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今日は大学での授業の合間を縫って、某学会から依頼されていた書評を書いております。締切は今日。ですから、何が何でも今日の夜中までには仕上げなくてはならないというね。 当該の本は冬休みの間に読んであるので、後は書くだけなんですけど、半月ほど前に半分書いたところでパソコンが壊れ、それまでに書いた原稿がパア。で、その時点でいささか興ざめしてしまって、しばらく書き直す気にもならずに放置しておいたところ、あれよあれよという間に締切が近づいてきたと。 ま、そうは言っても、「パソコンが壊れた」云々というのは実は言い訳で、結局、ワタクシ、どんな原稿でも切羽詰らないと書けないタイプの人間なんですけどね。その割にブログだけは切羽詰らなくても書きますが、これは私的なものであって、仕事じゃないですから。 それはともかく、問題は書評です。 書評を依頼された(というか、引き受け手がなかなか見つからなかったので、面倒臭いから自分で引き受けたんですが・・・)本というのは、大勢の著者の共著によるアメリカ文化史の本なんですけど、こういう教科書的な本というのは実に書評しにくい。 だって基本、教科書みたいな本ですから、万人に向けて定評ある一般論を語っているわけですよ。つまり、本の性質からいって「独自色」を出しにくい。で、その独自色に薄いものを評するってんですから、これは難しいです。どこを捕まえて褒めればいいか、よく分かりませんからね。結局は「読み易いですねえ」とか、そういう風に褒めるしかない。しかも、一人の著者が書いた本ならばまだしも、大勢の著者の共著ですから、自分は誰を褒めているのかというのもはっきり定まらないようなところがあって、ますます褒めにくい。 はあ~。ため息。 しかし、締切は今日ですからね。何とかひねり出さなければ。 で、まあ、考え出した戦略は、「自分だったらこの本をどう使うか」という視点で評価してみるというもの。その路線で、今のところ8割くらい書き上がったかな。 若干、書き方が砕け過ぎているか・・・、という気味が無きにしもあらずですが、ま、いいか・・・。その方が面白いでしょ? ということで。 さてさて、そうこうしているうちに、締切まであと6時間ちょい。今更ですが、全力は尽くします。実際、いい本だと思いますので、奮発して美点を数え上げちゃいましょう。頑張るぞ~!これこれ! ↓【送料無料】アメリカ文化入門価格:3,570円(税込、送料別)
January 31, 2011
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今日は、8年ほど前に卒業したゼミ生二人、「うっちー」と「レミレミ」が遊びに来たので、家の近くのイタリアン「フルッターレ」でランチを楽しみながら、彼女らと旧交を温めておりました。 卒業後8年と言いますと、ちょうど三十路との境目あたり。ということもあるのか、昨年はこの世代の結婚ラッシュがあり、レミレミも昨年ゴールインしたばかりの新婚さんです。 ということで、今日は、その出会いから結婚に至る経緯(と書いて「ロマンス」と読む)を根掘り葉掘り。 で、聞いてみると、お相手の方というのはかつてのバイト仲間だったのだそうで、その後、バイトを辞めてからもその仲間での飲み会がずっと続いていて、レミレミもお相手の方もその飲み会にちょくちょく出ていたらしいのですが、その過程で、なんとなく「この人に彼女ができたら嫌だな・・・」と思うようになり、それならいっそ私が彼女になればいいのだということになって・・・ということらしい。ふうむ、なんの気もない相手だったのに、いつしか「この人に彼女ができたら嫌だな」と思うようになる、その化学変化がヒューヒューですね。 で、その後結婚してからの新婚生活についても色々聞いたのですが、多少の文句を言いながらも、なんか幸せそうな、初々しい感じが「新妻」という感じがして、非常によろしい。 一方、うっちーの方はどうなのかと尋ねてみると、彼女は彼女でそれこそ10年近くお付き合いをしている人と、そろそろ・・・という方向の話になっているようで、おそらく今年中には式を挙げることになるとのこと。それだけ長い間付き合いがあっても、夫と妻になるとなると、これはまた少し異なるわけで、その辺、不安と期待が入り混じったような心境のようでした。でも、「近い将来結婚するんだと思ったら、無駄なことにお金は使えないなという気になり、バーゲンとか全然気にならなくなりました」と言っていたのが印象的で、ふーん、女の人ってそういう風に考えるんだと感じ入りつつ、なんかそういう覚悟みたいなものって、ちょっといいなと思ったりして。 ということで、新婚の、そしてもうじき新婚となる予定のゼミOG二人と、今日はゆったりと話が出来て、なかなか結構な日曜のお昼間となったのであります。うっちー、レミレミ、どうぞお幸せに!
January 30, 2011
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昨日のブログでも言及しましたが、最近、ネットのブラウザとしてグーグル・クロームを使い始めたのですけど、これがね、素晴らしいのよ。 確かにYouTubeなどの動画で差が出るのですけど、IEではしばしば動画がストップし、「電脳紙芝居」状態になっていたものが、グーグル・クロームではスイスイ動く。まったくストレスなし。今までのブラウザは一体何だったんだろう、っていうくらいの差ですよ。 現在、IEでネットにつないでいるみなさーん、そんなものはもうやめて、グーグル・クロームに乗り換えてごらんなさーい。快適なネット・サーフが楽しめますぞ~! で、調べてみると、ブラウザだけでなく、色々な出来の良い無料ソフトってのはあるもんなんですな。 たとえばワープロを含む統合ソフトにしても、「オフィス」と比べても遜色ないようなのが色々あるらしい。しかも、完全に互換性があるわけではないものの、ワードやエクセルで作った文章や表がとりあえずは開けるというのですから、サブノート・レベルでは、そんなのでもいいのかなと。むしろ、そういう「なんちゃってオフィス」の方が、出来ることが限られる分、軽いソフトに仕上がっていたりして。 コンピュータの世界って、よく分かりませんけど、なんか着実に便利になってはいるんだなと実感。 ところで、メールソフトでも、「Windows Mail」などより使いやすい無料ソフトとかあるのでしょうか。「サンダーバード」とかどうなんですかね? 詳しい方、いらっしゃいましたら、是非ご教示下さいませ。
January 29, 2011
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先日、デルのノート・パソコン(サブ)を一台ぶっ壊したことを書きましたが、こういう時に限ってデータをバックアップしてなくて、書きかけだった仕事の原稿を2つ程パーにしてしまいました。嗚呼、ガックリ・・・。 で、それも大問題なんですけど、現在自宅でメインで使っているNECのノートパソコン、これがまた作動が遅くてねえ・・・。Vista のせいもあるのですが、起動に10分から15分掛かるだけでなく、すべての反応がやたらに遅くて、メールを見るのも大仕事。返信ボタンを押してから文章を書けるようになるまで10分は掛かるという・・・。 これって、故障? で、ブラウザの起動にもやたらに時間が掛かるので、ちょっと遊び半分に噂の「グーグル・クローム」を導入してみました。 すると、これが確かに反応が早いんだ。私の馬鹿マシンでもサクサク動く。うーむ、これはなかなか良いですのう。もうIEなんか使っている場合じゃないかもね。前にちょっと使ってみて、イマイチしっくりこなかった「ファイア・フォックス」よりいいかも。興味のある方、導入は簡単だしタダですので、「グーグル・クローム」という言葉で検索かけてみて下さい。 ま、しかしですね、起動の遅さなどはいくらグーグル・クロームを導入しても改善されないので、メイン・マシンをもっとパワフルな奴に替えることにしました。今度の奴は、ノートではなく一体型のデスクトップ。CPUもメモリもHDDもスペックはすごいよ。しかもOSは起動が早いと噂のウィンドウズ7。オフィスは64ビット。現在注文中で、導入が楽しみ! で、メイン・マシンはこれでバッチリだと思うのですが、問題は持ち運びができるサブのノートパソコンでございます。やはり、東京の実家との往復などを考えると、一台、小型のサブノートがあると助かりますからね。 で、またぞろ復活してきたのが・・・ マックへの思い。 友人のマック・ユーザーに聞くと、ウィンドウズ・マシンとの互換性も全然問題ないよ、とのこと。だったら、この際、サブノートを、例えばマックブック・プロにしてしまうとか? 円高のせいか、今マックってかなり安いんですよね。13インチの奴なら10万円しないもん。 もともとマック派だったのが、仕事に支障が出るということで泣く泣くウィンドウズ派に鞍替えした私。それだけに、定期的に「マックへ戻りたい!」という強い衝動に襲われるんですな。 というわけで、ひょっとするとハイエンドなウィンドウズ・デスクトップと、おしゃれなマック・サブノートの組み合わせで、これからのパソコン生活を過ごしていくべきかどうか、頭を悩ませている私なのであります。
January 28, 2011
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一昨日だったか、大学から家に戻り、自宅のあるマンションの駐車場に車を停めて、トコトコとエントランスに向かって歩いていたら、警察やら消防やら、さらにはヤジ馬まで来て大騒ぎをしているじゃあーりませんか。何かと思ったら、エントランスが血の海よ。 ん? 事件? でも私は家に入りたかったので、そこにいた警察の人に「ここ、通っていいですか?」と尋ねると、「血を踏まないでね」と言われたので、血の海をまたいでまたいで、遠巻きにしているヤジ馬たちが見つめる中、スタスタと通り抜けて自宅に戻ったワタクシ。 今日聞いたら、自殺だったんですと。マンションの住民ではなく、部外者のようですけどね。 しかし、死んだ人に鞭打つわけじゃないけど、迷惑な話ですよね・・・。第一発見者は子供だったようですが、そんな死体を見ちゃったら「虎馬」ですよ。それに、タイミングによっては、私がそこを歩いている時に上から落ちてきた、なんてことだってあり得たわけで、そんなのの巻き添えになんかなったらエライことですわ・・・。 ま、それはさておき。 今日は後期から始まった「ジャズ史」の最終講義があり、ちょうど「日本におけるジャズ受容」という文脈の中で、「ジャズ喫茶が果たした役割」について話をしたものですから、授業が終わってから、希望者を募って地元の有名なジャズ喫茶、「グッドベイト」に行ってきました。 ま、有名と言っても、知る人ぞ知るという意味でありまして、もちろん学生たちはその存在すら知らなかったという。 それだけに、生まれて初めて「ジャズ喫茶」なるところに入った学生たち数名の反応は実に面白かったです。何しろ「グッドベイト」は歴史のある本格的なジャズ喫茶ですからね。壁という壁はすべてジャズのLPで埋め尽くされ、あちこちにジャズ関連のポスターが貼り出され、巨大なスピーカーからは大音量のジャズが流れ・・・という、まさに絵に描いたようなジャズ喫茶。ほとんど昭和40年代から変わっていないんじゃないか、という趣。 で、男子学生たちは大人しくテーブルについてコーヒーを飲んでいるのですが、女性学生たちは好奇心旺盛で店の中を歩き回り、しまいにゃマスターに話しかけたり。うむ、その積極性はなかなかよろしい! 何しろLPとか、ターンテーブルを見たことがない、という連中ですからね。何を見ても、珍しいのでしょう。 すると、久しぶりに結構な人数の若い学生たちが大挙して店を訪れたことで、マスターのKさんもすっかり喜んでくれて、グッドベイト自慢のレコード室まで我々を案内して下さいましてね。で、私が「大学でジャズ史の講義をしていて、今日は社会勉強にこちらに寄らせていただきました」と挨拶すると、「それだったら、声をかけてくれれば私もジャズの紹介に大学まで出向きますよ」なんておっしゃって下さいまして。いや~、そういうことでしたら、今年はもう終わりましたが、来年度はひとつ、マスターに特別授業をしてもらおうかしら! で、リクエストにも応じていただいて、1時間ほどどっぷりジャズの世界に浸ったあと、マスターに別れを告げ、お店を後にしたのでした。 で、帰りのクルマの中で、学生たちが口々に「面白かった!」「今まで生きてきた中で一番クールな時間を過ごせました」などと興奮気味にはしゃいでいたので、連れて行った私としても大満足。いやあ、予想以上に学生たちはジャズ喫茶が気に入ったようでしたね。これで、この後もちょくちょく顔を出したり、別な友人を連れていったりしてくれると、私としてもさらに嬉しいのですが。 というわけで、今日の授業後の遠足は大成功、私も大いに楽しむことができたのでした。今日も、いい日だ!
January 27, 2011
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ちょっと必要がありまして、このところ市販の英語教則本を取り寄せて、あれこれ読んでおります。 で、その中に10年くらい前に爆発的に売れた『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』というのがあって、どんなものかいな、と思ってパラパラめくっていたら、数名の大学院生たちが興味を示して寄ってきまして。で、彼女たち曰く、「わー、私、これ持ってる~!」「私も買った~!」と。なんとそこにいた4人の院生が全員、これを買っていたのでした。ほう・・・。 「ふうむ、そうなの。で、どうだった? ためになった?」と尋ねた私に対し、彼女らは互いに顔を見合せながら、異口同音に言ったのは、「何が書いてあったか、全部忘れました」ですと。 なーんだ! 全然、役に立ってないんじゃん! で、私もチラチラと眺めているのですが、「世界一簡単な」と言いながら、けっこう説明がややこしく、どちらかというと「簡単なことを、かえって難しく説明している」ような印象を受けております。 ま、全部読んだわけではないので、断定的なコメントは避けますが、これを読んだからといって、目からウロコ方式に英語が上達するって仕組みのものではなさそうです。実際、これを読んだ院生たちが「何の役にも立たなかった」と言っているんですから、その点は実証済み。 結局、「ビッグ・ファット・キャット」という言葉と、キャラクターの猫の魅力、ただそれだけで評判になった本なんじゃないでしょうか。しかし、それにしても奥付によれば、私が買った本は「第35刷」だそうで、こりゃ確かに売れてるわ。 ということで、参考にすべきは、この本の内容というよりは、「英語教則本には、魅力的なキャラクターが必要だ」という、身も蓋もない戦略ですな。 一方、私がちょっといいなと思ったのは、『中上級者がぶつかる壁を破る英語学習最強プログラム』(ベレ出版)という本。 この本はですね、それ自体として英語の教則本になっているわけではなく、「(中上級者の皆さんは)こういう風に勉強したらいいんじゃないの」というアドバイスを書き綴っているものでありまして、要するに「アドバイス集」ですね。 で、この本でいいなと思うのは、最初に「英語は単語力じゃ」と強調しているところ。いや、別に言葉でそう言っているわけではないですけれど、明らかにそう読める。だってね、とりあえず3万語くらいのボキャブラリーがないと、まともな新聞や本は読めないよ、と言っているんですから。 英語に上達したかったら、とりあえず3万語位は覚えろ、上達云々というのはそれをやってからの話だ、という本。いいですねえ。「世界一簡単な・・・」ということを訴えるタイプの本とはまったく逆の方向性を打ち出しております。 そうなのよ。実際。実用に足る英語って、結局、そうなんじゃない? で、この本には3万語覚えるためには、こんな風に勉強しなさい、こんな単語集を試しなさい、こんな辞書を使いなさい、電子辞書を活用しなさい・・・という感じで、あれこれ指南が書いてあるんですが、そういうのを読んでいると、なんかやる気が出てくるね。ま、やる気が本気につながるかどうか、というところが、本当は重要なんですが。 ということで、『ビッグ・ファット・キャット・・・』よりも、むしろ「英語学習は茨の道と覚悟せよ」と潔く言ってのけるこちらの本の方を高く評価するワタクシなのであります。私も、もう一度初心に帰って、3万語のボキャビルから始めようかな・・・。これこれ! ↓【送料無料】中上級者がぶつかる壁を破る英語学習最強プログラム価格:1,575円(税込、送料別)
January 26, 2011
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昔、キリスト教的道徳を振りかざした子供向けの本を読まされたことがありまして。それぞれ『ベッドタイムストーリーズ』『ぎんのほし』『こだまのうた』というタイトルではなかったかと。 まあ、全体的に説教臭い本なんですけど、何度も読んだおかげで妙に頭に残っていましてね。子供にあんまり変なものを読ませてはいけない、ということなんでしょうが。 で、その中に「ありがとうを言いに戻って来た人」みたいな話がありまして。医者が患者を治療するのだけども、病気が治った人はたいていそのこと自体に浮かれてしまって、わざわざ戻ってきて治してくれた医者に「ありがとう」と言う人がいないと。ところが、一人だけ、医者のもとに戻ってお礼を言った人がいた。 ・・・という話で、要するに、「これを読んでいる良い子も、この『ただ一人戻って来た人』になりなさい」というようなお説教なんでしょう。しかし、こういうのも、子供の頭に叩き込むと、案外、影響が残るもので。 さて、大学の授業も残り少なくなってきたのですが、私が担当している「アメリカ文学史」という授業題目の中で、少し前に「やってもやらなくてもいい宿題」というのを出したことがあったんです。それは、ヘンリー・ジェイムズという作家の「荒涼ベンチ」(岩波文庫『ヘンリー・ジェイムズ短編集』所収)という短編を読み、そしてこの作品に対する訳者の解説を読みなさい。そしてその解説に納得ができるかどうか考え、できるにせよ、できないにせよ、自分の意見が固まったら、私のところへ来てその意見を言ってみなさい。そうしたら、私自身のこの短編についての解釈を述べよう、というものでありまして。 ま、こういうチャレンジングな宿題を出しても、たいていはやらないんだ、最近の学生は。 ところが、今年度は一人いたんです。今日、一人の男子学生が私の研究室を訪れ、この短編についての自分の考えを述べ、私の解釈はどんなものかを聞きに来た。 うーん。エライ! まさに「ただ一人、戻って来た男」ですな。別に私に「ありがとう」を言いに来たわけではないですが、しかし、私の講義に興味を持って耳を傾け、私の挑戦に応じたのですから、それは私に対する「ありがとう」と解釈してもいいのではないでしょうか? ちなみに、ヘンリー・ジェイムズの「荒涼のベンチ」というのは、こういう話です。 ハーバート・ドットという男が居て、彼は高級古書店を経営しているのですが、婚約者であるケイト・クッカムという女性とうまくいかなくなり、彼女との婚約を破棄し、ナン・ドリーリーという別な女と結婚してしまう。ナンとの間には子供も3人生まれます。 ところが、膨大な額の(婚約破棄の)慰謝料をケイトに絞りとられる生活は厳しいもので、ハーバート一家の生活は次第に貧しくなり、その結果、子供は皆死に、奥さんのナンも死に、古書店も人手に渡り、無一物となったハーバートはしがないサラリーマンとなって世過ぎをすることになる羽目に。 かくして一人ぼっちになったハーバートは、週末、仕事の帰りにある公園に立ち寄り、いつも決まったベンチでしばらく考え事をするのが、いつしか習いとなるんです。 と、そんなある日、そのベンチに人影がある。よく見ると、自分をこんな目にあわせたケイト・クッカムではありませんか! 久方ぶりに見る彼女は、若かりし頃よりもさらに太りましたが、なにやら裕福な服に身を包み、いかにも豪勢な感じ。 で、そのケイトからハーバートは意外なことを聞かされます。 実は、婚約慰謝料をふんだくったのは、他でもない、ハーバートのためであったと。そのお金を元手にして、さらにお金を増やし、一生かかっても使いきれないくらいの額にした。私は、結婚してあなたの暮らしを支えようとしたが、その望みはあなたによって断たれてしまった。しかし、自分は別な形で自分の望みを叶えようと思い、あなたからお金をふんだくった。そのことであなたもつらい思いをしただろうが、私もそれを増やすために随分つらい思いもした。だから、そのことはお互い、水に流しましょう。とにかく、今、こうしてあなたにお金をお返しすれば、自分の望みは叶う。だから、お金を受け取ってくれと。 そう言われたハーバートは悩みます。もしこのお金を受け取れば、そのために赤貧のうちに死んだ妻や子供に言い訳が立たない。しかし、このお金があれば、自分が失ったものを取り戻せる。 悩みに悩んだハーバートは、結局一週間後、再会したケイトからそのお金を受け取ります。例のベンチの傍で。そして、お金を受け取ると同時に、ハーバートはガックリと膝から崩れ落ちます。そして倒れたハーバートをケイトが抱きとめ、沈む夕日の中、二人はまるで恋人同士のようなシルエットを作りだしたのでした。 おしまい。 というような話です。 で、この短編について、訳者の方は、簡単に言えば「金を受け取ったことの罪の意識ゆえ、ハーバートは崩れ落ちたのだ」と解釈しているんですな。 しかし、私はそうではないだろう、と思っているんです。そんな話ではないだろうと。ヘンリー・ジェイムズは、もっと別な次元の話をしているのではないかと。 で、今日、「ただ一人戻ってきた男」に対し、私自身の解釈を語ったところ、深く納得していたようでした。たまにこういうことが起こるので、教師家業も悪くないなと思えるんですよね~。 というわけで、今日は一人の学生の行動のおかげで、いい気分になれたワタクシだったのであります。 え? じゃ、先の話に対するワタクシの解釈はどういうものなのか、ですって? そりゃあ、そう簡単には教えられませんよ! あっはっは!
January 25, 2011
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今日、大学でまた妙な噂を耳にしましたよ。 うちの大学がまたぞろ何かプロジェクトをやるとか言って巨額の「競争的資金」を獲得したらしいのですが、資金要求の計画案というのは単なる作文で、実際には具体的な計画があるわけでもなく、大きな額の予算はついたけれど、どうやって使い切ればいいかわからない、というのですな。 でも、予算がついてしまった以上、使い切らないとまずいので、おそらく、想像を絶するほど下らないことに使うのでしょう。 いやー、よく聞くんですよ、この種の話。日本の血税というのは、かくのごとく無駄に使われておるのでございますぞ。 じゃあ、なんでそんな無計画に計画書を出して予算を取ろうとするかですって? それはですね、そういう風にして「うちの大学、積極的に何かをやろうとしています!」という姿勢を示さないと、「この大学、やる気ないな」とマイナス判断され、見せしめのために運営交付金をガンガン減らされるからでーす。だから、是が非でも計画書は出さないとまずい。だから、いい加減な大風呂敷を広げて、多額の予算を要求するわけ。で、うっかりそれが通ってしまうと、今度はその多額のお金をどうやって使うかで苦労し、結局、要りもしないものを買ったりして使い切るわけですな。 ここに、「競争的資金」という名の、壮大なる「愚」があるわけですよ。 やる気のある研究者、優れた研究計画に重点的にお金が配分される点で、「競争的資金」制度というのは、一見するとすごく合理的な制度に見えます。しかし、上に述べたように、実際にこの制度を運用すると、かくのごとく下らない事態になるわけ。 ハッキリ言いまして、日本では競争的資金制度というのは機能しません。 だから、いちいち「競争」とかさせないで、日本中の研究者に一律に同額の研究費を渡して、「この中でやりくりしなさい」と言うのが一番いいんです。これ、見た目、すごく消極的な提案のようですが、実際には日本ではこの方式が一番機能すると思います。昔そうだったんだもの。それで、ちゃんと世界的な研究ができていたんですから。 ところが今は、競争的資金導入のおかげで、書類書きと無駄遣いのために、どのくらいの無駄な時間と無駄なお金が費やされていることか・・・。 国立大学の先生方の給料は下がる一方なのに、それとは関係のないところで、巨額のお金がバンバン無駄遣いされているのを見るにつけ、現政権のお金の使い方の下手さ加減に、ほんと呆れ果てているワタクシなのでした。きっとこの種の無駄遣いって、大学関連だけじゃなくて、あちこちであるんだろうなあ・・・。
January 24, 2011
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昨日、巽先生の講演会に参加した後、名古屋大学近くの古本屋さん二軒に寄ったところ、ひゃー、なかなかいい本を見つけました。アシュリー・カーン著『カインド・オブ・ブルーの真実』(プロデュース・センター出版局)という本なんですが。 この本、マイルス・デイヴィスの名アルバム、『カインド・オブ・ブルー』が如何に録音されたか、ということを調べ上げたドキュメンタリーなんですけど、もうせんこの本を買おうと思ったら既に絶版になっておりまして、一度断念した経緯があったんです。その本が2,200円(元値は3,200円)で手に入ったのですから、かなりラッキー! またこれとは別に、数日前、これはインターネット上の古書店から『Jazz Seen:カメラが聴いたジャズ』(Petit Grand Publishing, Inc.)という一種の写真集も入手し、これもなかなか面白そう。 とはいえ、年度末ゆえこのところ多忙な日々が続いておりまして、これらの本を実際に読めるのは、うーん、一か月くらい先でしょうか。そこが残念なところ。 ところで、今日はお年玉年賀はがきの抽選日でありまして、ワタクシ、年甲斐もなくてアレなんですけど、実は子供の頃から毎年この日を楽しみにしているという。職業柄、結構もらいますしね、年賀状。 が! どういうわけかここ数年、くじ運が下がっておりまして、何と昨年は一通も当たらず。それだけに今年へかける意気込みは相当なものなのでございます。 で、期待を込めて一枚一枚確認していったのですが、当たったのは・・・1枚だけかよっ! しかも四等の切手シート! はあ~。あーん、こんなに楽しみにしてたのにぃ。残念だなぁ。何で当たらないんだろう。こんなにたくさん年賀状もらったのに。 というわけで、古本運上昇中、くじ運相変わらず下降気味のワタクシなのでありました、とさ。皆さんは、当たりました?
January 23, 2011
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今日は名古屋の南山大学で行われた巽孝之先生の講演会「グローバリズムと惑星思考」を聴講に行って参りました。巽先生は、慶応義塾大学で教鞭を執られているアメリカ文学の最先端の研究者です。 で、今回のご講演では、「惑星思考」(「planetarity」、もしくは「planetary thought」の訳)というキーワードが新鮮なわけですが、これは「グローバリズム」と対置される新しい概念。しかし、そのことを説明する前に、まずグローバリズムの問題を考えないといけませんね。 従来、アメリカ史というのは、(文学史も含め)、アメリカ一国の地理的範囲の中で考えられることが多かったわけですが、しかし、それだけではアメリカという国のあり方の全貌を捉えられないところがある。例えば文学史との関連も含めて一つ例を言えば、アメリカ19世紀の重要な思想家であるヘンリー・デイヴィッド・ソローの「不服従」とか「市民的反抗」といった思想は、20世紀におけるインド解放の父であるマハトマ・ガンジーに影響を与えている。このこと一つとっても、アメリカ一国で済まない問題は沢山ある。 で、アメリカだけでは済まない問題というのは、18世紀末、アメリカ独立の頃から既に顕在化してくるんです。ヨーロッパ列強が始めたいわゆる「三角貿易」は、ヨーロッパに莫大な富をもたらすと同時に、植民地であるアメリカにも(アフリカから奴隷を連れてきて労働させ、その結果綿花をヨーロッパに売ることで)富をもたらす結果となり、高まった経済力が独立への気運を高めたというところもあるわけですが、その後、ジェファソン大統領からモンロー大統領に至る期間、さらに力を強めたアメリカは、ヨーロッパ列強に対し、「アメリカはヨーロッパのことに口を出さない代わりに、ヨーロッパもアメリカ大陸のことに口を出すな」という「モンロー・ドクトリン」を打ち出すようになる。ここに至ってアメリカは、「西半球はアメリカが仕切る」という「半球思考」を採用するようになるわけです。そして当初は「東半球」と「西半球」という区分だったものが、やがて「北半球」と「南半球」という考え方にも及び、北半球が南半球を支配すべき(アフリカ奴隷問題・パナマ領有問題)という方向にも進展していくようになる。一方アメリカ国内でも、インディアンを駆逐しながらの西部開拓は、神がアメリカに与えた「明白な運命(Manifest Destiny)」である、という考え方が生まれてくる。 そして、文学史的に言えば、アメリカ19世紀半ばに出た傑作、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』(Moby Dick, or the Whale)も、「捕鯨」というきわめてグローバルなイベント(アメリカによる日本の開国も、捕鯨基地として日本を利用するためだった)を題材にしたものだったと。そして、上に挙げてきた3つのMD、すなわち「Monroe Doctorine」「Manifest Destiny」「Moby Dick」が揃い踏みするところに、アメリカの帝国主義、アメリカのグローバリズムの萌芽があった。 しかし、ここに歴史上の皮肉がある。元来アメリカという国はイギリスの植民地から独立したわけで、つまり「ポスト・コロニアル」なものとしてスタートしたはずなのに、そのアメリカが他国を支配するようになってしまったのですから。かくのごとく、ポスト・コロニアルはコロニアルを反復するところがあるわけですな。 とはいえ、こういう流れというのは、必然的なところもあるわけですね。啓蒙主義という大義名分の下、先に近代化した欧米諸国が、近代化の遅れた地域を「啓蒙」しながら支配していくというのは、ある意味、理の当然かもしれない。 例えばジュール・ベルヌの『80日間世界一周』。フランス作家が書いたこの作品の中で、イギリス人のフォッグ氏は80日間で世界一周ができると豪語し、それを実行するわけですが、その中でインドを訪問中、現地の風習である「サティ」を目撃することとなる。「サティ」とは一種の人身御供で、有力な男が死んだ場合、その妻は死んだ男と一緒に焼かれるんです。で、そのサティの中で、イギリスで教育を受けた、つまり啓蒙された女性が無理やり殺されようとされるのを見たフォッグ氏は、従者たちと一計を案じて彼女を助け出し、イギリスに連れ帰るという筋になっていく。 近代化した国が、近代化以前の国の風習を打破するのは、仕方がないところがある。 しかし、問題は残ります。そうやって近代国家イギリスに連れて行かれたインドのプリンセスは、果たしてイギリスにおいて、「声を持つ存在」として扱われるのかどうか・・・。やはり帝国主義のグローバリズムというのは、一国の価値観で世界を捉えようとする試みですから、その価値観で理解できないものは可視化されないところがあるわけです。 つまりグローバリズムの視線の中では、「異物」が可視化されず、沈黙を強いられるところがある。 で、今日、例えばガヤトリ・スピヴァクやワイ・チー・ディモクなどの思想家が意図するのは、この種のグローバリズムの打破であると。そして、そのグローバリズムに代わる新たな思考軸が、「惑星思考」と呼ばれるものであると。 グローバリズムというのは、有力なとある一国の視線からすべてのものを見ようとすることで、それゆえに見落としもあるわけですが、そうではなくて、もっと相対化され、中立化された大所からの視線により、これまで可視化されてこなかった異物たちを見、抑えられていた彼らの声を聴こう、という考え方。これは、例えば「人間以外のものの声」にも耳を傾けようという姿勢でもあり、その意味で、例えばエコ・クリティシズムなどにも通じる考え方でもあるわけです。 しかし、グローバリズムから惑星思考への転換が、容易なものとは限りません。 例えば、西欧社会の東洋観を痛烈に批判したエドワード・サイードという思想家が、「911」以後のアメリカを、『白鯨』のエイハブ船長の自殺行為的復讐劇になぞらえて批判したことがあったのですが、この時、サイードは誤って小説の(=原作の)『白鯨』ではなく、レイ・ブラッドベリ脚本、ジョン・ヒューストン監督による映画版『白鯨』の最終場面を元に、この批判を構築してしまった。 しかし、実はこの映画版では、小説『白鯨』の中でまさに「異物」として登場するインドの拝火教徒・フェイダラーという登場人物を抹消してあるんですな。アメリカのグローバリズムを批判するサイードが、まさにそのアメリカ的グローバリズム思想傾向の中で、フェイダラーを抹消してしまった映画版『白鯨』を例に引いてしまう矛盾。この辺に、グローバリズムからの脱却の難しさがある。 ・・・とまあ、そんな感じのご講演内容だったのではないかと。何せ最近のワタクシはすっかり体育会系というか、「惑星思考」ならぬ「道場思考」ですから、久方ぶりにアカデミックなお話を拝聴し、ついて行くのが精一杯。ひょっとして間違った理解の仕方をしているかも知れません。これをお読みのN先生、もし違っていたら訂正して下さい。 しかし、アレですね。お話を伺っていて、自分が今やっているロマンス研究のことも考えていたのですが、ロマンスというのはイギリスで生まれ、それがカナダのハーレクイン社を通じて世界を席巻するのですが、しかし、1980年代頃からアメリカ流のロマンスが力をつけ始めて一派を成し、その後2000年代に入ってからは、人間以外の主人公をヒーローに据える「パラノーマル・ロマンス」が全盛の時代を迎えるという流れがあるわけで、これってコロニアリズムからポスト・コロニアリズム、そしてそこからさらに惑星思考のロマンスへ、ってこと? などという下らない連想も出たりして。 そういう連想が出るほど、こちらの脳髄を刺激してくれるご講演だった、ということですな。 というわけで、今日は久々に頭の中がクラクラするほど刺激を受けた一日となったのでした。あー、わしももっと勉強せにゃいかんなあ!
January 22, 2011
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今日は本来なら研究日で自宅研修なんですが、所属大学では今日は「月曜日スケジュール」で動くので、仕方なく月曜日の授業をやってきました。 ま、月曜日は連休の関係で潰れることが多く、「半期15回」の授業をしなければならない現在の大学事情からして、どこかで埋め合わせをしなくてはならないんですな。で、学期末に近くなると、他の曜日を月曜日に振り替えるようなことをする羽目になると。 しかし、こういうことも結局、「大学は、半期に15回の授業をしなくてはならない」という規則を厳密執行せよという、このところの文科省の愚かしいご命令から来るのであって、下らないの一語でございます。まさに愚の骨頂。 大体ね、大学っつーところは小学校から高校までとは違って、「ここからここまで教えなければいけない」なんて規則は初めからないのでありまして、個々の教員が個々のやり方で教えりゃーいいんですよ。 もちろん、大学の単位について、規則はありますよ。「一コマ2時間、これを15週行って計30時間。この30時間をもって『単位』と認める」、という規則は昔からある。しかし、規則は規則、運用は運用なのであってね。 昔はですね、そういう規則はあるけれども、大雑把に運用されていたもんです。さすがに半期10回の授業で済ますとなるとちょっと気が引けるところはありましたが、まあ、12回くらい授業をやれば大手を振ってキャンパスを歩けた。つまり、規則が厳密に運用されていなくとも、その辺は任されていたわけです。大体「一コマ2時間」という規則だって、実際には120分ではなく90分で行われているわけで、しかしそれに文句を言う人なんかいないんですから。 ところが今は、15回ばっちりやらないとダメというわけ。 それで思い出すのですが、昔、折口信夫が慶応大学で教えていた頃、劇作家にして俳人の久保田万太郎が非常勤講師で教えに来ていた。ところが、久保万さんは忙しい人でしたから、毎週毎週、三田まで教えに来られない。で、段々休講が多くなり、また久保万さんが演出している舞台の見学などで授業の代わりとする、なんてことも増えてきたんですな。 そしたら、学生側から文句が出た。 で、それに対して折口さんは「近頃の学生は馬鹿だ。久保田万太郎の話を年に数回聞けるだけだって勉強になるのに・・・」と嘆いたというのですな。 これはまったく折口信夫の言う通りで、大学なんてそういうところであったっていいし、むしろそうあるべきだと思うんです。要は、学生が大学での授業の中で何か知的な刺激を受け、それをきっかけに自分で勉強すりゃーいいので、その意味では、半期にたった一回授業をするだけだっていいのよ。その一回で、学生が刺激を受けるのであれば。 それをねえ、何でもかんでも一律に「15回やれ」とは・・・。文科省の見識を疑うね。ちなみに、「15回やれ」は今年度までで、来年度からは「15回授業をやって、16週目に試験をしろ」ということなので、都合半期16週にわたって拘束されることになります。それだけ、夏休み、冬休み、春休みが削られるということですな。 しかし、これらの休みの期間こそ、大学の先生方は研究に打ち込むんですよ。それを奪ったら、研究なんか進まず、その結果、新しいことなんか教えられなくなるじゃないですか! 文科省は、規則の厳密な執行を押しつけることで、大学をますます活気のないところにしようとしているわけです。これを「愚」と言わずして何と言いましょうや。 はあ~。やれやれ・・・。情けなくって、ため息しか出ないね。
January 21, 2011
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今日はジャズ史の講義の日だったのですが、この講義も押し詰まって参りまして、今日は1970年代の「フュージョン」を扱い、このジャンルに属する様々な音源を学生たちに聴かせておりました。 で、そうなりますと、当然、チック・コリアの『リターン・トゥー・フォーエヴァー』は欠かせないので、これの3曲目、「What Game Shall We Play Today」を聴かせていたのですけど、自分も聴いているうちに何だかいい気分になってきた。 1960年代、いわゆる「政治の季節」に流れていたフリージャズなんかのわけの分らなさから一転して、1970年代のフュージョン・ジャズの「なーんにも心配することなんかないのよ~~」とでも言わんばかりの心地よい、引っかかりのないサウンドに身を任せていると、たとえそれがまやかしであっても「このあらゆる苦悩から解放されたような世界に浸っていたい・・・」という気になってきます。 そう、そして1970年代は私の小学生・中学生時代でありまして、実際、私には何の心配ごともなかったのでした。 あの輝いていた70年代、確かに時代は『リターン・トゥー・フォーエヴァー』の音がしていましたよ。あるいはカーペンターズの『トップ・オブ・ザ・ワールド』の音がしていました。 それに比べ、1990年代とか2000年代とか、一体どんな音がしていたのかさっぱり思い出せない・・・。より近い時代なのに、ピンとこないというのは、一体どういうこと? ところで、「時代の音」というのは、私だけでなく、他の人にもシェアされているものなんでしょうか。これをお読みの皆さまの中に、「19××年代、自分にはこういう音がしていた」という風にハッキリ意識している方がいらっしゃいましたら、是非教えて下さい。これこれ! ↓【Aポイント+メール便送料無料】チック・コリア Chick Corea / Return To Forever (輸入盤CD)...価格:1,790円(税込、送料別)
January 20, 2011
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ひゃー、今日はほとんど一日、会議漬けでした~。12時半から7時半まで、ほぼノンストップで教授会を含む3つの会議に出づっぱり。7時間ってすごくない? でも会議が好きっていう人は必ずいて、口では「会議か~、かったるいなあ」なんて言っているけど、やたらに発言したりして実は楽しそう。私はもう、まったく関心がないので、ただひたすら退屈なだけですけどね。 で、退屈凌ぎに紀要に出す論文のアイディア考えちゃった。 今回はねえ、1990年代以降のロマンスの傾向のことでも書こうかなと。 1990年代以降、特に21世紀に入ってから、ロマンスの世界ではフュージョンが流行りで、ウェスタン風ロマンスとか、推理小説風ロマンスとか、ユーモア小説風ロマンスとか、そういうのが色々あるんですけど、中でも極め付けがSF風ロマンスという奴でありまして、いわゆる「パラノーマル」って奴ですね。 ま、ロマンスってのは、女の子が好きな男の本心を知りたくてうずうずする、というところに醍醐味があるわけですが、そうなると、ヒーロー役の男が得体の知れない奴で、ヒロインに対して粗暴なふるまいをしたりするなど、なかなか本心が分らないと、余計ヤキモキさせられる分、読者としては楽しいことになる。 だから、ヒーローが得体の知れない奴ほど、ロマンスのヒーローとしては優れているわけ。 で、パラノーマルですわ。 何せパラノーマル・ロマンスの場合、相手の男は人間じゃないですから。ヴァンパイアとか、そういう奴ですから。「得体が知れない」という点では、これ以上得体が知れない奴はいないでしょう? だから、楽しいロマンスになる、と。 ま、そんな話でも書こうかな、と。教授会に出席しながら、頭の中ではそんな感じで論文の構成考えてました。 ・・・とはいえ、昨日ノートパソコン壊しちゃったし、パソコン買う方が先か? というわけで、論文のことを考えたり、パソコン、どうしようか、そんなことを考えたり、これでなかなか忙しいワタクシなのでありました、とさ。
January 19, 2011
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一昨年買ったばかりのデ○のノートパソコンがお陀仏になってしまいました・・・。 あまりにも遅いダメダメ・マシンでしたけど、携帯用のノートとして一応は愛用していたのに。どういうわけか、起動すらしなくなってしまった。完全に没。 はあ~。どうしよう。 B5サイズくらいで、ウィンドウズ7で、オフィスが入っていて、DVDとかはいらなくて、それで格安でありさえすればメーカーは問わず、と言ったら、何を買えばいいですか? どなたか、詳しい方、アドバイスお願いしまーす! もう今日はショックで、これ以上、書けません・・・。助けて~。
January 18, 2011
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話題の映画『ソーシャル・ネットワーク』を観てきました。「フェイスブック」創設者を主人公に、この世界的ソーシャル・ネットワーク創設にまつわるエピソードを映画化したものなんですが。(以下ネタばれ注意) 主人公のマーク・ザッカーバーグはパソコンおたくのハーバード大学の学生で、その手の学生にありがちな、生身の人間とコミュニケーションをとることが今一つうまくないタイプ。映画の冒頭でも、エリカというガール・フレンドに対して神経を逆なでするような発言ばかりしてしまい、結局大喧嘩して別れることに。そしてその腹いせにエリカの悪口をネット上にアップしたばかりか、勢い余ってハーバード大の女子学生の顔写真を勝手にハッキングしてネット上の美人コンテストを開催。大学から叱責処分を受けることになっただけでなく、ハーバード大学中の女子学生から総スカンを食らう羽目に。 ところがその一方で、上級生の優等生ウィンクルボス兄弟からハッキングやプログラミングの腕を買われたマークは、ハーバード大学の学生専用の出会い系サイト「ハーバード・コネクション」のプログラム作りを依頼されることになるんですな。 しかしマークは、ウィンクルボス兄弟も所属するハーバード大のエリートクラブ、あるいはそれが象徴するエスタブリッシュメントへの反発もあり、「ハーバード・コネクション」が想定していたものよりも遥かに巨大で開かれた形のネット上の人的ネットワーク、「ザ・フェイスブック」を、親友のエデュアルドの助力を得て、勝手に起ち上げてしまいます。 そして、マークの抜け駆けを知ったウィンクルボス兄弟は、マークが自分たちのアイディアを盗んだとしてサイトを封鎖するよう圧力をかけ始めるのですが、そうこうしているうちにマークが起ち上げたサイトは「ナップスター」の創設者で、今はネット・ビジネスのアイコンにして破産者あるショーン・パーカーの目にとまり、彼から「フェイスブック」(「ザ・フェイスブック」から「ザ」を取ったのも、パーカーの示唆による)をビジネス化することを持ちかけられます。そしてパーカーのカリスマ的魅力に魅せられたマークは、パーカーとは肌合いを異にするエドュアルドと次第に上手く行かなくなり、ついにフェイスブックを共に起ち上げたパートナーであり、彼の唯一の親友でもあったエドュアルドを、膨大な富をもたらし始めたフェイスブックのビジネスから締め出してしまうことに。 そして、「アイディア登用」について訴訟を起こしたウィンクルボス兄弟、それに「ビジネスから不当に締め出されたこと」について訴訟を起こしたエドュアルドを相手に、マークは泥沼の様相を呈する訴訟騒動に巻き込まれていく・・・。 ・・・とまあ、そんな話です。 で、私のこの映画に対する点数は・・・ 「81点」です。合格! まず、この話がごく最近起こった実話をもとにしているというところが面白い。何しろ、主人公のマーク・ザッカーバーグは現時点で26歳、史上最年少の億万長者ですから。今あるフェイスブックは、こうして作られたのか、という感慨がある。 でまたマークという男のやることがよく分からん、という所が、意外性があって面白い。何しろ唯一の親友エドュアルドを裏切っちゃうんですからね。 ま、マークはユダヤ人で、確かにコンピュータを操る腕は確かだけれど、それ以外、特に目立つものがない。ハンサムなわけでもないし、会話は下手。性格も一般受けするものではない。ハーバード大という、誰もが羨む超一流の大学に入っていて、彼自身、エリート意識の強いところはあるのだけれども、しかしハーバード大学の本当の主流、エスタブリッシュメントだけが会員になれるエリート・クラブには入る足がかりすらない。 つまり、彼は実際には、アメリカの主流世界の中では「何者でもない」存在なんですな。そのことに対する激しいコンプレックスがマークの中にはある。そしてそれが、絵に描いたようなエリートであるウィンクルボス兄弟への反発に結びつき、そして「同族」と思いこんでいたエドュアルドがエリート・クラブから声を掛かけられた途端、そのことへの嫉妬から彼も「仮想敵」にしてしまうという。 人と関わることが人一倍下手なマークが、人と人を結びつけるネットワーク「フェイスブック」を起ち上げ、しかもまさにそのことによってマークは一層、彼にとって大事な人とのネットワークを失っていくという、この二重の皮肉。 しかし、そうした一連のことも、実はマークにとっては大したことではなくて、本当の意味では彼は誰も憎んだりはしていないんですな。ただ、彼は自分の思いを表に表わすことが下手で、それで成り行き上、人を傷つけたり、人を裏切ったりすることになってしまっているだけという。そこにマークの悲喜劇があるわけですよ。ある意味、マークは21世紀のホールデン・コールフィールドかも知れません。 その辺の複雑なようで単純なマークの人物造形が、ビートルズの「Baby, You Are the Rich Man」をBGMにした最後のシーンで触れられるんですが、これがね、すごく印象的。 巨万の富を作り上げなが、友も、愛も、全てを失っていく男の悲劇ということで、この映画を『市民ケーン』と重ねて語る人はきっとごまんといると思いますが、それはどうしようもなく正しい指摘でありまして、マークの別れたガール・フレンド、エリカが、この映画の「ローズバッド」であったことは、この最後のシーンが雄弁に物語っております。 ということで、この映画、教授のおすすめ!です。マークを演じた若手俳優、ジェシー・アイゼンバーグもなかなかのはまり役ですよ~。
January 17, 2011
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ひゃー、今年も終わりました、センター入試。監督業務も、疲れるねえ・・・。 何が疲れるって、「リスニング」の監督。あんなもん、導入するって誰が決めたんだ?! 何しろ、55万人もの人間が同じ時間に同じ英文をリスニングするわけでしょう? しかも、完全に同じコンディションでないといけない、なんて馬鹿な条件付けたもんだから、もう大変よ。 大体、人間の日常の会話自体が異なった条件下でなされるわけで、都会の喧騒の中でなされる会話もあれば、密室で小声でなされる会話もある。だけど、それはそれでちゃんと会話が成り立つわけじゃないですか。 だから入試でのリスニング試験だって、校内放送するみたいに各受験室のスピーカーでわーっとやっちゃえばいいじゃん? ところが、そうすると受験室の前の方に座っていた場合と後ろの方に座っていた場合では聴こえ方が違うとか、窓際の席に座っていて、試験中に救急車が通って聴こえにくかったとか、うるさいこと言う奴が出るんだ、これが。 そこで馬鹿な文科省は、55万人の受験生一人ひとりにICレコーダーを配ってですね、個別にリスニングテストを受けさせることにしたと。 馬鹿だね。その時点で大馬鹿。 55万個のICレコーダーなんか使ったら、その中に何個、故障するものが出ると思います? もちろん、現代の技術ですから、数十個、あるいは十数個程度のものかもしれませんが、しかしそれでも不具合の出る機器は必ず出ます。これは防ぎようがない。 で、万が一、自分が監督している受験室の中でその故障ICレコーダーがあった場合、それにどう対処するか。これが複雑を極めるわけ。実際の試験が始まる前、準備段階で故障が発見された場合はどうするか、試験が始まってから故障が出た場合どうするか。ありとあらゆるケースが想定され、それに対応する方策が立てられている。同じ試験中に故障が出た場合にしても、開始5分後に出た場合と、開始27分後に出た場合ではもちろん対応の仕方は変わってきます。もちろん、ICレコーダーだけではなく、試験問題の冊子や解答用紙の乱丁・落丁・印刷ミスもあり得る。 で、それに加えてですよ、試験中に体調不良を訴える受験生が出た場合どうするか、ということがある。 体調不良だって、色々あります。トイレに行きたくなったらどうするか、鼻血を出したらどうするか、嘔吐したらどうするか。また、3人掛けの机で、真ん中の椅子に座っている奴が体調不良になり、どうしてもトイレに行く必要が出た場合、そいつを外に出すために、両端に座っている奴のどちらかが席を立たなければならないわけですが、その場合、席を立った奴が「おかげで集中できなかった」と言ってきたらどうするのか。 その他、試験中に大地震が起こったらどうするか、火事が起こったらどうするか、試験会場の隣が火事になって、数台の消防車がサイレン鳴らして来た場合はどうするか。近所で飼っている犬が吠えたらどうするか。 まだまだあります。隣の受験生が貧乏ゆすりして、それが周辺の受験生の気になって仕方がない場合どうするか。受験生の一人が発狂して、試験中に大声を出し始めたらどうするか。 ・・・とまあ、そんな具合でありとあらゆる突発的なトラブルがあり得るわけで、その一つ一つに対応策があるのですが、そんなの全部、覚えられるわけないじゃん! だものだから、リスニングの監督中、監督官はただひたすら「何も起こるな! 起こらないでくれっ!」とひたすら祈るしかない。まさに30分間の地獄。一年で一番長い30分。この30分間の極度の緊張で、寿命が三日ぐらい縮まるんですよね。この制度、もう数年やっているから、私の寿命も既にかなり縮まっています。そろそろ定年が近づいてきた同僚なんか、「俺、あと何回監督すればいいのかなあ・・・」と指折り数えているんですから・・・。 だから、日本中のリスニング監督官数千人の切なる願いを代表して私は言いたい。リスニングテスト、やめてけれ。 っていうかさあ、大体、一年で一番寒いこの時期にセンター入試やること自体、馬鹿だよねっ! 今日の名古屋は大雪でしたけれども、雪の降り始める時刻がもう少し早かったら大変なことになるところ。風邪やインフルエンザの流行する時期でもあるし、なんでわざわざこの時期を選んだのか、文科省の正気を疑いますわ。どうせセンター入試をやるってんなら、11月頃にやればええんだがね! というわけで、馬鹿なお上のおかげで、昨日今日と疲れる週末を強いられた私なのでありました。くそう! 明日は遊ぶぞっ!
January 16, 2011
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俳優の細川俊之さんが亡くなりました。享年70歳。自宅で倒れ、頭を強打しての脳出血と聞き、谷啓さんのケースと同じかと思いましたが、調べて見ると、それ以前から随分体調を崩されていたようですね・・・。 細川さんと言えば、甘いマスクの二枚目俳優というイメージ、あるいはまた木の実ナナさんと組んでロングランとなったミュージカル、『ショーガール』の主演などでお馴染みですが、私としては、16年の長きにわたって続いたFM東京の昼の番組、「ワールド・オブ・エレガンス」のナレーターとしての細川さんが一番印象に残っております。 服飾メーカーのワールドが提供していた「ワールド・オブ・エレガンス」。この番組のことについては以前、このブログにも記したことがあると思いますが、これが独特の雰囲気のある番組でね。特に私がよく聴いていた頃は、レイモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラの奏でる「ラブ・ワールド」という曲がテーマ曲になっていて、フランス語特有のアンニュイな雰囲気が、番組全体の雰囲気をよく醸し出していたものでした。 そしてそのアンニュイな雰囲気の中、あの頃流行ったポール・モーリア的な、クラシックとポップスの中間に位置するようなインストルメンタル曲がかかる。で、その曲にふさわしいちょっとしたドラマ、というか独り言のようなセリフを細川さんがナレーションする形で番組が進行していくのですが、その細川さんの甘く、クールなナレーションがものすごくよくて、あの昼の30分ばかりは、私の乱雑な自室が、それこそフランスはパリの街角にでもなったような感じがしたものでございます。 そう、細川さんの声は甘いんですけど、その甘さの下に冷酷さや凄味が隠されていて、いわば「殺し屋の甘さ」とでも言いましょうか、それがいかにもフランス(映画)っぽいんですよね。映画で見るフランス人って、どんなに仲良くなっても最終的には裏切りそうな感じがしますでしょ? 自分の身を呈してまで他人を助けるなんてことがないような気がする。「そんなことしたら、自分が損じゃん?」という冷徹なフランス的合理主義。そういうメタルっぽい冷たさを甘さでコーティングしたのがフランス的優しさだと表現するならば、細川さんが醸し出す甘さというのは、そういう「鉄の甘さ」であったような気がします。実際、(私は見ていませんが)細川さんが出演された映画作品の中には、狂気に近いほど冷酷な男を演じたものがあるそうですが、細川さんなら当然、そういう役もこなせただろうなと私は思います。 ああ、細川俊之って、好きな俳優だったのになあ・・・。 甘く、クールで、時にはコミカルな役どころまでこなした特異の人、そして私にとっては強く思い出に残るFM番組「ワールド・オブ・エレガンス」のナレーターであった細川俊之さんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
January 15, 2011
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唐突ですが、皆さん、肉まんとかあんまんにこだわりってあります? 私は肉まん、あんまんに関しては基本、「新宿 中村屋」派でございまして、山崎(普通の奴)とか、井村屋とかは眼中なし。特にあんまんの場合、中村屋のあんまんの、あのこってりした中華風のあんこが好きで、小豆のあんこが入っている井村屋とかはそれほど賞味しないんです。 しかし、家内は井村屋派で、通常、味覚的に一致することの多い我ら夫婦も、ことあんまんに関しては意見が別れるという。ま、子供の時から食べ慣れた味、ということなんでしょうね。 ところで、そんな我が家で今、流行っているものに、山崎製パンの「吉野家牛肉まん」というのがありまして。 これ、3個パックで売ってたり、1個ずつバラで売ってたりするのですが、これがね、旨いのよ。さすがに吉野家と山崎製パンが共同開発したとあるだけに、確かに牛丼の味だよなあ、という具が入っている。朝食代わりに食べたりするのにぴったり。何故か楽天では売ってませんけど、スーパーとか、ドラッグストア(最初に買ったのはドラッグストアだった)には売っていると思いますので、だまされたと思って買って御覧なさいな。ピザまんとか、カレーまんとか、「変わり肉まん」を特においしいと思わない私が言うのですから間違いなし。教授のおすすめ!です。 さてさて、明日はセンター入試。私も監督に駆り出されております。毎年、どういうわけか、この日に限ってやたらに寒いんですよね・・・。明日も、午後から雪が降るとか言っているし。というわけで、風邪引かないよう、暖かくして行ってきまーす。
January 14, 2011
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また八ヶ岳の話? と言われそうですが、俳優の柳生博さんが書かれた『八ヶ岳倶楽部 森と暮らす、森に学ぶ』(講談社)という本を読了しました。 この本、一見ムックのような体裁なので、八ヶ岳の住人として有名な柳生さんが「山はいいよ~、森はいいよ~」というだけの本かと、軽い気持ちで読み始めたんですけど、これがね、意外に重みのある本だったんです。もちろん、重量級という意味ではないですけど、心地よい程度にはズシンと来る。 で、この本によりますと、柳生さんと八ヶ岳の結びつきは、柳生さんが13歳の時に遡るというのですな。柳生家では子供が13歳になると、毛布と歯ブラシを持たせて1ヶ月間一人旅に出す、というのが掟というか、家訓なんですって。うーん、まずこの掟がいいじゃないですか。で、茨城県出身の柳生さん、地元に高い山がないということもあって、山への憧れがあり、それで八ヶ岳南麓へ旅に出ることにした、と。 で、13歳と言えば、生意気盛りですから、大人に対する基本的な反感がある。ところが、一人旅で八ヶ岳のふもとまで行き、駅で野宿なんかしていると、周りの大人たちが柳生さんに話しかけてくれるんですって。話しかけるだけでなく、13歳の柳生さんの話に耳を傾けてくれる。それが嬉しくて、ああ、大人って案外いいじゃん、と思った。ま、これが柳生さんの成長でもあったんでしょうな。そして、その成長を見守ってくれたのが、八ヶ岳の自然だった。 で、それ以後、柳生さんは人生の岐路に立たされる度に八ヶ岳に行き、山の中で来し方行く末を考えるようになったそうなのですが、そのうちに俳優として売れ始める。 で、俳優というのは、あまりけなされることが無い職業なんですって。だから、売れ始めるとどんどん天狗になっていく。傲慢になっていく。そして精神のバランスを失っていく。で、ある時、このままではやばいと思った。 で、「精神生活の拠点」を持たなければダメになると判断した柳生さんは、当時のなけなしの貯金300万円ほどを持って家族4人、クルマに乗って八ヶ岳に向い、そこに家を建てることにしたわけですな。 そしてそれからは東京と八ヶ岳の二重生活。東京で年間400本の仕事を抱えながら、ストレスがたまると山のことを考え、山に帰ると今度は野良仕事をしながら仕事のことを考える。そうやって、うまく心のバランスをとりながらやって来たと。ふうむ、なるほどねえ。 ところが、そんな八ヶ岳のでの暮らしが始まると、どんどん山での知人・友人が増えていく。それ自体は素晴らしいことなんですが、そのうちに知人・友人の輪が大きくなりすぎ、恒例の餅つき大会では、300人近いゲストが八ヶ岳の柳生家に集まるようになってしまったと。すると、本来一匹狼の柳生さんとしては、これはこれでやばいと思うようになり、以後、そういう集まりをすべて止めてしまう。 その代わり、「八ヶ岳倶楽部」という、喫茶店とホールを兼ね備えたようなパブリックな場所を作り、そこは知人・友人、あるいは通りすがりの観光客なんかとの出会いの場にして、家は家でプライベートな空間として保つ。そんな風にしたというわけ。これが、あの「八ヶ岳倶楽部」誕生秘話なんですな。 実は私も八ヶ岳倶楽部には何度か行ったことがありまして、そこで野良仕事をしていらした柳生さんにお会いしたこともあるのですが、あの施設の背景にはそういうドラマがあったのか、というのが良く分かりました。 で、この倶楽部では、若い人たちがバイトで働いているのですけど、それを見ていると面白いと、柳生さんはおっしゃいます。例えば、八ヶ岳で働いているうちに、カップルが誕生することもよくある。それはそれで楽しいエピソードなんですけど、しかしもっと美しいのは、八ヶ岳で恋人同士が別れることだと。 つまり、都会の大学のキャンパスなんかだと、あまりあらが見えないのですが、八ヶ岳の山の中で互いに互いの「素」を晒すと、魅力的だと思い込んでいたのが、実はそうでもなかった、というのが見えてくる。そこで、二人で山の中に入って行って、話し合って、そして別れることを決めて山を下りてくる。若いカップルが、山の中でそういう決意をしてくるというのが、実に美しいと。そう柳生さんはおっしゃるわけ。 うーん、深いね! その他、この本には柳生さんが二人のお子さんを八ヶ岳の中でどうやって育ててきたか、ということも沢山書いてあるんですけど、これがまたね、実にいいんですわ。それから随所に書いてある柳生さんの自然観。すごく説得力がある。 というわけで、この本、想像していた以上に「読ませる」本だったのであります。単なる山賛美、森賛美、自然賛美の本ではなく、ある意味、柳生さんの人生のすべてが詰まったような本。読み応えがあります。教授の熱烈おすすめ!です。これこれ! ↓ 【中古】ビジネス ≪ビジネス≫ 八ヶ岳倶楽部 森と暮らす、森に学ぶ【10P21dec10】【画】価格:590円(税込、送料別)
January 13, 2011
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なんかNHK会長の選任がゴタゴタしておりますなあ。 しかし、NHKの会長職って、結局、何? 実は、何の権限もないんじゃないの? 名誉職というか。見栄えのいい「いわゆる有識者」って奴をお飾りで置いておくだけなんでしょ。で、そんなお飾りすら選べないという体たらくとはまったく情けない。 しかも、ですよ。しかも、そのお飾りのために用意される報酬が3200万円ですと。ひゃー、結構なもんだ。 ところが財界の有識者は、選べばもっと身入りのいい名誉職がいくらもあるので、NHKなんかには見向きもしないんですって。そこで今回は学会から「前慶應義塾塾長」という恰好の人物を選んでみたものの、根回し不足で果たせず、そのまま迷走状態・・・。 私に言わせりゃーですね、NHKも人を馬鹿にしているね。国民から運営費を徴収しておいて、そんな名誉職に3200万円も払うなんて。少しは伊達直人でも見習いなさいよ。選ばれた歴代会長さんも会長さんだ。名誉職として、報酬なんぞスパッと辞退すればカッコいいのに。 よーし。こうなったら不肖、ワタクシ・釈迦楽が、NHK会長職に立候補だ。 ただし、私は3200万円、しっかりもらうよ。その代わり、実権のある会長として、大ナタを振るわせていただきます。 まず、手始めに「紅白歌合戦」は終了させましょう。この番組の役割は、20年くらい前にもう終わっていますよ。「こりゃ誰だ、この歌何だ、大みそか」なんて川柳が作られるようじゃ、歌合戦をやる意味なんかありません。っていうか、NHKだって本当はもうやめたいんじゃないの? ただやめるというと、クレームが来そうで怖いだけでしょ。だったら、私が猫に鈴付ける役を引き受けてあげますよ。 それから「固有名詞をきちんと言う」ことにします。「大手電機メーカー」とか言わないで、東芝なら東芝、ソニーならソニーと言わせます。山口百恵の『プレイバック・パート2』だって、「真っ赤なポルシェ」と歌わせましょう。「真っ赤なクルマ」では意味ないもん。 それから現在BSも含め4つあるチャンネルを3つに減らし、また面白くでもない娯楽番組を減らして、NHKの得意なドキュメンタリー系の番組に重点を置きましょう。 あと、定期的にやっているらしい内閣支持率調査みたいな、各種世論調査はとりあえず中止しましょう。ああいう、中立の立場をとるふりをしながら、世の大勢の向く方向を見ながら、隠れて政局に影響を与えようとするような姑息なマネは、品位ある放送局のやることじゃない。必要だと思えば、世の大勢の考え方の逆を行くものであろうとも、あるいは政府の見解と異なるものであろうとも、NHK独自の見解として世論に訴えるくらいのことをさせましょう。 とにかくね、ガキの使いみたいな、判断停止をした上での中立報道なんて、結局は時の有力者に利用されるだけですわ。 あ、それから、大相撲中継にデーモン小暮先輩はこれからも呼ぶよ。 ということで、NHKさん、ここに前・慶應義塾塾長よりもっとすごいのがいるんだから、私を会長にしなさい。悪いようにはしないからさ。私はいつでもお声がかかるのを待っているよ。
January 12, 2011
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新聞によると、デーモン小暮閣下がNHKの相撲中継の中で、琴光喜の復帰を要望するようなフリップを出したらしいじゃないですか。それもNHKからのプレッシャーをはねのけて。 やるな、デーモン閣下。さすが先輩。 いやあ、私もこのブログで言ったことがあると思いますが、琴光喜の角界追放、あれはやりすぎですよ。可哀想過ぎる。もちろん賭博に関わったのはまずかったですけど、間違いは誰でも犯すので、何場所か出場停止するなど罰を与えた後は、復帰させればいいじゃないですか。大体人を、その人の一生の仕事から引き離してしまうなんてあまりにひどい。 でまたNHKも、デーモン閣下の意見を放送させまいと小細工を重ねたらしい様子が見苦しいね。 一度でも失敗を犯したら、一生、罰してやればいいということをNHKが是認していて、それを公言しているならそれもいいですけど、一方では服役囚の社会復帰問題なんかをドキュメンタリーで放送しているじゃないですか。言ってることとやってることが違いますよ。 でも、これで当分、デーモン閣下はNHK出入り禁止なんでしょうね。あー、やだやだ。 しかし、それを覚悟で琴光喜の復帰要望に言及したデーモン閣下は偉い。さすが我が先輩だ。 そう、やくみつる、デーモン小暮、そしてこのワタクシ・釈迦楽という相撲好き三人は、実は同じ高校の出身だったのでありまーす。ちなみに織田裕二も同じね。そしてデーモン先輩は悪魔、ワタクシは妖精ということで、その点でも近い。 ということで、ワタクシもデーモン先輩に和して、声を大にして言いたいですが、琴光喜を復帰させることに賛成! しかし、案外、この声は盛り上がらないな~。可哀想に、琴ちゃん、ダメかもね。
January 11, 2011
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昨夜、久しぶりに名古屋の自宅に戻り、年末・年始の暴食&御馳走攻めのツケがどのくらいになったか、恐る恐る体重計に乗りまして。 プラス1? プラス2? ま、まさかプラス・・さ、さん?? と思ったら、マイナス0.5でした~。え? ウソ~? うーむ、これはひょっとして、日ごろの鍛錬の結果、基礎代謝が上がり、いわゆる「エネルギーを消費し易い=脂肪などを溜めにくい身体」になっていたとか?! すごいね。我ながら、すごい。 ま、それはそうなんですが、しかし、このところずっとガバガバ食べていたのは事実。年末・年始、一族が大集合して賑やかにご飯を食べている時に、一人「あ、僕はもういいです」とか言って節制するのも、場をしらけさせるだけでしょ。そこは皆に合わせて「おかわり~!」とか言わないと。 ということで、また名古屋で家内と二人暮らしに戻った今日から、互いに目で合図し、「しばらくは粗食で行こう」という暗黙の協定を結んだ我ら。 かくして今日の夕食は粗食よ~。ワカサギの佃煮、「京佃煮 野村」の京茶漬(←やたらに旨い!)、切干大根、納豆、味噌汁、そして緑茶。以上。 ところがね、飽食が続いた果ての粗食が、またべらぼうに旨いのよ。なんかね、日本人の食卓は基本これでしょ、みたいな。むしろ、身体が粗食を求めていました、みたいな。 おーし、これで行きましょ、これで。当分。そして、風呂に入る前にはじっくり時間をかけて八光流護身体操と、過酷なまでの筋トレ。これも復活。 というわけで、疲れた胃腸に染み渡る「粗食の喜び」に、余計元気が出てきたワタクシなのであります。粗食、教授のおすすめ!です。 京佃煮 野村の京茶漬! ↓京茶漬(佃煮)価格:346円(税込、送料別)
January 10, 2011
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はあ~、名古屋に戻って参りました~。 今日はさすがに3連休の中日ということで、東名上にも非日常的なクルマが溢れておりまして、ポルシェにロータス、そして極めつけは黒のフェラーリ458(多分)。追い越し車線で前のクルマに詰まった途端、急減速したフェラーリのエグゾースト・パイプからババッとバックファイアが。カッコいいねえ。こういうクルマを眺めながらのドライブは退屈しません。 それから案外多いのが日産ジューク。結構売れているのでしょうか。後ろ姿も一種異様で、面白くていいですね。私は絶対買いませんが。 そして自宅で初めて今年の年賀状の山にご対面。予想外の人からもらっていたりして、大分遅くなっちゃいますが、こちらからもお出ししなければ。ちなみに、教え子からの年賀状については私はルールを作っておりまして、最初の年は向こうが先、次の年から私からも同時に出すと、まあ、そういうことですな。だから、今年初めて年賀状をくれたゼミOGの諸君、来年からはこちらからも元旦に着くように出すからね! その他、色々雑用も溜まっていて、明日はその片付けで追われそうです。ま、これが現実というものでしょう。 それでは、今日のところはこの辺で。また明日!
January 9, 2011
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早いもので明日は名古屋に戻る日。ということで、今日は家族で高幡不動尊に行き、恒例・新春のお参りをしてきました。 正月も7日を過ぎましたが、それでも今日は3連休の初日とあって、なかなかの人ごみ。で、ごったがえす善男善女たちに交じって釈迦楽家の平穏無事を祈って参りました。特に今年は、近々父が簡単な手術をするために入院することもあり、特にその快癒を強く祈ってきましたけどね。 で、ここでのお楽しみの一つは、「七福神入りおみくじ」を引くことでありまして、これ、おみくじの中に小さな七福神が入っているんです。で、七人全部揃えるのが私の悲願(オーバー?)なんですが、今年は「吉」にして、「えびす様」が入っていたので大成功。確か一昨年、昨年と連続で弁天様を引当ててしまい、ちょっと足踏み状態だったものですから。 そして、名物の高幡不動まんじゅう(白ではなく茶色い方がワタクシのおすすめ!)を買って帰って来たと。例年やっているお参りが、今年も果たせたので、何だかいい気分です。 さて、明日は名古屋までひとっ走り。連休が明ければまた普段の生活に戻ります。ま、仕事があるから、休みの日が楽しいわけでありまして、仕事の方も頑張りますか。それでは、皆様、明日からは名古屋からのお気楽日記をお楽しみに~!
January 8, 2011
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年末年始にかけ、卒論指導の最後の追い込みで、それこそ一日に何度も「添削指導して下さい」と原稿をメールで送って来ていたゼミ生たちですが、昨日の午後からそれがピタっと止んだなあと思ったら、今日は午前中から次々と「卒論、提出してきました~! ご指導、有難うございました!」というメールが舞い込んできました。 やあ、これで、今年の卒論指導も終わりましたなあ・・・、と感慨にふけるワタクシ。 今年のゼミ生は4人で、例年より少ないし、楽かなぁと思っていたらさにあらず。かえって手のかかる子が多くて苦労しましたけど、まあ、それも終わってしまえばね、みんな楽しい思い出でございまして。 ゼミというのは、もともと少人数ですし、引き受けた学生たちとは随分親しくなるもんですが、やっぱりね、卒論の締切が目前に迫ってからの最後の1ヶ月、この間の個別指導での原稿添削のやり取りがあって初めて、お互いのことがよく分かるというところがある。 「文は人なり」というのは本当で、人の書いた文章を直すというのは、ある意味、その人のことを否定するようなものですからね。直された方は、時に辛い思いをするでありましょう。しかし、こちらとしては「そこを直さなきゃ、人様にお見せ出来るものにはならないよっ!」という気迫で、ガシガシ直す。 で、直されたものを見て、「ああ、確かにこう直した方がいいな」と学生が気づいてくれれば、そこで彼ら/彼女らは一段上のレベルに上がれるわけですな。そうやって、時に嫌な思いもさせながら、そして「良くなった」という実感も持たせながら、二人三脚でゴールを目指す。 で、そうやってゴールした時に、彼ら/彼女らは、真の意味で「釈迦楽ゼミ生」になるわけですな。本当の教え子にね。 というわけで、今年も4人、ワタクシの弟子が増えたと、こういうわけでございます。ま、ようやくワタクシの弟子になったのに、もうすぐ彼女たちは卒業しちゃうわけで、そこがちょっと寂しいところではあるんですが。 ま、とにかく、何にせよ今日はめでたい。年末以来、卒論指導の奮闘が続いていたので、私もしばし、のんびりすることにいたしましょうか。
January 7, 2011
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先日このブログでも後期高齢者の我が父母が初めてケータイを入手した、という話を書きましたが、この文明の利器の使い方をマスターするのに、現在、二人とも奮闘中でございます。 で、やっぱり高齢者にとってケータイというのは、なかなか難しいものでございまして。 まずね、同じ機械で「電話」としても使えるし、「メール」を出すものとしても使えるという、この多様性がまず腑に落ちないらしい。特に父は「ケータイなんて電話として使えればいいので、メール機能なんかいらない」というのが持論で、ケータイを買うときにも、お店の人に「メール機能は入りません。電話としてだけ使えるものを下さい」と頑固に言い張って、大分困らせたらしい・・・。 とはいえ、やっぱりメールというのは便利なので、その使い方を姉と私で特訓するわけですけど、父曰く「紙に書いておかないと忘れてしまう」とのことで、メールが来たらまずどうするか、メールを読むにはどこを押せばいいのか、そういう手順の一つ一つを全部紙に書き出し、それをワープロで打ち直して清書までしてしまったという。 が、実際にケータイのベルが鳴ると、とたんに動揺して、紙に書いたことのどこを読めばいいのかとっさには分からず、往生しているようです。 で、メールが届いたという表示が出ているにも関わらず、ついいつもの癖で「電話」として受けてしまい、「はい、釈迦楽でございます。もしもし。もしもーし。あれ、変だな。もしもーし!」なんてやっているのを見ると、可愛いやら歯がゆいやら、何だか切なーい気持ちになりますなあ。 あと、未だに普通の電話との区別がつかないらしく、電話のベルが鳴れば、一番近くに居る人が出るべきだ、という論理から抜けられず、母のケータイに電話がかかってきたのに、それに父が出てしまうなんてことが頻繁に起こるところを見ると、父母のケータイとの格闘は、まだまだ続きそうです。 それでも、父も母も少しずつ慣れてきたようで、今日は二階の自室で仕事をしていた私のケータイに、「もうすぐおやつだから、下に降りていらっしゃい」などというメールが届きました。いや、アッパレ。大したもんだ。 というわけで、我が家では当分、この文明の利器が話題、というか騒動のタネになりそうですが、しかし、あれですね、よく考えてみると、「じかに会う」「電話で話す」という旧来の方法の他に、「メールをやりとりする」という新しいチャンネルが開かれたことは、父母と私との親子関係に、新たな側面が付け加わったということでありまして、それは間違いなく良いことなのではないかと。 ま、そう思って、ケータイという名のかけ橋に期待することといたしましょう。
January 6, 2011
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昨日、町田の「レコファン」で何枚かジャズのCDを仕入れてきたんですが、その中で素晴らしいのが一枚ありました。『ウィ・スリー』というアルバムなんですが。 ドラマーのロイ・ヘインズをリーダーとして、ベースがポール・チェンバース、ピアノがフィニアス・ニューボーン・ジュニアのトリオ作品なんですが、これがね、一曲目から素晴らしい。いや、一曲目に限らず、どの曲も曲想がしっかりしていて聴き飽きない。 大体、私はフィニアス・ニューボーンというピアニストが好きなんですな。早弾きしても乱れない音の粒。とても洗練された感じがする。といって、とり澄ましたような無機的な音でもなく、実に味がある。 ジャズのCDというのは、3枚買って、その中に1枚気に入ったものがあれば上出来だと思っているのですが、まさに昨日の買い物はそんな感じでしたね。 というわけで、ロイ・ヘインズの『ウィ・スリー』、教授の熱烈おすすめ!です。これこれ! ↓ウィ・スリー(初回限定CD)価格:1,500円(税込、送料別)
January 5, 2011
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この間ブックオフで105円でゲットしてきた、はたせいじゅんさん著『ハワイ暮らし成功物語2』を読了しました。放送作家のはたさんが、ハワイへの移住を決意し、実行した、その経験を語った本なんですが。 え? こんな本を読んで、お前は八ヶ岳だけじゃなく、ハワイに移住する気もあるのかって? いや~。いずれ八光流柔術の師範となり、海外に道場を開くとなったら、どういう準備なり覚悟なりが必要なのかなって、ちょっと思ったものですから・・・。 ま、それはともかく、放送作家として活躍していたはたさんが、仕事でハワイに行くようになってからその魅力にとりつかれ、結局ハワイの日本語放送会社に勤める形でビザを取り、ついに移住に踏み切った、というところから話が始まりまして。当然、アパートを借りる、クルマを買う、ソーシャル・セキュリティーナンバーを取る、運転免許を取る、日本から荷物を送る、娘さんを現地の学校に入れる・・・と、移住に伴って怒涛のように押し寄せる各種手続きをどうやってこなして行ったか、というようなことに話は及ぶわけですね。 で、少しずつ現地での生活に慣れ、買い物のコツや、人付き合いのコツなんかも習得していく。例えば、ハワイ名物のロコモコを、現地の人はとにかくごちゃごちゃに混ぜて食べるらしいのですが、なるほど現地の人はそうやるんだ~、ということを学びつつ、何でもまぜこぜにして味の調和を図るというところに、ハワイのアロハスピリットのある側面が窺われるんだ、というような文化論にも発展するわけ。 あと、仕事でも生活でも、「ハワイ時間」というのがあって、こののんびりしたペースに慣れないと、ハワイでの生活はエンジョイできないよ、なんていうアドバイスもあったり。 それから、海外への移住をする人たちにとって一番の心配ごとであろう「子供の学校問題」についても、この本は具体的に、はたさんのお嬢さんのことを例に挙げて説明してくれています。それによると、やはり英語の出来ない子供がいきなり現地の学校に入るのには、相当なストレスがあるらしいのですが、しかし、ハワイの学校システムというのが非常に良心的というか、いい意味でプラクティカルで、一人ひとりの生徒のニーズにあったプログラムを、親と本人と学校側の三者で細かく検討しながら作り上げていくようになっているのだそうで、そのシステムに乗っかって、はたさんのお嬢さんが立派に高校を卒業するに至る経緯が書いてある。これは本気で移住を考えている人や、仕事で仕方なく移住を強いられている人なんかには、相当役に立つ情報なんじゃないでしょうか。 ってなわけで、全体としてハワイへの移住者ライフの一端がなかなか分かり易く書いてある。そういう意味で、まあ面白く読める本ではありますね。興味のある方はどうぞ、という感じです。これこれ! ↓ハワイ暮らし成功物語2【中古】afb価格:495円(税込、送料別) さ・て・と。こんな本を読んでハワイの風を感じた身にはつらいですけど、ゼミ生も焦っているようですし、卒論指導の追い込み、もう少し頑張りますか。
January 4, 2011
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今日で正月三が日も終わりですか。お節も、今日で食べ納め・・・。 ところでお節料理って、皆様、お好き? ワタクシはと言いますと、子供の頃は嫌いでね。食べるものがない。大体お雑煮が嫌いなんですから、主食がないようなものでして、あと食べられるものといえば蒲鉾くらい。蒲鉾が一番のごちそうだというのでは、子供から見て魅力的な御馳走とは言えないでしょう。 ところが。 これがねえ、ここ最近。そう、本当にここ最近のことですが、お節を食べながら、何とはなしに「うまいなあ・・・」と思うようになったんですわ。お雑煮も、食べられるようになってきたし。 で、今年。もうね、迷うことなく、「お節はうまいっ」と意識的に言い切れるところまで来た感じがする。 やっぱり日本人のDNAってすごいなと。っていうか、遅まきながら、ついに私も大人になったのかと。閑話休題。 さて、今日は姉と姪と、それから家内と一緒に「たまプラーザ・テラス」なるショッピング・モールに行ってきました。って、何だか毎日買い物ばかりしているようですね・・・。 昔たまプラーザというと、東急デパートが一軒あるだけだった記憶があるのですけど、再開発で随分立派なショッピング・モールが出来ておりましたなあ。今日はまた新春セールの真っただ中だけに、人出もスゴイ。 だけど、うーん、ま、ショッピング・モールとしてはごくごく平凡な成り立ちなので、特に購買意欲をそそられることもなく、キッチン・ツールを買ったり、輸入食材なんかをちょこちょこ仕入れたりするくらいで終わってしまいました。ただ、クリスピークリーム・ドーナツの店があったので、とりあえずお決まりのグレーズド12個詰め合わせは買って帰りましたけどね。 で、またわいわい、ガヤガヤやっているうちに一日暮れてしまいました。年が明けると、日が経つのが早いなあ。 さて、今日はもうひと頑張り、ゼミ生から送られてくる卒論草稿の添削をしてから寝ましょうかね。それでは皆様、お休みなさーい。
January 3, 2011
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今日は正月二日。小学校時代からの友人三人が相模大野に集まる恒例の「男三人の飲み会」の日・・・なんですが、昨年に引き続き今年もまたTの奴が九州から戻ってこれないというもので、Eと私の家内と、変則版三人の飲み会、となりました。 で、いつものようにEの好みの居酒屋に行きまして、いかにもな居酒屋メニューを肴に飲みかつ食い。 大手ゼネコンの本社に勤めるE。支店勤務時代は、現場を監督したり、とにかく人と付き合わざるを得ない仕事だったのですが、本社に栄転してからは逆に書類とにらめっこの日々だそうで、朝、同僚に「お早う」といい、帰りに「お疲れ」というまで、他に一言も発さない日もあるのだとか。それもこれも、以前は半期に一度の決算だったものが、監督官庁のお達しで3か月に一度に変更されたことで、決算書類のチェックが重くのしかかっているためなのだそうで、どこの世界でも官庁というのはろくなことをしないんだなと。 ま、そんな不平もEの口から発せられると、爽やかな風のように聴こえるところがEの人徳でありまして。 ちなみにEの現在の望みは、一日も早く仕事を辞めて、引退すること。この点は私と同じですが、彼の場合は、湯河原に広い庭付きの一戸建ての家を建て、そこで小さな家庭菜園を作り、そして時折海へ出て魚を釣り、釣った魚で一杯やって、そして自宅に引いた温泉に入ってのんびりすることなのだとか。うーん、それはそれで良さそうですね。私が今の生活を引退して八ヶ岳に引っ込んだら、時折、互いに行き来して、山の生活と海の生活を両方楽しめたら最高ですな。 とまあ、そんな夢みたいな話をしながら、Eとの清談は尽きなかったのでございます。 で、夕方、Eと別れた我ら夫婦は、何となく駅ビルで買い物でも、と思ったのですが、エスカレータを上がっているうちに「JiNS」という、このごろあちこちに出来ている眼鏡屋さんのチェーン店を見かけ、つい入ってみることに。 で、あれこれ試着(っていうのかな?)しているうちに、お、これ案外いいじゃん、というフレームを発見。 実は1年半ほど前に「遠近両用眼鏡」を作ったことがあったのですが、これが失敗で、結局二兎を追うものみたいになっちゃっていたんですね。で、それを踏まえて今度眼鏡を作る時は、クルマの運転用と読書用と二つに分けようと思っていたのですが、今回はこのフレームでクルマの運転用の眼鏡を作っちゃおうかな、と。 で、聞いてい見ると、それこそものの1時間ほどで完成するというので、まさかこんなところで眼鏡を買うとは思いませんでしたが、結局、買ってしまいました。ま、新年から「先を見通せる」ようになったのですから、ひょっとして縁起がいいかな、と。 というわけで、今日は親友と旧交を温め、新しい眼鏡も買って、すっかりご満悦のワタクシなのであります。今日も、いい日だ!
January 2, 2011
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はーい、皆さま、明けましておめでとうございます。本年もひとつ、よろしくお願い申し上げまする~。 さてさて、本ブログご愛読の皆さまは2011年の年明けをいかがお過ごしですかな? 我が釈迦楽家はと申しますと、まあ、普通にダラダラと。 昨夜はNHKの『ゆく年、くる年』を見てから近くの神社へ初詣。おみくじで大吉を引当てて、まずはめでたいスタートとなりました。 で、一夜明けて元旦。恒例のお節料理で幕を開けました。もちろん、ワタクシが丹精込めた黒豆も重箱の一隅を飾りましたが、家族からは好評でございました。ああいうものは、ある程度素材である豆の善し悪しにもよるので、まずはひと安心。 そして午後からはこれまた恒例となりました「新百合ヶ丘ショッピング」。初売りを始めた店々を冷やかしてやろうという趣向でございます。 で、とりあえずユニクロなんかも見ましたけど収穫なし。しかし同じビルに入っていたブック・オフでは105円の棚から数冊ゲット。さらに家内はお気に入りのリサ・ローブのアルバムを500円で入手して大満足。 さらにお隣のデパートに入っているギャップのお店を覗いたところ、ちょっとカッコイイ薄手のジップアップのカーディガンみたいな奴がセールになっていて、私、迷わずゲット。イタリアン・ウールで手触り抜群、昨年、武道で絞り込んだ私の身体にピッタリ・フィットで超クール。 そして、カルディ・コーヒーで「マイルド・コーヒー」と「バニラ・マカダミアナッツ」などを購入して、今日の初買い物の納めといたしました。 とまあ、そんな感じかなあ。 いやいや、もう一つ。実は両親がついにケータイを購入に及んだので、今日はその使い方のコーチングを皆で寄ってたかって。 しかし、年寄りにケータイの使い方、特にメールの打ち方をゼロから教えるってのは、なかなか大変ですよ。 我々の世代より下は、ある程度パソコンだのワープロだのに慣れていますからね。ケータイでメールを打つなんてのは、その延長線上のこととしてすぐに分かってしまう。 ところが、そういう素養がない人にそれを教えようとすると、こういうものの操作の仕方がいかに複雑であるか、改めて気付かされます。もちろん、両親が買ったのはケータイの中でも一番シンプルな奴なんですが、それでもやっぱり難しい。 ま、なかなか一度に覚えさせようとしたって無理なので、少しずつやっていくしかなさそうです。 しかし、ついに我が家も家族全員がケータイを持つ時代になったかと。2011年は、その意味で、釈迦楽家にケータイという名の黒船が、文明開化がやってきた年として記憶されることになりそうです。
January 1, 2011
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