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「楽天日記」効果が、早くもでている。日本の母教会や仲間に、毎月メール報告しているが、その内容とは、99パーセント、この公開日記そのままなのだ。面白いリアクションがくるので、ちょっとだけご紹介しよう。-------------------「・・・それにしても、しんさんの報告書って、おもしろくて、ふっと、笑えます。それって、才能ですね。オカモト先生は、確かに厳しいらしいですが、主人(注:私の先輩)は、結構、仲良し?でした。なぜでしょう。わたしには、謎」---------------「そっちのポップコーンは 原料は遺伝子組み換え? こっちで アメリカのポップコーン食べるとき つい気になってしまう。映画館などで映画を見るときはポップコーンにコーラの組み合わせで雰囲気を追求するが どうもコーラを飲んだ後のゲップと コーンを食べた後のベトついた手のやり場に困ってしまう・・・」---------------(きわめつけは、ある私の不信仰な友人から。)「神様が白人って、無理があるんじゃない?かな~?恐らく黒人でしょ」-----------------最後のやつの感想には、なんともはや。しかし私は、ははは。実際、「わたしの先祖は滅びゆく一アラム人であり・・・」(申命記26:5)とあり、ユダヤ人には、アラミックの血が流れている。だから、どちらかというと東洋系のはずなのだ。西洋的イメージは、ローマ人がつくったものだね。と、大人の返答をしたのであった。それにしても、冬休み以降、なぜだか、ポップコーンを食べる気がしない・・・。
2004年01月31日
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artaxerxes氏の日記の ”「ゴッドハンド」は今”が面白い。(http://plaza.rakuten.co.jp/artaxerxes/diaryold/20040126/ )日記リンクの仕方がわからず、まだリンクできてないのです。すみません。前期旧石器の「発見」で、有名だった考古学者、藤村新一氏による「旧石器発掘ねつ造」記事に、毎日やったな、とジャーナリストでもないのに、舌打ちした記憶がよみがえりました。2000年の11月のことだ。当時、うちでは朝日新聞を取っていたので、親父が会社からわざわざコピーしてもってきた、当日の毎日新聞の記事しか読んでいなかったのです。たしか、一面にドーンと藤村氏がなにかを埋めているという、連続写真付きでした。これがスクープというものか、と驚いて読んだものです。後に、TV番組で毎日の旧石器遺跡取材班が、一度、取材を失敗していたという事実を知り、さらに興味深く思いました。事件発覚の前の遺跡調査でも、藤村氏が発掘ねつ造していたのですが、ビデオ撮影がうまくいかず、次の証拠をつかむチャンスまで、待っていたというのです。しかし、今回、インターネットで調べたら、毎日の関連記事の多さに改めて驚きました。週末にじっくり読もうっと。---------------------------毎日新聞「旧石器発掘ねつ造」関連記事(http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/iseki/200011/14-01.html)
2004年01月29日
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最近、日本では「要約本」がはやっているらしい。夏目漱石の『吾輩は猫である』や、スイフトの『ガリバー旅行記』など、古典文学や名作文学の分厚いものは、まだちゃんと読んでいないわけであるから、私にも興味はある。私の場合、教会で聖書を要約した、子供用の本を読んで育ち、いまになって大人の聖書を読んでいるわけであるから、有益だったといえる。賛成派でなければなるまい。でも、子供用の本には、以外にもかなり意訳されたものがあり、いま読んでもある意味、面白い。たとえばアメリカ人の神学生仲間には、預言者ヨナを食べたのは、大きな鯨だと思い込んでいるやつがいる。私にとって鯨は「魚」(ヨナ書2:1)ではなく、肉だとおもっているので、それは間違った解釈だとおもう。が、彼らの言い分は、わからなくもない。つまり、教会で幼いときに読んだ、絵本の影響なのだ。ましてや、鯨を肉として食べたこともないだろうし・・・おいしいのに。なかには、ヨナが鯨の空気口から吐き出されたとおもっているのもいるのだ・・・。やはり、本物を読んでもらいたい。---------------さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めるとわたしの声を聞いてくださった。あなたは、わたしを深い海に投げ込まれた。潮の流れがわたしを巻き込み波また波がわたしの上を越えて行く。わたしは思ったあなたの御前から追放されたのだと。生きて再び聖なる神殿を見ることがあろうかと。大水がわたしを襲って喉に達する。深淵に呑み込まれ、水草が頭に絡みつく。わたしは山々の基まで、地の底まで沈み地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よあなたは命を滅びの穴から引き上げてくださった。息絶えようとするときわたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き聖なる神殿に達した。偽りの神々に従う者たちが忠節を捨て去ろうともわたしは感謝の声をあげいけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出した。(ヨナ書2:1~11)
2004年01月28日
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求道者の聖書勉強会は、順調に進んでいる。今回は新しく、もうひとりのご婦人が参加し、岡崎師を入れて6人となった。しかしじつは、もっともたいへんなのは、ミハル姉の夫ウィズマー兄なのだ。我々が勉強中、2人のご婦人のお子さん5人とウィズマー家の2人息子の、合わせて7人の面倒をひとりでみていたのだ。後で子供たちを見にいったが、部屋をところ狭しと遊びまわっていた。ところで、ミハル姉の提案で、学びのスタイルが多少変わった。皆の一週間の出来事など、はじめに話し合うようになったのだ。求道者のご婦人から、「神さまに感謝」、「祈りがまだうまくできない」、などとお聴きし、主の導きに感動した。岡崎師による学びの内容のほうは、ルターの小教理からはじまり、創世記の2章の話になった。土から人は造られ、人のあばら骨から女性が造られたという、あのエデンの園の話。師の「求道者」への導き方を、じっくりと見守ってゆきたいとおもう。
2004年01月27日
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東京にいる母親から、封書が届いた。中には手紙はなく、友人からの数枚の年賀状と、母教会のクリスマス礼拝のときの写真、宣教師の報告書、それに新聞記事だった。その記事だが、「ブラック・ジャックがテレビTVアニメに」、「将棋の米長が引退」、「羽生王座追い込んだ初挑戦の19歳」、「舞の海、親父の背中」、「斬られ名優世界デビュー」、「『影踏み』が人気の横山秀夫氏に聞く」・・・など。特にこの横山秀夫に関する記事は、興味深く読んだ。「平成の松本清張」ともいわれる横山は、最近もっとも人気あるミステリ作家だ。私は『陰の季節』などの短編しか読んでいないが、なかなか面白い。安易な殺人事件ものの多いなかで、横山作品には、県警警務課の人事担当や、ベテラン婦警、警務部秘書課の議会担当など、実にリアルな登場人物が、些細な組織内の“事件”を解明しようと試みている。「人間は一人ひとりに心のきれいなところも醜いところもある。組織もまた、そうした個人の結合体・・・」と横山はいう。まさに松本清張を想わせる“社会派”だ。しかしワクにとらわれず、つねに新領域を挑戦している、という。新作『影踏み』では、“ノビ師”、人がいる家に忍び込む泥棒が主人公らしい。もちろん、清張も、警察ミステリものから、昭和時代のドキュメント、さらに日本美術史と骨董鑑定というようなテーマなど、ミステリ作家の枠を超えていた。・・・横山秀夫の長編『半落ち』の映画化のほうも進んでいる。この『半落ち』は、第128回直木賞候補となったものの、林真理子ら、当時の選考会によって、ミステリとして、設定に事実誤認の“重大な欠陥”があると指摘され、落選したというイワクつきの作品なのだ。まだまだ、横山人気は続きそうだ。それにしても、うちの母親は息子の興味をよくわかってるな。
2004年01月25日
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松本清張の短編はどれも秀作ぞろいだが、私は『真贋(しんがん)の森』が気に入っている。なぜかというと、日本美術史の学問としての封建制を指摘している点が、面白い。また、実践である古美術の“鑑定”という作業が、あまりにも軽んじられている、というのだ。私の学ぶ神学にも、“日本の神学”の場合はそんなようなものだと思う。絶版となった神学書が手に入りにくいからだ。話はそれるが、この神学の分野にも、『トマスの福音書』という贋作がある。“疑い者”、使徒トマスの名を借りて、書かれたらしい。また、贋作ではないが、新約聖書の『ペトロの手紙 二』は、そのギリシャ語がよほど異質らしく、聖典性を疑う学者もいるという・・・。ある牧師が、この第二ペトロをテキストとした説教で、「この書簡は、実際ペトロが書いたかどうか解かりませんが・・・」と、枕ことばにしたのを聴いたことがあるが、それはマズイだろう。「使徒であるシメオン・ペトロから」(1:1)と表記されているのだから、それを信じなければ、説教自体が偽物になってしまう。・・・ところで、この『真贋の森』はいわゆる推理トリックものとは異なり、犯人探しも、アリバイ崩しもない。とはいえ、れっきとした清張ミステリという気がする。読者は主人公に感情移入する。そのため、彼の思惑が結末で破たんするというのは、やはり驚きなのだ。だが、主人公の人生と復讐心を、“反面教師”として、自己顕示(けんじ)欲を求めない人生にしたい。主は岩。主のみわざは完全。まことに、主の道はみな正しい。主は真実の神で、偽りがなく、正しい方、直ぐな方である。(新改訳 申命記32:4)
2004年01月24日
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ドクター・オカモトに捕まってしまった。組織神学のクラスが終わって、明日の他の2クラスのテスト準備のため、急いで立ち去ろうとしたのだが・・・。ドクター・オカモトいわく、今日返した小論文には、「スィー・ミー」とあっただろう、という。先週書いた、洗礼と信仰義認に関する小論文は戻ってきた。でも、私は例の「ライト・アゲイン」ね、と思って、バインダーに挟み込んでいたのだ。我々以外だれもいなくなった教室で、ドクター・オカモトから、「天地創造とは、なんだ」、「死んだら天国にいけるとなぜ、言えるのか」、「おまえは、クリスチャンだと、どうして確信しているのか」などと、立て続けに質問され、とまどった。しまいには、わからないなら、わからないといいなさい、とまでいわれてしまった。ったく!ペースが合わないんだよな~。「・・・説明ではなく、実際どうなるのか、を書くんだ」と、なんだか、納得できたような、そうでないようなことをいわれて、やっと解放された。しかし、ようはまた、例の「ライト・アゲイン」なのね!
2004年01月23日
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昨晩、スタウト家で、日本語集会があった。年明けて、久しぶりに会う仲間たちと、いろいろな話ができた。スタウト兄から、チェスの駒の動かし方を伝授してもらったり、ディアナ、ヨシキ、キャシーの三人組と、「子ども版クルー」というボードゲームなどをして、楽しく過ごした。そして、今年初めて、サトミ姉特製のおしるこ・海苔で巻かれたもち、をいただいた。サトミ姉いわく、このもちは、餅つき機で昨日造ったものだという。なるほど、丸もちだ。私にとって、やっとお正月がやってきたようだった。もっとも、肝心の「NHK紅白歌合戦」のビデオのほうは、次回、集まるときに貸してもらうことになった。春になるまえに、「さくら」が聴きたい・・・。
2004年01月20日
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本論:1.信仰序:「信仰とはなにか」・・・“信仰”とは、いったいなんでしょうか。私たちは、聖書にこう記されていることを知っています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブライ11:1)。では、“見えない事実”とは、いったいなんでしょうか。それは、もちろん、神さまの存在です。私たちの信仰とするものは、その方以外にはいません。イエスさまも、疑う者に対して、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20:29)と語っておられます。Ⅰ:「アハズヤの子ヨアシュの信頼」・・・さて、テキストを読んでみましょう(列王記下11:1~12:3)。--------------------11:1 アハズヤの母アタルヤは息子が死んだのを見て、直ちに王族をすべて滅ぼそうとした。11:2 しかし、ヨラム王の娘で、アハズヤの姉妹であるヨシェバが、アハズヤの子ヨアシュを抱き、殺されようとしている王子たちの中からひそかに連れ出し、乳母と共に寝具の部屋に入れておいた。人々はヨアシュをアタルヤからかくまい、彼は殺されずに済んだ。11:3 こうして、アタルヤが国を支配していた六年の間、ヨアシュは乳母と共に主の神殿に隠れていた。11:4 七年目に、ヨヤダは人を遣わして、カリ人と近衛兵からなる百人隊の長たちを神殿にいる自分のところに連れて来させ、彼らと契約を結んだ。彼は主の神殿の中で彼らに誓いを立てさせ、王子を見せて、11:5 こう命じた。「あなたたちがなすべきことはこれである。あなたたちのうち、安息日が出番に当たる者の三分の一は王宮の警備に就き、11:6 ほかの三分の一はスルの門に詰め、残る三分の一は近衛兵の背後の門に詰め、こうしてあなたたちは交代で王宮の警備に当たれ。11:7 安息日が非番に当たるほかの二組は主の神殿で王のそばにいて警備に当たれ。11:8 おのおの武器を手にして、王の周囲を固めなければならない。隊列を侵す者は殺されなければならない。王が出るときも、入るときも、王と行動を共にせよ。」11:9 百人隊の長たちは、すべて祭司ヨヤダが命じたとおり行い、おのおの安息日が出番に当たる部下と非番に当たる部下を引き連れ、祭司ヨヤダのもとに来た。11:10 祭司は主の神殿に納められているダビデ王の槍と小盾を百人隊の長たちに渡した。11:11 近衛兵たちはおのおの武器を手にして、祭壇と神殿を中心に神殿の南の端から北の端まで王の周囲を固めた。11:12 そこでヨヤダが王子を連れて現れ、彼に冠をかぶらせ、掟の書を渡した。人々はこの王子を王とし、油を注ぎ、拍手して、「王万歳」と叫んだ。11:13 アタルヤは近衛兵と民の声を聞き、主の神殿の民のところに行った。11:14 彼女が見ると、慣例どおり柱の傍らに王が立ち、その傍らには将軍たちと吹奏隊が立ち並び、また国の民は皆喜び祝い、ラッパを吹き鳴らしていた。アタルヤは衣を裂いて、「謀反、謀反」と叫んだ。11:15 祭司ヨヤダは、軍を指揮する百人隊の長たちに、「彼女を隊列の間から外に出せ。彼女について行こうとする者は剣にかけて殺せ」と命じた。祭司が、「彼女を主の神殿で殺してはならない」と言ったからである。11:16 彼らはアタルヤを捕らえ、馬の出入り口を通って王宮に連れて行った。彼女はそこで殺された。11:17 ヨヤダは、主と王と民の間に、主の民となる契約を結び、王と民の間でも契約を結んだ。11:18 国の民は皆、バアルの神殿に行き、それを祭壇と共に破壊し、像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。祭司ヨヤダは主の神殿の監督を定め、11:19 更に百人隊の長、カリ人、近衛兵および国の民全員を率いて、王を主の神殿から連れ下り、近衛兵の門を通って王宮に導き、王座につけた。11:20 こうして、国の民は皆喜び祝った。アタルヤが王宮で剣にかけられて殺された後、町は平穏であった。12:1 ヨアシュは王位についたとき、七歳であった。12:2 イエフの治世第七年にヨアシュは王となり、四十年間エルサレムで王位にあった。その母は名をツィブヤといい、ベエル・シェバの出身であった。12:3 ヨアシュは、祭司ヨヤダの教えを受けて、その生涯を通じて主の目にかなう正しいことを行った。-----------------------アハズヤの子ヨアシュ王子は、まだ赤ん坊でした。父親は殺されてしまい、祖母アタルヤからも命を狙われていました。おばのヨシェバ、乳母、祭司ヨヤダらによって保護され、神殿のなかで育てられたのです。育て親への依存と信頼をもつと同時に、主なる神をも信頼し、成長していったのです。ヨアシュは、七年目に王位を授かり、南ユダを治めることになります。同様に、ベツレヘムに生まれたイエスも、ヘロデ王に命を狙われました(マタイ2:13)。ヨセフとマリアという両親によって、エジプトに逃亡したのでした。そのような状況で、神と人に依存して成長されたのです(ルカ2:40,52)。質問 ① ヨアシュ王子とイエスさまは、どのような点で、神さまを信頼したと考えられますか。
2004年01月19日
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東京の山口兄と、新しい聖書研究をすることになった。山口兄が質問に対して応答してくれることで、私の方も、その準備に追われるという図式。前回の「ヤコブ書」の学びが、なかなかよかったので、私も本腰を入れる気になった。--------------------------聖書研究 「『列王記』に学ぶ、十字架の神学」はじめに:この学びは、私が前クオーターに受講した、教義学(組織神学)のテキスト、ロバート・コルブ博士著、「A Lutheran Exposition: The Christian Faith」をもとにしています。でも、難しい神学を学ぶ、という聖研ではありません。気楽に、そして発想を豊かにするために、旧約聖書の『列王記』から引用し、解かりやすいものにしたいと思います。とはいえ、“キリスト者の信仰”についてのテーマは、なんと、18コもあるので、ゆっくりと学んでゆきましょう。さて、テーマごとに学ぶ理由とは、なんでしょうか。それは、「ルターの小教理問答」を学ぶことと同様に、私たちの信仰をより、把握しやすくすることです。日々、私たちは自らが意思決定をし、行動していますが、それはキリスト者として、信仰をもって歩むことでもあります。私たちの神さま、イエスさまについて、また信仰についてなど、私たちにとって、大切なテーマを一つずつ、確認してゆきましょう。アウトライン:1. 信仰 <テキスト 列王記下11:1~12:3>2. 御父3. 創造者4. 備える方5. 罪と悪6. 律法7. 御子8. 御子の働き9. 義認10. 聖霊11. 聖典12. 御言葉13. 洗礼14. 主の晩餐15. 聖化16. 教会17. 宣教18. 終末
2004年01月18日
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お隣の岡崎師が、ある日本人のご婦人に対して、聖書の学びをすることになった。そのほか、数人の婦人とともに、私も参加することになった。金曜日の午後4時。場所は、我らの寮、ロビー。ふだんならうるさい時間帯だが、週末のおかげで、仲間の声はしない。岡崎師が、求道者のご婦人に対し、たんたんと『詩編』119編について語っている。私は不謹慎にも、私の差し入れした、「プリングルス」はいつ食べられるのか、などと思った。岡崎師の熱弁に、だれも口を挟むことができないからだ。40分が過ぎた。ユーコ婦人の娘さん(まだ一歳未満)がさすがに、そわそわしだし、しまいに泣き出した。集中力がこちらも切れてきた。が、岡崎師の調子は、ますます上がってきた。1時間と10分が経ち、ようやく、岡崎師の「・・・というわけで、これまでについて、なにかご質問はありますか?」という言葉で、息をついた。質問はだれもしないようだ。賛美歌を歌い、短いお祈りをして、やっと終わった。勉強会の後、ついに、「プリングルス」と梅風味の海苔巻きせんべいを食べながら、談笑できた。緊張の後なので、やけに楽しい。そのご婦人が東京、世田谷出身であることを知り、いろいろな話ができた。「求道者」のための聖書の学びとは、こういうものか、と思った。岡崎師いわく、聖書の旧約と新約がありますが、「新約のほうが新しいからいいですよ」というのは、間違いなのです。”約”とは、翻訳のヤクではなく、契約、つまり人と神さまの契約を意味しているのです。私にとって、初めて聖書を手にする人の立場で、ものを考えるという、きっかけとなりそうだ。この学びは、毎週おこなわれる。あなたのみ言葉は わが足のともしび、わが道の光です。(口語訳 詩編119:105)
2004年01月16日
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二つの小論文は書き終えた。が、その前の週に書いた、私の自信作(マル一週間かけて仕上げた苦心の小論文。)がなんと、ライト・アゲイン(書き直し)とのこと!この組織神学は、ドクター・オカモトという若い日系アメリカ人の先生のクラスなのだが、かなり厳しい。日系といっても、日本語で通じ合えるわけでもなく、むしろ白人アメリカ人の教授より、シビアな人だと思う。次週には、自ら選んだ12コの神学記事を読み、レビュー(評論文)を書け、とのこと。まるで、駆け出しの作家でもなったような気分だ。負けてたまるか~。-----------------------------手元の手帳には、日記に書きたいアイディアでいっぱいなのですが、なんせ、落ち着かず、まとめきれていません。すみません・・・。皆様からの励ましのお便りを、心待ちにしております。よろしくお願いします。
2004年01月15日
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神学校が始まってしまった。頭を日本語から英語へ、そしてヘブライ語へとシフト・チェンジだ。仲間も帰ってきたし、なんだか、うきうきする。今週は小論文二つ。なんとかなるだろ!しかし、去年の今ごろは、家でぬくぬくとNHKの「武蔵」を観ていたのにな~などと、昨年の日記をみながら想った。-------------------昨晩、友人のアディソン君から電話をもらった。彼は短大を卒業し、パートタイムの仕事をしていたが、ある日、祈りのなかで、「もっと良い仕事を与えてください」と主に願っていたという。次の日、仕事場へゆくとなんと、ストアが閉鎖されるので、スタッフ全員が解雇されるという、知らせを通告される。さいわい一年間ほど、雇用保険の手当てがでるらしい。アディソン君は失業がショックというより、主の答えがあまりにも速くきたことに驚いたという。この時期に、じっくりとみ言葉に聴き、よい準備をしてもらいたい、と切に願う。
2004年01月06日
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ペトロという人物は、もともとガリラヤ湖の漁師でした。旧約聖書の知識も、ガリラヤの外の事は何も知らないような人でした。いわゆる、地中海の大海原の大魚を捕ったり、海外へ行ったりという経験もない、狭い視野でしか物事を見ていないような人だったようです。 このペトロさん、イエスの弟子になってからも、師のイエスに叱られてばかり・・・。あるときは、慣れ親しんだガリラヤ湖でおぼれそうになり、「信仰の小さき者よ」と怒られてしまう。またあるときは、イエスに「ご一緒なら牢屋に入っても、死んでもかまわない」と言っておきながら、人から、「あなたは、あのイエスの弟子じゃないか?」と問われて、恐れるあまりに「あんな人は知らないっ!」と、三回も即答してしまったり・・・。さらには、イエスさまが逮捕される時など、持っていたナイフで、ある男の耳を切り落とすといった凶暴な一面も持つ、そんな弟子らしくない弟子だったのです。考えるより先に行動し、そのつど失敗するという、有言不実行な性格から、一見、だめな弟子と思われがち、そんなペトロさんだけど・・・実際には、イエスさまに最も愛されていたのではないかとも思うのです。 「できの悪い子供ほどかわいい」じゃないけど、積極的に質問し、叱られてもめげずに、次の質問をするようなペトロを、気にせずにはいられないだろうな~と。復活したイエスさまは昇天する前に、ペトロだけには「私を愛しているか?」と、三度も言われて再確認されている。それなのに、当のペトロは、自分のことを差し置いて、年下の弟子、ヨハネを指して、「この人は迫害されますか?」というような、興味本意の質問をして、また最後に叱られるという、憎めないヤツ。使徒パウロのようなエリートでもなく、ヨハネのように文学的な福音書を書く才能もなく、ギリシャ語で手紙を書くことにも、苦労したような、“無学の人”ペトロ。しかしその分、多く祈られた弟子のペトロ(ルカ22:32)。しかも、パウロのことを語っている中で、結論的に、あのような手紙は「わたしにも難しい」と暴露(?)までしているペトロ(ペトロの手紙二3:16)。 しかしイエスから愛されたペトロは、このような名言を残している。「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。・・・」 (ペトロの手紙二3:8) 僕はこの言葉を、「人生なんてあっという間だよ。終わりの日なんて一瞬のうちに来てしまうよ。でもそれは、僕らにとって希望だよ。神の約束だよ。」って言っているように今は聞こえる。確かに彼は、真理について悟っていた、と想う。
2004年01月05日
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「大学受験 小論文の完成」 神田正美・倉本幸弘(編著)(駸々堂)という本がある。日本の大学受験をしなかった私にとって、数少ない参考書だ。大学留学中に購入したのかと思いきや、裏表紙の日付をみると卒業後であり、苦笑した。どうやら、就職活動中に、面接のほかに、論文提出が求められるかもしれないと買ったようだ。社会人時代、レポート作成のために読んだ記憶がある。また、今の神学の学びにおいても、参考になっている。小論文の書き方を自分なりにアレンジしてみた。 ① 材料を集める方法 資料・連想・体験・知識・引用。神学論文の場合、おもな資料が必ずある。自分なりの意見が求められるケースは、特に連想を豊かにする。 ② 材料を選択し、テーマを絞る 焦点がぼやけるのをさけるため、不必要なものは惜しくても捨てる。 ③ 内容の補充 テーマがはっきりしたので、もう一度、材料集めなどして、内容の充実をはかる。 ④ 構成の組み立て アウトラインを作成する。チャートを用いると、すばやく構成できる。 ⑤ 小論文を完成させる 書いて、タイプして、読み直して、終わり!
2004年01月04日
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私は将棋が好きで、気に入った将棋棋士がたくさんいるが、そのなかでも、尊敬する棋士とは、内藤國雄九段だ。彼は数少ない“千戦勝棋士”として有名な人だが、詰(つ)め将棋作家としても知られる。なかでも「ベン・ハー」という超長編詰め将棋は話題となった。詰め将棋とは、いうまでもなく、相手の王様を“王手、王手”で、手がなくなるまで追い詰めるゲームだが、「ベン・ハー」では、映画さながらのシーンが展開される。そう「ベン・ハー」とは、内藤氏が若いころ観た、チャールトン・ヘストン主演映画がモチーフとなっている。大戦車競争のシーンを思い起こさせる、ぐるぐる回る駒(こま)の動きをみると、芸術性すら感じさせられる。ただ、キリストの十字架上の死は、5五という盤上の中心で詰ましてほしかった。「ユダヤ人の王」(ルカ23:37)と呼び捨てにされたイエスは、私の罪が追い詰めたのだということを、自覚させるためにも・・・。
2004年01月03日
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昨年の冬休み中に、思い立って「楽天日記」を記録しはじめた。実は、‘02年の12月から、個人的な日記は書いていたので、日記をはじめたのではない。また、神学留学して以来、母教会へのレポートもほぼ毎月書いていたので、多少のストックがあったことも事実だ。されど、楽天日記は私の想像以上に、刺激的だった。傍観しているのと、実際するのとでは、かなりの違いがある。どなたかも書いておられたが、楽天日記をはじめてから、ネタ探しの生活習慣に変わり、楽天日記のために生きているようになったという。ネタがなければ、映画を観たりして、書くことを求めたという人もいらっしゃる。他人ごとながら、笑うに笑えない自分がいる。ときには、アクセスカウントをチェックして、「みんな読んでくれた」とニンマリしたり、感想を読んだりする楽しみができた。私の日記に感想を書いてくださった方の日記を読ませてもらうと、「みんな、がんばってるな~」と励まされる。私の今年のテーマは、「満たし」(フィリピ4:19)である。心満たされたひとつひとつの小さな出来事を、断片的にでも、記してゆきたい。「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。」
2004年01月02日
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毎年、おせち料理より楽しみにしていた、元旦の「天皇杯」決勝戦。米国にいる私にとっては、ラジオ中継でもいいから、ライブで聴きたかった。しかし、多少の雰囲気は味わえた。というのは、東京の友人がチャットで、実況生中継してくれたからだ。「日刊スポーツ」のサイトでは、後半11分以降、試合の模様が更新されず、悔しい思いをしているところで、その友人の助け舟。「どっちが勝ってる?実況中継たのむよ~」と私。「1-0」と友人。「おお。どっちが?」「ジュビロが勝ってる」「なんで~」と、こんな感じ。でも臨場感あふれる中継には、変わりない。「きっといやらしく守りに行くぞ」と私。がぜん、セレッソに肩入れしたくなる。そんな矢先、「ちょっと今から自転車で都内を偵察に行ってくるね」と友人。もともと、それほどサッカーに思入れのない女の子。「後10分じゃん!たのむよ~」と中継続行を要請。「退場になったぞ」「なに?だ、だれ?」「じゅびろのひと」とのこと。後で知ったが、喜びすぎた得点者、グラウが二枚目で、退場になったのだ。これも後で知ったが、後半22分、ゴン中山の投入で、国立スタジアムの雰囲気が変わったという。W杯「対ロシア戦」を思い出し、目に見えるようだった。苦労人、いぶし銀、中山の勝利だ、仕方ない。おめでとう、中山。そして大久保、めげるな、君には明日がある。
2004年01月01日
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