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札響の創立指揮者、故荒谷正雄氏とは1990年代のはじめに3度会ったことがある。彼は戦前のドイツで音楽(バイオリン)の勉強をした人で、1937年から終戦までベルリン・フィルやウィーン・フィルの定期会員として往年の大指揮者、フルトヴェングラーやトスカニーニを直に体験している。ベートーヴェンの交響曲は、トスカニーニよりフルトヴェングラーの方がよかったが、第九だけはトスカニーニの方がよかった。そんな、世評とはかなり食い違う評価を聞いておもしろいものだと思った。そんな彼がふと語ったことで忘れられないのが、「ドイツでは金持ちは音楽会に来ない。家でステレオを聴いている。音楽会に来るのは貧乏人」という話。もちろん、今のドイツではそんなことはない。日本よりははるかに入場料が安いので貧乏人でも音楽会に来ることができるが、身なりがよくメタボないかにもお金持ち風の人を多く見かける。オーディオ・セットが高価だった時代、安価に聴けるコンサートは価値が低いと思われていたにちがいない。音楽会はそれほどまでにありふれたものだったのだろう。音だけで言えば、よい機械を揃えれば、へたなコンサートホールで聴くよりよほどいい音がする。NHKホールやシャンゼリゼ劇場やロイヤル・アルバート・ホールのコンサートに出かけるくらいならたいていのステレオで放送を聴く方がマシだ。しかし多くの人が誤解しているのだが、よいオーディオとは大きな音の出る装置のことではない。弱音、消え入るようなピアニッシモでも音が痩せず、響きを豊かに保つ、これがいい再生装置の「定義」である。大音量できれいな音がするオーディオやオーケストラなどほとんどないものだが、ホールで聴く弱音の美しさこそ、コンサートで音楽を聴く第一の意義であり、オーディオでは絶対に体験できない種類のものだ。世界でも有数の音響効果を持つ札幌コンサートホール(キタラ)で演奏する場合、デッドなホールで演奏する場合とは違って、優れた指揮者なら音響を配慮した上で、自分の解釈が許容する最もゆっくり目のテンポを採用するだろう。余韻の美しさを楽しみながら、それが消える寸前で次のフレーズの指示を出す、そんな指揮になるはずだ。しかしジョセフ・ウォルフは若いためか、オーケストラの掌握に必死でホールの響きを「楽しむ」余裕がない。こうして一日目は散々な結果に終わったが、二日目ではオーケストラもこの指揮者に「慣れ」たのか、指揮者のキュー出しは一日目に比べるとはるかに減り、演奏は緻密になり、指揮者もオーケストラの把握やアンサンブルの確保だけでなく音楽そのものに打ち込むことのできる部分が増え、飛躍的にいい演奏になった。惜しいのはやはり速すぎると思われるテンポである。シベリウスの交響曲第2番は交響曲史上類例のないドラマティックな第二楽章を持つことで知られるが、この演奏はあまりに滞りなくスイスイと流れてしまう。みのもんたが「クイズ・ミリオネア」で見せるタメがあるが、ああいう観衆がやきもきする寸前までの引っ張りとタメが、この楽章の演奏には必要である。ジョセフ・ウォルフはみのもんたの芸風に学ぶべきだ。テンポが速いので、せっかくのホールの美しい残響が、生のコンサートならではの美であるピアニッシモの豊かな響きが残っているうちに前に進んでしまうのが残念だった。フィナーレも同様。ほんのわずかのことだが、暗鬱なメロディーを何度か繰り返して高揚していき、クライマックスで長調になる、あのやはり交響曲史上類例のないシンプルだが効果的なクライマックスが、彼の採用したテンポではなだらかになってしまう。エクスタシーに達する前に終わってしまった早漏気味のセックスのようで、聴衆という「女性」であるわれわれには欲求不満が残ってしまう。ほくでんファミリーコンサートという無料コンサートが札幌で毎月行われていた時期がある。定期と同じような曲目をそこそこの指揮者やソリストで聴けるのでありがたかったが、なぜか感動する演奏に出会うことは稀だった。調べてみると、このコンサートの練習は二日間、定期は三日間であることがわかった。たった一日のちがいだが、結果は大きく変わる。練習時間が少ないと、はやめのテンポになり表現はメゾフォルテの部分が多くなる。ニュアンスに乏しい単調な演奏がせかせかと続くということだが、ウォルフの演奏にはほくでんファミリーコンサートを思わせる部分が多かった。そんなわけで、一日目よりは格段によかったが、二日目もやはり勝利者はメンデルスゾーンの協奏曲をひいたシン・ヒョンスだった。彼女の演奏もまた一日目よりはるかに白熱した。フィナーレの終結直前に、8つの音からなる同じ音型を高い音域から繰り返すクライマックスの部分のG線でひかれる下降音型の6つの音は強靱な音で、生のコンサートならではの迫力と劇性に満ちていた。この6つの音を聴いただけでじゅうぶんに入場料の元をとったというものだが、そのはじけるような熱い音は一生忘れられないような種類の体験になった。一日目より観客の興奮は数段上で、彼女はクライスラーの技巧的な小品をアンコールでひいたがこれも見事なものだった。ベルリオーズの「海賊」も、一日目に比べると細部まで端正に整った密度の濃い演奏。終結部の爆発がその分破天荒にきこえて大成功だった。NHK交響楽団の定期会員の高齢化はひどいらしいが、札響にもその傾向がある。マチネー公演の一階席などは「高貴(後期)な人々」の睡眠場になっている。オーケストラは世代交代が進んだが、定期会員も世代交代が必要だ。
January 30, 2010
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昨年逝去した音楽学者の谷本一之氏は、札幌コンサートホール(キタラ)の札響によるこけら落とし(オープニングコンサート)について、「シベリウスをやるものと思っていたらサン=サーンスだったので驚いた」と書いたことがある。「驚いた」という言葉には批判的な意味がこめられている。札響が最も得意とするレパートリーは武満徹やシベリウスであり、これらの音楽ではベルリン・フィルやウィーン・フィルを凌駕する。そういうプログラムでこけら落としをやらないのは、不見識きわまりない。わたしはそう思っていたが、谷本氏も同じように考えていたのだと思う。ほかにこういうことを言う人はいなかったから、この文章が記憶に残っていまも消えない。まあ、サン=サーンスの交響曲第3番が選ばれたのはオルガンが効果的に使われているからだろう。ハードにソフトを従属させる日本人の特性はこんなところにも発揮されていた。その、こけら落としコンサートで演奏されるべきだったシベリウスの交響曲第2番が札響定期の演目にのぼるのは久しぶり。キタラで聴くのは初めて。その分、期待したが、ジョセフ・ウォルフというイギリスの若手指揮者のせわしなく落ち着きのない、余韻や余白を振り返る余裕のない指揮に失望させられた。この若手は極東のいなかの世間知らずのオーケストラに本場イギリスのシベリウスを教えてやろう、そんな「世間知らず」の気持ちで来たのではないか。札響が長年、この曲の演奏で培ったある種の伝統に学ぼうとしていないのは、余韻を残すべきところでもさっさと切り上げ、ためを作らずに前に進んでいくその音楽作りから明らかだ。そうした指揮者にもかかわらず、それでも札響のシベリウスには絶対に他のオーケストラには真似のできない美点、「本場」フィンランドのオーケストラさえしのぐ部分がある。線は細いが透明で寒色系の、ちょうどLINN社のオーディオのような音色がシベリウスに合っているといった表面的なことだけではない。このオーケストラには長い冬のあとの春の訪れを嬉しく思うような感情を、生活実感の中からシベリウスの音楽に共感しているような演奏態度がある。自分たちがいちばん言いたいことをこの音楽が言ってくれている、音楽とのそんな一体感があるのだ。前半のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、飽きるほど実演で聴いた。この曲は世界中のオーケストラの定期演奏会から追放すべきだとさえ考えている。年に何回も、時には10回も聴かせられることがある。来日オーケストラの演目にこの曲があったら、当該オーケストラの事務局に、この曲がプログラムにある限り貴オーケストラのコンサートはキャンセルさせてもらう、というメールを出そうと準備をしているほどだ。そんなこの曲では(大して名曲とも思えないので)、ソリストが美人なら観察し、そうでなければ寝ることにしている。今回は演奏者が事前のアナウンスとは変更になったので、何の予備知識もなしに聴くことになった。万が一、ソリストが美人だったときに備えて、オペラグラスを用意し、奏者がよく見えるRA席前方に陣取った。そうして現れた韓国のシン・ヒョンスは超のつく美人だった。モデルのような体型と評している人がいたが、それは違う。たしかにモデルのような小顔だが、スレンダーでも肩幅はあるし、お尻も大きい。それに、ぱっと見には端正で清楚ではあっても22歳という年齢もあって色気もない。しかし演奏中に見せる、聴かせどころのちょっと手前ではにかむように微笑んだり、ソリスティックに見栄を切る部分での恍惚とした表情などに、22歳とは思えない妖艶な色気があって驚いた。日本人に比べると多少、化粧が濃いのはお国柄だろうが、彼女の瞳から放たれる光の妖艶さはアイシャドーのせいだけではない。韓国はチョン・キョンファ以来、優れたバイオリニストを多く輩出しているが、シン・ヒョンスの演奏は、情熱的に大胆に弾きこむというより、繊細さと日本人のような端正でていねいな音楽作りが感じられる。短調の部分でも暗い情念よりも明るさを感じさせるような演奏は、明らかに新世代の感性であり、そしてそれは大変好ましいものだと思う。同世代のシン・アラーなどと比べても、大陸的な感覚を残しつつもコスモポリタンな演奏スタイルというかこれまでの「韓国系バイオリニスト」の枠を超えていると感じる。西のアラベラ美歩・シュタインバッハーと東のシン・ヒョンス。実力と美貌で群をぬくこの二人の登場によって、沈滞するクラシック音楽界の中でバイオリンの世界だけは目と耳を離せない独自のジャンルになった。残念なことに、あれほどの美人なのにシン・ヒョンスはフォトジェニックではない。実物か動画でしかよさはわからないだろう。7月のN響オーチャード定期で演奏するとのことなので、収録が期待される。もう一つ、ステージマナーとしては、退場するときの歩き方に少し「オバサン」が入っている。左手はあんなに振らない方がいいし、歩幅も狭い方が清楚に見える。マネージャーを通じて注意してあげることにした。ほかにベルリオーズの演奏会用序曲「海賊」。初演のころの聴衆は驚愕しただろうと思われるやりたい放題の異様な音楽。狂気というか誇大妄想というか、そういうものを解き放つのに、諸芸術の中では音楽が最もふさわしい器だと聴きながら思った。
January 29, 2010
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音楽家にはオーディオに凝る人とまったく関心のない人がいる。指揮者のエリアフ・インバルは超のつくマニアとして知られているが、楽器別に観察すると、オーディオ・マニアはバイオリニストに比較的多いような気がする。その理由はわかる気がする。人間の声の次に難しいのがバイオリンの音の録音・再生だと思う。楽器や奏者により微妙に音色が変わる。人間の声のように多彩な音色を持っていて、奏者のちょっとした気分や好不調がすぐ音に表れる楽器はほかにない。しかもたくさんの名手が100年前からたくさんの録音を遺している。SPからの復刻とか、録音条件のよくない、しかし名演奏とされる録音がいちばん多いのがバイオリンでもある。わたしのメインシステムに大きな不満はないが、音量を上げたとき、3点ドの前後のバイオリンの音が金属的になることがあるのと、チェロの第4線と第3線の間の音が過剰に響くことがあるのが気になり、何とかしたいと思っていた。松本の蕎麦倶楽部の佐々木さんに相談すると、マッキントッシュかオーラの管球プリアンプを使うといいとのこと。しかしマッキントッシュは大きすぎるし、オーラはもう何年も前になくなっているので、中古が市場に出てくるのを何年も気長に待つしかない。その間、無策というのも芸がない。こう考え、手はじめに、ちょうどオークションに出ている中から最もコストパフォーマンスのよさそうなプリアンプを試すべく買ったのが、フランスのATOLLのプリアンプPR200。定価ベースで14~5万のクラスだろうか。MINTコンディションのものを37500円で買った。正直なところ、劇的な変化はなかった。前述の問題点は、改善はされたがぎりぎり気にならなくなったという程度。初めて聴くCDなら、プリを通しても通さなくてもほとんど聞き分けることはできないと思う。しかし、20年、30年と聞き込んできたものははっきりとちがいがわかる。たとえば、協奏曲ではソリストの音がしっかりと前に出てくる。フルートなどのアタックは柔らかくなる。全体に中低音がしっかり出てくるようになった。美しい音というよりも現実感があるというか、いままで2階席で聞いていたのが、1階席の後方で聞いているかのようにステージに近づく感じがする。こんな安物のプリでこれだけ改善されるなら上級機や管球プリではどうだろうと期待がふくらむ。このシステムはサブに格下げして、MISICAL FIDELITYのプリとパワーをメインに導入してはどうかとか思案している。いずれにしても、どれもこれももう製造されていないので、状態のよい中古に出会う幸運を待つしかない。
January 17, 2010
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新型インフルエンザに罹患してしまったのでサブシステム用のプリメインアンプを物色したりしていた。やはりイギリスのものがいいだろうと、まずCREEKのEVOを入手。オークションで7万円弱。しかしこれは6万円で手に入れた知人のUNISON RESERCHのUNICO P に負けている。また、サブシステムに使うにはオーバースペックかと思いすぐ売却。今度はやはりイギリスのMYRYDのZ140というプリメインを手に入れた。オークションで4万円弱。これは定価で17万円クラスのものだが、同クラスのCREEKより上。音数が多くなるというか情報量が多い。あまりクラスのちがわないMUSICAL FIDELITY A3.2と比べると引き締まった低音が出るし音色はやや暗めで響きもクールかつドライだが、この音を好む人もいるだろう。しかしやはりA3.2の艶のある音色、音ではなく音楽を奏でるサウンドに慣れてしまうと辛いので、MUSICAL FODELITYのアンプが手に入るまでのつなぎに使うことにした。あらためてMUSICAL FIDELITYが奇跡的にすばらしいアンプであることに気づかされた。あれこれオーディオをいじっていて気がついたのは、すべての単品オーディオは、定価が20万円前後を超えるあたりから別の世界に入るということ。それ以下のものとはまったく次元がちがうというか、はっきり言って子どもだまし。特にスピーカーはひどい。小型スピーカーは別にして、店頭価格で一本10万円以下のスピーカーに手を出すのは自殺行為といえる。次の段階は定価60万円。そのあたりからまた世界がちがってくるように思う。そしてオーディオで大事なのは、全体のバランスを揃えることで、一点豪華主義はこの世界にはなじまない。プリメインアンプとCDプレーヤー、スピーカー二つの合計が定価ベースで80万くらいのもので揃えるか、240万くらいで揃えるのが賢明だということだ。2~3年落ちの中古なら半額くらいで買えるので、40万もしくは120万といったところか。わたしのシステムは定価ベースで130万超、実際にかけたお金は42万円だが、先日オーディオショップで試聴してきたDALIのHELLICONとDENONの最上級コンビ、定価ベースで200万弱のシステムよりはるかにいい音がする。いい音、というのは間違っている。いい音を出すシステムは山ほどある。しかし、音楽がきこえてくるシステムというのは、ほとんどと言っていいくらいないものだ。あれこれ試聴して、一つだけすばらしいスピーカーを見つけた。HARBETHのHL COMPACT7-ES3である。LINNの取り澄ました美音やPIEGAの繊細すぎる美音とも違う、どこまでも人間的な温かみのある美音。もし手に入れたら、抱いて寝たくなるようなスピーカーだ。専用台付き2本で20万円なら即決で買い取ります(笑)
January 16, 2010
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たいていの野菜は昔の方がおいしかったが、昔よりもおいしくなったと感じることが多いのがトマトである。トマト嫌いの女性は珍しいが、トマト好きな男性はもっと珍しい。あれば食べ、出されれば食べるだろうが、品種や食べ頃にこだわるほど大好物だという人はまず皆無だろう。家庭菜園で作るメリットが最も大きい作物の一つがトマトである。熟してから収穫するのとそうでないのとでは月とスッポンくらいの差があるからだ。もっとも、最近ではフルーツトマトという、わざと悪条件で育てたトマトがあるので、その差もあまりなくなった。昭和30年代には、栄養とはカロリーを意味した。だから野菜の地位は低かった。それでも、漬け物になるような野菜は地位を保っていたが、トマトのような、そのままでは保存もきかずご飯のおかずにもならない<野菜>は軽んじられていた気がする。野菜を生で食べる、つまりサラダで食べる習慣がなかったのもトマトを遠ざける一因になっていたと思う。あのころは市場で買った野菜にも、ミミズや虫がついていることが稀ではなかった。野菜を生で食べることがほとんどなかったのは、回虫を避けるためだったろうと思う。野菜を生で食べる数少ない例外がトマトだったように思うが、何でもおいしく感じる子どものころ、トマトをおいしいと思って食べた記憶はない。女の子がトマトを喜んで食べるのを見て、不思議な生き物に思えたのをおぼえている。そのトマトを、はじめておいしいと思って食べたのは高校1年のころだっただろうか。モスバーガーができてハンバーガーなるものを食べたときである。ハンバーグとピクルスとトマトとレタス、それにパンが一緒に口の中に入ったときのトマトの甘味と酸味をすばらしくおいしく感じた。肉の脂っぽさをピクルスが中和し、トマトがそれにだめおしをする。レタスの味気なさをサポートしパンのドライさに潤いを与える。他の食べ物の短所を補い長所を引き出し、それでいてそれ自体も控え目なおいしさがある。こうしたトマトの真の「底力」には感銘を受けた。トマトおそるべしと感じたものだった。しかし単品で食べるトマトは相変わらず好きではなかった。こんな低カロリーのものでお腹を満たしてしまってはカロリー不足で倒れてしまう。20代くらいまでの男はよほど草食系でもない限りそう感じるものだと思う。トマトを単品で食べておいしいと思ったのは1987年にニセコアンヌプリに登ったときである。この山は、登山道はつまらない。沢や岩場があるわけでもなく、景色にもさほど変化がない。しかし、尾根部分に出ると絶景が広がる。何しろ、蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山が正面に、パノラマ状に見えるのである。登山道のつまらなさと頂上からの絶景の落差があんなに大きい山というのはそうないと思う。雄大な景色でもコンパクトなのが日本の景色の長所の一つだと思うが、アンヌプリ頂上からの景色に匹敵する「コンパクトに雄大な」絶景というのは世界的にも珍しいだろうと思う。たいてい、雄大な景色は雄大すぎて大味なものだ。同じ日本でも八ヶ岳からの富士山の眺めなど大味でアンヌプリの比ではない。羊蹄山には春遅くまで雪が残っている。山頂部分に雪をまとった富士山型の山というのは神々しく美しい。しかもそのときは雲一つない晴天だった。その景色を眺めながらの食事ほどぜいたくなものを思いつくのはむつかしい。食事と言っても持参したものを食べるだけだが、そのときは偶然トマトを持っていた。あんな嵩が張って重たいものをなぜ持っていったのか不思議だが、とにかく山頂でトマトを食べた。あんなにおいしいものを食べたのは、あとにも先にも記憶がない。今まで食べたいちばんおいしいものをと聞かれたら、あのときのトマトと答えるような気がする。何の変哲もない、ふつうのトマトである。まだフルーツトマトなどというものはなかった。青いうちに収穫して流通している間に少し赤くなった、そんなトマトである。体を動かして気持ちのよい汗をかいたあと、少しの苦労をガマンして着いた頂上で絶景に迎えられ、水分補給を兼ねて食べたから、ふだんはさほどおいしいとも思わないトマトに、数十の複雑なうま味を感じたのだろうと思う。このときはポカリスエットを持っていったが、これも下界で飲むのとは別物だった。こんなにおいしい飲み物だったのかと絶句した。そして、しまった、それまでの人生は失敗だったと悟ったものだった。食べ物そのものより、いつどこでだれとどんな状況で食べるのかが味覚に与える影響が大きいということを、野外ジンギスカンや風呂上がりのビールなどで知っていたにもかかわらず、あまり考えなかったがゆえの失敗といえる。一度そういう経験をすると、どんなトマトでもそのおいしさに焦点をあてて味わえるようになる。オーディオのイコライザーのような働きを脳ができるようになり、舌がそのもののまずさではなくおいしさを追うように機能するようになるのだ。ほかの景色で代替するわけにはいかない。柳の下の二匹目のどじょうをねらって、いろいろな場所で試したが、アンヌプリ山頂にはどこも遠く及ばなかった。人生の豊かさとはこういうことなのだと悟るのに時間はかからなかった。6月、残雪の羊蹄山とニセコ連山、マッカリ盆地を眺めながらアンヌプリ山頂でトマトを食べたことのない人は、トマトのほんとうのおいしさを知らないとさえいえる。海に潜って採ったウニを食べたことのない人も同様だ。辰巳芳子のスープは末期がんになってからもらうことにして、元気な間はなるべくこういう体験を積み重ねることだ。
January 6, 2010
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年が変わって、まずすべきは、年を越すことができなかった人たちのことを思い出し記すことである。去年は、そのうちどこかで会うこともあるだろうと思っていた、わたしよりも年下の人が3人も死んだ。ひとりは乳がん患者の大原まゆ。数年前、楽天ブログの更新が止まったので再発したのかと思っていたら、やはりそうだった。それでも、ピンクリボンなどの活動に打ち込んでいる様子は伝わってきたから、そうではなく元気なのかもと思っていた。彼女とは母の主治医が同じだった。ちょうど彼女が退院したころに入院したので、病院で見かけることはなかったが、検査などで遭遇する可能性があった。そのときはいろいろ話してみたい、と思っていたが機会がなかった。彼女は5月にたしか26歳で死んだ。死の直前までブログを書いていて、そこには若い女の子ならではのいじらしさ、愛らしさが感じられて逆に痛々しく、涙なくしては読めない。彼女はこのブログも読んでいてくれて、楽天ブログにはむなしくリンクが残っている。札幌は狭い街だから、出会うこともあるだろうと思っていたが甘かった。同じ5月に國學院大學教授の宮下誠が死んだ。出張先のホテルでの突然死。47歳だった。彼の名を知ったのは「カラヤンがクラシックを殺した」(光文社新書)だった。この本の論旨には疑問が多かったが、クラシック音楽はすでに死滅していて、その死滅にカラヤンが果たした役割は決して小さくなかったと考える点では一致していて、今後の議論の深まりには期待していた。自分でもこうしたことをきちんと考えておかなくてはと思っていたので、同じ戦場で、ちがう方法で闘う同志を失ったような虚脱感が残った。彼はパウル・クレー研究の第一人者であり、オーケストラの楽器ではティンパニ・フェチだった。同じようにクレーが好きでコンサートではメロディよりもティンパニを聞くわたしは非常に親近感を持っていた。彼が行きそうなコンサートというのはわかるから、そのうちコンサートで遭遇することもあるだろうと悠長に構えていたら死んでしまった。11月には横浜国立大の大里俊晴が大腸がんで死んだ。51歳だった。元同僚の許光俊が真摯で感動的な追悼文を書いている。宮下誠もそうだが、大里俊晴も他人という感じがしない。二人とも好きなもの、好きなことにとことん打ち込むオタクの権化みたいな人たちだった。宮下誠はコレクションのCDを売って留学資金にしたというし、大里俊晴はヤクザの親分が殺された新宿のビルの屋上の事務所みたいな部屋を安く買い、そこで楽器とCDとオーディオに埋もれて暮らしていたという。ほんの少し「オタク度」が強かったら、わたしも彼らのようになり、ハードワークや偏食で早死にしていたかもしれないと思えてならないのだ。ロックギタリストのクセにシャイで、聴衆に背を向けて演奏していたという大里のパフォーマンスをぜひ一度聴いて見てみたかった。後世おそるべしという。先進国のポスト団塊世代からは、もう面白い人間は生まれないだろうと思っていたが、そんな蒙を啓いてくれたのがこの二人だった。神は残酷だ。ピュアであることがまるで罪であるかのようにピュアな魂を持った人たちを早死にさせる。
January 2, 2010
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シアター・キノ代表の中島洋が正月映画に選んだ作品に間違いはないだろう。こう考えて観た「カティンの森」(原題はカティン)、ソ連秘密警察によるポーランド将校の処刑シーンが延々と続いて終わるワイダ監督渾身の力作は、元日に観るべき映画として最良の選択だった。カティンの森<事件>についてはウィキペディアが詳しい。カティンの森事件しかしこの映画は「カティンの森事件」を伝えるためだけのものではない。実父をカティンで殺された経歴を持つワイダ監督の眼差しは、たとえば「存在の耐えられない軽さ」のような映画と同じ、犠牲者の側に立つのか、それとも生き延びるために加害者の欺瞞に迎合するのか、という非常に困難な問いに向けられている。そして、映画全体としてはソ連の犯罪の告発というより、夫の生還を信じて何十年も待ち続けたポーランドの女性たちへの痛切なグランプリになっている。映画にはいくつかの役割がある。その中でも最も重要なものの一つは、歴史と人間の欺瞞を暴くことであり、もしかしたらすべてが欺瞞かもしれない歴史の中での人間の生き方を問うことである。将校の妻たちは潔癖とも言える「拒否」の精神を発揮し、はた目には無意味に見える抵抗を続けていく。同じ状況におかれたとき、自分ならどうしただろうかと考えずにはいられないが、たぶん、現実に彼女たちはこういう生き方を貫いたのだ。処世術として迎合したふりをして時を待ち、組織化して反撃に転じるという発想はない。政治的にあまりにナイーブなのだ。すべては個人的な出来事に還元されてしまうようで、それを歯がゆくも感じる。将校アンジェイの妻は、彼女とその娘の安全を心配する良心的な秘密警察幹部からの形式的な結婚話を断るが、思わず、なんて愚かなと思ってしまったほどだ。しかし、これこそが女性特有の偉大さなのだ。極私的な「愛」しか信じるに値するものはない。一見、非歴史的で小市民的にみえるこの愚かといえば愚かな信念こそが、実はジェノサイドを不可避的に結果するあらゆる「政治」を解体する唯一の契機なのかもしれない。大量の死体がブルドーザーで埋められていくシーンは圧巻で、自分が死体の一つとなって埋められていくかのような圧迫感がある。しかしそれは単に残酷なシーンというだけでなく、人間が本質的に持つ残酷さを感じさせて映像そのもの以上に恐ろしい。バビ・ヤールでナチス・ドイツが行った大量処刑は機関銃によるものだったが、「カティンの森」ではソ連赤軍は一人ずつ確実にピストルで処刑したようだ。ほとんど証言が残されていないが、生涯最後となるかもかもしれない作品で、ワイダ監督はどんな細部にも細心の注意を払い、できるだけ事実に忠実に再現するように心がけたことだろうから、これがほぼ事実なのだろう。こうした「手工業的」な処刑方法には、いかにもスターリン型共産主義者らしい陰険さと小心さがうかがえる。この大量虐殺の首謀者はスターリンとその片腕ベリヤであることが歴史的に明らかになっている。しかしこの「事件」は彼らの個人的な資質によって起きたものではなく、権力の集中によっていつでも起こりうることであり、現に起きていて、これからも起きていくことだろう。最も軽蔑すべき人間たちによって最も優れた人間たちが粛清されてきたのが人類の歴史にほかならない。その歴史を反転させる革命こそが待たれている。
January 1, 2010
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