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牧師館と教会の会堂管理について、M姉の話を聞いた。そのときの感想を記す。----------以前、私が行ったことのある教会堂では、他教派の教会なのですが、「セコム」と契約していて、セキュリティー対策の万全な教会でした。都心に在るとはいえ、そこまでしなくても・・・と感じたものです。ニューヨーク、マンハッタンのある教会では、日中、礼拝堂がずっと開いていて、誰でも好きなときにお祈りしにゆける、ということを聞いたことがあります。すばらしいですよね。とはいえ、いずれにしても、いくつかの安全対策は大切です。鍵とインターフォンの設置はもちろんですし、他にもたとえば、1.牧師以外の教会員が鍵を所有し、日ごろの安全点検を重視する。2.牧師不在のとき、誰かが責任をもって会堂管理をする。3.会堂内にある高価なもの(電化製品、楽器、等)を人目につかないように移動させる。4.教会の開いている時間(7~22時)の見直し。5.消火器の位置を共有して認識しておく。など、など。教会員が牧師だけに会堂管理を押し付けるのは、問題です。私が役員をしているときにも、私の教会でも新会堂建築にともない、そのような話し合いがありました。新会堂では牧師館が3階にあるからです。今の状態では、平日の開館は、牧師が聖研しているときとか、に限られているとおもいます。機材とかは、使用しない場合には、地下の倉庫にしまう、とかしていますし、物の紛失といった問題はまだないとおもいます。しかし以前には、礼拝後のちょっとした時間帯にご婦人のバッグが紛失したという事件もありました。会員一人一人の意識も大切だと想います。以前、コロラドの米国人の知人を訪ねたときのことなのですが、その方は「車の車内に物を置いておくのはよくない」といい、わざわざトランクにしまっていました。ちょっとしたことですが、他人の眼に見えるようにしていることで、罪への誘発させるのはよくない、という意見だったようです。私もそれには賛成です。とはいえ、多少のリスクは犯さなければ、理想的な「開かれた教会」になってゆきませんよね。こちらの教会では活動のない時間にはロックしています。でも平日の活動もさかんなため、いい感じで開かれているようです。やはり新しい人は日曜日の礼拝に来てもらえるようにすることが、ベストなのでしょう。すべてのものを共有していた、使徒的教会って、やはり理想の理想ですねぇ。---------「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分の物だと言う者はなく、すべてを共有していた。」(使徒4:32)
2005年05月17日
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今日は、もう少しでした。今回の説教は、自分なりには、かなり練習していたのですが、人前(ミニ・チャペルにおいて、クラスの仲間の前で。)にでると、やはり緊張します。また声のボリュームなど、いまいちで、肝心なところが聞こえにくかった等、の指摘をされてしまいました。想ったより、内容がだらだらして、集中もしにくかったようです。問題なのは、しゃべりがゆっくりすぎたのと、思い出しながらだったのでゆっくりになっていまったのです。人の眼をみて、原稿をみるな、というので、暗記しなければならないのです。(アウトラインはみてよいのですが・・・。)でも、大きなすっぽ抜けがなかったのはよかった。英語スピーチの問題かなぁ。
2005年05月16日
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私の母教会が属する教団から、初の女性神学生が学んでいます。だんな様は牧師。でもこの教団では、女性教職(執事は別。)が認められていなく、卒業後にモンダイになりそうです。彼女は牧師になりたいそうで、私の母教会にもきて、講演されたそうです。私が今いる米国の教会はけっこう保守派で、「女性牧師」は認めていません。それどころか、この神学校には女性教師もいない、という状況です。でも、ルター派系大学の歴史教師で、メアリー・トッドという人の本を読んでみると、ここでも「女性教職問題」について、神学的に論じ合おうという雰囲気がないこともない、と知りました。トッド女史の論理は明快なので、興味深くおもいました。要は、否定する人の根拠は、聖書的プルーフである、1テモテ2:13によっている(神はまず、アダム、男を造られた。) が、彼女いわく、教会における「権威authority」を論じ合おう、というもの。そして、教会において、女性たちが奉仕するうえで、さげすまれている点を指摘しています。その「権威」は男に与えられたというより、神が与えたい者に与えるという感じ。選ばれし者には、その権威が与えられてしかるべき、と彼女はいうのです。この意見には、私も同感におもいます。別のクラスで聞いたのですが、米国の女性が社会進出したのは、戦中、戦後のことです。が、ここ以外のプロテスタント教会で女性牧師が登場しだしたのは1960年代ぐらいだそうです。結構、最近のことですよね。ここら辺が日本ではネックなのだとおもいます。日本はまだ、男性中心で社会が動いてますから。ただ、女性牧師の“質”が問題視されてることも米国ではあります。個々の女性がというより、彼女たちの出た神学校、教団の神学・教義のモンダイなのかもしれませんが・・・。----------------メアリー・トッドさんの例の本をネットで紹介してる文をみつけました。http://www.alibris.com/search/search.cfm?chunk=25&mtype=&wauth=Todd%2C%20Mary&qwork=511940&page=1&matches=3&qsort=r&browse=1&full=1そして彼女の顔写真と論文等、が載っているサイトも。http://www.crisisinthelcms.org/riverforest.htm
2005年05月02日
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