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死者が100人を超えてしまいました。日本の列車事故として、歴史に残る大惨事です。たしかにJR西日本の事故後の応対をみていて、体質的なモンダイをかいまみてしまいます。たとえば「置き石」についての報告も、調査によれば、その可能性は薄いらしく、結果的に社自らの非を避けたいがために虚報したのか、というような印象を受けました。また、ダイヤの時間厳守については、運転手に対して罰則があるのに、遅れた場合についてのその後の対応は、マニュアル化されていなく、運転手の裁量に任せてあるらしいのです。管理者側の都合の良いように。この事故の原因は、運転暦、約11ヶ月の亡くなった運転手一人だけの非ではありません。そのような組織的な“悪意”をもっと見出す必要があると想います。日本人的、日本特有の事故として起きたからこそ、考える要素があると想うのです。もちろん1:30秒の遅れでパニックになるような運転手は、ほかの国にはいないでしょうが、人間の体質、罪を知るという意味では普遍性もあるでしょう。尼崎駅でのコネクションのこともあり、社会が要求するサービスを提供しているJR西日本を、ただ“悪”と片付けるわけにもいきません。社会人の立場からいえば、多少の遅れは、駅で証明書をもらえば、会社でも咎められないで済みます。このような大惨事の場合、誰かのせいにするという”スケープ・ゴート”を創り出してしまうことがあります。あの「置き石」のように。しかし、大切なことは、原因の追究、反省(悔い改め)、そして事故防止のために具体的な一歩を歩み出すことです。ちなみに、”スケープ・ゴート”の語源は、心理学の教科書ではなく、旧約聖書の『創世記』です。アブラハムがイサクを神に献げようとしたとき、主は一匹の雄羊を用意しておられました。この雄羊は、イエスを表す型(タイプ)です。「すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕らえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。」(創世記22:13)
2005年04月28日
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大変な惨事ですね。今回の尼崎市の電車事故で、その原因、JR西日本の管理責任、そして事故防止策について興味深く見守っています。なにが問題の背景にあるのでしょうか。知り合いのM姉は、その電車を以前、利用してたと聞き、驚きました。彼女の知り合いの息子さんが事故に会い亡くなり、ご友人は怪我とショックで悩んでいると聞きました。まさに日常の中の非常時で、悲しいです。我々には、この事故について冷静にみる視点と、キリスト者としての視点が求められてる気がします。けっして説教のネタにしようという意味ではなく、「神はその時、何をしていたのか」とか、「誰の責任なのか」という人々の問いに、我々はどう応じるべきか、を考えておく必要があると想うのです。主の御手の中に、出来事は存在します。しかし我々のすべきことは、いま何なのか、御心はどこにあるのか。とりあえず、事故の調査報告を注意深く聞き、日々のデボーションでも考えてみたいと想います。
2005年04月28日
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説教の方は、なんとかまとまりました。後は修正して、覚えこむだけです。一回目の説教は、創造と楽園、第一戒の罪、原罪、そして子羊イエス、新しいエルサレム、などと、よくばりすぎて、どうしようもなく、もうこれ以上、書き直すのは、あきらめました! とりあえず、二回目の説教でプレゼンすることになっているので、見切りよく・・・。でも、今度の説教も、ローマ8章から。「弱さ」(8:26)から祈りへというテーマに取り組みました。弱さから強さへ、という図式は安易なのでやめて、弱さのうちにキリスト(み霊)が働く、というイメージです。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中にこそ十分に発揮されるのだ」(2コリント12:8)尼崎市の脱線事故のニュースはショックですね。大変な惨事。実利と安全管理・律法と福音というふうに、そんな視点で観てしまいます。ただいまイザヤ書の宿題に追われています。
2005年04月27日
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