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四国八十八ヵ所巡礼は、今年(2019年)10月14日ですべて回りきって結願となったが、さらに高野山の奥の院へ行って、弘法大師へその報告等をするお礼参りをして、真の完了となる。そういう決まりがあるということではないが、皆そうするということなので、できれば早いうちに行きたいとは思っていた。しかし、11月(10月下旬)からはマラソン大会のシーズンに入ってしまうので、なかなか行けそうにないし、高野山は冬場になると相当寒いし、路面凍結も怖いので、来春くらいになるかなぁ・・と思っていた。ところが10月30日のブログに書いたように踵を痛めてしまって、当分走ることができなくなった。つまり逆に、週末がヒマになってしまったのである。なので、11月2~4日の3連休の最終日の朝、突然思い立って「今日高野山行ってみる?」と家内に聞くと、ええっ?今日?と驚かれたものの、特にその日は予定もないので、じゃ行ってみようかということに。「行く」ではなく「行ってみる」という表現なのは、好天の3連休で、秋の行楽シーズン、観光地として外国人にも人気の高野山・・つまり、大渋滞が予想されて、行きつけないかもしれないから。行けそうになかったら、適当に昼ごはんでも食べてUターンして帰ろうということで、取りあえず車で出発した。尼崎の自宅からだと、阪神高速から阪和自動車道に乗り換え、岸和田和泉というICで下りて、そこから一般道、170号線から480号線に入り、和歌山県へ抜けるルートが最短となっている。480号線には2017年に開通した鍋谷トンネルがあり、行きやすくなった。実際にそのルートで走ってみたところ、国道170号線までは順調に走れたのだけど、そこから480号線に右折する信号が相当な渋滞になっていたのだ。初めて通る道なので、なんでこんな山の中の交差点が渋滞しているのか全く分からなかった。本当に何度信号が変わっても遅々として進まず、やっぱり(行くのは)やめようか、途中の道の駅にでも寄って引き返そうか、などと家内と話していた。ただもう右折車線に並んでいるので、とりあえず右折するまでは辛抱することに。どれくらい時間が経ったのか、ようやく右折できた。そしてその渋滞の理由がすぐにわかった。交差点から200mくらいのところに農産物の産直市場「葉菜の森」というマーケットがあって、ここに来る車が駐車場待ちで並んでいたのが原因。こんなことに出くわすなんてね。ともあれ、そこを過ぎれば何のこともないスイスイ走ることができた。そして鍋谷トンネルという4km近い長さのトンネルを超えると、和歌山県のかつらぎ町へ。地図で確かめると、このトンネルがないと峠越えの厳しい道しかなく、非常に値打ちのあるトンネルである。高速道路なら長いトンネルも多いけど一般道では珍しいかも。ともあれ、これなら昼過ぎには高野山へ着くだろうということで、480号線を山に向かってひたすら走ったけど、大きな観光バスの後ろになったのでノロノロ。高野山の大門を通って金剛峰寺の辺りはやや渋滞。そこも通り抜けて奥の院へ。中の橋駐車場は満車で、少し離れた第2駐車場へ着いたのは12時半だった。中の橋の前のレストランで昼食をとって、ようやく奥の院に向けて歩きはじめる。まだ「下界」では紅葉には早いけど、高野山はすでに紅葉。陽射しを受けると本当に美しい紅葉の風景。気温もさすがに低くてもう1枚上着を持って来ればよかった、と思うほど。有名人(信長や秀吉など)のお墓の中を通って、奥の院の弘法大師御廟へ。しっかりお礼を申し上げ、廟の裏手のほうで本物のお坊さんがお経をよんでいる横に立って般若心経を納めました。さらに燈籠堂の地下でもお参りし(この辺りは一切写真が禁止です)、御供所へ寄って納経書に御朱印を頂くことに。そういう人の行列ができていてしばし待つことに。四国八十八ヵ所の納経書では表紙の裏、最初のページが奥の院のページになっていて、朱印を押してくれるお坊さんから「八十八ヵ所結願されたのですね。おめでとうございます」との言葉を頂き、何だか心が温かくなった。門前の店でお土産などを買って帰路に。奥の院から金剛峰寺は一本道なので、どうしても渋滞を避けることができないが、ノロノロ進み、金剛峰寺近くの無料駐車場に運よくとめることができ、お店が集まっている界隈を散策。生ふ饅頭だの、ゴマ豆腐だの買ってから再び480号線に。高野山を下りるとなかなか車が多くて、このまま480号線を戻るのはどうか(来た時より時間がかかりそうな感じがした)ので、思い切って高速(京阪奈自動車道~阪和自動車道)で帰ることに。このルートはいったん和歌山市まで出て、阪和道に乗り換えるので、かなりの距離になる。しかし京阪奈道は未完成であることもあって無料、スイスイ走れて、距離的には遠回りだけど結局時間的には短いように感じたのだった。阪和道から関空道、そして湾岸高速を走って帰宅した。帰宅時間が18時過ぎになったので、家族で外食。ビールで乾杯!早くお礼参りができて良かった。しかも、もう1週間遅いと高野山はもっと寒くなるので、その点でも、そして美しい紅葉も見ることができたし、今日行ってほんとうに良かった!
2019.11.08
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◆2019年10月14日 第44番大寶寺 第45番岩屋寺2019年、即ち令和元年の10月14日。ついに八十八カ所結願の日が来た。第1番霊仙寺をお参りしたのが2012年なので、足掛け8年になる。廻る順番もバラバラだったけど、やはり行きにくい久万高原町の2寺が最後に残ってしまった。元々は10月12~13日の1泊旅行を予定していたけど、猛威をふるった台風19号のために、急きょ13~14日に変更した。なので前日13日に松山市のホテルで宿泊し、14日朝ホテルを出発。9時半過ぎには大寶寺に着いたのだった。 大寶寺は久万高原町の中心地にほど近いが、とは言え、やはり山の中腹にある。車で境内まで行けるが、その手前に駐車場があり、この先の道は狭くて通行が難しいのでここへ駐車して徒歩で来てほしい旨の注意書きの看板があり、それに従うことにした。距離は近いが徒歩の道も狭くて通行しにくいという意味では同じだった。非常に歩きづらく、マヨにはたいへんな道だった。もうちょっと道を整備して欲しい。車で上がればよかったと後悔させる道だった。 山門をくぐっても本堂が見えず、さらに石段を上がってようやくたどり着く。かなり古くて歴史あるお寺。境内は狭く、本堂と大師堂がくっつくくらい。周囲も大きな木々が林立していて中世そのままの雰囲気がある。 そして最後の岩屋寺へ。同じ久万高原町だが近そうで遠い。車が全く入ることのできない山岳にある。標高700mにあるとのことだが、もっと高い気がする。取りあえず狭い橋を渡ると、小さな集落があり、この先はマイクロバスやキャンピングガーなど大きな車は家の軒先に当たるので通行禁止、との看板がある。乗用車でもギリギリの狭い道を進むと小さな駐車場があって、そこになんとか入れた。そこから先は、看板によると徒歩で20分(距離は700mほど)とある。しかし、マヨを連れて歩くとなるとその倍以上の時間がかかる(実際、かかった)。 とにかく「普通の坂道」ではない。勾配がきつい。坂道だったり石段だったり。息が切れる道のり。途中の少し平坦なところに極楽橋という朱い橋があるが、そこで半分くらい。永遠に着かないのではないかと思うほどだが、すれ違う人がもう少しですよ、と声をかけてくれる。何とかかんとか登りきった。岩屋寺という名前の意味が一目で分かる。本堂が岩の壁にくっつくように建っている。ほぼ垂直のような巨大な岩肌がむき出しなっていて、上の方に大きな窪みがある。そこには梯子が掛けられていたので上がってみたが、その窪みで座禅でもするのか、僅かなスペースがあるだけだった。高所が苦手な人には無理だろう。 ちょうど本堂ではお坊さんが念仏を唱えていて、よく通るハリのある声で、唄うように唱えていた。僕らも経本を持っていて般若心経だけは唱えている。1カ寺で本堂と大師堂の2回読むのでもう何十回も唱えているが、ちっともうまく唱えられず、詰まり詰まりになってしまう。そもそもフリガナなしには読むこともできない(笑)のだから。最後もうまく読めなかった。 とは言え、これで88カ所全てを回った。結願ということになった。終わってみて何かを得たり感じたかと自問しても、これと言って確かなものもない。ただ、終わってしまったと思うと淋しさは感じる。もちろん何度回っても良いのだけど、今度回るのなら、一遍に88カ所を回ってみたい気がする。歩いて、と言いたいところだけど、車で回ってみてその距離が分かると言うか、とんでもない距離だと感じた。 同行二人とはお大師様と一緒という意味だが、お大師様には残念ながら巡り合うことがなかった。しかし、他のお遍路さんとはどのお寺でも巡りあった。一期一会ではあるけど、そうした人との巡り合いや、地元の人のお接待の中に、何かしら感じるものがあったような気がする。また、いつか。
2019.10.15
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◆2019年4月30日 第41番龍光寺 第42番仏木寺 第43番明石寺 翌朝、ついに平成最後の日になった。最初は龍光寺。所在地の三間町は2005年に宇和島市に吸収合併されたので、今は宇和島市になる。ただし、市内からは少し遠い。北へ向かい、JR予土線(高知方面に向かう)の沿線になるので、ひとつ山越えしたさきの盆地にある。行ってみると広い盆地だった。その盆地の北のはずれ、山際に龍光寺はあった。道路から入るところに石の鳥居がある。小さすぎてその鳥居の間は通れず、鳥居の両側を車は通るこちになっていたが、その先は道が狭い。車のサイドが擦りそうに感じるくらい狭く、またかなり急な坂道を上がったさきに駐車場があった。歩く人は数十段の石段を上がらなければならないがそこは少し省略できた。とは言え、山にへばりついている感じのお寺なので、本堂までは石段がある。かなり小さな境内で、ここも神仏混交の色が濃い。地元の人はお稲荷さんと呼んでいるとか。お稲荷さんは境内からさらに石段を上った先に見えた。お参りをして次の仏木寺へ。 次の仏木寺も同じ三間町にあるので近かった。今度は広い道路沿いにあって、入り易いお寺だった。こちらは大きいお寺だった。山門も立派、通路も石畳で綺麗に整備されていた。さらに手水鉢には新緑のモミジがひと枝沈めてあり、それも清々しい。境内を清掃している人もいて、いつも綺麗にしていて好感のもてるお寺だった。 仏木寺から次の明石寺(北の方角)まで行くのに、いったん逆方向に行って三間ICから高速道路を走り、西予宇和ICで下りるルートが正解だったようだが、仏木寺の前の道・県道31号線をそのまま北上した。こちらは山越えの道で、昨年の西日本豪雨被害では長らく不通になっていたらしい。まだ途中で工事をしているところが何カ所もあった。運転はしんどいが、新緑の季節だし、時間もあるのでこの道でも良かった。 峠を越えると西予市に入る。ここも2004年に5つの町が合併して市になったのだけど、その中心の宇和町に明石寺はある。道すがら道の駅「どんぶり館」があって、広い駐車場は車で一杯の状態。トイレ休憩も兼ねて入ってみた。お土産物屋もあるし、レストランもあるが、野菜市場があって、来る人はこれがお目当てだったようだ。農家さんが自分の作物を持ってきて売っている。新鮮な上、かなり安い。結局ここで野菜も買ってしまった。 明石寺は町の中心部からは少し離れていたが遠くはない。ここも山の麓にあって、山門や本堂には坂道や石段を上る。ここは大きなお寺だった。ただ、珍しいと感じたのは、建物の屋根の瓦が明るい茶色なのだ。全部が全部そうではないが、檜皮葺きと見られる部分が残っているので、瓦に変えるときにその色に合わせたのだろうか。ただし大師堂は黒い瓦だった。調べてみるとここは真言宗ではなく天台宗のお寺だった。 この日は3カ寺を廻ってもまだ午前中だったが、次の大宝寺、岩屋寺はかなり遠く、行けそうにないので、内子町観光をして帰った。 平成天皇ご退任の式は車のラジオで聞いていた。この八十八カ所巡礼はあと2カ所を残して、次の令和に持ち越した。
2019.06.10
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◆2019年4月29日 第50番繁多寺 第51番石手寺 第52番太山寺 第53番円明寺 いよいよ平成もあと3日となった4/28、GWの旅行に出かけた。前述の正月旅行で、もう母親は歩くことだけではなく、外泊そのものが難しいということが分かって、旅行に連れて行くことも断念した。それまで入居していたサ高住も介助が難しくなったので、グループホームを探していたが、運よく1部屋空きが出て、そこに移ることとなった。3月に母親を引越しさせたところだった。その3月23日には四国八十八カ所を100回も廻った兄夫婦、そして88歳になった母親の米寿を記念して、兄弟5夫婦が琴平に集合して1泊したりもした。そんなことがあっての翌月4月である。 家内・万葉の3人で、まず高松市の観光をし、四国中央市に夕方に行って、夕食だけを母親と一緒にする(我々は四国中央市のホテル(リブマックス伊予三島)に泊まる)こととした。前に真夏に行ってほとんど見学できなかった栗林公園をゆっくり散策し、さらに玉藻城址(旧・高松城)の公園を散策してから、四国中央市に行った。 夕食は地元で評判の高い成都飯店を予約しておいた。ところがである。母親の新しい宿舎に行ってみると、夕食はもう食べたという。施設従業員の連絡ミスだと思うが、何も分からない母親に食べさせてしまっていた。仕方なく、結局家族3人で成都へ行き、中華料理をしっかり食べて、ホテルに泊まったのだった。 翌朝、母親の様子を見に行き、結局(どこにも連れて行けないので)そのまま、松山へ移動した。この日は松山市内・近郊で残していた第50番から53番までの札所を廻り、さらに南予の宇和島市へ移動することになっていた。ただし、天気予報は雨の予報。これまで79カ所ものお寺を廻ったのに、傘をさしてお参りしたことは一度もなかった。晴れ男なのか、家内が晴れ女なのか、あるいは晴れ夫婦なのか、天候には恵まれていたのに、である。 まず第50番の繁多寺へ。松山市中心から見て東南にある。松山ICまで行かず、手前の川内ICで下りた(ナビに従った)が、時間的には松山ICまで走って少しUターンしたほうが早かったかもしれない。ここも山の麓にあって、小高い丘の上にある。周囲の山の木々(何と言う木だったか忘れた)に白い花が満開になっていて、その独特の香りが漂っていた。お寺は普通の、と言うと語弊があるが、綺麗にしてある静かで感じの良いお寺だった。 第51番の石手寺は道後温泉に行った際になど、行ったことのあるお寺だけど、今まで記帳してもらったことはなかった。ここは松山市でも一番人気のお寺で、ミシュランガイド観光地編で星をもらっている。境内もすごく広いし、おそらく住職も外交的というか外向き、思いついたら何でもやる、というタイプだと分かるお寺である。参道の両側にはいつも店が並んでいるし、人でいっぱいだ。広すぎて、どこをどう廻ったらよいのか分からず、結局大師堂を先にお参りしてしまった。本堂も大きいし、巨大な三重塔もある。マントラ洞窟だの、宝物館だの色々あるが、ここは山門(仁王門)が国宝なのである。あちこちに世界平和を求めることを書いた看板まであった。 ここでお昼になり、道後温泉街で昼食をとることにしたが、一大観光地でGWの道後では駐車場探しも一苦労だった。 何とか駐車場を見つけ、小さなカフェを見つけ、昼食をとっていたら、予報どおり雨が降り出した。仕方なく店で傘を購入し、車に戻った。ここからはずっと雨の中の半日となった。 次の札所は太山寺。僕は中学・高校時代を松山市で過ごしたが、当時、太山寺辺りから通ってくる同級生がいた。松山人にとって太山寺は、行政的には市内ではあるが、相当に遠い、田舎、へき地・・のようなイメージで言われていた。松山の観光港は市の中心部からは北西の方向の海にあるが太山寺もその方向にある。海沿いにある山の上にあるのだ。ただし、僕も行ったことはなく、ナビを頼りに行った。途中、交差点を曲がると鳥居のような門があった。これが太山寺一の門と呼ばれている門らしい。そこから坂道を上がって行くと山門(仁王門)があるが、道路はその右側を抜けてさらに上に行けるようになっている。しばらく行くと駐車場の看板があり、そこに車を止めた。後から観光バスも来た。 ここも、この駐車場からかなりの距離がある。しかもかなり急な坂道で、雨の中では滑りそうなほどだった。足の悪い人やお年寄りにはちょっと厳しい坂道だし、距離もある。ようやく手水鉢のあるところにたどり着くも、本堂はそこから何十段もの石段の上にあった。石段を上がったところにも山門がちゃんとあった。そして立派な本堂。本堂は国宝だった。さらに大師堂へも石段を数十段。なかなか厳しいお寺だ。そして納経所は駐車場に戻る途中の僧坊にあった。僧坊もすごく立派。 次の円明寺は近かった。太山寺より少し北にあったが、ここは平地にあるお寺だった。小さな門をくぐると、境内にまた門があった。この中門のほうが大きくて立派だった。街中のお寺らしく全体に小ぢんまりとしてお参りしやすい。変わっているのは中にキリシタン灯ろうと呼ばれる十字架の形の石柱があり、マリア像らしき掘りがうっすら見える。隠れキリシタンがこの辺りにはいたのだろう。お寺もすごく寛容だったのだろう。 これで松山市の札所は全部廻ることができた。後は南予地方の札所を残すのみ。なので、今日の宿泊は宇和島市のホテル(宇和島第一ホテル)。そこまで頑張って走ったのだった。夕方にホテルに到着。雨の中、近くの居酒屋を探して(どこも予約で満席。探すのに一苦労)食事をし、ホテルの温泉に入って寝た。
2019.06.10
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◆2019年1月2日 第59番国分寺 年が明けて2019年。平成31年だが、平成は4月末までで、5月1日に新元号となることが決まっている。なので平成最後の巡礼となる。 正月の旅行は、前にも行った松山市の道後温泉にある「プリンスホテル道後」に泊まった。四国中央市で母親をピックアップし、一路松山へ向かう。もう母親を八十八カ所巡りに付きあわせるつもりもなかったし、本当に行く予定はしていなかったのだが、道すがら、国分寺のことを思い出した。2017年のGW、尾道旅行をした時、帰りに今治市周辺の札所を廻ったが、国分寺だけ残してしまっていたのだ。1カ寺だけのためにまた今治へ行かなければならないのか、と思っていた。この日は松山市へ行くだけで何の予定もないので、回り道だけど国分寺へ行ってから松山市へ行くことにした。 国分寺とは、モノの本によれば、天平の時代、聖武天皇の命令によって各国に建立されたお寺で、四国八十八カ所には4つの国分寺がある。伊予の国の国分寺は松山市ではなく今治市にあるのだ。その当時は今治が愛媛の行政の中心、今でいえば県庁所在地だったということである。 着いてみるとお寺は小高い丘の上にあって、駐車場から石段になっている。これでは車椅子は無理なので丘の周りをぐるりと一周してみると、車で行ける細い道があった。本当は住職一家だけの道かもしれないが、ここを使わせてもらって本堂に行くことができた。山門はなく、代わりに石柱が2本、門柱として立っている。何となくお寺というより、やはり国府というイメージ。他の3県と比較すると少し小さい感じがしたが、どうも古代の国分寺はここではなく、移設させたとのことである。ともあれ、気になっていた国分寺に行くことができて満足。 今治市から国道317号線を通って道後温泉に到着。温泉、正月料理を楽しんで、翌日は椿神社に初詣、さらにインスタ映えで有名になった伊予市の下灘駅まで足を延ばして、帰ったのだった。
2019.06.09
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◆2018年8月14日 第35番清瀧寺 第36番青龍寺 第27番神峯寺 第26番金剛頂寺 第25番津照寺 第24番最御崎寺 この年の盆休み。 2泊3日の旅行で、母親とは1泊の温泉旅行、2泊目には八十八カ所巡りというパターン。12日に四国中央市で母親をピックアップし、今回は香川県の塩江温泉に泊まった。高松市からほど近い。12日は高松市の栗林公園(暑くてほどほどにしたが)を散策し、ホテル(新樺川観光ホテル)に宿泊。翌13日も高松市に出て、県立ミュージアムや平家物語歴史館などを見学して、母親を四国中央市に帰し、そのまま高知市に移動した。高知市では「ツーリストイン高知」というホテルに泊まり、近くの居酒屋で夕食をとったが、この居酒屋(「囲いの蔵」という店だった)も結構旨かった。四国はどこへ行っても美味しい居酒屋が多い。 さて14日。この日は高知市から西へ移動し、仁淀川を渡って土佐市にある清瀧寺へ行き、さらに横浪半島の先っぽにある青龍寺を廻る予定。 まず清瀧寺。地図で見ても相当な山の中にあるのがよく分かる。道も細く、クネクネの道になっている。対向車とはすれ違うことのできない道幅で、しかも片側は崖になっている。実際に帰り道に対向車が来て、僕の方がすれ違えそうな場所までバックしなければならなかった。お寺に着いてみると、駐車場は本堂のすぐ横だった。山門はずっと下にあって、そこからは長い石段になっていた。駐車場から本堂、大師堂も石段を上がるが大したことではなかった。本尊は薬師如来だが、境内には大きな薬師如来立像があった。山の上なので眺めは良かった。 今度は同じ土佐市でも南の端、太平洋まで南下する。ここには横浪半島という半島が太平洋に突き出ているが、その先端(東の端)と陸地とは橋で繋がっているので、意外に時間はかからなかった。宇佐大橋を渡って半島へ。この辺りは太平洋とは言え、湾曲しているせいか海水浴ができるらしい。竜の浜という浜辺から内陸へ入って行く。有名な明徳義塾高校が近くにあった 内陸に入ってすぐに青龍寺の駐車場があった。そこから入ると僧坊のようなものが建っていてそこかと思ったら、違っていた。逆の方に山門があって、お寺はその奥だったが、山門をくぐってみると、どこまで続くのか全く先が見えない長い石段があった。八十八カ所のお寺では非常に多いパターンとは言え、ここはまた長い。180段だった。しかも8月。ふうふう言いながら上がって行った。山上には古い本堂、まだ新しい大師堂、赤い三重塔もあった。 これで予定の2カ寺を終えたがまだ10時にもなっていない。これからどうしようかと家内とスマホを眺めていたら、近くにお洒落な感じのカフェがある、というので行ってみたが、それはヴィラサントリーニという高級リゾートホテルの一角で、朝は営業もしていなかった。それならと、まだ行っていない高知県東部の札所へ行けないか、カーナビに入力してみた。第27番神峯寺まで1時間半で行ける、と出た。じゃあそこまで行くかと車を走らせた。 太平洋のすぐ横を走る道は気持ち良い。仁淀川の河口の大橋を渡り、高知市に入り、桂浜を横目に浦戸大橋を渡る。・・・までは良かったが、さすがにお盆休み。結構車が多くて途中からノロノロになってしまった。神峯寺は高知市から東に南国市、香南市、安芸市を越えた安田町にある。途中のコンビニで弁当を買い食べながらの移動となった。そして国道55号線から北(山)のほうへ。ここも山中にあるお寺だった。 道路は整備されていて、お寺の駐車場までは問題なく行けたが、ここも山門をくぐっても広い庭があるだけで、本堂へは急で長い石段を上がらなければならなかった。山全体がお寺の敷地なのか、広い。本堂や大師堂そのものは大きくはなかったが、前庭の部分は手入れの行き届いた庭園という感じだった。 次の金剛頂寺は、安田町から奈半利町を越え、ついに室戸市に入ったところにある。ここも国道55号線から山の方へずいぶん入ったところにある。少し遠い。でも何とかたどり着き駐車場に止めたが・・・駐車場の周囲には何もない。ここもか、と思いつつ案内板のほうへ行くと、やっぱり石段。 厄坂と石柱に掘られていたので、60段あるということ。上がると山門。でも山門の先はまたまた石段。そこを上がると広く開けていて、立派な本堂がある。僧坊などもある大きなお寺だった。お参りをして、また元の国道55号線に戻る。家内は(霊場巡りは)もう十分、という顔だったが、どっちにせよ室戸市まで来た以上、元に(高知市のほうに)戻る訳には行かない。あと2つで高知県もコンプリートできることになる。次の津照寺は海辺にあるので、そんなにきついことはないと踏んで津照寺へ。距離も近い。 津照寺は室戸の漁港のすぐ前にあった。確かに海の目の前だ。なのに・・・。なのに何故かここにも小高い丘があって、本堂はその丘の上にあった。山門は仁王さんも何もない普通の赤い門。くぐると石段。石段の途中に中華風の鐘楼(?)が石段を跨ぐようにある。さらに上がって頂上に本堂。これもコンクリート造りで、少し残念な感じ。お参りの後石段を降り切ったところに納経所。もう万葉はグロッキー気味だった。 しかしあと一つ。最御崎寺は室戸岬の先端近くにあるが、ここは近くまでドライブウェイが完備されている。ここも近い。行ってみると、巨木に囲まれて、日陰で涼しい。実は天気予報だと、日本に台風が近づいていた。しかもここは室戸岬。風も少しずつ強くなっていたのだ。 最御崎寺は石段を上がるということはなく、ゆったりとした坂道を行く。境内は広く、また長い歴史を感じさせるお寺だった。お参りを済ませた後、室戸岬灯台が近いので行ってみた。大きな灯台。太平洋が一望でき、美しい。ウンザリ顔だった家内も満足。しかも、これで(予定外だったが)高知県もコンプリート! 四国八十八カ所は、徳島が発心の道場、高知が修行の道場と呼ばれているが、まさに高知は修行の場だった。因みに愛媛は菩提、香川は涅槃の道場。 室戸岬をしばらく見学して帰路に着いたが、ここからが大変だった。室戸岬から国道55号線をひたすら徳島市に向かうことになる。もう夕方が近づいている。ナビを入れてみると、尼崎の自宅に到着する時刻は22時30分と出た。しかし、こんなところを徳島市まで走る車は少ない。ガラガラの国道、しかも信号も少ない(ほとんどない)のだから、そんなに時間がかかる訳ないと信じ、走り続けた。少しずつ台風の影響が出てきて打ち寄せる波がものすごいことになっていた。徳島県に入った海陽町の道の駅「宍喰温泉」で夕食。本当ならこの辺りでもう1泊したいところだが、お盆に空きなどない。そこから尼崎まで走ったのだった。家に帰りついたのは21時半くらいだったと思う。たった1日の出来事とは思えない、長い長い1日だった。 これで2018年は最後となった。2018年は正月、GW、盆の3回だけとなったが、全部で16カ所を廻ることができた。通算では78カ所。しかも、徳島県、高知県、香川県の札所は全て廻り終えて、何故か地元の愛媛県ばかり10カ所も残ってしまった。ずいぶん偏ってしまった気もするが、四国中央市を拠点とすると、何となく愛媛県の南予のほうが残りそうな(要するに行きにくい)気がしていた。特に久万高原町の大寶寺と岩谷寺は一番行きにくい。一方で残り少ないと淋しい気もしないではない。
2019.06.08
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◆2018年4月30日 第23番薬王寺 第22番平等寺 第21番太龍寺 第20番鶴林寺 第19番立江寺 第18番恩山寺 翌30日。この日は徳島県南部の札所を南から逆打ちし、徳島県の札所をコンプリートするのが目的。果たして6カ寺も回れるのかどうか分からなかったが、残してしまうと、また来るのに苦労する場所なので、朝早くから出発した。 一番南にあるのが第23番薬王寺。ウミガメが産卵することで有名な日和佐海岸のある町で、今は美波町という名称になっている。かなり遠いのではないかと覚悟していたのだけど、大した距離ではなかった。徳島市からだと遠いが、阿南市のホテルにして良かった。しかも、途中に高速道路が一部完成し無料で通れるようになっているところがあった。日和佐道路と言うらしいが、高知県まで繋がるのはいつになるのやら。 その自動車道を下りて、国道55号線に戻り、さらに南下すると、この国道沿いに薬王寺はあった。大きい。薬王寺は山の中腹にあるが、国道沿いに薬王寺温泉という温泉施設と宿坊があるので駐車場も広い。薬王寺自体も大きくて、下から見上げるとどこまでがお寺なのか分からない。石段を上がって大きな山門をくぐるが、そこから本堂まではいくつもの石段を上がって行かなければならない。男坂・女坂という厄年の数だけ段のあるところもある。還暦石段(60段)もあった。このお寺も相当に信仰を集めているらしく、瑜祇塔という高さ30m近い塔も建っている。色々な施設・建物があるが全部見ていたらここだけで一日が終ってしまう。でも厄除け寺としても有名なので、戌年用の数珠を買ったりした。 次は平等寺だが、元の阿南市に戻る。ただし、阿南市でも南西部になるのか、山地に近く、麓にある。山門をくぐってから本堂まではちょっとした石段(これも厄年の数42段だったが、一段ごとにお賽銭を置きながら上がって行くらしく、どの段にも5円玉や1円玉があった)を上がって行く。境内では近くの喫茶店の関係者なのか、小さなテントでコーヒーを販売していたり、いつもは人も少ないかもしれないが、さすがにGWらしい雰囲気だった。 次の太龍寺も地図的には阿南市になるが、ここは標高600mを超える山の上にあるお寺で、第66番雲辺寺と同じく、ロープウェイに乗って行かなければならない。そのロープウェイ乗り場は阿南市の西隣・那珂町にある。さきほどの平等寺からはかなり離れていて、ひたすら山地に向かう感じだった。那珂町は四国2番目の山・剣山に連なる四国山地の一角を占める町だ。 ロープウェイ乗り場は那珂川の川岸にあって、道の駅「鶯の里」や温泉施設なども併設されている。ここのロープウェイを運行している会社は四国ケーブルという名前の会社で、雲辺寺のロープウェイも第85番八栗寺のケーブルカーもこの会社のものだった。標高的には雲辺寺のほうがかなり高いが、この太龍寺ロープウェイのほうが乗り甲斐(?)がある。というのも、いったん山を超えた後、深い谷を渡り、もう一度山に上がって行くという「2段ロープウェイ」になっていた。2段目へ行くときに大きく前後に揺れるのがちょっとコワい。 ロープウェイの途中の山にも関連した仏像が見えたが、どうやってそんなところへ行けるのか信じられないくらいの急峻な山だ。ともあれ山頂に着くと、目の前が太龍寺。だけど、ここも本堂まではかなりの石段&坂道。上がってみると、いきなり本堂。ここもロープウェイ駅から行くと、裏口から入るような形になっている。歩いて登る道の方に、本来の山門があった。大師堂も離れていた。山の上とは言え、かなり立派な建物ばかり。景色も良い。お参りを済ませ、またロープウェイで降りる。行きのゴンドラと途中ですれ違うが、乗員が多い方が重くて下になるということがよく分かる。降りたところに食堂があったのでそこで昼食をとった。 太龍寺ロープウェイ乗り場から那珂川に沿って下流方向に進む。しばらく行ったところから左折(北へ)する道があって、そこで那珂川から離れて、またも高い山を目指す。紆余曲折の険しい道を進んだところに鶴林寺があった。ここは那珂町から峠を越えた勝浦町になる。 ここもそうだが、第12番焼山寺、さっきの太龍寺と、歩き遍路にとっては相当に厳しいお寺が徳島には多い。鶴林寺はその名前のとおり鶴に関連する伝説があり、境内には大きな鶴の木像があった。やはり山寺なので本堂への大師堂へも石段を上がって行く。 鶴林寺の後は、今度は山を北に下りて勝浦川のほうに出る。川に沿って下って行くと小松島市に入る。立江寺と恩山寺は小松島市にある。そしてこの2つは平地にある。 立江寺は本堂が大きくて立派だったが、多宝塔もあり、信徒会館とか宿坊もあって大きなお寺だった。一方、恩山寺は小高い丘の上にあって、山門も見当たらず(あったらしいが)、本堂や大師堂も相当に年季の入ったものだった。 この日は6カ寺を廻り帰路に着いたが、これで徳島県もコンプリート。
2019.06.06
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◆2018年4月28日 第67番大興寺 この年のGWは、レオマワールドのホテル「レオマの森」に宿泊した。大きなテーマパークで、遊園地があるのでGWは家族連れで大賑わいの場所だ。ここはかつて倒産した施設だったのだが、大江戸温泉物語グループが買取って再建したもの。料金もリーズナブル。いつものように母親を四国中央市でピックアップし、香川県綾歌町(琴平の隣になる)へ。 ただ去年の夏に香川県の札所で飛ばしてしまった第67番大興寺は道すがらにあるので、ここだけは寄っておきたかった。なので母親も連れて行ったのだけど、案の定ここも丘の上にあるお寺で、山門の先に長い石段があり、車椅子で行けるような道もない。しかたなく母親は車で待ってもらうことにして、お参りした。 石段を上がってみるとなかなか古い感じのお寺だった。境内は小ぢんまりとまとまっているが、庭も綺麗で檀家に親しまれているという感じのお寺だった。お参りを済ませて石段を降りると、結構な巨木に囲まれていて、山門も改めて振り返って眺めると立派な仁王さんが見えた。 そこからレオマへ行ったが近いので、早い時間に着いてしまう。なので、どこか美容院へ母親を連れて行こうと家内が言うので、スマホで近くの美容院を探し、連れて行った。ごくごく小さな常連さんだけが来るという感じの店だったけど、そこでカットしてもらった。僕と万葉は近くの喫茶店で過ごした。 そしてホテルへ。園内を散策して、ちょうどプロジェクションマッピングというイベントもあったのでそれも見学。夕食はバイキング形式なので、いっぱい食べて満足した。◆2018年4月29日 第68番神恵院 第69番観音寺 香川県の札所はあと第68番、69番の2カ所でコンプリートとなる。ホテルを出発して、観音寺市へ。68番の神恵院(じいねいん)と69番の観音寺は同じ場所にあるという八十八カ所で珍しい、と言うより唯一の「同一場所2カ寺」。「院」と名が付くお寺も1つだけだ。 観音寺市には琴弾公園があるが銭形公園ともよばれ、砂浜に寛永通宝が描かれており、それを丘の上から見るという仕掛けになっている。その公園の東側の麓にこの2カ寺はある。ここも駐車場からは石段を上がらなければならない。苦労して母親を引っ張り上げた。市の名前の由来になっている観音寺は古刹という感じだったが、神恵院は四角くて白いコンクリートの建物で、その中の階段を上がったところに本堂があった。ずいぶん対照的な2カ寺だが、どういう関係で同じ境内になったのだろう。解説によると元々は異なる場所にあった(同じ公園内だが)神恵院が観音寺の境内に移設されたらしい。ともあれ、一度に2カ所回れた。 そしてここからすぐ近くに姉の家(薬局をしている)があって、姉を訪ねた。しばし歓談し、近くで昼食をとって、四国中央市に戻った。母親を宿舎(サ高住)に送り、今度は徳島へ。徳島市までは近いが、目的地はさらに南の阿南市。なかなかの移動距離だった。阿南市にある「サンオーシャン」というホテルにチェックイン。JRの阿南駅界隈で食事場所を探したが、そもそも店が少ないのと、連休で休業中の店もあって、苦労した。何とか1軒、カウンター席ならOKという店に巡り合えて入店。地酒もあって焼き鳥の旨い店だった。
2019.06.06
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◆2018年1月2日 第37番岩本寺 2018年の正月。2~3日と1泊2日で高知県の四万十市へ行った。宿泊は「新ロイヤルホテル四万十」。四国中央市で母親をピックアップし、一路高知へ。高知県の西部のほうでは、2015年に最も西の延光寺と足摺岬の金剛福寺を廻った後、途中を抜かしており、岩本寺だけポツンと取り残している。なので、ここだけ、四万十市へ行く途中に立ち寄った。正面の山門へは石段があったが、横手の方からは坂道で行けるようになっていたので、母親(車椅子)とはそちらから入った。裏口から入った感じになった。ここも小ぢんまりとしたお寺だったが、お正月ということもあって参拝の人が多かった。この年は戌年で、僕はもうすぐ還暦になる(10日後の12日で60歳)こともあって、境内で売っていた戌の置物を買ったりした。 そして四万十市へ。清流・四万十川の最下流、河口に近いところである。市内を散策してみると、なかなか歴史と風情のある街だった。翌早朝には四万十川の河川敷をランニングして、気持ちよかった。ホテルをチェックアウトして、安並というところの水車群を見て、高知市に引き返した。高知市で昼食をとったり、はりまや橋でお土産を買ったりした。そして四国中央市に母親を送り、そのまま尼崎へ帰った。
2019.06.05
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◆2017年8月12日 第49番浄土寺 2017年の8月は山の日が11日、12~13日が土日となって3連休の後、お盆の14~15日と続く。11~13日の2泊3日での四国旅行となった。11日に四国中央市で母親をピックアップし、一路松山方面へ。この日の目的地(宿泊地)は西予市。まずは松山市の南隣・砥部町へ行った。ここは砥部焼で有名だが、僕自身も全く行ったことがなかった。 砥部焼観光センター炎の里、砥部町伝統産業会館などで砥部焼を見学、そして砥部町から山越えして西予市に入った。地図で見るよりも相当な距離があって、九十九折れの山道だった。この日は「花の森ホテル」という名前のホテルに泊まった。温泉に入り、美味しい夕食を食べて骨休み。 で、翌日、西予市周辺には観光地もなく、朝から松山市へ移動。行ってみたかった「坂の上の雲ミュージアム」と「伊丹十三記念館」を訪れた。 そして帰路につくが、市内の3カ寺くらいを廻りたかったのだけど、8月の一番暑い季節、一つ目の浄土寺で、もうダメだった。駐車場から山門までのわずかな石段、本堂の階段など、サ高住に入居して以来ますます弱っている母親の足腰では、これくらいも無理だった。しかもお寺参りなどすると熱中症になりそうな暑さ。浄土寺そのものは山門(仁王門)が立派で、境内もきれいに整ったお寺だったが、この日は浄土寺だけで終わりとして、母親を宿舎に送って行った。 そこから、丸亀市へ移動し、2泊目は「アパホテル丸亀」。古いホテルなのにお盆で高い。しかも目的だった一鶴(骨付鶏丸揚げ)本店は、大行列で入れず(盆休みだしね)。でもホテルの裏にあった、ややうらぶれた感じの居酒屋にもそのメニューがあって、それを頼んでみると十分に旨かったのだ。丸亀ならどこにでもあるご当地メニューかもしれない。◆2017年8月13日 第73番出釈迦寺 第72番曼荼羅寺 第71番弥谷寺 第70番本山寺 第66番雲辺寺 香川県の霊場は2016年11月から逆打ちをしていて、第88番から74番まで終わっているので、この日は第73番からのスタートとなった。73番は出釈迦寺、しゅっしゃかじと読む。丸亀市の西南の方向、善通寺市にある。香川県は段丘地帯だが、ここも丘の裾野にあって、山門までは細い石段の道を上がって行く。境内は小ぢんまりしていたが、裏山のほうにも敷地が拡がっていて、大きな大師像(?)もあった。 次の曼陀羅寺は出釈迦寺からは近い。また丘を下りたところにあって、ここは平地だった。ここも小ぢんまりとしていたが綺麗に保たれているお寺だった。ここまでは順調だったが、次の弥谷寺が大変だった。弥谷寺は曼陀羅寺から遠くはないが、善通寺市の西・三豊市の山中にある。 山の麓には道の駅「ふれあいパークみの」があって、公園やプール、温泉もあるレジャースポットなのだが、それを横目に見て、山の上を目指して道路を曲がる。しばらく山を上がると駐車場に着く。しかし、ここから一般車は入れない。お寺はさらに山を登らなければならない。が、歩くのが難しい人のためのマイクロバスが運行されている。・・・はずだったが、その乗り場に「お盆期間につき運休」との張り紙が(絶句!)。 果たして万葉が歩いて行けるのだろうかとも思いつつ仕方なく歩き始めた。不幸中の幸い(?)は木々が鬱蒼とした山なので、日影道で比較的涼しかったこと。日照りの中なら無理だ。誰もいないお茶屋さん(廃墟?)があったり、山門まではそれほど急角度ではなかったが、上に行けば行くほど上りの角度も急になる。後で調べたら、階段は全部で540段あるそうだが、階段でないところも坂道なのでもっとあったような気がした。 いったん中継点のようなところに着く。マイクロバスの到着点になっていた。色々な建物(僧坊か)もあったが、ここは単なる中継点でしかなかった。本堂へ行くには、ここから108段の真っ直ぐな階段を上がらなければならなかった。108って煩悩の数か・・・。108段を上がってもまだまだ。さらに次の石段を上って、ようやく本堂にたどり着いた。息が切れて汗だくである。ともあれ、万葉も一緒に上ることができた。さらに大師堂へ行くと、ここも石段の上。でもここは靴を脱いで、中に入るようになっていて、大師を拝んだ後その中に納経所もあった。ここで休憩することができた。しかしお盆にマイクロバスが運休するなんてね。運転する人も確かにお盆は休みたいのは分かるけど、たくさん人が来るのに。なんて不平を言うとご利益がなくなるのかなぁ。とにかく同じ道を下りて、車にもどった。そして麓の道の駅で、着替えのTシャツを買ったり冷たいものを飲んだりした。 弥谷寺から国道11号線に戻るとその交差点に「鳥坂(とっさか)まんじゅう」という、この界隈では有名な蒸し饅頭屋さんがあるが、早速買い求めて、熱いうちにいくつかパクついた。次の本山寺へはこの11号線をひたすら西に進めばよい。本山寺は三豊市の西、財田川の近くの平地にあって、大きなお寺である。財田川を超えると観音寺市になる。この辺りの豪農か豪商が檀家になっていたのだろう、立派なお寺で、中には五重塔もある。・・・のだけど、修復工事中で、シートに覆われていた。本堂は国宝に指定されており、山門(仁王門)も重要文化財だ。 さて逆打ちするなら、この後は観音寺、神恵院と続くのだけど、残りの時間と、8月の暑気を考慮して、3つ飛ばして第66番の雲辺寺に行って、尼崎に帰ることにした。雲辺寺は八十八カ所の中でも最も標高が高いところにあるお寺なので、気温が低い。夏に行くのが一番(冬だと寒すぎる)だし、ここは大型のロープウェイに乗って快適に行ける。ということで、雲辺寺へ。 ロープウェイ乗り場までちょっと道に迷ったけど、もう乗り場でも標高が高くて少し涼しい感じがした。ロープウェイのゴンドラは100人も乗れる大型のもので、標高911mのお寺まで僅か7分で行ける。途中に見える瀬戸内の景色もすばらしく、山頂は涼しかった。ここは、子どもの頃(50年近く前か)に一度来たことがあるが、冬で寒くて、しかもお寺は古くてボロボロだったような記憶がある。しかし半世紀も隔てると全く違っていた。お寺は新しくなっているし、色々な建物も増えているし、一大レジャー施設のような印象すらある。内心驚いてしまった。山門などはピカピカ、500羅漢の石像を置いた広場もあるし、展望台まであった。敷地内に香川県と徳島県の県境を示す印があって、本堂は実際には徳島県になるそうだが、徳島県からは登れない(登れるかもしれないがロープウェイはない)ので、香川の霊場・第66番札所になっている。再びロープウェイで降りて、そのまま尼崎に帰ったのだった。 2017年はこの後は四国に行くことがなく、これが最後となったが、過去最高26カ寺を廻った。それでも通算では62カ所で、まだ26カ所も残っている。
2019.06.04
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◆2017年5月1日 第84番屋島寺 第83番一宮寺 第82番根香寺 第81番白峰寺 第80番国分寺 第79番天皇寺 第78番郷照寺 翌日(5/1)、朝からまず第84番屋島寺を目指した。前年、逆打ちの年だった2016年の11月に88番から85番まで逆に回ったので、その続きという意味で84番からスタートすることにした。 屋島は源平合戦でも有名な地だが、当時は島だった屋島もその後陸と繋がって、今は半島になっている。高松でも観光名所の1つだ。 また屋島全体が山になっているが頂上は広く開けていて、山の上なのに水族館があったり、旅館や土産物屋もある。屋島寺も相当に大きい。駐車場から入ると真新しい山門(東大門)をくぐるが、本来的には南にある古い山門が仁王門でこちらが正門なのだろう。本堂、大師堂だけでなく、立派な宝物館とか狸の石像2体がある蓑山大明神なる祠もある。朝早く行ったので他には寄らず、屋島からの景色だけ楽しんで次の一宮寺に向かった。 一宮寺は高松市の中心からは南のほうになる(高松南高校が近くにあった)ので、屋島からは少し距離があった。お寺の隣は讃岐の国の一之宮・田村神社があって、そちらのほうが規模が大きい。お寺は小ぢんまりとした感じの良いお寺だった。 さて、逆打ちをしているので、ここからは高松市の西側になるが、この辺りは隣の坂出市との間に山が横たわっており、根香寺と白峰寺はその山間部にある。道幅は狭くはなかったがやはりクネクネの山道を上って根香寺に着いた。新緑の鬱蒼とした森の中だ。山門をくぐると石段を下り、また石段を上がって本堂があった。ここは牛鬼伝説があるらしく、そんな怪物の石像もあった。本堂には万体観音もあって、雰囲気のあるお寺だった。 根香寺からずっと山中を走り次に白峰寺に。山中にあるとは言え、こちらは全く雰囲気が違う。山門も仁王門ではなく、何だか普通の家の門という感じ。中に入って分かったが、ここは崇徳天皇の御陵になっていた。そちらへ通じる勅使門があった。お寺の本堂にはしかし、そこから長い石段を登って行かなければならなかった。なかなか値打ちのあるお寺。 次の国分寺も高松市の端にあるが、白峰寺からいったん坂出市のほうに山を下りて、国道11号線を高松方面に戻るという道になる。国分寺はどの国の国分寺もそうだが、平地にあって、しかも敷地は広く、建物も立派なものだった。そして天皇寺へは再び坂出市の方にUターンしなければならなかった。しかし天皇寺とは大それた名前だと思ったら、ここも崇徳天皇ゆかりの地で、門は真っ赤な鳥居である。なのでここはお寺という感じがしなかった。お寺の方が添え物的な感じがして、ちょっと残念な感じだった。 ここまで来たら次の郷照寺まで行きたい。その前の77番道隆寺には2016年に行ったので、繋がる。時間が気になったが行くことにした。郷照寺は坂出市のさらに西隣・宇多津町にある。ここは丘の麓にあって、駐車場からはやはり坂道・石段を登っていかなければならなかった。境内は広く、ここも地下に万体観音がった。それに見事な庭園もあって、ちょうどツツジが満開、池には錦鯉が泳ぐという随分立派なお寺だった。 この日は7カ寺も回り、2日間で12カ所。夕方、尼崎への帰路に着いたのだった。
2019.06.03
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◆2017年4月30日 第54番延命寺 第55番南光坊 第56番泰山寺 第57番栄福寺 第58番仙遊寺 四国ばかり旅行しているとネタが尽きる。とは言え車椅子の母親を遠くまで連れていくこともできない。で、この年のGWは、今治市からしまなみ海道(高速道路)を渡って四国を離れ、尾道に旅行した。前日(4/29)に四国中央市で母親をピックアップして、一路今治市へ。今治市からしまなみ海道に入って、最初に渡る来島海峡。渡った大島で降りて、道の駅へ。ここでは海鮮BBQが楽しめる。好きな海鮮食材を選んで卓上コンロで焼いて食べるので、全くの手ぶらBBQが楽しめる。さらにいくつかの島を通り、生口島へ。ここで平山郁夫美術館を見学。尾道市内のホテル「尾道みなと館」に宿泊。母親と万葉はホテルで休憩させておいて、家内と二人で千光寺へロープウェイで行った(ホテルと乗り場はすぐ近くだった)。このホテルは夕食がイタリアンで、カキもあって満足。翌朝は今度は車で千光寺の山に行くと、そこは広い公園。その中の市立美術館(ネコ展をやっていた)を見学。 尾道から再びしまなみ海道を通って今治に戻り、2日目は八十八カ所巡り。この辺りだとどのお寺も平地にあって、母親でも行けるだろうと思っていたが、お寺だけは高台にあって石段があるところが多い。お寺って車椅子など障害者に割と無慈悲。 延命寺は本堂の前に石段があった。しかも、この日は好天、と言うより初夏を思わせる気温となって、それが母親や万葉には堪えたかもしれない。南光坊は全くの平地。「坊」という名前のお寺は八十八カ所では珍しい。泰山寺は丘の端にあって高台の上、周囲がお城のような石垣に囲まれていた。次の栄福寺も山の麓で、境内の中は石段だらけ。さらに仙遊寺はもっと山を上がっていったところにあって、ここをお参りしたところで母親がネを上げた。もう十分、帰ろうと言う。実はもう1カ所国分寺を廻るとこの今治地区が終るのに、1つだけ残して、この日は終了とした。 延命寺 南光坊 泰山寺 栄福寺 仙遊寺 母親を宿舎(サ高住)に送って、我々はさらに高松市に移動。高松市の「No1ホテル高松」でもう1泊する。夕方にはホテルに着いて、ホテル近くの居酒屋「海鮮ワイン酒場あら」で夕食。ここも瀬戸内の魚介などなかなか旨かった。
2019.06.03
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◆2017年3月20日 第60番横峰寺 第61番香園寺 第62番宝寿寺 第63番吉祥寺 第64番前神寺 母親は2月にサ高住に入居したが、そこが自分の住まいであることを理解するのに少し時間がかかった。また急に家を離れたので、家にある貴重品(銀行の通帳等)の整理もできていなくて、平日に休みを取って四国中央市に行かなければならなかった。家内と日程調整し、3月21日(火)に休みを取って四国に行くことにしたが、前日(3/20)は春分の日で祝日でもあったので前日から移動し、四国中央市の近くの八十八カ所を回って宿泊、翌日、母親と銀行回りをすることにしたのだった。 そんな事情から、愛媛県の東予地区にある第60番から64番までの5カ寺(65番三角寺は2015年に行った)を巡礼」することとした。まず第60番横峰寺を目指す。ここは西条市にあるが、四国一高い石鎚山へ行く途中にある。つまり、ここはかなり険しい山の中にある。今ではどの道でどう行ったのか記憶が薄れているが、やはり狭い1車線だけの道路を苦労しながら行ったことは覚えている。しかも、駐車場はあるが、お寺から少し離れていて、坂道や石段の歩道をずいぶん歩いて行った。しかし、それ以上に驚いたのは、春分の日の翌日だというのに境内の日陰にはまだ雪が残っていたということ。よくもまぁこんな山の中にお寺を築いたものだと感心した。お寺は立派なもので、本堂と大師堂が向い合せに建っていたのは珍しい感じがした。山なので境内も段差がいっぱいあって、納経所は石段をかなり降りたところにあった(記帳してもらったらまた石段を登らなければならない)。まだここは冬だった。 お遍路泣かせの横峰寺の後は、キツいところはない。次の香園寺は西条市内にある。しかし行ってみてここも少し驚いた。ここは鉄筋コンクリートのお寺なのだ。お寺と言うより大聖堂というべき石造りの建物の二階に本堂も大師堂も一緒に並んでいた。次は宝寿寺。香園寺からは近い。国道11号線、JR伊予小松駅の近くにある。 この宝寿寺が問題のお寺。ウチが行った3月20日時点では、まだ一応62番札所として機能していたのだが、元々、このお寺(住職)と「四国八十八カ所霊場会」が対立し裁判沙汰になっていた。その判決が2日後の3月22日に出て、霊場会から脱退してしまった。霊場会のほうは、第61番香園寺の駐車場を借りて62番の納経所を作ってしまったそうだ。88カ寺もあるとこんなお寺もあるんだなぁ・・とも思うけど、88カ所でも、経済的にきびしいお寺もあるのだから、双方歩み寄って話し合えば良いのに。ともあれ、ウチはその直前に(と言っても、その時は全く知らなかったけど)お参りすることができたのだった。 吉祥寺も、宝寿寺の東、国道11号線とJR予讃線の間にある。氷見駅の近く。山門の前に象の石像が2つ向い合せで立っている。静かな良いお寺だった。その吉祥寺からさらに東。この辺りは、石鎚山を霊峰とする石鎚神社を信仰する人が多く、瀬戸内の島々の漁業関係の人々にも拡がっている。64番前神寺は、神様の前という意味だが、石鎚の神(神社)の前にあるので、そういう名前になっている。前神寺は平地ではなく、石鎚の麓にある。結構広い境内。何造りと言うのか分からないが立派な本殿(まるで神社のような建物)の前には石の舞台のようなものがあって、本殿に向かって両側にアーケードのような細長い建物がある。八十八のお寺はどこも神仏混交だが、ここは石鎚神社が主役で、その露払い役のような位置付けのように感じた。
2019.06.02
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◆2017年1月3日 第46番浄瑠璃寺 第47番八坂寺 第48番西林寺 2017年の正月。1月2日に四国中央市で母親をピックアップし高知県へ。高知市から国道33号線を西へ、伊野町で清流・仁淀川に当たる。33号線を離れ仁淀川に沿って国道439号線を上流へかなり進んだ仁淀川町に中津渓谷がある。ここの「ゆの森」というホテルに宿泊した。山間の静かなホテルなのに、夕食はフレンチのコース(和食もあるが)というところが珍しかった。翌朝はお雑煮など正月料理を頂き、ホテルを出発。国道439号線から再び33号線に合流し、一路松山を目指してドライブ。 国道33号線は四国山地を抜け、愛媛県に入ると久万高原町を通り、砥部町、更に北上すると松山市に入るが第46番浄瑠璃寺は、砥部町の東側に位置している。国道を離れて東へ。ほどなく浄瑠璃寺に到着。丘の上にあるということではないが、正面の山門から入ると石段があるものの、駐車場は本堂の横にあって、幸い石段を上がらなくてもお参りできた。境内は建物よりも樹木がいっぱいで、やや鄙びた感じのお寺だった。 次の第47番八坂寺は浄瑠璃寺からはかなり近い。こちらはなだらかな丘の中腹にあるお寺で、母親は石段に苦労したが何とかお参りできた。境内は広くはないが、初詣などで訪れる人も多く、浄瑠璃寺とは対照的に建物も綺麗で賑わっている感じだった。 八坂寺から真っ直ぐ北へ行くと、途中で重信川を渡る。さらに北に行くと第48番西林寺に着く。この辺りにまで来ると松山平野の中になるので、山はなく、西林寺も全くの平地にあるお寺だった。山門の前には重信川の支流だろうか川が流れていて、石橋を渡ってお寺に入るようになっている。ここも境内は手入れが行き届いていて、玉砂利が敷き詰めてある綺麗なお寺だった。 西林寺の次の浄土寺も車だと近いのだが、3カ寺も回ると母親はもう体力の限界。松山市内の札所は行きやすいのですぐまた来れるだろうと思い、この日はこれで終了し、四国中央市へ母親を送り届け、そのまま尼崎へ帰ったのだった。 今思えば、この時の旅行で、「ゆの森」に泊まったとき僕と母親が同部屋で宿泊したが、所謂「サ高住」(サービス付高齢者住宅)へ入ってほしいという話をし、それまで家を離れることは絶対に嫌だと言っていた母親が同意してくれたのだった。何度も母親を連れて旅行や八十八カ所巡りに行ったので、こちらの意向を受入れてもらえたのかもしれない。ほっと一安心した旅行だった。
2019.06.02
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◆2016年11月5日 第88番大窪寺 第87番長尾寺 第86番志度寺 第85番八栗寺 この年・2016年は、実は四国巡礼にとって60年に一度の年なのである。四国巡礼の始まりと言われているのが衛門三郎の伝説。愛媛の豪農だった衛門三郎が托鉢僧の身なりだった弘法大師に気付かず無礼をしてしまい、そのお詫びをするために四国を廻っていた大師を追いかけるも何度廻っても巡り会えず、ある時、逆に回ってみると大師に出会えた、という伝説。なんでもそれが閏年だったので、閏年には逆打ちをするとご利益が何倍もあるとか。さらにその年が丙申(ひのえさる)の年だったので、その60年に1度の年は、ご利益は更に倍・・・ということだそうだ。とは言え、既に何カ所も回っているのだから、今さら逆打ちもないだろうと思っていたら、そうではなくて、最後の88番さえ行っておけば逆打ちになる、との(誰が決めたのか)ルールらしい。 なので、何とか年内に行けそうな日はないかと家内とスケジュールを確認し、ようやく11月になって行ける(ただし日帰り)ことになった。結願(けちがん)で訪れるはずの第88番大窪寺に行って、後は時間の許す限り逆打ちをすることに。 11月の初旬なので紅葉には少し早かったけど、大窪寺の銀杏は黄色く色づき、一部モミジの紅葉も見られて気持ちの良い一日となった。ここも山間にあるお寺だったけど、さすがに第88番。門前は、お店や旅館があって賑わっていた。こんにゃくのおでんとか、笹餅も食べ、さらに(今更だけど)結願の文字の入った数珠を買ったりした。 逆打ちするので、四国山地の中にある大窪寺からは、高松市を目指して北へ、だんだん町を目指す道になる。長尾寺への道中には「お遍路交流サロン」なるものもあるが、それよりも道を挟んで「道の駅ながお」のほうが色々なものが売っていて楽しかった。そして長尾寺へ。高松市から琴電・長尾線という私鉄があって、その終点が長尾、長尾寺の近くである。なので、田舎とは言え町中の平地にあるお寺だった。静御前がここで剃髪(出家)されたという伝説があるお寺だった。 次は志度寺。元々は志度町だったが、合併で今はさぬき市という名前になっている。珍しく海岸に面したお寺で、ちょっと寂れた感じはあったが、かなり大きいお寺だった。かつては町もお寺もかなりの栄華の時期があったことを思わせる。広い境内には京都の龍安寺を思わせる石庭もあった。 そこから西に進み、高松市に入る。地図で見ると、次の八栗寺も海の近くにあるが、この辺りは独特の地形で、八栗寺も山の上にあるのだ。讃岐平野は平野とは言え、大きな河川の下流域に広がる平野ではない。河川がなく、段丘があちこちにある丘だらけの平野なのだ。八栗寺も瀬戸内に突き出た半島の上にあって、このあたりは庵治石という城壁などに使用された石の産地である。八栗寺まで車で行く道はないではないが、ここはケーブルカーがある。これに乗っていくのが一番だ。ただケーブルカーで行くと、本堂よりも先に大師堂に行くことになる。お寺の裏口から入るというイメージ。大師堂の後に本堂があって、最後に山門を見た。眺めも素晴らしかった。しかし、秋の日はつるべ落とし。日帰りのこの日はここまで。一路尼崎への帰路に着いたのだった。 ともあれ、60年に1度の逆打ちの2016年にうちに何とか88番へ行けたし、この年は16カ寺を回ることができた1年となった。
2019.06.01
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◆2016年8月12日 第74番甲山寺 第75番善通寺 第76番金倉寺 第77番道隆寺 お盆休みだが、混み合う前の12~13日の1泊旅行をした。宿泊先は琴平だけど、髙いホテルではなく琴平リバーサイドホテルというビジネスホテル。四国中央市からは近いので、今回はホテルに行く前に4カ寺を回ることにした。香川県のこのあたりの札所は平地にあるお寺が多いので、母親も大丈夫だろうと思った。 しかも善通寺市の札所も近距離内に密集しているので、最初は74~76番の3カ寺だけと思っていたが、短時間で回れたので、77番の道隆寺まで回ることができた。道隆寺だけは善通寺市ではなく隣の多度津町にある。 さて甲山寺は、砂利工場の横を通って行ったところにあって、何だか砂埃っぽく、周囲にあまり民家のないような場所にあった。香川県はこうした砕石工場が結構あって、山ごと崩して砂利を作っていたりする。こんな四国霊場のお寺の横まで削ってしまうのもどうかと思うけど。 そして、善通寺。弘法大師が産まれたという地で、88カ所の中でも最も重要、かつ大きなお寺である。境内は広く、東院と西院に分かれている。東院には重要文化財の五重塔もある。本堂は東院、大師堂は西院にあった。市の名前も善通寺市だし、まさに88カ所の総本山の門前町といっても良いだろう。 金倉寺も同じ市内にあって近い。この界隈も讃岐うどんの店が多く、有名店も近くにあって、そこのほうが駐車場も広大で大行列。お寺のほうは空いていました(笑)。金倉寺からさらに北に行った多度津町に道隆寺があり、ここも平地にあって、行きやすいお寺だった。山門から本堂までの石畳の両側にずらりと仏様(石仏)が並んでいたのが印象的だった。 夕方琴平町へ行きホテルへ。狭い道の奥にあってわかりにくかったけど、小さなビジネスホテルなのに、夕食もちゃんとしていて、温泉もあったので値段の割には良いホテルだった。翌日は金比羅さんへはさすがに行けないので、市内、金丸座などを見学して、ついでに観音寺市に住む姉の家を訪問して帰ったのだった。
2019.06.01
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◆2016年4月29日 第31番竹林寺 第32番禅師峰寺 最初の2012年の1カ所は別にして、実質的に四国巡礼をスタートさせた2014年が8カ寺、2015年も8カ寺。このペースで回っていると、88カ所回るのに11年かかってしまう。とは言っても、行けるのはGWやお盆、正月の休みくらいなので、もっと1日で沢山(5カ所以上)の札所を廻れるようにしたい。しかし足腰が悪くなった母親を連れては難しい。ということで、2泊3日の旅行のうち、母親とは1泊だけの旅行とし、次の日は夫婦(+万葉)だけで回ることとした。 2016年のGWは、高知県への2泊3日の旅行。その1日目、高知市内の五台山にある竹林寺と、その南にある禅師峰寺の2カ寺だけの巡礼とした。竹林寺は高知市の憩いの場所・五台山にある。公園や牧野植物園が五台山の丘に広がっている。植物園も見学、食事もした。竹林寺も広大な敷地で新緑が鮮やかだった。 禅師峰寺は南のほう、太平洋に近いところにあるが、小高い丘の上にあって、母親は駐車場(車の中)で待たせて、お参りをした。眼下に海が広がり眺めの良いお寺だった。禅師峰寺からは海沿いに東へ移動し、香南市にある「海辺の果樹園」というリゾートホテルに宿泊した。◆2016年4月30日 第30番善楽寺 第33番雪蹊寺 第34番種間寺 翌30日、高知市に戻って、浦戸大橋を渡って、桂浜を通り雪蹊寺へ。ここは真言宗ではなく臨済宗に改宗されたお寺である。そこからさらに西へ移動し、種間寺へ。この2カ寺は母親でも行ける平地のお寺だった。 種間寺から高知市内へ戻り市街地で昼食。そして帰路に着くが、高知ICの近くにある善楽寺に最後に立ち寄った。ここは土佐の一宮・土佐神社の隣にあって、ここも山とか石段の無い、お参りしやすいお寺だった。そこから四国中央市に戻り母親を帰して、今度は一路、徳島市へ移動。この日は徳島駅近くのホテルフォーシーズン徳島に宿泊。近くの居酒屋で夕食を取ったけど、結構旨かった。◆2016年5月1日 第11番藤井寺 第13番大日寺 第14番常楽寺 第15番国分寺 第16番観音寺 第17番井戸寺 翌日は徳島市近郊の札所を廻れるだけ廻ろうということで、朝一から出発。徳島の札所は10番までと、12番の焼山寺は済ませていたので、11番と13番以降を目指した。 1~10番までの札所は吉野川の北側にあるが、11番の藤井寺は南側。とは言え、10番の続きなので徳島市からはずいぶん西の吉野川市にあって、少し遠い。お参りした後は同じ道を徳島市まで戻らなければならなかった。藤井寺はその名前の通り、藤の花が沢山あって、しかもちょうど満開。甘い香りが漂っていた。 第13番の大日寺は吉野川の支流・鮎喰川のほとりにあって、阿波の国の一宮神社と道路を挟んで向かい側にあった。次の常楽寺は同じ鮎喰川の反対側(北側)にあって、大日寺からはほど近い。ただしこちらは丘の上にあるので、石段&坂道。山門もなく、境内も地面が荒れて歩きにくかった。次の国分寺は、さらに近い。国分寺は名前の通り国ごとに1つあるお寺なので、四国には4つある。さすがに国分寺だけあって、ここは大きい。本堂も二層の屋根だし、入らなかったけど有料の庭園もあった。 次の観音寺・井戸寺も近い。こんなに密集して札所があるのって珍しい。車だとホイホイ行けてしまう。観音寺も井戸寺も町中のお寺で、楽ちんだけど、13番から17番までは、北に向かって並んでいる。何だか方向的には逆向きである。観音寺は小ぢんまりとした良い感じのお寺。一方、井戸寺は大きくて檀家いっぱい抱えている感じのお寺だった。 13~17番までは密集していたので6カ寺も回ったけどまだ時間は十分にあった。とは言え、次の18番恩山寺は、今度は徳島市から南へ下って小松島市の山間にある。さすがに帰り道の逆方向へは行く気がしない。帰路に着くことにした。ただし、帰路の徳島ICの近くに「徳島県立阿波十郎兵衛屋敷」という人形浄瑠璃の記念館があるのでそこに立ち寄った。実際に人形浄瑠璃(短時間だけだけど)を見ることもできたし、なかなか良かった。
2019.05.31
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◆2015年11月22~23日 第12番焼山寺 第65番三角寺 わざわざ焼山寺と三角寺の2カ寺を選んで行く人はいないだろう。変てこな選択だったけど、そもそも11月23日に法事(父親の17回忌)があって四国中央市に帰省しなければならなかった。当日でも行って帰ることはできたが、折角なので前日に四国に入って、徳島県の険しい山の中にある焼山寺だけ行って、そのまま実家に近い三好市の賢見温泉に泊まって、翌日法事前に四国中央市にある三角寺へ行く、ということにした。 まず前日22日に焼山寺。歩き遍路さんにとって最大の難所のひとつと言われているが、確かに11番からは相当な距離。どこをどう走ったのかよく覚えていないが、おそらく徳島道の土成ICから南下し、吉野川を渡って、県道43号線という、地図で見てもおそろしく曲がりくねった道を行き、さらに、車1台だけが通れる道に入ってからもひたすら山を登り続けるという道。対向車が来たらどうしようと思うような道をゆっくりゆっくり走った。焼山寺駐車場に着いたときはもうヘトヘトだった。 境内に入っても、そこは山を切り開いてできたお寺なので、山門から本堂まではかなりの石段。確かに景色は良いけど、よくこんなところにお寺を築いたものだ。建築資材など、当時どうやって運んだのだろう。こういうお寺は焼山寺だけではないけどね。 そこから同じ徳島県の三好市までもどこをどう走ったのか良く覚えていない。ナビの示すとおりに行ったが、賢見温泉の宿は吉野川の支流の断崖に立つ珍しい旅館だった。道路沿いに駐車場があって、建物がその下にある(つまり駐車場が屋上)。夕食は田舎料理とは言えすこぶる旨かった。 さて翌日、故郷の四国中央市(旧・川之江市)にも四国88カ所札所があり、それが第65番三角寺。ここも道路はちゃんとあるけど、やはり狭い1車線の路が長々と続く。実際、対向車が来てしまって、先方はとても動けないという顔をしていたので、僕の方がバックすることに。すれ違いができそうなところまで細い道を20mほど(いやもっとか?)バックした。ここも駐車場から結構な石段。ともあれ、法事にかこつけて、山寺の2カ寺を巡礼した。 どちらも紅葉(黄も)が美しかった。
2019.05.30
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◆2015年3月22日 第10番切幡寺 切幡寺はそこへ行く専用の山道を通ったところにある。この日この1カ寺だけを訪れた経緯については記憶にないが、春分の日(21日)に墓参りにでも行った帰りだったのかもしれない。ここは山門から333段の石段を登るお寺だが、万葉も頑張って上った。◆2015年4月30日 第40番観自在寺 第39番延光寺 第38番金剛福寺 前日の29日に四国中央市へ行き、母親をピックアップして南予のほうへ旅行に出た。内子、大洲を観光し、宇和島市の宇和島第一ホテルに宿泊している。そして翌日に足摺岬を目指してドライブをスタート。道中にある、札所に巡礼するが、愛媛から高知へ向かうために逆打ちになってしまう。 観自在寺は宇和島市の南隣・愛南町にある。幹線道路の国道56号線からも近いが、駐車場からは石段で上がって行かなければならない。足腰が弱ってきているとは言え、この頃はまだ母親も何とか自力で歩いていた。意外に大きなお寺。 観自在寺から更に国道56号線を南下すると高知県宿毛市に入る。宿毛市の市街地を抜けると国道は一路東に進む。延光寺は国道から北(山間部)に向かって進んだところにあった。かなり田舎感が強く、お寺も小さかった。 宿毛市までくれば足摺岬は近いと思ったけど、なんの何の、ここから遠かった。しかも岬の先っぽまで行かないと金剛福寺はない。九十九折れの路をひたすら走って、ようやくたどり着いた。しかしさすがにここは観光地。それなりに大きなホテルや旅館もあって、お寺も南国感がある。しかも広大な境内。お金持ちのお寺だった。 そして、足摺岬の遊歩道などを散策して、今夜の宿泊場所の高知市へ。これがまた、ものすごい距離。当時は高知県の西側には高速道路がほとんどなくて、ひたすら国道を走る。もう途中のお寺など寄っている余裕もなく、夜6時頃に高知市のクラウンパレス新阪急ホテルに到着。ホテルの土佐料理と地酒で疲れを癒したのだった。◆2015年5月1日 第28番大日寺 第29番国分寺 翌5月1日。この日は高知市の市街地を散策したものの、この日のうちに四国中央市で母親を家に帰し、そのまま自分たちは尼崎まで帰らなければならないので、88カ所巡りは2カ所だけにした。市内のお寺にはまた来る機会もあるので、隣の南国市にある大日寺と国分寺を廻った。地図で見ると平地にあるように見えた大日寺も結局行ってみるとちょっとした山の上。車で登れるものの、駐車場からはまたも石段。考えてみれば完全に平地にあるお寺のほうが珍しいかも。母親はかなり疲れた様子。でも国分寺のほうは珍しく平地にあって楽だった。 そのまま高知自動車道の南国ICから帰った。今から思えばこの2泊3日のドライブは滅茶苦茶ハードだった。
2019.05.25
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◆2014年7月8日 第4番大日寺 第5番地蔵寺 大日寺という名前の寺は88カ所の中に3つある。この第3番大日寺は大きな道沿いではなく、細い道を山の中へ走って行ったところにあった。しかし、門前まで車で行けるので問題はない。一方、地蔵寺は町の中にあった。 この頃は徳島道の藍住ICで降りて、お寺を廻った後は高松道の板野ICから帰っていたと思う。少しずつ西に移動していくので、どのICが近いのか注意しながら行かなければならなかった。◆2014年7月16日 第6番安楽寺 第7番十楽寺 安楽寺は、板野町からさらに西隣の上板町に、また、十楽寺はさらに西隣の土成町(阿波市)にある。どちらのお寺も山門が特徴的だった。中国のお寺のような恰好をしていた。また2つとも大きな道にほど近く、町の中のお寺というイメージだった。◆2014年9月23日 7月の3回は3回とも平日に休みを取って日帰りしているが、この日は秋分の日で祝日。病院関係ではなく、墓参りついでに母親の顔を見に行ったが、その帰り道に立ち寄った。熊谷寺は徳島道から古い山門が見える。行ってみると、境内のほうに新しい山門があって、高速道路から見える山門はポツンと離れたところに残っていた。とは言え、古いほうが風情がある。ちょうど彼岸花があちこにに咲いていて、初秋を感じることができた。 法輪寺は熊谷寺からはずいぶん南のほうにあったが、ここは田んぼの中っていう感じのお寺だった。いつも帰り道に立ち寄るので、時間が遅くなってしまって、それに少し道に迷ってしまって、17時(特に納経所に営業時間があるという訳ではないが、常識的に17時)ぎりぎりに行った。
2019.05.25
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僕は四国・愛媛県(四国中央市)の出身で、年に数度四国へ行く。「行く」と言うより「帰る」と言うべきなのだが、実家が空き家(母親は高齢者施設に入所している)になっている今となっては「行く」のである。せっかく年に数度四国へ行くのなら、四国八十八カ所の札所を廻ってみることにして、ここ数年、少しずつ廻っている。そして、これを書いている時点では残り2カ所となったので、今までの巡礼のことを書き残しておこうと思った。 歩いて巡礼するお遍路さんの記録なら味もあるし値打ちもあろうが、車で行き、しかも順番もバラバラに廻ったので、あまり面白味はない。また、八十八カ所とは関係ない話や、母親のことなど少し個人的な事情の話も含まれるかもしれない。 ともあれ、時系列に思い出し出し、書いていくことにする。**************************************◆2012年5月5日 第1番霊山寺 2012年の事となるとさすがに記憶に薄い。四国88カ所巡礼について、この時(2012年)にやってみようと思ったのではない。GWに母親と鳴門界隈を旅行した記憶がある。ちょうど近くに第1番札所のお寺があるというので訪問したに過ぎない。 僕自身も霊山寺は初めてだったし、第1番札所というのは四国巡礼のスタート寺なので、寺の門前も「お遍路セット」を販売している店も多く、折角だから・・という気持ちで納経帳だけ購入してみた。いつか88カ所を回ることもあるだろう・・程度の気持ちだったのではないかと今では想像している。 ともあれ、家族(妻と万葉)と母親の4人でお参りをし納経帳にお納経・朱印を頂いたのだけど、お経など読むわけでもなく(お経を読み始めたのは随分後の事だった)、鳴門観光のひとつという感じだった。なので、その後の2番、3番札所も近郊にあったのに、そこへは行かず、鳴門うどんを食べに行った(と記憶している)。 結局納経帳はその後どこに仕舞い込んだのかも分からず、2年2ヶ月もの間、放置したままになっていたのである。◆2014年7月1日 第2番極楽寺 第3番金泉寺 2014年の初夏の頃から、母親の様子が徐々におかしくなり、大きな病院で検査(認知症か否か)を受けなければならなくなった。病院の検査等にはヘルパーさんの付添はNGで親族が付いて行かなければならない。なので、その手続や、通院、検査結果など頻繁に(しかも平日)四国中央市へ通わなければならない状況となった。 既に母親はヘルパーの助けや、お弁当のデリバリーを頼んでいる状態だったので、実家には泊まることもできず、四国中央市へは日帰りで行かなければならない。しかも大病院(四国中央病院)なので診察等は午前中のみ、早朝に尼崎を出発して、母親を連れていくものの、病院が終れば何もすることもなく帰路に着かなければならないのである。 前段の話が長くなってしまったが、この時に、折角四国に何度も来るのだから、四国八十八カ所巡礼を少しずつでもこなしていこうか、ということになったのである。で、納経帳を引っ張り出して、四国中央市に来たときの帰り道(ちょうど徳島自動車道を通って帰る)に、順番に札所を廻ることにしたのである。とは言え、片道3時間かけて尼崎まで帰らなければならないので、急いで回っても1回に2カ寺しか行けない。そんなことがこの年の7月に3回続くことになる。 さっそく1日は、第2番極楽寺と第3番金泉寺を巡礼した。88カ所でもこのあたりのお寺は平地にあって、お参りも実に楽だった。極楽寺も金泉寺も道路沿いにあって、比較的新しくて朱色が綺麗な山門だった。極楽寺は鳴門市、金泉寺からは鳴門市の西隣の板野町になる。
2019.05.25
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