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水曜日のセミナール。恋愛のディスクール。私は普段から軽い私の頭をふらふらさせる。前日、バイトにいったのだが、調子は悪く、というのも、調子を悪くさせるような人とあってしまったから。おそらく。悪い人ではないのだが、その人の話し方、・・・バイトが終わった後、友人に電話をかける。「大丈夫?」と彼女の声。大丈夫といいながら鼻をすする私。「大丈夫じゃないんでしょう。」「うん、まあ。」だから、電話をかけるのだけれど。私は彼女の声を聞いてほっとする。まあ、話がわかる人だと思っているのだから。ともかく、こういった夜には誰かがつかまらないと、私の状態は暗礁に乗り上げてしまうかもしれない。大抵は嵐がやってきても、それらは、流れていく。が、早めに手はうたなくては。もしもということがある。帰り道、とまらない涙に記憶は過去へさかのぼる。うつろな瞳。私は当時の相手をもはや、見つめなかった。いったん、底に落とされた精神は、記憶をさまよい、そうして、彼女は恐れ、おびえ、けれど、どこへたよっていいものか。 翌日、授業をさぼる。休んだほうがいいのでは、少し、体を休ませれば・・・FへSOS。でも、頼りにならない。もう、いや。それで、私は文章を長い文章をかきながら、その翌日にはFに馬鹿!!という。結局、どうにかなって、生きながらえているわけだけれど、でも、私が生きながらえているのは私のSOSに答えてくれる人が今は必ず、誰かはいるということなのだ。が、周りの人間に対する負担は大きい。大事なのは、それに対して、私が自己嫌悪などに陥らないことだ。支えきれない私自身という存在に、「最低だね。」とか、「あきれた。」とかいうような私の元恋人や周りの人間の不理解のまなざしやことばが直接、私の心にささらないようにすることだ。そうして、自暴自棄になる。今は、頼りにならない関係はいらないわ。遊びたきゃ遊べばいい。よっぱらったような私の心のFへの自白。眠りにつこうとする私の枕元、さまよって・・・そうして。半分、どうでもいい。なぜ、私が・・・眠るときって、そうだ。意識がなくなるときって。自暴自棄になって。 それでも、私が授業中、具合悪くなったとき、先生は私の顔を見ている。一概に心配そうという顔でもなく落ち着いたような、そんな顔をみていると、頼りにしたくなるような。 私は話すことで、とりとめがなくなって、とりとめがないので、しかも、結論が出せず、結論が出せない上にいったん、崩した精神的不健康の渦が体全体に・・・そうして、いったん、流れた涙が止められなくなった。「動揺しないで。」という先生をさえぎって、私は早口で、わけがわからなくなり、「いいえ、先生のせいじゃないのです。」と、心の中。「私は昨日から具合が悪くなって。」などと、「ええ、少し、休みます。」「大丈夫です。あと、一時間、すれば。」「本当に大丈夫なのです。」などと、同じ言葉ははっきりとしないが、唇の間で震えている。荷物をまとめ、教室を飛び出した。なぜ、とまらないのだろう。電車の中でも・・・どこでも、止められない。自分をどこにおいていいのだろう。食堂はいやだ。昔のように一人になれる空間。でも、学校の中、すべてが明るすぎる。隠れられない。涙は、この気持ち悪さも。だから、泣いたからといってすべての人が助けてくれるわけではないのだけれど、暗闇を求めながら・・・しょうがないと、あきらめ、保健室に行った。ベッドに横になるが、あと、一人、寝息をたてている。顔は見えない。私は思い切って、泣くことはできない。私は・・・ばらばらだ。どうして、こう、どうってことなく見えるようなことで、ここまで、ばらばらになってしまうのだろう。 前日、はじめて、ある人と遭遇した。名前は知っていたのだ。フランスに暮らしていた経験があるということ。フランス語で話してみましょうかという私の冗談。彼女はとまどいながら、それから、私の発音が悪いという。何度も、一年もいたのに、もったいない、と、繰り返す。でもって、私、勘違いしたのがいけない。そうして、文章も中途半端で普段、避けてしまうことがある。表現力の低下。 フランスに戻りたいときは、道でいろんな人と知り合えること、というと、一年いたくらいであまり、そんなこと、話すべきではないという。あなたはバカロレアをとおった人々などと、たくさん、話をしましたか?などなど。いい加減してよと、思うのが、彼女の行き着いてしまうのは、私の若さであるとか、未経験だなどと、いい連ねる。彼女はきっと、経験をたくさん、つんだようなそんな気分でいるのかもしれない。日本に帰ってきてからのいらだち。サラリーマンであるとか、価値観やたとえば、就職のためになすことであるとか、学校にいくこと、英語をやりことなど、何か、決まった軸の考え、流れにいらいら。私はふつうの人々という。もう少し、枠ではなく何か、決まったものの考え方にのっとらず、ものを思えないのかしら。と・・・彼女は私がせまい、という。ふつうのものはないのだ、と。ふつうといってしまった過失をはじながら・・・じゃあ、どういったらいいのだろう、さまよう言葉の端に彼女が釘をさしていく。私の体は動かせない。おかみさんも、一緒になって私の若さ、未経験等、たとえば、親に支えてもらっていることなどを・・・結局、私には何が言いたいのかわからなくなってくる。何で、そこばっかり。いい加減、会話なんてやめてしまいたい、と、思う。そもそも、バイトにきているのに、お客さんはまばら。高級だからしょうがないのかしら。でも、考えない頭で、世界の問題の切れ端を扱うのは、いい加減、疲れるし、私は世界の貧しさを話すとするのならば、どこかで、沈黙の必要があるかのように感じる。それらは、私たちが実感し得ぬものであるし、実感したとするなら、どうしようもなさにたどり着く。私、どうしたらいいの。もう、いや。もう、いや。疲れて・・・だから、疲れているのに。それでも、彼女は言葉をやめないだろうし、おかみさんもやめないだろう。結局、私が若いから、とか、そういって、私の考えがせまいといってしまうなら、はじめから、何も話さなければいいのに・・・反抗の気持ちがもたげる。どっちみち、何を言おうが、おかみさんはマダムなのだ。要は金持ちなのだ。自分では自覚していなくても、一日の労働時間は5時間、長くて6時間。自宅が上にあるから、じゃあ、少し失礼しますって消えてしまうこともある。いい人だけれど、いろいろ、くださるのだけれど、私が親に支えてもらっているから、と言える身分ではないのだ。そんな気持ちに気がついてか、おかみさんはいう。「私も親を離れてすぐ、結婚したから。」と。まだ、少し、そんな風にいってくれる余裕があるから、いいのかもしれない。ただ、私には考えるところがある。何か、ゴシップでなく、別なことを話し、私からひきだそうとするならば、年齢であるとか、社会的な弱さとかで、話をしないでほしい。本当に悔しかった。いつも、悔しいのだ。少しづつ、自分のことが言えるようになる。が、方法はよく、間違える。相手によって、間違えるというのもある。先生方は、たくみであって、私は私の言葉が引き出されるのが感じる。私の力だけではない。 だけれど、私が社会で生きていく中で、せっせと生きている人たちの中で・・・言葉を話そうとするならば、それは戦いになってしまう。壁が見える。私は現実を語るのに、それらは時に否定されてしまう。 もっと、具体的に語ったほうがいいのだろうか?私の身近な人々を裏切って。もっともっと、思うところ、不満を燃え滾らせて、時に彼らを怒らせて、書いてしまっていいものだろうか?日常を書くこと、本当に書くのならば、それはスリル。なぜだか、語ることよりも語らないことを約束させられる。すべてが、プラスではないのに、マイナスはあまり、寛容な顔で迎えられない。でも、私は抱えている。こんなにいっても、おかみさんのことは好き。でも、この日ゆえに彼女のことは愛せるかわからない。彼女は私について何にも知らない。私は話そうときっと、してしまったのだけれど、とぎされて、そうして、彼女は彼女の知識を語り始める。もう、おばさん・・・これから、挑戦するらしいのだ。ああ、そう。だんなさんがいて、ふりーたーのように働き、あらゆることに意思、意欲があり・・・表面上、笑顔の彼女。笑顔ね・・・どこか、冷めて・・・ぺらぺら出てくる知識。なんだか、むなしい。 私は彼女たちがだんだん、嫌いになってくる。その日はむかついていたから。そうして、私の先生を思い出す。最近、いつもだ。いつも、彼は見守る。言葉は意表をつく。私は守られている。どんなに子供でもつかみかかっていっても、大人にはわかってはいても、いわないことがある。だから、私は大人に頭があがらない。私の先生に頭があがらない。
Oct 28, 2005
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もうひとつ、うすうす、気づいていたがえっーーーって思うこと。ある先生の下で行われる授業。ほとんど、生徒がいない現状でして。私にとっては、そこで、学んでいる人々はみんな、学友なのですがね。私のその中の友人が私の意志など関係なく、勝手に私と誰かをくっつけようとしていて・・・誤解が激しい。どうしたものか。しかも、相手が非常にまじめな人でして、われわれ、あんまり、話を持たせることができないのに。彼の質問の意味が理解できなかったりね。私って、ほら、無意識で移動するものだから、どうやら、異次元の動物に思われてもよさそうなのに、どうやら、そのようにとらわれず、「君と僕は同じなんだ!!」と、疑問を投げかけたくなる人に言われることがある。「同じなんだ!」と、言われて。。「でも、私は貴方より狂っているし、神経質なのよ。」と、いうと、「君には暇つぶしがないのだ。テレビをあげよう。」とか、言われたりね。そういうことじゃないのに。まさに、理解されてないときに、そんなこといわれるのってどうなのかしら。下手したら、勘違いしている男の子がその対象である人をあおっている可能性もあり、正直、私がタッチする問題ではないのかもしれない。さらに、対象なのは私らしいが。三角関係、真ん中の人が何もしらず、三角、成立せず、とは、よくあること。えっーーーと、困りながらうーーーん、と、考え、ま、いっか、と、何かと何かのプリントの間に滑り込ませ・・・しばらくして忘れて、が、勘違いされているなあ、と、実感するとやっぱり、訂正したほうがいいのではないか、とどこかで、鎖を断ち切るかと・・・さて、重たい腰をあげようか、、どうしようか?
Oct 19, 2005
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私は昨晩、叫んでいたのです。読んでいるテキストが難しくまた、記号等が出てくるためにくたくたに、、私の頭もしわしわに。おかげで、落ち着いて眠れない。参ったーーー!! 覚悟を決め教室へ。ううーーーん。入るなり泣き言。だって・・・だって・・・予習が完璧ではないのだ。そりゃ、完璧だったことなんてないけどさ。ないけど、、まだもう少し何とかならないのかね。 一時間目は遅刻。「うららららーーーマドモワゼル」と、教室に入るなり先生が。その日の復讐なのかその日は思いっきり、ネタにされた。私はいまだに、ぞうりをはいているので・・・ううーーん、モードの話しついでに「マドモワゼル、君はまったくモードは・・・エレガンスを学ぶべきね。」って。エレガンスね、エレガンス、Fと食事に行ったときは「君はなんてエレガンスなんだ。僕はうれしい。」とか、言われたのだけれど。普段は手抜きで・・・まさに、手抜きで男の子に見えたっていいや、という感じで・・・エレガンスか。そんないいわ、と、向かいにたつ高層マンション眺めていました。 眠りとそれから、怠惰な雰囲気。やってられないわ、ペンを口にくわえながら。狭い教室の中で、よく、鳥になりたいとか、何かを考えれば、必ずそれは、窓から飛び立ってしまう。窓はたいてい、閉じられていて、そんなわけで、教室は私の考え事で充満してしまう。問題の三時間目、私のゼミ、ジャック・ラカン。覚えたくもないようなフランス語の用語の羅列。私が考え事を持ってくるならば、先生はその大きな頭の容積になぞなぞをたくさん、詰め込んでやってくる。時に煙にまかれて、私は眠ってしまう。なぞはどこまで、おいかけてくるのだろう。この瞬間だけなぞなぞの中でよく、眠れるのが理解できる。そうはさせるかと、先週、先生のお叱り。不安と失望、なんだか、ネガティヴに恐怖を抱え・・・眠ることができない。いつも、ころころ、変わってしまう人々。また、先生が冗談を言うのだが、笑いのない教室。代わりに私の友人に先生のコネタ集を披露。結局、彼らがゲラゲラ、笑っている。そうして、君の先生はまさに、変人だ!!とか、いう。もちろん、いい意味で。彼らは変人が好きなのだ。だから、先生にとって未知のまなざしがたとえば学食で先生を見かけ情報を元に勝手に想像をめぐらせる。先生はその想像とまなざしを無意識でくぐっている。
Oct 19, 2005
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この前の題の微妙に怒られているのは予習のことです。忘れてしまって。なんだか、ぼおおーーとしながら、キーをたたいているのです。
Oct 13, 2005
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恒例の、一週間に一度のフラメンコ教室が今日だった。スカートはレンタル。実は、私、ウェストが細くて足が長かったので、なかなか、出ないサイズらしく今、スペインに発注かけているのです。踊っているとトランスしてしまいます。アナイス・ニンの研究?を今、やっているのですが、日記がキーフとか、なんだか麻薬のようなものだって彼女、言ってましたっけ。私にとって、まだ、日記、キーフにも何にもならないわ。でも、リモージュにいたときは日記を書くことが、少し、そうだったかも。ストレス解消といいながら私、たばこ、すえないし、たばこ、すえなきゃ、その先のカナビスなんて到底、手がだせないから。かといって街に誰かを漁りにいくわけにもいかない。フラメンコ、やっていて、動作のとまるときが、恥ずかしくてしょうがない。半分、くやしくて。くせがあるのは文章だけでなし、歩き方、ペンの持ち方、視線の使い方、ほとんどすべての日常的動作に自己流があってなんだか、直すのに一苦労。バイトなんてやっていて、ましてや、結婚式の宴会のバイトですし、そうなると、周りとあわせるというのでしょうか、なかなか、手際も必要とされるのでして、ここは、私の頭の中とはまったく違うのだなって。ましてや、日本人、フランス人よりは仕事熱心??なはず。そうね・・・こないだ、宴会場のいすをぴたっとまっすぐ、並べたときなんて、びっくりしました。なんだか、細かいというか。。私の肉眼では区別がつかなくて・・・どっちみち、お客さんが座ればぐしゃぐしゃになってしまうのに、それこそ、いすが、チェスのこまのように並んでいるのです。正直、気持ち悪くなりました。 気持ち悪くなったといえば、また、日本の社会のことで女性って、割りに家にしばられてても気にならないものなのでしょうか?自分が空っぽになってしまっても周りに自分がいる価値があるのだ、とりあえず、そうすりこませて、そうして、馴染んでいけるのでしょうか? 私、主婦って、わからなくなるのです。でも、オレンジページなんて読むのすきなのです。結局は幸せな主婦の話を聞くのは好きなのですが・・そうではない場合、なんだか、さびしくなってしまうのですね。私の母、老人ホームで働いているものですから趣味もなく、家事をこなし、そうして、娘や夫、息子のためと思い、日々をすごす彼女たちが一人になると、ふっと、そのうち、糸がきれて老人ホームなんているのじゃないかしら。だから、私は母を背負っていけるほど、強くはないのだし一人っ子ですが、将来、どこにいるのかわからないでしょ・・・だから、友達がいるのなら、作ってほしいし、何かを楽しむ余裕も見つけてほしいし・・・そうはいってもお母さん、忙しいのだからなどと、周りの大人たちがいいます。 時間は・・・今、私も忙しいはずです。でも、作らなければ・・・それに、私一人で私がいっぱいで、そうして、私はいいこでいなさい、と、ずっと、長い間、言われ続けたためにもう、うんざりなのです。 私、日本の社会ですりきれていて・・・少し、冷たいのですね。自分は自分。他人は他人。わが母も悪い人ではないのですが・・・助けた雛のことをずっと、心配してたりね・・・でも、自分の疲れにわれを忘れて、私を踏みつけるとき、私、本当に母をうらみます。こんな母親じゃなくて・・・と、仮定します。 日本に帰ってからできれば、書かないようにと、思っていたのです。バイト先のことも、なるべく、話さないとか、何とか、そういう書類があってサインもしましたし、それに、私にはどうしてかわからないほど傷つく人とか・・・それに、私、主婦の方と働きますが・・・彼女にしたって彼女のやっていることが、私のスクリーンにはどうも無意味に感じられて・・・でも、私のバイト先、余計におしゃべりをする時間があったり(日によるのだが)、まったく、興味も関心も・・・もしかしたら、相手はテレビとか、私が俗だ!!といって馬鹿にしてしまうようなことにしか興味がないかもしれないのに、話し続けるって、どうも苦痛で。いろいろなことが重なりまして・・確かにいろいろな人生があるはずなのに、自分じゃ気にしてしまうようなことが、多くの人は気にならず、こんなにも無頓着で生活のことばかりを考えて息をあらげてやっていけるものかしら・・・私、お金ないのですけれど、元からあったことはないのですが、そのせいか、人におごられ悪い気もせず、ものをもらうことも多く、いじめられっこで、そんな環境に育ちながら、文学に親しみ、ピアノをひく、欲があまり、持てず、ふわーとしていて、でも、ある瞬間に糸をぴんとひいたように神経がいかれてしまう、どうも、そんな弱さが果たしてこの肉体にあっていいのだろうか?と・・・ 具体的には書けないながら、あいまいな、逆にいうとあいまいであってほしいそんな思いをかかえ、東京の空の下にいます。
Oct 13, 2005
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きび団子を持って、岡山から東京に昨晩、帰ってきました。東京は寒くて、特に今日の朝は・・シャワーをあびて、本を読んでいたのですが、ついにダウンでベッドの中。おなかがすき始め、しかし、食べる気力はなく・・・畜生、今、きび団子を食べれば・・・なんて。と、思いながらいかめしを取り出す。口に合わなかった・・・。向こうに持っていったお土産はなかなか、好評で和菓子と後は・・・キャラメルシリーズ。北の誉れ(日本酒)と、メロン、塩バター味。北海道人は変なものを持っている。とはいえ、まだ、冷蔵庫の中に恐怖のキャラメルはあるのだから。食欲のない私は、飲み会の時、友人がおいていったカントリーマアムを食べ、まあ、いい、しょうがない、と、家を出る。頭の中の栄養素はない。これから、難しい講義なのに、このままでは、お邪魔なプランクトンよろしく、先生のお話の上を漂ってしまうわ・・・困ったわね。 今日はバイトをいれなかった。しかし、今日あたりから卒業論文を書き始めよう!!
Oct 11, 2005
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相変わらず、いい加減な私。だからといって別に何がどうしたわけではないのだけれど。フランスであったことは、特に聞かれないので答えないというのもある。おかしなことに、語りたくないという気持ちもある。洗いざらい出してきたはずのものが、ある瞬間にいいや、話してきたはずで、実は話したくないことが隠されていることに気づいてしまったり。その周りをくるくる、回っていてもどうにもなるわけではなく、今週はバイトがないので、時間の余裕がなんとなくあるものの、しかし、どうしていいか・・・でも、実はどうしていいかなんて私自身が一番、知っているはずなのだけれど。 言葉は、とりあえず、一言、二言、話せばそれで、通じるのかもしれない。 とりあえず、一呼吸で・・・・私の日常は特に変わらず、だから、何も触れず・・・
Oct 4, 2005
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