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北國新聞 > 石川のニュース〈1.1大震災〉発生124時間、90代女性救出 珠洲・正院町の倒壊家屋輪島の天気は朝から「雪マーク」、地震に加えての寒波。避難されている方々の健康が心配です。コロナも輪島で2名。7日から8日にかけて大雪の恐れがあります。現在、能登町当目地先では積雪があります。被災地支援で能登地方へ来られる方は、冬用タイヤの装着やチェーンの装着(携行)をお願いします。 pic.twitter.com/fX6Mq8aulv— 国土交通省 金沢河川国道事務所 道路情報室 (@KanazawaBousai) January 6, 202414時半過ぎにも携帯音「緊急地震速報」。今日の日曜礼拝は、自宅にて金沢教会経由で名古屋教会を結んでのオンライン礼拝参加。来日しているUPAメンバーが2名、UPAについての紹介と二世としての証しをされ、また、大教会長らのみ言を拝聴しました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.01.07
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昨晩に歌われていた映像がUPされています。今私たちは祈ります(이젠 우린 기도합니다)2024/01/06통일교회가정연합#행복TV一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.01.06
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昨日5日朝、教会のLINEから。お疲れ様です。△△の○○です。自宅は断水が解除されましたので、お風呂やトイレ、洗濯機、水道など使用できますので、公共施設や外部施設で手配が、難しい方は、○○家で、使えますので、食口の方だけでも、お困りの方がおられましたら、お声掛けください。◇◇は仕事のため、父か○○まで、ご連絡いただければ、対応できるかと思います。我が家も断水は解除されていますが、まだ飲料水には適していません。帰省した子供から、そして、金沢教会からの支援物資の「水」には大変感謝しています。帰省中の子供らは仕事等のため、3日と5日にUターンしていきました。これを書いているAM05:25ごろにも携帯から「緊急地震速報」を知らせる警戒音が鳴り響きました。子供が悲鳴を挙げながら飛び起きてきました。震源地から少し離れている我が家とはいえ、余震が続いています。微弱な余震なのか、自分が揺れているのかの感覚も分からなくなっているようです。ボランティアで兄弟姉妹の方々が動き始めています。七尾市内の教育センターに届いた支援物資を能登教会へ運び入れました。教会長らと教会のゴミの撤去・整理に取り掛かっていました。簡易トイレも2個。断水状態なのか? 7日の日曜礼拝はネット映像との連絡もありましたが、多数集まってのそれは難しそうです。視聴できる家庭ごとでの礼拝参加となるかもしれません。ある姉妹は七尾市役所前でのブルーシートの配布に並んで残りわずかでしたが、2枚確保することができました。それで教会の壊れた窓を修復したフォトもLINEで送られてきました。ありがとうございます。金沢教会在籍の兄弟からブルーシート10枚の献品、ありがとうございます。また、他県から出向社員として能登で祝福家庭として出発、二児を出産の青年の知人の会社からも10枚のビニールシートが明後日送られてくるとのことです。必要とする家庭へ…。我が家は夫婦で、日本の「出発のための三日路程」としての特別な「天心苑徹夜精誠」祈祷会に三日間、オンラインで参加することが出来ました。第941回の映像から。歌は日本の天苑長が創られたとの説明がありました。祈りが巨大なパワーになるとき<第941回・み旨の応援歌>地方紙・北國新聞HP > 石川のニュース7日から大雪恐れ(有料版)穴水11人生き埋め 「希望捨てない」親族見守る〈1.1 大震災~連載ルポ〉7日から被災が激しい奥能登に大雪警報の追い打ち、避難されている方々の今後が心配です。X(旧ツイッター)から:文科省の家庭連合への過料騒ぎ(質問権不回答につき。裁判所への通知)から4か月。4か月経っても、10万円の過料を科すこともできない。だれか予想できていただろうか。— 中山達樹『インテグリティ』重版出来! (@77Tatsu) January 5, 2024一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.01.06
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〈1.1大震災〉死者84人、生き埋め50件 72時間超え、懸命の捜索https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1281555〈1.1大震災~連載ルポ〉千枚田ズタズタ無残 割れた国道249号歩くhttps://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1281533大晦日に既に大地震の予兆があったみたいですね。以下。https://www.youtube.com/@Dr-Eishu/videos
2024.01.05
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4日22時からオンラインにて参加。天の父母様、真の父母様の天運を相続していきましょう。世界に平和が訪れますように!!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.01.04
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LINEにて、金沢から支援物資が送られてきたとの連絡がありました。。金沢からは上記ほかを先輩家庭宅へ、七尾のセンターへも物資を運んで行かれました。▼先輩家庭宅へへ届けられた支援物資。奥能登への足の踏み入れは控えるようにとの情報が入っています。心配です。教会の方が車で迎えに来てくださり富山経由で無事に東京に戻ることができました🙇♀️ご心配おかけしました。七尾〜金沢間は電車もバスも運休。七尾以北は来ないようにと言われてる中で来て下さり本当に感謝です。未だ断水が続き寒さと空腹の中にいる方々を思うと心苦しいですが祈ることしかできません。— 小嶌希晶 (@kiaki002) January 4, 2024我が家も飲料水の不足が予想されるため、水をお願いしました。これから我が家は、私の姉弟の家々を回って七尾のセンターへいきます。七尾の教育セミナーへ行ってきました。金沢教会からの支援物資だけでなく、近県に帰省中の本部スタッフの方が「本部から」ということで多くの菓子パンや果物の物資がありました。我が家からも少しでも役に立てばと思って持って行ったのですが、逆にはそれ以上に車に積んで帰ってきました。聞けば、教会長が徒歩で奥能登・輪島へ。車では入れないくらいに道が荒れているため、輪島の兄妹のところへ徒歩で行かれたということでした。もちろん、教会長のことですから両手に荷物を抱えてと思われます。帰りの夜道は危ないですから、どこかに泊まられて明日には、また徒歩で帰って来られるのでしょう。無時を祈ります。また、帰りには先輩家庭からも神社で汲んできた(沸騰させれば飲める)湧き水まで頂きました。弟には会えませんでした。少し車を走らせては姉のところへ。大した被害はなかったようですが、やはり、ここでも断水。それでも昨年にご主人を失くしたばかりでしたが、姪らの家族が正月に来てはいろいろと世話をしてくれていたようです。
2024.01.04
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第十八回「愛勝日」での御言2001年1月2日 第十八回「愛勝日」、および「興進様昇華十七周年追慕」の記念式典が、二〇〇一年一月二日、韓国の中央修練院で執り行われ、真のご父母様が御言を語られました。 皆さん自身が祝福の中心家庭 きょうは「愛勝日」です。この「愛勝日」の勝利の基準は、神様と真の父母との因縁を中心とした忠孝の道理と、愛の心を勝利した基準において宣布されたのです。その条件的基準は、興進君が死の境地に立ってなしたので、その条件が死なずに生きている限り、「愛勝日」の権限は永遠に生き続けます。それゆえ、霊界に行ってもこのことをなし、人類と神様の前に、一体的生命圏を復活させるために働いているのです。それが死んでいないということを知って、一つの心、一つの意志で、一体となることができる皆さんの家庭にならなければなりません。 興進がそのような立場に立っているのです。地上の薫淑と結婚し、信哲を養子として立てるということを(霊界に)行く前に約束したので、それを実践したのです。 このような事実によって、霊界と地上に分かれた人たちが霊的な祝福を受ければ、霊界と地上に分かれていたとしても家庭をもつことができ、霊の子を自分の息子・娘の代身として立てて、代を受け継がせていくことができる時代が連結されたのです。そのことを皆さんは知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 きょう、私が特別に話そうと思うことは、今まで、皆さんが祝福を受けてから暮らしたその生活を振り返ってみれば、さまざまな……。そのうえ、血統を汚したという事実がたくさんあるのです。サタンが好む影さえも見えない、純潔の基準を残さなければならないにもかかわらず、影のようなあらゆることが多くあったのです。 今からは、家庭時代を越えていきます。皆さん自身が祝福の中心家庭であるということは、自分を中心として、アダム・エバが堕落していない本然の基準において完成し、祝福を受けることができた立場を代身したということです。それゆえ、それを連結して拡大した一族を中心として氏族の王、それを連結して民族の王、それを連結して国家の王、それを連結して世界の王、それを連結して天宙の王圏が出発するのです。このような事実を考えるとき、分かれてしまったすべてのものを連結させるのが、真の父母の仕事だというのです。 家庭を代表して、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、そこで長子権……。長子権とは何かというと、アベルが長子を代身して失ってしまったものを復帰するために、長子からどんな受難や苦痛を受けても、甘受して越えていかなければならないということです。そのように越えてきたので、サタンが屈伏するのです。それは、真の愛でなくては、屈伏する道はないというのです。 このような観点で見るとき、家庭時代を越えて国家時代の峠に向かっているこの場において、皆さんはきょう以降、再び祝福を受けなければなりません。再び聖酒を飲むのです。それぞれの家庭において、父母が子女にそれを分け与えてあげなければならないのです。 天地父母がどれほどの犠牲を払い、復活圏を、私たちに贈り物として与えてくださったことでしょうか。再び血統を元返し、新しい次元に登壇することができる権限を与えたのは、そのような真の愛の功績基盤があるがゆえに、可能になったのです。国家を越えていこうとするこの時、今まで自分勝手に暮らしてきた人は、入ることはできません。 聖人たちがここで(=地上で)祝福を受けることができなかったのは、国がなかったからです。国がなかったがゆえに受けることができなかったのです。しかし、今では聖人たちまで祝福をし、興進君を中心として祝福を受けたすべての聖人が一つとなり、六月十三日までに、聖人を中心とした宗教圏全体の、蘇生、長成、完成と、完成段階の三分の一まで祝福をしたというのです。それを越えて、祝福を受けた者たちに「年内に自分たちに連結している宗教圏全体をすべて祝福してあげるように」と指示しました。 また、宗教を信じていったすべての人たちも、その連結関係を中心として、聖人と殺人魔を祝福したその恵沢圏内に入っています。その宗教圏には、地獄に行った人もたくさんおり、楽園に行った人もいるのです。それゆえ、「だれでも祝福してあげ、解放圏をなしなさい」と指示したのです。 そのような指示をしたので、その環境を中心として、解放圏の恵沢を横的に分け与えてあげるのです。そのことによって、神を信じない人でも、地上のいかなる人であっても、祝福をすることのできる自由環境が展開したというのです。分かりますか? 地上がこのようになったと同じように、天上世界においても、今までふさがっていたすべての一族が、一つの主体の前に相対的基準を結ぶことができる内容さえ連結されれば、天の国の同等な価値の祝福を相続することができる時代に入ってきたのです。そのことを皆さんは知らなければなりません。 それゆえ、その主体の前に絶対信仰! 問題です。今日、宗教を立てているのは絶対信仰のためであり、絶対信仰の中で何を探し求めるのかというと、神様を絶対に愛することです。神様を絶対的に愛することができなかったので、(宗教という)橋を架けて、その宗教圏の宗主を中心として「絶対愛」を主張してきたのです。その中心的存在として来られたのが、再臨のメシヤであり、真の父母なのです。真の父母が現れれば、真の父母を中心として、信仰をもっていなくても、絶対信仰、絶対愛! その愛は、真の愛を中心として愛するので、堕落した世界において、国王がいて、おじいさんがいて、父親がいて、自分がいて、自分の初孫がいたとしても、そのすべてを越える理想なのです。アダム・エバが絶対信仰と絶対愛の基準をもつことができず、絶対服従することができなかったので、すべての宗教が、絶対信仰、絶対愛の基準を立てるのです。そして、真の父母を中心として祝福をしたとすれば、万国を平準化させることができるのです。 そのような時が来たので、真の父母という名前をもつか、真の父母と関係をもつ人々がいる環境において、絶対に信じ、絶対に愛し、絶対に順応することができる道理が展開すれば、いくら遠くても、千年史の核となったこの基準を延長させ、中心から最果ての人まで通じることができるのです。ここから果てまで行ってこそ、帰ってくることができるのです。 このような時代になることによって、祝福の恵沢が、水のように万国全体に流れて平準化されるのです。地上と天上世界に平準化水平世界が到来したのです。天上と地上が真の父母を中心として水平となり、水平線で同志をつくることができる時代に入ってきたということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 国家基準を乗り越える 今まで皆さんは国家基準を越えることができませんでした。しかし、先生がこれを……。歴史的な恨がここにかかっているので、何が何でもこれを越えなければなりません。ところが、韓国と北韓が対立する思想圏内において……。信仰が分かっていません。信仰を分かっていないので、今まで反対したのです。 反対するこの環境を越えて、国家基準ではなく、世界基準と天宙基準、心情基準で、国家以上に愛し、世界を代表した聖人以上に愛し、天地を代身したイエス様が願った以上の基準である、聖子の家庭を編成することができたという事実。これを遮る者はいません。これは、神様の願いでもあり、すべての道主たちの願いでもあり、堕落した人類のだれもが願うことです。その願いの基準を中心として、平準化することができる時代なのです。 一つの家庭において、アダム・エバが分かれ、アダム・エバの息子・娘たちが怨讐となり、カインがアベルを殺すという殺戮戦が起こりました。その一つの核が拡大して、天上と地上が完全に地獄世界になったという事実。それゆえ、家庭理想を動機とし、これを拡大し、宗教圏、数多くの民族と文化背景をつくったのです。 ところが、来られるメシヤは宗主たちの父です。数多くの宗教の宗主の父であると同時に、国の父であり、世界の父であり、天地の父なのです。それと同時に、その一人を中心として、愛を中心としたアダム家庭の理想の立体圏を備え得る内容が、地上世界に顕現してこそ、死亡圏に勝つ地上天上天国が完成するのです。そのことを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 ですから、皆さんは帰ってすぐに、再び聖酒式を挙行しなければなりません。これは、「国家基準を乗り越える」という自信をもってしなければなりません。 聖酒式を挙行した人たちは、イエス様が願った国家基準、民族編成以上の位置を越えることができるのです。そして、国連まで連結させ、国連に紐を結んで橋を架け、それを上がっていくことができる時を迎えたので、国の基準を放棄してしまい、今、国連の活動に命を懸けていくべき時になったというのです。分かりますか? (「はい」)。 今は、国連の世界的峠を越えたので、天下が一つになる時に聖酒を飲めば、完全に皆さんは、旧約時代、新約時代、成約時代に結婚できなかった三時代……。旧約時代は万物の血を流し、新約時代は息子の血を流し、成約時代は父母まで追放したのです。このすべてのものを再び取り戻し、現時点で、一代において……。分かりますか? 今何と言いましたか? (「現時点において」)。真の父母が現時点と一代で、このすべてのものを連結させ、勝利の覇権を編成したのです。 一月十三日になれば、神様ご自身もためらうことなく、四方に気兼ねのない立場で、引っ繰り返し……。偽りの父母が神様の王権まで引っ繰り返したのですが、それを真の父母が正しく元に戻し、祝福家庭をして、天国に直行し得る解放圏をなすことができる立場に立てたのです。それゆえ、神様と真の父母を中心として、皆さんの家庭と全人類が希望的な基準で生き残るようになるのです。 国連を中心として、世界のために貢献した基準によって、すでに囲いができているので、そのような心情をもって、今後、NGO(非政府組織)とWANGO(世界NGO協会)の活動、国連活動に総力を注げば、アメリカであれ、ロシアであれ、いかなる国家であれ……。安全保障理事会が「紛争を防いで平和の主翼となる」といって乗り出しましたが、それが問題ではありません。 祝福的恵沢を中心として、真の愛の血縁的因縁の実践場である皆さん個人と家庭において、解放し、和合させることができるようになれば、天地が歩調を合わせて自動的に、個人時代、家庭時代、氏族……。八段階時代を中心として、あちら側まで……。先生が(このことを)この地上でなしたので、霊界でもなすことができる時が来たのです。 それで、祝福家庭の協助時代、その次に、祝福家庭の家庭ではなく国家協助時代、祝福家庭の世界協助時代、祝福家庭の天宙協助時代となるのです。神様を中心として真の父母が一つになった場における兄弟と同じです。それが三代を経ることによって、アダムの息子・娘がたくさん出てくるのです。アダム家庭において種だったものが三代を越え、世界の種として拡大されたとしても、対等で同じ価値をもつというのです。 神様を中心としたアダム家庭において、三代を経て実を結んだものは、数千年の歴史が過ぎたとしても、同じ内容の価値をもった家庭生活をしなければならない、という結論が出てくるのです。分かりますか? それで、先生を神の愛を体現した王として侍り、家庭において神様と先生を愛の主体の王として侍り、国において侍り、世界において侍り、サタン圏を越え、国家基準さえ越えれば、私たちの世界になるということを知らなければなりません。分かりますか? それは、全体、全般、全権、全能の時代です。 全体とは何かというと、今日のサタン世界の数多くの国家のことです。全体の国家が全般になるのです。同じ一つのものに一般化されるのです。一つの国家形態を備えるのです。それで、全権です。今までの六千年時代において、サタンがありとあらゆることを行い、天の息子・娘も捕まえて殺してきました。神様が失ってしまったすべての権限を取り戻し、一瞬の内に引っ繰り返すことができる全能の時代へと進展するのです。分かりますか? (「はい」)。 神様が直接責任をもたれ、私たちの生活を干渉し得る時代 そのためには、皆さんが先生を中心として、神様と一致した信仰基準を中心として、絶対信仰するのです。一度言ってみなさい。(「絶対信仰!」)。絶対愛! (「絶対愛!」)。絶対服従! (「絶対服従!」)。 今から、先生が皆さんに「東に行くのです」と言った場合、「昔は西に行きなさいと言っていたのに、なぜ東に行きなさいと言うのか」と考えてはいけません。「西に行くのです」と言えば西に行き、「南に行くのです」と言えば南に行き、「北に行くのです」と言えば北に行かなければならないのです。分かりますか? (「はい」)。 今までは先祖たちによって、死亡の世界が拡大され、神様の悲しみを拡大させる世界となってしまったので、今からは、祖国を取り戻し、国境を越え、世界を越えて、それを神様にお捧げするのです。そうすべき召命と使命があるのです。分かったという人、手を挙げなさい。 皆さんの故郷の地は、日本でもなく、韓国でもなく、アメリカでもありません。地球星です。一度言ってみなさい。(「地球星!」)。 皆さんの国は地上だけではなく、霊界を合わせたものです。神様が住んでいらっしゃる国まで合わせて、皆さんの国となるのです。その本国に行くためには、故郷を国よりももっと愛するのではありません。故郷で暮らしていたとしても、国をもっと愛するのです。反対です。今まで国を忘れ、世界をすべて忘れてしまい、自分たちの家庭や身近な者たちを思っていたのです。それは違います。 故郷で暮らしていますが、今から私たちの家庭は国のために、それから国家のために生きていた国家は世界のために、世界のために生きていた世界は天宙のために、天宙のために生きていた天宙は神様のために、神様のための天宙は私たち個々人、私たちの各家庭のために……。このように結実しなければならないのです。このことを知らなければなりません。 そのようにすることによって、神様が勝利されたのと同じように、解放的価値を備えた家庭となるのです。永遠なる解放です。そこで、真なる長子権復帰、家庭権復帰、王権復帰をなすことによって、億千万世、太平、盛大の時代が連結されるのです。アーメン! (「アーメン!」)。感謝です。「アーメン」と言えば、三度以上「感謝です」と言わなければなりません。(「アーメン! 感謝します! 感謝します! 感謝します!」)。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって完結し、解放された私となり、天国自由解放圏に直行し、入っていくことができるようになったことを、三度感謝しなければならないのです。分かりますか? 感謝します。感謝します……。心でも、そのような心をもたなければなりません。 それゆえ、帰ったら、あらゆる精誠を尽くすのです。一家が入籍しましたが、もう一度集まり、国家基準を乗り越え、イエス様が国を越えて祝福を世界に拡張することができずに、サタンが国家基準において天の側を破壊したすべてのことを、今から皆さんが完全に解放しなければならないのです。分かりますか? そうすれば、サタンがいなくなります。 ですから、世界、あるいは天宙まで自動的に、自分が努力する以上の世界に入っていくのです。それゆえ、祈祷する時代は過ぎ去りました。祈祷というものは願うことです。「お願い申し上げます」というのが祈祷ではないですか? そのような時代は過ぎ去りました。今からは何かというと、国家基準を越えて世界に行き、神様が直接責任をもたれ、私たちの生活を干渉することができる時代に入るというのです。それゆえ、祈祷ではなく、報告しなければならないのです。報告です。分かりますか? (「はい」)。 ですからきょう、私がはっきりと示そうと思うことは、今から皆さんは生活目標をもって生活し、それを報告する生活をしなければならないということです。 国に対して何をしなければならないのかという題目が、今から出てきます。それを中心として、何に何時間、何にどのくらい努力をしたかです。問題は何かというと、御言を世界の果てまで宣布しなければならないということです。霊界の果てまで宣布しなければなりません。真のご父母様の御言を地の果てまで宣布するうえで、だれが早く宣布するのかという問題です。 もし、その国の(他の)民が宣布すれば、奪われてしまいます。何十代が引っ繰り返るのです。それゆえ、全身全力を尽くして、朴氏なら朴氏が、外的な世界に対して朴氏の国をなさなければなりません。分かりますか? 金氏なら金氏の国の峠を越えなければならない時が来たのです。 先生が霊界に責任をもち、すべてに責任をもって入籍させ、解放的基準をつくっておいたので、今ではすべての門が開き、行くことができるのです。それゆえ、重荷を下ろし解放された者たちは、心と体を中心として良心の呵責のない自分自身を立て、世界に負けないようにするのです。世界の兄弟です。大家族の兄弟です。彼らに負けない立場に立ち、これからは、金氏なら金氏の系列が入れ替わるのです。大きかろうと小さかろうと、世界的な国家形態を備えた国に接ぎ木しなければならないのです。分かりますか? (「はい」)。 今、環太平洋圏時代です。大洋圏時代が来たのです。この国々の中には、(人口が)二千人の国もあります。分かりますか? 皆、放棄してしまいました。(このような小さな国々が)一つの国として国連に加入すれば、六十か国以上になります。そこに、南米とアフリカを合わせれば、国連に加盟した国の大部分は、先進国以外になるのです。分かりますか? 先進国が私たちに反対するからといって、心配するなというのです。強力に反対すれば、発展途上国はすべて、自動的に私たちを支持するようになっています。分かりますか? 祝福を受けた家庭においては国境がなくなります。先生に反対すれば、全世界の祝福家庭は結束します。「どこどこに集まりなさい」と言えば、国境を越え、這ってでも訪ねて行くのです。なぜですか? 神様を解放するためです。地上天上天国をなすためです。神様はそのように宿命的な摂理をしてこられながら、恨に恨を重ね、真の父母も御旨のために生涯を捧げてきました。それを完全に終結したのは、皆さんのためなのです。それゆえ、皆さんがこれを終結させなければならない、決死的な時代に入ってきたということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 そのように理解して、そこに絶対的に一体となって責任をもちますという人は、手を挙げなさい! 下ろしてください。サタン世界への関心と、その伝統と習慣的内容があるところでは、天国を建設することはできません。サタンに血統を汚されたぼろぼろの風呂敷に、天の国が入っていくことはできないということを知らなければなりません。 それゆえ、日本人が統一教会員になれば、完全に他の国に行って四十日を経て、自分の国に帰すのです。四十数を満たさなければなりません。何のことか分かりますか? (「はい」)。 二世が天の国に責任をもち、地上の国にも責任をもつ 今、残っていることは、七代に関係している自分の親戚と、その親戚と結婚した相手の親戚まですべて一つにして、全世界的に統一された祝福を行うことです。そして、後代、後孫たちにも、この祝福がどれほど難しかったかということを教えてあげなければなりません。祝福を受けて生きることが、どれほど苦労……。 ここにいる二世たち! この勝手な者たち! 二世を前に立てるのはやめようとしました。後ろに行かなければなりません。 神様が一代ならばアダムが二代であり、アダムの息子・娘が三代です。地上においてその三世圏を代身して、先生が一代ならばあなたたちの父母が二代であり、あなたたちが三代です。それゆえ、あなたたちが天の国に責任をもたなければならず、地上の国にも責任をもたなければなりません。それが、地上で祝福を受けた二世なのですが、あなたたちは天の国に責任をもち、地上の国に責任をもつことができる王の立場に立ちましたか? この者たち! 二世であるあなたたちは全員、先生が建てた神学校に入るのです。初めに、心の世界と交流して、体を支配し得る道において旗手となっていかなければならないのに、この者たちは世の中でお金を稼ぎ……。 (そのような者たちは)私が捕まえて、サタン世界の一番端から、サタンの後から入ってくるようにさせます。負債を負った人は前に立つことはできません。分かりますか? (「はい」)。この者たち! 父母になって子供を生み、負債を負う立場で、サタン世界から剥ぎ取って食べるために、そちらに行くのですか? 回れ右して、「サタンよ、私は千年、万年、行く! おまえが千年、万年、苦労してこそ、私の後ろについてくることができる」と宣誓して行かなければならないのにもかかわらず、あなたたちは、肥だめにいるうじ虫よりも汚い者になろうとしています。二世、分かりますか? (「はい」)。私があなたたちに復讐します。 何が、ソウル大学ですか? どのような大学も、私は認めません。ハーバードでも何でも、私は認めません。そこは、神様に反対する人が八〇パーセントです。それで、先生がそれをすべて引っ繰り返すために大学を建てたのにもかかわらず、そのようなところに行くのですか? 私の子女たちもそうです。ハーバードを出たとしても、UTS(統一神学校)を出なければなりません。嫁であろうとだれであろうと、行くのです。行かない人は、先生と関係を結ぶことはできません。統一教会のご飯を食べることはできません。何のことか分かりますか? (「はい」)。この子女たち、この韓国の者たち、兄にならなければならないのに、何をしているのですか? 根が腐れば、大きな木でも倒れてしまいます。新しい時代です。 今年の標語は何ですか? 解放された! (「天地父母と」)。天地父母と! (「子女が」)。解放された子女のことです。解放されましたか? 子女が一心一体となって、それから何ですか? (「真の愛の主体」)。真の愛をもちましたか? 神様の真の愛は、主体的世界を願っています。これは歴史的な願いです。すべての聖賢、賢哲は死の道を行きながらも、真の愛の道を欽慕して行ったのです。天の福を祈って行った人たちもそうです。真の愛とは何ですか? (「主体性」)。主体性とは何ですか? 中心観です。それは何ですか? 神様の真の愛を中心とした絶対性、唯一性、不変性、永遠性の、その御旨が完成されますように。それが題目です。 完成です。成就ではありません。完成というものは、結末を結んだということです。「このような、絶対、唯一、不変、永遠なる、真の愛の神様の属性としての主体性が、すべて成し遂げられた。それ以上なすべきことはない」ということです。それですべてでしょう。(「はい」)。 三〇〇〇年に向かう最初の年に、皆さんは解放された自分を誇らなければなりません。自分の目、耳、鼻、口、手、すべてが神様の代身とならなければならず、真の父母の代身とならなければならないのです。その愛も、すべての環境が、そのようにならなければならないのです。そのことを知らなければなりません。 三〇〇〇年に向かっての出発において、総清算とともに、総決算することができる主流的な核を標題として立てたのは、二〇〇一年ではなく、三〇〇〇年の主流思想として残すために、このように措置したのです。このことを理解してください。二〇〇二年、二〇〇三年に標語がなくても、これに従って生きればよいのです。分かりますか? (「はい」)。一度言ってみなさい。(「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」)。 その解放の観念が貴いのです。解放! 心と体が一つになり、夫婦が一つになり、息子・娘が一つになり、三代が一つになる前には、解放はありません。それは何によってなされるのでしょうか? 真の愛の主体性です。真の愛の主体性を願いながら、解放の道を開拓してこられたのが神様であり、宗教の歴史であり、再臨の歴史であり、今まで皆さんが歩んできた歴史だというのです。そのことを知らなければなりません。 神様と一つになって、永遠に真の愛の主体性を灯火のように輝かせ、そこにおいて喜び、解放され、天上世界にも地上世界にも地獄がなく、だれにとっても希望の安息所であり、希望の福地とならなければならないという事実を、はっきりと自覚しておかなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 教育しても駄目ならば法的措置を行い、難しい法を守らせる 皆さん、世の中もそうではないですか? 金銀財宝や立派な家財道具がある金持ちの家に嫁いでいった女性が、寡婦となり、貧しい人と再婚するようになったとすれば、どうしますか? 新しい夫に「私の家で一緒に暮らしましょう」と言う女性は、狂った女性です。分かりますか? (前の夫の)写真を掛けておいて、そこで毎日一緒に寝るのですか? これを千回、万回、否定して、一八〇度異なる立場で、それをきれいにするのです。神様はその影さえも、一つのほこりさえも、残ることを好まないのです。 ところが、あなたたちは野良犬のようにして集めた自分中心のものに固執し、そこにとどまろうとする狂った者たちです。それは、正常ですか、非正常ですか? 日本の者たち! 正常ですか、非正常ですか? 韓国の者たち! (「はい」)。先生に苦労させながら、目をむいて見つめているこの者たち、目に神様の矢が突き刺さり、胸に矢が突き刺さるのです。怨讐です。極悪な怨讐です。極悪な怨讐に私が責任をもって……。何代を経てでも、この恩賜にこたえてみなさいというのです。 私には何もありません。自分の息子・娘だとも考えません。お母様までもです。過ちを犯せば、赦すことはできません。私自身もそのようになれば赦すことはできません。自分には無慈悲な男です。どこに行っても、よいレストランには行きません。いつもファーストフードを食べていました。 そのように生きてきた先生を真の父母として侍るならば、あなたたちは堕落した世界の本宮で汚れ切って暮らしていた者たちなのですから、何十倍も苦労しなければならず、何十倍も聖別しなければならないはずです。自分中心に残したものは、火で燃やしてしまわなければなりません。ここを越えていくことができません。分かりますか? (「はい」)。 完全に否定しなければなりません! ここに下りてきたので否定し、それからここに上がっていき入籍しようとすれば、再び否定しなければなりません。サタン世界を否定しなければならないのです。天の世界のプログラムに合わせるためには、世の中のものを好み、自分中心の所有権を好んでいたことを、完全に一八〇度転換し、そのようなものに対してつばを吐いてしまうことができる心をもたなければなりません。 そのようなものを餌にして引きずられ、天の奥底に恨の釘を打ち込んでいたということを知らなければいけません。それを抜いて燃やしてしまう心がなければ、天国に入っていくことはできません。 統一教会の祝福を受けた家庭として、このような話をしたのにもかかわらず、それを中心として、今から十年後に国連を通して法が制定されるとき、そこに引っかかった人は、一つの島に押し込んで、再び訓練する時が来るかもしれません。分かりますか? (「はい」)。 これは先生の決意ではありません。神様の決意です。堕落した痕跡の影さえも、ほこり一つでも、意識したくないのです。「新しい天地を創造したい」という心が、どれほど強いか分かりません。 しかし、あなたたちを掃き捨ててしまうことはできないのです。真の父母の御旨を中心として教育しても駄目ならば、法的措置を行って、難しい法を守らせるようにするのです。それは滅ぼすためではありません。復興させて、天国に連れていくためです。そのような修練過程を経なければならない未来が待っているということを知らなければなりません。 それゆえ、大洋で、海の上で暮らさなければならず、島国を訪ねて訓練しなければならず、陸地を離れて半島を経て、島国、大洋、海へと行って、そこで水に溺れずに再び上陸しなければならないのです。 ですから、大陸、半島、海洋世界の還元を宣布して戻っていくために、天の国の四大心情圏還元を宣布したのです。それは何ですか? 清い純潔な愛の伝統、血統を中心として一致することができる統一的……。神様がご覧になれば、(一人の)大きな男性と(一人の)大きな女性の二人しかいないというのです。そうではないですか? 神様の性相と形状が分かれたのが人間であり、性相の細胞と形状の細胞が男性と女性です。 天の国に行けば、神様は心の立場におられ、天地父母は体の立場にいて、人類はその細胞の立場で、一つの体にならなければならないのです。心情圏の体恤ができない人は、そこで垢となってすべて押し出されてしまうのです。皮がむけて垢になって落ちていくのです。そのことを知らなければなりません。それゆえ、ただ何となく歩んでいくならば、結局は、あなたたちの後孫は歴史時代において流れていく群れとなるのです。 先生は霊界に行ったとしても、「神様が創造された世界が汚され、恨の標的になってしまったので、残しておかずに、新しい天国を創造してください」と言うこともできます。創造できるというのです。私たちの思い通りにできるのです。 そのような解放された世界に向かっていくのですが、地上で自分の環境的条件に絡まれ、自分中心のものに固執して、それを失うのを恐れて後ろを振り返れば……。何ですか? ソドムとゴモラの何ですか? (「ロトの妻です」)。塩の柱になったのですが、それ以上になるというのです。 総生畜です。サタンの主管と神様の主管に分けていた時代ではありません。全体を一つにした基準において、今から四十三日修練を受けなければなりません。できなければ、這ってでも行きなさい。もらい食いしてでも行きなさい。 尹晶老! (「はい」)。私の言うことが分かりましたか? (「はい、分かりました」)。教区長に言って、修練を受けていない人が何名なのか把握し、修練を受けさせなければなりません。 そして、総生畜献納基金はみなが完全に行うのです。この者たち! 一日いくらずつかでも集めて、きちんと捧げるのです。アフリカに行って暮らしていても、「先祖が悪いことをしたので、このような所で暮らすのだ。それを清算するために、一年ではなく、十年でも精誠を尽くそう」と言って精誠を尽くせば、天が祝福してくれるのです。そのように理解し、それをきれいに清算してから暮らさなければなりません。 責任者でそれができない人は、再び教育を受けるかもしれません。分かりましたか? (「はい」)。国家メシヤ、国の責任者は、それを知らなければなりません。総生畜献納基金を使ってはいけません。 さあ、そのようなことをすべて理解して、新しく決心してください。三〇〇〇年に向かって出発する二〇〇一年は違います。暗闇の世界を過ぎ、黎明を経て、先生と共に全宇宙を明るく照らすようになっているのです。それゆえ、今からはラジオ放送をしなければならず、テレビジョン、新聞、言論を通して、あらゆる方向に宣伝するのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.01.04
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https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1280836北國新聞HP(https://www.hokkoku.co.jp/)>石川のニュース(https://www.hokkoku.co.jp/石川のニュース)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.01.04
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生きてもみ旨のため、死んでもみ旨のため一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.01.04
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銭湯が無料サービスなので来ています。我が家も断水状態。帰省中の子供が水を買い求めて金沢方向に走ってくれています。一部復旧の情報あり。屋根からの雨水を集めたものです。
2024.01.03
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教会長から、LINEにて教会のフォトがUPされてきました。▲前景▲玄関横▲礼拝堂への階段口▲階段下の台所の棚から散在▲礼拝堂の天井一枚が剥がれている▲天心苑は無事か?!▲講義室のテレビが落下避難所では、電話で被災状況を泣きながら話す声や、赤ちゃんの鳴き声、定期的にくる震度5の余震で、心細くなってた時に…教会の人から電話が来た😭ボランティアの方が物資を積んで、明日石川県に向かうそうです。道路閉鎖で来られないかもしれないけどとにかく向かうんだって。もうそれだけで嬉しい。— 小嶌希晶 (@kiaki002) January 2, 2024
2024.01.03
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真夜中の地震警報、家族の携帯が一斉にけたたましく鳴って起される。こちらは震度2であっても、震源地近くの避難所生活の゙方々は寝ることも出来ていないのでは?3日朝LINEにて総務から、教会本部からの支援物資の連絡がありました。ありがとうございます。寝袋について能登家庭教会の皆様へ本日、寝袋を能登家庭教会に支援物資として送ってくださることになりました。まだ、避難所生活等を余儀なくされている方を中心として必要数を報告致します。9時過ぎ、会社の上司に連絡取れました。上司の家は大丈夫だったようですが、断水状態で近くの川から水を汲んでいるとのこと。また、周りは屋根の瓦がやられているとのことでした。今朝から雨です。雨漏りもあってビニールシートを張るか、避難所へ行かれる家族もあるでしょう。会社の機械もすぐには稼働が難しい状況とのことです。8日からの営業予定ですが、私はその日は休みを入れて子供の用事で車を走らせようと思います。私の今日の予定は、帰省の子供が明日からの仕事のため金沢駅までの送りです。折角の帰省も災難でした。3日夜「第939回 天心苑特別徹夜精誠」にオンラインにて参加。
2024.01.03
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引き続き余震が続いています。家屋倒壊、火災などの被害はTV映像でも取り上げていた通りです。昨日の18時ころには、加賀・小松からの消防車が10台ほど輪島方面へ向かうの見ました。。教会信徒の数家庭も半壊などで避難所へ避難している家庭も、LINEにて。LINEでも教会メンバーの安否確認しあっています。まだ確認の取れていない方、心配です。道路も所々分断されています。専用自動車道・能登里山街道も通行止めで一般道が渋滞しています。また、ガソリンスタンドまでの行列も渋滞要因の一つとなったりしています。スタンドのタンクが空になれば休業、タンクローリーが入ってくれば営業、がしばらくは続くのではないでしょうか。問題は、断水です。教会のLINEでも水確保の情報が多いです。地下水の源泉地での給水、一般会社でも(貯水)水道水の提供、神社とかでも対応をされては感謝です。七尾市ほかが水の配給を開始しています。スーパーやコンビニも営業しているところもありました。但し、パン類とかの日配品は品不足でしたが、水やお茶のペットボトルの箱が売れていました。カップ麺とかも。ファーストフード関係はほとんどが閉店状態です。教会長からのLINE、天心苑でのお祈りも私たちの励みとなります。感謝します。本日、午後2時前に、方相逸事務総長から直接、激励のお電話がありました。皆さんの事を大変心配されていました。これからも皆さんの為に天心苑全体でお祈りして下さると言うことです。本当に感謝です。皆さんも祈り合い、協力しあって乗り越えて行きましょう!新年早々、高台にある能登総合病院に避難中です。家の中の物が全部落ちてきて、扉が外れて、屋根が剥がれてて道路も割れてる。中3の頃の東日本を思い出す😢電波入ったり入らなかったりだけど、Xできるくらいには無事です。— 小嶌希晶 (@kiaki002) January 1, 2024
2024.01.02
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能登の食口の数件が半壊情報。家族の方々は今のところ被害報告はありません。我が家は本棚からの僅かな落下物程度。21時現在、電気・水道はOKでしたが、ガスの復旧は明日になるとの連絡がありました。教会のセンターのフォト情報もありました。休館中でしたが、近くの方から送ってきたものでした。 【3日朝追記】近所にはベトナムやタイなど海外労働者の方々が住んでおり、地震だけでなく「津波警報」でもってその不安から十数人家を飛び出してどうしたらよいか迷っていました。津波予報が5mでしたが、住んでいるところは少し高台にあるので、あまり心配しないようにと話しかけました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.01.01
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2024元旦 全世界天心苑徹夜特別精誠 特別祈祷会(2023.12.31 20:00〜2024.01.01 01:00)お母様零時御言告天文億万歳四唱一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.31
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Web説教「改革の源流 ~感謝と精誠~」2023/12/26 #世界平和統一家庭連合 #礼拝家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「改革の源流 ~感謝と精誠~」説教者:柴沼邦彦アダムとエバはなぜ堕落したのでしょうか?ヘビから誘惑された時、自分の感情を中心として判断せずに、「神様は私に何を願っているのだろう」と、神様を中心として考え、生活しなければなりませんでした。しかし、アダムとエバは自分の感情を優先させ、堕落してしまいました。それが延長されてできているのが現在の世界です。これを教訓として、私たちは今、どのように生活をしていったらよいのかを考えます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.30
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WCLC 4th Year Anniversary Celebration Webinar2023/12/29WCLC 4th Year Anniversary Celebration WebinarDecember 27, 2023韓鶴子総裁メッセージは1:02:00~(こちら)です。日本語訳はありません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.30
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【LIVE・韓日英 歌詞付】2005 STATION Concert with KR, JP, and EN lyric一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.29
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第34回「真の神の日」、年頭標語「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」第三十四回「真の神の日」記念礼拝の御言成約九年 2001年1月1日天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 何をするために、ここに集まったのですか? 騒ぐために集まったのですか、他の自分のことを考えるために集まったのですか? 家のことを心配し、故郷のことを考え、背後のさまざまな複雑な環境をすべて連結させて集まったのですか? 何の考えもなく集まったのですか、何かの考えを持って集まったのですか? (「持って集まりました。」) 神様は、どのように考えられるでしょうか? 神様がここに参席されるとすれば、どのように考えられるでしょうか? そのことを考えてみましたか? (堕落した世界の)何かがあっては、再創造することはできません。堕落した世界のあらゆるものの中の、その一つでも持っていれば、再創造の成分を連結させることができないという事実を思うとき、皆さんの心にさまざまな考えを持たなければならないでしょうか、何もない心を持たなければならないでしょうか? たくさんの人が集まったので、「ああ、おしりが痛い。狭いのに、床に座って何をするのか。ああ、郭クアク錠煥が訓読会をして、それで終わればいいのに、先生が話をすれば何時間も話すのに、どのようにして耐えればいいのか? どうしようもない」と、このように考えてはいけません。 三〇〇〇年を中心として出発する今日、先生が語るこのみ言は、皆さんがいつでも聞くことのできるものではありません。(これからは)いつでも先生に会うことはできなくなるのです。 今から十年たてば、先生は何歳になりますか? (「九十歳です。」)九十歳ではありません。九十一歳です。それでは、二十年たてば何歳ですか? (「百一歳です。」)三十年たてば、何歳ですか? (「百十一歳です。」)四十年たてば、何歳ですか? (「百二十一歳です。」) モーセが百二十歳になり、ヨルダン川を越えてイスラエルの国に行くことができず、恨を残したままネボ山で死んだということを知っていますか? モーセは八十歳で出発しましたが、百二十年も生きずに八十一歳になる前にヨルダン川を越えていたならば、イスラエルの国に上陸していたでしょうか、できなかったでしょうか? 六十万人のイスラエル民族を荒野に導きながら、出動命令を下したときは、希望に満ちて出動しました。しかし、一心一体となることができませんでした。それは何かというと、心の中にさまざまに複雑な考えを抱いた者たちが、どんどんと増えていったからです。 そのことが、モーセの失敗をもたらしたという歴史の事実を、もう一度思い起こしながら、その前轍を踏まないように、再びこのことに光を当てなければならない時であると考えるのです。 先生が何歳まで生きることを願いますか? (「何歳です。」と答えているのがよく聞こえず)分かりません。「いかなる考えも持たないように。」と言うのに、(先生は)何歳まで生きるという無用な考え……。「わたしには分かりません。先生は知っているかもしれませんが、わたしには分かりません。」と言えばよいのです。 考えるべきことは、ひとえに神様のみであり、神様だけが考えの出発とならなければなりません。再創造されなければならないわたしたち人間においては、その他の考えというものは一切、許されません。 そのような基準では、完全完成のためのものが創造されないということは、理論的であり、原理的であるということを知らなければなりません。分かりますか? 今、話したことが分かりますか? (「はい。」) 複雑な心、複雑な事情、複雑な境遇に縛られて、ナイロンの糸を壁にかけ、「わたしを引っ張ってください。引き上げてください」というような一切のものは、よこしまな堕落の祭物であり、救いを受けることのできない地獄に送られなければならないものであるということを知らなければなりません。 そのような一切のものを断ち切ってしまい、穴に挟まっていない本然の状態で、神様の手と創造の思いが介在する前の本然的原資材の姿を備えることを、神様がいかなる時よりも、この時間に願っておられるのです。(「アーメン。」)「アーメン。」と言いましたね。み言のとおりに成されます。(「アーメン。」) さあ、三〇〇〇年に向かって出発する今年の標語は、どのようなものですか? まず問題は何かというと、「解放」という言葉が出てきます。先生が、いくら苦労したとしても、苦労したことは忘れても、「解放」は忘れなかったという事実です。このように考えるとき、この場では他の何かを必要とするのではなく、「解放」を輝かせることのできる自らにならなければならないというのです。 そのような場にすることができなければ、神様も「真の父母も解放することができず、真の父母の息子、娘や、天上世界にいる人類全体の先祖、すべての会員たちまで解放させることができる道がない。」とおっしゃるのですか、「ある。」とおっしゃるのですか? (「『ない。』とおっしゃいます。」)ありえないということを知らなければなりません。 「解放」という言葉……。郭錠煥氏 (「はい。」)「解」という字は、どのように書くのですか? 一度きれいに書いてみてください。楷書で大きく書いてください。「放」という字も書いてください。「放」という字です。「解放」です。 これは正しいですか、正しくないですか? (「解」のへんを指されて)これは何という字ですか?(「『角』という字です。」)「角」という字です。(笑い)「角」という字は、何ですか? 各自のことをいうのではありません。(韓国語で「角という字」と「各自」は同じ発音) 「角になっている」、「役に立たない」、「『円形世界』は怨讐である」というのです。これをなくしてしまえばよいのですが、これをなくせば、ここに「羊」をもってくるのです。(「解」の俗字である「觧」のつくりを指されて)ですから、「羊」という字です。 このように書いても「羊」という字なのです。「角」と「羊」は怨讐です。「放」という字には、「父」という字がありますが、「父」という字に「方」という字で「さまざまな方向、さまざまな所に父がいる」ということです。分かりますか? それでは、どのようにして解放されるのですか? 蕩減法によるのです。さまざまな方向の中でも、中心方向に沿って、角がなく、ぐるぐると回っていくことができる位置に入っていって、初めて解放が成されるのです。 それでは、反対せずに順応することができる代表的な動物は何ですか? (「羊です。」)反対せずに、昼も夜も一年じゅう、いつであっても、主人が来て「おい、わたしの言うとおりにするのか?」と言えば、「メェー、そうです。」と言うのです。「メェー、メェー、メェー、メェー」と、繰り返すのです。 「そうです。そうするも何も、そのとおりにします。」と思って、「メェー」と言うのです。一度、言ってみてください。羊になりますか、頭をたたき割ることができるような角のあるものになりますか? 羊にならなければなりません。 また、「放」という字は、「方」に「父」です。三百六十度に向かう父であるということですが、それでは混乱が生じます。ですから、一番の怨讐を包んであげるのです。「解放」という言葉を考えるとき、なぞなぞのような内容ですが、先生の話を理解すれば「ああ、理解できた。」となるのです。分かりますか? それでは、父のように三百六十度に行こうとする群れに、「主流に行きなさい。一つの道に向かう父を求めていきなさい。」ということが問題です。それは何かというと、零点です。 皆さん、メーターを見れば、何度であっても、いつも零点に合わせるのです。全体の方向感覚の正誤を中心として、零点の中心にある位置が、量あるいは正しい方向を測定できる基準になっているのです。 さあ、解放です 解放は良いことですか、悪いことですか? (「良いことです。」)監獄で暮らしていた人が出てくることを何と言うのですか? 解放と言うのですか、束縛と言うのですか、釈放と言うのですか? (「釈放です。」)釈放ですか? 釈放と解放は、どのように違うのですか? 釈放される人が千人、万人いるとすれば、その人たちが釈放されて、父母の故郷に訪ねていくとき、千万に別れていくのです。それは釈放です。分かりますか? しかし、解放とは何ですか? 「八・一五(一九四五年八月十五日のこと)で南北が釈放された」と言うのは、正しいですか、正しくないですか? これは解放です。「邪魔になっていたすべてのものが順応する、自由還元運動することができる世界になった。上下も、左右も、前後も、すべて平等な価値で方向をとっていかなければならなく、角がなくなった丸い統一的世界になった」ということです。 その日には、おじいさんが喜び、おばあさんも喜び、けんかしていたお父さんも、不平を言って、えんえんと泣きながらけんかしようとしていたお母さんも、泣きながら何ですか? (「喜びます。」)喜ぶのです。 それから息子、娘、孫がいて、百人、千人、万人、国にいるすべての人が、解放されれば「万歳」を叫ぶのです。一度、「万歳。」と言ってみてください。(「万歳。」) 解放の中で、「家庭が解放された。」とも言うことができるのです。共産主義治下において、皆が殺戮されていく中から家庭全体が生きて出てくれば、解放された家庭になるのです。解放された家庭、解放された氏族、解放された民族、解放された国家、解放された世界、解放された天宙、そして最も難しいのが何かというと、解放された天地父母です。 さあ、このように考えるとき、今年の標語は何ですか? 解放された天地父母と子女が……。それでは、解放された天地父母だけが解放されたのですか? 子女はどのようになったのですか? (「解放されました。」)子女も解放されたのです。連結されているのです。何とですか? (「父母」と「子女」は)一つの文中にあるので、対等な価値を持つのです。解放された天地父母と子女が何ですか? (「一心一体となり……。」) それでは、その天地父母は何人ですか? 天地父母は、天的父母も父と母であり、地的父母も父と母ですから、何人ですか? 四人でしょう? そこに心と体を中心とすれば、八人と同じことであるというのです。分かりますか? そこに霊的世界を合わせ、地上世界を合わせて十六数になるのです。 十六数がそのようになったので、十六数は、いつも解放できるのか、できないのか、成就したのか、できないのかという……。(朝鮮戦争のとき)韓国に何か国が来て解放しようとしましたか? (「十六か国です。」)第一次大戦も、十六か国が一つになって戦争を始めました。いつも十六数が問題になったという、このような原則について見るとき、天宙の解放圏のために生きようとすれば、必ず十六数が必要なのです。総生畜献納をすべて十六数に合わせて、どのくらいするのですか? ここにいる国家メシヤたちは、「パンタナールで四種類の魚を百六十匹、釣らなければならない」という契約がなされているのですが、きょうまでに、すべて捕まえた人は手を挙げてください 私一人しかいませんね。(拍手) 皆さんにそのようなことをさせましたが、先生は内的にそれを一瞬のうちにすべてしてしまいました。皆さんは、できませんでしたが、先生は成したということを知らなければなりません。 成したと思いますか、できなかったと思いますか? パクーのような魚は、普通、一日で三十二匹、捕まえました。二日あれば、すべて終わるのではないですか? ドラドは、一日で十一匹、釣りました。ですから、それは問題になりません。 このように見るとき、先生がそのようなチャンピオンの看板を掲げて、四年間で百六十匹、釣ることができませんか、できますか? 釣ることができないというのですか、この者たち。(「釣ります。」)(韓国語で「この者たち」と「相対、カップル」の発音が似ていることから)相対がいない者は、どこに行っても使う価値がありません。ですから、絵を描くにしても、名作を描こうとすれば、白黒がなければなりません。皆、黒を嫌いますが、黒がなければ名作になりません。 きょう、ここに座っている人たちの色を見ると、三分の二が、どんよりして薄黒いです。どうしてでしょうか? 冬だからです。(冬は)太陽が遠くなるのですが、黒いものには太陽の光を吸収できる力があるので、自然に歩調を合わせるようになっているのです。わたしたちは、自然の中に生きていながら、だれかが命令しなくても、自然界に自ら合わせることを知っているので、七十、八十歳まで生きることができるのです。それは、理論に合うのです。 さあ、このように話していては、きりがありません。 「解放」という言葉を歓迎する人は、目を見開いて両手を挙げてください。十感があるとすれば、目を見開いて心の五感を見ることができますか? わたしが一等だと思う人は、何か一つ……。指でも、このようにしてみてください。このように挙げても、このようにして、何か一つでも違わなければなりません。すべて同じであることを願いますか、違うことを願いますか? 顔かたちは皆、違うでしょう? しかし、(解放は)心の一番底にあり、底は水平なので、そこに根を下ろさなければなりません。 解放されましたか? (「はい。」)本当ですか? (「はい。」)どのくらい解放されましたか? 国の基準を中心として解放されましたか、世界を中心として、天宙を中心として解放されましたか? 解放された天地父母、天地父母というかたが、自分たちだけで解放できますか、できませんか? 神様がお一人で解放されるとすれば、救援摂理は必要ありません。救援摂理は、即刻完成することができたというのです。神様も思いどおりには解放できないのです。 地上にメシヤとして来られたイエス様も、真の父母として来られましたが、解放の道を行くことはできませんでした。解放するために何が必要なのかというと、子女がいなければなりません。 なぜ、子女がいなければならないのでしょうか? 堕落とは何かというと、神様が堕落したのではありません。真なる天地父母が現れて堕落したのではありません。真なる天地父母の希望を未来においたまま、息子、娘が一つになることができなかったので解放できなかった、という事実です。 息子、娘が完全に一つになることによって、神様以上に解放の希望を願い、神様以上に解放の限界線を願うことができる息子、娘がいたとすれば、堕落したとしても神様を解放することができる日が、すでに何千万年前にあったかもしれないという事実を、皆さんは知らなければなりません。 それでは、今、この堕落した世界において、天地父母も解放されなければなりません。そして息子、娘、万民、六十億の人類、天上世界の何千億にもなる一つの先祖の血族として残っている存在が、すべて解放されることを願うとすれば、いつ解放が成し遂げられるのでしょうか? この解放を成し遂げるためのものが宗教であったというのです。拘束されている心と体を解放するために、心を強めて神様の代身の位置に立て、体を自由自在に統治します。そして、そこから脱線する存在がないようにするということが、救援摂理出発の目的であり、神様の思いを救援にとどめておくための出発であったという事実を知らなければなりません。 解放の根と解放の起源が何であるのか分からずに、解放を叫ぶ者は、愚かで、でたらめな人です。そのような者に解放はありえません。解放の根源は、すべての天地に包囲された囚われの身となっている体なのです。体が囚われの身となっているという事実を、だれが解放しなければならないのですか? (これが)問題です。神様が、神様ご自身を解放することはできず、真の父母として、メシヤとして送ったそのかたも、メシヤによって解放することはできません。何によって解放することができなくなったのですか? 子女が過ちを犯したのです。分かりますか? 子女に当たる者が、子女として未完成の段階から完成していたならば、アダムとエバは結婚して息子、娘を生んでいたはずなのですが……。その器官をいくら分析してみても、息子、娘を生むためにできたものであることは間違いありません。 男性一人で息子、娘を生んだでしょうか、女性一人で息子、娘を生んだでしょうか? 息子、娘を生んでこそ神様に似る者となるのです。一人で息子、娘を生むことができる女性という動物もいないのであり、男性という動物もいないのです。それでは、どのようにすれば息子、娘が出てくるのでしょうか? 分かりますか? 男性の心があれば、その男性の心に合うのは、別の男性ですか、別の女性ですか? ええ、何ですか? 赤ん坊を生もうとすれば、男性同士で結婚するホモの家庭に赤ん坊が生まれるでしょうか? 偽りの愛を中心として、肉体の情欲をすべて満たしたとしても、そのレズビアンの家庭に赤ん坊が生まれますか? 「生まれる」と言う者たちは、よこしまな者たちです。よこしまな者たちは、方向がなく、上下や高低もなく、どこにも立つことのできる位置がありません。そのような者たちを通して、息子、娘が出てきますか、出てきませんか? 「永遠に願い、さらに願います。天地を創造された大能力の主宰であられ、全能であられ、父の立場にいらっしゃる神様よ。わたしたち男性同士で一つになって結婚するので、息子、娘を生むことができるようにしてください。」と、このように言うのは狂った者たちですか、正常な者たちですか? 狂った者たちですか、正常な者たちですか? (「狂った者たちです。」) それが、はっきりと分からない男性と女性たちは、狂った者たちですか、正常な者たちですか? 狂った者たちです。「一人で暮らす。」と言う人がいるとすれば、それは狂った者ですか、滅びる者ですか。「滅びるな。」と言っても滅びます。一代ですべて終わってしまうのですから、「滅びるな。」と言っても滅びるのです。 ですから、男性と女性が赤ん坊を生むためには、ふたりが一つにならなければなりません。どのようにして一つにならなければならないのですか? 夫婦がいて、宇宙を動かすことのできる全能なる神様が、両手でこれを引き離そうとしても引き離すことができず、神様の腕が伸びてしまっても、一つになったものが引き離されないことを願いませんか、願いますか? 夫婦が一つになってくっついているものを、神様が激しく引き離そうとして腕が折れたとすれば、神様が裁判官として、どのような罪を与えるでしょうか? 百点の罪を与えるでしょうか、千点の罪を与えるでしょうか、億万点の罰を与えるでしょうか? (「罰は与えません。」) 億万倍の賞を下されば、賞をもらえない人は、だれもその前に行くことはできないということなのです。億万倍あれば、百倍でその前に顔を出せますか? 角度が合いません。 色で言えば、真っ赤で「ああ、見ることもできず、触ることもできず、死ぬこともできないほど真っ赤になった」ということです。赤でも神様が訪ねてきて、ポケットに入れるのです。このような話は初めて聞くでしょう? 神様も、赤い人が必要でしょうか、白い人も必要でしょうか? 三大元素の中に赤が入っていますか、入っていませんか? (「入っています。」)私よりも優秀ですね。では、真の赤い元素があるというとき、神様がポケットに入れるでしょうか、入れないでしょうか? わたしは入れないと思います。あなたたちはどうですか? (「……。」)このことも知らないのですか? それで、何ができるというのですか? 学校に行けば、昼も夜も転げ落ちて落第生になってしまいます。落第生になって役に立たず、方向感覚のないそのような者が、何をするのですか? 家門を滅ぼし、国を滅ぼすのです。無用の長物ですか、有用の長物ですか? ええ? ここに集まっているのは有用の長物ですか? 日本の女性、韓国の女性、西洋の女性、すべて来ていますね。 男性と女性が本当に息子、娘を生もうとすれば、神様までもどうしようもなく……。引き離すことができません。引き離そうとしても、神様の腕のほうが折れるのであって、(夫婦を)引き離すことはできません。 そのようにして息子、娘を生めば、神様よりも強い息子、娘が出てくるでしょうか、弱い息子、娘が出てくるでしょうか? ええ、何ですか? はっきりと答えてください。(「強い息子、娘が出てきます。」)原理を広めるために苦労した先生は、(皆さんの)力のない声を聞いても、全く興味がわきません。 神様の腕が折れても、引き離すことができなかったとすれば、そのような愛で一つになった夫婦から、神様が本物の赤ん坊として「やあ、これは本物だ。」と拍手し、万歳を叫ぶことのできる息子が出てくるでしょうか、「ああ、落胆した。」と言われる息子が出てくるでしょうか? そのようになれば良いと思うでしょう? あなたたちは、そのようになれば良いと思うでしょう? (「はい。」)どうしてですか? 万歳解放です。神様の中に入っても、神様の血統的精子の中の王の精子として入っていったとしても、神様が期待に胸を膨らませて踊りを踊られるのです。「ああ、そのような父に一度なってみたい」と思う人は、手を挙げてください。手を挙げたら、神様を見詰めていなければならないでしょう。なぜ地を見詰めているのですか? 手を挙げてください 向こうのほうは何も分からないのですね。こちらのほうは韓国人で、あちらのほうは日本人ですね。なぜ、日本人がこのようにたくさん来たのですか? 生きることのできる道が、ここにしかないので、ここに来たのでしょう。生きるためにです。 それでは、このような観点から見るとき、原色の中でも一つになった、真の原色である赤のような父親と母親を、神様の腕が折れても分けることができず、そこに赤ん坊の種ができ、そして生まれた息子、娘がいるとします。神様が彼らをごらんになるとき、「おい、おまえ。わたしにあいさつしなさい。」と言わなければならないでしょうか、神様が、あいさつしなければならないでしょうか? なぜ、不思議そうにしているのですか? そのような息子が……。神様が本当に力を尽くしても引き離すことができなかったので、その中から生まれた息子、娘は、神様よりも、もっとりっぱでしょうか、りっぱではないでしょうか? (「りっぱです。」)神様もその前に行かれれば、頭を下げなければならないのです。 絶対的な神様は、頭を下げることができませんか、できますか? 「ええい、やめよう。頭を下げれば、絶対が壊れてしまう。」と言われますか? 愛には、神様も頭を下げなければなりません。国を救った忠臣の中の忠臣の前には、王も頭を下げなければならないのです。王は、忠臣の力によって王の振る舞いができるときが、よくあります。 そのようなときには、「あなたのおかげで王になった。ありがとう。」と、言うようになるのです。「ありがとう。」と言いながら、ひげがボタンに引っかかって抜けたりすることも起きるのです。そのような可能性がありますか、ありませんか? (「あります。」) 先生の話が間違いなければ、私はあると思います。皆さんは、ないと思うでしょう? ないと思っているではないですか、この者たち。(「あります。」) さあ、このくらい話せば、「解放」という言葉が分かったでしょう。(「はい。」) 解放とは何かというと、神様と真の父母が天地父母になったということです。神様は縦的父母であり、真の父母は何ですか? (「横的父母です。」)なぜ、天地父母と言うのですか? これは、すべての相対関係における九十度の原型です。核心です。この根本に合わなければ、すべて離脱していくのです。いくらたくさんあっても、同じ価値として認めるのです。 それゆえに、「解放された天地父母と解放された子女」となるのです。分かりますか? 「一心一体」、心も体もあるでしょう? 「一心一体となり、真の愛の」、一心一体とならなければ、真の愛になりません。真の愛が出てこないのです。「真の愛の主体性である」、これは主体です。 何が主体ですか? 真の愛の核があるのです。真の愛の主体性である絶対性、唯一性、不変性、永遠性のみ旨、「永遠の」でも「永遠な」でもよいのです。 では、み旨とは何ですか? 四位基台の完成です。天を見ても天の父母であり、地を見ても地の父母であり、天の国と地の国、この二つの国を相続した三代が、天の父母の位置に立つことができることによって、それが主体性なのです。分かりますか? お父さんの角度も、おじいさんの角度も、わたしの角度も、千々万々の角度が、すべて神様とぴたっと当てはまるのです。そして、どの方面にこれを回してもモデルとなり、上弦と下弦を取り替えても合い、右弦と左弦を取り替えても合い、前弦と後弦を取り替えても合い、十二片のどこに合わせても、ぴたっと合う関係です。そのような「四位基台のみ旨が完成されますように」です。 これが全宇宙の希望であり、全体の唯一の核であり、一つの体となっているので、三〇〇〇年時代に、この標題を中心としていくことによって、神様が自らを主張することができる世界にならざるをえないというのです。 三〇〇〇年は……。三数の解放数であり、旧約時代、新約時代、成約時代です。成約時代の家庭理想を標本として、全宇宙が、新しい構造を編成することのできる時代になったので、このようにしなければ、どこに行っても合わせることができません。ですから、このような標題による主体性に対する絶対、唯一、不変、永遠な愛のモデル家庭を成し遂げなければなりません。 それでは、きょうからも必要であり、二一〇〇年から三〇〇〇年を越え、三万年を越え、永遠に必要な標題を持ったという事実を誇らなければなりません。(「アーメン。」)拍手。(拍手) 拍手するときには、皆さんが喜んでするのではありません。拍手は、三回以上しなければなりません。神様の拍手、神様の母の拍手、父の拍手、母の拍手のわたしの拍手、それから、孫の拍手で六つの拍手です。三回から六回以上しなければなりません。長過ぎてはいけません。それも原理数に合わなければなりません。 (口、鼻、目を順番に指されながら)蘇生、長成、完成です。 腹中時代、水を飲むでしょう? 空気を吸いますか、水を飲みますか? 鼻で空気を吸いますか、水を飲みますか? 水を飲むのが腹中時代です。鼻の時代は鼻で呼吸するのです。ですから、ヘソは必要ありません。ヘソで食べることもでき、鼻の穴で呼吸し、二つの世界で生きることができるのです。母親の腹中でも生きることができ、空気世界でも生きることができるのです。 そして、これも主体と対象です。空気世界でも生きることができ、水の世界でも生きることができます。地上では、鼻で呼吸しながら、天の国とともに暮らすことができるのです。すべて二重になっています。これは、東西南北の四方を意味するのです。分かりますか? 鼻が好きですか、口が好きですか、目が好きですか、耳が好きですか、手が好きですか? (「すべて好きです。」)すべて好きだと言うのならば、目と鼻と口と耳と手、この五つに「あなたたちは何が好きですか?」と尋ねてみれば、どのように答えるでしょうか? 雄の鼻は、「雌の鼻。」と言うのです。そうですか、そうではないですか? 雌の鼻は、目があっても何があっても「すべて嫌だ。」と言い、「雄の鼻。」と言うのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです。」)口はどうですか? 郭錠煥氏の口は、雄の口ですか、雌の口ですか? (「雄の口です」)。雄の口なので、「雌の口はどこにある? キスしよう。」と思えば、そこに訪ねていかなければならないでしょう。鼻にするのですか? 目にするのですか? 耳にするのですか? キスをするのに、雄の口が雌の口を訪ねていかない人は、狂った者たちです。 雄の手が最も好むことは、雌の手とくっつくことだというのです。男性たちは、握手することができる道があれば、男性の手を求めていきますか、女性の手を求めていきますか? 女性だからといっても、何でも求めていくのではありません。方向を一致させることができる自分の妻の手を求めていくのです。 文総裁が、このように自信を持って話しているのに、ここに集まった一万近い人たちが、「それは違う。」と言うのならば、「違う」と思う人は、死んでみなさいというのです。 わたし一人が、「そうだ。」と言っていますが、先生の言うことが正しいのか、一万近い人たちの言うことが正しいのか? 霊界に行ってみれば、間違いなく、わたしが一万の人に勝つことができるので、堂々と前に立っておなかを突き出し、「この者たち、私の言うことを聞きなさい。」と言うのです。聞きますか、聞きませんか? (「聞きます。」)本当に聞くのですか? (「はい。」) 「聞かない。」と言う人は、手を挙げてください。「聞かない。」と言う人は左手を挙げて、「聞く。」と言う人は右手を挙げてください。聞くという人は、右手も左手も挙げてください。それでは、先生は話さなくてもよいということです。それでは、これで終わりましょう。さようなら。(拍手) ああ、「休みなさい。」ということではないですか? 先生の話を聞くよりも、雄の手が雌の手を訪ねていって愛し合うほうが喜ぶのです。愛の味がおいしいですか、先生のみ言の味がおいしいですか? ええ、何ですか? 赤ん坊は、自分のお母さんのオッパイがおいしいですか、隣の家のおばあさんのオッパイがおいしいですか? (笑い) (「お母さんのオッパイがおいしいです。」) それを尋ねる必要がありますか? 系統に従って拍子を合わせていくのです。先生は、言葉を好む先生ですか? すべての人が愛を好むということであり、この愛の内容がなければ、まぜこぜの餅なのです。(純粋な)もち米の餅ではないというのです。 それでは、わたしたちは解放を願うのですが、どのような解放が一番ですか? 目の解放、鼻の解放、耳の解放、口の解放、五感の解放が一番ですが、その中で第一の解放は何ですか? 愛とは何ですか? 生きてゆらゆらとするのが、愛です。そのように解釈しておけば、狂っても愛は理解することができるのです。愛というものは何かというと、ゆらゆらするのです。かげろうのようにゆらゆらすれば、その中で寝たいという気持ちになり、世の中のすべてのものに「わたしの懐で眠りなさい。」と言いたくなりませんか? 愛とは何ですか? (「ゆらゆらするものです。」)ゆらゆらするものは何ですか? 春の季節になれば、かげろうが、ゆらゆらするのです。愛のように、ゆらゆらしています。角の角度があるので、絶妙にゆらゆらするのです。 では、愛に酔いますか、酔いませんか? 愛に酔うのですか、酔わないのですか? (「酔います。」)賞を上げるので、「愛に酔ってみた」という人は、手を挙げてください。どのような愛ですか? 真の愛です。 愚かな人は、恋愛しながら地獄に行く贈り物にしがみついて、「生きる」とか「死ぬ」とか言う人が多いのですが、神様にしがみついて「生きる」とか「死ぬ」とか言う人を見たことがありません。 若い息子、娘たちは、恋愛するのを好みますか、礼拝堂に行って、お尻を天に突き出して、「私は死にます、生きます。」と、泣きわめきながら祈祷するのを好みますか? 神様に会って、「恋愛しましょう。」と言うのが良いですか、若い息子、娘同士で「恋愛しましょう。」と言うのが、もっと良いですか? 統一教会の教会員は皆、神様と恋愛するために来たのでしょう? (「はい。」)天のお父様ですか、天のお兄様ですか? (「お父様です。」)ええ、何ですか? (「お父様です。」)天のお父様なのに、どのようにして恋愛するのですか? (笑い)上下というものは、水が流れるようになっていて授け受けすることができません。水を注げば、落ちるのです。この相対的基準を成した水平世界において、お互いに授け受けすることができるというのです。 さあ、それでは解放とは、どのような解放ですか? 神様 どのような解放を好みますか? (「愛の解放です。」)どのような愛ですか? (「真の愛です。」)真の愛の種類はいくつあるのですか? 上下、左右、前後、そして王です。 王というものは、一人で王になることはできません。上下、前後、左右、この六つのものを率いて王の位置で愛するとき、そこで「千年万年、暮らしたい」と思うのです。神様は欲望を持っておられるので、神様は王の愛を好むのです。分かりますか? 王の愛であり、核の愛です。言ってみてください。核 (「核」)。どのような愛ですか? (「核の愛です。」) さあ、解放された天地父母と解放された子女が心身一体となり、そのようになれば、その中に神様がいらっしゃるでしょうか、いらっしゃらないでしょうか? (「いらっしゃいます。」)父母もいて、天地父母がいるのです。息子、娘がいますか、いませんか? (「います。」) だれ一人として欠くことができないように、すべているのです。すべているので、神様が福を与えてくださらなければならず、周辺におじいさん、おばあさん、自分の夫、兄弟が周辺にいれば、神様が福を下さるので、その家は安着することができるのです。 一時ではなく、永遠にそれを表題として、一つのモデルとして選択することのできる家庭が……。自分の町内すべての家庭がそのようになり、部落に百軒の家があれば、百軒すべてがそのようになり、村を越え、村々を越え、全国津々浦々までそのようになり、千万の部落ともども、国を越えて、万国すべてが一つになることができる可能性があるということなので、万民が歓迎しなければなりませんか、反対しなければなりませんか? (「歓迎しなければなりません。」) 歓迎しないときには、どのようにするつもりですか? 離婚でもしなければなりませんか、してはなりませんか? (「してはなりません。」)会いたくないのに、なぜ離婚しないのですか? 統一教会の教会員は、会いたくなくても、このようにしています。神様の前で血統が変わり、怨讐の子女となった者を、神様がはしで火の穴に放り込みましたか、そのままにしておきましたか? (「……。」) きょう、その答えを知ろうとすれば、答えなければならないでしょう。はしで放り込むとすれば、この地上でその地獄の火で焼かれない人がいると思いますか、いないと思いますか? (「いません。」)なぜですか? わたしたち人類は、怨讐の血がエバの子宮に入っていって、できた赤ん坊なのです。女性の子宮や胸やお尻は、怨讐の血筋によって生まれた子女を保護し、育成するために、そのようにできているのですか? 怨讐がこの胸を吸ってくれることを願ったのですか? だれが吸ってくれることを願ったのですか? 主人です。億万年の主人です。天地が変わるとしても、この主人は変わらないようにするためです。そのかたのために、そのようにできているのです。それは何ですか? 神様の家門のためです。分かりますか? あなたたちは皆、嫁いで家門に入っていったでしょう? きょうはなぜ、このように女性ばかり集まったのですか? なぜ男性はいないのですか? 男性が一人で騒いでいるので、「女性ばかり相手にして、悪口を言いながら、苦しめるために、あのような話をするので、初めから文総裁は怨讐として生まれたようだ。」と思うかもしれません。だれが愛の道に怨讐を引き込んだのですか? 女性です。 先に女性が目覚めるので、男性を誘惑するようになっているというのです。化粧を始めれば、一時間も二時間もアイシャドウやルージュを塗っているのです。結婚する年ごろの十七、八歳になれば、朝から夜まで一日じゅう、そのようにして座っています。(笑い)笑っているのを見ると、身に覚えがあるようですね。 さあ、十五、十六、十七、十八歳になって、化粧品を買うのは男性ですか、女性ですか? (「女性です。」)日本語で、化粧のことを何というのか知っていますか? 「けそ」ですか? (「けしょうです。」)化粧をすることを何というのですか? 「かそ」ですか? (「けしょうです。」)「けしょう」ですか? 「火葬」ということです。 皆さんは、何によって生まれたのですか? 神様によって生まれたのですか、愛によって生まれたのですか? (「愛によってです。」)何ですか? (「愛によってです。」)本当ですか? (「はい。」)やあ、わたしも学びました。わたしは、神様によって生まれたと思っていたので、愛によって生まれたとは知りませんでした。今、あなたたちから学んだので、悪口を言われずに暮らす時が来たということです。(「アーメン。」)(笑い) 解放された天地父母と解放された天地子女が一つとなり、心身一体となる日には、天下のすべてが自分のものになるのです。おじいさんの愛がおばあさんの愛であり、おじいさんとおばあさんの愛が、お父さんとお母さんの愛であり、お父さんとお母さんの愛が孫の愛であり、孫の愛がおじいさんとおばあさんの愛です。 おばあさんが孫を見て、「ああ、わが子よ。」と言うのを聞いたことがありますか? (「はい。」)そうではないですか。自分の息子、娘に対して、「ああ、どうしようもなく愛らしいわが子よ。」と言う若い父母を、わたしは見たことがありません。ただ「かわいい。」と言って、キスしてぶつぶつ言うだけであって、「ああ、わが子よ。」とは言わないのです。 そこから横的に広がっていくのです。収穫なのです。孫は、愛に対する収穫なので、一つの種から十双も生まれてくるのです。わたしの友達の中には、一人の母親が三十六人の息子、娘を産んだという人がいます。少ししか産んでいないでしょう? (「たくさん産みました。」)私は、「四十六人くらい産めばよい」と思うのですが。あなたたちもそうですか? 何ですか、悪いことがありますか? その息子たちが皆、天才的な頭をしていれば、「嫌だ。」と言っても、自然に大統領や長官になるのです。その国の大統領や官僚を率いて、「おお、よし。よし。」と言えば、その国全体が春になって花が咲き乱れる園になり、(草木が)生い茂る夏の季節が訪れるのに、どうして「嫌だ」と思うことがあるでしょうか? 「嫌だ」と思いますか、「良い」と思いますか? では、息子、娘を育てることが大変なことでしょうか、大変なことではないでしょうか? このように考えるとき、神様が今日の人類に対して、「あなたの父だ。」と言われ、その神様を(わたしたちが)「父として侍ります。」と言えば、神様は、あなたたちをどのようにされるでしょうか? 骨が出るほど、こき使って苦しめる父ですか、骨は出ずに、食べさせる父ですか? 食べさせる父です。 その父の農地が、どこにあるのか知っていますか? 夫婦というものは、赤ん坊を生む農地であって、食べさせる農地ではありません。食べさせる農地は、天の国にあるのです。愛が結実するときには、食べるものは無尽蔵です。願いどおりです。 神様の愛を受けることができ、同居し、同参することのできる位置に立つようになるので、神様が「食べたい」と思われるものを、すべて持つことができるように、わたしたちも願うとおりに、すべてのものを持つことができるのです。 天の国に農地があるでしょうか、ないでしょうか? 土地がありますか、ありませんか? 土地はありますが、農作業する農夫は、見たことがありません。面白いでしょう? そこにパンをつくる工場がないでしょうか、あるでしょうか? 自動車をつくる工場がないでしょうか、あるでしょうか? あるとすれば、神様が、毎日のように出勤され、自動車工場やその付属品を監督するチャンピオンになられるということですか? (そのような)必要はありません。真の愛さえあれば、十分です。分かりますか? 今、何と言いましたか? 真の愛で十分です。(それは)どういうことですか? できないことがないのです。真の愛の中には、考えであるとか、感想であるとか、そのような空想的な理念を実体として現実化させることができる能力があるのです。愛のためにつくられたのが、万物です。 赤ん坊を好むのは、男性ですか、女性ですか? (「女性です。」)私は、男性のほうが好むと思います。(男性のほうが)女性よりも、もっと大きな胸をしているからです。(笑い)「わたしは、女性よりも大きなお尻を持っているので、赤ん坊を産むときにも無事通過だ。ああ、わたしには子宮ではなく王の子宮がある」と言えば、男性のほうが女性よりも赤ん坊を好むと思いますか、女性のほうが男性よりも赤ん坊を好むと思いますか? (「女性です。」) お父様の話が事実ならば、男性のほうが、もっと赤ん坊を好むということになるのですが、事実がそうではないので、問題なのです。いくら真の父母だとしても、それでは偽りの父母に落ちるしかないので、賢い人は「ぺっ」と、つばを吐いて背を向けるようになっています。一度、つばを吐いて背を向けてみてください。 女性たちは、自信があるでしょう? 先生よりも、もっと赤ん坊を好むでしょう? (笑い)それは、生理的にそうなのです。どのようになっていますか? 胸は、だれのためにあるのですか? 先生のためにあるのですか? (「赤ん坊のためです。」)それは、赤ん坊のためにあるのです。お尻は先生のために大きいのですか? (「赤ん坊のためです。」)赤ん坊のためです。 先生と何の関係がありますか? それから、子宮は先生のためにあるのですか? ああ (笑い)どれほど、うっとうしいですか? その場で殺されたほうがよいでしょう? 赤ん坊のためにあるのではないですか? 自分が持っているすべてのもの、その根本から付属品まで、すべてのものは、赤ん坊が必要とするようになっています。 女性の手は大きいですか、小さいですか? 男性の手のように頑丈で、骨のようですか、ふっくらしていますか? なぜ、女性の手はふっくらとしているのですか? (「赤ん坊のためです。」)赤ん坊が泣くからです。腹中にいる赤ん坊につめがありますか、ありませんか? つめがありますか、ありませんか? つめで引っかくようになっていますか、どのようになっていますか? どうだと思いますか? このように握ってみてください。つめをこのようにすれば、引っかかるではないですか? (親指を中に入れて)ですから、このように握っているのです。この女性たち、このようなことも知らないのですね。(笑い)このように握っていれば、いくらやっても、つめが引っかかりません。このように握っていれば、どのようになるでしょうか? 引っかいてしまうというのです。 これ(親指の二つの関節)は何かというと、神様の二性性相であり、これ(残りの指の三つの関節を合わせたもの)は、十二か月です。それぞれ三か月を中心として一年を表しています。 天地の度数の中で、王となられるかたは、どのようにしますか? (右手の親指を立てながら)一等は、このようにするでしょう? そのような話をすれば、面白いのです。話をしてあげればよいのですが、そのような話をするには、きょうは、日の運が良くありません。 解放。解放を願いますか? (「解放。」)では、目はどのようにしますか? (「目の解放です。」)それでは、「抜き出してみなさい。」と言うのです。耳も解放ですか? 目の解放とは何ですか? いくら抜き取ったとしても解放できません。男性の目の解放がなされるのは、女性の目を見詰めるときです。 男性が笑うときに、女性がにこっと笑えば、手足が踊るのです。そうですか? 夫が何か不満で、むっつりしているときは、にこにこ笑いながら、「ああ、きょうは朝から太陽が出ているのに、私の夫には雲がかかっていますね。何が悪くて雲がかかっているのですか? 何か気分が悪いことがあるのですか? 会社で何か失敗でもしたのですか?」と言うのです。 そして、会社の女性のために気分が悪いのならば、「私がその女性に贈り物を贈ってでも、良くしてあげるのに……。」と言い、それが男性ならば、「ああ、その人は、上司になろうとしてなれなかったので、気分が悪くて部下を苦しめたのですね。少し待ってください。私がその人よりもりっぱな息子を生んで、父親の恨の峠を越えさせてあげます。」と言いながらほほえむとき、その話を聞いた夫の、かたくなな心は解けるでしょうか、解けないでしょうか? 木石のような女性は、だれですか? いくら無感動な女性であっても、そのようなことは基本常識として分かっているというのです。そのようなことを知りながらも、かみついて責め立てるような人は、追い出される女性です。追い出される女性とは、どのような人ですか? (「冷遇される女性です。」) 疎んじられて冷遇される女性です。そのような女性が通るときには、町内の犬もほえません。「この女め、早く行け。こいつ。ほえるのも恥ずかしい」と思って、犬もほえず、鶏も猫も鳴かず、ネズミまでも穴に入ってぐるぐると回るというのです。千年万年の恨があったとしても、一人の夫に仕えるのです。それが女性の行くべき鉄則です。 整った顔をしていますが、あなたたちはどうですか? 先生が、世界で一番の美男子と祝福をしてくれると思ったでしょう? 絵を描いてきてくれれば、そのようにすることができます。 考えてみてください。一万人の男性と一万人の女性がいるとすれば、九千九百九十九人の女性は、一万人の男性の中の十人の美男子を奪おうと、首を絞め合うのです。見た目で良いかどうか判断するのです。顔立ちの整った男性は、皆、浮気心のある男性なのです。 「五人の男性の名前を書きなさい。」と言えば、五人とも、すべてそのような男性を選ぶのです。高ければ、低いものがあるではないですか? 高い山には深い谷があり、深い谷には、頂よりも岩がたくさんあるのです。でこぼこなものが、もっとたくさんあります。金剛山の奇岩、怪石を見てください。 すべてそこに合わせることができ、花であれば、自分の花を春夏秋冬、美しく咲かせることができれば、飛んでいったちょうや虫たちが訪れるのであり、自分の王に侍るために王宮に向かう旅人も、それを貴く思って王に進呈しようと根こそぎ……。 折っていくのではなく、根こそぎ掘り出して、王宮に持っていき、そこに植えようとするのです。そこにおいて、完全な価値を現し、完全な美貌を装って、千年歴史……。自分一代でできなければ、千代、万代、そのようにすることができる花は、王宮に移されていく日が訪れるのです。(「アーメン。」) いくら夫が醜くても、赤ん坊の種を持っているということは、間違いないというのです。(笑い)分かりますか? 赤ん坊の種があって、血統の法則が通じるとすれば、先祖に黒い人がいれば、いつかは黒い人が出てくるのです。だれかが、先生のような人を夫として迎えれば、血統の中にその種を受けて、何代目か、何千代目にそれが出てくるというのです。それはどういうことかというと、先祖の血と先祖の細胞が死んでいないということを意味するのです。 父と母の愛は、一代です。父と母の愛は横的であり、一代です。水平です。垂直ではありません。おじいさんとおばあさんも一代であり、お父さんとお母さんも一代であり、自分の代でも一代です。三代をかけて愛する人がいません。 それでは、おじいさんのような人と一度結婚し、お母さんのような年齢の人と結婚し、自分の相対のような人と結婚し、娘のような人と結婚し、そのようにしようとすれば、何百歳まで生きなければなりませんか? 人間の年齢は、八十歳を超えるのが難しく、八十を超えれば九十を超えるのが難しく、九十を超えれば百を超えるのが難しく、百を超えれば百十を超えるのが難しいのです。 先生の歳に三十年を加えれば、何歳になりますか? (「百十歳です。」)百十歳ですが、今から百十歳まで生きる可能性が……。いくらあなたたちが、「ああ、ご長寿されますように。」と言っても……。 きょうも元旦ですが、二〇〇〇年を越えて三〇〇〇年に向かって出発する二〇〇一年の元旦なので、韓国では、新年のあいさつをする日です。この多くの人たちに一万ウォンずつ上げたとすれば、いくらになりますか? 一億ウォンが飛んでいくというのです。十万ウォンずつ上げれば、十億ウォンかかります。 新年のお年玉で十億ウォン上げなければなりませんか、来る人の足が切れても門を閉めなければなりませんか? しかたがありません。ですから、地の果てから飛んできて苦労し、重い荷物を背負ってきた人を呼んで、お年玉を上げました。 その時間が、どのくらいかかったのかというと、一時間です。それで、きょう、わたしが何分、遅れたのか知っていますか? 二十五分から三十分、遅れたのです。「約束しておいて、三十分、遅れた先生……。ああ、わたしたちには『報告時間をきちんと守りなさい。』と言ったのに、なぜ先生が時間を守らないのか?」と思って裁判にかけたいでしょう? ああ、一万人に三十分なら、どのくらいですか? 五千時間を失ってしまうのです。一ドルずつだとしても、五千時間で五千ドル、十ドルずつなら五万ドルが飛んでいくのです。十ドルで済みますか? 今日のアメリカでは、十ドルと言えば……。一時間で三十ドルなら、いくらですか? 三(三十ドル)×五(五千時間)=十五で、十五万ドルが飛んでいくのです。先生に給料をくれましたか? (「はい。」)(笑い)給料をくれましたか、くれませんか? わたしは、統一教会の皆さんから生涯、一度も給料袋というものをもらったことがありません。夢にでも一度もらってこそ、あの世に行って、「統一教会の人たちが給料もくれたし、献金もした。」と言うことができるのですが、「献金をした」という話は聞いたのですが、「給料をくれた」という話は、聞いたことがありません。(笑い) さあ、神様の解放とは、何を願うことですか? 万国にお金がないので、豊かに食べさせてあげることができる、お金のふろしきです。アーメンですか、ノーメンですか? (「ノーメン。」)知識のふろしきです。(「ノーメン。」)天地のバランスを取ることができる空中エンジンを開発して、空中オリンピックを開催することができる、技術の大王陛下です。それですか、何ですか? 権力ですか? この辺りの人は、なぜ居眠りしているのですか、この者たち。昼食の時間になったので、おなかがすいたのですか? 神様は、どのような解放を願われるのですか? どのような解放ですか? 政治解放、大統領、博士、お金の包み、そのようなものを願われるのですか? 神様は、お金をつくることができ、知識の王であられ、権力の王であられるのです。すでに、すべてのものを持っておられ、持っておられるものがあまりにも重いので、引きずって歩くこともできません。男性たちにすべて分けてあげたいと思うのですが、顔を見てみると、分けてあげれば喜びそうですね。 神様が、最も願われるものは何だというのですか? (「愛です。」)物乞いして暮らしている女性でも、美人がつくったもち米の餅よりも、乞食のような男性がつくった、ばらばらと落ちるアワ飯のほうに、もっと関心があるのです。なぜですか? 美人だからですか? 愛に従っていくのです。そうでしょう? わたしが美男子なら良いでしょう? わたしは、このように顔が良くないのです。それでも、まあまあでしょう。もっと顔が良ければ、壁を越えてくる人が、どれほどたくさんいたでしょうか? わたしが統一教会の教主なのですが、絞首台の主人なのかも分からないというのです。 このようにしながら、女性のあらゆる姿をすべて見てきました。裸で壁を越えようとして、犬にほえられて見つかり、それで文総裁が悪口を言われたり、三角パンツ一つで道を歩いてバスにひかれて病院に行かざるをえず、それでまた悪口を言われたりしました。ありとあらゆる群像をすべて見たのです。 人間世界において、女性が起こすあらゆる問題は、すべてわたしが世話をして処理したのです。それで、女性たちが、わたしを好むのかもしれません。お金がなければ、借金して、病院で治療を受けさせてあげ、あらゆることをすべてしたというのです。 総括的に見れば、悪いことはしていないのです。わたしも、夜でも昼でも、突然、目を開けて、「わたしは悪いやつか、良いやつか?」と言えば、「良いやつだろう」という言葉が、さっと出てくるのです。 わたしは今、どのような話をしましたか? 夜、突然、目が覚めて、「あなたは、良い人か、悪い人か?」と言えば、「ああ、良い人だ」という言葉が、自分の口から出てくるというのです。ですから、「良いことをした」ということを、この四肢が分かっているということですか、分かっていないということですか? 神様が、最も好まれるものは何ですか? 何ですか? (「愛です。」)愛ですか? 愛を好む人は、手を挙げてください。あなたたちが好む愛を、神様は一度も好んだことはありません。今まで、なかったというのです。 その愛ではなく、真の愛です。きょうの題目は、何ですか? 真の愛の主体性である、絶対なる真の愛、唯一なる真の愛、不変なる真の愛、永遠なる真の愛です。絶対、唯一、不変、永遠に変わらない、そのような愛が、真の愛です。 結婚している人は、手を挙げてください。祝福を受けて結婚したという人は、手を挙げてください。あなたたちは、生涯、自分の妻や夫のことだけを思いますか、行ったり来たりしますか? 行ったり来たりしますか、行ったり来たりしませんか? なぜ下ろすのですか? 下ろさないでください。行ったり来たりしますか、行ったり来たりしませんか? (「行ったり来たりしません。」) 何ですか? 行ったり来たりするということは分かっているのに、行ったり来たりしないと言うのですか? 祝福を受けて結婚し、しかたなく自分の新郎と暮らしながら、「ああ、あの夫が死んで、もう一度、祝福を受ければ、わたしが愛する人、結婚したい人とするはずなのに……。」と、このようなことを考えたことはないのですか? 本当ですか? あの醜い男性と花咲く青春を消費しても、感謝するのですか? (「はい。」)それは、問題が大きいのです。ああ、知りません。今から一時間くれればよい、今からでも考えなさい、一時間で……。できなければ、条件的にでも一度してみなければならないでしょう。 条件は嫌いですか、好きですか? わたしが一時間、自由を与えるので、そのようなことを考えても罪にならないとすれば、考えてみますか、考えてみませんか? 考えないという人は、手を下げてください。何のことか分からないのですね。(笑い) 耳が宝です。心は宝ではないのですが、耳が宝になるときが、本当に多いのです。心よりも、目のほうが宝になるときがあります。心はそうではありませんが、目がそのようなときがあるのです。鼻もそうです。 五感が、心と違うときが多いということは、皆さんが生活の中でたくさん感じるでしょう? それは、何に違反した心なのかというと、愛の法です。解放的な愛の法度に違反した心です。それは、完全に切ってしまいますか、そのままにしていますか? 堕落以降、神様は、この人類に対して何の未練も持っておられないのです。このことを知らなければなりません。だれにも未練は持っておられないというのです。 神様ご自身が、未練を持とうとされるのは、この人類を再び取り戻す道です。取り戻すためには、世の中の人が好み、世の中の人が持っているすべてのものを一つもなくした立場を越え、(再び)所有することができるようにする、そのような方法しか救う道理がない、ということを知らなければなりません。何のことか分かるでしょう? はっきりと理解しなければなりません。 神様は、宇宙をつくられた主人でしたが、すべてを失ってしまいました。失ってしまったものに未練を持ったまま、それを見詰めて泣くのではありません。そこには、宇宙が入っているのです。力の世界、知識の世界、物質の世界、お金の世界がすべて入っているというのです。そのようなすべてが入っている世界を失ってしまいました。その中で神様が願われるのは、愛だけです。 愛を理解することができるのは、草木でもなく、動物でもなく、血統が一つになった息子、娘なのです。しかし、今まで血統が連結されていませんでした。 神様が一代ならば、アダムは二代であり、三代が連結されてこそ、神様の縦的な血統と父母の横的な血統を連結させることができる種ができるはずなのです。ところが、三代を失ってしまった神様は、天の国を否定し、地上天国を否定し、すべてを失ってしまいました。失ってしまった世界に求めるものはないというのです。 そこで、万物圏を抜け出し、息子圏を抜け出て、この地上で最も貴いと思う父母圏までも否定する立場を越えて、越えて、さらに越えて、否定に否定を重ね、一つも未練がないという立場に立たれます。そして、再び所有権を持つことを待ち焦がれるのが、再創造の主人であられる神様の立場であるということに間違いないということを、はっきりと知らなければなりません。 この世界を(再び)所有しようとされるので、「怨讐を愛しなさい」という言葉を言わざるを得なかった、神様の立場を考えてみてください。億千万世の怨讐を愛する、その内実をだれが知っていたでしょうか? 縦的な真の父母の立場にいらっしゃる神様が、持っているものがないのです。 そこで希望を持つためには、カイン、アベル、怨讐の兄の立場、怨讐の父の立場、怨讐の王の立場を愛さなくては、その世界の一つの万物も、息子、娘も取り戻すことができないということが神様の恨だった、ということをこの時間に知らなければなりません。 それで、救援摂理においては、「長子権、父母権、王圏を成したサタン世界を愛しなさい。」と言うのです。代々受け継がれていく怨讐の血を、独身生活を強調しながら(再び本然の血として)取り戻そうとされ、その血統を清めようとされる神様の立場が、どれほど無念であるのかを考えてみてください。 そこにおいて、どこに万物があり、どこにイエス様がいますか? イエス様も成し遂げることができませんでした。それに対して、再臨主もみ旨の定着を成すことができませんでした。それを所有するためには、サタン世界の万物の前に恥ずかしさがあってはならないのです。 万物が愛の恩恵に酔い、「お返しする道がないので、神様が求めたいと思われた以上に、生命までもささげます。」と、言うことができる、愛の感動を成しえていない基台の上においては、真なる愛の救援摂理の道が開かれないということを、この時間に全員が悟らなければならないのです。 神様はかわいそうですか? かわいそうですか、かわいそうではないですか? (「かわいそうです。」)そのようなかわいそうな神様を解放してあげようという、統一教会の解放的子女の立場に立ったわたしたちにとって、万物が貴いのですか? この者たち。子女が貴いのですか? 堕落圏内の国と世界にいて、いまだに神様の位置に上がることができていない夫が貴いのですか? 「神様の恨の影を消すことができないという怨恨を抱いた万物を、わたしたちが愛することができる、ということに対して、恥ずかしさを持つ姿勢を忘れてはならない」という決意を、この時間に再び、しなければなりません。 神様は、個人を中心としてそのような信念を持って、千万回も岩の峠を越えてこられたのです。そして、心と体の闘いを止めるために、何千万年の受難の道を越えてこられたのですが、闘いの道を行く万民の心と体を止めることはできませんでした。 体は体で自己主張し、心は心で自己主張し、だれも神様と同じ立場で、自分を完全に屈伏させる心になることができず、そのような体にもなることができなかったので、(自分は)恨の実体であるということを知らなければなりません。それを見詰められながら、福を祈っている人に福を与えようとされる、そのようなつまらない神様ではありません。 サタンの血統、サタンの風習、サタンの愛の血統に変わってしまったものを愛することが、どれほど難しかったかということを知らなければなりません。 継母と連れ子の逸話を、よく知っているでしょう? 自分の直系の子女よりも、継母の子女を何十倍、何百倍、何千倍愛さなくては、人類の怨讐の血統を乗り越えることはできないという、そのような囚われの身となられた神様を思うとき、だれがその神様を解放してさしあげるのですか? 考えてみてください。 瞬間史よりも千年史が、もっと怨讐です。長いほど怨讐であり、困難であるほど怨讐です。休むことができる道では、神様や天国との関係を結ぶことはできない、という事実を知らなければなりません。 悲痛な歴史です。無念で恨めしい歴史です。どうして神様が、そのような立場に立たれ、人類の真の父母がこのような無念な立場に立たれ、そのような囚われの身で呻吟されるのでしょうか? 一体、その理由は何でしょうか? この愛のゆえです。何がこのようにしたのですか? 男性と女性という二つの動物であり、この体です。分別がつくようになる前に、火遊びをしたというのです。 あと一年半か二年だけ過ぎれば、神様が親しくアダムの心の中に、エバの心の中に入っていかれて、結婚式をさせるのです。その結婚式は、アダムとエバの結婚式ではありません。縦的な真の父母であられる神様の結婚式であり、横的な実体としての真の父母であるアダムとエバの結婚式なのです。 この二つの愛の結婚式となり、縦的と横的が決着する一点が九十度です。決着できなければ、神様の理想的な愛と人間の理想的な愛は、永遠に巡り合うことはできないというのが、理論的なのです。 九十度に合わなければなりません。神様は、いつでも九十度にいらっしゃいますが、人間が八十九度や九十一度にいれば、一つになりません。欠陥品です。それを合わせるために、メシヤを送られ、真の父母を送られたという事実を知らなければなりません。 メシヤと真の父母が来るために、旧約時代においては万物に血を流させました。腹を割き、命を絶ち、最も純潔な動物の血を流して分け合ったのです。右側は神様のものであり、左側はサタンのものとして二等分する恨みの穴が生じたのは、血統が変わってしまったからです。 このようにして、零の点から始めて人類全体に対したのですが、同じ位置から出発して零点に入っていくのです。そして、「わたしがあなたたちよりももっと愛し、より愛したものが、良心を中心として完成するとき、その愛の基準は、体を中心とした愛よりも高くなることができるので、本然の基準で精誠を尽くして、神様を愛するために訓練をした愛になれば、このサタン世界の愛を越えることができる。」と言うのです。これが、宗教がすべき召命的責任であり、使命的責任であったということを知りませんでした。 良心に力を与えなければなりません。七〇パーセントは良心から力が出て、三〇パーセントは体から出る、このような基準にあるとすれば、心と体は自動的に一つになることができるのですが、良心の呵責を受けながら……。 南北を指している磁石を、東西に向ければ力が加わるように、そのような呵責を受け、自分自身の存在位置がなくなることを感じながらも行動することができる、そのような強い力の起源は、愛の道しかありません。 あなたたちの父母も、あなたたちが分別がつくようになる前に浮気すれば、問題にするでしょう? 「時になる前に火遊びしてはいけない。」と言うでしょう? 間違いを犯せば、一代ではなく一国、天地を滅ぼすのです。アダムとエバがそのようなことをして、天下を滅ぼしてしまったのです。根こそぎ引っ繰り返して、神様を追放してしまったのです。 神様は、それを中心として所有が連結され、因縁的な連体関係と相応的な対応関係によって連結された万宇宙の根が沈んだので……。鉛の重りが沈んだので、そこにつながっている網は沈むようになるのです。 サタンの所有になったものを救う道理はありません。怨讐を自分の息子、娘よりも愛するまでは、より愛するまでは救う道がないのです。ですから、神側の長子として立てたメシヤであるイエス様を十字架にかけて、天の側に取り戻してくるようにしたのです。 万物を犠牲にして開いた道に、神様がひとり子のイエス様を息子として送られ、真の父母となることができるかたを送ってくださったのです。そのかたを結婚さえ、させてあげていたならば、天下を一時に、一つのところに抱くことができたにもかかわらず、イスラエルの国とユダヤ教が……。 国がカインだとすれば、ユダヤ教はアベルです。二つが一つになってメシヤをお迎えして侍り、絶対信仰、絶対愛、絶対服従していたならば、ローマ帝国が問題ではありません。 それを中心として立て、三〇パーセント、二〇パーセントだけでも一つになれば、それを岩に結びつけるようにして一体化させるのです。そのようにすれば、ローマがぶつかってきても、ローマの頭が割れ、足が折れ、四肢が裂かれていくようになっているのです。それがふらふらとするので、問題なのです。 それを接ぎ木し、固定された力を中心として、神様の愛の血統を万国に連結することができる、キリスト教と立体的祝福圏をつくっていたならば、天下統一は問題ではないというのです。 そのことができずに死んだので、二千年の受難の道を行くのです。牛の子や動物の子が死んでも、恨はありません。それは間違いなく、そのようになるべきものです。これは、自分よりも高い存在の前に生命をささげなければならないのです。 ところが、天地を創造された主人の中の主人、王の中の王、師の中の師、父母の中の父母であられる神様が、僕よりも、もっとかわいそうな立場に立つようになったのです。そのようなことが、ありえますか? しかし、怨讐の子女を自分の子女よりも、もっと愛するところからは、サタンがぶるぶると震えながら離れていくのです。そのような道を行かれる神様は、喜んでそのようにされたのか、ということです。 今日、このような統一教会の群れを通して、真の父母に侍り、国境を越え、怨讐世界のすべての国境を撤廃し、一つの血肉として連結された血統に通じる一族を成しているのです。そのような天の眷属(親族)を取り戻すということが、神様のみ旨ではないのかというのです。 ですから、皆さんの過去の負債とは、この宇宙にある万物の半分を祭物としたということです。そして、ひとり子をこの地上に送って犠牲にされたのは、あなたたちを救うためであったということです。 真の父母を迎えて、国の統一、氏族、民族、すべてを統一していたはずであるにもかかわらず、キリスト教が反対することによって、先生の家庭が完全に分かれてしまったのです。南北が分かれ、一族が分かれ、父母と妻子がすべて分かれてしまったのです。 それゆえに、統一教会の歴史の中に「離婚」という言葉が生じたのです。離婚が生じたというのです。鉄則のような天理を知っている先生は、死んでもそのようにすまいとしたのですが……。(そのままでは)世界をすべて滅ぼしてしまうので、しかたなくこのようにしているというのです。 それゆえに、「主人であられる神様が、解放された天地父母と子女が心身一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠の理想的四位基台完成をモデル型家庭からモデル型国家、モデル型世界、モデル型天宙の基盤の上に成すことができる時なのです。 ですから、神様に侍って、そのかたの恨を解き、解怨成就して、主導的な本然の天地創造の主人となられ、王の中の王となられ、父母の中の父母となられ、長子の権限をもって千年万年、次子を治められる、太平盛大で永遠不変、公明正大の世界に転換されますように」という、このことを成すために、今から一月十三日まで、神様をお迎えして侍り、王の位置に推戴するのです。 言葉では簡単でしょう。文某の名によってするからと言って、できると思いますか? 言葉だけでできると思いますか? 霊界に行った先生の四人の息子、娘がいるのです。彼らは皆、途中で死に、自分の寿命を全うすることができませんでした。統一教会と統一教会に反対する歴史的なすべての罪を背負って蕩減の道を行った、かわいそうな人たちです。全員、客死です。 世の中は嘲弄して、「文総裁の息子、娘は、皆まともな死に方ではなく、ぽっくり死んで、その息子を祝福して、天上世界の長子権だ何だと、ぺてんにかける詐欺師の中の詐欺師だ。」と、悪口を言うのを聞きました。それは、だれのゆえですか? 日本が責任を果たすことができず、韓国が責任を果たすことができず、アメリカが責任を果たすことができなかったというのです。 世界が責任を果たすことができなかったので、先生はすべてを捨てて出ていったのですが、(本来は)門を閉じて番人となり、蘇生的旧約時代、長成的新約時代、完成的成約時代、家庭が金城鉄壁のように……。 人類の第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルまで、すべての民とすべての国を一つにして、侵犯されないように金城鉄壁を成さなければならないのに、門をすべて開いてしまいました。主人が山うさぎを捕まえに行っていて留守なので、その間に虎が、家のうさぎを食べていったのです。そのようになったというのです。 怨讐を愛さなければ帰る道がないという、神様の流れ者のような立場を、だれが理解してくれましたか? 聖書にあるでしょう? 「『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』」(マタイによる福音書二十五章34~36節) イエス様が十字架に付けられたのは、神の国とその義のためです。神様の故郷と神様の祖国のためです。先生が苦労したのは、先生の故郷と神様の故郷と神様の祖国と先生の祖国のためです。 皆さんの代わりにしたのです。あなたたちは、故郷がなく、祖国を失ってしまった群れです。故郷の地を刀でめった切りにした寄生の群れと同じです。こちらに行って吸い上げ、あちらに行って吸い上げて寄生する虫が、寄生虫です。 皆さんは、鉄や石のように堅い約束をして、祝福結婚をしたのに、再び堕落するのですか? ダイナマイトを設置して爆破してしまったとしても、すっきりしません。三時代の動物と植物と息子、娘、父母まで祭物にした基盤で、再び犯罪を犯し、罪を犯すのですか? 自分を中心として、「好きだ」、「嫌いだ」と言うことができますか? 神様は、怨讐の子女を自分の息子、娘よりも、自分の父母よりも、自分の妻子よりも、もっと愛さなければ、復帰することができないのです。帰る道がないというのです。 そのような神様の前に、チャンピオンになり、旗手として旗を掲げた先生に対して、真の父母に対して、世界はありったけの力を注いだのです。日本もありとあらゆることをすべてしました。しかたがないので、今、お尻を隠して……。「どれ、だれが勝つか見てみよう。」と、力で来れば、私は力で対します。外交で来れば、外交で対します。 私は、押さえ込んでも余りある力を持っている人です。無力な人ではありません。アメリカが恐れ、ソ連が恐れ、中共が「恐ろしい。」と思っているのです。恐ろしいと思われているからといって、力で押したことはありません。愛でしたのです。 血と汗を流した自分の息子、娘の血肉を抜いて祭物とし、それを売った血の代価を彼らのためにまき、教育して大会をしながら、天に接ぎ木しようとする師の心を、だれが知っていましたか? 皆さんも同様です。神様の存在圏を超えて、怨讐の子女を自分の息子、娘、自分の父母よりももっと愛さなければ復帰できないという天理を知り、天地の門を開かれた天地父母を知ったので、その父母と一心一体となって……。一つになってです。ぴたっと同じ……。 神様が、すべてを失われてしまって……。このように立っているのですが、自分の前には一人もいません。怨讐に抱かれたすべてのものを取り戻そうとされるので、後ろを向いて、王圏を持った立場で自分の息子、娘よりも、父母よりも、主人の中の主人としてだれよりも努力したその位置において、その怨讐が……。天使長が堕落しましたが、天使長は、本然の神様を知っています。主従関係を知っています。「あなたが愛の道を否定すれば、否定した愛よりも、わたしがもっと愛する。」と言うのです。 サタンは、「愛の血統を通して支配することができるのですが、あなたの一族は、愛の血統を失ってしまい、怨讐以上に愛する神様の血統を否定するのですか?」と言います。それは、否定できないのです。神様は、持っているものが一つもありません。ただひとえに、血が煮えくり返るように、子女である愛するアダムの家庭を、どれほど呼ばれたか、考えてみてください。 「アダムよ」。昼も夜も、季節が変わり、日が変わり、移りゆく日々の中でも(アダムのことを)考えない日がない、そのようなアダムを失ってしまったのです。どれほどアダムを呼ばれたことでしょうか? アダム一人を再創造するために、今まで数千万年間かけてきたのです。先生が現れなかったら、大変なことになるのです。 アダムを取り戻し、イエス様が失敗したことまでも取り戻すために、世界的版図において生きる道を築いていく中で、アダムは何をしなければならないのですか? エバを失ってしまいました。女性が怨讐です。これは怨讐たちです。あらゆる群れが、わたしを誘惑してしまおうと、ありとあらゆることをすべてしたのです。女性たちが、です。 お金で誘い、権力で誘ったというのです。権力者の妻たちに、通行禁止時間に追われながら、あらゆる脅迫、恐喝を受けた男です。お金が必要ならばお金を、何が必要ならば何を、言うとおりにするはずなのに……。通行禁止五分前のサイレンが鳴る直前に、「死にそうなので出てきてください。どこどこにいるので出てきてください。」と、言うのですから、出ていかないわけにいくでしょうか? 無念で悔しく、ふんまんやる方ない事実が、どれほど多いか分かりません。(しかし)それがだれかというと、妹の立場にいるのです。妹の立場なのです。主管圏を転覆されたのは、アダムの責任です。「それを避けようとするなら、統一教会の教主という名前、真の父母という名前をほうり投げてしまいなさい」と言うのです。神様を知っているがゆえに、ほうり投げることができません。 それには、お金も、権力も、知識も、何も必要ありません。千万の恨の峠、それもはるかに高く、はるかに深いのです。どのようにして平地をつくるのですか? 怨讐の子女を自分の息子、娘よりも、自分の父母よりももっと愛さなければ、行く道がないのです。このことを知らなければなりません。 そうであるにもかかわらず、自分の貯金通帳にお金を隠しておいて、「先生が、そう言うならそうであり(先生は先生で、自分は自分、というニュアンス)、行かれても、また、昔のように訪ねてくるだろう。」と、言ってはいけません。最後の道です。分かりますか? (「はい。」) 所有している立場では、真の父母の血統を受け継ぐことはできません。お金があり、物があり、土地があり、家がある立場ではいけません。神様は、お金もなく、土地もなく、家もありません。 「アリラン、アリラン、一人きりのアリラン」「一人きりのアリラン」という獨ク島(竹島)の歌も、韓国の人は、よく分かるでしょう。その心情です。 わたしは、どのようにして、一月十三日に神様の前に立つのですか? どれほど、とてつもないことですか? どれほど不足でしょうか? できることならば……。わたしは、それをすることを願いません。逃げていきたいと思います。逃げて解決することができるのならば、すでに逃げています。逃げることはできない、その道を越えていかなければなりません。 いくら恐ろしい岩石に押されても、それを処理してから行くべき道を行かなければなりません。そうでなければ、そこに乗って跳んででも、行く道があれば、飛んで川を越えてでも行かなければなりません。 運命の道ではありません。宿命の道です。父と子を代える道理はなく、売ることもできません。父子関係ではないですか? 神様は、わたしの父です。間違いなく、わたしの父なのです。その父を捨てて、世の中に未練を持ち、サタンの血統によって汚された、ぼろぼろのふろしきを抱えて踊りを踊るのですか、この者たち。それをきれいにして越えていかなければなりません。 「このような罪を犯した、すべてのふろしきを領置して、記載し、何十倍にしてあなたたちに返してあげるので、教会のものとして保管しなさい。」と言っても、そのとおりにしない、この者たち。泥棒のような者たち。それで入籍だと言うのですか? 神様は、今まで入籍できませんでした。 入籍する国と世界を持たなければ、再び神様を訪ねて、お迎えすることはできないので……。その責任は、地にいる父母である真の父母と興進君の二人が持ちました。 世界に広がっている人たちは、たくさんいますが、父母と子女が二代を通して果たすべき「責任的復帰」という言葉が残っているので、霊界と肉界の父子関係をまとめ、人類罪悪史のアダム時代、イエス時代、再臨時代、三時代を越えて、怨讐の子女を三倍以上、十倍以上に愛することができる心がなければ、サタンを屈伏させる道がありません。 サタンはそれを知っているので……。神様は、一九九九年三月二十一日に勧告されたのです。「文総裁の性格と文総裁がしてきたことを見れば、後でおまえの首を切り、影も形も見たくないので、絞首台で声も出せずに火で燃やしたいという思いがある。時が来る前に勧告する。」と言われたので、(サタンは)中間で降伏宣言をしたのです。 神様の前に、真の父母の前に降伏をしたので……。サタンが支配していた霊界、楽園や地獄を撤廃してしまわなければなりません。 (二〇〇〇年)十二月三日、先生が原理原則を中心として、地獄撤廃と楽園撤廃という、とてつもなく暴動的な運動を提示したのです。 彼らを中心として、釈迦や四大聖人を兄弟圏に詰め込んだのです。教派はありません。仏教、儒教、イスラム教、キリスト教、すべて解体です。霊界は解体されました。それで、蘇生、長成、完成の完成圏は天の圏なので、三分の一、三〇パーセントを祝福してあげなければなりませんでした。昨年の十二月まで、地獄に行った霊人たちをすべて解放です。 地獄にいる人にも、親族の兄弟たちにも橋を架け、そこに絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、その基準を中心として連結し、橋をすっと上がっていくことができる道をすべて連結させておいたというのです。地獄にいる人たちも、天国に行くことができる門が開かれました。 先祖を先祖と思い、子孫を子孫と思い、天を理解して、その道を行けば、いくらでも上がっていくことができるので、努力すれば……。もし、言うことを聞かなければ、行って教えてあげ、逆さまに引っ張って、強制的にでも上がっていくことができるというのです。 旧約時代の霊形体二千年、生命体二千年を通して待ちわびてきた、その環境をいっぺんに結んでおきました。分かりますか? 旧約時代撤廃、新約時代撤廃です。一九九七年から二〇〇四年四月までの七年路程です。アダム時代にアダム一代で完成することができなかったことを二千年間延長しました。そして、イエス様の国家的時代においてアダムの失敗を(再び)成就しようとして失敗し、再び二千年間延長しました。世界的基準のこの時代において、六千年目にして、このすべてを一度に連結させたのです。 成約時代、祝福時代の完成を予告することができる時代が来たので、その全権的な内容を中心として、霊界と肉界を教育して、分派をつくっていた国境線を撤廃し、宗教という宗教をすべて、中心的主流思想に連結させることができるように、祝福してあげました。 祈祷してみてください。孔子の相対は、どこにいますか? イエス様の相対は、どこにいますか? 釈迦の相対は、どこにいますか? マホメットの相対は、どこにいますか? 他の所にいるのではありません。すべて統一教会にいるというのです。 何千年前に死んでいった人たちは、結婚を知りません。天使長世界は、相対圏が許されていません。これを先生の時代になって……。宗教は、独身生活を強調し、すべてを放棄しなければならないのです。国を否定し、自分の愛まで否定しなければ、天に帰る道がありません。 しかし、ペアシステムによって、天国に入っていくようになっているのです。ゆえに、文総裁が現れて、真の父母の伝統を立てたので、家庭救援と国家救援、世界救援を一時にすることができるのです。 この国の大統領が、私の言うことさえ聞けば、公表して一週間以内に四千万が、一度に天国の民として入籍することができるのです。六十億人類が、一週間以内に復帰される時が来ました。なぜですか? 家庭さえ祝福してあげれば、編成は問題ではないというのです。分かりますか? (「はい。」) あなたたち祝福を受けた家庭は、今から何かというと、祈祷の題目が変わると言ったでしょう? どのように祈祷するのですか? 「祝福の中心家庭◯◯の名前」で祈るのですが、それは祈祷ではありません。報告です。 祈祷時代は、罪があり、その赦しが必要なので祈祷するのであって、今は、赦しが必要ありません。すべて先生が代わりに成して、ただで天国を所有することができる権利書を上げました。 南北統一をしなければなりません。しなくてはならないのです。アメリカが、それを協助しなければならないようになっています。協助しなければ、どうなるか見ていましょう。 国連が協助しなければなりません。協助しなければ、どうなるか見ていましょう。国連を攻撃してしまうのです。「この者たち。十六か国を送って、『南北統一をしなさい。』と言ったのに、そのようにしないのか。今までわたしが引っ張ってきたのに、言うことを聞かないのか、この者たち」と言えば、びくともできずに、わたしに引っ張られてくるようになっています。 NGO(非政府組織)総会を通して、教育すべきことは、すべてしました。昨日(昨年)の十二月までに、百九十一か国での教育を終え、最高の指導層で名のある人たち三百六十人の教育を、すべて終えたのです。 いくら自分たちが話が上手で、あらゆる乱雑な者たちに会って大騒ぎしながら自己主張しても、先生が教えるように、青少年問題と家庭破綻を解決することはできません。マフィアも、ヤクザも、すべてそれを証言するようになっているのです。これは、文総裁が持っている特権です。特権であると同時に、特許権です。真の父母の特許権です。 それを知ろうとすれば、天を知らなければなりません。神様を知らなければならず、天の国を知らなければならず、血統が貴いということを知らなければなりません。血統が貴いということを知らなければならないのです。この者たち。この三角地帯を、自分勝手に使うことはできません。 この韓国の男性、女性たち 「日本人に負けるな。」と言うのです。ええ? (「はい。」)分かりますか? (「はい。」)努力しなければなりません。韓国が政治問題を解決すれば、ここに世界的に投入された人たちを、すべて日本に投入して兄姉の役割を果たすのです。何十倍犠牲になったとしても、堂々と進んでいくことができる姉にならなければなりません。 ヤコブの妻には、レアとラケルがいます。ラケルが受け継ぐべき家系を、すべて奪ったのはレアです。姉です。日本人を働かせようとする人は、レアと同じです。そのような人は、姉になることはできない、ということを知らなければなりません。僕になるのです。分かりますか? (「はい。」) レアが、祝福を祈ってあげるという、姉としての責任を果たさなければならないのです。負債を負って生きることを願う者たちは……。今から、韓国は韓国が責任を持たなければなりません。 先生は、離れていくのです。責任を果たせなければ、離れていきます。南北に世界の人員を動員し、会議をすべて行い、どこにも一つの山峡もなく、山脈もなく、谷間もありません。海もありません。平地をつくっておいたのです。ここに世界を指導することができる、万全の準備を急ぐこの時に、自分の家で大小便をするようなことをし、山猫や狂った犬のようなことをしている人たちは、役に立ちません。 それゆえに、荷物をまとめて、アメリカでもどこにでも行き、自分が自主的な権限を持って、神様と真の父母を解放し、万物を解放し、真の愛の主体的な主体性は絶対愛であり、絶対、唯一、不変、永遠な家庭の主人にならなければなりません。神様が訪ねてこられる「わたしの家庭」、真の父母が訪ねてくることができる「わたしの家庭」、そのような家庭にならなければなりません。 そのようになるためには、神様以上に、真の父母以上に……。すべて失ってしまいました。今まで、一度も所有したことがありません。それを理解して、どのように処理すべきなのか、はっきりと分かりましたか、分かりませんか? (「分かりました。」)郭錠煥氏から責任者たち、分かりましたか、分かりませんか? (「はい、分かりました。」)日本のメンバー、分かったでしょう? ヨーロッパのメンバー、先生の言うことが分かったでしょう? さあ、分かったならば、実践躬行しなければならないでしょうか? 躬行とは何ですか? 不可避的に行うということです。躬行の反対は何ですか? 「蛮行するな。」と言うのです。こちらで反対し、あちらで反対し……。 きょうの標題、主体性です。分かりますか? (「はい。」)真の愛の主体性、真の神様の真の愛の主体性、真の父母の主体性……。 今まで、この所有観念がありませんでした。どのようにして、きちんと祭物にして峠を越えていくのか、ということです。どのようにして精誠を加えて峠を越えていくのか、ということです。 持っているものがあれば、最高のものを積んで火をつけ、それを神様が総生畜献納物として受け入れてくださるのか、ということが問題です。総生畜献納物として割かずに、それを自分の父母から子女、万物……。 旧約時代は万物であり、新約時代は子女であり、成約時代は父母です。三時代が祝福家庭にかかっているのですが、そこには何もありません。あなたたちの所有は、神様の所有であり、真の父母の所有です。それは、愛の所有です。それさえ持っていれば、どこに行っても、食べて生きていくことは心配ないというのが、エデンの事情であったということを知らなければなりません。 国がなく、孤独単身で闘う真のご父母様の影をなくしてあげなければならないのに、もっと影をつくるのですか? 白ペク頭ウ山のような怨讐の影を抱いて、先生が行くべき太陽の光に照らされた道を影の道にしてしまう、そのような悪党の群れになってはなりません。そのような者は、わたしの手で処理します。 わたしは、とても厳しい人です。このような話はしないようにしようと思うのですが、しなければ、霊界に行ってから、わたしを恨むのではないかと思って、はっきりと教えてあげるので、極端な言葉で結論を下して勧告するのです。分かりますか? (「はい。」)全員、分かりましたか? (「はい。」)分かったら、両手を高く……。立ってください。立ってください。拍手で歓迎してください。(拍手) さあ、真の愛の主体性です。分かるでしょう? (「はい。」)絶対なる真の愛、唯一なる真の愛、不変なる真の愛、永遠なる真の愛を成し、四位基台圏を成して、それぞれの家庭が解放され、歴代の先祖の血統を清めて垂直に伝授することができる民族、そのような国となってこそ、神様の祖国光復と真の父母の祖国光復が成就され、解放圏が成し遂げられるのです。アーメン。(「アーメン。」) さあ、そのようにすることを誓ったので、それを信じて、きょうの集会を終わります。分かりますか? (「はい。」)(拍手)(「万歳。」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.29
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第三十四回「真の神の日」午前零時の御言成約九年 2001年1月1日午前零時天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 真のご父母様は、新世紀と新千年紀を韓国、清平の地で迎えられました。午前零時を期して、真のお父様が祈られた祈祷文と、引き続き、年頭標語の揮毫に先立って語られたみ言です。 祈祷 愛する天のお父様。 たった今、キリスト教歴史二千年を終え、三〇〇〇年に向かって出発する二〇〇一年の新しい年を迎えました。 お父様。天と地が注視するこの場、天宙のすべてが、神様の愛の因縁に従い、勝利的地上、天上天国建国という、あなたが願われたみ旨の役事が二〇〇〇年を通過するこの時でございます。 今まで第一イスラエル、第二、第三イスラエル圏を越える蕩減と怨恨の時代を経ながら、解怨成就の道を開き、また、この地上に真の父母を立てるための道を開かんがために、第一イスラエル圏にメシヤを送ることを約束されましたが、来られたメシヤを真の父母として侍ることができないことによって、十字架で亡くなられたのでございます。 その日からキリスト教は、失ってしまったイスラエル圏を世界舞台において編成し、国家の中心と世界の中心を連結することができる第二イスラエルの建国を、キリスト教国家であるアメリカを中心として成し遂げ、第二次大戦後のキリスト教文化圏の勝利によって、来られる真の父母に侍るという約束を成就させるために、分かれていた地上と天上、分かれていた東洋と西洋、分かれていたすべての民族と国家、家庭、個人、そのような分別の役事によって残してきた、すべてのものを統一する役事を成して、解放のみ旨を成し遂げようとされました。 ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一体となって、イエス様の三十三年生涯の目的であった、氏族的メシヤとしての使命的責任を果たすべきでしたが、それができないことによって、無念で恨めしい十字架の道が、この地上に広がりました。 そのことによって、ローマにおける勝利の基盤を通して、天が跳躍ではなく飛躍することができる、解放された天国理想の出発となる家庭基盤を備えることができず、恨みの十字架の道を行ったという歴史的な事実を、私たちは知っております。 その日から二千年間、数多くの血の歴史を綴ってこられた、天の悲しい心情を解怨成就するすべをだれも知らないこの地に対して、耐えて、また耐えて、千年が過ぎ、二千年の最後まで耐えてこられました。そのようなお父様の無念なる心情と、この地上の子女たちが父母を十字架に架けたという悲しい歴史と曲折を抱いておられる神様の心情を知る者はおりませんでした。 そのような死亡が波打つ濁流の世界に、新しい泉を備えるためのお父様のみ旨があった、という事実をだれも知らない中で、雲に乗って来られる主を待ち望むこの地上に、人を通して失ってしまったものを再び蕩減復帰しなければならない歴史的な事情と恨の心情を抱かれた神様がいらっしゃったということ、そして、そのようなみ旨があったということを理解できないキリスト教と、すべての宗教と歴史は、統一の基準を忘却した立場において、お互いを紛争と死の道に追い込もうとする闘争の歴史を経てきたのでございます。 そのようなカイン、アベルの歴史が第二次大戦以降を中心として、肉的世界と霊界が分かれ、イエス様が霊界に行って霊的に父母の責任を果たされ、その父母を中心として地上に統一された世界を備えることによって、霊的世界の完成を標準とした地上世界の完成基準を代身することができる実体的勝利の基盤において、真の父母の権限を準備した第一次大戦以降の旧教と新教が一つとなり、イエス様と聖霊を中心として、それを相続させることができる霊的基準を一つにした基準の下で、地上世界に真の父母を立ててこれを相続しなければなりませんでした。 そうしていたならば、第二次大戦以降、七年以内に勝利の基盤を築き、今日、私たちが願う神様の解放はもちろんのこと、神様が、この地上の中心存在として復権され、人間が完成できなかったという恨の峠を踏み越え、真の父母の解放的権限をもって個人、家庭、氏族、民族、天宙史的解放基盤の上で、神様までも解放することができる特権的な恵沢を中心として、偽りの父母によって失ってしまった神様のすべての主権と愛の権限基盤を真の父母によって復権できたのです。 今から五十年前に、それを成すことができる時を失ってしまい、家庭を中心とした恨の四十年路程において、荒野で苦難を受ける生活を通して四十年を迎えるこの時において、二千年を締めくくるこの年を中心とした真の父母の八十歳を中心として、モーセがイスラエル建国のために出発したことと同じように、天宙の解放的地上、天上理想を中心とした神様の祖国光復のために、二千年のこの年に家庭的解放と氏族、民族、国家、世界、天宙的解放を成し、霊界の楽園と地獄を撤廃し、天上世界のすべての壁を崩し、個人的自由圏から家庭的自由、氏族、民族、国家、世界の八段階の自由圏を中心として、地獄と天上をふさいだすべての壁を崩して解放の高速道路を築き、地獄にいる霊から天上世界の楽園以下にとどまっている霊を解放し、彼らが悲しい恨の中で待ち望んできた父母の祝福の日を成すことができる条件を立てて蕩減してまいりました。 そうして、地上世界の祝福拡大とともに天上世界の解放的祝福を成し、二つの世界が一つの心情を中心として神様の血縁的愛の因縁を持ち、神様の絶対愛、絶対生命、絶対血統を中心とした勝利の覇権の上でサタンを屈伏させて、自由解放世界へと越えていくことのできる一九九九年三月二十一日を期して、サタンが屈伏したその日から霊界の整備を急ぎ、二〇〇〇年の最後の日まで急いで、急いで、忙しい日々を経て、きょう、新年の新しい日、二〇〇一年、三〇〇〇年に向かって出発する新しい千年の解放的世界を迎えました。 旧約時代の恨、新約時代の恨、成約時代の恨を解怨成就して、解放的第四次アダム心情圏を発表するときまで、天がどれほど悲しまれたのかという事実を知る者がいない中で、お父様の命令に従って、忙しく足を速めながら歩んできたこの息子が、真の父母の名をもって孝誠と忠誠と聖人、聖子の道理を果たすべき責任遂行が不完全な自らであることをご存じであるにもかかわらず、このように天の前に不足な者がひざまずき、周辺を導いてくださって、きょうのこの栄光に満ちた三〇〇〇年に向かう新しい出発を迎えることができました。 この新しい出発を成約時代の開門とともに勝利の栄光を中心として、神様の解放はもちろんのこと、真の父母の解放圏を成して、天地父母と子女が一心一体となって、すべての世界に神様が願われる主体的み旨の完成、絶対、唯一、不変、永遠であられるみ旨の完成を成すべき使命的責任に対して、完成の条件だけでも立てて越え、この峠を行き来することのできる解放圏を、この地上はもちろん、天上にまで連結することができる道を開拓されたお父様のご苦労の前に、心から、心から感謝いたします。 お父様、ここに集まったあなたの子女たち、主に祝福を受けた家庭が集まりましたので、祝福がどれほど恐ろしいものであるかということを知らなければなりません。 神様が創造理想として願われた真の父母の家庭を立てるという本然のみ旨を失ってしまい、何千万年という恨の歴史を抱かれ、事情を通告することができない孤独単身の恨に満ちた神様であられたということをだれも分かりませんでしたが、幼い身でそのみ旨を知ってからは、他人が理解してくれようと、理解してくれまいと、一方通行で越えてまいりました。 そうしてまた、越えてきてみると、今日の世界の頂上を越えて、地上はもちろんのこと、天上と連結させ、すべての国家を超越して地上解放を支えることができ、天上世界の民族と国家、宗教、宗派を超えて、統一的基準の解放という恵沢の祝福を許諾することができる家庭の日を、地上一辺倒と天上一辺倒の権限を中心として、だれも反対することができない勝利の覇権を打ち立てるようになりました。その位置において、これを備え、きょうのこの日と三〇〇〇年に向かって出発する年を新しく迎えたことを心から感謝いたします。 「きょうから十二日が過ぎれば、神様の所願目的完成の解放を成すことができる日が来る」と、すでに宣布し、そのために精誠を尽くす、統一家の祝福を受けたすべての家庭と、天上世界の祝福を受けた家庭が一心一体となって、最後の障壁を崩し、倒すことによって、地上地獄のすべての壁が崩れ、解放圏勝利の自主権世界が、どこであっても妨げられることなく成就されるようになりますので、そのように願う心を受け入れてくださり、三〇〇〇年に向かう、最初の出発のこの年が、千年を中心とした新しい出発の記念の日々となるように許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。 二〇〇〇年の最後の日は、十二月三十一日であると同時に聖日であり、その日までにすべてのことを終え、きょう、月曜日からの一週間を、新千年を出発することができる一週間として、天が明確に限界的区別をしてくださり、ここに解放的な千年の冒頭に勝利の栄光と勝利の尊厳性と天の権威を立てることができる祝福の時代を迎えるようにしてくださったお父様の恩賜の前に、本当に、本当に、本当に感謝申し上げます。 お父様。今、千年間に収拾すべき不完全なことが多く残っており、このことを、今から天が責任を持たなければならない時代に入ってきたと思いますので、あなたの愛する真の父母、この息子が、使命的責任を完遂できないことによって残されたすべてのことに対して、再び天の権限に頼っていかなければならない恥ずかしいご自身の息子の姿を受け入れてくださることを……。 しかし、一つの所に向かっていく心は、過去も、現在も、未来までも変わらず、その道を厳粛に受け入れていくことを願う忠孝の道理に変わりがないことを、宣言とともに宣誓を奉献いたしますので、み意のとおりに導いてくださり、勝利の覇権的権限をこの地上に立て、お父様の祖国光復に向かって、地上、天上天国に向かって、称賛することができる勝利の日に向かって、十年という期間を定めて、あらゆる精誠を尽くし、世界のすべての国家を超越して集まった祝福家庭が、一つになって決意いたしますので、受け入れてくださいますことを心からお願い申し上げます。 残された、この千年期間、お父様の栄光のみ旨が現れ、地上地獄となっていたすべてのものが、深い所から広く、高い所まで、天上世界にまでも一心統一圏を備え、その栄光の頂上の位置に立ってお父様が君臨され、万国、万宇宙を統治することができる自由解放圏、地上、天上天国に前進、前進、前進することを真の父母の名によって誓い、願われるみ意のままに成就してくださいますように。 そのことを、真の父母は、すべての家庭とすべてのみ旨の中心の位置において、これを懇切に報告し、願いますので、み旨成就を成すことを真の父母のみ名によって報告、宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 み言 標語は、何だと思いますか? 「家庭盟誓」の最後の八番に、最も重要な単語があるのですが、それは、どのような言葉ですか? (「『解放』です。」)「解放」という言葉です。神人一体となり、地上天国と天上天国の解放圏を完成するのです。分かりますか? その解放ということです。解放された天地の父母と子女が一心一体となり、真の愛の主体性……。 「真の愛の主体性」とだけ言えばよいのですが、その主体性に何が続いていくのかというと、「絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」です。これは、長い標語です。 この標語は、今からの一千年間にもぴたっと合うのですが、特に子女と父母が、共にこれを成して、今から地上天国を成し遂げなければなりません。神様だけではありません。先生だけではありません。皆さんたち。解放された天地父母と子女が……。解放された子女が一心一体となり、一つの心になるのです。 そして、真の愛の主体性……。主流思想です。主体性といえば、骨子です。骨子とは何でしょうか? 神様の属性の骨子とは何かというと、絶対愛を求め、唯一的愛、不変的愛、永遠の愛のみ旨を成し遂げようとされた、そのみ旨を成し遂げなければならないということです。分かりますか? それで、創造理想として願われた、一つの信条であると同時に主流思想であったということを、この一千年間にきれいに解決するのです。もちろん、すべて解決されるだろうと思っています。そのような決心の下で、昨日とは違い……。 昨日までの二千年間は、第二イスラエル圏を中心として、世界的な蕩減路程を歩んできた時なので、今からは、そのような時代が過ぎて、黎明が訪れ、新しい朝の成約時代を迎えて、祝福の理想が天宙化される時代となったのです。 ですから、この標語は、一時だけではなく、永遠な……。皆さんが、あの世界に行くまで残る課題であるということを理解し、家庭がどれほど貴いのかということを理解し、一心同体となって、天地父母様のみ旨を完成してさしあげなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 完成してさしあげるにおいて、世界の主権を取り戻すのは、簡単なのです。すべての主権下にいるすべての家庭は、天地父母、神様の伝統の思想、家庭を取り戻し、氏族、民族、国家、八段階の真の愛の理念による国家観を形成しなければなりません。 また、真の父母の理念となる、この国家観を形成しなければならないということが、祝福を受けたそれぞれの家庭における責任なので、きょうからは祈祷の内容が変わります。分かりますか? 今までは、真の父母の勝利圏を何ですか? (「祝福で受け継いだ……。」) 祝福がなければ、真の父母の勝利圏に同参することはできません。なぜですか? 真の父母と血縁的関係を結び、断ち切られた血統を新しく連結させたので、真の父母の息子、娘としての因縁を結んだのです。 皆さんは、堕落した血筋を断ち切って、神様の血筋を受け継いだのですが、その血筋が引き継がれていくためには、どうすればいいのでしょうか? 神様の真の愛、永遠不変な神様の真の愛と神様の生命体、この二性性相に治められるすべてのものが、堕落していないアダムとエバの実体圏において、生命を結合させることのできる祝福を受けたならば、神様の愛と神様の生命を連結させ、神様の血筋が第一代の祖であるアダムとエバの家庭から結ばれ、これが種となって拡大されるのです。しかし、三代を通して結実する血統の種が植えらなかったのが堕落です。 皆さんも、そうです。先生が一代ならば、皆さんが二代であり、皆さんの息子、娘を正しく育てることができなければ、堕落した後裔の伝統を抜け出すことはできないということを知らなければなりません。 皆さん。統一教会の群れをじっと見てみると、世の中の汚れた習慣性がつきまとっています。先生が学校を建てるために、どれほど苦労したか分からないのですから、学校へ行くのならば、鮮文大学やUTS(統一神学校)に行かなければなりません。 そのようにしなければならないのにもかかわらず、生活的な方便や、経済であるとか何であるとかと言って、外的な世界……。サタンが楽しむ舞踏の場となり、サタンの基盤となったのが、大学なのです。それが名のある大学だというのです。 そのような所に入ろうと目を真っ赤にして、天国理想に連結することができる信仰という心の基盤を捨てて、外的な物ばかりを求めていく群れが、たくさんいます。きょうから、そのような観念を一新しなければなりません。分かりますか? (「はい。」)分かりましたね? (「はい。」) とりわけ韓国人。苦労して暮らしてきたといって、そのような習慣性が濃いということを知らなければなりません。韓国の伝統的な乞食は、凍え死んでも隣の火はつつかないという言葉があります。飢え死にしても、乞食のように天の国の威信を損失させるような「破倫息子」や家庭になってはならないということを知らなければならない、というのです。分かりますか? (「はい。」)分かりますか? (「はい。」) そのようなことを思えば、「裸になって、冬の三か月を過ごそう」と、新しく覚悟をしなければなりません。 祝福が……。皆さん、考えてみてください。祝福です。祝福を受けるためには、再臨主一人……。失ってしまったアダムを創造するのに六千年かかりました。先生が来なければ、考えられないことです。真の父母が来なければ、アダムのみ旨、神様のみ旨、祝福完成の道を越える道理がありません。これが、どれほど複雑でしょうか。 千辛万苦の果てに、この峠を何の功労もなく越えさせてあげたにもかかわらず、のらりくらりと遊びまわり、賭博場から出てきて王宮で祝宴をするというので、王の前に供えられた祝宴の食膳が、どれほど貴いのかということも分からずに、箸を持って、むやみやたらに食べれば、毒薬を食べるよりも、もっと恐ろしい審判の舞台に流れていくということを知らなければなりません。 自分勝手に生きてきた野良犬のような者たちが、この環境を汚しているという事実を知らず、自分たちが生きてきた姿が、統一教会の主流的思想を代身した家庭の代表ではないということを知らなければなりません。今までは、そのように暮らしながら祈祷しても、少しは面目が立ったでしょう。しかし、これからは違います。 真の父母の勝利圏を何ですか? 何によって受け継いだのですか? (「祝福です。」)何によってですか? 皆さんの功労ではありません。十年間、四十年間断食祈祷しても、受け継ぐことはできません。祝福によって、血統転換することができる特恵権を与えてあげたのですが、その価値をどれほど理解しましたか? 神様の何百分の一、先生の何百分の一でも知っているのかというのです。言葉では簡単でしょう? 神様の王権を失い、神様の職位と神様の権限をすべて失ってしまったので、民もなく、国もなく、国土もない、主権もない世界において、神様に主権を取り戻してさしあげるためには、その主権を成す時まで間隔を置かなければなりません。 アダムとエバは家庭的な時代であって、国家的時代や世界的時代ではありません。家庭的時代を超えて世界的時代において、天国の完成を成したという条件基盤を満たした位置で、その築いた勝利の覇権基盤を中心として、それを皆さんに渡してあげたのです。それは、「入籍祝福」でしたか? 先生自身も、そこに立つことに恥ずかしさを感じているのです。今、わたしが祈祷しました。分かりますか? (「はい。」) これから自分自身が、どれほど足らないかということは、み言を通して分かるでしょう。これまで約二年間、「訓読会」をしてきたので、分かるはずです。自分たちが、どれほど足らない者であるかということを……。 先生が、これを積み重ねてくるために、どれほど苦労したのかということを知りません。息子、娘たちも、何も知らないのです。自分勝手に生きる者たちを懲らしめなければならない時が来ました。 皆さんたちのために、ここにいる子女や一族の面倒は、見ませんでした。面倒を見ましたか、見ませんか? (「見ませんでした。」)はっきりと言ってください。面倒を見ましたか、見ませんか? (「見ませんでした。」)だれのためですか? カインの息子、娘を救ってあげるためです。 神様がそうです。世の中を救うために、独り子とキリスト教を犠牲にしたことと同じです。先生の家庭を犠牲にすることは当然のことだと考え、皆さんのために、すべてのものを投入しました。すべてのものを投入したのです。 投入した結果が何ですか? すべて流れていきました。入籍できる人は、一人もいません。全員、失敗しました。 これを、先生が地上で再び責任を持ち、霊界まで引っかかっているので、霊界の興進君にそれを任せているのです。先に霊界が、このことを受け持たなければならないので、先生が地上で成すべきことを霊界の興進君に任せ、すべての罪を霊界で赦してあげ、祝福の恩賜を……。荷物を背負ったので、先頭に立って苦労しているという事実を知らなければなりません。 父母が、カイン世界を救うために犠牲になったのと同じように、興進君と霊界に行っている四人の子女たちは、皆、自分の持って生まれた寿命を全うできずに、中途で急死した人たちです。皆、事故死です。 事故が起きたのですが、だれが運転していたのかというと、自分たちではなく、皆さんが間違った環境をつくり、皆さんが間違った運転をし、皆さんによって、そのような事故が起きたということを知らなければなりません。 それゆえに、そのようにして行った人たちは、皆さんたちよりも公的なみ旨を知らずに行ったとしても、解放される恵沢圏内にいるのです。(なぜならば、)真のご父母様が、彼らのために行くべき道を備えてあげるべき責任が残っているからです。分かりますか? (「はい。」) そのような興進君の前に、あなたたちが入籍するためにすべての不足なこと、蕩減復帰の恨を抱いていく神様と真のご父母様に重荷を負わせたという恥ずかしい事実を知らなければなりません。これが分からないときには……。先生に無念な思いをさせるなというのです。 今から、死んでいく人は、審判台に出ていくときにサインをしなければなりません。国家の重犯罪人を死刑場に立たせるときに、大統領がサインをするのと同じように、今からは、赦す法がありません。 それで、息子、娘もすべて分けておいたのです。父の家だといって、思いどおりに来ることはできません。息子のふるまいをするのですか? もう私は会いません。 ですから、より一層、妻がしっかりしなければなりません。このような厳粛な課題が、まだ残っているというのです。解消すべきことがたくさんあります。 皆さんを解放しておいて、裏部屋でろうそくをともしながら、隠れて祈祷しなければならない道が残っており、闘わなければならない歴史的な悲運の道を、再び開拓すべき責任を負っているということを忘れてはなりません。分かりますね、この頭たち? 何がどうだこうだと言うのですか? この息子、娘たち。み旨が分からなければ、訪ねてくることができません。自分勝手には、来ることはできないというのです。そのような時が来ました。救援摂理時代は過ぎていくのです。 アダムとエバが堕落した後の直結時代に入っていきます。父母の家庭においても、今から直結時代が来るのです。ですから、私の息子、娘を見れば、皆、ここに座っていますが、かわいそうに思うのです。 わたしが、かわいそうに思う心がなければ、あの者たちがどのようになるのか知っています。あの世で、どのように引っかかるのかを知っているというのです。父親なので、そのことまでも責任を持たなければならないという問題があるのです。深刻です。統一教会をよく信じた人以上の位置に立ててはならないようになっています。 きょうから、あなたたちは新しく決心しなさい。父親に対して友達のように対する、そのような行動をしてはなりません。祖父のことを、ただの肉の塊だと思うなというのです。分かりますね? 分かりますね? 孝 進。父親の言うことが分かりますか? ええ? 答えなさい。分かりますね? 分かりますね? この者が。(聖進様のご子女様に対して)あなたは、何をしてきたのですか? この者が。自分の父親について行くのですか? 母親が、よく分かっていなければなりません。食べていけるだけでも、ありがたいと思わなければなりません。統一教会に負債を負って暮らしながら……。 それは、祖父のお金ではありません。統一教会の血肉を搾り取って食べているということを知らなければなりません。わたしが手を放せば、あなたたちは、どこに行くか分かりません。何が「おじいさん」ですか? アダムとエバが過ちを犯したとき、追い出してしまったのです。逆さまに打ち込まれたのです。 あなたがたのおじいさんは、恐ろしい人です。(後列に座られた女のご子女様たちに対して)あなたたちもそうです。この女性たち。正しく生きなければなりません。 お母様、 今からは息子、娘に対して心配してはなりません。涙を流したりしてはいけません。分かりますか? 自分がしたとおりに対する時が来ました。 先生は、恐ろしい人です。ふらふらして、こうしても通じ、ああしても通じ……ということは、通用しません。日本の息子、娘たちもたくさん来ていますね。間違ったことは間違っているというのです。清算すべきことは清算しなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 濁り水が、大海に向かって流れていくときは悠々と流れていきますが、浮かんでいる汚れたものは、沈んでいくのです。分かりますか? 海に入っていけば、一瞬のうちに水平に流れていくのですが、それを一週間もせき止めて、汚れたものを沈殿させるように整理作業をするのです。 そのことと同じように、皆さんが二〇〇〇年を越えて、三〇〇〇年に向かって出発するという課題において、濁り水をそのまま……。悔い改めなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 悔い改めるために「訓読会」をするのです。それは、遊び事ではありません。「訓読会」を最も一所懸命にする人は、先生です。皆さんは、先生の何十倍も一所懸命にしなければなりません。それは、先生がすべて成したうえで宣布したみ言です。 今日、自分がしたいと思うとおりにしながら、み言をどれほど冷遇し、先生の行動に対して、どれほど不注意なのかというのです。分かりますか? 教区長であるとか、何かの責任者であるとか、わたしの目には、そのようなことは関係ありません。天国の神様の前に直行することができる人なのか、ということを測定しようと思っているのです。そこから外れれば……。今からは、救援摂理の歴史が過ぎていくというのです。分かりますか? 第四次アダム心情圏時代に入っていくので、今から祈祷するときには、救世主の、真の父母の勝利圏ではありません。皆さんは、すべて相続したのです。 ですから、先生が世界を中心として、深刻な立場で身もだえしたことと同じように、先生を代身して相続されたのが自分の家庭なので、「祝福の中心家庭だれだれの名によって……。」と、このように祈祷しなければなりません。そのようにできなければ、入籍を取り消さなければなりません。 入籍が、驚くべきものであるということを思うとき、恥ずかしくない立場に立ち、一日一日の生活において、み旨の前にプラスした実績を持たなければ、祈祷することができない時代に入ってきたのです。分かりますか? 分かりますね? (「はい。」) 「分かった」という人は、手を挙げてください。全員、分かったというので、分かったということにして、み言を終わります。 悔い改めをしなければなりません。それも、深い悔い改めを。 また、二千年最後の訓示の言葉が何かというと、父母の心情で何の体ですか? (「『僕の体』です。」)そこに、真の父母の心情で僕の体となって、それから、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流して、「生畜」の祭物として献納いたします。それが結論です。総生畜献納物です。 そのようにしようとすれば、自分の手の皮がそうであり、自分の肉がそうでなければなりません。 皮が汗を流さなければならず、皮が涙を流さなければならず、皮が血を流さなければならず、肉がそうでなければならず、骨がそうでなければならず、骨髄までも骨髄の汗を、骨髄の涙を、骨髄の血を流して、恨多き六千年歴史の受難の峠を、お独りで苦労された神様を解放しなければならないというのです。 それゆえに、このありったけのすべてのものをささげても、皮をはいでも、肉を取っても、骨を削って骨髄を搾り出してささげたとしても、恨みを持つことはできない罪人になっているということを知らなければなりません。 終わりの日には、自分が重要視していたものが、絞首台で自らの首を絞める帯になるということを知らなければなりません。愛する人が怨讐であり、好きだった人が怨讐です。道をふさぐというのです。 ですから、皆、「統一教会に行くな」と言うでしょう? 家を追い出されたでしょう? 追い出されて、また帰り、家庭とすべての一族と一国を、神様の前に奉献するのです。 奉献するからといって、それがなくなるのではありません。その条件に膨大な天の国の何十倍、何百倍の福が連結されているということを知らなければなりません。釣ろうとすれば、良い釣りえさが必要なのと同じです。 ところが、それを抱えて、うじ虫がわくようにして行楽にふけったという事実……。この者たち。先生には通じません。 わたしは、一銭のお金も息子、娘のためには使いませんでした。そのような話は、する必要もないのです。分かりますか? (「はい。」) 真の父母の心情で僕の体となり、汗は何ですか? (「汗は地のために。」)汗は地のために、涙は何ですか? (「人類のために。」)血は何ですか? (「天のために。」)涙を流す悲しみがあるとすれば、それは自分の涙ではありません。天の前にささげる涙です。 汗を流すことがあるとすれば、あなたがたが流す汗ではありません。自分のためのものではありません。天のためのものです。 血を流すことができるとすれば、死なずに生きている限り、血は自分の血ではありません。天の血として奉献すべきものと考え、死地であっても願う道ならば、直行しなければなりません。 先生は、復帰路程から帰ってきました。父母が反対し、妻子が反対し、息子が反対し、師が反対し、だれが反対しても直行していくということは、どれほど孤独単身でしょうか? 友達がいません。師もいません。そのようなことを知らなければなりません。ここに一緒にいるお母様が、蕩減復帰の道を知っていますか? そのようなことを知らなければなりません。ですから、絶対に従ってこなければならないのです。 骨の汗、骨の涙、骨の血、骨髄の汗、骨髄の涙、骨髄の血まで流しても、神様からの恩徳に報いる法はないのです。強盗のような者たち。自分勝手に生きたのです。刀で腹を切り裂いて手術し、再びつなぎ合わせなければ、天の前に連れて行くことができない、ぼろぼろの服です。同じぼろぼろの服でも、うじ虫がわいた服です。 そのような、うじ虫がわいて、うじゃうじゃしているものに継ぎはぎを当てて、天の国の宮殿に敷くことができる毛布をつくろうというのです。この者たち。しっかりしなければなりません。分かりますか? (「はい。」)二〇〇一年から時代が変わったということを知っていますか? このように忠告しているにもかかわらず、だれが死んだとか、だれが何をしたとか、今からは、そのようなことをわたしに報告するなというのです。今からは、もう聞きたくありません。報告があれば、わたしが十字架を負って、ありとあらゆる……。父母の葬儀費用まで、わたしがすべて支給してあげたのです。野良犬のような者たちです。 先生の所に、思いどおりに訪ねてくることはできません。今後は、ここにいる人も、思いどおりに来ることはできません。 これからは、条件を提示します。国ができれば、本当に厳格にするのです。世の中の法の十倍以上の法を中心として越えていかなければならない道が残っているということを知っているのです。 生涯において、それを越えていかなければなりません。そのような課題が残っているので、今から、皆さんの生活において、先生を信じてはなりません。先生の祈祷もしてはなりません。 祈祷時代は、過ぎていきました。分かりますか? メシヤがいて、救世主がいてこそ祈祷も通じるのであって、救世主が、解放圏にすべてを導いて、送っておいたというのです。 それゆえに、今日の課題は、解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨を完成いたしましょう、ということです。一緒に協力するのです。 ですから、協力して報告すべきことがきちんとできたのか、できなかったのかという問題を中心として、きちんとできないときには、それを挽回するまでは祈祷もできません。報告もできません。祈祷ではありません。「祈祷」という言葉は、片付けてしまいなさいというのです。報告です。良い報告を持たない人は、このような集いの場に……。 今までは、自分勝手に教区長だ何だといって、一人も伝道せず、実績もなく、自分の所属要員の血を吸う吸血鬼のような者が大勢いました。旅費を使って自分勝手に……。「来なさい」と言えば、「ああ、いいな」と言いながら行ったり来たりし、すべきことをすべて忘れて、ただ食いして暮らす人が大勢いるというのです。分かりますか? 今からは、チェックしなければなりません。何でも適当に連れてくることはできません。実績がなければ、行くことができません。報告する内容がなければならないでしょう? すべて相続してあげました。 先生は、み旨をすべて知っているので、祈祷もしません。二十四年間、祈祷しませんでした。知っているのになぜ祈祷するのですか? すべて許諾したのに、何を下さいというのですか? それは、どろぼうでしょう? お母様も不思議に思ったでしょう? おととしの八月から三年を残して再び……。その祈祷は、あなたたちのための祈祷ではありません。新しい時代に向けて、祈祷を中心として、急いで仕切りをなくし、平地を通して敷居を乗り越えることができる位置において、全宇宙史的な神様の職位圏を解放させようとしてきたのです。 今では、もうすべて越えました。先生は、すべて越えていったというのです。あなたたちは全員、越えることができていません。分かりますね? (「はい。」) 水産事業を中心として、わたしは、早朝五時から暗くなるまで釣りをしたのですが、最近は、釣りをすることができる時が終わったので、一日に二時間くらいずつするようになりました。すると、あなたたちも二時間だけしようとするのです。この者たち。 あなたたちは、入籍したので、皆さんの一族を中心として、金氏なら金氏のメシヤです。氏族的メシヤとは、どのようなメシヤなのかというと、韓国全体のメシヤではありません。氏族的メシヤは、金氏なら金氏、朴氏なら朴氏のメシヤです。 親戚以外を伝道することは、国のために忠誠を尽くさなければならないのに、忠誠を尽くさずに外国に行って、その国を手伝うのと同じ扱いを受ける時が来たというのです。分かりますか? (「はい。」)はっきりと知らなければなりません。 ですから、負債を負ってはいけないというのです。負債を返すのです。負債を負うことを、わたしは好みません。 では、訪ねていっても、先生が門前で冷遇すれば、「なぜ、昔と違う先生になったのか?」と思って、泣いて帰りますか、どのようにして帰りますか? 郭錠煥 氏。(「はい。」)わたしがすべきことを、「自分が栄光を受けよう」と思いながら、巡回しているのでしょう? 自分が王と会って、大将の振る舞いをしているではないですか? 郭錠煥氏は、夢にも思わなかったのではないですか? わたしが、「しなさい」と言うので、しかたなく始めたのでしょう? (「はい。」)しかたなく始めて、仕事がうまくいくので、喜んでいるようですね。喜んで行きましたか、泣きながら行きましたか? (「うまくいくので、笑いながら行きました。」)笑って行きながら、先生のことを考えましたか? (「はい。」) 今でも、先生は泣きながら歩んでいるのです。「自分がお金を使って、自主的な立場に立ちなさい」と言ったのにもかかわらず、立てた計画の三分の一を削ってしまい……。そのようにすれば、三分の二を削らなければならないのです。それで、風が間違って入ってくるようにしたのです。助けてあげて、うまくいく者はいません。もっと助けてくれることを願うからです。 顯進も、知らなければなりません。二世たちに対しても、横っ面をたたき、足でけ飛ばして、十分の一だけ助けてあげなさいというのです。真のご父母様を通した協助も、十分の一ではなく、百分の一でも、血を流しながらでも、ありがたく思わなければなりません。 あなたたちの思いどおりになると思いますか? あなたたちの思いどおりになるのならば、わたしは(今まで)思いどおりに生きてきていたというのです。豊かに暮らす世の中が、悪口を言いながら、あらゆることをすべてしたのです。アメリカで三十年間、こっちに追われ、あっちに追われながら暮らしました。あなたたちは、そのことを知らなければなりません。 何を知っているとか、MBA(経営学修士)になったとかどうだとか……。父親が、どのような話をしているのか、理解して答えることができ、自粛することができなければなりません。あなたたちにも試験をするのです。この者たち。このような話はやめます。目の色をうかがって、(それに合わせて)態度を執ることができなければなりません。 ですから、足でけ飛ばし、激しくたたくのです。宣言するのです。そのようなことが嫌ならば、荷物をまとめて出ていきなさいというのです。この妻たちも、分かりますか? ただの妻たちではありません。皆、神学校を出ているのです。 神学校を出ていない者、そのような統一教会の者は、今後、出世はできません。一つの谷間に激しく追い込まれるべきところを、先生が一所懸命にしたので、あなたたちが、そこに引っかからずに救われているのです。顯進、分かりますか? はっきりと知らなければなりません。 さあ、先生が怒ったりもし、足で激しくけ飛ばして、踏みつけておいてこそ、過ちを赦すことができる条件になるのです。分かりますか? (「はい。」)それを喜んで受け入れれば、目が開かれ、道が見えてくるのであり、喜んで受け入れなければ、引っかかって倒れるのです。これからは、優秀だという人を、霊界がたくさん連れて行くのです。見ていてください。 今の太平洋圏を考えてみてください。韓国の大統領、南北の大統領も問題です。台湾の大統領も問題であり、日本も今、問題なのです。分かりますか? それから、フィリピンも問題です。それから、インドネシアも問題です。それから、アメリカまでも問題なのです。 太平洋圏においては、すべての首相や大統領が艱難を受ける時が来たというのです。それを揺さぶって掃いてしまってこそ、わたしが太平洋圏に手を出すことができるのです。それで今、わたしが手を出しているのです。今から、全員をそこに任命するかもしれません。 嫌ならやめなさいというのです。簡単です。大統領も、自分が嫌ならば、やめるのです。平壌の長官も、嫌ならやめるのです。(人に)仕事をさせれば、自分が負債を負おうとする人ではありません。その何千倍を返しても余りあるということを知っているので、そのようにするのです。分かりますか、梁(昌植)さん? 教育させないのなら、やめなさいというのです。 さあ、手を挙げてください。口を開けて、「ははは」と、一度笑ってみてください。(「ははは……。」)すべて、洗ってしまいました。喜びで消化することができてこそ清算されるのであって、泣きながら悔い改めることではできません。 お父様の前に、相対的な立場で、すべてのことを喜びで報告することができる時代が来たので、祈祷するときに「真の父母の勝利圏を祝福によって受け継いだ、だれだれの名によって……。」と言う時が過ぎていきます。分かりますか? (「はい。」)「祝福の中心家庭だれだれの名によって報告いたします。」です。祈祷ではなく、「報告いたします。」と言うのです。 報告しようとすれば、善の結果がなければならないでしょう? うそつきのように、いつも「願います、願います。」と言いながら、野良犬のように、糞にまみれてはいけないというのです。誇るために報告しなければなりません。実績がなければ祈祷もできません。分かりますね? (「はい。」) 手を挙げたので、そのことを分かったという人は、下ろしてください。激しく踏みつけられ、傷つき、耳が落ちても笑いましたが、(本来は)うれしくて笑わなければなりませんが、うれしくて笑ったのですか、悲しくて笑ったのですか?(「うれしくて笑いました。」)そうですか、そうですか、それで良いのです。それで良いのです。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.27
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私たちのお母さん ウリ オモニ 우리 어머니 2023/12/23『우리 어머니』(私たちのお母さん ウリ オモニ)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.24
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▲真の父母様、クリスマス・イブ祝賀会 二○○○年十二月二十四日、漢南国際研修院楽園・地獄撤廃と天国入籍宣布の日二〇〇〇年十二月三日午前五時、ウルグアイのプンタデルエステにて六十六名の教会指導者と食口たちが参加する中、真のご父母様は「楽園・地獄撤廃と天国入籍宣布の日」を宣言なさった。 祝祷 きょうは、二〇〇〇年十二月三日、十二月に入り最初の安息日を迎えました。ここウルグアイを中心として敬礼式に参加した六十六名、サタン数の終結と一致する六十六名が、これから一月十三日まで四十日を残す中、サタン数の地上と天上の数をすべて合わせたこの場で、北方韓国を代表し南方ウルグアイのこの地で、十二月に入り最初に迎える敬礼式でございます。お父様、祝福してくださいませ。 天と地が注視し、神様と真の父母を中心とした愛の理想の家庭的完成のための個体と、自らの家庭における夫婦と父母と兄弟姉妹たちが一体となった、み旨を中心とした祝福家庭を連結し、氏族・民族・国家・世界まで編成して、天の父母とこの地の父母を中心とした解放の世界を宣布できる日を、これから四十日を前にしたこの日、霊界にある楽園と地獄を新しく神様の御名と真の父母の御名によって解放することを宣言いたしますゆえ、祝福してくださいませ。 十二月に入り第三日を中心として見るとき、今年の最後の月を迎え、三日目を迎えるこの日に宣布するすべてのみ言を中心として、霊界と肉界が天地父母の宣言のみ言によって、上下が一つになり、左右が一つになり、前後が一つになって、天地のすべてが天地父母を中心とした大家族理想圏として委譲することを宣言いたしますゆえ、お父様、お受けくださいませ。 そうして、今まで霊界の数多くの階級と数多くの障壁が横たわっていたこれらすべての国境線を撤廃して、天の父母と天地父母が一つとなり、その愛の血統を通じて一族の権限を確定したすべての祝福を受けた家庭が入籍するという、この驚くべき祝福を受けました。その「三時代大転換四位台入籍統一祝福式」を挙行した基盤の上で、解放の恩賜を万民に賦与なさるあなたの恩賜に対し感謝申し上げます。 天のみ旨に従って編成された家庭のこの連体が、どれほど貴いものであるのかを知り、個々人は個人のためにあるのではなく、天地全体のためにある代表的な家庭として、天の祝福の因縁を万世の自分の血族を通じ、関係している祝福の因縁を定め、近親、遠親を合わせて、あなたの愛の一つの肢体になると同時に、一つの愛の木となったのと同様に、根と幹と芽を中心として万民がすべての基地となって愛の花を咲かせて実を結ばなければなりません。 この結実を全天地に一杯に満たして、解放の天国を完成しなければなりません。そのような家庭の理想が地上に神様の御名と真の父母の御名を中心として、天上・地上世界に定着できるところにあって、影のない「正午定着」という標語を中心として、これから地上世界と天上世界に神様の悲しみの基盤となった楽園と地獄を撤廃するこの時間を持ちますゆえ、お父様、存分にお受けくださいませ。 真の父母と真の父母の家庭の一族、聖人たちと聖人たちを中心としたすべての宗派の解放を宣言し、サタン世界の魁首であったルーシェルが服従することによって、その手下たちが反対していたすべての基地を祝福された宗教圏内のすべての祝福家庭が伝授することになりました。それゆえ、天の方向を中心として一つの主流に従って、神様の心情を中心とした宝座から地上の王宮までを連結させることができる祝福の時代を迎えることができました。そのような解放の恩賜を賜りましたゆえに、地上世界・天上世界の楽園と地獄を解放して、天国に連結できる直行の行路を開拓するこの時間となりますゆえ、お父様、祝福してくださいませ。 このプンタデルエステを中心として、天が訪ねてこられるたびに祝福してくださったすべてのものが、あなたのみ旨の前に日進月歩、地上から天上世界まで、心情の因縁を結び、各家庭から氏族・民族・国家のすべての国境を越えて、全人類の心と心の障壁を壊し、血統的基準の統一圏を築いて、お父様を中心とした真の父母を中心とした眷属として、堂々と天国を代表しうる家庭となり、国家を代表しうるその家庭となり、世界と天宙に代わる家庭となるようにしてください。 神様の願う永遠に定住できる理想的家庭圏が合わさり、天国の主権を立て、天国の民を立て、天国の地をお父様の前に奉献しうる総生畜献納のみ旨を終結できる日として立ててくださいませ。 天上天下にあるすべての地獄と楽園を解放して、天国出発の基準があなたの主管圏内で愛の心情の筋に沿って、これらすべての峠を越え、国境を越えて解放圏を備えることができることによって、万民解放、万国解放、万天宙解放の基盤において、これから四十日以降に私たちが神様の即位と真の父母が地上に設定した即位の基準の王権を立てることができる時代を宣言しようと願うものでございます。 これらすべてを意図された中で、この四十日間に整備し、すべてを統一してあなたの掌中に入れて、あなたが願ってこられたみ旨が、嘆きのない喜びと栄光の恩賜で、個人から、祝福家庭から万天宙まで拡張されるよう導いてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。 この日を期して地上、天上のすべてを統一しうる特権を持った真の父母を中心として、真のご父母様に孝子の道理を果たせず、忠臣の道理を果たせず、聖人、聖子の道理を果たせなかったことをすべて完結し、地上で失った悲しみの条件が残っているすべてをお父様の前に総献納しうる条件を立てて、お父様の新しい出発と解放の地上・天上天国の日を成し遂げるために準備する日となるようにしてくださいませ。 この四十日を中心として、この四十日前に天上・地上世界の楽園と地獄を撤廃し、神様が直接解放圏で主導できる恩賜の世界として、恩賜の世界として、恩賜の世界として、真の父母の御名とともに前進することを願いまして、地上、天上の楽園と地獄を撤廃することを願いますので、お受けくださいませ。 勝利と栄光と称賛が、永遠に万世解放的なその主権の上に、永遠なるあなたの勝利の栄光と勝利の花が大きく開き、天地にぎっしりと詰まることによって、サタンの権限を踏み越えていく祝福家庭となって、これを主導できるようにしてくださることを切にお願い申し上げます。 これからは、天国は統一教会の信徒だけが行く所として設定なさり、解放を宣布して下さいますよう切に願いながら、真の父母、天地父母に代わった心情的勝利の基盤の上で宣布しお伝えいたします! アーメン、アーメン、アーメン! (二〇〇〇年十二月三日、ウルグアイ、プンタデルエステ)▲真の父母様、帰国歓迎集会(アメリカから韓国に帰国)二○○○年十二月二十二日、漢南国際研修院 み言 原理のみ言では、宗教統一をどのようにするとありますか? 霊人再臨復活を通じて行うという内容がありますが、最近ではそれが信じられますか、信じられませんか? 信じられなければ信じないでいてみなさい、あの世に行ってどうなるか。今は、信じなくてはならないようになっています。あまりにもはっきりとした事実なのです。地上人と霊人を祝福してあげるとき、だれが信じたでしょうか? だれも信じませんでした。過ぎてみて、ようやく信じるのです。 楽園世界と地獄を撤廃したということを、だれが信じるでしょうか? 「レバレンド・ムーンも一人の人間でしかないのに、どうやって数千年の間、天を支えてきたそのような楽園と地獄を撤廃できようか?」と考えるのです。撤廃すればどのようになりますか? 撤廃すればどうならなければなりませんか? 門が開くのです。 門が開けばどのようになりますか? 天国に入っていくのです。 それで、門が開く前にすべてに祝福をしてあげました。祝福を受けた人は楽園にいるようにはなってはおらず、地獄にいるようにもなっていないため、地獄は退かなければならないのです。退かなければ新しい霊界が……。祝福を受けた人、地獄にいて祝福を受けた人々は、天国に直通で行くことができるのです。そうすれば撤廃されるのです。 血筋が違います、血筋! サタンの血筋は地獄と通じ、楽園と通じるのです。抜け出すことはできないのです。先生が話しているのは、血筋が違うということ、血筋! 幹が違うのです。サタン世界は逆に行くのに、先生は真っ直ぐに行くのです。真っ直ぐに流れていく水は、その千倍、一万倍あったとしても防ぐことはできません。 それゆえ、偽りの父母が神様を追い出して天国に楽園と地獄をつくっておきましたが、真の父母は地獄を撤廃したのです。そうしてこそ、神様を王として侍ることができるのです。真の父母の後孫たちが王として立てられ、侍られなければならないでしょうか、どうでしょうか? 立てられなければなりません。蕩減復帰原則がそうなのです。(二○○○年十二月二十二日、漢南国際研修院) 真の父母の前に、家庭的真のオリーブの木に接ぎ木しなければなりません。今までは、分立させるための祝福でした。ですから、皆さんの家庭は迫害を受けたのです。また、それゆえお母様を中心として先生の家庭が犠牲となりました。皆さんの代わりに蕩減を背負ったのです。先生が、門を開けておいたまま顧みることのできない息子と娘たちを、すべてのサタンから守らなければならないのに、方法がありますか? 統一教会員たちが、自分の命をかけて垣根となって保護しなければならない責任があるにもかかわらず、三六家庭であれ何家庭であれ、すべての家庭が自分の息子、娘を重視したのです。 自分の息子、娘を生んだとしても、先生の息子、娘よりも重視してはならないのです。女性たちから、息子、娘、だれもがみなそうでなければならないのです。そのような観点から、統一教会の信徒たちが責任を全うしたと思いますか、全うできなかったと思いますか? 何一つ果たせなかったのです。 先生が世界的な開拓の路程にあるとき、何の助けにもならず、むしろ先生の行く道の前に、だれもが罠をつくり、ありとあらゆることをしていたのです。先生の後ろにぶら下がり、先生を後ろに引っ張るようなことをしたというのです。 ですから、先生の息子、娘のうち、四人が霊界に行きました。悲運のうちに逝ったのです。地上で先生が蕩減復帰して、悲運のうちに逝った人すべてに祝福を与えました。 先生の息子、娘を祝福してあげたように、霊界全体の子供から、過ちを犯したすべての者、失敗したすべての者たちを赦してあげて地獄を撤廃したのです。聖人と殺人鬼を同じ立場で、堕落のなかった、サタンのいない立場で取り扱い、祝福してあげることによって、霊界が一つになって地獄が撤廃されるのです。楽園と分かれていたのが、すべて水平になるのです。 それで、これを本格的な世界化段階として、国境撤廃を既に世界的に国連で宣布したので、完全にこの年を越えていく前に、十二月三日を中心として楽園と地獄を撤廃したのです。それは、偽りの父母によって生じました。 真の父母が蕩減圏を越えて勝利したゆえに、撤廃しなければなりません。撤廃するまでは、神様を即位させることはできません。それをゆっくりするようになれば、天の国を再び移動して、堕落した前の世界とは関係のない後の世界、二○○○年以前の世界は前の世界であり、以後は後の世界として、二○○○年以降の世界は新しい制度と新しい風土となり、天上、地上組織を異にすることができるのです。 ですから、皆さんは第四次アダム圏となるために、文化的背景、習慣においてサタン世界のものは一切ありません。そのためには愛の伝統、為に生きる真の愛の伝統、絶対信仰・絶対愛・絶対服従をなして、為に生きる愛の伝統だけがここに移されることができるのです。向こうになかったものを立てて越えることによって、サタンがここからは、ついて越えてくることはできないのです。 先生が行くときに、地獄のようなものがあってはならないのです。撤廃してから行かなければなりません。そのような途方もない問題が左右されるのです。地獄にいるあらゆる者たちを探し出して、すべて祝福してあげたのです。(二○○○年十二月二十三日、漢南国際研修院) 一九九八年六月十三日に聖人と殺人鬼を祝福してあげました。殺人鬼と聖人を祝福したという事実だけ見ても終わりなのです。世の中にそのようなことがどこにありますか? 水平時代になったというのです。 国がいくらサタン世界で力が強くても……、水に浸かって沈んでいこうとしているのに、二手に分かれて、互いに殺しあおうという者たちをそのまま水の中に入れておいたならどうなりますか? お互いに殺しあうべきですか、お互いに助け合うべきですか? 互いに助け合わなければならないのです。 では、助けるときに自分の父親だと思って助けるのか、罪人だと思って助けるのかというのです。助けるときには、自分の父親を助けるような気持ちで助けたならば、どれほど力が湧くことでしょう? 自分の兄を助けると思って助け、王様を助けるという気持ちで助けるのだと思わなければならないのです。その場で自分が神様のような方を助けるのだと考えたならそうなるのです。その場ではそのように考えなさいということです。 ですから、互いに助けることのできる立場でありながらも、殺人鬼が「死んでやる」となれば殺人鬼の権限までも思いどおりにすることができるのです。地獄までも行ったり来たりできるというのです。殺人鬼が聖人を手助けして、聖人のために解怨して解いてあげたので、聖人の寝室までも出入りすることができるのです。絶対に接近できないようにしたとしても、「暗行御史」(王の命令で地方官を調査する官職)となって、通じることのできる道があるというのです。道がぱっと開くのです。そのような意味で、殺人鬼と忠臣、聖人たちを祝福してあげたのです。 谷間にいるときには闘っていても、そこに次第に水が入ってきて、互いに死ぬようなことになればどうなりますか? 二人とも死んでしまったならば神様はどうなりますか? 神様も大変なことになるでしょう? だれもが共通の立場に立つのです。神様も大変なことになり、殺人鬼も大変なことになり、聖人も大変なことになるのです。ですから、共同作戦をとるのです。 先生も大変なことになるため、仕方なく共同作戦をとるのです。「互いに生きるためには仕方ありません」というとき、サタンはどうするでしょうか? すべてを殺してしまえば、サタンはどうなりますか? サタンも大変なことになるでしょう? ですから、こうすることによって「おい、この野郎。サタン! おまえもやがて解放されるのだから、協助しろ!」と言うと、「どうか早く助けてくれ、どうか早く祝福してくれ」と言って、このようになったのです。 先生にとって、金活蘭と朴マリアは怨讐の中の怨讐です。それゆえ、一九九八年五月十四日から三日間、祈祷して彼らを解放してあげたのです。神様が相軒氏に「お前が責任を負わなければならない」と言われました。後になっては「どうか頼む」と言われた言葉に、先生は衝撃を受けました。祝福をすべて終えてから、それからやろうと思っていたのです。祝福が終わって、個人の救いの時代、氏族・民族・国家の救いの時代を越えて、世界の救いの時代へと越えていき、天地解放時代に向かって越えていくときに、彼らを解放してやろうと思っていたのです。 ヒットラーやスターリンのような人たちは、国家主義時代です。国家主義時代は過ぎ去りました。今は、超国家主義時代です。その次に、共産主義は超世界的な時代です。ですから、金日成を治める国家的な法ではだめなのです。今までの法ではだめなのです。これからは連合国時代です、世界時代。 その次には超連合国時代です。ですから、法をもって国家主義時代に金日成を地獄に送ったそのようなことはできないのです。金日成は地獄に行ったけれど、ムッソリーニやヒットラーは地獄に行きませんでした。処理過程にあるのです。そうでしょう? スターリンは逃げ惑いながらいるのではないですか? それは、時が早すぎたのです。それは私が処理します。国家主義、世界主義的勝利の覇権を持った者だけができるのです。 先生は国家主義者ではありません。世界主義、超国家的であり、超宗教主義的です。ですから、そのような権限を持って彼らを治めることができるのです。すべて同じ運命です。神様も哀れであり、真の父母も哀れであり、人類も哀れであり、サタンも哀れなのです。ですから、そのかわいそうな人どうしで殺し合わなければならないでしょうか?「怨讐を愛しなさい」という一言があれば、それが神様のみ心ならば、問題なくすべて解決するのです。「それが神様の願いではありませんか?」と言えばどう答えますか? それが神様の願いなのに、サタンが反対しますか? 真の父母が反対しますか? 救われるべき人類が反対しますか? 聖人が反対しますか? 殺人鬼が反対しますか? だれもが歓迎するのです。その願いとは何ですか? このようになったのはどうしてですか? 誤った結婚をしたからです。ですから、根を抜き取ってしまうのです。 ですから、祝福を断行した先生は偉大な知略家なのです。それを断行することは神様もできず、だれも考えもしなかったことです。それを、最初から原則を中心として打ってしまうのです。先生が破れていくか、だれが破れていくかなのです。このまま上手くいくかどうか見ていなさい。そのようにしたので、うまくいくのです。 それで、十二月三日に楽園と地獄を撤廃しました。それをどのように撤廃したのでしょうか? 地獄の門をすべて開いておいて、楽園の門、天国の門まですべて開いておきましたが、その群れが詰まっています。彼らをすべて祝福してあげました。祝福してあげたら、宗教圏が撤廃され、宗教圏が撤廃されたので、そのどん底にあった地獄圏が楽園に上がってくるのです。楽園も撤廃されてなくなるので、天国と通じることになるのです。 ですから、文総裁が率先するならば、神様ははばかることなく地獄でも、天国でも、どこにでも思いどおりに行くのです。縦的基準だけで行ったり来たりしていた神様が、先生について世界を思いどおりに行くことができるのです。思いどおりに行くことができる道を開いておいたので、愛の水平となるのです。天国の理念や、地獄の理念や、天国の愛の水平に浸ることができる時が来たのです。水がたまって占領する時が来たというのです。自由解放圏になったゆえに、神様までも解放しなければならないのです。神様までも本然の位置に落ち着かなければならないのです。 ですから、神様ご自身も即位を願うのであり、真の父母も願うのであり、サタンも願うのです。だれもがみな願うのです。万民も願うのです。焦点がすべて合うのです。これだけしておけばひっくり返ります。それは、すべて理論に合致するのです。 ですから、そのようなことができる方案を立て「互いに生きるためには、闘わずに助けよ!」というのです。助けて何をしようというのでしょうか?「神様の背中に乗って神様の願う最高の速力、最高の力、あなたがそのような内容を提示するのですか?」「するとも!」「それは何ですか?」「万民解放祝福だ」と言うのです。 そのようにしてきたため、仏教圏、儒教圏、回教圏などの宗教圏を祝福してあげなければなりませんか、してあげてはいけませんか? してあげなければならないのです。天使世界、地獄までも解放してあげなければならないのです。 ですから、楽園と地獄を撤廃し、解放時代となったので、神様が恨を解き、これからは王としての役割を果たすことのできる本然の時代となるのです。そうなれば、先生の責任、救いの摂理は終わるのです。救いの摂理はなくなるのです。救いの摂理は終わり、第四次アダム圏、本然の世界に入っていくのです。そのような第四次アダム国家、心情圏が本然の世界に入るためには、神様が王権即位をして治めることのできる時代に匹敵しなければならないのです。 それで、万民がすべて祝福圏内に入っていくのです。その圏内に入っていき、先生の思想を中心として教育し、万国の王から閣僚、上院、下院がすべて先生の思想を中心として「世界と国はこうあるべきである!」という計画さえ立てればいいのです。その計画が新千年を迎えてから、三年以内にできなければ、四年、七年でできなければ十年、遅くとも十二年まで延長するとみるのです。(二〇〇〇年十二月二十九日、漢南国際研修院)
2023.12.24
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神様王権即位式のための宣布二〇〇〇年十二月一日、ブラジル、パンタナールにあるアメリカーナホテルにて、五か国から集まった十八名の指導者たちが参加する中、真のご父母様は二〇〇一年一月十三日に予定された「神様王権即位式」のための宣布をなさった。 祝祷 愛するお父様! 今日は二〇〇〇年十二月一日、歴史的な二〇〇〇年を中心としたこの年を中心として、新千年を迎えることができる、新しい年を準備するためのすべての蕩減復帰歴史と天上世界と地上世界の恨の峠を越えて、あなたが理想となさった創造理想世界の愛を中心とした個人完成、家庭・氏族・民族・国家完成、天宙完成の要を用意するための、一つの歴史的な全体を整備する期間でございます。 先々月の十月十四日以降を中心として、きょうは満四十八日を迎え、日数としては四十九日を迎える日でございます。この日は、歴史的に韓国の記念の日である四十九日(四十九日法要)を代表しうる期間を越える日です。それゆえ、新たな月、十二月を中心として、これから四十三日間を中心として、新たな二〇〇一年の正月の十三日まで、新しい出発のための限界を定めておきました。 すべてを整備して、天国の王権と、家庭の勝利圏と、すべての子女の勝利圏を備えて、天国の本然の軌道を備え、天上世界の父母を中心とした長子権の大王であり、父母権の大王であり、天宙の大王であられる神様を中心として、一体理想を中心とした個人、愛を中心としたモデル家庭、氏族・民族・国家・世界・天宙史的な愛のモデルを中心として、公式的な主人の立場に立つようになりました。 また、真の父母とともに一体理想をもって、心身一体、この地上に正午の期間に定着することによって、一切すべてが整備、解怨成就、蕩減解怨されることによって、天の主権と地の主権と天国の勝利的栄光を中心とした万国を統治し、覇権的時代を迎えることができる深刻な四十三日という期間を今後残しております。 ですから、整備しうる摂理史のすべて一切を、お父様がお定めになり、あなたの心の中で恨となっていたすべてを整備し、解放の日が到来したと宣布しうる家庭の王であり、国家の王であり、世界の王であり、万王の中の王の主人の立場に即位しうる一つの記念すべき期間として定めるのでございます。 お父様、この日を予告しうる宣布の日として、四十九日を過ぎ、すべての死亡の権限を踏んで、再度解放の世界へ飛躍しうる天運を抱き、お父様のみ前に真の父母が戻り、一体理想を築くためのすべての愛の悲しみと、すべての子女の悲しみを中心とした、家庭・民族・氏族・国家、あなたが願った家庭的孝子、国家的孝子、世界的孝子、天宙的孝子だけでなく、忠臣・聖人・聖子の道理に家庭的祝福を中心とした覇権を成立しうる時代を迎えるようにしてくださった恩賜に感謝いたします。 きょう、原初・根源・勝利の聖地圏を中心として、これから四十九日を踏み越え、整備することのできる四十三日、この期間を通して新たな天の王権時代を発表しうる準備の一切を整えるようにしてくださいませ。民主世界の王権が続くところにおいて、最後を迎え、父母の全権時代に交差しうるこのような期間を設定するすべてに、勝利的覇権を天が備えることができるように祝福してくださいますよう、お父様、切にお願い申し上げます。 新たな月を迎えるこの十二月は、峠を越える期間として、三十一日と来年一月十二日を中心とした十三日を合わせて、十月十四日を中心として、天地の王権樹立を宣布しうる、天地の王を中心とした勝利的長子の王であり、勝利的家庭の王であり、勝利的国家の王であり、勝利的天宙の王権に即位しうる時間として宣布いたします。それゆえ、その日のために、すべての統一家と天のすべての天軍天使、祝福は再度の整備と、再度の悔い改めと、再度の祝福の恩賜に感謝することによって、この日を迎えることができるように祝福してくださいますよう、切にお願い申し上げます。 今回、海洋還元式と、大陸還元式と、天宙還元式と、四大心情圏還元式を発表し、これから真の父母を中心とした勝利的基盤の上に、エバ圏国家とともに国連と手を結んで、解放の天国を建設しうる時代へと進入することを宣布いたしますゆえ、お父様の願われる全体・全般・全権・全能を行使してくださいませ。 あなたの願いの一念であるすべてを成就しうる標準の下で、全体の整備が完成しうるようにこの期間を定めましたので、統一家の食口、祝福された天上世界、地上世界、天使長世界までも、すべて家庭を中心としたあなたの祝福圏内には、一家庭も抜けることなく加入することのできる、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の基準でサタンを立て、解放圏に同参することのできる恩賜も賦与してくださいますよう、切にお願い申し上げます。 きょう、十二月一日のこの日を期して、原初・根源・勝利聖地で、このような新しい世代を迎えることができる整備的最後の宣言を、王権樹立の全体の権限をあなたの愛によって地上・天上天国に平定しうる起源として定め、あなたが愛の主人として、億千万世の勝利の太平時代を迎えることができるように祝福してくださいますよう、全天宙、全世界の上に直々に天地父母の御名をもって宣布してくださるよう切に祈願しつつ、真の父母の御名により宣布いたします! アーメン、アーメン、アーメン! み言 「神様王権即位式」をして差し上げなければならない時が来ました。それをすれば、摂理史は終わるのです。そのように知って、終わりまで最善を尽くさなければなりません。 ここに来て参加した人たちは、心を尽くしてその日の前に恥ずかしいことのないよう、自らの整備と家庭と国の整備の標準と、世界の整備をして、これを再建できる主人の立場で、主体的個人、主体的家庭、主体的民族、主体的国家、主体的世界、主体的天宙まで連結させることができる参加者として、その責任を全うすることを願います。 きょう、これから最後の整理です。これから四十三日です。新年の正月十三日に行うとしたら、きょうまで入れて三十日を引くと十四日になり、きょうを除けば十三日になります。それで、十二日を越えるのですが、十三数というのはアメリカではもっとも悪い数です。それで、全体の日数を足して三十日を引けば、全部で十四日になるのですが、満で数えると十三日の峠を越えるのです。それで、解放の即位式、王権即位式を宣布できる時に入っていくというのです。これは途方もない時代なのです。きょうはそのような日なのです。今回来なかったら、できませんでした。 ご覧なさい。最初にブラジルに来て、レダ(PORTO LEDA)に着陸するのに問題があり、操縦士たちは無理だと言ったのですが無事に着陸しました。その次に、ポルトムルチーニョ(PORTOMURTINHO)に行ってからどこかに行こうとしたのですが、パラグアイに戻って、降りたのです。そのときにも、無理だと言っていました。考えてみると、ジャルジンから出発してサロブラ(SALOBRA)その次にレダ、その次にポルトムルチーニョ、その次にここが五番目です。それと同様に、五つの国が貴いのです。人の手を見ると、指が五本あります。ですから、そのような数も合うのです。 すべてを見ると、不思議にも蕩減復帰の道を綴るのに一致しています。ブラジルが中心ではなく、パラグアイが中心になっているのです。レダからオリンポ、反対したところを中心として、この本然の場に戻ってきました。 この座っている所は、どんな所ですか? 出発地ですが、定着地として見なしているのです。ここには世界にない王宮を建てなければなりません。人工的に再創造しなければなりません。神様が創造された宇宙を破壊したために、精魂を込めて、血の汗を流し、骨髄が溶けるほどに苦労して、天国の栄光をあらわす何かを私たちがつくって捧げなければならないのです。水宮、陸宮を合わせた、天下のいかなるところよりも良い王宮の敷地なのです。この水の中から出発するのです。(二〇〇〇年十二月一日ブラジル、パンタナール)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.24
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[摂理の宝倉庫] 2007年12月24日イーストガーデンクリスマスイブディナー2023/12/222007年12月24日イーストガーデンクリスマスイブディナー一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.23
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父子協助時代宣言二〇〇〇年十一月十一日、ハワイのカウアイ島にあるプリンスビルホテルにて、真のご子女様たちと四十日海洋修練を受けている約四十名の修練生等、総勢約五十名が参加する中、真のご父母様は「父子協助時代宣言」をなさった。 皆さんがこのみ言を通じて知らなければならない、ただ一つの結論とは何かと言えば、女性たちの責任が大きいということです。神様の摂理は、女性を探す前にアダムを探して立てることでした。アダムを探して立てる目的は、アダムを中心として神様と一つの木になって、愛の種を繁殖せよということです。愛の種を繁殖するために女性が必要なのです。 アダム家庭でその種を失ってしまいました。アダム家庭が堕落した後に、カインがアベルを殺したのです。アベルが何かといえば、アダムの種をこの地上で育てる立場にあります。しかし、アダム以降、世界のすべての家庭には、カインとアベルを中心とした種はありません。ですから、この地上でアダム家庭が失った種を、神様を通じて再び再創造し、種を残して大きくするための歴史が、救いの摂理歴史なのです。 あらゆる宗教がありますが、それらのすべての宗教を中心として、民族を越えて世界的文化圏を中心とし、収拾するための一つの種がとどまることのできる環境的与件を開拓してきたのが宗教圏なのです。すべての宗教は、家庭では孝子、国では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道理を教えてきました。それは、この種が個人・家庭基準から天宙まで越えていくことができるように大きくなり、堕落しない本来の種が世界の堕落圏を凌駕することができるという立場を取り戻していく道なのです。 その種、それ自体では大きくなれません。男性の種、それ自体では大きくはなれないのです。ですから女性たち、母親たちが必要なのです。それで母子協助時代が必要になったのです。今まで母親たちは、夫たちを前にして、あらゆる愛の谷を越えられず、息子たちを抱いて上がったり下がったりしながら、数多くの苦労をしてきました。そうして、歴史時代においてどのようにしてアベルの立場の峠を越えさせてあげるかという、そのような闘いをしてきたのです。しかし、そのことを女性たちは知らないのです。 母親と息子、娘は知りませんでしたが、歴史時代にあって、腹中時代から八段階にわたって、母親が息子、娘たちを抱き、迫害に遭いながら彼らを育ててきました。女性たちが歴史時代に犠牲となってきたのです。 今まで母親が子女たちのために苦労してきました。歴史時代に、世界的にサタンと闘いがら苦痛を味わってきたのです。摂理史において、息子を育て、母親とカインがばらばらになっていたものを一つにするという、この路程を埋めてきたのです。蕩減のくぼみを平準化させるということを、母親が代わってしてきたのです。 救いの摂理において女性たちが、息子、娘を抱きながら、天使長世界で男性たちからありとあらゆる蹂躙を受けながら犠牲になってきたのです。冷遇され、さらわれ、傷付けられながらも、数千数万の女性たちが犠牲になりながら、この道を歩んできたのだということを知らなければなりません。 選民というのは、エサウとヤコブを中心として、ペレヅとゼラを中心とし、その次にはマリヤ家庭を中心として続くのですが、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭のすべての重荷をマリヤが背負うという環境においても、やはり母子協助か絶対的に必要だったのです。リベカを通じてエサウとヤコブが外的な蕩減を払うことができ、ペレヅとゼラを中心として内的な蕩減を完遂したという条件が立ちました。そのため、イエス様の時代にマリヤとザカリヤを中心として、母親と息子、娘たちが一つにならなければならないという内容があったのですが、母親たちがそれを知らなかったために失敗したのです。 それゆえ、マリヤはイエス様を中心として、自らの生命を犠牲にし、いかなる犠牲を払ったとしても絶対的でなければなりませんでした。マリヤには男性がいてはなりません。息子を抱いて、サタン世界の数多くの男性たちが、数多くの旧約時代の法で、マリヤをめぐって片付けようとすることも意に介さず、それを越えていかなければならない責任があったにもかかわらず、責任を全うできなかったのです。 それで、イエス様が来られて亡くなった後に、聖霊がこの地に来て、父母の代わりに霊的基準を中心として……。それが実体的イエス様を中心として、キリスト教を築いたのと同じように、聖霊が来て母を中心として、失ったイスラエル圏を中心とした霊的基準のイエス様を中心として、実体基準の役事を連結させるために、天と地の摂理を分立しなければならなかったということを知らなかったのです。 それで、イスラエルでイエス様が犠牲となった後、聖霊が来て、母の代わりに息子を育てるということを今まで行うことによって、国家的基準を越えていくのです。国家的基準を越えて、世界的役事を行うのが再臨の役事なのです。そのような再臨の役事は、西洋から始まるのではありません。再臨主は東洋に訪れるのです。歴史が変わるのです。 東洋文化と西洋文化が違うのは、東洋が精神的で内的ならば西洋は物質的で外的なのです。東洋が男性格ならば、西洋は女性格の立場です。相対的です。それゆえ、西洋世界の宗教圏をすべて受け継いでキリスト教文化圏が現れてきましたが、東洋的思想は先祖を尊重視する思想なのです。先祖を尊重視し、神様を尊重視するのです。終りの日になれば、これがどのようになるのかと言えば、すべてをなくし、女性が冷遇されていたのと同じように、キリスト教自体が冷遇されるようになるのです。キリスト教は新婦の宗教であり、母の宗教です。 ここで知らなければならないことは、母子協助時代は父子協助時代へと越えていかなければならないということです。今までは、男性がすべての女性たちを蹂躙してきました。これからは、男性を中心として、エデンから追い出された真の男性が来て、女性のすべてを保護する時代へと越えていくのです。 再臨主が来る前までの女性たちは、失った世界において復帰されるまで血筋を正す役割を担ってきました。しかし、来るべき再臨主を中心としては、その方が父として来られるために、全世界の女性たちは父に仕えることができるようになり、そのような世界的な終末時代を迎えるようになるのです。 ですから、全世界の女性たちは母子協助をすることによってサタンの反対を受けてきたのですが、これからはサタンを主管することのできるアダムが来たために、そのアダムの前に完全に振り返らなければならないのです。なぜ振り返らなければならないのでしょうか? ですから、総生畜献納という話が出てくるのです。エバによって失ったものを、エバが今まで探し求めてきたのですが、その相対的世界、エデンの家庭で失ったエバ、カイン、アベルを探し出してくれる父がいませんでした。サタンが中間で支配してきました。反対してきたのです。 それを完全に切ってしまうのです。完全に切ってしまいます。それで、サタン世界が終りの日を迎えるときには、女性たちが経済権を持つのです。アメリカがそうですね? 第二次大戦以降、女性たちを求め、女王のような立場にアメリカが立って、来るべき夫を追い出してしまったのです。今や、本然の夫の前ですべてを風呂敷に包んで、天使長圏を足で蹴飛ばしてしまわなければならないのです。蹴飛ばして、すっかり帰ってくることによって、すべての女性たちが来るべき主の前に相対的立場に立つようになるのです。それで、女性を代表したお母様を立てたのです。お母様とお母様の家庭を中心として、お母様が女性の代表として立つことによって、神様の愛の種が世界の峠を越えて、新しいエデンの家庭を築いたのです。それは、世界の立場に上がっていくということなのです。 そのようにして、反対したサタン世界のサタンを完全に切ってしまい、こちらに戻ってくるのです。そうすることによって、神様が直接エデンの園の家庭を中心として愛の種を植えることができたのと同じように、真の父母が来てエデンの家庭として世界的迫害を受けて勝ったその場で、愛の種を横的に連結することができるのです。そうして、アダム家庭で築いたのと同じものを世界の頂上で築くことができるようになったのが真の父母の聖婚式です。それが子羊の婚宴です。 それで、先生を中心とした子女たちが生まれたために、父と息子、父子摂理時代になるのです。母子摂理時代ではなく父子摂理時代なのです。真の父母が出てくる前までは、母親たちは息子たちを育てながら迫害を受けてきましたが、神様を中心として、直接、真の父母を中心として、息子と娘が生まれたために、これからは母親がいなくてもかまいません。母の時代は過ぎ去り、父子摂理時代へと越えていくのです。 それゆえ、神様を中心として真の父が現れ、真の父を中心として真の母が現れ、そこから生まれた息子と娘たち(※家庭的四位基台)には、サタンは手をつけられないのです。そのことを知らなければなりません。ですから、直接的で完全な愛の種を家庭的に受けて、父と息子が直系で連結されるのです。 そこには母親は必要ありません。蕩減というものがなくなったのです。母子協助時代が完全になくなって、神様と真の父と真の息子の血筋が連結しうる解放圏の最上地点に立ったのです。そのような過程で、先生の家庭に様々な問題があったということは、サタン世界にいる祝福家庭たちが責任を果たせなかったためなのです。先生の家庭の子供たちは、どんなに誤ったとしてもサタンとは関係がないのです。 これを収拾するために、聖人たちと悪人たちを祝福してあげ、地獄と天国を崩すことのできる権限が真の父母にはあるため、真の父母の家庭圏内にある傷も赦されて、同じ立場に入っていくことができるのです。ですから、すべての過ちを内外にすべて解決することのできる時代に入ったのです。 それで、先生が八十になれば何もかも終わりになるために、先生の家庭の息子、娘たちも、今までサタン世界、このアメリカに来て染まったすべてを清算しなければならないのです。今年、十二月までにすべてを清算しなければなりません。それが、摂理史の全体蕩減に匹敵するのです。それで、先生を中心として、今年まで誤っていた息子、娘も、別れてからもう一度戻ってこなければなりません。 八段階の愛の家庭を経ずしては、真の父母に仕えることはできず、神様の直系の子女の立場に立つことはできません。恐ろしい話です。先生がでっち上げて話しているのではありません。生きている先生、真の父母に仕える直系の立場で、自分を中心として、女性としての自分を中心として考えてはならないのです。生命の根本の種になることができる根を中心として回らなければならないのであって、自分が根の立場にいようとして、自分を主張したならば大変なことになるのです。それは、女性が今まで蕩減したすべてを再び堕落させることと同じです。 お母様も同じなのです。黙って見ていると、お母様は今でもそうなのです。少し気分が悪ければ、その思いが一日、二日、三日続くのです。それではいけません。真の父母が……、先生がどんなに気分を害するような接し方をしたとしても、気分が悪いなどと考える、それ自体によって霊界に入っていくことができなくなるのです。真の父母に仕える立場では、解怨の痕跡があってはならないということを、皆さんは知らなければなりません。 それゆえ、生命の種を中心として、旧約・新約・成約時代を経てきながら、母親たちが母子協助時代にあってどれほど多くの犠牲を払ってきましたか? 今や、地上で東洋と西洋が分かれ、深い谷間、深い山、ヒマラヤの山頂、エベレストの山よりも高い山の谷間を埋めて、東洋でこのようなみ旨を立てて、長い歴史をすべて蕩減したのです。 韓国の歴史は長いですね。韓民族が最も苦労した民族なのです。中国文化も東夷民族を通して成り立ちました。甲骨言語というものも、よく見ると古代韓国語なのです。このように見るとき、韓民族は優秀な民族なのです。 半島というのは男性の生殖器と同じです。太平洋を背負って、日本を背負って、その次に大陸に対して半島はいつでも文明を連結させる橋梁の役割をしてきました。イタリア半島や、ギリシャ半島、インド半島はすべて橋梁の役割を果たしてきました。 そのような立場から見るとき、韓民族は優秀な民族だというのです。しかも、言語や神様に対する文化は、韓民族に肩を並べる民族はいません。啓示の内容にしても、いかなる民族も追いつくことはできず、神様を信奉するにおいてもいちばんなのです。仏教や儒教やキリスト教や国権を中心として信奉してきたのです。そうしてすべてが連結しています。 そのような基準で先生が生まれ、歴史的にお母様を救ってあげるためにこのことをしてきたのです。今や母子協助時代ではありません。息子でも、その息子は天使長の息子であって、天の息子ではありません。そうではないですか? それは蕩減を受けなければなりません。それで、天使長は愛の道を行く母親を、女性たちを今まで蹂躙してきたのです。 それで女性たちの願いは何かというと、理想的な夫に出会うことです。そうでなくては、天の本然の生命の種をそのまま受けることはできません。蕩減なくして、その種を受けることはできないのです。それゆえ、来たるべき主を中心として、二千年間、新婦宗教で息子、娘を育ててくるのに、どれほど苦労したでしょうか? 聖アウグスティヌスのような人たちも、あのように「ごろつき」だったものを、彼の母親が救い出したのです。そうして、旧教の一人の代表的な人物になったのです。新教でも、やはりそのような歴史を通して連結された母親の苦労の涙が、この深い谷間を埋めてきたのです。それが、夫となる主がこの地に生まれ、成長して聖婚をする時までなのです。 第一次、第二次大戦を終えて第三次時代へと越えながら、すべて埋めつくし、ついに整備されたカイン、アベル圏、聖霊を中心として霊的な基準を連結させて、実体的基準を中心とした再臨主と一つになって、母子協助時代から父子協助時代に転換するのです。そのためには、母親がいなくならなければならないのです。それゆえ、蕩減時代の母ではなくて、直接的時代の父が母を通じて生んだ息子が相続することのできる時代が来るのです。 生命の種は男性にあるのであって、女性にはありません。愛する夫の赤ん坊を、女性がおっぱいを飲ませて育て、赤ん坊を愛する限り、夫を無視することはできないということを知らなければなりません。これは、母であればだれもが同じなのです。これが総結論です。 母子協助時代と父子協助時代は違うということです。父子協助時代に生命の種を抱いて育てようとする女性たちは、夫に対して絶対服従しなければなりません。女性たちが今まで本然の夫を求めてくるのに、数千年、数万年の間犠牲になってきたという、その受難の歴史を越えて本然の夫を迎えることができる立場に立てば、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の道理を果たさなければならないのです。 では、だれがそれをしなければならないのですか? アダムとエバを中心として、神様がまずされましたが、その次に蕩減時代には女性がまずしなければなりません。そうでなくてはならないのではないでしょうか? すべてを破壊した女性が、夫に対して絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければならないのです。そうして、女性はその夫を通じて恨の峠を越えて、限りない祝福をそっくり受けることができる立場に立つのです。 絶対愛のために神様は女性を抱いてきたのですが、そこに相対的立場に立とうとするならば、絶対服従しなければならないのです。この話は、母親に対しての話です。 きょう、終わりになってこのようにすべて教えてあげるのです。はっきり分かりましたか? 母子協助時代、その次は何ですか?父子協助時代! これが最後なのです。 母子協助時代を退けて、父子協助時代へと越えていくために、母親はここに協助しなくても、絶対信仰・絶対愛・絶対服従していくことによって蕩減するために、苦労した時代のすべての祝福を天から受け取ることができるのです。 祝福を受けてからは、夢にも他の女性、他の男性のことを考えてはなりません。道にいるすべての女性たちを、だれが育ててあげるのでしょうか? そこからすべて、橋をかけなければなりません。ですから、今まで復帰時代において、母親は知りませんでした。娼婦の両親の悲しみを、神様が一人で、真の父母が一人で抱いてきたのです。サタン世界で蹂躙されたことを消し去ることもできず、それを愛さなければならない神様なのです。ですから、どれほどあきれかえるようなことでしょうか? そのようなことを知らなければなりません。 今の時は母子協助時代から父子協助時代に転換された時であるということを、はっきり知らなければなりません。真の父母がすべてを蕩減しました。キリスト教が責任を全うできない、女性たちの責任までも、お父様がすべて蕩減し、母子協助時代を踏み越えて、父子協助時代の伝統をみ言と共に立てなければならないのです。そうしてこそ、すっきりと結論が出るのです。 父子協助時代における嫁たちは、子種を受けて、育てるということが、天下の歴史時代に神様を解放できる一時の祝福を受けたことであるということを知って、感謝して越えていかなければなりません。それで、今回、あなたたちを連れてきながら、ここで何かよい記念になるものを買ってあげたかったのです。 今回、真の父母が買ってくださったものを大切にし、今後、後代の後孫たちに残してあげることができるように保管しければなりません。その代わり、あなたたちは赤ん坊たちを育てて、父と一つになるようにしなければなりません。二重の責任があるのです。 今は、蕩減はありません。平面的な生涯に、息子、娘を育てて、すっきりと父子協助時代へ越えていけばいいのです。蕩減はありません。したがって、歴史時代に解放圏を願った神様の解放と真の父母の解放圏をもって、自由天地、地上・天上天国に入籍できる時が来たのです。ですから、清平では今「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」がなされているのです。その一言の中にすべてが入っています。 三時代、旧約時代・新約時代・成約時代をひっくり返さなければならないのです。大転換です。四位基台によって……。四位基台に立つのではありません。四位基台が入籍するのです。失ってしまいました。今や、母子協助時代を過ぎて、サタン世界の家庭から南北統一、そして国連まで、首脳まで、すべて上がってきました。 これからは、ブッシュ大統領は私の話を聞かなければなりません。聞かなければ国連を通じて行うのです。アメリカ、民主世界が世界を支配しようとする考えはやめるようにと言うのです。民主主義は滅びたのです。互いに闘い、ありとあらゆる動きがあるのです。おしまいなのです。 これは、私たちの時代になったという事実を予告しているということを知らなければなりません。それゆえ、先生が家庭の王、そして国の王、その上に上がっているのです。今後、世界の王です。アダムが家庭の王、国家の王、世界の王、このように垂直に来ています。今後、祝福家庭をアメリカさえ認めるようになれば、全世界的に完全に国連の国をつくって入っていくことができるのです。そうなれば終わるのです。そのような時代なのです。(二〇〇〇年十一月十一日、ハワイ、プリンスビルホテル)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.23
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第四十一回「真の子女の日」記念礼拝の御言成約八年 2000年10月27日(陰暦十月一日)京畿道九里市水澤洞 中央修練院 第四十一回「真の子女の日」記念礼拝で真のお父様が語られたものです。み言に先だって、一九六六年の第七回「(真の)子女の日」のみ言の「訓読会」が行われました。 (先ほど「訓読会」で)子女が行くべき道理に関するみ言、深刻な内容のみ言を聞きました。自分たちが本当に、神様の前に真なる子女になれるのかということは、恐ろしい内容です。 神様が、どれほど大きいのかというと、この宇宙よりも大きく、無限に大きいのです。また、神様がどれほど高いのかというと、限りなく高く、どれほど広いのかといえば、計り知れないほど広く、どれほど深いのかといえば、考えることもできず、そこに及ぶこともできないほど深いのです。そして、そのおかたが、人格的な神様であるというのです。それは、人間のような神様であるということです。 それゆえに、わたしたちが「子女」という名分を持つためには、そのおかたの愛を通して生命が結ばれ、血筋が連結されたという因縁を持っていなければなりません。ですから、その血筋の中には、膨大な大宇宙の権威を持たれた神様の愛が植えられているのです。 それは、どういうことかといえば、その神様の愛の中で、その愛を敬い尊ぶ、父と母の主体・対象関係によって生命が連結されているということであり、その愛を中心として連結された生命体によって、分かれていた上下、左右が一つに連結され、そこに血筋が連結されているということです。そうして、その血筋を受け継いで生まれたのが子女なのです。 その子女という一つの分子、男なら男、女なら女の価値は、どれほど大きいでしょうか? この想像もできない膨大な大宇宙を中心として、それも主体と対象が一つになった、神様の性相と形状の実体的人格を中心とした本性的男性と女性の価値は、どれほど貴いかということを、皆さんは知らなければなりません。 その男性と女性が生まれた動機とは、何でしょうか? 自分のために生まれたのではありません。女性が生まれた動機、男性が生まれた動機は何でしょうか? 今、話した根本的因縁の代身存在として、原因的存在の前に結果的存在として現れたのです。その結果が男性であり、女性です。 原因から分立されて男性と女性が生まれたのですが、これは、何のために分立されたのでしょうか? それは、愛のためです。その愛とは、どのような愛ですか? 過ぎ去っていく愛ではありません。永遠の愛を懸け橋とするために、男性と女性に分立されたのです。 それは、先祖から千年万年、継続してきました。そして、いくら先祖がたくさんいたとしても、その先祖たちも、分立された男性と女性を中心として、さらに先祖から神様の愛が運搬されて受け継がれていき、そのようにして神様の愛を受けることのできる完成した男性と女性の先祖から連結されてきたのです。 そうして、それが今日、生きている”私”が生まれる背後の血統となり、その背後の血統が統一教会となり、”私自身”を形成したのです。このような事実を思うとき、男性なら男性、女性なら女性という存在が、どれほど偉大であるかということを知らなければなりません。 その偉大な”私”、驚くべき”私”! 皆さん、そのように思うでしょう? 男性も最も高い、最も偉大な最高の位置に立つことを願い、女性も最高の位置に立つことを願い、だれもが、男性も女性も、すべての人が最高の位置を願うのです。 その最高の位置に到達することができるものとは何かというとき、それは、簡単に愛だけではありません。男性は、愛も持っていて、生命も持ち、血筋も持っています。女性も同様です。ですから、いくら「至高の代身たる性相と形状に分立された男性と女性である」と言っても、そのおのおのの分性的存在においても、絶対的に必要とし、また、断ち切ることのできない神様との愛の関係が、”私”に介在しているのです。愛を持っているでしょう? 天地父母を中心として、霊界にいる”私”の生命体、つまり父母の生命的実体が連結されています。そして、その生命体であられる父母の血筋は、父親の血と母親の血が一つになり、それが調和の過程を経て、”私”という存在が生まれてきたのです。 そのような事実を考えてみるとき、また、その一つの実体が、どれほど偉大な歴史的過程を経て成された実体なのかということを考えてみたとき、それこそが歴史的な宝物であるということを、皆さんは知らなければなりません。 宝物なのですが、男性一人で完全な宝物ですか、女性一人で完全な宝物ですか? このふたりが一つになってこそ、完全な宝物になることができるのです。ですから、男性も”半分”であり、女性も”半分”です。 そのような完全なものになれば、神様の愛を中心として完全な愛を成すことができ、神様の生命を中心としても完全な愛を成すことができ、神様の血筋を中心としても「完全である」と言うことができるのです。 そのような実体存在としてつくられたのが男性と女性なので、男性と女性が完全に一つになる、その位置を通して神様の愛の化身体が現れることができ、神様の生命の再復活体として現れることができるのです。そして永遠なる歴史を同伴してつづられてきた神様の血筋が、未来の世界にまで同伴する、その橋梁が自分の血筋を通して連結されるのです。 このような、とてつもない事実を考えるとき、男性と女性が分聖殿となり、その半分の者同士が夫婦として一つになることができる価値的基準は、どれほど貴いものであるのかというのです。 ふたりが一つになって”合徳”する位置、また夫婦として愛し合うその位置は、神様の愛が完成した一つの結実体であり、神様の人格の生命体が完成した結実体であり、今まで神様が歴史を創造してこられた内的動機の起源であった血筋の結実体なのです。 そのような事実を考えるとき、神様ご自身も、そのようになった実体のふたりを取り替えることはできません。神様ご自身も彼らを絶対に必要とし、また、そのような立場で、男性と女性の半分同士が一つになることができるその位置は、神様とも取り替えることができない貴い存在なのです。 また、神様にとって、わたしたち家庭の夫婦というものは、何をもらっても取り替えることはできません。神様までも加えて、被造万物をプラスして与えても、取り替えることができないほどの貴い存在であるということを、皆さんは知らなければなりません。 ですから、そのような価値的結実体をつくることができるものは、いくら男性が、一人で千年間、誠意と努力を注いでも成就させることはできません。いくら女性が千年間、誠意と努力を注いでも成就させることはできません。千万年の間、誠意と努力を注いでも捜し出すことができない二つの存在が、お互いに完成を成すことができる一つの位置を訪ねていくのが祝福である、ということを知らなければなりません。 今日の西洋の人々を考えてみると、結婚というもの、家庭というものは、真昼のうちに過ぎていく”一時だけの因縁を結ぶものだ”と思っているのですが、そうではありません。それは歴史とともに、宇宙とともに永遠に存続することができ、神様の理想とともに存続しているのです。 そして、一挙手一投足のすべてが、宇宙の喜びの象徴体であり、また、全宇宙が喜楽を連結させることができる和動の実体が、私たちの家庭にあったのです。そのような事実を思うとき、無限の価値を持った”私”の家庭であるということを考えることができなければなりません。 その夫婦の愛の中で神様が暮らすことができ、また、夫婦の生命の中で神様の生命が連結され、その夫婦の愛の血筋が連結される中で宇宙が存続することができるのです。過去、現在、未来、そのすべてが、この血筋によって幸不幸が左右されるのです。 より発展的で、より理想的な未来を希望していく、そのようなわき上がる血筋を備えた人がいるとすれば、神様の希望の相対的実体になることができます。神様の喜びの刺激を充足させることができ、何よりも輝く神様の愛の対象圏を備えることができるのです。そのような立場が、自分たち夫婦であるということを知らなければなりません。 このような家庭をすべて失ってしまわれた神様のみ前に、だれが、再びその家庭を取り戻してあげることができるのでしょうか? アダムとエバが、このような価値的内容を形成し、幸福の起源を完成したものを神様にお返しし、神様が「この家庭以上のものはない」と誇られ、そこで”永遠に一緒に暮らしたい”と思っておられたにもかかわらず、その家庭を失ってしまわれたのです。そのとき、神様の悲しみは、どれほど大きかったでしょうか? そのことを、皆さんは考えなければなりません。 そのような意味で、男性というものがどれほど貴く、女性というものがどれほど貴いかというのです。 もし、男性の前に女性がいなかったとするならば、どのようになっていたでしょうか? 千万の男性が暮らす男性の世界の中で、女性が一人もいないというときには、その千万人はどのようにするでしょうか? 千年万年、夢を見て、億万年理想を描いても、一代以内ですべていなくなるのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」) 世の中に女性ばかりがいて、男性が一人もいなければ、千万年間、歴史の夢を持った女性たちがいたとしても、男性が一人もいないというときには、女性は絶望してしまうのです。一代ですべていなくなるのです。 神様の立場で考えれば、今、六十億の人類の中で三十億の男性と三十億の女性がいますが、三十億の女性を前にして、神様が「わたしの息子だ」と訪ねていくことができる男性が一人もいないというとき、その一人の男性を捜し出すためには、三十億の女性を犠牲にしたとしても余りあるということを知らなければなりません。何のことか分かりますか? (「はい」) 三十億の人類の中に一人の女性しかいないというとき、三十億の男性をすべて犠牲にしたとしても、その女性が相対することのできる人を、神様は必要とされるのです。もし、いなければ、堕落していないのであれば、つくることができるのです。分かりますか? (「はい」) 三十億人類の中に女性がいないというときは、その三十億の人類全体を生かすことができないとしても、その一人をつくって残りの三十億を犠牲にする、そのようなことも断行することができるというのです。 このように見るとき、「神様が願われる真なる男性、神様が願われる真なる女性とは、だれなのか」という問題は、深刻な問題です。いくら人がたくさんいても、人として扱うことができないというのです。それは、”完成品”ではないということです。 そのような者を「未完成品である」と言うとき、それを未完成品として烙印を押してこそ、その人は正当な人であり、神様の公認を受けることができる人です。 ところが、「これは悪いものですが、良いことにします」と言えば、「良いことにする」と言った人も、悪い人の同参者になるということを知らなければなりません。 このように見るとき、”私”一人解放し、”私”一人完成し、”私”一人喜ぶということは、”自分一人だけ喜びなさい”ということではありません。関係世界を中心として、包容することができる膨大な宇宙史と常に関係を結んできたということを思いながら、「私」と言うときには、宇宙の朝日を代表して、暗闇の世界に射し込む光のように現れる”私”である、と考えなければなりません。 真っ暗な夜の時代において、暗闇の世界に蛍の光でもあれば、その蛍の光は、すべての暗闇の世界の注目の対象になるのです。堕落した暗闇の世界において、小さくても”神様の前に、蛍の光のように輝くことができる代表的な存在にならなければならない”という心を育てていってこそ、暗闇の世界の全体を照らす灯台のように現れることができるのです。それは理論的です。 さあ、そのようにすることができる神様の息子を神様が見付けだし、愛して生命の実体に連結させ、血筋を同化させようと喜んで行動してみた、そのような愛の家庭があったでしょうか? ありませんでした。なかったのです。 それで、そのような家庭を失ってしまわれた神様は、それを取り戻さなければなりません。それを成し遂げなければなりません。いかなる犠牲があったとしても、この世の中をすべて一度に引っ繰り返して打ち込み、人間をつくる前の本来の状態に戻すことができるのならば、一瞬のうちにそのようにしたいと思われたかもしれませんが……。 本来、人間というものは、神様の息子、娘として、神様の愛を中心として、神様の生命体と神様の血筋と連結することができるという理想を中心として創造されました。神様は、この結果的存在をもって、地上に理想的家庭、理想的天国、理想的天上世界と解放圏を成し遂げようとされたのです。 しかし、そのすべてのことが、家庭を失ってしまうことによって成し遂げることができなかったために、思いどおりにつくることができません。ですから、それを永遠の存在として、これを再創造しなければならない立場、時代が復帰時代だというのです。 それでは、皆さんの中で、一人の男性なら男性が、再創造の価値的存在という命題を成し遂げて、すべての歴史時代を否定せざるをえないような立場に立っておられる神様のみ前に、希望的な実体として立ち、神様が、「あなただけが必要だ」と言われることができるような存在に、どれほどなったのかというのです。そのような存在を、どのようにして確定させるのかということは、どれほど途方もない問題でしょうか? 男性と女性を一緒につくればよいのですが、堕落したときには、女性が男性を堕落させました。ですから、今度はその反対に、そのような男性をつくることによって、迷宮にいる女性を再創造しようというのです。アダムから創造したので、復帰もアダムから先にしなければなりません。 復帰するためには、アダム自体をそのまま犠牲にすることはできません。つくられた万物を保護すべき立場としてつくられたアダムを、だれが絶対的に必要とするのかというと、女性が必要とするのです。それゆえに、歴史において、どれほどたくさんの女性たちが犠牲になったことでしょうか? 考えてみてください。アダムとエバが堕落してから、今まで数千万年……。何が「数千年」ですか? それは、数千万年です。 今朝、お母様が言うには、「テレビで放送していたのですが、ゴキブリの歴史は三億五千万年だそうです」と言うのです。わたしは、その話を聞いて、「何と三億五千万年? まあ!」と言いました。ゴキブリは小さいので、そうです。ゴキブリが、そのような歴史を経てきたといいますが、鯨やさめのような大きいものも、二億五千万年から三億年の歴史を持っています。 それでは、そのような長い歴史が存続してきたというとき、万物の主人であり、愛とともに相対的関係によってつくられたアダムとエバが六千年前につくられたとすれば、それを計算した神様の頭は、天才的な頭ですか、愚かな頭ですか? 人間がつくられてから今に至るまでの人類歴史は、どのくらいになると思いますか? 考古学を通しても何千万年。百七十万年ではなく、何千万年です。それは、正確な継数を数えることができないので、そのように言うのです。これを考えると、人間の先祖は何千万年前から先祖であったということを否定することができません。 それでは、その堕落の力はどれほどすさまじく、どれほど恐ろしいものでしょうか? 何千万年の間、この天地を創造された神様を拘束してしまうほどのすさまじい力の……。力の何ですか? その力の罠で縛られたのです。獣を捕まえる罠のようなものをかけられたというのです。それは、何千万年の時間をかけても解くことができない、驚くべき神様の事実です。 十代にわたる一人息子が死んだ場合でも、国がそれに対して慰労してくれる、というのですが、アダムとエバは、億千万年の一人息子、一人娘です。それも一度しかない、何千万代を代表した一人息子と一人娘です。 何千万年も神様の中で標準として立てられ、神様が、その息子、娘から慰労を受けることができる、そのような価値を持った息子、娘を失ってしまわれた神様の心と、今日、この人間世界で七代の一人息子や百代の一人息子を失ったこととを比較しようというのかというのです。 堕落した世界では、そのような無念で悔しいことがあっても、それは蕩減法においては当然のことでしょう。 しかし、蕩減が必要ない神様のみ前において、億千万代の一人息子と一人娘を失ってしまわれた神様の悲運の歴史は、どれほど胸を痛めるものであったでしょうか? それを想像してみてください。 この時代において、日本の国民が一億二千五百万人であるとすれば、男性と女性はそれぞれ何人になりますか? 約六千三百万です。六千何百万人が一人息子、一人娘だとして、その息子、娘が一度に死んでしまったとすれば、どのようになるでしょうか? 痛哭するでしょうか、しないでしょうか? 正気でいられるでしょうか、いられないでしょうか? それは一億二千万です。六千何百万ではありません。 人類全体が、何千億の人々が死んだという、そのような孤独と悲しさと無念と悔しさで、神様はどれほど胸を痛められただろうかというのです。そのようなかたを父として侍り、そのようなかたの孝子にならなければなりません。 ですから、今までの歴史過程にいなかった孝子を願われる神様なのです。孝子に出会うことができなかったがゆえに、それを願っていらっしゃるという事実を思うとき、神様が「わたしの孝子だ!」と言って認めてくださることができる、歴史的な人間の種があったと思いますか? あったと思いますか、なかったと思いますか? (「ありませんでした」) それでは、わたしたち統一教会はどうですか? 真の父母とは何ですか? 真の父母とは、人類の代表です。神様の屈辱と悲しみの歴史を否定し、そのすべての主体と対象、内外、前後、左右、上下を否定し、「代身的勝利の標的として現れた」と言うことのできる代表的存在が、真の父母にならなければならないということです。(「アーメン」)。アーメン。「アーメン」と言ってください。(「アーメン!」)。(拍手) それでは、真の父母が必要とするものは何ですか? 真の父母が必要とするものは、何でしょうか? 真の父母も、真の父が必要なのです。分かりますか? その真の父とはだれですか? (「神様です」)。神様です。 神様は、天地を創造される前から”真の父母”というものを考えられて天地万物をつくられたので、創造される前から共にいるべき存在であり、希望としてもいなければならない存在が”真の父母”であったのです。 つまり、真の父母をつくっておかれて、それが実際の生活環境にもいなければならず、理想を描く希望の夢の中にもいなければならないという存在が、真の父母だったのであり、歴史過程を通しても、忘れないように、心の中で喜びの象徴として、いつも生きていなければならないのが真の父母だったのです。そうではないですか? そうですか? (「はい」) それでは、真の父母が次に必要とするものは何でしょうか? ”真の子女”です。どのようなものが”真の子女”ですか? 目があり、鼻があり、口があり、耳があり、ただ五官がある、それが真の子女ですか? 歴史において、悲しみと苦痛と苦役を被った、そのすべての事実を真の父母によって忘れてしまい、真の父母を見て、すべてのことを慰労される位置に立たなければなりません。そうすることによって、真の父母からわたしたちに、すべてのものが、そっくりそのまま相続されるのです。 それでは、真の父母から相続したものよりも良いものを残すことを願わなければならないでしょうか、劣るものを残すことを願わなければならないでしょうか? (「良いものを願わなければなりません」) わたしも、おじいさんになってみると、子供のときには思いませんでしたが、孫を抱いてみると、”自分の息子、娘より優れた者になるように”と願うのが、おじいさんの心です。先生も人なので、そのように思うでしょう? ここにいる年を取ったおじさん、おばさんたち。孫を抱いて、本当にそう思うか、そう思わないかを考えてみてください。 そして、”何代後の後孫は、今の一代の後孫よりも劣っていればよい”と思うおじいさんがいると思いますか、いないと思いますか? (「いません」)。「います!」(「いません!」)。おじいさんもしかたなく、「あなたの話が正しい」と言って、頭を下げるのです。 それを、どのようにして連結させるのかが、問題です。昔のおじいさんとおばあさん、あるいは、今の皆さんの年齢の父母、八十歳前の父母、若くて元気だった父母、そして八十歳になるまで好きだった父母を好むのであって、年老いて霊界に行こうというおじいさんを、どうして好むでしょうか? 孫も、「おじいさんのここにキスしなさい」と言っても、そこにキスせずに、別の所にキスするのです。これは、大きな問題です。ですから、この歴史的伝統を父から息子、三代、四代、千万代まで、どのように継続させるのかということが、大問題なのです。 それゆえに、神様を知らなければなりません。神様を深く知らなければならず、天の国を知らなければなりません。そして、その価値ある天の国という存在は、どのように成されるのかといえば、血筋が神様よりももっと良くなることを願う位置であればあるほど、神様を中心とした、より高い天国を成し遂げていくというのです。 天国に行っても、理想を描くのです。李相軒氏の報告を見れば、霊界に行っても原理講義をしているでしょう? 原理を学ばなければなりません。その心情的深みに、いまだに到達できていないので……。 アウグスティヌスが霊界に行って、初めて神様と出会ったときに、神様が訓示されたことは、「アウグスティヌスはアウグスティヌスだ。あなたは、あなただ。あなたは、わたしではない。あなたはあなただが、わたしにならなければならない」ということです。 それはどういうことですか? ”神様のようになりなさい”ということですか、”神様よりも優れた者になりなさい”ということですか? (「”優れた者になりなさい”ということです」)。”神様よりも優れた者になりなさい”ということです。 それでは、優れた者とは何ですか? 神様は、すべての被造世界を愛によってつくられました。そして、”愛を受けて生き、愛を受けて死んでいきなさい”という心情でつくられたのです。分かりますか? (「はい」) 考えてみてください。神様が花をつくられるときに、花の種を一つつくって植えられたでしょうか、木の中心である根から数多くの根、幹、枝が生え、芽が出て一つ、二つと、このようにつくられたでしょうか? 一つの種をつくられたでしょうか、根を下ろして大きな木になって花が咲き、そして種を刈り取るまで待ち望んでから一つの種を刈り取られたでしょうか? 種をつくられたでしょうか、種を植えてからすべての過程を経て、大きな花が咲く木をつくられたでしょうか、すぐに種ができる木をつくられたでしょうか? (「種をつくられました」)。本当ですか? (「はい」)。わたしを見て学ぶのですね。種が必要なのです。 アダムとエバを中心として種をつくられたのです。男性と女性が成長し、凹凸を一つにして種が植えられ、そこから芽が出て、子供が生まれるのです。その子供は何ですか? 真の父母の子供です。「父母の日」を迎えた父母の世界において、最も必要なのが子女です。それは何ですか? それが種です。 家庭のコンピューターを見れば、それにはプログラムを入れなければなりません。上下間の父子関係、左右間の夫婦関係、前後間の兄弟関係、この三つの関係が一つになって立体的な球形を成すようになっています。その球形の中心は、すべてぽんと空いて、空気で満ちています。 皆さん。サッカーボールを見てみれば、このようになって丸くなっています。丸いということは、中から表面を同じ力で押しているということです。そして、この中は完全に空いているのです。たくさんの力が重なって押しているので、表面まで膨れ上がってくる、ということを考えなければなりません。 続けて投入すれば、完全に力でぎっしりといっぱいになってしまうのです。このようにして、宇宙は形成されたと考えなければなりません。 このように考えるとき、真の父母がいれば、真の父母の子女というものは、真の父母よりも優れていることを願うでしょうか、劣っていることを願うでしょうか? (「優れていることを願います」)。 真の父母がまぬけならば、「こうでも良く、ああでも良い」と言うのです。それは、まぬけでしょう? 「こうでも良い、ああでも良い、生まなくてもよい、いなくてもよい」と言うのではないですか? 知恵深い父母ならば、良い所に良いものを加えなければならないでしょう? 良い所に悪いものを加えることを願うでしょうか? 悪い所に良いものを加えて、後で手術して良いものを抜き出してしまえばよいでしょう? しかし、そのようにしても傷ができるというのです。根本から良いものをプラスし、さらにプラスして、真の父母よりももっと良い実を願うというのは、神様が成される復帰摂理の決定的な希望の論理です。 このように考えるとき、皆さん。真の父母を中心として真なる子女になろうとして、生涯、精魂を込めてつくられた自分自身は、真の父母と比較してみるときに何パーセント優れた存在になれそうですか、なれそうにありませんか? (「なれると思います」)。後ろにいる人たちは、どうですか? 聞こえますか? (「はい」)。大きく答えてください。(「はい」) それでは、”より良い価値的存在、より良い善なる人間は、どこから連結されるのか”ということを、皆さんは知らなければなりません。愛です。夫婦の愛です。どこからですか? (「愛からです」)。夫婦の愛からです。 きのう、百度で愛したというとき、次は千度で愛すれば、千度の愛の価値的存在が生じるので、百度とは比較できません。きのうよりも、より良い愛、きのう暮らしていた環境での愛よりも、天宙を抱いてあまりある余裕しゃくしゃくな愛。神様までも、その愛のふろしきに入ってきて昼寝をすることができ、一年じゅう寝ていても安息所だと夢を見ながら……。 生きて感じることができなければ、夢の中ででも、”理想的だ。千年万年幸福な安息所だ”と思うことができる、愛のふろしきになるということを知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) さあ、それでは、「堕落」という言葉は、どれほどとてつもない事実であるかということを知らなければなりません。天宙を一瞬のうちに暗黒天地に引っ繰り返してしまったということを知らなければなりません。 皆さんが、数千ボルトの電気を流すスイッチを瞬間的に切れば、「ばちっ!」と大きな音がして「わあ!」と瞬きするのですが、”自分が瞬きしたから明かりが消えた”と思いますか、それとも”明かりが消えて音がしたから、自分の目が瞬きした”と思いますか? どちらが先ですか? 瞬きするのが先ですか、明かりが消えるのが先ですか? 明かりが消えるのが先です。手を引っ繰り返せば、天国と地獄が引っ繰り返るということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) わたしたち統一教会は、「絶対”性”」を論じています。「『絶対”性”』に絶対愛がある」。そうですか、そうではないですか? (「そうです」) きょうは、何の日ですか? (「『真の子女の日』です」)。「(真の)子女の」です。「(真の)子女の日」が、四十周年になる記念日です。絶対、絶対、絶対、四十年の所願成就が結実する時です。 このように思うとき、そこで「絶対”性”」を守ってきた家庭は、どのような家庭なのでしょうか? 永遠な夢を抱かれた神様のみ前に、夢の世界が成し遂げられる焦点となる位置にいるのではないでしょうか? 分かりますか? (「はい」) その焦点位置は、”私”が祝福を受けて立つことができる位置だったのです。”私”の位置だったのです。考えてみましたか? その位置が、真の父母よりも、もっとりっぱな真の父母になる位置ではないですか? そうでしょう? 一点を中心として……。皆さん、自分を中心としてすべての世界を自分のものにしたいと思うでしょう? 同じことです。神様もそうです。焦点位置に、千人なら千代になるのであり、万家庭ならば万代になるのです。 それゆえに、そこに障害物はありえず、躊躇して心が流れることはありえません。どこに行っても、その喜びは全宇宙の喜びになるのです。 天上天下のすべてに共鳴する喜楽を感じることができ、その位置は、そこを一つの主体として全体が”付体”となり、立体的な喜びを享受する位置なのです。それが永遠を保証する喜びの位置です。それは、神様も「アーメン」と言われます。その位置が、皆さんが祝福を受けた位置です。 今朝、だれか話をしたでしょう? 今朝が、どのような日として天地に記録した日なのか知らないでしょう? 郭錠煥氏? (「はい」)。言ってみてください。先ほど、「訓読会」をした後に、一言でもそれについて話してから降りていかなければならないでしょう? 「この時代における、きょうこの日は何々の日である」と、天地に宣言した日です。それは何ですか? (「家庭王圏出発の日です」) 四十年の間、先生が語ったみ言とともに、真の父母が祝福したのは、真の父母の家庭の種を中心として、もっとりっぱな、歴史的な種となる家庭を願ってきたので、その家庭が定着することができるのは、きょうを期して、今からは祝福を受けた家庭の皆さん、真の父母の家庭と一つになることができる皆さんの家庭になるのです。 それで、”真の父母”という存在は、どのような存在ですか? 成約時代とはどのような時代ですか? 結婚式を完成した時代です。理想的な結婚の内容を備えて定着する時代だというのです。 その理想的な家庭定着を代表した家庭が、だれの家庭であるのかと言えば、”私”の家庭です。皆さんの家庭です。真の父母の家庭よりもりっぱで、素晴らしい希望の家庭ですが、その家庭とは何でしょうか? 天地父母を直接にお迎えして暮らす家庭は、自分の家庭一つしかありません。数万数千の家庭があったとしても、神様は”私の家庭”の父なのです。その父とは、どのような父でしょうか? ”家庭の王”であられる父なのです。分かりますか? (「はい」) 数多くの家庭は、同じ兄弟です。ですから、神様の位置は、「兄弟の前における王たる父」ということです。それでは、その王という位置の価値も、父という価値も、それが千万家庭に分けられているとしても、その家庭の内容は、すべてイコールなのです。 神様の息子、娘、王子、王女の王であられる神様の家庭を中心として、王子王女の家庭は、神様の家庭的希望の花が咲く家庭にならなければなりません。そのようにすることができるように、新しく出発した……。 アダムが堕落せずに復帰完成し、理想的天地を舞台として、新しく出発することができる起源とは何かというと、神様を王として侍り、真のご父母様を王として侍り、完成したアダム家庭として育ち、花を咲かせるために出発するわたしたちの家庭なのです。分かりますか? (「はい」) ここに今、統一教会の家庭が何千人と集まっていますが、何千人も必要ありません。皆さん自身が、ここで一番になることを願っています。そうでしょう? 一等になることを願うでしょう? だれでも一等になることができます。 もし、”一等になることができる人になった”というとき、一等になることができる人に一点だけでも加えれば、また一等が生まれるでしょう? それには限界がありません。限界を無限に克服することができる、真の愛の道理が生じるのです。 オリンピックの百メートルの記録も、昔は十二秒近くもかかっていましたが、最近では九秒八くらいですね。これを見ると、だんだんと記録を破れば、昔の一等が九等、十等になるというのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。九秒かかるものを三秒でさっと飛んでいけば、どうでしょうか? 神様が、それに一等賞を下さるでしょうか、下さらないでしょうか? 下さらないでしょう? (「下さいます」)。下さいません、この者たち。(「下さいます」) このようなときは、「この先生め。『下さる』です」と、悪口を言っても引っかかりません。それに反対するのが、どうして「先生」ですか? 先ほど話した、高く、広く、深く、大きい神様が、愛を慕って訪ねて来られるのが復帰路程です。何が慕わしいのですか? (「愛です」)。愛です。神様は、男やもめの立場ですか、父親の立場ですか? (「男やもめの立場です」) 父親の立場ならば、母親を慕って、愛する何かがなければならないのですが、「父親」という言葉を聞くためには、母親と愛した関係において血筋が連結させてこそ”父親”という位置が成立するのです。 それでは、天のお母様がいますか? 天のお母様がいますか、いませんか? (「いません」)。わたしは”いない”と思います。どちらですか? 「どちらなのか?」と尋ねているではないですか? わたしは「いない」と言ったのですが、あなたたちはどうですか? (「います」)。本当ですか? (「はい」)。やあ、それは、わたしが一つ学ばなければなりませんね。どのようなものがあるのですか? どのように答えるのですか? これが問題なのです。 それでは、「いる」という母親を、どこから捜し出してくるのですか? アダム家庭以外に母親がいたでしょうか、いなかったでしょうか? 見えない神様の二性性相と、見えるアダムとエバの四人が、このように座っているのですが、無形の実体を持った性相と形状の父母は、有形の実体である性相と形状の存在が絶対に必要です。分かりますか? (「はい」) 神様がいらっしゃる無形世界が、いくらりっぱで良くても、それ(無形世界)を補充することができる有形世界の完全な標的を決定づける内容がなければ、無形世界もなくならなければなりません。 皆さんの心と体は、毎日闘うでしょう? 闘っているのに、なぜ離婚できずに、数千万年もの間、闘ってばかりいるのですか? なぜ、それを解決できずに闘っているのですか? しかし、闘って、闘って、闘い、このように闘っては疲れ、このように闘っては疲れました。自分のために生きるので、闘いが終わらずに、それが継続してきたのですが、もう「ああ、今からは反対にしてみなければならない」というのです。どのようにすると思いますか? 女性は女性を中心に考え、男性は男性を中心として”自分ばかりが良い”と考えるので、何千年たっても闘いが終わらなかったのですが、「ああ、もう闘い疲れて死ななければならないなあ。なくならなければならないなあ。ああ、わたしがしたことの反対のことを一度してみよう」というのです。 その方向は何かというと、「ために生きなさい。ために存在しなさい」ということです。それは、正しい話だと思いますか、正しくない話だと思いますか? (「正しい話だと思います」) 自分のために生きることには、もう疲れました。個人主義も疲れました。自分を中心とした独裁者になって、あらゆることもしてみて、お金を使ってあらゆることもしてみて、金銀財宝や権力であらゆることをしてみましたが、何にもなりません。 自分を中心として暮らした生活歴史が、今まで描いてきたすべてのものは、三百六十度(全部)失敗です。そうして、「このように生きるのがつらければ、死んでみよう」というのです。そのような方向が何かというと、「ああ、自分を中心として生きることをやめ、今からは一度、全体のために生きてみよう」ということです。 そのようにしようとすれば、「わたしが持っているすべてのものを投げ出してしまおう。哀れな存在になろう」というのです。哀れな存在になって、「ああ、神様。私が持っていたすべてのものを失ってしまいました」と言って、えんえんと泣いていると、何かがやってきて一緒にえんえん泣いているのです。それがだれかというと、神様であられたというのです。それは、理にかなった答えです。 人間たち全部が不足であったものを皆集めて、「ええい、この怨讐め!」と言いながら、三百六十度の方向に一度に投げつけ、行く所もなく一人立って痛哭していると、”私”を訪ねてこられるかたが神様だったのです。 そして神様は、「あなたが自分のために生きるときには離れていたが、今は”全体のために生きよう”という、あなたの中心の位置にわたしがいるだけだ。あなたが”したい”と思うすべてのことで、思いどおりにならないことはないだろう」と言われるのです。(「アーメン」) このように、離れていて一度入ってくると、天上の頂上まで上がっていくのです。それで、「神様、もう結構です。結構です。結構です」と言うようになります。 もっと上がっていきたいと思うはずですが、神様が「よし、よし。もう上がっていきたくないだろう。降りてきなさい」と言われて、さっと降りてくると、地獄の底までどんどん降りていくので大変なことになったのです。 今度は、どんどん暗くなっていくので、「もう降りていきたくありません。結構です。結構です」と言うと、神様は「おお、そうか? それでは引き揚げるか? よし」と言われて、昔の位置に戻すのです。そして、「ああ、この位置が良いです」と言うようになるのです。そのような答えが出てきます。わたしが何の話をしているのか、原理にない話をしていますね。 神様に対して、「上がっていくのも嫌で、降りていくのも嫌です。この位置にいながら、今からは全体のために……。神様が願われることは何ですか? あなたを見ると、『全体のために生きなさい』と言うことができる代表者のようです。私がすべて失ってしまうときに慰労してくださるのは、全体のために生きることを願われるあなたなので、”全体のために生きよう”という私の決心を相対として、慰労してくださったのです。 ですから、そのように思います」と言うとき、神様は、「おお、そうか。わたしの息子よ!」と言われるのです。そのようになれば、サタンはすべて逃げていくのです。 そして、天の国が”私”のものになり、神様が父となるのです。そうして、神様の所願成就に適切な生活舞台において、その実を刈り取ることができるようにし、万宇宙の祝福の宝を分けてあげることができるのです。(「アーメン」)。「分けてあげることができない」のです? (「ノーメン」)。答えは、黙っているか、そうでなければ「ノーメン」です。「分けてあげることができる」のです。(「アーメン」)。「できません」。(「ノーメン!」) 聞いて理解していたことも、すべて否定しなければならないということを知らなければなりません。そのように生きてみてください。間違いなく、神様が”私”の主人となられ、天運が”私”を訪ねてくるのです。 姜賢實シルさんも、最近、そのようなことを感じるでしょう? 自分のことを考えれば真っ暗になりますが、全体を考えれば、光が射してくるのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) 真の父母とは、だれですか? 皆さんは、「今日まで統一教会のために生きてきたが、反対される統一教会のために生涯生きても、誇ることは何もない」。また、「文総裁、真の父母は、『平和の世界のために生きなさい』とばかり言うが、ために生きるのを見たことがない」と感じますか? あるいは、「お父様もお母様も(手本を)見せてくれない。訓読会のときにお父様とお母様が一緒に座って、その時間を守れないのか?」などということを皆、感じますか? ”お父様は座っているのに、なぜ、お母様はあのようにするのか?”と。そのようなことも問題になるのです。 あなたたちは、お父様とお母様よりも「訓読会」を一所懸命にやりますか、やれませんか? どちらですか? (「一所懸命にやります」)。間違いなく、分かっていることは分かっているのですね。夢ではありません。老人も若者も同じ答えです。千年万年たっても、この答えは変わりません。 それでは、何のために「訓読会」をするのですか? 眠っている世界人類を目覚めさせるためです。世界人類が、天上に向かう高速道路から脱線してしまうので、自分が懸け橋になるためにするのです。そのように考えるのです。 自分の一族全員が、罠にはまって地獄の祭物となり、めちゃくちゃになる危険な道を進んでいるので、それを防ぐために、サタンの願いとは反対の道をつくるために、そのようにするのだということを知らなければなりません。 文総裁は元気ですか、衰えていますか? (「元気です」)。何が元気なのですか? 八十歳まで生きて、なぜ元気なのですか? たくさん年を取りました。三十代の青春ではなく、八十の老人になりました。元気な人ですか? 心はそうでしょう。心は青春でしょう? ところが、なぜ体は八十の老人になったのですか? それは、衰えたからそのようになったのでしょう? 天理原則に従わなければならないのです。いくら元気でも、天理原則を踏み越えていくことはできません。分かりますか? (「はい」) 夜になっていくのに、「ああ、太陽よ。反対に西側から東側に行きなさい」と言っても、そのように行きますか? 千万人が死んでも、従っていかなければなりません。 では、先生は元気ですか、衰えていますか? (「元気です」)。ああ、八十歳の老人になりながらも、何時間も話して疲れ切っているのに、それでも元気なのですか? 青春(時代)のように元気ならば、何時間話していても、もっと火がついていくのに、これは何ですか? 気持ちがもっと乗ってこなければならないでしょう? 元気ではありません。 先生が一食食べなくても、おなかは空かないでしょう? (「空きます」)。おなかが空きますか、空きませんか? (「空きます」)。あなたたちも、水を一杯も飲まずに続ければ、のどが渇くでしょう? 飲まなくてものどが潤っていますか? (「渇きます」)。同じことです。 ご飯を食べてトイレに行くのが、どれほど面倒でしょうか? 三時間に一度ずつ行くとしても、一日に八度行かなければなりません。静かに座って記念式をするのに、三時間だけすれば、それでよいでしょう? これは、どれほど面倒ですか。それは、元気な人ですか、衰えた人ですか? 衰えたこと、この上ありません。 自然の道理というものは、自分を支配し、自分の周辺のものをすべて包み込んで身動きできないようにするのです。それに順応しなければ、存続の法度から外れていきます。それは何のためですか? 男性のそれのためであり、女性のそれのために、そのようになっているというのです。分かりますか? 男性が優秀で、「わたしは、永遠に女性がいなくてもよい。女性の愛以上のものをわたしは持つことができる」と言うことができますか、できませんか? (「できません」)。「できる」。(「できません!」)。それができれば、それはどれほど優秀でしょうか? 女性も、(自分が)「優秀」だと誇るなというのです。「わたしは、男性のことを夢にも思わず、娘から最後の枯れ草のようになり、真っ白になっても、わたしには男性は必要ない」と言うのですか? そのように言うのですか、言いませんか? (「言いません」)。しかたがありません。女性として生まれれば、男性を慕わなければなりません。 ここには、女性がたくさんいますね? 男性を慕ってみましたか、みませんか? 女性として男性を慕ってみましたか、みませんか? (「慕ってみました」)。だれのために生きているのですか? 考えてみれば、深刻な問題です。 だれのために、そのようにするのですか? おじいさんとおばあさんもそうであり、女王もそうであり、「優秀だ」という女性も全員そうです。胸があるので、赤ん坊を生めば、それを飲ませてあげなければなりません。 女性には子宮があります。「子宮」とは何ですか? 赤ん坊が眠るので「子宮」と言い、赤ん坊が遊ぶことができる王の基地なので「子宮」と言うのです。その王の基地に、汚された血筋を通した王子がいれば、よいでしょうか、きれいな血筋を通した王子を宿して、ごろごろ動くのがよいでしょうか? 先生のことを「優秀だ」と誇ってはいけません。あなたたちも、先生以上になりたいでしょう? 先生が「五大洋六大州のために生きた」というのですが、最近は、太平洋文化圏だといって、海洋圏を解放するために学校を立ててあげ、船を造ってあげ、太平洋文明の主役になることができるようにしてみようと言うのですが……。それが、今から何年後かに終われば、すべて終わりです。 先生が、すべてしておいたではないですか? 学校も、有名な大学は何でも……。運動でも、一イル和サッカーチームが、今年は一等になるかもしれません。”一等になりなさい”というのが、わたしの考えです。 「一等になりなさい」と言ったのですが、一等にならなければならないでしょうか、なってはならないでしょうか? (「ならなければなりません」)。もし、先生がこのような位置にいれば、一等になっていたでしょうか、なっていないでしょうか? (「なりました」)。できない日には、できない者たちは生き残るでしょうか、死ぬでしょうか? (「死にます」) 一等になれなければ、横になって眠ることができないでしょう? それでは、一等になりますか、なりませんか? (「なります」)。「今年よりも来年は十倍以上し、それから十倍以上して、またさらに十倍以上して、三年以内に一等になる」。そのように言っても、間違った話ですか、理にかなった話ですか。(「理にかなった話です」) 「三年間で南北統一しよう」。これは可能なことですか、不可能なことですか、どちらですか? (「可能なことです」)。可能です。できないときには? 火で燃やして、さっとなくなると考えなければなりません。 いくら先生が優秀であるとしても、今後十年後、百年後になれば、だれでもできることなので、それを誇ることはできません。今だから誇るのです。(すでに)十年、三十年たったことを誇っているのです。それから何をするのですか? 分かりますか? 韓国に暮らしている、この祝福を受けた家庭は、「天下の名勝地で自分のものでないものがない。自分が行けない所がない」と言うときの気分はどうですか? 自分の名前で行けなければ神様の名前で、神様の名前で行けなければ真の父母の名前で、真の父母の名前で行けなければ真の息子、娘の名前で行くのです。 ですから、この宇宙が神様の家庭のために生まれたとすれば、神様の名前によって、神様の父母、神様の孫、夫婦、嫁、そのようになるのではないですか? そこに中心があって、その枝になろうと思えば、真の父母の下に枝が伸びますか、一代、二代の枝になりますか、三代の枝になりますか? そのようになろうとすれば、真の父母の血族と結婚しなければなりません。そのようなことを考えていますか? 姜賢實シルさん? そのようなことを考えていますか? 息子、娘がいないではないですか? 考えだけではいけません。十二弟子よりも良い、神様の何と言うのでしょうか? 養子を選ぶことができるのです。精誠を尽くさなければなりません。それゆえに、霊界の人々もすべて祝福してあげるのです。 霊的結婚した人が、地上で十二人のふらふらしている息子、娘を持った人よりも、もっと忠誠を尽くそうとし、”それよりも良くならなければならない”と思って精誠を尽くせば、地上において解放の恵沢を受け、真の父母の祝福を相続することのできる子女の家庭になるのです。 その家庭においては、間違いなく額を付き合わせて二十四時間、そのにおいをかぎ、足のにおい、何々のにおい、父母が病気になって苦労したにおい、すべてを自分が喜んでもみ洗いしながら侍って暮らすことができるのです。そのような息子、娘にならなければなりません。子供になるのに、父母に侍ることができないそのような息子、娘はいません。分かりますか? (「はい」) それで、写真に侍る運動を何年前から始めましたか? すでに七年たったでしょう? 郭錠煥氏? (「はい」)。(「九二年から八年になります」)。わたしよりももっと記憶が良いですね。わたしは苦労しましたが、苦労しないで記憶が残っていますね。それほど過ぎたのですか? ですから、写真を置いて、毎日のように真のご父母様に侍り、きのう死んだ夫の墓を訪ねて、行ったり来たりしながら暮らす、そのような精誠で保護する生活をすることができませんでした。それを始めなければなりません。 神様は、アダム家庭の王です。そうでしょう? (「はい」)。真のご父母様は、アダムの三代圏内の王です。それでは、真の父母とは何でしょうか? 真の父母とは何かというと、霊界のすべての家庭と、地上のすべての家庭の代表的王となられるかたが、真のご父母様です。(「アーメン」) 真の父母は、どこにいますか? 忍耐するので、真の父母と言うのです。(韓国語で「チヤムプ モ(真の父母)」の「チヤム」と「チヤムタ(耐える)」の「チヤム」が、同じ発音であることから、このように言われる)ここに立っている文総裁は、虎よりも恐ろしく、毒蛇よりもしつこいのですが、真の父母になることができますか? 復帰路程において勝利するためには必要でしたが、平安に休む所においては、そのような性格は必要ありません。ですから、皆さんは、羊よりもおとなしく、天下太平で、それよりも従順にすることができる皆さんになってこそ、祭物なく解放的な祭壇の上において、神様がつくってくださった、血を流さない自然的贈り物を食べて暮らすことができる主人になるのです。アーメン。(「アーメン」)。このようになってこそ、解放されるのです。 先生よりも良いでしょう? 先生の家庭は複雑です。複雑ではないですか? 複雑ですか、複雑ではないですか? 主人が野うさぎを捕まえに行ったのですが、カインを愛するために家うさぎを捨てて歩き回っていると、虎が入ってきて、家うさぎをすべて捕まえて食べてしまうようになっています。 今、先生が「訓読会」をしているものは、先生の一生の戦勝記録だと言ったでしょう? 戦勝記録です。それは、皆さんが一生を生きていくにおいて、困難な方面を経ていきながら……。そのみ言は、先生一人のみ言ではありません。 わたしが壇上に上がるときには、先に口を開きません。それを知らなければなりません。先に口を開くのではありません。題目を考えて壇上に立つのではありません。 祈祷して、「きょうは、この題目で話をしなければなりません。すべて神様が願われるみ旨だったのですが、迫害を受け、反対されるとき、私だけが残りました。ですから、孤独な息子に対されるあなたの願う言葉、伝統的な言葉、このようなときにおいてよく聞き、よく記憶することができる時間ですので、あなたが私の口を通して語ってくださいますように」と祈るのです。このような歴史性が含まれています。迫害されても死にませんでした。精誠を尽くして……。 例えば、黒いものを与えるときには、天下の真っ黒いものが現れるのです。神様の心情が込められているというのです。そこに感動する日には、感激してのどが締めつけられ、心情がすすり泣く境地に入っていくのです。それを読んでみてください。痛哭するのです。痛哭するようになっています。 そのような立場で、皆さんが父母となり、子供たちを教育することができる心情的伝統を啓発させ、それを子供たちの胸や四肢五体に、骨髄に植え付けてあげなければ、罪人になるのです。この地に生まれた甲斐がありません。 宿命的な課題を持った血筋が連結された子女であることに間違いないとすれば、その道を行かなければならないということを肝に銘じることを願います。分かりますか? (「はい」) そして、四十周年となるこの日を中心として、今朝、式をしたのですが、式の途中で先生が訓示した内容はどのような内容ですか? 今から、入籍家庭が出発したので……。堕落した世界を抜け出すのです。 すべての祝福家庭は、アダム完成者として、代表の位置で天地父母に侍り、天の宮法からその国の法を残し、教えてあげるべき生活舞台が始まるのです。このような時代に入ってきたので、「第四次アダム圏の心情世界が出発した」と言ったのです。すべて同じことです。 それゆえに今、国においても国境を超えた南北統一です。国連を中心として世界、国家の定着が一つの路線、一つの年に連結されています。分かりますか? それで、今年の十二月までに百九十一か国を中心として結縁を終えなさいと……。郭錠煥先生? 訓示したことを忘れてはいけません。分かりますか? (「はい」)。そのようにすれば、二〇〇一年から新しい舞台が展開するのです。ここに反対する人や、反対する者は、霊界が連れて行きます。見ていてください。何のことか分かりますか? (「はい」) 今、労働者、農民がどうだこうだと言い、共産党がどうだと言っていますが、もし金キム正日イルが死んだら、どのようになるでしょうか? 北韓は何もありません。金キム日イル成と金正日しかいません。大韓民国は何大統領ですか? (「金キム大中大統領です」)。独立(=南北統一された国のこと)大統領が必要です。分かりますか? (「はい」)。何でも好きになってはいけません。 「このような話をした」と、昔の”国政員”の人たちは報告しなさいというのです。「文総裁がこのように言っていた」と。 天地を一人で受けていき、絶対的中心者にならなければなりません。そのためには、文総裁の所に来て、学ばなければならないでしょう? 嫌でも来て、学ばなければなりません。どのくらい行けるか見てみましょう。わたしは、じっとしているので、どのようになるのか見てください。 今、尋常ではないでしょう? 九月十八日に国連で官僚会議だと言っていたのですが、十月十日にだれかが来て教育するのです。百九十一か国の精鋭部隊の教育を国連の名によってするのです。このような真っ赤なうそが、どこにありますか? そのような話をして、「それが事実だ」と主張する文総裁の生涯は、愚かに見えるでしょうか? わたしは愚かではないですか、愚かですか? 話すのを見ても、理論に合うように話すのです。数理的にも違いません。祈祷してみてください。 自分では理解できない話をしましたが、祈祷して聞いてみれば、すべて歴史的過程にすっかり合うように話しているのです。骨がぴったりと合い、肉がくっつくようになっているのであって、いいかげんにはなっていません。分かりますね? (「はい」) ですから、利口な統一教会の教会員だけが文総裁についていくことができるようになっているのですが、それでも死なずにここまでついてきたのですから、利口な群れですか、偽りの群れですか? (「利口です」) さあ、もう終わりましょう。分かったでしょう? (「はい」) 統一教会の教会員たちは、あまりにも良い天国に行き、神様に直接侍り、造化の神様を代身して行使して暮らすことができ、万国万年の解放の王子となることができる権限を持っているということを知って、そこに向かって飛んでいき、這っていき、走っていく。それは問題ではありません。 走っていくときは走っていき、飛んでいくときは飛んでいき、這っていくときは這っていき、帽子を脱ぐときは何ですか? 脱ぎますか、かぶりますか? かぶらなければなりません。では、服を脱ぐときはどうですか? 神様のみ前にあいさつに行くときには、服を着ていって、あいさつするのでしょうか、服を脱いでいって、あいさつするのでしょうか? (「脱いでいきます」)。何ですか? (「脱いでいきます」)。何ですか? (「脱いでいきます」)。それは、だれから学んだのですか? (笑い) エデンの園で堕落した贈り物が服です。脱いで入っていって、あいさつしなければなりません。もし、服を着て、礼服を着て入っていって、あいさつをして出てくるときには、脱いで愛してから出てくるのです。それが、あいさつです。だれとともに愛するのですか。宇宙とともに、です。神様と一つになって、宇宙とともに同化して出てくるのです。それが解放だというのです。 李相軒氏の話もそのようになっているでしょう? 先生の話と似ていますか、違いますか? (「同じです」)。ぴったり同じですか? わたしも、ぴったり同じかどうか知らないのですが。わたしも、ぴったり同じだと思います。 分からないので、それで一所懸命に「訓読会」をしているのです。分かりますか? (「はい」)。あなたたちは、よく知っているでしょう? よく知っているでしょう? (「はい」)。よく知っているのなら、「訓読会」をしなくてもかまいません。(笑い) 先生よりも良くならなければならないのではないですか? 息子、娘が真の父母よりも良くなることを願うのが真の父母の願いであり、神様の願いなのですから、良くならなければならないでしょう? 分かりますか? (「はい」) 先生よりも、もっと知らなければならないでしょう? そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。「そうだ」と言うということは、わたしよりも、もっとよく知っているのですから、「訓読会」をしなくてもよいということではないですか? そのように暮らすのですか、反対に暮らすのですか? (「反対に暮らします」)。はっきりと答えてください。反対に暮らすのですか、そのように暮らすのですか? (「反対に暮らします」) 「反対に暮らす」という人は、拍手してみてください。(拍手)拍手するのに、ここから上がっていってこそ、このように拍手できるのです。東西南北に。四方に回りながら続けて踊りを踊りながら拍手するのは、”前提訓練”であるということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) それゆえに、わたしたち統一教会は、歌を歌い、踊りを踊り、今からは、それしかありません。何をして暮らすのですか? 食べるものはいくらでもあります。おなかが空けば、南極に行って、えびの粉を持ってきて、さーっと水に溶かせば、カップ一つで、三食食べなくても生きていくことができるのです。 五十年間で百歳以上の苦労をして生きれば、歯が抜けたときには、また歯が生えてくるでしょうか、こないでしょうか? (「生えてきます」)。五十年以上生きることができる健康な歯が出てくると思うのです。ですから、「長生きだ」と誇らず、かといって「短命だ」と落胆もするなというのです。 その根本が待っているので、天上世界で若者として、老人よりも元気いっぱいに仕事をすれば、それが、あの世に行ってもこのように結ばれ、あのように結ばれるので、滅んで万歳、栄えても万歳! 滅んでも感謝……、(「栄えても感謝」)。死んでも感謝……、(「生きても感謝」)。そのように思えば、すべてよいのです。 ”死のう”というところに生きる道ができ、”生きよう”というところに生きる道はできません。最後まで行ってこそ、新しい世界が生まれるのです。それが天地の道理です。死なんとする者は、何ですか? (「生きる」)。生きんとする者は、何ですか? (「死ぬ」)。栄えようとする者は滅び、滅びようとする、つまり他の人が八時間働くのならば、八掛ける三で二十四、三倍仕事をして死のうとする人は、栄えるのです。 今回、わたしは、海洋(国)に行って話をしました。富豪になる道は簡単だというのです。その秘訣は……。 お金が必要なら、今からよく聞いてください。簡単です。”死ぬ前に、普通に豊かに暮らす人の三倍の仕事をしなければならない”、そして”監獄生活をする服役の時代だ”と、そのように考えてみてください。それから、”食べて、遊んで、寝て、そのような時間はわたしにはない”と考えるのです。 寝ようにも寝る時間がなく、遊ぼうにも遊ぶ時間がなく、食べようにも食べる時間がない人です。そのように生きれば、間違いなくお金が入り、それでもお金を得ることができなければ、先生のおなかを裂き、首を切りなさい。 わたしは、そのように生きて、この滅びる世界でただ一人、勝者の表札を掲げて宇宙の中に現れたということを知らなければなりません。「アーメン」です。(「アーメン」)。それは正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」) ”食べて遊ぼう”という者は、盗人です。先進国の者たちは、おなかが張り裂けるほど食べても余りあるものだから、「八時間労働しなさい」と言っているのです。一日に一食も食べられない国があるのに、「八時間労働」ですか? このようにして搾取していき、力のない所から良いものを奪っていくような国を、わたしは見てあげることはできません。 それで、南方天地の太平洋圏を生かしてあげようと思うのです。それで、アメリカとロシアと中共と、それから北韓、日本、インド、四十か国を連結させ、第二世界平和の部隊を編成するための準備をしておきました。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) 一年間訓練すれば、犬でも豚でも一人前になります。自慢することではありません。統一教会の教会員ならば、一年ではなく一か月でできます。できますか、できませんか? (「できます!」)。できて余りあるのです。できない者は、手を挙げてください。首を切ってしまったほうが、ましです。(笑い)そのように言っておけば、「挙げなさい」と言っても挙げません。(笑い)それでよいのです。 わたしに、できないことがありますか、ありませんか? (「ありません」)。闘いはどうですか? (「お上手です」)。闘うのも上手なのですか? その闘いに強い人が、どうして教主になれるのでしょうか? なぜですか? サタンが闘ってくるからです。 また、神様とも闘うのです。神様と角の突き合いをして、神様がわたしに負けたので、神様はどこにも行けずに、わたしを助けてくれるのです。そうか、そうでないか、尋ねてみてください。歴史以来、神様を泣かせた人は、わたししかいません。(拍手) さあ、きょうの「真の子女の日」の中で、最も喜びの日は何ですか? 天地父母を自分の家の永遠の主人、永遠の王として侍って暮らすことができる解放的家庭が出発したという、この日の前に、”そのような相続者は、私の家庭だけだ”という決意を誓うこの時間となってこそ、四十周年を記念する「(真の)子女の日」がすべて終わるのです。「(真の)父母の日」も、「(真の)子女の日」も、「(真の)万物の日」も、すべての行事もすべて過ぎていきます。 アダムの第四次アダム圏時代に、何の国があり、何の記念があったでしょうか? そこから全体の出発がなされ、名づけるとおりに、自分が願うとおりに暮らすことができる環境になったので、地上が天国でなくても天国になったのであり、「天国がない」と言って、天上から逃げていっても、天国の中に入っていくことができるのです。 そのような王子、直系の長孫、後継者として選択された家庭となり、神様に侍って、堂々とその王権を授与される相続者なのです。そのことは間違いないということが分かったので、万々世感謝していきます。アー! (「アーメン」)。「メン」と言って、感謝します。(「感謝します」)。「アーメン」と言って、感謝しなければならないでしょう? (拍手)さあ、祈祷しましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.21
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歌⑧ ♪ナイジェキドハリラ 나 이제 기도하리라♪前田つよし歌ってみた2023/12/14Tsuyoshi Maeda(前田つよし)前田つよし時速2キロで歩く真理の道一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【関連動画】まるで魔女狩り 統一教会と政治家私は家庭連合に入るかもしれません。本気モード家庭連合○○教会に行ってきました【家庭連合前田つよしのYou Tube】緊張しました。教会員になりました。ありがとうございます。
2023.12.20
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「家庭王権時代」宣布二〇〇〇年十月二十七日(陰暦十月一日)午前七時、ソウルの漢南国際研修院において、真のご父母様の親族代表、大陸会長、元老食口、連合会長、教区長、二世代表等、約二百名が参加する中で挙行された「第四十一回真の子女の日」敬礼式にて、真のご父母様は、天地父母が家庭の王となる「真の父母家庭王権時代」を宣布なさった。真の父母様、第41回「真の子女の日」敬礼式および天地父母様家庭王権時代宣布 祈祷 愛するお父様、きょうは第四十一回、満四十周年を迎える真の子女の日を祝賀する日です。 霊界でこの日を祝賀すると同時に、天地父母を中心として、きょうこの時間を期して、天地にいるすべての人類の先祖、アダムとエバの後孫全体に神様の子女の名分を賦与する大転換式、新しい父子の因縁をこの地上で結ぶという、朝の太陽を迎える喜びの日として制定することを願いますゆえ、お父様……、この日のすべての式典をあなたが喜びのうちにお受けくださいませ。 サタンとその手下たちまでも抱いて愛さなければならないあなたの心の前に、天地父母が備えた勝利圏を中心として、愛の主権国家を定着させなければならない時代を迎え、国家的基準を越えて世界へと越えていくこの時代を迎えております。国連と大洋と陸地、地上と天上世界が統一的なあなたの予女たちの生命を保障できる所有物として、あなたが創造した理想の基準をもう一度復帰圏に立てて、子女の名分を備えたあなたの第二の相続者として、あなたを真の父として侍る日の起源とさせてくださいませ。 お父様、天上世界のすべての万物と地上世界のすべての万物、人間を中心としたあなたの血族の因縁を備えたすべてが、これから世界の国家を越えて、宗教とすべての国境を越えて、統一的な一つのあなたの主権世界へと向かうことができる時代となりました。それゆえ、この地上に存続するすべての万物は、あなたの子女たちに所属する万物であり、収拾されたあなたの子女たちは、あなたの愛に抱かれることができる子女としての名分を備えられる、所有権を再び策定するこの時間としてお受けくださいますようお願い申し上げます。 そうすることによって、海洋還元、陸地還元、天宙還元とともに、第四次アダム圏心情圏還元、本然の還元まで宣布して、海洋世界と島嶼国家と半島国家と大陸国家を連結させて、統一的地上世界に向けて、国連に向けて私たちが計画するすべてが南北統一という理想のその場に立って、天の主権を代表する祖国光復の世界的礎石を置くことができる、そのような時代を歓迎でき、祝福するこの時間となりますようにしてくださいませ。 すべての人類は、天に対して、真の父母に仕えることのできる、解放的祝福圏を既に備え、第四次アダム祝福圏時代に入りました。そして、すべての家庭で失った母子関係を母と子が一つになることによって求め、父子の関係を築くことができる復帰的父子時代を迎えることになりました。それによって、神様を絶対・唯一・不変なる真の父として仕えられるようになり、この地上のあらゆる人間の子孫たちが、あなたの血族となって、今まで失敗したすべてを清算して、再び忠孝の道理を誓うあなたの孝子、孝女の家庭となるようにしてくださいませ。そうして、歴史時代のいかなる人も備えられなかった忠孝の道理を備えて、その見本となり、保護育成することができるよう天が導いてくださいませ。 今や、天も残されたすべての恨の条件を踏み越えて、真の父母と天上世界の興進君の前に任せて、あなたは解放を受けることのできる真のお父様の立場に立ってくださり、全宇宙を統治して主管する日となりますように。そして、子女を集めて天に仕えることを決心し、宣言するこの時間を迎えようと願いますゆえ、ここに臨在なさり全体の式を引き受けてくださり、全宇宙に宣布する記念日として策定することのできる、第四十一回真の子女の日となるようにしてくださいますよう切にお願い申し上げます。 全体の食口たちが、お父様の恩賜の中で天地統一圏と解放圏を備えた立場で、あなたの愛の主権国家を中心とした天地父母の前に、孝子の道理、忠臣の道理、聖人・聖子の道理を果たす、直系の血統的子女であることを、そして全天宙の所有物として捧げるわずかなものを受け取られた条件として、子女をお父様の血族を中心としたあなたの眷属に抱くことがでぎる、新しい時代に転換されますように切にお願い申し上げます。 そうして、天地が注目し、天上天下が一つになって、真の父母を中心として、愛の一念で父子の因縁を欽慕できる門を開かれ、霊界のすべての垣根と地上の垣根を壊して、光明な愛の光が全天地を照らしても余りある時代に前進できる起源としてくださいますことを切にお願い申し上げます。 神聖な式典に際しすべてを奉献しながら、これを受けて下さいますよう、真のご父母様の御名により宣言いたします。アーメン、アーメン、アーメン! 敬礼式 (真の子女の日の敬礼式-二世祝福家庭代表敬礼、天地祝福家庭代表敬礼、摂理中心三か国(韓国、日本、アメリカ)代表敬礼、六大陸代表敬礼、中心宗教代表敬礼、全世界国家メシヤ代表敬礼真のご父母様親戚代表敬礼アベル圏世界代表敬礼カイン圏世界代表敬礼、霊界代表敬礼) み言 一 全体が敬礼を捧げたので、一言語りましょうか。きょうは、満四十周年を迎える真の子女の日ですが、今年の十月も最後の月とならなければなりません。祝福の月であり、解放の月なので……。真の子女の日の四十周年を中心とした今年は、子女と父母の因縁を完全に確立させて越えていかなければならない時です。それゆえ、きょうの真の子女の日の祝賀式には意義があります。 神様と人類は父子の関係にはありませんでした。真の父母も、今までこの因縁を結ぶために歩んできたのですが、これはどこから決定されなければならないのでしょうか? 皆さん、祝福家庭から始まらなければならないのです。祝福家庭から、神様を父として侍り、真の父母を人類の先祖として侍らなければならないのです。内的外的父母に仕え、愛と生命と血統を引き継いで、本然の良心的水平基準、水平に立つことができるその根が九〇度の角度に合わせて定着する、そのような家庭にならなければならないのです。 神様とはだれでしょうか? アダムはだれかというと、家庭の先祖であり、家庭の根本です。それゆえ、今日から天地父母が、家庭の王として君臨するようになるということを覚えておきなさい。 今までは家庭に王はいませんでした。家庭の王が、今後、国家の王の位置を受け継がなければならず、天宙の王の位置を受け継がなければならないのです。そうしてこそ、本然の理想的天国圏が連結されるのだということを知らなければなりません。すべてが王権のためなのです。始まりも王権のためだというのです。 王権は真の父母、天地父母の愛と血縁関係の一体圏となっているため、根や幹や芽のような生命圏を持って、同じ要素と同じ栄養素で育っているのです。共に育っているのです。それゆえ、家庭の王が始まることによって、国の王が連結され、国の王が連結されることによって、世界の王が連結されるのです。今や、入籍時代に入りました。 蕩減をすべて果たして、海洋時代、陸地時代、宇宙時代を中心として、第四次アダム心情圏を還元したため、これから本然の定着時代に入るのです。そうすることによって、子女と父母が一つになり、四十年の峠を越えて、家庭に定着する日を定めて越えていかなければならないのです。それで、きょう、この日は、初めて天地父母が家庭の王として君臨する日であるということを記憶しておかなければならないのです。そのような意味で、この式典に臨まなくてはなりません。 それゆえ皆さんは、今後、日常生活で写真を中心として家庭で真の父母に仕えなければなりません。教会形式ではなく、何かの国家形式でもありません。皆さんの家庭から、教会のみ旨と国のみ旨と世界のみ旨が始まるのです。そのような見本となる血縁的系統を受け継いだ、新しく出発した家庭にならなければなりません。そのようになってこそ、入籍の定着が可能なのです。 今、入籍式をしていますが、今後、入籍した家庭で、初めて天の父母を王として侍るそのような時代に入っていくのです。十月を越える前に、これらをすべて整理しなければなりません。そのために、海洋圏・陸地圏・天上世界を連結させるのです。すべてが平準化時代を迎えたと見なければなりません。 特定の先進国家であれ、未開の国家であれ違いはないのです。均一的な基準の平等の価値が、生活と環境においてなされなければならないのです。世界舞台で統一的な現象が起きなければならないのです。それは何でしょうか? 祝福を受けたすべての家庭は、家庭の王に仕えることができる生活を出発するということです。 赤ん坊から、父母から、先祖、四位基台の復帰歴史は家庭を中心としたものですが、ひたすら神様の愛だけを中心として連結する家庭の見本となって、天地父母を王として侍ることのできるたった一つしかない家をつくらなければなりません。こうして、この家が未来の王権に、国の王に仕えて、この国が天地の大王に仕えて、一体圏、血統的基準を中心とした、地上・天上天国でない所はないという世界に転換する出発を見る日がきょうであるということを肝に銘じ、この式典に参加しなければなりません。 皆さんには所有がありません。自分の物、自分の国、自分というものはないということです。あるのは家庭だけです。家庭に愛を立てることによって、その愛の根源的基準と一致する価値の内容を中心として、自分が連結されるのです。 宇宙全体が一つの核を中心として、剛体として一体となるのと同じように、皆さんの家庭がそのような核の立場に立って万物を愛し、神様が愛でつくり、為に存在するそれらを食べて、消化する主人の立場を備えなければなりません。そうして、自分の家庭が神様の前に愛を中心として一体圏となって吸収され、吸収することができなければならないのです。そのような天地父母、王に仕える標準的、定着的、礎石的な定礎石のような家庭であるということを感じなければなりません。 他人の家庭に王をお招きするのではありません。自分の家庭で、天地父母を王として仕えているという思いを生涯抱きながら生活しなければなりません。そして、訓読会をするときには、そのような意識を持って、子女たちの前において侍る生活の見本とならなければならないのです。そうでなくては「天地父母様の勝利圏を相続した、祝福で受け継いだ祝福家庭なにがしの名前で祈祷します」とは言えないのです。 王に仕えて生きながら「すべての勝利の権限を受け継いだ私たちの家庭を代表したなにがしです」こう言ってこそ、祈祷内容が合うのです。勝利圏とは何ですか? 王権です。私たちの家庭が神様、天地父母に仕える、主に仕える初めて出発した家庭であるということを意識しながら生きなければならないということを知らなければなりません。ここでは三六家庭、七二家庭をすべて克服するのです。 それゆえ、この基準を中心として教会を解体しました。今までは国家体制もありませんでした。大韓民国の体制、道・郡・面・里というものはないのです。それは形式的なものです。それらを結んで仲立ちを頼むだけのものであって、彼らと生命の因縁を結んで行う時代は過ぎました。 ですから、皆さんの家庭が天地の王に仕える標準的な伝統を立てるべき家庭であるということを自認しなければなりません。これは家庭連合から始めなければなりません。口だけではありません。ですから入籍した家庭は、天地父母が苦労した創造理想をそのまま根こそぎ受け継いで、自分の家庭に定着させ、ここで千年万年の国と天宙の前に連結することのできる愛の泉が始まるのです。そのような意識をもって生きなければならないのです。 これからは議論する必要はありません。これはだれもが知っています。原理のみ言、先生の生涯のあらゆる記録を天理の根本として理解し、そこに符合する生活をしなければなりません。自分の日常生活、家庭生活からこの国や世界、どこに行ってもその本源的な事情、その姿がこんがらがってはならないのです。それを知っているのです。 家庭の王となったので、家庭の王に仕えて、氏族の王から国の王、国の王から世界の王、天地の王の立場に王権を解放し、その上に君臨してこそ天地父母の王権が全体解放されるのです。個人時代、家庭・氏族・民族……。永遠の時代の解放圏が成就するのである! アーメン! ですから、統一教会の看板を外したのです。今は世界平和統一家庭連合です。平和というのは水平のことを言います。皆さんの良心は、静かな湖のように水平でなければなりません。そこに垂直が連結するのです。垂直は一つしかありません。中心は一つだというのです。 垂直とは何でしょうか? 先祖アダムを中心としたのが垂直です。おじいさん、お父さん、お母さん、自分たち夫婦を中心として、根に育っている息子と娘が水平垂直を備えて定着することによって、創造理想が完成するのです。おじいさんが孫を愛し、お父さんが息子と娘を愛することによって、神様の創造理想が完成するのです。神様が三代をつなぐことができなかった血統が、初めて皆さんの家庭で連結するのです。三代が一体にならなければなりません。 おじいさんは、旧約時代を象徴し、歴史的にこの時代圏内に染まっています。この時代に染まっているのです。またアダムもこの時代圏内に染まっています。国がなく世界がありません。ただし、これから始まるのは家庭です。 自分の家庭で国を越えて、世界を越えて、神様に代わって愛することのできる愛の因縁を結ぶことのできる父子の関係をつくるのです。それを尊重視して、一つとなっている夫婦関係、そこで連結した子女までが三位一体とならなければなりません。上下・前後・左右の三位一体圏を中心として、神様を王として仕えることができる伝統的家庭が生まれるのです。そのような自分の家庭が一つしかない家庭であるということを自覚しなければなりません。 今後、祝福を受けていない人がいてはなりません。今回、韓国もどんなことがあってもこの期間内に祝福を受けていない人がいないようにしなければなりません。金氏ならば金氏、朴氏ならば朴氏、郭氏ならば郭氏の圏内にいる未婚の男女、子女たちに強制的にでも祝福を受けさせ、地獄に行くことなく天国の名簿に上げなければならないのです。その天国の名簿を中心として、自分の兄や、だれかが国境を越えた所にいたならば、首をつないででも引っ張ってこなければなりません。 皆さんはそれを知らなければなりません。モーセの死体で闘い、イエス様の死体で闘ってきたのです。サタン世界には死体さえ残さないための闘いをしてきたのです。そのような伝統的思想を核とした家庭から外的世界を、祝福を受けていない世界の家庭と連合して彼らを消化しなければならないのです。そうして、自分の一族の基準の根を本然の真の父母の心情圏に連結しなければなりません。そのような本然の伝統的家庭、真の父母の家庭に接ぎ木できる家庭にならなくては、家庭の王から国家の王に発展することはできないのです。 ですから、孝子の中の孝子としての道理を果たすことによって、東西南北に、立体的に権限を備えることができてこそ、愛国的な伝統を受け継ぐことができる道が開くのです。 統一教会員たちは、今までめちゃくちゃでした。駄犬のような連中になったのです。神様の家庭だとは言えません。今は厳粛な神様の家庭として、先生に仕えて生活しなければなりません。そうして実際の生活で、徹底的に子女教育をしなければなりません。何かほかのことがあるのではありません。先生は、行動できなければ病気で処置する時が来ると見ています。堕落すれば、境界線を越えて勝手にできないように隔離生活をさせる時代が来るということを知って、徹底的にしなければなりません。 問題は男女問題です。その次に、公金横領! 国家の財産を略取、会社に通っている人が会社に損害を負わせ、国から給料をもらいながらも、国の利益を願わず党利のために動く輩が、邪悪な国境をつくってサタンの祭物となっているということを考えてご覧なさい。 家庭から落ち着いて行かなければならないのです。今は、平面基準になったので、真の父母が行けない所はありません。境界線がなくなったので、どこの国であれ行けるのです。真の父母がどこに行っても、その国全体が家庭の王として仕え、国の王として仕える解放圏に入ったのです。そのような王の立場を中心として、天宙の王的基準を解放的なこの基盤の上に、地上に国を越えて築いてこそ、神様と天地父母の解放圏が成されるということを知らなければならないのです。 家庭盟誓の八番は何ですか?「私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、絶対信仰・絶対愛・絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏を完成することをお誓いいたします」です。成約時代とは何ですか? 家庭定着時代です。旧約時代の願いが、神様を父母として仕え、王として仕え、天宙の大王として仕えることですが、選民圏がそれを蹂躙してしまいました。その恨を解くために、キリスト教文化圏を中心として、再臨主が家庭的王から、国家的王から、世界の王として来られる再臨の時代が成約時代であるというのです。 世界の完成も、国家の完成も家庭から! ですから、自分たちの血統を千年万年子孫の前に大切に残すことができる伝統を立てなければならないのです。いかなる犠牲があったとしても、自分の一族の前に残そうという、そのような決意を持たずしては、王に仕えた家庭の伝統を相続しうる資格者にはなれないということをはっきりと悟らなければなりません。 今、語っている話が、皆さんがあの世に行ったときに審判の言葉となるということを知らなければなりません。これは、判定の宣言文のようなものです。家庭生活をむやみに行うことはできないようになっています。 父親が借りたものや子供が借りたすべてのものは、一族の借りとなるのです。その子孫が借りを支払わなければなりません。ですから、生まれるときも、助けるために生まれたのです。借りを返すために、助けるために生まれたのであって、自分のために生まれたのではありません。そのような子供は、自分たち一族が処断してしまわなければならないのです。北極、南極に隔離してしまわなければならないのです。そのような時が来るでしょう。自分の村で生きられなくなります。そのようなことを知っておきなさい。再び、入籍のようなことはありません。再び許してあげるような法があってはならないということを説明してあげているのです。 そのような意味で、きょう、満四十年を迎える真の子女の日には意味があるのです。真の父母の日もそうでしょう? 四十年を越える真の子女の日に、神様が根源となって、父母に従って縦的にも行くことができ、横的にも行くことができる自由解放圏に立った神様の息子に間違いなく、自分たちは神様を父として侍る孝子、孝女に間違いないという資格を持たなければならないのです。 堕落とは何ですか? 神様の前に孝子、孝女になれなかったのが堕落です。真の父母が来て、初めてこれを成就したのです。それゆえ、そのような伝統を立てるところにあって……、天地の道理の道を照らすにあたり、たいまつを持って中央に向かっていくのです。 個人的中心が一つになるところで、家庭的中心、家庭的中心と連結した国家中心、世界中心、天宙の中心、天の宝座まで直結させなければならない責任を全うすることは、自分たちが幸福へと行く道であるというのです。これが中心的主流の道にならなければならないということをはっきりと知って、そのような道をこれから出発する意味で、昔の習慣的な生活を完全に撤廃し、新しい次元の出発をする記念日として守ってくれることを希望します。 家庭盟誓もそうです。そのようなことを考えながら宣誓しなければなりません。この家庭盟誓とは何ですか? 家庭の王に仕えることができる主人となって、天地父母全体を失ったことを回復するためのものです。 家庭盟誓の二番は何ですか? 孝子・忠臣・聖人・聖子の道理です。その次に、三番は何ですか? 霊界の実相をそのまま相続して、地上に立てなければならない道理です。四番は、一つの家庭で神様の創造理想を完成し、四大条件を中心として統一しなければならないということです。 五番は何ですか? 霊界を中心として統一することです。霊界はすべて知っています。天上世界と地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化するのです。統一に向けて前進しながら、発展を促進化するのです。早くするために、棒でぶん殴りながら行くのです。 今日、このアメリカのような国は、人権を中心としていますが、人権とは何ですか? 神様を愛し、家庭に愛の伝統を立てるその権限が大宇宙の特権です。それを忘れて、家庭を破綻させたこの上なく甚だしい強盗団、放蕩者を保護するアメリカとなってしまいました。できなければ、むちで打ってでも治めなければなりません。育つときに、正してあげなければなりません。自分たちの勝手にはできません。社会が悪なるものをすべて消し去るのです。 そのようなすべてを是正する天の法が必要です。今、善悪を分けるだけの分別の境界がないのです。そのような憲法、法的規律を中心とした統一的な水平線を備えて、神様が三段階、旧約時代・新約時代・成約時代を完成した家庭の理想を中心として、どこでも自由に往来できなければならないのです。自分の家庭を中心として、世界のどこでも、天の果て、地の果てまでも往来できなければならないのです。<文章未整理のためカット> 財団に専門部署ができなければなりません。以前は家庭を中心として行ってきましたが、国家時代に入ったからには、部署をつくらなければなりません。統一教会のすべての産業分野や、教育分野がすべての部署をつくらなければならない時が来ました。国だけきちんと立てたならば、世界の祝福家庭を超民族的基準で設定して行わなければなりません。ですから、韓国語を知らなければならないのです。 先生が祖国を見いだすときには、全人類がご家族になるのです。皆さんの家庭は王権の根です。祝福家庭の立場が王権を立てる基地です。王は王権を立てる基地なのです。王権を立てなければならないのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.18
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【新書・非売品】説教集・真のお母様と一つとなり勝利する母の国・日本となりましょう韓国にて配布していた最後の1冊をGETしてきました。「お一人一冊どうぞ」の紙の上に残されていた最後の1冊、天心祈祷会中ず~と気になっていたのですが、祈祷会が終わって近くのスタッフの方に声掛けしていただいたものでした。帰りの道中、説教集の二、三を読ませていただきましたが、お母様を慕う心情がこちらにも伝わってくるような感動を覚えました。はじめに一九九八年、真の父母様の願いを受けて来日した方相逸宣教師は、この間、神日本家庭連合におい て牧会者、本部局長などを歴任しながら、母の国・日本が真の父母様と一つになって歩めるよう、尽力してこられました。二〇二〇年十月から二○二三年十一月までは、天の父母様聖会・神日本大陸の大陸総会長として、真のお母様の事情、心情、願いを私たちに伝えるとともに、真のお母様に最大の喜びを捧げられるよう、 母の国・日本を代表して、先頭に立ってこられました。 本書は、二○二○年から二○二三年にかけて、機関誌「世界家庭」に掲載された方相逸宣教師の説教を時系列で並べたものです。この期間、方相逸宣教師は、藤之原和代夫人と二人三脚で全国を回りながら、メッセージを語って こられました。ときには、神日本大陸全体に責任を持つ立場として、私たちに真のお母様の願いを切々と訴え、とき には、二十一日修練会に参加している二世圏の若者たちに、父母のような立場で優しく寄り添い、と きには、日本の先輩家庭や韓国からお嫁に来た婦人たちを、これまでの苦労を慰労しながら励まして こられた方相逸宣教師夫妻の姿を、本書を通して垣間見ることができます。メッセージの内容は多岐にわたりますが、その根底に流れているのは、方相逸宣教師の真の父母様 に対する深い孝情と、伝道に対する強い決意です。特に、真のお母様のご心労の原因の一つが、教会につながりきれていない二世圏の子女たちがいることにあると早くから知った方相逸宣教師は、先駆けて二世圏に対する「尋訪」を呼びかけ、教会の文化を改革する先頭に立たれました。その一つの結実が、二〇二三年九月に行われた「神日本二世圏総会」 であり、それが真のお母様にとって大きな慰めと喜びとなったことは間違いありません。この期間、神日本大陸において誰よりも深く、真のお母様の事情、心情、願いを祈り求め、私たちに伝えてこようとされた方相逸宣教師夫妻に心からの感謝を捧げつつ、本書がその思いを相続し、私たちが新たに出発するきっかけとなることを願ってやみません。天の父母様聖会 世界平和統一家庭連合一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.17
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以北出監五十周年記念及び霊界解放式二〇〇〇年十月十四日午前七時、天宙清平修錬苑にて、薫淑様、霊界の興進様、榮進様、恵進様、喜進様、四大聖人と哲人、賢人たちをはじめとする霊界の代表と、第四次入籍のための祝福家庭夫人特別修練会に参加した約四千名の食口たちが参加する中、真のご父母様は「以北出監五十周年記念及び霊界解放式」を挙行なさった。 記念および解放式準備 (壇上には、真のご父母様のお膳が用意されており、檀下には、興進様を中心にイエス、孔子、マホメット、釈迦、ソクラテス、アウグスティヌスのための七つのお膳が用意された。) 祈祷 愛するお父様! 興南から出監して五十周年になるこの日、霊界と肉界を解放することのできるこの式典を、真のご父母様を中心として、統一教会で信仰を持って霊界に行ったすべての霊人たちと、直系の子女たちと興進君を中心とした四大聖人たちと、功労のあるすべての善霊たちと共に行おうと思います。 霊界で興進君とイエス様を中心としたキリスト教文化圏と、すべての聖人たちが築いた文化圏と、すべての哲人たちと良心的な霊界にいる人々がばらばらになっていたものを、神様を中心として、興進君とイエス様を中心として、四大聖人と哲人と賢人を中心として、それに属するすべての弟子たちが一つになって、これから霊界の統一的な体制を整えるための解放式を地上と一致して奉献いたします。どうかこの式典をお父様がお受けくださり、興進君とイエス様を中心とした霊界と肉界に対して、真の父母の因縁を中心として、地上には真のご父母様が勝利した統一教会を中心として、四大聖人とそれ以外のすべての超宗教的な良心的なすべての人々と、先祖と後世、兄と弟、縦横の歴史を確認することのできる統一のこの式を挙行しますゆえ、喜びのうちにこの式典をお受けくださいませ! 興進君を中心として、霊界の新しい成約のみ言を中心として教育することのできる、霊界の孝元君と相軒君、そして祝福家庭を代表した起錫君と朴鐘久、その他のすべての聖人たちと一体となって、地上に超宗教・超国家的な国連を中心として連合するすべてが一体となるようにしてくださいませ。そして、地上のことは天のことであり、天のことは地上のことであるという、そのように一体的な一つの体制で真のご父母様を中心とした統一解放の式典を備えて、明日から新しい体制に向かった天宙史的な進行が始まるこの式典となることをお願い申し上げます。ここに関係しているすべての子女たちが参加して、この式典を神聖に奉献するにあたり、お父様の全体・全般・全権・全能が示威する中で挙行するようにしてくださいませ! この式典を喜びのうちに捧げる真の父母の願いと真の子女たちの願いが一つになって、天地父母解放圏を備えることができるようにしてくださいませ。そして、全体・全般の上に勝利の栄光だけが共にあることを願いながらこの式典を奉献いたしますゆえ、神様を中心として、興進君を中心とした天上世界と地上世界の真の父母を中心とした一つの統一的一体一族として、新しい心情文化世界を創建する、地上・天上天国の文化圏が出発するようにしてくださいませ。 そうして、明後日、アメリカですべての人種を克服し、宗教を克服するための大会が、ファラカンを中心として行われますゆえ、祝福してくださり、また「ミリオンファミリーマーチ(Million FamilyMarch)」の背後も祝福してくださいませ。すべての超国家、超民族が統一圏を宣言、宣誓できるこの式となるようにしてくださり、国連を動かし、改革するすべてがあなたの掌中に立てられ、勝利と栄光と称賛の解放の世界へと前進するよう願いながら、これらすべてを奉献いたしますゆえ、喜びのうちに受けてくださることを真の父母様の御名により報告奉献いたします! アーメン! 敬礼 (真のご父母様が敬礼を捧げられ、続いて順に、興進様、榮進様、恵進様、喜進様のご家庭が敬礼、霊界の祝福家庭を代表した劉孝元、朴鐘九、李相軒、李起錫代表家庭の敬礼、四大聖人をはじめとした霊界の中心的預言者であるアウグスティヌス、ソクラテス、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、パウロ、ルター、モーセ家庭の敬礼、最後に霊界と肉界を代表した全体の祝福家庭の敬礼に続いて、家庭盟誓が唱和された。) 祝祷 愛するお父様! 本日、二〇〇〇年十月十四日、この日は、興南の監獄から出監して五十周年を迎える記念の日です。この日を期して、摂理のみ旨の中で苦労してきたすべての人たちが、肉界と霊界で、国境線を中心として分かれていたすべてが真の父母の血統的因縁を備えるために祝福を受けて、神様が願われた願いの家庭として入籍を許されました。 そのような時代に、霊界にいる今まで祝福を受けたすべての霊人の家庭、先生の直系の子女たちを中心に、一つの天上世界の興進君を総司令官としてイエス様と一つになって、旧約時代・新約時代・成約時代に摂理史的なアベルを育て、さらにはアベルが主人となることができる、メシヤに出会うことができる、その一時を迎えました。選民圏イスラエルを立てて四千年間苦労してきた基盤の上に、真の父母を代身したメシヤ、一つの真のオリーブの木としてイエス様をこの地に送り、個人から家庭・氏族・民族全体の野性のオリーブ畑のすべてを切って、真のオリーブの木に芽を接ぎ木し、天の真の愛・真の生命圏・真の血統と真の良心圏を中心とした真のオリーブの木と一体となるようにしてくださり、一つの文化と一つの血族を再び復帰完成しようとなさいました。しかし、そのみ意が成し遂げられていないということをよく存じております。 選民イスラエルの中心、メシヤと真の父母としてこられたイエス様が、この地上に民族を統一できる家庭的基盤を備えて、イスラエル国とユダヤ教が一つになって、天国の民と主権と国土を地上に立てることによって、万国解放を中心とした世界へ発展し、出現しなければなりませんでした。しかし、そのような摂理史的な地上天国と天上天国の一体文化圏、愛の心情的天上・地上文化圏を形成しようとしましたが、それを築くことができず、再臨を待つ……、恨めしい二千年の路程に、数多くのユダヤ教徒と数多くのキリスト教徒たちが血を流してきたことを思い起こします。 それが、人類史においてはあってはならない悲しみの時であったということを私たちは知っております。この時代を延長して成約時代を眺めながら、二千年間、新しい文化創造のためのキリスト教を中心とした第二イスラエル圏の拡大は、個人から家庭・氏族・民族・国家・世界まで、霊・肉を中心とした統一圏ではなく、霊的統一圏を中心とした基準である地上のキリスト教文化圏を中心として旧教と新教が一つになり、第二次大戦に枢軸国を中心とした日本とドイツとイタリア、連合国を中心としたイギリスとアメリカとフランスが一体的な立場に立つことはできませんでした。 そうして、イエス様の体が分かれて、霊界は神様、地上はサタンが全権をもって闘ったこの闘いが、最終終着点を迎えました。そして、霊界の統一圏と地上のキリスト教文化圏を中心とした統一圏の上に、ついに霊・肉の実体完成のため、霊・肉の実体家庭と霊・肉の実体氏族・民族・国家・天宙的な勝利の覇権を立てるための再臨の役事を中心とした、真の父母がこの地上に顕現しました。また、それと同時に、天の新しい祝福に続いて、新しい血統的因縁を結ぶための真の家庭世界化のために、真の父母の家庭を中心としてすべての天と地が分かれ、すべての家庭と全体の境界線に遮られた天地の断絶を除去するための四十年の歴史路程において、家庭をエサに天国に再び入城するための勝利の覇権を備えた基準を再び迎えることによって、全世界人類の前に新しく真の父母を中心として家庭的に接ぎ木するという役事を行いました。 それによって、真のオリーブの木の種から真のオリーブの木の幹と芽を中心としたこの中心的勝利の大道を築きました。そして、野生のオリーブを真のオリーブの木の家庭に接ぎ木することができる勝利の覇権時代を、あなたの愛を中心として、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の天理に沿って、心情的な一体を標準とし、神様の真の愛を中心として、真の父母の生命を中心として、真の血統の因縁を連結させて、すべての良心的な一体圏上で父子の因縁の家庭を天と地に共に夫婦と兄弟子女たちの上に備えることができる、勝利のあなたの地上・天上天国を顕現させて、あなたの愛の主権の前に帰一させなければならない歴史的な再整備に向かっております。 韓国においては、南北統一、世界においては国連統一を中心として、地上に統一圏を備えたそれを天上世界に備えることができる解放の権限を、既に真の父母と興進君を中心として祝福家庭、すべての母と息子、娘を入籍させて、祖国光復という天上世界と地上世界の真の統フ的解放世界を備えることができるように命令なさったすべてがみ意とされる中で勝利の因縁を備えて、そこに順応する天上・地上世界のすべての家庭は、神様の創造本然の心情と一致して絶対信仰・絶対愛・絶対服従の心から創造なさった神様の立場の代わりをすることができる家庭、永遠不変の絶対信仰的家庭、絶対愛的家庭、絶対服従的家庭を備えて、千年万年至誠を尽くす孝子、孝女の家庭を一つとして勝利の全体の実として受けてくださいますよう切にお願い申し上げます。 それゆえ、霊界にも新しい体制を中心とした統一的基準と地上にも統一教会を中心とした超宗教超国家連合を中心として、国連を中心とした統一的方向に、一体・一心・一身となるようになさり、地上に真の父母圏を中心とした定着時代を築かなければなりません。そのために、今後、国連の名前と超宗教国家の名で、全世界の国家を教育することのできる大きな十二の門を開くことができる解放時代を迎えさせてくださった恩賜に感謝申し上げます。 真の父母の伝統的思想と心情の一体圏を体恤するための訓読教育をする全世界の上に、勝利と栄光が共にあるようにしてくださいませ。そして、これを協助するため天上世界の祝福家庭の立場に立って、地上のアダム家庭が完成できるように、先祖たちは祝福を共に受けたすべての子孫の家庭を守って、鉄石のような橋となして、天使長が行えなかったことを家庭的な基準で保護育成することができる、家庭的責任を完成させることができるようにしてくださいませ。 それによって、天使長だった悪魔サタンまでも、人類の最後の道に従って天国に行くことができる道を解放しますゆえ、全天上天下にある悪の権限は、興進君を中心としてキリスト教を中心とした宗教圏の四大聖人、良心圏、すべての哲人圏全体がこの権限の方向を共にして、天に向けて一方向に直行することができるようにしてくださいませ。この時間、出監五十周年となるこの日を記念して、霊界と肉界において出獄解放とともに、統一的な民族天宙解放のこの式典を持つことができるようにしてくださったことに感謝申し上げます。すべての霊人たちと地上人が一つになって、天の前に栄光を捧げ、勝利の式典として奉献いたします。 すべてを総生畜献納の物として奉献いたしますゆえ、愛を中心とした主権の王の中の王となって、これらすべてを真の父母の名で奉献したものを受けてくださいますよう切に請い願いながら、この日すべての天地と全体の霊人世界、地上世界の祝福家庭たちが集中したこの場に天の勝利の覇権を天宙全体の前に宣布することを精一杯受けてくださいますよう、切にお願い申し上げます。 これから、神様の全権の権限を中心として、興進君と真の父母が一体となって、天地解放の日々を祝福に向けて前進、前進するようにしてくださったことを感謝いたしますゆえ、喜びのうちに全天宙は天地父母の勝利の足跡について、永遠に地上・天上天国の大路を前進できるように、解放と統一の行進となるようにしてくださることを真のご父母様の宣言とともに切にお祈りいたします! アーメン、アーメン、アーメン! み言 霊界祝福を受けた人々の相対にあたる人たちは、きょうから地上に来ることもでき、ここで祈祷すれば通じる、そのような時代に入りました。共に生活できるように許したのです。 そのためには、意を同じくしなければならず、思想が同じでなければなりません。そうして、祝福家庭を中心とした霊界と肉界が一つの体制になるのです。ここにいる真の父母が地上に築いたものを霊界に連結させて、そのようになったのです。 先祖にあたる霊界にいる人々は、天使長の立場にあるので、本来は、堕落した天使長圏内の先祖たちには祝福はありません。しかし、祝福を受けた家庭は、地上にいるアダムの後孫……、地上のアダムが完成した真の父母を中心とした血族の因縁を中心として見てみると、同じ血筋の因縁を受けましたが、彼らが先に逝ったことにより天使長的立場で祝福を受けた家庭になるのです。 それゆえ、これから統一的な儀式をすることによって、どのようなことが行われるかというと、霊界の先祖たちが地上に来て祝福を受けた家庭を協助することができる時代に入るのです。天使長がアダム家庭を育てて、天に侍って入っていくのと同じように、霊界の祝福を受けた先祖の家庭たちが地上に来て、祝福家庭たちを保護するのです。ですから、祝福家庭、個人や家庭、氏族を世界圏内のサタンの子孫たちがむやみに打つことはできません。 ルーシェルはサタンとして天の前に背いた立場にありましたが、今や屈服しました。しかし、その手下たち、残党たちが世界に数えきれないほどたくさん広まっており、今に至っても、つかんで放そうとしないのです。 それゆえ、天使長の立場で、堕落してサタンになった偽りの父母が、偽りの愛を中心として偽りの生命圏、偽りの血統を残し、このような結果が現れたために、真の父母が霊界に行った先祖たちを祝福してあげることによって、天使長が持っていない家庭基盤を持つようになるのです。ですから、天使長がこの家庭に仕えるようになっているのであって、侵犯するようになってはいません。 その天使長の家庭的立場に立てられた先祖を十四代まで解怨して祝福してあげました。今後、二十一代まで祝福すれば終わりなのです。ですから、これから十五代から二十一代までは、皆さんの家庭が解放してあげなければなりません。真の父母がこの地で完成時代において自分の先祖と後孫たちを解放したのと同様に、皆さんは残り二十一代までを解放してやり、その次にはサタンの残党を追放してしまうのです。 サタンの残党をだれが追放するのかと言えば、天使長の立場にある祝福家庭である皆さんの先祖たちです。先祖たちが地上の祝福家庭を保護すると同時に、祝福家庭になったことを……侵犯したサタン世界は、祝福家庭圏とは関係ないために追い出すのです。霊界はもちろんのこと、地上もサタンの残党を追い出すための責任を負い、祝福を受けた皆さんの先祖の家庭が地上に来て、霊界と肉界に統一的な形態で役目を十分に果たしていくのです。 サタンの残党たちもここに順応していき、終りの日には、霊界と肉界が解放された暁には、天の前に戻ることができる道を……、もちろん次元は違いますが、そこに法を新たに定めて、天について入っていくことのできる道を許すのです。そうすることによって、サタンの残党までもが天の前に戻ってくることによって、サタン世界を根絶することができるということを知らなければなりません。そのために、この統一式をしなければなりません。 ですから、皆さんの先祖たちの……、地上にいる相対たちがここにいるのです。霊界にいますが、ここにいる人たちの相対が地上に来て、一つになることができる生活を統一化することによって、霊的世界と肉的世界を統一した、一つの祝福家庭の心情文化世界が地上から天上世界の解放圏を築き、地上世界が完全にきれいに整備され、霊界が完全にきれいに整備され、サタンまでも方向を中心として一つに戻っていくことができるという立場に立つことによって、真の神様と真の父母、天地父母解放圏が始まるのだということを知らなければなりません。 ですから、皆さんは生活するにあたり、一人で生活するのではありません。侍って生きるのです。男女が結婚して、夫婦として共に生きる生活様式をとっていけば、皆さんの家庭に訪ねてくることのできる自由環境となるはずです。そうして皆さんが霊界のみ旨と一致すると同時に、地上の真の父母のみ旨と一致して、教祖たちも訪ねてきて生活するのです。 今、霊界には、四大聖人たちを中心として、それ以外のすべての聖賢たちがいます。宗教圏を中心とした四大聖人たちを中心として、三分の一、百名いるとすれば三十三.三三パーセントにあたる、そのような人たちを六月十三日、南北首脳会談を行う前に祝福することを許しました。すべてを祝福したので、その祝福を受けた人々は、今後この式が終われば、地上に訪ねてきて、皆さんに仕えて生きることができる環境が連結するのです。 それによって、地上にも一つの文化圏、全体統一的な天上世界の組織が編成されます。また、それと同時に、霊界の基準を中心とした、地上の統一を協助してサタン世界の整備活動をすることによって、今まで統一教会に反対した環境が消えてしまうのです。 それでも反対する人々は、先祖たちが黙ってはいません。今や、蕩減時代は過ぎ去りました。蕩減時代がないのです。アダムとエバが堕落したときに蕩減時代があったとすれば、そこにとどまっていながらアダムとエバ時代に復帰することができていたかも知れません。しかし、今までこのような地獄現象が起きていない世界において、神様の法に蕩減法はありませんでした。 それと同様に、皆さんもこれから家庭が入籍し、一体的な五十年の解放記念日を中心として祝賀することによって、全体の解放的基盤を一元化させる、天上世界と地上世界が一元化されるということを知って、皆さんがそこに合わせて生きなければなりません。 これからは、先生が、真の父母が必要なのではありません。アダムとエバが失敗して血筋を汚し、それによって地上地獄と天上地獄がつくられました。それを先生が、真の父母が、祝福で解放してあげることによって、天上地獄撤廃、地上地獄撤廃をする時が来たため、イエス様が行った楽園と中間霊界、地獄は完全に撤廃されたのです。なくなるのです。 そうなれば、真の父母と神様が一体となった家庭を中心として、天上・地上に父母の立場を中心として、先生の直系の子女たちと、皆さんの直系の家庭たちと、皆さんの家庭が一つになったその上に、カイン・アベルである天地が一つになった上に、真の父母が立つことができるのです。 それを実現するためには、南と北がカイン・アベルですが、どのようにしなければならないのでしょうか? エバが堕落したので、エバと自分の息子、娘を中心として、家庭で失ったものを結ばなければなりません。ですから、国家メシヤは世界にいる……その国の民を中心とした母親の立場で、アベルとカインを一つにし、ついに世界の国家を連結させることができるのです。 世界の国家メシヤたちが、南北統一のために韓国に入ってくるのですが、国家メシヤは自らの任地国家で母親と息子、娘と一つになって……。カインを愛することができるアベルと一つになって、母親が一つになって、父についてどこに行くのでしょうか? 祖国光復のために韓国に入るのです。 アダムとエバを中心として、カイン・アベルのせいで失ってしまったため、そのようなことができる世界の中心国家を占めなければならない立場に立つことによって、世界の国家メシヤは夫人を中心として、息子と娘が一つになることができるようにし、世界国家と中心国家と祖国とを結んであげるために、夫が韓国に移動するときに夫人もついて入って入籍するのです。 ところが、入籍するにあたり、夫には入籍する資格はありません。まだ、国を得ていないのです。これをはっきり知らなければなりません。現在、入籍する人々は、今後、国家メシヤでなければ、氏族的メシヤとしてその国に行って仲立ちとなってくるのですが、先生がすべて蕩減してあげたために、条件だけ立てたならば国家メシヤたちは祖国光復のために入ってくることができるのです。しかし、完成したアダムではありません。 完成したアダムと完成した家庭ではなく、国を失ったのはエバとカイン・アベルです。アダム家庭が国を失い、イエス様時代に国を得なければならなかったのですが、イエス様時代に国を得ることができなかったために、再臨主時代に得なければならないのです。旧約時代・新約時代の失敗を成約時代に完成するためには、教会代表の第一イスラエル・夫、第二イスラエル・イエス様・夫、第三イスラエル・真の父母・再臨主・夫、この三時代の父母を連結させることができる蕩減条件と血統的な内容が霊界と肉界で一致したのです。それゆえ、皆さんの家庭においては、まだ国家を中心として、世界的メシヤである真の父母の前に、天を中心として国家で分かれた基準を迎えて蕩減しなければなりません。 これを蕩減するためには、だれが先頭に立たなければならないのかと言えば、母親が先頭に立たなければならないのです。母が外国に行ってカイン・アベル国家圏を自らの息子と連結させる条件を立て、韓国に来て、世界でカイン・アベルの基準を中心として一つになってきたお母様が、アベルの立場に立って韓民族を、カインの立場を消化しなければなりません。だれがするのですか? 母親がしなければならないのです。 それで、カイン・アベルを一つにして、その上で夫を復帰して立てなければなりません。夫をどこから追い出したのかというと、アダム家庭から追い出したのです。それは、国家家庭から追い出したのと同じです。家庭と国を失ったために、家庭的基準を連結させる世界舞台から本国に訪ねてきて、国家基準を代表する女性たちが率先してカイン的国民をアベル的外国のカイン・アベル基準を持って結んでおいてこそ、ついに母として国家基準でカイン・アベルが一つになるため、その後に、立つことができるのです。 そこには他の考えがあってはなりません。どこかの朴氏、金氏の夫人ではありません。この女性たちはだれですか? どこに属していますか? 皆、自分の夫の話を聞いては絶対にいけません。命令できる立場ではありません。家庭的基準は命令できるかも知れませんが、国家的基準はすべて真の父母の命令に絶対に従わなければならないのです。これは真の父母によって転覆するのであって、自分の夫によって転覆するのではありません。 ですから、女性たちが先頭に立ってカイン・アベル、世界的に国家的メシヤの基準で連れて入ったそのカイン的息子と自分が生んだ息子が一つになって、それに乗って、(本国に)入ってきて母が解放されるのです。国家基準になってはメシヤ、真の父母の命令に絶対服従しなければなりません。真の父母になぜ服従しなければならないのでしょうか? 真の父母が国家的基準と世界的基準の道をすべて築いておいたために、それを絶対的に信じて行動するならば、三年、四年以内に完全に整備されるのです。整備されなければ国が誤ったのであって、私たちの過ちではありません。 それで、絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。だれに対してそうしなければならないのでしょうか? 神様はこの宇宙を創造するとき、絶対信仰・絶対愛・絶対服従して創造されました。神様が投入しては忘れ、また投入しては忘れてしまい、永遠に忘れてしまいながらこの大宇宙を創造なさったように、皆さんもそのような立場で真の父母の命令に絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければならないのです。 自らのすべてを投入して、投入して、もっと投入しようとしてこそ、この真空状態がだんだんと大きくなって、自分が投入して外的に積んだすべてが種となり、世界のすべてが入って、これを満たしてくれるのです。それで、満たされたこれらすべてが世界に連結することによって……、私の一体圏を築くことによって、残った私、相対も私という立場に立つことができるために、解放圏が展開するのです。はっきり知らなければなりません。 こうして先生の命令を守って、国民を完全に統班撃破しなければなりません。既に統班撃破に関する内容は知っているはずです。本来は、十二年前からこのことをしようとして統班撃破組織を二度もつくっておいたのですが、全斗煥、盧泰愚、金泳三、この三人がすべて砕いてしまいました。ですから、再び編成しなければならないのです。 再び編成するためには一次、二次、三次までなので、これは何かあったとしてもしなければなりません。しなければ問題になります。しなければ、皆さん自身も問題になりますが、大韓民国と北朝鮮の地を天の地として奉献することができないのです。ですから、どのようなことがあっても皆さんが一体となって、先生の心と一つになって行わなければなりません。そうすれば、一つになることができるのです。 では、何で一つにすることができるのでしょう? 国境撤廃をして、何で一つにするのかと言えば「怨讐を愛する」ことによってです。この国民は先生を中心として四十年間、(大統領)八代を経て反対してきた怨讐の中の怨讐です。これらを愛さなければならないのです。 愛するには、自分の一族よりも、自分の子供よりも、自分の夫よりも愛することのできる立場に立たなければなりません。そのようにして愛する、その目的は、真の父母の後について峠を越えていくためなのです。峠をだれが越えていかなければならないのかといえば、真の父母に従って自分の妻が越え、子供たちが越えていかねばならないのです。 夫はこの四年間、母親と子供たちが働くにあたり、あらゆる精誠を尽くし、自らの骨を削って、骨髄までも絞るような犠牲を払ったとしても助けてあげる責任があるのです。 自分一人だけでしてはならないのです。皆、一八五家庭ずつ祝福をしてあげました。この一族を結び、一族の母となることができる、この方が活動できる解放的権限を持つためには金氏全体を総動員しなければなりません。朴氏全体を総動員しなければなりません。父親が金氏で、母親が朴氏ならば、まず朴氏一族を解放できるようにその夫も後援しなければならず、そうして夫が復帰されていくときには、朴氏の解放された母親とその息子、娘の基盤全体が夫と父の一族を祝福しなければなりません。 十六歳以上の未婚の男女たちは、祝福を受けなければならないようになっています。どのようなことがあっても、祝福を受けなければなりません。受けなければならないのです。おばさんたちですから、大丈夫です。「こら、おまえは金氏じゃないか。うちには姪も孫もいるんだよ。うちとおまえのところは同じ『氏』じゃないから、かまわないだろう?」このようにしてやりなさい。世の中が青少年問題、家庭破綻でだれもがみな地獄に落ちていくようになっているのに、それを知っているからには、金氏の血族、朴氏の血族のすべてが強制的にでも祝福を受けるようにしなければならないのです。 エジプトに入っていたイスラエル民族が、出エジプトをする日を定めて出ていくように通告したのですが、行こうとしなければ喉首を締めて、逆さにして足を縛ったとしても行かせなければなりません。出動して、十里でも進んだならばエジプトで死ぬことはないのです。エジプトで死ねば永遠の地獄です。境界線を越えさえすれば、死んだ死体であったとしても、イスラエル一族に属するということを知らなければなりません。 そのような深刻な時に入ったのです。霊界のすべての聖人、君子、神様までもが聞いているこの場なのです。ですから、真の父母の命令に絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければなりません。だれを愛するのですか? 自分の夫、自分の子供を愛するのではありません。エデンでエバが地獄に行ったため、男性の代表を愛さなければなりません。男性の代表が真の父であり、真の父母です。 真の父母はその国の王です。アダムが王になるはずで、おじいさんになるはずで、お父さんになるはずで、夫になるはずで、お兄さんになるはずだったのです。その次には、息子になるはずだったのです。いくつですか? 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つです。これらをすべて……、男性という「種」はすべて否定しなければならないのです。 今までの皆さんの結婚は、天使長を中心とした霊界の先祖と同じような立場でした。ですから、再び国を中心として否定しなければなりません。それゆえ、自分の夫を夫だと思ってはなりません。サタン世界の国を代表した天使長だと考えなければならないというのです。天使長ですが、悪魔サタンではありません。祝福を受けたので、霊界の協助を受けて、地上完成国家を復帰しなければならない責任を負っている、アダムの体半分を持っているのです。 これをだれが脱がせてあげなければならないのでしょうか? エバが、アダムの十六歳以降にサタンの体を中心として人類を繁殖したことを蕩減してあげなければならないため、母と子が一つになって父の体の半分を、国を探すことによって、国を越えて体を接ぎ木したのと同じだという公認を受けなければなりません。そうして、ついに越えていきながら、再び結合することによって、解放的地上天国の家庭が完成し天国に入っていくのです。 適当にやっては駄目なのです。数学の問題を解いていくように、公式通りに解いていかなければなりません。行くようになれば、自分の子供、夫を勝手にはできません。自分の夫ではありません。これを、行けなくしたならば、悪魔の中の悪魔です。家庭から脱落させます。いくら入籍しても、逆に別の世界に隔離されるのです。 皆さんは、家庭の立場で、夫の基準に該当しうる立場で祝福を受けましたが、本然の天国に入っていくことができず、家庭的天国に入っていくことができません。家庭的楽園圏内に入っていくのに、楽園では自分の一家庭、一族が連結されておらず、国家が連結されておらず、世界が連結されていないのです。その場で、楽園的家庭になり、楽園から中間霊界に入っていくのです。今、聖人たちも中間霊界に入っています。 そのような霊界にとどまる環境があり、その次には地獄があります。獄があります。監獄が生じたのです。監獄があるのですが、サタンの主管下で、永遠に地獄に落ちて固着するのではありません。自分の父母や兄弟たちが、涙を流して後孫たちを手助けし、また、自分の後孫たちが精誠を尽くしたならば、上下から押してくれることによって解放されうる道が促進されるのです。 次から次へと座っているところを土で埋めてくれるので、そこが埋められ水平になるまで協助することによって、その地獄に入っていた家庭が解放されるのです。自分の先祖たちが霊界に行っても、すべてを先祖として仕えることができる絶対信仰・絶対愛・絶対服従の道に従ってこそ、天国の自由解放圏を迎えることができるのです。 それで、カイン・アベル、第一次として、国家メシヤとして自分の息子、娘たちが一つになって祖国に入り、第二次として、アベル的立場で母親が投入し、カインの兄弟が投入して、大韓民国をカイン的立場で一つにしなければならないのです。 このように一つになったアベル圏がついに南北を統一することができる息子の立場に立って、南北とアジア、全体世界を蕩減することのできる祭物的過程を経なければなりません。それで、蘇生・長成・完成過程を経てこそ、初めて母が旧約時代解放、新約時代解放、成約時代統一天下圏に進んでいくことができるのです。 このように、国家時代を越えていくことができる聖人たちは、今まで相対がなく一人暮らしをしてきました。国家を越えることのできる、その基準を先生が別途に準備したのです。ですから、先生には主権があります。天国と地上の国のその主権が行く道を知って、その次には民として数十億人が祝福圏内に入りました。 このように国民もいて、主権もあるのに土地がありません。土地は、南北の地が必要ですが、それが一つにならなければ、南北にいる民をすべて切り捨ててしまいます。イスラエル民族を切り捨てて、第二イスラエル、キリスト教文化圏を中心として出てきたのと同じです。この韓民族が、祖国光復に貢献しなければならないという責任を果たせなければ……、イエス様を十字架にかけたのと同じように、主権と教会が一つになって先生を追い出したにもかかわらず、自分たちを助けてあげようとしているのに、それでも服従しなければ、その地は捨ててしまうのです。第三イスラエル圏を中心としたその基地は南米です。南側です、南側。 南北アメリカが一つになれば、旧教新教が統一圏に入るため、これを中心として百二十万ヘクタールを国連の土地として奉献しようというのです。これが設定されたという事実は、韓国の南北が反対しても、イエス様が死ぬ立場には立ちません。イエス様の時代に国を中心として責任を完遂し、天上まで大道を築いておいたため、その国がついてこなければ仕方なく切り捨てて、今後、大移動が行われるのです。試験をしなければなりません。入籍したおばさんたちがこれを知らなければなりません。 第一次で自分の息子、娘を連れて国家メシヤの責任を果たして、そこに感動した人たちをすべて一つにしたので、アベル的な立場で夫について大韓民国に来て、母と息子、娘たちを国家的な基準で結ぶのです。外国でカイン・アベルが一つになったものをアベルとして立てて、大韓民国の国民を中心として二次的に結ばなければならず、これが一つになれば大きなアベルとなって、韓国が北朝鮮を消化して、中国、モンゴルを含んだアジア圏まで消化しなければならないのです。これは自動的に消化するようになっています。 北朝鮮を自然屈服させれば、世界が国連を中心として連結することができる道がしっかりと開かれるのです。それで、このような境界圏内の三角地帯にきたために、先生は大急ぎで国連を中心として、国連途上に登場し、国境撤廃と統一天下の理念を宣布したのです。 その次に「NGO」とは、Non-Govermental Organization(非政府機構)です。国連に派遣されている大使たちは、国を代表した大使たちです。国連は死んだ牛のようになっています。国を代表した大使たちが狂った犬のようになりながら、自分の好きなように暴利をむさぼろうとして争い合っています。それでは駄目なのです。 国家を代表した大使たちは、カイン的立場に立って、天を代表した上院制度をつくらなければならないのです。この頂上で、より世界のために生きている人たちが、国家のために生きる人たちを世界のために生きることができるように方向を定めてあげることによって、天のために生きることができる道を行くようにしなければならないのです。そのような真の父母が登場して、ここに定着することによって、神様と真の父母を中心として地上・天上天国に祖国光復の基礎が定まるのです。 では、なぜ皆さんはジャルジンに行って四十日修練を受けなければならないのでしょうか? それは、受けなければなりません。今まで世界に連結し、韓国を中心としていたこれ(摂理)がもし途絶えるようなときには、祝福家庭たちが全滅するのと同じことになります。ですから、ジャルジン四十日修練を受けなければならないのです。これも四位基台復帰です。 父母と息子、娘を連れてきて、何千年、何万年の間、ばらばらになっていた父母たちが、初めて四十日間で一つになるのです。夫も妻も自分勝手、息子と娘も自分勝手、父母と子女が自分勝手に生き、すべてばらばらに分かれていたものが、初めてここで統合整備された家庭の形態を備えるのです。 そのようにして、真の父母に従って、北から始まって南に行き、世界を一回りしながら築いてきたものを、すべて縛って、反対なく韓国の地に入って統一天下の原則的な家庭基準を中心として、アダム時代、イエス様時代に国家的基準のすべてを蕩減することのできる役事を、最後の峠を越える角突き合いをしているのです。 この国にいる女性を中心とした息子、娘と、この国の民族、また、来るべき真の父母と一つになって天がここに共にあるとき、真の父母と堅く一つになった暁には、サタンがいかに、どんなことをしてきたとしても押し出されることはありません。天がすべて処理してくれます。 この者たち、自分勝手に息子、娘を大学に送って出世させようとしているが、出世などできない! 大学に誤って通った人は、今後、蕩減を受けなければならないということを知らなければなりません。その批准に、皆さんの出世の立場が決定される歴史的時代が待っているということを知らなければなりません。 そして、もっと厳格なことは、国に入籍できるか、できないかということなのです。その問題がかかっています。先生のみ言と一つになって、天上世界の世界圏を相続でき、国に忠孝の道理を尽くしたのか尽くさなかったのかという基準を中心としてこそ、それを越えることができるのです。ただのやじ馬のようになってはならないのです。 今でもそうではないですか? 祝い事の日を迎え、貴賓を招待したのに、呼んだ人が一人も来ないので、通りすがりの人をだれかれかまわず呼び込んで、お祝いをするのです。そして、モチを何個ずつか食べさせてあげ……礼服を着る人の行列をつくるときに、礼服が着られない人は回っていかなければなりません。礼服とは、蕩減の恵みです。 では皆さんは、どうしなければならないのでしょうか? このおばさんたちがどのような立場なのかというのです。このおばさんとお母様の関係は何ですか? お母様は本妻です。皆さんは、妾のようなものですが、妾といっても先生が妾を愛するわけではありません。先生が愛するようなことはありませんが、皆さんにとって先生がだれかと言えば本来の夫です。 本来の夫ですが、本来の夫がだれと結婚したのかといえば、自分のお姉さんと結婚をしました。それがお母様です。皆さんは妹の立場です。ヤコブ家庭においては、お母様はレアの立場にいますが、レアは妹のラケルから洗いざらい奪い取りました。しかし、今回は反対です。お母様は姉の立場に立って、天に仕えて、真の父母に仕えることのできるお母様の立場に立って、妹たちの恵みを略奪するのではなく、天国の恵みをすべて天に代わって分け与えなければならないのです。それゆえ、(皆さんは)お母様の分身だというのです。 女性という動物たちは、お母様のことも愛しますが、先生をお母様よりももっと愛するようになっています。統一教会の女性たちは「女おばけ」たちなのです。この女おばけが人の霊人体にならなければならないのですが、そのような霊人体になるためには、お父様をだれよりも愛するのです。しかし、後になってはお母様をお父様よりも愛してはならないでしょうか、もっと愛さなければならないでしょうか? もっと愛さなければなりません。 どうしてもっと愛さなければならないのでしょうか? 赤ん坊として生まれたならば…………、生まれた赤ん坊は父親の一つの細胞である精子が母親の腹の中に入って、母親の体を掘って、骨、肉、血、体を強制的に分配されて生まれるのです。強制的に分けて生まれたのが弟や妹です。父母の弟、妹。分かりましたか? ですから、これは血筋が一つになっているのです。 レアとラケルは、血筋が一つでしょうか、一つではないでしょうか? 一つではありません。サタンの血筋ならば反発が起きますが、これは天の血筋であるため順応するのです。お姉さんの夫はだれですか? 先生です。 ところで、先生がだれなのかと言えば、昔、自分と婚約していた人です。その人が、姉の夫になったのです。では「この怨讐女」と言って争うことができる立場ですが……、違います。反対です。お姉さんがその妹をだれよりも愛することによって、天の祝福を一緒に受けるのです。 真の父母とともに、真の父母の弟や妹の立場に立って天国に入っていくための役事に協助しているのですから、これ以上ありがたい方はいないのです。自らの生命を生んで、配給分配して育った自分であると同時に、自分の夫は姉の夫になります。 その夫も、自分の体を母親の腹の中で、母の血と肉を受けたのと同じように、夫の骨と血と肉を受ける接ぎ木する立場で、弟や妹の家庭と同じ立場に立つことによって、兄夫婦となった真の父母の後について、弟や妹の立場で、兄弟の立場を経ては息子、娘の立場で、孫の立場でピーヒャラドンドン、解放的天国は自動的に入っていくようになっている! アーメン! カイン・アベル蘇生、カイン・アベル長成・大韓民国、その次にカイン・アベル完成・南北統一…………南北統一は世界統一と連結します。無神論と有神論が一つになることによって、真の父母を中心として分かれた歴史、心と体が分かれて、夫婦が分かれて、兄弟が分かれて、父子関係が分かれて、一族が分かれて、一国が分かれて闘っていた戦場に初めて統一的血統を中心とした、一体圏心情世界の文化が始まるのです。 それは、地上・天上天国、神様と天地父母の心情的文化圏世界です。単一民族であり、単一文化であり、単一理想的体制の家庭と氏族・民族・国家・世界体制で地上・天上どこでも統一的です。根から始まった栄養素がどこでも勝手に、枝や芽まで、この髪の毛の先まで、その次には、爪の先まで血が循環するのと同じように補給され、統一的生命体、一体的主権をなすのが、地上・天上天国解放の自由祖国光復である! アーメン! 父子の関係は上下関係、夫婦関係は左右関係だというのですが、なぜ夫婦関係を「右左」と言わず「左右」と言うのでしょうか? 父子の関係は「上下」が一緒になっています。逆に(父-下、子-上)にはならないのに、どうして「左右」が夫婦関係なのでしょうか? 堕落したために、女性が先んじるのです。その次に兄弟は何ですか? 兄が先になっています。子女は何ですか? 子女というと子が先になっています。子女も正しくなっています。 このように上下関係と子女関係は正常なのに、夫婦関係は逆になっています。そのため、この逆になったのを正しくなるようにするのが全体で「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。すべて入っています。この一言を理解することができれば、今先生が語っている全体を理解することができます。 「上下左右前後」が初めて「上下右左前後」を中心とした統一的、血筋が異なる神様の直系血統解放自由天地が地上・天上世界に築かれ、どこでも遠慮することなく行くことができる、国境のないその世界になることによって、その時ついに地上・天上天国が顕現するのである! アーメン! ですから、この四年間はどんなことがあったとしても、乞食になったとしてもやらなければならないのです。韓国の伝統に、父母が亡くなると三年以上その墓を守るという風習があるのですが、この四年間で、それ以上の忠誠を尽くさなければならないのです。 先祖たちが残してくれた伝統を、自分の実体が、後代何千代まで行ったとしても相反せず、そっくり相続して、神様が目を見開いて行うのと同じようにして、ずっとついていくのです。そして「ああ、ぴったりだ!」と言って戻ってきて、自分が循環するようになるとき「これでよし!」という承認を受けてこそ、解放的アダムの家庭の立場を相続することができるのです。 最後には、国を探して世界統一を実現しなければなりません。世界統一は、自動的に国連で行うようになっています。国連で祖国光復が実現できるのです。世界に主権と民がいるため、土地を買ってあげ国をつくるのです。百二十万ヘクタールといえば、ものすごい広さです。済州島の十二倍です。大韓民国の国民七千万人を食べさせることなど問題ではありません。 お父様がしたので……、お父様の国の国民たちが探せなかったので、お父様がしたのと相対的な基準において、大韓民国が百二十万ヘクタールに責任を持たなければなりません。その次に、母の国、エバ国家が百二十万ヘクタールに責任を持たなければならず、長子圏国家アメリカが百二十万ヘクタール、カイン圏ドイツが百二十万ヘクタールに責任を持たなければなりません。 それ以外の国家までもそこに該当する、十二に該当する土地を祖国光復に総生畜献納物として捧げなければならない基準があるため、一時に祖国光復された地球星になりうる時代へと越えていく! 解放を願い、全体が統一される! アーメン! さて、ここには霊人たちと霊界の興進君を中心とした四大聖人、その次に良心家たちが来ています。イエス様は真の父母として来ましたが失敗したので、霊界にいるすべての霊人たちは、これからは彼をお兄さんとして侍り、霊界に行った真の父母の息子夫婦を霊界の中心で侍らなければなりません。そして、一つの体制を中心として、今や仏教、儒教、すべて自分式で行っていたことをやめ、原理を中心に成約時代の行列についていかなければなりません。そうしてこそ、天上・地上天国に直行できる道が生じるのであって、仏教圏、儒教圏の風呂敷をぶら下げていてはなりません。きれいに聖別して、一つの道として行くことなしには天地の門が開くことはありません。すべて壊してしまわなければなりません。ですから、統一の役事を女性たちがしなければなりません。 今日は十四日、あさってはアメリカで何をしますか? 回教とキリスト教は怨讐関係にありますが、国境撤廃運動を先生が指示して「百万人家庭大行進(ミリオンファミリーマーチ)」が始まります。先生が手助けしなければ、その大会はできません。兄の立場で、父母の立場で、自分のことのように手助けして、今後、歴史的な怨讐の宗教が一つになることができるようにしなければなりません。 キリスト教と回教が怨讐です。ですから、父母がきて、右側には統一教会、左側には回教を中心としてぐるりと回って、アメリカの全五十州の回教の代表たちが来て、統一天下の家庭的行進を始めることができるようにするのです。すべての焦点を合わせて行うのです。 国連もそのようになります。家庭的祝福を行うことができる時に入っていくのです。ソ連と中国とアメリカの若者たちが、千六百名ずつ教育を受けて、真の父母を中心として、心情的一体をなし、青少年の淪落を防止して家庭破綻を防止しなければならないといって全面に出るのです。そのような輩らが一か所に集まって超国家的に……。 これらが怨讐です。三大怨讐です。三大怨讐がすべて反対しました。イエス様を中心として、四位基台を築くべきペテロ、ヨハネ、ヤコブが一つにならなければなりませんでした。しかし、これらが一つになれず、世界がそのような三大怨讐圏となって角突き合いをしますが、これを先生が収拾するのです。 では、そこではどのように平和の内容を提示するのでしょうか? 国境、国境の怨讐が交差結婚した暁には、そこで天国と地獄が一つになって、闘争概念は消えるのです。どんなに父の怨讐、母の怨讐国であるといっても、交差結婚した息子、娘は、自国の両親よりももっと素晴らしく、豊かに暮らせというのです。このように見るとき、交差結婚が地獄を追い出し、天国に入っていくことができるスタートラインだというのです。それが交差結婚を志願する世界だというのです。怨讐たちと共に交差結婚するというのです。 では、神様が怨讐を愛せと言われるその終着点はどこでしょうか? 怨讐間で結婚することです。そのようなことができるようになるとき、そこで地上・天上天国がひっくり返り、神様の自由活動を行うことができる解放時代になるのです。一九八八年に、日本と韓国の間で交差結婚をしましたか、しませんでしたか? その伝統をつくってきたのです。 これからはそのまましなければなりません。第四次アダム圏時代が来たために、アダムの七代の子孫を中心とした、自分たちの間で結婚することができる時代に入ったため、超民族的であり、超国家的であり、地上・天上にある先祖たちまでも合わせて結婚させてあげる時になったのです。ですから、怨讐をなくすための交差結婚をして、愛で抱くことができる、神様の歴史を通した宗教圏の表題として立てた怨讐を愛する一方通行の世界になるため、そこにサタン世界はありません。そこから天国が始まるのです。 二つの国が交差結婚をするときには、その国は一晩で天国にきっかりと入籍するのです。国連さえ公認したならば、復帰は容易です。交差結婚は先生に任せなさいというのです。三か月もかかりません。説得して行うのです。 今日、五十の峠を越えるのです。百年を中心として半分を越える峠に、過ぎた日を越えて新しい天地、平穏な世界を中心として、あの南米の無限なる地平線の国の地を中心として、この国が駄目ならば、私たちはあそこに大移動することができるように、常に荷物をまとめて待っていなければならないと指令したことをすべて聞いたはずです。 ですから、ここで一勝負して、第一次イスラエルを失った人々のようにはならず、イスラエルとともに第二次、第三次イスラエル圏の基地としての韓国をつくり、そのような韓民族の民としなければなりません。そのためには、韓国のすべての先祖たちも解放的恩恵を受けて、天下の歴史世界の先祖たちの王たちとなって、氏族たちの王たちとなり、家庭たちの王たちとなるのです。そのような道を失うことなく、皆さんの後孫たちが皆さんの前に讒訴しうる起源を残してはならないという決意を持って、当然このことをこの期間に完遂して残ろうとする心と体の決意とともに、家庭の決意が必要であるということを勧告するのです。 夫と妻の間で愛しあうときには、布団を被って踊ってもかまいません。すべてを脱いで、妻の肩に乗って踊ってもかまわず、夫が重ければ妻が裸になって馬乗りになって踊ってもかまわないのです。 神様がそれをご覧になるとき、直撃弾を飛ばして粉々にして掃き捨ててしまおうとされるでしょうか、その反対に、持ち上げて天国では見られない装飾品だといって、天の宝座の横に連れて行かれようとされるでしょうか? どうされるでしょうか? それを考えてみなさい。 神様は間違いなく「おい、初めて見るものだ。地上でだけやっていないで、天上でももう一度やってみなさい。お前たちが模範を見せて、天上の祝福家庭たちがそのようにできてこそ、私は万万歳、喜びが充満するのだ!」と言われるのです。 今は、救いの摂理は終わりました。神様も探してはなりません。入籍したので神様の代わり、救いの摂理の救い主の代わりの息子、娘を千年万年、しっかりと育てて天国に連れて入っていかなければならないのです。天国に入っていくことができなくなれば、真の父母の前に責任を追及されます。そのようにみ言を通じて邪悪な世の中を抜け出すことのできる道理をすべて教えてあげましたが、この者たちが責任を果たせずして天国に入れないといって、息子、娘たちが父母に責任を追及するのです。 神様が創造した責任を負って、アダムとエバの責任を負って、復帰の役事をしてきたのですが、皆さんが過ちを犯したならば、後の代になって永遠に讒訴されるのです。「お父さん、お母さん、どうしてこんなざまになったのですか? 他はみんな入っていくというのに。ご父母様が教えてくれたみ言を踏みつぶし、何か良い生活をしようとして……。何度か呼吸するのと同じほどの短い世の中に、何の未練があってこのようにしたのですか?」と言って讒訴するその後孫の顔を見て生きながら……、それをどうやって避けることができるでしょうか? 極めて悲惨で、極めて悔しい事実が染みこんでいるということを心配しながら、このような忠告をするのです。ですから、きょうの記念の日をしっかりと記憶しておきなさい。霊界もそのように決心するので、その霊界よりももっと決心することのできる祝福家庭、主体的家庭としての責任を完遂することを願います。 では、そのように知って、祝福を受けた家庭たちは、霊界と統一的な行動を行うのにはばかることなく、地上まで、子孫たちまで管理して脱線しないように防止することを願います。(二〇〇〇年十月十四日、天宙清平修錬苑)
2023.12.14
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第十三回「世界統一国開天日」記念礼拝の御言成約八年 2000年10月3日中央修練院 きょうは、何の日ですか? (「『世界統一国開天日』です」)。世界……。(「統一国」)。統一国……。(「開天日」)。「世界統一の国が開天した」、「天地のすべてのものが開かれた」と言うのならば、平和の世界が来なければなりません。喜びの世界が来なければならないのです。 皆さん。今から十二年前ですから、満十二年になりました。十二年後の今回のオリンピック大会ですが、それは、北半球の韓国でのオリンピック大会と南半球のオーストラリアでのオリンピック大会は対比するものなのです。ですから、オーストラリアでのオリンピック大会の閉会式のときには、国境がなく、国もなく、全員が自由に入ってきた、そのような閉会式が行われたのを見ました。 国連を中心として見れば、また、先生が国連に行って語った大会を中心として見ても、天地が一つになった立場で、国連は一つにならなければなりません。国連は、行くべき道を捜し出すことができずに一方的な方向に進んでいますが、一方的な方向に進んだまま戻ってくることができません。 それゆえに、進んでいったとしても帰ってくる道がないので、それでは“おしまい”になってしまうのです。ですから、行って帰ってくることのできる道を教えてあげなければなりません。それで、先生は国連に行って、み言を語ったのです。 どのようなみ言を語ったのかというと、「国境線撤廃」、「平和の世界をつくりなさい」ということです。それは、「国境線が生じることによって、このような世界が始まったので、このような世界を終えようとすれば、国境線をなくさなければならない」という、このような問題になるのです。 ですから、今、戦いの中にあるすべての国、また、先進国と後進国との間には、とても大きな国境線があるのです。東洋と西洋には文化の差があり、精神文化と物質文明の間にも障壁があり、南北間には貧富の差があります。北側の世界は豊かに暮らし、南側の世界は貧しく暮らしているのです。 このように、すべてのものに谷間が生じたのです。あちらにもこちらにも谷間が生じたのですが、“谷間”というものは、必ず二つの山があって生じるものです。ですから、谷間は平行線ではなく、必ず山に挟まれているので、このような国境線をどのように平地にするのかというのです。 今日、統一教会では、「世界平和統一家庭連合」と言っています。世界です。この世界のことを言うのです。世界をどのようにして一つにするのかというと、(まず)平和にならなければなりません。何よりも「平和」というものは、“平坦な和”にならなければならないということです。 北の方に暮らす人も、南の方に暮らす人も、東の方に暮らす人も、西の方に暮らす人も、先進国であれ後進国であれ、優劣、男女、老若にかかわらず、すべて水平にならなければなりません。水平から始まり……。 しかし、水平にだけなればよいというのではありません。それだけでは、平和の世界はできません。必ず相対がいなければなりません。「(世界)平和統一の世界」。このようになります。世界が何を願うのかというと、平和になることを願い、統一されることを願うのです。 それでは、世界平和統一してから、何をするのでしょうか? 世界を平和統一してから進むべきことは、天地統一平和ではありません。天地統一が定着するのではありません。世界平和統一家庭が定着しなければならないのです。分かりますか? 統一教会で直視していることは、すべての世界が水平となることであり、水平となった後における統一というのは、統率して一つになるということです。「統一」という意味は、そういうことです。「統率の“統”」です。このように見るとき、水平世界に何がなければならないのでしょうか? 何が支配するのですか? 軸です。縦的な基準、縦的な中心がなければなりません。 今日のアメリカが、いくら先進国だ、何だと言っても、アメリカには縦的な思想がありません。すべてが相対主義であり、そこには全体が一つになることのできる標準的中心がありません。国の形態はありますが、国の中に入っていけば、民主主義の与党と野党、上院と下院というように……。 縦的には、上院と下院を立て、横的に党が立ちます。そして全体を見れば、個々人が立つのです。個人主義を中心として、両党制を中心として、両院制を中心としてすべてが闘っているのです。このような所ではどこでも、国境ができているということです。 そのような世界においては、平和を成し遂げることはできず、統一を成し遂げることもできません。 さあ、それでは、なぜこのようになったのでしょうか? なぜこのようになったのですか? 人は本来、心と体が一つになるべきですが……。わたしたちが、そうではないですか? この人間を見れば……。万物世界を見ても、すべてペアシステムです。鉱物世界もペアになっており、植物世界もペアになっており、動物世界もペアになっており、人間世界も男女のペアになっており、天地も、天と地が、それぞれ主体と対象のペアシステムになっているのです。 では、なぜそのようにペアシステムになっているのでしょうか? ペアシステムにおいては、一つにならなければ存続することができなくなるのです。継続して生きていくことのできる道がなくなるのです。 それゆえに、プラスならプラス、主体なら主体、対象なら対象、マイナスならマイナス、それぞれ一方だけがあるときには、自分が生まれて死ぬまでの自分一代で終わってしまうので、ペアシステムからなる存在世界においては、すべてなくなってしまうのです。そのことを知らなければなりません。 皆さんが、統一教会に入ってきたときに聞いた、「この宇宙はペアシステムになっている」という話も、偉大な宣言であり、偉大な発見なのです。ですから、ペアになっていない世界は、滅びるか、なくなってしまうのです。 それゆえに、男性と女性も、いかなる団体を見ても、必ず主体と対象関係になっており、その関係というものは、二つが共に動き、共に暮らすということを意味するのです。ですから、この世界を見れば、政治関係、外交関係、すべて“関係”に関連しているのです。しかし、その主体と対象がなければ、関係という言葉は成立しません。分かりますか? 父子関係、夫婦関係、師弟関係、外交関係、経済関係、すべてが「関係」という言葉でつながっているのです。 これが継続するためには、必ず授け受けすることができなければならず、“それが、どのくらい永遠に続くことのできる内容になっているのか”という問題について見てみなければなりません。そうして見てみたとき、永く続くことのできる内容が十分であるとき、その関係は永く続いていくのです。分かりますか? (「はい」) この「開天日」は何かというと、天地に門がなく、すべてが通じることのできる時代に入っていくということを記念する日なのです。それは何かというと、国境を整備して、国境がなくなった自由な環境を持ち、思いどおりに天上世界や、世界のいかなる所でもすべて……。 今日の韓国や、日本の社会でも、ビザが必要であり、数多くの国があって……。このビザというものは、だれがつくったのでしょうか? 神様がつくられたのでしょうか? 一つの心臓を中心とした四肢五体が、血液を授け受けすることのできる循環路を持つことができなければ、病気にかかって長く生きることはできません。授け受けすることのできる動脈を中心として、運動することのできる関係が途切れれば、そこから“死亡”が入り込んでくるのです。終わってしまうのです。分かりますか? このように見るとき、永遠の主体と対象関係を結ぶことができるものとは、何でしょうか? これが問題なのです。それでは、「地球星の年齢はいくつか?」と言うとき、それはいくつでしょうか? 四十五億年くらいです。 では、四十五億年間存続するときに、ひとりでそのように四十五億年の長い歳月を過ごしたのでしょうか? そうではありません。地球星を中心として、星と太陽と月と、すべての宇宙とともに関係を結んで存続してきたのです。そして大宇宙を見れば、太陽系と同じようなものが数千、数万とあるのです。 この宇宙が、どのくらい大きいのかというと、先ほどもその話が出ましたが、二百十億光年の大きさです。二百なのか、二千なのか、二億なのか、“それをだれが分かるのか?”と思いますが、そのようなことを言っているのです。 宇宙の大きさは、二百十億光年です。光年とは何ですか? 一秒間に三億メートル進む速度です。秒速三億メートルという速度は、どのくらいですか? 一秒、チクタクと進む間に、地球の七周半分の距離を進む速度です。地球の七周半分の距離を行くのですが、それほど速い光が、ここから「よーい、どん」といって出発し、一日たてば、どのくらい進むでしょうか? 天文学界では、そのような光の速度で一年かかって進む距離を一光年というのです。 それをもって宇宙の大きさを「二百十光年」と言っても、“ああ、まったく、狂ったことを言う”と思いますが、二百十光年ではなく、二百十億光年です。今、そのような存在が連続しているとすれば、ただそのままひとりで大宇宙に浮かんでいるのですか? 違います。これは、すべて授け受けしながら……。 二百十億光年の大きさの大宇宙すべてが、そのような関係を持っているのです。ですから、空中世界の大きな星が落ちてぶつかれば、大変なことになるのですが、バランスを取って、変わらずに回っていくのです。 太陽系の太陽を中心として、地球はその周りを一年間かけて回るのですが、誤差があったとすれば、何億年、何千億年たつとどのようになっていたでしょうか? とてつもない破綻が起きていたことでしょう。 さあ、関係の世界というものを見れば、一人では関係を結ぶことはできません。わたし一人でいくら関係を結ぼうとしても、お母様がいなければ夫婦関係を結ぶことができるでしょうか? それから、関係というものは、授け受けしなければなりません。一つが昼ならば、一つは夜になり、一つが夜ならば……。それから、低い所から上に行き、上にいた人は今まで豊かに暮らしていたので、循環運動で回っていくのです。夜になり、また回っていくのです。回っていくとき……。地球が回っていくときに、何千年、何万年、このようにだけ回るのでしょうか? それで、三百六十度が必要なのです。分かりますか? 回る起点を中心として、三百一度で一回り、三百二度で一回り、一年に一度ずつだとしても三百六十年かかると見なさなければなりません。そして、このように長い時間がたてば、地球星はどのようにならなければならないでしょうか? 人類の歴史は、どのくらいになると思いますか? 皆さんは、「人類歴史は六千年」と言うのですが、そうではありません。何千万年です。「人類歴史は二百五十万年である」とも言われているのですが、それ以上かもしれません。 なぜ、このような話をするのかというと、そのような存在が宇宙に満ちあふれているのですが、その授け受けしている存在の間には、絶対に境界線がありません。それゆえに、この手ならば手を中心として、手の細胞や筋肉は(他の部分とは)違うのですが、それでも全体が和合することができ、一つの構造を持った人格体が形成されるということを思うとき、“自分の生命というものは、(それ自体だけでは)人格体を構成することができない、さまざまな分野における作用のバランスを取ることのできる主体的な力を持っている”と思うのです。 大宇宙が運動を継続することのできる原因となる根本の力は、どこから出てくるのでしょうか? このようなことが問題になるのです。これを見ると、李相軒氏もそう言ったでしょう? 霊界に入っていって夫婦が愛するのですが、八年目に霊界に訪ねてきた李相軒氏と妻が二人で、きれいな礼服を着て神様の前に行ってあいさつをし、それから何をしたというのですか? 「踊りを踊った」と言いましたか、愛し合ったと言いましたか? (「『愛し合った』と言いました」) 愛とは何ですか? キスすることをいうのですか、神様にあいさつしたことをいうのですか? 服を着て愛し合ったでしょうか、服を脱いで愛し合ったでしょうか? (「服を脱いで愛し合いました」) アダムとエバの時代にも、堕落する前のときに服を着ていましたか? そのときも「服を脱いで愛し合う」という、その「服」という言葉があったでしょうか? (「ありません」)。それでは何ですか? 裸で暮らしながら、裸で愛し合ったということです。動物が愛し合うときに、服を脱いだりするのですか? (笑い) 服というものは、堕落によって境界物になっているのです。それゆえに、最高に愛し合うときは、男性と女性が服を着て愛し合いますか、どうですか? わたしには、よく分かりませんが。(笑い) それでは、服を着て愛し合いますか、服を脱いで愛し合いますか? (「服を脱いで愛し合います」)。胸に着けるものは何ですか? (もし)それをつけたまま生まれて、夫は、それを右側の胸に着け、妻は左側の胸に着けていれば、それをはがして愛し合うでしょうか、そのままにしておいて愛し合うでしょうか? はがして、また着ければよいではないですか? そこには、ぞうきんはもちろんのこと、空気中のほこり、ナイロンの紙一枚でもくっついていてもはがしてしまうでしょうか、そのままにしておくでしょうか? (「はがしてしまいます」)。ついたてがあれば、“そのままにしておきたい”と思うでしょうか、“すべてをなくしたい”と思うでしょうか? それはどういうことですか? 本当に愛し合う二人の夫婦の間に、ついたてが必要ですか、必要ありませんか? (「必要ありません」)。どのくらい必要ありませんか? 「絶対に必要ない」という言葉を受け入れますか? (「はい」)。「受け入れない」という人は、手を挙げてください。 儒教の両班たちは、「ああ、教主様が座って、夫婦で愛し合う話をなぜするのか? ああ」と……。(「はい」)。「はい」とは、また何ですか? (笑い)何も分からないので、「はい」と言うのでしょう? (笑い) 「絶対に境界線が必要ない」というものは、何でしょうか? 絶対に境界線が必要ないもの。永遠に、永遠に、絶対、唯一、不変に境界線が必要ないものとは、何でしょうか? それは、真の愛しかありません。それが真の愛です。 夫婦で愛し合うにしても、ありとあらゆることをして、まだらの皮ぶろしきをかぶったり、何階建てのビルの屋上に立って愛するような(間に距離をおいて愛するという意味)あらゆる者たちがたくさんいるのです。 そのように、ありとあらゆることをしながら、境界線を間に置いて愛するのが真の愛ですか、偽りの愛ですか? (「偽りの愛です」)。何ですか? (「偽りの愛です」)。偽りの愛なのかどうか、どうして分かるのですか? 手で触ってみても分かります。五官で分かるのです。手で触ってみても、かちかちにこわばっているのです。 女性は柔らかいのです。柔らかいので、強いものを願います。男性は頑丈でなければなりません。それで、ひげが生えるのです。握るにしても、ぎゅっと握ってこそ刺激が来るというのです。女性は、手の骨も細いので、どんな刺激が来るでしょうか? ですから、ぎゅっと握らなければなりません。そうなのです。わたしは、よく分かりませんが。(笑い) それゆえに、大きい発電所、何十万ボルトを発電する発電所があります。そこで心棒というものが回っているのですが、心棒とは何か知っていますか? バビットメタル(錫を主成分とし、アンチモン・銅・鉛などを含む白色の合金)のような鉛のかたまりです。回る軸自体は、鋼鉄の中の鋼鉄です。鋼鉄の中の鋼鉄なのですが、それを支えているのは鉛なのです。バビットメタルというものです。分かりますか? 鉛のかたまりや真鍮というものは、反対のものです。そこに油が入って……。油が調和させるのです。それがシャフトと軸受けをくっつかないようにしてくれるのです。それで、シャフトは空中に浮かんでいるのです。これがくっついていれば、燃えてしまいます。すぐに燃え始めるのです。あっという間に問題が起きます。 それは、何がそのようにするのでしょうか? これが一度関係を結べば、お互いに譲歩し、お互いに助け合うことによって、すべてのものが支えるのです。高いものと低いものが和合しなければなりません。右側と左側が授け受けしなければなりません。 前と後が授け受けしなければなりません。上下、左右、前後が授け受けすれば、球形になるのです。球形の中心骨が生じます。見えませんが、三つの力が一つに合わさったので、骨が生じたというのです。ですから、骨があり、肉があり……。 骨は堅いのですが、肉まで堅ければ、どのようになるでしょうか? どのようになりますか? 骨と肉が、ぴたっとくっついて離れなければ、どのようになりますか? 皆さん、動物も焼けば、骨も肉もさっと抜けるでしょう? 落ちてしまうでしょう? それは何のためですか? 油があるからです。そのようになっていることを見ると、そこにはそのようなものが必要だというのです。 それでは、愛を中心として、完全に境界線がなければ、どのようになりますか? どのようになるでしょうか? 男性と女性の間隔がなければ……。男性は骨を象徴し、女性は肉を象徴するので、これが一つになるのです。だからといって、骨は骨であり、肉は肉なのであって、骨と肉が一つのものになってしまうのではありません。それらは、どのような力によって、一つに連結されているのでしょうか? 父母から受けた愛の力によってです。このようになるのです。分かりますか? 韓国の歌でもそうではないですか? 父親を通して骨をもらい、母親を通して肉をもらって生まれるというのです。心と体が完全に一つになれば、強弱を中心として一つになるのです。男性が“強”であり、女性が“弱”なのですが、その強弱を中心として一つになれば、これが人間世界における完全な人間なのです。 また、霊界にいらっしゃる見えない性相と形状の神様は、人間の見えないモデルでいらっしゃるのですが、そのような神様を中心として、骨に当たる神様と肉に当たる人間とが一つにならなければなりません。どのようなものによって一つになるのでしょうか? 間隔があってはなりません。一つの体になるためには、愛だけが、愛だけが一つにすることができるのです。 それゆえに、皆さんが、自分という存在を見れば、骨を中心として……。自分がこのような姿をしているのは、肉がこのような姿にしたのですか、骨がこのような姿にしたのですか? 骨がこのようにして、そこに骨が構成した……。 最近、実感することは、それはコンピューターのプログラムと同じだということです。目には見えませんが、小さなチップに数千数万の思想を入れることができるのです。それと同じように、プログラムとして形成されたものが、骨なのです。そのようなモデルが骨となり、その骨がプラスになっているので、プラスがそのモデルの形態を成せば、そのモデルの形態を備えたマイナスを吸い込んで、体になるのです。 ですから、人が“おいしい”と感じるものは、自分のプラス成分に対してマイナスの物が吸収され、それが一つになって、より大きくなる立場に立つことができれば、“おいしい”と感じるのです。それがマイナスとなり、小さくなり、なくなる立場に立てば“おいしくない”というのです。すべて、このようになっているのです。 では、愛するのは良いのですか、悪いのですか? (「良いことです」)。良ければ循環運動します。循環運動が起きるのです。ですから、愛は、自分を愛する愛、夫婦が愛する愛、家庭を愛する愛、そのように大きくなるのです。 個人、家庭、氏族、民族、国家の中心は、自分を中心とした、この一点です。皆さんも、自分を中心として主体になりたいでしょう? そうですか、そうではないですか? そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。耳が腐ってしまったのですか? 尋ねたら答えなければならないでしょう。韓国の人たちは、両班のようなふりをして、悪口を言って初めて目をぱっちり開くのです。(笑い)それは、幼稚園児よりも劣ります。 では、皆さんを中心として、“わたしの心と体が一つになって、わたしは主人になりたい”という思想がありますか、ありませんか? (「あります」)。夫婦でも、“わたしが主人になりたい”と思うのです。女性もそうでしょう? (「はい」)。それは何かというと、球形になるので、男性が前面ならば、女性は後面になるのです。そうして球形になり……。 それでは、男性と女性が球形になれば、男性も半分で、女性も半分でしょう? (「はい」)。その二つが一つになった完全なものは、何というのですか? そのような言葉はないでしょう? 半分と半分が合わさったものなので、「統一分」。(笑い)そのような言葉はありません。「円分」でしょうか? 何と言うのでしょうか? それは、皆さんがよく知っていることです。ですから、男性と女性は凸凹になっているのです。 凸凹を見て笑う人は、狂った人ですか、正常な人ですか? (「狂った人です」)。なぜ狂った人なのですか? (笑い)知らないときは分かりませんが、知ってから、それを見て「嫌だ」と言うのも狂った人であり、“おかしい”と考えるのも狂った人です。 その凸凹が、完全に一つになってウグイスのような声を出すのを聞くでしょうか、聞かずに逃げるでしょうか? (「……」)。きちんと答えてください。(「聞きます」)。何ですか? (「聞きます」)。何ですか? (「聞きます」)。 歌を歌うのを見ても喜び、訪ねて行って、それをするのを見て喜ぶでしょうか、悪く思うでしょうか? (「喜びます」)。そうですか? おじいさんとおばあさんが、それを見て喜べばどのようになりますか? お父さんとお母さん……。皆、隠れてしようとするのです。今まで、そのように暮らしてきたでしょう? ところが、わたしも霊界を知っていますが、李相軒先生の霊界報告書を見れば、神様の所にあいさつに行き、そこで夫婦で愛し合うのです。愛し合うや否や、どこからともなく色彩に覆われ、一筋に輝く明るい光が自分の心と体を包み込んで、恍惚と神秘の境地に至り、無限の喜び、無限の充満、無限の衝動を受けることができる境地に入っていくのです。 では、だれが愛することを喜ぶのでしょうか? この地上で、愛することを最も喜ぶ大王陛下、その王、チャンピオンがいるとすれば、それは一体、だれでしょうか? 統一教会の文先生でしょうか? 愛の哲学を世界的に発表し、そして、すべてからこのように崇拝される文総裁が、最も喜ぶでしょうか? 「文総裁以外に、もっと喜ぶことのできるかたがいるだろうか?」と言えば、わたしは、それをねたんで、「切り捨ててしまえばよい」と言うでしょうか? どうでしょうか? 文総裁がどうやっても、もっと大きな主人がいれば、そのもっと大きな主人のために反対するのではなく、吸収されなければなりません。大きいものが育つためには、小さなものを吸収しなければなりません。分かりますか? (「はい」)。分かりますか? (「はい」) 最も高い人間が生きるためには、この地上に生きている、すべての小さな万物を吸収し、のみ込んでしまわなければ、大きいものは生命を存続させることができますか、できませんか? (「できません」)。できます。(「できません」)。この者たち。(「できません」)。気分を良くしていますね。(笑い) そして、そのようにしてこそ回るので、植物が鉱物を捕食します。大きいものが生きるためです。もっと大きい愛の実体を成し遂げるための器は大きいので、それを満たすためには、小さな器は十個でも、百個でも、千個でも入っていくことができるのです。 それは、どういうことかというと、それを満たして存続する万物を生かすためには、生きている万物を消化して吸収してこそ……。よく吸収して、接ぎ木することができるようにしてこそ、人間も幸福な人になるのです。分かりますか? (「はい」) 鉱物を見て、「おい、鉱物。おまえたちは、何のために醜く、でこぼこな姿をしているのか?」と言えば、「それを言わないでください。固まった私の体が何百年、四十億年以上、億万年過ぎてみると、天地に大変化が起き、気候の変化や風化作用によって砕かれ、つぶれ、そして土になり、砂になり、このようにして万物が、すべて吸収するのです」と言うのです。 それでは、鉱物が「この宇宙め。なぜ植物が生まれたのか? こいつ、攻撃して撃破しよう」と言えば、どのようになるでしょうか? 大変なことになるでしょう? そこには順応するのです。ですから、鉱物の元素が植物の元素に吸収されるからといって、鉱物は反抗しません。反抗しないのです。 それでは、植物は「良い」と言わなければならないでしょうか、何と言わなければならないでしょうか? 「良い」と言わなければならないでしょうか、「悪い」と言わなければならないでしょうか? (「『良い』と言わなければなりません」)。「良い」ということは、何かというと、「おいしい、おいしい」ということです。 皆さん。おいしい食べ物を食べてうれしいときは、「おいしい」と言いますか、「おいしくない」と言いますか? (「『おいしい』と言います」)。では、人間だけが「おいしい」と言うのでしょうか? 鉱物の元素が植物を育ててあげるとき、植物は、それ自体のプラス性稟がそれを引き込もうとして、とても興奮するので、「おいしい」と言わないでしょうか、「おいしい」と言うのでしょうか? 人間のように、動物のように「おいしい」と言うでしょうか、「おいしくない」と言うでしょうか? (「『おいしい』と言います」) それから、この動物たちは何を吸収するのですか? (「植物です」)。植物です。動物たちは、植物も吸収し、自分よりも小さな万物(動物)を吸収します。分かりますか? 猫は、自分よりも小さいネズミを吸収して食べるのです。小さいものが吸収されるとき、「ああ、わたしは死ぬ」と言えば、どのようになるでしょうか? さあ、このように話していたら、一日たっても終わりません。分かりますか? (「はい」)。「愛するのを見ることを最も喜ぶかたは、だれだろうか?」というとき、皆さんの人類先祖のアダムとエバが一代の先祖です。 彼らが本当に一代の先祖なのかというとき、彼らは愛が分かりませんでした。愛を知っていましたか、分かりませんでしたか? 堕落した愛は知っていましたが、本当の愛を知りませんでした。神様の前から追い出されて愛することはできましたが、本当の愛は知りませんでした。神様が待ち焦がれ、早く花を咲かせなさい、早く香りを漂わせなさい、ちょうが飛び回るように、その香りを求めて天使が飛び回り……。 天使たちが皆、降りていったので、王である神様も飛んでいかれるのですが、そのとき、見物するために、アダムとエバが愛し合う所に来ていた天使たちは、道を開けてくれるでしょうか、開けてくれないでしょうか? (「……」)。ああ、話を聞いているのですか、聞いていないのですか? (「開けてくれます」)。開けてくれるのなら「開けてくれる」と言わなければならないでしょう? 尋ねているのに、なぜ答えないのですか? 真の父母も何も、すべて関係ないようですね。真の父母と関係がありますか、ありませんか? (「あります」) わたしは、何の話をしようとしたのですか? あなたたちを、死の境地から生きることのできる人にしようとしているのですが、生きようとすれば、死の境地において、死ぬ力よりももっと力を使ってこそ、生きることができるでしょうか、より小さく使ってこそ生きることができるでしょうか? (「もっと使わなければなりません」)。それが分かれば、よいというのです。 「世の中のどこに、そのような先生がいますか? 力を使わずに生きることができるようにしてくれるべきでしょう?」。そのような道理はありません。しかし、この世の中で、死の境地よりも、もっと力を使おうというかたを捜してみれば、それはだれかというと、世の中では統一教会の文先生という人しか存在せず、天地では神様しかいないのです。そのように言うとき、それでも(神様と真のご父母様が)必要ですか? (「はい」) 見てください。今まで、このように一緒に歩んでいたのですが、百八十度“回れ右”してこそ……。黄金の塊を差し出して、それを手でつかもうとしているのに、「“回れ右”するのが最も福がある」と言うとき、どのようにするつもりですか? (「“回れ右”します」) 「最も福がある」と言うのも、(見える)人ではありません。神様は、言葉が聞こえるだけです。言葉しか聞こえなければ、これ(黄金の塊)をつかんで“回れ右”しますか、つかまずに“回れ右”しますか? (「つかまずに“回れ右”します」)。なぜですか? どうしてですか? (「それよりも、もっと大きな福があります」)。もっと大きな福があるかどうかは分かりません。 “神様が必要だ”と思って、“回れ右”すればよいのです。神様とは、だれですか? わたしたちのお父様です。自分よりもお父様の大きなふろしき包みに入っていないものがないので、お父様がそのように言われれば、“回れ右”して損害を受けるでしょうか、受けないでしょうか? (「受けません」) 「ああ、お父様。その宝の山はどのようになりますか?」 「宝の山がどうなるも何も、ここにあるではないか? ここにあるものは何か? どろぼうのような男性の所に行って何をするのか? 『それよりも、もっと良い宝の山を上げよう』と言えば、それを受け取るか、受け取らないか?」 「受け取ります」。「では、あなたは、その宝の山よりももっと愛するのか、愛さないのか?」。「愛します」。そのようにして与えてくれるものが、何でしょうか? 独り子です。その独り子は、神様の何千万代の独り子です。七代の独り子が病気になっても、道知事が訪ねてくるし、国の殿様が訪ねてきて、あいさつをするというのですが、何千代のひとり息子がそのようになれば、そのひとり息子に対する贈り物は何でしょうか? 答える人は早く手を挙げてください。(「真の愛です」) なぜ、真の愛なのですか? 真なる女性でしょう? (笑い)女性に出会って、愛はそれからでしょう? (拍手)愛は、一人でするという道理はありません。そうですか、そうではないですか? そうだというなら拍手してください。後ろの方は聞こえますか? (拍手)では、じっとしていてください。このようにしないでください。(拍手) 「宝をどうするのか」と言うとき、“宝というのは何だろうか?”と思って……。それでは、“もっと良いものとは何だろう?”と思って、神様に「もっと良い礼物とは何ですか?」とお尋ねすれば、「それは、おまえが最も喜ぶ……」と言われるのです。 それゆえに、何千代の男性から何千代の女性、すぐそばで育てば、よく分かりますが、何千代も過ごしてから宝物として女性を与えられれば、女性を見て“変だ”と思うでしょうか、思わないでしょうか? 女性の目を見ても普通でなく……。違うというのです。目を見ても普通でなく、ひげがあるでしょうか、ないでしょうか? そのときに脱いで現れるでしょうか、着て現れるでしょうか? すべてを触ってみれば、目も同じで耳も同じですが、何か出っ張っていて、おしりが大きく、そして自分には袋のようなものがぶら下がっていて、“これは何だ?”と思うのです。(笑い) 不思議で“触ってみたい”と思うでしょうか、“触ってみたい”と思わないでしょうか? (「“触ってみたい”と思います」) それでは、どこから触ると思いますか? 上から触っていったでしょう? なぜですか? 手は高いものを好むからです。てっぺんから、ああ、髪の毛はこうで、耳がこのようになっていてと、このようにするようになっているのです。そして、「ああ、また女性のこれは何だ? 前の南ナム山のようなものが二つある。わたしが必要なのは一つなのに、なぜまた二つあるのか?」あらゆることを考えるというのです。 そして、「おしりは、なぜまた、このように男性よりも大きいのか? 男性は肩のほうが大きいのに、なぜまた、下のほうが大きいのか?」と、このように思いながら、手探りする手をとめて、おしりを触ってみたでしょうし、また前の方も触ってみたでしょうか、触ってみなかったでしょうか? 触るときに、女性が驚いて「あっ」と声を張り上げるでしょうか、どのようにするでしょうか? じっとしているでしょうか、騒ぎ立てるでしょうか? (「騒ぎ立てます」)。(笑い)研究してみてください。 しかし、その女性が、男性よりももっと男性を慕い、何億万代のひとり娘だとすれば、男性がやってきて触るのをびくびくするでしょうか? 血管が引っ張られ、へそが引っ張られ、「ああ、心臓が大変なことになった」と言うでしょうか? 気分が良いでしょうか、気分が悪いでしょうか? (「良いです」)。わたしは分かりません。 女性たち、答えてみてください。気分が良さそうですか、悪そうですか? (「良さそうです」)。「何々そうだ」というのは、「そうではない」ということと変わりません。それでは、良くなければならないでしょうか、悪くなければならないでしょうか? (「良くなければなりません」) では、女性が男性を見れば、関心が行くでしょうか? 男性が千代の独り子であれば、女性は万代の独り娘として、千代の男性を何千代慕ってきたとすれば、その男性を見ただけでも、ぼうぼうと火が燃え上がるはずですが、頭を触るからといって、さっとするでしょうか、びくっとするでしょうか? (ジェスチャーされる) “早く、早く触ってください”と、このように体が行くでしょうか、行かないでしょうか? ああ、女性が答えてください。そのようにすれば、わたしが面白い話をするのです。(笑い)「悪くない」ということが、全体公論なのです。 男性は、どうでしょうか? 「おかしい、おかしい、一度触ってみても、嫌がらない、おかしいな……」。“一度喜んだから、二度目は嫌がるだろう”と思って手を握ると、手をぎゅっと握って放しません。そのようにすれば、どのようになるでしょうか? 放さずにじっとしていれば、どのようになるでしょうか? 女性は、引っ張られて触ってくれることを願うのです。 では、結婚したかたがた、仲睦まじい夫人は、夫の手がすっと背中に来れば、自分の胸に手を引き寄せるでしょうか、引き寄せないでしょうか? それを悪く言う者たちは、地獄に行く人々です。(笑い)堕落する前の世界のことを話しているのですが……。分かりますか? そのような女性は、手を引いてきてどこを触らせようとするでしょうか? 最初に唇を触らせようとするのです。女性は唇を愛するでしょう? 愛しますか、愛しませんか、この者たち。(「愛します」)。悪口を言って初めて正気に戻りますね。唇を愛して、口に手を当てるのです。それから、下っていけば、……。 さあ、これを話すのは、わたしも申し訳ないと思います。しかたなく話すのです。(笑い)話さなければ、悪い教材になるので、しかたなく話をするのですから、悪口を言ってはいけません。悪口を言えば、悪口を言う口がくっついてしまい、体の貴いものが故障するように神様が罰を与えるとすれば、どのようにしますか? 目を見開いて、舌をかみながら我慢しなければならないでしょう? 考えてみてください。それならば、頭を触り、唇で……。(「吸います」)。 さあ、このくらい話をすれば分かったでしょう。それでは、その後はどうなるでしょうか? 女性は、男性がどのような男性なのか分かれば、自分の一番の密室に連れていくでしょうか、連れていかないでしょうか? そして、男性が逃げていったらどうしますか? 逃げていったら、ついていきますか? (「はい」) それでは、追っていっても、追いつけなくなったらどうしますか? 座って死にますか、泣きますか? (「泣きます」)。男性は、それほど悲しんで泣く女性を見たことがないので、女性が泣きやめば、“死んだのか、生きているのか”と思って戻ってくるでしょうか、そのまま行ってしまうでしょうか? (「戻ってきます」) 戻ってきて、女性がじっとしていればどうしますか? (「揺らしてみます」)。座り込んでいるのを見ると、“自分よりも重いだろうか……。この三倍くらいの石でも持ち上げられるが、動かないのを見ると死んだのかもしれない。持ち上げてみよう”と思い、さっと持ち上げてみて軽ければ、ほうり投げるでしょうか、抱き抱えるでしょうか? (「抱き抱えます」)。抱き抱えれば、女性が顔を真っ正面に向き合わせるでしょうか、どのようにするでしょうか? キスしますか、しませんか? (「キスします」)。にこにこ笑いながら「ああ」……。(笑い)もう、やめましょう。(笑い) ですから、神様が贈り物を下さるときに、最も貴い贈り物として黄金の山やダイヤモンドの平原を男性に下さったとしても、それが何になるというのですか? それを必要としますか、それとも女性をもっと必要としますか? (「女性を必要とします」)。どうしてですか? 黄金の床や、ダイヤモンドの平原、色とりどりの宝石でできた大きな山があるとしても、「ぺっ」。(つばを吐かれるジェスチャーをされる)なぜですか? 女性がいれば、息子、娘を生んで育てることができるのです。分かりますか? (「はい」) 皆さん、息子、娘が必要ですか? (「はい」)。男性がこのようになっていて、女性がこのようになっているのは何のためですか? 愛ゆえにこのような形になっているのです。愛が喜び、男性と女性の生命が喜び、すべてが喜び、血統が喜ぶのですが、それは何のためですか? 息子、娘を持つためです。 血統を連結させなければ、血統を通さなければ、おじいさんと息子、娘、父と孫、三代から何千代へと代が連結されません。分かりますか? 何代もの世代が連なっていくのです。それゆえに、女性がいなければ愛も問題ですが、息子、娘を永遠に持つことができますか、できませんか? できますか、できませんか? (「できません」)。ダイヤモンドがあったとしても、何をするのですか? 「ああ、良い」と、千年万年愛しても、何も残りません。 息子、娘を持ち、それから何をするのですか? (息子、娘を持つ前に)自分が妻を迎えることのできる人、夫人を愛することのできる人にならなければなりません。夫人を愛することのできる人になり、それから、息子、娘を持ち、息子、娘を愛することのできる主人になるのです。それで終わるのですか? 自分が四十、六十、七十歳になれば、息子、娘が成長して孫を生み、さらに孫が大きくなって三代、四代までが一つの家で暮らすことができるようになるのです。八十歳を超えれば、三代が問題ではありません。四代の子孫が連結されるのです。分かりますか? 先生もそのような時が来ました。八十になると、聖進の息子、娘も赤ん坊を生むようになり、四代になるのです。そのように家庭を愛することができるのです。上下を愛することができ、左右を愛することができ、前後を愛することができる一つの球形の形態を備えて定着するようになったものが、家庭なのです。分かりますか? (「はい」) 家庭です。いくら優秀な男性でも、女性という怪物と出会わなければ、永遠に妻を持つことができるのですか、できないのですか? (「できません」)。できません。自分が百回、千回死んだとしても、愛したい息子、娘は永遠に生むことはできないのです。息子、娘に、与えて忘れ、与えて忘れるという愛を行うことはできません。そしてさらに、息子、娘を中心として孫……。 愛を必要としない人は手を挙げてください。愛が必要な人は手を挙げてください。それは、だれが手を挙げなさいと言ったのですか? (笑い)だれが手を挙げなさいと言いましたか? いくら愛を願って手を挙げたとしても、相対がいなければ愛は永遠に現れません。 男性が男性であるのは女性がいるからであり、女性がいるがゆえに主人の名をもって生きることができるのです。分かりますか? 女性がいなければ何ですか? それは、男性でもなく、女性でもありません。なぜですか? 女性が女性でありうるのは、男性という動物がいるからであり、男性がいるがゆえに“女性主人”の名をもつようになったのです。 それゆえに、父母は、りっぱな息子、娘を持って初めて父母になるのではありません。父と母のふたりが、息子、娘を生むことができなければ、永遠に子女を愛することのできる心を見いだすことはできません。それは、正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」)。正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」) 父と母の愛が生じるようにしてくれるのは、父と母自身ではありません。できが悪くても、息子や娘がいるがゆえに、父と母は父母の愛の主人となることのできる資格者になるのです。それは正しい話ですか? (「はい」) だれが父と母に愛の主人の資格をつくってあげたのかというと、できの悪い息子であっても、病気の息子であったとしても、愛する心を持つことができるようになったのはその息子ゆえなのです。父母が千年万年、子女を愛する心を持っていても、子女がいなければ、与えて忘れ、さらに与えてももっと与えたいという愛の心には永遠に出合うことはできません。 息子、娘を願わない女性は手を挙げてください。息子、娘は願っても、嫁には行かない、という女性は手を挙げてください。最近、風変わりな女性がたくさんいるではないですか? 「どうして男性が必要なのか?」と言う女性です。それは、原則的な法に背いて“どろぼうをしよう”という女性たちです。 最近では、フリーセックス時代が来たので、「自分がだれの子を宿したのか分からない」と言うのです。「その中で、馬賊団の一番の親分のような、マフィアの大将のような者と関係……。その子供がわたしのおなかの中で育つということを考えると夜も眠れない」と言って、神経質になり、堕胎したり、産むや否や目をつむってごみ箱に投げ捨てる母親も出てくるというのです。 これは、どれほど悲惨なことでしょうか? 自分の純潔な血筋によって神様の愛の代を受け継いで、真なる男性、真なる女性、愛は永遠なものなので……。(一部録音されていない) ……中心として愛の関係を結ぶようになるとき、妻を愛することのできる主人の資格をだれが夫にもたらしてくれたのでしょうか? 夫が千回、万回死んだとしても、女性を愛することのできる主人になることはできません。このことを知らなければなりません。 夫人たち、分かりますか? 「この男 女性を愛することのできる愛の主人の立場をだれがつくってあげたのか分かっているのですか? わたしだということを知っていますか? この男は」ということです。このことを知りませんでした。分かりますか? 愛の平準化の価値がどのようなものなのかを今、分かったのです。 男性が女性を愛することができ、主人になることができるようにしてくれた者は、初愛によって因縁を結んだ女性であり、それゆえに女性を愛することができるようになったというのです。わたしの心と体に女性の愛が染み込むように、それがどれほど必要なのかということを……。分かりますか? 女性も、同じことです。天下の花の中の花であり、香りの中の香りが漂い、千年万年、酔いしれて歌を詠じることのできる美人だったとしても、また美人でなかったとしても、目鼻がなく、すべてがない、それらが一つしかないような男性であったとしても、男性がいて初めて愛を感じることのできる衝動が発動するのです。失礼ですが、それは正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」) いくら死んだ男性がうつ伏せになっていても何も感じませんが、生きている男性であれば女性は動じるのです。分かりますか? (「はい」)そして、人は家庭を愛します。おじいさんがいなければ、おじいさんのことは分かりません。おじいさんがいなければ、おじいさんが孫を愛することはできません。その味がどのようなものなのか分からないのです。 お母様が赤ん坊をたくさん生みましたが、昼間、活動して夜十二時を過ぎて帰ってくると、子供が十二歳になるまではキスして祈祷してあげました。しかし子供たちは、疲れていびきをかいて寝ているのに、どうしてそれが分かるでしょうか? お父さんがキスしてくれているのかどうか分からないでしょう。寝ていれば、背負子で背負って何十里を行っても気がつきません。「ああ、そんなものか」と言っていたのです。 ところで、孫を見ると、孫は息子、娘とは違います。その足元から……。足元から何ですか? 足元から波動が来るのです。どういうことか、考えてみてください。お乳も飲ませてあげ、このようにして見てみれば、母親とおばあさん……。おばあさん(真のお母様)がわたしに「お父様がおっしゃったことは本当でした。自分の子供よりも孫がどうしてこれほどかわいいのでしょう? どうしてこれほど美しいのでしょう?」と言うのです。 どこかに行って帰ってくると、孫の名前を呼んで「だれだれ、いるの?」と言い、孫がこのようにするの(=よちよち歩く姿)を見ると、お母様も一緒にこのようにしながら抱き抱えてためらわずにキスしてあげるとき、“わたしをあのように一度でもキスしてくれたことがあっただろうか、覚えていないが……”と思うのです。(笑い)ですから、おじいさんが孫を見れば、老いても孫をさらに愛していかなければならないので、愛がどんどん深くなるのです。 それゆえに、年齢が八十になれば、痴呆症になって町内にうわさが立つこともありますが、自分が愛する人は忘れません。自分の夫の名前もすべて忘れてしまいます。自分の母を、「お」と言って「かあ」という言葉を忘れてしまい、「かあ」という言葉がどこに行ったのか捜すのです。自分の妻の名前が金キム某ならば、「金」と言って次の言葉を捜し回るのです。忘れてしまうのです。思い出せそうで、思い出せません。 そのようになったとしても、愛する息子よりも愛する孫は、いつでも訪ねていくことができるというのです。ですから、おじいさんの愛を受けることが幸福であり、おばあさんの愛を受けることが幸福なのです。おじいさんとおばあさんに侍ることができず、一緒に暮らすことができなかった人は、不幸な孫、孫娘であり、不幸な男性、女性なのです。 おじいさんとおばあさんの愛を受けることができなかった人は不幸な人であり、おじいさんとおばあさんの愛を受けて暮らした孫、孫娘は人の中心として使うにふさわしい人になるのです。(「アーメン」) アーメンと言ったら感謝しなければならないでしょう。(「感謝します」)。「アーメン」という言葉は「み言のとおりに成されます」ということです。おじいさんの所に礼物が包んでおいてあれば、おじいさんを見てにこっと笑って、それを見て「感謝します」と言うとき、おじいさんが何と言うでしょうか? 「こいつめ」と言うでしょうか? 「感謝です」と言われたときには、その礼物をくれるのです。 さあ、それでは、男性の前に女性がいることによって、自分が父母の前に夫婦として家庭を持つことができるのです。父と母の前に孝行の道を行くことのできる関係的相対の位置に立つのです。おじいさんとおばあさんが二人でいるのに、一人だけでよいでしょうか? 分かりますか? (「はい」) 父と母が夫婦で暮らしているのに自分一人だけでよいでしょうか? 楽しく暮らす父母の前に、もっと楽しく暮らす息子、娘の夫婦が来てあいさつするとき、気分が良いというのです。分かりますか? 三代まで、孫までいればどれほど……。それが家庭です。三代が一緒に暮らし、四代が連結されて家庭を成すようになるとき、それが幸福な家庭なのです。 それでは、自分の家におじいさんとおばあさんがいなければならないでしょうか、父と母がいなければならないでしょうか、自分たち夫婦がいなければならないでしょうか、息子、娘がいなければならないでしょうか? すべて必要でしょう? (「はい」) それが世の中において、上下関係、左右関係、前後関係、すべてが必要なのです。三段階です。このようなことを中心として、四番目というものは何かというと実であり、そこから新しい出発です。孫、三代以降から枝が出始めるので、種の中にこの三つが、上下、前後、左右が連結された家庭的土台の中で実を結ばれたものが……。これがすべてを表しているのです。 これを見て、動機と同じように実を結んだので、この実の作用によって種が増えれば、それを蒔いて赤ん坊が生まれ、大きくなってその種と同じようにおじいさんとおばあさんになり、父と母になり、それから夫婦になって息子、娘を生むのです。そのような種ができ、一つの種から数十、数万の種が広がっていくのです。分かりますか? 上、中、下です。 この上、中、下の上下関係の中心が空いているのです。それから左右です。左右と言いますか、右左と言いますか? 左右というのは夫婦関係ですが、反対になっています。上下と言えば順序が合い、本来、右左と言うべきですが、なぜ左右と言うのですか? 反対になっているのです。それから、前後です。後前ではなく前後が正しいのです。男性と女性が堕落したので反対になりました。上下、左右、前後です。 高等学校を出た人は分かるでしょう。設計をするときに、点を打って、そこから線をこのように引けば球形になります。りんごのように丸くなるのです。これを半分に割って、さらに割って数えてみれば十二切れになりますが、十二切れはどの角度に合わせても合います。上弦、下弦、前弦、後弦はもちろん、右弦、左弦のどこにはめてもぴたりと当てはまるのです。相克がないので、電気を例にあげればロスがかからず、負荷がかかりません。愛によって平和がなされたところは、損害を受けないというのです。分かりますか? ですから、上下、左右、前後の中央の位置に神様がいらっしゃるのです。サッカーボールで言えば、サッカーボールがすべてこのようになって交差し、お互いに押し合っているのです。表面は丸くなっているのですが、いつどのように置いても九十度です。九十度の角度です。球形を成すのです。そのような球形的形態のモデルがなければなりません。神様は、そのモデルを中心として定着しようとするので、男性だけでも、女性だけでもだめなのです。 男性と女性、凸凹が必要なのは何のためですか? (「愛のためです」)。男性と女性はほとんど同じですが、一つだけ違うのです。そのことを、生理的に否定する道理がありません。女性の所有物に自分のものは一つもありません。地があれば、地からはあらゆるものが出てきますが、地自体には何もありません。 女性として息子、娘を育て上げますが、母親自体には何もありません。骨と肉と血だけがあるのです。そこに必要な付加条件とは何かというと……。胸は女性のものではありません。だれのものですか? 赤ん坊のものです。なぜお尻が大きいのですか? 骨盤を押し広げて出てくる赤ん坊のためではないですか? 赤ん坊が住む家があるでしょう? それを何と言うのですか? 子宮というでしょう? 子宮は女性のものですか? 子宮は自分のものですか? 胸は自分のものですか? なぜかわいらしい顔をしているのですか? 女性が自分で見るためですか? 女性は、化粧をしながらいろいろなものを塗ります。昔は薄赤い色を塗っていましたが真っ赤な色を塗るようになり、最近では青い色を塗るようになって、まるで死んだ血のような色を塗るのです。真っ黒なものを塗りますね。(笑い) 春の季節にはピンクに近い赤が春の園を美しく彩るのですが、これは何ですか? たたかれてあざになったような青い色を唇に塗っています。そして、最近では、死んだ色を塗るのです。真っ黒にです。それで、「これが良い」と言います。女性がすべての時代相を現すのです。 着ている服を見れば、亡国の僕なのか、興国の僕なのか分かります。原色は何種類ですか? 三種類です。男性を見れば、白か黒いもの、そうでなければ青です。男性はそうではないですか? 反対なのです。 女性は、まだらのあらゆるものを……。そのようにきれいな服を着た人で、部屋で昼寝するためにきれいな服を着る人を見ましたか? 休むために別荘に行けば、寝巻を着たり、動きやすい服を着るのであって、そのような所できれいな服を着る女性を見ましたか? さあ、風が吹くままに行ったり来たりする人が幸福な人ですか、不幸な人ですか? (「不幸な人です」)。木はどうですか? 台風が吹き荒れて激しく揺さぶられ、そのような中で生き残ろうとすれば、根が深くならなければなりません。 枝も折れてゆらゆらすれば、自分でも気分が良いでしょう。気分が良いと同時に、根が浅くなりますか、深くなりますか? 女性たち、どうですか? 風が吹くままに歩き回れば、根が深くなりますか、浅くなりますか? (「浅くなります」)。木と人間は反対です。 さあ、それでは、きょうは何の日だというのですか? (「世界統一国開天日です」)ええ、何ですか? (「世界統一国開天日です」)。開天といっても、水が流れていく開川ではありません。(韓国語では「天」と「川」の発音が同じ)開天しようとすれば、一人でできますか、できませんか? (「できません」)。夫婦だけでできますか、できませんか? (「できません」)。何ができるのですか? 開天節に開天することができるのは、家庭です。 それで、「世界平和統一家庭連合」なのです。世界平和統一した家庭を集めて、連合の体制を備えなければならないということです。分かりますか? 開天節の目的は何かというと、神様の本然的愛を中心としてどこに行っても妨げるものがなくなることです。 アメリカのすずめが春の季節に韓国に移ってきて、一週間過ぎた後に卵を産んでひなが生まれるでしょうか、生まれないでしょうか? (「生まれます」)。人種差別がありますか? (「ありません」) すずめはそうであり、アメリカのきじと韓国のきじは結婚しますか、しませんか? (「します」)。しますか、しませんか? (「します」)。三八度線から上の北朝鮮の鳥と韓国の鳥、また動物は行ったり来たりしませんか、しますか? (「します」)。“地雷があって爆発するかもしれない”と思い、危険を知って行ったり来たりしますか、危険なのかどうか分からずに行ったり来たりしますか? (「分からずに行ったり来たりします」) 「以前、母親が(地雷を踏んで)死んだ。自分と同じおなかから生まれた兄弟が死んだ」と言って、それで終わるのですか? それでも行ったり来たりするのです。蛇も行ったり来たりし、いちばん嫌いな虎でも何でも、思い通りに行ったり来たりするのです。人間はどうですか? それは、だれがそのようにしたのですか? (「サタンです」)。ええ、何ですか? だれがそのようにしたのですか? (「サタンです」) 国境線をだれがつくったのかというのです。(「サタンです」)。それを知らなければなりません。国境線がある所にはサタンがいます。怨讐がいる所には悪魔がいるということを知らなければなりません。だれが国境線を守っているのかというと、悪魔です。 皆さんの心の中には、国境(境界)線がどのくらいありますか? 自分たちの目を中心として、良いものと悪いものを見分けることができなければなりません。良いものだけを見ることを心は願うのですが、体は悪いものを見なさいと言うのです。自分を破壊するもの、国を否定し、家庭を否定し、自分を否定するものは破壊的なので、それを見てはならないはずですが、それを見ようとするのです。 いちばん破壊的な、危険物の中の危険物とはどのようなものですか? 爆弾は、爆発すれば一度その環境に被害をもたらすだけですが、最も恐ろしいものは間違った愛の遊びです。それは、一代だけではなく、国を滅ぼしうるのです。永遠にです。このようなことを考えるとき、人類始祖が堕落したというのは何によって堕落したのでしょうか? 愛の問題です。愛の問題なのです。 きょうは、「世界統一国開天日」ですが、先ほど訓読したように、多くのことを経てきました。先生がそれらを越えるために苦労したのです。結論は何かというと、今、修練をしていますが、先日、清平で何をしたといううわさを聞きましたか? (「入籍祝福式です」) 「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。すべてが含まれています。世界統一国開天日を宣布したのはオリンピックを……。これが今年のオリンピック大会です。わたしが国連に行って演説したときも、皆、価値観を放棄していましたが、今年の国連総会ではすべての国々の指導者が集まり、「価値観を設定する時になった」と言うのです。 自分勝手に暮らし、放縦に近い生活をしていた者が全員……。それは、そのようにせざるをえません。そして、文先生が語ったことをすべて知っているのです。すべて知っています。わたしは見栄えが良くはなく、それほど大した男でもないのですが、文総裁は有名です。有名ですか、有名ではないですか? (「有名です」)。どれほど有名ですか? どれほど有名なのか知っていますか? わたしが何か一言、失言しただけでも、世界が騒ぎ立てるのです。今まで、わたしがこのような凸凹の話をすると、「この教主」という言葉も聞きました。それで、「最も愚かな教主」というネームバリューがつきました。 郭錠煥会長がロンドンに行って、今日の世界で我こそはと飛び回るネームバリューをもった人を四十か国から約五百人集めて大将の振る舞いをするのですが、それは大したことだというのです。 優秀であるという人が統一教会に来ると、顔を上げることができずに帰っていきます。ここにいる皆さんは優秀ですか? 優れていますか、愚かですか? (「愚かです」)。ここに愚かな女性たちが来て大きなことを言っています。今では、そのくらい有名なのです。 現在アメリカでは、町内の教会ごとに統一教会の家庭連合旗を掲げる超宗教的な運動が広がっています。それから何ですか? 文総裁夫妻の写真を自分の家に掲げるのです。それから何ですか? 連合教会です。アメリカには教派が多く、宗派が多いがゆえに、家庭が破綻したのです。 一つの家に十人いれば、十宗派、十教派の人々がいて、義父の教会、義母の教会、嫁の教会、夫の教会、息子、孫の教会と、すべて違うのです。このようにして、聖日になれば、ひそひそと、「お父さんの教会に行こう」、「おじさんの教会に行こう」と言いながら引っ張っていくのです。ですから、教会も定着することができません。 教会も問題なのです。一か所だけに通っても定着できるかできないかなのに、歩き回りながら宣伝し、うわさを聞いてさまよい歩くので、何の財産もなく、根本もなく、のらりくらりとイナゴのようにさまよい……。そのようなことをしているのですから、家で息子、娘が育って青少年になっても関心を持つことができますか? このような牧師たちを追い出さなければならないというのです。 また、その峠を越えれば、宗教団体を中心としてある教派が霊験あらたかだと言えば、こそこそしながらこちらに引っ張ったり、あちらに引っ張られたりして、どちらが本物なのか分かりません。分かりますか? ですから、家庭を中心として、青少年たちが定着すべき学校を見てもその闘いであり、社会に出ても宗教の闘いなのです。それゆえに、思想でも何でも、若い人々が一つのところに定着して自分の生き方を考え、行くべき道を築こうと考える人は一人もいなく、毎日のように奔走し、我知らず複雑なところにどんどん追い込まれていくのです。それで価値ある人になることができるでしょうか? 最近それを知って、私が訓示したのですが、「このようですから、アメリカは間違いなく、家庭と青少年の破綻によって滅びるようになりましたか、なっていませんか?」と言うと、全員が「そのようになりました」と言うのです。「そのようにならない道を教えてあげましょうか?」と言うと、「教えてください」と言うのです。 すべての教派闘争を撤廃しなさい 拍手しなければならないでしょう。(拍手)それから、宗派闘争を撤廃しなさい。 (「アーメン」)。(拍手)人種闘争を撤廃しなさい。 (「アーメン」)。(拍手)主義闘争を撤廃しなさい。 (「アーメン」)。(拍手) 闘わずに一つにする、そのような本質的で、方向的で、目的的な存在はお一人だけいらっしゃり、千年前も一万年後でも同じでありつづけることのできる主人がいらっしゃるのですが、その主人とはだれですか? “一人しかいない王”という意味で“ハナニム(神様)”しかいません。ノーメン。(「アーメン」)。(拍手) すべては神様が分からないため、そうなっているのです。神様が分かるようになるときには、教派闘争が停止し、宗派闘争が停止し、人種闘争が停止し、文化格差がなくなり、闘争というものはなくなり、国境はなくなるのです。(「アーメン」)。(拍手) さあ、きょうの総結論を下しましょう。神様が必要であるということを考えてみた人……。ここにいる人は皆、知っているでしょう。神様を知らない人、手を挙げてください。神様を知っている人、手を挙げてください。分かりますか? 男性にとって、神様は女性よりも貴いですか、貴くないですか? (「貴いです」)。女性にとっては、男性よりも貴いですか、貴くないですか? (「貴いです」)。なぜですか? どうしてですか? 神様は男性が生まれることができる父親であり、女性が生まれることができる父親なのです。いくら息子、娘が貴いと誇っても、父親がいなければ息子、娘は存在できません。分かりますか? いくら「息子、娘が良い」と言っても、父親が生まれた後でこそ、息子、娘が生まれるので、息子、娘よりももっと貴いのです。 ですから、男性は女性よりも、女性は男性よりも神様がもっと好きでなければなりません。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。このことは、すべて整理されましたか? (「はい」) それでは、どのくらい好きですか? また、息子、娘を中心として、神様は息子、娘の何を好まれるのですか? 男性の前に女性が一つになることです。分かりますか? 女性の前に何ですか? 男性が一つになることです。何によってですか? 手段によってですか? お金によってですか? 知識によってですか? 権力によってですか? 強制的にですか? 何によって一つになることを願うのですか? 自然的、自然にです。そこでは、強制は通じません。自然にです。朝、太陽の光がさせば、眠っていたすべての山川草木の芽までも太陽の光を歓迎するのです。枝や木はもちろんですが、葉や芽までもすべて……。 神様の願いは何でしょうか? 神様はどのようなおかたでしょうか? 父母の中の父母であり、それから師の中の師であり、それから何ですか? 主人の中の主人です。(「王の中の王です」)。そうです、王の中の王です。(ですから)主人の中の主人ではないですか? 神様は、そのようなおかたです。それでは、神様というおかたは、どのように暮らされたいでしょうか? 父母の中の父母として暮らしたいと思われ、師の中の師として暮らしたいと思われ、王の中の王として暮らしたいと思われるのです。 それでは、その神様とはだれですか? 人類のだれですか? お父様というおかたです。そのお父様が息子、娘を生み、「神様の家庭をつくろう」と言われるのです。そうですか? それは間違いないでしょう? 神様の家庭をつくり、心の底から心全体まで、どこでも自由に通じるのです。体の底からどこでも自由に通じるのです。 それで、男性の神様、女性の神様、男性である息子、女性である娘が愛を中心として、孫と孫娘まで縦的に編成して家庭をつくろうというのです。それは、大ざっぱな計算でできたでしょうか、公式的にできたでしょうか? (「公式的にできました」) ですから、愛には秩序があります。第一段階、二段階、三段階、四段階、五段階、六段階、七段階、八段階の公式的な道があるのです。ソウルに訪ねていこうとすれば、一番の直短距離の道は二つありますか、一つありますか? (「一つです」)。一つしかありません。愛は直短距離を通るのです。 レバレンド・ムーンが最も苦労したことは何でしょうか? 真理の本宮を訪ねていかなければならないのですが、その真理の本宮とは理想的な本宮のことを意味するのです。では、人間にとって理想とは何でしょうか? お金ですか? 神様はお金をつくることができます。知識は、全知全能であられるので知識の王です。全能であられる神様なので権力の王です。神様は、必要なものはいつでもつくることができます。 しかし、神様お一人ではつくることができないものとは何でしょうか? 愛というものです。分かりますか? (「はい」)。お一人でつくることができないものが何だというのですか? (「愛です」)。絶対愛という言葉は、相対関係を備えなければ、授け受け……。授け受けするものの中でも最高であり、最高であると同時に唯一であり、不変、永遠の授受というものは、一人ではできません。絶対、唯一、不変、永遠であることのできる相対が、神様に合わせることのできる資格者とならなければなりません。 愛の相対として自分よりも劣る相対を願う、そのような男性や女性がいますか? (「いません」)。自分の相対は、自分よりも何百倍、何千倍、何千倍で終わりません、何億万倍です。 そうだからといって、愛の相対が「ああ、かわいそうだ」と痛哭するでしょうか、うれしいと言うでしょうか? 「おお、よしよし、わたしの愛する人よ」と言いながら踊りを踊って喜ぶところにおいては、千里万里を越えに越えて、さらに喜ぶことのできる道を行くことができるのです。分かりますか? (「はい」) それでは、神様の目に愛が見えるでしょうか、見えないでしょうか? それを考えてみましたか? 神様ご自身が愛されるとき、神様の目に愛が空気や火のように現れるでしょうか? どうでしょうか? (「見えません」)。息子が現れてこそ、息子が見えてこそ、息子の愛を捜し出すことができるのです。そうではないですか? 娘が見えてこそ、娘の愛を捜し出すことができ、自分の相対が……。 神様も男性格主体であられるので、男性に似ていらっしゃるでしょうか、似ていらっしゃらないでしょうか? (「似ていらっしゃいます」)。それでは、神様が男性格主体であられるならば、女性格主体がなくてよいでしょうか? 最近では、天の父母という言葉を言うのですが、……。 今まで天主教(カトリック)では、独身生活をしていますが、夫婦生活をしなければ、すべてなくなってしまうのです。それは、天地合徳時代になったからです。天地の調和が花咲くときに、花が咲かなければ種がなくなって枯れてしまいます。なくなるというのです。 さあ、そのように考えるとき、神様において、最も見たいと思われるものとは何でしょうか? おじいさんとおばあさん、国があればその国の王と王妃が愛し合うのを見たいと思われたでしょうか、見たいと思われなかったでしょうか? (「見たいと思われました」) 国の王と王妃が愛し合うことのできる位置は、まずだれが先に始めなければならないでしょうか? アダム・エバが先でなければならないでしょうか、神様が先でなければならないでしょうか? (「神様です」)。愛の主人はアダムではありません。(それは)神様なので、根であられる神様に根となる夫婦の内縁がなければならない、という論理が天地の道理です。 ですから、すべての存在世界の実情は、ペアシステムになっているのです。宇宙の出発の起源は何でしょうか? 雄と雌の概念から始まりました。分かりますか? それゆえに、雌として雄を追求せず、雄として雌を慕い求めない存在はないのです。ですから、お釈迦様までもどうだと言うのですか? 女性の話をすれば、笑うと言うでしょう? 文総裁はどうですか? 最近、世の中では「過ぎていった聖人よりも、生きている聖人といえば文総裁しかいない」と言うのですが、皆さんはそのように信じますか? (「はい」)。わたしは、アメリカでそのような話をたくさん聞きました。 生きている聖人は、目が二つでしょうか、三つでしょうか? (「二つです」)。わたしも目が二つですが、皆さんはどうですか? 同じですが、皆さんはどうですか? 聖人になることができますか、できませんか? できますか、できませんか? (「できます」)。真の父になることができますか、できませんか? 真の母になることができますか、できませんか? (「できます」) ところが、なぜなっていないのですか? 方法は知っているのに、そのようにしないので、なることができないのです。分かりますか? 皆、分かるでしょう? 真の父母になる方法を知っていますか、知りませんか? (「知っています」)。知らない人は手を挙げてみてください。あれほど、真の父母は何であるかということを数万回聞いたでしょう? 耳にたこができるほどです。真の父母とはだれですか? “わたし”のお父さんとお母さんです。一度言ってみてください。真の父母はだれですか? (「わたしのお父さんとお母さんです」) あなたたちを生んでくれたお父さんとお母さんは何ですか? あなたたちを生んでくれたお父さんとお母さんは何かというのです。(「偽りの父母です」)。偽りの父母です。なぜ偽りの父母ですか? 僕の血を受けたというのです。僕とくっついたので下女になりました。分かりますか? 真の父母とは何かというと、天の皇室を中心として天の国の血筋を受け継いでいるのです。それでは、その血筋を中心として、その血を買って自分の血と取り替えれば血筋が変わるのですか? O型の血を買って入れ替えても、変わりません。骨と血と肉が一つになっています。 それを取り替えようとすれば、死ななければなりません。なくしてしまわなければなりません。なくしてしまえば、(新しくまた)生じるところがありますか? 何を中心としてこれを改造しなければなりませんか? 根本となる愛です。偽りの愛によって始まったものを打ちのめし、真の愛を中心として……。 六千年、何万年たったこの古びた体は、偽りのオリーブの木と同じです。下を切って芽が出ないようにして、真のオリーブの木の枝を接ぎ木したり芽接ぎをして、これが出てこなくなれば、ここからあっという間に大きな木が出てくるのです。分かりますか? (「はい」) それゆえに、あなたたちを生んでくれたお父さんとお母さんは何ですか? (「偽りの父母です」)。なぜ偽りと言うのですか? 堕落した血筋だからです。堕落した父母とはだれかというと、神様の愛の姦夫です。天使長がエバを蹂躙し、根であるアダムまで抜いてしまい、偽りのオリーブの木をつくってしまったのです。 ですから、神様が宗教を立てて、この偽りのオリーブの木の畑の半分以上を神側にしようということです。それが半分以上にさえなれば、よいのです。そして、半分以上になれば、そこに真のオリーブの木……。 それゆえに、キリスト教文化圏が半分以上になれば……。イエス様も言ったでしょう? 自分の名前が全天下に広がれば主が来られるということと同じように、偽りのオリーブの木の畑の主人が偽りのオリーブの木を愛し保護する以上に、真のオリーブの木の畑の主人が真のオリーブの木を二十四時間愛すれば、偽りのオリーブの木がその主人に対して恨みを抱き、「この主人を捕まえろ。何が何でもあの真のオリーブの木の主人の懐に帰りたい」と言って……。 人には比較する知能があるので、偽りのオリーブの木よりも真のオリーブの木のほうが価値をもつようになれば、それと入れ替わろうとするので、自分の環境を捨てて他の世界に移っていくことができるのです。比較してより価値のあるものを求めていくのです。 統一教会においても、偽りの父母と真の父母を中心としてそれを比較してみれば、その暮らしにしても、何をするにしても、理想的な生活環境を見ても、すべて真の父母が勝り、神様に対しても、地獄に対しても、天国に対しても明確に分かるので、ここに接ぎ木されなければならないということが、見なくても、考えなくても完全に分かるのです。 ですから、しかたなく切ってしまわなければなりません。切ってしまうことによって、(偽りの)父と母の血筋を断ち切ってしまい、その国の血筋を断ち切ってしまい、国境がたくさんある取るに足らない血筋を断ち切ってしまうのです。 そのようにして、統一され神様の血筋に接ぎ木して、地獄にいた人々を統一教会の新しい天国に解放して連れていき、解放された天の国の一族をつくるということが統一教会員たちの一大所願なのです。(「アーメン」)。(拍手) 昔から多くの宗教が総結論をどのように下していたのかというと、国を捨て、家庭を捨てて出ていきなさいという出家の命令をしていたのです。「それは偽物なので、偽物を捨てて、地獄を捨てて、百八十度反対である神様の懐に帰ってきなさい」ということです。 ですから、世の中を捨てて出家し、最後は何まで断ち切ってしまうのかというと、血筋です。おじいさん、父と母から自分の体の中にサタンの血が連結されており、それを歴史に残してはいけないので、それを一代で終わらせるために独身生活を強調したということを知らなければなりません。分かりますか? 神様が宗教に対して注視される中心的な観点はどのようなことだったでしょうか? 国を捨てて出家し、男性が世の中の人と同じように女性と暮らしてはならず、女性も世の中の人のように男性と暮らすことはできません。神様が最も見ることを嫌われ、天宙を破壊した行動を再び受け継ぐのではなく、断ち切ってしまうのです。 いつまでですか? いつまでなのですか? この人類が汚したものをすべて清算し……。真なる宗教を通して真の父母が生まれ、天下に宗教統一を完成することができる内容をもって来るときまで、それを継続するのです。ですから、天主教もそうであり、仏教も、仏教の尼僧も、すべてそのように生きていくのです。終わりの日になったので……。 終わりの日とは何かというと……。(人類歴史は)祝福家庭を成すことができない歴史になったのです。神様は家庭を成すことができませんでした。神様はわたしたちの先祖の中の先祖ですが、家庭を持つことができず、人類の真なる父母が結婚できなかったのです。その代わりに堕落した悪なる父の後孫たちが結婚して暮らすようになったというのです。 神様は、このようにひっくり返ってしまった世界を救おうとされ、嘆息と悲痛な歴史を経てきましたが、それだけでは終わらず、兄弟同士で殺戮戦を展開しながら今まで歴史は発展してきたということが今日の世界的な実情であることは間違いありません。そうですか、そうではありませんか? (「そうです」) それで、統一教会を信じる人々はすべて追い出されたのです。今は、統一教会が世界化されたので歓迎されるようになりました。アメリカでは、旧教でも何でも、宗教という団体はすべて連合して、「統一教会の旗を掲げよう」と言っているのです。先ほどわたしが話したとおり、教育をして各教派がそのようになりました。 青少年を教育する時間がたくさん必要なのです。おじいさん時代からおばあさん、お父さん、八代の堕落圏を越えるために、民族と全体を愛して境界線をなくすようにしなければならないのです。 まず先に、だれから真の結婚生活をして息子、娘を生み……。八段階の愛の主人のモデル型の基盤をすべて失ってしまったので、その息子、娘がそのことを学んで天の国に直通することのできる道を築き、自分の後孫が行くことのできる道を開いてあげ、これは切ってしまうというのです。分かりますか? 入籍修練会で終わるのです。 これからは南北統一です。南北統一ができていないので先生は……。今ではもう南北がわたしの言うことを聞かなくてもかまいません。先生は、天の国の主権を立てることのできる能力があり、天の国の祝福家庭によって天の国の民の家庭をつくることのできる能力があるのです。分かりますか? 神様が治めることのできる天の国の主権と天の国の家庭的民の数が数億を超えました。人類の半分の家庭を超えることのできる基盤を築いたので、ここで入籍が始まるのです。国が必要です。それが祖国光復です。真のご父母様が生まれた祖国が神様の祖国を成すことのできる出発の基準になることを願ってきたのですが、今まで四十年……。(録音が一部途切れる) そして韓国は、そこに反対し、統一教会の文先生に反対して、追い出せば滅びると思ったのに、自分たちが滅びるようになりました。国の主権が八代を過ぎるまでにあらゆることが起きました。全斗煥の時からが問題なのです。この者たち。盧泰愚、金キム泳三サム、この三代を中心として、国のすべてを完全にまきあげられて問題になったのです。それを保護したのが文総裁です。 それで今は、どのような時かというと、宗教がしてきた過去の個人的接ぎ木時代が過ぎ去り、今の時は……。旧約とは何ですか? 神様の愛を中心として家庭定着することができませんでした。分かりますか? 旧約は、結婚式ができなかったのです。アダム・エバが神様のように一つの体になり……。 その堕落以降の旧約は、メシヤを送ってこれを再び修復するためのものです。四千年間、メシヤが来ることを約束し、イエス様の家庭になることができ、氏族になることができ、民族、国家になることができるところを……。サタン世界が国家(基準)なので、サタン世界の国家を越えれば神様がともにある中心国家が生まれるのです。数百の国家があるとしても、サタン世界はこの中心国家という鉄槌を倒すことはできません。 しがみついて、どのようにしたとしても自分たちが壊れるようになっているのであって、天の中心家庭は壊れないのです。ぶつかればぶつかるほど、天の国が吸収するようになっているのであって、壊れる道理がありません。 今から、南北統一されれば、統一教会の文先生のみ言を中心として南北統一されたその国は、いくらぶつかっても壊れません。なぜですか? 壊れるのをすべて防ぐことができます。壊れない内容を知っているのです。知らないから壊れるのであって、教えてあげれば、防備することのできる内容が目の前に明確になります。 五千人であれ、五万人であれ、五十万人であれ、五千万人であれ、五億人であれ、全員がその道を行くのです。朝日が昇ってくるのに、「夜が良い」と言って朝日に背を向けて夜を訪ねていきますか? それは、ありえないというのです。 それゆえに、今から何かというと、家庭を接ぎ木して国家を乗り越え……。天でも地でも、すべて祝福してあげて家庭に接ぎ木したでしょう? 皆さんは十四代の先祖まで祝福したでしょう? 二十一代まで終えれば、世の中は平準化されるのです。それ以上は、死ぬなら死に、やめるならやめ、関係ないというのです。分かりますか?そして、霊界にいる先祖、聖人たち、イエス様、孔子、釈迦、マホメット、ソクラテス、この有名な人たちをわたしが全員、祝福してあげました。 祝福とは何ですか? 男性一人だけでは天国に入ることはできません。家庭が入っていくようになっているのが天国です。分かりますか? 天国とは何ですか? 家庭が入っていくのが天国なのです。 イエス様も、天国のモデル基盤にパスできなかったので楽園にいます。天国の待合室で二千年間待ち、あらゆる屈辱を受けました。イスラエル民族が滅んでしまい……。イエス様が結婚して一族が一つになっていれば、天下が統一される起源が開かれたのですが、祭司長と選民たちが反対することによって、その六百年後にイスラム教が現れて占領してしまったのです。 中東に十二支派が分派して、すべてがイスラム教……。マホメットがそうです。これはサタン側の宗教だというのです。物質を中心とした外的な問題を中心として、力と暴力で……。それが最も問題であり、アメリカにおいてイスラム教を中心とした黒人の勢力が強いのです。アメリカや自由世界を破壊することができ、共産世界と一つになって世界に問題が起きるので、しかたなく先生は消化運動をしているのです。 今、ワシントンで百万家庭の行進を中心としてわたしが指揮をしています。それで、他の宗教とともに、キリスト教の怨讐のような宗教であるにもかかわらず、兄弟よりもっと近い兄弟……。派が争っている中で、自分たちがそれを解決しようと努力するより以上に、わたしがもっと協助し、それを一つにすることができるように投入しているのです。 こうして先生は、怨讐の教派が世界的に発展しようとするのを協助しているのです。三つの教派を協助し、四つの教派を協助し、十二の教派さえ協助すれば、すべて終わるのです。そのような準備をしながら、世界の超宗教的な教団を通した祝福までしてきました。 超共産主義、超民主主義、貴族の息子、娘、その骨髄の息子、娘まで祝福圏内にすべて入れました。それは簡単なことですか、難しいことですか? 何によってするのですか? 先生が手段や方法を通してするのですか? み言を通してするのです。 そのみ言には天が共にあるので、み言の量にしたがって霊的な発展をすることによって、神様が分かるようになり、天の国の定義を完全に分かるようになるのです。ですから、「来るな」と言っても……。皆さんは、すべて教えてもらっているでしょう? そうですか、そうではないですか? (「そうです」) ですから、地の果てにいる宣教師たちは、先生がいなくても、今もその地の果てで教育を受け、指示を受けて活動しながら開拓しているのです。統一教会でしているこのような活動は、歴史上初めて地上に現れたのです。分かりますか? (「はい」) では、何千年前に死んだ聖人と統一教会の教会員が結婚式をしましたか、していませんか? (「しました」)。イエス様を結婚させましたか、させていませんか? (「させました」)。今、アメリカのベルベディアでイエス様が生活していますか、いませんか? (「しています」)。 すべての宗団長を集めて、自分たちの宗主が統一教会の文総裁から天国に入っていくことのできる特許権を受けたので、その特許権を再び公認される再祝福のサインさえあれば天国に入っていくことができるのです。ですから、「やめなさい」と言っても、分かる人たちはそれを受けたいと思い、どんどんと列が長くなるのです。 歴史以来、霊界で願う配給をもらったとしても、地上で最も願うもので、これ以上のものはありません。何千万年、待ったのです。ここに解放の天国の門を開き、入ることのできる資格証を上げるというので、死んでいるのか生きているのかも分からないほど多くの人々の心に火がついて、統一教会の門が破裂しそうです。 ここに、愚かな人たちが集まりましたか、優れた人たちが集まりましたか? 愚かな人ですが、ハーバード大学に幼稚園児が行けば愚かな人のようですが、そのまま出れば優れた人になるのです。統一教会の人たちは愚かだと皆が反対しましたが、それは知らないからそのようにするのであって、知れば問題の大きい教会なのです。分かりますか? どのような問題ですか? 神様まで解放しようというのです。そのような宗教を見ましたか? 神様から福を受けようという男性、女性たちはたくさんいますが、「神様をわたしの手で解放し、王宮を建てて王子の職位を守る」と言うのです。どうですか? 今、神様が死んでいるではないですか? 「神様は死んだ」と言うのですが、それを見つめながら行動できない神様は、どれほど悲惨ですか?この大宇宙をつくられたその主人であられるおかたが……。分かりますか? 今、皆さんは、清平で三時代の入籍です。三時代とは旧約時代、新約時代、成約時代です。三時代を大転換するのです。完全にひっくり返しなさいというのです。何によってですか? 旧約時代に真の父母がおらず、新約時代にも真の父母がおられませんでした。成約時代に真の父母が定着し、解放の入籍を行うことができるようにするためには、サタン世界の人間をすべて屈伏させなければなりません。そして、そのうえで支持を得て、障害なく上がっていかなければなりません。その前に解放天国を成すことはできません。そのときまで働き、そしてそれがすべて終わったので大転換式を行うのです。 再臨主とは何ですか? サタン世界で言えば、最後の人間です。最後の人間。それですべての先祖が……。霊界に行った先祖たちが協助を受けようとすれば、後代の人々が精誠を尽くしてあげなければなりません。霊界にいる先祖たちは天使長の位置であり、地上にいる者はアダムの位置なので、天使世界にいる霊たちはいくらでも地上を協助しなければならないのです。 ところが、地上でアダム完成を成すことができなかったので、血筋がひっくり返ってしまいました。このことが問題です。ですから、地上の後孫たちが天使世界を救うためには、反対に協助してあげなければなりません。祈祷してあげなければならないのです。 しかし今、そのような復帰時代は過ぎ去り、先祖が後孫を引っ張っていくことができるのです。今までは、天使世界がそのような立場で利用すれば、地獄に行きました。強制的に引っ張って地獄に行くようになりましたが、今では強制的に引っ張って天国に行く時になったのです。分かりますか? (「はい」)。天国に連れていく時が来ました。 それゆえに、今回、入籍した祝福家庭の皆さんは、金キム氏なら金氏夫婦はアダム完成者です。堕落する前、第四次アダム圏内に入ってきたので、解放……。天下に障害なく、サタンの痕跡のない解放的天国に入籍したので、霊界にいる祝福を受けた先祖たちは、金氏なら金氏の後孫で入籍した人のところに降りてきて協助しようとするのです。 ここで先鋒の位置に立って、それを整備しなければならない責任の遂行が待っているということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。分かったら拍手してください。(拍手) エジプトのイスラエル民族は、四百三十年目に神様の還故郷の命令を受けて、祖国光復のために出エジプトをして国を建てようとしましたが、失敗しました。メシヤとともに国を建てることができませんでした。 しかし、今日の統一教会員は、四十年を中心として家庭的荒野の受難の道を行きましたが、祝福家庭を率いて地上天上天国の王圏を樹立したのです。分かりますか? (「はい」)。統一教会の祝福家庭は、どこに行っても迫害を受けました。どこに行ってもつばを吐かれ、縛られ、ありとあらゆる屈辱を受けました。歴史以来、神様が非難を受けたすべてのことを、統一教会がこの地球上の数多くの民族を通して条件的にでも蕩減しなければ、越えることができません。 その中心の位置で、文総裁はそのすべての条件を清算してしまわなければなりません。個人で清算し、家庭的に、氏族、民族、国家、世界、そのサタンの頭をすべて自然屈伏させなければなりません。愛することによってです。分かりますか? 怨讐を愛すれば国境はなくなります。 ですから、先生は監獄に行っても国境(境界)を考えず、わたしの行く道においては、監獄の国境もわたしを制御することはできないということです。ありとあらゆることをしました。机の四本の脚を抜いてたたいても、その机の脚が折れてしまうのであって、わたしの骨は折れませんでした。強い人なのです。分かりますか? 今でも丈夫でしょう? (「はい」) きょう、今ここで相撲をとっても、わたしが三分の一の人はひっくり返すことができます。(笑い)だからといって、一度に列をなしてするのではなく、年齢別に代表してすれば間違いないというのです。 数十年前に統一教会の信者を集めて漢江の川辺に行き、「わたしに勝てる人は出てきなさい」と言ったとき、出てきて皆、わたしに負けたでしょう? 負けましたか、勝ちましたか? (「負けました」)。わたしは勝ったことはないと思いますが? (笑い)相撲をしても、運動をしても、釣りをしても、何をしても……。一日中、連れ回して投網打ちばかりするので、「先生の足が折れたらよいのに」とまで言った人がいるという話を聞きました。(笑い) 一日中会いたくて、一年ぶりに、二年ぶりに来て先生に会えば、聞きたくない話も聞き、悪口でも一言、言ってくれれば解怨されると思うのに、一日中釣りをし、投網打ち……。一日中するのです。どれほどおなかがすき、どれほど疲れるでしょうか? 一度、自分で投網を持っていこうとしても十メートルも行くことができないほど重いものを使って一日中するのですから、力も強いでしょう? 女性たちは、もちろん同情もしますが、後で「ええい、足でも折れればよいのに」と言うかもしれません。(笑い)ですから、わたしは女性から悪口をたくさん言われ、「理解してくれない」と悪口を言われ、あらゆることをされたのです。 この女性というやっかい者が、どれほどわたしを困らせたか分かりません。そうなのです。そうですか、そうではないですか、女性たち? (「そうです」) 大転換四位基台。四位基台を知っているでしょう? 入籍統一祝福式です。すべてが完了します。今やサタン圏は屈伏するのです。ルーシェルは、神様と真のご父母様と人類に降伏しました。問題は、その残兵たちです。それをどのように処理するのですか? すでに霊界大祝福以降にサタンまで屈伏したのですが、その敗残兵が問題なのです。敗残兵を整理するために、聖子たちが持っている宗教圏の三分の一を祝福しました。その三分の一が地上に降りてきて一つになることによって、家庭の周囲にいるすべての手下を追放してしまうのです。 今からそのように理解してください。周辺に数多くの先祖たちが来て自分の囲いになるのです。今までの宗教圏を中心として、地上の自分の特別な宗教団体に降りてきて協助することができるのです。上下が一つになり、左右が一つになり、前後が一つになるのです。皆さんの決心いかんによって、環境条件は整備されます。ですから、信じて命令すれば、サタンの残兵たちはすべて退いていくのです。分かりますか? (「はい」) 大胆に、強く雄々しくあれ、というのです。天下にわたしたちを妨げる者はいないので、わたしたちに勝利できる者はいません。理論ならば理論的に、力ならば力、体制なら体制を備えた訓練が、世界のいかなる国より……。 アメリカ国務省も、アメリカ国防総省も、わたしたちを凌駕することはできません。訓練したのです。一年に百十三回、他の国が二年かかってすることを一週間に二度ずつして十分にやってのけました。統一教会には、そのような組織力があるのです。分かりますか? (「はい」) そこに及ばない自ら自身を初めて知ったのなら、そのまま追い込みなさいというのです。そのような位置の基準に到達しなければなりません。エバの国……。母親は、何回も死んで、骨までも削って子女たちを育てることができるように食べさせて、生かさなければなりません。分かりますね? (「はい」) それでは、神様と真の父母とは、だれですか? 真の父母とはだれですか? 天のお父様です。真の父母というよりもお父様です。分かりますか? 真の父母の血が、神様の血がわたしの心に入っていて、神様のみ言と真の父母のみ言は「最も貴いものは真の愛だ」ということであるがゆえに、真の愛という言葉を聞けば、体が大きくもなり、小さくもなるのです。 喜んで大きくもなり、神様のことを思えば悲しくて小さくもなるということです。どこに行っても拍子を合わせられないものがない、という人にならなければ、神様と真の父母の血筋を受け継いだ直系の息子、娘になることはできますか、できませんか? (「できません」)。できますか、できませんか? (「できません」) それでは、「できない」と言うことのできる人になりますか、「できる」と言うことのできる人になりますか? (「できない」と言える人です」)。「できない」と言うことのできる人になろうと決心する人は両手を挙げてください。わわわわ。拍手しましょう。(拍手)どれだけ美しいか写真を撮ってください。 神様は、わたしたちのだれだというのですか? 真の父母であり、真の師であり、真の王です。アダムとエバが堕落しなければ、アダムの一生において何をするのかというと、真の父と母の役割をするのです。 それから祝福をして、国が行くべき道を代身して代を受け継ぐようにし、それからアダムは何かというと、師の責任を果たし、それから王の責任を果たすのです。国を導くことのできる立場に立ち、地上天上天国の道理を明らかにする生活をしなければなりません。 縦的な真の父母であられる神様と横的な真の父母であるアダムが一つになり、一生を通して真なる父母の道を見せてあげ、真なる師の道を見せてあげ、真なる王となる道をアダムの一代において見せてあげていたならば、その後孫たちは、そっくりそのままその伝統を受け継ぎ、アダムが見せてくれた家庭完成、国家完成、天宙完成、ために生きる道理の道が歴史的伝統としてこの地上に現れていたはずです。ところが、堕落によってすべてが失われてしまったのです。 ですから、先生がこのことをしなければなりません。生まれて成長すれば、家庭完成しなければならず、国を取り戻さなければならず、世界……。言い換えれば、長子権復帰、父母権復帰、王圏復帰の責任をアダム一代において完成できなかったことを、数千万年の歴史を通じてこれを合わせて神様の前に納品するのです。アダムだけを納品することはできません。 旧約時代に失敗したことを修復しなければならず、新約時代の失敗、成約時代に失敗したことを……。旧約は万物をサタンと分け合って所有しました。天は十分の一です。それは無念なことなのです。イエス様は、一から始めてすべて分かれてしまいました。 真の父母は、家庭理想を中心として、すべて崩れてしまいました。大韓民国の民族が分かれたことも、既成教会の旧教と新教が先生を迎えて侍ることができなかったことによるのです。それゆえに、先生の家庭も壊れていき、聖進の母親を中心として一つになることができるはずだったものが、すべて壊れてしまったのです。 家庭も壊れていき、息子、娘も壊れ、離婚という悲惨な歴史を再び復帰しなければならないという……。それを再び取り戻し、十四年目に新しいお母様を立てて、四十年間の歴史を経て蕩減してきたのです。九五年までです。分かりますか? 六〇年を中心とした四十年間を中心として、家庭的蕩減路程を抜け、地上天上天国……。モーセが八十歳で出発したのと同じように、先生の代でも八十歳代を中心として、分かれたすべての地上世界と天上世界を整理し、今からは行く道の前にサタンの反対もなく、ジグザグもなく、カーブもなく、完全に高速道路として一方通行で行くことができるのです。皆さんは、そのような観を持っています。 個人がどのように完成し、家庭がどのように完成し、氏族と民族、国家がどのように完成し、世界がどのように完成し、神様がどのようにして王の王となられるのでしょうか? 解放された千年万年の太平、盛大の時代における愛の主権の前に、愛の父母となり、愛の師となり、愛の王となり、愛の王の位置に立ち、個人的にできなかったことを天地全体を代表して、そのような価値をもった位置に立ててさしあげるのです。 そのことによって、そこで初めて神様の埋められた歴代の恨を越えて、解放された愛の勝利の王となられ、夫婦の代身、師の代身として、すべてのものを完成して初めて、そこで解放され、安息され、千年万年、永遠に永続する解放の地上天上天国が永遠に定着するのです。アーメン。(「アーメン」) それゆえに、アダムが家庭を通して真の父母となって、国を建て、国を建てることを教え、天地を立てることを教えてくれるのです。この真なる父母、真なる師、真なる王の位置をすべて見せることができなかったので、来られる主はこの三大使命である長子権、父母権、王圏を一代で整備し、地上天上天国を成し遂げ、兄弟とともに列をなして天国に入っていくのです。 そして、神様をお迎えし、天の国の建国を中心として、皇族とその権限を中心として、この万世、万宇宙、万物まで共に和合しながら、愛の主権の懐に抱かれ、永遠の福楽を享受することのできる解放された民族が暮らす所が地上天上天国だったのです。アーメン。(「アーメン」) 金日成の三大主体思想は、何ですか? 自主性、創造性、意識性です。それを三大主体思想と言うのです。しかし、それは人間を中心とした思想的内容であって、血統を中心とした愛の内容ではありません。それは過ぎ去っていくのです。分かりますか? この永遠不変の真の愛を中心とした、真なる父母、真なる師、真なる王の位置をアダムとエバが相続することができませんでした。ですから、真の父母が来て長子権復帰するためのものが、共産世界と民主世界です。唯心論と無神論であり、それから国家時代を中心として南北に分かれているものです。これらを統一するのです。国のためにです。この峠を越えていくのです。 それから、国連を通して世界天国、天上天国の天国民となることのできる道をすべて示してあげました。この国さえ一度に……。国が受け入れなければ、以北や南韓は切ってしまうのです。わたしは、韓国(韓半島)で生まれたということも言わないでしょう。韓国の代わりの国をすべて準備しているのです。分かりますか? ですから、文総裁が与えたすべてのものを、この国が受けることができなければ、国連に行って、さっとつくり……。今、この十月から教育が始まるのです。 超宗教超国家連合は、神様を意味するのです。宗教を超越し、国家を超越するのです。超宗教超国家連合の唯一的な統一思想を中心として、国連の名とともに教育します。国連の名で「教育を受けなさい」という命令が来るのです。分かりますか? そのとき、あなたたちは、世界のどこにでも行くことができるように国境を解体してしまわなければなりません。国境がない……。祝福家庭は、どこにいてもその場所で教育しなければなりません。十か国か、二十か国を集めて教育してみなさい。すべて溶けて一つになります。 そのような解放の世界のために、前進する、そのための準備の日を十二年前に立てたのですが、それを実践することができる定着の時代を迎えたことを感謝する時間が、開天節を祝賀するきょうのこの日だったのです。アーメン。(「アーメン」) 「わたしは真の父母にならなければなりません」。言ってみてください。(「わたしは真の父母にならなければなりません」)。さらに、「わたしは真の師にならなければなりません」(「わたしは真の師にならなければなりません」)。「わたしは真の王にならなければなりません」(「わたしは真の王にならなければなりません」) 天の皇族の継承者であり、師の継承者であり、真の父母の継承者が“わたし”なのです。天下にだれも妨げる者はいません。分かりますか? 神様の直系であり、アダムとエバの直系の息子、娘なので、わたしたちが行く道には天上天下のどこにも妨げる壁はなく、自由解放天国を率いて暮らさなければなりません。 その主人の歴史を皆さんの環境に残して、環境さえ消化すればよいのです。国家的メシヤです。分かりますか? 家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤの三段階さえすれば……。今ではもう、国家的メシヤも定着して暮らしているので、家庭的メシヤになることによって、金氏なら金氏一族が祝福を受けていなければ……。 年を取った人はやめてください。五十以上の人や結婚している人はやめて、若い人をつかまえて「三日だけ教育を受けなさい」と言うのです。(教育をしておいて)「祝福を受けますか?」と言えば、全員「受けます」と答えるのです。 強制するのではありません。耳で聞こえ、目で見ることができるのなら、「見てみなさい」と言うのです。鼻でにおいをかぐことができ、手で触ることができるのなら、「触ってみなさい」と言うのです。間違いなく、統一教会の夫婦がりっぱであり、統一教会の家庭制度がりっぱであり、統一教会の理想が神聖なのです。神聖なものに従っていくべき人生の本性的な本能がある限り行かざるをえないので、だれもがその道を行って天の国にすべて帰属することができるということを知らなければなりません。万民救援です。それで、宗教がなくなります。宗教が必要ありません。生きている間に大きなオリンピックをするのです。 今回のシドニー・オリンピックのマラソンで韓国人が勝つと言っていたのに負けてしまったのですね。何ですか? 二十四位ですか? ビリと同じことです。気分が悪いです。わたしが走れば、二十四位よりもっと早く走るかもしれません。(笑い) わたしはこのことを悔しく思いました。わたしが統一教会の人たちにマラソンの訓練をすれば、三分の一の人は、世界の人々の中で賞を取ってくるかもしれません。そうではないですか? それで、ブラジルにサッカーチームを二つつくりました。それを誇るのです。それからヨーロッパに二チーム、ロシアに二チーム、アフリカに二チームです。六大州にそれぞれ二チームずつつくって十二チームを持てば、世界のどこでもチャンピオンをつくることができます。このような準備をしているのです。分かりますか? (「はい」) それだけではありません。学術世界もわたしたちに残っています。一九四五年から六十年を過ぎて七十年間さえ越えれば、韓国に天才的な人々がたくさん現れるのです。天が送ります。 今後、新世界を創建して、すべての分野において世界を指導することができます。韓民族が世界的になるのです。それゆえに、皆さんが精誠を尽くしてそのような息子、娘を生むのです。そのような父と母になることができるように精誠を尽くしてください。 何もないのです。すべて否定しなさいというのです。否定して、あるものはひとえに神様だけであり、真の父母だけであり、神様の愛、真の父母の愛です。真の愛を中心として、ために生き、ために生き、さらにために生き、投入して忘れてしまう、そのように精誠を尽くす生活をする夫婦が暮らす所には、何もありません。 エデンの園で布団を敷いて寝ましたか? 裸でごろごろと寝たのです。そのような立場でも、それ以上に天を……。そこで天の国の王宮を代身して神様に侍り、真のご父母様に侍ることのできるわたしたちの家になります。このように約束するでしょう? (「はい」) 間違いなく約束する人は、きょうの開天節を中心として、両手を挙げてください。立ってください。宣誓する人は力いっぱい宣誓してください。三回です。お誓いいたします。 (「お誓いいたします」)。お誓いいたします。 (「お誓いいたします。」)。お誓いいたします。 (「お誓いいたします。」) 神様の祝福があることを願いながら、きょうの祝賀記念式に代えさせていただきます。(「アーメン。」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.10
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三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式二〇〇〇年九月二十六日、韓国の天宙清平修錬苑にある天城旺臨宮殿で、真のご父母様は第一次の「三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式」を挙行なさった。祝福式に参席した祝福家庭は、すべて入籍に向けた祝福家庭婦人の二十一日特別修練を終えた家庭で、三六家庭から順番に全祝福家庭に四位基台の入籍統一祝福式の恵みを下さった。 きょうの主題は何ですか? その内容は何ですか? 三時代大転換四位基台祝福家庭の入籍祝福統一式です。心と体の統一、夫と妻の統一、父母と子女の統一、家庭と氏族の統一、氏族と民族の統一、民族と国家の統一、国家と世界の統一、世界と天宙の統一、天宙と神様の統一です。天宙統一です。国境という国境がすべてなくなったというのです。 皆さん自身が心と体のうちで一つになりましたか? なっていないでしょう? 個体が撤廃されていません。この国境線を誰が引いたかというと、神様ではありません。サタンが引きました。国境線があるのは、誰のゆえかというと、サタンのゆえにできました。ですから、国境線を撤廃しなければ、サタンはいなくなりません。 心と体の国境線、夫婦同士の国境線が多いでしょう? また、父と母、息子・娘を中心としてすべて自分を中心として愛せよと言います。反対になっています。ですから、二人がともに自分のためにと言えば、国境線ができます。自分のためにと言うところには、必ず国境線ができますが、その国境の主人がサタンなのです。 ですから、国境線のあるところには、サタンが生まれてくるので、サタンが生まれてくるところには、神様がいらっしゃることができないのです。それでは国境線が先にできましたか? 神様が国境線のないときに、愛を中心として住まわれたことがあるかというのです。神様が愛することのできる人は誰ですか? アダムとエバの万人息子・一人娘ですが、一人息子・一人娘を抱いて神様が愛してみたことがありましたか? 愛することができなかったのです。 アダム、エバの結婚式は、その主人が誰ですか?堕落しなかったならば神様となります。では、アダム、エバが初夜に愛するその愛の主人は誰ですか?神様です。そうであるなら、私たち人類の堕落しない先祖は何ですか? 主人ではありませんか? これをはっきりと知らなければなりません。神様は縦的な主人です。私たち人類の先祖は横的な主人です。人間が絶対に必要とする愛も、神様が絶対に必要とされる愛も、同じ愛ですが、絶対に必要とする愛を抱くには、神様を除いては絶対愛がありません。 神様の属性には絶対性・唯一性・不変性・永適性があります。ですから、神様が人格者といえば、どれほど長く生きられますか? 絶対的に生き、唯一的に生き、永遠不変的に生きることができるのです。 ですから、その愛の相対が誰かといえばアダム、エバです。アダム、エバは何をする人ですか? それを知らなければなりません。父母は息子・娘がいなければ、父母として息子・娘を愛することのできる主人の立場を永遠に見いだせません。それでは、神様を父にしてさしあげられる、主人にしてさしあげられるその者は誰ですか? 神様ではなくアダム、エバだったのです。息子・娘だったわけです。 絶対的な神様を主人にしてさしあげられる、そのような愛を築ける主人が誰かというとき、それは神様ではありません。誰ですか? お母さん、お父さんを主人にしてさしあげられるのは、お母さん、お父さんではなく、息子・娘がそうしてあげるのです。どんなにお母さんになって、お母さん、お父さんの愛を感じたくても、息子・娘がいなければ、永遠に愛を感じることのできる道がないというのです。 三時代とは何ですか? 三時代は旧約時代・新約時代・成約時代です。その三時代が失敗してきましたか、成功してきましたか? イスラエル民族が、旧約時代に旧約を中心として信仰生活を出発したその時代が、いつの間にか四千年が過ぎました。四千年が過ぎて約束したのが何かというと、メシヤを送ることです。 話の結論をつけるべきでしょう。三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式です。祝福統一式と言ってもかまいません。それはどういう意味ですか? 三時代が何かというと、旧約時代・新約時代・成約時代です。それが四位基台になっていないので出てきました。人類先祖が旧約時代に、宗教が出てくる前に、神様だけが知るその時代において、夫婦となって真の父母になるのが、神様が創造した目的でした。 アダムが真の父母になりましたか、なれませんでしたか? 真の父母の家庭に父母が現れなかったので、国を相続して神様の国を建設できる氏族がなくなりました。氏族がなくなったので、氏族と民族と国民がなくなったというのです。これは神様が願われないことなのですが、その駄目な結果をもたらしたのは、アダム、エバが時ならぬ時に火遊びをしたからです。火遊びという言葉を知っているでしょう? 男性、女性たちが火遊びすることを何と言いますか? 愛は火より恐ろしいですか、恐ろしくないですか? 愛を誤まれば血族が曲がってしまいます。すべて壊れていきます。いくら国が素晴らしくても、国の伝統がすべて崩れてしまうのです。神様の立てた伝統、真の父母の伝統、真の家庭と真の血族の伝統が崩れたのです。 三時代大転換四位基台の入籍祝福統一式です。旧約時代に真の父母がいませんでした。新約時代に真の父母がいませんでした。成約時代に真の父母がいませんでした。すべて失敗したのをつづり合わせて三時代を転換、引っくり返して打ち込むのです。転換四位基台の入籍統一祝福式です。統一です。天地統一、夫婦統一、心と体の統一、民族統一、神様と真の父母の統一です。これが最後です。 祝福が問題ではありません。アダム、エバが入籍するときは、一つの家庭を中心として入籍しましたが、今は数千万年の歴史時代にからまった、失ってしまった天国のすべてのものをいっぺんに探すのです。一代、二代、三代の先祖から縦的に失ってしまったものをずーっと探して、横的にはめ合わせるのです。(二OOO年九月二十九日、天城旺臨宮殿) 三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式というのは、何の祝福式かよく分からないでしょう。霊界を知らず、霊界の伝統を知らず、神様を知らず、また天の国がどうだということを知らなくては、何のことか分からないでしょう。皆さんがこの内容をすべて知るには、多くの精誠を尽くさなければなりません。このような日が到来するまで、神様がどれほど精誠を尽くされたかを知らなければなりません。 アダム、エバの夫婦は、誰の夫婦ですか? はっきりと知らなければなりません。神様が家庭を持ちたくて、天地万物を創造されたのを知っているでしょう? 神様は霊界に行っても見えません。皆さんが霊界に行けば、相軒氏が送ってきた内容を見ると、見えないというのです。先生のみ言の主題別精選十一巻、十二巻の『地上生活と霊界』の内容を見ても、神様は見えないと言っているのです。 また、そこで語った全内容について、地上で生きて何も知らずに逝ったのです。先生が教えてあげた内容もよく信じて逝けませんでした。相軒氏も一〇〇パーセント信じられなかったのです。先生が「右手は霊界をつかんで、左手は地上をつかんで一八〇度回しておかなければなりません」と言いましたが、そのような言葉をいかに信じますか? 信じられなかったのが、行ってみると間違いのない事実なので、どれほど驚いたことでしょう? 霊界論を解決するために苦心したのです。国際科学統一会議(ICUS)八分科の委員長として哲学者、宗教家、すべての者たちが質問すれば、(相軒氏は)答弁する立場ですが、いちばん難しい質問が何かというと、霊界についての質問なのです。霊界について聞かれたら、知らないので、もどかしかったというのです。 ですから、彼が考えたのは、何としてでも地上にいるときに霊界論を調査してから、霊界に行ってその内容が合っているか否か検証して残そうとしたのです。それが生涯の目的であり、自分が研究した出発、過程、目的のすべてがそれでしたが、その仕事を明かせないのでどれほどもどかしいでしょうか。はっきりしないので、明かせなかったというのです。ところが、行って先生の教えと霊界のすべての内容を対照すると、間違いなくそれが一つになっているので、どれほど忙しかったか分かりません。 それで四十日間……。皆さんもそうです。死ねば四十日間は場所を定めて定着できません。地上世界と天上世界を行き来しながら、先祖たちや自分の師匠とか、宗教を信じた者は、教主とかその方の案内を受けながら、地上に合っているか、天上世界に合っているかと言って、数か所を巡るのです。上・中・下と同じように中間にいれば、上を知り、下を知らなければなりません。 天・地・人で、人が真ん中にあるので、真ん中にある人が天の国を知り、地を知らなければなりません。死ねば故郷に、祖国の地に戻っていくのです。祖国に戻っていくにあたり、天の国と今現在と未来の世界が関係を結ぶには、霊界のどの位置に行く身分なのか、地上でいかなる立場だったかというのを付き合わせ、その位置に行くようになっているのです。それで四十日期間は絶対に必要なのです。 ですから、救いの摂理、復帰摂理の歴史においては、四十数がいつも問題となっています。イエス様も四十日後に復活、昇天しました。誰も霊界の四十日過程を経なくては、永遠なる世界に定着できないのです。そのためには四十日間の定着できない期間に霊界、肉界を自在に往来します。四十日後に決定して霊界にまさに行くようになると、地上に来られません。ですから、四十日間にこうした霊的な現象とか、地上で自分が研究できなかった霊界の総概論を紹介して、骨髄的な内容を最小限の期間内に伝達しようとするので、どれほど忙しかったか分かりません。 霊界というのは、小さな韓国の地や地球星ではありません。数千万倍の無限なる世界です。膨大なる世界です。人が住むのも、地獄から天上の宝座のてっぺんまで連結されていますが、必要な段階をすべてチェックしなければなりません。どれほど忙しかったかというのです。忙しく比較検討した結果が間違いないので、先生に報告したのです。また、先生もその仕事を命令しました。霊界に行くなり、四十日間を中心として、霊的世界と地上世界の総評を中心として、報告するように命令しました。 報告を受けてから、神様の承諾を受けなければなりません。報告したからといって勝手にはできません。神様を中心として霊界に知らせながら、地上の真の父母も知って、すべて知っている中で、その事実を記録して送ったのが『霊界の実相と地上生活』のメッセージであることを知らなければなりません。 ですから、これは経書の中の経書です。世の中に多くの経書がありますが、これは経書の中の経書なのです。歴史以来、堕落した人間が誤ったその日から、これまで霊界の事実を伝授された所がありません。その教えを解くことのできる宗教がなかったのです。また、それを教えるには、地上の上で勝利的な基盤があり、その勝利的な基盤を中心として、天の不完全な部分を正さなければならないのであって、勝利的な基盤なしに天の不完全な部分を知っても、それを正す道がありません。真の父母が来られて、地上の上ですべての不完全なものを蕩減し、整理しておいたので、それを中心として霊界が合っているか、合っていないかと言って、正さなければなりません。 霊界を見ると、これまで先生が教えてあげた理想天国の内容はありません。天国に祝福された家庭がないのです。神様を近くに侍って暮らす家庭がありません。イエス様までも楽園にいます。楽園が何かというと、天国に入るための待合室です。天国に入っていく待合室ですが、行って暮らす者が、男性ならば、男性として分かれて住むようになっています。夫婦というのはいません。 なぜでしょうか? 神様の血統を中心として、神様と一体となって夫婦の関係を結び、息子・娘を生んでいたならば、神様の血族なので、天の国、アダム家庭から一代先祖、二代先祖、三代先祖としてこれまで数多くの先祖たちを通じて生まれた人類のすべての先祖が、天の国に定着して占領したことでしょう。ところが、堕落することにより逆になっているので、天の国は完全に空になっています。 楽園を中心としてすべて保留にしておいたのを、真の父母が来られて地上整備した基盤を通じて、地上が完成してこそ、霊界が完成するのです。地上個人完成、地上家庭完成、地上氏族・民族・国家・世界・天宙まで完成した基盤になってこそ、神様の理想天国が成就するわけです。 堕落したので、万人の家庭から、一つの家庭から氏族・民族、すべてがサタンの一族になりました。血筋が異なりました。血筋が異なったのです。例えば今晩、結婚しようとするのに、結婚式を挙げられる準備をしておいたのに、宴の準備と生活ができるように完全に準備しておいたのに、新婦が別の男とくっついて堕落したのです。 絶対愛・絶対純潔を願われた神様が「ああっ!」と言われたのです。考えみなさい。天使長によって堕落したのです。この地上で韓国の民どうしで娼婦になって体を売るとしたらまだましです。人の数にも入らない、霊的な一面だけ持った天使長と堕落したので、これは何と言いましょうか? 相手もできない血筋を受けたというのです。それを神様が来られて、「私の愛とか何とか、私と約束したから」と言われるでしょうか? ぺっ! つばを吐いてしまうのです。地獄に逆に投げ入れてしまったのです。それで、神様は堕落した世界の者を愛することができません。 そのような人間像が、何かの理想とか、何かの天国とか、夢のような話をしてはいけません。そのように故障して、ひっくり返ったのをどうやって正しますか? 三六〇度、円形的にひっくり返して打ち込んだのに、東西南北が異なったのに、東西南北を合わせて、三六〇度を合わせる者は誰かいますか? 神様のほかには知りません。サタンもよく知りません。ですから、神様の秘密を悟る前にはサタンを屈服させる道理がありません。 それでは文総裁は、何をする人でしょうか? 神様の秘密をもって、サタンを叩きつぶす大王様です。本当に、自分が大王様だと言う者は本物でしょうか、偽者でしょうか? そうしたみ業をすべて成就したので、偽者と言っても、どうすることもなしに本物になるのです。私の言っていることが分かりますか? 世の中が違うと言って、世の中がどうこう言っても、偽者だと言っても、全部偽者をいちばん以上にやれば、本物の中心になるのです。 文総裁がこれまで統一教会をつくって称賛されましたか、反対されましたか? 反対されました。統一教会をつくらなかったならば、文総裁は監獄に行くような真似をしませんでした。何度、監獄に行ってきましたか? 六回です。とんでもない! それでは前科何犯ですか? ざっと六犯以上になります。出たり入ったりしたのは数百回になります。 できがよくてそうしましたか、できが悪くてそうしましたか? できがよくてそうしたのです。どれほど立派でしょうか? 神様より立派だというのです。なぜですか? 神様はご自身が定着できません。どんなにお父さん、お母さんが孝行者に孝行されたくても、お父さん、お母さんが孝行者の立場を果たす道理はありません。お父さん、お母さんが孝行者のお父さん、お母さんになっても、お父さん、お母さんが孝行者の主人たる資格を持つのは、永遠に不可能なのです。これは何のことか、はっきり知りなさい。 入籍とは何かというと、神様が私たちの本当のお父さん、お母さんにならなければならないということです。神様を本当のお父さん、お母さんだと思いますか? 神様が何をして暮らされるか知っているかというのです。皆さんは、耳が不自由で、外見は見えるようで実際には目の見えない人なのです。そのような人たちに私がどれほど「私に似なさい、私に似なさい」と言って、苦労して教えてあげましたか。それで、耳が通じて、目が開いて、聞くことができ、見ることができるのです。 統一教会の信徒は、先生の顔を見ると笑いますか、泣きますか? 道すがらに先生に突然会えば「あっ!」と言って泣きますか、嬉しくて笑いますか?(「嬉しくて笑います」。)嬉しくて笑いますが、会った後には、泣きますか、続けて笑いますか? 泣くときは、神様が離れるということを知らなければなりません。泣くときは、神様が離れて、先生と離婚するのと同じです。永遠に離別するのと同じです。 笑うときには、神様が訪ねてきて再会、再び会うのです。夫妻どうしでけんかした後には、和睦して会えば、その朝は気分が良く、その晩はさらに気分が良いのです。祝福した群れなので、そのような話をすれば、皆分かるでしょう? 晩にはなぜ、気分が良いですか? 新郎新婦として会うからそうです。ですから、二度目に会うときは、うれしくて純白の蒼い影が差しますが、その翌朝になると次第に深まっていくのです。 神様には妻がいますか、いませんか? 神様はあの世でも見えないのに、いるかどうかどうして分かりますか? 中継者が必要です。自分が知らないのをそのようにうまく取り合わせて、事実かどうか分かりませんが、暮らしてみると自分の秘密がすべて詳しく分かります。金孝南長老にきのう、何と名前をつけましたか?訓母と言いました。訓母、教えるお母さんです。 何を教えますか? 地上でのことはすべて知っていますが、霊界のことは知らないので教えてあげるのです。そうすれば、大母様なり忠母様なり、中間の立場に立って、天の国の便りしか伝える道がありません。伝えようとするので、心的な世界は通じますが、肉的な世界は通じません。心の世界を見て、聞いて、触って、そのようにできますが、体の世界は別の世界に落ちていったので、二つの世界に通じる者がいないのです。 精誠を尽くして道通するという、道通できる立場なので、聞いて、見て、触ってみて知るのです。五官が通じるので、臭いを嗅いでみると、臭い臭いかよい香りか分かり、触ってみるので、とげだらけか、すべすべか分かるのです。感じのよい五官の感触を感じることができ、すぐに良し悪しを判断して、教えてあげるのです。 教えるというのは、み言を中心として流れていくのです。谷間さえ見つければ流れていくのです。「み言の言」に「川」という字なので、流れていくのです。み言も流れていくのです。訓読! 訓読するときは、み言を売るのです。訓読会、み言は流れていき、み言は売らなければなりません。売るのに、人のものを売るなというのです。人のものをもって売れば泥棒です。 お父さんのものであっても、お父さんの承諾なしに持ち出して売れば、泥棒になるのです。お父さんの承諾を得たならば、それをどこに持ち出して売っても泥棒ではありません。承諾をもらわないで売れば、贓物罪となって刑務所に行きます。それは分かるでしょう? 訓読という言葉、み言は流れるものですが、自分を中心として静止してはなりません。四方に流れていかなければなりません。水が流れるようにするのです。「読」という字は何かというと、み言を売るというのです。これが「売」という字です。み言を売ります。売るのに泥棒して売るなというのです。私が実践して私のものとなってから売らなければなりません。 訓読会! 世の中で訓読会というのは、統一教会だけが備えている会なのです。何を教えてあげるのかというのです。天理のすべての秘密を備えた真なる真理を教えてあげます。真理を教えてあげるのに、真理は天のてっぺんから天下のどこにでも及ばない所がなく、すべて潤さなければなりません。水は低いところにはどこにでも流れていきます。 水はてっぺんからあの深く深い地獄の底、また底、千道、万道、億道も流れて下っていき、満たして上がってくるのです! 偉大なる占領をすることを知らなければなりません。空気がいくらなくても満たしに満たして、すべて満たしきったら休みません。世界を旅行するのです。水もそうです。水もすべて満たした後には蒸気となって、雲となり、世の中を遊覧するのです。 日光も同じです。深いところから満たすと、「世の中の天地に私が通じない所がない」というのです。空気も語り、水も語るのです。「世の中の天地に私が占領しない所がない! 私にすべてが占領された! アーメン!」と言うのです。「アーメン」と言うとき、「神様、私の心の畑に降りてきてくださいませ!」と言うのです。 神様はそうしなければなりません。神様は地に対して祈祷されるのです。地に対して孝子を探すのは、精誠を尽くす息子・娘たちが忠臣と孝子の道を行くのと同じです。真なる父母になるため、真なる夫、妻の立場で地に対して祈っています。「お祈りいたします、お祈りいたします。地上天地に孝行息子の家庭、孝行娘の家庭が現れるようにしてください」。それが父なる神様の願いではないでしょうか? そういうときは「はーい!」と言わなければなりません。 「よし、そうだ! 喜ばしい! そなたたちの懐には食べ物がないであろう? 手を広げてみなさい!」と言って、無限に与えてくれるのです。その心がいくら疲れて、空になっていても「広げて!」と言って、愛の風呂敷にぎっしりと詰め込んで、越えに越えて、世の中を覆い、白頭山、ヒマラヤ山脈のエベレスト山頂までもすべて埋めて余りあるのです。 それで雲と雨は空中から来るのです。高気圧は高いところから低いところに来るので、流れていき、深い谷間を飛ばさないで一様に分け与えるのです。太陽の光も同じです。このように流れる中で、速度がいちばん遠く、何と言いましょうか? 水がざらざらならば、油というのはどれほど滑らかでしょう? 愛が波のように流れるのに、滑らかなのがいちばん、絶対ナンバーワンです。 ナンバーワンと言うときに万人だけやってはいけません。私たちの家庭はナンバーワンと言うとき、女性は右側にナンバーワンと言い、男性は? 相対にならなければならないでしょう? 男性が左側になれば女性は右側になり、女性が右側になれば男性は左側になるのです。男性が右足ならば、女性は左足ですが、「男性が行くとおりに行く」と言って、右足を出せばどうなりますか? 十里も行かずに足が折れて死にます。足を傷めて死ぬのです。それがすべて調和しなければならないのです。 調和できない人は、かわいそうな人です。軸に差し込まれますか、軸に差し込まれませんか? 軸に差し込まれなければ、どんなにかわいそうか分かりますか? これは動的に平たいのに、このようになって、どれほど大変でしょうか? どれほど損害でしょうか? いくら上がっていきたくても、中心がなければ上がっていく道理がありません。ちょうど真ん中では中心があって、つかんでこそ定着するのであり、中心がなければ、どのようになりますか? 永遠に正す道がないのです。世の中の道理が、中心を中心として、東西南北に回るか、行ったり来たりするのであり、中心がなければ行ったり来たりするのは、すべて無駄なことです。千里万里を行ったとしても、行ったのか、行かなかったのか解決できません、中心がなければ。 統一教会も中心がなければなりませんか、あってはならないですか? なければなりません。中心が誰ですか? お父様ですが、お父様の中心は誰ですか? 神様です。神様の中心は何ですか? 真の愛です。 真の父母の入籍家庭に対する訓示です。教示は教える学校、教室で必要なものです。み言というのは訓示です、訓示。永遠に守るべき言葉です。主題が「真のご父母様の入籍家庭に対する訓示」です。指示事項、訓示の内容なのです 一つ目は何だと思いますか? 堕落以後の恨が何かというと、血統を汚しました。それで一つ目は純潔なる血筋をいかに永遠に千代、万代に残すかということです。もう二度と女性の三角地帯、男性の三角地帯に堕落があってはなりません。その影も見たくないというのです。それが愛のセンターです。本宮です。生命のセンター、本宮です。血統の本宮であり、良心の本宮です。国の、世界の本宮です。天地の、神様の解放をできる本宮! それを汚しました。恥を知らなければなりません。 すべて地獄の底に逆さまに打ち込まれているのを、先生がありとあらゆることをして引き出したのです。それを引き出すため、どれほど興進君が苦労したかを知らなければなりません。 一つ目が何ですって? 純潔なる血統を死守しなければなりません。皆さんは今や、息子・娘の教育を徹底してやらなければなりません。そんな姿を見せるなら、飢え死にするほうがましです。揺れ動く世界に足をかけて、目をかけて、五官が内外にすべてかかっています。それをやっと断っておいて、解放された家庭という立て札を打ち込んだのに、この周囲には千層万層のサタン世界が張り巡らされているのです。小さな隙間でもあったら、サタンの愛が入ってきて、サタン世界の空気が入ってきて、サタン世界の光が入ってきます。サタン世界の愛が入り込んでくるのです。 これを絶対に防御しなければなりません。防御する方法は為に尽くす愛です。自分を考える愛は必ず侵食されます。絶対に尽くす愛! 男性が生まれたのは男性のゆえに生まれたのではありません。女性のゆえに生まれたのです。男性は半分なのです。女性も半分です。二つが共に合わさって、でこぼこが一つになり、完全な輩となるのです。男性が未完成品であり、女性が未完成品です。男性が存在するのは、女性のためであり、男性のためではありません。なぜ? 愛は自分のために始まりませんでした。 相対が愛の主人をつくってくれます。妻が男性に何をあげますか? 男性となって、女性を愛せることを妻が教えてあげるのです。主人です、主人。愛を与えた主人です。また女性も同じです。愛を抱いたのは、女性として男性を愛することのできる主人の立場に立ったのは、男性のためです。愛を見いださせた主人です、主人。夫というものです。 それを勝手にやれば、人のものを勝手にやれば泥棒でしょう。泥棒です。それは村であれ、どこであれ、追放されるようになっています。五官が生じたのは、目が目を見るため生じたのではないのです。全体を、相対を見るために生じたのです。鼻があるのが、自分の鼻を嗅ぐためにあるのではないのです。環境要件を、自分の周囲を保護するためにあるのです。口が語るのも自分のために語るのではありません。自分の利益のために語ってはならないのです。そうするのは天地の原則に背くのです。 語るときには慰労の言葉、教訓の言葉、忠告の言葉、勧告の言葉は必要ですが、自分の利益とするための詐欺の言葉、侵食の言葉、圧力の言葉はサタン側に属するのです。そのようなことをすべて知っているでしょう、原理が分かれば? そのようなことができないと言う者は、どうしますか? ご覧なさい。神様がどれほど悲惨かというのです。エバが誰かというと霊的、肉的に縦横に連結されていたならば、神様の夫人です。心の父である神様の夫人が誰かというと、エバとなり、体の父の夫人もエバです。それでエバも心があり、体があります。心は縦的であり、体は横的です。二重になっているのです。 天地創造の原則が二重になったというのです。それは避けられないことです。この世で対になって愛を慕う存在は、すべて二重になっています。鉱物世界もすべてがそうです。分子ならば分子もプラス分子とマイナス分子に対になっています。植物もおしべとめしべになっており、動物も雄と雌、人間も男性と女性、天地も天と地という具合に対になっています。 五官もすべて対になっているでしょう? 手も対になっています。対応的な対をなすのです。こうして天地の調和がなされます。男性がここに左足を出せばどうなりますか? 右手が交差するでしょう? 交わってこれが一つになります。内外が、上下が合わなければなりません。 相対がなくなれば、行動の結実が現れません。役に立ちません。それが天地の道理です。無鉄砲に言っているわけではありません。先生は数学を勉強した人です。科学を勉強した人です。数理に天才的な頭脳を持っている人なのです。頭が悪くはありません。良すぎて心配です。 私が摂理の願いを成就するため、苦労をご飯よりも美味しく食べてきました。自己主管するには食を断たなければなりません。その次には眠りです。その次には何ですか? 性欲! 美人たちが誘惑すれば、かいば切りで首を切ってしまわなければなりません。私一代に私がプロポーズした女性のほかには、女性に引っ張られていきません。エバが男性を引っ張って堕落しました。ですから、男性がお尻を追っかければ、国を売るのは容易なのです。文総裁にはそれが通じません。 日本にいるときも、そのような歴史が本当に多かったのです。それを話せば日本民族がどんなに操について関心がないか恥じるでしょう。私は女性たちのありとあらゆる悪賢い手にかかってもなびきませんでした。独身の美男が万人で寝ていると、女性が裸で入ってきて「私、死ぬ」と言うのです。「五分だけ話をすれば、死ぬ女性を助けてあげられるのに、それもできないのがどうして男か?」こう言うのです。そのように言うでしょう? しかし、そのようにしてあげれば、どうなりますか? 日本、エバ国家に入り、怨讐の国で独立のために地下運動するチャンピオンなのに。私が下ポのたまりにどれほど行ってきたか分かりません。そうしたことを言わないから知りませんが。 それをいかにしますか? 深刻です! 神様がそのような立場でいかにされるかというのです。修行の世界は、最後に行くと女性と愛の問題で闘わなければなりません。後には何かというと、陽部に陰部をあてがうのです。笑いながら自分の首に力を入れて引っ張るのです。それをいかにすべきですか? そこで男性の生殖器が立ってはいけません。死ななければなりません。そうでなければ神様の息子になれません。それを否定しなくては、天に接ぎ木できる素質がないのです。(二〇〇〇年九月二十六日、天城旺臨宮殿) 真のご父母様の入籍家庭に対する訓示、指示事項 一つ目は純潔なる血筋を、純潔なる血統を永遠に、その下は何と言ってもかまいません。要は純潔な血統を死守せよというのです。「純潔な血統の死守」でもよく、「絶対守護」でもよく、純潔な血統は説明しなくても皆分かります。どんな修飾語をくっつけてもかまいません。 二つ目は何かというと、「一心定着!」一心、神様も一つの心です。心と体が一つの心でなければなりません。そうしたお父さんの心を中心として、男性の心も女性の心も一つの心にならなければなりません。心、体が闘いましたが、一つの心となって、家庭も一つの心です。 お父さん、お母さんも一つの心、息子・娘も一つの心、孫も一つの心、そのようになって定着しなければならないのです。一心定着! 分かるでしょう? 一心、心!「心」という字です。定着! 神様も息子・娘の心が一つになった家庭で定着しようとされたのです。 宇宙が一つの心に定着しなければなりません。夫、妻、息子・娘が一つの心です。きのう、何と言いましたか、先生が? 正午定着と言ったのです。一心、中央にぴったり縦的に立てば、影がありません。そのことです。これは家庭が今から必ずや守るべき訓示です。 三つ目は子女に対することです。子女に対する真の愛の実践教育! 父母が教えてあげなければなりません。子女たちに真の愛を実践することを教育しなければなりません。今やすべて家庭に対する話です。夫婦が純潔を守り、一心が定着しなければならず、その次には子女に対する真の愛の実践を教育しなければなりません。嘘ではありません。教えてあげてこそ従っていくでしょう? 父親は酒を飲んで帰り、母親を怒鳴りつけおいて、父親の言葉に従えと言えば従いますか? 母親は父親をだまして嘘をつきながら「私の言うことを聞きなさい!」と言って聞きますか? それで子女に対する真の愛の実践教育なのです。教育ではなく実践教育です。実践して教えてあげるのです。これを標語にして、字がうまい人に書かせて、かけておかなければなりません。自分がうまく書けるならば書いてみなさい。私が一つ書いてあげたらいいのですが、皆さんの精誠が込められないので駄目です。皆さんが精誠を尽くして書くのです。 その次に四つ目が何ですか? 今から言うことをよく聞かなければなりません。切に願ってこそ記憶するのであり、尋ねてよいものでしょうか? 国境撤廃と交差結婚! 偽りの愛をすることによって、相対結婚が交差結婚になったのです。ですから、反対となる者と結婚してこそ、正されるわけです。引き離して、反対にくっつけなければなりません。ですから、国境線がなくなります。より尽くして怨讐を誰よりも、自分のお父さん、お母さんよりも愛さなければなりません。先祖よりも愛する心がなければ不可能です。神様の心を抱かなければいけないのです。 ですから、四つ目は「国境線の撤廃と交差結婚」です。今や皆さんが結婚するにあたり、霊界においてこれまで結婚させるにあたり、三代怨讐とか、自分の先祖が知っている歴史的な怨讐とか、そうでなければ三時代の国の怨讐となる者と結婚させてあげました。それで柳寛順が日本人と結婚したのを知っていますか? 柳寛順が日本の警官たちによって六つにちぎられて死んだのに、なぜ、その日本人と結婚させてあげましたか? これです。怨讐を愛さなければならないのです。 その国の怨讐の父母が、その息子・娘が結婚すれば、「私たち父母は、怨讐を互いに憎んで、夫妻どうしでお父さん、お母さんを憎んで、皆怨讐視した。多くの国境を抱いて怨讐視したが、君たちは国境撤廃である。縦横にどこでも、その影にでも怨讐に復讐するという心があれば、天国にならない。平和の足場とならない」と言うのです。それで交差結婚しなくてはならないのです。三代を交差結婚させなければなりません。 血筋を交差させて接ぎ木した野生のオリーブの木に真のオリーブの木が接がれ、そこに実を結んだのを三年以後に摘み取って、その後に種を植えてこそ、真のオリーブの木が芽生え始めるのです。どれほど難しいことでしょう。そうした基準を中心として、まさに家庭で本郷の地を探そうとするこの課題の前にどれほど厳粛でしょうか。 もっと深刻な話をしなくてもよいでしょう? どのような怨讐ですか? 自分の国における三時代の皇族たちを、サタンたちがすべて王たちを捕まえて殺すのです。縦的な三代と横的な三代を中心として、三×三=九を中心として、未来の十二人の女性たちをその夫たちが見ているのに、体を汚して、刀で腹を裂いて殺してしまったわけです。そのような怨讐なのです。 そのようなことを見て口も開けられず、涙だけ流したのです。口もきけずに行動もできずに、見て一人で涙を流される神様の心情を誰が知りえますか? 滅びた国の事情を誰が知りえますか? それを知る者たちが自分の血族の血筋を汚すことができますか? 後に男性たちはすべて殺してしまうのです。三十五歳、三十六歳以上、四十歳を越える者たちは。皆殺してしまい、若い赤子と妻たちは僕にするのです。それがサタン世界の伝統的な歴史であることを知らなければなりません。 血統の因縁が、サタンを中心として、怨恨の歴史が絡まっているという事実を知っています。それを解かなければならない文総裁の心、一言だけ話せば慟哭します。天下が壊れうるのです。そうした心を抱いたご父母様の前に孝行娘となる自信がありますか? 孝子となる自身がありますか? 私はないものと見ます。この聖人・聖子の道理を果たさなければなりません。私がそのように自信がないと見て、皆さんには望みをかけません。私がまだ行く道が残っていると、生命をかけて死の場を求めて、峠を越えに越えてみたら、ここまで来ました。 父母を失ってしまい、王権を失ってしまい、天下を失ってしまった王者の姿のどこが楽ですか? 死んで埋められたとしても、地に逆さに埋められなければなりません。願いは何ですか? 惜しいことがありますか? 私は何もありません。お金を一銭でも集めて、昼ご飯を食べずに夕ご飯を削りながら、地を買うために皆さん以上に努力したのです。日本の皆さんの血肉を売ってやったとしても、良心の呵責がありません。 祖国光復、国連の国を私が築いています。私が再整備して汚さない地を築いて、神様に侍り、聖殿を建て、天下を解放して、その場に行って敬礼を捧げて霊界に行くというのです。そこがどこですか? 原初聖地・根源聖地・勝利聖地です。そうした言葉を聞きましたか? 南北が聞かなければ、切ってしまい、国の領土をつくってあげなければなりません。今、手続きしているわけです。 孝子にならなければならないのに、何だかんだと言ってどこにいますか? お父さんの前では同じです。昔、事故が起こり、戦争が起こって逃げて避難して、養子に行った者ですが、知ってみると血筋が同じなのです。兄弟と考えなければならないのです。顔が同じで生活が同じなのです。そのようなことを見るとき、私が夜を徹しながらも教育しなければならないのです。 国境撤廃と交差結婚! 交差結婚は何ですか? 来年から祝福するときは、日本人どうしでは結婚できません。怨讐の国、アメリカの国、それから中国の国と結婚して、ソ連の国と結婚するのです。これをしてこそ……。第二次世界大戦以降に日本の女性や日本の男性たちが損害賠償をしませんでした。敗戦国として土地を売って、女性を売らなければなりません。国が四方に裂かれるのです。しかし、私が防備しました。蒋介石に日本を助けるように言ったのです。それを知っていますか? 死んでからこのような私を好きになるでしょう。 日本を分割しないように言ったのです。なぜですか? 私に守るべき責任があるからです。そのようにしなかったならば、四か国に分割されて、四つの島の女性と男性たちが異国の地に行きますが、男性たちは僕の子になるのです。ですから、戦争で滅んだものを再建させるのに、血の汗を流しながら働くのです。妻たちは流れ行く天の川を眺めるのです。外国に行って月を眺めながら故郷を忍んで、涙を拭いて、その息子・娘が恨を抱いて住むところを、文総裁が防備しました。 損害賠償しなかったので、第二次世界大戦以降の損害賠償を請求して、再び平和基金を集めるべき時が来るのです。私が国連を通じてやるでしょう。 戦勝国家も敗戦国家も同じです。兄弟どうしで闘うのは、堕落の報いです。同じ価値と見るので、世界平和のために真の父母が教育できるように国の基盤を整備して、新しい心情文化を創建する費用として各々が出し合うのです。それが足りなければ二次戦争三次戦争のような戦争をして、死ぬのを見たとしても、神様の勝利を讃美して、その墓まで花が咲けと祝祷して言ってこそ、兄弟が生まれて国が祖国の領土になることを知らなければなりません。それを見てこそ、神様の前にすべてを捧げるべき真の父母の召命的な使命が終わるのです。深刻です。 その次に五つ目が何ですか? 国境撤廃と交差結婚の次は、何だと思いますか? 祖国光復! その次は何だと思いますか?(「天国建設」)天国建設ではなく、天国創建です。建設はあるものをくっつければいいですが、創建はつくってやらなければなりません。何ですって? 祖国光復と祖国創建! 祖国を見いだせなければ天国が創建されません。必死なる召命的な責任です。 今、国を見いだしてこそ入籍ができます。王様が椅子に座って手続きしておいたのを、印章を押して国庫に貯蔵しておいてこそ、初めて国に入籍するのです。国がなければなりません。それが大きな峠です。イスラエル民族が出エジプトするときの峠と同じです。ですから、自分の長子権を犠牲にしなければなりません。長子の血を流すには、羊の代わりに誰かが犠牲にならなければなりません。家庭的な羊の代わりに血を流さなければならないのが統一教会です。 サタン世界が一つ目であり、二つ目が結婚でしょう? これらが血を流さなければなりません。血を流すのに純潔なる血を流さなければなりません。お母さんが汚れなかったお母さんとして赦しを受けるのです。汚れなかった息子・娘、カイン、アベルが一つになって血を流さなければなりません。そうして汚れたお母さんたち、汚れたお父さんたち、汚れた息子・娘のために血を流して、犠牲にならなければなりません。あらん限りの精誠を尽くすのです。願いがあるとしたら、それしかありません。残したすべてのものが、今、故郷にいるお父さん、お母さんが問題ではありません。出征した兵士です。 天の国が初めて願いに願った、待望した家庭的な出征命令が出ました。祖国を家庭からひっくり返して打ち込んだので、家庭を再び探すべき神様的な運命、堕落した世界から復帰する運命……、ご父母様がこの地に来られて失ってしまった失敗の因縁をすべて解消させて越えていくべき最後の進撃命令が、天国創建であることを知らなければなりません。そうするには祖国がなくてはいけません。祖国の上に天国を築くべきでしょう? そうですか、違いますか? 運命をかけた生涯の使命です。 自分の一族が滅びるとか、妻が死ぬとか、自分が死ぬことが問題ではありません。ただ、この心が先立って、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」とありますが、このことを言っているのです。 隣り人は誰ですか? 共産党です。カインです。カイン! 神様のように愛さなくては、祖国光復が実現しません。地上・天上天国に神様を解放できる国が生まれません。国を連結させて民族を克服して、伝統と文化を克服する天国創建の使命は、国を抱いた者たちの責任です。日本の国は、天国創建できる召命的な責任を絶対に負うことができません。その国が天の側ではありません。 ですから、祖国光復と天国創建です。祖国光復は何ですか? 全世界の人たちが南北統一運動をしなければなりません。それが終われば、自動的に国連を通じて天国創建時代が到来します。それを背後ですべて準備しているのです。今や教育が終われば、皆さんのように教育すれば、カインの国とアベルの国が一つになるのです。国連の名前で教育するでしょう。 北朝鮮と韓国が文総裁によって一つになるのです。神様主義と頭翼主義を持ったので、父母によって一つになるのです。それで超国家超宗教圏、絶対・唯一・不変・永遠なる神様の真の愛を中心とした、水平なる平和理想的な真の愛だけをもって一つにできるので、国がある限り天地創建は問題がないのです。 祖国光復と天国創建! いつでも、ご飯を食べても、寝ても、一日のうちにトイレに行って大きいの、小さいのを出すときも、力を入れながら祖国の地に小便をして、大便をするのだと考えなければなりません。食べて消化して力が余れば天国創建に……。 祖国を失ってしまい父母を探せないのが恨です。本然の地、本然の父母、本然の血族を失ってしまったその恨を知らなければなりません。はっきり知らなければなりません。この女たち! 母の国です、母の国! その血肉を抜いて、世界の若者たちに食べさせてあげなければなりません。骨を削って若者たちの足場に、農土にまいて肥料をつくってあげるのだと考えなければなりません。ところが、生きた供え物の総献納基金を……。 先生に捧げるようにというのではありません。この前の演説文の中に国連の名前ですべて持ち合って結束させるよう宣布しました。ですから、これからは過去をつかんで日本の国に入っていき総生畜、すべての国の家と所有を神の国の建国に捧げなければなりません。堂々と今や国連の名前をもって教育を施して、文総裁の代わりに語ってあげます。やらないときは気合を入れる時が来るのです。 女性が堕落しました。荒野となって石ころ畑しか残らず、東京都がすべて崩れました。自分が、日本人が努力しましたか? 文総裁がエバ国家として選んであげたことを最近になって知るのです。皆さんは知っているでしょう? 知っていますか、知りませんか? 知っているならば実践しなさい。皆さんの血を私は吸いません。千万、万倍、世界が皆さんの懐に抱かれるのです。種です、種! そのようにしても私が忠告するほど、すべてやりました。天地をかけてその条件に引っかからないため、あらん限りの忠誠を尽くしました。飢え死にして生きられないようになったら、私の買った地、南米に来なさい。土地がないですか、畑がないですか、果物がないですか、穀物がないですか、米がないですか? 牛がいないですか、羊がいないですか、豚がいないですか? ないものがありません。今、買っておいた土地だけでも済州島の十二倍です。ソウルの二十倍です。 (六番目は)訓読経原理の暗記! 本を暗記せよというのです。暗記! 経です、経! これは本のことです。聖書、仏教の経典と同じです。 皆さんの家庭にこれを贈り物としてあげますが、今からはこれをすべて記憶するように。韓国語ですべて記憶して、ここにある言葉を、ご飯を食べるときも使い、祭祀に行ったり、学校に行ったりしてもこれを使い、知らないことがなくなれば、韓国語を自動的に学ぶため、毎日一時間、一時間はできなくても夕方に帰ってきてやることがなければ、これを暗記しなさいというのです。 訓読会する時間がないと言ったら雷が落ちます。ご飯を食べるより美味しくなければなりません。死んでいた自分の息子・娘が生き返ります。お父さん、お母さんがご飯より美味しく食べるようになれば生き返るというのです。教えてあげなければなりません。千年の内情が溶けるので、夫婦もふさがっていた壁がすべて、また父子関係でふさがっていた壁がすべて、ガラガラと崩れるのです。それを嫌がるならば滅びなければなりません。 それで訓読経原理を暗記完成せよというのです。原理暗記、暗誦せよというのです。暗記して暗誦するでしょう? 暗記する前に暗誦できますか? 暗記したら暗誦、一人であってもすらすらと読むことができます。 皆さんの家庭が読むべきこれが、先生の八十歳の生涯を中心として語ったみ言です。祖国光復を中心とした八十歳の記念演説とともに国連で語ったこのみ言は、私たちの家庭に与えることのできる最後の礼物です。それで訓読経原理の暗記完成なのです。 真の父母の八十歳の生涯に対することは、やらなくてもかまいません。新千年祖国光復に対するすべてのみ言、ここにすべてが含まれているのです。祖国光復するのに、新千年の先生の誕生日を記念する全国大会を再び行ったのです。これさえ分かれば、新千年のうちに先生の八十生涯に対することがすべて入るというのです。 その次は何ですか? 七つ目は何ですか? 家庭盟誓の実現化! そこにすべて入っているのです。家庭盟誓を皆知っているでしょう? 一つ目は何ですか? 祖国創建! 二つ目は孝子・忠臣・聖人・聖子の道理をすべて立てよう! 三つ目は天の国の四大心情圏と三代王権と皇族圏を完成することです。天の国の王宮法がないので、王宮の伝統を立てていかなければなりません。 それが三つ目であり、四つ目は「神様の創造理想である天宙大家族を形成して、自由と平和と統一と幸福の世界を探そう」というのです。それから六つ目は「真のご父母様の代身家庭として天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。今やすべて成就したので神様の代わりに福を祈ってあげなければなりません。福を祈ってあげて、祝福してあげて息子・娘が天の法度を守っていくお手本になるのです。 その次に何ですか? 「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結した為に生きる生活を通じて心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。それが何かというと、純潔なる血統です。七つ目です。本然の血統というのは、堕落しない神様の純潔なる血統です。純潔なる血統を守って、その純潔なる血統は為に生きる生活をしなければいけません。自分に尽くせといっては駄目なのです。 男性は女性のため、女性は男性のために生まれてきたので、そうしなければなりません。父母は子供のために生まれ、子供は父母のために生まれてきました。お兄さんも弟のために生まれ、弟もお兄さんのために生まれました。国も私たち家庭のために生まれ、家庭も国のために生まれたのです。同じです。為に生まれたものは、為に生きる心情がなくては統一天下を大成することができません。投入して忘れてしまう原則、多く投入して忘れてしまい、一つになるために努力した者は、神様のもとに行けるのです。 影のない正午定着と愛の第二創造主になれということ、これは今回の大会のみ言の骨子です。ですから、正午定着という言葉! 正午定着と神様の代わりに第二創造主の愛を残していこうというのです。 最後に八つ目です。最後が何かというと、影のない正午定着、天宙的な正午定着と神様の第二の愛の創造的な主人になろう! 相続したので、主人になってこそ天上天国に愛を築いて捧げる者になるので、天国の民となり、天の国を相統するのは間違いなし、アーメン! 天宙的な正午定着と第二創造主の真の愛の責任を完成しようというのです。愛を完成できなかったでしょう? 神様が創造してくださったすべてのものを壊して、公害問題、環境を破壊してしまい勝手にやったのです。動物もたくさん死んでしまいました。神様の息子・娘に最高の贈り物として与えたもの、私たちの家庭生活の糧としようとしたものをすべて殺してしまったので、神様の第二創造主となって、神様が贈り物として下さったものを、神様の代わりに愛していきながら暮らして、天国に行こうというのです。 愛することができなかったでしょう? 村にやってくるカササギ、最近、韓国ではカササギが害になるからといって、捕まえて殺すでしょう? 心配しないで、国でカササギが一年食べていける穀物を準備してよく育ててみなさい。漢南洞ではハトの餌、鳥の餌を準備していつでも与えるのです。ですから、その村を通り過ぎるときは、鳥たちも腹がふくらんで通り過ぎるときにはカササギも「キャッ、キャッ、キャッ」、ハトも「クッ、クッ、クッ」、スズメも「チッ、チッ、チッ」と鳴いてから行くのです。挨拶するのです、挨拶! 主人がいるとしたら、そのまま通り過ぎずに挨拶して行くのです。ありがとうと考えるのです、毎日のように食べ物を与えるので。 ですから、カササギを見たければ漢南洞に来なさい。朝早く来れば、カササギを見ることができます。ハトもお腹が空いたときには豆畑にいるのです。食べ物をあげるので、すべて関心があるのです。動物たちもそのようにしつけるのです。人もそのようにしつけるのではないですか? 赤ちゃんに乳を飲ませたら皆、「オンマ(お母さん)、オンマ!」と言うでしょう? オンマしか知らないではないですか? 同じことです。 それでは、今や思いどおりに行くのに、これを標準として家宝のように考えなさいというのです。純潔なる血統、一心定着、真の愛の実践教育、国境撤廃と交差結婚、それが重要なのです。今や姻戚関係を結ぶには好きな人と結婚したらいけないようになっています。私たち統一教会は、とても面白いのです。姻戚になるのを互いに嫌う者どうしが、間違いなく姻戚になりました。そうか、そうでないか探してみなさい。あの家とは絶対に死んでもやらないというと、絶対に姻戚になるのです。調べてみなさい。そうか、そうでないか? 最後が何ですか? 家庭盟誓の実践完了。アーメン! それでは、万歳してみましょう。「万歳!」万歳。「万歳!」死んでも万歳!「万歳!」生きても万歳!「万歳!」死んでも万歳!「万歳!」生きても万歳!「万歳!」死んでも生きても感謝万歳!「万歳!」統一万歳!「万歳!」(拍手)(二○○○年九月二十六日、天城旺臨宮殿)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.08
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どこに行くべきか2000年9月25日 第一次「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」が天宙清平修錬苑において、二〇〇〇年九月二十四日から二十六日にかけて挙行されました。二日目の二十五日の夜八時からの御言です。 皆さんが帰る前に一つ伝えたいこと 明日、出発する人は手を挙げなさい。全員、明日行くのですか? なぜもっとここにいないで、明日行くのですか? 皆さんが帰る前に、私が一つ伝えたいことは、「どこに行くべきか」ということです。それを決めてから行かなければなりません。 一生を経て、全員が行かなければならない所が霊界です。全員が一つの所に行かなければなりません。ここにいる人たちが、それぞれ自分勝手に生きたとしても、全員が霊界に行かなければならないのです。 霊界があるということを知っていますか? (「はい」)。霊界があるかどうか分からない人、手を挙げなさい。そのような人は人間ではありません。(地上で)いくら人間のような姿をしていても、霊界に行けば、人間の姿で生きることはできません。 人間の姿で生きようとすれば、主人がいなければなりません。皆さん、男性でも女性でも生まれる時には、絶対に自分勝手に生まれたのではありません。主人がいて生まれたのです。それがだれかというと、父母です。 そうだとすれば、父母がいる所がなければなりません。父母が暮らす家がなければならず、父母が暮らす国がなければならないのです。それが私たちの故郷であり、自分たちの祖国なのです。この地球は広いですが、みな故郷が違います。また、数多くの国があり、みな(国が)違うのです。地上での暮らしは瞬間だというのです。 私たちは霊界に関してよく知っているでしょう。神様に関してよく知っていて、だれが何と言おうと、「自分が行くべき所がどこなのか」をはっきりと知っている人たちです。分かりますか? (「はい」)。世の中が反対し、天地がごった返したとしても、自分が行くべき所を知って歩んでいく人は、かわいそうな人ではなく幸福な人です。皆さんは幸福ですか? (「はい」)。 どこに行くのか、分かりますか? (「はい」)。だれかが大きな声で答えたので、私が一つ尋ねてみましょう。霊界を知っていますか? (「はい」)。聞いて知っているのですか、行ってみて知っているのですか? (「御言を聞いて知りました」)。御言を聞いて知ったとは、どういうことですか? 御言を聞いて、行い、「事実がそうだ」と思い、「そのようなことを見たので、(御言のとおりに)行えば、そのとおりにすることができる」と、こうならなければならないでしょう。そのことが明確でなければなりません。 先生の生涯において、たくさんの迫害を受け、多くの苦労をしたということを皆さんは聞いたと思いますが、そのすべての苦労と迫害を一つに合わせても、それよりも自分が大きくなければいけません。のみ込まれてはいけません。のみ込まれるときには、自分が知っている世界と関係を結ぶことができません。結んだとしても、そこまで行くことができないというのです。 今現在、自分が暮らしている環境、自分の価値、それをすべて加えて合わせたとしても、「自分が行って暮らす所と比較すれば何でもない」と思うときには、世の中が何と言おうと、「何でもない」と思い、そこに行くことができるのです。そこに行くことが間違いないとすれば、彼は幸福な人です。 さあ、皆さん、今からどこに行きますか? 明日の朝には出発するのですが、どこに行くのですか? 行く前に、自分が行くべき所を決めてから行かなければなりません。 御言を訓読して、「間違いなく行く。生涯において暴風雨が吹き荒れ、受難の道にぶつかり、一生を嘆息と絶望の中で終えるとしても、私が行くべき所はここだ」と決定して行く人は、かわいそうな人ではありません。分かりますか? いくら困難な環境にいたとしても、「困難な環境にいる私を、真のご父母様が見守ってくださっている」と思う人は幸福な人です。真のご父母様が見守ってくださることは、幸福なことです。自分が真に行くべき所があることを知り、また、それを見守ってくださる真のご父母様がいるということまでも分かったとすれば、どれほど幸福でしょうか。真のご父母様だけではありません。自分の兄弟、妻子、一家、一族、一つの国までもがそうであるとすれば、どれほど幸福だろうかというのです。分かりますか? (「はい」)。 それでは、そのように行くうえで、だれもが分からない環境で、そのようなことをはっきりと知っていて教えてくれる方がいるとすれば、その方はその国の精神的中心存在になります。希望をもって行く人たちは、そのことを考えるたびに、ご飯を食べていても、寝ていても、仕事をしていても、それを教えてくれた方のことを考えるというのです。 その方が十年前、百年前に行ったとしても、その方の教えを自分が記憶して、その方が指定した所に行くことを決めたとすれば、そこに行ってその方と会えるという希望が、どれほど大きいだろうかというのです。 そこに行って全員が出会うようになるのです。今日、この地上に生きながら何も知らない人と比較してみれば、どれほど幸福でしょうか。では、地上でそのようなことを知り、「自分が行く所はこのような所だ。そこが霊界の中心だ」と思うとき、それがどれほど価値あることでしょうか。そのことを考えてみなさい。 希望をもって行く人は、「自分は未来に、このように成功する」という目標を決めれば、その目標のためには、それ以上の内容を投入しなければならず、それ以上の価値を自分自身が投入しなければなりません。そうしなければ、到達することはできません。 未知の世界である、そのような所に向かって行くという事実をはっきりと知らなければいけません。世の中でそれを分からずにいる人よりも、どれほど幸福でしょうか。統一教会の教会員はそうだというのです。今現在、先生の生涯を知らなかったとしても、何度も何度も、見れば見るほど、だんだんとはっきりとしていきます。 信じない人に話すことが、どれほど苦しいか 私は今疲れています。疲れていても、「どこに行くのかを決めよう」と言ったので、話をすべて終えなければならないでしょうか、話の途中でやめなければならないでしょうか? (「続けなければなりません」)。このような話やあのような話を長くしている時間はありません。今からまたソウルに行ってこなければなりません。 金孝南長老! 「孝南」という言葉はよい言葉です。「南方の国から訪ねてきた孝女」という意味です。南方の国といえば、暖かくて希望があるのです。北方では家を建てるとき、いつも南向きに建てます。すべてそうです。南方といえば、「新しい知らせを伝えてくれる客人が訪ねてくる」と考えるのです。 金孝南、どこに行きましたか? 先生が御言を語れば、座って、どのような指示があるかと待っていなければなりません。(「あちらから出てきます」)。(拍手)ここに来なさい。名前を何というのですか? (「金孝南です」)。何をするおばさんですか? 姜賢實、何をするおばさんですか? (答える) 何が霊界ですか、その話がうそなのか事実なのか、だれが分かりますか? 興進を見ましたか? 興進とはだれの息子ですか? (「真のご父母様です」)。どうして先生の息子なのですか? 神様の息子でしょう。天の国の司令官として任命したのは、神様が任命されたのでしょうか、先生が任命したのでしょうか? (「神様です」)。神様が任命されたのですが、それが事実かどうか、だれが分かりますか? 見たのですか? (「感じています」)。感じることがすべて正しいのですか? (「正しいです」)。なぜ正しいのですか? 考えてみてください。皆さん、興進君が霊界に行ってから、すでに十五年を越えたでしょう。十五年前のその時に、先生は間違いなく「興進君を霊界の総司令官として送る」と宣布しました。その時に、信じた人がいましたか? 一人もいませんでした。 では、先生がそれを宣布する時、自信をもってしたでしょうか、震えながら仕方なくしたでしょうか? 宣布! 「宣布」と言ってみてください。宣布! (「宣布!」)。宣布したのに、信じる者は一人もいませんでした。それが人ですか、何ですか? 信じるべきことを言ったのに信じないのですから、それは人間ですか、獣ですか? それ自体が矛盾です。 学校に行って勉強する人は、数学であれ、何かの公式であれ、自分でそれが分かるのですか? 学校に行けば、先生の言う話を一〇〇パーセント信じなければなりません。先生のことを、小学校の先生ほどにも信じることができない者たちではないですか? 「自分の息子がどうだこうだ……」。 興進君を霊界に送るための手続きが、どれほど複雑だったか知っていますか? 知っているのかというのです。(「知りません」)。知っていたら、拍手して歓迎していたでしょう。(拍手)今ではなくその時にです。今は、仕方なく機嫌を取るためでしょう。そのような拍手は嫌いです。その時に拍手していれば、どれほどよかったでしょうか? 一人もいませんでした。 ここにいるおばさんも信じることができなかったでしょう。信じるのは、私しかいませんでした。知っているのも、私しかいませんでした。そのようなことをするのも、私しかいませんでした。神様はご存じでしたか、ご存じなかったですか? (「ご存じでした」)。ご存じなのかどうか、あなたたちは調べてみたのですか? 今は、知っていますか、知りませんか? (「知っています」)。どうして知っているのですか? (「お父様の御言を聞いて知りました」)。ですから、その時には信じることができずに、どうして今になって信じるのかというのです。 興進の顔を見て、先生のように(興進君が)こうして座り、「話を聞きなさい」と言う姿を見たり、その声を聞いたりしたのですか? (「清平に来て知りました」)。清平に来て、どのようにして知るのですか? 今でも、お父様の御言を信じないではないですか? 信じる人は、この中で三分の一にもなりません。 信じない者たちが集まって座っているのです。そのような者に、信じることができるように話をするのがどれほど大変か分かりますか? 信じない者たちを集めて、信じられない話をする人が、どれほどかわいそうか分かりますか? しなければよいのですが、そうもいきません。一回して、二回して、三回して、四回して、十回して、百回なら百回しなければならないのです。 私が教えてあげた「興進君が霊界の総司令官だ」ということを、一つも理解できず、信じもしない人に、話すことがどれほど苦しいかというのです。その時に話をしておかなければ、どのようになっていたでしょうか? その時に、興進君の役事を分別しながら立ててあげなければ、天の国の総帥として、地上に伝達できる責任者がいたでしょうか、いなかったでしょうか? 李相軒が霊界に行って報告した「霊界の実相」を見れば、私が任命したそのとおりの内容です。うそでしたか? (「そのとおりでした」)。 千六百三十年前に生きていたキリスト教の旧教世界の聖人と言うことのできる聖アウグスティヌスが、姜賢實女史の夫です。それを信じますか? (「はい」)。千六百年前に霊界に行った聖アウグスティヌスが、現在ここに生きている姜賢實女史の夫だということを信じますか? (「はい」)。頭が狂ったのでしょう。(笑) 姜賢實、立ちなさい。この女性は間違いなく、千六百三十年前にこの地上で生き、イエス様をよく信じ、天主教(カトリック)では聖者だと呼ばれる人の夫人です。信じますか? (「はい」)。狂った者たちです。(笑、拍手)じっとしていてください。 では、賢實はそれを信じますか? (「信じます」)。信じるのですか、知っているのですか? (「知っています」)。どうして知っているのですか? 夫が来て、キスをして、愛してくれましたか? これを見てください。そのとおりだそうです。(笑、拍手) 夫が年を取っているとは思わないでしょう。祈祷すれば、来て、すべて教えてくれるので、どれほど素晴らしいでしょうか? その人たちが暮らす天国があるでしょうか、ないでしょうか? (「あります」)。その天国に一度行ってみたいと思いませんか? 賢實、行きたいでしょう。(「行ってみたいです」)。この女性は正しい女性ですか、どうにかなってしまった女性ですか? (「正しい女性です」)。 さあ、興進君が霊界に行ってイエス様のお兄さんとなり、全霊界の大将となっているということを、信じるのではなく、知っているという人は手を挙げなさい。手を挙げなさい。なぜ、手を挙げたり下げたりするのですか? 自信がないのですね。 歴史を整えて導いていくには聖人が必要 ですから、歴史を整えて導いていくには聖人が必要なのです。預言者が必要だというのです。先覚者が必要だということを知らなければなりません。先覚者たちはその時代に来て、一般の人が理解できない話をするのです。それを理解できずに冷遇すれば、その部落なら部落が滅び、国民なら国民が滅び、国なら国が滅び、世界なら世界が滅ぶというのです。 今、韓国の人たちは文総裁のことを「文総裁は、我が国の歴史にない愛国者だ」と言うでしょう。「世の中がそのように言うので、その人の歩んできた歴史を調べてみると、世の中のだれもできない事実がたくさんあり、一代で、なそうとしたことをすべて成し遂げた。それは、うそではなく事実である。世の中の人がそのように言うのは事実だ」と、こうなるのです。 「今から百年後、千年後はこうなる」と言えば信じますか? 十五年前に言ったことも信じることができないのに、「千年後、百年後にこのようになる」と言えば、信じることができますか? その時に訪れる福の環境が、どれほどとてつもないものでしょうか? 「百年後にこうなる」と真実を言えば、百年ではなく、何百年後までも待つことができる民族は、世界を指導することができるのです。 言ったことが間違いなく事実であるならば、それを信じていった人たちは、どこに行こうと、確定したその世界が(その人たちを)主人として迎え、侍るようになるのです。このような時は拍手し、「アーメン」と言わなければなりません。(拍手)(「アーメン!」)。 「三時代転換一体圏祝福」。それが何だか分かりますか? 「三時代」とは、旧約時代、新約時代、成約時代です。先祖が三度失敗しました。「神様の御旨とは何か?」。神様の御旨に関して、神学的に尋ねてみると、「簡単のようであるが難しい」と言うのです。そのような答えがどこにありますか? 統一教会はそうではありません。「神様の御旨」といえば、「創造理想完成。創造理想完成は四位基台完成」と、明確なのです。 李相軒が霊界に行って記録したものを見ても、間違いありません。数多くの聖人、聖者たちが報告したものを見ても、間違いないのです。神様もご存じなので、文総裁を守ってくださったのです。それが間違っていれば、守ってくださったでしょうか? 聞き耳を立てて、つんとした目で見つめないでください。私も若い時には、美男子だと評判になった人です。ああ、本当です。(「信じます」)。 女性の中で、今でも私を愛している人は手を挙げてみなさい。この女性たち! 夫を横にして、手を挙げてどうするのですか? (笑)このように大変なことになりました。何かの薬を飲ませたわけでもありません。心がそうなのです。強い磁石は鉄を引き付けるように、良心が鉄のように、無性に先生を好むのです。 世の中には、無性に憎い人がいるでしょう。何かをくれと言ったわけでもないのに、憎いのです。ところが、「ください」と言えば、あげたいと思い、もっとあげたいと思い、さらにもっとあげたいと思う場合もあるのです。そのような心があります。たとえ法によって首を切られるとしても、手を切られるとしても、それでも会いたいと思うのです。 ここにいるこのおばさんもその時は、二十六歳の若々しい女性でした。夫もいなく、神学校に通いながら伝道師として、一人で私のところに伝道しに来たのです。しかし、私に引っかかって転びました。(笑)どれほど既成教会の熱血分子だったか分かりません。 私があなたのために、高麗神学校の総長と副総長に会ったではないですか? 「神学校で最も優秀な女性を、どのようにして惑わしたのか?」と言うのです。たくさん悪口を言われました。先生に狂っていると言うのです。毎日のように訪ねてくるので、「凡一洞の美男子に狂った」と、近所の人がどれほど指を差したでしょうか? 「到底信じることができないことを言うのに……。あの女性は狂った」と言うのです。この人は、二十一歳から復興会の講師でした。その世界で名前の通った人です。話が上手なのです。今、(この人を)立てれば、私が恥をかきそうなので立てないのです。(笑)本当です。 さあ、それでは、興進君が霊界の司令官だということは間違いありませんか? (「間違いありません」)。イエス様が興進君に侍るのですか、興進君がイエス様に侍るのですか? (「イエス様が興進様に侍ります」)。見たのですか? ここにいるおばさんは、霊界から電話をしてくるのも聞き取ることができます。神様に尋ねれば、答えも聞き取ることができるのです。聞き取るだけではありません。見ることもできなければなりません。 普通の人は音声を聞いて、「ああしなさい。こうしなさい」と言うのですが、音声だけを聞くならば、いくらでもサタンは詐欺的な電波を送ることができるのです。私は、そのことに関して専門家です。それゆえ、見なければいけません。見るだけでもいけません。鑑定しなければならないのです。 向かい合えば、「角度がどのくらいなのか」ということをすぐに鑑定できなければならないのです。見下ろしているのか、見上げているのかということです。恥ずかしいと思っている人の目をのぞき込んでみると、目が下のほうに向いていきます。自信満々ならば、上のほうに上がっていくのです。直感が鋭くなければなりません。そして、四方を測り、「どのようになっている」ということを鑑定し、処理できなければなりません。何も分からずに、狂った者のようにしていては、人を死に至らせ、町内を滅ぼしてしまうのです。 先生はこのように座っていますが、今後世の中がどのようになるか、ということを明確に知って生きている人です。しかし、言葉では言いません。体をもって霊界を占領しなければなりません。イエス様の体をサタンがもっていったゆえです。祈祷もしません。 そのような何かがあるので、世の中が滅ぼそうと、狐を追い込むようにあらゆることをしましたが、私を捕まえることはできませんでした。死ぬと思ったのに、死にませんでした。滅びると思ったのに、滅びませんでした。なぜですか? 天運が保護するのです。滅ぼそうとした人は、自動車事故が起きて死ぬこともあり、あらゆることが起きました。神様が保護してくださったからです。分かりますか? (「はい」)。それゆえ、数百回死ぬところでしたが、死にませんでした。滅びると思ったのですが、滅びませんでした。 はっきりと通告しなければならない先生の責任 五色人種がさまざまな国から、世界の果てから訪ねてきました。文総裁が「来なさい!」と一言言えば、このようにみな訪れ、では「行きなさい!」と言えば、どうなるでしょうか? 「行きなさい」と言えば、残るでしょうか、全員行くでしょうか? 「どこどこに行きなさい」と言えば、全員がそこに行くのです。それで、「行く所を決めているのか?」と尋ねたのです。どこに行くのか知っていますか? 今から一か月、二か月、十年後にはどこに行くか分かりますが、百年後にどこに行くか知っているのか、というのです。十年後に行くべき所を決めて、そこを訪ねていく人はいるかもしれませんが、「千年、万年後に行くべき道を知るために行く」と考える人が、どこにいるのかというのです。いないではないですか。 それゆえ、明日、出発するのですが、間違いなく……。ここに男性が来ましたね。妻を取り戻しに来たのですか、妻を手伝うために来たのですか? 思いどおりに妻を連れていくことはできません! なぜかといえば、連れていけば、霊界に行くことができる道、霊界に行こうとする道が、ピタッとふさがってしまうのです。 それゆえ、連れていかなければならないでしょうか、連れていってはいけないでしょうか? いくら夫婦で決めたとしても、私が「行ってはいけない」と言ったにもかかわらず帰ってしまえば、道がピタッとふさがるのです。ですから、はっきりと通告してあげなければならない先生の責任があるのです。 それでは、未来に訪れてくる世界、神様が喜ばれるそのような所、そこは天下も(そこに行く道を)ふさぐことができず、天下すべてが希望とする所なのです。皆さんの数多くの先祖たちが、そこに行くことができず、地獄に行って嘆息しているのです。そのことが分からないので、この暗く乱れた世の中で戸惑いながら暮らしているのです。 私は地獄へも、自分の親戚の家に出入りするように往来しましたが、地獄に入っていっても心配したことはありません。行くべき道をすべて定めて生きているからです。分かりますか? いかなる所に行くか、間違いなくすべて知っているというのです。 だれがその道をふさぐのですか? イエス様もふさぐことはできません。イエス様は私の弟子であり、弟子は私の息子です。そのことを知らないでしょう。釈迦もそうであり、孔子もそうです。孔子の妻、立ちなさい。拍手してください。(拍手)座ってください。それから、ソクラテスの妻。(拍手)それから、マホメットの妻。来ていないのですか? 四大聖人の妻たちを全員、私が育てて嫁ぎ先に送りだしてあげました。それを信じますか、信じませんか? (「信じます」)。(拍手) 今、霊界に通じる人は、うそかどうか尋ねてみなさい。「文先生が結婚させてあげた人を妻だと思っているか、そうでなければ、マホメット自身が選んで暮らした妻を妻だと思っているか」と尋ねてみなさいというのです。 ですから、文総裁は不思議でしょう。不思議な先生だというのです。また、知れば知るほど、分からないことが多いのです。四十年侍っていても分かりません。分からないことが泰山のように積まれています。 先生は、知っていて分からないふりをするのですか、知らずに分からないふりをするのですか? (「知っていて分からないふりをされます」)。知っていて、なぜ分からないふりをするのですか? 間違っている人を通して、天の機密が漏れるのです。どろぼうが天の国の秘密を聞けば、その道を汚してしまうのです。そのようなどろぼうたちを片付けてしまうためには、例えで話し、象徴的に比喩で話すのです。預言書のような秘書は、そのようになっています。 「どのような時なのか」ということを、先生はよく知っているのです。それだけは間違いないでしょう。それゆえ、他の人ができないことをすることができ、他の人ができない業績を残すことができるのです。 さあ、このくらい話せば、統一教会の教会員は、信じまいとしても信じざるを得ません。先生を霊的に見た人は手を挙げなさい。この者たち! 全員、見るようになっているのです。下ろしなさい。どこにいても、地上にいる先生が教えてくれるのです。 キリスト教では、イエス様を四十年信じて祈祷し、あらゆることをしても、イエス様が現れて教えてくれることはありません。しかし、文総裁は地上のここに立っていながら、霊界の霊人たちのように、それ以上の事実を指導しているのです。それが恐ろしいことです。地上にいながら、未知の世界、地の果てにいる人を指導しているのです。それを信じますか? ここには西洋の女性、あらゆる人たちがいます。そのような何かがあるので、「来なさい」と言えば来て、「行きなさい」と言えば行くのです。それは本当ですか、うそですか? (「本当です」)。では、拍手しなければならないでしょう。(笑)それは、どれほど大変でしょうか。 マイク装置が必要 さあ、それでは、興進様! 「興進様」と言いますか、「興進君」と言いますか? (「私たちは興進様と言います」)。皆さんは「興進様」と言わなければならず、先生も「興進様」と言わなければなりませんか? (「いいえ」)。何と言わなければなりませんか? (「興進君と言わなければなりません」)。あなたたち全員が「興進様」と言うのに、一人で「興進君」と言えば気分が悪いではないですか? そのように思って、先生も環境に拍子を合わせるためには、息子であっても仕方なく「興進様」と言うのです。それが一般社会的な礼法となっているのです。 興進も、地上にいる新婦と結婚させてあげたでしょう。以前、興進の霊界の実相に関する報告を聞いてみると、「私も肉身をもっている新婦のもとに、どれほど訪ねていきたいか分かりません。しかし、忙しくて行くことができません」と言うのです。その話を聞きましたか? (「はい」)。それは、事実ですか、うそですか? (「事実です」)。地上から霊界に行って五十日目に、霊的結婚をさせてあげたのです。世の中が、どれほど悪口を言いましたか? それが今では、すべて事実として受け入れるというよりも、知っているというのです。 「大母様」という名前は、だれがつけてあげたのですか? では、先生の母親の名前は何ですか? (「忠母様です」)。忠母です。また、先生の兄は何と言うのですか? (「大兄様です」)。大兄です。全員、見ましたか? お母様の母親、自分の母親、自分の兄。これは先生の家のための教会ですか? 天国ですか? 複雑です。そのようにしなければならないようになっているのです。内容がそのようにならなければならないので、そうしたのです。その内容は、あなたたちには分かりません。千年精誠を尽くしても分かりません。 そのようにしたことに対して、神様は静かに「よくやった。私が後援してあげよう」と言われます。そのような神様は、狂っていますか、賢いですか? (「賢いです」)。なぜですか? あなたたちは盲人のようなので、どうなるか分かりませんが、神様はサッと千里を見渡して明確に知っているので、「よくやった」と言われるのです。理解できましたか? 盲人でもなく、耳が聞こえない人でもないのに、先生が教えることを理解できなければ、人の部類に入れません。 アメリカの各州がすべて教育を受け、アメリカの上院下院、今の大使たち、アメリカを指導するトップクラスの人たちが、文総裁の御言を聞き、頭に鉢巻きをしながら争って御言を研究する時代が来たのです。韓国で優秀だといって頭を振りながら、肩をいからせ、おなかを突き出して、行ったり来たりしている者たち! 井の中の何ですか? (「蛙です」)。蛙にもならないでしょう。井の中の蝿のように威張り散らしながら、尻尾を振っているのです。これからはもう、滅びる運命になっています。 国連もそうです。国連が文総裁の言うことを聞かなければ滅びるのです。国連の責任者や部署の責任者たちに、「国連の名前で集合しなさい」と言えば、どうするのですか? 大統領をしている人たちも、国連の名前で「教育を受けなさい」と言えば来ないでしょうか? その教育する内容が文総裁の御言です。 何も知らずに自分勝手に生きるようにはなっていません。私は自分勝手に生きる人ではありません。自分勝手には生きません。道理に合わせ、天理に合わせ、行くべき道を正々堂々と来たので、神様の保護を受け、天運の保護を受けたのです。それゆえ、滅びざるを得なかった統一教会は滅びず、発展せざるを得ない統一教会になったというのです! (「アーメン!」)。 興進様を信じる時代ではなく、知る時代が来ました。それがうそだと思う人は、言ってみなさい。また、「大母様」という言葉も、私たちはうそではないということを知っています。知っているでしょう。(「はい」)。この中でそれが分からない人は、人の部類に入りません。 夫の言うことを聞いてはいけません。聞けば滅びます。私の言うことを聞いてこそ、天国に行くのです。うそかどうか、祈祷してみなさい。なっていない夫たち! 酒を飲み、あらゆることをしながら……。今回は、刀やカミソリの刃を持って約束をしなければ帰ることはできません。 興進君には体がなく、大母様にも体がなく、神様にも体がないので、マイク装置が必要なのです。中間で連絡するマイクが必要なのです。そのマイクは、良いマイクが必要でしょうか、悪いマイクが必要でしょうか? (「良いマイクが必要です」)。どのくらい良いものですか? いちばん良いものです。では、この女性は顔が良いですか、悪いですか? (「良いです」)。(拍手)何が良いのですか? 鈍そうに見えるのに、何が良いのですか? 牝牛のようですか、牡牛のようですか? 牡牛のような女性です。 鈍く見えるというのです。見てみれば、目も鈍く、耳も鈍く、行動も鈍いのです。ですから、どれほど苦労したでしょうか。食事もせず、眠らず、目を開き、耳を開き、体を飛ばすために、どれほど祈祷したでしょうか。それで、このようになったことは間違いありません。精誠をたくさん尽くしたでしょう。見なさい。(拍手)この人は立派なマイクになるために、目もかすみ、耳も……。 すべてが鈍く、それでは生きていくことができません。統一教会には、大学を出て、賢くさっさっさっと振る舞う者たちがたくさんいるのに、このようなのろまな人が生きていけるのですか? あまりにも岩にしがみついているので、岩も一緒に泣いてくれ、あまりにも木にしがみついているので、木も一緒に泣いてくれ、木と語り合い、岩と語り合ったので、このようになったのです。 そのようにして目を開けてみると、天の国がすべて見え、聞いてみると神様の命令が聞こえたのです。「体が行くべき一つの峠を越えれば、千里離れていた父母が来て待っている」というので行ってみると、父母に出会ったのです。ですから、躊躇せずに行動しますか、しませんか? (「します」)。 ここを保護する 考えてみてください。生きている人を紹介することも大変なのに、死んだ人を紹介するのは、どれほど大変でしょうか? 簡単なことですか、難しいことですか? (「難しいことです」)。この者たち! そのように苦労して、他の人が見ることができないものを見て、他の人が聞くことができないものを聞き、他の人ができないことをしてきたのです。この家はだれが建てたのですか? 先生が建てたのですか、このおばさんが建てたのですか? (「大母様が建てました」)。大母様ではなく、だれが建てたのですか? (「金孝南長老様です」)。 統一教会を発展させるために、大母様、興進君、私の一族、精誠を尽くした人たちが、この婦人を通して、天地の貴い宝のような御言を浴びせてくれたのです。それは、よくやりましたか、間違っていましたか? (「よくされました」)。(拍手) 百分の一にもならない者たちが、「金孝南執事、執事であり長老ではないか。私は牧師なのに、金孝南長老の言葉を聞くのか」と思っています。首を切ってしまうべき者たちが大勢います。私にそのようなことを言ってみなさい。激しくたたくのです。郭錠煥! (「はい!」)。なぜ、責任を果たせないのですか? ここは、だれでも入ってきて、めちゃくちゃにできる所ではありません。ここに来て、「ああ、三十六家庭が来た。部屋をくれ」と言っています。「先生の横の部屋」……。 天の国の宮殿を代身した所です。だれでも来て、ご飯をもらって食べるようにはなっていません。座ることもおそれ多い場であるにもかかわらず、「ご飯をくれ。私をきちんと待遇しなければならない」と言っています。ここに来てご飯を食べ、ご飯代も出さずに逃げていく者たちが大勢います。私は、そのような乞食の群れを育てたことはありません。正しく生きなければなりません。 さあ、そのように苦労して、天の秘密を聞くことができ、見ることができ、測定することができ、十数年経験したことは間違いないと……。 賢い興進君、立派な大母様が、私を愛しているのです。顔かたちのよくないおじいさんを愛しているのです。皆さんよりももっと愛しています。大母様も、自分の娘よりも私を愛しているのです。だれよりも愛しています。 また、忠母様もそうです。どれほど私を愛したか分かりません。世の中の父母の中で、一等賞をあげなければならない方です。それは言わないだけです。いい加減に対するようにはなっていません。また、大兄様とは私の兄のことですが、この人は、すでに八月十五日に解放されることを知っていて、弟がどのような人物になるのかは知りませんでしたが、「天下の兄弟の中で歴史にいなかった弟だ」ということは知っていたのです。 そのように立派な息子であり、立派な弟だというのです。母親がだれよりも誇ることに恥ずかしくなく、弟として誇ることに恥ずかしくないのです。跳ぶときに跳び、這うときに這い、走るときに走り、できない運動がありません。できないことがないのです。座りながら、話をずっと続けることもできました。監獄に入っても、上官のように座って話し、食べ、そのように暮らしました。それほどならば、統一教会の教主になるべき資格があると思いますか、思いませんか? (「あって余りあります」)。それゆえ、先生が千辛万苦の果てに、統一教会がこのくらい大きくなりました。 霊界に宮殿がなく、霊界に国が定着していないので、秩序を立てるために先生と拍子を合わせ、上下がぴたっと一つになるようにしていかなければなりません。そのようにするために通訳(=金孝南長老)を使っているのに、なぜそのように問題がたくさんあるのですか? 三十六家庭、手を挙げなさい。史吉子! この者たち! この修錬苑で特別なものを食べようと、家から飛んできたのですか? だれが特別待遇をしなさいと言ったのですか? 修練生です。軍隊です。部屋を別にして休み、何がどうだこうだと言い、別のものを食べるのですか? 私もそのようなことはしません。しっかりしなければなりません。 どこに行っても、自分の威信を立てなければなりません。分かりますか? 死にたくないのですか? 李相軒氏(を通してあなたの夫)が、「先によい所に来て、申し訳ない」と言っているではないですか? それを信じますか、信じませんか? (「信じます」)。あなたは霊界に行って夫と一緒に暮らそうと、考えたことはないのですか? 死ぬかと心配ですか? この肉の 塊 は腐っていくのです。 上手に気合を入れるでしょう。これが統一教会の文先生のやり方です。神様式です。正しいことを正しく教えてあげるのです。正しく理解できるように、分からなければ気合を入れて正してあげなければなりません。 かわいそうな女性が座っています。今までいい加減に接してきた人たちは、帰る前に悔い改めなければなりません。そのようにしなければ、霊界に行く道を協助できません。解放された者として、どこに行くのかを決めてから行かなければなりません。分かりますか? すべてここにかかっています。自分勝手にしています。頭(=位置または立場)が大きいから……。牧師だ何だと言い、修練所の所長だ何だと言い、金孝南執事がどうした、長老がどうしたと言いながら、「ああしろ、こうしろ」と言っています。 興進様を代身して、大母様と忠母様を代身して語っているとすれば、あなたたちが「ああしろ、こうしろ」と言うことができますか? 通訳官に対して「ああしろ、こうしろ」と言うことができるのですか? 修錬苑の権威を立てなさい。涙を流す時が何度もあるそうです。分からない人が、いい加減に対しているのです。天の国の法を知っている大母様と興進君が、司令官として命令しているのに、自分勝手にしているのです。 泣いてばかりいるのですか? 泣くなというのです。命令するのです。頬を激しくたたくのです。しっかりしなければなりません。私の言うことが分かりますか? なぜ、おかしな目をしているのですか? 私は、統一教会の何かの責任者ではありません。教主様です。堂々とするのです。 そのようなことがあれば、すぐに郭錠煥に報告しなさい。そのような人は、ここに来ることができないようにしなさい。完全に名前を公表して、顔も出せないようにしなければなりません。全員、分かりましたね? (「はい」)。この時間に、そのように決めなければなりません。そのようにしてこそ、天の国に恥ずかしくない伝統が立つのです。不可避的にそのようにするのです。 私は知っている者として、このように決定するのです。願わない人は立ち上がって回れ右して出ていき、願う人は座ったまま拍手しなさい。(拍手)拍手だけではなく、両手を挙げて、ペアの拍手をしなさい。立ちなさい。敬礼しなさい。礼をしなさい。さあ、拍手してください。(拍手) 私がここに来てそのような報告を聞き、きのう、一度見回してみました。そのような話を聞いて、私はあぜんとしました。孝子の息子になることができていません。父母になることができていません。弟になることができていません。それを知らなければなりません。ここに来れば、興進様を自分たちの兄として侍らなければならないでしょう。(「はい」)。 大母様とはだれですか? お母様の母です。話が聞こえただけでも、あの門の前からあいさつをしなければなりません。この人たちは全く自分のなすべき責任を果たせていないのに、霊界に行って接待を受けようというのですか? この亡国の僕たち! 私がほっておきません。私はそのように教えていません。自分勝手に生きてきた者たち、しっかりしなければなりません! さあ、ここを保護することができなければなりません。分かりますか? 訓示すべきことはすべて終わりました。すべて終わったというのです。膨れっ面をしている顔を解きなさい。一度、笑ってみなさい。声を出して笑ってみなさい。この男性たち、笑ってみなさいというのです。(笑)ハハハと笑ってください。(「ハハハ……」)。これで解けたでしょう。あなた、立ちなさい。歌を一曲歌ってみなさい。大きな声で上手に歌いなさい。(日本の食口が歌を歌う) きょうは、この金孝南長老様に、尊敬できる特別な名前を一つつけてあげようと思います。拍手しなさい。(拍手) 訓えるの「訓」という字で、「訓母様」です。一度言ってみなさい。「訓読会」の「訓」の字です。その次は「母」という字です。訓える母です。分かりますか? (拍手)不平を言おうとする人は、「訓母様」という名前をつけてあげた先生以上に知ることができなければ、批評してはいけません。絶対信仰をもって絶対に信じ、絶対行動しなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そのようにすれば、福を受けるのです。福を受けるというのです。 もしそのようにせずに、今後もそのようなことをしていけば、よくありません。先生の先祖も黙っていませんし、すべての霊界が黙っていません。分かりますか? 自分勝手に生きる世の中で、霊界も分からずに、ああだこうだと、盲人のようになり、耳の聞こえない人のようになってはいけません。 一度言ってみなさい。訓母様! (「訓母様!」)。訓! 母! 様! (「訓! 母! 様!」)。大母様! (「大母様!」)。忠母様! (「忠母様!」)。善母様! (「善母様!」)。善母様とは、だれのことか分かりますか? 統一教会の母親たちのことです。御言どおりに伝えるために、どれほど苦労し、御言を抱き……。御言を抱えた母たちです。分かりますか? そのような意味で教えてあげるのです。中間で正しく教えてあげるためにどれほど……。間違えば、その一身が溶けてしまうのです。一族が溶けてしまうのです。滅亡するというのです。恐ろしい位置に立っているということを知らなければなりません。うそをついてはいけません。詐欺を働いてはいけません。 統一教会の教主も同様です。言葉だけで実践しないようでは駄目です。私はすべて実践した後に教えてあげました。 続いて言いなさい。訓母様! (「訓母様!」)。ありがとうございます! (「ありがとうございます!」)。これからは、一つの過ちも絶対に犯しません! (「これからは、一つの過ちも絶対に犯しません!」)。きれいで美しい声を出す息子・娘を、神様が祝福してくださることを願います。神様、かわいそうな群れを祝福してくださいますように。アーメン! (「アーメン!」)。(拍手) 決めた所に間違いなく行って永生する息子・娘になることを願う さあ、きょうの話を通してよく理解し、侍るべき人に侍るのです。このように生きるのは、自分が行くべき所に行くための準備です。このことを知らなければなりません。 そして、その方たちがいる所に間違いなく行くのです。分かりますか? その方たちがどのような所にいるのか分からなくても、現在、ここでこのようなことに精誠の限りを尽くすのです。自分の父母や師のだれよりも、懇切な心、忠節な心、至誠を尽くす心をもって生きれば、その方たちがいる所に行って、一緒に暮らすことができるのです。分かりますか? (「はい」)。 ですから、ここから離れても、離れたと思うなというのです。ここで願ったその所を自分の故郷のように思うのです。 「霊界の実相」で紹介された所を中心として、「私は間違いなく、そこに行って暮らす」ということを決め、ここにいる人よりももっと精誠を尽くせば、ここよりももっと立派な所に行くのは間違いありません。先生は皆さんが、そのように決めた所に間違いなく行って、永生する息子・娘になることを願い語っているのです。分かりますか? (「はい」)。そのようにするという人は、拍手で歓迎しなさい。(拍手)ありがとう、ありがとう。 全員、明日出発するので、このことを語っておかなければならなかったのです。 清平に出入りすることが習慣になり、上も下も見分けられずに汚し、ほこりをまきちらしたりしてはいけないと、天が警告するのです。金孝南長老を、これからは何ですか? (「訓母様」)。訓母です。訓える母として、大母様、忠母様、お母様と同じように侍るのです。 また、それ以上に忠誠を尽くして努力すれば、間違いなく皆さんの故郷と、皆さんの祖国光復を相続することができます。それを知っているがゆえに忠告するのです。どうか、すべての人がそのような所に行くことができるようにと願っています。もう先生は帰らなければなりません。忙しいのです。 一緒に敬礼を受けるのです。(真のご父母様と訓母様が一緒に敬礼を受けられる) 霊界にいる母たちが生きている訓母様に教えてくれれば、(そのごとくに)伝達することができる母なので、そのような名前をつけてあげました。そのことを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そのことをよく記憶し、今までここに来て修練を受けたことを感謝し、故郷に行き、このおばさんを通して学んだ以上、一生懸命に御旨に対して忠誠を尽くさなければなりません。分かりますか? (「はい」)。それでは、神様の祝福があることを願いながら、さようなら。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.08
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「祝福移譲」宣布二〇〇〇年九月二十四日、午前十一時三十分、韓国の天宙清平修錬苑にある天城旺臨宮殿にて、第一次「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」に参加するために修練中であった約四千名が参加する中、天上の興進様に真のご父母様の祝福権を移譲する「祝福移譲宣布式」を挙行なさった。 式典準備 祝福家庭の子女十二歳から十六歳までの男女それぞれ十二名(信元様、信愛様を含む)を、女性を前、男性を後ろにして横に並べられた後、その次に順に二世祝福家庭十八歳から三十歳までの男女それぞれ十二名、一世祝福家庭三十歳から四十歳までの男女それぞれ十二名、一世祝福家庭の女性六十歳から八十歳まで十二名、一世祝福家庭五十歳以上の男性十二名等、総勢九十六名を十二名ずつ八列に並べて立たせ、その前に薫淑様と信哲様を立てられた。(自称ルポライターtomy4509の註:三男・文顯進氏はその列の中には入っていませんでした。) み言 復帰摂理の中では、九十六数の九数も悪い数で、六数も悪い数です。それを蕩減しなければなりません。ですから、七十二数に十二を合わせたのです。十二を合わせたので……、七十二数は七十門徒を代表し……、イエス様の十二弟子を代表したその対を中心とした十二支派を代表するのです。七十二派、七十二門徒、モーセの七十二長老も代表するのです。九十六は、七十二に、対にすると十二対を合わせたものですから、十二支派の前に七十門徒と同じです。ですから、七十二数も十二支派を中心とした七十長老の数です。これが蕩減の基本数です。 ですから、霊界にいる三歳以上で死んだ人たちのうち、十六歳以下の人たちもすべて祝福してあげました。その数と、その次に十六歳以上から二十四歳、三十歳、四十歳以上、こうしてすべての祝福を受けた霊界の数を地上と合わせたのです。 地上は真の父母によって祝福を受けた群れであり、天上は興進君によって祝福を受けた群れですが、父と息子が霊界と肉界で別々に祝福したものを一つにしなければなりません、一つに。 地上の真の父母を中心として、息子が霊界でしたことを引き下ろし、真の父母が祝福したこと、すなわち、皆さんが祝福を受けることができた基盤と霊界で祝福を受けた基盤を連結して一つにしなければなりません。真の父母が地上で息子、娘を祝福した代わりに、霊界は天使長の立場で地上のアダムが完成することのできる祝福基準の前に素直に従わなければなりません。そのために、興進君が地上に降りてきて真の父母と、父と息子が一つになった立場で祝福をしたという条件を立ててあげ、真の父母がしたことをすべて興進君も再び共に行ったということができる価値を認めるのです。 ですから、天使長圏となった今までの長子圏が次子圏にならなければならない立場ですが、長子圏の天使世界が……長子の立場を得て出てくるものが、地上の兄が祝福を受ければ、弟の立場に来て立つのです。霊界へ行くようになれば、父が兄になり、息子が弟になるというそのような原則から、天上世界に行った息子が父の前に来て、息子になると同時に弟の立場にも立つのです。両面の価値を連結させて一体圏をつくって一つにするのです。 今後、祝福は、地上で先生がしてあげなくてもかまいません。お父様がしてあげなくてもかまわないのです。兄さんたちがたくさんいるので、お父様が老いて死んだとしても、兄さんたちが祝福してあげられるのです。それと同じように、お父様の祝福を今後長子圏の立場にある興進君が、地上でも祝福を行うことができ、霊界でも行うことができるのです。 お父様も、地上でも祝福してあげることができ、霊界でも祝福してあげることができるのと同じように、同等な価値を一体化させるために、地上のお父様が霊界の息子の前に伝授式をしてあげるのです。霊界にいる息子は、父の家に思いどおりに行くことができ、地上の真の父母も父の家に思いどおりに行くことができるのです。 天地父母である縦的な神様と横的な神様が分かれて、サタンの一族として中間霊界を満たしていたものをすべて連結させることによって、父と息子が一つになった家庭的一体圏が、霊界と肉界に落ち着いていくので、今後は真の父母が祝福してあげなくてもかまわないというのです。八十の老人が、世界を回りながら祝福できる時代は過ぎ去ったのです。皆さんが真の父母に代わって……、興進君も霊界で真の父母に代わって祝福してあげる時代を設定するのです。 先生が地上にいる父の立場で、息子である霊界にいる興進君の前に、お父様が祝福することのできる権限も伝授し、霊界で祝福したすべての基盤も……、先生が行っていつでも祝福してあげることができる、それと同等な価値を設定するのです。お父様の前に息子たちを立てて祝福しても、お父様が天上世界、霊界の息子の下に行って祝福しても、同じ価値として統一された祝福家庭の意味を立てるために、お父様が息子の前に祝福の権限を相続してあげるのです。それを知らなければなりません。 父親は霊界に行けばお兄さんになります、お兄さん。また、息子は弟になるのです。ですから、父が天のお父様と呼ぶのも、息子が天のお父様と呼ぶのも同じなのです。神様の前では、だれもが息子になるのです。それゆえ、同じ息子ですが、父が先に出てくるので、横的面においては兄の立場に代わることができるのです。 ですから、真の父母が真の父母の立場を完成したということは、息子の立場の完成にもなるのです。霊界に行こうが、地上に行こうが、同じ価値的内容を伝授、一体化させる役事をするのです。真の父母が霊界の長子である興進君を呼んで、このように祝福を受けた家庭を立てて共に統一的宣言をすることによって、先生が祝福してあげず、今後、興進君が祝福するのですが……。興進君がいなくなれば、顯進君がお父様の代わりに祝福をしてあげることができる時代に入るのです。 二世が真の父母に代わって、祝福してあげることができる時代に入るのです。霊界では兄にあたる興進君が行い、地上では弟が行うのです。同じ立場から見れば、興進君がお兄さんで顕進君が弟です。ですから、弟にあたる顕進君が地上世界の皆さんを祝福してあげることもできるのです。 そして、おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、自分がいれば、この家庭で縦的基準においては、現在三代圏にあたる息子、娘たちが、おじいさんとおばあさんを祝福してあげ、お父さんとお母さんを祝福してあげ、その次には自分たちの祝福の権限を息子の前に渡してあげることができるのです。 旧約時代も堕落したアダムが祝福によって完成し、新約時代も完成して、成約時代も完成することができるのですが、完成の天地の内容について完成、解決することのできる方が真の父母であるというのです。そのような基準が設定されることによって、歴史的に数多くに分岐した天上世界の先祖たちが、すべて一つの立場に立って、この三時代の先祖たちが、祝福を受けたことを代表した立場である三代の孫の前に祝福を受けることができるのです。 孫はおじいさんの愛を受けて、お父さんの愛を受けるのです。二つの世界の愛を受けます。おじいさんは天国を代表し、お父さんはこの地上の国を代表する王たちです。おじいさんの愛、そして現在のお父さんの愛、二つの愛を受けたのが三番目の孫の祝福家庭です。ですから、この祝福家庭は天国を相続し、地上の国を相統した、二つの国を相続した「実」の立場なのです。それゆえ、孫がお父さん、お母さんを祝福してあげることができ、おじいさんとおばあさんを祝福してあげることができる立場に立つのです。 そうして、孫にあたる人が先祖に代わって、蘇生・長成・完成、旧約時代・新約時代・成約時代の完成の立場にあるため、霊界の先祖たちまでをも真の父母の代わり、興進君の代わりとして祝福することができる時代へと越えていくのです。 このようになるとき、天使長圏が長子圏で天側がアベルとなっていたものがひっくり返るのです。天側が長子圏となって、天使長圏がアベルの立場に立つのです。それゆえ、霊界の先祖たちが弟の立場に立ちます。先に霊界に行って、祝福を受けたので……、彼らは地上の真の父母から後になってから祝福を受けたので、弟の立場に立って真の父母に従って天上世界の天国に入ることができるのです。 境界線がないように、先生も霊界と肉界を祝福してあげることができ、興進君と顕進君も、先生の代わりに霊界・肉界を祝福することができる統一的な一つの道を中心として、だれもが共に行うことができるものを伝授してあげる式がこの式なのです。今後、祝福を行うときには、先生が祝福してあげなくてもかまいません。 皆さんにおじいさんとおばあさんがいて、お父さんとお母さん……、こうして三代が祝福を受けた後には、先生の息子である興進君から霊界ですべての祝福を受けたので、それをする必要はないのです。すべてが三代となる孫の時代に、堕落しない立場で祝福することができるのです。神様が一代であり、アダムとエバが二代、その息子、娘が三代です。三代かけてサタンの前に血筋を汚したことを再び復帰して、祝福を受けた家庭となったので、再臨主、真の父母の立場を代身して、自分の地上の一族、親戚がいようがだれであろうが、おじいさん、親戚の何代目の孫まで連結しているすべての人を祝福してあげることができるのです。ゆえに、霊界も系列にそって祝福を受けることができる祝福解放圏時代に前進する! アーメン! その内容をよく知らなければなりません。 今、この場には興進君を中心として、喜進君、榮進君、その次に恵進嬢夫妻がみな参加して、このように並んでいます。祝福家庭の中で皆さんのような……乳児に……祝福を受けたこの数が、相対的な面で一つになって、統一的な家庭理想の実体として天国に向かって、すべてが父母を代身した、兄を代身した、これを絶対信仰・絶対愛・絶対服従する天理の道理を伝授したその家庭は、いつであれ、どのような立場であれ、天国に直行することができる! アーメンだと言うのです。 ですから、先生が伝授式祝福をしてあげなければなりません。先生が行った権限、また興進君が行った権限、弟が行うことのできる権限もすべて興進君を通じて……、神様の許しを得て、真の父母の許しを得ることによって……、この祝福の方向が……。これからは、おじいさんになることができる……、先生はおじいさんです。三代になるのです。そうではないですか?祝福を受けた家庭の二世その息子、娘は三代目にあたるため、おじいさんがしてあげる必要はありません。 そのような時代になったので、次子の立場と三代の先祖となることができる人として、真の父母の祝福を受けて、真の父母の直系の息子の立場に立った興進君と弟にあたる顕進君を立てたならば、顕進君が真の父母の代わり……、兄弟がその先祖たちを解放することができる! これが原理観です。はっきりと知って、このような面を転換する伝授式が………天地が創造されて以降の恨の歴史を蹴飛ばすこのような役事を行うのです。 では皆さんが、三代になるこの息子、娘……祝福を受けた家庭は、祝福を受けてからは、絶対に堕落してはなりません。堕落するようなことになれば、どのようなことが起きるのでしょう。今までのように、真の父母が来て救うことのできる道理の時代は過ぎ去ったのです。 血筋が違ったために……、血筋を完全に転換した、三時代の先祖を代表する王権を受け継いだ、祝福することのできる大将たちとなった夫婦のその血統は、千年万年経ったとしても汚れた血筋を受け入れてはならないのです。純潔を守らなくてはなりません。 祝福家庭の三世たちは絶対に堕落してはなりません。堕落すれば、その血統にサタンが侵犯するのです。そうすれば、神様が唾を吐いて背を向けることによって、メシヤ、真の父母の立場に立つことはできなくなるのです。救いの道がなくなるのです。救いの時代は過ぎ去るのです。 三世が祝福を受けたならば、真の愛の血統を守らなければなりません。堕落した血統をつくってはならないのです。そのようなことは、神様は喜ばれません。一度、堕落すれば、救いを受けることはできません。皆さんが血統を汚せば、先祖たちが降りてきて罰を与えるようになるはずです。直ちに霊界に連れていってしまうこともあるのです。これ以上、そのようなことは許されません。 よく知らなければなりません。深刻です。「真の父母の名で許してください」このように先生に許しを請うことはできないのです。自分の先祖と自分の愛する兄弟たちを犠牲にすることなくしては、救う道理がありません。それでも、その血筋はきれいな血筋ではないため、表面をはがしてあげなければならないのです。純潔な血筋を残さなければならないというのです。深刻なのです。どんなことがあっても血統を守らなければなりません。 そのように知って、ここには霊界の先生の息子、娘である四人の兄弟姉妹、恵進嬢と三兄弟が霊界で祝福を受けて、それら家庭がすべて参加しています。真の父母のお父さん、お母さん、先祖たちもみな祝福を受けて参加し、その次に、皆さんの先祖十二代、二十四代が解放されて、総注目する立場にあるのです。真の父母による地上の祝福は、途方もない内容です。この祝福を、天地の平面基準で同等な価値を伝授するからには、真の父母が行ったすべてのことを長男である興進君が行うことができ、興進君が行うからには弟である顕進君も行うことができる、そのような時代になったのです。そして、皆さん三代になるときには、皆さんが興進君、顕進君の祝福を受けなくても、皆さんの家庭自体で祝福を行っていくそのような時になるのであるということを知らなければなりません。その時を神様は願っているのです。 そのような意味で、天地の創造主である神様も臨席して、全体が地上にきて自由自在に祝福家庭を中心として、いつでも統治、主管し、行動できる時代になるのです。恐ろしい時代になるのです。 皆さんが誤ったときには、昔は、悪魔の天使長が病気にしては薬をあげていたのです。罪を犯せば蕩減させて天側に導いたのです。しかし今後、皆さんが堕落するようなことがあっても、救ってくれる人は永遠にいません。自分の父母、自分の先祖たち、自分の兄弟が犠牲になって、肥やしの山になって育ててやるしかないのですが、相当な歳月がかかるのです。 一度引っかかってしまえば、神様は引っかかったその一族を、アダムとエバに接した以上に憎まれるのです。完成した子孫の血筋を汚した人は、アダムとエバが堕落した数百倍も汚れているという事実を知らなければなりません。 三代圏内にある祝福を受けた家庭たちは、何があろうとも堕落の悲しみを味わうような血族になってはならないということを警告するのです。 では今から、天地が共にある中でこの式を挙行します。ですから、私たちが記念の礼式を代わりに行い、そのような式を経て、「祝福移譲宣布式」を行います。これから式典を準備するプログラムを進行します。 今回、式を行うのですが、霊界と肉界です。悪魔は天上世界にはいません。祝福を受けた先祖たちが天上にぎっしりと詰まっているのです。今では、地上でも悪魔の勢力は失われつつあります。ルーシェルが降参したために、ルーシェルの手下たちの影はあるのですが……、宗教圏にいる祝福を受けた聖人たちをして三三パーセントのすべてを……祝福してあげた彼らを中心として、一〇〇パーセント祝福してあげるため……。蘇生・長成・完成まで……三三パーセントです。それは、天が干渉できる勝利の基盤を中心として祝福してあげたために、それを中心としてイエス様の失敗、国家的基準を立てられなかった失敗、その次には、アダム家庭的メシヤ圏を逆さに半田付けして修理するための転換式です。 天上世界の祝福と地上世界の祝福がこのようになっていたものが、相対的立場に立てられることによって、父母が主体なので主体である立場で息子の前に平面的に連結させるのです。真の父母が縦的に八段階を連結させて完成することができるようにしておいたものを、霊界の司令官である興進君が家庭的司令官となってこれを管理し、相対的基準を……、世界の境界線を合わせることができる時代がきたので、祝福移譲をして呼吸を合わせるのです。 このように呼吸を合わせることのできる、そのような家庭平面縦的な統一完成時代に進入するのです。先生が地上の勝利圏を霊界の勝利圏に代えて、霊界の勝利圏を地上の勝利圏に代えることができる同等な価値を宣布することによって、サタンはこの圏内に入ってくる道理はありません。 それゆえ、ルーシェルの手下たちが服従しなければ、宗教圏を中心として追い出すのです。一〇〇パーセントまで、三三、三三三パーセントですが、蘇生・長成・完成の三分の一は天の圏であるため、天の圏を中心として逆に……。イエス様と聖霊を中心として、孔子、釈迦、ソクラテスを祝福しました。それで、三三パーセントの功労のある人たちを自分たちが祝福したのです。それ以下のすべては、旧約時代・新約時代にアダム家庭、イエス様家庭の失敗を完成的立場に立ってすべての責任を負い、蕩減してあげたために、祝福を同じ立場で受けて、一つの先祖の立場を埋めて行くことができるために、縦的、横的に先祖の責任を継承することによって、どこでも祝福自由化圏を相続、伝授することのできる統一的時代が来た! アーメン! そのように知って、今、霊界の数千億の祝福を受けた人と数億の祝福を受けた人がここに霊的な基準で集まって、象徴的な幼い十六歳以下の少年時代-霊界もそのようになっています-と十六歳以上の祝福を受けた霊界がすべて連結され、相対的な圏が一つになってこの式を進行するということを知らなければなりません。 では、式順を代わりにしなさい。私たちの家庭を中心として……。「ところで、薫淑はどうしましょうか?(お母様)」薫淑! 薫淑はそこに座るように言いなさい。では、薫淑と信哲は、ここに来て立ちなさい。真ん中に来て立ちなさい。 立ち上がって、次にこの人たちはこちらにいてもかまいません。彼らを前にして敬礼して、その次には宗教の代表者たち、今まで行っていたように真ん中に代表者、霊界、肉界があれば統一的にして、それらがすべて終わったら、先生が立ち上がって祝福をしてあげなければなりません。 「では、興進様の家庭と霊界にいらっしゃる榮進様、恵進様、喜進様の家庭……」興進の家庭、榮進、喜進、三人は皆ここに参席して、真の父母の一族がすべてここにぎっしりと集まっていると考えればいいのです。韓国の歴史的な忠臣烈女たち、祝福した人々のすべてがここに参席し、聖人の一族も完全にびっしり集まっていると考えればいいのです。統一です、統一。 天地父母、天国の縦的な神様と地上国の横的な真の父母が一体となって、祝福行事の完成基準を準備したすべてが地上世界の完結と共に天上世界の完結……。天上世界の完結は、地上世界の完結のためであり、地上世界の完結は、天上世界を完結することができる、共に祝福してサタン世界を蕩減解消することができる祝福の権限を、今、天地間において対等な価値として宣布します。 真の父母が行ったことを、天上世界の興進君が行ったすべてを地上世界に直接連結して、神様を中心として頂上にあてて水を注ぐようになれば、真の父母を通じて興進君と顕進君を中心として、霊界の祝福家庭と地上の祝福家庭の統一的環境を配置したこの場で、全体が一か所に前進することができる、真の父母の勝利圏、真の長子、真の次子の勝利圏ですべての祝福を受けた家庭たちも家庭でそのような勝利圏に代替することができる一つの覇権的式を伝授するこの場であることを知るものである! アーメン、アーメン、アーメン! 敬礼式 (1)興進様の家庭が真のご父母様に敬礼 (2)霊界の榮進様、恵進様家庭、喜進様家庭、地上の顕進様をはじめとする真のご子女様、祝福二世と祝福一世、そして祖父母を代表した年長者たち全体を代表して九十六名が真のご父母様に敬礼 (3)この式典に参加した天上の聖人たち、祝福を受けた家庭をはじめとする全祝福家庭の代表と地上の全祝福家庭を代表してすべての参席者が敬礼した後、家庭盟誓の斉唱 み言 金孝南長老! 皆さんが知っていなければならないことがあります。それは、金孝南長老は個体ではないということです。興進君と大母様を中心として、そして忠母様と大兄様を中心として、先生の直系家庭とお母様の直系家庭のあらゆる家庭的な内容、この地上に真の父母の家庭が忠告し、教える、その内容を伝達してくれる一つの中間的媒介体としての役事を行っているのです。ですから、金孝南長老というときには、必ず興進君、大母様、忠母様、大兄様家庭の代表であると考えなければなりません。祝福家庭を代表した万人の女性ではありません。この人は先生の家族、直系の兄と真の父母の家庭の代役者として使っているのです。ですから、尊敬して仕えていかなければなりません。 軽挙妄動してはなりません。ここに入るときには常にそのような天と天国家庭に仕える厳粛な環境に立って、自分が立っている立場をすべて守って、天の威信と体面を失うことがない礼を実行することのできる群れにならなければなりません。 そして、今日このような式をするのは、第一次入籍特別修練会に女性たちが入籍することによって、その息子、娘に責任を持ち、その次に母と息子、娘が一つになって父を完全に悔い改めさせ、理想的な、堕落していない父母の立場を立てて、真の父母の後ろに従って、神様を宝座に侍り、天宙のすべてを喜びの心で旧約時代・新約時代・成約時代、万物と息子、娘と自分たち夫婦をすべて捧げるという、そのような立場に立たなければならないのです。 そうして、愛の実権を再び相続するその場が、初めて故郷の地を持つ出発の場であり、祖国光復の出発の場なのです。ですから、今や、この全体の歴史時代に願っていた祝福家庭たちが持ちえなかったすべてを蕩減して、初めて南北統一のこの混乱時代に責任を負い、私たちの手で祖国光復を実現しなければならないのです。国を求め、本郷の地を求めるこのような厳粛な課題をもって出征した兵士の母たちであり、息子、娘たちであるのです。ですから、これら天地のすべてが協力し、この道の完成に向かって一方通行することによって、勝利の一路、一路に前進していくためのこのような出征命令であるということを知らなければなりません。そして、兵士となって天の威信と伝統に汚点を残すそのような家庭、一世、二世、三世となることなく、霊界の先祖たちの前に恥ずかしくない、誇らしい家庭になることを天地父母は願いながら、祝福を受けた長男の興進君、顕進君、一族全体がこぞって願う場です。ゆえに、その目的達成に少しの間違いもなく、一体理想完結完成を……解放し、天地の勝利的王子王女となることができるよう願います! アーメン そのような意味で、これから先生が興進君を中心として父子一致理念と、その兄と弟を中心として顕進君が父子一致理念を中心として、祝福行事を天地で、どこでも、思いのままに行うことができる解放時代となります。ですから、天が頭となったので、頭に水を注げば、頭の先から足元まで流れるようになっています。空気は隙間さえあればすべて入り込み、太陽の光も入り込み、水も隙間があれば毛細管作用によって頂上まで上がっていくのです。 愛はそのようなものの中でも最も高貴な力を持っているため、隙間があるところには愛が訪ねて入っていき、低気圧となったところには空気が流れていくように、愛が流れ込んでいくのです。サタン世界に穴が開けられたところがあれば、愛で埋めなければなりません。そのような隙間があるところは、太陽の光と空気が通じるように、天上世界に隙間が生じたものをすべて埋めて、統一的な天の所有権を完全な物として前面に押し出すことができる責任を果たすのが祝福を受けて解放された、天国に向かった忠臣忠孝の道理……、真の孝子、孝女の勝利的家庭となるのです! アーメン! そのような内容を知って、そのような目的達成に総進軍することを願って祝福してあげるのです。 祝祷(※祝祷からは三男・文顯進氏の名は一つも聞かれませんでした。文興進様に「祝福権委譲」されていたものと思われます。) (最前列に信哲様、その後ろに薫淑様、薫淑様の左側に金老南長老、その後ろに九十六名を立たせられてから祝祷される) 天上天下の大主宰なる天のお父様、地上世界の大主宰なる横的な真のご父母様、縦的なお父様と真のご父母様が一体となって、天地父母の血統的因縁を九〇度の角度で四方に平準化したこの平面時代と立体世界、前後の世界の前に、共通的な価値を満たしても余りある愛の理想を中心として、家庭においては上下関係、夫婦においては左右関係、前後においては兄弟一体圏の愛を中心として、神様を標準として、全体的標準に相対圏を三六〇度の方向を備えて、存在価値に一元的な、全体球形的な内容に、いかなる二部分でも完全な完成の内容を備えないものはなく、地球星全体と天上世界全体となることを願われる、父の所願成就のこの日が来ました。 ですから、天国のすべての組織編成を新しく地上の真の父母の勝利的組織編成に合わせ、万民を解放的祝福で解放させたのと同様に、ここにも興進君を中心として祝福を受けたそのすべてが父と息子、娘の関係であるために、祝福を受けた家庭が今まで四十年間失敗したすべての傷があったとしても、父と息子、娘、天地父母に代わった地上の父、天上の息子が一つとなって責任を持つことができるようにしてくださいませ。そうして神様の前に、真の父母の立場に真の息子、娘の立場が連結し、祝福家庭も真の家庭的勝利の基準を伝統として受け継ぐことによって、旧約時代に蕩減に不備であった事実、新約・成約時代に不備であった事実を、今回三時代を通じる立場で、勝利の覇権者の立場で、天地父母を代表した地上の真の父母の勝利圏を天上世界の勝利圏に、真の父母の長子圏勝利、天上世界が一体化し、ご父母様の祝福圏を縦横に天宙の三六〇度の球形世界に伝授して、一体圏のどこかで祝福することは天の中心を中心として天地父母の地上・天上の完成を通じて祝福を受けた一意的基準を完全に越えて、統一的な中心の核の立場に可能な存在として立つことができる特権を与えるこの時間であるということを知っております。 地上の父母の祝福の実権行使を、天上の長子の使命を担った興進君、イエス様以下の数多くの聖人たち、数多くの氏族、解放の民族を中心とした祝福を全体の自分の一族の枝を過ぎ、葉まで導いて、地上完成の祝福基準の前に一致して、天上世界の解放的な天国完成の出動出発を宣言するこの時間であり、祝福の継代継承を伝授するこの場でありますゆえ、お父様……、喜びの心で歴史的な恨のすべてを蕩減清算してしまい、解放の喜びと勝利の栄光の賛美、喜びの太鼓の音と歌声で、天地を覆い尽くしても余りある天が「おお、私の愛、私の天国になった」と言って踊り、喜びの日が出発することができますように。そして、祝福完成完了の地上・天上天国完成の天地大道の高速道路に進行、自主的権限を自らの意によって主管することのできる特別な期間に立てた地上・天上世界へ勝利と栄光が億千万世にぎっしりと詰まった愛の純潔な血筋を通して開拓することができるように、祝福、祝福、祝福して下さいませ。 このように、権限の内容を地上にいる真の父母は、天上世界の長子の権限をもって今まで蕩減と苦労の歴史の旗手となるすべてと地上統一と天上統一に平準化する立場で、聖人と殺人鬼の兄弟の友愛に、サタン世界に汚した血を清算して、純潔な血筋を残すことができる統一的な一体一元化時代を迎えることによって、地上解放は天上解放であり、天上解放は地上解放、共に勝利の自主的な地上・天上天国として、あの天国の名が地上、あの地の名が天上の保護者と連結するようにしてくださることを切に請い願います。天地が死に行く中で、今、父子の因縁と兄弟の因縁を通じて、一体的理想祝福の幸福の天宙史的地上・天上天国の泉となって、復活の天上保護者と一体となるように、特権を許しますゆえ、お父様の思いのままに主導主管行使、前進されることを切に請い願います。 真のご父母様の御名で勝利したすべてを天上世界で神様の創造理想の名前と一体となった解放的創造圏を祝福で受け継いできた興進君の解放的祝福をご父母様が直接的に継承し、伝授の呼び掛けと宣言をこの時間にいたしますゆえ、宣言通りに、ご父母様が願うままに成就してくださいますことを願いながら、この時間、今から実践躬行する実績基準が、万天地にあふれて、あふれて、あふれ出て残るのである! 真の父母の御名で切に願いながら、勝利的な内容で報告いたします。アーメン、アーメン、アーメン! 祝祷後のみ言 では、柏手しましょう。地上世界の真の父母の勝利圏を、天上世界の長子権に代わった興進君を中心とした勝利の伝統で、一体的理想で伝授したことを宣布しますゆえ、天地の存在たちは感謝の心で永遠不滅の愛の国と愛の地上・天上天国を抱いて、あらゆる精誠、孝子・孝女・烈女・忠臣・聖人の道理、聖子の道理を果たすべし! お誓いいたします! お誓いいたします! お誓いいたします! お誓いいたします! 興進君は真の父母の望んだみ旨を受け継いで、今後その目的達成に前進全力を尽くすことを地上にいる真の父母と兄弟たちの前に宣布いたします! アーメン! 今、霊界にいる興進君が、好きに分けて食べるように言いましたから、皆さんと一緒に食べるという意味で、これをすべて分けて食べましょう。一つずつ手にして、あそこにいる人たちも、ここに栗もあり、餅もあります。少しずつちぎって食べなさい。あるいは、ここの飲み物、コーラならコーラを十人ほどで分けて飲んで、少しでも飲んだという条件を立ててから帰っていくようにしなさい。 では、さようなら。式を称賛する意味で、神聖なお祝いの食卓を配すべし! アーメン! (万歳三唱)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.08
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二〇〇〇年総解怨秋夕記念式二〇〇〇年九月十二日(陰暦八月十五日)、午前七時から八時まで、アメリカのイーストガーデンで真のご子女様たちと教会の指導者ら百二十二名が参席した中で、二〇〇〇年総解怨秋夕記念式を挙行なさった。 記念式の準備 (前面には祭壇が準備されており、右側にはろうそく七本と聖酒が置かれている。聖酒は大きな杯に四杯がひし形におかれ、その間に小さな杯に四杯ずつ十六杯、合わせて二十杯が準備されている。) み言 (ろうそくに点火の後)「二〇〇〇年総解怨秋夕」とは何ですか?これまで韓国では、秋夕(旧盆)には、自分の先祖たちを崇拝してきました。本来ならば、自分の先祖たちを崇拝して、先祖の運勢を受け、それを横的に展開することが創造理想なのです。これが堕落して逆さまになったのです。ですから、何が生じたかというと、墓ができました。平面的な立場のふたが生じたのです。 聖書を見ると、終りの日には「すべての墓が開いて死人が起きる」と記されているでしょう? 彼らが解放されなければならないのです。この式がまさにそれなのです。 霊界も上・中・下の層からなり、地獄も上・中・下からなって、横的にすべてが分かれていますが、堕落することにより壁ができたわけです。この壁をすべて撤廃してあげなければなりません。それで先生が八十歳になって初めての秋夕に、この全体の先祖たちを解放してあげなければなりません。 再臨主は何かというと、サタン世界から見ると、いちばん最後に出てきた天の人なのです。アベルの中で長子権・父母権・王権を抱いたいちばん最後の人だというのです。このお方がすべてのみ旨を果たしたので、霊界から肉界に至るまで、墓のようなものを除去してしまわなければなりません。 縦的にもそうであり、横的な八段階について八定式を中心として、ふさがっていたすべてのものを総体的に開いて、除いてしまわなければなりません。それで八十歳の八月の秋夕、全体を代表できる一つの限界線を抱いて、祝福家庭を中心に連結するのです。 偽りの結婚によって覆われたものを、真の父母の祝福された恵沢圏を中心として、個人時代・家庭時代・氏族時代・民族時代・国家時代、旧約時代・新約時代・成約時代を過ぎて、地上・天上統一的な祝福圏を完成させて、解放圏を展開しておきました。それで、この全体を開いておいてあげてこそ、祝福された家庭を中心として、本来の第四次アダム圏心情世界が、ご父母様から出発するのです。 ですから、皆さんは、真のご父母様の勝利圏を祝福により受け継いだ誰それの名前で祈祷するでしょう? 祝福を受けることにより、そのように祈祷するのです。そうした祈祷をしたのが、今後はどうなります? 第四次アダム圏時代は、祈祷時代ではありません。報告しなければなりません、報告! 報告するには、自分の一生において、きのうよりもきょう、きょうよりもあす……。個人生活から永生生活です。ですから、人生は地上で短期間だけ暮らしてから、永遠なる世界に行って暮らすのです。永遠なる世界に行っても、自分が生きた生活においてすべてを完成できなかったので、あの世に行っても発展していかなければならないのです。 あの世に行っても過去のすべての誤りを……。また、これまで発展過程の蘇生段階から長成・完成段階を越えて、神様まで行くのに、残された明日に向かって、今日のすべての生活をプラスにしていかなければならないのです。一日に一つずつ、一年に一つずつ、さらにプラスとなる善なる働きをしなくては、神様のおられる所に行けないのです。 ですから、すべてのものが妨げとならずに、この道が高速道路とならなければなりません。蕩減復帰歴史を見ると、旧約時代は霊形体級の世界、新約時代は生命体級の世界です。霊界がそのようになっているのです。それから生霊体級の世界となりますが、この段階的になっているすべてを撤廃してしまうのです。 今や、ルーシェルが降伏しましたが、ルーシェルの一族たちが歴史過程で自分たちのとどまった基盤を中心として、離れようとしません。離れようとしないのです。このような門を開いてあげることによって、善なる霊たちがどこに行っても、サタン世界のサタンを追いやることができるのです。サタンを追いやって、これまでサタンが汚したものを浄化できるみ業が、これから始まるのです。ですから、大変革が始まる時が到来するのです。 今回も、先生が国連で国境撤廃を宣言したのです。統一をなすには、国境地帯に平和機構を設けて、すべての国境は天の国に属さなければならないのです。国境を中心として、相反するカイン、アベルの境界線となっています。闘ったのです。ですから、国境を撤廃して、これらが一つにならなければなりません。一つになるには、国境を撤廃した後、互いに衝突していたカイン、アベルどうしを祝福してあげなければならないのです。 これから第四次アダム圏時代に入ってきたら、韓国人は韓国人どうしでは結婚できないのです。国境地帯と、日本人と韓国人が結婚するのです。国境の妨げにあって通じなかったものを撤廃して、一つにならなければなりません。カイン、アベルが一つにならなければなりません。 それで第四次アダム圏、兄弟圏時代に入っていくので、東西南北、東と西、南と北、遠くから結合させてこそ、中央となるのです。ここに境界線があっては、中央が設定されないのです。ですから、真の父母が来てサタン世界を蕩減してから戻り、入ってきて境界線のない立場となり、中央にぴったり立って全体の中心、個人完成、家庭・氏族・民族完成、東西南北の主体的な世界の完成圏をすべて開いてあげなければならないのです。 この地上で生きてから霊界に行ったすべての人たちが、自分の程度に相応する限界のうちに墓のようにすべて覆われているため、自在に往来できません。ですから、これを除去してあげるのが、きょうの式なのです。 それで第四次アダム圏時代を準備して、そのような時が到来したので、こうしたみ業を先生が八十歳の秋夕を迎えるこの場で行うのです。先生もこれまで蕩減復帰歴史をなしてきたので、先祖たちをすべて後にしてきました。先祖たちが霊界に行って、サタン側に立って反対する立場で来たのであり、協助できなかったのです。しかし、これからは反対する時代ではなく、協助できる時が来たので、父母としては墓のようなふたを開き、めくらなければならないのです。そして、祝福家庭を柱として氏族的で、民族的で、国家的な使命を果たすべき時が来ました。 それで国連を中心として……。国連には国がありません。国の基地をつくってあげれば南北統一は……。韓国と北朝鮮の統一にあたって、信じなくてもかまいません。 それならば南北朝鮮の統一の代わりに私が土地を築いて、国連に寄付するのです。先生が百二十万ヘクタールを準備すれば、韓国が百二十万ヘクタール、日本が百二十万ヘクタール、アメリカが百二十万ヘクタール、ドイツが百二十万ヘクタールを準備するのです。四か国を中心として六百万ヘクタールをやれば、二億から三億の人を食べさせていけます。地上でいちばん大きいという国の基準を越えて立てるのです。それで国連に国の基地を私が築いてあげるのです。そうなれば、南北が統一できない場合には切ってしまいます。 国連の基地があるので、先生を中心として祝福家庭が民となり、神様を中心として神様の主権世界に代わりうる国家となるのです。国連国家の基地をつくらなければなりません。ですから、これまで準備したのは何ですか? 超宗教圏、超国家圏、超青年圏、超学生圏、超女性圏をすべて設けておいたのです。これさえ携えて連結させれば国になるのです。 そうすることで、どうなりますか? 人類には神様を中心とした故郷がありません。神様を中心とした祖国がありませんでしたが、故郷の地が設定され、祖国光復が地上に成就することで、万国は一つの国家形態として進展できる時代に入っていくのです。 ですから、先生が平和地区を設定しようと提案するのです。国境地帯は間違いなくサタンが設けたので、これを神様が主管しなければならないのです。国境には必ず悪魔が居座っています。その悪魔とは民族的な怨讐たちです。国境を間にはさんで敵対視していたすべてのものがサタンを中心として……。これは悪魔の実体なのです。これがみ言の中に出てきます。悪魔たちの居座るこの国境線を撤廃して、和合の基盤を連結させることによって、天下が平準化されて、水平になって、天の国に直行できる道が開かれるのです。 そのようなことを普遍妥当化させるため、真の父母が勝利の基盤の上でこうしたことを宣布してあげなければならないのです。そのような式が、きょうのこの秋夕です。先生が八十歳を迎える八月の秋夕なのです。 ですから、来るべき再臨主というのは、神様の側において出発であると同時にサタン世界においては、いちばん最後です。それで、これまで先祖として生まれては死んだカイン世界のすべての者に誰が責任を負うべきかというと、真の父母なのです。偽りの父母は責任を負えません。偽りの父母に属していたものは、サタン圏にあったので、すべて勝利して引き継いで、これを真の父母が前面に立て入っていった後に、境界線があってはならないのです。 旧約時代・新約時代・成約時代、そして人々が暮らして埋められている墓、各個々人が生活していた所にすべて境界線となっていましたが、これを完全に開いてしまわなければならないのです。それは真の父母だけがやるのであり、神様もできません。勝利した真の父母だけができる特権です。 こうすることによって、霊界と肉界の同化時代に入っていくのです。ですから、今後、悪なる人々、み旨に反した人々は、自分たちも知らずに徐々に天が整理していくのです。直接的な蕩減時代です。蕩減がありません。今は即決時代に入ったので、過ちを犯せば、その誤ったことを中心とし、代価を中心として、自分たちが蕩減を受けて、自分の限界圏内にとどまるのです。霊界の監獄に行くのです。 霊界の監獄に行って限界圏に残されたものをすべて清算しなければなりません。その門を開いてあげなければなりません。このような式をしてあげることで、今から死後に行くべき霊界までも門が開かれるので、絶対信仰、その次には絶対愛・絶対服従しなければなりません。 神様が天地を創造するとき、神様ご自身が語られたことを絶対信仰したのです。「私が語ったことは絶対的に成就する!」と言ったのです。その成就したもの自体は、愛しうる相対のためのすべての元素になったのです。相対を創造しうる要素となるので、絶対信仰をもってつくったのは、絶対愛の存在ですが、絶対愛する存在を神様のように偉大にするには、蘇生・長成・完成の段階を中心として、神様が投入しなければなりません。 投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうというのが、最後まで上がっていけば、終わりまで投入しようとすれば交代するのです。息をはーっと吐き出せば、吸うなと言っても、吸うようになっているのです。吐き出した後には、いちばん後には、あちらの反対側から息を吸い始めるのです。そうではないですか? 高気圧圏が生じれば、低気圧のいちばん弱い場にシューッと高気圧が移っていき、弱い場がプラスになります。プラスとなったマイナスの立場の上に上がっていき、下に押すときには、地がプラスですが、こうしてさらに強く下に押すので、次第に大きくなりうる運動となるのです。 絶対温度というのがあります。摂氏マイナス二七三度とかになりますが、その度数を越えると戻ってくるようになっているのです。ですから、最後まで投入して忘れれば、自動的に運動が永遠に継続して大きくなっていくのです。そのような原則と原理観的な面から投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう立場に立とうとするので、神様は自己中心的な概念を抱くことができないのです。愛の相対が完成するときまで、投入して忘れてしまうのです。 アダム、エバを祝福して、自分の相対理想圏に絶対統一しうる場まで行けば、自動的に与えていた価値は還元されて戻ってくるのです。戻ってくるのに、その相対的な価値がプラスになることによって、与えていたものより大きくなるので、これを授受することによって、永続的な運動を開始することができるのです。この運動を今からするのです。 さあ、そのような意味で、これは重要な式なのです。誰でもここに参席できるというわけではありません。この場には、神様のために天の国におけるすべての中心支部の代表者から、地上を代表しうるすべての教祖たちが参席しなければなりません。そのような人たちを代表して、この場に参席したことを知らなければならないのです。本来は七百名、八百名を越えなければなりません。八数です、八数。(祭壇に聖酒かおかれている所を指されて)この東西南北を中心として、四つを中心として一つにならなければなりません。それはいくつですか? 四×四は十六と東西南北の四を足せば二十です。二十個なのです。手足を合わせれば二十個です。人が立って、歩いて、働いて、すべての活動をする所には手足が動くのです。もちろん体も頭も動きますが、主に動くのは手足です。手足が動いていくで ですから、天地の度数を見ると、(右手を親指から一つずつ折られて)鉱物時代それから植物時代、それから動物時代、それから人間時代、それから神様です。五数なのです。五数を中心としてこの四数です。四肢を通じた二十数が私たち人間の二十数です。男性、女性を合わせることによって四十数です。四十数を中心として定着するのです。 相軒氏もそうではないですか? 霊界で定着したのも、霊界と肉界の四十日間を中心として定着するというのです。それで四十数を中心として連結しているのです。男性も女性もすべて二十数です。 そのような意味で、四方が、東西南北がふさがったら、すべて開いてあげなければならないのです。五段階を中心としても、ふさがるものなく、開いておかなければなりません。その中心の立場に神様と真の父母が立てば、宇宙を代表した五段階となって、全世界が通じることのできる道が展開されます。 ですから、人を中心として見れば上下・前後・左右です。電気でいうと、ここに電気一つさえ通じれば、すべてが百ボルトになるのです。負荷がかかりません。真の愛はどんなに立体が大きくても、負荷がかからないのです。消耗が起こらないというのです。 そのような意味で、今回、墓を、死亡圏を解体させるこのような時代になったので、二〇〇〇年総解怨秋夕節です。総解怨秋夕です、秋夕! 秋夕は韓国人の名節ですが、主流国家に神様が礼物として与えた、先祖を崇拝できる日です。後孫たちが先祖を崇拝してあげてこそ、先祖たちの道が開けるのです。ですから、韓国人たちが先祖に侍ってきた伝統により、いくら難しい立場に立っても、自主的な国家形態を四十年以上、踏みにじられずに歩んできたのです。それで、きょうの式が重要なのです。 それでは、皆さんがこの場で敬礼するとき、全体がご父母様に三度敬礼して、それから東西南北に向かって、一度ずつ敬礼するのです。四方に敬礼するのはどうしてでしょうか? 地上世界と天上世界に満ちているすべての霊人たちと人類を代表して、四方に連結させなければなりません。連結させて先生が祝福をしてあげなければならないのです。 天地が一か所に焦点を合わせて、宣布するこの式が全体を代表する儀式であるとわきまえ、そのような場に参席したので、皆さんの責任が重要なのです。皆さんの行く道も、そのような責任を担当するため、生きなければなりません。統一教人たちが、そのように生きるのです。霊界を解放したその場において、神様の息子・娘の権威を抱ける家庭を成立しなければならないのです。 祈祷 (前面に向かってご父母様が手をつながれて)愛するお父様! きょうは韓国が歴史を通じて秋夕として記念する日でございます。この日は、先祖たちに侍って、刈り入れたすべての収穫物を奉献すると同時に、一年のすべてを共に暮らし、共に協助された先祖たちの恩徳と天の恩徳を考えながら、先祖を崇拝する日として記念する秋夕の日でございます。 このような日を数千年、数万年、数十万年と経てきた蕩減の歴史をたどりながら、主流民族である韓民族を立て、この伝統的な思想を中心として、いかなる民族の前にもなかった先祖崇拝の一つの本国たる国を立てられました。歴史的な蕩減の一つの標本的な基準を残された、この国を中心として、真の父母を立て、全宇宙の全体解放圏を立てようとされる、あなたがいらっしやいますことを心から感謝申し上げます。 歴史時代に数多くの私たちの先祖が先祖たちを崇拝してきたすべての恵みにより、先祖たちが天上世界で発展して、神様に侍ることのできる代表的な民族の足場を地上で備えてあげることで、天上で連結させうる恵沢圏を受け継ぎ、その足場の上に真の父母をこの地に送られました。 韓国の領土が裂かれたすべて凶悪な環境にもかかわらず、これを収拾して、解放的な天の所有権に連結させうるこのような伝統の歴史を識別するため、南北が分かれて悲惨なる環境に立っている世界情勢の中にあって、これを越えて、国連を中心とした新しい建国理想を中心として、主権が必要であり、民が必要であり、国土が必要になりました。 すべてが南北の統一基地を中心に築こうとした国家的な基準を越えて、世界を代表したアメリカの地において、キリスト教と政治の境界線を埋めて、これが一つとなり、宗教間の境界線を埋めて、教派間の境界線を埋めて、家庭間の境界線を埋めて、各個人の良心基準である体、心の境界線を埋めて、天の祝福された国として、神様を中心とした第一イスラエル選民圏を受け継いだ第ニイスラエル圏となりました。 第二イスラエル圏になると同時に、第三イスラエル圏である韓国と結束し、世界的な途上に越えていける国連に天の国の祖国光復を一体化させ、総体的な定着基地を願われて、すでにかなり前からこうした国連工作のため、歩んできたすべてが、み旨が忙しいことによって、今回、国連において新たに天が志向できる、国連の行くべき道をすべて指示いたしました。 ここで国境線を撤廃することにより、平和の基地をつくることが、統一教会の使命であり、統一教会の絶対義務であり、この責任を担うため、新しい決心をいたしました。私たちが日常生活において、国境撤廃とこれを愛により水平化させるという生活哲学を中心として、サタンと神様が反対していたものを埋めて、愛により一つの一族圏を中心として……、天使世界もアダムのための本然基準に定着させるべき、アダム解放圏を立てることにより、アダムが失敗して墓の道をふさいでいたすべてのものを真の父母の立場に立って、解放圏を立てることにより、これを除去できるすべての特別なる恵みの時代を迎えることとなりました。 第四次解放圏の心情世界を迎えるためには、すべての民族が兄弟であり、すべての国家が兄弟であり、天地の全体が神様の血統を受け継いだ一族となって、一切一族の名前を中心として統一的に地上・天上化しうる世界に前進する決意を固めなければなりません。民族の精気を集中させて、歴史的な摂理路程において、あなたが苦労されたすべての恨の歴史を踏み消して、これを掃除して、浄化できる解放的な土台を宣布するこの時間となりました。 ですから、神様、この日を覚えてくださり、真の父母と一心一体となり、新しい心、勝利的な解放の心情を持って、すべてを神様が自主的な立場で自由通路、上下・前後・左右立体世界のどこでも自由権限を備えられるよう、サタン圏の死亡のこの墓場を撤廃して、生命の復活の場として元返すこの時間となったのでございます。 この場に自ら、あなたと真の父母が一体となられて、願われるままに成就、勝利、すべての整備を完成して解放的な地上・天上天国、自主的な勝利の人間の権威を持って、主人の行使を、生まれながらにして、生きながら、永遠なる天の国まで神様と共に代身できる家庭的な理想を拡大した地上・天上世界となるよう、許諾してくださることを切にお願いいたします。 きょう、この式により霊界のすべての霊人、地上のすべての境界線……、自主的な立場に立てなかった神様が自由に顕現なさることで、天のために絶対信仰・絶対愛・絶対服従する子女たちが、被造万物とともに一つとなり、あなたの愛の主権を拡大させる義務と責務を急速に完成させる総動員協助協力時代に前進することを願って、この式を挙行しますので、「二〇〇〇年総解怨秋夕節」を奉献いたしますので、お受けくださいませ。 喜ばしいこの日を定められ、新しい世界に向かって前進できる総被造世界とならせてくださいませ。真のご父母様の御名によりご報告申し上げます! アーメン! アーメン! アーメン! 敬礼 (1)真のご父母様が神様に一拝された後、「敬礼は三拝して、立ちあがり、東西南北にそれぞれ一杯ずつ、四拝するのです」と語られた。 (2)真のお母様が、真のお父様に一拝された後、「先生が八十歳を迎える秋夕を通じて、旧約時代・新約時代・成約時代、霊界から見ると、霊形体時代・生命体時代・生霊体時代をすべて越えていくのです。これを四方に展開させる式なのです」と語られた。 (3)参席者全員が真のご父母様に三拝し、 (4)参席者全員が東西南北に向かって、それぞれ四拝した。 聖酒によって宇宙を聖別 (アベル圏を代表して孝進権、顯進様、國進様、亨進様が大きな杯に入った聖酒を手に持たれて、カイン圏を代表して郭錠煥、朴重眩、黄善祚、梁昌植会長が小さな杯に入った聖酒を四杯ずつ持って外に出た。 このとき真のお父様は、中にいる参席者たちに「ここでは祈祷する心でいなければなりません。あの聖酒によって宇宙を聖別するのです」と語られた。 外ではアベル圏とカィン圏を代表した八名が、それぞれ二名ずつ東西南北に向かって立ち、聖酒をまくことで宇宙を聖別した)。 祝祷 愛するお父様! きょう、二〇〇〇年陰暦八月十五日、この日は韓国民族が秋夕として先祖たちを仰ぎ見る日です。秋の季節を迎えて、新たに実りを刈り入れ、神様を中心とした先祖たちに侍ることのできる伝統を守ってきた、記念の名節を代身した日でございます。 陽暦では九月十二日、陰暦と陽暦を合わせて、祝賀するこの日を東・西洋が合わさり、祝賀する日として立て、天地が合わさって、祝賀する日として立て、先祖たちとその後孫たちが合わさり、一体となって、天の父母に侍らなければなりません。 天理大道の伝統的な歴史を、天の大道に代わって祝福された家庭が、家庭を中心として定着させるには、天地父母に代わり、天地に代わって、東西南北のあらゆる万有の存在と人類に代わって祝福されて立てた家庭であることを考えるのでございます。全天宙の万有の存在、霊・肉界を合わせた存在全体が、私たちの家庭により、永遠なる世界に誇りとする地上天国の基盤があることを後代に誇りうるようになったことを感謝いたします。 天上に行っている聖人、聖子からこれまで恨の歴史を持って、地上に理想的な家庭標準を一つも残すことができず……、この地上に真の父母が臨在し、定着することをどれほど待望されたでしょうか? そして、定着した家庭基盤が世界の頂上を越えて、天地白昼に宣布するのに、反対されず、歓迎されうる時代まで、開拓の道を歩ませてくださった天のお父様がおられることを知り、地上にお父様がおられたことを知りうる祝福家庭が、天上世界と地上世界に数十億、数百億ございます。 この数十億、数百億の人たちが、今はみ旨を中心として、鉄の城のごとく擁護して、一つの目標達成の撃破に向けて、前進しているこのとき、これまで地上世界と天上世界にふさがったすべての壁、心の世界と体の世界、肉的な五官と霊的な五官のそのすべての隔たりにあった数多くの境界線を撃破してしまわなければなりません。 これらの境界線を一つにするには……、怨讐を愛するにおいて、自分の息子・娘を犠牲にして怨讐を救おうとされるお父様の愛を中心としてきた、その愛を実践できる家庭の結実体を、地上と天上世界の生涯に残さなくては、地獄の門を開いて死亡の世界を撃破し、生命圏に連結できないことを知っております。 それを知っている統一教会の祝福された群れ、霊界の祝福された真の父母の一族を合わせて、今日、この時間にすべての境界線、縦的な八段階と横的な八段階でふさがっている壁を清算して、一つの主体的な愛の主権を中心とした世界祖国光復、故郷光復のためにこれまで闘ってきたすべてを、今や世の中の前に発表し、実践できる時代を、行動により展開していくようになりました。 統一教会の全体を代表して霊界にいる全体の祝福家庭を代表して、真の父母は天地父母を代表して、自由自在に東西南北、中央のどこでも、縦的世界のどこでも次元を異にする場で、これを克服して、すべてを思いのまま主管できる愛の統一天国に向かって、すべてが同じ生命力を抱いた一つの方向と目的に向かって、天の前に忠孝の道理を果たせる道を開放するため、このようなきょうを中心とした「二○○○年総解怨秋夕節」を記念する時間を持ったのでございます。 きょう、記念式の説明を通じたすべての内容が、一切お父様の心情の下に宿り、地上の真の父母と一体となり、天地万物が願ったすべての障壁を、墓のようなこの障壁を取り払ってしまい、自主的な解放圏を中心として忠孝の道理を誓いながら、絶対信仰・絶対愛・絶対服従する群れを、悪魔までも天の一族に所属させようとするお父様の愛の前に、すべてのものが統一的な解放圏の懐に抱かれるよう、この日から全霊界を出動させて、動員されることをお父様、切にお願いいたします。 少数の群れがこれを記念する時間となりましたので……、人類全体、天上世界と地上世界の全体に代わった祝福家庭と霊界全体が一つの責任を中心として、ここから四方に拡散できる、祝福の恵沢圏を……、真の父母の血統的な因縁を連結させうる、すべてを拡張するこの時間でございます。ですから、神様と真の父母は平面を通じて、このみ業が万世に地上・天上いかなる環境を越えても、適用されうるよう、命令してくださいませ! 命令一下に一切がその目的に向かっていく方向に妨げなしに、悪魔たちまでも順応できる道理を備えるよう許諾してくださいませ。 宗教圏で祝福したすべての霊界の人々をすべて地上に送られて、彼らを監督してサタンが支配するのを分別し、堕落圏以下の立場に立てるとともに、祝福された家庭は堕落圏以上の世界で解放天国に前進、前進、前進できる光明の天国に連結されるようにしてくださいませ! 真の父母の御名によりこのみ業を報告して、このみ業を宣言いたしますので、み意のままに成就してくださいませ。真のご父母様の御名により報告して宣布いたします! アーメン! アーメン! アーメン! 真のお父様のみ言 (万歳三唱の後)今から八月の秋タになれば、統一教会の信徒は、善なる先祖たち、自分の一族、また聖人の名前とともに、忠臣の名前とともに、彼らにすべて侍り、民の前にそのような伝統を連結させる働きをしなければなりません。 今までキリスト教では、「先祖をまつることは偶像崇拝である」と主張しましたが、それは知らないからそう言うのです。霊界を見ると、先祖たちが発展するには後孫たちが精誠を尽くさなければならないのです。それが霊界の実相であり、皆がよく知っている内容です。今までそのようにしてきたのです。 今まで先祖たちが、後代の後孫たちを助けてあげるのではなく、利用したのです。それが今や真の父母が現れて、行く道を整えてあげたので、先祖たちが解放された恵沢に該当する恵みを中心として、地上にそのような圏内にある後孫たちを訪ねてきて、助けてあげるのです。 カイン、アベル、天使長圏とアダム圏関係で地上に天使長圏の先祖たちが合わさり、祝福を受けても、受けなくても、個人・氏族・民族の全体がそのような関係に進展することで、霊界の被害を受けずに、霊界の助けを受けられる時代になっただけに、自分たちが地上生活でためらうなというのです。自信を持って絶対信仰・絶対愛・絶対服従により、為に生きる生活をしなさいというのです。自分に重きをおいた生活は、今から消え去っていくのです。 今から自分のためにという者は、国境をそのまま残すという者なのです。私たちはこれを全廃させるためのものです。墓となりうる、暗闇の影を解放させてあげるこの式であると知って、自信をもってどこでも発表しなければなりません。統一教会を誇らなければなりません。真の父母を誇り、統一教会で主張する国境撤廃、その次に国連国家、一つの国を築くために歩んでいかなければなりません。そのような側面から今、教育するわけです。 国境とは何ですか? 今まで宗教圏と政治圏が国境でした。そして宗教と宗教が国境です。教派と教団が国境です。それから家庭と家庭がすべて国境です。為に生きる愛さえ抱いていけば、このすべては撤廃されるのです。為に生きる生活をすることで、地上に天国が拡大されるのです。核を拡大する生活をもって、皆さんの一生にどれほど影響を及ぼしたかということで、あの世に行って天の愛の圏内に抱かれうる位置が決定されるということを、はっきり知らなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.29
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第十二回「八定式」における御言成約八年 2000年8月31日アラスカ州コディアク、ノースガーデン 真のご父母様は、第十二回「八定式」をアラスカのコディアクにあるノースガーデンで祝われました。朝六時からは敬礼式が行われ、式典には主に「真のご父母様ご聖婚四十周年記念・第二回アラスカ国際釣り大会」の参加者が臨み、その後「訓読会」が行われ、第一回「八定式」の際に語られたみ言を訓読。「訓読会」に続いて真のお父様が語られたものです。 今回、初めてここに来た人は、手を挙げてください。初めて来た人が、こんなにたくさんいるのですか?。田舎者ですね。(笑い) 「八定式」という言葉を初めて聞く人もいるでしょう。第一回のときに、摂理史の全般的な内容をすべて包括して語っておきました。どのくらい成し遂げられたのですか?。十二年前であり、満十一年になりますが、十二年目の今日と比較してみれば、アメリカも、キリスト教文化圏がすべて反対する最高の怨讐だったのですが、今では怨讐自身が、国家自体も宗教自体も、先生に自然屈伏する段階に入りました。そうして、今では自分の位置を立て、世界的な代表の位置で責任を持とうとする基準を立てるようになりました。と同時に、国連は本来、アメリカが立てたものです。 国連は、一九四〇年代につくられ、戦勝国が敗戦国を解放させたのです。そのようなことが歴史上に起きたのですが、それは何かというと、カインとアベルの兄弟が闘い、兄がサタン側となって弟を殺したことを蕩減復帰して弟が勝利し、アベル的覇権主義国家の代表であるアメリカを中心として、全世界が弟の位置で保護を受けることのできる立場に立つべきであったということです。 しかし、それにもかかわらず、統一教会に反対しました。キリスト教が真の父母を迎えるための責任を果たすことができずに反対したのです。ですから、統一教会の一番の怨讐はだれかというと、キリスト教なのです。キリスト教の背後では、共産党と一つになり……。その思想的な基準を見れば、人本主義思想、そして享楽主義に陥った肉体派思想までが一つになって、キリスト教を中心として共産党が活動を展開し、今まで統一教会のレバレンド・ムーンを撃破する運動をしてきたのです。 個人的に撃破しようとし、家庭的撃破、氏族、民族、国家、世界的に総合して撃破しようとしましたが、撃破できませんでした。それは、神様が許しません。今まで、迫害して死ぬ境界線まで引いていきましたが、生命に対しては、自分の自主権限がないので、手を出すことができないのです。 生命権限には天が干渉しているので、困難な個人的世界迫害時代を通過し、家庭的、氏族、民族、国家、天宙的迫害、すべての迫害の環境が先生の一身を中心として攻撃し、先生を打倒しようとしましたが、果たせませんでした。そうして、天の側が失敗したのではなく、サタンの側が失敗し、先生はアメリカを超えて国連の頂上まで上がってきたのです。分かりますか?(「はい」) 国連が行くべき方向は、世の中のだれにも分かりません。今からは、先生の言うことを聞かなければ、国連は立ち行かなくなるようになっているのです。アメリカもそうであり、全世界がそうです。日本もそうであり、共産党もそうです。 中共とロシア、アメリカ、日本、その十二歳から二十四歳までの若い二世たちを再教育しなければ、世界には未来像がありません。それ以外のすべての人々、家庭を持ったすべての民族、国家に未来はないようになっているのです。これを防御すべき責任が統一教会にあるので、祝福というものを中心として、今から未婚男女の祝福時代に入っていくのです。 今までは、自分勝手に堕落した家庭まで収拾してあげました。それから、契約結婚をして修羅場になったフリーセックスの群れたちを、すべて抱き込んであげました。しかし、そのような使命をしなければならないのが真の父母ではありません。 真の父母は、純潔な善男善女、宗教で言えばカトリックの神父と修道女、東洋では僧と尼僧、彼らを祝福してあげなければならないのです。しかし、宗教圏が一つになって先生を迎えることができませんでした。そうして、堕落したアダムとエバは、愛を一度失敗して地獄に差し込まれたのですが、その何百倍も醜悪で堕落した群れを収拾し、虫がわいているようなものを、先生は四十年間、肥だめに入って生かしてあげてきました。しかし、それは、統一教会の先生がすべきことではありません。分かりますか?(「はい」) 今から、四億三千万双の善男善女の結婚が完全に終われば、すべてが終わるのです。 すべて病気にかかってしまいました。家庭問題です。青少年の淪落と家庭破綻の問題を、いかなる政府も手を出すことはできません。神様も、堕落していくアダムとエバに手を出されることができなかったので、これに手を出して治めることのできる存在はいないのです。 いくら政治的な理念を持っていても、教育理念や思想理念を持っていたとしても、青少年の淪落と家庭破綻を防備する道はありません。これを防備する防備策は、ひとえに真の父母にしかないのです。 偽りの父母がこのようにしたのであり、法がそのようになっているので、神様も創造理想を破壊したものを治すことはできません。人間が過ちを犯したのですから、人間が蕩減しなけれならないのです。それゆえに、偽りの父母が堕落することによってなされたものは、真の父母が来て、すべての歴史的な病巣を手術して治してあげなければ、これを治すことはできません。治すことはできないのです。解放圏はありえません。ですから、それを成すことが統一教会の中心的使命なのです。 統一教会は、若い青少年を新しい天の国に必要な「愛国忠臣烈女」にするという使命を果たさなければなりません。そして、あなたたちが祝福を受けて神様の血統を受け継ぎ、どこであろうとも、その植えられた万物は、種ができれば、その種はいつでも天の側に属し、天国に属する種となるのです。ですから、家庭破綻と青少年の淪落を防止することはだれにもできませんが、これは真の父母だけが可能なのです。それは、どうして可能なのでしょうか? 真の父母は、神様の秘密を知り、サタンの秘密を知っているのです。どうして病気になったのかという、その動機を知っているので、逆さまに持っていって合わせることによって、解放されるのです。それが統一教会で言う祝福なのです。 祝福の中には、個人的な祝福圏、家庭祝福圏、氏族祝福圏、民族祝福圏、国家祝福圏、世界祝福圏、天地を完結した祝福圏があり、それを真の父母がサタン世界と闘って再び捜し立てたので、その基準が個人から、さっと、ピラミッドのように立っているのです。ここに、相対基準として個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代があります。そこに歩調を合わせ、絶対愛を中心として絶対信仰し、絶対服従する、このような起点さえ一致すれば、その時代の恵沢を受けるのです。 今、世界時代に入ってきました。そのために、聖人と殺人鬼を一緒に祝福してあげたのです。その聖人はだれであり、殺人魔はだれですか?。殺人魔とはだれなのかというと、お兄さんのカインです。聖人はだれかというと、アベルです。 これが今まで、歴史時代において闘ってきたのですが、終わりの日に、共に神様の前で、あるいは堕落していない真の父母の前で祝福を受けることができたのです。偽りの父母によって破綻させられたものを、すべて縫い合わせて修理し、水平線をつくって祝福をしました。 潮水で例えて言えば、入ってきた水が再び出ていくときに、先頭の水が聖人であるとすれば、最後に出ていく水はだれかというと、それは悪なる者たちなのです。それでは、水が帰ってくるときには、先に出ていった水が先に入ってくるのですか?。どちらが先に入ってくるのですか?(「最後に出ていった水です」)。最後に出ていった水が、先に入ってくるのです。最後の水が先に入ってきて、水平になるのです。 堕落していなければ、水平は、家庭的水平であると同時に氏族的水平、民族的水平、国家的水平、天地の水平基準となるべきであったのですが、堕落してしまったので、これをすべて埋めてしまいました。家庭水平基準を破壊し、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、すべての水平を破壊して、悪魔の天下となってしまったのです。そして、一番の問題は何かというと、男女の愛の問題をことごとく蹂躙したということです。何のことか分かりますか?。総結論は、サタンが終わりの日に何かというと、男女が愛すべき……。 愛は、生命の源泉です。永生の源泉なのです。神様も愛を中心として存続していかれるのですが、この愛の理想の根本となる男女の生殖器が、すべてぼろ切れのようになってしまったのです。分かりますか? フリーセックスとは何ですか?。フリーセックスだけではありません。近親相カン関係です。おじいさんが孫娘と暮らしています。義理の父と嫁が暮らし、孫とおばあさんが暮らしています。近親相カン関係だというのです。すべてのものが、めちゃくちゃになってしまいました。ですから、サタンはこれをつくり、「神様。あなたの創造理想は、愛の理想を通して成される世界であり、それが天国であるというとき、いくらそれがあなたの創造原則であるとしても、このようにめちゃくちゃになったところに、あなたの理想を実現することは可能なのですか?」と讒訴するのです。サタンは、それが永遠に不可能だと思いました。 しかし、これが偽りの父母であるサタンがつくったものであるがゆえに、内外すべてのことを知っている真の父母が手術をし、薬を製造して飲ませることによって、治すことができるのです。反対です。反対に行くことができるのです。 個人的な水平圏破壊、家庭的な水平圏、氏族、民族、国家、世界、天地の水平をすべて破壊しました。そして、地獄と天国を分けたのです。何ゆえに分かれたのでしょうか?。それは、結婚を誤ったからです。分かりますか? 聖人と殺人鬼が(誤って)結婚したので国境ができました。国境は、そのようにしてできたのです。ですから、真の父母が来て聖人と殺人鬼とを同じ位置で祝福してあげ、堕落していない……。 アダムとエバも、自分の家庭においてカインが弟のアベルを殺すことは願っていませんでした。それでは、何が願いだったのでしょうか?。共に祝福してあげ、共に神様と一致することのできる家庭理想を成すことだったのです。それを再び取り戻すという願いが、その位置に残っているので、それを知っている真の父母は、その特権を持って聖人と殺人鬼を同じ位置で祝福したのです。それで、地獄の門が撤廃され、境界線が撤廃されてしまったのです。境界線を撤廃したのです。分かりますか?(「はい」) 李相軒氏の報告を聞けば、そこに聖人たちが先生にあてて書いた報告の内容があるので、それを聞いてよく知っているでしょう?。そのように、サタン世界、共産党の頭、第二次大戦を引き起こした頭であるヒトラー、ムッソリーニ、東條、それから共産世界のマルクス、レーニン、スターリン、彼らを九八年六月十三日を中心として聖人と一緒に祝福しました。歴史的事実です。 それは、神様が公認されなければならず、サタンが公認しなければならず、真の父母が公認するのです。それゆえに、地獄と天国の国境を撤廃して水平をつくっておいたのです。ですから、国の国境もすべて撤廃してしまわなければなりません。文化の国境もです。 世の中はそうではないでしょうか?。世の中で一番の問題とは何かというと、東西文化の格差です。東洋は精神文明、西洋は物質文明、ここに格差があるのです。それから南北の格差の問題です。それはだれがつくったのでしょうか?。堕落のゆえに、そのようになったのです。サタンのゆえに、そのようになったのです。これを撤廃してしまわなければなりません。 万物の世界に国境がありますか?(「ありません」)。雀が飛んでいって国境で止まり、ビザをもらいますか?。虫一匹でも、あり一匹でも、そのような関係は持ちません。ところが、万物の霊長の人間が、なぜこのようになっているのですか?。ですから、国境線を撤廃しなければなりません。分かりますね?(「はい」) ですから、先進国が「わたしは日本人、わたしはアメリカ人」と言ってはなりません。それは野良犬たちです。地獄の底に落ちるということを知らなければなりません。今は、そのようになっているのです。 だれにもアメリカを収拾することはできません。アメリカを助けようとすれば、レバレンド・ムーンにお願いしなければなりません。腐敗した家庭破綻、青少年の淪落の治療方法、その薬の調合方法は、文総裁にしか分かりません。その注射薬を持っている人は、文総裁しかいないのです。その注射薬は「祝福注射薬」です。分かりますか?(「はい」) 先生の家庭迫害時代は、すべて過ぎていきました。氏族迫害時代も、すべて過ぎていきました。民族迫害時代も、すべて過ぎていきました。国家迫害時代も、すべて過ぎていきました。世界と国家の代表がアメリカではないですか?。アメリカ自体が……。 キリスト教が反対し、宗教圏が反対し、主権が反対しましたが、今では間違いなく、生きるためにはレバレンド・ムーンのお尻にしがみついていなければならないようになりました。分かりますか?(「はい」) 国連で、GO(政府組織)が国を滅ぼし、寄生虫のようになっています。国連をすべて食いちぎってしまいました。それで、NGO(非政府組織)を通して、国家の代表が集まって、小さい自国の利益を追求する寄生虫を追放してしまうのです。NGOを中心として統一するのです。分かりますか?(「はい」) それで今回、「アッセンブリー二〇〇〇」を中心としてNGOの二〇〇〇年総会です。それを新しく結成して国連の手入れをし、新しく上院と下院に編成して国の形態をつくってあげるのです。国の形態をつくってあげるのですが、土地がありません。土地がないので、わたしが準備してあげたというのです。分かりますか?(「はい」) 南北が統一教会の方策に反対すれば、打たれてしまうのです。その国や、その土地にしがみついていくレバレンド・ムーンではありません。準備した土地は、それ以上に大きいのです。それゆえに、韓国の反対側に当たる最南方の南米四か国を中心として連合し、その土地を代わりとするために今まで準備してきたのです。 韓国動乱というものは内乱なのですが、その内乱に世界の国家が加担したのは、それが神様とサタンの闘いだったので加担したのです。「板門店」という言葉ですが、天の国に入っていく「金門店」となるものが、なぜ「板門店」になったのですか?。これを取り払って「金門店」をつくらなければならないという責任があるのです。 それゆえに、この戦争は神様の戦争なのです。神様を否定する唯物論と神様を絶対視する唯心論が、世界史的な運命を懸けて闘ったのです。ここに、十六か国からなる国連軍が入ってきて、血を流しました。十六数なのです。冷戦時代における韓国でのオリンピック大会でも、両分されていた百六十か国が初めて一つになることによって、冷戦時代が過ぎていったことを意味したのです。 ですから、韓国は重要な所だというのです。天地を中心として、神様とサタンが占領して闘っていましたが、それは、すべてのものを神様が引き継ぐための闘いであったのです。それにもかかわらず、アイゼンハワーの時代の一九五三年に休戦したのです。 わたしは、アイゼンハワー大統領に会って話したことがあります。その当時、中国でのダライ・ラマ事件が起きていました。全世界の宗教圏が、彼を支持している時であり、それがアイゼンハワー大統領の時だったのです。 例えば、お金を十億くらい預けて、宗教圏の結束を誓って体制を整えていたならば、共産党は出てこないのです。そのような話をしましたが、政治というものは、そのようにできないのです。それで、アイゼンハワー自身が、歴史に汚点を残す大統領になったのです。 問題は、水平時代において、怨讐に復讐するのではないということです。一つにならなければなりません。国境を撤廃して、交差結婚しなければなりません。今まで、日本と韓国は歴史的な怨讐でした。一九八八年でしたか?(「はい」)。数千人の交差結婚をしたでしょう?。日本の政府も信じず、韓国の政府も信じなかったのです。しかし、信じなくてもするのです。当時、韓日の交差結婚をするために、善男善女たちが成田空港に集まって問題が起きました。 それは、久保木会長も信じませんでした。「今後、交差結婚をするので準備しなさい」と言ったのですが、信じなかったのです。ところが、すぐにそれが行われるようになったので、問題が起きたのです。問題が起きたので、飛行機を待つ行列をつくったすべての人たちのチケットをお願いして……。譲歩してもらうのです。「あなたの息子、娘ならば、父親が行くチケットをあげないのか?」というのです。このようにしてお願いして……。 こうして、日本から交差結婚するために来た人たちが韓国の副教会長にもなり、日本の教会長の中では韓国人が責任を持っている人もいるのです。今、そうなっているでしょう?(「はい」)。それが正常なのです。入れ替わらなければなりません。 また、アメリカと怨讐の国家同士で結婚しなければなりません。国境を撤廃し、怨讐国家同士で結婚する日には、平和の世界が自動的に成し遂げられ……ません?(「成し遂げられます」)。られません。(「成し遂げられます」)。この者たち。できません。(「成し遂げられます」)。このようなときは、「この先生め」と言わなければなりません。できますか、できませんか?(「できます」) ですから、神様の戦略戦術は驚くべきものです。「怨讐を愛しなさい」というのです。「怨讐を愛する」ということは何かというと、怨讐の息子、娘に対して、「刀で刺し、のどを切って殺すことのできる怨讐の息子、娘に、あなたの国の王よりももっと神様のように侍りなさい」という教育をすれば、天下は統一されるのです。分かりますか?(「はい」) 自分たちは、怨讐同士で闘っていた父母のような人には、絶対になってはいけない、ということです。それが分かったので、神様が願う最高の家庭になりなさい、というのです。 怨讐同士を祝福した家庭に対して、そのように訓示すれば、平和の世界は自動的に?(「できます」)。できますか、できませんか?(「できます」)。そのようなことをしていますか、していませんか?(「しています」)。何家庭、何か国に影響を与えていますか?(「全世界、すべてにです」)。あなたたちがですか?(「お父様です」) そのような基盤はお父様が築いたので、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を成してこそ、それが伝授されるのです。今では、世界ですべて実験済みです。民主世界でも実験済みです。両院制の打破です。野党は野党の利益、与党は与党の利益を追求して、国がめちゃくちゃになっています。上院と下院も、縦的基準において闘っています。横的な面では、野党と与党に分かれています。これを撤廃してしまわなければなりません。 それでは、どのようにするのですか?。一つにならなければなりません。父子の関係において「父子一身」です。分かりますか?。それから、「夫婦一身」です。東洋思想は、「父子一身」、「夫婦一身」しかありません。統一思想では「子女一身」まであるのです。 三つが一つになるのです。一身になるのですが、「一身になることのできる、その一つの中心とはどこなのか?」というのです。父子の愛であり、夫婦の愛であり、兄弟の愛です。三大愛の一致圏を成し遂げなければならないということです。ですから、父親と母親を分けることはできません。 ここに、母親が二人になることを願う、ろくでもない人がいますか?。父親が二人、母親が二人になることを願う人は手を挙げてください。そのような者は、腕を切ってしまうか、首を切ってしまわなければなりません。 母親が一人であることを願い、父親が一人であることを願うという事実は、離婚することができるということですか、できないということですか?(「できません」)。できます。(「できません」)。この者たち。「できる」と言ったのに、なぜ、そのように言うのですか?(「できません」) これは、いくら「できる」と言っても通じません。いくら「分けることができる」と言っても、通じないというのです。いくらサタンがデモをしたとしても、統一教会では通じないでしょう?(「はい」)。フリーセックスが通じますか、通じませんか?(「通じません」)。「離婚を支持しない」という人は、手を挙げてください。聞いていることはきちんと聞いているのですね。血筋が変わってしまったのです。分かりますか?。 きょうは、どのような日ですか?(「『八定式』です」)。「八定式」ですが、十二年目となる日において、皆さんを集めて、先生の聖婚四十周年を中心として、コンクールを行うのです。ところで、コンクールを行うことで国境ができるのではないですか?。コンクールは、国境を中心として闘うのではないですか?(「違います」)。一つになるのです。わたしたちは、闘っても、闘う前よりももっと一つになることのできる喜びを知っているのです。 ここに来る前までは、日本人も韓国人もアメリカ人も、五十年前には怨讐同士であったので、「怨讐だ」という心を抱いてきましたが、ここでフィッシング・コンテストをした後は、もっと親しくなるのです。分かりますか?(「はい」)。そうして、そのようにして進めていくにつれて、行う場所はアメリカの地でするのではなく、世界のどこであっても、世界百八十五か国にある、わたしたちの基地でしなければなりません。 それは、一か所で四回するのです。よく聞いてください。きのう、簡単に話しましたが、春夏秋冬で四回行うのです。春が違い、夏が違い、秋が違い、冬が違うでしょう?。ですから、そこに生息する魚の種類が気候によって違うのです。このアラスカでも違います。ハリバットのようなものも、サーモンのようなものも、すべて違うのです。季節によって違うというのです。ですから、それぞれの国においても魚が違うのです。それゆえに、統一教会では、一年に四回ずつコンクールをします。一つの国ではありません。東西南北の四つの国が、一つになって行うのです。 春夏秋冬の季節に従って行うのですが、その中で三回は自分の国で行い、一回は、世界のどこにでも移動して行うのです。南極にある国と行い、南極にある国全体が……。一か所ではありません。趣味です。 一つの国を中心として、北極に国があれば、北極から南極、東西南北百八十五か国のどこにでも行くことができるので、百八十五か国すべての国民が、コンテストに参加することができるというのです。一年、二年、三年、四年、十年くらいすれば、……。分かりますか?。行ったり来たりしながら、その国の良いものを紹介するのです。その国は兄弟国家になるのです。 一つの国を中心としてみれば、その国に故郷は数多くありますが、その国を中心として良いものを平準化させなければなりません。そのようにしてこそ、その国が発展するのです。それと同じように、世界に出て参戦して戻り、勝った国を称賛するのです。 そして、そのコンテストに参加して一等になった人は、その分野のどこであってもチャンピオンです。すべての分野がそうです。オリンピック大会のように、技術分野から学術分野、すべての分野で世界オリンピック競技と同じことをするのです。 そのようにして、世界の国家全体が公認する場においてチャンピオンになるのです。その人は、死ぬまで国境の制裁を受けません。分かりますか?。どこの国に行っても、「第何代のチャンピオンである」と言えば、存命中の人であるならば、すべて記録されているのです。分かりますか?(「はい」) 一代、二代、三代と……。ここでもし、三代でチャンピオンになった人は、世界的に三代のチャンピオンです。どこに行っても、三代として待遇されるのです。それゆえに、自分の国に一代のチャンピオンがいたとしても、一代と同じ待遇をするのです。分かりますか?(「はい」) いかなる分野でも、その分野のチャンピオンは、その世界では王です。生きた王になるのです。死んだ人は、どのようになるのですか?。霊界で先祖になるのです。チャンピオンの先祖です。 それでは、もし地上で日本人が八代のチャンピオンになったとすれば、霊界には数十代のチャンピオンがいるのですが、「ああ、わたしは日本人なので、日本の国に行こう」というのは通じません。分かりますか?。チャンピオンのグループで暮らすのです。分かりますか?(「はい」)ですから、世界のすべてが混ざり、専門要員の世界チャンピオンシップを中心とした訓練があるということです。 労働といえば、地を掘ることも労働です。苦労して、「どれほどたくさん地面を掘ったのか」ということにおいて、世界のチャンピオンになろうとするのです。普通、一日に一坪掘るとすれば、何坪掘るのかというのです。そして一代、二代、地を掘ることにおいて先祖になるのです。王になるということです。 このようなことを中心として国家観念を超越し、自分の専門的な趣味の分野において同価値に該当する権限を天下、天と地に平準化することのできる時代になってこそ、地上、天上天国が一つになるのです。(「アーメン」)。分かりますか?(「はい」) それは、釣り大会だけではありません。フィッシング大会があれば、それからハンティング大会です。なぜですか?。今、食糧問題が大きな問題なのです。水のある所で人は暮らすのです。そうでしょう?。動物も暮らし、魚も暮らし、植物もよく育つのです。水がなければなりません。ですから、水域に対する管理をするのです。 それで先生は、海洋世界を神様に還元し、「陸地還元式」をしたのです。そして、「創造世界の還元式」です。それから、第四アダムとして「心情圏還元式」をしたのです。すべて終わりました。 ですから、「八定式」も縦的な八段階、横的な八段階……。個人完成、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、すべて撃ち抜いてしまったのです。これ以上経ていくものはありません。アメリカや日本が、国連で大きなことを言えば、わたしは激しく攻撃しようと思うのです。わたしほど国連を中心として憂慮した人が、どこにいるでしょうか? 言うのは簡単ですが、百二十万ヘクタールが一日でできますか?。食べず、遊ばず、休まずに準備したのです。大韓民国の地を捨てることがあるとしても、代わりの土地を用意し、国家の代わりに国連の名をもって、神様のみ名によって、統一された全天下の名によって、その国土をつくるために準備をしたのです。 ここで、今後、反対する国が問題になるのです。日本は、(先生や統一教会に対して)「お金をもって何がどうだ」と言い、白人は、「ああ、白人を奴隷化し、吸血鬼のようによく食べて豊かに暮らす」というのです。日本もそうでしょう?「レバレンド・ムーンの思想で日本を滅ぼそうとする」と言っています。しかし、国境を守って復讐を好む者は、地獄に行くしかありません。そうなるか、そうならないか見ていましょう。先生は、だれよりも霊界のことをよく知っているのです。分かりますか?(「はい」) 「八定式」は、十二回になりました。十二回になったので、世界の頂上にいるすべての人々も、アメリカも行く所がありません。国連も行く所がないので文総裁……。南北統一も、金正日氏も、金大中氏も、いくら大きなことを言っても、わたしの言うとおりになるのです。 北韓も今、自動車工場で生かしてあげようとしているので、「文総裁が一番だ」と言っているのです。(北韓は)先生の還暦の日も、誕生日にも、いつも礼物をささげてくるのです。十年前から送ってきています。あなたたちよりも優秀です。 あなたたちよりも優秀だというのです。この者たち。あなたたちは、誕生日に先生にわかめの一つでも送ってきましたか?。ここに来たのに、会費も出さずに参加している者もいるでしょう?。神聖な場所に参加するためには、一年間、血と汗を流して条件を立てなければなりません。分かりますか?(「はい」) ここは、だれでも参加できる所ではありません。先生が、十二年間を中心として、天下のすべてを元返して打ち込むとき、その背後で、どれほど苦労の功績を積んだのかということを天は知っているのです。万民が、万国が、万宇宙が公認する実績基盤を中心として施す祝宴の日に、ただそのまま来ることができますか? さあ、ですから、きょう、この十二回の「八定式」は、貴い日です。分かりますか?(「はい」)。そのみ言(第一回「八定式」のときのみ言)をじっと聞いてみると、わたしが、そのように話してあげたとは思いませんでした。訓読したものを聞いて、驚きました。最初から終わりまで、すべて話しているというのです。その中で、ソ連、中国、アメリカが一つになることを話しているというのです。さあ、すべて終わりました。そうでしょう?。 ですから、皆さんは今から……。今から宗教圏が入ってくるのです。宗団が入ってくるのです。このぼーっとしている者たち。すべて奪われてしまいます。今からは、公式的な集まりであると宣布したのにもかかわらず、参加しない人は奪われてしまうのです。 今まで、(入籍修練会は)二次の千八百家庭を教育しているでしょう?(「はい」)。いつ終わるのですか?。明後日ですか?(「九月四日に終わります」)。九月三日でしょう?。四日は、六千家庭が来る日です。この三つのグループの教育が終わるのは九月の何日ですか?(「二十四日です」)。二十四日です。九月二十五日から一週間です。二十五、二十六、二十七、二十八、二十九、三十です。一週間目に十月一日を迎えるのです。 十月一日は、解放して三千里半島の「面」まで責任者として配置して「統班撃破」です。「統」や「班」の主人にもなれない者は、氏族的メシヤにもなることはできません。自分勝手に引き連れて、「息子だ」、「夫だ」と、大きなことを言ってはいけないというのです。母親、自分の妻もそうです。 それを知らなければなりません。先生は、自分の家庭を破綻させてまで、息子、娘をほうっておいて、以北(北朝鮮のこと)に行ったのです。なぜですか?。国を取り戻すためです。三年、四年間できませんか?。訪ねていくのです。何度も、故郷に行ったり来たりするのです。分かりますね?(「はい」)。深刻です。 本来は、今回の第二次の修練会が終わるときには、行く必要もないのですが、行くのです。すべて話しました。今回の第十二回「八定式」とともに因縁があるのです。分かりますか?(「はい」) 家庭を配置します。すべての家庭を「班」に配置するのです。配置されない人は知りません。十月一日が解放の日です。ここで、第一次に参加していない妻、参加していない人は手を挙げてください。大体参加しているのですね。分かりますね?(「はい」) これから、九月二十五日から二十六、二十七、二十八、二十九、三十日に、三代が清平に集まって教育を受けるのです。旧約時代、それから何ですか?(「新約時代です」)。新約時代、成約時代です。血統を汚したのです。数十年間歩んでくる過程において、あらゆる問題がすべてあるのです。一度にすべて溶鉱炉に投げ込んで、再び出てこなければなりません。 このようにして、再び何ですか?。再び、何ですか?(「整備です」)。整備しなければなりません。ろ過装置を通過しなければなりません。これが、真のご父母様の責任です。真のご父母様と霊界の興進の責任です。地上は、真のご父母様の責任です。再び、るつぼに入れて再生することのできる式をするのです。分かりますか?(「はい」)。一代、二代、三代が一つになるのです。 三時代。旧約時代、新約時代、成約時代です。成約時代が、何よりも重要なのです。すべてのことを赦してあげ、第四次アダム圏の出発を宣言することのできる、悲壮な瞬間が地上にやってきたということを知らなければなりません。何のことか、分かりますね?(「はい」)第十二回「八定式」です。(テープ録音状態不良) これを総決算しなければならない時になりました。ですから深刻です。分かりますか?(「はい」)明朝九時に、わたしは出発します。そのようにすれば、二日になりますか、三日になりますか?(「二日の十二時です」)。話をしてあげて、三日の朝、清平で修練している人たちの所に行くのです。ですから、時間がありません。分かりますね?(「はい」) 皆さんが、フィッシング・コンテストを行うにおいて、先生の何倍、先生以上に一所懸命にしなければなりません。「波よ立て。 わたしは行く。風よ吹け。台風よ吹いてこい。わたしは行く」。何をするために行くのですか?。海の深い所に落ちて死ぬためです。ですから、死なんとする者は何ですか?(「『生きる』です」)。生きんとする者は何ですか?(「『死ぬ』です」)(テープ録音状態不良) 高い山の頂上を占領し、低い谷間を占領するのです。七〇年度からは、何かというと海上です。水産事業です。六〇年代、七〇年代までは狩猟です。先生は、韓国の高い山で、行ってみなかった所はありません。そのような逸話がたくさんあるのです。復帰して、海洋を還元するのです。 それゆえに、わたしは、水上世界におけるすべての技術を持っているのです。また、陸上世界の技術もすべて持っています。分かりますか?(「はい」)。国がなくても、北極に行って、そこに滞在してでも、すぐに国をつくることができます。南極は、オーストラリアよりも大きいのです。わたしに任せれば、一瞬のうちにオーストラリア以上に発展させることができます。分かりますか?(「はい」) 他人の国で行き当たりばったりの生活をし、作男暮らしをすることがあるとしても、主人の国をつくってあげるのです。今までは、神様が、そのような八段階の受難の道を来られたのです。その倉庫に入っていけば、ないものがありません。僕の世界のすべてのもの、養子の世界のすべてのものを備えているので、統一教会はだれであっても、地獄に行く親玉までも消化して、天国に連れて行くことができるように、すべての準備が備わっているのです。そうですか、そうではないですか?(「そうです」)。しっかりしなければなりません。 教派が駆け込んできます。「三十六家庭を再手入れしましょう」。このように言って、入ってくるというのです。祝福は、教会祝福、それから何ですか?(「国家祝福です」)。国家祝福を受けましたか?(「受けていません」)。国家祝福を受けていないので問題なのでしょう?。ですから、国家祝福を受けるために入籍を許すのです。 そうなのですが、入籍するやいなや結婚するのですか?。国に対する忠孝の道理を果たさなければなりません。それゆえに、先生のようにすべてを投入して、国の土地、世界の土地、国の人、世界の人、天の国を解放するために投入しなければなりません。「そのようにすることができる伝統がない」などということがあってはなりません。分かりますか?(「はい」) 帰れば、総生畜……何ですか?(「献納祭です」)。「祭」と言えば、「得たり手放したり」という条件なので、サタンの取り分があります。総生畜……献納物です。「物」でなければなりません。万物を天の前にささげなければならず、息子、娘を割いてささげていたものをまとめて、そのままささげなければならず、真の父母が追い出されたことを、そのまま家庭全体……。 成約時代は夫婦であり、新約時代は子女であり、旧約時代は万物をささげるのです。それを自分の家庭を中心として、歴史を懸けて横的に蕩減しなければならないということを知らなければなりません。その蕩減を果たす前には、所有権というものはありません。今の所有は、堕落圏の所有です。 本来は、祝福を受ける前に所有権を移転しなければなりません。そのような準備をしなさいということです。先生は、百二十万ヘクタールを用意しました。韓国が百二十万ヘクタールを準備するのです。それから、日本が百二十万ヘクタールです。アメリカも百二十万ヘクタールです。ドイツも百二十万ヘクタールです。 これらは皆、怨讐の国家です。韓国と日本が怨讐国家であり、日本とアメリカも怨讐国家であり、アメリカとドイツが怨讐国家です。しかし、怨讐を愛さなければなりません。この国々で交差結婚です。韓国と日本が結婚するのです。アメリカと日本が結婚し、ドイツとアメリカが結婚するのです。それをしましたか、していませんか?(「しました」)。そのようになれば、平和の世界になるのです。 国境撤廃です。それから何ですか?。その国境の二つの国が交差結婚すれば、平和の世界は成し遂げられるのです。分かりますか?(「はい」)それゆえに、真の父母が家庭、氏族、民族、国家、世界の編成をすべて成したので、絶対信仰しなければなりません。絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。そのようにしてこそ、平行線になるのです。分かりますか?。自己主張すれば、このようになるのです。それをはっきりと知らなければなりません。 説明する時間がありません。今、十二時になりますね。何時ですか?(「十二時十分前です」)。分かりますか?。先生が家庭編成し、神様を中心として、心の世界の相対的平面を中心として一つになっているというのです。分かりますね?。そこに皆さんが一つにならなければなりません。そのようにしようとすれば、家庭的に絶対信仰、絶対愛、絶対服従するのです。今が国家時代ならば、国家を基準として絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。国家において相対基準にならなければなりません。 神様が創造するときに、創造される万物には「自分」というコンセプト(概念)はありませんでした。日本ならば、「日本」という言葉や、日本語や、日本の名前というものはありません。完全に「無」です。絶対信仰です。絶対信仰には、自分なりの信仰的内容があってはなりません。絶対愛です。愛することにおいては他の何もありません。愛国心も何もありません。サタンの痕跡が残っていてはならないのです。 先生は、個人圏から闘ってきて、今では国連までも超えました。分かりますか?(「はい」)。さっと垂直に来ました。今では、先生が世界的基準において八段階です。八段階でしょう?。個人的時代、家庭的時代、氏族的時代、このように八段階を同じ水平で原型を描いてきたのです。それゆえに、サタンはこれを占領することはできません。分かりますね?(「はい」)ですから、皆さんに個人的な家庭があれば、その上に先生が上がって座っているのです。あなたたち祝福家庭は、ここにいます。これに乗ってついてこなければなりません。 先生が、このように上がっていくためには、世界全体が連結されていなければなりません。分かりますか?。反対していたものが、地の果てまで歓迎することによって、このようになったのです。分かりますね?(「はい」)それでは、あなたたちが統一教会を知らないときには、地獄の果てにいるのです。外に出ているのです。しかし、信じることによって、この圏内に入ってきます。そして末端にいるのです。世界の六十億の人類の中で、いくらにもならないこの果てのびりの位置から、平行線に合わせていかなければなりません。自己主張していては、蕩減にならないというのです。ですから、この境界線というものは、なくてもよいのです。堕落によってできたものです。 六十億人類において、個人ならば、個人において上がっていくためには、上に上がっていかなければなりません。断ち切って上がっていかなければなりません。分かりますか?。何のことか分かりますね?(「はい」) 先生が築いてあげたものを、びりの位置から、この垂直というものはこれしかありません。(手で指し示しながら語られる)そのままでは、できません。蕩減しなければならないのです。そのまま行けば、相克ができるのです。分かりますか?(「はい」)。蕩減しなければなりません。それよりも高い所に上がっていこうとすれば、垂直です。否定して蕩減しなければなりません。そのようにしてこそ、上に上がっていくのです。 このようにして、世界的蕩減路程を経なければなりませんが、世界的蕩減路程は、すでに真のご父母様が築いておいたので、「真のご父母様こそ、真のお父様だ」と言わなければなりません。分かりますか?。「わたしのお父様だ」と、このように言わなければなりません。そのようにすれば、真のご父母様が築いた縦的な勝利圏が自動的に相続され、横的な勝利圏も自動的に相続されるのです。いつでも願えば、相続されるのです。 蕩減条件を撤廃させることのできる、福のある内容を持った三大格言とは何かというと、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」なのです。神様ご自身も、天地を創造されるときに絶対信仰を持たれたのです。「わたしが言えば、絶対的に成される」ということです。「そのできた万物は、流れていくのではなく、永遠に愛の相対物として残る」という、このような絶対信仰、絶対愛の心を持って創造されたのです。 そして、絶対服従というものは、神様ご自身が、存在意識までもすべてなくなった位置のことです。「自分」という意識がありません。「愛の相対は、自分よりも価値がある」ということを知っており、相対が自分より何千万倍も素晴らしくなることを願うので、百パーセント投入しても、また「何千万倍投入したい」と思う心があるというのです。分かりますか?。絶対信仰、絶対服従です。服従には、「自分」という意識概念はありません。 先生が「来なさい」と言えば、ここに来るときに意識概念を持って来ましたか、意識概念を持たずに来ましたか?。持って来ましたか、持たずに来ましたか?(「持たずに来ました」)。何も分からない者たちが自己主張するのは、すでにサタン的です。 先生もそうです。賢い先生が、神様の願いをすべて批判していたら、この道を来ることができたでしょうか?。ばか正直に信じ、ばか正直に行動し、「死になさい」と言われれば死に、すべてそのようにしたのです。水に溺れて死にそうになりながらも、泳いで生き延びてこそ、その願いが理解できるのです。 それゆえに、絶対信仰、絶対愛、それから何ですか?(「絶対服従です」)。神様が、そのようにしてこられたのです。世界と歴史を代表した文総裁であるということを知らなければなりません。信仰者の中の絶対信仰の代表者、絶対愛の代表者、絶対服従の代表者です。異議がありません。その息子、娘たちが、「わたしは信じることができないので、先生、少し待ちましょう」と言うことが通じますか?。それは利己主義です。(「通じません」)それゆえに、ここに立って八段階を行けば、この蕩減がなくなるのです。さっと上がっていきます。 父親が大統領であるならば、その息子は大統領官邸に入っていくことができますか、入っていくことができませんか?(「できます」)。少し、浮気したらどうですか?。国法が浮気をすることを規制していなければ、それに引っかかったと刑務所に入れますか?(「それはできません」)。今まで先生は、刑務所であるとか、憲法を教えてあげませんでした。その前までは通じますか、通じませんか?(「通じます」)。わたしは分かりません。(「通じます」)。この者たち。(「通じます」) 国法が定められていなければ、その責任は神様が持たれるのです。それを、わたしたちが何だかんだと言うのですか? 今、先生が発表することも、自分ですべて成してから発表しているのです。成していなければ発表しません。成してから発表しなければ、しない人がたくさん出るのではないでしょうか?。分かりますか?。世の中を知らず、世の中が太平の世だと思っていたら、いつの間にか天下が変わってしまったというのです。夜に世の中が引っ繰り返り、国が変わったのかどうか、分からずにいます。しっかりしなければなりません。 では、先生に関心がありますか?(「はい」)。どのような関心がありますか?。目に関心がありますか?。鼻に関心がありますか?。先生の足のにおいに関心がありますか?。香水の香りだけをかぎたいと思うでしょう?。足のにおいが好きですか?。耳にも、寝ていてもさっと目が覚めるような音を好みますか?。分かりますか?。 絶対信仰と言ったので、「ああ、わたしを赦してください。絶対信仰、ああ、今、分かりました」。この八段階を一度に乗り越えていくというとき、股が裂けるのを我慢していかなければならないのであって、「嫌だ」と言ってはなりません。「死ぬのなら死のう。死ぬのなら死に、生きるのなら生きよう」と思ってみなさいというのです。そうすれば、ひゅっと飛んでいくのです。そのようになれば、宇宙の力と天運の力が保護して、正確に正しく行くことができるのです。 その三つの代表語は良いのですか、悪いのですか?。わたし(お父様)に損害がたくさんあるのです。このいいかげんな者たち。どれほど利己的ですか?。ああ、見ただけでもうんざりして、蹴飛ばしたくなる人がたくさんいます。ぼろぼろの服を縫い合わせて着せてあげ、古いものを縫い合わせて、前よりも良くなったものを見て喜び、また縫い合わせて、縫い合わせて、何百回も磨いて縫い合わせて、この位置を復帰したのです。 それで、霊界に行って、「ああ、絶対信仰、絶対愛、絶対服従してきたのに、今、(霊界に)来てみると、このようになっているので、先生の絶対信仰の基準が違うではないか?」と、このように言うつもりですか? 「絶対に愛しなさい」と言って愛したのに、なぜ、このようになったのですか?。あなたが行く所にわたしが行かなければなりません」という、そのような条件を地上に残していきなさいというのです。それをだれが認定しなければなりませんか?。父親が認定し、母親が認定し、おじいさんが認定し、おばあさんが認定し、自分の妻が認定し、四代が認定するのです。息子、娘も認定するというのです。 天下が否定したとしても、神様が否定したとしても、「わたしの父と母はこうです」、「わたしの母は、おじいさんもおばあさんも愛し、絶対信仰しました。曾祖父も曾祖母も愛し、絶対信仰、絶対服従してきました」と言えば、それでも神様が何だかんだと言われるでしょうか?。目をぱちぱちしているのをのぞき込まれるでしょうか、のぞき込まれないでしょうか?。 絶対信仰すれば、パンをあげれば、そのパンが絶対に嫌いでも、「絶対に好きだ」と言わなければならないでしょう。好きなものを「好きだ」と言って、どうして「絶対」と言えるのですか?。嫌いなものを好きにならなければなりません。分かりますか?(「はい」) 天が、特権的な恵沢によって下さった三大標語とは何ですか?(「絶対信仰、絶対愛、絶対服従です」)。それをアダムに対してされたのが、神様です。神様が創造されるとき、アダムのことを絶対信仰しました。わたしの息子はこうでなければならない」と思えば、そのようになるのです。その息子は、適当にできたのではありません。自分のすべての絶対信仰の頂上の愛を投入してあげたのです。そうすれば、間違いなく、自分の愛の友人になるのです。分かりますか? それから、その愛の対象が、自分の愛の友人になれば、自分は真空状態になるというのです。分かりますか?。マイナスです。温度と同じです。すべて、なくならなければなりません。なくなれば、どのようになりますか?。すっと息をはいて吸い、このように与えていくと、愛の相対はどんどん大きくなっていくのです。分かりますか? 投入して忘れ、忘れて水平線になれば、どのようになるのですか?(お父様が深呼吸をされる)水平になります。水平になれば、倒れるのです。倒れていくので、あちらに行っていたものが引っ張られます。このようになれば、あちら側が主体となって、わたしに与えるようになるのです。何のことか分かりますか? 飽和状態を超えるときには、与えていた力が一度に押し寄せてきて、自分を押してくれるので、昔よりももっと深い所に降りていき、上がっていくのももっと高い所に上がっていくのです。ですから、そのような原則によって、被造大宇宙は形成されたのです。 さあ、一度、ふーっとしてみてください。(「ふーっ」)。上がっていきますか、下がっていきますか?。上がっていけば、一つになっているので引き下げられて、あちら側がひゅっと押してくれるのです。ここが真空状態になるのです。ひゅっと押してくれるので、速度が倍になるのです。そして、激しい勢いで落ちるので、自分が立っていた所よりも深く落ちますか、浅く落ちますか?(「深く落ちます」)。深く落ちて、また激しく上がっていくので、ひゅっ そうして、どんどん大きくなっていくのです。 それでは、「絶対服従」は、良い言葉ですか、悪い言葉ですか?(「良い言葉です」)。天運までも神様までも、わたしにそのようにするのです。わたしが日本人を愛しましたか?(「はい」)。見たのですか?(「はい」)。愛しているのに、なぜ苦労させるのですか?。なぜ、苦労させるのですか?。ふー 死ぬ、死ぬ……、死なんとすれば、何ですか?(「生きる」)。生きるのです。最高の真空状態には、最高の台風が押し寄せるのです。分かりますか?(「はい」)。与えたものは、そのまま水平にはなりません。受けなければなりません。分かりますか? そのような原則において、無限に投入するところに無限な水平線ができ、無限に高い水平線ができていくのです。先生は、そのようなことを知っているので、統一教会の教会員は、無限に投入して忘れ、永遠無窮を中心として投入すれば、その相対世界を占領することができる相対圏となり、主体圏となるのです。分かりますか?(「はい」) それでは何ですか?「アーメン」と言わなければなりませんか、「感謝します(カムサハムニダ)」と言わなければなりませんか?(「感謝します」)。「アーメン」とは、「そのみ言のとおりに成されます」ということですが、そのように成されたので、「感謝します」と言わなければなりません。分かりますか?(「はい」) 今では、自由世界の代表、民主世界の米国をつかんで国連を生かしてあげ、国を中心として天の国……。(録音状態不良)統一教会は、勝利の版図だけが連結されるのです。(「アーメン」)。(「感謝します」)。感謝は、表彰されてこそ感謝でしょう?(録音状態不良) 各国で、このようなことをして、写真を飾って祝賀しなければなりません。さあ、そのようなことが水平段階で国家と国家が……。(録音状態不良)その国家の前に、皆さんがメシヤ的使命を果たさなければなりません。真のご父母様を代身して、接ぎ木してあげることのできる責任を果たさなければなりません。各国の名を持った民族として、成すべき歴史的な責任を果たさなければならないということを知らなければなりません。分かりますか?(録音状態不良) 日本の島はいくつですか?(「四つあります」)。四つですか?。それも四数です。この、一つ、二つ、三つ、四つ、すべて動員して、島国をつかみ、半島をつかみ、大陸をつかみ、島嶼国家連合、半島国家連合、大陸国家連合をすべて、つくっておきました。天宙国家連合までです。何をつくっておいたのですか?。天宙、何ですか?(「国家連合です」)。天宙平和統一家庭堂です。天地父母統一勝利連合です。すべてつくっておいたというのです。 信仰の限界は、どこで終わるのですか?。愛の限界は、どこで終わるのですか?。犠牲の限界は、どこで終わるのですか?。その程度によって、天上世界、天の国の憲法を中心として、皇族が入っていくことのできる位置が決定するのです。(「アーメン」) それで、今から三時代です。(録音状態不良) 旧約、新約、成約、これを終えてこそ、入籍が可能なのです。分かりますか?(「はい」)。そして、入籍が可能なのは、女性を中心として、青少年を教育させ、夫までも……。息子と娘が一つになってこそ、夫が完成することができるのです。 堕落することによって、堕落したアダムがエバを失ってしまい、息子、娘を失ってしまいました。近い母親が二人を一つにし、そして夫と一つになってこそ、天の国に入っていくことができるのです。 それゆえに、今、女性時代が到来しました。分かりますか?。男性ばかりの国会議員のうち、三分の一が女性議員になれば、すべて終わるのです。三分の一は女性、三分の一は男性、三分の一は息子です。分かりますか?。最初はだれですか?(「女性です」)。女性です。三分の一を女性にするのです。それから、息子、娘を先頭に立てます。そして父親が……。 カインとアベルが一つになり、上院と下院を母親党が引き連れていくのです。そのようにすれば、父親がその国の王になるでしょう?。そうすれば、息子が主権復帰です。母親の責任は、このように重要なのです。 ですから、鮮文大学の総長も女性を立てました。良くやりましたか、悪かったですか?(「良くなさいました」)。一度、立ってください。美人の総長です。拍手してください。(拍手)(録音状態不良) 三分の一が女性になり、それから何ですか?(「息子が三分の一です」)。長子と次子、兄弟が三分の一です。それから何ですか?(「父親が三分の一です」)。父親が三分の一です。国を収拾すれば、回っていくのです。アダムとエバの家庭が、世界版図の上で国を備えて勝利し、堕落がない時代です。血を流す犠牲の時代がなく、統一された環境で国を献納することによって、天の国の版図となるのです。(録音状態不良) 分かりますか?(「はい」)。ですから、今、国連とアメリカを先頭にするのです。四大国です。四つの国の青年たちの出世の道を、国連を中心として、私が開いてあげるのです。分かりますか?(「はい」)。あなたたちは、祝福を受けて貧しく暮らしました。国連でNGO(非政府組織)が、すべての責任を果たすのです。 では、あなたたちは、そこで脱落者になりますか、合格者になりますか?(「合格者になります」)。合格者は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりませんが、国にそのようなものがないので、どのようにするのですか?。国がそのようになっていないではないですか? それは、ローマ教皇庁が中世に堕落したからです。統一教会は堕落がありません。絶対、何ですか?(「信仰です」)。絶対信仰です。絶対信仰なので、絶対男性です。このようになるのです。絶対、何ですか?(「女性です」)。絶対、何ですか?。絶対愛、唯一愛、不変の愛、永遠の愛です。(録音状態不良) 今からは、地獄の撤廃です。それゆえに、霊界も楽園にすべて……。(録音状態不良) 三三・三パーセント、霊界のすべて……。四大聖人と霊界に行ったすべての神側の霊人が祝福を受けました。三三・三パーセントの祝福が、すべて終わったのです。終わったので、地上世界の各宗団の責任者に、「あなたたちの一族を連れてきて、祝福させなさい」と言いました。天使長側の霊界を動員して、「アダムが完成する道を助けなさい」という指示を受けて、地上に再臨するのです。 ですから、統一教会の運勢圏を防ぐ道理はありません。強く、雄々しくあれということです。分かりますか?(「はい」)。一度言ってみてください。強く雄々しくあれ。(「強く雄々しくあれ」)。先生は、このような信念を持って歩んできたのです。「どれ、一度打ってみなさい。わたしを打てば、あなたが崩れていくのであって、わたしは崩れない」。このように思ってきました。 先生は、そのような信念を持ってきたのですが、世界は一つにまとまって、文総裁を滅ぼそうとしました。しかし、今では、「文総裁がいなければならない」と言うのです。今や、文総裁が言うとおりにし、「こっちに来なさい」と言えば、自分たちのほうでやってきて、「ここに来なさい」と言えば、来るようになっているというのです。「あっちに行きなさい」と言えば、行くのです。 入れ替わっても不平は言いません。交差結婚したのです。どこに行っても安心であり、自分の故郷で暮らすように解放的な生活ができるので、地上、天上天国の民族に間違いないというのです。分かりますね?(「はい」)その目的のために前進 言ってください。(「前進」)。前進(「前進」)。前進(「前進」) アラスカといえば、前進です。前進し、また前進し、また前進して蘇生、長成、完成圏を超えていかなければならず、勝利を勝ち取るコンテストを始めなければなりません。(「アーメン」)さあ、フィッシング・コンテストを一度してみなさいというのです。 ここに来て、良かったのですか、悪かったのですか?。毎年、このように来なさいというときは……。しかし、いつでも先生がいるのではありません。いなくても、先生の代わりに海の主人にならなければならず、陸地の主人にならなければならず、空中の主人にならなければならず、「地上と天の国の主人に間違いない」という自負心を持たなければなりません。分かったでしょう?(「はい」) それで、今……。海の風は吹いていますか?(「きょうは、天気が良いです」)。なぜ、天気が良いのですか?(笑い)それでは、昼食を食べて、朝食は食べたでしょう?。昼食を包んであげてください。その代わり、夜の十二時前には戻ってくることはできません。ここは、二時になっても明るいのです。(笑い) 先生が六時に送り出してくれると思ったのに、十二時に送り出したのですから、それを蕩減しなければならないのではないですか?。蕩減して、それは損害を受けることですか、福を与えられることですか?(「福を与えられることです」) 十二時前には、ここに戻ってきてはいけません。分かりますか?(「はい」)。夕食が食べたいと思っても、ほうっておくのです。十二時を過ぎたら食べさせてあげます。その代わりに、大きい魚を捕まえるのですか、小さい魚を捕まえるのですか?(「大きい魚を捕まえます」)。大きいハリバットを捕まえますか、小さいハリバットを捕まえますか?(「大きいハリバットを捕まえます」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.28
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国境線撤廃と真の愛の実践この講演文は2000年8月18日、ニューヨークの国連本部で挙行された「万国平和賞」受賞祝賀晩餐会で語られたみ言です。 尊敬する内外貴賓の皆様。きょう、私は、世界平和の殿堂である国連において名誉ある万国平和賞を受け、この受賞の栄誉を皆様と共に分かち合う意義深い場をもつことができたことに対し、心から感謝の意をお捧げいたします。私は、この場を借りて「国境線撤廃と真の愛の実践」という題目でしばらくお話し申し上げ、それをもってあいさつの言葉に代えたいと思います。 サタンは国境をたくさんつくる大王 皆さん。私たちが、この世界にあるすべての国境線を撤廃すれば、平和の世界は自動的に到来することでしょう。ところで、私たちが記憶すべきことは、国境線の主人が誰であるかというと、それが神様ではないという事実です。国境をつくり始めた主人はサタンなのです。 国境のある所には、必ずサタンが潜んでいるということを知らなければなりません。悪魔と悪魔の実体が潜んでいるというのです。東洋と西洋についても、文明圏を中心として、互いに大きな国境線ができていますが、そこに誰が潜んでいるのかというと、悪魔が潜んでいるというのです。文化の背景、伝統の背景、人種の差別、このようなあらゆる種類の差別をつくって国境線をつくったのは、神様ではありません。 神様が願われるのは、統一の世界です。すなわち、一つの世界なのです。その世界は、国境のない世界です。神様には国境がないので、「恨みを晴らしなさい」と言うことはできません。なぜならば、その言葉の中には国境が内在しているからです。しかし、怨讐を愛して一つになれば、国境が崩れていくのです。 それゆえに、神様の戦略戦術は、「怨讐を愛しなさい」という言葉になるのです。「怨讐を愛しなさい」という言葉は、偉大な戦略であり、偉大な戦術的な内容であったということを、今日までの人類歴史を通じて分からずにいて、今現在、生きている人間たちも分からずにいます。 しかし、このように歴史上分からず、現在も分からずにいたことを、今、統一教会の教会員たちは歴史を代表し、現在を代表して神様の戦略戦術を知ることができるようになり、また、これを相続して実践することのできる人となったのです。ですから、彼らは、自動的に平和を成し遂げることのできる主人公になったというのです。 皆さんは、どのように思われますか。国境は、皆さんの心が好まないところにも生じ、体が好まないところにも生じ、自分の行動を好まないところにも生じ、自分の言葉を好まないところにも生じるのです。私たちが、五感を通して心と体が一つになることができなければ、各種各様の国境が生じるのです。私たち全員が、どれほどたくさんの国境を内に秘めて生きているのかということを考えてみなければなりません。 また、「怨讐を退治しなさい」、「国境をつくったものを処断しなさい」と言えば、目を抜いてしまわなければならない場合もあるでしょう。目も二種類から成っています。「これも良く、あれも良く、何であっても見えるものは歓迎だ」と言えば、その目には巨大な国境ができるのです。聞くことも同様です。善なる良いみ言や、真理のみ言を聞くことを好むかと思えば、世の中の邪悪な言葉を聞いて、そこに同調することもあります。しかし、そのようになれば、皆さんの耳にも国境が横たわるようになるのです。 統一教会では、流行歌を歌うことを禁じてはいません。一般のキリスト教では、それも禁止事項になっていることでしょう。しかし、問題は、名曲を歌おうと流行歌を歌おうと、その歌の内容を消化できるのかできないのか、ということにかかっているというのです。 それは、その歌を歌って国境をつくるのか、さもなくば国境を撤廃するのかということが問題であるという意味です。「国境をなくして、神様が喜ばれる無制限の橋を架けることができる」と言える人は、流行歌を作ったとしても、悪い言葉を言ったとしても、何をしても問題にならないというのです。 それゆえ、自分のすべての五感を通して感じる感覚や、あるいは歴史的な伝統を通して残された、今、生きているこの生活環境に国境があるというときには、サタンの一門に属するようになります。反面、「どこにも国境がない」というときには神側になるのです。サタンが国境をたくさんつくる大王であるならば、神様は国境をなくすための大王です。すなわち、神様は国境を最も嫌われる大王陛下であられるということです。 皆さん! それでは、韓半島に三十八度線があることを歓迎する人がいれば、その人は神様が好まれる人でしょうか。その反対に、三十八度線をなくそうという人がいれば、彼は神様が最も好まれるチャンピオンになるのです。韓半島のすべての人、すなわち七千万人が、「私は、死んでも三十八度線を残しては死なない」という覚悟をして生きれば、韓半島の統一は自動的にやって来るのです。 しかし、それは決して易しいことではありません。三十八度線を好む人は、悪魔の側、サタン側であるということを知らなければなりません。言い換えれば、三十八度線がある所ではサタンが主人となっており、三十八度線がなくなった所では神様が主人となられるのです。そこで、統一教会の教会員たちは、三十八度線を消化してなくしてしまい、国境線を撤廃させる改革運動を展開してきたのです。 皆さん! 怨讐の一族、怨讐の国民同士がお互いに「姻戚関係を結んで、息子の嫁にもらわなければ生きていけない」というほどの間柄にさえなった日には、統一天下は自動的に形成されるのです。これが、私が今晩、皆様に差し上げる贈り物です。 国境がある所には、必ず悪魔の同族が暮らしているのであり、三十八度線がなく、お互いに愛し合って和睦する所には、間違いなく神様の血統をもって生まれた血族が暮らしているのです。 イエス様が来られなければならない理由 今日、統一教会の人々は、「趣味産業」という言葉にとても大きな興味をもっています。誰もが、そこに行って暮らしたいと思う所、「そこは、興味をもって見つめることのできる『喜望峰』だ」と言うことのできる所があれば、そこは今後、新しく国連を中心とした超国家連合ができれば、国境地帯でもどこでもすべて超国家的主義の国連の名のもとに隷属されなければなりません。 聖書を見れば、旧約時代には、人間の代わりに万物を象徴する物を割いて血を流すようにしました。そうして、割いた祭物の左側はサタン側、右側は神側として分けておき、二つの群れが「得たり手放したり」という闘いを続けてきました。 ところが、旧約時代が失敗することによって、サタンと神様は、昔のように物を割いてもつということを超えて、息子を割いてもつ闘いをするようになったのです。その結果、神様の長子であられるイエス様が、この地に降臨されて血を流され、結局、イエス様の肉身はサタンがもっていき、イエス様の心は霊界にと、このように分けられることになりました。 しかし、霊界に行かれたイエス様は、その実体を再び取り戻されなければならないので、「再び来なければならない」と言われたのです。このように、息子であられるイエス様が割かれることによって、霊界と肉界がすべて分けられたので大変なことになりました。 男性と女性が分かれ、心と体が分かれたので、これをすべて統一させるために、霊界の所有権を訪ね求めていかれたイエス様は、地上の肉身の所有権を合わせて一つにするために、地上に再び来られなければなりません。 それでは、地上に再びやって来て、何をしようというのでしょうか。それは、結婚して家族を成そうというのです。長子として来られたイエス様を中心として、その方の肉身を占領したサタンは地上世界を占領し、天上世界は天が占領するようになったので イエス様は、霊界に行かれてから二千年間、道を築かれながら天上世界、すなわちすべての心の世界の方向を一つにする一方で、地上でもキリスト教を立てて役事してこられました。しかし、キリスト教は、再びカインとアベルに分かれ、カトリックとプロテスタントが闘ってきたのです。怨讐となってしまいました。サタン側と天側に分かれて闘ったのです。長子はサタン側となり、次子はアベルとして天の側になったのですが、その裏面では、必ず国境的な内容、すなわち闘争的な概念を抱いて闘い、そのようにして歴史が発展してきたのです。22 これを解放しなければなりません。それで、来られる主は、天の国を統一し、地上のユダヤ教選民圏のごとき統一圏を中心として、数千年間、分かれて闘ってきた天と地、男性と女性を一つにする結婚式をするようになるのです。これが、正にキリスト教でいう「小羊の婚宴」だったのです。 このように、天の国と、地上のキリスト教の国が統一される道を取り戻した時が、正に第二次大戦の直後でした。このときは、キリスト教文化圏が全世界を統一した立場にあったのです。それで、霊界の統一的主導権をもたれたイエス様が、霊界の勝利的覇権者となられ、さらに地上のキリスト教文化圏も統一されるという、そのような時が来たので、イエス様と聖霊が地上に来て、実体の夫と相対である聖霊が新婦となり、二人が一つになって結婚式をすることができたのです。そうすることによって、心と体が分かれて闘っていたこと、男性と女性が分かれて闘っていたこと、それらのすべてのことを解決して、天下を平和の王国にすることのできる絶好の機会を迎えていたのです。漠然とした話ではありません。 国境線を撤廃できる方案 神様の創造理想について見るとき、誰から先に結婚式をしてあげるようになっていますか。アダムとエバです。しかし、人類の国境線となっている壁は、エバの堕落によってつくられたので、その壁を崩して平地をつくり、堕落する前のアダムとエバの立場を復帰して結婚させれば、私たちのすべての先祖はもちろんのこと、神様までも喜んで歓迎され、小躍りされるのです。このような世界が成し遂げられれば、それが正に地上天国になるのです。 しかし、人間の歴史上、そのような日はありませんでした。そのような日がなかったので、今まで無数の境界線が絡まって苦しみ、呻吟し、苦痛を受けながら、そうしてここまで来たのです。したがって、この境界線の打破をどのようにすべきなのかという問題に対する答えさえ探し出せば、それが平和の起源になるということを、人類は分からずにいたのです。 それを人類歴史上初めて、レバレンド・ムーンが真の父母の資格をもってこの地に顕現し、その打破方法を提示して、万天下の善男善女を神様の前に祝福させてきたのです。 たとえ国境線が百万個あったとしても、私は問題なく撤廃することができます。どのようにしてでしょうか。真の愛があるので可能なのです。そしてまた、撤廃するためには、神様のように「知ること」ができなければ、それをなすことはできません。つまり、神様を一〇〇パーセント以上知らなければならない、ということです。 皆さん! 霊界を見れば、天国と地獄があります。天国が昼ならば地獄は夜ですが、昼と夜が分からない人が、天国の境界線を主管することができるでしょうか。とんでもないことです。分かる人だけが、自動的に主管することができるのです。地獄の内容まで明らかに知っているので、暗やみを撤廃することができるのです。 神様は、全知全能であられる方なので、それを撤廃することができます。したがって、問題は「神様を知らなければならない」ということになります。それでは、皆様は神様を知っていますか。知っているとすれば、どのくらい知っていますか。神様は、お金を好まれる神様だと思いますか。そうでなければ、権力を好まれる神様ですか。さもなくば、知識しか知らない神様ですか。そのような神様では、人類の解放をもたらすことはできません。 私たちが神様を完全に知ってこそ、サタンを完全に追放することができるのであり、完全に解消することができるのです。神様を知ったとしても、神様が何をもって数千年もの間、放置されていた国境線を撤廃することができるのでしょうか。それが重要なのです。 神様が、この宇宙の主人であられるのならば、その主人が暮らす町があり、国がなければならないのではないでしょうか。神様を知ろうとすれば、神様の相対圏の立場に立って、その環境となる国を取り戻さなければなりません。 しかし、すべての環境圏が国境でふさがれているので、この国境を撤廃することによって、神様が喜ばれる世界をつくるのです。そのようになれば、すべての被造万物は「神様に主管されたい」と思わないでしょうか。国境線のもとで悪魔と共に呻吟し、苦痛を受け、迫害を受ける、そのような支配から解放されたいと思うのです。 皆さん! 私たちは、何よりも神様をはっきりと知り、また、天の国をはっきりと知らなければなりません。そのようにすれば、どこに行っても、またいかなる状況になったとしても、その国の伝統とその国の文化内容に対して、どのように対処して生きていくべきなのかということに対する答えが自然と出てくるのです。 天の国には、明らかに神様がいらっしゃいます。しかし、今日の世界は、千々万々の国境によってふさがっています。それでは、どうしてこのようになっているのでしょうか。神様を知り、天の国を知る人がいませんし、天の国の伝統的生活の内容を知っている人がいないので、このようになったのです。その内容さえはっきりと知れば、霊界にも地上世界にも解放圏が展開するのです。「そうなれば、おい、サタンよ」と言えば、サタンは、どうすることもできずに従わざるを得ません。そのような位置に立てるようになりさえすれば、天の国と神様の心が一体となることのできる文化背景と伝統的思想をもって暮らす方法を知ることができるようになるのです。そのような人が、正に、「ため」に生きる愛をもった人です。 自分のために生きる愛をもった人ではなく、相対を愛の主人にしてあげ、相対が愛を通して小躍りすることができるようにしてあげようという人は、神様を知り、天の国を美しく装い、保護する生活をすることができる後継者となるので、神様の後継者をサタンは妨害する道がなくなるのです。 死ぬ目に遭って憤りを感じる以上の立場を超えて怨讐たちを愛すれば、怨讐の世界を支配することができるようになり、サタンが退くことによって、怨讐の世界がかえって皆様を尊敬するようになるということです。「ため」に生きることにおいても、自分の父や母よりも、誰よりも町内の人を愛すれば、サタンは逃げていき、代わりに神様が訪ねてこられて、千倍万倍報いてくださるのです。 神様を知り、天の国を知って、その伝統的骨髄思想、サタンが八方に逃げていかざるを得ない秘法とは何だと言いましたか。「ため」に生き、「ため」に死に、「ため」に愛そうとするならば、サタンは、間違いなく国境線を捨てて逃げていくのです。逃げていくとしても、そのまま行くことはできません。国境線を崩してから行くようになっているのです。そのようになれば、どのようになるでしょうか。サタンが離れていくことによって、死亡の地獄に直行していた生命が、天の国に上昇することができるという永生の道理が訪ねてくるというのです。そこにおいて初めて「永生」が生じるのです。 神様を知り、天の国を知り、天の国の伝統的思想である「ために生きる愛」のために、千年万年続けたいと切に思う群れになることによって、そこから主体であられる神様をお父様と呼ぶことができるのです。それゆえに、そこにおいて永遠の血筋を通して、血統を通して「永生の論理」と「永生の伝統」が自らと共に決着するのです。それは、間違いのない真理です。 愛の属性 永生というものは、本質的な愛の属性です。神様も、宇宙を創造されるとき、自ら絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立ててなされたのです。 永遠に、永遠無窮に、世の中は過ぎていったとしても自らの愛がもっと大きくなるようにと投入することのできる、そのような心をもって生きていらっしゃる方が神様です。ですから、神様の前に主管を受けたくないと思う存在や、相対的な理念をもった存在でありながら、神様に絶対、唯一、永遠、不変の主人として侍らずにいることのできる存在はない、ということを知らなければなりません。 永生不滅の位置で創造された息子、娘が、その位置に立てば、神様の国が自らの国となり、神様が自身の神様になるのです。神様と天の国の伝統的主人としての生活方法と自分が一致すれば、神様の息子、娘であることは間違いないので、「永生不滅」ということは自動的な結論なのです。それで、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」という逆説は、真理です。 国境撤廃にも国連の国境撤廃、宗教の国境撤廃、民族の国境撤廃、地獄と天国の国境撤廃があります。また、撤廃するにおいては、偽りの父母がそれをつくったので、真の父母以外にはそれを成す人はいない、というのが事実です。神様もできず、サタンもできません。 サタンと神様が闘う戦争を誰が止めることができるのでしょうか。それは、偽りの父母がそのようにさせたので、ひとえに人類の真の父母として来られた方だけが、このことを成すことができるのです。 皆さん! 皆さん全員が、このような解放的な決心をもって帰ってくださることを願います。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.27
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世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)共同創設者 韓鶴子女史の講演文「アセンブリ2000」の開会総会2000年8月18日ニューヨークの国連本部第二会議場 高名なる貴賓、各国からお越しになられた指導者、そして、紳士淑女の皆様。 きょう、このように世界平和理想のための精誠が込められ、威厳あるこの殿堂において、二度目の演説の機会を持つようになったことを光栄に存じます。 一九九二年四月十日、韓国・ソウルのオリンピックスタジアムにおいて、私と私の夫は、国際連合の非政府機構として世界平和女性連合を創設したことがあります。当時、世界七十二か国から十五万人の女性が殺到して、本連合の創立の熱気をより高めることとなりました。 世界平和女性連合は、創立以来、世界百八十五か国において活発な活動を展開しており、平和文化と文明間の対話を指向する国連の方針に積極的に協力してきました。 女性連合は、すべての女性が皆、一緒に神様の娘としての本質的な価値を持っていることを覚醒させることができるように、多様なプログラムを支援してきました。そして、後進国家の女性たちに奨学の恵沢とともに、教育の機会を提供してきており、国際的な姉妹結縁の行事を通じて、人種と宗教間の和解を追求してきました。 AIDSの予防活動を通じては、婚前純潔と夫婦間の貞操の重要性を強調してきました。 世界平和女性連合と世界平和家庭連合の創始者として私は、国連の加盟国家の大部分を巡回し、その国の国民と直接に対話と交流を分かち合うことができる機会をもってきました。また、国際救援親善財団の総裁として、数十年間救護奉仕活動を世界的に展開してきています。 世界各地を見て回った私の経験として、道徳性の喪失、戦争、飢餓、貧困、劣悪な教育環境、疾病等、世界を苦しめている諸問題が、ますますより深刻化していることを感じています。世界が抱いているさまざまな問題の中で最も深刻なものは、神様のことが分からない霊的無知と家庭の崩壊であると言えます。 神様は、存在します。そのおかたは、世界を創造された後に、これに背を向けて遠くに行ってしまわれたおかたではありません。普通の親と同じように、神様は、ご自身の子女たちが苦痛を受けるときに嘆息されるおかたなのです。 神様が受けておられる最も深い苦痛というものは、正に人類が神様の心情を感じることができる能力を喪失したということにあります。 このような理由によって、私たちは、神様が親であられ、すべての人類は神様の子女であり、互いに兄弟姉妹であるということを感じることができないのです。 神様と普遍的な真の父母の理想なくしては、真の兄弟姉妹の理想は成されえません。私は、真の愛による夫婦の揺るぎない軸を中心とした、真の家庭を打ち立てる運動に専念しています。そのような家庭の中においてのみ、真の父母像、真の夫婦像、真の子女像が定立されるのです。 平和世界も、繁栄する国家も、真の家庭を基盤とすることによってのみ可能です。 私の夫である文鮮明牧師は、このような善の目標を成し遂げることができるように、私を理念的に指導し、全幅的に支援してくれており、常に感謝しております。 文鮮明牧師は、一生を神のみ旨と平和世界実現のために献身してまいりました。幼少のころより、神様と特別な関係を結んできつつ、人生の目的、悪の根源等、人生の根本問題に対する答えを得るために、神様と深い祈祷の交感を続けました。 私の夫を知っている人はだれでも、夫がこの上なく真摯で深刻な人物であるということを感じるようになります。 夫は、自身のすべてのものを投入する人生を通じて神様に仕えてきたのであり、捜し出した真理のみ言は、世界百八十五か国にいる数多くの人々と若者たちの人生を転換させてまいりました。 夫の一生は、決して平穏ではありませんでした。夫は、あらゆる無理解と試練に耐えなければなりませんでした。背信と拷問、収監生活、数回にわたるテロによる威嚇を甘受しなければならなかったのです。 しかし、そのいかなる障害も、六十余年前、韓半島の山上で神様とイエス様にささげた約束を成し遂げるための、夫の決心を防ぐ術はなかったのです。 私の夫の献身的な人生は、個人的な安楽と衣食住を超越するものであったということを、私は妻として、だれよりも近くで見守ってきました。自らの家庭をおいて、民族、国家の因縁を犠牲にしてでも、神様の心情を慰労してさしあげて、神様が願われる平和理想世界を地上に実現するための一筋の道を生きてきた人こそ、正に私の夫であるということを証しいたします。 私は、今回の大会に参加してくださった皆様に深く感謝を申し上げる次第です。国連は、神様の心情奥深くに宿る理想を実現すべき代表機構であると考えます。私は、このような摂理史的な組織が、神様から賦与された責任を全うして、平和時代を率いる団体として祝福を受けることができるように祈祷いたします。 神様の祝福が、皆様すべてと今回の大会とともにありますよう祈願いたします。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.26
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真の父母様、国連非政府組織世界連合「万国平和賞」受賞(2000.08.18,ニューヨーク、国連本部)世界と国連が行くべき道この講演文は、2000年8月18日、ニューヨークの国連本部第二会議場で開催された「世界平和超宗教超国家連合」主催、「アセンブリ2000」の開会総会で語られたみ言です。 満場の貴賓、そして高名なる各界指導者の皆様! 私は、きょう、このように美しく厳粛な国連会議場で、皆様と共に、世界と国連の行くべき道に関する私の熱情と所見の一端を紹介できるようになったことに対し、深い感謝の礼をお捧げいたします。 世界平和実現のための国際機構の再編が必要な時 過去四十年余り、私が展開してきた超宗派超国家の活動と組織の目的は、すべて神様と人間が共に望んできた平和世界の実現でした。平和世界に対するヴィジョンは、超宗派運動の核心でした。 人類は、二十世紀に凄惨な世界大戦を二度も経験し、そして七十年の間、無神論共産思想の横暴と冷戦時代を経ながら、先鋭な対決と藤を経験しました。冷戦時代が終息し、世界はつかの間の平和のための祝杯を挙げることができました。しかし、すぐに人類は、その冷戦の終わりが自動的に平和時代に連結されるのではないことに気づきました。世界の至る所で激烈な戦争が継続し、今も様々な所で殺戮戦が展開されています。これらの諸紛争は、主要宗教間の根深い藤が背景になっていることは、周知の事実です。「宗団」間の対話と和合が、いかに重要であるかを悟らせてくれる事例です。 現代における宗教的な理想の実現は、往々にして世俗権力と一定の距離を置いて活動してきました。今日の一般的な認識は、これを当然なこととして受け入れています。しかし、世界平和理想に寄与する諸々の国際組織は、世界の偉大な宗教的伝統と自分たちとの関係を再検討すべき時になったと考えます。 そのいかなる国際機構よりも、国際連合が良い例になることでしょう。多くの人々は、国連が、世界平和のための人類の理想が制度化された組織であるとみなしており、これに期待をかけています。国連には世界の問題を解決し、平和と人類繁栄を促進するために共に働く、すべての国の代表者たちが集まっています。 しかし、国連で国家の代表者たちが世界平和を実現しようとする努力に対しては、相当な諸障害があります。国連を通して得た諸々の実績と成果を否定してもいけないのかもしれませんが、国連自体が改善すべき点も多いと考えます。世界の政治家たちと宗教指導者たちが、国連を中心として互いに協力し、尊重する関係が、切実に必要な時となりました。 本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら、一体を成して生きるようになっています。心と体が闘わずに真の統一の起源を成すのは、人が神様に似た神様の息子であり、娘であるからです。神様の心と体が闘うことはありません。絶対者であられる神様においては、自体内に矛盾や藤はあり得ません。 レバレンド・ムーンが展開してきた超宗派、超国家組織と活動の目的 心と体が統一体となる人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有するときに成し遂げられるのです。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイ五・九)という聖句も、神様を中心として心身一体理想を成したことを前提とします。 ところが、人間は堕落によって、心と体が統一調和の基準を失ってしまい、藤を引き起こしながら自己矛盾の中に生きてきました。そればかりでなく、個人の中で起こる心と体の藤と闘争は、家庭、社会、そして国家と世界に拡大されてきました。兄であるカインが、弟アベルを殺害する犯罪もここに由来します。 有史以来、この地球上で展開されるすべての対決と戦争は、本質的に、より悪であるカイン側と、より善であるアベル側との間の闘いでした。このようなカイン側、アベル側の闘いは、必ず終息し、原状に復帰されなければならず、心と体の対決も終わって、調和一体として復帰されなければなりません。 個人の心と体が統一されなければならない原理を、世界的な次元で適用、実践しなければならないのです。この目的のために私は、世界平和を具現する、心の世界を代表する「世界平和宗教連合」と、体の世界を代表する「世界平和連合」、「島嶼、半島、大陸国家連合」、そして、二つの世界の調和のための「世界平和超宗教超国家連合」などを創設しました。 人間社会での諸般の問題は、根源的に、単に政治的な問題ではないために、社会的、政治的解決のみでは、常に不十分なのです。大部分の人間社会が、政治的に統治されていますが、反面、大部分の国家的、文化的「正体性」の根底には宗教があります。事実、大部分の人々の心の中には、宗教的な忠節が、政治的な忠誠よりはるかに重要性をもっています。 今、宗教が、この世でその真の指導力を発揮する時が来ました。宗教者たちが、この時代の状況と様々な不正に対して責任を感じ、深い自己省察が先立たなければならないと考えます。宗教者たちは、愛の実践で手本になることができませんでした。自分個人の救援や宗派の利益に汲々とするあまり、世の中の救援に尽力できなかったことを悔い改めなければならない時です。今こそ、信仰生活ばかりでなく、愛の実践生活が要求されている時です。 国連の両院制構成を提案 神様は、私たち指導者、特に宗教指導者を召命していらっしゃいます。世の中の不義と罪悪に挑戦し、真の愛を施すことを望んでいらっしゃいます。すべての宗教者が心を一つにして、神様の人類に対する熱望を代弁し、実行しなければなりません。 体と外的な世界を代表する、政治家や外交家たちの経綸と実践だけでなく、心と内的な世界を代表する宗教指導者たちの知恵と努力が合わさってこそ、平和世界を完全に成し遂げることが可能なのです。そのような点で、国連を再構成する問題まで深刻に考慮すべき時です。おそらく、両院制の形態を備えた国連を想像することもできるでしょう。 国家の代表たちによって成された既存の国連を、各国家の利益を代弁する下院に代えて考えることができます。一方、著名な宗教指導者など、精神世界の指導者たちによって宗教議会、あるいは国連の上院を構成することを深刻に考慮するようお願いします。このとき、超宗派的な宗教議会は、地域的な個々の国家の理解を超えて、地球星と人類全体の利益を代弁すべきでしょう。 両院が相互尊重し、協力することによって、平和世界を成し遂げるうえで大きく寄与することができることでしょう。世界の指導者たちの政治的経綸は、世界の偉大な宗教指導者たちの知恵とヴィジョンによって効果的に補完され得るのです。 すべての国境地帯に平和地区建設を提案 世界は、今も国境線を中心とした衝突地域が増えつつあります。このような諸々の紛争地域によって、世界は途方もない人命被害と、数十億ドルに達する戦争費用と平和維持費を注ぎ込んでおり、あまりにも多くの資源と努力を消耗しています。これに比して、ただの一箇所として満足に解決の進展を見せる場所はありません。 私はこの場で、国家を代表する国連と宗教指導者が心を合わせ、すべての国境地帯に平和地区をつくることを提案するものです。山や川、あるいは平原であると海であるとにかかわらず、国境線と紛争地域の付近一帯を緩衝地区、すなわち平和地区にするという案です。 この場所は、国連の直接的な統治と管轄下にあるようになり、ここで全世界から平和定着のために集まってきた人々が暮らせるようにするのです。国連は、ここが国連の創立趣旨と、引き継がれてきた平和宣言の内容に符合する最も模範的な地域になるよう指導しなければなりません。このような平和地区は、平和と繁栄、和解のための安息所です。そして、人種と性の差別がなく、人権の侵害と戦争から解放された典型的な地域です。さらに、ここは生態学的にも環境的にも、万象にとって楽園のような場所とならなければなりません。 このような平和と自由、生態学的な調和を追求する地域を確定するためには、該当国家が国土の一部を提供しなければならないという問題があります。私は、この提案にとって障害になり得る実質的な問題点を解決するため、少なからぬ努力を傾けてきました。 私は、「冷戦体制の犠牲になった韓半島の分断と戦争には、摂理的なみ旨がある」と教えてきました。朝鮮戦争は、平和守護のために、世界十六カ国の若者たちが国連の旗のもとで血を流した、歴史上類例のない聖戦になりましたが、まだ平和統一は、未解決の課題として残っています。私が、摂理観に立脚して、平和世界実現のための国連の厳粛な使命を考えるのも、このためです。 去る六月から進展した南・北韓の和解と協力のムードが、このまま続いていくことを切に願います。南北が対峙してきた、韓半島の百五十五マイル軍事境界線周辺の緩衝地帯全部を、国連管轄下の平和地区にし、そこに、人類が教訓を得ることのできる展示館と博物館、教育の場と平和公園などをつくることにおいて、国連が率先してくださることをお願いします。 私は、これまで南米のメルコスル地域に、約百二十万ヘクタールに達する肥沃な土地を購入しつつあります。国連平和地区設定によって喪失した国土の代わりに、これを補償するためです。韓半島の南北指導者たちに、その一部を寄付すると通告もしました。 私は、このような内容を明らかにすると同時に、心ある世界の指導者たちが、私が提示した趣旨に同参してくださるよう訴えるものです。そして、私と共に、国連管轄区域となる平和地区確保のために、自らの土地と基金を喜んで寄付できるようにお願いします。平和地区は、国連の指導下で、自然と人間が共存する理想的な道義社会として建設されることでしょう。 私は、既に二年前の一九九八年十二月に、「対話を超えて実践に進む超宗教的理想の実現」という主題で開催された国際会議の席上で、世界の宗教指導者たちが集まった中、世界平和基金の創設を提案したことがあります。この時に参加したすべての宗教指導者たちは、世界の宗教者が、まず世界平和のための基金の募金に率先する意味で、七数に該当する寄付金を出す運動を展開するように決議しました。各個人と国家ごとに、各々経済的な状況が違うために、ある人は七ドルを出すことも無理かもしれませんが、七百万ドルを寄付する人もいることでしょう。 この世界に生きている、すべての宗教者が心情的に一つになるならば、基金の募金に積極的に同参するばかりでなく、このように集められた基金によって平和地区を造成し、平和に対する理想と知恵を教えるのに用いることができることでしょう。国連は、宗教者だけでなく、すべての国々に対して毎年、自発的に平和基金(例えば「白十字会費」という名前で)を納付するように指導することができるでしょう。 富裕な博愛主義者や経済界指導者、企業人をはじめとして、各界各層の指導者と団体、そして個々人たちも国連平和地区建設に積極的に加担し、世界的な平和ムードの造成と募金運動をする上で、率先しなければならないのです。 私は、国連の上院の使命を果たす超宗教的な宗教議会の基礎とするために、「世界平和超宗教超国家連合」を創設しました。各国家から超宗教的な大使が、既存の大使と共に国連に派遣され、宗教議会、すなわち国連の上院を構成するのです。 超宗教的な理解と修練をした、超国家的な平和理想を指導すべき国連の上院議員たちが担当する任務は、狭い視野で特定の国家の利益のみを代弁しようとすることとは、正反対になるのです。彼らは、絶対者のみ旨に従って、世界と人類全体の平和理想のための任務を遂行するようになるのです。 国連の上院議員となった超宗教大使は、いったん派遣された以後には、国連の世界的なヴィジョンと議題を代弁することのできる、全地球星的な業務を遂行しなければなりません。このような意味で、国連の国際大使とも言えます。このような国連国際大使は、既存の国連大使と共に、世界のどこに赴いても、平和と福祉社会具現のための共同運動を代表するようになることでしょう。また彼らは、地球上のすべての国で正義、安全、平和の高い理想を守る、良心の守護者の役割をするようになることでしょう。 このような措置は、世界市民たちと青少年たちに、希望とともに、愛と平和を追求する理想的家庭の安着を、直接に確認する機会を提供することでしょう。選出された超宗派超国家的な大使は、各国ごとの後援のもとに展開している健康、教育、福祉厚生事業などの理想的なプロジェクトが、積極的に遂行されているかどうかも点検することができることでしょう。 私は、様々な団体と組織を通じ、宗派と国籍を超越して、真の愛の教育を絶えず展開してきました。このように絶えず投入し、対話と和解の努力を展開した、過去数十年の歳月を通し、人類が一つになるための最も堅固な基礎は、正に真の家庭の理想から始まる普遍的、かつ核心的な愛であるということが明確なものとなりました。 世界的な記念日を制定することを提案 このような内容を土台として、私は、今から国連に属するすべての機構、および組織の活動を促し、三つ目の提案をしようと思います。国連を率いている上位の政策決定権者たちが、決まった規定に従って、世界的な公認の日を制定するのです。私は、国連が児童の年、または平和文化の年のような多様な宣言的な日と、十年周期の記念日を制定することを知っています。私が勧めようとするのは、意義のある国連公認記念日を制定して、世界が毎年、この日を記憶し、記念するようにしようというものです。 すなわち、「真の父母の日」を制定し、世界的な祝祭日として記念し、同時に、「真の家庭の日」を二つ目の世界的な記念日として制定することを提案するものです。人種と宗教、文化を超越して、誰でも愛することができ、大切に思うことのできるこのような日を、みな一緒に慶祝することによって、私たちは、人間としての共通した真の根を確認し、真の家庭の大切さを確認できるようになるのです。併せて「国連軍の日」を制定し、国連の正義と平和維持軍の神聖な使命を宣揚するようになることを願います。 尊敬する指導者の皆様! 私たちは今、一緒に心を合わせて努力し、宗教と世の知恵の中にある諸々の高貴な内容が、緊急で深刻な問題が存在する世界で援用され、適用され得るよう、体制と組織を補完していかなければなりません。 このような体制は、超宗教指導者で構成された協議体が、国連の政治指導者、および外交官たちと協力し、共同の歩調を取ることで成され得るのです。「世界平和超宗教超国家連合」は、絶対者と超越の世界(霊界)、そして、永生と霊魂の問題に対する正しい指導とともに、このような目標のために献身していくことでしょう。さらに、平和のための国連の努力に添って、ひいては、神様を父母として迎える人類が一兄弟となって、宇宙一家庭を成す、そのような永遠の愛と和楽の天国、神様の祖国を成していくことでしょう。 私は、専門識見と経験、そして知恵を備えた世界の指導者たちと国連関係者たちが、私が提示したこのような理想をいかに補完していくべきかについて、よく御存じであると信じます。国連をはじめとする政府機構等が、これを成し遂げられないときは、NGO(非政府組織)等、民間組織を通してでも、このことを必ず成すようになることでしょう。私たちが継続的な努力で協力していくならば、必ずや地上に平和と幸福の理想が実現されるはずです。 神様の祝福が、皆様の携わる仕事と国連の上に、共にありますよう祈願いたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.26
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「お母さんだから大丈夫だと思っていました」詩の朗読2023/11/23「お母さんだから大丈夫だと思っていました」詩人:심 순덕参照:https://uc-itsumokamisama.seesaa.net/...一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.26
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[旧統一教会] スペインに住む二世信者が受けた神様と天使からのメッセージ2023/11/25先日 団トクで素晴らしい証を見つけました。ああ、これで動画を作ったら きっと多くの兄弟姉妹が希望を感じて元気が出るだろうなあと思い ご本人に許可を取りたくて転送 転送を繰り返して私の元に届いた証だったので沢山のシックの協力を得てカカオとラインを遡りながら ついにこの神様からのメッセージを受けたご本人の二世信者さんと連絡を取ることができました。その方はスペインの田舎に住むとても素敵な方でした 私の証を通して希望を感じて頂けたら嬉しいです!と喜んで許可をして下さいました このメッセージを通して多くの方が神様の愛を感じ取って下さったら幸いです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.25
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第四回「七・八節」記念礼拝の御言成約八年 2000年8月6日(陰暦七月七日)天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿 天宙清平修錬苑の天城旺臨宮殿 大聖殿で行われた第四回「七・八節」記念礼拝語られたもの。 きょう、この「七・八節」は、善い日ですか、悪い日ですか? (「善い日です」)。なぜ善い日なのですか?。理由があって「善い」と言うのならば、なぜ善いのかというのです。天地父母天宙安息圏、安息できない所がどこにもありません。安息圏宣布の日です。ですから、どれほど善い日でしょうか? 「天地父母」とは何でしょうか? (「……」)。答えなければならないでしょう? 「天地父母」とは何ですか? 「宇宙父母」です。そうではないですか? 「天地父母」とは何かというと、根源的な父母であると同時に、いつでも永遠に父母であることをいうのです。 「天地父母」、それから何ですか? 「安息圏」です。安息とは何ですか?。平安の「安」という字は、ウかんむりの中に「男」という字を書きますか、「女」という字を書きますか?。ウかんむりは「家」を意味するのです。ですから、「家の下の女性」のことを「平安」だというのです。 ですから、わたしたち人間が生まれた根本自体を分析してみるとき、父親の骨髄の種を受けて母親の腹中に入っていき、その赤ん坊が母親の体を安息所として、配給を受けながら大きくなって息子になり、娘になり、その家庭の孝子、孝女になるのです。(胎中で)体全体を育ててくれたのは、父親の体ではなく、母親の体なのです。分かりますか? 「十月(とつき)目に生まれる赤ん坊の体は、百パーセント近く母親の骨と肉と血をそっくりそのまま配給され、分配されて生まれたのが息子であり、娘ではなかった」のです。「ではなかった」のです。(「だったのです」)。「ではなかった」のです (「だったのです」)理解していることは理解しているのですね。 それでは、神様は平和を好まれるかたでしょうか、嫌われるかたでしょうか? (「好まれるかたです」)。嫌われないでしょう?。好まれますね?。神様は平和を好まれます。どれくらい好まれるでしょうか?。絶対です。一度言ってみてください。「絶対」(「絶対」)。最々高々ーに好まれるというのです。(「最々高々ー」)。限りなく好まれるというのです。 ですから、神様が平和をごらんになることができなければ、神様は死んでしまわれるでしょうか、生きていかれることができるでしょうか?。つまり、神様も死ぬことを好まれるでしょうか、好まれないでしょうか?。好まれないので、しかたなく神様も平和の世界をつくらざるをえません。 それでは、神様おひとりで平和の世界をつくることができるでしょうか? (「できません」)。平和というものは、一人を前提として言う言葉ではありません。非常にたくさんのものが水平を成した、そのことを前提として言うのです。均等になったということです。千人、万人が暮らしていても、全員が同じ資格であり、同じ内容を備えた、そのようなことを言うのです。 「平和」がよいですか、「和平」がよいですか?。言葉をきちんとしなければなりません。「和平」がよいですか、「平和」がよいですか? (「『平和』がよいです」)。「平和」が始まって「和平」をつくることができるのですか、「和平」を通して「平和」が訪れるのですか?。どちらですか? 万事を成してこそ平和になりますか、平和になってこそ万事が成されるのですか?。万事が成されて、すべてのものが「和」してこそ「平」になるのです。「和する」ということですが、化学の「化(ファ)」という字は、本質が変化することです。木が石のような別の物になることを化学作用というのです。しかし、「和する」の「和(ファ)」という言葉は、そっくりそのままで形が変わることをいうのです。(注:韓国語で「和(ファ)」と「化(ファ)」は発音が同じことから、そう言われる) ここにいる人は何人ですか?。七千人ですか?。何人ですか? (「七千人です」)。七千人が集まったので、座っている人たち各自の価値は、七千分の一の価値しかありません。そのように言えば、気分が良いですか? 「七千分の一」と言えば気分が悪いのです。それでは、「七千人がわたし(真のお父様)に似た」と言うときはどうですか? 「わたしに似たので、わたしのものだ」と言うときは、気分が良いというのです。 自分を中心として「同じだ」と言うときには、すべて自分のものになるのです。それでは、一人一人違うというときはどうでしょうか?個体は朴パク氏、金キム氏、あらゆる人がいます。日本人も来て、西洋人も来て、ありとあらゆるさまざまな人々が集まっていますが、これが和合しましたか、平和になりましたか?。和合もせず、平和にもなっていなければ、どのようになりますか?。和合がなければ平和になりません。分かりますか? (「はい」) それでは、今朝、食事をするときに、ここでパンを食べましたが、パンを食べずにおかゆを食べようという人は、和合する群れですか、和合しない群れですか?。そのような者がいれば、おなかがすいて、どのような病気になるのですか?。盲腸になって、手術しなければならないというのです。分かりますか? 自分が食べなければ、自分が食べなかったものを(他の人が)食べたとしても、それを「ありがたい」と考えなければならないのであって、おなかが痛い人は罰が当たっていなくならなければなりません。天もそのように考えるのです。分かりますか? 文総裁を好むならば、皆さんも好んでこそ「和する」というのです。わたしが「良い」と言えば、皆さんは「悪い」と言いますか、「良い」と言いますか? (「『良い』と言います」)。文総裁、良い (「良い」)。(拍手) 七千人が、「私も良い」と言って、拍手しなければならないでしょう?。拍手して何も言わないというのは、どういうことですか?。文総裁、良い (「私も良い」)。(拍手)そして拍手するのです。拍手の音が、「良い」という声よりももっと大きいですね。文総裁、良い (「私も良い」)。(拍手)そのようにしてこそ、調和するのです。 さあ、それならば簡単です。神様が平和を好まれるのですが、どのようにすれば、平和が成し遂げられるのでしょうか?神様が嫌われる怨讐という群れは、すべて追放……。しかし、神様は殺すということをしてはなりません。追放するにおいても、しかたなく逃げていくことができるようにしておけば、平和になるのです。簡単でしょう? (「はい」)。 若い人たちは、答えがはっきりしていなければなりません。朝食は食べましたか? (「はい」)。それでまた、昼食を食べるのですか?。答えることもできない群れが、座って昼食を願うのですか?。はっきりと答えなければなりません。「私は平和の王子、王女になりたい」と思う人は、手を挙げてください。やあ 皆、わたしより優秀ですね。 さあ、簡単です。問題は、「国境線を撤廃すれば、平和の世界はやってくる」ということです。(「アーメン」)。国境線がなくなれば、平和の世界は自動的に成し遂げられるのです。(「アーメン」)。ああ、わたしたち統一教会は「アーメン」と言ってはいけません。「感謝します(カムサハム ニダ)」と言うことにしたのです。(「感謝します」)。(拍手)分かりますか? 国境線がなくなるときには、平和統一の世界が自動的にやってくるのです。(「感謝します」)。「アーメン」と言わずに「感謝します」と言わなければなりません。「アーメン」と言うのは、神様のみ旨成就は千年万年願ってきたことであり、神様から歴史的にずっと、過去、現在、未来のために長い間待っていたことなので、それが「み言のとおりになりますように」という意味で「アーメン」と言った、そのときの言葉を中心として答えた言葉ではないですか?しかし、今のこのようなときには「アーメン」では合わないので、「感謝します」と言わなければなりません。分かりますか?。感謝しましょう。(「感謝しましょう」)。 鄭壽源氏 (笑い)「感謝します」の歌を一度聞いてみましょう。出てきてください。(拍手)きょうは、わたしがこのようにプログラムを組んでいきながら進めていくことが良いのか、悪いのか分かりません。神様が喜ばれれば、万事がオーケーです。歌ってください。(鄭壽源先生が「感謝の歌」を歌うが、声がかれていて、歌詞がよく聞き取れない) そのまま立っていてください。わたしは、それが何の歌なのか、一言も聞き取れません。(笑い)静かにして、はっきりと歌う言葉を注意して分析しながら、心の世界の門を開いて、拍子を合わせてください。分かりますか? (「はい」)。分からない人は、居眠りしてもかまいません。さあ、はっきりと歌ってください。(笑い) 「感謝の歌」 感謝します 感謝します 生命の自由を取り戻したので感謝します 生命の自由を取り戻したので感謝します 愛情の自由を取り戻したので感謝します 愛情の自由を取り戻したので感謝します 自由にふるまう元のサタンを葬ったことを感謝します 自由にふるまう元のサタンを葬ったことを感謝します うれしく感謝だ 新しい主人が来た うれしく感謝だ 新しい主人が来た サタンに勝利したことを感謝します サタンに勝利したことを感謝します 栄光 栄光 私が享受できる栄光を感謝します 世の中のサタンの権勢がすべてなくなり 天の主の御声 が聞こえてくる 新しい天地に 顔を上げてみると 光明のさすエデンの 園が開かれているなあ エデンの園 善い私の体の中に 無窮な生命の川の水 が流れていく 新しい天地に 新しい主の役事で死んでいた霊魂が復活 したなあ さあ、もうみ言の内容はすべて聞いたでしょう?。時間がずいぶんたちました。「先生が代わりにしてくれた」と思って終わりにしましょう。終わりにしようというのです。なぜ答えないのですか?。八十歳になった老人を、まだこき使おうということですか? 先生がみ言を語らなくても大丈夫です。きょうは善い日なので、少し休まなければならないでしょう。それとも、まだ汗を流さなければならないのですか?。簡単なのです。国境線を撤廃すれば、平和の世界は自動的にやってくるのです。(「感謝します」)。(拍手) 皆さんが記憶すべきことは、国境線の主人はだれかというと、それは神様でもないということです。国境をつくり始めた親分は、サタンです。国境線のある所には、必ず悪魔が潜んでいるということを知らなければなりません。 三十八度線がありますが、三十八度線にだれが潜んでいるというのですか? (「悪魔です」)。悪魔と悪魔の実体が潜んでいるというのです。東洋と西洋の文明圏を中心として、お互いに国境線を大きくつくっているのですが、ここにだれが潜んでいるのですか? (「悪魔です」)。悪魔が潜んでいるのです。 文化の背景、伝統の背景、人種の差別や、あらゆる差別を生み出して国境線をつくったのは、神様ではありません。神様は統一の世界、一つの世界です。国境のない世界を……。 神様には国境がないので、「怨讐を愛しなさい」ということを言われるのです。「恨みを晴らせ」と言えば、国境は存在し続けるのですか、なくなるのですか?。怨讐を愛して一つになる所では、国境が崩れていくのです。 それゆえに、神様の戦略戦術である「怨讐を愛しなさい」ということには、偉大な戦略的な内容と、偉大な戦術的な内容があったということを、今日の人類歴史は知らず、今現在、生きている人間たちも知りませんでした。 そのような、歴史が知らず、四大聖人も知らなかった神様の戦略戦術を、今、統一教会の教会員たちは歴史を代表して、全体を代表して知ることができるのです。と同時に、これを相続して実践することができる人になったので、自動的に平和を成し遂げることができる親分になるのです。アー、アー。(「メン」)。「アー、メン」ではありません。アー、「感謝します」。(「感謝します」)。(拍手)そのとおりですか? 皆さんの心が喜ばないところには国境ができ、体が喜ばないところにも国境ができ、自分の行動が喜ばないところにも国境ができ、自分の言葉が喜ばないところにも国境ができ、自分の見るものが喜ばないところにも国境ができるのです。また、五官を通して一つにならないところに、ありとあらゆる国境がどれほど多いかということを考えてみてください。 また「怨讐を退治しろ、国境をつくったものを処断しろ」と言えば、目も抜いてしまわなければなりません。目は二つのものを見ることができます。これもよく、あれもよいのです。聞くものも、善なる善いみ言、真理のみ言を聞くことも好み、流行歌、踊る姿もすべて好むのです。 それでは、どちらが事実なのですか?。ですから心配なのです。統一教会では「流行歌を歌うな」と言いながら、「文総裁、絶対に流行歌を歌うことに反対した」、それとも「歓迎した」、どちらですか?。尋ねているではないですか? 名曲を歌おうと、歌謡曲を歌おうと、どのような曲を歌ってもよいということです。「それを消化することができるのか?」、「良くすることができるのか」ということが問題です。国境がなくなるように、神様が喜ばれることのできる無制限の橋を架けることができるという人は、流行歌を歌おうと、どのような悪い言葉を言おうと、何も問題にならないというのです。 それゆえに、「自分には、すべての五官を通して感じる感覚、あるいは歴史的伝統を残して暮らしている今の生活環境において国境がある」というときは、サタンの身内になるのです。それでは、「国境がない」というときは、どのようになるのでしょうか?。神様の側になるのです。 サタンは、国境をたくさんつくるためのチャンピオンであり、大王陛下です。神様は、国境をなくすための大王陛下です。国境を最も嫌う大王陛下であられるということを知っていますか、知りませんか?。知っているのなら、こちらのほうだけ拍手してください。(拍手)そのとおりに拍手するのですね。 今度は、知らなければ、こちらのほうだけ拍手してください。(何人かの人が拍手する)(笑い)知らなかったのですか、この者たち? (笑い)(「分かりました」)。直ちに審判されています。話を理解しなければなりません。 さあ、それでは「神様は、絶対に国境を好まれない大王陛下であられる」ということを意を決して理解する人は、四本の手足をたたいてください。「このように四本の手足をたたかなければならないでしょう?。このように、「七・八節」の記念行事の中で、四本の手足をたたいたということは、夢にも忘れられない」と思えば、偉大な人になるのです。分かりますか? (「はい」) それでは、三十八度線があることを歓迎する大韓民国は、神様が好まれる者たちですか、嫌われる者たちですか? (「嫌われる者たちです」)。嫌われる者たちです はっきりと知らなければなりません。 それでは、「三十八度線をなくそう」という人は、神様が最も好まれる悪い者ですか、チャンピオンですか? (「チャンピオンです」)。知っていることは知っているのですね。あなたは、チャンピオンになりますか、悪い子女になりますか? (「チャンピオンです」) わたしがいくら悪口を言っても、「自分とは関係ないので、悪口を言われたとは思わない」というのです。「あの文総裁、公的な席で牧師が、教主があのようにいいかげんに話してもよいものか?。えへん。儒教の観点ではいけないのだが」と考えるならば、その人はだめな人です。 悪口を言うならば、讒訴する人がいなければならないでしょうが、そんな人はいません。神様は、ごらんになって喜ばれるのです。わたしは、死ぬとしても三十八度線を残しては死にません。(拍手) 韓国人が南北韓を合わせて七千万なら、七千万国民のだれもが「三十八度線を絶対に残すことはできない」と思う人になればよいのですが、それはやさしいことです。「三十八度線を好む人は悪魔の側、サタン側だ」ということを知っていればよいのです。間違いありません。 分裂を造成することは、悪なる大王、悪なる悪魔のチャンピオンが願うことです。三十八度線を嫌うことは、善なる大王陛下が好まれることです。そうですか、違いますか? (「そうです」)。分かりましたか、分かりませんか? (「分かりました」)。これ以上、話さなくてもよいでしょう?。話そうとすれば、何十年間話しても終わらないので、このくらいでやめましょう。 三十八度線がある所は、サタンが主人になっているのです。なくなった所には神様が主人になるので、統一教会の教会員は三十八度線を消化して、三十八度線をなくして国境線を撤廃させるのです。 そうして、怨讐たりうる者同士のふたりが、お互いに「結婚しなければならない、息子にし、嫁にしなければ生きていけない」という人にさえなる日には、統一天下が自動的に形成されるのです。(「アーメン」)。(拍手) それでは、「七・八節」にわたしが贈るプレゼントは何かというと、間違いなくプレゼントを贈るのです。三十八度線がある所には、必ず悪魔の身内が暮らしているのであり、三十八度線がなく、「お互いに愛そう」というときは、間違いなく神様の身内、血族、血筋です。神様の血族が暮らしているのです。拍手しなければならないでしょう? (拍手) それで今回、わたしが国連に提案しようとしていることは、国境線地帯は超国家の立場に立った国連の所有にしなければならないということです。(「アーメン」)。(拍手)そうすれば、三十八度線をつくり、そこで背を向けて暮らしている国の民も、国連の国として吸収されなければなりません。(拍手) それで、そのような地域を見れば、今日の統一教会で「趣味産業」と言えば、興味津々で「それは何か?」と言うのです。趣味産業は、景色のいい所、だれもがそこに行って暮らしたいと思う所、そのような所は、趣味として願う喜望峰です。 そのような所は今後、超国家連合ができれば、その超国家連合を中心とした国連が、その所有主となり、あらゆる国境地帯全体は、超国家的主人である国連の名によって従属しなければなりません。分かりますか? それで統一教会の文先生は、頭が悪くてそのようにするのか、知恵があってそのようにするのか分かりませんが、「統一教会の教会員たちは、総生畜献納をしよう」と言ったのです。 それでは、超国家国連の所有にするためには、昔のように、旧約時代、新約時代、成約時代のように、割いて神側とサタン側に取り分を分けて、祭祀の供え物をささげていた時代はなくならなければなりません。 旧約時代は万物を割いて血を流し、左側はサタン側であり、右側は神側というようにして、二つの側が得たり与えたりという闘いを続けてきました。そのようなことを完全否定して、一度に旧約時代は物質世界……。 わたしたちの家に関して見れば、夫婦がいて、子供がいて、物質があるので、旧約時代とは、わたしたちの神様の家庭において、物質を分けてサタンの取り分まで分けてあげた時代が旧約時代です。そのような旧約時代のみ旨を信奉したのは、子供が祭物にならないようにするためでした。 ところが、旧約時代が失敗することによって、サタンと神様は、「昔のように割かれた万物を持つのは嫌だ」と言うのです。サタンもそのように言うのです。万物を割くことにおいて失敗すれば、息子を割かなければなりません。 それゆえに、神様の長孫であられるイエス様が、この地に来られて血を流され、イエス様の体はサタンが所有し、イエス様の心は霊界に行くようになったのです。それで、再び体を取り戻さなければならないので、再び来られなければならないのです。それは、息子を割いて立てるということです。 それで、その息子が割かれることによって、霊界をはじめとして、このようにすべてのものが分かれて大変なことになったのです。男性と女性が分かれ、心と体が分かれたので、これを統一させるために、霊界の所有権を持たれたイエス様が、地上の所有権を再び合わせて一つにするために地上に来られなければならないのです。 地上に来て、何をなさろうというのでしょうか?。結婚しなければならないというのです。子供を分けた立場においては、男性であるひとり子を分けてあげたならば、娘まで分けてあげたいと思うでしょうか、首を切って分け、それを持とうとするでしょうか? 長子であるイエス様の体を中心として、地上世界はサタンが所有し、天上世界は神様が所有するのです。そのように分けて所有するために、サタンがイエス様の体を捕らえて殺したのです。思いどおりにしました。サタン側は死亡です。 それで霊界に行かれて、二千年間基盤を築かれ、天上世界の、すべての心の世界の方向が一つになって、地上でも一つになってカイン・アベルとなり、旧教と新教が闘うのです。怨讐になるのです。一つは神側であり、一つはサタン側です。長子はサタン側になり、次子は息子の側になります。 このように、常に国境的な内容、闘争的な概念を抱いて歴史は発展してきました。これを解消するのです。それで、来られる主が天の国を統一し、地上のユダヤ教と選民を中心として、その統一圏を中心として初めて天と地、男性と女性、分かれていたものが地上に来て初めて結婚式を行うというのが、キリスト教で言う「小羊の婚宴」なのです。(「アーメン」)。(拍手) 天の国と地上のキリスト教の国が統一されたのが第二次大戦後であり、キリスト教文化圏が全世界を統一しました。そして、霊界の統一的主導権を持たれたイエス様が、霊界の勝利者となられたので、地上に統一されたキリスト教の時が訪れたのです。 そのことによって、イエス様と聖霊が地上に来られて、体である実体の夫と聖霊の相対である新婦が一つになって結婚式をすることによって、二つに分かれて闘っていた心と体、二つに分かれて闘っていた男性と女性がすべて……。 世の中のよこしまな問題が何かというと、男性と女性の闘いであり、心と体の闘いです。心と体の闘いと男性と女性の闘い、これを解決すれば、天下は平和の王宮に入っていくことができるのです。(拍手) これは漠然としていますが、具体的な問題を中心として考えてみれば、宗教の目的とは何でしょうか?。男性と女性が神様を中心とし、神様の愛を中心として、神様が直接に呼ばれて、「おい、息子、娘よ」と言われて結婚式をしてあげられたというとき、「十双をしてあげる」と言われたでしょうか、最初に一双をしてあげなければならないでしょうか? 答えるべきでしょう?。十双を一度にまとめてしてあげられるでしょうか、一双をしてあげてから十双をされるでしょうか? (「……」)。そのようなことを知らずに、ここに来て座っているのですか? 神様の創造理想から見るとき、だれから先に結婚式をしてあげるようになっていますか? (「アダム(アダム)です」)。今言った「ア ダム」ですが、その「タム(韓国語で「垣根」の意味)」が、どれほどたくさんあるでしょうか?。国境線がたくさんできたというのです。エバ(ヘェワ〔韓国語で「してきた、つくってきた」の意味〕)です。それを崩して……。 それは、だれがつくったのですか?。エバ(ヘェワ)がつくったので、それを崩して平らにし、新郎新婦……。アダムが堕落して壁ができる、その前から出発し、平地をつくり、エバがすべての壁を崩したその前で、エバを先頭に立てて踊りながら世の中に登場し、個人から世界の果てまで歓迎される道を行くのです。 そうして、天の国にいるすべての先祖も、神様までも歓迎することのできる環境において、地球星を行く所まで行き、海を渡って反対側に帰ってくれば、夜も昼もない地上天上天国になるのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) 人類歴史において、そのような日はありませんでした。そのような日がなかったというのです。そのような日がなかったので、今まで無数の境界線にからまり、苦しんで呻吟し、苦痛にあえいできたのです。この境界線をどのように打破するのかという問題が、平和の起源にかかわるということを知らずにいます。 どのように打破するのかということは、真の父母の名を持った文総裁だけが初めて先に知り、それを教えられて祝福を受けた群れがここに来て座り、「七・八節」の祝賀に参加している者たちだったのです。「感謝します」と言わなければならないでしょう? (「感謝します」)。(拍手) さあ、「自分は、国境線が百万個あったとしても、問題なく撤廃することができる」、「できない」、どちらですか? (「できます」)。どのようにしてですか?。どのようにしてですか? (「真の愛でします」)。真の愛で。 真の愛は、どこにありますか?。これが問題です。「どのようにして、することができるのか?」と言うとき、それはできないのです。なぜでしょうか?。神様でもできないのです。(「お父様がされました」)。お父様がどのようにするのですか?。神様でもできないのに、お父様がどのようにしてするのですか?。したのかしていないのか、うそかどうか分かりますか? 「神様のように知ることができなければ、撤廃することはできない」。これは合っていますか、合っていませんか?。合っていますか、合っていませんか? (「合っています」)。神様を一八〇パーセント以上知らなければなりません。知っていますか?。知っていますか? (「……」)。なぜ黙っているのですか?。どれほど分かっていないことでしょうか? 昼と夜も分かりません。昼が分からなければ、夜だけでも分からなければならないでしょう。二十四時間、昼のように(はっきりと)分からなければなりません。そして霊界を見れば、天国は昼であり、地獄は夜ですが、天国と地獄が分からない人が、天国の国境線を主管することはできません。分かる人は自動的に主管することができるのです。 ですから、地獄までも分かり、分かっている人は主管することができるので、撤廃させることができるというのです。分からなければできません。分かりますか?。神様は、毎日のようにごらんになって分かっているので、だれでも分かるので撤廃することができるのです。分かりますか? ですから問題は、「神様を知らなければならない」ということです。神様を知っていますか? (「……」)。なぜ黙っているのですか?。さっき皆、「知っている」と言ったではないですか?。神様を知っているのですか、知らないのですか? (「知っています」)。どのくらい知っているのですか? 「神様はお金を好まれるので、私もお金しか知りません。神様は権力を好まれるので、私も権力を好みます。神様は知識を好まれるので、私も知識を好みます」という教会は、分かっていないのです。いくら慕っていたとしても、絶対に解放することはできません。 それでは、神様をすべて知り、サタンを完全に追放することができ、完全に解消させることのできる能動的な内容とは、一体何でしょうか?。神様を知ったとしても、神様の何をもって、国境線を撤廃することができるのだろうかというのです。重要でしょう?。そうですか? (「はい」)。そうですか? (「はい」) 神様が主人であられるのならば、主人が暮らす町があり、その国がなければならないということです。そうですか?。神様を知ろうとするならば、神様が暮らす国には中心と環境がありますが、その場合、神様が中心ですか、国が中心ですか? (「国が環境です」)。国が環境ですか?。尋ねているではないですか?。はっきりと答えなければならないでしょう。神様が中心ですか、環境が中心ですか? (「神様です」)。間違いありません。 環境とは何ですか?。相対圏です。何の相対ですか?。神様が必要としている万物を国境が妨げているので、その国境を撤廃して解放することによって、神様がすべてを愛されることができるのです。分かりますか?。神様がどうなさることができるというのですか?。すべてを愛されることができるというのです。 それでは、すべての被造万物は、「神様の主管を受けたい」と思うでしょうか、「境界線によって分けられて呻吟し、苦痛にあえぎ、迫害を受けながら、悪魔に支配されたい」と思うでしょうか?。自己主張する立場で、「解放されて喜んで暮らしたい」というのが万物なので、「神様の主管圏内に入っていきたい」というのが願いの中の願いであり、希望の中の希望であり、「懇切に、懇切に願います」という祈祷をしているのです。そのような内容になるのです。そうですか、そうではないですか? ですから、神様を知り、神様が暮らす環境を知らなければなりません。環境とは何ですか?。天国のことです。天国のことを知っていますか?。天国のことを知っているのですか、知らないのですか? (「知っています」) 何も見えない目になって、神様も分からず、神様が暮らす家も分からず、故郷も分からず、国も分かりません。ですから、分からない世界はすべてサタンのものなので、サタンがふさぎ、神様に苦痛を与え、神様の自主権を崩そうとするのは間違いなのです。 それゆえに、国境撤廃というものは、神様を自主的で解放的な神様にする近道なのです。分かりますか?「そのようにすることのできる自分になればよい」と思う人は、両手を挙げ、拍手して歓迎しましょう。わあ、拍手している光景は本当に良いので、一度見てみてください。 さあ、前の列だけ立ってください。前列、起立 前列、起立して回れ右。今、拍手した人、もう一度、両手を挙げて元気よく拍手してください。(拍手)わあ 本当に良いですね。雨ならば、夕立の中の王の雨であり、和動ならば、和動の中の王の和動であり、それ以上に素晴らしいものはありません。 ここにいる人たち、全員見たでしょう?。気分は良いですか、悪いですか?。良かったですか、悪かったですか? (「良いです」)。「一度、踊ってみたい」という思いはしませんか? (「します」)。ああ、(本当に)踊ったら困ります。思いだけでもそのように過ごしてこそ、きょうの記念日が名節を守る日として記憶されるのです。 さあ、これからは、神様をはっきりと知り、天の国をはっきりと知らなければなりません。それでは、神様をはっきりと知り、天の国をはっきりと知れば、その国の伝統と文化の内容、生活の行動はどのようなものなのでしょうか?。分かりますか?。国境を撤廃することのできる……。 神様がおられ、天の国があるとしても、千々万々の国境によってふさがっているのはどうしてなのでしょうか?。神様を知り、天の国を知っている人がいないからであり、天の国の伝統的生活の内容を知っている人がいないので、それが不可能だったのです。その内容さえ知れば、霊界も地上世界も解放圏が展開するのです。(「アーメン」)。はっきりと知らなければなりません。分かりますか? サタンが身動きできず、「おい、サタンよ」と言えば答える位置に立てば、サタンは呼ばれれば、答えるべき主体をはっきりと知っているのです。それが、どのような主体なのかというと、天の国と神様の心に一致することのできる文化的背景を持った、伝統的思想によって生きる人です。その方法を知っているので、そのように生きるのです。その方法とは何でしょうか? 「ために生きる愛」です。そのような愛を持った人(が主体)なのです。分かりますか? (「はい」) 自分のために生きる愛を求める人ではありません。相対を愛の主人にしてあげ、相対が愛を通して踊りを踊ることができるようにしてあげようという人が、神様を知り、天の国を美しく装って保護することができ、(そこで)生活することのできる後継者となるので、サタンは神様の後継者を防御する道がないのです。(拍手) さあ、二人の人がけんかをしているとします。そして二人の人がけんかをして、「こいつ」と言ってなぐって、相手のあごを外してしまったというのです。なぐられた人は、どれほど悔しいでしょうか? しかしそれで、なぐった人が、あごを一発なぐっておいて、「ああ、気分が良い。こいつめ」と言うのではなく、なぐった相手に対して痛哭して、「ああ、なぐってしまったが、これはかえって、自分の息子があごを外されるよりももっと悔しく、親があごを外されるよりももっと悔しく、自分の愛する妻があごを外されるよりももっと悔しいなあ」と言いながら、「千回、万回なぐって、私のあごを百回外してください」と言ったならば、なぐられた人は、どのようになるでしょうか?。どのようになるのか考えてみてください。 このようなとき、あごを外された人は、なぐった人を怨讐のようになぐるでしょうか?。どのようにするでしょうか? 「これはどうしたことか?」と思うのです。なぐった人が、「自分の息子があごを十回外されることよりも、愛する父母や愛する妻が、十回あごを外されることよりももっと心が痛み、もっと悔しい」と言うとき、あごを外された人は、「それでも恨みを晴らしたい」という気持ちがあるでしょうか、ないでしょうか?。気持ちがありますか? 相手のあごを外したのならば、その相手の涙を止め、悲惨な姿を感動させることができなければなりません。相手の涙を止めることができなければなりません。危害を加えてしまった相手に対して、自分の子供以上に愛する立場でそのようにすれば、被害を受けたほうも、「ああ、この人は私よりもできた人だ」と思うようになるのです。 ですから、ために生きなければなりません。ために生きる心を持ち、自分が誤ったことの何十倍、「もっとために生きよう」という心を持ってこそ、その過ちが取り消しになり、ために生きて何十倍の環境を天国化させることのできる「占領力」がその場に拡大されるのです。そのような事実があるので、国境は自動的に撤廃されざるをえません。(「アーメン」) それゆえに宗教では、終末には「自分の身内の者が敵となるだろう」と言ったのです。自分の家族が、いっぺんにめちゃくちゃになって死ぬ、そのこと以上に怨讐を愛しなさいというのです。死ぬことを悔しく思う以上に怨讐を超えて愛すれば、怨讐の世界を支配することができ、サタンが退くことによって怨讐の世界まで占領することができるのです。ノーメンですか、アーメンですか? (「アーメン」) こういうときは、一緒に大きく「アーメン」と言ってください。「アーメン」。(「アーメン」)。大きく、「アーメン」(「アーメン」)。七千人が、わたし一人の声にも満たないですね。もう一度、大きく力いっぱい言ってみてください、この者たち。(「アーメーン」)。息が切れましたか? (皆のまねをされる)(笑いと拍手) 池承道ハルモニが祈祷の中で「懇切に(カンジョリ)」と言うときは、町内の鳥たちが飛んできて「見物したい」と思うのです。「カン(懇)、カン(懇)、カン(懇)」と鳴きながら、カン(肝〔注:韓国語では「懇」と発音が同じ。ここでは、「気持ち」や「心」の意味〕)が一言一句ごとに引かれていくのです。最後まできちんと締めくくらなければならないでしょう。分かりますか? ために生きるにおいても、父や母、町内の人、とても愛している一族であっても、それを火で燃やしてしまい、他の町内、怨讐をだれよりも愛して、そのまま祭壇をささげるほどであるならば、サタンは、そこに座ってそれを食べるでしょうか、逃げていくでしょうか?。座って食べることができますか、逃げていきますか?。答えてください。逃げていきますか、座って食べますか? (「逃げていきます」)。逃げていくのです。間違いなく、逃げていかなければなりません。そのようになれば、神様が来られて千倍万倍、報いてくださるというのです。 さあ、そのようなことが分かれば、そのように生きなければならないでしょうか、生きてはならないでしょうか? (「生きなければなりません」)。手足を挙げて拍手したでしょう?。さあ、もう一度しますか?。十回でも千回でもしなければなりません。「したい」と思う気持ちがありますか、ありませんか?。ありますか、ありませんか? (「あります」)。「ある」と言うので、したこととして認めましょう。本当にしたならば、どれほど時間が逃げていくでしょうか? (笑い) 神様を知り、天国を知り、その伝統的骨髄思想、サタンが八方に逃げていく秘法とは何かというと、ために生き、ために笑い、ために愛そうとすることです。そのようにすれば、間違いなくサタンは国境線を捨てて逃げていくのです。逃げていくにしても、そのままでは行くことができません。「ああ、国境線を崩してから来い」と言って、手下の者たちが残って崩していくのです。 それでは、手下の者たちに出会えば、たたき殺さなければならないでしょうか、どのようにしなければならないでしょうか? 「ああ、手下の者たち。夕食でも食べていき、朝食でも食べていきなさい、ご飯をあげるから」と言うのです。 そのようにして、「いいえ、もう二度と来ません。もう二度とお世話にはなりません」と、最後のあいさつまでしてから行くようにしたならば、そのとき初めて地上に平和の世界が到来せざるをえなくなるというのです。(「アーメン」)。(拍手) それから、どのようになりますか?。サタンが出ていくことによって、地獄に直行していた死亡の生命が、天の国に上昇できるという「永生の道理」が訪れてくるのです。そこで永生するというのです。神様を知り、天の国を知り、天の国の伝統的思想である「ために生きる愛」を「千年万年、万々年、続けていきたい」と切に思う群れとなることによって、主体であられる神様を「お父様」と呼ぶことができるのです。 ですから、そこにおいては、「永遠の血筋を通して、血統を通して永生の論理と永生の伝統が、「私」とともに結実するということは、間違いない真理だった」というのです。(「アーメン」)。(拍手) 永生というものは、神様の本質的な愛から(始まるのであり)、創造されるときに、神様ご自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従され、「世の中は縮小していっても、わたしの愛は永遠に永遠に永遠無窮に、より大きくなっていく」という心情を持って投入されたのです。 そのように投入される心情を持って生きるかたが神様であられるので、「神様の前に主管されない存在や、神様を絶対、唯一、永遠、不変の主人として侍らずに相対的な理念を持った存在は、絶対にない」ということを知らなければなりません。明確でしょう?。分かりますか? 永生不滅の息子、娘が生まれるのです。それで、神様の国が自分の国になるのであり、神様が自分の神様になるのであり、神様と天の国の伝統の主人となる生活方法に自らが一致し、神様の息子、娘であることが間違いないので、永生不滅は自動的な結論なのです。「はい」ですか? (「はい」)。ありがとうございます。(「ありがとうございます」)。感謝します。(「感謝します」)。(拍手)さあ、それで「ああ、きょうのような大きな記念日は、大祝賀の日なのに、皆が知って余りある話をまた蒸し返す先生が、私は好きだ」、「嫌いだ」、どちらですか? 漢方薬を飲むときに、二番煎じを好む人がいますか?。絶対にいません。文総裁の二番煎じの話を「その話も皆、知っている話なのに、このように話すのは初めて聞くが、みんな知っている話を、またそのように誇らしく話すのか?。きょうの記念すべき日に記憶できる内容でもないなあ」という人は、引っ繰り返って死んだほうがよいかもしれません。このような者たちは、間違いなくサタンが担いでいって地獄の祭壇で殺し、自分の祭物にするのです。 「死なんとする者は……」、何ですか? (「『生きる』です」)。「生き、生きんとする者は……」、何ですか? (「『死ぬ』です」)。これが嫌だと思うならば、引っ繰り返って死んだほうがよいというのです。分かりますか?このようにすることによって、国境がなく、どこでもこのような心、このような心情を持って対する世界は、神様とともに対することのできる、勝利の覇権の王圏に超えていくことができる場であるので、サタンは跡形もなく自動的に屈伏せざるをえないというのが、天理大道の原則だったのです。(「アーメン」)。(拍手) さあ、一幕は終わりました。一幕が終われば、やめなければなりませんか、二幕までしなければなりませんか? (「……」)。一幕が終わったのですが、二幕を始めようというのですか、やめようというのですか?。すべて知っている人たちです。何を聞こうというのですか?。やめてもよいでしょう。 すべて知っている人が、何を聞こうというのですか?。知らない人は知らないようですが。(「第一幕でたくさん恩恵を受けたでしょう?」(郭錠煥会長が皆に向かって言われる)(「はい」)。終わろうということですか? (笑い) これを知らなければ、神様の前に行っても、「わたしがあなたを祝福した」という証書は、受けることができなくなるのです。天国に入っていくことのできる環境的条件にはなりますが、神様に出会って、神様が「あなたが、わたしの息子であり、わたしの天下を相続させてあげる」という証明書を受けることができなくなるのです。それでも終わろうというのですか? 証明書がないのに、天の国に行って何をし、天国に行って何をし、ために生きて何をするのですか?。証明書がないとき、サタン側に行けば、受け入れてくれるのですか?。足で蹴飛ばされるのです。そのような人は、ここでも信じられず、あそこでも信じられないというのです。 地獄に行く道もないという、そのような寂しい人になるのですか、ならないのですか? (「なりません」)。もう答えてしまって、「先生のみ言が嫌だ」と言ったので、その責任をすべて執らなければならないでしょう? さあ、二幕です。二幕を出発するのですか、しないのですか? (「します」)。(拍手)二幕は簡単です。神様がいくら優れたおかたであるとしても、今まで愛の主人になってみたことがあったでしょうか?。真の愛というものは、一人ではできません。愛というものは、一人では成すことができません。男性の前に必要なものは女性であり、女性がいることによって、男性が女性を愛することのできる主人の資格を決定することができるのです。驚くべき話です。 女性がいなければ、男性がいくら優秀な男性であっても男やもめ……。「男やもめ」とは何か、知っていますか?。一人で暮らす父親です。かわいそうでしょう?。男やもめというのは、神様と同じです。一人で暮らす父親です。それは幸福ですか、不幸ですか? (「不幸です」) その男性には愛があります。愛があるでしょう。神様から伝授された愛があり、生命があるのです。血統もあるのです。精子を持っています。それから良心があります。すぐにかっとなりますが、水平を取る良心があります。 このように、すべてあるのですが、それが「ある」と言える価値を現すのは、いくら優れているといっても、一人では永遠に現すことはできません。なぜですか?。男性は頭半分の存在であり、いくら優れているといって頭を振り回し、総裁になり、王になり、大統領になったと大きなことを言いながらも、それは半分にしかなりません。 男性のかたたち。あなたたちは何ですか? 「半分」の反対は何ですか? 「分」というのですから、「完分」ですか、「一分」ですか?。何でしょうか?。わたしには分かりません。 「半分」と言えば、その反対語は何というのですか? 「完全だ」ということなら「完分」ですか?。それとも「完全分」ですか? 「半分」の相対といえば、「完分」になるのかというのです。「えん分」ですか? 「えん」というのは丸い「円」という字ですか? 「オン(韓国語で『すべて』の意味)」と言えば、「半」と通じますか? 「オン」は韓国語ですね。男性が半分だということは、間違いないでしょう? では、なぜ男性は半分なのですか?。男性には凹と凸がありますか?。尋ねているではないですか?。男性は凸凹を両方とも持っていますか、凹だけ持っていますか? (「凸だけ持っています」)。凹が必要なのですが、その凹を必要とするものは何ですか? (「凸です」)。凸です。凸が必要とするものが何ですか? (「凹です」) それを「絶対に必要ない」と言う人は、絶対にさんざんな恥をかくのです。存在することができません。それは、絶対的に明瞭なことです。「凸凹を絶対的に一つにすることで絶対的な理想圏が連結される」という論理を否定して生きる人々が、この地上には多いのですが、儒教思想であれば絶対に反対です。 この郭錠煥氏は、わたしが凸凹の話をするので、五年間くらい膨れ面をして、「先生は、どうしてあのような話をするのか?。しなかったらよいのに」と、そのように思って暮らしていたのではないですか? (「はい」)。ところが、凸凹の専門内容を世界に発表してから、「ああ、今、分かりました」と言うのです。 他の人たちは、太鼓をたたいてらっぱを吹き、祝宴をしながら飲み食いし、皆、旅行に行ってだれもいないのに、「今、分かりました」というのは、「理解した」といえるのですか?。その分、差があるので、欠点になるのです。 ですから、男性という動物は半分にしかなりません。半分のかけらである男性というものは、もう半分のかけらである凹が絶対に必要なのです。それがたとえ醜いものであったとしても、自分の生命や財産をすべてはたいてしまい、生命を売ってでも、それを持ってこそ、男性として生き残ることができるのです。正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」) この男性たち 今まで、半分のかけらであるということを知りませんでした。この女性たち、その半分のかけらを「完分」の価値にする権限が自分にあるということを知らずに生きてきました。今からは女性解放だということは、半分のかけらの女性が半分のかけらの男性を敷いて座り、引っ張っていかなければ完全にすることはできないということです。それが神様の堕落した人間に対する解決秘法です。女性たち、分かりますか? (「はい」) ために生きる女性の本性があるので、僕のために生きて居着いてしまったというのです。本来は、女王にならなければなりませんでした。その女王の中には、伝統的先祖がついており、先祖であるお父様が一つになっているのです。お父様が一つになっているのですが、お父様の位置は心の位置であり、息子の位置は体の位置であり、二つが真の愛によって接ぎ木されて永遠に一体となることができるはずだったのですが、それが接ぎ木することができませんでした。 神様が、人間の肉身を愛することのできる理想的な九十度の愛の焦点の位置において、ハンダづけしようとしていたのが、成長して祝福結婚式を行うことのできる日なのです。アダムとエバの結婚式は、平面的に神様の「内的な結婚式」と「外的な結婚式」であったという事実を知りませんでした。神様が内外ともに一つになり、外的な神様の血筋が混ざって連結されなければならず、神様の孫を生んで三代になるべきでしたが、そのような孫がいないのです。 そのような血が三代かけて混ざって、この地上に繁殖し、間違いなく神様が願われ、アダムが願う息子、娘の種となり、どこに行って植えておいても、本然の息子として天国に行くことができるようになります。それは、修養の道や宗教が必要なく、天国に直行することのできる息子、娘の位置であり、父母のお乳を飲み、父母の後についていけば、自動的に天国に行くことができるようになっているのです。 しかし、堕落することによってお父様が来られる血筋をふさいでしまい、天使長が入ってきてしまいました。天使長の血筋をアダムの体に連結して繁殖させたので、皆さんの体には、サタンの血統がうごめいているという事実です。それゆえに、かみそりで動脈を切り、十回、十二回と血を抜いて死んでも生き返る、そのようなことをしなければならないというのです。しかしそれでも、血液型がO型ならO型で変わらないように、そのサタンの血統は変わりません。これは大変なことです。 皆さんの体が、そのようになっているということを考えれば、考えただけでも……。億千万世の怨讐の血が、自分の骨と肉を包んでうごめいているという事実です。このようにして体が心を占領し、蹂躙しているという凄惨な自らであるということを知りませんでした。しかし統一教会は、理論的にはっきりと知っています。 二十世紀の科学文明では、理論的な事実を実験によって証明することは、だれでもできるのです。理論に合うので、そっくりそのまま実践躬行(実際に自分自身で行為に表すこと)することができ、そのようにすることによって解放され、「半分のかけら」が「完成品」になることができるのです。 それゆえに、これを誤って合わせたというのです。南北に合わせるべきなのですが、東西に合わせてしまいました。これが堕落です。東西に合わせてずれてしまったものを、どのように南北に合わせることができるのでしょうか。それを再び離して合わせる修理方法が、再び祝福し、再び血統を転換する統一教会の結婚式であったのです。(「アーメン」)。(拍手) そして、神様がごらんになるとき、アダムとエバが堕落しなかったならば、間違いなくアダムとエバは、神様の愛を中心とした血筋が連結された立場に立っていたのであり、そうすれば、内的お父様、外的お父様となったものを……。 絶対的な神様の愛と一つ所で暮らす人類の肉的な先祖が一つになって、外的なお父様と内的なお父様が愛の焦点で一体となることができ、接ぎ木することのできる時間が、アダムとエバが神様を中心として一つの体となる結婚式の初夜の愛の時間だったのです。それを失ってしまいました。 ですから、神様は、人間に対して夫婦の愛を植えようとされたのですが、植えることができる場を持つことができずに失敗した神様であられるのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) 堕落して追い出してしまったので、神様はおひとりで愛を成すことができるでしょうか? (「できません」)。女性がいくら素晴らしい美人だとしても、醜くても男性の形態はなければなりません。女性の心の中に愛があり、生命があり、血統があり、良心があるとしても、男性の形態が現れる前には激動しません。愛が発動せず、愛を中心として生命が発動せず、そして血統が沸きたたず、そして良心が相対に立ちません。 相対が現れることによって、女性によって初めて男性の愛がぼこぼこと、男性の生命がぐらぐらと、このようにして血統が沸きたつというのです。それゆえに、熱が出て……。頭に熱が上がって、心が迷い乱れるほどになるのです。 初愛を慕っていくうちにそれに出会えば、胸がさわさわとしますか、どきどきしますか?。どうですか?。なぜどきどきするのですか?。男性の胸もどきとし、女性の胸もどきとし、それでどきどきです。さわさわでもかまいません。男性の胸はさわさわで、女性の胸はふわふわです。そのように相対語をくっつけてこそ、言葉の調和が取られるのです。分かりますか? 「どきどき」と言ってみてください。(「どきどき」) それでは、純潔な処女が「男性はどうなのだろう?。神秘の王宮であり、目を見ても不思議で、鼻を見ても不思議で、体を見ても私と違う、どれほど神秘的だろうか?」と思いながら、自分でも知らないうちに男性の手をさっと触ってみれば、電気が通りますか、通りませんか?。わたしには分かりません。女性たち 電気が通りますか、通りませんか? (「通ります」)。通りませんか、通りますか?。この女性たち (「通ります」)。悪口を言えば、気持ちがしゃきっとしっかりするのです。 アダムとエバが、十六歳を超えて十八歳になれば、どうなるでしょうか?。神様がじっとごらんになっていると、それまでお互いの顔をそれぞれ九十度、違う方向に向けて伸びていき、男性は男性の方向に向かい、女性は女性の方向に向かっていたものが、十四歳、十五歳、十六歳になると、女性は男性の肩を見詰め、男性は女性のおしりを見詰めるのです。分かりますか? ですから、電車の中で男性と女性が整然と並んで座れば、おしりのほうが大きい女性と、肩幅のほうが大きい男性を交互に合わせるようにすれば、ぴたっとはまるのです。それで、女性は男性の肩を好み、男性は女性の何ですか?。何ですか? (「おしりです」) 女性たちは、男性の肩が好きですか?。肩の大きい男性が好きですか、女性のようにおしりの大きい男性が好きですか?。どうしてそれを尋ねることがありますか?。バスに乗っても四角になるのです。これが大きいので、これが大きく……。 男性の絵を描くのは簡単です。逆三角形にして二本の足を書けばよく、女性は何かというと、三角形に二本の足をさっと書けばよいのです。これをぴたっとつければ、ちょうど四角にあてはまるようになっています。合うようになっているのです。 男性と女性は、合うようになっていますか、合うようになっていませんか?。いくら事故が起きても、病気になった男性と女性を合わせたとしてもぴたりと合い、赤ん坊を生めない人はいないというのです。 この中で、赤ん坊を生んだことのある女性は、手を挙げてみてください。喜んで生みましたか、嫌々生みましたか? (「喜んで生みました」)。どれほど喜びましたか?。天地の森羅万象が踊りを踊ることができるので、天地の調和を成すことのできる息子、娘が自分の家門にもたらされるのです。 子供を生むときは、うれしいですか、悲しいですか? (「うれしいです」)。天下がすべて訪問するのです。それは、何がそのようにさせたのですか?。口がさせたのですか、目がさせたのですか、おしりがさせたのですか、胸がさせたのですか、凸凹がさせたのですか? (「凸凹です」)。いいえ、いいえ、おしりがさせたのでしょう。凸凹がさせたのですか、おしりがさせたのですか?。では、おしりが喜びますか、凸凹が喜びますか? では、男性と女性が愛するとき、堂々とした肩の男性がぞくぞくさせて、上からしっかりと抱いてあげて、おしりから押し上げるのです。そして、ふたりが一つになって息を詰まらせて、ハトも「クククク」と鳴き、猫も「ニャオーン」と鳴くでしょう?。男性が、砕けるほどに抱いてくれるのがよいですか、そのままほうっておくのがよいですか?。おかしいと思ってはいけません。そのように思うのは、下品な人です。先生が話すことが、正常なのです。 女性は、自分が女性になることを願って生まれましたか、男性は、自分で願って男性として生まれましたか?。男たる者、りっぱな男性が「自分は男性として願って生まれたので、女性は必要ない」と言えば、死んだほうがましです。行けば行くほど地獄です。滅亡だというのです。 「結婚を喜ぶ群れは、滅びなければならない」。そうですか?。滅びなければなりませんか?。結婚するのが嫌いなら、それを切ってしまわなければなりません。女性は、セメントで埋めてしまうのです。男性は切ってしまうのです。それをぶら下げてまわって、何をするのですか? それでは、女性の前で「愛する男性のものを切ってしまう」と言えば、喜ぶ女性がいるでしょうか、いないでしょうか?。答えてみてください。女性たち (「いません」)。「早く切ってください」と、そのように言うことのできる女性がいますか? 「ああ、死んでもいけません」と、そのように言うでしょうか、「好きなようにしてください。早く切ってください」と言うでしょうか、どちらですか?。どちらなのですか?。この女性たち 文総裁は、悪口を言う「世界チャンピオン」です。「あの人は優しそうで男らしく見えるが、女性の悪口もよく言い、女性に対して気合もよく入れる」と言うのです。それでもしきりに「文総裁が好きだ」と言うので心配です。あのヒマラヤの山頂、エベレストの頂上でろうそくをともして座っていても、女性たちが橋を架けて訪ねて来るというのです。 さあ、「そこに訪ねて行かない」という女性は、手を挙げてください。一人もいませんね。「訪ねて行く」という女性は、手を挙げてください。手を挙げてください。事実か、そうでないか、調べてみましょう。手を挙げてください。全員が手を挙げるのですね。 それでお母様は、お母様の立場なので、そのような女性に悪口を言うのではなく、祝福してあげるのです。「だれが、より良く先生のために生きるのか?。お父様のために生きるのか?」と思うのです。父親のために生きるのではないですか?。娘は、父親のために生きなければならないでしょう?。そうでしょう?。お母様の前では、女性たちは娘なのです。(録音がしばらく途切れる) お母様は、それを称賛します。「お母様のほうが、お父様よりもよい」と言うような女性たちが多いのです。女性は本来、父親を愛するようになるものです。分かりますか?。愛していますか、いませんか? (「愛しています」)。愛しているという女性は、一度拍手してください。(拍手) さあ、愛が良いのか悪いのか、わたしも分かりませんが、あなたたちは皆、愛が好きでしょう?。ところで、皆さんは奥の間が好きですか、書斎が好きですか? (「奥の間です」)。何ですか? (「奥の間です」)。奥の間は、母親がいる部屋ではないですか? 「奥の間の女房」と言い、「書斎の父」と言うではないですか? それは、子供を生んで育てる部屋を「奥の間」と言うのです。愛する部屋というのは、いくら女性が赤ん坊を育てるのに苦労しているとしても、奥の間でなく、書斎を訪ねていってこそ、暖かい懐に抱かれて愛を受けることができるのです。ですから、書斎(注:韓国の伝統家屋で、客間を兼ねた主人の書斎のことをサランパン〔「舍サラン房バン」、あるいは「斜サラン房バン」〕と言う)のことを「愛の部屋(サランパン)」と言うのです。分かりますか?。豊かに暮らす名家はそうなのです。 さあ、このように見るとき、神様も「「奥の間」の愛」、「書斎の愛」をしたいと思われたでしょうか、思われなかったでしょうか?。神様は、奥の間で赤ん坊を連れて、母親と一緒に愛してみたでしょうか、できなかったでしょうか?。してみましたか、できませんでしたか? (「できませんでした」) 神様が、なぜかわいそうなかたであられるのかというと、愛の大王陛下であられるのに、「人類始祖とともに、一つの体となって愛したい」と思っていた位置を失ってしまわれたからです。一人でいくら愛を欽慕したとしても、それは「男やもめの愛」であり、寡婦の愛なのです。ですから、愛の心を持った相対を失ってしまった神様がどれほど、どれほど、どれほどかわいそうでいらっしゃったでしょうか? その神様の家庭において理想的な相対となり、愛の主人の位置の烙印を押して解放させるべき責任が、アダムとエバにあったのですが、そのようなことができなかったのです。ですから、一生の希望が何かというと、神様の前において、夫婦として愛の主人の位置に立つことができるようになることなのです。そうして、夫婦を愛することのできる主人の位置に神様を迎えてさしあげなければならない責任が残っているということを知らなければなりません。 それでは、統一教会の祝福というものは、最初の条件が何であるのかというと、神様の新郎新婦の位置で愛することのできる伝統を失ってしまったことを、自分たち夫婦によって、これを満たしてさしあげることです。そのことによって、神様が自分たち夫婦を愛することのできる主人の位置に立たれるので、その愛を否定しない限り、永遠万年、私は神様の子女となり、神様の血族になるということは間違いない、ということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 神様が、男性と女性を愛することのできる血統的関係の因縁を結ぶ愛の主人の位置を、だれがつくってさしあげるのかというと、その息子、娘以外にはいないのです。しかし、神様はその息子、娘を失ってしまわれたのです。 ですから、今まで神様は、神様の息子、娘が結婚して新郎新婦となる、その愛の主人になってみることができなかったという事実を、真の父母が来て主人の位置を蕩減してさしあげるのです。「アーメン」です。はっきりと知らなければなりません。 それで皆さんは、先生の前で祝福を受けて血統転換式をしました。そして、皆さんの夫婦も先生夫婦と同じ価値であり、種は同じなのです。千代、万代を経たとしても、父母が子女を愛する愛は同じであり、子女が父母を愛するのは同じなのです。 その愛の伝統の種となる真の父母の愛の伝統を分けてあげることができるのが、全世界の数億の祝福家庭です。ですから、祝福家庭は、神様が夫婦の愛を成すことができなかったすべての恨を解いてさしあげる主人の資格を、自らの家庭の夫婦によって蕩減復帰して解放してさしあげなければなりません。 そうすることによって、自分たちの家とともに永遠に暮らすことのできる因縁を設定してあげることができるのです。そのためのものが、祝福家庭の夫婦の生活であったのです。(「アーメン」)。(拍手) その生活は、一日ではありません。千年万年続き、その愛を中心として解放された愛圏を持つようになるのです。そこで自分の妻が妊娠するようになるときには、神様が妊娠した腹中の赤ん坊に対する愛の主人になります。今まで、それができなかったのです。そのことを知らなければなりません。分かりますか? 神様は二性性相なので、自分の妻を通して息子と娘を妊娠して生むのは、未来の神様の性相が分立されて生まれただけであって、息子と娘の価値は同等であるということを知らなければなりません。(「アーメン」)。(拍手) 息子と娘の価値は同等であることを知って、神様が愛していた夫婦の愛を自分たち夫婦によって代わりに満たし、神様が腹中の赤ん坊を愛することができなかったことを代わりに愛し、自分たちの家庭に生まれる赤ん坊を通して息子の主人、娘の主人、そして、乳児時代の主人となるのです。 今まで、兄弟の主人になることができず、思春期の主人になることができず、結婚の主人になることができず、息子、娘の主人になることができませんでしたが、自分たちが息子、娘を見ることによって初めて、神様が孫を見ることができるようになるのです。 神様が一代であり、アダム・エバが二代なのですが、三代に当たる孫を悪魔が奪っていったのです。ですから、神様の代わりに愛の主人の立場で蕩減条件を完成し、結婚して息子、娘を生んで愛さなければなりません。そのようになれば、そこから神様が第二次的な父母として認定されるのです。 それは、アダムとエバを愛していた位置と同じ「父母の位置」です。同じなのです。価値は同じです。このようにして三代を経て初めて、子孫万代に完全な種となり、三代目の種として神様の孫をおじいさんが愛し、父親が愛し、二代を合わせた愛を受けるようになるのです。 おじいさんは霊的世界の代表であり、第二代となるアダムは精神世界の王圏の代表です。二つの国の王の愛と血筋を受けて生まれたので、孫は未来における天の国の霊界と地上の王圏を代身した、結実の価値を備えて余りある者となり、そのようになることによって初めて、息子の代において三世代から万世代に至るまで、すべてが地上天国に直行することのできる実として結ばれるのです。そして刈り取るままに……。 そこでは、宗教は必要ありません。父母の言葉だけを聞いて、一つになって生きていけば、すべての人が天国に行くようになっているのが、創造理想の愛の八段階理想における本然の形態だったのです。 これを再び取り戻してあげてこそ、天上世界の十二真珠門、地上世界の国境を超越して統一的な一族となり、地上の解放世界と天上の解放、統一の王国、地上、天上天国が開門するのです。(「アーメン」)。(拍手) 腹中時代、乳児時代、思春期時代、結婚時代、子女時代、それから母親時代、祖母時代、女王時代の八段階です。その八段階の愛の盤石な伝統基盤を備えられなかったことが、神様の恨なのです。それでは、どのようにして八段階の愛の主人になることができなかった恨を解いてさしあげるのでしょうか? それは、真の父母がサタン世界の秘密と天の国の秘密をすべて知り、これを教えてあげ、これを満たしてあげることによって可能なのです。八段階に穴がぽかんと開いていたとしても、サタンが出入りする門が完全に閉ざされ、天国だけが開かれて愛の門が開かれるのです。分かりますか?。血筋の門だけが天国に行くのです。 サタンが八段階に穴を開けておいたものを埋め、神様の愛の伝統的血筋を連結させることによって、その一つの系代を通して天国に入っていくことができるのであって、八段階に穴を開けた者たちは、天国に行くことはできないというのです。分かりますか?。分かりますね? (「はい」) あなたがた一人の男性をとってみれば、それはアダム完成者です。腹中で神様を主人にしてさしあげ、そして乳児時代においても神様の愛の相対となり、約婚時代にも神様の相対となり、結婚時代にも、父母時代にも、祖母時代にも、女王時代においても、「私」は神様の愛の相対的実権を持ち、それを成して完成してきた「半分のかけら」なのです。 そのような者は、見える実体圏と見えない神様の実体が一つになり、心と体が一つになった愛の伝統の血筋を受け継いだ者なので、それは天上世界と地上世界の統一圏の世界に自動的に連結されて天国の民となり、天国の家庭とならざるをえません。そのような解放的な息子、娘であり、天国の解放的な主人だったのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) それゆえに、男性と女性は、神様の相対的実体として、妻を中心としては、無形の性相と有形の実体の形状的な相対となっています。そのことを中心として、「私」は実体的な形状の実体であり、形状的な実体を抱いて愛さなければならず、霊肉が一つになって愛さなければならない、というのが、統一教会の祝福家庭が暮らす生活の伝統であったのです。アーメン。言ってみてください。(「アーメン」)。アーメーン。(「アーメーン」)。アーメーン。(「アーメーン」) その「アーメン」の声には、天下、過去、現在、未来のすべての宇宙の存在が「感謝します」と言うのです。そのような伝統的血筋が連結される主人となることが、妻の道であり、子女の道です。 そのような氏族が連結され、国と天宙が連結される血筋が重要であるということを知らなければなりません。愛というものは横的です。一世は横的です。血筋が連結されています。それゆえに、血筋に従って民族が形成されるでしょう? 大韓民国は、檀君の血筋に従って国ができたのです。血筋が通じてこそ、家庭と氏族、民族に統一された血筋が連結されるのです。この血筋を通して神様とも連結されて初めて、天の国に行くことのできる家庭となるのであり、天の国の一族が地上に連結されれば、天の国を連結させる一族となり、天の国を受け継ぐことのできる一族になるというのは理論的なのです。分かりますか? (「はい」) それゆえに、なぜ結婚するのかというとき、半分のかけらの男性と、半分のかけらの女性が出会うことによって、完全なかけらになるのです。神様は、半分のかけらを取ることはできません。完全であられるからには、神様も性相と形状が一つになって入って来られ、愛の関係を結ぶことによって、縦的な愛の伝統が生まれるのです。 ですから、先祖を尊重しなければなりません。そして、その民族を愛し、その王圏を中心として民族と一つにならなければなりません。その王というものは、民族を失ってしまってはならないのです。そのような王は詐欺師です。悪魔の後継者だというのです。国境をつくる王になるのです。はっきりと分かりましたか? 祝福家庭は、神様が八段階の愛の主人になることができなかったすべての事実を、自分の息子、娘を中心として一次息子、二次息子、三次息子……。それでできなければ、十回、百回、息子、娘を生むとしても、そのような基準に合わせようとするので、生きていくにおいては一人息子ではいけません。 何双かを経て、そのような心情圏に到達し、不完全な兄、あるいは姉がいるとすれば、それを備えて弟妹と一体となることのできる祝福をして、天の国に登録しなければならないのです。このような時があるということを知らなければなりません。分かりますか? ですから、統一教会も入籍登録時代が来るのです。今や、入籍……何ですか?。入籍……何と言いましたか?。入籍修練会ですか?。これは家庭入籍ではありません。分かりますか?。一族ではありません。個人です。女性たちの入籍です。エバである女性が問題です。女性が問題だというのです。 女性がサタンと組んでサタンの血筋を通して子供を生み、その血が動じ、その血が混ざったものを残しているというのです。それを革命しなければなりません。分かりますね、修練生たち? (「はい」)。修練生、分かりますか? (「はい」)。革命をしなければなりません。 愛の門を破壊したことを、自分の家庭を通して解怨することによって、すべて築いておいたものを皆、開くためには、その愛の絶対主人である神様が……。自分たちが主人ではありません。根本ではありません。結果的存在は、原因に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従する道しかありません。それゆえに、そこにおいて完成があるのであって、自分が異議を提示するときには二つの主体が生じることになるので、破壊的な国境が生じるということを知らなければなりません。 今から皆さんは、愛の道において国境をつくるようなことをしてはならないというのです。「夫も私を愛しなさい。息子、娘も私を愛し、父は愛するな」と言う女性は、死ぬほかはありません。分かりますか? 女性は、子供を抱いて、父親の愛を受けなければなりません。女性は、男性とともに、母とともに、子供を大きく育てて、夫の愛に報いてこそ、神様に属するようになるのです。 今日の女性たちは、離婚すれば、「子供は自分のものであり、夫は必要ない」と言うのですが、夫が中心です。種が女性から生まれるのですか?。根本的に逆さまに打ち込まなければなりません。女性たち、分かりますか? (「はい」)この女性のために、神様の八段階の愛の起源が破壊されたので、女性が何よりも精誠を尽くして男性を再創造し、息子、娘を再創造しなければなりません。 そうして、祝福を受けた家庭において、八段階の愛の主人を神様の前に完成させ、天下のどこに行っても、天国の十二の真珠門に行っても、地上、天上天国の個人から家庭、世界、天国まで歩いて回っても、誇って余りある愛の王子、王圏を備え、神様の血統を完成させて余りある資格者とならなければなりません。そのような者にならなければ、天上世界と天の国の民となることはできないということを、はっきりと知らなければなりません。分かりますか? それゆえに、「七・八節」とは何かというと、「天地父母天宙安息圏」です 国境があってはならず、愛の主人となってこそ、安息圏が生じるというのです。二つの条件を知っているでしょう? 「国境」。言ってみてください。国境 (「国境」)。真の愛の主人 (「真の愛の主人」)。神様をそのようにしてさしあげ、自分も主人の相対的存在にならなければなりません。一体とならなければならないのです。そのようになることによって解放され、天地父母天宙、どこであっても休息することができるのです。 「安息」のことは、先ほど話したでしょう?。平安の「安」という字は、「家の中に女性がいる」ということです。そして、女性は赤ん坊の家です。「息をする」の「息」という字は、「自由な心」がそこにあるということです。安息です。分かりますか? 女性が赤ん坊を抱いて愛することのできる位置において、赤ん坊も自由であり、母親も自由であり、夫まで自由なのです。自由な心で平安に休息することのできる位置が、福地安息所なのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) この二つです。最初は何ですか? (「『国境撤廃』です」)。国境撤廃 二番目は何ですか? 「八大愛の主人になることができなかったお父様を、八大愛の主人にすることのできる孝子、孝女の家庭になること」です。それが、わたしたち家庭の、わたしたち夫婦の願いだったのです。そうですか、そうではないですか? 「そうだ」と思う人は、目を見開いて、口を開け、耳を開き、五官をさっと開いて、四本の手足を空中にぷかぷかと浮かべて一周回ってください。回れないので、このように、このように、このように。(ジェスチャーをされる) さあ、きょうの「七・八節」に、国境撤廃、国連の国境撤廃、宗教の国境撤廃、民族の国境撤廃、地獄と天国の国境撤廃ということを忘れてはいけません。それは、偽りの父母がつくったので、それを撤廃するのは、真の父母以外にはだれもできる人がいないというのです。神様もサタンもできません。分かりますか? それゆえに、国境撤廃と真の愛の完成は、真の父母以外には絶対にできません。神様もできず、サタンもできず、だれもできないということを知っています。ですから、真の父母をどのくらい尊重するのかということは、お父様をどのくらい愛しているのかという基準と通じるので、万世において限りない愛と限りない福を受け、限りない祝福の解放世界に行くことができるのです。愛してもまた愛し、また愛し、また愛し、また愛し、また愛しても損害を受けることはないのです。万国、万民がそこにおいて万々世の歴史が継続し、地上、天上解放圏が永遠に継続するのです。(「アーメン」)。(拍手) きょうの最初は、「国境撤廃」 (「『国境撤廃』」) 世の中には、「自分は美男子(美人)だ」と自慢する愚かな人と、国境がどれほど多いでしょうか? 「自分は大学を出て、英語もでき、UTS(統一神学校)を卒業し……」。そんなことを、ぺらぺらとしゃべるなというのです。それは、野良犬のような者たちが言うことです。分かりますか? 見てください。いくら美人や美男子であっても、霊界に行けば関係ありません。そこでは、差別を受けている黒人であっても、霊界に行けば、神様の愛を受けて愛した人は、美人の中の美人だというのです。光彩が明るいのです。この電灯を見れば、そこにフィラメントという真っ黒なものがあります。電気が通れば、それは黒いままですか、明るくなりますか?。同じことではないでしょうか? 見かけが醜くても、醜女であっても、み旨のために霊的な神様の愛を受けていけば、美人の中の美人になるのです。それゆえに、このような愛を一生の間続ければ、醜女、醜男たちが美人、美男として天の国の宝の倉庫に記録され、そこに入っていくようになるのです。何のことか分かりますか? (「はい」) 最初は何ですか?。先ほど何と言いましたか?。撤廃です。神様を知り、霊界を知り、その内容である真の愛を知り、永生することができ、ために生きる人は、国境が撤廃されるのです。そこには国境がありません。分かりますか? そして、天の国の王宮と関係を結び、神様と垂直関係を結ぶためには、愛の血筋を中心として、八段階の愛の主人の位置を決定することによって、内外の二重的……。国といえば、国には国法があり、王宮法があるのです。そうでしょう?。それと同じです。地上世界でもそうならば、天上世界でもそうなのです。霊界の国と霊界の国法があります。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ それゆえに、自分の国の国法を通じて解放的な行動をするためには、そのような国境撤廃の訓練をするためには、ために生きる人と愛の主人であられる神様とともに一致して血統的関係を備えた種とならなければなりません。どこであっても、そのような種にならなければならず、完全な木となって……。 最近、細胞繁殖をするではないですか?。木の葉を取っても、そこに木が生えてきて、枝を接ぎ木することもできるということを知らなければなりません。分かりますか?。そのような本体、神様を代身した本体が、この地上で暮らすのです。ですから、神様が「私」とともに暮らされるのです。 そのようになれば、祈祷もする必要がありません。自然と、神様が来られて導いてくださるのです。さあ、そのような解放的な決心を、きょうの「七・八節」において忘れず、心の深い所の骨と肉に記憶してくれることを願いながら、先生が勧告のみ言を終えようと思います。 これは、勧告です。(「はい」)。勧告のみ言と、忠孝のみ言を大切に守ってくれることと思い、安心しながら終わりにしようと思います。(「感謝します」)。(拍手)
2023.11.24
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還元式の全体奉献祈祷二〇〇〇年八月三日、真のご父母様は、韓国・南済州郡の地帰島で二十六名の指導者が参加した中で、海洋還元式・陸地還元式・天宙還元式・第四次アダム心情圏の還元式など、全体を神様に奉献する祈祷をなさった。 祈祷 愛するお父様、きょう二〇〇〇年八月三日、十二時二十五分を期して、この地帰島を訪問いたしました。 韓半島、三千里を背にして、今や済州島南端のこの地帰島において、この漫筆山と白頭山と天聖山、ヒマラヤ山脈とヨーロッパを中心としたモンブラン山とロッキー山脈を中心として、六大州、五大洋を連結させ、恨に満ちた歴史的なすべてのものを清算するため、大洋還元と陸地還元と天宙還元と四大心情圏を中心とした還元に……、祝福をこの地上に終結するための歴史を経てきました。 そうして、これらすべてを清算して、今や祝福家庭が、三六家庭から四億双まで、全体の祝福された群れを中心として再整備し、生きた供え物の総献納を約束して修練するその集いとともに、歴史的なすべてに連結させてくださいませ。還元宣布とともに摂理史の終着と南北統一の終着のためのすべての家庭が、整備されることを中心として、還元的な基準を、本然のアダム、エバが堕落しなかったその基準に還元させるための巡礼路程としてこの地を訪問しました。 このすべてはお父様が願われて……、お父様の創造理想的なみ旨を中心とした恨に満ちた堕落した世界を整備するための数多くの受難の路程を今一度、思い起こさせてください。その時々に代表者を立てられ、犠牲的な供え物の祭壇を、個人から家庭・氏族・民族・天宙まで高めてこられ、韓国を中心として真の父母がこの地に来ることになりました。 その中心の前に三千里半島が統一された立場にあり、キリスト教の旧教、新教が統一され、東西が統一され、それだけでなく、南北の貧富貴賎を統一させて、地上世界と天上世界の分裂した心情的な個人から神様の心まで無限にある壁を清算しておかなければなりません。 一つの本然の心情として、アダムの勝利的な解放圏をこの地上に宣布するため、主人となった資格を持って海洋還元の主人、大陸還元の主人、天地還元の主人、四大心情の主人的な基盤をこの地に立てました。 それゆえ、新たに第四次アダム圏を宣布することで、真の父母の恨を解いて、人類の恨を解いて、天上世界における地獄、楽園から連なるすべてのものを整理するための全体を整備し、還元の基準を集め、きょう、八月の三番目の日、再出発する三番目の日のこの時間、十二時を中心として、この場に来て、全天宙全体の還元的な勝利の決定をお父様の前に通告するものでございます。 このすべての還元の中心である神様を中心に、神様の愛を中心に、血統的に永遠なる真の父母、そして真の父母と連結された祝福家庭全体が、天上世界と地上世界の一つの血族として、一つの木のごとくなり、一つの葉の細胞が生命全体に代わる時代となりました。一つの細胞に属するすべての家庭の悲しみと困難までも、お父様の愛により解怨成就され、あなたが持てる清いものとして、分別して分けられるものではなく、丸ごと抱いて、あなたの所有権として、全体を還元するための全体宣布の時間を願うものでございます。 このすべてのものを創造の心を抱いて、大いなる心を拡張させ、小さい所から全体まで、相対理想を中心として、真の愛の道理の道を連結させるための心根の心情を再び抱いてくださいませ。 この全宇宙のすべてを真のご父母様に従って愛したく願いますゆえ、主体なるお父様と息子・娘が一つになり、一つになったその場に夫婦が一つになり、子女となり、家庭的な定着とともに天宙の堕落圏にあったすべての家庭を再び編成して、お父様の前に解怨成就の実体の供え物として、還元的な喜びの愛の対象さながら奉献したものをお受けくださるよう願いますゆえ、この時間を抱かれまして、望みを持って、全天宙全体が注目するこの場を中心とした決着……連結して全天宙をあなたの愛の心情の主管のもとに束ねてくださるよう切にお願い申し上げます。 この目的のために南北が一つになり、東西が一つになり、南側の世界と北側の世界の貧富の格差を埋めてしまい、地上世界と天上世界の統一圏をもたらせるよう、天上世界と地上世界が心身一体圏を備えて、お父様に侍ることのできる忠孝の道理を果たさせてくださいませ。 お父様の解放の喜びの千千万万世の自主的な愛の主管圏内で、統治されうる解放の地上・天上天国となり、その国民となり、その直系の血族となりえて、王権を中心とした血族として、この地上に主体的な使命を引き受けて余りあり、万物とともに、全天上世界とともに、お父様とともに愛を受けて余りある祝福の対象物となるよう許諾されますことを切にお願いいたします。 このすべてのものを合わせて、この時間、お父様の前に総生畜の礼物として、真の父母がこれを収めて、お父様の前にお捧げし還元いたしますゆえ、喜びでお受けください。あなたの自主的な実権をもって、個人から全体まで、万物の果てから全天宙の果てまで、自主理念による統治を行使なされることができますよう切にお願いするものです。 このすべてを喜びで宣布いたしますのでお受けくださいませ。真のご父母様の御名により還元式の全体を奉献いたします。アーメン! アーメン! アーメン! (二○○○年八月三日、済州島南済州郡地帰島)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.23
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「第四次アダム心情圏の還元」宣布二○○○年七月一日、漢南国際研修院において、大陸会長など約七十名の指導者が参席して第十回七・一節の記念式典が開かれた。その席で、真のご父母様は、「第四次アダム心情圏の還元」を宣布なさった。 祝祷 愛するお父様、今日は二〇〇〇年七月一日、第十回目の七・一節を迎える記念の日でございます。神様が天宙の平和と理想を中心として、永遠なる祝福の日を記念しうるこの日を設定してくださってから十年目となります。過ぎ去りしすべての歴史過程において、このような表題の整理のために、天地ご父母様が一体となって、天と地を整理してこられました。数多くの内情の曲折を越えて、勝利の表題の前に一体的な理想圏、一心一体となり、地上定着を宣言しうる海洋還元と陸上還元と天宙還元、すべての心情的な還元を中心として、第四次アダム圏摂理の還元時代を迎えうる七月の初めの日を持たせてくださったことにお父様、感謝いたします。 今私たちに望まれる家庭、天とともに上下が一体となった家庭の標準が設定され、氏族の標準、民族の標準、国家の標準を中心とした勝利の覇権を制定されました。サタン世界の権限をすでにルーシェルを中心として、天上世界から統一的な恩寵のうちに、天に符合され、その残党たち一切も収拾し、分立されたすべての宗教圏を統合できるようになりました。 イエス・キリストを中心とした父母の伝統を探してくることのできる、すべての基準が未完成なことにより、霊界で新しい楽園、神様の創造理想になかった組織的な形態が現れたのを、全体祝福という観念を立てておいて、これらすべてを否定し、聖人と悪人がともに祝福されて、兄弟の因縁が分立されていたアダム家庭の破綻したすべての事実、父母の心情にくぎを刺したすべての事実、天地父母様の前にくぎを刺した歴史的なすべての恨の峠を、すべて清算させてください。解放勇士の特権を備えて、祖国光復という課題を前にして、地上世界と天上世界、最後に残った霊界を清算すべき統一家の全体・全般・全権・全能的なみ旨を背後にして、その目標を標準として前進していくすべてのみ業が日ごと発展するよう、許諾してくださいませ。 この国を中心に南北が分立したのも、人間始祖の堕落によって、善悪の先祖が生まれ、心と体が分立したのを起源としております。ですから、今やその国で世界・天宙が統一されて、世界が家庭の恵みのうちに抱かれ、真に青少年問題と家庭問題の破綻を糾合して、一体圏を備え、個人・家庭・氏族・民族・国家・天宙まで一元化されますように。そうして、天地父母に持ることのできる愛の歴史的な平行線と縦的な基準と霊的・肉的な天地父母と度数を合わせ、平行線を中心として、愛を中心として、三六〇度循環するのに、支障がないよう、あなたの創造理想の地上天国基地を造成なさってください。 天上に縦的な世界と連結できる解放圏を備えて、その中において白昼のごとく輝くことで、暗い世界は過ぎ去り、光明なる天地が訪ねてくることのできる時代となりました。天の愛の主権を中心として、一方通行により全体を収拾できる全権・全能の時代を前にして、私たちすべてが一体となり、天の前に感謝する七・一節を迎えたことを心より感謝いたします。 今日を中心として統一家において、六五〇〇双が七数を迎えて八数を越え、九数を過ぎ、十数を見いだすこの年にあって、残されたすべての歴史的な願いを成就させてくださいませ。今、中国と中心とした大会とソ連を中心とした大会、韓国を中心とした大会で計画しているすべてのことが、あなたの導きのうちに一致完成されて、天宙の解放的な第四次アダム圏、天と地の前に代表的な若い青年、知性人たちを立てて糾合するものでございます。そうして、天下は私たちの天下であり、この世界は私たちが新しい伝統を立てるべきという第四次アダム圏の実権、あなたの勝利的な覇権主義、主権時代を迎えられるよう、解放の恵みを全天地に施してくださったことに感謝いたします。 この解放の行列に従いゆくすべての環境的な予見を収拾し、天のすべてのものとして捧げることのできる生きた供え物の総献納をなさり、天だけがお座わりになれる復活的な実体を迎えた地上・天上天国が一元化された、幸福の自由天地における愛の主権世界が還元できるよう、祝福してくださることを切にお願い申し上げます。 過ぎし日に人類が堕落することによって失ってしまった象徴的な実体を再び奉献することにより、人間的な象徴実体、実体的な実体を中心として、愛の基地を中心とした天の定着を宣言しうる日となれるよう許諾してくださることに感謝いたします。万物を代表し、人間を代表し、神様を中心として地上に平面的な中心に立ち、天理の大道の勝利的な覇権の基地を定着しうる、天の恵みが定着しうる七月一日となるよう許諾してくださるようお願いいたします。 祝福万世永遠を祝福するこの日を中心として、時代を中心として、新しい定着基地としてくださるよう切にお願い申し上げます。愛を中心として、すべての恨めしいことを還元する定着のこの日が本部のこの場で成就するよう、許諾してくださるように切にお願いいたします。きょう、施されるすべてのこと、行うすべての行事が、あなたの勝利とこの日を讃美しうる十分な日として天地に和平の道理、和合の道理、統一の恩寵の道理としてお父様、お受けくださるよう切にお願いいたします。この日を代表して、真のご父母様が地上・天上をあわせて、生きた供え物の献納すべてを条件として捧げるこの場を基地とされ、勝利の万国万天下に千年万年万世、万世の讃美を備えることができるよう祝福してくださるよう、切にお願いしながら、真のご父母様の御名により宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン! み言 南北統一の課業が残っています。そのために準備してきましたが、アメリカを中心として蕩減復帰しうる、国家的な基準で協力しうる次元で、再びこのみ業を韓国と連結させるのです。アメリカで築かれたその基準を韓国に繋ぐことができるよう、水平をとっていくのです。祖国光復です。韓国が世界の中心となって、神の国を築かなければならない時です。それで南北を統一しなければならないのです。先生もすべての環境を創造しました。外的なすべての環境を築いておいたのです。そこでは必ず主体と対象が一つにならなければなりません。この世界的な版図の上に統一教会の理念を中心として、環境的な与件をすでにみな築いておいたのです。それで青少年問題と家庭問題は統一教会でなければ解決できないのです。知識世界だけでなく、一般世界の人たちもこれを認定できる環境となっています。 ここに国家的な主体と対象がなければなりません。必ず環境の中には、主体と対象があります。神様が日と月を、水と空気を、天と地をつくっておかれましたが、それは必ずペアシステムとして創造したのです。植物や昆虫、すべての動物をペアシステムでつくったのです。 すべての環境は、主体と対象になっていますが、国家がそうした環境的な与件を備えなければなりません。天地を中心として祝福環境与件を備え、国を中心として主体と対象圏を合わせておけば、すべてのものが一つになるのです。ここに引っかかりました。サタンが歴史を通して偽りの父母と偽りの愛を中心として、国家基準で歴史を汚してきたのです。今や国家的な基準でこれをひっくり返して打ち込むことによって清算するのです。この宇宙の環境与件が完全に主体圏と環境与件(対象圏)が一つになることによって、分かれていた天地父母、分かれていた家庭、分かれていた体と心、分かれていたすべてが一つになりうる時代になっていくのです。 それが何にかかっていますか? 統班撃破です。個人を中心として、夫婦を中心として、家庭を中心として、班を中心として、その次には統です。これが問題なのです。それが三代を中心として定着しなければなりません。神様が一代ならばアダム、エバが二代であり、アダム、エバの息子・娘が三代です。三代を中心として果たさなければならないのが氏族復帰の路程です。 今は再臨時代です。個人時代のヤコブ時代は十二支派を中心として、モーセ時代は七十二族長を中心として、イエス様時代は百二十門徒、統一教会時代は百八十門徒を中心として……。門徒ではありません。使頭時代です、百八十使頭。頭の時代が来ました。使頭という言葉を知っていますか? 聖徒たちの中心は使徒です。使徒はイエス様の弟子ですが、この弟子たちの頭になりうるのが使頭なので、イエス様時代に一二〇家庭を築けなかったのを、再臨時代においては一六○数を越えて、一八○家庭を中心として統合し、国家的メシヤが出てくるのです。 イエス様が失敗した氏族的メシヤ、一族・民族を連合させて国家的な次元を越えて、ローマに行進しても反対できない環境的な与件を築いておいたのです。ですから、皆さんが一八○家庭を中心としてこの作業をしなければならないのです。それがカイン的な家庭です。カイン的な家庭というのは、自分の血族を中心として、自分の一族を中心として、相対的な関係を築くことにより、ホームチャーチ理想としていた三六〇家庭が一つになることです。 氏族的メシヤは、三六〇家庭をホームチャーチ家庭の形態に整えなければ入籍が不可能です。それで歴史全体がイエス様の聖徒を中心として使徒に、使徒を中心として使徒たちの頭である使頭時代に前進していくのです。使頭という言葉が何か分かりますか? 国家的基準が一つになって越えることにより、使頭時代になるのです。使頭はイエス・キリストの頭になるのです。イエス・キリストの上に行くのです。 イエス・キリストはこれまで霊界の楽園に一人でいました。自分の家庭や一族を救えずに分立した立場で暮らしていたのです。これが氏族的メシヤの基盤が地上で完成されて、百八十使頭時代に入ってきたのです。百二十門徒を中心とした祝福時代を越えて、民族解放の四三〇家庭、それから七七七家庭を越えて一八〇〇家庭です。一八〇〇家庭が七数であり、六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭は九数であり、九数を中心として、十数を越える還元時代において三万双、祝福世界化時代になっていくのです。ですから、一八○家庭を中心とした使頭時代の完結は、氏族・民族を連結させて世界に行ける頭を連結するのです。使頭時代とは何か分かりましたか? ですから、今からこれを決定しなければなりません。入籍して天の国の憲法を中心として祝福できる世界的な代表家庭、功臣たち、表彰しうる人たちを中心として、使頭時代に十二支派型を編成するのです。一八○家庭を天に入籍させる家庭の代表たちを中心として、新たに天地父母を中心とした先祖の編成が展開されるのです。一代、二代、三代、四代……。そのように進むのです。 これからそのような時代になれば国がありません。神様の自由圏内ですべてのものを合わせることができます。一時に編成するのです。数千年間失ってしまった家庭と民族・国家・世界、破壊されたすべてのものを一時に探すのです。真の父母が来られて、一代にしてすべてのものを完結しなければならないのです。アダム一代に完成することができたのと同じように、再臨時代にも家庭理想を中心として、国家形成とともに世界編成が一時に可能なのです。そうして解放的な地上天国世界、神様の自主的な愛の理想主権時代になってきてこそ、地上天国・天上天国が連結されるのです。 ですから、天国に入るのは、家庭を手本にしなければなりません。息子・娘を中心として完全に一つになっていなければなりません。この三六家庭ならば、三六家庭でも家庭が問題になった者は再評価しなければなりません。それで今、祝福の過程が家庭祝福時代から国家祝福時代になっていくのです。国家祝福時代を越えて世界祝福時代を越えなければなりません。それが残っているので、今まで統一教会で誤った家庭をすべて赦してあげるのです。本来は赦すことができないのです。赦せません。 国家が見つからなかったので、ありとあらゆるよこしまなものが現れました。それで国家的な基準でこれを解放してあげなければなりません。国家を越えて解放すべき善悪の祝福圏、聖人と悪魔、殺人鬼と同一な祝福圏を中心とすることのできる特権期間が残っているので、今まで祝福されて誤ったことを放してあげるのであり、今後はそのような時代もすべて越えていきます。国家を見いだして憲法を制定してしまったのに、過ちを犯せばすべて別の所に分立されるのです。分立された世界に行くでしょう、北極でも南極でも。祝福された人たちが、人の境界線から抜け出て動物と生活する所に送られて、そこで生き残れるかどうか? それこそ何と言いましょうか? 大整理時代なのです。すべてのものを分立します。誤った家庭は、分立して住まなければならないのです。そうした氏族を残さないというのです。氏族を残しません。そのような氏族を神様は再び見られないというのです。 堕落したアダムの後孫たちが地獄をこしらえ、これまでは楽園を中心として祝福してあげました。楽園で祝福されたとしても、すべてが一度に天の国に行きません。暗い日陰で黎明が次第に明るくなるように朝の陽を迎えて昼の陽、事物を観察でき主管でき、関係を完全に清算していける国家的な形態を越えなければならないのです。そうした過程が残っているので、霊界に行っても育つべきその世界があります。ですから、神様ご自身が苦心されたすべてのものを真の父母の治める圏を通じて強力な措置により、その期間を短縮させるための革命的な課題が残っているのです。これがどれほど複雑ですか? ですから、国を中心として地上から始めて処理する方法を知らなければなりません。天の国を治めることのできる憲法を地上で定めるのです。地上で完成できる解放的な条件を設定しなければならないのです。それで実体的な体制を整えなければなりません。家庭的な体制、氏族的な体制、国家的な体制を実体的な圏において、保護できる法律が出てこなければなりません。 神様のみ言を通じて、実体が展開されるのと同じです。み言が中心です。法が中心です。法を中心として絶対に順応できる世界に越えていかなければなりません。地上に、また天上世界にサタンが残した歴史的なすべての汚い法、汚い実体を否定させ、整備された天国に一元化させなければならないのです。 天上世界に私たちが行って、ある限界を設けられないので、他の世界、他の天国を築けるのです。堕落したアダムによって地獄になったのが、完成したアダムが願えば、無限なる天国、新しい天地を築くのです。そうしてから氏族に会うのです。その前には見ることもできず、会うこともできません。特別な何かがあれば、場所ごとに移動できるようにして、新たに天国に加入できる入籍手続きを通じて受け入れるのであり、前進的な発展をする形態も、そのままでは神様も見るのを嫌われるのです。 地上にいるときに、早く処理せよというのです。この者たち! 自分の財産、自分の国は今後、すべてなくなるのです。今、帰っていって一つにならなければ、すべて落ちていきます。国もそうです。現政府や北朝鮮政府も自分勝手にやってはいけません。勝手にはできません。密室で議論して決定したならば統一教会が……。自分たちが難しいならば頼むのです。北朝鮮が難しいならば、また韓国が難しいならば、私たちに頼むのです。今回、会議するときも、私たちが背後から操ったのです。リトルエンジェルスを通じて平壌学生少年芸術団を十日で連れてきました。十日間で決定したのです。世の中にそのような歴史がどこにありますか? ですから、先生のみ言に従って早くこれを清算しなければなりません。統班撃破をこの四年間でやらなければなりません。六月が過ぎて、今日、七月の初めの日、七・一節これは天下を中心として、大勝利の統一を祝賀する日です。これを中心として還元式を行うのです。還元するのに海を還元して、陸地を還元して、天地を還元して、第四次アダム圏時代を還元するのです。第四次アダム圏時代を還元するための勝利的な条件が何ですか? ここに本当に夢のようなことが起こりました。きのう、その還元式をやりました。それが何かというと、男性、女性の生殖器がすべて地に落ちて、地獄のどん底に行っていたのを復活させ、還元してくるという式を行ったのです。それで第四次アダム圏と連結して、することができるのです。 今後、皆さんが愛するのも勝手にはできません。自分を中心として考える心をもってしては、愛せないのです。基本的に変わらなければなりません。愛は自分のためにという所では生まれません。相対に尽くす所から始まるのです。尽くす所から天下が変わるのです。個人主義が存在しえません。天宙主義です。全体主義ではありません。天宙主義なのです。天宙主義は垂直が連結されるのです。個人的な垂直、家庭的な垂直、小さな所から大きな所まで連結されれば、天宙主義となるのです。 男性、女性にとっていちばん貴いものは何ですか?(男根石、女根石の写真を見せられる)これが何ですか? こうしたものが復活して人を通じて、ここまで訪ねてきました。地に落ちて石のように……、石にも劣ります。万物を嘆息させたものを復活させて、万物の峠を越えて、人間の峠を越えて、真の父母にまで戻ってくることにより、誤った血統の転換式、還元式が可能だったということは、驚くべきことです。 このような石、女根石とか、男根石とかそういうものが多いと言いますが、このように精密なものはないのです。歴史がどうなったか話してごらんなさい。その器官について、どのように表現しましたか? 愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であり、良心の王宮です。根本です。神様がこのために天地創造をなされたのです、愛ゆえに。こうした歴史は夢のような話です。 それを誤ったことにより、天の恨、人類の恨、万物の恨が生じました。すべてが嘆息する中にあるようになったのは、この器官を誤って使用したためです。その器官のすべてのものが、逆さに地に打ち込まれたのです。サタンに押さえられてしまったのです。これは石ですが、石の恨、自然世界の恨を解放しようとするのです。真の父母の所に来て、人間世界で解放された条件を備えて、神様までも解放的な立場に立てるようにしたのです。嘆息の条件を万物から人間、それから真の父母から神様まで元返すことができ、還元しうる一つの中心機構がこれです。 ですから、むやみに生きることができません。神様の愛は絶対・唯一・不変・永遠なので、男性も女性も自分たちが持っている生殖器自体が絶対的であり、唯一・不変・永遠なのです。その主人は自分ではありません。女性のものが女性のものではなく、男性のものが男性のものではありません。男性、女性のものの主人が自分たちではなく、神様だというのです。 神様から始まったものが逆になっていたのが、復活して再び帰ってきて……、万物の嘆息圏、人間の嘆息圏、神様の嘆息圏まで解放されたので、このようなものが出てきたのです。嘆息の喚声の解放条件として、真の父母の所に来ることによって、平均的な価値を抱くのです。万物、人間が平均点で、アダムの完成も地上で平面の場を築いて、そこに縦的な神様が臨在されることにより、完成できるようになるのです。その中心本部がこれなのです。 これが今後、このような伝統的な歴史を通じて嘆息圏内、万物の嘆息、人間の嘆息、神様の嘆息圏内を越えて、解放された第四次アダム圏時代を迎えて使用されうるのです。嘆息の与件のない、完全解放圏の実体を持って神様がいつも臨在され、いつでも自分の生命圏を拡大させることのできる、繁殖しうる一つの器官として使用できるように願うのです。そのように保管すべきなのが、自分たちのものなのです。ですから、息子・娘を生まなければなりません。独身生活とか何とか……。それが自分たちのものではありません。 自分のものと考えるのが堕落です。天使長も自分のものと思って、エバも自分のものと思って、アダムも自分のものと思って、勝手に神様の根を否定したのです。そのようにひっくり返ったものを再び探して、公的なものの中の公的なものとして、絶対・唯一・不変の愛の圏を代表する真の父母の愛の理想を定着させ得る時代が来ました。万物解放、人間解放、天宙解放を実現した上で、一つになった愛の主人の立場、伝統の基盤の上で地上・天上天国が築かれるのです。 一日が二十四時間ならば、三時間に一度として八回、二時間に一度ならば十二回、四時間に一度考えれば六回、すべて心に刻まなければなりません。アダム、エバの堕落によって、こうした地獄のような世の中になりましたが、その部分がその恨の本体だったという事実をいつも心に刻むのです。本体の基準を再び回復すべき運命の道を占めるには、絶対夫、絶対妻を見いだして、神様の絶対愛と連結させ得る平面的な水平基盤が必要です。 男性、女性が一つになった水平基盤に神様の愛の中心が生まれるのです。そうした器官であることを考えながら生きなさいというのです。それを考えるときは、自分たちが淫らに生きた痕跡と意識までもきれいに洗い流さなければなりません。そうした意識を洗い流せなかった者は、先生に従っていけません。ですから、今後こうした写真を、写真ではありません。このような道具を男性たちも……。男性たち、貴い性を喪失しませんでしたか? 男性も女性もそれを貼って生きなければならないのです。貼ったものを誰がはがしますか? 自分の夫がはがし、妻がはがしてこそ、はがれるのであり、そうでなければはがれません。はがせない標的を通じて浄化運動、一つの防止記念物として使うかもしれないというのです。 昔、ヨーロッパにどのような器具があったと言われていますか? 貞操帯というのがあるでしょう? 貞操帯よりは、服の中にそうした写真を保管しておかなければなりません。入れておいた写真を誰が抜いてあげますか? 夫が抜いてあげて、妻が抜いてあげるのです。それをむやみに使ってはなりません。こうした厳命を中心として、訓練を経て、夢でも自分はそれを保管できる主人の資格があるのは間違いないというとき、それを脱げるのであり、そうでなければ脱げません。そのような訓練が必要だと考えるのです。 今から四年間、独身生活させるかもしれません。どうですか?先生がそのように命じれば、そのようにしますか? それが恐ろしいのです。しかし、いちばん恐ろしくて貴いのは、自分たちの持っているものです。それが動物と違うので、人間は霊物であり、神様の友達になりうるのです。 先生で言えば、父母の日、子女の日、万物の日、一九六〇年から一九六八年の一月一日まで……。父母の日から始まりました。そのときから絶対愛の時代に越えていくのです。絶対愛圏です。お母さん! 私たちがそれを守ってきたでしょう? 男性も女性も慕わしいのが何ですか? 慕わしいものがどこに行って交差しますか? 男性も女性もそこです。 彼らが平和の起点において、一つになれなかったそれを慕いながら、歌もそこで歌います。愛の歌がそこに行って命を得ます。これが何ですか? 幸福と平和と統一の調和の箱です。何と言いましたか? 幸福と平和と統一の調和の作男玉手箱です。ここに統一がなければなりません。ここに幸福がなければなりません。ここに平和がなければなりません。間違いないのです。間違っているか、合っているか考えみなさい。間違っているようですか、合っているようですか? 永遠に間違いない事実です。 平和の立て札、碑石を立てるのが、女性の「節概」と男性の「志操」です。そのようになれば男性も女性も絶対に信じます。これが水平にならなければならないのです。永遠に水平になるのです。そうすれば幸福なのです。なぜですか? 自分たちにとって宝物の中の宝物が何かというと、半分のかけらだった女性が夫を占領することです。男性も占領しましたが、それは天地が半分のかけらだけだったのが一つになるのです。上弦、神様の側に下弦、息子・娘が生じるのです。上下関係が生じるのです。それから夫婦関係です。これを中心として四方に広がっていきます。そうして前後関係を中心として初めて家庭に定着するのです。前後関係は兄弟です。兄弟を持たなければなりません。上下関係・左右関係・前後関係です。 その器官を完全に定着させなければなりません。ですから、唯一私にあるのは何ですか? 男性には妻一人しかいません。財産とか何とかすべて捨てるとしても、これは取り換えることができません。ただ一つの宝物です。それを研究しなければなりません。一等美人の女性を連れてきて、服を脱いでその生殖器が触れても、動じてはなりません。そうした訓練まで経なければなりません。でなければ、神様の愛する息子・娘を任せることができないのです。先生はそうした過程を経たので、誰であれ皆、すべて任されているのです。だからといって自由に生きません。数千名の美人たちが服を脱いだ中で、最高の美人の前に裸の私を投げ入れたとして、生殖器が触れたならば動じますか?動じたらいけません。そのような否定の過程を経なければなりません。 最愛の者を怨讐に任せて福を祈ってあげられる神様の心を知るには、そうした過程を経なければなりません。それが動じてよいですか? 動じなければならないですか? いけません。そんなことでは怨讐に対して福を祈ることができません。そのような神様の心情の苦衷を知らなければなりません。それが道の最高の完熟した立場です。 皆さんが夫妻同士で愛してクライマックスに入るとき、零点に飛び出してこられるそのような訓練をしなければならないのです。それが怨讐です。熱い水に冷たいものを入れたら爆発するでしょう?そのようなものです。そのような立場になってこそ堕落しないのです。 あの世の修養路程は、それが千年かかるか、万年かかるか分かりません。夫婦の間で暮らすにも問題が大きいのです。それで天の国に統一教会の家庭たちのため、家庭的な楽園が生じるのが避けられなかったのです。その楽園をどう処理しますか? 血筋が連結されているので、それは難しいのです。何度も死んで逆さに地獄のどん底に入ったり、出たりして、溶鉱炉に入ったり、出たりすることをしなければなりません。それが燃えてしまわなければなりません、燃えてしまわなければ。純金にならなければ、純金を駄目にする不純なものは、燃えてしまわなければならないのです。 私たちのお母様が立派なのは、先生の言葉をすべて信じたことです。先生を絶対に信じて先生が語ったとおりに絶対に順応しようとしたことが、お母様が偉大な点です。数多くの女性たちが反対する立場ですが、それを消化してお父様として信じられる娘の立場になったのです。復帰路程なので、娘としてお父さんに欠点があっても、自分がすべて責任を負うと言えてこそ、エバが罪の根を抜くことができるのです。 この男根石、女根石の写真を、「絶対、絶対に堕落はない」という者に一枚ずつ配ります。そのような誓いをなして、天地の前に恥かしくなく、神様のものを私が代わりに抱いていると考える者たちがいれば、この写真を一枚ずつ分けてあげるのです。女性たちがヒルのようにくっ付いても手を出さずに、つばを吐いて、いっぺんにはたいてしまえるという男性、女性、そうした夫、そうした妻を連れて暮らす者は幸福な夫婦です。 神様が創造を完結なされたので、創造物を破壊させた張本人であるアダムの代わりとなる完成者がその地を築くためのみ業をなすのです。韓国と換えられない地域を私が準備するため、南側の国に行っているのです。私は水を愛するので、二十五年間、船に乗りました。また陸地で十年以上、狩猟しました。戻ってきて五大洋、六大州に水産事業の基地を拡大させておき、これを還元式しなければなりません。アメリカに行って還元式を行うのです。ロングアイランドサウンド(Long Island Sound)とか、ハドソンベイ(Hudson Bay)とか、ニューヨークベイ(New York Bay)とか、マンハッタンベイ(Manhattan Bay)を中心として、そこから出発したのが何年前ですか? 三十余年前になりますが、それを再び追慕して還元する立場においてアラスカを経て、アラスカから初めて南極と連結しうるのです。地球星を代表するのです。 北極から、アラスカのコディアックで水産事業を手がけたのが、今や南極まで(結べる)トップオーシヤン(Top Ocean)という船をつくり、南北を連結させるのです。夢の国以上に考えながら指示した内容を見つめて還元式を行いました。海のすべてのものを還元する式を行い、陸地の還元式をすべて行ったのです。これを連結させるのです。陸地では地球星を中心として霊界と連結させて還元式をやらなければなりません。その還元式にあたって、天宙還元式とともに心情圏を還元するのです。 きょうの祈祷の内容もそれです。愛を中心として第四次アダム圏時代にすべてのものを解放させてあげるのです。そのためには本然的な男性器、女性器が現れなければなりませんが、このみ業をすでにすべて成就したので、その還元式まですべて挙行する内容となったのです。 今は還元するものがありますか、ないですか? これからは、それぞれの国を捧げなければなりません。この地上に人間……、堕落した世界の基準である国を捧げなければなりません。家庭時代は過ぎ去りました。家庭を捧げる前に国を捧げることで、国が一日で復帰されるのです。国が復帰されるのです。 ご父母様が蕩減路程を通じて、サタンが讒訴していたものをすべて取り崩したので、問題がありません。国家がいっぺんに天国に入っていける時代になったのです。国家を完全に水平時代で解放させようとするので、国家の根本となった神様の祖国光復が必要なのです。できなければ私がつくってでもやるのです。南北米を中心として旧教、新教がカイン、アベルとなって、その上で神様に侍ればよいのです。ご父母様が行って神様に侍ることのできる基準を連結させれば、アジアを放棄してもよいのです。 そのような質問をして、すべてを聞いてみて、自分たちが絶対、どんなことがあっても統班撃破して祖国光復を命じたとおりに行い、今、ここで七・一節を行うのです。すでに私が行っているはずでしたが、条件に引っかかって今回残ったのです。 ですから、きょうは記念日で忙しいでしょうが、これは必ず知らなければなりません。今から何をしなければなりませんか? 統班撃破です。家庭を全体に一元化させなければならないのです。祝福された家庭を今まで放っておきました。祝福はこのように流れるように、放っておくものではありません。一八○家庭ずつやったならば、これを収穫して自分の一族を中心として姉妹血縁を結び、彼らと自分の一族が結婚しなければなりません。統一天下と同じです。サタン世界のカイン、アベルが、聖人と殺人鬼が一つになったのと同じです。 祝福家庭は予備祝福を受けたのではありません。祝福したその家庭を中心として自分の一族と結び、これが主体対象として一つになったその立場で、自分たちが国家メシヤとして復活しなければなりません。復活するその時間が国を見いだして入籍する時間です。すべて放っておきませんでしたか?途中で投げ出してみ旨が成就しますか? 締めくくって還元すべきでしょう。統班撃破を通じて還元しなければならないのです。それは一つ一つ、皆さん大韓民国の民が、ここで祝福された民がやらなければなりません。先生はそれを克服して超越しました。アメリカが反対するのも屈服させてきたのです。それは韓国より世界的です。 全世界的にやらなければなりません。興進もこれをやらなければなりません。原理研究会を別動部隊にするのは、どういうことかというと、第四次アダム圏の完成は小学校時代から二十四歳までです。十二歳から二十四歳、大学生まで純潔運動するのが第四次アダム圏の青年運動です。ですから、これは前時代と後時代が違います。青年活動を中心として、この青年たちが統班撃破の主人公にならなければなりません。 きょうは七月の初めの日ですが、この七月は神様が七数の月を見いだしたのと同じです。解放の新千年の七月、月の主人となり八月、九月まで三か月間に基盤を整備しなければ、九月になってどんなことが起こるか分かりません。九月まで解決しなければならないと、すでに先生が言いました。やらなければ、どんなことが起こるかは言いません。 今回も何ですか? 海洋還元、大陸還元、天地還元、第四次アダム圏心情圏を中心として生殖器還元まで来ました。すべての恨の条件を越えることができ、ぶん殴ることのできる象徴です。鉄窓とは何だと思いますか? 鉄窓が何ですか? 新聞社ではありません。鉄窓というもの自体の言葉を代表したのが新聞社です。鉄窓が何かと言うと、男性の生殖器です。世の中でそうした話は初めて聞くでしょう? 生殖器に神様に侍ったよりももっとよく侍り、神様よりも愛さなければなりません。そうしてこそ、神様が喜ばれるのです。世の中にそうした話がどこにありますか? 宗教界で聞いたら、ぱっと飛び上がってひっくり返りますが、それは事実です。神様以上に愛に侍ってこそ、神様が定着しうる基盤が生まれるのです。生命より大切で、世の中をあげて、天地をあげて、神様まであげても換えることのできないものです。妻の生殖器を創造物の全体を合わせた以上に崇拝して、それ以上に愛し、それ以上の価値を認定してこそ、神様が我が家を訪ねてこられるのです。(二〇〇〇年七月一日、漢南国際研修院)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.20
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「天宙還元」宣布二〇〇〇年六月二十九日、午前八時四十分、ソウルの漢南国際研修院において、真のご子女様ら三名と約六十名の指導者たちが参加した中で、真のご父母様は「天宙還元」を宣布なさった。 み言 宇宙を縮小させた自己所有権を、サタン世界で失ってしまったものを、縮小した供え物の時代を越えて、生きたそれ自体として天の前に捧げることができるので、宇宙の生きた条件を、真の父母を通じて、神様の前に献納しなければなりません。これまで、そうしたことをやるのに、統一教会はすべて泥棒さながらでした。 そこにおいて自分を中心として貯金通帳を持って、息子・娘を考え、将来を考えますか? だとしたら将来はすべてなくなります。それを否定するのです。完全に否定です。絶対否定圏を越えるためにです。ですから、蕩減の歴史は、供え物を捧げる歴史です。半分に裂けば死にます。それで霊界と肉界、地獄と天上が分かれているのです。生死の境に分かれていますが、これを一つにするための総生畜なのです。生きているものを供え物として捧げるわけです。生きているのです。旧約時代も生きており、新約時代も生きており、成約時代も生きています。すべてが生きており、その生きた供え物を総献納するのです。 サタン世界は総生畜ではありません。生きた供え物ではなく死んだ供え物です! 献納ではありません。分納圏が地獄なので、半分に裂くのです。地獄圏内に自分の所有権を中心として、何かをやろうという者たち! 自分を中心として何かをやろうという者たち! それは狂った者たちです。自分が何かを持っているのではありません。献納のみ業をなすのです。神様が献納する時を準備して、真の父母が献納する時を合わせて、神様に捧げる献納の時代なのです。 生死の境、死亡圏を除去して生命圏に一体化させなければならないのが、総生畜献納です。献納は何ですか? 献納物です、物!「祭」というのは、所有権を決定するために条件を立てることです。祭祀を執り行うことです。 それは総生畜献納物です。献納物体、生きた物体! ですから、自分自身も生きており、堕落しないエデンの園におけるすべてのものが生きています。それが神様のものです。死亡の圏内にひっくり返っていたので、逆に置くのです。捧げるには、自分の名前までもすべてなくしてしまわなければなりません。自分の国までもなくしてしまわなければなりません。丸ごと神様に捧げて、丸ごと神様のものになるのです。神様の願うアダム、エバのすべての基準、その相続的な相対圏がないので、それを真の父母の前に相対的な条件物として差し出すのです。 その条件物は死にませんでした。生きた物を接ぎ木して、家庭に接ぎ木し、氏族・民族・世界全体の家庭と連結されて捧げることが因縁となり、清算されてこそ、存在する世界が神様の物の世界になります。神様の物です。そこには供え物時代がないのです。そのようなものが総生畜献納です。 すでに十六数を合わせていきます。サタンがこれまで侵犯したのが、四×四が十六、十六数です。韓国にも国連軍十六か国が来たでしょう? 日本の組織を見ても十六です。韓国も十六でしょう?総決算する時代だからそうです。それを皆さんは知らなければなりません。 いつも顔を見るとき、そのように考えなければなりません。目を見ると目が一つですか、二つですか? 二つです。ですから、ついたてがなければなりません。目がこの世で勝手に遊んでいました。皆さん自体が心の世界にも二つの目があり、体の世界も二つの目があります。四つの目が合わさって一つになるのです。これが水平にならなければなりません。水平となってカイン、アベルです。目のうちで、どちからが先に生じましたか?「始め!」と言っていっぺんに生じましたか、どちらかの目が先に生じましたか? 二つの目がいっぺんに生じることができますか? 目も生じるときは、必ず順番に生じてきたのです。 息をするときも「ふうっ」と吐き出せば、「はあっ」と吸い込まなければなりません。いっぺんに息を吐き出して、吸うことはできません。同じことです。目も同様に出発するとき、お兄さんがいて、弟がいるのです。それとも「よーいドン!」と言って生じたでしょうか? 順番に生じたのです。目を見るとこれが分かれています。プラス、マイナス、主体対象なのです。目が自己主張できますか?「ああ、私は右目が嫌いだ!」と言って「おまえは閉じよ、私は開く!」そのようになっていますか?いつも中心を中心として統一です。目は水晶体を中心として円形をなすのです。 中心に侍るために必ず水平になって、主体対象とならなければなりません。神様が創造するときに環境をつくられました。宇宙のすべての環境には、必ず主体対象がなければなりません。主体対象がありますが、いっぺんに「やあ!」と言って生じましたか、主体が先に生じましたか、対象が先に生じましたか? どちらが先ですか? 同じことです。いつもそれを考えなければなりません。瞬きするとき、片方の目ができなければどうしますか? 一つになっていますか、なっていませんか? いつもそれを考えなければなりません。教育のうちこれ以上の教育がありません。五官の、天地の調和を実体で象徴しているのです。 生殖器を見れば、どうなっていますか? 女性はどうなっていますか? 上下になっており、男性はどうなっていますか? 中心にシンボルがあります。シンボルがあり、睾丸は横的になっています。それが天地の道理です。 ですから、いつでも考えなければなりません。耳がともに聞こえなければ共鳴ができません。それは違いがありますか?右の耳、左の耳が「君は君、私は私!」そう言いますか?互いに尽くすのです。左側は右側が一つになれるのを願うのです。そうでなければ大変です。右側は左側が一つになれるのを願うのです。そうするには為に生きなければなりません。自分のためにという立場は破壊します。問題が生じるのです。 自分がどこにいますか? バランスを取らなければなりません、バランス! バランスを取れなければ滅びます。天地の調和がどこにありますか? 手がこうして何をしますか? このようにつかめますか? このようにつかまなければなりません。手をつかんでみなさい。どちらの手が上に来ますか? 左手が上に来ましたか、右手が上に来ましたか? すべて違います。右手が上にきた人、左手が上に来た人、すべて違います。違うのです。どんなに違っても、これがこのようにして一つになりますが、すべて水平です。水平にならなければなりません。全体をこのようにして、つかむようになると、全体が合わさるのです。 ですから、自分がどこにいるのか、上にいるのか、下にいるのか、それを考えなければなりません。それゆえ、すべてがカイン、アベルです。カイン、アベルなのです。バランスを合わせるようにする人が主人となるのです。 「柳寛順会」は何をするためにあるのですか? 韓国の男性ならば男性、女性ならば女性として家庭で柳寛順のようにお手本を示してあげるのです。柳寛順にとっては、日本は自分を叩き殺した怨讐です。ですからその怨讐を愛せませんでした。どうして怨讐と相対を結んであげますか? しかし、怨讐があってはいけません。怨讐を持った人は天国に行けません。自分が嫌いな者、東西四方にそうした者がいなくなることを願う人はサタン側です。「あの人たちがいなかったなら助けてあげる。誰よりも私が助けてあげる」という人が天国に行くのです。「あいつ、滅びればいいのに!」こう言ってはいけません。 私を見なさい。アメリカに行きましたが、アメリカは私にとって怨讐の中の怨讐です。キリスト教の先導的な国家として、宣教師たちが統一教会をめちゃくちゃにしました。フランチェスカと朴マリアと金活蘭を中心として、三人の女性がめちゃくちゃにしてしまいました。めちゃくちゃにしたのです! しかし、先生がその怨讐の存在を考えたら越えていけません。彼らを救ってあげなければなりません。金日成が怨讐です。彼を祝福してあげなければなりません。宗教の教祖たち、釈迦牟尼とか誰それも……。キリスト教がこれまで怨讐でした。彼らを祝福してあげなければなりません。 先生に怨讐がいますか? 怨讐がいますか、いませんか? いません。怨讐よ滅びよという考えがありません。怨讐があってはなりません。天国を築けません。私が好むことのできる基盤において、良いものを取る前に、怨讐がいたらそれを忘れてしまわなければなりません。 ですから、先生は聖人と殺人鬼を祝福してあげました。聖人の子供と殺人鬼の子供を祝福してあげたのです。今からそのような時代になっていくので、日本人たちは今後、すべて交差結婚するのです。怨讐だった韓国人と一〇〇パーセント交差結婚するのです。そうすれば一つになるのです。アメリカの教会団体が一〇〇パーセント交差結婚します。地上世界と天上世界が一〇〇パーセント交差結婚するのです。 弟妹を立てるのに、いちばん幼い者を立て、お兄さんたちが崇拝してこそ、地獄と天国がひっくり返るのです。今後、統一教会は三歳の子供を重く用いるでしょう。三六家庭とか頭にいる者たちを見ると、いつもどこかに入ってくるにも、三六家庭、責任のある者が先に入り座るべきだと考えています。そうではありません。端に座って、自分たちが雰囲気を盛り上げられるようにしなければなりません。環境があって、環境圏内に主体対象がなければなりません。環境は無視しておいて、自分のやることはやれないで、環境を流して主体の立場、対象の立場を求めていこうとしているのです。この滅びる者たち! この者たちを私が整理しなければなりません! 心しておけというのです。 目で見て左側です。私が右目か左目かというのです。先生が主人の立場にいれば右目です。私は絶対にその右目と合って瞬きするとき、歩調を合わせるというのです。鼻でいうと右の鼻を合わせるのです。右側を韓国語では正しい側と表現するでしょう? それが道理です。ならば右の鼻の穴を左の鼻の穴に合わせなければなりません。自分勝手にやれば二つとも滅びるのです。すべて滅んで死ぬようになっています。 唇もそうです。上唇と下唇が閉じて、開いて、話すときに合わせなければならないでしょう? 歩調を合わせなければ。いつも話すのに歩調を合わせますか、合わせないですか? どれほど不思議でしょうか? 口の先生に学びなさい。鼻の先生に学び、目の先生に学び、耳の先生に学び、手の先生に学びなさいというのです。そこに一つになれずに、かきまわして探すような恥かしい姿勢をもって、天地の自然環境に向かって、主体対象が逆になり、天地を滅ぼすのです。 私には怨讐がいません。私が教えた原理は、怨讐を愛していかなければならないのです。私がアメリカを生命と財産を捧げて愛したので、戻ってくるのです。三十三年の歳月を、いちばん重要な歳月をいたずらに過ごしたのです。それを誰かが違うとは言えないのです。サタンが知り、天が知り、アメリカの地が知っています。そのようにやったので、それを中心として生きた供え物の総献納物をアメリカ自体として天の前に捧げなければならないのです。 それで体と心を整えて一つにするのです。政府と宗教が怨讐です。アメリカでその作業をやるのです。キリスト教を中心として国家的に分裂したのを一つにする作業をするのです。政府の後援の下で-それはカインです-今、十四万教会を設ける運動を始めました。イエス様が来るとき、十四万四千名が最初に復活すると言いましたが、先生のときは十四万四千の群れではありません。そのときは国家時代でしたが、今は世界時代であり、地上・天上天国を築く時です。ですから、十四万教会を中心とした復活国家を建設するのです。違うのです。 このような時代に、自分のふろしきを背負えば連れていくのです。自分のものを中心としてすべて投入しなければなりません。投入してから韓国が主体国という権限を立てることができるのです。自分を中心としてノラ犬の子とそのふろしきを背負った者を連れて、そのみ業をなすことができますか? そのような者はノラ犬です。ノラ犬たちです。 右目を立てたのに、左目が右目をどうこう評価できますか? 絶対に何ですか? 絶対服従が絶対の道理です。水平にならずに他の何かの存在があってはいけません。そこに合わせなければなりません。百歳のお年寄りであっても合わせなければなりません。神様が今、先生の前に合わせています。違いますか? 先生の蕩減復帰を神様は思いどおりにできません。先生に合わせるのです。その代わり、むやみに行けば手をつけられます。このような原則を知って、神様の本質的な内容をすべて知っているので、私がそのように暮らして峠を越えに越えて、その峠の残りの仕事を処理するというのです。 すでに霊界は私が手をつけ始めました。宗教圏の統一! メシヤ、イエス様は父母です。父母の伝統を連結させてきました。イエス様がこれまで長成的な父母の立場で完成できなかったので、そのイエス様の道理をすべて……。イエス様を兄として侍ったのです。兄弟が合わさってこそ天地父母、天は夫であり、地が妻として一つとなるのです。 ですから、宗教が一つになるのです。それを誰がつくりましたか? それは神様ができません。それは私に特権があります。それで革命するのです。「これをやれ!」と言うのです。霊界は今まで夫婦の間がすべて分かれていました。地獄であれ、どこであれそうです。それで交差するのです。 一昨日、女根、男根のことを聞いたでしょう? それはどうなりましたか?それを私がどれほどありがたく思ったことか。万物世界でもこれを神様の代わりに侍るということなのに……。万物も神様の代わりにそれを崇拝するのです。 それが故障したので、そこから解かなければなりません。それを何で証拠として? それが地中に入っていたのですが、突き出てきました。復活したわけです。「いやあっ! 愛は死亡圏を撃破して天に向かい、神様に向かって出てきたものである。出動命令できる根拠がこれか」と言ったのです。私が出動命令を考えている者ではないですか? ここに訪ねてくるようになっています。 その主人が誰ですか? 先生が主人ですが、何の主人ですか? 真なる根本の女根石として見つけましたが、女根石の象徴は何ですか? 形状は人で実体は神様です。女根何ですか? 女根人、女根愛! 愛の根であり、神様の根であり、万物の根です。根本がこのようになったのを知りません。先生が初めて発表したのです。 そうした貴いものを付けて行き、何を探して回りますか? すべての存在を総合してそこに装飾品として、ピラミッドならば、ピラミッドに金の装飾を施したように装飾したのが女根物、人、神です。それが装飾物です。それが髪飾りです。宇宙を所有できるそれがカギであり、宇宙を開くことのできる夫婦です。カギなのです。 女性のカギ、男性のカギ、それを誰が開けてあげますか? カギが違います。女性のカギを開けるのは男性が持っており、男性のカギを開けるものは女性が持っています。互い違いに持っています。ですから、それがなければすべてのものを開けられないので、天地に自分が干渉もできず、また所有することもできません。それがいちばん貴いものです。愛がいちばん貴いのです。 ですから、そうしたことを知れば、男性は男性をどこに置いておかなければなりませんか? 韓服のズボンを着れば分かりませんが、背広のズボンを着れば男性はどこに置いておかなければなりませんか? 右側にすべきですか、左側にすべきですか? 右側です。皆、そうしていますか? 女性はありません。男性がいてこそ、他の側が生じます。 女性はないので「自分たちをつかまえて」と言っています。受けるようになっているでしょう?門を開ければ、門が長くなりますか、丸くなりますか? 丸くなって、その丸くなったのが手本ではありません。その丸くなったものより、さらに大きく丸くなるところに幸福があります。分かりましたか? こうした言葉は、失礼ですが、女性たちは小さな主人が入ってくるのがよいですか、大きな主人が入ってくるのがよいですか? 女性たち、どうです? 丸いところに、それを狭めて入ってくるのがよいですか、広げたり狭めたりするのがよいですか? 世の中の道理、愛の谷間、愛のすべての内容をぴったり通して座り、天地を料理するというのです。それ以外にはありません。そのような象徴的な物が……。ですから、女根人・女根神! そこにすべてのものがみな入っています。それが死ねば、その家は滅びます。誤まって使えば、混乱が生じます。ですから、行く道が一つなのです。男性がいれば、それが逆に立っていますか、まっすぐ立っていますか? まっすぐ立っているのが、下に広がっているのであり、それが後に上がっていけばどうなりますか? 自分勝手にやればどうなりますか? 逆に立っていないで、かけてぶら下がっているようになれば、どうなりますか? この世における地獄の中の地獄です。 これが大きくなっても、その道がいかに大きくなりますか? 九〇度以上にならなければならないのです。男性はそうしてこそ男性になります。小便をシャーッとするときに、壁を越えてこそ、その後孫がうまくいくのです。子供のときはおしっこをすれば、スーッと出ます。うんちをしてお母さんがおむつを替えるとき、おしっこをピユッとして、目や鼻にもかけてしまうのです。九〇度を越えなければいけないのです。 若いときは九〇度を越えるので問題です。男性が女性をいじめますか、女性が男性をいじめますか? 男性は五十一秒ごとに女性に手を出すようになっています。それをあげなければならないでしょう? あげなければどうなりますか? 滅びるのです。あげるのは最後まで、無限にあげたいのです。それが欲望です。無限にあげたいのですが、それを誰にでもあげるようにはなっていません。錠前ならどんなカギでも合うのですか? 二つが合う錠前はただ一つです。私たち統一教会の信徒の中で、錠前を二つ持って生きるという者たちは気違いです。地獄のいちばん底なのです。厠のうじ虫のようなものです。愛の世界における糞! そのようになっています。女性はそうした男性が、骨が砕けるように抱くことを好むようになっています。男性はまた骨が砕けるように抱くものです。それで男性が大きいのです。女性は大きいのを好みます。男性が大きいのを好みますか? 男性は大きいです。女性はその大きいものを好みます。 そのようなことを考えるとき、「文総裁が契約の箱の中の二つの石板はアダム、エバを象徴する!」と言いましたが、それを象徴するのです。至聖所がそこです。誰もが手をつけることができません。手をつけたら皆、滅びませんでしたか? 至聖所がそこです。それからアロンの芽が出た杖!杖が何ですか? 永遠に死なないというのです。死んだ杖から芽が出たので、永遠に死なないのです。何を中心として? 本然の愛! 愛がなければ死にます。それでアロンの芽が出た杖が出てくるのです。そうしたみ旨があるので、聖殿において侍ったのです。ですから、神様の体を象徴したのが聖幕です。体が聖所であり、至聖所というのがまさにその場なのです。 愛しているとき、その女性におしっこを漏らせばどうなります? 本当におしっこしたいのに、愛する人がしきりに求めてきて、おしっこを催すのを忘れて抱いたのが、愛していきなりセイ液とおしっこを漏らせばどうなります? 審判を受けますか? 審判を受けなければならないですか、どうなりますか?「そのような時間まで私にくれるとは、どれほど夫が愛していることだろうか!」と言うのです。それ以上の幸福がないのです。 何を保護しなさいと言いましたか? 最近は「気を保護せよ!」と言いますが、気とは何の気ですか? 愛の気です。気がどういう漢字ですか? 気運の気でもありますが、足場を表わす基という字にもなるのです。愛の気を指すのです。気が単独で活動することはできません。そのように激しく慕って生命以上に願うところで、天運の気が挙動するのです。超越的な力に接するのは、愛しかありません。 すべてのものが自分の先生です。私の体が先生です。腹が立ったとき鏡を見ると、目が語るには「私に似なさい! 私に似て水平になりなさい!」と言うのです。右目と左目が一緒には動かないと考えるので、問題になるのです。夫婦も同じです。目を見て学ぶのです。夫が右目ならば、自分は左目ですが、左目が先にまばたくことができますか? 永遠に一緒に動かなければならないのです。 ところで、夫はいつも縦的なことを願い、女性は横的なことを願います。現実的なことを願うのです。しかし、現実はしばしの間です。一日の生活の満足を求めるのが女性です。男性は永遠なる未来の幸福を求めていくのです。ですから、未来の幸福の前に女性は合わせなければならないのです。合わせないで目を見開いてふざけていたら孤独単身、なくなるのです。 鼻の穴も右側の穴は誰を象徴しますか? 夫を象徴します。では、左側の鼻の穴は? 妻を象徴します。夫の鼻の穴は、妻の鼻の穴がマイナスになるならば、「別々に息をせよ!」と言えますか?別々に息をするという者は気の狂った者たちです。そうすれば、その世界のその場に入っていけないのです。定着点を探せません。互いに衝突が起こるのです。それを考えなければなりません。 口もそうです。上唇は? 夫であり、下唇は妻です。女性の唇は下唇が厚いですか、上唇が厚いですか? 女性の唇は下唇が薄いです。それで小さくても振動します。男性は上唇がとても厚いのです。ユ・ジョンヨンのように厚いのです。 上唇が大きい人はゆっくりと話します。女性たちを観察してみると分かるのです。下唇が薄くて上唇まで薄い人は問題です。いつでもしゃべるのです。しゃべられなければ病気になります。ただどこに行っても騒ぐのです。下唇が別個に動かなくてはなりませんか、一緒に動かなくてはなりませんか? 一緒に動かなければなりません。 体を犠牲にすれば精神が発展するのです。逆に体の享楽を求めれば、精神が下っていき、穴に落ちてしまいます。後には二つが分かれて死んでしまいます。滅びるのです。天地の道理がそのようになっています。足というのは、いつも逆向きでしょう? 一方が先に行けば、もう一方は後ろに立ちます。左足が右足を考えるときは、いつも右足は先です。右足が先に歩いたならば、左足というのは右足の代わりに出なければならないのです。歩調を合わせるということです。 和合を合わせるのです。そこに中心が設定されます。それをいかに否定できますか? 先生の言葉に間違いありません。けんかできますか? すべてカイン、アベル問題です。カイン、アベル問題は宇宙の根本です。主人の立場から、神様から、愛の源泉地からそれを拡大させたものです。それを四方にプラスにするのです。そうすると、生存的な与件が自動的に生まれてくるのです。 アダムを先につくりましたか、エバを先につくりましたか? アダムを先につくりました。ならばアダムがエバを支配しなければならないですか、エバがアダムを支配しなければならないですか? アダムがエバを支配しなければなりません。天地の道理がそうです。女性が男性に従うべきですか、男性が女性に従うべきですか? 女性が男性に従っていかなければなりません。ところが、堕落した世界は逆になっています。 カイン、アベルの歴史がこれまで逆になってきたので、それを愛さなければなりません。愛を失ってしまったので愛して、サタンよりさらに愛して、愛を受けてこそ、天国に入っていくのです。それが先生の生活ではないですか? そうでしょう? 怨讐を愛した後に初めて故郷に帰っていくのです。私が世の中の人たちを、数多くの民族たちをお兄さん以上、お母さん以上に愛しました。なぜですか? 本来ならば、このみ言はお母さんに先に話して、お兄さんに先に話して、一家に先に話さなければなりません。しかし、皆、一言も話してあげませんでした。 この群れに、そのふろしき自体をほどいてあげました。そこで種を収穫して、私たちの真の父母を、神様を訪ねていき、祭祀を生きた供え物として捧げるのです。神様が創造した生きたものを捧げるため、このようなみ業をなそうとしたのに、そうした者たちが一人もいません。 私が今お母様を出てこさせて、祈祷しようと思います。三十日、明日ならばできるのです。海と陸地が合わさり、還元されることを私が通告してあげなければなりません。一昨日は陸地還元を通告したので、海と陸地の還元を通告するのです。済州島に行って漢羅山を眺めながら、白頭山を連結するみ業を海でやるのです。全世界の海と全世界の陸地を連結するのです。私が平原地帯を、土地を買うように言いました。南米に土地を買うのです。これを山と連結するのです。 それで済州島の地帰島に行って、船に乗り、漠羅山を眺めながら白頭山を連結させるのです。海の権限と陸地の権限を、平原地帯から山までも抱いて還元しましたと祈祷しなければならないのです。今日が二十九日でしょう? 六月までに私が解決しようとしたすべてのことを韓国に訪ねてきてやるのです。本来は済州島に行って祈祷しようとしましたが、ここで漢羅山と白頭山、海から-南米は平原地帯です-大陸、平原地帯から山岳地帯に連結して、神様の前に還元しなければなりません。還元の祈祷をしなければなりません。 祝祷 愛するお父様、天地の愛の理想を中心とした大道の道が……、光明なるあなたの愛と共に宇宙を光で覆って残るべき本然の心情世界に、人類始祖の失敗が、このように歴史的な恨の、恨の、恨の峠を残しました。数千数万の人々の犠牲とともに全宇宙の嘆息圏の峠を、垣根を積み上げてきたものを取り崩すため、天が復帰のみ手をつけ始めた歴史的な事実を私たちは知っております。そのようなご苦労をかけたこの創造物が、お父様の前に犯した親不孝、不忠がどれほど大きかったかを、よく存じている統一教会の群れであり、真の父母でございます。 今や天と地の秘密がすべて暴かれ、神様の事情を知り、神様の心情を知り、神様の願いの成就に向けた一念の基準が今日、私ども家庭を中心として理想的な実体、結実として植えられ、収穫しうる万苦の解放の家庭設定を願われるお父様の心情があることを知っております。 この地上に、真のご父母様がそのような心情を知り、これまでキリスト教を中心とした統一的な方向を据えるため、四十余年の受難の道をたどりました。今や第四次アダム圏以降に、キリスト教が願った真の父母の再臨のその時を中心として、新しい家庭を設定するための神様の愛を中心に、神様の生命圏を連結し得る、神様の血統的な起源を再び連結できる天宙史的な大革命的期間でございます。 キリスト教、新教・旧教が一つとなり水平的な基準において、神様を心情的垂直に侍りうるご父母様に侍られなかったことで、反対の経路により、お父様が、これまで苦労されてきました。そのすべてを、もう一度、第一次アダム圏、第二次アダム圏の失敗したそのような道を家庭的な四十年荒野路程をたどって再会し、祝福の世界化のために霊界、肉界をすべて解放できるようになりました。 韓国の地において、最後の終着基準、南北統一と共に連結させ得る最後の勝利的な覇権を立てるべき戦争を前に控えています。この場において真の父母は、海洋世界の還元と陸地世界の還元とともに海洋と陸地を連結させうる、最終的な還元をすべて宣布するため、済州島を中心として地帰島の上から漢羅山を眺めながら、白頭山を越えてヒマラヤ山頂、エベレスト山を越えて平原の世界に連結し、再び川を越え、海の世界に本然の世界を還元させる責任を中心として、お母様と共に韓国を訪問いたしました。 これまで因縁となって祈祷して、宣布したすべてがお父様、済州島に代わったこの場において、お父様の前に宣布して、全宇宙の前に宣布しますので、この日を記憶してくださいませ。今や六月の最後の日となりますので、六月まで私が計画していたすべてを完結できませんでしたが、条件的な基準を、八○パーセント以上の基準を立てることによって、サタンといかなる関係もないあなたの願いを成就させる一念を抱いております。万事を勝利の決定的な覇権の場に移すことのできる権限を知ることにより、真のご父母様の相対的な基準でこのみ業を支えて成就、成就、成就、解放圏の世界に転換されることをこの時間、全天宙の全体還元式に代わって宣布いたします。 全天宙とともに神様の愛の圏内で、全霊界とともに地上の祝福家庭が一心一体となり、地上・天上天国に定着できる還元の祝福をこの天地に真の父母が、天地父母が合わさって全宇宙の前に宣布いたします。このみ業を成就させることにより、統一家の行く前途には、すべて万事が都合よくはこぶ勝利の覇権が続くようお願い申し上げます。 きょう、六月二十九日、朝八時四十分を中心として、このみ業を宣布しますので、天上世界に一つの標的として立てられ、この基準を中心として天地のすべての行く道を分かつようにしてくださることを切にお願いしながら、全天宙還元式に代わったことを宣布しますので、真のご父母様の御名と共に天地父母、全宇宙がここに抱擁され、ここに消化できるよう祝福されることを願いながら、真の父母の御名により天宙還元式を宣布いたします! アーメン! アーメン! アーメン! み言 皆さんを信じます。皆さんが海の主人であると同時に川の主人、平地の主人、山の主人になるべき本然の神様の前にすべて失ってしまったものを真の父母によって還元されたという信念を抱くのです。そうして、一方通行により処理できる自信を抱いて、今後のすべてのことに臨むことを願います。神様が願われるみ旨が早く促進されることを知っているなら、そのように援助することを願いますか? 八時四十分を中心として発表したのです。覚えておきなさい。 今や本来の世界に帰っていくのです。これから家庭が中心であり、氏族が中心であり、民族を中心として国家基準を越えることで、サタン世界の国家基準が地下に下っていける時が来たのです。ですから、南北統一は家庭的な事実として、私たちが宣布したように、その責任遂行に主体的な行使をするために、南北の前に影響を及ぼすべき私たちの行動が残っています。完全なるプラスは完全なるマイナスを再創造するのです。ですから、深刻なのです。(二○○○年六月二十九日、韓国・漢南国際研修院)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.20
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お母様が言われた"小さな針"とは?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.19
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第900回天心苑特別徹夜精誠 李基誠苑長のみ言 2023年11月10日(日本語訳要約)2023/11/142023年11月10日、第900回天心苑特別徹夜精誠における李基誠苑長のみ言を日本語訳、要約したものの音声です。BingのImage Creatorで背景画像を作成しました。▼2023.11.19 教会長説教より(第900回天心苑特別徹夜精誠 李基誠苑長のみ言から)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.17
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「陸地還元」宣布二〇〇〇年六月二十四日午前、真のご父母様は、韓国で活動中の国家メシヤたちをソウル漢南洞の公館に呼ばれ、祖国光復についてのみ言を語られた。引き続き午後の集会では、全国十六の市・道(ソウル六名)の連合会長十九名を任命された。新任の連合会長たちが簡単な会議の後、「二〇〇三年までに祖国光復と解放のため身命を捧げて南北統一を完遂する」と決意して、敬礼を捧げると、真のご父母様は午後五時三十分、祝祷を通じて「陸地還元」を宣布なさった。 み言 国家メシヤの後継者は、神学校を卒業して、行って杭を打たなければなりません。すべて計画を立てなさい。いちばん能力のある者を天に捧げるのだと考えなければなりません。この世の中では泡のように流れてしまう者が多いのです。いちばん貴いのは、その一族がどれだけ天の国の民を教育し、国の中心人物となりうる人材を育てたかということです。その功が大きいのです。世の中では霊界の事実を知らないのでそうなのです。 今は皆、故郷に行かなくてはならないでしょう? 皆、自分の故郷に帰っていきますか? どうなっていますか? 縁故地で四名ずつの班を組むでしょう、教育する班を。縁故地に行ってそこの教区長や教域長と合わさって、四名が一つのチームになり、自分たちが活動していきながら、再び四つのチームに分割するのです。その下に教会長を中心として、そのようなことをして統・班に下っていきながら、能力のある全国的に優秀な家庭は、外国に送り出すのです。何の話か分かりますか? 今、十六の市・道を中心として見ると、一か所に十一名以上が行くのです。百八十名が行けば、一つの道に何人ずつですか? 万一病気で責任を果たせないときは三か月が過ぎれば人事するのです。病気だからといって、そのまま置くわけにはいきません。そうでなければ、自分の妻とか息子・娘を配置するのです。できないときには人事措置をしなさい。 そして一八〇家庭を祝福してあげましたが、彼らはカイン的な基準なのです。自分の血族ではありません。自分の直系の家庭たちを配置して家庭とともに、自分の一族とともに集まり、姉妹血縁を結んで、ともに祝福してあげなければなりません。アダム家庭は兄妹同士で結婚したでしょう? ところが、カイン、アベルが怨讐になりました。そのように結婚させて国境を撤廃するのです。 自分たちが祝福してあげた一八○家庭をそのまま放っておくのではありません。自分が金氏ならば金氏の一族も、劉氏ならば劉氏の一族、近い親戚を束ねるのです。姻戚の八等親までもかまいません。母方の親戚まで合わせて一八〇家庭を束ねて、三六〇家庭を築くのです。家庭教会をやっていたその運動基準を築かなければなりません。こうして、その三六〇家庭が国家メシヤを手助けするのです。外国に宣教に行かなければならないのです。そうしてこそ、氏族たちが世界に行くことのできる道がつながります。自分につてがあってこそできるのではないですか? ですから、今や優秀な人は、自分の息子・娘のうち天才的な素質のある人は、混迷する世の中に置いておくより、天の前に奉献しなければなりません。今後、私たちは神学の勉強だけではいけません。必ず世の中の勉強をして神学校に行けというのです。二つ以上の学位を持たなければならないのです。 それで、霊的な基準である神学校を中心として今後体制を教育していくのです。心が体を支配していたのと同じようにです。外的な活動をしていても、心の命令を受けるのと同じく、信仰基準を中心とした教養を持った基準で社会生活、経済生活してこそ、社会が浄化します。今後は、すべて行く道がそうなのです。優秀な人たちをそのようにしなければならないのです。 世の中を見ると、ゴミ箱のような者たちが神学校に行っているでしょう? 私たちの考え方を根本的に直さなければなりません。卒業試験するときに評価して、優秀な人を国家が指定して神学校に送るのです。そして、自分たちが勝手にはできません。十二支派ならば十二族の編成が展開されるからそうなのです。十二の月というのは何ですか? 春夏秋冬と季節が違いますが、十二の月は自分の季節的な特性を代表しうる主体なのです。 ですから、それを今後、協議にかけてどの学校に送るか指定しなければなりません。自分の息子・娘をお金があるからといって勝手にはできません。どんなにお金がたくさんあっても、勉強ができなければ行けないのです。今はそのようにできる時です。三か月が過ぎれば人事措置をするのです。 今の時がそうです。皆さんが南北統一に対する主体的な力量を持って、南北統一運動をしなければなりません。南北統一が進まないからと、摂理のみ旨の前において、いつも延長させることはできません。三年以内に、四年までに片付けなければならないのです。 そのためにはいかにすべきですか? 北朝鮮との南北統一が問題ではありません。韓国を中心として見れば、南側の国のいかなる国であれ、姉妹関係を結ぶのです。これは国境ではありません。大陸を境界線で一つにできるこれを選んでおかなければなりません。 そのような意味から、韓国を中心とした南側の国であるウルグアイをすでに十八年前に、二十年前から先生が準備したのです。それで、そこで大統領をした人物たちが、三人の前職大統領が今も生きていますが今回、辞任したのがサンギメティー(フリオ・マリア・サンギメティー)です。この人を私が使おうとしています。私の側の人物として南米を中心としてUPI通信社に代わって大陸の責任者として使おうと思います。 それから大陸を中心として、南米三十三か国が責任者を立てるのです。UPI通信社をそのようにしなければなりません。三十三か国の国家のうちには責任者がいるので、UPIを中心として新聞社を後援するのです。大統領の経歴のある人物たち、有名な言論人、その国の著名人たちが後援しているので、新聞社を媒介にしてUPIが吸収しなければなりません。フランスでも何でも全部です。いちばん最初には多いですが、二か所はプラス、マイナスにするのです。UPIを支持できる立場で取りまとめて、統一してしまわなければなりません。あれこれと複雑な道がありえないのです。 それで、国家ならば国家の内にあって新聞社を中心として、教育機関、学校と束ねてなさなければならないのです。また、この通信社は世界の各国の新聞社と束ねてなさなければなりません。それから宗教と国家を超宗教超国家連合で束ねていかなければなりません。残るとするならば新聞社と通信社です。新聞社と大学連盟です。これは人脈を必要とするのです。キャンパスを中心とした学者たちを中心として、これは一国の新聞社も必要として、世界の新聞社も必要とするのです。これを連合して国家的な教育と世界的な教育を連結させなければなりません。これが分かれてはいけないのです。 今はそれが通じないのです。世界の言論機関は手ごわいのです。皆、優秀ですが、連結しておかなければなりません。その次に超宗教超国家連合も連結させるのです。 では、残ったのは何かというと、金融機関です。金融機関は、政治と経済問題を連結させるのです。今後、政治の世界というのは管理体制であって指導体制ではありません。政策というのは計画を立てる必要がありません。原理的な観点で平和のために暮らすのです。国家のために全体の前にお手本を示すことのできる、為に生きる管理体制であって、指導体制ではありません。 その管理体制で何をしますか? 経済的な問題、人が食べて暮らす生活が重要なので、生活面を指導的に解決できるようにすべきなのです。ですから、生活するにあたって上・中・下の三階級に分けて上級は生活基準がどれだけ、中級はどれだけ、といった具合に、これを中心として平準化するのです。中級になるときを中心として連結させ平準化しなければなりません。そうするには世界が必ず国連と一つにならなければなりません。整備管理を徹底しなければならないのです。政策を誤まって立てれば、経済の管理体制を破綻させてしまいます。 ですから、一家の生活のような計画を立て、一年にいくら、全世界の予算がいくらかかるかということ、上はいくらで、中はいくらで、下はいくらというのが出なければなりません。そして上はできるだけ中を中心として降りていきながら下を引き上げ、平準化させて合わせていかなければならないのです。そうした体制を築かなければならないのです。 ですから、政策的な方向がすべて異なれば、経済的に行くべき方向が無数に分かれてしまいます。そうすれば問題が生じるのです。平和の世界は、絶対に訪れないのです。それで政治体制が一つの管理体制にならなければならないのです。 いちばんの問題が政治問題です。政治家たちが詐欺をすることはできません。管理体制になっていきます。法によって保障された道を行かなければならないのです。問題は何かというと、お金の管理です。食べて暮らすのに、誰が良いものを食べて、誰が良いものを持つかというのです。これが問題なのです。良いものを互いに持つと言ってはいけないのです。良いものは全体のために与えて、中以下のものを自分が願うようにすれば、自動的に平準化がなされるのです。 それで今後、いちばんの問題が何かというと、公金の活用です。これがいちばんの問題です。その次には人事措置です。この二つです。人事措置を自分の系列を中心として行い、民主主義とか何主義とか言って野党、与党に分かれたのです。ですから、国家の傷跡がどれほど大きいですか? これまで携わった仕事に熟達した人たちが、負けて流れていってしまうのです。そうでなければ、中間で負けてしまい、そこでそれ以上は上がっていけないのです。その場で回りながら下っていくのであり、上がることができません。ですから、政治がなくなります。管理体制となるのです。すべて管理するのです。お金を分配してうまくやるか否かを管理するのです。 ですから、いちばん初めには服も制度化させるのです。そして今後、物の良し悪しを何で区別するかというと八色で区別するのです。今も何か良い品物を買うには色を見るのです。どんな色かというのです。虹の色があるでしょう? 人は色をうまく合わせなければなりません。服もお金があるからと高級服を買って着ますが、色が合わなければめちゃくちゃです。そのような面から相当に発展しなければなりません。そうであるだけに今からそうした訓練がなされていなければなりません。 自分の家庭を中心として標準化してはいけません。その村ならば村の上・中・下を中心として、そこに合わせて暮らさなければなりません。そうして、一か月に一度ずつ私たちの上・中・下の生活基準がいくらであるとして、主生活費はいくらで、経費はいくらで、消耗費はいくらと、その基準を中心としてどこに何をして、どのようにしていくかという、自動的に会議の結果によって翌月はどのようにしていくかが定まれば、そこに合わせて暮らさなければなりません。 私たちの生活方法を保障するのはいつも法です。月給をいくらかもらえば、今月は何パーセントの人の金額がいくらだ、というようにです。上・中・下によって比例基準が異なるのです。それを鉄則として守るのです。それが間違えば、霊界の自分の生活に侵害を受けます。霊界がそのようになっています。 資本主義社会のようにお金を積み上げて、暮らすことはできません。私はお金を積み上げていません。今後、息子・娘と共に暮らしても息子・娘の村全体の平準基準が三人ならば、三人を基準として四人、五人になれば生活を比べた基準を自分たちが協力して付加しなければなりません。百世帯が住むならば、百世帯が分割して赤ちゃんの多い家を助けるのです。兄弟なので甥や姪のように考えなさいというのです。それで今後、村で結婚するのです。助けてあげた家、助けてあげた因縁に従って連結されることによって、平和の基盤がだんだん拡大されていくのです。 国家メシヤたちが一八○家庭ずつ祝福しましたが、皆どこに出してしまいましたか?皆、いますか、いませんか? どこかに引っ越せば報告させ、住まいに関する問題も管理しなければならないのです。こうして自分の一族を中心として会議して話を聞いて、一八○家庭をやった外部の人たちを集めて、劉氏ならば劉氏の家門の一八〇家庭と結んであげるのです。結んで一つにして、今後結婚させなければならないのです。村の中でいえば、李氏とか、金氏とか、朴氏とか皆、境界線があるでしょう? そのようにすることによって、境界線がすべてなくなるのです。 そして、これからは国際結婚しなければなりません。自分の何代かの後孫のうちに、数か国の人たちが入ってきて暮らすようになるのです。それで、村に世界各国、百八十か国の人たちが集まって暮らすのです。私たちはアベル的な国際結婚をした人であり、彼らはカイン的な国際結婚をした人です。国際結婚した人は寂しいのです。どこに行っても集まって住むのです。こうして保護して国際結婚した人のクラブが自国の人たちが集うクラブよりも大きくなると、その世界を包摂するのは問題ないのです。 先生の家庭も孫の時代には、国際結婚させなければなりません。三代目には国際結婚するのです。世界民族を編成する先祖たちです。そのような概念がなければ、世界人類が一つになりうる道がありません。先祖の心を持たなければなりません。先生の家庭の二代直系子女は国際結婚させることができません。そうすれば問題が生じるのです。 さあ、それでは行く道を先生に任せるのです。それ以外にもう一つ話すべきことは、皆さんが南北統一を四年間に成就できないときは問題が生じるのです。問題が生じるというのです。宿命的な課題をおいて、決定的な運命を打開すべき立場に立っているということを知らなければなりません。 それがもし、できないときは、どうなるかというのです。それで、このような準備をするのです。東西があります。平面に東西です。横的に一つになったのは民族的な基準ですが、縦的な基準で南北が一つになりえなければならないのです。二重民族です、二重民族! 韓国とウルグアイがそうです。 ウルグアイの国は地の果てにある国で、極です。そこに新聞社を設け、銀行も設け、ホテルも設け、教育機関である学校まで設けようとするのです。やったならば、すべてやったでしょう。 世の中の人たちは皆、百人いれば百人が後退して放棄するものと見ていたのです。先生は放棄しません。損しながらもやるのです。それがその国において、誰よりも信任できる一つの伝統になるのです。 今、大統領もそうであり、前職大統領の三人は完全にみ旨を中心として、全国民の教育を私に任せました。六十余名をやれば、統一するのは問題ないと言ったのです。その次に二百名? 二百名はいっぺんに呼んで三日だけすればすべて終わるのです。ALC(アメリカ指導者会議)教育をするのです。そのようにできる時が来ました。国を復帰するのは難しいことではありません。アメリカで実践しているのです。韓国も知っていますか? 日本も知っていますか? 帰っていってそのようにやるのです。本をもってそのままそのやり方でやるのです。 その次には大学に行かなければなりません。キャンパスに出入りする人たちを軍隊の訓練をするように、すべて思想武装をしてしまわなければならないのです。そうすれば、すべて終わるのです。どこに反対する人がいますか? 今や私に反対せよと言ってもできません。反対したとしても得することはありません。力で見ても、何で見ても世界的な版図を築きました。今、アメリカの国務部が私たちの本を学ぶのです。大会を開くと、国務部が私たちの下に来て学ぶようにと言います。 以前、アジアの言論人と西欧社会の言論人が集うといったとき、国務部が笑ったのです。レバレンド・ムーンは手しかないのに、誰を集めるのかというのです。自分たちがどんなに集めようとしてもできなかった人たちがすべて集まってきたので、私に大使館を連結させて働かせることができるように許可してくれと言ってきたのです。それで、それを連結しようと許しを得てそうしたのです。私たちの世界の人脈にかなわないのです。それを知っていますか? 彼らを教育さえしてみなさい。すべて終わるのです。 ですから、そのような教育をすることができる訓練がなされていなければなりません。これから皆さんが国際舞台に出て、生存基盤を築かなければならないのです。国家を越えて世界に連結させるという召命的な責任を完遂できるか否かという試みの過程に入っていくのです。公式的にやらなければならないのです。それが早道です。 皆さんが何かをするようになれば頭が複雑になるのです。単純化させなければなりません。それで原理講義も公式化するのです。単純でなければなりません。十人、百人が入ってきてもそれが良いのです。公式を崩してしまえば、ありとあらゆる立派な人たちが統一教会に入ってきても、すべてぼろ切れのようになるのです。自分が暮らしてきちんと定めておいてこそ、それを中心としてそこに補っていくのです。第一、第二、第三分野まで拡大して、それ以上は必要ありません。 教本を皆持っているでしょう? 皆にあげるように言いましたが、もらってきましたか? 英文になっていますが、英語の勉強をしなさい。それをすらすらと覚えれば、英語もすぐに学ぶのです。大したことはありません。英語は暗記する方法しかありません。 どのようにしようと言いましたか? 私がこれから祈祷しなければなりません。皆さんが四年間に南北統一に責任を持つかというのです。決定的に責任者だというのです。できないときには、民族をすべて追い払ってしまわなければなりません。放棄してしまわなければならないのです。大移動するのです。それで皆さんを収容できる済州島ほどの土地を買うのです。統一教会の信徒は、いくらでも食べて暮らし、押し込めば何でもすべてできるのです。 どのようにしますか? 私が先に海洋還元祈祷をしましたが、これから大陸還元祈祷をしてあげなければなりません。済州島に行って、海洋と大陸を結んであげる祈祷をしていかなければなりません。そうすれば、私の責任は終わるのです。皆さんに任せたので、やるならやり、やらないならやるなというのです。ウルグアイで現在、家を買って宮殿のように立派に建てておきました。皆さんは働くならば働き、やらなければやるなというのです。私は今そこに行って休むのです。皆さんに任せてもよいでしょう? 問題ないでしょう? 日本もそうです。日本はフィリピンに匹敵し、韓国はウルグアイに匹敵します。極と極を設けなければなりません。フィリピンが日本の占領地でした。そこはアメリカの領土でした。アメリカを料理するためには、フィリピンを前に立てなければなりません。日本の女性たちがフィリピンの女性たちを連れてアメリカに行って働ければ、通訳させて、とてもよいのです。妹のように従えることができるのです。 南北統一ができるように日本が助けなければなりません。日本人たちが財産を処分するか、何かを売るかして、三分の一を中心として、北朝鮮の人たちを食べさせることをやれば、統一は問題ありません。どのようにしますか? そのままあなたがたが、この四年間に南北統一に責任を持って、突き進むというならば、そのような祈祷をしなくてもかまいません。どうしますか? それを決定するのです。 万全の備え? 完全統一することが万全の備えです。それが万全であって、他に何がありますか? 第二の案として良いものがありますか? 韓国人にすがって泣きわめいて血筋が動き、骨がきしみうる、同化しうる環境が縦にも、横にもすべてありますが、異国の地に行けば問題が生じます。 それを決定しなければなりません。本当に国に責任を持つかというのです。責任を持てなければ、皆さんの親戚とか、何とかすべてが分かれて、ふろしきに荷物をまとめて私たちは離れていかなければなりません。だからといって悪くなるのではありません。南北が連結されて一つになるのです。横的に、水平に一つになるのが、縦的に一つになるのです。縦的というのは、立場が二つではありません。違います。横的には立場が同じでしょう? 縦的な立場に立って、同じ氏族を中心として、横的な面において板門店を中心として、横的に連結するのです。そうすれば、横的基準はすべて消化できるのです。それができずにいるので、縦的な面を中心として対峙しておいて、今やアメリカさえ一つにすればいいのです。アメリカさえ一つになれば、すべて一斉に解決されるのです。ですから、教育が残りました。それでソ連も教育するのです。中国とソ連に命じて北朝鮮に影響を及ぼそうとするのです。日本を通じても影響を及ぼさなければなりません。 早く決定するのです。それには、どうすればよいですか? 間違いなく責任を完遂しますか? それが何かというと、皆さんが責任を果たせなければ、皆さんをすべて置いて、先生の家庭だけ治めて、このみ旨を果たしていくのです。その国に行って教化させるのです。南北を旧教と新教を中心としてアジア大陸以上に一つにするのです。そこは資源があり、文化の面で基盤が整っています。移すことができるのです。アジアでイエス様を殺すことによって、西側にすべて行ったのと同じことです。 私がこの民族に対する責任を、それ以上にすべてやったのです。北朝鮮と韓国が私の言葉を聞けば、世界的な基準をかちっと移してあげるのです。いっぺんに世界基準に上がっていける道をすべて整備しておきました。 決定しなさい。それはどういうことかというと、皆さんが決定すれば、皆さんは仕事をして、私は南米に行って存分に暮らしてもいいのです。あなたがたを助けるお金をもって、そこで暮らせばいいのです。北朝鮮を助けて、あなたがたを助けることのできるお金を、韓国を助けることのできるお金をそこで使えば、韓国以上に一つにできます。 どうしますか? 責任を持ちますか? 責任を持てなければ、祈祷するのです。国家メシヤたちは、イエス様のように楽園で神様のみ旨が成就するときまで、待たなければならないというのです。それができなければ、再び世界が復帰されうる時を数千年でも待たなければならないのです。今、韓国で生まれる赤ちゃんたちは、先生の運勢に乗って立派な子が生まれます。最近、電子世界の先端を走るのも天の運勢によるものです。 私が韓国人に反対され、韓国のキリスト教に反対されたことを考えると、とてもむしずが走ります。今はなぜ私がこのようになったか分かりません。かわいそうだったのがさあーっと引いてしまいます。本当に私も不思議な人です。昔は朝鮮半島の故郷の山河を思うとほのぼのとしたものですが、今は次第にそれが薄れていきます。天が離れるのです。私が共産党を中心として何度ですか? 統班撃破を三回までやりました。三回までやっても失敗したら、それにすがることができますか? どう考えますか? それで、孫たちを国際結婚させて、孫の嫁や夫を立派に育てなければと考えるのです。韓国人よりはましでしょう。 ウルグアイの人たちは、ブラジル人とは結婚しません。また、アルゼンチンをばかにしています。それは教育を誤まったからです。信仰の伝統が立っていないのでそうです。私が連れて働かせれば、おじいさんとして若者たちが一生懸命に従わないことはありません。 私がそうする余力があるのです。畑を耕してもそうであり、船に乗ってもそうであり、穴を掘れと言っても、誰よりも早く掘るのです。肥料工場に行って三年間、肥料の山を掘ったのです。ですから、つるはしを扱うのも上手ですし、シャベルを扱うのも上手です。今でもそうです。私が食べて暮らすのは心配しません。どこに行っても何の仕事でもさっさっとこなすのであり、遅れを取らないのです。ですから、どこに行っても恐さを知らないのです。パンタナールに行ってアナコンダ(大蛇)の棲む園に行って暮らしても、私は生き残れると考えるのです。 皆さんが責任を果たせない日には、他の国に行くのです。すでに約束しておいて、できないときは、先生はふろしきを包んで、皆さんを置いて引っ越すのです。本来ならば先生の息子・娘を誰よりも愛すべきでしょう? それを歓迎する環境が、韓国になるのです。 神様がイスラエルを失ってしまわれた悲しみ、キリスト教を無にした悲しみ、私もそれを感じなければならないというのです。韓国を無にした悲しみ、それよりもみ旨をもっと愛する心があるので、悲しみを忘れて回れ右して、行かなければならないのです。 日本はフィリピンと一つにならなければなりません。韓国がやらなくても、やらなければなりません。日本が責任を果たせませんでした。アメリカを料理するには、日本人自体ではだめです。フィリピンを抱いて、フィリピン人を通じてやるのです。皆、英語ができるでしょう? 日本人は英語ができますか? 難しいでしょう。兄弟のように結んでカイン、アベルのように二つの国が協力しなければなりません。それで、アメリカとフィリピンを近づかせて、北朝鮮も包括してそのようにしなければならないのです。 どうですか? 皆さんが南北統一を受け持ちますか? 他の国を加えますか? 主導的な役割は皆さんが果たさなければなりません。それでは中心的な役割とは何ですか? 南北統一をして大統領も皆さんが立て、国会議員も皆さんが思いどおりにすることができなければなりません。それをやるために教育しなさいというのではないですか? 教育すればそれが可能なのです。間違いなく可能です。八〇パーセント以上です。あらん限りの精誠を尽くしてやりなさい。 先生は難しい環境において、これまでアメリカを中心として三十三年間、闘ってイエス様の三十三年を蕩減して、復活させるみ業を展開してきたのです。個人復活ではありません。宗教復活です。 皆さんは一生の間、責任を果たしたことが一度でもありますか? 先生が整えておいたその道の上に橋をかけて、機関車までつくり、レールの上を走る車に乗って回るだけだったでしょう。そうかといって、家庭といっても、天の前にささげることのできる家庭を持ちましたか? 家庭の垣根になれるのが氏族であり、氏族の垣根になるのは国ですが、氏族もなく、家庭もそのようになっていません。国の垣根も持ってこそ、安着できる環境になるのに、それもできないで何をしますか? 国家メシヤたちが来て何をしますか? 祖国光復をしてこそ、自分の妻と息子・娘を生かすことができるでしょう? 配置するとき、そのようになっているでしょう? できなければ、息子・娘に会えません。蕩減する前には、また繰り返さなければならないでしょう。それで再臨してすべて反対するようになれば、先生が繰り返すのと同じようにしなければなりません。公式がそうです。誰かを信じてはいけません。自分の責任があれば、自分がやらなければなりません。本部から助けが必要とか、どうこう言ってはいけません。 きょう、新しく任命した責任者たちは、棒を持つか、野球のバットを持つかして、殴ってでもてっぺんから統・班の責任者たちまで、教育を完了させなければなりません。ですから、挙国的な国民思想武装を行うのです。そして、今回、選択した責任者たちに絶対に従っていきなさい。年齢とか、先輩だとか、家庭の事情とか、すべて公認しません。この目的の達成のため、一人の責任者を絶対的に信奉して歩むことを命令するのです。 そして、日本はフィリピンを助けなさい。二つの国が兄弟にならなければならないのです。そうすればウルグアイは本流なのです。その代わりに皆さんが生命を懸けてやらなければなりません。 祝祷 愛するお父様、二〇〇〇年六月二十四日を中心として、韓国に来て南米と北米を連結させる海洋還元を決定した後、今や大陸の南端にある朝鮮半島に来て、アジア大陸を中心として全世界六大州を連結させうる大陸還元が可能になりました。海洋と大陸が創造理想のうちにつくられたあなたの本然の園にあったものが、海と陸地の還元を中心として、天地ご父母様の前に連結させたものを、今日、この時間を期して、真の父母の御名をもって全天地に宣布いたします。 霊界の祝福された全家庭と地上の祝福された家庭が、新しい神様の真の愛を中心とした血統的な基盤を通じた、一つの入籍の権限を地上に立て、南北統一の完成を一族の血統を中心として築かれた因縁を通じて、持続的な権限をもって、主体意識を持ってやらなければなりません。 真なる主体は、真なる対象圏を消化、完成させるという原理基準から見るとき、韓国の野党、与党を、すべての基準を一つにして、絶対ご父母様の愛の心情を抱いて、心情的に北朝鮮の地を消化して、残ることができるよう祝福してください。そうして、あなたが願われた祖国光復の恨を解かれ、神様の祖国としての千年万年、永遠なる地上に地上・天上天国の基本に据えてください。全宇宙の被造万物の解放とともに、その中に主人となった人間が地上地獄・天上地獄にあったのを開門して、地上・天上天国の一つの祝福された家庭として、神様が選択した勝利の家庭として、永遠なる自主的な心情一体圏を備えた、単一民族的な血統を備えた、天地父母の血族として立ててくださいませ。 そうして万国を統治できる統一の世界に前進するにあたり、体、心がともに衝突がなく、家庭の夫婦と父子関係、また兄弟の関係、一族の関係を越えて、一国を越えて、全世界が統一的な伝統をもって、神様が自主的な立場で個人から天宙全体まで、自由に往来することのできる自主的な愛の主権国家を完成なさってくださいませ。全天宙の解放とともに、万世の勝利の栄光を全宇宙の存在世界とともに受けられ、栄光の天国の生活を図ることのできるよう、祝福してくださることを切にお願いいたします。 今や真の父母は今日、この時間を期して海洋とともに陸地を還元して、創造理想の愛の心情を通じた血統的な因縁の本然的な還元を宣布いたしますので、あなたが自主的な立場で主人となられて、億千万世の権限を中心として全体・全般・全権・全能の行使を整えられ、愛の全主権国家、愛の全主人の保護を受ける万物世界となるよう、許諾してくださることを切にお願いするものでございます。 きょう、六月二十四日、この時間を期して、すべての全体が還元されたものをお返しいたしますので、真の父母の代わりに天上の創造主が受けられて、永遠に勝利の覇権をもって、一方通行により平準化された天地を備え、地上・天上天国に前進することを願いながら、真のご父母様の御名により新たに還元完成を宣布いたします! アーメン! アーメン! アーメン! み言 今や国を見いだしたことを知らなければなりません。そこに反するすべてのものは除去されるという信念を抱いて突き進めというのです。 第二次世界大戦直後に再臨主が、この地に来たとき、カトリックと新教が合わさり一つになっていたならば、祝福された彼らが先祖となって、自分の母、父を祝福してあげるのです。今やそうした時代に帰っていくのです。それで国際結婚も怨讐同士で行うのです。三六家庭も好まない者同士を組み合わせたのです。 今回、自分の道(県)に行けば道議員から訓読会をやるのです。そのようにやるからと反対する者はいません。「南北統一がこの方法以外にあるか調べてみなさい!」と言うのです。堂に入ってやるのです。自分の側にするには既成教会に行って訓読会をやるのです。そうすれば、自分の側がたくさんできるのです。生命を投げ出してやれば、できないことがないのです。人は冒険をしてこそ発展するのです。(二〇〇〇年六月二十四日、韓国国際研修院)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.16
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「世界児童平和美術大典」大会の辞2000年6月23日 ソウル市内のロッテワールド民俗博物館で国連NGO(非政府組織)の世界平和教育者国際連合(IAEWP)韓国支部などが主催する「世界児童平和美術大典」が開かれました。 真のお母様は、その場に名誉会長として出席され、IAEWPが制定したグランプリ平和賞を受賞されました。IAEWPは一九六七年に米国で設立され、一九七三年に国連NGOとなり、現在、全世界百か国以上に支部を置いています。 その授賞式に先立って行われた「韓国動乱五十周年写真展および世界児童平和美術大典」のパンフレットに掲載された真のお母様の大会の辞を翻訳したもの。 「韓国動乱五十周年写真展および世界児童平和美術大典」に参加してくださった内外の貴賓の皆様に心から感謝いたします。愛と平和の象徴である子供たちが平和統一を祈願して開かれる今回の美術大典は、いつにもまして貴重な意味を持ちます。 きらきらと輝く彼らの目を通して映し出された絵は、器量の面においては大人と差があるかもしれませんが、内容の面においては、むしろ分断の悲劇と平和にもとづく南北統一への熱望がよりいっそう真率に描かれています。 私は、夫である文鮮明総裁とともに、国内外の各分野において国際的な平和団体を設立し、生涯を南北統一と平和世界の実現のために努力してきました。地球上で唯一の分断国家として、南と北の統一は、単純に韓半島が一つになるということにとどまらず、共産主義と民主主義、唯物論と唯心論の葛藤が克服され、統一されるということを意味し、永遠の平和世界のモデルが誕生するということを意味するのです。 このような南北統一の成就のために何よりも重要なことは、真の愛の心とその実践です。このことだけが、さまざまな障壁を崩すことのできる土台となるからです。南と北の統一は、条件なく与えて、さらにまた与え、ために生きて、さらにまたために生きるという真なる愛の心があるときに可能なのです。 戦争と葛藤と暴力に染まった二十世紀を超えて、平和と和解と愛のあふれる二十一世紀を成し遂げるためには、わたしたち全員が子供のような純粋な愛の心で世の中を変えていかなければなりません。 わたしたちは、平和の秘訣を子供たちから見いだすことができます。子供の世界には闘争と分裂がありません。ただ平和と愛と純粋さがあるだけです。 それは、空のように明るく、海のように青い本性の願いどおりに生きるからです。子供たちのように真の愛を中心として生きていくとき、わたしたちの心と体が一つとなり、家庭の構成員が和睦し、国と国が和解し、地球村に人類大家族を実現した平和の世界が成し遂げられるでしょう。 この平和美術大典を通して、戦争の傷によって苦痛を受けるこの地の数多くの離散家族の痛みを慰労し、また祖国の統一を念願する情熱の炎を燃やす貴重な契機となることを願いながら大会の辞を締めくくりたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.15
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【イエスの教え③】迫害される者は幸いです~2023/11/12 #ポッドキャスト #聖書 #信仰I am enough!平野耕一牧師のショートメッセージです。マタイによる福音書/ 05章 10~12節 義のために迫害されてきた人たちは、 さいわいである、 天国は彼らのものである。 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。使徒行伝/ 07章 52節いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。ガラテヤ人への手紙/ 05章 11節兄弟たちよ。わたしがもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、いまなお迫害されるはずがあろうか。そうしていたら、十字架のつまずきは、なくなっているであろう。テモテへの第二の手紙/ 03章 12節いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 全国弁連に牛耳られた岸田政権2023/11/13国際勝共連合(IFVOC)街頭演説 2023年11月10日街頭演説「このままでは日本は滅びる」からの抜粋です。
2023.11.13
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