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今日は大晦日。2011年も今日でおしまい。今日の私は、黒豆を煮るのを仕上げ、檀ふみさんの『父の縁側、私の書斎』を読了し、そしてゼミ生の卒論を添削しまくった、そんな一日となりました。壇さんの本、家にまつわる話題だけで構成されているんだ・・・と思っていたら、雑誌『モダンリビング』に連載していたエッセイを集めたものなんですな。道理で。でも、まあまあ、面白かったです。作家の娘というのは、もうエッセイストになることが予定されているようなもんなんですかね。 さてさて、今年も今日でおしまいということで、2011年を振り返ってみますか。 ま、今年はどうしたって大震災があった年として記憶されるでしょう。実際、3月のあの日から、どうも色々調子が狂ってしまった、というところがある。それは日本が、ということだけではなく、私個人としても。 その最大の狂いが、7月に恩師を亡くしたこと。ま、先生も大正生まれの人ですから、いずれ遠くない時期にそういう日が来ることは前々から少しずつ覚悟はしていたとはいえ、いざその日が本当にやってくると、度を失うものでありまして。 そして、先生の死を自分としてどう受け止めればいいのか、そのことをまるまる1ヶ月かけて考えた。 この1ヶ月、これを充実の1ヶ月と言うべきなのか、それとも空白の1ヶ月だったのか。自分でも未だによく分かりません。だけど、必要な1ヶ月であったことは確か。 でも、この1ヶ月によって、何だかあらゆる予定が狂ってしまったことも確かでした。その後、何だかすべてが慌ただしく過ぎ去って、結局、この一年、形になるものとしては、大した成果もないまま終わってしまった、という感じ。 そういう意味では、多くの被災者の皆さんと「失われた1年」を共有した、という感があります。 しかし、来年はね、ここから立ち上がらないと。しっかりしないと。 そんな気持ちでおります。 というわけで、また来年も、身辺雑記風ながら、その時々に思う事、得た情報、良い本や映画などの紹介、さらにはグルメ情報なども含め、ここから色々発信していきたいと思います。どうぞこれからも本ブログをご贔屓に。 では、皆様もよいお年をお迎えくださいませ。
December 31, 2011
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昨日古書市で買って来た本、結局、少し読んじゃったんですけど、最初に読んだ内田樹氏の『私の身体は頭がいい』、私にはイマイチだったかな・・・。 この人、合気道6段でしょ。それでこの本、結構合気道の話題が出ているようだったので、八光流の私としても興味があって買ってみたのですけど、全然読めなかった。文章というのは、結局、人格が出ますからねえ。この本がいい悪いではなく、多分、内田さんという人と私が合わないタイプの人間同士なんだろうなと。それは、人の世だから、そういうことはよくあることで、別に私としては内田さんを否定しているわけじゃありません。ただ、私の友人にはいないタイプだなと。 ということで、この本は途中で放棄して、檀ふみさんの本を読み始めました。檀ふみさんはね、多分、私と友だちになれるタイプ。 で、本を読みながら、卒論の添削をしつつ、さらにお節用の黒豆も煮るというね。今日の私はマルチな活躍。 毎年このブログにも書いていますが、黒豆を煮るというのが、私の仕事なのよ。 市販の黒豆って、甘みを増すために塩が入っていることが多いでしょ? 私はあれが許せないんだなあ。甘くしたいなら、砂糖を更に加えればいいじゃないの。だから、私の作る黒豆には砂糖しか入れないの。砂糖だけ。それで、竹を割ったような素直な甘みを出す。 で、二日がかりで煮るので、今日はまだ未完成。だけど、初日の時点で言いますと、今年は傑作の予感。やっぱり、あれは黒豆自体の品質に依るところが大きいので、今年の豆はかなりいい物だったみたい。豆のいい、悪いは、必ずしも値段では計れません。高い豆を買っても、その年の豆の出来が悪ければ、どう煮たっておいしい黒豆にはならない。そこが難しくもあり、また楽しみなところでもあるわけでね。 ということで、今年も残すところあと明日一日。黒豆を煮つつ、家族全員、元気に過ごしたいと思います。
December 30, 2011
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毎年、この時期に帰省しての楽しみは、新宿・京王百貨店で開かれている古書市に行く事でありまして、今年も行って参りました。 で、いつも言うように、この種の古本市では、見始めた最初の5分のうちにとりあえず一冊買うことが重要で、それが古本の神様への貢ぎ物になるわけですな。これを怠ると、その日、ろくな収穫は得られません。 ということで、とりあえず最初の5分内に買い物カゴに入れたのが串田孫一著『随想集 光と翳の領域』(講談社文庫)。串田氏のエッセイ集は、私思うに玉石混淆だと思うのですが、ざっと見た所、この本はなかなか良さそうです。大体、山とか森の中で物を思うという串田氏のスタンスは、まさに私の将来の夢なものでね。 そしてこの貢ぎ物が功を奏したのか、堀田善衛『スペインの沈黙』(ちくま文庫)、相倉久人『モダンジャズ鑑賞』(角川文庫)、荒俣宏『図像探偵 眼で解く推理博覧会』(光文社文庫)、荒俣宏『ブックライフ自由自在』(太田出版)、内田樹『私の身体は頭がいい』(文春文庫)、檀ふみ『父の縁側、私の書斎』(新潮社)、その他、仕事関係の本も少々ゲットして、まずまずの収穫。 ただ、強いて言えば、私が古本収集のテーマとして追求している方面(例えば池田満寿夫の本とか、ヘンリー・ミラーの本等々・・・)については、殆どと言っていいほど見かけることがなく、その点では若干寂しかったかな・・・。 しかし、古本市の楽しみというのは、釣りと同様、収穫のあるなしというのはどうでもいいことであって、そこへ行って古本だらけの棚に眼を通して行くという作業自体が楽しいのですから、その意味では十分楽しかったです。 ということで、早速、ゲットした本を片端から読破したいのですが・・・あいにくまだ卒論関係の仕事が残っておりますので、とりあえずこれらの本は封印して、そろそろ添削でも始めますかな。
December 29, 2011
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今日、ようやく東京の実家に戻って参りました。もちろん卒論指導の宿題は持ち越しですが、やはり親元というのは安心感があるものでありまして。 で、今日の東名は上下線ともさしたる渋滞もなく、順調に走って来れたのですが、名古屋と東京の丁度真ん中辺にあたる「日本坂PA」でトイレストップをしたんです。 で、よく考えてみると、ここのPAを利用するのは初めてではないかと。これだけ頻繁に東京・名古屋間を往復する私ですから、たいていのPAやSAは知っているのですが、ここは初めてでした。ま、日本坂トンネルを超えれば日本平SAがありますからね。いつもなら、そちらを利用してしまうので。 ところが、これがね、穴場だったんですよ。 駿河湾に近いせいか、日本坂PAというのは小さなPAながら、そういう駿河湾の魚介類を食べさせてくれる店がありましてね。で、せっかくだからというので、そこで「穴子ちらし」を食べてみたらこれが結構旨かった。その他、桜えびの掻き揚げ丼とか、シラス丼とか、もちろんマグロ丼もありましたし、あとマグロのさいころステーキとかね、鎌焼きとか、なんだかおいしそうなメニューが目白押し。いや~、こんなところに、こういうものが食べられるお店があったとは。 で、店の隣にはマグロとか鰹などの加工品を売っている店も併設されていて、こちらも色々珍しいものがありました。私たちもつい財布のひもが緩んで、「鰹のはらみの薫製」とか、その種の珍味を色々買ってしまったりして。灯台下暗し、というのとはちょっと違いますが、こんなところにこんな面白いPAがあったとは、という発見がありましたわ。 とまあ、そんな面白い発見をしつつ、無事実家に到着~。 というわけで、今日からまたしばらく、東京発のお気楽日記でございます。お楽しみに~。
December 28, 2011
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ひゃー! 今日は仕事納めの日。ちゃんと授業して参りましたよ。ったく、小学校とか、もうとっくに冬休みに入っているだろうに、大学では今日までまだ授業をやるというのですから、バカみたいな話です。大学生なんてのはさ、一応は「大人」なんだから、12月の頭くらいで授業は終わりにして、あとは好きにさせればいいのに。 確かに、27日くらいまで授業で縛り付けておかないと最近の大学生は勉強しない、というのが現状ではありますが、それも「鶏が先か、卵が先か」という話なのであってね。大学が、まるで幼稚園児を扱うように大学生を扱うものだから、大学生がいつまで経っても成人しない、ということもあるんじゃないの? だからさ、昔の大学のように、適当に授業を打ち切って、「後はお前ら、好きなように自分で勉強しろ」って、放り出した方がいいのよ。 とはいえ、馬鹿な文科省が「期末試験も含め、16週の授業時間を確保すること」というお達しを出したので、このごろはどこの大学も夏休み・冬休み・春休みを削ってまで授業時間確保に必死よ。祝日も普通に授業をやる大学も多くなってきたし。 だけど、大学の先生っちゅーのは、学生に対して授業をするのも仕事だけど、それぞれ研究者として研究するのも仕事のはずなんですよね。 ところが、こんな調子ですから、我々大学の教員は研究する暇なんかないのよ。 研究というのは、細切れの時間じゃできません。特に文系研究者の場合、ある程度まとまった時間がないとできない。だから、夏休み・冬休み・春休みこそ、我々にとっては貴重な稼ぎ時なわけ。それが、授業期間の延長につぐ延長で台無し。 で、私、自衛手段を考えました。 「学期中に、集中講義をする」。これです。 例えば、うちの大学の場合、水曜の午後は会議日で、通常の授業は組まれていません。しかし、毎週会議があるわけではないので、水曜の午後、丸ごと空いてしまうこともよくある。もちろん、そういう時に我々は雑用をこなすわけではありますが。 で、この暇な水曜日の午後に、2時間分の集中講義を入れちゃうのよ。学期中に暇な水曜日の午後が6回あれば、6コマ分の授業について、それぞれ2週分をこなすことができるわけでしょ。 そうすれば、他の先生より2週間早く夏休みや冬休みに入ることが出来る計算じゃん? どう、この悪だくみ。我ながら頭いい! もちろん、もう後期も終盤なので、今年度についてはこの手は使えませんが、来年度以降、この手を使って、通常より2週間早く、16週分の授業をこなしちゃおう! ということで、27日まで授業をさせられた恨みから、私はすんばらしい悪だくみを思いついたのでありましたとさ。「怨恨は発明の母」って言うじゃない? 言わないか?
December 27, 2011
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「ロートル」って言葉、ありますよね? ごくたまに聞くことがある。 で、私、この言葉の意味をつい昨日まで知りませんで。 アラフィフに迫ろうとしている年齢であり、かつ職業としても趣味としてもかなり数多くの本を読むワタクシにして、このレベルの言葉の意味を知らないというのは、かなり妙な事態ではあるのですが、事実として知らなかったわけ。 いや、なんかね、この言葉の響きが気に入らなかったことと、どうやら否定的な意味合いで使われる言葉のようだ、という推測もあって、敢えて放っておいたというのが本当なんですけどね。 言葉の響きが気に入らないというのは、私にはたまにあって、すぐに思いつくのが「グローカル」。嫌な言葉の響きだね。「グローバル」と「ローカル」という、いわば反対語をくっつけたんでしょう? いかにも合成語っぽい、嫌味な音がする。 で、「ロートル」という言葉にも、この種の嫌味な音の響きがあるのよ、私には。何だか知らないけれども。で、これも何かの合成語か? なんてちょっと思っていたところもあったりして。 でも、昨日、友人のブログを読んでいてこの言葉が使われているのを発見し、もう潮時だ、年貢の納め時だと思い、ついに調べてみたと。 そしたら「老いぼれ」とか「じじい」とか、そんなような意味なんですってね。しかも語源は中国語ですって。 は! そんなん、知らんでも良かったわ。調べて損した。 ってなわけで、私はついこの頃、長年疑問のまま放置し続けていた言葉の意味をようやく知り、知ったおかげで何だか余計、つまらん言葉だなあという気分になってしまったのでした。あー、つまらん! 何がロートルだよ! こんな言葉、二度と使わんわ!
December 26, 2011
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今日も一日、ゼミ生の卒論の添削。自分だったら絶対にこうは書かないな、というスタイルで書いてあるものを、ゼミ生の意図する論旨に沿った形で、なるべくゼミ生の文章を活かして使う方向で添削するというのは、非常に疲れるものでありまして。1章分直すのに、ほぼ一日掛かっちゃった。 でもね、ま、この仕事に関してはワタクシがやるしかないので、頑張ってやるのみ。責任を引き受けたゼミ生たちの骨は、私が拾ってあげましょう。 とはいえ、直しにくいところを何とか読める程度のものにし、一山越えた途端、次の大きな山に遭遇したりすると、ちょっと意気阻喪して、休憩が取りたくなります。そんな時、最近、はまっているのが無料のテニスゲームと言う奴。これこれ! ↓教授愛用のテニスゲーム 私は子供の頃から、こういうテレビゲーム的なことをあまりやったことがないので、めちゃくちゃ下手でございまして、このゲームに関しても連戦連敗。だけど、負けても、しばしの間、夢中になってわーーーっと騒ぐと、それだけで気が晴れて、次の添削の山に立ち向かう気力も出てくるというもの。 ということで、私同様、パソコンを前にした仕事をされている方の気晴らしに、テニスゲーム、おすすめ!です。ちなみに、私は「シュティフィ・グラフ」として参戦することが多いのですけど、連敗続きで、本物のグラフさんに申し訳ない限りでございます。
December 25, 2011
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今日はクリスマス・イヴ。皆さんはロマンティックな一日を過ごされましたか? 我が家では、毎年クリスマス・イヴはワタクシが夕食を作るのが決まりでありまして、作る料理も決まっております。自家製のパエリア。私独自のレシピなんですが、これが旨いのよ。その作り方に関しては、何年か前のこのブログにも書きましたので、アーカイブを探して下さい。 ということで、今日もなかなかの出来栄えで、こいつを白ワインと共にいただきました。 そして食後は、何かクリスマスらしいことをしようと、前にHDに録画したまま見ていなかった『Enchanted』というディズニー映画を見ることに。おとぎの国の悪い女王の罠にはまって王子との結婚を阻まれ、現実のニューヨークに追いやられてしまったお姫さまジゼルが、前妻と別れて冴えない生活をしているロバートを巻き込んで引き起こす騒動を描いたものなんですが、なかなかいい映画でした。クリスマスに見るにはぴったりだったかな。ジゼルが歌い踊るのに巻き込まれ、セントラルパーク中が踊り出してしまうという「これぞアメリカ」的なシークエンスとかね。嫌いじゃないです。 ということで、今日はどこかへ行くわけでもなし、ファンシーなレストランで豪華ディナーというわけでもなし、うちはうちらしく、のんびりとしたクリスマスを過ごしたのでした。これをお読みの皆さんも、ステキなクリスマスを過ごされたのでしょうね、きっと!
December 24, 2011
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ネットでデヴィッド・レターマンのトーク番組を見ていたら、アメリカ共和党の大統領候補者の一人、ジョン・ハンツマン氏が見事なピアノを披露するシーンがありました。これこれ! ↓ジョン・ハンツマン氏のピアノ・プレイ うーん、なかなかカッコいいですなあ! ハンツマン氏は確かオバマ大統領とほぼ同世代。オバマさんもハンサムな人ですが、ハンツマン氏もなかなかハンサム。モルモン教徒というところが変わりダネですけど、その分スキャンダルもなさそうですし、布教経験があるので中国語も堪能。共和党の他の候補者が次々と脱落して行く中、ひょっとしてオバマさんの対抗馬になる人かも知れません。 それにしても、日本の政治家のダサダサ加減に比べて、どうしてアチラの政治家というのは、こうスマートなんでしょうかね。閑話休題。 さて、今日の私は、一日中年賀状書き。でもそのおかげで、とりあえず予定の枚数は全部書き終えることが出来ました。一度に一つのことしかできないワタクシとしては、年賀状を書き終えておかないと、これからいよいよ追い込みになる卒論指導に身が入らなくなるものでね。 でも、これでもう逃げ場がなくなりましたので、明日からはもう卒論指導一本。提出までの3週間弱、ゼミ生たちと共に頑張ります。
December 23, 2011
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今日、3限の英語の授業を済ませ、4限のアメリカ文学史の授業に行くまでの間、研究室で休んでいたら、トントンとノックする音。誰かと思ったら、ドイツ人の同僚のM先生でした。 で、何の用かと思いきや、M先生の手には何かが乗った紙皿と紙コップ。あれ? ひょっとして・・・? ひゃー! やっぱり! シュトーレンにホットワインだ! 差し入れじゃないですか、嬉しいなあ! 最近では日本でも売っている店があるので、ご存じの方も多いと思いますが、シュトーレンというのは、クリスマスの時期にドイツでよく食べられるレーズンやナッツが入った甘いパンでありまして、一方のホットワインの方は何かスパイス(シナモン?)が入っていて、飲めば一層、体が温まります。今日は寒いから、こいつは助かるなあ。 ということで、とりあえずシュトーレンの方は後回しにし、ホットワインの方だけぐっとコップに半杯ほど飲み干してから文学史の授業へ。本当はお酒を飲んで授業に向かうなんていけないのでしょうけど、まあ、伝統行事ということで今日ばかりは許していただきましょう。っていうか、大体文学の授業ですから。多少、何か入っていた方が、舌の回りが良かったりして。 で、授業を終えて戻ってきてからシュトーレンの方をいただいたのですが、これがまた、やたらにおいしかったのよ。パッと見、レーズン・パンのようにも見えるのですが、もっとずっとしっとりしていて、甘さの加減が絶妙。これ、ホームメイドかしら、それともどこかで売っているものなのか。今度M先生に聞いてみて、売っているものなのであれば、ぜひそのお店を聞き出さなくては。 ということで、今日はドイツ人のM先生のおかげで、クリスマスが近いんだなあということを気づかせてもらったのでありました。なんかちょっと、ほっこりしましたよ。これこれ! ↓<ドイツ菓子&カフェ カーベ・カイザー>シュトーレン
December 22, 2011
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断続的に愛読している「ほぼ日刊イトイ新聞」の過去の記事の中に、「六度法で、きれいな字」という特集があるのを知り、お世辞にも字がうまいとは言えないワタクシ、熟読してしまいました。これこれ! ↓六度法で、きれいな字 ま、詳しいことは上のサイトを実際に見ていただければいいのですが、これによりますと、きれいな字を書くコツは3つある、というのですな。3つのことを心がければ、誰でもきれいな字が書けると。 まず一つ目は、大体6度の角度で右肩上がりの横棒を書くこと。時計の文字盤で言うと、長針の14分と15分の間が6度ですから、毎時14分を指している時の長針程度の右肩上がり具合で横棒を引く、ということですな。 そして二つ目は、漢字でもなんでも、右下方面に重心を置くこと。具体的には、右端の縦棒があるような字では、その棒を長めに引き下ろすこと。(そうすることで、6度右肩上がりの横棒に対し、バランスをとる)。 最後、三つ目のポイントは、横棒でも縦棒でも、等間隔で引く、ということ。 上記三点を心がければ、誰でもきれいな字が書けると。 私の説明だとよく分からないかもしれませんが、実際にサイトで見ると、なるほどと思わされることが多いです。 そもそもこの方法を考案されたのは、富澤敏彦という方のようですが、その富澤さんに依りますと、従来の習字の練習法がひたすら反復練習を強いるばかりか、上達まで長い時間が掛かるのに対し、この方法は理論的だから、一度理解してしまえばその日から字がきれいになるというのですな。 字を習うなんていうと、つい身構えてしまいがちなわけですけど、芸術性を求めず、ただ単に読みやすさだけを念頭に置くなら、六度法でちゃちゃっとマスターすればいいんだ、という割り切り。結構、好きかも。私、この手の合理的な方法論というものに、惹かれるんですよね~。 ということで、私同様、自分の字にあまり自信が無い方、ぜひ六度法を参考にしてみて下さい。結構、発見があると思いますよ!
December 21, 2011
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年末企画第3弾! 「今年買ったジャズCD」ベスト5、行ってみよ~! まず第5位! アール・クルー『Late Night Guitar』:まさにタイトル通りで、深夜にやや絞り気味のボリュームでリラックスしながら聴くギターという感じ。 第4位 ビル・エバンス『Everybody Digs Bill Evans』:エバンス作品に駄盤なし、ということで。これこれ! ↓KEEPNEWS COLLECTION 9::エブリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス+1ビル・エヴァンス(Bill Evans)楽天ブックスで詳細を見る 第3位 テテ・モントリュー『Tete a Tete』:スペイン出身のピアニストらしく、アメリカのジャズとはまた少し異なる土俗性を感じさせるピアノ。圧巻は演奏時間20分に及ぶ『カタラン組曲』です。これこれ! ↓テテ・ア・テテテテ・モントリュー(Tete Montoliu)楽天ブックスで詳細を見る 第2位 ハンク・モブレー『Dippin'』:1965年の作品らしく、1950年代のジャズと比べるとややおちゃらけた感じ、緊張感に欠けた感じがあるのは否めませんが、まとまりはいいんじゃないかと。これこれ! ↓blue note BEST & MORE 1100 ブルーノート ベスト&モア 26::ディッピンハンク・モブレー(Hank Mobley)楽天ブックスで詳細を見る そして栄光の第1位は・・・ジョー・ヘンダーソン『Page One』でーす! おめでとう! いやあ、今年は何と言っても、ダントツでヘンダーソンのこの作品がヒットでした。何百回となく聴きましたけど、飽きないねえ。好きだわ~、これ。 これこれ! ↓ページ・ワンジョー・ヘンダーソン(Joe Henderson)楽天ブックスで詳細を見る 逆に買って失敗ワースト1は・・・寺島靖国氏編纂による『Jazz Bar 2001』でした。ま、寺島氏と私では、好みがまるっきり違いましたね。 だけど、上記ジョー・ヘンダーソンの『ページ・ワン』はマジですごくいいアルバムだと思うので、教授、熱烈おすすめ!です。
December 20, 2011
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アメリカ映画関連の授業で、学生たちにマイク・ニコルズ監督、ダスティン・ホフマン主演の傑作アメリカ映画『卒業』(1967)を見せ、この頃から「結婚」という切り札がストーリーに大団円をもたらす時代が終わり、1970年代後半の「離婚映画ブーム」ないし「結婚しない女ブーム」に向かっていくんですよ的な話をしたのですが、学生たちの反応がイマイチ薄いのが気になり、ふと尋ねてみたわけ。「ところで、『卒業』っていう映画、面白かったでしょ?」と。 そしたら、面白かったと答えたのがたったの2人。残りの学生たちは全員、「面白くなかった」と答えたのでした。 え”ーーーーーー! う・そ・だ・ろっ! 『卒業』見せて「面白くない」って言われちゃったら、あと何見せればいいのよ・・・。 で、いささか気落ちしながら・・・というか、半分気を失いながら、「ど、どうして? 何が面白くないの?」と尋ねたところ、「特に前半のあたり、何の話か分からなかった」とか、「あんまり刺激がなかった」とか、そんなことを言う。 あの映画の前半と言えば、自分の将来の進路が見いだせずに無気力な日々を過ごすベンの姿と、そんなベンをミセス・ロビンソンが圧倒的な存在感で誘惑する、すごい場面の連続じゃないすか。あと、ベンとエレーンが駆け落ちするというラストシーンに対して「刺激がない」と言われたら、もう返す言葉がありまへん。 ちなみに、この映画が面白かったと言った2人は、2人とも男子学生で、その一人曰く、「この映画のことを友達に喋るとなると、語るところが一杯ある。例えばロビンソン夫人の誘惑シーンもすごいし、エレーンとのデートのシーンも印象的だったし・・・」と。 君、それが答えだ。それが正しい答えなんだよ! ま、せめて2人だけでも正しい反応を示した学生がいたことを寿ぐべきなのかもしれませんが、しかし、やっぱり嘆かわしいね、この現状。過去の名作の面白さが理解されないのでは、文化の伝承がなされないじゃないの。しかもさ、『卒業』は決して、難解な映画じゃないよ。むしろ面白さがストレートに伝わってくる映画ですわ。にもかかわらずこれの良さが分からないのじゃ、今の若い人たちの理解力とか感性に何か欠陥があるのではないかと思わざるを得ません。 『卒業』でこれでは、『地獄の黙示録』とかさあ、『2001年宇宙の旅』とか、そんなもの見せた日にはどうなることか・・・。 いや、『2001年宇宙の旅』なんかの場合、見てすぐに「こりゃ、面白い!」って理解するのは無理だろうし、そうする必要もないと思うのですけど、しかし、たとえ自分にはその面白さが分からなくても、コレが面白い!という人がいて、映画史上に名高いというのならば、それはどうしてそう言われているのか考えてみたい、そしてもう一度見直してみたい、ついでに関連本・解説本も読んでみたい、という気にはなってもらいたいわけよ。それが大学生らしい「知的好奇心」というものじゃないの? 少なくとも私が学生だったころには、その程度の努力をした上で、「この映画を自分は完全に理解できないし、端的に言って好きではないけれど、こういうところが見どころだと言われていることは知っているし、確かに部分的には感心するところもある」という結論を出したものだけどなあ。 ま、傑作であることがあんなに分かり易い『卒業』すら理解できない子たちの辞書には、「知的好奇心」という言葉自体が載ってないかもね。 ということで、ゆとり教育世代の学生たちにアメリカ映画の面白さを語ることの難しさを突き付けられ、いささか途方に暮れているワタクシなのでありました、とさ。トホホ・・・・。
December 19, 2011
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ファブリーズのCMで、「こんな時こそファブリーズが使えるんだ!」と思い出した時、家族一同、一斉に「あ~、あ~、あ~、あ~」と納得する、というのがありますよね。あれ、私、結構好きなんですけど、昨日・今日と二日続けて、思わず「あ~、あ~、あ~、あ~」と言ってしまった新聞記事を読んだので、ちょっとそのことを記しておきましょう。 一つ目は昨日の新聞に載っていた、鵜飼哲夫という人が書いた記事なんですけど、大川橋蔵が主演したTV版『銭形平次捕物帳』の話で、あの番組、最初にまず事件が起きて、それを聞きつけた「ガラッ八の八五郎」が「なんでぇ、なんでぇ」と野次馬をかき分けてその現場を目撃し、途端に「てぇへんだ! てぇへんだ! 親分!」と銭形平次のところに報告に行く。で、八五郎から若干誇張された事件の報告を受けた銭形の親分が、八五郎のあわてふためきぶりを諌めてから、その事件の真相に迫る。 ま、これがこの捕物帳の毎回のパターンなんですが、鵜飼哲夫さんによれば、この八五郎と銭形平次の関係というのは、新聞社で言えば「記者」と「デスク」の関係だ、というのですな。記者は熱い現場の空気を伝えるのが仕事で、「大変だ! 大変だ!」となるわけですが、デスクはその報告を踏まえつつ、その熱さに引きずられないよう冷静になって、大局的な立場からその真相に迫る必要があると。 で、実は、この『銭形平次捕物帳』の原作者である野村胡堂自身が、作家に転ずる前は新聞記者をやっていた、というのです。で、報道の現場に立っていた経験があるからこそ、八五郎と銭形平次の役割分担ということに意識的だったのではないかと。 ここで私は「あ~、あ~、あ~、あ~」ですわ。なるほどね! ちなみに、鵜飼さんの記事はこの先、「現代のメディアは、全員がガラッ八の八五郎になっていて、『てぇへんだ! てぇへんだ!』と騒ぐことしかしてないんじゃないか」という方向に進むのですけど、その御説に対しても「あ~、あ~、あ~、あ~」です。 これが昨日の話。今日はね、もう少し軽い話ではあるのですが、詩人の荒川洋治氏が書いたエッセイ集に『忘れられる過去』というのがあって、この中で荒川さんが芥川龍之介の年譜をつぶさに調べ、彼が友達に会いに出かけて行って、実際にその友達に会えた確率を計算したら、60%以下だった、という話が紹介されているんです。 友達に会いに行ったのに、その友達に会えた確率が60%以下? 何のことじゃ、と思ってその先を読んだら、思わず納得ですわ。 つまりね、当時はケータイはおろか、電話すらない時代ですから、友人に会いに行くというのは、つまり何の予告もなしにいきなりその友人の家を訪問する、ということを意味したわけですよ。そんなんですから、行ってみたけど、その友人が外出中で会えなかった、ということが頻繁に起こったと・・・。 はーい、皆さんもご唱和下さい。 「あ~、あ~、あ~、あ~」! そうか、当時はそういうことだったんだよなぁ。しかも、当時の人はよく歩いたから、山手線内を横断するぐらいの結構な距離をてくてく歩いて行って、結局友達に会えずに、またてくてく歩いて戻ってくるなんてことが、日常茶飯事だったのでしょう、きっと。 芥川なんて昭和の初めまでは生きていたんですから、そんな大昔の人じゃないはずなのに、そういう人たちの日常のことすら、現代人の我々には、部分的に想像できなくなりつつある。それは仕方のないことではありますが、時にそういうことに思いを馳せ、意識的である必要はあるんじゃないですかね。 ま、これが最近、新聞を読んでいて感じた「あ~、あ~、あ~、あ~」二題でございます。こういうのだってブログにでも記しておかないと、「あ~、あ~、あ~、あ~」と思ったことすら、すぐ忘れちゃうからね~! でも荒川洋治氏のエッセイ集、ちょっと面白そうですね。講談社エッセイ賞受賞作品だそうですが、私も買ってみようかしら? これこれ! ↓忘れられる過去著者:荒川洋治価格:819円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る
December 18, 2011
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今日は、八光流柔術の仲間が集まって、忘年会をしてきました。 忘年会というと、大体、同業者でやることが多いのですが、今回の場合は、いわば趣味の世界を共有する仲間との会ですから、集まったメンバーのバックグラウンドはそれぞれ全然違う。 しかし、やはり師範の人柄に魅せられて集まっている人間の集まりだけに、どこか通ずるところがあって、話してみると、自分と同じ匂いがするなあと思うことも多いわけ。道場で互いに稽古している時には、あまり無駄話もしませんから、こういう機会に雑談してみて、この人は普段はこういう仕事をしているのか、この人は武道の他にこんな趣味も持ち合わせているのか、等々、発見があって面白かったです。 特に30代でフリーターをしているFさんの話が面白くて、普通、30代でフリーターなんていうと、将来のこととか考えているのかしら? と思ってしまいますけど、彼の話を聞いていると、彼なりに自分の人生のことをよく考えていて、目標を持って頑張っている部分もあり、新たなことにチャレンジしていることあり、趣味を楽しんでいるところもあり、ああ、こういう生き方もありかなと思わされるところがある。ある意味、私なんかよりよほどしっかりしているところもあったりして。それにFさんは私同様、熱烈なF1ファンであることが判明したので、いつか一緒に鈴鹿に行くことも約束してきました。 それから、今日は師範A先生がいかにして八光流と出会い、その師範になったか、というお話も聴けて、そういう意味でも勉強になりました。 その他、今日集まったメンバーのうち、既に師範の資格を持つSさんが自宅の一角を使って自前の道場を開くことになったこと、そしてもう一人、うちの道場では古株のUさんが、来週、師範の資格を取ることになったことなどが報告され、皆から祝福を受けておりました。いいなあ、いつか私も、そういうレベルまで行きたいものでございます。 ということで、今日は道場の仲間との忘年会に初めて参加してみて、稽古仲間とより一層親しくなれたこともあり、やっぱりこの道場に通い始めたのは成功だったなあと確信したのでありました。
December 17, 2011
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今日は家内が所用で居ないものですから、一日、家に一人ぼっち。 掃除・洗濯・炊事なんでもござれのワタクシですから、せめてこんな時でもと思い、洗濯機も回しちゃった。 そして、夕飯の支度もいそいそと。今日はね、「ハリハリ鍋」的なものを作ってみました。で、つけダレを蕎麦ツユにし、一通り食べ終わったところでシメは日本蕎麦。柚子胡椒をピリリと利かせてなかなかのお味。 だ・け・ど・・・・。 なんだか寂しいな・・・。寂しくなってきたぞ。一日中ずっと一人で家に居て、しゃべる相手もないとなると、なんかねえ。昔は4年間もこんな生活をしていたのに、久々に独身状態に戻ると案外キツイなあ。 一人でおやつとか食っても、ちっとも旨くないね。ちっとも旨くない。 で、それもそうなんですけど、今日はまた悲しい話を聞いちゃいまして。 友人からお茶の水女子大教授で、フェミニズム批評家としても名高い竹村和子さんが亡くなったという報せを受けまして。享年57歳。 私は、竹村さんとそれほど親しい関係ではなかったのですが、それでも学会の編集委員会や役員会の場で時折ご一緒することがありましたからね。 ある時、役員会での私のとある提案に竹村さんが意見され、結局、竹村さんの修正案が通ったことがあったのですが、その後、懇親会の場で竹村さんはいの一番に私のところにすっとんで来られて、成り行きで私の提案を批判したような形になってしまったけれども、他意はないんですと、おっしゃられたことがありました。そこで私も「いや、私の発案は、もともと先生の代案と同じ方向性を持ったもので、いわば最初から先生と同意見なのであり、先生に反対された、などと少しも思っておりません」とお答えして、気持よく和むことが出来た。 竹村さんというのは、意見を言う時は決然と言いますけど、そういうアフターケアというか、心遣いのできる人でした。繊細な人でしたね。 友人から聞いた話によると、竹村さんは病気とも決然と戦われ、余命数日の状態を、余命2週間に延ばすことができるなら、そのための手術を受けることを厭わなかったとか。 仕事の面でも油が乗って、むしろこれからという時だったのに、残念なことでございます。ご本人もさぞ無念だったことでしょう。 まあね、そんなこともありまして、ますます寂しくなってまいりました。 おーい、家内殿。早く帰っておいで!
December 16, 2011
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さてさて、昨日は「釈迦楽カー・オブ・ザ・イヤー」を決定しましたが、今日は年末企画第2弾! 「今年読んだ本ベスト5」の発表です。ガーン! え? 今年が終わるまでまだ2週間あるから、これからも本が読めるだろうって? いやー、無理無理。これから先生稼業は死ぬほど忙しくなるので、そんな落ち着いて本なんか読めませんって。だから、このあたりで決めちゃうの。 ちなみに、専門書とか仕事関連で読んだ本、あと洋書はなしね。私が趣味として読んだ、日本語で書かれた本の中でのベスト5、ということでございます。だから、ブログをお読みの皆さんが読んでも決して後悔しないだろう本、という風に捉えて下さいな。 じゃ、行きますよ。まず第5位!第5位 『Talkin' ジャズ×文学』Talkin’ジャズ×文学著者:小川隆夫価格:1,680円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る 今年読んだジャズ本の中では一番面白かったかな。特に小川隆夫さんの体験談はめちゃくちゃ面白いです。第4位 『負けるのは美しく』負けるのは美しく著者:児玉清価格:560円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る 亡くなった俳優、児玉清さんの半生記。笑える部分もあり、深く首肯する部分もあり、悲しいところもあり。「静かな波乱万丈」と言うべき児玉さんの人生が味わえます。第3位 『天才アラーキー 写真ノ愛・情』天才アラーキー写真ノ愛・情著者:荒木経惟価格:1,155円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る これは純粋に感動的。ずしんと来ます。第2位 『ショーケン』ショーケン著者:萩原健一価格:1,680円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る これまた波乱万丈のショーケンの半生記。これ読むと、自分の人生があまりにも平板に見えてくるほど。 そして栄光の第1位は・・・第1位 『日本の鶯』日本の鴬著者:関容子価格:1,281円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る 詩人・堀口大學の半生の聞書き。聞書きする相手が女性であったことから、堀口さんの話も軽快に。この上なく上品なエロティシズムが味わえます。 ま、こんな風に決めてみましたけど、特に上位3冊は非常に印象的でしたね。 だけど、こうしてみると、今年は有名人とか芸能人の書いた本、それも実体験を綴った半生記的なものを随分読んだなあという感じがします。というと何だかミーハーみたいですけど、結局、そういう形で世に出る人というのは多芸多才にして、一般人の思いもよらぬような経験をしていらっしゃいますからね。ですからそれらの方々の書かれるようなものっては、当然、面白いわけですよ。 さてさて、今年も沢山のいい本と出合うことが出来ました。来年はどんな素晴らしい本が、私との遭遇を待ち構えているのでしょうか。楽しみでございますなあ!
December 15, 2011
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毎年、この時期になりますと、ブログでも年末向けの企画を行なうのですが、今年もその先陣を切ってやります。そう、「釈迦楽カー・オブ・ザ・イヤー」! この一年に登場した新車の中から、不肖カー・ガイのワタクシが、独自の視点でベストなクルマを選ぶという企画。しかし、その前にまず総評から行きましょう。まずは国産車編。<トヨタ> 北米でのベストセラー・カー、カムリの刷新が、世界企業トヨタとしては大きなニュースではないかと。FFの利を生かしたビッグ・キャビン、破綻のないデザイン、そこそこの走りと、いかにも80点主義のトヨタ車らしい車で、アメリカで見るとなかなかカッコ良く見えたりもするのですが、日本では店晒し状態。トヨタとしても、日本で売る気はなさそうです。 それよりもやはり、今年のトヨタの売りは、「プリウス」のでかいバージョン、「プリウスα」でしょう。プリウスが売れまくっているのに加え、今度の「α」で7人乗り目当ての客をも取り込もうという抜け目のない商魂。これで来年あたり、小型プリウスたる「アクア」が出て、ホンダ・フィットあたりの客層まで取り込んだら、もう日本はプリウス三兄弟で埋め尽くされるのではないでしょうか。 ついでにレクサスにも言及すると、どんどんデザインが悪くなっていくのが面白い。CT200も、ちょっと類のないほどの不細工ぶり。新型レクサスが次々と採用しているあの顔つきが、いいと思っているデザイナーの顔が見てみたい。<日産> 何と言っても完全EVの「リーフ」に尽きるでしょう。今年の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車。この車の登場によって、電気自動車用の充電器の設置も進み始めたようで、クルマの存在が逆に社会のインフラを変えた、というところが褒めどころ。 ・・・なんですが、それにしてもひどいのはあの無様なスタイル。未来のクルマらしく、ガソリン車とは一線を画すステキなデザインのクルマにすればいいものを、よりによって何故、あそこまで不細工にしたのか。あまりにも醜いスタイルゆえ、私の食指は1ミリ、いやナノ単位ですら動きません。<ホンダ> かつて革新の新技術と、日本離れしたグッド・デザインによって若者に人気を博したホンダ車の栄光も今は昔。一応「ハイブリッド」は標榜しているものの、プリウスのハイブリッド技術とは比べるべくもない「IMA」システムのお粗末さが素人にも見抜かれ、鳴り物入りで登場した「インサイト」も今は店晒し。フィットこそそこそこ売れているものの、来年トヨタから「アクア」が出たら、この命綱も怪しくなること請け合い。今頃になってホンダも焦ったのか、ようやく重い腰を上げてプリウス同様のパラレル式ハイブリッドの開発を急いでいるようですが、もう遅いよね。EVの分野でも日産に先を越され、ホンダの低迷はまだ当分続きそうです。もっとも、かつての「オデッセイ」のように、苦しんでいる時のホンダから、時々、すごい売れ筋が登場することがあるので、それに期待しますか。<マツダ> ホンダの低迷に比べ、田舎者のマツダは、その分、流行に左右されることなく、一心に「スカイアクティヴ」技術を追求した結果、意外にも話題豊富な一年となりました。特に、ロックアップ領域を大幅に広げた6速ATの開発を、私は高く評価したい。このままだと、日本のクルマがすべてCVTになってしまうようで、私は絶望しかけていたのですが、この流れにマツダが待ったをかけてくれた。偉い! 来年出るであろう「CX-5」、そしてモーターショーに出品されていた「雄(たけり)」のデザインのままアテンザとして登場したら、私、ひょっとしてひょっとするかもしれません。<スバル> アイサイト技術を評価します。しかし、新型のインプレッサのデザインはいけませんなあ。ここも、最近、デザイン面で迷走中。ただ、現行のフォレスターはいいデザインだと思います。<三菱> そんな会社ありました? あ、そうそう、この会社、近いうちに「ミラージュ」を復活させて売るとか言ってたわ。ところがこれまた、タイ製マーチと何かを足して5で割ったような、うすいデザインなんですよね。鳴り物入りで、こんな見た途端に忘れるようなデザインのクルマ出してどうするんだろう。店晒し一直線でしょう。クルマを作ったり売ったりすることに関して、完全に常軌を逸しているね、この会社。<スズキ> VWと提携したことを評価しましたが、そことの提携を破棄したことも評価します。さすが鈴木会長。気概があるねえ。ただスイフトもCVTになってしまったし、その点はちょっと。あ、それから受注生産の「キザシ」、ごくごくたまに見かけますが、なかなかいいクルマじゃないですか。ま、自分で買うところまでは行きませんが、興味はある。<ダイハツ> 名車エッセを廃して、リッター30キロを売り物にした「イース」にチェンジ。しかし、そのイースのデザインがまたスカスカのペナペナで、あれではせっかくのエコロジー性能も魅力なし。外国車編<ドイツ車> アウディの勢いが良いようですが、ひと頃のような上品さはありません。和田智デザインの弊害から、まだ立ち直ってない感じ。BMWも、最近登場した新型1シリーズの醜いこと! ここのデザインも迷走中ですなあ。そう考えると、相対的に言って今ドイツ車で買うべきは、案外、王道のベンツなのかもしれません。 あ、あとポルシェ911が新型になりますが、まあ、これは新型になってもデザイン的に変わりませんから。もちろん、変わらないところがいいわけですけどね。<フランス車> プジョーは508が出ましたが、うーん、顔つきは「マークXジオ」だよね。別に特別センスがいいとも思えません。悪いことは言わないから、自社デザイナーを全員放り出して、元のようにピニンファリーナと提携しなされ。 ルノーも、メガーヌが新型になって魅力ガタ落ち。その他の車種も見るべきものなし。 フランス車の中で唯一、気を吐くのがシトロエンですが、C4は新型になってデザイン上の魅力が皆無となりました。DSシリーズがそこそこ売れているようですが、まあ、買うほどのことはないな。<イタリア車> フィアットの「500」シリーズに追加された「ツインエア」、今年のイタ車の話題はこれに尽きるのではないかと。エンジンのダウンサイジング・ブームの中にあるとはいえ、よくぞ2気筒エンジンを開発したもの。その勇気に乾杯。 <イギリス車> ジャガーの勢いがいいんじゃないの。イアン・カラムのデザインって、ひょっとして、現在のカーデザインの中では最高水準じゃないだろうか。XFとか、欲しいわ。その他、イギリス車ではアストン・マーティンもいいし、ランド・ローバーから出た最新の「レンジローバー・イヴォーク」のカッコいいことと言ったら! 勢いあります、イギリス車。 <アメリカ車> シボレーが「ソニック」を売り出したのが最近のニュースですが、あんな中身韓国車なんか売ってどうするつもりなんだろう? 外車を買おうか、なんて思うマニアはみんな知ってるよ、あれが韓国車だってこと。 アメ車のメーカーもディーラーも、売るべきものをいつも間違うよね。シボレーを日本で売るとしたら、「ボルト」しかないのに。なんでボルト売らないの? ということで、さて、いよいよ今年の釈迦楽カー・オブ・ザ・イヤーの発表です! 今年の栄冠は・・・ 「レンジローバー・イヴォーク」です! おめでとう! 最新の、そして史上最小のレンジローバー。500万円そこそこの値段とも相俟って、これまでレンジローバーにあこがれていた世代を一気にその気にさせること疑いなし。この美しいスタイリングに出るのはただため息ばかり。正直、私が今、一番欲しいクルマはこれです。素晴らしい!これこれ! ↓レンジローバー・イヴォーク
December 14, 2011
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今年も決まりましたね、今年を表す漢字。 今年は「絆」。予想通り。 「災」という漢字がおそらく誰の頭にも最初に浮かんだでしょうが、しかし、それではあまりにも救いがないですから、その災いに対抗する人間の力として「絆」という漢字の方がいいのではないか。ま、それもおそらく、誰もが思ったことなんじゃないでしょうか。 それに「災」って、2004年の漢字なんですよね、調べて見たら。この時は中越地震と福井豪雨、台風23号被害、そして美浜原発事故が続いたのですが、・・・何だか今年と似てますな。降ればどしゃ降り、というわけでしょうか。 ちなみに、私個人としては今年の漢字は「黒」。柔術で黒帯取りましたしね。あと、夏に恩師が亡くなったことに対する服喪の意味も込めて、今年は「黒」です。 まあ、いずれにしても、今年は大変な年でした。年を越したら、ガラッと何かが変わるわけではないでしょうが、もう少し、こう、明るいニュースが続く年になればいいですね。
December 13, 2011
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今朝、出勤前にテレビを見ていたら、某番組にサッカーの三浦知良選手がインタビューを受けていまして。それを何気なく聞いていたのですが、彼にはお子さんが二人くらい居るらしいんですな。で、そのお子さんたちが、学校の友達にお父さんのことを色々言われるんですと。 「お前のお父さん、サッカーのプロ選手と言ったって、補欠じゃないか」と。 まあ、カズももう44歳。第一線のプロスポーツ選手としてはとっくに引退していてもおかしくない年齢であるわけで、さすがに全試合先発出場というわけにはいかないのでしょう。 それに、今時のサッカー少年なんてのは、中田選手の現役時代を知っているかどうか、というぐらいなもんで、ましてや三浦選手の全盛期、彼が「キング」と呼ばれていた時代のことなんかなーんも知らないわけですからね。 で、インタビュアーが、「お子さんがそういう風に言われて帰って来た時、それに対してどう言うんですか」とカズに尋ねたわけ。 それに対してカズが何と答えたか。 彼はね、こう言ったんです。「補欠だっていいじゃないか、って言うんです。補欠だって、恥ずかしいことでもなんでもない。試合に出るために一生懸命練習して、努力することが重要なので、結果ではない。そういうことを教えるのに、いいチャンスだと思うんです」。カズはそう答えた。別に力むこともなく、しれっとね。 くーーーーっ! シビレルねえ。 自分の子供に「お父さん、補欠ばっかりだから、僕、学校で肩身がせまいよ」なんて言われたら、「お前、何をぬかすっ!」って言いたくなるじゃないですか。自分の全盛期、如何に飛ぶ鳥を落とす勢いだったか、とか、そもそも自分が最初の例になったからこそ、今の若手選手が海外に武者修行に行けるようになったんだ、とか、今日Jリーグの隆盛があるのも、自分がその最初期に活躍してブームを作ったからなんだぞ、とか、言いたくなりそうなもんだ。 だけど、そういうことは言わない。ただ「補欠の何が恥ずかしいもんか」と。自分の好きなことにたいして精一杯努力していさえすれば、お天道様に恥じるところなんて何一つないんだと教えた・・・というか、背中で教えたわけですわ。 うーん。惚れるね。惚れる。カズという男はさ、たとえ補欠になろうが、やっぱり「キング」なんだよね。 ということで、私、あまり自分より年下の人間の言うことに耳を傾けない方なんですが、カズのあっぱれな男っぷりには、さすがにしびれました。そして、大学へ向かう車の中で、カズの言ったことを何度も反芻したのでした。
December 12, 2011
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先日、未生流笹岡家元、笹岡隆甫さんの著書を読んで以来、いけばなに関心があるのですが、またまた笹岡さんの著書で「いけばな 知性で愛でる日本の美」(新潮新書)なる本を読んでしまいました。これこれ! ↓いけばな著者:笹岡隆甫価格:735円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る 前に読んだ笹岡さんの『百花の教え』と若干かぶるところもありますが、こちらの本の方がいけばなの歴史に焦点を当てて書かれている感じ。またいけばなのみならず、日本文化と密接な関連を持つ「陰陽五行説」についての分かり易い説明などもあって、興味深く読むことができました。 ところで、この本によると、いけばなの流派というのは大きく分けると大体4派くらいに分けられるそうで、一番古く室町時代まで遡るのが「池坊」。この流派のお家芸は「立花」というもの。その名の通り、垂直方向への志向を有し、かなり厳密なルールのもとに構成された華麗ないけばなです。そしてこの次に来るのが江戸中期以降の「遠州流・古流・未生流」などの流派。これらの流派のお家芸は「生花」と呼ばれるもので、立花と比べるとぐっとシンプルな感じ。わびさびを感じさせるようないけばなです。 で、その次に来るのが明治大正期の「小原流」。ここのお家芸は「盛花」。垂直志向のある池坊や古流などと異なり、むしろ水平方向に面を延ばすような活け方で、西洋の花なども活用するところがモダンなところ。そして最後に来るのが昭和以降の「草月流」で、ここのお家芸は「自由花」。いけばなをオブジェに見立てるような感性で活けるいけばなですな。 とまあ、大まかに分ければいけばなの流派というのは、こんな風に分かれるらしいのですけど、今まで「池坊」「小原流」「草月流」などの名前こそ知ってはいましたが、その実態をまるで知らなかっただけに、なるほど、そういうものか、という感じがしました。勉強になるなあ。 ちなみに、このように分けてみると、私が学びたい流派は「生花」をお家芸とする「遠州流・古流・未生流」の流れだ、ということも分かってきます。「池坊」の立花は、私の目には少し呪術的過ぎて、まるでトーテムポールみたいですし、「草月流」はちょっと自由過ぎ。「小原流」は、まあ、いいですけど、私の頭の中にあるいけばなのイメージからすると、少し派手かなあ。 で、そんなことを念頭に置きながら、母に電話をし、母は何流なのか、聞いてみたと。 実はですね、私の母は、私が言うのもなんですが、いけばなの天才ではないかと。なんでもない花を見事に活けるものですから、前から感心してはいたのですが、しかし、今までそれほどいけばなに興味がなかったもので、詳しく聞いたことがなかったんです。 で、聞いてみたところ、「小原流」だということが判明。ふうむ、そうでしたか・・・。 で、なんで小原流を選んだのか、さらに突っ込んで聞いてみたら、母の母、すなわち私の祖母が、「池坊はもう古い、これからは小原流だ」と確信し、少女時代の母に小原流を習わせたのだとか。 ほ、ほう。なるほどね! さすが我が祖母。 私の母方の祖母というのは、賢く気丈な人で、子供の教育に関しても、まず自分で出かけて行って校長なり学長なりと面談(トップ以外とは会わない)し、その人の教育哲学について詰問した上で、その人に自分の子供を任せられるかどうか判断したというほどの人ですから、お花を習わせるにしても、自分の考えをしっかり持っていて、「小原流こそ、これからの日本にふさわしいいけばなだ」という確信の上に娘を習わせたんですな。 そんな話を聞いて、うーん、そうだとすると小原流もいいかなと思うのですが、やはり私が習うとしたら、古流系を習いたいなあというところもあり。この点については、もう少し慎重に考えないといけませんな。 というわけで、笹岡隆甫さんのことを知ったおかげで、いけばなに興味を持つことが出来たばかりでなく、母や祖母の話まで聞く機会を持つことが出来て、なかなか良かったなと思っているワタクシなのでありましたとさ。やっぱり、日々、勉強ですよ。
December 11, 2011
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今日は一日、卒論の添削をして過ごしました。 しかし、やっぱりまだゼミ生も慣れていないので、彼らが出してくる卒論草稿は、直すべきところだらけ・・・。一方の私も、今年度に関してはまだ添削慣れしていないので、なかなか筆が進みません。 これがね、もうしばらくすると、それこそちぎっては投げ、ちぎっては投げ的な勢いで添削できるようになるのですが。 ま、ゼミ生も正念場、私も正念場というところでしょうか。 来月初旬までは、大体週末は卒論の添削で追われます。これで私が風邪でも引くと、添削のペースが落ち、ゼミ生にとってはえらいことになりますので、体調に気を付けながら頑張ります。それでは皆様、おやすみなさい。
December 10, 2011
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今、柔道グランドスラム東京大会を見終わったところ! 初日の今日は男女とも全階級、日本人が金メダルとなり、幸先のいいスタートを切りました。 でまた、各階級とも有望新人がどんどん出てきますね。男子60キロ級では優勝した山本浩史、それからその山本に敗れたとはいえ、才能の輝きを見せた高藤直寿ね、この辺は今後の活躍にますます期待ができそうです。また66キロ級では世界ランク1位、ロシアのモグシコフを破って優勝した高上智史がいい。これまでオリンピック候補とされてきた海老沼や森下もうかうかしていられないでしょう。 女子48キロ級では浅見八瑠奈が気負う福見を破って貫録を見せると、52キロ級では早々に敗退した中村美里に変わって17歳の宮川拓美が見事な試合ぶり。こちらも若いだけに、今後に期待が持てます。 それにしても今日の優勝者たちは、ある意味番狂わせというか、試合を放送したテレビ局の思惑とは違っていたようで。番組的には、60キロ級では平岡、66キロ級では海老沼、48キロ級では福見、52キロ級では中村の勝利を前提に番組を構成していたようなところがあり、たとえば高上智史や宮川拓美がどのように試合を勝ち進んでいたかなんて、全然分からないという。前もそうだったのですが、この放送局は、どの試合を放送するかという点で、事前にドラマを作り過ぎなんじゃないかなあ。前の時なんか、日本人が決勝に勝ち残らない場合、決勝戦すら放送しないことがありましたからね。決勝戦くらい見せてよ、日本人が出ようが出まいが。 さて、明日は中量級の試合ですか。ここでもニューパワーの登場はあるのでしょうか。楽しみでございます。 閑話休題。 今日は研究日で休みだったので、ランチを外食することにしました。家内と向かったのは、家から車で10分ほどのところにある、「亀」という渋い喫茶店。ここ、「どて丼」が有名なんですよね。 どて丼というのは、名古屋メシの一つですが、モツとか牛スジなんかをコンニャクを八丁味噌で煮込んだものをご飯に乗せて食べるというもの。味噌好きの名古屋人にはたまらないB級グルメです。 で、「亀」のどて丼、初めて食べたのですが、これがね、ばっちりおいしかったです。もうね、トロトロに煮込んだどては、味噌の味を通り越して、ほとんどデミグラスソースのような風味さえ漂わせ、これがご飯によくあって食が進む、進む。 単品だと500円なんですが、これに味噌汁やサラダをつけて定食にすると750円。そしてさらにコーヒーをつけて900円。喫茶店ランチのフルコースで900円ですから、まあ、リーズナブルというべきでしょう。 で、さらにラッキーなことに、「今日は定食を注文された方にサービス」とかいって、ミカンを一個付けてくれたというね。ミカンですよ、ミカン。ミカン一個がポーンと手渡されるわけ。この庶民派感覚。いいねえ! 今日はどて丼で大満足でしたが、この次に来た時は、「どてスパゲティ」にしようかなと。熱した鉄板の上にスパゲティが乗せられ、そこにどて煮がどろってかけられているだけでなく、さらにそれが卵でとじられているという、名古屋名物「鉄板スパゲティ」系。写真で見る限り、実に魅力的です。 それにしても創業36年のこの喫茶店、いかにも地元の人々に愛されてます的なたたずまいで、昼時の店内は営業サラリーマンや作業服組のオアシス。メニュー的にも、いかにもそういう人たちに好まれそうなものばかりで、我々の隣のテーブルで食べていたサラリーマン二人組は、「ウソだろ!」と突っ込みたくなるほど大盛りのチャーハンに、サイドディッシュとしてチキンカツみたいなのをつけて、それを嬉しそうに平らげていました。 気取った店もいいけれど、たまにこういう地元民御用達の喫茶店ランチというのも、悪くないですなあ。名東区の老舗喫茶店・亀、教授のおすすめ!です。 ということで今日は、絶品どて丼と柔道グランドスラムを賞味・堪能した一日となったのでした。今日も、いい日だ!
December 9, 2011
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通勤路に「母ちゃんの店」という激シブの弁当屋さんがあって、前から気にはなっていたのですが、ついに行ってしまいました。 以前は確か「白いタイヤキ」の店だったこの店舗、短命に終わったブームの後、弁当屋さんに変わったのですが、いかにも手作りっぽい看板に書かれた謳い文句によると、「弁当260円」とのこと。260円って、これまた随分と安いですよね? で、勇気を出して店内に足を踏み入れてみると、カウンターに弁当が山積み。種類も結構あります。ナニナニ、鶏カラ弁当、ハンバーグ弁当、チキン南蛮弁当、カキフライ弁当、しゃけ弁当、ブリ照り弁当、チキン味噌カツ弁当、チキンカレー弁当等々、10種類、いや15種類くらいありますかね。しかも、どれもがボリューム満点。で、これが全品260円というのですから、看板に偽りなし。 で、とりあえずハンバーグ弁当を買ってみたと。 で、食べてみた。すると・・・ うーん、結構うまいじゃないの。ハンバーグに添え物のポテトとスパゲティ、それに惣菜としてきんぴら的なものと漬物が少々。それだけの布陣ですが、ご飯の量はたっぷりしているし、分量的にはもちろんのこと、味的にもまずまず文句なし。これで260円だなんて、すっごいお得。コンビニでお弁当買ったら4~500円くらいするじゃないですか。それと比べたらねえ。 でまた、店の名前の「母ちゃんの店」というのが良くて、実際、お弁当を売ってくれるのが、いかにも「お母ちゃん」っぽい感じの女性なのよ。なんか、ホッとする感じ。男ってのは、こういう「おふくろ系」の人に弱いからね。 で、そのお母ちゃんの魅力なのか、弁当の旨さとコスパのせいか、「白いタイヤキ」時代は閑古鳥が鳴いていたのに、今や、老若男女が引きも切らず弁当を買いに来るわけ。それも、近所の会社とかの使いなのか、4個とか8個とか、まとめ買いしている。 でまた、ある程度の金額に達すると、くじが引けるシステムになっているらしく、私の前に弁当を5個くらい買っていたおっさんは、くじ引いて当たってやんの。景品はボールペンでした。 当たりくじの景品がボールペン、というところがまた「母ちゃんの店」っぽくていいよね! ということで、今日は通勤路に秘密の桃源郷を見つけてしまった私なのでした。母ちゃん、また来るからね~!
December 8, 2011
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今、我が家ではオーディション番組がブームです。っていうか、主として私の家内がはまっているんですけどね。 よく見るのは『アメリカン・アイドル』と『XファクターUSA』で、どちらもBS放送で見られるのですが、家内が特にはまっているのは『Xファクター』の方。これは、もともとはイギリス発祥のオーディション番組のようですが、そのアメリカ版ですね。 『アメリカン・アイドル』の方は、エアロ・スミスのスティーヴン・タイラーなんかが審査員を務めているのですが、タイラーという人はすごくいい人で、その審査ぶりにもすごく温かみがある。たとえオーディション挑戦者の歌が少しぐらい下手でも、他の審査委員が「君は歌が下手だから、歌手になるのはあきらめなさい」などとキツイことを言うと、タイラーが「おい、あいつに歌をあきらめろなんて言うなよ」などと窘めたりする。逆に、すごく歌の上手い挑戦者がパフォーマンスすると、「俺もあいつみたいに歌えたらな~!」なんて言うわけ。すごく感じがいい。 一方、『Xファクター』は、『アメリカン・アイドル』よりはるかに審査が厳しいんです。審査員は4人いるのですが、その4人がそれぞれ挑戦者をコーチした上で審査に送り出しているので、なんとしても自分が送り込んだ挑戦者にグランプリを取ってもらいたいという気持ちがある。だから、審査にしても、自分が送り込んでいる挑戦者にやや甘く、他の審査員が送り込んできた挑戦者をくそみそにけなすわけ。 で、最初大勢いた挑戦者たちは、4人の審査員による厳しい審査と、テレビ視聴者による投票によってどんどんふるいにかけられ、現時点では10人くらいがファイナリストとして残っているのかな。それで、毎週、この中の一人ないしひと組が脱落していく。 しかし、ファイナリストの10人に残っている連中というのは、もうその時点で相当な芸達者ばかりでありまして、毎週与えられるテーマ(例えばある週は「ロック」だったり、ある週は「感謝をささげる歌」だったりする)に沿った歌を、実に上手に歌って見せる。ほとんどプロです。 で、そんな感じで毎週毎週、素人離れした芸を見せますから、この時点でもうそれぞれの挑戦者には固定ファンが付いているわけですよ。で、その固定ファンたちは、自分たちが応援している挑戦者が最後まで勝ち抜いて、500万ドルのレコード契約を獲得するのを見届けようとする。 ですから、審査員も大変です。ある挑戦者のことを審査の中でくそみそにけなしたりすると、会場に詰め掛けているその挑戦者の固定ファンからものすごいブーイングを食らうわけ。その意味では、審査員もその審査ぶりが審査されているようなものですわ。 ちなみに、家内はどうやらファイナリストの中で特にクリス・ルネを応援しているらしい・・・。一方、私はジョシュア・クラジックが最後まで残って500万ドルの契約を取るのではないかと。 というわけで、それぞれ自分の好みの挑戦者を応援しつつ、審査員たちの毒舌を味わいつつ、毎週、自分の応援している挑戦者が脱落しはしないかとハラハラする。これぞ、オーディション番組の醍醐味でございます。 ところで、この種のオーディション番組を見ていて、ふと思うのは、結局、アメリカの大統領選挙戦というのは、これとまったく同じだな、っちゅーことです。 民主党の側にも共和党の側にも、最初、候補者が沢山いて、それが毎週毎週討論会とか演説会とかやっている中で淘汰されていく。で、それぞれの党で誰を出すかが決まると、今度はその二人で決勝戦をやる。どのレベルにおいても審査は厳しく、罵り合いにけなし合い。候補者の過去の過失も失言も洗いざらい暴露して、一人また一人と脱落させていく。そして、それぞれの候補者には固定ファンがいて、誰かに対して厳しいことを言えば、その人の固定ファンから手痛いしっぺ返しを食う。 そして、この大統領のオーディションが終盤に差し掛かる頃には、アメリカ人の誰もが候補者の能力・人となり・家族構成・過去の行状・政治的信条など、さしあたり大統領として必要な資質についてはすべて知りつくすことになるというね。 アメリカ大統領選というのは、まさにアメリカの近未来の命運を懸けた壮大な『XファクターUSA』ですわ。 そう考えると、アメリカにおけるオーディション番組の人気ぶりが、なんか理解できるような気がしますな。
December 7, 2011
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同僚で、この12月末をもって退職する方がいらっしゃいまして。 まあ、なぜ3月末ではなく12月末なのか、その辺はその先生のご都合なんでしょうけど、とにかくあと3週間ほどで30年以上勤めた大学を辞めるわけです。 とはいえ、12月というとまだ学期途中ですから、その先生はとりあえず来年1月から3月末までは「非常勤講師」として在籍し、授業などを担当される予定になっていたわけ。もちろん事務の方も、すっかりそのつもりで予定を組んでいたんです。 ところが。 その話が大学の上層部に届いたらしく、そのあたりからクレームがついたと。 つまりね、定年前に辞めること、すなわち「勧奨退職」をする方は、非常勤講師として働くことができない、という規則が国立大学にはあるらしいんですわ。 だから、その先生がたった3か月だけ自分の授業を受け持つことも罷りならんと、そういうことらしい。 で、そういうお達しがつい最近下ったので、事務もパニックですよ。あと数週間後には始まる来年1月からの授業のために、非常勤講師を探さなくてはならないですからね。それに、たった3か月しか雇ってくれない大学に、喜んで来てくれる非常勤の先生なんて、居るかどうかも分かりませんしね。 いや~・・・。その話を伺って、ビックリしたというか、ガッカリしたというか。なるほど、大学ってのは、30年以上もこの大学に貢献して辞めていく人に対し、こういう仕打ちをするのかと。 そりゃあね、「規則は規則」と言われたらそうですが、考えても御覧なさいな。その規則とやらを杓子定規に運営して、誰が得するの。誰も得しないじゃない。学生だって、途中で授業担当者が変わったんじゃ、面食らうに決まってる。 じゃ、何のためにその規則を押し通すの。意味ないじゃん。 大体、非常勤講師として雇えないと言うのなら、学長の鶴のひと声で「臨時特任教授」とかにして、3か月だけ雇えばいいじゃない。そんなもん、どうにだってなりますよ。それでも文科省が何か言って来たら、学長が「ええ、私が許可しました。私が悪うございますよ、焼くなり煮るなりどうとでもしやがれ」とか言ってやればいい。そのための学長じゃないの。 「辞めるんだったら、さっさと辞めろ、もうこの辺をウロチョロするな」とでもいわんばかりの対応。文科省とかから指摘されたらまずいというので、何が何でも規則通りに運営しようとするケツの穴の小さい上層部連中。 なんかさあ、こういう話を聞くだに、自分が勤めている大学に対する「愛校心」とか、そういうものがどんどん無くなっていくよね。この大学に何十年も尽くしてくれた人への敬意が足りないよ。私だって、既にこの大学に20年近く勤めていますけど、仮に何か事情で定年前に辞めるようなことになったら、私だって大学からこういう対応をされるのかな、と思いますからね。 と、ここでアメリカの例を出すのもアレですけど、私の知る範囲でもさ、シカゴ大学の某名誉教授は、定年退職後も大学内に研究室を持たせてもらってましたよ。たまに顔を出してくれるだけでもいいから、しばらくは研究室を管理して下さいってことで。だからその先生は、本当に亡くなるまで大学内に「居場所」を持っていらした。いや、居場所だけじゃない、私なんか、その先生の紹介によって、シカゴ大学で臨時の研究員にしてもらっていたんですから。そういう権限さえ持っていたんですよ、定年後も。 ま、さすがにそういうことは日本の国立大学では通用しない話かも知れませんけど、それにしてもねえ、30年以上に亘って勤めて来られた先生が、たった3か月、自分の授業の幕引きをするために非常勤講師をすることすら許さないという、うちの大学の上層部の杓子定規ぶりに、私は開いた口がふさがらないのでした。
December 6, 2011
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一昨日から『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)について書いていますが、この本を読んでいて、とりわけ驚いたことが一つありまして。それは戦後のブラジルにおける日系移民の話なんですが。 ご存じの通り、ブラジルには20世紀のはじめくらいから日本人が相当数、移民しているわけですが、当時の日系ブラジル移民の境遇というのはかなり厳しいものがあったらしいんですな。 アメリカ合衆国が憲法修正によって奴隷制に終止符を打ったのが1865年。で、ブラジルではこれに遅れること二十余年、1888年に奴隷制を廃止するわけ。で、この時点までに黒人奴隷に頼って運営されていたブラジルのコーヒー農園などでは、黒人奴隷に代わる安価な労働力への需要が高まっていたと。 で、これに応じるような形で日本からの移民が始まったわけで、要するに、日本人はいわば奴隷の代わりにされたわけです。夢のような話に釣られ、ブラジルで一旗上げるつもりで現地に着いてみたら、待ち受けていたのは過酷な小作労働だった、みたいな。 しかし、文句を言おうにも言う相手もおらず、言葉も通じず、日本に帰る手立てもないとなれば、我慢して働くしかない。想像を絶するような過酷な境遇に日本人はよく耐えながら、なんとか生活をしていたわけですな。で、少しずつ日本人のコミュニティもできてくる。 が、ここで今度は戦争ですよ。第二次大戦。ブラジルは日本に宣戦布告しますから、ブラジル人にとって日本は敵国、国内に居る日系人はまさに目の敵。日本語新聞の発行も禁止され、ラジオの日本語放送も禁ぜられてしまう。 と、もうブラジル在住の何十万という移民たちには、日本についての情報が一切入ってこないわけです。 で、そんな中、日本は戦争に負けるわけで、ブラジルの日系移民たちも敗者としてさらに蔑まれるわけですが、なにせ情報が入りませんので、移民たちとしては祖国日本が戦争に負けるなんてことが信じられないんですな。 神国日本が負けるはずがない・・・この信念を覆す情報も入ってこないし、逆に、それを覆すような情報が入ってきたとしたら、何十万というブラジルの日系移民たちの心の支えが折れてしまう。 だから、移民のうち、ポルトガル語が理解できて、日本が負けたということを知り得た移民の中の知識階級は、その他大勢の蒙昧な移民たちによって弾圧されるわけです。同じ日本人なのに、なぜ日本が負けたなどというデマを言うのかと。実際、そういう対立で殺人事件も多発したようで。 で、たまに戦後、日本からブラジルに来る人がいると、途端に十重二十重に取り囲んで「おい、日本が戦争に負けたはずはないよな! 日本は勝ったんだろ!」と質問攻めにするんですけど、もし「いや、負けたよ」などと本当のことを言ったら、その場で殺されそうな勢いなんですから、本当の事は言えないわけ。だから「もちろん勝ったに決まっているじゃないか!」とか、「いや、まだ戦争は続いているよ。日本は今のところ優勢だ」などと適当なことを言う。それで、現地の人たちは「ほーれ見ろ! 日本から来た人も、日本が勝ったと言っているじゃないか」となって、それでいつまでも真実が伝わらないわけ。 こうして、1950年代くらいになっても、まだブラジルでは大半の日経移民が日本の敗北を知らなかった、というね。 いやあ・・・。こういう話は、私もこの本を読んで初めて知りました。なんと言うか、物悲しい話だよね・・・。 だけど、とにかくそういう過酷な状況を生きていた当時のブラジル移民たちにとって、柔道という日本生まれの格闘技の強さが、すごく重要だったんですな。柔道を身に着けた日本人の強さ、日本の強さをアピールし、それによってブラジル人からの蔑みを跳ね返す糧にしていた。 だから、戦後、木村政彦がブラジルにやってきて、ブラジル人の柔道選手(エリオ・グレイシー)をやっつけてくれたことが、どれほど彼らのために大きな意義をもっていたか。どれほど日本人の矜持を保つために資することとなったか。そういうことを理解しなくてはいけないわけよ。 たかが柔道、されど柔道。歴史の中に置いてみると、一柔道家の存在がすごく大きな意味を持つ、なんてことがあり得るわけですな。そして木村政彦は、そういう存在だったと。少なくとも、ある時期のブラジル日系人社会において。 本書を読んで、私は木村政彦という類希なる柔道家について色々なことを新たに学びましたけど、上に述べてきたような日系ブラジル移民のあり方について少しでも学んだこともまた、私にとっては収穫だったのでした。
December 5, 2011
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昨日からの続きです。 牛島のプロ柔道団体を無断脱退するような形でハワイへ向かった木村政彦ですが、ここである程度成功を納めた彼は、その後もブラジル遠征など、海外でプロ格闘家として経験を積んで行くことになります。 で、このことについては二つの側面が背景にありまして、一つは講道館のスポーツ柔道への反発。牛島・木村のようにもともと古流柔道から出た柔道家にとって柔道とは実践的な護身術であり、場合によっては相手を倒すための技術でもある。ですから、どんな敵に対しても対処できるようになっていないとまずいわけですね。ボクサーが殴りかかってきても、空手家が蹴って来ても、レスラーがタックルしてきても、それらを捌けるような実践的な柔道でなくてはならない。しかし戦後日本の柔道界を束ねる講道館は、(創立者・嘉納治五郎の意志に反する形で)ますます格闘技としての実践性をないがしろにしていく。 木村は海外において様々な格闘技の選手たちからの挑戦を受ける中で、実践的な格闘技としての柔道を追究したいという気持ちを固めていくわけです。 で、もう一つの側面は、単純に金銭的なものですね。日本で柔道をやっていてもあまりお金にはなりませんが、海外でプロとして興行すれば、一夜にして莫大な金が手にできる。この違いは、木村にとっては大きかった。 つまり、このあたりから木村の柔道は精神的なモノではなくなり、形而下的な生活の具になっていくわけですな。ここにおいて木村は、師匠・牛島の弟子であることを完全に放棄したと言っていい。 とは言え、このことがすなわち、彼の柔道に対する気持ちが不純なものになったということではありません。 彼はブラジルにおいて、地元における柔道のヒーローたるエリオ・グレイシーと対戦し、彼を撃破するのですが、腕の骨を木村にへし折られてもなお「降参」をしなかったエリオ青年の中に、戦後の日本人が失ってしまったサムライ魂を見出し、深く感銘を受けたりしている。そういう意味での純粋さというのは木村という人の本質であり、それは彼が一生保ち続けたものなんですな。 ちなみにこの試合以後、エリオをはじめとするグレイシー一族は木村を尊敬し続け、その子供の世代のホイス・グレイシーが世界異種格闘技選手権を制した時、彼が木村の名前を挙げてリスペクトをしたために、「木村って誰だ?」という話になり、日本でも木村政彦の知名度がアップした、というところがある。面白いものです。 しかし、日本に帰国した木村は、相変わらず柔道家としては生活できず、あまりパッとしない仕事につきながらくすぶっていた。 そこへ出てきたのが力道山だったんですな。 朝鮮人であるがゆえに日本の相撲界では出世できないと決めつけた(このあたりの決めつけも、本当にそうだったのか、力道山の思い込みか、不明なところがあるようですが)彼は、日本という国への激しい愛憎の裏返しで、プロレスラーとしての成功へ異常なまでの執念を燃やすようになるんですな。そしてその目的達成のために政治的な権謀術策を尽くす一方、練習面でも激しい努力を続ける。 で、シャープ兄弟を日本に呼んでの興行でも、日本のプロレス団体を結集するといいながら、自分だけが最終的にいい思いをするように試合を仕組み、当時、同じくプロレス団体を結成していた木村政彦を、良いように利用して行く。木村がシャープ兄弟にめった打ちにされたところで自分が出ていき、シャープ兄弟をやっつけるという形で試合を組み立て、木村は弱いが力道山は強い、というイメージを植え付けていくわけです。 で、最初のうちはプロレスのそうした「段取り(ブック)」を受け容れていた木村も、あまり毎回、自分がやられ役になることに対する不満が募り、ついに力道山への挑戦状を叩きつけるところまで追い込まれるんですな。 しかし、それこそ、いわば力道山の術中にはまるようなものだった。力道山は政治力を駆使して試合ルールを自分に有利なように設定(木村の打撃は違反とし、自分の空手チョップは使っていいことにする、等々・・・)し、また試合前のブックの確認書を木村にだけ提出させ、自分は提出しないなど、様々な罠をしかけるわけ。そして木村が慢心して練習をしないのをよそに、力道山は万全のコンディションを整えて試合に臨むと。 で、運命の日がやってきます。木村政彦対力道山のプロレス頂上決戦。日本中の注目が集まる中、その試合が始まる。 事前の打ち合わせでは、61分三本勝負のうち、最初の二本では交互に勝ちを譲り、最後の一本は時間切れ引き分けにすることになっていたのに、力道山はその打ち合わせを無視し、最初から猛ラッシュを仕掛けるんですな。そして、油断していた木村に力道山のパンチがまともに入り、それで意識の飛んだ木村を力道山はさらに顔面キックなどで痛めつけ、血の海に沈めてしまう。それはプロレスの筋書きを無視し、人のいい木村をだまし討ちにした勝利でした。 しかし、あの試合をテレビで、あるいはその場で見ていた人々には、力道山の圧勝、木村政彦口ほどにもなし、ということになってしまう。外面的に見えるものしか、人々の目には映りませんから。 しかも力道山の攻撃はその後も続きます。なんと試合の後、試合前に木村が提出した「この試合は引き分けにする」という同意書を公開し、「木村は卑怯にも、八百長をしかけてきた」と言い出すんですな。これで木村は単に力道山に負けた弱い男というだけでなく、卑怯な奴というレッテルまで貼られてしまう。 見かけ上の勝負の上でも、政治的な意味でも、木村は力道山に完敗するわけです。そしてこれ以後、勝った力道山が昭和のヒーローとなり、華々しくスポットライトを浴び続けたのに対し、木村は一生涯、負け犬のレッテルを貼られたまま生きるという運命を背負わされるんですな。この時、木村政彦37歳。木村はその後75歳まで生きるので、人生の後半生すべてを不名誉の汚辱の中で生きることを強いられたと言っていいでしょう。 しかも、力道山はその後暴漢に刺され、人生の絶頂にある時に死ぬので、木村には彼と再戦して今度こそどちらが真の勝者かを実証するチャンスも奪われるんですな・・・。 その後、木村は紆余曲折の末、母校拓大の柔道部の指導者となり、岩釣兼生などの名選手を育てるなど、最後まで柔道と関わって生きるのですが、やはり力道山戦で負った不名誉、そして心の傷はぬぐえぬまま、しかも講道館との対立が解けなかったために、柔道の正史の中からもその名が消されたまま、ひっそりと亡くなるわけ。 こうしてみると、木村政彦という柔道家の人生は、20代前半までで頂点を迎え、その後は戦争と、講道館と、力道山につぶされ、最強の柔道家、いや最強の格闘家として当然、受けるべき名誉も何もないまま、不遇の中で死んでいった、ということになるでしょうか。この本を書いた増田さんは、そうした悲劇の人・木村政彦の心の慟哭を、この本で代弁しようとしたんですな。 ま、そういう意味で、この本には著者・増田さんの木村政彦への愛が詰まっておりまして、何としても彼の汚名を雪ぎ、彼の本当の強さというものを世に知らしめようという気迫があって、木村についての真実を追う取材の徹底ぶりなど、渾身の伝記になっております。2段組み700頁という本自体の迫力も、そのことを裏付けている。木村という人物のことを知るには、現時点で最良のものと言っていいでしょう。 でまた、木村政彦のことばかりでなく、木村が生きて経験した時代のことにもこの本はずいぶん詳しく分け入って書き込んでいるのですが、それがまた面白いわけ。そのあたりのことについては、また明日あたりにこのブログで紹介しようと思うのですが、とりあえずこの本、日本が生んだ最強の格闘家の伝記として、相当気合の入った本となっております。一読の価値あり。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか著者:増田俊也価格:2,730円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る
December 4, 2011
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今巷で大いに話題になっている・・・のかどうか分かりませんが、少なくとも各誌紙の書評欄では大いに話題に挙がっている増田俊也著『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)を読了しましたので、覚え書き代わりに読後感などを記しておきます。これこれ! ↓木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか著者:増田俊也価格:2,730円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る 木村政彦という人、名前を聞いて誰か分かる人ってどのくらい居るのでしょうか。昭和の怪物的柔道家にしてプロレスラー、かの力道山と日本人同士による頂上決戦に臨み、この試合にあえなく敗れたために歴史からその名を消すことになった悲劇の格闘家。 この力道山と木村政彦の果し合いは、当時日本にあった2つのテレビ放送局(NHKと日テレ)の両方で放送されたため視聴率100%、日本中の人々を熱狂させ、力道山を昭和のヒーローに押し上げることになった試合であるわけですが、逆に言うと、もしこの試合で木村政彦が勝っていたら、木村こそが昭和を代表するヒーローになっていたはず。その運命の分水嶺ともいうべき試合を力道山サイドから検証した言説というのは既に山ほどあるわけですが、敗者・木村の立場から検証した本というのはこれまでなかった。増田さんの本のレゾンデートルは、まずこの一事にあります。 で、そういう本ですから、本書は当然、まずは熊本が生んだ怪童・木村政彦が天下無双の柔道家になっていく過程を追っていくわけですが、これがまたすごい。 熊本で貧しい川砂利採集者の息子として生まれた木村の素質を見抜き、彼を自宅に引き取って無敵の柔道マシーンに仕立て上げた男の名は牛島辰熊。この人もまた「鬼の牛島」の異名をとった天下無双の柔道家なんですが、1929年に行われた「第一回武道天覧試合」の決勝で不覚を取り、4年後の1933年に行われた第二回目の天覧試合の時は直前に罹患した肝臓ジストマのおかげで予選リーグ落ちすら突破できないという悲劇に見舞われる。で、これを機に現役を引退して拓大柔道部の指導者となった牛島は、自分が果たせなかった天覧試合での優勝の名誉を弟子に託すべく、地方を回って自分の後継者を探していた。そして、そんな牛島の目に留まったのが、若き日の木村政彦だったと。 で、それからというもの、牛島は木村を柔道漬けにして鍛え上げるのですが、木村はそのシゴキに耐えたばかりか、さらにそれに輪をかけたような猛練習を自らに課す。拓大や警視庁や町道場で練習した後、ウェイトトレーニングで体を作り、銭湯に行くにもうさぎ跳びで行き、銭湯から戻る時もうさぎ跳び。巨大な庭石を投げ、同じく庭の巨木を相手に打ち込み数千回、ついには巨木も枯らすという凄まじい練習ぶり。この調子で毎日十数時間を柔道の練習一筋に打ち込んだというのですから、強くならないはずがない。 ところで、当時の日本における柔道界の様子なんですが、現在のように嘉納治五郎の「講道館」一色というわけではなく、京都を中心とする「武徳会」と帝大柔道連盟による「高専柔道」も盛んで、この3つの団体が競い合っていた。それだけでなく、それ以前からある古流柔道も各地で盛んで、一口に「柔道」と言っても色々あった。 講道館の柔道は、立ち技中心。きれいに相手を投げればそれで一本、おしまい、ということになるわけですが、西日本の柔道はそうではない。それこそ戦国時代の白兵戦の名残というか、殺す殺されるという中から生まれた武道であり、相手を完全に参らせて初めて勝敗が決するというところがある。高専柔道も系統としては西の系統というか、最終的に相手の息の根を止めるという意味で寝技に特化した柔道なんですな。で、牛島も木村も出は九州で古流柔道出身、所属としては武徳会所属で、しかも高専柔道の経験もあるのですから、もちろん立ち技も強いのですけど、寝技はそれにも増して強い。 特に木村の場合、立ち技では大外狩りが得意技で、これで畳に叩きつけられると、相手はたいてい失神してしまうんですが、辛うじて失神を免れても、今度は寝技における得意技たる「腕絡み」が待っている。我慢すれば直ちに腕の骨が折れるというシロモノですから、もう「参った」をするしかない。 で、師匠の牛島に鍛え上げられ、最強の柔道マシーンとなった木村政彦は、まさに師の期待通り、昭和12年の「全日本選士権」を初制覇し、さらに翌13年、14年も制覇して三連覇。そして昭和15年、皇紀2600年記念の天覧試合において、わずか42秒の秒殺で決勝戦を制した木村は、師の牛島辰熊が成し遂げられなかった天覧試合制覇を決め、柔道家としてキャリアの頂点を極めると。 とまあ、このあたりまでが柔道家・木村の人生の最も明るい部分でありまして、ここから彼の人生は少しずつ軌道を外れていく。 その手始めは戦争です。第二次大戦が始まって、木村も兵隊にとられてしまうんですな。20代半ばという、柔道家として最も充実しているはずの時期を、彼は無為に過ごさなくてはならなくなるわけ。 そして戦後。GHQの命令で武道が禁じられ、スポーツ化を宣言した講道館だけが辛うじて生き残る一方、武徳会も高専柔道も解散・衰退の憂き目にあい、師匠の牛島の時代から講道館と対立してきた木村は、活躍の場を奪われるんですな。いや、活躍どころか柔道家としては糊口をしのぐことも出来なくなった木村は、ついには家族を養うために地元で闇屋をやるくらいしか生きる道が無くなってしまう。 そんな中、牛島が提唱した「プロ柔道」に誘われた木村は、一時、プロの柔道家として興行することもするのですが、当時肺結核を患っていた斗美夫人の薬代を稼ぐという名目もあって、誘われるがままに別なプロ柔道の旗揚げに携わり、ハワイへの遠征を決めてしまうわけ。 おそらく、師を裏切ってのこの木村の行動は、長年牛島の言うなりに血の滲むような努力をしてきて天下を取った後の慢心の顕れでもあり、またもともといたずら好きでいい加減なところのあった木村が、戦争中、師の監督下を離れていた後、再び、師のもとで辛い練習に明け暮れることが嫌になったということでもあるのでしょう。とにかく、このことを機に牛島と木村の絶対的な師弟関係が崩れるんです。 かくして、柔道家であると同時に思想家でもあった牛島とは異なり、強い柔道家になるということ以外、思想的なバックグラウンドのなかった木村は、師匠による制御を振り切った後、持ち手のない風船のように、運命に翻弄されるまま、ふらふらと行当りばったりに生きていくことになる。そしてこの時から、あの力道山戦へと続く木村の悲劇が静かに幕を開けることになるんです。(この項、続く)
December 3, 2011
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最近のワタクシの「マイ・ブーム」(最近、この言葉も廃れました?)は、「流派」でございます。 ま、ご想像の通り、「八光流柔術」なんてものに打ち込み始めてから、「○○流」という言葉にやたら惹かれるわけ。私も分かり易い人間ですなあ・・・。 で、何かの折に、今、華道界に新風を吹き込んでいる若きプリンスとして笹岡隆甫なる人物がいることを知り、彼の流派たる「未生流笹岡」というものにも興味を持って、とりあえず笹岡さんのお書きになった『百花の教え』(ぶんか社)という本を買って読んでみたと。 この本は、長谷川博己系和風イケメンの笹岡隆甫氏が、いけばなで培った感性というか、花から教わる事々を元に、ステキな女性に成長するための秘訣のようなものを語るという趣向で書かれているんですな。ですから、エッセイ風に書かれた花の話題の後に、こんな風に心掛けて生活してみたらいいんじゃないですか的なちょっとしたアドバイスが添えられるわけ。 例えばですね、ポインセチアという花がある。これからのクリスマス・シーズンには欠かせない「花材」であるわけですが、あれも案外手間がかかるもので、栽培家の方々はあの花がちょうどクリスマスの頃に赤く色づくように、栽培時の温度の管理や日に当てる時間などを厳密に管理していたりして、結構見えない苦労をしていらっしゃるらしいんですな。 とまあ、そういう話をひとくさりした後で、だから世の女性方よ、即席できれいになるための化粧に凝るのもいいけれど、もっと本質的な、内面的な美を培うためには、やはりそれなりに準備期間が必要なのであって、明日・明後日という単位ではなく、1年後・2年後、いや5年後・10年後に表に顕れてくるような自分磨きが必要ですよ、というような「教え」がくっついてくる。 え? なんだか説教臭そうですって? いやいや、そうでもないですよ。まあ、こういう説教も、誰がするかによって印象が変わってくるのであって、若き華道界のイケメン・プリンスがですね、こういうことをさらりとおっしゃると、なんか素直に「ははぁ」って受け入れられちゃう、みたいな。 ところで、私としては、そういうエッセイ風の教えもそれなりにタメになったのですが、それ以上に面白かったのは、もっと実質的な面での華道の知恵というか、そういう部分ですね。 例えばね、華道では、活けた花を長持ちさせるために「養生」ということを行なうわけですが、これが個々の花によって、養生の方法が変わるわけ。そこが実に面白い。 一般的な養生の方法としては、例えば花の茎を切る場合、水に漬けながら切る、ということがある。これは、まあ、一般的に知られていますよね。 だけど、先ほど話題に出したポインセチアの場合、60度のお湯(ってかなり熱いですよね!)の中で切り、直後に冷たい水に漬け直す、という方法、これを「湯上げ」と言うそうですが、そういう方法を使うんですって。 で、これがコスモスなんかですと、今度は切った茎の切り口を、ライターとかバーナーの火で黒焦げになるまで焼くんですと。うーん、これもどこかで聞いたことがありますな。 そして、藤の場合はですね、活ける水の中に日本酒を入れるんですと。そうすると、アルコールや糖分の影響で藤の花が長持ちするばかりではなく、藤の花の匂いと日本酒のほのかな匂いが相俟って、さらに独特な香りを醸し出すのだとか。いけばなの展示会場で藤の花が飾ってある場合、そのかぐわしい香りに気づきませんでしたか? と笹岡さんはおっしゃるのですけど、いやあ、そんなこと気づきもしませんでした。今度そういうチャンスがあったら、ぜひクンクンしてみたい。 あとね、かえでの青い状態の枝葉をいけばなで使う場合、かえでというのは水上げの悪い木であるがゆえに工夫が必要なのだそうで、まず一枝まるごと全部水没させ、葉っぱも含めて水を含ませるというのですな。でさらに枝の切り口周辺の表面の皮を剥いて水を吸い上げる面積を広げると。 しかしその後がまた凄いんです、なんと、皮を剥いた枝の切り口に十字の切れ目を入れて、そこに鷹の爪を突っ込むのだそうで。 た、鷹の爪を突っ込む?! 尾籠な空想で申し訳ないのですけど、なんだかお○りの穴にトウガラシを差し込むような状況が頭に浮かんで、凄いことになりそうだ、ということはヒシヒシと分かります。とにかく、こうすると、普段は水の吸い上げの悪いかえでも、必死こいて水を吸うらしい。 それぞれの花にあった養生法があるということ。これぞ華道が培った「知恵」というべきですなあ。 その他、どの花にも「顔」があって、その顔が正面を向くように活けるのが王道であり、百合の花のように沢山の花とつぼみが八方を向いているような花の場合は、正面を向いている花・つぼみ以外は思い切って切り落とすべし、とか、あるいはまた、花の茎、木の枝が交差するように活けるのは「見切り」といって避けるべきなのだけれども、梅の枝を活ける時だけは例外で、むしろ交差した枝が「女」という文字を描くように活ける(これを「女格に活ける」という言い方をするそうです)べき、とか、そういういけばなの基本みたいなものが、100%素人のワタクシのような人間にとってはすごく面白い。 あと、未生流笹岡の四季の捉え方というのも面白くて、未生流では四季のはじめを「冬」と捉えているらしいんです。っていうか、そもそも「未生」とは、「未だ生まれていない」ということ、つまり「冬」の意味なんですな。だから、冬は何かが生まれ、大きく育つための準備期間と考えているわけ。人間で言えば「赤ん坊」ということです。 で、同じように「春」を青春期、「夏」を壮年期と捉え、そして人生の総まとめたる老年を「実りの秋」と捉える。老いを「憂えるべきもの」としてではなく、それまでの人生の中で培ったものが花開き実る、もっとも素晴らしい時期と捉えているわけよ。 人生を「春夏秋冬」ではなく、「冬春夏秋」と捉えること。ま、ちょっとしたずらしに過ぎないのですけど、そういう風にずらすことによって、人生に対する考え方も、大分変ってくると思いません? 気のせいかな。でも気のせいだとしても、ちょっとこう、前向きにはなってきますよね。 ってなわけで、私、未生流笹岡次期家元たる笹岡隆甫さんの本を読んで、なんか意外に学ぶことがあったなあって思っているんです。これこれ! ↓百花の教え著者:笹岡隆甫価格:880円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る ちなみに、「未生流笹岡」という流派は数多あるいけばな流派の中でもすごく理論的な流派だそうで、例えば「この花を活ける時には、それぞれ30センチ、20センチ、15センチの長さに切った3本の枝を組み合わせるべし」みたいな感じで、長さの単位を明記した指南書を元に教えるのだとか。それによって、先生によって教え方が変わってしまうことを防いでいるそうですけど、なんかちょっと変わっていていいじゃないの。いけばなの王道から言ったら、ひょっとして異端なのかもしれませんが、異端好きな私からしたら、そこが余計いい。 ということで、このままだと何だか未生流笹岡に入門してしまいそうな勢いの私なのでありますけど、どうなんざんしょ。お花も活けられる格闘家とかね、そういうものになりたいのでしょうか、私は。 アメリカ文学の研究者という側面は、どこへ行ったの~?!ってか?
December 2, 2011
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今日は柔術の稽古の日。仕事帰りに道場で一汗流してきました。 ところで、道場で稽古をしておりますとね、時折、その稽古を見学に来る人が居ます。ま、多分、「入門してみようかな」と思いつつ、一方で武道に対する不安もあって、果たして自分にもできそうかどうか、様子を見てみようということなんでしょう。 で、見学に来る人のうち、3人に1人くらいが実際に入門します。 で、実際に入門した人のうち、その後ある程度の期間道場に通い続ける人は、5人に1人くらいかな。案外、少ないのよ。長続きする人って。でまた、3ヶ月とか半年とか通い続けて、お、この人は黒帯取るところまで行くかな、なんて思っていると、そのうち、どういう理由なのか、ふっと道場に来なくなってしまう。私のように黒帯まで取る人は、入門者の中でも10人に1人くらいですかね。 ということで、うちの道場でもなかなか長続きする新人が登場しないのですけど、今日、また一人、入門してきた人がいまして。30歳くらいの男性ですが。さて、この人は長続きするかどうか・・・。 ところで、その新人君に最初の稽古をつけていた師範が、しばらくして私のところへやってきて曰く、「釈迦楽さん、ちょっとこの人の相手をしてくれますか? 初段の技を3種くらい教えたので、その復習をお願いします」と。 おー、いいですよ。喜んで! 実際、新人さんの稽古台になるというのは、結構楽しいんです。 何しろ入門したての人というのは、私より下手なわけですよ、当然。そりゃ、そうですよね。で、そういう人に、いっちょまえの顔をしてアドバイスなんかしたりするわけですけど、自分より下手な人に技のコツなどを伝授する優越感。これがいいわけ。「あ、今、ちょっと姿勢が崩れましたね。技のキレというのは、正しい姿勢をとってこそ達成できるので、姿勢には十分気を付けて下さいね」なーんて言ってみたり。 でね、実際、自分より下手な人と稽古すると、相手よりむしろ自分が上達するんですよね! これが面白いところで。 自分より上手な人と稽古すると、その時点で既に萎縮しているので、余計、うまく技がかけられなくて、さらに自信を無くし、さらに下手になってしまうということがよくある。逆に、自分より下手な人と稽古すると、自分に自信がつくこともありますが、その人に「姿勢を正して」などとアドバイスし、自分で見本を見せることで、まず自分の姿勢がよくなったりするのよ。で、そこから技をかけるので、余計、いい具合に極まるんですわ。で、相手の新人君も、私の技のキレに感心してくれるので、こちらとしてはさらに自信がつく。そのスパイラルで、ぐんぐん上達していくんですな。 英語でもそうだもんね。自分より英語が上手な人に囲まれている中で英語をしゃべるのって、結構キツイもんですよ。その一方、自分以外に英語をしゃべれる人がいないという状況の中だと、下手だろうとなんだろうと、とにかく堂々としゃべれて、そのために上達するということがある。 だから、私思うに、自分より上手な人と稽古することも大事だけど、自分より下手な人と稽古することも大事だなと。車の両輪ですわ。 ということで、今日は入門したての新人君に稽古をつけてあげて、少しばかり先輩風を吹かしているワタクシなのでありましたとさ。私も、単純だねえ・・・。
December 1, 2011
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