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昨日、パソコンを2台一遍に新調していささかハイになっていた私なんですが、一夜明けてみて、ちょっと失敗したかなと思うことが無きにしもあらず・・・。 一つはね、ディスプレイの大きさです。HP社の一体型パソコン、スペックはものすごくて、性能自体に文句はないのですが、23インチのディスプレイは大きすぎました。あまり大きいので、画面に表示された情報を一度にパッと見ることができないんですよね。やっぱりモノには限度があるというか、パソコンのディスプレイって大きければ大きいほどいい、というものでもないですな。このハイスペックモデルではなく、もう一つ下の、適当な大きさのディスプレイがついたモデルを買えば良かったかなと、ちょっと反省。 一方、マックの方も、確かにすっごく面白いのですが、マックから離れていた時期が長かったせいか、戸惑うところも少々。 特にキーボードの配列がウィンドウズ・マシンと違うので、時々指が正しいキーを探してキーボードの上をさまよってしまったりするわけですよ。あと、「コマンドボタン」と「オプションボタン」と「シフトボタン」と「コントロールボタン」の機能の差が何だったか思い出せなくて、えーっと、セーブするのはどのボタンと「S」を一緒に押すんだったっけな、などと迷ってしまう。ま、これも慣れの問題だとは思いますが。 しかし、それはそれとして、やっぱりマックの世界って、ウィンドウズとは全然違うなということを改めて実感することも。 例えば、マックの世界って、面白いフリーソフトが沢山あるじゃないですか。ま、iPhone などに親しんでいる人たちは言われなくとも知っていると思いますが。 で、私も早速、色々探したり試したりしているのですが、今日、一つ面白いフリーソフトを見つけました。「OmmWriter」というマック用のワープロソフトです。 このワープロソフト、何がすごいかというと、最初の表示画面がすごい。ウィンドウズマシンのワープロソフトですと、文字を書くのって、基本、白紙(状の画面)の上に書きますよね。ところがね、OmmWriterの場合、なんと、文字を書く画面が美しい雪景色なんですよ。で、ユーザーは、その雪景色の上に文字を書いていくわけ。これがね、何とも言えず気持ちいいの。でまた、タイピングする時に音が出るようになっていて、その音がすごく心地よい。 しかも、書いている最中、癒し系のBGMが流れるんですけど、これがまたすごくいいんですなあ。 ワープロとしては、多機能なわけでもなく、ただ文章を書くことだけしか出来ないのですけど、「あれもできる、これもできる」というワープロにするのではなく、ただひたすら文章を書くこと自体を楽しいものに変えてしまうようなワープロにしようという発想、これはウィンドウズ系の発想じゃありません。明らかにマックの、マックの愛用者たちの発想なんだなあ。 というわけで、私、このワープロにかなりはまってしまいました。実はこの文章もOmmWriter で書いていたのですけどね。 OmmWriter はフリー・ヴァージョンと、600円くらい支払えば手に入る有料ヴァージョンがあります。マック・ユーザーで興味のある方は、私と同様、まずはフリーソフトの方から試してみてはいかがでしょうか。マック用ワープロソフト、OmmWriter、教授の熱烈おすすめ!です。これこれ! ↓OmmWriter のHP
February 28, 2011
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今日、我が家のパソコン環境が一新されました! モバイル用のノートパソコン(デル)を壊してしまったことに加え、メインで使っていたNECの15インチ・ノートパソコンのあまりの遅さに辟易していたこともあって、メインマシンとサブノートを両方を変えることにしたんです。 で、まずメイン・マシンの方ですが、今度はHPの一体型フルスペックにしました。一体型モデルの最上位機種だけあって、スペックもすごいよ! CPUはインテルの CORE i7、メモリは8GBかな? で、ハードディスクは2テラバイトとか、そんな感じ。これこれ! ↓【送料無料】【値下げしました】マルチタッチ対応23インチワイド液晶パソコンHP TouchSmart PC ...価格:201,600円(税込、送料込) で、ディスプレイも23インチですから、業界用語で言うところの「かいでー」ですよ。だって、ワードとかで文章打っていると、A4サイズの2ページ分が一度に表示されますから。それが見やすいかどうかは別にして、すごい、すごい。でまた、OSも「ウィンドウズ7」ですから、起動も早い。よろしいですなあ・・・。 ま、デザイン面が今一つ、いや今二つのところはありますが、もともとウィンドウズ・マシンにデザイン性を求めてはいけないと思っているので、性能さえ良ければ別にいいです。HPって今回初めて買いますが、色々な人に聞いてもさほど悪い評判は聞こえてこないので、まあ、いいかなと。 ところで、今回のパソコン環境一新の目玉は、パソコン本体の他にもう一つありまして、実はLAN環境を無線から有線に変えたんです。どうやって変えたかといいますと、「PLC」というのを導入したの。これ、値段から言いますと1万円しないくらいで買えるのですが、家庭用の電気配線をネットの通り道に使うという必殺技なんですね。使い方は驚くほど簡単なので、家庭用無線LAN環境が安定しないという方、ぜひ一度お試しください。実際、今のところ無線LANよりもはるかに快適に使うことができています。やっぱり、有線の方が安定しますからね。これこれ! ↓【当店ポイント2倍】【Joshinは平成20/22年度製品安全対策優良企業 連続受賞・プライバシーマー...価格:9,950円(税込、送料込) ちなみに上の商品、親機と子機はあらかじめセッティングされた状態で出荷されているので、すぐに使い始めることができますが、ルーターと親機、パソコンと子機をつなぐためのケーブルは含まれてないので、それは自分で(2本)買わないとすぐには使えないのでご注意を。 そして、そして! モバイル用のノートパソコンの方は・・・やっちまった! マックを買ってしまいましたよ!これこれ! ↓ポイント最大時12倍(※要複数エントリー)2/27(日) 10:00 ~ 23:59マデ【全商品全国送料無料...価格:101,800円(税込、送料込) まー、このノートの美しいこと! 見ているだけでうっとり・・・。久々のマックへの復帰で、まだ使い方に戸惑うところはありますが、それにしても、キーボードから電源に至るまで、なんと美しいパソコンなのかと、惚れ惚れですね。 ということで、今日は大きなおもちゃを二つもゲットして、古いパソコンからデータを移し替えたりしながら、忙しくも楽しい時間を過ごしているワタクシなのであります。
February 27, 2011
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今、民法改正するかどうかでちょっと話題にもなっている「夫婦別姓問題」ですが、私には無縁の問題かと思っていたらそうでもなくて、割と身近なところでこの問題が起こっていたのでビックリよ。 まあ、確かに基本的に夫になる男の側が戸籍の上で「世帯主」となり、妻は夫の姓に変わらなくてはならない、という現行のシステムが男女不平等だと言われれれば、そうかなと。 実際、家内の姓を名乗るのでもいいかと問われれば、うーん、やっぱり自分の名前を変えたくないなあと、男の私は理不尽にも思うわけ。だから、「結婚しても姓を変えたくない」という女性が居たとして、その気持ちが分からなくもない。 要するに、結婚したら妻の側が夫の側の姓に変わるという日本の制度に、日本の男たちは安住しているんですよね。 だけど、どちらかの姓に統一するということには、それなりにメリットもあるでしょう。特に生れて来る子供の姓のことをあれこれ悩まなくていい、というのは、すごく大きなメリットだと思う。逆に、夫婦別姓の制度が導入されたとして、その場合、子供の姓はどうやって決めるのでしょうか? ま、夫婦別姓が認められている国なんていくらでもありますから、その辺は何とかなるのでしょうが、しかし国によって事情が違いますからね。他国がやっているから日本も真似すればいい、という風には行かないかも知れません。 例えば韓国も夫婦別姓ですが、韓国の場合、姓の数が異常に少ないからね。キムさんとキムさんが結婚することもよくある。そうなると、実質、夫婦別姓にならないですもん。 あとベルギーも夫婦別姓ですが、そのために離婚が簡単になってしまって、離婚率が70%台ですからね。日本の離婚率の低さも、案外、「夫婦同姓」と「戸籍」の存在がかすがいになっているのかもしれません。 私にはイラン人の親友がいるのですが、イランも夫婦別姓なんだよなあ。今度、それで特に問題がないのか、子供の名前とかどうやって決めるのか、今度会った時に聞いてみようっと。 あるいは、日本でも「ミドルネーム」というのを作って、女性は結婚したら、夫の姓と自分の家の姓を両方名乗れることにするというのはどうかしら? 例えば「山田・田中 花子」とか。しかし、このシステムだと、変な苗字になる場合がありそうですなあ。小田さんが大田さんと結婚したら「大田・小田」になっちゃうし。大きいのか、小さいのか、どっちなんだ、みたいな。 ちなみに、家内にこのことを尋ねてみたら、家内は別に私の姓になることに抵抗はないんですと。むしろ中学生とか高校生くらいの時に、好きな男の子の姓に自分の下の名前をくっつけてみて、「なかなか合うじゃん」なんていう遊びを友人同士でやっていたというのですから、まあ、古風なものであります。 良かった、その点、家内が古風で。そうじゃなきゃ、誰も「釈迦楽」なんて抹香臭い名前に変わってくれないよ! いずれにせよ、こういう「伝統を維持するか、別なやり方を導入するか」に関わる問題ってのは、身近なところに騒ぐ人がいないと、真剣には考えないものですな。今回はいい勉強になりました。
February 26, 2011
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ニュージーランド・クライストチャーチの大地震、大変ですなあ・・・。神戸のことを思えば、他人事じゃありません。 ところで、地震国の日本としては、地震災害に対する救出活動のノウハウとか、復興支援のノウハウとか、それなりに蓄えているんじゃないかと思いますし、また実際に現在も日本からの救援隊が当地で活躍中と思いますけれど、しかし、それにしても派遣の仕方が遅いよね! 地震が起きました、情報集めました、救援活動隊を派遣するか検討しました、その後相手国に打診してみました、それからようやく実際に派遣しました、なんて手続き踏んでたら遅いって。地震のニュースが入った途端に派遣しないと。 だから、今のうちから「深刻な被害が予想されるような地震があった場合、日本からの災害救援隊をすぐに送ってもらいたい国、手ぇ挙げて~」とか言って条約結んでおいて、条約を結んだ国で大地震が起こったら、問答無用で12時間以内くらいに大救援隊を即刻送るシステムを作っちゃえばいいのに。 で、どの国よりも日本の救援隊が一番最初に現地に乗り込んで多くの人命を救ったとなれば、日本の評判はいや増しに上がるじゃないですか。で、そうやって恩を売っておいて、後で何らかの形でその恩に報いてもらう、と。ま、外交ってのはそうやって「気持ちよく、かつしたたかに」やらなきゃダメよ。 世界中の貧しい国々なんかを援助する場合にしても、ザルに水を注ぐような形でお金を援助するしか能がないし、あるいはせっかく日本贔屓の国があちこちに存在するのに、そういう国々の日本への好意をまったく取り合わないし、日本の外交やってる連中って、どうかしてるんじゃないかっていつも思います。 ま、でも今はそんなこと言ってる場合じゃないですね。とにかく今はクライスト・チャーチで被災された方々が一人でも多く無事に救出されることを祈りましょう。日の丸救援隊、頑張れ!
February 25, 2011
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今、名古屋はいい美術展が目白押しでありまして、名古屋市美術館では「没後120年 ゴッホ展」が開催中ですし、岡崎市美術博物館では「ビートルズとその時代」展をやっている。そしてこの土曜日からは(これは三重県ですが・・・)パラミタミュージアムで「ルーシー・リー展」が始まるのですから、もう、どこから足を運べばよいやら。 しかし、私にはこれらよりもさらに興味がある展覧会がありまして、今日はそこに行って来ました。愛知県美術館で開催中の「カンディンスキーと青騎士展」でーす! 私、カンディンスキーには弱いのよね~。 が、その前に腹ごしらえ。今日は新栄にあります「ヤマザキマザック美術館」の地下2階、イタリア料理の「トペ」でランチと洒落こみました。この店、栄の南の方にあった時から贔屓の店なのですが、ちょっと前にこちらに移ってきてからはまだ行ったことがなかったもので。 で、今日は「トペ・ランチ」に前菜とデザートを足すという趣向でいただいたのですが、ハイレベルな前菜が5品、その次に大振りな牡蠣を使った料理が出て、そして本日のパスタ。私は「豚肉と筍のラグー・ソース・パスタ」、家内は「鮭とドライトマトのパスタ」を注文したのですが、どちらも塩加減が絶妙で実に旨し。デザートは盛り合わせで、これは少し平凡でしたが、まあトータルとしては十分以上に満足できるものでした。これで一人2,500円しないのですからお値打ちというべきでしょう。 で、すっかり満足した我らは、そこから愛知県美術館へと向かいます。 カンディンスキーですからきっとお客さんがごった返していて、人の頭越しに作品を見ることになるのだろうと思っていたら、さにあらず。平日の昼間とあって、むしろガラガラ。あら、カンディンスキーの扱いって、そんなもんでしたっけ? でも、ま、私たちにとってはお客が少ないほど見易いわけですから大歓迎。一点一点、じっくりと見て行くことができました。 で、私は基本的にカンディンスキーの絵が好きなんですから、それが見られて御機嫌チャンなんですけれど、初期から中期、そして「青騎士」なる芸術家集団を結成して以降の時代と、時代を追手順に見て行きますとね、私はどの時代のカンディンスキーが好きなのか、ということが良く分かります。 これはあくまでも私の趣味の話ですが、初期の写実の時代、これはこれで良いものの、カンディンスキーの作品として見るとちょっと平凡なところもある。ところが、これが1900年代初頭の中期の時代になりますと、色彩の美しさが爆発、カンディンスキーらしい色彩感覚に満ちた、写実と抽象の中間くらいの、実にすばらしい絵になってくる。私はこの時代が何と言っても一番好き。特に「ムルナウの家並」なんて絵は、喉から手が出るほど欲しい。 ところが、これが1910年代に突入しまして、青騎士グループを結成した頃になりますとね、私にするとちょっと抽象の度合いが強くなり過ぎて、今一つ入り込めないところがある。 まあ、その辺は常に難しいところで、芸術家の方はどんどん成長・発展して、自分の志すところに従ってどんどん画風を変化させていくわけですが、時としてファンの方は「あーん、そこまで行かないで、もう少し前の時代の画風で止まっていて・・・」なんて頼みたくなる時がある。もっとも、新しい画風には新しいファンがつくわけですから、それはそれでいいのですけどね。 というわけで、今回の展覧会、「自分としては1900年代の最初の10年のカンディンスキーが一番好きなんだ」ということをはっきり認識することができたのでした。ほんと、素晴らしい絵でした。大満足。名古屋にお住まいの皆さーん、名古屋市美術館で押し合いへしあいしながらゴッホの絵を見るのもいいですけど、カンディンスキーを忘れてはいませんか。ゴッホに負けないアーティストなんですから、こちらの方も是非見に行って下さい。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓カンディンスキーと青騎士展
February 24, 2011
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ベン・アフレック監督・主演の映画『ザ・タウン』を観てきました。以下、ネタばれ注意です。 ベン・アフレック演じるダグは、犯罪率の高さで悪名高いボストンのチャールズタウンで生まれ育つのですが、学生時代はアイスホッケーの選手として将来を嘱望されたものの、プロ・リーグでは活躍できず、荒れた生活をするように。そして父親が銀行強盗だったこともあって結局は悪の道に入ってしまい、悪の大元締めたるファーギーの手下となって、幼馴染のジェムらと4人のチームを組んで、銀行強盗などの犯罪に明け暮れる日々を過ごしているんですな。 ところが、ある銀行を襲撃して現金を奪った際、ちょっとした手違いから銀行の支店長だったクレアという女性を人質に取らざるを得ないことになってしまうんですな。で、都合の悪いことに、このクレアがダグたちと同じくチャールズタウンの住人だということが判明する。となると、彼女がダグたちと町で顔を合わせることもあり得るわけですから、彼女がダグたち銀行襲撃犯4人の特徴をどこまで把握しているか、調べざるを得ないことになります。 で、ダグはそれとなく彼女に近づき、まんまと友人になるのですが、次第に彼女の人柄に惹かれていく。そして、この「タウン」で犯罪に明け暮れる日々にも飽き飽きしていたダグは、彼女と一緒にどこか遠くに行って、人生をやり直したいという気にもなってくる。 しかし、ダグの一番の親友であるジェムは、ダグの心境の変化に敏感に気付くんですな。で、一番の親友であるダグが、次第に自分とは別な世界に足を踏み入れようとしていることがどうしようもなく寂しく、またそのことに嫉妬もするわけ。そして、自分が刑務所で9年も過ごしたのは、ダグを襲いに来た男を逆に待ち伏せして殺したからだ、というようなことも持ち出し、何とかダグをチームにとどめようとするんです。 そして、ジェムが話したためか、ダグがチームを抜けたいと思っていることは大元締めのファーギーの耳にも入ってしまうんですな。ファーギーは、かつてダグの父親のボスでもあり、ダグの父親が独立したいと言い出した時も、それを阻止するためにダグの母親を薬漬けにし、自殺に追いやったことがあったのですが、そのことを持ち出しつつ、もしダグがチームを抜けるなら、お前の母親を殺したように恋人のクレアを殺す、という脅しをかけてくる。そこで仕方なくダグは次の仕事、フェンウェイ球場でのレッドソックス戦の売上げをごっそり奪う計画に参画させられてしまう。 で、ダグは仕方なく、いつもの4人のチームでこの計画を遂行するのですが、ダグの元彼女が、クレアへの嫉妬のあまり、FBIにこの計画を通報したことから、ダグたちは逃走の途中でFBIに包囲されてしまう。銃撃戦となり、決死の脱出を試みるのですが、4人のうち一人は撃たれ、もう一人も突破の途中で車が衝突して死に、ジェムも無謀な銃撃の果てに撃ち殺されてしまう。たった一人逃走に成功したダグは、その足で大元締めファーギーの元を訪れ、母の仇で彼と彼のボディーガードを射殺。 結局、思いがけない形で自分の過去をすべて清算することになったダグは、クレアを連れての逃避行を試みるのですが、既にクレアはFBIの手中にあり、ダグ逮捕に協力せざるを得ない立場に。ダグが監視しているとも知らず、ダグを誘い出せといういうFBIの要求通り、クレアはダグを自分の家に誘い出すんですな。彼女が自分を裏切ったと知ったダグは、それも仕方ないこととあきらめつつ、絶望します。 しかし、最後の最後で、微妙な言い方でではあるものの、クレアはダグに「家に来たら危険なことが待っている」ということを伝えるんです。ダグはそこで少しだけ救われる。 そしてダグはクレアのことをあきらめ、彼女を残して、一人どこか別な場所で新しい人生を始めることにするんですな。ただ、彼女に色々迷惑をかけたことをわびる意味もあって、奪ったお金の一部をクレアに捧げるんです。そしてクレアはそれを私することなく、チャールズタウンのさびれてしまったスポーツセンターに寄付し、かつてダグが青春を捧げたスケートリンクの復興を図る。それこそが、この「タウン」に生まれ育ったダグの望むものであろうと信じて。 ・・・というような話です。 で、この映画に対する私の評価点は・・・ 「83点」でーす。高評価出ました! まあね、ダグみたいないい人が、そもそも悪の道に進むか? というファンダメンタルな疑問はあるものの、父親からして銀行強盗、幼馴染もみーんなワル、という環境の中で育った彼が、そのDNAにしみ込んだ「タウン」の生活にどうしようもなく縛られつつ、しかしクレアという女性との出会いを通じ、何とか現状のこの生活を抜けだしたいという希望を持ち、その二つの間で葛藤するというストーリーは、なかなか説得力があります。 別に悪の道に限らず、人は誰だって現状の生活から抜け出せないもんでしょ? 今、サラリーマンやっている人は、自分にはもっと別な可能性があるんじゃないかと思っても、妻子ある身、ローンある身で、思い切った転身なんか出来ないのが普通じゃないですか。ダグの悩みだってそれを同じだと思えば、これは単に「強盗のストーリー」ではなく、普遍的な人間のストーリーだと言ってもいいわけですよ。 ま、そんなところも色々考えさせられるということもありまして、観て損はない映画かな、と。 それから、これは個人的なことですが、昨年9月、ボストンの町に3週間ほど滞在し、ボストンの町の雰囲気というものに多少なりとも親しんだ経験を持つ私としては、映画の中に横溢するボストンの街並みへの懐かしさというものも、この高得点にちょとは貢献して居るかもしれません。やっぱりちょっとでも知っている町の話だと、自然と愛着が湧くものでありましてね。 ということで、ベン・アフレックの監督作『ザ・タウン』、教授のおすすめ!です。そろそろ公開も終盤ですから、まだ観てない方はお早めに!
February 23, 2011
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最近、「魔女」という言葉を肯定的に使う場面って多くないですか? 例えば「美魔女」とか。これ、どういう意味なんだろう? 年齢より若く、美しく見えるのがマジカルだ、ということなんでしょうか? その他、テレビ番組でも「今日はこんな魔女を紹介します!」なんてやっている。 私、こういう言い方、すごく嫌なんです。 私思うに、「魔女」という言葉に肯定的な意味とか語感って、無いですよ。だから「この人は魔女です」と肯定的に紹介する感覚が分からない。 え? 「東洋の魔女」と言うじゃないか、ですって? いやあ、あれはね、「oriental witch」という英語の訳で、元はと言えば罵声ですよ。正々堂々とではなく、何か邪悪な、卑怯な手段を使って、東洋人の女どもがバレーボールで勝ち進んでいるという悪口。「witch」という言葉は、元々日本語でいう「鬼婆」に近い意味合いですし、その音感から「bitch」(雌犬)という言葉をも想起させることもあって、若い女性に対して用いれば淫らなイメージも出てくる。どちらにせよ、女性に対するかなりひどい罵声です。 でもそんなこと考えなくたって、「魔女」って言ったら、良い意味なんか無いに決まっているじゃないですか。「魔法使い」なら、ニュートラルな感じがするけれども。 とにかく、「魔女」という言葉を変に肯定的に使うの、止めてもらいたいなあ。女性も、「美魔女」なんて呼ばれて喜ばないでほしい。言葉に対するこの種の無神経さって、何だかたまらない気がしますね。
February 22, 2011
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今日は卒業生でゼミOBのSさんが研究室に遊びに来ました~! ついこの間卒業したばかりと思っていたものの、聞いてみると卒業してもう10年、今は二人の娘さんを持つお母さん。 Sさんはこれまでにも折に触れて研究室に顔を見せに来てくれる我が腹心の(?)教え子なのですが、彼女は思うところあってこの4月から某大学に入り直し、教員免許を取得することを決意されたんですな。で、その大学というのが、私が附属の小学部・中学部を卒業したところでありまして、その意味では(直接の、ではないけれど・・・)彼女は私の後輩になると。 ま、そんなこともあり、私がそこの小学校・中学校に通っていた頃の話や、その大学・学園の創立者の話などを聞きに、研究室に遊びに来てくれたと、まあ、そういうわけでございます。 で、私の方からはそんな思い出話をしつつ、さらにSさん自身の近況や、大学に入り直す心境などを聞いたのですが、さすが我が弟子、考え方がしっかりしていますわ。 一番印象的だったのは、今の時点で教員を目指すことになった経緯です。 もともと音楽の道に進むことも考えていたSさんが、その道を一旦断念し、かつ親に勧められていた音楽教員になる道も敢えてとらなかったのは、ある意味、親への反発であったり、それに伴う成り行きだったりしたわけなのですが、しかし、ある程度の時間が経ってみて、親への反発といった若者特有のものもいつしか剥がれ落ち、気負いの大きさから逆に自らそっぽを向いてしまったところもある音楽への思いも、再び素直に受け入れることができるようになって、遠回りをしたけれども、もう一度そちらの方面に歩んで行ってみることを自分の運命として受け止めることにした、と。 うーん、Sさんのそういう「静かな決意」みたいなもの、カッコイイと思うなあ! また、私のゼミに居た時と違い、今度は親のお金ではなく、自分のお金で大学に通うことになるわけで、その点、「自分の力で大学に行く」というすがすがしさがある、とSさんは語っていましたけど、そのこともエライ! 私なんぞ、親のすねをかじるばかりで、恥ずかしいようなもんだ。 ということで、私はSさんならきっといい先生になれるだろうなと思いつつ、陰ながら応援していく所存なのでございます。 ところで、もうひとつ面白かったことがありまして。 なんかね、Sさんのところでは、Sさんが大学へ恩師(?)たる私に会いに行くことに対し、あまりいい顔をしないというのですな。・・・つまり、ご主人が嫉妬をされると。 ほ、ほう! いいね、いいね。じゃ、まだまだ私は、枯れ果てて安全になってしまった「教授」じゃなくて、「危険な男」であると認識されているわけだ。ひゃっほう! ま、私にとって世界中に女は家内一人しか居ないので、実際にはこれほど安全な男も居ないのですが、世間的に「危険」と見られるのは、男としては悪い気はしないねえ、なーんつって。 それはともかく、そんな周囲の雑音は気にせず、Sさん、また大学に遊びにおいで~。今度は二人の娘さんも連れてね!
February 21, 2011
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家内に指摘されて気が付いたのですが、ラグビーをやる人たちのユニフォームの短パン、あれ、ちょっとカッコ悪くないですか? たしかサッカー選手も昔はああいう短パンでしたけど、今はひざ丈の、今風のものになっていますよね? しかしラグビーは相変わらず昔風の、子供みたいな短パン。ムキムキの太腿と相俟って、なんとも異様。 同じようにグラウンドを駆け回るサッカー選手がひざ丈の短パンで問題なくプレーしているのですから、ラガーマンだってひざ丈パンツでいいだろうと思うのですけど、何か規定でもあるのでしょうか。 さて、それはともかく、本日の私は柄にもなくずっと論文を書き進めておりました。偉い! やっぱり、昨日学会に参加して、自分も少しは業績出さないといかんなと思ったためでしょうか。ということで、この後ももう少し頑張る予定。それでは、今日はこの辺で~!
February 20, 2011
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今日は学会の役員会と例会がありまして、愛知淑徳大学というところに行って参りました。 で、会場となる校舎、そして教室に入ったわけですが、まあ、どこもかしこもきれいなこと。教室内の設備も充実しているようで、私の勤務先大学と比べたらもう月とスッポン。 いつも思うことですが、この差は一体何なんだろうかと。何で私立大学というのはこんなに恵まれていて、国立大学というのは、いつまでたってもトタンの掘立小屋みたいなところで授業をしなくてはならないのか。 もうね、うちの大学なんて、あれよ。「昭和40年代」そのまんま。ほら、昔、公団住宅なんかで「瞬間湯沸かし器」のある台所とか、あったじゃないですか。あの雰囲気。あるいは「○○銀座」なんて名前の付いたアーケード街で、今はシャッター街になってしまったようなところとか。あの雰囲気。 それがうちの大学の今の雰囲気です。21世紀なのに、まだ昭和40年代。 あんまり昭和なので、我ら教員の間では「うちもキャンパス内を『日本昭和村』とかいって、入場料とって一般公開したら?」なんて自嘲的ジョークが交わされるほど。 ちなみにこの昭和村では、毎日11時、1時、3時の3回、「学生運動のデモ隊と機動隊による安保闘争ショー」が行われまーす。 ま、それはともかく、肝心な研究発表はと申しますと、「シャム双生児(結合双生児)」関連のものでありまして、二人の人間が一つになっている双生児の中に、色々な形でアメリカの表象を見るということがあった、というような話。 つまり、アメリカ独立の頃は、親イギリス的なものと反イギリス的な思想がアメリカの中でせめぎ合っていたわけですし、南北戦争の頃はまた北部と南部という別々な志向を持つ地域がアメリカの中に同居していたと見ることができる。さらに白人社会と黒人(奴隷)社会という二つのものが同居していた時代もあった(ある)わけですし。こういう「相反する二つのものが、一つの体に同居している」状態のアメリカは、きわめてシャム双生児的なところがあるわけで、アメリカという国は代々、シャム双生児の身体を自らのメタファーにしてきたと。 っていうか、そもそもアメリカの国璽の標語は「E Pluribus Unum」すなわち「多からなる一」ですからね。まさにシャム双生児的ですわ。 で、発表者によれば、19世紀の作家でありますマーク・トウェインもまた、シャム双生児というものにアメリカの面影を幻視しつつ、強い関心を持っていた作家だったのだそうで、しかも彼はまた彼で、シャム双生児の身体的特徴の中に彼がこだわっていたある概念(「男らしさ」とは何か、ということ)を投影していたフシがある。ま、今日の発表はその辺を紹介されていたのですが。 ま、私はトウェインに関しては素人同然ですから、お話を伺っていて「はぁ~」と感心するばかりだったのですけど、発表の後の質疑応答の中で、一つ面白い話がありまして。 それはシャム双生児の自意識に関するものだったのですが、たとえば日本でも有名な「ベトちゃん」と「ドクちゃん」の場合、分離手術が行われましたよね。あれ、医学的には「正常化」っていうんだそうです。つまり、ふたりがくっついている状態が「異常」で、それを離すのが「正常化」だというわけ。他人が見れば、シャム双生児というのは「異常」に見えると。 ところが、シャム双生児の意識としては、ふたりくっついている状態が普通なのであって、それを分けるのが「異常」だと、ま、そういう認識をするのだというのですな。ですから、これまで無数にあったシャム双生児たちの中で、病気などでどうしても必要がある場合を除き、自分たちから「二人を分けてくれ」と言ってきたことはないのだそうです。時には、二人のうち一人が病気になり、分離しないと二人とも死んでしまうようなケースでも、もう一人の健康な方が「二人を分けるくらいなら、私も一緒に死ぬ」と言うことが多いのだとか。 これは、ちょっと考えさせられる問題ですなあ。 というわけで、今日は隣の芝生の青さにがっかりさせられたり、面白い研究発表で考えさせられたりした一日となったのであります。
February 19, 2011
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宮下規久朗・井上隆史著『三島由紀夫の愛した美術』(新潮社)を読了したので、少しだけ覚え書きを残しておきましょう。 三島由紀夫の伝記を書いたジョン・ネイスンという人が「三島は生涯を通じて美術には皆目無知だった」と書いているほど、一般に三島には「美術にあまり関心が無かった」という風説があるようなんですが、実は彼は相当美術好きであったし、独自の審美眼も持っていた。そこで三島の美術への嗜好を証しつつ、その面から彼を論じてみようというのが本書の狙いなんですな。 実際三島は、外国旅行中も精力的に美術館巡りをしていて、そこでの感慨をちょこちょことエッセイにまとめたりしている。そこで本書はそんな三島の美術エッセイを拾い集め、そのエッセンスを抽出しながら、それをネタに気鋭の美術史家二人が対談をするという趣向でまとめられています。 ま、半分以上が写真から成り立っているムックですから、対談の内容も学術的というよりは気軽に読めるようなものなんですが、それでもさすが気鋭の研究者の対談だけあって、時々深く納得させられることがありまして。 例えば三島はオーブリー・ビアズリーの退廃的な世界なんかを愛好したわけですが、一方で彼は「太陽と鉄」への志向というか、鍛え上げられた健全な肉体への憧憬もあった。で、この逆方向のベクトルというものが三島の中でバランスを取りながら存在していたからこそ、多くの矢で射抜かれ、苦痛と法悦の同居する表情を浮かべた若き殉教者の美しい裸体を描く一連の「聖セバスチャン」図像に対する三島の強い入れ込みが理解できると、まあ、この本を読んでいくと、そんなことが分かってくる。 また三島は常に美術作品の中に物語性・ドラマ性を求めていたため、例えば神話の中の出来事を描いた絵・彫刻や宗教画のように、小説のように読み解くことができる美術作品だけを愛し、モノそのものの形象を描く印象派以降の絵画、あるいはその延長線上にある抽象絵画の価値をまるで解さなかったという指摘(41頁)など、私には非常に興味深かった。 要するに、三島は自分が入りこめるような、つまり自分を置きかえられるようなドラマの主人公を描いた美術作品だけに執着し、洞察と理解を示したと、まあそういうことなんでしょう。本書96頁にある宮下氏の言葉、「そう考えると、三島の美術愛好の傾向が、はっきり見えてきます。芸術的な関心というよりも、自分の偏愛するモデルの登場するものに心ひかれ、そうした個人的な趣味と自分の審美眼とが重なり合ってしまうという傾向です」という一文は、三島の美術との向き合い方をかなり完璧に捉えていそうです。 その他、本書には三島由紀夫と美術をつなぐ様々なアイコンが掲載されていますから、興味がある向きには必見です。三島のロココ調の自宅の写真などもありますが、私はもっと俗悪なものを想像していただけに、案外、その趣味がいいのにむしろびっくり。 そう、あともう一つ、三島の劇画・マンガ好きについての言及も面白くて、三島が赤塚不二夫の『もーれつア太郎』について述べた「私は猫のニャロメと毛虫のケムンパスと奇怪な生物ベシのファンである。このナンセンスは徹底的で、かつて時代物劇画に私が求めていた破壊主義と共通する点がある。それはヒーローが一番ひどい目に会うという主題の扱いでも共通している。」(98頁)なんて一文は、その後自ら「一番ひどい目に会うヒーロー」を演じることになる三島の最期を思い合わせても、なかなか興味深いところがあります。 というわけで、軽く読める本ではありますが、三島由紀夫をその美術への嗜好から読み解くという本書の試みによって、三島への理解がまた少し深まったような気になっているワタクシなのであります。これこれ! ↓【送料無料】三島由紀夫の愛した美術価格:1,575円(税込、送料別)
February 18, 2011
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名曲「バードランドの子守唄」の作曲者としても知られるジャズ・ピアニストのジョージ・シアリングが今月14日に亡くなりました。ナイト(騎士)の称号をお持ちですから、正しくは「サー・ジョージ・シアリング」ですな。享年91歳。 ジャズ・ピアノの世界では、アート・テイタムやレニー・トリスターノ、テテ・モントリューなど目の見えない方が数多くいらっしゃいますが、サー・シアリングもその一人。アメリカ文学との関係では、ビート・ジェネレーションの聖典、ジャック・ケルアックの『路上』の中でもクールなピアニストとして言及されております。実のところ、そんな伝説の人物ですから、もうとっくに亡くなっているのだろうと思っていた私。1919年生れの氏は、アメリカ文学で言えばJ・D・サリンジャーと同い年ですな。サリンジャー自身、1年ちょい前に亡くなったばかりですから、サー・シアリングがご存命でもなんの不思議もありません。 ま、録音が古いものが多くて、私もあまり頻繁に聴くことはないですが、やはり「バードランドの子守唄」は名曲ですなあ。ニューヨークのジャズ・スポット、「バードランド」に出演するジャズメンたちが、セッションの最後に一節、ふた節、「バードランドの子守唄」を演奏するのなんていうのもなかなかいい。この一曲があるだけでも、多分、長く記憶される人でしょう。ご冥福をお祈りいたします。 さて、ちょっと前に英語教則本のベストセラー、『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』を読み始めたという話を書きましたが、これ、昨日読み終わったんです。 で、感想ですけど、驚くほど内容の無い本でございました・・・。 結局、英文の主語をピンク色にマーキングし、動詞を緑色にマーキングし、目的語や補語を水色にマーキングするという形で、色の塗り分けによって英文の構文を説明すると。ただそれだけ、本当にただそれだけの本なんですから。 ま、強いて言えば、主語や目的語や補語になる名詞のことを「役者」と言い直し、動詞を「矢印」と言い直し、副詞のことを「付録」と言い直し、形容詞を「化粧品」、前置詞を「接着剤」と言い直して説明しているところが独創と言えるかもしれませんが、これもいわば単に文法用語を別な言葉に言い換えただけで、それによって何か劇的に説明が分かり易くなるというものでもない。 ですからね、この本を読んだからと言って、何か急に英語が分かるというものでもないし、ましてや英語が話せるようになるというものでは絶対にありません。こんなものが37刷を数える英語教則本のベストセラーだなんて、ホント、バカバカしいにもほどがある、という感じです。まったく、まーーーーったく無意味な本。まだ買ってない方はどうぞお買いになりませぬように。買ってしまった方は、残念でした。(この本で劇的に英語が分かるようになった方は反論されるでしょうが、多分、そんな方はいらっしゃらないでしょうから、平気で悪口が言えます。) こんな本に比べたらね、私が書いた英語教則本の方がよっぽど身になるよっ! ほんと、一般に販売してないのが残念ですわ。ま、ひょっとすると近くアマゾンで売られるようになるかもしれませんので、その時はご紹介しますからね~。 ところで、私が3年ほど前に書いた英語教則本は大学生向けなんですが、この度、これを中学生向けに(つまり、完全な初心者向けに)書き直すことになりまして。 というわけで、この新版の執筆を始めるべく、そろそろ準備を始めておりまして、ま、『ビッグ・ファット・キャット』のようなくだらない本を買って読んだのも、その参考になるかなと期待したからだったのでございます。 しかし、まったくの初心者、英語のえの字も知らない人を想定読者として英語教則本を書く、というのは、これはまた結構な冒険でございまして。例えばの話、まず一番最初に何を説明するか、ということからして、すごく重い選択となります。 皆さんが仮に英語のことをまったく知らない人に英語の説明をしなければならなくなったとして、その時、皆さんは何から語り始めますか? 想像してみて下さい。 やっぱり「『私』は、英語では『I』と言います」というところから筆を下ろします? あるいは「拒絶する時は『No!』と言います」と語り始めますか? はたまた「何か欲しい時は『Want』という言葉を使います」というところから始めるとか? ほら、ね? 結構難しいでしょ? 文法のイロハを優先するか、英語でのサバイバルを念頭に置くかによっても、何を最初に説明するかは変わってくる。つまり、教える側の英語に対する哲学が問われるわけですよ。 ちなみに『ビッグ・ファット・キャット』では、「The cat scratched the curtain.」(その猫はカーテンを引っ掻いた。)という文を一番最初に持ってきています。・・・哲学がまるでないね。 というわけで、さてさて、何から説明し始めるか。もうしばらく筆の下ろしどころを探して右往左往することになりそうです。
February 17, 2011
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私は専門外なんですが、必要があって、英語教育関係のある論文を読むことになりまして。 で、まあ門外漢ながら読んでは見たのですが、これがまたよく分からない論文だったのでございますよ。 ま、簡単に言いますと、日本人大学生数名に「自分の趣味について」というテーマで1分間の英語スピーチをさせ、それをネイティヴの人数名に聞かせて、英語としての分かりやすさを判定してもらったと。 で、スピーチをした日本人学生の志向を調べましてね、それと英語スピーチの出来を突き合わせて、どういう志向を持った学生が英語が上手に話せるか、調べてみたと。 で、英語が得意な人は、きっといい耳をしているに違いないということで、「音楽が好きかどうか」を尋ね、音楽好きであることが英語の上手下手に関連があるかを調べるのが一点。 また英語が得意な人は、きっと社交的な人に違いないということで、「自分が社交的だと思うか」を尋ね、社交性であることが英語の上手下手に関連があるかを調べるのが一点。 最後に、英語が得意な人は、きっと英語の勉強が好きに違いないということで、「何らかの形で英語学習を継続的にしているか」を尋ね、英語の勉強をしていることが、英語の上手下手に関連があるかを調べるのが一点。 以上、三点を調べてみたというのですが・・・。 ま、この時点で「この研究、どうかしてるぜ!」と思うのが普通だと思うのですが、当人は大まじめにやっているというね。 で、結論から言うと、上記3つの観点のどれも決定的に英語の上手下手に関連があるとは言えない、というデータが出たと。 ううむ・・・。これで論文と言えるのか・・・? それにですね、逆にもし明確な関連があったとして、その場合、どうするつもりなんだろう? 「英語が上達するには、社交的で、音楽好きで、英語の勉強を日ごろよくする人です」ということが分かったとして、それをどうやって現実の英語教育に反映させるというのでしょうか? ま、最後の「英語の勉強が好きな人」というのはまだいいとして、「社交的」かつ「音楽好き」な人が英語が上達する可能性が高いから、英語の勉強をする前に、まず音楽を好きになりましょう、とか、社交的になりましょう、とか、そこから始めるの? 「英語学習に入る前に、まずは生徒の性格から直す」とでもいうのかしら? 私が思うに、英語教育の目的は「最も効率の良い英語学習の道筋」を明確につけることであって、社交的じゃなかろうが、音楽が嫌いだろうが、とにかくこのやり方で勉強すればいずれ英語ができるようになる、という方法を開発することじゃないかと思うのですけど、英語教育学の研究者って、そういうことだけは絶対に研究しないんですよね。どういう人が英語が上達するか、とか、生徒に英語に対する苦手意識を持たせないためにはどうしたらいいかとか、そんなことばかり研究している。 ま、英語教育関係の世界を覗き見るたびに、びっくりさせられますよ、ほんと・・・。
February 16, 2011
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このところ風邪を引いてしまってあまりアクティヴに動いていないこともあり、また普段の生活でも、書いている論文はなかなか筆が進まず、その他の仕事は採点だの査読だの、およそつまらないことばかりで、あまりブログネタになるようなことがないのですが、仕方がないので、一つだけおいしいものの情報を出しちゃいましょう。 先週末、恩師の墓参で東京の実家に戻っていたのですが、墓参の時、一緒に行った友人のH君が、「面白い店があるから連れてってやるよ」と言って、とあるお菓子屋さんに連れて行ってくれたんです。「洋菓子&パン工房 カンパーニュ」というお店なんですが。 場所は町田市の小山というところで、町田街道沿いかな? で、このお店、何がいいかって、工場直販のせいか、何でも安い! 例えばロールケーキなんか、クリームもたっぷり入って、しかも長さが40センチくらい、普通のロールケーキの2倍はあろうというものなんですが、それでお値段はたったの550円(プレーン)。で、大きくて安くても不味ければ意味がないのですが、実際食べてみると、これがまた結構旨いのよ。 で、太っ腹なH君は、この巨大なロールケーキを2本、プレーンと栗入りのデラックス版を私にお土産に持たせてくれたのですが、名古屋に戻ってから1週間というもの、この2本のロールケーキを家内と堪能しました。 この他、このお店はホールのケーキも550円とかで売っているので、びっくりしてしまいます。H君の家では、家族のメンバーの誕生日など、このお店でホールケーキを家族の人数分買って、それぞれ味見をしながら楽しむのだそうで。 ということで、ちょっと地域限定の情報になってしまいますが、町田市小山の激安洋菓子店「カンパーニュ」、教授のおすすめ!です。
February 15, 2011
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今日は14日、ヴァレンタイン・デーですなあ。名古屋地方の今日は雪景色でございまして、とてもロマンティック。きっと多感な中学生・高校生辺りは、今日は一大イベントの日として盛り上がっていたことでございましょう。 私もねえ、高校は男子高でしたのでアレですけど、中学校の頃はねえ、それなりに貰ったものでございますよ。わっはっは。 ま、当時はね、私も未熟者でしたから、沢山もらえればそれだけ自慢というか、誇らしかったものですけど、今から考えてみるとそんなこたぁどうでもいいのでありまして、最終的に一人の人から一生貰い続けられるようになればいいんですな。そしてそうなるコツは一つ、心の優しい人、そしてジェントルマンになればいい。 だから、今日チョコを貰えなかった日本全国の「モテナイ君」たち! がっかりすることはないのだよ。いつか、君に見合う人が現れるはずだ。 さて、その私に見合う人、つまり家内ですが、彼女は今日は風邪で完全にダウンしております。いつもなら手作りのチョコレート・ケーキなどを焼いてくれるのですが、今年はそんな具合ですので、ヴァレンタインはしばし延期。とりあえず早く風邪を直してもらわないとね。 はーい、これをお読みの私の家内の友人たち! 可哀想な家内に見舞いのメールの一つも入れてやっておくんなさい。退屈して伏せっておりますのでね。どうぞよろしゅうお願いいたします。
February 14, 2011
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ひゃー、ようやっと期末試験の採点が終わりました~。風邪を発症しての作業だったので、いつも以上に辛かった~。 ということで、毎度恒例、期末試験の誤字特集と参りましょう。よくあるパターン編共なう:こう書かれると、「今、○○と一緒にいるよ~」というツイッターかと思ってしまう。「伴う」でしょ。深重:深く、重ーく。何となく感じは合ってますけど、正しくは「慎重」。正実:これじゃ、人名だよ! 「誠実」と書きなされ。無台:せっかくの「舞台」が台無しだ。万場(満上)一致:正しくは「満場一致」ですね。警事:ま、確かに「警察関係の事」かも知れませんが、正しくは「刑事」。予地:「余地」のつもりらしいですけど、「予知」と混ざったか?概用:「大体こんな感じで使ってまーす」みたいな? ちゃんと「概要」と書いて下さい。意味深編分壇:「文壇」も個性派ぞろいですから、党派がありそうです。締める:「諦める」ことができず、憎さ百倍で締めちゃった?!権言:確かに権威者の言葉はオールマイティかも。正しくは「権限」。強裂:なるほど、ビリビリとね。何かを引き裂いちゃうほど「強烈」な思いがあるのかしら。それはないだろう編反廃:本人は「反発」のつもりらしいですが・・・。実事:「事実」のつもり。「鳥取県」のことを「取鳥県」と間違えるようなもんか? 反骨する:「反骨」を動詞で使う例は、初めて見ました。カタカナ編チャンピョン:なんか「ピョンヤン」みたいですね。普通は「チャンピオン」じゃない? そして今期の誤字大賞はカタカナ編から・・・ 「ナイスドイツ」でーす! 何度も使ってあったので、本当にこういう言葉だと思っているようですが、ヒトラーご一行を褒めてどうする。「ナイス!」はまずいでしょ・・・。 さてさて、これで採点も終わりましたけど、次は修士論文の査読です。延々と公務が続いて、なかなか自分の仕事まで行きつきません。すさまじきものは宮仕えでございますなあ・・・。
February 13, 2011
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夫婦二人して風邪引いてしまったので、現在「病病介護」中。病人が病人を介護するというね。今日は私の方が症状が軽かったので、近所のスーパーに買い物に出て、昼は出来あいのお弁当、夜は私が腕をふるって八宝菜を作りました。って言っても、ただ白菜を切って炒めて、市販の「八宝菜の素」みたいなのを合わせるだけなんですけどね・・・。 ま、そんな調子で湿気た連休でございます。 しかし、そうは言っても仕事はせにゃいかん。私の目下の仕事は期末試験の採点。 ところがね、これがまたがっかりさせられることの多い作業でありまして。 とにかく学生の出来が悪い。年々悪くなるばかり。やっぱり「ゆとり世代」のせいなのか、まあ、恐ろしくなるほど出来ない。 英語が出来ないのは無論のこと、日本語すら怪しい。意味不明の言葉の羅列。こいつら全員、日本語習いたての外国人か?と疑われるほど。 で、ただ馬鹿なだけならまだしも、さらにずうずうしいのがいましてね。答案の最後にこんなこと書いてくる奴がいるんですよ。曰く、「もし点数が足りない場合は、このアドレスにメールして下さい。救済そ置としてレポート課題をお願いできたらと思います」ですと。 自分で勝手に救済措置を考えてるよ・・・。大体、ここにメールしろなんて、何で学生に命令されなきゃいかんのですかっ!! しかも「措置」という漢字すら書けないという・・・。 あー、腹が立つ! もちろん、こんな奴、救済しませんけどね。 しかし、これが一応は国立大学の学生だってんですからね・・・。 ごくごく簡単なテストだというのに、まともに点数をつけていったら、クラスの半分は落第するというこの事態。この国は大丈夫なんでしょうか。我が国の将来は、ヒジョーに危ういですぞ!
February 12, 2011
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案の定というか、ワタクシの風邪が家内にうつってしまい、今日は夫婦共倒れ。もう、原因ははっきりしているので、家内に申し訳ない。 ということで、せっかく外では雪が降っていて、雪好きのワタクシとしては、いつもならテンション上がりっぱなしのはずなんですが、湿気た一日となってしまいました。 それでも、ワタクシの方はそろそろ峠を越えたかな、というところなので、明日はワタクシが看病の側に回るとしましょう。 それでは皆様、今日はもう寝ます。御休みなさーい!
February 11, 2011
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ひゃー。やっぱり風邪が悪化してしまいました。本当は今日は忘・卒論会の予定だったのですが、それはドタキャンして病院へ。 すると、まあいるわ、いるわ。待合室が診察の順番を待つ人でごった返しておりました。今、風邪やらインフルエンザやらが流行しているようですなあ・・・。 それにしても、風邪のウイルスって戦略を間違えてない? 風邪にかかるとすごーくいい気持ちになるんだったら、どんどん風邪にかかりたい人間が増えて、ウイルスも良いペースで増殖できると思うのですが、逆に気分が悪くなるので、抗生物質とかで退治されてしまう。馬鹿だよね、ウイルス。 ま、それはともかく、今日、大学へ行ったら、事務から私宛てに連絡が来ていて、何かと思ったら、うちの大学の出版会から印税の連絡でした。 そう、私は勤務先大学の出版会から二冊、本を出しているので、この時期、印税が入るんです~。 と言っても、何せ大学生協でのみ取り扱う本ですから、売れた部数も大したことなくて、今季売れたのは150冊程度。ですが、印税率が通常の10%ではなく35%なので、売れた部数が少ない割に印税は多くて、5万円弱。わっはっは、結構なお小遣いじゃありませんか。 で、もう一つ朗報だったのは、私があまりにも辛辣に、かつ執拗に訴えたものですから、ついに大学執行部も重い腰を動かし、現在、アマゾンでの取り扱いを検討中とのこと。わーい、アマゾンで販売できることになれば、もうちょっとは売れ行きも上がるでしょうし、そうなれば私の印税もさらにアップか? いいですねえ。 ということで、悪いこともあれば、善いこともあり。風邪で多少グッタリはしていますが、出版会からの朗報に少し元気が出てきたワタクシなのであります。今日も、いい日だ!
February 10, 2011
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ああ~。風邪引いた・・・。 最近、引かないなあと思っていたらやっぱりやってもうた。この忙しい時に・・・。 それはともかく、私が愛読する「ほぼ日刊イトイ新聞」の特集で、荒俣宏大先生が「目眩く愛書家の世界」と銘打って、「愛書家」の何たるかということをご教示下さっているのですが、これが非常に面白い! なかなかお目にかかれないような19世紀挿絵本を数々紹介されていますので、必見です。目眩く愛書家の世界 これを読むと、アラマタ先生のすごさが分かりますなあ。私もいつか、こういう三昧に入ってみたいです。
February 9, 2011
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期末試験もひと段落したこの時期、大学ではよく「最終講義」が行われます。この3月で定年退職される教授が、学生や卒業生などに向けて、勤務先での最後の特別授業をするんですな。で、この最終講義には、仲のいい同僚の先生なども拝聴しに行くことが多い。 で、今回、私も親しくさせていただいている先生の最終講義があったもので、私も聞きに行きました。 その先生(女性)は言語学がご専門なんですが、才色兼備と言いますか、研究者として優れているばかりでなく、実に上品でお美しく、事務能力もあり、しかも誰に対しても公平で、人当たりも良く、それでいて批判すべきところではズバッと批判するガッツもあり・・・と、とにかく素晴らしい方なんです。私もこの先生に対しては、褒める言葉しか思い浮かびません。 で、今回の最終講義は、(恒例に従って)初めて赴任した時の思い出や、三十有余年にわたる勤務の中でどのような授業をしてきたかなどを紹介しつつ、最後に言語学の尽きせぬ魅力を語って終わるという、美しい最終講義でございました。 講義の中で印象的だったのは、言語学の役割について触れられた一節で、「言語学はミミズの営みに似ている。学問として派手さはなく、人に知られることもないが、ミミズが少しずつでも土壌を改良していくように、言語学者も少しずつ言語の謎を解明し、もって人の役に立つことを志すべきだ」とおっしゃったこと。おそらく先生の座右の銘なのでしょう。 それからもう一つ、講義の後、質疑応答があり、学生の中から「先生はどうやって英語力をつけられたのですか?」という質問に対して、先生が「私はビートルズとアガサ・クリスティで英語力を養ったのよ」と答えられたのが、印象に残りました。 特にアガサ・クリスティは、いわゆる高踏的な文学作品と違い、日常的な言葉遣いが作中に出てくるので、これを大量に読破したことが、日常会話も含め、先生の英語力の形成に大きな役目を果たしたとのこと。 今、英語力の形成という点で、英文を大量に読むことがいい、ということが盛んに言われるようになってきただけに、それを自ら実践された先生の言葉には説得力があります。 しかし、それ以上に強く思ったのは、「世代だなあ」ってこと。 つまりね、先生が属する団塊の世代から、私くらいの年代までは、まだ外国(西欧)に対する憧れっつーのがあったんですわ。だからこそ、洋楽を聴けば日本の歌謡曲よりよっぽどカッコイイと思い、歌詞の内容が知りたいと思い、洋画を見れば洋画の世界に魅了され、字幕なしで映画が見れたらいいなと思い、そういう憧れが、例えば英語の勉強にしてもモチベーションになったんですよね。 今の学生に聞くと、洋楽は聴かないし、洋画は見ないし。そもそも字幕が読めないし。で、何でそういうのを聴いたり見たりしないのかというと、そもそも外国に対する憧れがない。これじゃね、モチベーションなしに勉強するようなもんで、英語の上達は望めません。 ビートルズとアガサ・クリスティか・・・。なーんか、良い時代だったんじゃないかしら、先生の青春時代って。 とまあ、尊敬する先生の最終講義を拝聴しながら、そんなことを考えていた私だったのでありましたとさ。
February 8, 2011
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ブログに先立ちまして、ラリーに出場してクラッシュし、あわや腕切断という、選手生命に関わる大怪我をしたF1レーサー、ロバート・クビサさんの一日も早い快癒とレースへの復帰を祈念したいと思います。 さて、名古屋に戻って参りました~。 東京の実家に居るとあまりテレビを見ないものですから、世間の動向に疎くなるんですけど、ついに大相撲春場所中止ですって? まあ、たかが八百長くらいのことでよくもまあそこまでやりますなあ。 前にも書きましたが、そんな大問題かなあ、プロスポーツの八百長が。私も件の八百長相撲のビデオは見ましたけど、上手に打ち合わせ通りの相撲を取るもんだなあ、さすがプロだけのことはあるなあ、と感心したくらいなもんですよ。 大体、ガチンコ勝負をしないという意味なら、相撲とりのみならず、世間の人だってガチンコ勝負すべきところでしないことなんか沢山あると思うのですが。 例えば先生稼業だって、そういうことはよくありますよ。自分の授業の単位が取れなければ卒業が出来ない、なんて学生が期末試験で落第点をとった場合、本来ならガチンコで落第させ、その学生の就職も何もかも台無しにすべきなんでしょうけど、私、それ、出来ないですもん。本当ならバツの解答に中間点とか与えて、無理やり合格ということにさせちゃったりするよ。あるいは特別に呼び出して、余計な宿題を課す代わりに合格させてやるとか。 あるいはこういうのはどう? 万引きした中学生捕まえて、本来なら警察に突き出すべきところ、温情をかけて許してやったとか。 そういうのだって、広い意味で言えば八百長じゃないの? 少なくとも、7勝7敗の相手に、千秋楽で負けてやる「人情相撲」と同じようなもんですわ。 同じく、死刑囚に対し、刑の執行をしぶる法務大臣も八百長ですよ。これはまさしく法律違反の八百長だ。 高校野球で、「正々堂々プレーをすることを誓います」なんて言いながら、いきなり敬遠プレーとかやるのだって、本当ならストライクとれるのにわざとボールを投げるんだから、ある意味、八百長なんじゃないの? ってなわけで、レベルや意味合いこそ違え、ガチンコ勝負をすべきところでそれをしないということは、世間に色々ありますよ。自分はこれまでそういうことをしたことがないし、これからもするつもりもない、という人だけが石もて八百長力士を撃てばいい。私にはできません。 いささか話が飛ぶようですけど、私が角界の八百長問題なんかよりもよっぽど許せないのは、自衛隊内のいじめ問題。この間ドキュメンタリー番組で見たんですけど、自衛隊内で上官や先輩によるいじめが原因で、自殺しちゃう自衛官が結構な数いるそうじゃないですか。 で、遺族が証拠を揃えて訴えても、「あれはいじめではなく、厳しい指導でした」ということにされてしまう。いじめた奴らは、せいぜい停職5日間とか、そんな程度の軽い処分で済まされてしまうんだそうです。そのため、遺族はさらに控訴したり、上告したりして長い長い法廷闘争を強いられることになると。その間の精神的な苦痛は大変なもので、中には体調を崩して亡くなってしまう遺族もいるとか。 八百長も、いじめも、どちらも人間性のなせる業だと思うのですけど、私が思うに、許せないのはいじめの方よ。もし自衛隊にそういういじめの構造があり、それを是正する気もないというのなら、それこそマスコミが世論に訴えて、自衛隊の構造改革を強いるようなことをしなきゃダメだと思う。 誰が誰をいじめ、どの上官がそのことを知りながら知らんふりを決め込んだのか。それを完全に解明するまでは、自衛隊に予算を付けない。そのくらいのことをやらなきゃ、いかんのじゃないの? そうでなきゃ、誰が自衛隊に入隊したいと思う? いじめの構造を野放しにしている自衛隊の在り方は、ある意味、国防に関わることであって、断じて放ってはおけないですよ。 でね、片やそんな重大な問題があるのにですよ、マスコミの馬鹿どもは、たかが八百長程度の問題で相撲協会いじめに邁進している。私は、そういうことが我慢できないです。お前ら、そんなことやっている間に、自衛隊のいじめの問題を大々的に、3段ぶち抜きで告発しろって。そっちでは、人が死んでるんだぞ。 ま、これは一つの例ですけど、事には軽重というものがあって、角界の八百長問題と自衛隊のいじめ問題では、いじめの方がよほど重い問題だと思う。 だから、馬鹿なマスコミなんかに踊らされず、角界の八百長問題なんか放っておいて、自衛隊のいじめ問題の方を重大視しましょうや。まず重い問題から取り組みましょうや。私はそう思うのでございます。読者諸賢のご意見や如何に。
February 7, 2011
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週末の日曜日、小学校時代の恩師の墓参があるため、金曜日に東京の実家に戻って参りました。 恩師が亡くなってもう29年、もう私自身が、先生が担任をしてくださっていた時と同じくらいの年齢になってしまいましたけどね・・・。 しかし、思い返してみると、当時40代後半だったと思しき先生は、白髪の方が多い銀髪で、歯は既に総入れ歯。小学生の私から見れば相当な大人でしたけど、今のちゃらい私と同じくらいの年齢だったと思うと、ほんとに驚きます。海軍兵学校出身のエリート、彫の深い、ギリシャの彫刻のような、あるいはアブラハム・リンカーンのような、凛々しいお顔立ちの先生でした。まるでジャコメッティの作品のように、贅肉というものを一切そぎ落としたような先生でしたねえ・・・。 卒業式の日に「釈迦楽、お前は学者になれよ」と握手してくれた先生。あの先生の言葉を思い返す度に、わが身を振り返って恥じ入るばかりの人生でございますが、まあこれから少しずつなんとかして参りますということで。 さて、墓参は明日なので、今日は一日実家でのんびりと。しかし、先日お話ししたように、モバイル用の小型ノートを壊してしまったので、今回はパソコン持参なし。これがね、ものすごい不安。父のパソコンを借りてこれを書いておりますが、やっぱり自分の分身たるパソコンがないと不安だわ~。 ということで、原稿書きができない代わり、期末試験の答案などを持参に及んでいる私。今日は赤ペン片手に退屈な採点作業に費やす予定でございます。
February 4, 2011
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八百長騒動で、またまた相撲協会が大揺れですなあ・・・。放駒も可哀想に。 だけど、根っからの相撲ファンとして言わせてもらうと、ワタクシ、別に八百長があったっていいよ。っていうか、人間同士の勝負なんで、100%八百長のない世界なんて、最初から期待してないもん。それどころか、そもそも相撲ってのはスポーツというよりは芸能に近いものだとワタクシは思っていて、土俵の回りに集まってきた八百万の神様たちに観てもらって大笑いしてもらえばいいもんだと思っているんだもの。天岩戸のストリップ伝説みたいなもんで。そういう神々の宴会に、人間もお相伴させてもらっている。それが大相撲ってもんじゃないの? ま、八百長を認めたんじゃあ、管轄している文科省の顔が立たないというなら、相撲協会はさっさと文科省の管轄から外れればいいのよ。プロレスと同じになればいい。もともとそういうもんなんだから。相撲協会も、世論に煽られて、「八百長なんて言語道断!」だなんて言ってないで、「うちら、大体そういうもんですから」とか言って開き直ればいいのに。 ま、それはさておきまして。 今日は節分。ということで、ワタクシ、ついに最近流行りの「恵方巻き」ってんですか? あれを食べてしまいましたよ。生れて初めて。 アレ、もともと関西方面の習慣なんでしょ? 関東男たるワタクシは、そんな風習聞いたことない。だから今まではとりあえず無視していたのですけど、しかし、おいしそうな太巻きを食べるだけなら別に意固地になることもないかと思い直し、今年、初めて食べてみたと。もちろん、今年の恵方である南南東の方角を向きながらガブリとね。すると・・・ うーん、うまーい! アナゴとかカニとか卵とか菜の花とか干瓢とか、そんなのがぎっしり詰まった太巻きをがしっとほおばってみると、当然のことながら旨いじゃありませんか。なるほど、こういうものだったのね、恵方巻きって。 あ、願い事するの忘れた・・・。旨い旨いとか言って、全部食べちゃったよ、どうしよう・・・。 ま、とりあえず今、幸せだから別にいいか。強いて言えば、まだ開けてない「年末ジャンボ宝くじ」が当たっていますように、っと!
February 3, 2011
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ブルース・ウィリス主演の映画『RED』を観てきました。以下、ネタばれ注意です。 ブルース演じる元CIAエージェントのフランクは、引退後、静かな余生を送っており、唯一の楽しみと言えば、彼に年金を支給してくれる担当者サラと電話で会話することくらい。 ところがある日、彼はCIAの工作員から襲撃されてしまいます。もちろん伝説となるほど優秀な工作員であったフランクは、彼らを軽く片づけてしまいますが、当然、電話も盗聴されていただろうと判断、サラの家に駆けつけると、案の定CIAがサラを襲撃に来る。そこでフランクは事情の分からないサラを誘拐するようにして救出した上、彼の元上司で、今は末期がんを患いながら老人ホームで余生を送っているジョー(モーガン・フリーマン)を尋ね、助力を求めることに。そしてジョーの調査により、フランクを襲ったのと同じグループが最近、NYタイムズの記者を殺害していたことも判明。 どうやらことは、NYタイムズの記者が追っていたある事件に関係しているらしいんですな。事実、その事件の関係者が次々と殺されていることも分かってくる。実はフランクもこの事件に関係したことがあったので、それで襲撃を受けたらしい。そして、同じく事件関係者の一人で、かつてのフランクのライバルでもあったマーヴィン(ジョン・マルコヴィッチ)を訪れると、やはりここでもCIAの襲撃にあうことに。 で、色々調べてみると、このCIAによる襲撃は、アメリカ副大統領が糸を引いているらしいことが分かって来る。 この副大統領、実はかつてある紛争において、戦争とは無関係な村を全滅させる作戦に関与してしまっていたんですな。で、彼がこの先大統領に立候補する場合、この事実が発覚すると非常に不利になります。それで、NYタイムズの記者がこの事実を取材し始めたのを察知した副大統領が隠ぺい工作に走り、CIAを使って当該の記者のみならず、事実を知る者全員を抹殺しようとしたのではないか・・・。 で、フランクとマーヴィン、それにジョーは、元イギリスMI6の工作員ヴィクトリア(ヘレン・ミレン)も巻き込みながら、「元腕利き工作員ドリーム・チーム」を結成、副大統領の陰謀と対決していくことになる・・・ とまあ、そんな話です。で、この映画に対する私の評価は・・・ 「80点」でーす! かなりの高得点! ブルース・ウィリスにモーガン・フリーマン、ヘレン・ミレンにジョン・マルコヴィッチと、大物俳優を並べたおちゃらけ映画かと思いきや、意外にしっかりした作りのアクション映画で、最初から最後まで見せます。CIA側の若手エージェントを演じるカール・アーバンも、単なるアホな敵役にはされてないし、娯楽映画としてはそこそこの出来なのではないかと。ま、もちろん娯楽映画といって、それ以上でもそれ以下でもないですけどね。 というわけで、この映画、映画館でお金を出して見ても損はないと思いますので、興味のある方は是非! 教授のおすすめ!です。 それにしても今年は初頭から割と面白い映画が続きますね。『ウォール・ストリート』もちょっと興味があるし、2月の終わりには本命『英国王のスピーチ』が封切り。これは必見でしょう。今から楽しみです。
February 2, 2011
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大学院の授業が終わった~。 今年の院の授業では、院生たちに「自分なりに『これが最善』と思う英語の教材・教科書を作ってみなさい」という課題を与えていたのですが、始めのうちは大分戸惑っていたものの、ここへ来て大分熱心に、それぞれの目指すものを作り出しておりました。 で、院生の中に一人、ベテランの現職の中学校の先生が居るのですが、その方はベーシック・イングリッシュを応用して、自分でオリジナルのストーリーを英語で書き、それを教科書にする、ということをやっていまして、そのストーリーと言うのがなかなか面白いわけ。 何しろ、自由気ままにストーリーを作ればいいというものではなく、その単元で勉強することになっている基本動詞を多用するストーリーになっていなければならないので、かなりきつい制限があるはずなんですが、その制限をクリアしながら、ストーリーとしてもちゃんと成立しているわけ。 で、私がそこを評価して、「こういう風に自分でオリジナルのストーリーを考えるのは、得意なんですか?」と尋ねると、「今まで長いこと教員生活をしていて、自分で物語を作るなんて初めてです」とのこと。 で、今はストーリーを考えるのが楽しくて仕方がない、と、本当に嬉しそうにしているので、課題を与えた私もすっかり嬉しくなりました。 多分50歳台と思しきその先生、この年齢にして、自らのストーリー・テラーとしての才能に気づいてしまったわけですからね。今まで開花していなかった才能を一つ、引き出すことができたのだとすれば、私の授業もまんざら無駄ではなかったのかな、と。 というわけで、今日はちょっと嬉しい気分のワタクシなのであります。今日も、いい日だ!
February 1, 2011
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