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中学校で子どもの様子を語る会にOBとして参加。校長先生が代わられ、少し変わった気がする。積み上げたものが形式的 枠にはまっている感じ?自己紹介の後、校長先生は聞いているだけで意見を述べなかったのでわからないけど、次男を通して学校から雰囲気として私が勝手に感じることだ。長男のお世話になった兄貴先生は中一プランではなくなり、学校に来た子どもに対応するようになったそうだ。代わって定時制県立高校から赴任した女性の先生が中一プラン支援。その高校では中学時不登校だった生徒の割合が多い。3部制で時間も選べるし、朝起きられないからと言う子にとっては通学しやすい。不登校に理解もあるといわれている。そこでカウンセリング 話しを聴く中で、中学時代背中を押して欲しかったという子、お母さん方には決して言わないだろう子供のプライドもかかった言葉をたくさん聞いてきたという話しがあった。それは 今高校生活を送っている子供さんだからでてきた言葉でもあるのだろう。兄も不登校だったというお母さんが、うちも兄に背中を押して欲しいときがあったといわれたとおっしゃっていた。だからと言って今、下の子に押す気は無いですけどって。家で勉強が出来ないことにも不安が多い。出来ているならそれはそれでいいのでは というお母さんの言葉とともに考えさせられた。こういうとき学校は必ず社会性と言う話になる。学校に来ているだけで勉強して無い子はたくさんいると思う。体に出てしまう子は勉強なんてとても出来ない。勉強そのものが学校を連想させてしまう場合もある。エネルギーが沸いて本当に元気になって したいことをして、それからやっと最後に出来る と言うお子さんが多いと思う。学校に行かなくなってからも 家でずっと学校のような勉強を続けられるというのは、どういう事なんだろう。そこまで傷が深くないのか。学校というシステムに同調しないだけなのか。スゴーく勉強がすきなのか。勉強しないと親や世間から見捨てられる感があるのか。いやそれならいずれできなくなるよね。いろんな場合があるんだろうなあ。家で好きなことだけしてという 好きなことに組み込まれているのだろう。子どもはやっぱり知識欲にあふれていると思うから。まあそれは学校に行っている いない とは関係ない 出会いや個人の資質もあると思うけど。中間教室のことも個人的に聞かないと学校からは情報が無いようだ。相方の話しで質問するお母さんがいた。何人か行っているそうだ。いつ行ってもいつ帰っても何をしてもいい という空間。そこで気持ちよく過ごせるなら、子どもに任せるのもいい。そこで安心して過ごせる子もたくさんいるだろう。でも先ず出席日数になることが目的で、出席ありきになったら辛いだろうなあ。校門タッチと同じ事だ。私は中学での登校刺激を振り返って ちょっと言わせてもらったけど、ふたり目も行かないというお母さんは、全く放っておくでもなし、そのタイミングと学校側の気遣いはとてもすばらしいと思う。嬉しいし、ありがたいとおっしゃっていた。 やはりその時期に応じて、その親の立ち位置、段階に応じて、全然違うんだなあと思った。ホットウイングの紹介もさせてもらい、良い出会いを求めて久し振りにきましたが、良かったわ という嬉しい言葉も頂た。上のお子さんのときに、この中学の会に出ることに疲れてしまった時期があってと。3年生の母は2人。まだ混乱している1年生の母達とは明らかに違った。甘やかす と甘えさせる の違いがわからないという質問に答える姿に どちらも子どもが愛おしいという愛情があふれている感じがした。優しさオーラでまとわれている。こういう姿を拝見すると、本当に素敵だなって思う。
June 27, 2009
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話題に踊らされるのがいやだから読まない のも 売れているから取り合えず読む のもそれはその人の自由だ。読みたければ読めばいい。読みたいけれど読み終えることがもったいない本は 私にはそうはない。ああまた同じって思う人もいるかも知れない。でも私は全然そうは思わない。そして私もその世界にどっぷりと片足を入れたまま。 春樹先生の事を とても好きだという人がいる一方で、すべて否定する人たちも多い。どっちかと言うと、ダンナも拒否派だ。ダンナと結婚した頃は私は 国境の~に入り込んで 日本に帰ってこられたら会いに行って愛人になる くらいの妄想をよくしていた(爆)なぜか初めてダンナは読む気になった。私がずっと手にしないので、先に読むよと言って。でも2ページで意味がわからんと(爆)自己啓発本じゃ無いんだからさあ。答なんかそこには何も書いてないのよ。そういえば愛人にして欲しいと私に言った人は 春樹先生が好きだった。風の~を手にしたときの事から語り合った。ばななさんも。銀色さんは彼に教えてもらった。丁度出版されたノルウエイ~にせっせとブックカバーを作ってクリスマスに彼に贈った。でもそれはダンナになる人ではない。私と同じく欠落した空白を抱えていた人だったから。お互いにそれはよくわかっていた。喪失感、孤独感がそれまでの私の魂を 春樹先生やそういう人たちにひきつけたのだと思う。そして春樹先生自らよくおっしゃっているデタッチメントからコミットメントへ。丁度私がダンナと結婚する頃。すべて物語りを超えて春樹先生と私の人生はつながっていくのだ。「青春三部作」の幕切れ、ねじまき鳥の語る過去。人間の心の底に潜む根源的なものを語り続けてきた春樹先生。そしてそこに そのまま おこった地下鉄サリン事件。ずっとつながっている。『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』が読みながらずっと頭の片隅にあった。読み終えてからインタビュー記事で それがこの物語の出発点になった。と書かれているのを読んだ。『神話というのは歴史、あるいは人々の集合的な記憶に組み込まれていて、ある状況で突然、力を発揮し始める。例えば鳥インフルエンザのような、特殊な状況下で起動する、目に見えないファクターでもある。あるいはそれは単純に我々自身の中の何かかもしれない。 原理主義の問題にもかかわる。世界中がカオス化する中で、シンプルな原理主義は確実に力を増している。こんな複雑な状況にあって、自分の頭で物を考えるのはエネルギーが要るから、たいていの人は出来合いの即席言語を借りて自分で考えた気になり、単純化されたぶん、どうしても原理主義に結びつきやすくなる。スナック菓子同様、すぐエネルギーになるが体に良いとはいえない。自力で精神性を高める作業が難しい時代だ。』これってくまたろうさんがおっしゃっていた事と同じく思えるけど、くまたろうさん どう? 作品はもちろんのこと 作家としてのスタイルや生き方 そして 人間としての弱さや不完全さ すべてが私には特別の人だ。彼を通して癒やされていく私を感じることが出来るから。 『作家の役割とは、原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと考えている。「物語」は残る。それがよい物語であり、しかるべき心の中に落ち着けば。例えば「壁と卵」の話をいくら感動的と言われても、そういう生(なま)のメッセージはいずれ消費され力は低下するだろう。しかし物語というのは丸ごと人の心に入る。即効性はないが時間に耐え、時と共に育つ可能性さえある。インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」は余計に力を持たなくてはならない。 テーゼやメッセージが、表現しづらい魂の部分をわかりやすく言語化してすぐに心に入り込むものならば、小説家は表現しづらいものの外周を言葉でしっかり固めて作品を作り、丸ごとを読む人に引き渡す。そんな違いがあるだろう。読んでいるうちに読者が、作品の中に小説家が言葉でくるみ込んでいる真実を発見してくれれば、こんなにうれしいことはない。大事なのは売れる数じゃない。届き方だと思う。』 カフカの後でもずっと静かに深く 物語 は残り続けたけど、私はこれから毎晩月を見上げるだろうな。そう、私が中学二年の冬 月は空に二つ かかっていたの。友達と乱視かなあって空を見上げた。 あーそういえば私のお宝の少年カフカが復刻されたそうだ。それはナア。あのときのあの時間を共有した思いは伝わるんだろうか。ちょっと悔しい。ちっちゃな私。
June 26, 2009
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『あ!今日はゴミの日だった。』と次男が登校前にそそくさと家に戻りゴミ箱をあさっている。『登校中に道のゴミ拾いして持って行く日なんだけど、家が近い人は家から持って行っていいんだって』と次男。『缶とかペットボトルとか資源ごみじゃないの?』と聞くと『燃えるごみでいい』と返事。それはおかしくないかい?家からわざわざゴミを持っていく? 長男の頃、地域を綺麗にしようとか生徒会で呼びかけて、登下校中のゴミ拾い運動?があった気がする。子供達の自発的な地域を思い綺麗にする運動として賞賛され、何かで読んだ気がする。それ??『だってどのクラスが一番か競争するんだよ。それで多かったクラスは休み時間に体育館使えるんだよ。少ないと遊べないんだよ』まじめな顔で言う。はあああ????次男にとっては体育館で遊べるかどうかは、そりゃあ大事なことだろう。でもそれに疑問を感じないのか?本元の心が伝わっていないよね。って言うまもなく行ってしまった。給食の残飯の少なさを競うっていうのもプリントで見た気がする。クラスごとグラフにして。小学校でもしていたけど、何だか本当にずれている。そういえば 小学校の給食委員が、抜き打ちで残飯確認しようと話し合ったら、娘の前の担任が丁度顧問か何かで入ってきて、その日は事前に私に連絡を入れろといったそうだ。子どもが そんなに自分のことだけ先生が考えるかって 信じられないと親に話したそうだ。 あ~ほんとにあほらしい!!!
June 24, 2009
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Mたんが夏かぜでダウン。昨日の突然の高熱と激しい頭痛と吐き気で、夜間診療に行った。インフルエンザではなく夏風邪らしい。今朝は吐くことも無く食欲も出てきて、熱も収まったので一安心。予定をキャンセルしてずっと付き添って、ああこんなにべったりなのも久し振りだなあと思った。『三年生になったら休まないって目標だったのに。ああ水泳楽しかったなあ。水泳したいなあ。』熱にうなされながらそんなことを言った。目標は先生と決めたの?と聞くと『ううん。自分の心の中で決めてたの。学校 勉強とか嫌な事もあるけど遊ぶの楽しいし、水泳、思い出しても もっとやりたいって思っちゃう』ってMたん。『具合の悪いときは休むのが一番だよ』って言うと『私、テレビ見すぎたからこんなに頭が痛くて具合が悪くなっちゃったと思う』なんていう。帰ってきたお父さんに 頭が痛いから寝るって言ったら、テレビの見すぎだよって言われたんだって。『Mたんは何も悪くないよ。ひとりで具合悪いからごろごろテレビ見てたんだよ。具合悪いのにひとりでお留守番させちゃって悪かったねえ。』って言うとポロポロないた。昨日は次男の試合予定で、Mたんはお留守番していたのだ。お昼近くにようやく中止が決り、片づけを済ませて父が様子を見に戻ったら、Mたんはお昼もひとりでおにぎりを食べ済ませたそうだ。夜遅く 病院でもげーげーして帰ってくるとき、『もうテレビは見たくない』ってまた言うので、『悪いばい菌と体の中で闘っているんだよ。それで熱が出たり、お腹が痛かったり頭が痛いんだよ』と伝えた。 で、今日はテレビ三昧!!中学も振替え休みの次男と一緒にDVD観賞。 『神童』に続いて同じ監督。どちらもキャストは素晴らしいんだけど、さそうあきらの原作の方が私には上回っている。何故かな?どっちも大事なところが削られているのかなあ。ブタの~でも目を奪われた甘利はるなちゃんが生き生きと演じる。彼女はほんとに楽しみな天才子役だ。麻生久美子さんの理想に燃えて何もわかっていない教師役も、宮崎美子さんのお母さんも、谷村美月ちゃんも そしてよき理解者のおばあちゃん 草村礼子さんもぴったりだ。もうひとりの主役ともいえる学級委員の子も上手だった。でもメガネじゃないんだなあ。そういうところかなあ。運動会じゃなくなってるし。原作とは別物。小さな恋のメロディを思い出したって前に何かで読んだけど、ある意味そんな感じだ。次男は表のきれいごとばかりで本質からずれているの大人に対する子供達の行動力にとても嬉しそうだった。
June 22, 2009
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昨夜 気持ちのいい風に吹かれながら ロビンと遅い時間に散歩した。ほろ酔いカゲンでゆらゆら歩いた。おとねさんが私の事、素直だうらやましい って 前に 唯一の美点を褒めてくれたけど、ここのところ私は全然素直じゃなかった。それがしみじみ自分でわかった。とらわれていたんだなあ。そうしてそれを自分で気付かないように 見ないように ごまかしていた。本当の意味で執着を手放す。『まぁいいや、、』チータさんの言葉がストンと闇の中で自分の中におちた。そういうことか って。だって仕方ない。何も親は出来ない。本人が望むように のんのんさんの言うように 好きなようにやりなはれ (名言だっ!)だけだ。何回も何回も凹んでぐるぐるして、苦しみのた打ち回って その中で 母は何もできない事をイヤと言うほど知る。信じきったはずだ。方向が違った?色んな思いもすべてふっと 無になり 感じる境地。 一瞬だったかもしれない。でも忘れないように 書いておこう。
June 21, 2009
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次男の中学の参観。時間を把握してなくて(あーいい加減な母)5分だけ(爆)Mたんは初めて中学校舎に入り、『え~中学っていいなあ。広いし階段も綺麗だし。いいなあ』と驚きの感想。確かに天井は高いし、木のぬくもりたっぷりだけど 母は複雑。Mたん早く中学校に来たいそうだ。でその後、親子でクラス対抗の綱引き!Mたんも一緒に頑張った。多分明日は筋肉痛だ。長男はこの行事の後、加速度的に体調が悪くなった。Mたんと会社を休んだダンナと参加したあの参観日が私の中では最後の長男の中二の姿。 次男の担任が今週ずっと休んでいる。時々休む事は次男から聞いていたけど、全く長男と一緒のタイミング。頑張り過ぎたのかなあ。前に 休みがちな女の子が休んでいるときに、その班の班長に決めた事を 担任は激怒したのだそうだ。次男は先生は正しいと思うよ。と言っていたけど、かかわった女子が泣いたりして何だか大変だったらしい。親御さんも肝心なことは子どもが言わないのか自分の子が理不尽に泣かされたと解釈してるようだ。長男も次男も娘も子どもが一緒の ご近所のバリバリの小児科医の母と『やっぱりむずかしい世の中ですよね』と話した。競争より共存。それを中学で掲げる先生の生き辛さ。そういう人が生き難いことに対する深い思い。それを競争社会を勝ち抜いてきたであろう人と共有出きる事に少し希望がわく。学年PTAで校長先生から説明があった。来週今後の担任等の組織が確定するそうだ。実は副担任として急遽 今次男のクラスを受け持っているのは、長男のお世話になった兄貴 支援の先生だ。 昨日電話を頂き、今年の1回目の中学で開かれる 子どもの様子を語る会に OBとしてきてくれないかという内容だった。長男の事は次男を通して少し聞いていたらしい。相方にも連絡するというので、公民会で親の会を立ち上げた話しをすると『親御さんだけでお茶を飲みながらっていうあれですね。すばらしいです。僕も次回勉強に伺わせていただきたいです。チラシとかあったら皆さんにお知らせしましょう』と言ってくださった。長男の話しをして、先生自身、今年は部活の顧問も受け持っていて、勝ち負けという 本来の自分とは対極の立場に立たなければならない葛藤もちょっぴりこぼしていた。 何だか皆、見えない何かに包み込まれて、息が出来ないままどんどん何処かに進んでいるような そんな景色を窓の外の闇に見た気がした。
June 20, 2009
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仕事がひと段落して、久し振りに庭の草取りをした。目隠しの伸びていたイスの木もばさばさ枝を切って、雪柳も整えて すっきり。今年はバラがとてもたくさん咲いた。その周りにはラズベリーが茂っている。ようやく実が赤くなり始めた。 今日の収穫 アスパラはそろそろ終わりかな。太いのが2本明日取れそう。携帯なので写りが今一だけど、ラズベリーはもっと深い赤。 早速ジャムに♪資源物のゴミを片付けて、缶の多さにあきれた。飲みすぎだなあ。牛乳パックも工作に使うかなあととっておいたけど開いて縛った。あ~よく働いた(普通?) これもすべて春樹先生の本に手をつける前の儀式のようなもの。今夜はしっかりゆっくりたっぷり読むぞ!!
June 19, 2009
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今朝はちょっとおねぼうさんの私。もう誰も起こす必要ないやっと心穏やかにぐずぐずベッドに。でもキャビちゃんがお呼びなので仕方なくおきだすと、廊下階段トイレリビングすべて照明がつきっぱなし。長男がソファで横になっていた。さっき話してくれたけど、昨日準備もすべて完璧に済ませ寝て、朝だと思って起きたら3時だった。そのまま眠れずに下に降りてきたのだそうだ。昨日夕方プリントを渡したいという先生の家庭訪問を やっぱりやめて と言うのでお断りした。もう、登校刺激になることはすべてやめよう。そのときつい『なんで?』って聞いてしまったのだ。その前まで楽しそうに担任の話しをしていたので。『明日学校に行くからいい』そう答えた。ダメだねえ。私。そんな事言わせちゃうようじゃ、ほんとにまだまだ。で、その反省も1日寝るとすっかり忘れてる。朝食を食べながら『やっぱ今日も休むわ。でもだんだん良くなってきたから、明日は・・』という長男に『今の時期は誰でもだるくなるからねえ』と いいんだよってつもりで言ってしまった。『それじゃあ俺が悪いみたいじゃん』ぱっと返された。全然だめじゃ=ん 私。 ゲームしながら 腹いてえ とつぶやく長男。見ない 言わない 笑顔。 私のすることはそれだけ。心の中でつぶやいてみる。
June 18, 2009
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日本の各地でおたまじゃくしや小魚が空から降った?という話題。最初にこのニュースを聞いた時、まっさきに頭に浮かんだのは「海辺のカフカ」の中田さんのこと。中田さんは猫探しが得意で、空から魚やヒルを降らせることができるのだった。春樹先生の新刊、ようやく発送のメールが届いた。今週はまたまた予定がつまっていて、週末も中学の参観やら次男の大会打ち上げと続く。読めるかなあ。 金曜日お腹が痛いと長男に迎えを頼まれ早退した。土日も野球を休んだ。いや、行こうとしてどうにも体が動かない感じだ。4時からキャプテンに連絡入れなきゃといっている長男を寝かせ、先回りでもイイヤと私からキャプテンのお母さんに6時に連絡を入れた。野球の練習が休みなのに学校には行かないと前の日から決めていて月曜日も休んだ。昨日も5時に自分で起きて、リビングのソファに寝たまま だるいと結局支度が出来なかった。食事を取って、やっぱり休むわと昼すぎまでまた寝た。ゆっくり休みなと学校に連絡をした。今朝は言われたとおり 6時前に声をかけても起きられなかった。トレーニングのジャージも枕元にきちんとたたまれていて、5時に起きてトレーニングしたかったのだなあとわかった。6時15分にもう一度声をかけると『どうしたらいいのかなあ。体が動かないんだ』ポツリと言うので『ゆっくり休むといいよ。』と言うと頷いていた。『体の声を聞いて 今は学校に行かない。お母さんはあなたが元気なのが一番だから。何があってもRの味方だから』と伝えた。今度はうるさそうな顔をしたので部屋を出た。まだまだ早すぎたのか。あれほど元気になったのに、また苦しませることになってしまう学校とはなんなのだろう。先生や学校との価値観の違い。自分の中で折り合いをつける意味もなくなってしまったのか。もっと理解のある整った環境なら、エネルギーが失われていくことは無かったのか。考えても仕方のない事がぐるぐると頭をよぎった。どちらにしても、自分でトライしたことに意味がある。とても良く考えているし、長男の判断は正しい。SDKSだなあ。試合で集合時間の早いときは 車でいつでも送るよ 何て言った自分を悔いた。それは車でもいいから行きなさい と同じ意味だ。遅れても行きたかったら自転車で行くのだ。 夕方担任が家庭訪問に来るそうだ。知らなかったが同じ地区に住んでいるらしい。渡すものがあるんでしょ。1分や2分ならいいよ。と長男。野球がストレスになった以上、長男にとって学校は行く意味のないところだ。それが本当に静かにすーっとわかる。長男も自分の体の深いところの声 無意識の領域 と意識がかけ離れてないようで、それはすごいことだなあと思った。
June 17, 2009
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ブタがいた教室実話に基づいた映画。ドキュメンタリーも以前作られたのだそうだ。実話の教師にはかなり問題があって とかの記事も目にした。試写会に妻夫木君の後輩の松ケンがプライベートでみにきて、『素晴らしかったです』と手を上げて感想を言っていたあの映画。Mたんがこれみたい!と借りてきた。 「食べること」と「命」の問題の他にもう一つ、私は教室で子ども達が「話し合うこと」に感動した。自分の考えを他の人に伝わるように述べること。 自分と違う意見も真剣に聴くこと。 そして意見が異なる人とも協力し合い、解決策を探す事。 今これだけの 話し合う事 を教室でしているのだろうか。撮影では子供たちが話し合う部分の台本は白紙だったそうだ。ひとりひとりが本当の自分の意見を自分の言葉で話している事が伝わってくる。演じているけれど台詞の演技ではないのだ。自分の気持ちをしっかりと言える子を選ぶことに主眼が置かれ、子どもたちは撮影が始まる前にPちゃんの件とは関係のない幾つかの議題で討論を行ったり、本当の学校のように共同作業をしたり、ブタの世話もしていて、その場には「星先生」として妻夫木君も参加していたそうだ。そういう特別の選ばれた子たちという事もあるのかもしれないが、それぞれが自分で答えの出ない答を紡ぎだそうとしていることにとても驚いた。見ながらMたんは『食べるなんて絶対ありえないし!』と言い続ける。次男はどう思うか聞くと『わかんねえ』長男は『そりゃ責任を取るって事から言えば食肉センターでしょう。初めから食べるために育てるって言ってんだし。でも先生丸投げじゃねえ?』次男に『わからないって?』と聞くと『だって俺、実際に世話してるわけじゃないもん。それなのにどうするかなんてわかんないよ』それを聞いて長男『まあねえ。そりゃそうだよなあ』という事で、3人の心にも色々残った映画だったようだ。妻夫木君、子供達の議論には一切余計な口出しをしないが、感情的な言い合いになったときの調停は実に上手かった。彼も台詞で無かったとしたなら、人として何てすごい若者だろうって思った。最後に先生の決めた1票で決められるが、誰も文句を言わないし、引き受けていく事も、それだけの信頼に値する先生だ。ブタって言うのがなあ。昔、母の実家でもブタを飼っていて、おばさんが小さい事からすごく可愛がって育て、出荷するときはいつもひどく泣いたって話を小さい頃よく聞いた。鶏だともうちょっと違うし、野菜や稲や植物だったら、仲間感覚 ペット意識は わかないもの。でも最後まで引き受ける 覚悟 って子どもに任せる事より先に 大人が見せなければいけない大事な事だよなあとも思った。
June 15, 2009
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ケンタのメニューみたいだけど、ずっと前に名前だけ決っていた。ハートランド いつでも心の戻れる場所。ほっとできて、アタタカクて そこから飛び立てるそんなイメージ。時間がなくてチーズケーキだけ焼きました第1回目の会は2名いらっしゃった。地方紙を見てという方は、6年生になってGW後に2週間くらい休んでいると言う方。そんな短い期間で、こういう会に参加しようと思うなんてすごいなあと思ったら、5年の終わりに学級崩壊で担任が休んでしまい、そのときにも先生が来るまでは行かないと学校を1週間くらい休んだのだそうだ。その前後の対応が子どもにとって とても申し訳なかったと 今感じていること。たくさん病院めぐりをさせてしまい、ODの診断も受けたけれど、どうも問題はそうではないと感じていること。そして同居されてる義母さんの 世間体や常識に 疑問を持ったことなど話してくださった。小学校二年生くらいから中学も全く学校に行かず、家の農家の跡継ぎとなって仕事をしている20歳の青年が近所にいらして、先日 その方とその方の母の話も直接聞く機会があったのだそう。師匠のところで勉強された方がセッティングされたそうで、ここでもつながってるんだなあとびっくり。コミットする事で、どんどん自分も開けていくのだとあらためて感じた。『学校に行かないくらいなんてことはない。生きていることが先ず先決でした』と、その青年のお母さんはおっしゃったのだそう。小さいのに食事も皆ととらなくなってしまったときに、何とか生きていてもらわなければと、せっせと食事を運んだと言うのを聞いて、本当に今 生きていてくれるだけでと思えた とおっしゃっていた。本人は何故学校に行かなくなったのか、今もわからない。とにかく怖かった。そう言っていたのを聞いて、20歳になってもそうなのかと、子どもに問い詰めるのはやめようと決めたそうだ。自分の子がまさか不登校になるとは思いもしなかったけれど、そのことで考えもしなかったこと、に思いをはせるようになったと、とてもたくさんの気付を持っていらっしゃるようだった。ゲームばかりでもきっと色々考えているだろう事。新しいゲームを欲しがるけれどどうしたらいいだろうという話も。我が家の場合は100%要求に答えたこと。ただそのときに『これで学校に』とか『いつまで続くのか』と言った親の欲や不信があるうちはお試しは続いた。そういうものが無く、ただああ必要なのねと渡せるようになったとき、欲しがらなくなった事を話した。それは娘も同じで 愛情確認しているように感じたこと。『こんな僕でも本当にいいの』という心の叫びが届くかという話しにもなった。ただそこで言いなりにならないという事にも話しが進んだ。親が心の内と違う思いで対応をすることは、やはりまた違う混乱と苦しみを生む。腫れ物扱いではない存在承認。まだまだ混乱しているであろうに、遠くの光はきちんと見据えている事に深く驚いたし、とても感動した。 もうひとりは中一の母。小六の修学旅行以降行かれなくなり、卒業式に出た後、中学に行きだしたものの、GW明けから校門タッチで帰ってきているのだそう。 この会は セルフ ヘルプ グループ 『仲間同士が支えあうグループ』『仲間同士の共同による自助』。そこを大切にしたいのに、言いっぱなし 聴きっぱなし と言うのは本当に難しい。つい余計なアドバイスや意見を述べてしまう私。以前から話しを聴いていた事もあり、この校門タッチに反応してしまった。何故するのか聞くと、校門タッチで出席になるから だそう。内申がどうしても心配でと。思わず 受検のとき公立は中三以降の出席しか考慮しないし、内申が無くてもあきらめることはない。無理やり脅してそんなことをさせる学校に従う事はないと言ってしまった。スクールカウンセラーの勧めだそうだけど、今が辛いのに 無理して深いところを大切にしなくて、 未来などもてるだろうかと思ってしまうのだ。 終わってから相方に、つい自分の考えを言ってしまった事を反省。『まあ無理なら いずれできなくなるだけだし。そこに学校とつながっていたい思いがあるとすれば 言われてやめても 今は本人は辛いかもね。なるようにしかならないのよ。でも私なんて長いだけで、一体何を見てきたかと思うわ』という相方。そうなのだ。過去の自分を振り返ったり、体験がどのように自分に位置付けられているのか考えたり。相手を尊ぶ気持ち 自分が大切にされていると感じること 今日だけで、そんな思いを自分の中に確認できた。彼女は自分で漬けた奈良漬けを持ってきてくれたけど、美味しかったわ~ほとんどお茶会でしかないのって笑いながら いい感じ。 夜メールを頂いて 『とても楽になりました。今までやっていて ちょっとこれで本当にいいのか心配な部分が多かったので』と書いてくださっていて、少しほっとした。 本当に今週は働いた。往復7時間以上もバスに揺られ新商品を2時間見てなんてこともあり、ちょっとへろヘロ。でも無事会が出来てほっとしている。 今日はMたんの参観日。明日は大会運営。仕事もめどがついたので、今日はひとりで乾杯しよっと。
June 13, 2009
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学校に行きづらい 学校に行っていないお子さんの親の会を開催します。日時 6月12日(金)時間 13:00~16:30(時間内出入り自由です)場所 松本市島内公民館持ち物 マイカップ お茶菓子代150円場所等ご不明な点は私のブログにメッセージを残してください。駐車場あります。 経験者の親同士が 安心して話が出きる事。話をただ聞くこと。そこで親が癒され 親の気もちが少しでも楽になれるといいなあという会です。お近くの方はどうぞお気軽にご参加ください。
June 8, 2009
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卵焼き ハンバーグ ちくわキュウリ ミニトマト 春巻 カレースープ(ダンナ)久し振りにお弁当アップ。長男とダンナのオヤジ弁。先週は2日も長男次男ダンナのお弁当の日があって、さすがにガッツりお弁当を3つは大変だった。最近は時間がある朝に、例えば今日のハンバーグもお弁当用にだけ作って、残りは冷凍してストックする事にした。土日の遠征は 食べる時間も食欲もないと、ほとんど半分以上手付かずで残してくる日の多い長男。昨日は久し振りに完食で、帰ってすぐにお弁当箱も出してくれてあった。私は眠りが浅く、光や音ですぐ目が覚めてしまう。特に最近は3時4時に目が覚めて、あれっと思うとリビングのソファで長男が寝ていたりした。そのままもう言われた時間まで声をかけずに寝かしておくのだが、今朝は部屋のベッドで寝ていた。昨日は次男の大会で、1日裏方だった。集合時間が長男とダブっているのに急に送っていってといわれ、随分緊張した。長男にとっては少し早めになってしまうけれど、まあ何とか送り届けて私も間に合った。こんなとき、私の事情を説明しても聞いてるのか聞いてないのか、長男はあくまでも自分のペースだ。本当にここで、自分の気持ちに折り合いつけるのは修行だ。まあ、少しくらい遅れても仕方ないと最初から思えればいいけれど、そうはいえない場合もある。自分の焦りやイライラを人にぶつけないで、と思うと4時起床でロビンの散歩や洗濯お弁当朝食作り大会持ち物の準備と長男次男を起こす声がけとで 朝の2~3時間が1日分の疲労度マックス。まあデモ昨日はすごく暑い中、気心の知れた母達と喋り倒して、公園の風に緑に癒やされ一生懸命な子どもや父母に元気をもらいと、体はくたくたでも心は満たされて帰ってきた。そして久し振りに朝までゆっくり眠れた。頭で考え過ぎてもどうにもならないこともある。なら気持ちいい事をして、美味しいものを食べて 喋ってのん気に笑っていたい。 長男が昨日の車の中でめずらしく『タオルが昨日のままだ。少しは頭使ってよ』と八つ当たりしてきた。バックの中にユニホームを入れてくれと頼まれ、汗拭きタオルはまあいいかと変えなかったのだ。『もう一つのバックに新しいタオルが入っていたからいいかなあって思って』と言うと『汗臭いタオルで顔をふけって言うの!』と声を荒げた。『ああ、そうだね。気がつかなくてゴメンね』と言うとチェっと舌打ちして黙った。車から降りる時、新しいタオルが車にあるのを思い出して慌てて渡したが いい と受け取らなかった。あるからいいと言って。 こんな事ふざけんな!って一括してきた事が多かった。自分がやるべきことでしょうともっともらしくお説教したり、だから前の日に準備しろってあれほど言ったでしょうと脅したり。その態度や言葉の奥にある気持ちに全然思いの行かない未熟なお子ちゃま母だったから。長男の不安や心配を感じ取って そこで大丈夫だよって 安心を返す事なんて考えも及ばなかった。 そんな事出きるようになった私をほめてあげよう。いつも 誰に対しても 何てまだまだ難しいけれど。昨日の私は良くやった。 そして教えてくれた長男にありがとう だなあ。
June 8, 2009
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河合隼雄さんの講談社新書「人の心はどこまでわかるか」を読んでいる。中堅心理療法家として活躍している17人の方との対談後 心理療法における様々な問いに対する河合隼雄さんの考えが述べられている。『そこにいる』事が根本 では『人は悲しみや苦しみのどん底にあっても、本当にそれと向き合う事ができるならば、必ず立ち上がることができると、私は信じています。そのとき、私たちは引き上げようとしたり、押し上げようとせず、そこから逃げる事無く『そこにいる』ことが大切なのでは・・』という問いに対し『~根本は「そこにいる」ということで、それ以外の何者でもない。~ただ、言葉でわかっていても、あるいは、からだは一緒にいても、心が逃げてしまっている場合が多く、私自身、このごろは、体も心もそこにいるということばかりを訓練しているのではないかと言う気が自分でもします。なかなかそれが出来ず、やはりまだ修行が足りないと自省の念に駆られます。本当に深い苦しみ、悲しみを抱えている人と、心も体も一緒にいるという事は、こちらにとっても苦しいことだからです。~ほんとうにつらいとき、悲しいときにはよけいな慰めなどいってもらう必要はなく、一緒にいてもらうだけでいい。ところが、治療者のほうがじっとしていられなくなって、ついよけないな慰めの言葉をかけたりしてしまうのです。これは一緒のごまかしに過ぎません。私は、自分の仕事のことをよく「何もしないことに全力をあげる」と表現します。つまり、doing ではなく、beingが大切だということです。』おこがましいが私も 子ども達を前に 体も心もそこにいるという訓練を毎日しているように感じる。先日師匠に『よく何も言わずに心を聴いてあげられましたね』と最上級のホメ言葉と握手を頂いた。『いえ、もう聴いているだけで心臓をえぐられるようにつらくて、何もいえなかっただけです』と正直に言うと『そのあなたが辛くなった分、子供さんの心は軽くなったのですよ。天秤棒を担いでるのと同じなのです。ただお母さんが受け取ってくれた それでいいんです。それがいいんです。自分が楽になりたいから、お母さんたちは教育的なもっともらしい事をいって、自分の心を軽くしようとするのです。それが魔女の法則です。そのことでどれだけ子どもは更に重いものを背負わされてしまうのか。あなたは旦那さんにその後癒やしてもらえばいいんです。自分で楽しむのでもいいですけどね』お茶目にウインクされながらそんな会話をしたのだった。今朝4時頃から30分以上カッコーの声がうるさくて 仕方なく起きると長男が照明つけたままリビングのソファで寝ていた。昨日は帰りを待てなくて、私は先に寝てしまったのだ。疲れてるよなあ。私がロビンの散歩に行っている間に起きて、ゆっくりお風呂に入り、Mたんと一緒に朝食を済ませ、いつもより少し早めに自転車で出かけていった。キャビアをぎゅっと抱きしめて『行ってきます』と。私は体調を整えて、心も体もそこにいる事。そして美味しいご飯と お弁当を作るだけ。今日は次男の誕生日なのに 朝、次男はおねぼうさんですっかり忘れていた。お誕生日は来週やろうと決めているけど、ケーキだけでも焼こうかなあ。
June 5, 2009
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Mたんといつも一緒にお風呂に入る。だいたいキャビアも のそのそ来るので お風呂の蓋をして少しだけ広げてキャビアのごろ寝スペースにする。女3人?水入らずの時間。突然Mたんが『お母さん、生きてるって楽しいねえ~』と言った。『え?』あまりに唐突な言葉に聞き返すと『まあ、あんまり そうだなあ 学校でおこられたりって嫌な事とかもあるけど それもさあ Mたんが 成長してるって事だよね』とMたん。『先生にそう言われたの?』とビックリして聞くと首を振って『今、思ったの~』と言った。この前ホメオストレッチをした後、『ストレッチした後って 勇気がわく』って感想にもビックリしたけど、Mたんも色んなことを感じているんだなあ。『お母さん、もし生まれ変わるならなんになりたい?』って聞かれたので『お母さんもう一度Mたんのお母さんになりたい。もっともっと優しいお母さんに』 ってぽろっというと『お母さん今のままで優しいじゃん』って言ってくれた。裸でぎゅーぎゅーしちゃったよ。今日は なんだろうけどね。『Mたんはねえ。鳥になりたいんだあ。』とMたん。『お母さんも子どものころそうだったよ!空を飛びたかったんだ。だからいつも空を見てた』って言うと『そうでしょう!!Mたんも空を思いっきり飛びたいんだよ。だから魔法使いでもいいんだけどね』とMたんは興奮していた。 お風呂から出るとDSに夢中のMたん。今日おこづかいでソフトを買いにお父さんと行ったそうだ。そっか、ゲームソフト一つでも、生きてる幸せを感じるなら それもありがたいよね。
June 4, 2009
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夕飯の準備をしているとき Mたんが『そういえば、今日Mたん なんと逆上がりができたんだよ~~~』と喜びの報告。『おおおやったねえ』とぎゅうぎゅう抱っこで一緒に喜んだ。ずっと練習していたものねえ。リビングにいた次男が『俺 4年生で出来た』と報告。何でもそつなく出来る次男だったから、え~そうだったけ?と密かに思う母。『俺は5年だったと思う』と長男。『ええ!!保育園じゃなかったっけ?』と思わず叫んだ。長男とは練習した記憶がある。けど定かじゃない。長男も確かじゃないけどって言っていたけど、Mたんと次男に合わせてくれたのかなあ。ああ、本当にしっかり見てあげてなかったなあって反省した。 長男が初めて一歩を踏み出した日のことは鮮明に覚えている。ふらふらしながら立ち上がって、何にもつかまらずに 手を左右にバランスとって 一歩 また一歩。あのときの楽しそうな嬉しそうな なんとも誇らしげな長男の顔は忘れられない。自分の足で立つっていう事は 人間の本能なんだな。喜びなんだってそのとき思った。ふらふらしながらも、しりもちをつくことを 見ている私も全然怖れていなかった。転ぶ事が当たり前だからだ。下手に手を出したり途中でやめさせるなんて考えなかった。立って前に進もうとする長男を ただただ幸せな思いでニコニコ見ていた。あれでいいんだ。同じ事なんだな。
June 2, 2009
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朝、長男が出かけて10分ほどした頃 電話。メガネを忘れたから〇〇のサーク〇Kまで届けて!と長男からSOS。『さっきメガネそこだよって教えてあげたのに~』ってMたんは朝食終えてダラダラしながら言った。『お母さん届けてくるね』と家を出ようとすると『え~まって!まだ音読の宿題してない』とMたん。『じゃあ一緒に行って車の中で聞こうか?』と聞くと『ううん。間に合わないからいい』と返事。そのまま私は家を出た。 指示された場所には長男はまだ来ていなくて少し待った。今朝は肌寒くてジャンバーを羽織って行った長男が遠くに見える。車から降りて待っていると坂道を気持ちよさそうに自転車で近づいてきた。そのまま上着を脱いでいるのでカバンを持ってあげようとすると手を引っ込められた。『なんでそうかなあ。もう行ってよ』はいはい。そうですねえ。私はただのパシリです。とちょっと嬉しく思いながらささっと帰った。恋人じゃないもんねえ。ウザいよねえ。でもいいさ。 家に帰るとMたんカバンを閉めて学校に行こうとしているところだった。『音読カードサインしようか?』と聞くと『いい。もう自分でテキトーにかいた』とMたん。おお!去年は担任に 自分でサインをごまかして書いたかと濡れ衣を着せられるところで親子でおこったのだった。でも今年はそれを平然と出来るMたんに成長したのだねえ。『おぬしもなかなかワルよのう』って突っつくと『ふん』って感じで相手にもしてくれないMたんだった。
June 1, 2009
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