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通勤の途中、コンビニに寄ってお昼ご飯を買っていくことがあります。 しかし私の通勤時間が微妙なのか、朝仕入れたお弁当が大方売り切れ、次の補充までまだ少し時間がある、というあたりに立ち寄っているらしいんですな。ですからいつもお弁当コーナーがガラ~ンとしちゃって、選択肢がすごく少ないのがちょっと悲しい・・・。ま、私は昼はあまり食べないので、オムスビが一個くらいあればいいのですけど、そのオムスビもほとんど残っていないんです。 でもどういうわけか、いつも「鶏五目」というオムスビだけが一個とか二個、残っていたりするんですよね。あれはどうしてなんだろう。人気ないんですかね。私は好きなんですけど「鶏五目」。 で、今日も、「僕の鶏五目~」などとつぶやきながら店に入ったのですが・・・。 ガーン! ない。私の「鶏五目」が・・・。 代わりに置いてあったのは、「受っカルビ」という名のオムスビでした。牛カルビ入りのオムスビらしいですけど、なんですかこのネーミングは・・・。 受験シーズンなんですなぁ。 ま、それはさておきこのコンビニ、いつも通勤途中に立ち寄るコンビニなので、何となくレジのおばちゃんとも顔なじみになってくるんです。ま、よくあることですが。 で、このおばちゃん、1年くらい前からこのコンビニで働いていらっしゃるのですけど、このおばちゃんに初めてレジを打ってもらった時、私は一瞬ハッとしてしまったのでした。というのもこのおばちゃん、どういう事情かは知りませんが、左手の手首から先がなかったからです。 もちろん、一瞬ハッとしただけで、別にどうということはありません。 で、それ以降、そのおばちゃんのレジに並ぶ時は、買う品物のバーコードがなるべく上になるようにカウンターの上に置いてあげるようにしていたんです。ま、当然ですよね。でも、そういう気持ちが通じたのか、いつしか私が店を出る時、とても心のこもった声で「行ってらっしゃいませ!」と言ってくれるようなったんですね。それが私も嬉しくて、今ではどうもそのおばちゃんに快く送り出してもらわないと、何となく気が済まないような感じなんです。 やっぱり、仏頂面した若い学生アルバイトみたいなのより、私はこういうおばちゃんの方がいいですなあ。お互い、心が通じるんですもん。 それにしても、レジ打ちに多少時間のかかるこのおばちゃんを敢えて雇ったファミリーマートもえらい! 名前を出して褒めちゃいましょう。 ということで、今日は「鶏五目」オムスビは食べられませんでしたけど、いつも通り、おばちゃんの一言に送り出されて、いい気分のワタクシなのでした。今日もいい日だ。
January 31, 2006
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私にしては珍しく・・・死ぬほど忙しい・・・です。 見かけあんまり忙しそうにしていないので、めったに同情されないのですが、実は死ぬほど忙しい。 何せ1月30日締め切りの仕事を1つ、1月31日締め切りの仕事を3つ抱えているという・・・。 で、このうち30日締め切りのものと、31日締め切りのものの内の1つを今日の午前中までに仕上げ、出勤する途中、投函しました。前者は某受験雑誌に掲載する勤務先大学の紹介のための原稿、後者は近々共著で出す本の校正(第三校)です。特に前者は案外大勢の人(受験生)が読むので気が抜けません。 でもまだ明日までに仕上げなきゃならない原稿が2つ・・・。1つは何とかなりますが、もう1つは間に合わないな、確実に。 ま、これらの他にも大学内の雑用あり、学会関係の雑用ありといった具合で、もう目が回りそう。こういう時、どこかでポカをやるんだよなー、ワタクシの場合・・・。 こういう時、有能な秘書がいて、「教授、今日はこの仕事やって下さい。明日はあの仕事やって下さい」ってな感じで、マネージメントを担当してくれるといいのですが。 ・・・ってなことを言っていたら、大学の先生って、年間の研究費を使って個人秘書雇ってもいいんですって。事務の方に聞いてびっくり。そうなんだ、雇っていいんだ。 じゃ、家内雇っちゃおうかな。 そうすれば、家内に支払う給料も、結局我が家の家計に入ることになるわけだし。おお! どうして今まで気づかなかったんだ! でも、もしほんとにこれをやったら、学内で話題になるだろうなー。「釈迦楽先生、とうとう奥さん雇っちゃったらしいよ」なんてあちこちで言われそう。それも剣呑か・・・。 はーい、やっぱり自分で頑張りまーす。さ、仕事、仕事。
January 30, 2006
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今日は日曜日。とは言え、今日は仕事が忙しいので、午前中に食料品の買い出しを済ませてしまうことにし、併せてお昼をスターバックスで食べることにしました。向かったのは、家から車で20分ほど、愛知万博の会場にほど近いショッピングモールです。 何せ現在ダイエット中なので、朝食はグレープフルーツだけ。ですから私も家内も11時過ぎにはもう腹ペコリンです。ということで、もう買物をする前に、何はともあれお昼を済ませることにしました。リセットダイエットのルールからすれば、本当はお昼だってパンなんか食べてちゃいけないんですけど、まあ今日は日曜日ですからね。ちょっとくらいのルール違反も許されるでしょう。 で、早速スタバに入り、私はトールサイズのラテ、家内はトールサイズのカフェモカを選び、同時にショーケースの中からパニーニ風のサンドイッチを選ぶことにしました。私はハムチーズ、家内はツナです。それから、トマトと茄子のキッシュも一つ買って二人で分けることにしました。 で、これらを食べてみたのですが、これがおいしかった! もっとも、この1週間ほど炭水化物をほとんど口にしていないせいもあるかも知れませんが、やはり主食ってうまいもんですなー! それからキッシュ、これがまたなかなかのお味でした。スタバというと、これまでコーヒーと甘いものしか注文したことがなく、サンドイッチ類を注文して食事をするのは初めてなのですが、なかなかいけるもんですね。・・・ま、ただ二人分の会計が1880円でしたから、若干割高感があるのも確か。セットメニューがないですからね。純粋に値段を合計していくと、こうなっちゃうわけです。 ま、そういう欠点もありますが、一つ発見だったのは、日曜日のお昼前のスタバって、案外空いているんだなー、ということ。今日なんか、ソファー席もガラガラでした。多分、買い物客が一息つこうとする午後3時頃からごった返し始めるんでしょうけどね。 さて、そんな感じでお腹も一杯になった我々は、夕食のおかず(今日はステーキ&盛り沢山の野菜、ただしパンなどの主食はなし)の材料を買い、早々と帰路につきました。いつも日曜日は寝坊してしまって、お昼過ぎにもう買物を済ませているなんてことないんですけど、今日はスタートダッシュが良かったので、何となく気持ちも時間も余裕一杯です。 しかし帰る道々、ちょっと「ヒャ~!」と思うこともありました。いつも通る道が混んでいたので、少し回り道をしたのですが、そこがちょうど住宅用の造成地になっていて、ついこの間まで雑木が生い茂るなだらかな丘だったところが完全に裸にされ、平らにされてしまっている。大げさに言えば、遥か遠くの地平線まで延々と造成地が続いているという感じ。おお! あの美しい里山の自然はどこへ行ってしまったの!? こんなにマンションや家作って、一体どうしようって言うの!? ま、こういう言い方が自分勝手なのはよく分かっています。何しろ私だって、そんな新興住宅地の一角に建つマンションに住んでいるわけですから。しかし、そもそも私がここへ引っ越してきた理由の一つは、周囲にまだまだのんびりとした里山の風景が残っていたからなんです。ですから、そういう美しい風景が次々に壊され、住宅地にされて行くのを目の当たりにすると、理不尽だとは知りながら、つい、おーい、もうこれ以上自然を壊さないでくれ~! と叫びたくなってしまう・・・。 きっと、数年後にはこのあたりは名古屋周辺の大ベッドタウンの一つとなり、若い家族なんかが新しい家を建てて、「いい環境の住宅地に引っ越せて、良かったわねー」なんていいながら仲良く散歩なんかするんだろうなー。そういうシーンを想像すると、つい、「ちっとも良かねえよ! お前さんたちが来る前の方がよっぽどいい環境だったんだよ!」と言いたくなるところですけど、上にも言いましたように、私自身も一世代前の環境破壊者なんだから、そんなこと言えやしない。 それにしても、あんなに美しかった里山が、これだけのスピードで壊されていくのを見ると、悲しいですなー。 ということで、今日は早めのスタバ・ランチで気分よく過ごせた一方、急速な住宅地開発の現状を目の当たりにして、やれやれと思うところもあったのでした。さて、仕事、仕事! あ。その前に週末アフィリエイトを少し。このところの骨董ブームで、私もしばらく放ったらかしにしていたフリーページの「教授のアンティーク」を大改装しました。セレクトには自信がありますので、興味のある方は、ちょいと覗いて見てやって下さい。ここをクリック! ↓教授のアンティーク
January 29, 2006
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昨年の秋ごろ軽くダイエットを試み、1.5キロの減量に成功。その後0.5キロほど戻しましたが、まあそこそこの体重をキープしていたワタクシ。 しかし、年末・年始のご馳走攻めで若干体重がアップした家内がダイエットするというので、私も付き合うことにし、この数日、炭水化物断ちをしています。いわゆる「リセット・ダイエット」という奴ですな。 このリセット・ダイエット、一昨年に一度本格的なのをやり、その時は厳密にやったので、1週間で3.5キロ痩せました。かなりつらかったですけどね。何しろ肉と野菜はお腹一杯食べているのに、炭水化物を徹底的に排除すると妙な飢餓感があるんですよ。血糖値が下がるので、少しボンヤリしてしまいますしね。 で、今回のダイエットはそこまで厳密にはやってません。しかし、一応、炭水化物の宝の山であるご飯、パンなどの主食は、この数日食べてないんです。 こういう時、助かるのは鍋です。鍋だと肉と野菜と水分を沢山とれるので、主食を食べなくても満腹感がありますし。それに調理に油を使わないので、その意味でも一石二鳥。〆の雑炊とか、うどんとかが食べられないのは、ちょっと寂しいですけどね。 で、先日、私のお薦めのミツカン製のキムチ鍋スープを使って「キムチ鍋」を作って食べたのですが、何しろ最後に雑炊やうどんを食べないので肉と野菜のうま味が溶け込んだスープが随分残ってしまった。そこで、今日の昼食では、この残ったスープを使って家内が「特製! ダイエット・キムチ・ラーメン」というのを作ってくれました。これ、要するにキムチ鍋のスープで作ったラーメンに、キャベツやモヤシや韮などを使った野菜炒めをたっぶり乗せて食べる、というものなんですけど、ラーメンの麺の代わりに「糸こんにゃく」を使ったところがミソ。で、食べてみたら、これがまたなかなかおいしいキムチラーメンになっていたのでした。糸こんにゃくの食感がラーメンの麺さながらで、あまり代用食を食べている感じもしません。しかも相当なローカロリーのはずですし、これはダイエット中の方にはおすすめです。 ちなみに、こんな感じで炭水化物断ちをしているため、この5日ほどで2キロくらい痩せましたよ。あと2日、頑張ろう! でも、やっぱり炭水化物、特に糖分を身体が欲しているらしく、昨日は夢の中に和菓子が出てきました。夢の中で私は高校生に戻り、なぜか修学旅行をしているのですが、泊まったホテルのロビーで「和菓子フェア」というのをやっているんです。で、同級生たちは朝食を食べ終えて、どんどん出発の支度しているのに、僕だけ「ちょっと待った。これ、お土産にするから!」とか言いながら、先生や友人たちの制止を振り切って、「あ、笹団子がある!! あ、あそこにおはぎが!!」みたいな感じで和菓子の山に狂喜しているところで目が覚めたという・・・。 そんな哀れな夢のことを話したら、今日の午後のお茶の時間には、特別にタイ焼きを食べていいと、家内が許可してくれました。ウレシー!。 ということでこれからしばらく、あまり頭を使わないで済む校正の仕事をし、お茶の時にタイ焼きを食べ、脳ミソに糖分が行き渡ったところで原稿書きの仕事をするつもりです。ああ! 早くタイ焼きの時間にならないかしら!! え? 糖分(当分)待て? そんな殺生な~!!
January 28, 2006
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ここのところの個人的な骨董(本)ブームで、昨夜、高橋文子著『女二十九歳、とつぜん骨董にハマる』(ヴィレッジブックス+)という本を読んでしまいました。 この本、ごく平凡な日々を過ごしていた高橋さんが、たまたま通っていた陶芸教室の先生に古伊万里を見せられたのをきっかけにこの道に開眼し、以後、骨董を求めて東へ西へ奔走する骨董主婦になってしまった次第を、短いエッセイを連ねる形でまとめたものなんです。 ま、いわばそれだけのものですから、興味がない人にとってはさして面白い本ではないかも知れませんが、いつの日か「骨董店」であるとか、「骨董市」と言われるようなところに行ってみたい、などと考えている今の私のような人にとっては、気軽に読める楽しい読み物ではあります。 また、高橋さんは西東京の郊外にお住まい(今は違うようですが)で、お気に入りの骨董市のひとつが高幡不動で開かれる市だった、などと書いてあるのを読むと、なーんだ、私の実家の近くでそんな有名な骨董市が開かれていたのか! と、またまた興味が湧いてしまいます。実際に高橋さんが購入された古伊万里の陶器の写真も載っていますので、それらを見て楽しむこともできますしね。 しかし、今でこそ骨董ブームの中で珍重されているけれど、もともと古伊万里なんていうのは昔の実用品だったわけで、当時としては実用品としての価値しかなかったものなわけですよ。ですから、かつて日本のどの家庭でも使われていた実用品が、いかに美しいものであったか、という驚きがまずある。と同時に、その美しさが変に理解されてしまったために、古伊万里の値段が上がってしまい、今では一部の好事家の手から手へ渡っていく美術品になってしまったという恨みもある。骨董というのは、そういう矛盾の上に成り立つビジネスなんですなあ。 ま、そこが面白いところなんですけど。 そういう意味から言えば、今、既に珍重されているものに目を向けても、あんまり面白くないということになりますね。自分ではとても美しいと思うのだけど、今のところ一般には見向きもされていないもの・・・骨董趣味を始めるなら、そういうものを見つけるところから始めるのが面白そうだなあ。たとえば、ちょっと前までどこの海岸にも落ちていた「角のとれたガラスの破片」ですが、あれが美しいということが言われ始めた途端に、もうどこの海岸に行っても見かけなくなりましたもんね。そういうのを、私も見つけてみたいな。それは、ひとつの美の発見ですからね、大げさに言えば。 ちなみに、私の家や研究室には、1950年代のアメリカのペーパーバックがうなるほどありますけど、これらの美しさが理解され始めて、高値で取引されるようになったら、私はとてもお金持ちになれるのですが・・・。無理か・・・。 ま、それはともかく、今度いつか実家に帰った時などにチャンスがあれば、高幡不動の骨董市に遊びに行ってみたいものだなぁ、と思っているワタクシなのでした。 さて、週末アフィリエイト、というわけでもないのですが、最近フリーページ上に「教授の書棚」というのを設け、このブログの中で言及してきた本を一堂に集めて見ました。集めて見ると案外数が少なくて、あれ、もっと沢山の本をご紹介してきたつもりだったのに、という感じを抱きましたが、ま、それは今後の課題ということにして、本好きの方はちょっと覗いてみて下さい。ここをクリック! ↓教授の書棚教授の書棚・パート2教授の書棚・パート3
January 27, 2006
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報道によると、またまた政府が「面白い」ことを考えているようで、妻子の誕生日など、家族の記念日にサラリーマンが会社を休めるようなシステムを作ろうと、厚生労働省が動き出したのだそうです。 ほ、ほう~。 ま、休みが多くなるのは歓迎なので、私は賛成しちゃいますよ~。 ですけど、こんなことを考えている厚生労働省の真意はどこにあるかというと・・・「少子化対策」なんですよね。 このブログでも書きましたが、私は少子化大賛成、日本の人口はもっと少なくなるべきだという持論がありますので、その意味では、やれやれ、またか、という感は否めませんなあ。 しかしそれとは別に、「休みが増えれば小子化に歯止めがかかるのでは」と考える政府の発想って、いかにも貧しいと思いませぬか?! 我が国の政府は、冗談としてではなく、ほんとにそんなことを考えているのでしょうか。 政府がこれまでに打ち出した小子化対策案って、例えば出産の時の費用を軽減しようというような金銭面での支援か、「(幼稚園を義務化するなどして)地域ぐるみで子供を育てるシステムを作る」というようなことか、せいぜいそんなところですよね。で、これらに今回の「休日増加案」を加えたところで、私は「そんなんで、ホントに少子化対策になるの?」と言いたくなります。 そもそも少子化の原因って、子供にお金が掛かりすぎたり、親が忙し過ぎたりするから、なんでしょうか? 私にはそんなふうには思えませんなあ。だって、お金がないとか、忙しいということなら、戦後のベビーブームの頃の方がよっぽどそうだったはず。現代の少子化は、そんなことが原因じゃないと思いますよ。 少なくとも私が思う・・・というより私にとっての小子化の大きな要因は、周りを見回して可愛い子供が少ないってことです。私が可愛いなと思う子供は、卓球の愛ちゃんと、レスリングの京子くらいなもんだ・・・。あと、F1の佐藤琢磨とサザエさん家のカツオ君。こういう子供だったら、ぜひ我が家にも一人欲しいですけど、街で、あるいはテレビなどを通じて、見かけるガキどもの可愛くないこと・・・。私の友人なんか見ても、子供が中学生になってから不良みたいになってしまって、手を焼いているのが結構いたりしますしね。 つまり、「いい子」のロールモデルが周りにいないんですよ。「例外的にいい子」しかいないので、我が家に生まれる子供がその例外に入れるかどうか、不安がある。いくら自分の家で厳しく、また愛情深く育てても、学校などで周囲の悪ガキの影響をどうしても受けますからね、子供というのは。 先日、どういうわけかふと「母さんが夜なべをして、手袋編んでくれた」という歌が思い浮かび、風呂の中で一人で歌っていたのですが(めちゃくちゃシュール!)、この歌の中で母親は「木枯らし吹けば冷たかろう」て、東京に出た子供のためにせっせと手袋を編みますし、子供は子供で、故郷に残した「母さんのあかぎれ」は痛かろう、「せめてラジオ」を聞かせてやりたいと思うわけです。いい歌ですなあ。母は子を思い、子は母を思い・・・。 こういう歌が共感を込めて歌われた時代、そういう時代なら、小子化の心配はいらないと思います。しかし、この歌がリアリティをもって歌われない今の時代、金銭面で補助しようが、休日を増やそうが、子供を産むのは一つのリスクだ、と考える風潮は止まないと思います。もし、政府が本当に小子化対策をしようというのなら、このレベルから考えてくれないと、単なる小手先の対策に終わってしまいますよ。 ま、我が国のアホな政府に小手先以上のことが出来るとは思いませんが。 でもね、私は小子化賛成派ですから、それはそれでいいんです。ビートたけしさんなんかも言っておられますが、日本なんて人口がどんどん少なくなって、暮らしもどんどん貧しくなればいい。そうすれば、少しは「母さんが夜なべをして・・・」の歌にもリアリティが出てくるのではないでしょうか。 しかし、最初に言いましたが、休みが増えるのは結構! それを言ったらワタクシなんぞ、「歴代天皇の誕生日をすべて休日に!」という持論があるんですが、どうでしょうかね、これ? 厚生労働省と宮内庁のホームページに、このアイディアを書き込んでみようかな!
January 26, 2006
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アフィリエイトで貯めた楽天ポイントがある程度の額に達したので、先日楽天ブックスで『薪ストーブのある暮らし』(筑摩書房)という本を買いました。 この本の著者、細川英雄&たかみご夫妻は、お二人とも私と同業で大学の先生。お勤め先の都合でフランスやら長野などで暮らされた経験があり、その後東京の大学に勤めることとなった後も、田舎暮らしの快適さが忘れ難く、八ヶ岳南麓に家を薪ストーブ付きの建ててしまった、というのですな。で、この地に新たな故郷を作るに到った経緯を、この本に認められたというわけ。 しかし、八ヶ岳南麓に薪ストーブのある家を建てるだなんて、私がやろうとしていること、そのものじゃないですか! 私がついこの本を買ってしまったのも、分かりますでしょ? さて、実際に読んでみると、最初の方は細川ご夫妻が八ヶ岳南麓、具体的には小淵沢、に居を構える決意をするまでの経緯が書かれていて、それはそれで面白いのですが、ま、いつかこの地に住もうと既に心に決めている私からすると、この本のキモは、彼らが実際にどうやって小淵沢に家を建てたかを具体的に書いてある部分ということになる。私にしてみれば都合のいいシミュレーションみたいなもんですからね。 実際、既に何度も小淵沢を訪れている私には、細川さんが言及していることがよく分かるんです。たとえば、どうやら細川さんは「清春芸術村」のあたりに土地を求められたらしいですが、土地勘のある私には「は、はぁ、あの辺ね」ということになるし、また細川さんのお宅を担当することになった工務店は、清春芸術村の近くにある藍染めの店の店舗を作った工務店なのだそうですが、私、その藍染めの店に入ったことあるもんね、という具合です。 ま、とにかくそんな感じで、細川さんがどうやって土地を探し、設計士を探し、工務店を探したか、またそれらの費用としてどのくらいの額のお金が掛かったか、時間はどのくらいかかったか、というようなことを、私はかなり具体的な映像を頭の中に描きながら、非常な興味を持って読ませていただいた、という次第。 で、その過程で、「お、この人、よく分かっているな」と思う部分が何ヶ所もありました。たとえば、家を設計するにあたって、台所の流しが既成のものでは低過ぎるので、5センチほど高く作ってもらった、とか、シンクを2口にして、漬け置き洗いができるようにした、なんて書いてあると、おお、それは以前このブログで私が主張したこと、そのものではないか! と、大いに知己を得た気分になるわけです。いや、さすが、こういうエッセイをものするだけあって、細川さんご夫妻、なかなかよく分かってらっしゃる。 そしてもう一つ、この本のお楽しみは、本のタイトルにもなっている「薪ストーブ」の話題です。細川さんは、薪ストーブのある暮らしがいかに心休まるものか、またいかに万能のクッキングツールとして使えるものかなど、薪ストーブの魅力をこの本の中で縦横に語っていらっしゃるのですが、それと同時に、薪ストーブを上手に使うためには日頃の手入れがいかに重要であるか、またひと冬を暖かく過ごすだけの薪を集めることがどれほど大変か、といった苦労話もちゃんと書いていらっしゃるので、なるほど、理想と現実は違うので、薪ストーブを使いこなすには、それなりの覚悟も必要なんだな、ということが分かってくる。もちろん、そういう苦労があっても、やっぱり薪ストーブって素晴らしいよ、ということなんですけどね。 それから、薪ストーブにくべる薪集めのためにどうしても必要、ということもあるのですが、田舎暮らしの必需品のナンバーワンは「軽トラ」である、という細川さんの主張も、私には面白かった。アウトドア・ライフなんていうと、人はすぐにレンジローバーだとか、ランクルだとか、パジェロだとか、そういう大型SUVなんかを思い浮かべるわけですが、こういう高級車は実際の田舎暮らしでは案外使い物にならなくって、むしろちっこくて軽い軽トラこそ、田舎暮らしの頼もしい足になるのだそうです。とにかく細い山道でもどこでもガンガン入っていけるし、雪道にも強いし、荷台に泥付きの薪を載せても惜しくないし、汚れればデッキブラシでゴシゴシ洗えるし、中古ならやたらに安いし、言うことなしなんだとか。おおー、実は私も「軽トラ」って前からすごく興味があったんですよ。うーん、やっぱりそうか、そうだよなー! というわけで、この本、いつの日か都会を離れ、田舎の薪ストーブのある家で隠遁したい、なんて考えている(私のような)御仁には、なかなか面白い読み物だと思いますよ。教授のおすすめ! です。 これこれ! (書影がないのが残念!) ↓ 『薪ストーブのある暮らし』 ところで、実はこの本を買う前に、アマゾンでも2、3冊、本を買っていたのですが、楽天ブックスで買ったこの本の方がよほど早く自宅に届きました。その早さはちょっとびっくりするほど。うーん、見直しましたぞ楽天ブックス。今までずっとアマゾンでばかり本を買っていましたけど、これからは楽天の方で買おうかな。ポイントもつきますしね。
January 25, 2006
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なんかすごい扱いですね、ライブドア事件。渦中のホリエモンの逮捕で、報道もヒートアップしてますけど、この事件、そんなに大きな事件ですかね? 単なる証取法違反なのであって、私から見れば、そんな大ごととはとても思えないんですが・・・。たかが新興の一企業がちょっとズルしたくらいのことでしょう? たとえば、ちょっと前になりますが、北朝鮮のミサイルが日本を飛び越えて太平洋に着弾なんてことがありました。こういうのはすごく大ごとだと思いますが、私の記憶では、あの時には今回のような大騒ぎにはならなかった。なんか、日本人、騒ぐべきところを間違ってませんかね。 また新聞などを読むと、今回の事件を色々な「識者」が「解説」しているのですが、その解説のどれ一つとっても、私を十分に納得させるものはないですな。 たとえば我が家が講読している新聞に、お茶の水女子大の藤原正彦教授がこんなことを書いていらっしゃいます。以下、引用しますと・・・ 「今回の逮捕は実はまったく本質的な問題ではない。一番の問題は、これを国民が支持し、時代の旗手として称賛し、羨望してきた風潮にある。アメリカ式の市場経済原理下では、1割の勝ち馬と9割の負け馬しか存在しえない。だから、あらゆる局面で勝ち馬に乗るために汲々とする血も涙もない社会になってしまった。これこそが最大の問題だ。(中略)日本は金銭至上主義から最も遠い精神文化を持っているはずなのに、本来の価値観、行動原理が損なわれている。(後略)」 どうでしょう。藤原さんのおっしゃること、当たっているでしょうか? 私がこの文を読んで納得できないのは、果たして「日本国民」が一度でもホリエモンを「支持」し、時代の旗手として「称賛」したことがあるか? ということです。確かに羨望はしたでしょう。しかし「支持」したり、「称賛」したことは、一度でもありましたかね? 私の印象は、藤原さんがおっしゃっていることの、まさに逆です。「支持」どころか、ホリエモンがマスコミに取り沙汰されて以来、ほぼ一貫して「こいつ気に入らない」という暗黙の同意みたいなものが国民全般の間にあったと思いますよ。「称賛」だなんて、冗談じゃない。 「金があれば何でもできる」という悪名高いセリフにしても、私はホリエモンがどういうシチュエーションでこれを吐いたのかは知りません。が、とにかく彼はこのセリフ一つで日本国民を敵に回してしまったと、私は思っています。その意味では、確かに藤原さんがおっしゃるように、日本は「金銭至上主義から最も遠い精神文化を持っている」んですよ。それが失われつつあるなんて、藤原先生、勘違いもいいところだ。 しかし、その「金銭至上主義から最も遠い精神文化」とやらが、私には胡散臭くて仕方がない。いや、そういう精神文化はどこかにあるのだろうし、それ自体は素晴らしいものだと思います。しかし、今の日本のホリエモン批判の大合唱は、そういう気高い精神文化の賜物なのでしょうか。 私にはそうは思えないな。33歳のとっちゃん坊やみたいな奴が、7000億もの金を弄んでいるのが気に入らないだけなんじゃないですかね。 普通のサラリーマンにとって、1億だってトンでもない額の金なのであって、一生掛けてそれだけの貯蓄額に到達することだって簡単ではないはず。しかし、それは正直一本でやっているから難しいのであって、ホリエモンが7000億の金を弄べたのは、「ズル」をしたからだ・・・今回の「事件」とやらが確認してくれたのは、そういうことだったんじゃないでしょうか。ホリエモンが逮捕され、ズルして一人勝ちした奴が罰せられそうな成り行きになったものだから、「国民」は大喜び。そして国民に媚を売るしか能のないマスコミが、ここぞとばかりにホリエモンを叩く。今、眼下で起こっていることは、そういうことなんじゃないかと思います。 で、これは「金銭至上主義から最も遠い精神文化を持った国民」の勝利なのかと考えると、先にも言いましたように、私にはとてもそうは思えません。本当に金銭至上主義から遠ければ、今回のような事件をこんなにでかでかと取り上げたりしませんよ。興味がないのだから。 私はホリエモンにはまったく興味もないし、さして同情もしませんが、彼を叩いて大騒ぎしているこの国の姿は、はっきり気に入らないですね。こんなの、単に「羨望」の裏返し、しかも見え見えの裏返しじゃないですか。羨望というのは、恥じて隠すべきもんだ。それをまあ・・・見苦しいこと極まりない。 少なくとも『国家の品格』というベストセラーをお書きの藤原正彦大先生には、ホリエモンではなく、嬉々として彼を叩いている国民やマスコミの側の品格を問うてもらいたかった。普段、藤原さんと意見を同じうすることの多い私ですが、今回ばかりは「お説御尤も」とは言いかねますぜ。 とにかく、ホリエモンのような、たかが太ったネズミ一匹の逮捕に「衝撃」を受けるような国家。そちらの方により猛省を促したいワタクシなのでした。
January 24, 2006
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今日は、午後の散歩がてら、家から車で30分ほどのところにある、「ビッグフット」の展示場に行って来ました。ビッグフットというのは、ログハウス建設の大手です。 いや、別にログハウスを建てようというのではないのですが、前に小淵沢にドライブした時、知人の別荘のログハウスに招かれて以来、ちょっと興味が出てきたもので・・・。それに住宅展示場というのは、私は昔から割と好きなんです。 で、ビッグフットの展示場ですが、東名三好インターから車で10分ほどのところにあり、現在6棟のログハウスを見学できます。それでここのいいところは、最初に受け付けを済ませれば、後は見学者を放っておいてくれること。一々係の人に後にくっついて来られるところは、うるさいですからね。 さて、肝心のログハウスですけど、いわゆる丸太をそのまま組み合わせた「いかにもログハウス」な奴もあれば、単なる「木造の家」っぽいものもあり、また3面ガルバリウムで包まれたモダンな外観のものもあり。またログハウスにはやっぱり薪ストーブだろう、という感じで、薪ストーブの設置を前提としたものもあります。トイレや風呂なんてのは、どれも結構広々していて、モダンなユニットが組み込まれている。ほ、ほう・・・。 ま、中には「これは趣味じゃないな」というのもありましたけど、「これ案外いいね」というのも1つ2つありました。 というわけで小1時間ほど楽しませてもらって、帰る前にもう一度受け付けに寄り、カタログなどをもらうことに。その際、簡単にお話を伺いましたけど、今やログハウスというのは、別荘建築としてだけではなく、街中で、自宅として建てる人が8割なんですって。昔はログハウスは火災に弱いということから、街中での建築には規制があったようですが、最近のものは耐火性も高く、規制も大分緩和されているのだとか。あと、値段の点から言うと、建坪30坪くらいのものが1500万円でしたね。これが安いのか、高いのか、私にはよく分かりませんが・・・。ま、自慢げでしたから安いのでしょう。 でも、やはりログハウスを自宅に、という人は、色々な意味で「こだわり」の人が多く、ビッグフットの展示場に何度も何度も足を運んで、様々な角度からログハウスの善し悪しを検討される人が多いのだとか。そういえば、展示場の駐車場に止まっていた車の中には、たとえばフィアットのパンダだとか、ちょっと変わった車が多かったなあ。 もちろん、別に今ログハウスを買う計画はないのですけど、今どきのログハウスってのは、なるほどこういうもんか、というのが分かって、ちょっと面白い午後の散歩となったのでした。今日も、いい日だ。
January 23, 2006
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先程、大相撲の初場所が終わりました。幕の内最高優勝は栃東。2年ぶりの賜杯です。 それにしても、大相撲、今場所は久しぶりに盛り上がりましたねー。朝青龍の強さばかりを見せつけられたここ数場所とは異なり、終盤まで優勝圏内に6人の力士の名前が挙がるなど、大混戦となりましたからね。やはり、相撲はこうでなくっちゃ! で、その混戦の中からついに抜け出したのが大関・栃東と関脇・白鵬。特に白鵬の勢いが凄まじく、仮に優勝決定戦になったらどうなったか分かりませんでしたが、本割で栃東が朝青龍を倒して優勝を決め、ケリをつけたという次第。栃東を贔屓にしている私としては、今日千秋楽の結びは、久しぶりに居ても立ってもいられない大一番でした。2度の大関陥落をバネに地道に頑張ってきた大関・栃東ですが、よく頑張りました。良かった、良かった! ま、そんな具合で優勝こそ逃しましたけど、それにしても強かったですなあ、白鵬。特に今場所は、立ち会い、がっと踏み込んで、一瞬にして鋭く左上手を浅く引き、後は寄るなり投げるなり、という相撲が多かったですけど、ああいう相撲をとっていたら、もう大関どころか、あっと言う間に横綱まで駆け上るんじゃないでしょうか。今日も大関レースで先を行かれた琴欧州をぶん投げましたけど、相撲の格が違っていたもんな・・・。ただ、この人がまた、朝青龍と同様、可愛げがないんですよね。先日の琴光喜戦でも、先輩の関脇を投げ捨てておいて、「案外時間が掛かったな」とでも言わんばかりに首を傾げるんですから・・・。神聖な土俵の上で、人を馬鹿にしたような仕種をするなって! 一方、琴欧州。駄目ですなー。いや、新大関で10勝は立派です。しかし、ここぞというところで悉く負け、またまた蚤の心臓ぶりを露呈してしまうんですもん・・・。琴欧州が負ける時は、立ち会いで分かります。彼は緊張すると、立ち会いの仕切で腰が下りないんです。ですから、立ち会いで見合っている時、腰が浮いていたら、それは緊張して固くなっている時ですから、傍目にもすぐ分かる。それでまたそういう時には必ず負けるんだから、情けないったらありゃしない。右四つで両まわしをとり、ぐっと引きつけて寄る相撲では、抜群の強さを示すようになったのですから、早く大関らしい自信を身につけて、傍目から見てもビビッているのが分かるようなことがないようになってもらいたいもんです。 今場所はまた、番付下位の力士も頑張りましたね。私が贔屓にしている二枚目力士・時津海も12勝と立派な成績でしたし、北勝力もよくやりました。初めて横綱に勝った安馬も、大分力をつけてきましたしね。 しかし、今場所、もう一つ見どころだったのは、栃乃花と玉乃島の頑張りじゃないでしょうか。栃乃花は怪我で幕下まで陥落し、5年ぶりに前頭上位に戻ってきたわけですが、今場所、大負けはしたものの、相撲巧者らしい、いい相撲を見せてくれました。一方の玉乃島は序盤で右肩を痛め、一時は1勝7敗まで負けが込んでしまったものの、そこから6連勝と根性を見せ、最近の好調ぶりが見せ掛けでないことを証明してくれました。二人とも今場所は負け越してしまいましたが、来場所以降、頑張ってほしいものです。 さて、来場所は栃東の横綱とり、白鵬の大関とりという二つ大きな見どころがあります。また朝青龍もこのまま黙ってはいないでしょうから、彼が出世を目論む実力者&新鋭の前にいかに立ちはだかるかも見ものです。さらに千代大海・魁皇の2大関の角番も掛かってきますので、ここにもドラマの種があると言えそうです。 相撲ファンというのは、一つの場所が終わると、すぐに次の場所のことを考えてしまうものですが、私ももう次の大阪場所が待ちきれません。大阪で熱戦が繰り広げられるのは3月。その頃までには、この冬の厳しい寒さも、少しは緩んでくることでしょう。
January 22, 2006
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今日は論文だの何だのと書き物ばかりしていたワタクシ。外が寒いこともあって、結局一日中どこにも出かけませんでした。 ということで、気分転換の意味も含め、今日の夕食は私が作ることにしたんです。こう見えて私、料理にかけてはなかなかの腕前なのでありましてね。 で、今日作りましたのは、我が釈迦楽家に伝わる「和洋折衷スープ」でございます。これ、とても簡単でおいしいので、作り方を伝授しちゃいましょう。 この料理、基本的には具沢山のスープなので、カレーやシチュー用の大きくて深めの鍋をご用意下さい。 鍋を用意したら、ここにタマネギ一個をざく切りにしたものをニンニク一かけとともにぶち込み、塩コショウを振って軽く炒めて下さい。炒めるには普通のサラダ油で十分ですが、風味をつけたい場合はバターで炒めても構いません。で、ある程度炒まったかなと思ったら、そこにジャガイモ2個、人参1本、しめじ一株を適当な大きさに切り分けたものを投入、さらに一口大に切ったベーコン(3枚分ほど)も入れてさらに炒めます。そして適当なところで白ワインを100ccほど入れ、アルコール分が飛んだら水を入れます。水の量は適当ですが、ひたひたの状態よりよほど多く入れて下さい。またこの時、2センチくらいの厚さの扇型に切った大根も投入します。そして一煮立ちさせて灰汁をとった後、固形コンソメスープの素を2個ほど投入して20分ほど弱めの中火で煮ます。 で、ジャガイモや人参に火が通ったかなと思ったら、今度はここにソーセージをどーんと1パック分ぶち込んで下さい。おすすめのソーセージは「アンティエ(レモン&パセリ)」です。そして、同時にキャベツをどさっと投入して下さい。そしてまた10分ほど煮ます。 そして最後、冷凍コーンと、豆腐と、春雨を投入し、5分ほど煮たら完成です。味は薄目でいいんです。そしてそれを皿に盛り、お好みによって洋芥子とお醤油を適宜入れながら食して下さい。具材が和洋折衷なので、パンでもご飯でも合いますが、今日の我が家は「クルミ・レーズンパン」とともに食べました。白ワインも添えて、ね。 で、お味は・・・うまーい!! タマネギ・ジャガイモ・人参・コンソメ・ベーコン&ソーセージの洋風組と、大根・豆腐・春雨・お醤油の和風組が、互いに力を出し合い協力関係を築いたという感じです。そしてそこにキャベツとコーンの甘味が加わり、もう最高! 騙されたと思って、一度お試しあれ! ちなみにこのスープ、余ったら市販のクリームシチューのルーを入れて、翌日はクリームシチューとして食べてもいいんですよ。 さて、そんな具合で秘伝の和洋折衷スープに大満足した釈迦楽家ですが、やはり食事の締めはデザート、ですよね。で、今日のデザートがまた、今我が家で大ブームの逸品なんです。 まず、ようやく出回り始めた苺を3、4粒皿に盛り、ここに冷凍食品のブルーベリー(スーパーの冷凍食品売り場に必ずあります)をざらざらっと入れ、そしてプレーンヨーグルトをどさっと入れます。多分、ここに蜂蜜を入れてもおいしいと思いますが、たまたま我が家にはDHCで買った「ライビーナ」という一種のベリーソース(まあ、液体ブルーベリージャムみたいなものだと思って下さい)がありましたので、これをドバっとかけます。つまり、ストロベリーとブルーベリーとライビーナという3つのベリー揃い踏みなわけですよ。で、これをヨーグルトとともに食べるわけですが、これがまたうまいんだ! 冷凍ブルーベリーがしゃきしゃきとしたアクセントとなるし、冷凍ブルーベリーのおかげで、ヨーグルトまで少しフローズン気味になるんです。もう、最高!! ということで、いささか手前味噌になりましたが、今日、私が腕に縒りをかけて作りました「和洋折衷スープ」と「トリプル・ベリー・ヨーグルト」のデザート、両方とも「教授のおすすめ!」です。ほんと、おいしいですから、ぜひお試しくださいねー。 さて、ところで「おすすめ!」と言えば、最近ぜんぜんやっていなかった「週末アフィリエイト」。今週からまた復活させようと思います。 で、第一弾はやはり「教授の時計ショップ」。今回から体裁をすべて一新し、生産国毎にショップを分けました。また今回セレクトした時計はすべて10万円以下になっていますし、1万円を切る値段のものも結構あります。でも、どれもワタクシ釈迦楽が目に縒りをかけて(?)セレクトした優れモノばかりですから、どなた様もぜひ一度、それぞれのお店を覗いてみて下さい。男性用のものが中心ですが、レディースもありますから、女性の方もぜひ!ここをクリック!! ↓教授の時計ショップ(本店)教授の時計ショップ(ロシア支店)教授の時計ショップ(スイス支店)教授の時計ショップ(ドイツ支店)教授の時計ショップ(フランス支店)教授の時計ショップ(アメリカ支店)教授の時計ショップ(電脳支店)
January 21, 2006
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明日からのセンター入試に備え、今日は大学はお休み。ということで、今日は昼から家内を連れて外食してきました。恒例の給料日ランチ、というわけでね。 行ったのは、自宅から車で30分ほどのところにある「アーリオパパ」という店。フレンチとイタリアンを融合させた創作料理の店ということですが、デザート食べ放題らしいので、それに惹かれてつい・・・。 行ってみるとこれが閑静な住宅街のただ中にある、30席くらいの割と大きなお店でした。で、昼は4種のランチコースがあり、黒板に書き出してあるその日のメニューの中からメインを決める、というシステムになっています。で、我々が注文したのは1575円のBランチ。メインは鮭とホタテとズワイガニのパイ包み焼き・白ワインソースを選びました。 そして待つことしばし。最初に出てきたのは「ガレット」とサラダです。 「ガレット」というのは蕎麦粉で作ったクレープ状の生地で作った、一種のピザだと思って下さい。中にとろけるチーズが折り込んであり、上にはハム(またはベーコン)と半熟卵が乗っています。 で、食べてみたらこれが馬鹿ウマ。蕎麦粉で作ったクレープというのが、カリカリしているようでいて実は柔らかく、弾力もあって歯ごたえが絶妙。ちょっと他で食べたことのない、おいしい前菜でした。付け合わせのサラダも新鮮で、ドレッシングがおいしかった。 お、これは期待できるぞ! と思っているところへやってきたのがスープ。今日のスープは、ニンニク風味の効いたオニオングラタンみたいな感じで、タマネギやシメジやベーコンが入った濃厚なコンソメスープにフランスパンが浮き、さらにチーズも乗せて軽くオーブンで加熱してある。これもうまかった。熱々でね。 そしてその後パンが来て、それからいよいよメインです。 先程言いましたように、今日我々が注文したのは鮭とホタテとズワイガニのパイ包み焼きだったのですが、これがまたうまかった! サックサクのパイの中に、しっかりと味のついた鮭・ホタテ・カニがたっぷり包み込まれているのですが、これを白ワイン・ソースと、アクセントで添えられたホンの少しのトマト・ソース&バジルソースをつけながら食べると、もう「幸せ」を食べているようなもんですわ。量もたっぷりあるので、食べ応えも十分。いや、この店、気に入ったなぁ! そして食後は、コーヒー(プラスチックの容器に入ったフレッシュではなく、ちゃんと磁器のクリーム入れに入れられたクリームが添えられていました)に、デザート食べ放題。デザートはショーケースから直に好きなだけ何回とってもいいんです。ストロベリー・タルト、洋梨のタルト、チョコケーキ、シュークリーム、ババロアのケーキ、ココナッツ・ムース、パンナコッタが並んでいたのですが、私は全種類制覇! 特にババロアのケーキとココナッツ・ムースがおいしかったですね。食べ放題と言っても、個々のケーキのレベルはそれなりに高かったですよ。 というわけで、1575円にしてこれだけの質と量の料理を食べられたのですから、もう大満足。店の方のサービスぶりもとても気持ちよいものでした。名古屋にお住まいの方、緑区滝の水にある「アーリオパパ」、自信を持って教授のおすすめ! ですぞ! さて、今日はこの後、少し論文を書き進める予定です。この論文の原稿の締め切りは1月末。もっとも、他の先生方の書かれた論文と合わせて最終的にとり纏め、印刷所と交渉するのは私の役目なので、自分の分はも少し余裕を見てもいいかな、と勝手に思っているという・・・。それにしても、もうあまり時間はないですからね。今日は少し頑張らなくては。 聞くところによると、今日の名古屋地方、これから雪になるそうです。明日のセンター入試、受験生は大変ですな。電車やバスの運行に支障が出ないことを祈りつつ、今日はこの辺で。
January 20, 2006
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先日来、このブログでも言及してきた青柳瑞穂氏の骨董にまつわるエッセイ、『ささやかな日本発掘』(講談社文芸文庫)を読了しました。 既に絶版になっていたこの本、インターネット上の古書検索サイト「日本の古本屋」を通じて買い求めたんです。オリジナルが780円のところ、送料込み1210円。ほとんど新本と言ってよいような美本でしたので、まあ我慢どころですな。 で、読んでみた感想ですけど、うーん、そうですね。もう抜群に面白くて、会う人ごとにお薦めしたい! というほどではなかったかな・・・。じゃ面白くないのかというと、そんなことはなく、陶器とか、骨董とか、そういうことに興味がある人にとっては、それなりに面白いことは面白いと思います。 たとえば、冒頭に「かけら」、なんていうエッセイがある。これ、青柳さんが子供の時、土瓶の蓋に紐をかけて独楽として遊んだというエピソードから始まって、様々な方向に話が変奏していくエッセイなんですが、昼間のうちは独楽として散々遊んだ土瓶の蓋を、夜、今度はコレクションとしてずらりと並べ、これらを愛玩し弄んだ、というようなことが書いてある。夜、陶器の断片をうっとりと眺め、撫でさする子供! なんて言うとちょっとシュールな感じもしますが、よく考えてみると私も、いや、誰にせよ子供の時にそれに近いことをしていたような気もしてきます。ま、とにかく青柳さんの陶器との関わりの原点がここにあるわけですね。そしてそういう陶器の一部分を愛玩する趣味が嵩じたのか、長じてからの青柳さんは「かけら」の美に気づいていく。以下、そのあたりの一節: 「それが完備した形体を具えていると、私たちはともすれば形体の美しさに幻惑されて、その『質』に心をひそめる余裕をかく恨みがある。その意味では、破片の方がかえって周囲にわずらわされることなしに、質そのものを見究めやすい場合が多い。すぐれた質を持っている破片なら、かならず美しい形体を具えていたにちがいない。既得した知識によって、私たちは小さな破片から全体を復原して考えることも可能である。そして、これは一種の知的快楽でさえあるのだ。」(11頁) そして、ここからさらに話は展開し、文学の話題に飛躍します。たとえば(『悪の華』のような)一冊の優れた詩集の中の一つの詩、あるいはその詩の中の一節、そういう詩の「かけら」も、時に「私たちのかつて予期しなかったほどの美感を起こせることがある」、というわけ。「それらは石ころの間でチカチカ光っているガラスのかけらのように遠くからでもよく見ることが出来るのだ。」(12頁) 本書冒頭に掲げられたこの「かけら」というエッセイは、まさにこの本全体の見取り図のようになっています。京都や奈良の寺院や博物館に収蔵された立派な芸術作品の群の中にではなく、文化から遠く離れた片田舎の家の土蔵や、朽ち果てた神社仏閣、あるいはどこかの遺跡から出土したがらくたの間に、ときとしてチカチカと見るものの目を射る「かけら」のような骨董が出ることがある。そういうものこそ青柳さんの好みであり、それを彼は長い年月をかけて発掘し、また発掘したものを愛玩してきた。この本は、そういう等身大の骨董との出会いを綴ったものなんです。特に最後を飾る「ささやかな日本発掘」というエッセイは圧巻です。 もちろん、本書は骨董を扱ったエッセイばかりが載っているのではありません。父からの遺品の万年筆の話とか、フクロウを飼った話とか、そういう身辺雑記のようなエッセイもあります。しかし、そういうものも含め、すべての文章が、身近なところに打ち捨てられた美のかけらを拾い出し、慈しむような感性で綴られていると言っていいのではないかと思います。またその文章がとてもいいんです。親しみやすく滑らかな、それこそ土瓶の蓋のような文章だと言ったら、青柳さんも喜んで下さるかも知れません。 それから本書のおしまいのところに、高山鉄男さんが書かれた解説がついているのですが、この解説もなかなか良くて、これを読むと青柳さんがどういう生涯を送った人か大体分かるようになっている。で、これで知ったのですが、青柳さんというのは慶應義塾の仏文で教えていたんですね。前に「たしか早稲田の先生で・・・」なんて書きましたけど、訂正します。それから青柳さんは相当な愛妻家だったようで、「火宅の人だ」なんてご紹介したことも現段階では一応、訂正しておきます。青柳さんのお顔を映した写真も一葉載っていましたが、これがまた穏やかないいお顔で、「火宅の人」のイメージと相容れないこと甚だしい。一体私はどこでそんな情報を小耳に挟んだものやら・・・。 はじめに述べたように、そもそもこの本は既に絶版になっていますので、お薦めしてもそう簡単には入手できないと思いますが、上に書いてきたようなことに興味が持てるということであれば、一読して損はない本だと思います。そういう限定つきで、教授のおすすめ! ということにしておきましょう。 ところで、この本を読んでますます骨董に興味が出てきた私が次に狙っている本は、コピーライターの仲畑貴志さんの書いた『この骨董があなたです』(講談社文庫)です。ま、あんまり深入りしない程度に、しばらくこの方面の本を楽しむことにするつもりです。
January 19, 2006
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昨日はニュース・ネタが多かったですね。ライブドアの問題、ヒューザーの問題、宮崎勤死刑確定、そして阪神・淡路大震災から11年目・・・。 宮崎裁判に関しては、午後の授業の冒頭、学生たちに「ついに死刑確定したらしいぜ」なんて紹介したら、案外みんなポカンとしているんです。で、「ほら、幼女連続殺害の・・・」と水を向けると、ようやく、「ああ・・」という声がチラホラ。よく考えてみれば、この事件が起こった17年前、私の目の前の学生たちは3歳だったのでした。事件を記憶しているとか、そういう年齢ではなく、むしろ宮崎被告の餌食になりそうな年齢だったわけですな。あんまりピンとこないのも無理はない。 それからライブドア問題。ホリエモン、また批判の的になってますけど、ま、批判されるに値するようなことをしたのであれば、それ自体は仕方がない。しかし、その批判の対象となっていることが、「風評の流布」で株価操作した、ということであるのが、ちょっと面白いような気がします。 だって、今回ライブドア問題がマスコミに取り沙汰されたことで、IT関連株全面安でしょう? IT関連っていったって、そもそもライブドアとはまるで関係のない企業の方が多いはずなのに、それらもみんな株価が下がってしまったわけですよ。 といういことは、これもまた「風評の流布」というべきではないでしょうか。 つまりね、株っていうのは、もともと「風評の流布」で上がったり、下がったりするものなんですよ。もちろん、それを意図的にやるのはまずいですけど、株っていうのは本来、そういうものなんですって。 それを、あたかも他社の株は「実質」に基づいているのに、ライブドアだけは「虚偽の風評」に基づいているかのような報道をするのって、何だか、無知なる庶民騙しのような感じがして、あまり好ましくないですなあ・・・。 もっとも、現在、マスコミの流す「風評の流布」のおかげでIT関連株全面安ですから、今こそIT関連株は「買い」ですね。だって、実質、株が下がるような要素はないのだから、「風評」さえ忘れられれば、絶対に元の水準に戻るはず。今買えば、利鞘はばっちり稼げますよ。私も買っておこうかな。 かの福沢諭吉が「実学」ということを言ったのは、学者たるもの、世の中のことが見えてなければならない。そして世の中が見えていれば、必ず金儲けは出来るはずだ。だから、金儲けの出来ない学者は、学者としても二流なんだ、という発想を彼が持っていたからです。要するに、清貧の学者なんてバ・カ・だ、といういわけ。私はこの諭吉の考えに対して強く「一理ある」と思っていますので、こういう機を逃さず株に投資する、なんてのは、学者としてむしろやるべきことだろうと思っているんです。 学生たちと合宿に行って一緒に風呂に入った老学者が、学生たちの使っている「シャンプー」を見て、「これは近頃、便利なものが発明されたものじゃ」と言った、とかいう笑い話を聞いたことがあります。世間的なことに対して無知であるほど優れた学者である、というようなイメージが、きっとまだどこかに残っているんでしょうな。でも、先に言いましたように、私はこの点に関しては福沢諭吉派ですから、シャンプーも知らない老学者なんて、どのみち大したことないんだろうと思います。 なーんて言いながら、私も最近、若い人の間の流行に疎くなりましたから、そのうち、シャンプーも知らない学者の二の舞になりそうですけどね。 ま、とにかく、常々言っておりますように、マスコミの報道自体、「風評の流布」っぽいところはあるよなぁと、私なんぞは思っているのであります。以上。
January 18, 2006
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岩波書店のPR誌『図書』に、哲学者の鶴見俊輔氏が「一月一話」という短いコラムを連載していらっしゃいます。これ、面白い時もあるし、さほどでもない時があるのですが、今出ている1月号の奴は面白いです。 オックスフォード英和辞典のような大型の辞書より、自分はこれを圧縮したオックスフォード小辞典を愛用しており、この小さな英語辞典に載ってない言葉は、もう自分には縁がないんだと思っている、というような話からエッセイは始まります。大切なのは語彙の数ではなく、その使い方だということを、歳をとってからますます痛感する、と鶴見さんはおっしゃるんですね。 で、ここで時代は遡り、1973年、朴正煕政権を批判したために死刑判決を受けて軟禁されていた詩人・金芝河氏のことに話題は飛び、その金氏に会うため、鶴見さんが女子中学生を含めた3人で韓国に行った時の思い出が語られます。 ま、鶴見さんが女子中学生らと共に軟禁状態にある金芝河氏に会いに行く、というシュールなシチュエーションが私にはいま一つよく分かりませんが、とにかく軟禁先の病院で金氏に会った鶴見さんは、現在、金氏の助命のために活動していること、多くの国の詩人や学者からそのための署名を集めたことなどを彼に英語で伝えた、というのです。金氏とコミュニケーションをとるためには、英語を使うしかなかったので、ね。 で、そういう鶴見さん達のメッセージに対し、金氏は「Your movement cannot help me. But I will add my name to it to help your movement.」(あなた方の運動が私を助けることはできない。しかし、あなた方の運動を助けるために、私の名をそこに加えよう)と言ったというのですね。 私は、金芝河氏のお名前だけはかねてから聞いていますが、残念なことに、実際にどういう詩を書かれた方なのか、また彼の政治的信条が奈辺にあるのか、といったことまでは知りません。しかし、この状況でのこの一言は、品格があって、なかなかいいですなあ! さすが詩人、というべきか・・・。こんなこと、なかなか言えませんよ。 で、鶴見さんはこのエピソードについて、「中学生も知っている英語の言葉をつなぎ合わせて、自分をおとしめることなく、自分の答えを彼は述べた」とおっしゃっていますが、まさにその通りですね。だからこそ、大事なのは(語彙の数ではなく)、言葉の使い方だ、というわけでしょう。 人間、窮地に陥った時こそ、その本性が試される時だ、と私は思っていますし、そのように行動しているつもりですけれど、このコラムを読んで、もっともっと褌の緒を引き締めなければいかんなと思ったワタクシなのでした。
January 17, 2006
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昨日の夜、母から電話があり、所属している俳句の結社の同人に推挙されたという、(すごい)知らせがありました。おっと、これは一大事。 俳句をされない方には、これがどういう意味を持つか、よく分からないかも知れませんが、とても大ごとであることは確かです。 俳句の結社というのは、まあ言わば、一つの宗教団体みたいなものだと思って下さい。結社を束ねる「主宰」は、教祖様みたいなものでして、とにかく社中の人々から崇め奉られている。 で、この主宰が発行する会誌に、会員は毎月5句ほど(これは結社によって違うでしょうが)投句するわけですが、最初のうちはその中から1句くらいしか採用されないわけ。これが1年とか2年続きます。修行時代ですね。 で、3年目、4年目と進むうちに、2句くらい採られるようになる。しかし、たいていの人はここ止まりです。何年やっても2句しか採用されない。ただ中には時々3句採用されたりする人も出てくる。となると、これは大出世でありまして、2句採用組の人がごくたまに3句採用されたりすると、俳句仲間からお祝いの電話がじゃんじゃん掛かってくる。事情を知らないと、何事かと思いますよ。たかが3句採られたくらいで、何の騒ぎかと・・・。しかし、結社に入って俳句をやっている人たちにとっては、2句採用と3句採用では、天と地ほどの差があるんでしょうな・・・。 ましてや4句採用となると、「ご子息が一流企業に就職した」くらいのお祝いとなり、最高の5句採用となると、「ご子息の結婚が決まった」くらいのお祝いとなります。 しかし、これで終わりかと思うと、そうではないんです。5句採用の中でもさらに「松・竹・梅」がある。「松」、すなわち「巻頭句」をとったとなると、これはもう「ご主人が衆議院選に初当選した」くらいのお祝い騒ぎとなるわけです。すごいですよ。 で、コンスタントに3句、4句、5句採用の実力がついてきた人の中から「同人」が選ばれるわけですが、これは主宰および主宰を取りまく4天王みたいな人々からの推挙が必要なわけですから、これになるのはものすごく大変です。そして母がこの度、推挙されたのが、この「同人」というわけですから、実際大ごとなわけですよ。・・・と言っても、私なんぞはその知らせを聞いても「ほう、良かったね」くらいなもんですし、母自身もその程度に思っているでしょうが、結社内部の人たちにしたら、これはもう「苦節ウン十年の演歌歌手が紅白歌合戦に出場が決まった」くらいのお祝い事なのだろうと思います。ほんとはもっと喜んであげないといけないのでしょうね。 しかし、これから大変だと思いますよ。同人は普通の会員とは別格の扱いですから、別格の実力を示さないといけなくなります。投句数も、普通の会員が毎月5句までなのに対し、10句を投句しなければならないそうですから、ある程度のレベルのものを毎月10句ずつ作らなくてはならない。日頃、毎月5句作るのも苦労している母を見ているので、これからどうするんだろうとちょっと心配にもなってくる。 でも、それだけ苦労はしても、俳句を作ることは、母にとっては楽しいらしいですね。たとえばどこかに旅行に行くにしても、母にとってそれは句種を探す「吟行」の意味もあるわけですから、他のメンバーより一生懸命ものを見て、感動を探すことになる。ただ漫然とした観光ではないんですね。で、それだけ一生懸命ものを見ると、やはり漫然とものを見るよりも発見があり、楽しいわけですよ。母が俳句を始めて15年、いやもう20年かな? ま、そのくらい経ちますが、よく「いい遊び道具を見つけた」と言っています。その点は、ちょっと羨ましいようなもんだ。 そこで母も私に俳句をやれやれと言うわけですけど、残念ながら私にはその才能はないな。あったらとっくにやってますよ、俳句でも短歌でも。そして主宰になる。最初に言いましたが、ほんと、主宰って教祖様扱い、いや神様扱いなんですから。いいですよー。私も神様になりたい。 ま、それはともかく、図らずも「同人」なんて偉いものになってしまって、これから母も大変だと思いますが、私としては、せめて車であちこち吟行でも連れてってあげて、専属ドライバーとしてサポートしてあげることにしましょう。
January 16, 2006
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昨夜は夢でうなされてしまいました。 前後のストーリーはまったく忘れてしまいましたが、とにかく私はどこか公園のようなところを家内と歩いているのです。すると向こうから悪魔が歩いてくる。 なぜそいつが悪魔だと分かったかというと、遥か遠くにいる時からそいつの声が私にだけ聞こえたからです。で、その悪魔が私に囁いて曰く、これから人間界のことを少し見て回りたいので、お前の身体を借りることにした、と・・・。 えーっと思ったのも束の間、もう4、5メートルまで近づいた悪魔は、えいっという掛け声と共に、一瞬で私の胸の中に飛び込んできて、あっと言う間に身体の中に入ってしまった。悪魔が私の胸の中でもぞもぞと動き回りながら、徐々に私の身体に馴染んでいく、その感覚の恐ろしかったこと! うわーっ、悪魔に身体を乗っ取られた! と思った私は、胸を掻きむしりながら「あーっ! あーっ!」と家内に助けを求めたのですが、その時、よほどうなされていたのでしょう、隣で寝ていた家内に起こされました。起こされた私は、自分はまだ自分なのか、それとも既に悪魔になってしまったのか不安で不安で、とっさに「悪魔なら、良いことを考えられるはずがない」と思いつき、「今度、日本赤十字に献金するぞ」と頭の中で念じたところ、ちゃんと念じられたので、おお、まだ大丈夫だ! と、ひとまずホッとしたのでした。・・・しかし悪魔に乗っ取られたかどうかの確認法として、赤十字への献金を念じてみるなんて、我ながら一体どういう発想をしているんでしょうか? さて、話は変わりますが、最近の私のちょっとしたブームは「骨董」です。この間、青柳瑞穂氏の骨董にまつわる名エッセイ、『ささやかな日本発掘』が既に絶版になっているということを知ってがっかりした、という話をしましたが、そうなると余計読みたくなるもので、結局この本はインターネット上の古書店を通じて買い求めることにしました。しかし、それが届くのをただじっと待っているというのも剣呑だったので、同じ骨董にまつわるエッセイということで、少し前に中公新書から出た奥本大三郎氏の『東京美術骨董繁盛記』を買って読むことにしたんです。 ま、古本マニアである私にとって、骨董というのはもともと気になるジャンルではあったんですよ。結局、古本というのは、本の骨董であるわけですし。でも、今まで実際に骨董に手を出したことは、実はあまりありません。ま、強いて言えば2回あるかな。どちらもアメリカでの経験ですが。何しろアメリカはフリー・マーケットの本場ですからね。 で、何を買ったかと言いますと、一つはティーカップとソーサー。感じとしては50年代っぽいものなんですけど、これがまた今見ても惚れ惚れするようなデザインで、5客で80ドルだったかな? ロス郊外のパサディナにローズボールという大きなアメフトの聖地がありまして、その球場を利用して月に一回、大きなフリー・マーケットが開かれるんですが、そこで買ったんですね。「これ、5客下さい」と言ったら、売ってたおじさんに、「お、あんた日本人だね。食器を奇数分買ってくのは、皆、日本人だ」と言われたことをよく覚えています。それからもう一つは、UCLAのあるウェストウッドという小さな大学町で毎月一度開かれるフリー・マーケットで買った、北欧製の琺瑯の皿三枚(大・中・小)。値段は忘れてしまいましたけど、これも、今だにとても気に入っています。 もちろん、こういうのは厳密に言うと骨董でも何でもないのでしょうけど、私に興味があるのはまさにこういう種類のものなんです。刀剣とか、仏像とか、書画とか、そういう馬鹿高い品々は、いくら美術的な価値があろうと、私には縁がないですからね。私に興味があるのは、そこらの骨董市やら古道具屋で二束三文で売っているような食器とか、そういうものです。そういうのを買ってきて、時代がかったデザインの妙を楽しむとか、そういうのに憧れるわけですよ。 何せこういう古道具には、新品にはない歴史がありますからね。前の持ち主はどんな人だったのだろう、その人にとってこれらはどういう意味があったのだろう、それがまたどういう縁で自分のものになったのだろう、なんてことを考えさせてくれる。そこが面白いんですな。私の好きなエッセイスト・林望氏もちょうど私と同じような嗜好の持ち主であるらしく、『リンボウ先生遠めがね』(文春文庫)なんて読むと、そんな骨董にまつわるエッセイが載っています。これ、面白いですよ。 ま、もちろんそんな古道具屋漁りなんて、実際にはなかなかできませんし、またそんな暇もないんですけど、せめてそんな骨董・古道具にまつわる本でも読んで、間接的に楽しもうなんて思っているわけです。ですから『ささやかな日本発掘』、待ち遠しくてしょうがない。早く届かないかな! で、この本を待つ間に、と思って読み始めた奥本大三郎氏の『東京美術骨董繁盛記』ですが、これ、彼が自発的に書いたものというより、中央公論社に頼まれ、その雑誌に掲載するために、中央公論社の社屋の周辺に多い骨董の名店を訪ねて、骨董を商売にしている方々から蘊蓄を引き出そうという趣向で書き始められたものなんです。もちろん、奥本氏自身、仏文学者にして有名な昆虫標本のコレクターでもある方ですから、もともと骨董とかコレクションとかいうことに興味や造詣がないわけではない。ですから、限りなく玄人に近い素人である奥本氏と、その道の大御所たちとの丁々発止のやりとりを通じ、骨董という奥深い世界を紹介しようという企画本なんですな、これは。企画としては面白そうですよね。中央公論もなかなかいいところを突いてくる。 ところが・・・これが面白くないんだなー。いや、この本の中に登場する骨董の名店のご主人たちの話の中には、そこそこ面白い部分もあるんです。しかしせっかくの面白い話も、それを文章として構成する奥本氏の手腕ゆえに、あまり面白いと感じさせないようになってしまっているんですな。特に会話体で構成される部分が面白くなくて、せっかくいいコメントを引き出したのに、それを受ける奥本氏のコメントが興ざめなものだったりするので、がっかりしてしまうんですよね。第一、この本を読んでも肝心の骨董の世界の面白さがあまり伝わって来ないんですよ。・・・なーんて、ついついこういう辛口評価をしてしまうのは、今日、私に悪魔が乗り移っているからだったりして! ま、それは冗談として、この本、私にしてみればちょっと期待外れの本でしたなあ・・・。奥本さんって、『虫の博物誌』(青土社)で読売文学賞をとり、『楽しき熱帯』(集英社)でサントリー学芸賞をとり、『斑猫の宿』(JTB)でJTB紀行文学大賞をとり、『ファーブル昆虫記』(集英社)の翻訳で産経児童出版文化賞をとるという具合で、文筆家としてすごく評価されている人だと思いますが、私にはその良さがいま一つ分かりません。昔岩波書店のPR誌『図書』に連載されていた「干支セトラ」という文章も私はあまり感心せず、終いには端から読みませんでしたしね。たとえば同じフランス文学系の鹿島茂さんの文章などは、好き嫌いは別として私も面白いと思うし、売れるのもよく分かる。しかし、奥本さんは、私には、どうも分からないんですね。どうしてだろう? 感性が合わないのかな? 奥本ファンの方で、「これを読んだら、考えが変わるよ」というご推薦の本がありましたら、ご教示下さい。 しかし、奥本さんの本が期待外れに終わったとなると、否が応でも青柳瑞穂著『ささやかな日本発掘』への期待が高まります。果たして、この本は私の骨董ブームにさらに火をつけてくれるでしょうか? ま、変に火をつけられて、おかげで家計が火の車、なんてことになったら困りますが、とにかく、今はこの本が届くのを、首を長くして待っているワタクシなのでした。
January 15, 2006
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うちの大学では福利厚生として年に1度「お楽しみ」があるのですが、その内容がまた渋くて、「みかん狩りツアー」「五木ひろしコンサート」「宝塚公演」「映画チケット2枚」の中から好きなのを選ぶ、みたいな感じなんですね。この中では「宝塚公演」というのに少し心が動きますが、この場合チケットは1枚しかくれないんです。興味本位で宝塚公演を男一人で見に行くというのは、ちょっとねぇ・・・。というわけで、私は毎年無難に「映画チケット2枚」というのを選んでいるんです。 そこで昨日はこのチケットを使い切るという目的もあって、家内と『Mr. & Mrs. スミス』を見に行きました。今、アツアツのカップル、ブラット・ピットとアンジェリーナ・ジョリー主演の娯楽映画です。 が、その前に、新しいカフェ開拓ということで、前から気になっていたカフェに行ってみることにしました。映画館のコーヒーは、あんまりおいしくないですからね。 で、立ち寄ったのは「ぶなの木」というカフェ。なぜここが気になっていたかというと、ここはギャラリー併設で、絵画や陶器、ガラスの器やアクセサリーなどを置いているということだったからです。それに家から映画館までのちょうど中間あたりにあるので、ね。 行ってみると、大きな国道から道一本入った、里山や田んぼに囲まれたのんびりしたところにあるカフェで、佇まいもなかなかよろしい。これは期待が持てそうですぞ。 中に入っても、この期待は裏切られませんでした。入り口を入ると、しばらくは「洋風の土間」のような感じで、土に植えられた各種植物の繁る枕木風のゆるい階段があったりして、なかなか凝っています。そして、土壁風の壁には今展示中の絵が掛けられています。販売もしているので、既に予約の入っている絵もある。絵の感じは、ちょっとスタジオ・ジブリのアニメの背景風の水彩画(感じ、分かります?)で、ま、私が買うようなものではないですけど、でも、生の絵というのはどんなものでも面白いですからね。 さらに奥に進むとそこが適度に明るく、また適度に包まれ感のあるギャラリー兼カフェになっている。知る人ぞ知る店であるせいか、お客さんの数もほどほどで、隠れ家的な落ち着きがあります。 で、とりあえずテーブルについてから、私は2種のブレンドの中から酸味の少ないものを、また家内は「豆乳ほうじ茶ラテ」なるものにチャレンジすることに。パンやクッキーを売っているので、その中から私は「おやき風あんパン」、家内は「クッキー」を選びました。どちらもオーガニックな素材にこだわった手作りなのだそうです。このカフェは、多分オーナーの女性とそのお嬢さんで経営しているのではないかと思いますが、お二人ともいかにもオーガニック志向っぽい(感じ、分かります?)、いい感じの方たちでした。また私のコーヒーは無論おいしかったですけど、家内の注文した「豆乳ほうじ茶ラテ」、これが案外ヒットで、大きめのカップにたっぷり入ってくるのもいい。それから「おやき」も「クッキー」も一風変わった味で、これもおいしかった。うーん、ここ、なかなかいいぞ! 置いてある雑誌も、『Ku:nel』をはじめとして、「オーガニックな田舎暮らし推奨系」雑誌が多く、私の好みです。 かくして、ここでおいしい飲み物とおやつを楽しみ、雑誌を一通りパラパラやってから、ギャラリーに飾ってある絵やガラス製品をじっくり見ることに。カフェ部の隣にもさらにもう一部屋展示中心の部屋もあるので、ここも見に行きました。陶器もガラス製品も、それぞれアーチストによる一点ものです。で、どれも使い良さそうな、手頃なものばかりで、目移りしてしまうのですけど、その中で我々の目を射止めたのはガラス製の小さな器でした。洋梨のような形、色も薄い翠、そして把手のようでもあり、器を安定させるものでもある部分はミラー加工してある。この銀色の把手部分と本体の翠の組み合わせが実にきれいなんです。ナッツのようなつまみを入れてもいいし、マヨネーズやケチャップのようなソース入れに使ってもいいとのこと。値段を見ると3150円なり。よし、これ、いただき! ということで、カフェも楽しめたし、展示も楽しめたし、思いがけずちょっとした器を買うことも出来て、いい気分で「ぶなの木」を後にすることができたのでした。このカフェ、教授のおすすめ!です。でも、こういう隠れ家的カフェはあんまり人に教えたくないなあ。 さて、おやつを食べていい気分の我々は、『Mr. & Mrs. スミス』を見るべくいつもの映画館へ。以下、若干ネタバレですので、ご覧になる予定の方はご注意を。 この映画、それぞれ別のエージェントに所属するプロの殺し屋の男女がたまたま出会って恋に落ち、それぞれ自分の本当の職業を詐称しながら結婚してしまった、というところから始まります。夫婦それぞれ自宅に秘密裏に武器庫を設け、いかにも会社に行くような振りをしてエージェントに出向き、出張に行くような振りをしてターゲットを仕留めに行く。そして何気ない顔をして帰宅して、ごく普通の夫婦のように生活するという暮らしを、5年も続けているわけ。 ところがある時、二つのエージェントが同一のターゲットを仕留めるよう、それぞれ夫と妻に指令を出してしまったところから、話はこじれてしまいます。そんなこととはつゆ知らないブラピとジョリーは、それぞれ何気ない顔をして殺しの指令に従うわけですが、何せ狙うのは同じターゲットですから、結局双方が邪魔をするような形になってしまい、ターゲットを逃してしまうんですね。かくして二人とも殺しに失敗してしまいます。 となると殺し屋の世界は過酷ですから、48時間以内に邪魔者を消さなくてはならない。ブラピ、ジョリー、双方が、わずかな手がかりから、自分の邪魔をしたライバルが誰なのか探りにかかる。そしてその結果、信じ難いことに、どうやら邪魔者は自分の配偶者らしいということが判明する・・・。 かくしてここからトップレベルのプロの殺し屋夫婦が、互いの命を狙って丁々発止の攻防を繰り広げることになる・・・と、そんな感じの映画です。 ま、娯楽映画ですからね、感動がどうの、画像の美しさがどうの、というものではありません。純粋に見て楽しめばいい映画なわけなのですが、そういうものとして採点しますと、うーん、76点ですね。家内は案外厳しくて70点だそうです。でも、ま、なかなか面白かったですよ。互いに相手の素性が分かった段階で、「僕が前にヘリコプターで帰宅したの、気づかなかった?」「あ、その日、手榴弾を使ったんで、一時的に難聴になってたのよ」「僕は網膜剥離で、一部色の違いが分からないところがあるんだ」「私もこの指とこの指、感覚がないの」みたいな、プロの殺し屋同士ならではの会話があるんですけど、いいでしょ、これ。あと、互いに過去の殺しの数を告白し合うシーンなんかもいいですよ~。 ま、筋書きの点で若干不満があるのと、映画の冒頭と最後のシーンが陳腐である点などマイナス要因も多々ありますが、ま、こういう映画は、こんなもんでしょう。娯楽作品として、まあ合格です。 というわけで、昨日は新しいカフェを一つ開拓し、気に入った器も買い、映画も楽しんだので、なかなか充実した一日となったのでした。・・・あれ、あんまり仕事してないぞ・・・。ま、いいか。仕事は今日やりまーす。
January 14, 2006
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新年となって早10日余りが経ちましたが、依然としてぽちぽちと年賀状が届きます。そんな中、昨日のことですが、私は思いもかけず悲しい年賀状を受け取ることになったのでした。 それは今、私が住んでいるマンションの前の管理人さんだった「Kさん」からの年賀状だったのですが、何でまたそんな方から年賀状をもらったのか、少し説明する必要があります。 今からちょうど10年ほど前のこと、私は現在住んでいるマンションに引っ越してきました。その時、このマンションの初代管理人だったのがKさんだったんです。当時Kさんは60歳位、私からしてみれば自分の父親くらいのお歳でしたけれど、とても元気な方で、管理人としての仕事をとても誇らしげに、きっちりとこなしていらっしゃいました。出来立ての新築マンション、そしてそこに越してきた新しい住人たち・・・すべてがフレッシュなスタートでしたから、Kさんも管理人としてやりがいがあったのでしょう。マンション内に何か異変はないか、玄関ホールや通路の電灯は球切れしていないか、自転車置き場の自転車が乱雑に置かれていないかなど、そういったことを見回るため、マンション内を小まめに巡回しているKさんの姿をよく見かけたものです。また共用部分の植栽や芝生などにも気を使われ、夏場など根気よく草むしりをされているところをしばしば見かけたものでした。 ところで、このマンションに入居した当時、私はまだ独身でしたから、今以上に頻繁に東京の実家に戻ることがあり、特に夏休みや春休みなど、1ヶ月近く家を空けることがよくありました。で、そんな時、私はいつもKさんに一声かけて、たとえば留守中に新聞が新聞受けに溜まらないようにしてもらったり、空き巣などに狙われないよう、ちょっと気をつけてもらったりしていたんですね。それだけに、長く家を空けた後など、私は管理人室にKさんを訪ね、直接御礼を言ったり、持参したお土産を渡したりしたものでした。Kさんはお酒がお好きだったので、アメリカ出張で一月ほど家を空けた帰りなど、バーボンをお土産に買ってきたりするとことのほか喜ばれ、後で出会った時など、ニコニコしながら「毎日、仕事が終わった後に楽しんでいるんですけど、もったいなくて少しずつしか飲まないんですよ」などと声をかけて下さったりしたものです。ま、そんなこんなで、おそらくこのマンションに住む他の住人の方以上に、私はKさんと親しかったのではないかと思います。 また私が大学で英語や英米文学を教えているということを知ってからは、マンションの敷地内で私とすれ違う時など、Kさんはふと私を呼び止めて、「うちの孫が、英語ができなくて困っているのですけど、どうしたもんでしょうかねえ」などと相談されることもありました。で、問われた私が馬鹿正直にお孫さんのことを詳しく尋ねると、そのお孫さんは進学校として有名な中学校に通っていらっしゃることが判明して、なーんだ、英語ができないなんて言って、実はお孫さんのことを自慢したいだけだったのか! なんてことが分かったり。ま、Kさんというのは、そんな愛すべき好々爺だったんです。 ところが、数年前くらいからでしょうか、あれほど元気一杯だったKさんが、なんだか急に老けたような気がしたことがありました。以前ほど頻繁に巡回されなくなり、管理人室でボンヤリしていらっしゃるのを見かけることが増えたんです。また、以前のKさんだったら、人が近づいてくる足音に敏感に反応してさっと振り向かれるので、Kさんの後ろ姿なんてそう長くは拝めなかったんですが、その頃、あ、Kさんが居るな、と思って彼の真後ろまで迫っても全然こちらを振り向こうとなさらないことが多くなった。仕方なく背中から「Kさん、こんにちは!」と声をかけると、びくっとして振り向かれ、「ああ、こんにちは!」と慌てて挨拶を返されるのですけど、そんなKさんを見て、「Kさんも歳を取ったのかな」などと、家内と話しあったことを覚えています。 そしてそんなことが続いた挙げ句、今から2年前のことですが、ついにKさんが管理人の職を退くことになりました。ああ、やっぱりな、と思いましたが、それまでずっと世話になってきた人ですから、私もなんだか寂しく思い、いよいよ辞められるという時には管理人室にお別れの挨拶をしに行きましたし、Kさんもまた明日で辞めるという日にわざわざ私の家まで来られて、互いに別れを惜しんだのでした。 で、その時、私は「年賀状出しますから」と言って、Kさんのご住所を教えていただいたんですね。Kさんは喜んで紙に書いて下さいましたが、多分、これは社交辞令なんだろうと思われていたのではないかと思います。いかに親しかったとは言え、大きなマンションの住人とその管理人が互いに年賀状を出し合うなんて、あまりなさそうな話ですし・・・。実際、その年の終わりに、私はKさんに対して年賀状を出すのを忘れてしまいました。 しかし昨年の末、あちこちに年賀状を書いていた時、私はふとKさんのことを思い出し、今年はKさんに年賀状を出してやろう、と思ったんです。ま、年賀状1通書くのに大して時間はかかりませんし、まさかKさんも本当に私から年賀状が行くとは思っていないでしょうから、きっとびっくりするぞ、と、そんな茶目っ気を出したんですね。そこで私は、「お変わりありませんか? Kさんがお辞めになってから、管理人室の前を通っても寂しいですよ」というようなことを年賀状に書いて送ったのです。 そして年が明けました。しかし、Kさんから年賀状のお返事はありませんでした。と言ってそのことを私はさほど気に病むこともなく、何のことはない、私のことなどもう忘れてしまわれたのだろう、と思った程度だったんです。 ところが昨日、冒頭に述べたように、私はKさんからの年賀状を受け取ったのでした。そして、それはとても悲しい年賀状だったんです。 Kさんからの年賀状は封筒に入って送られてきました。そしてその年賀状には、Kさんの奥様からのお手紙も添えられていたんです。そのお手紙によって、私は、Kさんが一昨年の11月から肺癌に冒され、現在は末期状態で入院されていることを知りました。またその手紙には、Kさんが私からの年賀状をとても喜ばれたこと、また何とか自分で返事を書こうとしたのだけれど、手が震えてしまって判読し難いものしか書けなかったこと、などが書かれていました。要するに、Kさんの書かれた年賀状をそのまま投函してもとても届かないだろうと危惧された奥様が、こうして手紙を添えて、封書にして送って下さったというわけなのです。 実際、Kさんが書かれたという年賀状を見ると、どうやら「謹賀新年 新年お目出度ご座居ます 本年も何卒宜敷お願いします」とお書きになったようなのですが、いかんせん力のない、判読しにくい文字なのできわめて読み難い。宛て名も同様です。 私はこの悲しいお便りと、ミミズの這ったような文字で書かれたKさんの年賀状を手に、しばし呆然としたのでした。確かにお歳を取られた観はあったものの、2年前にお別れした時にはどこかお体の具合が悪いという感じではなかったのに、今、Kさんはまともに年賀状も書けないほど弱られ、瀕死の床に就かれているというのですから・・・。 変な茶目っ気を出して、気まぐれにKさんに年賀状を出したばかりに、知らなくてもいい悲しい知らせを受け取ることになってしまって、まったく馬鹿なことをした・・・そんな思いが、私の頭の中をぐるぐる回っています。家内は、がっくりしている私に、Kさんは私から年賀状をもらって嬉しかったのでしょうから、いいことをしたじゃないですかと言ってくれるのですが、どうなんでしょうか・・・。ひょっとしたらKさんが書く最後の年賀状になるのかも知れないこの年賀状を、単にちょっとした知り合いに過ぎない私なんかが受け取る資格が果たしてあるのかしらと思うと、やはり、私の気持ちはどうにも晴れません。 奥様がはっきりと「末期の肺癌」とおっしゃる以上、この先、Kさんの体調が回復することは見込めないということなのでしょう。となれば、ここで軽々に「ご回復をお祈りします」などということは、むしろ不敬なことなのだろうと思います。ですから、かつて管理人のKさんに少なからずお世話になったマンションの住人の一人として、せめてKさんの末期の苦しみが、さほどのものでないことを、切にお祈りしたいと思います。
January 13, 2006
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私は風邪を引きやすい体質なのか、子供の頃から風邪には悩まされ続けてきました。それだけに、風邪にかかった場合の療法に関しては、長年の研究の蓄積があります。何しろ私は、何事につけても研究熱心なもので・・・。 ま、もちろん風邪の対処法として一般的なのは、「安静にする」でしょう。第一、症状が重い場合はそうせざるを得ない。しかし、私は黙って風邪のウイルスに蹂躙されるがまま、という状態に我慢が出来ない質でして、何とかこちらの側としても逆襲に転じたい、ウイルスに反撃してやりたいという気がある。その際、「薬を飲む」というのも反撃の一手ではありますが、今私が言っているのは、できるだけ薬に頼らない、民間療法的な反撃のことです。 風邪の民間療法というと、例えば日本では「卵酒」なんてのがありますね。つまり水分と栄養をとり、かつ身体を暖めるという行き方です。これと同じようなのは外国にもあって、たとえばイギリスなんかで風邪の時に飲む「エッグノッグ(eggnog)」なんてのは、暖めたラム酒に卵と砂糖とミルクを入れたものですから、これはまさにイギリス版卵酒と言っていい。 一方、アメリカ人はというと、彼らは風邪を引くとよく「オレンジジュースを飲め」ってなことを言いますね。これも水分およびビタミンCの摂取が目的ですから、一応合理的ではあるのですが、「卵酒」とか「エッグノッグ」の情緒がないですなあ。冷蔵庫からでっかいカートンを取り出していきなりゴクゴクですからね。そういう散文的なところがアメリカ人らしいと言えば言えそうですが。 またアメリカ人のアメリカ人らしいところは、風邪の時、ただオレンジジュースを飲むだけでなく、さらに「サウナに入る」という荒療治をするというところにも表れています。日本人だったら生姜を摂ることで発汗作用を促すところでしょうが、アメリカ人はもっと物理的に行くわけ。この荒っぽさが、やっぱりアメリカンっぽい! ちなみに、アメリカの薬局などに行くと、風邪薬のコーナーに「エクネシア」と「ゴールデンシール」というのがよく売られています。これはどちらも有名な薬草ですね。それから「風邪には亜鉛が効く」というのもアメリカの常識で、驚くべきことに「亜鉛ドロップ」という、風邪の時に舐める飴まで売ってたりする。これは私も試したことがありますが、舌に金属の味がいつまでも残って非常にまずい! でも、これらもまたアメリカで一般的な風邪対処法の一端なんですな。 とまあ、こんな感じで、日欧米にそれぞれ民間療法があるわけですけど、さてここで問題です。私の場合、風邪に反撃するためにいかなる手を使うのでしょう? その答えは、「上に挙げた手を全部使う」でした。 要するに、ビタミンCと亜鉛と「エクネシア」を摂取し、暖めた酒を飲み、水分を多量に摂り、サウナに入るのであります! おりゃあ! 風邪のウイルスへの総攻撃じゃ! で、その結果風邪があっさり治るかというと・・・これが案外そうでもなくて、かえって悪化させたりする(ガク、ガク!)。じゃあ、最初から何もせず静かに寝てればいいようなもんですが、それが出来ないんですね。やっぱり、どうにかしてウイルスに攻撃を仕掛けたくなっちゃう。思えば因果な性ですなぁ・・。 で、昨日ブログに書きましたように、ここのところ私は風邪を引いてしまっているのですけど、今回は「総攻撃」はやめにして、ただ「大量の水分を摂る」というのだけ実践してみました。でも、これは案外効いたみたいです。いつもだったら、風邪を引くと喉に焼け付くような痛みを覚える私ですが、今回はそうでもなかったですからね。ま、大量の水を飲んだせいだけかどうかは分かりませんが。 ということで、まだ体調は万全というところまで快復はしていないんですけど、今日も今日とて、勤務先に大量のお茶を持ち込み、飲みたくなくてもがんがん飲んで、風邪のウイルスを溺れ死にさせようと懸命のワタクシなのでした。おりゃあ! 風邪のウイルスよ! これでも食らえ~! ゴク、ゴク、ゴク・・・。
January 12, 2006
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先日の酷寒の城ヶ島ドライブ以来、なんとなーく風邪気味だったのですが、ここへきて症状が悪化。今日は授業も会議もない日だったこともあり、大学をこっそり休んで自宅に籠もることに。すみませーん。 もちろん休むったって、ずっと寝ているわけには行きません。実は今、書評の仕事を一つ抱えているので、それを今日中に書かなきゃなりませぬ。うーん、ブログだといくらでも書けるのに、仕事となるとなかなか筆が進みませんなあ・・・。 というわけで、今日はベッドでぐったりしたり、気を取り直してパソコンに向かったりの繰り返しですけど、そんな中、頭を休めるために時々ベッドの周辺にとっ散らかっている雑誌の類をパラパラめくったりしています。ちなみに雑誌というのは、私が愛読している自動車関係のE誌やライフスタイル誌のP誌、あるいは家内が愛読しているファッション関係のO誌やB誌なんですが。 しかし、男性誌と女性誌、読み比べると、その違いは興味深いですなあ。 男性誌というのは、結局、その大半が「モノについての雑誌」です。そのモノは、車だったり、時計だったり、パソコンだったり、ライフスタイルだったりするのですが、男性誌はそのモノを解説し、それがいかにいいものであるかを情報として紹介するわけ。で、それを読む男は、そういう「いいモノ」に憧れ、いつかそれを入手したいと思い、それを入手したアカツキのことを想像して楽しむわけですよ。ま、単純です。 ところが女性誌は、そうじゃないですね。女性誌というのは、基本的に「モノ」についての雑誌ではなく、「自分」についての雑誌ですな。関心は常に「自分」にある。いや、もっとはっきり言うと、女性誌というのは「自分をいかに変えるか」のノウハウ集ですね。 もちろん女性誌の主な関心事である「ファッション」や「メーク」といった話題にしても、それらは結局、ファッションやメークによっていかに自分を変えるか、ということなわけですけど、それ以外でも女性誌の話題って、みんな「自分を変える」ということに収斂するような気がする。現に、今私が見ているB誌にしたって、「恋愛力のある女になるには」とか、「新しい私になるヒント」とか、そんな特集ばっかりですもん。 それにしても、「新しい私になる」って・・・なんじゃ、そりゃ? ま、結局、こういう女性誌が提案する「自分を変える法」っていうのは、別に大層なことではないんですね。たとえば、「毎日ちょっとでも日記をつけよう」とか、「電話を切る時には『バイバイ』ではなく『ありがとう』と言おう」とか、「睡眠時間を8時間とろう」とか、「和装を見直そう」とか、「自分に意見してくれる友人を作ろう」とか、せいぜいその程度のことなのであって、別に難しいことではない。とにかく、生活の中のちょっとした部分を変えることで「新しい私」になれますよ、というような提案をする。それが女性誌なんですな。 と言うと、ここで男の私は「そんなんで、新しい私になれるのか?!」とちょっと突っ込みたくなるわけですけど、そういうことを言っちゃいけないんでしょう。こういうのは「気分」を味わって楽しむものなんだから、その気分を台無しにしちゃいかん、いかん。・・・それにしても、「新しい私」になるために「自分に意見してくれる友人を作る」なんてこと、男の私には思いつきもしないですな。そんなエゴイスティックな友達の選び方って、女にしか発想できな・・・いや、そういうことも言わない方がいいのか・・・。とにかく、女性誌を見ると、女性の発想というのがどういうものか、何となく分かってくるのは確か。勉強になりますね。 それに、かく言う私も、そういう「新しい私」ごっこが結構好きだったりして・・・。気分ですよ、気分。 よーし、今日から私も「新しい私」になるべく、「お手本となるロールモデルを探し」たり、「好奇心旺盛に、新しい場所に行って」みたり、「今日の課題をこなし、未来の自分像を想像」したり、「オーガニックに凝って」みたり、「自分へのご褒美にプチ・リゾートに行ってプチ・ハッピーになって」みたりするぞ! おお! 何だか楽しくなってきた! 新しい私の誕生だ!・・・・ ・・・さ、仕事しよう、仕事。
January 11, 2006
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今日、我がマンションでは、給水設備の清掃とやらで、朝9時から午後1時まで断水がありました。 ま、これは事前に分かっていたことなので、それなりに準備はしていましたが、それにしてもたかだか4時間ほどの断水でも、結構しんどいものですなぁ。私なんぞ今日はまさにこの時間帯に起きたので、とりあえず顔も洗えなければトイレにも行けやしない。いや、行こうと思えば行けますけど、不便な思いをしながら行かなくてはならない。駄目ですなあ、現代人は。便利な生活に慣れすぎて、この程度の不便ですら我慢できないんですから。 それはさておき、今日は我が大学の(文化系学生の)卒論提出日。正午が締め切りだったのですが、私のゼミの学生たちは無事、全員提出したようです。いやー、ホッとしました。よかった、よかった! 実は、私がこれだけホッとするのには理由がありまして・・・。あれはもう数年前のことですが、私のゼミ学生の一人が30分ほど遅刻をしてしまって卒論提出が遅れ、そのために事務に受理してもらえず、半年卒業延期になったことがあるんです。そんなことがあるものですから、この日ばかりは私も結構神経を使うんですよ。 でまた、その卒論提出日当日に遅刻をした学生というのが、実に真面目な学生でね。普段だったら遅刻なんぞしそうもない、いいお嬢さんだったんです。それが、その日に限って遅刻してしまった。どうも駅までお母さんに車で送ってもらったらしいのですが、それが渋滞に巻き込まれてしまい、乗るはずだった電車に乗り遅れてしまったんですな。で、田舎のことゆえ電車の本数もなく、これが命取りになったというわけ。 しかし電車に乗り遅れた時点で、彼女がもし私に電話をしてくれていれば、私は「お金はいくらかかってもいいからタクシーに乗り、高速を使って大学に行け」と指示したと思うのです。2万、3万のお金は私が立て替えればいいのですから。しかし気の小さい、真面目な子だったがゆえに、そういうふうに頭が回らなかったんでしょうな。 で、その日の午後、事務から私のゼミ生が卒論提出できなかったということを聞かされた私は、心配になってすぐに彼女の携帯に電話をしたのですが、一向に出ない。ご自宅に電話すると、電話に出られたお母さんは、娘さんが卒業延期になったことなどご存じなかったようで、おろおろされるばかり。うーん、家にも連絡していないのか・・・。まさか、今頃、世をはかなんで・・・なんてことまで心配して、私も彼女の姿を求めてキャンパス内をうろうろ探してしまいましたよ。 ま、その後、3時間くらい経ってから彼女が私の研究室にやってきたので、私は胸をなで下ろしましたが、半年の卒業延期という事態に直面して、彼女としては心の整理をつけるのに、それだけの時間が掛かったんでしょうね。後で聞いたら、所属クラブの部室で泣いていたんだそうです。可哀想に。 その後彼女は同窓生から遅れること半年、9月に卒業を果たし、今では立派な社会人として、時々私に近況を報告してくれます。が、私は今でも、あの時、私に連絡してくれれば何とかしてやれたのになー、という後悔の念を持っているんです。ですから、毎年、私のゼミの学生が全員、提出期限内に卒論を提出したと聞くと、ホッとするわけですわ。 しかし事務に問い合わせてみると、今年、うちの科全体では4人ほど提出できなかった(しなかった)学生が出たようです。中にはこの先1年ほど留学をするので、卒論は来年、日本に帰ってきてから、なんていう確信犯的な学生もいますけど、その一方、バイトにばかり精を出して、まるで卒論に取り組まないままこの日を迎えてしまった、なんて学生もいたりして。実はついさっき、その学生の親御さんからお電話をいただき、どうしたものでしょうか、なんて相談を受けてしまったという・・・。お声の感じからするといかにも誠実で生真面目そうな方でしたけれど、こんな親御さんを泣かせる学生の気が知れませんなぁ・・・。出来の悪い子を持つと、親は大変だ。 ま、そんなこんなで、毎年、卒論提出日というのは、教員の側も何となく落ち着かない1日なのでした。
January 10, 2006
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ひゃー、冬休みも終わってしまいました・・・。やれやれ。 ところで、このブログをお読みの方は、私が相当な機械オンチであることは既にご存じと思います。が、私の父や母となると、私など比べ物にならないほどの機械オンチなので、実家にいる時は、相対的に私が一番機械に詳しいということになってしまうわけ。ですから、色々な家電製品の故障・不具合など、そういうもの一切の面倒は、私のいささか頼りない双肩にかかってくるんです。 でも、頼られるって、嬉しいもんだなぁ~。とりわけ、苦手な分野で頼られるのって、ステキ。 というわけで、今回も実家から名古屋に戻るにあたり、家中の家電製品の不具合を見て回ることにしたんですが、とりあえず困っているのは、父の書斎のエアコンの不具合とのこと。で、実際稼働してみたのですが、確かに寒い! 設定温度を30度にしているのに寒い! なんじゃ、こりゃ? こんな寒い中、我慢してたの、お父上? で、こんなの私の手に負えん! とは思ったものの、ん? ひょっとしてフィルターが汚れているのではないか? と思って蓋を開けてびっくり。もう埃がフィルターにびっしり溜まっているではないですか! これ、いつ掃除したの? って、聞くだけ野暮か。そもそもうちの両親が、エアコンの仕組みを知っているとは思えんしな。 そこで、とりあえずフィルターの埃を掃除機できれいに吸い取ってしまい、再装着してスイッチ・オン! すると・・・おお! 熱風が!! そりゃそうだ、設定温度30度だもん。ピッピッピッ。も一つピッ。ほれ、設定温度26度でも、こーんなにあったか。やったー! 機械オンチの私が、なんと大物家電相手に、直してしまったではないですか。人間、頼られると、普段以上の力を発揮できるもんですなあ。 ということで、無事エアコンを直したのを置き土産に、私は名古屋への帰路についたのでありました。今日の東名は割と空いていて、我が愛車プジョー306は、マッハ1.3くらいのスピードで巡行し、あっと言う間に名古屋に到着。途中、富士山がきれいに見えましたが、不思議なことにほとんど冠雪してませんでしたね。日本海側は大雪だというのに。 さて、それはともかく、明日からはまた勤務再開です。今日はもうお茶でも飲んで、少し早めに休むことにしましょうか。若干風邪気味でもあるのですが、何とか悪化させずに済ませたいものです。それでは、皆様、お休みなさい!
January 9, 2006
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この冬の記録的な降雪で、連日、豪雪地帯にお住まいの皆さんが一生懸命屋根の雪下ろしをなさっている映像をニュースなどで目にします。また、雪下ろしをなさっている間に屋根から落ちて、亡くなった方も随分いらっしゃるようで、お気の毒ですなあ。 しかし、この点について、私は以前から疑問がありまして。 少なくともニュースで屋根の雪下ろしの映像が流れるのを見ていると、どちらの皆さんも、一様に車輪のついてない猫車のようなものを使って、極めて素朴に屋根の雪下ろしをなさっているようですが、あれは他にやり様はないものでしょうか? 何せ今は21世紀ですよ。金さえ出せば民間人だって宇宙旅行できる時代だと言うのに・・・。 たとえば、屋根に床暖房みたいな仕掛けを取り付けておいて、降ってくる雪をどんどん溶かしてしまうとか・・・。 あるいは深夜電力か何かでお湯を沸かし、30分おきに屋根のてっぺんからお相当な温度のお湯を噴出させる仕組みにしておいて、雪を流してしまうとか・・・。 あるいは傾斜の急なトンガリ屋根にして、雪が物理的に積もれないようにするとか・・・。 あるいは、最初から30トンの雪でも40トンの雪でも耐えられるような頑丈な家を建てて、「積もりたくば積もれ!」と平然としているとか・・・。 あるいは屋根のあちこちに命綱をひっかけられるようにしておいて、せめて雪下ろし作業中に屋根から落ちて死ぬことだけは避けられるようにするとか・・・。 ・・・ま、何でもいいんですけど、何か対処のしようがあるんじゃないかと思うんですよ。だって、今年のような例はそうないとは言え、一応、毎年のことでしょう? 毎年死ぬ思いをしながら屋根に上がって雪下ろしするより、もう少し別な方法を考えれば良さそうなもんじゃないですか。どうすれば最もコストをかけずに屋根に積もった雪に対処できるか、産学共同プロジェクトで大学と企業が考えたっていいし。 とにかく、今だに人が屋根の上に上って、危険な思いをしながら、また疲労困憊しながら、その都度人力で雪下ろししているというのは、私にはどうも納得が行きませんなあ。その辺、何とかならんものなんでしょうかねぇ・・・。閑話休題。 さて、今日私は、我が家の守り本尊たる御不動様を拝みに、高幡不動に初詣に行って来ました。今日は日曜日とあって、まだまだ相当な数の初詣客で賑わっていましたよ。ま、そんな善男善女の人の波に揉まれながら、昨年一年私を守ってくれたお守り札を無事納め、新年用の厄除けの御札を買ってきたという次第。厄除けと言っても、ここは御不動様ですから、受動的に禍事を避けるというより、むしろこちらから攻めて行って悪を平伏させてしまうというところが頼もしい。どうか我が家に近づく悪という悪を蹂躙して、一年間、お守り下さいね。 そして帰りがけに、参道のすぐ近くにある洋菓子の名店「パティスリー・ド・シェフ・フジウ」に寄ってケーキを買いつつ、ここに勤めている教え子のNさんの顔も見てきました。ニコニコしながら、忙しくて風邪を引く暇もありません、なんて言ってましたけど、いつの日か自分のお店が持てるよう、今の職場で元気に頑張ってほしいものです。 ところで、仕事を頑張ると言えば、私自身の年末年始のお休みもそろそろ終わりが近づいてきました。私も明後日から仕事始め、よって明日は名古屋に戻らなければなりません。高幡不動のお守りと共に、事故のないよう帰るつもりです。それでは、明日からはまた名古屋からの「お気楽日記」となります。ひとつよろしくお願いします。
January 8, 2006
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今日は午後から新宿・京王デパートで開催中の古書市に行って来ました。全国から30店くらいの古書店が一堂に会するこの古書市、このところ私の冬の楽しみになっているんです。 昨年は年末にやっていたこの古書市ですが、今年は年明けの開催。昨年は大晦日の雪の日に行ったせいか、ガラガラで活気がなかったのですけど、今年はすごい盛況でした。ま、今日は週末ということもあるのでしょうけどね。 で、会場入りして2、3の店を軽く覗いたところで、ピーンときましたね。「今日は、いいぞ!」という感じです。古本がお好きな方なら、誰しもこういう勘は働くものですが、なんか、今日はいい感じなんですよ。まだ一冊もお目当ての本を見出さずとも、今日は収穫がありそうだ、というのが何となくわかるんです。古本の神様が、今日は私のそばにいてくれたのでしょう。 そんないい感じを抱きながら棚に目を晒していくと、お! 『ヘンリー・ミラーのラブレター』(江森陽弘著・講談社) があるじゃないですか。これはアメリカの文豪・ミラーが日本人の恋人ホキ徳田に送った300通のラブレターを翻訳・編集したものですが、前から探していたんです。3000円と、ちょっと高いですけど、古本の神様へのお供えとしてまずは確保しておきましょう。 で、この「お供え」の本を手にさらに見ていくと、さすが霊験あらたか、杉浦明平さんの『小説・渡辺崋山』文庫版8冊揃えが1600円で出ているじゃないですか。これは崋山ファンの父に買って行ってあげましょう。ん? こちらの棚には古い文庫版の句集・歌集が並んでいますけど、山本健吉編の角川文庫版『石田波郷句集』が300円で売っていますね。これも波郷ファンの父向けだな。買っておきましょう。 それから・・・おっと、ここには古いアメリカのペーパーバックが山積みではないですか! これは私の専門分野なので、あるだけのものを全部ひっくり返して見て、文化財保護の必要のある数冊をピックアップ。特に、60年代に出たペーパーバック版文芸誌『discovery』の第6号を発見出来たのが嬉しいところです。 それから、歌舞伎の本を沢山扱っている古書店のブースでつらつら眺めていると、なんと堀川寛一著『芝居手帳』(上毛新聞社)を発見! これはめったに見かけない名著ですぞ。なーんて、実は堀川寛一というのは私の祖父なのですが。御祖父様、またお目にかかりましたね。1800円支払って、ご一緒にお家に帰りましょう。 そしてもうそろそろ目ぼしいものは浚ったかというところで、またまたヘンリー・ミラーの『モロク』(山形浩生訳・大栄出版)を発見。600円でしたから、こいつも買っておきますか。今日はミラーの日ですね。『描く事は、再び愛すること』の程度のいい本も見かけましたし。 というわけで、2時間半ほど夢中で楽しませてもらいましたけど、収穫もあったし、なかなか良い古本ハンティングの半日となりました。昨年のこの古書市より、いいものが出ていたような感じですなあ。満足、満足。 それにしても、今年の私の「古本運」は絶好調らしい。この先、どんな本に出会えるのか、楽しみです。今年も、いい本を掘り出すぞ!!
January 7, 2006
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今日は両親を連れて神奈川県三浦半島の突端、城ヶ島にドライブに行ってきました。 このところ毎年、この時期に一度両親を連れて近場にドライブに行くのがならいになってきて、一昨年は湯河原、昨年は沼津と、海の近くの町を尋ねているのですが、その流れで今年は三崎・城ヶ島というわけ。城ヶ島と言えば「雨はふるふる、城ヶ島の磯に」という、例の北原白秋の歌で有名ですけど、その白秋の歌碑も城ヶ島のどこかにあるらしいので、最近、この種の文学碑を写真に撮ることに夢中の父にはうってつけかな、と。また、俳句の結社に属している母も、海辺のドライブは句材を得るのに恰好のものですからね。 で、昨日の夜、「明日は城ヶ島でもドライブしますか」と提案すると、父も母も大いに喜んで、じゃあ今日は早く寝て明日に備えよう、ということになったのですが、その時、我が母は「でもそんなに早く寝ても、明日はドライブだと思うと(わくわくして)眠れないよ」などとおっしゃる。おお、母上様、そんなに可愛いことをおっしゃるか。それなら、もっと、いくらでもドライブにお連れしますものを・・・。 とにかく、そんな感じで今日は朝も早くから起き出して出発の支度をしていたのですが、今日もまた生憎の曇り空で、寒い、寒い。こんなシケた天気の日に城ヶ島までドライブだなんて酔狂も酔狂、相当なものですが、しかし一度決めたからには決行あるのみの我が家。予定通り9時半には出発です。 ちなみに、さしもドライブ好きの私も、三浦半島へはあまり行ったことがなく、道もあまりよく分かっていません。とりあえず港北インターから第三京浜に乗り、そこから横浜新道・横浜横須賀道路・三浦半島縦貫道と乗り継いで、とりあえず三浦半島の先の方までは何とか迷いもせず到着。で、このまま26号線で三崎まで行けばいいわけですが、実は今日はそこへ行く前に寄り道するところがあったんです。私の小学校時代からの友人がこのあたりで陶芸の窯を開いているもので、そこへちょっと顔を出していくつもりだったんですな。 で、その友人の名は「井上恵介」といいます。彼のことをこう言って紹介するのは、ひょっとすると本人が嫌がるかも知れませんが、分かり易く言いますと、俳優の井上孝雄さん(故人)・馬渕晴子さんご夫妻のご子息なんですな。また彼の奥さんの井上佳由里さんもやはり陶芸家で、夫婦してこの三崎に移り住み、窯を構えてかれこれ15年。恵介君の方は大胆で力強い作品を、奥さんの佳由里さんの方は繊細で、線のかっちりした作品を、この地で作り続けています。もちろんオブジェ的なものも作りますが、基本的には実用的な食器が多いかな? 我が家でもこれまで皿や茶碗や花瓶など何点か彼らの作品を買いましたが、どれも頻繁に使って重宝しています。 で、今日は彼らの陶房である「小網代陶房」(HPもありますので、興味のある方はこの名前で検索してみて下さい) を何の前触れもなく訪れたわけですが、幸い恵介君の方が居て、私たちを歓迎してくれました。彼と直接会うのは数年ぶりですけど、ぜんぜん変わっていなかった。何せ美男美女の俳優夫妻の息子だけに、彼もまたハンサムですからね。 早速ギャラリーの方で作品を見せてもらうと、大皿、小皿、酒器、湯飲み、壺、香炉など、どれも使いでの良さそうな陶器が並んでいます。うーむ、悩むなぁ。 悩んでいる中で、目に止まったのは薄翠色の大皿。飾りに近くの畑でとれたという唐辛子の房がちょこんと置いてあるのですが、唐辛子の赤と大皿の翠色がよく合って、なかなか絵になる風情です。よし、これに決めた! で、私が買おうすると、横から母が割って入り、押し問答の末、この皿は父と母からのプレゼントということになってしまいました。ま、ここは両親の顔を立てて、有り難く頂戴することにしますか。 ギャラリーを見たついでに、恵介君に案内され、実際に作品を作っている工房や窯も見せてもらいましたが、人の仕事場、とりわけ芸術家の仕事場を覗けるのはなかなか面白いものです。どんなにステキな仕事場なんだろうと思っていると、案外殺風景な作業場みたいだったりして、こういうところからギャラリーに飾ってあるような華のある作品が生まれると思うと、何だか不思議な気がします。ちなみに、彼が私たちが訪問するまで作っていたのは、家の表札でした。最近はこういう表札や、洗面所で使う「手洗い鉢」などの注文も多いのだとか。 ま、そんな感じで久しぶりに友人・井上恵介の顔を見ることができ、また気に入った作品も一つ購入できてすっかり満足した我ら親子は、ここで小網代陶房を辞し、いよいよ城ヶ島の対岸の町、三崎へ。 三崎の町でまず我々が目指したのは、「紀の代」というお寿司屋さんです。明治時代に創業した老舗であると聞き、一遍試してやろうというわけ。何せ三崎はマグロの漁港として有名ですから、期待も高まります。で、実際食べてみたわけですが・・・んー、まあまあというところですかね。決してまずくはない。が、値段相応の味、というところですな。私としては、今日はマグロよりも鯵や平目といった地魚がおいしかったです。 さて、腹ごしらえをしたところで、次に向かったのは今日の最終目的地である城ヶ島。三崎から城ヶ島へは「城ヶ島大橋」を渡るだけですから、もうあっと言う間に着いてしまう。で、その大橋を渡り切ったところにあるのが、白秋の「雨はふるふる」の歌碑。 ところが、この歌碑というのが、およそ風情のかけらもないところに突っ立っているんですなあ、これが・・・。とりわけ今は、ちょうど大橋の補強工事をしている最中ということもあり、大型の起重機やらトラックやらに囲まれ、工事用のフェンスにもたれかかるように歌碑が立っているんです。まーったく趣も何もあったもんじゃない。これはちょっと残念でしたね。 でまた、この歌碑の近くに「白秋記念館」というのがあるのですが、これがまた渋過ぎ。一応、コンクリ製の建物ですが、なんか「海の家」みたいな感じでなーんもない。白秋関連の年表がちょい、短冊がちょい、本がちょいちょいとあるだけで、後はどうでもいいような展示ばかり。こーんな寂しい文学記念館って初めて・・・。ま、無料だったのと、事務の方が親切だったので救われましたが、そうでなかったらどもならんシロモノです。白秋ほどの人なら、また別のところに本格的な記念館があるのでしょうけれどね。 ま、そうは言っても、この記念館を尋ねたことで、私は一つ言葉を覚えました。例の「雨はふるふる城ヶ島の磯に」の歌、ここまでは誰でも知ってますよね。でもその次、「利休鼠の雨がふる」と言う歌詞が続くのですが、そこまで皆さん覚えていらっしゃいます? 私はそれすらも知らなかったですけど、さらにこの「利休鼠」というのが分からない。で、聞いてみたら、これは色の形容で、「千利休好みの青みがかった灰色」という意味なんですってね。初めて知りました。今度どこかで使って、人を煙に巻いてやろうっと。 さて、この渋い白秋記念館を引き揚げてから、次に我々が向かったのは県立城ヶ島公園。ここは1月に水仙の花が咲き乱れるので有名だそうで、そいつを一つ見てやろうというわけです。で、県営の駐車場に440円という中途半端な駐車料を支払ってから、「水仙見るのには、ここに車止めればいいんですよね?」と係の人に尋ねると、「いやー、今年は花の時期が遅れてまして、見頃になるのは月の終りですかね」ですと・・・。そんなの、お金払う前に言ってくれよ! でももう払っちゃったので、とりあえずはここに車を止め、水仙を見に行きました。でも、たしかに見頃はまだ大分先、という感じでしたね。その意味では来た甲斐がなかったんですけど、しかし公園内の各所に設けられた展望台から見る海の景色はさすがに素晴らしかった! この寒さですから、観光客なんてまばらでしたけど、雲間から降り注ぐ太陽を浴びた冬の海の光景は、なかなかのもんでしたよ。またこの駐車場から歩いて15分ほどのところにある天然記念物のウミウの棲息地や、「馬の背の洞門」という海の浸食が作り上げた奇岩など、それなりに見どころもありました。これは良かったです。そこまで歩いていく間が寒かったですけどね! さて島の東側を堪能した我々は、次に城ヶ島の灯台を見に、島の西側へ移動。こちらはいかにも海辺の観光地という感じで、土産物屋や食堂などが軒を連ねていました。・・・が、これがまたやたらにしょぼいんですわ(失礼!)。それこそ貝殻とか干物とかを売ってるような昭和40年代っぽい場末の土産屋が並んでいて、しかも数少ない観光客が通り掛かると、いきなり店の中から「買ってってー」と声をかけてくるような感じの店ばかり。また肝心の灯台も、またその周辺も、あまり魅力のあるもんでもなかったなあ・・・。灯台は、日本で2番目に古い洋式灯台ということでしたが、ま、それだけのことですね。中にも入れないし。 ということで、寒いことも寒いし、この辺で三崎・城ヶ島は堪能したということにしようと衆議一決、我ら親子はかくして今回の小旅行を終えることにしたのでした。帰り道は三浦半島縦貫道・横浜横須賀道路・保土ヶ谷バイパス・東名(青葉)と乗り継ぎましたが、こちらのルートの方が、行きにとったルートより早かった。 今回のドライブは、お昼の寿司といい、白秋の歌碑・記念館といい、水仙が見られなかったことといい、灯台が大したことなかったことといい、全体的に少しずつ期待外れなところがありましたが、しかし、これも実際に経験してみないと分からないことばかりですからね。それに海の景色は堪能できたし、また旧友に会って、気に入った彼の作品を買うこともできたわけだから、まあよしとしましょうか。 さて、今年は三崎・城ヶ島でしたけど、来年の新春ドライブはどうしますかね。一つの案は、茅ヶ崎に行って開高健記念館を見る、というものなんですけど、どうかな? もし、既に行ったことがあるという方、いらっしゃいましたら、周辺の見どころなども含めご教示下さい。 しっかし、それにしても今日は寒かった。やっぱりドライブっちゅーもんは、もう少し暖かくなってからするもんですな。は、は、は、はーっくしょん!
January 6, 2006
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指導ゼミ学生の卒論提出締め切りは1月の10日。しかし、どうやらゼミ生たちは明日中の提出を目論んでいるらしい。ま、締め切り当日に提出するのは不安なのでしょう。どこの大学もそうだろうと思いますが、卒論の締め切りというのは案外厳格なもので、正午提出のところ、5分遅れても受け付け拒否、すなわち卒業延期となります。・・・だもので、今日の午後までにほぼ全員が卒論最終稿を完成させてきました。本年度の卒論指導はこれにて終了ー。やれやれ、疲れたわい。 ということで、夕方から思いがけずもちょいと暇になってしまいました。で、何か本でも読もうかと思ったものの、連日の論文疲れで、硬いものは読みたくないという気もする。ああ、このタイミングであの本が読めればなあー。 「あの本」というのは、青柳瑞穂の『ささやかな日本発掘』(講談社文芸文庫)なんですけどね。 青柳瑞穂というと、私にはフランスの作家・モーパッサンの翻訳者というイメージがあるのですが、たしか早稲田かどこかの大学の仏文の先生で、モーパッサンの他にルソーだの、アベ・プレヴォーだのの翻訳も手がけているはず。大学の先生とはいいながら、私なんかとは大いに異なる無頼派、火宅の人だったと聞いたことがあります。 『ささやかな日本発掘』というのは、その青柳さんの書かれたエッセイで、内容は「骨董」にまつわるもの。何だか怪しげな露天で買った皿が乾山の作だったとか、そんな感じで、骨董の目利きとして有名だった青柳さんが数々の名品を掘り出した時のことを綴ってあるらしいんです。ね、面白そうじゃないですか。しかも、この本は読売文学賞を受賞したといいますから、文章そのものも良さそうです。 この本、少し前にある人から薦められて、ちょっと前から書店に行く度に探しているのですが、なかなか見当たらない。で、今日も私の父が大きな書店に行くと言っていたので、ついでに探してきて下さいと頼んでおいたのですが、やはり見当たらなかったとのこと。今日みたいに、思わぬ暇ができたとき、骨董にまつわる名エッセイが読めれば、良かったんですけどねぇ・・・。 もっとも、どこを探してもないはずですわ。先程インターネットで調べてみたら、絶版なんですと。やれやれ、私の読みたいと思う本はたいてい絶版ですなあ。しかし情けないですぞ、講談社。「文芸文庫」と銘打って、普通の文庫よりもよほど高い値段の文庫を創刊した以上、一度出した本を簡単に絶版にしてはいかんではないですか。弱小出版社ならともかく、日本を代表する大出版社がこんなことで、どうするんですか。 それにしても、私が読みたいと思う本って、どうしてこう絶版になるんでしょう。私が読みたいと思わない本なら巷に溢れているのに。ほんと、私が読みたい本だけ、まさにそれだけが、次々と市場から消えていくという実感があります。まるで、嫌がらせでもされているみたい。まったく、わけ分からん! ま、しかし、そんなことを言っていても仕方がないので、実家の書棚をごそごそ探すと、(またかと言われそうですが)林望さんのエッセイで『書藪巡歴』(新潮文庫)が目につきました。お、こんなものがここにあった、こいつでも読むかと思って、これを再読したら、これが結構面白かった。若き日、書誌学の勉強に打ち込んでいた日々のことやら、そこで出会った魅力的な先生たちの話、そして慶應義塾附属の研究所・斯道文庫の研究員になりたかったのに、ついになれなかった話など、学者の卵が誰しも少なからず経験することどもについて、上手に書いてある本なんでけど、うーん、さすが、ちょっと前のリンボウ先生のエッセイは内容充実していて面白い! 今日みたいに仕事が案外早く片づいて、思いがけず暇になった時に読む本としては、うってつけでしたね。 というわけで、今日は読む本にこと欠いたおかげで林望さんのエッセイを再読することが出来、なかなか楽しいひとときを過ごすことが出来たのでした。それにしても、青柳瑞穂さんの本、絶版になる前に読みたかったなあ・・・。
January 5, 2006
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今日は家内を実家に送り出すため、新横浜まで行きました。 長い休みの時はいつもこのパターンなのですが、最初私の東京の実家に来て何日か過ごし、その後、家内だけ一足先に新幹線で名古屋の実家に戻るんです。ですから、今日からしばらくはそれぞれ実家で水入らず、というわけ。 ところで私の実家から新横浜に出るには、町田駅を通過することになります。ですから、町田のデパートで家内の実家への御年賀の品などを買いつつ、喫茶店によって休憩するのがならいなんですが、今日は穴場中の穴場、小田急デパート6階にある「紅茶の国から」という喫茶店に入りました。ここは日東紅茶が経営する喫茶店だけに紅茶がおいしい希有な喫茶店で、今日は私がニルギリ種、家内が中国系のキーマン種の紅茶をとり、付け合わせにスコーンをとリました。紅茶はどちらも軽く2杯半は飲めるポット入りで、味も上々、特にキーマン茶がおいしかった! しかし、残念ながらスコーンの方はいま一つ。スコーンなんだから、本来クロッテッド・クリームを添えるべきですが、それがないならマスカルポーネ・チーズでも添えればいいものを、ホイップした生クリームなんか添えてある。スコーン自体も、まるで厚焼きのクッキーみたいで、こいつはちょいと失敗でしたね。ケーキにすればよかった。 ま、とにかく紅茶だけは堪能した後、横浜線で新横浜に出て、そこで家内を見送ったのですが、午後4時台の新幹線は自由席も指定席も満席で、2、3本見送った後、結局、家内はこだまに乗ることに。しかし、こだまって名古屋まで行くにも時間が掛かるんだよなぁ・・・。可哀相に・・・。 さて、家内を見送ってしまった後、私は私の実家に戻るわけですが、その途中の楽しみはと言えば、古本漁りです。と言うのも、町田には知る人ぞ知る大型古書店の「高原書店」というのがあるのです。インターネットで古本を買う人なら、お馴染みなのではないでしょうか。ここは町田にお店があるのですが、確か四国のどこかに大きな倉庫を持っていて、インターネットで高原書店から本を買うと、そちらの倉庫から本を送ってくる。とにかく古書店としては相当な品揃えです。 残念ながら、今日は新年早々のせいか6時に閉店ということで、実質本の品定めが出来たのは30分くらいなものでしたが、それでも1冊、前から探していた本を買うことが出来ました。アメリカの作家ヘンリー・ミラーの水彩画展の図録です。 私はヘンリー・ミラーの水彩画がとても好きなもので、彼の水彩画に関するものであれば、画集であろうが、展覧会の図録であろうが、はたまた絵画論的なエッセイであろうが、すべてコレクションすることにしています。で、この場合一番集めにくいのは、もちろん展覧会の図録です。ミラーは日本で何回か水彩画展をやっているので、存在する図録も何種類かありますが、今日買ったのは、1987年の夏に町田の国際版画美術館で行なった時のもの。当時、国際版画美術館の館長は久保貞次郎氏で、彼はミラーの水彩画のコレクターでもありますから、そんな縁もあってこの展覧会が開かれたのかも知れません。いずれにせよ、私はこの展覧会については知っていたものの、まだその図録を手に入れていなかったもので、今日は大いに収穫ありというところ。ちなみに値段は1500円、それを1割まけてくれて1350円なり。値段も納得です。 ちなみに、私がまだ入手していないのは、日本で初めてヘンリー・ミラーの水彩画が紹介されたブリヂストン美術館での展覧会(1955年)の時の図録。何しろ今から50年前のものですから、これはそうそう手に入るものではないので、長期戦で探すつもりです。 さて、それはともかく、家に帰ってからあらためて今日の戦利品を眺めていたら、ページに挟まっていた展覧会の入場券の半券がはらりと落ちてきました。こういう、前の所有者の痕跡が出てくるのも、古本を買う楽しみの一つですなぁ。ちなみに半券には同時展示だった畦地梅太郎氏の版画展の入場券もくっついていました。ということは、この図録を最初に買った人は、ヘンリー・ミラーの展覧会だけ見て、畦地梅太郎氏の展覧会の方にはどうやら関心がなかったらしい・・・。しかし、それは残念なことで、畦地さんの展覧会もきっと面白かったはず。生前の畦地さんは町田市の住人、たしか鶴川あたりに住んでいた人ですが、山や、山に生きる人の可愛い版画を数多くものした方で、私も浅間山を描いた畦地さんの作品を一枚持っています。 というわけで、今日は新年早々、前から探していた本を入手することが出来、今年の「古本運」は上々という気がして、何だか嬉しい一日となったのでした。
January 4, 2006
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今日は三日、正月三が日の最終日ということですが、私は朝からゼミ生からメールで送られてくる卒論原稿と格闘していました。卒論提出期限まであと1週間、皆必死です。 しかし、この時期になると書く方も大分論文の書き方に慣れてきますし、添削する私の方も直し方が堂に入ってくるんです。ですから、卒論原稿は次から次へと届くのですが、それを千切っては投げ、千切っては投げ、という感じで、添削していく方のスピードもどんどん上がっていきます。今日はもう三人分くらいの論文を仕上げまで持っていくことができました。上出来、上出来。 で、先程も言ったように、この時期になるとゼミ生たちの論文も、それなりに様になってくるので、ああ、指導した甲斐があったなぁ、という感慨があるのですけど、それでも私にはどうにも指導のしようがないことが一つだけあります。それは「御礼」ということです。 残念なことに、毎年、数名のゼミ生を預かると、彼らは大体半々くらいに分かれます。つまり、「御礼を言う子」と「言わない子」に分かれるのです。 「御礼を言う子」の方は、私が論文の原稿を添削して返信してやると、すぐに「ご指導、有り難うございました。自分の論文が見違えるように良くなりました」などと可愛いことを言ってくる。一方、「言わない子」になると、私の返信に対しては「うん」でもなければ「すん」でもなく、ただしばらくして「第2章が書き終わりました。添削お願いします」などと次の添削依頼をしてくるだけ・・・。 もちろん、御礼を言ってくる子と言わない子で、私が指導の内容を意識的に変えるわけではありません。しかし私も人間ですから、可愛い御礼を言ってくる学生に対して好感情を抱く一方、何も言わずに頼んでくるばっかりの学生には、「やれやれ」という思いを抱くことは事実です。「馬鹿な奴」とも思います。「親の顔が見たい」とも、ちょっと思うかな・・・。 私は、学生とは言え、二十歳を越えた人間が御礼の一つも言えないのはおかしいと思います。しかし、こういうことは彼らだけの責任でもなく、その親の責任でもあるのでしょう。人に世話になったら、御礼というのはするものだということを、その学生が青年に達するまでのどこかの時点で親が教えなかったのでしょうから、その意味では親も悪い。 しかしひょっとすると、親が悪いばかりでなく、今の日本の社会も悪いのではないか知らん・・・。いや、私がそう思うのは、私と家内の間ですら、この点に関して若干の意見の相違があるからです。 いつのことだったか、恩師やお世話になった方々にお歳暮を送った後、私がぽつりと「俺は人にお歳暮を贈るばっかりで、ちっとも贈られることがないのはどういうわけだ。俺だって随分人の子の面倒を見ているはずなのに・・・」とぼやいたんですな。すると家内は私を叱って、そういう考えは良くない、大体国公立の教員にお歳暮を贈るのは賄賂のようになってしまうではないか、とのたもうわけ。 正論です。それは家内の言うことが正しい。私立育ちの私と違って、大学まで国公立で通した家内は、小さい頃から「教員への贈り物は御法度」という厳格な社会的ルールの中で育ってきたわけですから、そういうふうに考えるのも当然なのでしょう。 しかし・・・。しかし、私のぼやきは、現代の社会規範から見て間違ってはいるけれど、やはりもっともなことなのだと思うのです。国公立の教員に金品を贈るのはよろしくないかも知れないけれど、しかし、何かモノを贈る以外にも御礼の仕方というものがあるはずです。また贈られる私の方だって、もし受け取るべきでないものを贈られたら当然送り主にお返しします。しかし、その心と、送ってくれたという行為そのものは、有り難く受け取ります。世話になったら何らかの御礼はするものなのであって、御礼をする気持ちやその行為を、「賄賂」と同義の、何か後ろめたいことのように位置づけてしまったら、それこそ(高倉)健さんじゃないですけど、「右も左も、真っ暗闇」なんじゃないでしょうか。 ・・・と、そう思っている私ですが、それでもやはり学生たちに「おい、指導してやったんだから、俺に『有り難うございました』と言え」とまでは、自分からは言えないよなぁ・・・。 ここ数年、卒業式が近づく頃になると、学生たちから「先生、謝恩会っていうのは、いつ、どこでやるんですか? どこにも掲示がないので、どうするんだろうって皆、困っているんですけど」などと質問されたりする度に、こいつらに「謝恩」って言葉の意味を、一体誰が教えればいいのだろうか、と思うワタクシなのでした。 仰げば尊し、我が師の恩、かぁ・・・。
January 3, 2006
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このところ毎年正月二日は、小学校時代からの旧友たちとの新年会と決まっています。ということで、今日もいつものメンバーで集まり、某ホテルのレストランでシャンパンつきの昼餐と洒落た次第。ま、今日は一人面子が揃いませんでしたが、これは彼が昨年の秋にご母堂様を亡くされたので、新年会に誘うのを躊躇ったからなんですな。 ちなみに、今日集ったメンバー三人が一同に揃うのは、昨年のゴールデン・ウィーク以来ということになりますが、何せ30年越しの友達ですから、挨拶なんぞは「よう」「おう」の一言で済んでしまいます。 とはいえ実際に会うのは久しぶりですから、色々話を聞いてみるとそれぞれにニュースがある。たとえばメンバーの一人はこの冬、中三と小六の二人の受験生を抱えて大騒ぎだったりしますし、そうかと思うと、もう一人のメンバーは独り者の気楽さで、もうすぐ大型バイクの免許の最終試験を受ける予定だったりする。こいつなぞは大型バイクだけでは飽き足らないのか、今年は一級船舶の資格も取るつもりだ、などとほざいていますから、こういう連中の中に立ち混ざると私なんぞあんまりニュースがない方で、近況報告と言っても「ぼちぼちですなぁ」の一言で終わってしまうという・・・。 ところで、今日はたまたまこの大型バイク野郎が、昨年末、昔のクラスメート数人と偶然会ったということから、そういう連中が今、何をしているのか、というような噂が随分出ました。 それによるとある同級生は、大学卒業後、結婚もせずにあくせく働いたおかげで、現在は年収1300万の地位に就き、貯金が7000万円もあるらしい、とか・・・。また別な同級生は、テレビ業界でプロデューサーとして働いていて、その業界の影響からかすっかり自信家になってしまい、「俺はスターだ」という妙な勘違い的確信の下、近々2度目の結婚をするらしい、とか・・・。またある同級生は、昔口数の少ない、目立たない女の子だったのに、今ではすごく口達者な、かしましい女になってしまったらしい、とか・・・。あるいは、サッカーで有名な学校の附属小学校の先生になった奴は、「先刻まで、サッカーの指導やってたんだ」というのが口癖で、クラス会に出席する時も、友人の結婚式の二次会に出席する時も、真っ赤なTシャツ&短パン姿で登場するらしい、とか・・・。 なんか、魑魅魍魎跋扈する世界みたいですなぁ・・・。 もちろん、そんな昔の同級生たちの近況を聞いていると、確かに面白くはあるわけですよ。へえー、あいつがねえ・・・、というような感慨に思いっきり浸れますからね。 しかし、じゃあ、そういう昔の仲間たちと会いたいか、と言われると、うーん、ちょっと複雑ですなあ。会いたいような、会いたくないような・・・。 いや、もちろん会えば楽しいと思いますけど、でも私のこれまでの経験から言うと、久しぶりに子供の頃の同級生に会うと、それが男であろうと女であろうと、幻滅するケースが多いですからね。向こうだって、私に対して幻滅するところはあるでしょうし。やっぱり昔の同級生というのは、遠きにありて思うもので、普段付き合っている友人、今現在の友人というのが、今の私にとっての友人なんだと、そんなふうに私は思っているんです。ですから、私は「クラス会」なるものにほとんど興味がない。誘われても、めったなことでは行きません。 逆に、何かの偶然で、昔の同級生と久しぶりに出会って、その人の印象が子供時代とほとんど変わらなかったりすると、とても嬉しくなってしまうのですが。 もう故人になりましたが、アメリカのユダヤ人作家で、アイザック・B・シンガーという人がいます。1978年にノーベル文学賞をとった人なんですけど、この人の書いた小説に『ショーシャ』というのがある。この小説の主人公の青年は、まあ、本人としてはプレイボーイを気取るつもりはさらさらないのだけど、妙に惚れっぽいところがあって、一度に何人もの女に惚れては色々トラブルに巻き込まれたりするわけ。ところが、ある時たまたま昔住んでいたアパートを訪れることがあり、そこで子供の頃好きだった近所の女の子・ショーシャにばったり出会うんです。それでこのショーシャというのが若干の障害を抱えた子で、大人の年齢になってもまるで子供のまま、見た目も頭脳も彼が好きだった頃の無垢な少女のままなんですな。で、主人公の青年は、ショーシャとの衝撃的な再会を機に、自分がこの娘の面倒を見るしかない、という天啓を得る。・・・とはいえ、何と言ってもこの小説の舞台はナチス・ドイツ侵攻前夜のポーランドですから、ユダヤ人の彼としては、自分では何もできず、足手まといになることが分かりきっているような少女と結婚するのは狂気の沙汰なんですね。しかし、それでも彼は敢えてショーシャと結婚し、そして二人して激動のポーランドからアメリカへの脱出を試みる。果たして二人の行方に待ち受ける運命は・・・、とまぁ、そんな感じの小説です。 この小説なんぞ、「子供の頃の同級生」ってものをよく捉えているファンタジーだと思いますね。 ま、それはともかく、少なくとも私は自分から求めて子供の頃の同級生に会おうとは思いませんなあ。この先、心境の変化があるかも知れませんが、今はそうは思いません。親友同士の新年会の中で、ちょいと噂を小耳に挟んで、「へえー、あいつがねー」なんて思うだけで十分ですわ。 ま、だからどうした、ということでもないのですけど、そんなことをつらつら考えた今日の新年会でありました。今日も、いい日だ。
January 2, 2006
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正月元旦、今年初めて配達された新聞(某大新聞)の一面を見てびっくり。 「政府与党、幼稚園の義務教育化を検討中」・・・。 正月早々、何が哀しくてこういう馬鹿馬鹿しい話題に触れなくてはならないのか、私は理解に苦しみます。 ま、義務教育化のメリットとしては「小学校に入る段階で、既に学力差がついている状況を防ぐ」ということ、および「公立幼稚園の無償化」ということがあるそうで、フランスなど欧米各国でも義務教育11年制(幼稚園2年+小中学校9年)が定着している、ということも記事には書き添えててありました。 しかし、そんな瑣末なメリットがどうのこうのと言うより前に、子供というのは基本的に親が躾け、親が教育すべきものです。それをどうして他人に任せるようなことを助長する政策を、政府与党はわざわざ採ろうとするのか・・・。 私の教え子で、中学校の先生になったり、塾の先生になったのは沢山いますが、彼らがしばしば不満を漏らすのは、親があまりに多くのことを学校に任せ過ぎるということです。 たとえば「先生、うちの子が悪いことをしでかしたら、遠慮せず、ぜひ殴ってやって下さい」などと言ってくる親がいるという。そういう、一見「物分かりの良さそうな親御さんたち」に対し、「そんなこと言ってる間に、お前が自分の子を殴れ」と言いたくなる、と私の教え子たちは口を揃えて言います。そりゃ、そうでしょう。学校はもともと様々な教科を教えるだけの場所であって、基本的な礼儀作法だとか、人間としての人格形成だとか、そういうものは親が責任を持つべきもんです。それをやらないから、いずれ「他人任せ」で大きくなった子供から手痛いしっぺ返しを食うことになるんですよ。 それに大体、幼稚園の教育がなんぼのもんですか。私も一応は通いましたが、お絵描きだ、お遊戯だなんて馬鹿馬鹿しくてやってられなかった。ましてや「お昼寝の時間」なんぞ、あんまり馬鹿馬鹿しくて涙が出たもんです。私はむしろ、幼稚園なんぞ通わなくてもいい、という風習が日本に育てばいいのにと思っているぐらいですわ。 幼稚園義務教育化にケチをつけるついでに言わせていただけば、私は日本の高校進学率99%というのもおかしな話だと思っています。99%ですよ。これでは実質、高校までが義務教育ではないですか。本当なら高校進学率なんて50%くらいでいい。あとは社会に出して働かすか、あるいは専門学校に通わせればいいんです。現在、日本の高校で生じている問題のほとんどは、本来高校に進学するには向いていない生徒が高校生になっていることから生じているんです。同じことは大学にも言えるので、現在の大学進学率50%は多過ぎます。本来20%くらいに抑えるべきもんです。私は日々、大学生の実態を見ていますから分かりますが、在籍している学生の6割くらいは、大学に来る必要もなければ、それだけの学力もない連中と言っていい。 ですから、もし日本の教育を改革したいなら、幼稚園の不必要化、高校・大学進学率の抑制、専門学校の公立化、中卒者の就職支援こそ、断固進めるべきもんです。新春早々、怒りのブログで申し訳ないですけど、日本の教育改革は、政府与党ではなく、私・釈迦楽に聞け! と声を大にして言いたい!! ・・・あ、さて。これだけ威勢よく言いたいことを言った最後にこういうのも何ですが・・・ 明けまして、おめでとうございます! 本年も、どうぞよろしくお願い申し上げまするーー。今年も釈迦楽節を、威勢よくぶち上げますので、乞うご期待ですよー!
January 1, 2006
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