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ウィーン11日目。タイトルは「バーガーキングとマクドナルド」にしてもよかった。高級なレストランに入ればちがうのかもしれないが、地元の人で繁盛しているような店に入っても、おいしい食べ物に遭遇する確率が限りなくゼロに近いオーストリア。いちばんの後悔は、日本から電気でお湯を沸かす道具とインスタント食品を持ってこなかったことである。サンドイッチに生もやしのことは書いたが、グリンツィングの居酒屋で食べたニョッキもひどかった。紫タマネギがたくさん入っているのだが、それが生なのである。ほんの少しでも火が通っていれば、甘みが出ておいしいだろうに、完全に生なので辛いだけ。しかもオーストリア料理は全般に塩分が多い。中国人がやっているような店で食べても現地人の味覚に合わせているせいか塩辛い。血圧の高い人はウィーンで外食してはならない。おいしいまずい以前に、アジアとは根本的に食文化がちがうのを感じる。海産物や発酵食品のおいしさを知らないせいなのか。たぶん酢でしめてあると思うがイワシかサバを挟んだサンドイッチを見たが、日本で売り出したとして誰が食べるだろうか(笑) チキンライスを食べてみたらケチャップで味をつけたチキンにふやけた長粒米がくっついているだけのしろものだったし、スパゲッティ・ボロネーゼを食べてみたら子供のころ食べた給食のうどんのようだった。ソースに少しオレガノを入れるだけでおいしくなるのに、肉の生臭さがそのまま出ていた。しかも日本人にとっては一人前が多すぎる。高い、まずい、おそい、塩分多すぎ、量多すぎの5重苦がウィーン料理だと思えばよい。ウィーンの中華料理やその他の各国料理も推して知るべしだ。焼きそばや炒飯、お鮨、白いご飯に焼き肉をのせたような「なんちゃって和食」は中国系のチェーンレストランで食べられる。しかしこれらも塩分過多でおしなべてまずい。しかも店員の愛想のないことはあのウィーン人でさえかなわない。食わせてやっているという態度の店員さえ珍しくない。どうもこうした中国人は人間ではなく爬虫類に見えてしかたがない。中国系爬虫類と呼ぶべきか、それとも爬虫類系中国人と呼ぶべきか。まあ気だてのいい中国人がいないわけでないので後者だろう。元気寿司やカッパ寿司はウィーンに進出すべきた。お鮨をおかずに白いご飯をセットにした「幕の内定食」を出している中国チェーンのでたらめを粉砕せよ!中国人がやっている店は衛生状態にも問題があるようで、そうすると外食する場所がない。そんな中で、早くて安くて量が適当でまずくはないものとなると、バーガーキングとマクドナルドのハンバーガーしかない。どちらも一個1ユーロ。野菜サラダも1ユーロなので、ハンバーガー2個とサラダ、とりあえず3ユーロで一食がまかなえる。オーストリアまできてこの2社のハンバーガーを食べ比べることになるとは想定外だったが、パンがパサパサなのを除けば、味はマクドナルドに軍配が上がるような気がする。ただ店員教育はバーガーキングの方がいいようで、初めて日本的な応対を経験した。マクドナルド(アメリカ本社の方)株は買いではないだろうか。日本ではあんなものを食べる気にならないが、ヨーロッパのプロテスタント国ではいずれ一人勝ちになる。ユースを泊まり歩いているような旅行者は、朝食はユースのビュッフェでたらふく食べ、昼食はBILLAなどのチェーンストアで買ったパンに野菜や缶詰の肉をはさみサンドイッチを手作りしている。これを書いているすぐ隣でも、長身のブロンド美女とガーネット美女ふたりが、そうやってサンドイッチを作って食べている。缶詰が何かはラベルがないのでよくわからないが、ツナかレバーペーストのようだ。こういう若者がいる限りその国は大丈夫だという気がする。この美女二人はドイツ語をしゃべっているので、ドイツ人か、地方のオーストリア人だろう。きのうザルツブルクを歩き回ったせいでとうとう足のマメがつぶれた。しかし旅も残り少ないとなると急に未練がわいた。歩き回るわけにはいかない。そこで、一日券を使って、地下鉄や路面電車の終点まで行って帰ってくることにした。これはおもしろい思いつきだった。路線によってははずれもあるが(18番の路面電車は地下にもぐってしまう)、素顔のウィーン及びウィーン人が見られる。中国人はどこにでもいるのでアジア系の人間がほかにいても注目されることはないのが残念だが、子どもが大勢いると思ったら動物園だったり、妙に若者が多いと思ったら学校があったりする。ウィーン人は繁華街で日の高いうちから全員がビールを飲んでいると思ったら、そうではなかった。夜はコンサート2つとオペラのどれにするか迷った。ムジークフェラインではティーレマン指揮ミュンヘン・フィル、コンツェルトハウスではアンドラーシュ・シフのピアノ・リサイタル、そして24日に見たウィーン・カンマー・オペラをもう一度という三択がどうしても決められない。ムジークフェラインに行ってみるとステージ上の券しかないという。するとおばあさんが寄ってきて45ユーロの券を40ユーロで買わないかという。渡りに船で、それならとチケットを買い、2階バルコニーの右列でブルックナーの交響曲第5番を聴くことにした。この席は舞台は半分も見えない。しかし不思議なことに音響はよく、見えない位置の金管やバスが豊かにきこえる。ティーレマンはネオナチ思想の持ち主としても知られる指揮者で、したがって積極的に聴きたいとは思っていなかった。しかし、ドイツ系では久々の大物指揮者であることは間違いないので、時々はフォローしたい。以前に聴いたのは20年近く前で、ティーレマンはまだ30代の駆け出しだったと思うが、音楽に力みがありすぎて感心しなかった。しかし歳月は人を変える。格段とスケールの大きな、それでいて緻密な音楽を作る巨匠に成長していた。ミュンヘン・フィルを聴くのは16年ぶりだが、かつての二流オーケストラは一流、もしかすると超一流に成長していた。ドイツのオーケストラらしい重厚さと現代性がちょうどよくバランスした理想的なオーケストラになったよう。もしブラインドテストをしたら、ウィーン・フィルとベルリン・フィルの合同オーケストラと感じるかもしれない。バイオリンは明朗で低弦はおそろしく重厚に響く。圧倒的なブルックナーだった。フィナーレの、押し寄せては返す波の高揚は白熱しながらも小さくならず、ふっと力をぬく絶妙な指揮がオーケストラを理性的にする。理性的な高揚とクライマックスでの爆発。これはカラヤンの美学だが、ティーレマンはより構築的。聴衆も沸いた、というより熱狂した。こんなにブラボーがとんだコンサートはなかった。カーテンコールも10回を超えたかもしれない。オーストリア人のドイツびいきもあるのかもしれないが、何よりも音楽的なセンスが彼らの好みに一致するのだろう。結局、ムジークフェラインでは4つのオーケストラの6回のコンサートを聴いた。座席もいろいろ試した。思うのは、モーツァルトの交響曲くらいのサイズのオーケストラだとちょうどいいホールだということ。編成の大きな曲だと残響が大きすぎることがある。今回、モーツァルトを演奏するオーケストラがひとつもなかったのが残念だ。1700人収容の大ホールでモーツァルトというのは彼らの良心がゆるさないのだろうか。
May 31, 2011
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ウィーン10日目。レイルパスを使ってザルツブルクに行ってきた。ウィーンからザルツブルクまでは特急で3時間弱。9年前に南チロルを歩いたときザルツブルクに行こうとしたが、アウトバーンが渋滞していて諦めたことがあった。あのときの雪辱をやっと果たした。ウィーン以外のオーストリアの都市では、まずザルツブルク、そしてリンツとグラーツが観光の定番になっている。しかしどこの国でもそうだが、地方都市の方が美しいものだ。オーストリアのいなかも、まるで絵葉書のよう。風景の繊細な美しさでは日本もたいしたものだが、建物を含めた全体の美しさとなるとかなわない。どの家も趣味がよく、周囲の自然と調和している。サンドイッチに生もやしを入れるオーストリア人の味覚のクレージーさと、この美しい家並みのある風景が、ひとつの民族の中で共存しているのが謎であり不思議だ。視覚と味覚が分裂しているとしか言いようがない。「世界の車窓から」という5分番組があるが、オーストリアのローカルな鉄道に乗るだけで、あの番組を何十本も作ることができるだろう。始発に乗るはずが寝坊して始発の1時間後の電車に。この1時間の遅れは致命傷になりかねない。1時間あればゆっくり昼食をとることができるし、何より涼しいうちに行動できるので疲れ方がちがう。迷ったりしても何とか取り戻せる。結局、昼食にしわ寄せが来て、帰りの列車に飛び乗る直前に買ったバーガーキングのハンバーガーを食べるはめになった。ザルツブルクといえばモーツァルトとカラヤン、そして映画「サウンド・オブ・ミュージック」で知られる。夏のザルツブルク音楽祭も有名だ。モーツァルトが生まれた家と25歳までの7年間を過ごした家、そしてミラベル庭園を見るとほぼザルツブルク観光は終わってしまう。駅からすべて歩いても2時間はかからない。それではと、メンヒスベルクのエレベーターというものに乗って断崖の上にある美術館に行き、そこからホーエンベルク城まで歩いてみた。多少のアップダウンのある道で往復2キロ強というところか。みやげもの屋が立ち並ぶ旧市街はどうということもなかったが、この散歩道はよかった。左側にザルツブルクの旧市街、右側は何という山なのか、まだ冠雪している山がいくつも見える。なだらかな丘の向こうにアルプス的な鋭い山が美しいアクセントになっている。モーツァルトもこういう風景をしばしば見ていたのだろうし、牧草地は昔は森だったろう。モーツァルトの家は、川の両側にあるが、どちらも街の中心部で、当時から都会ではあっただろう。しかしすぐ裏手には山や森が広がっている。当時はさぞ自然が豊かだったと思われる。「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台になったのはザルツブルクから南に1時間くらい行ったザルツカンマーグート地方。このあたりを旅するならレンタカーがベストだ。ザルツブルクに宿をとり、城から山に沈む夕日を見て、夜はミラベル宮殿での室内楽コンサートを楽しむといった旅ができたらどんなにいいかと思う。チロルの景色というのはほんとうにすがすがしく心が洗われる。北海道もよく似た景色だが、日本人はオーストリア人とちょうど逆に味覚と視覚が分裂していて、風景に似合わない建物のオンパレードだ。日本ならペンションかレストランかと思うような趣味のいい建物がふつうの民家で、旧市街を一歩出るとアメリカや日本みたいに薄汚れた街が続くイタリアともちがう。ハンガリーもそうだったが、ゴミひとつ落ちていない。どこをとっても絵になりそうな柔らかな風景が続く。さすがに観光地なだけあってザルツブルクは日本人も多い。だがいちばん多いのは中国人で、インド人の団体客もいた。インド人もモーツァルトを聴くのかと思うと妙な気がする。わずか4時間のザルツブルク滞在だったが、山の中の散歩道を歩いて気分をリフレッシュできた。ウィーンも公園は多く緑には事欠かないが雄大な自然はない。ホーエンベルク城のあたりから見えるドイツ・アルプスにはいつか登ってみたい。ザルツブルクに来てふと思い出したのは、モーツァルトの交響曲第39番の第3楽章の中間部分。素朴な民謡のようなメロディーが現れるのだが、あの音楽と共通するのどかさがこの景色にはある。もしかするとあのメロディーはこの地方の民謡そのものではないだろうか。そうだとすると、オリジナル楽器オーケストラの尖った演奏はお門違いのような気がしてくる。夜はムジークフェラインで3度目のパリ管弦楽団。ベルリオーズの序曲に続いて北欧もの2曲、グリーグのピアノ協奏曲とシベリウスの交響曲第5番を並べたプログラム。グリーグのソリストはエリザベート・レオンスカヤ。昔日の面影はどこへやら、すっかり太ったおばさんになってしまっていたが、リズムが重たくならない爽快な演奏は盛大な拍手を浴びた。実はこのコンサートは来ないつもりだった。しかし、メーンがシベリウスなので一昨日のアンコールでやった「悲しいワルツ」をまたやるにちがいない、あのアンコールだけでも千金の価値があると思って来たのだが、果たして再びあの再弱音の美に満ちた弦を聴くことができた。肝心の交響曲第5番の方は表情が過多で、ドラマティックな立派な演奏ではあるものの神秘感とか大自然の息吹のようなものは感じられなかった。こういう低体温な音楽は日本のオーケストラの方が似合うし得意のような気がする。この曲に関してだけは、渡邊暁雄が札響を指揮した1987年の演奏に遠く及ばない。まあこれはパリ管ではなく指揮者のネーメ・ヤルヴィの責任だが。この人、粘りすぎないエッシェンバッハといった感じの音楽を作る。どんな曲でもオーケストラを煽って大きな音を出させる。それがマッチする曲はいいのだが、そうでない曲では運動会のマーチのようになってしまう。この日は天井桟敷にあたる3階ギャラリエで聴いた。驚いたことに2階バルコニー中央よりもいい音がする。周囲の人たちも根っからの音楽好きという感じでスノッブな人は見かけない。ムジークフェラインでオーケストラを聴くならギャラリエがおすすめだ。値段も安い。
May 30, 2011
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ウィーン9日目。雨上がりの翌日はひんやりとした空気が気持ちいい晴天の日曜日。だが日曜日は旅行者にとっては魔の日。観光地だというのに商店がほとんど休みになる。これはキリスト教の戒律によるものだろう。日曜日は休んでいい日ではなく、働いてはならない日なのだ。中国人や中東の人がやっているような店しか営業していない。必然的に混雑するのでテイクアウトの焼きそばひとつ買うのに10分も20分も待たされたりする。ただでさえスローなのに、日曜は倍くらいスローになる。次の予定があるのにうっかりレストランに入るとタイムアウトになったりして危険だ。物価もはね上がる。平日の定食メニューは消え6ユーロ以下で食べられる昼食が10ユーロ以上になる。SPARで0.6ユーロのビールは2ユーロ出さないと買えなくなる。個人商店で何かを買うとSPARの倍はする。そのせいかバックパッカーは大都市を日曜日に発つようにスケジュールしている人が特にアメリカ人には多いようだ。最初は区別がつかなかったが、アメリカ人は何となく見分けがつくようになった。服装がカジュアルで、女性は化粧をしていない。タバコを吸う人がほとんどいない。仕草に優雅さがなく、見方によっては品がない。しかしフレンドリーで笑顔がある。初対面でも、アメリカ人同士はすぐ打ち解け、10秒後には何年来かの友人のように親しく話をしている。瞳の奥にどうしても猜疑心の残る日本人とはあまりにも対称的だし、気位の高そうなウィーン人とは人種が異なるようだ。遠くから来ているということもあるだろうが、ヨーロッパ人のバックパッカーに比べると荷物が倍くらい多い。男女の別なく自分の体と同じくらいの容積の荷物を持っている。もしジョージ・ガーシュインがウィーンに来たら、「ウィーンのアメリカ人」というタイトルでどんな曲に仕立てただろうかとか、つい空想してしまう。この日はムジークフェラインでコンサートのはしごをした。16時からはイオン・マリン指揮チェコ・フィル、19時30分からは前日と同じパーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管。チェコ・フィルの方はエリアフ・インバルがキャンセルになりイオン・マリンが代役で登場。そのせいかブーイングが飛ぶ一幕もあった。世界最高の音響効果を誇るムジークフェラインで同じ日にチェコ・フィルとパリ管を聴く。こんなチャンスはまずない。ウィーン芸術週間ならではだと思う。チェコ・フィルこそ世界最高のオーケストラだと思っている(シュターツカペレ・ドレスデンと同率一位)。メーンプログラムのドヴォルザーク「交響曲第6番」を聴きながら、あらためてその思いを強くした。もし人類を代表するオーケストラをひとつだけ残してあとは消せと神に命令されたら、チェコ・フィルをこそ残したいと思う。全員が、完全に室内楽を演奏するのと同じスタンスで演奏している。指揮者が三流でも(イオン・マリンは二流だが)チェコ・フィルが演奏すればどんな音楽でも精神性と芸術性の高い、行間が多くを語る豊かな音楽になっていく。イオン・マリンはこうしたことを知っているからか、自分の音楽をチェコ・フィルに押しつけたりせず、オーケストラのじゃまをせず、交通整理に徹していたのがよかった。インバルで聞けなかったのは残念だが、かえってチェコ・フィルの底力を知ることができたかもしれない。一曲目はヤナーチェクのシンフォニエッタ、2曲目はフォルステルというたぶんチェコ近代の作曲家のバイオリン協奏曲。結局、すべてお国もの(ヤナーチェクは厳密にはモラヴィアの作曲家だが)を集めて、他の追随をまったく許さない充実した演奏。お国ものをやるとノリがいいだけの安直な演奏になることも多いが、すべての音が「こうでなければならない」という必然性をもって奏でられていた。チェコ・フィル終演後1時間半もたたずに聴いたパリ管弦楽団は、チェコ・フィルが誠実な紳士だとすれば魅惑的な美女。何せ音そのものが美しく、サウンドそれ自体が快感でずっと聴いていたくなる。演奏内容はどうでもいいとさえ思ってしまうほど。一曲目、1965年生まれのフランスの作曲家エスカイシュのオルガンと打楽器4人を動員した作品は、メシアンと初期ストラヴィンスキーをかけあわせてさらにスピードを倍加したような音楽。パリ管の名人芸が全開。彼らが本気を出したら不可能なことはないのではとさえ思った。続くドヴォルザークのチェロ協奏曲はいただけない。ソリストのガウティエ・キャプソンはまだ若いフランスのイケメンチェリストだが、音楽が作為的。音は朗々と鳴るし、技術的には完璧なのだが、たとえば歌う部分ではテンポが遅くなり、速く難しいパッセージでは逆にテンポが速くなるといった具合。音楽に寄り添ってそこに内在するものを導き出すのではなく、力で音楽をねじふせるような演奏は、欧米の演奏家に時々見かけるが、彼もそのタイプ。まあ、これから年齢を重ねていけば少しは脂気が抜けるかもしれないが、禅とか華道とか、東洋的な静謐と緊張の美学を学んだ方がいい。こんな演奏にやんやの喝采を送るウィーンの聴衆もたいしたことはない。ただ、アンコールに演奏したオルガン伴奏のサン=サーンスのアリアの弱音を生かした演奏は絶品だった。ソリストはいただけなかったがオーケストラはすばらしかった。特に木管のアンサンブル力に敬服。ややわがままなソロにぴったりとつけて間然するところがない。メーンはサン=サーンスの交響曲第3番。フランスのオーケストラでこの曲を聴くのは念願だったが、やっとそれがかなった。期待通り、いやそれ以上の演奏で、30分以上の演奏時間が3分に感じられたほど。パリ管は、個々の奏者は優れていても、アンサンブルとなるといまひとつ、ということが多かった。しかしいまではがらっと変わり、自発性に富みながらアンサンブルも完璧という、オーケストラ音楽の理想に近づいている。つまり、一人一人がまるでソリストのように演奏して、しかもアンサンブルとして整っているのである。お国ものに対する自負や自信もあるのだろうが、ひとつとしておろそかにされた音のない、きわめて完成度の高い演奏。第2楽章の弦楽合奏の静謐な響き、フィナーレ終結部分のティンパニの思い切りのよい演奏は鳥肌もの。ラテンのオーケストラの明るさを保ちながら、重厚さにも不足がない。ベルリン・フィルのようにイケイケ一本やりではなく、粋でノンシャランな感じが随所にある。パーヴォ・ヤルヴィは決して悪い指揮者ではないが、小澤征爾のような巨匠指揮者でパリ管を聴けたらどんなにいいかと思った。現在のクラシック音楽界の危機の核心は、巨匠指揮者の減少と聴衆の高齢化である。日本でも欧米でも、戦後復興の中で満足な娯楽がなかった世代が、空腹に耐えながら精神的な価値を求めた。1950年代と70年代を二つの頂点とするクラシック音楽の興隆は、こうした世代とそのジュニア世代が支えた。しかし、こうした世代はすでに50代を超えて来ている。ムジークフェラインの客も、8割以上はこうした世代だ。オランダではオーケストラの数が三分の一になったらしいが、危機は静かに、しかし確実に進行している。ムジークフェラインのパンフレット売り兼客席係も、いつまでもお高くとまってはいられなくなるだろう。この日の二つのコンサートは、運良くいい席があたった。しかし、値段は倍以上も違い、チェコ・フィルが30ユーロ、パリ管が69ユーロ。東欧のオーケストラは、実力に関係なくギャラが安いのかもしれない。ウィーン・フィルとサンフランシスコ響を同じ日に聴いたのも贅沢だったが、チェコ・フィルとパリ管を同じホールで聴いたきょうより贅沢な人生を想像するのは難しい。
May 29, 2011
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ウィーン8日目。朝から雨の土曜日。こういう日は美術館や博物館にでも行けばいいのだろう。ウィーンにはシェーンブルン宮殿という、庭園や動物園まで備えた世界遺産がある。650年もの栄華を誇ったハプスブルグ家の夏の離宮である。宿からは近いが、ヨーロッパ人の作った庭園など悪趣味のきわみだし、むかしの皇族の暮らしをのぞき見しても得るものはない。いや、あるかもしれないが日本語ガイドでもないとわからないことが多い。シェーンブルン宮殿に行かないのなら、ほかに行く価値のあるところはない。ハプスブルク家の心臓だか内臓だかが保存してあるという壮麗なシュテファン寺院は先日通りがかりに1分ほど見たのでもういい。しかも土曜日はどこも混雑するのでうっとうしい。そこで数日前に少しだけ話した日本人と会うことにした。近くのユースホステルでランドリーを使わせてくれとネゴっていたら、ちょうどチェックインに来た日本人である。そのユースに伝言したら、なんと宿まで来てくれた。大阪のYさん。日に焼けて精悍な感じがするので若く見える。数日前は50代かと思ったが70代という。少し言葉の聞き取りにくいところがあると思ったら5年前に脳梗塞をやり、右半身に障害が残ったという。右足が上がらないのでモノにつまづきやすくて困ると言っていた。それでも20キロ以上はありそうなバックパックを背負い主にユースを泊まり歩く旅をしている。今までに出会った最高齢のバックパッカーかもしれない。・・・3月2日にウィーンに来てオーストリア国内を周遊。そのあとスロヴェニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、セルビア、マケドニア、モンテネグロ、コソボ、アルバニア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ポーランド、リトアニア、ラトヴィア、エストニア、フィンランドに行きウィーンに帰ってきた。ほとんどバスの旅。あすが帰国日。3ヶ月で旅を打ち切るのは脳梗塞の薬を3ヶ月以上出してもらえないのと、いままでの経験で3ヶ月たつとそろそろ旅もいいかなと思うようになるから。3ヶ月といっても一国あたり3泊か4泊に過ぎず、ほとんど首都にしか行っていないのが残念。ただ今回はバスが一日一本しかないスロヴェニアのいなかで、絵に描かれているのと同じ場所に行くことができたのが収穫・・・・・・5年前に交通事故で妻をなくした。それから2年半はどこにも行かず、何もしない日々が続いた。マンションでは近所付き合いもなくテレビが唯一の友だち。旅にでも出ればいろいろな人と話す機会もあるかと思い、まずは近場の韓国やアジアの短期旅行を繰り返して旅の訓練をした。それ以来、3ヶ月の旅をして1ヶ月日本に戻り、また出かけるという生活。ただ、そう決めているわけではなく、1ヶ月日本にいるとまた外国に行きたくなる。行った国は南米、中米、インド、ネパール、バングラデシュ、ヨーロッパ、トルコ、ギリシャ、エジプト、タンザニア、マラウィなど約50カ国。行ってみたいのはモロッコ。いまは焦臭いので避けている中近東にも行きたい。今回歩いたルートは2回目のところが多かった。2回目の方が感激するところと感激の薄れるところがあって面白く感じる。3ヶ月の旅の費用は飛行機代を除いて45万円。マイレージでもらえる航空券は期限が長く変更もきくので利用価値が高い。日本の外食の安さ多様さはすばらしい・・・一日5000円の旅はヨーロッパではきつい。東欧ならなんとかなるレベル。フィンランドはあまりに物価が高いので一泊だけですぐ逃げてきたという。どこがよかったかときくと、コソボだという。コソボでは日本人と見ると歓待してくれるらしい。というのは、セルビアから独立したコソボを真っ先に承認したのが日本で、そのことをコソボの人々はおぼえていてみな日本びいきなのだという。日本人とわかるとお茶を飲んでいけ、一緒に写真を撮ってくれと、一躍人気者になるらしい。台湾やリトアニアでも日本人とわかると歓待されたという。台湾は日本の統治が非常に人間的だったためで、リトアニアはユダヤ人にヴィザをどんどん発給したかの日本人大使の存在による。どうせ旅行するなら、本音のところでは東洋人を黄色い猿としか思っていないアングロサクソンやゲルマンの国より、こういう国に行きたいものだ。立ち見でオペラを見に行くというYさんと別れ、夜はムジークフェラインでパーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団。初めて2階席中央で聴く(58ユーロ)。パリ管を聴くのは3度目だが、フランスのオーケストラらしい色彩感、官能的ともいえる音色を保っている。ブラームスのピアノ協奏曲第2番冒頭のホルンがこれほど明るい音色で奏でられたのを聴くのは初めてだ。ブラームスの作品とはいえパストラールな雰囲気のこの曲にはマッチする。後半はドヴォルザークの交響曲第7番という渋いプログラムだったが、どちらも金管のノーミスの演奏と、首席クラリネット奏者の個性的かつ表現力豊かな演奏に耳を奪われた。このクラリネット奏者には最初の答礼が与えられていたが、こういう音楽性豊かな奏者がひとりいるだけでオーケストラというのは段違いに上質に感じられるものだ。フランスの音楽家には付点のリズム、アップビートが前のめりになる癖がある。このオーケストラも弦楽セクションにその癖があり、少しだらしない印象を受けることがある。だが、アンコールで演奏されたシベリウス「悲しきワルツ」の静謐な美しさには息を飲んだ。いままで聴いたオーケストラの弦で最も美しい響きだった。聞こえるか聞こえないかのぎりぎりの弱音で始めたヤルヴィの演出も見事だが、柔らかな綿毛がふわふわと舞うような響きがムジークフェラインに広がっていく演奏に、この瞬間が永遠に続いてほしいと真剣に願ったほどだ。咳をした後ろの席の美女をもう少しで殺すところだった。日本のオーケストラも水準が上がったと思っていたが、こうしたレベルにはまったく及ばない。ヨーロッパのメジャーオーケストラの中では決して第一級とはいえないパリ管。しかしその演奏は、世界最高のオーケストラばかり聴いている人の耳をもとらえてはなさないであろう独自の魅力がある。たぶん、比較は愚かなことなのだ。それぞれの魅力を楽しむべきなのだろう。大事なのはオリジナリティであり個性。日本のオーケストラの演奏は、指揮者という教師の言うことをおとなしくきくだけの優等生のそれだと思えてならない。たとえすばらしい演奏でも、それではダメなのだ。このコンサートでは隣席が日本人だった。留学中のピアニストの卵で、この日協奏曲を独奏したアンスネスのマスタークラスの受講者らしい。日本の音楽大学には行かず、まっすぐヨーロッパに来て勉強しているという。Yさんは、若い頃にはできなかった海外旅行の夢を、妻の死を奇貨としてだが、70代になってせっせとかなえている。たぶん年金の範囲でやりくりしながら質素な旅を続けている。一方、20歳になったかならないかくらいの仙台出身のこの女性は、東京に出るのとほとんど変わらないような意識でヨーロッパに来ている。たぶん潤沢な仕送りで何ひとつ不自由のない留学=遊学生活を送っている。時代がちがうと言ってしまえばそれまでだが、複雑な思いがしないわけではない。
May 28, 2011
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ウィーン7日目。雲一つない快晴が続いていたが、天気予報通り、いきなり雨になった。石畳の街はあっという間に水浸し。豪雨は短時間だったが、地下鉄のホームにまで水たまりができている。ウィーンは水および雨に弱い街と見た。夜はムジークフェライン(楽友協会)でウィーン交響楽団を聴く予定だった。しかし、会場に行ってみてもコンサートの気配がない。月刊の無料冊子「ウィーン・プログラム」にもきちんと掲載されているのに、開演一時間前になってもチケット売り場は閉まっている。これはコンサートがキャンセルになったか、一般販売をしない関係者だけのコンサートということだ。まあそれでも「ズッヘカルテ」(チケット買います)をやれば何とかなることは多いが、キャンセルだったら手も足も出ない。こういうとき、言葉ができないのが困る。同じムジークフェラインでウィーン・フィルとウィーン響を聴き比べるという野望は、こうして潰え去った。さてどうするか。歩いて7~8分のところに国立オペラ座とコンツェルトハウスがある。どっちでもよかったが、まあウィーンに来ればオペラはいつでも見られるし、ここは日替わり上演のために演目ごとのチーム制をとっている。変わらないのはオーケストラとコーラスだけ。こうすると連日公演より歌手の負担が減り、客は毎日ちがうオペラを見られるというメリットがある一方、一期一会的な高水準の上演になることもほとんどない。どうしても「手慣れた」感じの公演になってしまう。それならウィーンにやってくるオーケストラを聴いた方がいい。ウィーンにやってくるオーケストラは、「音楽の都」での公演に気合い十分にちがいない。こう考えてコンツェルトハウスに行ってみると、ジョナサン・ノット指揮バンベルク交響楽団のコンサートがあるという。そうだった、忘れていた。このコンビは2009年に来日し札幌でも公演したが、指揮者とオーケストラの双方に感心しなかったので、最初から眼中になかったのだ。安いチケットでも残っていれば聴いてもいいかと思い、当日券売り場に行くと、太ったおじさんが券を買わないかという。ダフ屋ではないようなので、23ユーロのチケットを20ユーロに値切って手に入れたが、気が乗らずに来たこのコンサートが大正解だった。おととい世紀の大名演に接したばかりなのに、この日もすごいマーラー演奏に出会ってしまったのである。運がいいだけなのか、それともウィーンではこういうことが日常茶飯事なのか。男子三日見ずば刮目して見よというが、イギリスの若手指揮者、ジョナサン・ノットの2年前に比べての成長が著しいのは一曲目、アイブズの「ニューイングランドの3つの場所」からも明らかだった。ムダな動きが減り、音楽の雰囲気の表出と交通整理の両方の役割を求められる指揮者の、その配分がきわめて適切。これはやはり音楽監督として日常的に接しているからこそできること。来日公演でも、ノットがこのいささか古色蒼然としたところのあるこのオーケストラに現代性を注入しようとしているのはわかったが、そのもくろみは順調に進行しているようだ。このオーケストラは弦楽器の一部にやや鈍重なところがあり、もしかすると古参メンバーがこうしたノットの行き方に批判的なのかもしれない。しかしそれをのぞけば、おとといのサンフランシスコ響をしのぐかと思われるほど高水準の演奏だった。メーン・プログラムはマーラーの交響曲第7番。驚いたのは管楽器セクションのレベル。ホルンやトロンボーンには世界的な名手がいるようで、第一楽章冒頭のトロンボーン・ソロからして度肝をぬかれたし、ホルン・セクションのミスの少なさは、過去にはボストン交響楽団とベルリン・フィルでの経験があるだけだ。ミスの数は、トータルではサンフランシスコ響の半分程度だったが、これほど完成度の高い「生演奏」はふつうありえない。ほとんど奇跡の領域に属している。金管楽器にミスはつきものでしかたがないと思われがちだが、実は、よい指揮者が指揮すると格段とミスが減るものだ。音楽的メッセージが明快でクリアな棒だと、のびのびと演奏でき、ここ一発の聴かせどころで大胆な演奏にチャレンジして成功することが多い。この日の演奏は、まさにその成功のオンパレード。フィナーレなど鳥肌のたつような瞬間が何度訪れたかわからない。打楽器にも名手がそろっている。特にソロ・ティンパニ奏者は35年前にサンフランシスコ響にいた黒人の女性奏者を聴いて以来の超のつく名手。オーケストラでいちばん大事なのはもちろん指揮者だが、次に大事なのはティンパニ、その次がオーボエとフルートである。そのいずれもが、このオーケストラのばあい、ベルリン・フィルやウィーン・フィルを凌駕している。管・打楽器セクションのこうした水準の高さに比べると、弦楽セクションは改革の途上にあるようだ。弦楽セクション全体が統一した音色なのはドイツのオーケストラならではの美点だが、ドイツ・オーストリア音楽にはよくても、それ以外の音楽には音色や表現のパレットが少ない。しかしノットの改革が順調にすすめば、あと数年のうちには、ドイツ的な重厚さときらめくような現代性をあわせ持つヴィルトーゾ・オーケストラになっていることだろう。しかしそれにしてもバンベルクは人口わずか数十万の小都市である。日本でいえば、郡山とか盛岡とか高松とか富山とか、そういった規模の都市だ。オーケストラは維持に多大な経費がかかる。だから財政規模の大きい自治体や大企業の多い都市、ありていに言えば人口の多い都市ほど高い給料を払えるのでいい奏者が集まり優れたオーケストラができる。ベルリンやパリや東京やニューヨークやロンドンやモスクワにいいオーケストラがあるのは、あたりまえのことなのだ。しかしこうした「人口」を計数に入れて考えるなら、バンベルク交響楽団は世界一のオーケストラと言えるのではないだろうか。ザールブリュッケンやリンツやボルドーやバーデンバーデンのオーケストラを聴いたことがないので断言はできないが、ドイツのローカルな小都市の音楽的な底力には圧倒されるし、ヨーロッパに音楽留学した人たちが日本に帰ろうとしない気持ちの、半分は理解できた気がする。バンベルク響と日本はいろいろな縁がある。岩城弘之はカイルベルトと共にこのオーケストラの指揮者だったことがあるし、このオーケストラの首席チェロ奏者だったペーター・シュバルツは札響の常任指揮者をつとめた。シュバルツが札響に求めたのは、バンベルク響のサウンドだったと思う。みな故人になってしまったが、バンベルク響のチェロ・セクションの黒檀が底光りするような響きには、シュバルツがもたらしたであろう「伝統」が生きているのを感じる。ノットとバンベルク響は、株でいえば「買い」だ。今後数年で大化けする可能性が高い。わたしがレコード会社のプロデューサーなら、いまのうちに専属契約をしておくところだ。
May 27, 2011
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ウィーン6日目。ウィーンに飽きたので日帰りでブダペストに行ってきた。正確には、ブダではなくペストに行ってきた。ハンガリーの首都ブダペストまでは特急で3時間。朝7時の始発に乗ると10時に着く。13時か、ぎりぎり15時の電車に乗れば18時にはウィーンに帰ってこられる。ウィーンから東へ1時間もするとがらっと景色が変わる。ビーダーマイヤー調だかなんだか知らないが、ウィーンの虚飾や軽薄さは消え、ほとんど人気のない草原と素朴な家並みだけになる。富良野や美瑛を数百倍に拡大したような景色。建物も地味で、明らかに東洋に一歩近づいたと感じる。しかし列車は何の説明もなく到着が30分遅れた。帰りも遅れるとすると15時ではなく13時の電車に乗る必要がある。13時10分の電車で帰ることにすると、正味2時間30分しかブダペスト滞在の余裕はない。余裕はないがしかたがない。観光に来ているのではない。オペラやコンサートを聴きに来ているのだから。地図もなしに訪れたブダペスト。ドナウ川を境にブダとペストにわかれているという予備知識だけはあった。駅構内をふらふら歩いていると「ヘレナハウス」のおばさんが勧誘してきた。「日帰りで駅周辺を見るだけ」と言ったら地図をくれた。それを見ると、どうも駅はペスト地区らしい。川まで一キロ強。そこから橋ひとつ分横に歩いて戻ってくることにした。つまりブダペストには行ったがブダには行かなかった。ドナウ川に沿って橋一つ分西に歩き、駅に戻ろうとすると何となく個性的な建物を見つけた。歴史的建築物なのだろうが、その手の建物に付きものの死臭がなく、活気がある。のぞいてみたら、巨大な屋内マーケットで、主に生鮮食料品を扱うマーケットだった。ウィーンからたった3時間なのに、驚くほど一次産品の物価は安い。ウィーンが日本の半分だとすると、さらにその半分くらいか。ウィーンにひけをとらない大都会なのに、人間も素朴で、ウィーンよりは小柄で髪の色の黒い人が多く親しみを感じる。ハンガリーはユーロランドではないが、両替するのが面倒だし、ハンガリーの通貨などどうせカネのうちに入らない。そう思って両替をしないでいたら、ユーロがそのままで使えた。このままハンガリーからルーマニアやブルガリアへ抜ける旅ができたらどんなにいいだろうと思ったが、マーケットを冷やかしているうちに電車の時間。30分の遅れのおかげでレストランにも入ることができずペストをあとにした。夜は大失敗をやらかした。フォルクスオパーに行くつもりが、フォルクスシアターに行ってしまったのだ。クンストラーハウスとコンツェルトハウスを間違えるという失敗もしたが、すぐ近くだったので難を逃れた。フォルクスオパーは諦め、ウィーン・カンマー・オペラに行くことにした。今月はミヨーとアンタイルのオペラをやっている。どちらも、日本では絶対に見ることができないオペラである。4~5人の歌手と10数人のオーケストラ、簡素な舞台で演じられるそれぞれ30分、50分ほどのコミカルな内容とおぼしきオペラは、筋はわからなからなくても実に楽しめた。何しろ音楽が粋で、歌手たちも芸達者だ。300人ほどの会場に100人ほどしか入っていないのにもなぜかほっとする。音楽の都ウィーンも、こうした音楽の価値を知っている人間はごく少数ということだからだ。隣の席には70歳くらいの女性がひとりで座っていた。未亡人なのだろうか、それとも夫とは趣味が合わないのだろうか。あるいはずっと独身を通した人なのだろうか。ウィーン人にしては物腰の柔らかい、人間的な暖かみのある人で、ウィーンに来て初めてほほえむ人間を見た。ハンガリー大草原ではどこまでも続くアマポーラのお花畑を見た。夜は、フォルクスオパーとフォルクスシアターを間違える失敗をしたおかげで、貴重なオペラとほっとするウィーン人に出会うことができた。失敗は成功の母と言われるが、失敗から何も学ばなくてもいいのだ。失敗することにこそ意義がある。
May 26, 2011
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ウィーン5日目。マイケル・ティルソン=トーマス(MTT)の指揮するサンフランシスコ交響楽団の演奏でマーラーの交響曲第9番を聴いてきたところだ。同じ演奏を日本で聴いたなら、3日3晩眠れなくなるくらいの興奮や感動を味わったのではないかと思う。それほどまでにすごい演奏だった。フィナーレでのシスコ響の弦楽合奏のうねるような響きが耳について離れない。超一流とはこういうものであり、これほどの音楽を聴く機会は世界的に見てもそうないだろう。不思議なのは、ずいぶん長い曲だと感じたこと。テンポが遅いわけではないのにそう感じたのは、マーラーのこの曲の情報量の多さを克明に示した演奏だったからだ。高級オーディオで聞くと同じ録音でもテンポが遅く感じられることがあるが、それと同じ現象だと思う。今回は第2番「復活」と第6番、そして第9番と聴いたが、この9番の演奏が最も印象に残った。ユダヤ的な粘りのない、ちょうどボヘミアの初夏の風のように爽やかな演奏は好みが分かれるかもしれない。実際、第3楽章が終わったところで席を立った人が散見された。たしかに、第3楽章の特にコーダは理性が勝ちすぎていた。というか品がよすぎるのだ。突然の変化ではなく、なめらかに景色が移っていく。また、甘美さも不足しがち。ヨーロッパのオーケストラにはチョコレートのような甘い香りがあるが、シスコ響にはそれがない。ビューティフルだが、甘くはない。しかしMTTが提示したマーラーは実に自然で健康的。力みや過度の感情移入がない。生と死の瀬戸際を歩んでいるようなこの曲の、暗さではなく明るさにスポットを当てている。トーマスはこの曲を完全に掌握し、まるで自分が作曲した曲のように細部まで血が通っている。演奏とは音楽に血を通わせることだと知ったのは、レナード・バーンスタインがベルリン・フィルを指揮したこの曲の演奏と、1990年にPMFオーケストラを指揮したシューマンの交響曲第2番の演奏だったが、そうした音楽体験が思い出された。はるばるウィーンまで聴きにきた甲斐があったというものだが、このコンサートのチケット代はわずか17ユーロだった。もしMTTがこの曲をどこかで指揮するなら聴きに行く価値があるということだけは断言できる。ロンドン交響楽団あたりを指揮して4日間くらいやってくれるなら全部聴きたいところだ。このあとベルギーやフランスで公演するMTTとシスコ響を追いかけたいが、そういうわけにもいかない。あすは早起きしてどこかへ日帰り旅行に行くつもりだが、どこへ行くかはまだ決めていない。6時間ほど眠って5分ほど考えて決めることにする。
May 25, 2011
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ウィーン4日目。ベートーヴェンゆかりの地区に行ってみた。ウィーンには公共交通の乗り放題チケットがあり、24時間有効のものだと5.7、月曜から月曜までの一週間定期券だと14ユーロで買える。一回券というか一時間券が1.8ユーロなのですぐ元がとれるだけでなく、旅行者にとってはいちいちチケットを買う手間を省けるのがいい。この一日券を使って、ウィーン郊外にあるハイリゲンシュタットからグリンツィングというホイリゲ(酒場)のある地区に行ってみた。たいていのホイリゲは夕方からだが、一軒だけ午前中からやっている店があるので、まずはこの店でカロリーを補給し、ベートーヴェンが散歩していたという道などを歩いてみようという作戦。ウィーンにはミシュランに載っている店が一軒しかないらしい。このことからわかるように、まずくて食べられないというほどではないが、ウィーンでおいしいものにあたるのは絶望的に難しい。しかしこの店の自家製白ワインはなかなかだった。大きなグラスにたっぷり入って3.5ユーロ。ウィーンの森の入り口にあたるこの地区は、葡萄農園を持っている店も多いらしく、たいていの店で自家製ワインを出している。中庭のある広い一軒家のようなレストラン酒場が10軒以上ある。オペラや音楽会に行くのでなければ、このあたりに宿をとり、まずくて食べられないほどではないが決しておいしいわけではないウィーン料理を、ワインやビールで流し込むといった滞在型観光も悪くないかもしれない。ベートーヴェンが「第9」や「田園」を作曲した家というのもあり、ホイリゲになっていたり、博物館のようになったりしている。いまでは一帯は高級住宅地になっているが、当時はかなりの田舎だっただろう。ベートーヴェンが住んでいた場所に行ってみたところで、別に何かわかるわけでもなかろう。でもまあせっかくウィーンに来ていることだし、昼間はすることもない。それで来てみただけだが、来てよかったと思った。名所旧跡を歩いて、そういう印象を持つことはほとんどないが、ここだけは来てよかった。多くの音楽ファンと同じで、圧倒的に打ちのめされた最初の体験が、ベートーヴェンの音楽だった。「運命」と「田園」の入っているLPを聞いたときの鮮烈な印象はいまだに忘れられない。ひとりの人間から、こんなにちがう音楽が、しかも同時に生まれ出て、さらにどちらもが何の音楽的素養のない人間にとっても比較するものがないほどの傑作であることが直観されたのだった。ベートーヴェンが死んで200年以上、いまだに彼の9つの交響曲を超えるオーケストラ作品は作られていない。ベートーヴェンの音楽のすごさはその発想力と構成力にある。抽象度の高い音楽といえる。しかし、民俗音楽的な要素というか雰囲気がないわけではない。そうした雰囲気と共通するものが、このあたりの地域から感じられるのだ。さらに交響曲第8番のユーモアとピアノソナタ31番のような超俗性の共存が、この地区に来てみると自然なことと納得できる。どんな芸術家も環境と無縁な存在ではないということだ。カラヤンは小澤征爾に、作曲者の生まれ育ったあたりに行ってみることをアドバイスしたというが、なるほどと思った。自動車がなければいまでも決して交通の便がいいとはいえないこの場所から、ベートーヴェンはどのようにして都心に行っていたのだろうとか、気になる。ベートーヴェンはずいぶん引っ越しを繰り返したらしいが、その理由がなんとなくわかる。たぶん、騒音問題だ。ベートーヴェンはピアノを使って作曲していたから、近隣から苦情が出たのだろう。そうでなければ、こんな不便な田舎に住むわけがない。しかしそれにしてもベートーヴェンのピアノが「騒音」とは何という贅沢か。もしいまベートーヴェンの実際の演奏が、たとえ録音でも残されていれば、それは数百億円とか数千億円とか、リヒテンシュタインの国家予算くらいの値段がつくだろう。リエージュ・フィルハーモニーのコンサートはなぜかキャンセル。ヨーロッパではよくあることだが、それではとオペラ座に行ったらダフ屋がうるさいのでやめた。帰り道、顔なじみになったいつもの娼婦が「セックスを楽しまない?50ユーロでいいわよ」と歌うように話しかけてくる。きょう聞いた音楽は娼婦の歌うような誘い文句だけだ。
May 24, 2011
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ウィーン3日目。ウィーンに着いたのが土曜だったので商店はほとんど休み、しかも宿代を前払いしたためキャッシュがなく外食もできず往生した。日本から持参したクルミとカロリーメイトと飴がなければかなり悲惨だった。あてにしていた宿は満室だった。そこで紹介された宿に来たが、FUNFHAUSEという名の家族経営とおぼしきペンションはさらに安く清潔で広い。ツインのシングル利用で朝食つき34ユーロ。日本のガイドブックには載っていないし、観光局のホテルリストにもない。ウィーン西駅から徒歩6~7分だが、繁華街とは反対方向のせいか夜になると売春婦がたくさん出てくるおもしろい地区。ウィーンにこんな場所があるとは驚いた。コンサートのあと宿にたどりつくまでの彼女たちとの連日のバトルも、いつかいい思い出になるだろう。ウィーンの女はみな愛想がなく陰気とばかり思っていたが、娼婦たちはおおむね陽気で親切だ。宿を探していたら尋ねもしないのに教えてくれた。ウィーンもパリやニューヨークほどではないが人種のるつぼで、中近東やアフリカからの移民を数多く見かける。よりによってなぜウィーンにと聞きたくなるが、街娼はオーストリア人の若い女が過半のようだ。ウィーンにおける街娼の現地人比率と平均年齢について、レポートできるくらいフィールドワークしてみたいものだ。このペンションはインターネットができないが、近くのレストランで「hotspot FreeInternet」という表示を見つけた。聞くと、何か飲食すると無線LANが使えるらしい。さっそくいちばん安いメニューを頼んで、パスワードを教えてもらった。この店の向かいには国際電話のかけられる店があり、日本へは1分0.15ユーロでかけられる。コインランドリーがどこを探してもないのを除けば、バックパッカーにも便利な場所だ。3日もたつとバンコマート(街角にあるATMのようなキャッシュディスペンサー)の使い方もおぼえ、宿の近くにスーパーも見つけた。地下鉄も乗りこなせるようになった。都心は地図なしでも歩けるようになった。19年前に12時間だけ滞在したときの記憶や印象とあまりにちがうのでとまどったが、毎日、できることが増え自由が広がっていく旅の快感を思い出している。きょうはコンツェルトハウスでマーラーの交響曲第6番を聴いた。この曲を実演で聴いたことは4~5回あるが、世界的なメジャーオーケストラで聴くのは初めて。トーマスの音楽作りには本質的な問題を感じるが、こんなにもいろいろな音が聞こえてくるのかと驚いた。やはり同じ曲でも優れたオーケストラで聴くのとそうでないのとではちがうものだ。それにサンフランシスコ響の、音程のいいこと。管楽器のハーモニーが、まったくと言っていいほど濁らない。35年前に聴いたとき思った「音色の美しさ」は、実はこの音程のよさがもたらした印象だったのではと思う。 きのうは世界三大ホールのひとつと言われるムジークフェラインでダニエレ・ガッティ指揮ウィーン・フィルを聴いた。運良くキャンセルチケットが手に入り、初めて客席で座ってウィーン・フィルを聴いた。サンフランシスコ響に比べると、ウィーン・フィルはアバウトだ。ベートーヴェンの「英雄」がメーン・プログラムだったが、きみたち、もう少しベートーヴェンの音楽をテキストとして読む訓練をした方がいい、という演奏。しかしその発声というか発音(音の始まりの部分)の柔らかい美しさは格別。前半に演奏されたベルクのバイオリン協奏曲はウィーン・フィルメンバーの音楽的教養の深さを如実に感じさせるニュアンスの万華鏡というべき名演。この曲はバイオリン協奏曲には珍しくトロンボーンが使われているが、ソロをまったく邪魔することのない演奏はオペラ座のオーケストラの面目躍如。歌の邪魔をしない、しかし決して痩せることのない響きは圧巻だった。この曲はウィーン・フィル以外で演奏してはいけない、というくらいの名演でガッティの暗譜の指揮にも驚いた。ソロはホーネックという人だったが、ソロがオーケストラと対立するのではなく、融合し対話し協調していた。ウィーンのビールには期待していた。コンサートがはねたあと、シュテファン寺院近くにあるビール会社直営のビールレストランに行ってみたが、何杯も飲みたいほどではない。これなら500CCで0.6ユーロの缶ビールでじゅうぶんだ。日本のビールが改良に改良を重ね、ドイツにはかなわなくてもオーストリアのビールを追い越したということだろう。
May 23, 2011
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何の因果かウィーンに来ている。札幌~東京~ミュンヘンと乗り継ぎ、ミュンヘンからは飛行機が満席だったので陸路はるばるウィーンまで来た。最初の予定はベルリンだった。佐渡裕のベルリン・フィル定期デビューきいたあと札響のヨーロッパ・ツァーを追いかけるつもりだった。没後100年を迎えて盛大に演奏されているマーラーの作品をドレスデンやライプチヒの音楽祭で聴き、プラハでビールでも飲んで帰ろう。そんな腹づもりをしてほくそ笑んでいた。しかしドレスデンやライプチヒの音楽祭は売り切れていた。スカイスキャナーで格安航空券を探しているうち、忙しく移動する旅は面倒になった。そうこうしているうち、ウィーンでマイケル=ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団によるマーラー交響曲チクルスがあるのを知った。チケットも残っていた。ベルリンはやめてウィーンに行くことにした。飛行機のチケットをオンラインで買ったのは19日夜11時半、コンサートのチケットをやはりオンラインで手配し終えたのが午前3時。1時間ほど眠ったあと5時に家を出た。旅行の決定から出発まで6時間を切っていた。去年から外国へ行こうとは思っていた。ヨーロッパに前回来たのは2002年だから9年ぶり。その9年の間に外国へ出たのはニューヨークに行った一週間だけ。これでは、せっかく身につけた旅のノウハウやフィーリングをなくしてしまう。時々ブラッシュアップしなくてはと思っていたが、ヘルニアになったりしてかなわなかった。田中好子の死も決断を後押しした。大好きだったスーちゃんとは学年が同じだから身につまされた。人生、いつ何が起こるかわからない。悔いが残らないようにしようと思ったのである。それに日本は放射能汚染が進んでいる。どうせ外国に行くなら早いほうが得だ。クラシック音楽を聴き始めて40年以上。一年では数えるほどでも、これだけの期間コンサートに出かけていると、世界の主なオーケストラはほとんど聴いた。しかし、毎年のように来日するウィーン・フィルなどに比べて、来日の機会が少ないのがアメリカのオーケストラであり、いままで札幌に来たことのあるアメリカのオーケストラは10団体ほどしかない。ドイツびいきの日本人はなぜかアメリカのオーケストラを低く評価する傾向がある。気持ちはわからなくはないが、機能性で言えば世界のトップ10のほとんどをアメリカのオーケストラが占めるはずだ。これまでで最も印象的だったのが、当時の音楽監督・小澤征爾に率いられて来日したサンフランシスコ交響楽団。たしか1976年のこと。日本のあのころのオーケストラとは比較にならない技術水準もさることながら、カリフォルニアの青空のように澄んだ明るい音色、屈託のない音楽が、40代にさしかかったばかりの若い小澤征爾のフレキシブルな音楽性とマッチしていてすばらしかった。そのサンフランシスコ交響楽団が、トーマスを音楽監督に迎えて第二の黄金時代を迎えているという噂は聞いていた。だがこのコンビの来日の可能性は少ない。若いと思っていたトーマスも60代後半、いま聴いておかないとチャンスはないかもしれない。地元での定期演奏会では同じプログラムを何日か演奏する。毎日のように違うプログラムを演奏するのは演奏旅行のときしかない。ウィーンでは4回公演するので4つの違うプログラムを聴くことができる。しかもウィーンではウィーン・フィルをはじめ他のオーケストラだけでなく、ソリストや室内楽団も日本での半額以下で聴ける。オペラは座席さえ選ばなければ10分の1だ。ウィーンの街自体には何の興味もないし、できれば来たくない街とさえいえるのだが、こうした魅力には負けた。ミュンヘン空港から鉄道駅に向かうバスに日本人はほかにいなかった。24時間前には予想もしていなかった展開に、「ほんとかよ。ガイドブックも持たずにほんとに来ちゃったよ。どうすんだよ」と焦りながらも「まあ何とかなるやろ。死んだりケガしたりしなきゃええわ」となぜか関西弁および名古屋弁でひとりごとを言っている自分がいた。
May 22, 2011
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