投資の余白に。。。
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調べてみると、4月から映画館で観た映画は30本。毎月4~5本の割合で観ていることになる。沢木耕太郎は毎月8~10本観ているそうだから、ちょうど半分というところか。一度に観る映画は平均2本なので、映画館には月2~3回行っている。ただ、最終日と初日に行くことが多い。毎月、連続した二日間に映画館に行き、そのあとはまた1ヵ月あくことも珍しくない。だから特に映画を観るために時間と労力を費やしているという気はしない。新旧とりまぜてだが30本の映画を観て、強く印象に残ったのは「ドキュメンタリーの時代がやってきた」ということだ。あえて順番をつけるなら、30本のうち上位5本がドキュメンタリーだった。中でも、甲乙つけがたいほど衝撃的だったのが、土井敏邦監督の「私を生きる」(2010年)とヴィンセント・ムーン監督の「友川カズキ 花々の過失」(2009年)の2本。前者は「日の丸・君が代」の強制に屈せず私的な闘いを続けている東京都の教師・校長3人を、後者は一部に根強いファンを持つフォーク歌手の友川カズキを描いたドキュメンタリーである。友川カズキはいささか自己破滅的なところのある、酒と競輪にのめりこんでいる人物だが、その歌や詞の迫力はすごい。40年間歌ってヒット曲ゼロでも、彼の歌を聴きに集まるファンが全国にいるのもうなずける。一方、「私を生きる」の3人は、無名の人々であり、君が代不起立運動に関心のある人以外、この映画に感銘を受けた人も3人の名前を記憶することはないだろう。しかし、世の中にはこんなにも誠実な教師たちがいるのだという新鮮な驚きが感動を呼び、日本もまだまだ捨てたものではないという強い希望を与えてくれる。大事なのは映画のタイトルにあるように、3人が特定の組織やイデオロギーによってではなく、自分が自分であり続けるために闘っているという事実でありその姿である。自分をごまかして生きるのは、ほんとうの人生を生きているのではない。誰にとっても大事なその真実をつきつけられた思いがする。佐々木芽生監督の「ハーブ&ドロシー」(2009年)も優れたドキュメンタリーだった。現代美術の収集家として知られる老夫婦に着目した時点でこの映画の成功は約束されたといえるかもしれない。が、こういう「アメリカ」もあるのだということを知るのは有意義だ。格差社会の代表、最大の輸出物が戦争、世界一の麻薬大国・・・暴力とエロスと商業主義と投機のアメリカではないアメリカを見つけることは、この映画のように、決してむつかしいことではない。ニコラウス・ゲイハルター監督の「いのちの食べかた」(2005年)はこれら3作品に比べるとケタ違いに話題になった映画。ヨーロッパ各地で撮影されているということ以外、場所や企業を特定することはできない。ひたすら淡々と、「工業製品」として家畜や魚が扱われている「食品製造現場」の映像が続いていく。この映画を観てなおファストフードを食べるような輩がいたらその人のアタマはどうかしている。新種の狂牛病かなにかに冒されているにちがいない。薄々気づいてはいたが、あまり考えたくないと思っていたことを、この映画は説明なしの映像で観客につきつけてくる。一本の映画との出会いが人生を変えることがあるが、この映画はわたしにとってそんな一本であり、ジビエ以外の肉、放し飼いされていない鶏の卵といったものすべてを食べるのをやめることにした。すでに高濃度放射能汚染で太平洋の魚貝や海草は食べられなくなっている。幸い、近くのスーパーにはシカ肉がいつもあるので、肉が食べたくなったらそれを食べればいい。「いのちの食べ方」と同時に観た白鳥哲監督の「不食の時代」(2010年)もわたしの人生を、というより体重を大きく変えた(笑)。この映画は断食と生菜食を特徴とする「甲田健康法」の実践者を追いかけたドキュメンタリーだが、朝食を抜き、夜6時以降は食べないという「18時間断食」をかなりいい加減ながら1ヵ月続けたところ、みるみる体重が減り、20代のころの体重にまで減ったのである。どんなにがんばっても下がらなかった眼圧が大きく下がったという効果もあった。自分の体で「証明」してしまった以上、「怪しげな健康法」かもしれないがこの健康法はわたしにとっていまのところ唯一の「正しい」健康法である。さらに徹底すべく、玄米クリームを作るためのミルミキサーと、野菜ジュースを大量に買い込んだところだ。人間が長命になったのは肉食が普及したからで、肉食を否定するわけではない。しかし、家畜に食べさせている穀物を人間が食べれば、食料問題など一気に解決する。鶏肉1キロのために必要な穀物を1とすれば、豚肉は3、牛肉は10だという。ヴェジタリアンにならなくても、牛肉を豚肉に、さらに鶏肉へとシフトしていけば、その分、人間が食べるためのものを生産・流通させるのに必要な環境負荷を減らしていくことができる。復讐ものは、いつか必要が生じたときに参考になるかもしれないのでなるべく観るようにしているが、ゲイリー・グレイ監督の「完全なる報復」(2009年)は出色だった。妻と娘を暴漢に殺された男が復讐の鬼と化す。ここまではよくある話。しかし、司法取引で短期出所した犯人だけでなく、裁判に関わった者全員にとてつもない方法で復讐を始めていく。言ってみれば国家そのものを相手に復讐をしていくわけだが、10年間にもわたって復讐だけを考え、準備をしたその展開には「ここまでやるか」という驚きが「こうでなくては」という共感に変わっていく。留置場にいながら復讐を敢行していくその手法、予想外に斬新な見せ場の連続に間然するところのない108分。旅行などと重なって、観たかったのにどうしても観ることのできなかった映画も多かった。森田惠子監督の「小さな町の小さな映画館」、井出洋子監督の「ショージとタカオ」、太田直子監督の「月あかりの下で」、ピエール・トレトン監督の「イヴ・サンローラン」といったドキュメンタリーは、次はいつ観られるかわからない。観てよかった映画の多くがドキュメンタリーで、観られなくて残念だったと思うのもドキュメンタリーが多い。劇映画の多くは小説を原作としている。劇映画にいいものが少なくなったのは、世界的な文学の衰退が関係しているのかもしれない。いずれにしても、上映機会の少ないドキュメンタリーにフォーカスして映画館に通う日々はしばらく続きそうだ。
October 17, 2011
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