて取り戻して神様にささげるのです。そのようにすれば、どのようになりますか?。神様が解放され、サタンは自然屈伏しなければなりません。 そのようにしようとすれば、どのようにしなければなりませんか?。解決方案は簡単です。闘う人同士、神様の怨讐、サタンの怨讐同士が結婚することです。怨讐国家の間柄といえば、日本人と韓国人、ドイツ人とアメリカ人、旧ソ連人とアメリカ人です。分かりますか?。 それで今回、霊界にいる少年たちを結婚させてあげたのですが、彼らは霊界でも大きくなるのです。その霊界にいる十六歳以上の青少年たちを中心として結婚させるにおいては、必ず自分の父母の怨讐や、国の怨讐同士で結婚させてあげたのです。何のことか、分かりますか?。 なぜ、そのようにするのかというと、今まで霊界では結婚できませんでした。独身生活をしてきました。すべて別れているというのです。そして結婚させる力を持った人がいませんでした。神様も思いどおりにできず、サタンも思いどおりにできません。 これは、真の父母だけができるのです。なぜでしょうか?。サタンが偽りの父母となって、偽りの結婚をさせてきたので、真の父母でなければ、これを正すことはできません。神様もできず、サタンもできません。 偽りの父母をたたきつぶして霊界を取り壊し、地獄の門を閉めて天の門を開いてすべてを解放するのです。そして地上で自分勝手に結婚した人、それから法律上の名目だけの結婚のようなもの、フリーセックスのようなことをした者たちは、霊界で結婚できずにいますが、このような人たちをすべて結婚させてあげるのです。 彼らは、この地上にいる六十億人類を中心とした先祖の立場で降りてきて、サタン世界のサタンの手先に支配されているものをすべて清算してしまいます。先祖の位置で結婚し、地上にいる後孫をすべて逆さまに……。これからは、統一教会に入ってきて祝福を受けるように導くというのです。 サタンが主導して地上の人間や家庭を破綻させてきましたが、これを神側を中心として家庭を完成させるために、祝福によって正して整備してしまうのです。それで昨年と一昨年の二年間、霊界がどれほど統一教会を協助したか分かりません。世の中が随分と変わったでしょう?。 (「はい」) 今までは、「統一教会」という言葉を聞いただけでも嫌っていたのですが、今では「統一教会」という言葉を聞けば、自然と心が引かれていくというのです。地上にいる六十億の人類は、霊界の何千億の霊人たちが降りてきて、一人に数十人がついて押し出していきます。後孫がアベルですが、霊界は、アベルが祝福を受けることを手助けすることによって、アベルを立てて入っていかなければなりません。 地獄は何かというと、カインがアベルを殺して入っていきましたが、今回は、アベルが祝福を受けて本来の基準ができるので、霊界は従って入っていくのです。今まで霊界と肉界が混乱したのは、悪の活動舞台を完全に整備するためです。 先祖なので、天使長の位置で祝福を受け、後孫を連れて入っていきます。カインとアベルが分かれ、家庭破綻によって地獄と天国に分かれたものが、カインとアベルが一つになることによって天国と地獄が一つになるのです。分かりますか?。 (「はい」) それゆえに今後、統一教会に反対した人は、秋が来れば木の葉が落ちるように、すべて落ちるのです。整理されるのです。(「アーメン」)。(拍手)ですから、世の中で名前の通った人、お金があって政治勢力を持った人は、すべていなくなって水平になるのです。 今、アメリカも指導者がいません。世界をリードする人がいません。それでは、どこに行くのかというと、統一教会です。英雄や大胆でりっぱな人は、先に統一教会に入ってくるというのです。 ここにいる統一教会の人たちは、「アフリカに行きなさい」と言っても、「アフリカには行かない」と思いながらも行きます。「北極に行って開拓しなさい」と言えば開拓します。そうですか?。 (「はい」)。わたしは分かりません。(笑い)世の中のすべてのものが整理されるのです。霊界の整理、世の中の整理、きれいに整理するというのです。 さあ、ここで国際結婚した人は手を挙げてください。そうですか。手を下ろしてください。これからは国際結婚した人が出世します。今まで、国際結婚した人は悪口を言われてきました。しかし神様だけが、神様の真の愛だけが人種問題、国境問題を解決できるのです。 電球の中にあるフィラメントを見ると、それは真っ黒です。そこに電気が通ると黒いですか、明るいですか?。 (「明るいです」)。明るいのです。同じことです。神様の愛の光に照らされれば、黒人はもっと美しいというのです。 皆さん、七色の虹の光を一度に合わせれば、無色の白色光になります。同じことです。白人はそれです。白人は、虹の光を合わせたものと同じです。単純です。自分が一番高いと思いながら「わあ」と言っています。 虹の七つの色は、すべてその屈折率が違います。それをすべて広げることによって、宇宙の美を生みだすことができるのです。白(無色)では何もできません。白(無色)のペイントで絵を描いてみてください。それでは描いていないのと同じです。名作たりうるためには、白黒のめりはりが大きくなければなりません。分かりますか?。 昼があって夜があります。高い低いも同じことです。自然の理知に順応できない人は、除去されるのです。統一教会は、七色のカラーで展開させることもでき、一つにもすることができるのです。ですから統一教会がナンバーワンです。それは無色の白い光のようですが、ここを見れば五色(人種)のまばゆい光が輝いています。 白人と黒人が結婚することは悪いことですか、良いことですか?。 (「良いことです」)。そのようにすればどうなりますか?。 (「茶色です」)。(笑い)興味深いのです。愛するにおいても、頂上と谷が一つになるのです。 見てみなさい。ボクサーは黒人が強いですか、白人が強いですか?。 (「黒人が強いです」)。どれもこれも同じです。黒人が強いのです。最近では、サッカーでも何でも、すべて黒人がやっています。アメリカン・フットボールも黒人が強いのです。 イエス様が十字架を背負われたとき、シモンが代わりに十字架をずるずると引いていったということは、終わりの日に黒人たちが力の世界のチャンピオンになるということです。そして、歌なども同様です。 世の中は回っていくのです。ですから、白人は自慢してはいけません。白人絶対主義はだめです。そのためにアメリカが滅びつつあります。わたしは、それを救ってあげるために、白人たちを助けてあげているのです。 アメリカは新教の独立国家です。それは歴史に初めて現れたのです。そのために、わたしはここに来てキリスト教を生かすために苦労しているのです。三十年間、アメリカ人から反対されながらも、あらゆることをすべて行っているというのです。 アメリカを生かしてあげれば、白人だけでなく、黒人、世界の人類をすべて生かせるのです。キリスト教文化圏を生かさなければなりません。その責任をアメリカが持っているのです。 さあ、それでは、レバレンド・ムーンがそのような内容を持ってきて、それを行ったでしょうか?。最近それが明らかになってきたのです。それを それでは、どのようにしなければならないのでしょうか?。わたしがアメリカについて行かなければならないでしょうか、アメリカがわたしについて来なければならないでしょうか?。 (「アメリカがお父様について行かなければなりません」) レバレンド・ムーン一人とアメリカ政府とで、被告のレバレンド・ムーンと原告のアメリカ政府と闘ってだれが勝ちましたか?。 (「お父様が勝ちました」)。では、気分が良いですか、悪いですか?。アメリカの人たち?。 (「気分が良いです」)。なぜですか?。今のアメリカは死に、復活したアメリカが生まれるのです。 ですから、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」のです。そのような死なざるをえないアメリカが生きるためには、真なる神様でなければ生かせる道理がありません。それならば、どうなりますか?。 アメリカ人は、「レバレンド・ムーンは死ね」と言いながら、ありとあらゆることをし尽くしましたが、「死ね」と言われたレバレンド・ムーンは、この怨讐の国を生かすために今まであらゆる苦労をしながら、この国の人々を生かそうとしました。そうして、レバレンド・ムーンに希望を持つことができる道を開拓してきたというのです。それは驚くべきことです。(拍手) 何をしようとして、レバレンド・ムーンはここに来て、このようなことをしているのですか?。あなたたちが一銭のお金でも助けてくれましたか、どうですか?。悪口ばかり言って、あらゆることをしたというのです。 レバレンド・ムーンは三十年間、死ぬほどの苦労をして、なぜこのようにしているのですか?。そのようなものを韓国で使えば、韓国を生かしても余りあるはずなのにです。そのような韓国を捨ててまでも投入してきたのです。 アメリカは、神様が初めて新教国家を立てられた独立国家であり、世界を指導することのできる位置に置かれたのです。そのようなものが、すべて崩れていくことを知っているので、このようにしてきたのです。 それは何でしょうか?。第三イスラエルは何かというと、神様の祖国です。神様の祖国がありません。神様の祖国をつくろうとしたのですが、完全に崩れてしまったというのです。分かりますか?。 それで三十年間犠牲になりながら、今、アメリカの宗教界がレバレンド・ムーンに反対できない段階に入ってきました。ですから、今から教派主義を捨てなければなりません。教派とは何ですか?。アメリカ人は、すべて個人主義になったのですが、教派も個人主義になっています。アメリカを生かすためには、あなたたちが連合教会をつくらなければならないというのです。今、その運動を行っています。そのようにしなければ、アメリカを救うことはできません。 全世界に根を張ったキリスト教を再び生かすためには、この巨大なアメリカという国が正しく立たなければならないので、キリスト教を生かすために、レバレンド・ムーンはこのようなことを避けることができず、せざるをえないということを知らなければなりません。 そして、皆さんが知らなければならないことは、統一教会が霊界に対して明確に知っているということです。理論的に知っているのです。今後、皆さんが知らなければならないことは……。 あの大きい木がありますが、大きい木が貴いのですか、木の大きな根元が貴いのですか、見えない根が貴いのですか?。 (「根です」)。根です。今の時は、根の時代が来たのです。 インターネットで「世界で最高に良いものは何か?。最高に価値のある根が何か?。」と問う、このような時代になったのです。すべてが分かるようになっているのです。統一教会の原理のみ言や、今まで秘密にされていた話をインターネットを通して公開すれば、これを見れば人々の頭が……。最高の知性人たちが関心を持つでしょうか、持たないでしょうか?。持たないですか、どうですか?。 (「持ちます」) はちが一度みつを味わえば、尾をつかみ取っても、羽が落ちても、それを放そうとはしません。統一教会の教会員たちは、真理のみ言が分からなくて、すべて背いてしまったのではな この真理のみ言が世界に明らかになるということを考えてみてください。数十年前からの歴史です。五十年間してきた秘密の話が、すべて明らかになるのです。ですから、世界が完全に統一教会の網に引っかかるようになっているというのです。 あなたたちはどうですか?。高等学校、大学に小学生のような者たちが来て座っているというのです。どうですか?。あなたたちがしっかりしなければ、世界の最高の知性人たちが、連結された言論人たちがにおいをかいだときには、あなたたちよりももっと先に来るのです。 レバレンド・ムーンが話をするといえば、数万人の記者たちが早朝からここに来て座り、ここは取材しようとやってきた人でいっぱいになり、大騒ぎになるのです。世界の言論界で、「レバレンド・ムーンに対してインタビューしたくない」と思う人がどこにいますか?。世界の言論界から数万人が走り寄ってくるのです。そのような宝を持っているのです。 ここにいるあなたたちは、先生が「これをしなさい」と言えば、「ああ、また苦労ばかりさせて、何がどうだ……」と言っていますが、ダイヤモンドや黄金のある洞窟を探すことがどれほど大変でしょうか?。 統一教会がインターネット上に霊界までものせ 今の時は、源泉となるものが問題です。第一の原料が問題です。原板が問題です。写真でいえば、原板が問題だというのです。ですから比較できるものがありません。たたけば、すべて壊れていくのです。オリジナルは壊れません。統一教会の思想に勝る思想はありません。 統一教会で主張する真の愛に太刀打ちできる者はいません。真理と真の愛、愛と真理、この二つです。真の愛と真なる真理です。この二つですべて終わるのです。ですから、神様までも真理を逃してはならず、神様もこの愛を逃してはならないというのです。レバレンド・ムーンがこの愛をしっかりとつかんでいれば、神様も「嫌だ」と思いながらも逃げることができずに、ピタッとくっついているのです。分かりますか?。 (「はい」) それでは、神様がわたしに夢中になったでしょうか、わたしが神様に夢中になったでしょうか?。 (「ふたりともです」)。「ふたりとも」とは、どういうことですか?。ふたりのうちでどちらですか?。 (笑い) この二つの手の親指は同じですか?。主体と対象は同じですか?。神様の解放は神様にはできません。レバレンド・ムーンがするのです。サタンを自然屈伏させることは、神様にはできません。レバレンド・ムーンがするのです。 二つの世界を一つにすることができるというのです。怨讐同士が愛することができるようになり……。み旨を知って地上、天上天国がすべて成し遂げられ、天下を統一することが怨讐を愛することによってできるとすれば、それを知れば「ああ、わたしが先にする」と、こうなるようになっています。それを信じますか、信じませんか?。 (「信じます」) 先生は、頭が大きくて体がずんぐりとしています。女性が見れば、体を見ても良く、頭を見ても良く、体形を見ても良く、男性らしいというのです。運動ができないでしょうか?。できないことがないというのです。 先生は、霊界でもどこでも、すべて占領できる力も持っています。さあ、アメリカの女性たちも、先生のような夫を一人もらいたいと思う人は、手を挙げてください。(笑い)わわわわ。(笑い) 特別に女性たちがわたしを好み、そのことで男性たちはわたしを……。女性たちが皆、好むので、男性たちはわたしを嫌うのです。(笑い)女性たちは皆、レバレンド・ムーンの後ろについていこうとします。レバレンド・ムーンの後ろに女性たちがついていこうとするので、男性たちはその女性の後ろについてこなければならないので、どれほど気分が悪いでしょうか?。ですから、レバレンド・ムーンが反対されるようになっているのです。それゆえに、「祖母どろぼう」、「妻どろぼう」、「姉どろぼう」、「娘どろぼう」と、このような言葉があります。ですから反対するのです。このように、女性たちが皆、好むようになっています。 さあ、数多くの女性たちは、神様を好むでしょうか、好まないでしょうか?。 (「好みます」)。なぜですか?。神様をなぜ好むのですか?。神様は男性格主体です。男性格主体なので、どれほど強く、どれほど格好良いでしょうか?。女性は何ですか?。対象です。神様は主体であり、女性は対象なので、対象が主体を好むようになっているというのです。そうですか?。 来られる主は何ですか?。真の父母は何ですか?。神様に似た主体です。ですから、たくさんの女性たちが好むというのです。それでは、レバレンド・ムーンは女性たちをどのように考えているのかというのです。女性たちを妹のように思っているのです。妹です。 そこには姉もおり、母もおり、祖母もいて、すべているのです。それは親戚です。一つの血族です。ですから悪いことはできません。こうしてついてくる女性たちを皆、教育し、憎んでいた男性たちを皆、教育し、女性が男性を教育し、相対をつくって祝福してあげて、天の国に連れて入っていくというのです。 皆さんの夫は、天使長の立場なのです。それを皆、天使長ではなく、アダムの代身者にして結婚させてあげるのです。これが祝福です。それゆえに、祝福を受けなければ天国に入っていくことはできません。 さあ、きょうは何の日ですか?。 (「日曜日です」)。日曜日なのですが、四月の最後の日でしょう?。一年の三分の一にお別れする日です。お母様も、五月八日には南米に行かなければなりません。ですから、四日にはここを出発しなければならないのです。 さあ、それを見ると、先生は悪い夫ですか、良い夫ですか?。 (「良い夫です」)。「良い夫だ」と言いますが、お母様を世界の前面に立てて、困難な講演をさせるのが良い夫ですか?。 (「はい」)。なぜですか、どうしてですか?。 先生に接ぎ木してあげなければなりません。このくらい上がってきたら、同じ位置に立ててあげなければなりません。分かりますか?。七年間で、先生が生涯かけて備えた歴史的なすべてのものを相続してあげるのです。 お母様が語ることは、お母様が発見したのですか?。それはだれのものですか?。 (「お父様のものです」)。それを上げるのです。それでお母様は上がっていくのです。 今回、韓国では南北統一……。祖国を取り戻すべき時が来ました。南北統一です。南北を統一することのできる前進大会を行い、それを日本で四か所、アメリカで十二か所、南米で十二か所、(その他、ヨーロッパなどを含めて)合計四十か所をお母様がすべて行うのです。それを母親として、世界のすべての人々を子供たちのように結ばなければなりません。 南北米はカイン、アベルの関係です。これを中心として、世界に対してもカイン、アベルの関係です。それで、さっと帰ってきて……。今回のこの講演は、女性たちを前面に立てるためのものです。すべての女性たちは、すべて同じレベルです。 女性は、今からお母様とともに世界の男性たちを教育する責任時代が来たのです。子女として責任を果たさなければならない時が来ました。それで統一教会のお母様が、その分身としてあなたたちを送り、このような講演をするのです あなたたちはお母様の代身です。そのバトンを受けて世界の果てまで行くのです。母親のように教育するのです。そして母親たちが一つになって、天使長である男性を引っ繰り返して打ち込むのです。このようになるのです。アダムをつくって、お母様にかき抱いてもらうようにするのです。共産世界と民主世界はカインとアベルです。 天上でも同じです。真のご父母様を中心として入れ替わって、天国に入っていくのです。サタン世界の男性たちは、すべて天使長の分身です。政治、国というものは、宗教を迫害して殉教させ、血を流させてきました。この怨讐を、宗教圏で消化させて天の国に連れて行くのです。それで、天使長は天使長の位置に、アダムはアダムの位置に、神様の直系王圏を中心として、神様の皇族圏を中心とした体制を立てるので 霊界と肉界をはっきりと知っているので、今からは人間が堕落しようとしてもできない時代に入っていくのです。理論的にそうです、理論的に。分かりますか?。 (「はい」)それで女性解放をしなければなりません。統一教会の食口の中で高等学校以上、大学を出た人たち、専門大学以上を出た人を全員集めて再教育しなければならないというのです。分かりますか?。そして、すべての男性たち、いかなる国の王から長官まで、すべて教育しなければなりません。 そのように見てみると、堕落していないエバの位置に立っているので、天使長世界にいる男性たちは皆、我知らず引かれてくるようになっているのです。何のことか分かりますか?。女性が天使長に逆さまに引かれていったので、女性が蕩減復帰しなければなりません。そうしてこそ、女性たちが解放されるのです。分かりますか?。 それゆえに今、お母様が世界の四十か所を中心として最後の講演を行っているのです。男性世界や女性世界にお母様が登場することができるように、お父様が築いたすべての権限を、「真の愛の実践」とも言える巡回を通して七年間ですべて渡してあげるのです。分かりますか?。それをしなければなりません。 今後、国連を通して大移動が起きます。大移動が起きるというのです。国連に対するNGO(非政府組織)活動も、世界のいかなる国にも負けないものとなり、国連が認めざるをえなくなってきているということを知らなければなりません。あなたたちが知らないことをしているのです。知らない人は平安でしょう。(笑い)知っている人は実践しなければなりません。 このようなことをコントロールできる頭が先生になければならないのです。責任を持つということは易しくありません。先生を見れば、ばかみたいに見えるでしょう?。 (「いいえ」)。世の中がいくら悪口を言っても、目をつむって……。 先生は生涯、そのように生きてきました。そして今、目を開けてみると春の季節になっていたのです。目を開けてみると統一教会が、「ああ、レバレンド・ムーン時代が来たなあ。天地が歓迎するのだなあ」という状況になっていたのです。(拍手) そのようになろうとすれば、あなたたちが正しい種から育った木になったのか、そうでなければ接ぎ木した木になったのか、この二つのうちどちらか一つにはならなければなら それでは、きれいになりましたか、どのようになりましたか?。このハドソン川の水は流れている水ですが、それがきれいな水になるためには、何回濾過装置を入ったり出たりしなければなりませんか?。 (「何回も出入りしなければなりません」) それでは、皆さんは「自分は一度濾過装置に入っていって出てこなければならない」ということを感じたことがありますか?。 (「はい」)。何回ですか?。一度もないというのです。濾過すれば、どれほどかすが多いでしょうか?。しっかりしなければなりません。霊界に行けば、赦されないというのです。ここでは分からないので、すべて覆ってぐずぐずしていますが、霊界では、そうはいかないのです。 あなたたちが霊界に行けば、先生が行く霊界に行くのですか、どの霊界に行くのですか?。 (「真のご父母様が行かれる霊界に行きます」)。真の父母とは、何の真の父母ですか?。アメリカ人は、アメリカ人が行く所に行くのではないですか?。 あなたたちは、先生がアメリカナイズされることを願いますか、あなたたちがレバレンド・ムーナイズされることを願いますか?。 (「レバレンド・ムーナイズです」)。(笑い)言ったら、それでおしまいなのでしょう?。 「ムーナイズ、ひひ」とは何ですか?。 「ムーナイズ」と言わなければならないのに、目をつむって「ムーナイズ~」と言うのをだれが信じますか?。ムーナイズ (「ムーナイズ」)。目をつむって言ってはいけないというのです。(笑い)笑いごとではありません。どのくらい濾過しきらなければならないのでしょうか?。汚水と言っては、よくないでしょう?。自分勝手に生きた川の水と同じです。 皆さん、ラジオやテレビなどの受信機を持っているでしょう?。それらは、カラーで見たとしてもきれいなものを願い、音がきれいなものを願うでしょう?。 (「はい」)。どちらですか?。一番良いものを願うでしょう?。そのようにしようとすれば技術が必要であり、複雑な装置をすべて経ていかなければなりません。その技術は自分が知っている この中で大学を卒業した人は、手を挙げてください。高く挙げてください。今回、世界じゅうに行って「訓読セミナー」を行い、全員そのようにしなければなりません。それをしなければなりません。 世界の国々は、アメリカの女性を好みますか、東洋の女性を好みますか?。東洋の女性の中で、日本の女性を好みますか、中国の女性を好みますか?。どちらですか?。 (「中国の女性を好みます」)。「中国の女性を好む」と言うのを見ると、中国人のようですね?。 (笑い)それではいけないというのです。国際結婚です、国際結婚。(笑い) 世界が統一されるのは簡単です。西洋と東洋が完全に交差結婚すればできることであり、ロシアと中国が怨讐なので、交差結婚すればよいのであり、韓国と日本が怨讐なので、交差結婚すれば世界は平和の世界になるのです。 さあ、それでは、その子供たちは、頭が鈍くなるでしょうか、スマートに(賢く)なるでしょうか?。 (「スマートです」)。なぜスマートですか?。それは渡り鳥と同じです。南の方で暮らして北の方に行き、北の方で暮らしていたものは、南の方に行って交流しながら結婚するのです。そのようにすれば、優秀な種が生まれるのです。それゆえに、統一教会は国際結婚するので、今後、世界を指導することのできる天才的な人々がたくさん出てくるというのです。 あなたたちは「国際結婚したので良くなる」と言っていたでしょう?。本当にそうですか?。 そのようになるというのです。(「ありがとうございます」)。(笑い)三代かけて国際結婚すれば、天才が生まれるというのです。世界を指導する人が生まれるのです。 統一教会では、国際結婚することが伝統になっているので、天才的な後孫がどれほどたくさん生まれるでしょうか?。世界を統一教会の人たちが指導せざるをえない時代になるのです。これは理論的です。そのような意味で、世界はわたしたちが神様のみ旨の中で指導するというのです。神様の秘密の結婚方法を行っているので、神様が主管なさることのできる世界は、わたしたちの後孫たちが治めるのです。アーメン (「アーメン」)。(拍手) ですから、今から二〇〇〇年度さえ越えれば、先生は、国際結婚した人を統一教会の指導者としてたくさん選択するのです。(「来年を越えればですか?。」)。四年だけ過ぎればです。分かりますか?。国際結婚です。 今後は、自分の後孫が十代目くらいになれば、「何か国の人の血が混ざって一族を形成しているのか」ということを中心として、たくさん混ざっているほど、そこに天才的な人たちが集まるというのです。そしてこれからは、一族で約百の家庭が暮らして、それが一族だというとき、そこにいろいろな国の人々が入ってきて暮らすのです。 それでは、そのように暮らす人たちの中で、イギリス人は英語を話せばよいと考え、ドイツ人はドイツ語を話せばよいと考えるのですが、どこの国の言葉を使わなければならないでしょうか?。 (「韓国語です」)。そうですか?。なぜ韓国語ですか?。 (「真のご父母様の言葉だからです」)。では、あなたは英語を話していますか、韓国語を話していますか?。 (「英語です」)。ですから、言うことと実際が違うではないですか?。 これからは、必ずそのようになるのです。遠からずです。今、一世、二世、この人たちは、すべて国際結婚です。それは、神様が願われるのです。そのようにしてこそ戦争がなくなるのです。このようになるのです。分かりますか?。 (「はい」) それゆえに、三か国語は話さなければならないというのです。その三か国語は、自分の国の言葉まで合わせれば、四か国語でしょう?。 (「わあ」)。そのようになれば、どこに行っても通じることができるのです。そのようにしながら、後で言語が統一されます。一つの言葉を使うのです。 さあ、それでは今、先生のみ言が三百巻以上の本になっているのですが、続ければ、どれほどたくさん出てくるでしょうか?。皆さんが読もうとすれば、原語を読まなければなりませんか、翻訳した本を読まなければなりませんか?。 (「原語です」)。なぜ、どうしてですか?。 翻訳したものを読んだ百人の教授がいて、原語を読んだ一人の人がいたとすれば、原語を読んだその人が、たとえ知的に劣っていたとしても、その人の言葉を聞かなければなりません。知的に劣っていても、その人の言葉を聞かなければならないというのです。「原語がこうなのに、翻訳したもので何を言うのか?。」と言えば、静かになるのです。 韓国語は、言語学的な面で世界的に最高の基準にあります。発音できない言葉がありません。優秀なのです。このミスター金キム(金キム孝律ユル氏)も、途中から英語を学びましたが、彼が発音して聞き取れないアメリカ人はいないというのです。 韓国語は優秀なのです。宇宙の言葉のすべて、四十九億の発音ができます。英語は何でもありません。日本語もそうです。それゆえに、だれもが韓国語を学ばなければなりません。 また韓国語は、どこの国の言葉でも、その発音を韓国語で書いてそのまま読めば、そのまま聞き取れるのです。しかし、日本語で書いても聞き取れません。英語で書いても聞き取れません。何度もしなければなりません。 ですから、日本人が外国語を学ぶのに苦労するのは何なのでしょうか?。韓国人は、どこの国に行っても一年で、すべて通じることができるのですが、日本人が発音しても聞き取れません。一度発音して聞き取れないので、どんどん前進するのではなく、後退するのです。韓国人は聞き取れるので、話せば話すほど面白くなって、どんどん前進するのです。 McDonald を日本語では「マクドナルド」と言うのです。聞き取れますか?。 (笑い)その言葉を発音できないのです。「マクドナルド」とは何ですか?。速く発音しても合わず、ゆっくり発音しても合わないのです。分かりますか?。 ですから、あなたたちの子供を「国際結婚させない」という人は手を挙げてください。イギリス人とアメリカ人はお互いに避けていますが、そのような人もどうなると思いますか?。 (「します」)。これは異端者でしょう。(笑い)何であっても良いのです。神様が喜ばれるのです。宇宙の大将が喜ばれるので、わたしがそのようなことをさせて滅びずに成功したというのです。 頭の悪い人が統一教会を信じることができますか?。 (「できません」)。今回も、ロシアと中国とアイビーリーグ(ハーバードやエールなどの名門大学を含む米国東部の大学リーグ)の四百人以上を教育したのですが、競争が起きました。そして三つの国を中心として、これから若者層をどのように教育していくのかというのです。 世界の学生たち、世界の知性人たちをどのように指導するのかということを中心として連結しようとするので、中国とロシアが大騒ぎになりました。すべて試験をするのです。英語がうまく、成績が良い、そのような人たちを選ぶのです。 それから、アメリカ人とロシア人を中国に連れて行って教育し、ロシアでもう一度そのようにして、三回だけすれば、どのようになるでしょうか?。社会主義や共産主義、どのような主義もすべて超えて一つになるのです。神様主義なのです。 中国だけでも二十五の大学があり、ロシアもそのくらいになります。み言の教育を受けさせるために「天才的な人たちを選ばなければならない」と言いながら、大使館では大騒ぎしているというのです。ロシアでもそうです。そして、どのような教育をするのかということに関心を持っているのです。 彼らは、レバレンド・ムーンがロシアや中国で教育している内容を知っているので、「レバレンド・ムーンが教育するものは心配ない」と言っています。そしてお互いに競って「教育を受ける」と言っています。(拍手)レバレンド・ムーンが好きだというのです。 さあ、それでは、中国の学生とロシアの学生が感動するのと、アメリカの学生が感動するのを比較すれば、どちらが、より感動するでしょうか?。ここにいたアメリカの学生は、「レバレンド・ムーンが悪い」といううわさを聞き、どうだこうだと、あらゆるくだらないことを聞いていました。 そのような人たちと、全く純潔な人たちが来て教育を受けて感化されるのとは、どちら側がより感化されるでしょうか?。それが問題なのです。(「中国、ロシアの人です」)。中国人とロシア人です。 それでは、アメリカ人は何ですか?。アメリカは頭ですか、しっぽですか?。学生で世界的な組織をつくれば、だれが、その長になるのでしょうか?。そして今回、カープ(CARP= 世界大学連合原理研究会)活動を中心として顯進を立て、全世界のカープ責任者たちは、どの国でも中心的な責任者になり、カープを中心として若者たちや学生を完全に指導するのです。その準備をするのです。(「顯進様は第三メシヤです」)。(笑われる)第三メシヤですか?。 あなたはメシヤが必要なのですか?。第四次アダム圏時代に入ってきたのに、メシヤが必要なのですか?。分かりますか?。 「第三メシヤ」という言葉を使っています。(笑われる)メシヤは必要ないというのです。(「これ以上のメシヤは必要ありません」)。そうです。父母がメシヤです。メシヤは神の国の王です。分かりますか?。 これからは国境を越えて思いどおりに……。国連で国境を撤廃し、思いのままに行って暮らさなければなりません。すずめがアメリカでも暮らすことができ、どこに行っても暮らすことができることと同じです。ですから、旅行しながら暮らさなければなりません。 したがって、船の操縦もでき、飛行機の操縦もできなければなりません。今回、(真のご父母様ご聖婚)四十周年記念ストライプトバス釣り大会をしたので、パンタナール、コディアク、世界百八十五か国で釣り大会をすることができるのです。その準備をしています。 そこに参加したことは歴史的なことなので、皆さんの子供や後孫たちが「お父さんとお母さんは第何回の参加者ですか?。」と聞いてきたときには、どうするつもりですか?。参加しなければならないでしょうか、してはならないでしょうか?。 (「しなければなりません」) 南極でも北極でも、どこでもしなければなりません。(「はい」)。北極も良いのです。しろくまをハンティングすれば、どれほど良いでしょうか?。問題ないというのです。できますか?。 (「はい」)。良い響きですね。(笑い) さあ、その話は終わりにして、国際結婚です。(「はい」)。間違いなく、そのようになるのです。一部落に百二十か国の人が来て暮らしたとしても、呼び笛をピューと吹けば、一族のように動くのです。 それでは、そのように理解して、皆さんが「国際結婚」と「後孫たちを世界に送り出す」という約束をして四月を送り、希望の五月と夏を迎えて繁栄に次ぐ繁栄を神様が願われるように、わたしたちはそのようになるべし。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) ところで、女性の乳房はいくつありますか?。一つですか、二つですか?。 (「二つです」)。二つです。それでは、ここで、右側には白人の赤ん坊、左側には黒人の赤ん坊、もう一人は黄色人の赤ん坊がいるのですが、どのようにしますか?。 乳を飲ませながらチュッ、チュッ(キスするまねをされる)と、このようにかき抱くことができる姿、このような歴史における人種を愛する最高の傑作品の写真をだれが先に撮るのでしょうか?。これが先生のなぞです。 ふたごではなく、三つ子でもよいのです。それは傑作品だというのです。天の国の博物館の第一等の位置に行くのです。(「アーメン」)。それを研究してください。「わたしの何代目の後孫はそのようになることを願います」と思って、精誠を尽くすのです。 さあ、白人の女性がそのようにするのがよいでしょうか、黒人の女性がそのようにするのがよいでしょうか?。 (「オールカラーです」)。いいえ、オールカラーよりも黒人カラーです。なぜですか?。白人たちは嫌がるのです。それが習慣になっているというのです。そうなのです。そのような習慣性があるのです。本当です。 それゆえに、ここで人種差別する人は頭がおかしい人です。いくら醜い黒人の女性であったとしても、高い霊界に行けば美人の中の美人になるのです。(「アーメン」)。「アーメン」ですか、「オンマ」ですか?。 (笑い) さあ、そのように理解して、年を取っている人は、子供に「産児制限をしないでたくさん生みなさい」と言ってください。たくさん生んで飢え死にしたとしても、たくさん生んだ人は、天国の良い所に行くのです。 そのように理解して、国際結婚を心で考え、そのようにできる人たちの福を祈ってあげ、国会議員たちは、そのような人を訪問しなければなりません。学びなさいというのです。そうしてこそ、霊界に行って問題がなくなるのです。数多くの民族が一つの所に行くのです。 それでは、アメリカにおいて黒人が統一教会にたくさん入ってくるでしょうか、白人がたくさん入ってくるでしょうか?。 (「黒人です」)。白人ではないことでしょう。白人は、すべて比較するのです。「わたしもこのように勉強したし、どうだこうだ」と言いながら、四方に照らし合わせてみたりするのです。率直ではありません。黒人たちは、口を開けて喜ぶことでしょう。 将来、アメリカの大統領には黒人がたくさんなることでしょう。どうですか?。 (拍手)レバレンド・ムーンの思想は、アメリカ人たちが受け入れざるをえません。遠くない将来において、そのようになるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.06
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真の御父母様の御聖婚「第二次四十年路程出発」及び「第四次アダム圏定着時代」宣布二〇〇〇年四月二十日、アメリカのイーストガーデンで、真のご父母様の「御聖婚四十周年記念日」の翌日にあたる四月二十一日、御聖婚四十周年を記念する「第一回釣り大会」に参加した韓国、日本、アメリカの指導者、百二十余名の前で、真のご父母様の聖婚「第二次四十年路程の出発」と「第四次アダム圏定着時代」が宣布された。 成約時代には、霊界を知らなければなりません。霊界を知らなければ、先生が分かりません。霊界を知らなければ、先生が手がける仕事を理解することができません。霊界の内容を中心としてこそ、相対的な世界にあって、歴史と共に蕩減していく過程をすべて理解できるのです。 蕩減するこの過程が、霊界の実相と相対的な関係によって変遷していくので、神様も意のままにできないのです。神様が教えることができず、人間も分からなかったことを、真の父母がきて告げるのです。天のすべてのことを整理できる責任を神様は担えないのです。真の父母が天に要求することによって、実相をすべて報告し、照らし合わせます。そうして、私たちの生活に一致させることによって、解放圏が展開します。先生が蕩減しておいたすべてに、そのまま乗っていってこそ、解放されるのです。 霊界はそのようになっているのです。ですから、霊界がそのようになっていることを知ることによって、解放されるのです。霊界の事実を知らなければならないのです。疑う余地がありません。 先生が話したことにつべこべ言うなというのです。教えてあげたその内容が、霊界に行けば、そのままの通りに展開するのです。事実なので、どうするのかというのです。「それ以上に信じる」と言えてこそ、霊界に行って、疑うことなく、その拡張された世界を理解できるのであって、この限界圏内に制限された内容の報告も信じられないならば、無限拡大世界の全体を信じることができないというのです。 歴史的に初めてのことです。ですから、今後、言論界に向けて発表しなければなりません。人類が今、霊界を知りません。霊的なことをすべて取り入れなければならないのです。共産党が反対しても何をしても、すべて事実なので、そのようにわきまえて、今回その新しい観念を抱かなければなりません。先生の「御聖婚四十周年記念日」のあと、「第二次四十年路程」が新たに出発する日がきょうです。四十年、御聖婚の記念日が過ぎて、四十年を新たに出発するにあたって、霊界の事実を新たに理解しなければなりません。過去の信仰と違って、確実に理解して、すべてのことを検証していきながら、自分の地上生活を合わせていかなければならないのです。 後孫たちが先祖を解放してあげなければなりません。その時代が過ぎ去れば、今後、先祖たちが来て、後孫たちを導くのです。今からそのような時代になるのです。先祖たちや霊界の祝福を受けた家庭がすべて来て、祝福を受けていない者も、祝福を受けて地上で暮らしている者たちも協助しなければならないのです。 ですから、先祖たちが願うのはみ旨の道であり、神様の創造理想の道なので、そこに適合しないときにはいくらでも制裁できるのです。神様の愛する子女が堕落することによって、地獄圏になったのと同じように、善なる先祖が皆、実体圏を中心として彼らの生死の境まで支配できるようになるので、善なる先祖に従わないわけにはいきません。さもなければ、必ず制裁があります。制裁しなければ、後孫たちの行いが先祖全体の道をふさぐので、制裁しないわけにはいかないのです。 蕩減復帰時代は母が協助する母子協助時代であり、完成時代は父子協助の時代です。神様と息子が一つにならなければなりません。同体です。一つの体です。父が願う通りに息子が行き、また息子が願う志を神様が叶えてくださるのです。それが愛です。愛の理想を神様が主導されるのです。 お金をもって、知識をもって、権力をもって闘うのではありません。愛の理想を中心として、天上世界に完全なる神様の血族として住める、その資格を地上で得られるように指導するのが父母の責任なのです。それができなければ、できなかった分だけ、父母が天の国に行って責任を追及されるのです。地上生活というのは、そのように貴いものなのです。 私たちが全国的に活動をして教育するときには、原理のみ言を中心として統一されて動くので、一つになり、闘わないのです。全羅道の者、慶尚道の者、北朝鮮の者、韓国の者とかいう境界線はないのです。一つになって進むのですが、サタン世界は、慶尚道や全羅道という地域争いが次第に熾烈になっていきます。南北が打つ手もなく、争いが次第に熾烈になっていきます。どんなに人間が調停しようとしても、できないようになっているのです。その世界で私たちが手本にならなければなりません。東西が全羅道と慶尚道です。南北が北朝鮮と韓国です。その次には霊界と肉界が反対になっています。 そうするには東西統一、南北統一すべきですが、これは何ですか? 上下関係は父子関係であり左右関係は東西です。そうすると、前後関係が霊界と肉界なのです。霊界、肉界が闘っています。霊界で闘っているのです。カイン、アベルの闘争歴史を抜け出す道がありません。それで地上で統一的な東西と南北を中心として克服し、手本を見せてあげて、霊界と肉界の家庭的に行く道を整えることにより、地上・天上天国が完成するというのです。 霊界が何かというと、善なる霊界と悪なる霊界とがカインとアベルの関係なのです。そして地上において東西、夫妻が共に一つになり、父子が共に一つになり、その基盤の上に……。一時代に上下・左右・前後をすべて総決算したので、今回真の父母が来られて「南北統一前進大会」を開くのです。ですから、慶尚道の人間であるとか、全羅道の人間であるとかいう地域争いは、統一教会にはありません。あってはならないのです。 そして北朝鮮から来た失郷民と韓国の人に隔たりがあります。その隔たりを抱いて生きます。慶尚道の群れ、全羅道の群れ、北朝鮮の群れ、韓国の群れという群れをなくさなければなりません。群れをなくすのです。これらが一つになってこそ、霊界の群れを決定づけることができるのです。 先生が上下関係、左右関係、前後関係、それから息子として見ると、カインとアベルを中心として、息子の中の息子たる長子権の責任、左右の父母のうちで真の父母、王権を中心として上下関係のこのすべてを、個人から世界まで統一的な基盤を築いておいたので、皆さんが真の父母を中心として絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、対等な立場に上がっていくのです。 完全なるプラスは、完全なるマイナスをつくるのです。そうした原則があるので、エデンにおいて神様が創造されるとき、絶対信仰によって創造されたのです。絶対信仰でつくったので、信仰の上につくった諸物は絶対愛の実体なのです。信仰の核にならなければならないのです。信仰の核になるのが愛の実体です。愛の実体、核になるといった場合の核は、何もせずに生まれたのではありません。絶対的に為に生きるところから生まれたのです。これが原則的な基準です。 それが家庭を中心として一つに定着するのです。上下関係、左右関係、前後関係に定着できるのです。完全に真の愛を中心にして核となったので、真の愛を中心として夫婦関係を定立し、子女関係を定立し、父子関係を定立し、最後に霊界にまで展開されると解放がなされるのです。 ですから、蕩減時代を消化し、神様の創造理想を中心とし、上下関係、左右関係、前後関係を中心として、定着することによって、「第四次アダム圏時代」が生まれるのです。蕩減時代です、蕩減時代。蕩減というのは蘇生、長成と上がっていくでしょう? これが縦的に蘇生、長成、完成となるので、長成級でサタン圏を終わらせ、完成圏で解放圏を越えて、本然の場に入っていくのです。 それで「第四次アダム圏時代」は縦的な蕩減時代、旧約時代、新約時代、成約時代の基準をすべて横的に展開することによって、旧約時代と新約時代、これが一つです。真の父母が来て、旧約の完成、新約の完成、成約の完成をすべてなしました。縦的な基準をすべて完成することによって、絶対信仰、絶対愛、絶対服従するようになると、旧約時代、新約時代、成約時代を経ていくのです。第四次アダム圏時代が何かというと、母子協助時代ではなく、父子協助時代です。母がいなくても息子が母を訪ねて侍ることができ、また父が母を訪ねて侍ることができるのです。 世の中でも孝子がいかなる者かというと、母が亡くなったならば、一人暮らしの父に対して、再婚させる者を孝子と言うのです。また真なる夫ならば、自分の妻が死んだからといって、そのままでいてはいけないのです。死んだ妻の代わりに蕩減役事をなして、その女性を解放させるために妻を得ることが善となるのです。 時代が違ってくるのです。これまでは母子協助時代でしたが、今は何時代? 父子協助時代です。父母時代ではありません。父母時代は母になりません。母が一つの体です。父と母が一つになっているなら、父と息子さえ一つにすれば良いのです。母はすべて体と同じです。 きょうから何が始まりますか?「第四次アダム圏定着時代」に突入するのです。ですから、絶対信仰です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。創造されるとき、神様がそのようにされました。何もない立場において「語った通りになる」と言われたのです。絶対信仰です。その「なる」ということ自体が愛の相対です。その愛の総意は、絶対主義というものなのです。 愛を中心として神様の属性を見ると、絶対、唯一、不変、永遠となります。「絶対、唯一、不変、永遠」というのは真の愛しかありません。父子関係、父の愛、それから、真の夫の愛、そして真の息子、真の兄の愛、これが三大愛です。それがすべて堕落することによって壊れました。長子権復帰、それから父母権復帰、王権復帰です。世界時代に分割して、これまでの歴史はカインとアベル、長子権復帰です。 長子権を復帰したあとに父母権復帰です、真の父母復帰。一九六〇年代に祝福結婚がなされました。キリスト教が支えていたならば、今のお母様がお母様ではありません。聖進君のお母さんがお母様になっていたのです。既成教会がすべて既成の信仰を中心に、北朝鮮から来た群れが、永楽教会を中心として統一教会に反対したのです。先生の家庭をすべて破綻させてしまいました。先生の一族をすべて破綻させてしまい、国をすべて裂いてしまいました。天地を、地上・天上世界を統一したすべてのものを再び裂きました。裂いたというのです。 ですから、先生は「真の父母」を宣布して、「真の孝子」を宣布しなければなりません。それで今回、「南北統一前進大会」において、八十歳以下のすべての人たちを「私の弟や妹である」と宣言しました。「弟や妹でない者は、手を挙げるように」と言いましたが、一人もいませんでした。皆が弟や妹になるというのです。「すべて女性は私の妹である! この女たち!」。妹に悪口を言ったからといって、気を悪くしてはいけないのです。数千年ぶりにお兄さんができたのに、成功したその権限をもって、女性たちが堕落しだのを、皆はんだ付けしてあげるためにそう言うのです。 女性がお兄さんを愛せず、お兄さんを夫として愛せず、夫を父として愛せませんでした。息子、娘を中心として教育するために、父に侍ることができるように母親が教えてあげなければならないのです。堕落したあとに何を失いましたか? 兄の愛、妻の愛、そして父の愛を失ってしまいました。父の愛に続いて祖父の愛があり、王の愛が出てくるのです。 その父に仕えることができ、父を敬うことができるように誰が教えてあげるべきですか? 母親です。母親が教えるのです!父から息子娘を授かったでしょう?息子は右側であり、娘は左側です。三人が一つになりますが、この三人というのは、母の中でカインとアベルが妊娠したのと同じです。性相と形状が神様の理想的な懐に抱かれるのと同じなのです。これを育てて神様に捧げなければならないのです。ですから、生まれて育つまでに成熟する期間が必要なのです。成熟して上がっていかなければならないのです。 女性たちが双子の息子と娘に乳を飲ませるときには、右の乳は息子に飲ませて、左の乳は娘に飲ませなければならないのです。息子を生んだならば、母が乳を飲ませるとき、左の乳を飲ませてはいけません。右の乳を飲ませるのです。右側の乳を飲ませてから、左側の乳を飲ませなければなりません。逆にやってはいけません。 ですから、母は息子と娘を育てなければなりません。息子と娘を育てて何をするかというと、父を愛することのできる教育をしなければなりません。それが何かというと、父を中心として一つになることです。夫を中心として息子、娘が一つになることを誰が教えるべきかというと、母親です。母親。地なのです。地は天の国の影と同じです。 時代が違ってくるのです。誰の名前で祈祷しますか? 皆さんが国に責任を負えばどうなりますか? 南北が統一されるとどのようになりますか? 私の国があるというときどのようになりますか? その国に皆さんの家庭の種を植えなければならないのです。それで「真の父母の勝利圏を受け継いだ祝福家庭の名前で祈祷いたします」と言うのです。祝福家庭の時代も過ぎ去ります。国を探さなければなりません。 第四次アダム圏と国と越える時に来ているので、互いに南北統一の主人は自分であると考えています。偽者たちはすべて崩れてしまいます。これを着実に伝統をもって行政区分の末端の統や班から、上部まで教育しなければならないのです。教育しなければ、外国人を動員するのです。これからジャルジンで四十日修練を受けた者たちはすべて大移動が始まります。三か国、韓国、日本、アメリカの国を中心として、地域を中心として番号中心にくじ引きをするときに、祝福された者は、父母の国と長子圏の国、祖国を追及しなければなりません。 そうすると、どこで生まれるべきでしょうか。日本人だからといって日本で生まれたと考えてはいけません。自分の本然の場に行かなければなりません。兄弟圏を通じてです。すべてがそうなのです。アメリカが長子ならば人口が日本の二倍になります。また日本と韓国を見ると韓国が七千万なので日本がその二倍になるのです。二倍。それが重要です。分ければサタン側と神側の半分に分けることができるという話です。そうでしょう? 七千万だと言ったでしょう? 日本の国民が一億二千五百万ですから半分です。日本は韓国の倍、アメリカは日本の倍です。それはなぜですか? 先に生まれたのです。二種類に半分に分けておかなければならないのです。 今、くじ引きするならば、韓国人が日本に移動するかもしれません。そうなれば、ふろしきに荷物をまとめて移動しなければなりません。韓国であれ、日本であれ、アメリカにおいては永住権を中心として解放されます。ビザ問題がすべて解放されるのです。最近のビザは複数回(マルチプル)入国ですか?(「十年の複数回入国です」)。自分の国と変わりないのです。 日本が今、反対しています。この者たち! 日本はどんなにやっても韓国に勝てません。日本は夫に引き渡すか、息子に引き渡さなければなりません。日本の祝福を受けた女性たちは、日本にある技術を自分の息子に引き渡すのです。交差結婚しなければなりません。日本の女性は韓国の男性、韓国の女性は日本の男性と結婚するので、互いに良いものは引き渡さなければなりません。 それで今、交差結婚した者たちが日本の責任者になりました。韓国も交差結婚した者たちが副教会長になりました。 これからの第二次四十年時代において、世界組織指導者は、国際結婚した者たちを主に立てなければなりません。これから祝福するときはすべて国際結婚です。二世たちはすべて国際結婚です。それで先生の孫たちの時代からは、国際結婚させるのです。その前には国際結婚させることはできないのです。 ですから国際結婚することによって、カインの国とアベルの国二つの国を愛することのできる愛国精神を持たなければなりません。そうすることによって、すべて半分に分けるのです。半分の立場に立ちましたが、一つになるのです。それだけ領土が倍になるので、何回か祝福、交差結婚すれば世界は一つになるのです。 これから国境を持ったすべての国々は、交差結婚するのです。さらに盛大にやるのです。東洋と西洋、南北が交差結婚するのです。南北すべて貧富の格差があります。交差結婚すれば世界は一つになるのです。これからは数代、十二代ならば十二代において、どれほど純粋な民族が、十二代圏内において、祝福した国家が連結されているかを……。そうして編成されたその一族が出世するのです。 これから何時代になると言いましたか?「第四次アダム圏時代」とは何ですか? 父子協助の時代です、父子協助時代エデンにおいて父子協助ができなかったでしょう? 父の命令に絶対服従しなければならないのです。そうした伝統を立てるのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従! ですから今後、家をすべて売り払って引っ越すように命じれば行くべきですか、行かないべきですか? 行かなければなりません。ですから、これからはすべて父母に侍らなければならないのです。ご父母様は真の父母であると同時に王です。家庭の王であり、氏族の王であり、民族、国家、世界の王なので、国を建て世界が税金を捧げる以上に税金を捧げなければなりません。 三〇パーセントです。それで聖人たちも霊界に三〇パーセント……、三三パーセントは無条件祝福です。結局は統一教会を中心として一つにならなければなりません。すべての宗教圏は一つになるのです。そうしたみ業が霊界で展開していきます。地上でもそのようにしなければなりません。そのために国を求めて大移動が始まるのです。 兄弟を探して大移動です。父母を探して、王を探して大移動するのです。その兄、父母、王が誰かというと真の父母です。三時代の先祖なのです。旧約時代の先祖であり、新約時代の先祖であり、成約時代の先祖です。ですから、すべての霊人という霊人は皆、三時代の先祖の血族となるので、先生が思いどおりにやるのです。今のこの時は、サタンが人類解放圏を許諾したので、地獄をすべて砕いて解放させてしまうのです。 世界的にすべて、『霊界の実相と地上生活』の試験をしなさい。原理試験をするのと同じです。本然を知らなければならないのです。地上で生きていくのにためらう時があります。やるべきかどうか迷ったとき、これを参照するのです。すると、私が今考えていることが、どの圏内に属するかすぐに分かります。はっきりと分かるので、参照するやいなや着々と進んでいくことができます。足踏みしたり、とどまっている時間がなくなるのです。知らないようではいけません。 李相軒氏に責任があるのです。むやみに嘘をついたら問題が大きいのです。打ちのめされます。ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従なのです。同じです。今まで、何だかんだと言っていた言葉、どうのこうのと言ったすべてを……。清平でもそうです。それを誰が認定しますか? 先生が認定するのです。 神様の摂理のみ旨の前で福を受けたとき、先祖を救い出すのです。先祖を救わなければなりません。中国もそうであり、日本もそうです。そして、アジアで儒教思想を一番初めに重視した国は韓国です。先祖を大切にすれば先祖が解放されるのです。 これからはそうです。既成教会では墓参りなどさせないでしょう? そうした時代は過ぎ去ります。先祖を敬わなければなりません。先生がこの地を離れればすべて……。いかなる先祖であれ、篤く敬わなければなりません。そうすれば福が来るのです。先生が積み上げた福、天地のすべての解放的な福が息づいているので、その一族の前に流れていくのです。水道のパイプのように、このパイプよりも大きなものをつくれば、ほかの所にある水さえもすべてそこに向かうのです。 いまだにそのような国がありません。儒教を中心として、仏経を中心として、キリスト教を中心として、三時代に三宗教を中心として主権を動かしたのです。キリスト教が動かしてきました。そうでしょう? キリスト教が動かすなら、先生は反対されません。儒教圏が動かすとなると、どのようになりますか? キリスト教が反対して放っておきません。キリスト教文化圏がすべて吸収されそうになったので、全面的に反対したのです。天の摂理がそうなのです。家庭を中心として天地を復帰しようとしたので、天地が動員されて反対したのです。その反対を完全に屈服させなければなりませんが、屈服させるのが大変なのです。神様について知らないからです。知らない世界を中心として、どのように屈服させられますか? 真の父母が来られて、知らない世界の事実を実際の世界で再創造して、示すことのできる勝利圏を整備したので、すべて屈服しなければなりません。違いますか? 成約時代は何かというと、旧約時代の完成、新約時代の完成、成約時代の第四次アダム圏の完成を意味するのです。ですから、歴史時代において霊界に関係したものを完全に覆すことができるのです。先生の代身として教えたので、誰でもできるのです。それで自分の先祖のために、氏族的メシアをつくったのです。国家的メシアをすべてつくったでしょう? ひっくり返すのです。そういう時が来たのです。ためらうなというのです。 霊界がそうであることを知らなければなりません。皆さんはもう十四代の解放をしたでしょう?皆祝福してあげたでしょう? 呼び出して、どこに行くにも先頭に立てて、連れて歩かなければなりません。 今、一つの場所にすがって生きるのは愚か者です。百二十か国、ほかの所で……その本部を中心として、各国からどれほど多くの人がその国の本部を訪ねてくるかを誇ることができるのです。それを表彰しなければなりません。大移動や訪問できる地域が世界の名勝地となるのです。 ですから、功労賃を受けた人たちが住む所はすべて名勝地になります。一番になったら、「あの人はどこどこの大会で一番になった!」とうわさが立って、今後、訪問客が来るのです。じっとしていても食べて暮らせます。仕事をしなくても食べていけるのです。違いますか? 一番になれば、その村とその国が有名になるのです。 そのようになり得る環境が広がっていくのです。趣味産業というのは、小学生から死を間近に控えた百歳の老人まで、誰でも願うようになっています。「そこに私も一度行ってみたい」。と言うのです。ですから、飛行機会社もつくり、バス会社もつくり、車やら、船やら、何からすべて準備するようになれば、すべてが私たちの基盤を利用するというのです。 ですから、今後、飛行機のチケットなども三代、百二十年間使えるチケットを買おうというのです。そのようになれば、自分のうちのお祖父さんもいますが、ずっとは乗れません。百二十年間もどうやって乗りますか? ですから、「三代がお祖父さんの買ったチケットで乗っていきます」と言えば、どれほどお祖父さんが喜ぶでしょうか。このようにお祖父さんに侍っていくのです。そのような運動をしなさい。 ですから、どこにおいても皆さんは趣味産業の国家責任者となるのです。地方の責任者となり得る人たちは皆どの世界においても観光産業の社長になれるのです。ですから、自動車の運転も習わなければなりません。トラックの運転まで習うのです。 こうして誰でも来るようになるなら、人が百人来れば、五十人ずつトラック二台で、ハワイならばハワイに向かって走り、飛行機なら飛行機に乗せるのです。そのためには、飛行機を操縦できる人も必要で、ヘリコプターとかもすべて操縦しなければなりません。 それで先生は、五大洋、六大州を中心として大きな船、数千名が暮らせる家のような大きな船をつくることを考えています。そうして五大洋、六大州を回るのです。そこはヘリコプターで周辺を回りますが、一年間旅行をするといっても一年間そこにいるわけではありません。一か月間はどこどこに行き、その次の月はどこどこに行って、世界一周がずっとできるのです。 ですから、ここに参席した者たちは今後、「私が趣味産業に車を一台ずつ、またはバスを一台ずつ、または飛行機を一台ずつ寄付できたらいいな」と、このように考えろというのです。それでこそ、自分の息子や娘が豊かに暮らせるでしょう?先生の名前と共に……。 先生の名前はなくなりません。永遠に、永遠にあるのです。地上でこのような功臣となって霊界に来れば、霊界の序列が相対的な会議グループをつくり、地上を協助できるみ業が展開するのです。観光の地上・天上天国になるのです。 そうなれば、天使たちが霊界から降りてきて、霊界がそのような役事をすべてやってくれるので、どれほど良いでしょうか。踊って歌って大騒ぎになります。それは混乱ではありません。心のときめくすてきな騒動の場となるのです。 ですから、一つの場所に暮らす者たちは愚か者だというのです。それで国際結婚をした三世……、一族のうち氏族的メシアを中心として、一八○家庭すべてが国際結婚するようになれば、親戚同士が訪問し合って、互いに交流して暮らすのです。生活舞台を単一化させて、五人でも六人でも暮らせるコンドミニアム・システムを世界的に築いて、自分の国、自分の家として、どこに行っても暮らせるのです。それが理想的なのです。そのような世界を築こうというのです。先生が計画すれば、その計画したことは、千年も万年も残って流れていかないのです。実現するようになっています。そのようなことを始めるのです。 今や「夏の休暇はパンタナールに来なさい!」と言えば、その休暇は三か月になるかもしれません。放送局を通して伝道するので、皆さんは招待されて行く所が多くなります。百名ずつやるのではありません。荒野にマイクの設備をすれば、四十日修練を十万名でもできるのですが、もっと便利な方法でやるのです。「皆、本をもって覚えるように!」と言えば、それを覚えさせて、試験すればいいのです。違いますか? そうしておいて私たちはゆっくりと旅行をするのです。神様が創造した世界がどれほど美しく、水の中に住む魚がどうであるかを知るために旅行するのです。 それを知ってから逝かなければなりません。魚を知って、地上の鳥や動物も知って、木のような植物もすべて知って愛してから逝ってこそ、神様がご自身の息子、娘のために万物を創造なさった甲斐があるというものでしょう? すべてのものは、その一つを取って見ても、神様を賛美できる環境的な要件を……、一生を通じて一時間、一秒でもそのような心を抱いて、神様に栄光をお返しして生きてこそ、孝子となり、忠臣、烈女になれるのです!「アーメン」と言うのです。死んでも「アーメン」です。生きても「アーメン」なのです。ですから、死んでも行くべき道を行かなければならないのです。「アーメン」はどういう意味ですか? 自分の願う通りに行くのです。答えた通りにやるということです。 (二〇〇〇年四月二十一日、アメリカイーストガーデン)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.05
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霊界の各宗団三分の一以上を祝福する指示二〇〇〇年四月十三日、真のお父様は郭錠煥会長に、霊界の各宗教圏と思想圏、哲学圏を三分の一以上ずつ祝福するように、清平から電話で指示された。四月十八日には、アメリカのイーストガーデンであった訓読会に参席した四十余名に、四月十三日に指示された内容を報告するように郭錠煥会長に語られ、四月二十三日には、釣り大会に参加した百二十余名の食口たちにこの内容を説明された。 郭錠煥会長の報告 先日、四月十三日は韓国の投票日でした。宗教圏と思想圏・哲学圏に二分して、三分の一以上ずつ祝福するようにというお父様のみ言がありました。それから、楽園を中心として楽園と地獄を一元化するようにと語られました。地獄の底から楽園まで、滞りなく霊界の門をすべて開き、完全に開放して祝福するにあたって、祝福を受けた人や指導者たちが巡回教育して、全霊界、地獄の底まで解放圏に連結するようにと言われました。 それから政治圏については、百二十代を経た王たちと大統領、一つの国の最高権力者たちを皆祝福して、その当事者たちだけを祝福するのではなく、祝福されたその者たちの十四代の先祖までいっぺんに祝福するようにと言われました。 地獄から楽園まで、すべての門を開こうとする目的は何でしょうか? とにかく全霊界を祝福させて、楽園級に引き上げるためです。そのためには段階も必要であり、あらゆることを実施すべきですが、霊界で放送を実施して……。地上でインターネットなどの電子媒体によって急速に進行するように、霊界でもそのようなシステムを利用して祝福とお父様のみ旨を波及させ、恵沢を受けた祝福された霊たちは、地上の放送界とインターネット界のような役割を果たすようにと言われました。 その次に、聖人と殺人鬼を共に祝福なさいましたが、祝福されたすべての霊たちを動員して悪霊界を完全に解放するようにと言われました。 その次に、お父様の使命が、神様の心情と事情を解怨することなので、それを天使と祝福家庭が一心となって、協力するようにと言われました。 それから、サタンが祝福家庭を様々に苦しめてきたのは、過ぎし日の歴史でありますが、それとは逆に、地上の祝福家庭を保護し、支援し、協助する、完全に反対の現象が起きる時代が到来したということです。 その次に重要なこととして、首脳会談の発表後、霊界で金日成と共産党の幹部すべてに祝福を受けさせ、アメリカの現在の指導者たちに多くの協助をして、真のご父母様のみ旨を受け入れさせよと言われました。そして、共産党の霊たちもみな祝福を受け、段階的に開門して協助させるようにという、み言がありました。 お父様の願いは何かというと、霊界で祝福の革命が起こることです。全霊界が、地獄の隅々までもすべて真のご父母様の真理と祝福の光が差すように、壁を完全に取り壊すようにと言われました。このために宗教、哲学、政治圏がすべて動員され、すべての壁を取り壊して、全部を楽園化させなければならないということです。革命的なこのような役事が起きて、地上は地上なりに、霊界と一心同体になってこそ、神様の恨を解いてさしあげることができると言われました。(二〇〇〇年四月十八日、イーストガーデン) み言 今霊界はイエス様、釈迦、孔子、マホメットなど、組織の系列がすべて違います。霊界の組織の系列が違うのです。いかにしてすべてを引き上げるかというと、イエス様を中心として、真の父母になり得る責任的召命をすべて告げなければなりません。それを分配してあげなければなりません。 旧約時代、新約時代、成約時代の骨子は何ですか? 救いの摂理の骨子と目的が何かというと血統転換です。血統転換して何をしようというのですか? 偽りの愛の根源を暴き、真の愛の根源を回復するのです。そうしないでは神様と父子関係を結ぶことができません。 神様と父子関係を結んで、神様を中心として家庭と国家を引き継ぐことのできる道は、成約時代に来られる再臨主が、第一次アダムと第二次アダムが失敗したすべてを復帰し、第三次アダムにまであった蕩減条件を完全に克服して、第四次アダム解放圏を迎えることです。そのような時にあるので、成約時代の内容を中心に教育しなければならないのです。 今まで霊界はすべてふさがっていました。霊界自体を知りませんでした。自分が知っている限界圏内にすべてとどまっているので、それをすべて開かなければなりません。地獄がどうなっていて、中間霊界、楽園がどうなっていて、天上世界がどうなっているかを知らずにいるのです。ですから、これからは一つの体制のもとに真の父母に侍る成約時代に、真の父母と真の愛の血統的な因縁を中心として、家庭完成、氏族完成、民族完成、国家完成を中心として、一致しなければならないのです。そのようになれば、全天地、霊界と肉界は、完全に統一圏に入っていきます。 それで今回、先生が八十歳の誕生日を中心として宣布したのが何かというと、「南北統一前進大会」です。これは「国を探そう」ということなのです。神様の祖国を探すことができる時代に入ったので、霊界もそこに方向が一致しなければならないのです。 旧約時代には、モーセがカナン復帰の四十年路程を勝利できず、新約時代には、イエス様を中心として、四十年間で世界統一天下を築くことができませんでした。それで再臨時代には、先生が祝領家庭を中心として、イエス様が四十歳で万王の王となるべき基準を、七年ですべて蕩減しなければならず、四十歳で全天下の王権を踏まえて指導しなければなりませんでした。しかし、その立場に立つことができませんでした。それは、キリスト教が、新約時代の基準となった霊的基盤の勝利を築き、中心圏であるイエス様を中心として一つになる起源を結ぶことができなかったからです。 それで、ねじれたので、霊界もねじれ、地上もねじれていったのです。それを先生が地上において、真理と真なるみ言を中心として教育し、統一教会を編成して、収拾してきたのです。 統一教会の個人は、宗教圏の中でもキリスト教を篤く信仰する信者たちよりも、高い位に上がらなければなりません。ですから、信仰生活において、いかなる宗教、いかなる信仰者よりも、最高の神様を信じることによって代表者となり、神様を愛することにおいて代表者となり、サタン自身があらゆる面で、その個人を中心として屈服し得るようにならなければなりません。 サタンが「あの者たちはすべての面で私たちより上だ」と言うような基準に立って、屈服する暁には、霊的世界の悪魔の権限が完全にキリスト教圏に屈服する立場に入っていくのです。仏教圏とか他の宗教圏に屈服するのではありません。真の父母の宗教圏に屈服しなければならないのです。今は主流宗教なのです。神様が願う宗教であり、神様の息子、娘が一体となり、神様の家庭が一体となって、永遠に侍ることのできる宗教なので、主流宗教だというのです。 個人的な主流、家庭的な主流、国家、世界、天宙的な主流の宗教圏を代表することのできる勝利の基盤をこの地上に立て、すべての悪を清算するために来られた再臨主、真の父母を中心として、完全に結束しなければなりません。そこにおいて一つになってこそ大移動が始まるのです。 去る四月十三日に韓国で選挙が行われました。南北統一の問題をめぐってひっくり返る混乱時代が来るのです。そのような時代になったので、南北統一の問題を中心として、これからは霊界まで動員するのです。今まで霊界で祝福したすべての家庭、地上の祝福家庭が一体となって動員するのです。それを知らなければなりません。 祝福家庭、地上世界の祝福家庭と霊界の祝福家庭が一つとなり、真の父母に侍るにあたって、エデンにおいての神様の創造理想的な個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界、天宙完成的な内容を中心として見ると、国家的基準を越えることのできる、この立場に立てることによって……。 サタンが最高の権限を行使するのは、サタンの国を中心としてなのです。天が国を中心として探し求めてきたことを知っていて、数多くの国をつくったのです。百八十か国、百八十か国だけではありません。今、国連に加入した国が百九十三、百九十四、百九十五と、しきりに膨らんでいます。二百十か国以上にまで膨らんでいくほど多くの国々をつくりあげたので、神様が一つの国をアジアで探そうとしても、アジアを統一しようとしても、サタンの国が多いので大変なのです。ですから、六大州の多くの国々を統一するのが、どれほど大変かということです。 ですから、神様が願われる国を何によって築きますか? 混乱した環境を乗り越えるために、地域ごとに環境を解決する指導権を立てるためのいくつかの宗教が現れました。仏教、儒教、回教など、勝手な宗教が出てきたのです。勝手に出てきた宗教をすべて霊界で糾合しなければなりません。霊界で糾合するとともに、地上でも糾合しなければならないのです。 糾合するのは神様もできません。神様に糾合する責任があるならば、エデンの園の堕落も起こりませんでした。アダム家庭の殺戮線が起こらなかったのです。それは神様もできないのです。さらには、サタンが破壊行動をするために、願うことすらできないのです。 サタンは破壊行動を続けることで、神様が救いの摂理を個人的に放棄し、家庭的に放棄し、氏族、民族、国家、世界的に放棄することを願うのです。神様が地上天国、地上・天上天国の統一圏を放棄することを願って、死にもの狂いで反対してきたのがサタンなので歓迎する道理がないのです。 このように神様とサタンが闘うのを止めることのできる方が誰かというと、真の愛の主人なのです。真の愛の主人が出てこなければなりません。神様も真の愛の主人になれず、サタンはさらになれないというのです。 真の愛の主人が現れて、神様の前に「あなたは真の愛の主人になるために、アダム家庭をつくられたのですか?」と尋ねるとき、神様は「そのとおり!」と答えるのです。個人的に聞いても「そのとおり」、家庭的に聞いてみても「そのとおり」、氏族、民族、国家的に聞いてみても、世界的、天宙的に聞いてみても「そのとおり」と言える立場に立っているので、神様が「然り!」と公認なさるのです。 それから「サタン、おまえは個人を破壊し、家庭を破壊し、氏族、民族、国家、天宙を破壊して多くの国をつくり、様々な方面から反対して神様の前に抗議の矢を放ったではないか」とサタンに言うと、サタンは「支配できる権限を失わないために仕方なくそうしました」と答えるのです。「そのようなことを続けて幸福か?」と聞くと、「いいえ」と答えます。「それではおまえの願いとは何か? 本然の神様を中心として神様に侍り、アダムとエバに侍っていける解放された基準を願うのではないか。真の父母が神様も解放してあげ、おまえもそのような立場においてあげるから、そこで和合できるか? 統一できるか?」と聞くと、サタンも「オーケー」、神様も「オーケー」と言うのです。 そのような「オーケー」と言える環境圏なのですが、地上・天上世界の人たちは皆、分かれているのです。家族のすべてが、家庭のすべてが四方に分かれていたのを、「祝福」という過程を中心として一つにできるようになるのです。これまでは地獄に行って、数多くの霊界に分かれていきましたが、真の父母の命令によって、統一教会を信じるその基準が、個人から家庭、氏族、民族、国家、天宙に至る勝利圏をもつようになりました。その権限を中心として見るとき、その完全なるプラスは、完全なるマイナスを再創造することができるのです。 完全なるマイナスがあれば、必ず完全なるプラスが生まれてくるのです。原因を中心として、神様と真の父母がそのような完全なるプラスの立場にあり、その相対的な立場の統一教会が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の一体圏を備えたので、その主体が願い、相対が願った一体解放圏によって、完成させることができるという論理が出てくるのです。 神様も賛同し、サタンも賛同できるような主張をして、天上世界のすべての階級を超越して門を開いておき、統一教会の信者を中心とした霊界解放圏が展開するのです。完全なるプラス、完全なる対象圏を中心として、地獄に行った者をすべてかき分けて探し、新しく入籍させるのです。それで蘇生、長成、完成、新しい氏族と民族を築いて、国家的な基準を立て、国に侍ることのできる環境的与件を望む家は祝福してあげるのです。 ですから、祝福を受けたすべての霊人たちは、国の解放のために総動員する条件に引っかかっています。神様も命令し、サタンも命令し、真の父母も命令しなければならないのです。真の父母の命令が、神様の命令に先立ち、サタンの命令に先立っているという事実を知らなければなりません。なぜですか? 真の父母が、真の愛の道をすべて判別しておいたので、血統的に汚れた血筋をすべて引っ繰り返せるのです。それを引っ繰り返しておいてこそ、神様も本来の位置に、サタンも本来の位置に戻っていけるのです。そのような全権的な大行事を、真の父母が手がけるのです。 真の父母が現れることによって、血統を中心とした真なる父子関係、真なる夫婦関係、真なる兄弟関係を築いた家庭編成を拡大し、民族を超越し、世界を超越し、世界だけではなく地上世界と天上世界に同じ祝福の圏を完成して、一元化し得る行事が可能な時となったのです。 これまで霊界には、回教とか、仏教とか、儒教とかいった宗教や哲学が、みな自分勝手に存在していました。イエス様が「真の父母」の伝統を植えるため来られた新約時代の霊界一体圏、成約時代の霊・肉界の一体圏を中心として統一するのです。成約が何かというのです。結婚しなければならないのです。 男性として生まれ、女性として生まれて、地獄に行って、ありとあらゆる千年万年の恨を抱き、自分がいかに生きるかということを考えることができませんでした。そのような自分が解放されて祝福を受け、家庭を持てるというのは夢のような話です。アメリカを中心として、霊界と肉界に統一的な祝福の門を大きく開いたのです。 回教圏、仏教圏すべて怨讐です。宗教の怨讐です。これを中心として、キリスト教を中心として、「真の父母宗教」の血統的な基準の愛を中心として宣言するのです。「今やすべての宗教は、真の父母の道理、父の道理を学び、長子圏の道理を学ばなければならない」と言うのです。イエス様が長子になるのです。長子になったので、これまでのキリスト教文化圏から学べというのです。 これまで仏教とか何とか、すべての宗教が手がけてきた形式的なすべては天の国に通じません。天国の道理を受け継いでいけないので、今は霊界で統一教会を中心として新約時代の霊界を統一した、キリスト教文化圏と一つになれというのです。 地上で霊肉を中心とした統一教会を中心として、霊界で一つになったすべてが、地上に向かい統一されるのです。このようにして、新しい家庭を編成し、新しい民族、新しい国家を編成するためには、アダムに代わって家庭理想を抱いた「真の父母」一代を中心として、二代、三代……、世界万民がすべて再び祝福を受けて、その隊列に入っていかなければなりません。そうすることによって、天地が一つの主流的な思想圏内に方向を定め、天国を越えて神様の宝座の前に行き愛を受けることのできる、公認された息子、娘の立場に帰っていけるのです。 個人だけではありません。その家庭が公認され、その一族が公認され得る時代が来るのです。ですから、統一教会の祝福家庭はその一族、「七代孫」を一つにしなければなりません。これが一八五家庭です。これをすべて収拾して入籍しないことには、真の父母が一代、二代、三代、代の数に入っていくことができません。 それでアダム家庭を築いて、天国に一代から二代、三代、四代、五代……これをぎっしりと満たして、地上・天上天国を完結できなかったのが、初めて真の父母が霊・肉界の統一圏を築いて、代の数を合わせてこの地上の万民が支派として編成された中に一人も漏れないように、祝福された人たちがそこに入籍するのです。そうすることでサタンは入籍した彼らを、必ず永遠に崇めなければならないのです。原理がそうなのです。 日本の国とか、アメリカの国とか、そのような考えすらも持つなというのです。それは何かというと、すべてがうじ虫の餌であり、肥溜めのようなものなのです。そのような時代となったので、今や「仏経」や儒教の「経書」を中心として行う自分たちの礼拝形式を、すべて否定するのです。霊界からです。 ですから、教派を克服せよというのです。キリスト教ならばキリスト教に統一されなければなりません。キリスト教が多くの教派に分かれていたら、数多くの宗教がキリスト教を訪ねてくるとき、どこに行ってくっつかなければなりませんか? 一つの宗団にならなければなりません。一つの宗団となって、宗教圏を越えなければなりません。宗教を越えた真の父母の宗教、父母の宗教になるのです。個人の救いではありません。父母を中心として一族、一国の救いの解放圏へと越えなければなりません。 今、聖人たちは祝福されましたが、一二〇代、イエス様を中心として一二〇国家が一つにならなければならないのです。それが一つになれなかったので、全世界を越えることができるように一二〇名の祝福を中心にそれを拡大して、宗教圏すべての信者の三三パーセントを祝福させるのです。蘇生、長成はサタン圏です。完成は解放圏なので、七年路程を中心として、三三パーセントをすべて祝福してやれというのです。 これは真の父母の命令です。回教のマホメットとか、仏教の釈迦牟尼が問題ではありません。こうやって、その伝統的なすべてを伝授しなければなりません。ですから、今まで信じていたすべてを切ってしまい、「仏経」、「コーラン」の上に、「原理のみ言」を中心として接ぎ木しなければなりません。 そのようなことを断行せよと命令したところ、四月十三日、韓国の選挙問題を中心として混乱が生じたのです。地上には混乱が生じ、霊界には統一が実現するのです。 ですから、神様とサタンは闘えないようになっているのです。ルーシェルが「降伏状」を書いて、ルーシェルの一族まで反対するのを屈服させるのです。聖人と殺人鬼、第二次世界大戦のヒットラー、ムッソリーニ、東条英機を中心に祝福してあげたのです。これは国家時代、連合国時代です。それから共産主義は世界時代です。連合国ではありません。 世界を丸ごと呑み込もうとしましたが、これをすべて祝福してあげたので、彼らは偽りの王が自分たちを利用して、天の真なるものを治めてきたということを知っているのです。祝福されたので回れ右して「こいつら!」と言って、自分のてっぺんにある者たちを立たせ、彼らが言うことを聞かなければ、天使たちを前に立たせて押し切ってしまうのです。 サタン側まですべて、天の側に回れ右したのが分かりますか? 聖人と殺人鬼まで天の側になったので、その中にいるサタン世界の手下どもは、いっぺんにふうっと吹き飛ばしてしまうのです。四年間にすべて清算しなければなりません。ですから、南北統一は自動的になされるのです。 こうした措置を取るよう、私が文書をこしらえて清平に行って、そのまま実践するように指示したのです。これまで十四代を中心として百八十代、二百十代まで解放圏を許諾したので、地獄がなくなる環境になっていますが、氏族的メシアが入籍できないときは地獄が残ります。残るのです。ですから、先祖を解放しなければなりません。 救援摂理は、二世を通じて一世を救うのです。誰が堕落したかというと、母が堕落したのです。ですから、母子協助しなければ生きられません。今その時代は過ぎました。統一体を考えなければなりません。家庭から世界や国家を連結するのは父子時代です。絶対プラス圏の父を中心として、男性を中心として、女性たちが皆一つにならなければならないのです。 女性は先に立つことができません。女性が先立つには血統、息子や娘を生んで、子女と一つになって父よりも上になってこそ、先に立つことができるのです。女性が一人で生きていては相続できません。息子や娘がいてこそ相続できるということを知らなければなりません。息子や娘、血筋があってこそ相続できるのです。 今日、世の中の制度は、離婚をすれば半分ずつ分けますが、息子や娘がいなければ、分けてあげることができません。そうしたことが法的に解決方法を知らずに混乱しています。こうした整理すべき複雑な問題が残っているのです。それで早く国を建てなければならないのです。 ですから、韓国語を知らないようではいけません。祖国語を知らないというのはだめなのです。祝福を受けて生んだ息子、娘に韓国語を学ばせなければなりません。祖国に帰らなければなりません。帰っていって入籍しなければならないのです。 昔、イエス様の時代、ローマの諸王が誰かというと、地方長官です。アメリカで言うと州知事と同じです。その入籍の手続きをしにいく道すがらイエス様を生みませんでしたか? 同じなのです。入籍しなければなりません。入籍しなければ国がありません。入籍する所に自分の夫、妻、一家庭全体の生と死の問題がかかっているのです。すべてを犠牲にしても国を探さなければならない立場にあることを知らなければなりません。神様の祖国がありません。 日本の国がどこにあり、アメリカの国がどこにありますか? 駄犬の子たち! ひっくり返さなければなりません。それを信じて愛したら、天の国に行っても地獄から抜け出せません。それを否定してこそ抜け出せるのです。血統的な痕跡、象徴的な影もご覧になりたくない神様なのです。そのような時代が来たので、霊界に大革命が起きるのです。 統一教会の真の父母の氏族圏を中心とした純潔運動と同じように、真の愛を中心として解放圏を一元化させるための時代に入っていくので、それを知らない家庭は天国に入っていけないのです。祝福を受けられないのです。 先生は完成したアダムであり、第一代の先祖です。第二代はイエス様の宗教圏代表です。そして第三代は何ですか? サタン世界の無宗教圏の人たちにも、宗教圏以上の立場を付与できる特権があるのです。サタンを除去するためにそのようにできるのです。何も知らない者たちが強制的に引っ張られて祝福を受けて、天国に入れるチケットが分け与えられるのと同じです。 そのような大統一的な指示を、先生が出しているそのような時代に動いて……。その動きは、地上の皆さんの家庭を協助できるみ業なのです。ですから家庭が妨害するようになれば、すべて今後は即決処分です。連れていきます。サタンが天の人を殺して地獄に引っ張っていこうとしましたが、今後は、地獄の世界を築こうとする者をすべて殺してしまうのです。その傷が全霊界の後孫に及ばないようにするために、早く連れていくのです。 ですから、統一教会の信仰の良かった人たちが、突然に交通事故に遭ったり、癌のような悪い病気にたくさんかかったりして死ぬのです。ほとんどそうです。統一教会の中で有名な者たちがたくさん癌で死にました。蕩減法を教わったならば、その蕩減法を自分が実践しなければなりませんが、それとは関係なしに生きていくので、自分が引っかかって倒れていくのです。不思議でしょう? 皆さんもそうです。「良いなあ」と言いながら引っかかって倒れていくのです。どんなに「良い」と言ったとしても、あの木の端の芽にぶらさがった葉でも、その葉は、中心の根とか、幹とか、すべての枝の栄養を代表的に取らなければ、その芽となる立場の葉は残ることができません。代表的な基準に立っていなければ、すべて落ちて離れていくのです。自分でも分からないのです。そのような恐ろしい時です。 ですから、先生がそのような責任をすべて果たしたという条件を立てようとして、第四次アダム圏を宣布しました。祈祷も真の父母の御名でしないようにと言ったのです。真の父母にすがって、ああだこうだと言えません。 今までの救いの時代では、イエス様にすがって「なぜ私を救ってくれなかったのですか?」と言えました。ところが、再臨主が来られてからは、再臨主にすがって「私たちを救ってください」と言っても、再臨主は責任をすべて果たしたのです。ですから、誰の名前で祈祷するのですか? 自分の名前で祈祷するのです。何を中心として? 祝福を受けたことを中心としてです。 先生が今、祝福を世界化させ、サタンも分別したのです。蕩減条件がないので、絶対基準を中心として、真の父母の勝利圏を受け継いだ祝福家庭某の名前で祈祷できるようになったのです。真の父母の実であるならば、その子女が大きくなって結ばれた実が植えられたら、粟なら栗、稲なら稲、豆なら豆というように、自分の先祖の姿に似なければなりません。誰かを恨む道理はないのです。 祝福家庭ならば、エデンの園のアダム家庭と同じように完成せよというのです。彼らはどのように生きるのですか? 自分の家庭のために生きる者はうじ虫になります。真の父母が地獄の底に下りていって人類のために様々に整理してきた、伝統的な道に従っていかなければならないのです。それで絶対信仰、絶対愛、絶対服従の一致圏を築くことによって解放されるのであって、自分たちを中心として、どんな学位を取り、どんな博士になっても意味がありません。それは駄犬にしかなりません。そのような革命を提示しました。 ですから、大革命が起こるのです。全霊界が先生を中心として、世界全体に対してすべてを合わせておきました。個人的に合わせ、家庭的に合わせ、氏族、民族、国家、天地に至るまで、すべてを合わせておいたのです。 ですから、自分自身が堕落を忘れたこの場に立ち、アダムを中心として堕落していない立場に立って、神様と真の父母の血統的な因縁を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で一体になることによって、ご父母様が成就したすべてのことを、血統的な因縁を持って生まれた息子や娘が自動的に相続できるようになるのです。 それを可能にするための地上・天上世界共通の標語の基準が何かというと、絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。創造なさるとき、神様ご自身も絶対信仰をもってつくられました。絶対信仰でつくられた相対もまた、絶対愛の対象体としてつくられたのです。その愛の対象体がご自身よりも一〇〇パーセント永遠に優れていることを願われ、永遠に投入して投入して忘れてしまおうとする思想を中心としてつくられたのです。 その公式的な基準に一致することによって、主体と対象が相対的な立場で一つになり得る道が開かれるのです。その道が何かというと、真の愛の道です。その真の愛の道は、個人が永遠に行ける道であり、家庭が永遠に行ける道であり、氏族、民族、国家が永遠に行ける道であり、モデルなのです。 一つの公式を中心に、千人、万人がすべてぴったり合うのと同じように、モデル形態の個人、家庭、氏族、民族、国家……八段階の基準をすべて整理して標語をつけ、第四次アダム圏によって、この標語を勝利したモデル基盤の上に、皆さんを立てておいたのです。 個人的なモデル、家庭的なモデル、氏族的なモデル……八段階のモデルを相続し、ここに愛の八段階の主人に神様がなれなかったならば、皆さん自身が腹中時代から、神様が愛の主人になり得るようにしなければなりません。神様を愛の主人にしてさしあげるのは息子と娘です。神様ご自身ではできません。息子と娘がしなければなりません。そうでしょう? 八段階とはそのことなのです。そのような原則的な内容をすべてはっきり教えてあげました。 今回、「南北統一前進大会」で語ったみ言に五つの内容がありますが、そこにすべてが入っています。抜けたものがありません。私たちの盟誓文よりも全体の内容がすべて入っているのです。神様の祖国が理論的にすべて出ています。南北統一の理論が完全に出ています。 ですから、祝福家庭の皆さんは、北朝鮮の無神論者とキリスト教の有神論者を兄弟として抱かなければなりません。キリスト教を消化し、キリスト教が長子圏に立ったならば、次子圏のサタンは、父母と一つになった長子の前に自然屈服するようになっています。キリスト教を消化しなければなりません。 民主世界は有神論世界です、有神論。唯心世界です。そうでしょう? それから共産世界は何かというと、無神論世界です、無神論。唯物主義です。キリスト教を右手に抱き、反対するサタンを左手に抱いて、統一させなければならないのです。家庭がそうであり、氏族、民族、国家、世界が代表的な基準において、神様がそのようなカインとアベルをすべて統一できる、主体的な内容が具備されたその基準において、個人から家庭、氏族、民族……八段階を越えてこそ、地上・天上の解放圏が展開して、神様の宝座の前に行って、初めて最高の座において、全天地の天民を代身して相続権を受けるのです。家庭では受けられません。南北を統一すれば、世界が統一されるようになっています。これをはっきりと知らなければなりません。 それで先生の四十年を中心として越えるのです。時代が変わってきます。時代が移り変わります。日本の国がありません。アメリカの国がありません。世界の国が共に滅びなければなりません。すべてこれを取り崩してしまえというのです。み言をもって、どこに行っても撃破できるのです。国家の放送局を通して、四十日だけ訓読会をしてしまえば、すべての国が回り、世界が回る内容なのです。それは既に地上で実験済みの実証的な事実です。恐いものがありません。(二〇〇〇年四月二十三日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.04
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[旧統一教会]絶対信仰に奇跡が起こる朴ポーフィ先生のみ言葉2023/11/04今日は1996年9月 城成教会にて朴ポーフィ先生が語られたみ言葉の一部をご紹介します厳しい迫害のこの時 かつて朴ポーフィ先生が語られたみ言葉は大きな力を与えてくれます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.04
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♪勝利の日まで♪ 前田つよし 2023/10/31Tsuyoshi Maeda(前田つよし) 前田つよし時速2キロで歩く真理の道一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【関連記事】愛唱歌「信仰の翼♪」 by 前田つよし(Youtubeer)(2023.08.18)
2023.11.04
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第41回「真の父母の日」記念礼拝の御言成約八 2000年4月5日(陰暦三月一日)九里市 中央修練院 (郭錠煥先生が一九六八年の「父母の日」のみ言「父母は歴史の起点である」を訓読された後、真のお父様が壇上に立たれる) きょうは何の日ですか? (「『真の父母の日』です」)。「真の父母の日」です。今、朗読したみ言を聞いて、真の父母とはどのようなかたなのかが分かったと思います。真の父母とは、堕落した世界全体に責任を持ち、それを解放すべき主人について言う言葉です。地上世界の人類解放はもちろんのこと、天上世界にいるわたしたちの先祖も解放し、すべてを解放してこそ、神様を解放することができるということを知らなければなりません。 堕落がこのように、途方もない結果をもたらしたという事実です。エデンにおいて一人の男性と一人の女性が過った愛の因縁を結んだことによって、歴史を通してこれほど数多くの犠牲の代価を払うことになりました。また、そのようにして復帰路程の正道を捜し出そうと苦労してきましたが、正道を捜し出すことができませんでした。メシヤが来て、救世主が来て……。 救世主とは何のことかといえば、破壊された愛の秩序を正すために来られるかたなのです。その救世主がだれなのかといえば、真の父母であるというのです。サタン世界の絡まったすべての環境与件を収拾し、正道を行くことのできる標準的な基準に立ったかたがメシヤです。 そしてメシヤを中心として、そこに家庭が現れるのです。そうではないですか?。メシヤを中心とした息子、娘を中心として、氏族、民族、国家、世界、そして天宙まで行きます。メシヤを中心として、その直系の血統を中心として行くのです。 堕落したアダムの後孫、カイン的な息子、娘が残っているので、これを処理することのできる方法を考えるとき、そのままではメシヤの直系の息子、娘だけが天国に行くことができるのです。これを救うために、これを一つにするために、個人から家庭、氏族、民族、国家基準まで天は摂理してきました。そのようにして準備されたのがイスラエル民族なのです。 イスラエル民族を中心として考えるとき、イスラエルという国は、イエス様が来られるときに、環境的与件において個人的な環境を継いでさしあげる民族であり、家庭的環境を継いでさしあげ、国家的環境を継いでさしあげるべき民族なのです。 そのように考えるとき、父母というものは、カインとアベルの上にいます。父母が現れるためには、父母が生まれるためには、カインとアベルを生んであげなければなりません。闘うカイン、アベルではなく、一つになったカイン、アベルです。皆さんは、このことを知らなければなりません。 復帰の路程には、必ず環境があります。神様が創造されるとき、環境を創造されましたが、その環境の中には必ず主体と対象があります。落ちてしまったので、逆に上がっていかなければならないのですが、神様の創造理想が堕落によって失われても、環境的な与件は、個人を超えて氏族、民族、国家、世界、天宙まで残っているのです。その環境の中には、必ずプラス・マイナス、主体・対象があります。 このように考えるとき、その環境を代表した主体が堕落していない本然のアダムとエバです。アダムとエバが堕落しなかったならば、カインとアベルのように二人が横的に一つになったところに父母を迎えることによって、家庭的な平和の起点ができました。息子、娘が孝行の道を行くことによって、その父母は幸福になるのです。 幸福な父母は、自分が持っているものをすべて愛する孝子、孝女に相続してあげ、さらに与えたいと思います。それが父母の心なのです。その父母の心の伝統を受け継いで生まれた息子、娘には、その伝統を通して歴史が引き継がれ、父子の血縁的関係が代々、歴史を通して完全に連結してきているのです。 その伝統基準が立てば、今日のわたしたちが暮らしているこの世の中に何千代、何万代の後孫が広がったとしても、その伝統は、神様を中心としてつづられた伝統であるがゆえに、変わることなく発展していくことができたのです。 しかし、堕落することによって、この伝統的環境がすべて崩れてしまいました。ですから、蕩減復帰原則において、国家的基準がサタンの基準なので、そのサタンの基準を超えるべきイスラエル民族が国家形態をもってローマを消化し、世界と人類を吸収するための道を行かなければなりません。その道を行くためには、この地上にメシヤが来なければならないのです。メシヤが来る目的は、そこにあります。 イスラエル民族において、カインとアベルのような環境与件を必要としたのであり、イスラエルの国がカインであり、イスラエルの宗教(ユダヤ教)がアベルです。この二つが一つになって、教会ごとに一つになり、そして国が一つになったならば、どのような宗教でも国と一つになることができるのです。 それゆえに教会において、来られるメシヤに侍るようになれば、イスラエルの全国が国家的環境と一つになることのできる立場に立つのです。そして、その息子、娘、カインとアベルの基準を中心として一体となることによって、エデンにおけるアダムとエバの家庭においてカインとアベルが闘い、長子が次子を殺した、この環境的与件を必ず埋め合わせるようになるのです。 歴史時代において知らなければならないことは、カイン・アベル問題、主体と対象の関係が絶対に必要であるということです。それが一つになるとは、どういうことでしょうか?。環境は、自然的摂理の創造理想の中にあるので、カインとアベル、アダムとエバが一つになれば、その環境与件は、神様が中心に立たれて一体となることができるということです。 蕩減するためには、逆さまに上がっていくのです。カインとアベルを一つにすることと同じように、イスラエルの国とイスラエルの教会が一つになったその基準に、イエス様を中心として家庭を出発していたならば、イスラエルの国家全体が祝福を受けることができました。そして、家庭的に接ぎ木をして、イエス様が統治することのできる一つの国となるのです。分かりますか? これが環境的世界舞台を中心として見るとき、一つの国の基準がアベル的基準であるイスラエルであり、カイン的基準がローマなのです。それでは、このような立場において環境的与件がローマなのですが、摂理上において見るとき、イスラエル民族が一つになっていたならば、中東が一つになっていたはずです。 それから、アジアにおける仏教や儒教など、このようなすべての宗教が、アジアにおいてイスラエル民族と一つになっていたならば、中東を経て、アジアを経て膨大な地域になります。 中東やインドなどの膨大な地域が一つになっていたならば、ローマは問題になりません。ローマは人本主義であり、神様に仕えるのではなく、人に仕え、人を絶対視する基準なので、カイン圏です。このような宗教圏が一つになっていたならば、ローマを吸収し、アベルがカインを抱え込み……。 それでは、カインとアベルが一つになることのできる方法とは、どのようにすることでしょうか?。力でするのではありません。「怨讐を愛する」という伝統を立てれば、ローマ自体もイエス様を中心とした宗教圏に吸収されるのです。そのようになっていたならば、イエス様は天下の「王の中の王」になっていたと思うのです。 イスラエル民族がイエス様を受け入れることができなかったため、イスラエル民族は、この膨大な摂理の歴史、世界的な摂理の歴史において誤った民族となり、天の前に立つことができない立場になりました。 それは正に、エデンにおける堕落したアダム家庭と同じ立場なので、イスラエルの国は流れていき、第一イスラエルは消えてしまうのです。第二イスラエルであるキリスト教文化圏がこれを引き継ぎ、国家的基準を超えて世界的基準で出発したのですが、それは霊的なのです。国がない立場です。 イエス様が体を失ってしまわれることによって、これを再び取り戻すための霊的基準を霊界において……。霊界の統一圏をつくって一つになったその基準において、地上と連結させることができます。 なぜ、そうなのかといえば、霊界が一つになってこそ、地上世界に来られる再臨のときにも協助することができるので、霊的世界の統一圏をキリスト教がつくったのです。 ですから、キリスト教の願いが何なのですか?。記録にあるように、小羊の婚宴をすることです。そして、終わりの日にキリスト教の霊的基準の勝利圏を中心として、地上に成し遂げられたものがキリスト教です。キリスト教の旧教と新教なのです。 この旧教と新教が闘っています。カインとアベルなのです。このカインとアベルを一つにすることができるかたがメシヤです。メシヤは父です。父母が父母の愛の中心なので、自分の利益のために闘っていた兄弟も、父母が現れればそれを否定して共に……。一人は右手に、一人は左手に抱かれて、「お父さん、お母さん」と言うことのできる立場になるのです。 そのようにならなければならないのにもかかわらず、キリスト教が受け入れることができなかったことによって、問題が生じました。来られる主の前に霊的基準において勝利した天国を持って地上に来たのですが、地上には旧教があり、新教があり、それと同時にその周辺にたくさんの宗教があるのです。これを一つにして収拾するために、メシヤは真の父母として来られるのです。 旧教と新教は今まで闘ってきましたが、彼らの父母はだれであり、神様の摂理的起源の出発がどのようになっていて、方向がどのようになっていて、未来の目的がどのようになっているのかを分からずにいます。 アダムが無知によって堕落したのと同じように、知ることができないでいます。父母が来て、神様の秘密と歴史の秘密と悪魔の秘密を完全に知り、彼らを教育することによって、旧教と新教が葛藤することなく一つになることのできる道が開かれるのです。 そのような立場を中心として来られるメシヤは、その版図を成就させるために、どのようにしなければならないのでしょうか?。本来の創造理想は、霊的世界を成すためのものではありません。地上で国を成してから霊界の国ができるので、反対に蕩減復帰するために、肉的な国の勢力圏を持ったすべてのサタン勢力によって霊的な国を創造していくキリスト教が迫害されたのです。 それゆえに、キリスト教は殉教の境地、宗教の中でも悲惨な血を流した殉教の宗教になってきたということを知らなければなりません。そして、終わりの日に来る小羊の婚宴、父母が現れることができるその日を願ってきたのですが、父母がどのように来て、メシヤがどのようなかたであるのかということを、教えてあげることができないのです。 堕落して無知に陥ったので、人間世界においてそれを捜し出して解決しなければなりません。解決すべき内容をすべて捜し出して解決していかれるかたがメシヤなので、メシヤさえ絶対に信じるようになれば、メシヤが知っている内外すべての摂理の内容を、いつでも相続することのできる内容を備えるようになるのです。 それゆえに、メシヤになることのできるかたは、霊界に行って霊的世界の統一を成し、地上世界の統一をしなければならないということです。分かりますか? (「はい」) メシヤは、何を統一しなければならないのですか?。霊的キリスト教文化を築こうとすれば、その上に立たなければなりません。数多くの分派に分かれた霊界をすべて収拾して、統一してから現れなければなりません。 それゆえに、メシヤと言えば、宗教の問題、神様の摂理の問題に関して知らないことがないのです。そこにキリスト教文化圏が備えられていたならば、七年もかかりません。旧教と新教の責任者たちを中心として……。 そうではないですか?。責任者は多くありません。旧教で言えば法王であり、新教で言えば総会長です。教派が多くても、総会長を三、四人だけ一つにすれば、すべてのキリスト教、旧教と新教を統一することができるのです。そして、聖書の未知の事実が明確にされることによって、自分たちの出発が誤っていたということ、また進む方向が誤っていたということを知るようになります。 目的が違うということを知るようになるので、その教えを通して出発が正され、方向が正され、目的が正されます。それによって、今まで旧教と新教が闘ってきたことは、神様のみ旨の中において赦しがたいことであるということを知り、悔い改めてメシヤの前に一つにならなければならないのです。そのように、ここに立った真のご父母様の前で、代表的な基準を中心として連合されなければなりません。 それゆえに、韓国で出発したのですが、韓国において旧教と新教が一つにならなければなりません。分かりますか?。これは世界的です。先生の前に現れれば、小さいものであったとしても、世界的な内容の意図を持って教えてあげるので、未来においてその小さい存在は、先生の意図と一致するのです。未来の基準までの差は七年なので、どのようにしても一時代において起こりうる内容なのです。 ところが、韓国においてキリスト教が反対することによって、神様のみ旨を成し遂げることのできる基準がなくなりました。もし、キリスト教が……。 皆さんは、梨大事件、延大事件のことを知っていますが、それは六大キリスト教宗団によって起きた事件です。そこにおいて韓国政府と女性が問題でした。朴パクマリアが副総長であり、金キム活ファル蘭ランが総長であり、三番目が大統領夫人のフランチェスカです。それが四位基台になっているのです。梨花女子大学さえ先生と一つになっていたならば、政府とすぐに一つになっていたのです。 政府と一つになっていたならば、いくらアメリカの軍政時代が来たとしても、軍政が教会を統治することはできません。国家的基準において教会基盤を築いたならば、いくら宣教師が反対したとしても、宣教師を指導していた指導層が一つになっているので問題にもなりません。 もし、問題になれば、公開討論をするのです。そのようになれば、すべての面において、キリスト教は統一教会の原理に勝つことはできません。これは主流思想なのです。 そのようになっていたならば、そのとき、大韓民国全体を中心として祝福行事までするのです。分かりますか?。大韓民国の構造的内容を見れば、家庭がその単位です。家庭が根本です。それゆえに、そのとき、三千万人いたならば、三千万の民族の前に家庭さえしっかりと祝福すれば、国であれ何であれ、すべて家庭を中心として一つになります。 家庭さえ一つになり、個人、家庭、氏族、民族、国家のカイン・アベル圏を中心としてキリスト教が一つになれば、宗教圏を中心としてカイン、アベルが一つになります。国を一つにするようになっているのです。 それから、宗教圏が一つになれば、民族全体が法を通して一つにならざるをえない環境になっていました。そして、その環境と一つになった祝福された家庭を天国に植えることのできる、移していくことのできる国となるので、それまでキリスト教思想において願ってきた希望のイスラエル民族を中心として国家編成を完成するのです。 その完成した基準というものは、ローマ時代ではありません。今の時代、世界的時代において初めて神様の祖国の主権復帰がなされることによって、これを全世界に連結させ、一元化することによって、地上天国、天上天国が形成されるのです。 いくら地上天国と天上天国の形態が形成されたとしても、横的な人類全体は兄弟です。分かりますか?。兄弟です。カインとアベルです。その中心になることのできる父母がいなければならず、子女がいなければなりません。それが上下、左右、前後です。 また家庭の形態を見れば、上が父親であれば息子は下であり、左が妻ならば右は夫であり、前後は子女たちです。この三つの基準が国家的基準において成し遂げられ、完全に統一される日には、上下、前後、左右……。そうではないですか?。 上下になることのできるこの基準を中心として、上下、左右、前後にならなければならないのですが、これに反対することによって韓国と世界の行く道が塞がれてしまったのです。分かりますか? (「はい」) そのような環境において、先生は追い出されて一人になったのです。神様の愛で世界を統治する使命と国家を治めるべき使命、そしてまた、蕩減復帰の内容を払っていくべき個人的な責任を中心として、すべてが着地しなければなりません。着地の目的は何かというと、神の国なのです。 アダムは家庭を失いましたが、イエス様は国を失ってしまいました。分かりますか? (「はい」)。ですから、国を取り戻すことによって、家庭は取り戻されるのです。分かりますか? それゆえに、神の国を建てるためのすべての横的な基準を中心として真の父母に侍ったならば、家庭的父母になり、氏族的父母になり、民族的父母になり、国家的父母になります。そして、祝福の環境が全世界的に広がれば、これは自動的に縦的な世界の天宙と神様まで連結されるのです。 神様まで連結されたこの八段階の父母の心情圏が横的な世界に連結されれば、祝福の完成が完全になされ、真の父母を中心とした祝福完成を成し遂げることができます。新しい血統を中心とした血縁的関係が真のご父母様の家庭から皆さんの家庭に接ぎ木され、真のご父母様に接ぎ木されたすべての家庭は、カインとアベルが一つになっているので、同等な価値を持つようになるのです。ですから、氏族は民族を消化して、民族は国家を消化することのできる統一圏が広がるようになれば……。 難しいことを言うよりも、結論は簡単です。今、問題なのは、わたしたちに国がないということです。イエス様が血を流したのは、ユダヤの国が第二イスラエル圏においてローマを吸収すべきでしたが、それを失ってしまったので、それを世界に拡大して消化するためでした。 ですから、皆さんは左翼、右翼という言葉を知っているでしょう? (「はい」)。それがカイン・アベル問題です。人類はサタンによって父母を失い、孤児となって独りさまよう歴史を経てきましたが、父母を迎えるようになれば、アベルは右側に行って手を握り、闘っていたカインは左側に行って手を握り、「お父さん、お母さん」と呼ぶようになるのです。分かりますか? ですから、左翼と右翼は、カインとアベルであり、家庭においても同じです。カインとアベルです。アベルは右側であり、カインは左側です。これは父母を中心として言うのです。 イエス様がこの地上に来て、アダム時代に家庭において失ったものを国の基準において立てようとするので、国において闘う兄弟が、アベルに当たる人は右手をつかみ、カインに当たる人は左手をつかんで一つになります。そして、「お父さん、お母さん、行くべき道を早く行きましょう」と言って、訪ねていく所がローマならばローマに対して、ローマ民族を中心として中東を消化し、すべての宗教圏を消化してローマを統一することは問題ないのです。一瞬のうちに発展する内容を、ローマの国民はすでに知っているのです。 統一教会は、世界的にうわさになっていますが、復帰の過程で多くの受難の峠を越えてきました。しかし、統一教会について調べてみると皆、「良い」と言うのです。人も良く、家庭も理想的であり、内容で見れば、思想的世界においてどの世界にもないものであり、どこを見ても宗教圏を凌駕することができ、思想界を凌駕するものなのです。 一つの統一天下を中心として真の主人であられる神様に侍り、平和の基地となり、解放の基地となることができ、万民すべてが地上天国の相続者になることのできる栄光の家庭から国家になるのです。それ以上、何があるでしょうか? 昨年、日本で祝福をしようとしたのですが、もし、この母の国が祝福に責任を持ち、国の責任者が中心となって「これは歴史上にない、一人しかない母として行うことができる責任の祝福です。すべての息子を代表し、解放するための世界的な条件を立てるこの祝福を日本が行うので、日本と外交関係を持つすべての首相と大統領を招聘します」と言えば、来るでしょうか、来ないでしょうか? (「来ます」) それは、「来るな」と言っても、来るようになっているのです。そのようにして祝福を行ったならば、日本はどのようになるでしょうか?。世界がそこに同調し、世界が歩調を合わせることができるようになれば、日本自体が「母の国の資格を持たない」と言っても、世界が受け入れ、その環境を称賛することができるようにさえなっていたならば……。 日本の人たちは見ていなさい。統一教会に反対して残る群れはありません。個人が統一教会に反対して倒れ、家庭が倒れ、氏族が倒れ、民族が倒れ、共産党が統一教会に反対して滅びました。 また、民主世界が統一教会に反対しながらよく見てみると、キリスト教の聖書における未知の事実が統一教会の原理の中に有り余るほどあり、世界の思想圏をすべて凌駕するということをアメリカが気づき始めたということです。 反対していたことを悔い改め、今年は上下院合わせて三百人以上が集まり、先生が歴史にない……。自由と信仰と家庭と奉仕、これは四大条件です。(注:今年二月二日、米国ワシントンDCで行われた「米国の世紀賞」晩餐会で、真のお父様は「自由・信仰・家庭特別生涯功労賞」を受賞された)一世紀(二十世紀)を中心としてですが、それはただの一世紀ではありません。今まで何千年の歴史を代表した一世紀なのです。この一世紀はそうです。「この期間において、この四つの分野に功労がある人々に賞を与えよう」と、国会が元になって六十二人が賞をもらったのですが、一人に一分野ずつ賞を与えました。 一人に一分野ずつであって、二つの分野ではありません。分かりますか? (「はい」)。何のことか、分かりますか? (「はい」)。(拍手)すべての分野で一人ずつ賞をもらって喜んでいました。しかし、「この四大分野をすべて統一した基盤において、アメリカが行くべき伝統の道を受け継いで功労を立てた人を捜そう」と言いながら、いくら捜してもいなかったのです。個人主義の世界には、いるはずがありません。 今、「冷戦時代を終結させ、共産党を破滅させた人は文総裁である」という看板を世界の歴史家たちがつけたことを、皆知っています。日本の食口たちは知っていますか? (「知っています」)。知っていますか、知りませんか?。大きな声で答えてください。(「知っています」)。しかたなく、答えていますね。(笑い) そして、レバレンド・ムーンに国家が反対し、CIA、FBIがありとあらゆることをしたという、そのような背景をすべて知っている高位階層の人々や国会の上下院議員たち、また彼らと組んでレバレンド・ムーンと統一教会をなくすために活動していた人々が、公に賞を与えると発表し、言論機関など、すべての機関を通してこの四大分野に功績のある人を捜したのです。 それで、開票した結果、「そのような人は、わたしたちが最も憎んでいたレバレンド・ムーンだ」と、このようになったというのです。(拍手)それで、アメリカのヘイグ元国務長官とワインバーガー元国防長官が来たのです。彼らは、レーガンから三時代にわたって活動していた人たちです。カーターやレーガン、ブッシュのときまで、国務長官などをした有名な人たちです。 彼らが冷戦時代に共産党と闘う責任を任され、コーナーに追い込まれて「死ぬか生きるか」と苦しんでいるときに、わたしが現れ、それをすべて解決してあげたのです。ですから、彼らはよく知っているのです。そのふたりが出てきて、「歴史以来、レバレンド・ムーンを凌駕する人はなく、アメリカは彼について行くこともできない」と称賛しながら、わたしに賞をくれたのです。 わたしが賞を望んだのではありません。賞をもらって何をするのですか?。わたしは、たとえアメリカ自体をくれたとしても、もらうかもらわないか、というのにです。アメリカをもらって、内的に腐敗したものを消化しようとすれば、どれほど大変でしょうか?。苦労だけではありません。日本を一つにするのに、どれほど苦労が絶えないでしょうか? しかし、み言を中心としては……。皆さん、訓読会を知っているでしょう?。今年に入って時が満ちたので、「優秀な人たちを連れてきてセミナーをしよう」と言ったのです。 郭クァク錠煥氏、どこに行きましたか? (「ここにいます」)。目がセメントのように固まり、心配事が山のようになったのです。「やりなさいというのに、やりもせずになぜ心配するか。やってみてできなかったら心配するものだ。ごたごた言わずにやりなさい」と言ったのです。 それで、やってみると夢のようなことが起きるのです。先生のみ言は、とても膨大な内容なのです。どんなことでも、難しい問題を質問すれば、すべて答えました。ですから、高位階層を中心として世界百八十か国から集まって七次までしたのですが、七次まで訓読会をしてみると、反対する人がいません。反対する内容があるでしょうか?。霊界を知っているでしょうか、摂理歴史に対する観を知っていますか? あれこれと長く話をしようとすれば、時間がたくさん過ぎてしまいます。何時になりましたか? (「十一時四十分です」)わたしはのどがつまり、目が腫れているのです。今、総合健康テストをしようと、あらゆる薬を飲みました。胃腸の菌が多いらしいのです。きつい薬を飲んだら、健康になるどころか、ぶくぶくに腫れたのです。足が重く、こちらに来るときも、ふらふらして来ました。 しかたなく、テーブルをつかんでこのようにしているのですが、「ああ、先生は、健康な姿そのものだ」と言うのですが……。これが明日までに終わるので……。しかし、医者が総検査した結果が何かというと、その医者は有名な博士で、総合病院の副院長ですが、「世の中にこんなことがありうるのか?。年齢が八十を超えた人が、どの分野を見ても、驚くべきことにすべて百パーセント青年そのものであり、たった今、産まれた赤ん坊のような体質を持っている」と判読していたのです。(拍手) このような話を聞けば、黒人でも、白人でも、日本人でも、怨讐でもだれでも皆、喜びます。今日、この韓国では、わたしたちに反対していたキリスト教会も「文先生は長生きしなければならない」と言っているのです。(笑い)(拍手) 今まで「死ね」と言って、あらゆることをいくらやっても死ななかったのです。(笑い)死ぬようにと祈祷しても文総裁だけが残っているので、「ああ、あの人は死ぬ人ではない。神様の代身かもしれない。また生涯の数十年の間、国ができないことを成しても横柄に威張ってもいない。悪いと思っていたのに、すべての面において比較して調べてみると、目が引っ繰り返って、舌を巻くほどだ」と言っています。(拍手) ですから、一つの事実として分かっていることは、文総裁は間違いなく、韓国五千年歴史に初めて現れた愛国者であるということです。(拍手)それは、だれに尋ねてみても反対する人はいません。今では、先生の悪口を言う人を、若い人や血気盛んな分子が、即座にこぶしで殴っています。それでは、良い時代になりましたか、悪い時代になりましたか?。良い時代です。では、キリスト教にとってはどうですか? (「悪い時代です」) 大韓民国が四十年間、八代の大統領が反対してきました。文総裁が滅びることを願って反対し、「国家の威信を損傷させる」と言ってあらゆる悪口を言ってきましたが、今では大韓民国の主権も文総裁を必要としているのです。 いくらやっても民族を収拾できないのに、怨讐の日本人、怨讐のドイツ人、アメリカ人を一つにしているのを見ると、怨讐視していない韓国民族を一つにすることは問題ありますか、ありませんか? (「ありません」)。あります (「ありません」)。あなたたちが勝ちました。先生に勝ってみると、気分が良いのではないですか? (笑い)そのような時代になりました。 今では、北韓までもそうです。文総裁の思想でなければ、北韓も生きる道がないということを知っているので、十年間、誕生日ごとに礼物を送ってきました。それを皆さんは知りません。先生が話をしませんでした。 今、平和自動車工場をつくっているでしょう? (「はい」)。それはそのときに約束したのです。十年前の約束を守るのです。契約をしたならば、契約を成さなければならないのではないですか?。それを放り出してしまう人は、背反者になるのです。ですから、わたしがつくった環境がどんどん大きくなっていくので、このままいって大韓民国がそこと一つになると自分たちが困るのです。「その前に」と思って、自分たちからわたしたちに与えるようになっているのです。 現代があらゆることをして、金クム剛山観光などを行っていますが、目的は自動車工場を建てることです。しかし、いくら交渉してもできません。これは、金キム日イル成主席が生きている時の遺言として残した言葉であり、遺訓事業となっているので、それに反対する人は首を切られるようになっているのです。 そのように考えれば、わたしが少し苦労しましたが、日本の食口に、「ああ、思いきり働いて、わたしが愛する母の国にしよう」というのは、悪いことですか、良いことですか?。母親は、息子、娘に使われなければなりません。統一教会の青少年を教育するために、今から皆さんは日本で活動して、公的な血と涙を流す役事が起こらなければなりません。 この世界人類の生死がその綱にかかっているということを思うとき、それを自分の手に巻きつけて引っ張るということが、すべての国において……。日本もそこに入っていくのです。それでは、先生が「そのようにしなさい」と言えば、滅びるでしょうか、発展するでしょうか? (「発展します」)。いいえ、滅びるかもしれません。してはなりません。しかし、み旨を知っている人は、先生が「するな」と言っても壁を越えてもするようになっているのです。 皆さん、先生のことが一番好きなのですか?。どのくらい好きですか?。一番好きだという人、手を挙げてください。いやぁ、こんなに多いのですか? (笑い)ですから、日本の国は文総裁に反対し、大韓民国の大統領も、国民全体が文総裁に反対したのです。 皆さんが先生を一番好むので、自分たちが一番びりではないですか?。ですから、彼らは先生に反対するでしょうか、しないでしょうか?。彼らのことも好きですが、文総裁がもっと好きなのです。 国を愛するにおいても自分たちの何百倍、国民のことを心配するにおいても何十倍です。世界を超えて功労を立て、この民族を助けてあげるために準備した基盤を、今、この民族が知る時になりました。 夜中には分からなかったのですが、日が昇れば、いくら見渡しても統一教会にしか希望がないのです。民族や反対していた父母も、喜んで希望を持つようになることによって、文総裁が生きていくことを願うようになるのです。アーメン。(「アーメン」) 皆さん、先生が何歳くらいまで生きるのが良いですか?。答えてみてください。(「永遠に生きるのが良いです」)。永遠に居れば、木が枯れて、飛んできていた鳥も立ち寄らず、虫も訪ねてこなくなります。そうなってもですか?。それ以上悲惨なことがどこにありますか? (笑い) 「程良く仕事を終えて逝かれればよい」と祈祷しなければなりません。そうではないですか?。今ではもう、先生がすべき仕事はすべて終えました。霊界がどれほど複雑か分かりません。日本の人たちが、いくらわたしを一番愛しているとしても、わたしはそれをすべて捨て、韓国の人たちを捨て、愛を知らない霊界を解放するために行かなければなりません。霊界はどれほど待っているでしょうか?。数千億が待っているのです。 最近、日本の人口は一億二千万だというのですが、先生のことを好きな人は何人くらいになりますか?。この世界は何億くらいになるのですか?。あの世に行けば、すべてを一つの方向に統一した基準を中心として、一瞬で国家を超えて……。 仏教なら仏教圏を完全に解放、マホメットならマホメットのイスラム解放、日本民族がいれば日本民族まですべて解放することができるのです。きょうは何の日ですか? (「『真の父母の日』です」)。山に花が咲き、チンダルレ(からむらさきつつじ)が咲き、ケナリ(れんぎょう)が咲くので、見物しに行きます。結論を出しましょう。 今、世界でレバレンド・ムーンを知らない人がいると思いますか、いないと思いますか? (「いません」)。乳飲み子は知らないかもしれませんが、幼稚園から小学校以上の人は文総裁のことを知っています。 それは、うまく宣伝できたのですか、できなかったのですか?。気がつけば、見渡す限りの砂漠に、その広い平原の上にきちんと基礎を築いてしまったのです。地球星に大異変が起きて、横になっていた大きな山脈が逆さまになり、雲が集まって雨が降れば、平原を流れていくのですが、流れていく道をつくっておけば、どのようになるでしょうか?。川筋、水流の主人になるのです。分かりますか? (「はい」)。その主人の思いどおりに土地に水を供給することができ、動かすことのできる世の中になるのです。そのようなとき、そこには理想郷ができるのです。分かりますか? (「はい」)。目を開けて分かったのですか、目を閉じて分かったのですか? (笑い) 今から南北統一です。今、どこまで来たのかといえば、世界、アメリカもキリスト教文化圏も行く所がなく、わたしのおしりにぶら下がっているのです。反対して文総裁を追い出した南北米のキリスト教基盤を訪ねていき、旧教と新教を一つにすることができるように今までしてきたのですが、条件的に成す以上のことをしたのです。 そして、そこに学校を建て、すべての施設を建てたので、アメリカで二十七年、三十年間かけてしたことを、南米では四年間で平準化させました。今からは、旧教も新教もレバレンド・ムーンが教えてあげる「原理」のみ言に従っていかなければ、キリスト教は滅亡するのです。蘇生する道がありません。それゆえに、そのような雰囲気が盛り上がってきたのです。 訓読会も、教会内でも訓読する責任がありますが、社会を中心として国を治め……。政治をする人たちは、宗教は怨讐です。そうではないですか?。国家が宗教人たちを虐殺したでしょう? (「はい」) サタン国家が宗教人たちの首を切りました。宗教は怨讐なのです。教会で訓読会をするのと同じように、この怨讐の群れを集めて政治の分野、経済の分野、思想の分野における未知の環境に苦しむ彼らの前に、新しい希望を伝えてあげることができる内容のセミナーを行ったので、彼らは皆、降参したのです。哲学者、宗教家、経済学者、政治家が皆、降参しました。 今では、アメリカの上下院が、統一教会の「原理」の内容を中心として第二建国の世界を……。「神様の下の一つの国家」というアメリカ第一主義だったものを、今からは「神様の下の一つの世界」という言葉を中心として、「もう一度わたしたちが世界の主導国家の権限を堂々と持つことができるようにするためには、これを建国思想として上下院を通させ実行しなければならない」という喊声が広がり始めました。(「アーメン」)。(拍手) 日本の国は、統一教会の教会員を拉致してあらゆることをしているのですが、今からはアメリカの国務省が手を出すのです。国連と一つになって訪ねていく前に、最近では国自体の中から忠告するということが起きているのです。 国連とアメリカが出てくるのに、日本はついていきますか、ついていきませんか?。良いものに調子よく合わせるのが日本人ではないですか? 「はい、はい」と言いながらです。(笑い)そうではないですか?。昼間にあらゆることをしていた妻が、ふすまを開けて入ってきた夫に「お帰りなさい。ようこそおいでになりました。待ちに待ってこのような姿で敬礼いたします」と言うのです。 皆さん、考えてみてください。祝福したのは何日ですか?。祝福したのは二月十三日でしょう?。二月十三日だったのですが、そのときに祝福が終わり、何日からこの(南北統一前進)大会を始めましたか? (「二月二十一日から三月十二日まで行いました」)。二十一か所の大会を行ったのです。 オリンピック主競技場を予約して、八日目の三月十二日に大会を行いました。十日間で、メーンスタジアムをぎっしり埋めて余りある力が統一教会にはあります。統一教会には底力があるのです。分かりますか? (「はい」)。国会議員をしようという人たちが、文総裁に会おうとお互いに大騒ぎなのです。 わたしが一言、言ってあげれば、(出世する)可能性が大きくなるということを知っているからです。分かりますか?。このような騒がしい、競争の激しい世の中で、わたしたちは「南北を愛することのできる指導者を養成しなさい」と言って、「国会議員が来るか、来ないか見てみよう。この者たち」と、このようにしながら教育しているのです。 教育をすれば、あまりにもその成果が素晴らしいので、与党も野党も「統一教会のせいでつぶれる」というのです。頂上はそのように思っているのですが、「気をつけ 前に進め」と言えば、国会議員たちが一か所に進んで行くことのできる、そのような雰囲気が芽生えてくれば、驚くべきことなのです。分かりますか? (「はい」) イヤホーンで皆、聞いているのですか?。わたしが日本語で話す必要はありませんね。韓国では、絶対に韓国語で話さなければならないでしょう? 「アーメン」と言ってください、日本の人たち。(「アーメン」)。韓国語が分からなくて「アーメン」と言えば、うそになるのです。(笑い)分からないでいてはいけません。 韓国語ができれば四十九億の発音ができ、どの外国に行ったとしても外国語の発音を学ぶことができるのです。宇宙にある、どのような言葉でもできます。神様は韓国に、言葉の中で高次元の言葉を許可したのです。いかなるものよりも、文化の出発は言葉からです。分かりますか?。韓国語は発音するのが大変でしょう?。大変でしょう?。どれほど大変ですか? 韓国人は、あらゆる言葉を話すことができるのです。それで、わたしも韓国人として生まれたことを誇らしく思うでしょうか、反対されて気分が悪いと思うでしょうか?。 もうお昼ですが、おなかがすいているようですね?。なぜ、そのように答えるのですか? (笑い)誇るでしょうか、誇らないでしょうか? (「誇ります」)。なぜですか?。神様を知ろうとすれば、神様が立てた民族を愛さざるをえないからです。それで、わたしたちのような人を捕まえて、この民族を消化しようというのです。ですから、神様の祖国の主権復帰です。 伝統的歴史の材料がすべての国を消化することができ、天上世界にいるすべての人を消化することのできる内容がそこにあるので、悲惨な韓国を愛さなければなりません。韓国に先生が来たということは……。これは本当でしょうか、うそでしょうか? (「本当です」) 歴史を通して蕩減してきました。歴史時代に九百三十二回も侵略されました。それでも国を失いませんでした。単一民族です。志操。さらには、女性たちにおいて、外国人と結婚するということはありません。 日本人と大東亜時代に結婚するようになったのは、間違いなく非法的な愛を結んでしたのであって、自ら進んで嫁に行った人はいません。ですから、韓国は東洋礼儀の国であるということを知らなければなりません。最近では、日本の女性たちも韓国人と結婚することを嫌がるでしょう?。ええ? 日本には、明治時代以降の姓名があります。日本は、親戚間、四親等でも結婚するでしょう?。韓国は、文氏なら文氏、金氏なら金氏とは結婚しません。血統を尊重します。そのような面で見るとき、神様が愛する民族であることを知って、そこに接ぎ木することができるように女性たちを祝福しているのに、しり込みをしたら、これからどうなるでしょうか? これからは、混血児と(結婚)するのでしょう?。その家庭と日本人同士が結婚した家庭と、どちらが先頭に立つでしょうか?。アベル家庭とはどのようなものですか?。混血の家庭だということを知らなければなりません。それを知っていますか、知りませんか?。なぜ、答えないのですか?。それでは、堕落した後孫です。 神様が「しなさい」と言えば、すぐに「そのようにします」と言わなければなりません。「知っていますか?」と言えば、「知っています」と言わなければならないのです。もう一度、聞いてみましょう。知っていますか、知りませんか? (「知っています」)。(笑い) いつでも、悪口を言われて蕩減するのです。悪口を言われてその峠を越えるのです。 そして韓国において、南北統一を主導すべき責任があるので、二十一日間このようなことをし、そのときに宣布したものが何かというと、「ここで八十歳以下の人は、わたしの弟である」と言ったのです。(拍手) 韓国の伝統は、一か月でも誕生日が遅ければ、その相手を「兄さん」と言わなければなりません。日本はそうではないのですか?。日本でも、そのようなものがあるでしょう?。韓国は一日でも早ければ兄なのです。分かりますか? ですから、先生が八十歳なので、十万人以上集まった聴衆の中で八十歳以上の人は二十人にもなりません。その二十人にもならないグループに入る人がわたしです。ですから、年齢が七十九でもわたしの弟に当たりますか、そうではないですか?。他の人たちが答えるときに「弟に当たります」と言うのであって、「わたしが兄である」と言うことができますか?。そのようにすれば、ほおを強くたたいても、「申し訳ありません」と言うようになっているのです。 そして、女性はすべてわたしの妹なのです。妹を呼び捨てにして、何か恥ずかしいことがありますか?。妹を呼び捨てにしたからといって、何か罪がありますか?。罪がありますか、ありませんか? (「ありません」)。日本でもそれは通じるでしょう? 優れている人も、愚かでも、博士でも、すべての女性はわたしの妹です。そうですか、そうではないですか?。拍手してください。拍手してもだめなので、手を挙げてくださいと言ったので、全員手を挙げたのです。全員、見たでしょう? (「はい」) 全員、見ましたか、見ていませんか?。見ていない人は手を挙げてください。(「全員見ました」)。全員見ました。見て、決意する拍手をしましたか、手を挙げましたか?。二つのうち、どちらもしていない人はいません。全員したでしょう? (「はい」)。全員したので、全員がやらなければなりません。(笑い)分かりますか?。全員したので、全員、何ですか? (「やります」) ですから、町内に行って「教育を受けなさい」と言うときは、うわさになっているので、それを知らない人はだれもいないのです。また、女性たちには、指輪を千五百個も分けてあげました。その千五百個の指輪をもらった人は、本当にわたしの妹です。分かりますか? 堕落したエバにおいては、兄を失ってしまったのであり、夫を失ってしまったのであり、父を失ってしまったのであり、祖父を失ってしまったのであり、王を失ってしまったのです。真の父母はそのようなかたなのです。個人完成、弟も完成、兄も完成、父母完成、夫婦、祖父母完成、ですから、女性たちはすべて先生に引っかかりましたか、引っかかりませんでしたか? (「引っかかりました」) きょう、わたしが一つ良い約束をすればよいと思いますか、しなければよいと思いますか?。日本の人たちだけです。一つ良い約束をすればよいでしょうか、悪いでしょうか? 楽しくて良いこととは何ですか?。日本の人たちは、今の責任も果たせていないのですが、これから韓国の女性たちに指輪を一つずつ、一つずつ……。指輪はいくらにもなりません。一つずつ買ってあげなければならないと決心する人は手を挙げてください。 これは何ですか?。ここは、なぜこのようにしているのですか?。それがどれほど貴いか知っていますか?。兄弟ができるのです。日本の国が母の国になろうとすれば、兄弟を結ばなければなりません。分かりますか?。カインとアベルの兄弟が一つになってこそ、父母の立つ位置ができるのです。 それで今回、指輪を分けてあげたでしょう? (「はい」)。アメリカでもそのようなことをするのです。これは、あなたたちの民族同士でするのではなく、世界が一つの国のようにならなければなりません。一つの家庭になっているので、アメリカ人、日本人、韓国人、世界の妹と姉を通して、愛の表示として、結束の約束として指輪を交換しなければならない時が来たのです。(「アーメン」)。(拍手) そのようになれば、けんかはしません。その指輪は、韓国民族は四千万にしかなりません。日本はどのくらいですか?。三倍なのです。アメリカは二億四千万なので、何倍ですか?。何倍の指輪が入ってくるでしょうか?。その指輪をすべて北韓にいる女性に二つずつ、三つずつ贈れば、「もらう」と言うでしょうか、「もらわない」と言うでしょうか? (「『もらう』と言います」) アメリカの女性から日本の女性、韓国の女性、韓国の僑胞の女性が、彼女たちに「会いましょう」と言えば、会わないでしょうか、会うでしょうか? 指輪を分けてあげる人たちに会えば、二千万同胞の女性たちが皆、「外国に行ったり来たりして一つになることのできる姉妹ができた」というとき、みすぼらしい人のようにあの隅っこの世界で暮らしたいと思うでしょうか、自由に思いどおりに忙しく暮らそうと思うでしょうか?。自由世界の日本やアメリカに行って暮らしたいと思うでしょうか?。どうですか? 北韓にいたいと思うでしょうか、外国に行って姉や妹と一緒に暮らしたいと思うでしょうか?。ですから、「荷物を包んで出動するな」と言っても心がそわそわして、春の季節になると娘たちの心がうきうきして春の庭をさまようようにしてでも、訪ねて行かざるをえない環境になるのです。そのようなことを思うとき、文総裁の戦略的な方法は良いですか、悪いですか? (「良いです」)。(拍手) さあ、よく聞いてください。時間がありません。拍手の音をあまりにも聞きすぎて、わたしはおかしくなりそうです。(笑い)考えてみてください。兄も弟も皆、お金持ちです。さあ、それでは、自動車も一台ずつ寄付し、お金のある人は、自動車も三人、四人に上げることができ、二台でも上げるそのようなことが起きるのです。情が流れる所には物がついていき、その家族まで移動するのです。そうでしょう? (「はい」) それゆえに、このような環境を適用することによって、外部に引き出して闘わずにその国を消化できる道がないことはないだろうと思って、このようなことを言うのです。ないことはないでしょうが、完全なものですか、不完全なものですか? (「不完全です」)。不完全です。今は成し遂げられていないからです。 しかし、先生が構想することは、必ず成し遂げられるようになっていますか、なっていませんか? (「なっています」)。なっていません。この者たち (「なっています」)。(拍手)わたしが「嫌だ」と言いましたが、拍手するときには大きくしなければならないでしょう。それは何ですか? (拍手) 先生の頭は複合的になっていて、こちら側が空っぽのようだったのにぎっしり詰まっており、こちら側でもぎっしり詰まっていると思ったのに、こちら側に行ってみると空間があるのです。ですから、複雑な考えも……。 どれほど複雑であれば、神様の秘密の包みをこのように解き、神様と闘って「あなたの言うことはうそではないですか、この者」と言って……。(笑い)「父が何ですか?。息子にその包みを解いて見せてください。事実でしょう?。わたしの言うことが正しいでしょう?」と言うので、それを解いてみなければならないでしょうか、解いてみてはならないでしょうか? 解いてみるとき、わたしの言うことが正しければ、どのようになるでしょうか?。天下の神様にも勝利した大王陛下です。頭を下げるのです。神様をたくさん泣かせましたが、神様から敬礼されるということもしたのです。(拍手) 今では、わたしがこのようなことを言っても、世界が……。わたしがワシントンの真ん中に行って、どのようなことを言ったとしても、皆が「あのかたが言うことは何気なく言う言葉だが、間違いなくそのようになる」と思うのです。 ビルディングの高い階で、回転いすに座って、たばこをふかし、天下に号令していた者たちも、文総裁が来れば頭を下げて、「わあ、文総裁が来てどのようなことを話していったのか?」と言っています。それゆえに、わたしが講演すれば、超満員なのです。 さあ、韓国、日本……。日本は去年、祝福ができなかったので離婚したのと同じ立場です。それで、わたしが責任を持つことにしたのです。エバが責任を果たせなかったので、わたしが責任を持って日本を抱きかかえ、四十日以内に昨年二月七日の三億六千万双国際合同結婚式をしたことを知っているでしょう? それを日本で行っていれば、どれほど恵みを受けたでしょうか。今から、次に祝福をするときは、大統領が世界に出て、これを先導して招請せざるをえない環境をつくるのです。今は、そのようにすることのできる時になりました。しかし日本が、そのようにできずにいます。 フィリピンはそのようになるのです。また、台湾はすでに二月七日に結婚式をする万全の準備をしていました。しかし、そのようにすれば日本が飛んでいってしまうので、しかたなく韓国でしたのです。 また、エバがアダムを復帰しなければならないでしょう?。エバが天使長と一つになってアダムを堕落させたのでしょう?。分かりますか?。天使長国家のアメリカ、エバ国家の日本。事実がそうではないですか?。二つの国が一つになって、韓国のIMF(国際通貨基金)事態を助けてあげなければならないのです。 自分の財産を売ってでも助けてあげなければならないのに、ここでお金をもうけていこうと横行する者たちは滅びます。わたしがほうっておきません。脅迫ではありません。事実がそうです。復帰原理で見れば、そのようになっているでしょう?。エバと天使長が一つになってアダムに謝礼をしなければならないのです。 エバ国家は日本の国です。その国に生まれた息子、娘の立場なので、お母様が行く道を母と娘が協助しなければなりません。協助しておかなければならないというのです。今までは、母子協助時代だったのです。 今まで日本は、内的な面で母と娘の協助がなされていました。それと同時に、先生においては「父子協助時代」に入ってきました。母親がいなくても、すでに息子が家庭を持ち、国を持つことができ、父が家庭を成して国を持つことができるのです。ですから、母親がいなくても、母親は父親の力で捜し立てることができ、息子の力で捜し立てることができます。そのような立場に立ったということが、今現在の立場です。分かりますか? み言を失ってしまったのが、エバです。それで「聖本」を中心として、済州島に七百七十七人が来ました。生きようと、もがきながら「先生に会おう」と言うので、わたしが会ってあげたのです。大会を行っているときなので、忙しくて時間がないのに会ってあげたのです。時間もない中、時間を割いて、かわいそうなエバ、追い出されたエバを収拾しました。 ですから、「聖本」を先生の身代わり以上に愛さなければならないのです。蕩減です。み言を愛さなければなりません。それから、日本の国をだれよりももっと愛するのです。わたしが愛する以上に日本の国を愛さなければなりません。お嫁に行くために、日本の国を愛するのです。分かりますか?。夫を訪ねていくためです。 そして、夫を訪ねていって一つになってどうするのかといえば、夫に導かれて神様を訪ねていかなければなりません。そのようにしなければならないのは、堕落前の所有権は神様のものだったからです。愛の血統の因縁を結び、神様が喜ばれることのできる祝福の時間、それ以降に万物の所有権が出発するようになっていたということを知らなければなりません。堕落した後孫がいくら百万長者であったとしても、すべて自分のものではありません。それは、主人が訪ねてくれば、いつでも返さなければなりません。 総生畜、何ですか? (「献納祭です」)。献納です。それで、教会を建てなければなりません。全世界にです。文総裁を敬い、尊ばなければならないのです。わたしたちの教会は、今後、神を中心とした国を取り戻すための整地基盤になるのです。教会自体がなることはできません。教会の責任者が神の国の指導者、主権者になるのです。それを形成するために、きょうが過ぎれば二十日まで延長になります。 劉正玉オク氏 (「はい」)。十日という限界線を二十日まで、十九日まで延長することができます。今回の日本の責任に対して、み言と一体になり、神様の国を取り戻すための南北統一に日本の食口が先頭に立って力を注がなくては、生きる道がありません。 南北に分けたのは、だれですか?。エバでしょう?。(「はい」)。日本民族で、そのように考える人はいません。わたしが、統一教会の韓国人と日本人、世界の人を犠牲にしてでも一つにすれば、国が取り戻されるのです。神様の祖国が生まれるのです。分かりますか? 神様の祖国が生まれ、神様の息子、娘、神様の国、神様が愛していたすべての聖賢、賢哲、道人たちがはじめて故郷に定着し、千年万年、神様に侍って暮らすことのできる大宇宙家庭を編成するということが神様の創造理想であったのです。分かりますか? (「はい」)。(拍手) そしてきょう、このような日、「真の父母の日」に集まって決意し、何かの記念を祝賀することも必要ですが、残された最後の障壁である南北統一のために、全世界の統一教会の教会員をして方向を正し、ここに焦点を合わせて神様の国、真の父母の国、真の家庭の国、真の家庭の世界、真の家庭の天地を一元化させることによって、地上に神様が理想とされていた天国ができるのです。個人の天国ではありません。 数千万年の歴史にわたって受け継いでいく天国が、ついに蘇生するのであり、この蘇生した天国は、アダムとエバの失敗によってそれまで空だった天国に穴を開けて一度に埋め合わせるのです。 そのことによって、堕落していない本然の神様の位置を取り戻し、万国の主人となって統治することのできるそのような世界は、わたしたちが暮らすことのできる永遠不変の天国の地であり、祖国であったのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) そのために、何よりも神様が一番苦労し、真のご父母様が二番目に苦労したので、皆さんが三番目に苦労する王子、王女にならなければなりません。そのことがみ旨であるので、今回、「神様の王子・王女が行くべき生涯路程」という講演を行っているのです。分かりますか?。分かりますね、韓国の人たち? (「はい」) あなたたちは、お姉さんです。また、お兄さんにならなければならないのです。兄が弟を愛して、教えてあげなければなりません。それで、韓国人が日本に行って教えてあげているでしょう?。日本が追い出されるのを、先生が防いでいるということを知らなければなりません。分かりますね? (「はい」) 一つの国です。日本と韓国が一つになって、天使長と息子を愛さなければなりません。南北統一においては、アメリカの国務省がわたしに引っかかってくるようになっているのです。 先生は、普通の頭ですか、非常に良い頭ですか? (「非常に良い頭です」)。老いた人の頭は、ごみ箱のように、ぼろぼろになっているはずなのに、何が「非常に良い頭」ですか?。非常というのは、正常ではないということを意味するとも言えるのです。 南北統一を決定する大移動が起きます。今から入籍式です。ジャルジンに行って先生に祝福されたのは、入籍の手続きのためです。そこで祝福された人は日本人、アメリカ人、全世界の人々が、今からここに移動してくるようになっています。 韓国のような所に、約四千万の外国人が入ってくれば、戦争が起きるでしょうか、起きないでしょうか?。その人々がお金を持ってきて、韓国の土地をすべて買ってしまうのです。 そのような意味で、南北統一は、わたしたちの神様の祖国主権復帰です。故郷も取り戻し……。故郷は地球星であり、わたしたちの永遠な祖国は天の国です。神様を中心として永遠に侍って暮らすことのできる、祖国主権復帰のために生きることのできる義勇軍であり、勇士としての出動命令が下れば、その行進はゆっくりしますか、急いでしますか? (「急いでします」)。そのような勇士になるという人、両手を挙げて誓いましょう。(「アーメン」)。わあ 拍手してください。 さあ、このくらいにしましょう、わたしもおなかがすきました。きょうは、薬のためにご飯もおいしくありません。目も腫れ、足もどれほど重いか分かりません。ですから、このように立って話せば、先生がかわいそうなのでこのくらいにしましょう。 あなたたちは、「時間になったので、ご飯を食べるために終わりたい」と思い、わたしは「疲れたのでやめたい」と思う、二種類の「やめたい」がありますが、多くの人たちがそのことを願うので、わたしは原理原則に従っていく人ですから、皆さんのために退かなければなりません。アーメン。(拍手) 真のお父様の祈祷(真のお父様が、祈祷されたあとに再びみ言を語られる) 終わるときは、全員の心がご飯に向かっていくというのです。それよりも切実な心で、ご飯を食べることも忘れてしまう宣言をしなければならないと思って出てきました。分かりますか? (「はい」) それは何かというと、きょうが真のご父母様の聖婚式四十周年の日なのです。分かりますか?。これを永遠に、四十年、四十年と続け、一次、二次、三次、そして百次、千次と継続することができるということを、この日、天地に宣布します。分かりますか? (「はい」) それで、第二次四十年、百次四十年と、先生が教えたすべてのみ言とともに一致するときは、サタン世界は、その四十年蕩減勝利圏内に一歩も踏み込むことはできません。 ですから、そのような権威を歴史的に連結させなければならないという責任が真のご父母様にはあるので、皆さんが四十年間にできなかったことを……。皆さんが第二次四十年を充分に満たし、後孫たちがまた、新しい四十年を輝かしく迎えることができるように、歴史を通してするのです。 アーメン。(「アーメン」)。約束するでしょう? (「はい」)。そのように伝授しなければなりません。分かりますね、郭錠煥氏? (「はい」)。黄善祚氏? (「はい」) その意味が分かりますか? (「はい」)。一次、二次、百次、千次。何千年も続くのです。永遠に続くのです。ですから、先生のみ言を中心として一つになった人、み言の実体になった人は、天国直行です。約束します。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.03
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※ 『祝福家庭』17号(2000 夏季号)より:真の愛は本然の対象圏価値観の完成二OOO年四月二日、聖日、韓国の本部教会において真のご父母様が集った教会員にみ言を語られました。 百回、干回読み、すべて覚える 私が御言を語りますか? (「何章を訓読しますか?」)。今回の大会の時に訓導したものがあるではないですか。「神様の王子・王女が行くべき生涯路程」です。(「はい」)。南北をするためには、それをすべて覚えなければなりません。皆さんはその本を百回、干回読み、すべて覚えてこそ、摂理観が明確になり、今後、私たちが行くべき方向が明確になります。「王子・王女」とは、堕落していないアダム・エバのことをいうのです。 (訓読会をされる) 他の話をすれば、この御言がすべて消えてしまいそうで恐ろしいです。先生の御言が必要ですか? (「はい」)。 きょうは二日ですから、私は四日後には出発しなければなりません。それで、仕方なくきょうここに来たのです。忙しいし、風邪も31き、憾もかれています。それでも、御言を語ってほしいと願うのですか? (「はい」)。もう一度すべて読んであげて終わりにしましょうか? 深刻な御言です。レバレンド・ムーンは、神様の国がないので苦労するのです。神様も同じです。皆さんも、どのようにして私個人が完成するか、ということが問題です。神様の御旨の前に、東西南北、四方な塞がれず進むことのできる人、あるいは、中心的位置でどのような犠牲でも覚悟して進むことのできる、そのような人になったのか、そのこと自体が問題なのです。それさえ解決すれば、南北統一戦線も問題ありません。いくら地上が地獄になっていても、地獄の門を開放するのは問題ないのです。結局は、「私」にかかっているのです。 南北統一、祖国光復、そのようなすべての願いは、国が願うのではありません。アダムとエバが男性と女性を代表して堕落したので、男性と女性の完成的基準を中心としてみるとき、摂理のすべては,男性という「私」、女性という「私」のために動いてきたという事実を意識しなければなりません。 六十億人類の救援というものは、堕落圏内にあるのです。救援が必要な私であるということを思うとき、その救援は個人の救援ではありません。家庭を越え、家庭救援、国家救援、世界救援と、天地が地獄とに分けられていることをすべて解放し、神様までも解放してさしあげなければならないのです。 今日の数多くの宗教は、神様の前に恩恵を受け、人間の解放圏をなそうと願っています。神様の心情世界の本然的根本を掘り下げて考えてみれば、アダムとエバによって神様は、そのような苦痛の立場に立つようになったのです。孝子、忠臣・聖人、聖子の道埋を完成すべき息子・娘が、一つも成し遂げることができず、そのような目的はそのまま神様の心の中に埋められているのです。対象がいないのです。対象を探し出すために苦しむ神様なのです。その対象がいないというのです。すべてが怨讐なのです。 それで、神様が実体対象の位置で、僕の位置・養子の位置、庶子の位置を経て、直系の息子の位置、次に,父と母の位置を経ていく復帰の道があるということを、今まで分かりませんでした。 すべてが行くべき摂理的終着点であり、復帰の目的である祖国光復、地上天上天国というものは、私たちが必ず果たさなければならない宿命的な課題です。運命ではありません。運命は代わりを立てることができますが、宿命は代わりを立てることができません。父子の関係で、代わりを立てることができますか? 代わりを立てることはできません。また、夫婦の関係で、代わりを立てることはできません。 このようなすべてのことを見るとき、この全体の願い、摂理的目的を解決することのできる一つの基盤、国を中心として宗教圏が起きた地域を、サタン世界が歴史を通して今に至るまで、破綻させ、環境と世界の舞台にまで引きずり出して攻撃してきたのです。神様は保守的な立場で、あちらは攻撃的な立場です。天は打たれて奪ってくる戦略をしてきたのです。それゆえ、神様の苦汁は、どれほど大きかったことでしょうか? 歴史を通して願われてきた神様の家庭、真なる孝子・孝女の家庭がありません。孝子・孝女が暮らすことのできる国がありません。国家がないというのです。国家基準さえ連結されれば、サタン圏内を乗り越えられるのです。長成期完成級で堕落したのです。その基準を乗り越えるので、完成(期)は、蘇生基盤を中心として入っていくのです。完成(期)は、サタン世界が解放されるのです。それが摂理観です。 宇宙の勝敗がかかっている厳粛で宿命的な天の願いを遂行するのが、この短い人生 このようなすべてを中心として完成するのです。それゆえ、問題はだれかというと、家庭ではなく、男性一人、女性一人だというのです。血統が変わってしまったのです。 神様の血統を受け継ぎ、天の国の直系の王子・王女になり、その天の国の王家、王圏をft表した家庭的代表が、堕落していない完成したアダムです。神様が一代、アダムが二代です。三代を経て、アダム時代において多くの息子に対することによって、横的に発展し、民族に発展して、国家形態になることを願っていたのです。 国家を越え、世界、天宙までなし、神様が理想としていた本然の天国理念を完成し、神様が父母となるのです。全人類は、直系子女の環境を備えた地上・天上で暮らすようになるのです。そのような所が、堕落していない本然の神様の理想世界です。私たちで言えば、理想天国です。このことを知らなければなりません。 このすべてが、個人・アダム、個人・エバです。彼らによって血統が汚されてしまい,断たれてしまったので、すべての完成の解法点は、「私」によってなされるというのです。そのような原理的な内容、その伝統的公式路程を、今まで分からずにいたのです。 統一教会に入れば、個人としてどのように完成するのか、知ることができます。家庭完成、氏族完成、民族完成、国家完成,世界完成、天宙完成までなして、神様まで上がっていくのです。 神様は、梯子を反対にして人間世界に降りてこられ、堕落していない本然の個人個人を迎えて家庭形成をなし、家庭、氏族・民族、国家形態を備え・世界に新しい祝福的血統的環境を拡大させることが、統一教会に対する神様の願いであり、希望なのです。ですから、今日、統一教会は国際祝福という課題を中心として、全人類が家庭的血統を転換し、神様の伝統的血統に連結させ、接ぎ木をしてきたのです。それが国際合同結婚です。それは国家から始まるのではありません。皆さん個人から始まるのです。 真のご父母様が完成して出発したことと同じように、その伝統的内容で、皆さんが完成の出発をなすことのできる基準に連結されてこそ……。種ができ、実になって、世界に繁殖するのです。神様の創造理想が地上に満ちあふれ、天上に満ちあふれ、(神様を)愛の主権の大王陛下として侍り、アダム・エバをこの地上の大王陛下として侍り、一体理想を中心としてすべてのものが解決され初めて、復帰摂理が完結するのです。 それで、宗教圏の解放、人類のすべての国家、民族の解放がなされるのです。今まで堕落圏内にあったすべての伝統的習慣を否定し、本然の基準に一致させ、私個人から天の国の玉座まで直行できる高速道路を走る皆さんにならなければ、天国に入ることはできません。分かりますか? 天国です。天国は、だれにかかっているのですか? (「私にかかっています」)。神様にかかっているのではありません。神様にかかっているのならば、神様の思い通りにして、すでに成し遂げていたでしょう。血統が変わってしまったので、神様は審判できないのです。これは必ず、息子・娘を再び取り戻し、堕落の血統ではない完成した個人から、完成した家庭、氏族……。これは理論的です。このようなすべてのことが、「私」にかかっているというのです。どれほど厳粛で、どれほど深刻でしょうか? 私たちの生涯は、七、八十年です。「宇宙の勝敗がかかっている、厳粛で宿命的な天の願いを遂行するのが、この短い人生だ」ということを骨髄に染みるほど感じなければ、その道を行くことはできません。人間がその道を行くことができないので、メシヤ、真の父母を送り、絶対信仰、絶対愛、絶対服従という一体圏の位置に入っていき……。 完全な主体は完全な対象をなすように、不足ですが,皆さんも真のご父母様に侍り,絶対信仰、絶f愛、絶対服従で一つになることによって、初めて、神様の後について行くことができるのです。 愛によって一体となることのできる本然の血統的根源が顕現し、その息子・娘の位置に立つことによって、「父の所有は息子・娘の所有」と、このようになるとき、天の国に直行し、すべてが私の国になるのです。ぞのような人になれば、天地のどこに行っても、制裁を受けず、自由奔放な解放の世界になるのです。それが私たちが願う理想天地です。アーメン! (「アーメン!」)。 この七年路程で歴史的なすべてのものを蕩減しなければならない もっと御言を語りますか? だれにかかっていると言いましたか? (「私たちにです」)。男性の私、女性の私、二人が問題です。これが問題です。結婚を過ったのです。神様の血統を伝授され得る夫婦にならなければなりません。そのようになれば・そこに生まれた息子・娘には、信仰や宗教は必要ありません。天の国に直行できるように、先生が道を築いておきました。分かりますか? それゆえ、受難の道、人類歴史でいかなる人よりも苦労の道を行かなければなりません。地獄の底まで、すべて掘り返さなければなりません。サタンが打ち込んだ根を抜いてしまわなけれになりません。 人間世界において、受難の道を行かなければならないのです。救援摂理の歴史は六千年ではありません。何千万年です。長い歴史の恨を抱いてきた父の心を、どのようにして元返すのか、これが問題です。堕落のゆえに恨を抱いた父母を,どのようにして解放するのですか? この地上でだれよりも受難の道を行き、その道において勝利しなければなりません。 それゆえ、サタンは、天の人々が行こうとすることに反対し、これを転覆させ、迫害し、すべて殺してしまねうとするのです。それを越えて、越えて、越えて、越えて、勝利の道を行かなければなりません。 キリスト教を中心として基盤を築き、来られる主と一つになっていたならば、七年以内に終わっていました。七年もかかりません。四年以内にすべて終わったのです。そのような歴史的な総蕩減時代が、二〇〇〇年から二〇〇三年までです。また、その前は、一九九七年から九八、九九、二〇〇〇年の四年路程です。この七年路程で、歴史的なすべてのものを蕩減しなければならないのです。 神様が環境を創造した後にアダムとエバをつくられたように、今まで環境的与件を世界につくってきました。今からの問題は環境圏内において、国を中心として、主体的な国になれば、その国が祖国光復の基台になることができるのです。それが南北韓だというのです。 これは、共産主義・唯物思想と唯心史観の終着地です。闘いによって始まったので、最後の決定は、平和の基準で愛することによって終わりを迎えるのです。兄が弟を愛し、北韓が南緯を愛し、この環境を解決しなければ、地上天上天国理念は完成できないのです。なぜですか? アダム家庭において兄が弟を殺し、殺戮戦が起きました。これを解決するためには、国家的基準において解消しなければなりません。そうしてこそ、天国を代表し得る国家となり、世界の国家を兄弟国家として統一することができるのです。そのような環境がすべて整っているのです。分かりますか? (「はい」)。 どのような犠牲があったとしても、南北統一という必然的な運命的課題を、宿命的な課題として、私個人・私の家庭、私の一族、御言七代子孫が、必ず,越えなければならないのです。宿命的課題です。 このような御言を真のご父母様が詳しく語ったのにもかかわらず、皆さんがこれを越えることができず、それを実行しなければ、歴史的な七代の後孫たちの前に、アダムが堕落し恨みを受けたことと同じ結果になるのです。皆さんを再び救援するための摂理はありません。 このようになれば、今まで恨みの喊声(かんせい)を聞いていた神様は、真のご父母様が天上世界に行けば、世の中と関係のない境地、地獄と関係のない境地で、これをすべて断ち切り、堕落したアダム・エバのためにつくった宇宙以上の天国を再びつくり、新しい天上天国,地上天国を形成することができるのです。二度と救援摂理はありません。分かりますか? (「はい」)。 それで、宗教というものは、今すべて滅んだのでず。そのようなことを知らなければなりません。 そのような責任を、各自がもつことができますか、できませんか? (「もつことができます)。思っているのですが、分かっているのですか? (「分かっています」)。では、分かって、自覚しなければならないでしょうか、してはならないでしょうか? (「自覚しなければなりません!」)。 自覚できるという人は、条件的にでも手を挙げるのです。「その御旨の前について行くことができる人、実体にはなれなくても影のように、昼があれば夜のような位置で、天国があれば影のような世界に行き、解放的救援完成の民族、国家、人類,万民になる! アーメン!」という人は、手を挙げてください。(「アーメン!」)。(手を挙げる)(把手) 今から四年間、このことに生死を懸ける 何によって天国人になることができるのですか? 私はどのようにして、天国の人になることができるのでしょうか? 血統が変わらなければなりません。この大韓民国も、堕落した世界の戦争によって分立された一分派の国です。数多くある国の中の一つにすぎません。神が願う本然の国ではありません。これは堕落した、過った,整備されるべき国なのです。 それゆえ、終末になれば、人間は希望をもつことができなくなるのです。分かりますか? 政治、経済、文化、自分が愛する家庭に対しても、すべて不信するのです。絶望しています。そして、絶望しているところに、このような新しい世界観が出てきたのです。 今、そうです。インターネット時代、電子メール時代も来ました。放送すれば、世界は四日以内に真のご父母様が願う世界に、サッと帰っていくのです。そのようにすることのできる時が来たのです。 今から、皆さんが責任を果たすことのできない日には、先生は韓国を放棄してもかまいません。候補の国……。先生は完成圏内に移行したので、世界的です。天地の最高の位置に移行しました。完成圏内には、多くの国が入っているのです。韓国を放棄することのできる準備をすべてしてきました。分かりますか? イスラエル民族がどのようになりましたか? 来られた主を迎えることができず、歴史にない、血を流す悲惨な民族になってしまいました,韓国は今後、どのようになるのでしょうか? 血は流さないでしょう。しかし、呪いと瑚弄(ちょうろう)の民族として、陰で暮らさざるを得ない、悲運な位置に立つことを心配しているのです。 本来、日本で三億六千万双の祝福をしようとしたのです。それができないので、四十日以内に韓国に来て、昨年の二月七日になしました。寒い時です。それで、神様の前に日本の国がなくなってしまうのです。それゆえ、私が責任をもって……。 過去の時代は母子協助時代だったのですが、今の時は父子協助時代です。神様の御旨の中で、エバ国家、母の国が責任を果たせなければ、どこにでも母の国を立てることのできる版図を形成して……。それゆえ、三つの国を一つの国として扱うのです。三つの国は一つの国です。分かりますか? (「はい」)。 祝福家庭は、ジヤルジン四十日修練を受けて、総生畜献納をしなければならないようになっています。皆さんが愛の位置に行く前に献納するのです。すべての所有は、神様の所有です。愛の血統を受け継いで、愛の息子・娘を結婚させて、初めて、相続権が生まれるようになっているのです。これは言葉だけではありません。そうしてこそ、サタンの足場が、きれいに完全になくなるのです。 霊界と肉界、地上の祝福家庭はプラスであり、霊界の祝福家庭はマイナスです。そのような天使長兼家庭が生まれたのです。これは原理にはありません。創造理想世界にはありません。堕落することによってそうなったので、この二つが一つになり、祝福家庭はここから垂直に上がっていくのです。個人解放時代から、今は国家時代に上がってきました。上がってきて全体統一です。 そして、これを越えることができるものが南北統一なのです。南北統一ができなくても、私が国をなすことのできる基盤をすべて築いておきました。 皆さんが責任を果たせなければ……。今から四年間です。ある人は,四十年だと言うのですが、それはだれが話したのですか? 皆さんが今から四年間、このことに生死を懸け、御言を理解し、家庭を救援することのできる内容だということを理解し、個人を救援することのできる内容だということを理解し、一族を救援することのできる内容だということを理解し、民族を一つにして救援することのできる内容だということを理解し、これに責任をもたなければなりません。責任を果たさなければならないのです。死ぬ時まで……。 「死なんとする者は」、どうなると言いましたか? 「生きる」と言ったでしょう。サタン世界の血統をもってそのまま生きれば、地獄に行ってしまうのです。これを踏み越え、復活しなければなりません。重生の過程を通して復活することによって、サタンの血統を否定し、天の血統を受け継ぐのです。これがメシヤ思想です。これが旧約時代・新約時代を経て成し遂げられるのです。 旧約とは何ですか? 結婚できないのです。神様の御旨と血統を連結させる、結婚の基盤を失ってしまったのです。新約とは何ですか? イエス様が来られて、小羊の婚宴……。再臨時代に小羊の婚宴をすると言ったのですが、そうではありません。イスラエル民族が、絶対信仰、絶対愛、絶対服徒していたら、国と世界を取り戻していたのです。そのことと同じです。そのような位置に立つことができずに、失ってしまったのです。 そのことによって、先生はイエス様の代わりに、世界的な基盤で成し遂げなければならない立場に立っているのです。真の父母を中心として、四十年を中心として四千年歴史を蕩減し、世界人類を祝福圏内に導き・解放圏をなすことのできる現実的時代を成し遂げたのです。 第一の問題が青少年問題です。家庭破綻の問題は、どの国の主権も、だれも、解決策が分かりません。それを解決することのできる特権をもっているのが文先生なのです。分かりますか? 真の父母だというのです。 霊界の秘密、地上歴史の秘密、これをすべて解怨成就しました。堕落してこのように拡大し、ここに立っているのです。先生がこのすべてを蕩減して勝刊したので、皆さんはここに、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で一体とならなければなりません。昼も、夜も、一体圏をなしたという時は、この位置に、真の愛を中心として上がっていくことができるのです。 真のご父母様が許可することは、真の愛の血統、真の愛の一族、真の愛の民族を編成することです。そのような歴史上の何にも代え難い、天の宝である相続権を、個々人の家庭に伝授したのです。それが祝福家庭だということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 すべては真の愛と因縁をもたなければ完成できない 御言をもっと語りますか? 何時ですか? (「七時半です」)。 さあそれでは、私がどのように個性完成し、原理観において歴史を整備し、解放されるか話をします。題目は「真の愛は本然の対象圏価値観の完成」です。 真の愛は!(「真の愛は」)。本然の!(「本然の」)。対象です。一人で存在するものはありません。愛という概念を中心とすると、一人という存在はありません。ペア・システムになっています。鉱物世界もぺア、植物世界もぺア、人間世界もぺア、天地もぺア、皆さんの心と体もぺアです。対象圏をもっているのです。被道世界のすべてのものも、対象圏の価値観! その価値観は、神様が好み、神様が喜ぶことができ、神様が共にいることのできる価値観なのです。分かるでしょう。この目もそうであり、すべて相対になっているのです。 それゆえ、上下、前後、左右、自分が立つ位置が確定するためには、上下関係、左右関係、前後関係が必要なのです。そのような立場に立った自分が、どのようになればすべての解放をなし、サタンから解放された者になるのか、これが問題なのです。 真の愛は九〇度、四X九=三十六でしょう。九〇度でしょう。堕落することによって、角度が変わってしまったのです。それゆえ、真の愛が定着するためには……。男性と女性が一つになったその中に、中心が生まれるのです。分かりますか? 主体と対象が授け受けすれば、必ず中心が生まれます。ペアになって運動するところには、愛を中心として、中心が生じるのです。 ここもそうです。小さいものも見れば、これがプラス・マイナスです。これを中心として主体となり、千態万象の基準がすべてこのようになっています。これがプラス・マイナスです。これが九〇度です。分かりますか? これがプラス・マイナスです。霊界がプラス、地上がマイナスです。すべて相対的基準ができてこそ、この中心と横が九〇度になるのです。 そのような意味で真の愛は、堕落していない、神様の本然の対象圏の価値をもっているのです。価値は、一人では成立しません。価値があるものとは、相対的な関係においてお互いに取り替えることのできる存在のことをいいます。価値があるということは、物を買うときも、二人の人・売る人と買う人、二人が認める以上の位置に上がっていくのです。対象圏価値観の完成がなされるのです。 題目の内容は分かるでしょう。(「はい」)。 それでは、神様はどのようなお方でしょうか? 私たちが知っている神様の属性は何ですか? 絶対的なお方です。それから、唯一なる存在です。それから、不変です。それから、永遠です。神様自身も、心と体のようになっているのです。分かりますか? その属性である「絶対」が必要なのが何かというと、「創造」です。これがプラスならば、これがマイナスです。(図1を板書しながら語られる)「唯一」では「主体」、「不変」は「関係」、それから、「統一」。この二つが一つになり、神様は人格的神だというのです。 何を中心としてですか? 真の愛がなければ、これはすべて必要ありません。皆さんも、真の愛は絶対的であることを願うでしょう。そうでしょう。ただ一つの、唯一であることを願うでしょう。不変であることを願うでしょう。永遠であることを願うでしょう。 それゆえ、この二つが一つになるので、神様は人格神だというのです。愛の主体になることができるのです。これが縦約基準に立っています。人間における価値とは何ですか? 人間の価値は知情意です。知情意があるのです。 皆さん、「知」という字の「口」は「御言」を表します。それゆえ、御言の矢です。標的をつくるのです。知識を得ることによって、標的を中心とした環境と関係を結ぶことができるのです。ですから、学ばなければなりません。知識が必要だというのです。 次に「情」です。人は情的です。「情」は何かというと「心」という字です。「心が青い」です。春夏秋冬、変化がありません。真の愛は変わらないのです。知情意の「意」は、志を立てるうえで、愛を中心とした志だというのです。「立」という字と「曰」(曰〔いわ〕く)という字と「心」という字です。これが「意」です。御言の心を立てるのが「意」だというのです。分かりますか? 知情意です。人は、そのようなものをもたなければなりません。そこに必要な相対的な価値が何かというと、真善美です。それが相対的価値です。真でなければならず、美しくなければならず、善でなければなりません。これは人格としての相対的関係です。 これは内的な世界、これは外的な世界、内的な人格・外的な人格,これはプラスであり、これはマイナスです。私たちはこれを必ず知らなければなりません。情を立てなければならず、目的をもたなければなりません。それから、真善美です。 「善」と「美」には、二つとも「羊」が入っています。羊は犠牲的です。真善美を探し出すためには、真善美自体が要求することは、「犠牲にならなければならない」ということです。 知情意の人格、個人の人格、家庭の夫婦の人格、この二つが一つになってこそ、そのような男性と女性が真の愛で一つになってこそ、家庭が生まれるのです。この二人が一つになってこそ、家庭が生まれるのです。家庭破綻は、このすべてをばらばらにしてしまうのです。それゆえ、神様が相対する価値がないのです。 絶対性、唯一性、不変性、永速性、創造性、主体性、関係性、統一性を中心として、知情意の観点、知情意の価値、このすべてのものがここにあるのです。ですから、結婚がどれほど……。分かりますか? 神様と人間が一つになることなのです。すべての内外が一つになって、家庭をなすのです。すべてのものが真の愛です。真の愛は、本然の対象圏価値観の完成です。分かったでしょう。 内的・外的、プラス・マイナス、これは横的な基準で、知情意はプラス、真善美はマイナスです。この二つが一つになれば、家庭というものが形成されるのです。 それゆえ、絶対性が必要なのです。絶対性と通じることができるのです。絶対性があるので創造したのです。創造は何かというと、唯一なので、主体性がなければなりません。男性ならば絶対的な主体性、女性ならば絶対的な主体性です,これは不変なので、変わらないようにしようとすれば、二つが一つにならなければなりません。内外が一つにならなければならないのです。内外が一つにならなければ、夫婦で暮らしていても、一言でも誤れば,ねじれてしまうでしょう。不変の相対的関係です。 それゆえ、この世の中を見れば、関係の世界です。個人関係、家庭関係、氏族関係・民族関係、国家関係、世界関係、信仰関係,すべての関係が集まっているのです。その関係は、どのように主体性を中心として一つになるのでしょうか? その主体性は、神様の創造の絶対性と、どのように一つになるのでしょうか? このようになっているのです。 永遠は、統一です。それゆえ、皆さんには創造性があるでしょう。何かよいものをつくりたいと思い、自分にプラスになるものを願っているのです。その主体になりたいと思うのです。主体になって、何をするのですか? 相対が必要であり、関係が必要だというのです。相対に出会ってこそ、二つが一つになって、統一がなされるのです。「統一」という言葉は、一つの存在でなされる言葉ではありません。それゆえ、このような属性的内容を中心として連結し、神様の愛を主体とした人格が生まれるのです。人格です。 これを中心として、このような人々が一つになり、完成した家庭ができあがるのです。分かりますか? 一度、してみてください。絶対性は創造を必要とし、唯一性は主体を必要とし、不変性は関係があり、それが一つにならなければ変わってしまうのです。それから,永遠性は、縦的な世界を代見代身して九〇度で連結して一つにするためのものです。それが人間世界では、知情意です。知情意であり、真善美だというのです。これを中心として、知って、よい志を抱き、このすべての真理……。 ここから真の愛が抜けたならば、すべて意味がありません。真の愛を中心として知ることのできる、知識、情、意です。真善美も、真の愛がなければ駄目なのです。 それゆえ,真の愛は、本然の対象圏価値です。男性が真の愛の道から離別すれば、それは天宙の前に犯した犯罪だというのです。夫婦が立つようになれば、上下、前後関係が正しくなるということを娃らなければなりません。男性と女性が出会うということは、神様から分かれた分性が、再び出会うということなのです。宇宙の核が、霊肉に分かれていたものが、縦横を通して、九〇度で出会って定着したものが家庭だというのです。分かりますか? (「はい」)。 では、皆さん、知情意を中心として、何をしようというのでしょうか? 真善美を求めていくのです。相対圏のことです。 このような過程において、絶対、唯一、不変、永遠であり、創造、主体、関係、統一が願い、それから、知情意が願い、真善美が願うすべてのものは、真の愛と因縁をもたなければ完成できないのです。これが結論です。 祈 祷 愛するお父様! 流れていく歴史を止め、その中に自らの位置を立て、上下、前後、左右、周囲の環境が自分を批判し、ただの一人も天が願う位置を探し出して立つことができない、かわいそうな堕落の血統を受けた全人類となったという事実を知らずに生きてきました。 今、真の父母との因縁に従い、このような内外の相対的理想が地上世界と天上世界に、断ち切ることのできない因縁として、真の愛の関係が綴られているということを知っている統一教会の群れは、昼も夜も、青春時代も老年時代も、生涯を通し、この伝統的な使命と宿命的な目28的の前に一致し得る個々人の完成とともに、家庭理想を中心として、氏族、民族、国家、世界、天国を編成し、神様に侍って暮らすことのできる大家族理想天国の国民となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 この四月は、春を迎え、すべての方物万物が蘇生する季節であり、葉が育ち、花が咲く、そのすべての事実を見るとき、秋の収穫の実が、百倍、千倍以上になることを願い、育つすべての万物と同じように、統一教会においても歴史的な恨の峠を越え、また越え、今、春の季節を迎えることのできる時になりました。 真の父母を種として、ここに葉が生い茂り、花が咲き、全天下の万民が真なる愛の収穫の実を、今まで空いていた天の国の倉庫に収穫し、満ちあふれてあまりある、このような希望的な責任を果たすうえで,すべての精誠を尽くすよう許諾してください。 神様が創造された過程を思うとき、太陽と月と水と空気と地をつくり、生命が存続することのできる環境をつくられ、そこで、絶対的な原則で主体と対象圏が一体となることができるようにつくられました。 同じように私たちが生きるうえでも、環境はすでに神様が創造し、そこに、男性と女性が主体と対象となり、この二人が一つになれば、地上の家庭が天上の家庭となり、地上の国家が天上の国家に連結し、そのような希望を成し遂げるべきはずだったのですが、アダムとエバの堕落によって、すべてが引っ繰り返してしまったのです。今、真の夫婦が来て、すべての道を提唱しました。そして、歴史的なすべてのものを、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を中心として、真の父母が代身して蕩減いたしました。 それゆえ、父母を絶対信仰し、絶対愛し、絶服従することによって、真の愛で一つとなり、サタンの血統を否定し、サタン世界の地獄を否定し、解放の位置に立ち得るすべてのことが、理論的な結果だということを知っていける統一の群れは、そこまで行くための個人的環境を打開し、氏族、民族……、八段階の蕩減復帰歴史をすべては行くことができなくても、それ以上の苦労の心をもって,絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、神様と天地父母と一つになることができるという、そのような希望をもち、生涯のいかなることも越え、また越えることのできる勝利的継承者となるよう、祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 願う天国が私たちの目前に近づいてきましたので、その前に立ち、ご父母様が治め、懐に抱かなければ行くことができない彼らを、お父様の愛で抱き、このすべての人類と地獄にいる人を解放して抱いてくださり、あなたの本然の真の天地父母の位置を回生し、万国が統一された愛の主権時代の解放時代を迎えるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申しヒげます。 今、本部教会に来て、このような集いをもつようにしてくださったことを感謝申し上げ、四月の忙しい路程を残し、世界のために責任を果たさなければならないご父母様の願いを完成する道に向かい、それぞれの環境においても、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心をもって一心一体となり、一つの天宙を代表した家庭的兄弟姉妹の血族となるよう、許諾してくださることを懇切に願いながら、このすべての天上世界と地上世界の一体圏を協助してくださいますように。すべての祈りを真のご父母様のみ名によって祝願いたします。アーメン! アーメン! アーメン! 皆さん、今後は全員班長になり、都市でほ統、班、地方では里長、面長の位置に立たなければなりません。それは問題ありません。占領したとしても、それが永遠に定着するためには「訓読会」をしなければなりません。これは霊的な糧です。分かりますか? 肉的な糧を慕い、それをおいしく食べてこそ成長するのと同じように、霊的な糧をおいしく食べてこそ成長するのです。このように家庭的定着をすることによって、地上に解放が展開するのです。分かりますか(「はい!」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.01
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「神様の王子・王女が行くべき生涯路程」この講演文は、2000年3月9日から12日まで開催された文鮮明先生御生誕80周年祝賀南北統一前進大会で語られたみ言です。 南北統一を熱望する指導者、そして紳士淑女の皆様 たった今、始まった新千年は、二十世紀の遺物である分裂と葛藤が清算され、和解と統一の地球村一家族という理想が実現されるときです。皆様の各家庭に新千年の祝福が共にあることを祈願いたします。 まず、わたしの八十回目の誕生日を祝賀してくださるために、世界(全国)各地から訪ねてきてくださった皆様に心から感謝いたします。そして何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様にすべての栄光をおささげいたします。 わたしの生涯を振り返ってみるとき、ただのひとときも平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り囲む列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史とともに歩んできました。 わたしは、十六歳(数え年)の少年時代に、祈祷している中で突然、天のみ旨と出会い、その後、生涯を通じて神のみ旨を成就するために全身全霊を傾けてきました。 そして気がつけば、人間の不幸の根本原因は、人類始祖の堕落によって霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果でした。 このことによって、神様と人生と宇宙の根本問題等に対して無知に陥ったのです。今までわたしは、世界各地の公式席上において、一万回以上、語ったみ言を通して、神主義に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。 それらの内容は、世界各国の十二の言語に翻訳され、すでに三百巻以上の本として出版されました。これは、文献による総合的な研究や学問的な探求の結果として解明したものではなく、有形・無形世界を自由に行き来しながら、原則的で根本的な解答を解き明かしてきたものなのです。 今日、わたしは、この意義深い場に感謝しながら、わたしたち民族の宿願であり、世界の冷戦問題の最後の決算であるというべき韓半島の統一問題を念頭に置き、その方案に対する根本的な解答として「神様の王子・王女が行くべき生涯路程」という題目でお話ししたいと思います。 内外の貴賓の皆様 皆様は、どこの国の国民ですか? 大多数の人が韓国の国民であると思います。そうすると、韓国が皆さんの祖国です。そうではないですか? それでは、神様の祖国はどこになりますか? 今、神様の祖国はありません。この世界のすべての国家の起源はどこですか? 神様が起源になっていますか、そうでなければ、他のところが起源になっていますか? このような、すべての国家の歴史的な起源が問題になっているのです。 この世の国々は、すべて闘いによって分かれて生まれました。それゆえに、ある二つの国があるとき、その二国の境界線は、深い恨みが積もった境界線になっている場合が多いのです。第三国、第四国との境界線よりも、隣接した境界線を中心としてより熾烈な闘いを繰り広げ、より多くの血を流した歴史的な事実があるということをわたしたちはよく知っています。このように、二国家間、二つの民族間の障壁が最も高いのです。 闘いは常に、何万里も離れた所に飛んでいってするのではありません。昔から、隣接する二国家の境界線を中心として闘いが起きてきました。ですから皆さんも、最も近い隣人との間から闘うようになっています。なぜなら、人間が堕落したからです。隣人との間から闘いが起きるのは、堕落による結果なのです。 堕落とは何ですか? 神様と人間との間に葛藤が生じるようになったことであり、神様とサタンとの闘争が起きるようになったことであり、人間とサタンとの闘争が起きるようになったことです。人類歴史において、この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったということを証明することだという結論を下すことができます。 そのようにして生まれた国はどこに行くのでしょうか? すべての国が平和の世界を追求しますが、「平和の世界に行くことができるのか? 」という問題が、今人類共通の課題として残っているのです。 平和の世界というものは結果の世界ですが、過った出発、すなわち過った原因から平和の世界に到達するということは、論理的な矛盾と言わざるを得ません。それゆえに、このような戦争の起源を克服して乗り越えていくことのできる運動を展開するところにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を捜し出すことができるのです。原因が完全であるために結果が完全であり、平和で始まるがゆえに平和の過程をたどることができ、平和の目的に到達できるということは、理論的に妥当なのです。 このように見るとき、自分の国と隣接している国が歴史的な怨讐国家であるといって、ずっと憎み続けようとするならば、永遠に平和の世界には到達できないということを知ることができます。それでは、いくら理想郷を慕い、理想郷に向かって前進したとしても、その目的達成は不可能です。このような闘いが始まった、その動機を否定し、過った歴史を消し去るためには、その反対方向の内容を主張する運動が必要であるというのです。 内外の貴賓の皆様 皆様は、国のない民と同様です。それでは、過去には国があったのでしょうか? 歴史上に、「わたしの国である」ということのできる形態の国があったでしょうか? そのような国の形態も、持つことができなかったのです。それでは、その国を取り戻すために苦労した人がいなくてそうだったのでしょうか? そうではありません。その国は、過去の歴史時代の人が考えていた位置では、捜し出すことができないために迎えることができなかったのです。その時代圏内において、内外を備えた基準を中心としてその国を捜し出すことができなかったので、その国を迎えることができなかったのです。わたしたちが取り戻さなければならない祖国というのは、今日、この地上に存在する、いかなる歴史と伝統を持った国でもありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。 わたしたちは、次元が違う、その国を受け継ごうとするならば、そのようにできる思想的な主体性を持った国民にならなければなりません。しかし、その主体的な思想は、絶対的な創造主がおられるならば、その創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者が願う国を成そうとするならば、その国の主権を中心として国民が一致することのできる国となることを願わなければなりません。そのような国民性を持って国家形態を備えなければならないのです。 一つの国が形成されるためには、主権がなければならず、国民がいなければならず、国土がなければなりません。天の国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子・娘であり、国土に代わるものが国なのです。この中のどれ一つとして除くことはできません。これは鉄則です。最も重要なことは何ですか? 世界と国のために生きることです。そのようにさえすれば滅びません。滅びない所が限界点です。 国をために生きる基準で実際に行動をしていて死んでいった人々は、死んでもその国の民になります。その国がなくなるときまで残るようになるのです。国が形成されるためには、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければなりません。 主権とは何ですか? 根源である神様と因縁を結ぶことです。国を統治する人たちは、国民が深く寝入った後に、神様と因縁を結んで政治を行わなければなりません。そして、主権者は、国民と一つにならなければなりません。国民と一つになり、自分の持つすべてのものは自分のためのものではなく、国のためのものであると考えなければならないのです。 そのようになれば、その国は繁栄します。そのような観点から、地上に天国を実現するという問題を考えてみるとき、天国の主人はだれでしょうか? 主権者はだれでしょうか? 間違いなく神様が主権者です。そして、国民はだれですか? 国民は万民です。それでは、国土はどこですか? 地球星です。地上天国はだれに似ているのでしょうか? 「わたし」に似ているのです。一つの国を見れば何がありますか? 主権、国民、国土があります。これは人間と同じです。 地上天国はだれに似ているというのですか? 「わたし」に似ているのです。「わたし」という個人が集まって国になるのです。したがって、「わたし」に心があるように、国にも主権がなければならず、人格体なので国民がいなければなりません。人間には万物があるように、国土がなければなりません。 このような原則から、国土は人に支配され、国民は主権に支配されるのです。この国土、国民、主権が国家形成の三大要素です。そのようになっています。 人について見てみるとき、心は体を支配し、体は万物を支配するのが原則です。この原則があるために、全世界を見れば、天地人であるという決定的な結論が出てきます。天は何ですか? 人間の心と同じなので主権と同じです。人は国民であり、地は万物です。結局、国はだれに似たのかというと、「わたし」に似ているのです。 いくら大きい社会、いくら大きい国家であっても、人に似なければなりません。それは、神様がご自身の形状に似たものを好まれるからです。それでは、人が最も好むものは何ですか? 自らの形状に似たものです。ですから、理想的な国家とは、何に似なければならないのですか? 人に似なければなりません。天地人に似るのです。 統一教会の用語で祖国というものは、大韓民国という一つの国ではなく、世界的な国のことをいうのです。世界的という言葉は、堕落した世界圏でも使われる言葉なので気分が良くありません。それで、このような祖国を捜し求めていく主義を統一教会では天宙主義というのです。 その祖国は大韓民国ではありません。神様が願われる祖国は大韓民国ではなく、米国でもありません。共産国家でもないのです。その祖国は神様が願う祖国です。ゆえに、わたしたちは、新しいその祖国の文化をつくりあげなければならず、その祖国の歴史をつくりあげなければなりません。 わたしたちは、新しい理想的な祖国を立てるために、新しい基準を定めなければなりません。わたしたちの生活を変えなければならないのです。その世界は、今のこの世界と全く違います。言葉も違うのです。「原理主管圏」や、「相対基準」、「相対基台」、「復帰基台摂理」という重要な言葉を、世の中の人々は知っていますか? ですから、違うというのです。 統一教会が願う国が建設されれば、統一教会の看板をはずさなければなりません。そして、統一教会が願う世界が形成されれば、統一教会が立てた国はなくさなければなりません。大韓民国の韓民族を中心とした文化と人格だけのための宗教は捨てなければならないのです。世界のために生きる宗教であってこそ、これからも残る宗教になるのです。 満場の内外の貴賓、紳士淑女の皆様 神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるならば、彼はどのような主張をしなければならないと思いますか? この世の人々が好むような方向に行くようにという主張は絶対にできません。むしろその反対の道に行くようにと主張しなければなりません。それに該当する代表的な標語が「愛の心を持って怨讐を愛しなさい」というものです。「怨讐を愛しなさい」このみ言は、誤った歴史を元に戻すことができるものであり、台風に揺さぶられる船の錨や錨綱のようなものです。 しかし、復帰摂理歴史を通じて「怨讐を愛しなさい」というみ言を実践してきた人はいませんでした。もし、怨讐を愛することができる人々がいるならば、そのような人々によって一つの組織的な形態を備えた世界的な版図を確保しなければなりません。このような結論が出てくるので、そのような運動を神様が提示なさらなければならないのですが、神様によって提示されたその運動の反映体が、歴史に現れた宗教運動であるということを皆さんは知らなければなりません。 今までで、神様が最も愛することのできる人はだれでしょうか? イエス様なのです。イエス様は、闘っているこの世界に新しい方向を提示してくださいました。ローマやイスラエルのような圧迫国家と非圧迫国家の間には、お互いを怨讐視する高い障壁があるのですが、イエス様の哲学は、それを壊してしまうべきであるというものです。イエス様は「ローマよ、あなたは力でわたしを征服しようとするが、わたしはその反対に愛であなたを征服する」と考えられたのです。それで、十字架に架かりながらも怨讐のために福を祈ってあげたのです。 そのような思想は、ローマの兵士たちに対して「彼らは、自ら犯した罪が分からないので、彼らを赦したまえ」という驚くべき宣言として現れたということを知らなければなりません。イエス様がそのようになさることによって、世界のすべての国がお互いを怨讐視することを乗り越えることができ、二つの国家間の国境を乗り越えることができる、一つの原型、または模範となりました。 イエス様は、個人的な怨讐がすべてではないということを知っていたのです。家庭的な怨讐があり、氏族的な怨讐があり、民族的な怨讐があり、国家的な怨讐があり、世界的な怨讐によって四方から縛りつけられているということを知っていました。これは、自分に従い、自分が行く道を行こうとする人には、数多くの怨讐が待っているということなのです。そして、「家庭的に行けば家庭的な怨讐が待っており、氏族的に行けば氏族の怨讐が待っていて、熾烈な闘いが予想されるけれども、そのときごとに怨讐を愛しなさい」というみ言です。このような精神を持っていれば、いつかは勝利できるというのです。 それでは、神様の理想国家の実現、すなわち祖国主権復帰はどこから実現されるのでしょうか? 怨讐を愛するという思想を持った個人から出発するのです。それゆえに、「神様がいらっしゃるかぎり、愛で国境を崩し、すべての環境と文化的な垣根を越えて怨讐までも抱こ う」という運動を提示したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。大豆を植えれば大豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、真っ赤な花の種からは真っ赤な花が咲きます。同じように、あだを討つサタンの種をまけば、あだを討つ悪の木が育つのですが、怨讐を愛する善の種をまけば、怨讐を愛する善の木が育つということです。これは自然の道理なのです。 神様の祖国は、どこからどのような道を訪ねてくると言いましたか? それは、怨讐を愛する道、個人の怨讐を愛して、家庭の怨讐を愛して、氏族の怨讐を愛して、国家、世界の怨讐を愛する伝統を残す道から訪ねてくるのです。そのような道でなければ、神様の祖国は現れることができないということを皆さんは知らなければなりません。 見ていてください。米国が反対したゆえに、国務省が反対したゆえに、国会が反対したゆえに、わたしは、国会で勝利したという賞状を受け、国務省から勝利したという賞状を受け、米国で勝利したという賞状を受けることができる時が来るはずです。それで、反対する国務省の中にも友人ができ、国会の中にも友人がたくさんできています。勝利は、わたしに返ってくるようになっています。 わたしは、そのような友人が一人もいなかったとしても、あらゆる反対を克服して勝利に導くことができるという確信があります。反対すれば反対するほど、こちらの怨讐を愛する内容が相対的により大きくなるので、反対が激しいからといって落胆する必要はありません。 自然の道理は、一方が低気圧ならば、もう片方は高気圧になっています。一方が高気圧になれば、もう片方は低気圧になるのです。米国の国務省が高い所から反対するとき、わたしが低気圧圏を成していれば、高気圧が低気圧に吸収されるように、米国の国務省はわたしに屈伏してしまうはずです。 わたしは、非難されながらも闘わずに彼らを愛すると、彼らはわたしの友人になり、友人の家庭ができ、友人の氏族ができ、友人の国ができたのです。 怨讐を愛する精神を持った人々によって構成された国が現れれば、その国は、神様が願う理想境となることができ、人類が入っていくことのできる理想郷になることができるということを知らなければなりません。 わたしは、とても見すぼらしい男です。事実、そうではないですか? 皆さんは「違う」と言いますが、世の中の人たちは、わたしが愚かな人であると思っています。しかし、神様は、わたしがいちばんお好きです。世の中がわたしを愚か者扱いしたとしても、神様が認めるので、世の中に対して堂々とした立場で攻撃できるのです。 怨讐を愛する心を持てば、言えないことがありません。なぜですか? 神様が送った男性であり、美男子というならば、そのような人が美男子です。りっぱな人というならば、そのような人がりっぱな人です。堂々として勇ましい人というならば、そのような人が堂々として勇ましい男であると考えるので、わたしは、それを栄光に思い、世の中に対して自信を持って攻撃するのです。 わたし一人がこのように陶酔して活動すれば、何が起こるのかご存じですか? このようにすることによって、神様を喜ばせる若い青年男女が生まれ、神様を喜ばせる五色人種の家庭が生まれ、神様を喜ばせる民族が編成され、神様の祖国の主権復帰が可能になるのです。 「怨讐を愛しなさい」と言ったので、最も憎むべき人をも愛さなければなりません。いちばんの美男子にいちばんの醜女を夫婦として結んであげたとしても、怨讐を愛する以上に愛さなければなりません。そのような人は、この世の怨讐を愛するにおいて最高の王子の旗を掲げて前進する人の候補者です。事実そのような人がいるならば、どれほど素晴らしいか考えてみてください。そのような人は、民族の国境をさっと越えることができるというのです。 愛する心だけを持って暮らす日には、すべての障壁が崩れていき、復帰摂理歴史が短縮されて天国が近づいてくるということを知らなければなりません。 わたしの哲学は簡単です。わたしは、やってみなかったことがありません。農民にもなってみて、労働者にもなってみました。やれることはすべてやってみました。漁夫になってマグロも釣りました。そのようにして生涯を生きてみると、一人だと思っていたのに、振り返ってみると英国人がついてきて、米国人もついてきて、世界の数多くの人々がついてきています。ついてくるなと足でけ飛ばしてもまたついてきて、後ろに飛ばされてもまたついてきます。ですから統一教会を、いくら研究してみてもその内容のすべてを知ることはできないのです。 内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様 今から行くべきなのは、どのような道ですか? いくら氏族を編成したとしても、サタンの国の主権が残っているかぎり、皆さんは国のない人々です。ここが皆さんの国ですか? 皆さんには国がないのです。いくら氏族があるとしても、その主権が天を中心とした主権でないときは、この氏族の首を切ることもあり得るのです。そうでしょう? それゆえに、天が歓迎することのできる国を訪ねていかなければなりません。今日、この地上における第一イスラエル圏というものは、天全体が歓迎でき、個人も歓迎し、家庭も歓迎し、氏族も歓迎し、民族も、教会も歓迎することのできる、そのような地になるべきです。ところが、今日の統一教会を中心として見ても、既成教会を中心として見ても、大韓民国を中心として見ても、全体が歓迎できる立場に立ったでしょうか? そのようになることができませんでした。方向が違います。方向が違うのです。大韓民国が進んでいるのは外的です。そうでしょう? 神様を中心としたものではなく、世の中を中心として外的に進んでいます。この国の主流的な思想がないというのです。 したがって、この国の主流的な思想を中心として天と連結させ、新しい立体的、あるいは平面的内容を備えた新しい国家観を形成し、その形成された国家観を、今日の国家を中心としたもの以上の内容として備えていかなければ、祖国の主権復帰の時を迎えることはできません。 今日の「解放」というものは第一の解放です。今、統一教会においては、第二の解放が必要なのです。大韓民国も第二の解放が必要です。ここで大韓民国が第二の解放を迎えれば、国家と民族は、そのことによって願いを成就できるかもしれませんが、統一教会は第三の解放を必要とするのです。そのようになるのです。大韓民国は第一の解放により、初めて内外において今の国家形態を備えましたが、第二の解放が必要な時が来ました。南北が統一されなければならないというのです。 その国はどのような国ですか? その国は、歴史過程において、民族が悲惨な路程をたどらねばならず、蕩減復帰の原則に一致することのできる国民性を持たねばならず、歴史的な伝統を引き継いできた国でなければなりません。その国はどのようにならなければならないのでしょうか? 完全に統一された国にならなければなりません。今日の大韓民国がそのような国になろうとするならば、どのようにならなければならないでしょうか? その国の基準に上がっていくためには、南北を統一しなければなりません。北朝イスラエルと南朝ユダのように分かれた南北韓を、一つに統一しなければなりません。カイン・アベル国家に分かれたのと同じように南北に分かれたのですが、これを統一しなければ一つの勝利的イスラエル国家は現れないのです。 それでは、この国において、大韓民国を中心として北朝鮮と韓国は、どのように統一されなければならないでしょうか? それは、新しい世界主義的な思想を持たなくては統一することができません。この時に備えて、新しい思想を掲げていこうというものが、今日の統一教会が主張する統一思想です。分かりますか? 今、わたしたちは、二つのことをしなければなりません。世界において、いかなる国家もついてくることができない団結した民族を形成しなければならず、そして、いかなる宗教もついてくることができない鉄のような信仰で団結した宗教国家を成し遂げなければならないのです。このような思想を中心として、南北が統一された国家が成し遂げられなければなりません。そうしなければ、神様の国、世界に誇ることのできる天国の主権は誕生しないのです。これが、今日のわたしたちの行くべき地上の第一目的地であるということを知らなければなりません。 祖国を取り戻すことができなければ、サタン世界の国家を凌駕することのできる天を中心とした一つの国を持つことができません。その国を持つことができなくては、世界のサタン国家を打つことはできません。押し出せないのです。宗教、統一教会をもってしてはできません。統一教会の思想を中心として、国が方向を定めて進んでいかなければなりません。このような問題が残されているということを知らなければならないのです。 このような観点で見るとき、イスラエル国家の精神的な支柱がユダヤ教であったように、今日の韓国において統一教会がユダヤ教と同じ立場であるならば、統一教会の思想が韓国の主流的な思想になるのです。ある人たちは、そのように言うのです。国会議員たちもそのように言います。統一教会の思想を国教にすれば、共産党は問題ありません。 紳士淑女の皆様 今日、天のために行く人々は、サタン世界に派遣された密使です。個々人において、大小、広狭、高低の差はあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体においては、密使の生活から離れてはなりません。そこには、いつも生死の危険が伴っています。まかり間違えば、永遠の生命の問題が左右される立場に立つようになるのです。 それゆえに、永遠の生命を支えることができ、永遠の生命を保護してくれるわたしたちの祖国を取り戻すという観念が、その環境より何百倍も強くなければ密使の生活はできません。「祖国の栄光を願う心を持って祖国の恨を解いたとき、すべての万民が喜ぶ」ということを考えながら、新しい歴史を創建し、祖国主権復帰の一日を迎える、その時に、自らの功労が現れることを思いながら、現在の立場を無視してしまうことができなければなりません。そのような心が先立たなければ、密使の使命を遂行することはできないのです。別の言い方をすれば、祖国主権復帰のための希望が現実の希望より千倍万倍強くなってこそ、今の生命をささげる恨があったとしても、それを克服して密使の使命を遂行することができるのです。 もしそのように責任を果たそうとして、不意の事故で犠牲になったとしても、そこには新しい責任者を再び派遣できるのです。すでに彼が死んでしまったとしても、彼の友人になることができ、彼の側に立つ人々が出てくるはずです。彼が模範となる立場で生きてきたゆえに、たとえ彼が犧牲になったとしても、そこには彼の側に立つ人々が残るのです。このような人々が残っているかぎり、神様がその基台の上に代わりの者を送ることができるのです。しかし、そうでない立場で死んでしまうときには、そこで彼がいくら苦労したとしても、それで終わってしまうのです。 このような立場で、皆さんは今、新しい時代を迎えてどのような姿勢を持たなければならないのでしょうか? 祖国主権復帰のための信念が、何よりも高く、胸の中で燃えていなければなりません。別の言い方をすれば、六千年間、神様が待ち焦がれた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になる、この途方もない使命に責任を持っているという自負心を感じなければならないのです。過去に生きた数多くの人々が持つことを願いましたが、持とうとしても持つことができなかった、一つしかなく、この一時にしかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感を持たなければなりません。 したがって、食べること、寝ること、行くこと、来ること、すべての生活が祖国創建のためのものでなければなりません。「神様から特別に派遣された密使として、りりしく見事にこの使命を遂行しよう」と立ち上がってくれることを神様がどれほど期待していらっしゃるでしょうか? 今までは、ひどく追い込まれ、激しく追い回されました。国家の基台を備え、全体の内容を提示して一度も広げてみることができなかった天のみ旨、祖国を立てることができる、そのようなみ旨を立てなければなりません。今までそのみ旨を、一度も立てることができなかったのです。 しかし、今からはそのような祖国を立てることができます。その祖国には、主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。また、そこには、単一民族の血統が因縁となっており、他の民族が持つことができない歴史があります。そのような祖国のためにわたしたちは密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命を自分自ら早く完遂して、やり遂げればやり遂げるほど、祖国主権復帰の基台が自分によって徐々に近づくのです。きょうの苦労を代価として払うことが祖国主権復帰の一日を早く迎えることのできる基台になるのです。このような事実を思いながら、皆さんは生きて密使の使命を完遂するという決意を持っていかなければなりません。そうでなければ、これから神様がわたしたちに与えてくださる世界史的な祝福と天運を、わたしたちのものとして迎えることができないのです。 わたしたちは、天国を地上に建設しなければなりません。地上でその国を復帰し、その国の中心と一つになって、天の国において、天が願ったその希望の基準を備えてお父様のみ前に帰ってこそ、面目を立てることができるのではないかというのです。 ところが、皆さんに国がありますか? 持っていないということを考えるとき、死ぬに死ねないのです。死ねば、どこへ行くのかというのです。お父様のみ前に行って面目のないことと恥ずかしさをどのように免れるのですか? 自分の生命の長さというのは制限されているのに、その期間内にしようとするのですから、どれほど忙しいでしょうか? そこで悪なるサタンの環境はわたしたちに反対し、怨讐たちはわたしたちの道を妨げるのです。これを切り開いていこうとするので、いつも密使のような行脚の路程を避けることはできないのです。 わたしが行き来するのも、その国を取り戻すための、祖国主権復帰のための建国の功臣になるためであり、そのような使命を担い、あるいは天の密使として指令を受けて今日の悪なる世界に来てこのことを行っているという事実を思いながら生きていかなければなりません。 そのようにしなければ皆さんは、今後、訪れる国の国民として、その威信と体面を立てることができないということを知らなければなりません。 皆さんは個人的に影響を与えたいですか? 家庭的に影響を与えたいですか? 国家的ですか? 世界的ですか? どのように影響を与えたいですか? 世界的に影響を与えたいでしょう? しかし、世界的な舞台に上がっていこうとするならば、一人ではできません。国がなければなりません。しかし、皆さんの国があるでしょうか? ですからわたしたちは、夜も昼もその国のために食べて、寝て、暮らそうとするのです。そのために生まれたということを、皆さんが天地を中心として誓う生活をしなければならないということを知らなければなりません。寝ているときにも、世界の数多くの人々のベッドを集めて、その頂上で寝ていると考えなければなりません。食膳を見てもそのように考え、どこにいても自分一人で座るのではなく、世界の人種をすべて集めた頂上の玉座に座っているという心を持たなければならないのです。天の息子はそのようでなければなりません。 サタン世界の権限を凌駕する位置に立つことができ、その栄光の位置に立って生きなければならないのが天の息子・娘の生活であるということを、皆さんは知らなければなりません。神様が息子・娘を愛そうとするならば、そのような息子・娘を愛すべきなのであって、サタンにさえも劣る息子・娘を愛すれば、父の威信が立たないのです。皆さんは、そのような信念を持って今後、全世界と手を結んで日々の生活をしていかなければならないということを、新しく決心しなければなりません。そこにおいて、統一戦線の基盤は確固たるものになると思うのです。 「わたしは、たとえサタン世界圏内にいたとしても、天の密使だ、天の一大使だ」と考えなければなりません。密使には、その国の国王と直接連絡することのできる道があるのです。ほかの人には分かりませんが、そのような密使の使命と威信のために生きているという信念を持っていかなければならないのです。このことを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。国の国王も密使の報告を待っているのです。それと同じように、わたしたちがこの地上で、そのような使命を持っているならば、神様もわたしたちの報告とわたしたちの要求を待たれるようになるというのです。 したがって、自分が密使の立場で「至急に願うものを送ってください」と言えば、あらゆる冒険を克服しながらでも送ってあげようとするのではないでしょうか? これと同じように、皆さんがそのような信念を持って神様の特権的な栄光の息子・娘であることを認識しながら「わたしはこれを願うので成し遂げてください」と言えば、成し遂げてくれるのです。そのようにすれば、生きていらっしゃる神様を発見でき、生きていらっしゃる神様が働かれるのを見ることができるのです。 そのようになってこそ、指導者になることができ、病気の者がいれば病気を治すことができ、困難なときには、神様が直接助けてくださるようになるのです。そのような生活を通じて多くのことを学ばなければなりません。そうしてこそ自信が生まれ、そうしてこそ信念を持ってすべてのものを打開していくことができるのです。 紳士淑女の皆様 わたしたちが行くべき所はどこですか? 個人を尋ねていくことが、わたしたちが行くべき目的ではないのです。また、家庭を尋ねていくことが現在のわたしたちの目的ではありません。わたしたちが行くべき道は、国を尋ねていくことです。分かりますか? 父、母、息子などという区別なく、これを尋ね求めなければならないということです。ところが、今日の統一教会の教会員たち、祝福を受けた家庭、氏族圏内にいる人々は「ああ、国だとか何だとか、教会だとか何だとか、そんなことは知らない」と言います。そのようになれば、すべて落第です。原理的にそうなのです。 死ぬときまで国を求めていき、持てる精誠のすべてを尽くして、まさに天国の主権復帰のために祝典を行い、祝賀することができ、勝利の凱歌を上げることができる、そのときを迎えなければなりません。 イエス様の言葉ならば何であっても、その一つだけしか知らないというようでなければなりません。方向を提示するにおいては、二つではなく一つです。行こうと言えば行かなければなりません。そのようになっています。そのようになっていますか、いませんか? それでは、夫を捨てて、息子を捨てて、家庭を捨てて行こうと言えば、行かなければなりませんか、行ってはならないでしょうか? 統一教会のためにそのようなことはしないのです。国のためにそのようなことができなければならないというのです。 今、以北ブク(朝鮮半島で休戦ライン以北をいう語。北朝鮮)では、家庭の戸籍をすべて作り直しています。これはどういうことだと思いますか? サタン世界が先に行うということなのです。国のためには、自分の夫や、妻、父母、息子など、すべて捨てて立ち上がることができなければなりません。そうしなくては、希望の国を取り戻すことができません。その国を復帰するとき、その国とともに父母を取り戻すようになるのです。国を見いだすことができなければ、血を流す父母を見なければならず、血を流す妻を見なければならず、血を流す子女を見なければなりません。それ以上に悲痛なことがどこにありますか? それゆえに、国を取り戻す前には妻を愛することはできないのであり、父母を愛することはできないのであり、息子を愛することはできないのです。これがキリスト教が行くべき道であり、統一教会が行く道なのです。 皆さんは、自分自身を否定して、その国とその義のために生きる人にならなければなりません。いかなる困難な環境にぶつかったとしても、皆さんは、自分自身に対するお父様の願いがあることを思いながら、その環境と闘って勝つ人にならなければなりません。そのような皆さんになって初めて、神様の真の息子・娘であると言うことができるのです。 それでは、神様の国を建設できる人はどのような人でしょうか? それは、自らの一身を否定し、切ない心で天のために生きる人です。自分を否定して、社会と民族、国家、世界のために生きる人が、まさに神様の国を建設することができる人であるというのです。さらには、国家と世界を否定してでも天のために生きる人が天国を建設することのできる人であるというのです。また、いかなる辛い環境にぶつかったとしても、自分一身のゆえに悲しむのではなく、社会と国家、世界、さらには天のために悲しむ人であってこそ神様の国を建設することができます。 それだけでなく、皆さんは、神様の国と神様の義を捜し立てる過程において、サタンとの闘いに敗北せずに勝利して、皆さんが個人から家庭、社会、民族、国家、世界を一つに連結させることができなければなりません。すなわち、皆さんがどのような立場に立ったとしても、そこでサタンと闘って勝利する人にならなければならないのです。社会に出れば、その社会のどのような環境の中にあってもサタンと闘って勝利すべきであり、国家に出れば、その国家のいちばん難しい問題に責任を持ち、サタンと闘って勝利しなければならないのです。 六千年間神様を縛りつけてきたサタンが、そのまま素直に「ああ、わたしは降参します」と言って、目を伏せて帰ると思いますか? 皆さんは雑巾でも、捨てようとすればもったいないと思うでしょう? 雑巾でも、引っ繰り返してにおいをかいでみてから捨てるのです。サタンは、そのまま退いてはいきません。ですから、がむしゃらな闘いをしてくるのです。それゆえに、中心に合わせなければなりません。統一教会の文総裁も、中心から外れるようになるときには負けてしまうのです。方向が合わなければ、発展しないということです。 その国を取り戻すのは世界を取り戻すためであり、世界を取り戻すのは霊界のためなのです。そうして何をするのでしょうか? 神様を地上にお迎えして、そして定着し、万国が神様を中心にお迎えして、その神様の前に勝利の栄光をお返しするために行くのです。そのような闘いをしなければならないのがわたしたち統一教会の使命であるということを知らなければなりません。 わたしたちは、はだしで出ていき、祖国を創建しなければなりません。食べ残したもので、この国を生かすことができますか? 食べること、着ること、行き来することに、いつ神経を使うことができるでしょうか? はだしで、素手で開拓していかなければなりません。このようなことを行うところが統一教会なのです。 皆さんは祖国を捜し出さなければならない勇士ですか、それとも滅ぼす亡国の士ですか? 勇士とは国を代表し、ほかの人ができない仕事をできる人のことをいうのです。だれでもできる仕事をする人を勇士とは言いません。そのような人は兵士です。同僚たちができずに後退するとき、その仕事をやり遂げることができる人であるならば、その人は勇士です。「勇」という字は、「すばしこい」という意味です。だれよりも早く走り、鉄砲玉もよけるほどにならなければなりません。だれでもできる仕事をする人を勇士とは言えないのです。 国を建国するにおいて、開拓の勇士となるべき先鋒に立つ将軍はだれですか? そして、国を成すことのできる基台はどこですか? 一つの国を成そうとすれば、主権がなければならず、国土がなければならず、国民がいなければなりません。それでは、天の国を中心として見るとき、国土となりうる基盤は何ですか? それは、教会の人と物しかないというのです。そうでしょう? この韓国に立てられる国は、どのような国でしょうか? 互いが流通し、交流するようになるときは、共産国が立てられるでしょうか、それとも今日の大韓民国としてそのままにしておくのでしょうか、そうでなければ、どちらでもない新しい国を追求するのでしょうか? このような問題について見るとき、わたしたちの時もますます近づいてきているということを感じるようになります。皆さんが、このことをなして、責任を負うべき統一の群れであるならば、それに対する責任感をどのくらい持ち、また、どの程度の犠牲の代価を払うことができる決意ができているのかというのです。自信がありますか? 三八線の以北に越えて、以北にある五つの道の市、郡を中心として、わたしたちの基地を準備しなければなりません。 人員が不足なこのときに、だれが北韓の地の、定州ならば定州の責任者になるのかを考えてみなければなりません。定州の郡ならば定州の郡を中心として、「わたしが責任者にならなければならない」と、十年、二十年準備して、それでもなれなければ、後孫に「おまえは一所懸命に勉強して、一所懸命に準備をし、その日を迎えたら定州の地の天との因縁を代身した責任者になりなさい」と、遺言を残してから死ぬことのできる、そのような精誠を尽くす皆さんになってみましたか? わたしは今まで、そのように思って準備してきました。 そのようなことを考えるときに、若い者たちは地方に帰って自分の子女と妻を連れて、笑いながら暮らすようになっていますか? そのように暮らすようになっていますか、いませんか? 死んでも国を残していかなければなりません。死んでも、子女たちに国を残してあげなければなりません。新しい決心をしなければならないのです。 「わたしは、ソ連と満州に隣接する地方に行って共産党と額を突き合わせ、朝夕に銃声を聞きながら国境地帯の見張り役をする責任者にならなければならない。国が理解してくれず、だれも理解してくれなかったとしても、生命と取り替えても、国を愛する忠節の心は変わらな い」という決心をしなければなりません。それで満点です。世の中が分かってくれなくてもかまいません。霊界に行けば、すべて明らかになるようになっているからです。 このようなことを考えるとき、人が足りないということを皆さんは知らなければなりません。分かりますか? 人が不足しているということを知らなければなりません。かかしのような男性であってもラッパをかつがせ、あるいはロボットをつくって北韓の地を歩き回らせてラッパを吹かせたいというのが、わたしの心情であり、神様の心情です。口があり、感情を持った男として生まれ、それも二十歳、三十歳の若い心と体を持っていながら、原理のみ言を語ることができないというのでは話になりません。 目玉が腐って飛び出すくらい、夜、寝ずにでも勉強をしなければなりません。おなかがすいて、骨と皮だけになったとしても、準備をしなければなりません。そのようにして骨と皮だけになったやせこけた体が、天の愛をすべて受けることができる体となるのです。神様は、そのか細い一人の男性ならば男性に、すべての期待を持つことができるのではないかというのです。 イエス様も、国を建てられるために来られました。祖国がなければ、かわいそうなのです。祖国がないので、宗教人たちは悲惨でした。審判しようとすれば、個人と家庭、氏族、民族、国家、世界が不変の基準に立ってこそ、その基準を基台として審判するのです。祖国は、最後の希望です。祖国の中には、民族も、氏族も、家庭も、個人もすべて含まれているのです。 この三サム千チョル里(朝鮮半島の別称)が祖国になりましたか? そのようになっていないので、清算しなければなりません。神様が望まれ、イエス様と聖霊が望まれる祖国を創建するために、わたしたち全員が一イル片丹心シムで頑張らなければなりません。 善というものは何でしょうか? 家庭のために個人が犠牲になり、氏族のために家庭が犠牲になり、祖国主権復帰のために氏族が犠牲になることが善です。祖国主権復帰のためにすべてが犠牲になって、祖国主権復帰が成し遂げられれば、すべての人が愛国の忠臣となるのです。国家的基準の前に忠誠を尽くして国家基準を立てれば、家庭、氏族の基盤を築いたという公認を受けるようになります。道義の基準とは、神様のために絶対忠誠することです。そのようにすれば、その過程のすべてのものは認められるようになるのです。 わたしたちはどのようにすべきでしょうか? イエス様は「わが父よ、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」と言われました。ここにおいて、「わたしの思い」とは世の中の思いであり、 「父のみこころ」とは神様のみ旨です。統一教会員である皆さんは何をしましたか? 忠臣の道理を立て、またその実績を持ってきましたか? 孝子の道理を果たして、その実績を持って、個人、家庭、氏族、国家、世界的な闘争をする覚悟ができていなければなりません。イエス様は祭物の使命を持って来られました。皆さんは世界的な闘争をなしていきながら、民族的な基盤を築いていかなければならないのです。メシヤとの相対的な価値を備えなければならないのです。指導者が世界を開拓するところにおいて、指導を受ける皆さんは、民族的な道を築いていかなければなりません。数多くの人々が主権復帰の道を願いながら死んでいきました。いつになるとしても「必ず成る」という信念を持って死んでいったのです。 統一教会員は、個人から民族、国家基準まで築いてきました。今からは、全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。わたしたちは、祖国主権復帰、自由、平等、幸福の日を捜し出していかなければなりません。その道が困難であっても行かなければなりません。それが、わたしが望む観点であり、神様が望まれる基準です。イエス様はこの基準を望みつつ、歩まれている途中で亡くなりました。わたしたちは祖国主権復帰の過程において、苦労しながら行かなければならないのです。 韓国は、わたしたちが責任を持たなければなりません。今日も明日も変わることのない祖国創建という覚悟と信念を持って、イエス様の祖国、聖霊の祖国、先知先烈ニョル(預言者と、義のために戦って死んだ烈士)の祖国、神様の祖国、その祖国を成せなかった恨を解かなければなりません。そうでなければ、面目が立たないのです。 わたしたちは、祖国を取り戻さなければなりません。祖国を取り戻そうとすれば、祖国のために生きなければなりません。祖国のために生きることができない人は祖国を見いだすことができません。それでは、どのように生きることが祖国のために生きることになるでしょうか? 世界を自分の祖国と思って世界のために生きなければならないのです。そのような人は、祖国を創建することができます。食べること、寝ること、歩いていくこと、すべての生活と行動が祖国創建のためのものとならなければなりません。 それゆえにわたしたちは、共産党から白昼、刃物で刺される覚悟をもって闘っているのです。この民族ができないときは、わたしたちがしなければなりません。この民族が行くことができなければ、わたしたちが行かなければならないのです。そのためには、だれよりも祖国を愛さなければなりません。ご飯を食べるのも祖国のために食べ、結婚するにしても祖国のために結婚しなさいというのです。わたしたちの祖国のためにです。 今は、わたしが言えば、何でも聞くことができる群れが生じ、わたしが方向を提示すれば、動くことができる群れが生じましたが、これで幸福を感じる男ではありません。統一教会を犠牲にしてでも、祖国主権復帰を約束できる、そのような基台を広めていくのです。六千年摂理の中心的み旨として立てた家庭を、信奉することのできる教団と民族と国家がなければなりません。神様を信奉することができる、そのような基台を準備し、それが一時に連結することを願って送られたのですが、それが粉々に壊れたゆえに、再び収拾しなければならない運命が残るようになったのです。これを収拾するために先頭に立って走らなければなりません。 夜になって寝床に入る時間にも、その願いの国とともに寝なければなりません。今は国がありませんが、その国の国民の一員として、その国のために眠るのであり、目覚めるときもその国を建国するための一員として眠りから覚めなさいというのです。見て、聞いて、感じるすべての感覚も、祖国という命題を思うことなくしては感じてはならないというのです。その日が来るまでは、死んではなりません。その日が来るまでは忙しいのです。そのことを成すためには、激しい受難と逆境を克服しなければなりません。 成すべき仕事があれば、寝るのが遅くなったとしても解決しなければならないのです。祖国の主権復帰というものが時間を中心とした犠牲の量を加重させてこそ訪れてくるということを思うとき、自分の涙と精誠の量を、きょうこの時間を通じて、少しでも補充すべき責任があるのにもかかわらず、安らかに寝て、伸びをしながら起きられるのかというのです。起きては腰を曲げて「お父 様 あなたが訪ねていかれる明日の安息の住みかであり、あなたが行使されたかった世界を支配することのできる勝利的国家の基台に向かっていく、寂しく孤独な男の行く道が、このように悲惨であることを感じます。わたし自身がそうであるのに、天が訪ね求めてこられる道はもっと悲惨なのではありませんか? 」と、祈祷しなければなりません。 疲れたといって思いのままに横になることができないのです。死んでも国のために死ななければなりません。それゆえに、年を取って疲労を感じる、そのような立場で、自分がもし死の場に行くとすれば、その場で残すことができる一つの願いが何かというとき、それは「天のためにできることはすべて果たした。その国のためにできることはすべて果たした」という言葉を残すことです。 イエス様は「あなたがたは、何を食べようか、何を飲もうかと思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたはまず神の国と神の義とを求めなさい」と言われました。このように聖書の主流思想は国です。国、その国を求める思想なのです。自分の幸福を求める思想ではありません。国の民として生まれ、夫を持ったとしたならば、その夫は国を代表した夫です。ゆえに、国を愛した後に夫を愛さなければなりません。妻も国を代表した妻であるので、国を愛した後に妻を愛さなければならないのです。死ぬにしても「わたしがなし得る力をすべて果たし、わたしはこれ以上できないというその位置で死なせてください」と言えなければなりません。「これをやっておけばよかったのに」という言葉を残して死んではなりません。それゆえに、やってもやっても忙しいのです。行っても、また行かなければならないのです。ほかの人が休む時間に、わたしたちは一歩でもさらに進まなければなりません。「サタン世界よ、休んでいろ サタン世界よ、おまえは何もしないで遊び暮らしていろ。われわれはその国のために歩むのだ」と思わなければならないのです。 南北統一を熱望する愛国同胞の皆さん 特に女性の使命として、子女格である青年男女、および学生たちを、真の教育を通じて真の子女として復帰しなければなりません。 さらに、母と子女が一つになって模範を示し、教育を通じて夫までも真の天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心に侍り、地上天国理想を復帰しなければなりません。 改めて、きょうのみ言が、南北韓が共に真の愛で出会う、その日を早める汎国民運動になることを願いつつ、わたしの話を終わりたいと思います。 神様の祝福が皆さんと皆さんの家庭に共にあることを祈願いたします。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.31
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神霊役事の池承道おばあさま(#2)🍇幻の中で釜山の家を見る🌺既成教会に追われる時、神様が慰めてくださる❤️一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.29
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「兄弟主義時代」宣布二○○○年 二月二十一日真のご父母様は、二○○○年二月二十一日から三月十二日まで、韓国の二十一都市で聞かれた南北統一前進大会において、「兄弟主義時代」を宣布された。 すべての天の秘密は、文総裁が明かした内容でなければ解決の道がありません。ここにいる二人が、私を紹介するとき、「真の父母」であると言いましたが、「真の父母」とは一体何でしょうか? 真の父母がどこにいますか? どこにいるのですか? 天にいるのです。神様がすなわち真の父母です。そうですか? 今日の人類、堕落した世界のすべての宗教は、神様を「父」と呼ぶのです。天地を創造したその主人たるお方が誰でしょうか。父です。誰の父! 私の父です。私の父ですが、父の内容のうちで何を中心として父子関係となっているのですか? 神様の愛です。神様を中心として、堕落していないアダムとエバの生命が、愛に結ばれるのです。 堕落していない本然の神様の愛を中心として、堕落していない本然の大本の先祖、アダムとエバは、神様の愛に燃えて一体となるはずでした。男性と女性を間違いなく一つにできるのは、絶対的に必要な愛だけです。それが一つになってこそ一体となるのです。本来は神様の愛によって……。神様は絶対、唯一、永遠、不変なるお方です。絶対的な神様の愛は二つではありません。男性が持った愛と女性が持った愛は二つではありません。一つです。それを知らなければなりません。ところが、それを知らずに生きてきたのです。 それでは男性と女性が父の息子や娘になるには、どのようにしなければならないのですか? ここで三者の愛と生命と血統が三位一体となり、愛を中心として男性と女性、父と母の血筋が合わさって煮えたぎらなければなりません。沸騰しなければなりません! 渦巻くその中に赤ん坊の種が植えられ引き継がれていくそこにおいて、「私」という存在、「息子・娘」という存在が生まれるのです! それを否定できますか? 自分を愛する前に神様の愛を誇り、自分を誇る前に神様の愛と一つになった父母を誇り、父母を誇る前に私を生んでくれた血筋を誇ることを知りませんでした。これが問題です。何の血筋ですか? 神様の愛と一体になった血筋、父も母も私も、すべてがこの血筋に絡まっています。愛というのは横的です。父と母の愛は一代に一つですが、血筋は億万年に連結されるのです。この血筋を台無しにしたのが堕落であるということを知らなければなりません。 このような話は初めて聞く内容です。私が発見したものではありません。霊界に入っていって、秘密を調べてみて分かったのです。それはなぜですか? 神様が、そのような愛の目的を完成できる真なる息子、真なる娘を失ってしまったので、それを再び捜すためのものです。それで、その愛と生命と血統を中心として、堕落していない本然の神の愛と一体になれる血統を中心に、千倍、万倍、きれいに維持するためのものなのです。人倫道徳のうち一番貴いことは何かというと、血統を守ることです。血筋を守ることなのです。大韓民国は倍達民族(韓民族の歴史上の称)ですが、その倍達の民族が先祖の血筋ではないのですか? それを中心に民族が生まれ、すべてがそうなるのです。 神様が創造理想として願われた血筋が、神様の血統と直結した血筋を残して、家庭出発から氏族、民族、国家形成と世界の平和、地上天国を築いて、天上天国を築くはずでした。「地上天頂」と「天上天頂」とは何ですか? 神様が私の体に住まわれ、家庭で住まわれ、国で住まわれ、世界で住まわれ、無限なる霊界にすべて通じた環境で住むことのできる、愛の家がなければならないのです。私個人は、個人の真の愛を中心として神様が入ってきて住まわれる家なのです。家庭において夫婦は男性と女性それぞれが違います! 極です、極! エデンにおいて、神様が愛によって一つになったその家に入って住まわれるのです。そのためにあるのが家庭です。その父と母は万代の神様の血統に連結した種によって実を結ぶのです。それが神様の孫息子、孫娘なのです。 「堕落」とは何ですか? 神様が一代目ならばアダムは二代目です。三代目となる血筋の孫を持てなかったのが堕落です。孫を持てなかったのが堕落なのです。ご覧なさい。堕落してから息子、娘を生みましたか、堕落する前に息子、娘を生みましたか? 堕落してから息子、娘を生んだのです。誰が結婚式をしてあげましたか? 神様と関係なしに追い出されて結婚して生んで、サタンの子になったというのです。今日、六十億の人類は、神様の前から追放され、隠れて誤った結婚をして生んだ、その血筋の連結された息子、娘なのです。それゆえに地獄に行くのです。神様とは関係がありません。 それゆえに真なる宗教は、「出家だ! 家を出よ! 天地であれ、国であれ、すべて投げ出して家を出よ! そして独身生活せよ!」と言うのです。神様と関係ないこの環境を嫌うのです。明日には結婚する新婦を、サタンが泥棒して汚してこの世をつくったのです。そこにおいて、ふかふかの布団のある金の部屋に神様が入ってこられて、気分良く休まれて、息子や娘として抱いて愛されるでしょうか? キリスト教を信じて「神様を愛する」と言いますが、キリスト教はすべて滅びました。宗教もすべて滅びました。 このような根本を知らなければなりません。それでは、滅ばない道とは何でしょうか。万代を越えて真の愛の血統を今日の六十億の人類、未来の世界にまで連結させなければなりません。変わらない血統となり、大きな木の中心の根、幹から芽まで、四方八方に広がったすべての枝が、全部一つの体のように感じられる血族的な連結体にならなければならないのです。このように連結されたのが国ならば、それは国の天国であり、世界ならばそれは世界の天国であり、天地ならばそれは天地の天国になるのです。 そのような内容があるのに、真の父母になれずに、すべてを失ってしまいました。ですから、真の父母にならなかった堕落した父母は、偽りの父母であり、偽りの愛であり、偽りの家庭、偽りの氏族、偽りの国、偽りの世界です。それで滅亡へと向かうのです。世界はどうしたらよいか知らないでしょう。ですから、「神様の救いの摂理」とは何かというと、本然に帰っていくことです。復帰なのです。病気になったので、病気にならなかった本然の世界に戻っていかなければなりません。神様の血統的な因縁をどのように回生しますか? ですから、このように滅びるべき者たちを放っておくことができないのです。野生のオリーブの木に真のオリーブの木を接ぎ本ずるのです。 皆さん、今、韓国で一番高い山が何ですか?(「白頭山です」)。白頭山に一番高い峰があるでしょう? あるのです。金剛山にも「ピロ峰」という一番高い所があるのです。そこを登るときどれほど大変ですか? 登っていって旗を立てる者は皆、白頭山の峰を占領した隊長になるのです。人類の歴史も同じです。堕落したためにこれをすべて上がって切ってしまい、堕落したので高い所に上がって切ってしまって、そこから新たに始めなければならないのです。 ですから、父母が二つですか、一つですか?「真の父母」という言葉が二つですか、一つですか?皆さんは今、父母がいますか? その父母と文総裁が語る「真の父母」とは何が違いますか? 私がこの「真の父母」という言葉を教えてあげたので悪口を言われました。その息子や娘が皆、統一教会に夢中になって家に帰ると、「父や母の言うことは嘘だ」と言って聞かないのです。否定してみなさいというのです。どんなに正そうとしても、言うことを聞かないのです。 真の父母は永遠に一つです。真の父母は神様と直系の血統を持ったので、真の父母自体は心と体が闘いません。皆さんは心と体が闘うでしょう? ここで八十歳以上の者はいないようですね。それでは皆私の弟や妹です。弟や妹にしましょう。文総裁は悪口を言われましたが、世の中の万民が追慕する「真の父母」という方の前で、兄弟の契りを結んで損することがありますか? 弟や妹として扱いましょう! 女性たちは、私より若い者は妹にしましょう、妹です! それをいやがる者は出ていきなさい。いやな者がどうしてここに入ってきたのですか? これで親密になったでしょう? 文総裁と兄弟の契りを結んだので……。 このように束ねました。悪口を言っても、お尻を叩いても、ほおを叩いても文総裁が、八十歳までこのような天理の大道をもって、万民求道の道に旗を立て、天下に名をはせて、帰ってきたのに、いつ道端で「お兄さん!」と呼んでみましたか? できなかったのです。ですから、笑って、忘れて、赦しましょうというのです。過ぎし日を忘れてしまい、今から兄弟の友愛です。なぜですか? 真の父の中の父が神様です、神様! 神様ですが、数千代の後孫の立場で「お父さん!」と呼びますか、それとも直接神様のあごの下で「お父さん!」と呼びますか?「あなたは私のお父さんですか?」と聞けば、「そうだ、そうだ」と言われますか、「違う」と言われますか? ですから、一家族と考えるのです。 真の父母は個人にも必要であり、家庭にも必要であり、国にも必要であり、世界にも必要であり、神様にも必要です。皆さん、考えてみましたか? 神様とサタンが闘うのに、その闘いを誰が止めると思いますか? 今まで闘ってきたのです! 皆さんも心と体が闘うでしょう? その闘いを誰が止められると思いますか? 誰も止めることができません。とすると、神様が父ならば、父なる神様も心と体が闘うでしょうか、闘わないでしょうか? 闘わないとするならば、人間は堕落して病んで役に立たなくなったということを公認すべきです。ですから、この闘いを止めてあげなければならないのです。その闘いはサタンと神様の闘いなのです。これは、歴史の出発から世界を経て戦争の歴史が興亡し、いまだに終わっていないのです。 皆さんの体の世界において、統一的な休戦と終戦をしなければ、世の中に平和の世界はありません。アメリカも同じです。全世界が一つとなって、心の世界の戦争を終戦させ、休戦させることができなければ、平和の世界と永遠なる天国の幸福の世界はありません。心の闘いを誰が止めますか? 神様だけが止めることができます。神様が止めようとするので、サタンが体にくっついて、分裂して、闘いを起こすのです。それが民主世界と共産世界です。有神論と無神論です。 どこから出発しましたか? 心と体の闘いから出発しました。これを根こそぎ抜いてしまわなければなりません。根こそぎ抜いてしまう論理と思想体系は、神様も説明することができません。教えてあげられません。人間アダムとエバの責任分担を神様ご自身が立てたので、それを完成するためには、本人がやらなければなりません。大学を卒業してから修士や博士になるには、論文を書いてこそ修士となり、博士となるのです。責任を果たせない分野を教えてあげることのできない神様であるということを知らなければなりません。 文総裁を中心として、今日、すべての心と体の闘いを終結させることができます。それは神様だけができることです。そのためには、神様とサタンの闘いにおいて、サタンを除去してしまわなければなりません。個人としてサタン解放、家庭的にサタン解放、国家的にサタン解放、天宙的にサタン解放、神様の前でサタンを解放しなければなりません。 堕落によってそのようになったのを整備するためには、真の父母が、神様の真の愛の血統を引き継げば、個人、家庭、夫婦……永遠なる平和の世界は、自動的に展開するのです。天地の真の父母によって、平和の世界が到来します、アーメン!(二〇〇〇年三月三日、仁川室内体育館) 一九四八年に、南の韓国が混乱して一つになっていなかったので、北朝鮮で金日成が三十四歳で登場するのです。イエス様が三十三歳で亡くなったでしょう? イエス様の代わりに外的な王権の代表として登場するのです。ですから、李承晩博士(大統領)が、アメリカを退けて反共の捕虜を強制的に釈放したので、それなりの基盤を築くことができたのです。 その政府が私に反対しました。北朝鮮も私に反対して、韓国もキリスト教を中心として反対しました。双方が合わさって私を世界にまで追い出したのです。最近もそうでしょう? 何かデモのようなことがあれば、カトリックやキリスト教のおばさんたちが、ご飯をこしらえたり、もちを準備したりして運動を助けるのです。これを断絶してしまわなければなりません。 四十年ぶりに新しい春を迎え、返り咲いたならば、統一的なキリスト教を収拾しなければなりません。最近は先生が何を言っても、既成教会の長老や執事に「弟よ!」と言っても、「はい!」と答えるのです。 ご覧なさい。先生が「真の父母」を宣布したのです。ソ連に行ってきて一九九〇年四月に「真の父母」を宣布しましたが、今は「真の兄弟」を宣布しなければならないでしょう?。それが何ですか?「私はお兄さんだ! おまえは弟や妹だ! 八十歳以下は皆、私の弟や妹だ!」と言ったのです。 モーセが八十歳にカナンの地に向かって出発しましたが、私たちは出発ではありません。カナン復帰家庭天国です。境界線をひっくり返したのです。これが個人、家庭、氏族、民族、国家基準を中心として、北朝鮮までひっくり返さなければなりません。政府が反対しても、何をしても、ひっくり返して燃やしてしまわなければならないのです。それが原理観です。返り咲くのと同じです。(三二○-九、二○○○年。三月二十四日) 今回、先生が韓国に入ってきて「祖国光復、南北統一前進大会」をしましたが、神様を中心としてこの地で「真の父母」を宣布したのです。真の父母がこの地上に現れて、堕落しない解放的な真の父母が現れたと、絶対的に宣布したわけです。真の父母が現れたので、息子と娘も真の父母となり、その教えを受けたすべての者も、真の父母になることができるのです。堕落することによって、「真の父母」という言葉、「真の父母」という存在すらありませんでしたが、今回、ご父母様は「真の父母」を宣布し、二十一か所の大会路程では、「南北にいるすべての者、世界にいる八十歳以下の男性や女性は、先生の弟や妹である」と宣布しました。兄弟だというのです。(二○○○年五月二十一日、ベルベディア) 前進大会で「父母の日」を宣布して、「兄弟の日」を宣布しました。今や「家庭連合時代」を宣布し、家庭連合で第四次アダム圏時代に突入したのです。「父母の日」、「兄弟の日」を探したので、「家庭の日」を探さなければなりません。それを探そうとして、父母が犠牲になり、兄弟が犠牲になり、家庭、国までが犠牲となったのです。ですから、初めて神様中心の世界となって、「父母の日」、「兄弟の日」、「家庭の日」を探すことにより、天下のすべてを得て定着時代に入るのです。(二○○○年六月一日、イーストガーデン) 解放の第四次アダム圏時代なので、四億双の未婚男女の祝福解放時代に入ったのです。祝福を受けた人たちと真の父母が、年齢を中心として兄弟となって解放されることにより、青少年たちが自在に祝福を受けることができるのです。それで四億双の祝福が一次を終えたので、今や第四次までやって終えなければならないのです。 キリスト教で教派を越えて結婚し、宗派を越えて結婚することによって、世界はすべて一つとなり、祝福時代へと越えていく時なのです。大転換時代です。祝福を自在(自由)にできるので、祖国光復が実現して解放されるのです。祖国が必要なのです。祖国光復をしなければなりません。 それから宗教が一つになり、世俗的な国と祝福するのです。世界を祝福するにあたって、個人個人を祝福し、家庭を祝福して、氏族たちが反対しましたが、氏族を乗り越えたので、氏族がすべて復帰されるのです。教会を連結して国へと向かうのです。ところが、今日、祖国光復に向けた私たちの祖国がありません。故郷がなく、祖国がないので、複雑な問題が起こってくるのです。祖国を探し求めなければなりません。何としても故郷を求め、祖国を得なければならないのです。 母がなすべきことは、女性たちの解放です。真の父母が来られて、祖国光復を準備するので、世界の女性たちは真の父母と一つになって、国を求めなければなりません。それで日本で今、四十の地域を中心として、世界の女性解放のために巡回講演をやっている最中なのです。 その国というのは、統一された韓国です。ですから、どんなに困難があっても、宗教世界を一つにして祖国に帰っていくことが、神様の創造理想なのです。それで、そのようなことを収拾するために、お母様が巡回講演を行うのです。今まで先生を中心としたお母様の講演は、今回が最後です。 それでお母様の講演が終わると同時に、全世界の高卒以上の大学生はみな、全世界の女性を通じて、お母様の代わりに家庭、氏族、民族、世界を求道すべき責任を負うのです。お母様に代わって世界の拡張運動をするので、すべての女性たちは自分の一族、一つの国に責任を持って、お母様の代わりに女性を連結できる運動を世界化しなければなりません。 今、全世界にいるすべての大学出身の統一教会のメンバーは、清平で教育を受けています。大学の出身者は皆、二十歳を越えています。全世界の女性たちは、母の立場、解放された二十歳以上の立場に立ったので、全世界の男性たち、堕落した世界の個人、家庭、民族、国家、世界を解放する責任があるのです。父や母が世界を復帰する前に、皆さんの国と民族を救うためには、祝福家庭、ご父母様から相続をした家庭が立ち上がらなければなりません。それで女性が出ていくのです。国を復帰するのに、女性が先頭に立てませんでした。ですから、女性がやらなければなりません。その国がありません。国境を無視する時が来ました。国境を主張していては、人類は滅びます。 皆さんは故郷を持っていますか? 私たちは、故郷がありません。祖国はどうですか? 父が神様です。神様の国です。祖国はこの全宇宙……、堕落しない完成した神様を中心として愛の主権の前に、一つの国となり得る国を指すのです。ですから、皆さんは地上に故郷も持てず、祖国も持っていないのです。 皆さんが生まれた所が、皆さんの故郷ではありません。堕落後に持つようになったそのような故郷は、神様の前で清算されなければならないのです。故郷とはこの地球星です、地球星。故郷が一つですか、二つですか? もっとたくさんありますか? 一つなのです。アメリカに住んでいる国民たちの故郷は「アメリカ」という一つの国です。人類には、この地球星が本来の故郷にならなければならないのです。 それでは、このアメリカに祖国がありますか? 祖国は神様が介在されるのです。神様を迎えて暮らす天国が祖国なのです。アメリカという国は、神様がご覧になり、神様が生まれることのできる故郷になれず、神様が住むことのできる祖国になれないのです。 それでは、神様と人類先祖の故郷はどこですか? エデンの園です。エデンの園。一つの国なのです。そこで一つの国が始まるのです。そこで一つの人類、一つの主人が生まれるのです。堕落したので分かれました。それで戦っているのです。国境があって、すべてが怨讐となっています。それを撤廃しなければなりません。 ですから、今回、「南北統一前進大会」で世界が一つになり得る内容を宣布したのです。このようにしなければなりません。このように発表したので、そうしなければなりません。南北が首脳会談するのもレバレント・ムーン抜きではできません。北朝鮮も、南北を統一できる中心はレバレント・ムーンであるということを知っています。韓国もまた知っているのです。(二〇〇〇年五月二十一日、ベルベディア修練所) お母様の大会は、韓国でお父様が「南北統一前進大会」を始めて、その次に日本の四か所でやったのです。お母様がやるべきことは、四位基台を継承することです。父と母の基盤を中心として、イエス様は四位基台を中心として十二弟子、新教の十二弟子と旧教の十二弟子、ロシア正教は旧教の本山地なので、お母様が根本を一つにするのです。息子と娘、根本が一つになって、真の父母の四位基台、四十か国を通して、お母様が一つの世界的な頂上に登り、女性たちを立てることのできる旗をさすのです。 エバがすべてのものを失ってしまいました。ですから、今このときにすべてのものを復帰して清算するのが、お母様の責任です。それで、四十か所の巡回講演をすることによって、地上天国と天上天国が再出発できるようになりました。ですから、すべてのものがサタンから解放されるようになります。サタンが存在できる場がありません。私たちがすべての万物をその主人であられる神様にお返しするのです。 それを清算しようとするのです。皆さんの心で清算できるならば、清算して、そこまで越えていける真の父母に侍って祖国を持ち、真の父母の四位基台の基盤を中心として、アダム、エバ、息子娘の四位基台です。母を中心として三人の息子です。ノアの時も同じです。三人の息子を中心としてこのように出てくるのです。ですから、三人の息子のようなものが何かというと、旧約時代新約時代、成約時代なのです。 旧約時代は旧教ですが、旧教もカインとアベルです。東の旧教と西の旧教があります。ロシア正教とローマ正教の二つです。二つに分かれてカインとアベル、旧教と新教、南米と北米、このようなったのです。これが復帰過程において長子権を復帰したので、その長子が南米を連結するのです。南米と息子、娘を中心として母がすべて復帰するのです。こうして祖国光復の因縁を結ぶのです。 ですから、今回参席した人たちは皆、祖国光復をして入籍すべき時代に突人するのです。それに合わせて、全世界の大卒以上の者たちや女性たちが集中してやるべき責任があるのです。アメリカから、その次は韓国、日本から、またその次は相対的なウルグアイを中心とした南米です。そしてアメリカまで連結し、カナダとイギリス、ソ連まで連結して、かつて失ったものをすべて取り戻さなければならないのです。そのようにしてカバーしながら、サタンを切ってしまい、神様を迎えなければならないのです。 世界の賢い女性たちは、お母様の代身者です。全世界に今回講演した内容を、家ごとにその門前に立て札を立てて、それに合格したか否かを点検させなければならないのです。それを女性たちがやるのです。全体の女性を動員してやるのです。女性が天使長圏、天使長の国であるアメリカが長子圏となっているので、天使長の場に訪ねてくるのです。(二〇〇〇年五月二十一日、ベルベディア修練所)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.29
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涙の歴史涙でつづる 主の道は 孤独な父を慰めて 神の歴史を紐解いて 涙でにじんだ1ページ 早く過ぎ去れ 青春よ 血のにじむ闘いの中で ただひたすら待ち続けた 真の母を捜して 異国の地へとただ独り 神の御言葉携えて 自分の命を投げ捨てて 神の願いを果たす為 早く過ぎ去れ 青春よ 闘いは子女達が受けて ただ苦労を追い続けた 真の父母を捜して 血と汗と涙の祈りから 産声が上がる 信仰よ 炎と燃え上がれ 世界の果てまで 早く過ぎ去れ 青春よ 血のにじむ闘いの中で ただひたすら待ち続けた 真の母を捜して 早く過ぎ去れ 青春よ 闘いは子女達が受けて ただ苦労を追い続けた 真の父母を捜して一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.27
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「二〇〇〇世界ハンマダン体育大典」開会式の祝辞日付:二〇〇〇年二月十四日場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場行事:第四回「世界ハンマダン体育大典」 内外の貴賓の皆様、そして本大会に参席するために異国まで万里の遠い道をいとわず、心情の本郷であり、信仰の祖国である大韓民国を訪ねてきた全世界の青年会員の皆様。本大会は、世界の若者たちが、統一された平和世界の具現という神様の絶対的な願いをこの地上に定着させるために、力と技と美を競い、人類本然の姿を取り戻し、心情文化世界を発展させるための平和の祭典です。 今回、第四回として開催される二〇〇〇年の「世界文化体育大典」は、世界の各分野を代表する著名な学者や宗教指導者、政治家、言論人、青年指導者、女性指導者、学生などが、神様を中心とした地球村の一つの家族の一員として出会う祝典です。本然の理想世界は、神様の真の愛と真の生命と真の血統を受け継いだアダムとエバが、真の子女、真の兄弟、真の夫婦、真の父母の心情圏を完成することによって成し遂げられる世界です。そのような世界において、神様の息子、娘たちが一つの場に集まり、力と技、そして美を競い合う心情文化の祭典の中で、純潔な善男善女が祝福を受け、真実で幸福な家庭を成し遂げていれば、神様はどれほど喜ばれていたでしょうか。 しかし不幸にも、人間の始祖であるアダムとエバは、青少年期に神様のみ旨に背き、天使長との不倫な血縁関係を結んで悪魔の血統を受け継ぎ、人類の歴史は悲惨な罪悪の歴史となったのです。 このすベての堕落の起源は、正しく青少年期に発生したのであり、そのことによって人間は悪魔の奴隷となってしまいました。この事件が、神様の胸にぬぐい難い恨として残されたのです。青少年期は、人生において最も重要な時期です。青少年期に正しい価値観を形成し、純潔な価値観を確立して、真の家庭を通じた健康な社会、希望にあふれた国家と世界をつくっていかなければなりません。 ところが今日、青少年と青年たちは、悪魔の仕業によって利己主義化、個人主義化され、性倫理と性道徳が崩壊し、フリーセックスや性暴力、若年層の未婚の母、堕胎、同性愛、エイズ問題などにより、健全であるべき家庭が破壊され、青少年の犯罪が急増しているのが実状です。また、至る所に淫乱物が氾濫し、売春と援助交際が過激さを極めています。 このことにより今日、全世界の人類は地上地獄で苦痛と不幸を味わいつつ生きているのです。ですから、神様は、人類を救援するために悪の文化を一掃し、地上地獄を解放し、神様の絶対的な真の愛の基準を中心として、このすベてのものを復帰してこられたのです。すなわち、神様は、人間と家庭を破壊している悪魔と対決して人間を救援するために、その反対の経路を通じて、真の父母を中心とした真の家庭のモデルを立ててこられたのです。それで、再び来られるメシヤである真の父母には、堕落文化を根絶して、それを収拾すべき極めて重大な責任があるのです。 私は、人間堕落の根源である罪の根と堕落の経路を究明した結果、それは正に悪魔との不倫の愛であることを知りました。私たちは、人類社会のすべての闘争の歴史がそこから始まったという事実をはっきりと認識しなければなりません。ですから、今日、二世たちが先頭に立って、まず淫乱と退廃の文化と不義を清算し、フリーセックスと暴力を追放して、神様を中心とした新しい心情文化を創建し、真の愛の伝統をこの地上に定着させ、地上天国を建設していかなければなりません。 私は、宗教と文化、思想と理念、人種と言語、信条などで引き裂かれた人類を一つにまとめ、統一された理想世界をつくるために、生涯をかけて血と汗と涙を流してきました。神様の愛と絶対価値を中心として、世界の指導者を糾合して各分野別に団体をつくり、その影響力を世界的に拡大し、神様が望まれる一つの世界に向かって進軍してきました。そのために私は、神様の真の愛を投入しては、また投入しながら、真の愛と真の家庭の実体である真の父母を中心とした世界的な基盤を造成してきたのです。 一九六〇年の三家庭の祝福をはじめとして、数多くの祝福行事を挙行してきました。昨年の一九九九年には、三億六千万組の祝福の基盤の上に、「天地父母天宙統一解放日」を宣布したのです。また、青少年の純潔運動を通じてのサタンの血統根絶とともに、昨日は四億組の祝福式を盛大に執り行うことによって、名実相伴う第四次アダム圏の時代が到来するようになりました。また、「科学の統一に関する国際会議」、「世界平和教授アカデミー」、「世界言論人会議」、「世界平和宗教連合」、「世界平和連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」、「世界平和統一家庭連合」、「世界平和超宗教超国家連合」などを結成して、神様を中心とした善の環境的基盤を拡大してきました。 今回、「二〇〇〇年世界文化体育大典」は、このような神様の総体的基盤が一つの場に集まり、人類大和合と新しい心情文化世界の創建のため、意義深い跳躍の基台を準備するための祭典なのです。このような意義深い行事の一環として開催される第四回「世界ハンマダン体育大典」は、人種や宗教、思想、理念を超越し、五大洋六大州の多様な文化圏の伝統と価値が一つになることができるという信念を再確認させる平和の祭典として、心情的統一文化の地平を開いていく大和合の場なのです。 そして、このような心情的統一文化運動の土台は、原理運動であり、新しい真の愛の実践運動です。世界各国の若者たちに広く知られている原理運動は、没落した共産圏はもちろん、価値観の混沌の中で彷徨する自由民主世界を生かす「共生共栄共義主義」と「頭翼思想」によって創造本然の理想世界を具現しようという若者たちにとって、希望にあふれた原動力となっています。 新千年紀の初めに執り行われる今回の第四回「世界ハンマダン体育大典」は、今までのいかなる時よりも、神様と人類の前に胸いっぱいの期待と希望を抱かせる祝福された大会であるという事実を知らなければなりません。 二十一世紀の未来の世界を導いていく青年、学生の皆様。皆様の生涯の中で最も重要なものは何でしょうか。 それは、真の愛の実現であり、真の愛は独りで成し遂げられるものではなく、相対から来るものです。ですから、相対のために生きてこそ、真の愛を成就することができるのです。人間の価値の中で最も高貴な価値があるとすれば、それは正しくために生きる価値です。皆様は、ために生きる価値観を確立して、未来を準備していく若い青年、学生たちとならなければなりません。 人間は、健全な精神と強靭な肉体が一つとなった関係の中でのみ、創造的、自主的、統一的な活動をすることができます。どんなに精神が健全であっても、肉身が衰弱すれば、自らの理想を開くことができませんし、肉身が健康であっても精神が正しくなければ、正しい人の役割を果たすことができません。このような事実をはっきりと知り、皆様すべてが今回の体育大典を通じて、心と体の正しい統一を成就していくことができるよう、精進を重ねてくださることを願います。 皆様は、熱い情熱と純潔な人生、そして聡明な理性を通して、長い歳月にわたって神様が追求され、人類が念願してきた真の家庭を完成し、真の父母、真の師、真の主人の三大主体思想で武装し、一つの統一された平和世界の建設のために共に進軍しましょう。 今後、皆様は、国境と人種、宗教と文化の障壁を越え、統一文化世界を具現し、私たちの前に残された当面の課題である南北統一と東西文化の格差、そして南北の貧富の格差を平準化して、統一の世界を創建し、神様と人類の念願を果たしていかなければなりません。 皆様の純粋な情熱と不撓不屈の精神で神様の心情を体恤し、万世の願いの勝利者となれるよう、惜しみなく心と体を投入することを懇切にお願いします。これが正しく、新千年を迎え、真の父母と共に一つの時代を生きていく若い青年、学生たちの進むべき方向です。 どうか皆様の気概と決意で、理想世界の実現のために強く大胆であってくださることをお願いいたします。皆様の前途に、神様の無窮の祝福と天運が常に共にあることを願いつつ、祝辞に代えさせていただきます。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.27
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神霊役事の池承道おばあさま(#1)🍓神様の導きで再臨主に会う🍇断判祈祷で再臨主が来る国を知る✳️一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.26
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「天宙真の父母連合」宣布二〇〇〇年 二月十三日 真のご父母様の「御聖誕八十周年記念」の行事中、二〇〇〇年二月十三日、リトルエンジェルス芸術会館で「天宙真の父母連合」と「天宙平和統一家庭堂」が創立された。「天宙真の父母連合」は、ジャルジン宣言の最後の第八宣言に該当し、この二つの団体は摂理の最後の機関である。 関連のみ言 韓国に行って「世界真の父母侍衛連合」を宣布しなければなりません。侍衛連合なのです。それは何かというと、真の父母を認定するすべての者たちが加わるのです。ですから、教育を受けたならば、レバレント・ムーンが真の父母に違いないということがはっきりと分かるのです。「真の父母」を各国の大統領を中心として国会で宣布しなければなりません。そうなれば、私たちの国となるのです。その段階まで既に来たのです。そうならなければ、国連を叩きつぶして、宣布した国々を合わせて、国連まで占領するのです。国連の真の父母団体なのです。アメリカの議会が真の父母のみ言を語り、国連を中心として、万民が「真の父母の日」を受け入れるというのです。 それで今回、写真も皆、撮ってあげたのです。ジャルジンで祝福家庭と写真を撮ってあげたように、高位層の人々にすべてを教えてあげ、「君たちも皆、写真を撮っておくように」と言って、撮ってあげたのです。写真を撮ってあげた者たちは皆、内的なジャルジン勝利の基準の前に相対的な基準となって、国家を収拾する準備をして、手紙を出すのです。 それは夢のような話であり、あたかも茫々たる大海に浮かぶ小舟のようです。行くべき道を知らないのに、いかに訪ねていきますか? 心です。心の故郷が羅針盤にならなければなりません。世の中がここまで来たのは驚くべきことなのです。 誰がみ言の通りになると考えましたか? 浮雲ではありません。地上です。来られる再臨主が千年王国を築くのですが、千年王国は地上と天上の解放圏なのです。地上に来られて歴史的なすべての汚いくぼみまで清算し、この地上に雲の世界のような解放圏を形成して、千年王国を築いたというのです。それがどれほど大変ですか? 雲は水蒸気が蒸発したものでしょう? 便所のつぼに残った糞のかたまりのようなものをすべて溶かして、共産党の寒帯文明、温帯文明や寒帯文明まですべて溶かして、そこにいる群れたちを地獄から引き出して祝福したでしょう? 夢のような話です。 それは神様もできないことなのです。「今や解放された基準で「全体全般全権全能」を行使なさってください!」と言うのです。ですから、私がやるようにやるのです。聖人と殺人鬼を祝福してあげたのです。神様にはできません。私に命令することができないのです。先生自身が知って証明したので、神様が私の後ろについてこられるのです。 神様とサタンの闘いを、神様も止められず、サタンも止められないのです。偽りの父母によってそのようになったので、真の父母が来て止めることができるのです。すべての解決策があるのです。未完成で行使したサタン圏を無視して、完成の場において行使できる、解放的な神様時代なのです。 それで勝利的な基盤にあって、第四次アダム圏に入っていくのです。「全体」というのはサタン世界の全体と同じです。「全般」というのは一つにすることです。全体を合わせて一つにするのです。「全権」というのはサタンの権限です。サタンの権限を全能の権限によって抑え、全般、全能の天地創造本然の軌道を中心として、宇宙を再創造できる理想圏を形成するのです。 先生が願えば、アダムとエバを創造したとき以上の天国を再びつくることができるのです。堕落した世界の人間を捨てて、再び創造し直すこともできるのです。本来は、「救ってほしい」という請願の言葉さえ、真の父母と神様は聞きたくないのです。 ですから、今、皆さんの家庭がそのようにしていたらどうなりますか? 個人個人が、かつての天国に入っていく待合室、家庭的な楽園圏内に行って、橋をかけて渡ってこなければならないのです。兄弟同士で争って泣いたりしていますが、自分の方が偉かろうと、相手の方が偉かろうと、すべて切ってしまえというのです。気を引き締めなければなりません。 今や国を求める時が遠くありません。今、先生のみ言どおりにやれば国はすぐに得ることができます。二〇〇〇年の六月までかかるか、かからないかといったところです。それを率いていくためには、生死の境を越えなければならないのです。世界にすべてを宣布しておいて、準備するように発表するのです。御聖誕日を記念する前に、八十年の生涯による世界的な勝利基盤をすべて整備し、南北統一の理念を天宙統一にまで連結させる立場に立ったのです。そのような立場に立ち帰って語るみ言なのです。『訓教経』のようなものです。国民と世界と天地の前に、「訓示の宣言である」と言って、発表するのです。(三一五-二〇八、二〇〇〇年二月六日) 「ジャルジン八大宣言」 尹晶老! 七大宣言について話してみなさい。 (「ジャルジン第一宣言は、神様が絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって人間と万物を創造されたように、私たちも神様に絶対信仰、絶対愛、絶対服従で報いなければならないということです」)。 相対の立場に立たなければなりません。それでこそ、一つになって相続できるのです。 (「ジャルジン第二宣言は、神様は絶対、唯一、永遠、不変です。それで、神様の子女である私たちも、絶対、唯一、不変、永遠の子女となり、絶対、唯一、永遠、不変の夫婦となり、絶対、唯一、永遠、不変の父母となり、絶対、唯一、永遠、不変の家庭にならなければならないということです」)。 そのような家庭となって、国まで求めていかなければなりません。 (「ジャルジン第三宣言は、神様が第一創造主ならば、アダムとエバは第二創造主であり、アダムとエバが生んだ息子と娘は、第三の創造主にならなければなりません。第一創造主、第二創造主、第三創造主が一つの家庭に共に暮らさなければなりません。神様が一番悔しいことは孫息子、孫娘を得られなかったということです」)。 三代が共に暮らさなければなりません。 (「ジャルジン第四宣言は、『宿命的な提案解怨』宣言です。神様と私たち人間は、父子関係であり宿命です。宿命なので子女が父母の恨を解いてさしあげなければなりません。神様の恨、父母の恨は子女のゆえに生じたので、子女が絶対的に父母の恨を解いてさしあげるのです。ご父母様は、神様の恨を解いてさしあげるために生きてこられました。神様に『このようにして恨を抱かれたのでしょう?』と提案をすると、神様は『自分では語れないが、それゆえに恨を抱いた」とおっしゃいました。そのような父子関係の因縁をもって、神様の恨を解いてさしあげるために苦労してこられたのです。これが第四宣言の要旨です」)。 (「第五宣言はアラスカでの『四・四節』宣布です。神様がアダム家庭を失ってしまったというのは、第一代の四位基台を失ってしまったことです。そしてアダムとエバの息子と娘たちである孫息子、孫娘を失ってしまったのです。そのためにご父母様がこの地に来られ、アダムの代わりに家庭で一代の四位基台を探し立て、それからアダム家庭の息子と娘の四位基台を、天の前に正しく探し立てました。それで地上に天が願った第一代の四位基台と第二代の四位基台をいっぺんに取り戻しました。そうすることによって、南北統一が可能となり、天地が統一でき、全世界が統一できる条件となりました。そうして、神様が失ってしまった一代目の四位基台と二代目の四位基台を取り戻したことを記念して、『四・四節』宣布をするにいたったのです。その日が一九九八年九月八日です。それで、その日付の数をすべて合わせると四十四数となります。そのときから、『総生畜献金』も十六数を蕩減するという意味で捧げることになりました。裂かれた献金ではなく、裂かれてはいけない『総生畜献金』をしなければならないと説明されました。かつてはカインとアベルに裂かれたものが、今や復帰されたので、そっくり捧げる時代が始まったのです」)。 (「第六宣言は『サンパウロ宣言』です。総霊界を解放させました。その霊人たちは神様の前に解放されることによって、祝福を受けられますが、何もせずに祝福を受けてはいけません。「地上に再臨して地上天国の建設を協助せよ」というのが第六宣言です。それで霊人たちにすべて任地を割り当てました。イエス様はアメリカ、ヨセフとマリアは南米、釈迦牟尼は韓国、孔子様は中国、このようにして任地を与えました。なぜ、霊人たちを祝福してあげ、任地を割り当てたのかというと、地上天国が先に建設されてこそ、天上天国が建設されるからです。解放されて祝福を受けたとしても、ただ何もせずに受けてはいけないのです。それで、すべての霊人たちが地上に総動員して、天国建設に協助しなければならないのです。これが骨子です」)。 (「第七宣言は、お父様が『天宙的な四・四節』と名づけられ、一九九九年一月八日、ウルグアイのプンタデルエステでみ言を語られました。その内容は何かと言うと、地上天国を建設するには、天上に恨を抱いた霊が一人もいてはならないというものです。特に未婚の霊たち、結婚できなかった者たち、あまりに幼くして死んだ者たちも祝福してあげなければなりません。その霊人たちは皆、幼いときに死んだとしても、教育を受けて成長してから、男性、女性として祝福を受けられる恵沢にあずかるのです。それから、地獄の殺人鬼までも聖人と祝福を受けられる門を開いてあげました。そのようにプンタデルエステで宣言されたその日を、真のお父様は『天宙的な四・四節』と呼ぶようにと言われました。霊界に地獄がなく、恨を抱いた霊たちがいなくなって、霊界が先に整理されてこそ、地上に天国が到来するのです。地上天国は、恨を抱いた者や地獄にいる者が一人もなく、解放されてきれいに整理されてこそ始まるのです。ジャルジン宣言がなされた場所は、ジャルジンというブラジルのある限定された場所ではありませんでした。ジャルジンはブラジルの言葉で『庭園』という意味であり、『エデンの園』一を意味する象徴的な意味があります。ジャルジン宣言は、コディアックで語られたこともあり、プンタデルエステで語られたこともあり、サンパウロで語られたこともありますが、真のお父様はそれらをみな『ジャルジン七大宣言』と呼ぶように語られました。私たちが天国理想を実現するにあたって、このような宣言の通りに生きるように語られました。ジャルジン宣言は、私たちが天国生活するにあたって守るべき宣言であります」)。 それでは、最後の「ジャルジン第八宣言」は何でしょうか? 天地父母に侍らなければなりません。「天宙真の父母連合」なのです。それはジャルジンで宣言したのではありません。本部に戻って宣言したのです。出発から再帰一、ここで発表しました。ここで終わる前にそれを構成するように話したのです。 明日の誕生日がそれほどに重要なのです。考えてみなさい。一九九八年の標語が何ですか?(「真の神様を絶対に誇り、愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断絶です」)。一九九九年の標語は何ですか?(「真の祝福天宙化とサタン血統根絶です」)。二〇〇〇年の標語は何ですか?(「真の愛の天宙化は新千年天国完成です」)。それが神様の家です。東洋で言う「天宙」とは、「神様の家」という意味です。 宇宙の「宇」も家を表し、「宙」も家を表します。「宇宙」と言うと家なのです。家という概念です。家で生まれ、家で食べて暮らし、家で逝くのです。小さな家から大きな家……家庭から国、国から世界、世界から天国、そのように行くのです。世界を越えていかなければならないでしょう。国を越えて世界に行かなければならないので、聖人を立て、世界を越えて永遠なる世界の神様のところに行こうとするので、聖子を立ててはしごをかけたのです。そうすれば、すべて終わるでしょう? きょうの話もそうでしょう? 歴史時代の主流として残すべき伝統的な思想が必要なのです。それが孝子、忠臣、聖人、聖子の道なのです。今やすべて終わりました。ですから、私が皆さんを連れて回りながら、教育すべきですか、放っておくべきですか? 今や皆さんの子供たちも成長したでしょう? 皆、息子と娘が十八歳以上になったのです。結婚したなら、その赤ちゃんまでが後ろを振り返らないように、棒でぶん殴って追い立てなければなりません。 ですから、先生は、既に宣言しました。「息子と娘をすべて分家せよ」と言ったのです。これまで、先生は育てなければならないという責任を果たせませんでした。統一教会において、行くべき方向を定めてあげるご父母様ではありませんでした。天地のすべてを整備できないで、どうしてそれができますか? 子供を捨て、家庭を捨て、国を捨てて、それを果たしたので、それを整備した後に、最後において行く道を定めるのです。 真の父母と一緒に生活しながらも、真の父母の価値を知りませんでした。今や家を離れてみてこそ、統一教会の食口たちが、イーストガーデンに来るのをどれほど切に願っているかが分かるのです。それでカインの立場にある弟たちの立場を知るようになるのです。立場を変えて同情し合い抱き合ってこそ、弟たちも兄たちがどれほど大変かが分かるのです。「私たちの家で父や母に侍っているけれども、世界の家でもよく侍ろう!」と言ってこそ、統一天国になるのです。きれいにすべてを整理するのです。ですから、自分の父や母よりも、食口よりも……。 イエス様は「誰よりもわたしを愛さなければ、わたしの弟子にはなれない」と言いました。そして「汝の十字架を背負ってわたしを愛さなければ、わたしの弟子になれない」と言いました。「十字架の蕩減の道が残っている」と言ったのです。それが偉大なのです。そのような言葉を語ったイエス様の内的な心情を、誰が知ることができましたか? 誰も知りませんでした。 先生の代でそれをやるのです。三十三名と七百八十名は、天の国の主権を中心として祝福を受ける中で、国家次元を乗り越えられる基盤なのです。その基盤をすべて準備したのです。先生がどうして嘘をつけますか? 原理原則から見てぴったりと合っているのです。 「天宙的四・四節」とは何ですか? ですから、いつでも、どこよりも、その場を愛さなければなりません。それでパンタナールを私が愛しました。世の中の誰もが行きたがらない所に行って愛したのです。夜も昼も時間さえあれば行ったのです。誰もいないときに出かけようとし、誰もいないときに帰ってこようとしました。私はそのように暮らしてきました。主人の因縁を万物世界に残したのです。 李相軒氏の報告を見ると、霊界でも心霊状態の高い人は、すべての動物と和合するというのです。万物を解放しなければなりません。それゆえに、私がパンタナールに精誠を尽くしてきたという事実を知らなければなりません。魚や獣たちをつかまえて食べますが、これからは、その先祖をなくしてしまっては、根を抜いてしまってはいけないのです。先祖を残しておいて、種を永遠に保存できてこそ、神様が自分たちのために礼物のようにつくってくれた万物が残っていてこそ、それを見つめながら神様の前に威信を立てられるのであって、それがなくなれば、威信を立てることができません。 それで種を保存するために、どこでも農園をつくるのです。庭園をつくり、花園から、動物園から、養殖場までつくるのです。そのようなものを作れる適地がパンタナールなのです。それを皆、軽んじているでしょう? (三一六-五三、二〇〇〇年二月九日) 「天宙真の父母連合」を結成した意味 今回の大会で団体をつくりました。それが「天宙真の父母連合」です。真の父母連合。これが何かというと、神様も、真の父母の冠をかぶり、被造物も真の父母の冠をかぶらなければならないのです。その冠が何ですか? 血筋を清めた冠です。ですから、復帰摂理の神様は、完全なる神様ではありません。その神様が復活しなければならないのです。ですから、全天宙が真の父母の連合体です。真の父母は、天宙と国家の連合体なのです。すべての連合に通じている魔術師です。 万物、植物、鉱物世界のすべてが、真の父母の冠をかぶらなければ完成できません。霊界もそうです。霊界と肉界のどこにおいても、魚もどこでも、獣の子、植物や鉱物まで、すべてが「真の父母」の名を返してもらわなければ解放されません。 そのような意味で、「天宙真の父母連合」です。天宙自体が既に一つになったのです。その天宙は神様を中心として一つになっているので、地上にあって、必ず一つにならなければなりません。国家がいまだに統一天国になっていないでしょう? それぞれの国家を、国家メシアたちが一つにしなければなりません。カインとアベルが一つになるのです。カインとアベルが一つになることのできる、国家メシアの責任の完了が今できていません。国家メシアたちが、今からカインとアベルを中心として……大統領を中心として、国会もカイン、アベルが上院と下院です。その国の総督と同じです。天の全権の権限を持って、カインとアベルを一つにしておかなければなりません。それでこそ、ご父母様が縦的な父母となるのです。これは原理です。 ですから、今から私たちが取り組むことは政党の消化です。国を消化しなければなりません。政党を消化しなければなりません。サタンの血筋から変わらなければならないのです。その全体平和の峠を乗り越える、第四次アダム圏時代に乗り越えるその境界線に解決すべきことがあるので、女性たちを選ぶのです。女性がお母様の分身にならなければなりません。お母様の分身の立場に立って、息子と娘を一つにしなければなりません。真の父母は、民主世界と共産世界が一つになるその骨髄を連結させ、地上地獄、天上世界が分かれたのを一つにできるようにすべてを連結しておきました。ですから、真の父母を中心として、完全に一つにならなければなりません。昼も夜も四六時中、青年時代から老年時代、水深時代まで一つにならなければなりません。 ですから、あらゆる小さなものの完成も父母であり、大きなものの完成も父母なのです。真の父母を抜きにしては一つになることはできません。連合されるものがありません。連合とは団結を指すでしょう? 天宙が団結する中心なのです。その中にすべてが入っているのです。その中にすべてが入っています。 この世の中は一つになっていません。ですから新天宙平和統一です。カインとアベルが一つになっていません。水平になっていないのです。統一教会の女性連合と日本の家庭連合が一つになっていません。この隔たりができたのを一つにしなければなりません。 社会では、これまですべて破綻してきたでしょう? 社会のすべてが乱れてしまいました。愛の秩序、血統的な整理がこれまでできませんでした。完全に混沌のうちにあります。純潔運動と家庭の破綻を収拾するための仕事を、今やるのです。それが私たちの全権です、全権。特許権です。どこに行っても妨げはありません。栄えている国、先進国においても後進国においてもそうです。 ですから、「天宙平和家庭堂」です。「家庭堂」とは何ですか? 実体となられた真の父母、真の師、真の主人の権限がここにすべてあるので、それに備えて、分かるように絶対に教育しなければなりません。絶対信仰です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従をして、野党と与党が一つになれば、国がさっと回ります。原理がそうなのです。与党と野党が一つになれば、その中央に天が臨むのです。必ず中心の縦的基準に臨むのです。家庭統一、氏族統一の中心となるので、すべてが連結されるようになります。 この内的基準の前に互いが衝突しないように、平準化を目指すのです。ですから、教育するのに必要なのが何かというと家なのです。何の家ですか? 神様に侍り、真の父母に侍る家で教育するのです。それでは、み言が何かというと、個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界、天宙完成をするみ言なのです。そのようなみ言がすべてあります。そこに絶対に一つになることによって、急速に発展するのです。地獄からすうっと飛び上がって、世界のために生きようとして、さっと地の果てまで関係を結ぶことのできるはしごが連結しているのです。これは絶対に必要です。 これまで「世界平和家庭連合」は、サタン世界のアベル的な家庭だったのですが、カイン家庭と一つになっていません。それを一つにすることのできる基盤として、吸収できるプラスの磁石のようにならなければなりません。今はすべて絶縁体となって通じていませんが、それを引っ張ってでも真の愛の母体である神様の愛の圏を中心として一回りさえすれば、自動的に上がってくるのです。回せば上がるのです。運動すれば下っていきません。上がったり下がったりするのです。 この二つの団体をつくったのです。その団体は何かというと、自分の家です。下の町にある家は心身一体、私の家です。それに対して、天の一番上の町におられる王、大統領を中心として上院と下院、プラスとマイナスになっているのです。これが一つになっているのです。大統領と一つになって、私たちのメシアと一つになれば、その中で中心点において、天と自動的に連結するようになっています。 ですから、今や問題は、野党と与党が統一に向かうようにしなければなりません。「文総裁が願う理想的な国はこうあるべきである」というその原則にすべての国を結束させるためには、どうしても第四次アダム圏に定着することができる基盤が必要なのです。それでその中心基盤、完全なるプラスが生じたのです。完全なプラスは完全な対象を創造するのです。それを連結させるためには、み言を通してやっていくのです。そうすれば、自然に大きくなって上がっていくのです。対象の立場で大きくなるのです。 何かあっても女性が先頭に立って息子と娘を教育し、それから夫を教育しなければなりません。女性たちが追い出したでしょう? カインとアベルが怨讐になったでしょう? 夫も、自分も滅亡時代に入ったので、女性がこの仕事をすべてするのです。女性がこれまで歴史時代に責任を果たせなかったので、揺れ動く天地となったのです。すべてが体を売る娼婦たちとなり、引っ張り回されて滅んで混乱が生じたのです。 「母観」を探さなければなりません、「母親」を。ですから、息子と娘が母親を尊重しなければなりません。「私たちの母は、この国の代表的な母である」、また夫までも「この国では私の妻が代表的な妻である」と言えなければなりません。国を代表できてこそ世界に行くことができ、世界を代表したときに天の国に行くことができるのです。それが原則でしょう? 息子たちが「我が国の代表的な母である、神様の似姿である」と言わなければなりません。夫が「私の妻はこの国の代表であり、神様の新婦にもなれる」と言わなければならないのです。そのような家庭になりましたか? 母親の責任は何だと言いましたか? 息子と娘が一つになって、「私たちのお母さんは国と世界を代表している」と言わなければならないのです。夫が「世界に女性は多いが、私の妻が一番である。神様の前に紹介してあげられる妻であり、息子と娘の前に、隣り町の前に代表として立てる責任者である」と言わなければなりません。誰がそのようにつくるのかというと、妻たちがつくらなければなりません。 「天宙真の父母連合」、真の父母が絶対プラスです。これが世界に統一されるときまでは、神様も先生の言うことを聞かなければなりません。神様も先生に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従なのです。創造当時の結果になってこそ、すべてが成就しませんか? そのようにしてこそ、目的を達成できるのです。神様も意のままにできません。ですから、祈祷して「文先生はどこにいますか?」と言っても教えてあげません。自分が訪ねていかなければならないのです。てっぺんに行って捜さなければなりません。 なぜ「祈祷して精誠を尽くすように」と言うのでしょうか? まったくあきれてしまいます。イエス様も精誠を尽くし、先生も精誠を尽くしているのです。神様も「祈祷するように、一生懸命に祈祷するように」とおっしゃっています。空高くどんどん上がっていってこそ占領できるのです。そのようにわきまえて、解怨成就の最後のページに皆自分の名を記録し、サインし、回れ右した場合には、天国に直行するようになるのです。そのような特権を与えようとしているのに、立派に成し遂げなければなりませんか、成し遂げなくてもいいですか? 立派に成し遂げなければなりません。 郭錠煥、万歳をしなさい。ちょっと待ちなさい、これを書いておきましょう。(「真のご父母様の平和統一家庭堂万歳! 統班撃破万歳!」と板書されてから、万歳五唱がある)。自由に会議でもして、指示すべきことをまとめて風呂敷にぎっしりとつめて、元気に出発して、死なないで再び会えることを願います。(三一六-二八二、二〇〇〇年二月十五日) 全世界で訓読大会をしながら、真の父母の看板を高く掲げなければなりません。真の父母の中にすべてが入っています。真の父母を嫌うのは、すべてを失うことです。「天宙真の父母連合」を創設したのはなぜですか?「世界平和家庭連合」は地上でしかだめなのです。水平なのです。天宙が入っていません。「天宙」というのは「家」を指します。愛の家です。家の中に必要なものが、すべて入るでしょう? 納屋まで、田んぼの端まで草を刈った古い鎌までも、そこにおいて使わなければならないのです。すべてが入ります。「真の父母」の御名、「真の父母」の権限を完全に一〇〇パーセント必要としてこそ、神様が自由にこの地上で治め、天上で治めることができる家になるのです。安息所なのです、安息所ですから家です。皆さんの心には、すべて骨髄の家があります。私の家、我が家なのです。新婦の家は新郎です。妻の真なる愛の家は夫です。夫の真なる愛の家は妻です。父母の真なる愛の家は子女であり、子女の真なる愛の家は父母です。その両者を裂くことはできません。裂けばすべてが分かれていきます。すべて壊れてしまいます。相対的な理想にならなければだめなのです。(三一六-二四七、二〇〇〇年二月十五日) 先生が今や渡してあげなければならないので、代理人を立てました。代理会長を立てたのです。それが誰ですか?(「郭錠煥会長です」)。国家的な代表です。先生が天地の代表ならば、地上で国家的な代表を中心にして、先生を代理できるのです。アメリカの代理代表、日本の代理代表……。そこにおいて成立した公式を中心として、全世界において一元化していくのです。 それゆえに「天宙真の父母連合」です。それから「天宙平和統一家庭堂」です。平和は水平です。そして統一は縦的です。「天宙平和統一家庭堂」です。家庭が責任を果たせませんでした。縦横の一体圏、天の父母と子女、上下、左右、前後の関係が築かれていません。 問題は家庭を中心として、上下関係、左右関係、前後関係を形成することです。先祖を中心とし、真の父母を中心として、子女の立場に立ち、真の父母のように祝福された家庭となり、息子と娘を生むことによって、堕落してない本然の基準で真の血統を中心に定着することができるのです。サタンがいないので自然に定着できる環境となり、それを決定できる時代に入ったのです。それは歴史的な最後の総決算であると同時に、最後のサタン世界の終末、天の世界の新しい出発、地上、天上の理想的な愛の王権時代へと越えていくのです。 先生のみ言は霊界の憲法になります。霊界と地上において、柱になるということを知らなければなりません。そのまま適用するのです。(三二〇―四四、二○○○年三月二十五日) 「天宙真の父母連合」を創設したのは、今や天と地の問題を中心として、全権をもって結束したからです。周辺のすべては、カインとアベルの分かれたものであり、父母が分かれたもの、国が分かれたもの、世界が分かれたものなのです。外的にそのようになっているのです。心と体が分かれて、個人が分かれ、家庭が分かれ、国家が分かれ、世界が分かれ、天地が分かれたのです。外的にそのようになっているのですが、それをいかに統一させますか? この根本に、すべてが一体圏とならなければなりません。それで「天宙真の父母連合なのです。真の父母は、天宙のすべてが連合した中心なのです。 神様を見ると、真理と人格と心情世界がありますが、それを中心として個人的な心と体が一つになり、家庭が一つになり、国家が一つになる、心情的な統一を完成しなければならないのです。そのような内容を中心として一つになるのです。ここはすべてが分かれています。分かれた一番てっぺん…………蕩減時代が過ぎて私たちが自由にできる時代が到来したので、てっぺんの与党と野党、彼らの夫人たちを中心として、真の父母、お母様と一つにならなければなりません。お母様が教えたその基準を中心として、変遷していく立場にあるのです。また、カインとアベルが統一されて、今霊界と肉界が変遷していく立場にあるのです。 ですから、そのような内容を中心として訓読会をしなければなりません。訓読会をすれば個人完成がどのようになり、家庭完成がどのようになり、国家完成がどのようになり、天地完成がどのようになり、解放がどのようになるか、すべて出てくるのです。そのとおりにやらなければなりません。 今や「世界平和統一家庭連合」を創設しましたが、これが何かというと、サタン世界において天が探したカインたちです。カイン型なのです。その基盤を通じて、天側の世の中と天側のアベルがいるので、長子権を復帰できる土台となるのです。そこにおいてすべてが一つにならなければなりませんが、一つにするのは国家から出発します。ですから、四十代以降は放棄するのです。先生は四十歳で世界的にみ旨を成就しようとしました。 四十歳の基準を中心として、そのようになるので、すべての母親たち、夫人たちは、夫をすべて後ろにおいて、振り返ることなく一つにならなければなりません。何と一つになるのでしょうか? 息子、娘と一つになるのです。息子、娘と一つになれば、その次は夫婦が一つになって、自分の夫を前面に立てるのです。基盤を整備して夫を前面に立てますが、立てた夫が真の父母と一つにならなければなりません。それが国家的な基準で完成すれば、すべてが終わるのです。(三一七-九、二〇〇〇年二月十五日) 「天宙真の父母連合」と「天宙平和統一家庭堂」を設立した意義 統一教会の信徒は多いでしょうか? わずかな数を中心として、世界の平準化運動をどれほど多くやったことでしょうか。誰がそのようなことを願いますか? 先生はその仕事をやってのけたのです。ですから、非常に骨が折れるのです。 今もそうです。訓読会をやったのですが、訓読大会をして六大州に組織をつくったので、郭錠煥が今やその位置に就いてしなければなりません。ですがそれも私が行って道を開いてあげなければならないのです。来る者たちは先生に会おうとしているのです。郭錠煥に会おうとするのですか? ですから、先生は体制を中心として進みますが、中間の責任者として、その体制を保護しなければなりません。体制は一方的ではありません。四方の平準化体制をいかに整えるかというのです。ですから、教育して人員を拡張するのです。原理原則がそのようになっています。それで先生が一生の間、時間さえあれば皆さんに会って語ってあげました。それが教育なのです。いつ遊びましたか? 一生を通じて教育してきたのです。 そのような横的な基盤を整備しなければ、縦的な基盤はなくなります。すべての思想や運動全体がそうです。ですから、神様が創造するとき、横的な基盤である環境を造成して、そこに主体と対象であるアダムとエバを創造しました。創造がそうです。ですから、すべてペアシステムなのです。鉱物世界、植物世界、動物世界、すべてがペアシステムになっているのです。 天地創造がそうでしょう? 日と月をつくり、水と空気と地を創造して、生物が存続できる基盤を造成してから、そこでその環境が連関関係を結び、中心となり得るアダムとエバ、主体と対象を創造したのです。大本の主体と対象です。主体と対象といっても一つです。 それが創造原理の組織的な原則でしょう? 先生が歩んでいくのは、共産党をつぶすためです。 「天宙真の父母連合」が何ですか?これは相対的なのです。東洋と西洋、天と地、すべてが分かれています。政治も野党と与党の相対世界です。それをすべて総合するのです。何によって? 真の愛によってです。 それから「天宙平和統一家庭堂」です。ここにも平和が入ります。平和が実現して、統一が実現するのです。ここで真の愛によって統一されるのです。統一家庭堂です。家庭は何かと言うと、横的に広がらなければならず、縦的に接ぎ木するというのです。縦的なものは既に皆知っています。 個人完成をいかに成就するかというと、自分を伝道した者に従っていくのではありません。真の父母に従っていくのです。神様に従っていくのです。ですから、縦的な基準は既に完成しています。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、解放圏、祝福圏がすべて連結していますが、横的基準が完成していないでしょう? それで天宙平和、それから理想家庭なのです。 堕落とは何ですか? 理想家庭にならなかったことです。破壊家庭になったことです。理想家庭を中心として「平和」なのです。平和は横的です。統一しなければなりません。何によってですか?東西南北のうちに、中心を中心として横になってこそ可能です。中心を中心として三六〇度、すべてが同じ位置において回転するためには、「真の愛」でなければなりません。それが家庭理想です。 祖父がいても全体の家庭に尽くさなければなりません。自分たち夫婦だけのために生きてはなりません。父母がいても、自分たち夫婦だけのために生きてはなりません。上下、前後の秩序を合わせて、全体が回ることのできる平面的な面に合わせていくのです。それが「天宙平和統一家庭堂」です。 なぜ家庭ですか? 家庭が問題なのです。「家庭堂」だからと言って、何かのお堂をつくるのではありません。家庭において堂の主体が生じるのです。野党と与党の中心がそこで設定されるのです。それで「家庭堂」です。ですから、「家庭堂」は左翼や右翼を問わずに、連れてきて教育するのです。彼らの夫人たちを教育しなければなりません。それが韓国の婦人、北朝鮮の婦人ということでしょう? 北朝鮮の婦人と韓国の婦人を一つにするのが一番の早道です。今回もそうです。群れを意味する「黨(党の旧字)」という字を書いてみなさい。なんと騒々しいことでしょうか。家を表す「堂」の字で書いたので、女性たちを前面に立てるにあたって平安なのです。金正日も同じです。 文総裁が何をやりますか? 女性たちを中心として「家庭堂」をつくって教育するのです。立派な妻にしてあげるのです。男性には皆妻がいるでしょう? 立派な妻にしてあげ、立派な母にしてあげるのです。ですから、私たちの家庭を愛国の家庭にするのです。それが目的です。 立派な妻がいれば何をして、立派な息子と娘がいれば何をしますか? 立派な愛国の家庭となるのです。愛国の家庭になったら何をしますか? 国をつくるのです。それでは国があれば何をしますか? 聖人の道を行くのです。世界に尽くすのです。世界があれば天地に尽くすのです。天地があれば神様に尽くすのです。公式がそのようになっているのです。このような全体を解明できる内容として、今回二つの団体を創立したわけです。これを連合しなければなりません。 「天宙真の父母連合」です。真の父母を中心としてすべてを創造しませんでしたか? 創造がそうでしょう? 天宙が何によって形成されていますか? 霊的な世界の左右と前後の関係が、真の父母を中心として形成されたのです。 真の父母の中心は何ですか? 神様とアダムとエバが一致して、愛に定着するのです。愛の中心に定着できるポイントが軸となり、それからアダムとエバの夫婦が横的になりませんか? それが上弦、下弦です。男性は右弦であり女性は左弦です。神様を中心としてみると、神様は上弦で、真の父母は下弦ではないですか? 愛を中心として前弦と後弦、息子と娘が出てくるでしょう? それが根本です。その根本を合わせなければならないのです。ここは超党的です。政治、経済、文化の面がそこに連結されなければならないのです。上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦です。これが上下関係と夫婦関係で一つになってこそ、息子と娘が出てくるでしょう? 息子と娘を持てなかったのが堕落でしょう? その原則を中心として帰結させたのが、この二つの団体です。それで今回、この二つの団体を発足させたのです。 それで神様と天地父母です。それから祝福された家庭、祝福家庭の息子と娘が、その愛に一致できる立場で神様に侍り、平和の家庭を築かなければなりません。それでこそ平和の基準にも合い、統一の基準にも合い、上下全体の理想的な面で回るにも互いに衝突しません。そのような組織形態なのです。 「天宙真の父母連合」を中心として、世界、個人完成、家庭完成が連結されるのです。それを中心として横的な内容……小さいので個人が回るのも三六〇度、氏族が回るのも三六〇度、互いに衝突しないでバランスを取るのです。どこに行っても、その中心を中心として回っていくのは水平なのです。水平が大きくなれば大きくなるほど、縦も大きくなっていくのです。縦が大きくなっていけば、前後も大きくなっていくでしょう? それを離すことはできません。三位一体です。それで上下、前後、左右です。 堕落とは何ですか? 上下、左右を完成しましたが、前後を完成できなかったのです。息子と娘を持てませんでした。サタンが上下、前後、左右を束ねたのです。それを正さなければなりません。 それがだめで、家庭がすべて合わないので、家庭を教育するのです。「家庭堂」で教育するのです。「絶対孝子となり、絶対忠臣、絶対聖人、絶対聖子の家庭になれ」というのです。神様と常に離れられない、定着できる家庭を築くのが、神様の創造理想です。それが根本です。それが根本にならなければ、すべてのものがねじれてしまいます。それで「家庭堂」という言葉が出てきたのです。はっきりしています。 それが創造理想です。この軸を中心に三六〇度ですが、一八〇度はいつも主体と対象の関係です。一八〇度の主体と対象が編成されてこそ、三六〇度が出てくるのです。少しねじれただけでも壊れてしまいます。完全に九〇度に合わせなければなりません。球形世界は、ここはすべて三六〇度です。垂直に通じる三六〇度は、この一点を通じるのです。 愛と連結していない存在は、運動する球形体制において、一つの要素として残ることができません。理論的なのです。先生は八十歳にカナン復帰するのではありません。八十歳に地球星に着地するのです。それは、どういう着地ですか? 天下をすべて収拾して着地するのです。その着地家庭は、天地を代表し、氏族も天地を代表し、神様の心情世界、すべてを代表した着地基盤だというのです。 四十年ぶりに帰ってきて、カナン地球星に着地するのです。天地にいたるまで、すべてを一斉に祝福したので、家庭さえ築いて組織編成し、着地できる日には、世界は一つになるのです。その道がないというのに、上下の間をどのように一つにまとめますか? 上下がこのようになりますか? 垂直にならなければなりません。左右がこのようになりますか? 水平にならなければなりません。前後も水平にならなければなりません。三つのかけらを合わせて球形を形成するのです。二つのかけらではだめでしょう? ですから、「堕落」とは何ですか? 上下関係と左右関係は持ちましたが、息子と娘、前後がないので、血筋が断たれたのです。それで最近になって強調するのが血筋です、血筋! 上下関係も血筋のゆえ、夫婦関係も血筋のゆえ、愛と生命も血筋のゆえにあるのです。息子のためにあるのです。息子を生めなければ、アダム家庭一つだけで神様が生きられますか? 孫もいないのに何がおもしろいのですか? 郭錠煥も孫を愛しますか?(「はい」)。それが原則です。そこから根本が定着して家庭を元返さなければなりません。個人の体、心が一つにならなければなりません。 神様が私たちの心の中におられるのです。私たちが個人の家ではないですか? 男性は神様が性相的に分立した神様の家です。女性は神様が形状的に分立した神様の家です。二人が新しい一つの主体として、大きな主体となるために、夫婦を中心として家庭形成の主体的な形状になるのです。真の愛がなければ、心と体が一つになれず、プラスとマイナス状態が一つになりません。愛がなく、二人がだめになれば神様が離れます。神様が離れれば、私の心も離れるのです。男性の心も離れて、女性の心も離れるのです。なぜ、離れるのですか? 神様が離れるからです。 家庭もそうです。息子と娘がいて、三代が一つになって、互いが必要であると感じなければなりません。祖父母も必要であり、父と母も必要であり、夫婦が必要であり、息子と娘が必要でなければなりません。お互いが必要なのです。「あいつがいなければだめだ」と、お互いすがらなければならないのです。そうして、築いたのが家庭です。それが核となって、さらに大きいもののために投入するのです。 そのような家庭が十家庭あるとして、その十家庭のために投入すれば、中心家庭になります。十家庭のためにより多く投入すれば、結果的に十家庭の中心になるのです。そのようになるのです。原理の内容が、先生が語ったその原則を中心として、すべて連結されているのです。 宇宙全体がそうです。上下においてもそうであり、前後においてもそうであり、左右においてもそうであり、すべてが連合なのです。天宙真の父母。天宙が運動しているでしょう? 「天宙真の父母連合」と言えば、すべて入るのです。上下関係、前後関係がこれを中心として、育っているのです。 真の父母とは何でしょうか? 神様の愛を中心として、生命圏を中心として、血統圏を中心として、良心圏を中心として、すべて一体になることができるのです。真の父母が定着できるのは、そのような場です。それが芽となって、そこから育って世界に枝が伸びれば、国家、世界、天地がすべて連結されるでしょう? それは移動するものではありません。 神様は絶対、唯一、不変、永遠なので、定着する基準も絶対、唯一、不変、永遠でなければなりません。何によって? 政治力ではありません。手段によってではありません。力によってでもいけません。真の愛によって為に投入するようになれば、より多くの価値を持つようになるのです。 真の愛を中心として、為に投入すれば、それは絶対になくなりません。発展するのです。入力よりも出力が大きいのです。なぜでしょうか? 宇宙がそうです……頻繁に現れれば宇宙が来てくっつきます。真の愛も核が現れれば、来てくっつくようになっています。磁石も鉄分があれば、鉄分の配合比率によって引っ張る力が違うでしょう? 同じなのです。真の愛が宇宙を引っ張るのです。 神様は、真の愛をもって創造されたでしょう? 一人ではいけません。真の愛があっても、一人で何をしますか? 女性がどんなに美人であっても、一人で愛や生命、血統があっても、一人ではすべてなくなるでしょう? あってもないような存在になります。ですから、女性と男性はどうしてこんなにも慕い合うのですか? なぜ、数千年が過ぎても慕って、相対がなければ生きられず、生命を投げ出してまでも互いに保護しようとするのかというのです。それは真の愛があるためです。 「天宙真の父母連合」について分かりましたか? 核です、核! この中心は、相対的な面で水平を持てなければ球形になりません。これが大きくなりません。それで総決算的な永遠の定着基盤を中心として、韓国で摂理するために、このような組織を組んだのです。 永遠にいかなる存在であっても、真の父母が絶対に必要なのです。真の父母の愛が必要です。私たちの四肢に生命がぶら下がっているでしょう? 生命がぶら下がっており、愛がぶら下がっています。神様の愛は永遠に生きていて、その愛の本体なる力が、生命をもって動かすことができるので、永遠となるのです。愛だけが永遠なのです。愛だけが常に縦的なてっぺんに立つことができます。愛し合う夫婦は横的になります。 愛と生命がここで和して、血統が連結されるのです。分かれていたのがここに入ってきて合わさるのです。合わさって上がっていったのが下りてきたので、下りてきてこちらに広がっていくのです。血統が重要だというのです。血統を残さなければなりません。 愛の根である神様から、数多くの先祖を経て生まれ、だんだんと大きくなりますが、一なるこの中心は変わることはありません。血統は永遠だからです。神様の血統的な根源の相対になれば、ぴったと一挙にくっつきます。神様を中心として世界の球形を形成すれば、自動的に連結するのです。そのような意味から天宙何ですか?「真の父母連合」です。 真の父母が何ですって? 真の愛です。絶対、唯一、不変、永遠なる愛の基準において、中心の立場にいるのが真の父母です。すべて相対的な基準が必要です。誰しも相対が必要なのです。小さいものは小さな相対が必要です。小さいものは小さいながら、主体と対象を中心として球形を形成し、大きいものはこれを中心として球形を形成するのです。こうしてさらに大きいものとなっていくのです。神様は根本であられるだけに、始まりから終わりまで球形を形成するのです。宇宙がすべてその愛の圏に入るのです。 だからといって、小さい存在はそのままでは存在しません。真の愛ゆえに存在するのです。個性真理体の理想が何ですか? 私の細胞が四百兆以上にもなりますが、その細胞を一つも無視できないのです。それでは「天宙真の父母連合とは何ですか?」と聞かれれば、どのように説明しますか? 今、先生が説明したことを話すのです。 「天宙平和統一家庭堂」とは何ですか? 根源の場に合わせることのできるのが、家庭です。家庭が合わせることができるのです。個人時代の家庭、氏族時代の家庭、民族時代の家庭、それが水平にならなければなりません。ですから、自分の家庭よりも大きいのが氏族なので、氏族のために完全に投人して生きていくのです。そのようにしてこそ広がっていきます。自分の家は上がって、投入したものは下がっていきます。それで水平になるのです。 ですから、縦的な基準の権限を持ってどこでも行けるのです。一つになったならば、神様が行かれる所にどこでも行くのです。神様はこのように高いのですが、一つになったので、個人時代から八段階が一つになったので、縦的に連結され、この軸を連結して、この軸を中心に回るのです。宇宙がその圏内に入ってきているので、神様のものとなり、私のものとなるのです。それは私だけではいけません。神様もそのような息子と娘を願うのです。 ですから、この真の父母の思想を連結できる横的な基盤があって、主体との相応的な内容が連結されてこそ、球形となるのです。それは神様のものであると同時に相対のものです。 ですから、夫と妻は互いにそれを壊すことはできません。壊せばそれまでの基盤がすべてなくなります。再びやったとしても、二度目は下がっていくのです。世界から国家基準に落ちて、下っていくのです。後には、愛も何もかもすべて無視してしまいます。「愛が何ですか? 組織が何ですか?」と言うのです。 このように離れて下がっていったので、必要のない愛になります。愛を求めていきましたが、生命の価値を見いだせずに無視されたので、自殺するようになるのです。理論的にそうなります。「何が残るというのか? ひどく苦労しながら、ああでもなくこうでもなく生きるなんて!」と言うのです。「きれいな青春時代に愛の傷跡をつけず、生命を害さないで生きられないならば、きれいな立場で死のう」と言って、若者たちの中に自殺する者が増えるのです。この内容を知らないからそうなるです。 それで「天宙真の父母連合」、「天宙平和統一家庭堂」です。どこに行っても縦と横を連結しなければなりません。心と体が一つになれというのです。夫と一つになれというのです。氏族の中には数多くの家庭が入っています。自分の家庭を中心として数多くの家庭を犠牲にしようというのは破壊分子です。ですから、氏族のために家庭が犠牲になるのです。民族に対しては氏族が犠牲となり、国家の前では民族が犠牲になるのです。これが存続の原則です。先生が考え出した適当な手段的論理ではありません。天理の原則です。 間違いなくそうやれば、どんなに端っこの位置にいても、ぱっと真ん中に来るのです。あなたたちがここで全体を中心として、そのような立場でやるようになれば、次第に近くに来るのです。中心の立場に立たされるのです。近くに来て中心にならなかったとしても、その中心の相対的な立場に立つことによって、知ることによって、時間が過ぎれば自然と中心を代身できる立場に入っていくのです。 この両者が合わされば、さらに別の中心として現れるのです。体制が変更すればそうなります。家庭時代と氏族時代は違うのです。自分の家庭時代の習慣を持ち出してはいけません。ですから、今、統一教会が問題です。家庭時代の習慣、昔の習慣性がどれほど恐ろしいでしょうか? 自分の活動基準を中心として、家庭時代の活動をそのまま世界時代に適用しようとすればだめなのです。天が協助しません。 中心が大きくなるのに、家庭時代の基準でよいでしょうか? これは破壊です、破壊。消耗です。じっとしている方がましなのです。ですから、新しい分野に責任を負えば、新しい分野において歴史時代のいかなる者よりも、立派に成し遂げなければなりません。立派にやる者以上に立派にやり遂げるのです。その者が十時間動けば、私は十一時間動くというのです。十分でも多く動いてこそ、発展するのです。 先生は南北統一だけやるのではありません。世界の頂上に向かわなければなりません。それで今、準備しているのです。今回、全世界的にそのような組織を築いたのですが、ずばぬけた者たちが参席したので、文総裁が願う基準を中心として、ここに来た者たちを平準化しなければなりません。この者たちはそうなっていますが、全体はなっていないのです。国家を中心として回って、その基準まで来ていないので、回って教育して、一つの基準を中心として連結しなければならないのです。 個人完成してくっつけ、家庭完成してくっつけてこそ、三六〇度が大きくなっていきませんか?人間の構造を見ると、すべて中心になっています。人間を見てみると、ここからずっときて、鼻から、唇から、鼻の下から、あごから……あごも二つに分かれます……腹、生殖器まで、一直線になった人は良心的なのです。 皆さんが鏡の前に立って、生殖器をじっと見れば、どのようになっていますか? 角度がねじれているか分析しなければなりません。左側かそれとも右側かというのです。娘をたくさん生むか、それとも息子をたくさん生むかというのです。角度が違うのです。女性たちもそうです。歪んだ女性たちもいるのです。それは浮気をするのです。男性たちもそうです。 木を見ると、どんなに丸くても、てっぺんがどこかを探さなければなりません。そのようなことを考えないでしょう? てっぺんと一つになり得る垂直関係がどこにあるかというのです。その木は、育っても円満に育つというのです。(三一七-二六三、二○○○年二月二十八日) 今や韓国から始めて世界の女性を動員するのです。新しい戦線です。それで「天宙真の父母連合」と「天宙平和統一家庭堂」を創設しました。これが新しい戦線の標的です。これらの組織を完成すれば終わりです。それ以上はありません。それ以上、タイトルを掲げられる表題がありません。最後なのです。(三七-一四八、二○○○年二月二十四日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.25
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真の愛は誰もが願う日付:二〇〇〇年二月十三日場所:韓国、ソウル、リトルエンジェルス芸術会館行事:第四回「世界文化体育大典」祝賀会 尊敬する内外の貴賓の皆様。公私共にお忙しい中を、「世界文化体育大典」に参席してくださった皆様に、心から感謝を申し上げます。 一人の神様のもとの一つの世界 理想家庭を通じた真の平和世界の具現のために、私が生涯をかけて追求してきた各種の平和運動は、神様のみ旨を地上に成就してさしあげるための一環として、推進されてきました。分裂と葛藤の一世紀が終わり、平和と統一を模索しながら出発した新千年の希望は、漠然と成就するわけではありません。 神様の創造理想を中心として全世界が、「一人の神様のもとの一つの世界」を指向するという具体的な青写真をもって、各界各分野で具体的な実践運動が世界化されなければならないのです。 私は、かつて十六歳(数え)の少年時代に天のみ旨に接して以来、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖人たちと自由に霊通しながら、生涯を通じてあらゆる試練に打ち勝ち、神様のみ旨を成就する一念で、全身全霊を投入してきました。その中で私は、神様のみ旨は、地上と天上に、自由と平和と解放の天国の建設にあることを知りました。本然の神様と人間の関係は、永遠の父母と子女の関係です。堕落とはその断絶を意味し、復帰とは父母と子女の関係を回復することをいいます。 私がこれまで設立した各種の平和団体と国際組織は、「一人の神様のもとの一つの世界」を構想してこられた神様のみ旨成就のためのものです。特に、皆様が参観された国際祝福行事は、堕落によって受け継いだ人種、宗派、国家間の葛藤を根本的に解決するための神様の戦略です。五色人種が一つに調和し、真の夫婦として出会うことにより、「一人の神様のもとの一つの世界」を追求する、聖なる理想が実現するのです。 きょう、私の八十歳の誕生日の祝賀行事と第四回「世界文化体育大典」の歴史的大会を終えながら、皆様と共に考えてみようと思う話の題目は「真の愛は誰もが願う」です。 愛は必ず相手を求める 皆様。人間にとって最も重要で必要なものとは何でしょうか。それはお金や権力、あるいは知識ではありません。生命よりも貴く、空気よりも必要なものは、真の愛です。真の愛が、私たちにとってこれほどまでに貴く、重要なのは何のためでしょうか。 人間が生きていく上で、神様に会うことを願うように、神様も真の人間に会いたいとお思いになります。しかし、神様が人間の中でも男性と女性のどちらか一方に先に会いたいとおっしゃるならば、恐らくもう片方が不平を言うでしょう。 ですから神様は、愛を前に立てざるを得ないのです。愛さえ前に立てれば、男性と女性は一緒に会うことができ、一緒に触ることができ、一緒に分かち合うことができるからです。世の中で最も貴いものがあれば、男性と女性は互いに自分のものにしようと争うのですが、それが愛であるということが分かれば、二人は互いに一つになって、互いのために所有しようとするのです。 このように、愛は、誰もが好むということだけではなく、愛のみが人間の欲望をすべて均等に充足させることができるという原則があるので、神様の救援摂理も可能なのです。 愛とは本来、神様のものです。しかし、いくら神様のものだといっても、神様一人では所有できるものではありません。愛は必ず相対を要求するようになっているのです。男性一人、または女性一人だけでは愛は成立しません。ですから、男性の愛のために女性が、女性の愛のために男性がいるということになります。醜い男性も、醜い女性も、愛の対象が現れることを願うのです。それも、最も高い愛の対象であることを願います。 ですから、宇宙のすべての存在を見れば、みな主体と対象、プラスとマイナスのペアになっています。鉱物界、植物界、動物界、そして人間の世界もすベてペアシステムになっているのです。なぜならば、すべてがこのような相対関係を通じて真の愛を願うからです。 そして、この宇宙の中で絶対に一人では所有できないのが愛ですが、反面、相対が現れることによって、愛で連結されたすベてのものを所有するようになるのです。同じように、子女なしでは、子女を愛することのできる父母の愛は現れず、子女に対する父母の愛の主人にもなれないのです。 ですから神様も、真の愛で愛するために、その相対として宇宙と人間を創造されたのです。このように子女の愛や兄弟の愛、夫婦の愛、そして父母の愛のすべてが、主体と対象が一つになることによって現れるのです。主体と対象が一つになれば、これら二つは分けることができません。もし分けるとするならば、真の愛が破壊されるのです。本来、離婚という概念はあり得ないのです。 真の愛の本質 男性が愛を感じるからといって、それは自分によるものではありません。女性から始まったものです。また女性が愛を感じるからといって、それもまた自分によるものではなく、相対である男性に由来するものです。すなわち、愛の主人は相対です。ですから、愛を貴く思う以上にその相対を貴く思い、相対の前に感謝して、ために尽くしてあげなければなりません。 これが、祝福を受けた夫婦が永遠に共に暮らすことのできる根本の道理です。このように夫婦が、互いにために生き、尊重し合い、真の愛によって完全に一つになるとき、これを通じて堕落したサタンの血統が根絶されるのです。 真の愛とは、横的な水平関係だけでなく、縦的な垂直関係においても成就されます。真の愛の横的関係が、縦的にだんだんとその次元を高めれば、結局、その頂点に到達するのですが、その場が「真の愛の王」である神様の位置なのです。その位置では、すべてのものが結合し、抱かれ、愛と化し、そして花咲くことができるからです。 ですから、宇宙の中にあるすベての存在は、愛によって和合することを願い、愛の中で生きることを願うという結論になります。愛のために生まれ、愛のために生き、愛のために死ぬということになります。 真の愛は人間のみならず、すべての万物も願います。ですから、万物の霊長である人間は、神様の造られた万物を抱いて愛してあげるべき責任があることを知らなければなりません。万物たちは、このような主人を探しています。このような基準に私たち自身を照らしてみながら、自分を恥ずかしく思わなければなりません。 宇宙いっぱいに満ちたすべての存在は、それぞれの位置で相対と共に存在していますが、結局さらに高い愛の次元に吸収され、上昇するようになるという原則に従うのです。すなわち、鉱物は植物に、植物は動物に、そして結局は人間にすべて吸収されることを願うのです。 ですから、すべての存在は、捕まって食べられたり、吸収されたりして、さらに高い愛の次元に上がり、最後は愛の根源であられる神様の最も近い愛を受ける位置にまで進んでいくようになるのです。このようにすべての存在が究極の目的地とするのは、正に真の愛の本質です。 ダーウィンの「弱肉強食」という言葉は、このような愛の論理によって再解釈されなければなりません。ですから、ありや微生物までも真の愛を願うだけではなく、自分を愛してくれる主人のところに行って死のうとするのです。このような原則から神様の愛の最も高い対象として造られた人間は、すべての万物を食べたり、所有したりできる立場にいるのです。 私たちは、すべてのものを食べ、所有したとしても、これらを造られた神様の真の愛の心をもって食べたり、所有しなければなりません。万物の中で長い形のもの、例えば、うなぎや、魚が好きなみみずのようなものは、大概、薬材として使われるのです。どの段階であれ、すべてが食物連鎖しています。そうでなければ、宇宙は存立することができないのです。 男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本 神様の理想は、アダムとエバを種として家庭をつくり、氏族をつくり、国をつくって、膨大な天の国の民をつくろうというものでした。天の国の民は、このような神様の真の愛の伝統に従って繁殖するのです。私の言葉とチャールズダーウィンの理論は正反対ですが、平和の世界は、私の言葉のとおりに成し遂げられるのです。なぜならば、これが創造理想を実現する根本原理だからです。 進化論と創造論の論争が続いてきましたが、「創造」という言葉には、既に「創造主であられる神様がいらっしゃることを認める」という意味が前提にあるのです。神様が主体と対象の授受作用を通じて形づくられた被造世界には、方向性と目的観が前提となっていますが、唯物論に基づいた共産主義の理論には、このような方向性も目的観もありません。神様の創造には真の愛の目的がある反面、共産主義には闘争と破綻があるのみなので、結局すべて消え去ってしまうしかないのです。 すべての万物の中でも最も貴い存在が人間、すなわち男性と女性であり、その中でも最も重要な部分は、鼻や目、手、頭脳ではなく、愛の中心器官である生殖器です。この愛の器官によって、宇宙のすべてが再創造されるのです。 植物も動物も、この生殖器によって繁殖し、拡大していくのです。最も価値があり、一つとなった素晴らしい家庭も、それが一つとなった夫婦から現れるのです。一つとなった夫婦によって理想家庭が始まります。この愛の器官こそ、愛と生命の本宮であり、血統と歴史が連結する絶大な価値をもつ所なのです。 神様が宇宙を造られた根本原理は、雄と雌の概念を通すというものです。この雄と雌が絶対的な愛を願うならば、そのペアが二つであってはいけません。ただ一つ、絶対に一つでなければなりません。永遠に絶対男性と絶対女性でなければならないのです。それで神様は、アダムを二人造ったのではなく、エバを二人造ったのでもありませんでした。ただ一人ずつ造ったのです。 ところが、今日の世の中を見ると義理の父が十人もいるケースを見かけます。いかに偽りで汚れた世の中でしょうか。女性も男性も貞操を守り保護することは、宇宙を保護することと同じことなのです。それは男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本だからです。 ですから、これを動物のように濫用してはいけません。愛の主人は神様なのです。その中でも真の愛の「真」は、二つを許すのではなく、ただ一つだけであり、絶対に一つなのです。 真の愛と関係を結ぶには 「真の愛」とは、誰も語れるものではありません。唯一、神様のみが、本当の真の愛で愛することができ、真の愛の絶対主人になられるのです。ですから、神様の真の生命も、神様の真の血統も、神様の真の良心も、真の愛を必要としています。このように、神様の最も根本的な本質は真の愛なのです。 また、この真の愛と関係を結ぶには、神様と関係がなければなりません。自分の父母がけんかをせずに豊かに暮らしているからといって、真の愛で愛しているとは言えないのです。恋愛する若い未婚の男性と女性が、互いに命を懸けて愛し合っているからといって、それが真の愛であるというわけではありません。神様が介在していないので、真の愛ではないのです。真の愛は必ず神様を中心としなければならないのです。 神様の息子、娘になるには、神様の血統と生命と愛に関係しなければなりません。権力や知識やお金、軍事力だけをもってしては、真の愛の世界では歓迎されません。真の愛は誰もが願うものですが、愛とは、ために尽くすことによって可能であるという原則を知らなければなりません。相手のために奉仕し、犠牲になってあげなければならないのです。「私のために生きよ」という心で人に接すれば、みな逃げていってしまうのです。 このような利己的な個人主義は、サタンの戦略であり、目的であり、道具です。ですから、その結果は地獄にほかなりません。全体のために生きなければなりません。人のために、全体のために犠牲となって奉仕すれば、みなやって来て、私を愛してくれるのです。 神様と共に永生する道 子女として造られた人間が、兄弟となり、夫婦となり、そして父母の位置に進む過程ごとに、神様はそのすベての真の愛の主人になるのです。すなわち、人間が育つ過程を見ながら、神様はそのすベての段階の愛の主人として定着されるのです。 したがって、神様をしてすベての愛の主人とならしめた人間こそは、神様よりも貴い存在であると見ることもできるのです。ちょうど自分の愛する人を、自分よりも何千万倍も価値があるものとして貴く思うようにです。 ですから、より貴いもののために、神様は投入しては忘れ、また投入してはお忘れになるのです。一〇〇パーセント投入されたのち、一〇〇パーセントお忘れになるので、続けてさらに投入できるのです。 自分の夫が立派になることを願う妻は、夫のために投入しては忘れ、また投入しては忘れることによって、夫を成功させることができます。投入して忘れることを続ければ、その愛の段階が高まって、究極的には、神様の位置に連結されるのです。そうして神様と共に父子の関係を結んで永生するのです。 誰もが天国に行きたいと思うのですが、「私のために生きよ!」という思いばかりをもっていては天国に行くことができません。真の愛は、神様がお造りになったすべての傑作を抱き、ために生きるところから始まり、全世界の人類と究極的には神様のために生きることによって、天国に至るようにするのです。 一生に三回以上は、生命を懸けて、ために生きようとしなければなりません。人類は、アダムとエバの堕落、イエス様の十字架、そして再臨主の家庭を追い出した迫害のすべての歳月を蕩減しなければなりません。 神様に出会うには、三度死の境地を通過しても、神様に自分のことを分かってもらうことを望むより、神様のためにもっと尽くそうとしなければならないのです。そのような人々が生きる世界がこの地上にあるならば、そこが正に天国です。この道を私が教えており、そのような世の中をつくっているのです。 愛によって形成される存在はすべて球形 子女は父母の愛の実ですが、愛の実というのは、愛と生命と血統が合わさって形成されるものであることを知らなければなりません。子女たちは「自分のもの」を主張しますが、「自分のもの」の出発点は父母です。父母は根であり、幹です。父母がいなければ、すべて孤児です。父母につながっている愛の梯子を切ってしまったら、根と幹につながつて生きることはできないのです。 真の愛の起源となられる神様を父母として、私たち人間は、息子、娘の立場に立てられました。また父母は本来、子女のための愛の最高の主人です。父子の関係が縦的な垂直関係であるのに比べ、夫婦関係は横的な水平関係です。 ですから、父子関係と夫婦関係が互いに直角を形成し、ここに前後関係である兄弟関係が合わさることによって、すべての愛の関係が球形を形成するようになるのです。それで、愛によって形成されたすベての存在は球形なのです。宇宙全体が球形になっているのです。このように形成された球形の中心位置ですベての愛が統一され、定着するのですが、その場に神様がいらっしゃるのです。すなわち、神様とその息子、娘である人間の垂直関係を中心として、男性の愛と生命と血統が右に定着するならば、左には女性の愛と生命と血統が定着するのです。 ここに兄弟の愛が前後の方向に定着すれば、そのすベての愛を中心として宇宙全体がバランスを取るようになるのですが、これらが一番の核として出会うところに神様がいらっしゃるのです。これを平面的に横にして見れば、愛の根、生命の根、血統の根、そして良心の根に神様がいらっしゃるのです。 このように神様を中心とした家庭では、縦と横、そして前後の愛が一つになるのですが、このような家庭から氏族になり、民族、国家、世界、そして天宙に至るまで拡大していくのです。その根本的中心は、常にお一人の神様であられるのです。 善悪の転換点で善人と悪人を共に祝福 アダムとエバが堕落していなければ、真の夫婦の愛のモデルが現れていたはずであり、彼らから愛の教育、すなわち愛することを学んでいたはずです。彼らが子女をもてば、誰がその子女を結婚させるのでしょうか。それは父母です。それでは、果たして今日、この社会で父母がどれほど子女たちの結婚に関与しているかを考えてみなければなりません。 統一教会には真の父母がいるので、世界の人々を父母の立場で祝福結婚させてあげています。ここでは、人種の差別を超えるだけでなく、誰でも分け隔てなく一緒に結婚させているのです。 真の父母は、悪の愛、悪の生命、悪の血統を、接ぎ木によって転換し、否定させることによって、アベルの命を奪ったカインを排除せずに、同じ立場で祝福してあげるのです。潮水を見るとき、出ていく水と入ってくる水が出会い、水平になった時のように、歴史的に救援摂理の蕩減復帰が終結する善悪の転換点において、善人と悪人を共に祝福してあげることによって、サタンが完全に追放されるのです。 そしてエデンの園で誤った結婚をしたことが堕落なので、今は真の父母が正しく結婚させることによって、これを再びひっくり返すのです。偽りの父母が犯したことを真の父母が清算することによって、地獄を撤廃し、数百数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させ、真の愛を中心とした本然の真の生命と真の血統を取り戻し、真の父子関係を復帰するのです。 こうして、神様の創造理想である八段階の真の愛のモデル的な主人を完成するようになります。すなわち、腹中時代、幼児時代、兄弟時代、思春期時代、約婚時代、夫婦時代、父母時代、真の祖父母時代、真の王と真の王妃の時代を経て、永遠に変わらない真の愛の伝統を立て、父子関係である真の愛のモデルが完成するようになるのです。 新しい家庭革命と道徳革命を主導せよ 真の神様の真の愛と真の生命、そして真の血統は、絶対、唯一、不変、永遠なので、子孫万代の不変な真の愛を中心としたモデルとして相続されるのです。そして真の愛を中心としては、父子一体、夫婦一体、兄弟一体になるのです。 父を愛の主人にしてくれるのは息子であり、夫を愛の主人にしてくれるのは妻であり、兄を愛の主人にしてくれるのは弟です。反対に、子女に父母がいなければ、妻に夫がいなければ、兄に弟がいなければ、それぞれ愛の主人の立場を見いだすことができないのです。 真の愛の主人になるためには、相手を自分よりも高め、相手のために尽くさなければなりません。ですから、個人においては心身一体、家庭では夫婦一体、兄弟一体、そして国家一体を形成し、八段階の理想モデルである愛圏を完成するのです。 そうして父母と子女、夫婦、兄弟姉妹、そして国々がすべてこのような真の愛を中心に八段階モデルの主人になることを願うところが、私たちの理想家庭と国家です。ここから永遠の世界的平準化が始まるので、地上天国が出発するのであり、また天上天国も自動的に築かれるのです。 今、新たに始まった二〇〇〇年代には、世界の至る所で活動している私たち祝福家庭が、天地父母様と一つになり、真の愛を中心とした新しい家庭革命、世界的な道徳革命を主導することによって、すべての地上と天上に永遠の平和と統一と幸福の理想天国を創建することが神様の願いなのです。 皆様がこの神聖な聖業に同参し、神様の真の愛圏を受け継ぐ主人になってくださることを願います。皆様の御家庭に神様の祝福が共にあることをお祈りします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.25
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天宙は私の故郷と祖国この講演文は2000年2月10日、韓国ソウルのロッテ・ホテルで開催された文鮮明先生御生誕80周年記念の祝賀晩餐会で語られたみ言です。 尊敬する内外の貴賓の皆様! 今日、私の八十回目の誕生日を祝賀してくださるために公私共にお忙しい中、全世界の至る所から、ここ韓国を訪ねてこられた各界各層の指導者の皆様に、心から感謝申し上げます。私は、今日まで共にいてくださり、見守ってくださった神様に、このすべての栄光をお返ししようと思います。 私は生涯を通して、ただひたすら神様の創造理想実現のために諸般の難問題を解決しようと心を砕いてきました。 十六歳(数え)の少年のころに天命を受け、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖賢たちと自由に交流しながら、神様のみ旨の究明とともに、人類救援のための復帰摂理歴史を完結するために、孤軍奮闘してきました。 知ってみると、神様は栄光と尊貴の玉座にいらっしゃるお方ではなく、堕落し地獄に落ちた子女たちを救うために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。 この意義深い日、私たちが心に刻まなければならないことは、私たちがみな、神様の心情と完全に一つになることであり、さらには神様のみ旨を成し遂げることです。 人間は堕落によって霊的無知に陥ることにより、神の実存および人間と宇宙に対して根本的な無知に陥りました。したがって、肉身をもってこの世をどのように生きるべきか、死後の霊界の実在とそのための準備として地上生活がどのようでなければならないかということを知らないまま生きてきました。 神様のみ旨と心情を知って生きてきた私の生涯は、一言で言えば、昼夜を忘れ、季節も環境も超越して、ただみ旨を成就するために全身全力を尽くす道でした。 私の八十年の生涯を振り返ってみるとき、これまでの多くの苦難と迫害にもかかわらず、この場できょう、皆様と共に過ごすことができたのは、ただただ神様が助けてくださったからです。 私はこれまで、世界の至る所の公席で一万回余り話してきました。これは既に三百巻余りの本として発刊されました。 きょう、世界最高の指導者の皆様と出会ったこの意味深い場で、これまで私が考え、教えてきた内容の一端を「天宙は私の故郷と祖国」という主題でお話ししようと思います。 理想的な存在のモデル 本来、天宙は、人間が主人となって暮らすように造られた巨大な家です。そしてこの天宙の中心となった人間は、上下、左右、前後の関係性、すなわち父子関係、夫婦関係、兄弟関係の中で球形として存在します。神様は、この上下、左右、前後である一、二、三、四、五、六の中心である第七の位置にいらっしゃいます。それで神様は、私たちの日常生活を指導されながらも、見えない中心の位置にいらっしゃるのです。 人間は、堕落したサタン圏内での拘束と苦衷の中から、神様の助けにより自由と解放を受け、真なる息子、娘として成長したのちに、相対に出会い、真なる夫婦となり、さらに子女を生み、真なる父母となることが正しい人生路程です。ゆえに、私たちは、真なる子女を否定することができず、真なる夫婦を否定することができず、真なる父母を否定することができません。これを否定すれば、宇宙の原則に逆行し、自らの存在を破壊することになります。 それゆえ人間は、真なる父母と共に、真なる夫婦と、真なる息子、娘によってなされた真なる家庭を成し遂げなければならないのです。これがすなわち、理想的な存在のモデルとなるのです。 人間は、家庭で真なる父母の愛を完全に受けなければならず、真なる夫婦の愛を完全に受けなければならず、それから真なる息子、娘の愛を完全に受けなければなりません。このようなすべての人間関係を完成させるのは、お金でもなく、知識でもなく、権力でもなく、物質的な力でもない、均衡をなす神様の真の愛しかありません。 真の愛は、投入する力です。与える力であって、受けることのみの力ではありません。すべてを与え、零点(ゼロ・ポイント)の位置に入っていくのです。完全に空いた場になるので、零点の位置には、何が入ってきてもOKです。 それで、与える力が永続するので、戻ってくる力が加重され、永続することによって、永遠なる均衡がなされるのです。それゆえ、真の愛を中心に「ため」に生きる世界は、授受作用を通して完成されるのです。 天地のすべてのものが相対的関係で存在しているのも、このように授けて受ける作用を通して、真の愛の世界を成すためなのです。 相対関係において、すべての授ける力に対して、戻ってくる力が運動することによって、その中心点は永遠に定着することができるのです。すなわち、天運の数である七のような真の愛の中心位置に神様がいらっしゃり、全宇宙が均衡をなして運行しているのです。天運というのは、このように受けて返す巨大な天宙的な流れです。 その中で、愛も流れ、空気も流れ、水も流れ、光も流れます。しかし、その流れは、回り回って、再び円形に戻っていくのです。 天宙が私の故郷であり、私の祖国 内外の貴賓の皆様! 善なる人とは、どのような人ですか。様々に定義することができるでしょうが、一つは、受けたものを踏み倒す人は悪なる人であり、受けたものに対してプラスして恩返しする人は善なる人であるというのです。 それゆえ、子供が自分よりも低くなることを望む父母はいないのです。高くなることを望みます。また、夫は妻を、そして、妻は夫が自分よりも素晴らしくなることを願います。また、兄は弟を、弟は兄がもっと立派になることを願うのです。 ゆえに、受けたものよりも、もっと大きなものを返そうとするのが父母の願いであり、夫の願いであり、子女の願いであり、万物の願いであり、結局、宇宙の願いでもあるのです。 一歩進んで、大きな心で「天宙が私の故郷であり、私の祖国である」という考えをもった人だけが、自由と解放を受け、天宙的に歓迎されるのです。すなわち、個人的に歓迎され、家庭、国家、世界、天宙的に歓迎されてこそ、結局、神様の真の息子、娘になることができるという結論が出てくるのです。 私たちが暮らしたい本然の故郷 それでは、皆さんはどこで暮らしたいですか。自分が生まれた本然の故郷で暮らしたいはずです。しかし、本然の故郷は、広い意味で考えるとき、天宙の中でも地球星であり、祖国は私たちの先祖である神様がいらっしゃる所です。 この地球星で堕落していない本然の父母、兄弟、息子、娘が共に暮らすならば、そこがすなわち、私の故郷です。そこには、黒人、黄色人種、そして、白人が共に調和して暮らしているのです。 このすべての人種は誰の息子、娘ですか。父母は一人の方であられます。ゆえに、宇宙で、東西南北のどこに行ったとしても、共にいらっしゃる神様が人類の父であらざるを得ないのです。 例えば、米国の主人が白人であったり、黒人であったり、黄色人種であるという考えは、誤りです。米国の主人は神様であられます。 韓国も同様です。ただ皮膚の色が違うのは、住んでいる地域によって、保護色を合わせるための気候と環境の影響のせいなのです。それで、雪の多い地域には白人が多いのです。反対に太陽の光が強いアフリカのような所には、黒人がたくさんいるのです。しかし、人はみな根本的に同じなのです。 例えば、血の色や、皮膚や骨の形はみな同じです。そして、互いに愛し合うことも同じです。ゆえに、人種の差別はあり得ません。 それで、統一教会では国際合同結婚式を通して、人類を平等化してきました。自然の道理と原則を尊重してみると、五色人種が互いに結婚するようになったのです。黒人と白人が結婚することは、北極と南極が一つになることと同じです。また、黄色人種と黒人が結婚すれば、お互いの長所を受け継ぐようになり、より優れた後孫を生むと考えるのです。 愛があるところには、藤がありません。たとえ、皆さんの生まれた故郷と祖国は異なるとしても、一つ間違いのないことは、信仰の本郷地であり、平和と統一の本郷地というのは、真の愛を中心とした祖国と故郷であるということです。 人間世界で最も重要なこと 人間世界で、最も重要なことは真の愛、真の生命、そして真の血統です。真の愛には真の生命があり、真の血統が連結されます。真の血統が連結されなくては、真の愛が成されないのです。また、真の生命が連結しない愛は、偽りの愛です。真の生命は、真の愛と、真なる血統の因縁の中で懐妊されるのです。 このように、真の愛と、真の生命と、真の血統を通して、永生の道が開かれるのです。真なる人となり、真なる愛と、真なる生命と、真なる血統を後代に残すことが神様の創造理想なのです。 永遠なる真の愛、永遠なる真の生命、永遠なる真の血統の主人であられる理想的な神様に似た人が、天の国の完全なる真の息子、娘になるのです。 どうして結婚をするのでしょうか。まさしく、このような真なる血統的伝統を、過去、現在、未来に連結するためです。堕落する前、アダムとエバは神様に直接、自由に接することができたのですが、堕落したのちには、以前のように神様に接することができなくなってしまったのです。 さらには、堕落したアダムの子女たちであるカインとアベルは、神様の血筋を受けることができず、サタンの血筋を受け継ぎました。ゆえにイエス様は、ヨハネによる福音書第三章三節で「よくよくあなたに言っておく。誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われたのです。 人間は、血統的に誤った愛によって、誤った生命をもっている自分自身であることを自覚しなければならないのです。人間は、自分たちが愛の怨讐であり、生命の怨讐であり、血統の怨讐の位置にあるという事実を、この上なく恥ずかしく思わなければなりません。1 神様は、今日の世界でフリー・セックスやホモセックスが乱舞していることを御覧になって、言葉にできない悲しみと苦痛を感じていらっしゃいます。しかし、そのような怨讐の息子、娘を自分の息子、娘よりも、もっと愛さなくてはならないというのが神様の立場です。投入し、忘れ、また投入し、忘れながら、失ってしまった息子、娘を再び取り戻そうとするのが、神様の救援摂理です。 堕落した生命を生かすためには、それよりももっと強い生命力を投入しなければなりません。堕落し、偽りの種で腹中に宿された子供を見ながら、悲惨に感じている神様がどんなに哀れでしょうか。そのような子女が繁殖し、今日の六十億の堕落人類となったのです。 人間は本来、三時代を通過するようになっています。母の腹中時代は水中時代であり、地上世界は土と水と空気の時代であり、死後の世界は愛の時代です。 胎児が母の腹の中で栄養をもらって育つのと同じように、人間の肉身は、地球星で、万物を食べながら成長するのです。それで、人間は、地を母のように愛さなければならないというのです。 霊界は、太陽のような光が、夜も昼もさす所です。太陽系は、常に昼です。霊界もこれと同じです。 霊界での愛の光は、変わることがありません。朝でも夜でも、北極でも南極でも、愛は変わることがありません。そのような真の愛が充満した世界が霊界です。霊界は、春夏秋冬という季節を通して実を結んだものを収穫し、倉庫に貯蔵する所と同じなので、地上世界の人生が結実した所です。 メシヤは人類の理想的核の家庭の主人 復帰歴史路程で、これまで神様の直接的な真なる血統が連結され、真の生命をもって出生した人は、イエス様しかいません。 ゆえに、これまで堕落した人類の中で、地上や霊界で、神様の直接主管圏に入っていった人は一人もいませんでした。それで神様は、これまで一人、孤独な悲しみの歳月を過ごしてこられたのです。 ゆえに、人間も悲しく、万物も悲しい世界となってしまったのです。それで神様は、信じることができる一人の人、すなわち、血筋を浄化させ、真の生命に重生させ、神様の真の愛を受け継ぎ、解放の主人になることができる一人の男性、メシヤを探してこられたのです。 皆さんも御存じのように、アダム以降、旧約時代の歴史は、メシヤを迎えるための選民の歴史です。準備された選民、イスラエルを通して、イエス様がメシヤとして来られ、万民をイエス様の家庭と接ぎ木し、真の血統を世界化しようとされたのが神様のみ旨であったのです。しかしユダヤ民族の不信により、イエス様が十字架にかかられることによって、その歴史は再臨理想として残されました。 したがって、再び来られる再臨主は、人類の真の父母の立場で、再び真の愛の家庭を取り戻し、天地父母の位置を経て、人類救援摂理を完成しなければなりません。 メシヤが出発しなければならない起点は、アダムとエバが堕落しないで完成した家庭よりも、もっと神様に栄えある立場で、もっと素晴らしく侍ることができる孝子、孝女の家庭とならなければなりません。 メシヤは、真の愛を中心とした父の立場で、真の生命と真の血統を連結し、新たに出発しなければならない人類の理想的な核となる家庭の主人です。ここから、祝福結婚した家庭を連結し、地上天国、天上天国の完成をみるのです。ゆえに、メシヤは人類の前に真なる父母として来られなければなりません。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従を実践してこそ 来られるメシヤは、サタン世界の愛とサタン世界の血統を否定し、神様の真の愛で連結した、完成した個人、家庭、氏族、民族、国家、世界と天宙を成さなければなりません。 すなわち、真の父母の愛によって、全人類が新たな祝福結婚をすることによって、新しい血統的家庭の相続を受けなければならないのです。そしてこれは、真の愛でなくては道がないという事実を知らなければなりません。こうして、サタン世界の地獄圏を解放しなければなりません。 ゆえに、すべての人類は、八段階の復帰過程を経て、神様の子女の立場を取り戻さなければならないのです。すなわち、腹中時代を経て、幼児時代、兄弟時代、婚約時代、夫婦時代、父母時代、祖父母時代を経て、王と王妃の時代までの八段階を復帰しなければなりません。結局、人間は、神様の子女として、王子、王女として、天地の大主人になるという目的で生まれたことを知らなければなりません。 皆さん! このように、私たち人間は本来、成長し、男性は女性に出会って王となり、女性は男性に出会って王妃となり、天の国の王子、王女として、天の国のすべてのものを相続される相続者の位置にまで行かなければなりません。 そのためには、地獄の底から、八段階の蕩減条件過程を通過して、天国まで一体化させなければならないのですが、これは、メシヤとして来られる真の父母の祝福を通してのみ、可能なのです。このような祝福家庭(bless couple)は、世の中の前に助けとなる、主体的なプラスカップル(plus couple)にならなければなりません。 このように、完全に生まれ変わった新しい人になるためには、神様を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を実践しなければなりません。私もやはり、生涯を通じて、これを実践してきました。 神様は、宇宙を創造されるとき、絶対信仰をもって造られました。さらに、神様は私たち人間を愛の絶対的パートナーとして造られました。絶対従順とは、自分自身までもすべてなくして、完全投入することを言います。 このように投入しては忘れ、投入しては忘れ、最後には自分という概念まですべてなくなるゼロ・ポイントになるのです。 愛を否定されてももっと愛し、投入してももっと投入してこそ、怨讐を真の愛で自然屈服させる位置まで進むようになるのです。神様がそのような道を歩んでこられ、天地父母がそのような道を歩んできたのです。 投入し忘れてしまい、投入し忘れてしまうことを続ける人が中心者となり、全体の相続者となり、孝子の中の孝子となります。家庭の中でも、おじいさん、おばあさんなど、十人の家族が暮らすとしても、最も「ため」に生きる者が家庭の中心となるのです。国において、愛国者も同様です。投入し忘れてしまうほど、忠臣、聖人、さらに進んで聖子として決定されるのです。 神様は、人類歴史始まって以来、いかなる存在よりも、真の愛を中心として、より一層「ため」に投入し忘れてきたのであり、また、永遠に継続して忘れて投入することができるお方であるので、「ため」に生きる者の王となり、先祖となることができるのです。 私が導いてきた統一教会が、短い期間に世界的な宗教団体として成長したのも、まさしくこのような原理原則で努力してきたからです。 自分の生涯を振り返ってみるとき、私が人類救援の道を行くとき、今日に至るまで、有形・無形世界の億万のサタン勢力が反対し、多くの宗教指導者たちが反対し、各国の政権が反対しましたが、私は堂々と彼らのために生きてきたので、いつの間にか、彼らの中心位置に立つようになったのです。 真実を理解できず反対する彼らのために生き、反対する彼らの子女たちのために投入し、反対する政権のために生きてくると、いつの間にか、レバレンド・ムーンを尊敬するようになったのです。 国際合同結婚式の意味 私たちはここで、天の戦法とサタンの戦法がどのようなものであるかを学ぶことになります。すなわち、天の戦略は打たれて取り戻すことであり、サタンの戦略は打って失ってしまう戦略です。 このような原則のもとで、レバレンド・ムーンは、人類救援のための方便として、五大洋六大州に広がっている五色人種を「一人の方、神様のもとの一つの世界」を成すために、国際合同結婚式を挙行し、数千数万双の若者たちを祝福結婚させてきました。 東洋と西洋が結婚を通して一つとなるとき、世界で最も大きな文化的葛藤はなくなるはずです。米国人とドイツ人が結婚し、夫婦が真の愛で一つとなれば、怨讐であった二つの国が神様の真の愛によって一つになるのです。 さらに、レバレンド・ムーンは、霊界にいる霊人たちまで、真の愛により、祝福してきました。地上と天上に天国が成されるためには、霊界にいる霊人たちまでも祝福を通して解放しなければならないのですが、それは、地上にいる真の父母を通してのみ、可能であるのです。 人類の先祖が偽りの父母として、罪悪の種を蒔いておいたので、メシヤは、人類の真の父母として来て、地上と霊界のすべての人類を解放してあげなければならないのです。 血統で誤った問題に対する解決は、全知全能であられる神様でさえも、一人ではなすことができないのです。もし、神様がなすことができるのであれば、既にずっと以前にされたであろうし、また、堕落もさせなかったはずです。人間に賦与された自己の責任分担は、原理法度の神様においては、一切干渉されることができないのです。 ゆえに、再び来られるメシヤは、人類の真の父母として来られ、血統を汚した原罪をもった人間を真の愛によって重生してあげなければなりません。 このような点から、私が主導してきた国際合同結婚式の意味は、単純に、男女が配偶者として出会うところにのみあるのではありません。本然の神様の生命の種を賦与され、真なる神様の子女として生まれ変わるための、神聖な重生の儀式なのです。このように、蕩減原則を通して、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的蕩減時代を経て、最終的には、霊界解放と、地上解放時代を迎えたのです。 世界が、数千数万の民族に分かれ、父母、夫婦、子女まで分裂し、宗教圏も、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教など四大文化圏に分かれてきましたが、今私たちは、大統一家庭化時代を迎えたのです。新約時代を経て、完成時代である成約時代を過ぎて、堕落がなかった本然の第四次アダム圏時代に進入して、天国の時代に入っていくようになったのです。 言い換えれば、今は、国家主義時代が過ぎ、世界主義時代を越えて、天宙が一つの神様のもとで、一つとなる時代に進入したのです。さらに地球星が全祝福家庭たちの故郷となり、神様がいらっしゃる天上世界は祖国になり、一つとなることによって、永遠なる祖国主権復帰である地上天上天国が始まるのです。 神様の国とは 内外の貴賓の皆様! 私は、新千年が始まる午前零時に、全世界に送るメッセージを通して「真の愛の天宙化は、新千年天国完成」というみ言を宣布しました。 「真の愛の天宙化」という言葉は、天と地を真の愛の家にしようという意味であり、新しい千年を迎え、全体世界を通して天国を完成するということになります。 天宙は、神様から出発したので、その対象的立場にある愛の家の完成のために、家庭や氏族、民族、国家、世界が同じ公式原理の家を求めて、一つにならなければなりません。 国は、家庭が入ることができる愛の家であり、世界は、国が入ることができる愛の家であり、さらに天宙は、世界が入ることができる愛の家です。その中でも、真の愛の家庭というものは、巨大な天の国の家、天宙の出発点であり、核になるのです。家庭で夫は、妻の真の愛の家であり、妻は、夫の真の愛の家であり、父母は、子女の真の愛の家であり、子女は、父母の真の愛の家です。 神様の国は、真なる自由と、信仰の理想が花咲き、実を結ぶ所であり、真の愛と真の生命と、真の血統が結びついた真なる家庭がとどまる所です。さらには、永遠なる真の愛と幸福が充満した千年王国時代が始まる所です。 私がこれまで主唱してきた天地安息圏の中心が、神様が共にされる真なる男女が結合した家庭であるために、真なる家庭の価値を説き明かしてきたのです。ゆえに、私たちは、聖書でいうエデンの園をこの地球上に具現させなければなりません。 成約時代とは 今、新たに迎えた新千年は、六千年間の救援摂理が完結され、創造理想を中心とした本然の天の国が建設される時です。旧約と新約の約束が成される、成約の時代をいうのです。二度と涙がなく、死亡がなく、哀しみ痛む声が聞こえない、新しき天と新しき地をいいます。 水晶のような澄んだ生命水を、代価なく分け与えられる、条件のない真の愛の時代をいうのです。霊界と地上が一つに通じ、天上と地上に神様の国が成される時代です。生きていらっしゃる神様の直接主管が、復帰された長子権、父母権、王権を通して、全体、全般、全権、全能の新時代を開く時です。 以上お話ししたように、地球星は人類の故郷であり、霊界は人類が完成、到達しなければならない永遠なる祖国を意味するのです。 そしてついに「一人の神様のもとの一つの国(One nation under God)」を越え「一人の神様のもとの一つの天宙(One cosmos under God)」として、天の父母を中心とした地球星大家族主義の世界が成される時です。 ゆえに、神様と人間の根本関係である父子の因縁を心に刻み、「天宙」すなわち霊界と地上を「私たちの故郷と祖国」として創建するために、積極的に先頭に立ってくださるようお願いいたします。 重ねて、この場を訪ねてくださった全世界の指導者の皆様に感謝し、四海同胞がお互いに真なる兄弟姉妹となり、平和と自由と正義があふれる新しい千年王国が始まることを祈願しながら、み言を終えようと思います。 皆様の国と、各家庭に神様の祝福が共にあらんことを祈ります。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.24
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世界と南北の統一は真の愛でこの講演文は、2000年2月10日、韓国ソウルの蚕室オリンピック体操競技場で開催された文鮮明先生御生誕80周年記念式の時に語られたみ言です。 世界と南北の統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様! 今正に始まった新千年は、分裂と藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現されるときです。皆さんの各家庭に、新千年の祝福が共にあらんことを祈願いたします。初めに、私の八十回目の誕生日を祝賀してくださるために、世界と全国の各地から訪ねてこられた皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすべての栄光を捧げます。 私の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り巻く列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史と共に歩んできました。 私は、十六歳(数え)の少年時代に祈祷をしている最中、突然、神様のみ旨に接したのち、生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全力を尽くしてきました。そうして、知ってみると、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することにより、霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果であったのです。これによって、神と人生と宇宙の根本問題などについて無知に陥ったのです。 これまで私は、世界各地の公式席上で、一万回余りのみ言を通して、神主義に立脚した真なる人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、十二種類の世界各国の言語に翻訳され、既に三百巻余りの書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明されたものではなく、有形、無形世界を自由に行き来しながら、原理的であり、根本的な答えを説き明かしてきたものです。 きょう私は、意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦問題の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「世界と南北の統一は真の愛で」という題目で、お話ししようと思います。 人類歴史とは蕩減復帰摂理歴史 我が国の統一は、単純に国土の統一だけでなく、これは堕落によって引き裂かれた人間の心と体の統一問題から始まり、東西の二大世界に引き裂かれた全世界の統一のためのモデル的路程です。したがってこの問題は、神様の救援摂理的側面から理解しなければならない事案であるがゆえに、摂理的次元から解いていかなければならないのです。 人類歴史は、人間始祖が堕落により失ってしまった本然の世界を再び取り戻すための蕩減復帰歴史です。ゆえに歴史は、神様の創造理想を実現させるための目標を置いて、サタン側と天側の善悪闘争の歴史なのです。 歴史の背後ではいつも、善なる側には善霊が協助し、悪なる側には悪霊が協助してきました。人間の堕落により始まった分裂の歴史は、家庭、氏族、民族、国家、世界へと範囲を拡大しながら、結果的に人本主義と神本主義の根幹となった無神論と有神論の対決として現れたのです。 二千年前、ユダヤ民族がイエス様を受け入れていたならば、イエス様はユダヤ教を基盤として、ユダヤの氏族と民族を統一して、十二支派の後孫たちが住んでいたアラブ圏を統一していたことでしょう。さらに、イエス様の思想が中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播され、一方では、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握し、イエス様の時代に統一された一つの世界が成し遂げられていたことでしょう。最終的には、イエス様を中心として、一つの新しい宗教文化圏を形成し、王の王にならなければならなかったのです。 しかし、イエス様が十字架にかけられることによって、それ以降、外的な肉身の文化圏である人本主義のヘレニズムが先に発達し、ローマの中心文化を形成しました。一方、内的な心の文化圏である神本主義のヘブライズムを代表するキリスト教は、四百年の間、ローマからあらゆる迫害を受けたのです。 人間始祖の堕落によって引き裂かれた善と悪の闘争歴史の背後で、サタンは今、何をねらっているのでしょうか。神様をはっきりとねらっています。永遠、不変、絶対、唯一であられる神様が、天地創造時に理想とされた基準も永遠、不変、絶対、唯一でなければなりません。サタンはそのような神様の絶対的なみ旨を破壊しようとするのです。 神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められることでしょう。サタンが神様に、「神様! 最初に、私を天使長として立てられたときには、一時的な愛で立てられましたか。でなければ、永遠なる愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様は、どのように答えられるでしょうか。考えてみなければなりません。 神様は、永遠に愛するために立てられたと語られることでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかはサタンの前に神様の権限を行使することができなくなるのです。ゆえに神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないのです。 サタンを自然屈服させるための神様の戦法 それで、神様は悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それはどうしてでしょうか。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就する時まで、どのような環境の中でも、堕落してサタンとなった天使長を愛さなければなりません。 神様は、サタンがいくら暴れ回るとしても、罰したり、打ってしまうことができないのです。どのような状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられる。幸福でした」と告白しない限りは、神様は、完全なる勝利を成し遂げることができません。それが問題なのです。 神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが、復帰原理的な道であるならば、神様の子女である私たちも、やはりその道を行かなければなりません。世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立つとしても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈服させようとする神様の戦法は「怨讐を愛せよ」ということでした。話は、簡単ですが、これが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたということを誰も知りませんでした。 神様がサタンを敵であり怨讐であるとみなし、彼に対して復讐しようという思想をもったとするならば、絶対に勝利の頂を占領することはできません。反対に神様は、「怨讐を愛せよ」と言って、愛の作戦を繰り広げてきました。 神様のひとり子であるイエス様は、サタンが役事して自分を殺そうとした怨讐に対して、彼らを許し給えと祈祷したということは、偉大なことです。もし、イエス様が十字架で死ぬときに、怨讐に対して敵愾心を抱いたならば、摂理は逆転したことでしょう。福を祈る愛の心をもって、死を克服したために、サタンが自然屈服したのです。 永遠に、神様の子女として残ることができる資格が、そこで生まれたのです。サタンもこれを認め、「あなたは、本当に神様の息子である」と、サインするのです。 皆さんも、神様の前で、「サタンよ、私が神様の息子であることに間違いないだろう」と問えば、「はい、間違いありません」、また、「神様の息子としての相対圏を拡大していくであろう。個人から、家庭、氏族、民族、国家、世界圏に拡大するのに異議はないだろう」と言えば、「はい、それは、原理原則なので仕方ありません」と答えるように行動しなければならないのです。 神様は、このような条件に従って、キリスト教文化圏を中心として、摂理を推進してきました。犠牲の道、殉教の場、血まみれの境地においても、神様を愛し、怨讐までも愛する運動を展開してきたのです。私たちは、家庭、社会、国家、世界においても、この運動を展開しなければなりません。 キリスト教の愛の精神によって、激しく迫害を加えてきたローマ帝国が屈服しました。キリスト教は、そのようにして世界的な宗教になりました。これまで、クリスチャンは、個人的な怨讐だけを考えてきたのですが、そうではありません。怨讐国家や、さらには怨讐世界も愛さなければなりません。 怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに真の愛の伝統基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成し遂げられません。このようにして、伝統が立てられれば、これ以上の思想、これ以上に消化できる主義は生じません。 韓国が日帝のもとにあったとき、韓国、日本、ドイツ、米国など、主要摂理四大国家は、互いが怨讐の関係でした。その当時の状況では、日本と韓国が怨讐の関係であり、日本と米国が怨讐の関係であり、米国とドイツが怨讐の関係です。 ところが私は、このような怨讐関係にある日本人とドイツ人を米国に連れていき、「米国が神様を無視し、神様を失ってしまったら、滅んで死んでしまうので、米国を生かさなければならない」と言って、真の愛の道を実践しました。日本やドイツの人々に「敵対関係であった米国を、自分の祖国以上に愛することができる伝統を立てることなくしては、神様が望まれる新しい世界理念を立てることができない」と強調し、真の愛の伝統を教えたのです。 怨讐関係である国家を、自分の祖国以上に愛することができる基盤と伝統を成さない限り、地上に天国は顕現できません。このような歴史的な伝統の樹立は、神様の真の愛の中でのみ可能なのです。 私は、米国連邦政府より屈辱を受けて罪なく法廷に立ったとき、米国の未来を心配し、保守正論紙、ワシントン・タイムズを発行し、放送局を設立させるなど、むしろ米国のために、あらゆる努力をしたのです。 近来では、共産主義の没落以降、ロシアと中国の未来を心配し、数十種類にも及ぶ各種の教材を出版し、青少年を中心とした倫理教育に、多くの支援をしています。 皆さん! 日帝のもとで反日地下運動をしていた私にとって、日本民族は怨讐でした。民族的にはもちろんのこと、個人的にも怨讐でした。しかし、日本が敗戦したのち、私は、日本人を愛しました。地下独立運動をしたからといって引っ張っていき、むごい拷問をした日本の警察官たちは、私が一言言えば、みな処刑される運命だったのですが、反対に、追われている彼らを安全に送ってあげたのです。 今日、日本の多くの若者たちがなぜ、私に永遠なる命を懸けて忠誠を尽くしているのか分かりますか。因果の法則に従って、報いなければならない原則があるためです。それは、私が国家を超越し、神様の心情的なみ旨に従って、世界に向かって真の愛を植えたからです。国家的な怨讐を愛して生きる道に導く心情的な基盤を植えたので、自分たちも知らずに天命に従っているのです。 私は、日帝のもとで当時の日本にも恨みがあったのです。しかし、日本は、既に敗者でした。天は、滅びる者をさらに打つことはしません。自分の罪を自白して、謝罪する者に対しては、哀れみをもって対するのです。そのような天があるので、敗者にさらに刃物をもって打てば、打った者の後孫が滅びるのです。 米国もやはり、私を敵対視していた国家です。しかし私は、道徳的に塗炭の苦しみに陥った米国を救うため、父母、兄弟をあとにして、祖国を振り返ることなく、カイン世界を救うために、私に属しているすべてのものを捨てました。 また、既成教会が統一教会をどれほど憎んだことでしょうか。しかし、怨讐のように闘ってはいけません。お互いに、愛で和合しなければならないのです。二つが和合して、大韓民国を天のみ旨の前に立て、北朝鮮を消化しなければなりません。解放直後に、既成教会と統一教会が一つとなっていたならば、すべてのことが解決されていたことでしょう。 しかし、そのようにならなかったので、私たちが行く道の前において、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的な怨讐と対峙するようになり、それでも闘わないという条件を立てるために、無限なる犠牲を払いながら、受難の道を克服してきたのです。 南北を統一することのできる方案 内外の貴賓の皆様! 既に北朝鮮の人たちは、全国民が金日成の主体思想で武装しています。私たちは、彼らを消化することができる神様の真の愛の思想で武装しなければなりません。北朝鮮は、ソビエト文明から来た冷たい風が吹きつける、北方文明です。私たちは、温帯圏文明によって彼ら自身が自ら溶けていくことができるような作戦をとらなければ、お互いが滅びるのです。ゆえに私たちは、徹頭徹尾、真の愛の思想武装をしなければなりません。 私たちの思想は、個人の欲望のためのものでなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。より大きなもののために生きようという思想です。しかし、共産主義者たちは、共産党員の何人かの幹部を中心としてなそうとするのです。それで、彼らは、自分の敵が現れれば、除去してしまうのです。 私たちは、そうではありません。「相対的環境と和合し、一つとなって、より高い次元の相対的基準を成そう。すなわち、カインとアベルが一つとなって、より高い父母を迎えよう」という思想です。言い換えれば、生活的に感服させ、人生観や、人格的な基準を中心として、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕することのできる私たちとならなければなりません。 私たちが彼らに影響を与えることのできる環境をもたなくては、カイン国家を復帰することができません。カイン国家を復帰できなければ、天の国を中心とした世界的な国になり得る復帰の国家が、成立しないのです。したがって、南・北韓は分断されましたが、北朝鮮と闘わずして解放しようというのです。ゆえに、お互いに利益となることのできる愛を探し求めなければならないのです。 皆さん、現在、南と北の目的が食い違っています。方向が異なった立場で、一方は南に、もう一方は北に行こうとする分かれ道にいるので、その目的が異なっているのです。 どのように統一されるかという問題をおいて見るとき、深刻です。その主体的使命を誰がしなければなりませんか。それを南韓がするというとき、北朝鮮が反対するでしょうし、北朝鮮が主導するというとき、南韓が反対することでしょう。互いが、「我々がしようと言うとおりにしよう」と言うときには、成されないのです。自分自身に固執する立場からは、必ずまた決裂することでしょう。 これをどのように克服するか、ということが問題です。問題は、南韓の人が南韓を愛する以上に北朝鮮をもっと愛するという人が出てこなければなりません。同様に、北朝鮮の人が北朝鮮を愛する以上に南韓を愛する人が出てこなければならないのです。それ以外に、模索方案、解決方案がありません。 南韓の誰よりも、もっと国を愛する人、北朝鮮の誰よりも、もっと国を愛する人、そのように一つの道を行く人がいるとき、そこから超国家的な統一方案が出てくるのです。それ以外に道があるでしょうか。どんなに考えても、それ以外に道はありません。 それでは、これをどのように実践するのかが問題です。それは、北朝鮮の人よりも、もっと苦労し、南韓の人よりも、もっと苦労することです。このような苦労の中で立てられた超民族的な愛国心が南北を生かす近道であり、解決方案なのです。 悪なる世界と善なる世界を統一するのも、やはり同じです。これまで、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を、主張することができる人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾することができるのです。 そのような観点から見るとき、イエス様は偉大でした。ユダヤ民族が不信し、十字架の道を行かざるを得ない立場になられると、神様のために生き、イスラエル民族のために生きる道は、神様のために死に、イスラエル民族のために死ぬことしかないと考えたのです。それが十字架の道理なのです。 人類を愛することにおいて、歴史始まって以来、誰よりも人類を愛し、神様を愛することにおいて、歴史始まって以来、誰よりも愛したので、滅びつつあった歴史が、そこから新しい方向に向かって、より次元の高い善の目的の世界に進出したのが、キリスト教文化圏です。それは歴史的事実です。 南北統一はどこからどのようにするか ゆえに、南北を統一することができる方案は、南と北のために死ぬことができる群れとなる道しかありません。それ以外に、統一することができる道はありません。本当に、共に生きたいという心がなくてはなりません。 人間がどのように生きるのか、あるいは、私たちの人生航路をどのように行くべきかということを念頭において見るとき、その骨子を要約するならば、孝子が行く道、忠臣が行く道、聖人が行く道、聖子が行く道の根本があるはずです。 まさしく、永遠に共にいたいと思い、共に生きたいと思う心です。上、下を問わず、共にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越し、生涯を越えて、共に生きたい思いに満ちた人生のことではないでしょうか。このような結論が出てくるのです。 「共に、一緒に生きたいなあ」という、その内なる共通分母とは、何でしょうか。それは、権力ではありません。権力は、歴史を超越できません。それは、一時のものです。知識もやはり同じです。知識世界は、発展するものです。知識の世界で、この学問と共に、永遠に共に生きたいという思いがあるでしょうか。間違いなく私たちが共に生きることができるのは、知識でもなく、金銭でもありません。 このように見るとき、上や、下や、前後左右の区別なく、過去、現在、未来の時間性を超越した立場から、共通的に認定することができる一つの分母とは何でしょうか。これがすなわち、神様を中心とした真の愛だというのです。 ですから、孝子は、家庭で父母を限りなく愛して生きる人です。また、愛国者は、国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は世界万民をこの上なく愛する人であり、聖子は、人類と神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。 したがって、愛国者の心のように、民族と共に生きたいと思い、民族が困難なときには、その困難がすなわち自分のことであり、自分の痛みであり、喜びがあるとすれば、それが過ぎ去る喜びでなく、私たちすべての喜びとして永遠に残ることができるものでなければならない、と誓うことができる真なる心情の基盤が問題なのです。 真なる愛と心情の因縁をもった人は、統一圏に同参できる特権があります。 皆さん、全く字を知らない女性でも、博士と結婚して、愛の因縁を結ぶならば、一日にして博士夫人になるでしょう。このように、共に生きようという情の因縁をたくさんもった人は、今日、統一圏に堂々と参席することができる特権があるのです。 神様御自身がそのようなお方であるために、一つとなることができる生活内容をもてば、同参することができる資格が自動的に賦与されるのです。 それでは、南北統一は、どこから、何をもってするのでしょうか。力で屈服させるならば、相手側の力がもっと大きくなるとき、また闘いが起こるようになります。その方式では、統一を成し遂げることができません。たとえ、以南の地で暮らしていても、北朝鮮で暮らす彼らと、真心から共に暮らしたいという心、一つにならなければならないという心があってこそ、統一の道が開かれます。 北朝鮮を思いながら、胸が詰まり、哀れに暮らす私たちの同胞のために涙を流し、あなた方の困難と共に私は生きている、解放の一日を準備して、あなた方の前に現れることであろうと誓いつつ、統一のための真の愛の実践運動がここに起こるならば、統一の日は遠くありません。 皆さん、その最初の段階として、郷土と、どのように生きるのかを考えてみなければなりません。自分の父母と共に生きたがらず、郷土と共に生きたくない人が国を愛するというのは偽りです。国と共に生きてこそ、世界と共に生きるようになっています。そして、世界と共に生きてこそ、神様と生きるようになっています。ゆえに、郷土を愛し、その地域社会を愛してこそ、愛国も可能なのです。 政治をする指導者たちが国をどれほど愛していますか。彼らに、国民と共に、真心から共に生きようという心がないときには、そのような政治家は流れ去ってしまうのです。どんなに優れていても、水の泡のように流れ去ってしまうのです。 引き裂かれた南と北が、そのまま一つとなることはできません。愛国同志たちが闘争するその過程では、夜寝ることもせず、時間を超越して、困難な環境を克服することができる心の決意と実践が必要なのです。 「本当に、共に生きたい。死んでも共に死に、生きても共に生きたい」という、そのような心を互いがもつようになるときに、南北統一運動が始まるのです。 南北統一を成し遂げれば、民主世界と共産世界の統一も、ここから起こるのです。ですから、韓国問題を心配する場合は、世界を代表した立場に立って、六十億人類を代表し、三十億のアジア人を代表し、民族の将来、世界の将来を見通さなくてはなりません。 そして、「私は、あなた方と共に、本当に共に生きる運動を展開するだろう」という誓いをしなければなりません。それが聖人の道理に通じれば、聖人に似るのであり、聖子の忠節をもって、神様に対して実践すれば、「神様の相続者」「み旨の後継者」となるということを、私は、生涯を通して確認したので、きょう、皆さんにこのようなみ言を伝えているのです。 真の愛とは何か 内外の貴賓の皆様! 神様の真の愛を中心として互いに因縁を結べば、必ず、主管権と所有権、それから、相続権をもつことができる特権が付与されます。力学では、入力よりは出力が小さいですが、真の愛の世界では、入力よりも出力がもっと大きいのです。 真の愛とは何でしょうか。「ため」に生きる愛であり、与えてはそのまま忘れてしまうものです。ことさら与えたことを、記憶もしないのです。また、どんなに降り注いでも、疲れるということを知りません。九十歳を越えた父母が、七十歳になった息子に、「息子よ! 車に気をつけるんだぞ」と言っても、不自然でなく、何十年間、その言葉を数限りなく繰り返したとしても、嫌気がさしたり、疲れるということがありません。 堕落した世界の父母がこのようであるのに、いわんや、本質世界で、父母なる神様の愛を授け受けするとき、疲れるはずがあるでしょうか。人生で、真なる神様の対象圏を確定し、真の愛の栄光が不変であるということを、初めて知るようになるとき、永生の論理を妥当化させることができるのです。 私が、去る一九八四年に何の罪もなく米国の監獄に入り、獄中のベッドに一人で横たわっているとき、神様が訪ねてこられて、信じる人は私しかいないので、ニカラグアの事態を解決しなさい、と命令されました。神様が訪ねてこられる人間が、どうして私しかいないのでしょうか。 先進国を代表するという米国には、二億四千万という国民と、数限りなく多くの教役者(注:宗教活動に携わる人)がいるのですが、彼らを訪ねていくことができず、私を訪ねてこられた神様が、どれほど哀れであられるか、推し量ることができるはずです。しかしながら、神様は、強い引力の愛を訪ねていくことができるので、昼夜、世界のために心配する私を訪ねてこられたのです。その時、私がワシントン・タイムズを前面に立てて助ける仕事を展開しなかったならば、南米は思想的に既に廃虚になっていたことでしょう。 真の愛の主体者になろう 紳士、淑女の皆様! 我が民族の念願である南北統一は、この時代の神様の願いでもあります。北朝鮮と韓国を統一させ、神様が安息することができる基盤を、皆さんの家庭と、私たちの教会と国に築くことを天は願っているというのです。 それでは、神様に何をもって侍るのでしょうか。何をもって、これをすべてきれいに洗い流さなければならないでしょうか。何をもって洗い流してこそ、神様がきれいだとおっしゃるのかというのです。ほかでもなく、自分の父と母を愛する以上、夫、妻を愛する以上、子供を愛する以上の真の愛を中心として、その環境をつくり、祭物的な祭壇を積もうというその立場から、初めて、理想的な南北統一が出てくるのです。理想的東西文化の統合が起こるのです。分離した地上世界と天上世界の理想的統一が起こるのです。地獄と天国の解放圏が開かれるのです。それで、真の愛の鍵が必要なのです。 私の心と体の愛による統一は、家庭的な愛の統一と、常に互いに通じることができるのです。家庭が和合した愛の夫婦は、家族だけでなく、その氏族と国家と世界にも通じることができます。 愛し合う夫婦が一つになれば、誰がそしり、踏みにじることができるでしょうか。和合した家庭、和合した民族、和合した政府、和合した世界、和合した天と地、和合した真なる人間愛と、神様が一体となった、そのような世界が、真の愛のユートピアではないでしょうか。 すべての植物が、太陽の光を生命の要素として吸収するのと同じように、人間には、愛が生命の要素となるのです。私たちの願いは、永遠に真の愛と共に、慕いながら生きることのできる地上天国や、天上天国が建設されることです。 しかし、この世の中には、すべてのものの主人格として、登場することができる驚くべき人生の価値と、その特権的な権限をもった真の愛の主体者、あるいは対象者が、果たしてどれくらい存在するでしょうか。 きょう、この場に参席された皆さんは、どうかこれを忘れないで、心と体が一つとなるように努力することによって、自らの夫婦同士で、より高く「ため」に生きることができる愛で愛し合うことから、家庭と、民族と、国家と、世界を愛することができる真なる人と家庭となることを願います。 もし、そのようになれば、南北統一は、既に成就したも同然です。どんなに強い主体思想であっても、神様の愛の中では、力なく収拾され、消滅してしまうことでしょう。真の愛で愛する心をもつようになれば、南北統一は絶対問題ではありません。 それだけでなく、東西問題や、世界的南北の貧富の格差問題も、この神様の真の愛をもって完全に解決することができます。 このような神様の理想を中心として、世界の理想を消化し、そこから国家理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人にまで連結することができる理想世界の平和的無限境が成し遂げられることによって、この地上には、真の愛の平和世界が建設されることは間違いありません。 内外の貴賓の皆様! 私は、四十年余り前より、ここでお話ししたように、統一の根本原則を宣言し、国内外で、神主義を中心とした理念運動を土台として、周辺四大強国に、統一の国際的な基盤を造成してきました。韓国や、日本、米国などに、各々数百万を超える会員たちが、国際勝共連合、カウサ活動などを通して、民間基盤を構築してきたのです。 これまで、私が主唱してきた神主義は、唯物論、無神論の相反する価値観の統一はもちろんのこと、世俗的人本主義を解放することができる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界で検証されました。 韓民族と世界平和のために南北統一を信仰化しよう 南北統一を熱望する愛国同胞の皆様! 私たちは、みな共に、真の愛の神主義で、私たちの価値観を定立し、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と、韓民族と世界平和のため、南北統一を信仰化しましょう。 そしてこの時代、歴史と天の召命を受けて立ち上がり、南北統一運動に私たちすべてが先頭に立つ義人と指導者になりましょう。真心より共に生きたいと思う真の愛、怨讐までも愛する心で、真の愛の温風を北方の地の同胞たちに送りましょう。 特に、人類歴史の始まりに、エバの失敗によって歴史が誤ったので、終わりの日には、女性たちが先頭に立って、真の愛の母性愛で、青少年の和解と統一の新しい歴史を創造していきましょう。 特に、女性の使命は子女のような立場である青年男女および学生たちを真なる教育を通して真なる子女たちに復帰しなければなりません。さらには、母と子女が一つとなって、手本を示し、夫までも教育を通して真なる天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心として侍り、地上天国理想を復帰しなければなりません。 いま一度、きょうの話が南・北韓が共に真の愛で出会うその日を早める全国民運動となるように願いながら、話を終えようと思います。 神様の祝福が皆様の家庭に共にあらんことを祈願します。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.23
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創造理想から見た芸術世界「世界平和美術祭典二〇〇〇」における御言2000年2月9日ソウル・芸術の殿堂・美術館 尊敬する内外の貴賓の皆様 世界平和美術祭典に珠玉のような作品を出品された作家の皆様 初めに、私の八十回目の誕生日を祝賀してくださるために、世界各地より、歴史的な本行事に参席された皆様に深甚なる感謝を申し上げます。特に、北韓をはじめとして、米国、中国、ロシア等、多くの海外の作家たちが席を同じくしていることは、大変意義深いことであると言わざるをえません。 美を追求し、それを表現しようとすることは、人間の本性です。神様の創造理想に似た人間の内面世界は、知、情、意の三機能を発揮し、人間の肉身は、その心の命令に感応して行動します。 その結果、人間は常に愛と、真理と、美を追求しているのであり、おのおの、宗教と科学と芸術が、その表現手段であるのです。結局、宇宙万象は創造主、神様の内的性相の多様な実体としての外的形状であるのです。 太初に、被造物を創造された後、神様が上げられた感嘆の声は「見るに善かった」でした。愛と真理と美の実体が、それぞれ線と角度と面を異にし、宇宙空間の至るところで、自らの位置を占め、調和と統一の一つの空間を成すときに、初めて神様の創造目的は成し遂げられるのです。 したがって、純粋な芸術世界では分裂はありえず、葛藤はありえないのです。より外的であり、積極的な美の表現が舞踊や音楽であるならば、美術は、より情的にあらわれる心の世界の表現です。 私は、かつて一九六○年代に、リトルエンジェルスを創団し、韓国の美しい芸術世界を全世界に宣揚してまいりました。そして、これを土台に『愛天・愛国・愛人』を建学理念とする仙和芸術学校を創立しました。さらに、ユニバーサルバレエ団を韓国に、そして米国の首都ワシントンにキーロフバレエ学校を設立し、ニューヨークには、ニューヨークシンフォニー・オーケストラを創団しました。 一方、ニューヨークの世界日報社の社屋内には、常設美術展示場があり、作家たちの世界的な交流を援助しているのです。 内外の貴賓の皆様 芸術をものす心の極致は、一つ一つ、手ずからつくられた作品であるさまざまな万物、万象を通して、無限に喜ぼうとされる創造主、神様の心情世界に到達しようとすることです。 与えても、さらに与えようとし、ために生きても、さらにために生きようとし、条件なく投入しても、忘れてしまおうとされるのが、神様の心です。その心情世界の根本は、真の愛です。 被造世界に対する神様の創造理想は、その心情から出発なさったものです。芸術の原点は、その心に似ることにあります。ゆえに、芸術世界には国境はありえません。特定理念や思想の道具になってもいけません。 調和と統一が基本原理です。分裂と葛藤は、堕落性の果実です。したがって、作品世界においても、東洋は西洋を理解し、西洋は東洋を受け入れて、四方性、世界性を帯びなければなりません。それぞれが追求する分野において、創造主、神様を畏敬し、その理想を表そうとする純粋芸術の追求、それ自体が最も美しいのです。 特に芸術世界を通して、半世紀の間、引き裂かれていた南北韓の同胞が共にまみえ、さらに東西世界が交流することは、一なる神様の下の一つの世界、さらに、ひいては神様の下なる一つの宇宙を追求してこられた神様のみ旨と一致するのです。いま一度、私の八十回目の誕生日を期して、韓国と世界を代表する美術人が席を同じくしたことに対して、心より感謝を申し上げます。 新千年には、各自、皆様の分野で、より一層大きく発展されることを祈願いたします。皆様と、皆様の家庭に神様の祝福が共にあるよう祈願いたします。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.23
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終末時代に人類とアメリカが進むべき道この講演文は、文鮮明先生が2000年1月22日、アメリカのワシントンD・Cで開かれた80回目の御生誕祝賀集会で語られたみ言であり、韓鶴子総裁が2000年5月、世界巡回講演の時、南米とヨーロッパの36の都市で語られました。 尊敬する内外の貴賓の皆様! きょう、私の八十回目の誕生日を祝賀してくださるために、全世界から参席してくださった各界各層の指導者の皆様に、心から感謝いたします。特に、今日まで常に共にいてくださり、守ってくださった神様にこのすべての栄光をお返しし、深く感謝申し上げます。 私は生涯を通じて、ただひたすら神様の創造理想実現のための諸般の難問題を解決するために、心を砕いてきました。 知ってみると、神様は栄光と尊貴の玉座にいらっしゃる方ではなく、堕落して地獄に落ちた子女たちを捜し、救援するために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。 このような神様のみ旨と心情を知った私の生涯は、一言で言えば、夜も昼も季節も環境も超越し、ひたすらみ旨を成し遂げるために全身全霊を尽くしてきた日々でした。 過ぎし八十年の星霜を振り返るとき、ありとあらゆる迫害と苦難を受けたにもかかわらず、きょうこの場を皆さんと共にすることができたのは、神様が共にいてくださったからです。この意義深い日に、皆さんと共に神様の摂理的な観点から歴史と世界を理解するために、「終末時代において人類とアメリカが進むべき道」という題目でみ言を分かちたいと思います。 終わりの日とはどのような時か 神様の救援摂理的歴史観の立場から見るとき、歴史の終末はサタン主管圏の悪なる歴史の終末であり、同時に神様の主管の善なる歴史の出発の起点となります。したがって終末は、天の摂理の全般を完成させなければならない時です。すなわち、個人完成を完結させるべき終わりの日であり、家庭、民族、国家、世界、ひいては天宙完成を完結させなければならない終末だというのです。 神様は摂理路程で、終末期を迎えるごとに、神様中心の理念圏へと人類を導いてこられましたが、実に人類は、自ら責任分担を果たすことができず、悪なる歴史を整理して善の立場に立つことができませんでした。 しかし神様は、絶対、唯一、永遠不変の方であられるので、神様のみ旨に対する予定も絶対的です。ゆえに神様は、堕落によって人類が失ってしまった真の個人、家庭、社会、国家、世界、そして真の主権の復帰を通じて、天上と地上に神様が運行できるその世界を取り戻し、成し遂げられることでしょう。 神様が求めていらっしゃる本然の世界とは、どんな世界でしょうか。その世界は、真なる父母を中心とした真なる世界です。ところが人類は、堕落によって歴史過程においてではなく、歴史の初めに、人類の真なる父母と真なる世界を失ってしまいました。 その結果、堕落によって私たちが住んでいるこの地も、人類が所有している理念も、どれ一つとして真の父母と直接因縁を連結させてあげることのできるものがありません。ですから人類はまず、「真」を求めなければなりません。 そうして真なる父母、夫婦、子女、民、万物、主権、宇宙が真なる神様の心情を通じて動じ、静ずることのできるその日が、人間世界において悪なる世界の終わりの日となるのです。 このような理想が成就する時が終末であり、再臨の時期です。したがって再臨期は、火の審判や地が崩れたり、信じる人が空中に引き上げられるなど、天変地異現象が起こるのではありません。もつれた曲折の悲運の歴史を蕩減し、個人から家庭、社会、国家を経て、世界を正しく立てる時なのです。 縦的に失った個人、家庭、社会、民族、国家、世界を再び取り戻し、横的に連結させ、歴史的な個人、家庭、社会、国家、世界を成す時です。その日を願って生きてきたのが人類の所望であり、人類歴史が行くべき終着地だというのです。 ところが、個人も家庭も国家も行く道を失ってしまいました。世界には各種の公害問題、食糧問題、さらに宗教間の藤、人種間の対立などが至る所で起こっており、各種の紛争の主要な原因となっています。 レバレンド・ムーンの教えの核心 誰がこの世界に責任をもちますか。深刻な問題です。過去の共産主義国家群も、自分の民族主義を超えることができませんでした。今日、強大国であるアメリカも、汎アメリカ主義の理想を超えることができずにいます。 自国の利益のみを優先するときは、世界を指導することができません。自らを犠牲にするとしても世界人類を抱き、より次元の高い理想的国家へ前進しようという理念で団結した、ある民族や宗教が必要な時です。 このような側面から私は、神様の命を受け、ここアメリカに来て青年たちを教育しながら、没落していくアメリカの道徳的危機に強力な警告をするとともに、地に落ちたキリスト教の再復興のために全力を尽くしてきました。 皆さんは、レバレンド・ムーンの教えの核心とは何なのか、気になることでしょう。その答えは簡単です。 第一は、「より大きなもののために犠牲になって生きよ」ということです。個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、世界は神様のために生きよというのです。そうすればその神様は結局、「私」を訪ねてこられるのです。 家庭でも、父母は子女のために生き、子女は父母のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生きなければなりません。より多く「ため」に生きる者が、善の中心者になるのです。 第二は、「怨讐を愛せよ」ということです。神様は堕落して悪魔サタンの子になってしまった人類を救うために、ひとり子イエスを送り、犠牲の道を行かせました。怨讐を本当の子供よりももっと愛するところには、サタンも自然屈服するのです。 いつも、サタンの戦略は打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて奪ってくるのです。それが公式です。私が全生涯を通じて、多くの迫害と苦難を受けてきたにもかかわらず、今日全世界百八十五カ国に宣教基盤を築いたのは、このような天理に従って生きてきたからです。 キリスト教の宣教歴史を見ても、イエス様を信じるキリスト教徒たちが行く道は、追われる道であり、迫害の道であり、殉教の道でした。そのように二千年の歴史を経て、殉教の血の跡が土壌となり、民主世界という巨大な体制を発展させてきましたが、今日では、その原動力となったキリスト教が危機に瀕しています。 キリスト教理念を中心とした国家群が、神様を否定し、イエス様を否定し、さらには神様の摂理を否定しています。甚だしくは「神様はいない」「神は死んだ」という神学までも主唱しているのを見るとき、真なる子女を捜してあらゆる犠牲の道を歩んでこられた神様の心情は、いかばかりでしょうか。 堕落人間に対される神様の心情 内外の貴賓の皆様! 神様が今まで投入して犠牲になったすべてのものは、誰のためのものでしょうか。それは、アメリカのためのものでもなく、キリスト教自体のためのものでもありません。結局は、堕落によって失ってしまった「私」一人を救うためであったということを知らなければなりません。堕落が一人の個人から始まったので、救いも一人の個人から始めなければなりません。 したがって代表的な一人が出てきて、「この時代の責任を果たそう。人間が神様に負ったすべての負債を清算して、堂々と善なるものをお返しできる私になろう」と自覚せずしては、復帰する道がないのです。漠然とした立場では、絶対に蕩減復帰をすることができません。観念的であってはいけません。 神様を身代わりして、悲惨なことがあれば、悲惨な目に遭う当事者以上の心情をもたなければ、神様の心情に到達することができません。 皆さんは、皆さん自身が死んでいくというそのような深刻な心情で、六十億の世界人類のために祈祷されたことがありますか。皆さん個人を犠牲にして、家庭を救い、氏族、民族、国家、世界を救うために、どれほど精誠を尽くされましたか。 そのような点では、誰も簡単に自信をもつことができないはずです。そのような絶対的な基準の代表者として来られる方が、再臨主です。 メシヤ思想の核心 人間始祖が堕落したのち、救いの摂理を展開してこられた神様は、アダム以後二千年目にアブラハムを探し立てられ、その後孫を選民とされ、新しい家庭、氏族、民族を編成されましたが、それが正にイスラエル民族です。メシヤを迎えるための勝利的な基台の上に召命された選民がユダヤ民族だったので、将来メシヤを実体として迎えるための主流民族になったのです。 その主流の要を求めていくと、人間始祖アダム・エバができなかった使命を再現するための基準と理念が必要ですが、それが正にメシヤ思想であり、クリスチャンの立場から見れば、新婦思想だというのです。 主を新郎として迎えるための新婦としての資格を準備することが、最も重要なキリスト教の使命なのです。 このような莫大な使命をもっていたのに、ユダヤ民族がイエス様を十字架で処刑することによって、第一イスラエルとして召命されたユダヤ民族は、流れ去ってしまい、第二イスラエルであるキリスト教が、その使命を継承してきたのです。この一つの目的を中心として神様は六千年の摂理をしてこられましたが、その摂理の終盤が、今のこの時代なのです。 それではメシヤ思想の核心とは何でしょうか。それは世界を救い、統一させるための思想であり、本然の理想家庭を建設することのできる教えであり、人間始祖が堕落によって失ってしまった位置である真の父母の立場を取り戻すことです。 新・旧約聖書の教えを見ても、メシヤは父の権勢をもって来られ、聖霊の実体である女性神に出会い、真の父母の立場を回復されるのです。ヨハネの黙示録に預言されている「小羊の婚宴」後の新郎新婦は、真の夫婦の段階を経て、真の父母になるのです。 このような使命で来られた方が、イエス様でした。イエス様はイスラエルの不信によって民族と国を失ってしまいましたが、神様が願われた世界と天国のために生命を捧げました。 十字架にかかられたイエス様の苦難の行路は、神様と共に歩まれた苦難の道でした。イエス様は死の場でも「彼らの罪を赦し給え」と切に祈られたのです。死にゆく場でも未来の勝利を期して、ローマと、反対する群れを祝福したのです。 したがってイエス様の生涯は、一代三十三年で終わったのではなく、神様の協助によって歴史と共に残り、その精神を継承したキリスト教は世界的な宗教にならざるを得なかったのです。 人類の文明の循環 内外の貴賓の皆様! アメリカが今は世界で一番の強大国だと言いますが、神様の摂理線上にまっすぐ立たない限り、いつまでも栄え続けることはできません。 人類文化史を見れば、古代文明の発祥は主に熱帯圏から始まりました。マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、インド文明、中国の黄河文明など、古代文明の発祥地は亜熱帯圏ないしは熱帯圏でした。 人間が堕落しなかったならば、春の季節の温帯文明から始まるべきでしたが、熱帯文明から始まって、その次は秋の季節の涼帯文明圏に属するようになりました。これが自由世界を中心とした温帯文明圏に属するようになり、西洋文明がその中心です。大体赤道を中心として見るとき、北緯二三度圏で連結されていますが、アメリカ、イギリス、ドイツなど、西側の先進諸国がこれに該当します。 秋の季節の涼帯文明が終わりつつ、冬の季節の寒帯文明がしばらく押し寄せるようになります。これが共産主義の出現です。多くの知性人たちは、ソビエト連邦が解体したのち、以前の冷戦体制は終わったと思っていますが、いまだに唯物論と無神論は、無力化された民主と共産の二大思想の代替理念として世界の至る所に蔓延しているのです。 本来、神様の創造理想は春の季節の温帯文明から始まるべきだったのに、堕落によって熱帯文明から、原始的な状態から出発したのです。今こそ涼帯文明の危機と寒帯文明の脅威を貫いて、古代から人類が追求してきた本当の春の文明である温帯文明が現れることでしょう。 誰が、寒帯文明の冬の季節を溶かすことができますか。権力や経済、科学や知識をもってしては不可能なのです。 河川と海岸を中心とした文明の循環を見てみても、文明は巡礼します。ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心として発達した文明は、ギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルを中心とした地中海文明に移り、この地中海文明は再びイギリス、アメリカを中心とした大西洋文明を経て、最後にはアメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明で結実するようになるのです。 このような文化史的観点から、韓半島の位置はとても重要です。韓国は、北の方にはロシアと中国を結ぶ寒帯文明圏の極地点であり、南の方はアメリカと日本を結ぶ涼帯文明の極地点です。したがってここで、涼帯文明を消化することのできる世界史的な春の季節、温帯文明圏が誕生するというのは摂理観的です。 このような側面から、涼帯文明の結実地として人類的課題として残された南北問題と東西問題を解決するために、生涯を捧げてきたレバレンド・ムーンが韓国から出てきたということは、神様の摂理的な帰結だと言わざるを得ないのです。 神様のみ旨成就において最も重要なこと 実際に私が、生涯を通じて人種と理念と国境を越えて「神様のもとの一つの世界」運動を展開してきたのは、このような神様の摂理による道であったということを申し上げたいと思います。 これは摂理史的な原則であって、私が作り上げた特別な理論ではありません。 天のみ旨を悟った私は、理論だけでなく、このような神様の構想を現実化するために、外的には五大洋六大州に影響を及ぼさない所がありません。 アラスカ、南極、南米三十三カ国、旧ソビエト連邦各国とアジア、アフリカ大陸の各国など、全方位的な宣教と事業基盤を通じて、到来した新千年時代に人類が当面した公害、食糧問題などを解決することのできる準備をしてきたのです。近年ではブラジルのパンタナールとアマゾンを中心に、地球環境保存について実際に基盤を築いてきました。 一方、これまで内的には、国際合同結婚式および真の家庭の価値誓約運動を通じ、約四億三千万双が参与することによって、神様が長い間待ち望んでこられた理想家庭を土台にした地上天国建設に拍車をかけてきたのです。 内外貴賓の皆様! その間、世界は政治、軍事、経済において優越した力をもった国々が支配してきました。しかし、神様の摂理と一直線上に立たないとき、永遠の国はありません。燦爛たるギリシャ・ローマ文明の滅亡はその良い例なのです。 今日、超強大国としてそびえ立ったアメリカは、過去のローマのような立場です。ローマの滅亡は、外からの侵犯よりは内部から崩れ始めた道徳的堕落に起因し、天の運勢が離れたからです。 一時期は、労働者、農民を主体視した唯物論と唯物史観に立脚した政治勢力が、旧ソ連と中国を中心に、世界人口の三分の一、地球面積の三分の二を占領したこともありました。しかし、それは永遠ではあり得ませんでした。 これからは、神様のみ旨を代弁する宗教人たちが勢力を得る時が来ることでしょう。宗教指導者は、神様のみ旨を地上に宣布し、人類に進むべき方向を提示してあげなければならない預言者です。しかし今のように四分五裂し、続いてきた教派間の藤と宗教間の争いは神様の摂理に障害物となるだけです。 それで私は、ずっと以前から教会全体の予算の半分以上を超教派、超宗派運動に投入し、宗教間の藤を解決しようと努力してきました。さらに「世界平和宗教連合」を創設し、宗教間の和解と一致によって、人類平和増進の先頭に立ってきたのです。 近年には「世界平和超宗教超国家連合」を創設し、これまでにここワシントンD・Cで七回にわたって「国際訓読セミナー」を行ってきました。 すべての人類は、人種と宗派を超越して、創造理想世界の実現のための神様の摂理を理解し、究極的には神様の心情と一致点をもたなければなりません。 堕落によって失ってしまった神様との心情的関係を回復し、本然の父母と子女の位置を取り戻さなければならないのです。したがって、神様が約束された終末は、真の父母が顕現される時です。言い換えれば、堕落によって父母を失ってしまった人類が、本然の父母を再び迎えることのできる希望の時です。したがって真の父母は、人類歴史の希望の結実体であり、願いの結実体であり、勝利の結実体です。 統一教会は、このような伝統を国際合同結婚式を通じて世界化してきました。民族と人種、皮膚の色を超えて、黒人と白人、黄色人が一つの兄弟姉妹としてまみえ、夫婦となるのは、地球村を一つにしようとされる神様のみ旨成就において、最も重要なことの一つです。 今日、このように人類は、失ってしまった本然の兄弟姉妹、夫婦、父子の因縁を回復し、究極的に、子供を失い、嘆いてこられた神様を解放してあげてこそ、真の幸福の道が開かれるのです。 これまで民主主義は、「人間の自由」と「人間の解放」を主張してきました。これに比べて私たちは、「神様の自由」と「神様の解放」を主張しなければなりません。この問題を解決するならば、人間解放はもちろん、人間の自由回復は自然に成し遂げられるのです。 アメリカに対する神様の希望 内外貴賓の皆様! 特別に、きょうアメリカの首都ワシントンD・Cで、神様の摂理を語っているのは、深い意味があります。 アメリカは、いろいろな面で神様の祝福によって準備された国です。アメリカを建国した先祖たちは、信仰の自由のために命を懸けて自由の国を求めてきたピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)です。 彼らは、真の信仰の自由を求めて、愛する父母、兄弟、故郷と離別し、さらには国まで捨てるという覚悟で、命を懸けて大西洋を渡ってきました。 メイフラワー号がニューイングランドに到着した時は一六二〇年十一月、晩秋でした。その年、初めての冬を越えながら共に到着した百二名の中で、寒さと飢えによって半分以上の人々が死亡しました。彼らが素晴らしかった点は、後孫たちのために翌年に蒔く種を残しておいて、自分たちは飢えて死んでいったという事実です。 清教徒たちは、何をするにしても神様のみ旨のために生きているという信仰が徹底していました。彼らは、初めの年の収穫をもって神様に感謝を捧げ、教会と学校を先に造ってから、彼らが住む家を造りました。 清教徒たちが開拓する路程で、農業をする時も、戦争をする時も、常にまず祈祷をしました。独立戦争当時、あの有名な最後の激戦地フォージ渓谷(Vally Forge)で、ジョージ・ワシントン将軍は、戦闘で激戦に臨む瞬間、命を懸けた祈祷をしたはずです。神様のみ旨を先立てた戦闘で、神様はアメリカに手を挙げてくださいました。 当時、世界的な強大国であったイギリスは、国王と国民が一つになって戦いましたが、アメリカは、神様と神様が愛する息子、娘たちが共に戦ったのです。それで、アメリカという自由信仰の国家が成立するようになったのではありませんか。 今もアメリカは、国会が開院される時は、祈祷から始めます。大統領が就任宣誓をする時、聖書の上に手を置いて神様の前に誓い、聖職者の祝祷を受ける国です。 さらには、貨幣にも「我々は神を信ずる(In God We Trust)」という言葉を書いている唯一の国です。このようにしてアメリカは、地球上に唯一、プロテスタントを信奉する世界的な形態を備えた国家となったのです。 ところが、今のアメリカはどうでしょうか。公立学校では、公式的に祈祷を禁じています。創造論よりは進化論を教育しています。さらには五〇パーセントに至る離婚率は、家庭の神聖さをことごとく破壊してしまっているのです。 このような現実を心配されている神様の声を聞いた私は、既に一九七一年に祖国と家族をあとにしたまま、アメリカにやって来ました。何度も全国を巡回しながら私は、「火事になった家に消防士として来た。病気になっているアメリカを治療するために医者として来た」と叫びました。 その時私は、既にアメリカを離れていらっしゃる神様を発見しました。アメリカのいかなる所にも神様がいらっしゃらなければならないのに、反対に至る所で神様が離れ始められたのです。人々の心から、家庭から、学校から神様が離れていっていらっしゃいました。 振り返ってみると、ニューヨークのマンハッタンの五番街を歩きながら、アメリカを離れていかれる神様にしがみついて限りなく涙を流したのが、きのうのことのようです。不幸にもアメリカは私が予言したとおり、道徳的に衰亡の一途をたどっています。 皆さん! レバレンド・ムーンがなぜアメリカで反対されながらも苦労してこのように叫んでいるのでしょうか。私は、神様が今日アメリカを訪ねてこられるまでに流された血と汗と涙の苦労を誰よりもよく知っているので、去る三十年間、アメリカにいながら一日たりとも楽な気持ちで過ごしたことがないのです。 アメリカの主人は誰ですか。ホワイト・アメリカンやブラック・アメリカンではありません。神様がアメリカを愛されるようにアメリカを愛する人が、本当のアメリカの主人です。 アメリカは地上に神の国を立てるために選ばれた長男のような長子権代表国家なので、今もイエス様は霊的にアメリカの地に主にいらっしゃりながら、そのみ旨を果たしてくれることを切に祈っていらっしゃいます。 一方、私は神様のみ旨に従って一九八二年にワシントン・タイムズ社を設立し、アメリカが行くべき方向を提示する保守正論紙として、アメリカの世論を主導してきました。そして真の家庭の価値運動と青少年たちのための純潔運動を通じて、強力な救国救世運動を展開してきました。このすべてのものに、アメリカが神様の摂理の前に正しく立つことを願う心から投資してきたのです。 私が一九六五年にワシントンD・Cを訪問し、指定したホワイトハウスの近くの聖地には、今も夜を明かしてアメリカのために祈祷する群れがたくさんいます。皆さんすべては、心の門を開き、あのピルグリム・ファーザーズから歴代の愛国の烈士たちの切なる願いを聞くことができなければなりません。 今は旧約と新約の約束が成就する成約時代 内外の貴賓の皆様! 今始まった新千年は、六千年の間追い求めてこられた神様の救援摂理歴史がみな終わり、エデンの園で失ってしまった創造理想が天宙的に実現される時です。 人間の堕落によって主人を失った万物の嘆きも解放される時であり、長い間別れていた父母と子女が再び出会い、これ以上涙のない新らしき天と新しき地が成し遂げられる時であり、霊界と地上が一つに通じ、地上と天上に神様の国が成就する時代です。 生きていらっしゃる神様の直接主管が、全般、全能の権勢として現れる時代です。さらに東西両洋全体が、天地父母を中心に「一人の神様のもとに一つの宇宙」として地球星大家族主義の世界が実現される時です。 これは、聖書に預言された旧約の約束と新約の約束が成就される、成約時代の完成を意味します。 今、時が来ました! アメリカが再び目覚めるべき時が来ました。第二の建国運動を挙国的に展開し、神様を中心とした真の父母、真の家庭、真の国家、真の世界を取り戻すべき時です。そうして離れようとされる神様を再びお迎えしなければなりません。 六千年間も準備して訪ねてこられた神様が、アメリカを離れられたら、どこに行きますか。神様さえ正しくお迎えすれば、家庭問題、倫理問題、青少年問題、人種問題は自動的に解決されます。五色人種が一つに相まみえて生きていくアメリカは、地上天国のモデルなのです。 この時、私たちみんなが一致団結して、人類が進むべき道を開かなければなりません。長子の国であるアメリカが先頭に立って、天の父母様に侍り、世界各国を神様の前に導く先導者的な使命を完成すべき時です。この歴史的な課業を完遂するために、共に同参してくださるようお願いいたします。 もう一度この場を訪ねてくださった皆様に、深甚なる感謝を捧げ、天と地に平和と自由と正義があふれる新たな千年王国が始まることを願いつつ、話を終えようと思います。 皆様の家庭と国に神様の祝福が共にあらんことを願います。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.22
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第三十三回「真の神の日」敬礼式後の御言第三十三回「真の神の日」の敬礼式が、二〇〇〇年一月一日午前七時より、米国・ニューヨーカー・ホテルのグランドポールルームで行われました。敬礼式後、真の父母様が韓国語で御言を語られました。 天上世界と地上世界が統一された位置で「家庭盟誓」を唱和する 統一教会の祝福家庭には、「家庭盟誓」があります。皆さんがこれを唱和する時、ただ何気なく、毎日習慣的に唱和するのではなく、天上世界と地上世界が統一された位置で唱和しなければなりません。 一番目は何ですか?。私たちの家庭は?。一緒に大きな声で言ってみてください。私たちの家庭は (「私たちの家庭は」)。真の愛を中心として (「真の愛を中心として」)。本郷の地を求め (「本郷の地を求め」)。本然の (「本然の」)。創造理想である (「創造理想である」)。地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します (「地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します」)。私たちの家庭において、この責任が重要だというのです。 神様の創造理想は、天上と地上を統一しなければなりません。統一して創建し、一つにしなければならない責任が私たちにあるのです。そのような誓いをしているのです。それを、自分の八十年の生涯で、すべてなせると思いますか?。できません。人類の先祖であるアダム・エバが堕落していなかったならば、その時に、このことがすべて成し遂げられていたのです。 その時、神様の息子・娘の立場に立っていれば、創造理想を再創造する必要はありませんでした。そのまま地上天上天国を完成し得るすべてのことを失ってしまったので、人類の先祖と共に、このことをなさなければならないのです。自分たちだけではできないのです。真のご父母様と天の父母が一つとなり、すべての蕩減過程を乗り越えることのできる位置に入り、祝福を受け、「家庭盟誓」をもったということは驚くべき事実です。そのことを知らなければなりません。 何ですか? 「家庭盟誓」です。盟誓というものは、それに一点一画でも背くことはできません。あなたたちが背けば、すぐに引っかかります。霊界に入っていく時、問題となります。拡大鏡があり、自分たちがどのように暮らしてきたのか、それが足の先から頭のてっぺんまですべて、白昼のもとで透き通って見えるようになるのです。 そのような基準に立つべき自分自身が、そうなれなかった場合、引っかかったその暗闇自体が影となるのです。そのような影が残れば、神様から遠く離れた影の残る位置に立たなければなりません。ですから、夫と妻は、一心一体にならなければなりません。 創造の原則は正分合作用 皆さん、創造の原則は何ですか?。正分合作用です。共産党は、正反合作用です。反対です。神様の真の愛が実体から分かれ、アダム・エバが生まれたのです。アダム・エバが生まれた目的は何かというと、大きい愛を受けるためです。衝撃的で、刺激的な愛を受けるために分かれたのです。 皆さん自身を見ても、個々人、愛をもっています。愛の性稟をもっています。愛をもっているというのです。生命をもち、血統をもち、良心をもっています。しかし、皆さん自身がもっているこれらのものは見えません。見えないのです。どのようにしても見えず、感じることができません。愛を一人で感じることができますか?。生命というものは、「男性の生命体だ」「女性の生命体だ」「私の生命体だ」と、生命が一人で、主体的な何かをもって現れることはできません。必ず、相対が現れなければならないのです。 それゆえ、一人でいれば、心と体が一つになっているので、感じることができません。心と体が一つになっていれば、感じることができないのです。皆さん、瞬きをし、呼吸をし、脈を打つこと、それを一日何度くらい数えたり、感じたりしますか?。できません。一つになっているので、感じることはできません。 「一つになっていて感じられない」という立場は、神様も同じです。神様は、愛の主体、生命の主体、血統の主体、良心の主体として、一人でいるのです。一人の位置で心と体がバランスをとっているので、感じることができないのです。ぴたっと中心になっているのです。 神様ご自身が、愛がどのようなものであり、生命がどのようなものであり、血統がどのようなものであるのか、そのすべてを感じることのできるものが何かというと、愛でもなく、生命でもなく、血統だというのです。皆さん、血統は生きているのです。血統は永遠に死にません。アダム・エバから今まで、数千代、数万代にわたり、私たち自身はその血統に連結されているので、その血統は生きているというのです。千年、万年、億万年、生き残る血統なのです。 ですから、血統が存在することによって、本然の愛と関係を結ぶことができ、本然の父母の生命体と因縁をもつことができ、そして、自分を中心として永遠なる後代の子孫と因縁を結ぶことができるのです。 自分がもっているこの血統は、一代でなくなるのではありません。根から、ずっと永遠に続くのです。血統は永遠に続きますが、皆さんの愛は一代、一代、違うのです。父母の愛、祖父母の愛、数千代前の先祖の愛、今日、地上にいる横的な数多くの家庭の夫婦の愛、後代の子孫、万代、億千万代の後孫の愛……。愛というものは、一段階、一世、一世に分かれているのです。これを一つに結ぶことができるものが何かといえば、動脈・静脈と同様の立場にある血統だというのです。分かりますか? 堕落の問題とは、愛を失ってしまったこと、父母の生命体すべてで失敗したことです。それも恨めしいことですが、それが問題ではないというのです。以前に過ちを犯し、過ったことを後で修正するということが蕩減復帰ですが、そのようなもの(愛を失った恨み、生命体で失敗した恨み)は問題視しないというのです。その一番の問題が何かというと、血統だというのです。分かりますか? 血統は垂直に降りてくるものです。神様は縦的な父母であり、地上の人類始祖は横的な父母です。九〇度です。九〇度になる焦点があり、これが一つにならなければなりません。一つになろうとすれば、すべてのものは正分合作用によって三段階で発展します。私個人は、神様から分かれて出てきました。神様を中心として見れば分かれているのです。男性の中にも女性性稟が、女性の中にも男性性稟があります。正から分かれて一つになるのです。 心と体が一つにならなければなりません。一つになるのは、何によって一つになるのかというと、それは真の愛です。愛だけが、心と体を統一させることができるのです。それ以外のものではできません。 体を、世の中のすべてのダイヤモンドで美しく装ったとしても、心の中を統一することはできません。心の世界の華麗な神様の栄光と全権を相続したとしても、それが絶対的に心と体を一つにすることはできません。心と体を一つにするのは、真の愛です。神様の愛なのです。分かりますか? 一人でいれば感じることができないのですが、対象の立場に立つことによって、神様の性稟を感じることができるのです。神様の性稟です。男性なら男性、女性なら女性、個々人の人格を中心としたその性稟と神様が水平になり、バランスがとれているので感じることができませんが、相対圏が出てくることによって強く感じるのです。このような心と体の一体圏が、正分合の一番目です。 それゆえ、心と体が絶対的に一つになっていない人は、天国に行くことができません。真の愛は、水平においての中心の位置、全体存在世界の中心の位置を突き破ることができるのです。縦的です。軸だというのです。軸をつくるものは真の愛しかありません。 ですから、ここにおいて私個人を中心として、一心、一つの心にならなければなりません。一つの心です。何を中心としてですか?。愛を中心としてです。縦横の私自体も、愛を中心として九〇度にならなければなりません。 こうして心と体が一つになり、日常生活から永遠な生活にまでも合わせることができるようにならなければなりません。モデル型としてです。九〇度に合わせなければなりません。それが何によって一つになるのかというと、真の愛だというのです。 ですから、一つの性相と形状的個体が全体に展開して分かれ、神様を中心とした二番目の結実が女性です。そして、三番目の結実が夫婦です。四位基台形態をなして完成した男性、完成した女性です。正分合によって一体となることのできる、そのような男性と女性が一つになるのです。 個体完成した人が夫婦として一つになるのです。これが、天地合徳(天と地が一つになるという意味)です。天の国と地上の国の合徳、東洋と西洋の合徳、前半球と後半球の合徳です。そのような球形体を成し遂げるためです。 これは水平になるので、天的な真の愛が天から降りてくるのです。垂直です。分かりますか?。これは個人的な垂直完成です。夫婦の垂直完成は、男性と女性の家庭を中心として頂上から降りてきて一つになった位置で、四位基台形態を中心として子女を生むのです。これが種になるのです。モデルです。このモデル形態を中心として結実するために、ここから子女が出てくるのです。 子女というものは何ですか?。神様は、この地上に存続するすべてのものを歴史的に感じることができませんでした。それは、一つになっているので感じることができませんでした。しかし、このようなアダムをつくることによって、見えない無形の神様が実体の神様として現れる時までの、神様が育ってきたその事実を、実体として感じることができるのです。それがアダム・エバだというのです。 無形の神様は、霊界に行っても見えません。無形の存在が相対的実体圏として現れたならば、そこには喜びがあるのです。神様にも、幼い少女時代があったのです。皆さんも自分の少年時代の写真を見ると、喜びがあるでしょう。衝撃を受けるのです。「あ、これはかわいい」と、キスまでしたくなります。 神様が過去に、見ることができず、感じることができなかったことを、このように感じることができるのです。愛が停止して感じることができなかったのに、(アダム・エバが)神様自体の実体対象となって現れることにより、「わ」と、揺れ動くのです。それがアダム・エバをつくった目的です。 男性と女性を一つにするのは真の愛 それと同じように、結実した男性と女性は、神様の分かれた性稟が一つになり、相対的立場で、水平でぶつかることによって一つになるのです。こうして一つになる力は、男性がいた位置、女性がいた位置を越え、一つになり入っていくのです。 一つにならなければならないのですが、男性と女性が全く同じであるならば、これは対立するのです。力も同じならば、ぴたっと対立してしまうのです。それゆえ、男性が主体なので中心に立ち、弱い女性がその周囲を回るのです。そのようにして一つになり、水平の世界をなしていくのです。そのことを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 では、本性的にみるとき、男性と女性を一つにするものが何かといえば、それは真の愛です 神様の愛です。横的に伸びていく愛であると同時に、垂直に降りてくる神様の愛を中心として一つになるのです。神様が祝福するようになれば、真の愛の主人は神様なので、だれが相対的に喜びを感じるでしょうか?。横的な夫婦が感じるのです。天地合徳です。 男性と女性というものは、この世界で言えば、プラスの世界とマイナスの世界と同じです。また、無形世界と実体世界です。これを一つにするのは真の愛しかありません。そこでは、政治的力、知識の力、経済力というものは、全く無力です。一つにすることはできません。お金で一つになろうとする世界は滅びます。力で一つになろうとする世界は滅びます。また、知識で一つになろうとする世界は滅びるのです。 本当に愛する相対は、億千万のお金をもらっても取り替えることはできません。そうですか、そうではないですか?。真の愛がそうだというのです。それから、力で強制してもできません。強制では、千年、万年、回ることはできません。強制ですれば、点を中心として永遠に回転することはできないのです。強制ですれば、回りながら、どこかにいって壊れてしまいます。この宇宙から追放されるのです。 知識をもった人は、すべてを競争と考え比較します。知識には比較能力があるのです。知識には内外の内訳をすべて比較して、重い、軽い、ということを測定する能力があるので、知識では絶対に定着することができません。比較して少しでも高ければ、自分が上に行こうと考えるのです。 世界的な学者たちでも、今新しく発見された一つの単語を先に知っている人が、世界で最高なのです。「自分が一番だ」と考えるのです。知識は、頂上を占めるための道具となっているのです。それでは統一できません。 また、一つにし得るものは、政治の力でもありません。分かりますか?。今まで神様は、政治を通して世界を一つにしようとはしませんでした。この世の中の政治が、すべてを滅ぼしてきたのです。また、今まで神様は、お金で世界を一つにしようとはしませんでした。お金で愛を買うことはできません。お金で、知識で、愛を買うことはできないのです。 このような原則的基準から見るとき、真の愛よりもお金、真の愛よりも力、真の愛よりも知識を重要視し、求めていく人は、脱落の祭壇に上がり、地獄行きだというのです。これを踏み越えて、この政治の力を踏み越えて、情(愛)の政治をしなければなりません。政治とは、自分の利益のためにするものではありません。全体のためのものであり、神様の力の作用の比準に合わせた全体のための力なのです。 知識を得れば、神様のように自分が兄となり、知らない人を指導しなければならないのですが、今日の堕落した世界では、一つでもより多く知っているということで支配しようとするのです。それは、すべて邪悪な悪魔であり、天地大道の理想圏を破壊する邪悪な者たちです。この邪悪な者たちを撃破しなければなりません。命とお金を取り替えることはできません。愛を、お金、力、知識と取り替えることはできません。 今、女性解放時代が来て、今から大学出身の女性が多くなるのです。女性を貴く思う時代が来れば、世の中がよこしまな世の中になります。今までは、男性第一主義で来ましたが、女性を重要視するので、学校でも女性が多くなります。女性の値打ちが上がるのです。女性を重要視する時になれば、修士や博士の女性が多くなるのです。 女性は神様の前を歩くことはできません。罪を犯したからです。終わりの日に(この世を)滅ぼすフリーセックス、ホモ、レズビアンは、だれがするのかというと、男性よりも女性なのです。愛の志操を守れないのは、男性よりも女性なのです。 女性に対して、十回押して倒れない者はいないと言うでしょう。韓国の格言です。十回押して倒れない木はないとは、堕落したエバの後裔なので倒れるようになっているということです。それは力で征服することができます。力を誇って征服することができ、それからお金で征服することができ、知識で征服することができるのです。 真の愛で征服しなければなりません。お金を越えて絶対従順な女性、力を自由自在に乗り越えることのできる女性、知識を自由自在に乗り越えることのできる真の愛をもった女性は、何人いますか?。堕落した世界には一人もいません。種がありません。 女性を中心として見る時、妹になり得る種を失ってしまい、姉になり得る種も失ってしまい、妻になり得る種も失ってしまい、母となり得る種も失ってしまい、おばあさんになり得る種、女王になり得る種も失ってしまいました。だれがその種を失うようにしたのですか?。女性です。(「アーメン」)。男性と女性です。それも「アーメン」と言わなければなりません。女性のゆえに、すべて「アーメン」なのです。このような女性は滅びる運命です。 朴普煕 (「はい」)。私たちは舞踊団をつくっていますが、女性はみな化粧をしているでしょう。(「はい」)。化粧はだれがしてあげるのですか? (「各自がします」)。しかし、「手伝ってあげなさい」と言えば、女性は男性に化粧をしてあげたくなり、男性は女性に化粧をしてあげたがるのです。そのようにすれば問題が起きます。きれいに唇を塗れば、男性も女性も「唇を合わせたい」と思うでしょうか、思わないでしょうか? 「このように美しく、花の香りがするものと一度キスしてみたい」と、問題が起きるのです。 ですから、統一教会の舞踊団では、女性には女性が化粧してあげなさい。男性には男性がするのです。絶対に、交代して化粧してはならないのです。踊りを踊る時は、仕方なく体が触れ合いますが、普段は手をつなぐことはできません。「自分の相対とのみ手をつなぐ」と考え、心がわくわくし、胸がどきどきしてはいけません。初愛の電線が切れていれば、いくらキスしても通じません。しかし、連結されていれば、少しでも触れればスパークするのです。雷が落ちます。 以前、私が自然の結婚式の話をしたでしょう。天地に雲が生じるのは、人間世界のすべての存在が結婚式をするその代表です。愛する時、声を出すでしょう。猫は「ニャオン」、ネズミは天井で「チュー、チュー」と大騒ぎします。愛すれば声を出すのです。 それから、二人は喜び、目を閉じ、愛の光が天地を振動させるのです。そして、「私はなくなります。その力が世界に伸びていき、全世界に、神様の真の愛の圏の中心に花を咲かせ、刺繍するようにしてください」と、祈祷するのです。このように願うのです。それが愛の位置なのです。では、男性と女性は愛する時、声を出しますか、出しませんか?。鳩も「クククク」と言います。一度言ってみてください? (「クククク」)。九×九は八十一です。これはサタン数です。「再出発の王だ」、これが八十一です。分かりますか? 「クク、クク」。それはサタンです。これは八十一です。掛ければ拡張する以上なので、解放圏が展開するのです。それゆえ、一九九九年に「九・九節」があったのです。「三・十節」とは何かというと、旧約時代完成、新約時代完成、それから成約時代完成です。今まで縦的な三段階の祭物を捧げてきた歴史を、「九・九節」と「三・十節」で横的に捧げたので、サタン世界は終わるというのです。 一数、二数、三数、一数は神様の数ですが、二数圏をサタンが占領してしまいました。一数、二数、三数、四数……、すべて神様の数になったのです。数理的原理原則を通して創造された被造世界の主人が、神様です。数理的原則を知り得ない者は、この世界の主人になることはできません。サタンには、この自然が唾を吐いてしまいます。このように解放時代をつくったのです。 神様の命令なしに行ったことは一つもない 男性も、女性も、なぜ結婚するのですか?。男性も半分であり、女性も半分です。これが一つにならなければなりません。一人で暮らす女は滅びるのです。愛の主人はだれですか?。愛の器官の主人は自分ではありません。女性には、自分のものが一つもありません。胸とお尻が大きいのは、だれのためですか?。赤ん坊のためです。 統一教会の女性たちには、悪口を言われ、地獄に引かれていく者がたくさんいます。自分勝手にする者。今から、先生と離別です。生き別れるのです。別れる時が来たというのです。今回の八十歳の誕生日を過ぎれば、全員故郷を離れなければなりません。先生が助けてあげていることを、すべて切ってしまわなければなりません。あなたたちの思い通りに生きてみなさい 先生は、世の中の人々にすべての面で勝ちました。個人的に勝ち、家庭、氏族、民族、国家、世界的に勝ちました。仕事をするうえでも、農村に行けば農村のチャンピオンであり、海に行けば漁夫のチャンピオンであり、学界に行っては学界のチャンピオンであり、宗教界に行っては宗教界のチャンピオンであり、政治、経済、すべてにおいてチャンピオンです。 そのような父の言うことを聞かない者たちは、そのままにしておくことはできません。さっさと整理するのです。天地すべてが呪うのです。呪われないために、八十歳以降、全員出発しなければなりません。 私は以前に勧告しました。あなたたち統一教会の人々はお父様の後を歩んできたので、労働者の時は労働者の生活をしなければならず、漁夫の時は漁夫とならなければならず、監獄に行ったならば、監獄に行く悲しみも感じることができなければなりません。子女は父母の血統を受け継ぐのです。その父母の血統の中には、歴史過程の血統がすべて含まれているのです。曲がりくねった道を三代をかけて一つにしてこそ、垂直になるということを知らなければなりません。三代が一つにならなければなりません。ですから、神様の愛とは何かというと、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛という三大愛が一致し、一つの核を中心として結束するものが神様の愛だというのです。 この中で日本人は手を挙げなさい。西洋の人、手を挙げなさい。何のことか、分かりますか?。すべて焦点を合わせなければなりません。言葉が分からないのに、どのようにして焦点を合わせるのですか?。言葉は一つにならなければなりません。 神様が使う愛の標準語は、どの言葉ですか?。考えてみましたか?。それは真のご父母様が使う言葉です。違いますか、違いませんか? (「正しいです」)。尋ねた先生が間違えば、激しく攻撃しなさいというのです。先生が間違ったことが何かありますか?。神様の命令なしに行ったことは一つもありません。 病人が死んでいくので、ハンセン病にかかった人を治療しようとして、自分がハンセン病にかかり、その自分を通して治療方法を探し出す、ということもしたのです。何のことか分かりますか? 「ハンセン病を治すために千万種類の調査と千種類の鑑定を行い、そのもとでハンセン病の根源を知り、このように治した」。こうしたためにハンセン病にかかり、ハンセン病患者になったからといって、「こいつ。おまえは地獄に行け」と言うでしょうか? 「おまえは地獄にいる人ではない。天国に行かなければならない。その汚れを私が洗ってあげ、絹のおくるみで包み、天の国の宝として立てるであろう」と言うというのです。 「家庭盟誓」です。「家庭盟誓」で始まったでしょう。(「はい」)。再創造歴史は、ただそのまま再創造されるのではありません。復帰は、ただそのまま復帰するのではありません。蕩減復帰です。直系の子女も蕩減復帰です。あなたたちも、ただで得てはいけません。統一教会の血肉を中心として、先生の血肉を削って得たすべてのもの、宝、ダイヤモンド、天下を与えても用いることができないものを用いるためには、相対的苦労の価値を備えなければなりません。分かりましたか?。この者たち 荷物をまとめて一度思い通りに生きてみなさい。今はそのような時です。今では、先生の御旨はすべて成し遂げられました。先生は優れた男性です。愚かな男性ですか、優れた男性ですか? (「優れた男性です」)。女性という女性は、西洋の女性でも東洋の女性でも、先生と結婚したくないという人に、一人も会ったことがありません。八十歳の老人でも、今「結婚する」と言えば、「先生が八十歳でも私はお嫁に行く」という女性がたくさんいるのです。(笑) 負債を負うにもほどがある 「家庭盟誓」の第一は何ですか?。本郷の地を求め……。本郷の地を失ってしまいました。故郷を失い、本郷の祖国がありません。国のない者たちです。米国に来ても、市民権がなければ、犬の糞のような扱いを受けます。故郷がなく、祖国を失ってしまったかわいそうな群れは、すべて地獄の居間に引かれていくのです。そのことを知らずに暮らしています。 皆さんの故郷はどこですか?。霊界だということができますか?。地球です。地上で生まれたのです。そのような観念から、米国やどこどこの国、このぼろぼろの服のような国は、すべて滅びるのです。すべて滅びるというのです。世界の主人がいません。 自分の息子・娘を主管することのできる父母がいないのであり、妻を主管する夫がいないのであり、夫を愛で抱くことのできる女性がいないのであり、息子・娘も自分の息子・娘ではありません。どこからかもらってきた息子・娘です。神様はそのような息子・娘を、自分の息子・娘よりももっと愛したというのです。サタンがそこに屈服するのです。 統一教会の行く道は、カインを自分の息子・娘よりももっと誇り、自分の妻よりも世の中にいる女性をもっと尊重視するのです。それが神様の教えです。家庭を復帰し、再び入っていくためです。蕩減するためなのです。罪を犯したために、蕩減しなければ進むことができないのです。蕩減法を適用して上がっていくのが、統一教会の文先生が行った道だというのです。その公式的な原理が、個人的公式、家庭的公式、氏族、民族、すべてが一つの線に連結されているのです。真の愛の道だけが、一つの道となるのです。 お金の線はこちらに行き、知識の線はあちらに行き、権力の線はこちらに行き、自分勝手にあちらこちらに向かっていますが、真の愛の道は直行です。永遠に直行です。太陽の光が間違いなく二十四時間後には再び帰ってくるのと同じように、日が沈む姿も同じです。千年、万年、ずれることがありません。そのような直行的な行路、原則的な行路がないので、人間は千態万象なのです。 これを一つにするために苦労してきた先生です。真のご父母様です。真のご父母様を引きずり、荒れる大海を越えていかなければならず、次に泰山を越えていかなければならず、無限なる世界の曲折、迫害のわなの峠を埋めて、また埋めながら、これを平地にしてきたという事実を、天地のだれも知りません。先生が何をしているのか、あなたたちも分からないのです。この者たち、負債を負うにもほどがあります。 そのことをよく理解し、全員で一章を一度読んでみなさい。(「私たちの家庭は真の愛を中心として」)。真の愛を中心として (「本郷の地を求め」)。本郷の地を求め、本郷の地を失ってしまいました。求めて何ですか? (「本然の創造理想である」)。本然の創造理想を破壊したのです。本然の原則的基準を破壊したというのです。(「地上天国と天上天国を創建することを」)。地上天国と天上天国をつくることを失ってしまったので、私たちがそこに入っていき、完成ではありません。完成する材料がありません。創建するのです(「アーメン」)。 二番目は何ですか?。真の愛を中心として、神様と真のご父母様に侍り……。侍るということにおいて、自分勝手にするのではありません。この者たち。今まで自分勝手に生きてきました。体をばらばらにしてはげ鷲の餌にしなさいと命令があれば、私はそのようにします。怨讐の中の最高の怨讐の息子を、最高に愛する位置に立てることはできない、というのが(本来の)天理です。それは理論的に間違いありません。しかし、今はそのような道を行かなくてよいのです。 今日の祝福は、霊界の怨讐を中心として行っているのです。聖人と殺人魔は怨讐です。聖人の息子と、スターリン、ヒットラーの息子・娘とを結婚させました。国境が怨讐なので、国境を中心として交差結婚すれば、平和な世界が来るのです。 そのような父の御旨をなしてきたのですが、自分勝手に、自分の思い通りに消化し、踏みにじっているのです。私は、みっともない者は見たくはありません。こん棒で足を切って、はげ鷲の餌にする。そのような先生の性格を知らず、自分勝手に動いている者たち。私の目で見たくありません。思い通りにしてみなさい。 あなたたちも同じです。先生の子女が過ったことを天法によって治め、それを第一号として、その通りに行うので、第二号、第三号は問題ありません。それゆえ、八十歳になる今年を中心として、先生と皆さんは分かれます。今年を中心として清算する期間です。これが九七年からの三年です。九七、九八、九九、二〇〇〇年です。十です。ここから、四、五、六、七です。二〇〇三年までに、私たちはすべてのことを終えなければなりません。分かりますか?。青少年純潔運動で結ばれた者たちも、三年後までには、すべて祝福してあげなければなりません。 今、そのようなことをしているのです。エデンの園に帰ってきたので、マッチング運動です。世界のいかなる息子・娘もマッチングされ、三分の一も「嫌だ」とは言いません。これを三年後までにすべて終えれば、先生一代で、すべてのことを清算できるのです。先生がどのくらい生きるのか、皆さん、考えてみなさい。この地上に長く生きていたくありません。 第二は何ですか?。真のご父母様に侍り (「天宙の代表的家庭となり」)。代表的です。頂上です。こうして見ても頂上であり、こうして三六〇度回りながら見ても、一つの頂上なのです。一つしかないのです。そのような位置で代表的家庭となり、それがそのままそのように上がっていくのではありません。中心があるのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を代表して、逆さまに立つのです。逆さまに立てるものが代表なのです。代表的家庭であり、それから何ですか? (「中心的家庭となって」)。中心的家庭です。 ここに行き勝利し、神様の前に、頂上に上がっていき相続を受け、「おまえは私の息子・娘だ。万歳。堕落したすべてのものを清算し、解放圏に立ったのだ」と、こうならなければなりません。 そのようになれば、その次にはそのまま降りてくるのです。世界の代表であり、国家の代表、氏族の代表であり、民族の代表、家庭の代表であり、個人、夫婦の代表の位置に来るようになるのです。代表的家庭が中心的家庭となり、それから家庭では? (「孝子」)。どのような家庭ですか?。神様に侍る家庭です。 神様の前に孝子がいません。孝子となり、それから何ですか?。神様の国がありません。今に国を復帰する時が来るのです。国の前に忠臣となり、天の前に世界がありません。家庭と国を連結し、世界には祝福家庭が広がっています。天地に満ちあふれているのです。 今では家庭を引っ繰り返して打ち込んだので、家庭さえ復帰しておけば、国は考えなくてもよいのです。国は、どこに行っても立てることができます。何のことか、分かりますか? (「はい」)。 「文総裁はお金がたくさんある」といううわさがたちました。済州島の何倍にもなる島国を一つ買い、「統一教会の全信徒、大移動」とすれば、国は一瞬のうちにつくることができるのです。つくることができるでしょうか、できないでしょうか? (「できます」)。「大移動の準備をしなさい」と言いましたか、言っていませんか? (「言いました」)。 全員、ジャルジン四十日修練です。ジャルジン四十日修を行う修練所の名前は何ですか?。世界平和統一家庭連合、何ですか? (「教育本部です」)。どのような教育ですか?。祝福家庭を教育するのです。 天上世界、霊界を代表した者たちとこの地上の人々を祝福しました。祝福した霊界の先祖たちは、カイン的立場です。サタン側である左をすべて満たし、真のご父母様を中心として、「四・四節」を中心として右と左を一つにし、すべての祝福家庭が四位基台となり、真のご父母様と写真を撮ることのできる時となったのです。 あなたたちの家はどこですか?。あなたたちの父母はだれですか?。今まで自分がこの世の中の大将や大統領であったとしても、それはおしめにしかなりません。それをすべて片付けて、「私たちの父母は真の父母しかいない」と、ならなければなりません。 初めて、先生が写真を撮ってあげるのです。あなたたちがいくら不足で、病気であっても、写真を撮ってあげたので、神様の血族圏内に入っていくことのできる権限が与えられるのです。 だれでも写真を撮ってあげるのではありません。真のご父母様と写真を撮りたくない人は手を挙げなさい。一人もいませんね。撮りたい人、手を挙げなさい。わわわわ、見たくありません。資格があって手を挙げるのならよいのですが……。警告します。 統一教会は血統を中心とする 家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道理を完成できなかったことが、イエス様の恨であり、真のご父母様の恨であり、神様の恨であり、イスラエル選民の恨であり、宗教圏にいるすべての人々の恨であり、良心的な人々の恨なのです。 それゆえ、今の時は、宗教を信じ、真の愛を中心として生きようという人々と良心的な人々が動員されなければなりません。「労働者、農民は動員されなければならない」と言っていましたが、すべて崩れていきました。 今までは、頭にあたる知識者、次に、力のある者が出世しました。次に、腹で出世する腹の時代が来ました。マフィアを中心として腹でやるのです。分かりますか?。そして次に、手足の時代が来ました。この手足が、労働者と農民の時代です。このようにみな出世したのですが、良心的な人々と宗教圏の人々は、今まで一度も出世できませんでした。 ですから、良心的な人々と宗教圏の人々が動員されなければなりません。天下に統一の主人が来て、その方の両手両足と一つになって天地の大中心となり、一回りぐるっと回れば、天上世界、地上世界が、完全に球形的統一理想世界になるのです。ノーメンですか、アーメンですか? (「アーメン」)。 私たちの故郷はどこにありますか?。故郷がありません。ですから、先々週の聖日に先生が総評してあげました。私たちの故郷がどこかといえば、地球です。モーセは四十年の荒野を経て、イスラエルを中心として故郷と国を復帰するための道を歩んでいきましたが、今日の文先生を中心とした統一教会は血統を中心とするのです。血統が中心です。 宗教圏の理想は何かというと、結婚を誤ることによって、過去の血統、現在の血統、未来の血統が直行することのできる血統的伝統を失ってしまい、反対にサタンの血統を受け継いでしまったので、これを切って元返し完成させ、万民を神様の血統に接ぎ木することなのです。 そのような神様の血統的関係をつくるために、再び祝福し、再び愛の伝統を立て、新しい血統、神様と真のご父母様の血統に結ばれた者が、祝福家庭だというのです。そのことを知らなければなりません。祝福家庭、分かりますか?。どれほど貴いでしょうか。 先生は監獄に六回も入りました。あなたたち夫婦が(信仰ゆえに)一度ずつ、三年間、七年間放り込まれても、お互いに「監獄を避けていこう」と思ってはなりません。「行く」と思わなければなりません。だれもがその道に従っていかなければなりません。 復帰の道は開拓していく道であり、原理の道はそのまま従っていくのです。復帰の道は知ることができず、神様も教えてくれません。神様も(先生を)利用してしまうのです。訪ね求めていく道です。先生がこの道を探し出すために、どれほど苦労したか知っていますか? 涙のかわく日がないほど身もだえし、ありとあらゆる闘争歴史を経て、神様の千年の恨を解放し、囚われの身の神様を解放して、天上世界と人間、サタン世界においては個人と家庭、このように分かれていたものをすべて連結し、サタンがついてくることができないほどに、あの北極にまで広がって大きくなり、中央部まで占領したのです。 祝福がどれほど貴いものであるか分かっていない 真のご父母様の名を知らずに霊界に行けば、いる所がありません。そのことを知らなければなりません。地獄にも行くことができません。地獄はなくなりました。先生の手中に……。神様とサタンを和解させたのは先生です。 「神様、あなたの創造理想はこのようなものではなかったのですか?」「そうだ」「アダム・エバがこのようになって、すべての天地の大王の身である神様も……。神様も、愛の相対は何千万倍、立派であることを願われましたか?」「そうだ」 「それと同じように、神様ご自身が天地を創造した主人ですが、愛の相対は自分よりも何千万倍、立派であることを願うということが、御旨の本質的な要求だったではないですか?。しかし、堕落により血統が転換することによって、このすべてを失ってしまったのではないですか?。真のご父母様が血統を復帰する時までは、理想の全権行使を中心として、世の中と霊界のすべてを元返して打ち込み、神様が思い通りに治めることのできる権限がありますか、ありませんか?。原則が明確になったので、その原則に符合しない偽りのものは、すべて除去します。これでオーケー」。何がオーケーなのですか?。除去がオーケーなのです。 そして、サタン世界に「おい、おまえ、真の愛の道理がこのようなものであるということが分かったか?。神様の孝子の道理がこうで、国の忠臣の道理がこうで、世界の聖人の道理がこうで、天上世界の聖人の道理と聖子の道理がこうなのだが、おまえは、そのどこか一部分でも足を踏み入れることができるか?。こいつ。おまえの心に、神様の愛のために生きる、という血統が通じているのか?。血が途絶えているのか?。そのような行動をしてみたのか?。こいつ。していないだろう。していないのだから、この天理の大道の原則を中心として、為に生きる愛の全体圏……。きょう話した愛の執権内に、サタンはいることはできないではないか?」「そうだ」 そこで生きようとしても苦しいのです。小学校しか出ていない者が、どこかの博士の所に行き、威厳をもって威信を立てることはできません。一言言っても恥ずかしいのです。見える行動一つが恥ずかしく、万事が恥ずかしいのです。はっきりと知らなければなりません。先生が行く天国に、むやみやたらにだれでも行くことができるのではありません。 それで、「おい、サタン。このような勝利的な基盤を築き、神様を安息させた主人の前におまえも順応するのか?。本来、創造の愛の代表である神様の愛の相対は、何千万倍、立派であることを願うのが愛の道理の原則である。そのような王子が現れたのだが、反対するのか、順応するのか?。神様が順応するのだから、もともと神様に順応すべきおまえは、百回、千回順応することが原則ではないのか、こいつ」と、腹を蹴って死んだとしても、「そうです」と言わせることのできる位置に立ってこそ、サタンが屈服するのです。ルーシェルが屈服しましたか、していませんか?。昨年三月二十一日にサタンが降伏しました。 主と真のご父母様の名によって、万民を代表した統一教会の祝福家庭の名で、勝利した覇権を握っているのです。サタン世界、いくらでも打ってみなさいというのです。めちゃくちゃになります。すべての霊界が押し寄せ、滅びるのです。それゆえ、先生に反対した国家や個人は、すべて滅びました。米国も滅びつつあるではないですか。仕方なく、文総裁のお尻にしがみついて、「助けてください」と言う段階に来ています。ソ連も滅びました。 では、神様とサタンの闘いを、だれが止めたのですか? (「真のご父母様です」)。真のご父母様とはだれですか?。完成したアダム・エバです。統一教会で完成したアダム・エバとは、だれですか? (「真のご父母様です」)。 そのような完成した覇権主義、愛の主体的軸を立て、縦横を中心として球形が、万世、千万年運動したとしても歪まない、完全な円になることのできる家庭形態と世界形態をつくったのです。それをだれがつくったのですか?。偽りの父母が破壊し、歪め、くちゃくちゃにしたものを、真のご父母様が現れて、刀で完全に丸くしたので、解放的地上天上天国、神様が思い通りに地上に往来するのです。 それでは、あなたたちは世話になりましたか、なりませんでしたか? (「なりました」)。世話になった代価を支払おうとすれば、一億ドル払って、個人復帰の資格を買うことができますか?。十億ドル払って、買うことができますか?。天地を与えても買うことができません。個人完成もそうなのに、夫婦完成は、何千倍、何万倍でしょうか?。地球、この宇宙を与えても買うことができません。それを買うことができるなら、神様がつくって、すぐに復帰していたのです。 この者たち。祝福がどれほど貴いものであるか、分からずにいます。今から憲法ができ、神の国を復帰する日には、少しでも過って訓読会の御言に引っかかれば、即刻、条件に引っかかります。千年の恨を中心として、その条件を解消するための道を、自分がこの地上で歩んで清算しなければならないのです。世の中では、帰ろうとすれば何周にもならないのですが、蕩減というものは何千周を行かなければならず、暗闇の世界に落ちていって苦痛を受けながら、子女たちがみな祈祷して再蕩減しなければ、水平になることはできません。とてつもない事実です。 自分勝手に「私は祝福を願っていなかったのに、先生が与えた」と言う者たちは、こなごなにして、はげ鷲の餌にしなければなりません。見ていなさい。先生から離れて、自分勝手に結婚してみなさいというのです。ちょっとやそっとの冷遇ではありません。世の中から指さされ、天地から指をさされるのです。今後、十年、五十年後に、あなたたちの二世、三世が八十歳になれば、三×八=二十四、二世紀、三世紀以内に、完全に整備されてしまうのです。 四大心情圏を蹂躙された 次に、三節は何ですか?。四大心情圏とは何ですか?。堕落することによって、子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情を失ってしまいました。四大心情圏を蹂躙されたのです。この女性、エバが手足を広げて天使長と併合することによって、神様のモデルになるべき理想的な愛の定着基地を破壊してしまったのです。 千年、万年、返しても返すことができない負債者が、なぜ、騒いでいるのですか? 複雑多様な蕩減の道を経ていくことはできません。行くことができないのです。先生は頑固で激しい人なので、来ることができたのです。一度決心すれば、天下が崩れたとしても後退しない性格なのです。それは神様が与えてくれた性格であって、私がつくった性格ではありません。その性格を恨んだときが多いのです。「この性格ゆえに、私はこのような滅びの道に入り込んだ」と思ったのです。 生涯、滅びの道を訪ねていきました。発展する道を訪ねていきましたか?。そのようにしてみると、穴を開け鉄道を敷き、十年かかって行く道を一時間に短縮したのです。掘り進んでいくと、太陽が照りつける荒野時代が来たのです。ぴたっとそのようになりました。穴を掘り、太平洋を越えていったことと同じです。そのような父母に、自分勝手に侍ってはいけません。 今からはだまっていません。今までは国を探しだすことができない私が、子女の前に、国の前に、孝子の道理、忠臣の道理を教えることができませんでした。国を中心として父母が見せてあげる生活をすることができなかったので、忍耐しているのです。見せてあげる生活ができていれば、国の忠臣が行くべき道を訓練しているのです。旗を掲げ、総出動できる時が来るのです。 今では、もう私がすべきことはなくなり、死ぬことしかありません。「死ねばよい」と思う人は手を挙げなさい。「長く生きればよい」と思う人は手を挙げなさい。全員、挙げましたね。長く生きて、何をするのですか?。先生の背中に乗って、自分がするというのではないですか? (笑) 三番は、四大心情圏です。子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情を蹂躙しました。一瞬の愛の関係が、このようなとてつもない天理の大道、天上と地上を破壊してしまったのです。そのことにより、東西文化の壁が生まれ、南北の格差、貧富の格差が生まれ、そして、戦争で全体が揺れ動く世界になり、希望がなく、絶望がこの世界を覆ってしまいました。 今では、文総裁しか希望がありません。霊界に行ってみなさい。死んでみなさいというのです。最近では、それをみな知っているでしょう。霊界は、統一教会の人でぎっしりいっぱいです。霊界の人と地上の人が結婚するのです。薫淑もそうです。喜進もしてあげました。統一教会をよく信じている女性たちは、歴史的な聖人たちと祝福してあげました。崔元福の夫はだれですか?。崔元福。夫はだれですか? 三番目の報告書(李相軒先生が霊界から送ったメッセージ3)で、弟の興進が兄の孝進にお願いしています。「霊界に来てみると、これほど貴い父母であり、生前私は真のご父母様が教えてくださる御旨の内容を知ることもできず、侍ることができなかった恨があるので、お兄さんとお姉さんは、どうか生きている間に私の代わりによく侍ってくれることをお願いします。私には体がないので、そのようにしたくてもすることができません」 この息子は。今まで……。しっかりしなければなりません。 四大心情圏を蹂躙したことを、女性たちがすべて復帰しなければなりません。それゆえ、統一教会の女性たちにとって、(男性は)先生一人だけです。世界の女性たちがそのような心を中心として、一つの軸をなさなければなりません。母の位置、次に新婦の位置、次に妹の位置、次に双子の位置です。そのようなすべてのことを清算し、天上世界と地上世界に引っかからないようにしたのは先生です。そのような高速道路を築いたのです。愛の高速道路を築いておいたのです。 それゆえ、統一教会はすべて交差結婚です。日本と韓国です。国境が怨讐です。国境をおいて闘い、怨讐になったのです。国境が怨讐になったのです。国境を越えて、交差結婚しなければなりません。日本の男性は韓国の女性と、韓国の女性は日本の男性と、日本の女性は韓国の男性と、韓国の男性は日本の女性と、交差結婚しなければなりません。そのようにすれば、完全に平和の世界になるのです。 大移動 そして、大移動です。地球において大移動し、故郷を訪ねていかなければなりません。今から、父母の国、長子の国を中心として、大移動です。先生の八十歳のご聖誕日を過ぎた後に、祝福を受けた人でジャルジンの四十日修練会を受け、総生畜献納祭基金をなしたすべての人は、条件的にでも加担することができるように特許を下しました。そこに加担しない者は知りません。何のことか、分かりますか? (「はい」)。 一九九七年から二〇〇三年までには行くのです。時間まで教えてあげました。一番びりになれば、アフリカや、虎が住む洞穴の前に行って暮らすようになるのです。そこが自分の故郷になるのです。虎を育てて、乗りまわすのです。そのような不可避的な大移動が展開します。 それゆえ、五色人種が混ざるのです。韓国にも、五色人種がすべて入ってきます。祝福家庭が入ってきます。そのようになれば、反対していた家庭は、すべて追い出されるのです。それは国連を通して、世界的な神様の天理を通して決定するのです。すべてのものが平準化されます。愛の天理に従って平準化させることのできる家庭を復帰していくので、国境がありません。 愛の関係を中心として天の圏内に立っているので、サタン世界の愛の道、サタン世界の経済の道、サタン世界の知識の道、サタン世界のお金の道は、無力なのです。それらをすべて捨て、荷物をまとめて流れ者の立場になったので、天の国の家庭から国の故郷を越え、天国まで入っていかなければなりません。祖国というものは、永遠の天の国です。私たちにとって祖国とは地上ではありません。地上は故郷です。分かりますか? (「はい」)。 先生の故郷が定州ならば、そこが統一教会全食口の故郷になるのではありません。数千代の後孫として生まれたことと同じように、三千里半島、地球全体が故郷になるのです。堕落がなければ、本来の地球、統一された地球、神様のもとの一つの地球が故郷なのです。その故郷を失ってしまったので、それを復帰してくるために数千万年かかったのです。六千年ではありません。 人類文化史は、水平になっていなければならないでしょう。今まで人類の歴史を知りませんでした。文化史は宗教圏を通して生じるのです。その前は水平なので、千万年たってもゼロです。その時から、始まるのです。 堕落以降、数千万年、神様は監獄に捕らわれていました。国を失った大王陛下は、サタン世界の囚われの身となり、千万年の恨を中心として悲しみに満ち、力の権勢を振るうことが一度もできず、自分の圏を一度も立てることができずに、生きた屍のように暮らしてきた神様であったのです。 だれが、そのようにしたのですか?。アダムがそのようにしたのです。それゆえ、来られるメシヤは、その神様を解放しなければならないのです。それがメシヤの責任です。 真のご父母様は、愛の圏まで解放し、愛の居間から、国の居間、天国の王圏の居間まで案内してさしあげるべき責任をすべて完成したのです。それがアダム完成です。完成したアダムの位置です。完成したアダムが、神様まで解放し、地上世界、天上世界の解放圏をつくったので、第四次アダム圏時代が来るのです。 ここでは信仰は必要ありません。神様を絶対的に信じる必要はありません。自分の父母を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、天理の大道の原則の答えが出てきます。四大心情を蹂躙したので、復帰し、神様を王としてお迎えし、皇族にならなければなりません。分かりますか?。四大心情圏と王圏です。 王圏を中心として皇族となったすべての忠臣、烈女の直系血統、家庭から国、世界、あるいは天宙の聖子の道理を完結した理想的家庭を完成し、神様に侍り得る最後の理想家庭、終着的な目的となる、そのような家庭を私がなし、主人とならなければならないというのが、堕落したアダム・エバが行くべき宿命的な路程だったのです。そのことを知らなければなりません。(「アーメン」)。 生涯を懸けて千辛万苦の受難の道を開拓してきた 私は言葉を早く話す専門家です。夜、夢で話しても、間違わないのです。先生が五十年前に話した内容は、今教えていることよりももっと詳しい内容です。その時は、私がいつ死ぬか分かりませんでした。死ぬ前に、御言を残しておかなければならなかったのです。そのような悲しく、無念な生涯を出発したという事実を知らなければなりません。キリスト教が文総裁に反対して恥をかくようなことをしたので、旧教も衰退し、新教もすべて衰退しました。 統一教会のあなたたち自身もそうです。ありとあらゆるよこしまな者たちがたくさんいます。ろくでもない、はげ鷲の餌にもならない者たち。そのような者たちは、下水にほうり込まなければなりません。私はそのように恐ろしい人です。 そのような性格をもった人が我慢しようというのですから、どれほど大変でしょうか?。神様はもっと激しい方なのに、耐えることが、どれほど大変でしょうか?。ぶるぶる震える時が多いのです。体の節々がずきずき痛むことなど、問題にもなりません。全身の節々が、ずきずき痛むのです。我慢しようとするので、歯ぎしりをするのです。そのような道を開拓してきたということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。はっきりと知りなさいというのです。 二〇〇〇年を迎え、新しい千年を迎え、三〇〇〇年に向かって出発するこの時、三数の完成数を迎えるこの時だというのです。恥ずかしくないようにしなければなりません。三数が出発でしょう。(「はい」)。三〇〇一年です。三〇〇〇年と一年を合わせるのです。それゆえ、ここで上下がすべて合うのです。三〇〇一年、そうしてこそ、ここで合うのです。二〇〇一年ではありません。そうでしょう。横的に見れば、そうではありませんが、縦的に見れば、すべて三〇〇一年にならなければなりません。 三数は完成数なので、摂理史において、先生の八十年と二〇〇〇年を越えて三〇〇〇年に向かう出発の道に合わせるために、生涯を懸けて、千辛万苦の受難の涙の道を開拓してきたのです。そのことを知らなければなりません。きょう、私は祈祷がよくできませんでした。祈祷すれば、痛哭するのです……。それを知らなければなりません。 それできょうは、真の愛の天宙化は愛の家です。どこに行っても自分が住みたいと思い、神様をお迎えして、どこかの藁屋でも入っていき住みたいと思う、それはどれほど素晴らしいでしょうか。 世界を遊覧しながら、豊かに暮らしているのか、貧しく暮らしているのか、と訪ねていき、貧しく暮らしている人には神様と真のご父母様が現れて、慰労してあげたいと思うのが、天であり、真のご父母様の心なのです。貧しく暮らしている人に対してです。豊かに暮らしている兄弟の所にあるダイヤモンドや何かを、何としても手に入れ、与えたいと思うのが、貧しく暮らす子女をもった父母の心だということを知らなければなりません。 第八節、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放です。「解放」を外そうという、狂った者たちがいます。解放がなければ、すべて死んでしまうのです。そのような父母、地獄までも解放です。天上、地上、千万段階を平準化して解放させたということを知らなければなりません。分かりますね? (「はい」)。 きょう、私はこのようなすべての誓いをしましたが、その家庭盟誓の実体になったのか、なっていないのか、そのことを空中を見ながら問うのではありません。見つめる妻に公表するのです。そのような盟誓文であることを自覚しながら唱えなければなりません。分かりましたか? (「はい」)。そのようにすると誓った人は手を挙げてください。(「アーメン」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.21
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伝道に行って会った共産党員🍓共産党に入籍して妻からは逃げられ✳️素晴らしかった息子たちもずっと少年院に🌰原理の力を再確認❤️Yさん(日本・男性)の証し一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.20
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奇跡的な神様の導き🌹神様の導きを感じできる限り尽くす🍇日本、Kさん(男性)の証し🌰1980年代の証し❤️一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.20
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世界での日本食口の活動🌷ー 世界に影響を与える ー🍓イギリスでのSさん(男性)の証し🎁1980年代一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.18
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文総裁が興南刑務所から解放されて南下したとき、聖書によって共産ゲリラの嫌疑から逃れることができた、という証しです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.17
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世界の平和GG鈴木チャンネル「信教の自由と解散請求権」2023/10/15文化庁が(旧)統一教会に対して散々質問をした挙句、やっぱり解散を請求することにしました、ということになった。行政権に自由に宗教団体を解散させる権限を与えてしまうとろくなことにならないから、行政からの請求があった場合に限り、司法がその可否を判断することになっている。今回の場合、宗教団体側は必ずその解散請求は、憲法20条の信教の自由を侵害するものなので不当な行政行為である、と主張するはずだから、これは最高裁にまで行き、そうなると有斐閣が発行する「憲法判例百選」に記載される事案であろうと思う。おそらくそのタイトルは、「信教の自由と解散請求権」というようなものになり、最高裁の判断が記載され、法律を学ぶ学生は誰しもそれを学ぶようなことになるだろう。その判断をする前提として、我々は、そもそも宗教とは何か、を知る必要がある。宗教についての自分の理解はこうだ。人はそもそも本来の自分の中に様々な(108個かそれ以上の)煩悩を抱えている。それは水中に油分が小さなしずくとして混入している、コロイド溶液状態であると言えよう。宗教は、このコロイド溶液状態から、「本来の自分」と煩悩という本来自分のものではない油分とを、はっきり分離するシステムであろう。そうして水と油を分離できれば、人は本来の自分という方を動機として行動することによって、行動を変容させることができる。コロイド溶液だった自分とは別人格の自分になれるのだ。かくして油分の方は行動が伴わなくなってくるので、自然に除去されることになる。これまでの宗教においては、そのプロセスはたいがいつらく、厳しく、痛くて、葛藤を伴うものだった。それでもその結果は貴重なので、人はそのつらい道を行く。その過程の中には、カネを捨てろ、というものもある。イエスは富める者が天国にはいることはらくだが針の穴を通るよりむずかしいのだ、と主張している。幸せになりたければ、まずカネを捨てろ、とのきびしいお達しだ。そして、家族を平和にさせるために来たのではなく、剣を投げ込むために来た、とも語っている。(旧)統一教会がかつてしていたことがカネを捨てさせ、家族を離反させることであると言うなら、それはまさに宗教の王道であったものだ、とも言える。そんな王道の宗教団体がメディアの目の敵にされていることの思い当たる理由としては、半世紀くらい昔にさかのぼる話だが、学生運動が華やかだったころ、共産党下部組織の民主青年同盟や全共闘などの反体制運動に対して正面切って立ちはだかった勢力が、(旧)統一教会傘下の原理研究会だったから、ではないかと思う。原理研究会のメンバーはその後、統一教会に入り、それはさらに家庭連合というものに進化した。民青だったメンバーは今でも日本共産党の中高年者として党を支えている。組織力が弱かった全共闘は大方が「挫折」し、その後大手メディアに入ったり、弁護士になったり、政治家になったりした。彼らは自分たちの青春時代に原理研究会にひどい目に会った仕返しをしないと、挫折した心の平安が得られないために、今(旧)統一教会つぶしに燃えているという、これは長い時間をかけた奇妙な復讐譚なのではないかと思う。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.17
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(2000年年頭標語:真の愛の天宙化は新千年天国完成)第三十三回「真の神の日」午前零時の御言成約八年 2000年1月1日ニューヨーク市・マンハッタンセンター 祈祷 愛する天のお父様。 たった今、一九九九年を中心とした標語である「真の祝福天宙化とサタン血統根切」を中心として、新しい二〇〇〇年を迎えることによって、第四次アダム圏を、この地上における勝利的基盤のもとで、天上世界と地上世界の数億万双の祝福基盤の上に宣布することのできる勝利の摂理史と、救援摂理の終結を成し遂げることのできる六千年救援摂理史において、イスラエル民族の四千年歴史を終結し、新しく二千年を越えて千年を迎える、新千年時代を迎えました。 今から統一教会は、天と地の前に恥じることなく、全世界万民に真のご父母様の血族の因縁を中心として、天の眷属(一族)のみ名による祝祷基盤を備えた、すべての数億、数十億、数百億双の霊界と肉界のすべての同参者たちが、天地父母をお迎えして新千年を開門するこの式典に参席するようにしてくださった恩賜を、お父様、感謝いたします。 お父様。救援摂理の悲しい歴史を退けて、新しい希望に満ちた天地開闢の歴史を迎え、この地上に新天新地を、あなたの創造理想とともに新しく迎えることのできる、歴史的な新しい千年時代を迎えるようにしてくださった天のお父様の恩賜に感謝を申し上げます。真の父母のみ名を通してサタン世界の血統を根絶し、天使長ルーシェルを屈伏させ、万民の前に神様を中心とした勝利の覇権を持ち、悪なるサタンとその一族を除去することのできる「九・九節」と「三・十節」を宣布することによって、解放的天地の勝利圏をもたらしてくださった恩賜を感謝いたします。 今、新しい千年を迎える新年の、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」という標題を持ち、今、千年時代を開門しようと願っておりますので、お父様、祝福してくださることを懇切にお願い申し上げます。 天宙ということの意味は、神様を中心にすべての被造世界が一つの愛で住むことのできる家を象徴いたしますが、ごく小さな微生物から天上世界の霊たちまで、神様の真の愛を中心として安息することのできる平和の基地であり、安息の基地である地上天国の完成に向かって出発することのできる開闢、開門の時代を迎えさせてくださった恩賜を感謝いたします。 霊界にいるすべての祝福家庭、地上にいるすべての祝福家庭が真の父母と一体となり、天上の父母と一体となることによって、一つの家庭を成し、この地上に安息的個人解放、家庭解放、氏族解放、民族解放、国家解放、天宙解放圏祝福基盤を築き、神様が自主権を持たれ、自由と希望と願いを持って治めることのできる愛の主権世界を建国してくださることを懇切にお願い申し上げます。 ここに統一家の祝福家庭たちが集結しておりますので、全世界に広がっている統一教会の食口たちがここに向かって注視する、その所ごとに、お父様の愛の恩賜を施してくださり、天上世界と地上世界の恩賜を一つにして、真の愛のきずなを中心として固く結ばれた家庭的基盤の上に、解放的勝利の万々歳を叫ぶことのできる祝福を受けた家庭となるよう許諾してくださり、その先祖とその後孫が一体化して天国の民に加入する民となることができるように許諾した、この時代を迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。すべてのものが協力し、神様の喜びと栄光を中心として、解放の地上天上天国を宣布するようになったことを感謝せざるをえません。 新千年は、お父様の自主的な国家形態の世界となり、愛の万軍の主の主となられて、愛の万王の覇権王になるよう許諾してくださることを、懇切にお願い申し上げます。 この全体、小さい微生物から被造世界全体が、お父様の愛の前に和合することのできる一体圏を備え、あなたの愛の天下を主管することができるよう許諾してくださり、万民解放圏の勝利覇権を持って万物とともに天国化することのできる勝利の自由天地を迎えるよう許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 ここに向かって決意して祈祷している、すべての天上世界、地上世界の祝福家庭と世界に広がっている後孫まで、一体となさしめてくださり、天の前に一心一体となって定着することができるよう祝福してくださることを、万世、万々世にかけて懇切にお願い申し上げ、このすべてのみ言を真のご父母様のみ名によって祝福、祝願いたします。 アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ み言 新年を迎え、皆さんが福を受けてくださるようお願いいたします。(拍手)きょうの標題は何かというと、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」です。その意味は何かというと、「真の愛の天宙化」とは、天と地のすべてのものは真の愛の家であるという意味です。存在世界のすべての存在は、真の愛の天宙化……。天宙というものは、神様の天の国の家です。神様がいらっしゃることのできるすべての家は、新しい千年全体の世界を通して神様の天国を完成するものになるというのです。それが題目です。 そして、皆さんが知らなければならないことは、人間生活において個人時代……。どこであっても神様の愛が永遠にとどまることのできる家は、新千年時代の天国完成が出発するのである。アーメン。 皆さん。統一教会で言う真の愛というものは、深い意義があります。一般の世界で言う愛の話とは違うのです。そのことを知らなければなりません。この世界のすべての存在、鉱物世界、植物世界、動物世界は、ペア・システムになっています。そこではすべてが、雄・雌、プラス・マイナス、主体・対象という関係でお互いが一つに結ばれているのですが、真の愛を中心として、主体も入っていって暮らしたいと思い、対象も入っていって暮らしたいと思い、男性も入っていって暮らしたいと思い、女性も入っていって暮らしたいと思うのが、愛の家なのです。 人間も万物も、すべてがペア・システムになっているということは、必ず愛という母体を中心として連結されているということです。そして、永遠に繁殖して、栄え、存続することのできる基台になっているということを、わたしたちはよく知っています。 男性であれば、男性自体を見ても心と体から成り立っています。どこからそのように生まれたのかというと、「私」というのは、父母の愛を中心として、父親と母親の生命体を連結させる血統を通して結実したものです。心が主体と対象になっているのも、主体と対象の生命を代身し、心的生命、体的生命を代身していると同時に、この二つは真の愛を中心として一体となっている一つの家であるということです。このことを考えなければなりません。 そして、そのような男性と女性は、また主体と対象となり、愛のある家でお互いに一つになるためのものである、ということを知らなければなりません。それが夫婦なのです。一つの家になるのです。それゆえに、夫人は、夫の愛の家であるというのです。夫は、夫人の愛の家なのです。 本来、縦的な神様は、正から、分、合と展開していくようになるのですが、夫婦が一つになれば、横的に一つになるので、そこには必ず神様が入ってこられて暮らし始めるということを知らなければなりません。真の愛の家であり、神様とともに暮らすことのできる家であり、妻の愛の家であり、夫の愛の家であると同時に、神様が愛される家を、家庭から生み出すことができるのです。 家庭という愛の家を中心としてこそ、神様がこの地上の家を訪ねてこられます。その家で共に暮らすことによって神様と一体となるのであり、縦的な基準は心的父母であり、横的関係は肉的父母であるというのです。それゆえに、心と体の主体と対象が一つになるところには、この愛が九十度であり、ここで一つになるようになっています。 それでは、神様はだれかというと、「男性と女性の夫婦が入っていくことのできる愛の家である」、このようになるのです。そのようにして天の国の家庭形態が生じるのです。家庭が天の国になれば、息子・娘が生まれます。 一つの家庭には、上下関係、夫婦関係、兄弟関係があります。それゆえに、神様とアダム、エバは、子女たちが入っていくことのできる愛の家であり、子女たちは神様とアダム、エバが入っていくことのできる愛の家です。上下、左右、前後を備えたのが一つの家庭なのですが、全体が主人になることのできる愛の家であったということを知らなければなりません。それが家庭的モデルなのです。 このモデル家庭が増えて氏族となり、さらに増えて民族となり、国家となり、世界となります。天の国の民全体が、一つの種に似た実のようになり、それが、天上世界と地上世界にぎっしりと満ちていけば、神様が理想とする地上天上天国になるのです。アーメン。 家庭とは、一体何でしょうか?。神様の本質的愛のモデル形態です。それでは、神様の愛とは一体何でしょうか?。父子の関係です。父母の愛、夫婦の愛、兄弟、子女の愛です。神様が、三大愛が一つになった家庭の中心になられれば、天の国に直行することのできる家庭となるのです。このことを知らなければなりません。 このような家庭を中心として氏族が展開します。皆さんの家庭一つではできません。家庭の囲いとなる氏族が必要です。「たくさんの家庭が自分の家庭を保護してくれ、わたしの家庭は氏族の保護を受けているので、氏族はわたしの家庭の愛の家だ。本家である」というようになるのです。このようなことを考えなければなりません。 それから、氏族自体は、家庭に入っていって暮らすことができ、その氏族のすべての家庭が、わたしの家に来て暮らしたいと思う、そのような愛の家を代表するのが家庭です。氏族的愛の家を代表するのが家庭なのです。 その次は、国です。国を中心としてみれば、民と国は、お互いの家庭を完全に連結した一つの同じ単一統一体として、「国は国家国民の家であり、国家国民の家は、国王がいらっしゃることのできる家である。国の家である」というようになるのです。 その次は、世界です。世界を中心として国と比較するときには、世界は国が入っていって暮らすことのできる愛の家でなければならず、いくら世界だといっても、真の世界の家が、世界のどのような家庭に入っていったとしても歓迎される国の家にならなければなりません。 その次は、世界化と天地です。天宙を中心としてみるとき、これも同様の原則によって、天宙は世界が入って暮らすことのできる愛の家にならなければならず、世界はこの天宙のすべての家庭を歓迎できる代表的家庭にならなければなりません。一つにならなければならないのです。 このすべての天宙は、神様から出発したのであり、主体である神様を中心として対象的立場に立っているので、同じ家の完成を成し、家庭や氏族、民族、国家、全体世界は、同じ公式原理で家を訪ねていって一つになっている姿であるというのです。 すべての万物もそのような家で暮らし、すべての人類も、霊界に行った人、過去にいた人、現在いる人、未来に来る人も同じようにこの愛の家を築いて、神様まで共に暮らされる立体的世界が、地上天国であり、天上天国であったというのです。アーメン。 人間を中心として、万物はきわめて小さいものだとしても、人間の心がごく小さいところに共に入っていって暮らしたいと思うので、万物を愛するということが起きるのです。 それでは、真の愛と今までわたしたちが暮らしていた世界とは、どのように違うのでしょうか?。真の愛が成した天国理想世界とわたしたちの世界とは、どのように違うのかということを、今から知らなければなりません。 堕落していない世界は、理想的世界であると同時に、だれもが喜ぶことのできる公的な世界です。堕落した世界とはどのような世界ですか?。自分を中心として大きくなっていく世界です。 いくら大きくても、自分を中心としたものは、なくなっていくのです。堕落のゆえに何を失ったのでしょうか?。神様の血統を失ってしまいました。このような本質的な面において、愛と生命が結合して血統が生じるのですが、公的な「ために生きよう。全体の前に吸収されよう」という思想を持った血統ではなく、「自分を中心として吸収させよう」という血統になったので、世界が変わってしまったのです。百八十度反対になったのが、今日の堕落した世界です。堕落したということは、原則の世界から脱線したことをいうのです。 堕落した世界に善なる人と悪なる人が暮らしています。その善なる人とは、公的な人です。小さいものであったとしても無視せず、小さいものを貴く思い、ために生きてあげることのできる主人にならなければなりません。相対世界を連結させていくために生きる存在が協力して一つになろうとする世界が、善なる世界なのです。このことを知らなければなりません。 悪なるものとはその反対です。すべてを自分が所有しようとするのです。そして、引き寄せて、横にあるものまで奪っていくので、闘いが起きるのです。引き寄せるところでも闘いが起こり、横にいる人は防御しようとするので、四方で闘いが繰り広げられるのです。 個人主義とは何でしょうか?。これは悪の中の悪なので、地獄の底に行く主義です。個人主義は、世界最高の「独裁者になろう」、「悪魔の宮殿の位置を占領しよう」、「地獄の底に行こう」という主義なのです。 イエス様のような人は、命を犠牲にして、後に心臓に槍を突き刺すローマの兵士に対してまでも、愛でために生きてあげました。それが偉大であるというのです。ローマは、イエス様を地獄に放り込もうとしましたが、イエス様はローマを天の国に連れて行こうとしたのです。 ここにいる人たちも、悪なる人なのか、善なる人なのかを、どのようにして区別すべきなのか分からずにいます。わたしの体の中で、心と体が境界線になっており、善と悪が闘っているということを知らなければなりません。 先ほどお話しした、ここがプラスならばマイナスの愛が、マイナスならプラスの愛が入ってくるのですが、悪はこれが自分の家に入ってこれないようにするのです。「わたしは、あなたの家に入っていって暮らすが、わたしの家には入れない」と言うのです。ですから、片方だけが入っていくのです。 ですから、心と体の境界線が自分自身にあるのですが、自分を中心として暮らせば地獄に行くのであり、公的な因縁を中心として暮らせば天国に行きます。心と体を見ると、どちらがより公的なのかというとき、それでも心が公的なのです。絶対に心の命令どおりに従っていけば天国に行くことができますが、それを否定して体がしようというとおりにすれば、絶対に地獄に行くようになります。アーメン。 先ほどお話ししたように、上下関係、父子の関係、夫婦関係、兄弟関係が一つの愛に統一された基盤を備えたものが家だというのですが、個人主義や自分を中心として暮らす人は、家がありません。 このような観点から見るとき、神様の家庭、神様を中心として、すべての万物と雄、雌、プラス、マイナスを備えた小さな愛の家は、大きい愛の家に入っていこうとします。そして、またそこから、さらに大きい愛の家に入っていこうとしながら、万物が連結されていくのです。何のことか、分かりますか?。小さい愛の家は、大きい愛の家に入っていって暮らそうとするということです。 皆さんは、どのように暮らしていますか?。植物を採取して食べるでしょう?。植物だけ採取して食べるのですか?。動物を捕まえて食べ、昆虫でも何でも、すべて捕まえて食べます。海の魚から、動物でも何でも、捕まえて食べるというのです。人間は、すべての存在を捕まえて食べます。 それでは、人間は最も悪い存在ですか、最も善い存在ですか?。強制して捕まえて食べるのではありません。「彼らが願って、わたしの中に入り込んできたので、飲み込んでしまった」というのです。「おまえたちがわたしのところに入ってくるのは、わたしがおまえたちを愛したので、それにさらに大きく報いるために入ってくるのだろう」と、このように言わなければなりません。 「おまえは小さいが、それでも子供を産むのを見ると、わたしが祖父母と父母と息子、娘を中心として一つになって暮らしているのと同じように、おまえたちも、小さい家庭の存在なのだな」と思いながら愛さなければなりません。そのようになれば、真なる主人の位置に立ち、真なる主人の位置に立てば、相対はそこに自動的に引かれてくるのです。 結論は簡単です。神様の家で神様が万物を愛されるように、わたしたちの家でも神様のように愛していけば、すべてを食べてもかまいません。そのようになるのです。消化してもかまわないというのです。 家では、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、息子の皆が、一緒に食事をするでしょう?。次元の低い万物一種類のおかずで食事をするとき、その万物が「わたしの一つの体を息子も食べ、父母も食べ、祖父も食べ、三代が食べて喜んでいる。このようにして体が大きくなっていくのだな」と思うのです。それは、価値で見れば、何百倍、何千倍の価値を持つようになって死んでいきます。そのようにして、小さな存在が大きくなっていくのです。 家庭を中心としては、上が神様、また過去を表し、下は未来を表すのですが、「三代を代表した天地すべてを養育することのできる祭物として、わたしがおまえたちをささげることによって、おまえたちは損害を被るのではなく、祭物の価値以上の存在として大きくなっていくので、感謝であり、栄光となる事実である」と万物に言えば、感謝するというのです。 サタンは、その反対です。一つの家庭があって、そこに八人がいれば、「八人が、おじいさんも、おばあさんもわたしの思いどおりにして、万物もわたしの思いどおりにしなければならない」と言うので、すべてが反対なのです。善なる目的のためにつくられたすべての万物は、そのような所に行くと、嫌がるのです。 個人主義、今日のヒッピー、イッピーとは何ですか?。おじいさん、おばあさんが必要なく、父母も必要なく、兄弟も必要なく、国も必要なく、「すべて必要ない」と言う人です。もし、そのような人の家に、愛する男性と女性のふたりがいたとすれば、その家に入っていこうというものは何もありません。心の世界も、そのような所は拒否します。天運に従って動くすべての万物は、被害を被るので避けていくため、そのような人たちは、貧乏人となって貧しく暮らし、自己破滅するしかありません。自己消耗にまで至るのです。 皆さん、先生が好きな人は手を挙げてください。好きなだけですか?。愛していますか? (「愛しています」)。「おい、この者たち。愛してはいけない」と言っても、愛するというのです。なぜ、愛するのですか?。味が良いのです。目の味も良く、鼻の味も良く、口の味も良く、耳の味も良く、五官の味が良いのです。服にまで、かみつきます。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。それは、わたしよりも皆さんがよく知っています。 それは、なぜそうなのですか?。愛の家だからです。白人の家にもなり、黒人の家にもなり、韓国人の家にもなり、地上の監獄にいる人の家にもなります。天上世界まで、すべての家になるというのです。 そのような人は、いくら世界が責め立てたとしても、宇宙が保護します。その人は滅びるでしょうか、発展するでしょうか?。いくらおじいさんが反対したとしても、孫の代になれば、「そこに行ってこそ間違いなく生きる」と思うのです。「統一教会は、天国理念を持っているので、一世は反対するが、二世、三世は統一教会のレバレンド・ムーンを愛さなければならない。そうしなければ滅びる」ということです。それでは、この米国で、セカンド・ジェネレーションは、どこに属するのですか?。十二歳から二十四歳、三十歳未満の人たちが二世圏に入ります。このことを知らなければなりません。 ある学校でいちばん良い学生とは、千人の学生がいたとしても皆が、その家に入っていって暮らしたいと思う人です。その人が「嫌だ」というそぶりを見せても皆、逃げていきません。個人主義は、「自分のために生きろ」というのです。自分のことだけを考えるのです。それは合っている話ですか、合っていない話ですか?。 それでは、きょう話した「真の愛の天宙化」は、小さい万物から大きい神様まで、すべてが間違いなく愛の家に入っていくことのできる安息圏になるので、地上天国が完成するのです。すべてのものが「アーメン」と言えば、「だめ」と言ったとしても、アーメン (「アーメン」)。「『アーメン』と言うな」と言ったとしても、アーメン。(「アーメン」)。アーメン。(「アーメン」)。アーメン。(「アーメン」) それではきょう、新千年にお話しした、「わたしは天国に入っていくことのできる人に間違いなく、なる」という、このような論理によって、今、個人から神様まで、この公式を適用して暮らせば、間違いなく天の家に行って暮らすことができ、神様が訪ねてこられ、万物が訪ねてきて暮らしたいと思う、そのようなわたしの家になるのです。アーメン。(「アーメン」) 米国は、レバレンド・ムーンを愛しましたか、反対しましたか、憎みましたか? (「愛しました」)。どのような愛ですか?。米国がレバレンド・ムーンを愛しましたか、反対しましたか? (「愛しました」)。左側では「反対した」と言い、右側では「愛した」と言っています。 反対しました。しかし、三十年の歳月を送りながら、米国を生かしてあげるために、今まで投入して忘れ、投入して忘れてきたのです。そのことを続けてきました。ですから、米国の一世は反対しますが、二世と三世は「レバレンド・ムーンは正しい人だ。義人だ」と言いながら、真の父母の写真携帯運動をして、旗を振りながら賛美するデモ隊が生まれるのです。アーメン。デモンストレーションです。 そのようにすれば、米国は滅びるでしょうか、発展するでしょうか?。レバレンド・ムーンが米国に入っていって暮らせば、統一教会の人、霊界と肉界のすべてが入っていって暮らし、神様と神様の国が暮らすことのできる代表国家になるので、この国は間違いなく中心国家になるのです。アー、アー、アーメン。 天国というものは何かというと、自由が永遠に存在する所であり、希望が永遠に存在する所であり、幸福が永遠に存在する所であり、真の愛と生命が永遠に存在する所です。なぜですか?。神様の家で暮らしながら、神様の愛と一つになっているので、間違いないのです。ですから統一教会は、愛する世界の人々が共に暮らすわたしの家であり、わたしたちの家です。統一教会の教会員は家庭です。統一教会の人々は「食口」と呼ぶのです。 家庭と食口が天地の安息圏の中心にいるので、このような公式原理に従って、統一教会は、家庭第一主義、兄弟第一主義、食口第一主義を主張するのです。それは何かというと、真の愛を中心として、真の血統と連結された真の家庭であるということです。神様とのアダム、エバの血統、アダム、エバとの子女の血統が……。子女たちも、神様の前に縦的に上がっていって下りてくることができる、一つに交わった家庭形態の世界と天宙を考えるので、天国が来ざるをえないという結論が出てきます。 怨讐 同士、ふたりで闘っていたものが、統一教会に入ってみ言を聞いて兄弟となり、だれよりも親しくなる、そのようなことを成していく所が統一教会なのです。食口をつくるのです。どれほど素晴らしいですか? (「アーメン」)。(拍手)抱き締めて放さないというのです。なぜですか? 「おまえのゆえに統一教会に入って、家庭に参席し、氏族に参席し、民族に参席し、国家に参席し、世界に参席し、神様の晩餐の席にまで来た。これはおまえのゆえだ」と言って、もっと抱き締めるというのです。 「神様がこの家と家庭理想をつくられたので、神様もわたしの手に入ってきてください」と言えば、「もちろん、そうしよう」と言われるのです。ですから、神様を自分の息子のように抱いて愛し、妻のように、夫のように愛し、国王が世の中の代表を愛することができるので、王子の中の王子であり、王圏がうらやましくない主人の資格を持ったので、寝てもアーメンであり、目覚めてもアーメンと言い、夕食を食べてもアーメンであり、死んでも生きてもアーメンなのです。(「アーメン」) 統一教会を信じない世の中の家庭を見れば、「ああだ」、「こうだ」と言いながら、いがみ合っているのです。そこで暮らしていて、統一教会に入ってきてからは、パンのかけらを分け合って食べ、一日一食だとしても、ここに来て暮らそうとするのです。 「自分の家で生活しなさい」と言っても、父親と母親が、国全体が「わたしたちのほうが良い」と言ったとしても、すべてをけ飛ばし、レバレンド・ムーンを訪ねていって、苦労しながら暮らそうとするのは、どういうことですか?。統一教会が愛の家になっているので、そうせざるをえないということを知らなければなりません。わたしが「この者たち」と言いながら追い出しても、半月もたたずにまた帰ってくるのです。「公席に立ったレバレンド・ムーンは、真っ赤なうそも上手だなあ」と思うなら、調査してみなさいというのです。 さあ。ですから、統一教会が早く広がらなければならないでしょうか、早く、なくならなければならないでしょうか? (「早く広がらなければなりません」)。早く広がらなければならないと言うのですか?。わたしは、それを願いません。 苦労して暮らしているとき、お金持ちの家に行ってぜいたくな食事をするのは気分が悪いことです。それは地獄よりももっと嫌だというのです。世の中の労働者たちと友人になり、農村に行き、漁村に行き、どこに行ったとしても、そこで彼らと友人になりたいと思うのです。都市には、わたしがよく知っている友人がたくさんいます。しかし、博士や大統領など、あらゆる友人が自分の家に招待しても、そこには訪ねていきませんが、農村で貧しく暮らす友人や食口が招待すれば、そこに訪ねていくのです。それは悪い人ですか、善い人ですか? (「善いかたです」) では、皆さんはこのように祝賀をするためにここに来ていますが、全世界がインターネットを通し、人工衛星を通して、世界のすべてがレバレンド・ムーンがどのような話をするのか聞いているのですが、皆さんは、その人たちに負けるでしょうか、負けないでしょうか? (「勝ちます」) それでは、世界でインターネットを通して先生のみ言を聞き、「はい、そのように暮らします」と決心する人のほうが多いでしょうか、ここに約三千人集まって決心する人たちが多いでしょうか?。どちらの人が多いでしょうか? (「ここです」)。なぜここですか?。それは、原版だからです。原本なのです。あれはコピーです。いくら多くても、オリジナルの一枚が億千万のコピーに勝ります。 そのかわり、皆さんが生涯において彼らの何千万倍価値のある原版になろうというのならば、間違いなく天国の神様のみ前に、息子、娘の資格を持って参席するという自信を持った人にならなければならない、という結論が出てきたというのです。 先生も、少年時代や皆さんくらいの年齢の時代に……。ここには十代の少年もいて、それから青年もいて、二十代、三十代、青年時代があり、壮年時代……。先生は、八十歳になったのです。 それでは今、先生のみ言を聞いた人は、先生よりも劣った人になりますか、優れた人になりますか? (「優れた人になります」)。八十歳の老人についていきますか、八十歳の老人の前を走っていきますか?。前を走るという人は手を挙げてください。 それでは、わたしは今から休んでもよいのです。家でおじいさんが横になって、「おい、おまえたち。魚を捕まえてきなさい。狩りをしてきなさい。ご飯を準備してきなさい。柿をとってきなさい。食べたい万物、若いときから今まで食べられなかったもの……。食べられなかったのだ。十分に食べることもできず、着ることもできず、食べられなかったので、食べたい物、着たい物、わたしがしたいこと、すべてできるように準備しなさい」と言えば、しなければならないでしょうか、してはならないでしょうか? (「しなければなりません」) 先生は、一生の間、食べたい物、暮らしたい所に行くこと、遊びたいこと、したいこと、すべてできませんでした。反対され、追い回されたのです。あなたたちは、み旨を知って、行くべき所がどこなのか知り、天上天下の、神様の愛を受ける息子、娘になることのできる資格者に間違いないということを知るとき、だれのゆえにそのようになったのですか?。先生のゆえにです。ですから、先生に感謝するという意味で、これを少しでも返さなければならないでしょうか、返してはならないでしょうか? ここには何か国の人が集まりましたか?。百八十か国の人がすべて集まったでしょう?。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。わたしは今から部屋で座り、寒帯地方に生まれるすべての万物、温帯地方に生まれるすべての万物、熱帯地方に生まれるすべての万物、海に生まれるすべての万物、天の国の万物はどのようになるのか分かりませんが、皆さんに「すべて持ってきなさい」と言えば、持ってきて、一か月か二か月くらい侍らなければならないでしょうか、永遠に侍らなければならないでしょうか? (「永遠に侍らなければなりません」) 先生が地の果てにいれば、先生に何かを持って行ってあげたくても、永遠どころか一日も接することができないのに、どのようにするつもりですか?。先生が韓国に行っていれば、地の果てにいる先生に、どのようにして永遠に侍ることができるのですか?。簡単です。「神様。真のご父母様。ここにいらっしゃらないので、わたしは兄弟たちを、国の人々を、神様よりも、兄弟よりも、もっとために生きて愛します」と言えば、神様は考えるまでもなく「ああ、オーケー、オーケー」と言われるのです。 先生があなたたち三代を救ってあげたので、三代が過ぎても欲しがれば、先生が座っている位置以上に越えてしまうのです。先生に会うことができなければ、どのようにしなければならないでしょうか?。自分の国の人、世界の人を先生以上に愛すれば、それが天を代身した価値以上のものとして認めてくれるということを知って、そのようにすることを約束しなければなりません。アーメン。(「アーメン」) さあ、わたしたちの家庭は、真の愛の家庭です。(「真の愛の家庭です」)。純潔な血統の家庭です。(「純潔な血統の家庭です」)。アブソルート・セックス。メイク。オン。ファミリー。(「アブソルート・セックス。メイク。オン。ファミリー」)。過去、現在、未来、アブソルート・ラブです。分かりますか?。真の愛、真の血統、真の家庭です。 わたしたちはきょう、一月一日に、年頭の辞をもって決意するのです。きょうこの早朝は、二千年を越えて三千年に連結される、この千年を自らの懐に抱き、出発した日から一周回ってきて、最後の日まで、わたしは間違いなく、このような真の愛、真の血統、真の家庭のために、建国のために、そのような真の国と真の天国、真の地上天国、真の神様解放のために前進しようと決意する人は、立ち上がって天の前に誓いましょう。 さあ、神様万歳 (「万歳」)。真のご父母様万歳 (「万歳」)。天地統一教会、祝福家庭万歳。レボリューション(革命)万歳 (拍手)
2023.10.15
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「真の御父母様の摂理観的責任完遂」宣布一九九九年十二月二十六日、アメリカのベルベディア修練所で三百余名の食口が参席する中、新千年を迎える最後の聖日の朝に、「真の御父母様の摂理観的責任完遂」が宣布された。 「摂理」とは何ですか? 摂理とは神様がどのようにみ業をなしていかれるかということです。神様の摂理に関するすべての責任的完遂、神様は摂理観的な責任を完遂されましたか? 今まではできなかったのです。 さあ、摂理観的責任完遂、摂理観的責任を完遂すれば、すべて終わるのです。それでは、誰が責任を完遂するのですか? 神様です。創造された後で堕落したので、今まで神様は、救援摂理という願いもしなかった事をしてこられました。本来、救援摂理というものはなく、摂理観的な完成のために創造理想を立てられたのですが、人類始祖がサタンと共に堕落して、本来とは異なる世界になることによって、摂理史的な責任分野はなくなり、今まで救援摂理観的な責任を果たしてこられたというのです。 今までは、摂理観的な歴史ではなく、救援摂理観的な歴史でした。これは、神様ご自身が責任遂行をすべて失ってしまわれた位置におられる歴史でした。神様が主人になられていたら、偽りの主人は現れず、この被造世界全体を息子のためにつくったので、神様と人間は、父と息子の関係になっていたのです。そして、神様の摂理史的なすべてを会得することができ、それが完全に現れるはずでした。ところが、他の主人が入ってくることによって現れることができず、すべてを未知の歴史、未知の摂理史と思ってきたのです。 ですから、人間は何も知らないのです。人間はサタン圏内、堕落圏内に入っているので、根本に関する問題、神様に関する問題、摂理観に関する問題が全く分かりませんでした。堕落した世界の混沌と未知の歴史過程において、それらの内容を模索してきたのが、人類の姿だったというのです。それは歴史的な事実です。 それでは、真の父母の摂理観的な責任完遂の内容とは何ですか? 摂理観についてのすべてのことを解明し、未知の事実を明らかにし、それを明らかにするだけでなく、この未知の内容が抱えてきたすべてのことを清算し、創造当初の本然の摂理的基準を完全に連結させる役事をしたのです。誰がしたのですか? 神様を中心として、真の父母がその責任を完遂したというのです。それでは、真の父母が完成すべきことは何であり、また完遂したこととは何ですか? 真の父母によって、堕落以降の救援摂理史ばかりか、それ以前に神様が理想としていた歴史を中心として、今までの人類歴史すべてを知るようになりました。堕落した歴史がどのようになり、なぜこのようになったのかという、分からなかったことをすべて分かるようにしたのです。 堕落する前に神様が立てられた摂理的な創造理想の完成、神様を中心とした地上世界と天上世界、神様と子女の関係がいかに地上と世界に連結されるか、などについて知るようになりました。そして、それを完成した個人から家庭、氏族、民族、国家を中心として、天上世界と地上世界の天国を完成できる理念的な事実を、私たちは個人観、家庭観、氏族観、民族観、世界観、宇宙観、天宙観、神観、神様自体の観において、すべてを知るようになったのです。 神様がどのような方か知っていますか? 神様はどのような方なのですか? 真の父たる神様です。真の父の神様となって、真の子女に対する関係が一つとなったとき、真の愛が成立するのです。ですから、初めは真の父です。真の愛の父なのです。となると、その父は誰の父ですか? 人類の父なのです。 ですから、人間とは何か、人間と歴史の関係とは何か、人間と神様の関係とは何かについて知ったということです。神様は私たちの父ですが、どのような父ですか? それは、「知情意を兼ね備えた、真美善の父」ということです。人格的な神様であるということを知らなければなりません。人格神です。人格的な父です。人格神であると同時に人格的な父です。それでこそ、人間と関係を結ぶことができるのです。 ですから、神様に関すること、知情意に関することを私たちは完全に知っています。真美善が愛を中心とした、そのようなすべてを知るようになったのです。驚くべきことです。ですから、人格的な神様です。人間にも知情意が必要であり、真美善の息子になれば、完全に一つになって離れることのできない、永遠で立体的な理想圏に立つようになるのです。 知情意と真美善の本体は誰でしょうか? 神様です。その神様は、何を中心として存在しておられるのでしょうか? 神様も生きていらっしゃるので生活をされるのですが、生活するにあたって何を中心として生きるのでしょうか? 真の愛の心情圏をもって生きてこられたということを知らなければなりません。環境的な与件を、すべて愛で治めながら生きてこられたのです。 人間はそのようになっていますが、万物は人間のためにつくられたのです。それは象徴的なものであり、形象的なものです。人関を実体としてつくったので、万物は象徴と形象的な存在として、神様の心情圏・愛の圏内で共に治められてきました。すべての存在は神様の愛の圏に存在し、そこから離脱したものは一つもありません。愛の圏さえ所有すれば、神様と同じ愛の圏をすべて占有し、神様と対等な価値を持った位置に入っていくことができるのです。なぜでしょうか? 父なる神がそこにおいて初めて一つとなって、すべての相続が始まり、一回りして大きくなっていくのです。 摂理観的なすべてが完成したならば、その神様が父なのです。その父が動けば、息子である人間も共に動くようになり、息子のために存在する形象体も、すべて一つになって神様が動かれる通りに動くのです。お互いに一体となって、個人的に動いても完全であり、家庭的に動いても完全であり、氏族、民族、国家、世界、宇宙永遠の世界が、それぞれ範囲は異なったとしても完全な実体として動くはずだったのです。 ですから、神様がおられる限り、すべてのものは完全、完成したものとして、完全完成の価値を持って一つの実体圏、一つの理想的な局面が生まれたのです。人間と神様が一つになった、その下にある万物は、人間を養育し、人間を保存します。人間が便利に暮らすことのできる環境的条件が、実体万物創造の世界なのです。 それでは、神様はどのような方でしょうか? 神様もやはり一人で暮らしたいと思われる方ではありません。今まで、相対関係をもって成長してこられ、暮らしてこられたのですが、内的な面に定着した立場においては、刺激を感じることができないので、これが「正」から「分」となり、「合」の目的を再び成就することによって刺激を感じるようになるのです。 極と極、北極と南極、東西すべてが一度に刺激を感じて笑うようになれば、全体が笑うことができ、全体が喜ぶことのできる立場に立つのです。相対関係、内的な存在圏を外的な相対圏に拡大させ、衝撃的な愛を感じるようになるのです。そのようにするために万物をつくられ、息子を持たれたのです。四位基台や三対象目的など、すべては、神様が笑われれば全体が笑い、神様が喜ばれれば全体が共に和勤し、共に楽しむためにつくられたのです。 それでは、ここに様々な国の人々が座っていますが、人間の種類は何種類ですか? 国家には多くの種類があるのですが、人間には男性と女性の二種類しかないのです。 それはどこから出てきたのですか? あなたたちの父親と母親からです。父親と母親、二人の中から出てきたのです。その父親と母親は何人の中から出てきましたか? 二人の中から出てきました。そのまた父親と母親……。そのようにずっと先祖をさかのぽっていっても、男性と女性の二種類しかありません。また、人間を中心として見るとき、父とは何ですか? 神様ご自身も二つから成っているのですが、その二つは、皆さんの心と体のように一つになっているので、刺激を感じることができません。男性ならば、男性だけの形態になっているのです。二性性相の格を持ってはいますが、格位としては男性型なので、独りぽっちの男性や女性の立場に立っていて、おもしろくないというのです。 それでは、神様は見えない所から出てこられたのですが、その見えない神様はどんな方ですか? 二人が一つになった神様でなければなりません。父親と母親の性格を持った神様であらざるを得ないのです。これは理論的です。そのような神様を半分ずつ二つに分けたので、男性も堕落する前は神様のような立場、女性も堕落する前は神様のような立場に立っていて、心と体の二つを、見えるものと見えないものという性相と形状を、自体の中に持っていたのです。そのようになっていながらも、格位においては男性格や女性格といった違いがあるのです。男性と女性に生まれたのは、分かれたということです。 何のためにそのようになったのですか? 男性が喜んで興奮し、女性も興奮して、お互いにぶつかるときには、静かにそっとぶつかるのではありません。プラスとマイナスの電気が一つになればスパークするのと同じように、爆発して、ぱっと全天地をひっくり返すのです。電線がスパークすれば、どのようになりますか? ぴたっとくっつくのです。そうなれば離すことができません。 電気もプラス、マイナスであって、プラスは凸、マイナスは凹なのです。そのようにくっつけば、どのようになるでしょうか? 音もしますが、光を放つのです。愛は、音がして光を放ちます。愛は、全体の前に「おい、愛だぞ!」と言って光を放つのです。そうすると、すべてがそこに集中するのです。 曇りの日に、稲光がして雷が鳴るのはどうしてかというと、自然界の見えない電気が、見える雲を通して愛し合うからです。それで音が鳴り光を発するのです。同じです。電気の場合は炭素のようなものが落ちますが、そこには何か落ちるのかというと、雨が落ちるのです。そのように考えなければなりません。 稲光がして雷の音がすれば、雨が降りますか、降りませんか? その雨は何かというと、自然界が全体を動員して、自然をカバーした電気、すべての環境、雲などが一つになって、結婚式を挙げる祝福のかけらです。それはさながら祝宴と同じなのです。ですから、すべての万物は「うわあ!」と口を開けて喜びます。魚も喜び、植物、動物、すべてが喜ぶというのです。なぜ喜ぶのですか? 雨が降った後は、すべての万物が育つので、食べ物が豊富になるのです。洞穴に入って暮らす動物も、雨が降ってくると飛び出してきます。「雨よ、なぜ降るのか!」と恨むでしょうか、「雨よ降れ! もっと降れ! この雨がやめば、草木が茂って、我々のえさも豊富になる。ありがとう、ありがとう」と言いますか、どうですか? 恨むでしょうか、喜ぶでしょうか? 喜ぶのです「わーい、わーい!」と言いながら喜ぶのです。 それでは、人はどのように喜ぶのでしょうか? 皆さんは草を取って食べます。取って食べるのです。動物たちは毎食、植物を取って食べるのです。植物を殺しているのです。そうですか、違いますか? 植物は雨が降ると喜ぶのですが、人間は雨が降るとどうでしょうか? 「よく食べて肥えたすべての万物を、私が食べなければならない。食べてあげたい」と、このように思わなければなりません。それで、動物たちが育つことができ、植物が育つことができるようにしてあげるのは誰のためでしょうか? 人のためです。 では、すべての万物たちは何かというと、「神様を愛することのできる息子を、もっと愛することのできる立派な人にしてあげるために、私たちも協助しよう。だから、その体を助けるために全力を注いで体に入り込まなければならない」と言うのです。 では、雨が降った後、よく育ったものを自分の食物として喜んで食べるのと同じように、神様がご覧になるとき、人間世界における雨に該当するものは何でしょうか? 空中では雨が降るのですが、陸地の雨は何ですか?何でしょうか? 雷や稲光を通して、私たち万物はそのかけらである雨を吸い込んで大きくなるのですが、人間は何をもって神様が吸い込むことのできるものをつくるのかというのです。 見えない愛の雲が浮かんで、見える人間が絡まって充電し、ぶつかるようになるとき、雷や稲光が光を放つのです。二人の男女は雲のようであり、その見えない電気は本然の神様の愛なのです。それが一つになって雷が落ちることによって、その愛のかけらを中心として霊界が生き、神様がそれを食べて生きることができる! アーメン! 神様と共に雷を落とすのです。愛の糧を食べて生きなければならないのです。 ですから、頻繁に雨が降って、喜んで雷が落ちるようになれば、神様のようになって、すべて神様が喜ばれるのです。それゆえ、万物もこれを協助するために自分のすべてを動員するのです。それを普及するために、吸収できる犠牲的な道に従わざるを得ないというのです。アーメンです。 ですから、男性、女性の夫婦が愛し合うときは、雷が落ち、稲光が光るのと同じことをしているのです。それは自然の結婚式と同じなのです。男性と女性は、東西が一つになって、上下が一つになり、その次には息子、娘が一つになって、愛で家をつくるようになるので、神様は眠くても、うとうとすることはできないのです。 神様の愛は、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。この三つが一つになって雷を落とし、それが明るければ、宇宙いっぱいに満ちあふれます。町内にそのような夫婦が暮らしていれば、その町内はその夫婦の愛の圏内に入るようになるのです。「私たちも、あのようにならなければならない。ありがたいことだ。明るく照らしてくれる環境はすばらしい。あそこには食べるものが豊富だ!」と、お互いが一つになるためのみ業が展開するのです。 では、プラスの雲とマイナスの雲が一つになるというとき、どのようになるでしょうか? 神経や何かの五官があれば、そこに向かって一か所に集まるでしょうか、集まらないでしょうか? 集まります。では神様はどうでしょうか? 極が生じたというとき、神様のすべての触覚もそこに集まり、三つの触覚がぶつかるのです。 神様の愛とは何かというと、父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、この三つですが、この三つが一度に合わさるので、この宇宙のすべてのそのような性稟に似た人はみな踊るようになっているのです。また、その音がどれほど大きいでしょうか? 全宇宙が「おおお!」と言うのです。すると神様は、「皆さん、毎日のように愛し合いなさい」と言われるでしょうか、「毎日のように、喧嘩しなさい」と言われるでしょうか?「愛しなさいと」言われるのです。「毎日そのように愛しなさい」と言われるのです。神様が「愛とは、愛すれば愛するほどに良いものだ。ハハハー」と言って笑われるのです。 雷が落ちて、雨が降って洪水になり、それがこの宇宙を満たし、すべてがなくなったとしても、「ああ、神様と人間が幸福ならば、万事がオーケーだ。愛の審判を願う」と言うのです。万物が歓迎して「万歳!」と叫ぶのです。そのときに「うううう!」と笑えば、神様が「この者め、泣くものだとばかり思っていたら、悪口の一つも言わないのか?」と言われるのです。それで神様も「ううう!」と喜ばれるというのです。ジャンプしながら踊るのです。 皆さんが夫婦で愛し合うとき、雷の音がしますか? 猫も春になって愛するとき、「ニャオ、ニャオ」と鳴き、ネズミも「チュッチュッチュッ」と大騒ぎするのですが、皆さんは声を出しますか、出しませんか? それでは、人間と神様が愛する瞬間の声は、大きいでしょうか、小さいでしょうか? 大きいとしたら、どれほど大きいでしょうか? 五万通りの声です。人間は、鳥の声、動物の声、すべての声を出すことができるのです。そこには、五万通りの音があるので、動物も(人間に食べられて、)死んでいなくなっても、「動物よりももっと喜ばしい存在だ!」というのです。神様がそうして抱いて「私はうれしい。私は幸福だ!」とおっしゃるのです。 統一教会の教会員の中で、農作業をする人がいれば、外に出て苦労して働いているとき、雲がかかって雷が鳴れば、家に帰ってきて、疲れているので寝るのです。休むとき、布団を敷いて寝るでしょうか、そのまま板の間に寝るでしょうか? 疲れているので、板の間で寝るというのです。 では、やがて寒けがして、ベッドの上に上がっていくでしょうか、畳の上に上がっていくでしょうか、オンドルの上に上がっていくでしょうか? オンドルに上がっていくというのです。オンドルなので熱くなり、着ていた服を脱ぐのです。するとお尻が熱くなり、そうして一枚ずつ脱いで、服を全部脱いで、下だけを覆って眠るその時間がどれほど幸福でしょうか。下は熱くても、お腹は寒いので覆って寝るのです。そのようにして眠る時間が、どれほど幸福でしょうか。 そのようにして男性と女性が寝ているとき、愛する人が「フフフフ!」と近づいてくるとき、足でけりますか、かじりつきますか? かけていた服を外して近づいてくるとき、けり飛ばすのでしょうか? 我知らず、さっと抱き寄せて……夫であっても押し倒してしまうのでしょうか? その時間が幸福なのです。 皆さんが激しく愛し合ったあとには、ぐっすり眠らなければなりませんか、眠ってはなりませんか? 寝なければなりません。眠っているというのは、死んでいるということですか? それは、晴れわたった大空です。晴れわたった大空と同じように、静かにしているのです。 結論は簡単です。自然が結婚式をしながら音がすれば、私たちも飛び込んでいって音を出す準備をして、稲光がすれば、私たちも稲光を放たなければならないというとき、天地がそのようにして稲光を放ち、それに対される神様は、心と体が燃えるように雷が落ちることによって、どれほど強い衝撃を受けられるでしょうか? そのとき「ああ、私の創造理想、億万年万々歳! アーメン!」とそのように言われるのです。 そのようになれば、神様は「私の願いはすべて成し遂げた。これ以上のことはない。このような日が永遠に続くことを願う。アーメン」と言われるので、愛も永遠であらざるを得ないというのです。 しかし、そのようにだけ愛する人になってはなりません。そのような人になれば、万物が不満に思って、「なぜ神様は、アダムとエバだけを愛して、ご自身だけ喜んでいるのですか? 私たちも喜ぶようにしてくれるべきだ」と言うのです。ですから、鉱物も結婚するのです。植物も、チョウも、ハチも、すべてが、五万通りのあらゆるものが入り混ざった創造物は、神様のように、人間と共に愛する喜びで一つになるのです。そのように喜びに酔いしれる万物を神様に捧げなければならないのです。人間の前に「食べてください」と言うようになるのです。 万物も相対を探し求めていくので、海で暮らす万物は淡水に訪ねていかなければならず、淡水で暮らす万物は海水を訪ねていくのです。そこで相対を結んで二つが一つになる調和の法度において、生命が躍動し、すべての万物が育っていくのです。二つの世界を通さなければ産卵することはできないという事実を、皆さんは知らなければなりません。 それゆえに、渡り鳥も遠くまで飛んでいくのです。自然もそのようになっています。それゆえ、海の魚たちは、ペアで来て淡水でも「ワワワワ」と言い、淡水の魚たちは海に行って「ワイワイワイ」とするのです。二つの世界が、大きいものと小さいものが喜んで生産するということも、宇宙の結婚式と一連の関係を結んでいるというのです。このようなことを考えるとき、私たちは、そのような愛をもって万物を主管しなければならないのです。アーメン。 皆さん、摂理観とは何ですか?「観」というのは、英語のビュー(view観点)とは異なります。「観」というのは、愛を中心として言うものです。「観」というものは、すべて見えることを言うのですが、この観は、その後ろまでもずっと連結して見ることができるということを言うのです。後ろまでも連結して、その次には下まで戻ってくることができることを言うのです。 「一日」の観の中では、昼と夜が動いているのです。すると、一日一日を合わせて三十通りとなり、「月」という観が生じるのです。十二の月を中心として、「年」という観が生じます。このようになるのです。年を越えて、「世紀」が展開し、世紀が集まって「ミレニアム(千年紀)」となるのです。二千年を中心とした世紀観です。これらは連結されているのであって、別々ではありません。 今日、そのような観がありません。人間が生活するにおいて、個人観、家庭観、氏族観、民族観、国家観、世界観、天宙観、神観を主張しますが、観がそのように連結されていないので、事故が起き、混乱と混沌が生じるのです。お金がすべてであると思い、政治がすべてであると思い、学問がすべてであると思い、自分が生きていることがすべてであると思っているのです。 「真の御父母様の摂理観的責任完遂」、これは何ですか? 今日のこのような自然の結婚が私たち人間の結婚と天の国の結婚と通じるという観と責任を教えてあげた人が先生であり、その責任完遂するために努力するのが先生の使命でした! アーメン! このようになるのです。 観の主流は何ですか? 生命ですか、血統ですか、愛ですか? 愛です。愛から始まりました。どのような愛ですか? 絶対、唯一、永遠、不変の愛です。ただ一つです。二つではありません。そのような愛が連結される存在も自動的に絶対、唯一、永遠、不変の存在になるのです。違いますか?愛によってのみ、そのような存在になり得るのです。 真の愛とは万物世界が四方の門を開けて歓迎するものです。鉱物の世界では、そうした植物の主人が訪ねてくることを好み、他のすべてのものも、より次元の高い真の愛の主人が訪ねてくることを歓迎するのです。そうした愛でなければ、真の愛を結実することができません。 それで万物は、より愛することのできる主人を慕い、その人が自分を食べてくれることを願っているのです。私たち人間も、神様の愛の中で、自分が死ぬことのできる道を行くことを願います。同じことです。 ですから、万物というのは神様の創造理想に合格していますが、その万物が、より高まることのできる愛の実体完成に向けて、この世界は献身して犠牲になることを願っています。そうした世界の前に、恥ずかしい主人となってはならないのです。 すべて分かりましたね? 雨が降れば雷の音がして、稲妻が走って歓迎するのだと考えなさい。雨の降る中、雷の落ちる中で一度脱いで愛してみよう、それでエデンの園では裸で暮らしたのです!アーメン! これ(服)は堕落の産物です。一度脱いで暮らしてみますか? エデン復帰の愛の理想を完成した家を探していくには、そのように暮らした者だけが「アーメン」と言えるのです! それでは、裸で暮らす女性たち千人がいて、そこに美男子が十人いたとすれば、十人のうちで自分の夫は一人しかいないとしましょう。その一人しかいない夫が一番見た目が悪かったらどうしますか? 一番美しい女性が見た目の悪い男性の生殖器を求めていきますか、一番美男子の生殖器を求めていきますか? 十人の男性がいますが、一番美男子の妻が一番見た目の悪い女性であり、一番美しい女性の夫が一番見た目の悪い男性であるとき、どうするかというのです。一番見た目の悪い男性を求めていかなければならないのです。 心配するなというのです。どんなに見た目の悪い女性でも、真の愛で三度愛するだけで、最高の美しい女性になるのです。夫も同じです。美しいものには甘みがありませんが、自分の相対は三度だけ愛すれば、とても甘みが出ます。蜜の味よりも甘いというのです。 それでは、その女性が不細工な男性を訪ねていって抱かれるとき、男性がどれほどありがたがりますか? 十倍以上も感謝するのです。キスをしても舌を切って食べてしまうほどでしょう。唇を切って食べてしまうほどなのです。骨髄が出てくるのです。事実です。骨髄が出てくるので、世の中にある蜜のうち、それ以上の蜜の味はないというのです。そのようにするとき、目を開けてキスをしますか、目を閉じてしますか? そこには十倍の力が入るため、衝撃的な愛の感動は天下がすべて引き込まれていくほどなのです。 ですから、真の父母の摂理観的な責任を完遂できる言葉ですか、完遂できない言葉ですか? 言ってみなさい。創造原理を知っているでしょう? 私たちは創造原理を通じた理想観を知っています。個人完成がどうであり、家庭完成がどうであり、氏族完成がどうであり、民族、国家、世界、神様の解放まですべて知っています。真の愛です、真の愛。真の愛は投入して忘れてしまうのです。億万年投人して忘れてしまえば、億万年よりも価値のある相対が常に創造されるという、有り難い結論を出してあげたのは、真の父母の恵沢であり、神様までも解放できる真の父母の使命であった! アーメン! すべての万物も、愛のうちに生命をかけているのです。それは合っていますか、間違っていますか? 私たちの家庭で、個人は家庭のために犠牲になり、家庭はより大きなもののために犠牲になります。万物世界も同じ公式です。小さな存在は大きな存在のために投人して犠牲になるのと同じです。同じ公式の原理であり、同じ結論です。 創造についてもすべて知っています。堕落についても知っています。これを復帰するための摂理史を中心とした救援摂理観がありませんでした。摂理観がなかったのですが、今日先生が摂理観を立てました。アダムはどうであり、ノアはどうであり、アブラハムはどうであり、モーセはどうであり、イエス様はどうであるという観を立てました。復帰摂理観を知っています。復帰摂理観を知り、復帰歴史を知っています。個人的な歴史、家庭的な歴史、氏族的な歴史、民族的な歴史、国家的な歴史、世界的な歴史が一つの観にかかっていますが、私たちの時代、時代に分別された歴史を知っているのです。そして、サタンの処理方法、サタンがどうだということまでも知っているのです。 天国とは何ですか? いつも反対する群れ、泣きわめく群れであってはならないと知って、「解放されて平準化され得る、地上・天上天国を解放完成するので、感謝、栄光、賛美します!」と言うときの、その世界についても知っています。 今日、アメリカにいる統一教会の食口は、今からアメリカを中心とした統一教会が行くべき道、世界に、天の国に入っていくとき、入籍するということを皆知っています。堕落によって、故郷を失い、祖国を失ってしまいました。しかし、地球が私たちの故郷であり、永遠なる神様がいらっしやる所が私たちの祖国であるということを知っているのです。どのようにして孝子となり、どのようにして忠臣となり、どのようにして聖人となり、どのようにして聖子となることができ、どのようにして王の位置にまでなるのかをすべて知っています。知らないことがないのです。 今、「第四次アダム圏時代が来る」と言いましたね?ですから、「七・八節」を中心として、真の父母の完全定着を宣布し、そして「九・九節」を中心としてサタンを清算してしまい、サタンの手下までも一つの方向に向かって清算し、「三・十節」を中心として解放圏を宣布したのです。偽りの父が堕落することによって、神様が創造されたすべてのものを失ってしまい、破壊してしまったものを、真の父母が来て再創造し、すべてを復帰完成することによって、それらが分かれていない、統一的世界、家庭理想一体の地上天国時代を成し遂げたのです。 解放圏を中心として、「第四次アダム圏」という堕落していない本然のアダム世界、何千年間、空っぽだった天国を一度に埋めつくすことまで、すべて成し遂げたのです。そして神様が解放され、サタンまでも赦して、天国に入っていくことのできる基盤をすべて成し遂げました。 今や先生も解放されなければなりません。解放されて立派な先生が天の頂に先に上がっていくのでしょうか? 最も深い谷底に行って、再び羊の群れを追って天国に行かなければならないというのです。ですから、ウルグアイを中心として四か国、ブラジルのジャルジンを中心として、教育的な家庭的整備運動をするための修練所をつくったのです。そこからは蕩減時代ではなく、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代に連結して、世界的に配置することのできる準備をすべて終えました。この作業を今しているのです。 ですから、「総生畜献納祭」です。裂きません。二つとも抱いていくのです。地上世界・天上世界、東洋世界・西洋世界、南北の貧富の統一、全体を一つに抱いて入っていくのです。理想的な家庭、真の父母を中心として個人的な写真、氏族的な写真、民族的な写真、国家的な写真を自由に写せる、持つことのできる時代圏内、解放時代に入っていくのです。 皆さんは、八段階を越えられなかったでしょう? それを絶対信仰、絶対愛、絶対服従で越えることができるのです。そこには自分というものはありません。先生の影と同じです。そのようにして八段階を越えることができないものを四千年を、四十日で蕩減復帰するのです。そこで何をするのかというと、み言を尊重視することで、どのようになったということをすべて知り、再整理するのです。父がしたことをすべて学ぶのです。「自分のためにこうも苦労されたのか」ということが分かるようになるのです。サタン世界のすべてのことを拒否したとしても、これだけは残さなければならないのです。 そして、七代が一つになって、一八○家庭を中心として天国に入籍する時代が来ます。サタンは存在しません。サタンの手下から、天運が保護することのできる時代に越えてきたので、第四次アダム圏時代となるのです。蕩減が必要のない時代です。 今まで皆さんが苦労したことによって、数千年間、失ってしまったものを蕩減復帰しましたが、今からは蕩減なく、皆さんの努力で天国に入籍するのです。そっくりそのまま貯蔵される時代なのです。そのような「第四次アダム圏時代」に委譲したのです。 それで今、韓国本部では、ここに参席したすべての祝福家庭と食口を中心として、手本をつくり、韓国、日本、アメリカに新しく故郷の地をつくり、分かれていた世界が一つになったその上で、新しい父母の国、父の国、母の国、兄の国に、新しく入籍することのできる環境が始まるのです。 ここを経た人々は、韓国人であっても、また韓国で生まれたとしても、兄と一つにならなければならないということを知らなければならず、母と一つにならなければならないので、どこに行っても私の家なのです。なぜですか? 父と母が一つの体、父母と息子、娘が一つの体なので、兄弟は皆一つの家族の間柄なので、どこに行っても私の地なのです。 それでアメリカに二億四千万、日本に一億二千万、韓国に四千万、それで四億双です。四億双さえ終われば、他のすべての人たちが故郷として定めることのできる時が過ぎていきます。それから七か国です。第二次大戦の主要七か国からアフリカヘと広がっていくのです。 今までに四億三千万以上を祝福しました。アメリカに住んでいた人々が配置されるとすれば、どのようになりますか? 家庭的なすべての「総生畜献納基金」を捧げて清算した、その順序に従ってなされます。いくらアメリカに住んでいたとしても、すべては兄弟の国です。アフリカならアフリカに行ったとしても、父母と一つになっている兄と弟であり、一つの家族であるので、地球星のどこに行ったとしても父母、私たちの家になるので感謝せざるを得ないのです。 ですから、早く地球を抱かなければなりません。早く地球星を抱かなければなりません。誰もが重生式、復活式、永生式をしなければなりません。道をふさいで行うのです。ですから、ジャルジンの四十日の教育が重要なのです。先生がいなくても、過去の真の父母の伝統的歴史を再び知ることによって、私の責任を分配し、先生は天地を整備しましたが、私たちは私たちの氏族、私たちの民族、そしてその地にある国を復帰するにおいて、先導的な先祖的責任を果たすことによって、神様が本然の堕落していない長子圏、次子圏の兄弟を中心とした、天の家庭的立場に立てるのです。そうすることによって、神様の眷属を解放し、地上天国市民になることができるのです。アーメンです。 祝福家庭が先生の時代まで行おうとすれば、イエス様のときは一二〇家庭でしたが、再臨主のときは一八〇家庭、もしくは一六○家庭です。一八〇家庭が原則ですが、この数字を中心として、一九九七年から二〇〇三年までの七年間で消化するのです。ですから、世界はすべて一九九七年から整備運動をしてきました。霊界と肉界すべて……。 それで今後、父母の国に行って、一人が千二百家庭ずつ配置したからには、これは四億双にもなりません。何千万家庭、何百万家庭です。これを編成すれば、あらゆる民族感情、国境線、五色人種、分裂、そして文化の格差、そのようなすべてのものがなくなって、一方通行で神様を中心とした故郷が出発し、天国が形成されるのです。 今、霊界では、自分の怨讐であった人と結婚しているのです。今、聖人と殺人鬼の息子、娘が結婚する時が来たというのです。アダム家庭のカイン、アベルが兄弟です。すべて等しく祝福して一つにするのです。 「境界線をなくすためには、聖子の息子、娘と、殺人鬼の息子、娘が結婚しなさい!」と言うのです。国境を設定したならば、すべてが怨讐になるので、怨讐をなくすためには、国境を持った二つの国が交差結婚せよというのです。国際結婚だけが天国に向かう「直短距離」なのです。天国から地獄を救ってあげるのです。アベルを自分の王のように、自分の父母のように、自分の兄弟のように侍れば、すべてのものが一つになるのです。そこで分かれたものが一つになるというのです。 すべて終えましたか、終わろうとしていますか? どちらですか? 皆さんは、全員まだ終わっていないのです。先生はすべて終えましたが……。先生は父です。絶対的な父です。父の絶対性稟、唯一性稟、すべてが似ているのです。すべてを相続したので、父の成したことと一つになった息子、娘になったので、その峠を越えて同じ祝福の場に立つことができるということをサタンは防ぐことができず、神様が否定する道理はありません。偽りの父母がそのようにしたので、真の父母がこのようにすべてをひっくり返して、「神様、お受けください」と言えば、喜んで受けられるでしょうか、泣きながら受けられるでしょうか? 先生が聖人と殺人鬼とを結婚させるとき、神様は気分が良かったでしょうか、悪かったでしょうか? 神様が「いやだ」と言われたとしても「神様、そのようにしてはなりません。アダムが堕落して誤ったので、ひっくり返して治すのは私の責任です。ですから、神様は監督だけしていてください」と言えば、「そうだ」と言われるのであって、「この者め、そのようにしてはならない」と言われるでしょうか? また、サタンに「おい、この野郎! 私がこのようにここにいて、神様がここにおられるが、おまえは地獄に行く運命だ。アダムとエバ、人類の一番後ろについていくというのが本然の位置ではないか?」と言えば、「その通りです。極めて当然なことです」と言うのです。そのようなものを神様の前に連れていき、「この罪人を赦すべきですか、殺すべきですか?」と言えば、「やりたいようにしなさい」と言われるのです。神様もそのようにしか答えられないのです。サタンも、神様に感謝する前に、先生に感謝しなければなりません。それから、先生が「おい、神様の前に感謝しなさい」と言えば、神様は赦したくなくとも赦さざるを得ないというのです。 神様とサタンが闘っていますが、誰がその闘いを止めなければならないでしょうか? 神様も止めることができず、サタンも止められません。自尊心があり、威信があるのです。サタンも威信がありますね? 完成したアダムはどうでしょうか?「神様、こちらに来てください」「サタン、こっちに来い、この野郎」「私の言うことを聞いて、闘いを止めてください。言うことを聞いてください。闘いは偽りの父母がもたらしたのですから、偽りの父母のすべてのことを、私が取り消す責任を持ったので、一つになり得る本然の基準を立てるのは私の責任です。一つになってください!」と言うとき、神様とサタンは一つにならなければならないのです。 「神様、サタン! 私の言葉に従わないと!」という言葉に従って、その二人が互いに抱き合い、一つになれば、天上天国、理想世界に入っていくのです。そのようなとき、絶対万歳、唯一万歳、不変万歳、永遠万歳となるのです。 ですから、真の父母の摂理観的責任を完遂したという結論になるというのです。それで、地獄撤廃! 天国の門よ、開け! 理論的です。 理論体系に基づいてみるとき、一から百千万までが、この一つの結論に到達するようになるので、誰も不平を言うことができない、最高の知識の位置、最高の勝利的栄光の位置、最高の主体的位置、中心の位置に立つことができるのです。 このようなことを知っているので、頭の大きい者たち、世の中に号令をかけてきた政治界の頭、言論界の頭、宗教界の頭、銀行界の頭、大学街の頭、そのような人々をすべて集めて、「この者たち!学びなさい!」と言うことができる内容です。そのようにできる内容なのです。 「八十年の期間は、全体再出発完成解放の期間だった、アーメン!」。これが、二千年にぴたっと終わるのです。八十は再出発なのです。この八十年間に世界的なすべてのもの、今まで歴史においてなされてきたすべてのことを蕩減するのです。 それでは、そのように知って、解放された統一的な民族として、活気に満ちて出陣しなさい。アメリカの軍隊よりも、ソ連の軍隊よりも、ドイツの軍隊よりも、いかなる国の軍隊よりも、勇猛で堂々とし、率先的にならなければならないのです。 統一教会の統一天下の子女たちは……、女性がサタン世界の国を統治することができる時代になったというのです。男性には負けません。すべての職場では、夫婦が同参することのできる時代が来たということを知らなければなりません。軍隊に出ていくとき、夫と妻の二人が、息子、娘と四人が並んで立ち、一線に出て闘えばどれほどすばらしいでしょうか? 女性が弱くなれば、娘は父親が引っ張ってあげ、母親は息子が引っ張ってあげるのです。どれほどすばらしいですか? 一度、出陣したいと思いますか、思いませんか? それは何かというと、他の国の軍隊をすべて占領するために、家庭がすべて出動して降伏させるのです。すでに屈伏させることのできる準備がすべてできているのです。祝福を受けるようになっているのです。祝福を受けたならばすべて降伏するのです。どんなに統一教徒たちが憎くても、その中心たるレバレント・ムーンはあまりにも有名です。世界のすべての国家が歓迎しているのです。世界のすべての人たちが歓迎しているのです。 今、家庭が壊れて、若者たちが没落しており、エイズが蔓延しています。そのすべてのことをどのようにして防ぎますか? 絶対的な家庭の基盤を整備する道しかありません。ですから、いやでも行かざるを得ない時がきたので、絶対的な夫婦になって進んでいくのです。今や、世界統一も目前に来たということを知って、そのような自信を持って前進しなければなりません。 ですから、ジャルジンでの四十日の教育を終えれば、すべての人々は荷物をまとめて、命令が下る日を待ちなさい。家があれば売るか、手持ちの預金通帳があればすべて引き出して、新しいところに預金して、土地を買う準備をして、すべてを売って、かばんにまとめて待たなければならないのです。 これまで私たちは、本郷の地、祖国を失っていました。今や、真の父母が本郷の地と祖国を立てるのです。それを皆さんに許諾するのです。それをどのように否定しますか? それを否定すれば、サタンよりも悪い者になります。 ですから、全世界の人たちが韓国に来ようとするのですが、韓国には国もありません。IMF(国際通貨基金)に引っかかって国、文化がすべて空っぽになったのです。先生の命令に従って定着するのです。五色人種、百八十か国の人たちがすべて入ってきた韓国を、「北朝鮮の金日成の言葉を聞いて韓国を統一する」と言うでしょうか? 国連においても百八十か国が反対するのです。「だめです。先生に従っていかなければなりません」と言えば、口をぴくぴくさせながらも「イエス」と言うのです。 「日本はみなレバレント・ムーンの後ろについて韓国についていけ!」と言えば、「いやだ」と言いますか?「アメリカも韓国も日本の後ろについていけ!」と言えば、「いやだ」と言いますか? 「サタンまでも後ろについていくのに、何ですか、この者たち!」と言うのです。反対する親玉についていき、腐った根が抜かれて臭いのするものについていくのですか? それで今、国連が統一教会の運動を支持する時が来ました。アメリカもそうなのです。第二次大戦以降に、世界の七か国が韓国を支持し得る時代に入ったのです。アメリカが長子の立場で父母の国と一つになれば、その弟である世界の国が従ってくるでしょうか、従ってこないでしょうか? ですから教派……、カイン、アベルに分かれた宗教を統一するのです。 アメリカは、キリスト教国家です。旧教と新教を一つにすれば、この国は必ず長子の国になるのです。宗教を一つにし、世界理想圏において真の父母に侍ることができるということが、すべてが晴れわたった日のようなものです。統一的な環境が世界に展開するということを思うとき、統一世界、地上天国、天上天国は自動的に来るというのです。アーメンです。(三一三-二六一、九九年十二月二十六日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.14
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■ 6000双家庭はサタンの6数を世界化したものです。それを知っていますか? 3家庭からその次に36家庭、72家庭、124家庭、430家庭、777家庭、1800家庭、その次は6000家庭、一番迫害が多い時が6000家庭、9数を超える時です。それで6000家庭が一番苦労したのです。(天聖經 P1451 参照)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.14
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[旧統一教会] 愛唱歌 苦難の道ホワイトクロス「苦難の道」1.目を閉じたなら 祈られるお父様試練の時も 見守って下さる時が流れて すべてが色あせても光続ける 愛があることを教えてくれた語る愛より 捧げる愛をやさしく投げかけてる2.誰にも言えず 重荷を背負いながら長い道のり 歩まれたお父様言葉にしたら にじんで見えなくなる救いのために 血と汗と涙流し続けて許させるなら この身すべてをあなたに捧げたい3.度重なった 苦しみの極みにも涙の天を 慰めてゆかれたたとえその身が 一億に砕けても天と交わした 契りは誰にも譲りはしない命の川を 七度越えたあなたはお父様あなたはお父様一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.14
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※ 信仰が否定されても、それを信じていき、愛を否定されても信じていかなければならず、従順を否定されても信じていかなければならないのです。そうして、怨讐を愛する立場まで行かなければならないのです。 天の父母、真の父母、「天地父母」もそのようにしたので、皆さんもそのようにしなさいというのです。皆さんもやはり、それを相続しなければなりません。その愛から血統、生命を受けなければなりません。そのような生命を持ったので、そのような生命に見合う、そのような血統、そのような愛を持たなければなりません。 それゆえに、そのような真の愛を中心として、個人生活や家庭において投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう人がセンターとなるのです。中心存在となるのです。そのことを知らなければなりません。※ 「真の父母」は過去にも、現在にも、未来においてもただ一組です。 真の父母は二組ですか、一組ですか? (「一組です」)。一組しかいないのです。それは、絶対、唯一、永遠、普遍なる人です。そうすると、その真の父母の前に地上世界、天上世界で祝福を受けた家庭は、「ただ一人」ということと同じなのです。同じ価値があるというのです。そうですか? (「はい」)天宙は私の故郷と祖国成約七年 1999年12月19日(聖日)ニューヨーク州ベルベディア 皆さんの故郷と祖国はどこですか?。どこの国の人ですか?。ここには、世界の人々が皆、集まっていますが、故郷が皆違い、祖国が皆違うというのです。「天宙」という言葉は何ですか?。この世界には故郷も多く、祖国もたくさんあります。「天宙」とは天地のことです。天地というのならば、故郷と祖国は一か所しかありません。 この世界には、いくつもの祖国といくつもの故郷がありますが、「天宙」と言うとき、「天」とは文字どおり天のことであり、「宙」とは家のことです。「天」という字は「二人」と書きます。「宙」の「ウかんむり」は家を表します。「宙」という字の「由」という字は「自由」の「由」を表すのです。ですから、「天宙」とは、「思いどおりにする自由な家」ということです。 英語では、このように内容が複合的に含まれている言葉はありません。東洋には表意文字があります。すべてこのようになっているのです。その意味は、いつでも上下を考え、左右を考え、前後を考えるということです。いつでもその三つのことを考えるのです。それゆえに、宇宙を表すのは、「天・地・人」という言葉です。その三つの中にすべてが含まれているのです。 人間は小宇宙なのですから、皆さん自身にも霊的「天・地・人」と肉的「天・地・人」が含まれているのです。すべて二人です。二人で暮らす「私の家」なのです。そしてこの二人は、相対的なのではなく、一つであることを象徴するのです。ですから、二人が共にいる所には、いつでも神様が共にいらっしゃるのです。それゆえに、東洋思想は幅が広いのです。 そして西洋の人は、仕事をさせるにしても一つだけさせなければならないのであり、二つも三つもさせたら何もできません。東洋人は数を数えるとき、一、二、三、四、五までは指を折って数え、六、七、八、九、十は、折った指をこのように広げながら数を考えます。 ですから、西洋の人に「何々をしなさい」と言って、一度に十のことをさせても、一番、二番、三番、四番、五番と、指を折ったりせずに一つずつ数を数えて決めます。東洋では、指を折って数えるというのです。指で数を数えるのを見ても、折った指を今度は広げていくので、最後まで数えれば、今度は帰ってこなければなりません。行くものであれば、帰ってくるようになるのです。 それゆえに、東洋文明と西洋文明が違うところは、東洋思想は総合的であり、西洋文明は方向性を持っているというところです。西洋文明は、進んで行っても帰ってくることを知りません。西洋文明は、最後まで行っても帰ってくることができないというのです。帰っていこうとすれば、しかたなく東洋人にしがみついてこそ帰ってくることができるのです。 なぜかというと、西洋人は、大宇宙の家、膨大な家のすべてのものを捕まえようとするので、そのようになるのです。ですから、東洋と西洋が一つにならなければならないということです。 このような話は、きょうの題目の序論にしかなりませんし、常識的な話なのです。皆さんも、西洋文化圏内にいる人は、必ず東洋文化を保護しなければなりません。そうしてこそ、内外が編成されるのです。 上下、左右、前後が(板書される〈図〉)このようになってこそ、自己の位置が定まるのです。上下、左右、前後を定めてこそ、位置が定まるというのです。ですから、前だけを知っているのではいけません。後ろも知らなければなりません。未来と現在と過去を知らなければなりません。東洋と西洋と現在です。文化でいえば、西洋文化、東洋文化、世界文化になるのです。そのような関係になっているというのです。一つだけ知っているのではいけません。 皆さんが眠るとき、うつぶせになって寝たり、横向きに寝たり、右を向いて寝たり、左を向いて寝たりするでしょう?。どれが原則ですか?。ヘンドリックス氏。(「上を向いて眠ることです」)。必ず、上向きに眠らなければなりません。 なぜ、必ずそのように眠らなければならないのかというと、すべてが「解放である」というのです。足も解放、腕も解放、すべてが解放だというのです。横を向いて寝れば拘束です。腹ばいに眠るのが楽なのではないかと思うかもしれませんが、頭が苦しいのです。(ジェスチャーをされる)(笑い)上を向いて両腕を広げて眠るのが「解放」です。分かりますか?。すべてのことは、道理にかなっていなければなりません。 この中で、腹ばいに眠る人は、手を挙げてください。それは七十点です。横向きに寝る人はいますか?。それは五十点です。(笑い)この二つが一つになれば、百点を超えるのですが、上向きに眠るのが百点です。このような話は面白いですか?。 ですから、自己の位置は上下、前後、左右で決まります。「上下」というときの「上」は天であり、「下」は地であり、左右は男性、女性であり、前後は兄弟だというのです。父子関係、夫婦関係、子女関係、ここにすべて含まれています。そのようになってこそ、球形になるのです。 すべての存在は、球形になっています。そこには必ず、上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦、すべてが含まれているのです。そのセンターがこれ(板書されたものを指し示される)です。センターには、何もありません。空です。そうではないですか? この一点を中心として、球形のすべてが連結されているのです。ですから、これが一、二、三、四、五、六、七です。七がセンターです。それで「七」のことを「ラッキーセブン」というのです。そうして一番ラッキーな所がどこかというと、神様がいらっしゃる所(中心点)です。 それで神様は、目に見えないのです。見えない中心点にいらっしゃるのです。神様は、霊界に行っても目に見えません。神様は、わたしたちのように日常生活のすべてを指導することができ、話すこともでき、すべておできになるのですが、目には見えないのです。 上下においても、「上」は見えません。「下」は見えます。この上下が一つになってこそ、完全になるというのです。一つの完全なものになるのです。それぞれ一つでは、不完全なものです。二つが一つにならなければなりません。 皆さんにも見えない心と体があります。これが一つにならなければなりません。左右があるでしょう?。右側一つだけがあるのですか?。右側が行けば、いつでも左側が行き、左側が行く所にはいつでも右側が行って一つになるというのです。それから何ですか?。上下、左右、前後です。 自分が前に進むというときにも、自分が動くときには必ず前後というものがあります。そうして、自分の動きに伴って空気が動けば、自分が今までいた所には、いつでも空気が入ってきて空いた空間を埋めて、水平にならなければならないというのです。左右関係も水平にならなければなりません。前後関係も水平にならなければならないというのです。 それゆえに、自分一人で個人主義を主張する愚か者は、この宇宙のすべてのものを破綻させるのです。放棄してしまうというのです。天があり、地があり、左右があり、男性と女性がいて、未来の後孫がいるというのです。三つが一つにならなければなりません。 この図を見れば、上下も一つのカップル、前後も授け受けするので一つのカップル、それから左右も授け受けするので一つのカップルです。カップルになるというのです。種は上下の殻、左右の殻、前後の殻をかぶって出てくるのです。種は、必ず固いのです。そして二つでできているというのです。 種は長細くなっていたり、このようになっているのですが、プラス・マイナスです。これが球形になっていますが、前後になっています。プラス・マイナスです。それで、父母が必要なのです。これが男性ならば、女性が必要です。そして、これは何かというと、兄弟が必要なのです。父母を持たなければならず……。 父母が上下であると同時に、父母が左右であると同時に、父母が前後なのです。ですから、前後が育って夫婦となり、そして上下(父母)になるのではないですか?。すべてそのようであるというのです。そうですか? (「はい」) ですから、父母を否定する人は落第であり、夫婦を否定する人は落第であり、子女を否定する人は落第です。宇宙の原則から外れているのです。無価値です。公式のとおりになっていません。 人は、いくら愚かでも、優れていても、父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、息子、娘がいなければなりません。アダム、エバも、息子、娘が育って夫婦となり、父母となったのです。それは必然的な内容であり、わたしたちが行くべき道なので、わたしたちにもその三つが絶対に必要であるという結論が出てくるのです。 子女、それから夫婦、それから父母、このようになったのです。連結されているのです。上下、左右、前後合わせて一つなのです。そしてこれが、家庭の種です。ですから、あなたの家庭には、必ず父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、子女がいなければなりません。 そのようになっていてこそ、回っていくのです。これが理想的存在のモデルです。それで、父母の愛を完全に受けなければならず、そして夫婦の愛を完全に受けなければならず、それから子供を生んで、息子、娘の愛を完全に受けなければなりません。 それでは、神様はどのようなかたなのでしょうか?。どこから先に始まったのですか?。上からです。「上下」と言うからです。「上下」です。東洋の言葉は、「右左」ではなく、「左右」となっています。それは、堕落したからです。そのことを知らなければなりません。本来は、「右左」にならなければなりません。それでは、どこから先に始まったのかというと、上を考え、それから右側を考えなければならず、それから前後です。分かりますか? この殻のようなもの(図)が、種です。神様が共にいらっしゃってこそ種になるのです。神様を中心として上下が一つになり、左右が一つになり、前後が一つになったので、神様を中心として一重の殻、二重の殻、三重の殻になったのですが、中心の神様がプラスであり、種がマイナスです。それは、原因と結果です。ですから神様のようにならなければなりません。 「四位基台は、三対象目的を完成することである」と原理は主張しています。これは宇宙の根本です。愛の関係を持った植物や動物の世界は、この原則と法度の内容によって成り立っているということを、皆さんは知らなければなりません。 そこの女性は、種になることができますか?。そのようになろうとすれば、父母にならなければならず、妻にならなければならず、娘にならなければなりません。そうしてこそ、この宇宙の中で永存し、回っていくというのです。一年で一回りして、千年万年、回り回っていくのと同じように、永生するのです。 この中で、父母が嫌いな人は手を挙げてください。「わたしの思いどおりにできるのが父母である」。そうですか? 「父母は子女には勝てない」。そうですか?。違います。一体、世の中のどこに、そのような言葉がありますか?。それは、堕落したためです。堕落したので、転がっていくのです。転がって離れていったので、そのようにいうのです。 上がなくなれば、プラスがないので転がっていきます。左右で、夫がいなければ引っ張られていくのであり、息子、娘がいなければ後代がいなくなるので、この地上の歴史から追放されるのです。価値否定です。夫がいなければ、女性も滅びるのです。息子、娘がいなくても滅びるのです。一代で終わってしまいます。分かりますか?。それは事実ですか? (「はい」) では、何によって連結されるのですか?。力によって左右、上下、前後を連結することができるのですか?。お金でも知識でも権力でもありません。お金ではバランスを取ることはできません。知識ではバランスを取れません。 一つでも多くの知識を持っていれば、「おまえはわたしの言うことを聞きなさい」と言って、それで高い低いということを判断するというのでしょうか?。それでは一つになる道がありません。また、力でも一つになることはできません。分かりますか?。バランスを取れるものは、愛しかありません。それで、神様はこの中央の位置にいらっしゃるのです。「ラッキーセブン」です。分かりますか? (「はい」) バランスを取ろうとすれば、上下を一つにし、左右を一つにし、前後を一つにしなければなりません。上下、左右、前後を一つにするものは、愛なのです。神様を中心として、すべてのものがバランスを取らなければなりません。それが宇宙の完成です。この原則について見るとき、中心がなければならないでしょうか、あってはいけないでしょうか? (「なければなりません」) 皆さん、サッカーボールがあるでしょう?。太陽のように丸いものがあります。それは、内部の中心から圧力で上に押してあげ、下に押してあげ、前後に押してあげ、左右に押してあげるので、サッカーボールは丸いのです。その中心はどこですか?。引っ張ればつぶれてしまいます。それでは、どうしてバランスを取って、共に押し合うのでしょうか? つかんで引っ張ったり、引きずり降ろせば、ぺたっとつぶれてしまうというのです。中で何かがバランスを取ってあげ、共に押してあげるのです。何が全体を円滑に大きくしているのかということです。それは何ですか?。愛なのです。真なる愛は、投入することです。受ける力ではありません。与えるので、そのようになるのです。それゆえに、「真の愛を中心として、中央においてために生きる世界は、自然に完成する」という、このような結論になるのです。 そこには「自分」というものがありません。「自分」を絶対無視して出発する点が、中心点であるゼロ点です。ゼロ点の中には、何が入ってきても「オーケー」です。そして与える力が永続し、入ってくる力が永続するので、永遠に球形になるのです。もし、中心点のゼロ点から外に向かう、与える力が弱くなれば、外からさあっと入ってくるのです。 この世界は空です。ぽっかり空いているというのです。この宇宙のことです。天宙は、その全体が空いているというのです。そして、「ラッキーセブン」のような神様がいらっしゃって、そこに投入されるのです。天運は、それを受け止めて回してあげるのです。回転運動をすれば、大きくなります。分かりますか? そして、この空間世界を引き入れることのできる力の動機は、与える力であり、それがあるがゆえに、そのようなことができるのです。与える力があり、それが入っていくことのできる力となって返ってきて運動することによって、中心点が永遠に運動するのです。 愛は流れていきます。空気も流れ、水も流れ、愛も流れていきます。光はどうですか?。月の光が流れていって、どのように回っていくのですか?。空気も回り、水も雲になって回り、空気も回っていくのですが、太陽の光は回っていきますか? 皆さん、月にかかる暈というものがあるでしょう?。太陽の暈はどうですか?。太陽があれば、その中で数万種類の元素が作用しており、同じ元素は、その運動を宇宙に発散し、展開しているというのです。そのようにしながら、それが月の暈のようにすべて連結させて入ってくるのです。 光があれば、物質があるところでは反映して運動しているのです。光がある方向に流れていくということは、その流れていく方向が、その流れていった光が再び帰ってくることのできる方向になっているので流れていくのです。そうでなければ、流れていきません。ですから、損害を被る運動をするものは、この天宙にはありません。 きょうの題目は、「天宙は私の故郷と祖国」ですが、天宙は、存在する万物の家なのです。すべての万物が入っています。神様は、球形の位置、無形の位置から、天宙をサッカーボールのようにつくられるのです。 それでは、その存在はどのようになるのですか?。受けたので、今度は自分が返してあげなければなりません。反射と同じです。必ず返してあげなければなりません。そして返すときには、神様から受けたものに、よりプラスしようとするのです。もっと大きいものを返してあげるというのです。ですから、与えれば大きいものが返ってくるので、もっと大きくなり、どんどん大きくなっていくのです。 善なる人とは、どのような人ですか?。受けたものを踏み倒す人は悪なる人であり、受けたものに対してプラスさせて返す人は善なる人なのです。それゆえに、父母の中で、「子女は自分よりも低くなれ」と言う人はいません。自分よりも高くなることを願うのです。また夫は、妻が自分よりももっとりっぱであることを願います。 さらに、兄は弟がそうあることを願い、弟も兄がそうであることを願うのです。そうなのです。受けたものよりももっと大きいものを返す人は、父母の願いや兄弟の願いやすべての万物の願いや、全宇宙の願いにかなっていなければなりません。アーメン。簡単です。 皆さん、だれが話していても、聴衆の中の一人だけでも、より喜んでいる人がいるとすれば、どんどん続けて話が進むのです。見ることもそうです。見ていてもっと喜べば、どんどん大きくなっていくのです。 夫婦でキスするときもそうです。初めは遠慮していても、後から「アイゴー、死ぬー」と言いながら大きくなっていくのです。原理であれ何であれ、自然の道理がすべてそうなっているのです。このことさえ知れば、すべてが解決します。さあ、統一教会の教会員として、だれが一等になるでしょうか?。受けたものよりも、もっとたくさん送り返そうとすれば、一等になるのです。 「訓読会」のみ言です 「そのみ言の内容よりも、自分はもっとなそう」と思ってすれば、統一教会の「ナンバーワン・メン」になります。一番、最高になるのです。それは正しいことですか、正しくないことですか?。正しいですか、正しくないですか? (「正しいです」)与えたにもかかわらず、踏み倒してばかりいると、空になるというのです。前進ではなく、後退してしまいます。 あなたたちは、米国や世界の歴史を通して、今まで多くの世話になった結実として生まれたのですが、自分が世話になった以上に与えようとしてこそ、世界全体の前に基準となることができ、それが高くなって与えてあげることができることによって、引っ張っていくことができるのです。簡単です。皆、分かりますか? (「はい」) 目もそうです。美しいものがあれば、目がぱっと開くのです。見ているものに内容がなかったとしても、自分が協助してあげれば、その価値が高くなるのです。平常時に聞いていた言葉よりも良い言葉を聞けば、耳が踊りを踊りだします。においも同様であり、口も同様です。分かりますか? 「天宙は私の故郷である。私の祖国である」と、そのように言うことのできる人は、天国に入っていけば個人的に歓迎され、家庭的に歓迎され、国家的にもっと歓迎され、世界的、天宙的に最高に歓迎される神様の息子、娘になることができる、という結論も出てくるのです。 天宙が私の故郷であり、私の祖国であるならば、きょうのこの図の中で、どのような位置になるのでしょうか?。例えば、任意の点のここが故郷であるとするならば、その点と中心までのこの距離が、どれほど遠いでしょうか?。そのような場合、この二点間以外のすべてのものは、忘れてしまうのです。 ですから、この全体の中のどこの位置においても永遠に万歳、ここも万歳、ここも万歳、ここも万歳、あそこも万万々歳と言うことのできる故郷は、どこですか?。祖国がどこなのかというのです。 目には見えなくても、この世界すべてにぎっしりと満ちている、そのような人にならなければなりません。天宙も、目には見えないけれども、ぎっしりと満たされているということを知って、そのようなものを見ることができ、そのように暮らすことのできる人にならなければなりません。 この完全に空いた中心の位置に入っていってみると、その周りは見えません。(板書されながら、み言を語られる)周りをのぞき見ても、見えないというのです。中心に入っていけば、見えないものを中心としてではなく、中心点は内的世界を見ることができると同時に、外的世界まで見ることができるのです。神様がそうであられるというのです。何のことか、分かりますか?。無の境地を通過しなければ、本当の世界と本当の天と神様を見ることはできないという結論が出てくるのです。 米国(韓国語で「ミグク」)とは、わかめスープ(韓国語で「ミヨツクク」)のことですか?。だから落第です(わかめは、ヌルヌルと滑るので、韓国語で「ミヨ グル モクタ〈わかめを食べる〉というと「試験に落ちる」の意になる)。「わかめスープを食べれば、(試験に)落ちる」と言うではないですか?。ですから落第です。米国が見えません。 米国を否定し、米国社会、自分の会社、すべてを否定し、そして、ジャンプして飛び越えて、中心点に入っていけば、神様しか分からなくなります。神様は、いらっしゃっても神様であり、いらっしゃらなくても神様です。神様しかありません。なぜですか?。神様が核に入っていかれるようになるときは、外にあるものは浮体のように引き込まれていくので、核の神様の位置に入っていけば、その浮体と骨までが、見えない霊界の世界、つまり見えない神様が見える世界、神様が相対的に見える世界をみな感じることができるというのです。 この八段階で見れば、どうでしょうか?。否定するということは、簡単なことではありません。否定することが簡単ですか? (「難しいです」)。ですから、(すべてを否定して)この世界には何一つないという状態にまで達したとき、その世界に入っていって出てこなければ、世界に対する事実を知ることはできないというのです。 ないところから大きくなってこのようになったので、その何もない世界に入っていって再び出てきてこそ、この二つの世界を知ることができるのです。創造のみ業をなさるときが、そうではないでしょうか?。無から始まってこの万物までつくられ、そして人間がつくられたので、人間が創造された時点から、この創造前の何もない位置まで戻って、根源的なものを中心として神様と一つになってみてこそ、神様が見える世界になるというのです。 それは何かというと、神様がつくられたものをすべて消化してしまいなさいということです。分かりますか? (「はい」)。生き残るものを消化できる力を持つ存在が生き残るということを知らなければなりません。消化して栄養分を補給し、大きくなっていくことができなければなりません。このようにして大きくなることのできる存在は生き残りますが、ふさがれて大きくなることのできない人は、いなくなるのです。 皆さんは、どこで暮らしたいですか? (「故郷です」)。故郷と祖国とどちらですか? (「天宙です」)。天宙というものは、そこに地球も入るのです。故郷は天宙の中にありますが、地球や祖国は、神様がいらっしゃる所です。先祖が神様なのです。分かりますか? それでは、あなたたちの故郷はどこですか?。天宙であるというのです。それゆえに、分けて話をしませんでした。天宙というのならば、あなたたちは空中で生まれたのですか?。地球であり、この世界です。故郷の地はどこですか? (「韓国です」)。韓国ではありません。地球です。地球が故郷なのです。その故郷が地球のどこなのかというとき、このフロリダであるとか、ワシントンであるとか、それらが異なってくるのです。 皆さんが「故郷である」と言い、「祖国である」と言うものは何ですか? 「それは、米国の限界圏内に囲まれたものである」と言いますか?。それは違います。あなたたちの故郷は、どこであるというのですか?。この米国の者たち。「自分の故郷は米国のフロリダやワシントン、日本、韓国である」と言うのは、愚かな人です。堕落した者たちがそのような話をするのであって、堕落していない本然の者たちは、そのような話はしないということです。 故郷は世界、天宙です。それが故郷です。なぜですか?。自分の父、息子、娘、一緒に生まれた兄弟が暮らす所が故郷であり、父母が暮らす所が故郷なのですが、「堕落していない地球が、私たちの故郷である」と言うことは正しいのです。それでは、生まれてみると黒人が生まれ、黄色人が生まれ、白人が生まれました。それは、だれの息子、娘ですか? (「神様です」)。それを見たのですか?。見ましたか、見ていませんか? 見ていても見ていなくても、主人は一人しかいません。それは、「お山の大将主義」ですが、宇宙のここでも大将、東に行っても大将、西に行っても大将、上下に行っても大将、左右に行っても大将、あらゆる大将がいますが、その大将の中の大将が、「ラッキーセブン」である神様であられるというのです。神様が大将であられるので、神様は父ということにならざるをえません。 白人と黒人は、皮膚の色が違うだけではないでしょうか? 「白人は立って歩くけれども、黒人ははって歩く」というのであれば、それは、どこかが違うかもしれません。 しかし、白人は黒人に「あなたはわたしに似ている」と言うことでしょう。白人が歩くのを見て、黒人は「自分と似ている」と思うのではないですか?。ですから、「同じである」ということです。 黒人がはって歩くのであれば、白人は「自分と似ていない」と言うかもしれませんが、黒人も当たり前のことですが、もちろん歩くのですから、それを見れば、白人は「自分に似ている」と言うということです。同じなのです。 白人がすることで黒人にできないことはなく、黒人がすることで白人にできないことはありません。すべて似ています。ご飯を食べるのも手で食べますか、足で食べますか? (笑い)猿は、足でも食べ、手でも上手に食べるのですが、白人も黒人も手で食べます。ですから、白人と黒人で似ていないところが、どこにありますか? 男女が愛してキスすることも、白人と黒人は同じであり、それどころか黒人は、愛することにおいてももっと情熱的に愛し、優れたりっぱな所が多いというのです。黒人同士で話すのを聞くとき、「あれは猿が話している」と言うでしょうか、「人間たちが話している」と言うでしょうか?。男性の手と女性の手は同じです。男性でも女性でも、トイレに行って小便するのも大便するのも同じです。男性と女性は同じです。動物たちは、うつぶせになって用を済ませるのですが、人間は皆、同じだというのです。 すべて同じでしょう?。家族もあり、肉もあり、骨もあり、血もあり、その肉も同じなのです。皮を脱げば同じです。血も同じであり、骨も同じです。白人と黒人は、何が違うのですか?。皮膚の色です。それは、なぜそのようになったのでしょうか?それは、だれがそのようにつくったのですか?。もちろん、神様がつくられたものなのですが、自然がつくりました。気候がつくったのです。 この南北米大陸のインディアンを、だれがいなくなるようにしてしまったのですか?。黒人ですか、黄色人ですか? (「白人です」)。なぜですか?。白人が最も悪いことをしたというのです。これをどのように解釈するのですか?。しかし、キリスト教を紹介したので、白人は残っているのです。 ひぐまと北極ぐまが出会って一緒に暮らせば、自動的に結婚するでしょうか、しないでしょうか?。それは、自然ですか、人為的ですか?。自然にそのようになるというのです。牧場を見れば、白い馬もいるし、黒い馬もいますが、それでも混ざって結婚するというのです。しませんか? (「します」) ですから統一教会は、自然にそのようなことを喜ぶのです。自然界では、白いものと黒いものと黄色いものが自然に結婚しているのですが、先生も自然が好きなので、しかたなく同じことをせざるをえず、自然なことをしているのです。しかし、世の中でわたしを好む人は一人もいないというのです。 黒人と白人が結婚することは、北極と南極が一つになることと同じです。黒人は、すべて熱帯圏です。それゆえに、白人や黄色人は、黒人と結婚することを好めば、健康な後孫を生むと思うのです。鳥もそうです。渡り鳥を見ると、熱帯地方にいるものが、温帯や寒帯地方で生まれたものを食べるためにそこに行き、そして子を産むのです。そのように入れ替わるというのです。 気候は、千態万象の差があるので、生まれた地域だけで暮らしていてはなりません。世界、地球上のどこに行ったとしても、自分が好きなものを探していきながら、世界のものをすべて食べてみなければなりません。 それでは、三代が四位基台を形成するので、わたしたち統一教会の祝福家庭は、三代を中心として、白人の嫁と婿、黒人の嫁と婿、黄色人の嫁と婿、このように混ざっている家庭を持つことが理想的ですか?。それとも白人だけ、黒人だけ、黄色人だけの家庭が理想ですか? (「混ざっているものです」)。混ざっているものですか? (「はい」) あなたたちは、ミックスされた食事が好きですか? (笑い)それゆえに、東西南北、朝は春の食事を食べ、昼食のときには熱帯地方の食事を食べ、夕方は秋を象徴するので、秋の食事を食べ、夜は冬の食事を食べれば、健康によいのです。そのようにすれば、健康だというのです。 そのようにすれば、どこに行って寝ても、どこに行ってもおなかを壊しません。東の方で水を飲んでも、西の方で飲んでも、南の方、北の方、どこに行って飲んだとしてもおなかを壊しません。 朝食は米国で食べ、昼食は日本に行って食べ、夕食はロンドンに行って食べ、夜はサンパウロに行って食べれば、どれほどよいでしょうか?。一日をそのようにして食べれば、毎日のようにおなかを壊すでしょうか、おなかを壊さずに一年じゅう健康でしょうか?。考えてみてください。 どこに行っても、一年じゅう、生涯そのように訪ね歩き回りながら食べたとしても、おなかを壊さずに健康だというのです。それをすべて消化できるからです。あなたたちは、辛くて塩辛い韓国の食事を食べれば、おなかを壊すでしょう? (笑い)先生は、それを食べ、ここでハンバーガーを食べ、ステーキを食べ、スープを飲んでも、何を食べても大丈夫であり、南の方に行って何を食べても、肉を煮て食べ、生で食べてもびくともしません。それゆえに、どこに行ったとしても生きていくことのできる訓練ができているので、「ありがとうございます。神様」と言っているのです。 それでは皆さんは、そのように世界を歩き回りながら、毎日のように朝と夜が違う生活を送り、世界のどのような食事であっても食べて消化する生活をして、喜んで楽しく暮らしたいですか、一つの所にしがみついて暮らしたいですか?。就職して十二か月、十年間を同じ所で暮らしたいですか? (「お父様と一緒に暮らしたいです」)。お父様と一緒に暮らすのではありません。神様と一緒に暮らすのです。 神様は、どこであっても、人間が食べるものはすべて食べたいと思われるでしょうか、食べたいとは思われないでしょうか? (「食べたいと思われます」)それでは、わたしが一匹の大きなわにを捕まえておいて、「おい、わにの肉をおいしく食べよう」と言えば、ムシャムシャと食べますか、わあわあ言いながら食べますか?。 自然界では、何の肉であっても我先に自分が食べようと大騒ぎし、動物でも大騒ぎするのに、人間世界では皆、えり好みをして「食べない」と言うので、人間世界は長く生きられないというのです。 そのように考えると、自然界では人間がびりでしょう?。そして、その中でも文明人たち、米国人が一番びりなのです。神様は、すべてのものを人間のためにつくられたので、これをすべて食べてこそ、体も丈夫になるようになっているのであって、偏って食べれば、はんぱにしかなりません。 ですから人間も、どこに行っても暮らすことができ、何を食べたとしても、昼に食べても夜に食べても、熱い所で食べても寒い所で食べても、寝ながら食べても起きて食べても、下痢をせずに健康でなければならないというのです。ですから神様は、世界のすべてのものを一度食べて、味わってみて「死にそうだ」と言っている人を好まれるでしょうか、それとも、隅の方で限られたものだけを食べようとする人を好まれるでしょうか? (「前者を願われます」) 万物を神様以上に愛して食べるところには、病気はなく、健康なのです。虎よりも健康であり、万物よりも健康であり、草木よりも健康であり、どのような万物よりも健康に暮らすのです。ノーメンではなく、アーメンです。(「アーメン」) 愛を嫌うものはいません。真の愛を嫌うものはいないのです。あなたたちが、家で十人の家族で暮らしていても、家で飼っている猫を赤ん坊がもっと愛すれば、猫は赤ん坊の所に行って抱かれるのであって、父親と母親が嫌えば、猫はそこには行かないというのです。そうではないですか? 猫は、赤ん坊を見れば「ニャオ、ニャオ」と言いながらそこに行きますが、おじいさんを見れば、「ニャオ、ニャオ、ニャオ」と言いながら、そこには行かないというのです。(ジャスチャーされる)(笑う)人間の世界にだけ、受けたものを返さない強盗団、詐欺団がたくさんいるのですが、そのような人は地獄に行かなければなりません。 さあ、ここに集まった五色人種には、各国の故郷と祖国がありますが、一つ間違いないことは、真の愛を中心として見たときに、すべての者にとっての祖国と故郷には、ただ一か所しかなることができないということです。ところが、愛がないので、すべて分かれてしまったのです。そうですか?ですから、この地球は故郷になることができますが、わたしたちの祖国にはなることはできないというのです。祖国は、父が暮らす所が祖国なのです。 日本の食口は手を挙げてください。十年たてば、日本人が米国の地を占領してしまいますね。日本人は息子、娘をたくさん生みなさいというのです。どんどん生むのです。西洋の人は、赤ん坊を生まずに逃げていきます。フリーセックス、ホモ、レズビアンは「自然滅亡」です。 統一教会の祝福を受けた家庭は、どんどん子供を生むのです。それは「ブレスト・カップル」ですか、「プラス・カップル」ですか? (笑い)わたしたち祝福家庭は、今から「プラス・カップル」というのです。(「アーメン」)。二〇〇〇年まで、十日程度しか残っていません。十日を超えたならば、「プラス・カップル」と呼ぼうというのです。(笑い)(拍手) プラスしようとするので、妻にも負債を負わず、夫にも負債を負わず、お互いに負債を負わずにプラスする「プラス・カップル」となるのです。「プラス・カップル」になれば、プラスの子女が生まれるというのです。分かりますか? (「はい」)。それで、二十一世紀の統一教会は、「プラス・カップル」であるならば「ブレスト・カップル」である、というのです。 それから、何のレイス(人種)ですか?。「ユニフィケーション・レイス(統一の人種)」です。そこには白人もいて、黒人もいて、五色人種がいるのです。あなたたちは、白い服がよいですか、茶色の服がよいですか、黒の服がよいですか? (「レインボーです」)。(笑い)ミックスしたものが良いのです。混ざらなければなりません。まだらになっているものです。 あなたたちの故郷はどこなのですか? (「地球です」)。本当の故郷は、今はありません。考えてみてください。一番重要なものが何かというと愛なのです。愛、血統、それから三番目は何かというと、生命です。三位一体です。色も三原色であり、肥料でも三元素があるのです。分かりますか? 愛が存在するためには、愛には血統がぶら下がっており、血統には生命が連結されています。愛には神様が連結されているのです。神様は、先祖であられるというのです。こうして神様から血統を通してつながって、上下、前後、左右を中心として家庭となるのです。そこに愛があり、血統があり、生命があるのです。 それゆえに、愛は歴史と連結された愛であり、生命と連結されたものが愛なのです。分かりますか?。血統が連結されておらず、生命が連結されていない愛は、偽りの愛です。そこには、すべての四肢百体が一時に動員されなければなりません。方便的、手段的愛になることはできないということを知らなければなりません。分かりますか?。これは、だれも変更することはできません。 この愛と血統と生命のうち、血統一つを抜いてしまったとしても、すべて壊れていくのです。生命があったとしても、すべて壊れていくのです。生命があったとしても、この生命が愛を中心として血統的因縁ができていなければ、生命が連結されないというのです。 愛は、永遠の歴史をつくるためのものです。過去、現在、未来と、神様の血統がくねくねと曲がることはできません。神様の血統は、まっすぐなのです。数千代、数万代がこのようにまっすぐになっているのです。生命も同じです。愛も同じなのです。 その一代一代が、どこに連結されるのですか?。愛に連結されるのです。真の愛は、どこであっても真の生命と血統に連結されるのです。それゆえに、どこに行ったとしても、一代で同じ実を結ぶことができるというのです。真の愛、真の血統、真の生命。ですから、「永生」なのです。一つだというのです。それゆえに、祖国に自動的に帰るのです。分かりますか? ゆえに、「真の愛を持ったのかどうか」ということが問題なのです。真の血統を持ったのか、真の人になって、真の愛と真の血統と真の生命を後代に残すことができるのかどうかということが、神様が創造理想として願われる結論である、ということを知らなければなりません。 そのようになれば、どのようになるのでしょうか?。神様のような理想的で永遠の愛、永遠の血統、永遠の生命の主人に似た人々が、完全な天の国の息子、娘になるのです。アーメン。 なぜ、結婚しなければならないのでしょうか?。この伝統を過去と同じように今日、今日と同じように未来に残すためなのです。東洋、西洋、どこであっても永遠に同じ家庭をつくるためなのです。そのことを知らなければなりません。分かりますね? (「はい」)それゆえに血統をつくらなければなりません。それは、どのような血統をつくらなければならないのでしょうか? 女性で言えば、ごちゃ混ぜの血統をつくるのですか、純粋な血統をつくるのですか?。純粋なものは一つです。それは、本来の夫を通してつくられるのです。あなたたちは、他人が食べたご飯を食べるのがよいですか、それとも新しいご飯を食べますか? (「新しいご飯です」)。新しいご飯ですか?。皆、そうでしょう? この目ですが、赤ん坊は、生まれてから目を開けるときに、何を先に見るでしょうか?。だれを先に見ますか?。父親を先に見るでしょうか、母親を先に見るでしょうか? (「母親です」)。なぜ母親ですか? 「マム(韓国語で「心」の意)」を与える「マム(英語で「母親」の意)」なので、マム(母親)を先に見なければならないでしょう? (笑い) そして、何をまた先に触ろうとしますか?。母親の口を先に触りたいと思うでしょうか、父親の口を触りたいと思うでしょうか? (「母親です」)。母親なのです。お乳を上げるからです。(笑い)これが宝です。最も貴いことなのです。 東洋では、しゅうと(義理の父)の前で胸を見せれば、女性の中で最も悪い女性と思われるのですが、赤ん坊を生めば、裸になって両胸を見せて、このように乳を飲ませても、それは善になるのです。愛がそこにあるからです。真の愛があるというのです。それは、最高の善です。主人が変われば、そのように変わることができるのです。 赤ん坊は、母親を触り、母親の顔を触り、父親は取り残されます。それでは、その赤ん坊を育ててくれるのはだれでしょうか? (「母親です」)。それと同様に、動物世界においても、子を育てるのは母親です。それは公式です。子を育てることは、父親にはできません。母親がすべて育てるのです。ライオンでも虎でもそうです。 それでは、母親の愛がもっと良いですか、父親の愛がもっと良いですか? (「母親の愛です」)。なぜですか?。どうしてですか? (「……」)。どうしてなのですか?。それは、赤ん坊は母親の体の分身体だからです。母親の体の分身体だからなのです。赤ん坊は、血、肉、骨、すべてを母親から分け与えられて生まれました。それゆえに、赤ん坊は、親の愛の実体です。すなわち、自分の体、「第二の私」なので、愛さざるをえないというのです。 アダム、エバは、神様から分かれて出てきました。ですから、神様は、アダム、エバを愛さざるをえないというのです。堕落する前のアダム、エバは、神様に対して触ることもでき、見ることもできましたが、堕落した後のアダム、エバは、神様に触ることもできず、見ることもできず、考えることもできなくなってしまったというのです。これは、どれほどあきれ果てることでしょうか? 血統の貴重性というものを、わたしたちは考えてみなければなりません。アダム、エバは本来、どの血統を受け継いで生まれるはずだったのでしょうか?。神様でしょうか、どこの血統でしょうか? (「神様です」)。神様なのです。 それでは、アダム、エバが神様の血統を受け継いでいたならば、血統を延長するためには、何を通さなければならないのでしょうか?。アダムの息子、娘が神様の孫にならなければならないのですが、アダムの息子、娘は、神様の孫になることはできなかったということを知らなければなりません。 カインとアベルは、だれの血統を受け継いだのですか?。大きな声で答えてください。(「サタンです」)。サタンです。サタンとは何者ですか?。神様の愛の怨讐です。それは、神様の怨讐なのです。分かりますか?。ですから姦夫なのです。それは、最も悪い者です。 愛の怨讐のことを「姦夫」というのです。姦夫の「姦」という字は、女性が三人と書きます。愛の怨讐です。分かりますか?。今まで、そのようなサタンが何者であるのかを知りませんでした。サタンは神様の怨讐ですが、どのような行動をする神様の怨讐なのかというと、それは「淫乱の神」です。サタンは、「淫乱の神」の先祖なのです。 それでは、サタンがエバの胎中に入っていって、その子宮にカインを妊娠させるとき、神様の息子を妊娠し、神様の娘を妊娠しなければならない子宮であるのに、サタンの息子、娘を妊娠した子宮と、そのエバの体全体が、どれほど悲惨であったであろうかということを考えてみてください。 そこで女性が生まれるとき、「私は今後、王子に侍ることのできる私である」と考えたのではなく、「アイゴー 痛哭する立場に立った、サタン世界のマフィアのような者に出会うのだなあ」と思って、どれほど悲しんだであろうかということを考えてみてください。 そこから、神様の愛の世界とサタン世界は、完全に分かれてしまうのです。そこに神様が共にいらっしゃることはできません。そこから皆さんを宿し、皆さんが生まれてきたのです。そういう皆さんは、父親と母親の堕落した血統を受け継いで生まれた後孫なのです。そのことを考えてみましたか? そのようなことを考えてみるとき、本然の「私自身」とは、神様のみ前に平和と愛の中で抱かれ、喜び楽しむことのできる「私」であるべきにもかかわらず、神様の怨讐の根を受け継いで、それが食い込み、震えて悲惨な姿になり、どうしようもない「私自身」になってしまったということを感じなければならないというのです。 これが事実であるならば、どうでしょうか?。皆さん、毎朝鏡を見ないという人は、手を挙げてください。いないでしょう?。鏡を見るとき、髪の毛一本からして「これは神様の怨讐だ」ということを感じなければなりません。いくらよく着飾ったとしても、神様の怨讐です。自分を輝かせるために身だしなみをするならば、もっと怨讐になるのです。 この目を見るとき、「おまえもサタンの目だな、神様の怨讐の目だな」と思い、鼻も、口も、耳も、体も全部そうであると思わなければなりません。体全体の中で、神様が歓迎なさることのできるものは一つもない、ということを知らなければなりません。 女性で言うならば、このようなことです。例えば、あなたたちの夫人が本来の夫を中心として赤ん坊を宿すべきであるのにもかかわらず、強盗に強カンされて赤ん坊を生んでしまったというとき、その赤ん坊を見るすべての人がどのようになるでしょうか? そのような場合、背を向けなければならず、見るのも嫌がるというのです。それを見ても、においをかいでも、反発するのです。同じ怨讐との間で二人の息子、娘がともに、そのようになってしまったということとぴったり同じです。堕落した世界の人であってもそうであるというのに、本然の神様ならば、どうであられるでしょうか?。百八十度違うというのです。 そのような体をもって、女性が愛そうとして男性を求めて現れ、それに対して、そのようなとんでもない男性が愛そうとして現れる、その状況を神様がごらんになるとき、神様は「おお、良いぞ」と言われるでしょうか?。雷で打ってしまいたいと思われるのです。 神様は、「結婚しなさい」と言われるでしょうか、死ぬほど「結婚するな」と言われるでしょうか?。何がフリーセックスですか?。ホモ、レズビアンですか?。ですから、神様の目から火が出るでしょうか、出ないでしょうか?。地獄に逆さまにして投げ込むというのです。 血統的に誤った愛による血統を通して生まれた、誤った生命を持っている「私自身」であるということを自覚しなければなりません。もし、神様が悲しく恨めしい心を解き、怨讐に思うその心を解こうとされて、この体のすべてのものの節々まで細胞のようにして飛ばしてしまい、その細胞が飛んでいくのを見たとしても、それでも気分が悪いのです。もっとしないと気が済まないというのです。それほどまでに思って、火で燃やしてしまわれたいのです。 愛の怨讐、血統の怨讐、生命の怨讐が、このように恐ろしい境界になっているということを知らなければなりません。これをどのようにしなければならないのでしょうか? そのような怨讐の息子、娘を自分の息子、娘よりも愛さなければなりません。怨讐の息子、娘を自分の息子、娘くらいに愛すれば、すべてがなくなった位置になるのです。何も生まれなかったという立場だというのです。 ですから、自分の息子、娘よりももっと愛さなければならないという立場が、神様の立場なのです。もっと愛して、少し残れば、それを中心として育てて救援しようというのです。救援摂理とは、そうなのです。投入するのです。 白紙に墨で文字を書いて、それを消しゴムで消すのではなく、水で洗うとすれば、千年、万年たっても洗うのは難しいというのです。ですから消耗しなければなりません。生命を生かすためには、堕落した生命よりももっと投入しなければ、生かすことはできません。 女性の腹中に赤ん坊が入っていて横になっているとすれば、その赤ん坊は、どれほど息が詰まるでしょうか? 「わたしが行く世界はどこか?」というのですが、生まれてからどこに行くのでしょうか?。この母親の体は、堕落した体です。ここには、父親の精子と母親の卵子を中心として、父親の種が入ってきているというのです。それも堕落によってです。偽りの愛による偽りの血統によって、偽りの生命が生まれるということ、それ自体がどれほど悲惨であるかというのです。 神様は、腹中に妊娠した赤ん坊が悲惨であるということを耳にするでしょうか、耳にすることができないでしょうか?。ご存じでしょうか、ご存じではないでしょうか? (「ご存じです」)。ご存じであるという神様が、「アイゴー、おまえはかわいそうだ」と言われることができるでしょうか?。あきれ果ててしまうことです。それが数千代です。一つ、二つの家庭ではありません。六十億人類、おびただしい数の家庭になっているというのです。 赤ん坊は、母親から生まれてどこに行くのでしょうか?。母親の腹中の水中時代、それから陸地時代に出てくるのです。胎中から出てきて、万物を食べて生きるのです。母親の腹中と同じものが地球です。母親の腹中で栄養をもらって育つことと同じように、母親の胎を破って生まれてきたこの地が「第二の父母」なのです。そのように考えましたか? ですから、地を愛さなければなりません。地が人間に愛されたことがありますか?。神様は、地を最も愛されるのです。宇宙を愛されるのです。それは、それらが人間のために犠牲になるからです。こうして水時代から空気時代、それから太陽時代です。空気時代は陸地時代であり、地球星時代です。 口は水を表し、鼻は空気時代を表します。口は水を飲まなければならず、鼻は空気を吸わなければなりません。この目は、太陽時代ですから光を表します。ですから、目は神様に似ているというのです。 このように、水も流れ、空気も流れ、太陽の光も流れるというのです。目は、それを見ることによって、均衡が取れているか、ゆがんでいるかを観察するのです。水中時代、それからは陸地時代、太陽時代。これはすべての人に与えられる三時代なのですが、これらが一つの範疇に含まれているのです。太陽時代、愛時代が霊界です。 太陽を中心として見れば、太陽系は昼といえます。地球には昼と夜がありますが、霊界は常に明るいのです。言い換えれば水時代、空気時代、それからは愛時代です。愛は、常に消えてはなりません。太陽の光のように、昼でも夜でも愛がなくてはならないというのです。朝でも昼でも夜でも、北極でも熱帯地方でも南極でも、どこでも愛は変わりません。霊界は、春夏秋冬のすべてのものが実となったものを取り込んでおく倉庫のような所です。 それでは、この太陽時代に行くことができる人々は、本来、堕落せずに、本然の基準を通じてすべてのものが、愛で和していなければなりません。父と母の愛を中心として、それ自体も愛の実として喜びの中から生まれでて、万物を神様の代わりに愛し、神様の代わりに愛する立場で、万物を食べるにも愛によって食べるようにしていかなければならないのです。しかし、このすべてが反対なのです。 霊界には、夫婦で入っていかなければなりません。それゆえに、神様の血統を受け継ぎ、神様の真の愛と血統が連結された生命から出生した人は、歴史上に一人もいませんでした。ですから、天国に入っていった人は、今まで一人もいなかったというのです。ですから、神様は今まで独りで、孤独な身でいらっしゃったのです。 それでは、このような本然の人々が地球に生まれたとき、その人々にとって故郷とはどこでしょうか?。そのような人々の故郷は地球なのです。そこには米国というものもなく、あらゆる雑多なものがありません。 本来、そうなることができた世界において、偽りの愛、偽りの血統、偽りの生命とは、一体どういうことなのでしょうか?。これが神様の嘆息なのです。ですから、神様が悲しく、地が悲しく、人間が悲しく、万物が悲しい世界となったということを知らなければなりません。「そうではない」と言うことはできません。 全知全能なる神様、宇宙を創造された神様が、なぜ世の中をこのような姿のまま、悪魔の世の中、滅亡の世界のままにしておかれたのでしょうか?それは、そうならざるをえなかったのです。ですから皆さんは、本然の世界を創造された神様が、こうならざるをえなかった実情をただ見詰められるしかなく、そのような中で本然のものを失われたということを知らなければなりません。その神様の心が、どれほど苦痛であり、どれほどかわいそうであるかということを知らなければなりません。 ですから、神様を愛することができず、神様を信じることができなかったということを中心として復帰しなければなりません。そうするためには、世の中をすべて否定しなければなりません。父母であろうが国であろうが、すべてを完全に否定した中で、神様を絶対的に信任することができ、信じることができる人をいかにして捜し求めるか、ということが問題です。 そのような人を、神様はどのようにつくりあげるのかということが歴史的な宿願であった、ということを知らなければなりません。神様が信じることができる人は、一人もいません。このようなすべての血統をどのようにして清め、生命をどのように変更させて、どのように真の愛の位置を取り戻すのでしょうか?。 そのような位置に立つことができ、解放され、主人となることのできる一人の男性が必要です。それが旧約時代、新約時代を通じて主流となり、標準となった思想なのですが、この一人のかたこそがメシヤであり、これがメシヤ思想なのです。 そのメシヤとは何でしょうか?。偽りの愛の主人が悪魔となり、偽りの愛の生命、偽りの愛の血統の主人が悪魔となったので、真の愛の主人が神様となり、真の愛の血統と真の愛の生命の主人が神様となられなければなりません。 そのような血統的関係で結ばれた父子の関係が、神様とメシヤとの関係です。父子の関係は、血統が連結されなくてはなりません。そのように連結されることができる息子が、この地上に生まれたのがメシヤであり、それがメシヤ思想です。 それで選民を準備し、メシヤが生まれて、そのメシヤに接ぎ木され、同等の価値を中心として世界化させようとしたのです。しかし、そのすべてのことは、イエス様が来られたにもかかわらず、失敗してしまいました。 そのことによって再臨主が来たのですが、再臨主も同じようにその役事をなして、絹の反物のような思想をもって愛の巣をつくらなくては、父母の位置を経て天国に連結させることはできないというのです。それで「天地父母」が必要であるというのです。 真のオリーブの木、野生のオリーブの木があります。それで、接ぎ木された後には、どのようになるのでしょうか?。それは、メシヤの体のようになるので、天と地がすべて歓迎し、天地が歓迎することのできる代表的な立場から出発するのです。 それでは、メシヤはどこから出発するのでしょうか?。メシヤは家庭から出発するので、家庭を中心として基盤を持たなくてはなりません。メシヤは、アダムとエバが堕落せずに完成した家庭よりももっと神様に栄光をお返しし、もっと素晴らしく神様に侍ることができる孝子、孝女とならなければならないのです。そのような原則を知らなければなりません。そうでなくては、蕩減して残るものはありません。 メシヤとは何かというと、真の愛を中心とした父の立場から、真の愛の血統を先だって連結し、真の愛の生命を初めて出発させる主人なるおかたであり、真の父母であるというのです。その真の生命の父母は、エデンの園のアダムとエバの何百倍、何千倍以上の価値の存在として感じられなくてはならないというのです。それで、このような血統的な赤ん坊として再び生まれ出ようとするので、重生や復活というものを通さなければなりません。 それで、真の父母はサタン世界の愛をすべて否定するのです。このすべての人類がいるとすれば、それをすべて否定するのです。そうして百点の男性と女性、百点の家庭、百点の氏族、百点の民族、百点の国家、百点の世界を願うのです。 ところで、皆さんはどうですか?。先ほど言いましたが、祝福を受けた家庭とはどのような家庭ですか? (「「プラス・カップル」です」)。言葉は知っていますね。それでは、内容はどうですか?。それが問題です。サタンの血統がありませんか? それを知らなければなりません。それ自体が、サタン世界の要素を洗い清めるために涙を流し、血と汗を流さなければならないのです。ここで、この地上で先生を通して帰っていけば、霊界の天国の門には入るのですが、入ってからも八段階の道が残っているのです。 その世界に行ってからは、この地上において一年ですることを千年かけても浄化することはできません。地上が問題です。ですから、ために生きなければなりません。何百倍、何千倍、地の人々のために生きなければなりません。(「アーメン」)。「アーメン」と言うことは簡単ですが、それを実際に行うことは簡単ですか?。いずれにせよ、これはしなければなりません。いずれにせよ、成さなければなりません。 この世の終わりの日となるので、先生がはっきりとすべて教えてあげます。分かりましたか?。血統と血筋がどれほど恐ろしいものであるかということを知らなければなりません。 神様の血統を立てるために、これまで億千万世にわたって苦労し、数多くの人間たちが神様の血統を受け継ぐために苦労をしてきたのです。血統を受け継ぐのです。血統を受け継ぐことは、真の愛によらなくては血統を受け継ぐ道はないということを知らなければなりません。 真の愛というものは、自分の生命を超えて、堕落した世界の生命を犠牲にさせながら、喜びつつ歩んでいくことができる立場を執らなくては、真の愛はありません。これは、永遠なる願いです。分かりましたね? (「はい」) それでは、皆さんは今、このような基準から見るときにどれくらいのレベルになっていますか?。女性が腹中から生まれるときに願う望みは何かというと、自分のために生まれたのではなく、将来、生まれる男性のために生まれたというのです。 腹中時代を経て、幼児時代から兄弟時代、約婚時代、夫婦時代、父母時代、祖母時代、女王時代まで八段階の段階を歩んで行くべき希望的な女王の位置に立って、王である男性の王妃となって、天地の大主人となるという目的のために生まれてきたということを知らなければなりません。八段階です。それを皆さんは考えたことがありますか?。 ですから、女性が成長してこのように大きくなって男性に出会い、女王の立場にまでなるのです。そして、男性は男性の王となり、天の国の王子となって、天の国のすべてのものを継承する相続者としての位置まで行かなければならないというのです。 イエス様に約婚時代があり、結婚時代があり、父母時代があり、祖父時代があり、王の時代があったでしょうか?。ありませんでした。人間の願いがそのことであるのに、それを失ってしまわれたのです。ですから、その位置に行かなければなりません。 先生が生まれたことも、そのような段階を通じて腹中時代から幼児時代、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父時代を経て、王の位置まで行かなければならないのです。 世界で生きるのは、男性として生きるのです。ですから、この世の中のすべての女性たちを解放しなければならない先生であるということを知らなければなりません。女性が、そのような位置を捜し出すことはできません。母を通して、その条件を代わりに立てているということを知らなければなりません。 堕落しなかったならば、どうなっていたのでしょうか?。本来、女性が妊娠したならば、王と皇后の位置に向かって八段階の過程を行くのです。そのような神様が立てられたモデル過程を経て行かなければならないのです。 皆さんは、神様を「天のお父様」と言うでしょう?。神様も父であられ、真のご父母様も父なのです。天の父は見えない父であられ、真のご父母様は目に見える父なのです。親子関係は上下関係、左右は父母であり、それからは兄弟関係です。アダム完成、それから夫婦完成、神様完成なのです。 真のご父母様が、そのようなアダムの完成基準の氏族長、民族長、国家長、世界長、天宙長の勝利圏を中心として祝福してくれたということは、それ自体を祝福してくれたのですから、皆さんの家庭がすべて従って上がっていくのです。 八段階が、一点にすべて集まるのです。それでこの点を中心として、皆さんたちを中心として、ここも連結され、すべて連結されなければなりません。同じなのです。内外になっているのです。 このような真のご父母様を中心として蕩減復帰したすべてのものを、祝福によって皆さんの夫婦ふたり、プラスとマイナスが世界を中心に一つになったものに連結させ、ここでプラス、マイナスとなるのです。 そうして祝福をしてあげるのです。家庭によって堕落したために、家庭でそれを復帰しようとするので、それをすべて家庭的に接ぎ木するのです。したがって、先生がプラスであるならば、皆さんはマイナスです。真のご父母様がプラスならば、世界のすべての祝福家庭は皆、マイナスです。分かりますか?。それで、真のご父母様が生んだ息子、娘と同様に、皆さんたちの息子、娘たちもそのまま垂直に上がっていくことができるのです。上がっていけば良いのです。皆さんは、そのことを知らなければなりません。 一点を中心として、皆さんを中心として個人の中心となりたいのであり、家庭の中心となりたいのです。それを中心として個人の中心、それからは家庭の中心、復帰はここからなされるのです。個人復帰です。一、二、三、四、五、六、七、八。皆さんは、初めから終わりまで少しも変わりなく、同じでなければなりません。 皆さん個人を中心として、自分が個人の中心となり、家庭の中心となりたいのであり、国家の中心となりたいのであり、天宙の中心となりたいのです。そのようにすれば、どのようになるのですか?。何度も投入して忘れてしまわなければなりません。 それで、最初から最後まで少しも変わりなく同じ調子であるためには、出発して戻ってきたものが、すべて同じでなければなりません。変わることがあってはならないのです。そうして、この一つを中心として投入しなければなりません。すべて投入して、さらに投入することによって氏族が生じるのです。 それから、個人が家庭に投入し、それから家庭が氏族に上がっていき、また投入しなければなりません。民族が国のために生きていって、そのように投入することができてこそ、上がっていくのです。上がっていき、八段階を蕩減していくのです。分かりますか? このときは、必ず蕩減があるのです。再び、成したものを投入しなければなりません。それで個人は、家庭のために犠牲とならなければならないのです。そのように生きてこそ、最初から最後まで少しも変わることなく同じになるのです。そうして、もっと大きくなろうとすれば、この家庭が投入しなければならず、民族がもっと大きくなろうとすれば、氏族が投入しなければなりません。 それゆえに、八段階において、より大きなものに向かわなければなりません。全体のために投入する者、そのような者が犠牲となることによって、大きな世界の蕩減の道を開拓して上がっていくことができるということを知らなければなりません。 皆さんは個人的な蕩減時代、家庭的蕩減時代、氏族的蕩減時代、民族的蕩減時代、国家的、世界的、宇宙的蕩減時代を経て、霊界解放、地上解放時代が来るのです。全体を蕩減しなければならないのですが、真のご父母様以外には蕩減法を知りません。そうしてこのような勝利をすべてなしたので、すべて越えることができるのです。 ゆえに、全世界が蕩減が必要な時を乗り越えて、左回りに回っていたものが、反対に回るのです。逆に回っていた世界が、新たに時計の針のように回るのです。それが一次、二次、三次と移り、堕落したアダム時代から復帰時代を経て第四次アダム時代へと移っていくのです。 蕩減時代の世界にはサタンがいて、反対を受ける時代なのです。サタンがすべて引き裂くのです。父母同士、または兄弟同士、食口同士がねじれて、世界が数百、数千民族となっているのです。 これを宗教圏を中心として四大文明圏を編成し、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教、四大文化圏を中心とした統一体制をつくっていくのです。それを真のご父母様が来て消化し、蕩減し、第四次アダム圏へと移っていくのです。そのような新しい創造理想時代に移っていかなければならないのです。 この地上には、数多くの国があります。皆さんの故郷と祖国が米国にもなり、フロリダにもなり、日本にもなって、すべて違います。国を中心として、そのようになっているのですが、これは堕落した以後の世界です。必要のない世界なのです。 それで、蕩減時代を過ぎた今、地獄と天国が高速道路で結ばれています。私たち統一教会の教会員たちは個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、天宙完成をどのようにするのかを皆、知っています。よく知っているのです。知らない人はいません。 一番下から垂直に上がっていくことができるのですが、それは何によってかというと、ために生きることです。個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、ために、ために、ために生きるのです。そうして、すべてために生き、ために生きる環境でいっぱいになれば、サタンは逃げていくので、この解放時代から天国を成し遂げるのです。 真のご父母様によって祝福を受けた血統です。そのような血統が連結された、生命圏を持った人の主人の位置に立つのです。それでサタンは、地獄に落ちていったでしょう?。それは、影のようなものでしょう?。神様に連結された所は日の光であり、サタンはすべて真っ暗な所です。 祝福を受けた家庭は、手を挙げてみてください。わあ。全員ですね。祝福家庭(ブレスト・カップル)が、どのような家庭になるのですか? 「プラス・カップル」です。世の中とは異なるのです。「ブレス」とは、平面のことをいうのですが、「プラス」は垂直のことをいうのです。 上に上がろうとすれば、個人が家庭のために生きて上がっていくのです。垂直です。真のご父母様は、このようにして上がっていくことができる道をすべて蕩減したのです。皆さんは今、地獄の底にいるのです。一番上に天国があれば、皆さんは地獄にいます。一番下が地獄です。しかし、蕩減時代に経てきたすべての八段階の蕩減条件を、すべてなくしたので、天に入っていくことができるのです。 皆さんが四年前にジャルジンに行ったときには、そこには何もありませんでしたが、現在、ジャルジンには「世界平和統一家庭連合教育本部」があります。そこに先生が四年前に行ったとき、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を伝えたのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。 神様がこの宇宙をつくられるとき、神様は絶対信仰をもってつくられたのです。それから、二番目は絶対愛です。創造主としてパートナーを絶対愛でつくられました。そして、絶対服従です。絶対服従は何かというと、自分自身までも、すべてなくなるのです。完全投入です。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことなのです。自分の概念まですべて投入するのです。分かりますか? それで神様は「ゼロポイント」です。信仰もすべて注がれたために「ゼロポイント」であり、愛もすべて注がれたために「ゼロポイント」であり、従順もすべて注がれたために「ゼロポイント」なのです。 そのかわり、別の方からは受けることができるので、真の愛は必ず大きくなってくるというのです。真の愛を投入すれば、大きくなってくるというのです。真の愛です。真の愛は、運動すれば必ず大きくなっていくのであって、小さくはならないというのです。 この自然世界の運動は、運動すれば消耗しますが、真の愛はどんどん大きくなっていくというのです。ゆえに、繁栄するのです。分かりますか?それで皆さん、絶対信仰なのですが、それは、だれを絶対信仰しなさいということですか?。神様です。先生も神様を中心として絶対信仰し、絶対的に愛し、絶対服従したのです。ですから、「私自身も」神様の前にそうなのです。 信仰が否定されても、それを信じていき、愛を否定されても信じていかなければならず、従順を否定されても信じていかなければならないのです。そうして、怨讐を愛する立場まで行かなければならないのです。 天の父母、真の父母、「天地父母」もそのようにしたので、皆さんもそのようにしなさいというのです。皆さんもやはり、それを相続しなければなりません。その愛から血統、生命を受けなければなりません。そのような生命を持ったので、そのような生命に見合う、そのような血統、そのような愛を持たなければなりません。 それゆえに、そのような真の愛を中心として、個人生活や家庭において投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう人がセンターとなるのです。中心存在となるのです。そのことを知らなければなりません。 より「ために生きる」人が中心存在となるのです。このことを今まで知りませんでした。十人の家族が暮らしているとすれば、おじいさん、おばあさんを中心として、すべてが序列になっているのですが、幼い子供、孫であっても、だれよりももっと全体のために生きるようになれば、その孫が将来、そこの中心存在となり、すべての中心存在となるのです。 中心存在は、さまざまな所から押してくれるので、押されて上がっていってセンターになるのです。そうしてトップとなり、中心存在となるのです。家庭において、父母を中心として息子、娘が十人どころでなく、どんなに多かったとしても、そこにおいて、より中心的な存在となることができる人は、投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう人です。そのようなことを継続的に行う人が、そこの中心者となり、全体の相続者となるのです。そして孝子の中の孝子となります。アーメンです。(「アーメン」) それは、国の愛国者も同様です。全国家のために投入して忘れてしまうのです。そうすればそうするほど、中心となるのです。聖人もそうです。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことができる人が、聖人となるのです。「聖子」を中心としても、やはり同様です。 神様が、神様となられることができたということは、神様がどのような存在よりも、ために投入して忘れてしまうということにおいて、一番の存在であられたからです。そのように、神様は、歴史の初めから歴史の終わりまで、投入して忘れてしまわれるということを永遠に継続なさることができるために、永遠に「ために生きる」者たちの王となられることができるのであり、先祖となられることができるのです。アーメン(「アーメン」) 統一教会が、どのようにしてすべての世界と天と地を統一することができるのかというのです。それは、より「ために投入して忘れてしまう」ということによって可能なのです。先生を見てみなさい。全世界が反対したのです。全世界が反対し、世界宗教が反対し、サタンまで動員して反対したのです。しかし、先生は彼らのために生きたのです。彼らを生かしてあげようとしたのです。彼らの息子、娘を生かしてあげようとし、彼らの父母を生かしてあげようとし、彼らの王圏を生かしてあげようとし、そのすべてを生かしてあげようとしました。 そのように反対を受けた統一教会が、どうして今まで発展してきたのでしょうか?。皆、そのことを知りませんでした。神様の戦略は、「打たれて取り戻す」戦略であり、サタンは、「打ってなくしてしまう」戦略を採るのです。キリスト教、米国、ソ連、共産党、すべてが反対しましたが、今は皆、レバレンド・ムーンに従ってくるのです。(「アーメン」)。そうですか? (「はい」)。(拍手)ここには、五色人種が集まったのですから、強く拍手しなさい。(拍手) 五色人類をこのように集めて、レバレンド・ムーンは「わたしの言葉を聞いて結婚しなさい」と言って結婚させてあげました。皆さんがそのように願ったので、結婚させてあげました。願ったのでそのようにしたのですか、強制でそのようにしたのですか? (笑い)(「願ってそのようにしました」)。ですから、不平がありますか、ありませんか? (「ありません」)。ありません。 ですから、夫婦が一つとなるのですか、なりませんか?。米国人とドイツ人を結婚させてあげれば、米国人とドイツ人と結婚する、その次の瞬間から彼らは夫婦となるのです。米国とドイツの全国民が、すぐさま、瞬間的に交差結婚するというときには、この時間から完全に統一がなされるのです。 東洋人と西洋人が、「では、この時間から神様が全世界に命令して交差結婚をする」と言うとき、即刻、地上に天国、天上に天国が成されるのです。それは、どうしてですか?。交差結婚した後に、ふたりは座ってけんかをするのですか、キスをするのですか? (笑われる)分かりますか? (「はい」) レバレンド・ムーンは、天と地を結婚させたでしょうか、させなかったでしょうか?。何億万年前の人と、今の人とを結婚させるならば、何億万年前と今が愛で和するのです。統一教会の食口の中には、何千年前のおじいさんやおばあさんたちと結婚して、何千年前の夫、妻をもらったという人がたくさんいます。その人たちが霊的に地上に来て、今、地上で一緒に暮らしています。だれが「そのように暮らしなさい」と言ったのでしょうか?。神様はできません。真のご父母様のみ、それをすることができるのです。 偽りの父母である人間が過ちを犯したので、復帰は人間がしなければならないのであって、神様がなさるのであれば、神様は最初から堕落をさせなかったのです。天国は、家庭と夫婦が入っていくのですが、愛し合う家庭が入るようになっているので、地上において西洋人、東洋人、そして霊界が真のご父母様の前に祝福を受けて、愛し合って夫婦となった人は、どこでもすべて入っていくことができます。一つとなることができるのです。 真の父母は二組ですか、一組ですか? (「一組です」)。一組しかいないのです。それは、絶対、唯一、永遠、普遍なる人です。そうすると、その真の父母の前に地上世界、天上世界で祝福を受けた家庭は、「ただ一人」ということと同じなのです。同じ価値があるというのです。そうですか? (「はい」) 皆さんたちは兄弟です。「祝福家庭兄弟」です。何千年前に引き裂かれたすべての人々が、祝福家庭を通していっぺんに出会うことができる宴の日が今、地上で繰り広げられているのです。分かりますか?。生命、血統、愛なのですが、何の生命であり、何の血統であり、何の愛ですか?。 そのような解放時代を迎えました。 そのように考えると、今まで皆さんが、それぞれ自分なりの米国の故郷と祖国を持っていたということは、恥ずかしいことです。それが恥ずかしいことであるということを知らなければなりません。そのような考えは、完全に一掃しなければなりません。私たちの故郷はどこですか? (「地球です」)。分かりましたか? (「はい」) 皆さんの「米国が故郷である」という考えを捨ててしまいなさいというのです。それは、サタンによって、堕落によって伝授された恥ずかしいものなのです。神様のみ前に恥ずかしい言葉です。理解しましたか? 皆さんが今、英語を使っていますが、それは何の言語ですか?。偽りの言語です。日本語はどうですか? (「偽りの言語です」)。偽りの言語。それでは、韓国語はどうですか? (「天国の言語です」)。違います。それも偽りの言語です。しかし、そこに真の父母が生まれたので、そこから偽りの言語をリバイバルして、善い言語となるのです。 それでは、先生の故郷はどこでしょうか?。どこですか?。皆さんの故郷と先生の故郷は違うでしょう?。しかし、地球が故郷であることには間違いありません。地球が「本故郷の地」であるのですが、この「本故郷の地」の地球は同じですが、場所が異なるのです。すべて異なるでしょう? 皆さんの故郷がどこであるかといえば、米国になりえます。しかし、祖国は異なるというのです。そこではありません。そうすればよいでしょう?。そのようになろうとすれば、皆さんの国が祝福を受けた地とならなければなりません。しかし、なっていないでしょう?。ですから、これからは「本故郷の地」を決定する時代が来ました。それができていなくては、「祖国である」とは言えません。 私はきのうも話しましたが、父の国、母の国、長子権の国、この三つの国を完全に一つにしたもの、それがホームランド(本郷の地)の出発であるということを知らなければなりません。それらは、一つの国です。 それでは、そのホームランドの決定は何によってなされるのかというと、家庭が定着しなければなりません。ですから、嫁に来た女性は、ホームランドが変わってしまうのです。本来の理想的ホームランドは、家庭が定着することのできる場所がホームランドであったので、祝福家庭がとどまることのできるホームランドを捜し出していかなければならないというのです。 ドイツ人と米国人がいれば、ホームランドは二つですか?。それは、一つとならなければなりません。祝福を受けた家庭が訪ねていくべき、一つのホームランドを取り戻さなければなりません。そうしてこそ、堕落していない家庭的位置を取り戻すことができるのです。分かりますか? (「はい」) 今回、祝福を受けた家庭、四億三千万双の祝福を受けた家庭は、北側から南側に一回りしなければなりません。ジャルジンを中心として、この祝福家庭が入籍することができるホームランドを決定するためには、先生と写真を撮らなければなりません。真の父母とともに写真を撮って、一つの家庭のようになって入っていかなければならないというのです。 それはどういうことかというと、一つになった真のご父母様とわたしたち祝福家庭が一つになり、さらに息子、娘まで一つになった、そのような写真が必要なのです。何によって入籍を証明するのですか?。ジャルジン修練所で手続きを踏んだので、そこにおいて、天国に入ることのできるチケットをもらうのです。それで国に入籍することができるのです。 入籍が何であるのかというと、本郷の国に入ることです。それは父母の国、お兄さんが暮らしていた国です。アダム家庭を中心とした父母が暮らし、長子が暮らすことができる国です。長子権復帰、父母権復帰、王圏復帰。それで、これを今から配置するのです。 これは、真なる皆さんの家庭が暮らすことができる故郷を訪ねていく道である、ということを知らなければなりません。そこに神様がいらっしゃり、真の父母がいて、皆さんの夫婦がいて、息子、娘がいるのです。分かりますか?。ホームランドです。そこに神様がいらっしゃって、父母がいて、夫婦がいて、子女がいて、息子、娘がいるのではないですか?。それから、父母の国、長子の国があるのでしょう? それで、総生畜献納祭をして、修練に行かなければならないのです。修練に行けない祝福を受けた人は、献納金というものを前もって預けておくという条件を立てれば、その修練課程をいっぺんに教育することができるのです。その国に移動するとき、移動する前に、前もって教会にささげておくのです。そこに蕩減条件として百六十数の条件を立てて越えていき、すべて清算するのです。 所有権に関しても、豊かに生活している人は、刃物や武器で、血を流させて無理やり財物を持ってきたということが多くあったのです。そうしておきながら、「優れている」とか「劣っている」などと言っているのです。 わたしたちは、百八十軒を中心として祝福してあげました。七代を象徴した七数を中心として、七×八=五十六です。ここにいる祝福を受けた人たちで、ジャルジンに行って教育を受け、先生と写真を撮った人たちは、抽選をして韓国、日本、米国から配置するのです。三国を抽選するのです。しかし、どこに行くか分かりません。米国人が韓国に行くのかもしれません。そうすれば、韓国は人口が四千万ですから、すぐに終わってしまいます。その場合、四千万からこぼれたそれ以外の人は、どうなるのでしょうか? ですから、四千万になる前に、早く祝福を受けなければなりません。祝福を受けられなければ、大移動が起こるのです。韓国という国は、六大州からありとあらゆる人々が混ざり合うのです。分かりますか?ですから、白人、黒人などの人種差別がなくなり、裕福と貧乏の均衡が取れるのです。そうならなければなりませんか、そうなってはなりませんか?。そうすれば、祝福に反対し、統一教会に反対する二億四千万の米国人は、一番びりになって、アフリカの奥地に行かなければなりません。けれどもしかたありません。そのようになれば、すり替えるのです。 見てください。第二次世界大戦の後の七か国です。韓国、日本、ドイツ、英国、フランス……。七か国を中心としたキリスト教文化圏を中心として摂理したのが、失敗したのです。そうして、キリスト教を信じる国々を中心として、すべて反対することによって、キリスト教信者たちを主とした大移動が起こり、祝福はキリスト教でなくても、一般の回教であっても、祝福を受ければ同じ価値の基準を認定されるのです。平準化です。 既成家庭、結婚家庭、結婚を嫌がる者たち、そして青少年まで祝福して、霊界でもそれに合わせて行いました。そして十六歳までの年齢で、子供のまま死んだすべての人々が、霊界ですべて皆、祝福を受けたのです。ですから、祝福を知らない人はなく、「祝福を受けなければいけない」ということを知らない人がいません。ですから、道をふさいでおいて祝福をしてあげてもよいのです。 全世界の祝福を受けた人をすべて抽選して、人がいる所にはすべて割り当てます。そうして、自分のホームタウンを中心として、地球を祝福家庭のホームタウンとしてつくり上げれば、地上天国がなされ、天上天国が成されるのです。 しかし、地球のどこに行くのか分からないでしょう?。それでも行かなければなりませんか、行ってはなりませんか? (「行かなければなりません」)。行かないというならば、行かないでいてみなさい。追い出すというのです。 精誠を尽くして、早くその国全体が祝福を受ければ、その国自体が、そこにそのままとどまります。しかし今、それがないではありませんか?。ですから、大移動が起こるのです。それで、この祝福を受けた人は、神様を中心とした「一つの国」です。それで、そのわたしたちの国を中心として税金を納めなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そうしてこそ、わたしたちの国が生まれるのです。 それでは、大体分かりましたか?。ですから、天と地が「私の故郷と祖国」です。天の国の前に、天宙の中に米国もあり、この地球もあるために、その中にすべて入っていることによって、「天宙は私の故郷と祖国」になるということです。 血筋、血統を残したのです。ですから、皆さんは祝福を受けた夫婦として、どのように清い血統を残すのかが問題です。そうすることのできる家庭が、主流として先生の一族と祝福をどのように受けるのかという問題が生じるのです。垂直と連結されるのです。 一つの家庭に五色人種を率いて暮らすことができる訓練をしなければなりません。霊界も、このような組織の編成が起こるのです。分かりますか? (「はい」)ですから、自分が生活していたすべてのものを否定し、すべて捨てていくよりは、天のみ前に前もって所有権を伝授して教会に預けて行けばいいのです。そうすれば、その教会の管理は天の国の管理であるので、それは残るのです。しかし、そうしないでいたならば、すべて捨てていかなければなりません。 それは、預けていったとしても、将来においてまた、それと関係を結ぶことのできる道があるのですが、いつであろうと、時の時にそれをしないのならば、その人はだめなのです。何の話か分かりますか? それで「新天地」となります。新しい血族を通して新しい氏族、新しい民族、新しい国家、新しい世界となるのです。分かりますか?。来年からするのです。(「アーメン」)。先生の八十歳の誕生日を過ぎるときから、そのことが起こります。 昨年を中心として、三年、三年、七年路程で、歴史は大変革が起こるのです。それで九七年から統一教会がどれほど発展したか分かりますか?。「天地父母」を中心として「天地祝福」を成して、蕩減時代を過ぎ、解放時代を過ぎていくことができる時代を宣布したのです。分かりますか? (「はい」) その世界に行って、先ほどとは反対に、堕落した怨恨の世界を清算して、神様が直接、住まわれることができる時代となるのです。ですから、神様と真のご父母様と写真を撮るのですが、今後は何かというと、自分の一族が写真を撮らなければなりません。一族が教育を受けなければなりません。今は家庭教育時代ですが、一族、七代が集まって教育を受けなければならないのです。 国家が教育を受ける時代になります。そのために、今は何かというと「訓読国家時代」を準備しています。超国家、超民族、超大学連盟であるとか、超言論機関であるとか、超民族的準備をしているのです。それが、国連を通して超えていくのです。それで、国が入籍する時代になるのです。ですから家庭的入籍、氏族的入籍、国の入籍となります。分かりますか? (「はい」) もう、すべて分かりました。皆さんたちが何をすべきか、すべて分かるというのです。個人完成をどのように成し、家庭完成をどのように成し、氏族完成をどのように成すのか、分かりますね? 個人は家庭のために犠牲となり、家庭は氏族のために犠牲となり、氏族は民族のために犠牲となり、民族は国家のため、国家は世界のため、世界は天宙、天宙は神様、神様はわたしたちのために投入されるのです。そのように回っていくのです。(「アーメン」)。それが統一です。 祖国は一つです。分かりますね?。それを知って、そこに向かって、皆さんは不足であるということをよく知っているのです。そして、どのようにして行かなければならないのかということを、すべて知っているのです。自分たちがどのような位置にいるのか、ということを知っているのです。 ですから皆さんは、「それをすべて清算して、真のご父母様がどのような命令をなさるとしても、百回死ぬような命令をするとしても、『絶対に私は行こう』と言うことができる決心をして、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の天理を踏んで、早く飛んで行かなければならない。走るよりも飛んで行かなければならない。アーメン」と言わなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.13
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「地上天国出発」宣布一九九九年十二月十五日、真のご父母様はウルグアイのプンタデルエステから午前八時三十分、黄善祚会長に電話をされて、「今この時間から地上天国が始まる」と語られ、特別にこの時間を記憶するように強調された。「一九九七年から二〇〇四年までの七年の間に、地上天国を完成しなければならない」と語られ、ジャルジンの四十日修練を受け、入籍に必要な条件を備えた家庭から、韓国、日本、アメリカに、くじ引きによって、一二六〇家庭(一八〇家庭かける七代)を基準に新しい故郷を割り当てると語られた。 この期間に第四次アダム圏を発表して、三年間に新しい時代に突人するのです。第四次アダム圏時代というのは、アダム主義時代を指します。二〇〇〇年代までは蕩減が必要でしたが、今やこの時代を越えていくことで、霊界と肉界で天宙的にアダムが完成した基準が始まるのです。ですから、アダム主義時代の始まりとなります。そのような時代が到来するので、ジャルジンが「世界平和理想家庭教育本部」となるのです。 それで、この教育に参席した者たちは、個人、家庭、氏族、民族、国家基準まで所有圏を移譲したことを中心として、先生と完全に一つにならなければなりません。一つになった基準で自主的になしていく時代となったので、自分の名前で祈祷できるのです。なぜ、自分の名前で祈祷できるかというと、み旨をすべて知っているので、他の者の教えが必要なく、自分の責任で生きて、祝福も直系の父母がしてあげることで、天国の移譲が実現するからです。今や独自に責任を負って、行動する時代ヘと移っていくのです。それで、自分の名前で祈祷するのです。 蕩減が必要のない第四次アダム圏時代に入っていくには、十六数を中心とした「総生畜献納祭」をしなければなりません。祝福家庭というのは何ですか? 神様の復帰摂理は、祝福家庭を成就するために蕩減の時代を経てきたのです。天国は祝福家庭のみ入ることができます。なぜならば、祝福家庭は天宙から個人まで、全体の人類を代表するからです。「そのような貴い価値の中心点に立っているのが私の家庭である!」。これが重要です。 ここで私たちが決心すべきことは、堕落したこの世において、民族、国家、世界、天宙の全体を与えられても換えられない実が、祝福家庭であるということです。ですから、二人の夫婦が一つになるのは、これまでの歴史と天宙を与えても換えられないという信念が必要です。「私」という意識はあり得ません。祝福されたその一つの家庭は、神様がアダムを中心として摂理を引っ張ってこられた結果であり、目的なので、「祝福家庭である私の家庭は天宙で一番貴い」という認識を持たなければなりません。 ですから、自分の名前で祈祷するのです。第四次アダム圏時代に自分の名前で祈祷するのは、切に求めるのではなく、報告するのです。自分の名前で報告するのです。そこには、神様と私しかいません。神様と私の家庭以外にありません。何者もこの間に入ってこられません。神様と私が、神様と私たちの家庭が、父子関係で結ばれて平準化された家庭が、すべてを受けることができます。そのようにして、神様を私の家庭に招待しなければなりません。 それは成約時代に真の父母が来られて、歴史時代のすべてを蕩減して探してこられたのです。真の父母が、個人時代から家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、天宙時代に堕落した人類を、すべて祝福によって探してこられたのです。真の愛で完成級を越えた血統によって探してこられたのです。人類はみな真の父母に従ってくるので、完成級へと越えるようになります。そうしてサタンの血統が根絶されたら、すべてが終わります。誰がどのように越えることができますか? 祝福家庭がナイロンのひもを真の父母に、愛で連結して、真の父母の勝利圏を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従して越えていくことができるのです。 神様が人間を創造するときの創造の理想が、絶対信仰、絶対愛、絶対服従だったので、人間がそのような神様の基準の相対的な立場に立つには、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。そうすれば、サタンが侵犯できないようになるのです。アダム家庭形態の既成祝福家庭であれ、ノア家庭形態の契約結婚家庭であれ、ヤコブ家庭形態の未婚男女の家庭形態であれ、すべての祝福家庭は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって真の父母と一つになることで、真の父母の後に従って第四次アダム圏時代へと越えていくようになるのです。 そこには「自分」という概念がありません。真の父母だけが存在するのです。ですから真の父母に絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、相対基準となって越えるのです。どんなに真の父母と離れていても、真の父母の祝福を受けた家庭として完成圏を越えた、「第四次アダム圏時代の祝福家庭としての私である」という信念を持って、絶対信仰と絶対愛と絶対服従を、神様にお返ししなければなりません。「真の父母の子女として相続を受けた私である」という概念がなければなりません。ここで重要なのは血統です。真なる血統なのです。 その真なる血統を中心として祝福を受け、その血統を中心として私たちは兄弟だというのです。そこには「国家」という概念がありません。知識や権力、お金や国家といった基準がありません。ただ真の愛を中心とした、父と子で連結した血筋を中心とした基準があるだけです。ですから、「世界の家庭はみな、ただ一つの真の父母を中心とする兄弟姉妹である」という概念以外にはありません。 アダムとエバの堕落によって、神様までも十字架に打ちつけられました。アダムとエバも死亡圏に落ちてしまいました。二千年前に来られたイエス様も、十字架に打ちつけられて亡くなりました。再臨主が来られたときも、新教と旧教の反対によって統一天下の基盤が崩れました。そのすべてが完全にひっくり返って、今年の標語である「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」という標語が出てきたのは、驚くべきことです。今年この標語が掲げられたのは、理論的にあまりにもはっきりしています。 神様とイエス様と真の父母にとって、一番貴くて大切なのが祝福家庭です。祝福家庭をつくることです。そのために、真の父母がこの地に来て真の家庭を築きました。真の家庭は創世以降、全人類とも引き換えられない貴い価値を持っています。祝福家庭も同様の価値を持っています。神様の愛の血筋が定着するようになれば、宇宙全体が反対しようとしても反対できなくなります。 神様と真の父母には、ただ祝福家庭が存在するのみです。ユダヤ教団は必要ありません。キリスト教団も必要ありません。宗教の教団というのは一次的な目的ではないからです。ユダヤ教もキリスト教も、真の父母の前では否定されるようになっています。ただ祝福家庭だけが残るのです。宗教の教団は二次的な目的であり、一次的な目的ではありません。教団というのは、神様の復帰摂理に利用するためにつくられたのです。 「神様と真の父母の血筋を連結させて縦と横に相続を受けた祝福家庭は、天宙とも引き換えられない価値がある」という認識を持たなければなりません。ところが、皆さんの家庭がそのような立場に立っていないというのです。ただ真の父母の家庭だけが、そのような家庭になっているのです。それでジャルジンに行って、南北の経済統一、東西の文化統一など、東西南北の統一を代身する立場で、「ジャルジン宣言」を唱えたのです。もう一度言いますが、天宙間において最も貴いのは祝福家庭です。祝福家庭が一番価値ある存在なのです。 統一教会の人たちは、無条件に絶対信仰、絶対愛、絶対服従さえすればいいのでしょうか? そこにも段階があります。絶対信仰、絶対愛、絶対服従しますが、個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、世界は天宙のために、天宙は神様のために存在するとき、その神様は正に私、個人のために存在されるようになるのです。そのような父母の前に至らないものを、至るようにするためには、蕩減のない解放時代に合った生活を実践し、祝福の目的を完成するという立場で生きなければなりません。そのためには「投入して忘れる」という犠牲の生活をするのです。これが、正に為に生きる真の愛です。 「総生畜献納祭」という言葉は、自分の否定時代に入っていくということです。真の父母が世界的な勝利圏を越えるとき、真の父母と共にその勝利圏を越えて、第四次アダム圏時代に入っていくのです。そのようになれば、真の父母のやることは、私もやれるようになるのです。そのためには、自分の生命までも否定しなければなりません。「自分」という意識はあり得ないのです。 本来ならば来たるべき主を中心として、一九四五年から一九五二年までの七年間に、天国時代が成就するはずでしたが、キリスト教が受け入れなかったことによって天国を完成することはできませんでした。再び真の父母が蕩減して、今、このような立場に立つようになったのです。今や蕩減が必要のない「即決処分時代」に入りました。第二次世界大戦以降に真の父母は、長子圏を完成して真の父が長子となり、長子権時代を経て父母権時代、王権時代の到来が可能になったのです。長子権、父母権、王権の問題を第二次世界大戦の前後に解決すべきだったのが、四十年過ぎてやっと可能な時代に入ったのです。堕落のない長子圏の完成、堕落のない父母圏完成の基盤の上に、絶対基準をもって王圏を完成するためにあるのが、第四次アダム圏時代の宣言なのです。 真の父母がサタンからすべてを取り戻したのです。ここで整理すべきことは、まず長子権を復帰してから、祝福家庭の天国化によって、父母権を復帰し、王権を復帰しなければならないということです。それが正に、イギリスを中心としたエバ国家とアメリカを中心としたアベル国家、アダム国家である韓国を継承し、真の父母が長手権の天宙化、父母権の天宙化、王権の天宙化を実現して、今、父の国、母の国、長子の国を復帰して、地上と霊界を復帰するのです。 全体蕩減の実現のために、一九九八年四月十七日にベルベディアで「長子権・父母権・王圏の開門宣布式」と「復活節の完成」を宣布したのです。そのときに先生は、韓国を「父の国」、日本を「母の国」、アメリカを「長子圏の国」として宣布しました。この三つの国を一つに束ねて一体化させるために、去る十月一日から、アメリカの指導者が日本と韓国で活動し、日本の指導者がアメリカで活動するという、交差活動をさせたということを記憶しなければなりません。ここで重要なことは、三つの国が一つの国であるということです。一つになることによって、第二次世界大戦以降に成就するはずだった、地上天国と天上天国が編成されるのです。祝福家庭が訪ねていける故郷と国と世界が成就したというのです。 第二次世界大戦以降に連合国と連盟国が、韓国を中心として、七か国が一つになり、世界万民が一つになれたにもかかわらず、その機会を失ってしまいました。今や再び七つの先進国を中心に、一次、二次、三次と編成して、祝福家庭が互いに交差し、父母の国である韓国を中心として一つになればよいのです。 ですから、一九九七年から二〇〇四年までの七年の間に、失われた祝福家庭を探してこなければなりません。それは、サタンの讒訴の条件なしに探してこなければなりません。それでは、韓国と日本とアメリカの三か国は、誰の王権かというのです。三か国は祝福家庭を中心とした長子圏、父母圏、王圏を完成しなければならないのです。それしかありません。それで、ジャルジンで四十日修練を受けた祝福家庭を、三か国に配置するのです。一八〇家庭が再臨時代において、主の祝福編成を可能にするのです。ジャルジンの四十日修練を受けた氏族メシアは、韓国と日本とアメリカを中心として、一八○家庭の七倍である一二六〇家庭を分配されるでしょう。祝福家庭がカイン圏家庭の一二六〇家庭を分配されれば、そこが自分の新しい故郷になるのです。 一二六〇家庭が支持して、祝福された者を王として侍らなければなりません。長子圏、父母圏、王圏を代身して侍らなければなりません。そこでは「黒人、白人、黄色人」という概念がすべてなくならなければなりません。韓国が一等であり、韓国より人口の多い日本が二等であり、日本より人口の多いアメリカが三等になるでしょう。日本の人口は韓国の二倍であり、アメリカの人口は日本の二倍です。ですから、これからは韓国に住む韓国の民を誰が多く復帰するかという競争が起きるのです。祝福家庭は、韓国と日本とアメリカの三か国を中心として、くじ引きをします。三か国がすべて祝福家庭に変われば、その次には七つの先進国に行って、くじ引きで新しい故郷が配置されるのです。第二次世界大戦に加わった加盟国が、今も世界を支配しているからです。その次は全世界に拡散して越えていきますが、そのようになれば、全世界の祝福家庭時代に入るようになります。 これからはアメリカ人だからといって、アメリカの二億四千万名が皆、アメリカにいることはできないでしょう。祝福家庭であっても、一番後になれば困ります。いつ祝福を受けたかということが重要であり、いつ「総生畜献納物」を納めたかということが重要です。ジャルジンの四十日修練を受けても、「総生畜献納物」として一万六千ドルを納めることができなかったならば、来年の「真の父母の御聖誕日」までに納めるという条件を与えて、条件的に加担させるのです。ジャルジンの四十日修練に参席できなかった祝福家庭は、先に「総生畜献納物」を納めてから、四十日修練会に行くこともできます。それは国家メシアのためです。国家メシアの中には公務が忙しくて、ジャルジンの四十日修練に参席できない者たちもいるのです。 今、南米は夏です。白黒闘争など、歴史的に闘争が好きで驕慢な者たち、摂理に反対する者たちなどは、アフリカに行くことになるでしょう。祝福を受けなければなりません。アメリカの食口であっても、アメリカにいることはできません。第三国に行くこともあります。一次は韓国に行き、二次は日本に行き、三次はアメリカに行くでしょう。そのような順序に合わせて、分家をするように出ていくのです。一番早いのがアジア大陸で、その次がアメリカ大陸です。これらの大陸が祝福を受ければ、ヨーロッパは自動的に復帰されるのです。 白人たちがアメリカに来る前は、アメリカの主人は神様でした。神様を中心とした祝福家庭が暮らす天国は、実現可能でしょうか、不可能でしょうか? 可能です。ならば、そのような摂理に合わせて皆さんは動きますか? よく見なさい。父の国と母の国と長子の国である、韓国と日本とアメリカは、互いに怨讐の国でした。この三国を一つにまとめようとして、第二次世界大戦以降に怨讐の国を一つにまとめようとして、そして皆さんの家庭を解放しようとして、真の父母がどれほど苦労しましたか? 四十年の荒野路程を歩みながら、真の父母がどれほど苦労したか知っていますか? 世界は仕方なく先生に従ってくるようになっています。ジャルジンで四十日間、先生の教育を受けた者たちに、既に「荷物をまとめておくように!」と指示しておきました。ですから先生が「どこどこに行け!」と号令すれば、行かなければならないのです。皆さんも準備をしなければなりません。そのときに自分の財産を持っていってはいけません。残していかなければなりません。神様と真の父母の御名で接ぎ木しておかなければ、侵略者や略奪者の名前がつくのです。捧げれば、神に属するようになります。千年も万年も自分の思い通りにはできないのです。さもなければ、後孫たちがその過ちを暴くのです。そうして平等の時代、真なる解放の時代、地上・天上天国解放完成の時代に入っていくのです。 韓国と日本とアメリカの三国に植えてあげたのが、種となります。今や世界的に基金を集めて、一つの目的のために使う時代が到来するのです。真の父母は海洋産業や教育、経済、宗教、文化、芸術など、すべての分野に手をつけました。どんなに世界がそれをなくそうとしても、なくせませんでした。真のお父様が「種」です。ウルグアイにある「ビクトリアプラザホテル」、ジャルジンの「世界平和理想家庭教育本部」、「鮮文大学」、「天城旺臨宮殿」、「イーストガーデン」など、先生の名をもって建てられた家がその「種」です。新聞社や銀行もそうです。それらは歴史的に神様に捧げられた家です。今後の処理方法を考えなければなりません。 そのすべては、祝福家庭が定着するためのものです。新しい祝福家庭のために築いたのです。ですから、どこそこの大学を出たという概念を捨てなければなりません。今後は先生が建てた大学が歴史的な大学であり、人々が仰ぐ大学となります。今年も十三日を残すのみとなりました。十三日のうちに大転換時代がやってきます。この期間に統一教会の人たちがやるべきことは何でしょうか? アメリカに来ている日本の宣教師たちは、アメリカで「統班撃破」をしなければなりません。皆さんも「統班撃破」の編成のために活動しなければなりません。(一九九九年十二月十八日、イーストガーデン)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.13
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日本政府が遂に家庭連合の「解散命令請求」の決定を下しました。これはいわば、「日本収容所列島ー今なお続く(旧)統一教会信者への拉致・監禁」の国家版ともいえるものです。万が一に「宗教法人格」がはく奪されたとして、果たして、税制面の優遇がなくなるだけでしょうか?旧統一教会に解散命令が下された場合、伝えられているように宗教法人格を失うという箇所に、あわせて教団資産の清算が行われるという過程があることを認識する必要がある。— 島田裕巳@13刷出来『日本の10大新宗教』幻冬舎新書 (@hiromishimada) October 12, 2023否!! 今日の文科省の決定がどれだけ家庭連合信者を傷つけたことでしょう。それにとどまらず、今後は信仰の故に周りからは何か容疑者のような「白い目」で見られるような心情まで通過していかなければなりません。なかには「家庭連合の信仰をしてはダメなのか?」というような苦悶をする方も出ないとは限りません。「日本収容所列島」、まさに日本全体が拉致監禁の場と化しては「強制改宗」まで強いているようです。家庭連合HPからは10日付で郵送にての「当法人信徒による嘆願書が文化庁に提出されました」とありました。解散命令請求反対の意を込めて「一文字・人文字」と書いた嘆願書でしたが、まるで「紙くず」同然の扱いを受けました。記者からの取材を受けて今日の新聞に載りました現役信者の意見も聞いて下さい‼️#旧統一教会#家庭連合#解散請求 pic.twitter.com/q4GLjy0msi— shuchan (@shysan2027) October 12, 2023今回も手渡しままならずの態度の文科省、これが政治家や官僚らがやることでしょうか??? 税金も納める日本国民の一人として「信教の自由」「言論の自由」といった人権までも侵害されました。後藤さんの拉致監禁の「すべて」を全文公開しました。何度も「死んでしまいたい」と思わせる、その事件の真相に迫ります。https://t.co/GQNRLSmUeG https://t.co/3hXJgJ5mYW pic.twitter.com/RTyr9N3ko0— 世界日報 (@TheSekainippo) October 12, 20【世界日報】―拉致監禁・強制改宗―続く後藤さんの闘い【書籍紹介】日本収容所列島 いまなお続く統一教会信者[本/雑誌] (単行本・ムック) / 梶栗玄太郎/編一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.12
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第四十回「真の子女の日」記念礼拝の御言成約年 1999年11月8日(陰暦十月一日)清平修錬院 天城旺臨宮殿 大聖殿前日に奉献式が行われた「天城旺臨宮殿」大聖殿での第四十回「真の子女の日」記念礼拝で、語られたものです。 今は何月ですか?。十一月です。今年も五十三日を残すのみです。今から五十三日で、一九九九年が過ぎていきます。一九九九年は、二千年時代をすべて過ごし、締めくくり、すがすがしい二十一世紀を迎える年です。そのような限界線に到達しました。 二千年の最後の時を迎えた今、統一教会が現れて天地開闢の役事を成して神様の心情的焦点を合わせ、地上に真の父母という存在が現れて一体化することのできる基台が形成され、そこに真の愛の光が天地間に輝くことができるようになりました。歴史を逆さまに見れば、創世以降の数多くの人類たち、霊界に行った先祖たちは、そのような驚くべき時代になったということを、今、学び始めたのです。 霊界は、すべて知っているのではないでしょうか?。数多くの系列と数多くの立場に分派したすべての霊のようすは、今日の地上の形態とちょうど同じです。韓国という一つの国を中心としても、慶尚道、全チョル羅道が今、大騒ぎしています。 一つの国、一つの道同士でも、一つになることができずに、実にさまざまな立場があるのです。また、慶尚道は慶尚道内でも複雑であり、また、全羅道は全羅道で複雑なのです。このような複雑な環境を持つ歴史上の地上世界と同じように、霊界もまた、そのように生きた人々が、そのまま霊界に行って暮らしているのです。 苦痛を受けて暮らしていた人はそのままであり、苦痛を抜け出す道理がありません。この世の中のことが、そっくりそのまま霊界で再現されているのです。これは、だれによってこのようになったのでしょうか?。それは、神様によって、このようになったのではなく、人類の先祖によって、このようになったのです。人類の先祖が善良であったならば、このような世界にはなっていませんでした。 どの世界も太陽のように輝くことができ、公明な世界、影のない世界で暮らすことができるはずであった人間は、偽りの父母が堕落することによって血統が変わってしまったのです。「天地創造の大王陛下の息子、娘である」ということは、血統的因縁を中心としなくては、その「子女」という言葉を成立させることはできないのです。分かりますか?。養子と直系の子女は、何が違うのかというと、血統が違うのです。血統が変わってしまったということです。 今日、地上の宗教を通して学んだことは何かというと、「神様がわたしたち人類の先祖であられる」ということです。さらにキリスト教を中心としては、神様はわたしたちの「父」であられるというのです。そのキリスト教の中心存在であられるイエス様は、「わたしが神様の独り子である」と言われました。これは驚くべき宣言です。「神様の独り子である」という言葉は、「神様の愛に従って血統を完成させた最初の代表者である」ということです。それでは、神様の血統を受け継いだ代表的息子は、堕落したアダムとは何が違うのでしょうか?。 堕落したアダムは、未完成時代に堕落してしまい、サタンの血統に連結されました。神様の血統に連結されたものが、腐ってサタンの血統になってしまい、神様の愛が腐って肥やしになって、サタンの血統を育てるということをしてきたのです。それは、とんでもない事実です。そのような歴史の出発とともに、多くの曲折と事情の歴史を引きずりながら結果として残されたものが、この地上の混乱した、分派的境界線であり、壁なのです。 そこで暮らした人々は、抜け出す道理がありません。これは、だれもが解決しなければならないことですが、そのような姿で霊界の暗い世界に行けば、永遠に解決することはできません。地上人同士では、皆、お互いに見て暮らすことができますが、霊界の暗い世界に行ったならば、それもかないません。そのような太陽のない暗い世界に行って、多くの人間が分派的限界線で暮らして呻吟する、その姿を見詰められる神様の心情は、どのようなものであられるでしょうか? 人類歴史は、その出発から恨の中の恨で始まり、恨の恨がさらに増し加わる、正に「恨の歴史」です。しかし人類は、神様の息子、娘として解放されなければなりません。 その一人一人の人間の姿を見詰められる、創造主であられる神様は、堕落した数千、数億の人々を、堕落していない本然の息子、娘と同じ血統的因縁を合わせて、再びかき抱こうとされるのです。しかし、堕落した人類を、再び神様の懐に抱くことのできる位置に立てるという事実は、とてつもない問題なのです。 全知全能の神様が、今までこのような悲惨な世界をつくっておきながら、なぜ手を出すことすらできない神様になってしまわれたのでしょうか? 「神様は死んだ。いない」と言うことができるでしょうか?。神様は、血統が違うので、どうすることもできないのです。血統が違うのです。これを清算するために……。神様は、わたしたちのお父様です。「お父様」と、一度言ってみてください。(「お父様」)。だれがですか? (「神様です」)。皆さんを生んでくださった父親はどなたですか?。皆さんの父親は、だれの父親なのですか?。それが問題です。 神様は、「真のお父様」です。皆さんの父親は、どのような父親ですか?。真のお父様ですか、真のお父様の反対ですか? (「反対です」)。反対なので、偽の、偽りの父だというのです。一度言ってみてください。先祖がだれであるかを問いません。アダム以降、数千万代の父親たちが連結されていたとしても、皆さんを生んだその父親たちは、自分の息子の前において、偽の、偽りの父親であったというのです。あまりのことに、あっけにとられてしまうでしょう?しかしこれは、どのようにしても、神様の思いどおりになさることはできません。殺すこともできません。殺そうとすれば、一瞬のうちに殺すこともできる能力を持っていらっしゃるのですが、神様はこれを処断することも、手を出すこともできないのです。そのような血族が残されたものが堕落世界であるということを、今日の宗教圏は知りませんでした。 しかしついに、真の父母の名を持った者が、霊界のすべての実情を詳細に知り、堕落の動機から神様の秘密、サタンの秘密まで掘り出して調べ、このようなことを明らかにした内容が統一教会の原理なのです。地上世界と天上世界が分かれ、混乱し、相克的な歴史をなしたすべてのことを和合させるために、今、霊界の根本と実情から地上界の根本、そして人生、歴史の根本までをすべて解消し、すべてを連結させようとしているのです。これを何と表現したらよいのでしょうか? 川が流れていくのですが、逆さまに流れていくのです。このように逆さまになった世の中を掘り返し、そこから清い水になるようにして、世界が平和の基準まで来てこそ、神様から始まる血統の始原の基盤をつくり、出発をさせることができるのです。そのようなとてつもなく、また途方もない事情をだれが知っていたでしょうか?。自分の息子、娘ではない、その息子、娘を神様の思いどおりにすることができますか?。その家庭を思いどおりに訪ねていくことができますか?。境界線が引かれた、地獄と天国が分かれているのです。 このようなとてつもない背景を残して生きている、今日のこの世紀末的な六十億人類の群像を見詰めるとき、言葉を失うというのです。その背後には、数千万個の壁と分裂状態の歴史を抱えているのですが、その事実を知っている人はいません。 この世の中で豊かに暮らして成功したとしても、その成功は神様とは何の関係もないというのです。むしろ成功したという人々が、かえって深い穴を掘ってしまったのです。ですから、罪悪の歴史的な汚れの水は、その穴にすべてたまっているのです。昔の聖賢たちが成した事実を歴史的に明らかにしてみるとき、彼らは、この世の中を明るくすることに貢献したというよりも、世の中を滅ぼすことに貢献した人が多いのです。分かりますか?きょう、わたしが話すことは十分間でやめようと思ったのですが、すでに十分間を過ぎました。やめましょうか?。何の話か分かりましたね? 自分とは、どのような存在ですか?。それは、堕落した世界の実と同じです。それは、さながら罪の出発と罪の過程と歴史的な罪の結実の総株式会社の「社長」です。神様と皆さんとの間は、何千の壁によってふさがれているというのです。しかもそれは、一方向の壁だけでなく、周囲四方を包囲されているのです。そのことを考えてみてください。 今、何と言いましたか?。悪なる罪の歴史の総合的な結実体であるうえに、罪悪世界の総体の株式会社です。何と言いましたか? (「株式会社です」)。そのようなことを言えば、言葉が問題になるのです。何の社長(「サジャン」)ですか?。死んだ人を葬事する「死葬(「」で、「社長」と発音が同じ)」です。その言葉がぴったりです。 世の中では、何と言うのですか? 「社長になろう。社長になろう」と言います。それは、何の社長(「」)ですか? 「死ぬ」の「死」という字に葬儀の「葬」という字で「死葬(『』)」です。罪の株式会社の総帥の立場にいるので、それは「死葬」でしょう?。そのことを考えなければなりません。今日のこの地上に生きている人で、社長になって搾取しない人はいません。文総裁は、いわば社長でしょう? 多くの会社をつくり、この国を復活させようとあらゆることをすべてし尽くしましたが、後には、歴代の八代の大統領はわたしを消そうとして、ありとあらゆることをすべてしたのですが、消すことはできませんでした。そうして最後には、IMF(国際通貨基金)によって、国まで滅ぼしかねないようになったのです。そして統一産業を中心として、「犯罪団体である」と言い、ああだこうだと言っています。わたしには、恥ずかしいことはありません。韓国が、わたしに負債を負っているのであって、わたしは韓国に負債はありません。そのことを知らなければなりません。また、米国なら米国に行って負債を負ってはいません。世話にはなりません。その国の世話になりたくはないのです。 ここに日本人が来ていますが、日本の国に世話になったことはありません。なぜでしょうか?。すべての教会の結実であり、すべての株式会社の総裁の立場にいるのですから、人類の前に世話になり、負債を負おうとは思いません。彼らの暮らす国に負債を負おうとは、夢にも思わないというのです。負債を負わせてこそ壁を崩すことができ、数多くの道を開拓していくことができるのです。わたしの力が不足ならば、霊界の善なる霊と天使を動員して同調させ、それを崩して負債を肩代わりして返す歴史、罪の負債を取り替える総帥としての役割をしてきたのであって、「世話になろう」とは考えたことはありません。 米国なら米国自体を生かすことのできる基台を築いた人が、わたしなのです。ですから、米国の大統領の前でも堂々と話をするのです。七〇年代、八〇年代にレーガン大統領をわたしの手によって立てていなかったならば、そしてブッシュ大統領をわたしの手によって立てていなかったならば、その国がどのようになっていたか分かりません。今のクリントン大統領は、わたしの言うことを聞きません。ブッシュ大統領は、わたしの言うことを聞かなかったので、あのようになりました。わたしは、そのような人です。聞いてみてください。わたしは、この国に世話になったり、いかなる国にも世話になっていく人ではないということを知らなければなりません。 それでは、わたしは統一教会の皆さんの前に世話になって暮らす人ですか?。皆さんの世話にはなりません。自分の息子、娘にも、世話になる人ではありません。どこのだれにも、堕落した結果のこの世界では、罪の重荷で身を隠しているすべての存在、万物、世界から天上のすべての霊人を合わせて、地上世界のいかなる国の前にも世話にはなっていないのです。まず、「罪悪の世界の世話にはならない」ということは何であるのかというと、罪悪の世界において解放者にならなければならないということです。そのような人が、今日の言論界がどうであるとか、優れた大学者が何であるなどと言うことはできないというのです。最近では、逆さまになっていっています。 世話にならなかった人が世話をすることができるので、国が世話になり、世界が世話になるときは、理論的に言って、世の中が引っ繰り返る時になるという話が成立するのです。分かりますか?ロシアが、わたしの世話になる時が来ました。中共がわたしの世話になる時が来ました。インド、日本、米国がわたしの世話にならなければなりません。 さあ、それでは、わたしは愚かな人ですか、優れた人ですか? (「優れた人です」)。愚かでしょう?。悪口を言われながら世話をしているのですから、どれほど愚かでしょうか?。分かりますか? 悪口を言われ、殺そうとされ、料理されようとしているのにもかかわらず、料理しようとしている人のために世話をしようというのですから、そんな狐は死ななければなりませんか、生きなければなりませんか?。死ななければならないでしょうか、生きなければならないでしょうか? (「生きなければなりません」) そのようになれば、死ななければならないのですが、死にませんでした。それが、なぞなのです。死にませんでした。反対されれば滅びるはずであるにもかかわらず、歴史上のあらゆる反対を受けて成功したという事実が、なぞなのです。それは、どうしてでしょうか?。文総裁の才能が豊かだからですか?。それは、神様が保護してくださったからです。(「アーメン」) それを一度、言ってみてください。一万人全員が一度、「アーメン」と言ってみてください。(「アーメン」)。一万人がアー、アー、アーメン と。文総裁の声より小さいですね。(「アーメン」) さあ、このくらい話しただけでも、きょうの説教は十分です。(笑い)それでは、「世話にならない先生が「真の父母」である」というときは、「真の息子、娘は、間違いなく世話にならなければなりません」。それは「アーメン」ですか、「ノーメン」ですか? (「アーメン」)。世話にならなければなりませんか? (笑い)それが真の父母の息子、娘の資格者になりますか、なりませんか? (笑い)そのようにぼーっとしていては、闘いにおいてだまされて、サタンのえじきになるのです。 いつでも二重的な面を分け、さらに立体的な面を持って自分で答えることができ、見ることができ、においをかぐことができ、話すことができ、聞くことができ、愛することができなければなりません。そのように暮らしていますか? 恥ずかしくない二つの見る目を持っていますか?。心の目と肉身の目です。鼻も同様です。口も同様です。五官も同様です。愛も同様です。サタン世界のわなの因縁に感化されていくときは、神様とは相対することはできません。それゆえに、最初にみ旨の道に出発した後には、「負債を負って生きよう」という考えをしてはいけません。「負債を負わせて」生きなければなりません。 皆さん、ここにいる人の中で、「文総裁には負債を負っていない」という人は、手を挙げてください。それでは「負債を負っている」という人は手を挙げてください。なぜもたもたしているのですか?。下ろしてください。気分が悪いです。下ろしなさい。この日本人は、「手を下ろしなさい」と言っているのに、まだ挙げています。(笑い) さあ、「文総裁に負債を負っている」と思う人は手を挙げてください (「はい」)。さあ、命令して手を挙げさせたので、独裁的な力をもって手を挙げるようにしたようですが、(笑い)さあ、自分の意志で手を挙げましたか、圧力によって手を挙げましたか? (笑い)そのような疑心がわくので、「自分の意志で挙げた」という人、「文総裁に負債を負っている」と思う人は、両手を挙げてください。(「はい」) それでは、全員が負債を負っているので、先生の負債を百分の一、千分の一でも返そうという日には、先生の道に従っていくことのできる綱につかまっていくのです。分かりますか? (「はい」) 「負債を返さない」という人は、綱でもつかみなさいというのです。ナイロンの繊維のような、細くかすかな光が千万個集まった太い光です。この光の綱をつかんでおいて「この光の綱が切れないように引っ張れば、先生が行った道の後ろに引っ張られていく」と考えてみましたか? 先生のおしりに綱がぶら下がっていますか、いませんか?。負債を負ったならば、綱がぶら下がっているではないですか?。皆さんは、負債を返そうと思いますか、さらに負債を負おうと思いますか?。もっと負おうと思いますか、返そうと思いますか? さあ、きょうは何の日ですか? (「第四十回『真の子女の日』です」)。第四十回「真の子女の日」です。この「四十」というものは、歴史的な日です。皆さんが霊界に行くときも、死んだ後、四十日以内はどこかに行って定着することはできません。霊界に行くと、自分の先祖たちが案内をして、自分がどの級にいるのかを検証した後に定着するのです。それでイエス様も、四十日以降に復活したのです。分かりますか?。四十日かかるのです。 それは、歴史的起源において四位基台を成すことに失敗したために、そのようになったのです。このように引っかかる壁の秘密の原因をすべて知っている人は、先生しかいません。神様とサタンだけが知っているのですが、その神様の秘密、サタンの秘密は、文総裁にしか分かりません。分かりますか?。その「知っている」という権威が、真の父母の資格を決定する権威なのです。 何を知っているのでしょうか?。神様の秘密とサタンの秘密を知っているということが、すべてを解決することのできる基準になるのです。もし判事が、事件の秘密をすべて知ったとすれば、その判事はその事件を絶対的に解決することができるのです。分かりますか?。弁護士が何かを弁明し、検事が何と言っても、そのことに左右されず、すべてをきれいに整理することができるのです。分かりますか? また、サタンがいくら罪を犯したことを覆い隠そうとしても、きれいに証拠を出すときには屈伏するのです。分かりますか? 「神様、あなたがなぜ苦痛を受けたのかというと、このようなことなのですが、このようなすべてのことは、わたしが解決するので解放されるでしょう?。ですから、わたしを信じて、争わないでください」と言えば、争わないというのです。分かりますか? それで、神様とサタンが有史以来、怨讐となって闘争してきた歴史をだれが停止させ、だれが休戦条約を結ばせ、だれが戦争を止めさせるのかということが、歴史的な宿命を懸けた課題なのです。 宿命の道というものは、人の力で行くことはできません。それは「父子の関係が絶対的なものである」ということと同じです。宿命的な課題です。それが理解できますか?。だれによってのみ、可能なのですか? (「メシヤです」)。メシヤは、どのようなメシヤですか?。日本語で食堂の主人を「めしや(メシヤ)」というのです。(笑い) 神様とサタンの戦争を防ぐことのできる主人は、だれなのですか?。偽りの父母によってこの闘いが成立したのです。ですから、人間がつくり、人間の先祖が失敗したので、真の愛の主人が現れてこそ、それを正すことができるのです。それは理論的です。 堕落することによって、神様も引っかかり、サタンも引っかかったのです。サタンも堕落してみると、自分が悪いことをしたので、結局、終末になれば、自分が地獄に追い込まれるということを知っていたというのです。 ですから、中間で早く解放し、わたしが助けてあげることができれば助けてあげ、サタンと神様までも和解させれば、それで終わるのです。サタンが「嫌だ」と言えば、神様が引かれるようになるのです。分かりますか?。しかしサタンは、「嫌だ」と言えず、神様はいくらでも「良い」と言われるのです。サタンは、「嫌だ」と言ったとしても、否定することはできません。 否定できる内容を持っているならば、「おまえはこのような罪を、また罪を犯すのか?。こいつめ」と言えば、「はい、分かりました。やめます」と、このようになるのです。そうして神様とサタンが今、闘っているので、歴史的なすべての過程と現象が混乱状態になっているのですが、これを整理することのできる真の道とは、どのようなものなのでしょうか?。それこそが、真の父母が来て教えてあげて処理する歴史的道なのです。結論が出ました。分かりますか? それから皆さん、祝福を受けた人たちは、堕落した先祖の後孫ですか、真の父母の後孫ですか? (「真の父母の後孫です」)。真の父母の後孫ですが、何ゆえに偽りの父母が神様と怨讐になり、また神様とサタンが怨讐になったのですか?。それは結婚を間違ったからなのです。分かりますか?。血統を間違って受けました。分かりますね? 王子と結婚するはずであるにもかかわらず、僕と結婚したのです。体を捨てました。これをすべて処断し、僕の僕の僕の何百倍も呻吟する位置に立てて処断したとしても、「わたしは、当然罰を受ける罪を犯した」と、感謝できる位置に立たずしては、その僕が生きる道がありません。 復帰するために、そのようにすることのできる内容があるのです。偽りの父が偽りの血統をつくったので、真の父になる人は、そのようにすることのできる内容を知って(サタンに)提示し、そうすることによって、サタンはびくともできないのです。 サタンを縛ることができるのは、真の父母しかいません。縛りつけてしまうことによって、神様とサタンが自動的に休戦状態になるのです。神様に「休戦しなければなりません」と言えば、休戦するでしょうか、しないでしょうか? 「わたしは嫌だ」と言われるでしょうか、「ありがとう」と言われるでしょうか?。休戦を願いますか、停戦を願いますか? 「停戦を願います。やめましょう」と言われるのです。 停戦をして、神様が自由になろうとされれば、そのためには、自由な環境の基台ができなければなりません。ですから、サタンと偽りの父母が拘束されたので、サタンまでも自由にしなければ、神様は解放されないということを知らなければなりません。分かりますか?。それは、原理にない話だというのです。分かりますか? 本然の正しい結婚をすることができないことによってこのようになってしまったので、真の父母は、それを解いてあげ、サタンまでもこのように自由にするみ業を成すのです。サタンは今や、先生の前に隠れるものがなくなりました。霊界のすべての事実、地獄の現状、これからの理想天国……。 サタンは理想天国を知りません。真の父母は、神様が理想とされたものを知っているので、そのようなみ業を成すことができるのです。サタンは、神様の国さえ成立すれば終わるのです。それ以上、行くことができません。それゆえに、サタンは理想天国を知らない、というのです。 それで、神様も絶対に必要であり、サタンも絶対に必要であり、人類も絶対に必要なのがだれなのかという結論が出ました。世の中の万事が、万物の存在性を持ったすべての存在が、絶対堕落圏内にいるすべての存在が絶対に必要とするのがだれですか?。尋ねているのです。だれですか? (「真のご父母様です」)。だれですか? (「真のご父母様です」)。だれですか? (「真のご父母様です」) だれが真の父母ですか? (笑い)だれですか? (「お父様です」)。小言をよく言う先生が、真の父母です。言うことを聞かない人のネクタイをつかんで死刑場に引いていったとしても、真の父母です。誤れば、打たれなければなりません。刑場に行って、ののしられなければならないでしょう? 神様も、そのように小言を言う神様になられるはずなのですが、小言を言うことすらできないので、神様はあわれな神様であられるというのです。分かりますか?。審判の王になられるべきであるのに、審判の王になられることができなかったので、かわいそうであられるというのです。分かりますか?。万歳を思いのままに叫ばれ、自由に行動されるべきなのですが、そのようにできなくなってしまわれたので、ふびんであられるというのです。 文総裁は、本来は、四十歳になれば天下をすべて統一し、韓国に万国の王宮をつくり……。それは「天城旺臨宮殿」ではありません。その百倍、千倍にもなるものです。さらに、万世の国家に宮殿の分室をつくり、天の国の本部にまでなる宮殿をつくっていたのです。ですから、これ(「天城旺臨宮殿」)をもって誇ることはないというのです。大母様に申し訳なく、興進君に申し訳ないですが、もっと働かなければなりません。 あなたたちは現在、この宮殿をつくるのに霊界に負けましたか、勝ちましたか?。霊界の興進君と大母様に勝ちましたか、負けましたか? (「負けました」)。そうでしょう。はっきりと言ってください。答えを明白に、はっきりとしなければなりません。正直でなければなりません。率直でなければなりません。率直は正直と通じるのです。一度言ってみてください。(「率直は正直と通じる」)。罪を犯した人は、率直に、正直に話せば赦されるのです。 真の父母が必要な人は、手を挙げましょう。日本の人も必要であり、中国の人も必要であり、韓国の人も必要であり、英国の人も必要であり、天国の人も必要であり、神様も必要なのです。すべてが「そのかたが必要だ」と言い、「正しい」と言ってこそ、すべての世の中が解かれていくのです。そのような基台を、文総裁一人で築いてきたのです。(拍手) 堕落した父母は、父が二人ですか、一人ですか?。二人ならば、真の父母が現れれば、半分に分けなければならないでしょう。その分けた真の父母を願いますか、すべて備えた真の父母を願いますか? (「すべて備えた真の父母です」)。欲が深いですね。全体をつかむことのできる王を願うのです。 ですから真の父母は、天の国や地獄の国の解放の権限を持った王の中の王です。だれがですか? (「真の父母です」)。だれがですか?。真の父母がどこにいますか? (「ここです」)。ああ、わたしは真の父母ではありません。わたしは真の父母ではありません。信じてはなりません。(「お父様です」) 実用主義時代に、どうしてそのようなことが必要ですか?。唯物論の時代に、どうして神が必要ですか? 「神はいない」と言い、神本主義から人本主義、物本主義に落ちた世の中で、神がどこにいますか? ですから、神人物統一観主義の時代に入っていかなければなりません。「神様はいない」と言ったとしても、いらっしゃるということを知るべきです。神様は、いらっしゃらないような姿をしておられるだけであって、いらっしゃらないのではありません。分かりますか? 統一教会のみ言を世の中の人に話せば、彼らはすべてを知りながら、聞いていてもじっとしています。彼らは、恥ずかしいということを知っているので、知りながらもじっと耐えているだけであって、知っていることは知っているのです。 結婚する前は、女性たちは胸を隠さなければなりませんか、服をめくらなければなりませんか? (笑い)エバ国家の女性たち。胸をめくらなければならないでしょうか、開かなければならないでしょうか?。おしりを出さなければならないでしょうか、隠さなければならないでしょうか? 西洋の女性たちは、胸を出して大騒ぎし、おしりを出して大騒ぎするのです。それは、天使長の国です。エバの代身者たちが男性を誘惑し、おしりで浮気をし、胸で浮気をし、唇で浮気をし、目で浮気をするのです。目で浮気をするでしょう?。アイシャドーを知っていますか?。ルージュを皆、知っているでしょう?。マニキュアを皆、知っているでしょう?。女性たちは、毎日テーブルの前に座って化粧をしますか、しませんか?。「男性は、いつも女性を歓迎しなさい」と言われてきましたか、「注意しなさい」と言われてきましたか? 「狐がしっぽを振る」という言葉があるのです。 最後の時には、二人の男性に対さなければなりません。統一教会の文先生は、世界のすべての女性の前において、「真の兄」です。分かりますか?。真の兄なのです。エデンにおいて、真の兄を失ってしまいました。地上地獄の底において女性たちが見るとき、男性はすべて悪魔です。その中でただひとり、文総裁、レバレンド・ムーンを知ってみれば、原理のみ言さえ聞けば、すぐに分かります。「兄の中の兄」なのです。 思春期にさしかかれば、兄はエデンの園において、未来に約婚する男性であったということを知るのです。そのようになるのです。それは、思春期時代の「男性の中の男性」です。ですから「結婚したい」と思い、それから、結婚したら「母親になりたい」、「あの男性と結婚して子供を持ちたい」、それから「おばあさんになりたい」、「一家の先祖になりたい」というようになるのです。女性が行くべき希望の道は、これです。 他の家、夫の世界に行き、主人のいない家に行って何年間か苦労することによって、その国の祖母の位置を占めるようになるのです。女王になるのです。家庭の女王になるのです。それを知っていますか?。女王になり、母になり、祖母になれば、先祖の王になるのです。それから国の女王になろうということが、女性の願いなのです。 それを失ってしまったのですが、復帰するために来られる主人は、兄として来るのです。兄として来て約婚することのできる約束者、結婚することのできる約束者、父になることのできる約束者、祖父になることのできる約束者、王になることのできる約束者を女性たちは迎えなければなりません。アダム、エバが、そのような位置にいたというのです。エバは妹です。二人の兄妹の行くべき道は、腹中時代から相対理想を中心として生まれたというのです。 女性が生まれるときは、兄のために準備するのです。女性は、「腹中からわたしが生まれたのは、兄に出会うために生まれた」と言うのです。腹中で兄妹の因縁を持ち、父の血統と母の血統を受けて腹中から準備し、生まれれば兄妹になると同時に、地上の女性は母になるのです。腹中時代の兄妹が、この地上に出てきて兄妹になるのです。 双子で生まれていたならば、けんかしたでしょうか、しなかったでしょうか?。エデンの園で罪を犯していなかったならば、罪を犯さずに双子で生まれていたのならば、どのようになっていたのでしょうか? 妹が母親のひざの上にいて、そのとき兄がいなければ、「兄がいなくなった」と思い、片方のお乳は兄のお乳なので、一緒に飲もうとして待っているというのです。そうして「お兄さんはどこに行ったのか?」と捜すというのです。そのようにならなければなりません。しかし、そのようになるべき歴史が、そのようにはなりませんでした。 女性が女性になることができ、女性としての主人になることができ、また、妹が主人になることができるように、主人の資格者にしてくれるのは女性ではありません。兄です。分かりますか?。女性自体では、主人になる道がありません。そのことをはっきりと知らなければなりません。日本の女性たち、分かりますか? (「はい」) 腹中においてのエバは、兄のために生まれたので、兄が自分を愛することのできる位置に立たなければ、エバの愛の道がなくなるというのです。エバが、愛の道の主人の立場に立つことができるようにしてくれるのは、兄がしてくれるのです。分かりますか?。このことを知らなかったので、世の中は混乱したのです。これは重要なことです。分かりますか? (「はい」) 自分が、愛の主人を捜し立てるのだと思うでしょう?。それは違います。兄ゆえに女性は、兄を愛することのできる主人の位置に立つのです。また、兄は妹がいるがゆえに、妹を愛することができるのです。このように、相互にお互いの主人を捜し立てるということをするのです。女性は「半分」です。そのことを知っているでしょう?。分かりますね? (「はい」)。夫のいない女性は、千年万年たっても、夫を愛することのできる主人の位置を永遠に捜し立てることはできません。それは、そういうことなのです。分かりますか?。分かりますね? (「はい」)。全員、聞いていますか?。重要です。日本に行って、今からこれを実践しなければなりません。 第四次アダム圏時代が来るのです。分かりますか? (「はい」)。妻が、妻として夫を愛することができるように、主人の立場に立たせてくれるのは、夫がその主人の立場に立たせてくれるのです。それは、妻がするのではありません。そのことは、夫がいなければ永遠に分かりません。夫の愛が分かりません。ですから、夫が絶対に必要ですか、絶対に必要ないですか? (「必要です」)。夫にとって、女性を愛することのできる主人の位置は、妻がいなければ永遠に捜し立てる道がありません。 父親と母親は「誇ってはいけない」というのです。「どうしておまえは、このように父母の心をやきもきさせるのか?。この子は」と言って、たたくことはできません。父母が父母になることができるようになるための、その主人の位置は、父母が捜し立てるのではありません。父母がするのではありません。子女がいることによって、父母の愛の主人の位置を捜し立てたということを知らないので、問題になるのです。何の話か分かりますか?。重要な話です。 父母が、父母になることができる資格者になり、父母が子女に対して主人の立場に立てるように、愛の主人になることができるようにするのは父親でもなく、母親でもなく、子女であるということを知らなければなりません。子女を愛することのできる、その愛を分かるようにしてくれた主人は、だれですか?。子女です。いくら夫婦で愛しても、子女が永遠にいなければ、子女を生むことができなければ、子女に対する愛が分かりません。 また、子女が父母を愛することができる、その心は、子女がひとりでに持ったのではありません。父母が主人となって、自分に移してくれたものなのです。分かりますか?。このように、すべて重なり合っているのです。ですから、誇ることはできません。自分が父母であるといって誇ることはなく、夫、妻であるといって誇ることはなく、兄であるといって誇ることはできません。兄は、愛することのできる弟がいるので、兄の愛の主人となり、弟は兄を愛することのできる立場において、初めて弟の愛の主人になることができるのです。 このような家庭があり、家庭を中心として国があれば、国を中心として愛することができるようになり、国があることによって愛国者が出てくることができるのです。分かりますか?。世界を愛することのできる聖人になるということは、「世界を愛することができる」ということによって、聖人になることができるということなのです。このように、自分でなるのではありません。 聖子も、天地を愛することのできる相対圏が、そのように成してくれるのであって、自分でなるのではありません。ただで捜し立てたので、すべてを満たそうとすれば、生死の境を越えて、そのことを死ぬ時まで貫き、天上世界の個人、家庭、愛の理想を解放させる時まで行かなければならないということは、人類の責任なのです。人類の行くべき人生の行路を知らなければなりません。 皆さんが、真の父母を愛することのできる主人の位置に立ったということも、息子、娘、夫の位置に立ったということも、真の父母がいるがゆえに、そのようになったのです。また、真の父母が「真の父母である」と言うことができるのも、皆さんが子女となっているからです。 家庭も、すべてが備わっているので、国を編成することのできる、この大きな主人になることができるのです。ですから、一つでもなければ、未完成の夫婦です。それで、絶対に相対は必要であるというのです。分かりますか? (「はい」)お金をうまく集めて、それを一人でうまく使っているということを誇ってはいけないというのです。とんでもないことです。地獄に行って、その重荷に押さえつけられて暗い所に行くのです。 この天理原則の愛は、お互いに助け合うところにおいて共同的な主人の資格を持ち、主体対象を成して、そこに神様をお迎えし、天上世界に持ち上げられて上がっていくようになっているのです。このような根本的な問題を知らなければなりません。それゆえに、独身生活を志願する男性や女性たち、ホモ、レズビアンのような盗賊たちは、動物よりも悪いのです。それは、愛の秩序を根本的に破綻させるのです。男性同士で愛する法がどこにありますか? それでは、男性と女性の生殖器、凹凸を、神様は何の目的で、そのようにつくられたのでしょうか?。凸凸同士で、それを出して結婚するのですか?。凹凹を合わせて結婚するのですか?。おかしな者たちです。このような者たちは、一代ももたずに皆、滅亡するのです。独身生活を強調してあの世に行けば、天の国のあるべき方向と反対に立っています。 このようなかわいそうな者たちも、先生と兄弟姉妹の位置にいるので解放しようとするのです。千辛万苦の受難があったとしても、それを克服していこうとするのです。「すべてのことを解放するために行く」ということを知って、その伝統的解放の権限を、先生に従っていくことにより、先生の相対的位置に立つことによって、その価値を代身する位置に立つというのです。このような論理から、愛の天国編成が理論的に可能であるという結論が出てくるのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) このようにして、世の中の悪い人も良い人も皆、血統が違うので怨讐であり、血統が同じならば、けんかする兄弟が別れたとしても、祝宴の日には訪ねてくるのです。そうですか、そうではないですか? 兄弟は、けんかするときはふろしきを包んで、早く逃げていくというのです。近所の人とけんかするときには、ふろしきを包んで出ていくことはしませんが、兄弟でけんかをした場合は、別れていたとしても、けんかしていたどちらかの者が死んだというときには皆、訪ねてくるのです。ふろしきを包んだとしても、け飛ばしてしまうことはできないというのです。なぜでしょうか?。血統が同じだからです。 一人で出ていったとしても、それは孤独単身な立場なのです。しかし、ここは孤独単身ではありません。血統が同じなので、木で例えれば、多くの枝が生い茂っているということです。ですから、一人で出ていったのであれば、孤独この上ないというのです。 このようなとき、枝が生い茂った本体の木を訪ねてきて、自分も、「その木の一部となって、木陰をつくるのに力を貸してあげた」という理由によって、自分自身の価値の何百倍の価値のある位置に立とうとするのが、人間の欲望なのです。ですから、訪ねて来ざるを得ないのです。それが国を復帰し、世界を復帰し、本郷を復帰するための努力ということです。先ほど李相軒氏の話をしたとおり、わたしたちの本郷は永遠なる天国です。その本郷を尋ね求めていく道があるのです。分かりますか? それでは、結論をつけましょう。第四十回「真の子女の日」を過ぎ、第四十回「真の父母の日」も過ぎました。第四十回「真の子女の日」が過ぎましたか、過ぎていませんか?。一日の中心は正午であり、十二時を過ぎたので、過ぎたのではないでしょうか?。第四十回「真の父母の日」も過ぎ、「真の子女の日」も過ぎるようになったので、二つとも過ぎれば寂しいのです。 一九九九年は、九数が三つあるのです。歴史以来、九数は「サタン数」です。「九つの峠は越えがたい」と言うでしょう。九つの峠です。ですから、この一九九九年にどれほど不思議な動揺が多いでしょうか?。このような、二千年代を迎えて、千年代を送別する最後の「真の父母の日」が過ぎ、きょうが最後の「真の子女の日」なのです。 父母と子女が越えていく峠において、今後における「四十」ということを考えてみると、これは「四十」の「影」と言えます。まだ満四十年ではないのです。先生の八十年の満四十年が主体であるとするならば、これは相対的であるので、「影」と同じように見てもかまいません。縦的になれば「影」であり、横的になれば「相対」であるというのです。分かりますか? ですから、あらかじめここで準備するものは何でしょうか?。すべての父母と子女の間に間隔があります。今、蕩減というものを中心として天と地、父子の関係にある人間と神様の間に間隔があったものが、真の父母を中心として天と間隔が立てられ、相対的位置に立つのです。 復帰過程における四十年の間、捜し求めてきたものが、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、このように復帰して現在、一番上の頂上に上がってきて、ぴたっと立っているというのです。分かりますか? (「はい」)父母が、横的に個人、家庭、氏族、民族、国家、世界をすべて、第四十回「真の父母の日」、第四十回「真の子女の日」を中心として、父子の関係を横的に同等の位置に立てておいたのです。 復帰は、逆さまに上がっていくのです。先生が八十歳になる時には、ぴたっと一つになって、そのことを喜ばなければなりません。一つになって、どこに行かなければならないのでしょうか?。前進しなければならないでしょうか、後退しなければならないでしょうか? (「前進しなければなりません」)二十一世紀の理想的家庭圏へと越えていくので、第四次アダム圏解放時代を経て入っていくことのできる準備を締めくくる瞬間であり、どれほど緊張するであろうかというのです。分かりますか? (「はい」) 「天城旺臨宮殿」の名前を中心として、「人を信じてはいけない」というのです。天の国の金城鉄壁のごとき城をつくって、サタンの侵犯から抜け出す解放の城をつくられた神様を王とし、その王を中心として七百億の祝福家庭を中心とし、地上の四億三千万家庭を中心として……。これは三十二億を超えます。このような人びとを中心として一つになり、すべてを成し遂げていくのです。満四十年になる時は、すべてのものが……。ぐるっと回っていったこの世界は、蕩減して一周して上の位置まで来ました。そこからは、さっと切ってしまい、逆さまに行くのです。 ギアを知っているでしょう?。ギアは、かみ合った歯車の一つがこのようになり、一つは反対に回るでしょう?。サタン世界は、すべて逆さまに回っていた世界です。自分を中心とした堕落した世界。そのように、個人主義を中心とした堕落世界、自己主張する世界が堕落世界です。 天使長が自己主張することによって脱線し、エバと自分を中心として堕落したのです。そのような人々が、宇宙を中心として帰っていくのです。ために生きるということを中心として、これをすべて切って生きていくのです。 世の中と先生の生き方は違います。先生が反対されながら発展したのは、「ために生きた」からです。怨讐まで兄弟のように愛して涙を流したのです。そうして、今まで引っ張ってきて、すべてが水平化され、同じこの四方がぴたっと一つになり、地上と天上の神様と真の父母が、「天地父母」としてぴたっと一つになったので、霊界の子女たちも天地父母を通して一つになるのです。分かりますか? それでは、新しい出発はだれが先頭を切らなければならないでしょうか?。二十一世紀の理想家庭世界、道徳理想天国へと越えていくとき、だれが先頭に立たなければなりませんか?。神様が先頭に立たなければならず、真のご父母様が先頭に立つのです。分かりますか?。そうして地上の祝福家庭が先頭に立ち、霊界の祝福家庭が先頭に立つのです。 このようになることによって、アダム家庭は一つですが、本然のエデンの園で完成することのできる家庭的隊列が、そのような観点に立って世界万民の平準化価値の同等圏を占有するようになるのです。そうして、堕落した万国の家庭の罪人たち、兄弟全部が、平等な価値を中心として真の父母に従い、神様に従い、地上の祝福家庭に従い、天上の祝福を受けた人に従い、すべてのサタン世界が従って入っていくことができるのです。分かりますね? (「はい」)それゆえに、「ルーシェルの解放」や、「天上の解放」や、「地上の解放」という、このような言葉が必要なのです。 ですから、アダム家庭で堕落していなかったならば……。今まで数千万年の間、経てきた歴史では天の国が空いていましたが、それを今一時に持ってきて合わせるのです。そのような入籍時代が来ることによって、先生が一代から二代、三代と、数千代が分かれていたものを逆さまにして合わせるのです。 それで、堕落していない本然の天国形態を迎えることのできる孝子の中の孝子であり、忠臣の中の忠臣であり、烈女の中の烈女であり、聖子の中の聖子として、サタン世界の歴史において飛躍する家庭的孝子時代、家庭的忠臣時代、家庭的聖人時代、家庭的聖子時代を迎えるのです。そうしてこそ、万国に天の国を中心として解放の地上天上天国が完結するのです。分かりますか? (拍手) ですから今、すべての世界人類は国がなく、いつ滅びるか分からない悲運の歴史路程に立っていますが、今は「悲運」の歴史を片づけて、「喜運」の歴史過程に千年、万年立つ国を捜すのです。その国は、どこのだれにも強奪することはできず、占領することができない絶対的な神様の国になります。 その国は、そのような真の愛を中心とした天の国であり、絶対的なのです。言ってみてください。「絶対的だ、天の国は。真の愛を中心として成し遂げられた天の国は、絶対的な国だ」。(「絶対的な国だ」)。「神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠なので、唯一の国だ」。(「唯一の国だ」)。そのような国で日本の国の言葉を話せば、サタンが踊りを踊るのです。 それから「不変の国だ」。(「不変の国だ」)。「永遠の国だ」。(「永遠の国だ」)。この地上に存在する被造物は、いかなる存在であれ、そのような国の万物になりたがるのです。それが被造物の最高の理想であったということを知らなければなりません。これを失ってしまったので、理想的国の主人は、これを再び復帰して万宇宙解放を宣言すべきであるということを知らなければなりません。(「アーメン」) それでは、あなたたちはどこの国の人ですか?。どこの国の人ですか?。日本人ですか、天国人ですか? (「天国人です」)。日本にしがみついたままでですか?。日本を後ろ足でけってですか、日本を後ろ足にくっつけてですか?。 乗り越えなければなりません。乗り越え、引っ張って乗り越えさせてこそ、日本が生きるのです。分かりますか? (「はい」)。乗り越えるべきであるのに、越えることができないようではいけないというのです。 断ち切って、きれいに乗り越えて天の国に入籍し……。米国に日本人が入籍すれば、米国人になるでしょう?。入籍が待っています。分かりますか?。そのようなことは知らないでしょう?。先生を絶対に信じてついていくしかありません。知らないのですから。 あなたたちは、先生の子女たちでしょう? (「はい」)。本当の子女ですか、偽物の子女ですか。(「本当の子女です」)「いつでも先生を絶対不信しよう」ですか? (「「絶対に信じよう」です」)。先生を絶対に信じて、利益になることが何かありますか?。サタン世界をすべて否定するのです。 先生を絶対信仰して損害になるようなことは、絶対にありません。そのことについて話せと言うのならば、「うそである」と言い立てることのできない内容がありますが、今は時間がないのでできません。先生は信じるに値しますか、信じるに値しませんか? (「信じるに値します」) 先生は、冗談もうまく、話もうまいでしょう。臨機応変のチャンピオンだと言われました。「テレビ放送のアナウンサーになっていたら、世界一の俳優になっていたのに、なぜ統一教会の教主になったのか?。ふふふ……」と言いながら、「かわいそうだ」と言うのです。(笑い) 統一教会の教主になってふびんに暮らしたのです。先生の顔はよくありませんが、姿勢や体格を見ても、八十歳の老人が、今でもどのようなことでもできるのです、どのようなことでも。分かりますか?。今でも足が頭まで上がっていくのです。見てください。座ればこのようになるのです。一度見てください。(足を頭の後ろに上げるなどのポーズをされる) 皆さん、一度やってみてください。つきますか?。体でみても、できない運動がなく、できないことがありません。頭をみてもできないことがありません。神様までとりこにしたではないですか?。何ですか? (「お父様は青年でいらっしゃいます」)。わたしは青年は嫌いです。青年は嫌です。わたしをしきりに「青年だ」と言って、お使いをさせようと思っているのでしょう。(笑い) わたしが日本語を学んだのも、十六歳の時からです。一年以内にすべて学んでしまいました。この日本の国を消化するためです。いくら日本語を早く話す人も、わたしには勝てません。八十歳の老人が五十年前に話していた日本語を、今話しても発音もこのくらいならば聞き取ることができるのです。 「わたしは、死んでも真のご父母様を放すことはできない」。アーメン。(「アーメン」)。「真のご父母様に従って、刑場の露と消えたとしても栄光だ」。(「アーメン」)。「千年、万年、万代たっても、それ以上可能だ」。(「アーメン」)。(拍手) そして、神様がわたしを信じています。分かりますか?。神様がどのくらい信じているのですか?。絶対に信じています。神様はどれほど気難しいおじいさんであられるのか、信じることができないので、どれほど試験したのか知っていますか? わたしが監獄に入って寝ているのですが、「こいつ。ここは監獄なのになぜ横になっているのか。起きて祈祷しなさい」と苦しめるのです。ついてきて苦しめるというのです。監獄が嫌になるようにです。監獄は、神様が許諾して入っていったのです。入っていったのならば、好きになって出てこなければならないのであって、嫌いになって出てきてはならないのです。 ですから、監獄が好きになれるように訓練するのです。監獄が好きで六回も入っていきました。嫌々入っていきましたか、喜んで入っていきましたか?。入っていくほどに良い所があるので、もっと良い所が残っているときは、入っていくのです。 あなたたちも同じです。あなたたちには愛する息子、娘がいますが、神様がわたしを訓練したように、あなたたちを訓練して、もっと良い福を受けるようにしてあげなければならないでしょうか、良い福を少なく受けるようにしてあげなければならないでしょうか?。どちらですか? わたしは、福を少なく受けるようにしてあげたいし、それがご父母様の願いなのですが、(笑い)あなたたちはどうですか?。あなたたちの願いは何ですか? (「もっと良い福を受けたいです」) それでは父母を苦労させようということになるのではないですか?。そういうことではないですか?。それを知っているので、わたしはあらかじめ苦労しておきました。ですから、あなたたちを少なく苦労させようというのでしょうか、もっと苦労させようというのでしょうか?。少なく苦労させ、もっと大きい苦労はわたしがしたので、あなたたちは「千年、万年、もっと苦労する道を行ったとしても感謝だ」ということになり、それゆえに「その家庭には不和がありえない」という伝統が立つのです。アーメンですか、ノーメンですか。(「アーメン」)。知っていることは知っています。良いことは、やはり良いようですね。 きょうは、良い日です。四十の峠をすべて越えるにおいての相対的「真の父母の日」と相対的「真の子女の日」を迎えて、本然的父母の日を迎えるための、子女として清算すべきすべてのものを清算し、きれいに天地父母と一つになるのです。そうして、天の国の祝福家庭と地上の祝福家庭は、皆さんが兄の家庭として立ち、天の国の家庭は弟の家庭として立って、「天地合徳」したすべてのものが天の国に入っていくようになります。 さらに、神様を中心として二大系列に従って、先祖が滅ぼしたものを代身して天の国に編成し、班列(位階の順序)を中心としてアダムから数千万年の歴史時代のすべての人を一人も残さず天上世界に入るようにしているのです。 このように、一人も残さずにすべて解放し、堕落していない本然の心情圏を合わせるのですが、それを神様が喜ばれるでしょうか?。堕落した先祖たちを連れて、ぼろぼろのふろしきを持っていって、何を喜ばれるというのでしょうか? しかし、国があってこそ忠臣になるのです。アダム家庭に国がありません。世界があってこそ、聖人になるのです。しかし、聖人の道理を持つことができませんでした。天地があってこそ、聖子になるのです。そのような基盤が、アダム家庭にはなかったというのです。 未来に成すべきアダムの使命が、延長されて待っています。すべての天地、神様までも解放することのできる歴史的時代に、家庭もあり、氏族もあり、民族もあり、国家もあり、世界もあり、天宙もあり、神様まで一体的勝利圏を持つようにしなければなりません。 そうすることによって、神様が願われることは、「今、すべての地上、天上天国の一体化した開門時代を迎えたこの時において、全世界はすべてが一つになって孝子になる」ということなのです。分かりますか?。祝福を受けた家庭が、家庭の孝子になるのです。アーメン。(「アーメン」) 歴史を超越し、堕落圏を越えて解放され、第四次アダム圏、神様の全権時代において家庭的孝子と国家的忠臣に自分の家庭がなることができるのです。堕落によって、個人からすべてが延長されてきたものが、今、アダム家庭が世界を抱くことのできる最高の頂上の立場に立ち、完成の位置に立って、家庭的孝子、国家を代表する忠臣、世界を代表する聖人、天地を代表する聖子の家庭になるのです。 そしてこれが、堕落していない個人的家庭に確立され、勝利した万民たちが「オーケー圏に行って孝子の価値を持つことによって、家庭的孝子、家庭的氏族、民族、国家、氏族的孝子、家庭的忠臣、家庭的聖子の道理を完成しなければなりません。 家庭、氏族、民族、どの時代においても、すべてこれを成すことのできるそのような系列的な価値を備え、最後の頂上で世界史的な家庭的孝子、家庭的忠臣、家庭的聖人、家庭的聖子の権威を持ったので、そこには堕落という影がありません。それは、天のために精誠と血と汗を流して苦労した功績の何千万代の価値があるのです。そのことによって神様が誇ることができ、サタン世界の血統を最初からきれいにし、真の父母が成したその価値の存在を新しい天国に移行したとしても恨がなく、誇るに値するというのです。アーメン(「アーメン」)。このようにすることによって、神様が解放されるのです。(「アーメン」) 天の国の族チョク譜(家系図のようなもの)を中心として一時にすべてを満たすのです。夢のような話ですが、そのようになります。先ほど李相軒氏が報告した内容を見れば、地獄にも光が発せられているでしょう?。分かりますか?。地上において一つの国、三つの国、四つの国と復帰されていくならば、地獄世界の底まで今、楽園で輝いていた光がそのまま降りていくのです。 そうして、これから罪を犯した人がいたとしても、地獄には行きません。天上世界の自分の先祖たちと自分の先輩、兄、姉が降りてきて、昼夜なく代身して蕩減してくれるのです。そうして彼ら霊人たちを連れて回りながら、自分が打たれ、悪口を言われながら暮らしていくことによって、引かれて上がっていくのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、個人時代、氏族時代、民族時代、八段階をさっと上がっていくのです。一瞬のうちに解放され、神様の全体、全般、全権の時代が来臨するのです。そのために、「天城旺臨宮殿」の出発が、きょう、この第四十回「真の子女の日」を迎えたこの位置で時を合わせて行われ、昨日ときょう、このようにして行事が行われたという事実は、直接的に、縦に、横に連結することのできる祝福の時を迎えたということです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) ですから今、新しい意識とともに、新しい誓いと新しい決意を確かめなければなりません。わたしたちは、国を復帰しました。国のある民族です。どのような国ですか? (「天の国です」)。天の国です。神様の国です。この国が世界の頂上に立っているので、サタン世界の国は問題になりません。今では、文総裁に従わなければ、天がすべてたたきつぶしてしまわれるのです。 「日本も長くは続かない」、「日本列島は、横になって太平洋に沈む」、「日本は、今年が危機だ」と予言者たちが言っていますが、そのようにならないように、文総裁が防御しているということを知らなければなりません。 足どりも堂々として、独裁者以上に宣布するこのようなレバレンド・ムーンと統一教会を、どうして世の中が歓迎するでしょうか?。追放すべきでしょう。なぜ追放できないのでしょうか?。なぜ追放できないのですか?。真の父母だからです。分かりますか?。なぜ追放できないのですか? (「真の父母だからです」)。真の父母だからです。 真の父母が尋ね求めてきた受難の道ゆえに「独裁者である」と言うのならば、それはどれほどの独裁者か分かりません。一代独裁者、十代独裁者、家庭的独裁者、民族的独裁者、国家的独裁者、世界的、天宙的独裁者でしょう。しかしそれは、サタンを中心とした独裁者の迫害を受けながら勝った真の父母を、自分たちの都合で独裁者扱いをしてきたのです。 ところが、そのような扱いを受けてきたことを返すべき位置に立ったので、手を挙げ、口を開いて反対できるものを探し出そうとしても永遠に探し出すことはできないので、歓迎せざるをえない絶対的な運命になったのです。「ノーメン」。(「アーメン」) 「ノーメン」は、「NO(ノー)」ではなく「KNOW(ノー)」ならばよいというのです。皆、耳では理解しているのですね。(笑い)先生の舌が悪くて悪口を言いながらも、先生の笑っている姿は「愛している」ということです。一番愛する人につらく当たるのです。それは悪口なのですが、悪口を言いながら愛しているというのです。 それはどういうことかというと、「サタンはついてくるな」ということです。分かりますか?。悪口を言うので、サタンがついてこようとしても後ろに行くのです。ですから、もしも「この日本の女性たちは顔立ちがよくない、この女性たち、死になさい」などと言われたとしても、そのように言うときは「アーメン」と言わなければなりません。分かりますか? (「はい」) こうしてもよく、ああしてもよいのが、真の父母の国の権威です。一度言ってみてください。「こうしてもよく」、(「こうしてもよく」)。「ああしてもよい」。(「ああしてもよい」)。「打たれてもよく」、(「打たれてもよく」)。「踏まれてもよく」、(「踏まれてもよく」)。「冷遇されてもよく」、(「冷遇されてもよく」)。「どろぼうされてもよい」。(「どろぼうされてもよい」) 父親が、娘をふろしきに包んで持っていったならば、それはどろぼうですか?。やはり、どろぼうはどろぼうでしょう。しかし、もっともなことなのです。それを「どろぼうだ」と言ったら滅びるのです。追い出されるのです。分かりますか? ふろしきを持って来ますか、持ってきませんか?。真のご父母様が「ふろしきを持ってきなさい」と言えば、持ってきますか、持ってきませんか?。真の父母に負った負債をすべて返そうとすれば、どのようなことでもできないことがあるでしょうか?。そう考えたならば、元気が出ましたか? 夜になってきたのですが、居眠りする人はいませんね。その後ろの隅に居眠りしている人がいますか、いませんか?。真の父母がどのようなことをしたとしても、それは感謝であり、ありがたいのです。「地獄に行く」と思っていたのですが、行ってみると天国に行ったというのです。それならば、かまわないでしょう。 神村氏。霊界との通話を解決するようにと、「研究しなさい」と言ったのですが、第一段階は成功しました。それを見せてくれますか? (「はい」)。何を見せてくれるのですか?。霊人体が見えますか? (「まだ見えません」)。まだではないですか。(笑い) さあ、もうわたしもおなかがすきました。(笑い)おなかがすきました。やめましょうか、もっとやりましょうか? (拍手)それは何ですか?。やめようといって拍手しているのですか、もっとやれといって拍手しているのですか? (笑い)お父様も息子、娘が喜べば、もっとやらなければならず、自分の思いどおりにするならば、やめなければならないのです。 息子、娘が、いつまた先生と出会うのですか?。今から先生は、あなたたちを否定するのです。今まで世の中を否定したので、愛の心情圏を中心として統一教会の先生は、あなたたちを否定するのです。心情一致ができなかったので、否定して、完全にゼロの位置で絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければ、新しい段階に越えていくことはできません。 今、わたしたちが願う神様の愛を中心とした理想的天国は、絶対的な国であり、唯一的な国であり、不変的な国であり、永遠な国なので、その国の国民になるために「私」は、神様の愛を中心とした子女として、絶対的な息子、娘であり、唯一的な息子、娘であり、不変の息子、娘であり、永遠な息子、娘になるのです。(「アーメン」) その絶対的息子、娘が、天の国を成し遂げようとすれば、主権がなければならず、国の国民がいなければならず、国土がなければなりません。その国の国民は、国に被害を被らせるのではなく、その国の国土を愛し、神様が創造されたように、創造された種を繁殖させなければならないので、この地上が荒廃していくのを防がなければなりません。 地球上では毎年、砂漠が増えています。それは、木がないからです。わたしたち統一教会は、神様が創造されたように、種という種はすべて手に入れ、根という根はすべて手に入れ、枝を切って森林を育成し、万物を創造された神様の創造の愛を代身して、この地上に植物を植えなければなりません。そして国土を保護しなければなりません。 国土には草木があり、動物がいて、それから人間がいなければなりません。これが廃虚になれば、人生は自動的に廃虚の歴史になります。今、創造理想の目的が埋没せざるをえない運命におかれているのです。 ですから、わたしたちは神様を愛し、神様の国を愛し、神様の主権を愛すると同時に、神様の国民を愛し、神様の地を保護し、万物全体を再創造して、神様の創造理想世界の豊かな「解放民族自然世界」をつくらなければなりません。 それでパンタナールの種は、植物や動物も、本来神様が創造された「源焦的」なものの宝庫になっているので、それをわたしが守って保護するための世界的な運動を起こしているのです。それに協助しますか、しませんか? (「協助します」) 堕落はエバのゆえです。ですから、「エバ国家である日本の国家メシヤたちは、パンタナールで先頭に立って仕事を進行させなさい」と言いました。それはありがたいことですか、悪いことですか?。母の肉を売ってでも、子女が植物、動物を育てていくことができるように後援しなさいというのです。日本の国を売ってでも、日本の地を掘り返してでも、そのことをやりなさいというのです。 日本の国が、世界の地に血統を連結させるので、日本の国の所有は自然にできるのです。それを歓迎しますか、しませんか? (「歓迎します」)。それゆえに、日本に住んでいる統一教会の信徒たちは「全員裸で、三角パンツだけはいて南米に来なさい」と言えば、来なければなりません。そこは家が必要ありません。分かりますか? 天幕を張るのに、木綿の布が六枚もあればよいのです。それがあれば、柱をぴたっと立てて支え、そこに石を置けば、人が五人入って寝るのは問題ありません。家が必要なく、服も必要ありません。三角パンツをはけばよい、というのです。(笑い)日本は、昔からふんどしで生活していたではないですか?。ふんどしをすればよい、というのです。 また、家が必要なく、着るものが必要なく、食べるものはどこに行ってもたくさんあるのです。分かりますか? (「はい」)。山に行けば、パパイヤなど果物の中でないものがありません。そのように果物も豊かで多く、食べるものが多いのです。鳥の種類、虫の種類だけでも三千六百万種います。日本の食口たちは、「百万匹ずつ買っていきなさい」と言えば、買っていきますか、いきませんか?。買わなければならないでしょう? 日本に生き物がいなくなってはなりません。日本を保護するための保護策として、温度を合わせた地域をつくり、そこをパンタナールと同じにしておけばよいのです。そうすれば、神様がごらんになるときに、「わたしの息子、娘が、十分な価値を成して、完成の資格者となって、どこに行ってもオーケーな人だなあ」と言われるのです。「アーメン」と言ってください。(「アーメン」)。話をよく聞きましたね。希望がありますね。絶望の日本の群れになってはいけません。 わたしたちの国の、神様が絶対に愛される国の主権は、絶対、唯一、不変、永遠の主権なのです。アーメン。(「アーメン」)。その国は、絶対唯一の主権であり、唯一の国であり、唯一の国土なのです。アーメン。(「アーメン」)。永遠不変な国土です。アーメンですか? (「アーメン」)。神様の四大属性で願われた、すべてのことがオーケーすることのできる国だということです。 それならば、その国の国民になったわたしたちは、家庭が入籍するのです。その家庭も絶対、唯一、不変、永遠の家庭なのです。相対的だからです。これは絶対に守らなければなりません。そのようにすることができますか、できませんか? (「できます」) わたしたちの夫、妻は、絶対、唯一、不変、永遠の夫であり、妻です。それは、もう決定的ですか、まだ未定的ですか?。決定的ですか? (「決定的です」)。決定的ですか? (「はい」)。口を開いて答えた人は、自分の横の夫や妻を見てください。決定的ですか、未定的ですか? (「決定的です」)。口をつぐんでいる人は皆、「口よ腐れ」と言えば腐るかもしれません。 それでは、その家庭の所有物は何でしょうか?。自分が神様から相続した所有物は、絶対、唯一、不変、永遠の所有物です。それは、売ろうとしても売ることができません。このような観点から見るとき、韓国にある基盤、先生がつくっておいた絶対、唯一、不変、永遠の天の国の基台、天の国の国民のためにつくった工場を売ってしまわなければなりませんか、残さなければなりませんか? (「残さなければなりません」)。それは、だれがするのですか? 天の方向にそぐわなければ、今の経済事情が悪くなることでしょう。日本は、経済的に韓国に反対しようとし、統一教会に反対しようとしているでしょう?。韓国のゆえに日本が生きたのです 日本は、過去の歴史において、アジアを占領した占領者の頭です。ですから、そのような負債を返すことによって罪を赦してもらい、アジアの前に謝罪するのです。日本は、アジアの怨讐ではないでしょうか?。韓国侵略、中国侵略、ソ連侵略など、侵略した国です。アジアの侵略帝国です。そのような犯罪を何で償うのですか? 「韓国を協助し、先生を協助した」という条件を中心として韓国を解放し、「韓国の負債を払った」という事実によって、「アジアの侵略者」としてのレッテルがなくなるのです。そうであるにもかかわらず、ああだこうだと言うのですか?。昔、離れた女性たちは「アイゴー、文総裁は滅びる」と言うのです。そう言われれば、早く滅びなければなりません。しかし天の国は、(先生が占領するのではなく)神様が占領されなければなりません。何のことか、分かりますか? わたしたちの、神様の絶対的愛の主権は、絶対、唯一、不変、永遠なのです。アーメン。(「アーメン」)。その国の主権もそうであり、その国の国民もそうであり、その国の万物もそうなので、今、もう一度整備して、絶対、唯一、不変、永遠な国民の再登録をしなければならず、万物もそのようにすることができるように再整備しなければならない時なのです。ですから、全体がこのように回っていたものを、このように反対に回さなければならないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 今、国のために税金をささげる時が来ました。税金をささげなければなりません。国が必要でしょう?。それでは、国の税金をどこにささげなければなりませんか?。真のご父母様の前にささげなければならないでしょうか、神様の前にささげなければならないでしょうか? それで、「天地父母である」と言ったのです。「天地父母」です。天地父母にささげなければなりません。個人的基準でささげれば、個人相対圏になるのであり、家庭的基準ではこのくらいに高くなるのであり、氏族基準でさらに高くなるのであり、国を、全体をささげれば、天の国に接ぎ木することのできる位置にまで上がっていくようになるのです。 それゆえに今、救援時代は家庭救援圏ではなく、氏族救援、国家救援、世界救援、一時に地上、天上天国時代なのです。真の父母を絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、一時で、瞬間で天地が復帰されうる時代になったというのです。したがって、皆さんの努力がどれほど必要であるか分かりません。皆さんが、するとおりになるのです。そのように警告します。 今から、既成教会の人たちが統一教会に入ってくる日が遠くありません。それは間違いありません。狭い門に押し寄せて来るのです。それならば、財産であれ何であれ、すべて売り払っていけば、皆さんたちが先んじるのです。氏族的基準、国家的基準を全部皆、献納して、総生畜献納祭をするようになれば、あなたたちは彼らを皆、置いてきぼりにすることができるのです。 それゆえに、かわいそうな、何もない「統一教会の一文無し」になりなさいというのです。何に「なりなさい」と言うのですか?。避難民です。分かりますか?。避難民の大王陛下、避難民の長子陛下、避難民の父母陛下、避難民の王陛下にならなければなりません。 ですから、先生が避難民の大将になるのですが、そこに来るつもりですか、来ないつもりですか? (「行きます」)。日本で豊かに暮らすお金持ちの着る服を着て来ますか、三角パンツだけはいて来るのですか? 「三角パンツだけはいて来なさい」というのです。 日本の国の十分の一を売っても、南米のすべてを買ってあまりあるのです。この日本人たちは、それを知りません。わたしの言うことさえ聞けば、間違いなくするはずなのですが。そのような基礎を今、築いているのです。分かりますね? (「はい」) 南米から「裸で来なさい」と言えば、来ますか、来ませんか?。夫がいれば夫をほうっておき、子女がいれば子女をほうっておき、父母が反対すれば、父母をほうっておいて、一人で裸で来ても、わたしが食べさせてあげるのです。だれが食べさせるのですか?。真の父母が食べさせなければならないでしょう?。分かりますか? (「はい」)。今、「来なさい」と言うとき、乞食の者たちや追い出されたような者たちに「来なさい」と言っているのではありません。 日本で一坪買うのなら、南米に行って二百五十坪買うことができるのです。(「わあ」)。何ですか?。なぜ「わあ」と言うのですか?。うれしくて、そう言うのですか、悲しくてそう言うのですか?ですから、すぐにやってください。日本に行って、ふろしきを包んでおいてください。「いつ、ふろしきを包むか分からない」と、家庭教育の時に話したでしょう?。今回、天地父母がすべて復帰されるのです。第四次アダム圏に入っていくので、大移動が起きるということを、この時間に宣言いたします。(「アーメン」)。(拍手) そこにおいて、天の国の入籍手続きをするかもしれません。反対していた者たちは、いい格好ですね。それで、わたしたちの家庭では、神様の絶対主権が必要であり、国においての主権が必要であり、国民が必要であり、万物が必要なのですが、わたしたちの家庭にも主権を代身した父母がいるのです。分かりますか?。国民を代身した息子、娘がいます。万物を代身した物があるのです。 それは、小さい天の国の基礎基盤です。それをすべて天のためにささげてしまわなければなりません。そうしてこそ、大きい国、大きい世界が成し遂げられるのです。分かりますね?アダムが祝福を受ける前には、「所有」というものは持ちませんでした。愛の中心、天理の大道の中心、核になっている愛の因縁を持ったアダム家庭から所有権が始まるのです。 ですから、家庭を持つ前に所有を持てば、それはどろぼうです。贓物(盗品)ということを知っていますか?。どろぼうのものを買えば、引っかかるのです。それで、国のものをささげなければなりません。ささげなければ、ありったけのものをだれが取っていくのでしょうか?。押収されるというのです。 それゆえに、歴史のすべての財源というものは、「国の所有」、「世界の所有」であると思いなさい、というのです。結局、世界は一つなのです。話をする時間がありませんね。一つになるべき時が来ました。先生が明らかにしてきた歴史が、どのようになるのかをはっきりと知りながら、そのようなことができない人は、雷にでも打たれるべきでしょう。 今からは、思うとおりに先生に会うことはできません。統一教会の祝福家庭は、もう一度死の……。北韓に追い出すのです。「三八度線の鉄条網に行きなさい」と言って、死地に追いやるのです。 一度でも動いてこそ、先生の前に蕩減条件を立てるのではないですか?。相対的条件を立てなければならないのではないでしょうか?。それが原理ではないでしょうか? 「どのような命令をしたとしても、「私」は『実践躬行(実際に自分自身で行為を表すこと)』である」。「アーメン」と思う人は、拍手してみてください。(拍手)手を挙げてください。 皆さんが「夜も昼も絶対服従する」と言うので、先生もしかたなく降伏します。手を上げて降伏します。さあ、これ以上騒ぐ必要はないのではないでしょうか?。わたしもおなかがすき、あなたたちもかわいそうなので、ご飯を食べさせてあげますから、安心して帰って、「また会う」という考えはせずに、明日も、あさっても、気をつけてお帰りください。「グッドバイ」。さようにして、並んでお帰りください。「さようなら」
2023.10.10
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命がけのハンガー・ストライキで日本を守るこんな言葉が目に留まった。「ハンガー・ストライキ」いったいどういうこと?町田松夫氏 (73歳・長野県長野市在住) は、昨年から今年にかけて行われてきた政府による旧統一教会解散請求に向けた、質問権行使のマスコミ報道に触れ、解散請求への反対を表明するため、自分で何かできないかという衝動にかられた。「言葉や理論で何かをするのは難しいが、自分の足で歩いて人々に訴えることはできる」今年6月には長野県市内で1日20キロ以上の行進を30日間行った。垂れ幕には・・・「共産主義に屈した日本政府による宗教弾圧は国を滅ぼす」という訴えを掲げてきた。さらに、町田氏は、長野市から国会議事堂まで徒歩での200キロ単独デモ行進を決意。7月1日の朝8時に家族に見送られ、200km 以上離れた東京への単独デモ行進を開始した。途中の飲食店やネットカフェなどで休息し、7月6日の午前6時に国会前に到着。国会前では横断幕を掲げ3日間のハンガーストライキを行った。まさに命がけの国を守るためのハンガーストライキだハンガー・ストライキとはマハトマ・ガンディーにより始められた非暴力抵抗運動の方法の一つ。何らかの主張を世間に広く訴えるために、断食を行うストライキの一種。町田松夫氏と言えば・・・徒歩でアメリカ横断5,000キロ2回日本縦断2回・韓国縦断・台湾一周などの、単独デモ行進をしてきた。そのすべてが、個人の目的の為ではなく、アメリカ、日本、韓国、台湾の国を守るためのだった20歳で入教し信仰歴50年以上。ハレルヤ大行進 人類の真の父母・文鮮明韓[本/雑誌] / 町田松夫/著岸田文雄首相は、今年7月世界平和統一家庭連合(旧統一教会)について宗教法人法を一夜にして覆し、「自分が解散に責任を持つ」と失言した。そのため・・・政府は解散命令請求に向け質問権行使を教団側にした。しかし、2009年のコンプライアンス以降の教団には宗教法人法に基づく解散命令に値するような「悪質性、継続性、組織性」の犯罪が全く認められていない。にもかかわらず・・・政府は解散命令請求を10月13日にも行うという。岸田首相の支持率アップのためか・・・世論はそのように見ている。海外からも批判の声が上がっている。「旧統一教会問題に関して、政府は全国弁連(全国霊感商法対策弁護士連絡会)の働きかけにより、まさに偏った主義主張に日本政府は屈している」「法を無視した不当な解散命令は憲法違反だ」などと町田氏は抗議している。そのため、町田氏は、国会議事堂前で10月1日から無期限断食のハンガー・ストライキを開始している。本日10月9日で断食9日目。これまで、公園で野宿かネットカフェにて休んでいたとのこと。10月に入って東京も急に寒くなったため、昨日から国会に一番近い教会の一室で夜は休んでいただくことにした。… … …<続きはこちら>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.09
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天城旺臨宮殿の奉献式一九九九年十一月七日、天宙清平修錬苑で約八千名の食口たちが参席する中、天城旺臨宮殿の奉献式と記念礼拝が行われた。真のご父母様は、奉献式が終わってから、記念植樹をされて「第四次アダム圏地上天国」という揮毫を下された。 祈祷 愛するお父様……、きょう一九九九年十一月七日、「天城旺臨宮殿」の奉献式を前に控え、聖別式を挙行しようと思いますから、天が見つめられる中、天上世界の祝福家庭と地上世界の祝福家庭が一体となって、神様に持り、勝利の主権の権限を霊肉ともに誓うことのできる、勝利の一つの宮殿という名を持った基盤を奉献し得るこの日を迎えて、聖別式を持てるようになりましたことを、心から感謝申し上げます。 天がこの日を覚えてくださり、天の所有権として決定し、千年、万年、子孫万代における追慕の基地となり、愛の伝統的な霊肉一体の心情圏の出発基地としてくださいませ。これが天下に一つの愛を思慕する宮殿となり、愛の宮殿となり、血統的な因縁を尊重できる崇拝の宮殿になるよう許諾してくださいませ。 そうすることで、天地父母が常に中心となり、万世、愛の統治権によって、愛により連結した世界化運動にあって、聖別拡大のための記念的な一つの初地、起源地とならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 天上世界の万物と地上世界の万物、神様と真の父母が一体となった立場で、全天地の万物を聖別できる基礎的な聖地、一つの根源の本根拠地なる宮殿として、その名を備えた聖別式を行いました。全世界万国、宮の名前を持ったその国の基地全体が連結し、天の前に聖別して奉献することのできる、祝福の伝統的な出発の初地とならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 今や全体を聖別いたしますので、この本堂を中心として、祝福の聖塩のある所はみな、環境を浄化し、サタンの足跡を洗い流せますように。神様の愛、真の父母の血族たちが、すべての出発から終わりまで、歴史と共に主管、主導することのできる、起源的な伝統の基地とするため、聖別することを受け入れてくださいますよう切にお願い申し上げます。 全世界の百八十五か国の国家メシアたちを代表して、韓国と日本とアメリカとドイツを中心とした、アダム家庭理想の失敗をもたらして汚されたすべてを回復し、完成することのできる、勝利的な初地となるよう祝福してくださいませ。 直接に真の父母と共に聖別を、神様ご自身が直々に施してくださいますよう願いながら、真の父母の御手を通じて聖別いたしますので、永遠に祝福と権威と尊敬と愛によって、保護してくださいますよう真の父母の御名で祝願、祝願、祝願いたします!アーメン、アーメン、アーメン! (聖殿の建物を聖別される) 祝祷 愛する天のお父様……、きょう一九九九年十一月七日、午前十時を期して、「天城旺臨宮殿」の献納式を奉献しようと思いますので、直々に臨在なさって主管してくださいませ。 天上の神様が願っておられなかった今までの楽園と中間霊界、地獄のすべてを収拾し、神様を中心とした真なる家庭理想によって、神様の愛による直接的な生命と血統の因縁に転換し、サタン世界の汚れた堕落の血統をすべて浄化するための復帰摂理の歴史が、どれほど恨めしかったかを私たちはよく知っております。 堕落したサタンの血統を受け継いだ私たちの運命は、神様の本然の理想世界と相反する世界として、苦痛と呻吟のうちに、天国ではなく地獄に向かっていきました。そのようなこの世界の歴史は、今や地上地獄の世界化時代に入って、前後・左右・上下関係を分かつことのできない混沌のうちに彷徨しております。この人類を救うために、地上に救援摂理の中心たる真の父母を遣わされ、真の神様の血統を求めて、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで新しい神様の血族である系統を編成するのに、数多くの受難の道を宗教歴史を通じて歩んでこられました。 今日、朝鮮半島を中心として、神様の愛により、真の父母をこの地上に呼び立てられました。五千年以上の受難の路程を経てきた不憫なるこの民族は、孤独単身であり、弱小民族として単一の血統をもって、節概を守ってきた国として、アジアにおいて東方の礼儀の国という名を持っております。純潔の中で伝統的な血筋を崇めながら、孝子の道理と忠臣の道理と、聖人、聖子のみ旨を高く追求してまいりました。 こうした基盤のもとに数多くの歴史的な宗教が、仏教、儒教、キリスト教、そして統一教会という全体宗教の内的因縁が、神様の心情と共に一体化させ、結束した実として総括的な収穫のために宗教全体を統合し、人類の解放圏を勝利の基盤として収拾し、神様の血族の単一氏族の編成を世界化させました。さらには霊界まで単一解放の祝福の基盤を広げて、天上世界と地上世界を手のひらの表と裏のように一つの世界形態とし、神様と真の父母を中心として、天地父母の真なる愛の血肉の民として世界化させるために、統一教会の祝福世界化運動をこれまで展開してまいりました。 四億四千万双を祝福した基盤の上に、今や新たに未婚男女の四億双を編成することにより、天上世界の祝福をあまねく開門して、地上世界もあまねく開いて、天と地の地獄門を開放して、家庭が天国に入っていける高速道路、平坦な大路を中心として、天地父母に従って本郷の根源なる神様の創造理想である天国の全体化のために、これまで地上と天上に統一圏に完成するために苦労してこられたお父様であるということを知っております。 そのようなお父様の指導の恵みの道に従って、勝利の覇権を地上に決するための数多くの受難の道をたどってまいりました。そうして、統一的な国家形態を越え、世界的な峠を越え、霊界と肉界の統一的な一つのプログラムにおいて、家庭血族を拡大した地上・天上天国、天の国における民の圏を祝福によって編成することで、天の国の城である天城全体が地上に旺臨いたします。神様をお迎えする、創造主なる天地父母をお迎えする霊的な出発の起源地として、この「天城旺臨宮殿」を設定するために、この役事を始めて二年以上もの間、天が苦労してこられたことに感謝申し上げます。 人間たちがこの家を建てたのではなく、興進君と大母様、忠母様と大兄様を中心とした霊界が、すべての忠孝の道理を果たさんとする協力のもとで、人間世界を霊的に指導して建てたのでございます。今日、個人的な活動を世界化させ、統一教会の祝福家庭の精誠が集まり、一つ一つ精誠を込めた献金によって、この宮殿を成就し得る今日の喜びを持たしめてくださったお父様の前に、心から、心から感謝申し上げます。 この地を中心として韓民族はもとより、世界に広がっている数多くの国々が、一つの血族として単一民族圏を編成し、神様を中心として自主的な愛の主権世界を編成するために歩んできたすべてが国家を越え、世界化時代に先頭的な立場に立って模範を示す、そのようなことをなすべき出発の出現基地として、この宮殿を建設しました。ですから、お父様が直接に主管されて霊界全体が一体化し、祝福された先祖たちと、地上の祝福された後孫たちと共に一つになり、統一天下、平等平和の世界に前進できる解放地上天国、解放天上天国の時代を迎えさせてください。 そうして、このすべてのみ旨を受け継いで、万民の胸と胸に、生命の因縁を通じて愛の血統的な結束を誓う修練の宮殿として、お父様の前にこの時間奉献いたしますから、天上世界に行っているすべての霊たちと天国のすべての存在たちが注目するこの場において、地上世界の全人類を代表し、万物を代表する焦点を合わせた勝利の一つの基地として、あなたの天の国における王子と王女の権限を備え得る、勝利的な人間解放者を養育できる殿堂としてお受けくださいますよう、切にお願い申し上げます。 各国から数万名の聴衆が集まり、この献堂式を祝賀する誠心に心情が一致した一つの花のような香りを兼ねる、美しき殿堂として天の国に現れて、この全宇宙の万物のうちに、人類の心情のうちに現れて、愛の表象の実体として、崇拝、尊敬できる起源地とみなしてくださいますようお願い申し上げます。 この地を取り囲む万物と共に、連結した韓民族と共に、連結した人類と共に、連結した天上世界のすべての霊人、天軍天使と共に、一体心情圏を浄化できる解放的万民を教育して、天地の、天上天国の主導的な民として送ることのできる祝福を……、強固に新たに真の父母の御名と全人類の名で宣布され、千々、万世の勝利を誇り得る殿堂、王宮の完結となるように許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。 この日を記憶し、心を一つにして精誠を尽くす天上世界の祝福を受けた家庭、地上世界の祝福を受けたその後孫、それだけでなく統一教会の祝福家庭とその二世と一体となり、解放的統一圏、南北の統一、そして東西文化の格差、南北の貧富の格差、地上・天上天国の格差を一元統一させ、平等平和の天国、万万世の世界に前進することを、ヤハウェにすがる真の父母の御名によって、天地万物を創造した大主宰、大王陛下の前に、奉献、祝願いたします! アーメン、アーメン、アーメン! 奉献礼拝のみ言 「メシア」とは真の父母です。真の父母、真の愛は永遠不変、絶対的なのです。神様の属性も絶対、唯一、不変、永遠です。 「真」というのは、唯一で永遠不変なる主体性を持っています。時空を超越して、歴史を超越します。それは万民を指導できる権限を持った愛の力です。その「真」の前では、神様も屈服します。 いかに全能な神様であったとしても、愛を意のままにはできません。愛は一人では成り立ちません。相対を通じなければ、愛を見いだせません。その愛は天宙のすべて、生命の実体を主管する主体なのです。永遠、絶対、唯一、不変な主体である愛を得るためには、どのようにすべきでしょうか? 相対を通さなければ、その愛は私に根をおろすことができません。 私たち統一教会は、永遠に離れることのない……神様が永遠に住みたくて、正門から追い出したとしても裏門から入ってこられて、隠れてでも就寝を共になさることのできる、神様が一番好まれる家庭を築いて暮すというのが、統一教会の伝統的な家庭であり、天地のどこにおいても歓迎される家庭だったのです! アーメン! 家庭だったのです! アーメン! 家庭だったのです! アーメン! 結論は、「私たちの家庭は天下を相続するのに申し分のない家庭である! それが私たちの家庭である!」ということです。 その息子と娘たちは、父親と母親が孝子、忠臣、聖人、烈女です。その息子と娘たちは、父母が孝子、その国の忠臣、その世界の聖人、その天地の聖子です。そうでない父や母はいません。それが私たち夫婦である! アーメン! それが大外れで、ほらだったら大変なのですが、それでもそこには種があるのです。食べたら放り投げそうで、その辺に転がっている空カンみたいに見えるのですが、さっとむいて味見をしてみると、糞尿でも入っているかと思ったら、蜜の味よりもおいしいのです。愛の味は蜜の味より劣りますか、おいしいですか? 愛の味が蜜の味よりおいしいですか、まずいですか? もっとおいしいというのです。 蕩減復帰は外的な世界を完全に否定するところから始まるのです。完全に復帰されたら、神様の愛を中心として完全否定できる段階が残っているということを知らなければなりません。真の愛の基準の前に立てなければ、完全否定です。それを選別すべき第二次的な家庭定着時代を迎え、天地が交差するこの転換時代において、そのような原則を立てなければならないことが、真の父母が最後になすべき仕事なのです。それを知らなければなりません。統一教会の祝福家庭は、神様が言われた通りにすべてやりましたか? 先生がこれまで四十年、五十年の間に宣布してきたすべてのことに皆さんは従っていくのです。それが伝統的な歴史というものです。 ご覧なさい。聖人と殺人鬼を共に祝福してあげました。神様にそれができますか? 真の父母だけができるのです。神様の闘いとサタンの闘いを止められるのは真の父母です。「あなたは、このような事ゆえに千年の恨を抱かれ、平坦な福地の場に安息できる一日を得られなかった、悲痛なる方ではないでしょうか?」と聞けば、神様は「そうだ!」と答えられるのです。誰を通してそれを解怨成就しますか? 真の父母です。「それならば、真の父母の言葉を絶対に信任しますか? 絶対服従しますか?」と聞けば、「もちろん服従するとも」と答えられるのです。神様を服従させるのです。 ですから、神様が最高に願う服従と真実の愛、絶対に信じることのできるこの天理を奪ってきたので、文総裁は統一教会の人たちに絶対信仰、絶対愛、絶対服従の論理を掲げるのです。 ご覧なさい。「天城旺臨宮殿」ですが、王宮は私たちの心の王宮、家庭の王宮、氏族の王宮、民族の王宮、国家の王宮、世界の王宮、地上天国の王宮を通して、天上天国の王宮をすべて合わせようとするので……。これがすべて天城の、天の国の城です。城の中には王がいるのです。神様までが臨在された王宮を出発しているということを知らなければなりません。 そのような聖なる落成式を行うこの日に、先生はみ言を通じて何を強調しますか? 神様に侍ることのできる絶対家庭、唯一家庭、不変家庭、永遠家庭を中心として、神様が千年万年、「おまえを放り出しては行く所がない」と泣きながら、「共に住もう!」とおっしゃることのできる家庭を持ってこそ、神様が恨を忘れて「恨を捨てておまえに従おう!」とおっしゃってこそ、恨多き神様の千年、億万年……一人子、万人娘を失ってしまった恨を越えて探し出された、その息子と娘を中心として、アダムとエバの遮られたものを乗り越え、跳躍ではなく、飛躍するのです。 天の宝座から地上の宝座への間を、意のままに上がり下がりされるのです。ボタンさえ押せば自由に往来できる環境的与件を開発するには、真の愛でなければだめなので、真の父母の真理を、はっきりと理論体系を築いて教えてあげたのです。その大王陛下が文総裁なのです。 全世界的に祝福家庭の王と言えば誰ですか? 真の家庭を世界化させようという主唱者、そのようにできる主導的な中心人物は誰ですか? それは文総裁に間違いないということは、世界のどの国も、いかなる島国でも皆知っています。ですから、文総裁は世界の真の家庭を祝福してあげるので、全祝福家庭の親分になるのです。ですから、そのような親分のもとにある家庭のお父さんは、必ずその伝統を相続して、間違いなく親分の家庭の子女たる家庭になるということが、神様の願いであると同時に、先生の願いなのです。 神様の恨とは何ですか? 一代目のアダムとエバの家庭がそのようになれず、孫の家庭がそのようになれませんでした。三代を完成できなかったのが恨ですから、そのような家庭を築いて、三代を完成して、天下の解怨成就の基礎を完全に成就させるのです。「神様が永遠に私と共に住む」という不変の真理、永遠の真理、伝統的な真理だったので、そのような伝統を永遠に相続してあげることのできる真なる父母、真なる神様の子女、相読者になるということを決意する、この時間となるようにお願いするのです。そのように決意する者は両手を挙げて、神様の前に今一度誓うのです! アーメン!神様の祝福が共にありますように! 奉献礼拝後の祈祷 愛するお父様……、「遥かなる恨多き復帰の道はどうでありましたか?」と尋ねれば、神様も干年、万年の涙を流した道でございました。「恨多き復帰の道が、それほどまでに無慈悲でしたか?」と尋ねれば、数多くの天を追慕する者の血の祭壇を連結させ、血の主流をこの死亡の地獄世界に残した、地獄の出現する道を免れ得ない悲惨な道でございました。「無常で無慈悲なる世界でしたか?」と尋ねれば、子を捨てる親となり、妻を捨てる夫となり、弟を捨てる兄、兄を捨てる弟となった悲惨な歴史でございました。 それゆえに、誰も信じられない、歓迎できない歴史的な実像を私たちは前にしております。「天国」という誇り得る幸福の世界を描きゆく、統一の群れたちが行く道には、恨多き神様の悲惨な姿、あらゆる歴史的な受難の血を流した路程が、幾重にも積まれており、それを越えに越えて歩んでまいりました。忘れ得ない親不孝の行脚の路程を繰り返すことによって、悲惨だった神様の心情世界に、平和の福地を建設できず、どれほど災いと悲痛の恨の釘を、どれほど、どれほど打ちつけてしまったことか分かりません。親不幸千万なる子供たちを赦してくださいますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 地上天国を願って、終わりなき曲折の道を開拓してこられたお父様の歴史的な悲しみを、私たちはよく知っておりますから、私の生涯において一日でも、神様が峠の道で悲しまれたことを同情する子女になれなかったことを恨とし、きょうもその同情の心情を迎え入れ、尋ね求めるために歩みゆく孤独な群れ、恨多き歴史の心情を誰にも吐露できない孤独な群れが、統一教会の群れであることをよく知っております。 お父様……、千辛万苦の解怨の道を逆から上がって、上がって、越えてみると、天城の天国の眺めが目に入り、その天国で私を待っておられた神様が、もろ手を挙げて歓迎してくださることのできるような……、大きく両手を翼のように広げ、失った子が訪ねてくるのを指折り数えて待っておられた、手招きしておられる神様の姿が目の前に見え、我知らず飛躍的な環境を経て跳躍していけるような、そのような群れになろうと、恨の峠も臆せず、悲しみの峠も臆せずに、生死の境を越えてゆく統一の群れを哀れに思われ、この場まで導いてくださったお父様の前に感謝申し上げます。 「天城旺臨宮殿」というこの場は、私たちの心がそうでなければならず、私たちの家庭がそうでなければならず、国と世界と地上の被造世界すべてが地上天国と化して、神様を常に共に迎えて生きることのできる、王宮の主人たちとなるべきこの実情を新たにはっきりと悟り、決意できるこの時間とならしめてくださいますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 これまで興進君と大母様を中心として、霊界を動員して祝福し、霊界の恨の壁を取り壊して、解放の歴史を、地上の真の父母の前進的な発展過程に歩調を合わせて、絶え間なく一体的な理想圏を地上・天上世界に連結させることによって、地上から天上世界まで地獄の門を開放し、悪魔を追放し、罪悪の根を解消し、すべての解放の子として天に召された道を正々堂々とその姿を正して、体面と威信を立てさせてくださいまして、神様の愛を受けるのに堂々たる、神の称賛を受けるのに堂々たる息子、娘の権威を私たちに許してくださった恵みを、感謝、感謝、感謝申し上げます。生涯の道を最期まで美しく飾り、お父様の前に捧げることを願う統一信徒の行く道を、永久に守られて、有終の美を飾らせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 ここに世界のすべての指導者たちが集まりましたので、心から感じて体験したすべての事実を自分の所在地に帰り、自分の国に帰りまして、これを主流的な思想として、その民族に移譲させるための決意をもって、真なる種を蒔く農夫のように、春の陽気を迎える農夫のように、すべての荒野の農土に種を蒔いて余り得る、勇猛で、大胆な主人の後継者たちとなるように、祝福してくださることを、お父様……、切にお願い申し上げます。 今や集まった人たちを収拾して、決心させて、残りの日々を追慕する思いを抱いて過ごす時間が、彼らの生活に花と薫りの光となり、永遠なる新生命の灯火と天理の愛の伝統的な道を連結させて、解放者たる息子、娘となることができ、万国を建設することができ、神様に選ばれて永遠なる宿命的使命を伝授されて立ち上がる、不足なき群れとなれるように祝福してくださいますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 すべてを終えましたので、この日の決意をもって、新しい地上・天上天国化の実戦路程において、敗者の悔しさを蹴って、勝勢者の権威により、天を永遠に称えて侍り、愛することのできる群れとならせてくださいますよう、この日を期して特別に切にお願いし、新天地なる第四次アダム圏の地上・天上天国の到来の基地において、先頭的な旗手として歩武堂々たる資格を備え、前進の路程において促進化することのできる、自主的な実践権を行使し得る群れとならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 万万世の祝福の恩賜に感謝いたしまして、お父様の前に成果をお返しする喜びを抱いた子女たちの前に、さらに祝福を与えてくださいますよう再三お願いしながら、真のご父母様の御名によって祝願申し上げます! アーメン、アーメン、アーメン! (三一二-三〇四、九九年十一月七日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.09
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【完全密着】第4回シンポジウムの舞台裏|信者の人権を守る二世の会 2023/10/08 #シンポジウム #二世 #家庭連合信者の人権を守る二世の会では、先日、2023年10月1日(日)に第4回公開シンポジウムを行いました。今回はその舞台裏を大公開します!!(いつもPVを作ってくれる二世の子が作成してくれました!)▼「信者の人権を守る二世の会」ホームページはこちらhttps://www.2ndgen-rights.com/▼ 第4回公開シンポジウム「宗教学者と語る ~家庭連合の過去と現在と未来~」のご視聴はこちらhttps://youtube.com/live/2KpxHJIwgvI今回、第4回目となる公開シンポジウムでは、宗教学者の島田裕巳さんと家庭連合二世3名との対談を行いました。島田先生は、客観的な学者の立場で私たちにこう語りました。「『真実は何か』隠さず『オープン』にするでなければ、誰も納得しない」二世は、何を見て体験してきたのか。”旧統一教会”の「過去」、現在、そして未来…。”旧統一教会問題の全容” と ”宗教”について、真剣かつ率直に語り合います。家庭連合を擁護しない宗教学者と現役二世信者による、今までになかった新しい議論の場にご期待下さい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.09
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大きな赦しと憐れみをもってたずねてくださる神様からの人✳️日本食口の証し❤️Hさん(女性)🍓https://www.youtube.com/@newtv51232023/10/08一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.08
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X(旧twitter)からです。速報が出ました‼️#宗教法人審議会 は 先延ばしか…❓反対意見も多数あるとか… 内部は分裂状態か…❓それにつれて#解散命令請求 も 先延ばしか…❓法的根拠なく 安易に出せば国賠10億円が 想定される慎重に…慎重に… https://t.co/alZuc5WmeA pic.twitter.com/MAXe5vxG1h— 人権と宗教・信仰の自由を護る協議会(David999) (@888abyz) October 7, 2023一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.07
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家庭連合(旧統一教会)の教義書『原理講論』から、宗教史と国家興亡史について書かれた記述がありました。第三章 人類歴史の終末論 第二節 救いの摂理 第一に、文化圏発展史の立場から考察してみることにする。古今東西を問わず、いかなる悪人であっても、悪を捨てて善に従おうとする本心だけは、だれでも共通にもっている。だから、何が善であり、いかにすればその善をなすことができるかということは、知能に属することであり、時代と場所と人がそれぞれ異なることによって、それらは互いに衝突し、闘争の歴史をつくってきたのであるが、善を求めようとする人間の根本目的だけは、すべて同じであった。では何故、人間の本心は、いかなるものによっても取り押さえることのできない力をもち、時間と空間を超越して、善を指向しているのであろうか。それは、善の主体であられる神が、神の善の目的を成就するための善の実体対象として、人間を創造なさったからで、たとえ堕落人間がサタンの業により、善の生活ができないようになってしまったとしても、善を追求するその本心だけは、そのまま残っているからである。したがって、このような人間たちによってつくられてきた歴史の進みいくところは、結局善の世界でなければならない。 人間の本心がいかに善を指向して努力するとしても、既に悪主権の上におかれているこの世界においては、その善の実相を見ることができなくなってしまっているので、人間は時空を超越した世界に、その善の主体を探し求めなければならなくなった。このような必然的な要求によって誕生したのが、すなわち宗教なのである。このように、堕落によって神を失ってしまった人間は、宗教をつくり、絶えず善を探し求めて、神に近づこうとしてきたので、たとえ宗教を奉じてきた個人、民族、あるいは国家は滅亡したとしても、宗教それ自体は今日に至るまで、絶えることなく継続してそのまま残ってきたのである。それでは、このような歴史的な事実を、国家興亡史を中心として、検討してみることにしよう。 まず、中国の歴史を見ると、春秋戦国の各時代を経て、秦統一時代が到来し、そして前漢、新、後漢、三国、西晋、東晋、南北朝の各時代を経て、隋唐統一時代がきた。さらに、五代、北宋、南宋、元、明、清の時代を経て、今日の中華民国に至るまで、複雑多様な国家の興亡と、政権の交代を重ねてきたのであるが、今日に至るまで、儒、仏、仙の極東宗教だけは、厳然として残っているのである。つぎにインドの歴史をひもといてみても、マウリア、アンドラ、クシャナ、グプタ、ヴァルダーナ、サーマン、カズニ、ムガール帝国を経て、今日のインドに至るまで、国家の変遷は極まりなく繰り返してきたわけであるが、ヒンズー教だけは衰えずにそのまま残っているのである。また、中東地域の歴史を見れば、サラセン帝国、東西カリフ、セルジュク・トルコ、オスマン・トルコなど、国家の主権は幾度か変わってきたのであるが、彼らが信奉するイスラム教だけは、連綿としてその命脈が断ちきられることなく継承されてきたのである。つづいて、ヨーロッパ史の主流において、その実証を求めてみることにしよう。ヨーロッパの主導権はギリシャ、ローマ、フランク、スペイン、ポルトガルを経て、一時フランスとオランダを経由し、英国に移動し、それが、米国とソ連に分かれ今日に至っているのである。ところが、その中においても、キリスト教だけはそのまま興隆してきたのであり、唯物史観の上にたてられた専制政体下のソ連においてさえ、キリスト教は、今なお滅びずに残っている。このような見地から、すべての国家興亡の足跡を深く顧みるとき、宗教を迫害した国は滅び、宗教を保護し育成した国は興隆し、また、その国の主権は、より以上に宗教を崇拝する国へと移されていったという歴史的な事実を、我々は数多く発見することができるのである。したがって、宗教を迫害している共産主義世界の破滅の日が必ずくるであろうということは、宗教史が実証的にこれを裏付けているのである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.07
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第四次アダム圏時代の到来1999年10月24日ニューヨーク州ベルベディア 十月二十三日、ニューヨーク州イーストガーデンにて「総天宙祝福解放日」を制定、宣布されました。このみ言は、翌二十四日(聖日)、ベルベディアの聖日礼拝において語られたものを翻訳し、抜粋、整理したものです。 きょう、訓読するみ言は、家に帰って読むのです。家に帰ってから、それを読むように、ページだけを伝えて、「家で読みなさい」と言ってください。きょうは、わたしがみ言を語らなければなりません。 今後、皆さんは先生の説教集のすべてを持たなければなりません。食口は、だれもがみ言選集を持たなければならず、毎週、どこからどこまで訓読するかを前もって連絡し、その本を見ながら「訓読会」をしなければなりません。だれかを指名すれば、各自が読むことができる時代に入っていくということを知らなければなりません。 これからは、先生が本部から指示を伝えます。そして、全世界の統一教会の教会員たちは、一律的に同じ日の同じ時刻に「訓読会」をするのです。ですから、本を全員買わなければなりません。み言集の中から選集が十二巻出ているのですが、その十二巻をすべて持っていなければなりません。 これは、わたしたちの生活における食料と同じです。霊的生活においての食料と同じなのです。食料を持っていない人は、飢えて死んでしまいます。なぜ、このような伝統を立てるのかというと、先生が八十歳になっていくからです。先生が霊界に行く時間も遠くないので、地上でこのような伝統を立てておくことによって、混乱した世の中を導いていくことのできる道を決めてあげるためです。そのような不可避な決定であるということを知るべきです。 今は、わたしたちが霊界についていく時ではありません。霊界が地上についていく時なので、地上で「訓読会」をすれば、霊界も共に「訓読会」をするということを知らなければなりません。それゆえに、皆さんが参席するこの場というものは、自分一人だけの場なのではありません。そのように、世界とともに、天地とともに、神様とともに、真のご父母様とともに一緒に生活し、一緒に呼吸する環境で暮らしているということを意識して生きていかなければ、この地上に地上天国というものは到来しません。 天国は、神様に侍って暮らし、真のご父母様に侍り、神様と真のご父母様の愛の圏内で暮らす世界であり、そのような世界が堕落のない本然の世界なのです。そうして、本然の世界は天国と連結されているので、天国を成すためには、そのように生活することが不可避な結論であるということを知らなければなりません。 おなかがすいた人は、朝食、昼食、夕食という三食に対することがどれほど深刻でしょうか?。そのような人は、その味がどれほど良いものであるかをよく知っているのです。その心は、どれほど切実でしょうか? それでは、この世の中で七、八十年の間、生きる生命の糧をそれほどまでに慕い、深刻に、切実に願うのであるならば、永遠の生命の糧を中心として願う基準は、どれほどのものでなければならないでしょうか? ですから、皆さんが今朝、おいしい物を食べたのならば、「明日はどのような物を食べるか」と考えるでしょう。真のご父母様に侍って暮らすのならば、そのように、「日ごとの出発の食事」に対して関心を持たなければなりません。 それは、どういうことでしょうか?。毎日、どのような食事なのかが気になるのと同じように、み言は生命の糧の起源なので、皆さんはみ言に対して「おなかがすいて食べたい」と思わなければなりません。そして「どのようなみ言があるのだろうか?」と気にしなければならないのです。 そのようにすれば、どのような結果になるでしょうか?。この「訓読会」を中心としたみ言の価値をどれほど貴重に感じたのかということが、霊界で皆さんが留まる位置の決定基準になるということを、皆さんは知らなければなりません。「訓読会」は良いものですか、悪いものですか? (「良いものです」)。どれくらい良いものですか? (「とても良いものです」) 皆さん、米国の独立記念日が七月四日ならば、七月四日に国の独立記念日を記念して、ワシントンから各州、村々ごとにその日を祝賀するわけですが、「訓読会」をする喜びとその喜びとを比較できますか?。世界のある国の祝祭日が貴いですか、わたしたちが天の国に行く糧を吸収して喜びに浸れるということが、もっと喜びですか? (「『訓読会』が喜びです」)。「訓読会」ですか? (笑い) 「訓読会」とは、どのような意味なのか、意味は知っているでしょう? (「はい」)。「訓」という字は、「み言が流れる」という意味であり、「読」という字は、「み言を売る」という意味です。よって、み言が流れていき、無限に拡張しなければならないことを教える会が「訓読会」だというのです。ですから、「訓読会」を漢字で書くことができなければなりません。 これ(言べん)は「み言」であり、これ(つくり)は「川」です。ですから、「水が流れてこそ死なない」というのです。流れる水は、生命の起源になるのです。み言が流れ、伝統が連結されなければなりません。小さい所から大きい所、大きい所から海へと流れ、こうして水蒸気になり、雨となって降りてきて万物が蘇生するのです。 み言がタンクならば、み言を中心として、皆さんはそのタンクの中に入っていかなければなりません。み言が流れていますか、そのまま留まっていますか?。そのタンクが小さければよいですか、大きければよいですか? (「大きければよいです」) さまざまな小さいタンクから、数千数万を入れてこれくらいの大きなタンクになったのですが、このタンクがただじっとしていたら、どれほど被害が大きいだろうかというのです。ですから、流れなければなりません。四方に流れていかなければならないというのです。 それは、すべて流れていかなければなりません。なぜ、流れていかなければならないのでしょうか?。周辺のすべての万物を蘇生させ、生命を育てるためです。そして皆さんは、精誠を尽くして、タンクの中には、この自然のために生きることのできる心、清い心を持って、そこで水蒸気のように上がっていき、四方に霧を降ろし、雨を降らせるのです。そうしてすべての万物が蘇生し、人間が蘇生し、すべてが蘇生するのです。それが復活の原則になります。 統一教会で教えてくれるみ言は、世の中の図書館にありますか、ありませんか? (「ありません」)。霊界は、どうですか?。霊界には図書館があるでしょうか、ないでしょうか? (「あります」)。では、そこに先生のみ言があるでしょうか? (「あります」)。あったのなら、「訓読会」を始めていたでしょうか、始められなかったでしょうか? (「始めていました」) それでは今、霊界でも、地上に従って「訓読会」をするというのですが、それはどういうことでしょうか?。霊界が先ですか、地上が先ですか? (「地上です」)。地上なのですが、世界のすべての図書館、学校、大学、博士、あらゆる学者たちがたくさんいますが、彼らはこのようなみ言を知っていますか?。地上でも初めてなのです。このみ言は、「愛の博士」の学位を受けることのできるみ言なのです。 神様も、先生がみ言を語る前までは、み言を語ることのできない神様であられたというのです。何のことか、分かりますか?。真のご父母様だけが始めることのできるみ言なのです。それほど貴いとは思わなかったでしょう? それでは、皆さんの中で先生を知っているという人、手を挙げてください。それは、何を知っているのですか? (「人類のためにすべてを犠牲にされました」)。犠牲にしたのかしなかったのか、どうして知っているのですか? (「教会に入ってきて、二十六年間目撃して生きてきました」)。その目撃して生きてくる間、世の中では皆、「レバレンド・ムーンが一番悪い」と言い、そのように思っているのです。 皆さんは、先生のことを全く知らないのではありません。しかし、世の中の人は全く知らず、あなたたちは少し、部分部分だけを知っているのです。ですから、「知っている」と言うこと自体が問題であり、また、「私は、統一教会の教会員だ」と言っていますが、それも自分勝手に生きてきたというのです。額に何かを付けていることを知らずにいます。自分が何なのか、知らずにいるというのです。 自分で自分のことさえ知らない人が、先生を知ることができ、神様を知ることができますか?。自分を知っていますか?。全員、自分を知らなければなりません。それを知らなければならないのです。 ですから、どれほど知らなければならず、どれほど学ばなければならず、どれほど努力しなければならないでしょうか?。このみ言の中には、天の国の全体王子権まで占領することのできる内容が含まれているのです。 統一教会の教会員、責任者たちがここにいますが、「私は、統一教会の先生をよく知っている」と言うことができますか?。このミスター・郭は、今でも先生のことが分からないのです。どうですか、ミスター・ヘンドリックス?。ミスター・梁? (「よく分かりません」)。それでは、いつ分かるようになるのですか? 永遠です、永遠。先生は、地上でのことだけでなく、霊界を収拾しなければなりません。霊界に行ってすべきことが多いのです。それを知らないでしょう?。皆、霊界のことを知らないではないですか?。先生が現れなければ、世の中は真っ暗な天地になるのです。そうしてすべて地獄に落ちるのです。 きょうは、このように東洋人がたくさん集まったのですか? (笑い)米国を超えて天国に行かなければなりません。米国の中に天国はありません。米国を踏み越えて行かなければなりません。日本を踏み越えて行かなければなりません。世界を踏み越えて行かなければなりません。「行く途中で、米国を踏み越えて行くために来た」と、このように考えるのです。 日本のメンバーは、知っておかなければなりません。天国に行く途中で、いくら日本で有名になっても、日本を踏み越え、越えて行かなければならず、米国が世界的な主導国家になったとしても、それを乗り越えて行かなければなりません。 そうして、世界統一された地上統一世界があるならば、それを乗り越え、さらに霊界を乗り越えて行かなければ、堕落のない本然の天国に入っていくことはできないというのです。分かりますか? (「はい」)。そのために、その途中で経ていく宿所のようなものが、米国であると考えなさいというのです。(「はい」) さあ、「訓」という字を知っているでしょう? 「言(み言)」というものは、大きい人、小さい人、小さい人、三人が一つになった口が「言(み言)」です。これ(一番上の点)は神様です。神様を中心として三人が一つになった口が「言(み言)」なのです。それゆえに、漢文というものは意味が深いのです。 漢文は、中国人ではなく、東夷族、韓国人がつくったという説が本当に多いのです。韓民族は、弓矢を上手に射るのです。中国社会において、どこに行っても百戦百勝し、戦いがあまりにもうまく、それで勝つことも嫌になって半島に逃げてきたと考えているのです。オリンピック大会でも、韓国人は弓矢を上手に射るでしょう?。先生にも、そのような何かがあり、照準をうまく合わせるのです。それは、真理の照準です。 韓民族は、精神統一を上手にする民族です。それで、霊界のすべての事実を知っているのです。預言書を見ても、歴史的事実をすべて知って生きているのです。分かりますか?。どれほどたくさん実験をしたでしょうか?。そのような内容を、皆、知らないではないですか? それでは、先生を知っていますか、知りませんか? (「……」)。なぜ、このように静かなのですか?。さあ、このような人たちの前で難しい話をしたら、分かるでしょうか、分からないでしょうか? (「分かりません」)。(笑い) ですから、今から謙遜になりなさいというのです。み言の前に謙遜になるのです。そして、吸収しなければなりません。分かりますか?。それが必要です。そうしてこそ、水をさっと吸収するのです。目もどんどん吸収します。においも、耳も、口も、すべての細胞が吸収するのです。 それでは、先生が好きですか?。先生が好きだという人は、手を挙げてください。(「はい」)。先生は気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? (「良いです」)。ある人は十点であり、二十点の人もいて、零点以下の人もいるというのです。ありとあらゆる五万種類の型が、「先生を知っている」、「好きだ」と言うとき、それで気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? (「良くありません」) それでも先生の話を聞きたいですか?。(「はい」)。先生が五十年間に語ったものが、今、三百巻の本になっています。三百巻のみ言の中で、すべて「このようにしなさい」と言いました。それを知っていますか?。しかし、いつみ言どおりに暮らしましたか? そのみ言は、先生がつくって話したのですか?。それとも神様が、今後貯蔵することができ、理想的な倉庫に記録することのできる内容を話されたのでしょうか? (「記録することのできる内容です」) 皆さんは、根本が何であるのか知りません。神様が好まれるものが何であるのか知らないではないですか?。好まれるものは何でしょうか?。数多くのみ言の中で、喜ぶことのできるオリジン(根本)の中で、根本とは何ですか?。見ることですか?。においをかぐことですか?。食べることですか?。聞くことですか?。触ることですか? タッチする手が喜べば、それが手のオリジンです。目が喜べば目のオリジン、鼻なら鼻のオリジンです。五官、十官のオリジンは何ですか?。外的、内的十官があれば、十官全体が動員されて一度に喜ぶことのできるものは何であるのかというのです。 「自分は女性である」という人は、手を挙げてください。女性が一番好きなオリジンが何であるかというとき、それは「女性だ」と言うのですか、「男性だ」と言うのですか?。どちらですか?。女性として一番好きなオリジンの中のオリジンは何ですか?。女性ですか、男性ですか? (笑い)これは、笑いごとではありません。深刻な問題なのです。 それは、「自分が何を好きにならなければならないのか?」ということ、これを捜し求めていく真理なのです。女性が一番好きになることができ、一番喜ぶことのできるオリジンの中のオリジンをだれが持っているのかというとき、それは女性が持っているのでしょうか、男性が持っているのでしょうか?。その問題の答えはどちらですか? (「男性です」) また、男性が一番好きになることのできるオリジンの中のオリジンは何ですか? (「女性です」)。そうです。よいです。それで合っているとしましょう。それでは、男性も女性も、ふたりとも好きになることができ、お互いが好きになることのできるオリジンの中のオリジンは何ですか? (「神様です」)(「愛です」)。それは何ですか? (「真の愛です」)。真の愛は、どこでつくられるのですか?。生殖器です。 真の愛が出会うことのできる位置はどこですか? (「生殖器です」)。何の生殖器ですか?。生殖器は、凸凹があるのです。そうですか? (「はい」)。わたしは分かりません。(笑い)凸は何ですか?。凹は何ですか?。その二つです。 男性や女性、また宇宙全体が最も喜ぶことのできる真の愛を結んであげられる場所が、この二つの器官なのです。そうですか? (「はい」)。皆、持っていますか? (「はい」)。それは、どこにありますか?。頂上にありますか、どこにありますか? (「中心です」)。中心です。 そのような考えをしてみましたか? (「はい」)。「どのようにして百パーセント水平になって、一度愛してみることができるのか?」ということを考えてみましたか?。 さあ、それで「早く、早く、もっと早く、もっと早く」と、飛ぶようにしなければならないというのです。そして、無限に回るということを考えてみましたか?。そのような愛を一度してみてから死ななければならないでしょうか、してみずに死ななければならないでしょうか? (「してから死ななければなりません」)。では、一度してみましたか、できませんでしたか? (「しました」)。(笑い) それで宗教では、「独身生活しなさい。結婚してはならない」と言うのです。「さあ、今からメシヤが終末に来られて、それをすべて修理してあげ、教えてあげて祝福してあげ、結婚させてあげることのできる時が来るので、その時まで待ちなさい」と言ったのです。だれがそのようにしたのですか?。聖人です。 自分の妻の横に立てば、男性の手はどこに行きますか?。どこに行くのですか?。どこに行きますか?。自分のものを触りにいきますか、相対のものを触りにいきますか? (「相対のものです」)。皆さんの相対はどうですか? (「同じです」)。それは、なぜそうなのですか?。 男性の手が一番出会いたく、触りたいものは何ですか?。それだというのです。女性の手も同じです。それは真理ですか、偽りの真理ですか? (「真理です」)。真理はどこにありますか?。それを考えなければなりません。 ですから、手をよく守り、体をよく守らなければなりません。主人を知らなければなりません。いいかげんにしてはならないのです。狂った手、狂った五官になってはならないというのです。自分の心と体の十官が思いどおりに活動するとき、その思いどおりに活動することを歓迎することのできる人はだれですか?。唯一、自分の妻だけなのです。 自由です。目も自由、鼻も自由、口も自由、体も自由、全体の内外が自由ですが、これ以外に自由にできなくなるときには地獄なのです。天法が崩れていくということを知らなければなりません。 女性たちは、夫の自由を百パーセント後援することのできる妻になっていますか?。それとも八十パーセント、七十パーセントしか対していない女性になっていますか?。そのようなことを考えてみましたか?。そのことを考えてみなければなりません。女性たちは、「疲れて何がどうだこうだ。だから私は嫌だ」とか「よい」などという言葉をよく言うでしょう?。そして、どこかに行ってくれば、「歯を磨いて、おふろに入ってきて、アイゴー、それから何がどうでこうで……」と言うのです。しかし例えば、あなたの夫が十年前に軍隊に行って、そして帰ってくるとします。その夫と駅のプラットホームで出会うのですが、夫を見るとひげが生え、監獄にいたとすれば歯は黄色くなり、服はぼろぼろでにおいがぷんぷんするのです。しかし、そのような夫に対して、「顔のひげをそってください。洗面してください。歯を磨いてください」と言うでしょうか? 十年ぶりに出会うので、妻としてはきちんと着飾って行ったのですが、その服のことを考えるでしょうか、夫のことを考えるでしょうか?。夫人が十年間待っている中で、一番良い服を着て会いに行ったのですが、夫の姿はといえば、乞食の中の乞食の姿であり、あまりにもみっともない姿です。 妻は、その夫の姿を見るとき、「アイゴー」と言って、すべてがきれいに準備ができる時まで待つでしょうか?。それとも「アイゴー、服のことはどうでもいい」と思って、夫の首を抱いて自分からキスをするでしょうか?。それはどうですか? (「そのまま、抱きます」)。なぜですか? それは、そのようにすることによって、世界にまたといない一等の新婦になるのです。それは女王よりも良いというのです。皆さんは、そのような記録を持っていますか? 「自分の日記にそのような記録を残そう」と思って書いて、待ったことがあるのかというのです。 日本の女性たちは、何の話か分かりますか? (笑い)後で研究して、自分の姿勢と自分の態度と比較してみて、自分自身が妻としてどうであるのか、点数をつけてみてください。四十点以下なのか、六十点以上なのか? 夫を一番愛したいでしょう?。そうですか、そうではないですか?。それはまた、夫も同じだというのです。女性が願う愛を最高にしてあげたいと思うのです。それがなぜ必要なのかというと、夫の骨髄の後ろにまで隠されている性格をすべて知ることができるというのです。根本を知ることができるというのです。 愛によって人類が生まれた、その愛のふろしきの秘密がすべて明らかになるのです。そうしてみると夫は、うれしいときに見れば喜びの夫であり、悲しいときに見れば慰労の夫であり、興奮しているときには穏やかな湖のようで、すべてのことが相対的理念によって調和しているのです。そのような芸術的な倉庫が、そこに待っているのです。 わたしは説教しているのですか、序論でもなく何の話をしているのですか? (「説教です」)。(笑い)説教するよりももっと面白いでしょう? (笑い)(「はい」)。分かりますか?。これは「訓読会」の説明です。(笑い)み言を開けば、周りの人たちを喜ばせることができます。この世の中を生かすためのものがみ言です。このような内容を持った集いが「訓読会」なのです。 そして今までに、み言のタンクにどれくらい入っていますか?。皆さんの倉庫に、どのくらいみ言の物件を持っていますか?。それでは、倉庫である皆さんの体にぎっしり詰まっていなければならないでしょうか、皆さんのコンテナに完全に詰まっていなければならないでしょうか?。そのようにしようとしても、何にもなりません。ですから毎時間、「訓読会」をするのです。 それは、遊んでいてよいのでしょうか、努力しなければならないのでしょうか? (「努力しなければなりません」)。そうです。努力しなければなりません。父親と母親が「おい、勉強しなさい。勉強しなさい、勉強しなさい」と言うのを好みますか? (「嫌います」)。しかし、おいしいものを上げるのならば、どうですか? (「好みます」)。それは、勉強の味を知らないから、そうなのです。乞食のふろしきの中には、世の中の人々が使い古したゴミの中で、一番貴いものがすべて入っているのです。乞食は何も持っていないので、条件的にでも持ちたがるのです。 皆さんは愛の乞食になりますか、愛の主人になりますか? (「主人になります」)。それでは、何のオーナーですか? (「真の愛です」)。真の愛の主人です。真の愛の主人が、どれほど素晴らしいオーナーなのか、考えてみてください。 そのオーナーになれば、神様に対して「お兄様」と言えば、「よし」と答えてくださいます。「お父様」と言っても「よし」、「叔父さん」と言っても「よし」、「王」と言っても「よし」、「長官」と言っても「よし」、「労働者」と言っても「よし」。このように、すべてのことがオーケーです。 真の愛の主人になれば、なぜそうなのでしょうか?。いかなるものでも、すべてが好むというのです。人間という存在であれ、万物であれ、すべてが好むということなのです。あなたたちは、どうですか? (「好みます」)今、統一教会の「訓読会」において一番のチャンピオンはだれですか? (「お父様です」)。だれですか? 「お父様」は、とてもたくさんいるのですが、どのような「お父様」ですか? (「『真のお父様』です」) 真のお父様なので、真の「訓読会」を真に好まなければなりません。真のお父様が一番好まなければならないでしょうか、真のお母様が一番好まなければならないでしょうか、真のご子女様が一番好まなければならないでしょうか? (「真の家庭です」)。(笑い) 真の家庭になろうとすれば、そのようにすることができるように手本を見せなければなりません。真の家庭がそのようになろうとすれば、真のお父様が真のお母様に手本を見せてあげなければなりません。 これからは、真のお父様よりも真のお母様が、もっと一所懸命にするでしょうか、いつまでも真のお父様がもっと一所懸命にするでしょうか? (「お母様です」)。(笑い)真のお母様が一所懸命にするのですが、真のお母様がもっともっと一所懸命にしようとすれば、皆さんは逃げていきますか、ついていきますか? (「ついていきます」) もし、お母様がしなければ、娘たちがしなければならないでしょう?。あなたたちは、真の娘になりますか、普通の娘になりますか? (「真の娘です」)さあ、味の中の味を、一番よく味わうことのできるかたはだれですか? (「真のお父様です」)。神様でしょう? (「神様と同じです」)。何が同じなのですか?。原因と結果が、どうして同じなのですか?。原因があってこそ、結果があるのです。分かりますか? (「はい」) 鼻は、においをかぐことができるでしょう?。それでは、皆さんは何のにおいを好みますか?。神様がごらんになるとき、あなたたちが好む特性があるでしょう?。何を好みますか?。見ることを好みますか、聞くことを好みますか? (「聞くことです」) 人は、「言行心事」と言いならわされてきました。「言行心事」とは、「一つにならなければならない」ということです。それは、「話すことと行動することは、心の業である」という意味なのです。心がする業とは何であるのかというと、み言と行動を一つにすることです。このことを知らなければなりません。心のする業は、行動と一つになることです。それでは、皆さんの言葉と行動は同じですか? 神様がいらっしゃるならば、今まで、神様の心のなさる業はどのようなものであったでしょうか?。神様の言葉と神様の行動ということです。み言は心に対し、体は行動を代表するのです。二つは一つなのです。そして、心と体が一つになるのならば、神様が共になされるのです。神様がなされる業になるというのです。何のことか、分かりますか? それでは、心と体が一つになりましたか? (「なっていません」)。心と体が一つにならなければ、一つの目は上がっていくのですが、もう一つの目は閉じるのです。このようなことと同じです。そして、斜視になって一つの目はこちらを向くのですが、一つの目は動かないのです。斜視になって病気になるのです。ですから、心と体は一つにならなければなりません。 統一教会が最も力を注いでいることは、「心と体を一つにしよう」ということです。心と体が一つにならなければなりません。しっかりしなさい 「しっかりしなさい」ということは、どういうことですか? 「心と体が一つになれ」ということです。簡単なことです。それが一つにならなければ、神様が気にかけてくださることはありません。神様と関係ないというのです。 どこに行っても、心と体が一つになれば、神様が共にいらっしゃいます。天運が共にあるのです。自分の国でも、怨讐の国に行っても、どこに行っても、地獄に行ったとしても、心と体が同じ行動をするときは、すべてが成功するのです。心と体が反対になって仲たがいしていくのが地獄です。 心と体を一つにしていくことのできる行動を執り、「私は、生まれてから心と体が一つになった生活をしてきた」と言うことのできる人がいると思いますか?。手を挙げてください。一日の間でも、どれほど変わるでしょうか?。 それで、「人心は朝夕変であり、山色は古今同である」と古代の人も詠んだのです。問題が大きいでしょう?。問題がどこにあるのかというと、外的なことに問題はありません。「自分」が問題の張本人なのです。 それは、なぜでしょうか?。心と体がずれているからです。いつ、水平になり、心と体が一つになるのでしょうか?。心と体が一つになっていない、そのような人がいくら平和を期待したとしても、それではだめです。たとえ外的な世界が平和の世界になったとしても、心と体が一つにならずに変わるその位置では、幸福はあり得ないというのです。 威厳のある審判の言葉を語りました。レバレンド・ムーンが、どのような権限を持って、それを語ったのでしょうか?。先生の言葉が正しいか、正しくないか尋ねてみてください。 第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムを復帰して、この世界的祝福圏を四十年目に復帰し、これをすべて成し遂げて霊界祝福、地上祝福、赤ん坊時代から青年時代、すべて終えました。 だれが宣布するのでしょうか?。神様はできません。真のご父母様だけが、それをするのです。真のご父母様が神様を解放しなければなりません。不孝者を持った父母を解怨するためには、何倍以上の孝子になって、その父母を慰労してこそ解放されるということと同じです。これを知らなければなりません。 第四次アダムとして、このすべての結論を下し、そしてどのようになるのかというと、神様が下にいらっしゃったのが上に上がってこられて、永遠を中心として上がってこられるのです。 中心線を中心として、永遠に継続するのです。そうして、再び八段階を上がっていくので、個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界完成、天宙完成、八段階完成時代を迎えて、全世界が、地上世界、天上世界、堕落がなかったすべての時代を清算しなければなりません。すべて祝福してあげるのです。分かりますか? (「はい」) 昨日は何の日であるかというと、十月十日から十三日目になる日です。昨日が十月十日以後十三日目です。「十」と「三」が残っています。これは、イエス様が亡くなった数と同じです。人類の真のご父母様が亡くなられたことを、三十代を中心として解放的「真の父母の日」をここで初めて宣布するのが、第四次アダム圏の出発であるというのです。 「十三数」を最も悪く言うでしょう?。それは「死」であるというのです。右側の強盗が一つになれずに死んだことをすべて完全に統一し、霊界、肉界、南北統一、東西統一、父母の国と米国とを四十日間ですべて統一してきたのです。 それゆえに、真のご父母様から祝福を受けたすべての人々は、堕落していないアダム家庭の位置であるだけでなく、アダム家庭から数千年間堕落していない家庭を連結させた統一の動きとなり、霊界と肉界の統一天下解放圏の時代を迎えたということになるのです。 それでサタンは、すでに閉じ込められて、すべてが清算され、その手先の者たちを清算するために、第三回「七・八節」を中心として「九・九節」を設定し、「三・十節」を宣布して、すべて清算しました。ですから、祝福家庭たちが祈祷するのは、だれの名によって祈祷すると言いましたか? (「自分の名でと言いました」) エデンの園に何かの宗教がありましたか? (「ありませんでした」)。その世界に入っていくのです。統一教会の看板を外したのです。外してから、随分たちました。そして世界平和統一家庭連合の看板をつけました。世界に誇ることは、神様に祝福を受けた息子、娘、解放された地上天国に臨むことのできる家庭です。 そして統一教会の教会員において、米国を誇る前に世界に祝福を受けた家庭を誇り、日本の国、自分の国を愛するよりも、自分の父と母を愛するよりも、真のご父母様を中心として関係した家庭と国と世界の祝福家庭を愛することが、わたしたちが愛することのできる伝統的内容なのです。アーメン。(「アーメン」) 今、わたしが米国を教育して何をつくったのかというと、米国が多民族国家になって、お互いに白黒問題で闘う、そのような米国人を連れてきて天の人にしたのです。米国人にとっては日本人が怨讐ですが、彼らに「怨讐の国に行って、自分の国よりももっと愛することのできる家族をつくりなさい」と言ったのです。 それから彼らは、父の国に行って、それ以上にならなければなりません。そうして父母ではない父母を、世の中の父母よりも王よりも愛し、兄弟ではない兄弟を世の中のだれよりももっと愛することができるということが、天の残してくれた伝統なので、その伝統的因縁を残すために、「父母の国と長子権の国の三国が一つになりなさい」と言って訓練したのです。その過程において彼らは、相克的であったか、統一的であったか、唯一的であったか、相対的であったかということを体験しただろうと思います。 米国人が、そのような訓練の中で、他の国を米国よりももっと愛し、米国の父母よりももっと親しくし、一つになることができるということを感じたのかというのです。復帰してきましたか? (「してきました」)そこに行ってきた人たちは、立ってください。行ってきた人は二人しかいませんか?。あなたたち二人は、五十年前に殺戮戦を起こした怨讐の中の怨讐の国である日本に行き、自分の国である米国の人よりも、米国の兄弟よりももっと愛することのできる伝統を学びましたか、学んでいませんか? (「はい、学びました」) それゆえに、父母でない父母に侍り、兄弟でない兄弟に侍り、怨讐であっても、兄弟や父母に侍った以上の兄弟の友愛をつくることができたので、これは地上サタン世界、堕落した世界ではなく、天の国なのです。そうして、「わたしたちは、そうせざるを得ないのでそのようにした」という標識を掲げていかなければなりません。 さあ、すべてが通じるというのです。歴史上で別れたものが、すべて第四次アダム圏に来て統一するのです。分かりますか?。そして第四次アダム圏まで、すべて勝利して出てきたことが、歴史的基準とすべてここで出会うのです。 ここでは、万歳を願うのですが、万歳が必要ですか、必要ではないですか? (「万歳します」)。万歳が必要ですか、万歳が必要ないですか?。ここでは、個人完成が世界完成、家庭完成が天宙完成、氏族完成が天宙完成、どの圏内で完成の位置に立つとしても、天宙と通じることのできる道なのです。それゆえに、ここは全体が、このようならせん状の円となって通じるのです。これが何かというと、トゥルー・ラブ・テリトリー(真の愛の圏内)というのです。分かりますか?。だれのテリトリーですか? (「神様です」)。違います。「私」のものです。(笑い) 見てください。「個人は家庭のために犠牲になりなさい」。「家庭は氏族のために犠牲になりなさい」。「氏族は民族のために犠牲になりなさい」。「民族は国家のために、国家は世界のために、世界は天宙のために、天宙は神様のために犠牲になりなさい」。それでは、神様はだれのためにいらっしゃるのでしょうか?。神様は、「私」のために犠牲になられるのです。 神様は、すべて「私」のために、救援摂理は「私」のために苦労されたというのです。真のご父母様のためではありません。イエス様のためではありません。神様のためでもありません。「私自身」のためであり、皆さん自身のためなのです。ですから「解放」でしょう?。解放なのです。すべてのものがあるので解放なのです。分かりますか? そして、第四次アダム圏に突入したので、このような時代が来るのです。何を中心としてですか?。真のご父母様と神様を中心として真なる家庭……。わたしたちの家庭は、天と地を代表した代表的家庭として暮らさなければなりません。神様の代身として人類を愛し、神様が万物を愛されるように、すべてを愛さなければなりません。 今、二〇〇〇年になるそのときまで、七十日を残しています。それは、七千年歴史の七数、安息圏の七数です。その安息圏を中心として何をしようというのですか?。地を解放しなければならず、人類を解放しなければならず、地上の国を解放しなければならず、天上の国を解放しなければなりません。 そして、何をしようというのでしょうか?。堕落することによって、偽りの愛によって汚されたすべてのものを、嘆息圏内、地獄圏内、悲しみの圏内に連れ込まれたすべてのものを解放してあげたので、地と万物解放、人類解放、地上世界と霊界解放とともに、皆さんの心と体の解放、男性解放、女性解放、家庭解放、父母解放、子女解放を成すのです。そうして、一族の三代を中心とした解放圏を中心として、天の国に入籍する時が来たということを知らなければなりません。 あなたたちも世界的な家庭代表、世界的な圏を持つようになるとき、全世界の人々を交えて……。そこに行けば、日本の女性たちが皆、いるのです。彼女たちがお母様の代身として、世界のいかなる民族、いかなる一族が自分の宣教部に来ても、母親のように接してあげ、兄弟の中の兄弟、父母の中の父母の因縁を結ぶことのできる地上天国の伝統を立てることのできる時代に入っていくということが、第四次アダム圏時代なのです。(「アーメン」) そして、米国人が世界に行ったのならば、米国人は兄の立場なので、いかなる国の人に会っても、兄らしくしなければなりません。韓国人は今後、国家メシヤとして行くのですが、いかなる国に行ったとしても、父の国の伝統を教えてあげなければなりません。 また、母は愛を教えてあげ、長子は行動を教えてあげ、仕事を教えてあげるのです。そうすることのできる、このような伝統を世界超民族、超国家、超教室、超学院を超えて行うことのできる時代が、第四次アダム解放圏時代なのです。アーメン。(「アーメン」) そして今からは、皆さんが家庭「統班撃破」です。家庭に来ようとすれば、「班」を超えていかなければなりません。「統班」を超えてこなければなりません。家庭、「班」、「面」、「里」です。三段階です。「里」を通して入り込み、「面」を通して入り込むのです。サタンがそのように入ってきたので、わたしたちは「統班撃破」するのです。そのようにして「班」を守って、すべての村を守らなければなりません。 そうして、わたしたちが暮らす町内には、酔っ払いがいません。ホモがいません。フリーセックスはありません。そのようになるのです。近シン相姦関係というものは、ありません。「絶対愛」、「絶対性」しかないのです。絶対、唯一、不変で永遠な愛しかないのです。離婚はあり得ません。離婚した人たちは、天国に行くことができません。行くことはできないのです。それは、所属が複雑なのです。 そして今からは、あなたたちだけと暮らすのではありません。霊界とともに、あなたたちの先祖と三時代です。先祖とあなたたちと、これから生まれてくる後孫たちと暮らすのです。三代の世代が暮らすことのできる時が来たのです。教えてあげなくても、わたしたちがどのようにしていかなければならないのかを知ることができる、そのような環境を復帰してこそ、堕落を抜け出した人々になるのです。 わたしたちの行く道には障害がありません。(「アーメン」)。国境もありません。それゆえに、「私の名によって祈祷します」と言うときは、実績なく祈祷することはできません。国に誇ることのできるもの、町内に誇ることのできるもの、自分の家庭に誇ることのできる内容を持たずしては、祈祷することはできないという事実を知らなければなりません。 祈祷は報告なのです。「神様、何々を下さい」と言うことはできません。すべてを与えました。分かりますか? (「はい」)。すべてをもらったので、これを上手に使わなければなりません。きちんと主管して暮らさなければなりません。 それは、自分のものではありません。天の国のものであり、宇宙のものであり、歴史の、永遠な地上、天上天国の所有のものです。自分自体が消耗しすぎても問題です。ですから「節制するな」と言っても、しなければなりません。 それは、水を愛そうということです。水を愛してみようとやってみましたか?。してみたかというのです。草を愛そうとしてみましたか?。草はだれのためにつくったのですか? 「私」のためにつくったのです。神様が「私」のためにつくられました。 それらは、アダム、エバが暮らす庭園の飾り物ではありません。宝なのです。各国の博物館にある絵一枚が何億だと言って、それを誇ることはできません。絵がいくら美しかったとしても、生きた草一握り、踏まれる雑草の一握りとさえも取り替えることはできません。 目の前に見えるものが億千万ドル、億億千万ドルの価値を持っているということを今まで知らずに暮らしてきました。それらは、わたしたちの先祖から幾千万代の後孫まで、永遠に誇ることのできる神様の宝物であり、模造品ではなく本物なのです。愛の祭物です。愛の財産品です。 ある晩、眠る前に太陽を見て「おい、もう夜になったから、おまえとは別れなければならない。おい、自然よ、わたしはくたびれて昼寝するが、すまない。少し昼寝してから遊んであげる」と言わなければなりません。わたしたちは主人なのです。すべてのものの主人なのです。 「私」が主人であり、神様の代身です。それは、神様以上に自然を愛するということを意味します。この万物に、神様の愛と自分の愛まで合わせてこそ、万物は喜ぶようになっているのです。二つの愛を合わせなければなりません。 そのような自分の庭園を見るとき、育てている羊よりも、鶏よりもだれよりも、美しい自然を見て、傷つかず、芽が死なずに生きていてどれほど美しいのかと称賛をしてキスしてあげ、抱いて眠りたいと思うのです。そのような生活をしてみましたか?。愛して主人の役割をしてみましたか? 先生は、海も好きで、釣りも好きでしょう?。狩りも好きです。しかし、食べるために捕まえるのではありません。研究するために捕まえるのです。神様は、どのようにそれをつくられたのかと思って、研究するのです。そのような人になれば、世界の動物学者よりももっと優れた世界一の学者になるかもしれません。 ですから、愛さなければなりません。草を愛することができず、動物を愛することができず、昆虫を愛することができなければ、人を愛することはできません。それは段階的なのです。被造世界は愛の園、愛の教育の園なのです。分かりますか? (「はい」) あなたたちは、体の中で目をより愛しますか、鼻をより愛していますか、口をより愛しますか?。五官をもっと愛しますか、何をもっと愛しますか? (「生殖器です」)神様は、祭物をささげることを喜ばれるのですが、それならば、目を抜いて祭物としてささげればよいのです。そうすれば神様が喜ばれるのであり、鼻、耳、五官のすべてを抜いて祭物をささげれば、もっと喜ばれるのですが、生殖器を祭物としてささげようとすれば、神様は逃げだしてしまわれるというのです。なぜでしょうか?。なぜ、逃げていかれるのでしょうか?。なぜですか?。なぜ、神様は逃げていかれるのですか? それを祭物にすれば、世の中がなくなってしまうからです。(笑い)分かりますか? (「はい」)。これは、絶対に祭物にしてはならないというのです。それでは、すべての五官を何のために祭物としてささげるのかというと、これを保護するためなのです。 最も貴いものは何ですか?。体で最も貴く愛さなければならないものは何でしょうか?。どのようなものが最も貴いのですか? (「生殖器です」)。生殖器。それは本当ですか? (笑い) さあ、分かりますね?。これが分かりますか?。歴史的な出発の統一的な基準が、初めてここに来てこのようになったので、第一次、二次、三次が堕落の恨を抜け出し、解放的天上の相続者として登場する自分自身を記憶して天の国に直行するのです。アーメン。(「アーメン」) 統一教会は、第一次、二次の重生式、これをすべて経ていかなければなりません。そのような式をしなければならないというのです。それが旧約時代の万物世界だったのであり、新約時代には神様の息子、娘が、この世界の息子、娘なのであり、成約時代には父母まで……。 それで今日、わたしたち統一教会では、「生畜献祭」というものがあります。旧約時代に神様が所有を分けられたという事実は、悲痛な事実なのです。それから息子、娘です。それから自分の夫婦です。真の父母までもそのようにしたというのです。追い出されてもう一度復帰しました。 そして、先生を中心として見れば、旧約時代の万物です。それゆえに、すべて蕩減してしまい、自分が行かなければなりません。成約時代には、ご父母様までも犠牲にしました。祭物になったのです。 ですから、先生の一生は十字架の道です。それは、あなたたちの生きている父親、母親、すべての一族、親族のためにそのようなことをしたという事実を知らなければなりません。それゆえに先生は、あなたたちをわたしが苦労した相対的立場に立てたので、できる限り捨てないように、捨てていかないようにしたのです。 しかし、わたしが国境を越えて、国を超えて守ることはできないので、皆さんの一族が守らなければなりません。父親が息子にならなければならず、兄が弟にならなければなりません。反対になるのです。家庭が後ろ向きにならなければなりません。 そのような点では、全世界の祝福を受けた家庭や、祝福を受けるべき立場にいるすべての人の前に、同じ平等的価値を中心としてチケットを分けてあげるのです。堕落していなかったならば、アダム家庭の一代で完成できたことが、堕落することによって、歴史的な伝統を通して世界的な問題になったのです。しかし、そうであったとしても、完成したアダム時代においては一代で終えなければなりません。分かりますか? 一九六〇年からの四十年間は、「祝福」です。先生の結婚、真のご父母様の祝福です。四十年たったここで二〇〇〇年です。これが一代です。何があったとしても、霊界のすべてのみだらなもの、地上のすべてのみだらなものを清算する時が来るのです。分かりますか?。ですから、すべて門を開けておかなければなりません。それで、地獄までもみ言の「訓読会」です。 水は、すき間さえあれば流れ込んでくるのです。空気も、すき間さえあれば入ってきます。日光も、すき間さえあれば入ってくるのです。生命というものには、そのような浸透力があるのです。ですから愛も、すき間さえあれば流れ込んでくるのです。愛も同じだというのです。そのようになるのです。分かりますか? (「はい」) そして、このようなすべての復活的な恵沢の愛を、真のご父母様が来て万民に等しく分け与えてあげるので、すき間さえあれば、どこでも人を中心として訪ねていかなければなりません。どこからですか?。今から、すべての人類の前に、だれもが三次祝福を一度に引き続いて受けることのできる時代が来たということです。 今年の標語は何ですか? 「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。赤ん坊の時代から死を前にした人々まで、これらをすべて清算してあげなければなりません。この式に参席していく人は、地獄に行きません。地獄に行かないというのです。自分が努力した代価に従って、天国を訪ねていくことができるのです。 今までは、カイン世界を愛する時代であったので、世界のために歩んできましたが、この四次大戦によって、後ろを向いてだれを愛する時になったのですか?。自分の一族、自分の氏族を愛する時に入っていくのです。分かりますか?。今までの蕩減時代はサタン世界、カイン世界を愛しましたが、今からは、だれを愛さなければならないのですか?。自分の一族を愛さなければなりません。父親、母親から兄弟、親族を愛し……。 「二・十節」を通して、それを天地で許諾することができるということをウルグアイのプンタデルエステで宣布したのです。分かりますか?。すべて成しました。自分自ら祈祷することができ、エデンの園で神様の解放された家庭として、自分の直系の子女を真のご父母様の代身として祝福することができるようになり、天地の全権、すべての血統を霊界や肉界において整備したので、行くべき道は平坦な道になりました。そうして、地上天国がそこから始まるということを知らなければなりません。 韓半島の統一ができなかったとしても、それは先生によって統一されるようになっているのです。「統班撃破」の基盤を築くことによって、いかなる与党、野党の力よりも強いのです。先生が行く所に、国がすべて動いていくのです。米国も同じです。先生と韓国の大統領と米国の大統領が一つになれば、世界が一つになるのです。 この日本は、エバの国を抱いてお父様の後ろにいればよいのです。分かりますか?。息子、娘たちは、父親についていけばよいのです。堕落は、エバについていって滅んだので、今からは「母子協助時代」ではなく、「父子協助時代」です。そのことを知らなければなりません。皆、分かりますね? (「はい」) 今ではもう、すべてのものが解放されました。先生が今からすべきことは何ですか? (「休まれなければなりません」)。休めば、腐ってしまうではないですか?。休めば腐るという話ではないでしょうか?。今から何をしなければならないでしょうか?。どろぼうをしなければならないでしょうか、税金をもらわなければならないでしょうか? (「税金をもらわなければなりません」) あなたたちは、先生がうらやましいでしょう?。うらやましいですか、うらやましくないですか?。うらやましいですか、嫌いですか?。あなたたちをどの蕩減条件で使ってしまいましょうか?。結婚して幸せに暮らすようにして、それが蕩減条件になればよいでしょう?。 女性たちは今まで、地ばかりを見て暮らしてきたのですが、蕩減復帰しようとすれば、地を見ずに上を見るようにするのです。それが蕩減復帰です。ですから、「夫なくしては暮らしたくない」という女性の中で蕩減復帰しようとすれば、「夫なくして暮らしたい」と思う道を行かなければ蕩減復帰することはできません。蕩減復帰できなければ、霊界に行って別れて暮らさなければなりません。 さあ、今ではもう、「世上万事(世の中のすべての出来事)」が終わったでしょう? (「はい」)。それでは、今から先生は何をしなければならないのでしょうか?。今、わたしの歳は六十ですか、八十ですか? (「八十歳です」)。では、八十ならば、つえをついていかなければならないでしょうか、歩いていかなければならないでしょうか? (「歩いていかれなければなりません」) あなたの家に先生がつえを持たずに行ったならば、あなたの家で先生が楽に行くことができるようにつえを準備しますか、しませんか? (「します」)。夫婦で、「アイゴー、嫌だ」とけんかをしますか、喜んでしますか? (「喜んでします」)。つえはどのようなつえですか?。曲がりくねったつえ、安物のつえ、金のつえ、ダイヤモンドのつえ、どのようなつえですか?。わたしがつえを持たずにあなたたちの家を訪問するときには、間違いなくつえを準備すると、そのようにしたい人は手を挙げてください。(「アーメン」) さあ、先生がジェントルマンになって訪ねていけばよいですか、乞食のようにして訪ねていけばよいですか?。ダイヤモンドや金のつえを作ったのに、先生がぼろぼろの服を着て、乞食のようにしていたら大変なことになるのではないですか?。日本で一番優れた準備をしたいですか、したくないですか? (笑い)何千年の間、出会うことを願ってきたこのエバ国家、この妻が、その準備をすることができなければなりません。 さあ、それでは夕食だけ食べさせて追い出すのですか、一食だけしか食べさせないのですか、二食、三食食べさせますか?。朝食と夕食を食べさせて追い出しますか、「一晩泊まっていってください」と言いますか?。どちらですか? (「毎日、侍ります」)。毎日ですか? それでは、あなたたちが結婚するときよりももっと良いベッド、もっと良い食事を準備しなければならないでしょうか、劣ったものを準備しなければならないでしょうか、もっと良くしなければならないでしょうか? (「良くしなければなりません」)。本当ですか?。そのようなことを「私は、死ぬことがあっても一度やろう」という人は、手を挙げてください。(拍手) 日本に最初に行くのですか、二番目に行くのですか、どちらですか? (「最初に日本です」)。日本に最初に行くようにしたいのですか、二番目に行くようにしたいですか? (「最初に行くようにしたいです」) それでは、わたしがある一軒の家に行くとして、どの家でもわたしが来ることを願って手を挙げるときには、十軒なら十軒に行って、すべて同じでなければ、先生はそれを拒んでしまうつもりですが、どうするのですか?。十軒のうち、一番良い家に行って昼食でも食べたいと思うでしょう? (「はい」)。良くない家に行きますか、良い家に行きますか? (「良い家に行きます」) 地上世界のすべての統一教会の人々が準備をして、良い家に良い食事を準備したことと天上世界とを比較できますか、できませんか?。日本に一度行って来たら、永遠に日本にまた来るでしょうか、来ないでしょうか? (「来ます」) 霊界をよく知っている先生が……。霊界がどうなっているか、よく知っている先生ですか、知らない先生ですか? (「よく知っている先生です」)。それでは、「日本全体が一つになってでも、そのような集団をつくり、三年間くらい暮らすことのできる一つの代表的な村でもつくらなければならない」と、そのような運動でもしなければならないでしょう? (「はい」) そのような国があれば、日本が最初にならなければならないでしょうか、長子が最初にならなければならないでしょうか、使い走りの者たちが最初にならなければならないでしょうか?。アメリカがならなければならないでしょうか?。父の国の韓国はどのようにしなければなりませんか?。日本が部落のレベルでそのようにしたならば、韓国はすべての地がそのようにならなければなりません。それ以上にならなければならないというのです。 さあ、先生は今、家に帰らなければならないのですが、どこに帰らなければならないでしょうか?。どこに行かなければなりませんか? (「北韓です」)。北韓は金正日がいるのに、北韓に歩いていくのですか?。韓国に行かなければなりません。それでは、韓国に行かなければならないでしょうか?。韓国は金大中がいるのです。それが問題なのです。そのようなことを考えましたか? それゆえに、部落をつくり、来られる主を部落ではなく一つの郡をつくり、郡よりも良い道をつくり、道よりも良い国をつくり、国よりも良い天の国を地上につくらなければならないというのです。 地上天国が、天上天国よりも先に現れれば、先に宮殿をつくったので、天上天国がついてくるのです。天上天国がついてくるということを知らなければなりません。それは、だれがしなければならないのでしょうか? 「ああ、それは真のご父母様がしなければならない」と言うのですか? 堕落した世界は、母親とカイン、アベルが滅ぼしてしまったので、母親とカイン、アベル、このすべての世界がそれをつくらなければならないのです。夫を失い、父母を失った者たちが、「父母が来てください」、「夫が来てください」と、夫が来ることを願ったので、地上に来て乞食のような姿になったのですが、またはぎ取ろうとして「来てください」と言うのですか?。肉だけではありません。先生の体の骨まですべて削り取り、はぎ取るのですか?。 あなたたちが自分たちの皮をはぎ、肉を切り、骨が溶け出したとしても、このことをする命令をだれがしなければならないのかというのです。だれがするのですか?どこの国の、いかなる宮中も比較にならないほどのものをつくらなければならないということが、わたしたちの責任なのです。そのような、わたしたちに残された過程があるということを知らなければなりません。 そうでなければ、天の国の威信と父母に侍る権威とを立てることができないのです。サタン世界よりもりっぱでなければなりません。地上でそのように侍らなければ、それ以上の天国に行って、王宮とその国に侍ることができないという事実を知らなければなりません。 今から、あなたたちの伝道時代が来ました。あなたたちがする時です。良いですか、悪いですか? (「良いです」)。目玉が飛び出るほど、鼻がへこむほど、口が乾くほど、耳が飛ぶほど、手が病気になるほどしなければなりません。このように。これは、先生が語るためのものではありません。あなたたちが今後、何をしなければならないのかということを教えてあげるためのものです。方向設定のためにしてあげるのです。 今から、万物に対する解放のために、土と水と空気、これをすべて解放してあげるために、聖酒をそこでまき、自分の息子、娘を中心として腹中から幼稚園時代、中高等学校時代、それから残っている自分の一族、死ぬ前の年老いたおじいさんまでも祝福の恵沢を与えて、すっきりと送ってあげなければなりません。そうしなければ、あなたたちが讒訴されるということを知らなければなりません。そのように恐ろしい時が来たのです。 先生が、あなたたちを脅迫するためにこのような話をするのですか、真正な意味で話をするのですか?。先生が今晩、寝ていて霊界に行ってしまうということもあり得るではないですか?。ですから、そのような話をすべてしてあげなければなりません。 先生が行く霊界についていきますか、他の霊界に行きますか? (「ついていきます」)。既成教会の信徒たちはどうするのですか?。イエス様が先生の後ろについてくるということを知っているでしょう?。楽園に行って結婚もできなかったのを、わたしが結婚させてあげたことを知っているでしょう?。今、ベルベディアで暮らしているでしょう?。皆、知っていますか? イエス様の夫人がどのような容姿なのか、見たくないですか?。孔子の夫人、釈迦の夫人、マホメットの夫人、皆、決めたのです。彼らが天の国から先生にあてて送ったあいさつの手紙が、このように積まれています。 彼らは、「自分たちの宗団がすべてなくなったとしても、先生の願うことは何でもする」と言うのですが、あなたたちは彼らよりもよくできますか?世の中に、孔子を結婚させてあげ、イエス様を結婚させてあげ、釈迦を結婚させてあげ、マホメットを結婚させてあげる、そのような人がいますか?。わたしが彼らの結婚指輪を一万ドル以上のものにしてあげました。これは、気が狂ってそのようにしたのですか、事実なのでそのようにしたのですか?。一双で二万ドル以上でしょう?。それは狂ってそのようにしたのですか、分かってそのようにしたのですか? (「分かってそのようにしました」) さあ、今、皆さんが精誠を尽くして……。先生の八十歳の生涯は今、もう最後です。これは、歴史において初めてのことであり、最後のことなのです。それでは、贈り物をしますか、しませんか? (「します」)。それを考えてみましたか?。ああ、自分の誕生日に祝賀の礼物をもらおうとして、そのようなことを教えてあげる父母がどこにいますか? しかし、わたしが父母の位置でこれを教えてあげなければ、あなたたちが父母になるときに、その名誉を汚されるというのです。何のことか、分かりますか? (「はい」)。それは、素晴らしい男性になり、素晴らしい孝子、孝女になるために不可避なことなのです。 これを越えていくときは、先生よりも財産の多い人は引っかかります。分かりますか? (「はい」)。すでにすべてを神様の前にささげていなければなりません。「総生畜献納解怨祭」です。 あなたたち祝福家庭は、真の父母の位置で成約時代であり、それからあなたたちの息子、娘は新約時代の祭物、それからあなたたちの万物は旧約時代なので、この全体を神様の前にささげなければなりません。そうしなければ、復帰できません。そのようなことは皆、知っているでしょう?。分かりますか? ですから、ジャルジン四十日修練に行かなければなりません。そうしなければ入籍できません。いつ大移動が起きるか分かりません。分かりますか?。ソ連の共産党が、少数民族を大移動させて混ぜてしまったことと同じです。 さあ、結論は簡単です。「私」は、第四次アダム圏時代に天の国の王圏時代を代身して、そこの忠臣烈女に間違いなくなるのであり、家庭的孝子、孝女になるということを皆さんは知らなければなりません。(「アーメン」)さあ、それを願う人は手を挙げてください。神様の祝福があることを願います。(金キム孝律ユル先生による祈祷) 昨日、一九九九年十月二十三日に「総天宙祝福解放日」を宣布しました。今、四億三千万の祝福家庭がいるのですが、それはアダム家庭を完成した家庭であるので、一家庭が絶対的に責任を持って祝福してあげてこそ、第四次アダム圏内に越えていくことができるということを知らなければなりません。それから、先生が祝福してあげるのではなく、あなたたちがすべて責任を持つのです。氏族編成し、国はあなたたちが求めなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.03
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「総天宙祝福解放日」宣布一九九九年十月二十三日午前七時、アメリカのイーストガーデンで真のご子女様と四十余名の教会の指導者が参席する中、総天宙が祝福を通じて解放を迎えることのできる「総天宙祝福解放日」を宣布された。また、この日、聖酒と聖キャンディーも新たにつくられた。 十月十日にプンダデルエステにおいて、この「二・十節」を中心として、十日が過ぎて、三日目を迎える日です。ですから、三十数を過ぎて、三十三数に該当する日になります。このような日ですから、全体の摂理観的な立場で、これまで先生が発表したすべての内容を終結させる時が来たのです。 先生が発表したのが……旧約時代、新約時代、成約時代を経て、第一次、第二次、第三次アダムを通じて霊的、肉的に分かれたものを再び探し立て、四十年ぶりに実体圏全体を蕩減して越えていくのです。越えていくだけではありません。越えていって、堕落していない本然の実体、堕落のない永遠なる勝利圏に立つことのできるアダムの勝利版図を、この地上に立てなければならないのです。それが、既に発表した「第四次アダム圏時代」です。 「第四次アダム圏時代」というのは、世界祝福を受けたすべての統一教会の教徒を、アダムとエバが堕落しないで祝福された立場に立ててあげるのです。その祝福された立場に立って、一次、二次、三次アダム圏のすべての勝利圏の上で、それを相続することによって、初めて自分が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情圏を中心として、天地父母と一つになった基盤の上で、すべて清算しなければなりません。 アダム、エバが堕落することで、どのような結果になりましたか? 万物の嘆息が生じました。そして人間の嘆息、真の父母の嘆息、天使世界の嘆息、神様の世界嘆息、創造した創造主から実体圏の全体が嘆息するようになったのです。 アダム、エバの一家庭によって、このような立場になったので、その家庭的な基準を全体蕩減させるべき代身的な立場に立つには、天地父母に完全に侍り、一つになって、そのすべてのものを蕩減できる権限を受け継ぐのです。それ以外に道はありません。 ですから絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基盤の上で三時代がありますが、旧約時代は供え物の犠牲時代、新約時代は子女の犠牲時代、成約時代は真の父母の犠牲時代、それから神様を中心とした心情的な犠牲時代、このようにすべてを蕩減して越えていくのです。 そうすることによって、皆さん自身はどのような立場に立ちますか? 万物を嘆息させたアダム、エバと復帰路程で摂理したすべての宗教圏の蕩減条件を越えて、万物解放の主人、その次には子女解放の主人、その次にはアダム、エバの家庭解放の主人、その次には神様解放の主人の立場を決定することで、すべてが終わるのです。 ですから、ある一日を設定して、清算できる日がまさにきょうなのです。それで、先生が「総生畜献納祭」を蕩減条件として、家庭を中心としてなしてきて、「二・十節」を中心として祝福を伝授してあげるこのような日を定めました。アダム家庭の堕落していない父母は、自分の直系の息子、娘を祝福してあげなければならないのです。 この祝福された家庭たちは絶対的に、先生に代わって一つの家庭を中心として一族全体を訪ねていかなければなりません。一族全体に連結された祝福家庭は、完成したイエス様の国家的基準であり、完成した世界の天宙史的な勝利の基盤に立っているのです。ですから、その立場にあって、横的に一族圏内に残っているすべての祝福されていない人々を、天と関係のないカイン圏を完全に一掃してしまわなければならないのです。 それで、皆さんの生活する一族圏内は、物も子女も祝福を受けた夫婦も、神様と天地父母と完全に 一つになって中心の立場に立つのです。そうして、堕落と関係のない歴史時代において、これまで堕落によって汚れてきた痕跡と関係のない、解放の立場に絶対に立たなければならないのです。そのような祝福の恵沢を与えることができ、全人類、天上世界と地上世界にそのような権限を伝授してあげなくては、先生がこれまで蕩減役事した天上世界、地上世界を終結できないのです。そのような決定的なことをやったのです。 それで今から何をしなければならないですか? 一番の問題は、サタンの環境を除去することです。堕落が何かというと、サタンの環境を築いたのです。サタンの環境が何によってできましたか? 偽りの父母の血統を通じて展開されたので、サタン世界の環境を天の世界の環境として整備しなければなりません。天の世界に向けて清算するのです。 それは何によって? 神様的な血統を復帰する勝利圏を中心としてです。神様の血統関係というのは、私たちのみ旨で見ると、責任分担を完成できる結果主管圏と直接主管圏内の一体圏を築くことです。心と体が一体を形成し得るものを中心として、地上世界と天上世界が分かれたものをすべて一体にしなければなりません。 東西に分立したすべての文化の隔たり、南北の貧富の格差、環境的な与件の隔たりが、千態万象に違うすべてのものを均一化させ、平準、平等化させる責任を果たすのです。そのような絶対的な基準を立てるのです。そうしなければ、このみ旨の摂理史的な完成時代は、祝福時代でありますが、祝福時代において世界の版図、終着点を越えて立った新しい理想的天国時代である「第四次アダム圏」に入っていけないのです。今やすべてのものを清算しなければなりません。 それで皆さんのもとにある万物が、これまで嘆息しているのです。なぜ、嘆息しますか? 真の父母を中心として神様の愛の世界に入って、主管を受けることができませんでした。それで万物圏の嘆息圏を解放しなければなりません。それから皆さんの子女たちが今、そのまま死ぬことになれば、地獄に行くのです。皆さんの子女が解放的な恩賜圏内に立っていないので、皆さんの子女たちの解放圏を完成しなければなりません。それから、皆さんの家庭はまだ条件を越えることができていません。蕩減の条件を越えることのできる祝福を、先生が勝利したものを与えることによって越えて立つことができるのです。 その次に皆さんの家庭を中心として、氏族、民族、国家、国家を越えられなかったのです。これまでサタンが国家基準で全権行使したので、これを踏みつけて、天の全権行使として連結できるすべての蕩減条件を立てたというのです。以前にコディアックで全体、全般、全権、全能の時代に転換するという日も発表しています。すべてをこの宣言を中心として越えてきたのです。 それで、きょうを期して、四大心情圏の一致、万物解放、子女解放、夫婦解放、天地父母解放圏を宣布するのです。そうすることで、こうした勝利の基準を中心として、信じているその立場は、神様が自在に活動できる神様の絶対所有圏内に入っていくのです。絶対万物の解放、絶対子女の解放、絶対夫婦の解放、絶対家庭、一族、一国の解放圏が展開されることで、サタン世界は終わりになる日が遠くないということを知らなければなりません。こうした最後のすべてを整備、整理できる宣言が、この時間なのです。 それでは、何をもってやらなければならないでしょうか? 「聖者」です。ですから、以前に発表したように新生式、復活式、永生式です。同じように万物までも、この式に参席できるようにしなければなりません。それで「聖者キャンディー」を……。きょうから来年の一月一日までが七十日間です。真の父母の御聖誕日まで百二十日間です。これは原理的な数のうちで絶対に必要な数です。この期間において、私がこの全体を世界化しなければなりません。 きょうから皆さんが「聖別キャンディー」を街行く人にも分け与えて、食べさせなさいというのです。ですから、きょうから家庭にいる妊娠した夫婦であっても、このキャンディーを皆食べなさいというのです。腹中にいる赤ちゃんが食べたら、その赤ちゃんを生んだ人たちは……復活キャンディーです。そうしてこれを経てから、祝福されることによって、永生が実現するのです。迫害を受けず、蕩減を受けないで、永生圏内に入っていくのです。 新生、復活永生です。祝福されるには、永生の立場に入っていくには、血統的に清まらなければなりません。腹中からです。今まで祝福家庭も争うことによって、いまだに第四次アダム圏内に越えて来られなかっただけに、全部このキャンディーを分配しなければなりません。祝福家庭も食べるのです。 それから氏族的メシアは自分の一族を救わなければなりません。金氏ならば金氏に、強制的にでも食べさせるのです。イスラエル民族がエジプトを離れるとき、自分の民族がいる所に、いかなる困難があっても通告したのと同じように、通告して引っ張り出さなければなりません。出てこなければ、首に縄をつけてでも引っ張り出すのです。祝福を受けられる新生式、復活式永生式に参与できる環境的な与件を皆さんが治めないことには、天国に直行できない立場にあるのです。 それこそ、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰です。本来アダムが、長子となり、父母となり、王権を立てなければならないのですが、それらを失ってしまったのです。イエス様が来られて長子権を、一族で、教会で、民族で、国家で復帰できませんでした。来られる再臨主は、個人の長子権、家庭・氏族・民族・国家・世界・天宙的な長子権を立てて、長子の父母権、長子の王権を復帰できる立場に立ったのです。皆さんがこれを絶対伝授式を通じて受けて、越えて立った後には、自分の考えを中心として生きてはいけないのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。この基準を中心として今後、新しい時代に転換するという決意をして、きょうからこのキャンディーを街行く人々に、一族に……世界的に道を遮って強制的にでも食べさせるのです。自分の一族から始めて、一族が連結された村や市、郡、国家まで押し進めていくべき今後の責任があるということを知って、実践しなければなりません。そのような時期なのです。 祝祷 愛するお父様……、きょうは歴史時代の最後の整備と共に、最後の審判の過程を宣布いたします。万物解放と共に、子女解放と共に、夫婦解放と共に、真の父母の地上圏解放、天上世界の創造の解放圏を宣布して、新しい時代の転換を宣布できる日を許諾してくださったことを感謝いたします。 きょうを、創造主とすべての実体圏を大転換する日として立ててくださいませ。真の父母を中心として天地父母が一体となり、天上世界の天使圏と祝福されたすべての子供から青年まで……、地上において祝福を受けた家庭と、これまで乳児時代にとどまっていたすべてが、真の父母の血族圏に一体一族圏を宣布することのできる、この時間を持たせてくださいましたことを感謝申し上げます。 全宇宙はここに焦点を合わせて、既にルーシェルとその残党たちを防備できる「九・九節」と「三・十節」を宣布いたしました。その基盤の上に、すべて自分たちが真の父母の代身として天の祝福を要求でき、天のすべての開拓的な路程を建議できる基準にまで至って、すべての相続を受けました。そうして、真の父母の勝利を天上世界と地上世界に移譲する式として、万物を解放し、旧約時代をなくし、新約時代をなくし、成約時代をなくし、今までの心情時代のサタン圏全体をなくし、新しい天の世界に万物・子女・夫婦・父母圏全体が栄光の出発を宣言することのできる、新しい時代を迎えさせてくださいまして感謝申し上げます。 この時間から、このすべての式を経て、万物解放、子女解放、夫婦解放、真の父母解放、天上の創造主、天地父母の解放と共に、天上・地上、統一的なあなたの理想的愛の主権世界をして、前進に前進を誓うことができますよう、真の父母の御名、ヤハウェの真の天地父母の御名によって宣布いたします。一切を勝利の一方通行をもって、あなたの愛による主権の世界へと前進すべし! アーメン、アーメン、アーメン! (真のご父母様は、聖酒と聖キャンディーを手にされると、聖酒を持って建物の外に出られ、万物世界を聖酒によって聖別し、再び中に入ってこられて万物を聖別された。そして訓読会の参席者たちを、直接に聖酒によって聖別なさった。) それでは、この聖酒を皆授かりなさい。授かったものとして、天地の上の全体が……。万物、子女、祝福を受けた家庭、そして真の父母圏、そして天地父母です。それで天地父母と実体圏、実体圏は、万物、子女、家庭、氏族、民族、国家の解放式です。創造主と真の父母の実体圏、創造主と実体圏、真の父母と実体圏解放式です。 感謝祈祷 神様……、恨多き歴史をたどってこられたお父様……、その誰も知らない心情の十字架を万人背負って訪ねてこられた創造主が、この地上に真の父母を送り、ありとあらゆる恥辱の道に追い込んで体験させながらも、その背後において、その愛の鞭を打たれた子女を保護することができず、顕現なさることができないものの、悲しまれながら、最後まで導いてくださった恵みに感謝申し上げます。 分裂した心と体の統一に向けて、天が叫ばれたその時代、家庭的時代を開拓するために、あなたが耐えてこられたその時代、祝福した家庭を収拾して氏族の編成、民族、国家、世界の版図まで拡大したその時代、そうして今や南北が分裂した朝鮮半島を見つめ、東西が分裂したこの世界史を見つめ、天地が分裂したこの天宙史を見つめられるお父様の苦痛の心を、今やこの時間を通し、踏み越えることのできる時間をお持ちになりました。 あなたの全体、全般、全権、全能の行使を通じて、主導的な立場で先頭に立ち、すべてをあなたが先着の立場で指導して、すべてを処理することのできる、絶対的な勝利の盾の圏を私たちに引き継がせてください。そうして、心と体を中心としては、心の前に体が絶対的に服従し、家庭において中心となった夫ならば、夫を中心として妻が絶対的に一つになり、絶対的に一つになった夫婦を中心として、子女が絶対的に一つになり、子女が絶対的に一つになった家庭を中心とし、三代一族を中心とし、神様の氏族編成を中心として入籍しなければなりません。そうした絶対圏を願われる基準の前に一体となれる家庭、氏族的メシア、国家的メシア、世界的メシア圏を完結できるよう許諾してくださいませ。 このすべてを、ご父母様が代わりに勝利の盾の条件として立てましたから、自分の国と自分の氏族と自分の家庭にも、そのような条件的な基準を立てるべき責任が残っているということを、それぞれの祝福家庭が自覚しながら、このみ業の前に一念一体を中心として前進だけが、今後、天と共に真の父母にあるよう許諾してくださいませ。 ルーシェルとサタン一族全部は、この地上から消え去り、すべての人類における解放の背後にあって、影のように救いを受けることのできる道も許諾されました。ですから、一切を自主的な権限をもって、天宙を統治し、主管、指導してくださいますよう切にお願いしながら、真の父母の御名によってヤハウェの前に宣布、宣言いたします。アーメン、アーメン、アーメン! み言 自分の一族たちを収拾し、一国を収拾すべき責任が皆さんにあります。真の父母の時代は過ぎ去るのです。各国が責任を持たなければなりません。今、先生は国を動かせる時代を越えて立ったのです。 ですから、イエス様がイスラエル選民を中心として……選民の目的は祝福家庭を築くことです。選民的な国家基準を乗り越えられる祝福の版図が、地上・天上世界に一元化しているだけに、先生がアダム家庭でサタンに条件を残したすべてを解放できる立場に立ったのです。 ですから、そのような勝利的な覇権を中心として、これまで国家を求め、世界を求めて、先生は迫害を受けてきましたが、皆さんは国を中心として、先生の勝利の覇権を中心として、一切、前進的に突き進んでいかなければならないのです。 ここで注意すべきことは何でしょうか? 今後、最後の目的は「統班撃破」です。自分の一族の「統班撃破」です。これだけやっておけば野党、与党は自動的にここに引き込まれてくるのです。野党と与党がカイン、アベルを中心として一つになって入ってくることにより、イエス様を中心として右側の強盗と左側の強盗が完全に一つになった立場に立つのです。三者が一つになることによって、サタン世界が完全に統一圏に移行し得る時に入ってきたのです。 先生から言うと、左右を統一させて、霊界と肉界、聖人と殺人鬼を祝福してあげた内容があるので……地上世界の解放、天上世界の解放です。既に解放圏が形成された基盤の上に立っているので、皆さんはその天地父母を信じて突き進まなければなりません。国や主権といったものを恐れる時は過ぎ去ったのです。さらには私たちの権限とは何ですか? 失われた家庭、青少年の淪落、家庭破綻……、すべてを解決できる根なのです。地引き網にたとえれば錘のようなものです。 それによって、なんとしても一族で引っくり返し、一国でひっくり返しておかなければならない責任が各自にあるのです。これには反対がありません。押せば押されるようになっているのです。 統一教会のレバレント・ムーンが勝利的な基盤を整えたものは、すべて世界的です。時代に見合ったこの内容について、内外ともに誰も否定することができません。さらには『世界平和超宗散超国家連合」を中心として、宗教人、政治家、学者、言論人までも糾合して訓読セミナーをしたのです。これを勝利的な盾として大々的に宣伝するのです。言論機関を通じて宣伝しなければなりません。 そうすることによって、それを否定できる者がいないという事実を公然と発表するのです。万国万民の勝利的盾まで築いておいた事実に反対する者がいるならば、つかんで放さずに誓わせなければなりません。「何をもって反対するのか!」と言うのです。絶対権限をもって突き進んでいくべき時が来たのです。 いかなる権限を持った者にも、躊躇するなというのです。いかなる法、いかなるものも躊躇するなというのです。それを阻む法がどこにありますか?サタンの血統を根絶して、地上・天上天国、神様が王者として勢いを得る時代を誰もが願うのです。誰もが願いました。夢でも願ったのです。歴史を通じた希望的な理想の夢として残されたものが……、解怨される立場に反対する者はないというのです。ですから、自信を持って一方通行で、すべてを浄化してしまわなければなりません。 万物解放、子女解放です。それで「総生畜献納祭」を完成して神様の前に奉献しなければなりません。ですから、皆さんの所有権を持つなというのです。一切は神様の所有です。神様から始まったのです。ですから、自分から関係したものと考えることができないのです。 ワシントン・タイムズも統一教会のものではありません。神様から始まったのです。ご父母様のものです。アメリカの国も、ピルグリムファーザーズ(一八二〇年にアメリカ大陸に渡ったイギリスの清教徒)が始めたのではありません。神様から始まったのです。神様から始まりました。それを知らないので滅びるのです。 真のお母様の祈祷 愛のお父様……、感謝いたします。あなたの深く広く奥妙なる愛の前に、私たちは感泣するばかりでございます。 お父様……、この日を宣布するまで、どれほど長い歳月を耐えてこられたのでしょうか? お父様、お喜びください。お父様が全知全能なる権限をみ意のままに行使することのできる、新しい新天地が開かれたことを感謝申し上げます。 お父様……、すべてをあなたのみ意のままに成してくださいませ。切に求めてやみません。すべての統一家の子女たちが、心と体を一つにして、これまで不足であったことを清算し、今や完全に縦的な神様と一体の立場で最後の責任遂行を果たせるよう、きょうも拍車をかける一日となりましたことを感謝申し上げます。 お父様……、韓国と日本、アメリカを中心として、最後の歴史を清算し、新しい千年を始める準備をするすべての日々を、勝利の日として立ててくださり、必ずあなたが「すべて成就した!」と言われて、喜び祝賀できるその日を、お父様……、私たちすべては願うものです。 お父様……、これまで難しかった、大変だった、苦しかった、苦痛だったすべてのことをみなお忘れになって、これからは希望に満ちた日々だけを迎えてくださいませ。必ずや、報いる真の子女たちとなることを誓う、きょうのこの朝となることを信じてくださり、きょう一日を出発しながら、与えられた食卓を感謝しつつ、真のご父母様の御名によってお祈りいたします。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.03
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「二・十節」宣布一九九九年十月十日(日)、真のご父母様は、ウルグアイのプンタデルエステで十余名の指導者が参加した聖日の敬礼式において、天の十数と地の十数が合わさり、天と地が完全に一致し得る日として、「二・十節(双十節)」を宣布された。第四次アダム圏時代の内容の中で、「祝福家庭には直系の息子、娘を祝福できる恵沢が与えられる」と語られた。 祝祷 愛するお父様……、きょうは一九九九年十月十日、この月を迎えて、二度目の安息日でございます。「二・十節」を迎えたこの日の上に、天と地が完成を願う一つの勝利を祝賀する日となりますよう許諾してくださいませ。 この時間は、ワシントンにおいて『世界平和超宗教超国家連合」、超大学連盟(世界大学連盟)、言論会の全責任者たちが集まり、訓読セミナーを始める時間ですので、お父様が祝福してくださいませ。一次、二次、三次の訓読大会を通じて、万民が一つの生命を中心とした連結体となり、神様の愛を中心とした一つの主権を立てるのに、重要な指導者を選出することを許諾してくださるよう切にお願い申し上げます。 これを来年の正月までに、七次まで、このすべての集まりの基本を組んで、各国家の代表たちを中心として、国家メシアたちと一つになり、訓読教育を全人類の前に編成することができる教育が始まるよう許諾してくださいませ。そうして、あなたの創造理想であるあなたの愛の主権を中心として、万民があなたの直系の血統的な権限を持てるようにしてくださいますよう切にお願い申し上げます。 霊界に行っているすべての聖人、先祖、千千万の聖徒たちが祝福圏内に立って、地上にいる後孫たちの祝福家庭と一体となり、天地父母に侍って、愛の国を賛美し得る勝利した地上・天上天国の解放圏を整えるよう、許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 この時間、全世界に広がっている統一教会の群れが、ご父母様のおられるこの地に向かって、心を合わせて精誠を尽くす所には、一律的な愛の恵みを共に与えてくださいませ。彼らを中心としたお父様の愛が周辺のすべてに現れ、天に侍って生きる人々の生活の模範となり、すべての行路の模範となり、その氏族と民族、国家全体が天に従っていける道を示すことを許諾されるよう切にお願い申し上げます。 そうして天が求め、求め、求めてきた愛の祝福の家庭として、生きがいのあるそのような祝福家庭が、地上・天上世界、全体となることを許諾してくださるよう切にお願い申し上げます。 この場をお父様が祝福してくださり、ここにとどまる期間お父様が共にあられますよう切にお願い申し上げます。この地と共に因縁のあるすべての関係の上に、またこの南米全体の上にお父様のみ手が共にあり、解放された信仰の中で、天の栄光を高め、賛美できる統一家の群れとなり、この南米と北米となるよう、許諾されることを切にお願い申し上げます。 そうしてキリスト教文化圏を収拾しようとする父母の国と長子の国が合わさり、アメリカを投入して長子権の国を代表し得るキリスト教文化圏を収拾し、あなたの足となり、あなたが遍歴できる勝利の隊列を整えていくことを願うものです。すべてがみ意のままになされますよう許諾してください。 全体をその先祖たちと共に、キリスト教を信じて逝ったすべての信仰者たちが、一体となって、アメリカを柱とした全世界の旧教、新教を統合し、すべての宗教圏を代表して結束できるカイン、アベル的な前進的な統一圏として、地上天国の解放圏まで連結するよう許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 きょうの全体を、ここで始まる全体を受けて主管してくださるよう切にお願い申し上げながら、真のご父母様の御名により祝願いたします。アーメン、アーメン、アーメン! み言 神様が愛するというよりも、一番引っかかるのが生殖器です。ですから、この生殖器を絶対信仰しなければなりません。絶対愛、絶対服従しなければなりません。それが総蕩減というものです。その部分が最も歴史を滅ぼしてきたからです。 それはどうしてでしょうか? 神様を絶対的に信じることができず、絶対的に愛することができず、絶対服従できませんでした。何がですか? それがやったので、それを中心として、線を引かなければなりません。決定しなければならないのです。ジャルジンに来て、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を宣言したのは、エデンの園で神様が創造されたその場にまで上がろうとするためです。何がだめにしたかというと、生殖器です。 それを中心として絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を越えられなければ、神様と一体になれないのです。そのことを言っているのです。神様が愛するならば、目、耳、すべてのものがありますが、一番憎いのがそれです。それを抜いてしまわなければならないのです。 自分自身が絶対に信じることができ、絶対に愛することができる、それは愛の中心で絶対服従できなければなりません。神様と完全に一つにならなくては、その愛の道を行けないのです。 きょうのこの時間が「二・十節」です、「二・十節」。天の十数であり、地の十数です。ですから、祝福を祈祷するとき、自分の名前で祈祷するでしょう? 自分の名前で祈祷するようになっているでしょう? 九月十四日にそれを話したでしょう? どういうことかというと、堕落圏を抜け出したというのです。抜け出したため、今や皆さんたちが皆さんの息子、娘を祝福しなければなりません。息子や娘たちを中心として、祝福してあげなければなりません。ですから、これまで四億双を祝福したのです。四億双以上をこれまで祝福したのです。 それで、全祝福家庭は、自分の名前で祈祷することで、その家庭が自分の息子、娘を祝福しなければならないのです。ですから、四億双祝福は問題ないのです。この信仰基準が成されていないからそうであり、条件がまだ至らずにいるのです。四億双、祝福を受けた者が自分の息子、娘を祝福することで、第四次アダム圏に越えていくのです。 きょうの「二・十節」というのは、天と地が完全に一致し得る日であり、これまで絶対信仰、絶対愛、絶対服従の実体を中心として、それ自体が神様の前に一番憎まれてきたものを解消して、何をするのですか? 堕落的な家庭が完全に解放されて、第一次、二次、三次アダム圏を越え、四次アダム圏です。四次アダム圏に越えていくには、自分が自立的な立場ですべてのものを蕩減し、自主的に神様に報告できなければなりません。そうした時代になりました。 ですから、これからは自分の名前で祈祷するのです。今から何をすべきかというと、自分の名前で祈祷する家庭において、自分の息子や娘を祝福するのです。三代を中心とした、祖父から父、兄を中心とした家庭全体を消化できなければなりません。自分の息子、娘がいれば、自分の息子、娘から手がけて、兄の息子や娘がいればその息子、娘、そし祖母など、三代を中心とした祝福を強制的に完全に片付けてしまわなければなりません。 そうすることによって、第四次アダム圏一族となった基盤を越え、天の国に入籍するのです。全世界の祝福を受けた家庭は、このように自分の息子や娘の代わりに一つの家庭を、未婚の男女をすべて蕩減条件として立てなければ、越えることができないのです。これがカイン的な蕩減条件であり、その次には直系的な蕩減条件を立てていかなければならないのです。 ですから、四億双が八億双になるのです。八数を超える、そのような数字になったとということを、すべて報告してあげなさい。きょう、「二・十節」というその意義、それを合わせるために、急いでここに来たのです。 ここで今、何ですか? 「真の祝福天宙化とサタン血統根絶!」をどこでやりましたか? ここで宣布しました。その次に、天宙的な「四・四節」をどこで宣布しましたか? ここで宣布しました。ここでやったので、天地の統一的なものを、区切りをつけて越えていくべき内容があったので、再びここを訪ねてきたのです。 それで先生が、きょう開かれている第三次の「超宗教超国家連合」を中心とした訓読大会が越えゆくその日と共に、十月十日を中心として、今やすべて合うので、これを地上において打ちつけなければなりません。 ですから「二・十節」は、今後すべて世界の祝福家庭が息子や娘を中心として祝福できる恵沢を立てる出発の日になるということを知らなければなりません。それでページ数を記録しろと言ったのです。すぐにきょう連絡しなさい。それをもっと読みなさい。訓読会をしなさい。 ですから、今後「二・十節」は、世界の祝福家庭たちが息子、娘を中心として、祝福できる恵沢を立てる、祝福され得る出発を立てる日になるということを知らなければなりません。それで、ページ数を記録するように言ったのです。 ですから、一九六九年、三十年前ですか? 私がみな細密にやってあげました。それが原則です。それが法として、憲法を中心として、幼稚園からその法を守るべき時が到来するのです。そのような時代が来るのです。それにもかかわらず、今まで国がなく蕩減が必要な立場なので、今は保留しているのです。 南北が統一されて国を復帰すれば、憲法を中心として即決時代に入っていくのです。罪が保留されて、歴史的な過程で後代と連結しながら解くという、そのような条件がないのです。自分の代で誤れば、その代が引っかかるのです。そのような時代に入るのです。直接、即決時代に入るというのです。そのような恐ろしい時が来るのです。 祈祷 愛するお父様……、きょう一九九九年十月十日、このプンタデルエステの別荘を再び訪ねてまいりました。ここを中心として、「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」という宣言をした、この一年を中心として、霊界と肉界で結ばれたすべて、人類の一連の歴史的な恨に満ちたすべてを清算するため、霊界祝福と地上祝福、霊界統一と地上統一を標準として、真のお父様の、父母の生涯八十年を中心とした、新しい千年を迎えた二千年を出発する、このような限界線を迎えました。 これを中心として、新たに歴史的な分岐点を確定すべき責任をおいて、昼に夜に身もだえしながら、ここまで来ました。そうした中で、天が協助することで、多くの宣言の日々を備え、天上の解放と地上の解放圏を備えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 「九・九節」を設け、「三・十節」を設け、六千年の蕩減歴史を解怨成就なさり、今や神様の復帰摂理が終結しました。そうして、新しい地上・天上天国の新天地を迎えるべき一次アダム時代、二次アダム時代、三次アダム時代の恨に満ちた蕩減の路程を断ち切って、新たに第四次アダム圏を越えて立つことのできる一つの分岐点に、頂上の場としてこの場を訪ねてまいりましたので、この日を覚えてくださいますようお願い申し上げます。 十数は地上の帰一数であり、天の国の帰一数であります。この「二・十節」を中心として、二十数を中心として、アダムが二十歳にこれをすべて完成し、統一的な恩賜を立て、万民解放と地上・天上天国を完結すべき歴史的な全責任を果たせませんでした。そうして、分かれていたものを総整備、総清算して、一つの峠を越えて、一次アダムの失敗、二次アダムの失敗、三次アダムの失敗、万物と子女と父母の失敗圏を今やみな断ち切って、新しい第四次アダム圏を宣布できる、このような期間として、分水嶺を越えるこの時間を、お父様……、真の父母が天の前に通告いたします。 そのようにして、第四次アダム圏を準備するためイエスの御名で祈祷し、真の父母の御名で祈祷していたすべてを越え、祝福家庭の名前によって祈祷できる時代を迎えました。祝福を受けた家庭は今やアダムから堕落しないで父母の名前を携え、自分の息子、娘を祝福してあげられる時代を迎えることによって、本然的な第四次アダム圏に越えていく、地上・天上天国の解放圏を持たせてくれる頂上を越えるこの日を「二・十節」と定め、ここに至って、お父様の前に申し上げるものでございます。 これから第四次アダム圏を中心に青少年、未婚の男女、四億双を中心としたこのすべてが、これまで既成祝福、あるいは契約祝福、あるいは未婚男女の祝福を受けた四億三千万双以上の家庭を中心として、一つの家庭が一つの家庭を祝福できる代を継ぐことによって、第四次アダム圏の解放圏へと越えていける条件とさせてくださいますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 天上世界と地上世界が共に祝福を受けました恵沢圏内に立ち、真のご父母様が今や地上世界と天上の「二・十節」を中心とした二十数を中心とした本然のアダム完成の基準を中心に、愛の理想統治、全体、全般、全権、全能の権限を立てられた、すべてを解放した立場においてすべての祝福を受けた家庭が、アダム家庭が堕落しないで祝福を受けた家庭のような立場に立てますように。そうして自分の息子、娘たちを祝福できる時代を残しました、この四億双の未婚男女祝福の道を開拓する先発隊となるよう許諾してください。 そうして、すべての天の恨を解き、地の真の父母の恨を解き、万民、万象の恨を解いて解放し、地上天国を宣布できる解放された第四次アダム圏の新天地・新国家とならしめてくださいますよう切にお願い申し上げます。 この日を分別し、この日を立てるために、「二・十節」を期して、ここに訪ねてきて第四次アダム圏の頂上を越える日として定めることを願い、この日を立てて宣布いたします。これと共に天上天下が一つになった場、祝福家庭たちが一つになった場で、天地父母の御名により、この日を制定いたします。すべての万象と全宇宙、サタン圏全体が、喜びで順応することを願い、真の父母の御名で「二・十節」の「第四次アダム解放圏」を宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン! み言 第四次アダム圏にならなければならないと、既に昨年から宣布しています。それがいつ、峠を越えるかというとこの「二・十節」なのです。 それで十月は、栄光の月になるのです。十月は四日が、先生が西大門刑務所から解放された日であり、十四日は興南収容所から解放された日です。また、第三次として世界の首脳クラス-サタン世界で一番のカインです-を対象に訓読大会をする最後の日です。本来、この三次で終えて、訓読大会を世界的に拡張するつもりでした。ここで私が「天宙的な四・四節」を宣布しました。北のコディアックで「家庭的な四・四節」を宣布したので、解放される「天宙的な四・四節」です、四位基台です。ですから、神様の四位基台理想が連結されたら、サタンの峠を越えていくのです。サタンを屈服させ得るすべてのことを整備してきて今、第四次アダム圏時代、蕩減が必要のない時代に越えていくのです。蕩減復帰ではなく、自然復帰時代へ越えていくのです。 第四次アダム圏時代が来ると言ったでしょう? きょうからそのようなことを中心として越えていくので、祝福家庭は誰もみな自分の三代、祖父から、父親から自分の時代を中心とした一族を中心として、一家庭が一人ずつ祝福すべき時代に入るのです。 今では四億三千万双以上が祝福を受けたので、一家庭が一人ずつ、自分の一族が皆あるでしょう?祝福家庭が一家庭ずつやれば、四億双の未婚男女の祝福は、問題なく解決すると見るのです。それを強調しなさい。自分たちがすべて祝福してあげた、予備祝福してあげた宣教国や、至る所に訪ねていき、それを強調しなければならないのです。 祝福家庭は、自分が祝福してあげた人々の家庭に、そのような内容をみな伝えてあげなさい。伝えてあげて、一つの家庭で自分の親戚を中心として、三代を中心として祝福できる条件を立てることによって、四次圏、アダム祝福圏内に入るのです。 ですから、祝福を受けた家庭が真の父母の代わりに自分の息子や娘、自分の一族を祝福してあげなければならないのです。ですから、自分の名前で祈祷する時が来ました。それでこそ、合っているでしょう? あなたたち同士で問題が起きます。自分の三代、祖父、父親、こうして今、四次圏時代になると何ですか?本当ならば霊の子(息子)が三人いなければだめなのです。一八〇〇双を越えるとき強調しませんでしたか? 帰一数に入るからです。祖父と父親と兄が、天使長、三人の霊の子女と同じになるのです。そうなれば家庭がみな結束するのです。 今や先生は休む時が来ました。皆さんにすべて任せたのです。それで四億双を祝福するのも、委員会を設けて相対者を決めてあげるように指示しました。多くの霊的協助があったので、自分たちも知らずにうまくいきました。今回、見てみるとうまく結ばれていました。今回は約七十双か、百二十双やりましたが、そのうち変更したのは二人しかいませんでした。祈祷して精誠を尽くせばすべてそのようにうまくいくのです。 ですから、先生が語ったすべてのみ言を成就したも同然です。すべて成就したに等しいのです。エデンの園が何ですって? エデンの園にある生命の木と善悪を知る木が何かというと、アダムとエバの肉体を意味するのです。蛇が何かというと、男性の生殖器を指すのです。蛇、蛇、蛇が善悪の実を取って食べたのです。それを意味するのです。男性たちはそれをもって女性たちを誘因しようとする。 そのように考えてみると、これはどれほど恐ろしいものでしょう。自分が毒のある蛇を持っているのです。男性として自分の妻より美人がいれば、それが動くようになるのです。その願いが何かというと、すべて女性のそれを願うのです。誘惑の総責任者がそれなのです。 神様が一身を愛されるとき、一番憎いのがその部位です。それが天地をだめにして地獄をつくり、創造理想を破壊して、神様の前に傷を残したというのです。それが一番問題なのです。 それで、私たち統一教会の信徒たちが、エデンの園に入っていくには、神様と一つになるには、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をしなければなりませんが、その言葉はその器官について語られた言葉です。神様と人間がその器官で一つになることを言っているのです。 これからは、男性において五官のすべてを否定したとしても、五官よりは第六感、第六感的な中心がその器官です。五官をすべて犠牲にしたとしても、それを犠牲にしてはならないのです。犠牲にしたならば、歴史がなくなるのです。国が吹っ飛び、伝統がなくなるのです。 エデンの園で「善悪の実を取って食べるな」と言ったのは、そのことなのです。男性のそれを中心として忠告したわけです。ですから、聖書のすべての秘密が、今すべて明らかになるのです。 四次アダム圏を中心として、世界的に今、首脳クラスをみな呼んで訓読大会を開くのです。み言を中心として、絶対服従して、絶対順応しなければなりません。それを第三次まで……、反対なしに彼らが降参して出てくるのです。本当に不思議なくらいです。大物たち、どこに行っても「お話を聞かせてください」と崇められた人たちが来て、三泊四日、じっと座ったままで、み言だけを聞いて服従するのです。服従するほかありません。自分たちが知らない内容だからです。それがこれまで私が実践した内容の記録です。戦勝記録ですが、反対し得る何ものもないのです。 この祝福自体も、三億六千万双も嘘であると否定できないのです。霊界の事実も否定できないのです。李相軒氏が、ICUS(国際科学者統一会議)の八つの分科において、そこで議長まで務めたのです。世界的なすべての思想家と数回にわたって討論し、ありとあらゆる質疑応答をしていた、そのような高名な人が霊界に行って、自らの苦衷を語った、その事実を否定することができません。統一教会の教徒で、彼を信じない者はいないのです。 その内容は、李相軒氏の内容ではありません。霊界の実相です。先生のみ言のうち「主題別精選」の十一巻、十二巻の霊界についての内容を見ると、霊界の根本がどうなっているか、すべて明かしてありました。摂理的な歴史観がすべてそうなっているにもかかわらず、相軒氏もそれを信じられなかったのです。 アダム家庭から、ノア家庭から、アブラハム家庭から、モーセ家庭から、イエス時代までが蕩減復帰の過程であり、摂理の歴史観ですが、それでも、はっきりとそうなのかどうか霊界の事実を知らないので、分からなかったのです。相軒氏が霊界に行って、その実相をすべて証したのです。今この時期において、それゆえに相軒氏が連れていかれたのです。 先生の語ったことを相軒氏もあまり信じられませんでした。「先生の右手は霊界をつかみ、左手は肉界をつかんで、正しい方向に回しておかなければならない」という言葉が信じられますか? 「天と地が先生を中心として動く」と言ったら、それが信じられずに霊界に行ってみて、驚いて腰を抜かしたのです。 信じてきたすべてのことを事実としてはっきり信じられなかった自らを咎めて、今後、従ってくるすべての統一教会の信者たちが、自分のような立場に立たないように、神様の特命を受け、四十日間すべてを分別して地上に連結させた内容なのです。 霊界からの二番目のメッセージは、サタンを屈服させる歴史、三番目のメッセージは霊界と肉界に対する……。これからは私が指示する前に、前もって相軒氏が来て通告し、記録しておくと言ったではないですか。きょうか明日には、その内容が出るでしょう。それによって、霊界の実相と地上の実相が、三億六千万双の祝福と「九・九節」、「二・十節」が成された以降に、どのようになるかすべてが明かされるでしょう。 これまで、先生がこのように歩んできたのは個人的ですが、それに天と地がくっ付いているということは、誰も信じられないでしょう? 「真の祝福天宙化とサタン血統断絶」というこのすべてを、ここにおいて天宙史的な「四・四節」、神様の四位基台、アダムとエバを汚して、霊界と肉界、万物までが嘆息してきたのを、すべて解いてあげなければなりません。 ですから、「第四次アダム圏解放」の頂上的な記念の日として、きょうをもって通り越すのです。三代を越えるようになれば、祖父や叔母、伯母などを初め、すべての家を訪ねていって、息子や娘を集め、はり倒してでもでも祝福せよというのです。 四億双は問題ないのです。私たちが祝福したのが四億三千万双を超えます。ですから、私の責任をすべて果たしたのです。今後は皆さんが、祝福家庭が責任を果たせるかどうかです。「息子がいますか?」と聞いて、息子がいれば、なんとしてでもその息子をつかまえて、祝福してあげなければならないのです。その次に自分の兄や、三代を中心とした甥や姪にも、強制的に家で祝福してあげよというのです。一つの家庭において四家庭までです。 イエス様も三弟子と四家庭ではありませんか? 三弟子を基準として祝福してあげ、祝福家庭となったので、三弟子を祝福するのと同じように……。三代なのです。旧約時代、新約時代、成約時代です。祖父は旧約時代であり、父は新約時代であり、自分は成約時代なのです。旧約時代は万物、物を犠牲にして、新約時代は子女が十字架にかかり、成約時代は父母が十字架の道を行くのです。真の父母が十字架を背負い、地上で神様に侍るのです。 このような膨大な内容が、原理を中心としてすべて解明されたということは奇跡的なことです。それを体系的にまとめたのものを誰が否定しますか? 理論的にすべてをまとめたという事実は、恐ろしいことです。 今や先生がこのように生きて……み言を知ってみると恐ろしいのです。み言を知ってから、想像もつかない範囲の内容を、実際の生活圏内で、み言を中心として闘争してきました。先生がその環境を開拓するために生きてきたことを否定できず、先生が残した歴史的な実績を見て否定できないので、その実績の数千倍、数万倍も尊敬し得る条件として、四億双を越えていかなければならないのです。 今、祝福を受けるための条件は何もありませんが、何ですか? 真の父母です。どんなに足らない者であっても、息子や娘がいるとすれば、その息子や娘が父母のすべてを相続できるのです。 先生が霊界に行ったときは、全世界の祝福家庭が、自分の母や祖父、三代、自分の最も愛する者がいたとしても、それよりももっと大きな悲しみを感じなければならないのです。それをいつも考えなければならないのです。 全世界の統一教会の食口たちは、同じ涙を流して、その日をすべて悲しむと共に、昇華式を賛美しなければならないのです。世界の統一教会の食口たちが、先生が霊界に行くようになれば、誰よりも悲しみ、何をさておいても昇華式をしてさしあげられるように、すべてを捧げて、先生の行く道を霊界まで……すべて自分の全体を燃やしつくして、捧げられる心にならなければならないのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従が何ですか? それは生殖器を指した言葉です。神様と人間の生殖器が一つになれなかったのです。合徳できなかったのです。男性においてもそうでしょう。それを絶対に信じなければなりません。歴史において私の家庭の柱であり、私の一族の柱であり、私の血筋の歴史における柱なのです。 それを絶対信仰すべきでしょう? 絶対的に愛さなければなりません。愛を中心として絶対信仰、絶対服従です。すべて神様の前に服従できる伝統を持った自らとなるのです。「どうしてそうする必要があるのか!」などと言ったらいけません。実感できますか? 一日のうち三時間に一回トイレに行くとき、そのことを常に思い起こしなさい。 先生はそのようなことを知っているので、むやみに生きられません。怨讐を愛し、愛する息子と娘を怨讐と結婚させなければなりません。祝福は、怨讐同士でやってあげなければなりません。すごいことです! 神様が「恩讐を愛せよ」と言われたのは、個人を中心としてではありません。朱基徹牧師(キリスト教牧師・独立運動家)は、個人を中心として愛そうとして、怨讐の子を連れて育てると言いましたが、これは天宙史的な意義です。 神様はそのような立場におられるので、かわいそうな神様になりました。宇宙を創造された神様なので、一瞬にしてサタン世界を根絶することもできますが、そのためには、アダムまでも滅ぼさなければならないのです。宇宙を破壊しなければならないのです。あ然として口がふさがりません。ですから、「怨讐を愛せよ」と言うのです。愛して自然屈服させなければならないのです。(三〇四-五二、九九年十月十日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.02
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